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安倍政権の教育改革(その7)(「幼児教育・保育無償化」の落とし穴、政府の教育無償化政策は「思いつき」に過ぎないといえる理由) [国内政治]

安倍政権の教育改革については、昨年9月16日に取上げた。今日は、(その7)(「幼児教育・保育無償化」の落とし穴、政府の教育無償化政策は「思いつき」に過ぎないといえる理由)である。

先ずは、みずほ証券チーフ・マーケット・エコノミストの上野 泰也氏が昨年12月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「幼児教育・保育無償化」の落とし穴 SNSに「政府は何も分かっていない」の声」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽子育て世帯への支援の大枠が固まったけれど…
・マスコミ各社の報道によると、安倍首相が打ち出そうとしている2兆円規模の「人づくり政策」のうち、子育て世帯への支援の大枠が固まった。
・8%から10%への消費税率引き上げによる増収分のうち約8000億円を充てて、幼児教育・保育の無償化を行う。具体的には、①3~5歳児を保育所や幼稚園に預ける費用を、全世帯について原則として全額補助(無償化)する(所得制限なし。認可外保育所の場合は認可保育所の平均保育料である月3万5000円支給を検討、幼稚園の場合は国が定める公定価格上限の月2万5700円を支給する)、②0~2歳児を保育所に預ける費用を、住民税が非課税の低所得世帯について原則として全額補助(無償化)する。
・また、約8000億円を充てて、大学や専修学校など高等教育の無償化を行う。具体的には、住民税非課税の低所得世帯を対象に授業料を減免するほか、返済義務のない給付型奨学金を拡充して生活費も支援する。非課税世帯に近い低所得世帯向けにも給付型奨学金を拡充する。
・以上のほか、企業の新たな拠出金(年3000億円)を財源にして保育施設整備(20年度末までに32万人分)を行うなど、いくつかの施策がパッケージに含まれる見込み。 上記のうち、幼児教育・保育の無償化がこのまま実現すれば、金銭面で助かる家庭が存在することは事実である。しかし、少し考えてみれば、この政策には問題点がいくつも伴うことがわかるだろう。
▽日本を元気にする処方せんは、これでいいのか
・筆者の頭にまず浮かんでくるのは、上記の政策は何を最大の狙いとしているのかという、素朴な疑問である。 衆議院解散にあたって行われた9月25日の安倍晋三首相記者会見を振り返ると、「人づくり革命」に関する次のくだりがある。 「急速に少子高齢化が進むこの国が、これからも本当に成長していけるのか。この漠然とした不安にしっかりと答えを出してまいります。それは、生産性革命、そして人づくり革命であります」
・「もう1つの最大の柱は人づくり革命です。子供たちには無限の可能性が眠っています。どんなに貧しい家庭に育っても、意欲さえあれば専修学校、大学に進学できる社会へと改革する。所得が低い家庭の子供たち、真に必要な子供たちに限って高等教育の無償化を必ず実現する決意です。授業料の減免措置の拡充と併せ、必要な生活費を全て賄えるよう、今月から始まった給付型奨学金の支給額を大幅に増やします」
・ここで首相が展開したロジックは、人口減・少子高齢化に直面して日本経済の将来の成長が危うくなってきたことへの対応として、生産性向上と人づくり革命の2つを行っていく、後者の具体化として高等教育無償化などを推し進める、というものである。 だが、医者に例えて言えば、「日本経済がかかっている慢性的な病に対する処方せん」は、本当に上記の2つでよいのだろうか。
▽出生率の上昇に直結するとは考えにくい
・労働生産性を引き上げることによって経済の潜在成長力を高めるというお決まりの議論の適否について、ここではあまり触れない。1つだけ言っておくと、労働生産性というのは事前の計画に沿って思いのままに引き上げることが可能なものではなく、各経済主体がさまざまな試行錯誤を行った末に、事後的・結果的に数字が出てくるコンセプトである。
・では、幼児教育や大学教育の費用負担を支援することが、日本経済の成長力の下支えや底上げに大きく貢献するのだろうか。筆者には大いに疑問である。また、SNSでこの問題に関連する投稿を見ると、「(政府は)何もわかっていない」といった批判的な内容のものが数多く並んでいる。今回の施策の主な問題点を3つ指摘すると、以下のようになる。
・まず、人口動態が経済に及ぼす影響を重視しているエコノミストとしての立場から言うと、今回のような「すでに子どもがいる世帯」の教育費負担への公的支援が日本人の「数」を増やすこと、すなわち出生率の上昇に直結するとは考えにくい点が挙げられる。保育所・幼稚園の費用負担などがなくなるだけで、すでに子どものいる世帯で「子どもをもう1人持とう」という意欲が増大するだろうか。あるいは、子どもがいない世帯で「子どもを持とう」とする意欲が増大するだろうか。
・全くないわけではないだろうが、限定的な効果しか期待できまい。出産適齢期の女性の数の問題(後述)に鑑みると、人口対策の切り札はやはり、「新たな開国」すなわち外国人の受け入れ(一時滞在の観光客だけでなく、定住者の増加促進)に、消去法でならざるを得ない。だが、「食わず嫌い」を通してきた結果、「下向きの人口動態」が地方から、経済基盤やコミュニティーを崩壊させ始めているのが実情である。)
▽教育格差は、いっこうになくならないのでは
・次に、都市部で子育てした経験のある人なら容易にわかると思うのだが、子育てにかかる費用は多岐にわたるという、厳然たる事実がある。子どものさまざまな習い事や補習教育にかかる費用は決してばかにならない。ちなみに、筆者の子ども2人の場合、英会話教室、スイミングスクール、習字の3つはやらせていた(結果的に無駄な支出だった感は否めないが・・・)。そのほかに、リトミック(注)も一時やらせていた記憶がある。子供将棋教室にも足を一度運んだが、息子にそうした方面の才能が全くないことがすぐにわかり、入会しなかった。
(注)リトミックとは音楽を使って、身体的・感覚的・知的に優れた子どもたちの育成を図ろうとするもの
・そして、それらよりもはるかにコスト負担が大きいのが「お受験」である。私立の幼稚園や小学校を受けさせる場合、親の不安心理もあるため、どうしてもその分野の教育のプロに多額のお金を支払って、頼ることになる。模擬試験の費用も驚くほど高く、親が足元を見られている感が漂った。そうした状況下、習い事や補修教育と比べて相対的に金額が小さい保育所や幼稚園の費用負担が今回の政策でなくなっても、所得格差に由来する保育所・幼稚園外での活動も含めた教育格差(不平等)は、いっこうになくならないのではないか。
・さらに、無償化することによって、子どもを預ける必要性がそれほど大きくない家庭からも潜在需要が掘り起こされて、待機児童の問題が一段と悪化するリスクが否定できない。
▽「保育所のキャパを増やす方が先」との切実な声
・昔のことだが、老人医療が無料化された後、病院の待合室がお年寄りの談話室のようになってしまい、「きょうは○○さんが来てないね」「○○さんはきょうは体調が悪いらしいですよ」といった会話が病院の待合室で聞こえてきたというジョークが流行った。それと似たような不要不急の需要の掘り起こしを、幼児教育の無償化が行ってしまいかねない。保活で苦闘している親からは「無償化などしてくれなくていいから保育所のキャパシティーを一刻も早く増やしてほしい」といった切実な声があがっている。32万人分で足りるかどうか。
・以上、問題点のうち大きなものを3つ挙げたが、そのほかにも、学童保育のキャパシティー不足への対処など、子育てにまつわる政策課題はいくつもある。にもかかわらず、政治的にアピールしやすく反対を正面からぶつけにくい無償化政策の大枠が固まった。
・よく知られているように、いわゆる出産適齢期の女性の絶対数がすでに減少してしまったため、少子化対策を拡充して出生率を引き上げるだけで日本の人口減・少子高齢化の流れを食い止めるのは物理的に、もはや無理である。そして、最長5年にとどまる外国人技能実習制度に代表される日本の外国人受け入れ策は、何年たっても、踏み込み不足のままである。「1億総活躍」と言うが、このままでは2053年に日本の人口は1億人を下回る。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/113000119/?P=1

次に、NPO法人サルタック理事 ミシガン州立大学博士課程在籍の畠山勝太氏が1月4日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「政府の教育無償化政策は「思いつき」に過ぎないといえる理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・安倍首相が掲げた「教育無償化」は、「改憲」や「選挙目当て」が意識された中で、地に足のついた議論はまったくなかった。今年夏に先送りされた制度設計に向けて、議論をどう深める必要があるのかー。世界銀行や国連児童基金に勤務し、いまはNPO法人サルタック理事をしながら米国の大学で教育政策などを研究する畠山勝太氏は、1) 経済成長のためにどのような教育投資が必要か、2)教育投資で政府が果たすべき役割の視点から、戦略的な教育投資の重要性を訴える。
▽経済成長での教育の役割はスキルをつけ生産性を上げること
・経済成長において教育が果たす役割は、主に「人的資本論」から説明することができる。 教育を通じて個々人は知識やスキルを身につけ生産性を向上させる。そして、向上した生産性によって、より高い賃金を得ることが可能となる。そしてこれを足し合わせたものが、経済成長となる。
・つまり、人的資本論に基づけば、いかに生産性向上につながる知識やスキルを教育が提供できるかがカギとなる。 人的資本論と対立する理論に、「スクリーニング仮説」がある。 これは、教育自体に特に意味はない(生産性向上につながる知識やスキルを提供しない)ものの、生産性の高い者がより高い学校歴や学歴を得るのは生産性の低い者より容易なため、教育水準がその人物の持つ生産性のシグナルとなり、雇用者はそのシグナルに応じて高い賃金を支払う、というものだ。
▽質の高い教育は所得増加や成長につながる
・この両者の関係は、教育の質とアクセス(量)の関係を見ると分かりやすい。 図1(左側)が示すように、国民の平均教育年数が伸びても経済成長にはつながらないが、図1(右側)が示すように国民の学力、すなわち教育の質向上は経済成長につながる。 (◆図1:平均教育年数・教育の質と経済成長の関係 はリンク先参照) 
・つまり、質が低ければスクリーニング仮説が主張するように教育は無意味なもの、ないしは能力に応じて人材を仕分けしていくトラッキングの役割を果たすに過ぎないが、質が高ければ人的資本論が主張するように教育は経済成長や個々人の所得向上につながる。
・次に考える必要があるのは、人はライフサイクルを通じて知識やスキルを習得していく、という事実だ。つまり、人生の出だしでつまづくと、その後の知識やスキルの習得が難しくなる。 では、人生の出だしとは一体いつ頃を指すのであろうか? それは、図2が示唆するように母体に宿った時から小学校に入学するまでを指す。 (◆図2:人的資本投資の収益率 はリンク先参照) 
・米国では、小学校入学時点で既に家庭の豊かさによる学力格差が出来上がっており、これが教育機会を通じて縮小することはないとされている。 これは、貧困層の所得が低いだけでなく、親の教育水準が低い上にシングルペアレント率も高いために、貧困が育児の貧困になってしまっているからだ。このため、貧困層を対象とした良質な就学前教育や産中産後の支援は、その子どものその後の技術や知識習得を円滑なものにするため、高い収益率を生みだす。
▽STEM系学部ではっきり 雇用や賃金の格差
・次の論点は、スキル偏向型技術成長である。 これは技術成長が機械化を加速させ、これにより人々の雇用が機械に奪われていくという現象だが、これは教育政策に対して3つの示唆をもたらした。 一つ目は科学・技術・工学・数学(英語の頭文字を取ってSTEMと呼ばれる)分野の教育の重要性だ。 図3が示すように、STEM系学部の卒業生と、卒業後の平均賃金が低い学部の卒業生の賃金を比較すると、その賃金の差は、高卒と大卒の賃金差よりも大きい。 (◆図3:大学の卒業学部別中位数年収(25-44歳) はリンク先参照)
・これはSTEM系の卒業者が機械に職を奪われる側ではなく、機械を使う側の職に回りやすいことを示唆する。 STEM系卒業者が非STEM系卒業者と同じ職についた場合でも賃金が高いことから、STEM教育は生産性向上につながりやすい知識とスキルも学生に与えていることが示唆される。
・二つ目は大学院教育の重要性だ。 米国では1960年代以降、高卒者の賃金が上昇しない一方で、大卒者の賃金が上昇し続けた。しかし、図4が示すように、21世紀に入ると大卒者の賃金が伸び悩む一方、院卒者の賃金は上昇を続けている。 (◆図4:アメリカにおける学歴別の時給 はリンク先参照)
・三つ目は社会スキルを伸ばす教育の重要性だ。  図5が示すように、高い社会スキルを持つ人材に対する賃金と需要は増している。 (◆図5:1980年を起点とした時給の変化 はリンク先参照)
・これは、機械化が進展したとしても、介護や福祉のような職場でコミュニケーション能力が高い人材に対する需要は減少しづらいことや、接客業の雇用は、工業ほどには機械によって奪われづらいことなどが関係する。
・最後の論点は、女子教育である。 これは女子教育が高い「外部性」を持つ分、男子教育よりも重要度が高いということだ(この「外部性」とは何かという点は後で詳述する)。 以上のように、教育分野の中でも、より生産性向上につながり高い収益率を持つ分野が存在するので、これらを重視した教育戦略を策定することが、人的資本投資を通じた経済成長へとよりつながっていく。
▽個人に任せると“過小投資”に 教育で政府の役割は重要
・次に、教育において政府が果たすべき役割を「外部性」という観点から考える。 教育における外部性とは、教育が教育を受けた者以外にも及ぼす恩恵の部分を指す。一般的に、個人が教育を受けるかどうか判断する際に、本人以外が受ける恩恵(波及効果)まで考慮して判断することはない。
・このため、個人に完全に教育投資を委ねてしまうと、教育投資の水準は、社会的に望ましい水準よりも低いところに落ち着いてしまう。このような状況を避け、社会的に望ましい水準まで教育投資の水準を引き上げるのが、教育投資において政府が果たすべき役割となる。
・では外部性とは具体的にどのようなものがあるのだろうか?  まず、空間的な波及効果を挙げることができる。 産業集積効果に象徴されるように、教育を受けて得た知識はその個人に留まることなく、他者へも波及していく。 ミクロレベルで言えば、教育を受けた個人は家族にその知識を伝える、ないしは得た知識を活用して家族の他のメンバーの厚生水準を改善させることができるし、少し目線を上げると、大学の多い街では高卒者の生産性も、そうでない街よりも高いことがある。
▽女子教育は世代を超えた波及効果がある
・次に、時間的な波及効果を挙げることができる。そして、この点が前述の女子教育が優先されるべき理由と強く関連する。 一般的に、母親の教育水準が向上すると、子どもの教育・健康水準、すなわち次世代の人的資本投資水準も向上する傾向がある。つまり、女子教育には時間を超える波及効果が存在する。
・さらに、経済活動に関連する教育の外部性として治安や健康を挙げることができる。 一般的に、特殊な犯罪を除けば、教育水準の高い者ほど罪を犯さない。また教育水準の高い者ほどより正確な健康情報を取得し、分析することができるようになるため、健康状況もいい。このため、教育水準の高い者が多い地域ほど公衆衛生が保たれやすい。
・だが一般的に、個人が教育を受けるかどうか決断する時に、上記のような1)他者への波及効果、2)次世代への波及効果、3)治安や公衆衛生などの改善による経済活動の改善、などは考慮しない。 このため個人に教育投資を完全に委ねると、社会的に望ましい水準よりも過少投資となってしまうのだ。 このため、外部性の分だけ政府の介入が必要となる。
▽貧困層には「流動性制約」の支援を
・さらに、政府は再分配や貧困削減の観点から、貧困層が直面する「流動性制約」を取り除く必要がある。  たとえ教育への投資が高い収益率を持っていたとしても、貧困層は手持ちの資金が不足しているために、教育投資を実施できないことが多い(これを流動性制約と呼ぶ)。 日本でもJASSO(注)の教育ローンで年に最大144万円を借り入れられるが、この金額であれば大半の大学の授業料はカバーできる。しかし、教育を受けるために支払うコストは授業料だけ(これを直接費用と呼ぶ)ではない点に注意が必要だ。
(注)独立行政法人日本学生支援機構
・日本では高卒労働者は最初の4年間で約1000万円の収入を得る。大学で4年間学ぶということは、4年間働くことを諦めることの裏返しである。すなわち、大学で学ぶということは、大学に行かなければ得られたであろう1000万の収入を失うということである。 これを放棄所得ないしは間接費用と呼ぶ。親からの支援も貯蓄もない貧困層はこの放棄所得に耐えられないが、この分まで適切な利子率でカバーする教育ローンは希だ。
・日本でも貧困層は流動性制約に直面していると考えられるが、これを取り除ける位置にいるのは政府だろう。 また、貧困層の特徴も理解する必要がある。貧困層の「時間選好率」が高い傾向は、教育投資に重要な意味を持つ。 時間選好率が高いというのは、将来のより大きな消費よりも現在の消費を重視するということだ。
・教育投資の本質は、教育を受けるために現在の消費を諦め、教育を受けた恩恵により将来より大きな消費ができるところにある。このため、時間選好率の高い貧困層は教育投資をする意義を見出しづらい。 さらに、貧困層とそれ以外を比較したときに、貧困層の子どもは身近に教育を受けるロールモデルとなり得る者がいないケースがあり、教育投資をする意義の見出しづらさに拍車がかかることがある。 再分配と貧困削減の観点から、この層には教育ローンの提供による流動性制約をなくすだけでなく、奨学金の提供も必要になってくるだろう。
▽公的収益にも効果 税収増や福祉費用などの削減
・政府は教育の公的収益を考慮することもできる。 教育を受けた個人は、生産性の向上を通じて、より高い賃金を得るが(私的収益)、これはより多くの所得税収入につながる。 さらに、教育水準が低く、生産性が低いために貧困層に陥り、公的扶助を必要としている者が、教育によってより高い賃金を得られた場合、生活保護などを必要としなくなるため、政府の支出削減にもつながる。 特に、日本ではシングルマザーの就労率が高いにもかかわらず、貧困率が高いことが社会問題となっているが、この背景の一つとしてシングルマザーが低い教育水準にとどまっているという問題がある。
・こうした女子教育を拡充することで、結果として政府支出を削減できるし、また、日本では莫大な医療費が政府財政を圧迫していることから、教育による国民の健康状態の改善を通じた医療費の削減も期待できる。 政府は、教育に対する公支出と、これによる税収増や公支出削減のバランスを考慮して、公支出の水準を決断することができるのだ。
▽政府の「無償化」政策では教育の質の低下を招く
・以上のことを考えれば、いまの日本では、基礎教育段階を除き、教育のアクセス(量)よりも教育の質の向上が重要であることが明らかだ。 教育へのアクセスを質よりも優先させる政策は得策とは言えない。 だが政府の「教育無償化」政策は、教育へのアクセスを劇的に向上させる可能性を持つものの、質を向上させるどころか、授業料+αの予算措置が為されなければ、生徒一人当たりの教育リソースが希薄化される分だけ、教育の質が低下する恐れがある。
・大学教育無償化についてもこれは当てはまる。 現在、日本の大学の世界ランキングは凋落の一途をたどっている。この状況で、+αの予算措置をしたうえで無償化に踏み切るなら100歩譲って理解できるものの、それなしに無償化に踏み切るのは、日本の大学教育の価値をさらに毀損するだけである。
▽アクセス(量)向上は女子とSTEM教育に絞る
・教育へのアクセスに焦点を当てるとしたら、フォーカスされるべきは女子教育とSTEM教育だ。 大学以降の日本の女性の男性との相対的な教育水準は、先進国の中で最低だ。このことはもっと認識され、取り組みがなされる必要がある。 特に、図6が示すように、大学・大学院でSTEM教育を受けた女性の割合は先進国でも最低水準にとどまっている。 (◆図6:STEM系学士・修士号取得者割合、女性:リンク先参照)
・これを解決するために女子大の工科大学を設立するなり、STEM系女子学生(いわゆるリケジョ)に対する奨学金を拡充するなどの対策が無償化よりも優先されるべきだろう。
・さらに、仮に無償化によって平等な大学教育へのアクセスを実現したいのであれば、取るべき政策は奨学金の拡充だ。 前述のように、仮に授業料が無償になったとしても、貧困層は放棄所得に耐えられず、大学教育へアクセスすることができない。 それどころか、図式としては、大学へ行かずに働いた者が納めた税金で、大学へ行った者の授業料がカバーされ卒業後には高い賃金を得るという、逆再分配的なものとなり得る。
・教育を通じて所得再分配を図りたいのであれば、授業料を維持しつつ、それを原資に貧困層に対して授業料と放棄所得をカバーするだけの奨学金を提供する方がまだましだ。 現在、授業料の卒業後の徴収も検討されているようだが、これは流動性制約を緩和するだけでなく、教育投資に伴う不確実性の問題を解消するので、リスク回避的な層の教育投資意欲を喚起でき、一定の評価はできる。 しかし、この方策も貧困層と放棄所得の問題を解決するものではないので、やはりこの制度で行くにしても貧困層向けの別建ての施策が必要となる。
▽幼児教育無償化は「超過需要」を招き状況が悪化する
・幼児教育無償化についても目指すべきは質の向上だ。 図7、8、9が示すように、日本の就学前教育は他の先進諸国と比べても教員一人当たりの児童数が多い上に、他の教育段階と比較して教員の準備教育の水準も低い上に、経験年数も顕◆図9:教育段階別、教員の勤務年数著に少ない。 (◆図7:就学前教育・教員一人当たり生徒数、◆図8:教育段階別、教員の準備教育の水準:リンク先参照) 
・また、それより下の年齢を見ると、待機児童という「超過需要」の問題が起きており、これに有効な手立てはまだ打てていない。 無償化を言い換えると託児の価格を下げるわけなので、さらなる超過需要を招くことになり、状況が悪化するのは必至となる。
・ノーベル経済学賞を受賞したヘックマン教授が就学前教育の投資の収益率の高さを示したから、ここは是が非でも無償化すべきという論もある。 だがそれは、ヘックマン教授の研究は、1)貧困が育児の貧困とほぼ同義となっている米国のの文脈でのことであり、さらに2)就学前教育が良質である、3)より早期の介入が重要、ということを前提にしている点を落とした論である。
・日本の就学前教育は質改善に大きな余地を残しているうえ、早期の介入という点では、貧困リスクの高い妊産婦の支援に向かわなければならないのに、これらを飛ばして「幼児教育無償化」というのは議論が稚拙すぎると言わざるを得ない。
▽勘や思い付きの政策でなく戦略的な教育投資が重要
・総選挙後、無償化の政策パッケージ作りでは、さまざまな異論が出て修正が加えられていることからも分かるように、政府が掲げた教育の無償化政策は、これまで失敗した過去の教育政策に見られるような勘や経験に基づく思いつきに過ぎない。 経済成長のための人づくり革命から遠くかけ離れた所にある。 日本がジャパン・アズ・ナンバーワンから滑り落ちた一つの理由に、このような勘と経験に基づく誤った人的資本政策があったことは、少子化や女子教育の問題を見れば明らかだ。
・日本に活力を取り戻すために必要なものは、思いつきによる無償化政策ではなく、経済成長に資する戦略的な教育政策である。
http://diamond.jp/articles/dol-creditcard/154019?skin=dol-creditcard

第一の記事で、 『子育てにまつわる政策課題はいくつもある。にもかかわらず、政治的にアピールしやすく反対を正面からぶつけにくい無償化政策の大枠が固まった』、という安部政権のいいかげんな人気取り政策に対する上野氏の批判は、全く同感である。
第二の記事は、かなり理論的な角度からの批判である。 『(教育の)質が低ければスクリーニング仮説が主張するように教育は無意味なもの、ないしは能力に応じて人材を仕分けしていくトラッキングの役割を果たすに過ぎないが、質が高ければ人的資本論が主張するように教育は経済成長や個々人の所得向上につながる』、 『貧困層を対象とした良質な就学前教育や産中産後の支援は、その子どものその後の技術や知識習得を円滑なものにするため、高い収益率を生みだす』、 『アクセス(量)向上は女子とSTEM教育に絞る』、などの指摘は、説得的で納得できる。 『幼児教育無償化は「超過需要」を招き状況が悪化する』、 『勘や思い付きの政策でなく戦略的な教育投資が重要』、などは、安部政権の官邸主導の政治スタイルの問題点を的確に指摘している。なるほどである。
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