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大震災 その後(除く原発事故)(その2)(震災7年 「巨大防潮堤」に隔てられた生活、被災者置き去り「復興レース」 予算消化の工事ばかりが進む現実、ぐっちーさん「お涙頂戴復興」はもうやめよう 本当に復興するとはどういうことだろうか) [社会]

大震災については、2016年3月16日に取上げた。久しぶりの今日は、大震災 その後(除く原発事故)(その2)(震災7年 「巨大防潮堤」に隔てられた生活、被災者置き去り「復興レース」 予算消化の工事ばかりが進む現実、ぐっちーさん「お涙頂戴復興」はもうやめよう 本当に復興するとはどういうことだろうか)である。なお、タイトルは小幅に変更した。

先ずは、2018年3月9日付けロイター「ブログ:震災7年、「巨大防潮堤」に隔てられた生活」を紹介しよう。なお、これは昨年書かれたので、「震災7年」となっている。
https://jp.reuters.com/article/wider-image-jp-sea-walls-idJPKCN1GL182
・『2011年3月11日に東日本大震災が起きた時、かき漁師の藤田敦さんはいつものように海辺で働いていた。まもなくして、藤田さんの暮らす町に巨大な黒い波が押し寄せ、約2000人が命を落とした。 あれから7年──。東北の沿岸部に暮らす藤田さんら大勢の人々は、巨大な防潮堤の内側で生活を立て直している。もし再び巨大津波が起きた場合、この防潮堤が守ってくれる、と専門家は言う。日本のような地震活動が活発な国では、津波は不可避だとする向きもある。 12.5メートルの高さでそびえ立つコンクリートの壁が、東日本大震災による津波にのみ込まれた4メートルの防波堤に取って代わった。マグニチュード9.0という未曾有の地震と、一部で高さ30メートルを記録した巨大津波は、約1万8000人の命を奪い、福島第一原発事故を引き起こした。 「塀の中で働いているような感じ。悪いことしたわけじゃないが、牢屋にいる感じ」と52歳の藤田さんは言う。 震災後、一部の自治体では海岸付近の平地における建設を禁止し、住民を高地へと移動させた。あるいは岩手県陸前高田市のように、新たな建物を建設する前に土地を数メートルかさ上げした。 だが共通の課題は、津波にのみ込まれた防波堤の代わりとなる防潮堤の建設だ。約395キロに及ぶ壁の建設には約1.35兆円の費用が投じられた。「防潮堤は津波を食い止め、陸地が浸水しないようにする効果がある」と、国立研究開発法人「海上・港湾・航空技術研究所 港湾空港技術研究所」の河合弘泰氏は語る。 「非常に大きな津波が防潮堤を超えた場合でも、防潮堤がない場合に比べて、浸水が始まる時刻を遅らせ、避難するための時間を稼ぐことができる」』、河合弘泰氏の説明は推進する立場からのメリット論に過ぎない。巨大防潮堤は構想段階から批判が強かったが、政府と自治体の建設強行で、姿を現しつつあり、問題点も改めて明らかになってきたようだ。
・『当初、防潮堤建設という考えを多くの住民は歓迎したが、時間の経過とともに批判的な見方も出てきた。計画段階で十分な助言を求めなかったことを指摘する意見や、防潮堤建設に費用が充てられることで、住宅など他の再建が遅れることを懸念する声も聞かれる。 また、防潮堤によって観光業が悪影響を受けると心配する人もいる。 「50年ほど前、小さな子どもを連れてここへ来たときには、奇麗な海と入り江とドライブを楽しんだ」と、飯島玲子さんは防潮堤の向かいにあるかき小屋でこのように語った。「でも今は、その面影もなくて」 宮城県気仙沼市の防潮堤の一部には「窓」がある。だがこれにも苦情が出ている。「パロディーだ」と伊藤雄一郎さんは言う。伊藤さんは自宅と弟を津波で失った。「誰も望んでいないものを造った中で、慰め程度にこんな窓を造った」 かき漁師の藤田さんは、津波が海底をかき回し、堆積していた汚泥が除去されたことで、この地域のかき養殖は改善した一方で、防潮堤が陸地からの自然な水流を妨げ、将来のかき漁に影響を及ぼす可能性があると懸念する。 自治体の多くが、建物の再建について、まずは巨大防潮堤が建設されてから許可されると語った。 「この防潮堤ができることで建築許可が下り、また同じ場所で再建できた。この防潮堤を低くしてとか、いらないとか、そんなことは絶対言わないし、この防潮堤のおかげで今、現在仕事ができている」と、震災前と同じ場所で民宿を営む畠山勝弘さんは言う。 しかし、多くの人が防潮堤になじめないでいる。 「海とともにみんな生きてきた。ずっと代々。この防潮堤ができることによって、その海と決別するような生活をこれからしていくというのは、われわれはどうしても耐えられない」と、マグロ卸売業を営む 臼井壮太郎さんは語った』、ができることで建築許可が防潮堤完成を前提にしているのでは、住民は賛成するしかなかったのだろう。防潮堤ありきの復興については、次の記事でも取上げる。

次に、朝日新聞編集委員の大月規義氏が本年3月14日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「被災者置き去り「復興レース」、予算消化の工事ばかりが進む現実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/196829
・『東日本大震災から8年がたち、被災地では道路や公営住宅などの整備はそれなりに進んだ。だが国や県などから聞こえてくるのは、「復興の加速」「工事を急げ」といった声だ。 10年間で32兆円が計上されている復興予算のタイムリミットまで、あと2年。巨額の復興予算を使い切ろうと、国と自治体が二人三脚で猛ダッシュをする。 多少つまずいても、気にするそぶりはない。被災者そっちのけの“復興レース”の様相だ』、“復興レース”であれば無駄遣いもきっと多い筈だ。
・『“住民無視”で進む防潮堤工事 工期が迫り「ずさん設計」  太平洋を仰ぐ宮城県南三陸町の志津川湾に、カモメの鳴き声が響く。 8年前の巨大地震と津波で、南三陸町では死者・行方不明者合わせて831人が犠牲になり、町内の6割近い3143戸が全壊した。 街を元に戻そうと、道路や「復興商店街」の整備が進められ、志津川港には高さ8.7メートルの防潮堤を約30メートルにわたって建設する計画も作られた。 3月1日、町を訪れたが、商店街は開業2周年イベントを2日後に控え、準備に追われていた。一見すると復興は順調そうだ。防潮堤の周辺工事も2019年度の完成予定で始まっている。 だが、なにやら地元の住民の思いと違った動きも起きている。 防潮堤工事の「異変」に気付いたのは、地元で環境アセス関係の仕事を請け負う鈴木卓也さん(47歳)だ。 今年1月11日、港に続く八幡川の河口付近で、数台の重機が土砂を入れていた現場を見た時だった。「ずいぶんおかしな場所で、工事をしているなあ」 県と地元のまちづくり協議会が、2015年8月に合意した防潮堤の整備計画では、防潮堤は、浜辺を残すために、海岸線から離れた陸地側に、しかも陸地側に膨らむような形で曲線的に建設されることになっていた。 県の当初案では、防潮堤は水際に沿って、直線に建設することになっていた。これでは、海と浜辺が分断してしまうと、地元が反対し、2年半もの話し合いをへて、防潮堤の位置を陸側に30メートルほど後退(セットバック)させ、浜辺が残るようにしたのだ。 もともと河口付近は、国定公園に指定された「松原公園」があった。志津川湾には、200種類におよぶ海藻や、豊かな海洋生物の存在が認められ、ラムサール条約湿地にも登録されている。 大津波で浜辺はえぐられたが、翌年には海辺の生態系の回復が確認され始めていたこともあって、地元には浜辺を残したいという声が強くなっていた。 防潮堤と海の間に砂浜が再生されるスペースが確保できれば、地元の人たちが憩い、バードウオッチを楽しんでいた「震災前」が取り戻せる。海辺に残る東日本大震災で壊れた防潮壁の残骸も、「震災遺構」として、観光の呼び水にする――。 そんな地元の期待を裏切るかのように、埋め立ての土砂は、合意にはなかったはずの場所に投入されていた。 すぐに町を通じ、県に確認すると、県は長期にわたる地元との協議を台無しにし、海と浜辺が水際の防潮堤によって遮断される当初案で、工事を進めようとしていたことが分かった。 改めて業者が持っていた設計図を見せてもらうと、防潮堤は水際にせり出し、浜辺は合意内容の4分の1ほどに圧縮されていた。まるで、物差しを当て「えいや」で直線を引いた感じで、地元が了承した時の設計図面とは全く違うものだった。 鈴木さんが見た土砂の搬入現場は、水際に造る防潮堤のための土砂を運び込むための「仮設道路」を造るためだとも分かった。 海辺を保全するには防潮堤を陸側に湾曲させて造らなければならないのに、設計図面には防潮堤が直線状に延びていて、大ショックでした。業者にしてみれば、ショートカットに造ったほうが造りやすいということだったのでしょうか」 地元の思いを離れた形で進む「復興」に、鈴木さんは「不信感の塊になってしまった」と話す』、県が「2年半もの話し合い」を無視して、業者が工事し易いように勝手に設計変更したとは、驚きだ。
・『「予算打ち切り」恐れる自治体 復興予算使えるのはあと2年  「ずさん」な防潮堤計画になぜなったのか。 県は2月、「担当者が入れ替わった時の引き継ぎミスだった」と釈明し、設計のやり直しを発表した。防潮堤の本体工事は遅れることになる。 それでも、20年度末までには、なんとか工事を完了させなければならないという。県が工事を急ぐのには理由がある。 東日本大震災の復興財源は、20年度までの約10年間で32兆円が特別会計として計上されている。 被災自治体が負担する割合は事業によって異なるが、平均するとわずか0.07%(220億円)。ほとんどが国費で建設される。 なかでも、土地のかさ上げや港や河川の再整備、防潮堤建設は「被災者の命を守る」基幹事業と位置づけられ、20年度までに完了すれば100%国費で賄われる。 だが20年度を過ぎると、県などの地元負担は50%に一気に跳ね上がる。 政府は20年度末で廃止される復興庁に代わり、新たな後継組織を設置する方針だが、復興特会は繰り越しを除いて原則20年度で打ち切られる。 財源の約3分の1は、所得税や法人税の「臨時増税」で賄われているから、だらだらといつまでも続けるわけにはいかないというわけだ。 建設が計画されている防潮堤の総延長は、青森から千葉県まで460キロメートル、完成には1.4兆円かかる。現在、防潮堤を含めた海岸対策事業は、計画の半分しか終わっていない。 国費で建設できるうちにと、被災自治体が建設を急ぐあまり、各地で住民とのあつれきが起きた。どの地区でも合意までに数年単位を要したが、予算の終わりは20年度と一律で決まっている』、「予算の終わり:は予め決まっているので、それを前提に合意、設計をしまければならなかった筈だ。駆け込みのドサクサに紛れて、合意を反故にするとは、自治体にあるまじき行為だ。
・『「海が見えないことは 故郷がなくなること」  宮城県気仙沼市の内湾地区では、県が高さ4.1メートルで設計していた防潮堤を、設計より「22センチ」高く建設していたことが、昨年4月に判明し、地元と県との対立が続いている。 市側は「造り直し」を求め、工事を一時、中断させた。 村井嘉浩知事はミスの責任が県にあることは認めたものの、造り直しには応じなかった。当初の目標通り、工事を18年度内に終わらせることを優先し、昨年10月に工事を再開させた。 このごたごたにも復興予算の期限が迫る問題が影を落とす。 問題が発覚した時点で、工事は半分近くが終わっており、造り直しとなると、費用が膨らむうえに、再設計によって復興期限を過ぎる恐れがあった。 「工程上のタイムリミットが近づいている」。記者会見などで村井知事が繰り返すのは、工期優先だ。 それにしても、わずか「22センチ」の違いで、県と市対立するとはどういうことなのか。 地元新聞社の幹部が、住民の気持ちをこう代弁する。 「気仙沼市民は海と共に生きてきた。防潮堤を造るにしても、海が見えて、海とのつながりが実感できるように1センチでも低くしてほしいという思いなのです」「漁業をやっていない普通の人でも、海岸とともに生きた思い出がみんなあって、一度は都会に出ても、Uターンしてくる人が少なくない。だが、震災後、子どもたちの中には高台に移転して、海岸とは全く無縁になった。こうした子どもが成人して県外に出たら、気仙沼に戻ろうという気持ちにはならないのではないか」「いわば海が見えないことは、故郷が見えないのと同じ。だから、22センチというのは大問題なのです」 だがこうした地元の訴えや気持ちは国や県には伝わらないようだ。 ある復興庁幹部はこう話す。「当初の設計よりも高くなったのは、震災で一時、沈んだ気仙沼の内湾の土地が、震災後に自然に隆起して、その分がかさ上げされたから。造り直して、元の高さに戻しても、数年たてば地面がまた隆起して高くなる可能性がある。そのたびに造り直していたら、復興期間どころか、いつまでたっても完成しない」』、地盤が「隆起」したので、22センチ高くなったというのはあり得る話だ。ただ、設計より高くするのではなく、低くするのであれば、設計をやり直すにしても簡単に済みそうな気もするので、県の言い分は解せない。
・『「防潮堤より大切なものが」「巨大な壁」に抵抗感  同じ気仙沼市の前浜地区でも、防潮堤建設と住民の気持ちがかみ合わないままだ。 13年ごろ、防潮堤建設の話が始まったが、今も設計作業にすらたどり着いていない。 遠洋マグロの漁師として40年働いた前自治会長、菊地敏男さん(71)によると、防潮堤の話し合いが始まった翌年、住民アンケートを実施し、地区の約100世帯はいったん、「建設」で合意した。 ただ、いろんな意見があったので、合意文書には『将来変更もあり得る』との留保条件を付けて市に出したという。 当時から、防潮堤建設で海が見えなくなるのは寂しいという声はあった。 菊地さんも「建設反対」の立場だった。だが、「命を守るものがほしい」という賛成派の人たちの声が多数になり、自身も従った。 だが、時間の経過とともに、再び反対へと傾き始めた。 先行して建設が始まった近隣地区の防潮堤には、15メートル近い高さがあるものがあり、威圧感を覚えながらの生活を余儀なくされる。 東北の沿岸部は津波で2万人余りが犠牲になり、残った人たちも都市部や内陸へ人口が流出した。 「防潮堤で『国土の保全』は図られるとしても、移住せず踏みとどまった人たちは、巨大なコンクリートの壁の下で『故郷』を感じる機会を奪われることになりかねない」。そんな気持ちが強まるばかりだ。 合意文書に「留保条件」を付けていたことを理由に、菊地さんたちは、市の防潮堤建設に「待った」をかけた。 震災後、地域のうち海際の一帯は、「災害危険区域」に設定され、そこに家があった6世帯は、防潮堤ができたとしても居住することはできない。 「もし危険区域を超えるような津波が来ても、高台のほうに一気に避難できる道路が整備されていれば、防潮堤はいらないのではないか」 防潮堤建設が見通せないことに、気仙沼市の焦燥感は強い。 市の担当者は「住民の気持ちは分かるが、悠長に構えていると、20年度までに工事が終わらない。期限が過ぎて半分を地元が負担するとなると、市の財政事情から何年かにわけて建設することになる。場合によっては防潮堤建設を放棄せざるを得ないのです」。 それでも菊地さんは、禍根を残さないようにと、将来の地域を担う中学生らの意見も取り入れる「協議会」を立ち上げ、防潮堤について考え直そうと呼びかけている。 「賛成派と反対派に分かれて、地域の絆が壊れてしまうことだけは避けたいので、どこかで妥協点は見つけたい。ただ、震災から8年たって冷静に考えると、防潮堤よりも大切なものがあるのだと分かってきたのです」』、本来は防潮堤ではなく、頑丈な避難所を何か所かに作る方が、安価で、問題も少なかったろう。国や県が「防潮堤ありき」で膨大な予算を付けて、走り出したことこそが問題だった。
・『「復興加速」の政府 住民の気持ちを置き去り  震災から8年。防潮堤や道路、公営住宅、高台移転などのハードの整備が猛スピードで進む陰で、住民の思いはどんどん取り残されている現実がある。 東日本大震災の被害金額は16.9兆円と、当初算定された。当時の民主党政権は「単純な復旧ではなく、創造的復興を」と、復興増税や子ども手当の見直しで、5年で19兆円と、被害額を上回る復興予算を組んだ。 その後、自民党政権になると、前政権との違いをみせつけるため、「復興加速化」の名目のもと、一気に復興予算は25兆円に増やされ、さらに15年には、その後の5年分も追加し、総額32兆円へと膨らんだ。 工事価格などはゼネコンの「言い値」で決まったとの批判もある。 大盤振る舞いの工事を担うのは、大手ゼネコンが中心であり、建設にあたる作業員らも県外からの人が多い。そして予算消化の掛け声が国や県からは叫ばれるなかで、住民の気持ちや思いはかき消されがちだ。 復興庁ができて7人目の渡辺博道復興相も、定例記者会見で「復興の加速化を実現させ、20年度までにできるだけ事業を完了させたい」と呪文のように繰り返す。 だが、被災地で暮らす人たちには、20年度までに工事が間に合うかどうかは関係ない。むしろ、「加速化」によって、行政への不信感や住民同士の分断といった新たなストレスが降りかかっている。 それもこれも、無計画に風呂敷を広げすぎた副作用だ。その認識が、政権に欠落している』、復興予算が政権交代で「大盤振る舞い」になったが、住民には「行政への不信感や住民同士の分断といった新たなストレスが降りかかっている」、というのは本末転倒だ。復興庁も後継組織が出来るようだが、復興予算の期限も延長して、無駄な予算消化などといった事態は回避すべきだろう。

第三に、投資銀行家のぐっちーさんが3月17日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ぐっちーさん「お涙頂戴復興」はもうやめよう 本当に復興するとはどういうことだろうか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/271459
・『再びこの日がやってきました・・・・・・。 例によってテレビを筆頭に、メディアは追悼番組ばかりです。このように言うと叱られるかもしれませんが、全てとまでは言わないものの「お涙頂戴」の連発です。東日本大震災から8年経ったわけですから、ちょっとは違う発想になれないものでしょうか』、私もメディアの安直な姿勢に腹を立てた。
・『ズレる「震災後報道」は「復興の邪魔」  日本で、およそ万人に体験として記憶に残るものとしては(私は生まれていませんが)終戦日の1945年8月15日、神戸・淡路大震災、そして東北を中心とした東日本大震災くらいのものではないでしょうか。 その意味で、今生きている方はこのうち2つも経験されていることになります。お涙頂戴、つまり「いかに不幸か」、という番組ばかりがメディアに流される一方で、例えば現地ではすでにこんな声が出てきています。ハフポストの記事です。この記事に出てくる方は被災した宮城県・女川町を本拠に蒲鉾の製造販売をしている、高政の高橋正樹社長です。 まさに高政さんのツイッターも紹介されていますが、とにかく報道の人たちは本当に事故がどうだったかではなく、お涙頂戴によく合うような事例を探していて、それに合うインタビューを取って帰るので、お断りだ、と言っているわけです。ふつうこれだけ言われればさすがに方針を変更しそうなものですが、どうやらそうでもないんですね。 高橋社長は、高政のツイッターでこんなことをおっしゃっています。「甚大な被害を受けた女川町は、それでも明るく楽しい街を目指し、一日も早く被災地と呼ばれないために復興を進めた。 起業する人や、若い世代を中心に遊びに来る人も増えつつある。 「忘れない」 悲しい物語が溢れた。 明るい空気が人を呼ぶのに、悲しい場所に引き戻され、復興の邪魔だとさえ感じた」(3月13日のツイートより)。 せっかく前に進んで、新しい女川町を作ろうとしているときに、なぜ、時計の針を戻して悲しい女川町を8年もたって放送するのか、神経がわからんということです。 さて、もう少し違う視点から物を見てみましょう。ご存知の通り、グッチーの会社は震災後本社を岩手県・紫波町に移しました。どうせ同じ法人税を払うなら、被災した岩手県に払った方がいいだろう、と思ったのです。そして、震災直後1週間で現地入りしてから、今までずっといわゆる復興事業に携わってきました。 その意味では、たまにしか現地を訪れないジャーナリストの人にはわからないことも肌身をもって体験しています。それはNHKの桑子真帆アナもがんばっておられましたが、いかんせん1年に1回しか来ないのでは、自分の目で何かを見て判断するのは不可能でしょう。朝日新聞なんぞ、アメリカのラストベルトに記者が入って住んでみて報告しているくらいですから、被災地に1人くらい入ってずっと居を構えて発信しているメディアがあってもおかしくない、と思います。今や、地元のFM局のメディアなども自腹でやっているので、あっという間に困難な状況におかれてしまいます。ここは大手メディアの活躍の場なのではないでしょか』、正論ではあるが、大手メディア記者で、現地に「居を構えて発信」しろと命令されるというのは、「流刑」のようで可哀そうだ。
・『被災地は高齢化・人口減を前提に計画を立て直せ  さてー、グッチーのいる現場を見てみると・・・…結論から言うと、実にやばいことが進んでいます。現在進行形です。しかもこの種のことは途中でだめだから、と止まったためしがありません。予算が付いたらそのまま突っ走っていきます。 私たちがやったオガールプロジェクトは、補助金に依存せずに黒字化を成し遂げた日本初、唯一といってもいい公民連携プロジェクトです。当然、被災地からのオガールへの視察は頻繁で、100を超える市町村の人たちを研修として受け入れてきました。ところが・・・・・・ われわれのプロジェクトの基本は地方経済において 1) 高齢化は絶対に止まらない。  2) 人口も、どうあっても絶対に増えない でありまして、つまりは人口減少社会を大前提にした「稼ぐ」プロジェクトでした。そして実際に人口がほぼ横ばいの紫波町(約3万3000人)の中で40億円という売り上げを達成し、5期連続黒字となっております。当然被災地の人々にも、人口減少の中の、稼ぐ事業として復興の参考になるものだとばかり思っていました。 ところが・・・・・・。 せっかく見学に来ても、実際には100%民間資本による人口減少前提のオガール型の復興施設を作ったところは100以上の市町村がやって挙句、残念ながらほとんどありません。 オガールの成功事例と経験が全くといっていいほど、使われていません。それどころか、なんと、この期に及んで、人口増加を前提とした復興案を地方議会が提出しています。政府から莫大な補助金を得るだけならまだしも、今後の維持管理費をどうするのか、と言いたくなるような巨大なハコモノ施設が、東北中で次々と建設、完成しつつあるのです。 現実的ではない夢を追いかけても、復興は実現しない 例えば釜石市は、現在の人口は紫波町と変わらない3万人強の市ですが、新日鉄ができる前の1960年代には9万人弱の人口がありました。それが震災前までに減少をし続けて3万人台になっているのに、多くの箱物を建設中です。市は謳ってはいないものの、はたから見ると、まさか釜石市の人口が増えると考えているのでは?と思ってしまいます。人口減少は震災のせいでもなんでもなく、震災前から起きていた現象なのです。しかし、国から援助を受けつつ、そういうものを建設している。 これは、何も釜石市に限ったことではなく、東北の被災地でこの種の開発がなされているのが現実であります。どうして、今のこの世の中に、震災前から人口が減少していた町の人口が増えるという前提に立てるのか。ここには皆様の貴重な税金がぶち込まれているんですよ。他人ごとではありません。 果たしてこれが本当の復興なのでしょうか。 根拠もない人口増加を前提として復興計画を出し、震災前の姿を取り戻そうと思っているのだとしたら、何か間違ってますよね。最初はオガールに協力を求めてきても、このあたりの話で必ずブレーク(破綻)します。「一体どうやったら人口が増えるのか、具体的な対策を見せてくれ」と言っても、ただ「人口が増える」としか書いていなかったりします。 仮に膨大な外国人を連れてきて字面の人口を増やしても、最初は稼いでくれませんので、その社会コストの維持だけで精一杯になることは目に見えているでしょう。どうして現実的でない夢を追いかけて、それが復興ということになるのでしょうか。 町の賑わいを取り戻す、と言って寄付を集めてイベント型の催し物をやる市町村も後を立ちません。確かにその場は何万人、何千人か人が来るかもしれません。しかし、それが持続的に続いて黒字化していき、納税者になっていった、という話はついぞ聞きません。お祭りと同じで、一時的にわーわーやってそれをメディアが取り上げてなんかやってる、という雰囲気に浸っているだけで、なんの解決にもなっていないのです。 よく東北から東京に出かける催事なども、同様の現象です。日本を代表する百貨店の伊勢丹などに、補助金をもらって出て行って、キャッチフレーズを打って、「売れた売れた」といって帰ってくる。しかし、すべてのコスト(人件費)などを入れた結果、実際に継続的に黒字になったようなプロジェクトを見たことがありません。そしてそこを指摘すると、そこで仮に収支がとんとんあるいはマイナスであっても、「お客様が来てくれればいいんだ」と、答えるわけですね』、「被災地からのオガールへの視察は頻繁で、100を超える市町村の人たちを研修として受け入れてきました・・・せっかく見学に来ても、実際には100%民間資本による人口減少前提のオガール型の復興施設を作ったところは100以上の市町村がやって挙句、残念ながらほとんどありません。 オガールの成功事例と経験が全くといっていいほど、使われていません。それどころか、なんと、この期に及んで、人口増加を前提とした復興案を地方議会が提出しています」、というのは、政府のお仕着せの「地方再生」のやり方が、補助金のアメもあって、やはり強力なようだ。
・『本物の復興とは「持続的なビジネス」に結びつけること  では、実際にそのあと伊勢丹のその催事に来ていただいたうち、どれだけのお客様が三陸に足を運び、どれだけ売り上げが増えたか(通信販売でもいいでしょう)、客単価が上がったか、などのフォローがほとんどゼロです。社長はただ、伊勢丹でやったことしかいいませんし、「東京でやってさ、20万人が来てよ、すごかったよ。でもいくら儲かったかわかんねけど、そのうちだれか来てくれるべ・・・」と言ったって、ほとんど誰も来るはずはないのです。 いくらその場でお金を費やして「賑わい」を作り出してもだめです。にぎわいは何かがあったあとに結果としてついてくるもので、さきに賑わいができたから、何が起きるわけでもありません。実際にモノを売る際に100万円以上コストをかけて伊勢丹で売れた売り上げと、一銭もかけずにグッチーポストで宣伝、販売したものでは、後者の方がはるかに売り上げが多い、というデータはいくらでもあります。うに、いくら、とうもろこし・・・・・・東京にわざわざ出ていく必要性はゼロなのです。これこそ復興を一過性のお祭りにしてはならず、持続的なビジネスとして取り上げて行かねばならない良い証拠ではないでしょうか。 そして、くどいようですが、この震災復興に使われているお金はみなさまの税金です。復興税と称して徴収され、こうして人口増加を前提としたハコモノ行政にふんだんに使われています。もうかるのは建設関係の会社だけ、というこの現実こそ、3月11日の週に見つめなおすべき現実ではないでしょうか』、説得力溢れた指摘だ。もっと、グッチーさん流に地に足のついた復興、地方再生を目指してもらいたいものだ。 
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