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農業(その2)(コメの価格が3年で3割も上昇した根本理由 なぜ主食用のコメが値上がりしているのか、植物工場「6割が赤字」に未来はあるか 商機をつかむのはトップの意志、最終回 農業を「天命」と言い切る幸せ 透き通る青空の下で未来を思う) [国内政治]

農業については、2016年12月23日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(コメの価格が3年で3割も上昇した根本理由 なぜ主食用のコメが値上がりしているのか、植物工場「6割が赤字」に未来はあるか 商機をつかむのはトップの意志、最終回 農業を「天命」と言い切る幸せ 透き通る青空の下で未来を思う)である。なお、タイトルから「改革」を外した。

先ずは、慶應義塾大学 経済学部教授の土居 丈朗氏が昨年4月30日付け東洋経済オンラインに寄稿した「コメの価格が3年で3割も上昇した根本理由 なぜ主食用のコメが値上がりしているのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/218648
・『米(コメ)の値上がりが止まらない。消費者物価上昇率は日本銀行が目標に掲げる2%に満たず、「インフレ目標」が達成できてないのに、コメ(主食用)の価格は最近3年で3割も上昇した。その影響は家庭で食べるご飯だけでなく、牛丼の値上げや、値段を据え置くおにぎりや米菓でコメの分量を減らすなどの形で及んでいる。なぜコメは値上がりしているのか。 天候不良や生産地での自然災害ばかりが原因ではない。コメの作況指数は、2015年産米が100で平年並み、2016年産米が103でやや良、2017年産米が100で平年並みだったから、不作が原因ではない。実はそこには財政がかかわっている。 コメが値上がりしている根本原因は、稲作農家が、「主食用米」(家庭用や業務用)ではなく、「飼料用米」(多収性専用品種)に作付を振り替えてしまったからだ。簡単に言えば、人が食べるコメを作るのをやめて、家畜の餌にするコメを作ることにした農家が増えたからである』、農水省の政策の荒っぽさには改めて驚かされた。
・『農家が飼料用米を作りたがる理由  農家が、人が食べるためのコメを作りたがらないから、値段が上がり、それが追い打ちをかけ、日本におけるコメの需要をますます減らしている。コメにこだわりのない人は、値段が高ければ、パンやパスタなどに替えてもいいと思うだろう。このところ、日本での主食用のコメの需要は、年平均で8万トンずつコンスタントに減っていて、今や754万トンとなっており、今後さらに減るという予想もある。 では、どうして主食用米でなく、飼料用米に振り替わっているのか。それは、飼料用米への補助金が手厚いからだ。これまでの半世紀にわたる経緯を順を追って説明しよう。 そもそも、コメの供給過剰が恒常化したことから、1971年に減反が本格的に始まった。減反とは生産調整のことである。 減反政策の本質は、コメの生産量をいかに減らすか。だから、減反政策は、米の生産数量目標を農家に国が配分し、その目標に従わせることで生産量を抑制する方策と、米農家に転作助成金を支給する方策という、2本立てである。 前者についてはコメの作付面積を政府が配分していた時期もあったが、要するに、政府が農家ごとに目標量を決め、それを超えないように生産することを各農家に求めた。後者はコメ以外の作物に転作した農家に対して国が補助金を出すというものである。 減反政策は生産数量目標をいかに達成するかがカギなので、生産調整に応じてコメを作らなかった農家に補助金を出すだけでなく、生産数量目標を達成できなければ、転作助成金をはじめもろもろの補助金は出さない、という罰まであった。 そこに、2009~2012年の民主党政権による、戸別所得補償制度の導入が加わった。これとあわせて2010年から、生産数量目標を達成できなかった農家にも、主食用米以外の飼料用米などへの「転作助成金」を支給することにした。これがやがて冒頭のコメの値上がりと関係してくる。こうして、生産数量目標を達成しようがしまいが、国から補助金がもらえる状況になった。 2012年に自民党政権へと代わり、第2次安倍晋三内閣は戸別所得補償制度を廃止。といっても、農家への補助金を全廃するわけにもいかないので、民主党政権期の補助金をどう見直すかが焦点となった。その際、行政による生産数量目標の配分を2018年度以降、撤廃することを決めた。この「行政による生産数量目標の配分」の撤廃を、減反廃止と評する向きもあるが、実質的には廃止とは言えない。なぜなら前述のとおり、減反政策は、生産数量目標の配分だけではなく、転作助成金もあるからである。 安倍政権が2013年に決めた見直しで、行政による生産数量目標の配分を廃止するのに合わせて主食用米への補助金はなくすことにしたが、転作助成金を残すこととした。しかも、転作助成金は、民主党政権期に生産数量目標に関係なく補助金を出すことにしたのを踏襲している』、「行政による生産数量目標の配分廃止」はいいとしても、問題は転作助成金が妥当かどうかだ。
・『農家が「経営判断」で生産調整  行政による生産数量目標の配分はなくなったが、農業者の経営判断による生産調整は残る。生産調整は必要と認識する当事者も多いため、農林水産省が2015年に策定した「食料・農業・農村基本計画」では、食料自給率を維持すべく生産努力目標を主要品目ごとに示した。 同計画で示されたコメの生産努力目標は、2013年度の872万トンから2025年度に872万トンとした。要するに2025年度でも2013年度と同じ生産量を維持することを努力目標として掲げたのだ。中でも飼料用米は、2013年度の11万トンから2025年に110万トンに増やすことを、努力目標としたのである。 これが飼料用米への手厚い補助金の裏付けとなっている。全体のコメの生産量を維持しつつ、飼料用米の生産量を増やすということは、主食用米の生産量を減らして飼料用米を増やすことにほかならない。そうした計画になっているのである。 飼料用米を増やすためにとった手立てが、転作助成金(水田活用の直接支払交付金)であり、主食用米から飼料用米に転作した場合、この助成金を手厚く出すことだった。 どれほど手厚いか見てみよう。作物別にみた10アール当たりの所得と労働時間だ。主食用米だと、販売収入は10万4000円、経営費は7万1000円で、差し引き、3万3000円の所得が得られる。その主食用米にはもはや2018年度以降に補助金がなくなった。 これに対して飼料用米は、販売収入が9000円、経営費が6万8000円だが、転作助成金が11万7000円もらえるので、差し引き、5万8000円の所得が得られる。同じ10アールの水田でも、所得は、主食用米だと3万3000円、飼料用米だと転作助成付きで5万8000円なのである。 これをみた農家は、飼料用米へと転作を進めている。主食用米の国内需要は、前述のように中長期的な減少傾向が続いているから、主食用米の生産が過剰になってはいけないのはわかる。だが、冒頭で指摘したように、主食用米の価格が最近3年で3割も上昇するという事態は、やはり飼料用米への転作が過剰に誘導されているといわざるをえない』、過剰な誘導とはお粗末な話だ。飼
・『そこまでして飼料用米が必要なのか  おまけに飼料用米への転作が、手厚い転作助成金によって誘導されているということは、そのために多額の税金が使われていることを意味する。財務省の機械的な試算では、もし飼料用米で前掲の生産努力目標の110万トンを達成するならば、この転作助成金は2016年度の676億円から2025年度には1160億~1660億円程度に増額しなければならないという。 そこまでして飼料用米が必要なのか。飼料用米では、補助金なしに自力で稼げる販売収入が10アール当たり9000円と、主食用米の10分の1未満しかない。 国内で畜産用に飼料が必要なら、コメにこだわる必要はまったくない。飼料用のトウモロコシを作れば、同じ10アール当たり3万1000円の所得が得られる。この所得は主食用米とほぼ同じだが、労働時間は主食用米の7分の1で済む。財政面から見ても、転作助成金は飼料用米の約3分の1で済む。 他の穀物に転作する方法だってある。小麦に転作すれば、10アール当たり4万3000円の所得が得られ、主食用米より労働時間は少なく所得は多くなる。小麦だと転作助成金(畑作物の直接支払交付金を含む)を飼料用米より少なく抑えられる。 さらには、同じ10アールの土地があるなら、水田を畑地化して、たまねぎやキャベツを作れば、所得は飼料用米を作るよりももっと増える。しかも国から補助金をもらわずに、だ。 確かに労働時間はコメを作るより多くなるが、機械化してたまねぎやキャベツを作れば、コメを作る時間とほぼ同じで済む。補助金に頼らず、コメを作るときと同じ労働時間で、コメを作るのよりも圧倒的に多くの所得が得られる方法はあるのだ』、政策的な選択肢はこんなに多いのに、飼料用米にこだわるのは不思議だ。
・『適地適作で、水田を水田のまま残すな  最近のコメの値上がりは、こうした飼料用米への過剰な転作誘導が手厚い補助金によって行われていることが、原因としてある。それを改めるにはこの手厚い補助金の配分を抜本的に改めることだ。行政による生産数量目標の配分は廃止されたものの、減反政策の残滓である「転作助成金」のひずみという問題は、依然として残っている。 確かに、これまで減反の象徴だった「行政による生産数量目標の配分」を廃止するところに持っていくまででも、政治的な困難があり、前掲のように、コメの生産量を将来にわたって維持する計画を示しつつ、ようやく2018年度にその廃止にたどり着いた。 ただ、もう廃止されたのだから、いつまでもコメの生産にこだわる必要はない。助成金を使った飼料用米への過剰な転作誘導をやめつつ、需要減が不可避な主食用米の効果的な転作を進めていくべきだ。適地適作を見極めながら、水田を水田のまま残すことにこだわらず、今こそ生産性の高い農業を目指すときである』、説得力のある主張で、大賛成だ。

次に、ジャーナリストの吉田 忠則氏が4月27日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「植物工場「6割が赤字」に未来はあるか 商機をつかむのはトップの意志」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/252376/042400142/?P=1
・『農業取材を始めたころ、いくつかの先入観を持っていた。農業をダメにしたのは農協で、兼業農家は否定すべき存在、企業がやれば農業はうまくいく――の3つだ。この連載の1回目が「『兼業農家が日本を支えている』と強弁する罪」(2013年8月23日)というタイトルだったことを思い返すと、ずいぶんステレオタイプな見方をしていたものだと恥ずかしくなる。 農業の側からすれば、あまりにも偏った見方と思うかも知れないが、一方、農業を外から見ている側には今も似たような考え方が少なからずあるように思う。そして筆者にとってこの連載の継続は、そうした表面的な見方を現場の取材と発信を通して改めていくプロセスでもあった。 農協の中にはがんばっているところも、そうでないところもある。それは、会社組織になった農業法人も同じことだ。農協でときに見られる閉鎖的で同調圧力を求める体質は、農協という組織に根ざす問題というより、農村社会を覆う空気を背景にしているケースが少なくない。そしてそれは、都会で働くサラリーマン社会とまったく無縁なものとも思えない。 残りの2つの論点に移れば、兼業農家は技術と経営の両面でイノベーションを起こすことはできなかったが、日本の社会の安定と食料供給に貢献してきた。連載で具体例を検証してきたが、企業の農業ビジネスには失敗例が珍しくない。それは、「岩盤規制」などと言われるものとはほとんど関係ない。 最後の「企業がやればうまくいく」の派生型とでも言えるのが、「植物工場は農業を救う」だ。多くの記者が、LED(発光ダイオード)の光が野菜を妖しく照らす様にうっとりし、植物工場の未来を明るく描いてきた。筆者の場合は反対で、農業取材を始めてかなりたっていたため、「うまくいかない」と思いながら植物工場の取材を始めた。 これもほかのテーマと共通で、答えは「一概には言えない」。大企業が資本力と技術力をバックにレタス生産の勢力図を塗り替えるような計画を発表する一方、破綻したり、戦略の大幅な見直しを迫られたりしたケースもある。ただ取材を通して見えてきたのは、天候不順が続く中、生産が安定している植物工場への期待が中・外食を中心に着実に高まっていることだ。長期的に見れば、植物工場の可能性は広がっていくと見ていいだろう。 ただし、植物工場という注目されているテーマで「一概には言えない」「うまくいくところもあれば、そうでないところもある」だけでおしまいでは、先行きを探るヒントにならない。一方で、植物工場の世界は今ようやく黎明期を脱しようという段階で、実例だけで全体像を描くことも難しい。そこで今回は、異例だが統計の力を借りてみようと思う。 日本施設園芸協会が最近、植物工場に関する調査結果を発表した。実施したのは2017年8~11月。発送した調査票は529票で、有効回答率は19・3%。なおこの調査は、LEDや蛍光灯などの人工光を使う植物工場だけでなく、太陽光を使う環境制御型の工場も対象になっており、比較のために太陽光型の結果にも触れながら話を進めたいと思う』、長年、農業を取材してきただけあって、筆者の主張には重みがある。
・『太陽光型と人工光型の違い  まず栽培を始めた時期を見ると、太陽光型は2009年までが47%を占めているのに対し、人工光型は2010年以降が70%に達している。人工光型で新しい工場が多いのは、経済産業省と農林水産省が2009年に植物工場への助成に力を入れ始めたことが背景にあると見られる。 日本で人工光型の植物工場の研究が本格的に始まったのは1970年代。それにもかかわらず、「現在、稼働している工場の7割が過去10年以内に栽培をスタート」という事実は、技術がずっと実用化の手前の段階にあったことを示唆している。この連載で、「黎明期をようやく脱した段階」という表現を何回か使ってきたのはそういう意味だ。そのことは、人工光型の成否を現時点で結論づけるのが難しいことも示している。 栽培品目でも大きな違いがある。太陽光型はトマトやパプリカといった果菜類が78%と圧倒的に多い。これに対し、人工光型はレタス類が83%に達しているほか、レタス以外の葉物類も6%ある。ただし、ここで注意が必要なのは、太陽光型で実際に作っているのは収益性の高い果菜類が中心だが、レタスなどの葉物類もふつうに作れる点だ。 太陽光は人工光と比べて光がはるかに強く、葉や茎が商品にならない果菜類でも大量生産が可能。これに対し、人工光を使って果菜類を作ろうとすると、電気代がかさんで採算に合いにくいため、光合成でできた植物体のほとんどが商品になるレタスが中心になる。人工光型の支持派からは「太陽光型は環境制御をしても、天気の影響を免れない」などと指摘する声もあるが、現時点の技術で見れば、効率性では太陽光型に軍配が上がるだろう。 栽培できる品目の多様性と並び、人工光型が大きく制約を受けているのが、規模拡大の可能性だ。もう先を読まなくても結論はわかりそうだが、大規模なのは太陽光型。人工光型は1000平方メートル未満が81%なのに対し、太陽光型は1ケタ違う10000平方メートル以上が88%を占める。比べる意味がないほどの差と言っていい』、人工光型の植物工場はテレビなどでもよく紹介されるが、「効率性では太陽光型に軍配が上がるだろう」というのは納得できる。
・『直面する大きなハードル  というわけで、とどめの項目。直近の決算で利益が出ているかどうかの質問に対し、太陽光型は48%が黒字で、14%が収支均衡、39%が赤字だった。では人工光型はどうか。植物工場の可能性を連載で強調してきた身として、現実を直視しないわけにはいかないだろう。答えは次の通り。 「黒字は17%、収支均衡が25%、赤字が58%」 足元の業績で見ると、人工光型は収益モデルを確立できているとは言い難い。もちろん、「栽培を始めた時期」の項で見たとおり、人工光型は新しい工場が多く、黒字化の途上にあると見ることもできる。ただし、一部の例外を除けば、電気代や人件費など、ランニングコストの高さが収益を圧迫する構造を改善できていない可能性は十分にある。積年の課題だ。 これに関連し、人工光型の決算状況を規模別に見ると、500平方メートル未満は77%が赤字で、4000平方メートル以上は100%黒字だった。だが、500平方メートル未満はサンプル数が13あるのに対し、4000平方メートル以上はたった2しかなく、統計として有意かどうかは疑問符がつく。ただ他の規模のデータも照らし合わせて浮かびあがってくるのは、規模が小さいほど利益が出にくいという点だ。 統計の紹介はここまで。ここで挙げたいくつかのデータを見ただけでも、人工光型植物工場がなお大きなハードルに直面していることがわかるが、難点についての説明をさらに続けなければならない。 節税対策の投資や、開発目的の試験的な運営を除けば、工場の運営を続けるかどうかの判断基準は結局、収益状況がカギを握る。そして、面積が数100平方メートルしかない小さい工場で利益を出すのが至難のわざであることもわかってきた。 だから、植物工場は農産物加工などと違って、小さく産んで、少しずつ利益を出しながら規模を大きくしていくという方法をとりにくい。黒字化するには、一定の大きさが必要だ。だが、投資額がかさむ一方、コストが高くて収益性が低いため、フローで利益を出せても、投資を回収するのは簡単ではない。つまり、工場だけで見るなら、財務にとって重い負担になるのだ』、太陽光型に比べ電気を使う人工光型がコスト高になるのは理解できるが、それにしても半分以上が赤字とは、確かに「収益モデルを確立できているとは言い難い」ようだ。ただ、設備投資の減価償却を定率法でやっているところが多いようであれば、償却負担はやがて減ってくるだろう。
・『中・外食業界を中心に広がるニーズ  悩ましいのは、「だからビジネスチャンスはない」と簡単に切り捨てられない点だ。外食チェーンやコンビニ、総菜店など中・外食業界を中心に、安定供給が可能な工場野菜への需要は今や無視できないほど広がりつつある。商機は確実にある。問題はそれにどう応えるかだ。 今は収益性の低い植物工場だが、そもそも現在の設備や栽培の仕組みが最適なものかどうかはわからない。LEDやタネ、肥料ももっと植物工場に向いているものが作れないかどうか検証が必要だろう。少ないとは言え、黒字化した工場が17%あることは、イノベーションの手がかりになる。 こうした状況を突破するのは、企業が一部門で手がけるような片手間の参入では難しい。必要なのは、工場を造っておしまいではなく、既存の技術で本当にいいかどうかをゼロベースで考える発想力。そして最も大事なのが、事業をやり抜くトップの意志だろう。それが、黎明期を脱しようとする産業の課題だ。リアリズムに徹しながらも、経営者が夢を抱けなければ、道は開けない』、その通りだろう。

第三に、同じ筆者が1月11日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「最終回 農業を「天命」と言い切る幸せ 透き通る青空の下で未来を思う」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/252376/010800187/?P=1
・『透き通るような晴天に恵まれた先週末、神奈川県秦野市の農村を訪れた。取材に向かった先は、ブルーベリーや野菜を栽培している伊藤隆弘さん。15年前、45歳の時に脱サラし、ここで就農した。 「大げさな言い方をすれば、天命だと思って農業の世界に入りました」伊藤さんは、当時の気持ちをこうふり返る。 就農する前、伊藤さんは三菱電機でコンピューターのエンジニアの仕事をしていた。20年以上にわたり、IT関係の研究開発を担当していた伊藤さんが農業に挑戦した理由は大きく分けて2つある。 1つは、それまでやってきた仕事に疑問を感じたことだ。「IT分野で新しくて便利なものを作ってきましたが、人間はそういうものを作り過ぎているんじゃないかと思うようになりました。これ以上便利なものが、生活の中で必要なのかと感じるようになったんです」 研究が嫌になったわけではない。「科学技術は趣味としてやるなら、どんどん入り込める。一生続けても面白い」。ただ、生涯の仕事にできるかというと、疑問を持つようになったという。「生活が安定し、ストレスなく一日を過ごすことを目指して、みんなやってますが、それに科学技術は貢献できているだろうか。そうではないと、思うようになったんです」。 もう1つは、30代のころから子どもの弁当を作るようになり、食への関心が高まったことだ。「食べることって大事だと、無意識のうちに考えるようになりました。安心な野菜をどこで買ったらいいのか。どうやって作られているのか。そういうことに、興味を持つようになりました」。 もともと家庭菜園はやっていた。だが、スーパーに並んでいるような見事なトマトやキュウリはできたことがない。そこで当時、鎌倉市に住んでいた伊藤さんは、神奈川県の野菜の一大生産地である三浦市の農家を週末に飛び込みで訪ね、農作業を手伝わせてもらうようになった。「プロの農家のところに行かなければ、農業のことはわからない」と思ったからだった。 手伝ってみて確信できたのは、農家がとても大切な仕事をしているということだった。だが一方で、毎日朝早くから畑に出て収穫し、夜なべで作業している。「それに比べ、自分は机の上でアプリを作り、ある時刻になったら退社する。それで安定した給料をもらうことができている」。 就農から15年たったいま、農業が生易しい仕事でないことを肌身で感じている。だが、そういう農業を変えたいという思いが、就農の動機になった。「今から思えばうぬぼれていましたが、何とかしなくちゃいけない、他産業並みに安定した収入を持ち、家族サービスもできる産業にしないといけない。そのモデルを作ってみたいという気持ちが強まったんです」。 もちろん、家族を抱える身で安定収入を失うことへの不安はあった。だが、もっと大きなプレッシャーとして浮上したのが、自分の年齢だ。「これ以上先送りしたら、農業の世界に入っても、体がついていかないんじゃないか」。そう思い、45歳のときに会社を辞め、退路を断った。 ただし、就農にいたるまでには若干の曲折があった。週末に農家を手伝っているくらいでは、規定の日数に満たず、農地を借りることができなかったのだ。そこで県の農業会議に相談し、研修先の農家を紹介してもらったが、会社で働きながらでは、やはり日数を満たせず、就農できなかった。最近と比べ、新規就農に対するハードルがずっと高かったという事情もある。 そこで意を決し、会社を辞めて県の農業学校に1年間通い、就農を認めてもらった。幸いだったのは、三浦市の地主が好意的で、まだ会社で働いているときから、家庭菜園という名目で農地を貸してくれたことだ。農業会議の担当者も農業委員会も、これを応援してくれた。伊藤さんの「絶対ここで農業をやる」という強い思いが、関係者を動かしたのだろう』、45歳のときにIT技術者の職を投げうって農業に飛び込むとは、思い切った決断だ。
・『痛感した栽培の難しさ  天命と思って飛び込んだ世界だが、プロになって痛感したのが、栽培の難しさだった。「最初の3年間は全滅した品目のほうが多かった」。ミニトマトが病気にかかり、キャベツが虫にやられて出荷できなくなった。農薬は使っているが、キャベツが結球したあとで農薬をまいても、虫には届かない。タイミングを逸してしまったのだ。経験でしか、克服できない課題だ。 ようやく黒字になったのが5年目。その間に知ったのが、リスク分散の大切さだった。複数の品目を作っていれば、どれかで失敗しても、別の品目でカバーすることができる。「そういうやり方でしのいできたというのが、本当のところです」。単一の作物を広大な畑で効率的に生産する産地ではなく、都市に近い小規模な農地で栽培する農家にとって主流のやり方だ』、「ようやく黒字になったのが5年目」とは、やはり大変なようだ。病気や害虫、天候などリスク要因は多いので、「リスク分散の大切さ」とはその通りなのだろう。
・『「こと」を提供する観光農園  販路に関しては、農協が頼りになった。市場で売ろうと思えば、大きさや形のそろった作物をたくさん出荷する必要がある。その点、近くの農協が直売所を開放しているので、作物の大きさや出来具合に応じて自分で値段をつけて売ることができた。初心者にとってハードルの低い販路だった。 就農からすでに15年。当初、掲げた目標の一部は実現することができた。その1つが観光農園だ。伊藤さんはたんに作物を作って売るのではなく、収穫という体験も含めた「こと」を提供することを目指してきた。その結果、ブルーベリー園には毎年1000人を超す消費者が訪れ、トマトやナス、キュウリなど野菜の収穫体験にも700~800人が参加するようになった。 この際、伊藤さんが心がけたのが、「整然としてきれいなプロの農家の畑」を見せることだった。雑草をきちんと管理し、清潔にし、野菜を商品として扱う。サービス色を前面に出した、消費者主導の体験農園ではない。実際、伊藤さんは農協の直売所やスーパーへの出荷を今も続けている。 「元気な野菜はどんな環境で育てられ、届けられているのか。それがいかに大変か。本来、1個100~200円で買えるような手軽なものではないことを、理解してほしい」という。前段で触れたように、これは伊藤さんが就農前、飛び込みで畑を手伝っていたときに得た思いそのものだ。 では伊藤さんの畑は、「プロの畑」としてどのレベルまで到達できたのだろう。「これはかなわない、まだ追いつけないと思う農家が周りにたくさんいます。段取りが良く、ある作物が終わったら、すばやく次の作物を植え、畑が空くことがない」。これは技術の未熟さの告白ではなく、農業技術の充実を追求し続ける姿勢から得た洞察とみるべきだろう。 「マニュアルに書くことはできない。日々の暮らしと経験の中で積み上げたもの。本当に素晴らしいし、そこに歴史を感じることもあります」 これは、20数年にわたってエンジニアの仕事をした経験にもとづく結論でもある。「畑は工場と違い、これが最適と言える方法を絞り込むことが難しい。朝礼で予定を立てても、予定通りいけばラッキーというのが実感です。予期しないことが必ず起きます。起きなかった年など一度もない」。 そこで、伊藤さんがたどり着いた答えは、人が育つ以外に方法はないということだ。いま伊藤さんの畑で作業しているのは妻と、20代の女性社員、それとパートだ。「雑草の取り方一つとっても、効率的と思うやり方は人によって違う。それを認めたうえで、どれが一番効率的かを自分で考えてもらうしかない」。任せることが、畑を回すためのはじめの一歩になる。 最後に、今の農業への思いを聞いてみた。「農業のモデルを作ると意気込んで始めましたが、まだそれがどんなものか見つかってません」。それでも、「農業は天命」という思いは就農した当初にも増して強まったという。モデルとなるべき農業の姿を実現し、次代に託すのが伊藤さんの夢だ。 「農業が好きか嫌いかと聞かれれば、もちろん好きなほうです。でも、好きだということがモチベーションになるとは思いません。農業は自分がやるべき仕事だという思いで、ここまでやってきたんです」』、「農業のモデルを作ると意気込んで始めましたが、まだそれがどんなものか見つかってません」とは、農業も奥深いもののようだ。
・『農業への思いが危機を突破する 情熱なくして未来は開けず  2013年にスタートしたこの連載も今回で最終回です。 前回触れたように、日本の農業の未来は必ずしも楽観的な状況にはなく、事態を突破するための手がかりは多様性の中にしかないと思っています。ただし、様々な処方箋の底にある共通項は農業への思いであるべきでしょう。農業の特殊性を強調したいわけでなく、情熱なくして未来は開けないと考えるからです。 食と農に関する取材は今後も続けていきます。伊藤さんのように強い言葉で思いを表現はできませんが、記者としてこれからも長く追求したいテーマだと思っています。それでは、引き続きよろしくお願いします!』、筆者の連載の一覧は下記
https://business.nikkei.com/article/report/20130819/252376/
「事態を突破するための手がかりは多様性の中にしかないと思っています」というのは、長年の取材を通して得ただけに、重みがある。
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