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安倍内閣の問題閣僚等(その8)(血税で人工島も 安倍首相の地元でムダな公共事業が常態化、「下関北九州道」争点に浮上 北九州市長選 10年前に白紙 現職 自民が推進、小田嶋氏:「がっかり大臣」によく似た人々) [国内政治]

安倍内閣の問題閣僚等については、昨年12月16日に取上げた。今日は、(その8)(血税で人工島も 安倍首相の地元でムダな公共事業が常態化、「下関北九州道」争点に浮上 北九州市長選 10年前に白紙 現職 自民が推進、小田嶋氏:「がっかり大臣」によく似た人々)である。

先ずは、4月6日付け日刊ゲンダイ「血税で人工島も 安倍首相の地元でムダな公共事業が常態化」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/251368
・『安倍首相と麻生副総理の地元を結ぶ道路整備計画をめぐり、「忖度発言」をした塚田一郎国交副大臣が5日辞任した。塚田氏は、整備計画について「公正な判断だった」「忖度した事実はない」とすっとぼけたが、とんでもない。安倍首相の地元では、首相の政治力で進んでいく無駄な公共事業が常態化しているのだ。 塚田氏の命取りになった「下関北九州道路」は、地元では“安倍・麻生道路”と言われている。関門橋とトンネルに続く3本目の関門ルートは必要性に乏しく、凍結されていたが、「整備促進を図る参議院議員の会」会長の吉田博美自民参院幹事長が、昨年12月に塚田氏と面談し、「首相と副総理の地元事業なんだよ」と猛プッシュ。はたして、今年度予算で国直轄調査費として4000万円が計上された。 塚田氏がどう言い繕おうと、安倍首相と麻生副総理に忖度した利益誘導だ。 実は安倍首相の地元では、よく似た安倍案件がある。「週刊SPA!」(2014年1月28日号)で、ジャーナリストの横田一氏が詳細を報じている。こんな内容だ』、「今年度予算で国直轄調査費」が計上されたということは、国直轄事業として将来、予算がつくことを意味する。下関北九州道路についての詳細は次の記事。
・『安倍アイランド  安倍首相の父・晋太郎時代から推進されてきた人工島「長州出島」は“安倍アイランド”と呼ばれている。「大型船が入港可能な国際港」を掲げ、755億円もかけて造成された。2009年から供用が始まったが、強風な上、既存の下関港の方が使い勝手がよく、期待していた外資のコンテナ船は寄りつかなかった。利用がほとんどない状態なのに、安倍政権は人工島と本州と結ぶ6・8キロの巨大バイパス整備に動き、720億円もの血税が投じられた』、殆ど使われない人工島と巨大バイパスで合わせて1475億円もの血税投入とは、かつての田中元首相も形無しの地元への利益誘導そのものだ。
・『安倍道路  安倍家の故郷である山口県長門市を通る「山陰自動車道」(下関市―鳥取市)が“安倍道路”だ。未開通区間(100キロ)は整備に推定4500億円もかかる。沿線人口わずか36万人で、県内にはすでに東西を結ぶ高速道路が2つもあり、渋滞もない。費用対効果が乏しく、建設が見送られてきたが、安倍政権になって急に進み始めた。 必要性があやしい事業が、なぜか安倍政権で次々に花開いているのだ。横田一氏が言う。 「塚田副大臣の発言は、架空でもなければ、レアなことを言ったわけではありません。普段、起きていることをありのままに話したまでです。安倍首相の地元では、首相の政治力でムダな公共事業が前に進むことは、日常茶飯のことなのです。モリカケと同様に、問われるべきは安倍案件で行政が歪められ、巨額の血税が無駄にされていることです」 塚田副大臣辞任で幕引きは許されない』、「4500億円もかかる」安倍道路はさらに酷い。建設費用だけでなく、完成後は、道路を保有・管理する筈の道路公団の赤字が膨らむことになる。野党はこんな明白な利益誘導の建設を中止に追い込むべきだろう。

次に、昨年12月17日付け西日本新聞「「下関北九州道」争点に浮上 北九州市長選 10年前に白紙 現職、自民が推進」を紹介しよう。
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/kitakyushu_city_election/article/473556/
・『現職と共産系新人の対決構図が固まりつつある来年1月の北九州市長選で、同市中心部と山口県下関市を新たに結ぶ「下関北九州道路」(下北道路)建設の是非が争点に急浮上してきた。「コンクリートから人へ」の風潮を受け、10年前に1度は白紙に戻った計画だが、安倍政権の下、国による本格的な事業評価に進む直前まで“復活”した。1600億~1800億円の巨大事業。統一地方選や参院選も見据え、自民党などが推進に躍起になっている 「国の本格調査へ早期に移行してほしい」。16日、北九州市内であった下関北九州道路整備促進大会。4選への立候補を表明している北橋健治市長(65)は、福岡、山口両県出身の与野党国会議員や経済界の重鎮らが名を連ねた決議文を力強く読み上げた。 民主党衆院議員だった北橋氏。2007年の市長選で「土木事業に偏る予算配分を改める」と訴え、国土交通省の元官僚候補を破り初当選した。09年には民主党政権が発足。公共事業の見直しが大きく進み、下北道路の推進は後退した。 一方で、市長就任後の北橋氏は、市議会最大会派の自民党との関係改善を進める中で、関係自治体と歩調を合わせる道を選んだ。関門トンネルや関門橋の老朽化などを理由に、推進の立場に軸足を置く。市議会の与党会派も、市長選の公約に「早期実現」を盛り込むよう要望している。 推進の北橋氏に対し、共産党推薦で立候補する新人永田浩一氏(53)は、不明確な地元負担などを問題視。「不要不急の下北道路は中止すべきだ」と、市長選の争点に位置付け対決姿勢を鮮明にしている。 「民主党が(下北道路を)パーにした」。ベテランの北九州市議は今でもこう憤る。ねじれ国会だった08年3月、野党民主党などから道路特定財源への批判にさらされていた当時の自公政権は、下北道路を含む全国6カ所の海峡横断プロジェクトの調査中止を決めた。その後の政権交代、奪還を経て、調査が再開されたのは昨年度だった。 「安定した安倍政権の時だからこそ、早く建設を決定してほしい」。16日の促進大会で九州経済連合会の麻生泰会長はこう訴えた。 山口、福岡両県は、安倍晋三首相と麻生太郎副総理の地元だけに「安倍・麻生道路」ともやゆされる。関係自治体の調査が終わる来年3月以降、国の本格的な事業評価に移行できるかが最大の焦点になっている。 11月に発足した「整備促進を図る参議院議員の会」会長の吉田博美議員(自民)は促進大会前、北九州市側の建設予定エリアを視察した。「やっぱり必要な公共事業もある。地方創生の中で(下北道路が)一丁目一番地だ」と打ち上げた』、「民主党が(下北道路を)パーにした」のに、北九州市長になった民主党出身の北橋氏が、当選後は推進に転じたとは、いくら地元からの要望があるとはいえ、節操がない話だ。これでは、野党も国会で追及し難いのだろう。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が2月15日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「がっかり大臣」によく似た人々」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00007/?P=1
・『例によって「バカッター」の話題がメディアを駆け巡っている。 本当ならこの種の炎上案件には関わり合いたくない。というよりも、黙殺するのが大人としての正しいリアクションだと思っている。こんな話題に乗っかったら、私もバカッターの仲間になってしまう。 別の言い方で言えば、バカな映像をSNSにアップした若者の愚かさよりも、その若者たちの愚かさをネタにVTRの尺を稼いでいるメディア関係者の心根の卑しさの方が、問題としてより深刻だということでもある。 マタンゴ(注)を食べた者はマタンゴになる。そういう映画があった。炎上案件をネタに商売をしている書き手は炎上ライターになる。そういうあさましい展開は、避けられるのであれば避けるべきだ』、賢明な姿勢だ。
(注)マタンゴ:日本の特撮ホラー映画
・『にもかかわらず、私が今回バカッターを話題のとっかかりとして利用する決意を固めたのは、桜田義孝五輪担当大臣の発言を伝え聞いたからだ。 以下、関連を説明する。 桜田五輪担当相は、2月の12日、競泳の池江璃花子選手が自身に白血病の診断を得た旨を発表したことを受けて、記者団に対して以下のような言葉を述べた。「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」 このコメントは、そもそも、誰がどんな立場で言ったのだとしても論外なのだが、五輪担当相という立場の人間が記者団に向けて語った公式の発言であることを考慮すると、論外どころか、暴力に等しい。 大臣は、自分の言葉が、命にかかわる病気の診断を得たばかりの10代のアスリートの耳に届くことを認識していたはずだ。 とすれば、コメントの内容は、大臣ご自身がどう感じたのかということより先に、なによりもまず、今後、白血病と闘病することになる池江璃花子さんの心にどう響くのかということを念頭に置くカタチで発語されなければならなかった。 ところが、大臣の言葉は、新橋界隈で収録される酔っ払いのおっさんの街頭インタビューの発言以上に脊髄反射的かつ無作法だった。 正直であること以外に何の取り柄もないのみならず、正直であることの残酷さに満ち溢れた、どうにも無神経かつ失礼な救いようのないコメントだった』、「大臣の言葉は、新橋界隈で収録される酔っ払いのおっさんの街頭インタビューの発言以上に脊髄反射的かつ無作法だった」、とは言い得て妙だ。
・『で、このコメントを聞いて、私はバカッター動画との類似点に思い至ったわけだ。 だから、彼らは、一歩離れた公共的な視点から見て、自分たちの言動がどんなふうに評価されるのかを事前に予測することができず、それゆえ、床の間で用便をするみたいな場違いな結果を招いた。 もうひとつ、バカッターによるバカ動画が炎上し、バカ大臣によるバカコメントが問題化せねばならなかった背景についても、当面の見解を述べておきたい。今回は、どちらかといえば、こちらの話がメインだと思っている。 思うに、私的な人間による私的な感想や、個人として振る舞う人間の個人的な行動が、社会の中で生きる人間の言動として許容されなくなっているのは、われら21世紀の日本人が、ある時期から自分たちを「公共的な」存在だと思いこみはじめている事情を反映した変化だ。 というよりも、われらメディアの受け手である一般大衆が、いつしか、個々の「個人」であることをやめて、集団的な「公共」の一部として、個々の出来事やコメントを評価しにかかっていること自体が、個人のバカさが許されなくなっていることの根本理由なのである。 これはかなり思いがけないことだが、われわれは、個人としての正直な感想や、私人としての自由な振る舞いを「非常識」ないしは「無神経」であると決めつける集団的な公共心を、ある時期から、自分の「本心」だと思い込むに至っている』、これは思いがけない深い考察で、確かにその通りなのかも知れない。
・『だからこそ、われわれは、「公共」を理解しないバカッターや、「公共」に向けたコメントを発信できない大臣のバカさを容認することができない。 ここまではわかる。 もっとも、ここで言っている「わかる」というのは、「理解できる」「理屈としてわかる」ということであって、必ずしも「共感する」とか「支持する」ということではない。 「われこそは公共なり」てなことで他人を裁くことを常態化させているネット世論の生成理由を、把握したつもりになっている旨を申し述べているに過ぎない。 ただ、常に自分を「公共」の側に置いて世界に対峙している人間は、自分自身が何かに対して「私見」や「本音」を抱いた時に、その「私見」と自分の中にある「公共」との齟齬と分裂に苦しむことになるはずだとは思う。 目下の私の興味はそこにある。 今後、われわれが、このまま「個人」であることを断念する方向を極めて行くのか、それとも、どこかの段階で引き返すことになるのかは、まだわからない。 先の話は、また別の機会にゆずろうと思っている』、「ネット世論」が「「われこそは公共なり」てなことで他人を裁くことを常態化させている」、というのも、言われてみればその通りの鋭い指摘だ。
・『ともあれ、私自身、この10年ほど、文頭に 「個人的には」「私見だが」「あくまでも個人の感想だが」「私個人の受け止めかたを申し上げるに」という感じの、事前弁解に似た断り書きを配置する機会が増えたことを自覚している。 で、気がつくと推敲の段階で 「個人的には」という不要な断り書きを削除していたりするわけなのだが、「オレは、どうしていつもこう『個人的には』という前置きを置きたがるのだろうか」と 考え込むうちに思い至ったのは、「コラム」というジャンルそのものが置かれている状況の厳しさだった。 話がズレていると思う読者がいるはずだ。 大丈夫。ズレていない。 私はいま「コラムというジャンルが危機に瀕している」「コラムニストは片隅に追いやられている」という意味のことを書いている。 このことは、実は、「21世紀の日本人が自分たちを公共的な人間だと思いこんでいる」ということと、奥深いところでつながっている。 というのも、インターネットやSNSを通じて常に他人(あるいは「多数派」)とつながっている21世紀の大衆は、「自分がどう思うのか」という「私見」や、「自分がどう感じるのか」という「個人的感情」よりも、「世間ではどう評価されているのか」「常識的にはどう考えるのがマトモなのか」を重視する方向に変化しており、その21世紀型の群生動物ライクなリトル公共ピープルは、そもそもが「私見」であり、個人としての立場を堅持する書き手による「個人的な見解」たる「コラム」を、マトモな論として評価しないだろうからだ。 そうでなくても、個人の偏見を掲げる稼業たるコラムニストのオダジマにしてからが、反論のありそうな見解を開陳するにあたって、いちいち「私見だが」「個人的には」などと、予防線を張らずにおれないのだからして、まして、一般人がコラムを読むにあたって色眼鏡で見ないはずがないではないか。 「だってこれ、こいつの私見だろ?」「はいはい個人的見解個人的見解」「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」てな調子で、読者は、書き手の「私見」を、たいして重要視しなくなっている。その変化を、私は肌で感じている』、最後の部分は、小田嶋氏自身が感じているのであれば、異論をはさむ余地はなさそうだが、若干の違和感を感じる。というのも、私は「コラム」に、切り口や加工など、個人的見解ならではの面白さを求めているからだ。でも、そのような読み方はもはや少数派なのかも知れない。
・『同じ変化は、アルバイトの若者たちの職場にも及んでいる。 私が学生だった40年前の時点では、アルバイトがバカなのはデフォルト設定というか、大前提だった。 昭和の時代は、高校生が、「学校の教室よりもちょっとだけ広い公共」に接する最初の場所(あるいは機会)がすなわちアルバイトだったわけで、であるからして、はじめて世間の風に当たったティーンエイジャーが、はしゃぎ返ったり、荒れ狂ったり、おびえ上がったり、取り乱したりするのは、半ば必然の反応と見なされていた。実際、われわれは、無責任な失敗と思い上がった失敗を交互に繰り返していた。 平成最後のバカッターの子たちが、食材をおもちゃにしたバックヤードの悪ふざけを撮影したのは、撮影できるガジェットを持っていたからに過ぎない。それをSNSにアップした理由にしたところで、仲間内でシェアして笑い合いたかっただけのことだと思う。 で、それが、仲間内の外に漏れて、メディアに嗅ぎつけられた結果、炎上した。 以上が、真相だ。 たいした話ではない。 もちろん、SNSが全世界とつながっていることは、常識として知っておくべき事実だった。 でも、毎日踏切を渡るドライバーが、1日に1回しか列車の通らない踏切の危険性をやがて無視してしまうのと同じように、ほとんどまったく仲間以外には閲覧されることのないSNSのやりとりが炎上する1%以下の可能性を彼らが無視したことは、そんなに責められるべきことだろうか。 1%でも、バレる危険性があることは、かえって彼らの冒険心をくすぐったかもしれない。 私自身そうだったが、高校生というのは、その程度には愚かなものだ』、最後の部分はその通りだ。メディア報道に流されずに冷静に分析する小田嶋氏はさすがだ。
・『むしろ驚愕すべきなのは、「高校生がバカだ」という、誰もが知ってるはずのこのありふれた事実を、ニュースとして拡散するメディア関係者が日本中にあふれかえっていたことと、そのニュースを株式売買の理由として利用する投資家が一定数存在したことだ。ついでに言えば、その変動した株価を理由に、アルバイトの雇用主にあたる企業が訴訟を起こす旨を発表したことも、私には、驚きだった。これ以上評判を落として、彼らはいったい何を売り込むつもりでいるのだろう。 2月の12日には、経団連の会長が、この度の不適切動画についてコメントを発信している。《−略− 経団連の中西会長は、12日の記者会見で「やってしまった人に対する措置はいろいろと厳しいことはあったとしても、経営者として考えれば、やはり仕組みから直していかないとうまくいかない。個人の善意に依存したオペレーションは、どこかでほころびが出る」などと述べ、企業がアルバイト従業員に対する教育や訓練の見直しを含めて、再発防止に取り組むべきだという考えを示しました。》 経団連は、本気でアルバイトを「教育」し「訓練」するつもりでいるのだろうか。 資格は臨時雇いで、給与は時給で、待遇が非正規のアルバイターに関して、責任と意欲と能力については正規社員と同じ水準を求めるということなのか? コストをかけずに品質を求めるのは、経営者として道を外れた態度だと私は思うのだが、それでも中西会長は、あくまでも時給1000円足らずで働く高校生に責任と自律を求めるのだろうか』、「コストをかけずに品質を求めるのは、経営者として道を外れた態度だ」との中西会長批判には諸手を挙げて賛成だ。
・『この原稿がちょっとわかりにくいのは、アルバイトの高校生の非公共的な態度を擁護している一方で、桜田大臣の非公共的なコメントを強く断罪しているところに起因している。 つまり、書き手であるオダジマが、公共の福祉の側に立っているのか、個人の自由の側に立っているのかが、いまひとつはっきりしていないわけだ。 自分で読み返してみて、あらためてそう思う。この原稿はわかりにくい。 実際、私は、バカッターの事件に関連して、ネットのコメント欄に集まる人々やワイドショーのコメンテーターが、やたらと公共的な視点ばかりを強調することに、反発を感じている。 その一方で、桜田大臣のあまりといえばあまりに公共的な視点を欠いたコメントには、失望を禁じ得ないでいる。 両方とも本当なのだから仕方がない。 公共な立場が常に正しいとか、個人であることがなによりも尊いというふうに言い切れたら良かったのだが、正直なところ、いずれの立場にも居心地の悪さを感じる。これはどうしようもない。 自分ながら歯切れの悪い結論になってしまった。 私見は、時に歯切れの悪いものだ。最後に歯切れの良いことを言っておく。 桜田大臣は辞任すべきだ。時期を誤らない方が本人のためでもあると思う』、「公共の福祉の側に立っているのか、個人の自由の側に立っているのかが、いまひとつはっきりしていないわけだ」、と正直に述懐しているが、確かに「私見は、時に歯切れの悪いものだ」との開き直った言い訳には納得できる。きっと、問題如何で、どちらの立場に立つかが決まるのだろう。 
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