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トランプ大統領(その33)(トランプ「抵抗」論説 民主主義に灯された希望か、トランプ大統領の支持率が不気味なほど安定しているのはなぜか、トランプ氏は「新しい正統」となるか?根深いアメリカ的心性と陰謀論) [世界情勢]

昨日に続いて、トランプ大統領(その33)(トランプ「抵抗」論説 民主主義に灯された希望か、トランプ大統領の支持率が不気味なほど安定しているのはなぜか、トランプ氏は「新しい正統」となるか?根深いアメリカ的心性と陰謀論)を取上げよう。特に、3番目は必読の好論文である。

先ずは、コラムニストのJohn Lloyd氏が9月12日付けロイターに寄稿した「コラム:トランプ「抵抗」論説、民主主義に灯された希望か」を紹介しよう。
https://jp.reuters.com/article/column-anti-trump-commentary-idJPKCN1LR0JP
・『ニューヨーク・タイムズ紙に匿名で寄稿した米政権幹部は、彼自身、そして同じ思いの同僚たちがいかにして「(米大統領が掲げる)政治目標の一部や、最悪な性向を懸命に阻止しようと努めている」かを書いた。そこには、民主的な習性、そして何より重要な市民の良識と責任感が、自由なジャーナリズムと連帯し、堕落した政権に打ち勝つことができるというメッセージがあった。 世界の民主主義は今、勇気を必要としている。この匿名の論説は、私の理解が正しければ、その役割を果たしている。この数カ月、民主主義の衰退、あるいは終えんとさえ嘆く本が書店にあふれている。これらの本は雄弁で説得力があり、悲観的だ。その中には・・・エドワード・ルース氏の「西側リベラリズムの撤退」などが含まれる。 ルース氏によれば、米国のリベラル派は、より自由な社会への歩みはいったん中断した後に再開すると考えている。「彼らの考えが正しかったらどんなにいいことか。そうではないかもしれない」と、同氏は書く。 私も彼らが正しいことを望んでいる。論説を寄稿した政権幹部は、私にそのようなばかげた楽観主義の根拠を与えている。というのも、強力な「抵抗勢力」の存在をあぶりだしたからだ。トランプ氏のような人物から大きな困難が浮上しても、それにあらがう大きな力があることを示した』、昨日のブログでも「抵抗勢力」のことを紹介したが、筆者も力づけられたようだ。
・『民主主義は、政府や指導者の行動、政策の中に単に存在するものではない。市民の行動や志にずっと根付いてきたもの、そして今も根付いているものだ。 重要なことに、こうした市民には公務員も含まれる。彼らは政府に仕えているが、同時に、市民を意味するラテン語の「キーウィス(civis)」に属する公民でもある。古代ローマでは、共和制を形成する中で、ローマ市民の地位を授与されることよって民主的な力を与えられた。「公務員(civil servant)」という言葉は、国家の官僚制に内在する葛藤を表している。 官僚は大統領や首相に仕えるのであって、権力者の気まぐれに仕えるのではない。公務員は奴隷ではない。これは相互的な関係を暗示しており、逆に権力者は、民主的な責任を順守することが求められる。これは公務員が奴隷である独裁国家と、民主国家の違いを示す特徴の1つである』、「公務員は奴隷ではない・・・」との指摘は、確かにその通りだ。
・『ポピュリズム的な政治が勢いを増すにつれ、公務員に内在する葛藤は高まり続け、彼らの一部は沈黙を強めていくことになるだろう。新たに台頭する政治家のスローガンは意図的に雑なものになる。彼らは右派左派問わず、既存の政策や主流派の慣行に風穴を開け、自らが国民の意思だと解釈するものに置き換えようとするからだ。そして実際、それが国民の望むものになり得る』、それがポピュリズムの恐ろしいところだ。
・『だが、ポピュリストはトランプ氏のように振る舞いがちである。ポピュリストの指導者は、自身が国民の力を唯一体現する者であり、成熟した民主国家が長年かけて確立してきた抑制と均衡のシステムを踏みつける権利があるととらえる傾向がある。 これは、世界で2番目にポピュリズムが顕著なイタリアの例で明らかだ。政権を発足させるために不安定な連立を組んだ反体制派政党「五つ星運動」と反移民を掲げる右派政党「同盟」は、選挙後しばらく経験しなければならない困難で退屈な課題に直面している。公約を国家の現実に合わせるという難業だ。イタリアの問題は、国内総生産(GDP)比132%弱にのぼる公的債務ときわめて低い成長率にある。サルビーニ副首相は9月に入り、経済官僚と相談の上、財政赤字のGDP比が欧州連合(EU)の定める上限3%を超えないようにすると表明した。同副首相は「われわれはこの国を成長させることができる。われわれを監視する者たちをいらだたせることなく、国民の気持ちを晴らすことが可能だ」と主張した。これは3月の選挙以降に政府が発信してきたメッセージに逆行する。 いずれ分かる。サルビーニ氏の発言は時間稼ぎだ。彼はEUよりも国民からの負託に答えると主張し、EUが定める債務上限を守らないかもしれない。今のところは経済官僚のほうが優勢のようである』、ポピュリストが現実の制約のなかで、どう振舞うかは見物だ。
・『政治家が非市民的な指導者に反旗を翻すこともある。英国では野党・労働党のコービン党首が反ユダヤ的と取られる発言で批判を浴びる中、党執行委員会は国際ホロコースト追悼同盟の定義をようやく受け入れた。しかし、コービン氏が「イスラエルと同国の政策、国の成り立ちに関して人種差別主義者と表現するのは反ユダヤ主義とみなされる」べきではないとする確認文書への承認を求めると、議論は紛糾した。(しかし最後に笑うのはコービン氏かもしれない。ロンドンのいくつかのバス停では6日、「イスラエルは人種差別国家」という看板が掲げられていた。)』、労働党のコービン党首がこんなに酷いとは初めて知った。
・『試練が訪れたとき、民主国家や市民社会は今も健全な動きを見せる。ポピュリストは国民の不満を訴え、そうした不満には強力な基盤がある。不満を解決するために権力を追い求める姿勢は正しい。 だが、民主主義は責任を求める。政策の良い部分だけでなく、悪い部分も説明しなくてはならない。最高権力をチェックするのに必要な機関を通じて活動しなくてはならない。(たとえ国民から支持されたとしても)単なる偏見と、正当な政策を切り離さなくてはならない。 道徳観念、市民の公僕、そして勇敢な政府高官は、われわれが奈落の底に落ちることから救ってくれる。そしてわれわれに、暗い未来から後戻りができるという希望を与えてくれる』、ポピュリストたちの優勢を前にして、やや楽観的過ぎるような印象も受ける。

次に、みずほ総合研究所調査本部 欧米調査部長の安井明彦氏が9月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「トランプ大統領の支持率が不気味なほど安定しているのはなぜか 超党派協力の夢を阻む「教会から疎外された人々」の正体」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/179446
・『マケイン上院議員死去で感じる「トランプ分断」の深刻さ 米国では、8月25日に亡くなったジョン・マケイン上院議員の告別式が、9月1日に首都ワシントンのワシントン大聖堂で行われた。告別式には党派を超えた多くの参列者が集まった。 マケイン議員の告別式は、そう遠くない昔の米国では、党派を超えた友情が珍しくなかったことを雄弁に示していた。告別式では、共和党のジョージ・W・ブッシュ、民主党のバラク・オバマという2人の元大統領が、相次いで弔辞を述べた。 言うまでもなく、ブッシュ元大統領は2000年大統領選挙の予備選挙、オバマ元大統領は2016年の大統領選挙で、マケイン議員と戦った間柄である。かつての政敵であり、所属政党も違う2人の政治家を、マケイン議員は同じ演台に立たせてみせた・・・民主党から無所属に転じたジョン・リーバーマン元上院議員は、2008年の大統領選挙に出馬したマケイン議員から、所属政党が違うにもかかわらず、副大統領候補に登用する構想を持ちかけられた経験談を披露した。「党派が違うのに?」とリーバーマン元議員は不審がったが、マケイン議員は「それが大事なんだ」と超党派協力の必要性を力説したという。 幸福な融和の構図を描いたかに見えるマケイン議員の告別式は、深い断絶の存在を浮き立たせる出来事でもあった。複数の元大統領が参列するなかで、現職のドナルド・トランプ大統領は、招待者リストに含まれなかった。トランプ大統領とその支持者たちは、ワシントン大聖堂とは別の「教会」に籠っていたようなものだ。厳粛ながらも温かな告別式とはかけ離れた世界が、今の米国には確かに存在している』、こうした分断は確かに深刻なようだ。
・『不気味なほど安定しているトンンプ大統領の支持率 マケイン議員が融和の象徴であるとすれば、トランプ大統領は分断の象徴である。その証拠が、不気味なまでに安定的に推移する支持率である。さまざまな騒動が起きる割には、トランプ大統領の支持率は、おおよそ30%台半ばから40%台半ばのあいだに収まっている。 実際に、トランプ大統領の支持率は、過去の大統領と比べても、極端に動きが少ない(図)。「強く支持する」と回答してきた20~30%の熱心な支持者の存在によって、支持率の底割れは避けられている。その一方で、40~50%はトランプ大統領に「強く反対する」と答え続けており、ここから支持率が上昇する余地は少ない。勢い、少数ながら熱心な支持者にかけるのが、トランプ大統領の政治手法になっている。 熱心な支持者は、何があってもトランプ大統領を信じ続けているようだ。8月後半の米国では、いつもは高視聴率をたたき出すFOXニュースの視聴率が、不自然に低い日があった。トランプ大統領の元側近たちが、裁判で有罪評決を受けたり、有罪を認める答弁を行ったりしたと報じられた日である。トランプ支持者はFOXニュースを見る傾向が強いが、大統領にとって都合が悪いニュースが多かった日には、テレビに目もくれなかったようだ。 かつてトランプ大統領は、「私が(ニューヨークの)5番街の真ん中で誰かを銃で撃ったとしても、票を失いはしないだろう」と述べたことがある。確かに熱心な支持者たちは、どこまでもトランプ大統領についていくのかもしれない。 なぜそこまでトランプ大統領を支持し続けるのか。米アトランティック誌は、熱心なトランプ支持者の集まりを、教会に代わるコミュニティとして捉え直す記事を掲載している。 アトランティック誌が描き出すトランプ大統領の政治集会は、大統領による攻撃的な言動や、陰惨な現実描写が多いにもかかわらず、そこに集まった聴衆は、極めて明るい雰囲気に包まれている。支持者の仲間意識が生み出す高揚感は、さながら教会での礼拝のようだという。 実は、これは単なる比喩ではない。トランプ支持者のコミュニティには、実際に教会の代役を果たしている側面がある。トランプ大統領の熱心な支持者は、教会から疎遠になった人たちと一致するからだ』、「トランプ支持者はFOXニュースを見る傾向が強いが、大統領にとって都合が悪いニュースが多かった日には、テレビに目もくれなかったようだ」というのには、微笑んでしまった。アトランティック誌の指摘はなかなか興味深い。
・『トランプ大統領の支持者の中核は、労働者階層の白人だと言われる。米国では統計上の制約から、社会階層を教育水準で代替して分析する場合が多いが、近年の米国では、学歴によって教会に通う頻度に大きな差が生まれている。 1970年代以降では、労働者階層と見なされる大卒未満の白人が教会に通う頻度は、大卒以上の白人の2倍以上の速度で減少しているという。現状では、大卒以上の白人では3割程度が「滅多に教会に足を運ばない」と答えている一方で、大卒未満の白人では同様の回答が約半数に達している。 どうやら労働者階層の白人は、教会に集うコミュニティに対し、疎外感を感じているようだ。労働者階層の白人にすれば、教会に集うのは教えを守って成功してきた人たちであり、もはや自分たちが仲間入りできるコミュニティではない』、労働者階層の白人が教会からも疎外されていたとは、初めて知った。
・『疎外感を覚える労働者階級が集まる「教会」のような場所 製造業の不振などを背景に、労働者階層の白人の雇用は不安定になっている。そうした暮らしの現実は、教会が唱えてきた勤勉の価値観とは合致しない。また、経済的な苦境は、離婚などの生活の破綻を招きやすい。その点でも、労働者階層の白人は、教会に居心地の悪さを感じるようになっているという。実際に、同じ労働者階層の白人においても、教会に通う頻度が低い人たちでは、離婚や家計の困窮、さらには薬物などへの依存を経験する割合が高い。 教会の側も、労働者階層の白人が多いコミュニティに力を入れるのは難しくなっている。成長の余地が少ない地域では、教会の活動を支えるだけの資金的な余裕が乏しい。労働者階層の白人が教会から離れれば、その教会の経営は難しくなる。教会の活動が縮小すれば、ますます労働者階層の白人は教会から縁遠くなる。まさに悪循環である。 トランプ大統領の支持者は、「忘れられた人々」と形容されることが多い。労働者階層の白人たちは、教会からも「忘れられた人々」になりつつあった。伝統的に教会は、単なる信仰の場ではなく、地域のコミュニティの中心としての役割を果たしてきた。心の拠り所を失った人たちに、教会に代わる居場所を提供してくれたのが、トランプ支持者のコミュニティだった』、なるほど説得力のある見方だ。
・『宗教色の後退が分断に拍車 様変わりするコミュニティの姿 かつての米国では、政治から宗教色が後退すれば、世論の分断は和らぐと考えられてきた。同性婚や妊娠中絶のような争点では、信仰の有無が対立軸と重なりがちだったからである。 ところが実際には、宗教色の後退は、従来とは異なった論点で、世論の分断を深める結果をもたらしている。教会から疎遠になった人々には、同性婚などの宗教と重なりやすい論点ではなく、人種や国籍といった世俗的な論点で、意見を先鋭化させる傾向があるからだ。実際に米国では、同じ宗教の信者でも、教会活動への参加の度合いが低下するほど、移民に対する意見が厳しくなることが確認されている。 移民に厳しいトランプ大統領の政策は、「トランプの教会」に集うコミュニティの思いを代弁しているのかもしれない。日常生活から教会の影が薄れるのと同時に、対立を諌める訓話を聞いたり、多少なりとも人種間の交流を行ったりする機会は失われた。教会から足が遠のいた人々は、宗教の教えにコミュニティの絆をみつけられなくなったからこそ、人種などの世俗的な観点で仲間意識を強めている可能性がある。 マケイン議員の葬儀を終えた米国では、11月の議会中間選挙に向けた党派間の論戦が熱を帯び始めた。熱狂的な支持者に活路を託すトランプ大統領は、ひたすら自らの教会で語り続ける。 思い返せば、今では融和の象徴とされるマケイン議員も、2008年の大統領選挙では、攻撃的な言動で知られるサラ・ペイリン元アラスカ州知事を副大統領候補に選び、今につながる分断への道筋を開いた側面がある。ワシントン大聖堂を包み込んだ党派を超えた協力への期待は、夏の終わりのはかない夢に過ぎないようだ』、分断は少なくとも中間選挙までは続きそうだ。

第三に、国際基督教大学教授・学務副学長の森本 あんり氏が9月11日付け現代ビジネスに寄稿した「トランプ氏は「新しい正統」となるか?根深いアメリカ的心性と陰謀論 「世界の救世主」と信じる集団も出現」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57368
・トランプ大統領誕生から約2年。なぜ彼はいまだに多くの支持を集めているのか? 彼は異端か、はたまた「新しい正統」なのか? 『異端の時代』(岩波新書)を上梓した森本あんり氏が「正統と異端」という視点からアメリカの現在を読み解く──』、面白そうだ。
・『高支持率を維持するトランプ大統領 世界を震撼させたトランプ大統領の登場から、もうすぐ2年になる。人びとがその登場よりもさらに不思議に思うのは、普通なら政権が吹き飛ぶほどの失策や暴言の数々にもかかわらず、彼の支持率がその後も高止まりして下がらない、という事実である。 支持率の内訳を見ると、トランプ支持者の圧倒的多数は共和党で、不支持者の圧倒的多数は民主党である。アメリカ社会は、それだけ支持政党による色分けが固定化し、分断が深刻化した、と言うことができる。 だが、それは必ずしも政党政治が従来通り機能していることを意味しない。トランプ氏と伝統的な共和党重鎮たちとの確執は、選挙前からよく話題になった。 いわゆるワシントンのエスタブリッシュメントに対する彼の反発は、国民もよく知っており、その向こう見ずな姿勢がまた人びとを引きつける魅力となっていた。 トランプ氏は、反知性主義の典型的な体現者である。 反知性主義は、こうした既存の権力への反発を主要成分としている。そのため、トランプ氏の就任前には、彼が実際に権力の頂点とも言うべき大統領職に就任してしまえば、その反発をもってゆく先がなくなり、少しは大人しくなるだろう、と予測する人もあった。 だが、その予測は当たらなかった。なぜなら、トランプ氏が反発すべき権力は、国の内外にまだまだ残っているからである』、なるほど深く説得力がある分析である。
・『「新しい正統」なのか? その一つは、国際勢力である。トランプ氏は地球温暖化や自由貿易など、いくつもの多国間協定に背を向けて、各国世論を驚かせている。 これまで世界秩序の担い手であったはずのアメリカが、なぜそのような行動に出るのか。トランプ氏の考えでは、それらが自国の主権よりも上にあるからである。 こうした国際的な条約や協定を結ぶと、アメリカは大国として膨大な負担金を払わされる上に、自国の振る舞いに枷をはめられることになる。 国際協調は、他国や世界全体に益することがあるとしても、アメリカには何もよいことをもたらさない。「アメリカ・ファースト」のトランプ氏がこうした協定を好まないのは当然である。 もう一つ残っていたのは共和党内の権力組織だが、こちらはここに来て大きな潮目の変化を迎えつつある。 トランプ氏と大統領候補指名を争ったポール・ライアン氏は今期限りでの引退を表明し、トランプ氏に批判的であったジョン・マケイン上院議員は先日逝去した。 共和党内の批判勢力は次々と姿を消し、他のリーダーたちも次を見据えてじっと息を潜めている。今秋の中間選挙の候補者を見ると、共和党の指名を獲得したのはトランプ氏が推す人びとばかりである。 つまり、かつて「異端」だったトランプ氏が、今や反対勢力を一掃して共和党の大部分を制覇した、ということである。これまでの共和党は、新しく「トランプ党」へと大きく様変わりした。 では、彼こそ今日の「正統」と言うべき存在なのだろうか。アメリカの「正統」は、今後は彼のような考え方が代表することになるのだろうか』、「今秋の中間選挙の候補者を見ると、共和党の指名を獲得したのはトランプ氏が推す人びとばかりである」というのはショッキングだ。「トランプ・チルドレン」が相当数生まれるというのは、見たくない姿だ。
・『異端は「選択」する  「異端」や「正統」は、伝統的には宗教的なカテゴリーで使われてきた言葉だが、現代世界では政治や文化、学芸やスポーツに至るまで、幅広い分野で通用する概念となっている。 もともと「異端」(heresy)という言葉は、「選択」(hairesis)という意味のギリシア語に由来する。歴史を辿ってみると、異端とされたものは、みな出発点においては正統の一部だった。 異端は、全体としてみれば健全でバランスがとれていた教義の体系から、特定の一部分を取り出し、それをことさらに強調することで成立する。つまり、異端の本領は「選択」なのである。 政治の世界でも同じことが言える。 トランプ氏が進める政策は、減税や移民、伝統的な家族観など、たしかに従来の共和党が掲げてきた政策の一部であるが、それぞれが極端に肥大化されていて、他とのバランスが顧みられていない。 権力につきもののチェック&バランスも、彼の目には不当な干渉としか映らない。一般大衆は、タガのはずれたような彼のそういう突飛な言動に喝采を送るのである』、異論を挿みようがない全く完璧な分析だ。
・『事実と虚構――説得力があるのはどちらか  選択は、それぞれの価値観や世界観に従ってなされるが、権力をもつ者の場合、その内容は常識外れであればあるほど魅力が増すようである。 そのような選択をする背景には、きっと何かわれわれの知らない特別な理由があるのだろう、と人びとが想像するようになるからである。 ツイッターで脈絡や意図の不明瞭な情報を小出しに流しておけば、あとは受け取る側が想像力を駆使して点と点を結び合わせ、大きな構図を描き出してくれる。 これが、「陰謀論」の興隆に絶好の機会を生むことになる。つまり陰謀論は、人間のもつ本来的な情報補完能力が働いた結果なのである。 全体主義を論じたハンナ・アレントによると、大衆は目の前に広がる現実をありのままには受け止めない。「事実というものは、大衆を説得する力を失ってしまった」、と彼女は書いている。 「フェイク・ニュース」だ「ファクト・チェック」だと大騒ぎしている昨今だが、それらは今のわれわれが気づくよりずっと以前に始まっていた、ということである。 では、人びとが求めているものは何か。 あれやこれやの事実など、実のところどうでもよい。彼らが求めているのは、首尾一貫した世界観である。自分の周囲で起きている不条理や矛盾に、心から納得のゆく説明を与えてくれる圧倒的な説明原理である。 もちろん、事実が誤りを明るみに出し、その説明原理が破れそうになることもある。その場合には、説明原理ではなく、事実の方を変えてしまえばよいのである』、「陰謀論は、人間のもつ本来的な情報補完能力が働いた結果なのである」、「あれやこれやの事実など、実のところどうでもよい。彼らが求めているのは、首尾一貫した世界観である。自分の周囲で起きている不条理や矛盾に、心から納得のゆく説明を与えてくれる圧倒的な説明原理である」、などの指摘の鋭さには、感服した。
・『「陰謀論」のアメリカ的伝統 歴史的に見ると、アメリカにはこうした陰謀論を育てる豊かな土壌がある。それは、アメリカの宗教史を彩るリバイバリズムと大衆伝道の伝統である。 ヒトラーも、自分が全体主義の手法を学んだのはアメリカの大衆宣伝からであった、と告白している通りである。 これは彼の自著『わが闘争』に出てくる証言だが、アメリカの宗教的伝統がナチズムのプロパガンダにも影響を与えていたことは、あまり知られていない』、「えー」と腰が抜けるほど驚かされた。
・『その後のアメリカ史にも、陰謀論は数知れず登場する。 1950年代には、「共産主義の国際的陰謀がアメリカを狙っている」とするマッカーシズムの嵐が吹き荒れた。ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』(1963年)は、この当時を振り返って書かれたものである。 そして、その翌年に彼が執筆したのが、「アメリカ政治のパラノイド傾向」という論文である。「パラノイド傾向」すなわち偏執的な妄想に囚われることは、反知性主義と同じくらいに根深いアメリカ的心性の一部なのである。 本欄では、以前にもオバマ大統領の指輪をめぐる陰謀論を取り上げたことがある(拙稿参照)。最近では、トランプ氏こそ腐敗した政治を一掃する世界の救世主である、と信ずる集団が注目を集めている。「QAnon」という秘密結社めいた人びとである』、そんな秘密結社めいた集団まで登場しているとは、驚いた。
・『信じたいことを信じる  陰謀論と大衆宣伝に共通する要点は、「信じさせる」ことである。「信じさせる」というと、何かを無理に信じさせるようだが、そうではない。人びとはそれを自分から喜んで信ずるのである。 どんなに荒唐無稽な話であっても、この世のどんな権威が間違いを指摘しても、それが自分の身の回りの経験的な世界を総体として納得のゆくように説明してくれるなら、信ずるに足るのである。そして、ひとたび信じたなら、その説明原理はどんな反証も斥ける。 人は、信ずべきものではなく、信じたいものを信ずる。 知らぬ間に他人の口車に乗せられてしまう、ということではない。「信じる」というのは、もっと自発的で能動的な行為である。他人の言葉を聞きながら、その言葉を使って、自分が自分に信じ込ませるのである。 最初は半信半疑かもしれない。だが、その疑っている半分の自分とは別に、別の半分が「信じたい」と叫び出す。だから自分で自分を説き伏せてしまうのである。 陰謀論は、水が低いところへと流れるように、おのずと信じたい人のところへと流れてゆく。誰も、それを無理に信じさせているわけではない。無理強いされれば、「信じたふり」をすることはできる。だがそれは、ほんとうに心の底から信じることとは別である。 とりわけ、苦しい現実に何度も打ちのめされた人びとは、事実ではなく虚構を信じやすくなる。 騙す者がするのは、信じたがっている人を見つけ出すことだけである。 適切なところに少しの水をたらせば、あとは自然に世間の谷間を流れ巡って大きな奔流ができる。陰謀論の跳梁は、騙す側ではなく騙される側、その内面で働く論理に注目しない限り、理解することができない』、「苦しい現実に何度も打ちのめされた人びとは、事実ではなく虚構を信じやすくなる。 騙す者がするのは、信じたがっている人を見つけ出すことだけである」、との指摘は現状にまさにドンピシャだ。
・『正統であり異端であること  正統と異端は、イデオロギーや理念や価値の関わる世界では、しばしば暗黙裡に前提されている概念である。陰謀論もその特性からして必ずこのゲームに加わるが、そこで描かれるストーリーはやや定型的である。 つまり、世の中には本当に正しい者がいるが、その人は時代の権力者に弾圧され、闇から闇へと葬られてきた、というものである。 実は、歴史を振り返るとわかることだが、正統はいちばん正しかったから正統になったわけでもないし、いちばん強かったから正統になったわけでもない。 逆に異端は、悪の烙印を押されたから異端になったわけではなく、迫害され追放されたから異端になったわけでもない。 これらは、娯楽映画のシナリオには最適であっても、現実の世界を読み解く構図にはふさわしくない。 正統と異端の争いは、外から傍目に見ると、結局のところみな「自分こそ正統で、あいつは異端だ」と言っているだけの話に見えることもある。だが、ここはよくよく注意して見る必要である。 「正統か異端か」という区別は、「敵か味方か」という区別とは違うし、「強者か弱者か」「勝者か敗者か」という区別とも違う。正統であり異端であることには、それらとは異なった別の軸が必要なのである』、なるほど。
・『必要な「軸」はあるか  その軸がどこかにある限り、正統であることと異端であることの間には、それほど大きな違いがない。 むしろ今日の問題は、「自分こそ正統だ」という者もいなければ、「自分こそ異端だ」という者もいない、ということである。どちらにも必要なのは、その気概であり、自負であり、覚悟であり、腹構えである。 歴史に登場する異端者は、それぞれ高い志をもったまことに尊敬すべき人びとであった。 たとえば宗教改革者のルターは、当時としてはローマ教会に破門された「異端」だが、彼には「自分こそ正統だ」という確信があった。 その気概が改革の担い手としての彼の言動に責任意識を与え、それが人びとの信頼を獲得し、やがて時を経て正統となっていったのである。 これも歴史が証言することだが、先の尖った主張をする異端に較べると、正統はいかにも凡庸である。ほとんど退屈といってもよいくらいだが、それにも理由がある。 すでに触れたごとく、政治でも宗教でも、異端とは何かを選び、それを不均衡なまでに強調することで成立する。だからその輪郭は明瞭で人目に立つものとなるのである。 これに対し、特に政治においては多くの対立的な要素の調停が不可欠である。 一方が明らかに善で他方が明らかに悪であるなら、話は簡単だろう。しかし現実は、二つのすばらしい善のどちらか、あるいは二つのとんでもない悪のどちらかを選ばねばならない、ということの方がはるかに多い。 そのバランスを見つけ、双方からその中途半端で凡庸な結論を批判されながらも、どうにかして全体的な健全さを維持する――これが正統であることの要件であり、正統を自任する者に求められる覚悟である。 トランプ氏は、現代の覇者であるかもしれない。だが、はたして彼に正統を担う覚悟はあるだろうか』、これまで読んだトランプ論のなかでも出色の好論文だ。歴史や社会心理学、神学などの深い知識に基づいた分析は、極めて説得的だ。
タグ:トランプ大統領 (その33)(トランプ「抵抗」論説 民主主義に灯された希望か、トランプ大統領の支持率が不気味なほど安定しているのはなぜか、トランプ氏は「新しい正統」となるか?根深いアメリカ的心性と陰謀論) John Lloyd ロイター 「コラム:トランプ「抵抗」論説、民主主義に灯された希望か」 ニューヨーク・タイムズ紙に匿名で寄稿した米政権幹部 彼自身、そして同じ思いの同僚たちがいかにして「(米大統領が掲げる)政治目標の一部や、最悪な性向を懸命に阻止しようと努めている」かを書いた 強力な「抵抗勢力」の存在をあぶりだした 公務員は奴隷ではない。これは相互的な関係を暗示しており、逆に権力者は、民主的な責任を順守することが求められる 公務員が奴隷である独裁国家と、民主国家の違いを示す特徴の1つ ポピュリズム 新たに台頭する政治家のスローガンは意図的に雑なものになる ポピュリストの指導者は、自身が国民の力を唯一体現する者であり、成熟した民主国家が長年かけて確立してきた抑制と均衡のシステムを踏みつける権利があるととらえる傾向がある イタリアの例 「五つ星運動」 「同盟」 政治家が非市民的な指導者に反旗を翻すこともある 労働党のコービン党首が反ユダヤ的と取られる発言で批判 ポピュリストは国民の不満を訴え、そうした不満には強力な基盤がある 民主主義は責任を求める。政策の良い部分だけでなく、悪い部分も説明しなくてはならない。最高権力をチェックするのに必要な機関を通じて活動しなくてはならない 安井明彦 ダイヤモンド・オンライン 「トランプ大統領の支持率が不気味なほど安定しているのはなぜか 超党派協力の夢を阻む「教会から疎外された人々」の正体」 マケイン上院議員死去で感じる「トランプ分断」の深刻さ 不気味なほど安定しているトンンプ大統領の支持率 「強く支持する」と回答してきた20~30%の熱心な支持者の存在によって、支持率の底割れは避けられている 米アトランティック誌 熱心なトランプ支持者の集まりを、教会に代わるコミュニティとして捉え直す記事を掲載 労働者階層の白人 疎外感を覚える労働者階級が集まる「教会」のような場所 労働者階層の白人たちは、教会からも「忘れられた人々」になりつつあった 心の拠り所を失った人たちに、教会に代わる居場所を提供してくれたのが、トランプ支持者のコミュニティだった 宗教色の後退が分断に拍車 様変わりするコミュニティの姿 森本 あんり 現代ビジネス 「トランプ氏は「新しい正統」となるか?根深いアメリカ的心性と陰謀論 「世界の救世主」と信じる集団も出現」 『異端の時代』(岩波新書) 高支持率を維持するトランプ大統領 トランプ氏は、反知性主義の典型的な体現者 反知性主義は、こうした既存の権力への反発を主要成分としている トランプ氏が反発すべき権力は、国の内外にまだまだ残っているからである 「新しい正統」なのか? 国際協調 「アメリカ・ファースト」 今秋の中間選挙の候補者を見ると、共和党の指名を獲得したのはトランプ氏が推す人びとばかりである かつて「異端」だったトランプ氏が、今や反対勢力を一掃して共和党の大部分を制覇 異端は「選択」する 異端は、全体としてみれば健全でバランスがとれていた教義の体系から、特定の一部分を取り出し、それをことさらに強調することで成立する トランプ氏が進める政策は、減税や移民、伝統的な家族観など、たしかに従来の共和党が掲げてきた政策の一部であるが、それぞれが極端に肥大化されていて、他とのバランスが顧みられていない 一般大衆は、タガのはずれたような彼のそういう突飛な言動に喝采を送るのである 事実と虚構――説得力があるのはどちらか 陰謀論は、人間のもつ本来的な情報補完能力が働いた結果なのである 人びとが求めているものは何か。 あれやこれやの事実など、実のところどうでもよい 彼らが求めているのは、首尾一貫した世界観である。自分の周囲で起きている不条理や矛盾に、心から納得のゆく説明を与えてくれる圧倒的な説明原理である 事実が誤りを明るみに出し、その説明原理が破れそうになることもある。その場合には、説明原理ではなく、事実の方を変えてしまえばよいのである 「陰謀論」のアメリカ的伝統 アメリカの宗教史を彩るリバイバリズムと大衆伝道の伝統 ヒトラーも、自分が全体主義の手法を学んだのはアメリカの大衆宣伝からであった、と告白 その後のアメリカ史にも、陰謀論は数知れず登場 マッカーシズムの嵐 アメリカ政治のパラノイド傾向 反知性主義と同じくらいに根深いアメリカ的心性の一部 トランプ氏こそ腐敗した政治を一掃する世界の救世主である、と信ずる集団が注目 「QAnon」という秘密結社めいた人びとである 人は、信ずべきものではなく、信じたいものを信ずる 陰謀論は、水が低いところへと流れるように、おのずと信じたい人のところへと流れてゆく 苦しい現実に何度も打ちのめされた人びとは、事実ではなく虚構を信じやすくなる 騙す者がするのは、信じたがっている人を見つけ出すことだけである 正統であることと異端であることの間には、それほど大きな違いがない 今日の問題は、「自分こそ正統だ」という者もいなければ、「自分こそ異端だ」という者もいない、ということである 政治でも宗教でも、異端とは何かを選び、それを不均衡なまでに強調することで成立する。だからその輪郭は明瞭で人目に立つものとなるのである 現実は、二つのすばらしい善のどちらか、あるいは二つのとんでもない悪のどちらかを選ばねばならない、ということの方がはるかに多い そのバランスを見つけ、双方からその中途半端で凡庸な結論を批判されながらも、どうにかして全体的な健全さを維持する――これが正統であることの要件であり、正統を自任する者に求められる覚悟である
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