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司法の歪み(その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について) [社会]

司法の歪みについては、9月17日に取上げた。今日は、(その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について)である。

先ずは、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が10月16日付け同氏のブログに掲載した「業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価」を紹介しよう。
https://nobuogohara.com/2018/10/16/%E6%A5%AD%E5%8B%99%E4%B8%8A%E9%81%8E%E5%A4%B1%E8%87%B4%E6%AD%BB%E5%82%B7%E7%BD%AA%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E7%BD%B0%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%A7%E5%95%8F%E3%82%8F%E3%82%8C/
・『2018年10月26日、山下貴司法務大臣が、福知山線脱線事故、笹子トンネル事故等の重大事故の遺族を中心に結成されている「組織罰を実現する会」のメンバーと面談する。 山下氏の入閣は、総裁選で安倍首相と激しい戦いを繰り広げた石破派からの唯一の入閣であり、全体としては支持率上昇につながらなかった第4次安倍内閣組閣の中でも、国民からの好感度・期待が高い人事だ。それ以上に注目すべきは、山下大臣は、検察、法務省の豊富な実務経験を有する初めての法務大臣だということだ。 その山下新法務大臣が、業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入という刑事司法にとって重要な問題に関して、重大事故の遺族の声に耳を傾けてくれたことで、就任早々の面談が実現した』、なにやら久しぶりに曙光がさしたようなニュースだ。
・『組織罰実現をめざす重大事故遺族の活動  私は、法務・検察の組織に23年間所属したが、その間、1999年から2001年まで、法務省法務総合研究所研究官を務めた際、2000年の犯罪白書では、特集で「経済犯罪」を初めて取り上げ、独禁法を中心に企業に対する処罰・制裁の在り方の総合的な研究をしたのが「企業犯罪研究会」だった。その頃、法務省刑事局付だった山下氏は、法人処罰も含めた企業に対する制裁の在り方の研究への理解者の一人だった。 企業活動に伴って発生する重大事故の問題に私が関わるようになったのは2005年検察から桐蔭横浜大学法科大学院に派遣され、コンプライアンス研究センターの活動を開始した頃からだ。その直後に発生したのが乗客106人の死者、500人以上の負傷者を出したJR西日本福知山線脱線事故だった。それ以降、重大事故の原因究明と責任追及の問題はコンプライアンス研究センターの重要なテーマの一つとなった。何回かシンポジウムも開催し、多くの重大事故の遺族の方々が参加され、率直な意見を聞くことができた』、山下氏が法務省内での「企業に対する制裁の在り方の研究への理解者の一人だった」とは、多少の希望の光なのかも知れない。
・『2015年10月に、JR福知山線脱線事故の遺族が中心となって立ち上げた「組織罰を考える会」から、講演の要請を受けた。企業等の組織に、必要な安全対策を怠って事故を起こしたことの直接の責任を問う法制度の実現をめざす勉強会だった。そこで考えられていたのが、イギリスの「法人故殺罪」のように、法人企業の事業活動において人を死傷させる事故が発生した場合に、その「法人組織の行為」について「法人自体の責任」を追及する制度だった。 ところが、日本の刑事司法は、従来から、犯罪行為を行った自然人個人の処罰が中心で、法人に対する処罰は付随的なものだ。「法人組織の行為」を認めて、法人を刑事処罰の対象にすることは容易ではない。「組織罰を考える会」のめざす制度の実現は、現実的にかなり難しいことは否めなかった』、なるほど。
・『現実的な立法としての「業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入」  しかし、肉親の死を無駄にしたくない、社会に活かしたいという遺族の思いを、何とかして受け止めたかった。重大事故についての法人処罰の在り方を私なりに改めて考えてみた。その結果たどり着いたのが、多くの特別法で認められている「両罰規定」を、法人の事業活動に伴って発生する業務上過失致死傷罪に導入する特別法の立法の提案だった。 両罰規定というのは、法人または人の業務に関して「犯罪行為」が行われたときに、その行為者を処罰するのに加えて、法人に対しても罰金刑を科す規定だ。 業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入すれば、法人の役職員個人について業務上過失致死傷罪が成立する場合に、法人の刑事責任を問うことができる。「法人組織の行為」について法人の責任を問うという、それまで「組織罰を考える会」がめざしてきた方向とは異なるが、重大事故について、事業主の法人企業の刑事責任を問うことは、「組織罰」の導入として大きな第一歩となる。 しかも、現行法制でも広く認められている「両罰規定」の活用であれば、立法上の問題ははるかに少ない。刑法の改正は、法制審議会での議論等が必要となるが、刑法犯である業務上過失致死傷罪のうち、法人企業の事業活動で発生した事故に限定して「両罰規定」を導入する特別法を創設するのであれば、法制審議会の正式な手続は必ずしも必要とはならず、ハードルが低い』、次善の策としての導入論のようだが、個人が業務上過失致死傷罪の宣告を受けた場合にのみ、法人も罰せられることになる。しかし、肝心の個人への業務上過失致死傷罪適用自体のハードルが、JR福知山線脱線事故でもかなり高い現実のなかでは、実効性には心もとない気もする。
・『刑事公判が、「法人企業の安全コンプライアンス」を評価する場に  そして、重要なことは、法人企業への罰金刑については、事故防止のための十分な措置をとっていたにもかかわらず回避困難な事情によって事故が発生したことを法人企業側が立証した場合には、免責されるということだ。刑法の大原則である「責任主義」の観点から、役職員の犯罪行為について法人を処罰するためには、法人の責任の根拠がなければならない。両罰規定では、「行為者に対する選任監督上の過失」が、法人の責任の根拠とされてきた。その立証責任は、処罰を免れようとする法人側が負うこととされ、法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない。 法人企業の業務に関して発生した事故で、法人を業務上過失致死傷罪で処罰するとすれば、「選任・監督上の過失」に相当するものとして考えられるのが「事故防止のための措置義務違反」だ。法人企業が、義務を十分に尽くしていたこと、回避困難な事情があったことを立証できれば、免責されることになる。法人企業に対する罰金の上限が、経営規模に見合うだけの水準に設定されれば、刑事責任を免れようとする法人企業は、事故防止のために十分な措置を講じていたことの立証が必要となる。万が一の事故が発生した場合、その立証を行うためには、企業が日常的に事故防止のための安全対策を十分に行うことが必要となり、事故防止にも大きく貢献することになる』、「法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない」ということ自体は前進だが、それも個人が業務上過失致死傷罪の宣告を受けることが大前提となる。
・『業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入する特別法の条文案を作った上で、「組織罰を考える会」での講演に臨み、「組織罰導入」の方向性を「両罰規定の導入」の方向に転換することを提案した。刑法の理論面にも関わる事柄だったが、多くの遺族の方々が真剣に耳を傾けてくれ、賛同が得られた。それ以降、会の活動は、この「両罰規定」の導入を目指す方向に向かっていった。 2016年4月、「組織罰を考える会」が発展した形で「組織罰を実現する会」が設立され、福知山線脱線事故の遺族の大森重美会長を中心に、「重大事故での加害企業への組織罰の導入」をめざす様々な活動が行われてきた。そして、それが、今回の山下新法務大臣との面会につながった』、一歩前進であることは確かだ。
・『重大事故遺族の心情の理解を  重大事故遺族がめざす「組織罰」の問題に向き合うためには、遺族の複雑な心情を理解する必要がある。 これまで、多くの重大事故で、刑事事件は不起訴となるか、起訴されても無罪に終わっている。企業活動に関して発生した事故で刑事責任を追及することは難しい。しかし、重大事故で肉親を失った遺族は、加害者の処罰、責任追及を強く求めてきた。それはなぜなのか。 第1に、「肉親の命が突然奪われたこと」に対して、その重大性に応じた社会の対応を求める気持ちである。その端的な方法が「加害者を処罰すること」であり、それが行われないことに対する強い違和感・抵抗感がある。しかし、仮に、加害者側が処罰されたとしても、遺族の思いはそれによって充たされるものではない。殺人事件の犯人に対するような恨み・憎しみとは異なる・・・「処罰してやれば文句ないだろう」「処罰のため最大限の努力をしているから理解しろ」という刑事司法関係者の考え方は、逆に、遺族の心情を傷つけるものなのだ。刑事処罰を求めることを通して、肉親の死を社会が忘れないようにしてほしい、というのが遺族の心情なのだ。 第2に、事故の真相究明を求める気持ちだ。そこには、「自分の肉親が亡くなった経過を知りたい。何がどうなって亡くなったのか、事故の状況を知りたい。」という切なる願いと、事故の真相解明によって、原因が究明され、事故の再発が防止されることで、失われた肉親の命を社会に役立てたいという思いがある。 しかし、加害者の刑事処罰が事故の真相の解明・究明につながるのかというと、実際には、そうではない。 一般的には、複雑な事故の過失犯の処罰は、事故の再発防止にはつながらない。厳罰化は、関係者から供述を得ることを困難にし、証拠が隠滅されるおそれもある。また、起訴されても、刑事事件の裁判で事故の真相が明らかになるのかと言えば、必ずしもそうではない。典型的な例が福知山線脱線事故だ。刑事裁判で問われた過失は「事故の8年前に、山崎元社長が鉄道本部長だったときに、ATSを設置すべきだった。」というもので、刑事裁判での争点は、事故の8年前における企業の措置の適否だった。実際の事故の場面が裁判で明らかになったわけではなかった。 むしろ、事故の原因調査のための体制や権限の充実を通して、遺族にも納得してもらえるよう、事故調査のプロセスと調査結果の透明化を図っていくというのが合理的な考え方であり、そのためには、事故原因の真相解明に最も近い立場にある加害企業が、積極的に関わることが不可欠だと言える。 重大事故の遺族の心情は、加害者の処罰への欲求と、真相解明の要請とが、ある面では相反しつつ、複雑に絡み合っている。そういう遺族の複雑な心情を理解した上で、加害者の処罰に関する法制度を検討していく必要がある』、事故原因の真相解明や真の再発防止策策定には、米国のように加害者の刑事責任を不問にするという考え方もあるが、この点に触れてないのは残念だ。
・『過去の重大事故で「両罰規定による法人処罰」は可能か  では、業務上過失致死傷罪に対する両罰規定が設けられていた場合、過去の重大事故について法人企業を処罰することができただろうか。 まず、福知山線の脱線事故については、運転手は既に死亡しているが、事故の状況は事故調査報告書によって明らかになっている。「車掌との電話に気を取られ、急カーブの手前で減速義務を怠った」ということが立証できれば、運転手についての業務上過失致死傷罪の成立は立証できる可能性が高い。問題は、そういう運転手の過失による事故を防止するために、JR西日本が十分な安全対策をとっていたと言えるのかだ。その点について、JR西日本側が立証し、事故防止のための措置が十分だったと認められないと、JR西日本に対して有罪判決が言い渡されることになる。 2016年の軽井沢のバス転落事故の例では、運転手が排気ブレーキをかけることなく加速して、制限速度を大幅に超過した状態で下り坂カーブに突っ込めば、横転し、大破して乗客が死亡することを予見できた。適切にギアを入れたり、ブレーキを踏むなどして事故を回避することができたという前提で考えれば、死亡した運転手についての業務上過失致死傷罪の立証は可能だと思われる。それについて、会社側がどのような対策を講じていたのかが問題になるが、十分な対策を講じていなかったことは明らかであり、会社が有罪となる可能性が高い。 一方、2012年に起きた笹子トンネルの事故のように、組織としての企業には安全対策の不備が指摘されていても、行為者個人の過失を特定して、人の死傷という結果が生じたこととの因果関係を立証することが困難な事故については、両罰規定による法人企業の処罰は容易ではない』、福知山線事故や軽井沢のバス転落事故のように、運転手が死亡している場合でも、起訴し有罪にすることが必要になる。笹子トンネルの事故は指摘の通りだ。
・『しかし、一定の範囲に限られるものであっても、重大事故の刑事裁判で法人企業の刑事責任が問われ、企業の側が事故防止に向けての措置を立証することになれば、企業の事故防止コンプライアンスを刑事裁判の俎上に載せることができる。社会全体が、企業活動に伴う重大事故の防止に向き合っていく一つの契機になるのではないか。 それは、事故で失われたかけがえのない肉親の命を社会に活かしてもらいたいと心から願い、街頭署名活動まで行って「組織罰の実現」をめざす遺族の思いに応えるものなのではなかろうか』、その通りだろう。
・『日本の法人処罰のブレイクスルーとなるか  業務上過失致死傷罪に両罰規定を設ける立法が行われることで、重大事故についての法人処罰が導入され、企業の事故防止に向けての措置・対策が十分であったことを立証した場合に法人が免責されることになれば、法人企業の事故防止に向けてのコンプライアンスが、刑事裁判で具体的に評価・判断されることになる。それは、検察の立証の限界から企業活動の実態を反映させることが難しかった従来の刑事裁判を、企業活動のリアリティに沿ったものに転換させていくことにもつながる。 一方で、今年6月施行の刑訴法改正で導入された「日本版司法取引」(捜査公判協力型協議合意制度)に関しても「法人処罰」は動き始めている。初適用事案となった、タイの発電所建設事業をめぐる不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄)事件では、三菱日立パワーシステムズと東京地検特捜部との間で「犯罪を実行した役職員の捜査に協力する見返りに、法人としての同社に対する刑事処罰を免れさせる合意」が行われた。この事例では、法人が積極的に内部調査を行って自社の役職員が行った犯罪事実を明らかにし、その結果に基づいて捜査当局に協力する「コンプライアンス対応」が法人の刑事責任の軽減・免除に値すると評価された。それは、「法人の事後的なコンプライアンス対応」という面から、法人自体の責任を独立して評価するものだ』、ただ、三菱日立パワーシステムズの判断には、「社員を売った」との批判もある。「コンプライアンス対応」のためには、そもそも「外国公務員への贈賄」など決してやってはいけない、ということなのだろう。
・『自然人個人に対する道義的責任が中心の日本の刑事司法では、これまで、法人処罰はあまり注目されて来なかった。それを大きく変えることになり得るのが、業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入と、日本版司法取引による法人企業の免責だ。重大事故に至るまでの法人企業の事故防止コンプライアンスへの取組みを評価して法人の刑事責任の減免を決するという「事前のコンプライアンス」評価と、役職員による犯罪の疑いを発見した企業による内部調査の徹底という「事後のコンプライアンス」の評価の両面から法人の刑事処罰が判断されることになれば、刑事司法における法人処罰の位置づけは、これまでとは全く異なったものとなる。企業のコンプライアンスの実質的評価が刑事実務として定着することで、日本の「経済司法」のレベルを大きく向上せることにもつながるであろう。 「組織罰の実現」を求め活動を続ける重大事故遺族の思いに応えることができるか。日本の法人処罰に画期的なブレイクスルーをもたらすことができるか。検察実務にも、刑事立法実務にも精通した山下新法務大臣の真価が問われている』、新内閣全体としては、期待できないが、山下新法務大臣には大いに期待したい。

次に、10月17日付けNHK時論公論「松橋事件 再審は誰のために」を紹介しょう。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/307488.html
・『30年以上前の殺人事件で、先週、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。「松橋事件」と言われ、犯人とされた男性は今後、この事件で無罪が言い渡される公算が大きいとみられます。 事件は、今の日本の再審制度が抱える問題点をいくつも含んでいます。この事件と制度の課題を考えます。
【ポイント】●今回は、「新しい証拠」が裁判の後になって出てきました。 ●そして再審請求が最高裁まで争われたことは適切だったのか。 ●最後に、再審は誰のためにあるのか、その理念についてです。
【松橋事件とは】昭和60年に、当時の熊本県松橋町、今の宇城市の住宅で、59歳の男性が刃物で刺されて殺害されているのが見つかりました。将棋仲間だった宮田浩喜さんが殺人などの疑いで逮捕されます。 捜査段階で、いったん犯行を認める「自白」をした宮田さんですが、一審の途中から「うその自白をさせられた」と無罪を主張しました。 昭和61年。熊本地裁は懲役13年を言い渡しました。2年後に福岡高裁も同じ判決。さらにその2年後の平成2年に最高裁で確定しました。
【再審の決め手は】この事件で、犯人であることを明確に示す証拠は「自白」だけでした。捜査段階の供述の概要は「シャツの左袖から布を切り取り、小刀の根本に巻き付けて男性を刺した。刃物はよく洗い、布は焼いた」などとする内容です。実際、凶器とされた刃物から血液は検出されず、布もありませんでした。 ところが判決確定後、再審の準備をしようとした弁護団が、検察庁に5枚の布が保管されていたことを知ります。 この布は組み合わせると、1枚のシャツに復元されました。「燃やした」はずの左袖も見つかりました。さらに、左袖の布には血液がついていなかったことも分かりました。これらは「自白」と明らかに矛盾します。 もう一度年表に戻ります。弁護団によるとこの証拠が明らかになったのは平成9年。有罪確定の7年後でした。裁判をしている間、検察はこの証拠があることを、明らかにしませんでした。 平成11年、宮田さんは仮出所します。弁護団は平成24年に再審請求。その後、裁判所の勧告を受けて、さらにおよそ90点の証拠が開示されます。 結局この布や遺体の傷に関する専門家の鑑定などが決め手となって、熊本地裁は再審開始を決定、福岡高裁も再審を認めました。 捜査機関は自分に不利な証拠を、裁判には出さず抱え込んでいたことになります。弁護団から「ずさんな捜査の上、裁判で証拠を隠していた」と批判の声が上がるのも、当然でしょう』、捜査機関が自分に不利な証拠を裁判には出さず抱え込んでいた、とは驚くべき不誠実さだ。
『・【証拠開示の制度は】この事件は、▽自白に依存した有罪判決が、+新たに開示された証拠で重要な事実が明らかになり、+これまでの判断が覆されるという典型的なケースです。過去にも同じような経緯をたどった再審事件がありました。しかしなぜ、繰り返されるのでしょう。 課題の1つに、証拠の取り扱いがあります。裁判員制度の導入などをきっかけとして、裁判の前に、検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示すという制度が導入されました。 しかし、再審請求は、この対象になっていません。証拠をどこまで出すよう求めるかは、裁判官に裁量がゆだねられています。 専門家からは、再審請求についても、証拠開示を制度化するよう求める意見が上がっています。今回をきっかけに、制度の検討にむけた議論を始めるべきではないでしょうか』、証拠開示制度で再審請求が対象外になった理由は何なのだろうか。当然、対象に含めないと同様のことが繰り返されるだけだ。
・『【特別抗告は必要だったのか】宮田さんは現在85歳。認知症が進行し、弁護団によると体も弱って一人では歩くこともできないといいます。 検察は、地裁の決定を不服として抗告し、去年の福岡高裁の決定に対しても、最高裁に特別抗告していました。特別抗告が認められるのは、憲法違反や最高裁判例と異なる判断があった場合などに限定され、実際にその判断が覆ることは、まれです。それでも検察は争い続けました。 この間も宮田さんの体調は悪化します。父親のために再審請求をしていた長男も去年、病気で亡くなりました。 最高裁では判断が出るまで数年かかるケースも珍しくありません。ところが今回、最高裁はわずか11か月で検察の特別抗告を退けました。さらに最高裁は今回「職権判断」をつけることも一切なく、文字通り検察を「門前払い」しました。これは最高裁が、今回の特別抗告に対する冷ややかな意思を示したとも感じられます。検察は最高裁の決定を重く受け止めるべきでしょう』、検察が面子だけで特別抗告した責任を問うべきなのではなかろうか。
・『すでに自白の核心部分が新証拠で大きく崩れたうえ、地裁と高裁で2度も再審が認められたのに、有罪だと主張し続け最高裁まで争う必要性はあったのか。本人の年齢や健康状態も考慮できたのではないでしょうか。 最高裁には今、「大崎事件」という別の再審請求事件もあります。こちらも地裁と高裁が再審開始を認めたのに対し、検察が最高裁に特別抗告をしています。請求人は91歳です。検察がすでに出されている再審開始決定の取り消しを最高裁まで求めることの妥当性は、今後も議論になるでしょう』、NHK流の言い方だが、特別抗告で恥の上塗りをするだけだ。
・『【再審は誰のために】再審制度は、戦前もありました。では、日本で最初の再審無罪とはどんな事件でしょうか。はっきりとした記録を見つけることはできませんでしたが、戦後、最高検検事や広島高検検事長などを務めた岡本梅次郎氏は、東京控訴院検事時代に自ら担当した昭和9年の新潟の放火事件が、「初の再審無罪だ」とする回想を残しています。 この事件の最大の特徴は、検察が再捜査して、昭和13年に自ら再審手続きをとったことです。岡本氏は当時の捜査がずさんだったと認めたうえで「記録を調べ、再捜査を行った結果、犯行を認める供述をした別の男が真犯人で、服役した男性は無罪だったと判断し、この男性を促し自らも再審手続きをした」などと回想しています・・・当時の新聞記事にも「検事局が進んで再審手続きを行った」と書かれています。 しかも回想によれば、上司だった検事長や次席検事も報告を聞いて何度も激励し、再審無罪となったことを「よくやった」とねぎらったということです。 当時は司法制度が今とは大きく異なるうえ、事実が判明した経緯も全く違うため、直接比較することはできません。 ただ、回想から伝わってくるのは、事実に対する謙虚さです。自らのメンツのため、ただやみくもに争うのではなく、裁判の誤りを正し、無実の人を救うという再審制度の理念を、岡本梅次郎氏やその上司が、理解していたことがうかがえます。 法律は再審請求を、有罪が確定した人の「利益」のためにあると記しています。 最高検察庁は今回「決定を厳粛に受け止め、再審公判において適切に対処したい」とするコメントを出しました。 今後は、改めてこの事件の裁判が行われます。無罪の公算がすでに大きいことから、裁判所は1日も早く裁判を行って、宮田さんの名誉を回復すべきだと思います』、戦前の検事局は立派だ。本来はその血を引いている筈の検察庁も、見習うべきだろう。

第三に、ジャーナリストの岩瀬 達哉氏が10月29日付け現代ビジネスに寄稿した「岡口基一裁判官、独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして、驚くべき司法の内情について」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58177
・『ツイッター上での活発な発言で有名な岡口基一・東京高等裁判所判事。最高裁判所は今月、その岡口氏に対して、ツイッター上での発言を理由に「戒告」の処分を下した。だが岡口氏は、この決定が極めて多くの問題を含んでいるとしている。今回の決定の危うさ、そして、現在の司法の知られざる内情について、「週刊現代」誌上で本人が語った。 今回の処分によって、一時的であれ、私の言論が封殺されただけでなく、明らかに裁判官の表現の自由は制限されました。 これまでは、すでに確定した判例について個人情報を完全に秘匿した状態のもの、いわば「事例」化された判例については、ネット上で自由に議論がされてきました。しかし今回の分限決定で、事実上、裁判官がネット上でこういう議論に参加することができなくなったことは明らかです。 しかし少なくとも、私が成功したことは、最高裁が、いかにいいかげんな判断をしているかってことを世に知らしめたことです。 一般の方は、最高裁は正しい手続きを踏んで正しい決定をしていると信じている。しかしそうではなかった。あり得ない事実認定しかできない裁判官、そして手続保障を全く理解していない裁判官が、こんな適当な決定をしていたわけです。 そもそも処分というのは、基本的には故意に悪いことをしたときにするものです。しかし今回は、故意による行為でもない。最高裁の歴史に残る恥ずかしい決定になるでしょう。ちなみに、テレビを買えばNHKの受信料を支払わなければならないとした最高裁判決は、今回の処分を下したのと同じ最高裁長官と最高裁判事たちによるものです。』、驚くべき最高裁の暴挙だ。
・『愕然とする決定  最高裁大法廷・・・は、10月17日、東京高裁の岡口基一判事への「戒告」処分を決定した。 「ブリーフ裁判官」として知られる岡口判事は、白ブリーフ姿の自撮り写真をツイッターのカバーページに掲げ、法律問題から時事問題、さらには性の話題まで多岐にわたってツイートしてきた。 処分の対象となったのは、今年5月、犬の返還訴訟について報じた新聞記事のURLを添付し、こうツイートしたことだった。〈公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返してください』『え? あなた? この犬を捨てたんでしょう? 3か月も放置しておきながら…』『裁判の結果は……』〉 このツイートによって、「もとの飼い主」は感情を傷付けられたと、東京高裁に抗議。同高裁の林道晴長官は、岡口判事にツイートをやめるよう強要したものの、応じなかったため、最高裁に懲戒を申し立てていたものだ。 最高裁大法廷は、岡口判事のツイートは、裁判所法49条で定める「品位を辱める行状」にあたるとして、14名の最高裁判事の全員一致意見として、戒告を言い渡したのである。 正直、最高裁の決定には愕然としました。 最高裁の判断を整理すると、次のようになります。このツイートを一般人が読めば、私が「もとの飼い主」が訴訟を起こしたこと自体を非難していると受け止める。裁判官が、訴訟を起こしたこと自体を非難していると一般人に受け止められるようなツイートをすることは、裁判官の「品位を辱める」行為である。だから処分するというものです。 しかしこの事実認定は、いくらなんでも無理がある。私のツイートから、犬を捨てたことを非難してると思う人はいるかもしれません。しかし、訴訟を起こしたこと自体を私が非難していると受け止める人など、いないですし、いたとしてもそれが「一般的」とはとても言えません。 すでに多くの法曹実務家や学者が、この点について、ありえない事実認定であると指摘しています。 しかも、東京高裁が提出した「懲戒申立書」は、私が「もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由として設定していました。それなのに、決定の結論は、そうではなく、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由としているのです。 つまり、当初はもとの飼い主の話として申し立てられたものであるのに、最終的には、一般人に誤解を招くツイートをした点が問題であると、話が変わっているのです。 戒告処分は不利益処分ですから、処分される側に弁明の機会を保障し、十分に防御ができるように、いかなる行為について懲戒を申し立てるのかを、「申立て理由」書に正確に書いておかなければならない。 でないと、十分な弁明や防御ができず、裁判の公正な手続きが実践できないからです。しかし、結果はいま申し上げた通り。「申立ての理由」と最終的な決定にズレが出ている。こんな不意打ちを、最高裁がやるとは夢にも思っていませんでした。 しかも、分限裁判は、当局が訴えて当局が裁くという、もともと不公平な裁判です。そのため、当局が勝手なことをできないように、かつて「寺西判事補事件」を審理した最高裁大法廷判決は、補足意見において「手続きは公開の場で行われるべき」と指摘しているのです。 この補足意見を根拠に、司法クラブに所属する新聞社、テレビ局の全社が、事前に傍聴の要請をしていたにもかかわらず、当局はそれを拒否。非公開の場で行なったうえ、こちらが、いろんな釈明をしたにもかかわらず、それにも一切答えず、わずか1回の審理で終結してしまったのです』、最高裁の姿勢は全く不可解だ。非公開の場でこそこそと処理したのは、恥部を覆い隠そうとしたためなのだろう。
・『素人のエッセイのような…  処分後、岡口判事は、司法記者クラブで会見し、確たる証拠のないまま最高裁がいい加減な認定をしたことや、公正な裁判手続きを保障しなかったことなどを理由に、処分の不当性を訴えた。 適正手続きは、裁判の命である。裁かれた者が、たとえ主張が入れられなかったにしろ、公正な審理を受けたと納得できる裁判を、なにゆえ最高裁は行わなかったのか。 大法廷決定の理不尽さとともに、最高裁を頂点とした裁判所の病理について、岡口判事が続ける。 しかしそれ以上に驚かされたのは、3人の最高裁判事が共同執筆した「補足意見」です。あの意見は、ヒステリックに私を非難するものであって、品格があるはずの最高裁の補足意見とはとても思えない。素人の、エッセイのようなものです。 補足意見は、元通産官僚で内閣法制局長官を務めた山本庸幸(つねゆき)、元外務官僚で英国大使を務めた林景一、弁護士出身の宮崎裕子の3判事が執筆。彼らはとりわけ、岡口判事の「2度目の厳重注意」を問題視していて、こう述べた。〈私たちは、これは本件ツイートよりも悪質であって、裁判官として全くもって不適切であり、裁判所に対する国民の信頼をいたく傷つける行為であるとして、それ自体で懲戒に値するものではなかったかとも考えるものである〉〈本件ツイートは、いわば『the last straw』(ラクダの背に限度いっぱいの荷が載せられているときは、麦わら一本積み増しても、重みに耐えかねて背中は折れてしまうという話から、限度を超えさせるものの例え)ともいうべきものであろう〉 要するにこの補足意見は、本件ツイートは「麦わら一本」程度のものでしかなく、実際には過去のツイートで処分したんだと、自白しちゃってる。 そうであれば、最初から、「懲戒申立書」に、過去のツイートが主な対象である旨を明記しておく必要があります。何を対象として申し立てられているのかがわからないままでは、反論の機会が与えられたとは到底いえず、裁判の公正な手続きが実践できないからです。この意見は、気に入らない奴を裁くのに、公正な手続きなど必要ないんだと言っているのも同然でしょう。 裁判での審理というのは、感情をぶつける場じゃない。冷静に、事実認定と法的判断を普通にやる場です。そういう場に、裁判の手続保障について、この程度の理解しかない人たちを入れるのは、よくないんじゃないですかね』、補足意見は確かに驚くべき内容だ。
・『憲法上の問題があった  補足意見が問題にした岡口判事のツイートは、昨年12月、最高裁のウェブサイトに掲載された性犯罪事件の判決文を紹介したもの(ただし個人情報は秘匿されている)。岡口判事は判決文のURLを、ツイッターの画面に添付したうえで、こうつぶやいていた。〈首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男 そんな男に、無残にも殺されてしまった17歳の女性〉 補足意見の裁判官らは、遺族の方が私のつぶやいた文言に傷ついたとしています。しかし被害者の女性の遺族は、もともと判決文を裁判所が公開したことに抗議していた。判決文を公開したのは、私ではなく最高裁です。 それがいつの間にか、私のツイートの文言で傷ついたに変わり、それに基づいて私の厳重注意処分がなされました。しかしそれが終わると、再び、判決文を裁判所のウェブサイトに載せられたことに傷ついたという主張に戻っている。この事実は、私のブログのコメント欄に遺族の方が自ら投稿しています。そして毎日新聞の報道によれば、更に考えを変えて、私のおちゃらけたツイッターで紹介されたことで傷ついたと、4回も「傷ついた理由」を変えているんです。これって、どういうことなのでしょうか』、女性の遺族の抗議まで「改竄」するとは、悪質極まりない。
・『また今回は、表現の自由や裁判官の独立などの憲法上の問題があったのですが、それについて最高裁が全く判断しなかった――つまり、「憲法判断」がなかったことも指摘しておく必要があります。 実は、現在、最高裁には憲法学者が一人もいないのです。そのためか、金沢市役所前広場事件という表現の自由が大きな問題になった事件で、最高裁は、憲法判断をしないどころか、判決の理由を明確に論じない、いわゆる「三行半判決」で終わらせました。そういう流れがあるということも押さえておかなければなりません』、「最高裁には憲法学者が一人もいない」というのには驚かされた。確かに憲法学者の殆どが安保法制に違憲論を唱えるなど、安倍政権にとっては、「目の上のタンコブ」なのかも知れないが、「一人もいない」というのは憲法軽視そのものだ。
・『自由な議論が抑制されてしまう  岡口判事のツイッターは2008年から始められ、一日20回程度のツイートを行ってきた。フォロワーは常時、約4万人を数えていたが、東京高裁長官が分限裁判を申し立てるや、研究者用に発信している別のブログが一挙に50万アクセスを突破。その途端、理由不明のまま、ツイッターのアカウントは凍結されてしまった。いまは、アクセス不能の状態にある。 私のツイッターアカウントの読者のほとんどは、法曹関係者や法学部の学生など、法律に関係している方々です。 今回、私が処分される原因になった犬の飼い主に関するツイートにしても、犬の所有権がどちらの側にあるかって結構、面白い事件なので、ロースクール生とか法学部の学生に考えてほしくて載せただけ。元の飼い主を非難する考えなど毛頭もない。 確定した裁判例について、個人情報を完全に隠して、いわば「事例」化したものについて、自由に論じるというのは、たとえ、それによって、当該事件の当事者が傷つくことがあっても、それは許されるというのが、これまで長い間続いてきたルールです。日本の法律学を発展させるためには、実際の事件を題材として議論するのが一番だからです。 そして、こういう議論には、専門家である裁判官も当然に関与することができ、これまでも関与してきました。私も今回このルールにしたがっただけです。 ネット社会では、ネット上で、その議論がされるわけで、今回の犬の裁判についても、法律家や学者がネット上で議論をしています。例えば、明治大学の教授は、今回の犬の裁判について、ネット上で評釈しており、その内容は「もとの飼い主」を傷つける内容ですが、これは完全に許されている行為なのです。 こういう議論は、当事者を傷つけないように、国民の目に触れないとこでこっそりやるようにしましょうという動きになる方が、むしろ危険です。情報公開・国民の知る権利は、国民主権・民主主義の基本であって、国民が自由に議論をすることは何よりも保護されるべきものだからです。情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです。 凍結されているツイッターについて言えば、ツイッター社が、いかにおかしなことをするかを示すため、そのまま放置し、別アカウントを作る気はありません。だから、いまはフェイスブックを中心に発信しているんです』、ツイッター社も最高裁や東京高裁から凍結を要請されたら、驚いて従ってしまったのだろう。「情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです」とはその通りだ。
・『裁判所の権威を守るための「秘密のベール」  裁判官がSNSに投稿したことで戒告処分を受けるのは、今回がはじめて。過去の戒告は、破廉恥行為や怠慢行為などに下されている。以下は、最近のおもな事例だ。
 +2001年10月、痴漢行為によって神戸地裁元所長が戒告。のちに依願退官。
 +2013年10月、福岡地裁判事が、女性の司法修習生へのセクハラ行為で戒告。のちに依願退官。 +2018年6月、岐阜地裁判事が、判決文を完成させないまま判決を言い渡していたとして戒告。のちに依願退官。
 裁判所には、ブログはやるなという基本方針があるんです。以前、ドイツに留学していた女性裁判官がブログをやっていたのを当局が聞きつけた途端、閉鎖になってしまった。また、家庭裁判所の調査官でブログをやっていた人がいたのですが、次席調査官室に呼びつけられ、ネチネチやられて、結局やめちゃった。 裁判所がなぜ、裁判官のブログを嫌がるかというと、どんな人が、どんなことをしているか知られたくないからでしょう。秘密のベールに包んでおけば、権威は高まりますから。 実際、20代で裁判官になっても、一人前になるには時間がかかりますから。彼らの実力を知られたら困るわけです。 司法試験って、基本法しかやらない。ところが裁判の現場では、いろんな法律があって、住民訴訟なんて、地方自治法を一度も読んだことないのに、いきなりやらされたりする。そういう職場環境のもとで、よくわからないまま難しい事件を次々担当させられるので、みんな自信を持てないでいるんです。 じゃ、勉強すればいいじゃないかとなりますが、勉強する時間もない。仕事が一杯一杯で、土日も判決書いてますから。 裁判官の仕事って、社会的なことを知らなくてはいけないし、法律も知らなくてはいけない。しかも法律はどんどん変わる。だから全部のことがわかって、自信をもって判決書けるという人は非常に少ない。たいていは、「判例秘書」という判例検索ソフトで、過去の似たような事件の判決を探しだしては、ああ参考例があってよかった、これを真似すれば判決が書けると言って、コピペしたりしている』、裁判官の実態がそんな程度であれば、確かに「秘密のベールに包んで」おこうとする態度も理解できなくもない。
・『他方で、スーパーエリートであった某裁判官が、自信を持って、信念に基づいて国を負けさせ続けたところ、みごとに左遷されてしまいました。東京に戻ることもかなわずに今年の5月に名古屋で定年となりました。するとみんな、国を負けさせるとヤバいんだなとわかる。見せしめをひとりつくれば、下手に締め付けなくても、裁判官を自発的に隷従させることができる。そんな組織になってしまっている。 さすがに私も、裁判所という世界に若干、嫌気がさしてるのですが、処分を受けたことで逆に辞められなくなってしまった。法曹界のいろんな方々から、辞めないで発言を続けるようにといった励ましのメールがどんどん届いているうえ、職場でも冷たくされるどころか、もっと頑張ってみんなの弾除けになって下さいって言われるものですから』、「もっと頑張ってみんなの弾除けになって下さい」には微笑んでしまった。
・『「プロ」の裁判官が減ってきた  裁判官って、弱いんですよ。ひとりひとりは、ただのサラリーマンですから。 とりわけ司法制度改革のあとは司法試験の合格者が急増していて、この20年間で弁護士人口は2倍強に増えた。弁護士が余っていて、裁判官を辞めても弁護士に転身できないんです。 だから当局に睨まれることなく、賢くやっていきたいという自信のないヒラメ裁判官が増えることになる。多少の不利益を受けてもいいから、本を書いて、ほかの裁判官の役に立とうという奇特な人はいなくなりました。今では、本を書くと裁判官としての成績評価に響くといった「都市伝説」があるくらいです。 どこの世界も、プロがいなくなってきたと言われていますが、ウチも同じ』、司法制度改革は弁護士に影響しただけと思っていたら、裁判官にまで間接的に影響していたとは・・・。
・『基本的な司法の役割すらわかっていない裁判官がいます。なぜ、わからないかといえば、誰も教えないからです。それにワーク・ライフ・バランスで、週に何回かは早く帰らなくちゃならない。そうなると職場の飲み会もなくなる。先輩が後輩に教えるシステムが断絶してるんですね。 だからというわけではないのですが、これからはツイッターに替えて、フェイスブックで若い裁判官などに、司法の本質論を伝えていきたいと思っています。 三権分立のなかで、立法と行政は多数決原理ですから、必然的に少数者は追いやられる。その少数者の権利を誰が守るのかといったら、司法しかありません。 ヘイトスピーチとか、LGBTの話とか差別されている人たちがいて、この人たちの権利を守るのは、われわれの守備範囲なんですよと。そちらに目を向けてもらえるよう情報発信を続けていくつもりです。 二度目の戒告を受けることになるかもしれませんが、そういうことは気にしないでやっていくつもりです。私はなによりも自分自身の表現の自由を守りたいからです。自分の表現の自由すら守れない裁判官が、他人の表現の自由を守れるはずがありません』、東京高裁にこんな骨のある岡口判事のような立派な人物がいたとは、かすかな光明だ。今後の活躍を期待したい。
タグ:最高裁判所 郷原信郎 現代ビジネス 最高裁大法廷 司法制度改革 同氏のブログ NHK時論公論 司法の歪み (その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について) 「業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価」 山下貴司法務大臣 「組織罰を実現する会」のメンバーと面談 検察、法務省の豊富な実務経験を有する初めての法務大臣 業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入という刑事司法にとって重要な問題に関して、重大事故の遺族の声に耳を傾けてくれたことで、就任早々の面談が実現 組織罰実現をめざす重大事故遺族の活動 桐蔭横浜大学法科大学院 コンプライアンス研究センター JR西日本福知山線脱線事故 イギリスの「法人故殺罪」のように、法人企業の事業活動において人を死傷させる事故が発生した場合に、その「法人組織の行為」について「法人自体の責任」を追及する制度 日本の刑事司法は、従来から、犯罪行為を行った自然人個人の処罰が中心で、法人に対する処罰は付随的なものだ 現実的な立法としての「業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入 「両罰規定」を、法人の事業活動に伴って発生する業務上過失致死傷罪に導入する特別法の立法の提案 両罰規定というのは、法人または人の業務に関して「犯罪行為」が行われたときに、その行為者を処罰するのに加えて、法人に対しても罰金刑を科す規定 業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入すれば、法人の役職員個人について業務上過失致死傷罪が成立する場合に、法人の刑事責任を問うことができる 「両罰規定」の活用であれば、立法上の問題ははるかに少ない 刑法の改正は、法制審議会での議論等が必要 「両罰規定」を導入する特別法を創設するのであれば、法制審議会の正式な手続は必ずしも必要とはならず、ハードルが低い 刑事公判が、「法人企業の安全コンプライアンス」を評価する場に 両罰規定では、「行為者に対する選任監督上の過失」が、法人の責任の根拠とされてきた。その立証責任は、処罰を免れようとする法人側が負うこととされ、法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない 重大事故遺族の心情の理解を 過去の重大事故で「両罰規定による法人処罰」は可能か 日本の法人処罰のブレイクスルーとなるか 「松橋事件 再審は誰のために」 最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認める決定 捜査段階で、いったん犯行を認める「自白」をした宮田さんですが、一審の途中から「うその自白をさせられた」と無罪を主張 熊本地裁は懲役13年を言い渡しました。2年後に福岡高裁も同じ判決。さらにその2年後の平成2年に最高裁で確定 証拠は「自白」だけでした 検察庁に5枚の布が保管されていたことを知ります。 この布は組み合わせると、1枚のシャツに復元されました。「燃やした」はずの左袖も見つかりました。さらに、左袖の布には血液がついていなかったことも分かりました。これらは「自白」と明らかに矛盾します 裁判をしている間、検察はこの証拠があることを、明らかにしませんでした 弁護団から「ずさんな捜査の上、裁判で証拠を隠していた」と批判の声 裁判員制度の導入 裁判の前に、検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示すという制度が導入 再審請求は、この対象になっていません 特別抗告は必要だったのか 最高裁は今回「職権判断」をつけることも一切なく、文字通り検察を「門前払い」 今回の特別抗告に対する冷ややかな意思を示した 大崎事件 別の再審請求事件もあります 再審は誰のために 昭和9年の新潟の放火事件 検察が再捜査して、昭和13年に自ら再審手続きをとったことです 法律は再審請求を、有罪が確定した人の「利益」のためにあると記しています 岩瀬 達哉 「岡口基一裁判官、独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして、驚くべき司法の内情について」 岡口基一・東京高等裁判所判事 ツイッター上での発言を理由に「戒告」の処分 私の言論が封殺されただけでなく、明らかに裁判官の表現の自由は制限されました 今回の分限決定で、事実上、裁判官がネット上でこういう議論に参加することができなくなったことは明らかです 最高裁の歴史に残る恥ずかしい決定 ブリーフ裁判官 犬の返還訴訟 公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返してください』『え? あなた? この犬を捨てたんでしょう? 3か月も放置しておきながら…』『裁判の結果は…… このツイートによって、「もとの飼い主」は感情を傷付けられたと、東京高裁に抗議。同高裁の林道晴長官は、岡口判事にツイートをやめるよう強要したものの、応じなかったため、最高裁に懲戒を申し立てていたものだ 裁判所法49条で定める「品位を辱める行状」にあたるとして、14名の最高裁判事の全員一致意見として、戒告を言い渡したのである 私のツイートから、犬を捨てたことを非難してると思う人はいるかもしれません。しかし、訴訟を起こしたこと自体を私が非難していると受け止める人など、いないですし、いたとしてもそれが「一般的」とはとても言えません 懲戒申立書 もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由 決定の結論 、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由 いかなる行為について懲戒を申し立てるのかを、「申立て理由」書に正確に書いておかなければならない 分限裁判は、当局が訴えて当局が裁くという、もともと不公平な裁判 寺西判事補事件 最高裁大法廷判決は、補足意見において「手続きは公開の場で行われるべき」と指摘 この補足意見を根拠に、司法クラブに所属する新聞社、テレビ局の全社が、事前に傍聴の要請をしていたにもかかわらず、当局はそれを拒否。非公開の場で行なったうえ わずか1回の審理で終結 3人の最高裁判事が共同執筆した「補足意見」 ヒステリックに私を非難するものであって、品格があるはずの最高裁の補足意見とはとても思えない。素人の、エッセイのようなものです 性犯罪事件の判決文を紹介 被害者の女性の遺族は、もともと判決文を裁判所が公開したことに抗議していた。判決文を公開したのは、私ではなく最高裁です それがいつの間にか、私のツイートの文言で傷ついたに変わり、それに基づいて私の厳重注意処分がなされました 表現の自由や裁判官の独立などの憲法上の問題があったのですが、それについて最高裁が全く判断しなかった 現在、最高裁には憲法学者が一人もいないのです 金沢市役所前広場事件という表現の自由が大きな問題になった事件で、最高裁は、憲法判断をしないどころか、判決の理由を明確に論じない、いわゆる「三行半判決」で終わらせました 自由な議論が抑制されてしまう ツイッターのアカウントは凍結 国民の目に触れないとこでこっそりやるようにしましょうという動きになる方が、むしろ危険 情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです いまはフェイスブックを中心に発信 裁判所の権威を守るための「秘密のベール」 裁判所には、ブログはやるなという基本方針があるんです 裁判所がなぜ、裁判官のブログを嫌がるかというと、どんな人が、どんなことをしているか知られたくないからでしょう。秘密のベールに包んでおけば、権威は高まりますから 20代で裁判官になっても、一人前になるには時間がかかりますから。彼らの実力を知られたら困るわけです 自信をもって判決書けるという人は非常に少ない たいていは、「判例秘書」という判例検索ソフトで、過去の似たような事件の判決を探しだしては、ああ参考例があってよかった、これを真似すれば判決が書けると言って、コピペしたりしている スーパーエリートであった某裁判官が、自信を持って、信念に基づいて国を負けさせ続けたところ、みごとに左遷されてしまいました プロ」の裁判官が減ってきた 弁護士が余っていて、裁判官を辞めても弁護士に転身できないんです 基本的な司法の役割すらわかっていない裁判官がいます 先輩が後輩に教えるシステムが断絶
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