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日本のスポーツ界(その22)(毎食「米3合食え」と迫られる野球少年の壮絶、パワハラ“無罪” 塚原夫妻復権で加速するスポーツ界の退化、貴ノ岩暴行問題を「心の弱さ」や「暴力の連鎖」で片付けてはいけない理由、感動と熱狂の「箱駅駅伝」が日本人だけにしかウケない理由) [社会]

日本のスポーツ界については、昨年10月18日に取上げた。今日は、(その22)(毎食「米3合食え」と迫られる野球少年の壮絶、パワハラ“無罪” 塚原夫妻復権で加速するスポーツ界の退化、貴ノ岩暴行問題を「心の弱さ」や「暴力の連鎖」で片付けてはいけない理由、感動と熱狂の「箱駅駅伝」が日本人だけにしかウケない理由)である。

先ずは、フリーライターの島沢 優子氏が11月4日付け東洋経済オンラインに寄稿した「毎食「米3合食え」と迫られる野球少年の壮絶 午前0時まで泣いて食べる小5の絶望」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/246963
・『夏の暑さも和らぎ、食欲の増す季節がやってきた。メタボぎみのお父さんは「もう食べちゃダメ」と奥様ににらまれたりするが、逆に「もっと食え」と強制される子どもがいるのをご存じだろうか。 「1食につき米3合食え」  子どもの脳に詳しい小児科医で文教大学教育学部特別支援教育専修の成田奈緒子教授は、講演のため足を運んだ東北地方のある町でこんな話を聞いた。 「息子が少年野球の監督から1食につき米3合食えと命じられ、苦しんでいます」 小学5年生。野球の少年団で投手として頑張っているが、放課後行う練習が終わるのは夜9時を過ぎる。そこから米3合、茶碗に山盛り6杯ぶんの白飯を食べなくてはならない。 食べるのに夜中の12時までかかる。体が細く体も小さいため「食べないと試合で投げさせないと監督に言われた」と泣きながら食べる。プロ選手を輩出した少年団らしく、「1食3合命令」は地域の少年団でも有名だ。 しかも、白飯がおなかに入らなくなるからか「野菜や肉などのおかずは食べなくていい。塩だけで飯を食え」とも言われているそうだ。 子どもの脳育てのために早寝早起きを推進する成田教授が、さらに驚いたのは、同じ話を今度は東海地方での講演の際にも聞いたからだ。そこでも前述のケースと同様「1食米3合」を監督から命じられ、子どもたちが苦しんでいた。 実は筆者も似た話を知っている。首都圏にある少年野球クラブで以前聞いたのは「どんぶり3杯」。量的には米3合とほぼ同じだ。消化できずに下痢になるため、栄養を吸収できず太れない。体重が増えないため「おまえ、食ってないだろう!」と叱られる。そこまで食べなきゃいけないなら野球をやめたいと子どもが言う――そんな話だった。 野球少年が「1食米3合」の理不尽に苦しんでいる』、小学生に「1食米3合」を強要するとは、トンデモない話だ。強要する指導者たちの常識の欠如にも驚かされる。
・『「本当に驚きました。本来なら小学生が就寝すべき夜9時まで練習し、それから米3合食べて就寝が夜中では、成長ホルモンが分泌する時刻に間に合わないので身長が伸びません。夜中に食べることで胃腸がもたれて朝ごはんがしっかり食べられないため、日中の活動に支障をきたします。本末転倒です」と成田教授は勘違いの“食トレ”に警鐘を鳴らす。 「野球食」なる言葉が登場したのは2000年前半。その後、ラグビー、サッカー、駅伝などで日本のトップアスリートたちがスポーツ栄養、「食トレ」に励む文化が生まれたが、その起点になったのが野球食だった。 それが小学生にも下りてきたのだろうか。正しい栄養指導を受けられない親たちは不安そうだ。 都内で小学6年生の野球少年を育てる40代の母親は「うちは団長が楽しく野球をやろうと方針を示しているチーム。息子も含めてみんな体は小さいけど、そこまで食事のことを厳しく言われない」と明かす。 ただ、親睦会などでコーチと話すと「実際、体が大きい子がいるほうが勝てる」とか、「野球は体が大きくないと話にならない」といった本音も聞かされる。 「根尾(昂=大阪桐蔭高校)君なんて、そんなに大きくないけど凄い選手じゃないですか。全員4番になれるわけじゃないのに。どのくらい食べさせたらいいのか。そもそも本人が嫌がるのに食べさせていいのか」 ▽メディアの影響による勘違い(そこで、帝京大学スポーツ医療科学科助教でスポーツ栄養士の藤井瑞恵さんに、それらの疑問について聞いてみた。スポーツクラブの子どもたちの栄養指導の経験があり、現在は大学選手権10連覇を狙うラグビー部の栄養サポートをしている。 藤井さんはまず、メディアの影響による勘違いを指摘する。「ここ数年、スポーツ栄養がメディアで取り上げられるようになり、テレビなどで、高校生や大学生のトップアスリートはこんなに食べてますよ、といった様子が報じられます。悪いことではないのですが、それを見て、小学生にも、とか、小学生からやればいい、などと勘違いされているのではないか」 無論だが、米3合に根拠はないという。 「続けていたら、体に変調をきたします。消化不良を起こし胃腸障害のもとになりかねません。下痢をしたり、嘔吐したら、ほかの栄養素も外に出てしまって逆効果。背も伸びません」 藤井さんによると、野球をはじめスポーツ少年の正しい栄養摂取は「さまざまな食材を適量食べて、しっかり吸収する」ことだ。 成長期にある小学生の間は、骨の形成にポイントを置く。骨が鉄筋とコンクリートでできていると仮定すると、鉄筋部分はコラーゲン。骨のしなやかさ、骨の質を決める成分だ。コンクリート部分はカルシウムになる。 コラーゲンをつくるには、肉や魚、卵から摂取するたんぱく質や柑橘類などに含まれる「ビタミンC」が必要になる。カルシウムは牛乳や小魚など。そのカルシウムを体に吸収しやすくするには魚やきのこ類などに含まれる「ビタミンD」と、納豆や春菊、ほうれん草などの葉物、海藻に含まれる「ビタミンK」を摂ってほしいという。 白飯が好きな子どももいるが、ふりかけをかけて食べて終わり、ではいけない。ごはんは糖質で、エネルギーに変わる大事な栄養素だが、その糖質をうまくエネルギーに変えるには豚肉や豆類にある「ビタミンB1」が必須であり、そのB1を吸収しやすくするには、一緒にネギやニンニクに入っている「アリシン」を摂る必要がある。 加えて、スポーツ少年の親が心掛けたいのは、補食の確保だという。放課後の練習など、おなかがすいた状態で始め、エネルギー不足の状態で体を動かすと脚つりやけがの原因になる。脳も糖質などをエネルギー源にしているため、頭も働かなくなる。よって、バナナやおにぎり、パンなどの補食を開始前に摂ることが重要だ。 中学校の部活動は、その観点から見て理想的ではなく、問題がありそうだ。一部の私立校以外は、食べ物を学校に持ってきてはいけないところが多い。 「小学生は平日なら一度帰宅して補食を摂れますが、中学生は昼ごはんのあと何も食べずに部活に入ります。栄養学的によくありません。学校としてのシステムを変えることを考えてほしい」(藤井さん)。 たとえば、部活生が持ってきたおにぎりなどを学校側が放課後まで預かっておくなど、工夫が必要だろう。 発育発達の面についても、もっと考えたほうがいい。藤井さんによると、小学生時代はどの競技も基礎技術を習得することが重要だという。小学生は技術、中学生は持久力。高校生から筋力に注目する。このような発達段階に応じたて指導すべきという考え方は、スポーツコーチングの世界では常識だ。 「少年野球の指導者や親御さんは、小学生の時期に何をいちばんやらなくてはいけないかを整理してほしい。小中学生の時期は、個々で成長の速さが違う。無理に体を大きくする時期ではありません」(藤井さん)』、スポーツ栄養ブームがこんな誤解を生んでいるとすれば、メディアの責任も重い。
・『大人が勝利を求めすぎていないか  大きい子は打てる。打てれば勝てる――。そんな発想から“米3合の呪縛”が生まれ、子どもたちを苦しめていないか。まだまだ続く競技生活を考えれば、子ども時代には「野球は楽しいなあ」と感じることが最も重要なのに、大人が勝利を求めすぎている側面はないだろうか。 そんな理不尽は、すべての少年野球の現場で起きている事態ではなく、ごく一部なのだろう。だが、一方で子どもの野球離れが言われ始めて久しい。全日本軟式野球連盟に登録している小学生チーム数は、2011年度の1万4221に対し、2017年度は1万1792。6年間で2500弱のチームが消滅している。 少子化やサッカー人気に押されているとの見方も間違いではないかもしれないが、理不尽さが敬遠されている可能性も否定できないと筆者は考える。育成の環境が今の時代にあっているかどうか、点検することは無駄ではないだろう。 冒頭の成田教授は言う。「食べることで苦しむなんて、少年スポーツに危険な側面があるという認識を持ちました。大人がきちんと新しい知識を学んで指導しなければ、子どもにとって悪影響でしかありません。指導者だって、その子を良くしたいと思っているはず。誰かがこうしているとか、そういった話を鵜呑みにしないでもっと勉強してほしい」 食事も、スポーツも、本来楽しむもの。この価値観を大人たちが共有することが何より必要だ』、「食事も、スポーツも、本来楽しむもの」は正論ではあるが、スポーツは勝負にこだわりがちになることは不可避なだけに、難しい問題だ。スポーツ栄養については、メディアも誤解を生じないような報道に努めるべきだろう。

次に、12月12日付け日刊ゲンダイ「パワハラ“無罪” 塚原夫妻復権で加速するスポーツ界の退化」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/243545
・『この“判決”がどう出るか。 リオ五輪体操女子代表の宮川紗江(19)が塚原光男副会長(70)と妻の千恵子女子強化本部長(71)によるパワハラ被害を告発した問題は10日、日本体操協会が第三者委員会の調査結果を報告。夫妻によるパワハラを認定せず、2人の職務復帰が決まった。 レスリングの栄和人前日本協会強化本部長から火がついたスポーツ界のパワハラ問題。今月7日には厚生労働省がセクハラやパワハラについて「許されない行為」と法律に明記する方針を固めたが、今回は第三者委員会が塚原夫妻に「パワハラであると感じさせてしまっても仕方ないものもあった」という報告がありながら、まさかの“無罪”判決。スポーツ界の「パワハラの壁」は思った以上に高いことが証明された。 これにより、各競技団体の役員たちも安堵しているに違いない。体操界の場合、こんな声もあるという。「長く協会の中枢にいる塚原夫妻は内部の資金の流れなどの情報を持っているはず。『処分したらバラされることを恐れた』なんて話もある。第三者委員会が聴取した人は塚原派とされる人たちが多かったそうです。パワハラ被害を見聞きしていた人たちは声もかからなかった」(体操関係者) そもそも、宮川が協会を通さずにパワハラ告発に踏み切ったのは、協会への不信感があったから。宮川の勇気ある行動に体操界で多くのOGらが支持する声を上げていたのは、そのような実態を知っていたからだろう。しかし、そんな声も完膚なきまでに潰された』、第三者委員会の聴取では、「パワハラ被害を見聞きしていた人たちは声もかからなかった」とは、酷い話だ。スポーツ庁はそんないい加減な報告書は突き返すべきだったろう。
・『「体操協会の“判決”は、今後の日本スポーツ界の進歩を妨げ、むしろ退化させることになるでしょう」と話すのは、スポーツライターの工藤健策氏だ。 「この先、同じようなパワハラ被害があったとしても、悩みを抱える選手が声を上げづらくなってしまった。これでは宮川選手も報われない。いつも一番苦しむのは現場の選手です。物を言えない周囲の大人が問題で、選手の味方につかず、悪いことを悪いと言えない大人が残る。パワハラ指導者はそういう人たちを周囲に集め、自分たちばかりが前に出る、塚原夫妻は一刻も早く現場から去るべきです」 東京五輪まで1年半。スポーツ界の時計は逆戻りしている。』、スポーツ界の闇はなんら晴らされることなく、文字通り「闇に葬られた」ようだ。

第三に、ノンフィクションライターの窪田順生氏が12月13日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「貴ノ岩暴行問題を「心の弱さ」や「暴力の連鎖」で片付けてはいけない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188326
・『日馬富士暴行事件では被害者だった貴ノ岩が、一転加害者となり引退に追い込まれた問題に、識者たちから「心の弱さ」「暴力の連鎖」といったコメントが寄せられている。だが、事態はこの手の話で簡単に片付けられていいものではない』、どういうことなのだろう。
・『被害者から一転、暴行・引退 元師匠はじめ有識者らが反応  これは「暴力の連鎖」なのか、はたまた「個人の暴力気質」に由来する問題なのか――。 白鵬のお説教を聞く態度が悪いと元・日馬富士にリモコンでタコ殴りにされた元・貴ノ岩が、今度は忘れ物の言い訳をした「付き人」にビンタしてしまった一件のことだ。 世間の同情を集めていた「被害者」が一転して「加害者」へという2時間サスペンスを彷彿とさせるジェットコースター的展開に、さまざまな声が寄せられている。 まず多いのは、理不尽な暴力を受けた者の気持ちを誰よりもわかっているのに、なぜこんな愚かなことをしてしまったのか、という怒りだ。 落語家・立川志らく氏も「こんな大バカ者はいない」と吐き捨て、相撲に造詣の深い漫画家・やくみつる氏は発覚直後から「さっさと荷物をまとめた方がいい」と痛烈に批判し、テレビ出演時に元・貴ノ岩が過去にも暴力を振るっていたこともにおわせた。また、師匠だった元・貴乃花など引退報告の電話を無視、テレビのインタビューでも「10年は会わない」と大激怒している。 彼らの怒りは、暴力衝動を抑えることができなかった「心の弱さ」へ向けられている。一方で、元貴ノ岩を叩かない人たちからは無力感や憤りとともに、「暴力の連鎖」が語られている。 例えば、ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏は、「純粋な暴力の連鎖にしか見えない」とコメント。ネットでも有識者らが、「根深すぎる暴力の連鎖」「やはり暴力の連鎖は断ち切れないのか」などと述べているのだ。 もちろん、反論もある。暴力や虐待の被害者が、時を経て加害者にまわる事件や悲劇が起きると、世の中はすぐに「暴力の連鎖」という言葉で片付けてしまいがちだが、筆舌に尽くしがたい虐待や暴力を受けても、「加害者」にならない人はゴマンといる。つまり、「暴力の連鎖」なんてのは幻想であって、元貴ノ岩のような人間は、被害者になるならない関係なく、遅かれ早かれ他人に暴力を振っていたというワケだ。 果たして悪いのは、元・貴ノ岩の人間性か、それとも暴力が暴力を生んでしまう負の連鎖か――。みなさんいろいろ思うところがあるだろうが、個人的にはこの手の話でサクッと片付けられていることに危うさしか感じない。問題の本質から人々の目を遠ざけてしまうからだ。 では、問題の本質は何かというと、「付き人」という名の徒弟制度に尽きる』、確かに問題の本質を捕えて、適切な対応策を採らないと同じ過ちが繰り返されるだけだろう。
・『力士約50人が暴力被害、うち9割が若手 元凶はスポーツ界の根深い「徒弟制度」  大相撲の元横綱日馬富士の傷害事件を受けて日本相撲協会が設置した第三者機関「暴力問題再発防止検討委員会」によれば、昨年暴力を受けたと答えた協会員は約50人(5.2%)で、被害者の約9割は1~3年目の若手。暴力を振るったのは兄弟子が大半で、「教育」や「指導」の名目だった。 この調査結果を裏付ける「材料」は相撲の世界に枚挙にいとまがない。 例えば、真相はいまだに藪の中ではあるが、元・日馬富士も、元・貴ノ岩をリモコンでボコボコにしたのは大横綱・白鵬へ礼を欠いたことを体でわからせた「指導」だと主張している。また、貴乃花親方引退の遠因になった、貴公俊が付き人を殴ったケースも、入場のタイミングを伝えるのが遅かったという致命的なミスに対してのことである。 このように「上」が「下」に対しておこなう暴力事案が山ほどあることからも、この問題の原因が、「付き人」に象徴される徒弟制度にあるのは明白だ。 それは、他のスポーツを見てもよくわかる。その中でも、相撲と同じく日本人が大好きな高校野球がわかりやすいだろう。 2001年、名門とうたわれたPL学園の野球部寮で、上級生が下級生をバットで殴るなど暴行事件が続発した。背景には、下級生が上級生の「付き人」として生活の世話などをする過度な上下関係があった。当時、1年生たちはこんな寮のルールをメモさせられた。 「3年生は天皇へいか」「返事は常にハイとイイエ」「先輩方に何かのまねをしろと言われたら、する。できませんは、ない」(朝日新聞2001年6月30日) こういう問題が発覚した後も残念ながら野球部の暴力はなくならなかった。2013年には、1年生を上級生が集団リンチで病院送りにして出場停止処分も受けている。 2001年以降、野球部寮は廃止され、部員は一般の生徒たちと同じ寮へ移り、監督など大人たちも「暴力は絶対に行けない」と口すっぱく説いた。このように暴力根絶のための必死に取り組んでいたのに、なぜ暴力が続いたのか』、確かに野球部での暴行事件がこれだけ続いている背景には、根深い問題がありそうだ。
・『悪習は元から絶たなければ消えない 徒弟制度ある限り暴力事件は続く  答えはシンプルで、元凶である徒弟制度は続いていたからだ。「朝日新聞」(2013年7月2日)の取材に応じたOBたちはこのように振り返る。 「1年生はよく寮の1階ロビーに集合がかかり、しばかれた。理由は掃除ができないとか、練習での動きは悪いとか」「付き人という名はなかったが、1年生には先輩の指導係がいて、その先輩のユニホームの洗濯は1年生がやった」 どうだろう、兄弟子から何かとつけてボコボコにされる相撲の「付き人」とやっていることは丸かぶりではないか。 これこそが冒頭で述べたように、元・貴ノ岩が付き人を殴った問題を、「個人の暴力気質」や「暴力の連鎖」というふわっとした話で片付けてはいけない、と申し上げた最大の理由だ。 PL学園のケースからもわかるように、この問題の本質は「徒弟制度」である。 だから、野球部寮をなくすなど、ちょっとやそっと閉鎖的な社会を風通しをするくらいでは、何の解決にもならない。ましてや、「心の弱さ」などという精神論で立ち向かえるような話でもない。 貴乃花親方のように厳しい師匠や、高校野球部では絶対権力者である監督が、「いいか、お前ら、暴力は絶対ダメだぞ」とどんなにきつく教え込んでも、その「愛弟子」たちが暴力をやめられないのがその動かぬ証である。 そういう本当のことを指摘すると、「歴史や伝統を否定するのか!」「先人が大切にしてきた相撲道の精神が失われてしまう!」と顔を真っ赤にして、この世の終わりのように騒ぎ出すおじさんたちが多いのだが、「悪しき伝統」という言葉があるように、長く続いていることが必ずしも正しいこととは限らない』、やはり本質への斬り込みが不可欠だ。
・『根底にある「人間は辛い経験をしなければ成長できない」という思想  そもそも、相撲という「国技」の魅力や精神と、先輩の身の回りの世話を後輩がしなくてはいけないという「付き人」のシステムは何の関係もない。「礼節」や「忍耐」を学ばせるためだとかいうが、それを鉄拳制裁で叩き込ませているようになっている時点で、もはやこの方向性が間違っているのは明らかだ。 過去に『徒弟制的修行論が「頑張っても報われない時代」にまではこびる愚』という記事の中でも指摘したように、日本では仕事のできない人間は「半人前」として、人権も半分になって、パワハラや体罰を乗り越えなくては「一人前」になれない、という特殊な「人材育成」の哲学が根強く残っている。それが弱者は強者に搾取されて当然という、「ブラック企業」のカルチャーを生み出した。 日本では「職人」という言葉を持ち出すと、どんなに理不尽な話でも何やらすべて許されるようなおかしな風潮があるが、前近代的な「徒弟制度」というものを、強迫観念のように、この時代にまで引きずってきたことが、「ブラック企業」や「パワハラ」の原因となっているという事実を、そろそろ直視すべきだ。 下積み、付き人…このような徒弟制度の根底にある思想は、「人間は辛い経験をしなければ成長できない」という思想である。 だから、徒弟制度の信奉者たちは、かつて自分が受けたハラスメントを繰り返す。パワハラ上司のほとんどが、「俺が若い時はこんなもんじゃなかったぞ」と、ワケのわからない自慢をするのも、後輩に対するハラスメントや暴力というものを、「お前に良くなってほしい」という「愛」だという悲劇的な勘違いがあるからだ。 残念ながら、日本社会の多くでいまだにパワハラがなくならないことからもわかるように、徒弟制度を否定すると、日本が滅びるくらいに考えているおじさんがいまだに社会の主導権を握っている。 貴ノ岩の件で、被害者が加害者になったと驚いているが、世間を見渡せばそのようなサイクルばかりではないか。相撲界、スポーツ界だけではなく日本企業でも、ハラスメントを受けた人が、自分よりも弱い立場にハラスメントをしている。店員として悪質クレームを受けた人が、仕事を離れて自分が「客」の立場になると、モンスタークレーマーに豹変するという現象も起きている。誤解を恐れずにいってしまうと、日本社会は「ハラスメント」で成り立っているのだ。 そう考えていくと、相撲協会が徒弟制度という病巣にまで手を突っ込むとは考えにくい。第二、第三の貴ノ岩が出るのも時間の問題ではないか』、「日本では仕事のできない人間は「半人前」として、人権も半分になって、パワハラや体罰を乗り越えなくては「一人前」になれない、という特殊な「人材育成」の哲学が根強く残っている。それが弱者は強者に搾取されて当然という、「ブラック企業」のカルチャーを生み出した」との指摘は、説得力に溢れ、その通りだ。スポーツ界だけでなく、企業社会にまで広がる根深い問題だが、その指摘がもっと多くの識者からもされないと、解決には向かいそうもない。やれやれ・・・。

第四に、同じ窪田順生氏が1月10日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「感動と熱狂の「箱駅駅伝」が日本人だけにしかウケない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/190460
・『毎年、日本中が熱狂する箱根駅伝。しかし、柔道や空手などの日本発スポーツが世界で人気を博しているのに比べて、駅伝は世界では人気がない。実は、駅伝が神道や「祭り」と非常に深いつながりを持っていることも、影響しているのではないだろうか』、興味深そうだ。
・『日本では大人気だけど…外国では流行らない駅伝  日本では大人気の駅伝ですが、海外では流行りません。 今年の「箱根駅伝」も大いに盛り上がった。 初優勝の東海大、5連覇は逃しながらも驚異の追い上げで見事復路優勝を果たした青学。彼らを往路で引きずり下ろしながらも復路で失速してしまった東洋大などなど、1年間をこの日にかけてきた若者たちが死力を尽くし、たすきをつないでいく姿に、思わず感動したという方も多いのではないだろうか。 実際、テレビ中継の視聴率は往路復路ともに30%超えと過去最高を記録。ゴールの大手町はもちろんのこと、沿道では100万人ともいわれる観衆がランナーに声援を送った。ここまでくると、もはや「国民的行事」といってもいいだろう』、「テレビ中継の視聴率は往路復路ともに30%超えと過去最高を記録」とは驚きの数字だ。
・『そんな盛り上がりを見るたび、いつも不思議で仕方がないことがある。それは、なぜこんなにも人々を熱狂させ、そして感動を与えてくれる素晴らしい競技が、世界に広がらないのか、ということだ。 ご存じの方も多いと思うが、「駅伝」は日本発祥のスポーツだが、「柔道」「空手」「競輪」などの日本発祥競技が世界へ広がり、多くの国で愛され、五輪種目にもなっているのと比べると、「マイナー」と言わざるをえない。 一昨年あたりから中国の大学で箱根駅伝の「コピー」が始まったというニュースがあったが当然、パクりなので本家ほど盛り上がらない。韓国も日本統治時代の名残で駅伝自体はあるがかなりマイナー。マラソンが盛んな欧州や、世界的ランナーを多く輩出するアフリカでも、「フランス駅伝でパリっ子が大フィーバー」とか、「ケニア駅伝で這いつくばってゴールしたランナーに国中が感動!」なんてニュースは聞いたことがない。 では、なぜ「駅伝」は日本人だけにしかウケないのだろうか。 日本の駅伝という特異な文化に興味を抱き、実際に自らも駅伝に参加するなどして綿密に取材をしたイギリス人のジャーナリスト、アダーナン・フィン氏は著書「駅伝マン――日本を走ったイギリス人」(早川書房)の中で、高度経済成長の原動力にもなった日本人の「和」を尊ぶ思想にピタッとハマった競技だからではないかと考察している』、こういう問題は、かえって外国人の方がポイントを突いた見方をするものだ。
・『駅伝のルーツは「神事」 コースにも神道的思想が  「駅伝チームは、すべての参加者が自分の役割を果たして勝利を得る。つまり、全員がチームのために一丸となって闘わなくてはいけない。それが当時の日本人の精神と合致し、少しずつ駅伝の知名度が上がり、マラソンを凌ぐほどの人気を博すようになったのだった」(同書、第4章「和をもって駅伝となす」より) これには納得だと深く頷く方も多いことだろう。筆者もまったく同意である。 確かに、「たすきをつなぐためぶっ倒れるまで走る姿に涙腺崩壊」というのは、「炎天下で肩を壊してまで速球を投げる高校球児の姿に感動をありがとう」にも通じるものがあり、そこには日本人が愛してやまぬ「集団主義」が大きく関係しているのは間違いないだろう。 ただ、「チーム」を尊重するカルチャーは日本だけのものではない。ならば、マラソンという個人競技は世界中で普及しているのだから、そのリレー版である駅伝だってもっと受け入れられていいはずである。しかし、現実にそうなっていないということは、よその国の人にはいまいちピンとこないものの、日本人だけにグッとくる要素が、駅伝に秘められていると考えるべきだ。 それはなにか。個人的には、「駅伝」というものが競技スポーツというより、日本古来の「神事」、あるいは「祭事」に近いものだからではないかと思っている。 「おいおい、年の初めからヤベエやつの記事読んじゃったよ」と閉じそうになっている方も多いかもしれないが、駅伝という競技の成り立ちを知れば、そこまで荒唐無稽な話ではないということがわかっていただけるはずだ。 「駅伝」を世に生み出したのは今年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」のモデルとなっている金栗四三氏だというのはあまりに有名な話だ。 自身がストックホルム五輪で途中棄権してしまった苦い経験をもとに、世界に通用をするマラソン選手の育成に乗り出した金栗氏は、リレーレースで選手を鍛えるのが一番いいとして、この競技を考案した。ではなぜそれが「マラソンリレー」とかではなく、「駅伝」と名付けられたのか。ご本人はこのように述べている。 「そのころ長距離リレーになんとか名前をつけようということになり、武田千代三郎という伊勢神宮に関係のある皇學館長が駅伝という古式ゆかしい名前を編み出したと思う。そして大正九年の第一回から駅伝を始めたわけだ」(読売新聞1953年12月23日) つまり駅伝とは、その成り立ちから神道の影響を受けた競技と言えるのだ。そんなの昔のことでしょと思うかもしれないが、そのような神道的な思想はコースにもちゃんとあらわれている』、「成り立ちから神道の影響を受けた競技」というのは初耳だ。
・『駅伝は「お祭り騒ぎ」ではなく正真正銘の「お祭り」である  箱根駅伝は、大手町という「将門の首塚」から「関東総鎮守箱根大権現」と呼ばれた箱根神社を結んでいる。出雲全日本大学選抜駅伝のスタートは出雲大社。全日本大学駅伝対校選手権大会も、名古屋の熱田神宮を出発して、ゴールは「駅伝」に縁のある伊勢神宮だ。 外国の人たちに「なぜ日本人はお正月に神社に行くのですか?」と尋ねられても「日本人はそういうものですから」と答えるしかない。「なぜ日本人は大木に乗って斜面をすべり下りたり、山車で猛スピードを出したりという危ないお祭りをするのですか」と尋ねられても同じだろう。 駅伝もこれらと同じではないか。つまり、理屈で説明できるものではなく、日本人ならば気がつけば熱狂し、ハタから見ているだけでも胸が踊る「お祭り」のようなものなのではないか。 箱根駅伝の魅力を語る際に必ず「ドラマ」という言葉が出る。実況アナウンサーもそこを意識して、スポーツ中継とは思えぬほど、思いっきり「情」に訴える。 ペースが落ちれば大興奮、足が止まれば大騒ぎ。道に倒れたら大絶叫。また、箱根駅伝まで彼らがどういう鍛錬を重ねてきたかはもちろん、家族や友人、ライバルとの人間関係までつまびらかにして盛り上げる。 なぜ、たかが大学生のスポーツ大会に、こんなにもお祭り騒ぎをするのか不思議で仕方がなかったが、「お祭り」だと考えればすべて辻褄が合うのだ。 そんな馬鹿げた妄想には付き合いきれん、という全国数千万人の箱根駅伝ファンからの怒りに声が聞こえてきそうだが、歴史を振り返れば、駅伝がスポーツではなく「神事」として行なわれたという動かぬ証拠がある。 1940年、日本の東北から九州、さらに朝鮮半島、満州、台湾の若者たちの中から選抜して大駅伝大会が催された。これは宮崎神宮(宮崎県)から橿原神宮(奈良県)まで、約1000キロを10日間で疾走するというものだった。 なぜこんな凄まじい長距離の駅伝をやることになったのかというと、紀元2600年を奉祝するためだ。宮崎は神武東征のスタート地点。橿原神宮のある畝傍山は、神武天皇が即位した皇居があったとされる。要するに、これは「神武東征駅伝」だったのだ。ちなみに、この記念すべき大会で見事優勝を収めたのは「朝鮮台湾軍」だった』、なるほど。
・『米英撃滅祈願で開催された1942年の駅伝大会  また、それだけではなく、駅伝は「皇民」である日本人の士気を上げるため、「祈願」のようなことにも使われている。 1942年、ミッドウェー海戦でぼろ負けする2ヵ月ほど前、「鉄脚を通じて銃後の士気を鼓舞せんとする」(読売新聞1942年3月20日)ため、伊勢神宮から皇居の二重橋前の約600キロを3日間で走る駅伝大会が催された。全国から健脚自慢の選手52名が選抜され、おこなわれたそのイベント名はズバリ、「米英撃滅祈願東西対抗縦走大会」――。 若者たちの走りは、神国・日本の皇民たちを奮い立たせ、神に対して憎き鬼畜米英の破滅を祈祷するための「儀式」だったのである。 日本人が大好きな野球も戦時中は、敵性スポーツとして冷遇されたことを考えると、「駅伝」というものが単なる「マラソンリレー」ではなく、我々日本人の信仰や精神に深く根付いていたがゆえ、かなり特別扱いされていたということがうかがえよう。 こういう出自を考えれば、駅伝というものが日本人だけにしかウケないというのも納得ではないだろうか。 少し前、女子駅伝で、足を故障した選手が、たすきをつなぐために約200メートルをはいつくばるということがあって大きな話題になった。 すぐに監督は審判に棄権を要請したというが、選手本人の強い希望もあって最後まではいつくばってたすきを渡したのだという。 選手個人の記録、選手個人の未来などよりも、はるかに「たすき」の方が大切。その頑なまでの教条主義というのは、そこに生きる人間の意志よりも伝統や格式を重んじる「神事」や「祭事」を思わせる。 このあたりの精神は日本人ならば、まあなんとなく理解できるが、よその文化の人たちには難しいのではないか。 日本中が涙を流して熱狂する駅伝が、「世界のEKIDEN」になるのは、まだまだ当分先のことのようだ』、「選手個人の記録、選手個人の未来などよりも、はるかに「たすき」の方が大切。その頑なまでの教条主義というのは、そこに生きる人間の意志よりも伝統や格式を重んじる「神事」や「祭事」を思わせる」との指摘は本質を突いており、大いに参考になった。

・なお、さきほどの夕方のNHKニュースで、JOCの竹田会長が、「五輪招致で汚職に関与した疑惑で、フランスで刑事訴追するか否かを決める予備審問の手続きが取られている」と伝えた。かねて噂になっていた件が、今頃になって浮上した背景は不明だが、ひょっとすると日産のゴーン事件への「サヤ当て」なのかも知れない。これについては、事実関係がハッキリすれば、改めて取上げるつもりである。
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