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テロとの戦い(その1)(安田純平氏が独白「“無謀”に突っ込む人間が社会には必要」、2014年12月シドニーで発生した銃撃戦の悲劇) [世界情勢]

今日は、遅ればせながら、テロとの戦い(その1)(安田純平氏が独白「“無謀”に突っ込む人間が社会には必要」、2014年12月シドニーで発生した銃撃戦の悲劇)を取上げよう。

先ずは、2月12日付け日刊ゲンダイ「安田純平氏が独白「“無謀”に突っ込む人間が社会には必要」」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは安田氏の回答)。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247106
・『2015年6月にシリアで武装組織に拘束され、昨年10月23日、3年4カ月ぶりに解放された。日本での会見では「自業自得」とも語り、またぞろ「自己責任論」バッシングも生じたものの、ほどなく鎮火。その後は雑誌で手記を発表し、今年1月にはメールマガジンを始めて希少な経験を語るなどジャーナリストとして事実を伝える活動をずぶとく続けている。帰国後の日本を見て、いま何を感じ、何をやろうとしているのか。 Q:3年ぶりの日本で、帰国後どのように過ごされましたか。 A:年末は妻の実家がある鹿児島に墓参りをして、正月は私の実家のある埼玉に行っていました。お世話になった方が何人か亡くなられていました。もっと早く帰れればと悔いています。早く帰れる可能性はなくはなかったので私のミスです。 Q:機内で取材を受ける様子がまず日本では報じられましたが、解放直後とは思えないくらい落ち着いていました。 A:機内では入れ代わり立ち代わりでさまざまな人に取材されました。トルコで解放後、最初にお酒を飲んだのはその機内なんです。ワインのミニボトル1本とビール1缶だけだったのですが、おそろしく酔っぱらって。そのせいで冗舌だったのかもしれません(笑い)。 Q:「安田純平の死んでも書きたい話」という有料メルマガを1月から「まぐまぐ!」で配信されています。配信直後は購読増加ランキングで1位でした。 A:まずは自分にできる仕事として、幽閉されているときにつけていた日記や時事的な話題などを書いていこうと思っています。 Q:カメラや取材ノートは武装勢力に没収されたそうですが、日記は大丈夫だったのですか。 A:私を解放するということは拘束時の様子が話されることを意味しますから日記は大丈夫でした。彼らも見られて困るものは私に見せませんから。もちろん当時の日記はそのままではとても読める文章にはなっていないし、人前に出せない類いのメモもありますから、手を入れてメルマガに少しずつ出していきます。日記は書籍化する予定です。 Q:3年前と日本が変わったと思うことは。安倍政権が今も続いていると思いましたか。 A:「モリカケ」問題は帰国後に知りましたが、あれだけのことが明らかになっているのに首相が辞任に至らないのは驚きです。メディアは首相の地元もあまり取材してないようで不思議です。あとはテレビ番組がずいぶん変化した印象です。今回、私はワイドショー系にはほとんど出ていなくて、ニュース番組か報道番組の取材しか受けていないんです。以前もありましたけど、タレントのみなさんがニュースや時事モノについてもかなり自由に意見を言う番組が増えています。話はプロですから上手ですけど、事実関係を説明するべきものも省いてあちらのペースで進めてしまうから、今は出演しないほうがいいと周りから言われました。 Q:情報発信のハードルは下がっていますからね。 A:ツイッターでは私がパスポートを偽造してシリアに入国したと本気で書いている人がいました。その人たちは愛国者のつもりで書いているのかもしれませんが、それでは日本政府や入国管理局を無能だと言っていることになるのに。ツールに罪があるわけではないので、こちらの発信をよくよく考えてうまく使っていかないといけないなと思いました。これは2015年とは全然違います。』、確かにワイドショー系には出ない方が正解だろう。
・『フェイクニュースによって日本人が狙われる  Q:トランプ大統領が言い出した「フェイクニュース」という言葉も日常的に使われるようになりました。 A:私がイスラム国から解放されたという間違ったフェイクニュースもクルド系メディアが流して、今も掲載されています。2004年にイラクでスパイ容疑で拘束された時も、当初は「人質」と報道され、その後は「拘束」とメディアが修正していったのですが、インターネット上では当時のフェイクニュースがそのまま残っています。私が人質にされたのは今回が初めてです。フェイクしか見ない人もいますし、フェイクに反論するだけでは対処しきれない。私が人質だったというフェイクニュースが残り続けることには問題があります。今回、私の解放に際して身代金が支払われたという真偽不明の情報が報じられましたが、身代金が支払われて日本人の人質が解放されたという情報が世界中に出回ると、日本人を誘拐すれば金になると思われてしまいます。 Q:紛争地に行くジャーナリストが狙われやすくなってしまう。 A:ジャーナリストだけではありません。すべての日本人がターゲットになってしまいます。実際にシリアの武装勢力も日本のメディアをインターネットでチェックしていました』、「身代金が支払われたか」は不明のままだが、「身代金が支払われて日本人の人質が解放されたという情報が世界中に出回ると、日本人を誘拐すれば金になると思われてしまいます」というのは確かで、不明のままにしておいた方がいいのだろう。
・『自己責任論者の思い込み  Q:今回も自己責任論が議論されましたが、以前と違って「危険な取材をするジャーナリストを批判するのはおかしい」と多くのジャーナリストやメディアが擁護に回った印象です。 政府が自己責任論を言いませんでしたから。イラク人質事件のときは自衛隊のイラク撤退が人質解放の条件であり、政治問題でした。政府に助けてもらうのかと、自己責任論を掲げて批判してくる人は日本政府がなんでもできると思い込んでいるのでしょう。しかし、日本政府に本当に救出ができたのか。交渉はしていたのか。身代金を払うためには人質が生きていることを確認する生存証明を取る必要がありますが、拘束中、日本政府は一度も取っていません。紛争地に行く自由は、死んでしまうことも含めた自由です。政府がほとんど何もできない場所ですから、自分の身で責任を取るしかない。究極の自由とも言えます』、「「危険な取材をするジャーナリストを批判するのはおかしい」と多くのジャーナリストやメディアが擁護に回った」ので、自己責任論による批判が以前ほどではなくなったというのはいいことだ。
・『もっと紛争地を取材するべきです  Q:お連れ合いに「いざという場合には一切放っておけ」と伝えていたとか。 A:日本政府にしろ、トルコまで行ってくれたフリージャーナリストにしろ、いろいろな方が動いてくれましたが、こちらからは何もしないようにと以前から妻には言っていました。妻が記者会見を開けば、何を言っても言葉尻をとらえられてしまうでしょう。後藤健二さん(シリアで拘束されて殺害されたジャーナリスト)のときも、メディアは後藤さんの家族のマンションを連日取り囲んだ。捕まっている主体は本人なのに、それが広がってしまうんです。でも妻は本当によくがんばってくれました。次に海外に行くなら南の島にしてくれと言われていますが。 Q:3年4カ月の間、ほぼ独居で拘束されていたのに、よく拘禁症になりませんでしたね。 A:何度も正気を失いそうになって壁を蹴りつけたり暴れたりもしました。ただ、中国から来ていたウイグル人の施設では私に気を使ってか、部屋の窓から見えるように馬とかアヒルとかを移動動物園のように広場に連れてきたりしていました。 Q:安田さんにとって、日本人が海外を直接取材をする意味は。 A:一般論ですが、“無謀”に突っ込んでいく人間がいるから波紋が生まれ、何かが浮かび上がってきます。これは紛争地に限らない話だし、ジャーナリストに限る話でもありません。たとえば、かつてアフガニスタンを取材したとき、たまたまカブールの日本大使館の職員と話をしました。彼らからはアフガニスタンの道路について聞かれました。日本のODAで道路建設が必要かどうかを判断する情報が欲しいのですが、彼らは現場には行けないからです。日本が独自の道を進むには独自の情報は有益です。それを国が規制して、他国が集めた情報に頼っていればいいのでしょうか。 Q:今後の予定は。 A:また紛争地に行きます、とは今は言えませんね(笑い)。ただ、スペインではシリアで解放されたジャーナリストが再びシリアやイラクに取材に行っています。フリーランスはどうしても大手メディアが入ることができない場所やテーマを取材するようになります。日本も“無謀”に突っ込んでいく人の存在を保障できる社会にならないと。もっと紛争地を取材するべきです。それが社会をより強くするのですから』、紛争地で何が起きているのかを取材するフリーランスジャーナリストの存在は、なくてはならないものだ。労をねぎらいたい。

次に、4月12日付け東洋経済オンライン「フジテレビ「目撃!超逆転スクープ3 ?戦慄の凶悪犯vs決死の救出作戦?」取材班」「人質18人立てこもりテロ起こした凶悪犯の正体 2014年12月シドニーで発生した銃撃戦の悲劇」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/275777
・『ジャーナリストが現場に駆けつけるのは、数分後、数時間後、時には数日後です。何かが起きる前からその場にいて、すべてを目撃することは極めてまれです。あのとき、なぜ私があの場にいたのかは、今でも理解できません。でも、私は“そこにいた”のです」 そう語るのは、オーストラリアの大手テレビ局、チャンネル7の名物ニュースリポーター、クリス・リーズン(53)。世界各地のニュースの現場に駆けつける彼は、アメリカ同時多発テロ事件や東日本大震災でも現場からリポートをしてきた。そんな彼の30年に及ぶ経験の中でも、この事件は最も深く胸に刻まれていると言う。クリスは、規制線の中からの報道を許された「唯一のジャーナリスト」だったのだ。 2014年12月15日。クリスが半年間の長期休暇を終えて、久しぶりに出勤した朝、通りでコーヒーを買っていたときに事件は起きた……』、ニュースリポーターがたまたまテロ事件に遭遇するとは珍しいこともあったものだ。
・『穏やかな朝のカフェが一転、事件発生  オーストラリア最大の都市、シドニー中心部にあるリンツカフェは、クリスマスを目前にして、開店直後から賑わいを見せていた。 午前9時40分、突然、立ち上がったのは、黒い野球帽を被った男。少し前から店長のトリイ・ジョンソン(34)を呼び出し話し込んでいた男だった。 「全員、その場から動くな。ここにいる人間はすべて人質だ。自分の言う通りにすれば危害は加えない。シドニーの町は今、私たちの攻撃下にある」 肩に下げたバッグから取り出したのは、銃身を短く改造したショットガン。背中に背負ったリュックサックの膨らみ、隙間からのぞくケーブルは「自爆装置付きの爆弾だ」と叫んだ。「オーストラリア初のテロリストによる立てこもり事件」が発生した瞬間だった。 銃を掲げる男は、従業員に店の出入り口の鍵をかけさせた。そのとき、店内にいたのは、10人の客と8人の店員。合わせて18人が人質となる立てこもり事件の幕が上がった……・・・ニュースリポーターのクリス・リーズンは、すぐに街の異変を感じ取った。慌ててテレビ局に駆け戻り、カメラマンと一緒に飛び出した。 リンツカフェは、チャンネル7の目の前だ。そして、カメラは衝撃の光景を捉える。 通りに面した4つの窓。そこには両手を上げ、恐怖でブルブルと震える人質たちがずらりと並んでいた。銃を手にした男の姿も見える。 すぐに警察が駆けつけ、クリスたちテレビクルーを押し返す。カフェには、それ以上、近づくことができなかった。 ガラス張りのテレビ局の中から、目と鼻の先にあるカフェの模様が伝えられる。 「生中継で速報をお伝えしています。街の中心で武装した警察官がカフェを取り囲んでいます。中には人質がいます」 現場からわずか30mの場所で、クリスは衝撃の事件の一部始終を伝えることになる……』、テレビ局の目と鼻の先で発生したにせよ、「すぐに街の異変を感じ取った・・・カメラマンと一緒に飛び出した」とはさすがだ。
・『市内の3カ所に爆弾犯人の要求  犯人の男は、店長のトリイにメモを渡した。トリイによる実際の通報音声が残されている。「目の前に立っている男からのメッセージを読んでいます。街の3カ所に爆弾がある。警察は近づくな。近づくと仲間が爆発させる……」。 犯人は複数のグループであり、シドニー市内の観光名所と目抜き通りに爆弾を仕掛けてあると言う。そして3カ所目は、男の背中にあった。 そして、男は2つの要求をしていた。1つ目は、「イスラム国」の旗を用意すること。2つ目は「首相とのラジオ生討論」だった。 男の犯行声明は、嫌でも人々に1年前の「ボストンマラソン爆弾テロ事件」を思い起こさせた。都市を狙った爆弾テロ。オーストラリアが経験したことのない恐怖だった。 犯人は人質たちに携帯電話をテーブルの上に置くように指示。しかし、人質の中には、指示に従ったふりをして隠し持つ者。犯人の目を盗んで携帯電話を取り戻す者がいた。事件発生当時、店内には多くの客がおり、従業員はそろいの服装をしていたことから、犯人は人質の人数を正しく把握することができなかった。 人質たちはトイレに行く際など、犯人の目を盗み、外部との接触を試みる。人質たちは命の危機を感じていた……「人質になっている。すごく怖い。みんなを愛している」(店長)。 警察の特殊部隊が出動し、周囲を取り囲むと、いら立つ犯人は人質に電話をかけさせる。 「今にも誰かを撃ちそうです。お願いだから警察にカフェから離れるように言ってください。急いでください。2分も経てば殺されます」 窓には、人質が掲げたメッセージ……「去れ!さもないと彼は私たちを皆殺しにする」。 銃と爆弾と人質を前に、警察はなす術がなくビルから引き下がっていく。 「テロリストの要求には一切応じず、交渉により平和的解決を目指す」。警察は終始一貫この方針に従い、最後まで頑なにこだわった。だがこの姿勢が、犯人だけでなく、人質をも追い込み、事件を悲劇の結末へと導くことになる。 犯人は爆弾を持っているという情報を受け、カフェのあるビルだけでなく、周囲2ブロックは全員退避。メディアは規制線の外から生中継をするしかなかった。カフェの向かいにあるチャンネル7も例外ではなく、局内から全職員の退避が命じられる。そんな中、カメラマンのグレッグ・パーカーは、カフェを見渡せる2階のニュースルームにカメラを設置、録画状態のまま局を離れていた。 事件発生から2時間後、グレッグは警察の目を盗み、カメラのバッテリーを交換しに行った。警察に見つかったグレッグが、社屋から追い出されようとしていたそのとき、声をかけてきたのは、特殊部隊のスナイパーだった。 「カフェの窓を監視するのに最適な場所はどこだ?」 「ここから私と一緒にカメラのレンズを通して見るのがいちばんだ」 グレッグはスナイパーとともに、再び2階のニュースルームに戻り、望遠レンズで向かいのカフェの窓を撮影し続けることになった。こうして、前代未聞のスナイパーとカメラマンのタッグによる狙撃作戦が始まった。 数時間後、有名リポーターのクリス・リーズンも特別に局内に戻ることを許された。規制線の中に入ることを許された唯一のジャーナリストとカメラマン。2人は、現場からわずか30mの距離で事件の一部始終を見届けることになる』、「カフェを見渡せる2階のニュースルームにカメラを設置、録画状態のまま局を離れていた」とはカメラマンの手際もさすがだ。
・『犯人の正体と人質たちの闘い  カメラの映像から、警察が特定した犯人の正体は自称・イスラム教の聖職者、マン・モニス(50)。イラン出身のモニスは複数の犯罪歴を持ち、つねにトラブルを抱えている“有名人”。オーストラリア軍の海外派兵に反対する街頭活動を繰り返し、メディアにも取り上げられていた人物だった。 警察はカフェを取り囲む3カ所にスナイパーを配置。通りに面した4つの窓から狙撃のタイミングを探る。 しかし、窓には“人質の盾”、モニスは店内の“死角”から動かない。 そして背中には「爆弾」が……この状況では、狙撃は実質的に不可能だった。 事件発生から6時間。なす術のない警察。要求がいっさい受け入れられず、怒りを増していくモニス。一向に救出の手が差し伸べられない人質の中には、焦りが広がっていた。 「このままでは殺されてしまう」 最初に動いたのは、モニスから最も離れた場所、正面入り口の自動ドアの近くにいた82歳のジョン・オブライエンだった。ドアの横には緑のボタンがあり、それを押せば、ドアが開くのではないか。トイレに行った際に、女性店員にこのボタンについて聞いてみたが、新人の店員は「ドアが開くかどうかはわからない」と言う。 ロックされているドアは開くのか。ジョンは数センチずつ、ジリジリとドアに近づく。モニスはその動きを察知。2度も警告を与えていた。 午後3時35分、ジョンはモニスが目を離した一瞬の隙をつき、一か八かの賭けに出た。自動ドアに駆け寄り、ボタンを押した。そのときのジョンの様子をテレビカメラが捉えている。 ロックされていたはずのドアが開き、ジョンが外に飛び出した。 さらに、1人の男性が続いて脱出。店内の混乱の中で、1人の店員が非常口から脱出に成功した。 18人から15人になった人質……この脱出で犯人・モニスの怒りは頂点に達する。 「勝手に動くなと言ったろ!見せしめに1人を殺すからな」』、最初に脱出に成功した82歳の老人も、なかなか勇気があったようだ。
・『発生から16時間を過ぎて激しい銃撃戦に突入  3人の人質が脱出に成功したことで、残された人質は絶体絶命の危機に立たされる。地獄の密室と化した店内で始まる人質と犯人の心理戦。生還への闘い……。 テレビカメラが見つめ続けたカフェ立てこもり事件は、発生から16時間を過ぎて、特殊部隊が突入。大都市の中心部で繰り広げられた激しい銃撃戦で衝撃の結末を迎えることになる。 被害者だけに配布された資料、1万4500人の関係者の証言と、1200時間分の映像分析によって事件を徹底検証した「インクエスト(検死法廷による事件報告書)」を基に、番組では事件の詳細を完全再現。世界を震撼させた犯行の全容に迫った』、突入したということは、「犯人は複数のグループであり、シドニー市内の観光名所と目抜き通りに爆弾を仕掛けてある」との当初の話は嘘だったことが警察も掴んだからなのだろう。この記事は番組を見せるために、あえて結末には触れてないが、Wikipediaによれば、「突入の際に、人質となっていた2人が死亡」と犠牲を小さく抑えることができたようだ。
タグ:シリアで武装組織に拘束 「自己責任論」 イスラム教の聖職者、マン・モニス 犯人は複数のグループであり、シドニー市内の観光名所と目抜き通りに爆弾を仕掛けてあると言う 身代金が支払われて日本人の人質が解放されたという情報が世界中に出回ると、日本人を誘拐すれば金になると思われてしまいます もっと紛争地を取材するべきです フェイクニュースによって日本人が狙われる 「モリカケ」問題は帰国後に知りましたが、あれだけのことが明らかになっているのに首相が辞任に至らないのは驚きです 「安田純平の死んでも書きたい話」という有料メルマガ 幽閉されているときにつけていた日記や時事的な話題などを書いていこう ワイドショー系にはほとんど出ていなくて リンツカフェは、チャンネル7の目の前 18人が人質 東洋経済オンライン “無謀”に突っ込んでいく人間がいるから波紋が生まれ、何かが浮かび上がってきます 「安田純平氏が独白「“無謀”に突っ込む人間が社会には必要」」 犯人の正体と人質たちの闘い オーストラリア初のテロリストによる立てこもり事件 すぐに街の異変を感じ取った。慌ててテレビ局に駆け戻り、カメラマンと一緒に飛び出した 日刊ゲンダイ 市内の3カ所に爆弾犯人の要求 シドニー中心部にあるリンツカフェ テロとの戦い 穏やかな朝のカフェが一転、事件発生 突入の際に、人質となっていた2人が死亡 名物ニュースリポーター、クリス・リーズン (その1)(安田純平氏が独白「“無謀”に突っ込む人間が社会には必要」、2014年12月シドニーで発生した銃撃戦の悲劇) 発生から16時間を過ぎて激しい銃撃戦に突入 以前と違って「危険な取材をするジャーナリストを批判するのはおかしい」と多くのジャーナリストやメディアが擁護に回った印象です 「フジテレビ「目撃!超逆転スクープ3 ?戦慄の凶悪犯vs決死の救出作戦?」取材班」「人質18人立てこもりテロ起こした凶悪犯の正体 2014年12月シドニーで発生した銃撃戦の悲劇」 自己責任論者の思い込み
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