SSブログ

日本のスポーツ界(その8)(スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う、相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性、土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を) [社会]

日本のスポーツ界については、2月27日に取上げた。今日は、(その8)(スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う、相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性、土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を)である。

先ずは、精神科医の和田 秀樹氏が3月6日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・前評判はいろいろと言われたが、平昌オリンピックで日本中が大変盛り上がった。 羽生結弦が劇的な復活を遂げ、フィギュアスケートで2大会連続の金メダルを取ったかと思うと、小平奈緒もオリンピック記録を更新するようなタイムでスピードスケート500メートルで日本女子初となる金メダルを受賞した。 そのほかにも劇的なシーンが続出して、多くの日本人に感激を与えたことは事実である。
・自分のことでないのに、スポーツでの日本人の活躍は、格別の感動を与える。それほど自国のアイデンティティがなく、民族衣装である着物も着ないし、英語を第二公用語にすると言われても違和感を感じない日本人が、この手の国際大会のときだけ、自分は日本人なのだと実感するのかもしれない。
・実は、私もそれを実感したことがある。勤務先の大学の理事長の招待でアテネオリンピックに行った際に、目の前で、北島康介選手と谷亮子選手の金メダルを取った姿を見ることができた。 その時に、日の丸が揚げられ、君が代が流れる。この時は本当にじんときた。金メダルでないと国歌は流れないので、やはり金はすごいと思った。変な強制をするより、スポーツを強くするほうが、よほど君が代や日の丸は愛されるはずだと体感もした。実は、私は日の丸も君が代も大して歴史がないうえ、薩長の押しつけの感じがして好きでないのだが、金メダルの感激とシンクロすると、やはり日の丸や君が代は悪くないと感じてしまう。
▽政治利用されやすいオリンピック
・このような心理を、世界中の政治家は知っているようで、これまでも多くの政治家が国威発揚や愛国心の養成のためオリンピックを利用してきた。ヒトラーがベルリンオリンピックを利用したのは有名な話だが、冷戦時代のソ連や東ドイツも血眼になって、メダルを増やそうとした。
・これはうがった見方かもしれないが、これらの国々は、スポーツが強いことで国民を歓喜させたり、あるいは、自分たちは強い国だという錯覚を与えたりしようとしたのではないだろうか? 経済競争ではとても勝てず、軍事力でも勝てないということになると(もちろん国民にはそれを認めないのだろうが)、スポーツの強さで国の体面を保ったり、自分たちがすごい国なのだと思わせる意図があったように思えてならないのだ。
・実際、一般的な国力で、ソ連がアメリカに、東ドイツが西ドイツに差を広げられるのと逆相関するように、ソ連や東ドイツはオリンピックでの金メダルを増やしていった。 要するに、経済政策や外交政策の失政を、スポーツを強くすることで取り繕おうとしたのではないかというのが私の見方だ。これであれば、特定の人間をスカウトし、小さいころからものすごいトレーニングをさせていれば、そんなにお金をかけなくてもできる。
・しかし、国民は一時的に熱狂したり、自分たちは強い国だと満足しても、肝心の一般の教育水準や、工場などの生産性が上がらないことには、国が立ち行かなくなるし、国民生活も悲惨なものになる。その後のソ連や東ドイツの消滅をみると、スポーツで浮かれているだけで、その後、国民も頑張っていくことにつなげないとむしろ逆効果にすらなることが示された重要な一件といえる。
・政治利用というと、モスクワ五輪のボイコットなど、オリンピックを使って相手国を懲罰したり、恥をかかせたこともある。また、今回のオリンピックでも、北朝鮮が自国への圧力を緩めてもらおうとしたり、自国のイメージを高めたりするのに使ったことも問題になっている。
・日本の場合は、選手はおそらく純粋(その分だけ国が積極的に強化資金を出さないという問題もあるが)なのだろうが、。スポーツで熱狂的になったり、愛国的になったりしている背後に、何らかの意図が働いていることが珍しくないことは心しておいて損はない
▽人は複数のことに注意を向けるのが苦手
・心の治療法の一つである森田療法では、「些事(小事)にとらわれ、大事を忘れる」という考え方がある。要するに自分の症状ばかりを気にしていると、ほかの大切なことが見えなくなるということである。 例えば赤面恐怖の人は、自分の顔が赤いことばかりを気にしている。「なぜ赤いのがまずいのか?」というと「人に嫌われるから」ということで、人に好かれたいという願望が強いことは分かるのだが、赤い顔を治すことばかりに気持ちが行っていて、肝心の人に好かれるための努力を忘れてしまうことがある。
・実際、手品などでも、他のことに気を引いているうちに、本当のタネのほうを気づかれないうちに仕込むように、人間という生き物は一つのことにばかりに関心や注意が行くと別のことが見えなくなるようだ。 オリンピック報道が沸き立っている際に、「働き方改革」の法案が審議されていた。この問題のほうが、多くの労働者にとって将来に大きな影響を与えることになるのだが、ほとんど関心が寄せられていなかった。
・これも勘繰りかもしれないが、オリンピックの時期は決まっていたので、この時期に自民党があえて審議をしようと設定した可能性だってあるだろう。 この際に、実労働時間ではなく、あらかじめ決められた「みなし時間」で計算する裁量労働制のほうが労働時間が短くなるというデータの根拠が疑わしいものとなり、首相が発言を撤回したり、陳謝したりすることになった。これも、多少は報じられたが、オリンピックの期間中でなければ、連日のようにものすごいトピックスになっていた可能性がある。
・森友問題にしても共産党の議員が音声データを出して質問したが、オリンピック期間中なので、それを各局が流すことはほとんどなかった。 意図的かどうかはともかくとして、オリンピックで沸き立つことで、自分たちの税金の使われ方や、働き方に影響を与えるようなことに目がいかなくなることは、国民にとってハッピーなこととは思えない。
・日本人の多くは気付いていないが、日本は先進諸外国と違って普通に選択できるテレビ局の数が少ないと感じる。確かにデジタルBS放送は無料で見れるし、デジタルCS放送も徐々に普及しているのだが、視聴率が高めのデジタル地上波放送は大都市でもNHKと民放5局、地方局といった状態のままだ。先進諸外国では30局くらいを対等にザッピングできる。私も自分の原作がBSでドラマ化されたことがあるが、BSの視聴率1%は地上波の10%の価値があると言われたことがある。いずれにせよ、ある大きなイベントがあると、国中の地上波テレビがそれ一色に染まりやすい。そのリスクも多少は考えておかないと、どんな不慮のことが起こるか分からないことも心しておきたい。
▽スポーツで勝っても学問で勝てなくなった日本
・2018年1月に発表された幼児や小学生対象の調査で、「大人になったらなりたい職業」の1位が男子では15年ぶりに「学者」になったそうだ。ノーベル賞受賞が相次いだ影響ということだが、日本の子供たちの理科離れや学力低下を考えると、本当に喜ばしいことだと私は考えている。
・ただ、学問をできる人を表彰するノーベル賞と、オリンピックでは大きな相違点がある。それは、オリンピックは現役の優秀選手を表彰するが、ノーベル賞は20年位前の過去の研究に対して与えられるケースが多いということだ。 日本人の多くは、日本はノーベル賞をたくさん取っているが、中国や韓国はろくに取っていないとして、日本の科学技術の高さを論じるようだが、それは20年位前は勝っていたということに他ならない。
・政府が公表している最新の科学技術白書でも、研究価値が高いとされる被引用件数の多い論文の国別順位で、日本は10位にまで下がっている。アメリカがトップで世界の4割を占めるが、2位になった中国がものすごい勢いで伸びている。 日本は、1980年代までは、例えば中学生の数学力は世界一だった。だからその20年後、30年後までは研究者の学力も高かったのだろう。実際、2002-2004年の段階では、論文引用数の順位はアメリカ、イギリス、ドイツに次いで4位だった。
・今後の国の競争力を考えると、トップレベルの学者の学力は高いに越したことはないが、その人たちへのインセンティブがあまりに乏しい。学者に対する報酬も研究費も先進諸外国や中国と比べてかなり少ない。その上、できる人間を賛美する風潮がほとんどない。 これでは、もともと勉強が大好きという人を除けば、世界に勝とうという気になかなかなれないだろう。
▽名誉というインセンティブシステムを学問にも
・現代精神分析の世界では、自己愛を満たすことが人間の最大の動機づけとされる。 金を持っていても、一流企業の扱いを受けていないと低く見られたり、官僚などより下に見られていた時代には、金だけでは自己愛が満たされなかったし、子供たちも、あるいは東大生たちも、金持ちになるより官僚などを目指した。
・人間は、お金以上に、名誉や尊敬を集めたいという願望がある。アメリカ人が税金以上の寄付をするのも、寄付税制以上に、そのほうが尊敬されるし、稼いでいて寄付をしないとバカにされるという側面も否定できないだろう。
・そういう点ではオリンピックの受賞者と比べて、日本では現役の研究者や知的に優秀な人への賞賛は恐ろしく少ない。例えば、日本人が毎年のように数学オリンピックで金メダルを取っているが、ワイドショーなどで大きく取り上げられることはない。
・ノーベル賞と違って、40歳以下の現役の数学者に贈られるフィールズ賞にしても、3人の受賞者のうち、比較的世に知られているのは広中平祐氏くらいだ。これにしても、1990年以来受賞者が出ていないことを憂えるべきなのだが、そういう声は上がらない。
・勉強ができる人間、学問レベルが高い人間が賞賛されるどころか、『勉強できる子 卑屈化社会』などという本がベストセラーになり、学者になるよりお金を儲けた人のほうが社会で尊敬される。これでは優秀な人間が途中でつぶれるか、拝金に走るのはもっともなことだ。 2020年の入試改革では、一般学力より「生きる力」を評価する入試にせよと、文科省が予算をちらつかせて各国立大学に圧力をかけている。この考え方では勉強だけではだめで、体力も必要だそうだ。一方で、スポーツの勝者に、勉強もできなくてはダメと言われることは減ってきているのではないか。
・スポーツで先進諸外国に勝っている時でも、この方針は愚挙だと思う。いろいろな学問的な指標の順位が落ちている時に、勉強だけではだめとか、勉強のできる人は賞賛しないということを続けていれば、オリンピックのメダルの数だけは多いが、世界でアメリカと争う科学技術のレベルを誇っていたのに、いつのまにか太刀打ちできなくなり、国まで潰れてしまったソ連のようにならないか。これが妄想的な不安でないことを祈りたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600095/030500025/?P=1

次に、北海道大学准教授の岡本 亮輔氏が4月14日付け現代ビジネスに寄稿した「相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・大相撲をきっかけに、「女人禁制」がふたたび問題になっている。禁制は少しずつ解禁されてきた一方、その発見・強化が起きていることをご存知だろうか。宗教学・観光社会学を専門とする北海道大学准教授・岡本亮輔氏が現象を読み解く。
▽あれもこれもかつては女人禁制だった
・今月、舞鶴市長の救命のために土俵に上がった女性に対し、行司が女人禁制を理由に土俵から下りるよう促したことが批判されている。 相撲協会の一連の不祥事とも結びつけられ、角界の体質の古さを象徴する出来事として語られている。 女人禁制は日本の大相撲に限らない。 各国の軍隊も、ウィーン・フィルハーモニーも、英国の社交クラブも、フランスの最高等教育機関グランゼコールも、米国のロータリークラブも、スイスの山岳クラブもかつては女人禁制だった。
・これらの禁制の多くは時代の流れに合わせて解消されてきた。近代化がもたらした真っ当な帰結である。  他方で、土俵の上の女人禁制は近代社会の中に残された反近代的な因習と切って捨ててしま得るかというとそうではない。 もちろん、今回のような人命に関わる場で女人禁制を持ち出すことは、あまりに冷静さを欠いている。 だが、相撲に限らず、近代化が進んだがゆえに前近代的なものが強化されるプロセスがあることは踏まえておいてもよいだろう。
▽「宗教伝統かスポーツか」という対立軸
・かつて日本の多くの山は女人禁制とされた。山の神は女神であり、女性が入山すると嫉妬して山が荒れるといった語りが各地に見られる。 真言宗総本山である高野山は、明治維新以降、徐々に女人禁制が解除された。 禁制解除が始まった140年前の1878年には、空前の参詣者数を記録した。同年4月20日だけで3万円の賽銭があったという。現在の感覚で言えば、1日で数億円が集まったというところだろうか。
・1899年には、山内での女性の宿泊の解禁を求める動きも出ている。そして1906年、弘法大師開山以来、1100年を経て女人禁制に関わる掟が全廃された。理由は、女人禁制が世の風潮と合わないからである。  同年には、日光の男体山の女人禁制も解かれた。華厳の滝周辺には、滝壺が見えるように道が作られ、ガイド料を払えば、東照宮をはじめ、要所を見逃さないツアーも作られた。山の女人禁制解除は観光化とも重なっていたのである。
・1916年には、長野県の松本女子師範学校の生徒約10名が八ヶ岳に登ったことが画期的な出来事として報じられている。生徒たちは山中で4日間過ごしたが、横岳の難所もクリアし、1人の脱落者もなく下山した。  一行と共に登った登山家・伊藤長七は、今後、女子には生け花や茶の湯よりも登山が必要であり、女人禁制のような迷信はなくすべきだとしている。
・女人禁制の山を語る上で外せないのが奈良県の大峰山だ。古来、修験道の山とされ、熊野へと至る大峯奥駈道が存在する。山全体が神聖視され、今でも女人禁制が敷かれている。 しかし、実は1936年には、大峰山の女人禁制を解除しようという運動が生じている。 地元の人々が山頂の本堂などの一部をのぞいて禁制を解除するための援助を奈良県知事に陳情したのだ。
・きっかけは同年の国立公園指定である。1200年の伝統か国立公園か――つまり伝統か近代かという対立であった。 終戦後の1956年、大峰山は再び女人禁制で揺れる。 そもそも大峰山は禁制を解除せよというGHQからの指令も拒否していたが、東京都千代田区神田の「登山とスキー普及会」が、8月22日、地元青年団の案内で女性2名を含むパーティーで山上ヶ岳登頂を目指したのである。 宗教伝統対スポーツという図式がはっきりと表れている。普及会の動きに対して、天川村の観光協会員約100名が山上ヶ岳へつながる道3ヵ所にピケを張る騒ぎとなった。
・1997年にも再び女人禁制を解くかどうかが話題になった。西暦2000年をきっかけに、禁制を解除してはどうかという声が上がるようになったのだ。 高齢化などで信徒も減少し、このままでは山の維持も難しくなるといった意見が一部の信徒や僧侶からも出たが、結局は解除には至らなかった。 その後、1999年に日教組系の女性教員のグループが山上ヶ岳に登頂した。神聖さを理由とした女人禁制は性差別であるという主張に基づく行動であった。 さらに2000年代に入ると、大峯山寺や大峯奥駈道が世界文化遺産に登録され、1936年の国立公園指定時と同じように、人類普遍の遺産に女性が立ち入れないのを問題視する声が上がっている。
▽近代の中で再発見される伝統
・近代化の進展と共に前近代的な禁制が解除されるという流れがある一方、近代化が進んだからこそ禁制が再発見されるプロセスもある。 例えば1980年、東北三大祭りの1つとして知られる秋田竿燈まつりをめぐり、女人禁制の復活論が出た。 竿燈会会長の「祭りの日に雨が降るのは、女性が派手な服装で祭りに参加するようになって天が怒ったからだ」という発言がきっかけだ。ほとんど言いがかりのような内容である。
・これに対しては、民俗学者・桜井徳太郎が、マンネリ化した祭りに変化をつけるために突然言い出したのではないかと批判している。 秋田市が郷土芸能の保存育成を名目に補助金を出していることもあり、女性参加は認められたが、翌年からは女人禁制にすべきという意見も強かったという。
・近年の例としては、2000年に世界遺産登録された沖縄県南城市の斎場御嶽(せーふぁうたき)がある。  御嶽とは、琉球の信仰において特別な儀礼や祭祀を行う聖域のことだ。中でも斎場御嶽は琉球の最高聖地とされ、最高位の聖職者・聞得大君(きこえおおきみ)によって管理された場所である。 とはいえ、世界遺産登録前は、斎場御嶽は忘れられた聖地であった。現在のように厳格に管理されることもなく、地元の人もそれほど近寄らなかったようだ。だが世界遺産という近代的な制度に登録されることで、斎場御嶽をめぐる歴史や伝統が再発見されたのである。 (参考)斎場御嶽の関連記事(「聖地」と「世界遺産」が好きすぎるニッポン人): http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47872
・このプロセスについては人類学者・門田岳久氏が明らかにしている(詳しくは門田岳久『巡礼ツーリズムの民族誌―消費される宗教経験』を参照)。簡単にいえば、世界遺産にふさわしい歴史や伝統だけが強調され、それ以外は排除されたのである。 門田によれば、世界遺産登録に際して、斎場御嶽の宗教性や精神性は強調されたが、それは琉球王家に関わるような公的なものに限られ、民間霊能者が細々と続けてきたような信仰実践は無視されたのである。
・近代化が進むからこそ前近代的なものが際立ち、ある種のアピール力を持つ。 斎場御嶽については、2013年、南城市が男子禁制を検討していることが報じられた。世界遺産登録によって観光客が急増し、マナー違反が目立つようになったのが理由だという。
・そして琉球王国時代に斎場御嶽が男子禁制だったのでそれを復活させるということだが、マナー違反は男女にかかわらず見られるものであり、強引な主張だと言わざるをえない。 男子禁制が持ち出されたのは、そうした掟や伝統を持ち出すことで、斎場御嶽の特別さを演出する効果があるためだろう。近代化が進んだからこそ、前近代的なものがインパクトを持つようになったのである。
▽大相撲の「神事と興行」という二面性
・相撲についても、同様のプロセスを認めることができる。 多くの論者が指摘しているように、相撲には神事としての側面とスポーツ興行としての側面があるし、本場所と地方巡業ではその割合も変化する。 巡業であれば、明治期には有力者の私邸や各地の神社など、様々な場所で相撲が行われていた。 1884年には現在の千代田区の平河天神で相撲が行われ、勧進元と力士で大入りを祝う宴会が催された。土俵の上に酒肴を置き、力士が勧進元を胴上げし、その後は芸妓を招いての大宴会となった。
・1892年には、当時の駐日メキシコ公使が両国回向院での大相撲を観戦して感動し、永田町の公使館で土俵入りを開催した。 当時の大横綱である西の海をはじめ、小錦、朝汐らの力士に加え、行事として木村庄之助らも参加し、各国の公使らの前で土俵入りを行っている。
・神事と興行という二面性を備えた相撲は20世紀に入ると制度化されてゆく。 1907年、相撲協会の内規改正が行われた(朝日新聞1907年 5月14日朝刊)。改正された内規をまとめると以下のようになる。
 +力士行司をはじめ、協会員は品行方正になる。道で同業者にあったら敬礼する。
 +地方巡業の方針は、協会役員のうち最高給の関取の意見に従う。
 +地方巡業で船に乗る際や旅館に泊まる際は、静粛に行動して粗暴な振る舞いはしない。
 +場所中はもちろん、巡業中でも八百長はしない。
 +場所中、病気などで欠勤するものは番付が下がる
 +場所中、幕下は午後1時、幕内は午後2時から必ず土俵入りをする。土俵入りをしないと番付を下げる。
 +地方巡業で土俵入りをサボると送迎をなくす。
 +賭博をした者は見つけ次第除名にする。
・注意喚起や禁止令が出されるのは、言うまでもなく、そうした行為が横行していたことを意味する。 当時の力士は道で他の力士とあっても挨拶せず、地方巡業の方針に従わず、船や旅館で暴れ、八百長をし、病欠し、博打をしていたようだ。そして、とにかく土俵入りが面倒臭いことなど、なんとなく雰囲気がつかめる。
・さらに1909年6月、相撲のための常設館が竣工する。最初から「国技館」と名づけられたわけではない。建物の命名をめぐる議論はまとまらず、最終的に、開館委員会委員長の板垣退助が一番広い意味を持つ国技館を選定したのだ。 こうした近代化が徐々に大相撲を作り上げ、その過程で、前近代的なものが相撲の歴史伝統として語られるようになった。 相撲は国技というイメージの形成には、最大公約数的な名前を選定した板垣の命名が大きく影響している。 国技を行う場所だから国技館と名づけられたわけではなく、国技館で行われるから国技として語られるようになったのだ。
▽わんぱく相撲が問いかけたもの
・土俵の女人禁制が最初に大きく報じられたのは1978年だ。 きっかけは子供が出場するわんぱく相撲である。わんぱく相撲では東京各地で予選が行われ、それぞれ上位に残った代表が国技館の決勝大会に進む。 この年、荒川区では女子小学生が準優勝したが、大会規約には、女子が代表になった場合には決勝大会には進めないとあったのである。
・この件をめぐり、労働省の局長を始めとする3人の女性官僚が当時の日本相撲協会理事に申し入れをした。 官僚側の「女性不浄視が理由なのか」という問いに対し、当時の伊勢ノ海親方らは「土俵は練磨の場であり、そもそも選ばれた者しか上がることはできず、女性蔑視は無関係である」と答えた。 女性官僚側はこの答えで引き下がっているが、男子小学生は上がれて、女子は上がれないという論理が破綻しているのは明らかだ。
・わんぱく相撲問題は尾をひく。 1991年、全国規模でわんぱく相撲が開催されたが、徳島県美馬郡の予選で女子小学生が優勝した。だが、国技館の決勝大会には女子は進めないとされ、全国大会出場権を意味する優勝メダルは準優勝の男子に渡された。 これについて、大会を主催した東京青年会議所が、大会はそもそも男子が対象であり、地方大会だけは地域親善の意味合いが強いため女子参加を認めているというよく分からない主張をしている。
・こうした曖昧な態度は現在まで影響している。今月8日に春巡業「富士山静岡場所」で恒例の「ちびっこ相撲」が行われたが、4日前に相撲協会から女子は参加しないようにという要請があったというのだ。相撲協会が本場所と巡業の区別がつかなくなっていることがうかがえる。
・日本では女人禁制は特に宗教と深く関わってきた。 女性の不浄視に由来するものもあれば、修行などで男女を区別するために男子禁制・女子禁制の双方があったが、男子禁制の尼寺が減少することで女人禁制だけが目立つようになったケースもあり、一概には言えない。
・いずれにせよ、明治維新以降の近代化と共に前近代的な禁制は少しずつ解除されてきたが、それと同時に、近代化が進展するがゆえに、新たに禁制が発見・強化されるケースが存在する。 そして大相撲は、伝統的神事と近代スポーツの双方を含みもつため、禁制とその解除をめぐる議論が起きやすい場であると言えるだろう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55229

第三に、外科医の中山 祐次郎氏が4月24日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・こんにちは、総合南東北病院(福島県郡山市)外科の中山祐次郎です。 まずは近況から。私は3月で郡山を離れ、4月から京都大学大学院医学研究科に出向という形で来ております。 私が学ぶ内容は主に「公衆衛生学」と「臨床研究法」の2つです。37歳、医者12年目の私がなぜ大学院に来たか。
・一番の理由は、公衆衛生という学問を学びたかったからです。公衆衛生はあまり日経ビジネスオンライン読者の皆様には馴染みがないことと思います。簡単に言えば、臨床の医者が「1対1」で医療を提供するのに対し、「1対多数」の医療を考える学問になります。具体的には統計学や、医療技術をどう経済評価するか、環境衛生(水や大気汚染など)、医療制度や政策など幅広い分野の講義があります。
・それに加えて、私は「臨床研究法」というものを学びます。臨床研究という言葉もあまり聞きなれないですよね。医者がやる研究と言えば、普通は試験管を振ったりいろんな機器を使って実験をしたりするイメージかもしれません。こちらは「基礎研究」です。私がやる研究は、臨床、つまり病院にかかる患者さんの研究です。例えば、「肺炎の患者さんに対してこの薬は何日間使うべきか?」や、「通院が必要な患者さんが外来に来なくなってしまう理由は何か?」といったような、非常に現場で使える結果の出る研究なのです。私はこれが学びたくて、京都に来たのでした。
▽めくるめくハイレベル講義に感嘆
・大学院に来て初めにガイダンスされたのは、「1年生全員でゴミ捨て当番を分担しましょう」でした。衝撃を受けましたが、そういえば私は学生だった、医者じゃないんだった、と身に染み込ませるいい経験でもありました。それから始まった講義の数々。私はこの3月まで外科医として働いておりましたから、病院内を歩き回ったり手術室で汗をかいたりという生活でした。詳しくはこの過去記事をご参照ください。
・それが、4月から大きく変わりました。これまで仕事を始めていた朝7時半は、今ではゆっくりメールや原稿を書く時間に。そして家から徒歩2分の講義棟では、めくるめくハイレベル講義。世界で活躍する教授の講義は、とても面白いものです。この歳になってじっくり学ぶのは、とても刺激的です。 さて、近況はこのくらいにして、今回は話題になったあの事件を扱います。
・「救命女性に土俵下りる指示 大相撲巡業、市長倒れる」(2018年4月5日付の日本経済新聞電子版より)  簡単に言えば、土俵上で挨拶中、急に倒れた市長を救うために女性医師がかけつけて救命措置を行っていたところ、「女性は土俵から下りてください」とアナウンスがあったというニュースです。
▽八角理事長が謝罪コメントまで掲載
・これについては、相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)からこんな謝罪コメントが出ています。 「本日、京都府舞鶴市で行われた巡業中、多々見良三・舞鶴市長が倒れられました。市長のご無事を心よりお祈り申し上げます。とっさの応急措置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。 応急措置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が『女性は土俵から下りてください』と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」(日本相撲協会ホームページより)
・もう謝罪されているので蒸し返すのも意味がないかと思いましたが、この「応急措置」についていまだに多くの質問をいただいています。ですから今回は、実際に私がいただいた質問に答えようと思います。医者が本件をどう見ていたか、ご参考になれば幸いです。
▽完璧な対応をした、あの女性  Q1 駆けつけた女性は何をしたのか?
・私が見た動画から判断すると、倒れた市長の周りに人だかりができていました。そしてその後、一人の女性が駆けつけ土俵にのぼると、様子をうかがっているだけの周りの人を押しのけて市長と直接コンタクトをします。そして、すぐに「心臓マッサージ」を始めたのです。
・心臓マッサージとは、横になっている人の胸のあたりを両手でかなり強く押し込む動きを、1分間に100回のペースでやる行為のこと。マッサージという言葉の雰囲気とはおよそかけ離れた、かなり激しい行為です。私も時々救急外来で心停止の患者さんに行いますが、これを1分間もやると汗がポタポタと患者さんの胸にかかります。胸を押しているとボキ、ボキと肋骨が折れることがありますが、構わず続けます。正式には胸骨圧迫(きょうこつあっぱく)といいます。こんな動き方ですね。
・この行為を、倒れてからどれだけ早く行うかが、倒れた人の生存や社会復帰に大きく関わります。この「どれだけ早く」は、秒の単位です。文字どおり1秒でも早く開始する必要があります。ですから、医者や看護師だけが行うわけではなく、実は倒れた人と一緒にいた人(バイスタンダーと言います)が行うことが強く推奨されています。
・日本ACLS協会ホームページでは、一般市民向けにこんな手順が公開されています。簡単に言えば、「意識のない人を見つけた」→(周囲の安全を確認して)「誰かに119通報と自動体外式除細動器(AED)を持ってくるよう要請する」→「呼吸しているか確認する」  呼吸をしていないか、変だと思ったら→「胸骨圧迫(心臓マッサージ)を始め、絶え間なく続ける」 AEDが来たら、装着する  となります。
・ここでのポイントは、医療関係者でなくても、心臓マッサージを始めてほしいという点なのですね。これは読者の皆様、今これをお読みのあなたにも知っておいていただきたい点です。ただ、今回のケースでは医師もしくは看護師だったようですね。動画を見ていても、駆け寄ってすぐに「119通報とAED」の指示を出しているようですし、その後呼吸確認をパッとして即心臓マッサージを始めています。これはどう見ても完璧な流れでした。
▽頭の病気なのに心臓マッサージをした理由 Q2 頭の病気である「くも膜下出血」なのになぜ心臓マッサージをした?
・その後の報道で、この舞鶴市長はくも膜下出血だったということが判明しました。くも膜下出血とはどんな病気でしょうか。 一言で言えば脳卒中の一つです。人間の脳は柔らかいので、脳に近い順に軟膜・くも膜・硬膜という3つの膜で覆われ、その外に頭蓋骨があって保護されています。血管がくもの巣のように張り巡らされているから、くも膜という説があります。この血管に「こぶ」があり、それが破裂して出血するものがくも膜下出血という疾患です。こぶは、脳動脈瘤と呼ばれます。
・脳みその近くで出血するため、その頭痛は非常に特徴的です。私は救急外来で頭痛の患者さんが運ばれて来た時、必ずこう聞きます。 「その頭痛は、バットで殴られたような痛みではありませんか? 人生最大の痛みではありませんか?」と。この病気は血管が破れるので、激しい頭痛が特徴だからです。
・痛みだけではなく、患者さんは吐いたり意識を失ったりすることもあります。ひどいと心臓が止まることもあるのです。おそらく、今回倒れた市長は意識がなかったのでしょう。さらに呼吸も止まっていた、あるいは正常ではなかったため、心臓マッサージを始めた。いや、動画を何度見返しても素晴らしい対応ですね。
▽心臓マッサージには交代要員が絶対に必要 Q3 なぜ他にも女性たちは駆け寄ったのか?
・この動画や報道によると、後から複数の女性が駆け寄っています。ここからは私の推測ですが、この女性たちは医師あるいは看護師だったのでしょう。そして、冒頭の女性が始めた処置を手伝おうとして土俵に駆け寄ったのではないでしょうか。
・冒頭の女性がした行為のことを蘇生行為と言いますが、これには人手が必要です。心臓マッサージは「絶え間なく」やり続けることが必要なもの。私は移動中のストレッチャーに乗り、患者さんに馬乗りになるようにして心臓マッサージを続けながら搬送したこともあります。しかし前述したように、心臓マッサージはやる人がすぐに疲れてしまうのです。5分もやればクタクタになってしまうでしょう。さらに心臓マッサージは、十分に胸を押し込んでから力をゆるめ、ちゃんと元の場所まで戻すという、その動きのクオリティが重要な手技でもあります。疲れるとクオリティは必ず下がりますから、交代要員がどうしても必要なのです。
・とにかく、一人でも蘇生行為を知る人がいた方がいいのは間違いない。そういう判断で、駆け寄って土俵にものぼったのでしょう。
▽大切な人を守る救命講習 Q4 いま、市長は元気なの?
・舞鶴市の発表(詳しくはこちら)によると、「くも膜下出血と判明。手術を行った。手術後容体は安定しているが、約1カ月の安静・入院治療が必要」とのこと。細かいところは不明ですが、後遺症などないことを祈っております。 今回の女性たちによる蘇生行為が、市長の病状改善にどれくらい寄与したかは分かりません。しかし、倒れた原因は心臓か脳か、それ以外かなど、その場で分かることはほぼありません。女性たちによる対応は大変に素晴らしいものでしたし、何よりあの方たちの「飛び出した」勇気には、心からの敬意を表したいと思います。知識や技術を持っていても、そして目の前で人が倒れていても、そこから一歩踏み出して蘇生行為をするというのは、医者にとっても非常にハードルが高いことなのです。
・そして最後になりましたが、相撲協会の皆さん。動画を見ていると、どうやら救命講習を受けた人がいないように思います。ですので、皆で一度、救命講習を受けてくださいね。 読者の皆様にも、おすすめです。1日だけで蘇生行為をある程度習得できます。目の前で大切な人が倒れた時、助けられるのはあなたかもしれません。
・日本赤十字社のやっている講習はこちら。10:00~16:00まで、受講料は1700円です。 もう一つ、医者や看護師も受ける講習はこちらです。私も以前受けました。お値段が1万8100円とちょっとお高いです。 それではまた次回、お会いしましょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/011000038/042300032/?P=1

第一の記事で、 『スポーツで熱狂的になったり、愛国的になったりしている背後に、何らかの意図が働いていることが珍しくないことは心しておいて損はない・・・オリンピック報道が沸き立っている際に、「働き方改革」の法案が審議されていた』、というのは、安部官邸がいかにもやりそうな手だ。 『スポーツで勝っても学問で勝てなくなった日本』、というのは、本当に由々しい事態だ。安部政権への「忖度」が目立つ日本のマスコミは、こうした「不都合な真実」に目をつぶりがちなのも、困ったことだ。
第二の記事は、様々な分野での女人禁制を歴史的に分析しており、大いに参考になった。 『近代の中で再発見される伝統』、 『相撲には神事としての側面とスポーツ興行としての側面があるし、本場所と地方巡業ではその割合も変化する』、 『相撲は国技というイメージの形成には、最大公約数的な名前を選定した板垣の命名が大きく影響している。 国技を行う場所だから国技館と名づけられたわけではなく、国技館で行われるから国技として語られるようになったのだ』、などの指摘は説得的だ。 『労働省の局長を始めとする3人の女性官僚が当時の日本相撲協会理事に申し入れをした・・・当時の伊勢ノ海親方らは「土俵は練磨の場であり、そもそも選ばれた者しか上がることはできず、女性蔑視は無関係である」と答えた。 女性官僚側はこの答えで引き下がっている』、という女性官僚側のお粗末な対応には、1978頃のこととはいえ、驚かされた。
第三の記事で、 『心臓マッサージとは、横になっている人の胸のあたりを両手でかなり強く押し込む動きを、1分間に100回のペースでやる行為のこと。マッサージという言葉の雰囲気とはおよそかけ離れた、かなり激しい行為です。・・・これを1分間もやると汗がポタポタと患者さんの胸にかかります。胸を押しているとボキ、ボキと肋骨が折れることがありますが、構わず続けます。正式には胸骨圧迫(きょうこつあっぱく)といいます』、 『心臓マッサージは「絶え間なく」やり続けることが必要なもの・・・しかし前述したように、心臓マッサージはやる人がすぐに疲れてしまうのです。5分もやればクタクタになってしまうでしょう。さらに心臓マッサージは、十分に胸を押し込んでから力をゆるめ、ちゃんと元の場所まで戻すという、その動きのクオリティが重要な手技でもあります。疲れるとクオリティは必ず下がりますから、交代要員がどうしても必要なのです』、というのを読むと、いくらl講習を受けたとしても、 『肋骨が折れることがありますが、構わず続けます』、というのは、残念ながら自分には到底できそうもない。 
タグ:日本のスポーツ界 (その8)(スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う:・・・、、相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性、土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を) 和田 秀樹 日経ビジネスオンライン 「スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う」 政治利用されやすいオリンピック スポーツで熱狂的になったり、愛国的になったりしている背後に、何らかの意図が働いていることが珍しくないことは心しておいて損はない オリンピック報道が沸き立っている際に、「働き方改革」の法案が審議されていた。この問題のほうが、多くの労働者にとって将来に大きな影響を与えることになるのだが、ほとんど関心が寄せられていなかった スポーツで勝っても学問で勝てなくなった日本 岡本 亮輔 現代ビジネス 「相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性」 「宗教伝統かスポーツか」という対立軸 近代の中で再発見される伝統 大相撲の「神事と興行」という二面性 中山 祐次郎 「土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を」 心臓マッサージとは、横になっている人の胸のあたりを両手でかなり強く押し込む動きを、1分間に100回のペースでやる行為のこと。マッサージという言葉の雰囲気とはおよそかけ離れた、かなり激しい行為です。私も時々救急外来で心停止の患者さんに行いますが、これを1分間もやると汗がポタポタと患者さんの胸にかかります。胸を押しているとボキ、ボキと肋骨が折れることがありますが、構わず続けます。正式には胸骨圧迫(きょうこつあっぱく)といいます 心臓マッサージには交代要員が絶対に必要 心臓マッサージは「絶え間なく」やり続けることが必要なもの 心臓マッサージは、十分に胸を押し込んでから力をゆるめ、ちゃんと元の場所まで戻すという、その動きのクオリティが重要な手技でもあります。疲れるとクオリティは必ず下がりますから、交代要員がどうしても必要なのです
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感