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就活(就職活動)(その5)(学生を規格化する「就活ルール」は即廃止すべき 「選択の自由」を許さないと生きる力は摩耗、政府が「就活ルール」に関わるのは愚行といえる3つの理由、就活で蔓延する「早期内定囲い込み」の手口 企業の安易な囲い込みは離職を増やすだけだ) [社会]

就活(就職活動)については、昨年7月4日に取上げた。今日は、(その5)(学生を規格化する「就活ルール」は即廃止すべき 「選択の自由」を許さないと生きる力は摩耗、政府が「就活ルール」に関わるのは愚行といえる3つの理由、就活で蔓延する「早期内定囲い込み」の手口 企業の安易な囲い込みは離職を増やすだけだ)である。

先ずは、健康社会学者の河合 薫氏が昨年9月18日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「学生を規格化する「就活ルール」は即廃止すべき 「選択の自由」を許さないと生きる力は摩耗」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/091400182/?P=1
・『・・・さて、今回は「自由と責任」について考えてみようと思う。 経団連の中西宏明会長が「個人の考え方」とした上で、就活ルール廃止発言をした9月3日。 私は久しぶりにワクワクし、心から拍手喝采した。 「単一文化の社会であるということ自体が、そろそろ弱点になってきたというふうに思っているので、もっと多様性のある社会につくり変えていった方がよい」(by 中西会長)→「そのとおりだ! さすがだ!」(by 河合) 「採用日程に関し、経団連が采配すること自体に極めて違和感がある。経団連の意見として、こうしますとか、しませんとかは言わない」(by 中西会長)→「そーだそーだ!!! よくぞ言ってくれた!」(by 河合) といった具合に心底共感して感動したのだ。 中西さんの経団連会長就任が決まったときから、「中西さんだったら変えてくれる!」と期待していたのだが、すったもんだ続きの就活一括採用にメスを切り込むとは。「お見事!」としか言いようがない。 誤解のないように断っておくが、私は中西さんと個人的なお付き合いもなければ、面識もない。 「だったら、なぜ変えてくれるなんて期待したんだ?」と不思議に思われるかもしれないけど、私のフィールドワークのインタビューに協力してくれた、「日立の社員」たちが、そう確信させてくれたのだ。 かれこれ10年以上、700人近くの現場の声を聞いていると、それが「経営者」を映し出す鏡であることがわかる。 キャリアに悩み、現状に抗い、将来に漠然とした不安を抱えながらも、「あ、この人の会社、いい会社なんだな」と思わせる空気感を、彼らが紡ぐ言葉に垣間見ることができるのである。 そういった会社のひとつが「日立」だった。 協力してくれた「日立の社員」の人たちは、所属している部署も、やっていることも、年齢も学歴も違ったけど、みな「気」が良かった。講演会に呼んでいただいたときも同様の「気」を感じた。 であるからして、日立のトップである中西さんはきっと「働く人たちが元気になれる経団連にしてくれるに違いない」と期待したのである。 ところが、ご存知のとおり「中西発言」の波紋はいっせいに広がり、賛成の意思を示したのは経済同友会の小林喜光代表幹事のみ。 中西会長自身も発言2日後の9月5日、「採用の問題や日本の雇用制度、大学側の問題も相当ある非常に幅の広い課題なので、よく(政府・大学と)一緒に検討していこうという呼びかけだ」(「日本経済新聞」9月6日付朝刊)と、「各方面とそういう話をして誰も反対していない」と言い切っていた2日前の勢いがいっきにトーンダウンしてしまったのだ。  なるほど。経団連会長でも崩せない“アレ”が立ちはだかっているということか。 アレ=ジジイの壁。 そうなのだ。変化を厭う「ジジイの壁」が猛威を振るいそうな気配が漂い始めていることに、私はある種の絶望感なるものを感じているのである』、河合氏のフィールドワークは、日立だけで、「10年以上、700人近くの現場の声を聞いている」、とはすごい蓄積だ。「経団連会長でも崩せない・・・ジジイの壁」とあるが、最終的には経団連は筋を通し、代わりに政府が乗り出したようだ。
・『何よりも驚いたのは大学側が「反対!」を表明したことだ(以下、日本経済新聞より抜粋)。 全国の大学などでつくる就職問題懇談会は10日の会合で、現行ルールを維持する方向で議論を進めることで一致した。学生の勉学への影響やルール変更による混乱を避けるため、としている。(中略) 懇談会の山口宏樹座長(埼玉大学長)は、現行ルールについて「学修環境への影響が極力抑えられており、4年間維持されている」と指摘。これまで経団連と懇談会が同じルールで一致してきた経緯を踏まえ、「経団連の指針がなくなるということは、両輪の片方が外れるので好ましくないという意見がほとんどだ」とした。 混乱……。ふむ、混乱ね。 確かに経団連は、2020年入社の学生までは会社説明会が3月、採用面接の解禁が6月と決めたばかりで、突然のルール廃止宣言を匂わされ、驚く気持ちはわかる』、大学側としては、「青田買い」の激化を懸念したのだろう。
・『大学が「学問の場」から就職の「ハローワークの場」になっていた  だが、反対する人たちは一様に「学生が混乱する」と主張するけど、そもそも就活一括採用というルールそのものが散々学生を混乱させてきた。 世の中の 経済状況の影響をもろに受ける新卒一括採用は、ハ?フ?ル崩壊後の就職氷河期に始まり、2008年のリーマンショックなと?、生まれた日という自分て?はと?うにもならない出来事て?学生を「差別」した。 その余波は高校生にまで広がり、数年前私の元にやってきた高校3年生は、大学3年生時に海外の大学と半年間の交換留学プログラムのある某大学を第1志望にしようとしたところ、担任の先生から、「3年生のときに留学していては、就職活動に支障がでる。もっと就職に力を入れている他の4年制大学に進んだほうがいい」と言われ悩んでいた。 気がつけば大学は本来の「学問の場」から、就職するための「ハローワークの場」と化し、「就職まで責任をもって面倒をみて、いい就職先を斡旋する」ことを“売り”にする大学が急増。 「ブラック企業とホワイト企業を見分ける方法はありますか?」と、大学関係者が私の元に質問に来る始末だ。 大学生たちは大学生たちで「就活フラッグ」が振られた途端、それまでの自由な服装から喪服のような真っ黒のリクルートスーツに着替え、茶髪を黒髪にし、モリ気味のアイメイクを落とし、作り笑顔を練習し、「内定」を求めて奔走する。就職するための「ハローワークの場」と化し 「内定」=「人の価値」のごとく扱われ、内定エリートが大手を振る一方で、待てど暮らせど鳴らぬ携帯にドキドキし、気がつけば「就活」が人生となり、最終面接でダメ出しをくらい地獄の底に突き落とされ、若さを満喫できる時間を就活に翻弄されているのである。 結局のところ就活とは、「オトナたちが求める人材と化すための装置」でしかなく、可能性が無限大にひろがっているはずの若い学生たちが、オトナが求める“規格化された若者”に変身する』、「新卒一括採用」の起源は、河合氏の指摘よりももっと古く、1928の大手銀行間で就職協定が結ばれた歴史があるようだ(Wikipedia)。確かに、大学が「就職するための「ハローワークの場」と化し」、「真っ黒のリクルートスーツ」の学生が「「内定」を求めて奔走」するというのは、異様だ。「結局のところ就活とは、「オトナたちが求める人材と化すための装置」でしかなく、可能性が無限大にひろがっているはずの若い学生たちが、オトナが求める“規格化された若者”に変身する」、というのは言い得て妙だ。
・『「就活」が「自律」の邪魔に  新卒一括採用廃止に異を唱えるオトナたちは決まって、「新卒一括採用があるからこそ就職できる学生は多い」「新卒一括採用があるからこそ日本の若者の失業率は低い」と言うけど、そもそも大学からストレートに就職市場に流れ込んでいくことが、学生たちにとって本当に幸せなことなのだろうか? そりゃあ誰だって、みんなと同じように就職できた方が安心するし、奨学金をもらっている学生も多いので、「即社会人」になることが望ましいのかもしれない。 しかしながら、私は国民の一大行事化した「就活」こそが、学生時代に育まれる「自律性」の邪魔をしていると考えているのである。 たとえば、日本以外の大学生は、学びの場である大学で実によく学ぶ。感心するほど必死で勉強する。そして、彼らは学問を通じて自ずとわく「おもしろい」という感情の中で自分の適性を見極め、方向性を探り、知識を深化させ、スキルを高める。 それと並行して、学生たちはリアル社会との接点を見出し、「働く」経験を積み、社会の厳しさとやさしさを体感し、自分に足りないものを強化すべく、社会人としての居場所を探していくのだ。 こういった学生時代のチャンレジは、たった1人でも、完全なるアウェーでも、どうにかしてその場で、限られた資源の中でベストと思える答えを探り出す力、すなわち「自律性」を育む最高の時間となる。 何か困難にぶつかった時も、「自分には無理!」と最初からあきらめるのではなく、自分の頭で考え、自分の決断、感覚を信じて踏み出す力。不完全な状態にあるという自覚を持ちながらも、その時にベストと思える答えを探り、行動にうつす覚悟。 そんな「自分の行動を信じる力=自律性」をもった学生を、寛容な気持ちで受け止めることこそがオトナの役目じゃないのか。だって、どんなに平等かつスムーズに社会人のスタートをきる手ほどきをしても、そのあとの人生は「彼ら」次第だ』、「「自律性」を育む」ことの重要性はその通りだと思うが、やや学生を美化し過ぎている印象も受ける。学生の多くは、「自律性」など考えたこともなく、周囲を見回してばかりいるのが現実だと思う。
・『自律性ほど、ひとりの社会人として長い人生を生き抜くうえで必要なものはないことをいちばん知っているのは、オトナたちのはずなのだ。 神戸大学の西村和雄特命教授らが実施した、2万人に対するアンケート調査で、「所得、学歴よりも『自己決定』が幸福感に強い影響を与えている」ことが明らかになった。 所得水準と幸福度が必ずしも関係しないことは、国内外複数の研究者たちにより明らかになっていたが、「何が」「どの程度」影響しているかは未だ明確じゃなかった。 そこで神戸大のチームは、「所得」「学歴」「進学や就職などにおける選択の自由を示す自己決定」「健康」「人間関係」――の5項目に関する選択式の質問を設け、統計的に分析した。 その結果、 +自己決定は健康や人間関係に次いで幸福感に影響を与えていた +自己決定は所得と比較すると、約1.4倍強い影響があった +学歴は統計的に有意な結果が出なかった などがわかった。 研究チームは結果について、 「自己決定で進路を決定した人は、自らの判断で努力し、目的を達成する可能性が高くなる。また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなる。こういった達成感や自尊心が、幸福感を高めることにつながっていると考えられる」とコメントしている』、アンケート結果は、納得できる。
・『「進学と就職の決定」と人生の幸福感  自己決定。すなわち「選択の自由」が、職務満足感や人生の満足度を高め、寿命にまで影響することはこれまで多くの調査で示されてきたので、先の調査結果は個人的にはそんなに驚くべき結果ではなかった。ただ、ひとつだけ実に興味深いことがある。 この調査で用いられた「自己決定」の質問項目が、 「中学から高校への進学先は誰が決めましたか?」「高校から大学への進学先は誰が決めましたか?」「初めての就職先は自分で決めましたか?あなたに最もあてはまるものをお答えください。」という極めてシンプルな3つの質問に対し、 +全く希望ではなかったが周囲のすすめで決めた +あまり希望ではなかったが周囲のすすめで決めた +どちらとも言えない +ある程度自分の希望で決めた +自分の希望で決めた という回答で、構成されていたことだ。 つまり、「選択の自由」は、「自律性」や「コントロール感」「裁量権」と極めて近い概念なのだが、これらを測るには抽象的かつ感覚を問う質問がされてきた。 「私は自分の行動は自分で決める」とか、「何かを判断するとき社会的な評価よりも自分の価値を優先する」といった具合だ。 ところが神戸大の研究チームは「進学と就職の決定」だけで測り、それがその後の人生の幸福感に強い影響力をもつことを明らかにしたのである。 これって、すごい。というか、こういう結果こそ、新卒一括採用議論で参考にすべきだ。 私が子供だった頃より、人生における選択肢は確実に増えた。ところが今の日本社会には「これが正解!」が溢れ、正解から外れると「負け組」と排除され、ちょっとでも失敗すると「自己責任」が問われる。 なんでもかんでも「正解」ばかり追い求める社会は息苦しい。ある人にはそれが正解でも、ある人には正解じゃない。10人いたら10通りの正解があって当たり前なのに、「平等」という美しい言葉のもと、自分を信じ、目の前のできることを一つひとつ進め、自分の強みを進化させる力が退化し、「選択の自由」を許さない空気がさらに生きる力を摩耗させている。そう思えてならないのである』、実際の社会のなかでは「これが正解!」などということは少ないのにも拘らず、「なんでもかんでも「正解」ばかり追い求める社会は息苦しい」というのはその通りだろう。
・『久々に「あのとき」の感覚が蘇った  最後に……。 私は毎年、「窒息状態からの解放」と称し夏休みは国外脱出しているのだが、今回ほど「日本の息苦しさ」を痛感した夏休みはなかった。 その感覚は13歳の私が日本に帰国したときの息苦しさと匹敵するほどで。それはとんでもなく息苦しいことを意味する。 米国で「自分MAX」になることを教育されていた13歳の私は、「日本では『普通』が一番である」ことを知りショックを受けた。「自分の意見を言いなさい」と教育されていたのに、日本では黙っているほうが安全。手を挙げるなんてダサい、でしゃばり、目立ちたがりと揶揄される。 そんな空気感を、皮膚が柔らかい13歳の私はビンビンに感じ、「アメリカに帰りたい」が口癖になっていたのである。 そして、今回。久々に「あのとき」の感覚が蘇った。 いったいなぜ、価値観が多様化しているはずなのに、「かくあるべし」的価値観が王道になっているのか? いったいなぜ、「その正解」とかけ離れた価値観の自分に自信を持てなくなっているのか? 1週間にも満たないわずかな時間だったけど、日本の外に出たことで、自分がちっちゃな世界に生きる輩になりさがってることに気づき、がっかりし、「自分に戻ろう!」と決意した。 というわけで今回のテーマには、さまざまなご意見があると思いますが、それをぶった斬りました。いつもどおり賛否両論、お待ちしております』、
帰国子女にとっては当然の感覚だろう。それを夏休みの海外旅行で思い出したようだが、今後の河合氏の筆致がますます磨かれることを期待したい。

次に、経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が10月24日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「政府が「就活ルール」に関わるのは愚行といえる3つの理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183141
・『中西経団連会長の英断  筆者は、そもそも日本経済団体連合会(経団連)のような財界団体の存在意義に疑問を感じ、できれば廃止、少なくとも活動規模を縮小するべきではないかと考えている。財界団体は時代の役割を終えた。 しかし、経団連の新会長である、日立製作所の中西宏明氏は良い見識をお持ちの方だ。彼は、個人的な意見としながらも「経団連が就活ルールを決めるのは違和感がある」として、廃止する意向を表明した。経団連が策定・公表してきた「採用選考に関する指針」がなくなるのだ。 実効性が乏しく、かつ効果として有害であったルールを廃止するのがいいと見切ったことは、優れた判断だと思う。 しかし、安倍晋三首相は「学生の本分である勉強よりも就職活動が早くなるのはおかしい。広報活動(説明会)は3月、選考活動は6月に開始というルールをしっかりと守っていただきたい」と発言。また、全国の大学や短大などで構成する就職問題懇談会も、「2021年春入社組については現行ルールを維持すべきだ」と述べた。しかも、今後、政府内で新たな就活ルールの検討のための会議が設けられそうだ。 せっかく経団連が、有害なルールを廃止するというのに、政府がこれに代わるルールを作ろうとするとは不可解だ。「就活ルール」はない方がいい。以下、理由を3つ挙げる』、河合氏と同様の結論のようだ。
・『理由1 採用・就職は自由であるべき意思決定だ  「就活ルール」を設けるべきではない最も根本的な理由は、企業から見て採用、学生から見て就職が、共に将来に向けて極めて重要で、競争的であるべき、自由な取引であることだ。 企業から見て、いわゆる「青田買い」(早期の採用)を前倒ししすぎると採用の精度が落ちるし、実際に入社してもらうまでのコストが掛かるかもしれないが、優秀な人材を早く確保することができるプラス効果があり得る。このプラスとマイナスのバランスと競争上の状況をどう考えて、実際にどう行動するかは、企業同士が競争し工夫すべき経営戦略の問題だ。 また、学生側にあっても就職先を早く決めるのか、じっくり選んでから決めるのかは、就職市場における自分の競争力を考えた上で判断すべき人生戦略に関わる問題だ。 就職先を早く決めてその後に学業に注力したい学生もいるだろうし、勉強によって自分の価値を高めつつ就職先を時間を掛けて決めたい学生もいるだろう。彼らに対して画一的に「○年生の×月まで内定を出してはならない」とルール化することは余計なお節介だ』、「自律性」ある学生を前提にすれば、その通りだが、前述の通り、そうはいかないのが現実だ。
・『理由2 学業と就活時期は本来無関係だ  いわゆる就活ルールの議論にあって、最もばかばかしいと思うのは、就活の時期によって学生が勉強したりしなかったりすることへの影響がうんぬんされることだ。 現実問題として、今の「ゆるゆる」で卒業できる大学の場合、就職が決まってしまうと、その後に成績を稼ぐモチベーションがなくなるし、そもそも3年時くらいに4年分に必要な単位を取ることが難しくないために、学生が勉強に不熱心になることは大いにあり得るし、現実にある。 しかし、問題の原因を就活ルールに求めることは不適切だ。 はっきり言おう。就職の内定時期によって、学生の学業への熱意が変化するとすれば、それは大学が提供する教育サービスの価値が低いことが原因だ。 大学で学ぶことが自分のプラスになると思うなら、学生は内定を得ても得なくても勉強するだろう。また、大学が学生に本当に勉強させたいのなら、4年間しっかり通わなければ卒業に必要な単位が取れないようなカリキュラムを組むといいし、卒業に必要な学力レベルを高く設定すればいい。学生は魅力やメリットを感じないから大学に行かない。それだけのことではないか。 「役に立たない講義にもそこそこ出席して、センセイたちを満足させてくれたら、学力には厳しいことを言わずに卒業させてやる」といった条件を学生に提示することが正しい大学教育だとは思えない。 その大学を卒業したこと自体に価値があるという事実こそが、大学のブランド価値であるべきではないか。まして、推薦入学やAO入試での合格者など、入学者の学力にバラツキが生じているのだから、大学はせめて卒業生の学力に対して責任を持つべきだ。 なお、就活ルールがある方が、大学の学生に対する就職指導は楽であるかもしれないが、ルールの有無は大学関係者のためにではなく、企業と学生のためにどうなのかという観点から判断されるべきだ』、これについては、その通りだ。
・『理由3 「守られないルール」の悪影響  経団連の「採用選考に関する指針」があっても、外資系企業やIT系の「やる気のある」企業などは、優秀な学生の確保を目指して早い時点から候補者を選考して内定を出すことを躊躇しない。ビジネスにとって人材が決定的に重要であることを思うなら、むしろ当然のことだろう。 また、多くの企業は、ほとんど候補者選考のためとしか思えないワンデーインターンも含めて、各種のインターン受け入れを行って、間合いを測りながら相当に早い時点から学生の確保に動いている。 こうした企業の“抜け駆け”に対して有効な制裁措置はないし、そもそも自由な企業活動に制裁を設けるべきでもない。今後、政府が設ける検討会議で、就活ルールを「実効性のあるものにする方法」が検討されるのだろう。しかし、強制力のある規制を作るべきではないし、規制を作ってもこれを公平に適用することは容易ではないだろう。 一方、「指針」を真に受けて就職活動に臨む学生は、就職活動において出遅れる場合があり得るのが現実だ。加えて、企業側に余計な紳士協定があることで、採用活動の情報がオープンに流通しにくくなっている。 守られないルールは、それ自体として形骸化していて不公平であり、加えて採用活動に関する情報を見えにくくしている。学生に対する情報上の公平性を損なっていると言える。 余計な建前を撤廃して、企業には採用活動に関する情報を広く公平に発信することのみを奨励すべきだろう。 また、新卒一括採用の他に、通年採用を併用する企業も出てくるだろうし、さまざまなレベルで中途採用も行うだろう。通年採用は、多様な人材を柔軟に採用する上でメリットのある方法だが、現在のような選考活動に期限を設ける就活ルールになじまないのは当然だ。 各種の人材の採用方法は、企業の経営上の必要性と工夫によるもので、人材の採用方法は一律に規制してそろえるべきものではない。 再度強調しておこう。就職活動の時期が前後することで大学生の学業に対する態度が変化するとしたら、それは、大学の教育内容自体に魅力がないからであって、企業のせいではない。 政府が新たな就活ルールを作ろうとすることは、全く愚かなことだ』、「守られないルールは、それ自体として形骸化していて不公平であり、加えて採用活動に関する情報を見えにくくしている。学生に対する情報上の公平性を損なっていると言える」、「就職活動の時期が前後することで大学生の学業に対する態度が変化するとしたら、それは、大学の教育内容自体に魅力がないからであって、企業のせいではない」、などというのは正論だ。

第三に、人材ビジネス企業 人事・採用担当の豊川 晴登氏が2月13日付け東洋経済オンラインに寄稿した「就活で蔓延する「早期内定囲い込み」の手口 企業の安易な囲い込みは離職を増やすだけだ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/265431
・『人事担当者の間では、「新卒採用の早期化」が非常に話題になっています。 経団連が「採用選考に関する指針」の廃止を決定しましたが、それは来年の2021年卒の学生からで、これから就活する2020年卒については、「3月広報開始、6月選考開始」のルールが適用されます。来年についても政府が主導する形で、そのスケジュールが維持され、各就職情報会社の就活ナビサイトも、そのルールに沿った形で、「3月グランドオープン」という流れが続くものと思われます。 しかしそれは、表面的な形にすぎません。人事の間で話をすると、「昨年末で必要数の内定は出した」「2月、3月で採りきる予定」といった情報にあふれ、ルール通りの採用を行う会社に出会うのが難しいというのが現状です。 政府が改めて「これまでと同様の日程による就活ルールを定めていく」とアナウンスしていますが、人事担当者は、経団連がルールを撤廃したことに大きなインパクトを受けています。そして今後の新卒採用については、より選考が早まり、「とにかく早く学生を囲い込んだもの勝ち」という意識が高まっている気がしています。 今の段階でも、早期の内定出しとそれに伴う囲い込みに必死な会社が多いのが現状です。その囲い込みのよくあるパターンをいくつか紹介していきましょう』、「より選考が早まり」というのは、予想されたこととはいえ、やはり大きな問題だ。
・『「必要数の内定は昨年末までに出した」という会社も 
囲い込みの例1「君は特別待遇」  その学生が他の会社に接触する前に、「君は特別」と、特別待遇を前面に出しながら、スピード対応で最終面接まで持っていき、就活の終了を約束させて内定を出す会社があります。インターンシップに参加した学生の中から優秀な学生を「特別待遇」して、囲い込むケースが最近かなり増えています。 ただ、本当に特別待遇であればいいのですが、実際は特別待遇でもなんでもなく、その方法がその会社の通常の採用手法になっている場合があるので、特別という言葉に浮かれて、その後の就職活動を止めたりするのは、少々危険な選択です』、大いにありそうな悪質な話だ。
・『囲い込みの例2「豪華おもてなし」  早々に内定を出した後、定期的に社員との食事会を行い、安心感と恩を与えることで入社を確実にさせるケースです。特徴的なのは、いくつかの食事会の会場に、普段学生が来ることのないような豪華な場所を選び、「選ばれた人材である感」を押し出す点です。食事会で出てくる社員は、社内でも優秀な人だったり、容姿端麗だったりと、学生が憧れる要素を持つ選抜された社員です。 ただ、入社後そこで話した社員たちと一緒に働ける保証はなく、連れていってもらった豪華な場所についても、入社後も連れて行ってもらえるような機会があるとは限りません。 入社後、そうした優秀な社員にも普段から会って話すことができ、豪華な食事会にも、お祝いなどでときおり連れて行ってくれる企業ならば安心ですが、入社前だけ美味しいところを見せる会社だと、そのギャップに耐えられなくなるかもしれません。 自分が入社しようと思う会社の等身大がどの程度なのか、理解することができれば、ギャップリスクは減らすことができると思います。その会社が、等身大を見せているかどうかは気にしてほしいところです』、「会社の等身大」は学生に分かる筈はないのが実情だろう。
・『容姿端麗な内定女子をリクルーター役にする例も  囲い込みの例3「早期内定者をリクルーターにして呼び水に」  先に内定を得た学生に、自社の新卒採用の手伝いをしてもらい、その学生にほかの優秀な学生を誘う役割を担わせる会社があります。なぜこの会社に決めたのかを語らせることで、まだ入社するかどうか迷っている学生側への入社動機を高めると同時に、その人自身の入社動機を高める効果が狙えます。 この手法について、意図的に容姿端麗な女子学生に早期内定を出し、その女子学生に、「私たちと一緒に頑張ろうよ!」と、これから選考に向かう優秀な男子学生たちを口説かせるということをやっている会社が実際にあると聞いています。 女性とあまり接点のない理系優秀男子や、上昇志向や競争心が高い男子学生を、これで結構引っ張れるという話を聞いて、複雑な気持ちになりました。この手法の賛否については読者にお任せします』、就活にまで「色仕掛け」があるとは驚かされた。引っ掛かる学生も情けない。
・『囲い込みの例4「内定後のインターンで就活意欲をそぐ」  内定後インターンシップという名目で、有給で働かせ、他社への就活の時間をなくさせてしまう会社もあります。いってみれば入社前アルバイトのようなものです。 その目的が、学生本人にその会社や仕事の適性を考えてもらうことや、早期戦力化を期待するものならまだいいですが、単純に他社に行かせないための囲い込みを目的にしているというケースも少なくありません。 今後につながらない雑務や、会社の実態からは距離を置かせ、実務が伴わない内容のインターンシップは、学生の未来をあまり考えているとは思えず、悪意さえ感じます』、「他社に行かせないための囲い込みを目的」とした内定後インターンシップは、極めて悪質だ。
・『このように、会社はさまざまな方法で、「早期囲い込み」を行っています。 会社のことをちゃんと理解してもらうために、オープンな姿勢で学生に情報を与える会社であれば、早期の接触も悪くはないとは思います。しかし、そういう会社ばかりでなく、「お化粧した会社情報」ばかりを学生に与え、早期に囲い込む会社が少なくありません。 私は、これは望ましくない傾向だと感じています。というのも、早期に囲い込もうとする会社が増えるほど、学生が「就職」することに対して、そして「働く」ということに対して、真剣に向き合う時間が少なくなると思うからです。 自分がどんな会社に入って、どんな仕事をしながら、自分のありたい姿に近づけていくのか――。これは、真剣に自分自身に向き合い、さまざまな会社に出会って比較検討をし、複数会社への選考に臨み、成功や失敗を繰り返す中で磨かれていくものだと感じています』、その通りだ。
・『早期内定で入社後「こんなはずでは」に直面  実際、こんな例があります。 ちょっと興味を持って参加したインターンシップやセミナーで、出会った会社や人のことが「いいな」と思って、自分に向き合うことも、ほかの会社と比較検討することもないまま、どんどん選考に進んでいきました。そして、会社の人たちからも、「君はとても優秀だ。君の力が必要だ。私たちと一緒に夢を実現しようよ」などと口説かれ、内定を承諾しました。 周りの友人も同じように内定をもらっており、就活も面倒なことが多いと感じていた。そんな中、自分が「いいな」と思ったところに内定をもらえたので、「これも縁、運命」だと思い、早期に就活を終了させたのです。入社までの間も、会社の手厚い内定者フォローがあり、安心しきって、残りの学生生活を満喫したのです。 しかし、いざ入社してみると、自分がイメージしていた会社や仕事内容と、ものすごいギャップがあることに直面したのです。インターンシップやセミナーで説明されていたことと違う実態が数多く、入社前にあれだけ優しかった先輩たちが、めちゃくちゃ厳しかったり、忙しくてほとんどかまってくれなかったりしたそうです。 さらに、すごく魅力的に伝えてくれた華やかな仕事内容も、実は、その会社のほんの一部の仕事で、全体的に地道に営業をするといった泥臭い仕事が中心。当初いわれていた、魅力的な仕事に就くには、10年以上のキャリアを積み、さらに社内競争に勝ち残って、数パーセントの枠に選ばれる必要があることを知ったのです。 こうした結果、入社半年くらいで、その会社で働くことの未来が見えなくなり、退職を考える。もしくは、やりがいは諦め、世間体のため、生活のために割り切って働く――。このような、非常にもったいない若手人材が何人もいます。 こうなってしまうと、今後のキャリア形成にとって、望ましいとはいえない展開になります。早期に退職を選択した場合、残念ながら新卒時よりも市場価値が下がってしまうのが現状です。転職活動をしても、新卒時に比べて入社できる会社の選択肢が狭まっており、今より満足できる会社に転職できる可能性は高くありません。 退職を選択せずに、残るとしても、やりがいをもって働けないのであれば、その会社で積み上げられる経験が薄くなる可能性が高いといえます。 比較的長く働いたとしても、与えられたルーティンの仕事しかしていなければ、世の中で通用するビジネススキルが身につかず、年は取っても市場価値があがらなくなります。また、その会社で働くことが、ただ我慢を積み重ねることになるため、精神的な問題を抱える可能性も高くなります。 つまり、新卒時に安易に会社を決めることは、就活というストレスから早く逃れられる反面、将来的に大きなリスクを抱えることになるのです。 確かに数少ない出会いの中で、「幸運にも相性の良い会社」に出会える学生がいることも事実です。しかし、それは本当に幸運なパターン、もしくは入社してから腹をくくり、「ギャップがあっても自分が決めたことだから」と、むしろ仕事の面白さや成果を自らつくりだして「相性の良い会社にする」パターンだと思います』、「新卒時に安易に会社を決めることは、就活というストレスから早く逃れられる反面、将来的に大きなリスクを抱えることになるのです」、というのはその通りだ。
・『素直で真面目なタイプほど安易に内定先を決めてしまう  後者の人のように、覚悟ができればいいのですが、そのような学生はそもそも楽観的で、深く考えることなく突き進んでいけるエンジンをもっているタイプが多いと思います。 しかし、安易に会社を決めてしまう学生の多くは、そういうタイプの学生ではなく、素直で真面目なタイプだと感じています。新たな動機が見つかる機会がない限り、柔軟に対応できる人が少ないのではと思っています。 よって、就活をはじめたばかりの学生に対し、早期に囲い込みをすることには反対です。自己分析や企業研究など、やるべきことをしっかりやっている学生や、明確な志がある学生については心配ありませんが、多くの学生は、そこまでの準備や志がないまま、就活に挑んでいると思います。 そんな中、企業側が安易に早期囲い込みをすることは、お互いのミスマッチを増やすことになるのではと懸念しています。 就活スケジュールの早期化は企業主導で行われており、学生側が変えようと思って変えられることではありません。よって、学生側が、「企業の巧妙な手口にはまり、安易に就職先を決めないようにする」という意識を持つことが重要になると考えています。 とはいっても、ある一定の時期までには、必ずどこに入社するかを決める必要はあります。それまでに、ちゃんと自分と向き合い、そして興味がある会社について調べ、会社の違いを理解し、何故自分がその会社を選ぶのか、そして、その仕事を続け、将来自分は、どうなりたいのか、それらを周りの人たちに胸を張って言えるのであれば、早期に入社を決断しても大丈夫でしょう。 しかし、それらがちゃんと言えず、違う会社との比較検討もせずに、なんとなく出会った会社の雰囲気や社員の魅力だけで就職先を決めるのは、中長期的なキャリア形成において大きなリスクを抱えることになることをわかってほしいと思います。 「最初に入る会社なんてどこでもいい。自分がそこでどう働くかだ」という考えの人がいるのもわかっていますし、そうした考えもある意味間違いではないので否定はしません。しかし、私は最初に入る会社が、その人の働く価値観や姿勢をつくることに大きな影響を与えると強く感じています。だからこそ、最初に入る会社は大事にしてほしいと思っています。 本当に自分に合った会社を見つけることが難しいこともよくわかります。しかし、安易に決めるよりは、やるべきことをやって決めたほうが、より自分に合う会社に入社できる可能性は高まると思います』、「企業側が安易に早期囲い込みをすることは、お互いのミスマッチを増やすことになるのではと懸念しています」、早期囲い込みに就活生が乗せられないよう、大学も就活セミナーなどを通じて教育すべきだろう。
・『就職は自分への投資という気持ちで  人の生涯年収は、2億円~3億円と言われています。給料は労働の対価という部分がありますが、自分の将来価値がそれだけ得られるという投資的な考え方もできます。就職先を決めることは、2億円~3億円(場合によってはそれ以上)の対価を得る投資先を決めることと、同じような意味があると思っています。 大した仕事の経験がないのに、投資する先(=入社できる先)を広く選べるのは、新卒の時だけです。だからこそ適当に決めず、自分自身を、その会社に投資する理由について、明確に語れることが必要だと思っています。 入社すれば、きっとうまくいかないことだらけでしょう。辛いこともたくさんあります。でも、そのうまくいかないこと、辛いことを乗り越えるだけの理由が自分の中にあれば、きっと踏ん張ることができ、必死にもがく中で乗り越え、成長できるでしょう。 就活に時間と労力を割き、いろいろなことに向き合うことは、大変だと思います。しかし、働くうえで、自分自身の大きな支えとなる意思や思いを、貴重な新卒就活という時間の中で、つくることが大事だと思っています』、その通りで、特に異論はない。
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