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人権(その2)(『新潮45』休刊に見る日本の「人権問題」のシンプルな本質、日清「大坂なおみ動画」炎上→削除問題の本質 グローバル企業として欠けていた視点とは、ファミマ人種差別抗議に見る 日本が「リスペクト後進国」である理由) [社会]

人権については、昨年6月24日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(『新潮45』休刊に見る日本の「人権問題」のシンプルな本質、日清「大坂なおみ動画」炎上→削除問題の本質 グローバル企業として欠けていた視点とは、ファミマ人種差別抗議に見る 日本が「リスペクト後進国」である理由)である。なお、タイトルから(LGBTなど)はカット。

先ずは、立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏が昨年10月9日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「『新潮45』休刊に見る日本の「人権問題」のシンプルな本質」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/181531
・『自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」を掲載し、激しい批判を浴びると、さらに右派論客らによる杉田水脈衆院議員擁護の「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」の特集を出し、寄稿する作家や学者、翻訳者たちが、次々と「絶縁宣言」を突きつける事態となっていた月刊誌『新潮45』が、遂に「休刊」となった。 だが、今度は「休刊」という形で幕引きを図ろうとした新潮社に批判が集中し始めた。どうしてこのような事態になったのか検証し、LGBT当事者へ謝罪し、今後の防止策を出すべきだというのだ。この問題は、しばらく終息しそうにない』、『新潮45』休刊問題については、昨年9月28日や28日にも右傾化などの切り口で取上げたが、今日は人権問題からである。
・『「人権問題」を難しく考える必要はない  いわゆる「人権問題」というものは、理論的な構築と、現場の経験がさまざまに積み重なった長い歴史がある。難しく議論しようとすれば、いくらでもできるものである。正直な話、「人権」と聞くだけで、腰が引けるような方も少なくないと思う。しかし、実はそんなに難しく考える必要はないのではないかと、思う時がある。 今回の問題についても、杉田議員や彼女を擁護した論者の人権意識がどうだとか、難しく批判するまでもない。至ってシンプルに考えればいい。杉田議員ら、いささか「品格」を欠く発言をされた方々は、端的にいえば、LGBTなどの友人がいないのだろうなと思う。 誰でも同じようなものだと思うが、嫌いな人がいても、いざ眼の前にその人が現れれば、面と向かって罵詈雑言を浴びせることはできないものだ。気まずい思いをしながら、張り付いた笑顔であいさつを交わし、当たり障りのない会話をするものだ。 これは、個人的な人間関係の話だけではない。「人権問題」のような、高尚な問題でも同じことだ。正直に打ち明ければ、筆者は元々、いわゆる「保守的な思想」に染まった人間だった。人権意識が高かったとは、とてもいえなかった。「男尊女卑」的な考えで、女性は結婚したら家に入るべきと考えていたし、特定の民族に対する蔑視感情もあった。筆者は、歴史的に自民党が圧倒的に強い「保守王国」と呼ばれた県の出身だ。保守的になるのは自然なことだった。 だが、現在では「新しい中道主義」(本連載第162回)を進めていくべきだと考えている。「人権」「個人主義」「自由主義」「多様性」「グローバリズム」が筆者の思想の中核だ。筆者の考えが劇的に変わったのは、7年間の英国留学中だった。いろいろ難しい勉強をしたからだが、そのきっかけになったのは、日本では会えないような、いろいろな人と知り合ったからだ』、筆者がかつては「「保守的な思想」に染まった人間だった」とは驚かされた。
・『人権感覚を教えてくれた「世界最強の女」  私が学んだ大学院に、ある女性の教授がいた。インド出身で、専門分野は難民、ジェンダー問題。こういう方に、日本の保守思想など全く通用しない。なにか異論を唱えようものなら、「あなたは人間ではない!」と言われかねないと思った。私は彼女のことを、冗談で「誰も反論できない、世界最強の女」と呼んだものだった。 しかし、セミナーではずっと黙っているわけにはいかない。何かを発言するために、筆者は人権、ジェンダー、難民問題、マイノリティの問題などの勉強を始めざるを得なくなった。今となっては恥ずかしい話だが、要は怖い女性の先生がいて、面と向かって「女ごときが」などとは言えず、先生を怒らせないために勉強を始めたという話だ。 また、この教授だけではなく、大学のコースメートや寮生などには、いろいろな考えを持つ人がいた。休み時間にカフェにいた時、いろいろと話をしていると「民族」「女性」「マイノリティ」「宗教」など、微妙な問題にちらりと触れてしまうことがあった。彼らの顔色が途端に変わり、厳しい口調になった。そうなると、こちらも相手に気を遣って話すことになった。そのようなことが日常的にあるうちに、世界には様々な立場の人がいて、多様な考えが存在するということを、自然に知ることになった』、筆者の考え方を変えた貴重な体験だ。
・『中華系のコミュニティでは男性が料理をしていた  海外に出て、初めて認識したこともあった。日本は、他のアジア諸国よりも「女性の自立」が遅れているということだ。そのきっかけは教室ではなく、意外な場所だった。 大学の寮のキッチンには、毎晩のように中華系の学生が集まってきた。当時は、大陸よりも台湾、香港の学生が多かったが、彼らは別の寮からも集まってきて、中華料理を大量に作って、賑やかに食事をした。私などは、キッチンの隅っこで、ロンドンの中華食材屋で購入した「出前一丁」を、一人で寂しく食べていたものだった。 驚いたのは、この中華系のコミュニティで料理を作るのは男性で、女性はそれを待っていて、食べるだけだということだった。彼らに聞いてみると、それが当然なのだという。私は、アジアは皆、日本と同じように男性上位で、日本の方が女性の自立が進んでいるものと思い込んでいたので、ちょっとした衝撃だった。 そんな時、授業で「M字の谷」というものを学んだ。以下のグラフは、「15歳以上人口に占める労働力人口の割合」である。日本は女性が結婚や出産を機に離職し、育児を終えた後に再び労働市場に戻るというライフコースをとるために、グラフが「M字の谷」となることを示している。 日本の女性の「M字の谷」は、他国と比較して深いといわれている。米国や欧州諸国では、女性は結婚しても仕事を辞めたりしないので、M字の谷はない。一方、アジア諸国はどうだろうか。日本と似ているという先入観を抱きがちだが、実は中国や香港、シンガポール、マレーシア、タイなどアジア諸国も「M字の谷」はない、とタイからの留学生が授業でプレゼンした時は驚いた。 これらの国・地域では、家政婦がいて、家事や子育てを分担することで、結婚をして出産をしても以前と同じように働き続けるという。だから、日本のような、20代後半から女性の就業率が下がるM字の谷はできないというのだ。 そもそも、筆者には、日本がアジア諸国より裕福だという先入観があった。日本より貧しいはずのアジアの人たちが、家政婦を雇えるというのは意外だった。家政婦を雇えるのは、欧米や日本からの駐在員の話だと思っていた。 確かに、国家全体の経済を考えれば、日本が裕福だ。だが、アジア諸国は貧富の差が激しい一方で、富裕層に関しては日本人よりはるかに経済力がある。そんなことを知ったのも、アジアの富裕層出身の留学生たちに接したからだった』、日本の「男性上位」がアジア諸国でも通用しないのを知った意味も大きい。
・『不安定な国から来た留学生の「覚悟」  そして、いろいろな国から来た留学生との交流によって、筆者が理解した最も大事なことは「日本は特別な国ではない」「日本人は特別に能力が高いわけではない」ということだ。以前、この連載で紹介したが、アジア、アフリカ、中東、旧東欧諸国、ギリシャなどから来ていた留学生には、政治的・経済的に不安定な国の出身者がいた(第70回)。 正直、彼らには全く歯が立たなかった。議論をしても、エッセイを書いても、勝負にならないと思った。それは、単純な英語力の差ではない。議論をする際に、ベースとなる教養や経験の分厚さがまるで違うと感じた。最初は、「俺は、世界第二位(当時)の経済大国・日本から来た。アフリカの最貧国の人間に負けるわけがない」と、その現実をなかなか認められなかった。 だが、次第に自分の浅はかな考えを改めていった。彼らは、自分とは全く「覚悟」が違うと気づいたからである。日本人のように、自分の国に依存することができず、個人で自らの進む道を切り開くしかないからだ(第32回)。言い換えれば、「『日本』だから凄い」わけでもなく「『日本人』だから凄い」わけでもない、という当たり前のことに気付いたということだ。 彼らのほとんどは母国に帰国することはなく、欧米に残ってキャリアアップすることを志向した。韓国人で世界銀行、マレーシア人でロンドンの金融機関、メキシコ人でHSBCなど、就職先は多彩だった。 彼らは、人種・国籍・民族性にかかわらず、英国の大学で身に着けた高い専門性のみでグローバル社会を渡っていこうとしていた。それは、当時「日本人は日本企業に就職するもの」「国民は、国家に依存して生きていくもの」というある種の「常識」を持っていた私には、驚きであった。 このように、筆者は英国で、日本国内ではなかなか会えないような人たちに多く接することができた。そして、心の中に持ってきた「日本の保守的な思想」や「日本は凄い国」という考えや、「人種」「国籍」「民族」「宗教」「女性」などへのある種の「偏見」を次第になくすことができた。 それは、自分の考えていたことを、彼らに面と向かって言えなかったことがきっかけだった。自分の考えがとても狭く、偏ったことだと気づき、恥ずかしくなったのだ。それから、世界にある多様なものの考え方を勉強してみたいと思うようになった』、「彼らは、人種・国籍・民族性にかかわらず、英国の大学で身に着けた高い専門性のみでグローバル社会を渡っていこうとしていた」、というのは確かにショックだったろう。
・『日本は実は昔の方が「国際化」していた  近頃よく考えるのだが、日本が「国際化」「グローバル化」しているというが、それは表面的にそう見えるだけなのではないだろうか。確かに、日本への観光客が急増し、外国人の姿を街でよく見かけるようになった。単純労働者も多数入ってきている。既に日本は「移民大国」になっているという話もある。インターネットの広がりで、日本にいながら、外国の情報も簡単に手に入るようにはなっている。 しかし、実は日本人はどんどん内向きになっていて、昔の方が国際的だったのではないかと感じる時がある。昔は,日本中の田舎町で、例えば近所の理髪店のおじさんがジャングルで戦ったことがあり、行軍中に食料が尽きて、原住民から身振り手振りで食料を調達したことがあるなんて、凄い経験を持つ人がゴロゴロいたように思う。 散髪に行くと、そういう「凄い国際経験」を、私らは子どもの時に、街で普通に聞かされた。そして、散髪屋のおじさんは、自分の「武勇伝」を語りつつも、必ず「戦争はこりごりだ。戦争だけはいかん」と、付け加えた。昔の日本人にとって、ジャングルは身近だったのだ。そういう「ある種の国際感覚」が日本中にあったように記憶している。 上の世代の人たちは、はっきり言って「人権感覚」は薄かった。例えば在日の方に対する差別感情などは露骨だったと記憶している。だが、自分も戦争中、海外でつらい経験をしていたからか、「差別される」という相手の立場も理解していたのではないか。あまり汚い言葉をストレートに発したりはしなかったように思うのだ。 それに対して、今は子どもがそういう戦争の生々しい話を聞く機会は、ほとんどなくなったように思う。海外というのは、パソコンの中にあるもので、画像・映像としては知っていても、実感は薄いものである。直接、外国人と関わり、話す機会が多いかといえば、そういうわけではない。だから、外国人の立場や考えていることが想像できない。だから、ヘイトスピーチなど、相手に直接危害を加える、目も当てられないことが起こっているのではないだろうか』、ヘイトスピーチなど排外的潮流は、日本だけでなく、欧米でも強まっているのは残念なことだ。
・『「友達を作る」という当たり前のことができていない  最後に、日本の政界に話を戻したい。昔の自民党議員、特に「党人派」と呼ばれる草の根からたたき上げたタイプの議員は、一兵卒として戦争に行った経験のある人が少なくなかった。前述のジャングルの話や、中国大陸で、戦いで焼け出された母親と子どもが泣いてるのを見たりしたなど、戦争の悲惨さを実感した人が多かったように思うのだ。 また、昔の自民党議員は、東西冷戦期で中国と国交がないなど、アジア諸国との関係が微妙だった時代から、戦前・戦中期から築いた独自の人脈を持つ人も多かったように思う。だから、昔の自民党は「保守」で「民族主義」的な議員でも、中国や韓国などに、今みたいに汚い言葉をストレートに浴びせるようなことはほとんどなかった。 要するに、彼らに難しい「人権感覚」などなかったと思うが、彼らは中国と韓国に古くからの友達がいた。友達のことは、面と向かってそれほど悪くは言えなかったという、単純な話なのだろうと思う。 かつて、中曽根康弘元首相は日韓首脳会談に臨んだ時、「私は民族主義者だから、貴国の民族主義も理解する」と述べたという。こういう感覚が、今の「保守派」を名乗る自民党議員たちに、決定的に欠けているのではないだろうか。 今の自民党議員は、世襲議員が少なくない(前連載第23回)。世襲でない議員は以前に比べれば増えてはいるが、都会の受験エリートが大企業、官庁勤務や、外資勤務の経験を経て候補者公募で議員になるケースが多い。特に若手は、田舎で「戦争はこりごりだ」とジャングルの話を聞かされてきたことはなかっただろう。また、どちらかといえば、戦争を遂行したエリート側の人間の子孫だったりするのではないだろうか。 日本は「格差固定社会」になったと批判されることがあるが、政界は特にそれが酷い。お坊ちゃま・お嬢ちゃまぞろいで、交友関係が狭く、自分の周りには似たような人しかいない。マイノリティの知り合いはいない。外国にも友人などいない。思想信条を広げていく、深くしていくような人生経験を積めていないように思える。だから、信じられないような汚い言葉を、平気で発してしまう。仲間内の集まりでは、もっとひどい言葉を乱発しているという話もある。 『新潮45』の問題など、様々な「人権問題」が起こっている現状である。専門家が侃侃諤諤の議論をするのはいいことだ。だが、事の本質はもっとシンプルなのではないだろうか。人権問題に関する思想的対立などではない。「いろいろな友達を作りましょう」「もっと幅広い経験を積みましょう」という、至極当たり前の基本的なことが身に着いていない人間が、政治家とか識者とか名乗っていることが問題なのだ』、確かにその通りなのかも知れない。

次に、作家のバイエ・マクニール氏が1月25日付け東洋経済オンラインに寄稿した「日清「大坂なおみ動画」炎上→削除問題の本質 グローバル企業として欠けていた視点とは」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/262053
・『・・・日清食品ホールディングスが、カップヌードルの広告の一環として同社所属の大坂なおみ選手などを起用したアニメーション動画を1月23日削除したことが明らかになった。アニメは、リアルテニスの王子様こと錦織圭選手と、テニス界のスーパースター、大坂が登場するが、大坂選手の肌の色をめぐって議論が噴出していた。 筆者を含む多くのなおみファンにとっては、今回の事態は本当に残念なことだ。なぜなら褐色の肌をした女性が日本の大手広告キャンペーンに登場することは少なく、どんなアニメになるか期待が高かったからだ。しかしYouTubeでそのコマーシャルを再生し、その中に褐色の肌をした女性が映っていなかったのを見て、私は本当に落胆した』、信じられないような話だ。
・『ツイッターやフェイスブックで話題に  最初は自分が思い違いをしたのだろうと思った。だが大坂の名前が「ホワイトウォッシングされた」彼女の横に表示されていた。このキャラクターはベッキーのようなテレビタレントや、AKB48のメンバーがモデルだったとしても違和感がないほど個性がなかった。 「私たちは激怒しています」と、愛知県立大学准教授のアブリル・ヘイ松井氏は言う。彼女はバイレイシャル(日本で言うところの「ハーフ」)2児の母でもある。なおみは、私の子どもたちにとってロールモデルですが、彼女の黒人のアイデンティティが否定されています。とても間違っています。あのアニメを子どもたちに見せたら、最初の質問が『なぜ彼女はこんなに白いの?』でした」。 大坂と典型的な日本のアニメキャラクターを「区別」するものはすべて消されていた。で、何が残ったのか? 典型的な日本のアニメキャラクターである。この背景にあるものについて、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムでは外国人が多くの議論を展開した。 憶測の中には陰謀説(「彼女を完璧な訛りの白人にするか、変な訛りの黒人にするか。双方にメリットのないシナリオだ」)から、笑えるもの(「茶色のクレヨンを切らしたのかも」)や、困惑したもの(「日清は顧客が焼そばU.F.O.をすすりながら、人種や民族性の問題を不快にも考えさせてしまうかもしれないと懸念したのか?」)まであった。 そのすべてが日清の広告に反対だったわけでもない。多くの外国人は日本に対して好意を抱いているし、広告を擁護する人の中には「作者はなおみが黒人ハーフということを決定的な特徴だと考えなかったのかもしれない」として、それこそが「人類が目指すべき考え方」という声があった。そのほかにも、「広告制作チームはなおみの肌を黒くしすぎることによって『ブラックフェイス』の批判を受けることに慎重だった可能性があり、より安全で明るい方向性をとったのでは」という声もあった。 こうした議論は彼女の肌の色がいくらか明るくなっていたことは説明になるかもしれないが、鼻の形や髪の毛を徹底的に変えた作者の演出に対する説明はつかない。世界で最も人気のある有色人種の女性が日本アニメ風の普通の女の子になるという、ショッキングな変化に納得できる説明などあるのだろうか。 今回の件について日清は、「『テニスの王子様』の世界観を壊さないよう考えた結果で、(肌を白くすることは)意図的に行ったものではない」(広報部)と説明。広告の製作過程では大坂のマネジメント会社、IMG日本支社とやり取りをして了承を得たとしていたが、アニメ動画が公開された後、アメリカにあるIMG本社が製作過程を把握していなかったとして削除要請があったとしている。今後、新たなアニメ動画を作るかどうかは未定という』、「大坂のマネジメント会社、IMG日本支社」の了承を一応得ていたが、「本社が製作過程を把握していなかったとして削除要請」との経緯の裏に何があったのかは不明だが、致命的なミスとなったことは間違いないようだ。
・『「黒人と日本人のハーフ」が信じられない  一方、ベルギー人と日本人のハーフで写真家の宮﨑哲朗氏は今回の件をこう見る。「日本人アーティストは黒人の肌の色のつけ方をわかっていない。黒さへの『感覚』がない。いつも白人やアジア人の肌の色をつけているからです。でもこのスキルを『学ぶ』必要があります」。 同氏は、「Hafu2Hafu」というハーフのアイデンティティをめぐる世界規模の写真プロジェクトを続けている。これまで彼は日本人と外国人(100カ国に及ぶ)の両親を持つ150名にインタビューし、写真を撮ってきた。 「私のプロジェクトを見るかなり多くの“純粋な日本人”が、プロジェクトに出てくる黒人のハーフもハーフだとはほぼ信じられないようです」と、宮﨑氏は加える。「彼らにとってハーフといえば白人のハーフなのです。ですから、黒人のハーフは日本人のハーフなはずがなく、まして感情面や自己認識の面で『完全に』日本人とは考えていないのです。だから、『白人』の特徴がある人は日本人と関連付けられるのですが、黒人はいまだ『むずかしいこと』なのです」 そしてこれは、増え続けている日本在住の黒人ハーフの日本人や、アフリカ系の人々の間でよく認識されている日本人の態度である。つい昨年末、黒人ハーフの日本人バスケットボール選手であり国民的スターの八村塁はスポーツ専門サイト、ブリーチャー・レポートのインタビューでこう話している。 「日本で自分のことを知らない人しかいない地域にいるのは大変でした。彼らは自分を動物か何かのように見るので……渡米したかったのはそれも理由の1つです。誰もが違う。それは自分にとっていいことだと思いました」 大坂はあっけらかんと自分のルーツを公言している。日本人でも、ハイチ人でも、アメリカ人でもない――彼女はなおみであり、ラベルをつけたがる世界において、その個性と能力で認識されることを何より求める人間である。 この事実がテニスプレーヤーとしての実力同様、大坂を、人種が混ざった先祖を持つ人やバイレイシャルの若者にとってのロールモデルにしている。特に日本において彼女はお手本のような存在だ。感受性が強いこうした若者たちは、ポジティブなアイデンティティを形成したり、健全な自己肯定感をはぐくむのに苦労している』、「彼らにとってハーフといえば白人のハーフなのです」というのは、確かに多くの日本人の偏見を的確に表している。
・『日本人だけに向けた広告ではない  「私の子どもたちが日本のメディアで、自分たちの“代表”を見る機会はほとんどありません」と、アフリカ系の血を引くイギリス人女性の松井氏は言う。 「黒人系の日本人という彼女の存在は、私の子どもたちに『自分らしさ』の意識を与えてくれるのです。彼女のような人々が自分を誇りに思うのを見ることで、子どもたちの日本人、そして黒人としてのアイデンティティが正当化されるのです。彼女を白人のように見せてしまえば、子どもたちにそのままではダメで、正しくないと教えてしまう。これは、私が彼らに感じてもらいたいメッセージではありません」 日本は近年観光客が増加(2018年には3100万人)しているだけでなく、より多くの移民を受け入れることもほのめかしている。さらに多様になり、さらに多くのハーフの子どもが増えることが見込まれるのであれば、日本はこうした多様化の過程における複雑さと向き合う必要がある。これは、顧客基盤を世界に広げようとしている日清のような大企業にも言えることだ。 「HUNGRY TO WIN」キャンペーンの小さな不手際でさえ大きな問題に発展しかねない。日清はこの広告のターゲットはこのアニメを見る日本人だけだと考えているかもしれないが、それは間違った思い込みだ。YouTubeやそのほかのソーシャルメディアで展開されている以上、これはグローバルキャンペーンなのである。つまり、この広告は全世界の顧客に届くものであり、その一部は大坂と同じ肌の色をした人たちだ。 この広告キャンペーンに(不注意で?)組み込まれたメッセージは、日清が潜在、あるいは既存顧客である世界中の視聴者に発信したいものなのだろうか。企業が製品の代表に選んだ著名人が、世界中の黒人や褐色の肌をした人物かつバイレイシャルの人々のヒーローであり、偶然にも世界で最も祝福されているアスリートの1人である「黒人」女性だとしても、白人のほうがベターだったと訴えたいのだろうか。 そうであれば、現在日清に満足している顧客も、大坂なおみをハイチ人のハーフから白人に変えたのよりさらに早く、グローバル規模の恐ろしい抗議者の群れに変わることもありえる。 それが、世界的に注目されている人物を起用したと同時に日清が背負わなければならない重圧なのである。彼女は日本だけで認知されているタレントではない。国際的なスーパースターであり、今日世界で最も賞賛される有色人種アスリートの1人である。世界が、中でも世界の有色人種の人々が、日本の企業が彼女をどのように利用しているか注目していないと考えるのは短絡的だ』、日清もさることながら、テレビCMであれば、電通などの広告代理店も大きく係わっている筈だ。彼らの責任も極めて重いといえよう。
・『世界市場で真の勝者になるために必要なこと  日清は、ニューヨーク・タイムズ紙に対して、広告のクリエイティブプロセスには大坂もある程度関わったと説明しているが、結果的に彼女を「誤用」し続けるのであれば、世論という法廷では責任を問われることになるのではないだろうか。 「個人的には、日清は今回の件を受けて、人々をどうやって描くかを見直すべきだと思います」と、東京に住む黒人と日本人のハーフ、ケイティ・サチコ・スコットは言う。「なおみは黒人であり、日本人でもある。彼女がどういう人なのかは、私たちが決めることではないと理解する必要があります」 日清は今回、日本が「HUNGRY TO WIN(頂点への挑戦)」を本気で目指しており、進歩的かつ革新的な国であること、そしてそれを率いるのは日清だと世界に示す機会を逃した。だが前進する機会はほかにもあるだろう。同社は「今後は、多様性をより尊重したい」とコメントしているが、具体的にそれに向けて何をどのように見直すかは明らかにしていない。 大坂は目下絶好調で最高の選手である。願わくば、日清、そして大坂をスポンサーするすべての企業が、ただ「頂点へ挑戦する」だけでなく、世界市場で真の勝者となるために必要なことを進んで行ってくれればいいのだが。それでこそ、大坂ような勝者にふさわしい企業と言えるのではないか』、その通りだが、やや高望みのような気もする。

第三に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が3月15日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「ファミマ人種差別抗議に見る、日本が「リスペクト後進国」である理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/196960
・『ファミマの「抗議」が話題に 人種差別問題はなぜ起きるか  芸人のラーメン大好き石塚さんが、新宿のゴールデン街近くにあるファミリーマートで見かけた「抗議の貼り紙」が、大きな反響を生んでいます。石塚さんがその貼り紙を撮影してSNSにアップしたものです。 貼り紙自体はすでに剥がされたようですが、その内容は「特定のお客様から人種差別と言わざるを得ない発言がありました。今後このようなことがあれば、差別として強力に抗議いたします。またそのような方の来店は拒絶いたします」という文言でした。( 新宿ゴールデン街にあるファミリーマートの張り紙!この対応は正しい! 「差別として強力に抗議いたします」「来店は拒絶致します」 絶対に人種差別許せない。コンビニで一所懸命働いてる外国人労働者をなんだと思ってるんだ? こんなやつ、見つけ次第、私は怒りますから覚悟してくださいね。) 25,919人がこの話題について話しています) 石塚さんのツイートに対する反応は、おおむねこの貼り紙の内容に理解を示す内容で、石塚さんだけでなく多くの人が、おそらく実際にあったのであろう外国人のコンビニ店員に対するお客の人種差別発言に怒りを感じた、と反応しています。 報道によると、ファミリーマート本部も今回の件は把握しているそうです。ただ詳細については、個人のプライバシーを配慮して発表を差し控えるそうです。 すでに騒動は収まっていますが、個人的には考えさせられる事件でした。それは、このままでは同じような出来事が、コンビニや飲食店で繰り返されるであろうことが見えているからです。これから先、小売・飲食業は、外国人労働者を戦力として活用していかなければ成り立ちません。にもかかわらず、なぜ人種差別問題が起きるのでしょうか。 その理由は日本の文化にあります。私は大学で日本のビジネス文化について教えていますが、今回はその観点から、こうした事件の根っこに存在する問題について解説してみたいと思います。 どのような社会にも、その社会に染み着いてしまった独自の文化があります。染み着いてしまっているだけにそう簡単には改まらないという、本質的な性質があります。 一方で、社会をより良いものにしたいという市民の願いから、新しい社会のルールが生まれます。これは、社会がそうありたいという姿を反映したものです』、確かに「社会に染み着いてしまった独自の文化」を見る必要があるというのは、その通りだ。
・『日本人が思い描く「ありたい姿」と「染み着いている文化」のギャップ  ここで問題になるのは、「ありたい姿」と「現在、染み着いている文化」にはギャップがあるということです。今回、人種差別という問題が起こりましたが、同じ根っこの問題に、セクハラやパワハラなどのハラスメントがあります。これらの問題は「それをなくしたい」という「ありたい姿」がある一方で、「それがなかなかなくならない原因」としての「染み着いた文化」が社会に根を張っているのです。 たとえば、このように言えば理解しやすいかもしれません。「人種差別をしてはいけない」「セクハラはアウトだ」という「ありたい姿」についての考え方を話すと、おそらくほぼ100%の日本人は「私もそう考えて行動している」と答えるはずです。 しかしその一方で、文化についての考え方では意見が分かれます。それはたとえば「お客様は店員よりも偉い」「年長者は偉い」「上司の指示に部下は従うべきだ」という考えです。そして往々にして、騒動を引き起こすのはこういった文化に根付く考え方なのです。 「お客様は店員よりも偉いのかどうか」ということに絞って話すと、世界には「べつにお客様だからといって、店員よりも偉いなんてことはない」という文化の国はたくさんあります。お互い対等な人間だという関係に立ち、あくまでサービスを提供する仕事をしている、ないしはサービスを提供してもらうためにお金を払っている、と考える人が集まった社会が、他の国にはたくさんあるということです。 しかし、なぜか日本には「お客様は神様である」という文化が染み着いています。良いか悪いかではなく、染み着いているのです。染み着いているというのは、心の奥底でそう考えてしまっている人が、少なくとも半数くらいはいるという意味です』、「お客様は神様である」というのは、NAVERまとめによれば、「1961年頃に三波春夫と宮尾たか志の対談の間で生まれた言葉である」とのことらしい。
・『目下へのリスペクトは乏しい「お客様は神様」という文化  日本は思想的には、がちがちの儒教徒の人口が多い国です。「偉い立場」に自分があると思ってしまっている人は、目下だと認識した人に対し、往々にしてリスペクト(尊敬)を忘れがちです。日本は文化的に、目下の人に対する「リスペクト後進国」でもあるのです。 そこで「ありたい姿」として、「日本人も店員を対等な人間として扱うようにするべきだ」と理性で考えようとする人も、何かのきっかけで、理性ではなく本能で反応するときに、店員さんに対してハラスメントを行う事件が起きます。 具体例で言えば、普段は高い理性を持って仕事をしている人が、お酒を飲んでタクシー運転手を暴行するという事件がよく起きます。過去に事件を起こした人の顔ぶれを見ると、テレビのアナウンサー、Jリーガー、芸能人など「なんであの人が?」と驚くような、普段は理性的な行動ができる人ばかり。しかし、そういう事件は何度も起きてしまうのです。その根底には「俺は客だから立場が上なんだ」という文化的な考えが存在します。 さらに、今回の事件に関して言えば、刑法上は暴行の方が重罪ですが、国際問題としては人種差別発言の方がはるかに重罪です。しかしこのバランス感覚も、セクハラやパワハラと同様に、文化的には日本人がなかなか理解できないもの。アメリカのように人種のるつぼで日常的に人種問題が身近にある国と比べれば、日本は人種問題に慣れていないようです』、「日本は文化的に、目下の人に対する「リスペクト後進国」でもあるのです」というのはその通りだ。日本人は暗黙のうちに序列をつけ、目下に対しては強く出る傾向があるようだ。
・『移民大国となった日本は「リスペクト後進国」から抜け出せ  さて、昭和の時代の島国日本であれば、こうした文化の対立が起きても、ごく少数の外国人が不快に思うだけの問題だったかもしれません。しかし、今の日本は移民大国です。国内で働く外国人労働者は120万人を超え、対前年18%で増加しています。しかも政府は、少子高齢化で働き手が足りないなか、入管法を改正してこの人数をさらに増やそうとしています。 今や文化や宗教が違う国から、多数の働き手が日本にやってくる時代です。そこで「お客様は神様なんだから」という日本だけの狭い文化がいつまで通用するのかが、問われるようになる。これが今回の事件の本質だと、私は思います。 では、どうすれば自分がうっかり人種差別、セクハラ、パワハラをしてしまうことを避けられるのか。私はこうした根っこの文化が引き起こす問題は、「習慣で止めることができる」と考えています。 今回の件で言えば、解決のヒントも「リスペクト」という言葉でしょう。常に相手をリスペクトする習慣を身に着ける。コンビニや飲食店で働く若い外国人たちは、とても尊敬に値する人生を送っています。私が彼らと同年代だったとき、ああやって外国に渡り、見知らぬ言語をあそこまで流暢に話せるレベルにまで身に着け、毎日ちゃんとシフトに入って働く、ということができたかどうか――。 外国人に限らず、そうした店員さんの仕事ぶりをリスペクトする習慣を続けていくこと。それが、社会から今回のような問題をなくしていくための「最も有効なレシピ(解決策)」ではないかと、私は思うのです』、確かに相手を「リスペクト」することが、「最も有効なレシピ」、とはその通りなのだろう。ただ、それが習慣として根付くには、相当の年月も必要なのだろう。 
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