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不祥事への謝罪(危機管理)(その2)(2017謝罪の流儀:弁護士 コンサルが明かす謝罪ビジネス最前線 手法は色々 最後は経営者の覚悟次第、ザッカーバーグ「完璧すぎる謝罪」の舞台裏 日米企業トップの「コミュ力格差」は絶望的だ、社員の個人的犯罪まで社長が謝罪する違和感 「謝りすぎ」が示す日本社会の息苦しさ) [企業経営]

不祥事への謝罪(危機管理)については、昨年10月8日に取上げた。今日は、(その2)(2017謝罪の流儀:弁護士 コンサルが明かす謝罪ビジネス最前線 手法は色々 最後は経営者の覚悟次第、ザッカーバーグ「完璧すぎる謝罪」の舞台裏 日米企業トップの「コミュ力格差」は絶望的だ、社員の個人的犯罪まで社長が謝罪する違和感 「謝りすぎ」が示す日本社会の息苦しさ)である。

先ずは、昨年12月19日付け日経ビジネスオンライン「2017謝罪の流儀:弁護士、コンサルが明かす謝罪ビジネス最前線 手法は色々、最後は経営者の覚悟次第」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日経ビジネス12月18日号の特集「謝罪の流儀2017」では、変わり続ける社会の常識と、それに対応できない企業が受けるダメージの大きさが取材を通じて浮き彫りになった。危機感を募らせる経営者らが頼るのが、専門の知識とノウハウを持った大手弁護士事務所や危機管理のコンサルティングなどを担う総合PR会社である。取材班は今回、彼らに企業が学ぶべき謝罪の流儀や危機対応のあり方について聞いた。活況を呈する「謝罪ビジネス」の最前線とは――。
・「大手法律事務所は、こぞって危機管理のサポートを重要なビジネスと位置付けている。ぜひ話を聞きに行った方がいい」。取材先からこんな助言を受け、取材班が向かったのが西村あさひ法律事務所だ。業界でもいち早く危機管理の分野に参入し、大手企業の不祥事対応や係争案件に関わってきた。
・その内容は、重大な不祥事・紛争などの危機発生時に助言を提供すること。ホームページを参照すると、「(1)関係当局による調査・捜査への対応、(2)適時開示を含めた証券取引所対応、(3)監督官庁等の官公庁対応、(4)マスコミ対応、に関する助言をするほか、国際的な案件では、外国法律事務所等との連携のもとに対応策を助言します」とある。
・公表されている実績だけでも、大きな話題になった事案が並ぶ。2006年に発覚した、旧日興コーディアルグループの不正会計問題では、責任追及委員会に参画。07年に発生した東京都渋谷区の温泉施設「シエスパ」の爆発事故では、業務上過失致死傷罪に問われた施設運営会社の担当役員の刑事弁護も担当した。
・西村あさひで、こうした危機管理のエキスパートとして業界にその名を知られるのが、東京地検特捜部のOBでもある木目田裕弁護士だ。木目田氏は、「企業の危機管理が本格的に重視されるようになったのは2004年ごろから。粉飾決算をはじめ不祥事案件に社会の厳しい目が向けられるようになり、専門的な助言を求める企業が年々増加していった」と振り返る。
▽30人の弁護士が関わるケースも
・木目田氏のような検察OB、さらに金融系や報道機関の出身者など、西村あさひには多様な経歴を持った弁護士が集まっている。専門的な知識だけでなく、実際に「現場」を経験している彼らはその経験を生かし、様々な企業の不祥事や訴訟の案件に対応する。兼任も含めれば、危機管理に従事する弁護士は40人程度に上る。
・木目田氏は、「適切な助言をしながら、企業活動の再生を迅速に実現するのをサポートするのが我々の役割。ただ、近年は案件の内容やテーマも非常に多岐に渡ってきている」と明かす。実際、西村あさひに寄せられる案件は、相談レベルのものも含めれば年間100件以上。案件の大小によって、4~5人から時には30人程度の弁護士が関わることもあるという。
・弁護士といえば法律的な観点からの助言がその役割と思われがちだ。もちろん、それは重要な役割の一つだが、近年は法律論では判断できない、「炎上」への対応が必要なことは本特集でも取り上げた通り。違法性がなくとも、企業倫理に反するような不正に関しても対応が必要になる。危機管理チームの一員である鈴木悠介弁護士は、「監督官庁、マスメディア、世論などの動きに常に目配りしながら、当該企業の関係部門と調整を進める」と話す。
・一方、法律事務所とは別の立ち位置で、企業の危機管理をサポートするのが、コンサルティング会社や総合PR会社である。業界でも特に有名なのが、米国に本社を置くボックスグローバルや老舗のプラップジャパンだ。
・「ステークホルダー(利害関係者)にどのように説明を行い、信頼を得るかが危機管理の成否を分ける」。こう話すのは、ボックスグローバル・ジャパンの野尻明裕社長。同社では平常時からのコミュニケーション体制の構築、メディア・トレーニングのほか、不祥事や事故が発生した場合の対応まで、社内の専門スタッフがサポートしている。
▽模擬記者会見の専用スタジオも完備
・野尻氏が近年感じるのは、企業が向き合うリスクの多様化や変化だ。「従来は表に出ないか、関係者の内々で処理されていたものが、SNS(交流サイト)の普及などでそれでは済まなくなってきた」。誰もが情報を発信できるツールの発達や内部通報制度の整備により、水面下で企業が炎上を防げる時代ではない。野尻氏は「情報は表に出ることを前提にして、どれだけ損失を抑えられるかを考えるべき段階にきている」と語る。
・メディア・トレーニングでは、謝罪の記者会見を想定した「模擬記者会見」などを開き、経営者がどのような振る舞いや質疑応答での対応をするべきかを実践的に訓練する。プラップジャパンでは専用のスタジオを持ち、元新聞記者などのメディア経験者が記者役を務め、年間160件程度のトレーニングを実施している。
・プラップジャパンの井口明彦・メディアトレーニング部部長は「根本的に大事なことは、記者会見でお詫びをする際に“海図”を持って臨むこと。日頃からどのような姿勢を持つべきか、どのように報道機関やステークホルダーに接するべきかを、経営トップがしっかりと考えておくことが求められる」と説明する。
▽「模擬記者会見」にショックを受ける経営者
・同社の顧客の中には、誰もが知る大手企業も少なくない。ただ、大手企業の経営者だからといって、謝罪記者会見に余裕を持って臨める人はほとんどいない。記者役のスタッフの容赦ない質問攻勢に晒されて、つい声を荒げたり、不快感を露わにしたりする人もいるという。
・こうした模擬記者会見の様子は全てビデオカメラで録画され、後で経営者に直接見てもらうようにしている。「思ってもいなかったような自分の姿にショックを受ける経営者は多いが、それが次回以降の改善につながる」と井口氏は話す。
・リスク管理の重要性が認識されるにつれ、PR会社が顧客企業と平常時から密にコミュニケーションを取ることも一般化してきている。プラップジャパンでは顧問契約を結ぶなどして、年間を通じてコンサルティングを手掛けるケースが増加。経営企画や広報、法務など関連部門と連携し、危機管理の体制構築やマニュアルの整備、さらにメディア・トレーニングや社員向けのセミナーなどを組み合わせ、いずれ訪れるかもしれない「その時」に備えている。
▽AIが謝罪会見を評価する試みも
・さらに、プラップジャパンでは今年1月から、東京大学と組み、記者会見の印象をAI(人工知能)で解析・数値化する研究を開始した。同大大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦准教授の研究チームが進める、「印象」「魅力」などにまつわる研究内容と、プラップジャパンの知見を組みわせて、記者会見を定性・定量の両面から評価できるようにする試みだ。
・こうしたAIの活用も含め、謝罪にまつわるビジネスはその対象を広げ、新たな手法も開発されつつある。弁護士事務所も法律の枠を超えてその役割が拡大し、知見が蓄積されている。法律事務所とPR会社が連携し、大手企業をサポートする事例も増えてきている。
・ただ、それでも実際に不祥事に直面し、記者会見で矢面に立たされるのはあくまで当事者である企業、そして経営トップであることには変わりがない。そして、大半の経営者にとって、社会と向き合い、謝罪するというのは初めての経験だ。ボックスグローバルの野尻氏は「トップの覚悟と責任が最も重要であることは言うまでもない」と語る。謝罪ビジネスにまつわるソリューションをどのように生かすのかは、経営者自信の当事者意識に尽きるといえるだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/121300188/121300002/?P=1

次に、コミュニケーション・ストラテジストの岡本 純子氏が4月17日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ザッカーバーグ「完璧すぎる謝罪」の舞台裏 日米企業トップの「コミュ力格差」は絶望的だ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・巨大なソーシャルネットワークサービス、フェイスブックのユーザーデータ流用・流出問題について、マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が4月10日と11日、2日間にわたって米議会の公聴会で証言台に上った。
・数千万人分のデータ流出というフェイスブックにとって最大の不祥事を受けて開かれた公聴会は、延べ10時間、100人から600の質問を受けるというまさに「千本ノック」状態。この難局をザッカーバーグ氏は、究極の「謝罪力」で乗り切った。強靭なメンタルリフレックス(反射力)を養ったのは、星飛雄馬並みの血のにじむ準備と練習だ。
・今回は隔週連載の番外編。その「演技」の裏側を読み解き、リーダーを目指す人ならば知っておきたい「超一流の謝罪」の作法について解説してみよう。
▽議員のとんちんかんな質問にも真顔で対応
・ネットなどで中継されたこの公聴会、筆者もところどころ視聴したが、ちょっとしたエンターテインメント並みの面白さであった。何が笑えたかと言うと、議員のとんちんかんな質問に33歳のザッカーバーグ氏が「おい、まじかよ」「なんでこんなことも知らないのかよ」という顔を見せずに、取り繕ったまじめな顔で答えているところだ。
・日本の国会もびっくりするほど、高齢化が進んでいるらしいアメリカ議会。質問者の平均年齢は62歳で、コアメンバーの平均年齢は80歳近いというシルバー集団に対峙するザッカーバーグ氏はまさに孫ほどの年齢。自分の祖父や祖母ほどの年齢の人に、スマホの使い方を懇切丁寧に解説している携帯ショップの店員のようなものだ。
・たとえば、こんな質問が飛び出した。「(チャットアプリ)WhatsApp上でeメールしたら、その情報は広告主に伝わるのか?」「ツイッターとフェイスブックは同じようなもんか?」「ユーザーがおカネを支払わないのに、一体どうやってビジネスが成り立っているのか?」「うちの息子はインスタグラムに夢中でね~」「うちの選挙区に高速インターネット回線を持ってきてくれないか」などなど。
・テクノロジーを知らない素人に対して、わかりやすい言葉で説明することが苦手と言われるシリコンバレー界隈の若手経営者だが、ザッカーバーグ氏は、いらだつこともなく、忍耐強く、敬意を持って、わかりやすい言葉での丁寧な説明に終始した。
・この公聴会のシステムとして、一人5分の持ち時間で、次々と質問者が変わっていくものだったために、一人の質問者がどんどんと掘り下げていって追い詰めるという形にはならなかったこともザッカーバーグ氏には幸いした。結果的に、議員側のテクノロジーに対する知識の浅さが露呈する格好となった。
・ザッカーバーグ氏といえば、お決まりのTシャツやパーカがトレードマークだ。Tシャツといっても、Brunello Cucinelliというイタリアンブランドで1枚295ドルもする代物らしいが、今回はそういったカジュアルな服を封印し、濃紺のスーツとフェイスブックカラーの青いネクタイで清潔感や礼儀を示した。
・実は、ザッカーバーグ氏は8年前、WSJ主催のあるコンファレンスで、想定していなかった質問を受けて、大量の汗をかき、聴衆の面前で、パーカを脱ぐという恥ずかしい経験をしている。このときの動画(問題のシーンは14分50秒のところから)を見ると、ザッカーバーグ氏はものすごい早口で、口ごもりがち。声も高く、いかにも西海岸のテックベンチャーの兄ちゃんといった語り口で、今回の公聴会における落ち着きとはまさに天と地の差だ。
▽あらゆる角度からの質問を想定
・この証言に向けて、ザッカーバーグ氏とその周囲の側近たちは膨大な時間を費やし、準備を進めたといわれている。社内スタッフと危機コミュニケーションの専門会社、弁護士、ブッシュ元大統領の側近なども含めて約500人で対応チームを結成し、緻密な戦略を練った。その過程で、ザッカーバーグ氏も何度も想定質問に対する回答の練習を重ねたのだろう。成果は、如実に表れていた。
・企業の危機管理コミュニケーションのコンサルティングに携わる筆者にとって、興味深かったのは、フェイスブックが用意した想定問答集の中身だった。油断をしていたのだろうか、ザッカーバーグ氏が机に置いたまま休憩に入ってしまったため、カメラマンによってその内容が写真に収められてしまったのだ。
・「責任をとって辞任するのか」「アップルがフェイスブックを批判していることについて」など想定される質問とその答え方が箇条書きでリスト化されたもので、まさに「千本ノック」に耐えられるように、あらゆる角度からの質問を想定し、準備していたことが浮かび上がった。
・このように、微に入り細を穿つ準備の結果、完璧な謝罪に必要な5つの要素「謝罪」「現状説明」「原因」「責任」「再発防止策」をきっちりと盛り込んだ完成形が生まれた。
・特に「謝罪」はアメリカ企業にしては随分と潔い印象を受けた。日本の企業はちょっとした不祥事で頭を下げ、謝るが、欧米の企業はあまり簡単に謝罪はしない。今回、ザッカーバーグ氏は「われわれはしっかりとした責任をとらなかった。それは大きな間違いだった。私の間違いだった。本当に申し訳ないと思っている。私がフェイスブックを始め、私が舵を取り、私がいま起こっていることのすべての責任を担っている」と、I’m sorry という強い言葉で自らの非を認めた。こうした謝罪は全体で40回にも上った。
▽果たすべき役割はきっちりと果たした
・一方で、話せないことについては、「調べて後ほど、フォローアップさせていただきます」を連呼、きわどい追及を上手にかわした。結果的に、「公聴会といういわば、『ボクシングのショー』のような舞台において、ザッカーバーグ氏は果たすべき役割はきっちりと果たした」(米危機管理コンサルタントリチャード・リービック氏)。
・新たな規制や不祥事の可能性など、今後もまったく楽観視はできないが、とりあえず、「超絶」危機管理コミュニケーション力によって、第一の関門は乗り越えた。
・このように、企業が危機を乗り越えるか否かはトップのコミュ力に大きく依存する。そういった視点で日本企業を見たときに、まだまだ心もとないと感じる企業も少なくない。 直近の事例で言えば、仮想通貨取引所のコインチェックが見せた危機対応だろう。 フェイスブックと比べるのは企業規模から見ても「お門違い」と言われそうだし、もちろん、日本企業の中でも、強いリーダーシップでグリップを利かせる優良企業もあるのだが、ここは象徴的な事例ということであえて、取りあげさせていただきたい。
・筆者の知人の記者が、最近、最もひどい会見対応の例として挙げたのが、このコインチェックだった。質問に対し、答えを口ごもる、登壇者のちぐはぐなやり取り等、まったくもって説明能力のないトップによる受け答えはまさに幼稚園レベル。そもそも、「会社として何のために存在するのか」「社会にどう貢献していくのか」という「ミッション」についての言及も一切ない、薄っぺらい会見だったことに心からがっかりしたという。
▽日本の企業は「What」を重視しすぎ
・これは、海外の企業と比較したときに強く感じることだが、日本の企業は“What”重視型だ。「何」を売る、「こういうサービス」を提供する、というファクトをアピールする。一方、アメリカなどでは、「社会を、世界をこういうふうに変えたい」という存在意義をアピールする”Why”重視型が多い。特に日本のベンチャーなどには、こういったマクロの視点がすっぽり抜け落ちている場合があり、コインチェックもその例にもれなかった。
・「ベンチャーだから」という言い訳はあるかもしれない。ただ、問題は、何億円という巨額の資金を安易にテレビ広告などに投じていながら、地道な説明責任、危機管理施策を一切放棄してきたという点にある。最近、知名度のないベンチャー企業が集めた資金をテレビ広告などにあて、認知拡大を短兵急に図ろうとするケースが非常に多いが、その陰で、最も重要なトップのコミュニケーションの努力はおざなりになっている。
・筆者は新聞記者時代、まだ勃興期の楽天や成長途上のソフトバンクの取材にあたっていたが、彼らが黎明期に派手な広告を打ったという話は聞いたことはなかった。一流の企業は広告だけで大きくなることはない。地道にトップが前面に出て、説明責任を果たし、実績を積み重ね、一歩一歩着実に信用を獲得していくこと。まずはここが立脚点であろう。
・リーダーはコミュ力ありきである。社員の士気を鼓舞し、ファンを増やし、社会の信頼を獲得する。リーダーとして必要なすべての資質はコミュ力を要するものである。その鍛錬をおざなりにして、企業の成長などありえない。
https://toyokeizai.net/articles/-/216909

第三に、上記と同じ岡本 純子氏が6月26日付け東洋経済オンラインに寄稿した「社員の個人的犯罪まで社長が謝罪する違和感 「謝りすぎ」が示す日本社会の息苦しさ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・不適切かつ不十分な謝罪で、大炎上した日大アメフト部の反則問題がメディアの報道や人々の口端に上ることもめっきり減った今日この頃。人の心は移ろいやすいものである。一方で、なんとも違和感のある企業や組織の「謝罪事案」が次々と表ざたになり、日本の「謝罪文化」の特殊性を浮かび上がらせている。3つの実例をもとに説明していこう。
・まず1つ目は、プロ野球・阪神タイガースのスコアラーが盗撮容疑で逮捕されたことについて、揚塩健治・阪神球団社長が6月13日、メディアの前で深々と頭を下げて、謝罪したというものだ。
▽盗撮は社員と企業の連帯責任?
・社員が犯罪を犯した場合、果たして会社はどこまで責任を取るべきか。危機管理の定石では、たとえば、その犯罪が就業の場や業務に関連する仕事上で起こされた場合、組織ぐるみの場合には、会社にも責任の一端はあると考えられると解釈されることが多い。また、社会に範を垂れるべき存在の人の場合、任用責任が問われることもある。たとえば、銀行員の横領や学校の先生の犯罪などの場合は組織の側も、謝罪しておくべきという判断は一般的だ。
・一方で、まったく業務と関係のない場での犯罪については、防ぎようがないところはある。コンプライアンス教育が重視され、企業も研修などに力を入れるが、その犯罪抑止効果は限定的だ。  万引きでも盗撮でも、社員個人の意志による犯罪を会社の力で食い止めることなど基本的にはできない。揚塩社長は「被害に遭われた方に心よりおわび申し上げるとともに、皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを深くおわびします」と、平身低頭、謝罪したが、球団が責任を表明するような事案かというと、首をひねらざるをえない。そもそも、盗撮は社員と企業の連帯責任なのだろうか。頭を下げるべきは罪を犯した本人だろう。
・2つ目の事案は、少し前になるが、2017年11月14日、「つくばエクスプレス」を運営する首都圏新都市鉄道が、南流山駅で下りの列車が定刻より20秒早く発車したとして、その日のうちに謝罪のプレスリリースを発表したというものだ。
・出発予定時刻は9時44分40秒だったが、列車は9時44分20秒に発車した。この件でお客様からの苦情等はなかったというが、発車メロディや「ドアが閉まります」のアナウンスが発車後に流れるという事態になったため、「お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と陳謝した。
・ルール違反であり、もちろん看過できるわけではない。しかし、この事案は、海外では驚愕をもって受け止められ、多くのメディアに面白おかしく取り上げられた。そもそも、海外では電車が定刻に発車することのほうが珍しい。筆者もアメリカやイギリスでの生活で、何度となく泣かされた。突然、停車すべき駅を飛ばしたり、何の前触れもなく運休する地下鉄。週末、駅に行くと、今日は1日電車が来ません、などということもざらだ。
・停留所に人が待っていようが満員でもないのに、平気で無視して行ってしまう路線バスもある。長距離バスに乗って旅した時は、突然、バスが故障し、高速道路の途中で、足止めを食らったが、代替えバスを出すでもなく、のんびり修理するのを8時間待たされるということもあった。
・それでも、不思議なのは「誰も大して怒らないこと」。こんなものだろう、と平然としているのだ。日本であれば、駅員に詰め寄り、怒りだす人もいそうなもの。そもそも日本ではこうした「サービス」への期待値が海外に比べて圧倒的に高い。いや、高すぎるところがある。
▽「弁当注文」で謝罪会見
・3つめの事案は、神戸市職員が勤務中に弁当を注文するために、職場を離れる「中抜け」を繰り返し、減給処分されたというものだった。 大阪の放送局ABCテレビによると、神戸市水道局の64歳の男性職員は、勤務時間中に近くにある飲食店に弁当の注文をするため、3分程度の中抜けを半年間に26回したという。結果、この職員は半日分の減給処分となったというが、驚いたのは、6月15日、神戸市の水道局の課長ら4人が並んで会見を開き、深々と頭を下げ、「このような不祥事が生じ、大変遺憾。申し訳ございませんでした」と謝罪をしたことだ。
・半年間に26回ということは1カ月4回、つまり1週間に1回程度、3分間の中抜けということだが、これがダメなら、たばこを吸いに喫煙所に行ったり、就業時間内に居眠りをしたり、業務に関係のないおしゃべりをすることも処分の対象にあたるということにならないだろうか。
・神戸市の広報課に問い合わせたところ、「すべての職員の処分について同様の形で発表している」という。「ご迷惑をおかけした(納税者である)市民に対し、お知らせする意味合いがある」と説明するが、その一方で、ホームページでリリースを掲出するなどして、直接、その市民に謝罪するわけでもない。前例に従って、メディア向けの会見発表を営々と続けてきたという。
・こうした謝罪会見を開くのは本来、被害者に対する反省や謝罪、今後の対応策について表明することが目的であるはずだ。しかし、後々非難されることがないように、とりあえず、メディアに対して謝っておこう、といったアリバイ的なパフォーマンスのような会見も少なくない。
・些末な粗相であっても、針小棒大、揚げ足取りのように会社を責め立てるメディアも少なくないからだ。企業としても「とりあえずメディアに発表しておこう」という思考になるのは致し方ないかもしれないが、市民への告知というよりは会見という儀式が目的化している印象もぬぐえない。
▽「迷惑」恐怖症
・このように「過剰感」のある日本の謝罪文化。その背景の1つにあるのが、日本人の過度な「迷惑」恐怖症だ。この3つの事案すべてに共通した謝罪の言葉は「ご迷惑をおかけして申し訳ない」という常套句だ。つまり、被害者に対する謝罪というよりは、不祥事によって、不快感を持つであろうすべての第三者に対しても謝るべきである、という日本独特の考え方がある。
・東京理科大学の奥村哲史教授らの研究では、アメリカ人の学生が1週間に謝った回数は4.51回に対し、日本人の学生は11.5回も謝っていた。この研究では「謝罪は、アメリカでは責任の所在を明らかにするためのものであるのに対し、日本では、反省を表すためのもので、自らがかかわっていない行為に対しても謝るのが特徴的。謝罪は(日本という閉鎖的社会の中の)一種の社会的潤滑油」と結論づけられた。
・不祥事会見で、いやというほど多用されるこの「迷惑をかけてすまない」という言葉は、人様に迷惑をかけてはいけないという日本独特の価値観の表れであると同時に、その裏には、迷惑はかけられるのも嫌だ、という精神性が隠されている。そもそも、人は本来、生きている限り、誰かに迷惑をかけ、かけられる存在のはずだ。しかし、日本では、迷惑はかけてはいけないという意識の一方で、相手の迷惑も一切、受け入れない「不寛容」が生まれている。
・「迷惑」を過剰に恐れ、つねに人の目を気にして、一挙手一投足に過敏にならざるをえない。行き過ぎた謝罪の根っこにあるのは、こうした日本社会の集団的抑圧、同調圧力だ。とりあえず、謝っておこう。「謝罪の安売り」はそんな日本の息苦しさの象徴でもある。
・謝るべき時は、肝を据えて、真摯に責任を認める潔さはもちろん必要だろう。一方で、そもそも、リスクや間違いを過度に恐れる「リスク回避志向」の強い日本人が、ますます縮こまり、内向きに走る現状もどうかと思えるのだ。
・「謝罪」はある意味、同質的な日本人同士の独特の「折り合い方」の知恵なのかもしれないが、グローバル化で、価値観が多様化する中で、誰かの常識は違う誰かの非常識ということも増えている。「とりあえず謝罪」だけで片付く時代ではないのである。
https://toyokeizai.net/articles/-/226658

第一の記事で、『法律事務所とは別の立ち位置で、企業の危機管理をサポートするのが、コンサルティング会社や総合PR会社・・・模擬記者会見の専用スタジオも完備』、ここまできたかというのが正直な実感だ。株主総会では社内でも模擬株主総会などが行われて久しいが、危機管理は恐らくそれ以上に重大な問題として捉えられているのだろう。ただ、『AIが謝罪会見を評価する試みも』、というのは、AIの得意分野なのだろうか、と首を傾げざるを得ない。単なる「ハヤリモノ」に飛びついただけなのではなかろうか。
第二の記事で、『マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が・・・フェイスブックにとって最大の不祥事を受けて開かれた公聴会は、延べ10時間、100人から600の質問を受けるというまさに「千本ノック」状態』、を、『「超絶」危機管理コミュニケーション力によって、第一の関門は乗り越えた』、というのはさすがである。 『8年前、WSJ主催のあるコンファレンスで、想定していなかった質問を受けて、大量の汗をかき、聴衆の面前で、パーカを脱ぐという恥ずかしい経験をしている』、8年間という年月の経過はあるにせよ、同一人物とは思えないような、見事な変わりようだ。
第三の記事で、 『日本の「謝罪文化」の特殊性を浮かび上がらせている。3つの実例』、は確かに行き過ぎだ。特に、『「弁当注文」で謝罪会見』、にはそもそも処分する必要性にも首を傾げてしまった。懲戒権の濫用という気もする。 『そもそも、人は本来、生きている限り、誰かに迷惑をかけ、かけられる存在のはずだ。しかし、日本では、迷惑はかけてはいけないという意識の一方で、相手の迷惑も一切、受け入れない「不寛容」が生まれている。「迷惑」を過剰に恐れ、つねに人の目を気にして、一挙手一投足に過敏にならざるをえない。行き過ぎた謝罪の根っこにあるのは、こうした日本社会の集団的抑圧、同調圧力だ。とりあえず、謝っておこう。「謝罪の安売り」はそんな日本の息苦しさの象徴でもある・・・「謝罪」はある意味、同質的な日本人同士の独特の「折り合い方」の知恵なのかもしれないが、グローバル化で、価値観が多様化する中で、誰かの常識は違う誰かの非常識ということも増えている。「とりあえず謝罪」だけで片付く時代ではないのである』、などの指摘は説得力がある。お互い、もう少し寛容になりたいものだ。
タグ:東洋経済オンライン ザッカーバーグ氏は8年前、WSJ主催のあるコンファレンスで、想定していなかった質問を受けて、大量の汗をかき、聴衆の面前で、パーカを脱ぐという恥ずかしい経験をしている 延べ10時間、100人から600の質問を受けるというまさに「千本ノック」状態 専門の知識とノウハウを持った大手弁護士事務所や危機管理のコンサルティングなどを担う総合PR会社である AIが謝罪会見を評価する試みも 模擬記者会見の専用スタジオも完備 日本の「謝罪文化」の特殊性を浮かび上がらせている。3つの実例をもとに説明していこう 究極の「謝罪力」で乗り切った 「過剰感」のある日本の謝罪文化。その背景の1つにあるのが、日本人の過度な「迷惑」恐怖症だ 「謝罪」はある意味、同質的な日本人同士の独特の「折り合い方」の知恵なのかもしれないが、グローバル化で、価値観が多様化する中で、誰かの常識は違う誰かの非常識ということも増えている。「とりあえず謝罪」だけで片付く時代ではないのである 行き過ぎた謝罪の根っこにあるのは、こうした日本社会の集団的抑圧、同調圧力だ。とりあえず、謝っておこう。「謝罪の安売り」はそんな日本の息苦しさの象徴でもある しかし、日本では、迷惑はかけてはいけないという意識の一方で、相手の迷惑も一切、受け入れない「不寛容」が生まれている そもそも、人は本来、生きている限り、誰かに迷惑をかけ、かけられる存在のはずだ 人様に迷惑をかけてはいけないという日本独特の価値観の表れであると同時に、その裏には、迷惑はかけられるのも嫌だ、という精神性が隠されている いやというほど多用されるこの「迷惑をかけてすまない」 被害者に対する謝罪というよりは、不祥事によって、不快感を持つであろうすべての第三者に対しても謝るべきである、という日本独特の考え方 「2017謝罪の流儀:弁護士、コンサルが明かす謝罪ビジネス最前線 手法は色々、最後は経営者の覚悟次第」 1週間に1回程度、3分間の中抜けということだが、これがダメなら、たばこを吸いに喫煙所に行ったり、就業時間内に居眠りをしたり、業務に関係のないおしゃべりをすることも処分の対象にあたるということにならないだろうか 3つめの事案は、神戸市職員が勤務中に弁当を注文するために、職場を離れる「中抜け」を繰り返し、減給処分されたというものだった 、「つくばエクスプレス」を運営する首都圏新都市鉄道が、南流山駅で下りの列車が定刻より20秒早く発車したとして、その日のうちに謝罪のプレスリリースを発表 阪神タイガースのスコアラーが盗撮容疑で逮捕 「社員の個人的犯罪まで社長が謝罪する違和感 「謝りすぎ」が示す日本社会の息苦しさ」 岡本 純子 約500人で対応チームを結成し、緻密な戦略を練った 今回の公聴会における落ち着きとはまさに天と地の差だ 議員のとんちんかんな質問にも真顔で対応 米議会の公聴会で証言台 マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO) 「ザッカーバーグ「完璧すぎる謝罪」の舞台裏 日米企業トップの「コミュ力格差」は絶望的だ」 ボックスグローバルや老舗のプラップジャパン コンサルティング会社や総合PR会社 西村あさひ法律事務所 日経ビジネスオンライン (その2)(2017謝罪の流儀:弁護士 コンサルが明かす謝罪ビジネス最前線 手法は色々 最後は経営者の覚悟次第、ザッカーバーグ「完璧すぎる謝罪」の舞台裏 日米企業トップの「コミュ力格差」は絶望的だ、社員の個人的犯罪まで社長が謝罪する違和感 「謝りすぎ」が示す日本社会の息苦しさ) 不祥事への謝罪 (危機管理)
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