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薬物(その1)(ピエール瀧「薬物問題」の一考察〜日本は世界から10年遅れている…いまだ根深い2つの誤解、覚せい剤の乱用文化は日本起源だった、「依存症で失ったもの」は治療で取り戻せる) [社会]

今日は、薬物(その1)(ピエール瀧「薬物問題」の一考察〜日本は世界から10年遅れている…いまだ根深い2つの誤解、覚せい剤の乱用文化は日本起源だった、「依存症で失ったもの」は治療で取り戻せる)を取上げよう。

先ずは、筑波大学教授(臨床心理学・犯罪心理学)の原田 隆之氏が3月16日付け現代ビジネスに寄稿した「ピエール瀧「薬物問題」の一考察〜日本は世界から10年遅れている…いまだ根深い2つの誤解」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63554
・『突然の逮捕劇  人気ミュージシャンで俳優のピエール瀧さんがコカイン使用の容疑で逮捕されたというニュースが駆け巡った。 ワイドショーやネットはこのニュースでもちきりで、各社が大々的に報道している。そして、その報道ぶりを見て、私は「またか」という暗澹たる気持ちになっている。 大前提として、コカインは違法薬物であり、それを使用することは犯罪である。その事実には異を唱えるつもりはないし、擁護する気持ちもない。 とはいえ、いくら有名人だからとって、この洪水のような「一億総叩き」現象は何だろうか。 かつて有名人が覚せい剤や大麻などの違法薬物使用容疑で逮捕されたときも同様だったが、家族を引っ張り出したり、ここぞとばかりに人格攻撃をしたり。かと思えばタレント仲間が、「そういえば前からおかしかった」などと「証言」をしたり。毎度のことであるがうんざりする』、私も全く同感である。こんなニュースはせいぜい1、2回流せば済むことで、連日、報道するほどのニュースとは到底、思えない。
・『メディアの対応  報道の流れを見ると、大きく2種類の方向性があるのがわかる。1つは、今述べたような攻撃的な内容と、もう1つは逮捕の影響を懸念する(あるいは面白がる)内容である。 後者に関しては、彼が関係している出演作やCMなどをリストにして、番組休止になるのか、上映差し止めになるか、などと大騒ぎしている。 NHKの大河ドラマを始め、数多くの人気作、話題作に出演している人気俳優であるから、その影響は計り知れない。また、所属バンドである電気グルーヴが、ちょうど結成30周年の記念ライブツアーの真最中であったことも大きな話題となっている。 ツアーについては、早々に中止が決まり、出演作も降板や放送中止となったものがある。NHKは、大河ドラマについては「検討中」であるとしているが、ホームページからは顔写真が削除され、オンデマンド配信は中止したという。 この足並みのそろった「素早い」対応には驚くばかりであるが、テレビのコメンテーターのなかには、「何もそこまでしなくても」という意見を述べる人々もいた。つまり、出演者と作品は分けて考えるべきであるとの意見である。 また、つい先ごろ、別の人気俳優が強制性交罪の容疑で逮捕されたばかりであるが、あのときは被害者のいる犯罪で、今回はそうではないから過剰に反応しすぎであるとの意見も見られた。 これまでもこのような過剰反応には、たびたび疑問の声が上がっている。 テレビ局がスポンサーや視聴者の反応を気にするのはわかるが、事なかれ主義を第一にして、貴重なドラマや映画、音楽を封じてしまうことについて、もっと議論をしたほうがよいのはたしかである』、「出演者と作品は分けて考えるべきであるとの意見」には、私も賛成だ。「事なかれ主義」による過剰反応には呆れ果てる。
・『メディアの攻撃  しかし、私がそれ以上に問題視しているのは、もう1つの報道姿勢のほうである。すなわち、先に「一億総叩き」と形容した容疑者への洪水のような攻撃についてである。 番組差し止めに対して多様な意見があったのとは対照的に、こちらは右を見ても左を見ても同じように攻撃的な意見ばかりで、ほとんど異論がないのが特徴だ。 主要なテレビ各局・新聞各紙は軒並み「大事件」のように報道し、なかには父親にインタビューしている局もあった。ピエール瀧さんは、51歳だそうだが、その父親を引っ張り出して、何を聞きたいというのだろうか。 また、インターネットの「J-CASTニュース」では、ライターが「ピエール瀧は芸能界を永久追放すべきだ」と主張している(少し日本語が下手なので添削すると、「ピエール瀧を芸能界から……」というのが、正しい日本語だろう)。 そして、その理由として「本人を罰するというだけでなく、汚染・中毒が若者ら一般社会に広まるのを防ぎ、犯罪組織の資金源になっていることをつぶすためだ。交通事故を起こしたのとはわけが違う」からだと述べている(この日本語も添削したくなるところが多々ある)。 法律の世界では、一人を罰することによって他の多くの人に犯罪を思いとどまらせようとすることを「一般予防」という。しかし、その効果はさほど大きいものではない。 もし、それを主張するならば、その実際の抑制効果のエビデンスと、本人に及ぼすネガティブな効果を示して、そのバランスを考えて主張すべきである。 なんの根拠もなく、ヒステリックに「永久追放すべきだ」などと主張することは、「見せしめにしろ」と言っているのと同じで、時代遅れも甚だしい野蛮な意見でしかない。 このような総叩きのなかで、1人異色のコメントをしていたのが、獨協大学の深澤真紀特任教授である。 彼女は、「今は薬物に対して厳罰主義というより治療だ」と述べ、継いで「世界中で言われていることは非犯罪化・治療していくんだということ」「日本は法律が50年以上変わってないので、治療の現場が全く変わっていく中で、『この法律でいいのか』というのは世界中で論議されているんですね」と語っていた。 この発言を聞いて、私は「おやっ、テレビのコメンテーターがこのような発言をするとは、世の中も少しずつ変わってきてるのか」と思ったのだが、どうもそうではないようだ。 夕方のネットニュースでは、「深澤氏、ピエール瀧容疑者を擁護し批判殺到」という記事がアップされていた。やはり彼女の意見は、「異端」だととらえられたようで、世の中はそう簡単には変わっていないのかもしれない。 とはいえ、ツイッターなどネット掲示板などで、どれだけ彼女が叩かれているのか調べてみたが、実際は「批判殺到」というにはほど遠い現状であった。 もちろん、批判の声はいくつかあったが、擁護する意見もあった。この状況を一番的確に表現すると、批判殺到でも擁護でもなく「スルー」、つまりほとんど関心を持たれていないというのが正しい状況であった。 そして、もう1つ明らかに言えるのは、「批判殺到」などという大げさな見出しで記事を書いたライターが、深澤氏の発言を快く思っていないということである。そのため、このようなミスリーディングな記事を書いたのであろう。 叩くだけたたいてあとは無関心、これがわが国の現状である』、深澤氏がまともなコメントをしていたのは初めて知ったが、ネット掲示板では「スルー」されたのは、ネット掲示板のレベルを示しているのだろう。
・『世界の薬物政策  それでは、世界の薬物政策がどのようになっているのか、その現状を見てみたい。 日本ではほとんど話題にもならなかったが、2016年に国連総会は、薬物問題に対する特別セッションを開いた。これは前回のセッションから実に10年ぶりのことであった。 10年前、世界は「薬物戦争」を旗印に、薬物犯罪を徹底的に取り締まり、厳罰で対処することを決めた。まさに今の日本はその延長線上にある。 しかし、その結果、薬物問題は収まりを見せるどころか、よくて横ばいという状況であり、厳罰化に伴って刑務所がパンクする国もあちこちに現れた。 さらに、その後の研究の積み重ねによって、次の2つの事実が明確になってきた。 1 薬物依存は「脳の病気」である 2 処罰には再犯抑止効果がなく、治療にこそ効果がある このような流れを受けて、2016年の国連総会は、10年前とは打って変わり、次のような決議を取りまとめるに至った。 1 薬物プログラム、対策、政策の文脈において、すべての個人の人権と尊厳の保護と尊重を促進すること 2 すべての人々、家族、社会の健康、福祉、幸福を促進し、効果的、包括的、科学的なエビデンスに基づく治療、予防、ケア、回復、リハビリテーション、社会への再統合に向けての努力をすること ここで謳われているのは、第1には薬物使用者の人権の尊重である。 薬物使用が犯罪であれば、それは法に従って処罰されることは法治国家としては当然であるが、ことさらに辱めたり、苦痛を与えたりすることなどは、決して許されるべきものではない。 また、「効果的、包括的、科学的なエビデンスに基づく」バランスの取れたアプローチを取るように求めている。 これは、それまでの処罰一辺倒だったアプローチから、予防、治療、教育、福祉などのヒューマンサービスを重視する公衆衛生的なアプローチへの大転換である』、世界の潮流に日本はまたしても「乗り遅れている」ようだ。先の深澤氏はこうした考え方を踏まえたものだったようだ。
・『一方わが国では  これが世界の潮流であり、多くの国がこうした方向に向けて、法整備やサービスの拡充などを行っている。 日本が今までのように、薬物使用者を吊し上げて社会的な制裁を加え続け、治療や福祉の拡充をせず、ただ単に刑務所に放り込むだけで社会から排除するような対処を続けるのであれば、それは国連決議違反である。 そして、それは世界的に見ると10年以上遅れた時代錯誤の対処である。 深澤氏の発言への反論として、ネット上に上がっていた声のなかには、「それは西欧諸国だけの話であって、アジアは違う」「中国では死刑になることすらあるので、日本はなまやさしいほうだ」などの意見があった。 これらは大きな誤解に基づく意見である。たしかに、薬物に対する政策転換は、ヨーロッパから始まったものであるが、今や世界中の多くの国々にも波及している。 私は今年1月にタイの薬物統制委員会を訪れたが、そこでは2016年の国連決議を受けて、薬物政策を大きく転換していることを伺った。実際、タイでは薬物使用の非刑罰化政策が進んでいる。 「薬物戦争」を宣言し、大々的な反薬物キャンペーンを張っているフィリピンですら、薬物使用だけで刑務所に入れられることはない。 薬物使用は、司法当局ではなく、保健省の管轄である。大多数は社会内で治療サービスを受け、重症者だけが保健省管轄のリハビリセンターに収容されて治療を受けている。 また、中国で死刑になることもあるのは、薬物使用ではなく薬物密輸などの罪である。 どの国も薬物使用と薬物密造・密売などは厳密に区別をしており、後者に対しては、厳しい罰が加えられる。これは西洋諸国でも同じであり、この両者を混同してはならない』、あの「フィリピンですら、薬物使用だけで刑務所に入れられることはない」のに、日本ではいまだに「薬物使用と薬物密造・密売など」が混同されているというのは、自己批判も込めて恥ずかしいことだ。
・『もう1つよくある誤解は、非犯罪化(多くは非刑罰化)と合法化を混同してしまうことである。大麻については、合法化する国がいくつかある。 しかし、ほとんどの国でなされているのは、非刑罰化である。国連条約でも違法薬物は大麻も含め、法律で規制すべきであるとされているし、その使用は犯罪であることには変わりがない。 国連決議が求めているのは、刑罰に効果がない以上、刑罰に代わって治療などの方法で対処しようと言っているにすぎない。 わが国は世界に誇れるほど薬物使用の少ない国である。ただ、その一方で、薬物使用者をヒステリックに叩くだけ叩いて、社会から抹殺しようとしている国でもある。 日本の刑務所職員が好んで用いる言葉に次のような言葉がある。これは網走刑務所前にある石碑にも刻まれた言葉である。 私の手は厳しいけれど、わたしの心は愛に満ちている 私はこの言葉をもう一度噛みしめたいと思う』、日本のマスコミの不勉強ぶりには猛省を促したい。

次に、古い記事だが、医師の立場から、2017年4月12日付けナショナル・ジオグラフィックが掲載した国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究者の松本俊彦氏へのインタビュー「覚せい剤の乱用文化は日本起源だった 国立精神・神経医療研究センター 薬物依存症 松本俊彦(3)」を紹介しよう。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/040500003/041100003/
・『覚せい剤をはじめ、違法な薬物の事件報道が時おり世間を騒がせる一方で、薬物依存症は治療が必要な病気でもある。それはギャンブル依存症などでも変わらない。では、依存症はどんな病気で、どんな人がなりやすく、どうやって治すのだろうか。日本における薬物依存症の治療と研究のパイオニアである松本俊彦先生の研究室に行ってみた! 松本さんが所属する国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所は、研究所とはいえ、病院も併設しており、松本さんは臨床の仕事をしつつ、治療プログラムの開発と普及を行う立場だ。 治療対象は、もちろん、流行り廃りはありつつも、覚せい剤依存が一番大きなものだという。お話を伺った2017年2月末の時点では、7割方が覚せい剤とのことだった。 ここまで乱用される覚せい剤には、どんな背景があるのだろうか』、薬物依存症の治療と研究のパイオニアへのインタビューとは興味深い。
・『「実は、覚せい剤、つまりアッパー系の元気が出るいけない薬物は、ほとんど日本独自の乱用文化だったんです。1800年代の終わりに東京帝国大学の薬学部の教授が、喘息の薬として開発したものですし、戦前ではうつ病の治療なんかにも使われていました。第二次世界大戦中には、軍需工場で夜通し働かせたり、神風特攻隊の人たちがそれをキメて突っ込んでいったり、軍需品として使われました。戦争が終わってその軍需品が放出される中で、ヒロポンっていう商品名で流通して、小説家とか新聞記者とか学生みたいな人たちの中で、寝ずに仕事できる、勉強できる薬として広がりました。それで、1951年に覚せい剤取締法ができたわけですよ」 覚せい剤、アッパー系の薬物の乱用文化は日本起源!』、歴史的にみれば、覚せい剤の乱用文化は日本起源、とは驚かされた。確かに、言われてみれば納得できる。
・『たしかに、20世紀なかばのアメリカの映画などで出てくる薬物、例えばヒッピーの若者たちが乱用していたのは大麻や麻薬や幻覚剤だった。 「欧米なんかでは、大麻、ヘロインなどの麻薬など、ダウナー系のボーッとするもののほうが人気があったんです。ところが、アメリカでは1980年代なかばから、まずはコカインが流行し、それよりももっと安くて効きが強いメタンフェタミン、覚せい剤が西海岸を中心に広がりました。日本では、法律によって規制されて、表向きは沈静化していたんですが、逆に地下に潜ってしまって、反社会的な勢力の収入源になってしまいました。1990年代のなかばぐらいから少し流通経路が変わって、注射器を使わずに炙って吸入するものがハワイから逆輸入されるようになりました。注射器のまわし打ちでHIVが広がったりしたので、それを回避する流れです。最初はヘロインをアブリで吸入する方法が発明されて、それから覚せい剤のほうも続いたと言われています。スピードとか、Sとか呼ばれるものです」 これもまた、アメリカ映画の知識だが、コカインの粉末を鼻から吸入したり、ヘロインを炙って吸ったりといったシーンは、常套的な映像表現として使われる。そんな流れの中で、覚せい剤も「アブリ」で使えるものが逆輸入されてきた、というのである』、自ら蒔いた種とはいえ、厄介なものが「逆輸入されてきた」ものだ。
・『そして、今や、覚せい剤は、日本の薬物乱用の中でもトップをひた走る。芸能人が逮捕されて報道されるケースも覚せい剤が多い。その際、ワイドショーはもちろんニュース番組までたっぷり時間を使う。個人的な印象としては、大麻などに比べて、覚せい剤の方が世の中の目が厳しい気がする。 「歴史的には逆ですね。覚せい剤取締法が制定される時期、法曹関係の偉い人や政治家の人たちのなかにも『おれも昔、受験勉強のときにヒロポン使ってたよ』とかいう人もいて、少し甘くなっていたと思います。麻薬及び向精神薬取締法で麻薬中毒者に認定されると、国の中毒者台帳に名前がリストされます。でも覚せい剤はそれがありませんから。とはいっても、1980年代の深川通り魔事件ですとか、覚せい剤乱用歴のある人たちによる凶悪事件があって、だんだん厳しくなってきました」 もっとも、この時の通り魔などは、覚せい剤依存症の典型的な例というのとは違うらしい。よく、覚せい剤を乱用すると、周囲の人が全員、自分に害意を持っているように感じる、というふうな説明がされるが、それは、むしろ、2012年から14年に流行した危険ドラッグの方が激しいそうだ。 さて、こんな歴史的な流れの中で、松本さんが薬物依存の治療の世界に飛び込んだのは、1990年代半ばだ』、「覚せい剤取締法が制定される時期、法曹関係の偉い人や政治家の人たちのなかにも『おれも昔、受験勉強のときにヒロポン使ってたよ』とかいう人もいて、少し甘くなっていた」、というのはさもありなんだ。
・『「神奈川県の精神病院にいたんですが、薬物依存の治療って人気がなかったんです。患者は嘘をつくし、すぐにまた使ってしまうし、背中にモンモン背負った人が来て怖かったり、若い人だったら全身タトゥーでピアスしてたり。若い医師は、すぐ恫喝されて、幻覚作用が問題になっていた睡眠薬の『ハルシオン出せ!』とか言われるし。それで、精神科医としての一通りのトレーニングを終えて、さあこれからどこで働くかという時に、大学医局の誰もが依存症の専門病院に行きたがらなくて、これじゃ決まらないということで、じゃんけんを提案したら、提案した私が負けてしまったっていう経緯です」 だから、松本さんにしてみると、嫌々の着任だった。それまでは、精神救急といういわば精神科版のER(救急治療室)勤務に情熱を燃やしていたのが、いきなり依存症の治療に向き合う羽目になった』、「薬物依存の治療って人気がなかった」というのは確かに理解できる。
・『「誰も薬も酒もやめないし、みんな嘘つきばっかりだし、本当に憂うつになって、嫌々診療してました。それを、見かねた患者さんが、自助グループのオープンミーティングというのに誘ってくれたのが転機でした。このやる気のない若い医者を何とかしようと思ったんだと思うんですよ(笑)。出席したのは、自助グループなので、かつて薬物依存だったけど回復した人たちがスタッフや施設長をやっているんですけど、それがよかったんです」 医師と患者の間には厳密な線引が通常あって、いくら相手が若い医師でも患者側から「これに出てみないか」などとはなかなか言えないし、医師の方も応じないだろう。でも、とある患者と松本さんの間ではそのようなやり取りがあり、松本さんはその話に乗った。この時に、松本さんが出席したミーティングは、薬物依存症者のための自助グループであるN.A.(ナルコティックス・アノニマス)のものだった。 「参加してみると、回復者として自助グループのスタッフが、自分の体験を話すんですよ。それを聞く限り、今は回復している人たちが、自分が手を焼いている患者よりもはるかにたちの悪い患者だったって分かったんです。『え、こんな悪いやつが、変わるの?』って興味深く思ったのがひとつ。あと、確かに依存症の人たちって見栄っぱりで嘘つきで、すぐに自分をでかく見せようとするんだけど、でも、それって突き詰めれば、自分にもそういうところがあるんですよね。もしかすると、人間の一番人間らしいところをグロテスクに集めた病気なんじゃないかって。実際、彼らの生きざまはジェットコースターみたいなんです。ものすごい成功をおさめたり、ものすごい転落もしている。気づいたら、グイグイと引き寄せられて、今に至るっていう感じですね」』、「嫌々診療してました。それを、見かねた患者さんが、自助グループのオープンミーティングというのに誘ってくれたのが転機」、医師が患者に助けられるとは珍しいこともあるものだ。「人間の一番人間らしいところをグロテスクに集めた病気なんじゃないかって」、といのは面白い表現だ。
・『また、ここにいたって松本さんは、個人史の中であまり思い出したくなかった中学時代のことを強く意識するようになったという。 「神奈川県の小田原で育ちました。中学生時代は、1980年ぐらいなんですけど、とてもガラが悪い時期で、不良文化がはやっていました。クラスメイトの半分くらいがシンナーやってたし、校内暴力が吹き荒れてたし、暴走族がいたし、トイレには煙草の吸い殻とシンナーを使った後の袋が転がってるような状態でした。中学3年のときはほとんど授業がなかったんじゃないかな」 今の穏やかな中学校からは想像しがたいが、20世紀には全国的に校内暴力が吹き荒れた時期があった。最悪だったのは世代的に松本さんが中学生だった頃で、日本各地で中学校の窓ガラスが割られ、夜になると盗んだバイクで走り出したり、十五歳の夜の行き場のない怒りややるせなさを爆発させるティーンエイジャーがたくさんいた。同じころ、千葉で高校生だったぼくは、自分が出たばかりの中学校や近くの別の中学校がどんどん荒れていくのをやや遠巻きに見ていた。松本さんは、まさにその時の中学生だったのだ。 「正直言うと、中学卒業して高校に行ったときには、すごくほっとしたんですよ。でもその時、心にひっかかるものもあったんです。荒れている子たちは、実は両親が不安定な状況にあったり、虐待を受けたりとか、子どもながらにも知っていて。依存症の専門病院に赴任したときには、『ああ、中学時代のあの動物園状態に戻っちゃった』と思ったんだけれど、逸脱してしまった人たちへの関心はずっとあったんです。だからこそ、薬物依存症の臨床に惹かれたし、その後、頼まれてもいないのに、少年院や少年鑑別所とかに自分から入り込んで診療したりとかし始めるんです」 依存症と向き合うことは、松本さんにとって、少年期に残してきてしまった課題を解くことでもあった。 薬物依存症からの治療、回復のためのプログラム、SMARPPがここで登場する(第4回へ)』、「依存症と向き合うことは、松本さんにとって、少年期に残してきてしまった課題を解くことでもあった」、というので、ここまでのめり込んで研究している謎が解けた気がする。

第三に、上記の続き、4月13日付け「「依存症で失ったもの」は治療で取り戻せる 国立精神・神経医療研究センター 薬物依存症 松本俊彦(4)」を紹介しよう。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/040500003/041100004/
・『依存症を治療する医師になったものの、松本さんは、当初「いやいや」だった。しかし、「人間の一番人間らしいところをグロテスクに集めた病気」であることに気づいた頃から、むしろ、引き寄せられていったという。やがて、日本ではじめて薬物依存症に特化した治療プログラムを開発するに至るわけだが、一筋縄ではいかなかった。 「前にいた神奈川県の専門病院に赴任した当初、私、半泣きで診療していたと思うんです。だって、治療と言ってもどうやっていいのかわからない。覚せい剤が嫌いになる薬があったらいいのにとか思いましたが、そんなものない。せいぜい薬物の恐ろしさを説教するとか、認知症の人の脳の画像を見せて、長年、覚せい剤を使うとこうなるぞと、詐欺みたいな説明までして、それでも効果が出ない。そこで、予後調査をしてみたんです。その病院で、覚せい剤依存症の人が、初診からわずか3カ月後にどのくらい通院を続けているか。3カ月で治療の効果なんて判定できないんですけど、そもそも治療を続けているかどうか。そうしたらね、3割だけなんです。7割がもう通院をやめてたんです。無理ないですよね。週に1回早起きをして、交通機関を乗り継いで、長い時間待って、金を払って、説教を受ける。これが楽しみでたまらないと思って通うやつがいたらおかしいです」 これは衝撃的な数字だ。非常に低いと言わざるをえない。治療を求めてきた人が、特に快癒したわけでもなく7割方来なくなる、とは……。』、確かに、説教だけでは「7割がもう通院をやめてたんです」というのは納得できる。
・『「実は、薬物依存の患者さんがはじめて病院に来るのって、ほとんど家族やまわりの人が、保健師さんや弁護士さんに相談したりして、本当に苦労して、説得して、はじめて専門病院の外来に来ているんです。それなのに3カ月で7割をドロップアウトさせるんじゃ、どこが専門病院なんだと思いました。逆に3カ月続いていた3割の人たちって、要するに幸運にも、その期間、使わずに済んでいる人が自慢しに来てるんですよね。褒めてもらいたくて。こっちも褒めますし。その調査でも、3カ月続いた人たちの96%は薬を使っていませんでした。これ、短期間とはいえすごくいい数字です。その一方で、途中で使ってしまった人は、情けなくて、かっこ悪くて、あるいは医者から怒られるんじゃないか、通報されるんじゃないかと思って、通院をやめちゃってるんですよ。でも、我々専門医が対応しなきゃいけないのは、わずか3カ月もやめることができずに病院にこなくなっちゃった人たちの方ですよね」 ここで、通院できた3割の人が、「褒められにくる」というのが象徴的だ。 褒められる、つまり、「ドーパミンがドバーッと出る」ような状態を薬物で得てきた人たちが、医師に褒められることを目的に通ってくる。それは、ある意味、治療の一つの形かもしれない。薬物ではなく、人間関係の中において、その回路を発動させる練習というか』、「褒める」ことがこんな症状にまでも有効だとは、人間というのは案外、単純なものなのかも知れない。
・『「結局、覚せい剤をやめられなくても、通院しつづけた方が、予後がいいというのは、海外のエヒデンスでもしっかり出始めていたんです。それで、薬物をやめられなくても通えるプログラムを作れないかと考えていて、モデルになったのが、アメリカの西海岸のマトリックス・モデルという外来治療プログラムです。ここで大事なのが、外来、ということです。それまで依存症の治療というと、みんな入院入院って言ってたんですよ。家に帰った後の断酒や断薬をするための教育入院です。糖尿病の人たちが短期間内科に入院して、食事療法とかいろんなことを勉強しますよね。あれと同じで、それ自体は治療じゃなく、本番は帰ってからなんです。なのに、日本には依存症の外来治療プログラムがなかった。だから、ぼくらとしては、通いでできるプログラムをつくりたい。そのときにマトリックス・モデルっていうのが非常にフィットしたんですね」 マトリックス・モデルというのは、コカインや覚せい剤依存症を対象にしたもので、外来であることと、グループワークを重視した認知行動療法的なアプローチを取るのを特徴とする。それらの要素は、松本さんが開発した「SMARPP(スマープ)」(のちに詳述)にも引き継がれている。 ここでは、視察に訪れた松本さんが、はじめてそのプログラムを見た時の驚きを聞いておこう。 「グループ療法で、患者さんがやってきて『先生、また今朝シャブやっちゃったよ』っていうふうに告白したんです。そしたら、担当していたセラピストがどんな対応したかっていったら、ニコニコしながら『よく来たね』ってハグしたんですよ。『やろうよ、頑張って。よく来た』って言って。これは説教してきた私とは正反対なんです。やっちゃったって言いに来たときこそ、ハグっていうのは大事なんだろうなと思いました」 罰は効かない、説教も効かない。むしろ、「やっちゃった」人には「よく言ってくれたね」とハグを。 実にアメリカらしいといえばそれまでなのだが、松本さんのSMARPPでも、ハグはともかく、「やっちゃった」と告白することはむしろ褒められる』、ここまで徹底して「褒める」とは、さすがである。
・『それでは、SMARPPとはどんなプログラムなのか。やっとそこに入っていける。SMARPPを日本語でざっくり言うと「認知行動療法による薬物依存症治療プログラム」のことだ。  「ワークブックがあって、これはもう市販されています。拘置所に差し入れられる本のベスト3に入っているんですが、大事なのはこれをグループで、読み合わせしながら、専門家と一緒に勉強していくことなんです。ワークブックは、むしろ患者さんと関わるための口実というか。市販されているものは全部で24セッションに分かれていて、それを週1回でやれば、半年間は通わなきゃいけないんですよ。その半年、逆に我々は援助の関係の中に彼らを引きとめることができるっていう」 患者さんとかかわるための「口実」であるワークブックには、もちろん大事なことが書かれていて、拘置所でこれを読んだ人も(もちろん、単純に興味があって読んだ人も)、有益な知識を得られるだろう。 ワークブックをめぐると、日付を記入する欄があり、これを読み合わせていくことが前提になっているのが分かる。第1回「なぜアルコールや薬物をやめなくてはいけないの?」、第2回「引き金と欲求」、第3回「薬物・アルコールのある生活からの回復段階 最初の1年間」というあたりからはじまって……第22回「あなたを傷つける人間関係」、第23回「強くなるより賢くなれ」、第24回(最終回)「あなたの再発・再使用のサイクルは?」に至る。 かなり突っ込んだ内容を、専門家の指導のもとグループで読み合わせていくわけで、その過程で、認知行動療法的なアプローチをとっていることになる。認知行動療法というのは、認知(ものごとに対するとらえ方)の枠組みを変えることで、気分や行動を変化させようとする治療法だ。薬剤の乱用に悩む人にとって、薬をもって制することができるのは、ごく一部の事例(アルコールの断酒剤など)だけで、こういったアプローチの方が成果をあげている。 そして、SMARPPのキモであるのは、こういったワークブックの読み合わせ、勉強会が、そのまま患者を支援の場に引き止める役割を持っていることだ。 「大事なことは、いつでもウェルカムの態勢なんです。失敗しても、来ないより来たほうがいい。孤立させずに、次もまた来たいと思えるようなプログラムにするっていうこと。お茶菓子なんかを必ず出して歓待しますし、尿検査の結果が陰性ならスタンプを押して、プログラムが1クール終わったら賞状を出したり。彼らは、家の中でいつも家族から文句ばっか言われて、周囲からさげすまれて、昔、一緒に遊び歩いた仲間も遠ざかり、今はとても孤独な生活をしてることが多いんですよ。プログラムの中で、あたたかい雰囲気に包まれて、気が楽になって、また来たいと思ってもらえればいいんです。その中で、我々と関わってる期間を延ばしていくと、多くの人たちは、この1クール終わる半年、あるいは2クール目に突入して、8カ月から9カ月くらいのところでかなり安定的な断薬状態になっているんです」。 かつて有効な治療法がないと言われていた薬物依存症だが、今、突破口が見えてきた段階だという』、なかなかよく出来たプログラムのようだ。
・『「もちろん、このプログラムだけでは油断できないんです。ですので、SMARPPのグループ療法の場には、実は回復支援グループの人も副司会者として入ってもらいます。薬剤使用から回復した人たちです。ある意味ロールモデルになって、電話番号なんかも交換して、例えば支援団体がやっているハイキングとか、ソフトボール大会とか、サーフィンしに行ったりとかね。一緒に遊んでるうちに仲よくなって、例えば夜中に薬を使いたくなって苦しくなったときに電話かけて、何とか危ないところを回避したりするんです」 ここまで来ると医療ではなく、地域のサポートだ。それらがシームレスにつながることが、治癒にとって大事になる。 「治療プログラムをきっかけに、自助グループに参加するようになると、そこで一番みんなから尊敬され、歓迎されるのは、初めてやってきた人なんですよ。今日まで、昨日まで酒や薬を使ってた人たち。その人たちがみんなから褒められて、歓迎されて、一番偉いんです。なぜかっていうと、依存症って、別名『忘れる病』なんです。すぐ忘れます。酒やめたって言った人が、3日後に飲んでるって、よくあるじゃないですか。でも、そういう当事者グループに行くと、未来の自分と過去の自分がいるんですよ。その中で、酒や薬のない生活を日々積み重ねていくことができるんです。それで、だいたい3年ぐらいたってくると、随分安定してきて、最初の1年間は、意識して酒や薬をやめてる感じだったのが、自然とやめてる感じになってくるわけです」 3年がひとつの目安、ということだ。いったんできた依存という病は「完治することはできないけれど、取り戻すことはできる」と、松本さんは患者さんたちに伝えているという』、「ここまで来ると医療ではなく、地域のサポートだ。それらがシームレスにつながることが、治癒にとって大事になる」、なるほどその通りなのだろう。
・『なんとか治療と地域のサポートをつなげるというのが、松本さんがSMARPPを開発する時の大きな目標だった。だから、医療ができることというのは、限定的で、むしろ「入口」なのだと強調する。 「よく冗談半分で言ってるんですが、『我々の役割はサイゼリヤだ』って。ほら、昔、私たち、イタリア料理ってナポリタンのことだと思ってましたけど、今ではあれはむしろ日本料理で、イタリアには別の料理があるって知ってますよね。その先鞭をつけたのがサイゼリヤだと。サイゼリヤって、安いし、それなりのイタリア料理を出します。それで、目覚めた人が、コアな専門店に行くようになる。薬物依存症も同じで、奥が深いです。日本みたいに薬物に忌避的な感情がある国で、あえて薬物を使う人たちには虐待の背景がある、といった話、前にしました。そういう深いところでの役割は、地域ごとの自助グループなど、社会資源の方にある。我々、医療側ができるのは、むしろ間口を広げることです」 依存症というのは社会性の病だ。だから、医療ができるのは、正しい入口を設定し、社会のなかでの治癒を促すこと。医療万能の時代に、医療の専門家がむしろ「間口を広げる」ことが主な役割だと自認する。依存症の医学は、そのようなあり方をしている』、薬物依存症の治療の奥深さを知らされた。それにしても、正しく「間口を広げる」松本氏のような名医に巡り合えた患者はラッキーだ。昔ながらの考え方をしている医者はもはやいない、と信じたいが、現実はどうだろうか。 
タグ:医療の専門家がむしろ「間口を広げる」ことが主な役割だと自認する なんとか治療と地域のサポートをつなげる ここまで来ると医療ではなく、地域のサポートだ。それらがシームレスにつながることが、治癒にとって大事になる グループ療法の場には、実は回復支援グループの人も副司会者として入ってもらいます。薬剤使用から回復した人たちです かつて有効な治療法がないと言われていた薬物依存症だが、今、突破口が見えてきた段階 プログラムの中で、あたたかい雰囲気に包まれて、気が楽になって、また来たいと思ってもらえればいいんです ワークブックの読み合わせ、勉強会が、そのまま患者を支援の場に引き止める役割を持っている 読み合わせていくことが前提 その半年、逆に我々は援助の関係の中に彼らを引きとめることができる 全部で24セッションに分かれていて、それを週1回でやれば、半年間は通わなきゃいけない 認知行動療法による薬物依存症治療プログラム 罰は効かない、説教も効かない。むしろ、「やっちゃった」人には「よく言ってくれたね」とハグを 、松本さんが開発した「SMARPP(スマープ)」 コカインや覚せい剤依存症を対象にしたもので、外来であることと、グループワークを重視した認知行動療法的なアプローチを取るのを特徴 アメリカの西海岸のマトリックス・モデルという外来治療プログラム 薬物をやめられなくても通えるプログラム ここで、通院できた3割の人が、「褒められにくる」というのが象徴的だ。 褒められる、つまり、「ドーパミンがドバーッと出る」ような状態を薬物で得てきた人たちが、医師に褒められることを目的に通ってくる。それは、ある意味、治療の一つの形かもしれない 交通機関を乗り継いで、長い時間待って、金を払って、説教を受ける 3割だけなんです。7割がもう通院をやめてた 初診からわずか3カ月後にどのくらい通院を続けているか 「「依存症で失ったもの」は治療で取り戻せる 国立精神・神経医療研究センター 薬物依存症 松本俊彦(4)」 依存症の専門病院に赴任したときには、『ああ、中学時代のあの動物園状態に戻っちゃった』と思ったんだけれど、逸脱してしまった人たちへの関心はずっとあったんです 全国的に校内暴力が吹き荒れた時期 人間の一番人間らしいところをグロテスクに集めた病気なんじゃないかって 参加してみると、回復者として自助グループのスタッフが、自分の体験を話すんですよ。それを聞く限り、今は回復している人たちが、自分が手を焼いている患者よりもはるかにたちの悪い患者だったって分かったんです。『え、こんな悪いやつが、変わるの?』って興味深く思ったのがひとつ 誰も薬も酒もやめないし、みんな嘘つきばっかりだし、本当に憂うつになって、嫌々診療してました。それを、見かねた患者さんが、自助グループのオープンミーティングというのに誘ってくれたのが転機でした 大学医局の誰もが依存症の専門病院に行きたがらなくて、これじゃ決まらないということで、じゃんけんを提案したら、提案した私が負けてしまったっていう経緯 薬物依存の治療って人気がなかった 覚せい剤取締法が制定される時期、法曹関係の偉い人や政治家の人たちのなかにも『おれも昔、受験勉強のときにヒロポン使ってたよ』とかいう人もいて、少し甘くなっていたと思います 今や、覚せい剤は、日本の薬物乱用の中でもトップ 覚せい剤も「アブリ」で使えるものが逆輸入されてきた アメリカでは1980年代なかばから、まずはコカインが流行し、それよりももっと安くて効きが強いメタンフェタミン、覚せい剤が西海岸を中心に広がりました 欧米なんかでは、大麻、ヘロインなどの麻薬など、ダウナー系のボーッとするもののほうが人気があった アメリカ 第二次世界大戦中には、軍需工場で夜通し働かせたり、神風特攻隊の人たちがそれをキメて突っ込んでいったり、軍需品として使われました。戦争が終わってその軍需品が放出される中で、ヒロポンっていう商品名で流通して、小説家とか新聞記者とか学生みたいな人たちの中で、寝ずに仕事できる、勉強できる薬として広がりました 1800年代の終わりに東京帝国大学の薬学部の教授が、喘息の薬として開発したものですし、戦前ではうつ病の治療なんかにも使われていました 覚せい剤、つまりアッパー系の元気が出るいけない薬物は、ほとんど日本独自の乱用文化だったんです 日本における薬物依存症の治療と研究のパイオニアである松本俊彦先生の研究室に行ってみた 「覚せい剤の乱用文化は日本起源だった 国立精神・神経医療研究センター 薬物依存症 松本俊彦(3)」 松本俊彦 ナショナル・ジオグラフィック 国連条約でも違法薬物は大麻も含め、法律で規制すべきであるとされているし、その使用は犯罪であることには変わりがない ほとんどの国でなされているのは、非刑罰化である よくある誤解は、非犯罪化(多くは非刑罰化)と合法化を混同してしまうこと どの国も薬物使用と薬物密造・密売などは厳密に区別をしており、後者に対しては、厳しい罰が加えられる フィリピンですら、薬物使用だけで刑務所に入れられることはない 世界的に見ると10年以上遅れた時代錯誤の対処 一方わが国では それまでの処罰一辺倒だったアプローチから、予防、治療、教育、福祉などのヒューマンサービスを重視する公衆衛生的なアプローチへの大転換 薬物使用者の人権の尊重 2 すべての人々、家族、社会の健康、福祉、幸福を促進し、効果的、包括的、科学的なエビデンスに基づく治療、予防、ケア、回復、リハビリテーション、社会への再統合に向けての努力をすること 1 薬物プログラム、対策、政策の文脈において、すべての個人の人権と尊厳の保護と尊重を促進すること 2016年の国連総会 2 処罰には再犯抑止効果がなく、治療にこそ効果がある 1 薬物依存は「脳の病気」である その結果、薬物問題は収まりを見せるどころか、よくて横ばいという状況であり、厳罰化に伴って刑務所がパンクする国もあちこちに現れた 10年前、世界は「薬物戦争」を旗印に、薬物犯罪を徹底的に取り締まり、厳罰で対処することを決めた。まさに今の日本はその延長線上にある 国連総会 世界の薬物政策 「世界中で言われていることは非犯罪化・治療していくんだということ」「日本は法律が50年以上変わってないので、治療の現場が全く変わっていく中で、『この法律でいいのか』というのは世界中で論議されているんですね」 「今は薬物に対して厳罰主義というより治療だ」 獨協大学の深澤真紀特任教授 異色のコメント 法律の世界では、一人を罰することによって他の多くの人に犯罪を思いとどまらせようとすることを「一般予防」という。しかし、その効果はさほど大きいものではない 「一億総叩き」と形容した容疑者への洪水のような攻撃 メディアの攻撃 過剰反応 1つは逮捕の影響を懸念する(あるいは面白がる)内容 1つは、今述べたような攻撃的な内容 2種類の方向性 メディアの対応 その報道ぶりを見て、私は「またか」という暗澹たる気持ちになっている 「ピエール瀧「薬物問題」の一考察〜日本は世界から10年遅れている…いまだ根深い2つの誤解」 現代ビジネス 原田 隆之 (その1)(ピエール瀧「薬物問題」の一考察〜日本は世界から10年遅れている…いまだ根深い2つの誤解、覚せい剤の乱用文化は日本起源だった、「依存症で失ったもの」は治療で取り戻せる) 薬物
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