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東京オリンピック(五輪)予算膨張以外(その7)(小田嶋氏:「おそろしきは「五輪翼賛体制」にあらず) [メディア]

東京オリンピック(五輪)予算膨張以外については、1月12日に取上げた。今日は、(その7)(小田嶋氏:「おそろしきは「五輪翼賛体制」にあらず)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が本日付けの日経ビジネスオンラインに寄稿した「おそろしきは「五輪翼賛体制」にあらず」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00003/?P=1
・『ちょっと前のニュースなのだが、この1月の中旬、東京都港区の防潮扉でバンクシーの作品と見られる落書きが発見された時の話題を蒸し返したい。 発端は、小池百合子東京都知事がツイッター上に投稿した書き込みだった。 小池氏は《あのバンクシーの作品かもしれないカワイイねずみの絵が都内にありました! 東京への贈り物かも? カバンを持っているようです。》と、ネズミに寄り添ったポーズの自身の写真つきでツイートしている。ちなみに写真の中で知事が羽織っているアウターは、オリンピックのエンブレムを意識した柄のコートだったりする。 「なるほど」 私は、タイムラインに流れてきたそのツイートを見て、そのあからさまな宣伝臭に当惑した。 以来、「ポピュリズム」という言葉がアタマから離れない。 なので、今回は、ポピュリズム全般について、この一年ほどの間にあれこれ考えていることを吐き出してみるつもりでいる』、こんなネタを自己PRに利用する小池都知事のやり方は、余りにあざとい」。
・『小池都知事に狙いをつけて何かを言いたいわけではない。 ただ、話のとっかかりとしてあまりにもわかりやすい絵柄を提供してくれたので、知事閣下の話題でスタートさせていただいた次第だ。他意はない。悪意は多少ある。悪意については、やや申し訳なく思っている。 話題の口火を切ったのは知事のツイッター発信だった。 その知事のツイートに東京都が反応し、その反応を新聞が報じるカタチで事態が進行した。 見事な連携だ。 実際の順序はどうだったのだろう。
 1.東京都所有の防潮扉にバンクシー作と思われるネズミが描かれていたことが発見される。
 2.上記の発見が都の担当者の知るところとなる。
 3.現地で作品と都知事のツーショットを撮影した上で、知事がツイートする。
 4.「都が本物かどうか調査する考えを明らかにする旨を発表した」という新聞記事が配信される。 という感じだろうか。
細かい経緯はともかく、知事によるツイッター発信と、メディアによる報道と、都による調査の開始が一体化して進められている感じが濃厚に漂っている。 こういったあたりの進行具合がどうにも芝居がかっている。 民放の深夜帯ドラマのスタッフが仕掛けるスポーツ新聞向けの番宣のようでもある。 当然のことだが、このわざとらしい絵柄の写真を伴ったあざといツイートは、一部の都民の反発を招いた。 というのも、作者がバンクシーであれ、そこいらへんの美大生のいたずらだったのであれ、落書きは落書きだからだ。とすれば、防潮扉の管理および所有者であり現地を管轄する行政機関でもある東京都としては、当然、迷惑行為を取り締まる者の立場で行動せねばならない。建前上はそうなる。 ところが、作者が有名人かもしれないということで、落書きの扱いには明らかな手心が加えられている。 なにしろ、行政のトップたる知事自らが、落書きを歓迎するかのような発信を公開している。 なんだろうこれは。 素人の落書きは迷惑防止条例違反で、著名人の落書きがプレゼントだという都の判断が正当なのだとしたら、一般人の出すゴミは薄汚い廃棄物で、女優さんの捨てるゴミはお宝(拝跪物?)だってなことになってしまう。ついでに申せば、おっさんの壁ドンはセクハラで、イケメンによる壁ドンは恩寵ですよという話にもなる。いや、世間の通り相場がそんなふうなのはかまわない。どうせそんなものなのだ。が、公的な行政機関である東京都が異人さんの落書きをえこひいきしたのでは、われらパンピーはやっていられない。それではスジが通らない』、確かにその通りだ。
・『もっとも、スジはスジとして、それとは別に、パブリックな資産とも解釈できるストリートアートを扱うにあたって、東京都が、いきなり塗りつぶす措置を回避したのは、とりあえずの判断としては穏当だった。私自身、現状を保管して調査する旨を発表した今回の都の対応は賢明だったと思っている。というのも、公共的な機関がアートに類するものを扱う時には、判断ではなく、むしろ判断の留保が重要だと思うからだ。とにかく、どんなものであれ表現物に関しては、世の中の評価が定まるまでの何十年かの間、行政は判断を急ぎすぎないことだけを心がけて対処してほしい。 今回の一連の出来事は、結局のところ、バンクシー関連のブツを五輪ならびに都政の宣伝に利用せんとした小池都知事の計算高さが裏目に出たケースだった。 というのも、バンクシーは、昨年話題を呼んだシュレッダー絵画のケースでも明らかな通り、自分の作品を扱うメディアの反応を含みおいた上で作品をバラ撒いているひとまわり手の込んだ計画立案家だからだ。今回のケースを本物であることを前提として言えば、バンクシー自身がはじめから最後まで絵図を描いていたのかどうかはともかくとして、彼は、行政機関や商業メディアがどんなふうに対応するのかも織り込んだ上でネズミの絵を配置していたはずだ。 とすれば、まんまとネズミ捕りにひっかかる体でツーショットの写真を提供し、のみならずうすらみっともないプロパガンダまで展開してみせた小池都知事の一挙手一投足は、発端から結末に至るまで、バンクシーの手のひらの上の絵の具にまみれたスラップスティック絵画だったと解釈しなければならない』、バンクシーは、「行政機関や商業メディアがどんなふうに対応するのかも織り込んだ上でネズミの絵を配置していたはずだ」、「まんまとネズミ捕りにひっかかる体でツーショットの写真を提供し、のみならずうすらみっともないプロパガンダまで展開してみせた小池都知事の一挙手一投足は、発端から結末に至るまで、バンクシーの手のひらの上の絵の具にまみれたスラップスティック絵画だったと解釈しなければならない」というのは、手厳しい小池都知事批判だ。
・『もっとも、小池都知事とて、普段の状況なら、こんなあからさまな宣伝戦には打って出なかったと思う。 メディアも同様だ。通常時であれば、知事の側からのリークに唯々諾々と従って大本営発表の官製ニュースリリースを配信するような、恥ずかしい作業には従事しなかったはずだ。 なのに、どうしてこんなことが起こってしまったのか。 それが、今回の主題と言えば主題だ。 私は、こんなわざとらしいニュースが配信されてしまったのは、うちの国の行政機関と商業メディアがまるごと「五輪翼賛体制」にハマりこんでいることの結果だと考えている。 深読みが過ぎると思っている読者もおられるはずだ。  ただ、私には、五輪招致が決まってからこっち、五輪関連のニュースに限らず、メディアの報道ぶりが様々な面で流れ作業に堕してきているように思えるのだ。 この5年か10年の間に、すっかりテレビのニュースを見なくなった』、「五輪翼賛体制」とは穏やかではないが、確かに思い当たる節も多い。
・『ところで「テレビを見なくなった」ということを誇らしげに語る人間には用心したほうがいい。 なんとなれば、テレビを見ないことを自慢する人は、内心で、テレビを見る人間を軽蔑していたりするからだ。そして、自分以外の大多数を軽蔑している人間は、つまるところ自我が歪んでいる。 「オレはテレビを見ない」と宣言する人間は、その言葉の行間で 「オレはあんたらみたいなバカじゃない」と言っている。 そして、その行間の余韻では 「オレを尊重しろ」と叫んでいる。 ぜひ注意せねばならない。 テレビをバカにする人間は、むしろ自分がバカにしているものから見放されていることを告白することになる。 なんと悲しいなりゆきではないか。 ある程度年齢の行った人間がテレビ離れする理由のひとつに、テレビ画面の中で動いている人間が一人残らず愚かに見えるということがある。 これは危険な兆候だ。 というのも、テレビの中の人間がバカばっかりに見えている理由は、彼が人並み外れて賢いのか、でなければ世間一般に対して強力な憎悪を抱いているのかのどちらかで、普通に考えればわかることだが、99パーセントは後者だからだ。 ともあれ、そんなこんなで、私は、世間との距離を保持するべく、半ば義務として、一定期間ごとに一定時間テレビを視聴することにしている。 実際、久しぶりにテレビを見ると、テレビの中の人たちはバカばっかりに見える。 わりと危険な状況だ。 なんとかそのバカに適応しないといけない。というよりも、世間一般をバカにする危険なオレサマ状態から脱却しないといけない。でないと、本物のフール・オン・ザ・ヒル(注)になってしまう(注)ビートルズの有名な歌』、「世間との距離を保持するべく、半ば義務として、一定期間ごとに一定時間テレビを視聴することにしている」というのはいい心がけだ。
・『ネットばかり見ていると、人は必ず偏向する。 というのも、ネット上で私の目に触れるコンテンツは、結局のところ私自身が取捨選択して集めた私自身の偏見の反映だからだ。 毎日ネットを巡回していると、自分のお気に入りのニュースサイトや、神経にさわらない論客のブログや、読むに耐える記事ばかりを選択して読むことになる。 と、いつしか、ニュースのジャンルも、論説の傾向も、似たようなものばかりになる。 たとえて言うなら、ホテルの朝食バイキングで好きなメニューだけを選んで食卓に並べている状態に近い。 当然、栄養は偏る。私のような偏食家のテーブルは相当にとんでもないことになる。 私は、色の派手な野菜を食べない。ナマの魚と小骨のある魚も食べない。種のあるフルーツと生焼けっぽい肉と醤油にまみれた感じの煮物と切り方のデカい根菜類も、身辺に近づけない。そんなこんなで、ご存知の通り案の定に糖尿病を獲得している次第なのだが、それはまた別の話だ。 とにかく、自分の好みに沿って選んでいるとニュース素材が偏向することはどうしようもない事実で、ということは、それだけに頼って暮らしていると、世界認識そのものが偏向して行くことになる。これはわりとまずい。 それゆえ、私は、自分自身の偏見の蛸壺に潜り込む事態を避けるべく、時々は世間の人が定食メニューとして摂取しているテレビのニュースをそのまま見ることにしている』、確かに、高齢者のなかには、「自分自身の偏見の蛸壺に潜り込む」ような人も多いようだ。
・『話を元に戻す。 そのしばらくぶりに見るニュースが、やっぱりおかしい。 私の側がおかしくなっている可能性はもちろん考慮するべきなのだろうが、それにしてもおかしい。 個々に偏向した個々人がそれぞれの偏向を思い思いに深めて行く過程は、たしかに危険といえば危険ではあるが、各々の人間のランダムな偏向は、言ってみれば用水路のメダカのうちの何匹かが、石の割れ目にアタマを突っ込んで死んでいたりするのと同じことで、全体から見ればたいした損失ではない。 おそろしいのは、群れで泳いでいるメダカたちの行き先が、休耕田の水たまりに帰着する展開の方だ。 群れの中の一匹一匹のメダカは、自分たちの行き先には頓着していない。ただ、群れからはぐれないことだけを心がけて泳いでいる。そういう場合、ひとつの群れが丸ごと孤立した水たまりに入り込んでしまったら最後、引き返す選択肢は残されていない。とすれば、群れのメダカたちは一匹残らず死ななければならない。 何を言いたいのかというと、オリンピック招致が決定してからこっち、テレビのニュース番組の扱う話題が、「オリンピックに水を差さないニュース」に限定されてきているということだ。 「それのどこがいけないんだ?」「大勢が盛り上がる話題を嫌うのはあんたの勝手だけど、みんなが喜んでいる話題にいちいち噛み付くのは悪趣味だぞ」と、そう思う読者もいるはずだ。 が、違うのだ。私が言おうとしているのは、そんな大げさな話ではない。 どこかに心根の卑しい悪党がいて、その五輪教の教祖に当たる人物が、日本人を一人残らず洗脳しようとたくらんでいるとか、そういう陰謀論を展開しようとしているのではない。 私が指摘するつもりでいるのは、もっと単純な話だ。 たとえば、五輪という国家イベントがもたらす最も明示的な効果は、メディアを一元化することだ。 これについては、おそらく異論はないはずだ。 事実、IOCは、新聞に関しては一業種一社の原則を取っ払って、朝日、読売、毎日、日経の4紙をひとまとめに「オフィシャルサポーター」として認定する特例を認めている。 テレビは、NHK民放含めて、新聞以上にあからさまな利害関係者におさまっている。 彼らにとって、五輪は、番組コンテンツでもあれば取材先でもあり、アーカイブでもあれば現在過去未来にわたって永遠に採取可能なタレント資源でもある。 この状況で、五輪に対してネガティブな報道をすることは事実上不可能だと言っても良い』、確かにメディアの多くが「あからさまな利害関係者におさまっている」のは事実だ。ただ、メディアがニュース番組の扱う話題を自主規制しだしたのは、もっと前の東日本大震災がきっかけだったように思う。
・『ただ、私が懸念しているのは、本来は、五輪に対してだけ発動されるはずだったこの「挙国一致」の設定が、いつしか、ニュース番組の構成台本全般に及んできているのではなかろうか、ということだ。 スポーツ関連が、五輪万歳&日本ガンバレ報道一色になることについてはすでにあきらめている。 なにしろ、誰が強制するまでもなく、われわれ自身そういうのが大好きである以上、これは仕方のないことだ。 が、これを続けているうちに、非「日本サイコー」、アンチ「日本バンザイ」な話題は、いつしか遠ざけられるようになる。 で、知らず知らずのうちに、五輪とは直接には関係のないニュース項目についても、微妙な手加減をする感じで、挙国一致の空気が作られる。 私には現状がすでにそうなっているように思えてならない。 ニュースの現場には 「五輪を無事に終えるまでのこの先の二年間は、とにかくネガティブな事件や小難しい論争は避けて、みんなが一致できる話題を提供するように心がけようじゃないか」という気分がただよっている。そのせいなのかどうか、キャスターの表情は五輪関連の話題になると、ワイパーでぬぐったみたいに明るくなる。 「次は卓球の代表選考の話題です」と告知する時、女性キャスターは、満面の笑みを浮かべている。 「楽しみですね」「ええ」 いや、表情が明るいことそのものは良いのだ。 ただ、こんな調子で、国会や沖縄関連のニュースはつまらなそうな顔で、五輪のニュースは笑顔いっぱいで伝えるようなことが繰り返されていたら、いずれ、視聴者ともども、沈痛な顔で伝えるニュースそのものに忌避感を抱くようになる気がする。 実際にそうなっているのかもしれない。 現在の状況は、たとえば仲の良くない夫婦が、とにかく長男のお受験が終わるまではと思って、仮面夫婦を演じている姿に似ている。 長男が合格すれば、夫婦仲の方も案外おさまるところにおさまる、と、そういう話になれば良いのだが、たぶんそんな都合の良い展開にはならない。 落ちたら落ちたで責任追及がはじまるし、合格したら合格したで、入学金の莫大さにあらためてびっくりすることになる。 それよりもなによりも、自分たちが五輪後のことを考えないようにしているそのことが一番おそろしい。 おそろしいので考えたくないから考えないことがおそろしいというこのループには出口がない。 おそろしい』、「五輪翼賛体制」に止まらず、広がっているとすれば、確かにおそろしい話だ。最後の「オチ」はいつもに増していい出来だ。
タグ:東京オリンピック 日経ビジネスオンライン (五輪) 小池百合子東京都知事 予算膨張以外 小田嶋 隆 (その7)(小田嶋氏:「おそろしきは「五輪翼賛体制」にあらず) 「おそろしきは「五輪翼賛体制」にあらず」 ツイッター上に投稿 あのバンクシーの作品かもしれないカワイイねずみの絵が都内にありました! 東京への贈り物かも? カバンを持っているようです。》と、ネズミに寄り添ったポーズの自身の写真つきでツイート 知事によるツイッター発信と、メディアによる報道と、都による調査の開始が一体化して進められている感じが濃厚に漂っている バンクシー関連のブツを五輪ならびに都政の宣伝に利用せんとした小池都知事の計算高さが裏目に出たケース まんまとネズミ捕りにひっかかる体でツーショットの写真を提供し、のみならずうすらみっともないプロパガンダまで展開してみせた小池都知事の一挙手一投足は、発端から結末に至るまで、バンクシーの手のひらの上の絵の具にまみれたスラップスティック絵画だったと解釈しなければならない うちの国の行政機関と商業メディアがまるごと「五輪翼賛体制」にハマりこんでいることの結果 「五輪翼賛体制」 毎日ネットを巡回していると、自分のお気に入りのニュースサイトや、神経にさわらない論客のブログや、読むに耐える記事ばかりを選択して読むことになる それだけに頼って暮らしていると、世界認識そのものが偏向して行く テレビのニュース番組の扱う話題が、「オリンピックに水を差さないニュース」に限定されてきている メディアを一元化 テレビは、NHK民放含めて、新聞以上にあからさまな利害関係者におさまっている 知らず知らずのうちに、五輪とは直接には関係のないニュース項目についても、微妙な手加減をする感じで、挙国一致の空気が作られる
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