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公務員制度(その1)(森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー、公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ、「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か) [国内政治]

昨日の公文書管理・公開に関連して、今日は、公務員制度(その1)(森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー、公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ、「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か)を取上げよう。

先ずは、健康社会学者の河合 薫氏が3月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿しいた「森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー」を紹介しよう(▽は小見出し、●、+は段落)
・今日3月27日は、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省決裁文書の改ざんで、当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行なわれる。 「ちゃんと行なわれるのか? 大丈夫なのか?」と、原稿を書きながら心配している(現在、24日土曜日)。 私だったらムリ。あそこまで露骨に“佐川事件”(by 自民党の西田昌司・参院議員)などと責任を押し付けられたら、参ってしまう。
・「ナニ善人ぶっているんだ! 財務省が悪いんだろう!」 とお叱りを受けるかもしれない。 でも、自民党の和田政宗・参院議員が太田充・理財局長に対して、「安倍政権をおとしめるため意図的に変な答弁をしているのか」と問い詰めた(太田氏は民主党政権時に野田佳彦元首相の秘書官を務めていた)ことに対し太田氏が 「いくら何でも、いくら何でも、……いくら何でも。……私は、公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えするのが、仕事なんで。それをやられるとさすがに。いくら何でも、それはいくら何でも、それはいくら何でもご容赦ください」 と抑え続けられた憤りを噴出させていたのを国会中継で見て、ナニかを感じずにはいられなかった(和田氏は批判を受けて後に発言を撤回)。
・公文書改ざんという問題の本質はさておき、彼ら官僚たちをあそこまでたらしめる“目に見えないパワー”とはナンなのか? 恐ろしくなってしまったのだ。 先週(3月22日)、「官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される」という記事がSNS(交流サイト)上で話題になった(詳細はこちら。)
・内容をざっと紹介すると、 +メンタルヘルスで一カ月以上休職している国家公務員(精神及び行動の障害による長期病休者数調査、非常勤職員除く)が全職員の1.26%(全産業の同様の休職者の割合は0.4%)  +自殺者は毎年40人前後(過労自殺含む)  +年間の超過勤務の平均時間は全体で235時間、霞が関本省は366時間(人事院による)  など、官僚たちの過酷な職場状況を報じた。
・記事では、社員による企業の口コミサイトのコメントも掲載している。「財務省、経産省、国交省に対して、やりがいや人材育成を評価する口コミも多く、あくまで、過酷な職場に対する一部の意見」としつつも、描かれていたのは実に“乾き切った”当事者たちのリアルだった(以下、一部を抜粋)。
●国土交通省の「退職検討理由」に関する2016年7月の書き込みより 「観光庁にいた頃、年度末残業が200時間以上(毎日深夜帰宅、土日出勤)となった時、生理が止まった。仕事が面白く麻痺していたが、真剣に退職して実家に帰ろうと思った。(在籍3~5年、現職、新卒、女性)
●財務省の入省前に「認識しておくべき事」に関する書き込みより 「本当に日本の財政に関わっていきたいのか、それは自分を押し殺してでもやりたい事なのかよく考えるべき。予算策定時期には百時間超の超勤がザラにある部署も。(在籍5~10年、現職、新卒、男性)
●2017年5月の経産省の「モチベーション・評価制度」に関する書き込みより 「政治家の理不尽な要求で省全体で大騒ぎしているところなどを見ると情けなくなる。(課長補佐、在籍15~20年、退社済み、新卒、男性)
●国交省の「入社後のギャップ」に関する2016年10月の書き込みより 誰のために働いているのかわからなくなる。上司のためなのか、議員のためなのか。議員のために働いてそれが国のためになればよいが、政治家が腐敗しているため、そうはならない。だから辞めた。(総合職、在籍5~10年、退社済み、新卒、男性)
・200時間以上の残業、自分を押し殺す、政治家の理不尽な要求、誰のために働いているのか──。官僚への切符を手に入れたときに抱いていた崇高な気持ちは彼ら・彼女たちの心の中に残っていると信じたいが、日々の業務によって心身が蝕まれていく。 官僚たちの悲痛な実態に驚くとともに、暗澹たる気持ちになった。
・今からちょうど一年前の日経新聞でも「霞が関の明かりは消えず 官僚たちの長時間労働」という記事が掲載され、働き方改革との齟齬を指摘していたことがある(以下、日経新聞より)。
 +「旗振り役の経産省以外で真剣にプラミアムフライデーに取り組む官庁はない」「働き方改革の政策づくりに取り組んでいるのに、自分たちの職場の働き方改革はなかなか進まない」(by 経済官庁幹部)
 +「就職活動ではプライベートの充実や休暇が取れるかを優先した。官僚になることは考えなかった」(by 有名私大の学生)。
・どちらの記事も「不夜城」と揶揄される霞が関の内実を指摘したものだが、 彼らに長時間労働を強いる要因は何なのか? 何のために彼らはそこまで身を捧げるのか? ポジティブとネガティブな感情に翻弄され、心身を蝕むほど仕事にコミットさせる“パワーの正体”を、今回は考えてみようと思った次第だ。
・まずは、その手がかりになりそうな一本の論考を紹介する。 タイトルは「病める官僚たちー長時間労働・過労死・過労自殺」。執筆者は明治大学大学院政治経済学研究科長の西川伸一氏で、1999年12月刊行の『政経論叢』に掲載された。 1997年の2~3月に、西川氏は内閣法制局参事官経験者の履歴を調べるために、国会図書館の資料室で毎日、『官報』を閲覧。そんなある日、「官史死亡」なるものを見つけ、驚愕する(以下、論考より)。
・「総理府○官吏死亡 社会保障制度審議会事務局総務課長永瀬誠は、四月八日死亡  敬称も付けずくやみの言葉もなく、死亡月日と死亡の事実だけを伝える冷たく乾いた活字が並ぶ。永瀬誠氏は1968年に厚生省に入省し、84年9月から88年6月まで内閣法制局第四部参事官を務め、それ以降、総理府(現内閣府)に出向していた。享年46歳。
・内閣法制局参事官といえば、主要官庁の同期入社組のなかでも一番手、二番手が出向する「昇任」ポストである。その経験者、えり抜きのキャリア官僚の在職中の急逝。死の背後に何があったのか。彼らに無念さや残された遺族のことが私の頭をよぎった」(本文より) 
・そこで西川氏は、大蔵省(現財務省)キャリア出身で京都大学経済学部教授の吉田和男氏の著書『官僚崩壊』に書かかれていた次の一節を検証すべく、中央省庁の職場環境にメスを入れることになる。 「若い人でもたくさんの主査が在職の最中か直後に死んでいる。私の年次の近いところだけでも5人も死んでいる。この10年間ほどの年次の間に主査経験したものは50人ほどであるから、一割とはきわめて高い死亡率である」(by 吉田和男)
・論考は、「不夜城・大蔵省のうめき」「長時間労働の内実」「官僚たちの墓標」と3つの“カルテ”で構成。“数字”から浮かびあがるショッキングな実態、働く人たちの証言、さらには元官僚の小説などが記述されている(抜粋し要約)。
・【カルテ1 不夜城・大蔵省のうめき】
 +(査定案は)期限が切られているから、睡眠時間を犠牲にするしかない。一日の残業時間は7時間、月200時間超。退庁は1時、2時、徹夜もざら。土日も100%出勤。11月、12月はひと月の残業は300時間超。  +“バカ殿教育”と批判される地方の税務署長勤務から戻ってきた30代の課長補佐は、出世競争にしのぎを削る。認められるためには、仕事ぶりで自らをアピールするしかない。
 +1985年6月、30歳の課長補佐が庁舎から飛び降り自殺。92年に11月、33歳の課長補佐が横須賀の観音崎灯台から飛び込み自殺。97年8月、28歳の係長が省内のトイレで自殺。98年5月、28歳係長が大蔵省の寮で自殺。
 +98年には、金融機関をめぐる接待汚職事件の調査にからんだノンキャリの職員2名が自殺。
・【カルテ2 長時間労働の内実】
 +若手は「無定量、無制限」で使われる。「国会待機」中、質問内容を教えてくれない新人議員に「あなた1人のために、3000人が待機している」と苦言を呈したとの逸話あり。
 +残業手当ては実際の残業時間の4分の1程度。残りはサービス残業(予算で決められているため)。サービス残業を厭わない理由は「国家官僚としての使命感」と口を揃える。
 +より多く仕事して認められたい、目立ちたい。エリート意識に支えられた強い出世欲がある。
 +同期入社との出世競争に勝つために「入社後10年は朝帰り」
・【カルテ3 官僚たちの墓標】
 +「過労死問題」に取り組んでいた経済企画庁経済研究所の研究官が、97年に52歳の若さで過労死。
 +99年、環境庁(現環境省)の職員が過労死。環境庁の仕事は環境意識の高まりとともに激増するも職員数は80年の895人から微増の1020人(99年度)。
 +97年、8人の官僚が自殺を図る(1人は未遂)。半分は20代、30代のキャリア官僚。
 +98年、28歳の大蔵省キャリア係長が自殺。
 +99年1月、25歳の郵政省キャリア職員が自殺。同年8月、52歳の国税庁のキャリアが大蔵省4階から飛び降り自殺。
・【処方箋はあるか】 官僚たちの過労死問題は、+人員不足 +国会審議の質問取りや答弁作成になどが大きな負担 +本来政治家がやるべき仕事を、官僚たちがやりすぎ  に起因するとし、「政治主導は、議員の甘えと官僚側の過剰適応を招いている」と指摘。 その上で、西川氏は「業務量を減らす」ことと「増員する」ことの2点が解決策と提示した。 さらに、「意識が朦朧とした状態でまともな政策など考えられるわけがない。官僚側の意識改革が必要不可欠。自分たちの職場は“狂っている”ことを自覚せよ!」 と訴えている。
・……さて、いかがだろうか。 この論考が発表された1999年から20年近くの歳月を経て、“狂った職場”は正気に戻ったのだろうか。 「戻ってない」というのが私の見解である。むしろもっと“狂った”職場になっているのではあるまいか? そもそもサービス残業が日常茶飯事であるなら正確な労働時間など分かるわけがないし、国家公務員の数は、人口比で見ると1960年代以降横ばいで、職員数の適正化が行なわれているのかどうかも疑問である。
・奇しくも、冒頭で紹介した記事で、 誰のために働いているのかわからなくなる。上司のためなのか、議員のためなのか。議員のために働いてそれが国のためになればよいが、政治家が腐敗しているため、そうはならない。だから辞めた。(総合職、在籍5~10年、退社済み、新卒、男性)  とのコメントがあったが、政治家と官僚の関係性に影響を与える構造的な問題に加え、政治家の質も疑問だ。
・長時間労働に加え、仕事上のプレッシャー、過剰な業務、時間的切迫度など、さまざまなストレス要因が重なると、「生きる力」が萎えて、過労自殺に追い込まれることはこれまでに何回も指摘してきた。 以前、メンタルを低下させて休職中の人をインタビューしたときに、 「死にたいとか、死のうという気持ちを自覚したことは一度もなかった。なのに電車がホームに入ってきたときに飛び込みそうになった。近くにいた人が咄嗟にスーツのジャケットを引っ張って止めてくれたので九死に一生を得たけど、思い出すだけ恐ろしくなる」 と話してくれたことがある。
・官僚たちの「死」は、本人のエリート意識や出世欲と関係しているのだろうか?  「官僚は政治家に仕えて当然」という政治家の傲慢さが関係しているのではないか? はたまた一部のジャーナリストたちが指摘するように「官僚の質が低下」していることが関係しているのか? いずれにせよ「公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えする」ことと、言いなりになることは全く別だ。
・誰もが例外なく「認められたい」という欲求を持ち、権力(=パワー)ある人が、自分に利益をもたらしてくれることを知っているけど、その先あるのは……死。パワーなき末端の人たちの命が危険にさらされるのだ。  そういえば文部科学省の事務次官だった前川喜平氏が、加計学園問題を巡り記者会見を行なったとき、某政治コメンテーターが、 「政治家は国民に選ばれている、官僚は試験に受かっただけ。政治家の言うなりになって当然」 といった趣旨のコメントをしたことがあったが、こういった欺瞞を振りかざす限り、“病い”は治らない。むしろ、官僚たちを狂わせるパワーになる。 もし、予定どおり証人喚問が行なわれたなら、佐川氏には“狂った職場”の内実を語ってもらいたい、と個人的には思っているが(……ムリか?)。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/032600152/?P=1

次に、経済ジャーナリストの磯山 友幸氏が3月23日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽森友学園問題は「組織ぐるみの不正」
・森友学園への国有地売却問題は、財務省の指示による決裁文書の書き換えが明らかになるという驚愕の展開となった。多くの現役官僚や官僚OBは公文書改ざんについて、異口同音に「考えられない」「あり得ない話」と語る。まさに「一線を越えた不正」である。 
・財務省は佐川宣寿理財局長(当時)個人の不正に矮小化しようとしているように見える。だが、改ざん実行までには複数の幹部が関与しているのは明らかで、局長の指示を受けたからといって疑問を挟まずに不正の実行を部下に命令するのは明らかに「組織ぐるみの不正」だ。歴史的に大きな権力を持ち続けてきた財務省、そして財務官僚の目を覆わんばかりの「劣化」である。
・もちろん、背景に政治家の指示があったとか、政治家への「忖度」があったという「理由」があるのかもしれない。だが、それとこれとは別問題。政治家に言われれば、官僚はどんな不正でも行うのか。そんなことはあり得ない。
・組織的な公文書の改ざんは、民主主義の根幹を揺るがす。都合が悪くなったら過去の文書を書き換え、国会で嘘の答弁をする。そんなことを許すわけにはいかない。では、どうやって再発を防ぐか。 不正を働けば官僚個人も官僚機構も大きな損害を被るのだ、という事を全霞が関に理解させる必要がある。徹底的に問題を追及し、関与した幹部官僚は免職、天下りも許さない。財務省には解体的な出直しを求める。そして何より必要なのが「公務員制度改革」に再び本腰を入れて取り組むことだろう。
・「安倍内閣は役人に優しい内閣ですから」。この問題が発覚する直前、民主党政権で大臣を務めた野党の幹部がこう笑っていた。 民主党は「脱官僚依存」を公約の1つに掲げ、官僚主導から政治主導へと大きく舵を切ろうとした。ところがやり方が稚拙で、政務三役(大臣、副大臣、大臣政務官)の会議から官僚を「排除」するなど、「脱依存」の意味を履き違えた。結果、霞が関も猛烈に反発、官僚機構が「非協力」を決め込んだ。民主党政権の瓦解は、霞が関の消極的反乱が一因だったと見ることもできる。
▽天下りに「理解」を示した第2次安倍内閣
・2012年末に政権を奪還した第2次安倍内閣は、一転して「公務員に優しい」姿勢を取った。第1次安倍内閣は「公務員制度改革」に本腰を入れ、霞が関の反対を押し切って、2007年に国家公務員法改正案を国会で可決させた。各省庁による天下りの斡旋禁止と、年功序列の打破が柱だった。当時の安倍内閣の閣僚たちはこの改革で霞が関を敵に回したことが、わずか1年で内閣が崩壊することにつながったと考えた。第2次安倍内閣が官僚を味方に付ける政策を取ったのは、民主党の失敗だけではなく、第1次安倍内閣の失敗の反省でもあった。
・政府系金融機関の民営化はストップ、幹部への天下りにも安倍内閣は「理解」を示した。民主党政権で大幅にカットした公務員給与も元に戻し、それ以降も賃上げを容認している。公務員制度改革の司令塔だった「国家公務員制度改革推進本部」は2013年7月に「設置期限を迎えた」という理由で廃止された。 公務員制度改革を担うはずの担当大臣も目立たなくなった。第1次安倍内閣の時は担当大臣の名称は、「公務員制度改革担当」だったが、今は「国家公務員制度担当」と「改革」の文字が抜け落ちている。まさに「名は体を表す」だ。
・そんな中で、唯一改革が進んだと見られたのが「内閣人事局」である。霞が関の幹部官僚600人の人事を一元的に行う組織で、2014年5月に生まれた。それまでの幹部人事は各省庁がバラバラに行っていた。もちろん、内閣官房長官や所管の大臣も決裁するのだが、圧倒的に各省庁の事務次官が人事権を握っていた。
・「省益あって国益なし」。日本の官僚制度の弊害はしばしばこう言われてきた。内閣官房で幹部人事を一元的に行えば、内閣の方針に従って官僚機構が動くようになる。まさに「国益第一」の組織になるというのが狙いだった。当然、首相をトップとする「官邸主導」の体制を強化することになる。
・この内閣人事局は安倍内閣以前の公務員制度改革の中で設置が決まっていたものだが、「改革派」だった安倍氏が設置のタイミングで再び首相になっていたのは因縁である。 焦点は「局長人事」だった。内閣人事局長は官房副長官が兼ねることになっている。官房副長官は3人。衆議院議員から1人、参議院議員から1人、そして事務方のトップから1人である。内閣人事局の創設当時、霞が関の多くの官僚は当然、事務方の副長官が「局長」に就任すると思っていた。それが土壇場で政治家に差し代わる。安倍首相らの強い意向があったとされる。 初代内閣人事局長は加藤勝信副長官(現・厚生労働大臣)、2代目は萩生田光一副長官(現・自民党幹事長代行)が就いた。改革姿勢を示すことにつながったのは事実だ。
・財務省の決裁文書改ざん問題で、この「内閣人事局」を批判する声が霞が関の官僚から上がっている。政治家が人事権を握ったから、政治家への「忖度」が働くようになった、というのだ。確かに、幹部官僚が官邸の意向を気にするようになったのは事実だ。自省の事務次官よりも官邸の意向を重視する例も頻発している。だが、それは政治家への忖度というよりも、官邸に詰める幹部官僚の指示という色彩が強い。一部の重要な問題を除いて首相や官房長官が直接指示を発しているケースは多くない。
▽内閣人事局で起きた「大政奉還」
・それでも霞が関が「内閣人事局」のせいで政治家への忖度が働いていると言いたいのは、旧来の官僚主導に戻したいという思いなのだろう。 では、安倍内閣は内閣人事局を使って、人事権をフルに行使しているのかと言うとそうでもない。一部の人事に政治の意向が反映されているのは間違いないが、それは事務次官が人事を握っていた当時とあまり変わりはない。
・初代の内閣人事局長だった加藤氏は財務官僚出身で、官僚の話をよく聞いてくれる霞が関でも評判が良い政治家だ。 が、その内閣人事局長人事でも、安倍内閣は後退している。3代目に就いたのは杉田和博副長官。警察庁出身の官僚トップの副長官である。いわば政治家から官僚へ「大政奉還」が済んでいるのだ。2017年8月のことだ。
・今やるべきことは、むしろ政治家が官僚機構の人事権を握るための改革を進めることだ。国益第一で政策を遂行するために、幹部官僚600人の適材適所を行う。今は難しい降格などの異動も可能にすべきだ。降格ができない現状では、ポストがあかないため、なかなか抜擢人事や民間からの登用ができない。
・天下りも厳しく規制すべきだ。日本取引所グループには金融庁長官や財務省幹部が天下っているが、東芝の上場廃止を巡って自主規制法人が「甘い」決定を下した背景には天下り官僚による「主導」があった。官邸や経済産業省など霞が関の意向が反映されたと疑われている。
・東芝の粉飾決算については証券取引等監視委員会が、東京地検に刑事事件として立件するよう求めたが、一向に実現しなかった。これも委員会が独立性の低い組織で、自ら告発できないためだ。米国の証券監視委員会のような強力な捜査権限、告発権限を持った独立性の高い組織にする必要がある。公正取引委員会と同じ、いわゆる「3条委員会」である。だが、そうした制度改革に徹底して抵抗するのは金融庁や財務省。自分たちの権限やポストが減ることに抵抗しているのである。
・不正は徹底的に追及され、処罰されるべきだ。官僚組織による「忖度」を行わせないためには、政治や社会によるチェック体制を整える必要がある。不正を働いても絶対に得をしない体制を作るべきだ。 今回の決裁文書改ざんを許してはならない。財務省解体にまで踏み込むべきだ。その上で、政治家への「忖度」が働いたことに対する政治責任を取るべきだ。財務大臣が責任を取るのは当然である。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/032200073/?P=1

第三に、官僚出身で室伏政策研究室代表の室伏謙一氏が4月4日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・森友・加計学園問題で「忖度」という言葉が一躍話題となった。官邸の意向を官僚が忖度したのではないかという指摘だが、その「忖度」を生む元凶が内閣人事局の存在だと言われている。それは本当なのか。元官僚の筆者が解説する。
▽内閣人事局が「忖度」を生む元凶なのか
・森友学園問題、そして加計学園問題で「忖度」という言葉が一躍流行語のようになったのはご承知の通り。 森友問題における国有財産の売却に関する決裁文書の改ざんをめぐり、「財務省の担当職員が官邸の意向を『忖度』したのではないか」という疑惑から再び注目を集めることとなった「忖度」。ついには佐川元国税庁長官の国会への証人喚問にまで至ったが、「忖度」に関する新たな事実は得られなかった。 同時に、これは「忖度」がなかったということに関する新たな事実も得られなかったことも意味している。要するに真相はまだまだ「闇の中」ということである。
・さて、この「忖度」との関係で話題となっているのが内閣人事局であり、「この組織が『忖度』を生む元凶である」と指摘されるようになってきている。 その理由は、国家公務員の幹部人事を、官邸の下、内閣人事局に一元化したことで、人事への官邸の影響力が強くなり、官邸の意向を踏まえなければ出世できない、官邸の意向に反することをしようとすれば左遷される、そうしたことを懸念して国家公務員が官邸の意向に従順に従うに止まらず、それを先回りして過剰に「忖度」するようになった、といったものである。
・確かに、なんとなくその通りであるように聞こえるが、実際はどうなのだろうか? そもそも内閣人事局とはどのような組織で、どのような経緯で誕生したのか、そういったことを紐解き、整理していくと、この問いの解が導き出されるように思われる。
▽内閣人事局は「人と組織の主計局」
・内閣人事局とは、どのような組織なのか? 内閣人事局は、平成26年の第186回国会(常会)において可決・成立した国家公務員法等の一部を改正する法律において規定され、同年5月に設立された国家公務員の人事制度を所管する機関である。 「人事」とその組織名に付いてはいるが、民間企業の人事部のように一括採用を行うわけではなく(採用試験は人事院、採用は各府省)、国家公務員の人事制度の根幹である国家公務員法を所管して制度の企画立案を行う他、幹部公務員の人事の一元的管理や、公務員の給与制度、行政機関の組織や定員管理といったことを担っている。
・簡単に言えば、各府省の幹部人事、それに組織やその在り方、職員の数をどうするのか、給与の在り方をどうするのかといったことを一手に引き受け、担っている「強大な権限」を持つ組織ということである。 少し補足すると、まず幹部人事。この幹部というのは本省の部長や審議官以上の、指定職と言われる官職のことで、上は事務次官クラスや長官まで。その人事をどうするかをこの内閣人事局が担っているわけである。
・また、政策の企画立案、そして執行には予算とともに人と組織が不可欠であるが、国の行政機関については、組織や組織の定員は法令で定められていて、簡単に部や課といった組織を作ることもできなければ、人を増やすこともできない。新しい組織を作る場合や定員を増やす場合は、根拠となる法令の改正によって手当てすることになるが、その前提として内閣人事局による査定を経なければならず、ここで認められなければ、そもそも新しい組織を作ることも定員を増やすこともできない。
・内閣人事局は「人と組織の主計局」と言ってもいい側面も持っているのである。 また、内閣人事局はゼロからいきなりできた組織というわけではない。その前身は、人事院の一部、総務省行政管理局の査定(組織や定員の管理)部門、人事・恩給局の旧人事局関係部門であり、幹部人事に関する事務等が新たに設けられてはいるものの、基本的にはこれらが統合されてできたと言っていい。 別の言い方をすれば、分散していた国家公務員人事制度に関する組織および権限を、一つの組織に集中させ、強化したということである。
▽「忖度」を生むのは内閣総理大臣や官房長官との関係?
・これだけ読むと、単に役人が権限を強化しただけで、官邸への「忖度」とはなんら関係ないかのように思われてしまう。 だが「忖度」、それも過剰な「忖度」を生む原因とされているのは、内閣人事局と内閣、特に内閣総理大臣や官房長官との関係である。 幹部職員となるためには内閣総理大臣による適格性審査を経ることとされており、その結果、幹部職員として必要な「標準職務遂行能力」を有していると判断されれば、幹部候補者名簿に掲載される。
・この名簿から各府省の幹部が任命されることになる。「適格性審査」は随時行われるので、場合によっては幹部候補者名簿から外されるということも起こりうる。こうした内閣総理大臣の権限は内閣官房長官に委任することができる。各府省の人事権者は各大臣であるが、幹部職員の人事については内閣総理大臣および内閣官房長官と協議した上で行うこととされており、幹部人事は大臣の一存で決められない仕組みになっている。
▽問題とすべきは幹部職員の「位置付け」
・このように国家公務員の幹部人事については、微に入り細に入りと言っていいほど、内閣総理大臣や内閣官房長官が関与するようになっている。 そして、こうした事務を司るのが内閣人事局なのであるが、彼らが内閣総理大臣や内閣官房長官の意を汲み取って、ある意味「忖度」して業務を進めることはあったとしても、内閣人事局という「組織の存在自体」が幹部職員を含む国家公務員における「忖度」を生んでいるというのは、こうした仕組みを正しく押さえた上で考えれば、「議論の飛躍」と考えた方がいいように思う。
・むしろ問題とすべきは、内閣人事局という組織そのものではなく、国家公務員の幹部職員人事における内閣総理大臣等の「権限の在り方」であり、幹部職員の「位置付け」であろう。 そもそも、組織の名称や在り方はともかく、国家公務員人事制度を担当する部局や行政機関の機構・定員の査定を担当する部局を、一つにまとめようという動きは過去に何度かあった。それが紆余曲折を経てなんとかカタチになったのが内閣人事局である。
・国家公務員の立場からすると、指定職への昇任を考えれば、そのためには幹部候補者名簿に掲載されることが必要となれば、その判断をする内閣総理大臣や官房長官の目を気にするというのはある種当然のことである。 ただし、国家公務員が「上の目」を気にするというのは今に始まった話ではなく、昔からある話で、「公務員の習性」のようなものであると言っていいだろう(もちろん、そうしたことを嫌う幹部や上司というのも少なくなく、反論しなければ“馬鹿扱い”といった話もあるようだが…)。
・現状での幹部職員人事への内閣総理大臣等の関与は、そうした「公務員の習性」を逆手に取ったものと言えるかもしれないが、標準職務遂行能力なるものをメルクマールとして、「幹部職員として職責を担うのにふさわしいか否か」の判断まで内閣総理大臣の権限に係らしめるのは、「やりすぎである」との批判は免れえないだろう。
・もっとも、内閣人事局の設置を含む国家公務員制度改革は、元々は内閣としての政策の企画立案から執行までを効率的に行うのみならず、その効果を最大限発揮させることを企図して検討が進められてきたものであり、国家公務員の幹部職員人事について、内閣総理大臣がある程度強い権限を持つことについては、否定されるべきものではない。
・一方で、内閣とのある種の一体性を考えるのであれば、幹部職員はこれまでどおりの一般職ではなく、身分保障のない、各府省の人事から切り離された「特別職」とすべきであり、そうなれば職員自らがリスクを取ってその職に就くことになるため、「忖度」による弊害の生じる余地は限りなく小さくなるはずだ。 実際、例えばフランスの大臣官房の幹部職員はそうだし、日本でも、これまでに退路を絶って政務の総理秘書官や大臣秘書官(いずれも特別職)に自ら転じた例はある。 幹部職員を特別職とすることを含む国家公務員法の改正案を立案し、国会に提出したのはかつての民主党である。
・しかし、日本の国家公務員の幹部職員の人事制度では幹部職員は一般職であり、これまでの人事に内閣総理大臣等が強く関与するようになっただけのような形であれば、今後の自らの人事、処遇を懸念して、過剰な「忖度」や「忖度」による弊害が生じるのは「自明の理」とも言えるのではないか。
・「特定の組織」を悪者に仕立て上げるというのは世の常のようなところもあるが、つまるところ、「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「忖度」問題、過剰な「忖度」による弊害は解決しないだろう。 そもそも、それらを完全になくすことは不可能であろう。
・そうした前提に立って、現実的な視点から「忖度」による弊害が極力起こらないようにするためには、主要な幹部職員の特別職化や、特別職である幹部職員の人事を対象にした内閣総理大臣の権限の在り方の適正化等、国家公務員制度自体の見直しを考えるべきではないだろうか。
http://diamond.jp/articles/-/165626

第一の記事で、 『「官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される」という記事・・・+自殺者は毎年40人前後(過労自殺含む)  +年間の超過勤務の平均時間は全体で235時間、霞が関本省は366時間(人事院による)・』、や主要省庁の口コミサイトのコメントも驚くほどの酷さだ。また、 『吉田和男氏の著書『官僚崩壊・・・「若い人でもたくさんの主査が在職の最中か直後に死んでいる。私の年次の近いところだけでも5人も死んでいる。この10年間ほどの年次の間に主査経験したものは50人ほどであるから、一割とはきわめて高い死亡率である」・・「不夜城・大蔵省のうめき」「長時間労働の内実」「官僚たちの墓標」と3つの“カルテ”』、も予想以上の酷さだ。ただ、 『国家公務員の数は、人口比で見ると1960年代以降横ばいで、職員数の適正化が行なわれているのかどうかも疑問である』、との指摘に対しては、職員数の問題ではなく、政治家への過剰サービスをどれだけ交通整理するかのマネジメントの問題だと思う。
第二の記事で、 『第2次安倍内閣が官僚を味方に付ける政策を取ったのは、民主党の失敗だけではなく、第1次安倍内閣の失敗の反省でもあった・・・唯一改革が進んだと見られたのが「内閣人事局」である』、というので、確かにそんなこともあったなと記憶が呼び覚まされた。 『不正は徹底的に追及され、処罰されるべきだ。官僚組織による「忖度」を行わせないためには、政治や社会によるチェック体制を整える必要がある。不正を働いても絶対に得をしない体制を作るべきだ』、との主張はその通りだ。
第三の記事で、 『内閣人事局は「人と組織の主計局」』、ではあるとはいっても、 『「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「忖度」問題、過剰な「忖度」による弊害は解決しないだろう。 そもそも、それらを完全になくすことは不可能であろう。 そうした前提に立って、現実的な視点から「忖度」による弊害が極力起こらないようにするためには、主要な幹部職員の特別職化や、特別職である幹部職員の人事を対象にした内閣総理大臣の権限の在り方の適正化等、国家公務員制度自体の見直しを考えるべきではないだろうか』、と主張しているが、違和感を感じる。というのも、公務員に求められる政治的中立性と、政治家との関係などをもっと深く検討することが先決だと思うからである。こうした角度からの分析が出てくれることを期待したい(ないものねだりになるかも知れないが)。
タグ:室伏謙一 第2次安倍内閣が官僚を味方に付ける政策を取ったのは、民主党の失敗だけではなく、第1次安倍内閣の失敗の反省でもあった 公務員に求められる政治的中立性と、政治家との関係 内閣人事局は「人と組織の主計局」 「「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か」 公文書管理・公開 「若い人でもたくさんの主査が在職の最中か直後に死んでいる。私の年次の近いところだけでも5人も死んでいる。この10年間ほどの年次の間に主査経験したものは50人ほどであるから、一割とはきわめて高い死亡率である」( 「病める官僚たちー長時間労働・過労死・過労自殺」 吉田和男氏の著書『官僚崩壊』 +自殺者は毎年40人前後(過労自殺含む) 「公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ」 (その1)(森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー、公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ、「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か) )、「官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される」という記事がSNS(交流サイト)上で話題 磯山 友幸 唯一改革が進んだと見られたのが「内閣人事局」 メンタルヘルスで一カ月以上休職している国家公務員(精神及び行動の障害による長期病休者数調査、非常勤職員除く)が全職員の1.26%(全産業の同様の休職者の割合は0.4%) 西川伸一 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 公務員制度 内閣人事局で起きた「大政奉還」 河合 薫 「森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー」
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