民主主義(その5)(世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ、小田嶋 隆氏:代案なしで文句言ったっていいじゃん) [政治]
民主主義については、昨年7月5日に取上げた。久しぶりの今日は、(その5)(世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ、小田嶋 隆氏:代案なしで文句言ったっていいじゃん)である。
先ずは、元外交官で外交評論家の孫崎享氏が昨年7月7日付け日刊ゲンダイに寄稿した「世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232811
・『デモは特定政策に対して国民が自らの立場を表明する貴重な手段であり、世界的に見ると、デモで政治を変えようとする動きが顕著である。 米国フロリダ州の高校で17人が死亡した銃乱射事件では、銃規制の強化を求めるデモが全米で繰り広げられた。韓国では2016年11月12日、30年ぶりに100万人以上が参加したキャンドル集会(ろうそくデモ)が開かれ、これを機に朴槿恵政権は退陣に追い込まれ、文在寅大統領が誕生。今も高い支持率を維持している。ロシアでも、プーチン大統領の4期目就任式を前に、全土でデモが展開された。 今や「独裁国家」を除き、世界各地の首都でデモが展開されるのは当たり前だ。ところが日本ではそうではない。 東京・新宿区は、街頭デモの出発地として使用を認める区立公園を、これまでの4カ所から1カ所に限ることを決めた。区内で行われたデモは昨年度77件あり、うち、60件は今後は使えなくなる3つの公園から出発している。ヘイト行為対策と説明しているが、77件中、ヘイト行為は13件。デモを規制しようとする意図は明らかだ。 日本各地で行われているデモは今の安倍政権の政策に反対、抗議する目的がほとんどだ。新宿区長が「民主主義を破壊したい」という理念を持っているとは思いたくない。しかし、区長がデモ規制に動けば、政権サイドから「よくやった」と称賛されるのかもしれない』、ヘイト行為対策に名を借りて街頭デモの出発地への規制をした「新宿区長」は悪質だ。しかも、7月31日付けBLOGOSによれば、公園使用基準の見直しなので、区議会には諮っていないようだ。東京弁護士会などは「違憲の疑いがある」としているようだ。
https://blogos.com/article/314879/
・『民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある。森友・加計疑惑で明らかになったのは、霞が関官僚が「国民のために何をなすべきか」でなく「安倍首相が喜ぶか否か」を行動基準にして「忖度」していた疑いだったが、それが地方政治にも蔓延し始めたようだ。 歴史を見ると、「独裁国家」ほど「民主国家」や「人民国家」を標榜するケースが多い。自民党は2005年に「立党50年宣言」を行った。そこでは「わが党は民主主義のもとに」と掲げられていたが、実は政策が「自由」や「民主主義」とかけ離れているからこそ、あえて「自民党」と名乗っているのではないか。 日本は戦後、民主主義国家の道を歩んできたが、今、あらゆるところで、逆行する動きが表面化している』、「民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある」というのは言い得て妙だ。
次に、全く毛色が違う「代案」について、コラムニストの小田嶋 隆氏が3月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「代案なしで文句言ったっていいじゃん」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00010/?P=1
・『大学の入学試験もおおむねカタがついたようで、都心のオフィス街の周辺には、例によって微妙な真空状態が訪れている。 この時期は、毎年そうなのだが、知り合いへの連絡にちょっと気を使わねばならない。 というのも、相手が身内に受験生をかかえている場合、結果を尋ねたものなのかどうか考え込んでしまうからだ。 真正面から問い質すのも無作法な気がするし、かといって、まるで気づいていないふりをするのもそれはそれで白々しい。 相手から話題を切り出してくれれば一番良いのだが、それ以前に、先方は、こちらが連絡をしたことを尋問であるというふうに受け止めているかもしれない。 だとしたら、こんな時期にあえて電話をかけたこと自体が、ぶしつけな振る舞いであった可能性もある。 てなわけで、その種の微妙な案件をかかえた相手には、よほど差し迫った用件がない限り、連絡を避けることになる。 で、月日がたつ。 例年だと、大型連休が明けた頃になってようやく結果が判明する。 そして、おお、それはなによりだったじゃないか、と、結果がどうであれ、そういう感じのどっちつかずのやりとりをすることになる。 実にもって、社会生活というのは度し難いものだ』、確かに入試結果は春先の知人への電話で気をつけねばならない厄介事だ。
・『今回は、時事問題には触れない。 連載の原点に返って、言葉の問題を取り上げてみることにする。 つい昨日、ツイッターのタイムラインで、ある新聞記事がちょっと話題になった。 元記事を読みに行ってみると、なるほど、不用意な言葉が使われている。 今回は、軽く炎上した新聞記事の中で使われていた、粗雑な用語について書くことにする。 件の記事は、3月6日付の毎日新聞に掲載された、トランプ大統領関連の解説文だ。 「狭まるトランプ包囲網 議会の疑惑追及本格化」という見出しで書かれた記事本文には、米下院司法委員会で、トランプ大統領による司法妨害、汚職、職権乱用の疑惑を調査する動きが本格化したことに加えて、いわゆるロシア疑惑をめぐる調査対象が広がりつつあることが書かれている。あわせて、先月、下院の監視・政府改革委員会が、トランプ大統領の顧問弁護士だったコーエン被告の公聴会を実施したことなども紹介されている。 なお、図版要素として「トランプ政権 疑惑追及の構図」と題した写真と解説図も付け加えられており、全体として、充実した解説記事になっている。 この記事の奇妙なところは、末尾を《ただ、1院を支配しながら政策の代案を示さずに政権追及に終始すれば、世論の批判の矛先が民主党に向かう可能性もある。 トランプ氏は民主党の動きについて「大統領ハラスメントだ」とツイート。不満を募らせている。》という文で締めくくっている点だ。 この部分が、いかにも「取って付けた」ようで浮いているということでもある。 あるいは、冒頭から続く記事本文のトーンが、トランプ大統領に対してあまりに辛辣な内容であることを気にして、バランスを取りに行った結果が、あの結末のパラグラフだったということだろうか。 でなければ、両論併記を旨とする新聞記者の本能として、あまりにも民主党側の主張に沿った内容ばかりを書き並べた埋め合わせに、結末部分で共和党側の言い分として「議会の多数を政争に利用するのはいかがなものか」という意見を紹介しておいた、ということなのかもしれない』、解説図も付け加えた解説記事としては力作なのに、結末部分でミソをつけたとはお粗末だ。
・『いずれにしても、ここで 「代案」という言葉が出てくるのはいかにも唐突だ。 なぜというに、大統領の疑惑を追及するのに、代案もへったくれもないからだ。 疑惑追及は、提案ではない。 とすれば、代案は必要ないし、不可能でもある。 この件に関しては、追及をするのか、追及を断念するのかの二者択一しかない。 疑惑追及の代わりに代案として米中貿易交渉の議論を深めるとか、ロシア疑惑を俎上にあげる代わりに国境の壁について討議するというのは、話のスジとしてバカげてもいれば、新聞記事として間抜けに過ぎる。 こういう記事を一読してあらためて思うのは、もしかして、文章を書く専門家であるはずの新聞記者にしてからが、脊髄反射で言葉を並べているのではなかろうかということだ。 どうして、「代案」などという、場違いな言葉が突然出てきたのかを考えると、「とりあえず、野党が政争の具として疑惑追及を騒ぎ立てている時には、与党側からの反論として『代案』という言葉を提示しておくのがセオリーだ」という思い込みが、記者のアタマの中にあらかじめ転がっていたと考えざるを得ない』、「疑惑追及は、提案ではない」にも拘らず、「文章を書く専門家であるはずの新聞記者にしてからが、脊髄反射で言葉を並べているのではなかろうかということだ」、というのは手厳しい批判だ。
・『記事を読んで、3月6日の昼前に私はこんなツイートを書き込んだ。《「オレの駐車場に勝手にクルマ停めるなよ」「代案出せよ」「代案?」「駐車がNGなら、代わりに何を停めるべきなのかについて冷静な見解を出せってことだよ」「あんた何言ってる?」「代案も出さずに身勝手な苦情持ち込むなと言ってる。民主政治の大原則だぞ」「どこの民主政治だよ」》 実際、この「代案」(最近は「対案」という言葉が使われることも多いが、意味するところは変わらない)なる言葉とそれを含んだ言い回しは、与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある。 ただ、用語には敏感であってしかるべき新聞記者が、「代案」のような副作用の大きい未整理なクリシェ(注)を、安易に使うのは、いかにもまずい』、(注)とは、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念(Wikipedia)。「代案」は「与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある」、というのは的確な指摘だ。
・『勉強不足の三回生議員やネット上に盤踞する自称「普通の日本人」が、自分のブログの中で連呼するのならともかく、新聞記者が全国紙の朝刊の紙面上で、こんなたわけたお題目を結語に持って来て良いはずがないではないか。 そもそも、この「代案」という言葉を含むフレーズが万能の野党打擲棒として振り回されてきた背景には、それに先立つ長い与野党固定の停滞した時代の国会審議がある。 私が子供だった時代、「万年野党」「無責任政党」「なんでも反対党」などと呼ばれていた社会党をはじめとする昭和の時代の野党に対しては、 「反対のための反対」を叫ぶだけの「オリジナルの政見も法案も持っていない形式上のカウンター政党」であるという主旨の批判が常についてまわっていた。 事実、戦争が終わってからこっちの半世紀近く、ほとんどまったく政権を奪回する可能性にすら近づくことのなかった万年野党は、与党の持ち出す法案に、脊髄反射的な「反対」の意思を表明しているだけの機械仕掛けの人形のように見えていたものだった』、思い返せばその通りだろう。
・『「おひるごはん何にする?」「やだ」「やだ、じゃわからないでしょ?」「やだ」「じゃあ、おそばにする?」「やだ」「じゃあ、何を食べる?」「やだ」と、昭和の野党は、この種の頑是ない幼児と同一視されていたわけだ。 「反対だけじゃわからないでしょ? 自分が何をしたいのかを言わないと議論にならないでしょ?」と。 こんな説教が有効だと思われていたということは、それほどまでに舐められていたということでもある。 もっとも、当時の野党にしたところで、機械的に反対を叫んでいただけではない。 修正案や代案をまるで出さなかったわけでもない。 野党側からの政権批判の決まり文句が「腐敗」や「独裁」であった時代の、政権側からの野党に向けた反撃のフレーズが「なんでも反対」であったと、言ってみればそれだけの話でもある。 21世紀に入って、とにもかくにも政権交代と与野党逆転が与野党双方にとって実現可能な近未来であることが判明してみると、野党批判にも、もう少し工夫した言い方が採用されることになる。 それが「代案を出せ」だったりする。 その心は「単なる反対や拒否の表明は責任ある政党が選ぶべき態度じゃないぞ」てなところにあるわけだが、基本的な議論の構造は、実のところ、昭和の時代のやりとりから、そんなに様変わりしてはいない。 つまり背景にあるのは、「なにかを提案するためには、それなりの準備と情報と頭脳と労力が必要だ。一方、誰かの提案に反対するためには反対の二文字を叫ぶだけで足りる。これはいかにも非対称じゃないか」という、昔ながらの理屈だ。 この理屈は、いまもって、有効ではある。 代案の提示抜きでの反対が無責任であるような場面は、当然あるわけだし、反対のための論陣を張るにしても 「だっていやだから」だけでは足りないケースだって少なくない』、これは筆の滑り過ぎだ。「だっていやだから」として反対したケースなどはあったのだろうか。一応、反対する以上、その理由を明確にしていたと記憶する。
・『ただ、それもこれもケースバイケースだ。 どういう法案が出されていて、それについてどんな議論が展開されているのかによって、代案が不可欠な場合もあれば、不要な場合もある。 たとえば、「埼玉県立防衛軍創設」といったあたりのたわけた法案についての態度は 「否決」「反対」「ばかにするな」だけで充分。代案は不要だ。 「憲法改正」にも代案は要らない。 「改正は不要だ」ということと、その理由を説明すれば足りる。 「われわれが改正案を提出しているのだから、この改正案に反対する君たちも、君たちなりの改正案を提案しないと対等な議論にならない」という理屈は、一見、まともな議論に聞こえるが実のところ杜撰な詭弁に過ぎない』、「「憲法改正」にも代案は要らない」というのはその通りだが、最近は立憲民主党のなかにも「憲法改正」での代案を出そうとする動きがあるのには、あきれて物も言えない。
・『「ねえ犬を飼うのはどうかしら?」「反対」「代案は?」「代案?」「ほら、猫とか、ハムスターとか、犬でないとしたらほかに何を飼うのかについてあなたの考えを言わないときちんとした反対にならないでしょ?」「いや、反対は反対だよ。何も飼わない」「じゃあ、出てって」「なんだそれ」「あたしもあんたを飼わないことに決めた」 つまりだ。「改正する」への当面の代案は「改正しない」以外にない。 「どういうふうに改正するのか」という話は、改正することが決まった後に検討べき課題であって、つまり、当初の段階では「代案」は必要ないということだ。 別の例をあげるなら、「文楽への補助金を廃止する」という提案については 「文楽への補助金を継続してほしい」旨を訴えれば代案としては完璧だ。 というよりも、有効な代案はこれ以外に存在しない。 「代わりに何への補助金を廃止するのか」「補助金の財源をどうやって確保するのか」という話は、また別の議論で、これについては別の場所で議論せねばならない』、説得力ある指摘だ。特に犬を飼うことへの「代案」の話は傑作である。
・『話を元に戻すと、毎日新聞が記事にしたトランプ大統領の疑惑追及に際して、疑惑追及を推進している民主党の側が代案を提示する必要はまったくないし、そもそもそんなことは不可能でもある。 最後に、日本の野党の話をする。 民進党(旧)が、「平成29年通常国会(193国会)における民進党の法案への態度」という文書を公開している。 これを見ると、193国会内で成立した法案の数は66件で、民進党はそのうちの52件に賛成している。約8割の法案に賛成していることになる。 また、民進党が反対した法案は14本となっているが、その内でも8本に対しては対案・別案・修正案を提出しており、単に反対だけという意思表示をしたのは6本に過ぎない。 「野党は反対のための反対しかしていない」「野党は代案を出さない」という決めつけ自体が、かなりの部分で思い込みだということだ』、民進党が「約8割の法案に賛成している」というのには、自分の「思い込み」のお粗末さを再認識させられた。
・『実際には、国会中継のネタとして、与野党の論戦が白熱しがちな、対立的な法案の審議が選ばれているから、常に反対する野党と強行採決を敢行する与党の絵面ばかりを目にすることになっているだけで、実際には、粛々と採決が進んでいる委員会もあれば、野党の提出した修正案に沿って議論が進んでいる場面もある。 個人的に、意味不明な提案に対しては、とりあえず反対の意思を表明するつもりでいる。 意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろうと考えるからだ。 どっちみちわからないにしても、だ』、「意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろう」、とは賢明な判断だ。「対案」の意味を改めて考えさせられた一文だった。
先ずは、元外交官で外交評論家の孫崎享氏が昨年7月7日付け日刊ゲンダイに寄稿した「世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232811
・『デモは特定政策に対して国民が自らの立場を表明する貴重な手段であり、世界的に見ると、デモで政治を変えようとする動きが顕著である。 米国フロリダ州の高校で17人が死亡した銃乱射事件では、銃規制の強化を求めるデモが全米で繰り広げられた。韓国では2016年11月12日、30年ぶりに100万人以上が参加したキャンドル集会(ろうそくデモ)が開かれ、これを機に朴槿恵政権は退陣に追い込まれ、文在寅大統領が誕生。今も高い支持率を維持している。ロシアでも、プーチン大統領の4期目就任式を前に、全土でデモが展開された。 今や「独裁国家」を除き、世界各地の首都でデモが展開されるのは当たり前だ。ところが日本ではそうではない。 東京・新宿区は、街頭デモの出発地として使用を認める区立公園を、これまでの4カ所から1カ所に限ることを決めた。区内で行われたデモは昨年度77件あり、うち、60件は今後は使えなくなる3つの公園から出発している。ヘイト行為対策と説明しているが、77件中、ヘイト行為は13件。デモを規制しようとする意図は明らかだ。 日本各地で行われているデモは今の安倍政権の政策に反対、抗議する目的がほとんどだ。新宿区長が「民主主義を破壊したい」という理念を持っているとは思いたくない。しかし、区長がデモ規制に動けば、政権サイドから「よくやった」と称賛されるのかもしれない』、ヘイト行為対策に名を借りて街頭デモの出発地への規制をした「新宿区長」は悪質だ。しかも、7月31日付けBLOGOSによれば、公園使用基準の見直しなので、区議会には諮っていないようだ。東京弁護士会などは「違憲の疑いがある」としているようだ。
https://blogos.com/article/314879/
・『民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある。森友・加計疑惑で明らかになったのは、霞が関官僚が「国民のために何をなすべきか」でなく「安倍首相が喜ぶか否か」を行動基準にして「忖度」していた疑いだったが、それが地方政治にも蔓延し始めたようだ。 歴史を見ると、「独裁国家」ほど「民主国家」や「人民国家」を標榜するケースが多い。自民党は2005年に「立党50年宣言」を行った。そこでは「わが党は民主主義のもとに」と掲げられていたが、実は政策が「自由」や「民主主義」とかけ離れているからこそ、あえて「自民党」と名乗っているのではないか。 日本は戦後、民主主義国家の道を歩んできたが、今、あらゆるところで、逆行する動きが表面化している』、「民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある」というのは言い得て妙だ。
次に、全く毛色が違う「代案」について、コラムニストの小田嶋 隆氏が3月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「代案なしで文句言ったっていいじゃん」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00010/?P=1
・『大学の入学試験もおおむねカタがついたようで、都心のオフィス街の周辺には、例によって微妙な真空状態が訪れている。 この時期は、毎年そうなのだが、知り合いへの連絡にちょっと気を使わねばならない。 というのも、相手が身内に受験生をかかえている場合、結果を尋ねたものなのかどうか考え込んでしまうからだ。 真正面から問い質すのも無作法な気がするし、かといって、まるで気づいていないふりをするのもそれはそれで白々しい。 相手から話題を切り出してくれれば一番良いのだが、それ以前に、先方は、こちらが連絡をしたことを尋問であるというふうに受け止めているかもしれない。 だとしたら、こんな時期にあえて電話をかけたこと自体が、ぶしつけな振る舞いであった可能性もある。 てなわけで、その種の微妙な案件をかかえた相手には、よほど差し迫った用件がない限り、連絡を避けることになる。 で、月日がたつ。 例年だと、大型連休が明けた頃になってようやく結果が判明する。 そして、おお、それはなによりだったじゃないか、と、結果がどうであれ、そういう感じのどっちつかずのやりとりをすることになる。 実にもって、社会生活というのは度し難いものだ』、確かに入試結果は春先の知人への電話で気をつけねばならない厄介事だ。
・『今回は、時事問題には触れない。 連載の原点に返って、言葉の問題を取り上げてみることにする。 つい昨日、ツイッターのタイムラインで、ある新聞記事がちょっと話題になった。 元記事を読みに行ってみると、なるほど、不用意な言葉が使われている。 今回は、軽く炎上した新聞記事の中で使われていた、粗雑な用語について書くことにする。 件の記事は、3月6日付の毎日新聞に掲載された、トランプ大統領関連の解説文だ。 「狭まるトランプ包囲網 議会の疑惑追及本格化」という見出しで書かれた記事本文には、米下院司法委員会で、トランプ大統領による司法妨害、汚職、職権乱用の疑惑を調査する動きが本格化したことに加えて、いわゆるロシア疑惑をめぐる調査対象が広がりつつあることが書かれている。あわせて、先月、下院の監視・政府改革委員会が、トランプ大統領の顧問弁護士だったコーエン被告の公聴会を実施したことなども紹介されている。 なお、図版要素として「トランプ政権 疑惑追及の構図」と題した写真と解説図も付け加えられており、全体として、充実した解説記事になっている。 この記事の奇妙なところは、末尾を《ただ、1院を支配しながら政策の代案を示さずに政権追及に終始すれば、世論の批判の矛先が民主党に向かう可能性もある。 トランプ氏は民主党の動きについて「大統領ハラスメントだ」とツイート。不満を募らせている。》という文で締めくくっている点だ。 この部分が、いかにも「取って付けた」ようで浮いているということでもある。 あるいは、冒頭から続く記事本文のトーンが、トランプ大統領に対してあまりに辛辣な内容であることを気にして、バランスを取りに行った結果が、あの結末のパラグラフだったということだろうか。 でなければ、両論併記を旨とする新聞記者の本能として、あまりにも民主党側の主張に沿った内容ばかりを書き並べた埋め合わせに、結末部分で共和党側の言い分として「議会の多数を政争に利用するのはいかがなものか」という意見を紹介しておいた、ということなのかもしれない』、解説図も付け加えた解説記事としては力作なのに、結末部分でミソをつけたとはお粗末だ。
・『いずれにしても、ここで 「代案」という言葉が出てくるのはいかにも唐突だ。 なぜというに、大統領の疑惑を追及するのに、代案もへったくれもないからだ。 疑惑追及は、提案ではない。 とすれば、代案は必要ないし、不可能でもある。 この件に関しては、追及をするのか、追及を断念するのかの二者択一しかない。 疑惑追及の代わりに代案として米中貿易交渉の議論を深めるとか、ロシア疑惑を俎上にあげる代わりに国境の壁について討議するというのは、話のスジとしてバカげてもいれば、新聞記事として間抜けに過ぎる。 こういう記事を一読してあらためて思うのは、もしかして、文章を書く専門家であるはずの新聞記者にしてからが、脊髄反射で言葉を並べているのではなかろうかということだ。 どうして、「代案」などという、場違いな言葉が突然出てきたのかを考えると、「とりあえず、野党が政争の具として疑惑追及を騒ぎ立てている時には、与党側からの反論として『代案』という言葉を提示しておくのがセオリーだ」という思い込みが、記者のアタマの中にあらかじめ転がっていたと考えざるを得ない』、「疑惑追及は、提案ではない」にも拘らず、「文章を書く専門家であるはずの新聞記者にしてからが、脊髄反射で言葉を並べているのではなかろうかということだ」、というのは手厳しい批判だ。
・『記事を読んで、3月6日の昼前に私はこんなツイートを書き込んだ。《「オレの駐車場に勝手にクルマ停めるなよ」「代案出せよ」「代案?」「駐車がNGなら、代わりに何を停めるべきなのかについて冷静な見解を出せってことだよ」「あんた何言ってる?」「代案も出さずに身勝手な苦情持ち込むなと言ってる。民主政治の大原則だぞ」「どこの民主政治だよ」》 実際、この「代案」(最近は「対案」という言葉が使われることも多いが、意味するところは変わらない)なる言葉とそれを含んだ言い回しは、与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある。 ただ、用語には敏感であってしかるべき新聞記者が、「代案」のような副作用の大きい未整理なクリシェ(注)を、安易に使うのは、いかにもまずい』、(注)とは、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念(Wikipedia)。「代案」は「与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある」、というのは的確な指摘だ。
・『勉強不足の三回生議員やネット上に盤踞する自称「普通の日本人」が、自分のブログの中で連呼するのならともかく、新聞記者が全国紙の朝刊の紙面上で、こんなたわけたお題目を結語に持って来て良いはずがないではないか。 そもそも、この「代案」という言葉を含むフレーズが万能の野党打擲棒として振り回されてきた背景には、それに先立つ長い与野党固定の停滞した時代の国会審議がある。 私が子供だった時代、「万年野党」「無責任政党」「なんでも反対党」などと呼ばれていた社会党をはじめとする昭和の時代の野党に対しては、 「反対のための反対」を叫ぶだけの「オリジナルの政見も法案も持っていない形式上のカウンター政党」であるという主旨の批判が常についてまわっていた。 事実、戦争が終わってからこっちの半世紀近く、ほとんどまったく政権を奪回する可能性にすら近づくことのなかった万年野党は、与党の持ち出す法案に、脊髄反射的な「反対」の意思を表明しているだけの機械仕掛けの人形のように見えていたものだった』、思い返せばその通りだろう。
・『「おひるごはん何にする?」「やだ」「やだ、じゃわからないでしょ?」「やだ」「じゃあ、おそばにする?」「やだ」「じゃあ、何を食べる?」「やだ」と、昭和の野党は、この種の頑是ない幼児と同一視されていたわけだ。 「反対だけじゃわからないでしょ? 自分が何をしたいのかを言わないと議論にならないでしょ?」と。 こんな説教が有効だと思われていたということは、それほどまでに舐められていたということでもある。 もっとも、当時の野党にしたところで、機械的に反対を叫んでいただけではない。 修正案や代案をまるで出さなかったわけでもない。 野党側からの政権批判の決まり文句が「腐敗」や「独裁」であった時代の、政権側からの野党に向けた反撃のフレーズが「なんでも反対」であったと、言ってみればそれだけの話でもある。 21世紀に入って、とにもかくにも政権交代と与野党逆転が与野党双方にとって実現可能な近未来であることが判明してみると、野党批判にも、もう少し工夫した言い方が採用されることになる。 それが「代案を出せ」だったりする。 その心は「単なる反対や拒否の表明は責任ある政党が選ぶべき態度じゃないぞ」てなところにあるわけだが、基本的な議論の構造は、実のところ、昭和の時代のやりとりから、そんなに様変わりしてはいない。 つまり背景にあるのは、「なにかを提案するためには、それなりの準備と情報と頭脳と労力が必要だ。一方、誰かの提案に反対するためには反対の二文字を叫ぶだけで足りる。これはいかにも非対称じゃないか」という、昔ながらの理屈だ。 この理屈は、いまもって、有効ではある。 代案の提示抜きでの反対が無責任であるような場面は、当然あるわけだし、反対のための論陣を張るにしても 「だっていやだから」だけでは足りないケースだって少なくない』、これは筆の滑り過ぎだ。「だっていやだから」として反対したケースなどはあったのだろうか。一応、反対する以上、その理由を明確にしていたと記憶する。
・『ただ、それもこれもケースバイケースだ。 どういう法案が出されていて、それについてどんな議論が展開されているのかによって、代案が不可欠な場合もあれば、不要な場合もある。 たとえば、「埼玉県立防衛軍創設」といったあたりのたわけた法案についての態度は 「否決」「反対」「ばかにするな」だけで充分。代案は不要だ。 「憲法改正」にも代案は要らない。 「改正は不要だ」ということと、その理由を説明すれば足りる。 「われわれが改正案を提出しているのだから、この改正案に反対する君たちも、君たちなりの改正案を提案しないと対等な議論にならない」という理屈は、一見、まともな議論に聞こえるが実のところ杜撰な詭弁に過ぎない』、「「憲法改正」にも代案は要らない」というのはその通りだが、最近は立憲民主党のなかにも「憲法改正」での代案を出そうとする動きがあるのには、あきれて物も言えない。
・『「ねえ犬を飼うのはどうかしら?」「反対」「代案は?」「代案?」「ほら、猫とか、ハムスターとか、犬でないとしたらほかに何を飼うのかについてあなたの考えを言わないときちんとした反対にならないでしょ?」「いや、反対は反対だよ。何も飼わない」「じゃあ、出てって」「なんだそれ」「あたしもあんたを飼わないことに決めた」 つまりだ。「改正する」への当面の代案は「改正しない」以外にない。 「どういうふうに改正するのか」という話は、改正することが決まった後に検討べき課題であって、つまり、当初の段階では「代案」は必要ないということだ。 別の例をあげるなら、「文楽への補助金を廃止する」という提案については 「文楽への補助金を継続してほしい」旨を訴えれば代案としては完璧だ。 というよりも、有効な代案はこれ以外に存在しない。 「代わりに何への補助金を廃止するのか」「補助金の財源をどうやって確保するのか」という話は、また別の議論で、これについては別の場所で議論せねばならない』、説得力ある指摘だ。特に犬を飼うことへの「代案」の話は傑作である。
・『話を元に戻すと、毎日新聞が記事にしたトランプ大統領の疑惑追及に際して、疑惑追及を推進している民主党の側が代案を提示する必要はまったくないし、そもそもそんなことは不可能でもある。 最後に、日本の野党の話をする。 民進党(旧)が、「平成29年通常国会(193国会)における民進党の法案への態度」という文書を公開している。 これを見ると、193国会内で成立した法案の数は66件で、民進党はそのうちの52件に賛成している。約8割の法案に賛成していることになる。 また、民進党が反対した法案は14本となっているが、その内でも8本に対しては対案・別案・修正案を提出しており、単に反対だけという意思表示をしたのは6本に過ぎない。 「野党は反対のための反対しかしていない」「野党は代案を出さない」という決めつけ自体が、かなりの部分で思い込みだということだ』、民進党が「約8割の法案に賛成している」というのには、自分の「思い込み」のお粗末さを再認識させられた。
・『実際には、国会中継のネタとして、与野党の論戦が白熱しがちな、対立的な法案の審議が選ばれているから、常に反対する野党と強行採決を敢行する与党の絵面ばかりを目にすることになっているだけで、実際には、粛々と採決が進んでいる委員会もあれば、野党の提出した修正案に沿って議論が進んでいる場面もある。 個人的に、意味不明な提案に対しては、とりあえず反対の意思を表明するつもりでいる。 意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろうと考えるからだ。 どっちみちわからないにしても、だ』、「意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろう」、とは賢明な判断だ。「対案」の意味を改めて考えさせられた一文だった。
タグ:デモは今の安倍政権の政策に反対、抗議する目的がほとんどだ ヘイト行為対策と説明しているが、77件中、ヘイト行為は13件。デモを規制しようとする意図は明らかだ 両論併記を旨とする新聞記者の本能 この記事の奇妙なところは、末尾を《ただ、1院を支配しながら政策の代案を示さずに政権追及に終始すれば、世論の批判の矛先が民主党に向かう可能性もある。 トランプ氏は民主党の動きについて「大統領ハラスメントだ」とツイート。不満を募らせている。》という文で締めくくっている点だ 日経ビジネスオンライン バランスを取りに行った デモは特定政策に対して国民が自らの立場を表明する貴重な手段 21世紀に入って 孫崎享 「独裁国家」ほど「民主国家」や「人民国家」を標榜するケースが多い 「世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ」 疑惑追及は、提案ではない 公園使用基準の見直しなので、区議会には諮っていないようだ 毎日新聞 野党批判にも、もう少し工夫した言い方が採用されることになる。 それが「代案を出せ」だったりする 今や「独裁国家」を除き、世界各地の首都でデモが展開されるのは当たり前だ。ところが日本ではそうではない 野党側からの政権批判の決まり文句が「腐敗」や「独裁」であった時代の、政権側からの野党に向けた反撃のフレーズが「なんでも反対」であった 小田嶋 隆 違憲の疑いがある 「狭まるトランプ包囲網 議会の疑惑追及本格化」 意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろうと考える (その5)(世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ、小田嶋 隆氏:代案なしで文句言ったっていいじゃん) BLOGOS 「憲法改正」にも代案は要らない 昭和の時代の野党に対しては、 「反対のための反対」を叫ぶだけ 長い与野党固定の停滞した時代の国会審議 反対した法案は14本となっているが、その内でも8本に対しては対案・別案・修正案を提出 なる言葉とそれを含んだ言い回しは、与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある 193国会内で成立した法案の数は66件で、民進党はそのうちの52件に賛成している。約8割の法案に賛成 平成29年通常国会(193国会)における民進党の法案への態度 民主主義 民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある 日刊ゲンダイ 新宿区長 トランプ大統領関連の解説文 新宿区は、街頭デモの出発地として使用を認める区立公園を、これまでの4カ所から1カ所に限ることを決めた 民進党(旧) 「代案」 野党が政争の具として疑惑追及を騒ぎ立てている時には、与党側からの反論として『代案』という言葉を提示しておくのがセオリーだ」という思い込み 代案は必要ないし、不可能でもある 代案が不可欠な場合もあれば、不要な場合もある
トランプ大統領(その40)(米国のINF条約離脱とドイツの核武装をめぐる議論 欧州と米国を割く亀裂の象徴、トランプの「非常事態宣言」は憂慮すべき問題だ 社会の2極化の中 肥大化する大統領権限) [世界情勢]
トランプ大統領については、1月14日に取上げた。モラー特別検察官によるロシア疑惑報告書の提出を待っていたのだが、先延ばしが続き、提出されても司法長官が公表するかも不透明になったため、取り敢えずこれは公表後に取上げるとして、今日は、(その40)(米国のINF条約離脱とドイツの核武装をめぐる議論 欧州と米国を割く亀裂の象徴、トランプの「非常事態宣言」は憂慮すべき問題だ 社会の2極化の中 肥大化する大統領権限)である。
先ずは、在独ジャーナリストの熊谷 徹氏が2月12日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「米国のINF条約離脱とドイツの核武装をめぐる議論 欧州と米国を割く亀裂の象徴」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/020800012/?P=1
・『米国が2月1日に中距離核戦力廃棄条約(INF条約)からの離脱をロシアに通告した。この発表は、80年代に作られた欧州の安全保障に関する枠組みが崩され、東西間の緊張が高まりつつあることの表れだ。欧州の地政学的リスクの高まりは、ドイツの核武装に関する議論が2018年夏以来、起きていることにも表れている』、この問題は難しい割には、新聞報道があっさりしているため分かり難かったので、格好の記事だ。
・『中距離核はロシアに脅迫手段を与える 米ソが1987年に調印したINF条約は、射程500~5500kmの地上発射型の核弾頭付きミサイルの保有を禁じている。米国はすでに2014年、つまりオバマ政権の時代に「ロシアは射程2500kmの地上発射型巡航ミサイル・9M729(西側のコードネームはSSC-8)の実験を行った」と発表し、INF条約違反の可能性を指摘していた。国防総省は「ロシアは2018年に9M729ミサイルを、ウラル山脈に近いエカテリンブルクや南部のヴォルゴグラード近郊に配備した」と主張する。 これに対しロシア側は「9M729ミサイルの射程は480kmであり、INF条約には違反していない」と反論している。さらにロシア国防省は「米国がルーマニアに設置した迎撃ミサイルの発射施設『イージス・アショア』はソフトウエアや配線を変更すれば、トマホーク型巡航ミサイル(射程2500km)を発射できる。これはINF条約に違反する」と主張している。 通常は米国に対して批判的なドイツやフランスなど西欧諸国も、今回は珍しくトランプ政権の判断を支持している。北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国の政府は、米国の諜報機関が入手した情報を基に「ロシア側が条約に違反した」と判断している模様だ。 NATOは、ロシアが2014年にクリミア半島を強制併合し、ウクライナ内戦に介入し始めて以来、同国が対外戦略を変更し、攻撃的な性格を大幅に強めたと見ている。特に脅威にさらされているのが、冷戦時代にソ連に編入されていたバルト3国だ。これらの国々では、ロシアが国境付近で大規模な軍事演習を繰り返していることから、不安感を強めている。このためNATOは、バルト3国に小規模の戦闘部隊を配備している。バルト3国への脅威については、2017年7月に「迫るロシアの脅威、バルト3国の悲劇再来を防げ」で詳細にご報告した。 中距離核ミサイルの配備はロシアにどのような利点を与えるのか。仮にロシアがバルト3国に侵攻した場合、NATOはポーランド経由で増援部隊を送ることになる。この時、ロシアはNATO加盟国に対し「バルト3国に増援部隊を送ったら、中距離核ミサイルでベルリンやパリを攻撃する」と脅迫することができる。ドイツやフランスは「バルト3国のために、首都への核攻撃を許容するべきか否か」という苦渋の判断を迫られることになる。つまり中距離核ミサイルは、NATOの動きを封じる重要な抑止力なのだ』、NATOにとっての中距離核ミサイルの意味の重大さは理解できたが、それを米国が持ち出した意味は何なのだろう。
・『INF条約の政治的重要性 1980年代後半の米国にとって、INF条約は政治的に極めて重要な意味を持っていた。1985年にソ連共産党の書記長に就任したミヒャエル・ゴルバチョフ氏は、西側に対して軍縮と緊張緩和のシグナルを送り続けていた。米国のレーガン政権は、ゴルバチョフ書記長の核軍縮のシグナルがジェスチャーではなく、実体を伴ったものであるかどうかを試すために、INF条約に調印したのだ。 つまりこの条約をめぐる交渉は、ソ連が真剣に軍縮を望んでいるかどうかを探るための試金石だった。米国と西欧諸国は、ロシアが条約に調印しただけではなく、中距離核ミサイルSS―20の廃棄に踏み切ったため、ゴルバチョフの緊張緩和への意志が本物であることを理解した』、なるほど。
・『抜け穴が多かったINF条約 一方、欧米の軍事関係者の間からは、「調印から32年が経過して、INF条約の軍事的な意義は低下している。この条約に固執すると、軍事バランスの現実を見誤る」という意見が出ている。確かに、この条約には1980年代の米ソ間の雪解けの象徴という歴史的な意味があったが、核軍縮の実体面では抜け穴が多かった。 最大の抜け穴は、INF条約が潜水艦や航空機から発射される巡航ミサイルを対象としていないことだ。つまり地上発射式のミサイルは禁止しているのに、空や海から発射される中距離核ミサイルは禁止していない。 たとえばロシア軍は2015年のシリア内戦で、カスピ海の艦艇から発射した巡航ミサイルによって、1600km離れた目標を破壊した経験を持っている。米国も中東紛争でにおいて、時々、艦艇からトマホーク型巡航ミサイルをイラクやシリアの目標に向けて発射している。これも地上発射型ではないので、INF条約は禁止していない。 艦船や航空機が搭載する巡航ミサイルは、地上発射型の巡航ミサイルに比べて、機動性が高い。特に潜水艦が搭載する巡航ミサイルは、敵に発見されにくいという利点がある。 さらにロシアは、INF条約の対象外のミサイルの配備を着々と進めている。たとえばロシア軍は2018年1月、バルト海に面したカリーニングラードに地対地弾道ミサイル「イスカンデル(SS―26)」を配備した。核弾頭も搭載できるものだ。このミサイルはベルリンに到達する能力を備えるが、射程が500km未満なのでINF条約の適用外となっている。INF条約があるにもかかわらず、この種のミサイルによって西欧への脅威は増加しているのだから、INF条約に固執する意味はないというのが、米国の立場だ。 もう一つ米国にとって不都合な点は、中国がINF条約の締結国ではないことだ。1980年代後半には、中国の脅威がアジアにおいて今日ほど高まるとは想定していなかった。中国が地上発射型の中距離核ミサイルを配備できるのに、米国が手を縛られているのは不利とトランプ政権は判断したのだろう。 キール大学安全保障研究所のヨアヒム・クラウゼ所長はドイツの保守系有力紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)に寄稿し「1987年とは異なり、現在、プーチン大統領は、ゴルバチョフ氏が進めた政策を後戻りさせようとしている。こうした時代に、INF条約が欧州の安全を守っていると信じるのは、幻想だ」と述べている』、巡航ミサイルは条約締結当時にはなかった兵器だし、中国が入ってないなど確かに抜け穴が多いようだ。
・『東西冷戦の再来 抜け穴の多い条約とはいえ、米国がINF条約を離脱することが示す政治的なシグナルは大きい。1980年代にレーガン大統領(当時)は、「欧州では限定的な核戦争があり得る」と発言して西ドイツ市民に強い衝撃を与えたが、INF条約が消滅すれば、欧州の時計の針がその時代に戻ることを示す。 さらに2021年には、米ロが2011年に調印した新戦略兵器削減条約(通称・新START)の期限が切れる。米国がINF条約を離脱することで、ロシアが新STARTの延長を拒否する可能性が生じる。この場合、米ロは1960年代以来初めて、核兵器の廃棄や削減に関する条約を全く持たない状態となる。東西冷戦の再来という言葉は決して大袈裟ではない』、抜け穴が多いからといって、米国が先鞭を切って離脱することで、「米ロは1960年代以来初めて、核兵器の廃棄や削減に関する条約を全く持たない状態となる」というのは、深刻な事態だ。アメリカ・ファーストもいい加減にしてもらいたい。
・『ドイツの政治学者が核武装を提案 ドイツのハイコ・マース外務大臣は2月1日「ロシアがINF条約を守らないため、米国はこの条約から離脱する方針だ。INF条約の消滅は、欧州の安全を低下させる。我々は軍備拡大ではなく、より包括的な軍縮のための枠組みについて議論するべきだ」と語った。 マース氏が軍拡に反対する発言を行ったのは、欧州に核の傘を提供してきた米国でNATOに批判的なトランプ政権が誕生し、欧米間の連帯に亀裂が広がりつつある中、ドイツの核武装に関する議論が起きているからだ。 特に注目されたのは、ドイツの政治学者クリスティアン・ハッケ教授が2018年7月にドイツの月刊誌「キケロ」と保守系日刊紙「ヴェルト」に掲載した論文だ。ハッケ氏は「トランプ大統領はEUやNATOを批判する一方で、北朝鮮、ロシアなどの強権的指導者たちに接近するという、歴代の米国大統領には全く見られなかった異常な態度を示している」と述べ、米国の対外政策が根本的に変わったと指摘。 しかも教授は「トランプが将来、大統領の座から降りれば、全て元通りになると考えるのは甘すぎる」と警告する。米国は17年間に及ぶ対テロ戦争に疲弊しているので、将来別の人物が大統領になっても、欧州の防衛へのコミットメントを減らすと言うのだ。 「米国が欧州に提供する核抑止力が大幅に低下している」と考えるハッケ教授は、「ドイツは自国と欧州の安全保障を強化するために、独自に核兵器を持つことを検討するべきだ」と提案している。 ハッケ氏によると欧州では現在、ドイツが英国とフランスと核兵器を共同保有する可能性についても密かに議論が行われている。つまりドイツが英仏の核戦力の維持、研究開発のために資金を供与し、ロシアの脅威に対する抑止力にするという考え方だ。 だがハッケ氏はフランスのシャルル・ドゴール元大統領の「核兵器を国家間で共有するのは難しい」という言葉を引用して、英仏との核兵器の共同保有は現実的でないと主張している。確かにドイツにロシアの脅威が迫った時に、フランスがドイツを守るために核兵器を使うという保証はない。フランスがロシアの核による報復を受ける可能性があるからだ。 ハッケ教授は、「ドイツでは核武装についての論議はタブーとなっており、大半の政治家は『見ざる、言わざる、聞かざる』を決め込んでいる。だが米国の核の傘が消滅する可能性が強まりつつある中、ドイツは将来起こり得る危機に備えて、新たな軍事ドクトリンを持たなくてはならない」と主張している』、ドイツで部分的とはいえ、核武装論が出てきたとは驚かされた。
・『トランプ政権に強く失望 ハッケ教授は、米国と欧州の安全保障問題を専門としており、ハンブルクのドイツ連邦軍大学とボン大学で教鞭を取った経験を持つ。ドイツには冷戦時代から、NATOを柱とする防衛体制こそが欧州の安定の要だと考えて、米国との関係を重視する政治学者が多い。大西洋主義者(アトランチスト)と呼ばれる彼らは、いわばドイツの国際政治学界のメインストリームだ。ハッケ氏もその1人である。 彼の論文には、トランプ大統領がアトランチストたちの知る米国像を破壊しつつあることへの、強い絶望と怒りが表われている。ハッケ氏は他のインタビューでも「トランプ氏は出来るだけ早く大統領の座から降りなくてはならない」と発言している』、「彼の論文には、トランプ大統領がアトランチストたちの知る米国像を破壊しつつあることへの、強い絶望と怒りが表われている」、とトランプも罪作りなことをしたものだ。
・『ハッケ氏の核武装論について、政治学者の間からも反論が出ている。たとえばドイツ安全保障アカデミーのルドルフ・アーダム元会長は「キケロ」に投稿し、「ドイツが核兵器を保有したら、周辺国から激しい突き上げを食うだろう。ドイツが核拡散防止条約(NPT)から脱退したら、核兵器を持とうとする国が増えるに違いない。その意味でドイツの核武装は愚かで危険な選択だ」と述べてハッケ教授の主張に反駁した。アーダム氏は、ドイツが核兵器を持つことが、欧州での軍拡競争というパンドラの箱を開けることになると危惧しているのだ』、まだドイツの政治学者には健全な良識派もいるようだ。
・『ドイツに根強い反核思想 確かにハッケ氏の主張は、現実性に欠ける。たとえば東西ドイツ統一をめぐって米英仏ソの旧連合国が1990年にドイツと結んだ基本条約「2プラス4条約」は、東西ドイツが核兵器、生物兵器、化学兵器を保有することを禁じている。したがってドイツが核兵器を持つには、旧連合国と2プラス4条約の変更について交渉しなくてはならない。 さらにドイツは2011年に原子力法を改正して、2022年末までに原子力発電所を全廃すると決定している。核兵器を保有するためには、脱原子力政策を変更しなくてはならない。脱原子力については、右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」を除く全ての政党が賛成しており、大多数の国民が支持している。ドイツではチェルノブイリ原発事故、福島事故によって、市民の原子力への不信感が増幅された。 1980年代にソ連が中距離核ミサイルSS-20、米国がパーシングIIを配備した時、当時の西ドイツで激しい反核運動が燃え上がった。現在ドイツでは環境政党・緑の党の支持率が20%に達し、社会民主党(15%)を上回っている。緑の党が1980年に結党された最大の動機は、欧州での核軍縮と脱原子力だった。つまりこの国の原子力に対する反感の根底には、核戦争への不安もある。 この国の市民を相手に、ドイツの核武装を提案する政党が議会で過半数を取ることができるとは思えない。シビリアン・コントロール(文民統制)を重視するドイツは、軍を連邦議会の強力な監視の下に置いている。現在の議会が、欧州における核軍備競争の引き金になりかねないドイツの核武装を承認するとは考えにくい。 AfDのように脱原子力政策の見直しを要求する過激な政党が過半数を取る事態は、今のところ想像しにくい。またドイツの核武装はロシアに敵対する行為だ。プーチン政権に好意的な党員を多く抱えるAfDの中で、ドイツの核武装に反対する勢力が現れるだろう』、ドイツの核武装には、旧連合国と2プラス4条約や国民の強い反核意識などの障害があるので、当面は非現実的と知って一安心した。
・『核武装論は欧米間の亀裂を浮き彫り このようにハッケ教授の意見は、少なくとも今日のドイツでは少数派である。議論は政治学者やジャーナリストの間に留まっており、メルケル政権の高官たちも全く論評していない。 ただしこれまでタブーだったドイツの核武装論が論壇に浮上した事実は、ドイツの知識人の間で米国に対する不信感がいかに高まっているかをはっきり示している。NATOは一発の砲弾も撃つことなく、ソ連に勝った。その軍事同盟の主軸である米国が、欧州の安全保障体制の要を自ら揺るがしたことは、多くの欧州人たちが持っていた座標軸を急激に変えつつあるのだ。米国と欧州の離反は世界にとって危険な兆候である。ハッケ論文に価値があるとしたら、NATOが漂流する危険性を改めて世界に示したことだ。 メルケル首相自身、「我々は他者に頼らず、自分の運命を自分でコントロールしなくてはならない」と言ったことがある。もはや安全保障について、米国に頼ることはできないという意味を含んでいる。核武装という極端な道に走らなくても、EU諸国が自分の手で安全保障体制を構築しなくてはならないことは、事実である。EUの28の加盟国が、武器や弾薬の調達、新兵器の開発までバラバラに行っている現状を考えると、「欧州軍」の創設は夢のまた夢である。 欧州人たちが体験しつつある苦悩は、我々日本人にとっても対岸の火事ではない。我々はアジアでの安全保障についても過去の常識は通用しないことを強く認識するべきだ・・・』、「NATOが漂流する危険性」とは困ったことだ。トランプも、アメリカ・ファーストだけでなく、政策の波及効果も考えてもらいたいものだ。「EU諸国が自分の手で安全保障体制を構築」するのを見守りたい。
次に、米州住友商事会社ワシントン事務所 シニアアナリストの渡辺 亮司氏が2月25日付け東洋経済オンラインに寄稿した「トランプの「非常事態宣言」は憂慮すべき問題だ 社会の2極化の中、肥大化する大統領権限」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/267529
・『「大統領は国王のように振る舞ってはならない」。2019年2月18日、ニューメキシコ州のヘクター・バルデラス司法長官(民主党)は、トランプ大統領の非常事態宣言を権力の乱用であると批判した。ニューメキシコ州を含め民主党の司法長官のいる16州が同宣言に対し集団提訴を行っている(メリーランド州以外は州知事も民主党)。 ねじれ議会で政治がこう着状態に陥っていたオバマ前政権下でも、さまざまな政策が大統領令で実行されていたことから、当時、共和党はオバマ大統領を「オバマ王」と揶揄していた。そのときの状況にやや似ている。今日、同様にねじれ議会に直面しているトランプ大統領は選挙公約の「壁建設」を実現するために、非常事態宣言で追加費用の捻出を試みた。 建国の父が築いた3権分立において、非常事態宣言は、これまでも大統領による権力乱用の抜け穴となってきた。行政権が拡大しすぎることについて批判しているのは、専門家に限らない。社会の2極化が進む中、同宣言をトランプ大統領があからさまに政治利用したことで、2020年大統領選に向けて大統領の権力に対する懸念はますます議論の的になるだろう』、大統領の「伝家の宝刀」非常事態宣言についての貴重な解説だ。
・『「大統領」は君主制への批判から生まれた アメリカ大統領の住居兼事務所であるホワイトハウスは「庶民の家(People’s House)」とも呼ばれる。地元連邦議員やホワイトハウス職員を通じて事前に予約すれば、外国人も含め誰でもセキュリティチェックを経た後にホワイトハウスを訪問することが可能だ。夕方になれば大統領や大統領の家族、ホワイトハウス職員が寛ぐ部屋などを、見学者は日中に歩き回ることができ、大統領を身近に感じられる。建国当初から、ホワイトハウスは国王が統治する宮殿ではなく、国民の所有物であり、国民が認める期間のみの大統領の仮住まいとして位置づけられているのだ。 君主制に反対したアメリカ建国の父は、3権分立制度を確立し、立法府、行政府、司法府に権限を分割し、均衡と抑制でお互いをけん制し合う仕組みを導入した。つまり、本来、大統領職は絶対的な権限を保持する役職として位置づけられていない。 大統領(President)の語源は、「前に着席している」という意味の“Praesidere”であり、“決定者(Decider)”ではない。1780年代、建国の父は憲法執筆の際、行政府の長の肩書きについて「国王(King)」とは呼ばないことは明確であったが、どのように呼ぶべきか悩んだという。目を引くものの、過度な権力を保持するものではないという意味の肩書きとして最終的に考え付いたのが「President」だったという』、「君主制に反対したアメリカ建国の父は、3権分立制度を確立し、立法府、行政府、司法府に権限を分割し、均衡と抑制でお互いをけん制し合う仕組みを導入した」とは、まさに民主主義の原点だ。大統領の語源は、ラテン語で「議長をするもの」、「統轄するもの」などで、確かに“決定者”ではないようだ。
・『2019年2月15日、トランプ大統領はメキシコとの国境の壁建設費用を計約80億ドル(議会承認の約13億8000万ドル含む)確保するため、非常事態を宣言した。民主党議員、一部の共和党議員、そして比較的リベラルな左寄りの米メディア各社などは相次いでトランプ大統領の行為を批判した。 非常事態宣言は国家非常事態法(NEA)で規定されている。大統領は同宣言を行うと、通常は議会が保有する権限や予算を利用することが可能となる。ニューヨーク大学法科大学院ブレナン司法研究所の調査によると、非常事態宣言によって大統領は法律に記載の123項目にものぼる新たな権限を得られるのだという。 アメリカが民主主義国家として始動した独立宣言からちょうど200年後の1976年、NEAは制定された。ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン元大統領(任期:1969~74年)が辞任した後であった。そもそもNEAはニクソン元大統領の非常事態宣言の利用について懸念を示した議会が、制定に動いたもので、本来は大統領権限を制限する意図があった。 だが、同法では大統領が非常事態宣言を行うこと自体には厳しい制限を設けなかった。その結果、NEA制定後も歴代大統領は不明瞭な大統領権限を利用し、さまざまな場面で議会承認を経ずに政策を実行してきた経緯がある。こうした中、議会も合意が難しい国内政策や責任を負いたくない外交政策などで、大統領に権限を事実上委譲してきた。ねじれ議会でトランプ大統領は今後ますます、外交や通商政策でその権限を行使するに違いない』、NEAは「本来は大統領権限を制限する意図があった」のに、「大統領が非常事態宣言を行うこと自体には厳しい制限を設けなかった」ために濫用気味になったとは、皮肉なものだ。
・『3権分立を蝕むアメリカ社会の2極化 アメリカ政治では予算権限は議会にある。「金力(Power of the Purse:財布の力)」と呼ばれる予算権限は3権分立において議会が保有する最重要任務だ。予算は議員が作成する法案に基づき議会が審議し、上下両院で可決後に大統領が署名して成立する。大統領は予算教書で方針を示す法律制定の勧告権はあるものの、法案を提出することはできず、予算教書は議会にとってあくまでも参考情報にすぎない。 議会が超党派で合意し、2月15日の大統領署名で成立に至った2019会計年度歳出法では、大統領がメキシコとの国境に「テキサス州の指定地域で約55マイルの杭のフェンス」を導入する約13億8000万ドルの予算のみ認めた。つまり、トランプ大統領が当初計画していたコンクリートの壁を議会は実質的に認めなかった。 トランプ大統領が非常事態宣言によって、議会が認めなかった障壁を独自に建設することは、議会の予算権限をないがしろにする行為と捉えられている。議会が配賦した軍隊向け予算が壁建設費に転用されることについて、タミー・ダックワース上院議員(民主党)は「大統領は軍隊から盗んでいる」と批判した。 2月22日、ホアキン・カストロ下院議員(民主党)をはじめ220人を超える下院議員が連名で非常事態宣言の不承認決議案を提出した。今後、下院に続き、上院でも過半数の支持を得て不承認が決議されると見込まれる。民主党が過半数を占める下院だけでなく、上院でも一部の共和党議員から大統領の権力乱用との不満が噴出しているからだ。2月15日、マイク・リー上院議員(共和党)は、「この機会に(議会は大統領に与えた)権力を取り戻し始めるべき」との声明を発表した。 だが、不承認決議に対し、大統領が拒否権を発動することは確実だ。その後、上下両院で大統領の拒否権を覆す試みがみられるかもしれないが、覆すために必要となる3分の2には達しないことが予想される。 上院では47人の民主党議員に加え、20人の共和党議員の協力が必要となるが、現時点、共和党議員で非常事態宣言に反対を表明しているのは8人にすぎない。さらに下院(欠員3人のため現在432人)では235人の民主党議員に加え、53人の共和党議員の協力が必要となるが、2016年大統領選の目玉公約であった壁建設に関わる非常事態宣言で、共和党内から大統領に反旗を翻す議員は、これほど多くはいないと思われる』、大統領の拒否権を覆すには、上下両院で3分の2が必要とは、確かに壁は高いようだ。
・『議会が拒否権無効で合意できず、司法判断へ 3権分立における議会の予算権限を保持するためには大統領の拒否権無効に合意するのが、議員にとって当然の行為と思われる。建国の父も、各府がそれぞれの権力を維持するために均衡と抑制を働かせることを、想定していた。 だが、多くの共和党議員が拒否権無効に賛成票を投じないのには、今日の社会の2極化が影響している。仮に現職議員が賛成票を投じた場合、落選リスクを高める自殺行為となりかねない。次回選挙の予備選で同じ共和党内から、もっとトランプ大統領寄りの対抗馬が登場することが予想されるからだ。つまり、各議員が自らの再選のためにはアメリカ憲法の根幹にある3権分立の精神に背くインセンティブが働くといった矛盾に直面している。 既にトランプ大統領の非常事態宣言に対し、各方面から訴訟が起きている。非常事態宣言を行う根拠となる緊急性に欠ける点や予算の利用方法などが追及されている。トランプ大統領自らが記者会見で「(非常事態宣言は)しなくてもよかった」と認めた。メキシコ国境を超える不法移民の人数は過去約40年の最低レベルまで下がっている。 そもそも非常事態を宣言するのにためらい、時間を要していたことからも緊急性に欠けることは明らかだ。大統領は議会が壁建設費用を捻出するのを待っていたというが、本来、議会を待つ時間がない場合に大統領は非常事態を宣言するものだ。 だが、前述のようにNEAは非常事態を宣言する絶対的な決定権を大統領に付与しているうえ、同法には「非常事態」の定義、そしてそれを満たす要件の記載がない。したがって、大統領が非常事態と決定すれば、裁判所はそれを尊重する傾向がある。今回のように明らかに緊急性に欠ける状況であったとしても、裁判所は大統領の判断に任せる可能性が大いにある。 2018年6月、イスラム教徒が国民の多数を占める国々からの人の入国を禁止するトランプ大統領の命令について、安全保障を理由に最高裁は合法との判決を下した。同様に、非常事態宣言についても司法判断は拡大解釈する可能性があって、どちらに転ぶか不透明だ』、NEAに「「非常事態」の定義、そしてそれを満たす要件の記載がない」以上、「裁判所は大統領の判断に任せる可能性が大いにある」というのはやむを得ないだろう。
・『大統領の権力拡大を考え直す機運も 「(トランプ大統領は)原因ではなく、症状だ」。オバマ前大統領は今日の政治環境について2018年9月、このように語った。トランプ大統領の非常事態宣言は、大統領権限が拡大しているアメリカ政治の問題を浮き彫りにしたとも言える。非常事態とは考えられない状況で、大統領が拡大解釈をして同宣言を行うことは、これまでも、特に外交政策の分野では、頻繁にあった。 ハーバード大学法科大学院のジャック・ゴールドスミス教授はその例として、次の2つを挙げる。キューバ空軍機が公海上空で米国の反カストロ派「救出に向かう兄弟たち」の飛行機を撃墜した事件をめぐって、1996年にクリントン大統領の行った非常事態宣言。そして、東アフリカのブルンジの政情不安をめぐる2015年のオバマ大統領の非常事態宣言だ。 前述のブレナン司法研究所によると1976年のNEA制定以降、7人の大統領が非常事態を計59件ほど宣言している(カーター:2件、レーガン:6件、ブッシュ<父>:5件、クリントン:17件、ブッシュ〈子〉:13件、オバマ:12件、トランプ:4件)。うち32件は現在も有効となっている。最も古い非常事態宣言は1979年のジミー・カーター大統領によるイラン人質事件をめぐるイラン制裁だ。だが、現在も有効な非常事態32件の中には、今や非常事態とはいえない案件もある』、「7人の大統領が非常事態を計59件ほど宣言している」、「うち32件は現在も有効となっている」、などには驚かされた。
・『以上のように歴代大統領も政治的に非常事態宣言を利用してきたものの、今回のトランプ大統領のように自らの政治基盤を満足させるためにあからさまに利用した前例はない。また、政治環境も最悪のタイミングであった。壁建設費をめぐる意見対立で米国史上最長の政府閉鎖を終えたばかりで、議会が認めなかったのに、非常事態宣言を利用するといったことは物議を醸している。 アメリカ社会の2極化が進む中、議会で法案を可決することはますます難しくなってきている。予備選で大統領候補は右寄りあるいは左寄りの選挙公約を余儀なくされる可能性が高い。政権発足後にそれを忠実に守ろうとするために、議会で真正面から政策の合意形成が難しければ、今後も非常事態宣言で安易に政策実行を試みることは大いにありうる。 つまり共和党にとって明日は我が身となる可能性がある。将来、民主党大統領が政治的理由で銃規制、気候変動、妊娠中絶、医療政策、移民政策などで非常事態を宣言するかもしれない。トランプ大統領はパンドラの箱を開けたかもしれないのである。壁建設は引き続き2020年大統領選の争点となる。今回の非常事態宣言をきっかけに、ニクソン政権後と同様に大統領の権力拡大にメスを入れる機運が高まる可能性もあろう』、「今回のトランプ大統領のように自らの政治基盤を満足させるためにあからさまに利用した前例はない」とはいっても、トランプ大統領に首根っこを抑えられた共和党議員たちが、「大統領の権力拡大にメスを入れる」とは考え難いとみるべきではなかろうか。
先ずは、在独ジャーナリストの熊谷 徹氏が2月12日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「米国のINF条約離脱とドイツの核武装をめぐる議論 欧州と米国を割く亀裂の象徴」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/020800012/?P=1
・『米国が2月1日に中距離核戦力廃棄条約(INF条約)からの離脱をロシアに通告した。この発表は、80年代に作られた欧州の安全保障に関する枠組みが崩され、東西間の緊張が高まりつつあることの表れだ。欧州の地政学的リスクの高まりは、ドイツの核武装に関する議論が2018年夏以来、起きていることにも表れている』、この問題は難しい割には、新聞報道があっさりしているため分かり難かったので、格好の記事だ。
・『中距離核はロシアに脅迫手段を与える 米ソが1987年に調印したINF条約は、射程500~5500kmの地上発射型の核弾頭付きミサイルの保有を禁じている。米国はすでに2014年、つまりオバマ政権の時代に「ロシアは射程2500kmの地上発射型巡航ミサイル・9M729(西側のコードネームはSSC-8)の実験を行った」と発表し、INF条約違反の可能性を指摘していた。国防総省は「ロシアは2018年に9M729ミサイルを、ウラル山脈に近いエカテリンブルクや南部のヴォルゴグラード近郊に配備した」と主張する。 これに対しロシア側は「9M729ミサイルの射程は480kmであり、INF条約には違反していない」と反論している。さらにロシア国防省は「米国がルーマニアに設置した迎撃ミサイルの発射施設『イージス・アショア』はソフトウエアや配線を変更すれば、トマホーク型巡航ミサイル(射程2500km)を発射できる。これはINF条約に違反する」と主張している。 通常は米国に対して批判的なドイツやフランスなど西欧諸国も、今回は珍しくトランプ政権の判断を支持している。北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国の政府は、米国の諜報機関が入手した情報を基に「ロシア側が条約に違反した」と判断している模様だ。 NATOは、ロシアが2014年にクリミア半島を強制併合し、ウクライナ内戦に介入し始めて以来、同国が対外戦略を変更し、攻撃的な性格を大幅に強めたと見ている。特に脅威にさらされているのが、冷戦時代にソ連に編入されていたバルト3国だ。これらの国々では、ロシアが国境付近で大規模な軍事演習を繰り返していることから、不安感を強めている。このためNATOは、バルト3国に小規模の戦闘部隊を配備している。バルト3国への脅威については、2017年7月に「迫るロシアの脅威、バルト3国の悲劇再来を防げ」で詳細にご報告した。 中距離核ミサイルの配備はロシアにどのような利点を与えるのか。仮にロシアがバルト3国に侵攻した場合、NATOはポーランド経由で増援部隊を送ることになる。この時、ロシアはNATO加盟国に対し「バルト3国に増援部隊を送ったら、中距離核ミサイルでベルリンやパリを攻撃する」と脅迫することができる。ドイツやフランスは「バルト3国のために、首都への核攻撃を許容するべきか否か」という苦渋の判断を迫られることになる。つまり中距離核ミサイルは、NATOの動きを封じる重要な抑止力なのだ』、NATOにとっての中距離核ミサイルの意味の重大さは理解できたが、それを米国が持ち出した意味は何なのだろう。
・『INF条約の政治的重要性 1980年代後半の米国にとって、INF条約は政治的に極めて重要な意味を持っていた。1985年にソ連共産党の書記長に就任したミヒャエル・ゴルバチョフ氏は、西側に対して軍縮と緊張緩和のシグナルを送り続けていた。米国のレーガン政権は、ゴルバチョフ書記長の核軍縮のシグナルがジェスチャーではなく、実体を伴ったものであるかどうかを試すために、INF条約に調印したのだ。 つまりこの条約をめぐる交渉は、ソ連が真剣に軍縮を望んでいるかどうかを探るための試金石だった。米国と西欧諸国は、ロシアが条約に調印しただけではなく、中距離核ミサイルSS―20の廃棄に踏み切ったため、ゴルバチョフの緊張緩和への意志が本物であることを理解した』、なるほど。
・『抜け穴が多かったINF条約 一方、欧米の軍事関係者の間からは、「調印から32年が経過して、INF条約の軍事的な意義は低下している。この条約に固執すると、軍事バランスの現実を見誤る」という意見が出ている。確かに、この条約には1980年代の米ソ間の雪解けの象徴という歴史的な意味があったが、核軍縮の実体面では抜け穴が多かった。 最大の抜け穴は、INF条約が潜水艦や航空機から発射される巡航ミサイルを対象としていないことだ。つまり地上発射式のミサイルは禁止しているのに、空や海から発射される中距離核ミサイルは禁止していない。 たとえばロシア軍は2015年のシリア内戦で、カスピ海の艦艇から発射した巡航ミサイルによって、1600km離れた目標を破壊した経験を持っている。米国も中東紛争でにおいて、時々、艦艇からトマホーク型巡航ミサイルをイラクやシリアの目標に向けて発射している。これも地上発射型ではないので、INF条約は禁止していない。 艦船や航空機が搭載する巡航ミサイルは、地上発射型の巡航ミサイルに比べて、機動性が高い。特に潜水艦が搭載する巡航ミサイルは、敵に発見されにくいという利点がある。 さらにロシアは、INF条約の対象外のミサイルの配備を着々と進めている。たとえばロシア軍は2018年1月、バルト海に面したカリーニングラードに地対地弾道ミサイル「イスカンデル(SS―26)」を配備した。核弾頭も搭載できるものだ。このミサイルはベルリンに到達する能力を備えるが、射程が500km未満なのでINF条約の適用外となっている。INF条約があるにもかかわらず、この種のミサイルによって西欧への脅威は増加しているのだから、INF条約に固執する意味はないというのが、米国の立場だ。 もう一つ米国にとって不都合な点は、中国がINF条約の締結国ではないことだ。1980年代後半には、中国の脅威がアジアにおいて今日ほど高まるとは想定していなかった。中国が地上発射型の中距離核ミサイルを配備できるのに、米国が手を縛られているのは不利とトランプ政権は判断したのだろう。 キール大学安全保障研究所のヨアヒム・クラウゼ所長はドイツの保守系有力紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)に寄稿し「1987年とは異なり、現在、プーチン大統領は、ゴルバチョフ氏が進めた政策を後戻りさせようとしている。こうした時代に、INF条約が欧州の安全を守っていると信じるのは、幻想だ」と述べている』、巡航ミサイルは条約締結当時にはなかった兵器だし、中国が入ってないなど確かに抜け穴が多いようだ。
・『東西冷戦の再来 抜け穴の多い条約とはいえ、米国がINF条約を離脱することが示す政治的なシグナルは大きい。1980年代にレーガン大統領(当時)は、「欧州では限定的な核戦争があり得る」と発言して西ドイツ市民に強い衝撃を与えたが、INF条約が消滅すれば、欧州の時計の針がその時代に戻ることを示す。 さらに2021年には、米ロが2011年に調印した新戦略兵器削減条約(通称・新START)の期限が切れる。米国がINF条約を離脱することで、ロシアが新STARTの延長を拒否する可能性が生じる。この場合、米ロは1960年代以来初めて、核兵器の廃棄や削減に関する条約を全く持たない状態となる。東西冷戦の再来という言葉は決して大袈裟ではない』、抜け穴が多いからといって、米国が先鞭を切って離脱することで、「米ロは1960年代以来初めて、核兵器の廃棄や削減に関する条約を全く持たない状態となる」というのは、深刻な事態だ。アメリカ・ファーストもいい加減にしてもらいたい。
・『ドイツの政治学者が核武装を提案 ドイツのハイコ・マース外務大臣は2月1日「ロシアがINF条約を守らないため、米国はこの条約から離脱する方針だ。INF条約の消滅は、欧州の安全を低下させる。我々は軍備拡大ではなく、より包括的な軍縮のための枠組みについて議論するべきだ」と語った。 マース氏が軍拡に反対する発言を行ったのは、欧州に核の傘を提供してきた米国でNATOに批判的なトランプ政権が誕生し、欧米間の連帯に亀裂が広がりつつある中、ドイツの核武装に関する議論が起きているからだ。 特に注目されたのは、ドイツの政治学者クリスティアン・ハッケ教授が2018年7月にドイツの月刊誌「キケロ」と保守系日刊紙「ヴェルト」に掲載した論文だ。ハッケ氏は「トランプ大統領はEUやNATOを批判する一方で、北朝鮮、ロシアなどの強権的指導者たちに接近するという、歴代の米国大統領には全く見られなかった異常な態度を示している」と述べ、米国の対外政策が根本的に変わったと指摘。 しかも教授は「トランプが将来、大統領の座から降りれば、全て元通りになると考えるのは甘すぎる」と警告する。米国は17年間に及ぶ対テロ戦争に疲弊しているので、将来別の人物が大統領になっても、欧州の防衛へのコミットメントを減らすと言うのだ。 「米国が欧州に提供する核抑止力が大幅に低下している」と考えるハッケ教授は、「ドイツは自国と欧州の安全保障を強化するために、独自に核兵器を持つことを検討するべきだ」と提案している。 ハッケ氏によると欧州では現在、ドイツが英国とフランスと核兵器を共同保有する可能性についても密かに議論が行われている。つまりドイツが英仏の核戦力の維持、研究開発のために資金を供与し、ロシアの脅威に対する抑止力にするという考え方だ。 だがハッケ氏はフランスのシャルル・ドゴール元大統領の「核兵器を国家間で共有するのは難しい」という言葉を引用して、英仏との核兵器の共同保有は現実的でないと主張している。確かにドイツにロシアの脅威が迫った時に、フランスがドイツを守るために核兵器を使うという保証はない。フランスがロシアの核による報復を受ける可能性があるからだ。 ハッケ教授は、「ドイツでは核武装についての論議はタブーとなっており、大半の政治家は『見ざる、言わざる、聞かざる』を決め込んでいる。だが米国の核の傘が消滅する可能性が強まりつつある中、ドイツは将来起こり得る危機に備えて、新たな軍事ドクトリンを持たなくてはならない」と主張している』、ドイツで部分的とはいえ、核武装論が出てきたとは驚かされた。
・『トランプ政権に強く失望 ハッケ教授は、米国と欧州の安全保障問題を専門としており、ハンブルクのドイツ連邦軍大学とボン大学で教鞭を取った経験を持つ。ドイツには冷戦時代から、NATOを柱とする防衛体制こそが欧州の安定の要だと考えて、米国との関係を重視する政治学者が多い。大西洋主義者(アトランチスト)と呼ばれる彼らは、いわばドイツの国際政治学界のメインストリームだ。ハッケ氏もその1人である。 彼の論文には、トランプ大統領がアトランチストたちの知る米国像を破壊しつつあることへの、強い絶望と怒りが表われている。ハッケ氏は他のインタビューでも「トランプ氏は出来るだけ早く大統領の座から降りなくてはならない」と発言している』、「彼の論文には、トランプ大統領がアトランチストたちの知る米国像を破壊しつつあることへの、強い絶望と怒りが表われている」、とトランプも罪作りなことをしたものだ。
・『ハッケ氏の核武装論について、政治学者の間からも反論が出ている。たとえばドイツ安全保障アカデミーのルドルフ・アーダム元会長は「キケロ」に投稿し、「ドイツが核兵器を保有したら、周辺国から激しい突き上げを食うだろう。ドイツが核拡散防止条約(NPT)から脱退したら、核兵器を持とうとする国が増えるに違いない。その意味でドイツの核武装は愚かで危険な選択だ」と述べてハッケ教授の主張に反駁した。アーダム氏は、ドイツが核兵器を持つことが、欧州での軍拡競争というパンドラの箱を開けることになると危惧しているのだ』、まだドイツの政治学者には健全な良識派もいるようだ。
・『ドイツに根強い反核思想 確かにハッケ氏の主張は、現実性に欠ける。たとえば東西ドイツ統一をめぐって米英仏ソの旧連合国が1990年にドイツと結んだ基本条約「2プラス4条約」は、東西ドイツが核兵器、生物兵器、化学兵器を保有することを禁じている。したがってドイツが核兵器を持つには、旧連合国と2プラス4条約の変更について交渉しなくてはならない。 さらにドイツは2011年に原子力法を改正して、2022年末までに原子力発電所を全廃すると決定している。核兵器を保有するためには、脱原子力政策を変更しなくてはならない。脱原子力については、右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」を除く全ての政党が賛成しており、大多数の国民が支持している。ドイツではチェルノブイリ原発事故、福島事故によって、市民の原子力への不信感が増幅された。 1980年代にソ連が中距離核ミサイルSS-20、米国がパーシングIIを配備した時、当時の西ドイツで激しい反核運動が燃え上がった。現在ドイツでは環境政党・緑の党の支持率が20%に達し、社会民主党(15%)を上回っている。緑の党が1980年に結党された最大の動機は、欧州での核軍縮と脱原子力だった。つまりこの国の原子力に対する反感の根底には、核戦争への不安もある。 この国の市民を相手に、ドイツの核武装を提案する政党が議会で過半数を取ることができるとは思えない。シビリアン・コントロール(文民統制)を重視するドイツは、軍を連邦議会の強力な監視の下に置いている。現在の議会が、欧州における核軍備競争の引き金になりかねないドイツの核武装を承認するとは考えにくい。 AfDのように脱原子力政策の見直しを要求する過激な政党が過半数を取る事態は、今のところ想像しにくい。またドイツの核武装はロシアに敵対する行為だ。プーチン政権に好意的な党員を多く抱えるAfDの中で、ドイツの核武装に反対する勢力が現れるだろう』、ドイツの核武装には、旧連合国と2プラス4条約や国民の強い反核意識などの障害があるので、当面は非現実的と知って一安心した。
・『核武装論は欧米間の亀裂を浮き彫り このようにハッケ教授の意見は、少なくとも今日のドイツでは少数派である。議論は政治学者やジャーナリストの間に留まっており、メルケル政権の高官たちも全く論評していない。 ただしこれまでタブーだったドイツの核武装論が論壇に浮上した事実は、ドイツの知識人の間で米国に対する不信感がいかに高まっているかをはっきり示している。NATOは一発の砲弾も撃つことなく、ソ連に勝った。その軍事同盟の主軸である米国が、欧州の安全保障体制の要を自ら揺るがしたことは、多くの欧州人たちが持っていた座標軸を急激に変えつつあるのだ。米国と欧州の離反は世界にとって危険な兆候である。ハッケ論文に価値があるとしたら、NATOが漂流する危険性を改めて世界に示したことだ。 メルケル首相自身、「我々は他者に頼らず、自分の運命を自分でコントロールしなくてはならない」と言ったことがある。もはや安全保障について、米国に頼ることはできないという意味を含んでいる。核武装という極端な道に走らなくても、EU諸国が自分の手で安全保障体制を構築しなくてはならないことは、事実である。EUの28の加盟国が、武器や弾薬の調達、新兵器の開発までバラバラに行っている現状を考えると、「欧州軍」の創設は夢のまた夢である。 欧州人たちが体験しつつある苦悩は、我々日本人にとっても対岸の火事ではない。我々はアジアでの安全保障についても過去の常識は通用しないことを強く認識するべきだ・・・』、「NATOが漂流する危険性」とは困ったことだ。トランプも、アメリカ・ファーストだけでなく、政策の波及効果も考えてもらいたいものだ。「EU諸国が自分の手で安全保障体制を構築」するのを見守りたい。
次に、米州住友商事会社ワシントン事務所 シニアアナリストの渡辺 亮司氏が2月25日付け東洋経済オンラインに寄稿した「トランプの「非常事態宣言」は憂慮すべき問題だ 社会の2極化の中、肥大化する大統領権限」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/267529
・『「大統領は国王のように振る舞ってはならない」。2019年2月18日、ニューメキシコ州のヘクター・バルデラス司法長官(民主党)は、トランプ大統領の非常事態宣言を権力の乱用であると批判した。ニューメキシコ州を含め民主党の司法長官のいる16州が同宣言に対し集団提訴を行っている(メリーランド州以外は州知事も民主党)。 ねじれ議会で政治がこう着状態に陥っていたオバマ前政権下でも、さまざまな政策が大統領令で実行されていたことから、当時、共和党はオバマ大統領を「オバマ王」と揶揄していた。そのときの状況にやや似ている。今日、同様にねじれ議会に直面しているトランプ大統領は選挙公約の「壁建設」を実現するために、非常事態宣言で追加費用の捻出を試みた。 建国の父が築いた3権分立において、非常事態宣言は、これまでも大統領による権力乱用の抜け穴となってきた。行政権が拡大しすぎることについて批判しているのは、専門家に限らない。社会の2極化が進む中、同宣言をトランプ大統領があからさまに政治利用したことで、2020年大統領選に向けて大統領の権力に対する懸念はますます議論の的になるだろう』、大統領の「伝家の宝刀」非常事態宣言についての貴重な解説だ。
・『「大統領」は君主制への批判から生まれた アメリカ大統領の住居兼事務所であるホワイトハウスは「庶民の家(People’s House)」とも呼ばれる。地元連邦議員やホワイトハウス職員を通じて事前に予約すれば、外国人も含め誰でもセキュリティチェックを経た後にホワイトハウスを訪問することが可能だ。夕方になれば大統領や大統領の家族、ホワイトハウス職員が寛ぐ部屋などを、見学者は日中に歩き回ることができ、大統領を身近に感じられる。建国当初から、ホワイトハウスは国王が統治する宮殿ではなく、国民の所有物であり、国民が認める期間のみの大統領の仮住まいとして位置づけられているのだ。 君主制に反対したアメリカ建国の父は、3権分立制度を確立し、立法府、行政府、司法府に権限を分割し、均衡と抑制でお互いをけん制し合う仕組みを導入した。つまり、本来、大統領職は絶対的な権限を保持する役職として位置づけられていない。 大統領(President)の語源は、「前に着席している」という意味の“Praesidere”であり、“決定者(Decider)”ではない。1780年代、建国の父は憲法執筆の際、行政府の長の肩書きについて「国王(King)」とは呼ばないことは明確であったが、どのように呼ぶべきか悩んだという。目を引くものの、過度な権力を保持するものではないという意味の肩書きとして最終的に考え付いたのが「President」だったという』、「君主制に反対したアメリカ建国の父は、3権分立制度を確立し、立法府、行政府、司法府に権限を分割し、均衡と抑制でお互いをけん制し合う仕組みを導入した」とは、まさに民主主義の原点だ。大統領の語源は、ラテン語で「議長をするもの」、「統轄するもの」などで、確かに“決定者”ではないようだ。
・『2019年2月15日、トランプ大統領はメキシコとの国境の壁建設費用を計約80億ドル(議会承認の約13億8000万ドル含む)確保するため、非常事態を宣言した。民主党議員、一部の共和党議員、そして比較的リベラルな左寄りの米メディア各社などは相次いでトランプ大統領の行為を批判した。 非常事態宣言は国家非常事態法(NEA)で規定されている。大統領は同宣言を行うと、通常は議会が保有する権限や予算を利用することが可能となる。ニューヨーク大学法科大学院ブレナン司法研究所の調査によると、非常事態宣言によって大統領は法律に記載の123項目にものぼる新たな権限を得られるのだという。 アメリカが民主主義国家として始動した独立宣言からちょうど200年後の1976年、NEAは制定された。ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン元大統領(任期:1969~74年)が辞任した後であった。そもそもNEAはニクソン元大統領の非常事態宣言の利用について懸念を示した議会が、制定に動いたもので、本来は大統領権限を制限する意図があった。 だが、同法では大統領が非常事態宣言を行うこと自体には厳しい制限を設けなかった。その結果、NEA制定後も歴代大統領は不明瞭な大統領権限を利用し、さまざまな場面で議会承認を経ずに政策を実行してきた経緯がある。こうした中、議会も合意が難しい国内政策や責任を負いたくない外交政策などで、大統領に権限を事実上委譲してきた。ねじれ議会でトランプ大統領は今後ますます、外交や通商政策でその権限を行使するに違いない』、NEAは「本来は大統領権限を制限する意図があった」のに、「大統領が非常事態宣言を行うこと自体には厳しい制限を設けなかった」ために濫用気味になったとは、皮肉なものだ。
・『3権分立を蝕むアメリカ社会の2極化 アメリカ政治では予算権限は議会にある。「金力(Power of the Purse:財布の力)」と呼ばれる予算権限は3権分立において議会が保有する最重要任務だ。予算は議員が作成する法案に基づき議会が審議し、上下両院で可決後に大統領が署名して成立する。大統領は予算教書で方針を示す法律制定の勧告権はあるものの、法案を提出することはできず、予算教書は議会にとってあくまでも参考情報にすぎない。 議会が超党派で合意し、2月15日の大統領署名で成立に至った2019会計年度歳出法では、大統領がメキシコとの国境に「テキサス州の指定地域で約55マイルの杭のフェンス」を導入する約13億8000万ドルの予算のみ認めた。つまり、トランプ大統領が当初計画していたコンクリートの壁を議会は実質的に認めなかった。 トランプ大統領が非常事態宣言によって、議会が認めなかった障壁を独自に建設することは、議会の予算権限をないがしろにする行為と捉えられている。議会が配賦した軍隊向け予算が壁建設費に転用されることについて、タミー・ダックワース上院議員(民主党)は「大統領は軍隊から盗んでいる」と批判した。 2月22日、ホアキン・カストロ下院議員(民主党)をはじめ220人を超える下院議員が連名で非常事態宣言の不承認決議案を提出した。今後、下院に続き、上院でも過半数の支持を得て不承認が決議されると見込まれる。民主党が過半数を占める下院だけでなく、上院でも一部の共和党議員から大統領の権力乱用との不満が噴出しているからだ。2月15日、マイク・リー上院議員(共和党)は、「この機会に(議会は大統領に与えた)権力を取り戻し始めるべき」との声明を発表した。 だが、不承認決議に対し、大統領が拒否権を発動することは確実だ。その後、上下両院で大統領の拒否権を覆す試みがみられるかもしれないが、覆すために必要となる3分の2には達しないことが予想される。 上院では47人の民主党議員に加え、20人の共和党議員の協力が必要となるが、現時点、共和党議員で非常事態宣言に反対を表明しているのは8人にすぎない。さらに下院(欠員3人のため現在432人)では235人の民主党議員に加え、53人の共和党議員の協力が必要となるが、2016年大統領選の目玉公約であった壁建設に関わる非常事態宣言で、共和党内から大統領に反旗を翻す議員は、これほど多くはいないと思われる』、大統領の拒否権を覆すには、上下両院で3分の2が必要とは、確かに壁は高いようだ。
・『議会が拒否権無効で合意できず、司法判断へ 3権分立における議会の予算権限を保持するためには大統領の拒否権無効に合意するのが、議員にとって当然の行為と思われる。建国の父も、各府がそれぞれの権力を維持するために均衡と抑制を働かせることを、想定していた。 だが、多くの共和党議員が拒否権無効に賛成票を投じないのには、今日の社会の2極化が影響している。仮に現職議員が賛成票を投じた場合、落選リスクを高める自殺行為となりかねない。次回選挙の予備選で同じ共和党内から、もっとトランプ大統領寄りの対抗馬が登場することが予想されるからだ。つまり、各議員が自らの再選のためにはアメリカ憲法の根幹にある3権分立の精神に背くインセンティブが働くといった矛盾に直面している。 既にトランプ大統領の非常事態宣言に対し、各方面から訴訟が起きている。非常事態宣言を行う根拠となる緊急性に欠ける点や予算の利用方法などが追及されている。トランプ大統領自らが記者会見で「(非常事態宣言は)しなくてもよかった」と認めた。メキシコ国境を超える不法移民の人数は過去約40年の最低レベルまで下がっている。 そもそも非常事態を宣言するのにためらい、時間を要していたことからも緊急性に欠けることは明らかだ。大統領は議会が壁建設費用を捻出するのを待っていたというが、本来、議会を待つ時間がない場合に大統領は非常事態を宣言するものだ。 だが、前述のようにNEAは非常事態を宣言する絶対的な決定権を大統領に付与しているうえ、同法には「非常事態」の定義、そしてそれを満たす要件の記載がない。したがって、大統領が非常事態と決定すれば、裁判所はそれを尊重する傾向がある。今回のように明らかに緊急性に欠ける状況であったとしても、裁判所は大統領の判断に任せる可能性が大いにある。 2018年6月、イスラム教徒が国民の多数を占める国々からの人の入国を禁止するトランプ大統領の命令について、安全保障を理由に最高裁は合法との判決を下した。同様に、非常事態宣言についても司法判断は拡大解釈する可能性があって、どちらに転ぶか不透明だ』、NEAに「「非常事態」の定義、そしてそれを満たす要件の記載がない」以上、「裁判所は大統領の判断に任せる可能性が大いにある」というのはやむを得ないだろう。
・『大統領の権力拡大を考え直す機運も 「(トランプ大統領は)原因ではなく、症状だ」。オバマ前大統領は今日の政治環境について2018年9月、このように語った。トランプ大統領の非常事態宣言は、大統領権限が拡大しているアメリカ政治の問題を浮き彫りにしたとも言える。非常事態とは考えられない状況で、大統領が拡大解釈をして同宣言を行うことは、これまでも、特に外交政策の分野では、頻繁にあった。 ハーバード大学法科大学院のジャック・ゴールドスミス教授はその例として、次の2つを挙げる。キューバ空軍機が公海上空で米国の反カストロ派「救出に向かう兄弟たち」の飛行機を撃墜した事件をめぐって、1996年にクリントン大統領の行った非常事態宣言。そして、東アフリカのブルンジの政情不安をめぐる2015年のオバマ大統領の非常事態宣言だ。 前述のブレナン司法研究所によると1976年のNEA制定以降、7人の大統領が非常事態を計59件ほど宣言している(カーター:2件、レーガン:6件、ブッシュ<父>:5件、クリントン:17件、ブッシュ〈子〉:13件、オバマ:12件、トランプ:4件)。うち32件は現在も有効となっている。最も古い非常事態宣言は1979年のジミー・カーター大統領によるイラン人質事件をめぐるイラン制裁だ。だが、現在も有効な非常事態32件の中には、今や非常事態とはいえない案件もある』、「7人の大統領が非常事態を計59件ほど宣言している」、「うち32件は現在も有効となっている」、などには驚かされた。
・『以上のように歴代大統領も政治的に非常事態宣言を利用してきたものの、今回のトランプ大統領のように自らの政治基盤を満足させるためにあからさまに利用した前例はない。また、政治環境も最悪のタイミングであった。壁建設費をめぐる意見対立で米国史上最長の政府閉鎖を終えたばかりで、議会が認めなかったのに、非常事態宣言を利用するといったことは物議を醸している。 アメリカ社会の2極化が進む中、議会で法案を可決することはますます難しくなってきている。予備選で大統領候補は右寄りあるいは左寄りの選挙公約を余儀なくされる可能性が高い。政権発足後にそれを忠実に守ろうとするために、議会で真正面から政策の合意形成が難しければ、今後も非常事態宣言で安易に政策実行を試みることは大いにありうる。 つまり共和党にとって明日は我が身となる可能性がある。将来、民主党大統領が政治的理由で銃規制、気候変動、妊娠中絶、医療政策、移民政策などで非常事態を宣言するかもしれない。トランプ大統領はパンドラの箱を開けたかもしれないのである。壁建設は引き続き2020年大統領選の争点となる。今回の非常事態宣言をきっかけに、ニクソン政権後と同様に大統領の権力拡大にメスを入れる機運が高まる可能性もあろう』、「今回のトランプ大統領のように自らの政治基盤を満足させるためにあからさまに利用した前例はない」とはいっても、トランプ大統領に首根っこを抑えられた共和党議員たちが、「大統領の権力拡大にメスを入れる」とは考え難いとみるべきではなかろうか。
タグ:大統領が非常事態と決定すれば、裁判所はそれを尊重する傾向 「米国のINF条約離脱とドイツの核武装をめぐる議論 欧州と米国を割く亀裂の象徴」 中距離核はロシアに脅迫手段を与える トランプ大統領 (その40)(米国のINF条約離脱とドイツの核武装をめぐる議論 欧州と米国を割く亀裂の象徴、トランプの「非常事態宣言」は憂慮すべき問題だ 社会の2極化の中 肥大化する大統領権限) 中距離核戦力廃棄条約(INF条約) 日経ビジネスオンライン 大統領の権力拡大を考え直す機運も 熊谷 徹 ドイツの政治学者が核武装を提案 今回のトランプ大統領のように自らの政治基盤を満足させるためにあからさまに利用した前例はない うち32件は現在も有効 NEA制定以降、7人の大統領が非常事態を計59件ほど宣言 非常事態宣言は国家非常事態法(NEA)で規定 メキシコとの国境の壁建設費用を計約80億ドル(議会承認の約13億8000万ドル含む)確保するため、非常事態を宣言 NEAはニクソン元大統領の非常事態宣言の利用について懸念を示した議会が、制定に動いたもので、本来は大統領権限を制限する意図があった 法には「非常事態」の定義、そしてそれを満たす要件の記載がない 君主制に反対したアメリカ建国の父は、3権分立制度を確立し、立法府、行政府、司法府に権限を分割し、均衡と抑制でお互いをけん制し合う仕組みを導入した 議会が拒否権無効で合意できず、司法判断へ 上下両院で大統領の拒否権を覆す試みがみられるかもしれないが、覆すために必要となる3分の2には達しないことが予想される 不承認決議に対し、大統領が拒否権を発動することは確実 その結果、NEA制定後も歴代大統領は不明瞭な大統領権限を利用し、さまざまな場面で議会承認を経ずに政策を実行してきた経緯 3権分立を蝕むアメリカ社会の2極化 大統領が非常事態宣言を行うこと自体には厳しい制限を設けなかった 大統領(President)の語源 “Praesidere 「大統領」は君主制への批判から生まれた 3権分立において、非常事態宣言は、これまでも大統領による権力乱用の抜け穴となってきた 「トランプの「非常事態宣言」は憂慮すべき問題だ 社会の2極化の中、肥大化する大統領権限」 東洋経済オンライン 渡辺 亮司 核武装論は欧米間の亀裂を浮き彫り 東西ドイツ統一をめぐって米英仏ソの旧連合国が1990年にドイツと結んだ基本条約「2プラス4条約」は、東西ドイツが核兵器、生物兵器、化学兵器を保有することを禁じている ドイツに根強い反核思想 ハッケ氏の核武装論について、政治学者の間からも反論 彼の論文には、トランプ大統領がアトランチストたちの知る米国像を破壊しつつあることへの、強い絶望と怒りが表われている ドイツの国際政治学界のメインストリーム ドイツには冷戦時代から、NATOを柱とする防衛体制こそが欧州の安定の要だと考えて、米国との関係を重視する政治学者が多い。大西洋主義者(アトランチスト) トランプ政権に強く失望 「米国が欧州に提供する核抑止力が大幅に低下している」と考えるハッケ教授は、「ドイツは自国と欧州の安全保障を強化するために、独自に核兵器を持つことを検討するべきだ」と提案 クリスティアン・ハッケ教授 抜け穴が多かったINF条約 INF条約の政治的重要性 米ロは1960年代以来初めて、核兵器の廃棄や削減に関する条約を全く持たない状態となる 2021年には、米ロが2011年に調印した新戦略兵器削減条約(通称・新START)の期限が切れる INF条約が消滅すれば、欧州の時計の針がその時代に戻ることを示す 東西冷戦の再来 中国がINF条約の締結国ではない INF条約が潜水艦や航空機から発射される巡航ミサイルを対象としていない 中距離核ミサイルは、NATOの動きを封じる重要な抑止力なのだ
日韓関係(除く慰安婦)(その2)(韓国の元駐日大使に聞く 徴用工・慰安婦・レーザー照射問題の背景、韓国はなぜ「ちゃぶ台返し」を繰り返すのか?4つの“なぜ”を解明、日韓はなぜ良好な関係を継続できないのか 韓国・文大統領「親日清算」発言の本当の意味) [外交]
日韓関係(除く慰安婦)については、1月21日に取上げた。その後も関係悪化が続き、日本でも嫌韓ムードが高まっている。今日は、(その2)(韓国の元駐日大使に聞く 徴用工・慰安婦・レーザー照射問題の背景、韓国はなぜ「ちゃぶ台返し」を繰り返すのか?4つの“なぜ”を解明、日韓はなぜ良好な関係を継続できないのか 韓国・文大統領「親日清算」発言の本当の意味)である。
先ずは、2月20日付けダイヤモンド・オンライン「韓国の元駐日大使に聞く、徴用工・慰安婦・レーザー照射問題の背景」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、」Aは申カク秀氏の回答)。
https://diamond.jp/articles/-/194564
・『いま、日韓関係が危機に瀕しています。2018年秋から元徴用工への賠償をめぐる裁判や慰安婦問題、レーダー照射問題などが次々と浮上し、政府間の感情的な対立に発展したことにより、国民の間でも韓国に対してかつてないほどの疑問や不信感が渦巻いています。その背景を元駐日韓国大使の申カク秀氏(カクの文字は王へんに玉)に聞きました』、現在は知日派の韓国人の多くが口を閉ざしているなかで、貴重なインタビュー記事だ。
・『関係悪化が構造的に定着 両国ともに国内政治を優先 Q:日韓関係の現状をどう見ていますか。 A:韓日関係の基本である1965年日韓基本条約から、今年で54年になります。これまでも韓日間にはいろいろな問題があり、両国関係は危機になったこともありました。今回の関係悪化は、非常に長く、もっとも厳しい危機ではないかと思います。 70年代、金大中拉致事件や文世光による朴正煕大統領夫人の暗殺事件など、韓日関係を危機的な状況にする事件がありました。当時は国交断絶という話まで出ていました。しかし、1年ほど経つと冷静さを取り戻しました。 でも、今回の危機は長引いています。2012年に入ってから関係が悪くなり、改善したのは15年の韓日合意のとき。その後は小康状態でした。それが16年末からまた悪くなり、それが今まで続いています。 この悪化は文在寅政権だけが招いたことではありません。朴槿恵政権のときも、そんなに良くなかった。今は、関係が悪い状態が長引くにつれて、両国はより感情的になっていて、お互いにそれを増幅してしまっている。構造的に、関係悪化が定着することになっています』、長年日韓関係を見つめてきた申カク秀氏が「今回の関係悪化は、非常に長く、もっとも厳しい危機ではないか」、というからには本当に深刻なようだ。
・『その背景には、いろいろな要因があります。まず、両国ともに戦後生まれの世代に変わって、両国の過去史に対する認識の差が出ています。韓国側から見ると、日本は安倍政権になってから保守右傾化、歴史修正主義が顕著になっています。 また、中国の経済成長によって東アジアの地域の勢力転換が起きています。朴槿恵政権時代、韓国は中国に熱心に接近しました。その反面、韓日関係は悪くなり、日本では韓国の中国傾斜論が広がっています。それは歪んだ見解だと思いますが…。 さらに、韓日の経済格差も縮まっています。日本とは対等とはいわないまでも、購買力平価で一人あたりの所得はほぼ同じです。 両国のリーダーシップにも問題があります。双方とも、相手の国がいかに重要な存在であるかという認識が欠けています。だから、国内政治を優先してしまいます。韓国でも日本でも同じです。 こうした問題がすべて絡まって、両国関係を一種の“多重複合骨折状態”にしています。韓日関係において感情的になってしまう悪循環から、両国ともに抜け出せません。 昨年は徴用工問題、韓日合意に基づいて設立された「和解・治癒財団」の解散、旭日旗を巡って日本の海上自衛隊が韓国での国際観覧式への参加見合わせなど、さまざまな問題が重なりました。今も尾を引いています』、「両国のリーダーシップにも問題があります。双方とも、相手の国がいかに重要な存在であるかという認識が欠けています。だから、国内政治を優先してしまいます」、というのはその通りだろう。購買力平価でみた一人あたりの所得は、2017年で190か国中、日本30位の42942ドル、韓国32位の39548ドルと確かに僅差のようだ(世界経済のネタ帳、下記リンク参照)日本がここまで伸び悩んでいるとはショックだ。「両国関係を一種の“多重複合骨折状態”に」というのは言い得て妙だ。
https://ecodb.net/ranking/imf_ppppc.html
・『韓日間にある法と正義の観念の違い Q:韓国は65年の日韓基本条約で合意し、これまで歴代韓国政権が問題視してこなかった徴用工の件と、15年の日韓合意で合意した慰安婦の件を取り上げ、日韓の関係が悪化する要因となりました。日本では「なぜ一度合意したことを韓国は持ち出すのか」という疑問が渦巻いています。 A:それは確かにあると思います。この問題を理解するときに、韓日で、法と正義の観念の違いがあることを理解しなければなりません。韓国では「正義があれば、法律は変えるべきだ」という観念が強いのです。これまでも、民主化されてから正義のために過去の司法判決を覆すことはありました。これは日本では滅多に考えられないのではないでしょうか。 12年の三菱徴用工大法院第1部判決の根底には、この正義と法の関連性があるのです。65年に日韓基本条約を結んだのですが、判決は日本の植民地支配がそもそも不法だったから、それが原因で行われた強制労働の被害者への慰謝料については、請求権を取り扱った65年の請求権協定では解決していないという判断です。その延長で18年10月の大法院判決が出ました。 基本条約の2条には、日本の植民地支配については「already null and void」(もはや無効)と記されています。日本は65年の条約締結時から無効であるという解釈で、要するに「取り消し」という考え方です。それに対して韓国は、植民地支配が始まった当時から無効であるという解釈をしています。要するに、妥協のため玉虫色の解決をしていたので、これをずっと維持してきました。65年当時の韓国と日本は大きな意見差がありました。 今回の問題は、こうした韓日での解釈の違いが表に出たのです。先ほど申し上げた韓日での法律と正義という問題もあって、これだけ大きな問題となってしまいました。 ですから、これは文在寅政権が引き起こした問題ということではないのです。 12年の判決ができたとき、政権は動きが取りにくくなりました。政府がそれまでの立場を守ろうとすると、司法の判断に従わないということで、韓国の憲法に反する。一方で、司法の判断に従えば、日本との外交紛争に発展する。板挟みになってしまいました』、「韓国では「正義があれば、法律は変えるべきだ」という観念が強い」、というのは民主化革命を経てきた事情背景にあるのだろう。「基本条約の2条」について、「日本は65年の条約締結時から無効であるという解釈で、要するに「取り消し」という考え方です。それに対して韓国は、植民地支配が始まった当時から無効であるという解釈をしています」、というのは確かに折り合い難い解釈の違いだ。
・『Q:法と正義の観念の違いについて、そうした韓国の考え方を外交に持ち込めば、国と国との約束が守られないという事態を招くことになるのではないでしょうか。 A:それは韓国政府も認識していると思います。ただ、事実として、韓国政府は動きにくい状態にあります。 私はこれまでの既存の政府の立場と、司法の判断と矛盾しない解決策として、韓国政府、韓国企業、日本企業の3者による基金をつくり、徴用工問題に対処するということを提案しています。これは法律による解決ではないですが、この案が合意出来れば解決に向かうのではないかと考えています』、これは余りにも韓国側に寄り添い過ぎた提案だ。
・『Q:日本側は65年の日韓基本条約で合意したという立場です。 A:日本政府は5億ドルを支払ったから、この3社からは除いています。 中国強制労働被害者への戦後補償について、日本企業は基金を設立して和解のために努力していました。日本政府は中国にODAを通して、賠償金よりも遥かに大きな資金を拠出しています。 ドイツでは強制労働の問題について戦後、100億マルクを政府と企業が拠出して解決しました。戦後賠償について企業が資金を拠出することは先例があるのです』、ドイツでは業が資金を拠出したとはいえ、日本は政府が5億ドルを支払って「解決」したと思い込んでいたのも事実である。「日韓基本条約で合意」の意味をはっきりさせなかった点では、日本側にも落ち度がありそうだ。
・『私は、これは姿勢の問題だと思っています。これ以上、韓日関係を悪くしてはいけない。両国政府はお互いが置かれている立場を理解して、妥協的に解決するという心構えをもっていれば、解決できると思います。それに韓日両政府は、今、東アジアの大きな激流のなかにいるということを理解するべきです。北朝鮮も核保有国に近づいているし、中国もますます大きくなっていくでしょう。東アジアの平和と安定のために、韓日両政府は大局的な視点を持つことが大事です。 韓国と日本は、OECD加盟国で同じ土台で話ができる国同士なのです。お互いが感情的になっている暇はありません。これ以上韓日関係を悪化させれば、もっと大きな国益を損なうことを肝に命じるべきです。 Q:大法院の金命洙長官は、徴用工問題について個人賠償権は消滅していないという考えの持ち主で、弁護士として徴用工問題に取り組んでいた文在寅大統領と考え方が近い人物だと言われており、実際に2017年、文在寅大統領が任命しました。この問題を浮上させたのは文在寅大統領だという指摘もあります。 A:それは言いすぎです。もちろん、金命洙院長は地方法院の院長を務め、韓国の司法部の中でも、進歩的な考え方をする研究会の座長でした。文在寅大統領は、徴用工問題に確かに最初取り組んでいましたが、個人的な縁はないと思います。今度の判決は合議体が下したものですから、大法院の人事が判決に影響を与えているとは思えません』、それまで大法院が審議を遅らせていたのを、金命洙院長になって審議を早めたのも事実で、「大法院の人事が判決に影響を与えているとは思えません」というのは言い過ぎだ。
・『南北融和は分断国家として当然の外交目標である Q:今の文在寅政権は日本や米国との関係悪化を厭わず、政策を進めているように見えます。先日も北朝鮮に対する制裁について、韓国が違反しているのではないかという報道がありました。外交専門家の間では、このままでは文在寅政権は国際社会で孤立するのではないかと憂慮する声もあります。 A:文在寅政権は発足以来、南北間の和解をするために、ずっと北朝鮮の門を叩き続けていました。ただ、17年は北朝鮮は核実験やミサイル発射実験など挑発を続けていましたので、なかなか進まなかった。ところが、18年になって急に門が開いた。平昌オリンピックをきっかけに南北と米朝がそれぞれ接近し、3回目の南北首脳会談が開かれ、6月には米朝首脳会談が行われました。 文在寅政権の基本的な姿勢は、南北関係を改善し、それによって核問題の解決と米朝関係の改善につなげるというものです。ただ、問題は文在寅大統領は少し気が早くて、アメリカと接近法において差が出ました。文在寅大統領は制裁の一部を緩和して、南北関係を良くし、米朝が協議する環境を整えようという考え方です。 一方で、アメリカは非核化が出来るまで制裁を維持するつもりです。その意見の食い違いを調整するために韓米のワーキンググループを発足させました。 Q:北朝鮮の核開発は続けられていると見られています。国際社会は今、北朝鮮に対して非常に厳しい目を向けています。今の文在寅政権の対北朝鮮政策が国際社会と歩調が合っていないのは、地域の平和にとってマイナスなのではないでしょうか。 A:南北融和を目指すこと自体は、分断国家として当然の外交目標です。その方針自体が間違っているというわけではありません。 ただ核武装が実際に近づいているということをよく理解して、南北融和よりも核問題の解決が優先されるべきだということです。韓国は今、ちょっと急いでしまっています。このままでは、北朝鮮の思惑通りになってしまうということを心配しています。 非核化には米国と日本との協力は欠かせません。韓国は日本との関係がいかに大切であるかということを、よく考えるべきだと思います。そして日本も、韓国が大事な存在だということを考えるべきです』、これについては概ね異論はない。
・『両国とも元慰安婦の方々への心配りが足りなかった Q:2015年の日韓合意は、慰安婦問題を最終的に解決したとして、今後の日韓関係の基礎になるものだと評価する声もありました。しかし、韓国政府は合意には重大な問題があるとして検証を進め、「和解・癒やし財団」は解散されてしまいました。 A:外交交渉にはつねに妥協がつきものです。お互いに満足できないところは常にあります。 韓日合意の問題は、合意を発表してからの両国の努力不足にあります。韓国政府も日本政府も、国民に対してこの合意がどのようなものなのか、どのような意味があるのか、説得して理解してもらわなければなりません。そういう努力が、両国政府に欠けていました。それを看過してきた結果です。 慰安婦の問題は、心の問題です。どのようにして元慰安婦の方々の心を癒やすか。両国ともにそれについての心配りが足りなかった。行動も足りなかった。例えば、韓国政府については、当時の朴槿恵大統領や外交部長官が元慰安婦の方を食事にでも招いて、政府として合意の意味を伝えて、十分に元慰安婦の方の願いは反映できていないかもしれないが、足りない部分は韓国政府としてもこれからも努力していくということを伝えるべきでした。それをやれば、だいぶ違った結果になっていたでしょう。 一方で、日本政府も対応がまずかった。安倍総理は、最終的に解決したからこれからは謝罪はない、という趣旨のことを言った。これは絶対にやってはいけない対応でした。合意した途端に、すぐにその合意と違う発言をしたんです。これからも謝罪の精神にのっとって、努力していくと言えばよかった。 両政府は過去史に立場が大きく違います。その違いをどういうふうに歩み寄り、国民にどのように納得させるか。お互いに両政府は、国民を納得させるために助け合わないといけません。その姿勢がありませんでした。 私が強調したいのは、お互いが謙虚に、協力して、未来のためにやっていくということです。日本は過去に対して謙虚に、韓国は未来に対して謙虚に、そういう気持ちが必要です。それで和解にもっていく。韓国もすべてが正しいわけではありません。良いことばかりやっているわけではありません。大事なのは解決のためにお互いが協力することです』、「安倍総理は、最終的に解決したからこれからは謝罪はない、という趣旨のことを言った」のは、確かにまずかった。
・『Q:今後はこの問題について、解決に向けてどのように進めばよいのでしょうか。 A:私は財団の解散には反対でした。しかし、解散してしまった。韓国政府は残された57億ウォンを、合意の精神に合う形で、どのように使っていくのか。日本政府と協力して具体的な案を韓国側がつくっていくことが重要です。それがなければ、進展しません。 Q:韓国では、物事を論理ではなくハートで考えるという指摘があります。 A:確かに、韓国人は日本人よりも、相対的にそういう傾向があるかもしれません。ですが、過去史以外に韓日関係にあるさまざまな問題について、そういう傾向はあまりありません。 過去史の問題は、心の問題です。アイデンティティの問題ですので、ハートで考えることになりがちなのです。でも一般的なこととは違います。 今年も750万人以上の韓国人が日本を訪れています。これは日本の良いところを認めているからです。ハートで判断するということは確かにあると思いますが、全てではないです』、なるほど。
・『表に出ている声だけが韓国全体の日本に対する考え方ではない Q:レーダー照射問題についてはどうお考えでしょうか。 A:この問題は非常に軍事的な問題で、専門家でなければわからない問題です。きちんと両国の防衛当局同士で話し合うことが基本です。徴用工問題や慰安婦問題で、日本政府が苛立っていますが、問題が大きくなってしまい、韓日の安保協力に大きなダメージを与えてしまいました。お互いに良くないです。両国政府は感情的にならず、冷静に問題解決にあたるべきです。こんなに問題を大きくして、誰が喜ぶのでしょうか。 Q:文在寅大統領は、日本に対して強硬な姿勢です。軟化することはあるのでしょうか。 A:韓国には「親日フレーム」があります。韓日関係を重要に思って、関係改善へ向けて発言することを難しくする雰囲気を作っています。その雰囲気をSNSで増幅するのです。そのため、なかなか声が出せません。今のような韓日関係が好ましくないと思っている人はたくさんいます。表に出ている声が韓国全体の考え方だと思ってはだめです。 いずれ国民感情は変わると思います。両国民の無知、誤解、偏見を無くすための緻密な努力が必要で、もっと国民交流と文化交流を強化すべきです。 いまの苦しい状況から早く抜け出すには、シャトル外交を復活して文在寅大統領と安倍総理が直接話し合うべきだと思います。何かあったら話し合う、その機会をつくることです。 お互いに気が進まないでしょう。それはお互いにそうです。しかし、地域の平和と安定、国のため、対話をして解決の糸口を探る努力をするべきです。 私は実は、未来志向という言葉は適切ではないと考えています。21世紀にふさわしい韓日関係を構築するといことが現実に適います。私は1977年に外交部に入りました。その時から韓日関係のコードワードだったのが「未来志向」です。40年経っても変わらないでいますね。それに未来志向というのは、過去をすべて忘れるというような印象をも与えています。そうではなくて、私は過去も現在も未来も、ともに考えることが大事で、それが韓日関係を進展させるために必要だと思います。 今、両国のリーダーたちはお互いを軽んじています。相互パッシングの状態です。韓国政府も日本政府も、自分にとってお互いが大切な存在であることを真剣に考えることが必要です』、「未来志向というのは、過去をすべて忘れるというような印象をも与えています。そうではなくて、私は過去も現在も未来も、ともに考えることが大事で、それが韓日関係を進展させるために必要だと思います」、それを一言のキャッチフレーズにした表現fがあれば、教えてもらいたいところだ。
次に、2月21日付けダイヤモンド・オンライン「韓国はなぜ「ちゃぶ台返し」を繰り返すのか?4つの“なぜ”を解明」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/194225
・『・・・いま、日韓関係が危機に瀕しています。2018年秋から元徴用工への賠償をめぐる裁判や慰安婦問題、レーダー照射問題などが次々と浮上し、政府間の感情的な対立にまで発展しています。なぜ、日韓関係はこれほどまでに悪化したのでしょうか。そこで、日韓関係において止めどなく出てくる「なぜ」を20に集約。ここではその中でも、日本国民が最も気になる疑問4つを解き明かします』、興味深そうだ。
・『【疑問1】なぜ一度合意したことを蒸し返すの? 韓国では、「正義があれば法律は変えるべきだという観念が強い」(申カク秀・元駐日大使、カクの文字は王へんに玉)。これが、韓国が平気でちゃぶ台返しをする最大の理由だ。 韓国の司法は元徴用工への補償について、1965年の日韓基本条約で解決しているにもかかわらず、日本企業に損害賠償を命じた。さらに2015年に「最終的かつ不可逆的」に解決した日韓慰安婦合意の見直しを行った。まさに合意をほごにするような行為だが、これは政権交代で「正義」が大きく変わったからだ。 現在の「正義」は、日韓基本条約や日韓慰安婦合意は、保守の朴正煕(パク・チョンヒ)政権と朴槿恵(パク・クネ)政権が、日本から謝罪や補償を十分に得られないまま結んだものだから、修正するべきだというもの。文在寅(ムン・ジェイン)政権は、それで日韓関係が悪くなったとしても、正義は優先されるべきものと捉えている。 ちなみに、ちゃぶ台返しは韓国だけがするわけではない。米国も政権交代で多くの国際的な枠組みや前提をひっくり返している』、確かに「ちゃぶ台返し」のなかでもトランプ大統領のは目に余る。
・『【疑問2】なぜ日本に対して感情的になるの? 韓国人は「物事を論理ではなくハートで考える傾向が強い」(武藤正敏・元在韓国特命全権大使)からだ。 とりわけ、日本との歴史については、常にハートで考え行動する。背景には日韓併合などで、民族としての誇りや尊厳、アイデンティティーを傷つけられたという歴史認識を持っていることがあるからだ。 こうした傷はお金による補償や国家間で合意した条約などでは決して癒やされることはないという考え方が前提にある。日本との歴史に関する問題は全て「心の問題」であるため、感情的になることが多いのだ』、だからといっても、韓国国会議長の「天皇陛下が謝ればよい」発言は、日韓関係に精通した人物からの発言であるだけに、日本人には理解し難いことだ。
・『【疑問3】日韓関係が悪化しているのに、なぜ多くの韓国人が日本へ旅行するの? 「韓国の人々が日本の社会、文化、食など良いところを認めているから」(武藤氏)だ。たとえ歴史認識で日本に対する猛烈な非難をしても、何から何まで日本のことが嫌いというわけではないのだ。 実際に日韓関係が悪化の一途をたどった2010年以降、訪日韓国人観光客は激増し、18年は750万人を突破。訪韓日本人観光客も230万人に達した。さらに韓国では村上春樹氏や東野圭吾氏の小説がベストセラーになった。情緒的に共通する部分もあるようだ』、多面的にみる必要がありそうだ。
・『【疑問4】なぜ韓国の大統領の末路は不幸なの? 韓国では大統領にあらゆる権限が集中しており、政治や行政、司法に大きな発言力を持つ。そのためそれに対する反発が常にあり、政権末期に不正疑惑として爆発するからだ。 李王朝時代には宰相が変わると、前宰相の親族(三族)を滅ぼすことが繰り返されてきた。そんな歴史も影響しているといわれる』、李王朝時代には「前宰相の親族(三族)を滅ぼすことが繰り返されてきた」、とは初めて知ったが、これで納得できた。
・『追及・逮捕は恒例行事 図の近年の大統領経験者は全員、後の政権に追及されている。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は親族にまで及んだ捜査を苦に自殺、世界に衝撃が走った。 キーワード(恨(ハン)(民族としての尊厳、アイデンティティーを歴史的に周辺の大国によって何度も踏みにじられてきたという、韓国人の根底にある強い恨みの気持ち。怨念というよりは、諦めや悲しみ、嘆きに似ているともいわれる。 日本に対して韓国人が恨の気持ちを持つきっかけは、1592年から98年にかけて豊臣秀吉が行った「文禄・慶長の役」、いわゆる「朝鮮出兵」。実に420年も前から、韓国人は日本に対して恨の気持ちを抱いているのだ。 今の韓国人にとっての日本に対する恨は、1910年から45年までの35年間、日本が韓国を併合し、統治した植民地支配だ。戸籍制度や教育制度を整備したが、韓国では圧倒的な国力の差で国民感情を押さえ付けられ、併合されたという認識が一般的だ。 韓国人の正義(法律や国際的な枠組み、常識よりもしばしば優先される概念。この法則を踏まえれば、文在寅政権の思考パターンの説明がつく。 現在の正義は、文政権が考える「正しい歴史」を確立することだ。その正義を実現するために、日本と韓国の両政府が国会で批准した日韓基本条約の内容が履行できなくなり、日韓関係が悪化しても仕方ないと考えている。今は日韓関係や国際的な枠組み、自国経済の成長よりも、とにかく正義が先だという状況だ。 「韓国はゴールポストを動かす」といわれるが、それはこの正義が時の政権や世論によって変わるからだ。従って日韓関係は、専門家の間では「必ず良くなる」という見方がある。それは今の正義がいずれ変わるからだ。もっとも、国際社会での韓国の評価は下げることになる』、しばらくは韓国の変化を静観して待つほかないのかも知れない。
第三に、東洋大学教授の薬師寺 克行氏が3月5日付け東洋経済オンラインに寄稿した「日韓はなぜ良好な関係を継続できないのか 韓国・文大統領「親日清算」発言の本当の意味」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/269059
・『植民地支配下の朝鮮で起きた広範囲の独立運動とされる「三・一運動」の記念日である3月1日。日韓関係がかつてないほど悪化していることもあって、韓国全土で反日ムードが高まり、大変なことになるのではないかと心配する向きもあったが、結果的には大きな混乱もなく終わった。 今年がちょうど100周年にあたることもあって、文在寅大統領は三・一運動記念日に向けて「親日清算」を繰り返し強調していた。そして、政府主催の記念式典での演説では、「親日残滓の清算はあまりにも長く先延ばしされた宿題だ」と強調していた。 この部分だけを聞くと、まるで日本が好きな韓国人全員を排除しようとしているかのように受け取れる。文大統領はここまで徹底した「反日」なのかと諦めたくもなる。しかし、文大統領の言う「親日」の言葉の意味は、日本人が受け止めている意味とはまったく異なっている』、同じ漢字を使っても意味が違うとは、ややこしい。
・『日韓で異なる「親日」の意味 文大統領は同じ演説で次のように説明している。 「親日残滓の清算とは、親日は反省すべき、独立運動は礼遇を受けるべきという最も単純な価値を立て直すことです」 これだけではまだわかりにくい。菅義偉官房長官が先月、記者の質問に答えて「親日清算」について説明しているので、それを紹介しよう。 「韓国の独立運動の歴史や独立運動家の記憶を強調する文脈で発言したと承知している。このような文脈の親日は、戦前や戦中に日本に協力した関係者を批判する用語であり、日本語でいう親日とは意味が異なるものだ」 これならわかりやすい。日本語の語感では一般的に「親日」と言えば日本を好きなことであり、「親日家」と言えば日本の観光地や食事などが好きで頻繁に来日する外国人を指している。ところが同じ漢字を使っても、文大統領の言葉の意味は、菅官房長官が説明したように、植民地支配時代に日本政府や日本軍に積極的に協力した韓国人を指しているのだ。その「清算」とは、そうした「親日」の人たちが戦後もぬくぬくと暮らしていることは許せないという意味なのだ。 2018年には韓国から約750万人が来日した。この中には観光目的の韓国人も多いだろう。そうした人たちに韓国政府が「親日は清算する」と言って圧力を加えるということは、冷静に考えればありえないことである。言葉の意味を誤解し、感情的に反発することだけは避けなければなるまい』、第二次大戦でドイツに占領されたフランスでも戦後、ドイツへの協力者狩りが行われたぐらいだから、占領期間がはるかに長い韓国でははるかに深刻なのだろう。
・『「親日」をめぐる韓国内の論争は文大統領が初めてではない。太平洋戦争終結後、韓国はアメリカの支配を経て1948年に独立した。李承晩、朴正煕、全斗煥大統領らの独裁国家、軍事国家が続き、民主化が実現したのは1987年だった。 この間、植民地支配時代に日本に協力した人たちが、日本の敗戦後も韓国政府の主要ポストを握り続けてきた。逆に植民地支配時代に独立運動に取り組んだ人たちは、韓国独立後、民主化運動に力を入れたことで弾圧の対象になったとされている』、韓国ではフランスとは全く事情が違うようだ。
・『「親日」めぐり韓国内で激しい論争 文大統領が言う「親日派反省すべき、独立運動は礼遇を受けるべき」と述べているのは、こうした韓国の歴史を踏まえての発言である。 この「親日」をめぐる韓国内の論争は激しい政治的対立に発展している。韓国の民主化は市民運動によって実現しており、それを担った人たちが政治的には「進歩派」と呼ばれるグループを形成し、金大中氏や盧武鉉氏という大統領を生み出した。特に2003年に就任した盧大統領が「親日清算」に積極的に取り組んだ。「日帝強占下の親日反民族行為真相究明特別法」を制定し、「親日派」人物の調査を開始した。調査対象は日韓併合条約を推進した官僚や将校、独立運動を取り締まった警察官や司法関係者、さらにはマスコミ関係者らも含まれた。 韓国の「親日清算」の動きは徹底している。2005年には植民地化や植民地統治に協力した人たちの子孫の所有する土地や財産を没収するための「親日反民族行為者財産の国家帰属特別法」までも制定した。その結果、盧政権時代に約170人が没収対象の「親日」とされ、子孫の所有する土地などが政府に没収された』、アメリカも韓国統治に当たって、韓国内で力を持っていた「親日派」を大いに活用、その後、彼らが政府や実業界の中核となっていったという歴史を踏まえれば、親日清算を余りやると、経済や政界に大混乱を招くリスクがあろう。「没収対象の「親日」とされ」たのは「約170人」と、意外に少ないのは、こうしたリスクから手心を加えたためだったのかも知れない。
・『何もここまでやることはなかろうと思うのだが、韓国の国内政治の対立は日本よりはるかに激しいものがある。盧大統領の次に大統領に当選した保守派の李明博氏は、盧大統領が進めてきた「親日清算」関連の作業をすべてストップさせた。そればかりか、保守系の民間団体は「親日清算」に対抗して「親北人名辞典」を刊行するという徹底ぶりである。 こうしてみると「親日」論争は韓国内の政治問題にすぎないともいえるが、韓国史に日本が深く関与していることから、日本がまったく無関係とはいえない複雑さがある。 進歩派からすると、保守派政権時代の政治的資産は、それが内政問題であろうが外交的成果であろうが、ことごとく否定の対象になってしまう。むろん、その逆もありうる。従って保守派の代表的政治家である朴正煕大統領が実現した日韓国交正常化とそれに伴う日韓基本条約などは、進歩派にとってはその後の韓国経済の著しい成長などの成果にかかわらず、否定すべき対象になってしまう。同じく朴大統領の娘である朴槿恵大統領時代の従軍慰安婦についての日韓合意も、同じ理由で否定されるべきものになる』、隣国である以上、こんな韓国の保守派と進歩派の対立に巻き込まれざるを得ないのは、宿命とはいえ、たらい立場だ。
・『国内政治対立が外交の継続性を阻害 その結果、日韓関係については過去に締結された条約、あるいは政府間の合意などが保守派と進歩派の間の政権交代によってきちんと継承されず、後続の政権によって否定されたり正反対の評価を受けることがしばしば起きる。日韓両国が良好な関係を継続的に維持できない大きな理由の1つがここにあるといえるだろう。 社会保障政策や教育政策などの国内政策はそれぞれの国が自己完結的に決めて実施することが可能だ。しかし、外交はそうはいかない。2国間関係であれば相手国と、多国間関係であれば関係国のすべてと信頼関係を作り、交渉の末に合意した条約などをきちんと守る。それが現代の国際社会におけるルールである。仮に過去の合意に問題があるなら、一方的に無視したり切り捨てるのではなく、改めて外交交渉を行わなければならない。こうした基本原則が守られなければ外交関係は成り立たない。 しかし、日韓関係においては、元徴用工問題や元慰安婦問題への対応などに表れているように、韓国国内の保守派と進歩派の対立が、そのまま外交関係に一方的に持ち込まれ、韓国側の論理だけで外交的資産が破棄されたり無視されるという事態が起きている。これは外交としてはあまり利口なやり方ではない。 幸い3月1日の演説で文大統領は、「今になって過去の傷をほじくり返して分裂を引き起こしたり、隣国との外交で軋轢要因を作ったりしようとするものではありません」と述べている。文大統領にしては珍しく日韓関係に配慮した発言だ。 直前にベトナムで行われた米朝首脳会談が決裂したことで、最も力を入れている北朝鮮との融和促進や経済協力にブレーキがかかりそうになってきた。その状況の変化を踏まえての発言であろう。文大統領が南北関係改善のために日本に協力を求めようという方向に多少なりとも舵を切ろうとしているのであれば、これは大いに歓迎すべき発言である』、文大統領が本当に方針転換したのであれば、誠に喜ばしい限りだが、もうしばらく様子見も必要だろう。
先ずは、2月20日付けダイヤモンド・オンライン「韓国の元駐日大使に聞く、徴用工・慰安婦・レーザー照射問題の背景」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、」Aは申カク秀氏の回答)。
https://diamond.jp/articles/-/194564
・『いま、日韓関係が危機に瀕しています。2018年秋から元徴用工への賠償をめぐる裁判や慰安婦問題、レーダー照射問題などが次々と浮上し、政府間の感情的な対立に発展したことにより、国民の間でも韓国に対してかつてないほどの疑問や不信感が渦巻いています。その背景を元駐日韓国大使の申カク秀氏(カクの文字は王へんに玉)に聞きました』、現在は知日派の韓国人の多くが口を閉ざしているなかで、貴重なインタビュー記事だ。
・『関係悪化が構造的に定着 両国ともに国内政治を優先 Q:日韓関係の現状をどう見ていますか。 A:韓日関係の基本である1965年日韓基本条約から、今年で54年になります。これまでも韓日間にはいろいろな問題があり、両国関係は危機になったこともありました。今回の関係悪化は、非常に長く、もっとも厳しい危機ではないかと思います。 70年代、金大中拉致事件や文世光による朴正煕大統領夫人の暗殺事件など、韓日関係を危機的な状況にする事件がありました。当時は国交断絶という話まで出ていました。しかし、1年ほど経つと冷静さを取り戻しました。 でも、今回の危機は長引いています。2012年に入ってから関係が悪くなり、改善したのは15年の韓日合意のとき。その後は小康状態でした。それが16年末からまた悪くなり、それが今まで続いています。 この悪化は文在寅政権だけが招いたことではありません。朴槿恵政権のときも、そんなに良くなかった。今は、関係が悪い状態が長引くにつれて、両国はより感情的になっていて、お互いにそれを増幅してしまっている。構造的に、関係悪化が定着することになっています』、長年日韓関係を見つめてきた申カク秀氏が「今回の関係悪化は、非常に長く、もっとも厳しい危機ではないか」、というからには本当に深刻なようだ。
・『その背景には、いろいろな要因があります。まず、両国ともに戦後生まれの世代に変わって、両国の過去史に対する認識の差が出ています。韓国側から見ると、日本は安倍政権になってから保守右傾化、歴史修正主義が顕著になっています。 また、中国の経済成長によって東アジアの地域の勢力転換が起きています。朴槿恵政権時代、韓国は中国に熱心に接近しました。その反面、韓日関係は悪くなり、日本では韓国の中国傾斜論が広がっています。それは歪んだ見解だと思いますが…。 さらに、韓日の経済格差も縮まっています。日本とは対等とはいわないまでも、購買力平価で一人あたりの所得はほぼ同じです。 両国のリーダーシップにも問題があります。双方とも、相手の国がいかに重要な存在であるかという認識が欠けています。だから、国内政治を優先してしまいます。韓国でも日本でも同じです。 こうした問題がすべて絡まって、両国関係を一種の“多重複合骨折状態”にしています。韓日関係において感情的になってしまう悪循環から、両国ともに抜け出せません。 昨年は徴用工問題、韓日合意に基づいて設立された「和解・治癒財団」の解散、旭日旗を巡って日本の海上自衛隊が韓国での国際観覧式への参加見合わせなど、さまざまな問題が重なりました。今も尾を引いています』、「両国のリーダーシップにも問題があります。双方とも、相手の国がいかに重要な存在であるかという認識が欠けています。だから、国内政治を優先してしまいます」、というのはその通りだろう。購買力平価でみた一人あたりの所得は、2017年で190か国中、日本30位の42942ドル、韓国32位の39548ドルと確かに僅差のようだ(世界経済のネタ帳、下記リンク参照)日本がここまで伸び悩んでいるとはショックだ。「両国関係を一種の“多重複合骨折状態”に」というのは言い得て妙だ。
https://ecodb.net/ranking/imf_ppppc.html
・『韓日間にある法と正義の観念の違い Q:韓国は65年の日韓基本条約で合意し、これまで歴代韓国政権が問題視してこなかった徴用工の件と、15年の日韓合意で合意した慰安婦の件を取り上げ、日韓の関係が悪化する要因となりました。日本では「なぜ一度合意したことを韓国は持ち出すのか」という疑問が渦巻いています。 A:それは確かにあると思います。この問題を理解するときに、韓日で、法と正義の観念の違いがあることを理解しなければなりません。韓国では「正義があれば、法律は変えるべきだ」という観念が強いのです。これまでも、民主化されてから正義のために過去の司法判決を覆すことはありました。これは日本では滅多に考えられないのではないでしょうか。 12年の三菱徴用工大法院第1部判決の根底には、この正義と法の関連性があるのです。65年に日韓基本条約を結んだのですが、判決は日本の植民地支配がそもそも不法だったから、それが原因で行われた強制労働の被害者への慰謝料については、請求権を取り扱った65年の請求権協定では解決していないという判断です。その延長で18年10月の大法院判決が出ました。 基本条約の2条には、日本の植民地支配については「already null and void」(もはや無効)と記されています。日本は65年の条約締結時から無効であるという解釈で、要するに「取り消し」という考え方です。それに対して韓国は、植民地支配が始まった当時から無効であるという解釈をしています。要するに、妥協のため玉虫色の解決をしていたので、これをずっと維持してきました。65年当時の韓国と日本は大きな意見差がありました。 今回の問題は、こうした韓日での解釈の違いが表に出たのです。先ほど申し上げた韓日での法律と正義という問題もあって、これだけ大きな問題となってしまいました。 ですから、これは文在寅政権が引き起こした問題ということではないのです。 12年の判決ができたとき、政権は動きが取りにくくなりました。政府がそれまでの立場を守ろうとすると、司法の判断に従わないということで、韓国の憲法に反する。一方で、司法の判断に従えば、日本との外交紛争に発展する。板挟みになってしまいました』、「韓国では「正義があれば、法律は変えるべきだ」という観念が強い」、というのは民主化革命を経てきた事情背景にあるのだろう。「基本条約の2条」について、「日本は65年の条約締結時から無効であるという解釈で、要するに「取り消し」という考え方です。それに対して韓国は、植民地支配が始まった当時から無効であるという解釈をしています」、というのは確かに折り合い難い解釈の違いだ。
・『Q:法と正義の観念の違いについて、そうした韓国の考え方を外交に持ち込めば、国と国との約束が守られないという事態を招くことになるのではないでしょうか。 A:それは韓国政府も認識していると思います。ただ、事実として、韓国政府は動きにくい状態にあります。 私はこれまでの既存の政府の立場と、司法の判断と矛盾しない解決策として、韓国政府、韓国企業、日本企業の3者による基金をつくり、徴用工問題に対処するということを提案しています。これは法律による解決ではないですが、この案が合意出来れば解決に向かうのではないかと考えています』、これは余りにも韓国側に寄り添い過ぎた提案だ。
・『Q:日本側は65年の日韓基本条約で合意したという立場です。 A:日本政府は5億ドルを支払ったから、この3社からは除いています。 中国強制労働被害者への戦後補償について、日本企業は基金を設立して和解のために努力していました。日本政府は中国にODAを通して、賠償金よりも遥かに大きな資金を拠出しています。 ドイツでは強制労働の問題について戦後、100億マルクを政府と企業が拠出して解決しました。戦後賠償について企業が資金を拠出することは先例があるのです』、ドイツでは業が資金を拠出したとはいえ、日本は政府が5億ドルを支払って「解決」したと思い込んでいたのも事実である。「日韓基本条約で合意」の意味をはっきりさせなかった点では、日本側にも落ち度がありそうだ。
・『私は、これは姿勢の問題だと思っています。これ以上、韓日関係を悪くしてはいけない。両国政府はお互いが置かれている立場を理解して、妥協的に解決するという心構えをもっていれば、解決できると思います。それに韓日両政府は、今、東アジアの大きな激流のなかにいるということを理解するべきです。北朝鮮も核保有国に近づいているし、中国もますます大きくなっていくでしょう。東アジアの平和と安定のために、韓日両政府は大局的な視点を持つことが大事です。 韓国と日本は、OECD加盟国で同じ土台で話ができる国同士なのです。お互いが感情的になっている暇はありません。これ以上韓日関係を悪化させれば、もっと大きな国益を損なうことを肝に命じるべきです。 Q:大法院の金命洙長官は、徴用工問題について個人賠償権は消滅していないという考えの持ち主で、弁護士として徴用工問題に取り組んでいた文在寅大統領と考え方が近い人物だと言われており、実際に2017年、文在寅大統領が任命しました。この問題を浮上させたのは文在寅大統領だという指摘もあります。 A:それは言いすぎです。もちろん、金命洙院長は地方法院の院長を務め、韓国の司法部の中でも、進歩的な考え方をする研究会の座長でした。文在寅大統領は、徴用工問題に確かに最初取り組んでいましたが、個人的な縁はないと思います。今度の判決は合議体が下したものですから、大法院の人事が判決に影響を与えているとは思えません』、それまで大法院が審議を遅らせていたのを、金命洙院長になって審議を早めたのも事実で、「大法院の人事が判決に影響を与えているとは思えません」というのは言い過ぎだ。
・『南北融和は分断国家として当然の外交目標である Q:今の文在寅政権は日本や米国との関係悪化を厭わず、政策を進めているように見えます。先日も北朝鮮に対する制裁について、韓国が違反しているのではないかという報道がありました。外交専門家の間では、このままでは文在寅政権は国際社会で孤立するのではないかと憂慮する声もあります。 A:文在寅政権は発足以来、南北間の和解をするために、ずっと北朝鮮の門を叩き続けていました。ただ、17年は北朝鮮は核実験やミサイル発射実験など挑発を続けていましたので、なかなか進まなかった。ところが、18年になって急に門が開いた。平昌オリンピックをきっかけに南北と米朝がそれぞれ接近し、3回目の南北首脳会談が開かれ、6月には米朝首脳会談が行われました。 文在寅政権の基本的な姿勢は、南北関係を改善し、それによって核問題の解決と米朝関係の改善につなげるというものです。ただ、問題は文在寅大統領は少し気が早くて、アメリカと接近法において差が出ました。文在寅大統領は制裁の一部を緩和して、南北関係を良くし、米朝が協議する環境を整えようという考え方です。 一方で、アメリカは非核化が出来るまで制裁を維持するつもりです。その意見の食い違いを調整するために韓米のワーキンググループを発足させました。 Q:北朝鮮の核開発は続けられていると見られています。国際社会は今、北朝鮮に対して非常に厳しい目を向けています。今の文在寅政権の対北朝鮮政策が国際社会と歩調が合っていないのは、地域の平和にとってマイナスなのではないでしょうか。 A:南北融和を目指すこと自体は、分断国家として当然の外交目標です。その方針自体が間違っているというわけではありません。 ただ核武装が実際に近づいているということをよく理解して、南北融和よりも核問題の解決が優先されるべきだということです。韓国は今、ちょっと急いでしまっています。このままでは、北朝鮮の思惑通りになってしまうということを心配しています。 非核化には米国と日本との協力は欠かせません。韓国は日本との関係がいかに大切であるかということを、よく考えるべきだと思います。そして日本も、韓国が大事な存在だということを考えるべきです』、これについては概ね異論はない。
・『両国とも元慰安婦の方々への心配りが足りなかった Q:2015年の日韓合意は、慰安婦問題を最終的に解決したとして、今後の日韓関係の基礎になるものだと評価する声もありました。しかし、韓国政府は合意には重大な問題があるとして検証を進め、「和解・癒やし財団」は解散されてしまいました。 A:外交交渉にはつねに妥協がつきものです。お互いに満足できないところは常にあります。 韓日合意の問題は、合意を発表してからの両国の努力不足にあります。韓国政府も日本政府も、国民に対してこの合意がどのようなものなのか、どのような意味があるのか、説得して理解してもらわなければなりません。そういう努力が、両国政府に欠けていました。それを看過してきた結果です。 慰安婦の問題は、心の問題です。どのようにして元慰安婦の方々の心を癒やすか。両国ともにそれについての心配りが足りなかった。行動も足りなかった。例えば、韓国政府については、当時の朴槿恵大統領や外交部長官が元慰安婦の方を食事にでも招いて、政府として合意の意味を伝えて、十分に元慰安婦の方の願いは反映できていないかもしれないが、足りない部分は韓国政府としてもこれからも努力していくということを伝えるべきでした。それをやれば、だいぶ違った結果になっていたでしょう。 一方で、日本政府も対応がまずかった。安倍総理は、最終的に解決したからこれからは謝罪はない、という趣旨のことを言った。これは絶対にやってはいけない対応でした。合意した途端に、すぐにその合意と違う発言をしたんです。これからも謝罪の精神にのっとって、努力していくと言えばよかった。 両政府は過去史に立場が大きく違います。その違いをどういうふうに歩み寄り、国民にどのように納得させるか。お互いに両政府は、国民を納得させるために助け合わないといけません。その姿勢がありませんでした。 私が強調したいのは、お互いが謙虚に、協力して、未来のためにやっていくということです。日本は過去に対して謙虚に、韓国は未来に対して謙虚に、そういう気持ちが必要です。それで和解にもっていく。韓国もすべてが正しいわけではありません。良いことばかりやっているわけではありません。大事なのは解決のためにお互いが協力することです』、「安倍総理は、最終的に解決したからこれからは謝罪はない、という趣旨のことを言った」のは、確かにまずかった。
・『Q:今後はこの問題について、解決に向けてどのように進めばよいのでしょうか。 A:私は財団の解散には反対でした。しかし、解散してしまった。韓国政府は残された57億ウォンを、合意の精神に合う形で、どのように使っていくのか。日本政府と協力して具体的な案を韓国側がつくっていくことが重要です。それがなければ、進展しません。 Q:韓国では、物事を論理ではなくハートで考えるという指摘があります。 A:確かに、韓国人は日本人よりも、相対的にそういう傾向があるかもしれません。ですが、過去史以外に韓日関係にあるさまざまな問題について、そういう傾向はあまりありません。 過去史の問題は、心の問題です。アイデンティティの問題ですので、ハートで考えることになりがちなのです。でも一般的なこととは違います。 今年も750万人以上の韓国人が日本を訪れています。これは日本の良いところを認めているからです。ハートで判断するということは確かにあると思いますが、全てではないです』、なるほど。
・『表に出ている声だけが韓国全体の日本に対する考え方ではない Q:レーダー照射問題についてはどうお考えでしょうか。 A:この問題は非常に軍事的な問題で、専門家でなければわからない問題です。きちんと両国の防衛当局同士で話し合うことが基本です。徴用工問題や慰安婦問題で、日本政府が苛立っていますが、問題が大きくなってしまい、韓日の安保協力に大きなダメージを与えてしまいました。お互いに良くないです。両国政府は感情的にならず、冷静に問題解決にあたるべきです。こんなに問題を大きくして、誰が喜ぶのでしょうか。 Q:文在寅大統領は、日本に対して強硬な姿勢です。軟化することはあるのでしょうか。 A:韓国には「親日フレーム」があります。韓日関係を重要に思って、関係改善へ向けて発言することを難しくする雰囲気を作っています。その雰囲気をSNSで増幅するのです。そのため、なかなか声が出せません。今のような韓日関係が好ましくないと思っている人はたくさんいます。表に出ている声が韓国全体の考え方だと思ってはだめです。 いずれ国民感情は変わると思います。両国民の無知、誤解、偏見を無くすための緻密な努力が必要で、もっと国民交流と文化交流を強化すべきです。 いまの苦しい状況から早く抜け出すには、シャトル外交を復活して文在寅大統領と安倍総理が直接話し合うべきだと思います。何かあったら話し合う、その機会をつくることです。 お互いに気が進まないでしょう。それはお互いにそうです。しかし、地域の平和と安定、国のため、対話をして解決の糸口を探る努力をするべきです。 私は実は、未来志向という言葉は適切ではないと考えています。21世紀にふさわしい韓日関係を構築するといことが現実に適います。私は1977年に外交部に入りました。その時から韓日関係のコードワードだったのが「未来志向」です。40年経っても変わらないでいますね。それに未来志向というのは、過去をすべて忘れるというような印象をも与えています。そうではなくて、私は過去も現在も未来も、ともに考えることが大事で、それが韓日関係を進展させるために必要だと思います。 今、両国のリーダーたちはお互いを軽んじています。相互パッシングの状態です。韓国政府も日本政府も、自分にとってお互いが大切な存在であることを真剣に考えることが必要です』、「未来志向というのは、過去をすべて忘れるというような印象をも与えています。そうではなくて、私は過去も現在も未来も、ともに考えることが大事で、それが韓日関係を進展させるために必要だと思います」、それを一言のキャッチフレーズにした表現fがあれば、教えてもらいたいところだ。
次に、2月21日付けダイヤモンド・オンライン「韓国はなぜ「ちゃぶ台返し」を繰り返すのか?4つの“なぜ”を解明」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/194225
・『・・・いま、日韓関係が危機に瀕しています。2018年秋から元徴用工への賠償をめぐる裁判や慰安婦問題、レーダー照射問題などが次々と浮上し、政府間の感情的な対立にまで発展しています。なぜ、日韓関係はこれほどまでに悪化したのでしょうか。そこで、日韓関係において止めどなく出てくる「なぜ」を20に集約。ここではその中でも、日本国民が最も気になる疑問4つを解き明かします』、興味深そうだ。
・『【疑問1】なぜ一度合意したことを蒸し返すの? 韓国では、「正義があれば法律は変えるべきだという観念が強い」(申カク秀・元駐日大使、カクの文字は王へんに玉)。これが、韓国が平気でちゃぶ台返しをする最大の理由だ。 韓国の司法は元徴用工への補償について、1965年の日韓基本条約で解決しているにもかかわらず、日本企業に損害賠償を命じた。さらに2015年に「最終的かつ不可逆的」に解決した日韓慰安婦合意の見直しを行った。まさに合意をほごにするような行為だが、これは政権交代で「正義」が大きく変わったからだ。 現在の「正義」は、日韓基本条約や日韓慰安婦合意は、保守の朴正煕(パク・チョンヒ)政権と朴槿恵(パク・クネ)政権が、日本から謝罪や補償を十分に得られないまま結んだものだから、修正するべきだというもの。文在寅(ムン・ジェイン)政権は、それで日韓関係が悪くなったとしても、正義は優先されるべきものと捉えている。 ちなみに、ちゃぶ台返しは韓国だけがするわけではない。米国も政権交代で多くの国際的な枠組みや前提をひっくり返している』、確かに「ちゃぶ台返し」のなかでもトランプ大統領のは目に余る。
・『【疑問2】なぜ日本に対して感情的になるの? 韓国人は「物事を論理ではなくハートで考える傾向が強い」(武藤正敏・元在韓国特命全権大使)からだ。 とりわけ、日本との歴史については、常にハートで考え行動する。背景には日韓併合などで、民族としての誇りや尊厳、アイデンティティーを傷つけられたという歴史認識を持っていることがあるからだ。 こうした傷はお金による補償や国家間で合意した条約などでは決して癒やされることはないという考え方が前提にある。日本との歴史に関する問題は全て「心の問題」であるため、感情的になることが多いのだ』、だからといっても、韓国国会議長の「天皇陛下が謝ればよい」発言は、日韓関係に精通した人物からの発言であるだけに、日本人には理解し難いことだ。
・『【疑問3】日韓関係が悪化しているのに、なぜ多くの韓国人が日本へ旅行するの? 「韓国の人々が日本の社会、文化、食など良いところを認めているから」(武藤氏)だ。たとえ歴史認識で日本に対する猛烈な非難をしても、何から何まで日本のことが嫌いというわけではないのだ。 実際に日韓関係が悪化の一途をたどった2010年以降、訪日韓国人観光客は激増し、18年は750万人を突破。訪韓日本人観光客も230万人に達した。さらに韓国では村上春樹氏や東野圭吾氏の小説がベストセラーになった。情緒的に共通する部分もあるようだ』、多面的にみる必要がありそうだ。
・『【疑問4】なぜ韓国の大統領の末路は不幸なの? 韓国では大統領にあらゆる権限が集中しており、政治や行政、司法に大きな発言力を持つ。そのためそれに対する反発が常にあり、政権末期に不正疑惑として爆発するからだ。 李王朝時代には宰相が変わると、前宰相の親族(三族)を滅ぼすことが繰り返されてきた。そんな歴史も影響しているといわれる』、李王朝時代には「前宰相の親族(三族)を滅ぼすことが繰り返されてきた」、とは初めて知ったが、これで納得できた。
・『追及・逮捕は恒例行事 図の近年の大統領経験者は全員、後の政権に追及されている。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は親族にまで及んだ捜査を苦に自殺、世界に衝撃が走った。 キーワード(恨(ハン)(民族としての尊厳、アイデンティティーを歴史的に周辺の大国によって何度も踏みにじられてきたという、韓国人の根底にある強い恨みの気持ち。怨念というよりは、諦めや悲しみ、嘆きに似ているともいわれる。 日本に対して韓国人が恨の気持ちを持つきっかけは、1592年から98年にかけて豊臣秀吉が行った「文禄・慶長の役」、いわゆる「朝鮮出兵」。実に420年も前から、韓国人は日本に対して恨の気持ちを抱いているのだ。 今の韓国人にとっての日本に対する恨は、1910年から45年までの35年間、日本が韓国を併合し、統治した植民地支配だ。戸籍制度や教育制度を整備したが、韓国では圧倒的な国力の差で国民感情を押さえ付けられ、併合されたという認識が一般的だ。 韓国人の正義(法律や国際的な枠組み、常識よりもしばしば優先される概念。この法則を踏まえれば、文在寅政権の思考パターンの説明がつく。 現在の正義は、文政権が考える「正しい歴史」を確立することだ。その正義を実現するために、日本と韓国の両政府が国会で批准した日韓基本条約の内容が履行できなくなり、日韓関係が悪化しても仕方ないと考えている。今は日韓関係や国際的な枠組み、自国経済の成長よりも、とにかく正義が先だという状況だ。 「韓国はゴールポストを動かす」といわれるが、それはこの正義が時の政権や世論によって変わるからだ。従って日韓関係は、専門家の間では「必ず良くなる」という見方がある。それは今の正義がいずれ変わるからだ。もっとも、国際社会での韓国の評価は下げることになる』、しばらくは韓国の変化を静観して待つほかないのかも知れない。
第三に、東洋大学教授の薬師寺 克行氏が3月5日付け東洋経済オンラインに寄稿した「日韓はなぜ良好な関係を継続できないのか 韓国・文大統領「親日清算」発言の本当の意味」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/269059
・『植民地支配下の朝鮮で起きた広範囲の独立運動とされる「三・一運動」の記念日である3月1日。日韓関係がかつてないほど悪化していることもあって、韓国全土で反日ムードが高まり、大変なことになるのではないかと心配する向きもあったが、結果的には大きな混乱もなく終わった。 今年がちょうど100周年にあたることもあって、文在寅大統領は三・一運動記念日に向けて「親日清算」を繰り返し強調していた。そして、政府主催の記念式典での演説では、「親日残滓の清算はあまりにも長く先延ばしされた宿題だ」と強調していた。 この部分だけを聞くと、まるで日本が好きな韓国人全員を排除しようとしているかのように受け取れる。文大統領はここまで徹底した「反日」なのかと諦めたくもなる。しかし、文大統領の言う「親日」の言葉の意味は、日本人が受け止めている意味とはまったく異なっている』、同じ漢字を使っても意味が違うとは、ややこしい。
・『日韓で異なる「親日」の意味 文大統領は同じ演説で次のように説明している。 「親日残滓の清算とは、親日は反省すべき、独立運動は礼遇を受けるべきという最も単純な価値を立て直すことです」 これだけではまだわかりにくい。菅義偉官房長官が先月、記者の質問に答えて「親日清算」について説明しているので、それを紹介しよう。 「韓国の独立運動の歴史や独立運動家の記憶を強調する文脈で発言したと承知している。このような文脈の親日は、戦前や戦中に日本に協力した関係者を批判する用語であり、日本語でいう親日とは意味が異なるものだ」 これならわかりやすい。日本語の語感では一般的に「親日」と言えば日本を好きなことであり、「親日家」と言えば日本の観光地や食事などが好きで頻繁に来日する外国人を指している。ところが同じ漢字を使っても、文大統領の言葉の意味は、菅官房長官が説明したように、植民地支配時代に日本政府や日本軍に積極的に協力した韓国人を指しているのだ。その「清算」とは、そうした「親日」の人たちが戦後もぬくぬくと暮らしていることは許せないという意味なのだ。 2018年には韓国から約750万人が来日した。この中には観光目的の韓国人も多いだろう。そうした人たちに韓国政府が「親日は清算する」と言って圧力を加えるということは、冷静に考えればありえないことである。言葉の意味を誤解し、感情的に反発することだけは避けなければなるまい』、第二次大戦でドイツに占領されたフランスでも戦後、ドイツへの協力者狩りが行われたぐらいだから、占領期間がはるかに長い韓国でははるかに深刻なのだろう。
・『「親日」をめぐる韓国内の論争は文大統領が初めてではない。太平洋戦争終結後、韓国はアメリカの支配を経て1948年に独立した。李承晩、朴正煕、全斗煥大統領らの独裁国家、軍事国家が続き、民主化が実現したのは1987年だった。 この間、植民地支配時代に日本に協力した人たちが、日本の敗戦後も韓国政府の主要ポストを握り続けてきた。逆に植民地支配時代に独立運動に取り組んだ人たちは、韓国独立後、民主化運動に力を入れたことで弾圧の対象になったとされている』、韓国ではフランスとは全く事情が違うようだ。
・『「親日」めぐり韓国内で激しい論争 文大統領が言う「親日派反省すべき、独立運動は礼遇を受けるべき」と述べているのは、こうした韓国の歴史を踏まえての発言である。 この「親日」をめぐる韓国内の論争は激しい政治的対立に発展している。韓国の民主化は市民運動によって実現しており、それを担った人たちが政治的には「進歩派」と呼ばれるグループを形成し、金大中氏や盧武鉉氏という大統領を生み出した。特に2003年に就任した盧大統領が「親日清算」に積極的に取り組んだ。「日帝強占下の親日反民族行為真相究明特別法」を制定し、「親日派」人物の調査を開始した。調査対象は日韓併合条約を推進した官僚や将校、独立運動を取り締まった警察官や司法関係者、さらにはマスコミ関係者らも含まれた。 韓国の「親日清算」の動きは徹底している。2005年には植民地化や植民地統治に協力した人たちの子孫の所有する土地や財産を没収するための「親日反民族行為者財産の国家帰属特別法」までも制定した。その結果、盧政権時代に約170人が没収対象の「親日」とされ、子孫の所有する土地などが政府に没収された』、アメリカも韓国統治に当たって、韓国内で力を持っていた「親日派」を大いに活用、その後、彼らが政府や実業界の中核となっていったという歴史を踏まえれば、親日清算を余りやると、経済や政界に大混乱を招くリスクがあろう。「没収対象の「親日」とされ」たのは「約170人」と、意外に少ないのは、こうしたリスクから手心を加えたためだったのかも知れない。
・『何もここまでやることはなかろうと思うのだが、韓国の国内政治の対立は日本よりはるかに激しいものがある。盧大統領の次に大統領に当選した保守派の李明博氏は、盧大統領が進めてきた「親日清算」関連の作業をすべてストップさせた。そればかりか、保守系の民間団体は「親日清算」に対抗して「親北人名辞典」を刊行するという徹底ぶりである。 こうしてみると「親日」論争は韓国内の政治問題にすぎないともいえるが、韓国史に日本が深く関与していることから、日本がまったく無関係とはいえない複雑さがある。 進歩派からすると、保守派政権時代の政治的資産は、それが内政問題であろうが外交的成果であろうが、ことごとく否定の対象になってしまう。むろん、その逆もありうる。従って保守派の代表的政治家である朴正煕大統領が実現した日韓国交正常化とそれに伴う日韓基本条約などは、進歩派にとってはその後の韓国経済の著しい成長などの成果にかかわらず、否定すべき対象になってしまう。同じく朴大統領の娘である朴槿恵大統領時代の従軍慰安婦についての日韓合意も、同じ理由で否定されるべきものになる』、隣国である以上、こんな韓国の保守派と進歩派の対立に巻き込まれざるを得ないのは、宿命とはいえ、たらい立場だ。
・『国内政治対立が外交の継続性を阻害 その結果、日韓関係については過去に締結された条約、あるいは政府間の合意などが保守派と進歩派の間の政権交代によってきちんと継承されず、後続の政権によって否定されたり正反対の評価を受けることがしばしば起きる。日韓両国が良好な関係を継続的に維持できない大きな理由の1つがここにあるといえるだろう。 社会保障政策や教育政策などの国内政策はそれぞれの国が自己完結的に決めて実施することが可能だ。しかし、外交はそうはいかない。2国間関係であれば相手国と、多国間関係であれば関係国のすべてと信頼関係を作り、交渉の末に合意した条約などをきちんと守る。それが現代の国際社会におけるルールである。仮に過去の合意に問題があるなら、一方的に無視したり切り捨てるのではなく、改めて外交交渉を行わなければならない。こうした基本原則が守られなければ外交関係は成り立たない。 しかし、日韓関係においては、元徴用工問題や元慰安婦問題への対応などに表れているように、韓国国内の保守派と進歩派の対立が、そのまま外交関係に一方的に持ち込まれ、韓国側の論理だけで外交的資産が破棄されたり無視されるという事態が起きている。これは外交としてはあまり利口なやり方ではない。 幸い3月1日の演説で文大統領は、「今になって過去の傷をほじくり返して分裂を引き起こしたり、隣国との外交で軋轢要因を作ったりしようとするものではありません」と述べている。文大統領にしては珍しく日韓関係に配慮した発言だ。 直前にベトナムで行われた米朝首脳会談が決裂したことで、最も力を入れている北朝鮮との融和促進や経済協力にブレーキがかかりそうになってきた。その状況の変化を踏まえての発言であろう。文大統領が南北関係改善のために日本に協力を求めようという方向に多少なりとも舵を切ろうとしているのであれば、これは大いに歓迎すべき発言である』、文大統領が本当に方針転換したのであれば、誠に喜ばしい限りだが、もうしばらく様子見も必要だろう。
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沖縄問題(その10)(「越境する勇気を描く」『宝島』で直木賞 真藤順丈の沖縄への思い 社会派青春小説はこうして生まれた、沖縄県民投票は反対7割 補選・参院選への影響に注目、住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある) [国内政治]
昨日に続いて、沖縄問題(その10)(「越境する勇気を描く」『宝島』で直木賞 真藤順丈の沖縄への思い 社会派青春小説はこうして生まれた、沖縄県民投票は反対7割 補選・参院選への影響に注目、住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある)を取上げよう。
先ずは、ノンフィクションライターの石戸 諭氏が1月25日付け現代ビジネスに掲載した「「越境する勇気を描く」『宝島』で直木賞、真藤順丈の沖縄への思い 社会派青春小説はこうして生まれた」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59516
・『第160回直木賞に決まった真藤順丈『宝島』――。舞台は1952年から1972年、沖縄戦直後に始まる米軍統治時代から日本復帰まで激動の沖縄だ。真藤は主人公たちの成長という大きな主題に、「予定にない戦果」という物語を貫く大きな謎、ある人物の正体といった伏線を複雑な歴史と重ね合わせ、極上のエンターテイメント小説に仕上げた。 真藤自身は1977年、東京生まれであり、沖縄にルーツもなければ、深い縁もない。現代につながる沖縄の歴史を語る上ではまったくの「第三者」である。それなのに、なぜ沖縄を舞台にしたのか。描くときに抱えた葛藤とはなにか』、興味深そうだ。
・『「戦果アギヤー」との決定的な出会い 《(この作品を書き続けられるか否かで)ずっと足踏みしていた自分がいたのですが、ルーツがないということを理由に、断絶や境界を越えていく構えをとらないというのは、これまでの戦後史のなかで島の外の人間が沖縄に向けてきた無理解や無関心、腫れ物に触るような及び腰の態度と変わらないと考えました。 僕は小説家であり、これまでの作品で書いてきた青春小説、冒険小説、成長小説、ミステリといったあらゆるアプローチの総力戦で、全身全霊を投じて「戦果アギヤー」の物語を仕上げる。それしかないのではないかと。》 受賞発表翌日(1月17日)である。朝からインタビュー、対談をこなし、さらに夜の会食まで。直木賞作家の予定はびっしりと埋まっていた。発表が決まった日の晩は「興奮で寝付けなかった」という。 構想7年、執筆に3年をかけて「今、自分が持っているものを全て注ぎ込んだ」原稿用紙960枚の大作である。ネタバレにならない程度にあらすじを紹介しておこう』、「構想7年、執筆に3年」とは「大作」にふさわしい力の入れようだが、「第三者」でありながら、よくぞ根気が続いたものと心底感心させられた。
・『「鉄の暴風」が吹き荒れた凄惨な沖縄戦直後から始まった米軍統治時代……。1952年の沖縄で今日を、明日を生きるために米軍基地に忍び込み、基地から物資を奪う「戦果アギヤー」がいた。 伝説と呼ばれ、みんなの英雄だったのが、孤児たち4人組グループのリーダーだったオンちゃんだ。基地から奪った薬を住民たちの手に渡り命を守り、盗み出した木材は小学校になった。 極東最大の軍事基地「キャンプ・カデナ」に忍び込んだ夜、米軍に追われたオンちゃんは突如として失踪してしまった。残された3人——親友のグスクは警官に、弟のレイはアンダーグラウンドを転々とする危険人物に、オンちゃんに好意を寄せていたヤマコは教員として社会運動にも深く関わりながら歴史を生きる。 あの夜、オンちゃんが探し当ててしまった「予定にない戦果」とは一体なにか。伝説のオンちゃんはどうして姿を消してしまったのか。彼らはそれぞれに謎を解き明かそうとし、物語は動き出す』、こんな痛快な「戦果アギヤー」が実在したのか、真藤氏の想像上の話なのかも知りたいところだが、下を読むとどうやら実在した話のようだ。
・『瀬長亀次郎――米軍への抵抗運動で知られる戦後沖縄を代表する政治家――、コザ暴動――1970年、コザ(現沖縄市)中心部で起きた数千人の市民による米軍車両焼き討ち事件――など実在の人物、歴史的事実と主人公たちの活躍、そしてたどり着くあっと驚くラストまで。 疾走感に溢れ、熱量がこもった文体で描かれる。 《一番最初は、琉球警察というアメリカによる沖縄統治時代に20年だけ存在した警察を舞台にした警察ミステリの枠組みで始めようと思っていました。 米軍や住民との関係も含めて、他の時代や土地ではありえない警察体制ですよね。そこから見えてくる事件や犯罪、組織の軋轢、世界の動きを描こうと思っていました。 警察小説には事件が必要なので、戦果アギヤーという米軍基地から物資を盗んでいた人々を登場させようとリサーチを開始しました。でも、調べているうちに、だんだんと警察よりもむしろ戦果アギヤーのほうに重心が移っていった。 彼らを中心に据えれば、僕が小説で描きたかった多くのものが表現できると思ったんです。 作家としてのひとつの強い志向として、時代の動きを追いながら、人が生まれて、成長するまでを大河ドラマとして描きたいというものがある。 戦後の沖縄という激しく鮮烈な時代を、市井の人々の息遣いや躍動を伝えながら語っていきたかったんです》』、警察小説からの方向転換は大正解だ。
・『歴史からこぼれ落ちてしまう人たちの物語 主人公になったオンちゃんたち戦果アギヤーは、みんなが沖縄戦という悲劇を経験している。 主人公の一人、「戦果アギヤー」から琉球警察の警察官になったお調子者のグスクは、沖縄戦を12歳で経験した。逃げたガマ(洞窟)のなかで、両親は家族そろっての自決を望んだ。 恐怖の中、グスクは一人で逃げ出す。誰にも語っていない、いや、語ることができない原体験だ。 しかし彼らは強かに、時に挫折も失敗もしながら、今をしのぎ、明日をたくましく生きることを選ぶ。 《最初から構想していたのは、登場人物の人生と歴史を重ねていく青春小説でした。1952年から1972年というのは戦後の日本、沖縄の歴史で言えばまだ若い青春時代です。 時代が大きく揺れ動いた時でもあります。では、どんな登場人物がいいんだろうというときに、戦果アギヤーがぴったりとはまったんです。 彼らは過去にとてつもない体験をしながら、もともと自分たちのものであった資源や土地を、奪われたものを奪い返すために、無謀に走りつづける。 そこにはしなやかさや荒々しさ、抑圧への抵抗、困難を越えていく生命力、タフさや人間臭さ、それから生きて還ってきて宴会をするという若気のきらめきがあふれている。 そういったところに僕が思い描く青春の輝きがつまっていた。彼らの存在は、表の歴史、教科書や歴史書からはこぼれ落ちてしまうものです。 真正面から取り上げられることは考えにくい。でも小説はそうした正史や、史実の羅列からこぼれ落ちてしまう人たちの物語を伝えることができる。 僕はそれこそが小説の仕事だと思っています。》』、素晴らしい眼の付けどころだ。
・『腹を括らなければならなかった だからと言ってすべてが簡単に書けるものではない。エンタメ小説とはいえ、扱うテーマは今の政治とも非常に密接に関わるし、言葉の選び方一つで不必要な議論を呼びかねないものだ。 《沖縄への関心はずっとありましたが、これはかなりセンシティブな問題になるというのはわかっていました。沖縄の歴史はすべてが現在につながっています。これは覚悟を決めて臨まないといけないと思っていました。 うちの父は若いころから沖縄に関心を持ち続けていて、沖縄の写真集や書籍がたくさん家にありました。返還のちょっと前に青年交流というかたちで沖縄に渡航して、その船の上で母と出逢ったとも聞いています。 返還前のさまざまな実在団体、復帰協や教職員会がどのように旗を振っていたか、そのときの島の熱気であったり、冷笑する側の態度であったり、金網の前の睨みあいであったり、そうしたディテールは、父がその目で見たり、伝え聞いたりしたことを教えてもらって、描写の参考にしています。》』真藤氏の沖縄への強い関心は、父親の影響だったとは、謎の一部が解けた気がする。父親がご存命かは分からないが、生きていれば受賞を大喜びしたことだろう。
・『しかし、冒頭に語っているように執筆は止まった。基地問題を真正面から扱う。歴史的な問題も扱う。 中途半端に手を出せば、ルーツもない東京生まれ、東京暮らし、文学賞を何度も受賞した作家が沖縄を「ネタ」として扱っているだけ。そう批判される可能性も大いにあった。 《中断の理由の一つには、そういう面もあったと思います。十二分に熟慮をしたうえで準備を始めたつもりだったんですが、今から考えれば、この題材と向き合うのがどういうことなのか頭ではわかっているつもりでも、体にまで染みこんでいなかった。 沖縄の人間ではない僕が、沖縄の言葉を使って、統治下を生き抜いた人たちを描くとなるとこれは他の外国を題材にしてきた時のような覚悟では足りない、書き手として、もっと根本的に腹を括らなくてはならない。 現地の言葉も出てくるし、複数いると思われる語り手が入れる合いの手やエクスキューズも島の言葉を基調としています。この小説の語り手は「われら語り部(ゆんたー)」としていて、これは神の視点でも、著者のナレーションでもない。言うなれば土地の声です。 そういう語り部を据えるということは、まずは沖縄の声をすくい集めて、そこに同化して書くということでした。 他にもアプローチの手段はいくつかありました。例えば、東京の人物を統治下の沖縄に行かせて、彼の目や耳を媒介して傍観者視点で書くとかね。 だけどそれでは、深いところにあるものを揺り起こすことはできない。土地のナラティブというアプローチは、過去作でも何度かやってきたことだし、語り手はおしゃべりな「ゆんたー」に設定して、主要な登場人物も全員がウチナンチュ(沖縄の人)にしたかった。 土地に入っていく部外者の視点から書いても、僕がたどりつきたいと思ったところにはたどりつけない。構想したものとはまったく読み味の異なる小説になるし、深層まではたどりつけないと思ったんです。》』、東京出身者がここまでやろうとすれば、確かに長い年月が必要なのだろう。
・『現地取材も重ねた。緻密に繊細に、そして土地の空気に触れるなかで小説の世界観を構築するために。 《そのためのリサーチも足りていなかった。沖縄には取材で計3回行ってます。郷土資料館で向こうでしか手に入らない文献を渉猟したり、舞台になる土地をうろつきまわったり……。 お金がなかったから、レンタカーのなかで寝袋で寝て、ホテル代を節約したこともありました。決して褒められたことではないですし、お勧めできるやりかたではないですが。 自分でもどうしてだかわからないんですが、現地に足を運ぶといっきに物語が生まれることがある。とりわけ沖縄のフィールドワークでは、登場人物たちが「いま、ここを走りそうだな」とか「このあたりでこんな暮らしをしていたのかもな」と思い浮かぶことがありました。》』、現地取材が僅か「3回」とは、「お金がなかった」にせよ、驚かされたが、事前に周到に準備して行ったのだろう。「レンタカーのなかで寝袋で寝て」というのも、涙ぐましい努力だ。
・『人生観が変わるくらいの没入 真藤は自分の中にもあった「潜在的な差別感情」に気がつく。「腫れ物に触るな」「批判されるかもしれない」という意識で、沖縄について結果的に何も書かないということは、無関心であることと態度としては変わらない。 本当に必要だったのは「没入」だった。異質である自分を認め、他者を知ろうとどこまでも接近し、対象になりきって書き進める。そのための没入である。 苦しんでいる時期を知る旧知の編集者の言葉――。「心配してなかったですよ。だって真藤さんはイタコ型だから。登場人物が憑依するんです」 《ずっと足踏みしていた自分がいたのですが、ルーツがないということを理由に、断絶や境界を乗り越えていく構えをとらないというのは、これまでの戦後史のなかで島の外の人間が沖縄に向けてきた無理解・無関心、腫れ物に触るような及び腰の態度と変わらないと考えました。 僕は小説家であり、これまでの作品で書いてきた青春小説、冒険小説、成長小説、ミステリといったあらゆるアプローチの総力戦で、全身全霊を投じて「戦果アギヤー」の物語を仕上げる。それしかないのではないかと。 そのうえで小説の中であつかった題材に対して、違和感やあやまちを指摘されたり、批判が出てきたりするようなことがあったら、表立ってそれらの矢面に立って、『宝島』の書き手としての見解を示していこうと覚悟を決めたわけです。 対岸の出来事としてぞんざいに距離を置いていては、とてもとてもこの小説は書き上げられませんから。 小説は本来、どこの国のどんな時代の人が書いてもいいものです。ただし、書くためには最大限の努力を払って、できるかぎりのことを知りつくすような覚悟で接近しないといけない。そうでないと「書く資格」は得られないと思いました。 とことん能動的になって、何度も土地も歩きまわって、今までにないくらいの勉強をしたり、沖縄出身の先達が書いた小説を読んだり、沖縄の言葉を学ぶために辞書も通読したり……。 何より僕自身が書く前と書いた後では人生観が変わるくらいの没入をしないといけない。そこまで決めて、やっと執筆を再開することができたんです。》』、「真藤さんはイタコ型だから。登場人物が憑依するんです」との編集者の言葉は的確なようだ。ここまで深く「没入」し、「覚悟」したとは、並大抵のことではない。「凄い」と驚く他ない。
・『結果的に書きあがった小説は、現在の沖縄が抱える問題にも通じていくものになった。とりわけ、軽視されがちな「歴史」のうねりであり、流れを体感できるような小説に仕上がった。 《沖縄の話は常に現在進行形ですよね。例えば辺野古新基地の建設だって、反対する意見にはそこに歴史的な背景がある。 小説のなかでも登場人物の多くが主張していることですが、どうして海や土地を奪い、その土地を好きにあつかうのか、という沖縄を取り巻く世界への痛憤があふれている。 物語の終盤で語られるコザ暴動にしたって、「暴動」というのは体制の目線に立った言葉遣いで、アメリカや日本の支配の帰結として起こった出来事であって、作中人物の一人は「この世界で生きていける場所を奪い返そうとする、戦果アギヤーの魂の発露だ」と言っています。ある種の民族のレジスタンスであり、時代や国が違えば、「市民革命」のようなものとして記録されたかもしれない。 そういう可能性を、魂を揺さぶる物語のかたちで、実際の事件を知らなかった人たちにも体感してほしいと思ったんです。》』、どうやら沖縄の問題を深く理解する上で、必読書のようだ。
・『どうしようもない悲劇も描かなくてはならない 『宝島』の登場人物たちは米軍、そして日本政府が引き起こした事件に対して、怒り、悲しみ、そして現実と向き合う。 小説に描かれている感情は、SNSに蔓延しているような、一時の感情の表出ではない。パッと広がって、すぐ収まるポーズのような感情ではない。 作家は感情を揺さぶらせようと意図するのではなく、彼らはなぜ怒るのか、どうして行動するのかを徹底的に考え、心の襞を描き切る。 ポイントは「多」であることだ。主人公たちの独白、市井を生きる名もなき登場人物の声、そして時にポップに、時に優しくツッコミを入れる「われら語り部(ゆんたー)」の声——。多くの「声」が渾然一体となり、物語の世界は多層的になっていく』、こんな小説に私はまだ出合ったことがない。ますます読んでみたくなった。
・『《歴史を描くということは、どうすることもできない悲劇も描かないといけないということです。 例えば、二十代なかばに教員になったヤマコ。物語中盤の大きな場面が、彼女の勤務する小学校に墜落する事故です。 目を覆いたくなるような悲惨な事故ですが、避けては通れないところだった。この事故は沖縄の歴史にとっても大きな転換点で、日本への復帰運動や反基地闘争が活発になるきっかけとなったものです。 物語のなかでは彼女自身の転換点にも重なっていく。小さな教え子が目の前で亡くなるのを目の当たりにして、ヤマコはずっと抱き続けたオンちゃんへの思いを断ち切り、復帰運動など社会にこれまで以上に関わっていこうとする。 言うなれば、みずからがオンちゃんの代わりに「英雄」になろうとするのです。子供たちが成長することのできない世界を認めることはできないと。これほど劇的な成長を果たす女性キャラクターを僕は書いたことがなかった。 降ってくる理不尽な悲劇の積み重ねが、声を上げるという行動に結びつくというその大きな心の動きを、読者に肌で感じてもらえると思います。 そういうのはもう、イデオロギーとは関係なところで、とても人間臭い心の動きで、わたしたちもそういうときがあったな、これからあるかもなと自分に寄せて感じてもらえるのではないかと。》』、「わたしたちもそういうときがあったな、これからあるかもな」というのが、私にはまるでなさそうなのは誠に残念だ。
・『ヤマコが感じた「痛み」は沖縄に残り続ける「痛み」につながってくる。《米軍機の墜落事故は、最近で言えば普天間基地近くの小学校(宜野湾市立普天間第二小学校)に、米軍ヘリの窓枠が落下した事故と重なると思います。 規模は違うにせよ、子供たちの頭上を米軍機やヘリが「訓練」として飛んでいるのは変わらないですよね。 現在の世界中で起きているさまざまな問題に対して、拡散的にフィードバックできるように書いたつもりですが、それを諭したり、説きふせたりするように語るお説教小説になっていってもよくない。 まずは小説の面白さを最大限に味わってもらって、青春時代に失ったものへの哀惜とか、社会に対して声を上げることとか、困難を越えていってあらたな自分の姿を模索するとか、だけどおれは海辺でぼーっとしてたいよ、という偽らざる真情とか、そういう世界中の誰にでも共通する普遍的な思いやテーマ、どの世界のどんな時代を生きる人にも通じる物語の力を通して、読み終わったあとになにか琴線にふれる、心に響くものが残るというものになったらいいなと思っています。》 ぐっと重たくなる話を和らげるのが「ゆんたー」の存在だった。《助けられたのは「ゆんたー」ですね。とりわけ中盤からは、重々しく感傷的になる場面が連続するところもあるけれど、神でもない、人でもない、陽気なねえちゃん兄ちゃんにがやがやと喋ってもらっているような「語り」がある種の緩衝や中和の役割を果たしてくれる。 風通しの良いユーモアで、物語を進める力をくれる。 うるさいと感じる読者もいるかもしれませんが、「ゆんたく(おしゃべり)」好きな語り部につかまったということでそこはお付き合いいただいて。実際、書いていて僕も、この「語り」に何度も救われました。》』、筆力の凄さには感心する他ない。肩ひじ張らずに読めそうなのは、楽しみだ。
・『「生きて帰ってこい」 もう一つ、この小説を特徴付けているのが「生」を徹底的に肯定する姿勢だ。抵抗による「死」に美学を見出すという姿勢はない。どんなことがあっても生き抜くこと。 戦果アギヤーたちは危ないときは逃げてもいい、いつだって生きることを考えている。《いま話しながら、僕自身も戦果アギヤーに自分を投影しているところがあったかもしれないなと思いました。 彼らが立ち向かう対象は世界一の軍隊である米軍で、僕が立ち向かうのは沖縄を舞台にした青春大河小説。対象は違うけれど、身のほどを超えた大きなものに立ち向かうところは同じだと。 複数の新人賞をもらって、デビューは華々しかったけれど、商業作家としての厳しい時期が続いた。これといったヒット作もなく、仕事の注文は来なくなり、自分が望んだような評価も得られない時期が長かった。 でも、一部の編集者はまだ僕を信じて賭けてくれた。僕も戦果アギヤーのように、勝負をしてフェンスを越えて向こう側に行きたい。 僕にとっての「越境」というのがまさに沖縄人になりきって書くことだった。そうしてなにか、大きな戦果をつかんで還ってきたいと思っていたのかもしれないなと。 戦果アギヤーのポイントは「生還」です。ボーダーを越える勇気を持ち、かつ戦果を掴んで生きて帰ってくる。越えたさきで討ち死にしては元も子もないんです。》』、「討ち死に」を美しいとする伝統的な日本人の美学に対して、それとは対極にある「生還」をぶつけてきたというのも、興味深い。
・『これから読む読者、特に若い読者に対してメッセージがあるという。《フェンスを越えろ、ボーダーを越えろ――というところですかね。 何かをやらかしたくて、ずっとうずうずしている。そういう人に特に読んでほしいです。そこにある壁はそんなに高くないし、僕たちは自分が思っているほど無力でもない。 「宝」はすでに僕たちの内側で身を縮こまらせているかもしれない。だからそれぞれの境界や障壁を越えて、そして生きて帰ってこい――そんな感じですかね。》』、身の周りの壁の高さに恐れおののいている若い世代には、確かにいい薬になりそうだ。
・『沖縄の男性に言われた「存分にやりなさい」 圧倒的な物語が描き出したのは、単なる歴史的記述を越えて、この社会だと言っていいだろう。「第三者」であっても、対象に接近したいという思いがあれば、普遍的な物語を描けるということを真藤は示したのではないか。 戦果アギヤーのように、沖縄に対して感じていたボーダーを乗り越えて、掴み取った直木賞である。 彼が取材で出会った沖縄の男性は、彼にこんな言葉をかけている。「存分にやりなさい。直木賞を取ってきなさい」 約束を果たしたことで、真藤は自身にとっての「予定にない戦果」を手に入れた。正確には手に入れる資格を得た、だろうか。 本書を手に取った読者から寄せられる「声」はこれからも増え続け、小説の世界をより多層的に、豊かにしていくのだから。 地元紙のニュースによると、受賞発表直後から、『宝島』は沖縄の書店で異例の売れ行きを記録しているという』、繰り返しにはなるが、私も是非読んでみたい。
次に、2月25日付けロイター「アングル:沖縄県民投票は反対7割、補選・参院選への影響に注目」を紹介しよう。
https://jp.reuters.com/article/okinawa-henoko-idJPKCN1QE0N1
・『沖縄県民投票が24日投開票され、政府が進める米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、辺野古沖の埋め立てに対して「反対」票が7割超の43万票超となった。 沖縄県知事が結果を尊重し、安倍晋三首相やトランプ米大統領に結果を通知すると定められた投票資格者総数の4分の1(28万8398票)を大幅に超えた。 県民投票に法的拘束力はなく、政府は埋め立て工事を継続する方針で、国と沖縄県の対立は一段と鮮明になりそうだ。また、今年4月の衆院補選やその先の参院選にどのような影響が及ぶのか、早くとも与野党間での「神経戦」が始まった。 県民投票条例は、3択のうち最も多かった選択肢の票数が投票資格者総数の4分の1以上となった場合に、知事に結果の尊重義務を課しており、玉城デニー知事は安倍首相とトランプ米大統領に速やかに結果を通知する方針。共同通信によると、沖縄県側は3月1日に安倍首相に会って結果を伝達したいという意向を持っているという』、「票数が投票資格者総数の4分の1以上」にどのような意味があるのか、記事では説明不足でよく分からないが、東京新聞などによれば、目安として、投票率が50%を超え、選択肢の票数が50%を超えで、4分の1以上としたようだ。
・『菅義偉官房長官は25日の会見で「知事から要望があれば、しっかりと対応したい」と述べ、首相と知事の会談が行われる方向となっている。 だが、沖縄県と政府との間に存在する「辺野古移設」をめぐる見解の差は、全く埋まっていないと見た方がよさそうだ。 安倍首相は25日、記者団に対して「沖縄に基地が集中している現状は、到底容認できない。沖縄の基地負担軽減は政府の大きな責任だ。今回の結果を真摯に受け止め、これからも基地負担の軽減に向けて全力で取り組んでいく」と述べ、工事継続のスタンスを明確にした。 また、ここに来て辺野古沖の海底が軟弱地盤で、埋め立て工事の期間が長期化し、工費が大幅に増額される可能性が沖縄県から指摘され、工事反対派のトーンが一段と強まっている。 沖縄県は、移設コストが最大2兆5500億円と当初予算の10倍に膨らむと試算している。 これに対し、岩屋毅防衛相は「地盤改良でコストが増える可能性はあるが、そこまではかからないと考えている」と表明。政府高官は25日、住民投票が「移設工事前ならば意味はあった」と述べ、辺野古沖の埋め立て工事を粛々と継続する姿勢を示した』、政府側の「これからも基地負担の軽減に向けて全力で取り組んでいく」というのは論点のすり替えだ。「移設コストが最大2兆5500億円と当初予算の10倍に膨らむと試算」に対し、「そこまではかからない」と工事を強行するようだが、少なくとも移設コストを現時点で見直し、国民に示すべきだろう。
・『野党側、衆院補選に追い風の思惑 一方、今回の投票結果が、今年4月の衆院沖縄3区の補欠選挙や夏の参院選に波及するのかどうか、与野党間で早くも様々な思惑が出ている。 昨年9月の沖縄県知事選では「移設反対」の玉城氏が圧勝。今回の住民投票で、反対票が玉城氏の獲得した約39万7000票を上回る43万4273票に達し、野党側のボルテージが上がった。 補選は、玉城氏の知事選出馬によって行われるため、統一候補を立てている野党側は、今回の住民投票の結果が、かなりの追い風になるとの見方を強めている。 ただ、夏の参院選に向け、野党側が弾みをつけたかといえば、そうとも言えない面もある。立憲民主党関係者のひとりは、立憲民主党と国民民主党の主導権争いが継続し「参院選の1人区以外での共闘は難しい」と話す。 また、政府・与党内では、基地を抱える沖縄県の反基地感情は同県特有で、安倍内閣の政権運営に大きな影響は出ない、と言い切る関係者が多い。 しかし、4月の衆院沖縄3区の補選で野党側が勝利すれば、32ある1人区で与野党対決ムードが醸成され、与党が大幅に議席を減らすリスクを懸念する関係者もいる。 統一地方選と参院選が重なる12年に1度の「選挙の年」が、どのような結末になるのか、早くも永田町では様々な「予想」が交錯し始めた』、4月の衆院沖縄3区の補選では、野党側も共闘して勝利してもらいたいものだ。
第三に、慶応大名誉教授の小林節氏が2月27日付け日刊ゲンダイに寄稿した「住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248285
・『在日米軍普天間飛行場の辺野古移設の是非を問う沖縄県民投票の結果は、「反対」が実に72%を超えた。 それでも、安倍政権はそれを無視して移設工事を続行する構えを崩していない。その背景に「県民投票には法的拘束力がない」という認識と「安全保障は国の専権事項だ」という認識があることは確かである。 しかし、県民投票には、わが国の最高法である憲法上の拘束力があることを忘れてはいないだろうか。 憲法95条は「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」(つまり、自治体住民には拒否権がある)と定めている。つまり、それが国策として必要だと国会が判断しても、その負担を一方的に負わされる特定の自治体の住民には拒否権があるという、極めて自然で当然な原則である。 もちろん、辺野古への米軍基地の移設は形式上は「法律」ではない。それは、条約上の義務を履行しようとする内閣による「行政処分」である。しかし、それは形式論で、要するに、「国の都合で過剰な負担をひとつの地方自治体に押し付けてはならない」という規範が憲法95条の法意であり、それは、人間として自然で当然な普遍的常理に基づいている』、「憲法95条」については、恥ずかしながら初耳だった。確かに、政府の勝手を許さない、意味がある条項だ。一般のマスコミも報道すべきだ。
・『アメリカ独立宣言を引用するまでもなく、国家も地方自治体も、そこに生活する個々の人間の幸福追求を支援するためのサービス機関にすぎない。そして、国家として一律に保障すべき行政事務と地域の特性に合わせたきめ細かな行政事務をそれぞれに提供するために、両者は役割を分担しているのである。 そこで、改めて今回の問題を分析してみると次のようになろう。まず、わが国の安全保障を確実にするために日米安保条約が不可欠だという前提は争わないでおこう。しかし、だからといって、そのための負担を下から4番目に小さな県に7割以上も押し付けていていいはずはない。そこに住民が反発して当然である。だから、政府としては、憲法の趣旨に従って、「少なくとも県外への移設」を追求すべき憲法上の義務があるのだ』、説得力溢れた主張で、全面的に賛成である。
先ずは、ノンフィクションライターの石戸 諭氏が1月25日付け現代ビジネスに掲載した「「越境する勇気を描く」『宝島』で直木賞、真藤順丈の沖縄への思い 社会派青春小説はこうして生まれた」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59516
・『第160回直木賞に決まった真藤順丈『宝島』――。舞台は1952年から1972年、沖縄戦直後に始まる米軍統治時代から日本復帰まで激動の沖縄だ。真藤は主人公たちの成長という大きな主題に、「予定にない戦果」という物語を貫く大きな謎、ある人物の正体といった伏線を複雑な歴史と重ね合わせ、極上のエンターテイメント小説に仕上げた。 真藤自身は1977年、東京生まれであり、沖縄にルーツもなければ、深い縁もない。現代につながる沖縄の歴史を語る上ではまったくの「第三者」である。それなのに、なぜ沖縄を舞台にしたのか。描くときに抱えた葛藤とはなにか』、興味深そうだ。
・『「戦果アギヤー」との決定的な出会い 《(この作品を書き続けられるか否かで)ずっと足踏みしていた自分がいたのですが、ルーツがないということを理由に、断絶や境界を越えていく構えをとらないというのは、これまでの戦後史のなかで島の外の人間が沖縄に向けてきた無理解や無関心、腫れ物に触るような及び腰の態度と変わらないと考えました。 僕は小説家であり、これまでの作品で書いてきた青春小説、冒険小説、成長小説、ミステリといったあらゆるアプローチの総力戦で、全身全霊を投じて「戦果アギヤー」の物語を仕上げる。それしかないのではないかと。》 受賞発表翌日(1月17日)である。朝からインタビュー、対談をこなし、さらに夜の会食まで。直木賞作家の予定はびっしりと埋まっていた。発表が決まった日の晩は「興奮で寝付けなかった」という。 構想7年、執筆に3年をかけて「今、自分が持っているものを全て注ぎ込んだ」原稿用紙960枚の大作である。ネタバレにならない程度にあらすじを紹介しておこう』、「構想7年、執筆に3年」とは「大作」にふさわしい力の入れようだが、「第三者」でありながら、よくぞ根気が続いたものと心底感心させられた。
・『「鉄の暴風」が吹き荒れた凄惨な沖縄戦直後から始まった米軍統治時代……。1952年の沖縄で今日を、明日を生きるために米軍基地に忍び込み、基地から物資を奪う「戦果アギヤー」がいた。 伝説と呼ばれ、みんなの英雄だったのが、孤児たち4人組グループのリーダーだったオンちゃんだ。基地から奪った薬を住民たちの手に渡り命を守り、盗み出した木材は小学校になった。 極東最大の軍事基地「キャンプ・カデナ」に忍び込んだ夜、米軍に追われたオンちゃんは突如として失踪してしまった。残された3人——親友のグスクは警官に、弟のレイはアンダーグラウンドを転々とする危険人物に、オンちゃんに好意を寄せていたヤマコは教員として社会運動にも深く関わりながら歴史を生きる。 あの夜、オンちゃんが探し当ててしまった「予定にない戦果」とは一体なにか。伝説のオンちゃんはどうして姿を消してしまったのか。彼らはそれぞれに謎を解き明かそうとし、物語は動き出す』、こんな痛快な「戦果アギヤー」が実在したのか、真藤氏の想像上の話なのかも知りたいところだが、下を読むとどうやら実在した話のようだ。
・『瀬長亀次郎――米軍への抵抗運動で知られる戦後沖縄を代表する政治家――、コザ暴動――1970年、コザ(現沖縄市)中心部で起きた数千人の市民による米軍車両焼き討ち事件――など実在の人物、歴史的事実と主人公たちの活躍、そしてたどり着くあっと驚くラストまで。 疾走感に溢れ、熱量がこもった文体で描かれる。 《一番最初は、琉球警察というアメリカによる沖縄統治時代に20年だけ存在した警察を舞台にした警察ミステリの枠組みで始めようと思っていました。 米軍や住民との関係も含めて、他の時代や土地ではありえない警察体制ですよね。そこから見えてくる事件や犯罪、組織の軋轢、世界の動きを描こうと思っていました。 警察小説には事件が必要なので、戦果アギヤーという米軍基地から物資を盗んでいた人々を登場させようとリサーチを開始しました。でも、調べているうちに、だんだんと警察よりもむしろ戦果アギヤーのほうに重心が移っていった。 彼らを中心に据えれば、僕が小説で描きたかった多くのものが表現できると思ったんです。 作家としてのひとつの強い志向として、時代の動きを追いながら、人が生まれて、成長するまでを大河ドラマとして描きたいというものがある。 戦後の沖縄という激しく鮮烈な時代を、市井の人々の息遣いや躍動を伝えながら語っていきたかったんです》』、警察小説からの方向転換は大正解だ。
・『歴史からこぼれ落ちてしまう人たちの物語 主人公になったオンちゃんたち戦果アギヤーは、みんなが沖縄戦という悲劇を経験している。 主人公の一人、「戦果アギヤー」から琉球警察の警察官になったお調子者のグスクは、沖縄戦を12歳で経験した。逃げたガマ(洞窟)のなかで、両親は家族そろっての自決を望んだ。 恐怖の中、グスクは一人で逃げ出す。誰にも語っていない、いや、語ることができない原体験だ。 しかし彼らは強かに、時に挫折も失敗もしながら、今をしのぎ、明日をたくましく生きることを選ぶ。 《最初から構想していたのは、登場人物の人生と歴史を重ねていく青春小説でした。1952年から1972年というのは戦後の日本、沖縄の歴史で言えばまだ若い青春時代です。 時代が大きく揺れ動いた時でもあります。では、どんな登場人物がいいんだろうというときに、戦果アギヤーがぴったりとはまったんです。 彼らは過去にとてつもない体験をしながら、もともと自分たちのものであった資源や土地を、奪われたものを奪い返すために、無謀に走りつづける。 そこにはしなやかさや荒々しさ、抑圧への抵抗、困難を越えていく生命力、タフさや人間臭さ、それから生きて還ってきて宴会をするという若気のきらめきがあふれている。 そういったところに僕が思い描く青春の輝きがつまっていた。彼らの存在は、表の歴史、教科書や歴史書からはこぼれ落ちてしまうものです。 真正面から取り上げられることは考えにくい。でも小説はそうした正史や、史実の羅列からこぼれ落ちてしまう人たちの物語を伝えることができる。 僕はそれこそが小説の仕事だと思っています。》』、素晴らしい眼の付けどころだ。
・『腹を括らなければならなかった だからと言ってすべてが簡単に書けるものではない。エンタメ小説とはいえ、扱うテーマは今の政治とも非常に密接に関わるし、言葉の選び方一つで不必要な議論を呼びかねないものだ。 《沖縄への関心はずっとありましたが、これはかなりセンシティブな問題になるというのはわかっていました。沖縄の歴史はすべてが現在につながっています。これは覚悟を決めて臨まないといけないと思っていました。 うちの父は若いころから沖縄に関心を持ち続けていて、沖縄の写真集や書籍がたくさん家にありました。返還のちょっと前に青年交流というかたちで沖縄に渡航して、その船の上で母と出逢ったとも聞いています。 返還前のさまざまな実在団体、復帰協や教職員会がどのように旗を振っていたか、そのときの島の熱気であったり、冷笑する側の態度であったり、金網の前の睨みあいであったり、そうしたディテールは、父がその目で見たり、伝え聞いたりしたことを教えてもらって、描写の参考にしています。》』真藤氏の沖縄への強い関心は、父親の影響だったとは、謎の一部が解けた気がする。父親がご存命かは分からないが、生きていれば受賞を大喜びしたことだろう。
・『しかし、冒頭に語っているように執筆は止まった。基地問題を真正面から扱う。歴史的な問題も扱う。 中途半端に手を出せば、ルーツもない東京生まれ、東京暮らし、文学賞を何度も受賞した作家が沖縄を「ネタ」として扱っているだけ。そう批判される可能性も大いにあった。 《中断の理由の一つには、そういう面もあったと思います。十二分に熟慮をしたうえで準備を始めたつもりだったんですが、今から考えれば、この題材と向き合うのがどういうことなのか頭ではわかっているつもりでも、体にまで染みこんでいなかった。 沖縄の人間ではない僕が、沖縄の言葉を使って、統治下を生き抜いた人たちを描くとなるとこれは他の外国を題材にしてきた時のような覚悟では足りない、書き手として、もっと根本的に腹を括らなくてはならない。 現地の言葉も出てくるし、複数いると思われる語り手が入れる合いの手やエクスキューズも島の言葉を基調としています。この小説の語り手は「われら語り部(ゆんたー)」としていて、これは神の視点でも、著者のナレーションでもない。言うなれば土地の声です。 そういう語り部を据えるということは、まずは沖縄の声をすくい集めて、そこに同化して書くということでした。 他にもアプローチの手段はいくつかありました。例えば、東京の人物を統治下の沖縄に行かせて、彼の目や耳を媒介して傍観者視点で書くとかね。 だけどそれでは、深いところにあるものを揺り起こすことはできない。土地のナラティブというアプローチは、過去作でも何度かやってきたことだし、語り手はおしゃべりな「ゆんたー」に設定して、主要な登場人物も全員がウチナンチュ(沖縄の人)にしたかった。 土地に入っていく部外者の視点から書いても、僕がたどりつきたいと思ったところにはたどりつけない。構想したものとはまったく読み味の異なる小説になるし、深層まではたどりつけないと思ったんです。》』、東京出身者がここまでやろうとすれば、確かに長い年月が必要なのだろう。
・『現地取材も重ねた。緻密に繊細に、そして土地の空気に触れるなかで小説の世界観を構築するために。 《そのためのリサーチも足りていなかった。沖縄には取材で計3回行ってます。郷土資料館で向こうでしか手に入らない文献を渉猟したり、舞台になる土地をうろつきまわったり……。 お金がなかったから、レンタカーのなかで寝袋で寝て、ホテル代を節約したこともありました。決して褒められたことではないですし、お勧めできるやりかたではないですが。 自分でもどうしてだかわからないんですが、現地に足を運ぶといっきに物語が生まれることがある。とりわけ沖縄のフィールドワークでは、登場人物たちが「いま、ここを走りそうだな」とか「このあたりでこんな暮らしをしていたのかもな」と思い浮かぶことがありました。》』、現地取材が僅か「3回」とは、「お金がなかった」にせよ、驚かされたが、事前に周到に準備して行ったのだろう。「レンタカーのなかで寝袋で寝て」というのも、涙ぐましい努力だ。
・『人生観が変わるくらいの没入 真藤は自分の中にもあった「潜在的な差別感情」に気がつく。「腫れ物に触るな」「批判されるかもしれない」という意識で、沖縄について結果的に何も書かないということは、無関心であることと態度としては変わらない。 本当に必要だったのは「没入」だった。異質である自分を認め、他者を知ろうとどこまでも接近し、対象になりきって書き進める。そのための没入である。 苦しんでいる時期を知る旧知の編集者の言葉――。「心配してなかったですよ。だって真藤さんはイタコ型だから。登場人物が憑依するんです」 《ずっと足踏みしていた自分がいたのですが、ルーツがないということを理由に、断絶や境界を乗り越えていく構えをとらないというのは、これまでの戦後史のなかで島の外の人間が沖縄に向けてきた無理解・無関心、腫れ物に触るような及び腰の態度と変わらないと考えました。 僕は小説家であり、これまでの作品で書いてきた青春小説、冒険小説、成長小説、ミステリといったあらゆるアプローチの総力戦で、全身全霊を投じて「戦果アギヤー」の物語を仕上げる。それしかないのではないかと。 そのうえで小説の中であつかった題材に対して、違和感やあやまちを指摘されたり、批判が出てきたりするようなことがあったら、表立ってそれらの矢面に立って、『宝島』の書き手としての見解を示していこうと覚悟を決めたわけです。 対岸の出来事としてぞんざいに距離を置いていては、とてもとてもこの小説は書き上げられませんから。 小説は本来、どこの国のどんな時代の人が書いてもいいものです。ただし、書くためには最大限の努力を払って、できるかぎりのことを知りつくすような覚悟で接近しないといけない。そうでないと「書く資格」は得られないと思いました。 とことん能動的になって、何度も土地も歩きまわって、今までにないくらいの勉強をしたり、沖縄出身の先達が書いた小説を読んだり、沖縄の言葉を学ぶために辞書も通読したり……。 何より僕自身が書く前と書いた後では人生観が変わるくらいの没入をしないといけない。そこまで決めて、やっと執筆を再開することができたんです。》』、「真藤さんはイタコ型だから。登場人物が憑依するんです」との編集者の言葉は的確なようだ。ここまで深く「没入」し、「覚悟」したとは、並大抵のことではない。「凄い」と驚く他ない。
・『結果的に書きあがった小説は、現在の沖縄が抱える問題にも通じていくものになった。とりわけ、軽視されがちな「歴史」のうねりであり、流れを体感できるような小説に仕上がった。 《沖縄の話は常に現在進行形ですよね。例えば辺野古新基地の建設だって、反対する意見にはそこに歴史的な背景がある。 小説のなかでも登場人物の多くが主張していることですが、どうして海や土地を奪い、その土地を好きにあつかうのか、という沖縄を取り巻く世界への痛憤があふれている。 物語の終盤で語られるコザ暴動にしたって、「暴動」というのは体制の目線に立った言葉遣いで、アメリカや日本の支配の帰結として起こった出来事であって、作中人物の一人は「この世界で生きていける場所を奪い返そうとする、戦果アギヤーの魂の発露だ」と言っています。ある種の民族のレジスタンスであり、時代や国が違えば、「市民革命」のようなものとして記録されたかもしれない。 そういう可能性を、魂を揺さぶる物語のかたちで、実際の事件を知らなかった人たちにも体感してほしいと思ったんです。》』、どうやら沖縄の問題を深く理解する上で、必読書のようだ。
・『どうしようもない悲劇も描かなくてはならない 『宝島』の登場人物たちは米軍、そして日本政府が引き起こした事件に対して、怒り、悲しみ、そして現実と向き合う。 小説に描かれている感情は、SNSに蔓延しているような、一時の感情の表出ではない。パッと広がって、すぐ収まるポーズのような感情ではない。 作家は感情を揺さぶらせようと意図するのではなく、彼らはなぜ怒るのか、どうして行動するのかを徹底的に考え、心の襞を描き切る。 ポイントは「多」であることだ。主人公たちの独白、市井を生きる名もなき登場人物の声、そして時にポップに、時に優しくツッコミを入れる「われら語り部(ゆんたー)」の声——。多くの「声」が渾然一体となり、物語の世界は多層的になっていく』、こんな小説に私はまだ出合ったことがない。ますます読んでみたくなった。
・『《歴史を描くということは、どうすることもできない悲劇も描かないといけないということです。 例えば、二十代なかばに教員になったヤマコ。物語中盤の大きな場面が、彼女の勤務する小学校に墜落する事故です。 目を覆いたくなるような悲惨な事故ですが、避けては通れないところだった。この事故は沖縄の歴史にとっても大きな転換点で、日本への復帰運動や反基地闘争が活発になるきっかけとなったものです。 物語のなかでは彼女自身の転換点にも重なっていく。小さな教え子が目の前で亡くなるのを目の当たりにして、ヤマコはずっと抱き続けたオンちゃんへの思いを断ち切り、復帰運動など社会にこれまで以上に関わっていこうとする。 言うなれば、みずからがオンちゃんの代わりに「英雄」になろうとするのです。子供たちが成長することのできない世界を認めることはできないと。これほど劇的な成長を果たす女性キャラクターを僕は書いたことがなかった。 降ってくる理不尽な悲劇の積み重ねが、声を上げるという行動に結びつくというその大きな心の動きを、読者に肌で感じてもらえると思います。 そういうのはもう、イデオロギーとは関係なところで、とても人間臭い心の動きで、わたしたちもそういうときがあったな、これからあるかもなと自分に寄せて感じてもらえるのではないかと。》』、「わたしたちもそういうときがあったな、これからあるかもな」というのが、私にはまるでなさそうなのは誠に残念だ。
・『ヤマコが感じた「痛み」は沖縄に残り続ける「痛み」につながってくる。《米軍機の墜落事故は、最近で言えば普天間基地近くの小学校(宜野湾市立普天間第二小学校)に、米軍ヘリの窓枠が落下した事故と重なると思います。 規模は違うにせよ、子供たちの頭上を米軍機やヘリが「訓練」として飛んでいるのは変わらないですよね。 現在の世界中で起きているさまざまな問題に対して、拡散的にフィードバックできるように書いたつもりですが、それを諭したり、説きふせたりするように語るお説教小説になっていってもよくない。 まずは小説の面白さを最大限に味わってもらって、青春時代に失ったものへの哀惜とか、社会に対して声を上げることとか、困難を越えていってあらたな自分の姿を模索するとか、だけどおれは海辺でぼーっとしてたいよ、という偽らざる真情とか、そういう世界中の誰にでも共通する普遍的な思いやテーマ、どの世界のどんな時代を生きる人にも通じる物語の力を通して、読み終わったあとになにか琴線にふれる、心に響くものが残るというものになったらいいなと思っています。》 ぐっと重たくなる話を和らげるのが「ゆんたー」の存在だった。《助けられたのは「ゆんたー」ですね。とりわけ中盤からは、重々しく感傷的になる場面が連続するところもあるけれど、神でもない、人でもない、陽気なねえちゃん兄ちゃんにがやがやと喋ってもらっているような「語り」がある種の緩衝や中和の役割を果たしてくれる。 風通しの良いユーモアで、物語を進める力をくれる。 うるさいと感じる読者もいるかもしれませんが、「ゆんたく(おしゃべり)」好きな語り部につかまったということでそこはお付き合いいただいて。実際、書いていて僕も、この「語り」に何度も救われました。》』、筆力の凄さには感心する他ない。肩ひじ張らずに読めそうなのは、楽しみだ。
・『「生きて帰ってこい」 もう一つ、この小説を特徴付けているのが「生」を徹底的に肯定する姿勢だ。抵抗による「死」に美学を見出すという姿勢はない。どんなことがあっても生き抜くこと。 戦果アギヤーたちは危ないときは逃げてもいい、いつだって生きることを考えている。《いま話しながら、僕自身も戦果アギヤーに自分を投影しているところがあったかもしれないなと思いました。 彼らが立ち向かう対象は世界一の軍隊である米軍で、僕が立ち向かうのは沖縄を舞台にした青春大河小説。対象は違うけれど、身のほどを超えた大きなものに立ち向かうところは同じだと。 複数の新人賞をもらって、デビューは華々しかったけれど、商業作家としての厳しい時期が続いた。これといったヒット作もなく、仕事の注文は来なくなり、自分が望んだような評価も得られない時期が長かった。 でも、一部の編集者はまだ僕を信じて賭けてくれた。僕も戦果アギヤーのように、勝負をしてフェンスを越えて向こう側に行きたい。 僕にとっての「越境」というのがまさに沖縄人になりきって書くことだった。そうしてなにか、大きな戦果をつかんで還ってきたいと思っていたのかもしれないなと。 戦果アギヤーのポイントは「生還」です。ボーダーを越える勇気を持ち、かつ戦果を掴んで生きて帰ってくる。越えたさきで討ち死にしては元も子もないんです。》』、「討ち死に」を美しいとする伝統的な日本人の美学に対して、それとは対極にある「生還」をぶつけてきたというのも、興味深い。
・『これから読む読者、特に若い読者に対してメッセージがあるという。《フェンスを越えろ、ボーダーを越えろ――というところですかね。 何かをやらかしたくて、ずっとうずうずしている。そういう人に特に読んでほしいです。そこにある壁はそんなに高くないし、僕たちは自分が思っているほど無力でもない。 「宝」はすでに僕たちの内側で身を縮こまらせているかもしれない。だからそれぞれの境界や障壁を越えて、そして生きて帰ってこい――そんな感じですかね。》』、身の周りの壁の高さに恐れおののいている若い世代には、確かにいい薬になりそうだ。
・『沖縄の男性に言われた「存分にやりなさい」 圧倒的な物語が描き出したのは、単なる歴史的記述を越えて、この社会だと言っていいだろう。「第三者」であっても、対象に接近したいという思いがあれば、普遍的な物語を描けるということを真藤は示したのではないか。 戦果アギヤーのように、沖縄に対して感じていたボーダーを乗り越えて、掴み取った直木賞である。 彼が取材で出会った沖縄の男性は、彼にこんな言葉をかけている。「存分にやりなさい。直木賞を取ってきなさい」 約束を果たしたことで、真藤は自身にとっての「予定にない戦果」を手に入れた。正確には手に入れる資格を得た、だろうか。 本書を手に取った読者から寄せられる「声」はこれからも増え続け、小説の世界をより多層的に、豊かにしていくのだから。 地元紙のニュースによると、受賞発表直後から、『宝島』は沖縄の書店で異例の売れ行きを記録しているという』、繰り返しにはなるが、私も是非読んでみたい。
次に、2月25日付けロイター「アングル:沖縄県民投票は反対7割、補選・参院選への影響に注目」を紹介しよう。
https://jp.reuters.com/article/okinawa-henoko-idJPKCN1QE0N1
・『沖縄県民投票が24日投開票され、政府が進める米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、辺野古沖の埋め立てに対して「反対」票が7割超の43万票超となった。 沖縄県知事が結果を尊重し、安倍晋三首相やトランプ米大統領に結果を通知すると定められた投票資格者総数の4分の1(28万8398票)を大幅に超えた。 県民投票に法的拘束力はなく、政府は埋め立て工事を継続する方針で、国と沖縄県の対立は一段と鮮明になりそうだ。また、今年4月の衆院補選やその先の参院選にどのような影響が及ぶのか、早くとも与野党間での「神経戦」が始まった。 県民投票条例は、3択のうち最も多かった選択肢の票数が投票資格者総数の4分の1以上となった場合に、知事に結果の尊重義務を課しており、玉城デニー知事は安倍首相とトランプ米大統領に速やかに結果を通知する方針。共同通信によると、沖縄県側は3月1日に安倍首相に会って結果を伝達したいという意向を持っているという』、「票数が投票資格者総数の4分の1以上」にどのような意味があるのか、記事では説明不足でよく分からないが、東京新聞などによれば、目安として、投票率が50%を超え、選択肢の票数が50%を超えで、4分の1以上としたようだ。
・『菅義偉官房長官は25日の会見で「知事から要望があれば、しっかりと対応したい」と述べ、首相と知事の会談が行われる方向となっている。 だが、沖縄県と政府との間に存在する「辺野古移設」をめぐる見解の差は、全く埋まっていないと見た方がよさそうだ。 安倍首相は25日、記者団に対して「沖縄に基地が集中している現状は、到底容認できない。沖縄の基地負担軽減は政府の大きな責任だ。今回の結果を真摯に受け止め、これからも基地負担の軽減に向けて全力で取り組んでいく」と述べ、工事継続のスタンスを明確にした。 また、ここに来て辺野古沖の海底が軟弱地盤で、埋め立て工事の期間が長期化し、工費が大幅に増額される可能性が沖縄県から指摘され、工事反対派のトーンが一段と強まっている。 沖縄県は、移設コストが最大2兆5500億円と当初予算の10倍に膨らむと試算している。 これに対し、岩屋毅防衛相は「地盤改良でコストが増える可能性はあるが、そこまではかからないと考えている」と表明。政府高官は25日、住民投票が「移設工事前ならば意味はあった」と述べ、辺野古沖の埋め立て工事を粛々と継続する姿勢を示した』、政府側の「これからも基地負担の軽減に向けて全力で取り組んでいく」というのは論点のすり替えだ。「移設コストが最大2兆5500億円と当初予算の10倍に膨らむと試算」に対し、「そこまではかからない」と工事を強行するようだが、少なくとも移設コストを現時点で見直し、国民に示すべきだろう。
・『野党側、衆院補選に追い風の思惑 一方、今回の投票結果が、今年4月の衆院沖縄3区の補欠選挙や夏の参院選に波及するのかどうか、与野党間で早くも様々な思惑が出ている。 昨年9月の沖縄県知事選では「移設反対」の玉城氏が圧勝。今回の住民投票で、反対票が玉城氏の獲得した約39万7000票を上回る43万4273票に達し、野党側のボルテージが上がった。 補選は、玉城氏の知事選出馬によって行われるため、統一候補を立てている野党側は、今回の住民投票の結果が、かなりの追い風になるとの見方を強めている。 ただ、夏の参院選に向け、野党側が弾みをつけたかといえば、そうとも言えない面もある。立憲民主党関係者のひとりは、立憲民主党と国民民主党の主導権争いが継続し「参院選の1人区以外での共闘は難しい」と話す。 また、政府・与党内では、基地を抱える沖縄県の反基地感情は同県特有で、安倍内閣の政権運営に大きな影響は出ない、と言い切る関係者が多い。 しかし、4月の衆院沖縄3区の補選で野党側が勝利すれば、32ある1人区で与野党対決ムードが醸成され、与党が大幅に議席を減らすリスクを懸念する関係者もいる。 統一地方選と参院選が重なる12年に1度の「選挙の年」が、どのような結末になるのか、早くも永田町では様々な「予想」が交錯し始めた』、4月の衆院沖縄3区の補選では、野党側も共闘して勝利してもらいたいものだ。
第三に、慶応大名誉教授の小林節氏が2月27日付け日刊ゲンダイに寄稿した「住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248285
・『在日米軍普天間飛行場の辺野古移設の是非を問う沖縄県民投票の結果は、「反対」が実に72%を超えた。 それでも、安倍政権はそれを無視して移設工事を続行する構えを崩していない。その背景に「県民投票には法的拘束力がない」という認識と「安全保障は国の専権事項だ」という認識があることは確かである。 しかし、県民投票には、わが国の最高法である憲法上の拘束力があることを忘れてはいないだろうか。 憲法95条は「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」(つまり、自治体住民には拒否権がある)と定めている。つまり、それが国策として必要だと国会が判断しても、その負担を一方的に負わされる特定の自治体の住民には拒否権があるという、極めて自然で当然な原則である。 もちろん、辺野古への米軍基地の移設は形式上は「法律」ではない。それは、条約上の義務を履行しようとする内閣による「行政処分」である。しかし、それは形式論で、要するに、「国の都合で過剰な負担をひとつの地方自治体に押し付けてはならない」という規範が憲法95条の法意であり、それは、人間として自然で当然な普遍的常理に基づいている』、「憲法95条」については、恥ずかしながら初耳だった。確かに、政府の勝手を許さない、意味がある条項だ。一般のマスコミも報道すべきだ。
・『アメリカ独立宣言を引用するまでもなく、国家も地方自治体も、そこに生活する個々の人間の幸福追求を支援するためのサービス機関にすぎない。そして、国家として一律に保障すべき行政事務と地域の特性に合わせたきめ細かな行政事務をそれぞれに提供するために、両者は役割を分担しているのである。 そこで、改めて今回の問題を分析してみると次のようになろう。まず、わが国の安全保障を確実にするために日米安保条約が不可欠だという前提は争わないでおこう。しかし、だからといって、そのための負担を下から4番目に小さな県に7割以上も押し付けていていいはずはない。そこに住民が反発して当然である。だから、政府としては、憲法の趣旨に従って、「少なくとも県外への移設」を追求すべき憲法上の義務があるのだ』、説得力溢れた主張で、全面的に賛成である。
タグ:真藤自身は1977年、東京生まれ 沖縄問題 そこにはしなやかさや荒々しさ、抑圧への抵抗、困難を越えていく生命力、タフさや人間臭さ、それから生きて還ってきて宴会をするという若気のきらめきがあふれている 警察小説 県民投票には、わが国の最高法である憲法上の拘束力がある 「住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある」 結果的に書きあがった小説は、現在の沖縄が抱える問題にも通じていくものになった 日刊ゲンダイ エンターテイメント小説 原稿用紙960枚の大作 お金がなかったから、レンタカーのなかで寝袋で寝て、ホテル代を節約したこともありました この世界で生きていける場所を奪い返そうとする、戦果アギヤーの魂の発露だ 執筆は止まった。基地問題を真正面から扱う。歴史的な問題も扱う。 中途半端に手を出せば、ルーツもない東京生まれ、東京暮らし、文学賞を何度も受賞した作家が沖縄を「ネタ」として扱っているだけ。そう批判される可能性も大いにあった 沖縄県民投票 憲法95条は「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」 コザ暴動 「「越境する勇気を描く」『宝島』で直木賞、真藤順丈の沖縄への思い 社会派青春小説はこうして生まれた」 沖縄には取材で計3回行ってます 安倍晋三首相やトランプ米大統領に結果を通知すると定められた投票資格者総数の4分の1(28万8398票)を大幅に超えた 腹を括らなければならなかった 「生還」 「戦果アギヤー」との決定的な出会い 「反対」票が7割超の43万票超 第160回直木賞 辺野古への米軍基地の移設は形式上は「法律」ではない。それは、条約上の義務を履行しようとする内閣による「行政処分」 ヤマコは教員として社会運動にも深く関わりながら歴史を生きる ロイター 明日を生きるために米軍基地に忍び込み、基地から物資を奪う「戦果アギヤー」がいた どうしようもない悲劇も描かなくてはならない 「心配してなかったですよ。だって真藤さんはイタコ型だから。登場人物が憑依するんです」 抵抗による「死」に美学を見出すという姿勢はない。どんなことがあっても生き抜くこと 米軍に追われたオンちゃんは突如として失踪 小林節 語り手はおしゃべりな「ゆんたー」に設定して、主要な登場人物も全員がウチナンチュ(沖縄の人)にしたかった 県民投票に法的拘束力はなく、政府は埋め立て工事を継続する方針 この小説の語り手は「われら語り部(ゆんたー)」 弟のレイはアンダーグラウンドを転々とする危険人物に 異質である自分を認め、他者を知ろうとどこまでも接近し、対象になりきって書き進める。そのための没入である 「ゆんたー」 沖縄県は、移設コストが最大2兆5500億円と当初予算の10倍に膨らむと試算 歴史からこぼれ落ちてしまう人たちの物語 主人公たちの独白、市井を生きる名もなき登場人物の声、そして時にポップに、時に優しくツッコミを入れる「われら語り部(ゆんたー)」の声—— まったくの「第三者」 基地から奪った薬を住民たちの手に渡り命を守り、盗み出した木材は小学校になった 「鉄の暴風」が吹き荒れた凄惨な沖縄戦直後から始まった米軍統治時代 降ってくる理不尽な悲劇の積み重ねが、声を上げるという行動に結びつくというその大きな心の動き 舞台は1952年から1972年、沖縄戦直後に始まる米軍統治時代から日本復帰まで激動の沖縄だ 沖縄の男性に言われた「存分にやりなさい」 現代ビジネス 人生観が変わるくらいの没入 警察よりもむしろ戦果アギヤーのほうに重心が移っていった ルーツがないということを理由に、断絶や境界を越えていく構えをとらないというのは、これまでの戦後史のなかで島の外の人間が沖縄に向けてきた無理解や無関心、腫れ物に触るような及び腰の態度と変わらないと考えました (その10)(「越境する勇気を描く」『宝島』で直木賞 真藤順丈の沖縄への思い 社会派青春小説はこうして生まれた、沖縄県民投票は反対7割 補選・参院選への影響に注目、住民投票にはわが国の最高法である憲法上の拘束力がある) 「アングル:沖縄県民投票は反対7割、補選・参院選への影響に注目」 政府としては、憲法の趣旨に従って、「少なくとも県外への移設」を追求すべき憲法上の義務がある 真藤順丈『宝島』 多くの「声」が渾然一体となり、物語の世界は多層的になっていく 時代の動きを追いながら、人が生まれて、成長するまでを大河ドラマとして描きたい それが国策として必要だと国会が判断しても、その負担を一方的に負わされる特定の自治体の住民には拒否権があるという、極めて自然で当然な原則 構想7年、執筆に3年 「生きて帰ってこい」 沖縄の歴史はすべてが現在につながっています。これは覚悟を決めて臨まないといけないと思っていました フェンスを越えろ、ボーダーを越えろ―― 親友のグスクは警官に 旧知の編集者 陽気なねえちゃん兄ちゃんにがやがやと喋ってもらっているような「語り」がある種の緩衝や中和の役割を果たしてくれる 石戸 諭 「国の都合で過剰な負担をひとつの地方自治体に押し付けてはならない」という規範が憲法95条の法意であり、それは、人間として自然で当然な普遍的常理に基づいている 岩屋毅防衛相は「地盤改良でコストが増える可能性はあるが、そこまではかからないと考えている」と表明 野党側、衆院補選に追い風の思惑 彼らは過去にとてつもない体験をしながら、もともと自分たちのものであった資源や土地を、奪われたものを奪い返すために、無謀に走りつづける 父は若いころから沖縄に関心を持ち続けていて、沖縄の写真集や書籍がたくさん家にありました
沖縄問題(その9)(普天間基地 辺野古への移設が「唯一の解決策」ではない理由、沖縄米軍基地問題が「対岸の火事」ではないことのこれだけの根拠 沖縄の海兵隊は内地からの押しつけ) [国内政治]
沖縄問題については、昨年10月7日に取上げた。県民投票も終わった今日は、(その9)(普天間基地 辺野古への移設が「唯一の解決策」ではない理由、沖縄米軍基地問題が「対岸の火事」ではないことのこれだけの根拠 沖縄の海兵隊は内地からの押しつけ)である。
先ずは、室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏が10月31日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「普天間基地、辺野古への移設が「唯一の解決策」ではない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183823
・『普天間基地の辺野古への移転問題は、非常に複雑で分かりにくい。そこで、これまでの経緯を含めて、「問題の本質」を解説する。 普天間基地の辺野古への移転 政府の姿勢は変わらず 普天間基地(正確には普天間飛行場であるが、公文書等の表現をそのまま使用する場合を除き、本稿においては普天間基地と表記する)の辺野古移転の是非が争点の一つであった沖縄県知事選挙が9月30日に投開票が行われ、辺野古移設反対を訴えた玉城デニー候補が圧勝した。 しかし、政府、安倍政権は辺野古移設推進の姿勢を変えることなく、予定通りに移設手続きを進めていくようだ。 新たに就任した岩屋防衛大臣は、早速、沖縄県による普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋め立て承認の取り消しについて、行政不服審査法に基づく執行停止の申し立てと取り消し処分の取り消しを求める審査請求を行った。 これに対して沖縄県の玉城知事は「民意を踏みにじるもの」と反発、今後さらにエスカレートしていきそうな様相を呈している。 この普天間基地の辺野古への移転、住宅街に隣接する同基地の危険除去がその大きな理由として挙げられており、それをもって一刻も早い移転が必要であると繰り返し説明されてきた』、政府のご都合主義的な説明の嘘を暴くことには大きな意味がある。
・『実態は米軍「海外部隊の再編」の一環 まるで、日本政府が米軍に粘り強くお願いして米軍が同意してくれたかのようにも聞こえるが、在日米軍はあくまでも自分たちの戦略的な都合で、日米安全保障条約と日米地位協定という枠組みを作って、日本に基地を確保して駐留しているというのが実情である。 お願いしたからどうこうなるものではない。 要は米国側の理由で、少なくとも普天間基地から出ていくことになったということであり、実態としては米軍の「海外部隊の再編」の一環として進められてきたものだ(詳細は後述)。 しかし、あくまでも日本政府が「沖縄県民のために頑張りました」「頑張っています」ということにしておきたいのか、そんなことは一言も安倍政権関係者から公には語られることはなかったように思う。 ところが、10月7日のNHKの番組で、菅義偉官房長官が、普天間基地の辺野古移設が実現することで、在沖縄の米海兵隊約9000人がグアム等の海外の基地に移転することになると述べたようだ。 これまで、先述の通り、危険除去のための普天間基地の辺野古移転としか言ってこなかったようなものであるから、多くの反響を呼んだようだ。 これだけ聞くと、日本政府、現政権が頑張ってお願いし、交渉して、基地の移転のみならず海兵隊の移転まで確約してくれたかのようである。 まるで「辺野古に移転させれば、在沖縄の海兵隊員の数も大幅に削減される」「(海兵隊員削減により)墜落事故の危険性だけではなく、米兵による犯罪の数も激減する」といった期待まで抱かせる。結果的に「だから即刻辺野古移転を実現すべきだ」といった、もっともらしい意見も出てきそうである』、菅義偉官房長官のNHKでの説明には、安倍政権の手柄を増やすために、ここまでよくぞ嘘をつくものだとあきれた。
・『正確には米海兵隊の移転に伴う普天間基地の全面返還 しかし、普天間基地の辺野古への移転とは、正確には、一義的には在沖縄の米海兵隊のグアム等への移転に伴う「普天間基地の全面返還」であり、「普天間基地がそっくりそのまま辺野古に移転する」という話ではない。 しかも、これは10年以上前に正式に決まった話であって、現政権がどうこうしたという話ではない。 従って、菅官房長官の発言のうち、米海兵隊員のうち約9000人が沖縄から出て行くことになっているというところは、「米海兵隊員の多くが出て行く」という点についてはその通りであるが、「辺野古に移転すれば、出て行く」という話ではない。 ただし、普天間基地の全面返還と在沖縄の米海兵隊員の大規模なグアム等への移転と引き換えに、「代替施設の整備が行われること」とされており、その整備地区が辺野古周辺ということになっている。 この基地返還・米海兵隊員海外移転と代替施設の整備の関係性が「くせもの」で、本件の根幹部分に横たわってきたわけであるが、ご都合主義的に解釈・説明されることが多かった。 それがために「問題の本質」がどんどん分かりにくくなり、一般国民、特に沖縄県民の間には誤解が誤解を生んで事態を複雑化させていってしまったように思われる。 そこで、以下、直近の関連の公文書を参照しつつ、時系列的にことの本質について整理・考察してみたい。 本件は、当然のことながら、昨日今日始まった話ではなく息の長い話である。移転等の具体的な工程が正式に決まった、平成18年5月1日の「再編実施のための日米のロードマップ」(以下、「ロードマップ」という)からひもといていくこととしたい。 ロードマップが決定したのは小泉政権下(ロードマップが決定したのは小泉政権下で、日本側の担当者は麻生外務大臣および額賀防衛庁長官、米国側はライス国務長官およびラムズフェルド国防長官(いずれも当時)である。 この段階で既に「普天間飛行場代替施設」が「辺野古岬とこれに隣接する大浦湾と辺野古湾の水域を結ぶ形で設置」され、工法は埋め立てによることとされている(過去には沖縄県外も検討の対象とされていたようであるが、本稿の関心は代替施設の整備・運用開始と在沖縄の米海兵隊員の海外移転の関係性であり、なぜ辺野古となったのかについては立ち入らない)。 一方、この段階では「辺野古が唯一の~」といった表現は見当たらず、「この施設は、合意された運用上の能力を確保するとともに、安全性、騒音及び環境への影響という問題に対処するものである」という記載が見られるだけである(英文でも “This facility ensures agreed operational capabilities while addressing issues of safety, noise, and environmental impacts.” とされ、ある種非常にドライな表現になっている)。 また、「普天間飛行場代替施設への移設は、同施設が完全に運用上の能力を備えた時に実施される」とされ、同時に、「米国政府は、この施設から戦闘機を運用する計画を有していない」とされている。 では、海兵隊員のグアム等への移転についてはどうなっていたかというと、「約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する」と明記され、具体的に移転する部隊(第3海兵機動展開部隊の指揮部隊、第3海兵師団司令部、第3海兵後方群(戦務支援群から改称)司令部、第1海兵航空団司令部及び第12海兵連隊司令部)も記載されている。 なお、第3海兵機動展開部隊とは、米国側の略称ではIIIMEF、正式名称は3rd Marine Expeditionary Forceであり、在日海兵隊のウェッブサイトの表現を用いれば、第3海兵遠征軍である。なぜか外務省も防衛省もこの原意に即した表現を用いないのは、何か特別の理由があるのだろうか』、10年以上前の小泉政権下の「再編実施のための日米のロードマップ」に遡るというのは、すっかり忘れていたのを思い起こしてくれた。
・『関係性をより明確にしたい 強調したい意図の表れ 肝心のこれらの関係性については、「普天間飛行場代替施設への移転、普天間飛行場の返還及びグアムへの第3海兵機動展開部隊要員の移転に続いて、沖縄に残る施設・区域が統合され、嘉手納飛行場以南の相当規模の土地の返還が可能となる」とされている。 「再編案間の関係」についての項では、「全体的なパッケージの中で、沖縄に関連する再編案は、相互に結びついている」と明記、「特に、嘉手納以南の統合及び土地の返還は、第3海兵機動展開部隊要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転完了に懸かっている」「沖縄からグアムへの第3海兵機動展開部隊の移転は、(1)普天間飛行場代替施設の完成に向けた具体的な進展、(2)グアムにおける所要の施設及びインフラ整備のための日本の資金的貢献に懸かっている」とされている。 「相互に結びついている」とされ、「懸かっている」と繰り返し記載されていると、さも普天間基地の辺野古への移転が全ての条件のように見えてしまうかもしれない。 確かに、普天間基地等の土地の返還は海兵隊員のグアム移転に「懸かって」おり、海兵隊員のグアム移転は普天間代替施設の「完成に向けた具体的進展」と移転先であるグアムにおける施設等の整備への日本政府の「資金的貢献」に「懸かっている」と、わざわざ関係性を分けて二段構えで記載しているのは、関係性をより明確にしたい、強調したい意図の表れであると考えることもできよう。 ただし、問題は「懸かっている」の意味するところである』、なるほど。
・『米国は自らの海外部隊の再編を日本政府の負担で行おうとしている? 英文のロードマップでは、「懸かっている」は “depend on”と “dependent on”という言葉が使われている。その語源等も含めて考えると、その意味するところは、端的に言えば、「日本政府の対応次第」ということであり、前提条件ではなく、ある程度突き放して「どうするか自分たち(日本政府)で考えろ」と暗に言っているか、半ば「脅し」のようなものであると考えた方がいいのではないか。 ただ、その「自分たちで考えろ」や「脅し」の対象は普天間代替施設の整備ではなく、グアムへの移転や、移転先の施設・インフラの整備等に係る巨額の費用なのではないかと思われてならない。 実際、このロードマップの段階で、総額102.7億ドルのうち、60.9億ドル(当時のレートで約7000億円)を支出することとされている。 しかも、「日本は、これらの兵力の移転が早期に実現されることへの沖縄住民の強い希望を認識しつつ、これらの兵力の移転が可能となるよう」( “to enable the III MEF relocation, recognizing the strong desire of Okinawa residents that such force relocation be realized rapidly” )と、さも一義的には日本の問題であり、日本のための措置であるかのような、日本のための措置に米国が協力してあげているかのような大義名分まで記載されている。 つまり、米国は自らの海外部隊の再編を、沖縄問題にかこつけて日本政府の負担で行おうとしているだけなのではないか、ということである』、グアムへの移転関連費用「総額102.7億ドルのうち、(日本側が)60.9億ドルを支出」するとは、米国にとっては恩を売るだけでなく、財政的にも好都合極まりない話だ。
・『大きな変化が見られるのは特に野田政権になってから もしそうであれば、体のいい(か悪いかは分からないが)ゆすりたかりの類と変わらないということだろう。 こうした方向性は、在沖縄米海兵隊のグアム移転に関して取り決めた、「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」(平成21年5月19日効力発生、麻生政権)においても確認されている。 これに大きな変化が見られるのは、旧民主党を中心とする連立政権に交替して以降、特に野田政権なってからである。 平成24年2月8日の「在日米軍再編に関する日米共同報道発表」では、普天間代替施設の設置場所を辺野古とすることについて、公表されている文書では初めて「唯一の有効な進め方であると信じている」とされた他、「両国政府は、再編のロードマップに示されている現行の態勢に関する計画の調整について、特に、海兵隊のグアムへの移転及びその結果として生ずる嘉手納以南の土地の返還の双方を普天間飛行場の代替施設に関する進展から切り離すことについて、公式な議論を開始した」とされ、普天間代替施設の辺野古への整備をなんと独立の事象とする方向性が示された(この他、グアムに移転する海兵隊の部隊構成及び人数についても見直しが行われている)。 そして、同年4月27日の日米安全保障協議委員会共同発表(結果発表)においては、「閣僚は、~(中略)~第3海兵機動 展開部隊(IIIMEF)の要員の沖縄からグアムへの移転及びその結果として生ずる嘉手納飛行場以南の土地の返還の双方を、普天間飛行場の代替施設に関する進展から切り離すこと」が決定され、普天間代替施設の辺野古への整備だけが独立して進められることになった。 要するに普天間代替施設の整備だけをとりあえず行うことにしたということであり、先のロードマップからすれば、(ロードマップ自体は形式上は存在していたとしても)全く別物になってしまったと言ってもいいような話なのである。 これでは何ための代替施設の整備なのか訳が分からない』、野田政権下で「唯一の有効な進め方」が入り、海兵隊のグアムへの移転も不明確になったとは、何たる弱腰外交だろう。
・『そもそも再編自体は米国側の都合での話 そもそも再編自体は米国側の都合での話なのであるし、(背景はどうあれ)日本が財政負担をするのであるから、仮に切り離すにしても、例えばまずは在沖縄海兵隊のグアム移転を求めるといった交渉は十分可能であったであろう。 それとも、それほど在沖縄米海兵隊を引き止めたいと懇願したということなのだろうか。 また、改めて、「閣僚は、キャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に建設することが計画されている普天間飛行場の代替施設が、引き続き、これまでに特定された唯一の有効な解決策であるとの認識を再確認した」と当然のごとく記載された(なお、移転する米海兵隊員の数も、それまでの約8000人から約1000人増えて約9000人とされた)。 こうした旧民主党野田政権の外交力のなさというか、外交交渉における胆力のなさが導いたある意味の負の遺産を、政権交替後の自民党安倍政権はまさか引き継ぐまいと思いきや、平成27年12月4日の「日米共同報道発表「沖縄における在日米軍施設・区域の統合のための日米両国の計画の実施」」では、普天間代替施設の辺野古への設置が、「運用上、政治上、財政上及び戦略上の懸念に対処し、普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である」との表現が登場した。 米軍の再編話とは別物であるばかりか、まるで日本政府がお願いして普天間基地を移設してもらうかのような話に堕してしまったと言っていいだろう』、尖閣問題もあるので、「在沖縄米海兵隊を引き止めたいと懇願」したとのシナリオもありそうな話だ。
・『これでは政府に対する不信が高まっていくのも無理はない 在沖縄米海兵隊員の移転人数も、安倍政権になってからは人数が削除されて単に「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族」(“the III MEF personnel and their dependents” )に改められている。 どの程度の規模で移転し、再編されるのかが不透明になったということである。 こうなると、本当は何のために普天間代替施設の辺野古への整備を進めようとしているのか、沖縄県民にしても分からなくなってしまうのは当然である。 政府の説明がこれだけ変わってしまっているのであれば、政府に対する不信が高まっていくのも無理はない。 こうした不信を取り除きたいのであれば、なぜ野田政権で方針が大きく変更されたのか、安倍政権に替わってからもそれが堅持され推し進められようとしてきているのか。 経緯や背景等を包み隠さず国民に、渦中の沖縄県民に説明することだろう。 その上で、わが国を取り巻く安全保障環境の変化も踏まえつつ、ロードマップに立ち返って再度整理し、本件はまき直す必要があるのではないか。 少なくとも辺野古への移設は「唯一の解決策」などではないはずなのであるから』、説得力溢れる主張で、全面的に賛成だ。
次に、作家の松永 多佳倫氏が2月25日付け現代ビジネスに寄稿した「沖縄米軍基地問題が「対岸の火事」ではないことのこれだけの根拠 沖縄の海兵隊は内地からの押しつけ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60049
・『誤情報から生まれる基地問題への偏見 新聞で“沖縄”の活字を見れば、たいていの人が「また基地問題か」と容易にうんざりするかもしれない。正直、沖縄に関心ない人にとって、基地問題は対岸の火事にしか思えないのだろう。 戦後74年経った今も、解決策の糸口さえ見出せない沖縄基地問題だが、ネット社会の隆盛により誤情報があまりにたくさん出回っている。明らかな誤情報と判別できるものもあれば、それなりの知識がなければ簡単に鵜呑みにしてしまう巧妙なものもある。 「普天間基地が返還されると、沖縄の基地の3割が減る」「さらなる振興予算をもらうために辺野古新基地建設に反対している」「沖縄は基地経済で潤っている」こういった情報は、一般的な常識とさえなっている。ネットには、日本の国土の0.6%しかない沖縄に在日米軍専用施設区域が70.6%も集中しているという事実に対し、23%、39%という不可思議な数字がみられる。23%というのは、米軍が一時的に使う自衛隊の基地の面積を含んだ上での数字であり、39%というのは、区域面積ではなく、施設数の割合を示している。沖縄の基地負担を数字のマジックで軽減させようとする魂胆が見え見えだ。 ネットでは、相変わらず「普天間基地が沖縄からなくなると中国が攻めてくる」といった類の書き込みが目立つが、沖縄県の14.7%に相当する駐留米軍基地の面積は18822.2ヘクタールあり、480.6ヘクタールの普天間基地は、基地面積全体の約2.5%にすぎないということをどれだけの人が知っているだろうか。 普天間基地を東京ドームに換算すると102個分となり、知らない人にとってはかなりの巨大基地に思えるのかもしれない。だが、普天間基地がなくなっても、3.5キロ強の滑走路2本と羽田空港の2倍の面積を誇る極東最大の空軍基地の嘉手納基地(ちなみに嘉手納飛行場と嘉手納弾薬庫は、岩国、三沢、佐世保、横田、横須賀、厚木の6主要米軍専用施設の合計面積より大きい)と、原子力潜水艦の補給基地となっている海軍ホワイトビーチ、米国外で唯一のジャングル訓練施設の米軍北部訓練場など32施設が残り、東京ドーム3903個分という未曾有の広さの基地が残っているのだ。普天間基地が返還されても米軍にとって痛くも痒くもないはずだ。 中国からの脅威についても、通常、海上保安庁や海上・航空自衛隊が、中国の戦艦や航空機の監視警戒にあたっており、米軍の場合だと、嘉手納空軍基地の電子偵察機や対潜哨戒機などが任務遂行となるため、普天間基地がなくなっても何の支障もない。普天間基地という単語がメディアに大きく取り上げられすぎて、嘉手納基地と普天間基地が混同、もしくは嘉手納基地自体を忘れ去られているのか』、普通の人にとっては、沖縄への旅行は1,2回程度で、心理的にも「遠い」印象があるため、誤解も多い。それを解きほぐそうとの本稿は興味深い。
・『普天間基地の土地に関する誤情報 「普天間基地は、もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった」「商売になるとわかると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」 2015年6月25日、ベストセラー作家の百田尚樹氏が自民党若手国会議員の勉強会でこのように発言したことは大きな波紋を広げ、宜野湾市の住民が烈火のごとく怒りを示したのはまだ記憶に新しい。真意はどうであれ、有識者でありながら公式の場でなぜこのような発言をするのだろうか。 普天間飛行場の土地は元々92%が民有地であり、戦前、村役場や宜野湾国民学校や、南北に渡って宜野湾並松という街道が走る生活の中心地だった。1944年、宜野湾村には22の字があり、人口は1万3,635人。1945年上陸した米軍が、「銃とブルドーザー」で住民を収容所に入れて強制隔離して土地を接収し、家々をブチ壊し、田畑を潰して、14の字にまたがる宜野湾村の中心地に基地を造り始めた。 その14の字には8,880人の人々が住んでいた。先祖代々の土地を否応なしに奪われた住民は、基地の周辺に住むほかなかった。先祖崇拝の意識が強い沖縄の人々にとって、理不尽なやり方で先祖代々の土地を奪われることは身を切られる思いだったに違いない。住民の先祖が眠る墓や御願所は基地内にあり、今でも許可なしでは入ることができない不条理がまかり通っているのだ』、百田尚樹は、普天間基地について、よくぞこんなデマを恥ずかし気もなくついたものだ。作家であれば歴史を勉強してから発言すべきだろう。
・『「基地に反対するのは中央から金をせしめるためだ」といった声が内地から聞こえてくる。だが、彼らが基地返還を望む一番の理由は、無理矢理奪われた先祖代々の土地を返してほしいからだ、自由に先祖の墓に参りたいからだ。当然だろう。そして、飛び交う米軍機による騒音や事故、米兵による犯罪に怯えることなく安全に暮らしたいと思っている。普天間が返還されても、辺野古に新基地ができたら、その負担と危険性を押し付けてしまうことに憂いている。だから、反対するのだ。何よりも未来の子どもたちが安心して暮らせる沖縄にしたい思いが根底に宿っている。 普天間基地は74年前に沖縄戦で軍事占領され、今も奪われたままの土地なのだ。 「奪った土地に基地を造り、そこが老朽化したから新しい土地をよこせ。嫌なら代わりの案を出せ、というのは理不尽で、政治の堕落だ」翁長元知事はこう叫んだ』、翁長元知事の主張は正論だ。
・『地上戦部隊“海兵隊”の押し付けこそが元凶 海兵隊とは、いわゆる地上戦部隊であり、最前線で戦う最も危険な任務を遂行する部隊だ。 沖縄に在沖米軍の施設が32ある中で海兵隊の施設は11、面積は全体の66.9%を占め、軍人数は15,356人で全体の57,2%を占めている。この海兵隊は戦時中からずっと沖縄に駐留しているわけではない。 1950年に勃発した朝鮮戦争の休戦を機に、米軍海兵隊約16,000人をキャンプ岐阜(現・航空自衛隊岐阜基地)、山梨県と静岡県にまたがるキャンプ・マックネア、キャンプ富士(現・陸上自衛隊北富士演習場周辺)に配備するが、度重なる海兵隊員の不祥事(殺人や暴行、強姦、発砲事件など)によって住民の基地反対運動が起こり、ちょうどその時期に内地の米軍基地の整理縮小の流れを受けて、1956年2月、内地から沖縄に海兵隊の移駐が始まったことが起源となっている。 「名古屋に住んでいるとき、岐阜の各務ヶ原飛行場にブルーインパルスを見に観光バスで行ったんですが、バスガイドさんが『もともとは米軍の海兵隊が駐留しておりましたが、住民運動によって移設されました』と誇らし気に言うのには驚きました。 住民運動で米軍基地を追い出したことを誇りに思うのはいいですが、その基地がアメリカ本土に帰ったんじゃなくて、沖縄に押し付けられたことにはまったく配慮がないんです。他の県では住民運動で基地が撤廃されるのに、なぜ沖縄にはそれが許されないのか、憤りを覚えます」(沖縄出身の元大学准教授) 1970年代初頭に内地で基地を大幅に縮小される代わりに、沖縄では基地の固定化が進み、特に内地に散らばっていた海兵隊を沖縄に統合したような形となった。それから約半世紀、内地の人たちはその事実を忘れ去り、また若い世代はその事実まったく知らず、米軍基地のほとんどは最初から沖縄に集中していたと思っている。内地の人々は、過去に厄介ごとを沖縄に押し付けた歴史があることを、もう一度認識すべきだろう』、私も恥ずかしながら、「内地に散らばっていた海兵隊を沖縄に統合したような形となった」というのは知らなかった。これでは、沖縄の人々が怒るのも当然だ。こうした歴史的経緯はマスコミももっと取上げるべきだろう。
・『なぜ、沖縄に基地を置かなくてはならないのか? その根拠をきちんと説明できた政治家、官僚など誰一人としていない。 2005年3月18日、大野功統防衛庁長官は民放テレビで「歴史的にあそこ(沖縄)にいるからだ」と、つい本音が出してしまった。言い換えれば、ただ長年駐留しているのだから居続けてもらうのも仕方がないじゃないかということだ。 2012年12月25日には、森本敏防衛大臣が閣議後の会見で、普天間飛行場の移設先について、「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ」と、辺野古沖に移設案は政治的な状況によるものだと発言したり、また、2014年3月には、中谷元防衛大臣が、大学生のインタビューの中で、沖縄への米軍基地集中について「分散しようと思えば九州でも分散できるが、(県外の)抵抗が大きくてなかなかできない」と答えている。 さらに、2018年9月13日沖縄タイムスの一面に、『石破氏 政治的理由を認める』という記事が掲載された。自民党の石破茂が自身の公式サイトに、沖縄に基地が集中した経緯について、「1950年代、反米基地闘争が燃えさかることを恐れた日本とアメリカが、当時まだアメリカの施政下にあった沖縄に多くの海兵隊の部隊を移したからだと聞いている」として政治的要因を認める発言をしたが、9月16日までにその部分は削除された。この発言は、内地の新聞、テレビではほとんど報道されなかった。 これらの閣僚の発言は「海兵隊というお荷物を沖縄にならまとめて置いておける」と言っているのと同じことで、沖縄の中で、米軍関係者による殺人や暴行、強姦といった事件や事故が多発していて、何が“抑止力”だと言いたい!』、石破茂が、「1950年代、反米基地闘争が燃えさかることを恐れた日本とアメリカが、当時まだアメリカの施政下にあった沖縄に多くの海兵隊の部隊を移したからだと聞いている」、との発言はさすがに削除されたようだが、真実を突いているのかも知れない。
・『日米地位協定は、法治国家であることの放棄 米兵が事件事故を起こすと、必ず議論となるのが、“日米地位協定”である。この協定の何が問題なのか? 琉球大学人文社会学部の星野英一教授に聞いた。「地位協定の中で一番問題となるのは、裁判権と原状回復義務ですが、地位協定の中で検討すべきことの一つは刑事裁判権の問題です。特に、裁判権において公務執行中の作為または不作為から生じる罪においては、軍隊の構成員または軍属に対して米軍が優先的に裁判権を有するとされ、つまり日本国内でありながら日本の法令は適用されず、外交官以上の治外法権が保証されていると言えます。 日本側が裁判権を行使する場合でも、被疑者の身柄が米国側にあるときは、起訴までの期間、身柄が引き渡されないため十分な捜査ができないという問題点が生じます。1995年の沖縄米兵少女暴行事件の後、運用についての改善が検討されましたが、結局52年間、日米地位協定自体の改定は一度も行われていません」 よく知られていることだが、基地内は治外法権、公務中での事件事故に関して第一次裁判権はアメリカにあるということだ。米軍内の無法者にとって沖縄の基地勤務はバカンス気分であり、犯罪を犯しても基地に逃げ込めば何とかなると思っている有象無象の輩がたくさんいる。 「犯罪を犯した米兵は、なぜ彼らは基地へ逃げるのか。それは身柄を日本の警察に引き渡されることはないからです。自分の命を捧げるため軍に入ったのに、その軍がわざわざ差し出すはずがない。彼らがどんな犯罪を犯そうと“地位協定”に守られてしまうということなんです。在日米軍は“日本を守る”と言っても、“日本人を守る”とは言ってないですから」(大手新聞沖縄支局記者)。 沖縄の歴代知事はずっと地位協定の改善を求めてきたが、日米政府は“運用改善”という曖昧な言葉でやり過ごしてきた。 同じように米軍が駐留するドイツやイタリアでは、基地内でも国内法が適用され、主権がきちんと認められているのに、日本では、捜査権にひとつとってみても、アメリカの同意がなければ、何も手も足も出せない状態となっている。勘違いしないでほしいのは、これは、沖縄県内だけのことではなく、日本中どこでも同じ。平成に入ってから横須賀や佐世保で米兵が強姦事件を起こしたときも、犯人はまんまと逃げきっている。 中学、高校で習う日本史では、1894年、日本に在住する列強の外国人に認められていた治外法権が、睦奥宗光外相によって撤廃されたと教えられるが、そこは、1945年以降、現在でも、米軍関係者には治外法権が認められていると、正しく教えるべきではないのか。 ここ10年間に地位協定に関して、ドイツでは三度、韓国は二度、そしてイタリアも改定してきた経緯があるのに、日本はいまだ52年間一度も改定されていない。政府関係者は、「環境に関してや軍属の定義についても補足協定しており、他国に比べて根本を改定する必要がない」との見解を出している。 1995年、北谷で起きた米兵3人による少女暴行事件で反基地感情が一気に高まり、沖縄県民が一体となって改定を強く求めたが、日米政府は「殺人と強姦」については、起訴前の身柄引き渡しに「好意的配慮を払う」という誤魔化しの表現を使って、“協定の運用改善”とお決まりの言葉で濁し、改定までは至らなかった。 森本敏元防衛大臣が正月のテレビ番組でこんなことを言っていた。「一番沖縄が強く主張するのは、たとえば米軍用機で事故があったとき、アメリカに第一次裁判権かつ第一次捜査権もあるため日本の警察は現場に入れないというのはおかしいと。そこで地位協定には書かれてないんですが、沖縄国際大学にヘリが落ちて以来、新しいルールを作って、ある一定の区域に内周境界線を設けて米軍が第一次に捜査できる以外にも日本の捜査当局もアメリカの許可を得て入ることができるようになった」 さも、日本は日米地位協定の改定に真剣に対応しているように聞こえたが、実際に改定されてない以上、すべて米軍に裁量がある。米軍が「NO!」と言えば何もできない。これではまったく意味を要さない。 本当に、日本は独立した主権国家なのだろうか。対等な主権国家という矜持があるならば、声を大にして要求しなければ不備も不平等も改善されるはずがないのに、なぜか黙っている。 アメリカも命を懸けて働く軍人、軍属を守らなければならないお家事情があり、地位協定に簡単に触れられないのもわかる。でも、同じ敗戦国のイタリア、ドイツができて、なぜ日本はできないのか。 「沖縄に基地があるのは仕方がない」という観念が人間の身体に病巣のように蝕むことが一番の危険なことであり、ますます混迷する事態を生ずる。まず人の痛みを感じることから平和が生まれるのではないだろうか。日米地位協定、ひいては沖縄基地問題は決して対岸の火事ではないことを、内地の人々にもぜひわかってほしい』、同じ敗戦国のイタリア、ドイツでは、米軍「基地内でも国内法が適用され、主権がきちんと認められている」のに、日本では「治外法権」状態にある。「ここ10年間に地位協定に関して、ドイツでは三度、韓国は二度、そしてイタリアも改定してきた経緯があるのに、日本はいまだ52年間一度も改定されていない」、などというのでは、日本は主権国家とはいえない。対米配慮もここまでくると、完全な行き過ぎだ。主張すべきは主張する姿勢が大切だ。ただ、トランプ大統領出現の前に、問題提起をしておくべきで、現在はタイミングが悪過ぎるのかも知れない。
先ずは、室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏が10月31日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「普天間基地、辺野古への移設が「唯一の解決策」ではない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183823
・『普天間基地の辺野古への移転問題は、非常に複雑で分かりにくい。そこで、これまでの経緯を含めて、「問題の本質」を解説する。 普天間基地の辺野古への移転 政府の姿勢は変わらず 普天間基地(正確には普天間飛行場であるが、公文書等の表現をそのまま使用する場合を除き、本稿においては普天間基地と表記する)の辺野古移転の是非が争点の一つであった沖縄県知事選挙が9月30日に投開票が行われ、辺野古移設反対を訴えた玉城デニー候補が圧勝した。 しかし、政府、安倍政権は辺野古移設推進の姿勢を変えることなく、予定通りに移設手続きを進めていくようだ。 新たに就任した岩屋防衛大臣は、早速、沖縄県による普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋め立て承認の取り消しについて、行政不服審査法に基づく執行停止の申し立てと取り消し処分の取り消しを求める審査請求を行った。 これに対して沖縄県の玉城知事は「民意を踏みにじるもの」と反発、今後さらにエスカレートしていきそうな様相を呈している。 この普天間基地の辺野古への移転、住宅街に隣接する同基地の危険除去がその大きな理由として挙げられており、それをもって一刻も早い移転が必要であると繰り返し説明されてきた』、政府のご都合主義的な説明の嘘を暴くことには大きな意味がある。
・『実態は米軍「海外部隊の再編」の一環 まるで、日本政府が米軍に粘り強くお願いして米軍が同意してくれたかのようにも聞こえるが、在日米軍はあくまでも自分たちの戦略的な都合で、日米安全保障条約と日米地位協定という枠組みを作って、日本に基地を確保して駐留しているというのが実情である。 お願いしたからどうこうなるものではない。 要は米国側の理由で、少なくとも普天間基地から出ていくことになったということであり、実態としては米軍の「海外部隊の再編」の一環として進められてきたものだ(詳細は後述)。 しかし、あくまでも日本政府が「沖縄県民のために頑張りました」「頑張っています」ということにしておきたいのか、そんなことは一言も安倍政権関係者から公には語られることはなかったように思う。 ところが、10月7日のNHKの番組で、菅義偉官房長官が、普天間基地の辺野古移設が実現することで、在沖縄の米海兵隊約9000人がグアム等の海外の基地に移転することになると述べたようだ。 これまで、先述の通り、危険除去のための普天間基地の辺野古移転としか言ってこなかったようなものであるから、多くの反響を呼んだようだ。 これだけ聞くと、日本政府、現政権が頑張ってお願いし、交渉して、基地の移転のみならず海兵隊の移転まで確約してくれたかのようである。 まるで「辺野古に移転させれば、在沖縄の海兵隊員の数も大幅に削減される」「(海兵隊員削減により)墜落事故の危険性だけではなく、米兵による犯罪の数も激減する」といった期待まで抱かせる。結果的に「だから即刻辺野古移転を実現すべきだ」といった、もっともらしい意見も出てきそうである』、菅義偉官房長官のNHKでの説明には、安倍政権の手柄を増やすために、ここまでよくぞ嘘をつくものだとあきれた。
・『正確には米海兵隊の移転に伴う普天間基地の全面返還 しかし、普天間基地の辺野古への移転とは、正確には、一義的には在沖縄の米海兵隊のグアム等への移転に伴う「普天間基地の全面返還」であり、「普天間基地がそっくりそのまま辺野古に移転する」という話ではない。 しかも、これは10年以上前に正式に決まった話であって、現政権がどうこうしたという話ではない。 従って、菅官房長官の発言のうち、米海兵隊員のうち約9000人が沖縄から出て行くことになっているというところは、「米海兵隊員の多くが出て行く」という点についてはその通りであるが、「辺野古に移転すれば、出て行く」という話ではない。 ただし、普天間基地の全面返還と在沖縄の米海兵隊員の大規模なグアム等への移転と引き換えに、「代替施設の整備が行われること」とされており、その整備地区が辺野古周辺ということになっている。 この基地返還・米海兵隊員海外移転と代替施設の整備の関係性が「くせもの」で、本件の根幹部分に横たわってきたわけであるが、ご都合主義的に解釈・説明されることが多かった。 それがために「問題の本質」がどんどん分かりにくくなり、一般国民、特に沖縄県民の間には誤解が誤解を生んで事態を複雑化させていってしまったように思われる。 そこで、以下、直近の関連の公文書を参照しつつ、時系列的にことの本質について整理・考察してみたい。 本件は、当然のことながら、昨日今日始まった話ではなく息の長い話である。移転等の具体的な工程が正式に決まった、平成18年5月1日の「再編実施のための日米のロードマップ」(以下、「ロードマップ」という)からひもといていくこととしたい。 ロードマップが決定したのは小泉政権下(ロードマップが決定したのは小泉政権下で、日本側の担当者は麻生外務大臣および額賀防衛庁長官、米国側はライス国務長官およびラムズフェルド国防長官(いずれも当時)である。 この段階で既に「普天間飛行場代替施設」が「辺野古岬とこれに隣接する大浦湾と辺野古湾の水域を結ぶ形で設置」され、工法は埋め立てによることとされている(過去には沖縄県外も検討の対象とされていたようであるが、本稿の関心は代替施設の整備・運用開始と在沖縄の米海兵隊員の海外移転の関係性であり、なぜ辺野古となったのかについては立ち入らない)。 一方、この段階では「辺野古が唯一の~」といった表現は見当たらず、「この施設は、合意された運用上の能力を確保するとともに、安全性、騒音及び環境への影響という問題に対処するものである」という記載が見られるだけである(英文でも “This facility ensures agreed operational capabilities while addressing issues of safety, noise, and environmental impacts.” とされ、ある種非常にドライな表現になっている)。 また、「普天間飛行場代替施設への移設は、同施設が完全に運用上の能力を備えた時に実施される」とされ、同時に、「米国政府は、この施設から戦闘機を運用する計画を有していない」とされている。 では、海兵隊員のグアム等への移転についてはどうなっていたかというと、「約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する」と明記され、具体的に移転する部隊(第3海兵機動展開部隊の指揮部隊、第3海兵師団司令部、第3海兵後方群(戦務支援群から改称)司令部、第1海兵航空団司令部及び第12海兵連隊司令部)も記載されている。 なお、第3海兵機動展開部隊とは、米国側の略称ではIIIMEF、正式名称は3rd Marine Expeditionary Forceであり、在日海兵隊のウェッブサイトの表現を用いれば、第3海兵遠征軍である。なぜか外務省も防衛省もこの原意に即した表現を用いないのは、何か特別の理由があるのだろうか』、10年以上前の小泉政権下の「再編実施のための日米のロードマップ」に遡るというのは、すっかり忘れていたのを思い起こしてくれた。
・『関係性をより明確にしたい 強調したい意図の表れ 肝心のこれらの関係性については、「普天間飛行場代替施設への移転、普天間飛行場の返還及びグアムへの第3海兵機動展開部隊要員の移転に続いて、沖縄に残る施設・区域が統合され、嘉手納飛行場以南の相当規模の土地の返還が可能となる」とされている。 「再編案間の関係」についての項では、「全体的なパッケージの中で、沖縄に関連する再編案は、相互に結びついている」と明記、「特に、嘉手納以南の統合及び土地の返還は、第3海兵機動展開部隊要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転完了に懸かっている」「沖縄からグアムへの第3海兵機動展開部隊の移転は、(1)普天間飛行場代替施設の完成に向けた具体的な進展、(2)グアムにおける所要の施設及びインフラ整備のための日本の資金的貢献に懸かっている」とされている。 「相互に結びついている」とされ、「懸かっている」と繰り返し記載されていると、さも普天間基地の辺野古への移転が全ての条件のように見えてしまうかもしれない。 確かに、普天間基地等の土地の返還は海兵隊員のグアム移転に「懸かって」おり、海兵隊員のグアム移転は普天間代替施設の「完成に向けた具体的進展」と移転先であるグアムにおける施設等の整備への日本政府の「資金的貢献」に「懸かっている」と、わざわざ関係性を分けて二段構えで記載しているのは、関係性をより明確にしたい、強調したい意図の表れであると考えることもできよう。 ただし、問題は「懸かっている」の意味するところである』、なるほど。
・『米国は自らの海外部隊の再編を日本政府の負担で行おうとしている? 英文のロードマップでは、「懸かっている」は “depend on”と “dependent on”という言葉が使われている。その語源等も含めて考えると、その意味するところは、端的に言えば、「日本政府の対応次第」ということであり、前提条件ではなく、ある程度突き放して「どうするか自分たち(日本政府)で考えろ」と暗に言っているか、半ば「脅し」のようなものであると考えた方がいいのではないか。 ただ、その「自分たちで考えろ」や「脅し」の対象は普天間代替施設の整備ではなく、グアムへの移転や、移転先の施設・インフラの整備等に係る巨額の費用なのではないかと思われてならない。 実際、このロードマップの段階で、総額102.7億ドルのうち、60.9億ドル(当時のレートで約7000億円)を支出することとされている。 しかも、「日本は、これらの兵力の移転が早期に実現されることへの沖縄住民の強い希望を認識しつつ、これらの兵力の移転が可能となるよう」( “to enable the III MEF relocation, recognizing the strong desire of Okinawa residents that such force relocation be realized rapidly” )と、さも一義的には日本の問題であり、日本のための措置であるかのような、日本のための措置に米国が協力してあげているかのような大義名分まで記載されている。 つまり、米国は自らの海外部隊の再編を、沖縄問題にかこつけて日本政府の負担で行おうとしているだけなのではないか、ということである』、グアムへの移転関連費用「総額102.7億ドルのうち、(日本側が)60.9億ドルを支出」するとは、米国にとっては恩を売るだけでなく、財政的にも好都合極まりない話だ。
・『大きな変化が見られるのは特に野田政権になってから もしそうであれば、体のいい(か悪いかは分からないが)ゆすりたかりの類と変わらないということだろう。 こうした方向性は、在沖縄米海兵隊のグアム移転に関して取り決めた、「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」(平成21年5月19日効力発生、麻生政権)においても確認されている。 これに大きな変化が見られるのは、旧民主党を中心とする連立政権に交替して以降、特に野田政権なってからである。 平成24年2月8日の「在日米軍再編に関する日米共同報道発表」では、普天間代替施設の設置場所を辺野古とすることについて、公表されている文書では初めて「唯一の有効な進め方であると信じている」とされた他、「両国政府は、再編のロードマップに示されている現行の態勢に関する計画の調整について、特に、海兵隊のグアムへの移転及びその結果として生ずる嘉手納以南の土地の返還の双方を普天間飛行場の代替施設に関する進展から切り離すことについて、公式な議論を開始した」とされ、普天間代替施設の辺野古への整備をなんと独立の事象とする方向性が示された(この他、グアムに移転する海兵隊の部隊構成及び人数についても見直しが行われている)。 そして、同年4月27日の日米安全保障協議委員会共同発表(結果発表)においては、「閣僚は、~(中略)~第3海兵機動 展開部隊(IIIMEF)の要員の沖縄からグアムへの移転及びその結果として生ずる嘉手納飛行場以南の土地の返還の双方を、普天間飛行場の代替施設に関する進展から切り離すこと」が決定され、普天間代替施設の辺野古への整備だけが独立して進められることになった。 要するに普天間代替施設の整備だけをとりあえず行うことにしたということであり、先のロードマップからすれば、(ロードマップ自体は形式上は存在していたとしても)全く別物になってしまったと言ってもいいような話なのである。 これでは何ための代替施設の整備なのか訳が分からない』、野田政権下で「唯一の有効な進め方」が入り、海兵隊のグアムへの移転も不明確になったとは、何たる弱腰外交だろう。
・『そもそも再編自体は米国側の都合での話 そもそも再編自体は米国側の都合での話なのであるし、(背景はどうあれ)日本が財政負担をするのであるから、仮に切り離すにしても、例えばまずは在沖縄海兵隊のグアム移転を求めるといった交渉は十分可能であったであろう。 それとも、それほど在沖縄米海兵隊を引き止めたいと懇願したということなのだろうか。 また、改めて、「閣僚は、キャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に建設することが計画されている普天間飛行場の代替施設が、引き続き、これまでに特定された唯一の有効な解決策であるとの認識を再確認した」と当然のごとく記載された(なお、移転する米海兵隊員の数も、それまでの約8000人から約1000人増えて約9000人とされた)。 こうした旧民主党野田政権の外交力のなさというか、外交交渉における胆力のなさが導いたある意味の負の遺産を、政権交替後の自民党安倍政権はまさか引き継ぐまいと思いきや、平成27年12月4日の「日米共同報道発表「沖縄における在日米軍施設・区域の統合のための日米両国の計画の実施」」では、普天間代替施設の辺野古への設置が、「運用上、政治上、財政上及び戦略上の懸念に対処し、普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である」との表現が登場した。 米軍の再編話とは別物であるばかりか、まるで日本政府がお願いして普天間基地を移設してもらうかのような話に堕してしまったと言っていいだろう』、尖閣問題もあるので、「在沖縄米海兵隊を引き止めたいと懇願」したとのシナリオもありそうな話だ。
・『これでは政府に対する不信が高まっていくのも無理はない 在沖縄米海兵隊員の移転人数も、安倍政権になってからは人数が削除されて単に「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族」(“the III MEF personnel and their dependents” )に改められている。 どの程度の規模で移転し、再編されるのかが不透明になったということである。 こうなると、本当は何のために普天間代替施設の辺野古への整備を進めようとしているのか、沖縄県民にしても分からなくなってしまうのは当然である。 政府の説明がこれだけ変わってしまっているのであれば、政府に対する不信が高まっていくのも無理はない。 こうした不信を取り除きたいのであれば、なぜ野田政権で方針が大きく変更されたのか、安倍政権に替わってからもそれが堅持され推し進められようとしてきているのか。 経緯や背景等を包み隠さず国民に、渦中の沖縄県民に説明することだろう。 その上で、わが国を取り巻く安全保障環境の変化も踏まえつつ、ロードマップに立ち返って再度整理し、本件はまき直す必要があるのではないか。 少なくとも辺野古への移設は「唯一の解決策」などではないはずなのであるから』、説得力溢れる主張で、全面的に賛成だ。
次に、作家の松永 多佳倫氏が2月25日付け現代ビジネスに寄稿した「沖縄米軍基地問題が「対岸の火事」ではないことのこれだけの根拠 沖縄の海兵隊は内地からの押しつけ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60049
・『誤情報から生まれる基地問題への偏見 新聞で“沖縄”の活字を見れば、たいていの人が「また基地問題か」と容易にうんざりするかもしれない。正直、沖縄に関心ない人にとって、基地問題は対岸の火事にしか思えないのだろう。 戦後74年経った今も、解決策の糸口さえ見出せない沖縄基地問題だが、ネット社会の隆盛により誤情報があまりにたくさん出回っている。明らかな誤情報と判別できるものもあれば、それなりの知識がなければ簡単に鵜呑みにしてしまう巧妙なものもある。 「普天間基地が返還されると、沖縄の基地の3割が減る」「さらなる振興予算をもらうために辺野古新基地建設に反対している」「沖縄は基地経済で潤っている」こういった情報は、一般的な常識とさえなっている。ネットには、日本の国土の0.6%しかない沖縄に在日米軍専用施設区域が70.6%も集中しているという事実に対し、23%、39%という不可思議な数字がみられる。23%というのは、米軍が一時的に使う自衛隊の基地の面積を含んだ上での数字であり、39%というのは、区域面積ではなく、施設数の割合を示している。沖縄の基地負担を数字のマジックで軽減させようとする魂胆が見え見えだ。 ネットでは、相変わらず「普天間基地が沖縄からなくなると中国が攻めてくる」といった類の書き込みが目立つが、沖縄県の14.7%に相当する駐留米軍基地の面積は18822.2ヘクタールあり、480.6ヘクタールの普天間基地は、基地面積全体の約2.5%にすぎないということをどれだけの人が知っているだろうか。 普天間基地を東京ドームに換算すると102個分となり、知らない人にとってはかなりの巨大基地に思えるのかもしれない。だが、普天間基地がなくなっても、3.5キロ強の滑走路2本と羽田空港の2倍の面積を誇る極東最大の空軍基地の嘉手納基地(ちなみに嘉手納飛行場と嘉手納弾薬庫は、岩国、三沢、佐世保、横田、横須賀、厚木の6主要米軍専用施設の合計面積より大きい)と、原子力潜水艦の補給基地となっている海軍ホワイトビーチ、米国外で唯一のジャングル訓練施設の米軍北部訓練場など32施設が残り、東京ドーム3903個分という未曾有の広さの基地が残っているのだ。普天間基地が返還されても米軍にとって痛くも痒くもないはずだ。 中国からの脅威についても、通常、海上保安庁や海上・航空自衛隊が、中国の戦艦や航空機の監視警戒にあたっており、米軍の場合だと、嘉手納空軍基地の電子偵察機や対潜哨戒機などが任務遂行となるため、普天間基地がなくなっても何の支障もない。普天間基地という単語がメディアに大きく取り上げられすぎて、嘉手納基地と普天間基地が混同、もしくは嘉手納基地自体を忘れ去られているのか』、普通の人にとっては、沖縄への旅行は1,2回程度で、心理的にも「遠い」印象があるため、誤解も多い。それを解きほぐそうとの本稿は興味深い。
・『普天間基地の土地に関する誤情報 「普天間基地は、もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった」「商売になるとわかると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」 2015年6月25日、ベストセラー作家の百田尚樹氏が自民党若手国会議員の勉強会でこのように発言したことは大きな波紋を広げ、宜野湾市の住民が烈火のごとく怒りを示したのはまだ記憶に新しい。真意はどうであれ、有識者でありながら公式の場でなぜこのような発言をするのだろうか。 普天間飛行場の土地は元々92%が民有地であり、戦前、村役場や宜野湾国民学校や、南北に渡って宜野湾並松という街道が走る生活の中心地だった。1944年、宜野湾村には22の字があり、人口は1万3,635人。1945年上陸した米軍が、「銃とブルドーザー」で住民を収容所に入れて強制隔離して土地を接収し、家々をブチ壊し、田畑を潰して、14の字にまたがる宜野湾村の中心地に基地を造り始めた。 その14の字には8,880人の人々が住んでいた。先祖代々の土地を否応なしに奪われた住民は、基地の周辺に住むほかなかった。先祖崇拝の意識が強い沖縄の人々にとって、理不尽なやり方で先祖代々の土地を奪われることは身を切られる思いだったに違いない。住民の先祖が眠る墓や御願所は基地内にあり、今でも許可なしでは入ることができない不条理がまかり通っているのだ』、百田尚樹は、普天間基地について、よくぞこんなデマを恥ずかし気もなくついたものだ。作家であれば歴史を勉強してから発言すべきだろう。
・『「基地に反対するのは中央から金をせしめるためだ」といった声が内地から聞こえてくる。だが、彼らが基地返還を望む一番の理由は、無理矢理奪われた先祖代々の土地を返してほしいからだ、自由に先祖の墓に参りたいからだ。当然だろう。そして、飛び交う米軍機による騒音や事故、米兵による犯罪に怯えることなく安全に暮らしたいと思っている。普天間が返還されても、辺野古に新基地ができたら、その負担と危険性を押し付けてしまうことに憂いている。だから、反対するのだ。何よりも未来の子どもたちが安心して暮らせる沖縄にしたい思いが根底に宿っている。 普天間基地は74年前に沖縄戦で軍事占領され、今も奪われたままの土地なのだ。 「奪った土地に基地を造り、そこが老朽化したから新しい土地をよこせ。嫌なら代わりの案を出せ、というのは理不尽で、政治の堕落だ」翁長元知事はこう叫んだ』、翁長元知事の主張は正論だ。
・『地上戦部隊“海兵隊”の押し付けこそが元凶 海兵隊とは、いわゆる地上戦部隊であり、最前線で戦う最も危険な任務を遂行する部隊だ。 沖縄に在沖米軍の施設が32ある中で海兵隊の施設は11、面積は全体の66.9%を占め、軍人数は15,356人で全体の57,2%を占めている。この海兵隊は戦時中からずっと沖縄に駐留しているわけではない。 1950年に勃発した朝鮮戦争の休戦を機に、米軍海兵隊約16,000人をキャンプ岐阜(現・航空自衛隊岐阜基地)、山梨県と静岡県にまたがるキャンプ・マックネア、キャンプ富士(現・陸上自衛隊北富士演習場周辺)に配備するが、度重なる海兵隊員の不祥事(殺人や暴行、強姦、発砲事件など)によって住民の基地反対運動が起こり、ちょうどその時期に内地の米軍基地の整理縮小の流れを受けて、1956年2月、内地から沖縄に海兵隊の移駐が始まったことが起源となっている。 「名古屋に住んでいるとき、岐阜の各務ヶ原飛行場にブルーインパルスを見に観光バスで行ったんですが、バスガイドさんが『もともとは米軍の海兵隊が駐留しておりましたが、住民運動によって移設されました』と誇らし気に言うのには驚きました。 住民運動で米軍基地を追い出したことを誇りに思うのはいいですが、その基地がアメリカ本土に帰ったんじゃなくて、沖縄に押し付けられたことにはまったく配慮がないんです。他の県では住民運動で基地が撤廃されるのに、なぜ沖縄にはそれが許されないのか、憤りを覚えます」(沖縄出身の元大学准教授) 1970年代初頭に内地で基地を大幅に縮小される代わりに、沖縄では基地の固定化が進み、特に内地に散らばっていた海兵隊を沖縄に統合したような形となった。それから約半世紀、内地の人たちはその事実を忘れ去り、また若い世代はその事実まったく知らず、米軍基地のほとんどは最初から沖縄に集中していたと思っている。内地の人々は、過去に厄介ごとを沖縄に押し付けた歴史があることを、もう一度認識すべきだろう』、私も恥ずかしながら、「内地に散らばっていた海兵隊を沖縄に統合したような形となった」というのは知らなかった。これでは、沖縄の人々が怒るのも当然だ。こうした歴史的経緯はマスコミももっと取上げるべきだろう。
・『なぜ、沖縄に基地を置かなくてはならないのか? その根拠をきちんと説明できた政治家、官僚など誰一人としていない。 2005年3月18日、大野功統防衛庁長官は民放テレビで「歴史的にあそこ(沖縄)にいるからだ」と、つい本音が出してしまった。言い換えれば、ただ長年駐留しているのだから居続けてもらうのも仕方がないじゃないかということだ。 2012年12月25日には、森本敏防衛大臣が閣議後の会見で、普天間飛行場の移設先について、「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ」と、辺野古沖に移設案は政治的な状況によるものだと発言したり、また、2014年3月には、中谷元防衛大臣が、大学生のインタビューの中で、沖縄への米軍基地集中について「分散しようと思えば九州でも分散できるが、(県外の)抵抗が大きくてなかなかできない」と答えている。 さらに、2018年9月13日沖縄タイムスの一面に、『石破氏 政治的理由を認める』という記事が掲載された。自民党の石破茂が自身の公式サイトに、沖縄に基地が集中した経緯について、「1950年代、反米基地闘争が燃えさかることを恐れた日本とアメリカが、当時まだアメリカの施政下にあった沖縄に多くの海兵隊の部隊を移したからだと聞いている」として政治的要因を認める発言をしたが、9月16日までにその部分は削除された。この発言は、内地の新聞、テレビではほとんど報道されなかった。 これらの閣僚の発言は「海兵隊というお荷物を沖縄にならまとめて置いておける」と言っているのと同じことで、沖縄の中で、米軍関係者による殺人や暴行、強姦といった事件や事故が多発していて、何が“抑止力”だと言いたい!』、石破茂が、「1950年代、反米基地闘争が燃えさかることを恐れた日本とアメリカが、当時まだアメリカの施政下にあった沖縄に多くの海兵隊の部隊を移したからだと聞いている」、との発言はさすがに削除されたようだが、真実を突いているのかも知れない。
・『日米地位協定は、法治国家であることの放棄 米兵が事件事故を起こすと、必ず議論となるのが、“日米地位協定”である。この協定の何が問題なのか? 琉球大学人文社会学部の星野英一教授に聞いた。「地位協定の中で一番問題となるのは、裁判権と原状回復義務ですが、地位協定の中で検討すべきことの一つは刑事裁判権の問題です。特に、裁判権において公務執行中の作為または不作為から生じる罪においては、軍隊の構成員または軍属に対して米軍が優先的に裁判権を有するとされ、つまり日本国内でありながら日本の法令は適用されず、外交官以上の治外法権が保証されていると言えます。 日本側が裁判権を行使する場合でも、被疑者の身柄が米国側にあるときは、起訴までの期間、身柄が引き渡されないため十分な捜査ができないという問題点が生じます。1995年の沖縄米兵少女暴行事件の後、運用についての改善が検討されましたが、結局52年間、日米地位協定自体の改定は一度も行われていません」 よく知られていることだが、基地内は治外法権、公務中での事件事故に関して第一次裁判権はアメリカにあるということだ。米軍内の無法者にとって沖縄の基地勤務はバカンス気分であり、犯罪を犯しても基地に逃げ込めば何とかなると思っている有象無象の輩がたくさんいる。 「犯罪を犯した米兵は、なぜ彼らは基地へ逃げるのか。それは身柄を日本の警察に引き渡されることはないからです。自分の命を捧げるため軍に入ったのに、その軍がわざわざ差し出すはずがない。彼らがどんな犯罪を犯そうと“地位協定”に守られてしまうということなんです。在日米軍は“日本を守る”と言っても、“日本人を守る”とは言ってないですから」(大手新聞沖縄支局記者)。 沖縄の歴代知事はずっと地位協定の改善を求めてきたが、日米政府は“運用改善”という曖昧な言葉でやり過ごしてきた。 同じように米軍が駐留するドイツやイタリアでは、基地内でも国内法が適用され、主権がきちんと認められているのに、日本では、捜査権にひとつとってみても、アメリカの同意がなければ、何も手も足も出せない状態となっている。勘違いしないでほしいのは、これは、沖縄県内だけのことではなく、日本中どこでも同じ。平成に入ってから横須賀や佐世保で米兵が強姦事件を起こしたときも、犯人はまんまと逃げきっている。 中学、高校で習う日本史では、1894年、日本に在住する列強の外国人に認められていた治外法権が、睦奥宗光外相によって撤廃されたと教えられるが、そこは、1945年以降、現在でも、米軍関係者には治外法権が認められていると、正しく教えるべきではないのか。 ここ10年間に地位協定に関して、ドイツでは三度、韓国は二度、そしてイタリアも改定してきた経緯があるのに、日本はいまだ52年間一度も改定されていない。政府関係者は、「環境に関してや軍属の定義についても補足協定しており、他国に比べて根本を改定する必要がない」との見解を出している。 1995年、北谷で起きた米兵3人による少女暴行事件で反基地感情が一気に高まり、沖縄県民が一体となって改定を強く求めたが、日米政府は「殺人と強姦」については、起訴前の身柄引き渡しに「好意的配慮を払う」という誤魔化しの表現を使って、“協定の運用改善”とお決まりの言葉で濁し、改定までは至らなかった。 森本敏元防衛大臣が正月のテレビ番組でこんなことを言っていた。「一番沖縄が強く主張するのは、たとえば米軍用機で事故があったとき、アメリカに第一次裁判権かつ第一次捜査権もあるため日本の警察は現場に入れないというのはおかしいと。そこで地位協定には書かれてないんですが、沖縄国際大学にヘリが落ちて以来、新しいルールを作って、ある一定の区域に内周境界線を設けて米軍が第一次に捜査できる以外にも日本の捜査当局もアメリカの許可を得て入ることができるようになった」 さも、日本は日米地位協定の改定に真剣に対応しているように聞こえたが、実際に改定されてない以上、すべて米軍に裁量がある。米軍が「NO!」と言えば何もできない。これではまったく意味を要さない。 本当に、日本は独立した主権国家なのだろうか。対等な主権国家という矜持があるならば、声を大にして要求しなければ不備も不平等も改善されるはずがないのに、なぜか黙っている。 アメリカも命を懸けて働く軍人、軍属を守らなければならないお家事情があり、地位協定に簡単に触れられないのもわかる。でも、同じ敗戦国のイタリア、ドイツができて、なぜ日本はできないのか。 「沖縄に基地があるのは仕方がない」という観念が人間の身体に病巣のように蝕むことが一番の危険なことであり、ますます混迷する事態を生ずる。まず人の痛みを感じることから平和が生まれるのではないだろうか。日米地位協定、ひいては沖縄基地問題は決して対岸の火事ではないことを、内地の人々にもぜひわかってほしい』、同じ敗戦国のイタリア、ドイツでは、米軍「基地内でも国内法が適用され、主権がきちんと認められている」のに、日本では「治外法権」状態にある。「ここ10年間に地位協定に関して、ドイツでは三度、韓国は二度、そしてイタリアも改定してきた経緯があるのに、日本はいまだ52年間一度も改定されていない」、などというのでは、日本は主権国家とはいえない。対米配慮もここまでくると、完全な行き過ぎだ。主張すべきは主張する姿勢が大切だ。ただ、トランプ大統領出現の前に、問題提起をしておくべきで、現在はタイミングが悪過ぎるのかも知れない。
タグ:普天間基地は、もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった 普天間基地の土地に関する誤情報 実態は米軍「海外部隊の再編」の一環 「普天間基地、辺野古への移設が「唯一の解決策」ではない理由」 沖縄問題 在日米軍はあくまでも自分たちの戦略的な都合で、日米安全保障条約と日米地位協定という枠組みを作って、日本に基地を確保して駐留しているというのが実情 ダイヤモンド・オンライン 米軍の場合だと、嘉手納空軍基地の電子偵察機や対潜哨戒機などが任務遂行となるため、普天間基地がなくなっても何の支障もない 沖縄県の14.7%に相当する駐留米軍基地の面積は18822.2ヘクタールあり、480.6ヘクタールの普天間基地は、基地面積全体の約2.5%にすぎない 23%、39%という不可思議な数字がみられる。23%というのは、米軍が一時的に使う自衛隊の基地の面積を含んだ上での数字であり、39%というのは、区域面積ではなく、施設数の割合を示している。沖縄の基地負担を数字のマジックで軽減させようとする魂胆が見え見え 日本の国土の0.6%しかない沖縄に在日米軍専用施設区域が70.6%も集中 「沖縄は基地経済で潤っている」 誤情報から生まれる基地問題への偏見 「沖縄米軍基地問題が「対岸の火事」ではないことのこれだけの根拠 沖縄の海兵隊は内地からの押しつけ」 現代ビジネス ここ10年間に地位協定に関して、ドイツでは三度、韓国は二度、そしてイタリアも改定してきた経緯があるのに、日本はいまだ52年間一度も改定されていない 松永 多佳倫 同じように米軍が駐留するドイツやイタリアでは、基地内でも国内法が適用され、主権がきちんと認められている 政府の説明がこれだけ変わってしまっている 基地内は治外法権、公務中での事件事故に関して第一次裁判権はアメリカにある 普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である」との表現が登場 裁判権において公務執行中の作為または不作為から生じる罪においては、軍隊の構成員または軍属に対して米軍が優先的に裁判権を有す そもそも再編自体は米国側の都合での話 日米地位協定は、法治国家であることの放棄 大きな変化が見られるのは特に野田政権になってから 「1950年代、反米基地闘争が燃えさかることを恐れた日本とアメリカが、当時まだアメリカの施政下にあった沖縄に多くの海兵隊の部隊を移したからだと聞いている」 米国は自らの海外部隊の再編を、沖縄問題にかこつけて日本政府の負担で行おうとしているだけなのではないか 総額102.7億ドルのうち、60.9億ドル(当時のレートで約7000億円)を支出する 米国は自らの海外部隊の再編を日本政府の負担で行おうとしている 室伏謙一 (その9)(普天間基地 辺野古への移設が「唯一の解決策」ではない理由、沖縄米軍基地問題が「対岸の火事」ではないことのこれだけの根拠 沖縄の海兵隊は内地からの押しつけ) 石破茂 小泉政権下 地の人々は、過去に厄介ごとを沖縄に押し付けた歴史があることを、もう一度認識すべきだろう 「再編実施のための日米のロードマップ」 度重なる海兵隊員の不祥事(殺人や暴行、強姦、発砲事件など)によって住民の基地反対運動が起こり、ちょうどその時期に内地の米軍基地の整理縮小の流れを受けて、1956年2月、内地から沖縄に海兵隊の移駐が始まったことが起源 その整備地区が辺野古周辺ということになっている キャンプ・マックネア、キャンプ富士 普天間基地の全面返還と在沖縄の米海兵隊員の大規模なグアム等への移転と引き換えに、「代替施設の整備が行われること」 沖縄に在沖米軍の施設が32ある中で海兵隊の施設は11、面積は全体の66.9%を占め、軍人数は15,356人で全体の57,2% 地上戦部隊“海兵隊”の押し付けこそが元凶 正確には米海兵隊の移転に伴う普天間基地の全面返還 普天間基地の辺野古移設が実現することで、在沖縄の米海兵隊約9000人がグアム等の海外の基地に移転することになると述べた 奪った土地に基地を造り、そこが老朽化したから新しい土地をよこせ。嫌なら代わりの案を出せ、というのは理不尽で、政治の堕落だ NHKの番組 1944年、宜野湾村には22の字があり、人口は1万3,635人。1945年上陸した米軍が、「銃とブルドーザー」で住民を収容所に入れて強制隔離して土地を接収し、家々をブチ壊し、田畑を潰して、14の字にまたがる宜野湾村の中心地に基地を造り始めた 菅義偉官房長官 百田尚樹 日本政府が「沖縄県民のために頑張りました」「頑張っています」ということにしておきたいのか、そんなことは一言も安倍政権関係者から公には語られることはなかったように思う 商売になるとわかると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした 米軍の「海外部隊の再編」の一環
終末期医療(その2)(1000人の看取りに接した看護師が伝える:(人は「死に時」を自分で選んでいる と思う訳、たった一言が 幸せなご臨終に変えてくれます、「老衰が理想的な死」と言える訳)、看取りに接する医師と看護師が伝える、医療者まかせの看取りが怖い訳) [社会]
終末期医療については、昨年11月22日に取上げた。今日は、(その2)(1000人の看取りに接した看護師が伝える:(人は「死に時」を自分で選んでいる と思う訳、たった一言が 幸せなご臨終に変えてくれます、「老衰が理想的な死」と言える訳)、看取りに接する医師と看護師が伝える、医療者まかせの看取りが怖い訳)である。
先ずは、正看護師でBLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター・看取りコミュニケーターの後閑愛実氏が1月5日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「1000人の看取りに接した看護師が伝える、人は「死に時」を自分で選んでいる、と思う訳」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188823
・『人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。 16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。 「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。 これからご紹介するエピソードは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。 医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか』、一般人が殆ど知ることのない世界を紹介してくれるとは、興味深い。
・『人は「死に時」を選んでいる たまにお見舞いに来ては、意識のないお母さんに文句を言っている息子さんがいました。 「お母さん、いつまで生きてるんだよ。お母さんの入院費のせいで、俺たちの生活大変なんだからね」 私はそれを、「そんなことをよく言うな」と半分あきれながら聞いていました。 ですが、その日は、息子さんのかける言葉がいつもと違いました。息子さんはお母さんに向かってこう言ったのです。「母さん、わかったよ。俺たち頑張るから、もう好きなだけ生きていいよ」 その夜、お母さんは亡くなりました。 それまで病状に全然変化がなかったのに、突然のことでした。 きっとこのお母さんも、それまでは死んでなるものか、と思っていたのかもしれません。 でも、この日の息子さんの言葉を聞いて、もういいかなとでも思ったのでしょうか。 けれど、この息子さん、悪態をついていたのは、実は逆の意味だったのかもと思うことがあります。 人前で優しい言葉をかけるのは気恥ずかしいし、悪態をつけば、もしかして言い返すためにお母さんが起き上がってくるんじゃないかとひそかに期待していたのかもしれない、とも思えるのです。 なぜなら、この息子さん、ちょくちょくお見舞いに来ています。 それだけで十分、お母さんを気にかけていることがわかります。 現実には、お見舞いにも来ないご家族のほうが多かったりするものです。 ですから、来るたびにいくら悪態をついていようと、きっとお母さんのことが大好きだったのでしょう』、普段は悪態をついていたのに、優しい言葉をかけた日に亡くなったとは、いささか驚かされた。
・『死ぬ時間さえ、本人が選んでいるのではないかと思うことがあります。 長く入院している患者さんなどは、私たちが忙しい時間を避けて亡くなってくれているとしか思えないことがあります。 こちらの思い込みにすぎないのかもしれませんが、食事の時間や、朝の排せつケアが重なる忙しい時間帯に亡くなる方は少なく、「絶対、避けてくれたよね」と思うことがあります。長く入院していれば、自然と看護師の動きもわかっているはずだからです。 また、患者さんにも、好きな看護師、苦手な看護師がいるものです。 夜勤に行って、「看護師の後閑です。今日は夜勤なので、よろしくお願いします」と患者さん一人ひとりに声をかけていくと、「あ、今日はあなたが夜勤なの。よかった」と言ってもらえることもあります。 「よかった」と言ってもらえれば、うれしいものです。 看護師の間ではよく、こんなことが言われます。 「この患者さんは、あの看護師さんが好きだから、亡くなるなら絶対にこの人が夜勤のときだと思う」 すると、本当にそうなったりするから不思議なものです』、「死ぬ時間さえ、本人が選んでいるのではないか」というのは、確かにあり得る話かも知れない。
・『「死に時」といえば、他にもこんなことがあります。 それまで横柄だった患者さんが、これまでとは打って変わって急に優しくなったりすると、「もしかして、そろそろかも」と思ってしまうことがあります。 「あの人が、ありがとうって言ったよ」そう看護師の間でうわさになることもあります。 おそらく最期は、いちばん弱っている時期なので、どんな人でも他人の優しさを感じやすくなるものなのでしょう。 だから、「ありがとう」と素直に口にしてくれるのかもしれません。 ですから、最期まで嫌な感じの人だったという患者さんの記憶が思い当たらないのです』、最期は「どんな人でも他人の優しさを感じやすくなる」というのには安心した。ただ、「ありがとう」と感謝の念を伝えるには、口が使える状態であることが条件になりそうだ。
次に、同じ後閑愛実氏による1月23日付け「1000人の看取りに接した看護師が教える、たった一言が、幸せなご臨終に変えてくれます」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/191541
・『幸せな死を迎えるために思い出を語ろう 100歳の女性の看取りのとき、息を引き取った枕もとで三人のお子さんたちが思い出を語っていました。 長女さんが、「母さん、女手ひとつで私たち三人を育てて、本当に頑張ったよね。ありがたかったよね」 続けて長男さんは、「そういえば、100歳の誕生日のときに、看護師さんが母さんを車椅子に乗せてくれて、みんなで写真を撮ったんだよ」 「俺、そのときの写真持っているよ」そう次男さんが言うと、 「その写真、見せてよ」と長女さんが言うといった、ちょっと和気あいあいとした会話の空気がその場にできたのです』、お子さんたちといはいえ、70歳前後の老人たちが、こんな雰囲気になったというのは素晴らしいことだ。
・『この雰囲気は、もともとこのごきょうだいの仲がよかったからというのもあるのでしょうが、次男さんが初めに、ある魔法の言葉を口にしていたから起こった雰囲気だと思います。 その言葉とは、「ありがとう」です。 「母さん、ありがとう! 俺たちもう大丈夫だよ」そう次男さんは言ったのでした。 もしここで、「家に連れて帰れないでごめんね」で終わっていたら、「ごめんね」と思う理由を探し出し、「女手ひとつで子育てを頑張らせてごめんね」「家に帰らせてあげられなくてごめんね」などという話が出るようになってしまっていたかもしれません。 けれど次男さんが、「ありがとう! 俺たちもう大丈夫だよ」と言ってくれたおかげで、みんなでありがたい理由を探し出して語り合うことができたのです。 別れは悲しいものですから、どうしてもそこにだけに目がいってしまうのですが、人生はそれだけではないと思うのです』、確かに別れの一言がその場の雰囲気を形成してしまうことは、大いにあり得る。「ありがとう」とは大事な言葉だ。ただ、残念ながら、私の場合は「遅きに失した」。
・『ある高齢の男性患者さんが亡くなったあと、私は息子さんにこう声をかけました。「お父さん、笑うと、とってもかわいらしい人でしたね」 すると、息子さんは驚いたように言いました。「親父は入院中に笑うことがあったんですか」 「よく笑ってましたよ。歯が1本しか残ってないから、笑うと、にたっという感じになって。かわいらしい人でしたね」そう私が答えると、息子さんは目を潤ませました。 「親父の入院生活は、つらくて苦しいだけじゃなかったんですね」 ときに、高齢者は環境が変わるだけで、「せん妄」という症状が出て、混乱することがあります。 じつは、そのお父さんは他の病院から転院してきた方だったのですが、転院してきたばかりの頃、混乱してしまったのでしょう、「なんで俺はこんなところにいるんだ」と言っては、看護師を殴ったりしていました。 その様子を見ていた息子さんですから、「親父は、家に連れて帰らない自分を怒っている」と思っていたようです』、「せん妄」で「看護師を殴ったり」とは、しょうがないとはいえ、そんなことにはなりたくないものだ。
・『この息子さんは、家ではお母さんの介護をしていました。 ですから、お父さんとお母さん二人の介護はさすがに家ではできないということで、お父さんを入院させていたのです。 そのため、息子さんはずっと、お父さんに負い目を感じていました。 「だから、なかなかお見舞いにも来られませんでした。でも、親父の入院生活は、つらくて苦しいだけじゃなかったんですね。その言葉を聞いてほっとしました。救われました」 環境変化が原因のせん妄状態は、そんなに長く続くものではありません。何日かすると、もともとの穏やかな性格に戻ったりするものです。 このお父さんも、最初の1週間は看護師が何かしようとするたびに殴りかかっていましたが、やがて環境に慣れてくると、笑うようにもなっていきました。 ですが、「親父は怒っている」と思い込んでいた息子さんはそのことを知らずにいたのです。 私が「笑ってかわいらしい人でしたね」と声をかけることがなければ、息子さんは、お父さんはつらくて苦しい入院生活の中で亡くなったのだと、きっと思い続けてしまっただろうと思うのです。 ですから、ご家族にも幸せな死を迎えたと感じてもらうために、私は患者さんのよき思い出を語るようにしています』、この看護師の一言がなければ、息子さんは一生、自分を責め続けていた筈で、看護師ら医療関係者とのコミュニケーションの大切さを改めて思い知らされた。
第三に、同じ後閑愛実氏による2月28日付け「1000人の看取りに接した看護師が教える、「老衰が理想的な死」と言える訳」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/194917
・『なぜ老衰が理想的な看取りなのか 先日、「点滴の量を減らしましょう」と医師から提案されたご家族が、こう言いました。 「点滴しなかったら、弱っていくんですよね。老衰じゃかわいそう……」 みなさんはどうお考えですか。 このご家族と同じでしょうか。 看護師として言わせていただくと、このご家族の考え方は、「正解とは言いがたい」です。本来は、「老衰じゃないとかわいそう」なのです。老衰が最も楽な死であり、理想的な看取りとは、「老衰に近づけること」だからです。 老衰とは、年を取って亡くなることではなく、細胞や組織の能力が全体的に衰えて亡くなることをいいます。すべての臓器の力がバランスを保ちながら、ゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していくので、患者さんはそれほど苦しくありません。ちょっとおかしな表現になるかもしれませんが、気がついたら死んでいたというのが、老衰による亡くなり方です』、確かに私も含め世間一般では誤解も多いようだ。
・『世の中で「大往生でしたね」「天寿をまっとうしましたね」といった言い方をされる“死”は、たとえ死亡診断書には「虚血性心疾患」「大腸がん」などと記されていたとしても、老衰死でもある場合が圧倒的です。この老衰こそが理想的な死なのです。 実際、現代の医療では、どんな病気だとしても、最期は老衰を目指して治療やケアをしていきます。 老衰のどこがいいかというと、すべての臓器の力がバランスを保ちながらゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していくと、本人は苦しさをあまり感じないのです。どこか身体の一部が衰えて他に元気な部分があるから苦しいのです。 例えば、高齢の肺がんの患者さん。肺の機能が落ちているのに他の器官が正常だとバランスが取れていないので苦しいのです。 だったら肺の機能を上げればいいじゃないかと思うかもしれませんが、老化によって一度弱った機能は上がりようがありません。 脳の機能に異常があって寝たきりになってしまったけれど、心臓は衰えていないので寝たきりのまま延々と生き続ける……。 それと裏表の関係にあるのが老衰なのです。 治療というのは本来、いちばん弱いところに合わせておこなうべきです。 それがいちばん元気なところに合わせようとするから、本人がつらい思いをしてしまうのです。 元に戻らないものを戻そうとするから、患者さんが苦しむのです。 元気なところに合わせる治療というのは、極端に言うと、50年前にオリンピックでメダルを取った人に、当時と同じトレーニングを課すようなものなのです』、なるほど、説得力がある。
・『80代後半の男性患者のミズノさんは、肺がんの末期を迎えていました。とてもかわいらしいおじいちゃんで、よく笑い、よく食べ、酸素ボンベを転がしながらよく病棟を散歩していました。このミズノさん、徐々に病気が進行し、眠っている時間が増えていきました。ご飯も食べられなくなりましたが、経管栄養も点滴もしませんでした。ご家族の希望は「自然なまま生かしたい」だったので、延命のための治療はしませんでした。ご本人も、「苦しいのは嫌だから、延命なんてしないでおくれ」と口ぐせのようによく言っていました。 やがてミズノさんは、心臓のポンプとしての機能も低下し、全身の臓器に必要な量の血液を送ることもできなくなりました。 以前は身体に水分が溜まって全身がむくんでいましたが、飲んだり食べたりができなくなったので、しだいに身体がしぼんでいきました。 ベッドの上で丸まって眠っているミズノさんの表情は穏やかで、無垢な赤ちゃんのようでもあり、すべてを悟った仏さまのようでもありました。 飲まず食わず、点滴もせずで、ミズノさんは自然なまま、それから10日間生きました。 食べたり飲んだりできなくなったら、「もつのは長くて10日間くらい」と言う先生もいますので、ミズノさんはぎりぎりまで頑張ったと言っていいでしょう。 では、末期がんのミズノさんがどうして限界まで頑張れたのでしょう。 何もしなかったからです。自然であったからこそ、穏やかにすごせたのです。あの状態で点滴をしていたら、痰が増えて苦しんだことでしょう。穏やかな表情ですごせなかったのは間違いありません。 とくに肺というのは、全身の中でいちばん弱いところです。体内の水分が少しでも多いと肺に水が染み出し、痰が増えて苦しくなってしまうのです。 結局、ミズノさんは10日間眠り続けたあと、病室に奥さんと娘さん、お孫さんがいるときに亡くなりました。 病室は個室でしたが、そのとき、窓際の二人掛けのソファーに奥さんと娘さんが座り、丸いパイプ椅子にお孫さんが座って、女性だけで仲良く話が盛り上がっていました。 ご家族はミズノさんが眠っていると思っていましたが、気がついたときにはミズノさんの呼吸は止まっていたということです。その場に居合わせた家族が誰も気がつかなかったほど、穏やかな亡くなり方だったということです。よい死とは、時にあまりにもあっけないものなのです』、私も延命治療はしないよう家族には申し渡しているが、こんなにも樂な老衰による死があるとは知らなかった。ただ、ケースバイケースではないかとの疑問も僅かながら残る。
第四に、同じ後閑愛実氏が外科医の中山祐次郎と対談した1月12日付けダイヤモンド・オンライン「看取りに接する医師と看護師が伝える、医療者まかせの看取りが怖い訳」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/190346
・『今回は、『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さんと、『医者の本音』の著者で外科医の中山祐次郎(なかやまゆうじろう)先生という二人の医療者による対談を収録しました。 看護師、医師という2つの視点から、患者さん、あるいは家族が死とどう向き合っていってほしいかを語ってもらいます』、医師との対談とは興味深そうだ。
・『医療者と患者の距離 後閑愛実さん(以下、後閑):医療者の死生観で、患者さんの生き方が右往左往されてしまっているんじゃないかと思うことがあります。中山先生の著書『医者の本音』の中でも書かれていましたが、医師にとって患者さんの死は2.5人称。やっぱり家族と同じにはなり得ないですよね。そうはいっても、3人称、その他大勢の死というほどでもないとは思いますが、家族も本人もすべて医療者まかせということにはしてほしくないと私は思っています。 中山祐次郎先生(以下、中山):説明を足すと、2人称は「あなた」、3人称は「どこかの誰か」。つまり2人称は家族などの大切な人、3人称は見知らぬ人。医者と患者さんの距離ってどれくらいあるんだろうって考えた時に、やっぱり家族にはどうしてもなり得ないし、愛する人でもない。けれどもまったく知らない他人ではない、というところで2人称と3人称の間、2.5人称と私は考えています。 それくらいの距離感が、医師として冷静かつ温かみのある判断ができるのではないかと感じています。 ただ、医者の死生観もさまざまで、それを押し付けるのか押し付けないのか、それとも家族にまかせてしまうのか、まかせるならどれくらいか、8:2なのか5:5なのか。そういうのは人にもよるでしょうし……難しいとこですよね』、医療者と患者の望ましい距離が「2.5人称」とは言い得て妙だ。
・『後閑:近すぎず遠すぎず、ということですね。ちなみに、近すぎたなという例はありますか? 中山:ありますね。医者として若かった頃のことです。 私はその時、研修医だったんですが、医者として大した貢献ができずにいて、だけどどうにかしたいという気持ちがあったから、おそらく私は距離を詰めすぎてしまったんです。 その患者さんの病室に休みでも通ったり、医療と関係ない話もたくさんしました。その患者さんはがんで、その後亡くなられました。私はその方のお葬式に行ったんですよ。お葬式に行って、すごく辛い思いをしました。すごく心が傷ついたので、これがしょっちゅう起きたら、とてもじゃないけど自分の心が持たないと思いました。 後閑:私もお葬式に行ったことがある患者さんがいます。 その患者さんは90代の女性でした。経鼻経管栄養で最期まで生かされ、痰も多かったのでよく吸引したりしましたし、体がむくんだりもして辛い思いをさせてしまった患者さんでした。 90代のご主人と息子さんがよくお見舞いに来ていました。最期は夜中の0時くらいに、もう呼吸が止まりかけてると思ったのでご家族を呼んだんです。ご主人と長男さんご夫婦がすぐに駆けつけてくれました。患者さんは、ご家族が来たらちょっと元気になって、目を開けてご主人を見ていたんです。 長男さんは私たちスタッフの分までジュースを買ってくれて、患者さんを囲んでみんなでそのジュースを飲みながら、思い出話とか患者さんのことを話したりしていました。 朝方6時くらいになって、それこそ仲直りの時間だったんですけど、患者さんが持ち直したように見えたんです。すると、今度は高齢のご主人のほうが心配になったので、「いったん帰られて、休まれたほうがいいんじゃないですか。私たちが見ていますから」と提案しました。長男さんも、自分が残るからと言ってくれて、ご主人とお嫁さんは一度家に帰って休み、お昼頃にまた来ます、ということになったんです。 けれど、二人が帰って30分後に患者さんは息を引き取られました。あの時、帰っていいなんて言わなければよかったという思いが私に残ったんです。 長男さんは、自分がいたから最期を穏やかに看取ることができたと言ってくれたし、ご主人も急変を連絡するとすぐに来てくれたので、息を引き取る瞬間に立ち会うことはできなかったけれど一晩一緒にいられたからよかったと言ってくれたんですが、それでもちょっと心につっかえるものがあって、お葬式に行ったということがありました。 けれど、こうしてその人だけを特別視していいのだろうか、じゃあ他の人はどうなの、これはやっぱり続けられないから、少しだけ距離をとろうと思いました。以来、近づきすぎず、ちょっとだけ距離をとるということを意識しています』、医者も看護師も近すぎる距離をとった反省から、「2.5人称」になった経緯が理解できた。
・『中山:看護師さんは医師よりも患者さんと距離が近いですよね。そうすると、やっぱり医者よりも患者さんに感情移入しやすいでしょうし、看取るのは辛いだろうと想像しますが、どうですか? 後閑:今は結構、自分を客観視できるようになった部分もあります。たとえ理不尽な死であったとしても、今は辛いことになっているとしても、それ以前にたくさんの選択をしてきた結果であるわけで、本人やご家族が思ったようになってはいなかったとしても、その選択をした時は最善だと思ったことを選択し続けてきたわけです。なのに今、苦しい思いをしているのは、病気や老化のほうがその一枚も二枚も上手だったというだけです。その人たちが最善と思われることを選択してきたんだと思って、今を否定せずに接するようにしています。 とはいえ、心のバランスをとるのはすごく難しいと思いますね。医療介護職は感情労働ですから、自分の感情をコントロールしないといけない。そんなふうに見えてはいないという方もいらっしゃるかもしれませんが……。中山先生は、どうやってメンタルをコントロールしていますか? 中山:痛く飲むと書いて「痛飲」するという言葉がありますが、僕は本当に文字通り痛飲していて、自傷行為そのものでしたね。すべてを客観視して、他人事にしてこなしていくのは違うと思っています。 毎回落ち込んだり傷ついたりしているのは危ないし、それでは持たないとは思うんですが、それが正しいと僕は思っているんですよ。危険な思想だとは思いますけどね。 後閑:医療者も患者さんの死に対して、家族と同じ悲しみではないけれど、悲しんでいることをわかってもらいつつ、ともに看取りを穏やかな最期へと着地させるためにはどうしたらいいかを考えてほしいと思います』、中山氏がいまだに「自傷行為」と分かっていながら「痛飲」しているというのには驚いた。理想と現実のギャップはやはり大きいようだ。
・『「先生ならどうしますか?」 後閑:医療者と患者さんやご家族には、その思いにギャップがあるんですよね。治療方針を決定する上で、中山先生自身が気をつけていることはありますか? 中山:基本的には、その場で決めないということかな。緊急手術の場合以外は、必ず一週間は開けて、一回持ち帰ってもらって、ご本人に家族と一緒に考えてもらうことにしています。それで改めて集まってもらって話し合う、ということを大事にしていますね。 後閑:中山先生の本『医者の本音』の中で、大腸がんの父親の手術をするのか、人工肛門にするのか、それとも何もしないのかを悩んで、手術を選択したというエピソードがありましたが、このケースも持ち帰って考えてもらったんですか? 中山:あの話に関しては、もう腸閉塞になっていて、放っておけば腸が腐って死ぬという状態だったので、大急ぎでみんなで話して決めました。 最近は風潮として、患者さんに選択を完全に丸投げするという姿勢がちょっと多いように思います。 ABCと選択肢があります、どれがいいですか? というシーンがちらほらあって、安易すぎてプロとして非常に恥ずかしい。やはりある程度、プロとして責任を持ちつつ、自分の医学的な専門性を加味して、さらに経験を加え、せめてオススメを言うべきだと思っています。僕はそれだけは気をつけるようにしています。全部並列して提示して、さあ、どれかに決めてくださいというのは、僕は好きじゃない。 後閑:たしかに、A案B案C案ありますけど、どうですか? と投げて、家族がA案を選択したとすると、面談の後で、「なんであれ選ぶかな?」と口にする先生もいますね。いやいや、先生が提示したからでしょう? みたいなこともあるから怖いんです。私も医者がせめてオススメを言うべきだと思います。 逆に、「先生だったら何をオススメしますか」と聞ていみてもいいものでしょうか?』、「最近は風潮として、患者さんに選択を完全に丸投げするという姿勢がちょっと多いように思います」、というのは困ったことだ。私だったら、やはり「オススメ」を聞いてみたい。
・『中山:そうですね、それは有効だと思っています。 「先生だったら何を選びますか」「先生が私の立場だったら何を選びますか」と聞いてみるのは、すごく大事です。最終的には主治医の判断になるわけですが、私は、この患者さんが自分の親だったとしたら何を選ぶだろうかというように意思決定すると、比較的すっきりとする選択ができるようには思っています。 後閑:私の親も肺がんの手術の後に「抗がん剤をしますか」と聞かれて、「先生だったらどうしますか」って聞いたら、「僕ならしません」と言われてやめました。 中山:その質問は、本当に有効だと思います』、中山氏が「この患者さんが自分の親だったとしたら何を選ぶだろうかというように意思決定すると、比較的すっきりとする選択ができるようには思っています」、というのは素晴らしい考え方だ。
・『静かに尊厳を持ってその生を閉じていく 後閑:中山先生は本の中で、「静かに尊厳を持ってその生を閉じていく姿はとても自然なものだったと記憶しています」と書かれていましたが、その時はどう思われたんですか? 中山:その話は、私が初めて治療をしなかった患者さんのことです。 中山:患者さんが食事がとれなくなって、その状況に対して医療には点滴をする、鼻から管を入れる、胃に穴を開けて胃に直接食事を入れるといった3つくらいの方法がありますが、そのすべてをご家族としっかり話し合った結果、どれもやらずに食べられなくなって、そのままだんだんと死に近づいていきました。ああ、こういう終わり方があるんだと、初めて知りました。 しかし、僕の心の中では葛藤もありました。もうちょっと治療したら、1ヵ月、2ヵ月、半年ぐらいは何とか頑張れたかもしれないという医学的な思いと、ある日突然、知らないところから医療従事者という親戚が現れて、「なんで何もやらないんだ、そのせいで死期が早まったんじゃないか!」と怒られ、訴えられるんじゃないかという不安も正直よぎりました。 ですが、その二つの葛藤を飲み込むほど、最期のお看取りのシーンは自然で、神々しいとさえ思えたんです。人間は、こうやって生きて、こうやって死んでいくんだと思いましたし、こうあるべきだと、理解ではなく「感じた」というのが正しい表現です』、延命治療をしないことについて、医師の側にも葛藤があることをよく理解できた。
・『後閑:それはすごく共感できます。私も患者さんが亡くなった後に、その患者さんがすごくおしゃれな方だと聞いていたので、ご家族に「お母さんはすごくおしゃれな人だったと聞いたので、皆さんでメイクをしてもらえませんか」とお願いしたんです。エンゼルケアという身体を綺麗にしたり浴衣を着せたりするのは看護師がやるのですが、最後にメイクだけご家族にやってもらったんです。 家族が思い出話をしながらメイクをしてくれて、お孫さんが「おばあちゃん綺麗だね」って言ったんです。お嫁さんも「ほんとだ、綺麗」、長男さんも次男さんも「母さん、綺麗だ」って。その光景に、人生の最後に家族みんなに綺麗って言われるって、なんて素敵な人生だろうと思いました。そのすべてに、まるで美しい景色を見ているような高揚感を覚えました。尊厳を保ったまま亡くなることができた、生ききったんだ、と感じました。 中山:やっぱり、僕も後閑さんもそういうふうに感じるということは、たぶん多くの人が同じように感じると思うんですよね。そう考えると、ラストシーンに人工的なことが増えるというのは自然ではないんでしょうね。 後閑:本来は、歩けなくなって、食べられなくなって、木々が自然に枯れていくように自然に亡くなっていくんでしょうけれど、医療はそれをひどく遠回しに、より困難にしているように思えることがあるんです。 中山:すごくあちこちに行った結果、僕たちは戻ってきた気さえしますよね』、「自然に亡くなっていくんでしょうけれど、医療はそれをひどく遠回しに、より困難にしているように思えることがある」というのは皮肉なものだ。
・『後閑:本人家族が医療者まかせにしないためにどうしたらいいかという、アドバイスはありませんか。 中山:有事の際に考えるのではなく、普段から家族ともしもの時の話し合いをしておいてほしいということですね。自分の葬式はどうしてほしいとか、意識がなくなったらどれくらい積極的に治療をしてほしいとか、死にまだ遠い時に死について話し合っておくことが大事だと思っています。 その辺の意識は後閑さんと同じだと思っていて、だから僕も以前、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』という本を書いたんです。元気な時に考えておいてほしいんです。 後閑:本当にそうですよね。私も元気な時にこそ考えておいてほしいという思いがあって、看取りや死について病院の外でトークイベントをしたり、ネットで発信したり、今回、『後悔しない死の迎え方』という本を書いたりしているんですよね。 元気なうちに、自分はどう過ごしたいか、何を大事に思っているのかなどを話し合っておいてほしいですね。「延命治療はしないで」というのでは、話し合ったうちに入りません。なら、延命治療って何ですか? という話になりますし、じゃあ、どうしたらいいのと、結局は医療者まかせとなって不本意な形で生かされ続けたりしてしまうわけです。ですから、どう最期を過ごしたいか、どういう思いを大切に生きていきたいかを、何かの機会で話し合っておいてほしいなと思っています』、「延命治療はしないで」だけでは不十分で、「どう最期を過ごしたいか、どういう思いを大切に生きていきたいかを、何かの機会で話し合っておいてほしい」というのは、大いに参考になった。
・『穏やかな最期を迎えるために重要なこと
(1)医療者も家族や本人とはまた違う苦しみを味わっていると理解する
(2)プロの意見をもらう質問「先生だったらどうしますか?」 鵜呑みにはしないこと。なぜなら医師の死生観に左右されることになるから。 それに自分の人生観をプラスして考えること。
(3)静かに尊厳を持ってその生を閉じていくには、元気な時から話し合いをしておくこと』、この3点を心に留めて穏やかな最期を迎えたいものだ。
先ずは、正看護師でBLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター・看取りコミュニケーターの後閑愛実氏が1月5日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「1000人の看取りに接した看護師が伝える、人は「死に時」を自分で選んでいる、と思う訳」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188823
・『人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。 16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。 「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。 これからご紹介するエピソードは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。 医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか』、一般人が殆ど知ることのない世界を紹介してくれるとは、興味深い。
・『人は「死に時」を選んでいる たまにお見舞いに来ては、意識のないお母さんに文句を言っている息子さんがいました。 「お母さん、いつまで生きてるんだよ。お母さんの入院費のせいで、俺たちの生活大変なんだからね」 私はそれを、「そんなことをよく言うな」と半分あきれながら聞いていました。 ですが、その日は、息子さんのかける言葉がいつもと違いました。息子さんはお母さんに向かってこう言ったのです。「母さん、わかったよ。俺たち頑張るから、もう好きなだけ生きていいよ」 その夜、お母さんは亡くなりました。 それまで病状に全然変化がなかったのに、突然のことでした。 きっとこのお母さんも、それまでは死んでなるものか、と思っていたのかもしれません。 でも、この日の息子さんの言葉を聞いて、もういいかなとでも思ったのでしょうか。 けれど、この息子さん、悪態をついていたのは、実は逆の意味だったのかもと思うことがあります。 人前で優しい言葉をかけるのは気恥ずかしいし、悪態をつけば、もしかして言い返すためにお母さんが起き上がってくるんじゃないかとひそかに期待していたのかもしれない、とも思えるのです。 なぜなら、この息子さん、ちょくちょくお見舞いに来ています。 それだけで十分、お母さんを気にかけていることがわかります。 現実には、お見舞いにも来ないご家族のほうが多かったりするものです。 ですから、来るたびにいくら悪態をついていようと、きっとお母さんのことが大好きだったのでしょう』、普段は悪態をついていたのに、優しい言葉をかけた日に亡くなったとは、いささか驚かされた。
・『死ぬ時間さえ、本人が選んでいるのではないかと思うことがあります。 長く入院している患者さんなどは、私たちが忙しい時間を避けて亡くなってくれているとしか思えないことがあります。 こちらの思い込みにすぎないのかもしれませんが、食事の時間や、朝の排せつケアが重なる忙しい時間帯に亡くなる方は少なく、「絶対、避けてくれたよね」と思うことがあります。長く入院していれば、自然と看護師の動きもわかっているはずだからです。 また、患者さんにも、好きな看護師、苦手な看護師がいるものです。 夜勤に行って、「看護師の後閑です。今日は夜勤なので、よろしくお願いします」と患者さん一人ひとりに声をかけていくと、「あ、今日はあなたが夜勤なの。よかった」と言ってもらえることもあります。 「よかった」と言ってもらえれば、うれしいものです。 看護師の間ではよく、こんなことが言われます。 「この患者さんは、あの看護師さんが好きだから、亡くなるなら絶対にこの人が夜勤のときだと思う」 すると、本当にそうなったりするから不思議なものです』、「死ぬ時間さえ、本人が選んでいるのではないか」というのは、確かにあり得る話かも知れない。
・『「死に時」といえば、他にもこんなことがあります。 それまで横柄だった患者さんが、これまでとは打って変わって急に優しくなったりすると、「もしかして、そろそろかも」と思ってしまうことがあります。 「あの人が、ありがとうって言ったよ」そう看護師の間でうわさになることもあります。 おそらく最期は、いちばん弱っている時期なので、どんな人でも他人の優しさを感じやすくなるものなのでしょう。 だから、「ありがとう」と素直に口にしてくれるのかもしれません。 ですから、最期まで嫌な感じの人だったという患者さんの記憶が思い当たらないのです』、最期は「どんな人でも他人の優しさを感じやすくなる」というのには安心した。ただ、「ありがとう」と感謝の念を伝えるには、口が使える状態であることが条件になりそうだ。
次に、同じ後閑愛実氏による1月23日付け「1000人の看取りに接した看護師が教える、たった一言が、幸せなご臨終に変えてくれます」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/191541
・『幸せな死を迎えるために思い出を語ろう 100歳の女性の看取りのとき、息を引き取った枕もとで三人のお子さんたちが思い出を語っていました。 長女さんが、「母さん、女手ひとつで私たち三人を育てて、本当に頑張ったよね。ありがたかったよね」 続けて長男さんは、「そういえば、100歳の誕生日のときに、看護師さんが母さんを車椅子に乗せてくれて、みんなで写真を撮ったんだよ」 「俺、そのときの写真持っているよ」そう次男さんが言うと、 「その写真、見せてよ」と長女さんが言うといった、ちょっと和気あいあいとした会話の空気がその場にできたのです』、お子さんたちといはいえ、70歳前後の老人たちが、こんな雰囲気になったというのは素晴らしいことだ。
・『この雰囲気は、もともとこのごきょうだいの仲がよかったからというのもあるのでしょうが、次男さんが初めに、ある魔法の言葉を口にしていたから起こった雰囲気だと思います。 その言葉とは、「ありがとう」です。 「母さん、ありがとう! 俺たちもう大丈夫だよ」そう次男さんは言ったのでした。 もしここで、「家に連れて帰れないでごめんね」で終わっていたら、「ごめんね」と思う理由を探し出し、「女手ひとつで子育てを頑張らせてごめんね」「家に帰らせてあげられなくてごめんね」などという話が出るようになってしまっていたかもしれません。 けれど次男さんが、「ありがとう! 俺たちもう大丈夫だよ」と言ってくれたおかげで、みんなでありがたい理由を探し出して語り合うことができたのです。 別れは悲しいものですから、どうしてもそこにだけに目がいってしまうのですが、人生はそれだけではないと思うのです』、確かに別れの一言がその場の雰囲気を形成してしまうことは、大いにあり得る。「ありがとう」とは大事な言葉だ。ただ、残念ながら、私の場合は「遅きに失した」。
・『ある高齢の男性患者さんが亡くなったあと、私は息子さんにこう声をかけました。「お父さん、笑うと、とってもかわいらしい人でしたね」 すると、息子さんは驚いたように言いました。「親父は入院中に笑うことがあったんですか」 「よく笑ってましたよ。歯が1本しか残ってないから、笑うと、にたっという感じになって。かわいらしい人でしたね」そう私が答えると、息子さんは目を潤ませました。 「親父の入院生活は、つらくて苦しいだけじゃなかったんですね」 ときに、高齢者は環境が変わるだけで、「せん妄」という症状が出て、混乱することがあります。 じつは、そのお父さんは他の病院から転院してきた方だったのですが、転院してきたばかりの頃、混乱してしまったのでしょう、「なんで俺はこんなところにいるんだ」と言っては、看護師を殴ったりしていました。 その様子を見ていた息子さんですから、「親父は、家に連れて帰らない自分を怒っている」と思っていたようです』、「せん妄」で「看護師を殴ったり」とは、しょうがないとはいえ、そんなことにはなりたくないものだ。
・『この息子さんは、家ではお母さんの介護をしていました。 ですから、お父さんとお母さん二人の介護はさすがに家ではできないということで、お父さんを入院させていたのです。 そのため、息子さんはずっと、お父さんに負い目を感じていました。 「だから、なかなかお見舞いにも来られませんでした。でも、親父の入院生活は、つらくて苦しいだけじゃなかったんですね。その言葉を聞いてほっとしました。救われました」 環境変化が原因のせん妄状態は、そんなに長く続くものではありません。何日かすると、もともとの穏やかな性格に戻ったりするものです。 このお父さんも、最初の1週間は看護師が何かしようとするたびに殴りかかっていましたが、やがて環境に慣れてくると、笑うようにもなっていきました。 ですが、「親父は怒っている」と思い込んでいた息子さんはそのことを知らずにいたのです。 私が「笑ってかわいらしい人でしたね」と声をかけることがなければ、息子さんは、お父さんはつらくて苦しい入院生活の中で亡くなったのだと、きっと思い続けてしまっただろうと思うのです。 ですから、ご家族にも幸せな死を迎えたと感じてもらうために、私は患者さんのよき思い出を語るようにしています』、この看護師の一言がなければ、息子さんは一生、自分を責め続けていた筈で、看護師ら医療関係者とのコミュニケーションの大切さを改めて思い知らされた。
第三に、同じ後閑愛実氏による2月28日付け「1000人の看取りに接した看護師が教える、「老衰が理想的な死」と言える訳」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/194917
・『なぜ老衰が理想的な看取りなのか 先日、「点滴の量を減らしましょう」と医師から提案されたご家族が、こう言いました。 「点滴しなかったら、弱っていくんですよね。老衰じゃかわいそう……」 みなさんはどうお考えですか。 このご家族と同じでしょうか。 看護師として言わせていただくと、このご家族の考え方は、「正解とは言いがたい」です。本来は、「老衰じゃないとかわいそう」なのです。老衰が最も楽な死であり、理想的な看取りとは、「老衰に近づけること」だからです。 老衰とは、年を取って亡くなることではなく、細胞や組織の能力が全体的に衰えて亡くなることをいいます。すべての臓器の力がバランスを保ちながら、ゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していくので、患者さんはそれほど苦しくありません。ちょっとおかしな表現になるかもしれませんが、気がついたら死んでいたというのが、老衰による亡くなり方です』、確かに私も含め世間一般では誤解も多いようだ。
・『世の中で「大往生でしたね」「天寿をまっとうしましたね」といった言い方をされる“死”は、たとえ死亡診断書には「虚血性心疾患」「大腸がん」などと記されていたとしても、老衰死でもある場合が圧倒的です。この老衰こそが理想的な死なのです。 実際、現代の医療では、どんな病気だとしても、最期は老衰を目指して治療やケアをしていきます。 老衰のどこがいいかというと、すべての臓器の力がバランスを保ちながらゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していくと、本人は苦しさをあまり感じないのです。どこか身体の一部が衰えて他に元気な部分があるから苦しいのです。 例えば、高齢の肺がんの患者さん。肺の機能が落ちているのに他の器官が正常だとバランスが取れていないので苦しいのです。 だったら肺の機能を上げればいいじゃないかと思うかもしれませんが、老化によって一度弱った機能は上がりようがありません。 脳の機能に異常があって寝たきりになってしまったけれど、心臓は衰えていないので寝たきりのまま延々と生き続ける……。 それと裏表の関係にあるのが老衰なのです。 治療というのは本来、いちばん弱いところに合わせておこなうべきです。 それがいちばん元気なところに合わせようとするから、本人がつらい思いをしてしまうのです。 元に戻らないものを戻そうとするから、患者さんが苦しむのです。 元気なところに合わせる治療というのは、極端に言うと、50年前にオリンピックでメダルを取った人に、当時と同じトレーニングを課すようなものなのです』、なるほど、説得力がある。
・『80代後半の男性患者のミズノさんは、肺がんの末期を迎えていました。とてもかわいらしいおじいちゃんで、よく笑い、よく食べ、酸素ボンベを転がしながらよく病棟を散歩していました。このミズノさん、徐々に病気が進行し、眠っている時間が増えていきました。ご飯も食べられなくなりましたが、経管栄養も点滴もしませんでした。ご家族の希望は「自然なまま生かしたい」だったので、延命のための治療はしませんでした。ご本人も、「苦しいのは嫌だから、延命なんてしないでおくれ」と口ぐせのようによく言っていました。 やがてミズノさんは、心臓のポンプとしての機能も低下し、全身の臓器に必要な量の血液を送ることもできなくなりました。 以前は身体に水分が溜まって全身がむくんでいましたが、飲んだり食べたりができなくなったので、しだいに身体がしぼんでいきました。 ベッドの上で丸まって眠っているミズノさんの表情は穏やかで、無垢な赤ちゃんのようでもあり、すべてを悟った仏さまのようでもありました。 飲まず食わず、点滴もせずで、ミズノさんは自然なまま、それから10日間生きました。 食べたり飲んだりできなくなったら、「もつのは長くて10日間くらい」と言う先生もいますので、ミズノさんはぎりぎりまで頑張ったと言っていいでしょう。 では、末期がんのミズノさんがどうして限界まで頑張れたのでしょう。 何もしなかったからです。自然であったからこそ、穏やかにすごせたのです。あの状態で点滴をしていたら、痰が増えて苦しんだことでしょう。穏やかな表情ですごせなかったのは間違いありません。 とくに肺というのは、全身の中でいちばん弱いところです。体内の水分が少しでも多いと肺に水が染み出し、痰が増えて苦しくなってしまうのです。 結局、ミズノさんは10日間眠り続けたあと、病室に奥さんと娘さん、お孫さんがいるときに亡くなりました。 病室は個室でしたが、そのとき、窓際の二人掛けのソファーに奥さんと娘さんが座り、丸いパイプ椅子にお孫さんが座って、女性だけで仲良く話が盛り上がっていました。 ご家族はミズノさんが眠っていると思っていましたが、気がついたときにはミズノさんの呼吸は止まっていたということです。その場に居合わせた家族が誰も気がつかなかったほど、穏やかな亡くなり方だったということです。よい死とは、時にあまりにもあっけないものなのです』、私も延命治療はしないよう家族には申し渡しているが、こんなにも樂な老衰による死があるとは知らなかった。ただ、ケースバイケースではないかとの疑問も僅かながら残る。
第四に、同じ後閑愛実氏が外科医の中山祐次郎と対談した1月12日付けダイヤモンド・オンライン「看取りに接する医師と看護師が伝える、医療者まかせの看取りが怖い訳」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/190346
・『今回は、『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さんと、『医者の本音』の著者で外科医の中山祐次郎(なかやまゆうじろう)先生という二人の医療者による対談を収録しました。 看護師、医師という2つの視点から、患者さん、あるいは家族が死とどう向き合っていってほしいかを語ってもらいます』、医師との対談とは興味深そうだ。
・『医療者と患者の距離 後閑愛実さん(以下、後閑):医療者の死生観で、患者さんの生き方が右往左往されてしまっているんじゃないかと思うことがあります。中山先生の著書『医者の本音』の中でも書かれていましたが、医師にとって患者さんの死は2.5人称。やっぱり家族と同じにはなり得ないですよね。そうはいっても、3人称、その他大勢の死というほどでもないとは思いますが、家族も本人もすべて医療者まかせということにはしてほしくないと私は思っています。 中山祐次郎先生(以下、中山):説明を足すと、2人称は「あなた」、3人称は「どこかの誰か」。つまり2人称は家族などの大切な人、3人称は見知らぬ人。医者と患者さんの距離ってどれくらいあるんだろうって考えた時に、やっぱり家族にはどうしてもなり得ないし、愛する人でもない。けれどもまったく知らない他人ではない、というところで2人称と3人称の間、2.5人称と私は考えています。 それくらいの距離感が、医師として冷静かつ温かみのある判断ができるのではないかと感じています。 ただ、医者の死生観もさまざまで、それを押し付けるのか押し付けないのか、それとも家族にまかせてしまうのか、まかせるならどれくらいか、8:2なのか5:5なのか。そういうのは人にもよるでしょうし……難しいとこですよね』、医療者と患者の望ましい距離が「2.5人称」とは言い得て妙だ。
・『後閑:近すぎず遠すぎず、ということですね。ちなみに、近すぎたなという例はありますか? 中山:ありますね。医者として若かった頃のことです。 私はその時、研修医だったんですが、医者として大した貢献ができずにいて、だけどどうにかしたいという気持ちがあったから、おそらく私は距離を詰めすぎてしまったんです。 その患者さんの病室に休みでも通ったり、医療と関係ない話もたくさんしました。その患者さんはがんで、その後亡くなられました。私はその方のお葬式に行ったんですよ。お葬式に行って、すごく辛い思いをしました。すごく心が傷ついたので、これがしょっちゅう起きたら、とてもじゃないけど自分の心が持たないと思いました。 後閑:私もお葬式に行ったことがある患者さんがいます。 その患者さんは90代の女性でした。経鼻経管栄養で最期まで生かされ、痰も多かったのでよく吸引したりしましたし、体がむくんだりもして辛い思いをさせてしまった患者さんでした。 90代のご主人と息子さんがよくお見舞いに来ていました。最期は夜中の0時くらいに、もう呼吸が止まりかけてると思ったのでご家族を呼んだんです。ご主人と長男さんご夫婦がすぐに駆けつけてくれました。患者さんは、ご家族が来たらちょっと元気になって、目を開けてご主人を見ていたんです。 長男さんは私たちスタッフの分までジュースを買ってくれて、患者さんを囲んでみんなでそのジュースを飲みながら、思い出話とか患者さんのことを話したりしていました。 朝方6時くらいになって、それこそ仲直りの時間だったんですけど、患者さんが持ち直したように見えたんです。すると、今度は高齢のご主人のほうが心配になったので、「いったん帰られて、休まれたほうがいいんじゃないですか。私たちが見ていますから」と提案しました。長男さんも、自分が残るからと言ってくれて、ご主人とお嫁さんは一度家に帰って休み、お昼頃にまた来ます、ということになったんです。 けれど、二人が帰って30分後に患者さんは息を引き取られました。あの時、帰っていいなんて言わなければよかったという思いが私に残ったんです。 長男さんは、自分がいたから最期を穏やかに看取ることができたと言ってくれたし、ご主人も急変を連絡するとすぐに来てくれたので、息を引き取る瞬間に立ち会うことはできなかったけれど一晩一緒にいられたからよかったと言ってくれたんですが、それでもちょっと心につっかえるものがあって、お葬式に行ったということがありました。 けれど、こうしてその人だけを特別視していいのだろうか、じゃあ他の人はどうなの、これはやっぱり続けられないから、少しだけ距離をとろうと思いました。以来、近づきすぎず、ちょっとだけ距離をとるということを意識しています』、医者も看護師も近すぎる距離をとった反省から、「2.5人称」になった経緯が理解できた。
・『中山:看護師さんは医師よりも患者さんと距離が近いですよね。そうすると、やっぱり医者よりも患者さんに感情移入しやすいでしょうし、看取るのは辛いだろうと想像しますが、どうですか? 後閑:今は結構、自分を客観視できるようになった部分もあります。たとえ理不尽な死であったとしても、今は辛いことになっているとしても、それ以前にたくさんの選択をしてきた結果であるわけで、本人やご家族が思ったようになってはいなかったとしても、その選択をした時は最善だと思ったことを選択し続けてきたわけです。なのに今、苦しい思いをしているのは、病気や老化のほうがその一枚も二枚も上手だったというだけです。その人たちが最善と思われることを選択してきたんだと思って、今を否定せずに接するようにしています。 とはいえ、心のバランスをとるのはすごく難しいと思いますね。医療介護職は感情労働ですから、自分の感情をコントロールしないといけない。そんなふうに見えてはいないという方もいらっしゃるかもしれませんが……。中山先生は、どうやってメンタルをコントロールしていますか? 中山:痛く飲むと書いて「痛飲」するという言葉がありますが、僕は本当に文字通り痛飲していて、自傷行為そのものでしたね。すべてを客観視して、他人事にしてこなしていくのは違うと思っています。 毎回落ち込んだり傷ついたりしているのは危ないし、それでは持たないとは思うんですが、それが正しいと僕は思っているんですよ。危険な思想だとは思いますけどね。 後閑:医療者も患者さんの死に対して、家族と同じ悲しみではないけれど、悲しんでいることをわかってもらいつつ、ともに看取りを穏やかな最期へと着地させるためにはどうしたらいいかを考えてほしいと思います』、中山氏がいまだに「自傷行為」と分かっていながら「痛飲」しているというのには驚いた。理想と現実のギャップはやはり大きいようだ。
・『「先生ならどうしますか?」 後閑:医療者と患者さんやご家族には、その思いにギャップがあるんですよね。治療方針を決定する上で、中山先生自身が気をつけていることはありますか? 中山:基本的には、その場で決めないということかな。緊急手術の場合以外は、必ず一週間は開けて、一回持ち帰ってもらって、ご本人に家族と一緒に考えてもらうことにしています。それで改めて集まってもらって話し合う、ということを大事にしていますね。 後閑:中山先生の本『医者の本音』の中で、大腸がんの父親の手術をするのか、人工肛門にするのか、それとも何もしないのかを悩んで、手術を選択したというエピソードがありましたが、このケースも持ち帰って考えてもらったんですか? 中山:あの話に関しては、もう腸閉塞になっていて、放っておけば腸が腐って死ぬという状態だったので、大急ぎでみんなで話して決めました。 最近は風潮として、患者さんに選択を完全に丸投げするという姿勢がちょっと多いように思います。 ABCと選択肢があります、どれがいいですか? というシーンがちらほらあって、安易すぎてプロとして非常に恥ずかしい。やはりある程度、プロとして責任を持ちつつ、自分の医学的な専門性を加味して、さらに経験を加え、せめてオススメを言うべきだと思っています。僕はそれだけは気をつけるようにしています。全部並列して提示して、さあ、どれかに決めてくださいというのは、僕は好きじゃない。 後閑:たしかに、A案B案C案ありますけど、どうですか? と投げて、家族がA案を選択したとすると、面談の後で、「なんであれ選ぶかな?」と口にする先生もいますね。いやいや、先生が提示したからでしょう? みたいなこともあるから怖いんです。私も医者がせめてオススメを言うべきだと思います。 逆に、「先生だったら何をオススメしますか」と聞ていみてもいいものでしょうか?』、「最近は風潮として、患者さんに選択を完全に丸投げするという姿勢がちょっと多いように思います」、というのは困ったことだ。私だったら、やはり「オススメ」を聞いてみたい。
・『中山:そうですね、それは有効だと思っています。 「先生だったら何を選びますか」「先生が私の立場だったら何を選びますか」と聞いてみるのは、すごく大事です。最終的には主治医の判断になるわけですが、私は、この患者さんが自分の親だったとしたら何を選ぶだろうかというように意思決定すると、比較的すっきりとする選択ができるようには思っています。 後閑:私の親も肺がんの手術の後に「抗がん剤をしますか」と聞かれて、「先生だったらどうしますか」って聞いたら、「僕ならしません」と言われてやめました。 中山:その質問は、本当に有効だと思います』、中山氏が「この患者さんが自分の親だったとしたら何を選ぶだろうかというように意思決定すると、比較的すっきりとする選択ができるようには思っています」、というのは素晴らしい考え方だ。
・『静かに尊厳を持ってその生を閉じていく 後閑:中山先生は本の中で、「静かに尊厳を持ってその生を閉じていく姿はとても自然なものだったと記憶しています」と書かれていましたが、その時はどう思われたんですか? 中山:その話は、私が初めて治療をしなかった患者さんのことです。 中山:患者さんが食事がとれなくなって、その状況に対して医療には点滴をする、鼻から管を入れる、胃に穴を開けて胃に直接食事を入れるといった3つくらいの方法がありますが、そのすべてをご家族としっかり話し合った結果、どれもやらずに食べられなくなって、そのままだんだんと死に近づいていきました。ああ、こういう終わり方があるんだと、初めて知りました。 しかし、僕の心の中では葛藤もありました。もうちょっと治療したら、1ヵ月、2ヵ月、半年ぐらいは何とか頑張れたかもしれないという医学的な思いと、ある日突然、知らないところから医療従事者という親戚が現れて、「なんで何もやらないんだ、そのせいで死期が早まったんじゃないか!」と怒られ、訴えられるんじゃないかという不安も正直よぎりました。 ですが、その二つの葛藤を飲み込むほど、最期のお看取りのシーンは自然で、神々しいとさえ思えたんです。人間は、こうやって生きて、こうやって死んでいくんだと思いましたし、こうあるべきだと、理解ではなく「感じた」というのが正しい表現です』、延命治療をしないことについて、医師の側にも葛藤があることをよく理解できた。
・『後閑:それはすごく共感できます。私も患者さんが亡くなった後に、その患者さんがすごくおしゃれな方だと聞いていたので、ご家族に「お母さんはすごくおしゃれな人だったと聞いたので、皆さんでメイクをしてもらえませんか」とお願いしたんです。エンゼルケアという身体を綺麗にしたり浴衣を着せたりするのは看護師がやるのですが、最後にメイクだけご家族にやってもらったんです。 家族が思い出話をしながらメイクをしてくれて、お孫さんが「おばあちゃん綺麗だね」って言ったんです。お嫁さんも「ほんとだ、綺麗」、長男さんも次男さんも「母さん、綺麗だ」って。その光景に、人生の最後に家族みんなに綺麗って言われるって、なんて素敵な人生だろうと思いました。そのすべてに、まるで美しい景色を見ているような高揚感を覚えました。尊厳を保ったまま亡くなることができた、生ききったんだ、と感じました。 中山:やっぱり、僕も後閑さんもそういうふうに感じるということは、たぶん多くの人が同じように感じると思うんですよね。そう考えると、ラストシーンに人工的なことが増えるというのは自然ではないんでしょうね。 後閑:本来は、歩けなくなって、食べられなくなって、木々が自然に枯れていくように自然に亡くなっていくんでしょうけれど、医療はそれをひどく遠回しに、より困難にしているように思えることがあるんです。 中山:すごくあちこちに行った結果、僕たちは戻ってきた気さえしますよね』、「自然に亡くなっていくんでしょうけれど、医療はそれをひどく遠回しに、より困難にしているように思えることがある」というのは皮肉なものだ。
・『後閑:本人家族が医療者まかせにしないためにどうしたらいいかという、アドバイスはありませんか。 中山:有事の際に考えるのではなく、普段から家族ともしもの時の話し合いをしておいてほしいということですね。自分の葬式はどうしてほしいとか、意識がなくなったらどれくらい積極的に治療をしてほしいとか、死にまだ遠い時に死について話し合っておくことが大事だと思っています。 その辺の意識は後閑さんと同じだと思っていて、だから僕も以前、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』という本を書いたんです。元気な時に考えておいてほしいんです。 後閑:本当にそうですよね。私も元気な時にこそ考えておいてほしいという思いがあって、看取りや死について病院の外でトークイベントをしたり、ネットで発信したり、今回、『後悔しない死の迎え方』という本を書いたりしているんですよね。 元気なうちに、自分はどう過ごしたいか、何を大事に思っているのかなどを話し合っておいてほしいですね。「延命治療はしないで」というのでは、話し合ったうちに入りません。なら、延命治療って何ですか? という話になりますし、じゃあ、どうしたらいいのと、結局は医療者まかせとなって不本意な形で生かされ続けたりしてしまうわけです。ですから、どう最期を過ごしたいか、どういう思いを大切に生きていきたいかを、何かの機会で話し合っておいてほしいなと思っています』、「延命治療はしないで」だけでは不十分で、「どう最期を過ごしたいか、どういう思いを大切に生きていきたいかを、何かの機会で話し合っておいてほしい」というのは、大いに参考になった。
・『穏やかな最期を迎えるために重要なこと
(1)医療者も家族や本人とはまた違う苦しみを味わっていると理解する
(2)プロの意見をもらう質問「先生だったらどうしますか?」 鵜呑みにはしないこと。なぜなら医師の死生観に左右されることになるから。 それに自分の人生観をプラスして考えること。
(3)静かに尊厳を持ってその生を閉じていくには、元気な時から話し合いをしておくこと』、この3点を心に留めて穏やかな最期を迎えたいものだ。
タグ:老衰死でもある場合が圧倒的 「ありがとう」と素直に口にしてくれるのかもしれません れくらいの距離感が、医師として冷静かつ温かみのある判断ができるのではないかと感じています せめてオススメを言うべき どう最期を過ごしたいか、どういう思いを大切に生きていきたいかを、何かの機会で話し合っておいてほしいなと思っています 静かに尊厳を持ってその生を閉じていく ダイヤモンド・オンライン 穏やかな最期を迎えるために重要なこと 後閑愛実 医者も看護師も近すぎる距離をとった反省から、「2.5人称」になった経緯 2.5人称と私は考えています 『医者の本音』の著者で外科医の中山祐次郎 最期は、いちばん弱っている時期なので、どんな人でも他人の優しさを感じやすくなるものなのでしょう すべての臓器の力がバランスを保ちながら、ゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していくので、患者さんはそれほど苦しくありません もうちょっと治療したら、1ヵ月、2ヵ月、半年ぐらいは何とか頑張れたかもしれないという医学的な思い 最近は風潮として、患者さんに選択を完全に丸投げするという姿勢がちょっと多いように思います 近すぎず遠すぎず 老衰とは、年を取って亡くなることではなく、細胞や組織の能力が全体的に衰えて亡くなることをいいます 「延命治療はしないで」というのでは、話し合ったうちに入りません 環境変化が原因のせん妄状態 「1000人の看取りに接した看護師が教える、「老衰が理想的な死」と言える訳」 「1000人の看取りに接した看護師が教える、たった一言が、幸せなご臨終に変えてくれます」 「看取りに接する医師と看護師が伝える、医療者まかせの看取りが怖い訳」 看護師を殴ったりしていました (その2)(1000人の看取りに接した看護師が伝える:(人は「死に時」を自分で選んでいる と思う訳、たった一言が 幸せなご臨終に変えてくれます、「老衰が理想的な死」と言える訳)、看取りに接する医師と看護師が伝える、医療者まかせの看取りが怖い訳) 中山祐次郎と対談 プロの意見をもらう質問「先生だったらどうしますか?」 鵜呑みにはしないこと。なぜなら医師の死生観に左右されることになるから。 それに自分の人生観をプラスして考えること 医療者も家族や本人とはまた違う苦しみを味わっていると理解する 「大往生でしたね」「天寿をまっとうしましたね」 「先生ならどうしますか?」 いちばん元気なところに合わせようとするから、本人がつらい思いをしてしまうのです 治療というのは本来、いちばん弱いところに合わせておこなうべきです 静かに尊厳を持ってその生を閉じていくには、元気な時から話し合いをしておくこと なぜ老衰が理想的な看取りなのか 老衰こそが理想的な死なのです 自然に亡くなっていくんでしょうけれど、医療はそれをひどく遠回しに、より困難にしているように思えることがある 「1000人の看取りに接した看護師が伝える、人は「死に時」を自分で選んでいる、と思う訳」 終末期医療 医療者と患者の距離 ある日突然、知らないところから医療従事者という親戚が現れて、「なんで何もやらないんだ、そのせいで死期が早まったんじゃないか!」と怒られ、訴えられるんじゃないかという不安 どこか身体の一部が衰えて他に元気な部分があるから苦しいのです メンタルをコントロール 人は「死に時」を選んでいる 『後悔しない死の迎え方』
安倍政権のマスコミへのコントロール(その9)(森友スクープの元記者激白「安倍官邸vs.NHK」に込めた覚悟、菅長官に睨まれる東京新聞「望月記者」と朝日新聞が共闘!? “官邸申し入れ”に徹底抗戦、言論統制が深刻化…確実な証拠がないから追及が必要なのだ、報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である) [メディア]
安倍政権のマスコミへのコントロールについては、昨年9月9日に取上げた。今日は、(その9)(森友スクープの元記者激白「安倍官邸vs.NHK」に込めた覚悟、菅長官に睨まれる東京新聞「望月記者」と朝日新聞が共闘!? “官邸申し入れ”に徹底抗戦、言論統制が深刻化…確実な証拠がないから追及が必要なのだ、報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である)である。
先ずは、昨年12月20日付け日刊ゲンダイ「森友スクープの元記者激白「安倍官邸vs.NHK」に込めた覚悟」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/244053
・『日刊ゲンダイは今夏、NHKで森友事件のスクープを連発した記者が左遷され、退社したことを報じてきた。その当事者である相澤冬樹氏(現大阪日日新聞論説委員・記者)が13日、「安倍官邸vs.NHK」(文藝春秋)を上梓。NHKでの森友報道への圧力や社内攻防などが実名入りで生々しく記されている。 テレビニュースというのは事実を報道するものだと、かつて視聴者は黙っていても納得してくれました。しかし、最近は疑念を持たれている。NHKという組織を離れた立場なら舞台裏を書けると思い、プロ記者の取材への信用を取り戻すためにも、覚悟の上で踏み込んで書こうと決めました。 NHKで森友学園に関して報じてきた1年半の間、過去に体験したことのないことが多々起きました。財務省がおかしなことをやっているというニュースを出そうとするとさまざまな圧力が掛かった。なぜそんな判断になるのか。安倍官邸の関与は、はっきりとは分かりませんが、何かがなければそんな判断にはなりません』、財務省からの圧力は、官邸経由に加え、財務省自体の情報網に引っ掛かったためもあるのではなかろうか。
・『最近のNHKは政治と「折り合う」ではなく「べったり寄り添う」 森友報道では、学園と昭恵夫人の関係についての部分が原稿から削除された。「国有地の売却前に近畿財務局が学園側に支払える上限額を聞き出していた」「財務省が学園に『トラック何千台ものゴミを搬出した』という口裏合わせを求めていた」という特ダネも、なかなか放送させてもらえなかった。特ダネ放送後に、NHK報道部門トップの小池英夫報道局長が大阪放送局の報道部長に叱責電話を掛けてきたこともあったという。 NHKが政治と「折り合う」必要があるのは放送法に縛られている以上ある程度は仕方がない。しかし、最近は折り合うではなく「べったり寄り添う」になってしまっていて、やり過ぎです。なぜそれが起きているのかということです。国民の信頼を失いますよね。視聴者の信頼を失ったら公共放送は成立しません』、これはやはり官邸からの強い圧力があったためだろう。
・『日刊ゲンダイで報じたように、考査部への異動の裏に官邸への忖度はあったのか。 異動の内々示があった時は、大阪地検特捜部の捜査が継続中でした。その真っただ中に担当記者を代えるという判断は不自然で不可解。そのうえ内々示も異例でした。大阪の副局長まで同席し、わざわざ「これからは考査の仕事に専念してもらう」と言われたのです。「もう報道には手を出すな」という組織の意思表示だと感じました。そこまでして私に記者をさせたくないというのは、つまり、私に森友報道をさせたくないのだと受け止めました。 9月に大阪日日新聞へ移籍。森友報道は今後も継続していく決意だ。 みんなすぐに真相を求めたがりますが、当事者が話さない限り分からない。時間が必要なんです。私は、記者はしつこさが大事だと思っています。長い時間をかけて、しつこく取材するつもりです。森友事件では犠牲者が1人出ている。その重みを感じつつ、まずは、なぜ彼が死に追いやられたのか、という背景を明らかにしたい』、「しつこさ」を活かして森友問題を解明してほしいものだ。
次に、2月13日付けデイリー新潮「菅長官に睨まれる東京新聞「望月記者」と朝日新聞が共闘!? “官邸申し入れ”に徹底抗戦」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/02130631/?all=1
・『望月記者を“妨害”する報道室長 首相官邸の公式サイトに、「内閣官房長官記者会見」のコーナーがある。長官の発表や記者との一問一答が動画で紹介されているのだが、例えば「2月8日(金)午前」の動画を再生してみよう。7分24秒から東京新聞・望月衣塑子記者の質問が始まる。なかなかお目にかかれないやり取りが繰り広げられているのだ。 動画の音声を一問一答にまとめてみた。以下のような具合になる。 【東京新聞・望月衣塑子記者(以下、望月記者)】東京、望月です。上村室長の質問妨害についてです。重ねてお聞きします。上村氏は質問要件を制約したり、知る権利を制限したりする意図は全くないということでしたが、質問中の…… 【司会者】(割り込んで)質問は簡潔にお願いします。 【望月記者】……妨害行為、1年以上続いていまして、明らかに圧力であり、質問への萎縮につながっています。昨年5月に私が直接抗議をした際、上村室長は…… 【司会者】(再び割り込んで)質問に入ってください。 【望月記者】「政府の一員としてやっている」と、「個人的にやっているということではない」と説明をされました。政府、つまり長官が上村室長にこのような指示をされたということは…… 【司会者】この後、予算委員会に出席しますので…… 【菅義偉・官房長官】(司会者の注意に割り込む形で)ありません。 【司会者】……質問に入ってください。(菅官房長官の『ありません』を耳にして)はい、ありがとうございました。 望月記者が「質問に対する妨害行為」を主張している最中に、司会者が望月記者に注意する声が響く。菅官房長官も、司会者を遮って回答。通常の会見と様態が異なるのは明らかだ。動画で見ると更に生々しい。一体、何が起きているのか、政治担当記者が解説する』、確かに、報道室長と司会者の議事進行の酷さは想像以上だ。
・『「望月記者は2017年ごろから官房長官の会見に出席し、伊藤詩織さんのレイプ問題や、森友・加計学園問題など政権側に厳しい質問を繰り返し行うことで注目を集めました。そのため政権側からの“マーク”も相当なものがあり、過去には官邸が東京新聞に抗議したこともあります。そうしたことも含めて望月記者の支持派とアンチ派の論争を生み、更に脚光を浴びる、というわけです。そして望月記者は現在、『自分の質問を官邸が制限しようとした』と抗議を繰り返し、菅官房長官など官邸側と猛烈にやり合っているのです」 この動画、望月記者が質問を始めた7分30秒すぎ、菅官房長官が画面左下へ視線を向け、苦笑する場面がある。「やれやれ」という表情に見えなくもない。 「最近は菅官房長官の会見で、望月記者が挙手して最後の質問を行い、長官が嫌そうに回答する、という光景がお約束のようになっています」(同・記者) 興味のある向きは動画をご覧いただきたいが、まずは今回の騒動を改めて振り返ろう』、記者クラブが「望月記者の支持派とアンチ派の論争を生み」とあるが、アンチ派の記者はよほど「飼い馴らされている」のだろう。ジャーナリストの風上にも置けない連中で、誠に嘆かわしいことだ。
・『初報は2月1日。情報誌「選択」が電子版などで「首相官邸が東京新聞・望月記者を牽制 記者クラブに異様な『申し入れ書』」と報じたことに始まる。 このスクープ記事、肝心の内容が分かりにくい。記事には「要は望月氏の質問を減らせとクラブに申し入れているようなもの」とあり、官邸の申し入れ書に批判的なスタンスを取っていることは伝わってくる。 だが、官邸が何を理由として「望月氏の質問を減らせ」と申し入れたのか明らかにされていない。「(申し入れ書)では『東京新聞の特定の記者』による質問内容が事実誤認であると指摘」などとしか書かれていないのだ。 中日新聞も同じトーンの記事を掲載している。後述するが、「選択」の記事を端緒とし、新聞労連が独自に動く。労連は官邸に抗議するのだが、これを報じた中日新聞の記事をご覧いただきたい。 また中日新聞は1967年、東京新聞の営業権や発行権を獲得。そのため望月記者は「東京新聞の記者」と報じられるが、この記事では「本紙記者」となっている。 それが2月6日に掲載された「本紙記者質問制限に抗議」だ。中日=東京新聞の主張が全面に押しだされていることも鑑みて、全文を転載させていただきたい。 《新聞労連(南彰委員長)は五日、首相官邸が昨年末の菅義偉官房長官の記者会見での本紙記者の質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」とし、「問題意識の共有」を内閣記者会に申し入れたことについて「官邸の意に沿わない記者を排除するような申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭めるもので、決して容認できない」とする抗議声明を発表した。 声明は「記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能」と指摘。本紙記者の質問の際に司会役の報道室長が「簡潔にお願いします」などと数秒おきに妨げていると批判し、「首相官邸の、事実をねじ曲げ、記者を選別する記者会見の対応が、悪(あ)しき前例として日本各地に広まることも危惧」しているとして改善を求めた》 記事の後段では、東京新聞の幹部もコメントを発表し、官邸に対して異議申し立てを行っている。《加古陽治・東京新聞(中日新聞東京本社)編集局次長の話 質問の途中で事務方の催促が目立つことについては、既に官邸側に改善するよう求めています。今後と読者の「知る権利」に応えるため、本紙記者が取材等で知り得た事実関係に基づき質問に臨む方針に変わりありません》。中日新聞の報道で分かったことが1つある。記事に登場する「司会役の報道室長」は、望月記者が菅官房長官に質した「上村室長」と同一人物だということだ。他の報道を当たると「官邸報道室の上村秀紀室長」とフルネームも既報されていることも分かる』、このような「読者の「知る権利」」への官邸の妨害行動は、民主主義の基盤を揺るがせるもので、確かに放置できない。
・『朝日新聞とハフポスト日本版が東京新聞を応援!? この“騒動”の背景も踏まえ、分かりやすく報じた新聞社の1つに、朝日新聞がある。2月6日の「記者質問を制限、首相官邸に抗議 新聞労連が声明」には、なぜ官邸サイドが文書を送りつけたのか、その経緯が明記されている。該当部分を引用させていただく。《首相官邸は昨年12月28日、首相官邸の記者クラブ「内閣記者会」に対して、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事に関する東京新聞記者による質問について「事実誤認がある」として、「当該記者による問題行為については深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げるとともに、問題提起させていただく」と文書で要請。これに対して記者クラブ側は、「記者の質問を制限することはできない」と伝えた》 普天間の移設問題に関する質問が背景にあったことが、これで分かる。ちなみに朝日の記事にも、新聞労連が上村室長に対して抗議している部分がある。ここも引用させてもらおう。《官房長官の記者会見で司会役の報道室長が質問中に数秒おきに「簡潔にお願いします」などと質疑を妨げていることについても問題視。官邸側が「事実をねじ曲げ、記者を選別」しているとして、「ただちに不公正な記者会見のあり方を改めるよう、強く求める」としている》 更に朝日新聞は7日の紙面にも「(Media Times)記者を問題視、官邸に批判 辺野古巡る質問『事実誤認』と文書」と詳報する記事を掲載した。文中では「東京新聞記者」としか書かれていないが、望月記者の質問のうち何を官邸は問題視したか、具体的に明かした。《官邸が問題視したのは、昨年12月26日の記者会見での東京新聞記者の質問。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事に関し、「埋め立ての現場では今、赤土が広がっております」と前置きし、「政府としてどう対処するのか」などと問うた。 官邸側は文書で、質問の「現場で赤土による汚濁が広がっているかのような表現は適切ではない」と指摘。会見がネットで動画配信されていることなどから、「内外の幅広い層の視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねず、会見の意義が損なわれる」として、「当該記者による問題行為については深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げるとともに、問題提起させていただく」と要請した。 首相官邸報道室によると、東京新聞に対して官邸は「事実に基づかない質問は厳に慎む」よう繰り返し求めていたという》』、「辺野古への移設工事に関し、「埋め立ての現場では今、赤土が広がっております」」というのは、テレビ画像でも事実なのに、これを否定し、望月記者を批判するとは、官邸の思い上がりもここに極まれりだ。
・『これで官邸が望月記者の何を問題視しているのか、その全容が明らかになったわけだが、今度はハフポスト日本版が、新聞労連が官邸に抗議した経緯を詳報した。 このハフポスト日本版は、アメリカの本社と朝日新聞が合同事業として行っている。2月6日に掲載された「官房長官の会見で東京新聞記者の質問制限→官邸の申し入れに新聞労連が抗議。真意を聞いた」は、新聞労連の南彰委員長にインタビューしたものだ。 先に触れた中日新聞の「本紙記者質問制限に抗議」の記事にも、「南彰委員長」の名前は記されている。そしてハフポストの記事は「新聞労連の南彰委員長(朝日新聞社)」と表記した。実は南委員長、朝日新聞の記者なのだ。 このハフポストの記事で、昨年12月28日に文書で申し入れが行われたことに対し、なぜ年明けの2月5日に抗議を行ったのか、という問いに対し、南委員長は「2月1日の『選択』の記事で初めて知った」と回答している。 事実関係を追う上で、重要だと思われる南委員長の説明を、1箇所だけ引用させていただこう。《当初、記者クラブに対しては、もっと強いトーンでこの記者の排除を求める要求が水面下であったようです。記者クラブがこれを突っぱねたため、紙を張り出すかたちで申し入れを行ったと聞いています。クラブとしては、これを受け取ってはいない、ということです》 ここまで見てみると、東京新聞を朝日新聞が応援しているように見えるのだが、少なくとも望月記者と朝日新聞の南記者は、会社の枠を超え、相当な“協力関係”にあるのは間違いない。 例えば、財界展望新社が刊行する月刊誌「ZAITEN」3月号には「望月衣塑子記者は『参院選不出馬宣言』官邸が睨む記者が暴く『安倍政治の嘘八百』」という記事を掲載した。実を言うと、この記事は望月記者と南記者の対談なのだ。 望月記者と南記者が会見で、次第に菅官房長官に“目をつけられる”ようになっていく経緯を自分たちで説明したところが読みどころの1つだが、対談では協力関係にあったことが明記されている。《望月 (略)私と一緒に質問していた南さんまで、マークされるようになりましたね。南 記者の質問時間は他の記者と変わらないのに、望月さんだけが司会者から「質問を簡潔にするように」とか「質問は事実に基づいて」と注意されるようになった。実際は官房長官の側が事実を全く無視した答弁をしているのに。 望月 ただ、菅さん側は、秘書官などを通じて「あいつをいつまで来させるんだ!」「あんな質問は印象操作だ!」など、いろいろとプレッシャーを番記者にかけているようで、彼らが一時期は大変だったとも聞いています。 南 望月さんの取材手法に対して反感を持つ記者が各社にいるのは事実です。でも、会見で聞くべきことがあるなら聞き続けるのはジャーナリズムの王道》 誌面に掲載された、望月、南両記者の経歴もご紹介しよう。 望月衣塑子(もちづき・いそこ)1975年生まれ。東京新聞社会部記者。日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑などでスクープ(後略)》 《南彰(みなみ・あきら)1979年生まれ。2002年朝日新聞社入社。東京政治部、大阪社会部で政治取材を担当。政治からの発言のファクトチェックに取り組む(後略)》 この対談記事でも紹介されているが、お二人は新書の共著者でもある。昨年12月に「安倍政治 100のファクトチェック」(集英社新書)を上梓しているのだ。Amazonに掲載されている、新書の宣伝文を見ておこう。 《ファクトチェックとは、首相、閣僚、与野党議員、官僚らが国会などで行った発言について、各種資料から事実関係を確認し、正しいかどうかを評価するもの。トランプ政権下の米国メディアで盛んになった、ジャーナリズムの新しい手法である。本書は、朝日新聞でいち早く「ファクトチェック」に取り組んできた南彰と、官房長官会見等で政権を厳しく追及する東京新聞の望月衣塑子がタッグを組んだ、日本の政治を対象にした本格的ファクトチェック本(後略)》 ニクソン大統領を失脚させたウォーターゲート事件は、ワシントン・ポストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインという2人の記者による調査報道で明らかになったことはあまりに有名だ。 もともと望月記者の質問には、“権力の監視がメディアの役割”などという堅い話を抜きに、ある種の爽快感を覚えるファンが少なくないのは事実だ。 望月と南の両記者は――所属する会社は異なるものの――「日本のウッドワード&バーンスタイン」と評価される日が来るのだろうか、それとも「協力関係が目に余る」と非難されるのか、今後、世論がどのように反応するかも注目ポイントの1つだろう』、両記者の「ファクトチェック」に大いに期待したい。
第三に、作家の適菜収氏が3月2日付け日刊ゲンダイに寄稿した「言論統制が深刻化…確実な証拠がないから追及が必要なのだ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248550
・『ナチスの宣伝相でヒトラーの女房役のゲッベルスによるプロパガンダの手法は、より洗練された形で今の日本で使われている。デタラメな説明を一方的に繰り返し、都合が悪くなれば、言葉の置き換え、文書の捏造、資料の隠蔽、データの改竄を行う。わが国は再び20世紀の悪夢を繰り返そうとしているが、言論統制も深刻な状況になってきた。 2018年12月、東京新聞の望月衣塑子記者が、官房長官の菅義偉に対し、辺野古の米軍新基地建設について「埋め立て現場では今、赤土が広がっており、沖縄防衛局が実態を把握できていない」と質問。すると官邸は激怒し「事実に反する質問が行われた」との文書を出した。では、事実に反するのはどちらなのか? 土砂投入が始まると海は茶色く濁り、沖縄県職員らが現場で赤土を確認。県は「赤土が大量に混じっている疑いがある」として沖縄防衛局に現場の立ち入り検査と土砂のサンプル提供を求めたが、国は必要ないと応じなかった。その後、防衛局が出してきたのは、赤土投入の件とは関係のない過去の検査報告書だった』、「ゲッベルスによるプロパガンダの手法は、より洗練された形で今の日本で使われている」との鋭い指摘は衝撃的だ。
・『東京新聞は官邸から過去に9回の申し入れがあったことを明らかにし、反論を掲載。それによると望月記者が菅に質問すると報道室長が毎回妨害。安倍晋三が流した「サンゴ移植デマ」についての質問は開始からわずか数秒で「簡潔に」と遮られた。国会で「申し入れは報道の萎縮を招く」のではないかと問われた菅は「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ」と言い放ったが、特定の女性記者を「決め打ち」しているのは菅だ。 もちろん、メディア側が間違うケースもある。にもかかわらず、疑惑の追及は行われなければならない。モリカケ事件の際も「確実な証拠があるのか」とネトウヨが騒いでいたが、アホかと。確実な証拠があるならすでに牢屋に入っている。確実な証拠がないから追及が必要なのだ。事実の確認すら封じられるなら、メディアは大本営発表を垂れ流すだけの存在になる。 「(沖縄の県民投票が)どういう結果でも移設を進めるのか」と問われた菅は「基本的にはそういう考えだ」と述べていたが、そのときの満足げな表情は、望月記者をいじめ抜いたときと同じだった。菅の行動原理が読めないという話はよく聞くが、単なるサディストなのかもしれない。言い過ぎだって? いや、そのご指摘はあたらない』、「確実な証拠がないから追及が必要なのだ。事実の確認すら封じられるなら、メディアは大本営発表を垂れ流すだけの存在になる」という鋭い指摘は、その通りだ。
第四に、 慶応大名誉教授の小林節氏が3月2日付け日刊ゲンダイに寄稿した「報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248548
・『東京新聞が「記者は国民を代表して質問に臨んでいる」と記したら、官邸が「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員で、東京新聞は民間企業で、会見に出る記者は社内の人事で決められている」「記者が国民の代表とする証拠を示せ」と返したとのことである。 まるで子供の喧嘩のようである。秀才揃いの官僚たちに囲まれた最高位の政治家がこんな明白な嘘を返して平然としているとは、この国の政治はいよいよ末期症状である』、このやり取りは初耳だが、確かに、「この国の政治はいよいよ末期症状である」というのには同感である。
・『選挙で選ばれた政治家が形式的に国民の「代表」であることは間違いない。しかし、歴史の教訓が示しているように、権力者もその本質はただの人間であり、絶対的権力は絶対に堕落するものであるから、人類は、政治権力を牽制する仕組みをさまざまに工夫しながら、今日まで進歩してきた。 立憲主義、三権分立、議院内閣制、法治主義、権力の乱用に対する盾としての人権と司法の独立、法の支配、地方分権などである。 それでも、最高の権力を握る人間どもは巧みに法の網をくぐり抜けながら私利私欲を追求し悪事を繰り返すものである。モリカケ問題は未解明・未解決であるが、これなど権力の堕落の典型である。 国会議員は、形式上、国民の代表であるが、例えば菅官房長官は1億人もいる日本人の中の12万人余りから明示的に支持されただけの存在である。 1776年にアメリカが独立して世界初の民主国家が誕生して以来、人類は、政治家の堕落を直視しながら政治の質を高める努力を続けてきた。 そして、その中で重要な役割を果たしてきたのが主権者国民の知る権利を代表する報道の自由である。つまり、国民が皆それぞれに自分の生活に忙殺されている日常の中で、職業としての権力監視機関として、報道が発達し、憲法の重要な柱のひとつとして確立され、世界に伝播(でんぱ)していったのである。 だから、報道機関は紛れもなく憲法上、国民の代表であり、また、権力を監視する以上、権力の紐が付かない民間機関なのである。これは、わが国を含む自由で民主的な社会における世界の憲法常識である』、「報道機関は紛れもなく憲法上、国民の代表であり、また、権力を監視する以上、権力の紐が付かない民間機関なのである」という部分は、御用機関化したマスコミも改めて噛み締めて考え直すべきだろう。
先ずは、昨年12月20日付け日刊ゲンダイ「森友スクープの元記者激白「安倍官邸vs.NHK」に込めた覚悟」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/244053
・『日刊ゲンダイは今夏、NHKで森友事件のスクープを連発した記者が左遷され、退社したことを報じてきた。その当事者である相澤冬樹氏(現大阪日日新聞論説委員・記者)が13日、「安倍官邸vs.NHK」(文藝春秋)を上梓。NHKでの森友報道への圧力や社内攻防などが実名入りで生々しく記されている。 テレビニュースというのは事実を報道するものだと、かつて視聴者は黙っていても納得してくれました。しかし、最近は疑念を持たれている。NHKという組織を離れた立場なら舞台裏を書けると思い、プロ記者の取材への信用を取り戻すためにも、覚悟の上で踏み込んで書こうと決めました。 NHKで森友学園に関して報じてきた1年半の間、過去に体験したことのないことが多々起きました。財務省がおかしなことをやっているというニュースを出そうとするとさまざまな圧力が掛かった。なぜそんな判断になるのか。安倍官邸の関与は、はっきりとは分かりませんが、何かがなければそんな判断にはなりません』、財務省からの圧力は、官邸経由に加え、財務省自体の情報網に引っ掛かったためもあるのではなかろうか。
・『最近のNHKは政治と「折り合う」ではなく「べったり寄り添う」 森友報道では、学園と昭恵夫人の関係についての部分が原稿から削除された。「国有地の売却前に近畿財務局が学園側に支払える上限額を聞き出していた」「財務省が学園に『トラック何千台ものゴミを搬出した』という口裏合わせを求めていた」という特ダネも、なかなか放送させてもらえなかった。特ダネ放送後に、NHK報道部門トップの小池英夫報道局長が大阪放送局の報道部長に叱責電話を掛けてきたこともあったという。 NHKが政治と「折り合う」必要があるのは放送法に縛られている以上ある程度は仕方がない。しかし、最近は折り合うではなく「べったり寄り添う」になってしまっていて、やり過ぎです。なぜそれが起きているのかということです。国民の信頼を失いますよね。視聴者の信頼を失ったら公共放送は成立しません』、これはやはり官邸からの強い圧力があったためだろう。
・『日刊ゲンダイで報じたように、考査部への異動の裏に官邸への忖度はあったのか。 異動の内々示があった時は、大阪地検特捜部の捜査が継続中でした。その真っただ中に担当記者を代えるという判断は不自然で不可解。そのうえ内々示も異例でした。大阪の副局長まで同席し、わざわざ「これからは考査の仕事に専念してもらう」と言われたのです。「もう報道には手を出すな」という組織の意思表示だと感じました。そこまでして私に記者をさせたくないというのは、つまり、私に森友報道をさせたくないのだと受け止めました。 9月に大阪日日新聞へ移籍。森友報道は今後も継続していく決意だ。 みんなすぐに真相を求めたがりますが、当事者が話さない限り分からない。時間が必要なんです。私は、記者はしつこさが大事だと思っています。長い時間をかけて、しつこく取材するつもりです。森友事件では犠牲者が1人出ている。その重みを感じつつ、まずは、なぜ彼が死に追いやられたのか、という背景を明らかにしたい』、「しつこさ」を活かして森友問題を解明してほしいものだ。
次に、2月13日付けデイリー新潮「菅長官に睨まれる東京新聞「望月記者」と朝日新聞が共闘!? “官邸申し入れ”に徹底抗戦」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/02130631/?all=1
・『望月記者を“妨害”する報道室長 首相官邸の公式サイトに、「内閣官房長官記者会見」のコーナーがある。長官の発表や記者との一問一答が動画で紹介されているのだが、例えば「2月8日(金)午前」の動画を再生してみよう。7分24秒から東京新聞・望月衣塑子記者の質問が始まる。なかなかお目にかかれないやり取りが繰り広げられているのだ。 動画の音声を一問一答にまとめてみた。以下のような具合になる。 【東京新聞・望月衣塑子記者(以下、望月記者)】東京、望月です。上村室長の質問妨害についてです。重ねてお聞きします。上村氏は質問要件を制約したり、知る権利を制限したりする意図は全くないということでしたが、質問中の…… 【司会者】(割り込んで)質問は簡潔にお願いします。 【望月記者】……妨害行為、1年以上続いていまして、明らかに圧力であり、質問への萎縮につながっています。昨年5月に私が直接抗議をした際、上村室長は…… 【司会者】(再び割り込んで)質問に入ってください。 【望月記者】「政府の一員としてやっている」と、「個人的にやっているということではない」と説明をされました。政府、つまり長官が上村室長にこのような指示をされたということは…… 【司会者】この後、予算委員会に出席しますので…… 【菅義偉・官房長官】(司会者の注意に割り込む形で)ありません。 【司会者】……質問に入ってください。(菅官房長官の『ありません』を耳にして)はい、ありがとうございました。 望月記者が「質問に対する妨害行為」を主張している最中に、司会者が望月記者に注意する声が響く。菅官房長官も、司会者を遮って回答。通常の会見と様態が異なるのは明らかだ。動画で見ると更に生々しい。一体、何が起きているのか、政治担当記者が解説する』、確かに、報道室長と司会者の議事進行の酷さは想像以上だ。
・『「望月記者は2017年ごろから官房長官の会見に出席し、伊藤詩織さんのレイプ問題や、森友・加計学園問題など政権側に厳しい質問を繰り返し行うことで注目を集めました。そのため政権側からの“マーク”も相当なものがあり、過去には官邸が東京新聞に抗議したこともあります。そうしたことも含めて望月記者の支持派とアンチ派の論争を生み、更に脚光を浴びる、というわけです。そして望月記者は現在、『自分の質問を官邸が制限しようとした』と抗議を繰り返し、菅官房長官など官邸側と猛烈にやり合っているのです」 この動画、望月記者が質問を始めた7分30秒すぎ、菅官房長官が画面左下へ視線を向け、苦笑する場面がある。「やれやれ」という表情に見えなくもない。 「最近は菅官房長官の会見で、望月記者が挙手して最後の質問を行い、長官が嫌そうに回答する、という光景がお約束のようになっています」(同・記者) 興味のある向きは動画をご覧いただきたいが、まずは今回の騒動を改めて振り返ろう』、記者クラブが「望月記者の支持派とアンチ派の論争を生み」とあるが、アンチ派の記者はよほど「飼い馴らされている」のだろう。ジャーナリストの風上にも置けない連中で、誠に嘆かわしいことだ。
・『初報は2月1日。情報誌「選択」が電子版などで「首相官邸が東京新聞・望月記者を牽制 記者クラブに異様な『申し入れ書』」と報じたことに始まる。 このスクープ記事、肝心の内容が分かりにくい。記事には「要は望月氏の質問を減らせとクラブに申し入れているようなもの」とあり、官邸の申し入れ書に批判的なスタンスを取っていることは伝わってくる。 だが、官邸が何を理由として「望月氏の質問を減らせ」と申し入れたのか明らかにされていない。「(申し入れ書)では『東京新聞の特定の記者』による質問内容が事実誤認であると指摘」などとしか書かれていないのだ。 中日新聞も同じトーンの記事を掲載している。後述するが、「選択」の記事を端緒とし、新聞労連が独自に動く。労連は官邸に抗議するのだが、これを報じた中日新聞の記事をご覧いただきたい。 また中日新聞は1967年、東京新聞の営業権や発行権を獲得。そのため望月記者は「東京新聞の記者」と報じられるが、この記事では「本紙記者」となっている。 それが2月6日に掲載された「本紙記者質問制限に抗議」だ。中日=東京新聞の主張が全面に押しだされていることも鑑みて、全文を転載させていただきたい。 《新聞労連(南彰委員長)は五日、首相官邸が昨年末の菅義偉官房長官の記者会見での本紙記者の質問を「事実誤認」「度重なる問題行為」とし、「問題意識の共有」を内閣記者会に申し入れたことについて「官邸の意に沿わない記者を排除するような申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭めるもので、決して容認できない」とする抗議声明を発表した。 声明は「記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能」と指摘。本紙記者の質問の際に司会役の報道室長が「簡潔にお願いします」などと数秒おきに妨げていると批判し、「首相官邸の、事実をねじ曲げ、記者を選別する記者会見の対応が、悪(あ)しき前例として日本各地に広まることも危惧」しているとして改善を求めた》 記事の後段では、東京新聞の幹部もコメントを発表し、官邸に対して異議申し立てを行っている。《加古陽治・東京新聞(中日新聞東京本社)編集局次長の話 質問の途中で事務方の催促が目立つことについては、既に官邸側に改善するよう求めています。今後と読者の「知る権利」に応えるため、本紙記者が取材等で知り得た事実関係に基づき質問に臨む方針に変わりありません》。中日新聞の報道で分かったことが1つある。記事に登場する「司会役の報道室長」は、望月記者が菅官房長官に質した「上村室長」と同一人物だということだ。他の報道を当たると「官邸報道室の上村秀紀室長」とフルネームも既報されていることも分かる』、このような「読者の「知る権利」」への官邸の妨害行動は、民主主義の基盤を揺るがせるもので、確かに放置できない。
・『朝日新聞とハフポスト日本版が東京新聞を応援!? この“騒動”の背景も踏まえ、分かりやすく報じた新聞社の1つに、朝日新聞がある。2月6日の「記者質問を制限、首相官邸に抗議 新聞労連が声明」には、なぜ官邸サイドが文書を送りつけたのか、その経緯が明記されている。該当部分を引用させていただく。《首相官邸は昨年12月28日、首相官邸の記者クラブ「内閣記者会」に対して、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事に関する東京新聞記者による質問について「事実誤認がある」として、「当該記者による問題行為については深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げるとともに、問題提起させていただく」と文書で要請。これに対して記者クラブ側は、「記者の質問を制限することはできない」と伝えた》 普天間の移設問題に関する質問が背景にあったことが、これで分かる。ちなみに朝日の記事にも、新聞労連が上村室長に対して抗議している部分がある。ここも引用させてもらおう。《官房長官の記者会見で司会役の報道室長が質問中に数秒おきに「簡潔にお願いします」などと質疑を妨げていることについても問題視。官邸側が「事実をねじ曲げ、記者を選別」しているとして、「ただちに不公正な記者会見のあり方を改めるよう、強く求める」としている》 更に朝日新聞は7日の紙面にも「(Media Times)記者を問題視、官邸に批判 辺野古巡る質問『事実誤認』と文書」と詳報する記事を掲載した。文中では「東京新聞記者」としか書かれていないが、望月記者の質問のうち何を官邸は問題視したか、具体的に明かした。《官邸が問題視したのは、昨年12月26日の記者会見での東京新聞記者の質問。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事に関し、「埋め立ての現場では今、赤土が広がっております」と前置きし、「政府としてどう対処するのか」などと問うた。 官邸側は文書で、質問の「現場で赤土による汚濁が広がっているかのような表現は適切ではない」と指摘。会見がネットで動画配信されていることなどから、「内外の幅広い層の視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねず、会見の意義が損なわれる」として、「当該記者による問題行為については深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げるとともに、問題提起させていただく」と要請した。 首相官邸報道室によると、東京新聞に対して官邸は「事実に基づかない質問は厳に慎む」よう繰り返し求めていたという》』、「辺野古への移設工事に関し、「埋め立ての現場では今、赤土が広がっております」」というのは、テレビ画像でも事実なのに、これを否定し、望月記者を批判するとは、官邸の思い上がりもここに極まれりだ。
・『これで官邸が望月記者の何を問題視しているのか、その全容が明らかになったわけだが、今度はハフポスト日本版が、新聞労連が官邸に抗議した経緯を詳報した。 このハフポスト日本版は、アメリカの本社と朝日新聞が合同事業として行っている。2月6日に掲載された「官房長官の会見で東京新聞記者の質問制限→官邸の申し入れに新聞労連が抗議。真意を聞いた」は、新聞労連の南彰委員長にインタビューしたものだ。 先に触れた中日新聞の「本紙記者質問制限に抗議」の記事にも、「南彰委員長」の名前は記されている。そしてハフポストの記事は「新聞労連の南彰委員長(朝日新聞社)」と表記した。実は南委員長、朝日新聞の記者なのだ。 このハフポストの記事で、昨年12月28日に文書で申し入れが行われたことに対し、なぜ年明けの2月5日に抗議を行ったのか、という問いに対し、南委員長は「2月1日の『選択』の記事で初めて知った」と回答している。 事実関係を追う上で、重要だと思われる南委員長の説明を、1箇所だけ引用させていただこう。《当初、記者クラブに対しては、もっと強いトーンでこの記者の排除を求める要求が水面下であったようです。記者クラブがこれを突っぱねたため、紙を張り出すかたちで申し入れを行ったと聞いています。クラブとしては、これを受け取ってはいない、ということです》 ここまで見てみると、東京新聞を朝日新聞が応援しているように見えるのだが、少なくとも望月記者と朝日新聞の南記者は、会社の枠を超え、相当な“協力関係”にあるのは間違いない。 例えば、財界展望新社が刊行する月刊誌「ZAITEN」3月号には「望月衣塑子記者は『参院選不出馬宣言』官邸が睨む記者が暴く『安倍政治の嘘八百』」という記事を掲載した。実を言うと、この記事は望月記者と南記者の対談なのだ。 望月記者と南記者が会見で、次第に菅官房長官に“目をつけられる”ようになっていく経緯を自分たちで説明したところが読みどころの1つだが、対談では協力関係にあったことが明記されている。《望月 (略)私と一緒に質問していた南さんまで、マークされるようになりましたね。南 記者の質問時間は他の記者と変わらないのに、望月さんだけが司会者から「質問を簡潔にするように」とか「質問は事実に基づいて」と注意されるようになった。実際は官房長官の側が事実を全く無視した答弁をしているのに。 望月 ただ、菅さん側は、秘書官などを通じて「あいつをいつまで来させるんだ!」「あんな質問は印象操作だ!」など、いろいろとプレッシャーを番記者にかけているようで、彼らが一時期は大変だったとも聞いています。 南 望月さんの取材手法に対して反感を持つ記者が各社にいるのは事実です。でも、会見で聞くべきことがあるなら聞き続けるのはジャーナリズムの王道》 誌面に掲載された、望月、南両記者の経歴もご紹介しよう。 望月衣塑子(もちづき・いそこ)1975年生まれ。東京新聞社会部記者。日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑などでスクープ(後略)》 《南彰(みなみ・あきら)1979年生まれ。2002年朝日新聞社入社。東京政治部、大阪社会部で政治取材を担当。政治からの発言のファクトチェックに取り組む(後略)》 この対談記事でも紹介されているが、お二人は新書の共著者でもある。昨年12月に「安倍政治 100のファクトチェック」(集英社新書)を上梓しているのだ。Amazonに掲載されている、新書の宣伝文を見ておこう。 《ファクトチェックとは、首相、閣僚、与野党議員、官僚らが国会などで行った発言について、各種資料から事実関係を確認し、正しいかどうかを評価するもの。トランプ政権下の米国メディアで盛んになった、ジャーナリズムの新しい手法である。本書は、朝日新聞でいち早く「ファクトチェック」に取り組んできた南彰と、官房長官会見等で政権を厳しく追及する東京新聞の望月衣塑子がタッグを組んだ、日本の政治を対象にした本格的ファクトチェック本(後略)》 ニクソン大統領を失脚させたウォーターゲート事件は、ワシントン・ポストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインという2人の記者による調査報道で明らかになったことはあまりに有名だ。 もともと望月記者の質問には、“権力の監視がメディアの役割”などという堅い話を抜きに、ある種の爽快感を覚えるファンが少なくないのは事実だ。 望月と南の両記者は――所属する会社は異なるものの――「日本のウッドワード&バーンスタイン」と評価される日が来るのだろうか、それとも「協力関係が目に余る」と非難されるのか、今後、世論がどのように反応するかも注目ポイントの1つだろう』、両記者の「ファクトチェック」に大いに期待したい。
第三に、作家の適菜収氏が3月2日付け日刊ゲンダイに寄稿した「言論統制が深刻化…確実な証拠がないから追及が必要なのだ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248550
・『ナチスの宣伝相でヒトラーの女房役のゲッベルスによるプロパガンダの手法は、より洗練された形で今の日本で使われている。デタラメな説明を一方的に繰り返し、都合が悪くなれば、言葉の置き換え、文書の捏造、資料の隠蔽、データの改竄を行う。わが国は再び20世紀の悪夢を繰り返そうとしているが、言論統制も深刻な状況になってきた。 2018年12月、東京新聞の望月衣塑子記者が、官房長官の菅義偉に対し、辺野古の米軍新基地建設について「埋め立て現場では今、赤土が広がっており、沖縄防衛局が実態を把握できていない」と質問。すると官邸は激怒し「事実に反する質問が行われた」との文書を出した。では、事実に反するのはどちらなのか? 土砂投入が始まると海は茶色く濁り、沖縄県職員らが現場で赤土を確認。県は「赤土が大量に混じっている疑いがある」として沖縄防衛局に現場の立ち入り検査と土砂のサンプル提供を求めたが、国は必要ないと応じなかった。その後、防衛局が出してきたのは、赤土投入の件とは関係のない過去の検査報告書だった』、「ゲッベルスによるプロパガンダの手法は、より洗練された形で今の日本で使われている」との鋭い指摘は衝撃的だ。
・『東京新聞は官邸から過去に9回の申し入れがあったことを明らかにし、反論を掲載。それによると望月記者が菅に質問すると報道室長が毎回妨害。安倍晋三が流した「サンゴ移植デマ」についての質問は開始からわずか数秒で「簡潔に」と遮られた。国会で「申し入れは報道の萎縮を招く」のではないかと問われた菅は「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ」と言い放ったが、特定の女性記者を「決め打ち」しているのは菅だ。 もちろん、メディア側が間違うケースもある。にもかかわらず、疑惑の追及は行われなければならない。モリカケ事件の際も「確実な証拠があるのか」とネトウヨが騒いでいたが、アホかと。確実な証拠があるならすでに牢屋に入っている。確実な証拠がないから追及が必要なのだ。事実の確認すら封じられるなら、メディアは大本営発表を垂れ流すだけの存在になる。 「(沖縄の県民投票が)どういう結果でも移設を進めるのか」と問われた菅は「基本的にはそういう考えだ」と述べていたが、そのときの満足げな表情は、望月記者をいじめ抜いたときと同じだった。菅の行動原理が読めないという話はよく聞くが、単なるサディストなのかもしれない。言い過ぎだって? いや、そのご指摘はあたらない』、「確実な証拠がないから追及が必要なのだ。事実の確認すら封じられるなら、メディアは大本営発表を垂れ流すだけの存在になる」という鋭い指摘は、その通りだ。
第四に、 慶応大名誉教授の小林節氏が3月2日付け日刊ゲンダイに寄稿した「報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248548
・『東京新聞が「記者は国民を代表して質問に臨んでいる」と記したら、官邸が「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員で、東京新聞は民間企業で、会見に出る記者は社内の人事で決められている」「記者が国民の代表とする証拠を示せ」と返したとのことである。 まるで子供の喧嘩のようである。秀才揃いの官僚たちに囲まれた最高位の政治家がこんな明白な嘘を返して平然としているとは、この国の政治はいよいよ末期症状である』、このやり取りは初耳だが、確かに、「この国の政治はいよいよ末期症状である」というのには同感である。
・『選挙で選ばれた政治家が形式的に国民の「代表」であることは間違いない。しかし、歴史の教訓が示しているように、権力者もその本質はただの人間であり、絶対的権力は絶対に堕落するものであるから、人類は、政治権力を牽制する仕組みをさまざまに工夫しながら、今日まで進歩してきた。 立憲主義、三権分立、議院内閣制、法治主義、権力の乱用に対する盾としての人権と司法の独立、法の支配、地方分権などである。 それでも、最高の権力を握る人間どもは巧みに法の網をくぐり抜けながら私利私欲を追求し悪事を繰り返すものである。モリカケ問題は未解明・未解決であるが、これなど権力の堕落の典型である。 国会議員は、形式上、国民の代表であるが、例えば菅官房長官は1億人もいる日本人の中の12万人余りから明示的に支持されただけの存在である。 1776年にアメリカが独立して世界初の民主国家が誕生して以来、人類は、政治家の堕落を直視しながら政治の質を高める努力を続けてきた。 そして、その中で重要な役割を果たしてきたのが主権者国民の知る権利を代表する報道の自由である。つまり、国民が皆それぞれに自分の生活に忙殺されている日常の中で、職業としての権力監視機関として、報道が発達し、憲法の重要な柱のひとつとして確立され、世界に伝播(でんぱ)していったのである。 だから、報道機関は紛れもなく憲法上、国民の代表であり、また、権力を監視する以上、権力の紐が付かない民間機関なのである。これは、わが国を含む自由で民主的な社会における世界の憲法常識である』、「報道機関は紛れもなく憲法上、国民の代表であり、また、権力を監視する以上、権力の紐が付かない民間機関なのである」という部分は、御用機関化したマスコミも改めて噛み締めて考え直すべきだろう。
タグ:東京新聞は官邸から過去に9回の申し入れがあった 官邸が「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員で、東京新聞は民間企業で、会見に出る記者は社内の人事で決められている」「記者が国民の代表とする証拠を示せ」と返した 「言論統制が深刻化…確実な証拠がないから追及が必要なのだ」 適菜収 政治からの発言のファクトチェックに取り組む ハフポスト日本版が、新聞労連が官邸に抗議した経緯を詳報 辺野古への移設工事に関し、「埋め立ての現場では今、赤土が広がっております」 数秒おきに「簡潔にお願いします」などと質疑を妨げている 森友・加計学園問題など政権側に厳しい質問を繰り返し行うことで注目 「官邸の意に沿わない記者を排除するような申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭めるもので、決して容認できない」とする抗議声明 情報誌「選択」が電子版などで「首相官邸が東京新聞・望月記者を牽制 記者クラブに異様な『申し入れ書』」と報じた 最近は菅官房長官の会見で、望月記者が挙手して最後の質問を行い、長官が嫌そうに回答する、という光景がお約束のようになっています 新聞労連 望月記者 伊藤詩織さんのレイプ問題 2月8日(金)午前」の動画 「内閣官房長官記者会見」のコーナー 「安倍官邸vs.NHK」(文藝春秋) 安倍政権 記者の質問時間は他の記者と変わらないのに、望月さんだけが司会者から「質問を簡潔にするように」とか「質問は事実に基づいて」と注意されるようになった 朝日新聞とハフポスト日本版が東京新聞を応援!? 報道機関は紛れもなく憲法上、国民の代表であり、また、権力を監視する以上、権力の紐が付かない民間機関なのである デイリー新潮 最近のNHKは政治と「折り合う」ではなく「べったり寄り添う」 ゲッベルスによるプロパガンダの手法は、より洗練された形で今の日本で使われている デタラメな説明を一方的に繰り返し、都合が悪くなれば、言葉の置き換え、文書の捏造、資料の隠蔽、データの改竄を行う 望月記者を“妨害”する報道室長 「菅長官に睨まれる東京新聞「望月記者」と朝日新聞が共闘!? “官邸申し入れ”に徹底抗戦」 相澤冬樹氏(現大阪日日新聞論説委員・記者) NHKで森友事件のスクープを連発した記者が左遷され、退社 「報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である」 「森友スクープの元記者激白「安倍官邸vs.NHK」に込めた覚悟」 職業としての権力監視機関として、報道が発達し、憲法の重要な柱のひとつとして確立され、世界に伝播(でんぱ) 日刊ゲンダイ (その9)(森友スクープの元記者激白「安倍官邸vs.NHK」に込めた覚悟、菅長官に睨まれる東京新聞「望月記者」と朝日新聞が共闘!? “官邸申し入れ”に徹底抗戦、言論統制が深刻化…確実な証拠がないから追及が必要なのだ、報道機関の記者は紛れもなく主権者国民の代表である) マスコミへのコントロール 確実な証拠がないから追及が必要なのだ。事実の確認すら封じられるなら、メディアは大本営発表を垂れ流すだけの存在になる 望月記者の支持派とアンチ派の論争を生み、更に脚光を浴びる 過去には官邸が東京新聞に抗議したことも 司会役の報道室長 小林節 最高の権力を握る人間どもは巧みに法の網をくぐり抜けながら私利私欲を追求し悪事を繰り返す
フェイスブック問題(その2)(フェイスブックが「偽情報拡散」のツケを払う日 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 前編、米中間選でも偽情報拡散の脅威 新規制が必要に 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 後編、フェイスブック「情報流出」で崩れる成長神話 稼ぎ頭の欧米で減速 データ保護規制が逆風) [産業動向]
フェイスブック問題については、昨年5月16日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(フェイスブックが「偽情報拡散」のツケを払う日 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 前編、米中間選でも偽情報拡散の脅威 新規制が必要に 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 後編、フェイスブック「情報流出」で崩れる成長神話 稼ぎ頭の欧米で減速 データ保護規制が逆風)である。なお、タイトルから「データ流出」はカットした。
先ずは、在ロンドンのフリーテレビディレクター、伏見 香名子氏が昨年11月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「フェイスブックが「偽情報拡散」のツケを払う日 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 前編」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/100500021/102900026/?P=1
・『デジタル広告が、政治や社会の行方を歪めるー国民投票でEU(欧州連合)離脱を決めた英国で、こんな論争が巻き起こっている。2年前の、英国の国民投票と、米大統領選挙におけるロシアの介入疑惑はしばしば報じられているが、具体的に何が起きたのか、未だ日本ではあまり知られていないのではないか。 これは、国民投票の際、離脱派公式団体「Vote Leave」が、SNS(交流サイト)などで使用したCMだ。 https://www.youtube.com/watch?v=AFqmeptq0AU 労働者階級の白人男性2人がパブで、当時開催されていた、サッカー欧州選手権を観戦している。試合結果を全て正確に当てれば、5000万ポンドもの賞金を得られる、と言うキャンペーンCMだ。 一見、スポーツくじのCMにも見える動画の内容をよく聞くと、労働者の2人はサッカーの話をしていると装いつつ「5000万ポンド?それは毎日英国がEUに渡している金額と同じだ」「トルコやアルバニアもEUに入るんだろう?」「欧州議員は年間、7万5000ポンドも稼ぎ、4万5000ポンドも経費が使えるんだ」と、さりげなくEU批判を展開している。 この中の「トルコのEU加盟」は明白な誤情報だが、繰り返しこのCMを流された有権者のどれだけが、真偽のほどを確認しただろうか。 デマの拡散だけでも大問題だが、実はこのCMにはもう一つ隠された目的が存在した。それは、このキャンペーンに参加した「白人・労働者階級の男性有権者」を特定し、離脱派に投票させることだった。 5000万ポンドもの賞金を獲得するには、キャンペーンサイトで、まず欧州選手権の試合結果予測を記入する。そして、氏名、住所、メールアドレスなどと共に、国民投票でどちらの陣営に投票するかも答える。 離脱派はこの個人情報満載のデータを基に、通常は政治に関心を示さず、投票させることが難しい層に食い込んだのだという。その目的は、当然ながら「標的」に明らかにされてはいない。 こうしたデータを基に、テレビや広告板など、公の場では見えないSNS上で、人々が個人的に大切に思う事象について、なんら審査も規制も受けず、投票を左右するようなデジタル広告が「標的」に流された、というのが疑惑の概要だ。 一国の行方を占う選挙や国民投票で、このようなデジタル戦略が許されるのか。英国でこの倫理性を問い、問題の全容解明に動いたのは、英下院・超党派議員11人で作られた、デジタル・文化・メディア・スポーツ(DCMS)特別委員会だ。 この問題に関連し、フェイスブック(以下FB)から不正に個人情報を取得していたケンブリッジ・アナリティカ社(以下CA社、のちに破産)の内部告発者を招いたヒアリングは、議会史上最多の視聴者を記録したという。 一方で、問題の渦中にあるFBのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は、度重なる委員会の招致にも関わらず、本人が出席し、証言することを拒み続けた。委員会は10月31日、11月27日にカナダ議会と合同で行われるヒアリングに、再度ザッカーバーグ氏の出席を要請した。要請文にはザッカーバーグ氏に対し、「あなたの証言は遅すぎ、急を要する」「この歴史的な機会に両議会に対し、FBがどのようにして偽情報の拡散を止め、ユーザーのデータ保護に挑むのか、説明すべきだ」と強い文言が並んだ。 文書を作成したのは、特別委員会のデーミアン・コリンズ委員長だ。政治家、そして英与党議員としてこの問題に一石を投じ、一躍時の人となったコリンズ委員長に先月、この問題の危険性と、今後の取り組みを聞いた』、英国の議員が難しい問題に積極的に取り組んでいることに、さすがとうらやましく感じた。強い出席要請を断ったザッカーバーグ氏も恐れをなしたのだろう。
・『人々には本物と偽物のニュースの違いが分からない Q:インターネットと民主主義をめぐる問題に取り組み始めたきっかけを教えてください。 コリンズ委員長:私が委員長を務める特別委員会がフェイクニュースについて最初の調査を始めたのは2017年のことです。当初、私たちは主に、(2016年の)米大統領選に関する研究に非常に興味を持っていました。大統領選に関連したフェイクニュースの規模は、膨大でした。 FB上では偽ニュースの方が、本物のニュースの上位20位の記事よりも読まれており、後者の読者はかなり少数でした。また、英国の放送局などが行なった研究では、多くの人たちが、本物と偽ニュースの区別をつけることが困難だということがわかりました。 偽ニュースは、あたかも本物であるかのように装っていたのです。私たちが懸念したのは、SNSとテクノロジーの躍進によって、報道には大きな視聴者・読者層ができましたが、反面、人々には本物と偽物の違いがわからないということ。そして、このことが選挙において及ぼす、民主主義への影響です。その時点で、多岐にわたる問題を調査し始めました。 Q:そして、この過程でCA社のスキャンダル・・・が明るみになったのですね。 コリンズ委員長:そうです。調査開始時には、これはコンテンツの問題だと捉えていました。フェイクニュースや「悪いコンテンツ」を含む、偽情報です。こうしたコンテンツをどう見極めるか、そして、IT企業はこうした悪いコンテンツにどう対抗すべきなのか、ということでした。 調査が進むに連れて明白になったのは、問題の一部はコンテンツだが、データを利用した「ターゲティング」(顧客層の標的設定)も問題だ、ということです。有権者の投票活動に影響を及ぼそうとする偽情報の拡散は、有機的に行われたものではありませんでした。有権者のデータ・プロファイリングを用い、具体的な情報をもとに標的を定め、拡散されたのです。 標的となったほとんどの有権者は、自らが標的にされたことを知りません。誰が自分を標的にしているのかも、わかりません。コンテンツを目の当たりにしても、それが一体どこから流れてきたのかも知り得ません。 CA社に類似する企業の問題に取り組み始めた頃は、こうしたデータ・セットはどう構築されたのか、データはどう利用されたのかをまず理解する必要がありました。そして、英国などの国で、データ保護法が順守されているのか、という点にも着目しました。 Q:今年3月、この問題が明るになった頃は大騒動となりましたが、ご自身はまずどのように感じましたか? コリンズ委員長:人々は2つのことにショックを受けたと思います。まず、人々はオンライン上、自分の「データの足跡」が残っていることを知っていたとしても、実際どれ程自分に関する情報が集められていたか、知らなかったと思います。 また、FBを見ていない時でも、人々の行動に関する情報がFBによって集められていたことや、アンドロイド(グーグルの基本ソフト)を使った携帯を持っている人は、FBのアプリがその人の通話やメッセージ履歴を全て記録しているなどとは知らなかったでしょう。 その上、FBが匿名のデータを研究者、開発者に共有し、ツール開発に役立てていたなどとは知らなかったと思います。CA社のような会社がサード・パーティの開発者を通じてユーザー・データを得て、それを自分たちのターゲット・広告に使ったこと。そして、そのデータを保存し続けたこと。入手したデータから構築された情報を使って、(政治的な)キャンペーンに役立てていたことなどです。 人々はそんなことが起きているとは、理解していませんでした。CA社の事件が公になり、社の倫理性が問われました。特に、幹部がおとり取材(チャンネル4ニュース)で話したような内容です。 IT企業が無断で人々の情報を得ていたのみならず、人々が、個人情報を絶対に共有したくない(CAのような)会社に流していた、などと言うことです。CA社をめぐるこうした騒動により、世界的にこの問題が注目されたと思います』、「FBを見ていない時でも、人々の行動に関する情報がFBによって集められていたことや、アンドロイド(グーグルの基本ソフト)を使った携帯を持っている人は、FBのアプリがその人の通話やメッセージ履歴を全て記録している」というのは初耳で、ここまでやっているのかと驚かされた。
・『データによって「支援者は誰か」を予測できる Q:具体的にはどんなことが起きたのですか? コリンズ委員長:CA社はデータ・アナリティクスとデータ・ターゲティング・ツールを使います。選挙において、人々を標的にするために使うのです。世界中のビジネスが常にこの手法を使いますし、FBなどのサイト上でFBのために情報を集め、それを広告業者に売る広告ツールが使用されています。こうしたものは、標準的なツールです。 CA社の活動が問題になったのは、FBの規約に違反していたからです。ユーザーのデータを収集し、ユーザーだけではなく、ユーザーの友人のデータも収集していました。 このデータは、オンライン上のアンケートを利用してデータを収集していた、ケンブリッジ大学の研究者から取得したものです。当時のFBの規約では、学者がこうした研究を行うことは適正でした。しかし、やってはいけなかったのは、そのデータを第三者に売却することでした。 CAはこうした第三者の学者、開発者らと共にデータ収集を行い、このデータをターゲット・広告に使用したのです。当時、なぜ(このデータに)価値が置かれたかといえば、オンライン上の人々の心理プロファイリングを研究していた学者や研究者は、人々の考えや「何が人々を動かすか」ということを思案していたからです。 彼らは、ある人のFBの「いいね!」を分析することで、その人の非常に精密なプロファイルを構築することができると考えていました。その人の行動を友人よりも正確に、予測することができたのです。 このことが、なぜ特に選挙キャンペーンにおいて重要かといえば、(ある特定の陣営を)支援すると予測される層を探すことがしばしば、そして迅速に必要になるからです。データによって正確に「支援者が誰か」を予測することができれば、キャンペーンをより効率的に、標的を絞って行えるようになります。 また、プロファイルをもとに、受け取る人によって、さりげなく適応させたメッセージを送ることもできます。例えば、ある有権者層を知り、そのうち1万人のプロファイルを構築したとしましょう。ある特定の方法で、彼らを標的にするのです。そのデータセットを持ってFBに行き「ここに1万人分のプロファイルがある。これを元に、この1万人に最も近い、FB上の100万人を見つけてほしい」と依頼します。 FBはこれをはじき出します。つまり、FB上の全ての人のプロフィールは、必要ないのです。FBユーザーに関する非常に良質なサンプルさえ手に入れば、効果的に人々を標的にすることが叶います。 ここに、重大な問題が2つ存在します。1つは、CA社がこのデータ、つまり8700万人分のユーザー・プロフィールを不当にFBから入手したこと。これだけのデータがあれば、米国全体の有権者のプロファイリグが可能なほどの、巨大なデータベースを構築できます。 FBは、この事実を2015年の年末に知りながら、このことを明らかにせず、その上、データを取り戻し、確実に破壊する手段すら講じませんでした。 もう一つ、FBユーザーに対する倫理的な問題が存在すると思います。ユーザーにはプロフィールで、自分の支持政党を明らかにしない選択肢があります。しかし、FBが、人々がどう投票するかを予測し、その予測を政党の戦略担当に売却し、それをもとに、政党が有権者を標的にすることは、正しいことなのでしょうか。 私は、政治キャンペーンにおいて、データが有権者を標的にするために使われていることに、非常な不安を感じます』、FBがこうした悪質な世論操作に関与していたとは、許されないことだ。
・『Q:調査を進める中でこの3月、CA社の内部告発者、クリストファー・ワイリー氏らの証言を聞かれました。そこでは何が明らかになったのですか? コリンズ委員長:ワイリー氏はCA社に勤務していた頃の、自身の経験に基づく証言を行いました。彼は、(EU離脱派公式団体だった)Vote Leaveが行ったキャンペーンと、資金の使い方に懸念を抱いていました。そして、複数の団体が連携してキャンペーン用の資金を使うことを禁じる、英国の選挙法違反の可能性を、白日の下に晒しました。 この違反行為について、現在、ワイリー氏の主張を認めた選挙管理委員会が、調査を行っています。ワイリー氏はまた、CA社がどのようにデータ収集を行い、それがどうキャンペーンに使われたのか、その驚くべき内容を話してくれました。この事実があって、データマイニング、ターゲティング、そして有権者のプロファイリングについて、理解を深めることができました。 もう一つ、ワイリー氏の証言で重要だったことは、彼が特別委員会に証拠文書を提供し、これを我々が公開できたことです。これは、CA社やCA社のために働いていたケンブリッジ大学の学者ら、そして、FBの相互関係を証明するものでした。 (これまでの様々な指摘が)単なる個人の意見や、推測であるという領域を越え、この3者の関係や、彼らが集めたデータがどう使用されたのか、証拠となるものだったのです。内部告発者としてのワイリー氏の証言は、実際に何が起きていたのかを明らかにした、非常に重要なものでした』、「CA社のために働いていたケンブリッジ大学の学者ら」は、学問的興味で参加したのかも知れないが、利用目的まで思いが至らなかったとすれば、単なる「学者バカ」だ。
・『ザッカーバーグ氏は質問に答える義務がある Q:その一方で、FB社のザッカーバーグ氏は委員会での証言を拒否したのですね? コリンズ委員長:ザッカーバーグ氏が証言を行わないことは、非常に残念です。彼には、世界中で毎日FBを使用する20億人のユーザーに対する責任があります。FBが行ったことは誤りです。外部にデータを漏洩したこと、データが収集され、FBユーザーの有権者が広告によって標的にされたこと。こうしたことを通じて、FBは利益を得たのです。経営判断を行うのはザッカーバーグ氏ですから、彼はより多く、そして自ら進んで公的な場で質問に答える義務があると思います。 Q:FBのようなプラットフォームは、現状こうした疑問に対し、どのような姿勢でいるのですか? コリンズ委員長:彼らに責任を負わせるのは多くの場合難しく、またこちらの質問に彼らから明確な答えを得るのは困難です。はっきり質問しても、彼らは決まって情報を開示しません。調査の際、全体的な問題や古い案件を何度も繰り返させられ、とても苦痛でした。 特に、FBとの当初のヒアリングでは、(CA社が)FBからデータを集めた話は一切引き出せませんでした。ワイリー氏の証言によって、やっとその事実がわかりました。その後になって「証言を行った者は、その事実を知らなかった」と言い出す始末です。 こうしたIT企業が信頼に値しない現実が浮き彫りになってきます。信頼を回復するために、彼らはより努力すべきでしょう。「過去には過ちを犯し、なぜ人々がこの問題に懸念を抱くのか理解する」と彼ら自身が表明すべきです。将来的にはもっとオープンでいるべきですが、現在、彼らはそれを怠っています。ザッカーバーグ氏によるリーダーシップを人々は待っているでしょう。 Q:つまり、こうしたIT企業をめぐる現状は「無法地帯」に等しく、今こそ規制されるべき時なのでしょうか。 コリンズ委員長:その通りです。ITセクターは急速に成長し、これまでは無法地帯でした。常に新しいツールが開発されるため、しばしば新セクターだと考えられがちですが、これらの企業は実際巨大で、裕福です。その他のほとんどの分野では、ITセクターがやっているような、これだけの膨大な消費者データや情報を利用する場合、規制を受けています。 サーチ・エンジンとしてのグーグル、ユーザー生成動画コンテンツを有するユーチューブ、そしてSNSとしてのFB。これらのプラットフォームの運営の仕方は、現在独占状態です。そのため、何らかの規制組織が彼らの行いについて監督し、問題があれば介入する必要があります。 Q:ドイツでの例について講演されたことがありました。 コリンズ委員長:ドイツは世界で最も早く、有害なコンテンツに関し、IT企業に法的な責任を課すことを決めた国の一つです。これは、ドイツのヘイト・スピーチ法を犯す、違法なコンテンツについて適応されます。 FBは現在、この法に違反するコンテンツを削除するまでに、24時間の猶予しか与えられません。削除しない場合、FBが責任を負うことになります。FBは結果として、法に従うために莫大な資金を投じて対応する羽目に陥りました。他国もこのことを注視しています。 ドイツは歴史的に他国とは法的に異なる立場を取っていますが、そのことに関わりなく、法的枠組みを作れば、企業がそれに反応することを示したものです。ドイツでは、違法コンテンツは必ず削除されます』、FBの酷い隠蔽体質には改めて驚かされた。ドイツの姿勢には大いに学ぶべきだろう。
・『「プラットフォームの中立性」は終えるべき Q:英国でも同様のことが起きるのですか? コリンズ委員長:私たちは特別委員会の報告書において、IT企業による「プラットフォームの中立性」は終えるべきだと勧告しました。プラットフォームは限定的に、違法、そして有害なコンテンツに関して法的責任を負い、これらを削除しなければならず、削除されない場合は、法的責任が生じるというものです。 また、有害なコンテンツがどのようなものか、明確にする必要もあります。私たちはこれを特別委員会の報告書に明示し、政府もこの問題に対してコンサルティングを行っています。年明けには、「インターネットの安全性に関する戦略」に関する白書が発表されます。まず成されるべき事は法的枠組みを作り、IT企業の責任は何であるか、また、有害コンテンツについて対応を怠った場合の処罰について、明確にすることです。 Q:こうした規制が進むと、言論の自由との関係はどうなるのでしょうか。 コリンズ委員長:英国には言論の自由が存在しますが、混雑した劇場で「火事だ!」と叫ぶ権利は誰にもありません。言論の自由は、危険でも有害であってもなりません。私たちが目指しているのは、オンライン上、人々がコミュニケーションの形として他者を傷つけるような情報共有に関し、調停を行うことです。 そして、IT企業に対し「有害コンテンツの拡散を可能にするようなインフラを提供し、そうした行為を知り得ているならば、対処する責任がある」と通告することです。 銀行の例で言えば、もし銀行がマネーロンダリングを疑ったとしたら、当局にそれを報告するのは銀行の義務です。なぜ、IT企業にはこのことが課されていないのでしょうか』、確かに、「プラットフォームの中立性」を隠れ蓑に、プラットフォーマーが責任を回避するのは、許すべきではない。
・『Q:2018年は、「シリコン・バレーのエリート」たちにとってどんな年になると思われますか? コリンズ委員長:2018年は、彼らにとって重大な分岐点となるでしょう。彼ら以外の社会が、IT企業は何を行い、どう利益を得ているか、そして、彼らが有しているデータと情報の危険性について学んだ年です。 私たちは、彼らが今後、より大きな責任を課されるよう追求していきます。社会、そして、ユーザーである顧客に対する彼らの責任を、より追求します。コンテンツを審査するためにより多くの資金を投じ、有害コンテンツに対処し、また、ユーザーからのコンテンツに関する通報に対応します。 過去にこうしたプラットフォームが享受してきた中立の立場については、新たな責任を課せられることにより、失われることになるでしょう。将来、この年を振り返った時、その他の産業や物質的経済においてなされるように、今年がインターネット上、コンテンツとデータの規制が必要であると、検討し始めた年と位置付けられるでしょう。その基盤となる原則は「実社会で容認されないものは、オンライン上も認められない」ということです。 Q:英国は、こうした規制に関し、先駆的な役割を担うことになるのでしょうか。 コリンズ委員長:英国に正しいことをしてほしいと願いますし、この議論においてのリーダーとなり得ると考えています。既に、良い環境は整っています。機関としては欧州で最大規模である、情報コミッショナー事務局(ICO)が重要な調査を行っており、権限も拡大されています。欧州一般データ保護規則(GDPR)という法律もあり、これによって、欧州の消費者は世界でも最も高いレベルの権利を得ています。 ICOは英国での事態を監督しています。そのため、英国はこの議論においてリーダーになることができると思います。しかし、それよりもテクノロジーとインターネットに関する、現代社会に即した規制のシステムを確実に設置することの方が大切です。(後編に続く)』、英国が先進的な法規制で模範を示してくれることを期待したい。
なお、FBの悪辣ぶりについては、1月13日のこのブログ「トランプ大統領(その38)」でも取上げているので、参考にされたい。
次に、上記の続きの11月5日付け日経ビジネスオンライン「米中間選でも偽情報拡散の脅威、新規制が必要に 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 後編」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/100500021/103100027/?P=1
・『米大統領選挙と英国のEU離脱国民投票をきっかけに、デジタル広告事業者と民主主義の熾烈な戦いが繰り広げられている。11月6日に迫った米国の中間選挙でも既にSNS(交流サイト)上で、偽情報の拡散が懸念されている。 この戦いを制すのは、シリコンバレーか民主主義か。英下院・特別委員会のデーミアン・コリンズ委員長に引き続き聞く。 Q:EU離脱に関する国民投票は「乗っ取られた」と感じますか? コリンズ委員長:乗っ取られたとは言えませんが、ロシアの機関が国民投票の際、英国の有権者に接触する意思があった、とは言えるでしょう。サンクトペテルブルクの複数の機関を発信元とした、幾万もの偽ツイッターアカウントが、EU離脱支持のプロパガンダを流していたという、多くの研究がなされています。 フェイスブック(以下FB)に関しては、まだデータに関する研究が出ておらず、この事実を証明する証拠が少ないのですが、さらなる事実が浮き彫りになるかもしれません。ですから、介入の意思はあったと思いますが、どの程度の影響力があったかは不明です。 これに関連したもう一つの問題は、離脱派の公式団体の資金の使い方です。そこでも違法行為があったのか、現在選挙管理委員会が調査を続けています』、どんな調査結果になるか楽しみだ。
・『Q:コリンズ委員長は米FBIとも密接に連携しています。米国の中間選挙ではどんなことが起きていますか? コリンズ委員長:米中間選挙では、(2016年の)大統領選と同様の、ロシアの介入が起きないよう、注力されています。未だに、大統領選における介入の度合いは全て明らかになっていません。 公的な情報では、ごく少数のFBアカウントが基盤となっており、これらが大量の広告を流す役割を担っていました。実際は、これよりもはるかに多いのかもしれません。 米国では選挙を守るため、ロシアの介入ネットワークを特定し、これを正しいタイミングで破壊する目的があります。選挙戦に際し、有権者が見るもの、聞くものに影響を及ぼそうとする外的組織がいるのであれば、損害を最小限に留め、影響させないようにしています。 FBは政治的メッセージや広告に関し、新しい規制を発表しました。そして、政治的な広告を流す組織に対し、その存在を明らかにさせ、さらには過去の実績をユーザーが見られるようにするという、新たな責任を課すことを決めました。中間選挙までに何か起きるか、選挙介入はあるのか。非常に注目され、関心は高いと思います』、FBの「新しい規制」は単なるポーズとの見方もある。実際の行動を注視する必要があろう。
・『世界のどこからでも、SNSを通じて有権者を標的にできる 日本では改憲に向けた国民投票が予想されますが、広告に使える資金の上限が定まっておらず、またデジタルキャンペーンに対する規制も十分とは言えません。このことは、危険であるとお考えになりますか。 コリンズ委員長:日本は他の国の選挙などで起きたことを検証する必要があるでしょう。また、現存の制度を検証し、強化すべきです。世界のどこからでも、ある国の有権者について選挙人名簿を入手できれば、人々が利用するSNSを通じて有権者を標的にすることができます。 世界の誰もが、自分の存在を隠してこれを実行できます。有権者がどう投票するか説得するのではなく、人々がSNSを利用する傾向を形作ることができるのです。長い時間をかけ、有権者のニュースフィードにどんなコンテンツを流すか、操作できます。有権者が以前は気にも留めていなかった問題に、懸念を示すよう誘導できるのです。 このことは、何らかの方法で監督されなければなりません。英国で行ったように、日本の有権者に対しても、コミュニケーションの透明性を構築することを薦めます。それは、選挙や国民投票の結果を操作しようという「悪意を持った何者か」、あるいは外国政府から身を守る最良の手段です。 誰がこのメッセージを流しているのか。その者はどの国にいるのか。以前はどんなメッセージを流してきたのか。有権者が分かるようにするのです。そうすることで、有権者は、見ているメッセージについて、独自の判断を下すことができます』、「日本では改憲に向けた国民投票が予想されますが、広告に使える資金の上限が定まっておらず、またデジタルキャンペーンに対する規制も十分とは言えません」というのは大問題だろう。悪質なデジタルキャンペーンの「草刈り場」となる事態だけは回避すべきだ。
・『SNSを通じた選挙戦は、今や世界の常識です。多くの国では、人々のニュース情報源はFBです。英国では半数程度の人々がFBからニュースを得ていますし、その他の国ではその比率はもっと高いでしょう。FBはウェブへの入り口なのです。 FBのようなサイトで、人々が政治的なニュースコンテンツの中で、見せられるものを操作できるのであれば、それは強力なツールだと言えるでしょう。人々が情報の出所を知り、装備することが必要です。偽情報を流すソースがわかっているなら特定し、対応しなければなりません。 Q:政府と広告企業が手を携えてしまえば、人々を守る術はないのではないでしょうか。 コリンズ委員長:英国には(選挙や国民投票のキャンペーンにおいて)資金の上限が定められています。資金の多い陣営の意思が、より多く反映されてはならないからです。英国の選挙は、この原則に従っています。 今やどんな選挙でも、あるだけの資金を投じてSNSサイトを使い、有権者を標的にしていると思います。最も影響力が見込めるからでしょう。 3つのことが可能です。まず特定の候補者に投票させること。有権者を抑圧し、ある候補に投票するのをやめさせ、対立陣営に取り込むこと。そして、区分別投票率を用い、一定の年齢層だけを狙って投票を働きかけることもできます。 選挙や国民投票が公正に実施されるためには、全ての陣営が公平に、SNSを通じて有権者につながる機会が与えられるべきだと思います』、その通りだ。
・『データ保護法や選挙法を最新の状態に保つべき Q:他の政治家などが「データ問題」と聞いて尻込みするなか、コリンズ委員長はこの問題に取り組むため、一からテクノロジーの勉強をされたと聞きました。学ぶプロセスは困難でしたか? コリンズ委員長:困難というよりも、非常に面白いと感じました。この調査は私たちにとって、発見の旅でもありました。IT企業がどう動いているのか、そして、データ・ターゲティングの分析がどう行われているのかを理解する機会でした。 以前は、こうした詳細を検証する必要はありませんでしたが、これによって、IT企業の機能の仕方や、人々がこうしたツールを使ってどう目的を果たすか、検証する道を開いたと思います。この「目的」は悪い目的である場合もあります。私だけが学んだというよりは、他の人々にも学ぶ機会であったと思います。今年は発見と教育の年であり、将来的に、この問題に対する見方が変わっていくと思います。 Q:コリンズ委員長の様にこの問題を重く見て、改善しようという政治家もいれば、このテクノロジーを自分のために利用しようとする政治家も存在すると思います。これに対抗する方策は何でしょうか。さらなる規制や法律でしょうか。 コリンズ委員長:まず、選挙法において、こうしたテクノロジー利用の存在を前提とすることが必要です。例えば英国では、有権者の郵便受けにビラを配ったり、ビラを郵送する際には、そのビラに、誰がビラ作成の資金を提供したのか、そして「これは売り込みを目的としたものだ」と明記しなければなりません。 しかし、ネットやSNS上では同じルールが適応されません。ですから法改正し、適応しなければなりません。そうすることで、有権者はメッセージの出所と、彼らがどう標的になっているのかを知ることができます。 また、有権者の政治的意見について、データ収集と保持に関する規制も存在し、欧州のデータ規制によって、保護されています。政党なども含む、ごくわずかな特定組織だけが、人々の政治的意見に関する情報を保持することが認められています。 コンサルティング会社やキャンペーン・グループが、人々の政治的意見に関するデータを保持し、それを有権者に無断で選挙広告に使用するならば、その倫理性や違法性を問うべきでしょう。こうしたデータ保護法や選挙法を最新の状態に保たなくてはなりません。特定の政策で、このような新技術への対応を行うべきです』、コリンズ委員長の積極的な取り組み姿勢には頭が下がる。日本の国会議員もその「爪の垢」でも飲んでほしいものだ。
・『Q:この問題を追ってきた著者のジェイミー・バートレット氏(参考:狙われる有権者たち、デジタル洗脳の恐怖)は、インターネットと人々の間に「戦争」が起きていると語りました。インターネットは民主主義の味方でしょうか、敵でしょうか。 コリンズ委員長:インターネットは民主主義にとって、味方でも敵でもないと思います。インターネットが人々をつなぐツールであったことから「民主主義を助けるもの」との暗黙の前提がありましたが、偽情報を流し、人々を誤った方向に導く使い方をすれば、民主主義を壊すものでもあることがわかります。 人々は、現状流れてくる情報に対抗し、またそれを分析するツールを未だ手にしていません。テクノロジーの革新とメッセージを流す技術に、まだ追いついていないのです。インターネットが独裁政権を支援することも、全く可能だと思います。こうしたツールを「民主主義を支援するもの」として維持する責任は私たち市民にあり、私たちが守らねばなりません。 Q:この「戦争」をどう戦おうと思われますか。また、勝算はあるのですか? コリンズ委員長:もちろんです。経済のどのセクターでも、世界のどんな組織でも、究極的にルールや規制で監督できないものはありません。私が化学薬品会社を運営していたとして、水源を汚染していたら、政府は対策を講じるでしょう。新法を作り、水源汚染を止めるのです。 現在のIT企業がこの巨大なネットワークを構築し、ネットワークが悪用され、社会が汚染されているのなら、政府が介入し、こうした企業が構築したビジネスによって生じた有害なものから、人々を守る規制を設けなければなりません。これは、経済のほとんどの分野において普通のことですし、消費者を守るための規制が進むでしょう』、コリンズ委員長の基本的な考え方がしっかりしているのに改めて驚かされた。
・『調査では、EU離脱派の資産家が顧客情報を利用したのか明らかに Q:データと政治キャンペーンをめぐる事象を捜査してきた情報コミッショナー事務局(ICO)の最終報告が11月初めに発表される予定ですが、どんな結果になると思いますか。 コリンズ委員長:ICOは、これまで誰もアクセスできなかったデータと情報を有しています。政治におけるデータ利用に関する調査は、非常に重要なものになるでしょう。この調査によって、EU離脱派を支持した資産家が所有する保険会社の顧客情報が、国民投票で利用されたのか、明らかになるでしょう。この資産家は否定していますが、利用されたのであれば、これは深刻な事態です。 また、ICOによるケンブリッジ・アナリティカ社(前編参照:以下CA社)に関する調査では、CA社が取得したデータが最終的にどうなったのか、アクセスしたのは誰なのか。このことを解明できたのかが焦点でしょう。ロシアがデータにアクセスしたと言われていますが、では、アクセスしたのは具体的に誰で、誰がこれを利用したのか。ICOの調査から、こうした重大な事実が明らかになるでしょう。 Q:今の時代、データをめぐる事象について、教育は必須だと以前話しておられました。どのように人々を教育できるとお考えですか? コリンズ委員長:オンラインコンテンツに関するメディアリテラシーの教育は、より必須になるでしょう。SNSは今や、人々がインターネットに通じる入り口です。私たちは有害コンテンツを特定するツールを作る手助けはできますが、特に教育現場と連携したキャンペーンが必要になると思います。 実施には巨額が伴うため、IT企業がユーザーが使えるツールをデザインし、作る役割を果たすだけでなく、教育にかかる資金も投じるべきです。学校の支援もしなければならないでしょう。 調査委員会では、IT企業から学校でのユーザー教育にかかる費用を徴収する提言を行いました。また、ICOにも資金を提供させる事です。銀行セクターでは消費者を守るため、金融行為監督機構の資金の一部を銀行が払っています。ICOの仕事も同様ですから、IT企業が資金面で今より大きく貢献するべきです』、「(ICO)の最終報告が11月初めに発表」、日本では最終報告の記事はまだないようだが、報道してほしいところだ。
・『Q:学校教育というと、何才くらいを想定していますか? コリンズ委員長:小学校くらい、そして中学校の早い時期、8-12才くらいが最も効果的だと思います。しかし、全ての市民がこのことから教訓を得るべきです。大人でも気づかないことはあると思います。 特に、若いユーザーが流れてくるコンテンツに対し、より多くの疑問を持つようにするべきでしょう。今後こうした問題は、悪化の一途をたどります。 現在のテクノロジーでは、嘘まみれの映画を作ることも可能です。例えば、ある人がしたこともないことを行ったかのように、語ったこともない言葉を語ったかのように、そして、全く行ったことのない場所に行ったかのように見せる、「完全にリアルなフィクション」も作り出せます。将来的に、現在よりもフェイクコンテンツの特定はより困難になり、(教育の)必然性も高まるでしょう』、その通りだ。
・『政府によるデータ利用には人々の承諾が必要 Q:前述のバートレット氏が言っていたことですが、将来的に人々は、管理された社会をより好ましく思うのかもしれないと指摘していました。管理しやすい社会は、政治家の視点から、好ましいことなのではないでしょうか。 コリンズ委員長:政府の権力行使は、人々の承認を得て行わなければなりません。例えば、医療システム改善において、AIや機械学習の役割はどんなものでしょうか。がん検診をより早く行うために、AIをどう使うか。個人データを深く理解することにより、疾病の超早期発見やリスクを特定することなどです。 これは非常に有益かもしれませんが、人々はこうしたデータ利用を承諾しなければなりません。民主主義国家において、こうした権力の行使には、人々の許諾が必要です。このことについて、真剣な議論がなされるべきでしょう。 素晴らしい恩恵を得られる反面、これまでにないほどの、個々の市民のデータが収集され、保持されることも意味するからです。ここまでデータ保持の許諾が政府や医療機関に与えられるのなら、その情報を渡してはならない相手に流れないよう、どう保護するのか、ということも大切です。 Q:私たちの知る形の民主主義は、分岐点にあるとお考えですか? コリンズ委員長:インターネットが政治的な議論をどう変えたのか、検証しなければならないでしょう。これまでに使用されてきたコミュニケーションの方法、つまり、これまでの情報の共有の仕方は今後、失敗するでしょう。このことを直視しなければなりません。 インターネットは政治的な議論を変え、ある部分では有効的に変わりました。小さなコミュニティが彼らにとってとても大切な、ある問題についての認知度を高めたいのなら、これまでにないくらい、インターネットはその問題意識を共有する人たちに広めることを容易にします。それは大きな恩恵です。 しかし一方で、ある人々が巨費を投じ、透明性のないところで人々の考えに影響を及ぼすことも可能です。人々を守り、それを止める術は現在ありません。ですから、恩恵と弊害の両方を見なければなりません。 私たち立法を預かる者は、政治的なキャンペーン方法、情報共有のあり方、そして、ユーザーに対する情報源の開示に関する法や規制を常に検証すべきです。 市民がきちんと情報を得られる状況を確保する。単に情報を得られるだけではなく、どの情報に重きを置けるか、判断できるようにすることです。ニュース番組やウェブサイトの編集者のみならず、アルゴリズムが影響力を行使できる時代です。市民自身がこの価値判断をできる状況を作らねばなりません。 Q:希望は持てますか。 コリンズ委員長:希望はいつでも持てますが、問題を認識していなければなりません。今年起きたことは具体的な問題が何だったのか、理解し始めた年です。 1年ほど前に調査を始めた際、あるベテラン議員が「面白い題材だし、検証するのは正しいことだが、何ができるというのか見当もつかない」と話していました。しかし、調査によって、実はできることが多いことがわかりました。民主主義を守るために何をしなければならないかがわかり前進した、重要な一歩だったと思います』、「民主主義を守るため」の先駆的な動きに期待したい。
第三に、11月12日付け東洋経済オンライン「フェイスブック「情報流出」で崩れる成長神話 稼ぎ頭の欧米で減速、データ保護規制が逆風」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/248562
・『15億人のユーザーを抱える巨大ソーシャルネットワークが揺れている。 米フェイスブックが10月30日に発表した2018年7〜9月期決算では、欧州の1日当たり利用者数が2億7800万人と、2四半期連続で減少した。今年1〜3月に過去最高を記録してから、400万人の落ち込み。アメリカとカナダの利用者数も、1億8500万人と横ばいが続く。「今年はつらい1年になっている」。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOは決算電話会見でそう漏らした』、これだけ問題を起こした割には、「ユーザー離れ」がまだそれほどでもないのに、若干驚かされた。
・『相次ぐデータ流出でユーザー離れ 3月に明らかになったのが、約8700万人分の情報流出だ。イギリスの研究者が学術目的でフェイスブックから収集したユーザーデータが、英政治コンサルティング会社のケンブリッジ・アナリティカに不正に流され、2016年の米大統領選挙の工作活動などに使われた。 9月末には一部機能の脆弱性を突かれ、約2900万人の情報への不正アクセスを許した。電話番号やメールアドレスのほか、直近の位置情報や検索履歴が含まれるケースもあった。 こうした個人情報は「ダークウェブ」と呼ばれる闇サイトで取引される。偽サイトに誘導するフィッシングメールなどが送られ、クレジットカードや銀行口座の番号など、より重要な情報を盗み取ろうとするのだ。「情報流出を避けたければ、そのサービスを使わないということくらいしか選択肢はない」(米セキュリティ大手シマンテック・ノートン事業統括本部の古谷尋部長)。 一連の情報流出を受けて盛り上がったのが、「デリート・フェイスブック(フェイスブックを消そう)」というネット上の運動だ。ユーザー離れは止まりそうもない。 「フェイスブックが“安全”だったことは一度もない」。米ノースイースタン大学でサイバーセキュリティプログラムディレクターを務めるクリスト・ウィルソン准教授はそう指摘する。 「プラットフォーム上のあらゆる機能が進化し、複雑に絡み合うようになると、バグを迅速に見つけ出すのはより難しくなる。そもそも個人情報を集めて収益化するモデルは、ユーザーのプライバシー保護と相反する。ハッカーの標的になり続けるからだ。データを保護したければ、個人情報の収集をやめるべき」(ウィルソン氏)』、「デリート・フェイスブック」運動が起きたとは当然だろう。
・『GDPRの強い逆風が吹き付ける フェイスブックには大きな壁が立ちはだかる。今年5月にEU(欧州連合)が施行した「一般データ保護規則(GDPR)」だ。実際、デイブ・ウェーナーCFO(最高財務責任者)は決算会見で、「過去2四半期はGDPRの影響をいくらか受けた」と、欧州でのユーザー減の一要因になったことを認めている。 フェイスブックはGDPRの下で、欧州当局からどのような処分を受けるのか。大規模データ流出の責任は重い。 GDPRは欧州で活動する企業に対し、個人情報を安全に保護することなどを義務づけるもの。違反と見なされれば、制裁金として、最大で全世界の売上高の4%、あるいは2000万ユーロのどちらか大きい金額が科される。9月の情報流出は、制裁対象になる可能性がある。現在フェイスブックが欧州本社を置くアイルランドのデータ保護当局を中心に、EU側による調査が進められている。 英ロンドンの法律事務所ウェッドレイク・ベルでデータ保護部門を率いるジェームズ・カストロ・エドワーズ弁護士は、「組織の規模が大きくなるほど、GDPRが求めるセキュリティの基準は上がる。(これまでに大きな違反例がないため)当局がフェイスブックの件をどう判断するかは、今後の規制運用にも影響を与えるだろう」と分析する。 「EU当局は今回のセキュリティ侵害について、影響を受けたユーザーがどれくらいいたか、どのような監視体制に不備があったか、といった点を基に制裁金の額を決めると考えられる」。そう指摘するのは、国際法律事務所DLAパイパーのアンドリュー・ダイソン弁護士だ。「制裁金だけでなく、集団訴訟のリスクもある。多くの活動団体が(今回の件を)裁判沙汰にすると言っている」(同)。 英国のデータ保護当局は10月中旬、ケンブリッジ・アナリティカの事案に関し、個人情報の保全を怠ったとして50万ポンドの罰金を科すと発表。当局側は「GDPRが施行されていれば、罰金は極めて高額になっていただろう」と断じた。同月下旬には日本の個人情報保護委員会も、フェイスブックの一連の情報流出に対し、行政指導を行うことを発表している』、現行法での罰金50万ポンドは34百万円相当と僅かだが、「集団訴訟」はどうなるのだろう。
・『欧米の成長は鈍化、費用も増加傾向 欧米のユーザー基盤は、同社の成長に不可欠。売上高のうち7割超はアメリカ・カナダと欧州の広告収入だ。ユーザー数の伸びが見込めなければ、広告主も離れかねない。 セキュリティや法務対策で費用は増加傾向だ。セキュリティ関連人員は年内に1.5万人から2万人に増やす方針。「セキュリティに関しては、今後1年でテクノロジーと人の両面で必要なレベルに上げる」(ザッカーバーグ氏)。 この7〜9月期の営業利益率は42%といまだ高水準だが、4四半期連続で後退。会社側は来年にかけてさらに投資がかさむとする。 米ウォール街でフェイスブック批判の急先鋒として知られるピボタル・リサーチ・グループのアナリスト、ブライアン・ウィーザー氏は、「さまざまな問題が持ち上がるたび、フェイスブックが自らのビジネスを制御できていないことを認識させられる」と指摘する。 確かにフェイスブックは、年間5割超の収益成長を続けている。ただその視界は決して開けてはいない』、見るからに「傲慢」そうなザッカーバーグCEOが「しょげる」姿を見てみたいものだ。
先ずは、在ロンドンのフリーテレビディレクター、伏見 香名子氏が昨年11月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「フェイスブックが「偽情報拡散」のツケを払う日 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 前編」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/100500021/102900026/?P=1
・『デジタル広告が、政治や社会の行方を歪めるー国民投票でEU(欧州連合)離脱を決めた英国で、こんな論争が巻き起こっている。2年前の、英国の国民投票と、米大統領選挙におけるロシアの介入疑惑はしばしば報じられているが、具体的に何が起きたのか、未だ日本ではあまり知られていないのではないか。 これは、国民投票の際、離脱派公式団体「Vote Leave」が、SNS(交流サイト)などで使用したCMだ。 https://www.youtube.com/watch?v=AFqmeptq0AU 労働者階級の白人男性2人がパブで、当時開催されていた、サッカー欧州選手権を観戦している。試合結果を全て正確に当てれば、5000万ポンドもの賞金を得られる、と言うキャンペーンCMだ。 一見、スポーツくじのCMにも見える動画の内容をよく聞くと、労働者の2人はサッカーの話をしていると装いつつ「5000万ポンド?それは毎日英国がEUに渡している金額と同じだ」「トルコやアルバニアもEUに入るんだろう?」「欧州議員は年間、7万5000ポンドも稼ぎ、4万5000ポンドも経費が使えるんだ」と、さりげなくEU批判を展開している。 この中の「トルコのEU加盟」は明白な誤情報だが、繰り返しこのCMを流された有権者のどれだけが、真偽のほどを確認しただろうか。 デマの拡散だけでも大問題だが、実はこのCMにはもう一つ隠された目的が存在した。それは、このキャンペーンに参加した「白人・労働者階級の男性有権者」を特定し、離脱派に投票させることだった。 5000万ポンドもの賞金を獲得するには、キャンペーンサイトで、まず欧州選手権の試合結果予測を記入する。そして、氏名、住所、メールアドレスなどと共に、国民投票でどちらの陣営に投票するかも答える。 離脱派はこの個人情報満載のデータを基に、通常は政治に関心を示さず、投票させることが難しい層に食い込んだのだという。その目的は、当然ながら「標的」に明らかにされてはいない。 こうしたデータを基に、テレビや広告板など、公の場では見えないSNS上で、人々が個人的に大切に思う事象について、なんら審査も規制も受けず、投票を左右するようなデジタル広告が「標的」に流された、というのが疑惑の概要だ。 一国の行方を占う選挙や国民投票で、このようなデジタル戦略が許されるのか。英国でこの倫理性を問い、問題の全容解明に動いたのは、英下院・超党派議員11人で作られた、デジタル・文化・メディア・スポーツ(DCMS)特別委員会だ。 この問題に関連し、フェイスブック(以下FB)から不正に個人情報を取得していたケンブリッジ・アナリティカ社(以下CA社、のちに破産)の内部告発者を招いたヒアリングは、議会史上最多の視聴者を記録したという。 一方で、問題の渦中にあるFBのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は、度重なる委員会の招致にも関わらず、本人が出席し、証言することを拒み続けた。委員会は10月31日、11月27日にカナダ議会と合同で行われるヒアリングに、再度ザッカーバーグ氏の出席を要請した。要請文にはザッカーバーグ氏に対し、「あなたの証言は遅すぎ、急を要する」「この歴史的な機会に両議会に対し、FBがどのようにして偽情報の拡散を止め、ユーザーのデータ保護に挑むのか、説明すべきだ」と強い文言が並んだ。 文書を作成したのは、特別委員会のデーミアン・コリンズ委員長だ。政治家、そして英与党議員としてこの問題に一石を投じ、一躍時の人となったコリンズ委員長に先月、この問題の危険性と、今後の取り組みを聞いた』、英国の議員が難しい問題に積極的に取り組んでいることに、さすがとうらやましく感じた。強い出席要請を断ったザッカーバーグ氏も恐れをなしたのだろう。
・『人々には本物と偽物のニュースの違いが分からない Q:インターネットと民主主義をめぐる問題に取り組み始めたきっかけを教えてください。 コリンズ委員長:私が委員長を務める特別委員会がフェイクニュースについて最初の調査を始めたのは2017年のことです。当初、私たちは主に、(2016年の)米大統領選に関する研究に非常に興味を持っていました。大統領選に関連したフェイクニュースの規模は、膨大でした。 FB上では偽ニュースの方が、本物のニュースの上位20位の記事よりも読まれており、後者の読者はかなり少数でした。また、英国の放送局などが行なった研究では、多くの人たちが、本物と偽ニュースの区別をつけることが困難だということがわかりました。 偽ニュースは、あたかも本物であるかのように装っていたのです。私たちが懸念したのは、SNSとテクノロジーの躍進によって、報道には大きな視聴者・読者層ができましたが、反面、人々には本物と偽物の違いがわからないということ。そして、このことが選挙において及ぼす、民主主義への影響です。その時点で、多岐にわたる問題を調査し始めました。 Q:そして、この過程でCA社のスキャンダル・・・が明るみになったのですね。 コリンズ委員長:そうです。調査開始時には、これはコンテンツの問題だと捉えていました。フェイクニュースや「悪いコンテンツ」を含む、偽情報です。こうしたコンテンツをどう見極めるか、そして、IT企業はこうした悪いコンテンツにどう対抗すべきなのか、ということでした。 調査が進むに連れて明白になったのは、問題の一部はコンテンツだが、データを利用した「ターゲティング」(顧客層の標的設定)も問題だ、ということです。有権者の投票活動に影響を及ぼそうとする偽情報の拡散は、有機的に行われたものではありませんでした。有権者のデータ・プロファイリングを用い、具体的な情報をもとに標的を定め、拡散されたのです。 標的となったほとんどの有権者は、自らが標的にされたことを知りません。誰が自分を標的にしているのかも、わかりません。コンテンツを目の当たりにしても、それが一体どこから流れてきたのかも知り得ません。 CA社に類似する企業の問題に取り組み始めた頃は、こうしたデータ・セットはどう構築されたのか、データはどう利用されたのかをまず理解する必要がありました。そして、英国などの国で、データ保護法が順守されているのか、という点にも着目しました。 Q:今年3月、この問題が明るになった頃は大騒動となりましたが、ご自身はまずどのように感じましたか? コリンズ委員長:人々は2つのことにショックを受けたと思います。まず、人々はオンライン上、自分の「データの足跡」が残っていることを知っていたとしても、実際どれ程自分に関する情報が集められていたか、知らなかったと思います。 また、FBを見ていない時でも、人々の行動に関する情報がFBによって集められていたことや、アンドロイド(グーグルの基本ソフト)を使った携帯を持っている人は、FBのアプリがその人の通話やメッセージ履歴を全て記録しているなどとは知らなかったでしょう。 その上、FBが匿名のデータを研究者、開発者に共有し、ツール開発に役立てていたなどとは知らなかったと思います。CA社のような会社がサード・パーティの開発者を通じてユーザー・データを得て、それを自分たちのターゲット・広告に使ったこと。そして、そのデータを保存し続けたこと。入手したデータから構築された情報を使って、(政治的な)キャンペーンに役立てていたことなどです。 人々はそんなことが起きているとは、理解していませんでした。CA社の事件が公になり、社の倫理性が問われました。特に、幹部がおとり取材(チャンネル4ニュース)で話したような内容です。 IT企業が無断で人々の情報を得ていたのみならず、人々が、個人情報を絶対に共有したくない(CAのような)会社に流していた、などと言うことです。CA社をめぐるこうした騒動により、世界的にこの問題が注目されたと思います』、「FBを見ていない時でも、人々の行動に関する情報がFBによって集められていたことや、アンドロイド(グーグルの基本ソフト)を使った携帯を持っている人は、FBのアプリがその人の通話やメッセージ履歴を全て記録している」というのは初耳で、ここまでやっているのかと驚かされた。
・『データによって「支援者は誰か」を予測できる Q:具体的にはどんなことが起きたのですか? コリンズ委員長:CA社はデータ・アナリティクスとデータ・ターゲティング・ツールを使います。選挙において、人々を標的にするために使うのです。世界中のビジネスが常にこの手法を使いますし、FBなどのサイト上でFBのために情報を集め、それを広告業者に売る広告ツールが使用されています。こうしたものは、標準的なツールです。 CA社の活動が問題になったのは、FBの規約に違反していたからです。ユーザーのデータを収集し、ユーザーだけではなく、ユーザーの友人のデータも収集していました。 このデータは、オンライン上のアンケートを利用してデータを収集していた、ケンブリッジ大学の研究者から取得したものです。当時のFBの規約では、学者がこうした研究を行うことは適正でした。しかし、やってはいけなかったのは、そのデータを第三者に売却することでした。 CAはこうした第三者の学者、開発者らと共にデータ収集を行い、このデータをターゲット・広告に使用したのです。当時、なぜ(このデータに)価値が置かれたかといえば、オンライン上の人々の心理プロファイリングを研究していた学者や研究者は、人々の考えや「何が人々を動かすか」ということを思案していたからです。 彼らは、ある人のFBの「いいね!」を分析することで、その人の非常に精密なプロファイルを構築することができると考えていました。その人の行動を友人よりも正確に、予測することができたのです。 このことが、なぜ特に選挙キャンペーンにおいて重要かといえば、(ある特定の陣営を)支援すると予測される層を探すことがしばしば、そして迅速に必要になるからです。データによって正確に「支援者が誰か」を予測することができれば、キャンペーンをより効率的に、標的を絞って行えるようになります。 また、プロファイルをもとに、受け取る人によって、さりげなく適応させたメッセージを送ることもできます。例えば、ある有権者層を知り、そのうち1万人のプロファイルを構築したとしましょう。ある特定の方法で、彼らを標的にするのです。そのデータセットを持ってFBに行き「ここに1万人分のプロファイルがある。これを元に、この1万人に最も近い、FB上の100万人を見つけてほしい」と依頼します。 FBはこれをはじき出します。つまり、FB上の全ての人のプロフィールは、必要ないのです。FBユーザーに関する非常に良質なサンプルさえ手に入れば、効果的に人々を標的にすることが叶います。 ここに、重大な問題が2つ存在します。1つは、CA社がこのデータ、つまり8700万人分のユーザー・プロフィールを不当にFBから入手したこと。これだけのデータがあれば、米国全体の有権者のプロファイリグが可能なほどの、巨大なデータベースを構築できます。 FBは、この事実を2015年の年末に知りながら、このことを明らかにせず、その上、データを取り戻し、確実に破壊する手段すら講じませんでした。 もう一つ、FBユーザーに対する倫理的な問題が存在すると思います。ユーザーにはプロフィールで、自分の支持政党を明らかにしない選択肢があります。しかし、FBが、人々がどう投票するかを予測し、その予測を政党の戦略担当に売却し、それをもとに、政党が有権者を標的にすることは、正しいことなのでしょうか。 私は、政治キャンペーンにおいて、データが有権者を標的にするために使われていることに、非常な不安を感じます』、FBがこうした悪質な世論操作に関与していたとは、許されないことだ。
・『Q:調査を進める中でこの3月、CA社の内部告発者、クリストファー・ワイリー氏らの証言を聞かれました。そこでは何が明らかになったのですか? コリンズ委員長:ワイリー氏はCA社に勤務していた頃の、自身の経験に基づく証言を行いました。彼は、(EU離脱派公式団体だった)Vote Leaveが行ったキャンペーンと、資金の使い方に懸念を抱いていました。そして、複数の団体が連携してキャンペーン用の資金を使うことを禁じる、英国の選挙法違反の可能性を、白日の下に晒しました。 この違反行為について、現在、ワイリー氏の主張を認めた選挙管理委員会が、調査を行っています。ワイリー氏はまた、CA社がどのようにデータ収集を行い、それがどうキャンペーンに使われたのか、その驚くべき内容を話してくれました。この事実があって、データマイニング、ターゲティング、そして有権者のプロファイリングについて、理解を深めることができました。 もう一つ、ワイリー氏の証言で重要だったことは、彼が特別委員会に証拠文書を提供し、これを我々が公開できたことです。これは、CA社やCA社のために働いていたケンブリッジ大学の学者ら、そして、FBの相互関係を証明するものでした。 (これまでの様々な指摘が)単なる個人の意見や、推測であるという領域を越え、この3者の関係や、彼らが集めたデータがどう使用されたのか、証拠となるものだったのです。内部告発者としてのワイリー氏の証言は、実際に何が起きていたのかを明らかにした、非常に重要なものでした』、「CA社のために働いていたケンブリッジ大学の学者ら」は、学問的興味で参加したのかも知れないが、利用目的まで思いが至らなかったとすれば、単なる「学者バカ」だ。
・『ザッカーバーグ氏は質問に答える義務がある Q:その一方で、FB社のザッカーバーグ氏は委員会での証言を拒否したのですね? コリンズ委員長:ザッカーバーグ氏が証言を行わないことは、非常に残念です。彼には、世界中で毎日FBを使用する20億人のユーザーに対する責任があります。FBが行ったことは誤りです。外部にデータを漏洩したこと、データが収集され、FBユーザーの有権者が広告によって標的にされたこと。こうしたことを通じて、FBは利益を得たのです。経営判断を行うのはザッカーバーグ氏ですから、彼はより多く、そして自ら進んで公的な場で質問に答える義務があると思います。 Q:FBのようなプラットフォームは、現状こうした疑問に対し、どのような姿勢でいるのですか? コリンズ委員長:彼らに責任を負わせるのは多くの場合難しく、またこちらの質問に彼らから明確な答えを得るのは困難です。はっきり質問しても、彼らは決まって情報を開示しません。調査の際、全体的な問題や古い案件を何度も繰り返させられ、とても苦痛でした。 特に、FBとの当初のヒアリングでは、(CA社が)FBからデータを集めた話は一切引き出せませんでした。ワイリー氏の証言によって、やっとその事実がわかりました。その後になって「証言を行った者は、その事実を知らなかった」と言い出す始末です。 こうしたIT企業が信頼に値しない現実が浮き彫りになってきます。信頼を回復するために、彼らはより努力すべきでしょう。「過去には過ちを犯し、なぜ人々がこの問題に懸念を抱くのか理解する」と彼ら自身が表明すべきです。将来的にはもっとオープンでいるべきですが、現在、彼らはそれを怠っています。ザッカーバーグ氏によるリーダーシップを人々は待っているでしょう。 Q:つまり、こうしたIT企業をめぐる現状は「無法地帯」に等しく、今こそ規制されるべき時なのでしょうか。 コリンズ委員長:その通りです。ITセクターは急速に成長し、これまでは無法地帯でした。常に新しいツールが開発されるため、しばしば新セクターだと考えられがちですが、これらの企業は実際巨大で、裕福です。その他のほとんどの分野では、ITセクターがやっているような、これだけの膨大な消費者データや情報を利用する場合、規制を受けています。 サーチ・エンジンとしてのグーグル、ユーザー生成動画コンテンツを有するユーチューブ、そしてSNSとしてのFB。これらのプラットフォームの運営の仕方は、現在独占状態です。そのため、何らかの規制組織が彼らの行いについて監督し、問題があれば介入する必要があります。 Q:ドイツでの例について講演されたことがありました。 コリンズ委員長:ドイツは世界で最も早く、有害なコンテンツに関し、IT企業に法的な責任を課すことを決めた国の一つです。これは、ドイツのヘイト・スピーチ法を犯す、違法なコンテンツについて適応されます。 FBは現在、この法に違反するコンテンツを削除するまでに、24時間の猶予しか与えられません。削除しない場合、FBが責任を負うことになります。FBは結果として、法に従うために莫大な資金を投じて対応する羽目に陥りました。他国もこのことを注視しています。 ドイツは歴史的に他国とは法的に異なる立場を取っていますが、そのことに関わりなく、法的枠組みを作れば、企業がそれに反応することを示したものです。ドイツでは、違法コンテンツは必ず削除されます』、FBの酷い隠蔽体質には改めて驚かされた。ドイツの姿勢には大いに学ぶべきだろう。
・『「プラットフォームの中立性」は終えるべき Q:英国でも同様のことが起きるのですか? コリンズ委員長:私たちは特別委員会の報告書において、IT企業による「プラットフォームの中立性」は終えるべきだと勧告しました。プラットフォームは限定的に、違法、そして有害なコンテンツに関して法的責任を負い、これらを削除しなければならず、削除されない場合は、法的責任が生じるというものです。 また、有害なコンテンツがどのようなものか、明確にする必要もあります。私たちはこれを特別委員会の報告書に明示し、政府もこの問題に対してコンサルティングを行っています。年明けには、「インターネットの安全性に関する戦略」に関する白書が発表されます。まず成されるべき事は法的枠組みを作り、IT企業の責任は何であるか、また、有害コンテンツについて対応を怠った場合の処罰について、明確にすることです。 Q:こうした規制が進むと、言論の自由との関係はどうなるのでしょうか。 コリンズ委員長:英国には言論の自由が存在しますが、混雑した劇場で「火事だ!」と叫ぶ権利は誰にもありません。言論の自由は、危険でも有害であってもなりません。私たちが目指しているのは、オンライン上、人々がコミュニケーションの形として他者を傷つけるような情報共有に関し、調停を行うことです。 そして、IT企業に対し「有害コンテンツの拡散を可能にするようなインフラを提供し、そうした行為を知り得ているならば、対処する責任がある」と通告することです。 銀行の例で言えば、もし銀行がマネーロンダリングを疑ったとしたら、当局にそれを報告するのは銀行の義務です。なぜ、IT企業にはこのことが課されていないのでしょうか』、確かに、「プラットフォームの中立性」を隠れ蓑に、プラットフォーマーが責任を回避するのは、許すべきではない。
・『Q:2018年は、「シリコン・バレーのエリート」たちにとってどんな年になると思われますか? コリンズ委員長:2018年は、彼らにとって重大な分岐点となるでしょう。彼ら以外の社会が、IT企業は何を行い、どう利益を得ているか、そして、彼らが有しているデータと情報の危険性について学んだ年です。 私たちは、彼らが今後、より大きな責任を課されるよう追求していきます。社会、そして、ユーザーである顧客に対する彼らの責任を、より追求します。コンテンツを審査するためにより多くの資金を投じ、有害コンテンツに対処し、また、ユーザーからのコンテンツに関する通報に対応します。 過去にこうしたプラットフォームが享受してきた中立の立場については、新たな責任を課せられることにより、失われることになるでしょう。将来、この年を振り返った時、その他の産業や物質的経済においてなされるように、今年がインターネット上、コンテンツとデータの規制が必要であると、検討し始めた年と位置付けられるでしょう。その基盤となる原則は「実社会で容認されないものは、オンライン上も認められない」ということです。 Q:英国は、こうした規制に関し、先駆的な役割を担うことになるのでしょうか。 コリンズ委員長:英国に正しいことをしてほしいと願いますし、この議論においてのリーダーとなり得ると考えています。既に、良い環境は整っています。機関としては欧州で最大規模である、情報コミッショナー事務局(ICO)が重要な調査を行っており、権限も拡大されています。欧州一般データ保護規則(GDPR)という法律もあり、これによって、欧州の消費者は世界でも最も高いレベルの権利を得ています。 ICOは英国での事態を監督しています。そのため、英国はこの議論においてリーダーになることができると思います。しかし、それよりもテクノロジーとインターネットに関する、現代社会に即した規制のシステムを確実に設置することの方が大切です。(後編に続く)』、英国が先進的な法規制で模範を示してくれることを期待したい。
なお、FBの悪辣ぶりについては、1月13日のこのブログ「トランプ大統領(その38)」でも取上げているので、参考にされたい。
次に、上記の続きの11月5日付け日経ビジネスオンライン「米中間選でも偽情報拡散の脅威、新規制が必要に 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 後編」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/100500021/103100027/?P=1
・『米大統領選挙と英国のEU離脱国民投票をきっかけに、デジタル広告事業者と民主主義の熾烈な戦いが繰り広げられている。11月6日に迫った米国の中間選挙でも既にSNS(交流サイト)上で、偽情報の拡散が懸念されている。 この戦いを制すのは、シリコンバレーか民主主義か。英下院・特別委員会のデーミアン・コリンズ委員長に引き続き聞く。 Q:EU離脱に関する国民投票は「乗っ取られた」と感じますか? コリンズ委員長:乗っ取られたとは言えませんが、ロシアの機関が国民投票の際、英国の有権者に接触する意思があった、とは言えるでしょう。サンクトペテルブルクの複数の機関を発信元とした、幾万もの偽ツイッターアカウントが、EU離脱支持のプロパガンダを流していたという、多くの研究がなされています。 フェイスブック(以下FB)に関しては、まだデータに関する研究が出ておらず、この事実を証明する証拠が少ないのですが、さらなる事実が浮き彫りになるかもしれません。ですから、介入の意思はあったと思いますが、どの程度の影響力があったかは不明です。 これに関連したもう一つの問題は、離脱派の公式団体の資金の使い方です。そこでも違法行為があったのか、現在選挙管理委員会が調査を続けています』、どんな調査結果になるか楽しみだ。
・『Q:コリンズ委員長は米FBIとも密接に連携しています。米国の中間選挙ではどんなことが起きていますか? コリンズ委員長:米中間選挙では、(2016年の)大統領選と同様の、ロシアの介入が起きないよう、注力されています。未だに、大統領選における介入の度合いは全て明らかになっていません。 公的な情報では、ごく少数のFBアカウントが基盤となっており、これらが大量の広告を流す役割を担っていました。実際は、これよりもはるかに多いのかもしれません。 米国では選挙を守るため、ロシアの介入ネットワークを特定し、これを正しいタイミングで破壊する目的があります。選挙戦に際し、有権者が見るもの、聞くものに影響を及ぼそうとする外的組織がいるのであれば、損害を最小限に留め、影響させないようにしています。 FBは政治的メッセージや広告に関し、新しい規制を発表しました。そして、政治的な広告を流す組織に対し、その存在を明らかにさせ、さらには過去の実績をユーザーが見られるようにするという、新たな責任を課すことを決めました。中間選挙までに何か起きるか、選挙介入はあるのか。非常に注目され、関心は高いと思います』、FBの「新しい規制」は単なるポーズとの見方もある。実際の行動を注視する必要があろう。
・『世界のどこからでも、SNSを通じて有権者を標的にできる 日本では改憲に向けた国民投票が予想されますが、広告に使える資金の上限が定まっておらず、またデジタルキャンペーンに対する規制も十分とは言えません。このことは、危険であるとお考えになりますか。 コリンズ委員長:日本は他の国の選挙などで起きたことを検証する必要があるでしょう。また、現存の制度を検証し、強化すべきです。世界のどこからでも、ある国の有権者について選挙人名簿を入手できれば、人々が利用するSNSを通じて有権者を標的にすることができます。 世界の誰もが、自分の存在を隠してこれを実行できます。有権者がどう投票するか説得するのではなく、人々がSNSを利用する傾向を形作ることができるのです。長い時間をかけ、有権者のニュースフィードにどんなコンテンツを流すか、操作できます。有権者が以前は気にも留めていなかった問題に、懸念を示すよう誘導できるのです。 このことは、何らかの方法で監督されなければなりません。英国で行ったように、日本の有権者に対しても、コミュニケーションの透明性を構築することを薦めます。それは、選挙や国民投票の結果を操作しようという「悪意を持った何者か」、あるいは外国政府から身を守る最良の手段です。 誰がこのメッセージを流しているのか。その者はどの国にいるのか。以前はどんなメッセージを流してきたのか。有権者が分かるようにするのです。そうすることで、有権者は、見ているメッセージについて、独自の判断を下すことができます』、「日本では改憲に向けた国民投票が予想されますが、広告に使える資金の上限が定まっておらず、またデジタルキャンペーンに対する規制も十分とは言えません」というのは大問題だろう。悪質なデジタルキャンペーンの「草刈り場」となる事態だけは回避すべきだ。
・『SNSを通じた選挙戦は、今や世界の常識です。多くの国では、人々のニュース情報源はFBです。英国では半数程度の人々がFBからニュースを得ていますし、その他の国ではその比率はもっと高いでしょう。FBはウェブへの入り口なのです。 FBのようなサイトで、人々が政治的なニュースコンテンツの中で、見せられるものを操作できるのであれば、それは強力なツールだと言えるでしょう。人々が情報の出所を知り、装備することが必要です。偽情報を流すソースがわかっているなら特定し、対応しなければなりません。 Q:政府と広告企業が手を携えてしまえば、人々を守る術はないのではないでしょうか。 コリンズ委員長:英国には(選挙や国民投票のキャンペーンにおいて)資金の上限が定められています。資金の多い陣営の意思が、より多く反映されてはならないからです。英国の選挙は、この原則に従っています。 今やどんな選挙でも、あるだけの資金を投じてSNSサイトを使い、有権者を標的にしていると思います。最も影響力が見込めるからでしょう。 3つのことが可能です。まず特定の候補者に投票させること。有権者を抑圧し、ある候補に投票するのをやめさせ、対立陣営に取り込むこと。そして、区分別投票率を用い、一定の年齢層だけを狙って投票を働きかけることもできます。 選挙や国民投票が公正に実施されるためには、全ての陣営が公平に、SNSを通じて有権者につながる機会が与えられるべきだと思います』、その通りだ。
・『データ保護法や選挙法を最新の状態に保つべき Q:他の政治家などが「データ問題」と聞いて尻込みするなか、コリンズ委員長はこの問題に取り組むため、一からテクノロジーの勉強をされたと聞きました。学ぶプロセスは困難でしたか? コリンズ委員長:困難というよりも、非常に面白いと感じました。この調査は私たちにとって、発見の旅でもありました。IT企業がどう動いているのか、そして、データ・ターゲティングの分析がどう行われているのかを理解する機会でした。 以前は、こうした詳細を検証する必要はありませんでしたが、これによって、IT企業の機能の仕方や、人々がこうしたツールを使ってどう目的を果たすか、検証する道を開いたと思います。この「目的」は悪い目的である場合もあります。私だけが学んだというよりは、他の人々にも学ぶ機会であったと思います。今年は発見と教育の年であり、将来的に、この問題に対する見方が変わっていくと思います。 Q:コリンズ委員長の様にこの問題を重く見て、改善しようという政治家もいれば、このテクノロジーを自分のために利用しようとする政治家も存在すると思います。これに対抗する方策は何でしょうか。さらなる規制や法律でしょうか。 コリンズ委員長:まず、選挙法において、こうしたテクノロジー利用の存在を前提とすることが必要です。例えば英国では、有権者の郵便受けにビラを配ったり、ビラを郵送する際には、そのビラに、誰がビラ作成の資金を提供したのか、そして「これは売り込みを目的としたものだ」と明記しなければなりません。 しかし、ネットやSNS上では同じルールが適応されません。ですから法改正し、適応しなければなりません。そうすることで、有権者はメッセージの出所と、彼らがどう標的になっているのかを知ることができます。 また、有権者の政治的意見について、データ収集と保持に関する規制も存在し、欧州のデータ規制によって、保護されています。政党なども含む、ごくわずかな特定組織だけが、人々の政治的意見に関する情報を保持することが認められています。 コンサルティング会社やキャンペーン・グループが、人々の政治的意見に関するデータを保持し、それを有権者に無断で選挙広告に使用するならば、その倫理性や違法性を問うべきでしょう。こうしたデータ保護法や選挙法を最新の状態に保たなくてはなりません。特定の政策で、このような新技術への対応を行うべきです』、コリンズ委員長の積極的な取り組み姿勢には頭が下がる。日本の国会議員もその「爪の垢」でも飲んでほしいものだ。
・『Q:この問題を追ってきた著者のジェイミー・バートレット氏(参考:狙われる有権者たち、デジタル洗脳の恐怖)は、インターネットと人々の間に「戦争」が起きていると語りました。インターネットは民主主義の味方でしょうか、敵でしょうか。 コリンズ委員長:インターネットは民主主義にとって、味方でも敵でもないと思います。インターネットが人々をつなぐツールであったことから「民主主義を助けるもの」との暗黙の前提がありましたが、偽情報を流し、人々を誤った方向に導く使い方をすれば、民主主義を壊すものでもあることがわかります。 人々は、現状流れてくる情報に対抗し、またそれを分析するツールを未だ手にしていません。テクノロジーの革新とメッセージを流す技術に、まだ追いついていないのです。インターネットが独裁政権を支援することも、全く可能だと思います。こうしたツールを「民主主義を支援するもの」として維持する責任は私たち市民にあり、私たちが守らねばなりません。 Q:この「戦争」をどう戦おうと思われますか。また、勝算はあるのですか? コリンズ委員長:もちろんです。経済のどのセクターでも、世界のどんな組織でも、究極的にルールや規制で監督できないものはありません。私が化学薬品会社を運営していたとして、水源を汚染していたら、政府は対策を講じるでしょう。新法を作り、水源汚染を止めるのです。 現在のIT企業がこの巨大なネットワークを構築し、ネットワークが悪用され、社会が汚染されているのなら、政府が介入し、こうした企業が構築したビジネスによって生じた有害なものから、人々を守る規制を設けなければなりません。これは、経済のほとんどの分野において普通のことですし、消費者を守るための規制が進むでしょう』、コリンズ委員長の基本的な考え方がしっかりしているのに改めて驚かされた。
・『調査では、EU離脱派の資産家が顧客情報を利用したのか明らかに Q:データと政治キャンペーンをめぐる事象を捜査してきた情報コミッショナー事務局(ICO)の最終報告が11月初めに発表される予定ですが、どんな結果になると思いますか。 コリンズ委員長:ICOは、これまで誰もアクセスできなかったデータと情報を有しています。政治におけるデータ利用に関する調査は、非常に重要なものになるでしょう。この調査によって、EU離脱派を支持した資産家が所有する保険会社の顧客情報が、国民投票で利用されたのか、明らかになるでしょう。この資産家は否定していますが、利用されたのであれば、これは深刻な事態です。 また、ICOによるケンブリッジ・アナリティカ社(前編参照:以下CA社)に関する調査では、CA社が取得したデータが最終的にどうなったのか、アクセスしたのは誰なのか。このことを解明できたのかが焦点でしょう。ロシアがデータにアクセスしたと言われていますが、では、アクセスしたのは具体的に誰で、誰がこれを利用したのか。ICOの調査から、こうした重大な事実が明らかになるでしょう。 Q:今の時代、データをめぐる事象について、教育は必須だと以前話しておられました。どのように人々を教育できるとお考えですか? コリンズ委員長:オンラインコンテンツに関するメディアリテラシーの教育は、より必須になるでしょう。SNSは今や、人々がインターネットに通じる入り口です。私たちは有害コンテンツを特定するツールを作る手助けはできますが、特に教育現場と連携したキャンペーンが必要になると思います。 実施には巨額が伴うため、IT企業がユーザーが使えるツールをデザインし、作る役割を果たすだけでなく、教育にかかる資金も投じるべきです。学校の支援もしなければならないでしょう。 調査委員会では、IT企業から学校でのユーザー教育にかかる費用を徴収する提言を行いました。また、ICOにも資金を提供させる事です。銀行セクターでは消費者を守るため、金融行為監督機構の資金の一部を銀行が払っています。ICOの仕事も同様ですから、IT企業が資金面で今より大きく貢献するべきです』、「(ICO)の最終報告が11月初めに発表」、日本では最終報告の記事はまだないようだが、報道してほしいところだ。
・『Q:学校教育というと、何才くらいを想定していますか? コリンズ委員長:小学校くらい、そして中学校の早い時期、8-12才くらいが最も効果的だと思います。しかし、全ての市民がこのことから教訓を得るべきです。大人でも気づかないことはあると思います。 特に、若いユーザーが流れてくるコンテンツに対し、より多くの疑問を持つようにするべきでしょう。今後こうした問題は、悪化の一途をたどります。 現在のテクノロジーでは、嘘まみれの映画を作ることも可能です。例えば、ある人がしたこともないことを行ったかのように、語ったこともない言葉を語ったかのように、そして、全く行ったことのない場所に行ったかのように見せる、「完全にリアルなフィクション」も作り出せます。将来的に、現在よりもフェイクコンテンツの特定はより困難になり、(教育の)必然性も高まるでしょう』、その通りだ。
・『政府によるデータ利用には人々の承諾が必要 Q:前述のバートレット氏が言っていたことですが、将来的に人々は、管理された社会をより好ましく思うのかもしれないと指摘していました。管理しやすい社会は、政治家の視点から、好ましいことなのではないでしょうか。 コリンズ委員長:政府の権力行使は、人々の承認を得て行わなければなりません。例えば、医療システム改善において、AIや機械学習の役割はどんなものでしょうか。がん検診をより早く行うために、AIをどう使うか。個人データを深く理解することにより、疾病の超早期発見やリスクを特定することなどです。 これは非常に有益かもしれませんが、人々はこうしたデータ利用を承諾しなければなりません。民主主義国家において、こうした権力の行使には、人々の許諾が必要です。このことについて、真剣な議論がなされるべきでしょう。 素晴らしい恩恵を得られる反面、これまでにないほどの、個々の市民のデータが収集され、保持されることも意味するからです。ここまでデータ保持の許諾が政府や医療機関に与えられるのなら、その情報を渡してはならない相手に流れないよう、どう保護するのか、ということも大切です。 Q:私たちの知る形の民主主義は、分岐点にあるとお考えですか? コリンズ委員長:インターネットが政治的な議論をどう変えたのか、検証しなければならないでしょう。これまでに使用されてきたコミュニケーションの方法、つまり、これまでの情報の共有の仕方は今後、失敗するでしょう。このことを直視しなければなりません。 インターネットは政治的な議論を変え、ある部分では有効的に変わりました。小さなコミュニティが彼らにとってとても大切な、ある問題についての認知度を高めたいのなら、これまでにないくらい、インターネットはその問題意識を共有する人たちに広めることを容易にします。それは大きな恩恵です。 しかし一方で、ある人々が巨費を投じ、透明性のないところで人々の考えに影響を及ぼすことも可能です。人々を守り、それを止める術は現在ありません。ですから、恩恵と弊害の両方を見なければなりません。 私たち立法を預かる者は、政治的なキャンペーン方法、情報共有のあり方、そして、ユーザーに対する情報源の開示に関する法や規制を常に検証すべきです。 市民がきちんと情報を得られる状況を確保する。単に情報を得られるだけではなく、どの情報に重きを置けるか、判断できるようにすることです。ニュース番組やウェブサイトの編集者のみならず、アルゴリズムが影響力を行使できる時代です。市民自身がこの価値判断をできる状況を作らねばなりません。 Q:希望は持てますか。 コリンズ委員長:希望はいつでも持てますが、問題を認識していなければなりません。今年起きたことは具体的な問題が何だったのか、理解し始めた年です。 1年ほど前に調査を始めた際、あるベテラン議員が「面白い題材だし、検証するのは正しいことだが、何ができるというのか見当もつかない」と話していました。しかし、調査によって、実はできることが多いことがわかりました。民主主義を守るために何をしなければならないかがわかり前進した、重要な一歩だったと思います』、「民主主義を守るため」の先駆的な動きに期待したい。
第三に、11月12日付け東洋経済オンライン「フェイスブック「情報流出」で崩れる成長神話 稼ぎ頭の欧米で減速、データ保護規制が逆風」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/248562
・『15億人のユーザーを抱える巨大ソーシャルネットワークが揺れている。 米フェイスブックが10月30日に発表した2018年7〜9月期決算では、欧州の1日当たり利用者数が2億7800万人と、2四半期連続で減少した。今年1〜3月に過去最高を記録してから、400万人の落ち込み。アメリカとカナダの利用者数も、1億8500万人と横ばいが続く。「今年はつらい1年になっている」。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOは決算電話会見でそう漏らした』、これだけ問題を起こした割には、「ユーザー離れ」がまだそれほどでもないのに、若干驚かされた。
・『相次ぐデータ流出でユーザー離れ 3月に明らかになったのが、約8700万人分の情報流出だ。イギリスの研究者が学術目的でフェイスブックから収集したユーザーデータが、英政治コンサルティング会社のケンブリッジ・アナリティカに不正に流され、2016年の米大統領選挙の工作活動などに使われた。 9月末には一部機能の脆弱性を突かれ、約2900万人の情報への不正アクセスを許した。電話番号やメールアドレスのほか、直近の位置情報や検索履歴が含まれるケースもあった。 こうした個人情報は「ダークウェブ」と呼ばれる闇サイトで取引される。偽サイトに誘導するフィッシングメールなどが送られ、クレジットカードや銀行口座の番号など、より重要な情報を盗み取ろうとするのだ。「情報流出を避けたければ、そのサービスを使わないということくらいしか選択肢はない」(米セキュリティ大手シマンテック・ノートン事業統括本部の古谷尋部長)。 一連の情報流出を受けて盛り上がったのが、「デリート・フェイスブック(フェイスブックを消そう)」というネット上の運動だ。ユーザー離れは止まりそうもない。 「フェイスブックが“安全”だったことは一度もない」。米ノースイースタン大学でサイバーセキュリティプログラムディレクターを務めるクリスト・ウィルソン准教授はそう指摘する。 「プラットフォーム上のあらゆる機能が進化し、複雑に絡み合うようになると、バグを迅速に見つけ出すのはより難しくなる。そもそも個人情報を集めて収益化するモデルは、ユーザーのプライバシー保護と相反する。ハッカーの標的になり続けるからだ。データを保護したければ、個人情報の収集をやめるべき」(ウィルソン氏)』、「デリート・フェイスブック」運動が起きたとは当然だろう。
・『GDPRの強い逆風が吹き付ける フェイスブックには大きな壁が立ちはだかる。今年5月にEU(欧州連合)が施行した「一般データ保護規則(GDPR)」だ。実際、デイブ・ウェーナーCFO(最高財務責任者)は決算会見で、「過去2四半期はGDPRの影響をいくらか受けた」と、欧州でのユーザー減の一要因になったことを認めている。 フェイスブックはGDPRの下で、欧州当局からどのような処分を受けるのか。大規模データ流出の責任は重い。 GDPRは欧州で活動する企業に対し、個人情報を安全に保護することなどを義務づけるもの。違反と見なされれば、制裁金として、最大で全世界の売上高の4%、あるいは2000万ユーロのどちらか大きい金額が科される。9月の情報流出は、制裁対象になる可能性がある。現在フェイスブックが欧州本社を置くアイルランドのデータ保護当局を中心に、EU側による調査が進められている。 英ロンドンの法律事務所ウェッドレイク・ベルでデータ保護部門を率いるジェームズ・カストロ・エドワーズ弁護士は、「組織の規模が大きくなるほど、GDPRが求めるセキュリティの基準は上がる。(これまでに大きな違反例がないため)当局がフェイスブックの件をどう判断するかは、今後の規制運用にも影響を与えるだろう」と分析する。 「EU当局は今回のセキュリティ侵害について、影響を受けたユーザーがどれくらいいたか、どのような監視体制に不備があったか、といった点を基に制裁金の額を決めると考えられる」。そう指摘するのは、国際法律事務所DLAパイパーのアンドリュー・ダイソン弁護士だ。「制裁金だけでなく、集団訴訟のリスクもある。多くの活動団体が(今回の件を)裁判沙汰にすると言っている」(同)。 英国のデータ保護当局は10月中旬、ケンブリッジ・アナリティカの事案に関し、個人情報の保全を怠ったとして50万ポンドの罰金を科すと発表。当局側は「GDPRが施行されていれば、罰金は極めて高額になっていただろう」と断じた。同月下旬には日本の個人情報保護委員会も、フェイスブックの一連の情報流出に対し、行政指導を行うことを発表している』、現行法での罰金50万ポンドは34百万円相当と僅かだが、「集団訴訟」はどうなるのだろう。
・『欧米の成長は鈍化、費用も増加傾向 欧米のユーザー基盤は、同社の成長に不可欠。売上高のうち7割超はアメリカ・カナダと欧州の広告収入だ。ユーザー数の伸びが見込めなければ、広告主も離れかねない。 セキュリティや法務対策で費用は増加傾向だ。セキュリティ関連人員は年内に1.5万人から2万人に増やす方針。「セキュリティに関しては、今後1年でテクノロジーと人の両面で必要なレベルに上げる」(ザッカーバーグ氏)。 この7〜9月期の営業利益率は42%といまだ高水準だが、4四半期連続で後退。会社側は来年にかけてさらに投資がかさむとする。 米ウォール街でフェイスブック批判の急先鋒として知られるピボタル・リサーチ・グループのアナリスト、ブライアン・ウィーザー氏は、「さまざまな問題が持ち上がるたび、フェイスブックが自らのビジネスを制御できていないことを認識させられる」と指摘する。 確かにフェイスブックは、年間5割超の収益成長を続けている。ただその視界は決して開けてはいない』、見るからに「傲慢」そうなザッカーバーグCEOが「しょげる」姿を見てみたいものだ。
タグ:情報コミッショナー事務局(ICO)の最終報告が11月初めに発表 デリート・フェイスブック 9月末には一部機能の脆弱性を突かれ、約2900万人の情報への不正アクセスを許した 調査では、EU離脱派の資産家が顧客情報を利用したのか明らかに データ保護法や選挙法を最新の状態に保つべき SNSを通じた選挙戦は、今や世界の常識 世界のどこからでも、SNSを通じて有権者を標的にできる 約8700万人分の情報流出だ。イギリスの研究者が学術目的でフェイスブックから収集したユーザーデータが、英政治コンサルティング会社のケンブリッジ・アナリティカに不正に流され、2016年の米大統領選挙の工作活動などに使われた。 「米中間選でも偽情報拡散の脅威、新規制が必要に 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 後編」 「プラットフォームの中立性」は終えるべき ザッカーバーグ氏は質問に答える義務がある クリストファー・ワイリー氏らの証言 相次ぐデータ流出でユーザー離れ CA社の内部告発者 プロファイルをもとに、受け取る人によって、さりげなく適応させたメッセージを送ることもできます データによって正確に「支援者が誰か」を予測することができれば、キャンペーンをより効率的に、標的を絞って行えるようになります CA社 データによって「支援者は誰か」を予測できる 人々には本物と偽物のニュースの違いが分からない デーミアン・コリンズ委員長 欧米の成長は鈍化、費用も増加傾向 ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は、度重なる委員会の招致にも関わらず、本人が出席し、証言することを拒み続けた 英下院・超党派議員11人で作られた、デジタル・文化・メディア・スポーツ(DCMS)特別委員会 米大統領選挙におけるロシアの介入疑惑 英国の国民投票 「フェイスブックが「偽情報拡散」のツケを払う日 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 前編」 「フェイスブック「情報流出」で崩れる成長神話 稼ぎ頭の欧米で減速、データ保護規制が逆風」 日経ビジネスオンライン 伏見 香名子 (その2)(フェイスブックが「偽情報拡散」のツケを払う日 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 前編、米中間選でも偽情報拡散の脅威 新規制が必要に 歪められた民主主義 議員たちの逆襲 後編、フェイスブック「情報流出」で崩れる成長神話 稼ぎ頭の欧米で減速 データ保護規制が逆風) 問題 東洋経済オンライン フェイスブック 政府によるデータ利用には人々の承諾が必要 GDPRの強い逆風が吹き付ける
統計不正問題(その2)(やはり“首相案件”「毎月勤労統計」賃金カサ上げのシナリオ、安倍政権にGDPカサ上げ疑惑 600兆円達成へ統計38件イジる、アベノミクス偽装 監察委が甘噛み調査で“幕引き”お膳立て、官庁統計の相次ぐ信頼失墜に「統計庁」の新設は有効か) [国内政治]
統計不正問題については、2月6日に取上げた。今日は、(その2)(やはり“首相案件”「毎月勤労統計」賃金カサ上げのシナリオ、安倍政権にGDPカサ上げ疑惑 600兆円達成へ統計38件イジる、アベノミクス偽装 監察委が甘噛み調査で“幕引き”お膳立て、官庁統計の相次ぐ信頼失墜に「統計庁」の新設は有効か)である。
先ずは、 2月14日付け日刊ゲンダイ「やはり“首相案件”「毎月勤労統計」賃金カサ上げのシナリオ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247476
・『「毎月勤労統計」の賃金かさ上げは「首相案件」――。2018年1月に突然、調査方法が変更され、賃金がカサ上げされることになった「毎月勤労統計」。やっぱり、安倍首相周辺が関与していたことが発覚した。 13日の衆院予算委で安倍首相は、企業サンプルの入れ替えにより数値が大きく変動することについて、15年の段階で、当時の首相秘書官が厚労省の役人から説明を受けていたことを明らかにした。 質問した財務省出身の大串博志議員(立憲民主)は「秘書官の耳に入るということは、役所では“総理ご関心事項”と言うんですよ」と語った。14日の衆院予算委で、厚労省と接触したのは、中江元哉首相秘書官(現・財務省関税局長)で、15年3月末だったことが明らかになった。この後、統計の“見直し”は一気に進んだ』、官邸の関与はどうみても明らかだ。
・『核心を突かれムキになった安倍首相 15年10月の経済財政諮問会議で、麻生財務相は「サンプル事業所の入れ替え時に変動がある。改善方策を早急に検討していただきたい」と「毎勤」の調査方法にケチをつけた。その結果、毎勤統計の500人未満事業所の抽出調査は「総入れ替え方式」から「一部入れ替え方式」に変更され、18年から実施された。入れ替えは3年ごとに行われる。 “総入れ替え”すると、倒産直前の企業や生まれたての企業など低賃金の企業が多く含まれるため、賃金は低く出る。そこで、“一部入れ替え”に変更し、賃金を上振れさせたのだ。 調査方法の変更には統計委員会の委員などから異論もあったが、「首相案件」だから、ゴリ押しできたのである。 大串議員に追及された安倍首相はムキになって言い返した。「2015年は平和安全法制で1000問質問を受けた。これ以外は持ってこないでという状況だった。統計なんかに関心を示すわけないじゃないですか。根本的に知りませんから」「毎勤は毎月見ませんよ」』、安全法制を抱えているからといって、アベノミクスの成果を誇るための統計操作は、秘書官に指示さえすればいいのだからいくらでも可能な筈で、全く答弁になっていない。こんな答弁を許す野党もだらしない。
・『核心を突かれるとムキになるのが安倍首相の特徴である。 政治評論家の山口朝雄氏が言う。「統計見直しに、早い段階から首相秘書官が動いていたということは重要です。麻生財務相のみならず、安倍首相自身が大きな関心を持っていたということです。森友、加計のケースと同じで『首相案件』だったから、官僚が忖度し、普通なら無理なことでも進んでいったのでしょう」 どんな力が働いたのか――徹底解明すべきだ』、野党は安倍政権追及の絶好のチャンスを、もっと鋭い質問で追及してほしいものだ。
次に、2月19日付け日刊ゲンダイ「安倍政権にGDPカサ上げ疑惑 600兆円達成へ統計38件イジる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247804
・『「経済政策を良く見せようとして統計を変えたことはない――。18日の衆院集中審議で、野党から“アベノミクス偽装”を追及され、こう強弁した安倍首相。不正統計問題の責任を官僚に押し付け、頬かむりしているが、そうはいかない。また新たな疑惑が浮上したからだ。 アベノミクス偽装を巡る大きな問題が、「GDPカサ上げ」疑惑である。立憲民主の小川淳也議員は集中審議で、この疑惑を改めて追及。安倍首相が2015年9月にブチ上げた「GDP600兆円」の達成をアシストするかのように、GDP関連の統計が見直されたことを指摘した。 小川議員の調べによると、安倍首相が政権に返り咲いた直後の13年以降、全56件の基幹統計のうち53件もの統計の取り方が見直された。うちGDP関連は38件に上り、10件は統計委員会で審議されず、勝手に見直しを決めたというから驚きだ。 これだけの数の基幹統計が見直されること自体、異常だ。民主党政権が3年間で変更したのは16件。うちGDP関連は9件しかない』、統計の見直し自体は、経済構造の変化に伴って必然的に必要になるが、基幹統計の殆どを見直した、しかも「統計委員会で審議されず、勝手に見直し」たというのはやはり異常で、作為を感じる。
・『「国際基準に合わせた」の理屈だけじゃ通らない 小川議員が「統計手法を変更して、GDPをカサ上げしたのではないか」などと迫ると、茂木経済再生相は「GDPは支出項目の積み上げによるもので、家計や賃金が変わっても影響はない」とノラリクラリ。しかし、「アベノミクスによろしく」の著者で弁護士の明石順平氏は、「消費に関する統計手法を変えると、GDPが上向く可能性があります」と言う。 実際、安倍政権下で変更された基幹統計には、全国消費実態調査や家計調査など、消費や支出に関するものが含まれている。要は、安倍政権が恣意的に統計をいじくりまくり、GDPをカサ上げした可能性はゼロじゃないのだ。改めて小川議員に聞いた。「GDP上昇の要因は、家計調査の方法が変わったことで、家計消費が6%増えたことなどが考えられます。しかし、政府は『GDPを国際基準に合わせたら数字が上がった』の一点張り。GDP統計を国際基準に合わせるという理屈は分かりますが、ならば上昇要因をきちんと国民に説明すべきです。上昇理由が、経済政策の成果なのか、計算方法が変わったからなのか、現状ではまるで分からない。GDP600兆円という結果ありきの統計手法の変更だと思われても仕方ありません」 ペテン政権下で調べた統計は、もはや誰も信じられない』、小川議員も本誌に油を売るだけでなく、追加質問で「上昇理由」の内訳を問い質すべきだ。
第三に、2月28日付け日刊ゲンダイ「アベノミクス偽装 監察委が甘噛み調査で“幕引き”お膳立て」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248432
・『またもヒドい報告だ。厚労省「毎月勤労統計」不正問題を再調査していた特別監察委員会(委員長=樋口美雄労働政策研究・研修機構理事長)が27日、追加報告書を公表した。隠蔽は全否定し、意識や認識の甘さに矮小化。その上、「官邸の関与」など不正の背景には一歩も踏み込まなかった。 1月の監察委の調査は、厚労省の職員がヒアリングするなど「第三者性」に疑義が噴出。今回は、厚労省を遮断して行われたが、中身はお寒いものだった。 ▼担当部長(「抽出調査」を知らされた担当部長は是正を指示し、隠蔽ではない。) ▼省幹部(他の幹部は「抽出調査」すら認識せず、次官等の上層部の指示もない。省幹部は無関与と認定。) ▼担当課(室)(綿密な打ち合わせや周到な準備がないとして、課(室)としての組織的隠蔽を否定。) ▼担当者(極めつきは、担当者の隠蔽まで否定したことだ。例えば、2015年10月、厚労省の室長は、東京都の大規模事業者が抽出調査であることを知りながら、総務省に「全数調査」と報告。「これまでの不適切な取り扱いの説明にも窮することから、事実を正直に言いだせなかった」という。どう見ても隠蔽だが、監察委は「殊更に隠そうとの意図は認められない」と隠蔽を否定した。)』、そもそも委員長は、元慶應義塾大学教授で、現在は厚労省の外殻団体である労働政策研究・研修機構の理事長という「天上がり」のポストに就いていることからして、「第三者性」は全くない。2度にわたる報告書も、厚労省擁護の「お手盛り」で、およそ学者の良心とは無縁の無責任人間のようだ。「甘噛み調査」とは言い得て妙だ。
・『不正の背景には一歩も踏み込めず 報告書をよく読むと、組織から個人まで隠蔽は認めていない。幹部は知らず、課(室)も、担当者も隠蔽など悪意はない。「規範意識の欠如」「事の重大性に対する認識の甘さ」「幹部職員の無関心」で済ませようというトーンなのだ。 さらに、許せないのが監察委が「アベノミクス偽装疑惑」にもフタをしようとしていることだ。 18年からの統計方法の変更で賃金がカサ上げされ、国会でも問題になっている。15年には、中江首相秘書官(当時)が、厚労省に統計方法変更(ローテーション方式)の問題意識を伝え、方針が急変するなど不自然なプロセスが浮き彫りになっている。 樋口委員長は「統計法上、手続きは問題ない。それ以上(行政のプロセス)は、我々のミッションではない。(中江氏の件などは)調査していない」と逃げた。 さらに、賃金カサ上げにつながった疑いのある変更(ベンチマーク更新)も、監察委は「専門的な視点から合理的な判断」とアッサリOKと判断。涼しい顔で次々とお墨付きを与えたのである。 これを、安倍首相が鬼の首を取ったように、利用するのは目に見えている。 経済評論家の斎藤満氏が言う。「安倍首相は『第三者委』であることを強調して、今回の報告で区切りがついたと幕引きを図るでしょう。しかし、監察委の調査からは、何も分かっていません。個々の意識の問題に矮小化し“背景に何があったのか”にまでは突っ込んでいないからです。官邸の関与も調べていない。野党やメディアは、監察委の報告に惑わされず、真相解明を続けるべきです」 このまま不問にさせてはならない』、調査範囲をことさら狭くした点や、ベンチマーク更新が「専門的な視点から合理的な判断」という論拠、などツッコミどころ満載だ。野党にはよく勉強して厳しい質問をしてもらいたいものだ。
第四に、総務省出身で室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏が2月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「官庁統計の相次ぐ信頼失墜に「統計庁」の新設は有効か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/195239
・『官庁の統計データの不正や問題が相次いだことで、信頼が失墜しつつある。その背景にあるものは何か。有効策は何か。かつて総務省で政府の統計制度の所管部局にも在籍していた元官僚の筆者が解説する』、この問題を解明するには適任のようだ。
・『「お手盛り」と評されても仕方がない調査結果 厚生労働省の毎月勤労統計に関する不正問題を受け、56の政府の基幹統計について、総務省による点検が行われた。1月24日には、その結果が公表され、22の基幹統計について何らかの問題が見つかった。 具体的には、事業者の誤記載により一部誤った結果数値を公表しており訂正が必要なものが1統計、計画上の集計事項の中に集計、公表されていない事項があったものが9統計、都道府県の抽出方法が細部において国が示したものと相違していたものが1統計、調査計画の変更に関わる総務大臣への承認申請が行われていなかった等の手続等に関する問題があったものが16統計であった。 問題が見つかった統計を所管しているのは、基幹統計を所管している府省のうち、当の総務省も含め、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省および国土交通省であった。 もっとも「点検」といっても全て総務省が行ったわけではない。昨年の統計法改正により各府省に置かれることとなった統計幹事を中心に行われた“自主点検”を、単に総務省がとりまとめたにすぎない。 つまり、世間で考えられているような“第三者の立場から行われた点検や検証”とは程遠いものであり、毎月勤労統計に関する特別監察委員会による調査と同様、「お手盛り」と評されても仕方がないものだ。 こうなると、今回の点検によって把握されたものは“氷山の一角”であって、「基幹統計に関わる不正や不適切な処理が行われた事案はまだまだあるのではないか」という疑念が生まれる。 これでは、官庁統計への信頼回復どころか、かえって不信を強める結果になりかねない』、総務省による点検調査結果は、確かに「お手盛り」と評されても仕方がないようだ。
・『あまりに緊張感のない厚生労働省側の対応 総務省では、統計委員会に新たに点検検証部会が設置され、基幹統計のみならず一般統計調査も対象として、「問題事案の再発防止及び統計の品質向上を目指して」、2月19日から点検検証が進められている。 しかし、毎月勤労統計の不正事案に係る特別監察委員会が、第三者委員会の体裁を整えながら、実は調査の一部が厚生労働省の職員により行われていたことが、衆議院厚生労働委員会の閉会中審査で明らかになった。 その結果、再調査を余儀なくされ、「信頼はほとんどなくなった」と言っていい状況にある。 なんと緊張感のないことか。 統計法の罰則(第60条第2号)の適用について、特別監察委員会は、「『基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為』をしたとまでは認められないものと考えられる」等と結論づけて、罰則の適用に否定的な見解を示している。 第三者委員会として見解を示すこと自体特段問題はないが、衆議院厚生労働委員会の審議において、根本厚生労働大臣は、特別監察委員会の報告書に基づきつつも、罰則の適用について否定的な見解を示している。 統計法の解釈権は所管府省にあり、同法については総務省である。 所管府省ではない厚生労働省の大臣が、大臣としての見解を述べたのだとしたら、解釈権のない者が自らにとって有利となるような恣意的な解釈をしたのと同じであり、これは大いなる問題である。 渦中の人が緊張感のかけらもないというのと同じである。しかし、残念ながらこのことを指摘する議員はいなかった』、さすが総務省で統計制度を担当していただけある鋭い指摘だが、野党の不勉強ぶりも酷いものだ。
・『問題がある統計担当職員の育成 ではなぜ、これだけ世間を騒がせ、与野党問わず厳しい姿勢を見せているというのに、このような緊張感のない対応しかできないのだろうか。 その背景には、統計法に係る総務大臣の権限の限界と、各府省の統計担当部門の組織や定員の在り方の問題、そして統計担当職員の育成の在り方の問題があると考えられる。 まず、統計法に関する総務大臣の権限の限界については、拙稿『勤労統計不正問題はなぜ起きた?組織と人材の厄介な「病巣」』において記載しているのでここで改めて詳しく触れることはしないが、今回の基幹統計を対象とした点検がお手盛りで中途半端なものになったのも、この権限の限界が影響していることは、論をまたないだろう。 協力依頼しかできない総務大臣、そして統計委員会には自ら各府省の統計担当部門を調査することができない。 たとえ提出された調査結果、点検結果が「不十分である」と判断しても、追加で関係資料等の提出を“依頼”することはできても、「提出しろ」とは言えない。ましてや統計担当部門の事務室に立ち入って調査を行うこともできないのである。 次に、各府省の統計担当部門の在り方について。わが国の統計機構は、統計庁や中央統計局のような1つの機関が一元的に官庁統計を担うのではなく、各府省に統計担当部門が設けられている分散型統計機構が採られている。 これは、総務省の説明によれば、行政ニーズに的確、迅速に対応することが可能、所管行政に関する知識と経験を統計調査の企画・実施に活用できる、といったメリットがある。 その一方で、統計の相互比較性が軽視されやすい、統計調査の重複や統計体系上の欠落を招きやすいといったデメリットがあるとされている。統計法や総務省の統計基準担当政策統括官はこのデメリットを補うために設けられているものであると言ってもいいだろう。 もっとも、これは同時に各府省の統計担当部門の独立性が高いことを意味し、統計法の統一的な運用や統計基準担当政策統括官の総合調整業務を難しくする。 従って、それにふさわしい組織の在り方や権限の在り方を検討する必要が出てくる。前者については、中央省庁等改革に際して、新たに「統計庁」を設けてそこに官庁統計の管理や実施を一元的に担わせようという案が検討されたことがある。 こうした統計組織の在り方は集中型統計機構と呼ばれるが、総務省の説明によれば、統計の専門性をより発揮しやすい、統計の整合的な体系化が図りやすいといったメリットがある。 一方、行政ニーズを的確、迅速に反映した統計調査が行われにくい、所管行政に関する知識と経験を統計調査の企画・実施に活用しにくいといったデメリットがあるとされる。 「統計庁」設置構想は、結局、後者のデメリットを主な理由として“お蔵入り”となったが、官庁統計の専門性の確保や整合的な体系の構築といったことを考えれば、再び検討の俎上(そじょう)に載せられる余地は十分あるのではないだろうか(もっとも、「庁」である以上、府なりどこかの省なりの外局としてぶら下げる必要があるので、各府省間で綱引きが起こるだろう)』、統計機構を分散型にするか、集中型にするかは確かに簡単には答えが出ない問題のようだが、分散型でもデメリットを小さくする方法もある筈だ。
・『統計担当部門は軽んじられている 各府省の統計担当部門を定員で見てみると、府省によって大きく異なる。平成30年4月1日現在で最大の定員を抱えているのは、農林水産省の613人、次いで総務省の584人、もっとも少ないのは警察庁及び法務省の8人、次いで人事院の12人である。 渦中の厚生労働省は233人。これは旧厚生省系と旧労働省系を合計したものである。こうした数字を多いと見るか少ないと見るかは、どのような統計を所管しているかによる。人数が多いということはそれだけ多くの統計や規模の大きな統計を所管しているということだ。 ちなみに「統計なんかにそんな人数を」と考えるのであれば、それは大きな間違いである。 今の時代「オンライン調査にすれば人を削減できる」と考えるかもしれないが、削減できるのは統計調査員という、統計調査を実施する際に総務大臣等または都道府県知事から任命される「非常勤の国家公務員または地方公務員」にすぎない。彼らは定員には含まれていないし、そもそもその確保が困難で総務省が予算を措置して確保対策事業が行われているぐらいである。 統計担当部門の定員数の推移は、こちらも各府省によりまちまちであるので一律には言えないが、全体としては微減の傾向にあると言っていいだろう。 例えば厚生労働省の場合、平成21年4月1日の段階で279人だったが、30年4月1日の段階では233人へと、46人削減されている。 ここで、各府省の定員の増減は、内閣人事局の査定を経て行われるが、新しい部局の設置や特定の部局の所掌事務の追加等により定員を増やす場合は、他の部局の廃止や定員を減らしてこれを行うというのが基本的なやり方である。また、国全体として、国の行政機関の定員の削減や総人件費改革が進められてきている。 おそらくこの46人の定員削減は、そうした動きのあおりを食ったのであろう。 要するに、厚生労働省を例にとれば、「統計担当部門は軽んじられている」ということなのであろう。 加えて、定員の少ない府省であれば、統計分野を専門とする職員は育ちにくいといえる。これは単に統計担当部門の人数だけではなく、各府省の統計部門の位置付け(課レベルなのか部なのか等)や、各府省自体の大きさや所掌事務の範囲の広さ等も加味して考える必要がある。 そうすると人事ローテーションの在り方や範囲もなんとなく見えてくるので、「育ちにくさ」はよりはっきりしてくる。これにキャリアの数学職、すなわち統計分野を中心に担当する幹部候補の採用人数も加味すれば、育ちにくさに加えて、「育てる意識」の有無や高低も見えてくるだろう』、統計部門が「国の行政機関の定員の削減」の「あおりを食った」というのでは、モチベーションは期待すべくもないだろう。
・『「統計庁」のような集中型統計機構を検討すべき 概して、統計専担の局がある総務省を除き、そもそも「専門の職員を育てよう」という意識はほとんどなかったのではないか。たとえ「あった」としても「低い」と言わざるをえないように思われる。 各府省勝手バラバラで、場合によっては軽んじられる。「専門の職員を育てる」という意識も低く、人も減らされてでは、モチベーションは上がらないだろう。 これほど官庁統計を巡る不祥事が永田町で大問題になっていても、緊張感も生まれず、基幹統計の点検など“その場しのぎ”で、なあなあになってしまうのもうなずける。 突き詰めれば、モチベーションを高く保ち、責任と誇りを持って職務に当たることができるようにすることが重要ということである。 そのためには、やはり、「分散型統計機構」から「集中型統計機構」への移行を本気で検討する必要があるのではなかろうか。 集中型統計機構ということになれば、途中関係府省へ出向する場合等を除き、統計専門の職員を採用し、育成できる。そうすれば、「専門家」としての誇りを持って仕事をしてもらうこともできるだろう。 仮に「統計庁」ということになれば、長官ポストまで置かれることになるので、モチベーションは従前と比較にならないほど向上するだろう。 集中型統計機構ということになれば、調整部門、統計基準部門も当該機構内に置かれることになるので、現在のように管理監督に難儀することもなくなる。そうなれば不正や不適切行為の防止や、仮にそうしたことがあった場合の早期発見も可能になるだろう。 もっとも、こうしたことは、官庁統計に関わる「膿」を完全に出し切ってから検討が可能になる話である。 まずは統計法に基づく総務大臣の権限強化で大ナタを振るうところから始まる』、私は統計は利用目的があってのものと考えるので、「集中型」には必ずしも賛成ではない。「分散型」を基本としつつも、総務省の各省庁への指導・監督権限を強める方が現実的なのではなかろうか。モチベーションは運用のなかで向上を図ることも可能だろう。
先ずは、 2月14日付け日刊ゲンダイ「やはり“首相案件”「毎月勤労統計」賃金カサ上げのシナリオ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247476
・『「毎月勤労統計」の賃金かさ上げは「首相案件」――。2018年1月に突然、調査方法が変更され、賃金がカサ上げされることになった「毎月勤労統計」。やっぱり、安倍首相周辺が関与していたことが発覚した。 13日の衆院予算委で安倍首相は、企業サンプルの入れ替えにより数値が大きく変動することについて、15年の段階で、当時の首相秘書官が厚労省の役人から説明を受けていたことを明らかにした。 質問した財務省出身の大串博志議員(立憲民主)は「秘書官の耳に入るということは、役所では“総理ご関心事項”と言うんですよ」と語った。14日の衆院予算委で、厚労省と接触したのは、中江元哉首相秘書官(現・財務省関税局長)で、15年3月末だったことが明らかになった。この後、統計の“見直し”は一気に進んだ』、官邸の関与はどうみても明らかだ。
・『核心を突かれムキになった安倍首相 15年10月の経済財政諮問会議で、麻生財務相は「サンプル事業所の入れ替え時に変動がある。改善方策を早急に検討していただきたい」と「毎勤」の調査方法にケチをつけた。その結果、毎勤統計の500人未満事業所の抽出調査は「総入れ替え方式」から「一部入れ替え方式」に変更され、18年から実施された。入れ替えは3年ごとに行われる。 “総入れ替え”すると、倒産直前の企業や生まれたての企業など低賃金の企業が多く含まれるため、賃金は低く出る。そこで、“一部入れ替え”に変更し、賃金を上振れさせたのだ。 調査方法の変更には統計委員会の委員などから異論もあったが、「首相案件」だから、ゴリ押しできたのである。 大串議員に追及された安倍首相はムキになって言い返した。「2015年は平和安全法制で1000問質問を受けた。これ以外は持ってこないでという状況だった。統計なんかに関心を示すわけないじゃないですか。根本的に知りませんから」「毎勤は毎月見ませんよ」』、安全法制を抱えているからといって、アベノミクスの成果を誇るための統計操作は、秘書官に指示さえすればいいのだからいくらでも可能な筈で、全く答弁になっていない。こんな答弁を許す野党もだらしない。
・『核心を突かれるとムキになるのが安倍首相の特徴である。 政治評論家の山口朝雄氏が言う。「統計見直しに、早い段階から首相秘書官が動いていたということは重要です。麻生財務相のみならず、安倍首相自身が大きな関心を持っていたということです。森友、加計のケースと同じで『首相案件』だったから、官僚が忖度し、普通なら無理なことでも進んでいったのでしょう」 どんな力が働いたのか――徹底解明すべきだ』、野党は安倍政権追及の絶好のチャンスを、もっと鋭い質問で追及してほしいものだ。
次に、2月19日付け日刊ゲンダイ「安倍政権にGDPカサ上げ疑惑 600兆円達成へ統計38件イジる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247804
・『「経済政策を良く見せようとして統計を変えたことはない――。18日の衆院集中審議で、野党から“アベノミクス偽装”を追及され、こう強弁した安倍首相。不正統計問題の責任を官僚に押し付け、頬かむりしているが、そうはいかない。また新たな疑惑が浮上したからだ。 アベノミクス偽装を巡る大きな問題が、「GDPカサ上げ」疑惑である。立憲民主の小川淳也議員は集中審議で、この疑惑を改めて追及。安倍首相が2015年9月にブチ上げた「GDP600兆円」の達成をアシストするかのように、GDP関連の統計が見直されたことを指摘した。 小川議員の調べによると、安倍首相が政権に返り咲いた直後の13年以降、全56件の基幹統計のうち53件もの統計の取り方が見直された。うちGDP関連は38件に上り、10件は統計委員会で審議されず、勝手に見直しを決めたというから驚きだ。 これだけの数の基幹統計が見直されること自体、異常だ。民主党政権が3年間で変更したのは16件。うちGDP関連は9件しかない』、統計の見直し自体は、経済構造の変化に伴って必然的に必要になるが、基幹統計の殆どを見直した、しかも「統計委員会で審議されず、勝手に見直し」たというのはやはり異常で、作為を感じる。
・『「国際基準に合わせた」の理屈だけじゃ通らない 小川議員が「統計手法を変更して、GDPをカサ上げしたのではないか」などと迫ると、茂木経済再生相は「GDPは支出項目の積み上げによるもので、家計や賃金が変わっても影響はない」とノラリクラリ。しかし、「アベノミクスによろしく」の著者で弁護士の明石順平氏は、「消費に関する統計手法を変えると、GDPが上向く可能性があります」と言う。 実際、安倍政権下で変更された基幹統計には、全国消費実態調査や家計調査など、消費や支出に関するものが含まれている。要は、安倍政権が恣意的に統計をいじくりまくり、GDPをカサ上げした可能性はゼロじゃないのだ。改めて小川議員に聞いた。「GDP上昇の要因は、家計調査の方法が変わったことで、家計消費が6%増えたことなどが考えられます。しかし、政府は『GDPを国際基準に合わせたら数字が上がった』の一点張り。GDP統計を国際基準に合わせるという理屈は分かりますが、ならば上昇要因をきちんと国民に説明すべきです。上昇理由が、経済政策の成果なのか、計算方法が変わったからなのか、現状ではまるで分からない。GDP600兆円という結果ありきの統計手法の変更だと思われても仕方ありません」 ペテン政権下で調べた統計は、もはや誰も信じられない』、小川議員も本誌に油を売るだけでなく、追加質問で「上昇理由」の内訳を問い質すべきだ。
第三に、2月28日付け日刊ゲンダイ「アベノミクス偽装 監察委が甘噛み調査で“幕引き”お膳立て」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248432
・『またもヒドい報告だ。厚労省「毎月勤労統計」不正問題を再調査していた特別監察委員会(委員長=樋口美雄労働政策研究・研修機構理事長)が27日、追加報告書を公表した。隠蔽は全否定し、意識や認識の甘さに矮小化。その上、「官邸の関与」など不正の背景には一歩も踏み込まなかった。 1月の監察委の調査は、厚労省の職員がヒアリングするなど「第三者性」に疑義が噴出。今回は、厚労省を遮断して行われたが、中身はお寒いものだった。 ▼担当部長(「抽出調査」を知らされた担当部長は是正を指示し、隠蔽ではない。) ▼省幹部(他の幹部は「抽出調査」すら認識せず、次官等の上層部の指示もない。省幹部は無関与と認定。) ▼担当課(室)(綿密な打ち合わせや周到な準備がないとして、課(室)としての組織的隠蔽を否定。) ▼担当者(極めつきは、担当者の隠蔽まで否定したことだ。例えば、2015年10月、厚労省の室長は、東京都の大規模事業者が抽出調査であることを知りながら、総務省に「全数調査」と報告。「これまでの不適切な取り扱いの説明にも窮することから、事実を正直に言いだせなかった」という。どう見ても隠蔽だが、監察委は「殊更に隠そうとの意図は認められない」と隠蔽を否定した。)』、そもそも委員長は、元慶應義塾大学教授で、現在は厚労省の外殻団体である労働政策研究・研修機構の理事長という「天上がり」のポストに就いていることからして、「第三者性」は全くない。2度にわたる報告書も、厚労省擁護の「お手盛り」で、およそ学者の良心とは無縁の無責任人間のようだ。「甘噛み調査」とは言い得て妙だ。
・『不正の背景には一歩も踏み込めず 報告書をよく読むと、組織から個人まで隠蔽は認めていない。幹部は知らず、課(室)も、担当者も隠蔽など悪意はない。「規範意識の欠如」「事の重大性に対する認識の甘さ」「幹部職員の無関心」で済ませようというトーンなのだ。 さらに、許せないのが監察委が「アベノミクス偽装疑惑」にもフタをしようとしていることだ。 18年からの統計方法の変更で賃金がカサ上げされ、国会でも問題になっている。15年には、中江首相秘書官(当時)が、厚労省に統計方法変更(ローテーション方式)の問題意識を伝え、方針が急変するなど不自然なプロセスが浮き彫りになっている。 樋口委員長は「統計法上、手続きは問題ない。それ以上(行政のプロセス)は、我々のミッションではない。(中江氏の件などは)調査していない」と逃げた。 さらに、賃金カサ上げにつながった疑いのある変更(ベンチマーク更新)も、監察委は「専門的な視点から合理的な判断」とアッサリOKと判断。涼しい顔で次々とお墨付きを与えたのである。 これを、安倍首相が鬼の首を取ったように、利用するのは目に見えている。 経済評論家の斎藤満氏が言う。「安倍首相は『第三者委』であることを強調して、今回の報告で区切りがついたと幕引きを図るでしょう。しかし、監察委の調査からは、何も分かっていません。個々の意識の問題に矮小化し“背景に何があったのか”にまでは突っ込んでいないからです。官邸の関与も調べていない。野党やメディアは、監察委の報告に惑わされず、真相解明を続けるべきです」 このまま不問にさせてはならない』、調査範囲をことさら狭くした点や、ベンチマーク更新が「専門的な視点から合理的な判断」という論拠、などツッコミどころ満載だ。野党にはよく勉強して厳しい質問をしてもらいたいものだ。
第四に、総務省出身で室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏が2月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「官庁統計の相次ぐ信頼失墜に「統計庁」の新設は有効か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/195239
・『官庁の統計データの不正や問題が相次いだことで、信頼が失墜しつつある。その背景にあるものは何か。有効策は何か。かつて総務省で政府の統計制度の所管部局にも在籍していた元官僚の筆者が解説する』、この問題を解明するには適任のようだ。
・『「お手盛り」と評されても仕方がない調査結果 厚生労働省の毎月勤労統計に関する不正問題を受け、56の政府の基幹統計について、総務省による点検が行われた。1月24日には、その結果が公表され、22の基幹統計について何らかの問題が見つかった。 具体的には、事業者の誤記載により一部誤った結果数値を公表しており訂正が必要なものが1統計、計画上の集計事項の中に集計、公表されていない事項があったものが9統計、都道府県の抽出方法が細部において国が示したものと相違していたものが1統計、調査計画の変更に関わる総務大臣への承認申請が行われていなかった等の手続等に関する問題があったものが16統計であった。 問題が見つかった統計を所管しているのは、基幹統計を所管している府省のうち、当の総務省も含め、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省および国土交通省であった。 もっとも「点検」といっても全て総務省が行ったわけではない。昨年の統計法改正により各府省に置かれることとなった統計幹事を中心に行われた“自主点検”を、単に総務省がとりまとめたにすぎない。 つまり、世間で考えられているような“第三者の立場から行われた点検や検証”とは程遠いものであり、毎月勤労統計に関する特別監察委員会による調査と同様、「お手盛り」と評されても仕方がないものだ。 こうなると、今回の点検によって把握されたものは“氷山の一角”であって、「基幹統計に関わる不正や不適切な処理が行われた事案はまだまだあるのではないか」という疑念が生まれる。 これでは、官庁統計への信頼回復どころか、かえって不信を強める結果になりかねない』、総務省による点検調査結果は、確かに「お手盛り」と評されても仕方がないようだ。
・『あまりに緊張感のない厚生労働省側の対応 総務省では、統計委員会に新たに点検検証部会が設置され、基幹統計のみならず一般統計調査も対象として、「問題事案の再発防止及び統計の品質向上を目指して」、2月19日から点検検証が進められている。 しかし、毎月勤労統計の不正事案に係る特別監察委員会が、第三者委員会の体裁を整えながら、実は調査の一部が厚生労働省の職員により行われていたことが、衆議院厚生労働委員会の閉会中審査で明らかになった。 その結果、再調査を余儀なくされ、「信頼はほとんどなくなった」と言っていい状況にある。 なんと緊張感のないことか。 統計法の罰則(第60条第2号)の適用について、特別監察委員会は、「『基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為』をしたとまでは認められないものと考えられる」等と結論づけて、罰則の適用に否定的な見解を示している。 第三者委員会として見解を示すこと自体特段問題はないが、衆議院厚生労働委員会の審議において、根本厚生労働大臣は、特別監察委員会の報告書に基づきつつも、罰則の適用について否定的な見解を示している。 統計法の解釈権は所管府省にあり、同法については総務省である。 所管府省ではない厚生労働省の大臣が、大臣としての見解を述べたのだとしたら、解釈権のない者が自らにとって有利となるような恣意的な解釈をしたのと同じであり、これは大いなる問題である。 渦中の人が緊張感のかけらもないというのと同じである。しかし、残念ながらこのことを指摘する議員はいなかった』、さすが総務省で統計制度を担当していただけある鋭い指摘だが、野党の不勉強ぶりも酷いものだ。
・『問題がある統計担当職員の育成 ではなぜ、これだけ世間を騒がせ、与野党問わず厳しい姿勢を見せているというのに、このような緊張感のない対応しかできないのだろうか。 その背景には、統計法に係る総務大臣の権限の限界と、各府省の統計担当部門の組織や定員の在り方の問題、そして統計担当職員の育成の在り方の問題があると考えられる。 まず、統計法に関する総務大臣の権限の限界については、拙稿『勤労統計不正問題はなぜ起きた?組織と人材の厄介な「病巣」』において記載しているのでここで改めて詳しく触れることはしないが、今回の基幹統計を対象とした点検がお手盛りで中途半端なものになったのも、この権限の限界が影響していることは、論をまたないだろう。 協力依頼しかできない総務大臣、そして統計委員会には自ら各府省の統計担当部門を調査することができない。 たとえ提出された調査結果、点検結果が「不十分である」と判断しても、追加で関係資料等の提出を“依頼”することはできても、「提出しろ」とは言えない。ましてや統計担当部門の事務室に立ち入って調査を行うこともできないのである。 次に、各府省の統計担当部門の在り方について。わが国の統計機構は、統計庁や中央統計局のような1つの機関が一元的に官庁統計を担うのではなく、各府省に統計担当部門が設けられている分散型統計機構が採られている。 これは、総務省の説明によれば、行政ニーズに的確、迅速に対応することが可能、所管行政に関する知識と経験を統計調査の企画・実施に活用できる、といったメリットがある。 その一方で、統計の相互比較性が軽視されやすい、統計調査の重複や統計体系上の欠落を招きやすいといったデメリットがあるとされている。統計法や総務省の統計基準担当政策統括官はこのデメリットを補うために設けられているものであると言ってもいいだろう。 もっとも、これは同時に各府省の統計担当部門の独立性が高いことを意味し、統計法の統一的な運用や統計基準担当政策統括官の総合調整業務を難しくする。 従って、それにふさわしい組織の在り方や権限の在り方を検討する必要が出てくる。前者については、中央省庁等改革に際して、新たに「統計庁」を設けてそこに官庁統計の管理や実施を一元的に担わせようという案が検討されたことがある。 こうした統計組織の在り方は集中型統計機構と呼ばれるが、総務省の説明によれば、統計の専門性をより発揮しやすい、統計の整合的な体系化が図りやすいといったメリットがある。 一方、行政ニーズを的確、迅速に反映した統計調査が行われにくい、所管行政に関する知識と経験を統計調査の企画・実施に活用しにくいといったデメリットがあるとされる。 「統計庁」設置構想は、結局、後者のデメリットを主な理由として“お蔵入り”となったが、官庁統計の専門性の確保や整合的な体系の構築といったことを考えれば、再び検討の俎上(そじょう)に載せられる余地は十分あるのではないだろうか(もっとも、「庁」である以上、府なりどこかの省なりの外局としてぶら下げる必要があるので、各府省間で綱引きが起こるだろう)』、統計機構を分散型にするか、集中型にするかは確かに簡単には答えが出ない問題のようだが、分散型でもデメリットを小さくする方法もある筈だ。
・『統計担当部門は軽んじられている 各府省の統計担当部門を定員で見てみると、府省によって大きく異なる。平成30年4月1日現在で最大の定員を抱えているのは、農林水産省の613人、次いで総務省の584人、もっとも少ないのは警察庁及び法務省の8人、次いで人事院の12人である。 渦中の厚生労働省は233人。これは旧厚生省系と旧労働省系を合計したものである。こうした数字を多いと見るか少ないと見るかは、どのような統計を所管しているかによる。人数が多いということはそれだけ多くの統計や規模の大きな統計を所管しているということだ。 ちなみに「統計なんかにそんな人数を」と考えるのであれば、それは大きな間違いである。 今の時代「オンライン調査にすれば人を削減できる」と考えるかもしれないが、削減できるのは統計調査員という、統計調査を実施する際に総務大臣等または都道府県知事から任命される「非常勤の国家公務員または地方公務員」にすぎない。彼らは定員には含まれていないし、そもそもその確保が困難で総務省が予算を措置して確保対策事業が行われているぐらいである。 統計担当部門の定員数の推移は、こちらも各府省によりまちまちであるので一律には言えないが、全体としては微減の傾向にあると言っていいだろう。 例えば厚生労働省の場合、平成21年4月1日の段階で279人だったが、30年4月1日の段階では233人へと、46人削減されている。 ここで、各府省の定員の増減は、内閣人事局の査定を経て行われるが、新しい部局の設置や特定の部局の所掌事務の追加等により定員を増やす場合は、他の部局の廃止や定員を減らしてこれを行うというのが基本的なやり方である。また、国全体として、国の行政機関の定員の削減や総人件費改革が進められてきている。 おそらくこの46人の定員削減は、そうした動きのあおりを食ったのであろう。 要するに、厚生労働省を例にとれば、「統計担当部門は軽んじられている」ということなのであろう。 加えて、定員の少ない府省であれば、統計分野を専門とする職員は育ちにくいといえる。これは単に統計担当部門の人数だけではなく、各府省の統計部門の位置付け(課レベルなのか部なのか等)や、各府省自体の大きさや所掌事務の範囲の広さ等も加味して考える必要がある。 そうすると人事ローテーションの在り方や範囲もなんとなく見えてくるので、「育ちにくさ」はよりはっきりしてくる。これにキャリアの数学職、すなわち統計分野を中心に担当する幹部候補の採用人数も加味すれば、育ちにくさに加えて、「育てる意識」の有無や高低も見えてくるだろう』、統計部門が「国の行政機関の定員の削減」の「あおりを食った」というのでは、モチベーションは期待すべくもないだろう。
・『「統計庁」のような集中型統計機構を検討すべき 概して、統計専担の局がある総務省を除き、そもそも「専門の職員を育てよう」という意識はほとんどなかったのではないか。たとえ「あった」としても「低い」と言わざるをえないように思われる。 各府省勝手バラバラで、場合によっては軽んじられる。「専門の職員を育てる」という意識も低く、人も減らされてでは、モチベーションは上がらないだろう。 これほど官庁統計を巡る不祥事が永田町で大問題になっていても、緊張感も生まれず、基幹統計の点検など“その場しのぎ”で、なあなあになってしまうのもうなずける。 突き詰めれば、モチベーションを高く保ち、責任と誇りを持って職務に当たることができるようにすることが重要ということである。 そのためには、やはり、「分散型統計機構」から「集中型統計機構」への移行を本気で検討する必要があるのではなかろうか。 集中型統計機構ということになれば、途中関係府省へ出向する場合等を除き、統計専門の職員を採用し、育成できる。そうすれば、「専門家」としての誇りを持って仕事をしてもらうこともできるだろう。 仮に「統計庁」ということになれば、長官ポストまで置かれることになるので、モチベーションは従前と比較にならないほど向上するだろう。 集中型統計機構ということになれば、調整部門、統計基準部門も当該機構内に置かれることになるので、現在のように管理監督に難儀することもなくなる。そうなれば不正や不適切行為の防止や、仮にそうしたことがあった場合の早期発見も可能になるだろう。 もっとも、こうしたことは、官庁統計に関わる「膿」を完全に出し切ってから検討が可能になる話である。 まずは統計法に基づく総務大臣の権限強化で大ナタを振るうところから始まる』、私は統計は利用目的があってのものと考えるので、「集中型」には必ずしも賛成ではない。「分散型」を基本としつつも、総務省の各省庁への指導・監督権限を強める方が現実的なのではなかろうか。モチベーションは運用のなかで向上を図ることも可能だろう。
タグ:「安倍政権にGDPカサ上げ疑惑 600兆円達成へ統計38件イジる」 森友、加計のケースと同じで『首相案件』だったから、官僚が忖度し、普通なら無理なことでも進んでいったのでしょう “総入れ替え”すると、倒産直前の企業や生まれたての企業など低賃金の企業が多く含まれるため、賃金は低く出る。そこで、“一部入れ替え”に変更し、賃金を上振れさせた 根本厚生労働大臣は、特別監察委員会の報告書に基づきつつも、罰則の適用について否定的な見解を示している 罰則の適用に否定的な見解 統計不正問題 全56件の基幹統計のうち53件もの統計の取り方が見直された 分散型統計機構 ベンチマーク更新 GDP600兆円 今回の点検によって把握されたものは“氷山の一角” 統計担当部門は軽んじられている 達成をアシストするかのように、GDP関連の統計が見直された 『第三者委』 GDP上昇の要因は、家計調査の方法が変わったことで、家計消費が6%増えたことなどが考えられます 「基幹統計に関わる不正や不適切な処理が行われた事案はまだまだあるのではないか」 特別監察委員会 不正の背景には一歩も踏み込めず 「アベノミクス偽装 監察委が甘噛み調査で“幕引き”お膳立て」 委員長=樋口美雄労働政策研究・研修機構理事長 各府省に置かれることとなった統計幹事を中心に行われた“自主点検”を、単に総務省がとりまとめたにすぎない 「お手盛り」と評されても仕方がない調査結果 「官庁統計の相次ぐ信頼失墜に「統計庁」の新設は有効か」 統計庁 (その2)(やはり“首相案件”「毎月勤労統計」賃金カサ上げのシナリオ、安倍政権にGDPカサ上げ疑惑 600兆円達成へ統計38件イジる、アベノミクス偽装 監察委が甘噛み調査で“幕引き”お膳立て、官庁統計の相次ぐ信頼失墜に「統計庁」の新設は有効か) ダイヤモンド・オンライン 室伏謙一 集中型統計機構 10件は統計委員会で審議されず、勝手に見直しを決めた 日刊ゲンダイ 上昇理由が、経済政策の成果なのか、計算方法が変わったからなのか、現状ではまるで分からない 監察委は「専門的な視点から合理的な判断」とアッサリOKと判断 「やはり“首相案件”「毎月勤労統計」賃金カサ上げのシナリオ」 所管府省ではない厚生労働省の大臣が、大臣としての見解を述べたのだとしたら、解釈権のない者が自らにとって有利となるような恣意的な解釈をしたのと同じであり、これは大いなる問題 「国際基準に合わせた」の理屈だけじゃ通らない 樋口委員長は「統計法上、手続きは問題ない。それ以上(行政のプロセス)は、我々のミッションではない。(中江氏の件などは)調査していない」 「統計庁」のような集中型統計機構を検討すべき 核心を突かれムキになった安倍首相 秘書官の耳に入るということは、役所では“総理ご関心事項”と言うんですよ 首相秘書官が厚労省の役人から説明を受けていた 「首相案件」 賃金かさ上げ 毎月勤労統計 問題がある統計担当職員の育成 56の政府の基幹統計について、総務省による点検
インフラ輸出(その9)(高速鉄道めぐる日本とインドの「同床異夢」、台湾新幹線、的中した「開業前の不安要素」、日立の英国事業に暗雲 原発断念に加え鉄道事業にも火種、円借款検討の石炭火力、反対住民が次々投獄 インドネシアで人権問題) [インフラ輸出]
インフラ輸出については、1月4日に取上げた。今日は、(その9)(高速鉄道めぐる日本とインドの「同床異夢」、台湾新幹線、的中した「開業前の不安要素」、日立の英国事業に暗雲 原発断念に加え鉄道事業にも火種、円借款検討の石炭火力、反対住民が次々投獄 インドネシアで人権問題)である。
先ずは、やや古いが、昨年11月19日付け東洋経済オンライン「高速鉄道めぐる日本とインドの「同床異夢」 輸出と現地生産、どちらがベストシナリオ?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/249854
・『「本社の食堂でカレーライスを食べていると、『君、インドに興味あるの?だったらインドで仕事をしませんか』と、声をかけられるんですよ」。JR東日本(東日本旅客鉄道)の関係者が苦笑交じりにこんな話を披露してくれた。 インドでは、日本の新幹線方式による同国初の高速鉄道プロジェクトとして、ムンバイ―アーメダバード間505kmを約2時間で結ぶ計画が進んでいる。2015年12月に実施された日印首脳会談で覚書が交わされ、2017年9月には安倍晋三首相も出席して起工式が行われた。2023年の全線開業を目指す。総工費は約9800億ルピー(約1.5兆円)。そのうち8割は円借款で賄われる予定だ。 JR東日本の子会社・日本コンサルタンツ(JIC)が高速鉄道の技術基準の作成や設計、入札業務に関するコンサルティング業務を受託している。JR東日本も総力を挙げてサポートしている。 ただ、目下の悩みは人手不足。JR東日本はグループ全体で100人を超えるスタッフを投入しているが、まったく足りていない。冒頭の話は、こうした状況を端的に示している』、安倍首相はおおいばりだったようだが、問題も多そうだ。
・『インド高速鉄道のキーマンが大勢来日 JICはオールジャパン態勢による鉄道インフラ輸出の尖兵となるべく、2011年に設立された。筆頭株主はJR東日本で、JR西日本、JR九州、東京メトロなども出資する。JR東海は出資こそしていないが、数名の人材をJICに送り込み、インド案件に協力している。 11月初旬、インド高速鉄道のキーパーソンたちが大挙して日本にやって来た。11月6日に都内で運輸総合研究所主催による「高速鉄道セミナー」、11月8日には福岡市内で高速鉄道国際会議(IHRA)主催による「IHRA国際フォーラム」という国際的なセミナーが相次いで開催されたためだ。 どちらのセミナーにもインドの高速鉄道プロジェクトが主要テーマとして盛り込まれており、インド側の要人がプロジェクトの現状や今後について講演した。また、IHRA国際フォーラムの翌9日には九州新幹線長崎ルートの建設現場や熊本市内にあるJR九州の新幹線車両基地などの視察も行われた。インド側関係者にとっても新幹線の実情を知る貴重な機会になった。 「メイク・イン・インディア(インドで作ろう)をぜひ実現したい」。IHRA国際フォーラムにおいてインド鉄道省・鉄道委員会で車両担当委員を務めるラジェシュ・アグラワル氏が壇上から訴えた。インドのモディ政権は外国資本を誘致し、国内の製造業を発展させるメイク・イン・インディアというスローガンを掲げている。日本政府もジェトロ(日本貿易振興機構)を活用した中小企業のインド進出支援など、さまざまな協力を約束している。 新幹線方式による高速鉄道プロジェクトもその1つに位置づけられる。インドは鉄道総延長6万3000kmという世界有数の鉄道大国。鉄道関連産業の存在感も強く、アグラワル氏は「インドには鉄道車両を製造できるメーカーが6社あり、全国各地に多数存在する製造拠点の従業員を合計すれば15万人に達する」と胸を張る。 ムンバイ―アーメダバード間を走る高速鉄道車両は、東北新幹線「E5系」をベースに高温対策など現地仕様を施したものとなる。高速鉄道セミナーで講演したインド高速鉄道公社のブリジェシュ・ディグジット部長は、「設計は最終段階にある」という。 開業時に投入されるのは1編成につき10両を24編成で240両。その後、利用者の拡大に合わせ、順次車両を投入する。30年後には1編成につき16両を71編成、つまり1136両の車両が投入される計画だ。仮に1両当たりの製造価格を3億円とすれば、車両だけで3000億円を超える大きなビジネスとなる』、「インドには鉄道車両を製造できるメーカーが6社あり、全国各地に多数存在する製造拠点の従業員を合計すれば15万人」とインド側は誇っており、「メイク・イン・インディアというスローガン」を掲げ、後述のように安倍首相もこれにコミットしたようだ。しかし、その口約束を実際に果たしていく上で、技術水準の格差の大きさをどう克服するのだろうか。
・『高速鉄道車両の輸出を狙うインド 今回の路線運営が軌道に乗った後は、デリーやコルカタなど主要都市を結ぶ複数の路線において事業化がスタートする。日本以外の国が受注する可能性もあるが、ディグジット部長は、「フランスやドイツがやることになったとしても、車両はE5系の技術を使って開発したい」と言い切る。 また、アグラワル氏は「日本の技術は割高と言われているが、インドで製造すれば中国よりも安くできる。また、インド製は中国製よりも信頼できると考えている国が、中東やアジアに多い」と言い、将来の高速鉄道車両の輸出を見据えている。 安倍首相は起工式の場で「日本はメイク・イン・インディアにコミットしている。日本の高い技術とインドの優れた人材が協力すれば、インドは世界の工場になる」と発言。このため、日本側の関係者は一様に「メイク・イン・インディアは守る」と口をそろえる。 ところが新幹線をインドで造るという構想は、今のところ絵に描いた餅だ。「技術の蓄積がないと新幹線の車両は造れない」と、JR東日本の西野史尚副社長は説明する。同社は「少なくとも当初、導入される車両については、日本で製造したものが持ち込まれる予定だ」としている。 日印間の協議では、日系企業の進出や合弁企業による生産もメイク・イン・インディアとみなされる。E5系を開発したのは川崎重工業と日立製作所の2社。川重は将来の合弁事業による現地生産を視野に入れ、2017年にインド最大手の重電メーカー・BHEL社と高速鉄道車両の製造における協業で合意した。日立も鉄道部門における日本アジアパシフィック事業の責任者を務める光冨眞哉常務執行役は「工場を造るのか、現地でパートナーを見つけるのかなど、どう進めていくかを現在検討中」と述べている。 世界の鉄道メーカー大手のシーメンスやアルストムはインドに鉄道の製造拠点を持つ。日立も鉄道信号を手掛ける子会社のアンサルドSTS社が同国内にエンジニアリング拠点を有しており、「数百人規模の優れたエンジニアが働いている」(光冨常務)。この会社が将来、現地で車両製造を行う際の足がかりになる可能性もある。 日本の新幹線システムを採用している台湾の高速鉄道では、2004~2005年に30編成、2012~2015年に追加の4編成が導入された。この34編成はすべて日本からの輸出だ。インドでは追加導入のタイミングで現地生産に切り替えられることになるだろうが、メイク・イン・インディアの時間軸がインドと日本では隔たりがあるようだ』、「高速鉄道車両の輸出を狙うインド」とは、インド側はかなり気が早いようだ。「シーメンスやアルストムはインドに鉄道の製造拠点を持つ」のに比べ、日本企業の進出は出遅れ気味だ。日本からの輸出を現地生産に切り替えていくといっても、「メイク・イン・インディアの時間軸がインドと日本では隔たりがあるようだ」であれば、今後もインド側の要求に悩まされることだろう。
・『現地製造の高いハードル また、メイク・イン・インディアが約束されているとはいえ、いざ現地生産に踏み切るとなると、設備投資から人材の確保までさまざまな課題が発生する。とりわけ気になるのは従業員の教育面だ。1カ月に何万台も生産される自動車と違い、鉄道車両の製造は手作業に負う部分が多く、月産数両程度しか造れない。熟練工の養成は不可欠だ。 昨年12月に日本で起きた新幹線の台車亀裂トラブルは、製造指示書に従わなかった現場の作業員による台車枠の削りすぎが原因だった。この事例は論外としても、設計書で指示されていない細部の作業を現場の判断でこなす「匠の技」も一歩間違えると、賞賛どころかトラブルの原因になりかねない。在来線以上に安全性が重視される高速鉄道車両の製造は高度な技術と品質管理が求められる。現地生産は一朝一夕にはいかないだろう。 車両だけでなく、電気関係製品や線路なども日本から持ち込まれる予定となっている。「当初はインド側からレールや分岐器についてはインド製を使ってほしいという要望があったが、技術レベルが日本の水準に満たなかった」と、ある現地関係者が明かす。 IHRA国際フォーラムで、インド鉄道省のアグラワル氏とともにパネリストを務めたJR東日本の冨田哲郎会長は壇上で次のように述べた。「新幹線の発展の歴史をインドに伝えたい。安全性確保のためには設備の高度化や人材育成が重要。教育、訓練に加え、ルールを守ることも伝えていきたい。そして、マネジメントは見えないリスクに対して謙虚な気持ちを持つべきだ」。日本の鉄道関係者にとってはごく当たり前の内容であり、聞き流してしまうかもしれない。だが、インドで鉄道車両を製造するという困難な課題を前にすると、極めて重要な意味を帯びてくる』、インド側の熱を冷まさないよう表現を遠慮したようだが、もっとハッキリ言って、誤解を生じさせないことの方が重要なのではなかろうか。
次に、1月15日付け東洋経済オンライン「台湾新幹線、的中した「開業前の不安要素」 キーマンが明かす「日欧混在システム」の限界」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/259811
・『2007年に開業した台湾の高速鉄道が新幹線の海外展開事例であることはよく知られている。白地にオレンジの線がまばゆい車両「700T」は、東海道・山陽新幹線「700系」をベースに開発されたものだ。 しかし、完成に至るまでの道のりは平坦ではなかった。日本勢と独仏連合が入札で競合、1997年にいったんは独仏連合が受注を獲得したものの、その後1999年に日本が逆転受注を果たした。ただ、土木構造物などのインフラ部分はすでに欧州仕様で工事が発注されており、日本の受注は車両や電気、信号システムなどにとどまった。その意味において、完全な新幹線システムとは言いがたい側面もある。一方、台湾側は「世界の鉄道技術の良いところを集めた“ベストミックス”である」としている。 日本が独仏連合に敗れた後に、敗者復活戦に参戦したJR東海の田中宏昌氏(当時副社長、現在は顧問)は、日本が逆転受注を果たした立役者の1人である。一度は受注に成功した独仏連合をなぜ退けることができたのか、完全な新幹線システムでないことによりどのような問題が生じているのか。今後の新幹線の海外展開にどのような教訓を残したのか。すべてを知り尽くす田中氏に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは田中氏の回答)。
・『ドイツ高速鉄道の事故が転換点 Q:当初受注した独仏連合から新幹線の採用に至るまでのプロセスにおいて、最大の転換点は何ですか。 A:1998年にドイツで起きた高速鉄道の脱線事故だ。100人を超える死者が出た。この事故を契機に独仏の技術がミックスされた「ユーロトレイン」の安全性が疑問視され、技術の再評価が行われることになった。 事故の原因は新しく開発した車輪が割損したことによるもの。この車輪は、本体の車輪を薄いゴムクッションで巻いて、さらにその外側に鋼製のタイヤをはめ込んだ多重構造になっていた。その鋼製タイヤが金属疲労を起こした。それを見逃した検査体制にも問題があった。 もし事故が起きていなかったら、新幹線の採用はありえず、当初の計画どおりユーロトレインが導入されていただろう。 新幹線の生みの親である島秀雄さんは、「新幹線は新しい技術を使うのではなく、今ある技術を最大限に生かして使うのだ」とおっしゃっていた。ドイツの事故の場合も、新しい技術を実用化するなら、その前に実験を十分に行う必要があったのだが、それを十分にしないまま実用化してしまったのだろう。 Q:トルコでも昨年12月に高速鉄道の事故がありました。 A:トルコの場合は別の原因によるものだ。営業時間帯に保守作業が行われており、運行管理システムがきちんと機能していなかった。日本では、新幹線は営業時間帯と保守時間帯をきちんと分けており、コントロールセンターから指令が発せられることで営業時間帯と保守時間帯がきちんと切り替わる。したがって、営業時間帯に保守作業が行われることはない。 Q:台湾の高速鉄道は、車両は新幹線ですが、インフラは欧州のものが使われています。どう評価しますか。 A:システムを構築するためには、単独の部品が優秀というだけでは不十分。数多くの部品が組み合わされて1つのシステムになる。高速鉄道であれば、橋梁、バラスト、レールといった土木構造物から、電気を供給する変電設備や架線構造が一体となったシステムとして安全に機能しなくてはいけない。この点は台湾で何度も繰り返して説明したが、なかなか理解を得ることができなかった。 Q:日本のシステムを丸ごと採用するのではなく独自のシステムを作るという台湾の「ベストミックス」という考え方にも一理あるのでは? A:彼らのシステムをまったく無視するつもりはない。だが、信頼性と安全性が担保できるまで十分に検証を行う必要がある。その時間がたっぷりあるならよいが、開業時期が決まっていて、そこに向けてスケジュールを組むとなると限界がある』、確かに「ベストミックス」も時間に制約があるなかでは、「絵に描いた餅」だ。
・ドイツ製採用を強行した結果は… Q:台湾が採用したドイツ製の分岐器はトラブルが頻発しているそうですね。 A:ドイツ製の分岐器は規模が大きく構造が複雑で、また、地域環境特性という面でもドイツと台湾は大きく違う。われわれはシンプルで小さな新幹線仕様の分岐器のほうが台湾に向いており、建設コストの削減にもつながると提案したのだが、台湾側は採用を強行した。もし十分な時間があるならドイツ製の分岐器を日本の分岐器と同じ条件で敷設して耐久性や信頼性をチェックしたうえで、改良することもできただろうが、そんなことをしていたらいつ開業できるかわからない。台湾側としては時間的な余裕がなかったのだろう。 結局、ドイツ製の分岐器は走行試験開始の時からたびたびトラブルを起こし、開業後も改善していない。この問題は立法院(国会)でも取り上げられ、集中審議が行われたが、すべての分岐器を取り替えるとなると1年程度運休しないといけない。だましだまし使っていくしかないという結論に落ち着いた』、「分岐器」が事故原因なのだろうか。原因とされるのは、確か運転手のスピードの出し過ぎと、ATSが切られていたことだと記憶しているが・・・。
・『客室内では窓のそばにハンマーが設置してあり、緊急時は乗客がガラスを割って脱出するという仕組みも日本と違います。 A:欧州の基準では列車が脱線転覆したときに窓ガラスを割って逃げるということになっている。車体がひっくり返っていないならドアを開けて脱出すればいい。また、車体が横になっていたら天井に窓があるので、ガラスを割ったら危ないし、そこからどうやって逃げるのか。「あまり意味がない」と申し上げたが「欧州から来ているコンサルタントの要望で」ということで採用された。この点でわれわれが強く主張したら、それが開業の遅れにつながるおそれもあり、OKした。 台湾の高速鉄道には、無駄なものや重複しているものが結構ある。システムとして考えずに、個別のものとして考えているからこういうことが起きる。 Q:日本側の努力が報われてよかったと感じたことは? A:新幹線の教育を1年半かけてやってきて、それが随所に生かされていることは本当によかった。日本式の指差し喚呼も行われている。こうした教育の成果が見られると救われた気分になる』、運転手のスピードの出し過ぎと「教育の成果」の関係をハッキリさせる必要があろう。
・『新幹線とは「7割同じ」 Q:台湾の高速鉄道は、新幹線ファミリーの1つとして位置づけていいのでしょうか。 A:誤解を招くかもしれないが、わかりやすく言えば、新幹線との技術的な違いは3割くらい。逆に言えば7割は新幹線と同じで、ATC(自動列車制御装置)のような重要な部分は譲っていない。だから、新幹線とDNAは同じという言い方をすることもある。 今では1日当たりの平均乗客数も17万人まで増え、庶民の足として定着した。紆余曲折はあったが、トータルとして見れば、成功したといえるのではないか。 Q:アメリカ・テキサス州の高速鉄道計画では新幹線の導入が前提ですが、台湾を教訓にするとベストミックスでなく、完全な新幹線システムのほうがいいのでしょうか。 A:アメリカには連邦政府やテキサス州の法律がある。その技術基準と照らし合わせて改正できる可能性があるものについては努力していきたい。折衝しても、どうしてもダメだという事柄については、現地のルールに従わざるをえないと思う』、台湾新幹線の事故原因はまだ調査中のようだが、どのような結論になるのだろうか。日本側の責任が問われることはないだろうが、インフラ輸出のリスクを思い知らされた一件だった。
第三に、1月21日付けダイヤモンド・オンライン「日立の英国事業に暗雲、原発断念に加え鉄道事業にも火種」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/191363
・『日立製作所がグローバル化の拠点と位置付けてきた英国での事業に暗雲が垂れ込めている。英政府と進めてきた原発建設計画の続行を断念する他、昨年は鉄道車両事業でも政府の大型案件を逃した。良好だった英政府との関係が冷え込んでいると言わざるを得ない状況だ。 「英政府は間違いなく原発建設をやりたがっていた。しかし(原発で発電した電力を優遇価格で買い取る)価格が92ポンドならやれていた」。日立幹部は英政府との難交渉にほとほと疲れた様子でこう語った。 それでも、原発計画から撤退するという経営判断は投資家から歓迎された。 事業を中断すれば約3000億円もの損失が発生するというのに、撤退観測が報道された1月11日、日立株価は前日比8.6%上昇した。 英政府は、原発計画を実現させるため総事業費3兆円のうち2兆円を融資する支援策を示していたが、国民からの反発を招きかねない高値での電力の買い取りには慎重だった。 冒頭の日立幹部発言にある「92ポンド」とは、フランスや中国の企業が主体となる英国の原発計画で設定された1メガワット時当たりの買取価格だ。これが電力の市場価格の2倍の水準だったために英国内で政治問題化していた。 ただでさえ政権基盤がぜい弱なメイ英政権が、原発計画で日立に譲歩できる余地は限られていた』、「フランスや中国の企業が主体となる英国の原発計画」では1メガワット時当たり92ポンドが設定されていたが、「政治問題化していた」ため、日立には適用されなかったというのは、確かに「政権基盤がぜい弱なメイ英政権」には無理だったのだろう。日立もツイてない。
・『鉄道では入札巡り政府に敗訴も 今回の原発計画の断念により懸念されているのが、英政府との関係悪化だ。 日立にとって英国は、原発新設の唯一の予定地であっただけではなく、社内で海外展開の模範事例となっている鉄道事業のグローバル本社や工場がある重要な国だ。原発も鉄道も英政府の理解なくして事業展開は困難なビジネスである。 日立の東原敏昭社長は英原発計画の継続断念を発表した会見で「民間の経済合理性には合致しない(から日立が原発計画を中断する)と現時点では英政府にご理解いただいている」と述べた。だが、原発計画の中断で国の根幹であるエネルギー政策にほころびが生じた英政府が心穏やかであるはずがない。 実は、日立と英政府の間には18年から隙間風が吹いていた。 ことの発端は、日立が6月にロンドン市交通局の鉄道車両の大型案件(2000億円規模)の受注を独シーメンスにさらわれたことだ。勝利を確信していた日立は結果に納得できず、ロンドン市交通局を提訴し、日立が落札できなかった理由の説明を求めた。 しかし、裁判所に不服を申し立てる作戦はあえなく失敗に終わった。11月には敗訴が決まり、シーメンスが正式に車両の設計に着手した。 受注失敗の代償は大きかった。英国の鉄道車両工場の稼働率維持が危ぶまれる状態になったのだ。日立関係者によれば「19年までは受注残があるが、それ以降の英国工場の仕事は今後の受注次第だ」という。 受注残がなくなれば、工場の従業員1300人の雇用問題にも発展しかねない。 日立と英政府との間の火種はこれだけではない。 日立はかねて英国の欧州連合(EU)離脱に影響を受ける「Brexit銘柄」とされてきた。仮にBrexitで英国とEUの貿易に関税が課されるようになれば、英国からの鉄道輸出にも支障をきたす。 原発と鉄道の事業で世界に打って出るための橋頭堡だった英国で日立は苦境に立っている。英政府との関係悪化で堡塁が崩れれば、日立の成長戦略が頓挫することにもなりかねない』、「英国の鉄道車両工場の稼働率維持が危ぶまれる」とは深刻だ。Brexitで「英国からの鉄道輸出にも支障」とは、踏んだり蹴ったりだ。
第四に、2月27日付け東洋経済オンライン「円借款検討の石炭火力、反対住民が次々投獄 インドネシアで人権問題、外務省の対応は?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/268065
・『外務省と国際協力機構(JICA)が政府開発援助(円借款)の供与を検討しているインドネシアの石炭火力発電所の建設計画に関して、反対する住民が相次いで逮捕・投獄され、実刑判決を受けている。 舞台となっているのが、インドネシア・ジャワ島にあるインドラマユ石炭火力発電所。インドネシア国有電力会社(PLN)が主体となり、100万キロワットの石炭火力発電設備2基の設置という、大型の拡張工事が計画されている。そのうちの1基について、外務省、JICAが円借款を検討している。 国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは2018年10月3日、「発電所反対で投獄なのか」と題した声明を発表。拡張計画に反対して投獄された3人の農民のうち2人の農民について、市民として当然の権利を行使しただけで拘留されている「良心の囚人」として、即時かつ無条件の釈放を求める国際的な救援活動を呼びかけた。 今年2月21日、2人は刑期を終えて釈放されたが、反対住民1人が現在も刑務所に収監されたままだ』、インドネシアでの反対運動弾圧は初耳だ。日本のマスコミも遠慮せずに伝えて欲しいところだ。日本政府が力を入れている石炭火力発電所は、二酸化炭素の排出などで悪名が高く、国内でも中止が相次いでいる。
・『逮捕の狙いは反対運動の弾圧? 投獄された3人の罪名は、国旗を逆さまに掲げたとの理由による「国旗侮辱罪」。2017年12月17日の深夜1時頃、地元の警察が自宅に踏み込んできて3人を逮捕した。同日23時に3人は保釈されたが、2018年9月に3人は再逮捕・未決勾留され、同12月27日に2人に5カ月、1人に6カ月の実刑判決が出された。 支援者の1人で現地の事情に詳しい国際環境NGO・FoE Japanの波多江秀枝氏は、「本人たちは罪を否定しており、国旗が正しく掲揚されていたのを見た住民もいる。国旗を逆さまに掲げたというのは事実に反した言いがかりだ。本当の狙いは発電所建設への反対運動に対する弾圧に他ならない」と強く批判する。 この逮捕・投獄事件では、外務省、JICAが検討している政府開発援助(ODA)に関して、検証対象となる人権への配慮がきちんとされているかに注目が集まっている。 JICAが策定した「環境社会配慮ガイドライン」では、協力事業の実施に際して、「人権状況を把握し、意思決定に反映する」と明記。政府が閣議決定した「開発協力大綱」でも、「当該国における民主化、法の支配及び基本的人権の保障をめぐる状況に十分注意を払う」とのくだりがある』、インドネシアでの反対派へのデッチ上げの有罪判決とは、酷い話だ。野党はこういった問題も国会で取上げるべきだろう。
・『しかし、JICAは「現時点で(人権状況に問題があるか否かの)確認をしておらず、判断は差し控える」(壽楽正浩・JICA東南アジア第1課主任調査役)とする。外務省は「人権状況について価値判断はしていない」(担当者)という。 JICAは現在、出力100万キロワットの大型石炭火力発電所建設の前段階に当たる設計業務について、「エンジニアリング・サービス(ES)借款」を、PLNに供与している。しかも、追加貸し付けが実施されたのは、3人が再逮捕された後の2018年9月27日だ。 ただ、環境社会配慮ガイドラインには「プロジェクト本体に対する円借款の供与にかかる環境レビューにおいて、環境社会配慮上の要件を満たすことを確認することを可とする」との条項がある。そのためJICAは、現時点で調査は必要ないとの認識だ。 その考え方について壽楽氏は次のように説明する。 「ES借款はプロジェクト自体が経済性を含めてフィージブルか否かを確認する作業でもある。発電所本体への円借款供与を検討する際に、環境社会配慮も含めて確認するのが効率的であり、審査のステップとしても適当だとの判断がある」 壽楽氏は「現時点でインドネシア側から、発電所本体の建設に関しての円借款の要請は受けていない」としたうえで、「反対住民やNGOから指摘されている問題については、PLNに確認を求めている」と説明を続ける』、なんと腰の引けた対応だろう。これでは、「環境社会配慮ガイドライン」など有名無実だ。
・『すでに周辺工事が進捗 しかし、次々と人権問題が持ち上がっている中で、「発電所本体の建設に際して、インドネシア側から円借款の要請が来たら、その時に検証すればいい」というやり方は妥当なのか。ES借款供与時に人権状況を調査・検証してはならないとの規定はない。 前出の波多江氏は「反対の声をあげただけで住民が逮捕・有罪になるような現状は、そもそも政府開発援助を適正に実施できる条件を満たしていない」と指摘する。 現在、発電所本体の工事こそ行われていないものの、PLNはアクセス道路の建設や送変電設備に関する土地造成工事を着々と進めており、反対する住民をいつでも閉め出せるようにあちこちにゲートが設けられている。 インドネシアでは、石炭火力発電所の増設そのものにも疑問が出ている。 硫黄酸化物やばいじんなど有害物質の排出量の多さが、周辺住民から強い反発を招いている。また2017年9月には、インドネシアの財務相がPLNの事業計画の見直しを求める書簡をエネルギー鉱物資源相に送付していたことが現地の報道によって判明している。国際環境保護団体グリーンピース・インドネシアのユユン・インドラディ氏は、「ジャワ島およびバリ島エリアでは電力供給の予備率が40%もあり、電力設備の過剰が問題となっている。新たな石炭火力発電所の建設は必要ない」と指摘する。 そうした中で、「大統領選の前に、発電所本体の建設に関する円借款の要請が出されるのではないか」(波多江氏)とも危惧されている。 問題山積のプロジェクトに外務省やJICAがどう判断を下すのか、注視を怠れない』、「電力供給の予備率が40%もあり、電力設備の過剰が問題となっている」なかで、建設を強行するとは、きっとリベートなどの利権が大きいからなのだろう。インフラ輸出の号令がかかると、裏面を隠して、突っ走ることを続けていけば、現地住民からの恨みを買い、国際親善どころではなくなる筈だ。
先ずは、やや古いが、昨年11月19日付け東洋経済オンライン「高速鉄道めぐる日本とインドの「同床異夢」 輸出と現地生産、どちらがベストシナリオ?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/249854
・『「本社の食堂でカレーライスを食べていると、『君、インドに興味あるの?だったらインドで仕事をしませんか』と、声をかけられるんですよ」。JR東日本(東日本旅客鉄道)の関係者が苦笑交じりにこんな話を披露してくれた。 インドでは、日本の新幹線方式による同国初の高速鉄道プロジェクトとして、ムンバイ―アーメダバード間505kmを約2時間で結ぶ計画が進んでいる。2015年12月に実施された日印首脳会談で覚書が交わされ、2017年9月には安倍晋三首相も出席して起工式が行われた。2023年の全線開業を目指す。総工費は約9800億ルピー(約1.5兆円)。そのうち8割は円借款で賄われる予定だ。 JR東日本の子会社・日本コンサルタンツ(JIC)が高速鉄道の技術基準の作成や設計、入札業務に関するコンサルティング業務を受託している。JR東日本も総力を挙げてサポートしている。 ただ、目下の悩みは人手不足。JR東日本はグループ全体で100人を超えるスタッフを投入しているが、まったく足りていない。冒頭の話は、こうした状況を端的に示している』、安倍首相はおおいばりだったようだが、問題も多そうだ。
・『インド高速鉄道のキーマンが大勢来日 JICはオールジャパン態勢による鉄道インフラ輸出の尖兵となるべく、2011年に設立された。筆頭株主はJR東日本で、JR西日本、JR九州、東京メトロなども出資する。JR東海は出資こそしていないが、数名の人材をJICに送り込み、インド案件に協力している。 11月初旬、インド高速鉄道のキーパーソンたちが大挙して日本にやって来た。11月6日に都内で運輸総合研究所主催による「高速鉄道セミナー」、11月8日には福岡市内で高速鉄道国際会議(IHRA)主催による「IHRA国際フォーラム」という国際的なセミナーが相次いで開催されたためだ。 どちらのセミナーにもインドの高速鉄道プロジェクトが主要テーマとして盛り込まれており、インド側の要人がプロジェクトの現状や今後について講演した。また、IHRA国際フォーラムの翌9日には九州新幹線長崎ルートの建設現場や熊本市内にあるJR九州の新幹線車両基地などの視察も行われた。インド側関係者にとっても新幹線の実情を知る貴重な機会になった。 「メイク・イン・インディア(インドで作ろう)をぜひ実現したい」。IHRA国際フォーラムにおいてインド鉄道省・鉄道委員会で車両担当委員を務めるラジェシュ・アグラワル氏が壇上から訴えた。インドのモディ政権は外国資本を誘致し、国内の製造業を発展させるメイク・イン・インディアというスローガンを掲げている。日本政府もジェトロ(日本貿易振興機構)を活用した中小企業のインド進出支援など、さまざまな協力を約束している。 新幹線方式による高速鉄道プロジェクトもその1つに位置づけられる。インドは鉄道総延長6万3000kmという世界有数の鉄道大国。鉄道関連産業の存在感も強く、アグラワル氏は「インドには鉄道車両を製造できるメーカーが6社あり、全国各地に多数存在する製造拠点の従業員を合計すれば15万人に達する」と胸を張る。 ムンバイ―アーメダバード間を走る高速鉄道車両は、東北新幹線「E5系」をベースに高温対策など現地仕様を施したものとなる。高速鉄道セミナーで講演したインド高速鉄道公社のブリジェシュ・ディグジット部長は、「設計は最終段階にある」という。 開業時に投入されるのは1編成につき10両を24編成で240両。その後、利用者の拡大に合わせ、順次車両を投入する。30年後には1編成につき16両を71編成、つまり1136両の車両が投入される計画だ。仮に1両当たりの製造価格を3億円とすれば、車両だけで3000億円を超える大きなビジネスとなる』、「インドには鉄道車両を製造できるメーカーが6社あり、全国各地に多数存在する製造拠点の従業員を合計すれば15万人」とインド側は誇っており、「メイク・イン・インディアというスローガン」を掲げ、後述のように安倍首相もこれにコミットしたようだ。しかし、その口約束を実際に果たしていく上で、技術水準の格差の大きさをどう克服するのだろうか。
・『高速鉄道車両の輸出を狙うインド 今回の路線運営が軌道に乗った後は、デリーやコルカタなど主要都市を結ぶ複数の路線において事業化がスタートする。日本以外の国が受注する可能性もあるが、ディグジット部長は、「フランスやドイツがやることになったとしても、車両はE5系の技術を使って開発したい」と言い切る。 また、アグラワル氏は「日本の技術は割高と言われているが、インドで製造すれば中国よりも安くできる。また、インド製は中国製よりも信頼できると考えている国が、中東やアジアに多い」と言い、将来の高速鉄道車両の輸出を見据えている。 安倍首相は起工式の場で「日本はメイク・イン・インディアにコミットしている。日本の高い技術とインドの優れた人材が協力すれば、インドは世界の工場になる」と発言。このため、日本側の関係者は一様に「メイク・イン・インディアは守る」と口をそろえる。 ところが新幹線をインドで造るという構想は、今のところ絵に描いた餅だ。「技術の蓄積がないと新幹線の車両は造れない」と、JR東日本の西野史尚副社長は説明する。同社は「少なくとも当初、導入される車両については、日本で製造したものが持ち込まれる予定だ」としている。 日印間の協議では、日系企業の進出や合弁企業による生産もメイク・イン・インディアとみなされる。E5系を開発したのは川崎重工業と日立製作所の2社。川重は将来の合弁事業による現地生産を視野に入れ、2017年にインド最大手の重電メーカー・BHEL社と高速鉄道車両の製造における協業で合意した。日立も鉄道部門における日本アジアパシフィック事業の責任者を務める光冨眞哉常務執行役は「工場を造るのか、現地でパートナーを見つけるのかなど、どう進めていくかを現在検討中」と述べている。 世界の鉄道メーカー大手のシーメンスやアルストムはインドに鉄道の製造拠点を持つ。日立も鉄道信号を手掛ける子会社のアンサルドSTS社が同国内にエンジニアリング拠点を有しており、「数百人規模の優れたエンジニアが働いている」(光冨常務)。この会社が将来、現地で車両製造を行う際の足がかりになる可能性もある。 日本の新幹線システムを採用している台湾の高速鉄道では、2004~2005年に30編成、2012~2015年に追加の4編成が導入された。この34編成はすべて日本からの輸出だ。インドでは追加導入のタイミングで現地生産に切り替えられることになるだろうが、メイク・イン・インディアの時間軸がインドと日本では隔たりがあるようだ』、「高速鉄道車両の輸出を狙うインド」とは、インド側はかなり気が早いようだ。「シーメンスやアルストムはインドに鉄道の製造拠点を持つ」のに比べ、日本企業の進出は出遅れ気味だ。日本からの輸出を現地生産に切り替えていくといっても、「メイク・イン・インディアの時間軸がインドと日本では隔たりがあるようだ」であれば、今後もインド側の要求に悩まされることだろう。
・『現地製造の高いハードル また、メイク・イン・インディアが約束されているとはいえ、いざ現地生産に踏み切るとなると、設備投資から人材の確保までさまざまな課題が発生する。とりわけ気になるのは従業員の教育面だ。1カ月に何万台も生産される自動車と違い、鉄道車両の製造は手作業に負う部分が多く、月産数両程度しか造れない。熟練工の養成は不可欠だ。 昨年12月に日本で起きた新幹線の台車亀裂トラブルは、製造指示書に従わなかった現場の作業員による台車枠の削りすぎが原因だった。この事例は論外としても、設計書で指示されていない細部の作業を現場の判断でこなす「匠の技」も一歩間違えると、賞賛どころかトラブルの原因になりかねない。在来線以上に安全性が重視される高速鉄道車両の製造は高度な技術と品質管理が求められる。現地生産は一朝一夕にはいかないだろう。 車両だけでなく、電気関係製品や線路なども日本から持ち込まれる予定となっている。「当初はインド側からレールや分岐器についてはインド製を使ってほしいという要望があったが、技術レベルが日本の水準に満たなかった」と、ある現地関係者が明かす。 IHRA国際フォーラムで、インド鉄道省のアグラワル氏とともにパネリストを務めたJR東日本の冨田哲郎会長は壇上で次のように述べた。「新幹線の発展の歴史をインドに伝えたい。安全性確保のためには設備の高度化や人材育成が重要。教育、訓練に加え、ルールを守ることも伝えていきたい。そして、マネジメントは見えないリスクに対して謙虚な気持ちを持つべきだ」。日本の鉄道関係者にとってはごく当たり前の内容であり、聞き流してしまうかもしれない。だが、インドで鉄道車両を製造するという困難な課題を前にすると、極めて重要な意味を帯びてくる』、インド側の熱を冷まさないよう表現を遠慮したようだが、もっとハッキリ言って、誤解を生じさせないことの方が重要なのではなかろうか。
次に、1月15日付け東洋経済オンライン「台湾新幹線、的中した「開業前の不安要素」 キーマンが明かす「日欧混在システム」の限界」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/259811
・『2007年に開業した台湾の高速鉄道が新幹線の海外展開事例であることはよく知られている。白地にオレンジの線がまばゆい車両「700T」は、東海道・山陽新幹線「700系」をベースに開発されたものだ。 しかし、完成に至るまでの道のりは平坦ではなかった。日本勢と独仏連合が入札で競合、1997年にいったんは独仏連合が受注を獲得したものの、その後1999年に日本が逆転受注を果たした。ただ、土木構造物などのインフラ部分はすでに欧州仕様で工事が発注されており、日本の受注は車両や電気、信号システムなどにとどまった。その意味において、完全な新幹線システムとは言いがたい側面もある。一方、台湾側は「世界の鉄道技術の良いところを集めた“ベストミックス”である」としている。 日本が独仏連合に敗れた後に、敗者復活戦に参戦したJR東海の田中宏昌氏(当時副社長、現在は顧問)は、日本が逆転受注を果たした立役者の1人である。一度は受注に成功した独仏連合をなぜ退けることができたのか、完全な新幹線システムでないことによりどのような問題が生じているのか。今後の新幹線の海外展開にどのような教訓を残したのか。すべてを知り尽くす田中氏に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは田中氏の回答)。
・『ドイツ高速鉄道の事故が転換点 Q:当初受注した独仏連合から新幹線の採用に至るまでのプロセスにおいて、最大の転換点は何ですか。 A:1998年にドイツで起きた高速鉄道の脱線事故だ。100人を超える死者が出た。この事故を契機に独仏の技術がミックスされた「ユーロトレイン」の安全性が疑問視され、技術の再評価が行われることになった。 事故の原因は新しく開発した車輪が割損したことによるもの。この車輪は、本体の車輪を薄いゴムクッションで巻いて、さらにその外側に鋼製のタイヤをはめ込んだ多重構造になっていた。その鋼製タイヤが金属疲労を起こした。それを見逃した検査体制にも問題があった。 もし事故が起きていなかったら、新幹線の採用はありえず、当初の計画どおりユーロトレインが導入されていただろう。 新幹線の生みの親である島秀雄さんは、「新幹線は新しい技術を使うのではなく、今ある技術を最大限に生かして使うのだ」とおっしゃっていた。ドイツの事故の場合も、新しい技術を実用化するなら、その前に実験を十分に行う必要があったのだが、それを十分にしないまま実用化してしまったのだろう。 Q:トルコでも昨年12月に高速鉄道の事故がありました。 A:トルコの場合は別の原因によるものだ。営業時間帯に保守作業が行われており、運行管理システムがきちんと機能していなかった。日本では、新幹線は営業時間帯と保守時間帯をきちんと分けており、コントロールセンターから指令が発せられることで営業時間帯と保守時間帯がきちんと切り替わる。したがって、営業時間帯に保守作業が行われることはない。 Q:台湾の高速鉄道は、車両は新幹線ですが、インフラは欧州のものが使われています。どう評価しますか。 A:システムを構築するためには、単独の部品が優秀というだけでは不十分。数多くの部品が組み合わされて1つのシステムになる。高速鉄道であれば、橋梁、バラスト、レールといった土木構造物から、電気を供給する変電設備や架線構造が一体となったシステムとして安全に機能しなくてはいけない。この点は台湾で何度も繰り返して説明したが、なかなか理解を得ることができなかった。 Q:日本のシステムを丸ごと採用するのではなく独自のシステムを作るという台湾の「ベストミックス」という考え方にも一理あるのでは? A:彼らのシステムをまったく無視するつもりはない。だが、信頼性と安全性が担保できるまで十分に検証を行う必要がある。その時間がたっぷりあるならよいが、開業時期が決まっていて、そこに向けてスケジュールを組むとなると限界がある』、確かに「ベストミックス」も時間に制約があるなかでは、「絵に描いた餅」だ。
・ドイツ製採用を強行した結果は… Q:台湾が採用したドイツ製の分岐器はトラブルが頻発しているそうですね。 A:ドイツ製の分岐器は規模が大きく構造が複雑で、また、地域環境特性という面でもドイツと台湾は大きく違う。われわれはシンプルで小さな新幹線仕様の分岐器のほうが台湾に向いており、建設コストの削減にもつながると提案したのだが、台湾側は採用を強行した。もし十分な時間があるならドイツ製の分岐器を日本の分岐器と同じ条件で敷設して耐久性や信頼性をチェックしたうえで、改良することもできただろうが、そんなことをしていたらいつ開業できるかわからない。台湾側としては時間的な余裕がなかったのだろう。 結局、ドイツ製の分岐器は走行試験開始の時からたびたびトラブルを起こし、開業後も改善していない。この問題は立法院(国会)でも取り上げられ、集中審議が行われたが、すべての分岐器を取り替えるとなると1年程度運休しないといけない。だましだまし使っていくしかないという結論に落ち着いた』、「分岐器」が事故原因なのだろうか。原因とされるのは、確か運転手のスピードの出し過ぎと、ATSが切られていたことだと記憶しているが・・・。
・『客室内では窓のそばにハンマーが設置してあり、緊急時は乗客がガラスを割って脱出するという仕組みも日本と違います。 A:欧州の基準では列車が脱線転覆したときに窓ガラスを割って逃げるということになっている。車体がひっくり返っていないならドアを開けて脱出すればいい。また、車体が横になっていたら天井に窓があるので、ガラスを割ったら危ないし、そこからどうやって逃げるのか。「あまり意味がない」と申し上げたが「欧州から来ているコンサルタントの要望で」ということで採用された。この点でわれわれが強く主張したら、それが開業の遅れにつながるおそれもあり、OKした。 台湾の高速鉄道には、無駄なものや重複しているものが結構ある。システムとして考えずに、個別のものとして考えているからこういうことが起きる。 Q:日本側の努力が報われてよかったと感じたことは? A:新幹線の教育を1年半かけてやってきて、それが随所に生かされていることは本当によかった。日本式の指差し喚呼も行われている。こうした教育の成果が見られると救われた気分になる』、運転手のスピードの出し過ぎと「教育の成果」の関係をハッキリさせる必要があろう。
・『新幹線とは「7割同じ」 Q:台湾の高速鉄道は、新幹線ファミリーの1つとして位置づけていいのでしょうか。 A:誤解を招くかもしれないが、わかりやすく言えば、新幹線との技術的な違いは3割くらい。逆に言えば7割は新幹線と同じで、ATC(自動列車制御装置)のような重要な部分は譲っていない。だから、新幹線とDNAは同じという言い方をすることもある。 今では1日当たりの平均乗客数も17万人まで増え、庶民の足として定着した。紆余曲折はあったが、トータルとして見れば、成功したといえるのではないか。 Q:アメリカ・テキサス州の高速鉄道計画では新幹線の導入が前提ですが、台湾を教訓にするとベストミックスでなく、完全な新幹線システムのほうがいいのでしょうか。 A:アメリカには連邦政府やテキサス州の法律がある。その技術基準と照らし合わせて改正できる可能性があるものについては努力していきたい。折衝しても、どうしてもダメだという事柄については、現地のルールに従わざるをえないと思う』、台湾新幹線の事故原因はまだ調査中のようだが、どのような結論になるのだろうか。日本側の責任が問われることはないだろうが、インフラ輸出のリスクを思い知らされた一件だった。
第三に、1月21日付けダイヤモンド・オンライン「日立の英国事業に暗雲、原発断念に加え鉄道事業にも火種」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/191363
・『日立製作所がグローバル化の拠点と位置付けてきた英国での事業に暗雲が垂れ込めている。英政府と進めてきた原発建設計画の続行を断念する他、昨年は鉄道車両事業でも政府の大型案件を逃した。良好だった英政府との関係が冷え込んでいると言わざるを得ない状況だ。 「英政府は間違いなく原発建設をやりたがっていた。しかし(原発で発電した電力を優遇価格で買い取る)価格が92ポンドならやれていた」。日立幹部は英政府との難交渉にほとほと疲れた様子でこう語った。 それでも、原発計画から撤退するという経営判断は投資家から歓迎された。 事業を中断すれば約3000億円もの損失が発生するというのに、撤退観測が報道された1月11日、日立株価は前日比8.6%上昇した。 英政府は、原発計画を実現させるため総事業費3兆円のうち2兆円を融資する支援策を示していたが、国民からの反発を招きかねない高値での電力の買い取りには慎重だった。 冒頭の日立幹部発言にある「92ポンド」とは、フランスや中国の企業が主体となる英国の原発計画で設定された1メガワット時当たりの買取価格だ。これが電力の市場価格の2倍の水準だったために英国内で政治問題化していた。 ただでさえ政権基盤がぜい弱なメイ英政権が、原発計画で日立に譲歩できる余地は限られていた』、「フランスや中国の企業が主体となる英国の原発計画」では1メガワット時当たり92ポンドが設定されていたが、「政治問題化していた」ため、日立には適用されなかったというのは、確かに「政権基盤がぜい弱なメイ英政権」には無理だったのだろう。日立もツイてない。
・『鉄道では入札巡り政府に敗訴も 今回の原発計画の断念により懸念されているのが、英政府との関係悪化だ。 日立にとって英国は、原発新設の唯一の予定地であっただけではなく、社内で海外展開の模範事例となっている鉄道事業のグローバル本社や工場がある重要な国だ。原発も鉄道も英政府の理解なくして事業展開は困難なビジネスである。 日立の東原敏昭社長は英原発計画の継続断念を発表した会見で「民間の経済合理性には合致しない(から日立が原発計画を中断する)と現時点では英政府にご理解いただいている」と述べた。だが、原発計画の中断で国の根幹であるエネルギー政策にほころびが生じた英政府が心穏やかであるはずがない。 実は、日立と英政府の間には18年から隙間風が吹いていた。 ことの発端は、日立が6月にロンドン市交通局の鉄道車両の大型案件(2000億円規模)の受注を独シーメンスにさらわれたことだ。勝利を確信していた日立は結果に納得できず、ロンドン市交通局を提訴し、日立が落札できなかった理由の説明を求めた。 しかし、裁判所に不服を申し立てる作戦はあえなく失敗に終わった。11月には敗訴が決まり、シーメンスが正式に車両の設計に着手した。 受注失敗の代償は大きかった。英国の鉄道車両工場の稼働率維持が危ぶまれる状態になったのだ。日立関係者によれば「19年までは受注残があるが、それ以降の英国工場の仕事は今後の受注次第だ」という。 受注残がなくなれば、工場の従業員1300人の雇用問題にも発展しかねない。 日立と英政府との間の火種はこれだけではない。 日立はかねて英国の欧州連合(EU)離脱に影響を受ける「Brexit銘柄」とされてきた。仮にBrexitで英国とEUの貿易に関税が課されるようになれば、英国からの鉄道輸出にも支障をきたす。 原発と鉄道の事業で世界に打って出るための橋頭堡だった英国で日立は苦境に立っている。英政府との関係悪化で堡塁が崩れれば、日立の成長戦略が頓挫することにもなりかねない』、「英国の鉄道車両工場の稼働率維持が危ぶまれる」とは深刻だ。Brexitで「英国からの鉄道輸出にも支障」とは、踏んだり蹴ったりだ。
第四に、2月27日付け東洋経済オンライン「円借款検討の石炭火力、反対住民が次々投獄 インドネシアで人権問題、外務省の対応は?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/268065
・『外務省と国際協力機構(JICA)が政府開発援助(円借款)の供与を検討しているインドネシアの石炭火力発電所の建設計画に関して、反対する住民が相次いで逮捕・投獄され、実刑判決を受けている。 舞台となっているのが、インドネシア・ジャワ島にあるインドラマユ石炭火力発電所。インドネシア国有電力会社(PLN)が主体となり、100万キロワットの石炭火力発電設備2基の設置という、大型の拡張工事が計画されている。そのうちの1基について、外務省、JICAが円借款を検討している。 国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは2018年10月3日、「発電所反対で投獄なのか」と題した声明を発表。拡張計画に反対して投獄された3人の農民のうち2人の農民について、市民として当然の権利を行使しただけで拘留されている「良心の囚人」として、即時かつ無条件の釈放を求める国際的な救援活動を呼びかけた。 今年2月21日、2人は刑期を終えて釈放されたが、反対住民1人が現在も刑務所に収監されたままだ』、インドネシアでの反対運動弾圧は初耳だ。日本のマスコミも遠慮せずに伝えて欲しいところだ。日本政府が力を入れている石炭火力発電所は、二酸化炭素の排出などで悪名が高く、国内でも中止が相次いでいる。
・『逮捕の狙いは反対運動の弾圧? 投獄された3人の罪名は、国旗を逆さまに掲げたとの理由による「国旗侮辱罪」。2017年12月17日の深夜1時頃、地元の警察が自宅に踏み込んできて3人を逮捕した。同日23時に3人は保釈されたが、2018年9月に3人は再逮捕・未決勾留され、同12月27日に2人に5カ月、1人に6カ月の実刑判決が出された。 支援者の1人で現地の事情に詳しい国際環境NGO・FoE Japanの波多江秀枝氏は、「本人たちは罪を否定しており、国旗が正しく掲揚されていたのを見た住民もいる。国旗を逆さまに掲げたというのは事実に反した言いがかりだ。本当の狙いは発電所建設への反対運動に対する弾圧に他ならない」と強く批判する。 この逮捕・投獄事件では、外務省、JICAが検討している政府開発援助(ODA)に関して、検証対象となる人権への配慮がきちんとされているかに注目が集まっている。 JICAが策定した「環境社会配慮ガイドライン」では、協力事業の実施に際して、「人権状況を把握し、意思決定に反映する」と明記。政府が閣議決定した「開発協力大綱」でも、「当該国における民主化、法の支配及び基本的人権の保障をめぐる状況に十分注意を払う」とのくだりがある』、インドネシアでの反対派へのデッチ上げの有罪判決とは、酷い話だ。野党はこういった問題も国会で取上げるべきだろう。
・『しかし、JICAは「現時点で(人権状況に問題があるか否かの)確認をしておらず、判断は差し控える」(壽楽正浩・JICA東南アジア第1課主任調査役)とする。外務省は「人権状況について価値判断はしていない」(担当者)という。 JICAは現在、出力100万キロワットの大型石炭火力発電所建設の前段階に当たる設計業務について、「エンジニアリング・サービス(ES)借款」を、PLNに供与している。しかも、追加貸し付けが実施されたのは、3人が再逮捕された後の2018年9月27日だ。 ただ、環境社会配慮ガイドラインには「プロジェクト本体に対する円借款の供与にかかる環境レビューにおいて、環境社会配慮上の要件を満たすことを確認することを可とする」との条項がある。そのためJICAは、現時点で調査は必要ないとの認識だ。 その考え方について壽楽氏は次のように説明する。 「ES借款はプロジェクト自体が経済性を含めてフィージブルか否かを確認する作業でもある。発電所本体への円借款供与を検討する際に、環境社会配慮も含めて確認するのが効率的であり、審査のステップとしても適当だとの判断がある」 壽楽氏は「現時点でインドネシア側から、発電所本体の建設に関しての円借款の要請は受けていない」としたうえで、「反対住民やNGOから指摘されている問題については、PLNに確認を求めている」と説明を続ける』、なんと腰の引けた対応だろう。これでは、「環境社会配慮ガイドライン」など有名無実だ。
・『すでに周辺工事が進捗 しかし、次々と人権問題が持ち上がっている中で、「発電所本体の建設に際して、インドネシア側から円借款の要請が来たら、その時に検証すればいい」というやり方は妥当なのか。ES借款供与時に人権状況を調査・検証してはならないとの規定はない。 前出の波多江氏は「反対の声をあげただけで住民が逮捕・有罪になるような現状は、そもそも政府開発援助を適正に実施できる条件を満たしていない」と指摘する。 現在、発電所本体の工事こそ行われていないものの、PLNはアクセス道路の建設や送変電設備に関する土地造成工事を着々と進めており、反対する住民をいつでも閉め出せるようにあちこちにゲートが設けられている。 インドネシアでは、石炭火力発電所の増設そのものにも疑問が出ている。 硫黄酸化物やばいじんなど有害物質の排出量の多さが、周辺住民から強い反発を招いている。また2017年9月には、インドネシアの財務相がPLNの事業計画の見直しを求める書簡をエネルギー鉱物資源相に送付していたことが現地の報道によって判明している。国際環境保護団体グリーンピース・インドネシアのユユン・インドラディ氏は、「ジャワ島およびバリ島エリアでは電力供給の予備率が40%もあり、電力設備の過剰が問題となっている。新たな石炭火力発電所の建設は必要ない」と指摘する。 そうした中で、「大統領選の前に、発電所本体の建設に関する円借款の要請が出されるのではないか」(波多江氏)とも危惧されている。 問題山積のプロジェクトに外務省やJICAがどう判断を下すのか、注視を怠れない』、「電力供給の予備率が40%もあり、電力設備の過剰が問題となっている」なかで、建設を強行するとは、きっとリベートなどの利権が大きいからなのだろう。インフラ輸出の号令がかかると、裏面を隠して、突っ走ることを続けていけば、現地住民からの恨みを買い、国際親善どころではなくなる筈だ。
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