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企業不祥事(一般)(その7)(スバル、品質問題の泥沼から抜け出せるのか、「日産 スルガ銀 スバル…社是から考える不祥事 高野山の企業墓に見る「日本型経営」の喪失、「勤勉な国」日本で組織的不正が起こる根因 「アイヒマン実験」が教えてくれる教訓) [企業経営]

企業不祥事については、昨年4月21日に取上げた。久しぶりの今日は、(一般)(その7)(スバル、品質問題の泥沼から抜け出せるのか、「日産 スルガ銀 スバル…社是から考える不祥事 高野山の企業墓に見る「日本型経営」の喪失、「勤勉な国」日本で組織的不正が起こる根因 「アイヒマン実験」が教えてくれる教訓)である。

先ずは、昨年11月7日付け東洋経済オンライン「スバル、品質問題の泥沼から抜け出せるのか 要のエンジン部品でリコール、販売店は疲弊」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/247943
・『ついに砂上の楼閣が崩れてしまった――。 SUBARUは11月5日、2019年3月期の業績見通しを大幅に下方修正した。売上高は3兆2100億円とほぼ据え置いたが、営業利益は2200億円と前回予想を800億円、率にして約27%も引き下げた。かつて営業利益率は10%台を誇っていたが、今期の予想では6.8%。これが今のスバルの実力だ。 下方修正の主要因は、スバルの技術の代名詞とも言うべきエンジンの部品のリコール(回収・無償修理)で関連費用は550億円にのぼる。対象は「バルブスプリング」と呼ばれるエンジンの吸排気弁を開け閉めするためのバネ状の部品。最悪の場合、走行中にエンジンが停止するおそれがある。 スバルは11月1日に国土交通省に2012年1月~2013年9月に製造した「インプレッサ」など4車種の10万1千台あまりのリコールを届け出た。海外分を合わせると約41万台が対象となる』、これは従来の検査不正とは違い、売り物だったエンジンでの部品不具合という致命的欠陥だけに深刻だ。
・『3回目の最終報告書を提出後も不正継続  スバルにとってこの1年は非常に苦しかった。昨年10月、新車の出荷前に行う完成検査を無資格の検査員が行っていた問題が発覚。社内調査が不十分でリコールを繰り返し、最終報告書を3回も提出する異例の事態となった。 完成検査問題は今年9月に3回目の最終報告書を出して収束に向かうかに見えた。だが、スバルは11月5日に追加のリコールを発表。これまで完成検査の不正は2017年末まで行われたと説明していたが、実際は今年の9~10月まで続いていた。10月に行われた国交省の立ち入り検査で、ブレーキ検査の不正を続けていたことが発覚した。 リコールの対象車両は今年1月8日から10月28日までに製造された約10万台。11月8日に正式にリコールを届け出る予定だ。これで完成検査に関するリコールは約53万台にのぼる。 販売店は逼迫している。1年前から軽自動車「サンバー」の大規模リコール対応に多くの人手を割かれ、すでに息切れ状態だった。そのさなかに完成検査のリコール対応の仕事が続々と降りかかってきた。自動車業界は整備士不足で簡単に人を増やすこともできない。リコール、すなわち部品の回収・無償修理は、自動車メーカーが国交省に届け出た後1年以内に行う必要があり、現在の進捗率は80%だ。 しかし、新たな2件のリコールで販売店の逼迫状態がさらに長引くことは必至だ。バルブスプリングのリコールではより強度のある部品に交換するが、エンジンを車から外し、シリンダーヘッドやカムシャフトなどを分解する必要がある。問題のバルブスプリングを交換し、再度エンジンを組み立てなおすまで、12~13時間はかかるという。スバルの水平対向エンジンは、左右にシリンダーがついているため余計に時間がかかる』、エンジンのリコールには「12~13時間はかかる」というのでは、販売店には極めて大きな負担だ。
・『販売店に漂う疲弊感と不安  スバル本社は交換を迅速に進めるため、全国に8カ所の整備工場を新設する。ディーラーで預かった車両を送り込み、集中的にリコール作業を行う。ディーラーでのリコール作業と合わせて、1年での収束を目指す。 さらに完成検査不正の追加リコールものしかかる。今回もこれまで同様リコール作業の分散を図るため、ユーザーが車検や法定点検のタイミングに合わせて車両を持ち込む場合には、検査内容の重複分5万円がユーザーに支払われる。販売店の負荷を少しでも軽減しようというスバル本体の取り組みだが、現場には疲弊感が漂う。「もうウミは出し切ったと言っていたのに、またこれでがっかり。会社がもうだめなんじゃないのかとみんな不安に思っている」と、ある販売店の店員はつぶやく。 エンジン部品の問題については6年も前の2012年からスバル本社には報告が上がっていた。設計上のミスや、製造過程でのばらつきなどが原因で、バネが伸び縮みを繰り返す中でバルブスプリングが破損(疲労破壊)してしまい、異音がしたり、エンジンが故障したりしていたという。 品質保証本部長を務める大崎篤常務執行役員は、「途中、材質の強度を高めたり、製造の精度を上げたりと対応したが、原因究明とリコール判断に時間を要してしまった」と話す。スバルにバルブスプリングを納入している日本発条は「部品そのものに問題があるというわけではない」(広報)と話す。 それでは何が問題だったのか。自動車工学が専門の早稲田大学の大聖泰弘名誉教授は、「材質分析や耐久テストの過程で、部品・素材サプライヤーとのすり合わせが不十分だった可能性がある」と見ている。 問題がわかっていたのならば、サービスキャンペーンや自主回収でもっと早く手を打つこともできたはずだ』、6年前から報告が上がっていながら、「原因究明とリコール判断に時間を要してしまった」というのは、余りに悠長過ぎる対応だ。
・『米国での訴訟リスクも  危惧すべきは、約14万台分のリコールが出ている米国での訴訟リスクだ。リコール隠し・遅れがあったと判断されれば、厳しい制裁金が課される可能性がある。では、なぜここまで時間がかかったのか。 国際自動車ジャーナリストの清水和夫氏は、「エンジンは精密機械で壊れやすく、原因の判断が難しい。急成長していたスバルは、膨大な数のクレームを前に、本当の原因を特定することができなかった」と分析する。そのうえで、「これからの時代は、IoT(モノのインターネット化)技術やAI(人工知能)を使い、新たな検査体制を整えることが不可欠になる」と指摘する。 品質問題をいつまでも引きずっていると、スバルの風土改革が進んでいるのか疑問を持たざるをえない。ガバナンス(企業統治)やコンプライアンス(法令順守)の意識について、前出の大聖氏は「現場に仕事の重要性を認識させ、モチベーションを与えるのが経営者の責任だ」と警鐘を鳴らす』、スバルは総販売台数106.7万台(2018年3月期)のうち、国内は16.3万台、米国が67.1万台と、米国市場に大きく依存しているだけに、ブランド・イメージ棄損や訴訟リスクは深刻だろう。
・『業績の立て直しになお時間  しかし、中村知美社長は「いまは会社の悪いウミを出している途上であり、今回検査員が告発をしたのも、意識改革の一環だ」と危機感は薄い。先述した通り、追加リコールは国交省による指摘がきっかけで、自浄作用が働いたわけではない。風土改革の成果とみるのは早計だ。 今回の件で、スバルの業績立て直しはさらに遅れる。国内の生産ラインの見直しに伴い、生産台数も当初計画の67万2000台から65万6000台に1万6000台減らす。急成長を牽引してきた米国の販売も、減産によって在庫が足りなくなるため、ブレーキがかかる見通しだ。信頼を売りにしてきた会社で起こった品質問題に、株価も下がり続けている。スバルが再びスタートラインに立てるのは、いつになるのか』、私も若い頃、水平対向エンジンに魅せられて保有したことがあるだけに、なんとか早く立ち直ってもらいたいものだ。

次に、ジャーナリストで浄土宗僧侶の鵜飼 秀徳氏が12月3日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「日産、スルガ銀、スバル…社是から考える不祥事 高野山の企業墓に見る「日本型経営」の喪失」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/061100222/112600016/?P=1
・『私は11月初旬、長野県にある禅寺を訪れていた。住職を務める老師とは、かれこれ5年ほどの付き合いになる。もともと老師は大手精密機器メーカーの米国法人の社長まで務めていた。老師は若い頃に禅に傾倒。仏門への憧れを募らせ、同社を退職後、厳しい修行を成し遂げた。そして、空き寺に入ったのが2001年のことであった。 老師はこの1年を振り返って、こう話した。 「今年は企業の不祥事が多かったね。過失ではなく、企業のデータ改ざんなど、故意の不祥事が目立った。今一度、社是というものに立ち返ってもらいたいね。どの企業の社是も、仏教の考え方そのものだから」 エフシージー総合研究所によれば、2018年1月から11月22日までにマスコミで報じられた企業事件の数は100件に上る。 新年早々に世間を騒がせたのが、振袖の販売、レンタルを手掛けていたはれのひ社長による詐欺事件だ。2月には三菱マテリアルのグループ会社3社で品質データの改ざんがあったことが判明。さらに、神戸製鋼所やスバルなどでもデータ改ざんが次々と発覚した。スルガ銀行は、不正融資問題で一部の業務停止命令に追い込まれた。 老師と別れて2週間後。2018年の企業不祥事の総決算と言わんばかりに“ゴーンショック”が起きた。改めて老師の「社是の精神を思い返して」との言葉が思い浮かんだ』、確かに近年は企業不祥事が目立つなかでも、昨年はことの他多かった気がする。僧侶が企業不祥事を取上げるとは、興味深い。
・『社是を朝礼などで読み上げている企業はともかく、諳んずることができる従業員は、そうはいないのではないか。社是とは、企業のあり方の指針であり、創業者の理念が込められていることもある。近年は、「社是」とは呼ばず、「企業理念」などとする企業も多い。日産自動車の場合、「ビジョン」が社是にあたるだろう。 たいていの社是は抽象的な表現であり、どの企業も似通っている。 たとえば、稲盛和夫氏が名誉会長を務める京セラの社是は「敬天愛人」。そこにはこんな説明が添えてある。「常に公明正大 謙虚な心で 仕事にあたり 天を敬い 人を愛し 仕事を愛し 会社を愛し 国を愛する心」 京セラの場合、社是とは別に経営理念が存在する。そこでは、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」としている。 では、不祥事のあった企業の社是とはどんなものか。 グループ会社で性能データ改ざんのあった三菱マテリアル。企業理念に「人と社会と地球のために」をうたっている。 燃費などの測量データ改ざんに関わっていたスバル。企業理念の第2項目に「私たちは常に人・社会・環境の調和を目指し、豊かな社会づくりに貢献します」と述べている。 不正融資問題で揺れているスルガ銀行は、企業理念の中で「いつの時代にも社会から不可欠の存在として高く評価される企業」としている』、立派な社是がありながら、不祥事が頻発するのは、何故なのだろう。
・『社是に共通する精神とは裏腹に……  渦中の日産はどうか。「ビジョン」の中で、「人々の生活を豊かに」を掲げる。 優良企業だろうと、不祥事を起こした企業だろうと、社是で言いたいことは基本的にはさほど変わらない。共通するのは、「社会のお役に立ちます」だ。 ところが、不祥事を起こした企業は、社是とは裏腹な行為をしでかしている。 改めて、先の老師の話に戻そう。老師は社是を「仏教そのもの」と述べた。どういうことだろうか。例えば、仏教では「利他行」という言葉がある。利他行とは、自分の利益よりも、他者の利益を優先することである。他者のために尽くす、と言い換えてもよい。 京セラの「敬天愛人」や三菱マテリアルの「人と社会と地球のために」、日産の「人々の生活を豊かに」は、まさに利他行の実践をうたったものだ。 「縁起」という仏教用語もある。「縁起でもない」という否定的な用語で使われることも少なくないが、そもそもの縁起とは、「過去」や「社会」などとの繋がりを意味する。存在そのものの意味を、縁起は問うている。 話は少し飛ぶが、カルロス・ゴーン氏の事件にからんで彼の多額の報酬が話題になっている。テレビのワイドショーなどでは評論家たちが決まってこう言う。 「グローバルスタンダードに立てば、決してゴーン氏の報酬額は高くはない。むしろ、日本の経営者の報酬が安すぎるのだ」 私はこの考え方に、どうも違和感を覚えてしまう。日本の経営者の報酬額が抑えられてきたのは、「縁起」の考え方が根付いているからだ。 「先人達がいて、今の自分たちがいる」「多くのステークホルダーのおかげで、企業が存在する」 だから、従業員や株主、あるいは社会に還元するのだ。「企業を成功に導けば、それなりの報酬を受け取る資格がある」という論理は、近視眼的である。 スバルの社是である「常に人・社会・環境の調和を目指す」、スルガ銀行の「いつの時代にも社会から不可欠の存在として」は縁起と同義である』、「日本の経営者の報酬額が抑えられてきたのは、「縁起」の考え方が根付いているからだ」、「「企業を成功に導けば、それなりの報酬を受け取る資格がある」という論理は、近視眼的である」などはユニークで面白い指摘だ。
・『縁起に基づいた企業の良心  以前、私が高野山奥の院を訪れた時、様々な「企業墓」がずらりと並んでいるのを目にした。これは、故人となった経営者やOB、ステークホルダーに感謝の念を込め、御霊を合祀したものである。まさに、縁起に基づいた企業の良心がそこにあった。その中には、日産の企業墓もあった。 しかしながら、残念なことに、スバルやスルガ銀行、日産は企業の良心を見失ってしまったのだ。 そもそも社是の歴史を遡れば、社寺建設を手がけた金剛組が定めた「職家心得之事」が古い。金剛組の創業はなんと西暦578年(創業1440年)。世界最古の企業だ。金剛組は、四天王寺などの数多の古刹を手がけてきた。職家心得之事は江戸時代中期、第32代金剛喜定の遺言である。そこには、以下のような16カ条が記されていた。 一.儒仏神三教の考えをよく考えよ 一.主人の好みに従え 一.修行に励め 一.出すぎたことをするな 一.大酒は慎め 一.身分に過ぎたことはするな 一.人を敬い、言葉に気をつけよ 一.憐れみの心をかけろ 一.争ってはならない 一.人を軽んじて威張ってはならない 一.誰にでも丁寧に接しなさい 一.身分の差別をせず丁寧に対応せよ 一.私心なく正直に対応せよ 一.入札は廉価で正直な見積書を提出せよ 一.家名を大切に相続し、仏神に祈る信心を持て 一.先祖の命日は怠るな』、世界最古の企業の社是だけあって、部分的には現在の時代には必ずしもフィットしないものもあるが、現在にもフィットするものも多いのは、さすがだ。
・『第一に、儒教や仏教、神道の理念を大事にせよと説き、最後にも先祖の命日には感謝の念を捧げよとしている。興味深いのは「入札は廉価で正直な見積書を提出せよ」。仮に顧客を欺いて利益を上げたとしても、お天道様がちゃんと見ていて、結局は事業に失敗するということだろう。 これを仏教で「因果応報」という。この社是は現在の金剛組でも、翻訳し直され、受け継がれているという。 日本における資本主義の祖と呼ばれる渋沢栄一も、やはり企業活動における精神論を大事にした人物だ。例えば「士魂商才」を提唱した。直訳すれば、商売には、商才に加えて武士の魂が必要であるということ。わかりやすく言えば、商売において卑怯な手段は使うな、ということになろう。 こうした「日本型経営」が、戦後の経済成長を支えてきた。しかしながら、グローバリズムの名の下に、合理化が図られ、次第に企業の持つ精神性が失われてきつつある。 今の多くの大企業はコンプライアンス遵守、様々なハラスメントの防止などを徹底しているが、形骸化しているように思う。実態として目先の利益や、立身出世のために、他者を踏み台にしてはいまいか。 ゴーン氏の問題が事実なら、グローバリズムの広がりとともに、古きよき日本型経営の心が失われた結果だと思う。それは一人の経営者の問題ではない。日産の体質そのものが問われており、行きすぎた資本主義の澱のようにも見える。同様の問題はどの企業にも潜んでいる可能性がある』、「行きすぎた資本主義の澱」とはその通りなのだろうが、キレイ事の社是に立ち返ったところで、現実的な答えは見出し難いのではなかろうか。

第三に、 電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経てコーン・フェリー・ヘイグループ シニア・クライアント・パートナー の山口 周氏が1月6日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「勤勉な国」日本で組織的不正が起こる根因 「アイヒマン実験」が教えてくれる教訓」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/257070
・『 『武器になる哲学』の著者で、哲学科出身の外資系コンサルタントという異色の経歴を持つ山口周さん。実は、「日本で次々にコンプライアンス違反が起こる」と、数年前から予言していました。その理由、そして対策とは――』、面白そうだ。
・『『菊と刀』が教えてくれる、組織的不正の原因  筆者が「日本では今後、コンプライアンス違反が続出して社会問題化するだろう」と考えて自分のブログなどで書き始めたのが、2015年ごろのことでした。残念なことに、この予測は今のところ当たってしまっています。 昨年ニュースになっただけでもスルガ銀行のシェアハウス不正融資問題、耐震ダンパーの数値改ざん、大手自動車メーカーの燃費や排ガスの不正検査と、枚挙にいとまがありません。 なぜ、「勤勉」と言われてきた日本の現場で、不正が起こるのか。この問題は文化人類学者のルース・ベネディクトが『菊と刀』で指摘した「恥の文化」の枠組みで考えるとわかりやすいと思います。 ルース・ベネディクトは、諸文化の人類学的研究において重要なことは、恥に大きく頼る文化と、罪に大きく頼る文化とを区別することである。道徳の絶対的基準を説き、各人の良心の啓発に頼る社会は、<罪の文化>と定義することができる。としたうえで、さらに 恥が主要な社会的強制力になっているところでは、たとえ告解僧に対して過ちを公にしたところで、ひとは苦しみの軽減を経験しない。と指摘しています。 つまり「罪」は救済できるけど「恥」は救済できないということです。これは考えてみれば恐ろしいことですよね。西洋の「罪の文化」では、告解によって罪は救済されることに、一応はなっています。この「罪の文化」に対して、ベネディクトは、「恥の文化」においては、たとえそれが悪行であっても、世間に知られない限り、心配する必要はない。したがって「恥の文化」では告解という習慣はない、と指摘しています。 ベネディクトの指摘のうえにそのまま考察を積み重ねれば、こういうことになります。つまり、日本人の生活においては「恥」が行動を規定する最大の軸になる。それはつまり、各人が自分の行動に対する世間の目を気にしているということです。この場合、彼あるいは彼女は、ただ世間の他人が自分の行動をどのように判断するかを想像しさえすればよく、その他人の意見の方向に沿って行動するのが賢明であり、さらには優秀であるということになります。 ということで、最後に彼女は 日本人特有の問題は、彼らは、ある掟を守って行動しているとき、他人は必ずその自分の行動の微妙なニュアンスをわかってくれる、という安心感を頼りに生活するように育てられてきた、ということである。(引用はすべて『菊と刀』講談社学術文庫より)とまとめています』、「恥の文化」については知っていたが、不祥事問題に当てはめるとは山口氏はさすがだ。
・『この指摘について、何度も転職を繰り返してきた自分がいつも感じていることを重ね合わせると、1つの道筋が見えてくるように思うのです。 いくつかの会社を渡り歩いてきた僕がいつも感じていることは「ある会社の常識は、ほかの会社の非常識」だということです。電通に勤めている人は電通でまかり通っている常識を「世間の常識」だと勘違いしているし、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に勤めている人はBCGでまかり通っている常識をやはり「世間の常識」だと勘違いしています。 つまり常識というのは非常に文脈依存性がある、現代アートの用語で言えば「サイトスペシフィック」だということです。何度か転職をすれば、自分が所属していた会社=世間での常識が、そこでしか通用しない常識だったのだという認識を持つことができるのですが、同じ会社にずっといるとそういう相対化は難しい。つまり、会社という「狭い世間」の常識が、社会という「広い世間」の常識と異なるということに気づけないわけです』、確かに労働力の流動性に乏しい日本の企業社会では、「サイトスペシフィック」な常識が横行している。
・『「狭い世間の掟」を相対化する2つの解決策  ここに「世間の多層性」という問題が出てきます。ある会社の常識、ベネディクトの指摘をつかえば「掟」がサイトスペシフィックであるということは、そこに無批判的に従うということが「広い世間の掟」に反することにもなりかねない。しかし、彼らあるいは彼女らは「狭い世間の掟」には従わざるをえません。なぜなら「恥」は「罪」と違って救済されないからです。「恥」はそのまま「狭い世間」=会社からの心理的・物理的な追放を意味します。それは窓際に送られることであり、あるいは早期退職を勧奨されることです。 救済されない「恥」への恐れから、「狭い世間の掟」に従わざるをえないために発生しているのがコンプライアンス違反だと考えれば、この問題を解決するための本質的な方策が浮かび上がるように思います。 世の中は「狭い世間の掟」に従って「広い世間の掟」を破った人を市中引き回しのうえ打ち首にすることによって、「広い世間の掟」を守らせようとしていますが、個人個人にとっての利得はあくまで「狭い世間の掟」へ従うか従わないかで決まっているのですから、これは筋が悪いアプローチと言わざるをえません。社会全体がよって立つような道徳律を持っていない国ですから、どうしても行動を規定する軸足は「狭い世間の掟」にならざるをえない』、非常に説得力のある指摘だ。特に、「救済されない「恥」への恐れから、「狭い世間の掟」に従わざるをえないために発生しているのがコンプライアンス違反」というのは、日本企業で相次ぐコンプライアンス違反の本質をズバリ突いている。
・『ではそういう社会において、どうやって「狭い世間の掟」を相対化し、その掟がおかしいと見抜く判断能力を身につけるか。答えは2つしかないと思います。 1つは、結局は労働力の流動性を上げろ、という結論になるのではないかと思います。自分が所属している「狭い世間の掟」を見抜けるだけの異文化体験を持つ、ということです。 もう1つは、教養を身につけろ、ということでしょうか。教養とは何か?「狭い世間の掟」を妄信することがないよう、人や組織とはどういうものかを知っておくことですね。 その1つの例として、スタンレー・ミルグラムが行った社会心理学史上、おそらくもっとも有名な実験である「アイヒマン実験」を紹介しましょう。私たちは一般に、人間には自由意思があり、各人の行動は意思に基づいていると考えています。しかし、本当にそうなのか?という疑問をミルグラムは投げかけます。具体的には次のような実験でした』、「アイヒマン実験」とは何なんだろう。
・『人が集団で行動するとき、個人の良心は働きにくくなる  新聞広告を出し、「学習と記憶に関する実験」への参加を広く呼びかける。実験には広告に応じて集まった人から選ばれた2人の被験者と白衣を着た実験担当者(ミルグラムの助手)が参加します。 被験者2人にはクジを引いてもらい、どちらか1人が「先生」の役を、そしてもう1人が「生徒」の役を務める。生徒役は単語の組み合わせを暗記し、テストを受けます。生徒が回答を間違えるたびに先生役は罰として生徒に電気ショックを与えるという実験です。 クジ引きで役割が決まったら全員一緒に実験室に入ります。電気椅子が設置されており、生徒は電気椅子に縛り付けられる。生徒の両手を電極に固定し、身動きができないことを確認してから先生役は最初の部屋に戻り、電気ショック発生装置の前に座ります。 この装置にはボタンが30個付いており、ボタンは15ボルトから始まって15ボルトずつ高い電圧を発生させる……つまり最後のボタンを押すと450ボルトの高圧電流が流れるという仕掛けです。先生役の被験者は白衣を着た実験担当者から、誤答のたびに15ボルトずつ電圧を上げるように指示されます。 実験が始まると、生徒と先生はインターフォンを通じて会話します。生徒は時々間違えるので、電気ショックの電圧は徐々に上がる。75ボルトまで達すると、それまで平然としていた生徒はうめき声をもらし始め、それが120ボルトに達すると「痛い、ショックが強すぎる」と訴え始めます。しかし実験はさらに続きます。やがて電圧が150ボルトに達すると「もうダメだ、出してくれ、実験はやめる、これ以上続けられない、実験を拒否する、助けてください」という叫びを発します。電圧が270ボルトになると生徒役は断末魔の叫びを発し始め、300ボルトに至って「質問されてももう答えない!とにかく早く出してくれ!心臓がもうダメだ!」と叫ぶだけで、質問に返答しなくなります。 この状況に対して白衣を着た実験担当者は平然と「数秒間待って返答がない場合、誤答と判断してショックを与えろ」と指示します。さらに実験は進み、電圧は上がる。その電圧が345ボルトに達すると、生徒の声は聞こえなくなります。それまで叫び続けていたのに、反応がなくなってしまいます。気絶したのか、あるいは……。しかし白衣の実験担当者は容赦なく、さらに高い電圧のショックを与えるように指示します。 この実験で生徒役を務めているのはあらかじめ決まっているサクラでした。つねにサクラが生徒役、応募してきた一般の人が先生役になるようにクジに仕掛けがしてあり、電気ショックは発生しておらず、あらかじめ録音してあった演技がインターフォンから聞こえてくる仕掛けになっていたわけです。しかし、そんな事情を知らない被験者にとって、この過程は現実そのものでした。会ったばかりの罪もない人を事実上の拷問にかけ、場合によっては殺してしまうかもしれない、という過酷な現実です。 さて、読者の皆さんがこの被験者の「先生」の立場であったら、どこで実験への協力を拒否したでしょうか。ミルグラムの実験では、40人の被験者のうち、65%に当たる26人が、痛みで絶叫し、最後には気絶してしまう(ように見える)生徒に、最高の450ボルトの電気ショックを与えました』、初めのうちはなんて酷い実験なのかと憤りを感じたが、「つねにサクラが生徒役、応募してきた一般の人が先生役になるようにクジに仕掛けがしてあり、電気ショックは発生しておらず、あらかじめ録音してあった演技がインターフォンから聞こえてくる仕掛けになっていたわけです」というので、一安心した。
・『これほどまでに多くの人が実験を最後まで継続してしまったのはなぜなのか。1つ考えられる仮説としては「自分は単なる命令執行者にすぎない」と、命令を下す白衣の実験担当者に責任を転嫁しているから、と考えることができます。 「自らが権限を有し、自分の意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて決定的な影響を与えるのではないか。ミルグラムは仮説を明らかにするため、先生役を2人にして、1人にはボタンを押す係を、もう1人には回答の正誤の判断と電圧の数字を読み上げるという役割を与える実験を行いました。このうち、ボタンを押す係はサクラなので、本当の被験者の役割は「回答の正誤を判断し、与える電気ショックの電圧の数字を読み上げる」ことだけとなり、つまり実験への関わりとしては、最初のものよりもより消極的となります。果たせるかな、最高の450ボルトまで実験を継続した被験者は、40人中37人、つまり93%となり、ミルグラムの仮説は検証されました。 ミルグラムによる「アイヒマン実験」の結果はさまざまな示唆を私たちに与えてくれます。 1つは官僚制の問題です。官僚制と聞けば、官庁などの役所で採用されている組織制度と考えがちですが、上位者の下にツリー状に人員が配置され、権限とルールによって実務が執行されるという官僚制の定義を当てはめれば、今日の会社組織のほとんどすべては官僚制によって運営されていることになります。 ミルグラムの実験では、悪事をなす主体者の責任が曖昧な状態になればなるほど、人は他者に責任を転嫁し、自制心や良心の働きは弱くなることが示唆されます。これがなぜ厄介かというと、組織が大きくなればなるほど、良心や自制心が働きにくくなるのだとすれば、組織の肥大化に伴って悪事のスケールも肥大化することになるからです』、「組織が大きくなればなるほど、良心や自制心が働きにくくなる」というのは、その通りなのだろう。
・『「これは間違っているのでは?」と最初に言える重要性  もう1点、ミルグラムによる「アイヒマン実験」はまた、私たちに希望の光も与えてくれます。権威の象徴である「白衣の実験担当者」の間で意見が食い違ったとき、100%の被験者が150ボルトという「かなり低い段階」で実験を停止しました。 この事実は、自分の良心や自制心を後押ししてくれるような意見や態度によって、ほんのちょっとでもアシストされれば、人は「権威への服従」をやめ、良心や自制心に基づいた行動をとることができる、ということを示唆しています。 人は権威に対して驚くほど脆弱だというのが、ミルグラムによる「アイヒマン実験」の結果から示唆される人間の本性ですが、権威へのちょっとした反対意見、良心や自制心を後押ししてくれるちょっとしたアシストさえあれば、人は自らの人間性に基づいた判断をすることができる、ということです。これは、システム全体が悪い方向に動いているというとき「これは間違っているのではないか」と最初に声をあげる人の存在の重要性を示しているように思います』、なるほどその通りなのだろう。
・「アイヒマン実験」については、以下のWikipediaの説明が、アイヒマンとの関わりについても解説している。これによれば、「アイヒマン裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む一介の平凡で小心な公務員の姿だった」、「妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。この実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言う」、人間とは恐ろしい一面を持っているが、それを解き明かそうと努力する存在でもあるようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93
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