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日本のスポーツ界(その24)(野球はいつから球児にとって「苦しいだけのスポーツ」になったのか 筒香嘉智が「勝利至上主義」を問う、宮川選手への反省文要求で露呈した 体操協会の根深いパワハラ体質、「日大危険タックル事件」 第三者委と警察はなぜ正反対の結論になったのか) [社会]

日本のスポーツ界については、1月30日に取上げた。今日は、(その24)(野球はいつから球児にとって「苦しいだけのスポーツ」になったのか 筒香嘉智が「勝利至上主義」を問う、宮川選手への反省文要求で露呈した 体操協会の根深いパワハラ体質、「日大危険タックル事件」 第三者委と警察はなぜ正反対の結論になったのか)である。

先ずは、2月24日付け現代ビジネスが掲載したプロ野球選手の筒香 嘉智氏へのインタビュー「野球はいつから球児にとって「苦しいだけのスポーツ」になったのか 筒香嘉智が「勝利至上主義」を問う」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは筒香氏の回答)。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59895
・『暴言を受ける子どもたち  Q:著書の『空に向かってかっ飛ばせ!』は、過剰なまでの「勝利至上主義」が蔓延する少年野球界に疑問を投げかける一冊です。この問題に、球界屈指のスラッガーである筒香さんが声を上げたことの意味は大きいと思います。 A:僕がずっと感じていたのは、理不尽な指導からひとりでも多くの子供たちを守りたい、ということでした。 スポーツ界における体罰やパワハラがこれだけ問題視されている現状でも、勝つことが最優先される少年野球の現場では、いまだに失敗をすれば怒鳴られたり、暴言を受ける子供たちがいると聞きます。怒られると、子供たちは委縮してしまいます。 「またエラーして怒鳴られるのか」「打てなくて叩かれるのか」……。一度そんなふうに思ってしまえば、よいプレーはなかなか生まれません。 もちろん、これまでの指導にもいいところはあったのでしょうが、変えるべき部分もたくさんある。どこを変えるべきか、僕の考えを多くの方々に知っていただきたいという願いがありました』、プロ野球選手が声を上げた意味は大きい。
・『Q:'15年12月にドミニカのウインターリーグに参加されたこともきっかけになったそうですね。 A:現地の少年野球の練習を見に行くと、子供たちが目を輝かせながら野球をやっているんです。バッターは思い切りバットを振るし、ピッチャーは少しでも速いボールを投げようとする。ミスをしても怒られないから、失敗を続けながら新しいチャレンジをしているのです。 そういうドミニカの子供たちの様子を見て、果たして日本の野球少年たちは、こんなに楽しそうに野球をやれているのだろうか、と考えるようになりました。 Q:勝つことを優先するあまり、送りバントを多用させ、エースが肘を壊すまで投げさせる。本書では、日本の少年野球で当たり前に行われている行為に対して、強い懸念を示しています。 A:小さい頃から無理に投げ続けたせいで、肘や肩を痛めて手術する子供はかなりの数にのぼるはずです。 なかには「良い先生がいるんだからケガをしても治してくれる。だから、思い切りやれ」と指導するチームもあると聞いています。子供たちの将来を考えたらケガをさせないのがベストのはずなのに、これでは本末転倒です。 その点、アメリカではメジャーリーグ機構が年齢別に「このくらいまでなら投げさせても大丈夫」という球数のガイドラインをはっきりと提示している。日本の少年野球界も早く追いつかなければいけません』、その通りだろう。
・『Q:中学時代に所属していた名門少年野球チーム、堺ビッグボーイズの先進的な取り組みも紹介されています。 A:かつては、ビッグボーイズも他の多くのチームと同じようにスパルタ式の指導をしていました。でも、指導者として世界大会の舞台にも立ったチーム代表の瀬野竜之介さんが大改革に乗り出し、練習時間や内容を抜本的に見直したのです。 肉体が完成されていない小中学生の場合、過剰な運動で疲労が蓄積されるとダメージが大きい。子供たちの体力や個性に合わせて練習をカスタマイズするビッグボーイズの取り組みは、これからの日本の少年野球のモデルケースになるのではと感じています』、日本にも「少年野球のモデルケースになる」チームがあるとは頼もしい。
・『野球は本来、たのしいもの  僕自身の経験からしても共感する部分が非常に多いので、2年前からはビッグボーイズの小学生部門である「チーム・アグレシーボ」の野球体験会に参加させてもらっています。今年は1月の半ばに練習の体験会をやりました。約80人の幼児や小学生が保護者と参加してくれました。この輪がどんどん大きくなってほしいと願っています。 Q:本書には、筒香さんが野球をはじめてから、一流のバッターになるまでの歩みも書かれており、自伝としても読みごたえがあります。自らの経験について詳細に書かれた理由はなんですか。 A:最初は、僕自身のことを語ろうと思ったわけではありませんでした。でも、小学2年生からいままでずっと野球を続けてきた経験を通して感じたことを率直に伝えれば、読者の方に今の日本の少年野球の問題をより掘り下げて考えていただくことができるのではないかと思うようになりました。 Q:'15年のキャンプでバッティングに悩んでいた時、松井秀喜さんからアドバイスを受けるシーンは非常に印象的です。 A:僕は、逆方向に強い打球が打てるようになりたいと思いながら、周りからは「遠くに飛ばしたいなら前で打て」とずっと言われ続けてきました。 でも、キャンプの視察に来ていた松井さんにご相談すると、「誰になんと言われようとも、逆方向に意識を持って打つことは間違っていない。自分の思っていることをやり続けるべきだよ」と言っていただけた。 あの瞬間、自分の中の迷いが消えました。いまでは、逆方向にきっちりと打つ意識を持って練習に取り組んでいます。おかげで、変化球に対しても、泳がずに打てるようになりました。 あれは、試合中にとっさにやろうと思ってもできるものではありません。「意識的」に練習を積み重ねていくからこそ、いざ試合になった時に「無意識」に反応することができます。 指導者に言われるままにやるのではなく、自分の頭で考えて練習を積み重ねる。これは、本書のテーマにも通じることだと感じています。 野球は本来楽しいものです。苦しいものではありません。子供たちが心から野球を楽しめる環境を作るために、自分にできることを続けていきたい。そう思っています』、「子供たちが心から野球を楽しめる環境」づくりに大いに励んでもらいたいものだ。

次に、作家・スポーツライターの小林信也氏が3月13日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「宮川選手への反省文要求で露呈した、体操協会の根深いパワハラ体質」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/196702
・『被害者・宮川選手に反省文、高須院長は「この処分がパワハラ」  「日本体操協会が宮川紗江選手に反省文の提出を求めた」というニュースを聞いて、暗澹とした気持ちに襲われた。パワハラを訴えた選手に、そのような仕打ちをする組織の根本的な勘違い体質に呆然とする。これを受けて、宮川選手の所属先である高須クリニックの高須克哉院長は、「僕はこの処分がパワハラだと思います」とツイッターで発言した。まったくそのとおりだと思う。 報道では併せて、テレビ番組などで塚原夫妻や協会に対して厳しいコメントを述べた池谷幸雄さんにも「厳重注意の上、誓約書の提出を求めることを決めた」と伝えられた。 いずれも3月9日に開かれた日本体操協会理事会の決定だという。 第三者委員会が昨年12月に報告書をまとめ、「塚原夫妻によるパワーハラスメントは認定されなかった」と結論づけたことを受けての動きだが、宮川選手と池谷さんを一方的に罰し、今後の言動や行動を規制するような決定に違和感を覚えた人々が少なからずいたのではないだろうか。 日本体操協会のホームページを確認すると、処分を受けたのは宮川選手や池谷さんだけでなく、塚原光男副会長、塚原千恵子強化本部長にもそれぞれ「謝罪」を求め、宮川選手の告発直後に「18歳の少女がうそをつくとは思えない」と語った具志堅幸司副会長にも「公正に欠く発言があった」として厳重注意(顛末書と謝罪文提出)の処分を決めたという。 問題のあった当事者のすべてを罰し、問題発言のすべてを断罪する。このような処分が下されたら、「もう自由な発言はできない」「メディアには素直に言えない」と感じるのが普通だろう。つまり、日本体操協会は、協会に所属する選手や指導者、関係者たちの発言や心理までも支配する方向で動いているのだ』、この日本体操協会には、あきれて口が塞がらない。
・『“レジェンド”の名誉を過剰に守る結論を導いた、調査の恣意性  第三者委員会の報告を聞いたとき、およそ公正な調査とは思えなかった。私の取材した実情と、調査委員会の報告はかけ離れていた。第三者委員会のそれはある方向からのみの調査であって、私個人が取材した程度の視点さえ欠落していた。それゆえ、恣意的な結論ではないかとの疑念がぬぐえなかった。それでも、その時点で大きな声を上げなかったのは、「スポーツ界のレジェンドを必要以上に汚すことの是非」を考えたからだ。 報告書は、功労者であり、ヒーローであった塚原光男氏と千恵子氏の名誉を守る内容だった。同時に、塚原光男氏は、名誉が保たれれば夫人ともども任期を待たず、公職から退くことを明言していた。つまり、断罪されなくても自ら「居座らない」ことを約束した。それであるなら、過剰にレジェンドに泥を塗る必要はないではないか。そのような思いが、メディアの中にも働いていたように思う。 ところが、今回の体操協会の決定は、そのようなバランス感覚をも冒涜し、逸脱するものだ。3ヵ月経って、ほとぼりが冷めたころ、あの第三者委員会の報告を絶対的な事実のように根拠づけて、各方面をバッサリとやったのだから。 競技に取り組むために、なぜ個人の感想や気持ちまで支配される必要があるのか? 協会とは、発想の自由を奪い、ひとつの考えに統一し規制するために存在する組織なのか?』、「過剰にレジェンドに泥を塗る必要はないではないか。そのような思いが、メディアの中にも働いていた」、というのは自己批判も込めた指摘だろうが、メディアも取材先との関係維持を優先して批判しないでいるというのは嘆かわしい。
・『「オリンピックが最高の舞台」だからこそ逃れられない選手たち  もしこれがプロレスなら、さっさと離脱し、新団体を立ち上げることもできる。しかし、大半の競技はそれができない。なぜなら、「国内を統括する競技団体はひとつ」と決められ、分裂や分立したら「国の助成が受けられなくなる」上に、「オリンピックに参加できなくなる」という、IOC(国際オリンピック委員会)の基本姿勢もあるからだ。 オリンピックがスポーツの最高の舞台とされているため、スポーツ界は結局、オリンピックに支配されている。数年前、日本のプロ・バスケットが分裂していることを国際連盟が問題視し、そのままでは国際大会への参加を認めないと警告されて大騒ぎになった。 Jリーグで実績のある川淵三郎氏に「救世主」の役割を求め、現在のBリーグに統一された。つい先日、男子バスケットボール日本代表はアジア予選でワールドカップ本大会出場を決め、東京五輪出場に大きく前進した成果も、国内組織の統一がなければ叶わなかったからで、統一は美談とされている。 だが、一方で私は、「なぜ、オリンピックに出るために支配を受けねばならないのか?」、その論点が一切ないことに不満を覚えている。BJリーグには独自の発想と挑戦があった。そのことを「オリンピックに出るため」に、否定されるのはスポーツの真の発展を妨げることにならないのか? 残念ながら、盲目的にオリンピック支配を受け容れるいまの日本のスポーツ界には、こうした視点や議論さえ一切ない。 最近、多くの場面で「エンパワーメント」という言葉を耳にする。元々は女性の社会進出を支援する分野で使われ始めたようだが、国際女性デー(3月8日)に関連したシンポジウムで、ジェンダー開発政策専門家の大崎麻子氏(プラン・インターナショナル・ジャパン理事)はエンパワーメントの意味を、「人生の選択肢を広げる」「自分で決める力をつける」と、明快に説明していた。 「自分で決める力をつける」のが本来の教育や人材育成の根本にあるべきなのに、スポーツ界はなぜ、「自分で考えない体制」を目指し、「組織で決めた方針以外は議論も遮断する」、前時代的な体質を維持し続けるのか。そして、社会から非難を受けるのではなく、「国の支持を受ける」という、おかしな力学で動いているのか? 大崎氏は、「リーダーシップ」についてもこう話してくれた。「『君臨する』『人の上に立つ』といった狭義のリーダーシップではなく、『よりよい環境や社会を創る』。そのために『変革を起こす』人材こそがいま求められるリーダーの資質です。国際社会が『持続可能な開発目標(SDGs)』を目指す時代のリーダーシップは、『誰一人取り残さない』『社会を変革する』『みんなでやる』ことが重要です」 スポーツ界から一歩外に出れば、世の中は大きく変わり、一人ひとりを大事にする社会へと変貌する努力が全世界的に重ねられている。それなのに、スポーツは平気で逆行している』、上位下達で育ってきた日本のスポーツ界の指導者たちには、変革は難しそうだ。
・『相撲協会、高野連にもはびこる旧態依然としたスポーツ界の支配体質  スポーツ界は、旧態依然の支配体質を維持しようと頑なになっている。 改革を提唱した「平成の大横綱」をいびり出した格好の日本相撲協会にもその体質を感じる。 『春季大会での「1試合100球」の球数制限導入』を決めた新潟県高野連の決定に横槍を入れ、「再考」を求めた日本高野連にも同じ懸念を感じる。 選手の健康や体調を最優先するのでなく、自分たちの面子を優先し、都道府県の高野連を傘下に収め、上意下達を再認識させる日本高野連の困った感覚もさることながら、「新潟県に追従する都道府県はないのか?」とのメディアの質問に「ひとつもない」と答えた、その質疑応答にも、深い闇を感じる。 他の都道府県高野連は、新潟県高野連ほど切実に選手の健康を案じていないのか? 日本高野連が怖くて行動できないのではないか? だとしたら、その体質自体を猛省し、危険だと感じるのが、心ある「教育者」の当たり前ではないか? そのような感性は日本高野連にはないという証明だ。 このように、日本のスポーツ組織は、根本的な病理を抱えている。 日本体操協会の問題に話を戻そう。 体操を愛し、体操を「もっとうまくなりたい!」「もっと多くの人に楽しさを伝えたい」と情熱を持つ愛好者の集まりが本来、日本体操協会ではないか? だとしたら、理事会で話し合う方向性はまったく違うように思う。 「色々あったけれど、猛省し、みんなで意見を出し合い、自由な発想をぶつけ合う組織に変えていきましょう」そのような前向きな方向性が基本ではないのか? そういう感覚がないことが致命的だ。このような組織なら、日本体操協会も、日本高野連も、根本的な組織改革と人事刷新をしなければ、社会に責任を果たせないと私は感じる』、説得力のある主張で、大賛成だ。

第三に、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が2月9日付け同氏のブログに掲載した「「日大危険タックル事件」、第三者委と警察はなぜ正反対の結論になったのか」を紹介しよう。
https://nobuogohara.com/2019/02/07/%E6%97%A5%E5%A4%A7%E3%80%8C%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%80%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%81%E7%AC%AC%E4%B8%89%E8%80%85%E5%A7%94%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E3%81%AF%E3%81%AA/
・『2018年5月6日に行われたアメリカンフットボール(以下、「アメフト」)の試合で、日本大学の選手が、関西学院大学の選手に、反則行為にあたる危険なタックルをして負傷させた問題。警視庁は、タックルをした男子選手を傷害の疑いで書類送検し、内田正人・前監督と井上奨・元コーチについては、試合映像の解析や関係者への聴取結果などから選手への指示は認められなかったと判断し、容疑はないとする捜査結果の書類を送付したと報じられている』、警視庁の判断の根拠も含めた真相が知りたいところだ。
・『警視庁の捜査結果と第三者委員会の調査結果  2月5日午前の朝日ネット記事は、「捜査関係者による」として、以下のように報じている。 警視庁は試合映像を入手し、詳細に分析。結果的に関東学生アメフト連盟などの認定との食い違いが約10カ所見つかったという。 「内田氏が悪質タックルを見ていたのに選手を交代させなかった」と指摘される根拠については、内田氏の視線はボールを追っており、悪質タックルを見ていなかったことを確認。コーチ陣がインカム(ヘッドホン)を通じて反則があったことを伝えたのに内田氏が交代させなかったとも指摘されたが、内田氏はそもそもインカムを着けていなかった、としている。 タックル直後、井上氏の「やりましたね」との発言に内田氏が「おお」と応じたとされる場面も、両氏が視線を合わせていないことなどから、警視庁は内田氏が反則を事前に了解していた事実はないと判断した。 日大ではこれまでも日常的に使ってきたが、今回のような悪質な反則行為をする選手はいなかったという。井上氏は記者会見で「潰せ」と言ったことは認めたうえで「けがをさせろという意図はなかった」と述べていた。 さらに、2月6日の朝日朝刊では、警視庁での発表を受けて  警視庁は関係者計195人への聞き取りをした。捜査1課によれば、関東学生アメフト連盟(関東学連)と日大の第三者委員会の調査は、日大の部員らへの聞き取りなどから両氏の指示があったと認定していたが、この調査に応じた部員の多くが警視庁の調べに「報道を見て(タックルした)選手のためになんとかしなくてはいけない、選手の話に沿うように証言しなくては、と思った」などと説明。指示を直接聞いた人は確認されなかったとしている。と報じている』、第三者委員会の調査「に応じた部員の多くが警視庁の調べに「報道を見て(タックルした)選手のためになんとかしなくてはいけない、選手の話に沿うように証言しなくては、と思った」、というのには驚かされた。第三者委員会の調査の厳格性を疑わせるものだ
・『関東学生アメフト連盟は、昨年5月29日、日大アメフト部の問題に関する調査結果を公表し、5月31日に、日大は、元広島高検検事長の勝丸充啓弁護士を委員長、委員の弁護士7名のうち4名が元検察官という元検察官中心の第三者委員会(正式名称「日本大学アメリカンフットボール部における反則行為に関する第三者委員会」、以下「第三者委」)を設置し、6月29日に中間報告書、7月30日に最終報告書が公表された。 第三者委では、関係者等に対するヒアリング(延べ約100名)、関係資料の分析、検証(画像解析の外部委託も含む)、関係場所の往査、日大アメフト部部員に対するアンケート調査、他大学アメフト部監督等に対する意見照会などの調査を行った結果として、以下のような事実認定を行っている(中間報告書12頁) A選手の説明は全般的に信用できるものと判断し、これを事実認定の基本に据え、他の信用できる関係証拠も総合考慮し、本件一連の反則行為が内田氏や井上氏の指示に基づくものであったこと及び当該指示が相手選手に対する傷害の意図を含むものであったとの認定に至った。他方、これに反する内田氏及び井上氏の説明は、不自然かつ不合理で、信用できる関係証拠とも矛盾することなどから、信用することができない。 そして、第三者委は、このような事実認定を前提に、以下のように述べて、内田・井上両氏を「断罪」している。 A選手の行為自体、決して許されるものではないが、それを指示しておきながら、これを否定して不自然・不合理な弁解を重ねるばかりか、A選手との認識のかい離であるとかA選手の勘違いであるなどと責任回避の態度に終始する内田氏、井上氏にはアメフト指導者としての資質が決定的に欠けているといわざるを得ない。 今回の警視庁の捜査結果では、第三者委で、内田・井上両氏が「反則の指示」をしたと認定し、「断罪」した根拠の大半が否定され、「傷害を負わせる意図はなかった」という正反対の結論となった。なぜ、第三者委の調査と警察の捜査とで正反対の事実認定となったのか』、大いに興味をそそられるポイントだ。
・『前記朝日記事に書かれた警察の捜査結果との比較で第三者委報告書の調査結果を見ると、問題は次の3点に集約できる。 第1に、「危険タックル」を行ったA選手の「反則タックルを指示された」との供述の信用性を全面的に肯定したこと、第2に、内田・井上両氏の供述の信用性を否定したこと、そして、第3に、選手への指示に関して、「相手方に怪我をさせることの認識」がどの程度であれば違法なのかという問題である』、なるほど。
・『A選手の供述の信用性の肯定  第三者委は、以下のように述べて、「内田・井上両氏から精神的重圧を受ける中でルールを逸脱した危険なタックルの指示を受け、それを実行した」とのA選手の供述の信用性を全面的に肯定している(中間報告書12頁)。 A選手の説明は、本件反則行為に及んだ経緯・状況等について、全体として、他の選手等の関係者の説明等の関係証拠ともよく符合し、内容においても合理的かつ自然で、疑問を差し挟むところは見られない。また、A選手が、自己に不利な内容も含めて詳細な説明をしていること、自ら犯した反則行為の重大性を認識して深く反省し、負傷させたB選手を始め関係者へ強い謝罪の意を表するとともに、自己の責任を自覚し今後アメフトのプレーを断念するとの決意を固めるなど、その姿勢に保身の意識は感じられないこと、自ら公開の場に姿を現し記者会見を行ったことはそのような姿勢の表れと評価できることなどから、A選手の説明には基本的に高度の信用性が認められる。 A選手は、動画がネットで拡散し、その後、テレビ等で繰り返し映し出されている「ルールを逸脱した危険タックル」を行った当事者であり、それによって被害者の関学選手が傷害を負ったことについての直接の責任を負う。それが監督・コーチの指示によるものだったという点については、A選手がパワハラ的環境で追い詰められた精神状態にあったとすると、本人としては、記憶しているとおりに供述していても、監督・コーチの発言内容についての受け止め方が、相手方の真意と異なる可能性もある。 報告書は、「自ら公開の場に姿を現し記者会見を行ったことはそのような姿勢の表れと評価できる」と述べているが、記者会見の中で、自己の「危険タックル」についての反省謝罪の部分についてはそう言えるとしても、監督・コーチの指示によるものだったことについては、自ら記者会見を行ったこと自体が供述の信用性を肯定する理由にはなるわけではない』、郷原氏の冷静な判断はさすがだ。
・『内田・井上両氏の供述の信用性の否定  第2の点、すなわち、内田・井上両氏の弁解の信用性に関して第三者委が重視したのが、「内田氏が本件危険タックルを当該時点で認識しながら、あえてA選手のプレー続行を容認していた事実」の有無であり、それを肯定し、「A選手による危険タックルは内田氏の想定外の行動ではなく、あらかじめ了解していたものと強く推認できる」という結論を導いた。 この点についての内田氏の認識の根拠としたのが 内田氏は、その直後、井上氏から、「Aがやりましたね。」と報告を受け、「おお。」と言ってこれに応じている。という事実だった。しかし、この事実は、警察の捜査で、「この場面で両氏が視線を合わせていない」という理由で否定された。ただし、「視線を合わせていない」だけで、会話があったことを否定する根拠になるのかは、若干疑問だ。 また、内田氏が本件危険タックルを自身の目で見ていたかどうかについて、第三者委は、 客観的に検証することは困難であったが、日大チームは本件危険タックルにより15ヤードの罰退を科されているのであって、仮に本件危険タックルを見ていなかったというのなら何が起こったのかを周囲の関係者に尋ねるのが通常と思われるところ、内田氏が当時誰かに確認したような事実は一切見当たらない。だとすれば、内田氏は、当時本件危険タックルを自身の目で見ていたか、少なくともその視界に捉えていたものと認めるのが相当であろう。としていた。 しかし、警察の捜査結果では、内田氏の視線はボールを追っており、悪質タックルを見ておらず、インカムをつけていなかったために他のコーチからの報告も聞いていなかったとされている。第三者委が指摘している「大音量でアナウンスされていた」かどうか、それによって内田氏が反則の内容を認識していたかどうかの説明はない。内田氏が15ヤード罰退の理由を何によるものだと考えていたのかも、不明だ。 このように、警察の捜査結果で、内田・井上両氏の供述の信用性についての疑問がすべて解消されたわけではない。 警察の捜査結果が、消極のほうに傾いたのは、両氏の供述の信用性以外の理由だったと考えることもできる』、謎解きの腕はなかなかのものだ。
・『スポーツ中の行為への傷害罪のハードルの高さ  第3の問題は、スポーツの中での相手選手に怪我をさせる行為を傷害罪に問うことのハードルの高さである。 スポーツの中での選手の行為を傷害等の刑法犯に問われたケースというのはほとんどない。アメフトは、格闘技に近い、選手の体が激しくぶつかり合うスポーツであり、プレーによる負傷の可能性があることを予め了解した上で試合が行われる。もちろん、危険なプレーを禁止するルールがあり、そのルールの範囲内でプレーを行わなければならない。しかし、反則を犯して相手に怪我をさせたとしても、それがただちに傷害罪に当たるわけではない。実際の試合では、反則が行われることも、それによって選手が負傷することは、「想定の範囲内」であり、選手はそれを前提に自分の身を守るしかないことを承知の上で出場しているのである。 今回のA選手の「危険タックル」は、単なるルール違反からは逸脱したものであり、それを、意図的に行ったとすれば、実行した本人には傷害罪が成立する可能性が高い。そのような危険タックルを行うことについて、内田監督と井上コーチが、実際にA選手が行ったような「単なるルール違反」ではない「アメフトのプレーから逸脱した危険タックル」を行わせて、相手方選手に怪我をさせることを意図し、それを指示したのであれば「傷害の共謀」があったということになる。 しかし、選手を指導する立場にある監督・コーチが、「危険タックルで相手選手に怪我をさせることを指示する」というのは、「関学アメフト部に対して特別の動機」があれば別だが、通常は考えにくい。基本的に、内田・井上両氏が傷害罪で起訴される可能性は限りなく低いと考えるのが、刑事実務からの常識的な判断であろう。警察の説明は、内田・井上両氏の供述の信用性に関する説明が大部分だが、実質的な理由は、むしろ「アメフトのプレーから逸脱した危険タックル」を行わせて、相手方選手に怪我をさせる意図の立証の困難性にあったのではないか。 そのような見通しは、元検察官中心の第三者委側でも十分に認識できたはずだ。それにもかかわらず、第三者委の報告書が、内田・井上両氏の傷害罪の認定につながるような証拠評価を行ったことの背景には、第三者委設置当時、この「危険タックル問題」での内田・井上両氏について「有罪バイアス」が働いていたことが影響しているように思える』、「元検察官中心の第三者委側でも」「有罪バイアス」が働いたとは、人間の心理の揺らぎ易さを物語っているのだろう。
・『第三者委員会への「有罪バイアス」  アメフトの試合中に、パスを投げ終えて無防備だった関学大選手に背後からタックルするという「危険極まりない異常な反則プレー」の動画が、試合直後からネットで拡散されたことで一気に批判が炎上し、しかも、反則を受けた側(選手の父親や関学大)が、危険タックルを行った日大選手ではなく、日大アメフト部や監督・コーチを批判したことから、日大アメフト部に対する批判が高まった。しかも、その後、反則プレーを行ったA選手が顔を出して謝罪の記者会見を行ったことの「潔さ」が評価される一方、会見で反則指示を全否定した内田・井上氏側の「往生際の悪さ」が対照的にとらえられたことで、批判は、内田・井上氏側に集中することになった。さらに、記者会見での日大の広報担当者と集まった記者との間で口論のようなやり取りがあったことなど、日大側の危機対応の拙さもあって、大学への反発が高まり、日大アメフト部と日大への社会的批判は最高潮に達した。こうした中で、反則指示の有無に関して、両氏に有利な意見・結論が出しづらい状況であった。 しかも、第三者委設置後の6月11日には、ヒアリングに応じた被害選手の父親が、担当の弁護士の発言を自身のフェイスブックで公表して第三者委の弁護士の中立性に疑問を呈したこと、日本大学教職員組合が「大学側の意向に沿った調査報告書等を出したら、弁護士としてプロフェッションとしての見識が問われることになる」などの意見を発表したことが報じられた。 このような「有罪バイアス」の高まりの中で、第三者委としては、内田・井上両氏が傷害の意図で危険タックルの反則を指示したことを明確に認定し、両氏を厳しく断罪せざるを得ない状況に追い込まれていったとみることができる。 今回、警察が、告訴事件を検察庁に送付した段階での捜査結果の公表という異例の措置に踏み切ったのも、有罪視一辺倒の世の中の見方を否定するために、相応の根拠を示す必要があると考えたからであろう』、第三者委が置かれた当時の状況は、確かに「有罪バイアス」が働き易かったようだ。
・『今後の展開  今回、警視庁は被害者から告訴されている内田・井上両氏の傷害被疑事件を、A選手とともに検察庁に送付したので、処分は、検察官の判断に委ねられることになる。第2の点に関しては、前記の通り、公表された警察の捜査結果だけではまだ釈然としない点もあるが、捜査した警察が消極判断を示している以上、内田・井上両氏を検察官が起訴することはないと考えてよいであろう。 問題は、今回の捜査結果の公表によって、今後どのような社会的影響が生じるかである。 理事を解任され、懲戒解雇された内田氏は、日大を提訴しており、今回の捜査結果は、訴訟に大きな影響を与える。その上、今後、内田氏を「断罪」したマスコミが名誉棄損で訴えられる可能性もある。問題となる報道の大半は、第三者委の報告書が出る前に行われている。この場合、第三者委の報告書は、マスコミ側の報道内容の真実相当性を裏付けるはずだったが、警察の捜査結果がそれに対する「有力な反証」となる。 また、日大にとっては、「内田・井上両氏が、傷害の意図で反則タックルを指示し、A選手が実行した」との事実を前提に、第三者委員会から提言された原因分析・再発防止策を、今後の対応において、そのまま維持するのかどうかも問題になる。 第三者委報告書が両氏を厳しく「断罪」した記述が名誉棄損だとして、それを公表した日大と第三者委側が内田・井上両氏から訴えられることもあり得ないわけではない。 重大な組織の不祥事で信頼が失墜した場合に、信頼回復のための「切り札」とされる「第三者委員会」だが、事案の中身によっては、調査の在り方や報告書の内容について非常に困難な問題が生じ得ることを示していると言えよう』、「日大と第三者委側が内田・井上両氏から訴えられることもあり得ないわけではない」、「第三者委員会」とは本当に難しいもののようだ。
タグ:日本のスポーツ界 (その24)(野球はいつから球児にとって「苦しいだけのスポーツ」になったのか 筒香嘉智が「勝利至上主義」を問う、宮川選手への反省文要求で露呈した 体操協会の根深いパワハラ体質、「日大危険タックル事件」 第三者委と警察はなぜ正反対の結論になったのか) 筒香 嘉智 「野球はいつから球児にとって「苦しいだけのスポーツ」になったのか 筒香嘉智が「勝利至上主義」を問う」 暴言を受ける子どもたち 『空に向かってかっ飛ばせ!』 過剰なまでの「勝利至上主義」が蔓延する少年野球界に疑問を投げかける一冊 怒られると、子供たちは委縮 「またエラーして怒鳴られるのか」「打てなくて叩かれるのか」… 一度そんなふうに思ってしまえば、よいプレーはなかなか生まれません 小さい頃から無理に投げ続けたせいで、肘や肩を痛めて手術する子供はかなりの数にのぼるはずです アメリカではメジャーリーグ機構が年齢別に「このくらいまでなら投げさせても大丈夫」という球数のガイドラインをはっきりと提示 堺ビッグボーイズの先進的な取り組み 少年野球のモデルケースになる 子供たちの体力や個性に合わせて練習をカスタマイズする 野球は本来、たのしいもの 指導者に言われるままにやるのではなく、自分の頭で考えて練習を積み重ねる 小林信也 ダイヤモンド・オンライン 「宮川選手への反省文要求で露呈した、体操協会の根深いパワハラ体質」 日本体操協会 宮川紗江選手に反省文の提出を求めた 「僕はこの処分がパワハラだと思います」 宮川選手と池谷さんを一方的に罰し、今後の言動や行動を規制するような決定に違和感を覚えた人々が少なからずいたのではないだろうか 問題のあった当事者のすべてを罰し、問題発言のすべてを断罪 「もう自由な発言はできない」「メディアには素直に言えない」と感じるのが普通だろう 協会に所属する選手や指導者、関係者たちの発言や心理までも支配する方向で動いている “レジェンド”の名誉を過剰に守る結論を導いた、調査の恣意性 報告書は、功労者であり、ヒーローであった塚原光男氏と千恵子氏の名誉を守る内容 夫人ともども任期を待たず、公職から退くことを明言 断罪されなくても自ら「居座らない」ことを約束した。それであるなら、過剰にレジェンドに泥を塗る必要はないではないか メディアの中にも働いていた 3ヵ月経って、ほとぼりが冷めたころ、あの第三者委員会の報告を絶対的な事実のように根拠づけて、各方面をバッサリとやった 「オリンピックが最高の舞台」だからこそ逃れられない選手たち エンパワーメント 「人生の選択肢を広げる」「自分で決める力をつける」 スポーツ界はなぜ、「自分で考えない体制」を目指し、「組織で決めた方針以外は議論も遮断する」、前時代的な体質を維持し続けるのか 相撲協会、高野連にもはびこる旧態依然としたスポーツ界の支配体質 日本体操協会も、日本高野連も、根本的な組織改革と人事刷新をしなければ、社会に責任を果たせないと私は感じる 郷原信郎 同氏のブログ 「「日大危険タックル事件」、第三者委と警察はなぜ正反対の結論になったのか」 アメフト 危険なタックルをして負傷させた問題 警視庁は、タックルをした男子選手を傷害の疑いで書類送検し、内田正人・前監督と井上奨・元コーチについては、試合映像の解析や関係者への聴取結果などから選手への指示は認められなかったと判断し、容疑はないとする捜査結果の書類を送付 警視庁の捜査結果と第三者委員会の調査結果 第三者委は、このような事実認定を前提に、以下のように述べて、内田・井上両氏を「断罪」している。 A選手の行為自体、決して許されるものではないが、それを指示しておきながら、これを否定して不自然・不合理な弁解を重ねるばかりか、A選手との認識のかい離であるとかA選手の勘違いであるなどと責任回避の態度に終始する内田氏、井上氏にはアメフト指導者としての資質が決定的に欠けているといわざるを得ない 今回の警視庁の捜査結果では、第三者委で、内田・井上両氏が「反則の指示」をしたと認定し、「断罪」した根拠の大半が否定され、「傷害を負わせる意図はなかった」という正反対の結論 第1に、「危険タックル」を行ったA選手の「反則タックルを指示された」との供述の信用性を全面的に肯定 第2に、内田・井上両氏の供述の信用性を否定したこと 、第3に、選手への指示に関して、「相手方に怪我をさせることの認識」がどの程度であれば違法なのかという問題 A選手の供述の信用性の肯定 内田・井上両氏の供述の信用性の否定 警察の捜査結果で、内田・井上両氏の供述の信用性についての疑問がすべて解消されたわけではない 消極のほうに傾いたのは、両氏の供述の信用性以外の理由だった スポーツ中の行為への傷害罪のハードルの高さ 第三者委設置当時、この「危険タックル問題」での内田・井上両氏について「有罪バイアス」が働いていたことが影響 第三者委員会への「有罪バイアス」 日大アメフト部と日大への社会的批判は最高潮に達した 被害選手の父親が、担当の弁護士の発言を自身のフェイスブックで公表して第三者委の弁護士の中立性に疑問を呈した 日本大学教職員組合が「大学側の意向に沿った調査報告書等を出したら、弁護士としてプロフェッションとしての見識が問われることになる」などの意見を発表 「有罪バイアス」の高まり 今後の展開 懲戒解雇された内田氏は、日大を提訴しており、今回の捜査結果は、訴訟に大きな影響 第三者委報告書が両氏を厳しく「断罪」した記述が名誉棄損だとして、それを公表した日大と第三者委側が内田・井上両氏から訴えられることもあり得ないわけではない 「第三者委員会」だが、事案の中身によっては、調査の在り方や報告書の内容について非常に困難な問題が生じ得ることを示している
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