SSブログ

カジノ解禁(統合型リゾート(IR)法案)(その5)(小田嶋氏:カジノなきパチンコ王国の思い出) [国内政治]

カジノ解禁(統合型リゾート(IR)法案)については、6月23日に取上げた。衆議院を通過、参議院での通貨を待つばかりになった今日は、(その5)(小田嶋氏:カジノなきパチンコ王国の思い出)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が6月29日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「カジノなきパチンコ王国の思い出」を紹介しよう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/062800149/?P=1
・『今後、法案が成立して、国内にいくつかのカジノが開帳すれば、カジノを舞台としたマネーロンダリングや、外国資本によるわが国の資産の収奪が、プライムタイムのニュースショーの話題として取り上げられる近未来がやってくるかもしれない。そういう時に、振り返るべき過去記事として、法案成立前夜の空気を伝える文章がウェブ上に残っていることは、おそらく、それを読む未来の人間にとって有意義な時間になることだろう。つまり、私は、決して後戻りできない過去から未来の読者に呼びかける形式でこのテキストを書いている。どうですか、未来のみなさん。あなたたちは、自分たちがずっと昔に選んだ選択肢を後悔していませんか?』、というのが問題意識のようだ。
・『残酷な言い方をすれば、先日来続いている国会でのやりとりは、終演時刻や結末があらかじめ出演者にも観客にもすっかり共有されている定番の田舎芝居なのであって、議員諸氏は、審議のためにではなく、いずれはやってくる選挙戦に向けてアピールするべく、議員という役柄を演じ切るために、声を張り上げているのである・・・国会が言論の府であり審議の場であるためには、前提として拮抗した議席数のバランスが求められる。その条件が満たされていない以上、国会がオートマチックな議決機関に堕している現状を認めるしかない。嘆いたところでどうなるものでもない・・・さかのぼって考えれば、わたくしども選挙民が、こんな一党独裁の全体主義国家みたいな議席配分を許した時点で、一党独裁の全体主義国家じみた国会運営はすでに始まっていたのである』、嘆かわしい国会運営の最終的な責任は選挙民にあるとの指摘は、その通りだ。
・『ギャンブル依存症は、アルコール依存症に比べてあまり知られていない。 認知度が低いだけではない。理解度はもっと低いと思う。 個人的な感触では「自業自得だろ?」「自己責任じゃね?」「つまりアレか? その病気の患者はギャンブルで勝つのは自分の手柄だと思う一方で、ギャンブルで負けるのは病気のせいだみたいな考え方を採用してる人たちなわけか?」・・・てな調子で笑い飛ばしている人が多数派なのではなかろうかと思っている。 私自身、つい最近までは、自分がギャンブルであまり勝った経験を持たないからなのか、それに依存する人たちがいるということをいまひとつイメージできなかった』、確かに私自身も殆ど理解してなかった。
・『ただ、この5年ほどの間に、アルコール依存症とギャンブル依存症の患者や家族の団体が共同で主催するイベントに何度か協力させていただく中で、ギャンブル依存症の関係者と情報交換をする機会を得た。この経験を通じて、私の認識は大いにあらためられた。 アルコールもギャンブルも、最終的には、それに依存する人間が持っているほとんどすべての要素を破壊することになるものだ。が、その順序とプロセスには多少の違いがある・・・ギャンブルは必ずしも患者の肉体には害を為さない。ということは、ギャンブル依存の方が症状としてより「マシ」なのかというと、これもまた、必ずしもそういうことではない。 たとえば、経済生活を破綻させる傾向は、アルコール依存症患者の場合に比べて、ギャンブル依存症患者のケースのほうがより早い段階で表面化する。というのも、どんな大酒飲みであっても、一晩で10万円分の酒を飲むことは不可能(店や酒の種類にもよるが、アル中は何を置いてもアルコール度数のコスパを重視するので)だが、ちょっとしたギャンブル依存者なら、一晩で100万や200万の現金を溶かすことは珍しくもないことだからだ』、なるほど。
・『カジノとパチンコをめぐる二項対立の議論は、ネット上ではそれこそ20年も前から蒸し返されている定番の水掛け論だ・・・といったツッコミどころを備えた極めて多義的な遊戯(ないしは脱法賭博)産業であるからで、私自身、上に挙げた5つの論点はそれぞれそれなりの説得力を備えていると思っている。 ただ、パチンコの話題がカジノの新設とセットで持ち出される場合、別の問題が生じる。パチンコを滅ぼすことができるのなら、それはそれで、乗れない話ではないが、実際の手順を考えてみれば、それが簡単な話ではないことは子供にでもわかる。 アシダカグモを招き入れることでゴキブリを根絶するみたいな、机上の空論ですべてが解決するわけではない。 悪くすると、ゴキブリと、それを退治するために召喚したアシダカグモと、そいつをやっつけるために連れてきたムカデのすべてと同じ部屋で暮らさなければならないことになる』、とは面白い比喩だ。
・『カジノ誘致を主張する人々の立場も様々で・・・もっぱらパチンコ敵視の立場からカジノに肩入れしている人々もいれば、単純によりおしゃれなギャンブル場の設置を望んでいる人々もいる。 「パチンコのような各方面とズブズブになっている腐敗した脱法賭博を生きながらえさせるよりは、いっそ、国がきちんと管理して透明性を確保したうえで、クリーンな賭博場を開帳した方がいいではないか」という主張は、たしかに魅力的に聞こえる』、しかし、『「パチンコのような半世紀以上続いている産業を一朝一夕に根絶できると思ったら大間違いだ」という意味でも 「カジノみたいなそもそも賭博であるものを『クリーン』に開帳できると思ったら大間違いだ」という意味でも、二重に大間違いだ。 もうひとつ言えば、新しい悪徳を迎え入れることで、古い悪徳を根絶できるとする考え方がどうにもファンタジックである点を指摘せねばならない』、というのは説得力がある。
・『「ギャンブル依存を持ち出す人たちにしても、まだ存在すらしていないカジノによる被害を言い立てるつもりなら、その前にパチンコの問題の解決してからにすべきなんじゃないのか?」という議論は、そもそも多分に詭弁の要素を含んでいる。 パチンコがもたらしている害悪に対処せねばならないのはその通りで、その点については、すでに様々な人々が取り組んでいる。 この種の議論をする人たちの定番のツッコミの形式である 「Aを告発するなら、その前にBを告発するべきだ」式の言い方は、そのままでもほとんど詭弁なのだが 「Bを追及していない人間にはAを追及する資格はない」 というカタチに逆転すると、さらに露骨な言いがかりになる。 この論法を敷衍すると、世界中のすべての罪を告発しきった後でないと、特定個別の悪徳に異を唱えることができなくなる』、さすが見事な論破だ。
・『そもそも、パチンコの害とカジノの害は別モノだ。 金額、頻度、客層すべてが異なっている。しかも、カジノにはマネーロンダリングに使われるかもしれないという別種の問題があるし、貸金業の免許を持たないカジノ業者が顧客に金を貸す(つまり、負け分の支払いを一定期間猶予することで、所持金以上の負けを背負わせることができる)ことがもたらす害悪もまだ、どんなものになるのかはっきりわかっていない』、というカジノには明らかな問題点がありながら、国会審議では明確な回答がないままなのには首を傾げざるを得ない。
・『カジノを開帳することで、パチンコの被害が帳消しになるわけでもなければ、パチンコ利権が消えてなくなるわけでもない。おそらく、新旧の違ったタイプの悪徳はそれぞれに別々の被害を生み出しながら、相互に足を引っ張り合うこともなく、むしろ互いの顧客を融通し合うカタチで共存していくに違いない』、というのはその通りだ。
・『パチンコを賭博でないと考えている政府が開帳するカジノがどんな施設になるのか、正直な話、私にはまったく見当がつかない。 ただ、ろくなものにはならないことだけは断言できる。 この点は賭けても良い』、との結びも見事だ。
タグ:国会が言論の府であり審議の場であるためには、前提として拮抗した議席数のバランスが求められる。その条件が満たされていない以上、国会がオートマチックな議決機関に堕している現状を認めるしかない。嘆いたところでどうなるものでもない カジノを開帳することで、パチンコの被害が帳消しになるわけでもなければ、パチンコ利権が消えてなくなるわけでもない。おそらく、新旧の違ったタイプの悪徳はそれぞれに別々の被害を生み出しながら、相互に足を引っ張り合うこともなく、むしろ互いの顧客を融通し合うカタチで共存していくに違いない パチンコの害とカジノの害は別モノだ。 金額、頻度、客層すべてが異なっている。しかも、カジノにはマネーロンダリングに使われるかもしれないという別種の問題があるし、貸金業の免許を持たないカジノ業者が顧客に金を貸す(つまり、負け分の支払いを一定期間猶予することで、所持金以上の負けを背負わせることができる)ことがもたらす害悪もまだ、どんなものになるのかはっきりわかっていない この論法を敷衍すると、世界中のすべての罪を告発しきった後でないと、特定個別の悪徳に異を唱えることができなくなる ギャンブル依存を持ち出す人たちにしても、まだ存在すらしていないカジノによる被害を言い立てるつもりなら、その前にパチンコの問題の解決してからにすべきなんじゃないのか?」という議論は、そもそも多分に詭弁の要素を含んでいる 、『「パチンコのような半世紀以上続いている産業を一朝一夕に根絶できると思ったら大間違いだ」という意味でも 「カジノみたいなそもそも賭博であるものを『クリーン』に開帳できると思ったら大間違いだ」という意味でも、二重に大間違いだ パチンコのような各方面とズブズブになっている腐敗した脱法賭博を生きながらえさせるよりは、いっそ、国がきちんと管理して透明性を確保したうえで、クリーンな賭博場を開帳した方がいいではないか もっぱらパチンコ敵視の立場からカジノに肩入れしている人々もいれば、単純によりおしゃれなギャンブル場の設置を望んでいる人々もいる カジノ誘致を主張する人々の立場も様々 パチンコの話題がカジノの新設とセットで持ち出される場合、別の問題が生じる。パチンコを滅ぼすことができるのなら、それはそれで、乗れない話ではないが、実際の手順を考えてみれば、それが簡単な話ではないことは子供にでもわかる たとえば、経済生活を破綻させる傾向は、アルコール依存症患者の場合に比べて、ギャンブル依存症患者のケースのほうがより早い段階で表面化する。というのも、どんな大酒飲みであっても、一晩で10万円分の酒を飲むことは不可能(店や酒の種類にもよるが、アル中は何を置いてもアルコール度数のコスパを重視するので)だが、ちょっとしたギャンブル依存者なら、一晩で100万や200万の現金を溶かすことは珍しくもないことだからだ ・ギャンブルは必ずしも患者の肉体には害を為さない。ということは、ギャンブル依存の方が症状としてより「マシ」なのかというと、これもまた、必ずしもそういうことではない さかのぼって考えれば、わたくしども選挙民が、こんな一党独裁の全体主義国家みたいな議席配分を許した時点で、一党独裁の全体主義国家じみた国会運営はすでに始まっていたのである アルコールもギャンブルも、最終的には、それに依存する人間が持っているほとんどすべての要素を破壊することになるものだ 「カジノなきパチンコ王国の思い出」 「自業自得だろ?」「自己責任じゃね?」「つまりアレか? その病気の患者はギャンブルで勝つのは自分の手柄だと思う一方で、ギャンブルで負けるのは病気のせいだみたいな考え方を採用してる人たちなわけか?」 ギャンブル依存症は、アルコール依存症に比べてあまり知られていない。 認知度が低いだけではない。理解度はもっと低いと思う 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 )(その5)(小田嶋氏:カジノなきパチンコ王国の思い出) パチンコを賭博でないと考えている政府が開帳するカジノがどんな施設になるのか、正直な話、私にはまったく見当がつかない。 ただ、ろくなものにはならないことだけは断言できる。 この点は賭けても良い カジノとパチンコをめぐる二項対立の議論は、ネット上ではそれこそ20年も前から蒸し返されている定番の水掛け論だ 統合型リゾート(IR)法案 カジノ解禁
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感