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日本・ロシア関係(その5)北方領土3(小田嶋氏:次の質問に行く前に) [外交]

日本・ロシア関係については、12月1日に取上げた。今日は、(その5)北方領土3(小田嶋氏:次の質問に行く前に)である。河野外相の問題答弁については、12月16日付けブログ「安倍内閣の問題閣僚等(その7)」でも取上げている。

コラムニストの小田嶋 隆氏が12月14日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「次の質問に行く前に」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/121300170/?P=1
・『河野太郎外務大臣の会見対応が波紋を呼んでいる。 発端は、12月11日の会見での記者とのやりとりだった。 この中で、河野大臣は、まず日本が北方領土をロシア領と認めることが平和条約締結交渉入りの条件だとしたロシアのラブロフ外相発言への感想を問われて「次の質問どうぞ」と回答している。 この言い方は、当該の質問への直接の回答を拒んで別の質問を促したもので、ニュアンスとしては「ノーコメント」というよりは「無視」「黙殺」「シャーラップ」「うるせえばか」に近い。 河野大臣は、別の会社の記者が、関連の質問として「反論を公の場でするつもりもないということでよろしいのか」と問うと、これにも「次の質問どうぞ」と、具体的に答えることなく、次の質問を促している。 そこで、別の記者が「引き続き関連の質問」として、「(河野)大臣が、発言を抑えてきた一方で、ロシアの側からはどんどんこれまで通りの発言が出てきている。このアンバランスな状況が、実際の協議にも影響を与えるという懸念もあると思うがどうか」という主旨の質問をすると、河野大臣はやはり「次の質問どうぞ」と回答し、これに続いてこれまた別の会社の別の記者が「大臣、何で質問に『次の質問どうぞ』と言うんですか」と問いかけたところ、この質問に対してもまったく同様に「次の質問どうぞ」と回答している。 この一連のやりとりのナンセンスっぷりは、英国製の古いコメディ番組を思い出させる。 そう思ってみると、河野大臣の顔はどことなく腹話術の人形に見えなくもない』、全くなめ切った回答だ。
・『以上は、動画を見たうえでのオダジマによる要約だ。 「恣意的に発言を切り取って難癖をつけている」「発言の一部だけを取り出して批判の材料として利用している」という言い方をされるのも不快なので、会見のノーカット動画とともに書き起こしを掲載しているサイトにリンクを張っておく。より詳しい状況を確認しておきたい読者はこちらを参照していただきたい。 さて、この一連のやりとりは率直に申し上げて、愚かな対応だと思う。 動画を見れば明らかな通り、大臣の対応ぶりは、個々の質問へのノーコメントの表明というよりは、より端的に、記者を愚弄する態度そのものだ。 無論、以前から大臣自身が繰り返している通り、外交交渉にかかわる質問は、先方との信頼関係や駆け引きの問題もあれば、外交機密に触れる話もあることなので、すべてについて答えられるわけではない。そんなことは、記者も十分に承知している。われら一般庶民にしたところで、その程度のことは知っている。 ただ、記者の立場から言えば、疑問に感じた点については率直に問いただすのが彼らの仕事でもある。 記者は、仮に大臣なり役人なりが回答できないタイプの質問であることがわかっていても、一応は水を向けるべく訓練されている。その上で、大臣がどういう理由で答えられないかについての説明を引き出すことが、彼らにとっての次の大事な仕事になる』、これでは記者会見の体をなさない。
・『今回のケースについて言うなら、私は、必ずしも「相手のある外交交渉の話なのだから答えられないこともある」という理由で、回答を拒否できるケースではなかったと思っている。 むしろ、ここで記者の質問に対して外相としての意見の表明を避けたことは、ロシア側の言い分(「まず日本が北方領土をロシア領と認めることが平和条約締結交渉入りの条件だ」というラブロフ外相の発言と「プーチン大統領と安倍晋三首相は、島の引き渡しについて一度も議論していない。協議しているのは、共同経済活動についてだ」というトルトネフ副首相の発言)を追認したと見なされる意味で、禍根を残す気がする。 個人的には、ロシア側にあんな言い方をされて、遺憾の意ひとつ表明できない大臣を置いておく意味があるのかどうか、はなはだ疑問だと思っている。あるいは、今回の日露間の合意の中には、日本の側が一切不満を申し述べてはならないといったような密約が含まれていて、それで外相はコメントを差し控えたのだろうか』、中国外務省の女性広報官は、相手国の発言をピシャリと手厳しい反論をするので有名だ。ロシア側発言を「追認したと見なされる意味で、禍根を残す気がする」というのは、その通りだ。
・『ともあれ、交渉当事国の外相が、領土問題を問い質す記者に対して子供じみた挑発的な態度で応じたことは、少なくとも外交上有益な材料になるとは思えない。 共同通信によれば、ロシアの通信社「レグナム」は、11日、河野外相の対応などについて「ばかげた子どもの遊び」にたとえる論評を掲載している(こちら)。 われわれはあなどられている。 なんとも、残念な顛末ではないか。 あの時点で、外相の側に記者の質問に回答できない事情があったのであれば、その旨を説明した上で「申し訳ないが、そのご質問には回答しかねる」と言っておけば良かっただけのことだ。 河野外相がそうせずに、あえて記者を愚弄する態度を選んだのは、彼自身の幼児性のしからしむるところだったと私は考えている。ふつうの大人はああいう言い方はしない。いったいどういう育ち方をしてきたのだろうか。 仮に、記者の態度が腹に据えかねたのだとしても、外務大臣たるもの、そうそうカジュアルに会見の場で感情をあらわにして良いものではない。 理由は、自国の記者相手にさえ平常心を保てない人物が、諸外国のタフネゴシエーターを相手にまともな外交を展開できるはずがないからだ』、ロシアの通信社にまで馬鹿にされるとは、情けない。「彼自身の幼児性のしからしむるところだった」というのは、その通りなのかも知れない。
・『本来なら、答えにくい質問は、なるべく穏当な形でスルーするべきところだ。 そうするのが、大臣に期待されているメディア対応であるはずだ。 ところが、河野外相は、記者に対して非礼な受け答えを繰り返すことで、結果として自分が特定の質問から逃避していること(つまりその質問が政権にとっての痛手であること)を内外に宣伝してしまっている。 致命的な失態だと思う。 外務大臣には答えられない質問があるということがその通りなのだとしても、答えられない質問への答え方を知らない外務大臣は、やはり不適格だと申し上げざるを得ない』、「その質問が政権にとっての痛手であることを内外に宣伝してしまっている」というのは、さすが手厳しい批判だ。
・『もっとも、同情の余地はある。 別の言い方をすれば、河野外相が不機嫌になったのには、十分な理由があるということだ。 というのも、ロシアとの交渉に関して、河野大臣はほぼ完全に「蚊帳の外」だったからだ。 ロシアとの交渉は、この数年、一貫して、官邸ならびに安倍総理個人が独走の形で推し進められている。つい先日の日露首脳会談では、余人を交えずに安倍総理とプーチン大統領が文字通り「2人だけ」で話し合ったと言われている。 つまり、外務省や外務大臣にはまるで出る幕がなかったということだ。 事前に相談されていたのかどうかもわからない。 おそらく、意見を求められてさえいなかったのではなかろうか。 事後的にきちんとした報告があったのかどうかも分からない。 にもかかわらず、記者への説明は外務大臣に押し付けられている。 意見さえ求められず、情報も与えられず、交渉そのものに関与していない領土問題について、記者から答えようもない質問を続けざまに浴びせられたのだとすれば、河野外相がムッとした気持ちは、十分に理解できる。支持はできないし容認も応援もできないが、理解だけはできる。さぞや腹が立ったことだろう。 その大臣の立腹の矛先は、記者ではなくて、より直接的には、官邸だったかもしれない。 頭越しに勝手に交渉を進めて案の定にヘタを打って、そのくせ弁解の窓口はこっちにケツを持ってくる官邸のやり口に、外務省の関係者が感情を害していたのだとしても私は驚かない』、なるほど、これでは答えようがないし、官邸のムシのいいやり口には怒り心頭だったのだろう。
・『実際、私が河野外相だったら、「その質問は安倍総理にぶつけてください」と言ってしまったかもしれない。 そう考えると、河野外相がこのセリフを言わずに自分の気持ちを発散したことは、むしろ彼の忍耐力の大きさを物語るものなのかもしれない。 今回の顛末をひととおり観察した結果、私があらためて憂慮しているのは、外相の個人的な幼児性ではない。 もちろん、外相に限らず閣僚には大人であってほしいのだが、そこのところはもはや仕方がないと思っている。どんな政治家であれ、われわれが選挙を通して選んだ人間である点は動かない。責任はわれわれ自身にある。 私が最も強く懸念しているポイントはそこではない。なにより心配なのは、政治家とメディアの関係がすっかり狂ってしまっている現状だ。 今回の会見のやりとりでも、外務省記者クラブの記者たちは、河野大臣のあれほどまでに失礼極まりない応答に対して表立った抗議をしていない。 質問に回答しないのなら回答しないで、回答しない理由を述べるべきだし、それができないまでも、少なくとも「ノーコメント」の意図は、正しく伝わる言葉で適切に発信しなければならない。そうするのが人としての最低限の礼儀だ。 しかし、あの応対は、記者を対等の人間と見なしていないどころか、記者をゴミ扱いにする振る舞い方といって良い』、「政治家とメディアの関係」にまで広げるとは、さすがだ。
・『「先ほど来、ロシアの質問に『次の質問どうぞ』というふうに回答されていますけれども、大臣の従前のお立場というのは我々も分かってますけれども、公の場での質問に対して、そういうご答弁をされるというのは適切ではないんじゃないでしょうか。どう思われますか」という、記者の最後の質問に対しての答えは 「交渉に向けての環境をしっかりと整えたいと思っております」という、木で鼻をくくったようなものだった。 私は何も次の質問として「あんたバカなのか?」という言葉で報いるべきだったと言いたいのではない。 あの日の外務省記者クラブにおける大臣と記者のやりとりは、残念ながら、対等な人間同士のコミュニケーションではなかった。 しかも、この政治家と記者の立場の非対称は、外務省記者クラブにおいてのみ観察されているものではない。 菅官房長官を取り巻く官邸記者クラブの会見では、菅さんが特定の記者の質問を執拗に黙殺し続けるやりとりが定番化していて、しかもそれを誰一人としてとがめる者がいない。 麻生財務大臣と彼にぶらさがっている記者とのやりとりも、とてもではないが対等な人間同士のやりとりには見えない。 まるでハリウッドセレブとそれに群がるパパラッチか、でなければ代貸と三下ぐらいに見える。 つまり、現政権において、閣僚が記者を愚弄するマナーは、着々と常態化しつつあるということで、今回の河野大臣のあの態度も、政権内で常識化しつつある、メディア敵視のトレンドに乗ったパフォーマンスだったということだ』、「政権内で常識化しつつある、メディア敵視のトレンド」は、言われてみればその通りだ。
・『で、政権側のメディア敵視に対抗して、メディアの側も政権に逆襲するのかと思いきやさにあらずで、メディアはどうやら無力感にとらわれている。 たとえば冒頭で引用した会見の様子を伝えるNHKのニュース原稿はこんな調子だ(こちら)。 彼らは、会見のやりとりを伝えた上で《-略- 河野外務大臣は、政府の方針を交渉の場以外で発信することは、よけいな臆測を呼び、交渉のためにならないなどとして、国会でもたびたび発言を控えることに理解を求めていて、今回の対応も、そうしたねらいがあるとみられますが -略-》と、大臣の立場をフォローし、末尾を《質問そのものに応じない姿勢には批判が出ることも予想されます。》という文言で結んでいる。 「批判が出ることも予想されます」という言い方の腰の引け方はどうだろうか。 どうしてこれほどまでに遠慮した書き方をせねばならないのか、その判断の根拠をぜひ問い質したい。 ここで、NHKの記者が「批判が出ることも」と言っている「批判」をする当事者はいったい誰なのだろうか。記者自身ではないのだろうか。 また、「予想されます」と受動態で受けてしまっている文の隠された主語は誰なのだろう。誰が予想しているのだろう。 NHKのこの記事を書いている記者が予想しているのではないということだろうかと、私が問うと、あなたがたは「次の質問をどうぞ」というのだろうか』、メディアは国民の代わりになって、大臣と対等な立場で接するべきところを、ここまでへりくだる卑屈な姿勢は情けない限りだ。
・『河野大臣の会見のニュースに先立って、11日の夕方、私は麻生氏が、立憲民主党の議員を小突いたとされる自民党の議員について「はめられた」と述べた発言を撤回したニュースをリツイートして、《閣僚の発言について「撤回すれば無問題」という前例が確立されたのは、現政権発足以来のことだと思うのだが、こんなことがまかり通ってしまっていることの原因は、内閣の横暴さよりも、むしろメディアの腰砕けぶりに求めなければならないのかもしれませぬ。》(こちら)というコメントを書き込んだ。 このツイートに対しては、麻生さんや現政権への失望や批判とは別に「そもそもメディアの側の揚げ足取りが混乱の原因なのだから、撤回すればOKに決まっている」「メディアが腰砕けっていうより、そもそも政権を責める材料がフェイクなだけだろ」という感じの、メディアへの非難や不信を訴えるリプライやメンションが多数寄せられている。 ひとつひとつのメッセージを読みながら、私は、無力感にとらわれつつある。 安倍内閣のメディア敵視の姿勢が一部の国民の間に浸透しはじめているのか、それとも国民世論の中に根強く潜在しているメディア不信が、現政権のメディア軽視の態度を勢いづけているのか、因果は必ずしもはっきりしないのだが、いずれにせよ、震災以降、メディアによる政権監視の機能が弱体化しつつある傾向は明らかだと思う。 次の質問を考える前に、私たちは、自分たちのこの国がどこに向かっているのかを問い直さなければならない。 答は、臆病風に吹かれている』、手厳しいメディア批判には全面的に賛成だ。
・なお、19日付けの新聞で、河野外相はロシア巡る質問で回答拒否したことに対し、「反省しておわび」をしたようだ。だが、内容的には、「あたかも無視したかのようになり、反省しておわびする」、「『お答えできません』と答弁すべきだった」、「今後も日ロの平和条約締結交渉に影響を及ぼしかねないことはお答えを差し控えたい」と表面的なおわびに留まったようだ。これほど問題を大きくしておいて、こんな程度のおわびで済む話ではない。
タグ:日経ビジネスオンライン 日本・ロシア関係 小田嶋 隆 (その5)北方領土3(小田嶋氏:次の質問に行く前に) 「次の質問に行く前に」 河野太郎外務大臣の会見対応が波紋 ラブロフ外相発言への感想を問われて「次の質問どうぞ」と回答 ニュアンスとしては「ノーコメント」というよりは「無視」「黙殺」「シャーラップ」「うるせえばか」に近い 一連のやりとりのナンセンスっぷりは、英国製の古いコメディ番組を思い出させる 大臣の対応ぶりは、個々の質問へのノーコメントの表明というよりは、より端的に、記者を愚弄する態度そのものだ ここで記者の質問に対して外相としての意見の表明を避けたことは、ロシア側の言い分(「まず日本が北方領土をロシア領と認めることが平和条約締結交渉入りの条件だ」というラブロフ外相の発言と「プーチン大統領と安倍晋三首相は、島の引き渡しについて一度も議論していない。協議しているのは、共同経済活動についてだ」というトルトネフ副首相の発言)を追認したと見なされる意味で、禍根を残す気がする ロシアの通信社「レグナム」は、11日、河野外相の対応などについて「ばかげた子どもの遊び」にたとえる論評を掲載している 彼自身の幼児性のしからしむるところだった 記者に対して非礼な受け答えを繰り返すことで、結果として自分が特定の質問から逃避していること(つまりそ ロシアとの交渉に関して、河野大臣はほぼ完全に「蚊帳の外」だった ロシアとの交渉は、この数年、一貫して、官邸ならびに安倍総理個人が独走の形で推し進められている 外務省や外務大臣にはまるで出る幕がなかった 意見さえ求められず、情報も与えられず、交渉そのものに関与していない領土問題について、記者から答えようもない質問を続けざまに浴びせられたのだとすれば、河野外相がムッとした気持ちは、十分に理解できる 大臣の立腹の矛先は、記者ではなくて、より直接的には、官邸だったかもしれない 頭越しに勝手に交渉を進めて案の定にヘタを打って、そのくせ弁解の窓口はこっちにケツを持ってくる官邸のやり口に、外務省の関係者が感情を害していたのだとしても私は驚かない 私が最も強く懸念しているポイントはそこではない。なにより心配なのは、政治家とメディアの関係がすっかり狂ってしまっている現状だ あの応対は、記者を対等の人間と見なしていないどころか、記者をゴミ扱いにする振る舞い方 この政治家と記者の立場の非対称は、外務省記者クラブにおいてのみ観察されているものではない 菅官房長官を取り巻く官邸記者クラブの会見では、菅さんが特定の記者の質問を執拗に黙殺し続けるやりとりが定番化していて、しかもそれを誰一人としてとがめる者がいない 麻生財務大臣と彼にぶらさがっている記者とのやりとりも、とてもではないが対等な人間同士のやりとりには見えない 現政権において、閣僚が記者を愚弄するマナーは、着々と常態化しつつあるということで、今回の河野大臣のあの態度も、政権内で常識化しつつある、メディア敵視のトレンドに乗ったパフォーマンスだったということだ メディアはどうやら無力感にとらわれている NHKのニュース原稿 大臣の立場をフォローし、末尾を《質問そのものに応じない姿勢には批判が出ることも予想されます。》という文言で結んでいる 遠慮した書き方 震災以降、メディアによる政権監視の機能が弱体化しつつある傾向は明らかだと思う 次の質問を考える前に、私たちは、自分たちのこの国がどこに向かっているのかを問い直さなければならない。 答は、臆病風に吹かれている 「反省しておわび」をしたようだ 表面的なおわびに留まった
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人工知能(AI)(その7)(「AIで人間の仕事がなくなる?」の経済学的解明 第1回 全職種の作業をタスク分けしてみた、AIが奪う仕事 vs 少子化で減る人手 第2回 自動化と人口減少のマクロ経済学、契約理論でAIを「調教」「ドジっ子お掃除ロボット」は撲滅できるか) [イノベーション]

17日に続いて、人工知能(AI)(その7)(「AIで人間の仕事がなくなる?」の経済学的解明 第1回 全職種の作業をタスク分けしてみた、AIが奪う仕事 vs 少子化で減る人手 第2回 自動化と人口減少のマクロ経済学、契約理論でAIを「調教」「ドジっ子お掃除ロボット」は撲滅できるか)を取上げよう。

先ずは、エール大経済学部准教授の伊神 満氏が11月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「AIで人間の仕事がなくなる?」の経済学的解明 第1回 全職種の作業をタスク分けしてみた」を紹介しよう。なお、注などは省略した。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/102200249/110100004/?P=1
・『AI(人工知能)が仕事を奪う、世の中は大変なことになる――。AI技術の急速な発展が報じられる中で、世間では「ふわっとした」議論が繰り返され、「機械との競争」への漠然とした不安ばかりが煽られている。だが、本当にそうなのか。本コラムでは、世界最先端の経済学研究を手がかりに、名門・米エール大学経済学部で教鞭を執る伊神満准教授が「都市伝説」を理性的に検証する』、面白そうだ。
・『まずはじめに:連載コラム(全4回)の趣旨  人工知能(AI)については色々な人が色々なことを言っている。だが、よく分からない未来を語るにつけて、楽観論も悲観論も、ただ各人が「個人的に言いたいこと」を言っているだけのように見える。 となると、「AI技術は是か非か」「AI失業は起こるのか」「もはや人類の滅亡は時間の問題か」についての「結論」自体には、ほとんど何の意味もない。これだけ沢山の予想があれば、そのどれかは当たるだろうし、大半は外れるに決まっているからだ。 そんなことよりも、冷静な人たちが交わしている「それなりの確かさをもって言えそうなこと」に耳を傾け、吟味しよう。そしてあなた自身の身の振りかたについては、あくまで自分の頭で考えよう。でなければ、あなたという人間の「知能」と人生に、いったい何の意味があるだろうか。 このコラムは、経済学者である筆者が、9月中旬にカナダのトロント市で開催された第2回全米経済研究所(NBER)「人工知能の経済学」学会で行った研究発表と、そこで見聞きした世界を代表する経済学者たちによる最新の研究について、一般向けにまとめたものである』、こうしたテーマを取上げるNBERはさすがだ。
・『まずは、AIが「人間の経済活動にもたらす」影響を考えてみよう。連載コラムの前半にあたる第1回と第2回では、AIの「外側」の経済学の話をする。 AIやロボットは、これまで人力を必要としていた生産活動の「自動化」ととらえるのが一般的だ。そこで、AIの「外側」の経済学では、自動化技術の中身はさておき、それがもたらす経済活動へのインパクトを考察する(連載後半にあたる第3回と第4回では、AIの「内側」の経済学に触れる。この分類は、論点を整理するために筆者が独自に使っているものだ)。 今日紹介するのは、誰もが気になる「自分の仕事はなくなってしまうのか」という問いについての、興味深い実証プロジェクトだ』、どのように実証的に分析するのだろう。
・『仕事を1つひとつのタスクに分解してみよう  ミクロ実証的な1つのアプローチとしては、個々の職業を、その構成要素である各種「作業」レベルに分解して考えてみることができる。たとえば、大学教授という「職業」の人は、大きく分けて、 (A)研究 (B)教育 (C)雑用 という3種類の活動に時間を使う。そこでたとえば(B)の教育活動を、さらに (B1)授業内容の立案と作成 (B2)授業そのものの実施 (B3)宿題やテストによる学生の評価 (B4)大学院生の研究へのアドバイス ……のように分解し、さらに細かく具体的な「作業」をリストアップすることができる。そして、各「作業」(タスク)について、今後10年間でどのくらい自動化できそうか、その筋の専門家に点数をつけてもらおう。こういう点数を並べれば、「大学教授という職業が何パーセント自動化できそうか」を測る目安くらいにはなりそうだ。 感覚をつかんでもらうために、もう1つの例として「米国で大手監査法人に勤める会計士(専門分野は税務)」についても、業務内容をざっくりタスク分けしてみよう。 (W)税務申告書の作成 (X)税務申告書の確認 (Y)チームのマネジメント (Z)クライアントの獲得および関係構築 たとえば末端の仕事である(W)を詳しく見ていくと、 (W1)試算表の勘定科目(の管理コード)を整理して、ソフトに入力 (W2)税務上と会計上では費用・収益の認識が異なるので、違いを計算してソフトに入力 (W3)税控除や繰越欠損金が利用できるか否かを判断する といったタスクによって構成されている。もともとこの分野はコンピューターによる処理との相性が良い。だから(W1)や(W2)などはソフトの活用を前提としたタスク設計になっている。とはいえ、たとえば「交際費はその内容によって控除の可否が変化する」といった例外処理も多いため、完全自動化は難しいのだという。 この記事の読者も、ためしに自分の仕事のタスク構成を洗い出してみたらどうだろう。AIによる自動化が云々という話以外にも、何か新しい発見があるかもしれない。 こうした「自動化のしやすさ」を、世の中の多くの職業について数値化したのが、「機械学習と職業の変化」という論文である・・・といっても、今まさに進行中の研究だから、完成版が読めるのはまだ先になりそうだ。 この研究を発表したのは、米マサチューセッツ工科大学(МIT)のエリック・ブリニョルフソン教授だ。IT(情報技術)業界研究のベテランで、最近では『プラットフォームの経済学』(日経BP社)なども邦訳されている。彼自身も発表中に認めているように、数値結果そのものは、分析プロセスを少し変更しただけでも、ガラッと変わる。 たとえば、大学教授の仕事(B)教育について、具体的なタスクをいかに定義するのか、どこまで適切に細分化できるのか、本当にうまく自動化できるのか、大学教授であるはずの筆者にもよく分からない。 また、(B)教育を自動化した結果、大学教授というポストそのものが消滅してしまうのであれば、筆者は専業コラムニストに転職せざるを得ない。しかし逆に、これまで(B)に割いていた時間と体力を(A)研究に注げるようになるのであれば、願ったり叶ったりだ。 だから、たとえ「学者が科学的にたどりついた発見や数字」であっても、結論そのものには飛びつかない方がいい。当然、(自称)コンサルタントや(自称)天才プログラマーが適当にぶち上げている「未来予想」については、言うまでもない』、仕事をタスクに細分化して、タスクごとに「「自動化のしやすさ」を、世の中の多くの職業について数値化」するとは、確かに説得力がありそうな手法だ。
・『自動化しやすいタスクの8条件  ……というわけで、ブリニョルフソン教授らによる論文自体は未完成なのだが、理論的考察の大枠については、『サイエンス』誌上で「機械学習で何ができるのか? 労働需要への影響について」という短い記事を読むことができる。 その要点をまとめると、タスクを自動化するためには、8つの条件が必要だという(表1)。ちなみにこれは、スタンダードな「教師あり機械学習」、つまり回帰分析のようなデータ処理を主眼としたリストである。 表1:「自動化しやすいタスク」の8条件(1.「インプット」と「アウトプット」が、どちらも明確になっている。 2.インプットとアウトプットを正しく対応させたデジタルデータが、大量に存在する。 3.明確なゴールがあり、その達成度について明確なフィードバックがある。 4.長々とした論理展開や、いろいろな背景知識・一般常識にもとづく思考が、必要ない。 5.下した判断について、その理由や過程を詳しく説明する必要がない。 6.多少の誤差・間違いが許され、「正解」を理論的に証明する必要もない。 7.現象自体や「インプットとアウトプットの対応関係」が、時間の経過によってあまり変化しない。 8.物理的な作業における器用さや特殊技能が、必要ない。) このように機械学習の射程範囲をハッキリさせていくと、何でもかんでもうまく自動化できるとは限らないことが、浮き彫りになる。もちろん、機械が苦手とする「論理」や「証明」や「特殊技能」を、それではフツーの人間がどれくらい身につけているかというと、それは別問題だが……』、この「自動化しやすいタスク」の8条件を満たすタスクは、現実にはかなり限定されたものになりそうだ。
・『自動化の普及を左右する6つの「経済学的ファクター」  また、仮にあるタスクの「機械化が可能」になったとしても、それが現実世界で普及したり、人力による労働力への需要・賃金にインパクトを及ぼす過程は、実はけっこう複雑である。同『サイエンス』記事が指摘するとおり、技術的な問題の他に「経済学的なファクター」にも影響されるはずだ(表2)。 表2:関連する6つの経済学的なファクター(1.タスクの自動化のしやすさ(技術的な代替可能性)。 2.そのタスクの成果物への需要が、最終価格にどのくらい左右されるか(価格弾力性)。 3.複数タスク間の補完性。 4.そのタスクの成果物への需要が、消費者の所得にどのくらい左右されるか(所得弾力性)。 5.人間の働く意欲が、どのくらい賃金に左右されるか(労働供給の弾力性)。 6.ビジネス全体の構造が、どう変化するか(生産関数の変化)。 網羅的に列挙しようとするあまり、この表はやや抽象的にすぎる感もあるが、「総論」的な記事なので仕方あるまい。これらの経済学的コンセプトの詳細については、入門レベルの教科書に譲る・・・』、これは抽象的で経済学的過ぎる印象も受ける。
・『結論は全部スルーし、根拠とロジック「だけ」を吟味  さて、タスク分けの最新研究に話を戻すと、正直、経済学者の仕事としてはかなりベタな分析だし、「職業」や「作業」をどう整理するかによって「自動化のしやすさ」の数値は大きく変わってくる。また、そもそも「今後10年間における、個別タスクの自動化のしやすさ」についての技術的見解も、専門家の間ではかなり議論が分かれるだろう。 だから筆者から読者へのアドバイスとしては、「あなたの仕事が危ない!」風の議論や数字を見るときには、とにかく結論そのものはスルー(無視)しよう。こういう話題についての「結論」は、当たるか外れるか分からない株価の予想みたいなもので、つまらない。 そうではなくて、「何をどうやったら、そういう数字とメッセージが出てくるのか」という、前提条件や考え方のプロセスに(のみ)注目するのが、正しい大人の読み方だ。 ベタなミクロ実証研究から言えることは、このあたりが限界だ。次回は、思いっきりマクロな視点から俯瞰してみよう』、「結論は全部スルーし、根拠とロジック「だけ」を吟味」とは、我々素人にとっては有難いアドバイスだ。

この続きを、11月15日付け「AIが奪う仕事 vs 少子化で減る人手 第2回 自動化と人口減少のマクロ経済学」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/102200249/110600005/?P=1
・『「AIで仕事がなくなる」というストーリーを検証するために、前回は私たちの仕事を細かくタスク分けしてみた。その結果、各職業がどれくらい自動化できそうかの目安にはなりそうだが、数字自体は計算の前提次第でコロコロ変わってしまうので、あまり当てにならなそうだと分かった。 そういうベタなミクロ実証研究とは対照的に、今回は思いっきりマクロな視点から眺めてみよう』、なるほど。
・『自動化とは「資本」で「労働」を置き換えること  1国全体でどれくらいの労働力が必要とされるか(労働への需要)は、自ずと「自動化」の影響を受けることになるだろう。タスクの自動化が進んだとき、労働需要は増えるのだろうか、それとも減るのだろうか? 「自動化」は、コンピュータ・アルゴリズムやロボットという機械への「投資」によって可能になる。だから自動化とは、それらの投資の積み重ねである「資本」の働きによって、人力での「労働」を代替するものだと言える。こう頭を整理すれば、その先のロジックも見通しが立てやすい。 もしもマクロ経済学に触れたことのある読者がいたら、経済活動の生産面に注目したコンセプトである「生産関数」が、 アウトプット = 「労働インプット」と「資本インプット」の関数 という形で表現されていたことを思い出そう。1つひとつのタスクについて、あるいは企業について、「ミクロな生産関数」を考えることもできるし、ある地域や国全体について「マクロな生産関数」を考えることもある。 問題は、この「関数」がどんな形をしているかだ。生産関数のカタチ次第で、機械と人力のあいだの代替・補完関係や、ひいては「自動化が労働需要にもたらすインパクト」も変わってくる』、その通りだろう。
・『消える仕事 vs 新たな仕事  自動化によって労働力への需要がどのくらい増えるか、それとも減るかは、必ずしも自明ではない。 たとえば、エレベーターガール(エレベーター運転士)という仕事は、今でも時折デパートで目にすることはあるものの、基本的には「絶滅危惧種」だ。自動化の犠牲者とも言えるだろう。しかしその一方で、エレベーターの自動運転化によって生まれた仕事もある。「エレベーター運行システムの開発や管理」といった役割だ。 個々のタスクや職業が自動化されたときに「経済全体で労働需要が増えるか減るか」については、どれだけ熱心にエレベーターガールを観察していても、分からない。新たな仕事は同じデパート内ではなく、むしろエレベーター製造会社や運営会社の方で生まれているからだ。広い範囲における自動化のインパクトを知るには、その自動化技術が「奪う仕事」と「生む仕事」の両方を視野に入れねばならない』、エレベーターの例では、「奪う仕事」の方が「生む仕事」よりも圧倒的に多い筈だ。そうでなければ、代替が進まなかっただろう。
・『アメリカでは「消える仕事」の方が多かった  米マサチューセッツ工科大学(MIT)のダロン・アセモグル教授がカナダ・トロントで発表した論文「自動化と新タスク」・・・は、この「消える仕事と新たな仕事」という視点を重視し、独特なカタチをした生産関数を提案(=仮定)している。 そのようなマクロ経済モデルに即して、過去30年間のアメリカのデータを分析した結果、自動化(ここでは「工場への産業用ロボットの導入」のこと)によって生まれる仕事よりも、消える仕事のほうが多かった、と結論づけている。 もちろん、過去における「工業用ロボットの導入」と、未来における「AIによる各種タスクの自動化」の間には、分野や使途の違いも多いはずだ。過去のデータからそのまま未来を予測するのにも限界があるから、国と時代ごとの状況の違いを考慮した方がいいだろう』、「アメリカでは「消える仕事」の方が多かった」というのは納得できる話だ。
・『ドイツでは、ロボット導入後も人材の配置転換がうまくいった  実際、ドイツについて同様の分析をした別の論文「ロボットに適応する」・・・では、アメリカとは対照的な結果が報じられている。ドイツの場合は、ロボット導入後も、企業内での人員の配置転換がうまくいったらしい。 なお、これらのマクロ的な実証分析は、扱う対象やデータの性質上、因果関係の識別についてはツメが甘い傾向がある。だから、これらの研究によって「自動化が原因で、仕事が消える(または消えない)という結果が起こった」という因果関係が示された、と信じ込むのは早合点だ。 そうではなく、あくまで「過去30年間のアメリカのデータに見られた相関関係が、同時期のドイツのデータでは見られなかった」という程度にユルく理解しておく方が安全だろう。統計や計量経済学になじみのない読者のためにもう少しかみ砕いて言うと、「ロボットの導入」と「仕事の増減」のどちらが原因でどちらが結果かが厳密に証明されたわけではなく、単にそれらの2つの出来事がほぼ同時に起こったという意味だ』、「ドイツでは、ロボット導入後も人材の配置転換がうまくいった」というのは理解に苦しむ。もっとも「どちらが原因でどちらが結果かが厳密に証明されたわけでは」ないというのは、その通りかも知れない。「疑似相関」には気をつける必要がありそうだ。
・『少子化と労働需給  さて、未来の日本がアメリカとドイツ、どちらに近い展開になるのか、あるいは全然違う第3のパターンを示すのかは、分からない。だが、仮に工業用ロボットとAIが似たような技術革新である場合(そして仮に日本企業がドイツよりもアメリカに近い人事制度をとっている場合)には、AIの実用化が進むにつれ労働需要は減っていきそうである。 それでは、AIの商業利用などさっさと禁止してしまったほうがいいのだろうか? そして日本の労働者は、「AI先進国」であるアメリカと中国の企業が(日本に本格進出する前に)全面戦争に突入して共倒れしてくれることを、ただ神頼みするしかないのだろうか? しかし、ここで忘れてはいけないのは、人口問題である。 先に紹介した研究が扱ったのは、過去のアメリカとドイツ、すなわち、「国全体の人口が増加している局面」であった。人口が増加すると、だいたい労働力(労働の供給)も増える。だが、ひとたび将来に目を転じると、日本や韓国、それにドイツを筆頭に一部の欧米諸国も、すでに少子高齢化と人口減少のステージに突入している。 言いかえると、1国内に存在する労働力(労働供給)は、どの国でも減少傾向にある(ただし、アフリカの多くの国々を除く)』、具体的には次のようだ。
・『AI失業 vs 人口減少  ……ということは、AIによるタスク自動化によって労働需要が減る(可能性がある)一方で、人口の高齢化によって労働供給も(現実にすでに)減りつつあるわけだ。  片や、「AIで仕事がなくなる!」  片や、「高齢化で人手が足りない!」 これらは本当に、現代社会を悩ます2大マクロ問題となるのだろうか? 冷静に(ただしある程度ザックリ単純に)考えてみると、2つの悩みは両立し得ない。「自動化によって人手不足を補う」ことさえできれば、2大問題はどちらも解消し、一件落着となるかもしれない。 このような楽観的なシナリオを強調したのが、米グーグルのチーフエコノミストであるハル・ヴァリアン氏が発表した「自動化と生殖」(原題は「Automation vs Procreation」)という論文だ。まあ、AIを開発する企業に勤めている彼の立場を考えると、このような「ゆるふわ」風味の論文それ自体は、多少割り引いて読んだ方が賢明だろう。 しかし、「高齢化が進む国ほど、ロボットの開発と導入も盛んである」という別の研究もある。というか、日本はまさにその世界最前線にある国だ。だから私自身の意見としては、日本の企業や家庭(そしてもちろん政府)は、どんどん実験的な取り組みを進めるべきだと思う。 ……というわけで、AIが労働の需給にもたらすインパクトは、「消える職業」と「生まれる職業」、そして「人口減少スピード」の三つ巴のバランス次第ということだ』、その通りだろう。
・『私たちが本当に考えるべきこと  もちろん、たとえばエレベーターの「運転」と「管理」は別の職種であり、タスク構成も必要なスキルも異なる。だから、エレベーターガールが「エレベーター自動運転プログラムを設計する仕事」に、いきなり転職できるとは限らない。もう少し一般論として考えても、「無くなる仕事」と「新たな仕事」は、別物だ。 また自動化で「人余りになる仕事」と、人口減少で「人手不足になる仕事」にも、ズレがあるだろう。 となると、もし私たちが「AI失業」と「人口減少」について真面目に考えるのであれば、社会全体として重視すべきなのは、  ①仕事と人手の出会いを、業界・社会全体でスムーズにする工夫。  ⓶いまある人手でこなせるように、仕事のカタチを柔軟に変化させる工夫。 ③「新たな仕事」に柔軟に対応できるような、新スキル習得の場所と機会。 ④「人手不足の分野を狙って自動化を進める」ような、研究開発と企業活動。 ……といったポイントになる。 これらの前向きな方策について(特に④について)考える際には、前回と今回の議論のように「自動化技術」をブラックボックスとして外側から眺めているだけでは、ラチがあかない。 「自動化技術」そのものも、私たち人間が開発・運用してきたものなのだから、AIの「外側」の話はこれくらいにして、次回からはAIの「内側」に入っていくことにしよう』、①~④は確かに重視すべきなのだろう。

この続きの第三の、11月22日付け「「パチスロ必勝法」に学ぶ価格戦略 第3回 マーケティングは丸投げできる? AIの内側の経済学」については、リンク先は下記だが、ここでの紹介を省略する。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/102200249/111400006/

第四の、12月1日付け「契約理論でAIを「調教」「ドジっ子お掃除ロボット」は撲滅できるか」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/102200249/111900007/
・『「AI(人工知能)の内側の経済学」に踏み込んだ前回は、ビジネスにおける価格設定や広告戦略(いわゆるマーケティング関連のプロセス)をAIに丸投げする話をした。つづいて今回は、「AIを搭載した新製品」の中身について考えてみよう。AI開発、それはとても面白い「人間の営み」なのである』、どういうことなのだろう。
・『プロダクト(製品)イノベーションのためのAI技術  仕事の流れの一部を自動化すること、それは一種のプロセス・イノベーション(生産・販売活動のコストを下げること)であった。こんどは、プロダクト・イノベーションについて考えてみよう。プロセス・イノベーションが製造・販売の工程(プロセス)を改善するものであったのに対して、こちらは新たな製品(プロダクト)を開発・投入する話である。 たとえば、「AI技術でお米がおいしく炊ける」炊飯器。そういうキャッチコピーの家電製品は昔からあったが、一体どのあたりに「知性」が感じられるのか、よく分からなかった。しかし、ユーザーのその日の体調をセンサーで感知するのみならず、電子メールやSNSへの投稿内容までも細かくデータ分析してくれる炊飯器が登場したならば、どうだろうか。 メールの文章がどれくらい整っているか、乱れているか。友人の投稿内容に「いいね」するのか、しないのか。あなたの一挙手一投足をつぶさに観察することで、この炊飯器は「その日その時のあなたにとって最適な炊き加減」に自動調整してくれる。すなわち、あなたの「幸福を最大化」してくれる機械の登場である。これほどすごい機能が付けば、「AI搭載」の名に恥じない画期的な製品と言えよう(※フィクションです)』、例示は極端で不適切だ。たかが炊飯器にそこまで「観察」されたくない人も多いのではなかろうか。ただ、プロダクト・イノベーションに活躍しそうだというのは、その通りなのかも知れない。
・『囲碁・将棋AIや自動運転プログラムの「目的関数」  さて、こういう新製品をどうやって開発したらいいのだろう? 私たち人間は、AIもしくはロボットに何かしらの「目標」を与え、それを達成するような動作を期待する。こういう目標のことを経済学や工学では「目的関数」と呼び、「最適化問題」という数学的な問題設定に落とし込む。たとえば、上記の「炊飯器」ならば、ユーザーからの「おいしい」という評価を高めることが、明確な目的関数になるだろう。 目的関数 = 「やるべきこと」に応じたボーナス点 → 「これを最大化せよ」と命令  あるいは近年めざましい活躍をみせた囲碁や将棋をプレイするAIは、「ゲームに勝てる確率」を目的関数として、先を読みながら「次の一手」を探し出すように設計されている。その開発過程(数理モデルを構築し、関数形を調整し、シミュレーションとデータ分析を活用する)は、経済学的な実証研究のプロセスにかなり近い。 逆に、「やってはいけないこと」の違反度に応じて「罰点」を設定することもある。たとえば、無人運転車に搭載されるソフトには、「信号を無視したらマイナス100点」、「ネコをひいたらマイナス200点」、「通行人をひいたらマイナス5億点」みたいなペナルティーを設定しておくわけだ。 目的関数 = 「やってはいけないこと」に応じたペナルティー → 「これを最小化せよ」と命令  ところがロボットは、私たちが期待するような振る舞いを、実際にしてくれるとは限らない』、どうしてなのだろう。
・『ドジっ子ロボットには、お仕置きが必要だ  たとえばお掃除ロボット。部屋の床掃除を勝手にやってくれる掃除機は、すでにかなり普及している。筆者も1台持っている。ただしこのロボット、あまり融通が利かない。同じところをグルグル回ったり、段差にハマったり、電源コードを巻き込んでしまったりする。 また、「電池が切れるまでの間に掃除する床面積」を最大化するようプログラムされたロボットは、最短距離で移動しようとするときに、その動線上にあった家具を壊してしまうかもしれない。こういう問題が発生するのは、(人間が暗黙のうちに期待している)さまざまな「目的関数」や「制約条件」の全てを、(明示的に)インプットできるとは限らないからだ。与えられたタスクそのもの以外のファクター、つまり作業をとりまく環境や文脈というものが、お掃除ロボットにはのみ込めていない。 これが人間の「お掃除担当メイドさん」であれば、家具を壊したりしたら、ご主人様から叱られるかクビ。最悪の場合、損害賠償請求の訴訟を起こされてしまうかもしれない。そしてそれが分かっているからこそ、家具の扱い(などの、直接命じられてはいない事柄)にも注意を向けてくれる。 何か、うまい方法はないものだろうか?。 ご主人様 VS 代理人 (プリンシパル・エージェント問題) カナダ・トロント大学のギリアン・ハットフィールド氏が発表した「不完備契約とAIアラインメント」・・・という研究は、「ドジっ子ロボット」のような問題を、いちど抽象的なレベルで理論化してみよう、と提案している。 ミクロ経済学には、人間同士の利害の対立を整理するための知見がたくさんある。とりわけ契約理論と呼ばれる分野では、「ご主人様と代理人という異なる2者のあいだで利害をすり合わせて、望ましい結果を導くための契約方法を考える」という課題が研究されてきた。こういう場合の「主人」のことを英語でプリンシパル、「代理人」をエージェントと言うので、この課題は「プリンシパル・エージェント問題」と呼ばれている。 ハットフィールド氏いわく、「ユーザーとAI」の関係は、ちょうど契約理論における「ご主人様と代理人」の関係にあたるので、理論的でエレガントな解決策があるはずだ。ただし、この発表の討論者であるスタンフォード大学のポール・ミルグロム氏(発表者の元指導教授で、オークション関連の実務でも有名)からは、これら2つの問題には共通点もあるが相違点もある、という指摘がなされた。いわく、プリンシパル・エージェント問題の場合は、通常、代理人の側が「余計なこと」を気にしてしまうのが、問題の根っこにある』、「プリンシパル・エージェント問題」まで出てくるとは、さすが経済学者らしい。
・『お掃除ロボットは、雇われ社長の夢を見ない  たとえば、株主(=ご主人様)に雇われたはずの社長(=代理人)のケース。株主が望むのは、企業価値の最大化である。しかし、社長という人間の個人的な利害は、これと必ずしも一致しない。「全国制覇したい」とか、「大型M&Aで注目を集めたい」とか、「休日は家族とゆっくり過ごしたい」とか、「社員に嫌われたくない」といった個人的な野望や心理に、どうしても引きずられてしまう。 契約理論は、こうした状況に対する処方箋をあみ出してきた。たとえば、社長のサラリーの何割くらいを成果報酬式にすればいいのか、といった計算ができるようになった。 これに対して、「ドジっ子お掃除ロボット」の失敗例は、べつにロボット(=代理人)側に個人的な野心があるわけではない。単に、開発者あるいはユーザー(=ご主人様)の側が「部屋をキレイにせよ」という目的しかインプットしなかったのが問題である。もしも開発者またはユーザーが、「部屋をキレイにせよ」「ただし家具を壊してはならない」という追加条件をインプットすることができさえすれば、それで一件落着かもしれない。 企業の雇われ社長もお掃除ロボットも、おなじ「代理人」ではある。しかし契約理論は、代理人が人間であるがゆえに発生する問題を扱ってきたのに対し、AI・ロボットは「個人的な願望」を秘めていたりはしない。そういう点では、問題の本質が微妙に異なっている可能性がある。より緻密な研究が必要になりそうだ』、言われてみれば、通常のプリンシパル・エージェント問題とは大きく違うようだ。追加条件だけで済むのであれば、こんな回り道をす必要もなさそうだ。
・『AIが達成した「成果」ではなく、「開発プロセス」に注目しよう!  さて、トロントで9月に開催された「人工知能の経済学」学会について一般向けにお伝えしてきた本連載だが、今回で最終回である。いかがだっただろうか? 正直、「えっ、そんな事しか分かっていないの?」と拍子抜けされた方も、多いのではないだろうか。 しかし、研究の最前線というのは大体そんなものだ。不明なものや未解決な問題があるからこそ、そこに取り組む余地が残されている。そして、「世界最高の経済学者たち」(あるいは勝手にそのように自負している人たち)が集まった学会ですら、この程度のことしか判明していない。 むしろ、その事実にこそ着目してほしい。 経済学をキチンと理解している人は少ないし、AI関連技術をキチンと理解している人も少ない。ましてや、その両方をよく分かっている人というのは、本当にレアだ。それにもかかわらず(あるいは、そうであるがゆえに)、「AI」について得意げに解説し、個人的な願望にすぎないテキトーな「未来予想と解決策」を、あたかも「理の当然」かのように語るコメンテーターがあふれている。そのクオリティーは推して知るべし、である。「無知の知」から始めよう。 本連載の第1回には、「目新しい結論や、ショッキングな数字などは全部スルーして、何をどうやったらその主張にたどり着くのか、根拠とロジック(にのみ)注目するのが、正しい大人の姿勢だ」という話をした。それに呼応する形で、結びにあたって今回オススメしたいのは、
 +「AIが達成したとされる成果」については完全にスルーして、むしろ
 +「どういうアルゴリズム(計算手順)を使って」、そして、
 +「その開発者たちが、どのような試行錯誤のプロセスを経て」 現在のパフォーマンスに到達したのか……に注目することだ。
そういうニュースの読み方をしていけば、おのずと関連技術の原理的な部分にも詳しくなれるはずだし、背後にある基礎研究にも興味が湧いてくるだろう。いつまでもAIをブラックボックス扱いしていないで、開発者と開発プロセスに踏み込んでほしい。これはまた、ニュースの「書き手」や編集者にぜひお願いしたいことでもある。 ちまたでは「機械」として恐れられたり敬われたりしているものが、じつは研究者が四苦八苦して作った「人為」の産物であることも、改めてよく分かるだろう。AI開発ほど興味深い「人の営み」は、なかなかない。経済学の研究対象は、まだまだ尽きないようである』、「テキトーな「未来予想と解決策」」に騙されないようにとのアドバイスは心強い。「ちまたでは「機械」として恐れられたり敬われたりしているものが、じつは研究者が四苦八苦して作った「人為」の産物であることも、改めてよく分かるだろう」との指摘も実に参考になった。
タグ:人工知能 エレベーターガール 日経ビジネスオンライン (AI) 伊神 満 「「AIで人間の仕事がなくなる?」の経済学的解明 第1回 全職種の作業をタスク分けしてみた」 仕事を1つひとつのタスクに分解してみよう 自動化しやすいタスクの8条件 自動化の普及を左右する6つの「経済学的ファクター」 結論は全部スルーし、根拠とロジック「だけ」を吟味 「契約理論でAIを「調教」「ドジっ子お掃除ロボット」は撲滅できるか」 プロダクト(製品)イノベーションのためのAI技術 囲碁・将棋AIや自動運転プログラムの「目的関数」 ドジっ子ロボットには、お仕置きが必要だ プリンシパル・エージェント問題 お掃除ロボットは、雇われ社長の夢を見ない (その7)(「AIで人間の仕事がなくなる?」の経済学的解明 第1回 全職種の作業をタスク分けしてみた、AIが奪う仕事 vs 少子化で減る人手 第2回 自動化と人口減少のマクロ経済学、契約理論でAIを「調教」「ドジっ子お掃除ロボット」は撲滅できるか) エール大学経済学部 楽観論も悲観論も、ただ各人が「個人的に言いたいこと」を言っているだけのように見える 「AI技術は是か非か」「AI失業は起こるのか」「もはや人類の滅亡は時間の問題か」についての「結論」自体には、ほとんど何の意味もない 第2回全米経済研究所(NBER)「人工知能の経済学」学会で行った研究発表 AIが「人間の経済活動にもたらす」影響 「AIが奪う仕事 vs 少子化で減る人手 第2回 自動化と人口減少のマクロ経済学」 自動化とは「資本」で「労働」を置き換えること 消える仕事 vs 新たな仕事 エレベーターの自動運転化によって生まれた仕事もある。「エレベーター運行システムの開発や管理」といった役割 アメリカでは「消える仕事」の方が多かった ドイツでは、ロボット導入後も人材の配置転換がうまくいった 少子化と労働需給 AI失業 vs 人口減少 AIが労働の需給にもたらすインパクトは、「消える職業」と「生まれる職業」、そして「人口減少スピード」の三つ巴のバランス次第 私たちが本当に考えるべきこと ①仕事と人手の出会いを、業界・社会全体でスムーズにする工夫 ⓶いまある人手でこなせるように、仕事のカタチを柔軟に変化させる工夫 ③「新たな仕事」に柔軟に対応できるような、新スキル習得の場所と機会 ④「人手不足の分野を狙って自動化を進める」ような、研究開発と企業活動 「「パチスロ必勝法」に学ぶ価格戦略 第3回 マーケティングは丸投げできる? AIの内側の経済学」 「AI技術でお米がおいしく炊ける」炊飯器 「その日その時のあなたにとって最適な炊き加減」に自動調整してくれる。すなわち、あなたの「幸福を最大化」してくれる機械の登場 「部屋をキレイにせよ」「ただし家具を壊してはならない」という追加条件をインプットすることができさえすれば、それで一件落着かもしれない AIが達成した「成果」ではなく、「開発プロセス」に注目しよう! ちまたでは「機械」として恐れられたり敬われたりしているものが、じつは研究者が四苦八苦して作った「人為」の産物であることも、改めてよく分かるだろう 「AI」について得意げに解説し、個人的な願望にすぎないテキトーな「未来予想と解決策」を、あたかも「理の当然」かのように語るコメンテーターがあふれている
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今日、明日と更新を休むので、20日にご期待を!

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人工知能(AI)(その6)(「風が吹けば儲かるのは誰か」をAIが予測 記者の仕事がまた消える!?、圧倒的な不平等が世界にいずれ蔓延する理由 AIの能力が高まり 人類は2階層に分断する) [イノベーション]

人工知能(AI)については、10月25日に取上げた。今日は、(その6)(「風が吹けば儲かるのは誰か」をAIが予測 記者の仕事がまた消える!?、圧倒的な不平等が世界にいずれ蔓延する理由 AIの能力が高まり 人類は2階層に分断する)である。

先ずは、11月9日付け日経ビジネスオンライン「「風が吹けば儲かるのは誰か」をAIが予測 記者の仕事がまた消える!?」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/110800624/
・『企業ニュースは、すべて「風が吹けば(桶屋ならぬ)誰が儲かる?」で出来ていると思う。 たとえばフルタイムの共働き世帯が増えたことで、家事時間の短縮を実現する商品やサービスを世に送り出した企業が消費者の支持を獲得している・・・あるいは人口減少が進むにつれ、移動販売車が各地で快走している・・・。 企業ニュースを担当する記者は世間にどんな風が吹いているのかを感じ取り、その風がどんな企業にどんな形で影響するのか、企業はいかなる対応を考えているのかを取材して記事にする。それが業界の新しいトレンドの端緒となりうることを示したり、社会の「いま」を描くことにつながったりする。 だから寝ても覚めても「風が吹けば誰が儲かる?」を考え続けることが、記者にとっての最大の仕事。個人的に、そう信じてきた。 ところがどうも、この「記者最大の仕事」も近い将来、テクノロジーに取って代わられてしまうかもしれないらしい。経済ニュースを自然言語処理技術で解析し、上場企業の業績への影響を予測するサービスが11月、試験的に始まったのだ』、「企業ニュースは、すべて「風が吹けば(桶屋ならぬ)誰が儲かる?」で出来ていると思う」というのは、確かにその通りなのかも知れない。
・『10年分、30万本超の経済ニュース解析  提供するのはゼノデータ・ラボ(東京・渋谷)。公認会計士の関洋二郎社長(34)が2016年2月に設立したスタートアップで、金融情報を分析するAI(人工知能)の開発を手掛ける。すでに三菱UFJ銀行や帝国データバンクなど計9社から出資を受けている。 新サービス「xenoBrain」(ゼノブレイン)は米ダウ・ジョーンズの過去10年分、30万本超にわたる記事を解析して、経済ニュースの因果関係を可視化。さらに上場企業の決算短信や有価証券報告書の解析結果と組み合わせることで、経済にまつわる出来事があったとき、その前後にはどんな出来事が発生し、上場企業の業績がどのように変化するかを予測する。 実例をみてみよう。「小麦価格の上昇幅が、市場予測を上回りそう」。そんなニュース記事の見出しをクリックしてみる。ゼノブレインがモノの数秒で弾き出すのは、次のような可能性だ。 +キッコーマンや山崎製パンは営業減益へ +日野自動車や新日鉄住金は増収へ キッコーマンや山崎製パンはわかりやすい。小麦価格が高騰すれば、醤油やパンの原材料費がかさんで利益が削られてしまうからだ。ためしにキッコーマンの有価証券報告書(第101期)の「事業等のリスク」を参照してみると、たしかに小麦価格の上昇が業績に悪影響を及ぼすことが明記されている』、直接的な影響はAIに頼るまでもなく、簡単に分かる。
・『複数の因果関係をつないで見える化  では日野自動車や新日鉄住金に影響するのはなぜか。 それは小麦価格が上昇(A)すれば農家の収入が増え(B)、農家の収入が増えれば農機などを含んだトラックの需要が高まり(C)、トラック需要の高まりによって鋼材需要も上向くから(D)だ。 ニュース記事というのは、一つひとつは「AだからB」「BだからC」「CだからD」などと、シンプルな因果関係を伝えるものが多い。ゼノブレインの場合、大量の記事を解析することで、それら個別の因果関係をつなぎあわせ、最終的に「AだからD」という大きな流れを見えるようにしている。 関社長は「企業が公表している決算情報は『こういう事業環境だったから、こういう業績になった』という過去の結果を示している」と話す。だが、これを「経済ニュースの分析と組み合わせれば、将来的に業績がどう変わっていくのかまで予測できるようになる」(同)。 人間の力ではとてもカバーできなかった量の情報を解析すれば、これまで誰も気づかなかったような新たな業績の変動要因も発見することができるかもしれない。すでに三菱UFJ銀行のほか、「ひふみ投信」の運用などで知られるレオス・キャピタルワークスなど10社前後が導入を決めたという。 ゼノデータ・ラボの強みは金融機関出身者の多さにある。関社長は公認会計士として、大手監査法人でメーカーや小売企業などの財務監査に携わった経験をもつ。篠原廉和COO(最高執行責任者)も大手生保の株式投資部門出身。いわば経済ニュースや企業が公表する決算資料の解析作業のプロだ。 日本語の連なりを分析して、書かれている要素と要素の関わり合いを可視化するだけなら、他のスタートアップでもできる。だが独特の言い回しも多い経済ニュースでは「2つの事象に因果関係があるかどうかの判断が難しい。金融経験者が多いからこそ正しいアルゴリズムを組める」と関社長は話す。 ゼノデータ・ラボは2018年末をメドに、指定した企業の業績に影響しそうな経済ニュースを「逆引き」する機能も盛り込む予定。 「ゼノブレインを開いてみたら、我が社の増益につながりそうなニュースは過去3カ月で14本、反対に減益ニュースは8本だって……。どれどれ、どんなニュースがあるんだろう?」。そんな利用のスタイルが浸透すれば、経営戦略の立案を担当する社員が自社のリスクをあぶり出すのにも使えそうだ』、このプロジェクトが上手くいけば、確かに応用は無限広がるだろう。
・『記者はAIに代替されにくいはずだが……  「雇用の未来」で有名な英オックスフォード大のマイケル・オズボーン准教授らの研究をひくまでもなく、記者業は一般的に、AIに代替されにくい職業とされてきた。だが日本経済新聞社が決算短信のサマリー記事を自動執筆する取り組みを進めているように、記者がこれまで行ってきた仕事のすべてが残るわけではない。 AIに代替されない、人間にしかできない、本当に付加価値の高い仕事とは何だろう。この命題を考え続けることは、いい記事とは何かを追求することにもつながるといえるだろう。肝に銘じたい』、記者の仕事の本質を考え直して、AIに負けない「いい記事」づくりに励んでもらいたいものだ。

次に、11月26日付け東洋経済オンライン「圧倒的な不平等が世界にいずれ蔓延する理由 AIの能力が高まり、人類は2階層に分断する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/251207
・『世界中の知識人から賞賛を浴び、全世界で800万部を突破したベストセラー『サピエンス全史』。7万年の軌跡というこれまでにない壮大なスケールで人類史を描いたのが、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏だ。 現代を代表する知性が次に選んだテーマは、人類の未来像。近著『ホモ・デウス』で描いたのは、人類が「ホモ・サピエンス」から、遺伝子工学やAI(人工知能)というテクノロジーを武器に「神のヒト」としての「ホモ・デウス」(「デウス」はラテン語で「神」という意味)になるという物語だ。 ホモ・デウスの世界では「ごく一部のエリートと、AIによって無用になった『無用者階級』に分断し、かつてない格差社会が到来する」と警告するハラリ氏を直撃した。 本記事ではハラリ氏へのインタビューの一部を抜粋、全文は11月26日発売の『週刊東洋経済』の特集「データ階層社会あなたもAIに選別される」に掲載している・・・』、人類が「ホモ・デウス」になるとは、大きく振りかぶったものだ。
・『生命をつかさどる最も根源な法則を変えようとしている  ・・・この本を書いたのは、人類史上、最も重大な決断が今まさになされようとしていると考えたからだ。遺伝子工学やAIによって、私たちは今、創造主のような力を手にしつつある。人類は今まさに、生命を司る最も根源的な法則を変えようとしている。 40億年もの間、生命は自然淘汰の法則に支配されてきた。それが病原体であろうと、恐竜であろうと、40億年もの長きにわたって生命は自然淘汰の法則に従って進化してきた。しかし、このような自然淘汰の法則は近く、テクノロジーに道を明け渡す可能性が出てきている。 40億年に及ぶ自然淘汰と有機的進化の時代は終わりを告げ、人類が科学によって非有機的な生命体を創り出す時代が幕を開けようとしているのだ。 このような未来を可能にする科学者やエンジニアは、遺伝子やコンピュータについては知悉している。だが、自らの発明が世の中にどのような影響をもたらすかという倫理上の問題を理解できているとは限らない。 人類が賢い決断ができるように手助けするのが、歴史家や哲学者の責務だろう』、確かに倫理上の問題を解きほぐす歴史家や哲学者の役割は大きそうだ。そうしたものなしに科学者やエンジニアが暴走する事態だけは、避けたいものだ、
・『歴史を見ればわかるように、人類は新しいテクノロジーを生み出すことで力を獲得してきたが、その力を賢く使う術を知らない、ということが往々にしてあった。 たとえば、農業の発明によって人類は巨大な力を手に入れた。しかし、その力は一握りのエリートや貴族、聖職者らに独占され、農民の圧倒的大多数は狩猟採集を行って生きてきた祖先よりも劣悪な生活を強いられる羽目になった。 人類は力を手に入れる能力には長けていても、その力を使って幸福を生み出す能力には長けていない。なぜかといえば、複雑な心の動きは、物理や生命の法則ほど簡単には理解できないからだ。 石器時代に比べて人類が手にした力は何千倍にもなったのに私たちがそこまで幸福でないのには、こうした理由がある。 農業革命によって一握りのエリートは豊かになったが、人類の大部分は奴隷化された。遺伝子工学やAIの進化がこのような結果を招かないように、私たちはよくよく注意しなければならない』、「人類は力を手に入れる能力には長けていても、その力を使って幸福を生み出す能力には長けていない」というのは、言われてみればその通りなのかも知れない。ただ、「石器時代に比べて人類が手にした力は何千倍にもなったのに私たちがそこまで幸福でないのには、こうした理由がある」というのには、やや乱暴な議論だ。
・『「無用者階級」が生まれるかもしれない  (AIのような先端テクノロジーがもたらす人類の未来像とは) ホモ・サピエンス(人類)はかつて、動物の一種に過ぎなかった。人類が大人数で協力できるようになったのは、私たちに架空の物語を創り出す能力が備わっていたからだ。人類は大人数が協力することで、この世界の支配者となった。 そして今、人類はみずからを神のような存在に作り替えようとしている。(遺伝子工学やAIといったテクノロジーによって)創造主のような神聖なる力を、今まさに獲得しつつあるということだ。 人類はラテン語で「賢いヒト」を意味する「ホモ・サピエンス」から、「神のヒト」としての「ホモ・デウス」にみずからをアップグレードしつつある。 最悪のシナリオとしては、人類が生物学的に2つのカーストに分断されてしまう展開が考えられる。AIが人間の能力を上回る分野が増えるにつれ、何十億人もの人々が失業者となる恐れがある。こうした人々が経済的に無価値で政治的にも無力な「無用者階級」となる。 一方で、ごく一部のエリートがロボットやコンピュータを支配し、遺伝子工学を使って自らを「超人類」へとアップグレードさせていく可能性すら出てきている。 もちろん、これは絶対的な予言ではなく、あくまで可能性にすぎない。が、私たちはこのような危険性に気づき、これを阻止していく必要がある。 私が『ホモ・デウス』で論じた不平等とは、人類がこれまでに経験したものとは比べものにならない圧倒的な不平等だ』、「人類が大人数で協力できるようになったのは、私たちに架空の物語を創り出す能力が備わっていたからだ」というのは、面白い見方だ。「人類がこれまでに経験したものとは比べものにならない圧倒的な不平等だ」という予言は、不吉ではあるが、説得力があるだけに恐ろしい。科学者やエンジニアの暴走を食い止める歴史家や哲学者には、大いに奮闘して欲しいものだ。

なお、明日、明後日は都合により更新を休むので、木曜日にご期待を!
タグ:人工知能 東洋経済オンライン 日経ビジネスオンライン サピエンス全史 (AI) (その6)(「風が吹けば儲かるのは誰か」をAIが予測 記者の仕事がまた消える!?、圧倒的な不平等が世界にいずれ蔓延する理由 AIの能力が高まり 人類は2階層に分断する) 「「風が吹けば儲かるのは誰か」をAIが予測 記者の仕事がまた消える!?」 企業ニュースは、すべて「風が吹けば(桶屋ならぬ)誰が儲かる?」で出来ていると思う 経済ニュースを自然言語処理技術で解析し、上場企業の業績への影響を予測するサービスが11月、試験的に始まった ゼノデータ・ラボ 金融情報を分析するAI(人工知能)の開発を手掛ける ゼノブレイン 米ダウ・ジョーンズの過去10年分、30万本超にわたる記事を解析して、経済ニュースの因果関係を可視化。さらに上場企業の決算短信や有価証券報告書の解析結果と組み合わせることで、経済にまつわる出来事があったとき、その前後にはどんな出来事が発生し、上場企業の業績がどのように変化するかを予測する 複数の因果関係をつないで見える化 独特の言い回しも多い経済ニュースでは「2つの事象に因果関係があるかどうかの判断が難しい。金融経験者が多いからこそ正しいアルゴリズムを組める 指定した企業の業績に影響しそうな経済ニュースを「逆引き」する機能も盛り込む予定 記者はAIに代替されにくいはずだが…… 「圧倒的な不平等が世界にいずれ蔓延する理由 AIの能力が高まり、人類は2階層に分断する」 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏 人類が「ホモ・サピエンス」から、遺伝子工学やAI(人工知能)というテクノロジーを武器に「神のヒト」としての「ホモ・デウス」 ホモ・デウスの世界では「ごく一部のエリートと、AIによって無用になった『無用者階級』に分断し、かつてない格差社会が到来 人類は今まさに、生命を司る最も根源的な法則を変えようとしている 自然淘汰の法則は近く、テクノロジーに道を明け渡す可能性が出てきている このような未来を可能にする科学者やエンジニアは、遺伝子やコンピュータについては知悉 自らの発明が世の中にどのような影響をもたらすかという倫理上の問題を理解できているとは限らない 人類が賢い決断ができるように手助けするのが、歴史家や哲学者の責務だろう 人類は新しいテクノロジーを生み出すことで力を獲得してきたが、その力を賢く使う術を知らない、ということが往々にしてあった 人類は力を手に入れる能力には長けていても、その力を使って幸福を生み出す能力には長けていない 「無用者階級」が生まれるかもしれない 最悪のシナリオとしては、人類が生物学的に2つのカーストに分断されてしまう展開が考えられる 人々が経済的に無価値で政治的にも無力な「無用者階級」となる。 一方で、ごく一部のエリートがロボットやコンピュータを支配し、遺伝子工学を使って自らを「超人類」へとアップグレードさせていく可能性すら出てきている。 私が『ホモ・デウス』で論じた不平等とは、人類がこれまでに経験したものとは比べものにならない圧倒的な不平等だ
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安倍内閣の問題閣僚等(その7)(政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている 確信犯的なものから軽薄なだけの発言まで、片山大臣にさらなる疑惑 暴力団との“密接交際者”から事務所無償提供 秘書給与肩代わり、安倍政権を年明けも悩ます片山・桜田エラー 参院選へ向けた「時限爆弾」にも、次の質問どうぞ、河野外相「傲慢答弁」の波紋 しぼむ期待、「ポスト安倍」は石破氏が有利に) [国内政治]

安倍内閣の問題閣僚等については、9月11日に取上げた。今日は、(その7)(政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている 確信犯的なものから軽薄なだけの発言まで、片山大臣にさらなる疑惑 暴力団との“密接交際者”から事務所無償提供 秘書給与肩代わり、安倍政権を年明けも悩ます片山・桜田エラー 参院選へ向けた「時限爆弾」にも、次の質問どうぞ、河野外相「傲慢答弁」の波紋 しぼむ期待、「ポスト安倍」は石破氏が有利に)である。

先ずは、東洋大学教授の薬師寺 克行氏が11月21日付け東洋経済オンラインに寄稿した「政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている 確信犯的なものから軽薄なだけの発言まで」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/250433
・『一昔前の自民党政権では多くの議員が当選6回あたりになると「図らずも」閣僚に任命され、1年ほどの任期を「大過なく」全うしていた。担当する省庁の政策についての知見の有無など関係なかった。政治改革や政治主導の結果、そんな年功序列的人事は変わったと思っていたが、先日の安倍内閣の改造でどうやら復活したようだ。その結果、閣僚の失言が政治の大きな話題になっている。 サイバーセキュリティ問題担当相の桜田義孝氏が、なんのためらいもなく「自分でパソコンを打つことはない」と胸を張って答えたのであるから、問題になるのはやむを得ないことだろう。 サイバーセキュリティ担当相は政府のサイバーセキュリティ戦略本部副本部長を務めることになっている。この本部はサイバーセキュリティ戦略の立案と実施の推進、対策基準の作成や評価の実施などを担当しており、担当相の役割はかなり重い。 今やサイバーセキュリティは国家の安全保障にかかわる問題でもあり、年末に予定されている防衛大綱の見直しでも大きな柱の1つになっている。そんな重要な課題を、パソコンをいじったことのない人物が担うというのはそうとうおかしなことである』、この問題は海外のマスコミでも取上げられ、とんだ国辱となった。
・『池田勇人氏、経済原理を強調しすぎた(?)発言  政治家はしゃべることが仕事のようなもので、失言はつきものだ。そして、「図らずも任命された」結果、「大過」を免れることができなかった閣僚も数多い。しかし、政治家の失言を振り返ると、必ずしもその閣僚が見識を欠いていたためとは言い切れないケースも多い。時代とともに性格を変えてきた政治家の失言を振り返ってみる(以下、肩書は当時のもの)。 衆院の解散・総選挙につながった吉田茂首相(在任:1946~1954年)の「バカヤロー」発言はあまりにも有名だ。 池田勇人首相(在任:1960~1964)も閣僚時代に何度か失言して辞任に追い込まれている。 蔵相時代の1950年、国会で「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うという経済の原則に沿ったほうへ持って行きたい」と答弁し、翌日、「貧乏人は麦を食え」という見出しで報じられた。 通産相のときには「闇その他の、正常な経済原則によらぬことをやっている方がおられた場合、それが倒産し、倒産から思い余って自殺するようなことがあっても、お気の毒でございますが、やむをえないということははっきり申し上げます」と言い切ってしまった。 いずれも健全な市場経済が望ましいということを強調しているのだが、社会的弱者に対する配慮に欠けていた。結局、後者の発言で閣僚辞任に追い込まれてしまった。池田氏は「私は正直すぎたのだ。政治家になれない性質かもしれない」と語っている。 池田氏のような確信犯的な失言は少なくない。特にタカ派議員による共産党批判や戦前の植民地支配や侵略行為などを正当化する発言では、これが目立つ。 私の経験で最も強烈なのは、衆院予算委員長の浜田幸一氏だ。1988年2月、衆院予算委員会の終了間際に、共産党議員の質問を遮り委員長席から突然、「私は堂々と真実を言っている。宮本顕治君は人を殺した」などと共産党批判を展開した(宮本氏は当時、日本共産党議長)。委員会室が大混乱に陥ったのは言うまでもないが、翌日から国会全体がストップしてしまった。 浜田氏は数日間、国会に来ると委員長室に終日、閉じこもってしまった。野党が求める謝罪も辞任も拒否し続けた。最後は自民党の安倍晋太郎幹事長の説得に応じて辞任したが、その間、数十人の記者らに取り囲まれながら国会内を歩く浜田氏の形相には、人を寄せ付けないすさまじい迫力があった。幹事長の安倍氏でさえ「浜田氏には困った。どうしようもない」と頭を抱えていたことを覚えている』、こうした信念に基づいた失言は、「骨」がある証拠で、それなりに理解できる。
・『タカ派閣僚の問題発言、ハト派政権下で特に激化  自民党タカ派の代表的衆院議員だった奥野誠亮氏と藤尾正行氏も強面(こわもて)という意味では浜田氏に匹敵していた。 奥野氏は国土庁長官だった1988年5月、国会で「東京裁判は勝者が敗者に加えた懲罰だ」「あの当時、日本にはそういう(侵略の)意図はなかったと考えている」と発言して閣僚を辞任した。私も憲法問題を取材したとき奥野氏に「そういう考えを法匪(ほうひ)と言うんだ」と怒鳴られた経験がある。 藤尾氏も近寄りがたい空気を発散していた政治家だ。中曽根康弘内閣で文相を務めていた1986年、月刊誌のインタビューで、日韓併合について「韓国側にもいくらかの責任なり考えるべき点はあると思う」などと発言した。藤尾氏は首相官邸から辞表提出を求められたが拒み続けたため、中曽根首相は罷免に踏み切らざるをえなかった。 この3人のような場合、単なる失言というより思想的確信犯と言ったほうがいいだろう。 タカ派閣僚の問題発言は、1990年代半ばに村山富市政権などハト派政権が続くと頻度を増した。 羽田孜政権が発足した1994年5月、永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで太平洋戦争を「侵略戦争という定義づけは、今でも間違っていると思う」「戦争目的そのものは当時としては基本的に許される正当なものだった」と発言した。さらに「南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う」とも語った。さすがに大問題となり、就任後、わずか11日で辞任した。 村山政権になると、まず1994年8月に桜井新・環境庁長官が記者会見で「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかった」「あんまりなんか日本だけが圧倒的に悪いことをしたというような考え方で取り組むべきではない」と語り、やはり辞任した。 1995年の8月には島村宜伸文相が就任直後の記者会見で「(先の戦争が)侵略戦争じゃないかというのは、考え方の問題ですから、侵略のやり合いが戦争じゃないですか。(中略)これをいつまでもほじくってやっていることが果たして賢明なやり方なのかなと」と発言した。島村氏の場合、「就任時の説明は誤解を生じたのでこれを撤回する」という談話を公表し、辞任は免れた。 同じ1995年の11月には江藤隆美総務庁長官が記者とのオフレコの懇談で、「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」と発言した。これを韓国メディアが報じたことで、一気に外交問題に発展した。オフレコだったこともあり江藤氏は当初、発言を認めず辞任も拒否していたが、結局は辞めざるをえなかった。 問題になることを覚悟のうえで発言している奥野氏や藤尾氏に比べると、桜井氏や江藤氏は後先をあまり考えず言いたいことをつい言ってしまい、それが外交問題化して慌てて撤回したり、閣僚を辞任したという印象が否めない』、歴史問題については、いくら「骨」があっても、外交問題に発展しかねないだけに、やはり閣僚発言としてはマズイだろう。
・『2000年代には政治家の失言も一気に軽薄に  そして2000年代になると失言が一気に軽くなっていく。 森喜朗首相は、話し上手という特技が災いとなった。首相に就任して間もない2000年5月に神道政治連盟国会議員懇談会で「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国である」と語り、6月には総選挙の遊説先で有権者の投票態度について、「まだ投票先を決めていない人が40%ぐらいいる。そのまま選挙に関心がないといって寝てしまってくれれば、いいんですけれども、そうはいかない」と述べた。 いずれも聴衆へのリップサービスだったのだろうが、受け狙いでは済まない民主主義の根幹に触れる内容で、マスコミに厳しく批判された。 なぜか東日本大震災の復興を担当する閣僚の失言が続いた。 2011年7月3日に松本龍担当相が宮城県庁で知事と会ったとき、応接室で数分間、待たされたことに腹を立て「お客さんが来るときは、自分が入ってからお客さんを呼べ」と激怒。さらに記者団の前で、「九州の人間だから、何市がどこの県とかわからん」とか「知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持て」などと問題発言を連発し、あっさりと辞任した。 2017年4月には今村雅弘復興相が東日本大震災について「これはまだ東北で、あっちのほうだったからよかった。もっと首都圏に近かったりすると、莫大な甚大な被害があったと思う」と講演で発言し、やはり辞任した。 このほか第1次安倍内閣では、事務所費問題を追及されていた松岡利勝農水相が政治資金の使途を聞かれて答弁に窮し、「光熱水費には、何とか還元水とか、そういったようなものに使っています」と答弁した。「何とか還元水」は一時、流行語にもなった。一方、松岡氏はその後、議員宿舎で自殺した。 また久間章生防衛庁長官も講演で「原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという、頭の整理で今、しょうがないなというふうに思っている」と発言し、やはり辞任した。 これらに共通しているのは、ごく普通の一般市民でも発言しないであろう非常識な内容という点である。 では失言の質の変化は国会議員の質が低下していることを示しているのだろうか。必ずしもそうではないだろう。昔も今も不勉強で非常識な議員はいた。 しかし、冷戦時代の自民党と社会党など野党は、憲法改正や自衛隊などイデオロギー的な問題が戦闘正面だった。これらについて閣僚の発言に問題があると失言として取り上げ、政治的対決の材料としていた。 一方、政策に関する専門的な質問は、かつては閣僚に代わって各省幹部が政府委員として答弁していた。予算委員会では首相とともに外務省や大蔵省、防衛庁の局長が頻繁に答弁に立っていた。当然、失言は出てこないから、伴食大臣といえども揚げ足は取られないで済んだ。 ところが1990年代に政治主導が叫ばれると、国会審議での答弁も閣僚ら政治家が行うべきであるとして政府委員が廃止された。官僚が閣僚に代わって答弁したり、それを補うことが難しくなったため、小泉純一郎首相は能力のある政治家を一本釣りする組閣を行って話題になった』、確かに、最近の失言は、緊張感・世間の常識を欠いた「お粗末」としか言いようがないものが増えたようだ。
・『秦野章氏の政治家の本質を言い当てた発言  以後の首相も答弁能力のある議員を優先して閣僚に起用し、長く使うようになった。そうなると自民党内に当選回数を重ねたにもかかわらず入閣できない議員が増えていく。その数は数十人に上るといわれる。 彼らの不満は募り、放っておくと政権批判につながりかねない。安倍首相の今回の内閣改造は未入閣者を多く起用した点に特徴がある。つまり「図らずも任命された」大臣の復活だ。当然、まともに国会答弁できるのかというリスクを伴う。桜田氏の失言はその一端であり、後に続く閣僚が出ないとは言い切れないだろう。 最後にもう1つ、「失言」を紹介する。1983年10月、田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕され一審で有罪判決が出た後、田中氏を擁護する立場の秦野章法相が雑誌のインタビューに答えた発言だ。 「政治家に古典道徳の正直や清潔などの徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」 まったくの開き直りだが、政治家の本質をついているようで、思わずニヤリとしてしまう』、「在庫一掃内閣」である以上、新人閣僚の失言がある程度出ることは、安倍首相も覚悟していただろうが、それでもここまで酷いとは恐れ入る。それを徹底追及できない野党もだらしない。やれやれ。

次に、11月22日付けデイリー新潮「片山大臣にさらなる疑惑 暴力団との“密接交際者”から事務所無償提供、秘書給与肩代わり」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/11141700/?all=1
・『“国税への口利き”疑惑、収支報告書の記載漏れなどが取り沙汰される片山さつき地方創生大臣(59)に、新たな問題が。ヤクザと組み産廃処理場を乗っ取った人物を後援会会長に据え、その会長から事務所の無償提供を受け、秘書給与を肩代わりしてもらう“ヤミ献金”を受けていた疑いがあるのだ。 2013年に発足した片山大臣の後援会組織「山桜会(さんおうかい)」の会長は、宮城県で立体駐車場経営を行う企業のオーナーである。こちらの「山桜会」は記載漏れが指摘されている同名の資金管理団体とは別組織で、主に地方の企業経営者が集められ設立された。 その会長が暴力団と手を組み乗っ取ったのは、仙台市近郊にあった「竹の内産廃」。負債を抱えた建設会社から相談を持ちかけられた会長は、産廃部門を独立させ、自身が紹介した金融業者に所有権を移すよう建設会社に“助言”したという。 「それが騙しの手口で、竹の内産廃は乗っ取られてしまうのです」(関係者) 98年には、暴力団組長とグルになった会長が経営権を握ることに。以降、この産廃には不法な投棄が相次ぎ、致死量を上回る硫化水素ガスが検出されるなど社会問題化する。産廃の社長と暴力団組長の側近らが廃棄物処理法違反で04年に逮捕されるも、山桜会会長は捜査の手を免れた』、暴力団が乗っ取った産廃業者らしい悪質極まる行為だが、「山桜会会長は捜査の手を免れた」背後に片山議員の働きかけはなかったのだろうか。
・『そんないわくつきの後援会会長から、片山大臣は二つの“恩恵”を受けていた疑惑がある。ひとつは、会長が経営する会社の大阪支店に置かれた、片山大臣の「後援会事務所」をめぐるもの。ここには、3年ほど前に片山事務所に入ったという関西担当の女性秘書が詰めているが、片山大臣のどの収支報告書にも、山桜会会長の会社に対し家賃を支払っている記載がない。 「資金管理団体の事務所として機能し、そのうえで、その収支報告書に家賃が計上されていないのなら政治資金規正法違反です」(神戸学院大の上脇博之教授) また16年分の収支報告書を見ても、人件費として計上されている金額と片山事務所に籍を置く私設秘書の人数が一致しない。件の女性秘書の給与は、山桜会会長に肩代わりしてもらっている疑惑があるのだ。 週刊新潮の直撃取材に当の女性秘書は応じなかったが、その翌朝、大阪支店の郵便受けにあった「片山さつき後援会事務所」のシールが剥がされていた。 片山大臣は、「(大阪支店は)郵便物のみ受け取っていただいている単なる連絡先です。関西担当の秘書はボランティアで活動して頂いているため、給与は生じておりません」と説明するのだが……』、片山大臣と後援会会長の関係は、どうやらズブズブのようだ。片山大臣としては、疑惑に対する説明責任を果たしてもらいたい。

第三に、政治ジャーナリストの泉 宏氏が12月8日付け東洋経済オンラインに寄稿した「安倍政権を年明けも悩ます片山・桜田エラー 参院選へ向けた「時限爆弾」にも」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/254063
・『10日の臨時国会会期末を前に、外国人労働者の受け入れ拡大を目的とする出入国管理・難民認定法(入管難民法)改正をめぐって、野党は「生煮え」との批判を展開している。重要な改正法案審議での与野党激突の陰に隠れる形で、召集直後から「口利き疑惑」や「珍妙答弁」で集中砲火を浴び続けてきた片山さつき地方創生相と桜田義孝五輪担当相の「閣僚の資質」問題も"継続審議"となった。 10月下旬以来1カ月半余の臨時国会での与野党攻防で、終盤まで炎上し続けた「片山・桜田」劇場だが、「閣僚辞任という最悪の結末は避けられた」(自民国対)ことで、安倍晋三首相ら政府与党首脳は安どしているとされる。ただ、片山、桜田両氏の「強烈な個性」もあって、年明けからの通常国会でも疑惑拡大や不規則発言などで“再炎上”する可能性は大きい。来年は12年に1度の統一地方選と参院選が重なる「選挙イヤー」だけに、片山、桜田両氏の言動は「政権運営の時限爆弾」として、年明け以降も首相を悩ますことになりそうだ。 臨時国会序盤での「片山・桜田答弁の“ハチャメチャぶり”」(自民国対)に、与党内にも早期更迭論は浮上した。しかし、片山氏の「疑惑」への野党の追及は決定打に欠け、桜田氏の「お粗末極まる」答弁も致命傷にはならなかったことに加え、「年明けまで泳がせて、通常国会で攻撃を続けるほうが効果的」(立憲民主幹部)との野党側の思惑もあって、「いったん幕引き」(同)となったのが実情とされる』、野党は徹底追及を戦術的に先延ばしたらしいが、思惑通り通常国会で攻め切れるのだろうか。
・『窮余の名誉棄損訴訟でしのいだ片山氏  首相が「全員野球内閣」と胸を張った10月2日発足の第4次安倍改造内閣での唯一の女性で「目玉閣僚」として注目された片山氏だが、閣僚就任を狙い定めたような「文春砲」と呼ばれる『週刊文春』の暴露記事で、臨時国会直前から大炎上した。指摘された「国税庁口利きで100万円」という疑惑が事実なら、あっせん収賄にもなりかねない重大スキャンダルだったからだ。 しかも、文春が「振り込み要求」のコピーや当事者とのやり取りとされる「音声データ」も公開したことで、片山氏は就任早々「絶体絶命のピンチ」(自民国対)に追い込まれた。しかし、片山氏は記事内容を「まったくの虚偽」として、すかさず発行元の文芸春秋社を名誉棄損で提訴し、国会での追及にも「係争中」を理由に事実関係の説明を拒み続けた。 さらに、各週刊誌などが続報として相次いで取り上げた片山氏の政治資金収支報告書の記載漏れ問題も、片山氏は厚顔無恥ともみえる「謝罪する」「訂正した」の繰り返し答弁でしのぎ、野党側が「自前の追及材料を発掘できなかった」(自民国対)こともあって、決定的事態には至らないまま時間ばかりが経過した。 当初は与党内にも、「放置していると事態はより深刻化しかねない。早く(辞任で)決着をつけるべきだ」(自民国対)との声があったが、片山氏が直接担当する法案もなかったため、「国会混乱の責任」というお定まりの更迭理由もつけにくく、首相も任命権者だけに、「与えられた職務をしっかり果たしてもらいたい」と擁護せざるを得なかった』、名誉棄損での提訴は確かに当面、説明責任を逃れられるが、それはあくまで一時的な筈だ。
・『国辱との批判にも「有名になった」と桜田氏  一方、国会審議が始まってから、片山氏以上のお騒がせ閣僚となったのが桜田氏だ。参院審議で立憲民主の蓮舫副代表から五輪の基本理念などを聞かれても「頓珍漢な答弁」(蓮舫氏)を繰り返し、しかも、質問者の名前を「レンポ―さん」などと間違って失笑を買い、与党内からも「人の名前を正確に呼ぶのは人間の基本だ。注意してほしい」(斎藤鉄夫公明幹事長)など苦言が相次いだ。 桜田氏が五輪担当との兼務で所管することになった改正サイバーセキュリティ基本法の審議でも、桜田氏は「普段からパソコンは使用しない」「(USBメモリーは)穴を(に)入れるらしいが細かいことは分からない」などと平然として答弁し、世界各国のメデイアが「ありえない」「システムエラー」などと面白おかしく書き立て、野党側も「国辱だ」といきり立った。 しかし、桜田氏は「そんなに私の名前が世界に知られたのか。いいか悪いかは別として、有名になったんじゃないか」とどこ吹く風で、担当閣僚としての資質を問われても「いろんな能力を総結集して、ジャッジするのが私の仕事。判断力は、私は抜群だと思っている」などと開き直った。 さらに桜田氏は、今月改定の「防衛大綱」に絡む質疑でも、自らの所管と絡むサイバー空間での防衛力強化について「防衛に関することは国防省だ」と省名まで間違えて答弁して野党から「閣僚どころか政治家としての見識や資質に欠ける」(国民民主幹部)と攻め立てられ、民放テレビのワイドショーでも「失言・放言閣僚」として大きく取り上げられる状況が続いた。 ただ、「資質に欠けるかどうかは客観的な指標がない」(自民幹部)ことに加え、桜田氏所管のサイバー基本法も会期末前にすんなり成立したため、野党の追及も"尻切れトンボ”に終わった。 2012年暮れの第2次安倍政権発足以来、組閣・改造人事のたびに「問題閣僚」の追及で国会が混乱し、事態打開のための辞任・更迭劇が繰り返されてきた。とくに、2014年秋の臨時国会では、同年9月発足の第2次安倍改造内閣の人事で首相が抜擢した小渕優子経済産業相と松島みどり法相が、政治資金スキャンダルなどで就任から1カ月半余で辞任に追い込まれた経緯もある。このため、今回も永田町では「片山、桜田両氏も臨時国会中の辞任は避けられない」(閣僚経験者)との見方が少なくなかった。 しかし、臨時国会終盤の与野党攻防は、「事実上の移民法」とされる入管難民法が最大の対決案件となり、「片山・桜田劇場は観客の飽きもあって、優先順位が落ちた」(立憲民主幹部)のが実態だ。しかも、会期末直前までもつれ込んだ入管難民法をめぐる攻防も、有力紙のコラムで「お定まりの“激突ショー”」と揶揄されたように、「野党側にも本気度が欠けていた」(自民長老)ことで、片山・桜田問題の決着は年明け以降に持ち越しとなった。 ただ、片山氏の隠れ蓑となってきた名誉棄損訴訟は12月3日の第1回口頭弁論で文春側が争う姿勢を示し、年明けからの審理で「黒白がつけられる」(関係者)ことになった。片山氏側の泣き所とされる「音声データ」ついて、片山氏は「自分の声かどうか判断できない」などと同氏と大蔵省(現財務省)同期入省で、今春にセクハラ問題で辞任した福田淳一前財務事務次官の真似のような答弁をした。だが、今後の審理に絡んで声紋鑑定などで真偽が明らかになる可能性が大きい。 来年1月中旬から続開となる名誉棄損訴訟の審理の過程で、片山氏が国会で否定した「疑惑」が「事実」と認定されれば、一気に進退問題に発展することは避けられない。このため、首相にとっても、片山氏が「政権運営の時限爆弾」(自民長老)であることに変わりはないわけだ』、名誉棄損訴訟の審理の結果が、「時限爆弾」の爆発となることを期待したい。
・『参院選に向け、政権へのボディ―ブローにも  一方、桜田氏についても「まともに答弁できない」ことへの国民の不信感は根強いとされる。同氏の過去の「暴言・失言・迷言」もメディアの好餌となっており、与党内でも「通常国会での予算委審議は長丁場なので、官僚が作った答弁メモの棒読みだけでは乗り切れるはずがない」(自民国対)との指摘もある。 しかも、年明けには2020年東京五輪・パラリンピックの準備も大詰めを迎えるだけに、担当閣僚の桜田氏が国会対応に追われれば、「オールジャパンで進める準備作業の障害になる」(東京都幹部)ことも避けられない。 こうしてみると、「野党の腰砕けと、閣僚としての追及慣れもあって、臨時国会はなんとか逃げ切れた」(自民国対)とされる片山、桜田両氏だが、現状では来年の通常国会でも改めて野党の標的となり、国会混乱の火種となる可能性は否定できない。 首相周辺では「2人のお騒がせ大臣のおかげで、首相の泣き所の“もり・かけ疑惑”はほとんど追及されずに済んだ」(周辺)とほくそ笑む向きもあるが、与党内には「通常国会でもこんな状況が続けば、参院選に向けて安倍政権のボディブローになる」(自民幹部)との不安は隠せない』、片山氏は裁判結果が待っているが、桜田氏にももっと突っ込んで追求して、ボロを出させて欲しいものだ。“もり・かけ疑惑”も、野党にはもっと地道な調査で追及材料を掘り出してもらいたいものだ。

第四に、上記と同じ泉 宏氏が12月15日付け東洋経済オンラインに寄稿した「次の質問どうぞ、河野外相「傲慢答弁」の波紋 しぼむ期待、「ポスト安倍」は石破氏が有利に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/255447
・『「ポスト安倍」を目指すとされる河野太郎外相の記者会見での対応が、国会だけでなくメディアでも炎上している。 河野氏は2017年8月に外相に抜擢されて以来、超ハイペースの外国訪問と政界でも有数とされる語学力で、近い将来の総理総裁候補としての存在感をアピールしてきた。しかし、ここにきて、安倍晋三首相が早期合意への意欲をみなぎらせる日ロ交渉をめぐり、河野氏の国会答弁や記者会見での問答無用の態度が、「傲慢の極み」(立憲民主党)などと野党や一部メディアの批判にさらされている。 河野氏はもともと、自民党内の「異端児」として知られ、自らのブログ「ごまめの歯ぎしり」でも、政府与党の方針を厳しく批判することが多かった。しかし、外相に就任すると人が変わったように持論を封印したことで「大人になった」との評価も得た』、テレビのニュースで紹介された河野大臣の答弁は確かに「傲慢の極み」そのものだった。
・『党内外で噴出する外相批判  ただ、自民党の行政改革推進本部「無駄撲滅プロジェクト」の推進役だった河野氏が、国会質疑や外相記者会見で「無駄な質問には答えない」という、無駄嫌いの性格を丸出しにしたことで、党内外から「狭量で、トップリーダーとしての資質に欠ける」との批判が噴出した。来るべきポスト安倍レースへの障害ともなりかねない。 時ならぬ「河野批判」の発生源となったのが12月11日午後の外相定例会見だった。首相が意欲を示す北方領土返還と日ロ平和条約締結交渉にからめて、ロシア外相が「日本が第2次大戦の結果を認めることが第一歩だ」とけん制したことについて問われると、「次の質問どうぞ」とだけ返す回答を4回も繰り返した。業を煮やした記者団が「公の場での質問にそういう答弁をするのは適切ではない」と難詰しても、「交渉に向けての環境をしっかりと整えたい」と、表情も変えずにかわした。 世界に発信される外相会見だけに、外交交渉への影響を考慮するのも当然だが、「『答えられない』とさえ回答せずにスル―するのはほとんど例がない」(閣僚経験者)。それだけに、大手紙やテレビ、ネットで大きな話題となった。 ロシアとの平和条約交渉で交渉責任者を務める河野氏は、臨時国会の質疑でも首相と歩調を合わせる形で「(自らの発言が)交渉に影響を与えることが十分に考えられるので、政府の立場を申し上げるのを控える」などと繰り返し、野党から「説明拒否だ」と批判されていた。外務省記者クラブは11日夕、外相宛ての「国民に対する説明責任を果たしているのかどうか、疑問を禁じ得ない。誠実な会見対応を求める」とする異例の申入れ文書を提出し、河野氏が「神妙に受け止めます」とのコメントを出す騒ぎとなった。 近年、永田町では事あるごとに政治とメデイアの関係が話題となるが、「答えたくない質問は一切無視」という河野氏の対応は「極めてまれな事態で、国民の知る権利の軽視ともみえる」(外交評論家)との批判が相次ぐ。河野氏の後見人とされる当選同期の菅義偉官房長官は記者会見で「(河野氏のことには)コメントしない」とかわしたが、与党内にも「記者の背後には国民がいるのに、『答えないのは分かっているだろう』という態度は傲慢としか受け止められず、政府の外交交渉への国民不信も拡大させかねない」(外相経験者)との苦言が相次いでいる。 この「次の質問どうぞ」騒動の前日に閉幕した臨時国会では、「移民政策への大転換」ともみられる改正出入国管理法を与党が強引な手法で成立させた。野党から「具体的内容がまったくないスカスカの法律で、政府もまったく説明しない」(立憲民主幹部)と激しく批判されたばかり。それだけに、自民党内にも「時間をかけて議論し、野党だけでなく幅広く国民の理解を求めるという本来の民主主義のルールが軽視されている」(自民長老)との危機感が出ている』、今回の対ロシア交渉は、四島返還にこだわってきたこれまでの政府を、事実上の二島返還に一変させるものだけに、突っ込まれたくないという気持ちはそれなりに理解できるとはいえ、交渉当事者の大臣である以上、もっと丁寧な答弁をすべきだった。
・『持論を曲げない「自民党の変人」  河野氏は首相とも並ぶ政界でも有数の「政治家ファミリー」の一員。父親は外相や官房長官を歴任した河野洋平元衆院議長、祖父は河野一郎元建設相で、文字通りの「名門3代目の政界エリート」というわけだ。ただ、自民党を飛び出して新自由クラブを結成した若き日の父・洋平氏と同様、政界入り後は「持論を曲げず、独自行動をおそれない」という行動もあって「自民党の変人」とされてきた。 とくに、行政改革がライフワークで、自民党の「無駄撲滅プロジェクト」のリーダーとして各省庁の行政の実態に斬り込み、民主党政権下の「事業仕分け」の原点となった。ただ、自ら「無駄の典型」と縮減を要求してきた外務省の一部予算について、外相に就任すると「間違っていた」と姿勢を転換した。他の先進国や中国の外相のように有事即応で外交交渉に臨むために必要として外相専用機の購入を求めて反発を買う場面もあった。「まさに君子豹変」(自民若手)なわけだ。 一方、こうした変身が永田町では「政治家としての幅が広がった」と評価され、菅官房長官らが河野氏を「ポスト安倍の有力候補」と後押しすることにつながった。過去に総裁選出馬の経験をもつ河野氏も、外相就任以来、「いつかは総裁に挑戦する」と意欲を隠さない。河野氏は、父・洋平氏の側近だった麻生太郎副総理兼外相の率いる麻生派に所属しており、麻生氏は河野氏の政治資金パーティで「間違いなく将来が期待されるが、一般常識に欠けている」とあいさつ。「あなたがそれを言うか」(麻生派幹部)との爆笑が会場を包んだ一幕もあった。 ただ、首相に忖度したような最近の河野氏の言動に「ゴマすり専門の“ヒラメ政治家”のようで、幻滅した」(自民若手)との不信感も広がる。河野氏に期待してきたベテラン議員からも「小泉純一郎元首相の様に、変人を貫く潔さが人気の秘密だったのに、これでは単なる権力志向の政治家にしか見えない」(有力議員)との声が出始めている。 政界で河野氏は「超合理主義者」で知られている。「時間の無駄」「お金の無駄」などの理由で、政治家同士や省庁幹部との昼食時の打ち合わせなどでも「ほとんどハンバーガーで済ませていた」との伝説も残している。麻生氏の冗談もそこを突いたわけだが、そのこと自体が「旧来の自民党政治家らしくない河野氏の行動が、地元有権者だけでなく、多くの国民の期待につながってきた」(麻生派幹部)ことも事実だ。 首相が9月の自民党総裁選で3選を果たして以来、政界ではポスト安倍レースが大きな話題となっている。今回の騒動を受けて、「党内での河野氏に対する期待度も低下する」(竹下派幹部)との見方が広がる。政界関係者の間では「総裁選不出馬で『戦わない男』と評価を下げた岸田文雄政調会長のあとを追うように、河野氏への期待もしぼむ」(同)との声も出始めた。「このままでは、我が道を行く石破茂元幹事長がポスト安倍で相対的に有利になってくる」(石破派若手)との観測にもつながる』、私も河野氏には期待していただけに、大臣になってから、「ゴマすり専門の“ヒラメ政治家”のようで、幻滅した」は同感である。
・『日ロ交渉が河野氏の「災い」に  今年の新語・流行語大賞のトップテンの中で、政界関連で選ばれたのは「ご飯論法」だった。「朝ご飯を食べたか」との質問に「(パンを食べたのでご飯は)食べていない」とはぐらかすことで、「政治家が質問に対して論点をずらしたりごまかしたりする」ことへの揶揄でもある。外交の機微に触れることを聞かれて「次の質問どうぞ」とスルーする河野氏の応答ぶりは、河野氏自身がかねてから行政改革に絡めて情報公開の必要性を訴えてきたこともあり、「余計な質問は時間の無駄、という上から目線にしかみえない」(国民民主幹部)との批判は免れそうもない。 父・洋平氏は、河野氏の外相としての活動ぶりについて問われた際、「息子のことは一切論評したくない」と苦々しげに答えたとされる。今年の漢字に「災」が選ばれると、ネットでは流行語大賞の年間大賞となった「そだねー!」という書き込みがあふれた。その際、首相は「自分の今年の漢字」を問われると、従来の状況を一転させつつある自らの日ロ交渉に絡めて「転」を挙げたが、河野氏にとっては自身の「転」(姿勢転換)が、ポスト安倍レースでの「災」につながっているようにもみえる』、安倍の指示で事実上の二島返還交渉を主導させられる河野氏の立場は、まさに「災」だろう。
タグ:東洋経済オンライン デイリー新潮 薬師寺 克行 泉 宏 安倍内閣の問題閣僚等 (その7)(政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている 確信犯的なものから軽薄なだけの発言まで、片山大臣にさらなる疑惑 暴力団との“密接交際者”から事務所無償提供 秘書給与肩代わり、安倍政権を年明けも悩ます片山・桜田エラー 参院選へ向けた「時限爆弾」にも、次の質問どうぞ、河野外相「傲慢答弁」の波紋 しぼむ期待、「ポスト安倍」は石破氏が有利に) 「政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている 確信犯的なものから軽薄なだけの発言まで」 時代とともに性格を変えてきた政治家の失言 タカ派閣僚の問題発言、ハト派政権下で特に激化 2000年代には政治家の失言も一気に軽薄に 秦野章氏の政治家の本質を言い当てた発言 「政治家に古典道徳の正直や清潔などの徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」 「片山大臣にさらなる疑惑 暴力団との“密接交際者”から事務所無償提供、秘書給与肩代わり」 ヤクザと組み産廃処理場を乗っ取った人物を後援会会長に据え、その会長から事務所の無償提供を受け、秘書給与を肩代わりしてもらう“ヤミ献金”を受けていた疑い 山桜会 竹の内産廃 「安倍政権を年明けも悩ます片山・桜田エラー 参院選へ向けた「時限爆弾」にも」 窮余の名誉棄損訴訟でしのいだ片山氏 国辱との批判にも「有名になった」と桜田氏 参院選に向け、政権へのボディ―ブローにも もり・かけ疑惑 「次の質問どうぞ、河野外相「傲慢答弁」の波紋 しぼむ期待、「ポスト安倍」は石破氏が有利に」 河野氏の国会答弁や記者会見での問答無用の態度が、「傲慢の極み」(立憲民主党)などと野党や一部メディアの批判 党内外で噴出する外相批判 狭量で、トップリーダーとしての資質に欠ける」との批判 「次の質問どうぞ」とだけ返す回答を4回も繰り返した 『答えられない』とさえ回答せずにスル―するのはほとんど例がない 「自民党の変人」 首相に忖度したような最近の河野氏の言動に「ゴマすり専門の“ヒラメ政治家”のようで、幻滅した」(自民若手)との不信感も広がる 日ロ交渉が河野氏の「災い」に 事実上の二島返還交渉
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外国人労働者問題(その10)(外国人技能実習生「怪死」にチラつく“反社会的勢力”の影、「改正入管法」成立がこれまでの法案強行とは大違いな理由、改正入管法による外国人受け入れはブラック企業を延命させる) [経済政策]

外国人労働者問題については、12月5日に取上げた。今日は、(その10)(外国人技能実習生「怪死」にチラつく“反社会的勢力”の影、「改正入管法」成立がこれまでの法案強行とは大違いな理由、改正入管法による外国人受け入れはブラック企業を延命させる)である。

先ずは、12月15日付け日刊ゲンダイ「外国人技能実習生「怪死」にチラつく“反社会的勢力”の影」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/243746
・『今月8日に成立した改正入管法を巡り、早速、不穏な空気が漂ってきた。13日、立憲民主党などの野党議員らが、外国人労働者の就労についてヒアリングを実施。法務省が新たに提出した資料で、2010~17年に死亡した技能実習生が174人に上ることが判明したものの、不可解な死因が多すぎる。安倍首相は国会審議で、技能実習生が亡くなっていることについて「答えようがない」とスットボケたが、そんな開き直りは許されない。技能実習生の死を巡るナゾが解明されていないからだ。 「溺死が多い。不審死ではないか」――。13日のヒアリングに出席した議員からは、こんな指摘が相次いだ。 実際、法務省が提出した資料によると、174人中24人が溺死している。 中には、<海水浴場で遊泳中に死亡><同僚と海水浴中に潮に流され溺死><東日本大震災後、避難中に津波により溺死>など、事故とみられる事案もあるが、一方で、死亡した理由の分からない<溺死>は14件にも上る。この数字は、日本人の溺死者数と比較しても異常だ。 厚労省が毎年公表している「人口動態統計」によると、10~17年において、日本人の総死亡者数に対する<不慮の溺死及び溺水>の割合は、わずか0.6%。一方、法務省提出の資料に基づく同じ期間の技能実習生の<溺死>の割合は、13.8%である。 要するに、日本人の<溺死・溺水>よりも、技能実習生の<溺死>の割合がはるかに高く、野党議員らが技能実習生の溺死について「不審死じゃないか」といぶかって当然なのだ』、確かに異常に高い割合だ。
・『外国人労働者を守る労組を「海に沈める」と恫喝  加えて、驚いたのは、ヒアリングで技能実習制度の裏で暗躍する「反社会的勢力」の存在が指摘されたことである。 中部地方に工場のある国内大手電機メーカーが外国人3000人をクビにしたことに抗議している労働組合職員が、メーカーに外国人を斡旋した下請け企業から「海に沈めてやる」などとドーカツされたというのだ。この下請け企業は、派遣事業を手掛ける「ブローカー」として活動しているとみられる。 嫌がらせを受けた労組は先月末、ブローカー側を告発。本紙が入手した告発状によると、被告発人の1人は、労組関係者を名指しして「いつまで生きるんか」「ワレ! ナメトンノカ!」「入院したら見舞いに行かしてもらうでの、酸素マスク、イゴカシ(動かし)に」などと何度も電話で恐喝したという。さらに、告発状には、ブローカー側が<(労組が)手を引かないのであれば、会社組織とは異なる「うちの若い衆」「皆」(反社会的勢力)を行かせ、酸素マスクをつけざるを得ないような事態に追い詰めるという脅しを繰り返した>と書かれている。事情を知る関係者がこう言う。 「このブローカーは、一見すると反社会的勢力とつながっていない。しかし、何らかのトラブルが持ち上がると、反社会的勢力が“ケツモチ”になっているとほのめかしているようです。こうした悪質なブローカーが外国人の労働派遣事業を仕切っているせいで、まともな会社が参入できないといいます」 大手企業の下請けで反社会的勢力が絡んでいる可能性が高いというだけでも驚きだが、ドーカツされたのは労組にとどまらないという。 「長時間労働や賃金に対して不満を言う外国人がいると、彼らの母国語を話せる日系人の“半グレ”を雇って脅しているようなのです」(野党関係者) 外国人の労働現場にチラつく反社会的勢力の影と技能実習生らの「怪死」――。このままウヤムヤにしてはダメだ』、技能実習生をめぐる闇は相当深そうだ。こんな悪質なブローカーは直ちに締め出すべきだろう。

次に、立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏が12月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「改正入管法」成立がこれまでの法案強行とは大違いな理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188021
・『単純労働分野での外国人労働者の受け入れを認める「改正出入国管理法」が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決した。今国会での、「改正入管法」の審議時間は、衆参両院の法務委員会で合計38時間にとどまった。例えば「安全保障法制」の時に衆参両院で合計216時間の審議を行ったことなどと比べると、安倍政権下の重要法案の審議の中でも、非常に短い審議時間だった。 「改正入管法」は、日本の入国管理政策を大転換させるだけでなく、社会そのものを大きく変える可能性があり、その重要性は「安保法制」と変わらない。だが、安倍晋三政権は、新しい制度の詳細な設計は、関係省庁で法律成立後に行い、国会審議が必要ない「政省令」として定めるという』、ここまで政省令に委任する法律というのも、恐らく前代未聞だろう。
・『安倍政権の重要法案「無修正」成立は野党が招いてきた  この連載では、安倍政権の重要法案の審議について、主に野党側の姿勢を批判してきた。安倍首相「一強」の政権運営が批判されているが、それは現在の野党側の政治家が若手だった頃に中心となって推進してきた、1990-2000年代の政治・行政改革による首相官邸機能強化の成果だからだ。(本連載第115回(上)・P.3)。 英国流の議会制民主主義「交代可能な独裁」の実現を望んだのは、野党側である。あえて皮肉たっぷりにいえば、それを安倍首相が実行していることは、批判すべきことではなく、自らの成果と誇るべきである。野党側は、安倍首相が在任中になにを決めようとも、選挙に勝って政権を奪い、すべてひっくり返せばいい。そういう制度設計をしたのは、当時、改革に消極的だった自民党よりも、野党側だったのだ(第115回(上)・P.2)。 一方、この連載では安倍政権の重要法案が、さまざまな問題を抱えたまま「無修正」で成立してしまうことも問題だと批判してきた(第189回)。例えば、「テロ等準備罪(共謀罪)法」の審議では、この法律で処罰対象となる277の犯罪が決められたが、そのうち「テロに関する罪」は110しかなかった。国民の大多数が、これに不安を思っていたのは明らかだった。だが、それらは1つも削られることがなく、法律は成立してしまった(第160回)。 この責任は、反対一辺倒で、法案を廃案に追い込む国会戦術をとった野党側にある。国政選挙5連勝によって、衆参両院で圧倒的多数を誇る安倍政権が提出した法案が成立することには「民主的正統性」があり、当然である。廃案に追い込むというのは、現実的ではない。 野党は、国会の外をデモが取り囲んでいるから法案を撤回しろというが、おかしなことだ。デモに出ている人たちの「声」は大きいが、日本の大多数が同じ考えだとは限らない。むしろ、安倍政権の長期間に渡って安定した内閣支持率をみると、「声の小さな」静かな人たちこそ、「サイレント・マジョリティ」なのではないだろうか(第162回)。 少なくとも、「声の大きい人たち」が多数派と客観的に判断できないのだから、選挙に勝って多数派を形成している政権の意思が通るべきだ。デモを優先しろというのは、「立憲主義を守る」とは真逆であり、むしろ「議会制民主主義」を冒涜するものだと思う(第158回)』、確かに野党にも一端の責任はあるが、多数派を形成すれば何をやってもいいというのは「数の暴力」だ。選挙でマニュフェストに掲げた政策を実行するのではなく、その他の飛んでもない法案まで委任されたというのは暴論だ。
・『白紙委任で通せという安倍政権は「交代可能な独裁」の許容範囲を超えた  だが、今回の改正出入国管理法案の国会審議は、これまでの安倍政権の重要法案の審議とは、全く異っているのではないだろうか。これまで野党は、国会審議で一貫して「リスク」の存在を主張してきた。「特定秘密法」や「テロ等準備罪(共謀罪)法」には、ジャーナリストや民間人の弾圧につながるリスクがあった。「安保法制」には日本が戦争に巻き込まれるリスクや、憲法改正から軍拡路線につながるリスクがあった。 今年成立した、「働き方改革」には長時間労働、過労死を増加させるリスクがある。「IR推進法」でギャンブル依存症を増やすリスクがある。野党は、これらのリスクがゼロでなければ、なにも変えてはならないと主張してきた(第189回)。 だが、安倍政権は、野党の追及にしどろもどろになりながらも、答弁を続けた。野党の主張は理解を得られず、安倍政権への一定の支持につながっていた。戦後「平和国家」であることを謳歌できた時代であれば、野党の主張も理解できた。だが、現在は北朝鮮の核ミサイル開発や中国の海洋進出が国民の懸念となり、ドナルド・トランプ米大統領は「アメリカファースト(米国第一主義)」を標榜し、「世界の警察をやめる」と言っている(第181回・P.4)。日本が自らの国を守る備えをする必要があるのは間違いない(第180回)。 また、世界中に広がるテロの脅威から、日本が無縁でいられるわけがない。なんらかのテロ対策が必要なのは言うまでもない。そして、グローバルな競争が激化する中、働き方の多様化や外国のお金を日本に引き込むことで競争力を強化することも必要だ。 要は、リスクがあるから何もしない、リスクがなくなるまで新しい政策の実行を認めないというのは、厳しい国際情勢が許さない。そして、さまざまなリスクがあっても、必要な政策には取り組むという姿勢を、安倍政権は一応見せてきた。それは、コアな左派支持者を除けば、国民に一定の理解を得られてきたのだろう。 だが、今回の「改正入管法」の国会審議では、安倍政権の姿勢が明らかに変化した。中身を詰めた法案を出してくるのではなく、細部は法律成立後に政省令で定めると説明し、中身のない法案を提出したのだ。そして、野党がなにを質問しても、政権側は「検討中」と繰り返し答えた。これまでのような、しどろもどろでも答弁しようとする姿勢すら捨てたのだ。安倍政権に「白紙委任せよ」と求めるに等しいもので、さすがにこれは、「交代可能な独裁」の許容範囲を超えてしまったのではないか』、最後の部分に関しては、その通りだ。
・『中身のない改正入管法の白紙委任は「保守派」と「業界団体」の板挟みが生んだ  なぜ、安倍政権は「改正入管法」の成立をこれほどまでに急いだのだろうか。メディアの指摘では、来年7月の参院選での支持拡大のために、人手不足に悩む建設や介護といった業界団体や地方の要望に応えたいからだという。 だが、選挙対策以上の、難しい理由があるように思う。「改正入管法」と、これまでの安倍政権の重要政策の違いは、野党に反対されるだけではなく、安倍政権のコアな支持層である「保守派」からも批判されていることだ(第144回)。 「改正入管法」は、これまでのように野党の厳しい追及に対して、しどろもどろの答弁をしていると、保守派から突き上げを受けて自民党内で議員たちが動揺し始める懸念がある。ただでさえ、「安倍政権の左傾化」と、保守派の不満が高まっている(第197回・P.5) 安倍首相は、参院選を控え、党内の動揺は絶対に避けたい。自民党総裁選で思いのほか石破茂氏に票が流れた時、首相は「真摯に受け止めて」、側近の甘利明氏を選対委員長に、加藤勝信氏を総務会長に起用し、参院選に向けて党内や地方組織から二度と批判が出ないように厳しく引き締める体制をとった(第194回)。「白紙委任」の法案を出して、国会での審議を行わず、速攻で通したことも同じ考えだろう。野党よりも保守派から批判が出てくることを避けたかったのだ。 要するに、「改正入管法」は、自民党の支持層である業界団体や地方の要望に応えたものである一方で、同じく自民党の支持層である保守派の反発を受ける可能性があるという、これまでの重要法案にない難しさを抱えている。それに加えて、来年7月での参院選の勝利という時間的な厳しさがある。その難題に対する安倍政権の「解」が、「白紙委任」の法案を即座に通してしまうという、粗っぽい国会運営だったといえる』、「野党よりも保守派から批判が出てくることを避けたかったのだ」というのは、今回の乱暴な国会運営の謎を見事に解き明かしている。
・『外国人技能実習生の人権問題が白日の下に 自民党は曖昧な妥協をするのが難しくなった  この連載では、「全体主義」「共産主義」など他の政治体制にはなく「民主主義」だけが持つ「凄み」を論じてきた。それは端的に言えば、さまざまな政治・行政の間違いや、混乱が国民にオープンであることによって、そこから学び、修正できることである(第198回)。 もはや「交代可能な独裁」さえも逸脱してしまった安倍政権の国会運営だが、「民主主義の凄み」が発揮されていないわけではない。「改正入管法」の国会審議や、それを報じるマスメディアを通じて、単純労働者の外国人を受け入れるには、さまざまな問題があることを、国民が知ることになったからだ。 例えば、上久保ゼミの学生が2年前から研究し、批判をしてきた「外国人技能実習生」の人権侵害の問題だ(第197回)。この問題は、2年前にはほとんど世の中に顧みられなかった。だが、今国会の攻防を通じて、国民が広く知ることになったことは大きい。 特に、法務省の資料を通じて、外国人技能実習生は、2015~17年の3年間に69人が死亡し、そのうち6人が自殺し、殺害された人も4人いたことが判明したことは、国民に衝撃的な事実として受け止められた。 繰り返すが、今後「改正入管法」の細部については、各省庁で内容が詰められて、政省令として定められることになる。おそらく安倍政権は、各省庁での検討に自民党政調会の「族議員」を絡めて、実際に外国人の単純労働者を雇用することになる中小企業などの意向を吸い上げていくつもりだっただろう。 例えば、菅義偉官房長官は、「外国人労働者の賃金を日本人並みにする」と発言している。しかし、そういう検討事項は、各省庁・自民党政調会の間で曖昧に決められていくはずだった。中小企業は人手不足に悩んでいても、経営を圧迫する「日本人並み」の賃金など、外国人に払いたくないからだ。 そもそも、「日本人並みの賃金」とは、どういう水準の賃金を指すのか全く不明だ。おそらく、中小企業が自民党政調会に陳情すれば、「日本人並みの賃金」の解釈は曖昧になり、さまざまな特例が設けられ、結果として「日本人の給与を下げていく」方向に向かうはずだ。それで外国人と日本人の給与水準は同じだということになる。そういう曖昧な妥協を積み重ねていくことで、中小企業の票を確保し、保守派の不満を和らげるつもりだったはずだ。 しかし、外国人技能実習生の人権問題など、さまざまな問題を国民が知ったことで、今後各省庁や自民党政調会での政省令の検討に対して、国民の厳しい視線が向けられることになるだろう。 日本国民が「民主主義の凄み」を発揮して、外国人単純労働者の人権を守る制度が構築されるよう、安倍政権を厳しくチェックすることを望みたい。そうでなければ、中国、韓国、台湾などとの人材獲得競争に敗れて、日本には思ったほど外国人単純労働者は来てくれないことになる(第197回・P.4)』、「日本国民が「民主主義の凄み」を発揮」したことなどあっただろうか。すぐに忘れ去られてしまうのがオチだ。政治学教授の割には、甘い期待に逃げ込んだ印象だ。
・『「移民政策」は「国家百年の計」として考えるべき  少子高齢化の進行による人口減少問題の「標準療法」は、「移民を入れる」という政策以外にありえない。それは確かに、ある種のリスクを伴うものだが、それ以外の治療法はないと考えた方がいい。 移民を入れたくない保守派などは、いろいろな理屈をこねて、移民は必要ないという。だが、それらはすべて「非標準療法」でしかなく、現実的ではないものである。例えば、保守派は少子化を解決するには、日本伝統の「家族」を復活させるべきだという。しかし、それは「キノコを飲めばガンが治る」という類の「迷信」だということだ(第189回)。 安倍首相が、「移民政策」であることが明らかなものを「移民政策ではない」と強弁し、外国人労働者を「単純労働力」としかみなさず、人権を保障しない上に、家族の定住も認めないような制度を作り、外国人労働者受け入れどころか、「外国人排斥」のイメージを世界中に打ち出して、結局誰も日本に来なかったということになってはならない。そうなれば、日本は間違いなく衰退する。「国家百年の計」を誤らないよう、すべての政治家、すべての日本国民に求めたい』、「人口減少問題の「標準療法」は、「移民を入れる」という政策以外にありえない」とまで断言しているが、私はそうは思わない。どちらかといえば、第三の記事に近いが、労働力不足はAIなどにより長期的には解消する可能性があるし、短期的にも省力化投資や産業構造の変革で乗り切ってゆくべきと考える。「日本伝統の「家族」を復活」などという極端な批判ではなく、もっとまともな批判にも答えてもらいたかった。

第三に、経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が12月12日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「改正入管法による外国人受け入れはブラック企業を延命させる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188173
・『労働者ではなく「移民」として受け入れたい  外国人労働者を受け入れる枠組みとなる入国管理・難民認定法の改正案が12月8日に成立した。国会審議の過程では政府側に多くの不手際があったし、つたないながらも野党はこれを批判してそれなりの話題にはなったが、与党側が押し切って法案を成立させた。 審議は率直に言ってかなりお粗末なものだったから、「拙速」「強引」などいくらでも批判は可能だが、現実に法案は成立した。そして、早くも来年の4月から施行される。政府・与党としては、ともかく急ぐ必要があるとの判断を持っていたのだろう。 しかし、「人手不足なのだから、外国人労働者が必要なのは当然だ」という説は、「議論するまでもなく当然」なのだろうか。 国民にあっては、一人ひとりが異なる意見を持っていておかしくない。外国人を広く受け入れて日本に定着してもらうといいという意見もあれば、日本には外国人をあまり増やさない方がいいという意見もあるだろう。 政府は、高齢者や女性も働くことを期待しているのだし、ロボットやAIなどの技術の発達を促したいのではないのか。加えて、インフレ目標達成のためには賃金の上昇が必要だし、賃金上昇への特効薬は低失業率であり、それは企業の側から見ると「人手不足」の状態ではないのか。 筆者は、個人的には外国人移民受け入れ賛成の立場に立つが(多様な人がいるほうが面白そうではないか!)、反対側の立論がさまざまに可能であることが予想できるし、それぞれの議論に反論することが簡単だとも思わない。 一方、今回の改正入管法でどうしても気に入らない点が1つある。それは、日本に受け入れる外国人を単なる「労働力」として扱っているようにしか思えないことだ。 外国人の受け入れは国民の合意に基づくペースであってもいいが、彼らを家族の帯同も許さずに一時的な就労の後に帰国させることを前提とする「一時的で安価な労働者」として扱うのでは非人道的であり、国として品性下劣に思える。 日本に来ることを望む外国人を受け入れるなら、日本に家族も含めて定着してもらって我が国の社会に多様性をもたらす「移民」として受け入れることとして、その上でどのような条件の人を、どれだけ受け入れられるかを検討したい。 安倍晋三首相は、今回の法案は「移民」の受け入れではないと言っているのだが、意図するところが分からない。外国人を単なる「労働力」として受け入れるよりも、きちんと「移民」として受け入れる方がずっとまともな国であり、社会でもあると思う。 もちろん、年金や健康保険などの社会保障制度、日本語や職業などの教育施設などを整備しつつ、対応可能な範囲で責任を持って受け入れるのだ』、「個人的には外国人移民受け入れ賛成の立場に立つ」というのは私とは考え方が異なるが、受け入れる場合には、「きちんと「移民」として受け入れる」というのはその通りだ。
・『改正入管法はブラック企業延命策だ  今回の特定入管法の改正状況を見ると、端的に言って、「特定技能1号」と認定した「ある程度の日本語ができる外国人労働者」を、一時的に(最長5年で)使い回すことができるような枠組みを作って、人手不足がある分野に都合よく供給したいと思っているようにしか見えない。 家族の帯同と、無期限の滞在が可能な「特定技能2号」については、枠組みを作るだけで、判定条件もどの業界が受け入れるのかも当面検討されていない。 悪名高い技能実習生(最長5年)を、労働力として延長して使う方便が必要だと判断したのかもしれないが、ずいぶん露骨な進め方だ。 働ける期間に制限がある点で、彼らの身の上は日本人の非正規労働者よりも条件が悪い。改正入管法が今後生み出す「特定技能1号」の外国人労働者は、外国人留学生のアルバイトよりも余計に働けるが、日本人の非正規労働者よりも条件が悪い「非正規の下」的な労働力供給源となる可能性がある。 国会における政府側の答弁では、外国人労働者の賃金が日本人労働者よりも低くならないようにすると言っているのだが、そのチェック方法も違反を抑制する具体的な手段も提示されていない。外国人と日本人の労働の成果をどう評価し、外国人の賃金が同等以下でないことを判断するのだろうか。 加えて、仮に外国人労働者の賃金が、同等の労働を提供する日本人よりも安くない(同じあるいはより高くなる)ように保つとしても、労働力の供給が増えるのだから、日本人労働者の賃金に対して下方圧力が増すのは当然の理屈だ。雇い主は、労働者を十分採用できる範囲において、日本人に対しても外国人に対しても賃金を下げることができる。 外国人労働者が利用可能ではない方が、日本人労働者の賃金はより上がりやすくなる。この理屈は動かしがたい。特定技能1号の外国人労働者と競合する日本人労働者は怒ってもいい。 低賃金が十分に改善されていない業界・企業に特定技能第1号の外国人を使わせることは、低賃金で労働者をこき使うビジネスモデルのいわゆる「ブラック企業」を蘇生、あるいは延命させることにつながりかねない』、正論で、同意できる。
・『インフレ・賃金と外国人労働者  建設、介護、小売り、飲食など多くの分野で、経営者たちは確かに人手不足を実感しているだろう。この場合、彼らが第一に考えるべきことは、労働者に支払う賃金を引き上げることだ。 少々、書生論的だが理屈を言うと、例えば銀行員が余って介護職員が足りない場合、後者の賃金が上昇して、銀行員から介護職への労働者の移動が起こることによって産業間の労働需給は調整されるはずだし、介護の労働の価値が経済的により高く評価される。 もちろん、ある分野の労働者が、賃金が高くなったからといってすぐに別の分野で働けるわけではないのだが、賃金の変動に全く影響がないわけではない。賃金の上昇以前に、外国人労働者を入れて、賃金上昇が阻害されるのでは、その分野で既に働いている労働者がかわいそうだ。 もちろん、政府のやることに対して直接口を出すことはないだろうが、「2%」のインフレ目標達成に向けて賃金が上昇することが望ましい日銀としても、改正入管法が労働市場と賃金の動向に今後どう影響するかについては気を揉んでいるだろう。 要するに、賃金の十分な上昇がない状態で、特定技能1号の外国人労働者を人手不足解消の足しになるほど大量に受け入れることは時期尚早だ。また、外国人は人間らしい条件で受け入れるべきであり、つまりは特定技能2号に相当する人の定義と受け入れ数、受け入れ条件こそを先に検討すべきなのだ。 低賃金の外国人労働者を使いたがる企業や、そうした外国人労働者をディールして儲けようとする人材ブローカーのビジネスへのサービスを考えるのは、後回しにするべきだ』、説得力があり、その通りだろう。
・『歯止めがない法律の不安  今回の改正入管法は、過剰に融通無碍である。『読売新聞』の記事(12月9日朝刊2面「制度の功罪検証必要」。政治部次長・東武雄氏の署名)のカウントによると、今回の改正法の条文には「法務省令で定める」との文言が約30あるという。 一般的な心配を言うと、内容に歯止めがないザル法で何が起こるか心配だということになる。一方、非現実的なくらい好意的に言うなら、政府の判断で素晴らしい運用がなされる可能性がないとは言えない。率直に言うなら、今後国会で審議される法律が、このような「ゆるゆる」のものでないことを願いたい。 例えば、受け入れ業種と人数も決まっていないし、受け入れ停止の条件も決っていない。関係分野を担当する役所が「必要とされる人材は確保された」と認めた場合、法務省に対して在留資格認定証明書の交付停止を求める手続きを取ることになっている(形式上は所管大臣から法務大臣に手続きを取る)』、森友・加計問題で、中央省庁に対する信頼感が地に落ちたなかで、彼らに一任する法律は危険極まりない。
・『チェックとコントロールが重要  外国人を「労働力」としてしか見ていないことが分かる粗末な仕組みだ。仮に、ある業種で大量の外国人を受け入れた場合、自治体などの負担がどうなるのか、社会保険への影響はどうなのか、さらには在留資格が切れた場合に出身国に送還できるのかなど、多くの心配が残る。 関係業界の労働者や自治体などにとっては、「多く入り過ぎ」が心配だろうし、原理的には「少な過ぎ」も起こり得る。 技能や日本語の試験の実施要領も決まっていないし、合否の基準も、基準を設定する考え方も未定だ。 また、「日本人と同等以上の給与」と首相は言ったが、それをどうチェックして、どのように担保するのかも未定だし、仮に「同等以上の給与」が実現しても、経済原理的には日本人労働者の給与に対する下押し、あるいは上昇抑制要因になることは前述の通りだ。 いずれも重要な問題だが、具体的には役所同士で決めることになる。今回のように馬鹿馬鹿しいやり取りであっても国会で審議されると、まだしも問題が国民の耳目に入りやすいが、国民がこれらの問題をチェックしコントロールすることはなかなか難しい。しかし、あきらめずに状況を把握し続ける事が重要だろう』、最後のまとめは、やはり「甘い期待」にならざるを得ないのだろうが、筆者の「苦しさ」がにじみ出てくるようだ。
タグ:日刊ゲンダイ ブローカー ダイヤモンド・オンライン 外国人労働者問題 山崎 元 上久保誠人 (その10)(外国人技能実習生「怪死」にチラつく“反社会的勢力”の影、「改正入管法」成立がこれまでの法案強行とは大違いな理由、改正入管法による外国人受け入れはブラック企業を延命させる) 「外国人技能実習生「怪死」にチラつく“反社会的勢力”の影」 2010~17年に死亡した技能実習生が174人に上ることが判明 174人中24人が溺死 事故とみられる事案もあるが、一方で、死亡した理由の分からない<溺死>は14件にも上る 日本人の総死亡者数に対する<不慮の溺死及び溺水>の割合は、わずか0.6%。一方、法務省提出の資料に基づく同じ期間の技能実習生の<溺死>の割合は、13.8%である 外国人労働者を守る労組を「海に沈める」と恫喝 技能実習制度の裏で暗躍する「反社会的勢力」の存在が指摘 何らかのトラブルが持ち上がると、反社会的勢力が“ケツモチ”になっているとほのめかしているようです 長時間労働や賃金に対して不満を言う外国人がいると、彼らの母国語を話せる日系人の“半グレ”を雇って脅しているようなのです 「「改正入管法」成立がこれまでの法案強行とは大違いな理由」 「改正入管法」の審議時間は、衆参両院の法務委員会で合計38時間にとどまった 重要法案の審議の中でも、非常に短い審議時間 度の詳細な設計は、関係省庁で法律成立後に行い、国会審議が必要ない「政省令」として定める 白紙委任で通せという安倍政権は「交代可能な独裁」の許容範囲を超えた 中身のない改正入管法の白紙委任は「保守派」と「業界団体」の板挟みが生んだ 外国人技能実習生の人権問題が白日の下に 「移民政策」は「国家百年の計」として考えるべき 「改正入管法による外国人受け入れはブラック企業を延命させる」 労働者ではなく「移民」として受け入れたい 日本に受け入れる外国人を単なる「労働力」として扱っているようにしか思えないことだ 外国人を単なる「労働力」として受け入れるよりも、きちんと「移民」として受け入れる方がずっとまともな国であり、社会でもあると思う 改正入管法はブラック企業延命策だ インフレ・賃金と外国人労働者 外国人労働者を入れて、賃金上昇が阻害されるのでは、その分野で既に働いている労働者がかわいそうだ 特定技能1号の外国人労働者を人手不足解消の足しになるほど大量に受け入れることは時期尚早だ 外国人は人間らしい条件で受け入れるべきであり、つまりは特定技能2号に相当する人の定義と受け入れ数、受け入れ条件こそを先に検討すべき 歯止めがない法律の不安 チェックとコントロールが重要
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鉄道(その5)(小田嶋氏:命名責任からランナウェイしたあの駅名、本の紹介:世界版「高輪ゲートウェイ」の残念すぎる末路 「ニューパワー」を利用するとき最もダメなこととは?) [社会]

鉄道については、11月7日に取上げた。今日は、山手線新駅名決定を踏まえて、(その5)(小田嶋氏:命名責任からランナウェイしたあの駅名、本の紹介:世界版「高輪ゲートウェイ」の残念すぎる末路 「ニューパワー」を利用するとき最もダメなこととは?)である。なお、新駅名に対する撤回運動も起きているようだが、これはもっと明確な形になれば、改めて取上げるつもりである。

先ずは、コラムニストの小田嶋 隆氏が12月7日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「命名責任からランナウェイしたあの駅名」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/120600169/?P=1
・『田町と品川の間に設置されることになる山手線の新駅の名称が「高輪ゲートウェイ」に決まった。 はしごをはずされた印象を抱いた人が多いはずだ。私もその一人だ。拍子抜けしたというのか、毒気を抜かれたというのか、正直な話、どう反応して良いものなのか、困惑している。 件の新駅については、今年の6月から駅名が一般公募されていたのだそうだ。結果は、1位が「高輪」で8398件、2位が「芝浦」の4265件、3位の「芝浜」が3497件、以下10位まで「新品川」&「泉岳寺」(2422)、「新高輪」(1275)、「港南」(1224)、「高輪泉岳寺」(1009)、「JR泉岳寺」(749)、「品田」(635)となっている。 で、結果的に選ばれることになった「高輪ゲートウェイ」には36件の応募が寄せられたのだという。ちなみにこの応募件数は、順位としては130位に相当する。 個人的には、1位から10位までのどの名前でも特段に問題はなかったと思っている。 細かいことを言えばそれぞれ一長一短はある。ツッコミどころも相応にある。そういう意味では、万人を満足させる駅名は無いといえば無い。 ただ、山手線の駅のような公共的な施設の名称は、多くの人々が許容できるものであればOKなわけで、その意味からして、少なくとも公募件数のベスト3に上がってきている駅名を選んでおけば大過はなかったはずだ。 にもかかわらずJR東日本(以下JR東)は、「高輪ゲートウェイ」を選んだ。……と、たったいま「選んだ」という動詞を使ってはみたものの、実は、私自身、彼らがこの名前を「選んだ」のだとは思っていない。 選ぶも何も、彼らの目にははじめからほかの選択肢は見えていなかったのだろうと考えている。 というのも、公募という手順を経た以上、あえてランキング130位の名前を選ばなければならない必然性はなかったはずだからだ。 逆に言えば、新名称を選択する立場にある人々がはじめから100位以下の不人気名称を選ぶような選考基準を共有していたのだとすれば、そもそも公募を実施する必要がなかったということでもある。 もっといえば、私は、「高輪ゲートウェイ」という珍奇な(というよりも、あらかじめ特定の意図を持った人間でなければ発案することが不可能であるような)名前を応募した人間が36人もいたこと自体、「仕込み」だったのではなかろうかと疑っている』、言われてみれば、「仕込み」説も大いにありそうな話だ。
・『では、どうしてJR東の偉い人たちは、はじめから結果を尊重するつもりもないのに、わざわざ公募という手段に打って出たのであろうか。 ここから先は私の憶測だが、おそらく、駅名を決定する権限と責任を持っている人々は、その一方で新駅の名称を、自分たちの責任において名付けることから逃避したかったのだと思う。だから、彼らは「公募」に逃げた。 こうしておけば、自分たちが一方的に上から決めたのではなくて、「広くご利用客の皆様のご意見をうかがったうえで総合的な見地から判断して」新名称を決定するに至ったという外形を整えることができるからだ。 もっとも、逃避であれ責任回避であれ、公募の結果を尊重するのであればそれはそれで間違ってはいない。 自分たちだけの決定権ですべてを決めてかかる責任の重さを自覚して、広く公論を求める選択肢を選んだのはひとつの見識だし、立派な態度でさえあると思う。 ところが、彼らは、責任から逃避した一方で、権限は手放さなかった。 すなわち、公募を介して広く一般の意見に耳を傾けるがごときポーズをとってはみせたものの、その実、公募の結果はまるで尊重せずに、命名権に関しては自分たちの権限を100%押し通して、はじめから決まっていたヒモ付きの名前を持ち出してきたわけだ。 結果として、彼らは、オープンな議論を求めているかのごとき態度を装ったがゆえに、かえって決定過程が極めてクローズドであることを内外にアピールしてしまった。しかも、一見民主的に見える決定過程を演出した結果、彼らは、自分たちの一押しにしている新駅名が、独断専横の結晶であることをあまねく露呈してしまってもいる。 実に致命的な顛末だと思う』、「彼らは、責任から逃避した一方で、権限は手放さなかった」、「新駅名が、独断専横の結晶」などというのは、ズバリ今回の問題の本質を突いているようだ。
・『もっとも、私は、「高輪ゲートウェイ」という名前を撤回してほしいと思っているわけではない。腹を立てているのでもない。名前そのものについては、正直なところ、どうでも良いとさえ思っている。 ただ、「公募」という手順なり手法を舐めてかかった人々に対して一言釘を刺しておきたいと思ったまでだ。 名前は決まってしまった。 新駅の名称は、いずれ「高輪ゲートウェイ(笑)」みたいな形でのんべんだらりと定着していくことだろう。でなければ「高輪ゲートウェイ?」みたいな尻上がりの発音で人々の口の端にのぼることになるはずだ。いずれにせよ、この名前を発案した人々は、沿線住民や乗降客が自分たちが決定したこの駅名を、皮肉をこめたアクセントで吐き捨てているのを聞かされる度に、永遠に居心地の悪い気持ちを味わい続けることになる。それはそれで、起こってしまった事態にふさわしい結末なのだと思う。誰も、命名責任から逃れることはできない。さらに彼らは、公募をないがしろにした責任からも永遠に逃れられないだろう』、手厳しい批判だ。
・『「じゃあ、19日の集合場所は高輪ゲータレードな」「ゲータレードってなんだよ」「直訳するとワニ汁。意訳してワニジュース」「ココロは?」「ごめん。言ってみたかっただけ」「とすると品川はブロードウェイって感じか?」「いや、ブロードウェイは中野。品川は折り返し点という意味でミッドウェイかな」「で、蒲田がガダルカナルで大森あたりがインパールか?」「五反田はゲッタウェイだな」「五反田で地団駄踏んだんだ式のライムに乗っかりきれない点で永遠のアウェイでもある」「でもって、恵比寿がゴーイングマイウェイで渋谷はウェイウェイと」 駅名は乗客のものだ。 いずれ、人々が自分の呼びやすい名前を見つけ出すまでの間「ゲートウェイ」は、「ゲロウェ」だとか「ゲーウェ」といったあたりの勝手口周辺をさまようことになるはずだ』、確かにそんなものかも知れない。
・『高輪や品川周辺で再開発やら不動産ブームやらをたくらんでいるデベロッパーの先生方が具体的にどんなつもりでゲートウェイ構想を吹き散らかしているのかはわたくしどもの考慮の外だ。が、彼らが何を目論んでいようと、この先「ゲートウェイ」なる単語が、半笑いの嘲弄とともに都民に玩弄される近未来は、すでに決定してしまっている。その意味で、高輪の未来はうすら明るいと思う』、デベロッパーにとっては、ゲートウェイはイメージがいいのかも知れない。ただ、私には「うすら明るい」の意味が理解できなかった。
・『ひとつ気になるのは、今回のネーミングをめぐるSNS上の大喜利の中で、 「ま、名前の出来不出来はともかくとして、現にこうやってバズってるわけだからJR東としては大成功なんじゃないか?」という感じの一歩引いた見方が一定の支持を集めている点だ。 思うに、今回の名称決定に関して公募がないがしろにされたことは、その結果に対してこの種の「ギョーカイっぽい」ものの見方が蔓延していることと無縁ではない。 わかりにくい言い方だったかもしれない。 私が言いたいのはこういうことだ。 つまり、公募に応じてくれた人々の声を単なる踏み台として利用して恥じない人々の「大衆観」と、炎上気味のネーミングを掲げて注目度を獲得したことを「成功」ととらえる人々が抱いている「大衆観」は、どちらも、大衆を「愚民」と決めつけているという点で共通している。 彼らは、「大衆」を「受動的な」な、「どんなに利用しても決して使い減りのしない」「まるで傷つくことのない」「愚か」で「学習能力のない」「メディアの持っていき方次第でどうにでも操作可能な」「水槽の中のメダカみたいに」「個体識別が不可能なほど互いに似通っている」「まるで個性のない」「愚か」な人々だと考えている。 そして、その愚民蔑視の思想を推し進めた結果が、「ほら、あの公募とかいうヤツをカマしておけば、一応みなさまのご意見はうかがいました的なイクスキューズになるんじゃね?」「いいね山田くん。牛乳からチーズを生み出すのが酵母なら米を酒に変えるのも酵母なわけで、ひとつ公募の力を借りてわれわれの決定過程をプロクシ化しておこうじゃないか」てな調子で安易な公募案件を大量生産しており、同じ愚民観が、今度はその公募の結果を「愚民の自業自得」という「他人事」として、揶揄冷笑のあげくに受容せしめている。このクローズドサーキットにはまるで破綻がない。つまり、自分以外の大衆を愚民だと思っている大衆は、自分の陥っている苦境を上から嘲笑する分裂を獲得しつつ、永遠に抵抗不能だったりするのである。 愚民思想とは、大衆を愚民視する思想を指す言葉だが、同時に実態としては愚民自身が陥りがちな境地でもある。ということはつまり、愚民とは、愚民を冷笑している当の本人を指す言葉なのであって、結局のところわれわれは、「大衆」を蔑視することによって、どこまでも愚民化している。なんということだろう』、「愚民」についての深い考察は、確かに我々も耳が痛い。
・『この種の「大衆を舐めた」態度がどこから生まれたのかをさかのぼって考える度に、いつも私は「広告」に行き着く。 勘違いしてもらっては困るのだが、私は、「広告」業界や「広告」の存在が人々を愚民思想に駆り立てていると決めつけたいのではない。広告に携わる人間が人々を愚民視していると思っているのでもない。 ただ、あるタイプの人々が「広告的」であると考えているものの見方には、明らかな大衆蔑視の思想が含まれていて、その彼らが持ち出してくる凶悪な「広告的言辞」が、21世紀の世相を毒しているということは、この際申し上げておかねばならないと思っている。 具体例をあげれば、マンションポエムと呼ばれるものを大量生産している人々の仕事ぶりがそれにあたる』、マンションポエムとは、マンション広告にちりばめられたキャッチコピーらしい。
・『彼らは、「オレはこういうのが好きだ」と考えて、広告文案を案出しているのではない。 「自分はこのコピーがシャレていると思います」と信じてコピーを書いているのでもない。 どう言ったらいいのか、あの種の広告コピーを右から左に書き飛ばしている人たちは、「大衆ってこういうのが好きなんだよね」であったり 「ほら、おまえらこういう感じの言葉にビビっと来るわけだろ?」といった感じの決めつけに乗っかる形で文案を練っている。 もちろん、プロである以上、そうやってターゲットの好みから逆算して作品を制作する態度が間違っているというわけではない。 実際、才能に恵まれたコピーライターは、ターゲットの嗜好を読み取るところから出発する作風で見事なコピーを生産することができるのだろうとも思っている』、これはかの有名な経済学者のケインズが、金融市場での投資家の行動を「美人投票」に例えた、つまり「投票者は自分自身が美人と思う人へ投票するのではなく、平均的に美人と思われる人へ投票するようになる」というのに類似している。
・『ただ、広告制作の現場で仕事をしている人間のすべてに創造的な才能が宿っているわけでもなければ、その彼らに許されているスケジュールの現実からして、常に現場の人間が創造的な姿勢で作業をしているわけでもない。 とすれば、刷り上がってくるコピーは、「人を舐めた」文言に着地せざるを得ない。 しかも、受け手のうちの何割かは、その「大衆を舐めた」広告文案こそが現代における最先端のセンスを体現するおシャレの結晶なのだと思いこんでしまう。 かくして、「高輪ゲートウェイ」のような、恥ずかしい名前が降ってくる。 これを考えた人間は、たぶんこの名前を最高に素敵でピッカピカにセンスの良いネーミングだと自信満々でそう信じているわけではない。 「ほら、なんていうのか、きょうびこういうのがウケるわけでさ」みたいな顔で周囲をキョロキョロしながら持ち出したのだと思う。 で、周囲のお仲間もまたお仲間で「おお、いいじゃないですか○○さん」てな感じで調子を合わせたのだろう。 目に浮かぶようだ』、ますます「美人投票」そのものだ。
・『さらに、「ネーミング」みたいなことについての最終的な決定責任をカブることになっている公共的な立場の人間は、常に公共的な恐怖にかられている。 たとえば、地下鉄の駅名や公共の老人養護施設のネーミングを案出しなければならない立場の人間は、いつも「地元の綱引き」に悩まされている。 であるからたとえば、営団南北線のような比較的新しい地下鉄路線の駅名は 「赤羽岩淵」「王子神谷」「溜池山王」「白金高輪」といった調子の、二つの地域名を等分に冠した名称に落ち着きがちになる。 理由は、一方の地域名を採用すると、外された側の地名を持つ地域に済む住民がクレームをつけてくる(と名称決定担当者たちが恐れている)からだ。 仮に、いずれかの一方の名前に落着させたのだとしても、実際にやってくるクレームは、ぜいぜい10件程度であるのかもしれない。 それでも、彼らは、具体的に腹を立てて文句をつけにくる少数の住民の激しい怒りを恐れる。 そんなわけで、担当者は、王子の住民と神谷の住民の双方がやんわりと不満を感じながらも、どちらも取り立てて真っ赤な顔で怒鳴り込んできそうもない、どっちつかずの印象希薄な駅名である「王子神谷」を選ぶに至る。いや憶測だが。でもどうせそんなところなのだ』、確かに最近の駅名は折衷的なものも多い。
・『おそらく、山手線の新駅の名称を決定しなければならない立場に追い込まれた人々は、「何万人かが喜ぶ代わりに何千人かが怒ることになる特定の地域名を代表した名称を選ぶよりは、誰も喜ばないし誰もが不満に感じる一方で、誰もたいして腹を立てないであろうみっともないネーミング」として「高輪ゲートウェイ」を選んだのだろう。 要するに事なかれ主義だ。 上司が責任を取ってくれないことがはっきりしている状況下で何かを決定しなければならない中間権力者は、必ず事なかれ主義に陥る。これは日本陸軍の小隊長以来の伝統で、われわれにはどうやっても回避できない。 この点については、私はあきらめている』、「事なかれ主義」についての考察は、さすが小田島氏ならではと思わず膝を叩いた。
・『私が残念に思っているのは、新しい駅名を提案した人々だけではなく、その名前をこれから使って行かなければならない立場の乗客や、将来にわたってその駅名を冠された町に通ったりその場所で暮らしていくことになる人たちが、揃いも揃って 「大衆がバカなんだからしょうがないよね」てな調子のあきらめ顔で事態を受け容れつつあることだ。 大衆という言葉とバカという言葉は、いずれもブーメランを内包している。 大衆をバカにした人間は大衆よりもバカな場所に堕ちて行かなければならない。 なので、結論としては、ここは一番、大衆を持ち上げる形で着地せねばならないところなのだが、残念なことに、どうしてもそういう気持ちになれない。 こういうところが私の大衆的な部分なのだろう。困ったことだ』、「大衆をバカにした人間は大衆よりもバカな場所に堕ちて行かなければならない」というのは、耳が痛い。これから心して臨むことにしたい。

次に、翻訳者の神崎朗子氏がジェレミー・ハイマンズ、 ヘンリー・ティムズ両氏による新著をもとに、12月12日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「世界版「高輪ゲートウェイ」の残念すぎる末路 「ニューパワー」を利用するとき最もダメなこととは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/187915
・『JR東日本は12月4日、山手線・京浜東北線の品川‐田町間につくられる新駅の名を「高輪ゲートウェイ」に決定した。これに、ネット上が騒然となった。駅名の違和感もさることながら、公募されたにもかかわらず、この「高輪ゲートウェイ」の名の応募数の順位は、なんと130位だったからだ。そもそも公募する意味があったのかと大炎上したわけだ。 これは旧弊な、いわゆる「オールドパワー」の組織が「ひとつ新しいことでもやってみよう」と考えたときによくやりがちなことにも見えるが、いま話題となっている書籍『NEW POWER これからの世界の『新しい力』を手に入れろ』によると、こうした失敗は、現在のようなSNSが発達して「つながり」が緊密化した社会において、最も危険だという。 同書の中で、まさに同じような「公募の失敗例」について詳細に論じられているので、特別に公開したい。そのスケールは「高輪ゲートウェイ」のグローバル版と呼ぶべきもので、延べ2億5000万人にリーチし、ハッシュタグはツイッターでなんと2300万回も使用されたという。さらにその結果、国会審議にまで発展したという壮大な失敗例だ。これを読めば、群衆の力を取り入れるなど、いまのテクノロジーを活用して効果的に話題づくりをするにはどうするのがよいか、あるいは何をしてはいけないかが身にしみてわかるはずだ』、単にJR東日本の失敗だけではなく、海外でも同様の失敗があったというのは興味深い。
・『気軽に名前を公募したら「とんでもない」結果に  2016年5月10日火曜日、午後2時30分、イギリス国会議事堂のウィルソン・ルームで、英国のある船舶についての審議が始まった。 議長は初めに、自然環境研究会議(NERC)の最高責任者、ダンカン・ウィンガム教授に質問した。 「大臣はこの結果に満足されていると思いますか? それとも、あなたは辞めさせられると思いますか?」 ウィンガムはたいしたもので、英国議会とは思えないドナルド・トランプ張りの大風呂敷きで、この案件は「驚異的なまでの偉大な成果」を上げ、NERCは「おそらく世界でもっとも有名な研究局」となったと豪語した。 ついには国会での審議にまで発展したこの船のストーリーだが、始まりはドラマチックでも何でもなかった。 NERCはイギリス政府の地味な独立機関で、環境科学分野の公的助成金のおもな給付機関として研究や大学などへの支援を行っている。 2016年の初め、NERCは3億ドルをかけて、新たな極地調査船を建造すると発表した。「英国史上最大かつ最先端の調査船」であり、2019年から運用を開始する。 この歴史的な瞬間に大衆を巻き込もうと、NERCは「#船に名前をつけよう」(#NameOurShip)というキャンペーンを開始し、広く一般から名称を募り、投票で決定することにした。NERCのプレスリリースには「エンデバー」「シャクルトン」「ファルコン」など、すでに集まった威風堂々たる名称案がずらりと並んでいた。投票は1ヵ月後の予定だった』、大衆を巻き込むため、名称を公募するというのは、どこの国でも同じようだ。
・『オールドパワーの政府機関による、このありがちなニューパワーの試みに、さっそく注目した人物がいた。元BBCの司会者、ジェイムズ・ハンドだ。 彼はエンデバーのような名前には食指が動かず、もっと茶目っ気のある名称に惹かれた。それで公募ページの応募欄に「ボーティ・マクボートフェイス」(注:船山船男のようなだじゃれ的な名前)と打ち込んだ。理由を説明する欄には単純明快にこう書いた。「とにかくすばらしい名前であるため」 果たして、ネット上でこれが大受けした。「ボーティ」はたちまち数万票を獲得した。アクセスがあまりに急増し、NERCのウェブサイトはダウンした。投票開始から3日後、ハンドはじつに英国人らしい謝罪をツイートした。 「@NERCscience このような事態となり、まことに申し訳ない」 これが世界のメディアの興味を引き、ナショナル・パブリック・ラジオ、ニューヨーク・タイムズ、CNNなどが騒ぎ出した。ボーティは注目の的となり、ニュースやテレビ番組で盛んに取り上げられ、イギリス中のパブや食卓で話題となった。 ジェイムズ・ハンドのもとには、米国大手客船会社ロイヤル・カリビアン・インターナショナルから、新しい船舶の命名に当たって知恵を借りたいという依頼が舞い込んだ。社長兼CEOのマイケル・ベイリーいわく「イギリスの人は、巨大な船舶にふさわしい名前を選ぶ目が肥えているようだ」。 ボーティは海外でも話題だったのだ。 このキャンペーンは延べ2億5000万人にリーチし、ハッシュタグ「#船に名前をつけよう」はツイッターで2300万回も使用された。ウェブサイトの閲覧数は230万PVに達した。もちろん、ボーティは12万4000票を獲得して圧勝を飾り、トップ10のその他の候補を大差で引き離した。 このイベントは僕たちの言う「クラウド・ジャック」に遭ったのだ。つまり、群衆の遊び心によって、当初の意図から外れてしまったわけだ』、「クラウド・ジャック」とはぴったりの表現だ。
・『12万票以上の「圧倒的1位」の案を排除  だが、誰もが面白がっていたわけではない。『ガーディアン』紙によれば、大学・科学担当大臣ジョー・ジョンソンはこう述べている。 「我々が望んでいるのは、ソーシャルメディアのニュースサイクルより長持ちする名前だ」 関係者のあいだで、ウィンガムは自然環境研究会議(NERC)の責任者として群衆の意見を抑え込み、最終的な決定を下すべきだ、という不満の声が高まった。 かくして、5月6日金曜日、ボーティ・マクボートフェイスは撃沈された。 NERCは巧妙というか、いささかあざとくも、極地調査船は、偉大な動植物学者であり、テレビ司会者、人間国宝としても著名なサー・デイヴィッド・アッテンボローの名にちなんで命名すると宣言した。誰も文句のつけようのない選択だった。さらに、世間の風当たりを和らげるため、調査船に搭載する無人の海中探査機のひとつを、「ボーティ・マクボートフェイス」と命名することにした』、JR東日本よりははるかにましな選択だ。
・『その後の国会の審議は、世間を騒がせたNERCをたしなめる意味合いもあったが、いっぽうで科学の伝統に則り、今回の騒動からどのような教訓を得るべきか、しっかりと議論するためでもあった。 洞察を得るため、NERCは証人としてシェフィールド大学社会学教授、ジェイムズ・ウィルズドンを招聘した。 ウィルズドンは、NERCのアッテンボロー作戦は「非常にそつのない妥協策」だと評したが、そのあとのひと言で、議会は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。彼自身、じつは「ボーティ・マクボートフェイス」に投票したと認めたのだ。 一同が落ち着くのを待ち、ウィルズドンは明確に意見を述べた。「#船に名前をつけよう」のようなアプローチは、科学の取り組みに人びとを巻き込む方法として適切とは思えない。さらに、安易に表面的な問いを投げかけても、それなりの反応しか得られないのは当然だと指摘した。 ウィンガムは追い詰められ、群衆へのフォローアップや今後の取り組みについては、「そうした長期的な問題や、興味をどう維持していくかについては、まだ取り組みを開始したばかり」だとして、NERCには腹案がないことを認めた。 また、さまつな質問ながら、NERCはこの問題に関して教職者などにレクチャーをすることは考えていないかと議長が尋ねたところ、ウィンガムは気取った調子で、NERCの主要な役割は「もっと高いレベル」の取り組みにあると切り返した』、英国議会でこの問題が取り上げられたというのは、今後への教訓を得るという意義深いことだ。
・『群衆のアイデアに「乗っかる」方法を考える  ウィンガムの証言からもわかるとおり、NERCは群衆の意見に対して、誠実な関心を持っていたとは言いがたい。一般公募というアイデアは気に入ったものの、品格ある名称以外は論外と考えていた。 NERCには、熱心な参加を期待できるコミュニティが存在しなかった。興味を持ってくれた人たちに、意義深い活動に参加してもらう計画もなかった。プロジェクトの雲行きが怪しくなると、幹部たちはオールドパワーを振りかざし、無理やり自分たちの希望する名称に決定してしまった。 議会の審議を見守るなか、「ネット社会は科学を甘く見ている」と指摘した人たちもいた。だが今回のケースでは、「科学のほうがネット社会を甘く見ている」と言ったほうが公正だ。NERCは根本的に群衆の助けを必要としておらず、群衆の遊び心やエネルギーが盛り上がったらどうなるか、予期すらしていなかった。 もっとも、それ自体は許せることかもしれない。オールドパワーの組織の多くは、ニューパワーの世界へ足を踏み入れるとき、たいてい試行錯誤を重ねるものだ。 しかし許し難いのは、採用すべきだった「ボーティ・マクボートフェイス」の名をおとしめたことだ。この命名は何十万もの人たちの注意を引き、主要メディアでも取り上げられた結果、多くの人がボーティの名に強い関心を持っていた。 投票に参加した大勢の人の期待に正当に応えて命名し、シャンパンボトルを晴れがましくボーティの船体にぶつけて進水を祝っていたら、NERCの活動を長く支持するコミュニティが誕生していただろう。 イギリスの若い世代は、調査船ボーティの冒険をGPSで追跡したかもしれない。自分たちの街に寄港するボーティを、小学生らが歓迎したかもしれない。Tシャツやマグカップはもちろん、アバターやゲームやアニメも登場しただろうか。 ボーティは、世界一の“参加型”の船になったかもしれないのだ――人びとに喜びを与えるだけでなく、本来のミッションである科学の探究に人びとを誘う入り口になったかもしれない。 2017年、極地調査船の先発として、「ボーティ」と名付けられた無人の海中探査機が初回の調査航海に派遣されただけでも、非常に大きな話題を呼んだことを考えると、やはりNERCが逃したチャンスは大きかったと言わざるを得ない。(本原稿は『NEW POWER これからの世界『新しい力』を手に入れろ』からの抜粋です)』、「科学のほうがネット社会を甘く見ている」というのは確かだ。オールドパワーの組織の限界だろう。
・『激変する世界で、今「何」をすべきなのか?――訳者より  この数年で世界は激変した――とくにトランプ大統領の誕生によって、そう実感した人は多いだろう。 テクノロジーの急速な発展によって、人や組織、経済、政治が境界線を越えて密接につながった世界で、情報伝達だけでなく、社会の権力構造にも大きな変化が現れている。 巨大IT企業が急成長を遂げ、社会経済の基盤となったいっぽう、ミートゥー運動のような、これまでは力を持たなかった大勢の個人が団結した大規模なムーブメントが各地で起こっている。 本書の著者、ジェレミー・ハイマンズとヘンリー・ティムズは、そうした世界的なパワーシフトを読み解き、理解するための画期的な枠組みを打ち出した。 それが「ニューパワー」と「オールドパワー」だ。 アメリカで今年の4月に刊行された本書は、またたく間に世界10か国以上で版権が取得され、世界の変化の本質を知るための必読書として、アメリカでは『ニューヨーク・タイムズ』紙、イギリスでは『フィナンシャル・タイムズ』紙で大々的に取り上げられるなど、世界的に大きな反響を呼んでいる。 ハイマンズは、21世紀型ムーブメントを展開する「パーパス」の共同創設者兼CEOであり、オーストラリアの政治組織「ゲットアップ」の共同創設者としても活躍。ティムズは、『ファスト・カンパニー』誌の「もっともイノベーティブな企業」にランクインした「92ストリートY」の社長兼CEOであり、1億ドル超の募金集めに成功した「ギビング・チューズデー」の共同創始者としても知られる。ともにニューパワーの実態を知り抜き、ニューパワーによる変革の先頭に立って、社会にインパクトをもたらしてきた。 本書には有用な図表がいくつも登場するが、とりわけ秀逸なのがニューパワー・マトリックスだ。ニューパワーとオールドパワーの「ビジネスモデル」と「価値観」の組み合わせにより、組織を4つのタイプに分類する。 ニューパワー・マトリックス本書で紹介される「ニューパワー・マトリックス」。ビジネスモデルと価値観の2軸で組織の位置づけがわかる(『NEW POWER これからの世界の「新しい力」を手に入れろ』より)。 どこに当てはまるかを考えれば、組織の特徴や立ち位置を理解でき、ほかの組織とも比較しやすい。たとえばフェイスブックは、「ビジネスモデル」はニューパワーでも、「価値観」はオールドパワー。アップルは「ビジネスモデル」も「価値観」もオールドパワーの企業だ。同様に、ニューパワー・マトリックスのリーダーシップ版も、じつに興味深い。 ビジネスや政治、社会運動からポップカルチャーまで、現在の世界で躍進しているのは、新旧ふたつのパワーを巧みに織り交ぜ、駆使している人物や組織やムーブメントだ。 本書では、NASAからローマ教皇まで、あらゆる分野でニューパワーを取り入れた大胆な改革を行った数々の実例を紹介。TEDやエアビーアンドビーの成功、全米ライフル協会の強さの秘訣などを解き明かすいっぽう、ウーバーのような失敗を犯した企業についてもその理由を明らかにする。 また、ニューパワーのムーブメントを一過性の効果で終わらせないためには、人びとの継続的な「参加」をうながすコミュニティの育成に尽力すべきと指摘し、その具体的な方法も詳細に解説する。 これからの10年、20年にも、世界では予想のつかない変化が起こるはずだ。本書は私たち一人ひとりが当事者意識をもって、変化に取り組む方法を示している。まさに現代社会を生きるすべての人にとって示唆に富んだ指南書と言えるだろう』、ニューパワーとオールドパワーの「ビジネスモデル」と「価値観」の組み合わせにより、組織を4つのタイプに分類するニューパワー・マトリックスは、面白い考え方だ。時間があれば、一読してみたい。
タグ:鉄道 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 小田嶋 隆 (その5)(小田嶋氏:命名責任からランナウェイしたあの駅名、本の紹介:世界版「高輪ゲートウェイ」の残念すぎる末路 「ニューパワー」を利用するとき最もダメなこととは?) 「命名責任からランナウェイしたあの駅名」 「高輪ゲートウェイ」 応募件数は、順位としては130位に相当 選ぶも何も、彼らの目にははじめからほかの選択肢は見えていなかったのだろうと考えている そもそも公募を実施する必要がなかった 駅名を決定する権限と責任を持っている人々は、その一方で新駅の名称を、自分たちの責任において名付けることから逃避したかったのだと思う。だから、彼らは「公募」に逃げた 彼らは、責任から逃避した一方で、権限は手放さなかった 彼らは、オープンな議論を求めているかのごとき態度を装ったがゆえに、かえって決定過程が極めてクローズドであることを内外にアピールしてしまった 新駅名が、独断専横の結晶 誰も、命名責任から逃れることはできない。さらに彼らは、公募をないがしろにした責任からも永遠に逃れられないだろう 公募に応じてくれた人々の声を単なる踏み台として利用して恥じない人々の「大衆観」と、炎上気味のネーミングを掲げて注目度を獲得したことを「成功」ととらえる人々が抱いている「大衆観」は、どちらも、大衆を「愚民」と決めつけているという点で共通 自分以外の大衆を愚民だと思っている大衆は、自分の陥っている苦境を上から嘲笑する分裂を獲得しつつ、永遠に抵抗不能だったりするのである 愚民思想とは、大衆を愚民視する思想を指す言葉だが、同時に実態としては愚民自身が陥りがちな境地でもある。ということはつまり、愚民とは、愚民を冷笑している当の本人を指す言葉なのであって、結局のところわれわれは、「大衆」を蔑視することによって、どこまでも愚民化している あるタイプの人々が「広告的」であると考えているものの見方には、明らかな大衆蔑視の思想が含まれていて、その彼らが持ち出してくる凶悪な「広告的言辞」が、21世紀の世相を毒しているということは、この際申し上げておかねばならないと思っている マンションポエムと呼ばれるものを大量生産している人々の仕事ぶり 「大衆ってこういうのが好きなんだよね」であったり 「ほら、おまえらこういう感じの言葉にビビっと来るわけだろ?」といった感じの決めつけに乗っかる形で文案を練っている 才能に恵まれたコピーライターは、ターゲットの嗜好を読み取るところから出発する作風で見事なコピーを生産することができるのだろうとも思っている 「ほら、なんていうのか、きょうびこういうのがウケるわけでさ」 最終的な決定責任をカブることになっている公共的な立場の人間は、常に公共的な恐怖にかられている いつも「地元の綱引き」に悩まされている 二つの地域名を等分に冠した名称に落ち着きがちになる 誰も喜ばないし誰もが不満に感じる一方で、誰もたいして腹を立てないであろうみっともないネーミング」として「高輪ゲートウェイ」を選んだのだろう 上司が責任を取ってくれないことがはっきりしている状況下で何かを決定しなければならない中間権力者は、必ず事なかれ主義に陥る 日本陸軍の小隊長以来の伝統で、われわれにはどうやっても回避できない 大衆をバカにした人間は大衆よりもバカな場所に堕ちて行かなければならない 神崎朗子 ジェレミー・ハイマンズ、 ヘンリー・ティムズ 「世界版「高輪ゲートウェイ」の残念すぎる末路 「ニューパワー」を利用するとき最もダメなこととは?」 NEW POWER これからの世界の『新しい力』を手に入れろ 公募の失敗例 気軽に名前を公募したら「とんでもない」結果に 自然環境研究会議(NERC) 新たな極地調査船を建造 の歴史的な瞬間に大衆を巻き込もうと、NERCは「#船に名前をつけよう」(#NameOurShip)というキャンペーンを開始し、広く一般から名称を募り、投票で決定することにした 元BBCの司会者、ジェイムズ・ハンドだ。 彼はエンデバーのような名前には食指が動かず、もっと茶目っ気のある名称に惹かれた。それで公募ページの応募欄に「ボーティ・マクボートフェイス」(注:船山船男のようなだじゃれ的な名前)と打ち込んだ 果たして、ネット上でこれが大受けした 投票開始から3日後、ハンドはじつに英国人らしい謝罪をツイート ボーティは12万4000票を獲得して圧勝を飾り、トップ10のその他の候補を大差で引き離した クラウド・ジャック 12万票以上の「圧倒的1位」の案を排除 我々が望んでいるのは、ソーシャルメディアのニュースサイクルより長持ちする名前だ 偉大な動植物学者であり、テレビ司会者、人間国宝としても著名なサー・デイヴィッド・アッテンボローの名にちなんで命名すると宣言 調査船に搭載する無人の海中探査機のひとつを、「ボーティ・マクボートフェイス」と命名 国会の審議 今回の騒動からどのような教訓を得るべきか、しっかりと議論 ニューパワー・マトリックス ニューパワーとオールドパワーの「ビジネスモデル」と「価値観」の組み合わせにより、組織を4つのタイプに分類する
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本日は更新を休むので、明日にご期待を!

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日産ゴーン不正問題(その3)(経営者としての「ゴーン礼賛」への大きな違和感 ルノーの仏国内事業所で自殺者が相次いでいるという事実、「日産クーデター」の陰で囁かれる経産省の失地回復の思惑、「組織の論理」によるゴーン氏起訴と「法相指揮権」~最終責任は安倍内閣にある) [企業経営]

日産ゴーン不正問題については、11月29日に取上げた。今日は、(その3)(経営者としての「ゴーン礼賛」への大きな違和感 ルノーの仏国内事業所で自殺者が相次いでいるという事実、「日産クーデター」の陰で囁かれる経産省の失地回復の思惑、「組織の論理」によるゴーン氏起訴と「法相指揮権」~最終責任は安倍内閣にある)である。

先ずは、健康社会学者の河合 薫氏が12月4日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「経営者としての「ゴーン礼賛」への大きな違和感 ルノーの仏国内事業所で自殺者が相次いでいるという事実」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/113000194/?P=1
・『11年以上前の2007年2月。パリ近郊、ギアンクール(イヴリーヌ県)にあるルノーの技術研究所「テクノセンター」で、4カ月間に3人が相次いで自殺し、事態を重く見た検察当局が捜査に乗り出したと、フランスの複数のメディアが報じたことがあった。
 ●06年10月、39歳のエンジニアが建物の5階から飛び降り自殺したところを、数名が目撃。
 ●07年1月、同センター近くの池で、44歳のエンジニアの遺体が発見され、地元警察が自殺と判断。 ●その3週間後には、38歳の従業員が「会社が求める仕事のペースに耐えられない」という遺書を残して自宅で縊死。
 立て続けに起きた従業員の自殺に、同社の従業員約500名が敷地内を沈黙しながら歩くというデモが行われた。当初、労働環境と自殺の関連性について否定的だったルノーも、「我々に多くの疑問が突きつけられ、また、各個人の責任について見直しを迫られている」 とコメントを表明したのだ。 実はこの時のトップこそが、「ミスター コストカッター」。連日連夜、有価証券報告書への虚偽記載容疑などがメディアで報じられている、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏である。 05年5月、ルノー本体のCEOに復帰したゴーン氏は2006年、4年間で26車種の新型車発売などを含む中期経営計画を発表した。日産で行ったような従業員のリストラはせず、営業利益率6%を達成するといった内容だったが、仏メディアは、この計画により開発期間は短縮され、労働環境は著しく厳しくなったと指摘した。 日本では、日産で名を挙げたプロ経営者の手腕に注目が集まったが、批判を恐れずに言わせていただけば、そもそも計画なんて見た目のいい「数字」を並べただけの紙っぺらだ。「働いているのは人である」という当たり前をないがしろにし、目標達成への“しわ寄せ”が「弱い立場」の人たちに襲いかかるような計画を現場に強要する経営者を、私は「プロ」と認める気にはならない。 実際、新型車開発を焦る経営陣は開発チームに猛烈なプレッシャーをかけたと報じられている。仏メディアによれば、夫を失った妻は「毎晩、書類を自宅に持ち帰り、夜中も仕事をしていた」とサービス残業が常態化していたと告発し、裁判所も「従業員を保護するために必要な措置をとっておらず、弁解の余地のない過失がある」と、企業の責任を認定したという。 当時フランスでは、1990年代に左派政権によって導入された「週35時間労働制」の負の側面が社会問題になっていたのだが、その“発火点”の1つがゴーン氏率いるルノーだったのである・・・本来、「週35時間労働制」は雇用を増やし、生活の質を高めるためのものだった。しかし、人を増やさず、業務量はそのままで労働時間だけを減らし、労働者に過重な負担をさせる例が目立つようになっていた。 冒頭で紹介したルノーの従業員の相次ぐ自殺は、そういった状況下で起こった。この一件で、「ゴーンはKAROUSHI という経営手法を日本から持ち帰ったのか!」と、世間から猛烈な批判を浴びた一方で、問題発覚後、即座に工場の体制を見直して人員を増やすなど職場改革に乗り出し、そのリーダーシップは一定の評価を得た。問題を沈静化させるために時間や手間を惜しまず、一気に進めたのだ』、ルノーの新車開発部門で2006から2007年にかけ自殺が相次いだとは初めて知った。ゴーンはルノーでも強烈なプレッシャーをかけたようだ。
・『ルノーの事業所で相次いだ、従業員の自殺  ところが、当時と似た状況が、「業績好調」とされるルノーで再び起きていることがわかった。 昨年、日刊紙ル・パリジャンと労働組合CGTが共同で同社のフランス国内4事業所を調べたところ、2013年以降、過労が原因とされる自殺者が10人、自殺未遂者が6人いたことが判明したのである。 16年のクリスマスには女性従業員が工場内のトイレで、17年4月には40歳の男性が作業所で自殺を図った。後者の40代の男性は、上司数人の名前と「この人たちが私を殺した」という文章を記したプラカードを首に巻いていたこともわかった・・・さらに、16年11月23日、44歳の管理職の男性技術者が、職場で心臓発作で死亡したのは、過労による突然死(過労死)だった可能性が指摘されたのだ。男性は工場で生産された車のリコールの責任を問われ、解雇を言い渡されたのだが、その手続きの面談中に発作が起きたそうだ。 この「2007年の悪夢」と似た従業員たちの不幸な死の引き金として組合側が指摘しているのが、ルノーが13年から実施している「経営合理化を目的とする競争力強化プラン」である。フランス国内の従業員を、このプランに基づき34000人から8000人削減。正社員を減らす一方で派遣労働者を増やした。 フランス政府の調査チームは「仕事と自殺の因果関係を確認できない」と報告したが、組合側は「競争力強化プランにより従業員一人当たりの業務負担が増加し、労働環境が悪化。一連の自殺につながっている」と批判している』、2013以降の自殺者はさらに大規模だったようだが、大株主のフランス政府の調査は、やはり株主の立場からだったようだ。
・『“犠牲者”と引き換えに会社を守るのが「プロ」?  ……何とも。 日本では「ゴーン氏逮捕」との速報以来、連日、ゴーン氏の資産や報酬に関する報道が相次いでいるけれど、「コストカッター」とは何なのだろうか。 改めて言うまでもなく、ゴーン氏は1999年に公表した「日産リバイバルプラン」により、同社の業績をV字回復させた実績ある経営者だ。連結ベースで2002年度までの1兆円のコスト削減、販売金融を除いた有利子負債の1兆4000億円から7000億円以下への圧縮、連結ベースでの売上高営業利益率 4.5%の達成などを目標に掲げ、その一環として、村山工場など車両組立工場3カ所、ユニット工場2カ所を閉鎖し、国内の年間生産能力を240万台から165万台へと削減。全世界でのグループ人員を2万1000人削減し、併せて、購買コストを20%圧縮するために下請企業を約半分に減らし、09年のリーマンショック後も、国内外のグループで2万人の従業員を削減した。 瀕死状態だった日産を救ったゴーン氏の施策を、「日本人にはできなかったこと」と、神のように崇める人たちがたくさんいるけれど、一部の働く人に犠牲を払わせて、会社を守ることが「プロ経営者」として評価されることに大きな違和感を抱く。ある日突然、仕事を失い、存在価値を否定され、放り出される多くの人たちがいる。最悪の選択に至らないまでも、何人もの人たちが犠牲になった。それは、どんなに企業が再生しようとも、変わることのない事実である。 結局のところ、「コストカット」による企業再生は、現場の犠牲の上に成立するという、やりきれないリアルが存在する。「プロ経営者」も、彼らを「プロ経営者と崇める人」も、そのリアルを一瞬でも思い浮かべたり、うしろめたい気持ちになったりすることはあるのだろうか。 とにもかくにもここ最近の報道を聞いていると、犠牲になった人たちの存在が完全に無視されているようで、なんとも釈然としないのだ。 というわけで、今回の事件の真相が明らかになっていない状況で書くべきかどうか迷ったが、やはり書きます。 テーマは「コストカットの後始末」だ』、ルノーよりはるかに苛烈リストラが行われた日産でも、報道こそされていないが、かなりの犠牲者が出たと推察される。
・『「はい。あのとき自主退職を迫られた一人です」  700人近くもの会社員をインタビューしていると、「過去のニュース」の渦中にいた人たちが案外多くて、びっくりすることがある。その一例が、コストカットの一環として行われる「リストラ」の体験談。彼らは決まってインタビューの最後に、「実は私……」という具合に切り出した。その中の1人、3年前にインタビューした大手食品メーカーに勤務する52歳の男性の告白と、それに対する私見を述べるのでお読みください。 「僕、元〇〇社の社員だったんです。はい、そうです。あのとき自主退職を迫られた一人です。 会社の状況がよくないことはわかっていましたけど、まさか自分がターゲットになるとは思いもしませんでした。僕たちが入社したときは会社が潰れるなんて考えたこともないし、ましてやリストラなんて言葉もなかったから、そりゃあショックでしたよ。 でも、部署そのものがなくなるというのだから、仕方がないですよね。自分だけじゃないというのは、ある意味、救いだったように思います。 ただね、人事部は結構、がんばってくれたんです。ホントに最後までがんばってくれてね。リストラした後の方が社内の空気が悪くて大変だった、という話も聞きました。 部署の中から何人かはまとめて引き受けてくれる会社がありましたが、自分が再就職した会社に移ったのは僕だけです。小さな会社でしたけど、運が良かったんですね、きっと。とてもよくしてもらいました。しかもその後、今の会社に縁あって転職することになったし、人生何があるかわかりませんね。 〇〇社のことは恨んでないですよ。むしろ僕が味わった悔しさを味わう社員が二度と出ないように、頑張ってほしいと思っています」』、この体験談は、インタビューに応じただけあって、最終的には上手く落ち着いた例だが、上手くいかなかった人はきっとインタビューなどには応じないだろう。
・『人生の「つじつま」が崩れ去るとき  ……さて、文字にしたやり取りだけでは、うまく伝わらないかもしれない。だが、彼が淡々と紡いだ言葉の真意を、「プロ経営者」や「コストカッター」という言葉を肯定的に使う方たちはどう感じただろうか。 人は常に経験を語りながら人生のシナリオ作りをするものだが、この男性を含め、私にリストラ経験を話してくれた人たちはいずれも、最終的に「人生のつじつま合わせ」に成功した人たちだった。 人生の土台である仕事を奪われ、家族ともども絶望の淵に落とされ、それでも必死で乗り越え、困難を人生の糧にした「生きる力」の高い人たち。 その作業は決して一筋縄ではなく、一つの大きな困難から派生する数多くのストレスに対し、「この出来事は自分にとって、どんな意味があるのか?」と、とことん考え、ときに丁寧に扱い、ときに“流す”ことで、対処しなければならない。 くじけそうなときには「自分だけじゃないというのは、ある意味、救いだった」「運が良かった」と、他者との関係性や比較の中で自分を見るまなざしを大切に、歯を食いしばる。 そして、やっと、ほんとにやっと、自分たちの犠牲が「大切にしてきた会社のためになるなら」と、自分がそこに存在した意味を見出すことにたどり着く。 「あれは仕方がなかったこと」とありのままを受け入れ、長く勤めた会社を自分の「心の境界線」の外に出し、次なる「大切なもの」を求め一歩前に踏み出すことに成功したのだ。 つまり、「会社のことは恨んでない」という穏やかな言葉は、「かつての会社との距離」ができたからこそ生まれた言葉。自分は自分の価値観を信じ、生きていこうという決意でもある。 しかし、一旦心の外に出した以前の会社が再び「境界線」の内側に入り込み、苦しめられることがある。それがまさに今回の日産の事件のような出来事。耳を疑うような事実が、自分が必死に描いてきたシナリオを狂わせ、「つじつま」が崩れ去ってしまうのだ』、なるほど。
・『自分の存在を踏みにじられた悔しさ  もしリストラが「私腹」をこやすためだったら? クビを切られた自分たちが困窮した生活を強いられる一方で、「切った」人間が後ろめたいやり方で優雅な生活を手に入れていたとしたら? 自分の存在を踏みにじられた悔しさ。 どこに怒りをぶつければいいのかわからない。やりきれない思いだけが募り、どうにかつじつまを合わせて封じ込めていたネガティブな感情が、一挙に噴き出す。 そんな彼らの気持ちを、切られた人たちの人生を、リストラの旗を振ったトップは、一瞬でも想像したことがあるだろうか。 そして、「つじつま合わせ」に失敗し、自分を見捨てた会社を「心の境界線」の外に出せず、苦しみ続けた人たちに気持ちを寄せたことはあるだろうか。 日本の自殺者が急増し、初めて年間3万人を超えたのは1998年。その前年から北海道拓殖銀行、山一証券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行など金融機関の破綻が相次ぎ、企業の倒産件数も90年代で最悪を記録した年だった。 98年には2万3000人だった自殺者の人数は、99年に3万2000人と一挙に35%も増加。1日当たり約90人が亡くなっていた計算になる。 亡くなった方の中には中小企業の社長さんも多かった。だが、男性のように「今、言葉を紡ぐ」機会に恵まれないまま、命を絶った人も多かったのではないだろうか。 リストラを伴うコストカットを行う経営者にとっての後始末とは何だろう? 犠牲になった社員の心の「つじつま」を“破綻”させるようなことは絶対にしない――というのは、最低限の責務のはずだ』、日産をリストラされ、次の人生も上手くいかなかった人々は、ゴーンの贅沢三昧の報道に、ほぞを噛んでいることだろう。

次に、デモクラシータイムス同人・元朝日新聞編集委員の山田厚史氏が12月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「日産クーデター」の陰で囁かれる経産省の失地回復の思惑」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188028
・『カリスマ経営者の「突然の逮捕」は、ルノー・日産・三菱自動車の「3社連合」の主導権を持つルノーに対する日産の奪権闘争へと局面を変えつつある。 日産はカルロス・ゴーン氏を代表取締役会長から外し、ルノーに「後任会長の指名は受け入れない」と通告。ルノー主導の提携強化にクサビを打とうと必死だ。 だがここにきて事態は、自国の自動車産業を守ろうとする日仏政府の思惑がからんだ外交案件の様相を帯び始めている。 日産・三菱を100%子会社にする「完全統合」は、ルノーの最大株主のフランス政府の方針でもある。一方で日本(経済産業省)は真逆で「対等な関係」を望んでいた。「不平等条約の改定」と表現する人もいる。 早ければ年内にも完全統合が決まる、というタイミングでのゴーン氏の逮捕は、仏側には、経産省も絡んだ「日産のクーデター」と呼吸を合わせた“国策捜査”と映っているようだ。 日本側はこの疑いを晴らすことができるか』、確かにタイミングは余りにも「出来過ぎ」だ。
・『「国策」を否定できるか 脱ルノー支配で経産OBの影  アルゼンチンで開かれた主要20ヵ国・地域首脳会談(G20)の会場で、11月30日、急きょ行われた日仏首脳会談。マクロン仏大統領は、ルノー主導の3社の提携関係の維持を強調するとともに、ゴーン前会長の司法手続きが「きちんと進められる」ことへの確認も求めたという。 メディアは連日、出所は検察と思われる「ゴーンの悪事」を書き立てている。仏政府としては、ルノー支配のもとでゴーン前会長らが勝手放題をしたという空気が醸成され、日産のルノーからの「独立」が進む流れになることを警戒してのことだろう。 なかでもフランス側が神経をとがらせているのは、経産省の動きではないか。 大手メディアは報じていないが、6月から日産の非常勤取締役になった経産OB、豊田正和氏の存在感が高まっているからだ。 決して表舞台に立たないが、新聞記者の夜回りに対応する豊田氏は今や「夜の広報担当」といった存在だ。 1973年に通産省(現経産省)に入省し、事務次官に次ぐNo.2である経済産業審議官まで上り詰め、2008年に退職。その年に内閣官房参与になった。 内閣官房とは通称「首相官邸」。産業通商政策で首相に助言する役目だった。 現在は経産省系のシンクタンクの日本エネルギー経済研究所の理事長に納まっているが、経産官僚時代は、国際派の実務家として評価された。 GATTやWTOなど国際交渉で日本の立場を主張し、他国と折り合う難しい交渉を担ってきた。 なぜ新聞記者が豊田邸に集まるのか。 官邸とのパイプを持ち、対外交渉にも経験豊富となれば、日産の“独立”に向けた大局的な判断や地ならしができるのは、この人物しかいないと思っているからだ。 日産の取締役会は今や真っ二つ。ルノー側は拘留中のゴーン氏、グレッグ・ケリー前代表取締役のほかに、ベルナール・レイ取締役と非常勤(社外取締役)のジャンバプティステ・ドゥザン氏の4人。 日本側は常勤が西川廣人社長、志賀俊之氏、坂本秀行氏。非常勤としてカーレーサーの井原慶子氏と豊田氏だ。 西川社長は、11月19日のゴーン氏逮捕後の会見で分かるように、ゴーン氏の不正には多弁だが、重要なことは言葉を濁す。決められた役割に沿って慎重に発言しているようにみえる。 志賀氏はゴーン改革の現場責任者だった。坂本氏は技術担当。「ゴーンのイエスマン」だった人たちが、急に立場を変え、ルノーに立ち向かうほどの力があるのか。疑問のほうが先に立つ』、豊田氏のことは初めて知ったが、確かに経産省や官邸とのパイプ役にはもってこいの人物のようだ。
・『ゴーン氏、仏政府と関係修復 「完全統合」に慌てた日産と経産省  もともと、豊田・井原両氏が非常勤取締役に加えられたのは、ゴーン氏とマクロン大統領との確執が背景にあった、といわれる。 マクロン大統領はルノーを動かして人気挽回を狙う。雇用確保のために日産や三菱の事業をフランスに移転させたい。手っ取り早くグループを動かすには吸収合併を含め「完全統合」を望んでいる。 ルノーはフランス政府の産業政策と密接不可分の企業である。隣に自動車王国ドイツがある。対岸には日産を先駆けにホンダ、トヨタを引き込んだ英国がある。 EUでドイツに対抗する自動車産業を築くにはルノーを軸とした3社連合の強化が欠かせない。 国営企業だったルノーは経営危機の辛酸をなめたが、ゴーン体制になって地力をつけ、海外展開をバネに、昨年、トヨタを抜いて世界第2の自動車グループに躍り出た。 首位は僅差でドイツのフォルクスワーゲンだが、ワーゲンに対抗して、欧州では本拠地のルノーが、中国では日産が頑張る。アジアでは三菱が強い。3社の強みを生かしたのは、ゴーン氏の経営力である。 3社の完全統合を果たせば、英国にある日産の欧州主力工場をフランスに持って来ることも可能だ。EUを離脱する英国から工場を移転させればマクロン政権の大手柄になる。 これに対して、グローバル経営者であるゴーン氏には別の論理があった。 ルノーは多国籍企業であり、世界のどこだろうとも最適な場所で生産・調達・販売を行う。ルノーは政府の支配下にあるが、日産に影響が及ばないように役員構成を変えた。 ルノー系役員より日産系を増やしたのは、ゴーン氏が独立王国を維持するために方策でもあった。 豊田氏の社外取締役就任はこうした思惑からだったが、有力OBの人事に経産省が蚊帳の外のはずはない。 役所は「天下り斡旋」はできないが「人事の相談」には乗る。 同期入省で次官になった望月晴文氏は、日立製作所で取締役会議長を務める。原子力推進の国策に沿って英国での原発事業を進めるものの、多額の建設費問題を抱える日立は、経産省にとっては目が離せない重点企業だが、同様に日産も心配のタネだった。 三菱自動車がルノーグループに組み込まれたことで、日本の自動車産業の一角が崩れるという憂慮は一段と深刻になっていた。 「日産・三菱がフランス企業になってしまっては大ごとだ」という危機感があったから、日産からの豊田氏招へいは「渡りに舟」の思いだっただろう。豊田氏は「経産省から日産に送り込まれた」という見方もある。 ところが 、情勢が一変する。 フランス政府が3社の「完全統合」を求めるのに対して、日産・三菱に仏政府の介入が及ぶことを警戒するゴーン氏だったが、態度が変わったという。 改選期を迎えるゴーン氏にマクロン大統領が「完全統合するなら、ルノーCEOの再任を認める」と突き付けたといわれ、条件をのんだゴーン氏は、経営統合に動き始めた。 慌てたのが日産・経産省だ。そんななかで「ゴーン逮捕」の口火が切られた。 海外メディアが「国策捜査」と疑うおかしなことは、確かにいくつかある。 ゴーン氏の逮捕容疑は、有価証券報告書への報酬の過小記載が金融商品取引法違反とされた。2011年3月期から5年間で計約50億円の報酬を申告していなかったという。 GMやフォードなどの経営トップが年間20億円前後の報酬を得ているなかで、ゴーン氏は年間報酬を、半分の約10億円と低く記載した。記載しなかったのは、その分は退職後に支払う「約束」だったからだとされる。 組織ぐるみで不正な経理処理を行い「粉飾決算」の罪に問われた東芝で、経営者は逮捕されていない。 有価証券報告書虚偽記載というのは、投資家の判断を誤らすような不正を禁止している。赤字を黒字になるように偽装した東芝は、東京証券取引所も悪質と判断し、東芝を特設注意市場銘柄に移したほどだ。 東芝の犯罪に比べ、ゴーン氏はいきなり逮捕されるほどの「重罪」といえるかどうか。 奇妙なのは日産の経営陣である。 経営陣が問題を知った発端は、内部からの通報によるとされるが、不正を疑われる会計処理がトップにあったとしたら、監査役が調べ、本人や周辺から事情を聞く。 大掛かりな不正なら、第三者委員会を設け、徹底して調べる。さらに監査法人が外部の目として会計処理を点検する。それで不正が明らかになったら検察などに告発する、というのが、企業の標準的なやり方だ。 西川社長は11月19日の記者会見で、「調査委員会はゴーンさんから聞いたのですか」と問われて、「聞いていない」と答えた。 不正が疑われる当人の言い分も聞かず、検察と司法取引していた。知らぬはゴーン氏ばかり。ゴーン氏が拘置されていて出席できない取締役会で会長解任を決め、ルノーによる会長指名を拒否した。 日産では、司法取引の以前から、海外の住宅購入や家族の海外旅行費用を日産の金で賄う「公私混同」について、極秘の調査委員会を設けてゴーン氏周辺を調べていたという。 メンバーは西川社長らごく少数とされているが、豊田氏がこのメンバーではなかった、とは考えにくい。 第三者の目を求められるのが非常勤取締役である。事件が表面化すれば日仏間の政治問題に波及することは明らか。官邸や経産省とパイプを持つ人物は必要とされただろう。 検察にとっては、司法取引で大物を挙げる絶好のチャンス。日産は「完全統合」計画から逃がれる最後の機会だった。 「官民一体」の不正追及が進むなかで、豊田氏から、経産省や首相官邸にも情報が上がっていなかったとはとても思えない。 トップを解任するなら、取締役会で解任動議を出すことだってできる。検察による逮捕をきっかけにトップを引きずり降ろすのは「社内クーデター」と呼ばれても仕方がない。 クーデターを正当化できるとすれば、理屈は2つある。 ゴーン氏の不正は会社で処理できないほど巧妙で悪質だということ。もう1つは、「ルノー・日産の不平等条約の改定」という大義の訴えである。 つまり、やり方は乱暴だが、「こうするしか関係正常化の糸口はつかめなかった」と、世間に理解されるような言い訳だ。 ルノーと日産は「立派になった子どもの仕送りで親が元気」という関係だ。 企業規模、生産台数、売り上げ、利益どれも日産がルノーをはるかに上回っている。ルノーの利益の40%超は日産からの配当だ。そこに三菱自動車が加わった。三菱重工の流れをくむ三菱は技術的にも定評がある。 だから経産省は心配でならない。トヨタに次ぐ自動車業界の主軸である日産・三菱を外資にさらわれると、危機感を抱いた。 これが、“経産省お墨付き”の「日産クーデター」の「本音」ではないか』、本当に見事な謎解きだ。
・『外資に奪われた失地回復で共鳴  結局、すべては日産が経営危機に陥った1999年から始まった。 有利子負債2兆円。6800億円の赤字を計上した日産を当時、経産省は救済できなかった。 その頃の日産を表す言葉に「東大・興銀・通産省」という表現があった。 トヨタ、ホンダと違い日産は社長が代々、東大出身者がなり、エリート意識の強い日本興業銀行(現みずほ銀行)と仲良しで、通産省(現経産省)といい関係にある。 役所や銀行と親しいことは高度成長期には追い風だったが、貿易摩擦や成熟経済では向かい風になった。 無借金で頑張るトヨタを相手に日産は借金を重ねて無理な競争に明け暮れ体力を消耗した。トヨタ、ホンダは役所になんと言われようと自社の利益を優先したが、日産は役所の意向に沿って業界をまとめる損な役割を演じてきた。 だが瀕死の日産を救う企業は現れなかった。業界をまとめて救済する、という経産省の伝統的な手法はとれなかった。 当初はダイムラー・ベンツを頼りにしたが、交渉に時間がかかるなか、途中で見切りをつけ、ルノーなら怖くない、と甘く見た。 熾烈な競争を続けてきたアメリカやドイツの自動車企業の管理下に置かれる事態は避けたかったなかで、手を挙げたのがルノーだったから、経産省はホッとした。産業の弱いフランスならまし、と考えたのだろう。 その後の展開はご承知の通りだ。 ゴーン会長は日産の業績をV字回復させた上、三菱自動車まで傘下に収めた。 日産と三菱は軽自動車を共同開発し、生産は三菱の工場がやっていた。三菱による検査データの改ざんはその現場で起きた。なぜか情報が国土交通省に漏れ、三菱車のブランドは地に落ち、販売はガタ落ちになった。 救済に乗り出したのがゴーン氏だった。2000億円を気前よく出資し、日産の配下に組み込んだ。 ルノーが日産の43.4%の株式を押さえ、その日産が三菱の30%を握る。3社のトップにゴーン氏が座る「ゴーン独裁」のもとで「ルノー支配」が貫徹した。この時も経産省は何もできず、ゴーンに頼るしかなかった。 資本の論理に従うなら、リスクを取って支配権を取ったものが勝ち。日産も三菱もゴーンのもとで危機を脱したのだから、経営者の手柄である。 「ゴーン独裁」は、結局、ルノーに救済された副作用である。だが元気になるにしたがい日産内部にはゴーン氏への反発が広がり、ルノーに利益や技術を吸い取られるのはおかしい、という空気が充満するようになった。 1999年のふがいなさをかみしめる話がもう1つある。みずほ銀行グループの誕生である。 当時の興銀の頭取だった西村正雄氏に「なぜ『みずほ』という名を選んだんですか」と聞いたことがある。 「日本の金融界は日産を支えられず、外資にさらわれた。瑞穂の国・日本を表す名前は外資に負けない銀行にしたいからだ」という答えだった。 同じ思いは当時、経産省にもあった。そして今回の「不平等条約の改正」を掲げたクーデターは、外資から失地回復を目指す“ナショナリズム”と共鳴する』、経済相がルノーを軽くみていたというのはあり得る話だ。「みずほ」まで出てくる筆者の知識には脱帽だ。
・『「経産省内閣」の官邸が考える着地点は?  だからといって「検察を動かしゴーンを追い詰めた」と結論付けるのは早急だろう。事実の解明はこれからだ。 しかし、「官邸発」の政策を眺めていると、陰に陽に経産省の動きが見える。 直近でも、消費増税対策の景気浮揚策は、経産省が省内の案をとりまとめて官邸に持ち込んだペーパーのホチキス止めのようだ。 ポイント還元はクレジットカードの利用者が有利になる。クレジット業界は経産省の所管だ。キャッシュレス化は端末機器を作るメーカーの追い風だ。増税の見返りに自動車に対する減税が検討されている。 にわかに動き出した感のある北方領土返還交渉も、日本とロシアの共同開発事業がキモだが、シベリア開発も通産省のころから描かれていた構想である。 出入国管理法を改正して外国人労働者を増やすのは、人手不足対策を求める産業界の働きかけに合わせようというものだ。受け入れを拡大する外国人労働者のあっせんは民間を窓口にする。「ヒト入れ稼業」も拡大するらしい。 経産省内閣といわれる安倍政権だが、官邸は、「ゴーン氏逮捕」や「クーデター」が、“国策”だという疑いをどう晴らし、日仏摩擦の着地点をどう考えているのだろうか』、森友・加計問題を乗り切った官邸には、今回も乗り切れるとタカをくくっているのかも知れないが、海外の目があるだけにそうは問屋がおろさない可能性もあるだろう。

第三に、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が12月5日付けで同氏ブログに掲載した「「組織の論理」によるゴーン氏起訴と「法相指揮権」~最終責任は安倍内閣にある」を紹介しよう。なお、同氏の見解は11月29日のこのブログで紹介した。
https://nobuogohara.com/2018/12/05/%e3%80%8c%e7%b5%84%e7%b9%94%e3%81%ae%e8%ab%96%e7%90%86%e3%80%8d%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%b3%e6%b0%8f%e8%b5%b7%e8%a8%b4%e3%81%a8%e3%80%8c%e6%b3%95%e7%9b%b8%e6%8c%87%e6%8f%ae/
・『東京地検特捜部が、日産・ルノー・三菱自動車の会長カルロス・ゴーン氏を逮捕した事件、逮捕の容疑事実については、検察当局は逮捕直後に「2015年3月期までの5年間で、実際にはゴーン会長の役員報酬が計約99億9800万円だったのに、有価証券報告書には合計約49億8700万円だったと虚偽の記載をして提出した金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)」と発表しただけで、それ以外に正式な発表は全くなかった。何が逮捕事実なのかについて、確かな情報もないまま、断片的な情報や憶測が錯綜し、報道は迷走を続けた。しかし、11月24日に、「退任後にコンサルタント料等の別の名目で支払うことを合意した報酬」だと報じられ、その後、ケリー氏が、「退任後の報酬は正式に決まっていたものではなく、有価証券報告書に記載する必要はなかった」と主張して容疑を否認していることが報じられたことなどから、逮捕容疑が、実際に受領した報酬ではなく「退任後の役員報酬の支払の合意を有価証券報告書に記載しなかった事実」であることは、ほぼ疑いの余地のないものとなった。 このような「退任後の報酬」について虚偽記載の犯罪が成立するのか、マスコミからも疑問視する見方が示されているが・・・検察は、意に介さず勾留延長請求を行い、10日間の延長が認められた。12月10日の延長満期に向けて、検察が本当にゴーン氏を起訴するのかどうかに注目が集まる。 上記記事等でも述べたように、逮捕容疑からは、検察官が、本当にゴーン氏を起訴できるのか疑問だ。しかし、検察は、独自の判断で、国際的に活躍する経営者のゴーン氏をいきなり逮捕し、日本国内だけではなく国際社会にも重大な影響を与えたのであり、もし、ゴーン氏が不起訴となった場合は、国内外から激しい批判・非難を受け、検察幹部は重大な責任を問われることになる。「組織の論理」からは、検察が独自の判断で行ったゴーン氏逮捕を自ら否定するような不起訴の判断を行うことは考えにくい。 検察のゴーン氏処分に関しては、逮捕容疑の内容からすると「起訴は考えにくい」が、検察の「組織の論理」からは「不起訴は考えにくい」という2つの見方が交錯することになる』、検察も経産省や官邸からの後押しがあったためか、ずいぶん思い切ってリスクを取ったものだ。
・『日本の検察制度と特捜部の「検察独自捜査」  そこで、まず、日本の検察制度、組織の特性など、検察独自捜査事件での処分の刑事司法的背景の面から、なぜ「組織の論理」としてゴーン氏の不起訴が考えにくいのかについて述べる。 日本の検察官は、刑事事件について起訴する権限を独占している。その検察官の事務を総括するのが「検察庁」である。検察庁は法務省に属する行政組織であるが、職権行使の独立性が尊重され、法務大臣が検事総長に対して指揮権を行使する場合(検察庁法14条但書)以外には、外部からの干渉を一切受けず、起訴・不起訴の理由について説明責任を負わず、情報開示の義務もない。 そして、日本の刑事裁判所は、有罪率99.9%という数字が示すように、著しく検察寄りであり、殆どの事件で、検察が起訴すればほぼ確実に有罪になる。検察の判断が、最終的な司法判断となるといってもいい。 日本では、犯人を検挙し、逮捕するのは、原則として警察であり、捜査段階での検察官の役割は、警察が検挙した事件や犯人の送致を受けて、捜査の適法性や証拠を評価し、身柄拘束の要否を判断すること、起訴・不起訴を決定することであり、基本的には「客観的な判断者」の立場だ。 しかし、例外的に、検察官が独自に捜査をして、被疑者の逮捕・捜索から起訴までの手続きをすべて行うことがある。それを「検察独自捜査」と呼ぶ。それを行うための組織として、東京、大阪、名古屋の3地検に、特別捜査部(特捜部)が置かれている。 検察独自捜査においては、犯罪の端緒の把握、逮捕など、一般の事件の警察の役割を、すべて検察官とその補助者の検察事務官が行う。検察官は、刑事事件として立件するか否かを判断し、自ら裁判所に令状を請求して逮捕・捜索等の強制捜査を行い、取調べを行った上、その事件の起訴・不起訴を決定する。つまり、検察独自捜査の場合は、捜査から起訴までのすべての判断を検察官だけで行うことができる』、特捜部の特殊性がよく分かった。
・『検察独自捜査での逮捕で「不起訴」はあり得ない  特捜部が「政界、財界等の重要人物」を対象に強制捜査に着手した場合、それによって重大な社会的影響が生じる。それだけに、特捜部の強制捜査着手については、高等検察庁、最高検察庁等の上級庁にも報告されて了承を得ることになっており、組織内で慎重な検討が行われた上、検察の組織内で意思決定される建前となっている。特捜部の強制捜査についての責任は、検察組織全体が負うことになる。 こうした経過を経て被疑者の逮捕が行われるので、逮捕後に想定していなかった事実関係や法律問題が明らかになり、有罪であるか否かに疑問が生じた場合でも、検察が起訴を断念することは、まずない。起訴を断念すれば、検察組織として被疑者の逮捕という判断をしたのが誤りであったと認めることになり、重大な責任が生じるからである。 一方、起訴さえしてしまえば、日本の裁判所では、無罪判決が出される可能性は著しく低いが、それは特捜部の事件で特に顕著である。仮に一審で無罪となっても、一層検察官寄りの上級裁判所が無罪判決を覆して有罪となる場合がほとんどだ。これまで、特捜部が起訴した事件で最終的に無罪になった事件は極めて稀である』、特捜部が動いた場合は殆ど有罪というのは、裁判所が本来の役割を果たしていない場合もあるとすれば、ある意味で恐ろしいことだ。
・『ゴーン氏の逮捕容疑にいかに重大な疑問があっても、ゴーン氏を起訴して有罪にできる確信がなくても、検察の「組織の論理」からすると、検察自らがゴーン氏を逮捕した以上、検察の処分は「起訴」以外にあり得ない。 しかし、今回のゴーン氏の事件については、検察が、その「組織の論理」を貫徹できるのか。マスコミの報道で概ね明らかになっているゴーン氏の事件の逮捕容疑には重大な疑問があり、その後の報道によって事実関係が次第に明らかになるにつれて、疑問は一層深まっている。ゴーン氏を本当に起訴できるのか、と思わざるを得ない』、どういうことだろう。
・『ゴーン氏の逮捕容疑についての重大な疑問  これまでの報道を総合すると、ゴーン氏の「退任後の報酬」についての事実関係は、概ね以下のようなもののようだ。 ゴーン氏は、2010年3月期から、1億円以上の役員報酬が有価証券報告書の記載事項とされたことから、高額報酬への批判が起きることを懸念し、秘書室長との間で、それまで年間約20億円だった報酬のうち半額については、退任後に退職慰労金やコンサルタント料等の名目で支払う旨の「覚書」を締結し、その後も毎年、退任後の支払予定の金額を合意していた。この「覚書」は、秘書室長が極秘に保管し、財務部門にも知らされず、取締役会にも諮られなかった。秘書室長が、検察との司法取引に応じ、「覚書」を提出した。 ここで問題になるのは、(ア)退任後の支払いが確定していたかどうか、(イ)有価証券報告書等への記載義務があるのか、(ウ)(仮に記載義務があるとして)記載しないことが『重要な事項』に関する虚偽記載と言えるか(金融商品取引法197条では、「重要な事項」についての虚偽記載が処罰の対象とされている)、の3点である。 (ア)の「支払いの確定」がなければ、(イ)の記載義務は認められないというのが常識的な見方であり、マスコミの報道も、本件の最大の争点は(ア)の「支払いが確定していたかどうか」だとしているものが大半だ。 しかし、一部には、(ア)の「支払いの確定」がなくても、(イ)の記載義務があるというのが検察の見解であるかのような報道もある。確かに、有価証券報告書の記載事項に関する内閣府令(企業内容等の開示に関する内閣府令)では、「提出会社の役員の報酬等」について 報酬、賞与その他その職務執行の対価としてその会社から受ける財産上の利益であって、最近事業年度に係るもの及び最近事業年度において受け、又は受ける見込みの額が明らかとなったものをいう。とされている。検察は、それを根拠に、未支払の役員報酬も「受ける見込みの額」が明らかになれば「支払いの確定」がなくても記載義務があるとの前提で、ゴーン氏が秘書室長との間で交わした「覚書」によって、退任後に受ける役員報酬の見込みの額が明らかとなったのだから、(イ)の記載義務がある、と考えているのかもしれない』、なるほど。
・『「見込みの額」は「重要な事項」には該当しない  しかし、(イ)の記載義務があるとしても、その記載不記載が、(ウ)の「重要な事項」についての虚偽記載にただちに結びつくものではない。 有価証券報告書には、投資家への情報提供として様々な事項の記載が求められているが、そのうち、虚偽の記載をした場合に犯罪とされるのは「重要な事項」に限られる。これまで、「重要な事項」についての虚偽記載として摘発の対象になったのは、損益、資産・負債等の決算報告書の内容が虚偽であった場合に限られている。それらは、記載の真実性が特に重視され、監査法人などによる会計監査というプロセスを経て有価証券報告書に記載されるものであり、「重要な事項」に該当するのは当然である。 それに対して、役員報酬の額は、会社の費用の一つであり、総額は決算報告書に記載されるが、それとは別に、2010年から、高額の役員報酬の支払は、有価証券報告書に記載して個別に開示すべきとされた。個別の役員の報酬が、会社の利益と比較して不相当に高額である場合には、会社の評価に影響する可能性があり、投資判断に一定の影響を与えると言える。しかし、この個別の役員報酬の記載は、会計監査の対象外であり、報酬額が、会社の利益額と比較して不相応に過大でない限り「重要な事項」には該当しないと考えるべきであろう。 ましてや、支払うことが確定していない将来の支払いであれば、実際に支払われた役員報酬より、投資判断にとって重要性がさらに低いことは明らかだ。上記の内閣府令を根拠に、「受ける見込みの額が明らかになった」ので記載義務はあると一応言えたとしても、投資家の判断に影響する「重要な事項」とは言えないことは明らかであり、それについて虚偽記載罪は成立しない』、説得力溢れる分析だ。
・『最大の争点は「退任後の報酬の支払が確定していたか否か」  結局のところ、ゴーン氏の逮捕容疑に関する最大の争点は、「将来支払われることが確定した」と言えるかどうかに尽きる(マスコミ報道でもその点を最大の問題点と捉えている)。 検察は、ゴーン氏が、毎年の報酬を20億円程度とし、10億円程度の差額を退任後に受け取るとした文書を、毎年、会社側と取り交わしていたことや、ゴーン氏に個別の役員報酬を決める権限があったことなどを重視し、退任後の報酬であっても将来支払われることが確定した報酬で、報告書に記載する必要があったと判断したと報じられている。要するに、役員報酬の金額は、2010年3月期以前も、それ以降も約20億円と変わらず、単に「支払時期」だけが退任後に先送りされたと解しているようだ。 しかし、ゴーン氏に「退任後に支払うこととされた金額」は、単に「支払時期」だけではなく、その支払いの性格も、支払いの確実性も全く異なる。 上場企業のガバナンス、内部統制を前提にすれば、総額で数十億に上る支払いを行うためには、稟議・決裁、取締役会への報告・承認等の社内手続が当然に必要となる。秘書室長との間で合意しただけで、財務部門も取締役会も、監査法人も認識していないというのであるから、ゴーン氏の退任後に、どのような方法で支払うにせよ、社内手続を一から行う必要がある。 報道によれば、検察は、「ゴーン氏に個別の役員報酬を決める権限があったこと」を強調しているようであり、それを「支払いの確定」の根拠だとしているのかもしれない。しかし、「退任後の報酬支払い」を秘書室長と合意した時点では、ゴーン氏が自らの役員報酬を決める権限を有しており、約20億円の役員報酬を受け取ることも可能だったとしても、その一部の報酬の支払いを「退任後」に先送りしてしまえば、話は全く違ってくる。退任後に、コンサルタント料などの名目で支払うことについて社内手続や取締役会での承認を得る段階では、既に退任しているゴーン氏に決定する権限はないのである。 実際に、今回の事件での逮捕の3日後に代表取締役会長を解職され、今後、取締役も解任される可能性が高まっているゴーン氏が、「先送りされた役員報酬」の支払いを受けることができるだろうか。 年間約20億円の役員報酬だったのが、2010年以降、約半分の金額となり、残りは「退任後の支払い」に先送りされたことで、「支払時期を先送りした」だけではなく、確実に支払いを受ける金額は半額にとどまることになった。ゴーン氏の意思で、残りの半額については、支払いの確実性が低下することを承知の上で、退任後に社内手続を経て適法に支払える範囲で支払いを受けることにとどめたということであろう。 結局のところ、日産の執行部や財務部門も認識しておらず、取締役会にも諮られていない以上、支払いの確実性は確実に低下しているのであり、日産という会社とゴーン氏との間で、役員報酬の「支払いが確定した」とは到底言えない。したがって、それを有価証券報告書に記載しなかったことが虚偽記載罪に当たらないことは明らかだ。 しかし、それでも、検察は、「組織の論理」から、ゴーン氏を起訴するであろう』、冷徹な郷原氏の分析は、いつもながらさすがだ。
・『ゴーン氏起訴が日本社会に与える重大な影響  検察の起訴によって、20日間以上の身柄拘束まで行ってゴーン氏に問おうとした「罪状」が、前記のような「退任後の報酬」という事実だけであった場合、その罪状で、日産・ルノー・三菱自動車の3社の会長を務める国際的経営者のゴーン氏を突然逮捕し、ゴーン氏らの取締役会出席を妨害し、代表取締役会長を解職するに至らせたことを正当化できるとは到底思えない。その罪状に比べて不相応に長い身柄拘束など、不当な捜査・処分が行われたことについて、国内外からの激しい批判にさらされることは必至だ。それは、裁判で有罪になるか無罪かという問題ではない。 それが日本社会に与える悪影響は計り知れないものとなる。ルノーの筆頭株主でもあるフランス政府、さらには、ゴーン氏が国籍を持つレバノン、ブラジル等との外交問題に発展する可能性もあり、また、被疑者の長期間の身柄拘束や、弁護士が同席できない取調べによる人権侵害等に対する国際的な批判が高まっている中、ゴーン氏への人権侵害の理由となった罪状が上記の程度のものであったことが明らかになれば、日本の法制度に対する信頼は地に堕ち、日本の企業社会での外国人の活用にも大きな支障を生じさせかねない(八幡和郎氏【日産の強欲は日本の安全保障にも危険】)。 このように考えると、検察が上記「罪状」だけでゴーン氏を起訴することは、日本社会に重大な損失を与えるだけでなく、国益をも損なうものである。 そのような不当な起訴が、検察の「組織の論理」で行われようとしている時、行政権の行使について国会、そして国民に責任を負う内閣は、「検察当局の判断を尊重する」ということで済ませてしまって良いのだろうか』、確かに検察が暴走しかけている時に、安倍政権の姿勢は逃げているだけだ。
・『「検察の権限行使の独立性」と、その例外としての法務大臣指揮権  検察庁も行政機関であり、その権限行使について最終的には内閣が責任を負う。しかし、一方で、検察の職権行使には独立性が認められており、基本的には、捜査、処分や公判対応等について、政府を含め外部からの干渉を受けることはない。 それは、検察の職務が、「個人の犯罪」について法と証拠に基づいて客観的な判断を行い、証拠があれば起訴し、なければ不起訴にするということに尽きるからである。行政機関としての政策判断を行う余地は殆どなく、むしろ、政治的な意図などで外部からの介入が行われると、捜査・処分の公正さに疑念が生じることもあるので、「検察の独立性」が強く保障されている。全国の検察庁で日々、取調べや処分が行われている事件の殆どは「個人的事象」であり、その個人にとっては極めて重大な問題であるが、捜査や処分が社会に対して生じさせる影響は大きくない。このような事件については、事件の軽重に応じて検察庁の内部で「適切な判断」が行われることが重要であり、それで足りる。 しかし、刑事事件の中には、国や社会に重大な影響を与えるものがある。 検察内部で「法と証拠に基づいて適切な判断を行う」だけでは、国の利益、社会の利益を守ることができない、国や社会に重大な影響を与える事件については、内閣の一員で、検察を所管する大臣である法務大臣には、検事総長に対する指揮権が与えられている。 検察庁法14条は、「法務大臣は、検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」と規定している。個々の事件の取調べ・処分などの検察官の権限行使については、法務大臣は、検事総長を指揮し、部下の検察官を指揮させることで、その権限行使に法務大臣の指揮を反映させることができる。 これは、「一般的な事件」については法務大臣が検察庁の捜査や処分に関わることはないが、例外的に、社会に重大な影響を与え、国益にも関わるような「特別の事件」については、法務大臣が検事総長を通じて個別事件の捜査・処分をも指揮することができるという趣旨である。 実際に、「特別の事件」に当たる可能性がある重要事件・重大事件については、法務大臣の指揮を受ける可能性があるので、検察庁では「請訓規定」に基づいて、検事総長、法務大臣両方への報告が行われている。これを「三長官報告」(「法務大臣、検事総長、検事長への報告」)と呼んでいる。行政機関である以上は、検察庁も、国会で選ばれた内閣の指揮監督下にあるという原則を維持する必要があるので、「検察の職権行使の独立性」の例外を設けているのがこの法務大臣の指揮権の規定である。 「特別の事件」の典型が、国家としての主権を守り、他国との適切な外交関係を維持することに影響する「外交上重大な影響がある事件」である。実際に、2010年9月に起きた尖閣諸島沖での中国船の公務執行妨害事件では、那覇地検次席検事が「外交上の影響」を考慮して船長を釈放したことを会見で認めた。それが、当時の民主党内閣の判断によるものであることは明白だったが、外交関係への配慮も含め、すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をするにとどめた。この事件でも、外務大臣も含む内閣の判断が、法務大臣の検事総長への指揮という透明な手続で、刑事事件の捜査・処分に反映されるべきであった』、「指揮権」には悪徳政治家を不当に守るという悪いイメージがあったが、正当な理由があることが理解できた。尖閣事件では、「法務大臣の検事総長への指揮という透明な手続で、刑事事件の捜査・処分に反映されるべきであった」、というのはその通りだ。
・『ゴーン氏起訴に対する安倍内閣の責任  今回の事件でゴーン氏が起訴され、しかも、起訴事実が、上記のような罪状にとどまった場合、フランス政府が筆頭株主のルノーの会長でもあるゴーン氏に対して、日産経営陣のクーデターに手を貸すかのような突然の逮捕をすることを正当化することは到底できない。フランス、レバノン、ブラジル等との外交関係にも重大な影響を生じかねず、また、日本の刑事司法に対する国際的信頼を損ないかねない。 「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」(憲法66条3項)。行政機関である検察の権限行使も、当然、この「行政権の行使」に含まれるのであり、安倍内閣にとって、日本の国益にも社会的利益にも重大な影響を与える事件ついて、検察の「組織の論理」によって起訴が行われ、国益が損なわれようとしている時には、「検察当局の判断に委ねる」ということで済ますことはできない。 「行政各部を指揮監督する」(憲法72条)内閣総理大臣として、法務大臣を指揮する立場にある安倍首相は、法務大臣の指揮権によって検察のゴーン氏起訴を止めることの是非を真剣に検討しなければならない。そこで必要なことは、検察がゴーン氏に対して行おうとしている刑事処分が、検察の「組織の論理」だけでなく、日本の経済社会のみならず国際社会の常識から逸脱したものでないかどうかを、内閣の責任において検討することである。 安倍首相が、「適材適所の閣僚人事」として、検察官・法務省官僚の経験を有する山下貴司氏を法務大臣に任命しているのも、このような場合に、内閣の一員たる法務大臣として、事件の内容や身柄拘束の当否等について検察当局から詳細に報告を受け、適切な対応をおこない得るからであろう。 検察がゴーン氏に問おうとしている「罪状」は、有価証券報告書への役員報酬の記載という上場企業の開示の問題である。役員報酬の虚偽記載、しかも支払方法も確定していない「退任後の報酬」の記載が、投資判断にとって「重要な事項」と言えるかという点は、本来、金融庁の専門領域である。また、その程度の「罪状」による検察の逮捕、長期間にわたる身柄拘束が、先進国の常識を逸脱したものでないか、それが国際社会からどのような批判を招くのかという点は、外務当局において把握できる。 これらの点について、内閣として、慎重な検討を行った上、安倍首相と山下法務大臣との間で協議・検討し、検察のゴーン氏の起訴方針に対する指揮権の行使を検討すべきである。 日本政府は、韓国最高裁の徴用工判決という「司法判断」について韓国政府を厳しく非難しているのであり、ゴーン氏起訴に対する国際的批判が起きれば、「司法判断だ」という理由で批判をかわすことはできない。ましてや、検察は、準司法的性格を有するとは言え「行政機関」である。検察の捜査や起訴に対する批判は、政府として正面から受け止めざるを得ない。 ゴーン氏の事件は、決して同氏個人の問題ではない、日本の国と社会の利害に関わる重大な問題である。検察庁の権限行使に対して、最終的な責任を負うのは、内閣の長たる総理大臣の安倍首相なのである』、極めて説得力に溢れた主張で、大賛成である。
タグ:調査委員会 日経ビジネスオンライン 郷原信郎 ダイヤモンド・オンライン 山田厚史 河合 薫 日産ゴーン不正問題 (その3)(経営者としての「ゴーン礼賛」への大きな違和感 ルノーの仏国内事業所で自殺者が相次いでいるという事実、「日産クーデター」の陰で囁かれる経産省の失地回復の思惑、「組織の論理」によるゴーン氏起訴と「法相指揮権」~最終責任は安倍内閣にある) 「経営者としての「ゴーン礼賛」への大きな違和感 ルノーの仏国内事業所で自殺者が相次いでいるという事実」 ルノーの技術研究所 4カ月間に3人が相次いで自殺 この時のトップこそが、「ミスター コストカッター」 4年間で26車種の新型車発売などを含む中期経営計画 仏メディアは、この計画により開発期間は短縮され、労働環境は著しく厳しくなったと指摘 「週35時間労働制」 人を増やさず、業務量はそのままで労働時間だけを減らし、労働者に過重な負担をさせる例が目立つようになっていた 「ゴーンはKAROUSHI という経営手法を日本から持ち帰ったのか!」と、世間から猛烈な批判 「業績好調」とされるルノーで再び起きている 2013年以降、過労が原因とされる自殺者が10人、自殺未遂者が6人いたことが判明 「経営合理化を目的とする競争力強化プラン」 “犠牲者”と引き換えに会社を守るのが「プロ」? もしリストラが「私腹」をこやすためだったら? クビを切られた自分たちが困窮した生活を強いられる一方で、「切った」人間が後ろめたいやり方で優雅な生活を手に入れていたとしたら? 自分の存在を踏みにじられた悔しさ。 どこに怒りをぶつければいいのかわからない やりきれない思いだけが募り、どうにかつじつまを合わせて封じ込めていたネガティブな感情が、一挙に噴き出す リストラを伴うコストカットを行う経営者にとっての後始末とは何だろう? 犠牲になった社員の心の「つじつま」を“破綻”させるようなことは絶対にしない――というのは、最低限の責務のはずだ 「「日産クーデター」の陰で囁かれる経産省の失地回復の思惑」 「国策」を否定できるか 脱ルノー支配で経産OBの影 6月から日産の非常勤取締役になった経産OB、豊田正和氏の存在感が高まっている 官邸とのパイプを持ち、対外交渉にも経験豊富 「ゴーンのイエスマン」だった人たちが、急に立場を変え、ルノーに立ち向かうほどの力があるのか。疑問のほうが先に立つ ゴーン氏、仏政府と関係修復 「完全統合」に慌てた日産と経産省 ルノー系役員より日産系を増やしたのは、ゴーン氏が独立王国を維持するために方策でもあった 「日産・三菱がフランス企業になってしまっては大ごとだ」という危機感 改選期を迎えるゴーン氏にマクロン大統領が「完全統合するなら、ルノーCEOの再任を認める」と突き付けたといわれ、条件をのんだゴーン氏は、経営統合に動き始めた 「国策捜査」 組織ぐるみで不正な経理処理を行い「粉飾決算」の罪に問われた東芝で、経営者は逮捕されていない 不正が疑われる当人の言い分も聞かず、検察と司法取引していた。知らぬはゴーン氏ばかり 検察にとっては、司法取引で大物を挙げる絶好のチャンス 日産は「完全統合」計画から逃がれる最後の機会 クーデターを正当化できるとすれば、理屈は2つ ゴーン氏の不正は会社で処理できないほど巧妙で悪質だ 「ルノー・日産の不平等条約の改定」という大義の訴え 外資に奪われた失地回復で共鳴 「東大・興銀・通産省」 トヨタ、ホンダは役所になんと言われようと自社の利益を優先したが、日産は役所の意向に沿って業界をまとめる損な役割を演じてきた ルノーなら怖くない、と甘く見た 「ゴーン独裁」は、結局、ルノーに救済された副作用 元気になるにしたがい日産内部にはゴーン氏への反発が広がり、ルノーに利益や技術を吸い取られるのはおかしい、という空気が充満するようになった 「経産省内閣」の官邸が考える着地点は? 官邸は、「ゴーン氏逮捕」や「クーデター」が、“国策”だという疑いをどう晴らし、日仏摩擦の着地点をどう考えているのだろうか 「「組織の論理」によるゴーン氏起訴と「法相指揮権」~最終責任は安倍内閣にある」 「組織の論理」からは、検察が独自の判断で行ったゴーン氏逮捕を自ら否定するような不起訴の判断を行うことは考えにくい 逮捕容疑の内容からすると「起訴は考えにくい」が、検察の「組織の論理」からは「不起訴は考えにくい」という2つの見方が交錯 日本の検察制度と特捜部の「検察独自捜査」 検察独自捜査での逮捕で「不起訴」はあり得ない ゴーン氏の逮捕容疑についての重大な疑問 「退任後の報酬」 「支払いの確定」がなければ、(イ)の記載義務は認められないというのが常識的な見方であり、マスコミの報道も、本件の最大の争点は(ア)の「支払いが確定していたかどうか」だとしているものが大半だ 一部には、(ア)の「支払いの確定」がなくても、(イ)の記載義務があるというのが検察の見解であるかのような報道もある 「見込みの額」は「重要な事項」には該当しない 最大の争点は「退任後の報酬の支払が確定していたか否か」 総額で数十億に上る支払いを行うためには、稟議・決裁、取締役会への報告・承認等の社内手続が当然に必要となる 任後に、コンサルタント料などの名目で支払うことについて社内手続や取締役会での承認を得る段階では、既に退任しているゴーン氏に決定する権限はない 日産の執行部や財務部門も認識しておらず、取締役会にも諮られていない以上、支払いの確実性は確実に低下 ゴーン氏起訴が日本社会に与える重大な影響 「検察の権限行使の独立性」と、その例外としての法務大臣指揮権 ゴーン氏起訴に対する安倍内閣の責任 日本の国益にも社会的利益にも重大な影響を与える事件ついて、検察の「組織の論理」によって起訴が行われ、国益が損なわれようとしている時には、「検察当局の判断に委ねる」ということで済ますことはできない 法務大臣を指揮する立場にある安倍首相は、法務大臣の指揮権によって検察のゴーン氏起訴を止めることの是非を真剣に検討しなければならない 検察の「組織の論理」だけでなく、日本の経済社会のみならず国際社会の常識から逸脱したものでないかどうかを、内閣の責任において検討 ゴーン氏の事件は、決して同氏個人の問題ではない、日本の国と社会の利害に関わる重大な問題である。検察庁の権限行使に対して、最終的な責任を負うのは、内閣の長たる総理大臣の安倍首相なのである
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機構資本主義批判(「機構資本主義」の影 自分の城 自ら守る気概を、官製ファンドはすべて解散せよ、産業革新投資機構vs.経産省 取締役9人辞任の裏側 経産省が狙う「ゾンビ救済ファンド化」に歴戦のプロたちが反旗、産業革新投資機構 「役員大量辞任」の衝撃 官民ファンドvs経産省で問う国の関わり方) [経済政策]

今日は、機構資本主義批判(「機構資本主義」の影 自分の城 自ら守る気概を、官製ファンドはすべて解散せよ、産業革新投資機構vs.経産省 取締役9人辞任の裏側 経産省が狙う「ゾンビ救済ファンド化」に歴戦のプロたちが反旗、産業革新投資機構 「役員大量辞任」の衝撃 官民ファンドvs経産省で問う国の関わり方)を取上げよう。

先ずは、タイトルの参考になった古い記事の見出しだけ紹介しよう。それは、2012年4月10日付け日経新聞「「機構資本主義」の影 自分の城 自ら守る気概を ニッポンの企業力 第5部 国依存の先へ」である。中身の紹介は、旧聞に属するので省略する。

次に、財務省出身で慶應義塾大学准教授の小幡 績氏が本年12月6日付けNewsweek日本版に寄稿した「官製ファンドはすべて解散せよ」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2018/12/post-31.php
・『<9月に発足したばかりの官民ファンド、産業革新投資機構と経済産業省が対立している。経産省側が機構の経営陣にいったん提示した高額報酬を、高過ぎると引っ込めたからだ> 産業革新投資機構(JIC)の問題が報道されているが、報道されている限りでは、明らかに政府、経済産業省の行動があり得ないもので、これでは機構側は対立せざるを得ない。 高額報酬が問題なら人材は集まらないし、今回の問題は、政府側が、あいまいなルールにしておいて、後で介入できる余地を残しておこうとした姿勢、考え方が根本的な問題なのだ。 投資はリターンを追及するものであり、政治的な配慮が少しでもあった瞬間に崩壊する。これまでのいわゆる官民ファンド(実態からいって、私は官製ファンドと呼ぶべきだと思っているが)がすべて失敗に終わっているのはそれが理由だ。 GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)もあれだけのリスクをとるのであればもっとリターンが出るはずで、実際に企業年金基金にパフォーマンスは劣っている』、GPIFのパフォーマンスについては、やはりそうかという他ない。
・『この問題点を解決するために、今回の投資機構は政府の介入を完全に排除し、すべてリターン優先で、という考え方を貫徹するために作ったものであり、それを根本から崩壊させる、政府が出資しているのだから口出しできないのはおかしい、という議論を声高に主張する政府の関係者(一部かもしれないが)は100%間違っている。 私は、そもそも、今回の革新投資機構にも当初から強く反対しており、その理由は、政府が(政治が)介入しないわけがない、と思っていたからで、これだけの人材を集め、これまでとは違うと強調されても、まったく信じていなかったから、やはり、というだけで、怒りも批判する気もない。 そもそも、官製ファンドなど日本では不可能なのだ』、財務省を飛び出してからは、御用学者になる道を捨てた筆者らしい歯切れ良い批判だ。
・『政治のレベルが低すぎる  日本の政治のあり方からして、日本にはそんなことはできない。GPIFがリスクをとることに反対なのも、同じ理由だ。 投資業界や金融業界の所得や金銭感覚には強い嫌悪感があるが、それが現実であるなら、投資を本気でするなら仕方がない。 もっといえば、政治のレベルが極端に低すぎて、何もまともな改革はできないのだが、それがもっとも顕著に現れるのが投資の領域だ。 ひとつ意外だったのは、今回の動きは政治家サイドの愚かさから生じたものだと思っていたが、報道を聞いていると、どうも経済産業省の官僚サイドの幹部もそのような意見のようなニュアンスがあることだ。もしそうだとすると、日本の官僚(少なくとも経済産業省)の終わりを意味する。 いまだに自分たちが日本でもっとも優秀であり、民間でできることは自分たちが本気でやれば何でもできると勘違いしていること、日本を、世の中をコントロールできると勘違いしていることを示している。 これが事実なら、私のこれまでのかすかな政府に対する期待もはかなく消えることになる。 もし官僚ではなく、これまでどおり政治サイドの問題であったとしても、いずれにせよファンドはうまくいかない。 すべての官製ファンドはただちに解散せよ』、痛烈な政治、官僚批判は、読むだけでスッキリするから不思議だ。

第三に、日経ビジネス出身のジャーナリストの大西 康之氏が12月11日付けJBPressに寄稿した「産業革新投資機構vs.経産省 取締役9人辞任の裏側 経産省が狙う「ゾンビ救済ファンド化」に歴戦のプロたちが反旗」を紹介しよう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54916
・『「官民ファンド」産業革新投資機構(JIC)の田中正明社長ら、民間出身の取締役9人全員が10日、辞任を表明した。経産省からの「高額報酬批判」に端を発した経産省とJIC経営陣の喧嘩だが、この日、記者会見した田中氏は「民のベストプラクティスでやれると思ったが、(実態は)国の意思を反映する官ファンドだった」と語り、争点は「報酬ではなく方針」と主張した。安倍内閣による長期政権が続く中、「官と政の奢り」が民のプライドをないがしろにした結果である』、「争点は「報酬ではなく方針」」との主張よりも、マスコミ報道の多くは報酬問題に焦点をズラしたのは残念だ。
・『日経電子版が辞任の第一報  12月9日、午後11時過ぎ、日経電子版が「JIC経営陣 辞任へ」と第一報を流した。すぐさま情報筋にアクセスすると「明日の午後、記者会見する予定だ」と返事があった・・・永楽ビルに押しかけると、すでに受付が始まっており、会場は満員で後ろにはテレビカメラの三脚が林立している。大手メディアには何時間も前から知らせていたようだ。 午後1時、田中社長が登場し、カメラのフラッシュが焚かれる。 三菱UFJ銀行で副社長を務めた田中氏は米国勤務が長く、海外の投資家とも太い人脈を持つ。田中氏以外の8人を確認しておくと 金子恭規 代表取締役副社長 佃秀昭 代表取締役専務COO 戸矢博明 代表取締役CIO 坂根正弘 社外取締役 取締役会議長 冨山和彦 社外取締役 報酬委員会委員長 星岳雄 社外取締役 保田彩子 社外取締役 和仁亮裕 社外取締役』、なるほど。
・『辞任を決めた「その道のプロフェッショナル」たち  金子氏は、元内科医で投資銀行のパリバ・キャピタル・マーケッツの法人事業部長を務め、自ら米国でバイオ専門のベンチャーキャピタルを経営している「海外投資のプロ」。 佃氏は三和銀行から、企業のガバナンスに強いコンサルタント会社エゴンゼンダーに転じ日本法人の社長を務める「ガバナンスのプロ」。 戸矢氏は大蔵省(現財務省)を飛び出し、投資銀行のゴールドマン・サックスを経てアクティブ(物言う)投資家になった「投資のプロ」。 そこに、産業界の「ご意見番」で、安倍首相の知恵袋でもある小松製作所相談役特別顧問の坂根氏と、初代産業再生機構のメンバーで、日本の再生ファンドに黎明期から関わってきた経営共創基盤CEOの冨山氏、日本の金融システムに詳しく(競争力を失った大企業を国が支える)ゾンビ企業の研究などで知られるスタンフォード大学教授の星岳雄氏らが社外取締役として加わる。 「日本でソブリン・ウェルス・ファンド(SWF)を立ち上げるなら、ベストに近いメンバー」(金融業界関係者)というメンツが、全員辞任するのだから、ただ事ではない』、確かにこれだけのプロ集団が、政府に反旗を翻して辞任するというのは、政府の大失点だ。
・『記者会見では辞任する9人のコメントをまとめた資料も配られた。 「今回の混乱の経緯はともかく、官側の提案に基づいて取締役会で正式決議したことを根底から覆されたことと、両者間の信頼関係が修復困難な中で、今後取締役会議長としてガバナンスを遂行することに確信がもてなくなった」(坂根氏) 「まことに残念なことですが、これでは内外のトッププロフェッショナルを集め(中略)、グローバルな一流どころと組んで仕事をすることは今後、極めて難しいと見るべきでしょう」(冨山氏) 「産業革新投資機構が、ゾンビの救済機関になろうとしているときに、私が社外取締役に留まる理由はありません」(星氏) その道のプロたちが「本格的なSWFを立ち上げよう」意気込みで集結したのに、経産省(や官邸)に翻弄された悔しさが滲み出ている。 田中氏の発言で一番、印象に残ったのは、「(JICでは)民のベストプラクティスを生かすのだと思っていたが、(実態は)国の意向を反映する官ファンドだった」の一言だった。 JICはすでに、金子氏らの活躍により、米国西海岸で最大2000億円の投資枠を持つバイオベンチャー向けの投資ファンドを立ち上げる手続きに入っていたが、経産省と財務省の待ったで白紙になった。 田中氏は「せっかく集めた優秀な人材が雲散霧消してしまった」と悔やんで見せた』、今回の経産省内の動きの真相はまだ明らかではないが、改革派の担当官が作成した報酬や基本方針についてのメモが、次官までが承認された上で田中氏に渡していたということは、官邸からの強い巻き返しの圧力があったのだろう。
・『政府がやらせたかったのは「ゾンビ企業の救済」  田中氏らがやりたがっていたベンチャー投資を止めてまで、国はJICに何をやらせたかったのか。それは紛れもなく、星氏が指摘している「ゾンビ企業の救済」だろう。 JICの前身で現在も活動している産業革新機構(INCJ、志賀俊之代表取締役会長)は、総合電機の負け組液晶事業の寄せ集めであるジャパン・ディスプレイ(JDI)に2750億円、ルネサスエレクトロニクスに1383億円を出資している。国際競争力を失った日本の総合電機の延命に巨額の税金を投じているのだ。 JICは「ゾンビを救済しない」と決めていたはずだが、そこに民と官の思惑の違いがあった。官はやはり、税金を使ってゾンビ企業を救済したいのだ。例えば債務超過を免れるための東芝メモリ売却にはINCJが一枚噛んでいるが、メモリ事業を手放した東芝はゾンビ予備軍である。トルコの原発輸出が厳しくなった三菱重工業も陸海空で失策が続く。経団連会長を輩出している日立製作所とて、盤石ではない。ゴーン前会長逮捕で揺れる日産自動車もゾンビになる恐れがある。 官は公的資金の注入をチラつかせながら、こうした企業の再編を主導することで存在感を増したいのだろうが、それは「健全な金融機能の強化による日本の産業競争力強化」を掲げたJICと真逆の道である。今回は官に三行半を叩きつけた9人に拍手を送りたい』、今回負けた改革派官僚を除けば、その通りだ。官僚の背後には政治があるので、こうした日本の政官の体質はやはり変わってないようだ。

第四に、慶應義塾大学 経済学部教授の土居 丈朗氏が12月11日付け東洋経済オンラインに寄稿した「産業革新投資機構、「役員大量辞任」の衝撃 官民ファンドvs経産省で問う国の関わり方」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/253927
・『官民ファンドの1つ、「産業革新投資機構」(JIC)が大揺れに揺れている。トップの高額報酬に絡み、所管する経済産業省との間で内紛が表面化。両者の確執は解消しそうになく、産業革新革新機構では田中正明社長をはじめ、民間出身の取締役全員が辞任する見込みだ。 産業革新投資機構は、前身である産業革新機構を2018年9月に改組して発足した、国内最大級の投資会社だ。前身の産業革新機構は2009年7月、産業や組織の壁を越えて、オープンイノベーションにより次世代の国富を担う産業を育成・創出することを目的に、2024年度末までの期限で設立された。設置期限を設けるのは政府の出資が民業圧迫にならないようにするためである。民間ファンドだけではできないリスクテイク機能を果たすべく、民間とともに政府からも出資し、中長期のリスクマネー、すなわちエクイティー投資の出し手となることが期待された。 そもそも官民ファンドとは、企業に対する出資、貸し付け、債務保証、債権の買い取りなどを行うことを念頭に、国から出資などを受け、民間からの出資も交えて設立した、株式会社等の形態をとるファンドである。政府の成長戦略の一環として、民業補完を原則とし、民間で取ることが難しいリスクを取ることにより民間投資を活発化させ、民間主導の経済成長を実現することを目的として設立された。特に第2次安倍晋三内閣以降、11もの官民ファンド(13法人)が立ち上がった』、「民間で取ることが難しいリスクを取る」というのは、「市場の失敗」を官がカバーするというのが大義名分だが、これは官によりいくらでも経済合理性が歪められる落とし穴である。
・『ジャパンディスプレイやルネサスを手がけた過去  2009年に設立された産業革新機構は、2016年度末までに114件の支援を手がけ、1兆2483億円の利益を上げた。ただ、その利益は、半導体大手のルネサスエレクトロニクスの株式の含み益が多くを占めるとみられる。他方、当初のもくろみだったベンチャー投資では、多くの案件で収益の回収に苦しんでおり、液晶大手のジャパンディスプレイなど経営不振企業の救済色の強い案件で収益を稼いでいるのが目立った。経営再建中のシャープのように、外資による日本企業の買収を阻止するための対抗馬として担がれることもあった。 そうした中、経産省は省内で2017年10月から検討を進め、同年12月に産業革新機構を改組する方向を打ち出した。産業競争力強化法を改正する形で、第4次産業革命関連などの重点政策分野に投資を絞り、新たな投資基準を策定して透明性を高めて、管理機能と投資機能を分離した新機構を新設することにしたのだ。 その動きに追い討ちをかけたのが、2018年4月に出された「官民ファンドにおける業務運営の状況について」と題した、会計検査院の報告だった。産業革新機構を含む14官民ファンド(16法人)について、投資損益を調べたところ、2016年度末時点で全体の4割強にあたる6つが損失を抱えた状態になっていることが明らかとなった。これで官民ファンドのあり方を見直す機運が高まった。 この会計検査院の検査報告以前から、産業革新機構は分割新設されることが決まっていた。それが官民ファンドが乱立したことによって、間接部門の経費が過大になり人材確保も難しくなっている点で、改組のあり方に影響を与えたといえる』、官民ファンドの乱立を問題視しているところは御用学者の筆者らしいが、真の問題は官民ファンドという存在そのものにある筈だ。
・『そうした背景もあって産業革新投資機構は2018年9月にスタートを切った。社長には三菱UFJフィナンシャル・グループの元副社長で、買収した米銀のトップを務めるなど国際派として知られる田中氏を起用。プロの経営者にファンドを運営してもらい、成功した暁にはしかるべき報酬を与えることも当初は視野に入れていた。 産業革新投資機構はAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)など革新的な分野に投資して新規事業を創造したり、「ユニコーン」と呼ばれる企業価値の高い非上場企業にも資金を供給したりすることをもくろんでいる。目下予算編成が佳境に入っている2019年度予算で、経産省は産業革新投資機構の投融資規模を拡大させるため、必要な政府出資の積み増しなどに1600億円の予算要求をした』、当初は改革派官僚が立案したらしいそれなりの形にはなっていたようだ。
・『予算と株主は財務相、所管は経産相  この予算から官民ファンドの複雑な成り立ちが浮かび上がる。政府から官民ファンドへの出資は、当然ながら予算の裏付けがなければできない。その予算は何か。 国民が納める税金が裏付けだと、出資が毀損したら、税金が水の泡と消えてしまう。さすがに大切な税金をそうしたリスクテイクには使えない。そこで国の予算制度では、財政投融資にそうした機能が果たせる仕組みを設けている。それは産業投資と呼ばれる。 もとをたどれば産業投資は、アメリカが戦後復興の支援として拠出した資金にさかのぼるが、近年では電電公社や専売公社の民営化に伴い、NTTやJTの株式を売却して得た資金などが原資となっている。その資金は現在、財政投融資特別会計投資勘定で管理している。特別会計であれ、その予算は、国会の議決を経なければ執行できない。 前身である産業革新機構をはじめとする官民ファンドの多くに対し、政府からの出資金(株式会社形態のファンドは株式)は産業投資から出資され、財政投融資特別会計投資勘定において管理されている。財政投融資特別会計は財務省の所管。産業革新投資機構の株式の約95%は政府出資で、その株主は財務大臣である。 一方、JICの業務を所管しているのは、経済産業省。ここに官民ファンドの予算と統治が、省庁縦割りになっていることが浮かび上がる。産業革新投資機構の場合、予算と株主は財務相だが、業務を司る主務大臣は所管する経産相なのである。 今回の産業革新投資機構トップへの高額報酬は、「政府出資の株式会社なのに民間大企業並みに報酬を出していいのか」という批判に端を発している。しかし、もともとはプロの経営者を招聘して、官民ファンドの再構築を図るつもりだったから、後ろめたくなければ、その批判はかわせたのではないか。 各種報道によると、経産省は「報酬が高すぎる」との批判を受けて、11月に一転して、産業革新投資機構に報酬について方針転換を伝えた。田中社長は報酬案の変更には応じたが、設立時の合意とは異なる要求が含まれていたため、経産省からの方針転換には応じなかったという。 このいきさつを、なんと異例なことに、経産省がニュースリリースとして12月3日に発表したのだ。「経済産業省は、平成30年11月28日(水曜日)に株式会社産業革新投資機構から申請のあった、『平成30事業年度産業革新投資機構予算変更の認可について(申請)』について、12月3日付けで認可しないこととする決定を行いました。」というもの。加えて、世耕弘成経産相は12月4日、自らの監督責任を問い、大臣給与を1カ月自主返納すると発表した。ただ、産業革新投資機構と経済産業省の対立は根深いようで、2019年度予算の1600億円もの追加出資の予算要求を、経産省は取り下げる検討に入った。 こうして両者の対立は修復不可能な事態に至り、産業革新投資機構の民間出身の取締役は全員辞任する意向を固めた。 この事案は官民ファンドのあり方について大きな問題提起となる。官民ファンドといえども、株式会社形態をとるファンドは会社法が適用され、民間企業と同じ企業統治(コーポレート・ガバナンス)が求められる。しかし、大株主は日本政府(財務相)。株主たる政府として官民ファンドにどう関わるか、設立されてから今に至るまで、きちんとした整理がついていないことが今回の事案で浮き彫りとなった』、官民ファンドには矛盾点があるにも拘らず、これまで指摘してこなかった筆者にも責任の一端がある。
・『一律的に高い低いは、決められない  企業統治がしっかりした民間企業なら、株主(の代理)が経営責任者に直接、報酬の多寡について話をすることは通常ありえない。しかし、今回は経産省側から田中社長に報酬の多寡について直接提案をしている。産業革新投資機構には、設立当初から報酬委員会が設けられており、本来はそこで決められるものであって、株主として不服があるならば、株主として正式な手続きを経て提案したり、株主総会で議論したりすべきものだ。そうした統治の手続きがきちんと確立していないことが報酬の多寡以前の問題としてある。 また、官民ファンドの経営者としてプロの民間人を招聘するからには、しかるべき報酬を出さなければ、優秀な経営者がその任に就いてくれないという可能性がある。それなら経営者の権限と責任に応じた報酬体系を考えるべきだ。単に一律的に、独立行政法人や官僚機構など他の政府関係の組織の報酬と比較し、決めるべきものではない。大臣の給与より高くしてはならないとか、事務次官並みならいいとか、そういう次元で決めるべきではない。 これらは官民ファンドに存立意義があることを前提とした企業統治の課題といえる。そもそもの問題として、そうした官民ファンドが必要なのかという疑問に、しっかりと国民に向けて責任ある答えを示せなければ、その意義はない。産業投資は、補助金ではなく、出資という形態をとった財政政策の一手段である。民間でのリスクテイクが不十分というのが、今のところの官民ファンドの意義の1つとなっている。今後、官民ファンドの意義を政府や主務官庁がどこまで国民に納得できる形で説明できるかが、問われてくるだろう』、政府に説明を求めることもさることながら、財政学者たる筆者自身の考え方を示すべきだろう。私自身は小幡氏と同意見で、官民ファンドとは政官にとって使い勝手のよい「財布」に過ぎず、止めるべきと考える。
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