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”右傾化”(その6)(嫌中・嫌韓をカネに 「愛国ビジネス」はなぜ盛り上がったのか、民主主義を破壊するネット右翼を撃退せよ! SNSを使った扇動や攻撃から確実に身を守る方法とは、リベラル家庭で育った妙齢日本人女子が「ネット右翼」になるまで 誰でもネトウヨになる可能性がある、「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく 「批判」や「対立」への強い不快感) [国内政治]

”右傾化”については、昨年12月1日に取上げた。今日は、(その6)(嫌中・嫌韓をカネに 「愛国ビジネス」はなぜ盛り上がったのか、民主主義を破壊するネット右翼を撃退せよ! SNSを使った扇動や攻撃から確実に身を守る方法とは、リベラル家庭で育った妙齢日本人女子が「ネット右翼」になるまで 誰でもネトウヨになる可能性がある、「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく 「批判」や「対立」への強い不快感)である。特に、4番目の記事は、極めて参考になる点が大きいので、是非、読んで頂きたい。

先ずは、昨年11月20日付けダイヤモンド・オンライン「嫌中・嫌韓をカネに、「愛国ビジネス」はなぜ盛り上がったのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/150109
・『愛国ビジネスとは、その名の通り国民のナショナリズムをあおり、消費行動につなげていくビジネスモデルのこと・・・日本における愛国ビジネスの実情はどうだろうか。マーケティング・コンサルタントの大西宏氏(ビジネスラボ代表取締役)がこう解説する。 「今や日本でも嫌韓・嫌中サイトで広告収入を得たり、保守系番組『そこまで言って委員会NP』が高視聴率を獲得するなど、“愛国”をビジネスとする市場が広がってきました。森友学園も保守派の父兄を対象にした子育てビジネスといえるでしょう。愛国ビジネスに明確な定義はありませんが、近年の嫌韓本や中国脅威本の書籍売上げをみれば、その市場規模の大きさは分かると思います」』、ネット空間だけでなく、ビジネスにもなっているとの指摘は参考になる。
・『今年の上半期ベストセラー新書によれば、『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート、講談社)が40万部以上を売り上げて2位を記録。いわゆる“ヘイト本”が、大ヒットしているのだ。 こうした書籍だけに限らず、今や「愛国マグカップ」「靖国神社Tシャツ」「大東亜共栄圏パーカー」なる愛国グッズまでもが販売されているという』、愛国グッズまでもが販売されているというのまでは、知らなかった。
・『では、なぜ日本における愛国市場はここまで大きく成長したのか。大西氏はその原因の一つをこう分析する。「バブル崩壊以降、日本経済が失速したことで若い人の所得は低下し、将来、年金すらもらえるか分からないという、先行きの見えない不安が蔓延しました。日本人が自信を失う中、2009年に発足した民主党政権は世論の支持を得られず、朝日新聞の『慰安婦報道問題』などリベラル派のオウンゴールが続きました。さらに海外に目を転じれば、中韓の反日運動などもありました。これらの要因が相まって、日本人の中には“アイデンティティー”を求めて保守化に走った人が多かったように思えます」』、なるほど。
・『今やテレビで当たり前となった“日本スゴい!”推しの番組だが、その元祖である『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京)が放送開始されたのが13年。時系列的には民主党政権(09〜12年)が終わって直後のことだが、これも日本人がアイデンティティーを求めた結果なのだろうか』、タイミングの符合はとも角、そうしたムードを盛り立てたことは確かだ。なお、これについては、クールジャパン戦略として4月24日に取上げた。
・『1995年のインターネット元年以降、右派は動画投稿サイトなどネットでの国民煽動に注力していきました。昔から右派は紙を始めとする既存メディアが左派に牛耳られているという意識が強かったのです。確かに、左派やリベラル派と呼ばれる人たちは紙媒体の活字が好きな傾向があり、それに固執してしまったため、結果的にネットに強い右派の“嫌韓・嫌中”の主張が発信力を持つことになりました」・・・「今のメディアの多くは、右派からは『お前んところは左だ!』と言われ、左派からは『右だ!』と言われ、苦しい状況に置かれていますが、結局のところ右に傾倒していると思います。要するに保守的なスタンスの方が“損”をしないということでしょうね」(能川氏)』、というのも参考になる見方だ。

次に、東大准教授で作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督の伊東 乾氏が昨年12月6日付けJBPressに寄稿した「民主主義を破壊するネット右翼を撃退せよ! SNSを使った扇動や攻撃から確実に身を守る方法とは」を紹介しよう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51770
・『ドイツ、ミュンヘン工科大学で国際会議に出ています・・・ネット右翼化は下手をすると全世界の民主主義社会を長期にわたって損ねる可能性のある病という認識で、とりわけ日本とドイツ、20世紀後半の高度成長を支えた両国は手を携えてこの問題に取り組んでいきましょう、と合意した内容のエッセンスを、今回はご紹介しましょう』、ドイツでも問題化しているというのは、言われてみればその通りなのだろう。
・『ブロードバンド・インターネットは、放送法も電波法も関係ない「素人」が、政府の監督その他無関係に、どんな内容でも発信できる「マルチキャスト」の無法地帯になってしまったということです。 1995年、インターネット初期、リベラルの人々は「これからはインターネット民主主義だ」と息巻いた。ところが、10年経って現実には、民主主義の原則はおろか、刑事司法も無関係の殺人動画をテロリストが流布できる、荒んだ状況になってしまいました。 「インターネット性善説」は完全に期待を裏切られ、「インターネット性悪説」が21世紀の現実を考える喫水線になってしまった』、確かにその通りだ。
・『これが選挙にまで影響を及ぼし始めたのが、21世紀第2ディケードに現在進行形で進んでいる変質です。日本では2013年から「ネット選挙」が解禁されました。 リアルな選挙活動ではできないことも「ネットワーク匿名性」の影に隠れて、様々に実現可能になっています。「性善説」では民主主義の進展が期待されたけれど、現実には「有力者」「金持ち」といった勢力が、人を雇って様々なネット工作を展開し始めた。 「ネット右翼」が跋扈し始めるのはこの時期からだと、今回の会合では日本のみならずドイツ側知識層からも、厳しい指摘がなされました。 念のため記しておきますが、ドイツでは去る9月の総選挙で極右政党AfD・・・が12.6%の得票率をえて初めて国会に進出、いきなり第3党に躍進し、穏健な良識層に深い懸念を起こさせています・・・昨年2016年には英国の国民投票で、誰もがあり得ないといっていた英国がEU離脱を決定してしまいました。  どうみても合理的な選択ではなく、何も良いことがない国益の激減を民意は選択してしまったのです。 加えて秋には、誰もが冗談候補と思っていたドナルド・トランプ氏が米国の大統領に当選し、米国は本格的に危機的状況を自分自身にも、また全世界にも突きつけ始めてしまいます。  こうした「亡国投票」が続発している背景に、「ネット僭主」の支配が指摘され「メディア陶片追放」や、その背骨をなすべき「デジタル撃退力」の重要性が指摘されています』、なるほど主要先進国共通の問題のようだ。
・『かつてドイツでは、ラジオによるメディア・マインドコントロールによってナチスが異常な高支持率を選挙で得てしまい、欧州全体を破壊する戦争とホロコーストという取り返しのつかない事態を発生させてしまいました。 いま、そうした悪夢を再現させかねないのが「ザッカーバーグの魔術」であり、デジタルメディア・マインドコントロールの罠にほかなりません』、確かに危機感をもっと持たなければいけないようだ。
・『「僭主(tyrant)」とは、古代ギリシャで民主主義を破壊する独裁者を指す言葉で、議会の合議制や民主主義のルールを守らず、賄賂その他の方法で権力、支配力を蓄え、理不尽で不平等、一部の権益だけを護るなど、不法な政治を行う存在です。 例えば、自分のお友達にだけ特権的な公共事業を割り当てる、といった不法は「僭主的」と言ってよいかと思います。日本でもそういう兆候が見え、危険な状態と思いますが、ことは欧州でも米国でも起きています。 その支配の具として濫用され始めているのが21世紀第2ディケードのインターネットである、という認識をもって、正しく「ネット右翼」を撃退根治してゆかないと、とんでもないことになりかねません。 と言うか、現実に「とんでもないこと」は起きているわけです』、安倍政権も確かに「僭主的」だ。
・『「ネット右翼」の特徴と、典型的な撃退法を記しておきたいと思います。 まず最初に押さえておくべきポイントは「ネット右翼はバカである」ということです。これは誹謗中傷ではなく、以下のような定義に基づくものです。 ●論理がない。 ●従って論理的な会話が成立しない。対話による議論の発展や合意が成立しない。 ●利害に基づく(あるいは利害さえ定かでない)結論ありきで、同じことを繰り返す。 ●平気で他者を誹謗中傷する。 ●しばしば匿名である。 この5点が揃うものを、ここでは「ネトウヨ」と定義し、簡略化してこういうものをバカと呼ぶことにしましょう』、よく出来た定義だ。
・『論理がなければバカみたいだし、議論が成立しなければバカバカしいし、バカの一つ覚えは無意味だし、罵詈雑言は愚かしく、名乗らないのは卑怯ですから、略して「バカ」で十分と思います。 逆にこれらに該当しない方とは、建設的な議論が成立するので、そういう方をバカと切り捨てたりは決してしません。 そう、「ネトウヨ撃退法」は、今まさに記した通り「切り捨てる」ことにあります。ロジカルな筋道を高々1つだけ示してディスコネクトする、が骨法です』、なるほど。
・『「スカンクがガスを発したからといって、それより臭いにおいを自分が出していては、さらに環境を汚染することになるでしょう」 あるバイエルン州議員の口から出たこの表現には大いに感心しました。 ヘイトに対してヘイトで応じるような、同じ低レベルに堕落する応酬は一切しない。「ケジメ」をしっかりつけていく「デジタル撃退力」の実力養成には、従来言われてきた「メディア・リテラシー」を超えた「デジタル啓蒙」が必要といった、この先の議論は、回を分けてお話したいと思います』、この先の議論が楽しみだ。

第三に、小説家の王谷 晶氏が7月22日付け現代ビジネスに寄稿した「リベラル家庭で育った妙齢日本人女子が「ネット右翼」になるまで 誰でもネトウヨになる可能性がある」を紹介しよう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56628
・ネット右翼になった壮絶な経緯を長目だが引用しよう。『私がネット右翼だったのは、今から十数年前。24歳から26歳くらいの期間。若かったけれど、ものの分別はついてしかるべき年齢だ。当時は実家暮らしをしていて、引きこもりと鬱と自傷と睡眠導入剤withアルコールの常飲という数え役満みたいな問題を抱えていた。 順を追って書くと、私は18歳で一度実家から上京しいろいろな職業を転々としたのだが、どこも長続きせず精神的にも金銭的にも手詰まりになり21歳のとき早々に実家に戻った。家事能力は低く、自分の身の回りの世話もおぼつかずあらゆる点でだらしなかった(これは今も同じ)。 しばらくは家業を手伝ったり・・・次第に引きこもりがちになり、酒量がじわじわと増えはじめ、4リットルくらい入ってるでかいペットボトル焼酎を1週間足らずで空けるようになり、泥酔してはカッターナイフや煙草の火で自傷行為をするようになり、ついに首吊りの自殺未遂をやらかした。 さすがにこれはまずいと自覚し、心療内科に通うこととなった。ここまでは、たぶん「憧れていた一人暮らしを自分でダメにした」という後悔と自己嫌悪が引き金になっていたのだろうなと思う。 病院では速攻で鬱と診断され、抗鬱剤と睡眠導入剤を飲み始めた。効き目はわりとすぐにあらわれ・・・奇妙な焦りと疲労感が徐々に消え、心がすこんとフラットになった。喜怒哀楽全ての感情が、ボリュームをしぼったように小さくなったのだ。喜びはないが、哀しみもない。 小指の先ほどもないちっちゃい薬ひとつで、あっという間にこんなに気分が変わってしまうのに驚いた。ヒトの精神とか想いとか中身ってなんなんだ、とちょっと虚無感も感じた。 そして、それまで一日中出口もなく考え続けてきた「自分について」という議題にもいきなり興味がなくなった。文章を書くこともほとんど出来なくなっていた。書き始めても完結させられない、オチのある話を作れない。そこそこ閲覧者がいたブログもやめてしまった。長大な暇が目の前に現れた。そうして一日中ただただインターネットから情報をボーッと受け取るだけの毎日が始まってしまったのだった・・・物語を書くこともできなくなっていたけれど、読むのも難しくなっていた。ある程度の長さがある本やテキスト、映画を視聴することができない。途中で気力がなくなってしまうのだ。なので自然と数百文字でオチがつく2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のネタスレや、そのまとめサイトに入り浸るようになった。そこで出会ったのが、「外国人の反応」を集めたまとめサイトだった。 そこには外国人が日本の文化や人に感動したり驚いたりする「ちょっといい話」なネタがまとめられていて、似たようなサイトは他にもいくつかあった。内容はどこも同じで、外国人(登場するのは西欧人が多かった)が日本のアニメ・ゲームはすごいとか、食べ物が美味いとか、人が親切とか、治安がいいとか言ってたよ、というエピソードが大量にまとめられている。それを毎日毎日読みふけっていた。 なぜ「日本すごーいとホメそやす外国人のエピソードまとめ」に惹かれたのか。当時の私は、完全に自分に対する自信を失っていたように思う・・・外国人の反応まとめサイトを読んでいるときは、なぜか気持ちが癒やされた。 学歴も職もなく人生からコースアウトしてしまったと思っていたけれど、それでも「日本人」という属性だけは剥がれ落ちていない。だからそこを褒められると自尊心がくすぐられて、嬉しかったのだと思う。 実際にあった話というていで書かれているエピソードが本当かどうかもどうでもよかった。ホメて認めてほしかった。日本=私を。一つのまとめサイトを読み尽くすとリンクを辿って次のサイトへ。それを繰り返していくうちに、私はいつの間にか主に中国や韓国の話題やニュースをまとめたサイトに辿り着いていた』、なるほど。
・『2ちゃんねるのスレッドを抜粋しまとめたそのサイトでは、中国の環境の悪さや韓国企業が日本の技術やデザインをパクッたという話題がいくつもいくつも並び、そこに大量の罵詈雑言が「意見」として寄せられていた。 そのニュースのソースも信憑性もそもそも分からない。けれど「外国人の反応まとめ」で「日本ってスゴイ!」の地慣らしがされていた私はそこに書かれていたことをまるっと信じてしまった。 日本は間違ってない。中韓はひどい国だ。日本は世界に尊敬されている。私は栄えある日本人。疑いもしなかった。自分でも書き込みを始め、日本を悪く言っているというメディアや個人があれば「叩き」に参加した・・・映画も中国、韓国、香港映画を好んで観ていたし、悪印象どころか好感を持っていた。 はずなのに、私は中韓叩き記事をむさぼり読んでは快感を感じるようになっていた。明らかに理屈が通らないのに、そのときはおかしいとも思わなかった。日本がホメられて嬉しい、では飽き足らず、叩くべき「敵」が人生に現れて楽しかった。なんか目的ができた気になった。バカみたいな話だけど、確かにそういう気持ちだったのだ』、クールジャパンで自信を取り戻したまではよかったが、そのまま嫌韓嫌中に流れたというのは、あり得る話だ。
・『ある日いつものように中韓叩きまとめブログを読んでいたとき。 そこは国内のニュースもトピックに挙げることがあり、その日は電車内の痴漢のニュースが取り上げられていた。まとめられた2ちゃんの意見もコメント欄も、「冤罪をかぶせて金をむしり取る女は死刑」「ちょっと触られたくらいで大げさ」「ブス・ババアほど痴漢と騒ぐ」「女はクズ。まんこしか価値なし」等の女叩きのオンパレード。一気に頭に血が上って反論を書き込み一通りネット上で匿名の相手と罵り合いを続けた。 話は当然噛み合わず平行線の揚げ足取り合戦になり、私は疲れて、そしてふいに気づいてしまった。いま女という属性をひとまとめにされ偏見でもって叩かれ侮辱されていることに怒っているけれど、それは、この数年、自分が中国や韓国に向けてやってたことと同じだ。 目にはまっていたブ厚いウロコが、ぼろっともげ落ちた気分だった。一度そう気付いてしまうと、それまで普通に読んでた中韓叩きまとめ記事が、ソースも曖昧で偏見まみれで悪意が先に立つものばかりなのが分かってしまった・・・恥ずかしかったのは、外国や外国人が叩かれている時は気にならなかったのに、自分と同じ女という属性が叩かれているのを読んで、やっとその行為の酷さに気付いた己の鈍感さ、自己中心っぷりだった』、女性蔑視のサイトで、自らの誤りに気付いたというのはさすがだ。
・『両親からは今まで一度も人種差別、外国人差別的な話を聞いたことがない。人権や平等の大切さみたいな話を子供のころから聞かされていたし、それに反発もおぼえなかった。それでも、私はネット右翼に染まってしまった。ほんとうに酷い事をした。反省してもしきれないし、人生トップクラスに恥ずかしい行為だと思っている。 自分の中の「差別したい、罵りたい、殴りたい」という衝動に向き合って、心の檻の中で飼い慣らさなきゃいけないんだな、と理解したのは、通院が終わり薬と酒のチャンポンをやめて頭の中が少しすっきりしてからだ。私は気をつけないとすぐ差別や侮辱や暴力を「そんなつもりはなかった」と言いながらやらかしてしまう人間なのがよく分かった。 暴論を承知で言うけれど、誰かを罵倒したりいじめたりするのは、基本的に人間にとって「楽しいこと」なのだと思う。倒すべき敵がいるという妄想も、人生に目標ができたみたいでテンションのあがるシチュエーションだ。 暴力と快感は容易に結びつく。でもそれを理性で止めることができるのもまた人間の人間らしさなはず。仮に嫌いな相手でも、暴力を振るわず生きてくことはできるはず。難しいけど。 しかしそういう方向を目指していかないと人って簡単に殺すし殺されてしまう。差別が殺人や自殺に発展したニュースを、毎日のように目にしている。 人間死んだらおしまいだ。他人を勝手に終わらせたり自分が終わりになってしまわないように、だから私はときどき己の「ネット右翼」時代を思い出す』、よくぞここまで深く自分を見つめ直したものだと、心底、感心した。しかし、彼女のように途中で気づくケースは、残念ながら例外的なのだろう。

第四に、成蹊大学教授の野口 雅弘氏が7月13日付け現代ビジネスに寄稿した「「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく 「批判」や「対立」への強い不快感」を紹介しよう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56509
・『野党への支持率が絶望的に低い。特に若者世代ではその傾向が顕著だ。そうした「野党ぎらい」の背景には、若者世代が「コミュ力」を重視している事実があるのではないか。コミュ力を大切にし、波風の立たない関係を優先していれば、当然、野党の行う批判や対立を作り出す姿勢は、嫌悪の対象となる。摩擦のない優しい関係が社会に広がるなか、野党の置かれた立場は難しいものになっている・・・このエッセーでは、既存の「野党」だけに一方的に責任を負わせるのではない仕方で、「野党がきらい」という雰囲気について考えてみたい』、との指摘は新鮮で、説得力もありそうだ。
・『いまの「若者」は、物心がついたときから「コミュ力」(コミュニケーション能力)が強調されてきた世代でもある。 学校でも職場でも、ナチュラルに感じよく会話ができれば、ものごとは円滑に進む。社会の流動性が激しくなり、かつてのようにずっと同じ職場で、同じメンバーと仕事をすることが当たり前でなくなれば、即座に当たり障りなくフレンドリーな関係を作り、その場の「空気」をうまく読み、それを継続する「コミュ力」がその分だけ評価されるのも当然ではある。 実際、大学のAO入試や、企業・公務員の就職試験で、集団討論(グループ・ディスカッション)を取り入れているところも多い』、集団討論もコミュ力を評価するものだとすれば、「尖った人材」にとっては、救いがなさそうで、日本の組織がますます均質化され、多様性に欠けたものになっていく懸念も強そうだ。
・『「コミュ力」と称されるものの測定基準は、コミュニケーションの軋轢、行き違い、齟齬とそれが生み出す気まずい雰囲気を巧妙に避け、会話を円滑に回すことである。逆に、「コミュ障」と呼ばれる人がそう呼ばれるのは、会話がすれ違ったり、お互いの言い分が感情的に対立したりして、それを調整するのに骨が折れるような「面倒臭い」事態を招くからである。 もしコミュニケーションの理想がこうしたものになりつつあるとすれば、ここに「野党」的なものの存在の余地はほとんどまったくない。 野党がその性質上行わざるをえない、いま流れているスムーズな「空気」を相対化したり、それに疑問を呈したり、あるいはそれをひっくり返したりする振舞いは、「コミュ力」のユートピアでは「コミュ障」とされてしまいかねない。「コミュ障」と呼ばれないためには、極力「野党」的な振舞いをしないように気をつけなければならないということになる』、なるほど。
・『「抵抗」の思想家を毛嫌いする』、これでは、全体主義の方向に流れていく危険性があるのではないか。
・『「キャッチ・オール・パーティ」・・・脱イデオロギー化して、特定の階級や支持層ではなく、幅広い国民的な得票を目指す政党・・・イデオロギー的にさして違いがない政党が競争することになるので、政治リーダーの「好感度」が重視されるようになる。ここでは「こだわり」を持って抵抗したり、金切り声をあげて反対したりすることは忌避される。「キャッチ・オール」するためには、誰からも嫌われないように振舞わなければならない。「キャッチ・オール・パーティ」の世界は、「コミュ力」の世界と同じではないが、重なるところがある。 このタイプの政党のプレイヤーは、ある特定課題に「こだわり」を持つ人たちや、ある法案に必死に抵抗しようとする勢力を排除する。これをスマートにやることで、彼らは感じのよい振舞いをディスプレイする。 この「感じのよさ」の基準からすれば、法案に反対してプラカードを掲げる野党議員や、暑い夏の日に、タオルを巻いて座り込みを続ける人たちの評価はどうしてもよいものにはならない。「こだわり」を持つことも、「情念」を出すことも禁じられれば、対抗する側・・・はその分ますます無力になる。おかしいと思う問題に「こだわり」続ければ、「まだやっているのか」と言われ、不正義に憤って大きな声を出せば、「冷静な議論ができない」と言われ、党内で論争しただけで「内ゲバ」と言われる。 そして恐ろしいことに、そうしたレッテル貼りには、抗いがたいほどの共感が広がっていく。 しきりに「コミュ力」が強調される時代に、与党と野党の競争は、人びとが思っているほどフェアではない。感じのよさ(「好感度」)をめぐる競争にあって、政権与党であるプレミアムはあまりに大きく、野党であることのハンディキャップはあまりに重い』、というのは、確かに恐ろしい世界だ。
・『野党がなくなったらどうなるのか・・・例外的に政党を評価したのが、「保守主義の祖」として名前が出ることが多いエドマンド・バーク・・・権力者とその取り巻きが私利私欲に走らないようにするには、民衆の不満を吸い上げ、民衆に支持される、対抗する党派が必要である。彼はこうして政党政治を擁護する。 ある個人に権力が集中し、それが「お友達」のために使われる。こうした「一強」と我田引水が過ぎれば、対抗勢力は人びとからの支持をより多く受けることになる。そうなれば権力者はそれまでの「おごり」を反省せざるをえなくなるし、場合によっては民意を味方につけた対抗勢力によって打倒されるということにもなる。 しかし、今日の日本では、政権党/野党というコードに基づいた緊張関係のロジックはまったく働いていない。 森友・加計学園問題で政権への不満や批判はそれなりに高いレベルに達している。しかしそれにもかかわらず、「野党」への支持は広がっていかない。それどころか逆に、そうした問題を指摘し、追及すればするほど、「野党」叩きの方が高まっていく状況にある』、『野党があまりに「だらしない」から、野党の支持が低迷しているという説明が見落としていることがある。野党という存在やそれがそうせざるをえない振舞い方が嫌われているので、野党が何を言っても、何をしても嘲笑されるという連関である。 そしてこの「野党ぎらい」はコミュニケーションを過剰に重視する風潮と無関係ではない。「コミュ力」が高いとされるのは「野党」にならないように振舞うことができる人のことであり、会話の中で地雷を踏むことにビクビクしている人は「野党」の役回りに追い込まれることを全力で避けようとする』、なるほど。
・『近年、教員の一方的な知識提供ではなく、学生の主体的な学びを重視する「アクティブ・ラーニング」が広がっている。基本的には肯定的に捉えてよいだろう。しかし、ここで行われるグループ・ワークは、メンバーの顔色、そしてその後ろにいる教員の顔色をうかがうことを強いる同調的なコミュニケーションを促進しているのではないかと思うこともある』、アクティブ・ラーニングにもそんな弊害があるとは、初めて知った。
・『「コミュ力」が賞賛される世界では、野党が野党であることで評価してもらえる可能性はない。 違いや軋轢を避けたり、笑いにしたりするのではなく、その対抗性をそれなりに真面目に引き受けること。相手の批判に腹を立てても、それなりにそれと向き合うこと。こうした可能性の乏しいコミュニケーションは同調過剰になり、表層的になり、深まらず、退屈で、そして疲れる。  いまの政局の行詰まり感は、「コミュ力」のユートピアが政党政治の世界に投影された結果の成れの果てではないか』、至言である。この野口 雅弘氏の記事は、現在の日本の政治状況を極めて的確に描写しており、稀にみる好論文である。
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