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いじめ問題(その7)(“いじめ自殺” 遠い真相解明 ~検証 第三者委員会~、鹿児島男子高校生「いじめ」自殺 県と県教委で判断が分かれた理由、日本の学校から「いじめ自殺」がなくならない根本理由 先生がいじめた末 生徒は飛び降りた…) [社会]

いじめ問題については、11月15日に取上げた。今日は、(その7)(“いじめ自殺” 遠い真相解明 ~検証 第三者委員会~、鹿児島男子高校生「いじめ」自殺 県と県教委で判断が分かれた理由、日本の学校から「いじめ自殺」がなくならない根本理由 先生がいじめた末 生徒は飛び降りた…)である。

先ずは、7月30日付けNHKクローズアップ現代+「“いじめ自殺” 遠い真相解明 ~検証 第三者委員会~」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4166/index.html
・『“いじめ”を受けた子どもの自殺が相次ぐ中、その背景や真相を究明する調査が様々な壁にぶつかっている。先月、神戸市で、いじめに関わる一次資料を市の教育委員会担当者が隠蔽していたことが発覚。一方、調査を担当する全国の「第三者委員会」では、遺族との信頼関係を築けず報告書を完成させられないなど、“機能不全”ともいえる事態が起きていることも分かってきた。当事者の生の声を取材し、どうすれば、いじめの真相を明らかにし、再発防止につなげられるのか考える』、いつまでも続く“いじめ”の第三者委員会を掘り下げた意味は大きい。
・『いじめ 親に立ちはだかるカベ “今さら出せない…” 隠蔽の実態  いじめを受け、みずから命を絶った14歳の少女。その母親と教育委員会のやり取りです。 少女の母親 「のけものにされたり悪口言われたり、毎日のように孤立させられて、心身の苦痛を感じないはずがないですよね。」「娘はいじめを受けていた」と訴える母親。しかし…。 教育委員会 担当者 「学校としていじめがあったと報告を上げるときは、必ず指導をしたということが必要。(いじめたとされる生徒)は何も指導されていない。問題行動(いじめ)としてあげられない。」 少女の母親 「だから(いじめに)含まれていない。」 教育委員会 担当者 「そういうことかな。指導して初めて、加害・被害があって問題(いじめ)となる。」 担当者は、学校が指導していない以上、いじめは認められないと繰り返しました』、こんな形式論を振りかざす担当者がいるとは、信じ難い。
・『しかし…。「誠に申し訳ございませんでした。」その教育委員会が、いじめはあったと認め、先月(6月)、実態が記されたメモの隠蔽を謝罪しました。  NHKが独自に入手したメモです。亡くなった少女の友人が、いじめの状況を教師に報告していました。少女は仲間はずれに遭い、学年の中心的なグループから嫌がらせを受けていたと克明に記されています。 少女の母親 「娘の自画像です。小さいころから暇さえあれば絵を描いていて。」 神戸市の中学校に通っていた少女は、おととし(2016年)、自宅近くの川でみずから命を絶ちました。亡くなる前、学校を休みがちになっていた娘に、母親は何度もその理由を尋ねてきたといいます。 少女の母親 「分からなかった。何回も聞いたし、何か悩みがあるんだったら本当に教えてほしかったんですけど、『何もない』『大丈夫』『友達はいる』としか答えてくれなかった。」 母親は娘が亡くなったあと、いじめを受けていたと確信するようになりました。それはなぜか。母親はみずから、同級生や教師、のべ50人に聞き取りを行ってきました。 “顔面凶器と言われていた。” “消しゴムのカスを投げられていた。” 母親は証言をもとに、繰り返し教育委員会や学校にただしてきました。 少女の母親 「みんなが『いじめがあった』と教えてくれた。そういった生徒が10人以上いるのに、なんであがってこないのでしょう。」 しかし担当者は、明確に答えようとはしませんでした。 教育委員会 担当者 「よく分からないですよね、実態は。周りの子も『大きな話ではなかった』という感覚だったのかなと。」 聞き取りを始めて4か月後、母親は隠蔽されたメモの存在を知ります。教育委員会に提示するよう求めましたが、回答は「記録として残していない」というものでした。 少女の母親「生徒たちが事件直後に必死の思いで語ってくれた貴重な証言であるはずなのに、なかったことにされようとしている。すごく不安を覚えました。」 隠蔽されていたメモは、学校に保管され続けていました。教育委員会が存在を否定していることを知った教師が、新しく着任した校長に「メモはある」と伝えます。校長は、教育委員会の部長や課長に報告。しかし、具体的な対応はありませんでした。 さらにその7か月後、母親の再三の訴えを受けて、校長は改めて教育委員会の別の幹部に「メモはある」と報告。教育委員会はようやく確認に動き、メモの隠蔽を認めたのです。少女が亡くなってから、1年半余りがたっていました。 神戸市教育委員会 長田淳教育長 「組織としての体をなしていない。きわめて不適正で、決して許されるものではなく、誠に申し訳なく思っております。」 隠蔽の裏で何があったのか。「メモはない」と伝えた教育委員会の担当者は…。“今さら出すことはできない。” “メモを今開示すれば事務処理が煩雑になる。” “先生、腹くくってください。” 母親は、メモが最初から示されていれば、これほど苦しまず、原因究明ももっと早くできたのではないかと考えています。 少女の母親 「最初に隠されてしまったことで、知る機会を、みんなの記憶も曖昧になってきて、大事な最初の機会を失ってしまった。逃してしまった。とても許しがたい。」』、教育委員会には独立性が重要であるとはいっても、こんな不誠実な委員たちを処分することすら出来ないとしたら、制度の見直しが必要だろう。
・『“いじめ自殺”なくならない隠蔽 なぜ?遠い真相解明  武田:なぜ、わが子の命が失われたのか。少しでもその手がかりを知りたいという保護者の切実な願いを踏みにじるような、教育委員会の対応。過去にもたびたび繰り返されてきたことが、まだなくならないことに強い憤りを感じます。 鎌倉:今、子どもたちは夏休み中ですが、1年の中でも夏休みが明ける前後に、子どもたちの自殺が集中しています。 武田:1人もいじめで命を絶つ子どもが出ないために、どうしたらいいのか。越えるべき課題はまだ残されています。 鎌倉:それが、いじめの真相解明と、再発防止のために調査を行う組織、「第三者委員会」の在り方です。全国でいじめを巡る問題が相次いだことをきっかけに、5年前、法律が制定され、各地で組織されるようになりました。大学教授や弁護士、医師などの専門家が、第三者の視点で詳細な調査を行うことになっています。 ところが、この第三者委員会が機能不全に陥っているケースがあることが、NHKの取材で明らかになりました。これまでに設置された、いわゆる第三者委員会は少なくとも69件で、そのうち13件で遺族から調査のやり直しや委員の交代を求められ、真相解明に長い時間がかかっているというのです・・・一体何が起きているのでしょうか』、第三者委員会は企業の場合でも経営者の保身のためではとの批判も多いが、教育の場でも問題山積のようだ。
・『募る親の不信感 なぜ課題が?第三者委員会  おととし8月、みずから命を絶った葛西りまさん。当時13歳。手踊りが大好きな中学2年生でした。りまさんは、スマートフォンに遺書を残していました。 “突然でごめんなさい。ストレスでもう生きていけそうにないです。” “もう、二度といじめたりしないでください。” “本当に13年間ありがとうございました。いつか、来世ででもりまが幸せな生活をおくれる人になれるまで、さようなら。また、会おうね。” 父親の剛さんです。なぜ、娘は亡くならなければならなかったのか。その真相を知りたいと思い続けてきました。 りまさんの父親 葛西剛さん「本当にいつでも帰ってきていいように、毎日ごはんも準備していますし、新しい服なども買っていますし。ただ、周りでは卒業式だったり入学式だったり、記念するべき日が来るたびに、なぜ、りまはいないんだという現実を突きつけられて、もうこんな季節なのかと。」 りまさんが亡くなってまもなく、大学教授や医師などからなる第三者委員会が立ち上がりました。第三者委員会はまず、全校生徒にアンケートを実施。さらに遺族から、りまさんのSNSの記録などを提供してもらい、生徒や保護者など、のべ100人に聞き取りを行いました。そして7か月後、報告書の原案を遺族に提示しました。しかし、父親の剛さんは、そこにあった初めて見る言葉にがく然としたといいます。りまさんが、「思春期のうつ」であったと推測されると書かれていたのです。 りまさんの父親 葛西剛さん「今まで私たちが聞いたことがない言葉。“思春期のうつ”だと。いじめという単純なものではないと書かれていて。」 不信感を募らせた剛さんは、第三者委員会に、思春期のうつと判断した根拠を求めました。しかし、納得できる説明はされませんでした。 りまさんの父親 葛西剛さん「(娘と)会ったこともない、診断したこともない方に、勝手にうつにされているのです。許せるはずがありません。私たちとしては二度殺された思いです。」 第三者委員会の会長として調査にあたった、社会学が専門の大学教授・櫛引素夫さんです。委員の多くは、初めての経験で、何をどこまで行えばいいのか手探りだったといいます。 前『第三者委員会』会長 櫛引素夫さん「実際には、本当に手探りで全て私たちは進めておりました。」 いじめの調査に関する文部科学省のガイドラインには「遺族に寄り添うこと」、そして「丁寧に説明すること」などが書かれています。しかし、具体的なことは現場の判断に任され、遺族が求める説明を尽くせなかったといいます。 前『第三者委員会』会長 櫛引素夫さん「結果的にご遺族の悲しみ・苦しみを強めたなら、寄り添っていない。いじめを防ぐための視点、志と、詳細調査を進める志。もう1つ、傷ついているご遺族に寄り添って一緒に悼み、一緒に泣く。その3つの心が必要だということを、僕は実感しました。でも3つの心を、1つの体、1つの心で持ち合わせることは、極めて難しかった。」 りまさんが亡くなって、もうすぐ2年。第三者委員会はメンバーを入れ替え、今も調査が続いています。 りまさんの父親 葛西剛さん「待っている時間ですら、相当苦痛を強いられる状況。私たちのような家族は二度と出てほしくないと、それは強く望んでいます。」』精神科医でもない委員たちが「思春期のうつ」を示唆したのは、学校側の責任を回避するためなのだろうが、最もやってはならないことをした大失態だ。
・『遠い真相解明 いま現場で何が?  ゲスト尾木直樹さん(教育評論家) ゲスト横山巌さん(日本弁護士連合会子どもの権利委員会・文部科学省いじめ防止対策協議会委員) ・・・尾木さん:基本的に、委員会の役割というのは事実をどう解明していくのかということですから。ご遺族にもあたって、「こういう点はどうだったんですか」というふうに聞き取り調査をするのは当然ですから、そういうことをやっていけば、お焼香するだけではなくて、いろんな中身について踏み込んでいくということをやっていくほうが、逆にご遺族の信頼は勝ち取ることができると思います。 武田:もうひと方、弁護士で文部科学省の委員としていじめ問題に取り組む横山さん。第三者委員会がわれわれの取材で、各地で壁にぶつかっているという現実も見えてきたわけですけれども、なぜこんなことになっているのでしょうか? 横山さん:まず、ご遺族との信頼関係が構築できていないというケースが多いのではないかというふうに思っています。ポイントとしては、僕は2つ考えたのですが、まず事実の徹底的な解明というのが十分なされたかどうか。ご遺族の立場からすると、何があったのかということを知りたいというのが、第一だと思うんですね。その点がどうだったかというのがまず1つ。2つ目は、文科省の指針でも出ていますが、「寄り添い」がしっかりできていたのかというところがあると思います。その寄り添うというのは、僕は3つ考えられると思うんですけれども、1つは委員会のほうで収集した情報を、どれだけ開示がしっかりできているか。ご遺族のほうのご意見、あるいはご意向をどれだけ聞くことができるか、何度も何度もそこは繰り返すことが必要だと。あと最後は、亡くなった子どもの視点から、その事案をしっかりと見ていってくれているのかどうかというところが、すごく大きいと思います。検証的に大人があとから見て「これはこうだった」ということではなく、そのときの子どもの立ち位置、例えば高校生、中学生であれば学校生活がすべてですよね。その中で追い込まれていった、その子どもの視点で問題を捉えていくことができているかどうかという点が、すごく大きなところではないかなと思っています。 鎌倉:番組では、全国の第三者委員会の経験者を対象にアンケートを実施し、98人から回答を得ました。 ”遺族の信頼を得て、これを維持し続けながら調査をするのは容易ではない。” “調査手段が限られている。強制力がなく、任意の協力に頼るしかないが、非協力的な相手が多い。” “第三者委員会としては、公平・中立な立場で調査・検討するつもりだったが、その表現が、ご遺族にとっては、不信感や配慮不足と受け取られたと思われる。”  鎌倉:中には、第三者委員会が真相に迫れなくなっていると訴えるケースもあります』、第三者委員会がスポンサーである教育委員会の方を重視していたら、真相に迫れないのも当然だ。
・『いじめ調査 当事者の告白 “遺族が気の毒すぎる”  今回のアンケートに、「中立的な立場で調査できなかった」と書いた第三者委員会の経験者がいます。ある中学生の自殺の背景や、いじめの有無について調査した男性です。 『第三者委員会』経験者 「真実を突き止めることができなくなるのではという不安はあります。」 難しかったのは、遺族にどこまで踏み込んで聞いたらいいのかという点でした。ある委員が、「自殺の背景を知るために遺族にも聞き取るべきだ」と意見したときのことです。 委員 「どうして子どもは亡くなったのか、事実確認をするためにも、亡くなった子どものことや家庭での様子を保護者にも聞いたほうがいい。」 すると、別の委員が…。委員 「それでは、遺族が気の毒すぎる。」 結局、聞き取りは実施されなかったというのです。  男性は、何があったのか知るためにも、いじめたとされる生徒だけでなく、亡くなった子の遺族にも等しく聞き取るべきだったと振り返っています。 『第三者委員会』経験者 「人の悲しみに土足で入るようなことはしない方がいい。でも圧倒的に悲痛な思いに対して寄り添って、心情に流される。それで足並みがそろわないのは、非常に不幸なことだと思います。」』、「それでは、遺族が気の毒すぎる。」との発言に反論しなかった委員たちも、真相究明から逃げており同罪だ。
・『遠い真相解明 文部科学省は…  第三者委員会が問題に直面していることについて、文部科学省に問いました。 文部科学省 初等中等教育局 児童生徒課 生徒指導室長 松林高樹さん「第三者委員会で保護者の方々との信頼関係の構築に、大変苦労されているという例が多いことは承知しております。今後、引き続き教育現場におけるいじめ防止対策の改善すべき点がないか、よく注視しまして、結論を出していくことをしてまいりたいと思っております。」』、典型的な役人答弁に、深堀せずに流したところはNHKらしい。
・『遠い真相解明 いま何が必要か?  武田:事実を明らかにしていくためには、被害者のほうにも踏み込んで調査をしなければならない。こういった場面もあるんですね。 尾木さん:それはありますよね。特に学校の子どもたちの聞き取りをして、遺族のお話を聞いてみると、こういうわけだったのかとか、もうちょっと膨らんでくるんです。それは大津のときも重要だったなと僕は思います。 武田:結論として、被害者側の方の思いと違う結論になることもありえますよね? 横山さん:それはありえると思います。しかしながら、委員との間でしっかりと信頼関係ができていて、ちゃんと話を聞いたうえでの結論ということになれば、納得していただけるケースも多いのではないかと思います。 武田:やはり大事なのは信頼関係ということですね。 横山さん:そう思います。 鎌倉:では、どうすれば第三者委員会の調査結果を、さらにその先の再発防止につなげることができるのか。具体的な取り組みにつなげているのが、ゲストのお2人が調査に関わった、大津市のケースです。  第三者委員会の調査では、「いじめの早期発見に力を入れること」「職員が問題を1人で抱え込まないようにすること」などの対策が提言されました。それを受けて、いじめの早期発見のために、担任を持たない専門の教師を市内すべての小中学校に配置。さらに、いじめの芽があれば、教師が集まって情報共有の場を持つようになっています。 武田:二度と命が失われないために、いじめを巡るこうした調査と再発防止策は、どうあるべきなのでしょうか? 横山さん:やはり具体的な事案を通して、そこから具体的な再発防止などの提言を出すということが大事だと思います。第三者委員会は責任追及の場ではないんだということを徹底するということ。あとは、いじめの予防ということも非常に大事ではないのかなと。いじめはどこでも、誰でも、いつでも起きることなんだということ。それから子どもたちに対して、いじめは人権侵害なんだということ、そこを徹底的に伝えていくということが大事ではないでしょうか。 武田:その材料として、やはりこうした調査は重要だということですね? 横山さん:具体的な調査を通じて、大事なことだと思います』、「具体的な再発防止などの提言」はこれまで多く出されているのに、いじめがなくならないことへと、問題を掘り下げるべきだ。
・『夏休み明けに不安な子ども そして大人たちへ…  武田:番組にはいじめに悩む子どもや保護者に向けて、さまざまなご意見が寄せられています。 40代 女性 長崎“学校だけでも100%味方でいてもらいたいでいてもらいたい。それだけでも心が救われる。” 19歳以下 男性 岡山“学校に行かないことも選択肢。『逃げてもいいんだよ』と伝えたい。” 武田:尾木さん、夏休み明けに向けて不安を抱える子どもや保護者もいらっしゃると思いますけれども、最後にメッセージをお願いします。 尾木さん:先ほどもありましたけれども、学校に行かないのも選択肢の1つ、自分の命を守るということは、うんと大事にしてほしいということです。それからもう1つ大事なことは、保護者の皆さんは、しっかり「あなたの味方だよ」というのを、言葉と態度で示してほしい。そして、必ずこれは解決していくと、学校とも協力しながらね、そういう展望をきちんと出してほしいと思います。そして子どもたちが、「あっ、味方がたくさんいるんだ」と、つらくても学校に行かなくて済むように、守ってほしいなと思います。 武田:二度と悲劇を繰り返さないために、いじめに苦しんできた子どもたちの思いに、今度こそ私たちは応えていかなくてはならないと思います』、この番組を紹介したのは、第三者委員会の不誠実な対応を示すのが主目的だった。最後の対応は当たり前で、余り参考にはならないのが残念だ。

次に、事件ジャーナリストの戸田一法氏が12月1日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「鹿児島男子高校生「いじめ」自殺、県と県教委で判断が分かれた理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/187101
・『4年前に起きた鹿児島県立高校1年生の男子生徒(当時15)の自殺を巡り、原因を調査している県の第三者委員会は11月18日、背景にいじめがあったと認定した。19日朝刊に地元の南日本新聞(鹿児島市)だけではなく、全国紙にも掲載されたので記事をご覧になった方も多いと思う。実は、これに先立って行われた県教育委員会の第三者委員会は「(いじめを)裏付けることはできなかった」と結論付けていた。同じ県の役所なのに、なぜ県と県教委で結論が異なったのだろうか』、学校側との距離の近さの差だろう。
・『事実を知りたい母親の願い  男子生徒は鹿児島市の田中拓海さん(ご遺族が氏名公表をご希望のため、実名で表記します)で、2014年8月、自宅で首を吊っているのが見つかった。遺書や理由を示す文書はなかったとされる。 母親は「拓海は自殺するような子じゃなかった。親として、何があったか知りたい」として学校に調査を要請。これを受けて同学年の生徒を対象にアンケートを実施したところ、いじめがあったことをうかがわせる記述があったという。 母親が2015年6月、いじめ防止対策推進法に基づき、県教委に第三者委員会の設置を求めた。同法については後述するが、学校や教育委員会は自殺や不登校などの重大事態が発生した際、いじめがあったか不明確でも保護者や生徒・児童本人の申し立てがあれば調査しなければならない。 県教委は要請を受けて第三者委員会を設置。同12月に初会合が開催された。 会合は非公開で協議されたが2017年3月、第三者委員会は「(学校の)事後の調査が不十分。遺族への対応にも配慮を欠いた」とし、いじめが疑われる複数の情報を確認したとしながら、「自殺の要因となるいじめの存在を特定できない」と結論付け、いじめがあったと断定せず、自殺との因果関係についても言及しなかった。 母親は納得せず同12月、「調査は不十分」とする意見書を提出。県はこれを受けていったんは県教委に再調査を要請し、県教委も応じる構えだった。しかし、母親が県教委の再調査を望まず、県が知事部局主導での第三者委員会を設置していた。 県の第三者委員会は今年6月、初会合を開き、県教委の第三者委員会と同様、会合は非公開で行われた。 そして11月18日、田中さんがクラス内でバッグに賞味期限切れの納豆巻きを入れられたり、履物を隠されたりするいじめを受けていたと認定。このほかにも、からかいなど嫌がらせを受け、心理的苦痛を受けていたと認め「(いじめかどうかは)本人が心身の苦痛を受けていたかどうかを指標とした」と説明した。 県の第三者委員会はいじめと自殺の因果関係についても引き続き調査を継続する方針だという』、面白い展開だ。
・『背景にお互いの保身  実は、県の第三者委員会がいじめと認定した根拠の内容は、県教委の第三者委員会も聞き取り調査で認識していた。 ではなぜ、結論が正反対になったのか。それはそれぞれの「立場」に起因している。 教育委員会は戦後の1948年、教育基本法に基づいて成立した機関で、都道府県教育委員会と市区町村委員会がある。当初は自治体の首長や教育行政官の意思ではなく地域から選ばれた住民が管理運営していた。しかし1956年、首長が議会の同意を得て任命する制度に変わる。任命制ではあるが、建前上は独立した機関であり、委員長はほとんどが教職員出身者だ。 つまり、教育委員会の委員長や管理職は学校の教職員と上司と部下の関係にあり、いわば身内である。教職員出身者の教育委員会に教育現場の教職員をかばう雰囲気が生まれるのは当然の成り行きなのだ。 また、第三者委員会は一般的に「利害関係のない公正・中立な立場」の弁護士などの有識者らで構成されるというが、もちろん無報酬のボランティアではない。 依頼を受けて報酬が発生する雇用主と被雇用主の関係になる。世間一般の常識として、雇われた側が雇い主の不利になるような結論を出すことはまずない。 「疑いはあるが裏付けられなかった」という判断は、はっきり言えば「あったけれども、なかったことにします」と言っているのと同じ意味なのだ。田中さんの母親が納得できないのも当たり前だ。 一方、県の第三者委員会はどうか。 実は「知事部局」主導というのがポイントだ。いうまでもなく、県知事は選挙によって選ばれる。この事件・・・に関しては、記者会見で母親の肉声を聞いたマスコミが同情的な報道を続け、世論は完全に母親支持に傾く。 ここで「県教委はけしからん結論を出した。県はみなさまが納得できる結論を出しましたよ」と“大岡裁き”を見せる。県知事は有権者の心をぐっとつかむことができたに違いない。県教委が再調査の意向を示したにもかかわらず、1ヵ月もたたず県知事部局が名乗り出た理由がここにあるだろう』、県知事の政治的パフォーマンスだったとはいえ、結果、オーライだ。
・『いじめは「犯罪」と認識すべき  前述した「いじめ防止対策推進法」は2013年、大津市で中学2年の男子生徒がいじめにより自殺した事件が発端となり成立した。事件を巡る学校と市教育委員会の悪質な隠ぺい体質が報道によって発覚、市教委は強烈な批判を浴びた。 事件は大津市内の中学校で発生した出来事で、被害生徒は「トイレで殴られた」「廊下でおなかを蹴られた」「鉢巻きで首を絞められた」「体育大会で集団リンチのようなものに遭っていた」などの暴力を受けていたほか、「金銭要求」「万引きをさせられた」ことがアンケートで判明。 「暴言・嫌がらせ」は日常的に受け、「おまえの家族全員死ね」と言われたり、蜂の死骸を食べさせられそうになったり、顔に落書きされたりもしていたという。 しかも加害生徒らは、被害生徒から自殺をほのめかすメールを送られていたにもかかわらず相手にせず、自殺後も被害生徒の顔写真に落書きや、穴をあけるなどしていた。さらにアンケートに「死んでくれてうれしい」「死んだって聞いて笑った」などと回答していた。 しかし学校はいじめの報告を受けていたにもかかわらず「ケンカと認識」とごまかし、市教委も「自殺は家庭環境が問題」と責任逃れに終始していた。 この事件の際、市教委は隠ぺいに奔走したが、市長の設置した第三者委員会によって事実関係が次々に明らかにされた。そして「教育委員会の隠ぺい体質」がクローズアップされ、国会が法の制定に乗り出したという経緯がある。 この事件では、被害生徒の父親が暴行や恐喝、強要、窃盗、脅迫、器物損壊の罪で加害生徒を刑事告訴し、民事訴訟も起こしている。 各地で同様の事件が発生するたび、各教育委員会は「いじめ」と総称し、学校内で起きた軽いいざこざのような説明をするが、実はすべて“犯罪”行為だ。 被害生徒の父親が告訴したのは「やりすぎ」などではなく、実に正当な訴えなのだ。 殴ったり蹴ったりすれば「暴行罪」、金銭を脅し取れば「恐喝罪」、万引きをさせれば「強要罪」、物を隠したりすれば「窃盗罪」、周囲に仲間外れを強要したり死ねと脅せば「脅迫罪」、物に落書きすれば「器物損壊罪」、父親の告訴内容にはないが、けがをさせれば「傷害罪」が該当する。 学校内で毎日のように、当たり前に“犯罪”が行われていると考えると恐ろしいことなのだが、少年事件を多く手掛けてきた警察関係者によると、こうした児童・生徒は成人した後、やはり警察のご厄介になる傾向は強いらしい。加害者は“犯罪者”予備軍なのだ。 だからこそ、教育・指導のプロ集団である学校・教育委員会は保身のための隠ぺい工作などをせず、積極的にいじめをあぶりだし、既に“犯罪”行為に手を染めている児童・生徒らの更生に手を差し伸べるべきだろう』、いじめを少年・少女時代の「通過儀礼」などと軽く考えるのではなく、やはり犯罪と考えるべきだ。「加害者は“犯罪者”予備軍」とは初めて知ったが、この問題の重大性を示唆している。

第三に、明治大学准教授(いじめ問題研究)の内藤 朝雄氏が5月18日付け現代ビジネスに寄稿した「日本の学校から「いじめ自殺」がなくならない根本理由 先生がいじめた末、生徒は飛び降りた…」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55701
・『教師がいじめ、生徒は自殺した  2017年3月、福井県の中学校で、教員に痛めつけられていた少年が飛び降り自殺をした。 新聞は次のように報じている。 福井県池田町教委は15日、町立池田中学校で2年の男子生徒(当時14)が今年3月に自殺したと発表した。担任と副担任から厳しい指導や叱責(しっせき)を繰り返され、精神的なストレスが高まったことが大きな要因だと結論づけた。(『朝日新聞』2017年10月15日) 学校や軍隊で、生徒や兵士が教員や上官からいためつけられて自殺するケースは、それほどめずらしくない。距離を自由に調節できず逃げられない閉鎖空間で、誰かが誰かの運命をどうにでもできる場合、追い詰められた人はしばしば自殺する。 これについては、「人格を壊して遊ぶ…日本で『いじめ自殺』がなくならない根深い構造」などで繰りかえし述べた。今回は、加害者が生徒ではなく、2名の教員(担任と副担任)であった。 地元『福井新聞』は、遺族の言葉を次のように報じている。 「報告書に、厳しい指導叱責、弁解を許さない理詰めの叱責、執拗な指導などを繰りかえし受けた、と記載が何度もありました。教員と生徒の間の為、叱責という言葉で表現されてはいるものの、私達遺族は、叱責ではなく『教員による陰湿なイジメであった』と理解しています」(『福井新聞』2017年10月18日)』、担任と副担任がいじめの主役とは飛んでもない話だ。
・『教員による迫害・いやがらせを、「指導」「叱責」という教育の言葉(思考の枠組み)に包み込むと、他人を自殺にまで追い込む残酷さが中和されてしまう。 筆者はここで「中和」という言葉を使った。 この中和は、現実をつくりかえて、都合のよい「あたりまえ」をつくりあげる技術であり、巧妙なしかけでもある。 犯罪社会学者のサイクスとマッツァは、非行少年たちのいいわけを研究した。 そして「中和の技術(Techniques of Neutralization)」という論文で、非行少年が自分たちの行為を正当化し、納得がいくものにつくり変える下記5つの技術について明らかにした。 1. 責任の否定 2. 加害の否定 3. 被害者への拒否 4. 非難者への非難 5. より高い価値への忠誠心への訴え ・・・この論理は、教育関係者やそのとりまきにもあてはまる。 実際にあてはめてみよう(以下は、これまで繰り返されてきたいいわけから筆者が抽出した一般的なパターンである。個別のできごとは、これらの組み合わせになっている)。 1. 責任の否定: 通常の指導をしていただけで、障害や死亡との関係はない。 2. 加害の否定: 教育的な指導をしただけで、加害行為をしていない。 3. 被害者への拒否: 先生の言うことをきかない生徒が悪い。あいつは学校の「みんな」や先生をこまらせるやっかい者だ(あいつの方が真の加害者だ)。 4. 非難者への非難: 教育のことを何もわかっていないよそ者が勝手に非難している。おまえは学校が嫌いなだけだろう。おまえこそ口をつつしめ。 5. より高い忠誠心への訴え: 学校業界固有の聖なる価値〈教育〉が、現代市民社会の根本価値とされる人間の尊厳より高い価値があるかのようなムードをつくる。そして、次のように、加害者を教育価値への忠誠者であると訴える。 これは「教育熱心のあまりのいきすぎ」であり、将来あるセンセイを寛大に扱うべきだ。(露骨に言葉にすると差し障りがあるので、みんなのムードを感じ取ってほしいが)われわれの本当の実感としては、わたしたちが共に生きる、うつくしい教育の形は、死んだり障害を負ったりした「不適応」生徒の命よりも尊い。 このような空気を醸成するためにも、人間の尊厳を踏みにじるできごとを、正義や人権の問題にせず、教育論議にすりかえると都合がよい。 「これは正義や人権の問題ではなく教育の問題である」と誤認させるのだ。 そうすると、より高い価値、教育への忠誠を強調して、学校の残酷と理不尽をうやむやにすることができる』、「中和の技術」がいじめ問題でも見事に当てはまるようだ。我々も気を付ける必要がありそうだ。
・『残酷さや理不尽さを可視化するには  「学校」「教育」という特殊な世界の中だけで通用するものの見方が、「あたりまえ」になると、残酷さや理不尽さが見えなくなる。目の前にあっても見えない(これについては、「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」でも述べた)。 このことをはっきりさせるために、今回の事件に関する調査委員会の報告書と、地元紙『福井新聞』の内容を、「学校」「教育」の言葉ではなく、まっとうな市民社会の言葉を用いて叙述しなおしてみよう。 あなたの頭の中で、ものの見え方がどのように変わるだろうか。 税金によって雇われて学習支援サービスに従事する2名の職員がいた。 サービスを提供する側の職員は、住民(自殺した被害者の親を含む)が税金で雇っている公僕である。 この2名は、サービスを受けに来ていた若い市民に対し、さまざまな思いどおりにならないことに言い掛かりをつけ、大声で罵倒する等の迫害を執拗に繰りかえした。 この「思いどおりにならないこと」の内実は、どのようなものか。 学習支援サービスの仕事をする職務では、講習サービス後、「自宅でくりかえしをすると学習効果があがりますよ。いかがでしょうか」とサービスの受け手にアドバイスすることがある。 もちろん、若い市民はサービスの受け手であって、奴隷ではない。アドバイスどおりにしなくてはならないということはない。 日本の悪名高いカルト宗教「教育教」信徒たちのあいだでは、この学習支援の場所は「学校」と呼ばれ、「ご自宅でくりかえしてみてはいかがでしょうか」というアドバイスの内容は「宿題」と呼ばれている。 そして税金で雇われた公僕である学習支援サービス職員は、「センセイ」と呼ばれている。また学習支援要員である公僕からサービスを受ける若い市民は「生徒」と呼ばれている。 ここで、学習支援サービスに従事するはずの「センセイ」は、「生徒」が「宿題」をしてこないことに我慢できず、サービスの受け手に執拗な攻撃を加えた。そして、サービスの受け手である若い市民は、学習支援サービス職員に土下座をしようとした。 土下座をしようとするまで、痛めつけられ、追いつめられ、精神に変調をきたしていたと考えられる。 また、学習支援サービスの場所では、受け手のためのさまざまなレクレーションを提供することもある。「教育教」信徒たちは、このレクレーション・サービスを「学校行事」と呼んでいる。 もちろん、サービスを受ける若い市民は奴隷ではない。レクレーションの仕方が気にくわないと、サービス員から嫌がらせを受けるいわれはない。 ところが、福井県池田町の学習支援サービス員は、このレクレーションの運営に参加した若い市民が挨拶の準備に遅れたことに腹を立て、周囲の人が恐怖で身震いするようなしかたで、怒鳴りちらしていた。 また、この学習支援サービス員は、レクレーションの運営に関して、若い市民に不満をいだき、さまざまなハラスメントを繰りかえした。 若い市民は、これらの積み重なる迫害をうけて、過呼吸症を起こすほどになった。そして、最後に若い市民は、学習支援サービスのために設置した建物から飛び降りて自殺した』、なるほど、市民社会の言葉では確かに酷さがストレートに伝わるようだ。
・『自殺後、別の人をいじめ続けた  驚くべきことに、若い市民を執拗に迫害し自殺にまで追い詰めた(日常語を用いて表現すれば「いじめ殺した」)職員は2名とも、懲戒免職にならず、同じ仕事を続けている。 そして、なんとこの2名のうち1名(副担任)は、その後、自殺させた被害者にしたのと同じ、大声で怒鳴りちらす等のハラスメントを、別の若い市民に対して行った。 新しい被害者は、この迫害ストレスにより、学習支援サービスの場所に断続的に来られない状態(これを「教育教」では「不登校」と呼んでいる)になった。 大声で怒鳴りちらす等のハラスメントを繰りかえしたことにより、精神に変調をきたさしめ、自殺にまで追いつめた場合、暴行罪や傷害罪が成立する可能性がある。また、被害者を自殺させた後、別の人に同じハラスメントを繰りかえした場合、加害者はきわめて悪質であると判断できる。 ここで、自治体の責任が問われるはずである。本来ならば、即座に懲戒免職とし、暴行あるいは傷害の疑いで司直の手に委ねなければならない加害者2名(担任と副担任)を放置し、他の利用者にも同じ被害がおよびかねない学習支援業務(「センセイ」)をさせていたのである。 また、学習支援サービス員を教育ハラスメントの怪物に変えてしまいがちな、「教育教」というカルト宗教に侵された公共事業(学校制度)を見直す必要がある』、2名は免職にはならなかったとしても、何らかの懲戒処分は受けたのだろうか。うち1人は性懲りもなくいじめを繰り返しているとは驚きだ。
・『日本の学校が染まる「全体主義」  ここまで読み進めた読者は、言葉の使い方(認識枠組)が別のタイプに切り替わるだけで、同じ出来事がまったく違って見えることを感じとられたことと思う。 「学校」「教育」の言葉を用いるだけで、残酷や理不尽が見えなくなる。まっとうな市民社会の言葉を用いると、残酷や理不尽がくっきりと見えてくる。 学校は「教育」、「学校らしさ」、「生徒らしさ」という膜に包まれた小さな世界になっている。そのなかでは、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色に染め上げられてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。 こういったことは学校以外の集団でも生じる。内容が異なるさまざまな現象から共通のかたちを切り出し、別の現象にあてはめてみると、ことの核心について理解を深めることができる。 以下、図を見ながら読み進めていただきたい(図は、拙稿「学校の全体主義──比較社会学の方法から」木村草太編『子どもの人権をまもるために』(晶文社、241ページ)から抜粋)。 たとえば、オウム真理教(地下鉄サリン事件を起こした)では、教団にとって都合の悪い人物を殺害することは、魂を高い次元にひきあげてあげる援助(「ポア」)である。 連合赤軍(暴力革命を目指して強盗や殺人を繰り返し、あさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)では、グループ内の権力政治で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしくない」、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。 そして人間の「共産主義化」、「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された(「革命戦士らしさ」を「生徒らしさ」、「総括しろ」を「反省しろ」に代えれば、中学校の生活指導に酷似している)。 学校でも、教育というコスモロジーに包み込んで固有の世界を立ち上げることによって、外部の社会ではとうてい許されない残酷や不正が「あたりまえに」まかり通る。 学校、オウム教団、連合赤軍はそれぞれ、「教育」、「宗教」、「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている・・・オウム脱会者や元赤軍メンバーは、外の市民社会に戻ってから、「自分はなんという恐ろしい世界にいたのだろう」と身震いする。 それと同様、わたしたちは、「教育」の外から学校をながめることで、これまであたりまえと思っていた学校が、なんと残酷で正気を失った世界なのだろうと驚く。 調査報告書と『福井新聞』の報道を、市民社会の言葉で翻訳した先の文章は、学校と市民社会の現実感覚がどれほど乖離しているかを示す見本例である。 学校は、次の点でオウム真理教や連合赤軍と異なる。オウム真理教や連合赤軍のいいわけは社会からまったく受け入れられない。 しかし、学校や教育に関しては、それを「あたりまえ」と受け入れてしまう習慣が社会に行き渡っている。 学校は、社会のさまざまな領域を、学校の色に染め上げる。その意味で、学校はオウム真理教や連合赤軍よりも、わたしたちの社会に有害な作用をおよぼす・・・』、「学校は、社会のさまざまな領域を、学校の色に染め上げる」というのは上手い表現だ。
・『調査報告書に書かれた、校長の不適切な言動  さて、今回の教員によるいじめ自殺事件を扱った、池田町学校事故等調査委員会による調査報告書は、一貫して誠実なものであった。 一例を紹介しよう。 本調査委員会が第三者機関としての自立性を担保し、何が起きたのかを遺族に説明するためには、学校や教育委員会からの独立性を確保することが必要であるが、遺族との連絡、学校の生徒や教員及び保護者への連絡については、教育委員会を介さざるを得ない場合があるのが現状である。本調査委員会は独立性に留意し、池田町教育委員会は本調査委員会の独自性を保証すべく最大限の配慮を行ってきた。しかし、当該者との連絡調整は、教育委員会が行ったことは如何ともしがたい事実であり、中立性への疑義を招きかねないことも確かである。 今後、このような調査委員会の設置、組織、運営等に関しては、文部科学省や都道府県教育委員会等を含めたルール作りが必要だと思われる・・・筆者はかねてから、利害当事者である教委が、調査委員会の設置、組織、運営にかかわる現行制度のもとでは、構造的に、調査委は教委と癒着しがちであり、いわばヤクザに十手を持たせるような結果になりかねないと警鐘を鳴らしてきた。 今回は、なんと、調査委の報告書のなかで、この制度欠陥に対する異議申し立てがなされている。あっぱれとしか言いようがない。 さらに、調査委は聞き取りをする場所として、学校ではなく生涯学習センターを選んだ。学校という場所にいるだけで、「いま・ここ」を生きる感覚が集団生活の「しがらみ」モードになり、口を閉ざしてしまうかもしれない。話を聞くなら、学校ではなく、市民的な場所の方がのぞましい。 報告書には、校長の不適切な言動がことこまかく記されていた。知っているはずのことを知らないと言った、「遺族に遺書らしきノートを渡す際にカバンの上でバンバンと叩くよう」な(威圧的・敵対的な)しぐさをした、といったことだ。 その後、校長はどうなったか。退職を余儀なくされてしまった。つまり(事実上)クビになってしまったのだ』、欲を言えば、池田町学校事故等調査委員会が他の第三者委員会と違って、中立性を維持できた理由が知りたいところだ。
・『いじめ自殺と「発達障害」  この、一貫して誠実、まじめ、良心的な調査報告書(全57ページ)のなかに「発達障害」という語が19ヵ所みられる。 医師が診断していないので断定できないとことわりつつも、断定に近いと言っていいほど強く「発達障害」を疑っていることを、文面から読み取ることができる。 本調査委員会では、本生徒の発達障害の可能性を指摘すべきかどうか躊躇した。それは、本生徒が専門機関による診断や検査を受けていないこと、また発達障害という言葉によって誤解を招く恐れがあり、それによってご遺族が傷つけられることを危惧したからである。 しかし、学校の中には発達障害を疑われる子どもたちが多々おり、本生徒のようにその特性が理解されず、多くの子が苦しんでいることを考えると、本生徒の死を無駄にしてはならないと判断し、用語の使用を決意した。もとより発達障害の用語の使用により、学校が責任を免れるものではない。むしろ、生徒の発達特性に応じた生徒指導の欠如が自死を誘発した。学校では、教師同士が子どもを見合い話し合うことで、子どもの発達特性に応じた指導を心掛けなければならない・・・現在、精神医学では「発達障害」という枠組(認識と実践の体系)が流行し、診断数が急増している。 現在の「発達障害」枠組を主導する層(医学生や医師を指導し、著作や学会などで方針を導き啓蒙する熱意あるリーダー層)の基本方針(理念的たてまえ)は(末端の現場で多くの医師たちが学校がらみで実際にやっていることはともかく)、学校に合わない異常者をあぶりだし、学校の細胞の一部になるよう治療する(学校制度によって独善的に決められた一方方向に成長を促す)という従来の考え方ではない。 一人ひとりの多様な発達特性に応じ、固有の「こまり感」に着目し、環境調整を行い複線的な発達を支援するというストーリーになっている。 そして、周囲からの「しつけ」と称する虐待などの、環境ストレスによる被害(いわゆる二次障害)を防止することを、重要課題の一つとしている。 「発達障害」に関しても、調査報告書は、現時点での児童青年精神医学の理念に一致する模範的なものになっている。 ただ筆者自身は、次のように考えている。 次回以降で論じるように、DSM-5(APA『精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版』)の「神経発達障害」という概念の組み立て方には問題がある。 仮にDSM-5を受け入れたとして、DSM-5の診断基準は、複数の生活領域で一定程度以上「こまり」があることを条件としているので、学校の集団生活だけで「こまる」被害者を「発達障害」とするのは、過剰診断にあたらないか。 さらに言えば、日本の学校は、自由、人権、個の尊厳、人格権といった先進諸国――あるいはそれにのっとった日本国憲法――の基本価値セットの基準からは大きくはずれた、極端な集団主義・全体主義を採用している。 このような学校の集団生活が求める「こうでなければならない・ああでなければならない」を単一の基準点として、誰かを「発達障害」と診断するのは、何かおかしなことではないだろうか。 それは、連合赤軍が「ブルジョワ的」障害と言い、オウム真理教が「地獄に落ちる」障害と言うのと、どこが違うのだろうか。むしろ障害が認められるのは、学校制度の方ではないだろうか』、なかなか面白い見方で、その通りだろう。
タグ:戸田一法 NHKクローズアップ現代+ 現代ビジネス 思春期のうつ」であったと推測されると書かれていた 1. 責任の否定 2. 加害の否定 3. 被害者への拒否 4. 非難者への非難 5. より高い価値への忠誠心への訴え 内藤 朝雄 『“いじめ自殺”なくならない隠蔽 なぜ?遠い真相解明 福井県池田町教委 2. 加害の否定: 教育的な指導をしただけで、加害行為をしていない 日本の学校は、自由、人権、個の尊厳、人格権といった先進諸国――あるいはそれにのっとった日本国憲法――の基本価値セットの基準からは大きくはずれた、極端な集団主義・全体主義を採用している 5. より高い忠誠心への訴え: 学校業界固有の聖なる価値〈教育〉が、現代市民社会の根本価値とされる人間の尊厳より高い価値があるかのようなムードをつくる 葛西りまさん 担当者は、学校が指導していない以上、いじめは認められないと繰り返しました 1. 責任の否定: 通常の指導をしていただけで、障害や死亡との関係はない いじめは「犯罪」と認識すべき 教師がいじめ、生徒は自殺した 遠い真相解明 いま何が必要か? いじめ調査 当事者の告白 “遺族が気の毒すぎる” 中和の技術 募る親の不信感 なぜ課題が?第三者委員会 いじめ 親に立ちはだかるカベ “今さら出せない…” 隠蔽の実態 神戸市で、いじめに関わる一次資料を市の教育委員会担当者が隠蔽 「“いじめ自殺” 遠い真相解明 ~検証 第三者委員会~」 背景にお互いの保身 県教育委員会の第三者委員会は「(いじめを)裏付けることはできなかった」と結論付けていた 「日本の学校から「いじめ自殺」がなくならない根本理由 先生がいじめた末、生徒は飛び降りた…」 3. 被害者への拒否: 先生の言うことをきかない生徒が悪い。あいつは学校の「みんな」や先生をこまらせるやっかい者だ 「鹿児島男子高校生「いじめ」自殺、県と県教委で判断が分かれた理由」 いじめ自殺と「発達障害」 調査報告書に書かれた、校長の不適切な言動 日本の学校が染まる「全体主義」 自殺後、別の人をいじめ続けた (その7)(“いじめ自殺” 遠い真相解明 ~検証 第三者委員会~、鹿児島男子高校生「いじめ」自殺 県と県教委で判断が分かれた理由、日本の学校から「いじめ自殺」がなくならない根本理由 先生がいじめた末 生徒は飛び降りた…) 犯罪社会学者のサイクスとマッツァ 調査を担当する全国の「第三者委員会」では、遺族との信頼関係を築けず報告書を完成させられないなど、“機能不全”ともいえる事態が起きている 町立池田中学校で2年の男子生徒(当時14)が今年3月に自殺 残酷さや理不尽さを可視化するには これは正義や人権の問題ではなく教育の問題である」と誤認させるのだ 4. 非難者への非難: 教育のことを何もわかっていないよそ者が勝手に非難している。おまえは学校が嫌いなだけだろう。おまえこそ口をつつしめ 県の第三者委員会は11月18日、背景にいじめがあったと認定 ダイヤモンド・オンライン 遠い真相解明 いま現場で何が? 事実を知りたい母親の願い 「遺族に寄り添うこと」、そして「丁寧に説明すること」 教員による迫害・いやがらせを、「指導」「叱責」という教育の言葉(思考の枠組み)に包み込むと、他人を自殺にまで追い込む残酷さが中和されてしまう 加害者が生徒ではなく、2名の教員(担任と副担任) 文部科学省のガイドライン いじめ問題
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