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高齢化社会(その9)(池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査、75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング、河合 薫氏:池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実) [社会]

昨日に続いて、高齢化社会(その9)(池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査、75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング、河合 薫氏:池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実)を取上げよう。

先ずは、4月21日付けLITERA「池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/04/post-4672.html
・『東京・池袋の都道で乗用車が暴走し、横断歩道を自転車で渡っていた31歳の母親と3歳の娘がはねられ死亡したほか、8人が重軽傷者を負った事故。運転していた男性は87歳の高齢で「アクセルが戻らなくなった」などと説明しているというが、警察は車体にトラブルが確認できないことから運転操作を誤った可能性を視野に捜査しているという。 相次ぐ高齢者運転者による事故が社会問題となるなか起きてしまった痛ましい事件だ。報道によれば、乗用車は二つの交差点に赤信号を無視して進入。ドライブレコーダーに残された記録によると、同乗していた80代の妻から「危ないよ、どうしたの?」と声をかけられた男性は「どうしたんだろう」と返したものの、その後もスピードを上げていったという。男性は警察に対して事故を起こしたことを認めている。 他方、ネット上で大きな関心が高まっているのは、警察が男性を逮捕していないことだ。各社の報道を総合すると、警察は男性がけがをしていることや証拠隠滅の恐れがないことから逮捕はせず、回復を待ってから詳しく事情を聴くという。 Twitterなどでは、男性が通産省(現経産省)の元官僚で、大手機械メーカー・クボタの副社長などを務めた経歴に注目が集まり、「警察が忖度して逮捕しなかった」などという声が多数あがっている。さらには「上級国民」なる言葉までもがトレンドに浮上。〈日本が階級社会であることが証明された〉〈これぐらい功績を残しとけば数人轢いても逮捕されないのか〉などというのである。 たしかに、池袋で事故を起こした男性が元高級官僚であったことは事実だ。男性は東京大学工学部卒業後、1953年に通産省の工業技術院計量研究所に入った。工業技術院は様々な研究を行う通産省の行政機関である(2001年に国立研究開発法人産業技術総合研究所に統合再編)。部長や所長などを務め、1986年にはトップの院長に上り詰めた。 男性の経歴からは、一貫して技術・研究畑を歩んだエリートであったことが窺える。1986年に工技院長を退官した後も、国際的な技術系組織の委員などを務めながら、1991年にクボタへ常務として再就職。98年に同社副社長、2000年に顧問となった。2015年秋の叙勲では瑞宝重光章をうけている。 いま、ネット上で「逮捕されなかった理由」として取りざたされている「上級国民」なる言葉は、こうした男性の官僚経験や社会的地位を意識したものだろう(ネット上では〈上級国民だから無罪か〉などという書き込みも散見されるが、逮捕と起訴は法的に別行為なので、これは早とちりである)』、紹介されたネット上の書き込みは確かに「早とちり」だが、逮捕しない警察の判断には釈然としないものが残る。
・『一般論としては、交通事故等に限らず、加害者を逮捕するかどうかは警察の裁量次第であることが多く、事件の悪質性に加えて、健康状態や容疑の認否などを考慮して、これまで人身事故の加害者を逮捕しなかったケースがないわけではない。 ただし、今回の事件を機に、あらためて「警察は逮捕するかしないかを恣意的に決めている」との疑念が生じること自体は、至極まっとうではある。 事実、加害者の様々な事情を考慮して逮捕しないケースがある一方で、容疑の認否や高齢等にかかわらず警察が身柄を拘束するケースはザラにある。とりわけ、今回のような複数人の死傷者を出した重大事故の場合は加害者が逮捕されることのほうが多いだろう。 たとえば昨年1月9日、群馬県前橋市で通学途中の女子高生2人がはねられて一人が死亡、一人が重体となった事件では、同日夜に警察は運転していた男性を過失傷害の容疑で逮捕している(のちに検察は過失運転致死傷の罪で起訴)。男性は当時85歳と高齢だった。池袋事故のケースと同じく、加害者が容疑を認め、自身もけがを負ったが、群馬県警は在宅捜査ではなく逮捕したわけだ』、確かに、群馬県前橋市の事故と状況は似ているのに、今回は逮捕されないというのは余りに恣意的だ。
・『石川達紘・元高検検事長は暴走死亡事故を起こして否認しても逮捕されず  今回の池袋事故において、警察が男性を逮捕しなかった背景に“過去の経歴への配慮”があったかどうかは現段階ではわかっていないが、こうした「法の下の不平等」が現実に行われている状況を考えると、やはり、「警察は恣意的に逮捕するかどうかを決めている」との疑念が強まるのは当然だろう。 実際、日本の司法では、権力にたてついたり、告発したりした人間は、微罪でも長期勾留される一方、権力者、政治的な絡みがある相手、検察や警察といった身内に対しては、よほどのことがないかぎり逮捕しないということが相次いでいるからだ。 たとえば、最近も元検察幹部に対するありえない処遇が発覚している。昨年2月、相手を死亡させる交通事故を起こし、容疑を否認したにもかかわらず、逮捕されないまま10カ月後になって書類送検、そして今年3月22日にようやく過失運転致死等の罪で在宅起訴されたケースだ。 この元検察幹部とは、東京地検検事正、名古屋高検検事長などを歴任した石川達紘弁護士。しかも、石川氏はたんに検察幹部だったというだけではない。かの「ロッキード事件」の捜査に関わり、1989年に東京地検特捜部長に就任。以降、検察幹部として「東京佐川急便事件」で金丸信・自民党副総裁や、「ゼネコン汚職事件」で中村喜四郎元建設相の逮捕に関わったほか、野村証券などの「四大証券事件」では次々と社長、会長の身柄を取り、「大蔵省接待汚職」に至っては新井将敬衆院議員の逮捕許諾請求を国会の場でやってのけた(新井議員は直後に自殺)。事ほどさように「逮捕」にこだわり、名実ともに“特捜検察の鬼”の名をとどろかせた人物でもある。 問題の事故は、東京都港区白金で昨年2月に起きた。トヨタの高級車「レクサス」を運転していた石川氏は道路の路肩でいったん停車し、知人を乗せようとした際に急発進して暴走。歩道を歩いていた37歳の男性をはねて死亡させ、さらに道路脇の金物店に突っ込んで建物の柱やシャッターなどをめちゃくちゃに壊す大事故を起こした。 警視庁は、通常の交通死亡事故なら現場を所管する高輪警察署に任せるところだが、容疑のかかった相手が検察の大物OBだけに本庁が捜査に乗り出し、交通捜査課が担当した。これは異例のことだと言われている』、「“特捜検察の鬼”の名をとどろかせた人物」には、「本庁が捜査に乗り出し」、「容疑を否認したにもかかわらず、逮捕されないまま10カ月後になって書類送検・・・在宅起訴」とは、余りに扱いが違い過ぎる。こんな見え見えの「法の下の不平等」が横行していたとは、改めて怒りを感じる。
・『逮捕するかしないかを恣意的に判断する警察、日本に法の下の平等はあるか  検察の交通事故といえば、後に特捜部長に就任することになる検事が東名高速で横転事故を起こしたことがある。同乗者に怪我を負わせたため、業務上過失傷害容疑で略式起訴され、罰金刑を受けるほどの事故だったにもかかわらず、発生直後、一度も報道されることはなかった。 他にも、警察官による刑事事件で警察が逮捕をせずに捜査をしたというケースはザラにある。こうしたことからも、日本の司法当局の身内に甘い体質は、強く批判されるべきだ。 念のため言っておくが、本サイトはなんでもかんでも逮捕して、身柄を拘束して取り調べを行う警察のやり方には反対の立場だ。また、今回の池袋のケースでいえば、事故を起こしたことを認めている男性の回復を待ってから事情を聞くという段取りは人権上、当たり前のことである  あえて引用はしないが、ネットで加熱している男性への罵倒についてもいささか度を超えているように思える。問題なのは「恣意的な逮捕」を疑わせる警察の体質のほうであることを忘れてはいけない。「上級国民」なる表現で一括りにすることは、その問題の本質を見誤らせかねないだろう。最後にそのことは強調しておきたい』、「日本の司法当局の身内に甘い体質」は、不公正だが、一般のマスコミも情報源である司法当局を「忖度」して報道を抑制することで、一役買っていることも腹立たしい限りだ。

次に、ニッセイ基礎研究所保険研究部 准主任研究員の村松 容子氏が4月24日付け東洋経済オンラインに寄稿した「75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/278123
・『警察庁の発表によると、2018年に運転免許を自主返納したのは、およそ42.1万人(75歳以上が29.3万人)と、2年連続で40万人を超えました。返納者数が増加しているだけでなく、免許保有人口に対する返納率も上昇していて、免許返納は少しずつ浸透しているようです。 しかし、浸透してきているとはいっても、まだ75歳以上免許保有者の5%と低い水準にあります。 それでは、一定年齢になったら免許を全員没収してしまえばいいかというと、そこにも現状では問題があります。そこで、今回は、国全体での免許の自主返納率の推移と返納率の都道府県差、免許返納に関する課題のほか、諸外国での対策を紹介したいと思います』、興味深そうだ。
・『高齢ドライバーの死亡事故は多い  2018年の交通死亡事故の発生件数は、2008年と比べると、すべての年代のドライバーで減少しています。また、年代別にみると、20~74歳で免許保有人口10万人あたり3~4件であるのに対し、75~79歳で6.2件、80~84歳で9.2件、85歳以上で16.3件と、75歳以上の高年齢で多くなっています(警察庁「平成30(2018)年における交通死亡事故の特徴等について」)。 75歳以上の死亡事故にはいくつかの特徴がみられます。 75歳未満では「安全不確認」要因が最大であるのに対し、75歳以上はハンドル操作やブレーキの踏み間違いなどといった「操作不適」が多いとされています』、池袋暴走事故の原因も「操作不適」だったようだ。
・『また、死亡事故をおこした75歳以上は、認知機能の低下(認知症のおそれがある、または認知機能が低下しているおそれがある)が指摘される割合は半数程度と、75歳以上全体の3分の1程度と比べて高くなっています(警察庁「平成29(2017)年における交通死亡事故の特徴等について」)。 こういったことから、加齢による身体機能や認知機能、判断の速さの衰えによる事故の発生が指摘されています。 こういったことを背景に、運転適性の見極めも厳しくなっています。まず、71歳以上は免許の有効期限が短縮されています。また、免許更新時は、70歳以上は高齢者講習受講が、75歳以上は高齢者講習受講に加え認知機能検査受検が、それぞれ義務づけられています。 認知機能検査の結果、必要があれば専門医の診察を受け、認知症と診断されれば、免許の停止・取消となります。2017年には、この認知機能検査が厳格化され、専門医の診察を受けた75歳以上の1割程度が免許の停止・取消となりました。 また、運転免許の自主返納(申請による免許取消)が進められています。自主返納制度は、運転免許が不要になった人や、加齢に伴う身体機能低下などによって運転に不安を感じるようになった高齢ドライバーが自主的に運転免許の取消(全部取消または一部取消)を申請する制度で、1998年に始まりました。 2002年には自主返納者のうち希望者に、本人確認書類として利用可能な「運転経歴証明書」の発行を始め、それ以降ようやく定着してきました』、「専門医の診察を受けた75歳以上の1割程度が免許の停止・取消」と多くないのは、専門医の腰が引けているためなのかも知れない。
・『返納タイミングと移動手段の確保が課題  免許の自主返納は浸透してきており、2008年に2.9万人だったのが、2018年には全国で42.1万人と2年連続で40万人を超えました。年齢別の返納率をみると、とくに75歳以上で上昇しています。2017年の認知機能検査の厳格化の効果もあったと思われます。 しかし、課題も多くあります。まず、75歳以上で返納率が上昇しているとは言っても5.18%にとどまっています。 また、現行の免許返納は自己判断に委ねられる部分が多いのですが、「超高齢社会と自動車交通」(国民生活センター『国民生活』2016年11月)によると、「自分の運転テクニックなら充分危険回避できる」と考える割合は64歳以下では2割に満たないものの、65~69歳で29%、70~74歳で46%、75歳以上で53%と年齢が高いほど高くなっています』、運転への自信は、本来「年齢が高いほど」低くなる筈だが、「楽観バイアス」が影響しているのかも知れない。75歳以上の返納率が.18%とは確かに低い。
・『しかし、自由な移動は、高齢者の自立した生活に欠かせないことなどから、子どもでも親に自主返納を説得するのは難しいと言われています。 また、都道府県別の75歳以上返納率には2.16倍もの差(最高が東京都の8.0%、最低が茨城県の3.7%)があります。都道府県別の1人当たり乗用車台数が多い都道府県(東京都は0.23台で最低、茨城県は0.68台で2番目に多い)ほど、返納率が低い傾向があることを考慮に入れると、日々の生活における車の利用状況が地域によって異なることが、返納率の地域差の一因となっていることがうかがえます。 さらに、岡村和子「各国における運転適性と安全に運転できる能力の評価方法」(国際交通安全学会 IATSS Review Vol.42、No.3、2017年)によると、日本で、高齢者の歩行中死亡率が高い理由の1つが、運転をする高齢者が少ないことだと考えられています。運転を止めると、歩行や自転車など、高齢者にとってより危険な方法で移動せざるをえなくなることも課題です』、「運転を止めると、歩行や自転車など、高齢者にとってより危険な方法で移動せざるをえなくなる」というのは、確かに難題だ。
・『1位は東京都、47位は茨城県  現在、ほとんどの自治体で、運転経歴証明書を提示することで、バスや電車などの公共交通機関やタクシーの運賃割引が受けられるなどの施策を設けて、運転に替わる移動手段を提供しています。 さらに、医療機関への送迎、生活用品の宅配サービスなど、車を使わなくても日常生活を送るための支援や、自主返納に関連して、運転適性相談や、廃車買取、運転経歴証明書の発行手数料の支援、電動自転車や車いすの利用相談を行う自治体もあります。 民間企業も駅近マンションの斡旋、近隣宿泊施設や温泉の割引、商品券の発行など、高齢者の外出を後押しするようなサービスを導入しているケースがあります。サービスは充実してきていますが、とくに地方部では、車なしでの生活に不安を残したままとなっています』、確かに地方部で自主返納を如何に進めるかも難題だ。
・『諸外国でも試行錯誤  日本より高齢者が車に乗ることが多い諸外国でも高齢ドライバーに対してさまざまな対策がとられています。日本にはない制度として、免許更新時の認知症検査だけでは捉えきれない、日常での身体・認知機能に関する情報を、かかりつけ医や家族からも得る国や地域があります。家族が免許返納を説得しきれなくても、危険な兆候があれば、客観的な判断を受けるきっかけとなります。 また、健康状態によっては、運転可能な地域や時間帯を限定する国や地域もあります。例えば、加齢によって視野が狭くなっているなどの状態では、日中よく知った道であれば、安全に運転できる可能性があり、運転を継続する可能性が広がるかもしれません。 自動運転技術やウエアラブルデバイスによる健康状態のモニタリングも、高齢ドライバーによる事故の低減に効果があると考えられています。しかし、原則として、加齢によって一定以上の身体・認知機能の衰えがあれば、運転を止めるのが望ましいでしょう。 日本においては、近く、これまでよりも免許保有率が高く、人口の多い団塊の世代が75歳を迎え始めます。国内あらゆる地域で、高齢になっても自立した生活を送るために、安全な移動手段を早急に確保していく必要があります』、返納促進策も必要だが、ブレーキやアクセルのペダル踏み間違いを防止する装置も20万円程度で売っているようだ。自動運転などの前にこうした簡単な装置を付けるのが、本筋のような気がする。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が5月7日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00022/?P=1
・『10連休は少しはお休みになれたでしょうか? 「そんなことできるの大企業の人たちだけでしょ」って? 確かに。 連休中の国際線利用者が、前年同期比14.0%増の109万900人になり、4年連続で過去最高を更新という景気のいい報道があった一方で、時事通信の調査では4割が「10連休がうれしくない」と回答。サービス業や医療関係者、あるいは非正規雇用の人たちは休みが取れず、「全く休めない」とした人は、男性9.4%、女性は21%の高さだった。 願わくば……休めた人もそうでなかった人も少しだけリフレッシュでき、気持ちだけでも前向きになれていればよいのだが……。 いずれにせよ、引き続き社会の窓から「人の幸福感」を考えていきますので、よろしくお願いいたします! 早速「令和」一発目となる今回は、「会社組織」を飛び出しあれこれ考えてみようと思う。テーマは「変化」。人間がもっとも嫌い、もっとも苦手とする「変化」である』、「変化」をどのように料理するのだろう。
・『東京・池袋で乗用車が暴走し、母親と3歳の女児が死亡した事故。ご遺族である夫の切ないまでに感情を抑えた会見を見て、「変化をいとう人間の性癖」を恨まずにはいられなかった。 これからの数年間は、おそらく私たちが想像する以上にドラスチックな超・超高齢化という途方もない「変わり目」に遭遇することになる。その変化に私たちは備えることができているだろうか? 「この数日間何度も、この先、生きていく意味があるのかと自問自答しました」と語る夫が、苦悶(くもん)のどん底で会見を開いた意味を、夫がつづった言葉を、もっともっと「私たち」は真摯に受け止める必要があると切に感じている。 そこでご遺族の記者会見の中から、私たちが「かみしめなければならない言葉」を紹介するので、みなさんもぜひ、考えてください(全文はいくつかのメディアが公開しているのでそちらをご覧ください)。 「最愛の妻と娘を突然失い、ただただ涙することしかできず、絶望しています。(中略)妻と娘は本当に優しく、人を恨むような性格ではありませんでした。私も2人を尊重し、本来ならばそうしたいです。ですが、私の最愛の2人の命を奪ったという、その罪を償ってほしいです。 妻はとても恥ずかしがりやで、フェイスブックなどで顔を公開することもないような控えめな性格でした。そのため本当に苦渋の決断でした。この画像を見ていただき、必死に生きていた若い女性と、たった3年しか生きられなかった命があったんだということを現実的に感じてほしいです。 現実的に感じていただければ、運転に不安があることを自覚した上での運転や飲酒運転、あおり運転、運転中の携帯電話の使用などの危険運転をしそうになったとき、亡くなった2人を思い出し、思いとどまってくれるかもしれない。そうすれば、亡くならなくていい人が亡くならずにすむかもしれないと思ったのです。 それぞれのご家庭で事情があることは重々承知しておりますが、少しでも運転に不安がある人は車を運転しないという選択肢を考えてほしい。また、周囲の方々も本人に働きかけてほしい。家族の中に運転に不安がある方がいるならば、今一度家族内で考えてほしい。 今回の事件をきっかけにさまざまな議論がなされ、少しでも交通事故による犠牲者がいなくなる未来になってほしいです。」……何度言葉を振り返っても重い。とにかく重い。“絶望”の中で「会見をしなくてはならない」と自らに言い聞かせ、あの場でカメラと向き合ったご遺族の心情を考えると、今、日本が直面している「長寿社会」のリアルをもっと「自分ごと」にしなくてはいけないと心から思うばかりだ』、夫が公開した「妻と娘」の写真は、4月24日付け朝日新聞に「娘が好きだった公園で… 池袋事故、夫が新たな写真公開」として掲載された。2人を失った喪失感は想像を絶するものだろう。
https://www.asahi.com/articles/ASM4S35BPM4SUTIL004.html
・『ところが、SNS上では事故が起きた直後から、加害者が逮捕されないことへの批判や、87歳という年齢で車を運転させた家族へのバッシングが繰り返され、会見が行われてからは「高齢者の事故は本当に増えているのか?」ということについてのバトルが発信者間で勃発していた。 そのすべてを否定するわけではない。だが「それぞれのご家庭で事情があることは重々承知しておりますが、」という言葉で問いかけられた真意は、本当にそこなのだろうか。 ご遺族が「事情を承知」などと二度と絶対に言わなくてよい社会にするためには、「尊い大切な命が一瞬にして奪われた」という現実を感じるだけではなく、「老いる」ことをもっともっと「現実的」に考える必要があるのではないか』、その通りだろう。
・『個人的な話で申し訳ないが、昨年末に母が近くのマンションに引っ越してきてからというもの、母に対して「なぜ、こんなことができないのか?」という思いの繰り返しだった。毎日、老いた母と接すると、週に1度会っていたとき(実家にまだ母がいるとき)には知り得なかった、「老いる」ことのリアルに直面し、私はがくぜんとし、ショックを受けてしまった。 まず、新しいことが覚えられない。「な、なんで?こんな簡単なことなのに」ということが、覚えられない。例えば、部屋のスイッチひとつうまく押せないのだ。 引っ越す前の実家は昭和の作りなので、黒いポチを上下するタイプだった。が、新しいマンションでは、平たい面を左右で押す、いわゆる“高齢者にやさしい”とされるタイプだ。 私も日々接するまで知らなかったのだが、老いると色の識別が難しくなる。白い壁に装備されたクリーム色の“スイッチ”がクリアに見えない。「飛び出している面を押すとスイッチが入る」という極めてシンプルな作法を、78年間一度も経験していないので、それも理解できない。 「高齢者は新しい環境に適応するのに時間がかかる」と聞いていたので覚悟はしていたけど、実際に自分の母親の「老いた姿」を目の当たりにすると、私自身もショックを受け、それが母にも伝わるので、本人も「なんで、こんな簡単なことが覚えられないのか?」と自信喪失。「失敗して迷惑をかけてはいけない」と不安がるようになり、それでまた緊張し、余計にうまくできないという悪循環にはまり、それ以外のことまでできなくなってしまったのだ』、「悪循環にはまり、それ以外のことまでできなくなってしまった」というのはありそうな話だ。
・『こういった話を友人にすると、「老いるリアル」を知っている人とそうでない人とで、異なった反応が来るのも衝撃だった。 未経験の人は「認知症の検査してみたら? 早いほうがいいのでは?」とリアクションし、経験者は、「大丈夫だよ。半年もすれば慣れて元気になるよ」、「うちの親も近くに引っ越していろいろ大変だったけど、お友達とかできると『みんな自分と似たようなもんだ』って思えるみたいで、ケラケラ笑うようになるよ!」と軽く受け流された。 私は「認知症なのか?」と不安になる日と、「どこの親も同じみたい」と安心する日を、まるで日替わりメニューのように繰り返した。その数カ月前に母は体調を崩して入院し、その際ついでにやってもらった認知症検査が“白”だったにもかかわらず、だ。 で、実際はどうだったか? まったく“経験者”たちの言ったとおりだったのである。 半年たった今、母はなんとか適応し、「ん?」ということは時折あるけど、それが「老いることなんだ」と私は理解できるようになった。そして何よりも良かったのは、母が以前より元気になったこと。同じ年齢層のお友だちもでき、「今までできていたことができなくなる」のは自分だけじゃないとわかり、「明るくボケましょう!」がおばあちゃんたちの合言葉だという(ここで“ボケる”という言葉を使うと、この部分だけをつついてくる人たちがいるけど、母と友達のおばあちゃんたちの言葉なので、そのまま使う)。 とはいえ、どんなに「明るくボケた」ところで、「老い」が止まるわけではない。「見えづらい、聞こえづらい、忘れやすい、勘違いしやすい、覚えられない」という現実の繰り返しが老いることであり、どんなに気持ちが元気でも体力と認知機能の低下から逃れるのはムリ』、ただ、老人になっても記憶力抜群だと若い人から煙たがれることもあるので、「明るくボケた」老人の方が好かれることもある。
・『くだんの記者会見で語られた「現実的に感じる」という言葉の真意が、まさにそこにあるのだと思う。それは「私」自身も老いる現実を感じることである。と同時に、「現実的に感じる」かどうかで、次のような報告書から全く違った「事実」を浮かび上がらせることもできる。 東京都老人総合研究所(現東京都健康長寿医療センター研究所)が1992年と2002年に、約4000人を対象にふだんの歩行スピードを調べ、比較した結果がある(「日本人高齢者における身体機能の縦断的・横断的変化に関する研究—高齢者は若返っているか?」)。 「歩行スピード」は年齢とともに低下するため、身体機能のレベルの総合的な測定に多く用いられるのですが、1992年から劇的に伸びていることがわかる。92年の64歳の歩行スピードは、2002年の75歳とほぼ同じ。 つまり、10年前に比べ11歳も身体機能が若く、70歳は59歳、60歳は49歳と同じ身体機能と考えられるのだ。 それだけではない。 なんと「日常問題を解決する能力や言語(語彙)能力は、年齢とともに磨かれ、向上している」ということが、いくつもの調査で確かめられている。 人間の知能は「新しいことを学んだり、新しい環境へ適応したり、情報処理を効率的に行ったりするための問題解決能力」である流動性知能と、「学校で学んだことや日常生活や仕事などを通じて積まれた知識・経験を生かし応用する能力」である結晶性知能の2つの側面に分けられる。流動性知能とはいわば「記憶力や暗記力、集中力」で、結晶性知能とは「経験知や判断力」を指す。 かねて「身体能力のピークは20代であるのに対し、知力は発達し続ける」とされていたのですが、近年、経年データを使った分析(縦断研究)で、「どちらの能力も、60代前半までは大きく低下しない」ことがわかった。 「流動性知能のうち、記憶力や暗記力は40歳代後半から急速に低下するのですが、語彙力は、若干低下するだけ。結晶性知能にいたっては、60~70歳前後まで緩やかに上昇し、74歳以降緩やかに低下するものの、80歳ぐらいまでは20歳代頃と同程度の能力が維持されることがわかりました」 これは2年前に出版した拙著『他人をバカにしたがる男たち』の中で、私自身が報告書を引用して書いた文章である。 このとき、私はこの結果を「50歳で心の定年を迎えている場合じゃない! 体も脳もまだまだ元気なのだから、もっとがんばろうよ!」とポジティブに捉えた。が「年をとる現実」が少しだけわかった今、自分に都合のいい結果だけに目がいっていたことを反省している。 つまり、先の報告書は、同時に「40歳後半から新しいことは覚えにくくなる」「70代になると判断力は低下する」「若いときに経験していたことでも80歳までしか維持されない」という厳しい現実も明かしているのである。 2018年10月1日現在の日本の総人口は1億2644万3000人と8年連続で減少し、減少幅、減少率ともに過去最大だった(総務省調べ)。また、15歳から64歳までの「生産年齢人口」の割合は59.7%で、比較可能な昭和25年と並んで過去最低となった。 総人口のうち大人(20歳以上)人口は約1億人で、うち50代以上の人口は約5800万人で(2017年)、来年の2020年には「大人の10人に6人は50代以上」となるとされている。40代以上では、約7600万人で(同)、20年に「大人の10人に8人」となる。 老いる影響が出始める40代以上が「10人中8人」という現実は、「10人にたった2人」の40歳未満の人たちに、「今までどおり働けなくなった人たち」の負担を押し付けることでもある。 「亡くならなくていい人が亡くならずにすむかもしれない」社会にするには、迫り来る「長寿化」を「現実的に感じた」生き方、働き方、社会保障、介護制度をもっともっと議論し、早急に取り組む以外答えはないはずだ。 そもそも「認知症」という言葉だけが一人歩きしているが、認知症は病名ではない。誰もが年をとれば低下する認識力、記憶力、判断力が、社会生活に支障をきたす状態のこと。認知症医療の第一人者で精神科医の長谷川和夫先生(90)は、昨年自らも「認知症」になったと告白し、こう述べている。 「認知症にならないで死を迎える高齢者は1割以下。高齢化社会で大切なのは、自分も老いるという現実を受け止め、認知症になった人は自分と一緒と考えることだ」と。 私も老いる。これを読んでいる人も老いる。その老いた人たちがあふれる社会をどうするのか? これからも具体的に考えていきたいので、ご意見をお待ちしています』、「流動性知能」や「結晶性知能」についての数字の読み方が、ポジティブにもネガティブにも変わり得る、というのは言われてみれば、その通りだ。「高齢化社会で大切なのは、自分も老いるという現実を受け止め、認知症になった人は自分と一緒と考えることだ」との「長谷川和夫先生」の言葉は噛みしめがいがある。
タグ:認知症にならないで死を迎える高齢者は1割以下。高齢化社会で大切なのは、自分も老いるという現実を受け止め、認知症になった人は自分と一緒と考えることだ 長谷川和夫先生 先の報告書は、同時に「40歳後半から新しいことは覚えにくくなる」「70代になると判断力は低下する」「若いときに経験していたことでも80歳までしか維持されない」という厳しい現実も明かしているのである 私はこの結果を「50歳で心の定年を迎えている場合じゃない! 体も脳もまだまだ元気なのだから、もっとがんばろうよ!」とポジティブに捉えた 「流動性知能のうち、記憶力や暗記力は40歳代後半から急速に低下するのですが、語彙力は、若干低下するだけ。結晶性知能にいたっては、60~70歳前後まで緩やかに上昇し、74歳以降緩やかに低下するものの、80歳ぐらいまでは20歳代頃と同程度の能力が維持されることがわかりました 経年データを使った分析(縦断研究)で、「どちらの能力も、60代前半までは大きく低下しない」 0年前に比べ11歳も身体機能が若く、70歳は59歳、60歳は49歳と同じ身体機能と考えられる 「明るくボケましょう!」がおばあちゃんたちの合言葉 「失敗して迷惑をかけてはいけない」と不安がるようになり、それでまた緊張し、余計にうまくできないという悪循環にはまり、それ以外のことまでできなくなってしまったのだ 実際に自分の母親の「老いた姿」を目の当たりにすると、私自身もショックを受け、それが母にも伝わるので、本人も「なんで、こんな簡単なことが覚えられないのか?」と自信喪失 「老いる」ことをもっともっと「現実的」に考える必要がある 今、日本が直面している「長寿社会」のリアルをもっと「自分ごと」にしなくてはいけないと心から思うばかりだ “絶望”の中で「会見をしなくてはならない」と自らに言い聞かせ、あの場でカメラと向き合ったご遺族の心情 夫がつづった言葉を、もっともっと「私たち」は真摯に受け止める必要があると切に感じている 私たちが想像する以上にドラスチックな超・超高齢化という途方もない「変わり目」に遭遇することになる 「変化をいとう人間の性癖」 「池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実」 日経ビジネスオンライン 河合 薫 諸外国でも試行錯誤 地方部では、車なしでの生活に不安を残したまま 運転を止めると、歩行や自転車など、高齢者にとってより危険な方法で移動せざるをえなくなることも課題 高齢者の歩行中死亡率が高い理由の1つが、運転をする高齢者が少ないことだと考えられています 都道府県別の75歳以上返納率には2.16倍もの差(最高が東京都の8.0%、最低が茨城県の3.7%)があります 自由な移動は、高齢者の自立した生活に欠かせない 「自分の運転テクニックなら充分危険回避できる」と考える割合は64歳以下では2割に満たないものの、65~69歳で29%、70~74歳で46%、75歳以上で53%と年齢が高いほど高くなっています 返納タイミングと移動手段の確保が課題 専門医の診察を受けた75歳以上の1割程度が免許の停止・取消 免許更新時は、70歳以上は高齢者講習受講が、75歳以上は高齢者講習受講に加え認知機能検査受検が、それぞれ義務づけ 死亡事故をおこした75歳以上は、認知機能の低下(認知症のおそれがある、または認知機能が低下しているおそれがある)が指摘される割合は半数程度と、75歳以上全体の3分の1程度と比べて高くなっています 75歳未満では「安全不確認」要因が最大であるのに対し、75歳以上はハンドル操作やブレーキの踏み間違いなどといった「操作不適」が多いとされています 高齢ドライバーの死亡事故は多い 75歳以上免許保有者の5%と低い水準 運転免許を自主返納 「75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング」 東洋経済オンライン 村松 容子 日本の司法当局の身内に甘い体質は、強く批判されるべき 警察官による刑事事件で警察が逮捕をせずに捜査をしたというケースはザラにある 、後に特捜部長に就任することになる検事が東名高速で横転事故を起こしたことがある。同乗者に怪我を負わせたため、業務上過失傷害容疑で略式起訴され、罰金刑を受けるほどの事故だったにもかかわらず、発生直後、一度も報道されることはなかった 逮捕するかしないかを恣意的に判断する警察、日本に法の下の平等はあるか 本庁が捜査に乗り出し、交通捜査課が担当 “特捜検察の鬼” 東京地検検事正、名古屋高検検事長などを歴任した石川達紘弁護士 昨年2月、相手を死亡させる交通事故を起こし、容疑を否認したにもかかわらず、逮捕されないまま10カ月後になって書類送検、そして今年3月22日にようやく過失運転致死等の罪で在宅起訴 日本の司法では、権力にたてついたり、告発したりした人間は、微罪でも長期勾留される一方、権力者、政治的な絡みがある相手、検察や警察といった身内に対しては、よほどのことがないかぎり逮捕しないということが相次いでいる 「法の下の不平等」 石川達紘・元高検検事長は暴走死亡事故を起こして否認しても逮捕されず 群馬県前橋市で通学途中の女子高生2人がはねられて一人が死亡、一人が重体となった事件では、同日夜に警察は運転していた男性を過失傷害の容疑で逮捕 「警察は逮捕するかしないかを恣意的に決めている」との疑念 一貫して技術・研究畑を歩んだエリート 元高級官僚 「上級国民」 「警察が忖度して逮捕しなかった」 警察は男性がけがをしていることや証拠隠滅の恐れがないことから逮捕はせず、回復を待ってから詳しく事情を聴くという 東京・池袋の都道で乗用車が暴走し、横断歩道を自転車で渡っていた31歳の母親と3歳の娘がはねられ死亡したほか、8人が重軽傷者を負った事故 高齢化社会 litera (その9)(池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査、75歳以上の運転免許返納がまるで進まない実態 都道府県別75歳以上「免許返納率」ランキング、河合 薫氏:池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実) 「池袋暴走事故で元通産官僚の容疑者を逮捕せずネットで批判…元検察幹部の人身事故でも逮捕見送り恣意性丸出し捜査」
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高齢化社会(その8)(中年になったら勉強してはならない 知識の加工と応用で脳を刺激せよ、“金八先生”の脚本家 60歳で海外ボランティアを始めた理由、定年男性の新形態 パソコン前で「お地蔵さん」現象はなぜ起こる) [社会]

高齢化社会については、昨年8月1日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その8)(中年になったら勉強してはならない 知識の加工と応用で脳を刺激せよ、“金八先生”の脚本家 60歳で海外ボランティアを始めた理由、定年男性の新形態 パソコン前で「お地蔵さん」現象はなぜ起こる)である。

先ずは、受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医の和田 秀樹氏が昨年11月19日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「中年になったら勉強してはならない 知識の加工と応用で脳を刺激せよ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/122600095/111500041/?P=1
・『私の尊敬する英文学者、外山滋比古先生の名著『思考の整理学』が再び注目され、3万部以上の増刷になったという。文武両道で知られる、中日ドラゴンズに入団が決まった根尾昂選手の愛読書として紹介されたからだそうだ。 この本は、既存の知識に頼らず、自分で考えることの大切さを書いた名著で、東京大学の生協でも10年間で7回も文庫売り上げ1位に輝いている。実際、この本に書かれたような形で頭を使うことで脳が若返るようで、外山先生は、90歳をすぎても矍鑠(かくしゃく)としておられる。 実は、この外山先生と『文藝春秋』誌の対談でお話をさせていただくことがあった。「定年後の勉強法」というのがテーマで、対談が始まるなりいきなり外山先生は「定年後になってまで勉強してはいけない」と仰ったのには面食らった。 その対談で外山先生の考え方をそれなりに理解し、著書も読ませていただいた。その後も私なりに旧来型の勉強をしないで、頭がよくなる方法を考えてみた。そして、中年以降は、その方が大切だと思えるようになった。 今回は、私が考えた「勉強しない勉強法」について話してみたい』、現在は高齢者の勉強がブームだが、「定年後になってまで勉強してはいけない」というのには私も「面食らった」。
・『中年以降は通常の勉強をしてはいけない  この対談の中で、外山先生は次のように仰っていた。 「受験勉強のように目標のあるものは励みやすいが、机上の知識より、その先に何をするかこそが知的生活」「子どもが文字を覚えるならいざ知らず、いまごろになって知識をインプットしてもそんなに楽しいものでない」「文字の方が優れていると思いがちだが、話し言葉の方が刺激的。相手の反応がある。人に聞いてもらえるように話すことで頭を使う」「自分の経験から新しい知恵を生み出し、嫌な目に遭ったらぱっと忘れて前を向く。こうして脳の新陳代謝を活発にする」(『文藝春秋』2011年6月号から抜粋要約) 要するに、知識注入型の勉強からアウトプットへ移行し、知識や経験を加工・応用して新しい知恵を生み出せということだ。 これはいろいろな意味で至言である。 一つは時代の変化である。 スマートフォンを持ち歩いて、どんな言葉でも概念でも検索できるのであれば、知識をいちいち覚える意味が大幅に低下する。知識をそのまま披露しても、その相手がスマホでもっと深い情報を検索してしまうこともある。Wikipedia以上にわかりやすかったり、面白いものでないと聞いてももらえない。 昔は米国などに留学したり、読書で知識を仕入れたりし、人並み以上の知識を持つことができれば、十分社会で通用したし、テレビのコメンテーターや大学の教授にすらなれた。今は、知識の価値が相対的に落ちたのは間違いない』、言わんとすることが、「知識注入型の勉強からアウトプットへ移行し、知識や経験を加工・応用して新しい知恵を生み出せ」というのであれば、強く同意できる。
・『前頭葉の萎縮は40代から  二つ目は、脳の老化予防という観点である。 人間の脳では記憶を司る海馬の老化よりずっと早い40代くらいから前頭葉の萎縮が目立ち始める。 難しい本を読んでも通常は側頭葉しか刺激されず、難解な数学の問題やパズルに取り組んでも頭頂葉しか鍛えられないとされている。ただ、この側頭葉や頭頂葉の機能は高齢になっても意外に保たれ(だから年をとっても難しい本は読める)、ルーティンワークは知的専門職でも続けられるし、知能テストの点数は案外維持できる。認知症でも初期には、ほとんどこれらの機能が落ちないのだ。 それに対して、前頭葉というのは、クリエーティブなことに取り組んだり、想定外のことに対応する際に用いられる。 知識を詰め込むより、これまでに経験したことのないような体験をしたり、既存の知識を用いてクリエーティブなことをしたり、自分の考えをアウトプットして意外な反応を受けるなどした方がはるかに前頭葉の老化予防になるはずだ。 三つ目は記憶への悪影響だ。 現代の脳科学では、記憶は忘れるのでなく、書き込まれているが引き出せなくなっているという考え方が有力だ。だから、10年ぶりにある場所を訪ねてみて、行ったことのある場所を見ると、「あ、この店まだやっているんだ」と思い出す。これは忘れているのではなく、脳にその記憶が書き込まれているのに、その場に再び行くまで引き出すことができないために生じる現象と言っていいだろう。 だとすると、余計な上書きをすればするほどかえって肝心なことが思い出せなくなることを意味する。これまでの書き込みが多いのだから、歳を取れば取るほど引き出す努力をした方が、使える(引き出せる)知識が増えることになる。 ということで私は外山先生の意見を支持したい。要するに旧来型の勉強をすることでかえって脳に悪く、頭が悪くなってしまうのだ』、その通りなのかも知れないが、「人間の脳では記憶を司る海馬の老化よりずっと早い40代くらいから前頭葉の萎縮が目立ち始める」ということで、前頭葉に焦点が当たったようだ。しかし、「海馬」についても、「歳を取れば取るほど」ちょっと前にしたことを忘れるといった短期的な記憶力だけでなく、人の名前が出てこなくなるという長期的な記憶力も衰えてくるのも大きな問題で、これに触れてないのが残念だ。
・『大学が教えないトレーニングを  知識のアウトプット以上に重要なのは、知識の応用や加工、あるいは知識を疑う姿勢である。 これを持たない人が多いから、日本だと偉い人の言った学説やマスコミが流す言辞を素直に信じる人が多いという印象がある。 これは日本の大学以降の教育に問題があるからだと私は考えている。 確かに欧米の教育では、初等中等教育で、プレゼンテーションが盛んだし、ディスカッション型の考える教育も行われるが、やはり原則は、知識を教え込んだり、計算練習などをさせるのが基本だ。むしろ80年代に日本が台頭してきた時期に、米国や英国などでは日本型の教育を見習う方に舵が切られたくらいだ。 ただ、大学教育は日本と違う。これまで習ってきた知識を疑ったり、それを加工応用するようなトレーニングが盛んだ。 ある事柄について偉い学者の解説を受けた時に、欧米では、初等中等教育しか受けていない人は「そうだったのか」と反応するが、大学以上の高等教育を受けている人は「そうとは限らない」「ほかの考えもあり得る」とディスカッションを仕掛けてくるはずだ。日本では、大卒以上でも「そうだったのか」になってしまうのが問題なのである。 実際、前述のように日本の高校までの教育は、多くの国が教育改革のモデルにしたが、大学教育のモデルを日本にしたという話はほとんど聞かない。アジアなどの優秀な留学生も、はるかに授業料が高い(その上、学生のビザではアルバイトもできない)のに米国に流れることが多い。 要するに大学で先進国とかけ離れた知識習得型の教育を受けさせられた人が珍しくないために、日本人は知識を疑ったり、加工したりという習慣を持つ人が少ない。逆に勉強というと、読書や資格試験対策のように知識習得型だったり、定説を信じ込むようなものをイメージする人が多い。 そして、クイズ番組で強いような知識の豊富な人間を頭がいいように思いがちだ。認知心理学における思考力というのは、知識を用いて推論する能力と考えられるが、知識が豊富でも推論がきちんとできなければ、通常は頭のいい人間とみなされない。 たとえば知識が豊富な芸人が、それを加工して面白い漫才ができないのであれば、決して頭がいいとはされないのだ。 物知りの割に話がウケない自覚のある人は要注意だ。 ただ、この手の能力は、意識して、トレーニングしていれば年をとってからも身に着けられる。逆にいうとそれができない人が多いので、できるだけで相当に頭がいいとみなされる。 東大では知識を疑い、加工する方法を教えることが少ないから、外山先生の本が東大で売れるのだろう。大学で教えてくれないなら、その手の本を読んで、「思考」の習慣をつけている。あるいは、外山先生も実践しておられるように知的な人と、知識のひけらかし合いでない建設的な会話ができれば、知識を疑ったり、加工して新たなものを生み出す能力は高まるはずだ』、日本の大学教育のお粗末さやそれに伴う悪弊はその通りだ。私も大学で教えていた時には、なんとか双方向の授業にしょうと悪戦苦闘したが、学生からの質問・意見の少なさには心底がっかりした。
・『勉強しないで脳の老化を予防する  このように、読書をすることや資格をとることで満足するのでなく、自分の知識や体験を上手にアウトプットしたり、それを加工することが、中高年以降の重要な勉強だと私は信じるようになった。 みんなが知っていることより、人とは違うかもしれないが、自分自身の考えを持ったり、ただ、知識を入力するのでなく、人に話せるレベルにまで知識を理解し、かみくだくようにするというようなことだ。 読書自体は否定しないが、新しいことを知れたとか、定説を知れたということで満足するのでなく、知識の幅を広げることで思考の幅が広がる、つまり一つの説だけで満足するのでなく、いろいろな説を読んで、世の中には多様な考え方があるし、先々どう答えが変わるかわからないというようなスタンスを持ちたい。 特に要注意なのは、特定の著者や学説のファンになって、それしか読まなくなることだ。気分はいいだろうし、知識も増えた気がするかもしれないが、これでは前頭葉は恐らく活性化しない。右派の考えを持つ人なら左寄りの本を、左の人なら右の雑誌をという形で、いろいろと反論が思いつくような読書をした方がよほど前頭葉には刺激的だ。 このように前頭葉を刺激するような、勉強しない勉強、つまり知識を入れるより、自分の知識を加工、応用する勉強をすることは、前頭葉の老化予防になるだけでなく、その機能水準も上げていくはずだ。日本人の場合、大学で前頭葉を使う教育をろくにせず、企業でも前例踏襲が珍しくないので、元々の前頭葉機能が低い人が少なくないように思われる。ただ脳の予備力を考えると、トレーニングですぐ上がるはずだ。 前頭葉機能が向上すると、意欲が高まる。前頭葉を若く保つことが体や脳のほかの部分を若く保つことにつながる。 アウトプットについては、現在の方がはるかに有利だ。昔は自費出版で一冊の本を出すのも費用も含めて大変だったが、今は自分の言いたいことや、経験や知識をわかりやすくまとめてアウトプットするのに、インターネット空間はいくらでも使える(うつ病の体験をまとめてブログにしてサラリーマン時代の年収の3倍になった人もいるという)。賢い仲間を探すSNS(ソーシャルメディア)も豊富だ。 炎上を怖がる人が多いが、私の見るところ、自分の偏見や自分の学んだ知識に凝り固まった人、つまり前頭葉機能の低い人が批判の声を上げているようだ。むしろ、そういう人の感情を刺激するほど自分の考えが斬新だったと誇っていい。 この手の勉強しない勉強のテクニックについては、拙著『60歳からの勉強法』(勉強しない勉強法というタイトルで出したかったが出版社が脳の老化予防を強調してこのタイトルに変えられてしまった)を参照されたい』、「日本人の場合、大学で前頭葉を使う教育をろくにせず、企業でも前例踏襲が珍しくないので、元々の前頭葉機能が低い人が少なくないように思われる。ただ脳の予備力を考えると、トレーニングですぐ上がるはずだ」というのは心強い。このブログもいささかなりとも「脳の老化予防」に役立ってくれてほしいものだ。

次に、12月25日付け日刊ゲンダイ「“金八先生”の脚本家 60歳で海外ボランティアを始めた理由」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは小山内美江子氏の回答)。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/244157
・還暦後 ヨルダンの難民キャンプへ飛んだ  人生100年時代といわれる昨今だが、「終活なんてまだまだ早い!人生は還暦から!」(ヨシモトブックス)という本を上梓した著者・小山内美江子さんは88歳。「3年B組金八先生」のシナリオライターとして広く知られているが、60歳の時に海外でボランティア活動を開始。11月にもカンボジアに行くなど意気軒高だ。さまざまなニュースに触れるたびに、今の日本に「待った」をかけたくなることもしばしばある、という。その思いを聞いた。 Q:「還暦後の生き方を本気で考えてみる必要があるのでは」と本の中で書かれていますが、60歳でボランティア活動を始めたきっかけは何だったのですか。 A:還暦を迎えた1990年に介護をしていた母を亡くしました。息子はすでに独立。私の第二の人生は「自分の時間とお金は自分のために使う」と決めました。この先、今までやれなかったことをやろうと。その矢先に湾岸戦争が起こり、イラクから命からがら逃げてきた人々が集まるヨルダンの難民キャンプのことを知って現地に飛び、それが海外ボランティアの第一歩でした』、母親の介護から解放されて、海外ボランティアに飛び込むとは驚くべき行動力だ。
・『Q:湾岸戦争では130億ドル(約1兆7000億円)の巨額の資金を出したのに、「日本はカネは出すが血も汗も流さない」「日本人の顔が見えない」とバッシングされました。 A:日本は憲法で、武器を持ち、海外に出て戦うことを禁じられている。代わりに資金面で貢献した。それでもバッシングを浴び、「誰の血も流すのはイヤだが、汗なら流せる」「日本人の顔を見てもらいたい」という気持ちでヨルダンへ行ったのです。 Q:それが88歳になってもカンボジアやネパールなどで学校をつくる活動につながっているわけですね。 A:代表理事を務める「JHP・学校をつくる会」は今年で節目の25周年を迎えました。学生ボランティアなどと一緒にカンボジアやネパールなどで約400校の学校をつくりました。そうした活動が人生を豊かにしてくれています。芸能界にもどんどん支援の輪が広がり、25周年記念の集まりには女優の藤原紀香さんやバイオリニストの天満敦子さんも参加してくれました』、「25周年を迎え・・・カンボジアやネパールなどで約400校の学校をつくりました」というのには頭が下がる。
・『新しいチャレンジに年齢は関係ない  Q:いろいろな方の支援、協力があるわけですね。 A:60歳の時に1部上場企業の社長をキッパリと辞めて退職された方が会の理事を務めています。夫婦2人が食べられればいいと、それからずっと無給で会の活動を手伝っています。76歳ですが、我が道を行くという感じです。年齢は関係ない。人はいくつになっても学ぶこと、得ることはたくさんあります。新しいチャレンジを恐れることはありません』、海外ボランティア活動には、寄付金募集能力だけでなく、実務能力も必要になる筈だが、「会の理事」にはうってつけの人が協力してくれているようだ。
・『Q:戦争を経験され、海外でボランティア活動をされている小山内さんの目には、今の日本はどう映っていますか? 安倍内閣になってから集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、日米合同で離島上陸訓練も行われている。特に最近は憲法改正が盛んに取り沙汰されていますが……。 A:戦争が終わって新しい憲法ができたときに本当に感動しました。二度と戦争をしなくていい、人を殺さなくていい、殺されなくていいのだと。それが今は世の中が戦争に向かっています。私の兄も2年前に亡くなりましたが、(戦争を知る)私たちの世代もいずれは死んでいく。だからこそ私たち生きている人間が言わなければいけない。生きていれば、アンネ・フランクや沖縄戦で亡くなったひめゆりの塔の女子学生は私と同じ年齢です。過去を将来に生かせるのは人間だけです。 Q:戦争放棄した「憲法9条を世界遺産に」ということも書かれていますね。 A:それはスペインの方からそう言われました。ヨルダンでもボランティア活動をしたときには、現地の中尉の方が「日本国憲法は9条を持っていることが素晴らしい」と力説していました。日本国憲法は海外からも高く評価されています。9条は絶対に改正してはいけません』、戦中派の「過去を将来に生かせるのは人間だけです」との熱い思いが行動の原点のようだ。
・『憲法前文は素晴らしい文章 だからドラマで生徒に読ませた  Q:「3年B組金八先生」のドラマの中で中学生に憲法前文を読ませるシーンがありました。 A:20年くらい前ですね。憲法前文は素晴らしい文章です。小学校から教えたらいいと思う。金八先生の中で生徒に読ませたのも同じ理由です。ドラマの中で憲法の前文を生徒に読ませるなんて前代未聞のこと。放送後、視聴者からどんな反応があるのかとディレクターなどが局に残って電話を取った。でも、抗議は3件だけだったそうです。 Q:国会の前でプラカードを掲げてデモもしたそうですね。 A:4、5年前の11月だったでしょうかね。憲法改正反対が一番の目的でした。霞が関の外務省の角のところにいたのですが、地下鉄からどんどん人が降りてきた。こんなに熱い人たちがいるのだと思いましたね。 Q:そうした思いは憲法改正に前のめりになっている安倍首相には伝わっていないようですね。世論調査でも9条改正反対の意見が多いのですが……。 A:本来なら憲法を守り、憲法を一番大事にしないといけないのは日本の首相の安倍さんのはずです。昨年、「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」がノーベル平和賞を受賞。事務局長が来日。安倍さんに面会を求めましたが、安倍さんは会わなかった。なぜ会わないのか。唯一の戦争被爆国なのに、日本は国連の核兵器禁止条約にも署名していない。安倍さんはトランプ大統領と仲良くしている。それはいいのですが、モミ手ですり寄っていいヤツだと思われている。だから武器を押し売りされて、次から次へと戦闘機や武器を買っている。そのお金は税金です。国民にきちんと説明しているのかと思います』、安倍首相がICAN事務局長と面会しなかった理由を「日本が核の傘の下にあるから」と説明したが、「核の傘の下」にあっても核兵器廃絶を願ってもいい筈で、苦しい言い訳だ。
・『安倍首相には父晋太郎さんにあった涙がありません  Q:国民に説明しないということでは防衛省や財務省の公文書隠蔽問題が起きました。 A:昨年、稲田防衛大臣(当時)が南スーダンのPKO(国連平和維持活動)の自衛隊の日報の中で「戦闘」という表現があるのに、「戦闘ではない。武力衝突である」と国会で答弁しました。PKO派遣条件のひとつが「非戦闘地域」であることから、そう言ったのでしょう。かつて同じようなことがカンボジアでもありました。1993年、日本で初めて本格的に参加したPKOで、文民警察官の高田晴行さんが銃撃で亡くなったが、その経緯の詳細は分からない。公開されていないのです。これでは都合の悪いことは隠す、ごまかすという戦争中と同じです。 Q:自民党の杉田水脈衆院議員が、LGBTのカップルは子供をつくらないから生産性がないなどと寄稿。批判を浴びました。 A:戦争中は国が国民に産めよ、増やせよと言っていました。それと考え方は同じです。政治家といえば麻生財務相もひどいです。食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているヤツの医療費を俺たちが払っている。無性に腹が立つみたいな発言を先日もしていました。とんでもないことです。病気になりたくてなる人はいないし、誰でもいつ病気になるか分からない。だから国民皆保険で支え合う。アメリカでもオバマ前大統領が国民皆保険制度をつくりました。糖尿病も最近は貧困層ほどかかる率が高いという研究も多数あると聞きますよ。 Q:人を思いやる気持ちに欠ける政治家が増えたということでしょうか。 A:1984年から85年にかけて干ばつでエチオピアが大飢饉に見舞われました。約100万人が亡くなったそうです。当時、外務大臣だった安倍首相の父親の安倍晋太郎さん(故人)は84年の11月にエチオピアを訪問。救援キャンプ3カ所を視察して回りました。現地の状況をつぶさに見た晋太郎さんは「人はこんなにもか細くなるのか。今こそ国際社会が救済に立ち上がらなければ」と言葉を詰まらせ、涙を流した。帰国して国会でも演説し、さらなる援助につなげました。安倍首相には父・晋太郎さんにあった「涙」がありません』、「文民警察官の高田晴行さんが銃撃で亡くなった」経緯の詳細は未だに未公開という隠蔽体質には呆れ果てる。「安倍首相には父・晋太郎さんにあった「涙」がありません」というのは言い得て妙だ。

第三に、家族問題評論家・エッセイストの宮本まき子氏が2月14日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「定年男性の新形態、パソコン前で「お地蔵さん」現象はなぜ起こる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/193864
・『「団塊の世代」の男子らが定年を迎え、高齢者となった。彼らはかつての定年男性のように、熟年離婚を迎えたり、「お座敷豚」や「粗大ごみ」「濡れ落ち葉」となって妻や家族から嫌がられるようなヘタは打たない。その代わり、パソコンの前での「お地蔵さん」現象という「新形態」へと進化して、顰蹙(ひんしゅく)を買いつつある』、私も毎日の1万歩の散歩やたまに友人と飲む以外は、基本的には「パソコンの前での「お地蔵さん」」になっているので、身につまされる。
・『定年男性の「外歩き派」が減り「家庭回帰」が始まった  戦後生まれの元祖ニューファミリー、「団塊世代」が2007年以降に順次定年となって10年が過ぎた。欧米文化に憧れ、新しい物好きで自由を謳歌(おうか)した世代760万人がどっと高齢者市場(シニアマーケット)に繰り出したのである。 退職金や貯金で派手に消費して低迷しがちな景気を牽引してくれる、スポーツに趣味にと積極的に参加して従来の「高齢者」のイメージを一転させるとの期待は中途半端に終わった。一時的に旅行や家のリフォーム、新築などで消費が増えた後は、盛り上がりに欠けたからである。 2017年の日本総研のデータによれば、食料や自動車関連、インターネットや携帯電話の通信費などの生活費は増加したが、旅行や教養娯楽、交際費などの「余暇を楽しむ支出」は減少しているという。 一方、健康維持のための医療費、サプリ代、ジム等の会費は「孫経費」と並んで惜しまず出費されているから、「長生きして家族団らんを保ちたい」という欲求はある。70歳以上の世帯の8割が年金が主たる収入で、不足分は貯蓄を切り崩して生活しているという現状では、派手に余暇を楽しめないのかもしれない。 「粗大ゴミ」だの「濡れ落ち葉」だのと陰口をきかれた先輩たちの二の舞にならないよう、団塊世代のリタイアは注意深くソフトランディングしたようである。 ちなみに「粗大ゴミ」とは家にいてすることもなく退屈し、存在を主張して居間を占拠して居座る夫を揶揄(やゆ)する言葉。「濡れ落ち葉」とは孤独が嫌で妻の行く先々にベッタリとひっついてくるのを比喩した流行語で、現役時代と異なる夫の退行現象に幻滅する妻の嘆きでもあった。 妻の変化に無頓着で自己チューな「ガラパゴス世代」と違い、団塊世代男子は男女平等を教え込まれ、人数の多さゆえに他者との共同生活や距離感の取り方に長けているタイプが多い。 彼らはまずリタイア後の居場所を見つけ、趣味、旅行、スポーツ、社会人向け公開講座、ボランティア活動、公民館講座、パートタイムジョブ、起業とフットワークがよく動き回っていた。 しかし、ここにきて遊び飽きたか、息切れしたか、男性72歳の健康寿命通りか、はたまた資金が尽きたか、理由は不明だが「外歩き派」が減って「家庭回帰」が始まったのである。 もちろん四六時中近くにいられてハッピーでラブラブという熟年夫婦もいるが、中には「地雷を踏むまい」と緊張感が漂う夫婦もいるから居宅対策は必須だ。 例えば、夫婦のおのおののスケジュール表を玄関に貼っておき、「どこに行く?何時に帰る?」など、いちいち聞くようなプレシャーをかけない。 夫用、妻用の鍵のかかる個室で寝起きし、掃除、洗濯、朝食、昼食、は各自で済ませ、夕食で合流するまでは原則自由行動とする。 狭いマンションでは生活音に要注意。トイレやシャワー、キッチンは相手の留守時を狙ったり、時間差で使う配慮もする。自炊を覚え、総菜弁当などの中食やコスパのいい外食を探し、「俺のメシは?」等の虎の尾を踏むまねをしない。 このように、老後貧乏へまっしぐらの熟年離婚より「卒婚」というシェアハウス状態を選んだという話もチラホラ聞く』、「卒婚」とは、2000年代以降の日本における夫婦生活の新しい形態の一つで、婚姻状態にある夫婦が互いに干渉することなく個々の人生を歩んでいくという生活形態のこと(Wikipedia)のようだ。私もそれに近い。
・『定年男性の「新形態」「パソコンの前のお地蔵さん」現象  男のメンツよりストレス回避を、花より実をとった団塊世代定年男子はおかげでテレビの前の「お座敷豚」にもソファの上の「粗大ゴミ」にもならずに済んだのだが、ここで定年男性の「新形態」が発生している。 それは「パソコンの前のお地蔵さん」現象である。 この「パソコンの前のお地蔵さん」は、自他共に想定外だったのではないだろうか? 思えば壮年期に手書き→ワープロ→パソコンと早いテンポで切り替わり、過渡期の順応に四苦八苦した世代である。その反動でリタイア直後は額に汗して動くアナログな世界に浸った人が多い。そして10年後にひっそりと自室に戻って「仕事抜き」でパソコンと再会したらハマってしまったらしい。 例えば、団塊の世代の男性らは定年後にこぞってFacebookを積極的に始めた。もともとFacebookは若者たちが同世代のコミュニケーションで盛り上がっていたのが、リタイア組が大量流入した後は中高年のグルメや旅の記事があふれた。その量の多さにしらけたか、若者たちは退散しつつあり、SNSの主流はインスタグラムに移行しているとか。 そんな異変にもお構いなく、オジさんらは相変わらずFacebookで知人、元同僚らを見つけては「自分が孤立していない」ことを証明するための記事や情報を流し続ける。 合間に新聞や雑誌のオンラインサイトをのぞけば、図書館で新聞や週刊誌の取り合いをすることもない。大型の液晶ディスプレーなら音楽、映画、テレビ番組もイヤホンをつけて楽しめるし、家族とテレビのチャンネル争いもしないで済む。 ネットサーフィンやり放題、無料のゲームにも熱中する。もっとおもしろいことを追求できるのではと、時間を忘れてパソコンに向き合ううちに、「石のお地蔵さん」のようにパソコンの前で動かなくなってしまったのである』、確かにFacebookには友人たちのくだらない寄稿が多く、辟易気味だ。会員の脱退も考慮中である。
・『はたから見たら「引きこもり」  はたから見たら「引きこもり」なのだが、問題は本人も家族もこの「省エネ」状態には、悩んでも困ってもいないことだろう。 社会生活や人間関係を未経験の若者の引きこもりは長引くと深刻で、心身や家族関係に表れるが、定年男子はもろもろ経験済みの後の「自主的引きこもり」。 ある意味、「ご隠居の道楽」である。「どこが悪いか?」と開き直られれば返答に窮してしまう。妻たちにすれば初めのうちこそ自室にこもってくれて手もかからず、出費もネット等の通信費だけで済むと安易に考えていたふしある。 だが「お地蔵さん」は見えないところで変身していたのである。 毎日の日課となった長時間のパソコン操作や多数の見えない相手とのやりとりは、仕事に復帰したような錯覚を起こさせるし、おびただしいネット検索を繰り返すうちに、自分は知識豊富で有能で、人を思い通りに動かせると思い込む「万能感」を育てた可能性もある。 最近、高齢者ケアの関係者が最も警戒するのが、「預けた親の介護生活を隅々までチェックして、クレームをつける定年男子」だという。メディアやネットを駆使して、「自分の親」だけに最高にして最良のケアを要求する詳細な資料を次々に出してくる。 やんわり断れば労働の効率化やカイゼン案、はては経営方針の転換まで、まるで仕事相手に対するように迫るらしい。多くはネットからのコピペだが、時間がたっぷりあるから対応する方も大変で、「その時間と熱意を親との会話やスキンシップに使う方が親孝行では」とぼやきたくなるそうである。 もし定年男子が「パソコン万能感」で理論武装し、家庭内で管理職手腕を発揮して、妻に効率化やカイゼンを迫ったらたまったものではない。 元来、日々の暮らしはあやふやで予定通りいかない超アナログなものである。目標を立てて完遂を目指すより、日常の場面でコミュニケーションし、感情を交わすことに意味があるのは「勝敗にこだわるより参加することに意義がある」五輪精神に似通う。 「人生百年」時代の団塊世代の妻たちにとって、まだまだ続く夫との生活を「パソコン命」で振り回されるのはごめんである』、「預けた親の介護生活を隅々までチェックして、クレームをつける定年男子」は確かに困ったことだ。「その時間と熱意を親との会話やスキンシップに使う方が親孝行では」というのも頷ける。
・『夫の居宅対策の見直しは「逆濡れ落ち葉」作戦  そこで夫の居宅対策の見直しに、「逆濡れ落ち葉」作戦をしてみよう。 データによれば団塊の世代が敏感に反応するのは「健康」と「グルメ」である。 「エコノミー症候群の予防にプールで泳ごう」とか、「夜のウオーキングに用心棒でついてきて」とか、「おいしいランチの店に連れてって」とか「食材の買い出しに行くから荷物を持って」とか言いくるめて、ともかくパソコンの前から引き離そう。 キーボードから離れた指と手をつないで歩こう。シニア割引の映画館でいっしょに泣いたり笑ったりしよう。孫育てに引き込んで「すてきなイクジイ」と褒めそやそう。 そうやってディスプレーから出てこない五感をフルに使わせれば、いずれ「笠地蔵」のように歩きだしてお礼を言われるかもしれない。くれぐれも地蔵化防止の時機を逸しないようにすることが肝心である』、確かにその通りだ。私なりの「地蔵化防止」策を考えていきたい。
タグ:地蔵化防止 夫の居宅対策の見直しは「逆濡れ落ち葉」作戦 定年男子はもろもろ経験済みの後の「自主的引きこもり」 はたから見たら「引きこもり」 Facebook 定年男性の「新形態」「パソコンの前のお地蔵さん」現象 ここにきて遊び飽きたか、息切れしたか、男性72歳の健康寿命通りか、はたまた資金が尽きたか、理由は不明だが「外歩き派」が減って「家庭回帰」が始まった まずリタイア後の居場所を見つけ、趣味、旅行、スポーツ、社会人向け公開講座、ボランティア活動、公民館講座、パートタイムジョブ、起業とフットワークがよく動き回っていた 先輩たちの二の舞にならないよう、団塊世代のリタイアは注意深くソフトランディングした 健康維持のための医療費、サプリ代、ジム等の会費は「孫経費」と並んで惜しまず出費されている 食料や自動車関連、インターネットや携帯電話の通信費などの生活費は増加したが、旅行や教養娯楽、交際費などの「余暇を楽しむ支出」は減少 定年男性の「外歩き派」が減り「家庭回帰」が始まった その代わり、パソコンの前での「お地蔵さん」現象という「新形態」へと進化して、顰蹙(ひんしゅく)を買いつつある 熟年離婚を迎えたり、「お座敷豚」や「粗大ごみ」「濡れ落ち葉」となって妻や家族から嫌がられるようなヘタは打たない 「団塊の世代」の男子らが定年を迎え、高齢者 「定年男性の新形態、パソコン前で「お地蔵さん」現象はなぜ起こる」 ダイヤモンド・オンライン 宮本まき子 安倍首相には父晋太郎さんにあった涙がありません ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」がノーベル平和賞を受賞。事務局長が来日。安倍さんに面会を求めましたが、安倍さんは会わなかった 憲法前文は素晴らしい文章 だからドラマで生徒に読ませた 日本国憲法は海外からも高く評価されています。9条は絶対に改正してはいけません 過去を将来に生かせるのは人間だけです 私たちの世代もいずれは死んでいく。だからこそ私たち生きている人間が言わなければいけない 新しいチャレンジに年齢は関係ない 学生ボランティアなどと一緒にカンボジアやネパールなどで約400校の学校をつくりました 代表理事を務める「JHP・学校をつくる会」は今年で節目の25周年を迎えました イラクから命からがら逃げてきた人々が集まるヨルダンの難民キャンプのことを知って現地に飛び、それが海外ボランティアの第一歩 湾岸戦争 60歳の時に海外でボランティア活動を開始 小山内美江子 “金八先生”の脚本家 60歳で海外ボランティアを始めた理由」 日刊ゲンダイ 前頭葉を刺激するような、勉強しない勉強、つまり知識を入れるより、自分の知識を加工、応用する勉強をすることは、前頭葉の老化予防になるだけでなく、その機能水準も上げていくはずだ 勉強しないで脳の老化を予防する 大学で先進国とかけ離れた知識習得型の教育を受けさせられた人が珍しくないために、日本人は知識を疑ったり、加工したりという習慣を持つ人が少ない 知識のアウトプット以上に重要なのは、知識の応用や加工、あるいは知識を疑う姿勢である 大学が教えないトレーニングを 三つ目は記憶への悪影響 知識を詰め込むより、これまでに経験したことのないような体験をしたり、既存の知識を用いてクリエーティブなことをしたり、自分の考えをアウトプットして意外な反応を受けるなどした方がはるかに前頭葉の老化予防になるはずだ 前頭葉というのは、クリエーティブなことに取り組んだり、想定外のことに対応する際に用いられる 人間の脳では記憶を司る海馬の老化よりずっと早い40代くらいから前頭葉の萎縮が目立ち始める 前頭葉の萎縮は40代から 今は、知識の価値が相対的に落ちたのは間違いない 時代の変化 知識注入型の勉強からアウトプットへ移行し、知識や経験を加工・応用して新しい知恵を生み出せということだ 自分の経験から新しい知恵を生み出し、嫌な目に遭ったらぱっと忘れて前を向く。こうして脳の新陳代謝を活発にする 中年以降は通常の勉強をしてはいけない 「定年後になってまで勉強してはいけない」 「定年後の勉強法」 外山先生と『文藝春秋』誌の対談 名著『思考の整理学』 外山滋比古 「中年になったら勉強してはならない 知識の加工と応用で脳を刺激せよ」 日経ビジネスオンライン 和田 秀樹 (その8)(中年になったら勉強してはならない 知識の加工と応用で脳を刺激せよ、“金八先生”の脚本家 60歳で海外ボランティアを始めた理由、定年男性の新形態 パソコン前で「お地蔵さん」現象はなぜ起こる) 高齢化社会
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安倍政権の教育改革(その9)(愚策の極み「学テで校長評価」 現場が失う大事なもの、「日の丸・君が代」教員らに強制 ILO 政府に是正勧告、「センター試験の大改革」に秘められた深い意味 大学入試センターの山本廣基理事長に聞く) [国内政治]

安倍政権の教育改革については、昨年7月13日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その9)(愚策の極み「学テで校長評価」 現場が失う大事なもの、「日の丸・君が代」教員らに強制 ILO 政府に是正勧告、「センター試験の大改革」に秘められた深い意味 大学入試センターの山本廣基理事長に聞く)である。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が2月12日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「愚策の極み「学テで校長評価」、現場が失う大事なもの」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00008/?P=1
・『今回は「働かされ感」についてあれこれ考えてみようと思う。 なんとも唐突なテーマなのだが、私の中ではかなり前から温め続けていたネタ。いつか書こうと思いつつも、どんな言葉で、どんな風に綴ればいいのかが固まらずで。要するに、自分の中で十分に噛み砕けていなかったのである。 が、物議を醸している「大阪市の校長評価」に関する報道やら、記事やら、コメントやらをボ~ッと見ていたら、散在していた点と点がつながった! というわけで、今回取り上げようと思った次第だ。 先月29日、大阪市教育委員会が、市内の小中学校の校長の人事評価に、生徒の学力を測る目的で府や市が実施している独自テストの結果を反映する方針を固めたとの報道があった。 評価に使われるのは、「学力経年調査」(小3~6年生対象)と、「チャレンジテスト」(中学生対象)。両テストの学校ごとの結果を校長の人事評価の20%分に反映させるとともに、賞与の半分程度を占める勤勉手当の評価材料として使うそうだ。 また、2020年度からはテストの結果に応じて割り当てる特別な予算として年間1.6億円を用意。成績が向上した学校に配分することで学校間の競争を促すのが狙いだ。 要するに、“ニンジンぶら下げ方式”。…ふむ。大阪って、ホントに好きね、というのがこの件に関する個人的な率直な感想である。 「大阪」といえば、全国学力テストの成績が2年連続で全国最低レベルに低迷した08年、当時の橋下府知事が学力テスト結果の公表を巡って「クソ教育委員会」と暴言を吐いたり、「このざまは何だ!」と罵声を浴びせたり、ついには「教育非常事態宣言」を出して学校教育に介入したりと、すったもんだがあった。松井一郎府知事になってからも、学力テストが実施される直前に、「来春の高校入試の際に提出する内申点に、全国学力テストの学校別結果を反映させる!」と突然発表する “事件”もあった。 当時、知事が唐突にぶら下げた“ニンジン”に、現場の先生たちはてんやわんや。急遽過去の問題などを子どもたちに配布したり、「最後まで諦めるな!」と尻を叩いたり、そりゃあもう、大騒ぎだった。 結果的には、「やればできることがはっきりした」と松井知事がドヤ顔したとおり、それまで、全国で下位に低迷し続けていた屈辱を晴らし、大躍進を遂げた。 が、所詮、“ニンジン”は“ニンジン。文部科学省が「学力テストの趣旨を逸脱している」と“ニンジン方式”を禁止したことで、翌年には、中3の国語、数学の平均正答率がいずれも全国平均を下回り、空白の解答欄も目立つなど、残念な結果に。快挙はわずか一年で幕を閉じてしまったのである。 で、今回。再び大阪、いや、正確には「大阪府」ならぬ「大阪市」で、吉村洋文大阪市長が、「おい、おい、おい!! このざまは何だ! 学力テストの平均正答率が、全国の政令都市で最下位! ビリ、ビリだよ! う~~~ぅ、ニンジンだ! そうだ。あのときもニンジンぶら下げたら大躍進したよね? 子供にぶら下げちゃダメっていうなら、教員にぶら下げろ!」(あくまでも個人的な妄想に基づく仮想発言です)と狼煙を上げ、校長先生に白羽の矢が立ったというわけ』、維新の会は教育問題に熱心とPRしている割には、思い付き的政策が多いようだ。
・『おっちょこちょい市長による、とんでも政策  「どうにかしてビリを脱出したい」という気持ちが全くわからないわけではない。 が、子どもの学力テストの結果を校長の評価に使うとは、愚策……以外の何ものでもない。もう少し丁寧に言えば、「『先生も生徒も人である』という当たり前を忘れた、おっちょこちょい市長による、とんでも政策」である。 ニンジンはお馬さんを走らせるために使うものである。それを人間に使えば、結果的に人は腐る。しかも、それを教育の現場に持ち込むとは、「人を育てる」という言葉の意味を、大阪市のお偉い方たちは微塵もわかっていないのだろう。 テレビや新聞などのメディアやSNSでも、 「そんなことしたら、テストの点数が悪い子どもが担任や校長にいじめられるぞ!」「知的障害や発達障害のある子どもは、どうなる?」「不登校の子どもだっているじゃん!」「先生同士の人間関係も悪くなりそ~」「つーか、学校の先生って子どもの学力を上げるためだけにいるのか?」「結局さ、こんなことしたら、現場の教師も子どもも単なる道具。“使い捨て”にする超ブラック校長が評価されて、えらくなっていくんだよ」「企業と同じだな」……などなど、批判的な意見が相次いだ。 そもそも子供たちの学力が低いと先生の指導に問題があるように言われるけど、どんなに先生たちが頑張っても学力が上がらない学校はある。例えば、県でトップクラスの学力を誇っている学校の先生全員が、学力の低い学校に行って頑張ったとしても、そんなに簡単には学力は伸びない。先生たちだけじゃ、どうにもできないことが現実には存在する。 以前、こちらのコラム(「幸せな国」発言と持てる者の自己責任論)でその理由が推測できるデータに触れたが、学力に関してのみ抜粋すると以下のとおりだ。 ――朝日新聞は6月28日、「成績・進学期待 収入に比例」との見出しで、お茶の水女子大学の調査結果を報じた。全国学力テストを受けた小6と中3の保護者約12万2000人を対象に調査し、両親の収入や学歴(SES)で「上位層」「中上位層」「中下位層」「下位層」の4群に分割したところ、層が上がるほど学力調査の平均正答率が高く、中3の数学Aは「上位層」77.1%に対して「下位層」は52.8%。層が上がるほど子供への進学期待が高く、「大学」と答える人は、小6の「上位層」で80.8%に対し「下位層」33.2%、中3の「上位層」で81%に対し「下位層」は29.3%――』、「「人を育てる」という言葉の意味を、大阪市のお偉い方たちは微塵もわかっていないのだろう」との批判はその通りだ。大阪府知事選挙と大阪市長選挙では、松井氏と吉村氏が入れ替わって当選したが、吉村氏を引き継ぐ松井新市長も、当然、吉村路線を踏襲するのだろう。やれやれ・・・。
・『ただ「点数」を取るための道具にするな  そもそも、テストとは「オトナたちがやっていることの正しさを確認し、子供に順位をつけるため」に大人が準備した物差しであり、「教育」という視点から考えれば、学力に関するテストはあくまでも結果の“一つ”でしかない。 大切なのは、いかに子供が「楽しい!」と感動し、「もっと知りたい!」と知的好奇心がくすぐられるか、だ。僭越ながら中学校理科の教科書づくりに、かれこれ10年以上関わっている身からすると、「現場をなめんなよ!」と大阪市長に言いたい。 「もっと子供たちが興味を抱くように」「もっと子供たちが『役に立つ』と思うように」「もっと子供たちが『分かった』と自信が持てるように」「もっと子供たちが『学んでよかった』と満足できるように」と、天気図一枚、言葉の一言一句まで、オトナたちが喧々諤々必死で考える。小学校の振り返りができるように工夫したり、発達障害の子どもが置いてきぼりにならないような手立てをしたり、「もっと先を知りたい!」と望む子どもの熱が継続するような仕掛けを施したりもする。 その教科の専門家と現場の先生たちが、汗水流して必死で作った結晶が「教科書」だ。それをただ「点数」を取るための道具にするな、と。 だいたい学校という現場には、さまざまな能力を秘めた子供たちがいる。それらは、大人が大人のために用意した「学力テスト」のような数値化したものだけでは決して測ることのできない「力」だ。教育者としての大事な役割の一つは、その力を引き出したり、大きく育てたりすること。 このことが分かっていないから、愚策を繰り返すんだな、きっと。 もし、「子どもの学力テストの結果=校長の評価」として使われるようになれば、数値化できない「力」は切り捨てられ、目に見える数字を追いかける校長が量産され、学力テストの結果が悪いクラスの担任は校長に尻を叩かれ、授業は学力テストのためだけの授業になり、子どもには「勉強させられ感」が強まり、学力は向上するどころか低下するリスクが高まる。そう思えてならないのである』、「僭越ながら中学校理科の教科書づくりに、かれこれ10年以上関わっている身からすると」、河合氏がこんな活動までしていたとは、驚かされた。「「子どもの学力テストの結果=校長の評価」として使われるようになれば・・・」のリスクは大いにあり得る話だ。
・『先生たちの「働かされ感」が高まるだけ  「何か問題を起こす子供がいるとするでしょ? 1つの原因だけで問題を起こすってことはなくて、いくつかの要因が絡み合っている場合がほとんど。だから『みんなの問題』として考えることが大切なの。 でも今は、何か問題が起きるとそれに関係のある1人の先生だけがやり玉にあげられる。管理職は自分の責任問題になるから、その先生だけに問題があったのかのような追及をする。今の先生に求められているのは、間違いを起こさないこと」 数年前、中学校の先生がこう話してくれたことがある。 ただでさえ先生たちは、管理職のための仕事(=教育委員会や文科省への提出物など)の多さに疲れきっているのに、学力テストが校長の評価に反映されるようになれば、テスト結果に直接つながらないことは避けるようになるに違いない。 「そんなことやってるから、お前のクラスは点数が低い」「それって学力テストに関係あるのか?」などなど、教育者としてのやる気を失せさせる言葉が無尽蔵に増え、先生たちの「働かされ感」が高まるだけだ。 そう。これぞ「働かされ感」。モチベーションが下がりまくり、言われたことだけをする受け身の先生をさらに量産させることになっていくのだ。 実は今回のテーマである「働かされ感」は、米国で金融関係の会社を渡り歩いている学生時代の友人と話していて、私の中で生まれた言葉である。 年明けに、学生時代の友人たちと久々に飲む機会があり、帰国していた彼も合流した。医師として活躍していたり、航空会社に勤めていたり、金融関係やら食品メーカーなどあちこちの業界に散らばっている仲間と、あれこれ“居酒屋トーク”していたとき、私たちの話を聞いていた彼が、突然、こう切り出した。 「ねぇ、さっきから言ってる『働かされている』ってどういうこと?」と』、「学力テストが校長の評価に反映されるようになれば、テスト結果に直接つながらないことは避けるようになるに違いない」、というのはその通りだろう。
・『ニンジンをぶら下げる前に、校長先生に投資せよ!  一瞬、私には彼が何を言ってるのか理解できなかった。だが、どうやら私たちは「働かされている」という言葉を多用していたようだったのである。 「パイロットもさー、人手不足でひどい働かされ方してるよね~」「医者も同じだよ。肉体に鞭打って働かされてま~す」「娘が入った会社が、結構なブラックでさ。かわいそうなくらい働かされてるよ~」「働き方改革とかさ、働かせ方改革だもんね」 私たちにとっては日常のたわいもないこんなトークが、彼にとっては“異常”だった。 「自分のありたい姿に近づきたかったり、成長したかったり、たくさん稼ぎたかったりするから、働くんでしょ? なんで働かされなきゃならないの?」 多くの日本人が忘れかけている“当たり前”を彼は訴えたのである。と同時に、2年前から勤めている米国日本法人のマネジャーへの不満をぶちまけた。 「本来、マネジャーの仕事はチームメンバーのやる気を上げることなのに、実際にやっているのは周りのやる気が失せることばかり。これは米系企業のマネジャーではありえないレベル。 たとえ目標を達成できなくても、定性と定量による分析を使い分けて、メンバーがどこまで自己肯定できるかをマネジメントするのがマネジャーの仕事でしょ。そもそも人事権や報酬に係る評価権のない管理職はマネジャーと呼べるのか? って思っちゃうよね。 しかも、ひとつひとつのジャッジが遅い。なのに、偉そうに言うことだけは言うんだよね。誰が見たって、金融畑でキャリアを積んできたメンバーの方がわかってるのに。しかもさ~、それが結構、若いやつなわけよ。 そんなだから、みんなモチベーション下がりまくってる。で、最初はガンガンやってたのに、いつの間にか『定年までタラタラいてやるか』って感じになってきてるし。日本の会社はダメだね。これじゃ、長くは持たないだろうね」 ……全くもっておっしゃるとおりだ。ここでの定量とは「数値目標」、定性とは目に見えない、あるいは数値化できない業務上の貢献であり、協調性や積極性などがその代表例になる。 彼が言うとおり、米系企業ではマネジャーになるためのトレーニングをかなり早い段階から受けさせる。プロマネジャーとなるべく、企業が投資するのだ。一方、残念ながら多くの日本企業のマネジャーは、名ばかりマネジャー。マネジャーとしての教育も受けていなければ、裁量権もない。 そして、それは「学校のマネジャー=校長」も同じではないだろうか。 もし、もしも、校長先生に「定性と定量を使い分けて評価し、メンバー(先生たち)のやる気を喚起させられる能力」があれば、“上の立ち枯れた木々”がとんでも政策を押し付けようとも構いやしない。学校現場で求められる教育を徹底的に行い、その“結果”としての「学力テストの向上」を目指し、現場の先生たちのモチベーションを高めることができる。 つまり、問題はそういうマネジメント能力のある校長先生が、どこにいるのか? ってこと。ニンジンをぶら下げる前に、校長先生に投資せよ!と。それをやらずして、すべてを「校長の責任」に押し付けるようなとんでも政策を進めれば、「勉強させられ感」の子供と、「働かされ感」の先生により、学力はますます低下する。 そもそも働くことは「生きている価値」と「存在意義」をもたらす、とても大切な行為だ。ところが、最近は「仕事=しんどいもの」になってしまっていることからして、極めて異常なのだ』、説得力溢れた主張で、全面的に同意する。

次に、3月30日付け東京新聞「「日の丸・君が代」教員らに強制 ILO、政府に是正勧告」を紹介しよう。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019033002000143.html
・『学校現場での「日の丸掲揚、君が代斉唱」に従わない教職員らに対する懲戒処分を巡り、国際労働機関(ILO)が初めて是正を求める勧告を出したことが分かった。日本への通知は四月にも行われる見通し。勧告に強制力はないものの、掲揚斉唱に従わない教職員らを処分する教育行政への歯止めが期待される。 ILO理事会は、独立系教職員組合「アイム89東京教育労働者組合」が行った申し立てを審査した、ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会(セアート)の決定を認め、日本政府に対する勧告を採択。今月二十日の承認を経て、文書が公表された。 勧告は「愛国的な式典に関する規則に関して、教員団体と対話する機会を設ける。規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする」「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒の仕組みについて教員団体と対話する機会を設ける」「懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせる」ことなどと求めた。 一九八九年の学習指導要領の改定で、入学式や卒業式での日の丸掲揚と君が代斉唱が義務付けられて以来、学校現場では混乱が続いていた。アイム89メンバーの元特別支援学校教諭渡辺厚子さんは「教員の思想良心の自由と教育の自由は保障されることを示した。国旗掲揚や国歌斉唱を強制する職務命令も否定された」と勧告を評価している。 これまで教育方針や歴史教科書の扱いなどを巡る勧告の例はあったが、ILO駐日事務所の広報担当者は「『日の丸・君が代』のように内心の自由にかかわる勧告は初めてだ」と話している』、妥当な判断だ。「日本への通知は四月にも行われる見通し」とあるが、私が検索した限りでは見つけられなかったが、官邸の圧力で記事にはならなかったのかも知れない。

第三に、5月2日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの池上 彰氏と作家・元外務省主任分析官の佐藤 優氏、大学入試センター理事長の山本 廣基氏による対談「「センター試験の大改革」に秘められた深い意味 大学入試センターの山本廣基理事長に聞く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/277999
・『2020年度、教育が大々的に改革され、新たな「大学入学共通テスト」の実施が始まる。国語と数学に記述式の問題を取り入れ、英語は「聞く、読む」に加え、「話す、書く」力まで求められるようになるという。しかし、そもそも、なぜいま入試改革なのか。教育現場も予備校も大学生も大混乱。センター試験の何を反省したのかもよくわからない。 自ら教壇に立ち、教育問題を取材し続ける池上彰氏と、「主体的な学び」を体現する佐藤優氏が、めったにマスコミなどに登場しない大学入試センターの山本廣基理事長と対面。入試改革の真の狙いを聞いた・・・』、興味深そうだ。
・『入試に表れる“ふたこぶラクダ”現象とは?  佐藤優(以下、佐藤):センター試験の問題自体は、国際基準の学識を測るという点から見ても、よくできていると思います。ただ、原則全教科受験という形になっていれば問題ないのだけれど、1科目つまみ食いできるとか、科目を自由に組み合わせられるとかで、試験が複雑系みたいになっているんですね。そこにさまざまな受験テクニックの入りこむ余地も生まれて、結果的にそのよさが十分発揮できない状況になっているような気がします。 山本廣基(以下、山本):おっしゃるとおりで、非常に複雑です。さらに今ご指摘のことに加えて、国公立だけだった共通一次のときとは違う、悩ましい問題があります。 今、センター試験の受験生は約55万人いるのですが、だいたい4分の1ずつ、4つのグループに分類できるんですよ。国公立専願、国公立・私立併願、私立専願、そして残りの4分の1は何かというと、大学から成績提供の請求がない人たちです。例えば、すでに推薦やAO入試で合格しているけれど、一応受けておこうという人たちです。30年前とは、受験者層が様変わりしているんですね。 佐藤:そのとおりです。 山本:でも、自分が「残りの4分の1」の受験生だったらどうでしょう?是が非でも高得点を取らなければ、という気持ちにはならないと思います。 池上彰(以下、池上):それはそうだ(笑)。 山本:その結果、誤解を恐れずに言えば、その層が平均点を引き下げることになるのです。ところが、そういう受験生も含めて平均点を60点程度にしようとすると、共通一次時代よりも、問題をかなりやさしくせざるをえません。 佐藤:ということは、母集団が正規分布していないわけですね。グラフにすると、得点分布が真ん中で高くなるのではなくて、”ふたこぶラクダ”みたいなカーブになっている。 山本:そんなに極端なことにはなりませんが、分布の形としてはいびつになるのは否めません。 池上:平均点が下がると「今年の問題は難しかった」と言って騒ぐのだけれど、かつては国公立志望オンリーだった受験生が「多様化」すれば、平均点は下がって当たり前。テストの本来の趣旨からすれば、見かけの得点ではなく、共通一次時代の平均60点の問題レベルを維持するのが筋だと思うのですが。 山本:まったくそのとおりだと思います。ところが、メディアや高校サイドは、「難しくなったではないか」と言うわけです。 佐藤:「ますます学力が低下している」と言ったり。まず、実情をきちんと理解してもらう必要がありますよね。 山本:あえて付け加えれば、公平を期すという理由で、科目間の平均点に20点を超える差がついたときには、得点調整を行うことになっているんですね。これもメディアの大関心事ですが、どう調整するのか、そもそも調整することが「公平」なのかというのは理論的には難しい問題です。 池上:完璧な答えは、誰にも出せないんじゃないですか。 山本:そうした試験の中身に関わる話は、今までタブー視されていました。しかし、おっしゃるように実態を知ってもらわなければ、改革もままなりません。最初に言ったように、私は必要なことはできるだけ発信していこうと考えているんですよ。 ただし、今お話しした得点分布のデータなどは、ちゃんと理屈を聞いてもらえるときにはいい素材なのですが、それだけが独り歩きするとまた別の問題が生じたりする危険性があります。ですから、目的や場面に応じて結構、神経を使っているんですよ。内輪の話になりますけれど。 池上:今の指摘は、従来センターの内部の人たちしか知らなかった話ですが、大学入試の根幹に関わる問題ではないでしょうか。実態をオープンにして、教育関係者が正しい認識を持つ意味は、非常に大きなものがあると思います。 佐藤:同感です』、センターとしても、「私は必要なことはできるだけ発信していこうと考えている」ようだが、池上氏がいうように、可能な限りもっとオープンにしていくべきだろう。
・『記述式の導入は高校生へのメッセージでもある  池上:では、2021年スタートの新テストの中身に話を進めましょう。なんと言っても注目されるのは、国語と数学の一部に記述式問題を採用することです。 先ほども話に出たように、選択式であっても練りに練ったものを出題していたわけだけれど、あえて記述式の導入に踏み切ったのはなぜか?同時に書かせるのはいいけれど、採点はどうするのか?この点についてお聞かせください。 山本:われわれは、2021年からの導入に向けて、高校生を対象にした試行調査(プレテスト)を2017年と2018年の2度実施しました。2018年の国語の記述式は、言語に関する2つの文章を読んで設問に答えるという問題。そこで問われたのは、2つを関連付けながら構成や展開を捉えるといった、テキストを正確に読み取る力、思考したことを表現する力です。 佐藤:実際に書かせる意味は大きいと思うんですよ。逆に言うと、記述式が入らない試験というのは、とにかく端から端まである種の物量主義で覚えこむ「パターン暗記」で、ある程度までは攻略できるんですね。受験生は若くて記憶力がいいですから。受験産業の得意なのは、そういうテクニックをたたき込むことにほかなりません。 山本:そうなんですが、実際には池上さんが指摘された採点の問題がまた、悩ましいわけです。選抜試験である以上、公平性、客観性のある採点が不可欠です。 加えて、センター試験の結果が出る前に個別大学に出願しなければならない受験生が、何点取れたのか速やかに自己採点できないといけないという条件もある。大規模一斉試験の性質上、どうしても問える力は限られたものにならざるをえないのです。 今おっしゃった受験産業の問題についても、2、3年たったら、彼らは記述式問題必勝テクニックを売りにしているのではないかという気がします。解答欄には、必ずこういうことを書かないと駄目、とか(笑)。 池上:ありえますね、それは。そこが腕の見せどころ(笑)。 佐藤:どんな問題にしても、受験産業とのある程度のいたちごっこ自体は、避けられないでしょう。 山本:まあ、受験産業対策というわけではないのですが、問題は結構短いスパンで見直しをしていくことになるのではないかという感じを、個人的には持っています。そうしたことも含めて、われわれは当然、よりよい問題になるよう努力を続けたいと考えています。 共通テストに記述式問題を入れるというのは、何より「こういう問題に対応できる力を鍛えよう」という、高校生に対するメッセージだと思いますから。 池上:大事な視点ですね。 山本:同時に、この場をお借りして言っておきたいのは、受験生の思考力、判断力、表現力といったものを記述式できちんと見るという点では、やはり大学の個別試験の役割が大きいと思うんですよ。入学者選抜においては、共通試験と個別試験が「両輪」であるべきで、共通試験になんでも盛り込もうというのは、違うと思います。 佐藤:盛り込もうと思っても、限界はある。 山本:実際には、センター試験イコール大学入試だと思っている人が、世の中にはたくさんいるんですね。採点に半年くらいの時間をいただけるのなら、記述式の理想的な問題を作って、じっくり学力を測ることも可能かもしれませんが、55万人の受験生がいるわけですから。 池上:個別試験をきちんとやっている大学では、記述式問題は1人の答案を2、3人の先生が見て、平均を取りますよね。それもなかなかに骨の折れる作業なのだけれど、真面目に学生を選抜しようと思ったら、そこで手を抜くわけにはいきません。 佐藤:大学入試センターの試験で基礎的な学力を見るから、その先は個々の大学が責任を持って学生を選ぶということですよね』、センター試験と個別試験の役割分担は確かに明確にしておくべきだろう。
・『英語の試験に「話す」は必要なのか  池上:新テストでは、記述式問題の採用に加えて、民間の力も借りつつ英語力を4技能フルで測るという「改革」が行われます。この点については、どうでしょう? 佐藤:私の意見から言わせてもらうと、この試験に少なくとも「話す」はいらないと思うんですよ。かつて私が受けた外交官試験の外国語は、英語だったら英文和訳と和文英訳のみ。これは明治時代から変わらないのだけれど、語学力に関してはそれで完璧に測ることができるのです。 山本:今の池上さんの質問には、ちょっと答えづらいですね。民間の活用という点から言えば、本来は大学入試センターがすべての問題を作り、時間をかけて評価していくということが許されればいいのですが、そういうわけにはいきません。そこはノウハウを持ったところにお任せして、後は公正にやっていただけるように見守っていくということですね。 私の立場でこんなことを言っていいのかどうかわかりませんが、大学教育の基礎力として4技能を均等に求めるのかどうか、もっと議論が必要だと個人的には思っています。 佐藤:理屈で考えてほしいのですが、後天的に身に付いた言語力で、読む力を、聞く力・話す力・書く力が上回ることは、絶対にないんですよ。読む力が「天井」で、同じ文章をしゃべれるけれど読めないということは、ありえないのです』、「読む力が「天井」」というのは言われてみれば、その通りなのだろう。
・『「英語4技能」は学生選抜に歪みが生じる可能性がある  山本:少なくとも「共通テスト」では、大学で教育を受けるために必要な英語力を測定するわけですよね。もちろん分野によって異なりますが、最低限必要な力が何かと考えてみても、英語で書かれたいろんな文献などを読める力ではないでしょうか。少なくともそこをきちんと見ておきましょう、というスタンスがあってもいいのではないかと、私も思います。 佐藤:4技能を見れば英語の総合力が測れると考えているのかもしれませんが、実際の試験では「話せる」帰国子女が圧倒的に有利になるでしょう。具体的に言えば、英語の4技能に秀でていて、新テストで満点に近い得点をした帰国子女は、ほかの科目は軒並み合格ラインに達していないにもかかわらず、志望校に合格する可能性があるということです。 大学でも、留学生はその母語では外国語の単位を取れないようにしているところもあります。楽勝で単位が取れてしまうのは、フェアネスの観点から問題だということですね。ましてや、公平性が大前提の「共通テスト」で、そういうことが許されていいのでしょうか。 せっかく全体としてよくできた試験問題になりそうなのに、「英語4技能」を極度に重視するあまりに、肝心の学生の選抜に歪みが生じないか、私は心配しています。 山本:いろいろな方が、「10年近く英語を習ったのに、自分はろくに話せない。教育が間違っている」とおっしゃるのです。そうした意見が、4技能への拡充の背景にあったのでしょう。 佐藤:それは教育ではなく、本人の問題です』、「10年近く英語を習ったのに、自分はろくに話せない」というのは、「それは教育ではなく、本人の問題です」との佐藤氏の指摘は言い得て妙だ。
・『池上:国際会議に出かけて、夜のパーティーで外国人と話をしようと思っても言葉が出てこない。いつも言うのですが、だったら語学力以前に自らの教養を問うべきですよね。話すべき中身がなければ、しゃべりたくても、しゃべれませんから(笑)。 中身があって、どうしても英語でしゃべりたいというモチベーションがあれば、言われなくても英会話をマスターしようと勉強するでしょう。 佐藤:逆に言えば、ただ話せたらいいのか、ということです。イギリス・アメリカ以外のいろんなところで英語が普及し、日常的に使われているのはどういうことかといったら、そういう国では、生活のためにそれを習得せざるをえないという事情があるからです。日本は、日本語空間の中で生活が成り立つわけで、そういう意味で「大国」なんですよ。 山本:先人のおかげで、高等教育も日本語で受けられるんです。 池上:そうです。みんなそれを当たり前だと思っているのだけれど。 佐藤:例えば、イギリスのブリティッシュ・カウンシルなどが運営する英検のIELTS(アイエルツ)がありますよね。2010年から日本英語検定協会が、日本での共同運営を始めました。 このIELTSには、アカデミック・モジュールとジェネラル・トレーニング・モジュールがあるのですが、後者はありていに言えば、移民労働者になるための英語です。最初からそういう試験をやっているわけですよ。言葉とは、そういうものです』、「日本は、日本語空間の中で生活が成り立つわけで、そういう意味で「大国」なんですよ」というのは英語下手には格好の言い訳材料だろう。
・『中途半端なレベルで「話す」をテストしても意味がない  山本:そもそも、英語であいさつができて、オリンピックに来た人に道案内ができるぐらいしゃべれるようになったところで、学問もできなければ、商取引もできないでしょう。 佐藤:私は、スターバックスに行って、最近ほっとするのです。あそこでは10年ほど前には、例えば“caramel macchiato one, extra hot”とかいう「英語」が使われていました。文章に動詞も入らなければ、前置詞も入らない。 山本:単語だけをつなげる。 佐藤:これはpidgin English(ピジン・イングリッシュ)といって、植民地での英語なのです。要するに、命令を聞くためだけの言葉。しかし、最近は「キャラメルマキアート、1つ」「ミルク、熱くしてください」などと、店員が言うようになりました。「宗主国」のマニュアルどおりには、やらなくなったわけですね。 山本:マニュアルが変わったんじゃないですか(笑)。 佐藤:でも、あのpidgin Englishが大手を振ってまかり通るようなことにならなくて、本当によかったと思う。わが国の文化はかろうじて維持された、とほっとしたわけです。 山本:今の話で思い出しましたが、アメリカに行ったときに、ダウンタウンのファストフード店に入って注文しようと思ったら、店員が何を言っているのかわからないわけです。こちらは一応、向こうの先生たちと研究室では、なんとか会話できるのだけれども。 池上:ブロークンで聞き取れない。 山本:聞き返しても、やはり同じように言う。まさにマニュアルどおりで、「この相手は英語があまり得意ではないようだから、やさしい言葉でゆっくり話してやろうか」という対応をしようともしないんですね。結果的にコミュニケーションが成立しないのです。 佐藤:やはり、英会話ができればいい、という話ではないのです。もちろん、ブロークン・イングリッシュが試験問題になるわけではないのでしょうが、中途半端なレベルで「話す」ことを試しても、ほとんど無意味ですよ』、その通りなのだろうが、「話す」を外すと、高校生の「話す」ことへの意欲を失わせる懸念もあるので、やはり入れておくべきなのかも知れない。
タグ:安倍政権の教育改革 (その9)(愚策の極み「学テで校長評価」 現場が失う大事なもの、「日の丸・君が代」教員らに強制 ILO 政府に是正勧告、「センター試験の大改革」に秘められた深い意味 大学入試センターの山本廣基理事長に聞く) 河合 薫 日経ビジネスオンライン 日本は、日本語空間の中で生活が成り立つわけで、そういう意味で「大国」なんですよ それは教育ではなく、本人の問題です いろいろな方が、「10年近く英語を習ったのに、自分はろくに話せない。教育が間違っている」とおっしゃるので 帰国子女が圧倒的に有利に 「英語4技能」は学生選抜に歪みが生じる可能性がある 読む力が「天井」で、同じ文章をしゃべれるけれど読めないということは、ありえないのです 英語の試験に「話す」は必要なのか 入学者選抜においては、共通試験と個別試験が「両輪」であるべき 大学入試の根幹に関わる問題ではないでしょうか。実態をオープンにして、教育関係者が正しい認識を持つ意味は、非常に大きなものがあると思います 実態を知ってもらわなければ、改革もままなりません 私は必要なことはできるだけ発信していこうと考えている だいたい4分の1ずつ、4つのグループに分類できるんですよ。国公立専願、国公立・私立併願、私立専願、そして残りの4分の1は何かというと、大学から成績提供の請求がない人たちです センター試験の受験生は約55万人 入試に表れる“ふたこぶラクダ”現象とは? 新たな「大学入学共通テスト」 「「センター試験の大改革」に秘められた深い意味 大学入試センターの山本廣基理事長に聞く」 対談 山本 廣基 佐藤 優 池上 彰 東洋経済オンライン 愛国的な式典に関する規則に関して、教員団体と対話する機会を設ける。規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする」「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒の仕組みについて教員団体と対話する機会を設ける」「懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせる」 日本政府に対する勧告を採択。今月二十日の承認を経て、文書が公表 ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会 「「日の丸・君が代」教員らに強制 ILO、政府に是正勧告」 東京新聞 学校現場で求められる教育を徹底的に行い、その“結果”としての「学力テストの向上」を目指し、現場の先生たちのモチベーションを高めることができる。 つまり、問題はそういうマネジメント能力のある校長先生が、どこにいるのか? ってこと ニンジンをぶら下げる前に、校長先生に投資せよ! 先生たちの「働かされ感」が高まるだけ 「子どもの学力テストの結果=校長の評価」として使われるようになれば、数値化できない「力」は切り捨てられ、目に見える数字を追いかける校長が量産され、学力テストの結果が悪いクラスの担任は校長に尻を叩かれ、授業は学力テストのためだけの授業になり、子どもには「勉強させられ感」が強まり、学力は向上するどころか低下するリスクが高まる その教科の専門家と現場の先生たちが、汗水流して必死で作った結晶が「教科書」だ。それをただ「点数」を取るための道具にするな 僭越ながら中学校理科の教科書づくりに、かれこれ10年以上関わっている ただ「点数」を取るための道具にするな 成績・進学期待 収入に比例 どんなに先生たちが頑張っても学力が上がらない学校はある 「人を育てる」という言葉の意味を、大阪市のお偉い方たちは微塵もわかっていないのだろう おっちょこちょい市長による、とんでも政策 文部科学省が「学力テストの趣旨を逸脱している」と“ニンジン方式”を禁止したことで、翌年には、中3の国語、数学の平均正答率がいずれも全国平均を下回り、空白の解答欄も目立つなど、残念な結果に それまで、全国で下位に低迷し続けていた屈辱を晴らし、大躍進を遂げた 知事が唐突にぶら下げた“ニンジン”に、現場の先生たちはてんやわんや 松井一郎府知事になってからも、学力テストが実施される直前に、「来春の高校入試の際に提出する内申点に、全国学力テストの学校別結果を反映させる!」と突然発表する “事件” 全国学力テストの成績が2年連続で全国最低レベルに低迷した08年、当時の橋下府知事が学力テスト結果の公表を巡って「クソ教育委員会」と暴言を吐いたり、「このざまは何だ!」と罵声を浴びせたり、ついには「教育非常事態宣言」を出して学校教育に介入したりと、すったもんだがあった “ニンジンぶら下げ方式” 両テストの学校ごとの結果を校長の人事評価の20%分に反映させるとともに、賞与の半分程度を占める勤勉手当の評価材料として使う 大阪市教育委員会が、市内の小中学校の校長の人事評価に、生徒の学力を測る目的で府や市が実施している独自テストの結果を反映する方針を固めた 「愚策の極み「学テで校長評価」、現場が失う大事なもの」 中途半端なレベルで「話す」をテストしても意味がない
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自動車(一般)(その2)(フォードが本拠の北米で「セダン」を捨てざるを得ない事情、日産に漂うホセ・ムニョスの亡霊 米中の不振続く、トヨタ「ガラパゴスHV」に危機感 電動化技術を開放、ベンツ BMW アウディに吹き始めた逆風の正体 米中貿易戦争、罰金 先進化対応など課題山積) [産業動向]

自動車(一般)については、昨年3月20日に取上げた。1年以上経った今日は、(その2)(フォードが本拠の北米で「セダン」を捨てざるを得ない事情、日産に漂うホセ・ムニョスの亡霊 米中の不振続く、トヨタ「ガラパゴスHV」に危機感 電動化技術を開放、ベンツ BMW アウディに吹き始めた逆風の正体 米中貿易戦争、罰金 先進化対応など課題山積)である。

先ずは、ジャーナリストの井元康一郎氏が昨年6月12日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「フォードが本拠の北米で「セダン」を捨てざるを得ない事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/172176
・『アメリカのデトロイト3の1社、フォードは「流れ作業方式」による世界初の量産乗用車「Tタイプ」を生み出した由緒正しい企業だ。そのフォードがなんとアメリカの乗用車(セダン)市場から撤退するという。その理由や背景には、何があるのだろうか』、1つの時代の終焉を思わせる出来事だ。
・『由緒ある米フォードがアメリカの乗用車(セダン)市場から撤退  米フォードがアメリカの乗用車市場から撤退――。 ゴールデンウイーク前の今年4月下旬、驚きのニュースが飛び込んできた。彼らのいう乗用車とは、4枚ドアのセダンモデルのこと。SUVやスポーツモデルは残しつつ、これまでの事業の柱の一つであったセダン/ハッチバック/乗用ステーションワゴンから手を引くのだという。 この話は投資家向けの第1四半期決算説明会で明らかにされたもので、ほぼ“本決まり”といえるだろう。流れ作業方式による世界初の量産乗用車「Tタイプ」を発売したのは1908年で、今年はそれから111年目にあたる。 そんな由緒あるフォードの北米乗用車撤退は、アメリカの自動車史において一つのマイルストーンになるくらいのドキュメントであることは間違いないところだ。 このニュースに触れた人の多くが当惑を覚えたことだろう。実際、当のアメリカでも本当にフォードはセダンモデルを捨てるのかという疑念の声が巻き起こっている。 確かにこのところ、アメリカの乗用車市場でセダン需要が縮小し、SUVへのシフトが起こっているのは事実だ。もともとアメリカの顧客は大きいクルマを圧倒的に好むものだが、そんな顧客の嗜好だけでなく、燃料価格が比較的安値圏で推移していること、およびトランプ大統領がCO2排出規制の厳格化を見送っていることなど、環境要因が大きく後押ししてのこと。 現在、アメリカ市場における乗用車セールス首位モデル「カムリ」の作り手、トヨタ自動車の幹部は「伝統的なセダンモデルが根本的に時代の流れに合わなくなり、将来性がなくなったと断定するのは早計。うちは顧客の消費動向や環境規制がどっちの方向に振れてもいいよう受け皿を準備する方針を維持する」と語る。 2017年は乗用車の販売が前年に比べて17%減と、セダン離れが一気に加速したが、それでも乗用車とライトトラックの販売比率はおおむね27:73。ライトトラックの1090万台に比べると見劣りするものの、乗用車の販売台数も激減してなお630万台以上。数字だけを見れば見捨てるにはもったいないようにも思える』、確かにずいぶん思い切った決断だ。
・『背景にあるのは投資ファンドの意向!?  そのアメリカの乗用車マーケットをフォードはなぜ捨てるのか。その背景にあるのは、利益率の低さに業を煮やした投資ファンドの意向だろうと金融業会関係者は言う。 「フォードの2017年の決算は、売上高こそ伸ばしたものの、本業での儲けぶりを示す営業利益率は壊滅的に低い数値に終わったのですが、その主因は北米主体の乗用車事業でした。そこを大株主に突かれ、決断を迫られた可能性が大きい。フォードの2大株主はヴァンガードとブラックロックですが、どちらも世界に知られた“肉食系”ファンド。今後の市場動向を立ち止まって様子見などという甘っちょろい経営を許すわけがない」 フォードは昨年、マツダの社長経験もあるマーク・フィールズCEO(最高経営責任者)が解任され、ジム・ハケットCEOが誕生した。投資グループからの突き上げはフィールズ政権時代からきつく、日本市場からフォードが突然退場したのもその結果と言われている。 経営不振による株価下落の責任を負わされる形でフィールズ氏がフォードを去る。その後継者には創業家一族のビル・フォード会長の覚えがめでたいハケット氏が選ばれた。 ハケット氏は2013年にフォードに取締役として招き入れられるまで、自動車ビジネスの経験はほとんどなかった。が、シリコンバレーとの人脈が豊富であることを生かし、フィールズ氏の下では自動運転のプロジェクトを拡充させるなどの実績を上げた。 フォード会長は世界の自動車業界のなかでも最も早いタイミングで、リテール売り切り型ビジネスからカーシェアリング型ビジネスへの転換を提唱するなど、スタートアップ型の性格。また株価へのこだわりも強く、株主還元を厚くできないビジネスを嫌う。その意味では投資ファンドとビジョンはほとんど変わらない。 投資ファンドやフォード会長の信任が厚いことを最大の政権基盤としているハケット氏に求められているのは、収益力を高めることと、サスティナビリティを確保することの2点に尽きる。不採算部門である乗用車をやめ、利益率の高いSUVやピックアップトラックに専念するというのは、収益力強化の点ではいちばん手っ取り早い方法ではある。 「マーク・フィールズさんのような根っからの“自動車屋”だったら、乗用車をやめるという決断をしたかどうか。自動車ビジネスにノスタルジーを感じない業界外の人物だったからこそ下せた決断だとは思います」(前出のトヨタ幹部)』、「投資ファンドの意向」は当然としても、フォード会長も支持しているということであれば、やむを得ない方向性なのだろう。
・『アメリカ市場では乗用車の収益性は極度に悪化  実際のところ、アメリカ市場で乗用車の収益性が極度に悪化しているというのは、フォードに限らず自動車メーカー各社が頭を痛めている問題だ。リテール(エンドユーザー向け販売)はきわめて低調で、大幅値引き販売に頼らざるを得ない。 個人向けカーリースの値崩れもすさまじい。Cセグメントセダンのホンダ「シビック」の場合、1ヵ月あたりの諸費用込み実勢価格は1万8000円ないし2万円強といったところ。新車価格を考えるとタダのような値段だが、これはまだ、ホンダの信用力をバックにしたマシな数字。ライバルメーカーではさらに激安で戦っているケースも珍しくない。自動車メーカーの決算を見ると、かつては頼みの綱であったアメリカ市場での利益の少なさが足を引っ張っているのが如実に見てとれる。 そのなかで救世主となっているのが乗用車ベースのSUV、さらにその上のライトトラック。まず販売台数が乗用車に比べて多い。フォードのピックアップトラック「Fシリーズ」は2017年、実に89万6000台も売れた。続いてGMのシボレー「シルヴァラード」が58万5000台、フィアット・クライスラーの「ラムピックアップ」が50万台。この3モデルが乗用車およびライトトラック市場の1、2、3位を占めている。 1台あたりの売り上げおよび粗利も大きい。人気の高いダブルキャブ(4ドア)はリースで1ヵ月あたり500ドル前後。リテール販売で5~6万ドルくらいはすぐ取れる。自重が大きいため製造コストもそれなりにかかるが、リンカーンやキャデラックなどが斜陽化した今、ライトトラックはデトロイト3にとってプレミアムセグメントに準じたビジネスとなっている。 単に高収益を目指すだけなら、「出来」のいい日本車やドイツ車などとの競合が厳しく、それらに勝ったとしても旨みが小さい乗用車を捨てて、そこに集中するというのは自然な選択でもあるのだ』、ユーザーの乗用車離れ、乗用車市場での「日本車やドイツ車などとの競合」を考えればやむを得ない決断だったのだろう。
・『本拠地で乗用車をやめることは“博打”のようなもの  だが、元フォードジャパン幹部は、本拠地アメリカで乗用車をやめることは、中長期的に見れば“博打”のようなものだと言う。 「フォードは欧州や中国など世界に拠点を持っているため、乗用車はそこでやればいいということなのでしょう。が、自動車メーカーというものは、生産は世界各国に散りばめることは簡単にできても、研究開発はやはり“お膝元”の力がモノを言う。そこが乗用車をやらなくなれば、他の地域のモデルについても影響が出る可能性がある。フォードはEV、自動運転の性能が早期に上がり、自動車メーカーのビジネススタイルが大きくチェンジすると読み、高収益ビジネスに集約してその時代が来るまでの時間稼ぎができれば十分だと考えているのかもしれません。その読みが当たればいいのですが、外れたときのバックアッププランには不安があると言わざるを得ない。2030年に世界のフォードでいられるのか、アメリカのローカルメーカーになってしまうのか、結構背水の陣を敷いているように見えます」』、「生産は世界各国に散りばめることは簡単にできても、研究開発はやはり“お膝元”の力がモノを言う。そこが乗用車をやらなくなれば、他の地域のモデルについても影響が出る可能性がある」というのは、確かに長期的な懸念材料だ。
・『正念場を迎えているデトロイト3  アメリカで乗用車からの撤退、ないしは大幅縮小という戦術を取るのは、フォードだけではない。GM、フィアット・クライスラーも同様だ。が、世界で初めて大量生産によって多くの人が買えるクルマを生み出したフォードがその決断に踏み切るというのは、やはり意味合いが特別だ。 実はデトロイト3は90年代にも転機を迎えていたことがある。ビル・クリントン大統領が当時のGM、フォード、クライスラー首脳を引き連れて来日し、日本にバイアメリカを迫ったことは有名だが、「その裏でアメリカは自動車産業はもはや高付加価値産業ではないとして基幹産業から外し、医療、食料、エネルギー、コンピュータサイエンスなど次世代産業へのシフトを目論んでいた」(経済評論家の故・梶原一明氏)という。 それから20年ほどの間、デトロイト3にとって良い時はほとんどなかった。今日、GMはすでにオペルを手放し、フォードも乗用車を手放そうとしている。加えてハケットCEOは収益性改善のために10%の賃金カットも表明しているが、すでにフォードの賃金はアメリカ人にとってまったく魅力のないレベルで、これ以上削減すると将来を切り開くための人材を集めるのも難しくなりかねない。 このまま縮小していくのか、それとも改革の痛みを乗り越えて再びモビリティの世界で新たな覇権を唱えることができるのか、フォード、そしてデトロイト3は今、正念場を迎えている』、T型フォードで一世を風靡した時代には、高賃金で自動車の購買力を高めたが、「10%の賃金カットも表明」するとは、もはやなりふり構っていられなくなったようだ。

次に、2月13日付け日経ビジネスオンライン「日産に漂うホセ・ムニョスの亡霊 米中の不振続く」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/021200075/
・『日産自動車は12日、2019年3月期の連結営業利益が18年3月期比22%減の4500億円になりそうだと発表した。従来計画の5400億円から900億円引き下げた。西川広人社長は「第3四半期までの計画達成率は6割を下回った。落ち込みを無理に補うと過去の過ちの繰り返しになるので残念ながら下方修正した」と話した。 停滞をもたらしているのは世界2大市場である米中での苦戦だ。米国では高水準の販売奨励金による「値引き」販売が収束せず、中国では新車販売台数が1月までに5カ月連続で前年同月比マイナスとなっている。この2つは勾留中のカルロス・ゴーン氏の側近だったホセ・ムニョス元CPO(チーフ・パフォーマンス・オフィサー)が直近まで統括していた市場。長期戦略の欠如が尾を引いている。 4000ドル(44万円)以上――。18年4~12月期、日産が米国で1台クルマが売れるごとに販売店に拠出した奨励金の平均値だ。業界では「インセンティブ」と呼ばれ、販売店はこれを原資に顧客の値引き要請に対応する。市場全体では3700ドル程度だが、他の日本メーカーは多くて3000ドル強で、日産の突出ぶりが目立っている。 米国では消費者の志向がSUV(スポーツ用多目的車)やピックアップトラックに移行。日本メーカーが得意としたセダンが売れなくなり、18年は各社ともインセンティブに頼った。ただ、トヨタ自動車は「カイゼンの成果が少しずつ出てきた」(白柳正義執行役員)。在庫が落ち着いたことなどで、出口は見えつつあるようだ。 日産も販売奨励金を抑える取り組みを進めている。ただ、構造改革に加え、まずはブランド強化が必要になってくる。なぜ、日産は米国で計画性を失ったのか。 「数値目標を達成することを求められ、目先の結果を優先してしまった」というのが複数の日産関係者の弁。求めたのはゴーン氏、それを受けたのが昨春まで米国統括を務めていたムニョス氏だった』、日産がこれほど多額の奨励金を払っていたとは、ゴーン氏の弊害の1つだ。
・『西川社長は米国販売について「ブランドとしてのバリューが十分ではなく、インセンティブをしない限り台数が取れないのが現状」と分析。「ブランド価値を高めていくという宿題がある」と話した。日産は今年1月から経営体制を変更し、新たなマーケティング戦略を展開している。「一時的な台数減は避けて通れないが、平均価格を高め、実力をつけるためにじっくりと取り組みたい」としている。 中国市場でも、日産は苦戦している。需要減速にも関わらずトヨタやホンダがなんとか踏みとどまる一方、日産の1月の新車販売台数は前年同月比0.8%減の13万3934台で、5カ月連続の前年同月比マイナスとなった。 18年4月、重点地域の中国を統括する立場に就いたのがムニョス氏だ。米国からの鞍替えはゴーン氏の厚い信任を受けた人事ともされる。18年4〜12月期の中国販売は前年同期比7%増の109万6000台となり、「技術と安全性でブランドの価値が定着している。それを毀損しないように成長させていく」と西川社長は強気だが、足元では息切れ気味で、18年度の販売計画は従来の169万5000台から156万4000台に引き下げた。 身の丈以上に大きく見せ、目の前の利益に固執する。これで構造改革や新車開発が遅れるようであれば、それこそ本末転倒だ。ムニョス氏はゴーン氏の逮捕後、日産をひっそりと退社した。ただ、米国と中国の販売の現場には、いまもその亡霊が漂っているのかもしれない』、確か日産はゴーン氏の指示で新車開発を抑制してきたが、そのツケは想像以上に大きいようだ。

第三に、4月3日付け日経ビジネスオンライン「トヨタ「ガラパゴスHV」に危機感、電動化技術を開放」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/040300214/?P=1
・『トヨタ自動車は2019年4月3日、ハイブリッド車(HV)に関する約2万3740件の特許技術を無償開放すると発表した。1997年に初代「プリウス」を投入するなどHVの技術では世界で先頭を走るトヨタ。世界的に燃費規制が厳しくなる2030年代に向け、トヨタの技術へのニーズが高まると判断した。トヨタの技術が普及すれば、規模の拡大によるコスト削減の恩恵も受けることもできる。一方、技術の「ガラパゴス化」によって優位性が薄れることへの危機感も透けて見える。 「電動化の技術はこの10年がヤマ」。同日、名古屋市内で会見したトヨタの寺師茂樹副社長はこう強調した。背景にあるのが30年代に向けた世界的な燃費規制の強化だ。先行する欧州の30年からの規制は現行に比べ、走行時に出す二酸化炭素(CO2)の量を半分、つまり燃料消費量を半分にすることを求めている。そうした規制に対し、「(販売する)半分の車をゼロエミッション、電気自動車(EV)にするのが現実的だろうか」と寺師副社長は話す。HVの導入拡大が現実解というわけだ。 もともと、トヨタはHVの技術はEVや燃料電池車(FCV)にも応用できるとして開発してきた。とはいえ、技術を提供するのは提携するスズキやSUBARUなどに限ってきた。そうしたガラパゴス化に対する「反省があった」と寺師社長は認める。今後はモーターや車載電池の電力を変換するインバーターなどで構成する「パワーコントロールユニット(PCU)」、システム制御などに関する特許を開放するだけでなく、導入に当たっての技術サポートをする「車両電動化技術のシステムサプライヤー」(寺師副社長)を目指すことになる』、HV技術を囲い込んできた結果の「ガラパゴス化」への「反省」で、流れは変えられるのだろうか。
・『EV本格普及へのつなぎ役として、HVの需要は世界各国で伸びると予想されている。ただHVの先駆者であるトヨタが優位に立ち続けられる保証はない。欧州では、従来のエンジン車の構造を流用しやすく、低コストで燃費を改善できる「マイルドハイブリッド」(注)と呼ばれる方式が電動車の新たな主流になりつつある。 トヨタやホンダなどが強みを持つHVはエンジンとモーターを組み合わせて効率的に走るため燃費の改善効果が大きい一方、機構が複雑で高度な電子制御が必要になるなど中堅以下のメーカーにとって導入のハードルは高い。一方、マイルド型は独ボッシュや独コンチネンタルなどの自動車部品大手が関連する部品・システムを積極的に外販しており、米フォード・モーターなど欧州勢以外にも導入する動きが広がっている。トヨタがシステムサプライヤーになると宣言したのは、こうしたメガサプライヤーの攻勢に対する危機感の表れでもある。 ナカニシ自動車産業リサーチ代表の中西孝樹氏は「仲間づくりという意味ではもう少し早い段階で特許を開放してもよかった」と指摘する。自社のHV技術がガラパゴス化すればモーターなど中核部品のコストダウンが進まず、EVの競争力低下にもつながりかねない。車の電動化でトヨタが覇権をつかむことができるのかは、完成車メーカーに加え、メガサプライヤーとの競争の行方が左右しているといえそうだ』、トヨタが囲い込んでいる間に、他では別方式の研究も進み、特許開放が「遅過ぎた」のではとの印象も拭えないようだ。
(注)マイルドハイブリッドとは、通常走行に用いるエンジンの補助が目的。スズキやマツダでは減速エネルギー回生システムで蓄えられたエネルギーを駆動用に用いようとする。ヨーロッパでは、電池の電圧を48Vに高電圧化することで電装品の出力を高め、オルタネーターでの駆動補助を可能にする「48Vマイルドハイブリッド」という規格が提唱(Wikipediaより)

第四に、コラムニストの真田 淳冬氏が4月9日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ベンツ、BMW、アウディに吹き始めた逆風の正体 米中貿易戦争、罰金、先進化対応など課題山積」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/275659
・『メルセデス・ベンツ、BMW、アウディからなるドイツのプレミアムカー3大ブランドの、2018年の業績が出揃った。 3ブランドともにグループの純利益が2割前後減  リーマン・ショックのあと10年近くにわたり、アジア・北米市場の順調な拡大を受けて利益と販売台数を増加させてきた3ブランドだったが、昨年はいずれもこれまでより厳しい戦いを強いられ、グループ(傘下ブランドおよび金融子会社含む)の純利益を2割前後も減らした。 メルセデス・ベンツとBMWに共通する要素は、中国とアメリカの間に勃発した貿易戦争により、アメリカ生産車両の中国における販売価格が急騰、消費が鈍化したことだ。両社ともSUV(スポーツ多目的車)の生産をアメリカ工場で行っていることから、これらの販売は大きな影響を受けた。BMWグループはアメリカから中国への自動車輸出額が2017年から2018年にかけて14%減り、営業利益に対する影響は2億7000万ユーロ(約340億円)に及ぶと明らかにした。 アウディに打撃を与えたのはディーゼル問題による、罰金8億ユーロ(約1000億円)を含む12億ユーロ(約1500億円)の特別損失だ。これを除けば売上高利益率は6.0%から7.9%に上昇したとアウディは表明している。さらに新燃費基準WLTPへの対応が遅れ、欧州市場で納車が滞ったことが販売面で足を引っ張った』、メルセデス・ベンツとBMWが、アメリカで生産したSUVを中国で販売していたのであれば、貿易戦争の影響をもろに食らった形だ。
・『2019年にはいわゆるブレグジットの影響も懸念される。BMWグループは、MINI(ミニ)の生産を今年4月のあいだ完全に休止するほか、「合意なき離脱」によりイギリスから欧州への輸出に高額な関税がかかる状況になれば、多額のコストを費やしてでも一部モデルの生産を欧州本土に戻すことも明らかにしている。 さらに4月5日に入ったニュースによれば、排ガス浄化システムの新技術導入をめぐってダイムラー、BMWグループ、VWグループ(アウディを含む)が談合していたとして、欧州委員会が大規模な罰金を課す可能性が高い情勢となっている。すでに声明を出したBMWグループのケースでは、罰金額は最大で10億ユーロ(約1250億円)を超え、昨年度7.2%だった利益率を1.0~1.5%ポイント程度下げるインパクトがあるそうだ。 こうした市場からの逆風に加えて、電動化技術や自動運転技術に対する投資が膨大になっている点を各メーカーがそろって口にしている』、「新技術導入」をめぐる「談合」とは、必要な話し合いもありそうだが、「大規模な罰金を課す」くらいであれば、やはり競争制限的だったのだろう。
・『構造改革とコスト削減で事態改善なるか  メルセデス・ベンツを持つダイムラーとBMWは自動運転技術の共同開発に関して提携を結び、モビリティ・サービスに関する合弁会社を設立することを明らかにしたが、ロイター通信が掲載した経済コラムのように、VWグループやテスラなど新興メーカーとの将来的な競争を考えれば、技術提携にとどまらず両社は経営統合まで真剣に考えるべきだという論も存在する。 自動車産業の平均からすれば依然高い利益率を確保しつつも、先行きに明るさが見えない中で、各社は構造改革とコスト削減で事態を改善しようとしている。 ダイムラーは2012年にわたりトップを務めてきたディーター・ツェッチェ氏が今年5月でついに退任し、開発担当取締役のオラ・ケレニウス氏にバトンを渡す。同時に、乗用車部門、商用車部門、モビリティ・サービスおよび金融部門を分社化し、ダイムラーが持ち株会社となる組織変更が実施される予定だ。 逆にBMWグループでは4月から、これまでBMWとミニ+ロールス・ロイスで別々に展開していた販売・マーケティング組織を統合した。20年前にイギリスのブランドをBMWが入手したときからの流れで、ミニとロールス・ロイスは本社だけでなく現地法人レベルでもBMWとはまったく別の販売・マーケティング・製品企画組織を構築していた。 しかし、そもそも同じ自動車ビジネスを展開するにあたって似たような組織を2つ持つのは非効率だし、BMWがミニと同じ前輪駆動プラットフォームに比重を置き始め、内部的な競合が問題となる中で、組織統合は長期的には効率改善につながるだろう。ただし、かつて日本で都市銀行が合併したときを思い起こすと、同様に合理化でポジションが減ることが、人事的に大きな摩擦を生むのは避けられそうにない。 こうした組織改革と、エンジンとトランスミッションの組み合わせの選択肢を減らすことを主体としたコストダウンで、BMWグループは2022年までに総額120億ユーロ(約1兆5000億円)の出費を削減する計画を発表した。アウディもコスト管理基準の見直しを主とする収益改善プログラムで150億ユーロ(約1兆9000億円)を捻出するとしている。 両社ともこれらの施策はポジティブなものだと強調しているが、実際にはコストダウンの影響は現場にさまざまな形で表れるだろう。 例えばトヨタ自動車はバブル崩壊後の1995年、カローラのバンパーを突如昔ながらの黒樹脂むき出しに替えて不興を買った。2008年のリーマン・ショックのときは、報道関係者に配る資料を上質紙から藁半紙に変えて、ホチキスの針さえ節約した。品質や性能だけでなく企業としての見栄えも重要なプレミアム・ブランドが、これからどういったコスト削減を行うのか気になるところだ』、ドイツのプレミアム・ブランド企業の場合はさらに人員削減に制約があるだけに、見物だ。
タグ:自動車 10%の賃金カットも表明 特許開放が「遅過ぎた」のではとの印象 (その2)(フォードが本拠の北米で「セダン」を捨てざるを得ない事情、日産に漂うホセ・ムニョスの亡霊 米中の不振続く、トヨタ「ガラパゴスHV」に危機感 電動化技術を開放、ベンツ BMW アウディに吹き始めた逆風の正体 米中貿易戦争、罰金 先進化対応など課題山積) アメリカの乗用車市場でセダン需要が縮小し、SUVへのシフトが起こっている 大幅値引き販売に頼らざるを得ない の日本メーカーは多くて3000ドル強 マーク・フィールズCEO(最高経営責任者)が解任され、ジム・ハケットCEOが誕生 米国では高水準の販売奨励金による「値引き」販売が収束せず 構造改革とコスト削減で事態改善なるか 「ベンツ、BMW、アウディに吹き始めた逆風の正体 米中貿易戦争、罰金、先進化対応など課題山積」 本拠地で乗用車をやめることは“博打”のようなもの 営業利益率は壊滅的に低い数値 高収益を目指すだけなら、「出来」のいい日本車やドイツ車などとの競合が厳しく、それらに勝ったとしても旨みが小さい乗用車を捨てて、そこに集中するというのは自然な選択でもあるのだ ガラパゴス化に対する「反省があった」と寺師社長は認める 背景にあるのは投資ファンドの意向!? 「トヨタ「ガラパゴスHV」に危機感、電動化技術を開放」 ホセ・ムニョス元CPO 日産が米国で1台クルマが売れるごとに販売店に拠出した奨励金の平均値 「日産に漂うホセ・ムニョスの亡霊 米中の不振続く」 3ブランドともにグループの純利益が2割前後減 救世主となっているのが乗用車ベースのSUV、さらにその上のライトトラック と呼ばれる方式が電動車の新たな主流になりつつある 乗用車とライトトラックの販売比率はおおむね27:73 ブランド価値を高めていくという宿題がある アメリカ市場では乗用車の収益性は極度に悪化 中国では新車販売台数が1月までに5カ月連続で前年同月比マイナス 「数値目標を達成することを求められ、目先の結果を優先 正念場を迎えているデトロイト3 技術の「ガラパゴス化」によって優位性が薄れることへの危機感も 東洋経済オンライン 真田 淳冬 ハイブリッド車(HV)に関する約2万3740件の特許技術を無償開放すると発表 欧州では、従来のエンジン車の構造を流用しやすく、低コストで燃費を改善できる「マイルドハイブリッド」 自動車メーカーというものは、生産は世界各国に散りばめることは簡単にできても、研究開発はやはり“お膝元”の力がモノを言う。そこが乗用車をやらなくなれば、他の地域のモデルについても影響が出る可能性がある 排ガス浄化システムの新技術導入をめぐってダイムラー、BMWグループ、VWグループ(アウディを含む)が談合していたとして、欧州委員会が大規模な罰金を課す可能性が高い情勢 2019年にはいわゆるブレグジットの影響も懸念 メルセデス・ベンツとBMWに共通する要素は、中国とアメリカの間に勃発した貿易戦争により、アメリカ生産車両の中国における販売価格が急騰、消費が鈍化 アウディに打撃を与えたのはディーゼル問題による、罰金8億ユーロ(約1000億円)を含む12億ユーロ(約1500億円)の特別損失 自動車ビジネスにノスタルジーを感じない業界外の人物だったからこそ下せた決断 「Tタイプ」 アメリカの乗用車(セダン)市場から撤退 井元康一郎 フォード会長は世界の自動車業界のなかでも最も早いタイミングで、リテール売り切り型ビジネスからカーシェアリング型ビジネスへの転換を提唱するなど、スタートアップ型の性格 由緒ある米フォードがアメリカの乗用車(セダン)市場から撤退 (一般) 「フォードが本拠の北米で「セダン」を捨てざるを得ない事情」 ダイヤモンド・オンライン 日経ビジネスオンライン 4000ドル(44万円)以上
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介護(その2)(留学生奨学金250万円の「汗」と 「白い嘘」事業の功罪、中国から日本の介護施設に見学者が殺到している理由) [社会]

介護については、昨年7月10日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(留学生奨学金250万円の「汗」と 「白い嘘」事業の功罪、中国から日本の介護施設に見学者が殺到している理由)である。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が2月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「留学生奨学金250万円の「汗」と、「白い嘘」事業の功罪」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00011/
・『今回は「白い嘘」について、考えてみようと思う。 北海道の自治体などが、「介護福祉士」を目指す外国人留学生に、年間250万円の奨学金を支給する制度を今春からスタートすることになった。 昨年11月に東川町を含む3つの町と、東川町にある北工学園旭川福祉専門学校、8つの介護施設が外国人介護福祉人材育成支援協議会を設立。日本語学校などで日本語を学んだ留学生に、東川町内にある旭川福祉専門学校で2年間、資格取得を目指して学んでもらう。 学費のうち8割を国が特別交付金の形で自治体に交付する制度でまかない、学費の残りの2割と生活費として年250万円程度の奨学金を協議会で負担。卒業後3~5年、協議会加盟施設で働けば返済は免除されるといい、現在、就学を希望している学生が約40人いるそうだ(関連記事「東川町、介護留学生に奨学金創設協議 20市町から参加」)。 私はこれまでさまざまなメディアで「外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法などの改正案」の問題点を指摘し、“現時点”での施行に反対してきた(「外国人は弱者? 「奴隷制度」を続ける企業の愚行」 「「日本が嫌い」になる外国人を増やす、穴だらけ改正入管法の欺瞞」 )。 その気持ちに今も変わりはない。だが、今回の北海道の取り組みには、えらく感動している。すごい、ホントにすごい、と。 メディアは「250万円」という高額な奨学金にスポットを当てているけれど、東川町では独自に10年も前から、地道に、取り組みを進めてきた。 2009年から、介護人材育成などを目的に外国人留学生の受け入れをスタートし、14年からは町内の旭川福祉専門学校に日本語学科や留学生向け介護学科を開設。さらに、15年10月には全国初の公立日本語学校である「東川町立東川日本語学校」も開校した。 そして、今回設立された協議会のモデルとなるべく、留学生が東川町の指定する介護施設で5年間働く場合、奨学金(2年間の学費を含め、1人につきかかる費用は約500万円)の返済は、同町が全額負担したのである。 毎日新聞の取材に、東川町の松岡市郎町長が「コミュニケーション能力の高い介護人材を“育成したい”」と答えているが、「育成したい」という言葉は、手間と時間とお金と汗をかいてきたからこその言葉。「250万円」という数字の裏には、10年もの歳月をかけ、東川町全体が真剣に高齢化社会とそれに伴う介護人材不足に向き合ってきた誠実さがある』、国による助成が始まる10年前から東川町独自に取り組んできたとは、確かにすごい。
・『「変な働き方をさせて問題でも起きたら、終わりだから」  これは企業においても同じだが、例えば「残業削減に成功した企業」や「女性活躍に成功した企業」といった具合に、「一つの成功例」に世間の関心が集まり、ある種ブーム化することがあるが、そういった企業の幹部社員などに話を聞くと、「なんでこんなに騒がれるのかわからない」と驚かれることが多い。 そういった企業では、「社員1人ひとりの力を引き出す」ための様々な取り組みを長い年月をかけて積み重ねてきていて、話題となった成功事例も、従来からのプロセス上にある“通過点”に過ぎない場合がほとんどなのだ。 であるからして、今回の東川町を中心とした北海道の「本気の熱」は、奨学金制度による就学希望者40人に必ずや伝わるに違いない。北海道で“育った外国人留学生”の笑顔が、おじいちゃんおばあちゃんたちの笑顔につながればいいなぁ、と心から期待している。 で、ついでながら書いておくと、18年12月に「改正入管難民法」が成立以降、地方での経営者を対象にした講演会では、もっぱら「外国人労働者(この言葉はあまり好きではないのですが代案も浮かばないのでこのまま使います)」が話題になる。 「改正法の成立」を喜ぶ一方、「賃金も日本人と同等以上とするよう、受け入れ先企業に義務づける」とした改正法の内容に対し、「そんなこと前からやってます!」と、少々憮然とした声も少なからず聞かれたのである。 例えば、ある社長さんは、「日本人以上に払わないとダメですよ。どんなにサポート体制を整えたつもりでも、ワシらが気づかない大変なこともあるからね。それにね、日本に来てくれる外国人はみなとても優秀ですよ」と話し、創業120年企業の社長さんは、「地方で会社をやってて一番怖いのは何だと思う? 世間だよ、世間。株主なんかよりよっぽど怖いよ……って言っても上場してないけどね(笑)。リストラなんてやったら非難轟々で、この町で生きていけない。外国人だってね、変な働き方をさせて問題でも起きたら、終わりだから……」とニコニコしながら話した。 中には介護施設を運営している若手経営者もいて、「うちにはもう何年も前から、外国人の介護士さんがいます。最初は心配していたスタッフも、外国人の同僚がいることで、あうんの呼吸に頼るのではなくちゃんとコミュニケーションをとるようになって良かったって喜んでますよ。入居者の方たちも、『サンキュー』とか、『ハロー』とか英語を使って、笑う機会が増えましたしね」と、外国人がもたらすプラス面を教えてくれた。 もちろん私が話を聞いたのは、ごく一部の人たちでしかない。しかしながら、外国人労働者や介護現場の「問題」は様々な要因が重層的に絡み合っており、劣悪な労働環境がメディアで報じられる機会も少なくない。それだけに、地方で頑張っている企業のリアルは、「ニッポンの社長さん、さすがです!!すごい!!」という、ちょっとした安堵感をもたらしてくれたのである。 ところが……』、ここで紹介された地方企業の取り組みは、確かに「安堵感をもたらして」くれる。
・『繰り返される“ピンボケ広報”  つい先日、厚生労働省が、人手不足が深刻な介護職のイメージアップのため、デザイナーや美容師、ラーメン店の店主、畜産農家など異業界の人たちからアイデアを募る介護職のイメージ刷新等による人材確保対策強化事業を始めたとの報道があった。 運営は厚労省の公募で選ばれたスタジオエル。これまでに「遊ぶうちに介護の仕事の魅力がわかるカードゲーム」「観光案内所を併設したデイサービスで、高齢者が道案内する」「施設内で使われる家具をもっとおしゃれなデザインにする」といったアイデアや、「職員用の休憩室がない施設でも、落ち着いて一人の時間を持てる仕組み」の導入を求める声が出ていて、厚労省福祉基盤課は「これまでと違うアプローチで、若い世代に介護の仕事をアピールしたい」と話しているという(関連記事「デザイナー、美容師、農家…介護職イメージアップに異業種の知恵、厚労省が募集」)。 ……ううむ。な、なんなんだろう。この違和感。 厚労省のプロジェクトの事業イメージを見ると、このイベントから、都道府県の「職場研修」や「入門研修」につながることになっているので、一瞬納得するのだが、報道のされ方が悪いのか、私の理解力が乏しいのか。 正直、この手の「イメージアップ大作戦」にあきあきしているのである。 これまでも国は、少子化対策の婚活支援事業だの、イクメンプロジェクトだの、おとう飯キャンペーンだの、プレミアムフライデーだの、イベントやらロゴマークづくりに金をかけ、費用対効果が疑わしい“ピンボケ広報”を繰り返してきた。 今回のイメージアップ大作戦は、2025年時点で不足すると推計される介護士「34万人」という数字を、「リアルな現場」に落とし込んだうえでの取り組みなのか? 申し訳ないけど、全くリアリティがないというか、高みの見物というか。全くもって私は腑に落ちないのである。 そもそも介護の現場は実際にキツイ。ホントにキツイ。慢性的な人員不足に加え、介護現場は究極の「感情労働」なので、肉体的にも精神的にもキツく、このキツさは「イメージ」ではなく、現場のリアルである。 特に夜勤は、休む間もなく立ちっぱなしで動き回ることを余儀なくされる。ときには、コミュニケーションが難しい高齢者と意思疎通ができず、苛立つことだってある。「なんでわかってくれないのだ」と、怒りの感情に悩まされたり、ネガティブな感情を力づくで抑え込むのに苦労したり……。 介護施設は「365日24時間の仕事」なので、まとまった休暇も取りにくい。給与面でも恵まれていないので、遊んでリフレッシュしたり視野を広げたりする機会も得にくく、「施設の中だけの人間関係に終始しがちだから、ストレスがたまりやすい」といった声を何度も聞いた。 もちろんやりがいや介護の現場でしか経験できないプラス面もあるだろう。でも、だからといって「キツさ」が帳消しになるわけではなく、つまるところ、イメージアップ大作戦は、「白い嘘」に加担することになりかねないのである』、実効性に乏しい「イメージアップ大作戦」なるものは、電通などの広告代理店の入れ知恵なのかも知れない。
・『離職者の6割強が、勤続3年未満  「黒い嘘」が文字通り偽りを語ることであるのに対し、「白い嘘」とは、大切なことを故意に語らないことを意味する造語だ。例えば、会社が新卒採用をする際に、それまでのリストラの実態や縮小を予定している事業など「本来であれば応募者に伝えるべき大切な内容」にあえて触れず、いいことばかり、いい面ばかりを伝えるといった態度である。 人材の確保に「白い嘘」はタブーだ。いい面しか聞いていない新入社員は、リアリティショック(理想と現実のギャップ)の大きさに耐えられず、やる気を失ったり、組織に適応するために必要な心のエネルギーが著しく低下し、メンタルヘルスやモチベーション、さらには離職率にまで、ことごとくネガティブな影響を及ぼすことになってしまうのである。 介護職員の1年間の離職率は、正社員14.3%、非正規20.6%。離職した人の勤続年数は「1年未満」が 38.8%と4割近くを占める。「1 年以上 3 年未満の者」( 26.4%)と合わせると、6割強( 65.2%)もの人が3年未満で辞めていることになる(関連資料「平成29年度 「介護労働実態調査」の結果」)。 また、介護福祉士として登録しながらも、その半数は、実際には介護職として働いていない「潜在介護士」だという現状がある。 いったいなぜ、多くの職員が短期間で辞めてしまうのか? いったいなぜ、介護福祉士の資格を持ちながら、その半数は介護の現場で働いていないのか? 白い嘘で「介護士になりたい!」という若者を増やす以前に、まずは「今」、この時間も人手不足の現場でがんばっている介護現場の負担を少しでも減らす策を徹底し、並行して、即戦力となる潜在介護士の方の力をさまざまな形で活かすことを優先すべきではないか』、「白い嘘」とは初めて知ったが、確かに「介護現場の負担を少しでも減らす策を徹底し、並行して、即戦力となる潜在介護士の方の力をさまざまな形で活かすことを優先すべき」、というのはその通りだ。
・『介護が「わがこと」になるような取り組みを  例えば、究極の感情労働である介護職の人たちが「感情をコントロールする高度なスキル」を習得するために、国が金を出して現場に専門家を派遣し、研修を行う。「研修制度スタートしました〜、来てくださ〜い」ではなく、現場に「人」が出向く。そういった取り組みは、入居者にもプラスになるし、バーンアウト離職を防ぐうえでも効果をもたらすはずだ。また、「脱おむつ」に取り組む施設向けに、専門家による自立支援研修を実施するといったアイデアもあり得るだろう。 また、長年介護スタッフとして働いてきた人が、面白いことを言っていたことがある。「施設の介護労働を分解すると、直接的な身体介護だけではなく、掃除などの生活支援、移動・移送、事務仕事などの関連業務も少なからずあるし、見守りや適度な声かけも業務の中に含まれます。そういう業務の支援を、ちょっとしてもらうだけでも、仕事の負担はずいぶんと減る」と。 介護を介護現場だけの問題にせず、例えば「出社前に2時間介護施設でバイト」とか、「親が入居している子供が、その施設の訪問時に声かけをちょっと手伝う」とか、「学生が昼ごはんを施設で一緒に食べられるようにして、配膳を手伝う」とか。会社、個人、学校など、地域の人・組織が、あちこちから手を貸せるようなネットワークを蜘蛛の巣のように張り巡らすための取り組みが進めば、現場の負担軽減だけでなく介護への理解も進み、高齢者に関わることで得られる喜びや学びが、社会に熟成されていくのではないか。 「白い嘘」につながりかねない施策より、こうしたネットワークが醸成されるための後方支援など、今頑張っている現場の人に、すぐ喜んでもらえるような施策を期待したいのである』、説得力溢れた提言で、大賛成だ。

次に、日中福祉プランニング代表の王 青氏が4月10日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「中国から日本の介護施設に見学者が殺到している理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/199094
・『「日本の介護」を学ぼうと、中国から日本の介護施設への見学者が絶えない。中国は、日本の介護に、何を学ぼうとしているのだろうか』、インバウンド・ブームにこんな一面があったとは驚きだ。
・『中国から日本の介護施設に見学が殺到  近年、中国全土から日本の介護施設への見学者が殺到している。そのあまりの多さに、これまで喜んで見学を受け入れていた介護事業者でも対応できなくなりつつある。見学を断ったり、見学料を徴収したりする日本の介護事業者が続出している。その一方で、今なお、一貫してきちんとした体制で見学を受け入れ、「日本の介護」を丁寧に伝える施設も少なくない。 なぜ、中国人はわざわざ日本にやってくるのか、彼らは、何を見て、何を感じるのか。 その理由は明白。中国でも少子高齢化が急速に進んでいるからだ。 現在、中国は60歳以上の高齢者人口が2.4億を突破し、人口の17%を占めている』、日本では60歳以上の高齢者が人口に占める割合は33.0%と遥かに高い(2018年、日本の将来推計人口より)。
・『一人っ子政策の影響で、今後も少子高齢化が進み、速いスピードで高齢者人口が増えていく。しかし、現在では、社会保障制度が整備されておらず、高齢者が要介護となった場合、全額自己負担でサービスを受け入れなければならない。 昨年から上海、青島など一部の地域で独自に介護保険を実験的に始めているが、中身はまだまだ限定的である。政府は高齢社会に積極的に対応すべく、さまざまな優遇政策を打ち出し、民間や外資の参入を促している。 急速に発展してきた経済も一段落してきたところで、政府の後押しもある。その上、介護サービス産業は今後、市場の拡大が予想される。実際、中国では、朝日が昇っていくような勢いのある「朝陽産業」と形容されている。 そうしたことが背景で、国有企業、大手上場企業、デベロッパー、保険会社から業態転換を狙う会社まで、さまざまな企業が出遅れるのを恐れるかのように、こぞって介護ビジネスに参入し始めている。 これらの企業の多くは介護に関して全くの素人であり、どのように事業を展開していったらよいのか、わからない。ゆえに、20年前に高齢社会になり、介護保険のような社会保障制度もある日本で学ぼうと考えているのだ。いわば介護の世界では、日本は中国の「先輩」のような存在だ。あわよくば、日本で事業のパートナーを探そうとの考え方もある』、「介護の世界では、日本は中国の「先輩」のような存在」というのは確かだ。
・『中国からの見学希望に変化の兆し 最近はサービス面にも注目  筆者は仕事柄、中国からの見学者を日本の介護施設に案内する機会が多い。 これまで中国からの見学の希望先といえば、いわゆる富裕層向けの施設が中心で、「高級なほどいい」と言われることが多かった。すなわち、ソフト面よりもハード面ばかりが重視された。 例えば、玄関は豪華かどうか、建材はどんなものを使っているのか、部屋は広いのか、家具はどれほど高級品なのか…など。つまり、富裕層が好みそうな部分ばかりに目が行き、「介護の本質」や「理念」などサービスやソフトの面にはあまり興味がなく、説明されてもあまりピンとこない様子だった。 その顕著な例は、東銀座にある日本屈指の超高級高齢者マンションだ。銀座の繁華街の喧騒から一歩離れて、静かな脇道に佇む気品溢れるビル。施設は300以上の戸数を有し、自立できる高齢者を対象にしている。施設の中は天井が高く、吹き抜けや、高級ホテル並みのレストラン、日本の普通の介護施設と桁違いの高級感が漂う。当然入居されている方々も経営者や元外交官、芸能人など富裕層の皆さんだ。 一時入居金は1億円超でも現在は満室、入居希望の待機者もたくさんいる。このような都会のど真ん中にあり、富裕層が入居し、しかも成功している施設は、中国で高級ホームを標榜したい介護事業の経営者たちにとっては、なんとしても見学したい場所だ。もっとも、あまりにも中国からの見学者が多いので、この施設は悲鳴をあげ、ついに門戸を閉じてしまったほどであった。 ところが最近、中国からの見学希望先については、少し変化の「兆し」が見え始めた。 実はハードに関しては、中国は機能性や合理性は別にして、「見た目の豪華さ」という点では、日本を完全に追い越している。中国各地で誕生している「CCRC」と称される高齢者タウンが代表的だが、多くは不動産投機が目的でもあるからだ。もっとも、住宅権利は売れているが、住人はいない。 ゆえに、これらも含めて、実際、中国のトータルの介護施設の空室率は50%にも上る。一方、料金がリーズナブルで信頼のできる公立の施設は圧倒的に数が少なく、「入居するのに120年かかる」といわれるほどの絶望的状況だ。 また、中間層向けの高齢者施設は民間経営で料金や立地などもさまざまで、競争が激しい。一方、要介護や認知症の高齢者が門前払いされるケースも非常に多い。 需給バランスが非常に悪いのは明らかだ』、「高齢者タウン」の「多くは不動産投機が目的でもあるからだ。もっとも、住宅権利は売れているが、住人はいない」、「中国のトータルの介護施設の空室率は50%にも上る」というのはいかにもバブリーな中国らしい。
・『認知症ケアやリハビリ 介護食に注目  このような背景もあり、最近は「ハードよりも、中身のサービスについて勉強したい」という中国の介護事業者が増えてきたのだ。 特に、日本の介護の「個人の意思尊重」という考え方に基づいた「認知症ケア」「リハビリ」「介護食」などが注目されている。 日本では介護施設といえども、なるべく「自宅の延長」であるべきという考えが根底にある。このため入居の際は、ある程度の制限はあるものの、自宅にあった家具や使いなれた日常用品を施設に持ち込むことができる。 一方、中国は個室よりも多床室がまだまだ一般的であり、施設側が決める家具を使い、物の置き場所も決められている。廊下などには物を置いてはいけない。これは政府や消防関係の基準だという(日本でもこうした基準はあるが、中国の方がより厳しい)。 はたから見れば整理整頓が行き届いているように見えるが、まるで生活感がない。起床や就寝時間、食事、入浴などの生活リズムはすべて施設側が決めた時間内に行わなければならない。特に食事は、夕食は午後4時半から始まる施設が多い。夜7時半になると、部屋の電気は消されて真っ暗になる。 まるで軍隊のような生活を強いられる。つまり「自由」がほとんどないのだ。巷では、施設に入ると、「三等公民」になると揶揄(やゆ)される。「等」とは、中国語では「待つ」の意味で、つまり入居者の1日は「食事を待つ、寝るのを待つ、最後は死を待つ」というのだ』、「まるで軍隊のような生活を強いられる」、金持ちの老人までそうであるとすれば、驚きだ。「三等公民」には思わず笑ってしまった。
・『そして、飲み込みが困難な状態である嚥下(えんげ)障害となったら、食べ物を砕いて糊状にするか、安易に経管栄養にする。中国の介護施設には、経管栄養の高齢者が非常に多い。管に栄養剤を注射器で注入する場面を筆者は見てしまう機会が多々あり、そのたびに目をそらしたくなる。また、認知症は「病気」「厄介」「面倒」な存在という目で見られるのが現状であり、何もない部屋に入れられて、その中に閉じ込められてしまうようなケースが多い。 そもそも日本の介護では「自立支援」という考え方がある。 これは、介護が必要な人でも身体機能を衰えさせないように、できる範囲のことは自分でやってもらい、介護者はそれをサポートするというものだ。このような考え方をベースに行われる介護の取り組みは、今の中国にはない。このため、中国の見学者の目には、日本の介護がとても新鮮に映り、感動する場面がたくさんあるのだ。 例えば、日本の施設では、できる限り最後まで口で食べてもらうため、歯科医師との連携で口腔ケアを行う。食事は、入居者の健康状態に合わせて、何通りもある食事を作る。栄養だけにとどまらず、固さや柔らかさ、色、形などの見た目も工夫して、味も重視されている。ゆえに中国の見学者がこれらを試食したら、「見た目は普通の食事と同じだが、口に入れるとすぐ溶けちゃう!どうやって?」「盛り付けがとてもきれい、食欲をそそる、素晴らしい!」と感動する。 そこで、嚥下困難な高齢者向けの「なめらか食」や「ソフト食」などを紹介したレシピ本をわざわざ買って帰る人もいる』、中国はまだまだ介護の過渡期にあるようだ。
・『「個人の尊厳」重視のケアに共感「介護の本質」は万国共通  認知症ケアに関しては、日本は「個別ケア」を提唱し、一人ひとりの高齢者のこれまでの人生の歩みや、性格、嗜好などを把握する。介護というよりは「その人の生活を支える」という姿勢である。なので、本人にはある程度の「選択の自由」もある。 認知症高齢者向けの小規模施設であるグループホームでは、入居者とスタッフが共同で食事を作ったり、洗濯や掃除をしたりして、自宅にいるのとあまり変わらない生活を送る。 また日本の介護施設では、各部屋に鍵をかけないのは当たり前のことになっている。これが中国の見学者にとっては衝撃的なようだ。 実際、中国からの見学者からは「鍵をかけないと、危なくないですか?」「もし勝手に施設を出ていって、行方不明になったらどうなるの?」というような質問が絶えない。 ある特別養護老人ホームを見学した時の出来事である。 スタッフが「おむつを交換するから」と言って、おむつをバッグに入れた状態で部屋に入った。「なぜ、わざわざバッグに入れるのですか?」と聞いたら、「これは入居者さんへの配慮だ」との答えだった。つまり、排泄行為も個人の思いや尊厳が重視されるのだ。見学者一同は「なるほど!」とうなずいて、共感した。 一方、見学者を受け入れることは、日本の介護施設で働く職員らにとっても刺激になるようである。 日頃何となく、「当たり前」に思っていた業務であっても、外国からの見学により、「他国の人の目には、こう映るのか」「これは日本の良さなのか」などと、再認識する場となっている。 現在でも引き続き、中国からの見学者を受け入れている日本の介護施設があるのも、現場で働く職員らが「介護の本質」を再認識してサービスが向上できるからだろう。 昨年、日本でも介護業界では大きな話題となった認知症ケアをテーマにした映画「ケアニン ~あなたでよかった~」は、中国でも数回上映された。筆者はその上映会場にいたが、映画を通じて笑い、泣くシーンは日本の劇場と全く同じだ。 突き詰めれば、「思い」は皆同じであり、介護(ケア)の本質について「国境はない」のは確かである』、日本の介護もまだまだ多くの問題を抱えているが、介護途上国の中国にとっては見学する価値があるようだ。
タグ:現場で働く職員らが「介護の本質」を再認識してサービスが向上できる 見学者を受け入れることは、日本の介護施設で働く職員らにとっても刺激になる 「個人の尊厳」重視のケアに共感「介護の本質」は万国共通 日本の介護では「自立支援」 中国の介護施設には、経管栄養の高齢者が非常に多い 「三等公民」 まるで軍隊のような生活を強いられる。つまり「自由」がほとんどないのだ 中国は個室よりも多床室がまだまだ一般的 認知症ケアやリハビリ 介護食に注目 中国のトータルの介護施設の空室率は50%にも上る 高齢者タウンが代表的だが、多くは不動産投機が目的でもあるからだ。もっとも、住宅権利は売れているが、住人はいない この施設は悲鳴をあげ、ついに門戸を閉じてしまった 東銀座にある日本屈指の超高級高齢者マンション 見学の希望先といえば、いわゆる富裕層向けの施設が中心で、「高級なほどいい」と言われることが多かった 中国からの見学希望に変化の兆し 最近はサービス面にも注目 介護の世界では、日本は中国の「先輩」のような存在 さまざまな企業が出遅れるのを恐れるかのように、こぞって介護ビジネスに参入し始めている。 これらの企業の多くは介護に関して全くの素人であり 政府は高齢社会に積極的に対応すべく、さまざまな優遇政策を打ち出し、民間や外資の参入を促している 現在では、社会保障制度が整備されておらず、高齢者が要介護となった場合、全額自己負担でサービスを受け入れなければならない 中国でも少子高齢化が急速に進んでいる 中国から日本の介護施設への見学者が絶えない 「中国から日本の介護施設に見学者が殺到している理由」 ダイヤモンド・オンライン 王 青 ネットワークが醸成されるための後方支援など、今頑張っている現場の人に、すぐ喜んでもらえるような施策を期待 介護が「わがこと」になるような取り組みを まずは「今」、この時間も人手不足の現場でがんばっている介護現場の負担を少しでも減らす策を徹底し、並行して、即戦力となる潜在介護士の方の力をさまざまな形で活かすことを優先すべきではないか 介護福祉士として登録しながらも、その半数は、実際には介護職として働いていない「潜在介護士」だという現状 介護職員の1年間の離職率は、正社員14.3%、非正規20.6%。離職した人の勤続年数は「1年未満」が 38.8%と4割近く いい面しか聞いていない新入社員は、リアリティショック(理想と現実のギャップ)の大きさに耐えられず、やる気を失ったり、組織に適応するために必要な心のエネルギーが著しく低下し、メンタルヘルスやモチベーション、さらには離職率にまで、ことごとくネガティブな影響を及ぼすことになってしまうのである 人材の確保に「白い嘘」はタブーだ イメージアップ大作戦は、「白い嘘」に加担することになりかねない イメージアップ大作戦は、「白い嘘」に加担することになりかねないのである 介護現場は究極の「感情労働」なので、肉体的にも精神的にもキツく、このキツさは「イメージ」ではなく、現場のリアルである 「これまでと違うアプローチで、若い世代に介護の仕事をアピールしたい」 厚生労働省が、人手不足が深刻な介護職のイメージアップのため、デザイナーや美容師、ラーメン店の店主、畜産農家など異業界の人たちからアイデアを募る介護職のイメージ刷新等による人材確保対策強化事業を始めた 繰り返される“ピンボケ広報” リストラなんてやったら非難轟々で、この町で生きていけない。外国人だってね、変な働き方をさせて問題でも起きたら、終わりだから…… 地方で会社をやってて一番怖いのは何だと思う? 世間だよ、世間 「変な働き方をさせて問題でも起きたら、終わりだから」 コミュニケーション能力の高い介護人材を“育成したい” 2009年から、介護人材育成などを目的に外国人留学生の受け入れをスタートし、14年からは町内の旭川福祉専門学校に日本語学科や留学生向け介護学科を開設。さらに、15年10月には全国初の公立日本語学校である「東川町立東川日本語学校」も開校 東川町では独自に10年も前から、地道に、取り組みを進めてきた 今回の北海道の取り組みには、えらく感動している 日本語学校などで日本語を学んだ留学生に、東川町内にある旭川福祉専門学校で2年間、資格取得を目指して学んでもらう。 学費のうち8割を国が特別交付金の形で自治体に交付する制度でまかない、学費の残りの2割と生活費として年250万円程度の奨学金を協議会で負担。卒業後3~5年、協議会加盟施設で働けば返済は免除 東川町を含む3つの町と、東川町にある北工学園旭川福祉専門学校、8つの介護施設が外国人介護福祉人材育成支援協議会を設立 「留学生奨学金250万円の「汗」と、「白い嘘」事業の功罪」 日経ビジネスオンライン 河合 薫 (その2)(留学生奨学金250万円の「汗」と 「白い嘘」事業の功罪、中国から日本の介護施設に見学者が殺到している理由) 介護
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女性活躍(その11)(上野千鶴子さん「社会には、あからさまな性差別が横行している。東大もその一つ」(東大入学式の祝辞全文)、上野千鶴子「東大祝辞」でワイドショーコメントが酷い! 東国原英夫 坂上忍 玉川徹 東大卒元官僚の山口真由も、日本のジェンダーギャップ「世界第110位」のなにがヤバいか 格差が大きいと…) [社会]

昨日に続いて、女性活躍(その11)(上野千鶴子さん「社会には、あからさまな性差別が横行している。東大もその一つ」(東大入学式の祝辞全文)、上野千鶴子「東大祝辞」でワイドショーコメントが酷い! 東国原英夫 坂上忍 玉川徹 東大卒元官僚の山口真由も、日本のジェンダーギャップ「世界第110位」のなにがヤバいか 格差が大きいと…)を取上げよう。

先ずは、4月12日付けHUFFPOST「上野千鶴子さん「社会には、あからさまな性差別が横行している。東大もその一つ」(東大入学式の祝辞全文)「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」」を紹介しよう。ただ、筆者が要約した部分は省略した。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cb01f5ee4b0ffefe3ae261c
・『・・・【平成31年度東京大学学部入学式 祝辞全文】ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。 その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。 問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。 女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。 「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」 ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。 統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。 2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です』、入学式でこうした性差別の問題を取上げるとは、さすが女性学の第一人者らしい勇気ある発言だ。
・『最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。 それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。 そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。 東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。 なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。 女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです』、「男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。 女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます」、なるほどその通りだろう。
・『東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。 加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。 「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。 東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。 わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました』、「東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがある」、というのはありそうな話だ。
・『これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。 学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。 こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。 なかったから、作りました。 女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました』、研究職の女性比率は「国会議員の女性比率より低い数字」とは驚かされた。大学も想像以上に閉鎖的な男社会のようだ。
・『女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。 どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。 ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。 学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。 言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。 わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証しです。東大には、在日韓国人教授、姜尚中さんも、高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろう二重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます』、「私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした」、というのは分かるような気がする。
・『あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。 そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです』、人間はどうしても自分の「努力の成果」と考えがちだが、「周囲の環境」への感謝の念を持てというのはさすがだ。
・『世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。 そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください』、「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」、というのも誠に素晴らしい言葉だ。
・『女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。 あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。 これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。 学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。 未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。 異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。 大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。 ようこそ、東京大学へ』、「知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です」、うん蓄のある言葉だが、惜しむらくは私が大学で教えていた時に聞きたかった。それにしても、男子学生の受け止めも知りたいところだ。

次に、4月16日付けLITERA「上野千鶴子「東大祝辞」でワイドショーコメントが酷い! 東国原英夫、坂上忍、玉川徹、東大卒元官僚の山口真由も」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/04/post-4662.html
・『東京大学入学式で社会学者の上野千鶴子がおこなった祝辞が、大きな話題を呼んでいる。 上野はまず女子や浪人の受験生を差別していた東京医科大学の不正入試問題にふれた上で、東大における入学者の女子比率がわずか2割であるという事実、女性差別が東大に蔓延る現実を紹介。そして、「がんばってもそれが公正に報われない社会」のなかで「がんばったら報われる」と思えること自体が本人の努力の成果ではなく環境のおかげであるということを突きつけ、「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」と呼びかけた。 自己責任論が蔓延し、自助努力がデフォルトの価値になりつつあるいま、東大生に向かって上野が呼びかけた言葉は大きな意味をもつだろう。そして、女性に対する差別があらゆる面で顕在化する昨今の状況を考えれば、上野のスピーチに深く頷いた人がSNSに溢れたのも当然だ。なかでも、入学式という祝いの場でも空気を読むこともなく、東大生が起こした性暴力事件をもとにした姫野カオルコによる小説『彼女は頭が悪いから』(祝辞で上野も述べたとおり、この小説タイトルは取り調べで加害者である東大生が口にした台詞だ)を俎上に載せ、「この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります」と言及した点はさすがとしかいいようがない。 だが、まさしく入学式にこそふさわしいこの祝辞に対して噛みついたのが、情報番組、ワイドショーだった。 たとえば、14日放送の『Mr.サンデー』(フジテレビ)では、三田友梨佳アナや元フジ女子アナで弁護士の菊間千乃が上野の言葉に賛同を示すなか、木村太郎が「性差別があるってことを最初から最後までずーっと言って、僕はその通りだと。では、何したらいいのかってことはわからないの、これ」「女性がそれだけ差別されたのなら、どうやって戦うのかというメッセージがない」と苦言。性差別があることを認めるのであれば、社会で圧倒的優位性をもつ男性として考える是正策を木村が提案すればいいと思うが、「弱者が弱者として守られるのがフェミニズムなんですよ。これでは勝てない」などと批判した。 上野は「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」と述べていたのに、木村は勝手にフェミニズムをねじ曲げ、勝ち負けの世界に引きずり込んでしまったのである。 一方、昨日放送の『モーニングショー』(テレビ朝日)では、普段は果敢に政権批判をおこなう玉川徹が“ほんとうは東大の女子入学生に『女の幸せって何だと思いますか』と訊きたかった”と言い出し、東大首席卒業で元財務官僚の山口真由に「山口さんって女の幸せって何だと思う?」と質問。すると、山口が「女の幸せ? やっぱりでも、結婚して子どもをちゃんと産んで、きちんとした家庭を育てていくこと」と答えると、玉川はこう述べた。 「東大の女子でも山口さんみたいに考えている人、多いと思う。男の人から愛されて、幸せな家庭をつくってっていうのがあって、でも仕事もちゃんとやりたいんだけど、これは両立しないっていうか。愛されてって方向として選ばれないと思っている人、多いんじゃないかな」』、
・『東大卒元財務官僚の山口真由は「ラッキーにフォーカスすべき」と唖然発言  どうして新入生に「女の幸せ」を尋ねる必要があるのかさっぱり意味がわからないが、この「愛されてって方向として選ばれない」という一言こそ、上野が祝辞で問題視したものだ。上野は男子学生が東大であることを誇るが女子学生はそうではないことにふれ、「男性の価値と成績のよさは一致しているのに女性の価値と成績のよさとのあいだにはねじれがある」と喝破。そして、「女子は子どものときから『かわいい』ことを期待される」「愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや東大生であることを隠そうとする」とその背景を説明した。玉川の「愛されてって方向として選ばれないと思っている人、多いんじゃないかな」という視線はハナから女を「選ばれる存在」に置くもので、だからこそ「女の幸せ」などという男子学生にはけっして訊かない質問が飛びだしたのだろう。この、あらかじめ結婚や出産育児が念頭におかれた「女の幸せ」というフレーズは、女性にとっては呪いの言葉であり、女性自身が「それが幸せなのだ」と内面化してきた要因のひとつであることは間違いない。 終始、上野の祝辞の意味からズレつづけた『モーニングショー』だったが、その最たるものが、石原良純が「上野さんの話は(実態と)合致してるのかな」と疑義を呈した際の、山口の言葉だろう。山口は「そこはあると思います。私も、前半部分見て、上野先生の生きてきた時代もあるし、相当こっちから見ても距離感あって、だからみんなフェミニズムとか勉強しなくなっちゃう」と言うと、こう続けた。 「しかも、上野先生って成功して恵まれているわけじゃないですか。ラッキーだったところにフォーカスしたほうがいいのになって」 上野は東大に入学できるほど教育機会に恵まれた新入生に対し、そのがんばりを恵まれない多くの人びとのために使ってほしい、と述べた。それは、東大を首席卒業し財務省に入省してキャリア官僚になった山口のような人物にこそ向けられたものだったはずだ。だが、そのことにも気付かず「恵まれているんだから、ラッキーだったことにフォーカスしたほうがいいのに」と無邪気に語ったのである』、男の木村はともかく、女性の山口のコメントのお粗末さには驚かされた。
・『上野の格差社会批判に東国原は「がんばらない人がいる」と批判  しかし、こうした木村や玉川、山口といったコメンテーターをさらに上にゆくズレたコメント、いや「暴言」を連発した人物がいた。『バイキング』(フジテレビ)の東国原英夫だ。 東国原はまず、4年制大学進学率が男子55.6%に対して女子48.2%と差があることについて、上野が「成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です」と話したことを「本人の意思もある」と反論。その理由は、こうだ。 「女性が手に職をつける、看護師だとか保育士だとか衛生士だとか調理師だとか美容師だとか。そういう方は4年制大学は捨てる」 看護師が「看護婦」、保育士が「保母さん」と呼ばれてきた歴史が物語るように、それらが女性の専門職と見なされてきたのは性的役割分業と切り離せないし、それは女性にあてがわれた数少ない職業だった。いまではその是正も徐々に進んでいるが、それでもいまだに女性の職業とみなし、「本人の意思で4年制大学を選ばない」根拠にするのだから、よくこれで県知事など務めたものだとあきれるほかない。 だが、東国原の噛みつきは続いた。上野が「世の中には、がんばっても報われない人、がんばろうにもがんばれない人、がんばりすぎて心と体をこわした人たちがいます。がんばる前から『しょせんおまえなんか』『どうせわたしなんて』とがんばる意欲をくじかれる人たちもいます」と述べたことに対し、こんなことを言い出したのだ。 「あのなかでひとつだけ足りないのは『がんばらない人がいる』ということを言っていないですよね。世の中にはがんばらない人がいるんですよ。がんばれるのに。その方たちをどうするかっていう問題提起はされていないなって僕の疑問でしたね」 「がんばろうにもがんばれない人」を、自己責任論者は「がんばらない人」と呼ぶ。こうした自己責任論者の存在があるからこそこのスピーチはおこなわれたはずだが、それを東国原は理解できないのである』、そもそも東国原をコメンテーターとしているテレビ局には良識もへったくれもないのだろう。
・『東国原「主体的な女性がいないのは国民性」「国連の言うとおりしなくていい」  しかし、もっとも頭が痛くなったのは、政治家の女性比率が低いことについて話題が及んだときの、こんな発言だ。 ある地方で候補者を公募したものの女性の応募者がいなかった、という話をはじめた東国原は、「女性がなりたいという人が少ないんです。それは男性社会だから、男性環境だから行きたくないというのもひとつあるけども、面倒くさいことが嫌だとか、子育てできない結婚もできないという理由で諦められるという方がいらっしゃるのも事実なんですね」としたり顔で解説。「女性は面倒くさいことが嫌」などということのデータなり根拠を示していただきたいものだが、そもそもこんなことを言うのなら子連れ議員が批判に晒される議会のほうを問題にすべきだ。だが、そんなツッコミが入ることもなく、東国原はこう続けたのだ。 「ですから、たしかにジェンダーギャップ指数というのは世界110位ですよ。日本は低いんですけども、それは、僕が考えるにですよ、ジェンダーギャップ指数を埋めようという主体的な女性がまだ日本国内では少ないんじゃないかなと思っています。たとえば結婚について、『私は専業主婦のほうがいいわ、専業主婦になりたいの。高等教育はいいわ』と自分で考えられる方が多いと思うんですね。これ、国民性なんですよ。ですから、それを無理やり国連が言うように同数に引き上げるというのを無理におこなわなくても僕はいいんじゃないかと思うんです」「ジェンダーギャップ指数というのは社会的な地位とかそういうことですよね。でも、たとえば内心である家庭内、家庭内を考えたら、圧倒的に女性が権力もってます。女性のほうが、奥さんのほうが権力もってるんですよ。そこは数値化できないんですよ。そのね、ジェンダーギャップ指数、そこの数字も入れたら、日本って女性が上になると思いますよ。そういう数字も入れていないというところを、先生にちょっと忖度していただきたかったと思います」 男女の給与格差や女性の非正規雇用率の高さ、就活セクハラに働いても平等な分担とはならない育児・家事など、この社会で働こうとするとき女性に待ち受けている不平等、理不尽をまったく顧みず「専業主婦志向が高いのは国民性」と言い切る無知さ。そして、「かかあ天下」の数字を加味しろと言う昭和のオヤジ思考……。しかも、このバカバカしい話に対し、MCの坂上忍は「性差別とかそういうのも、男社会だからどうのこうのと言うのは簡単だし、実際問題そうなのかもしれないけど、逆に女性が社会に進出しているのを女性が足を引っ張ったり、女性の絶対数がまだまだ増えていないんじゃないかというのは僕もやっぱ感じて」などと述べたのだった。 テレビが図らずも露呈させた、この国の地獄ぶり──。いや、もしかするとあの上野千鶴子のこと、こうした現実を可視化させることも計算の上での祝辞だったのかもしれないとも思えてくるが、ともかくこの惨状こそが日本の実情なのである。そういう意味でも、重要な祝辞だったことがよくわかるというものだろう』、「テレビが図らずも露呈させた、この国の地獄ぶり」というのは言い得て妙だ。

第三に、サステナビリティ経営・ESG投資アドバイザリー会社のニューラル代表取締役CEO、夫馬 賢治氏が4月24日付け現代ビジネスに寄稿した「日本のジェンダーギャップ「世界第110位」のなにがヤバいか 格差が大きいと…」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64116
・『先進国で最低レベルの男女ギャップ  ダボス会議で有名な世界経済フォーラム(WEF)は、毎年年末になると「世界ジェンダー・ギャップ報告書」なるものを発表している。そこで先進国の中で、毎年のように”最低スコア”を叩き出しているのが日本だ。 最新の2018年度の日本の結果は、149ヶ国中110位と、下から数えたほうが早い。もちろん、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、カナダを含めたG7諸国の中では断トツで最下位だ。 それくらいでは驚かないかもしれない。しかし、中国、インド、マレーシア、ネパール、ミャンマーよりもランクが下だという事実を知ったら、いかがだろうか。 ちなみにかろうじて韓国(115位)よりも上だが、それ以外で日本より下なのは中東諸国やアフリカ諸国、南の島国などばかりだ。 しかも、日本はどんどんランクを落としている。5年前の2015年ではすでに101位だったのだが、2016年には111位、2017年に114位と順位を下げてきてしまった。2018年は110位と多少挽回したが、誇れる結果ではないだろう。 ダイバーシティという言葉が日本に登場し始めたのは1990年代。それから約20年が経とうとしているが、発展途上国に次々の抜かれていき、全く世界のスピードに追いついていけていない』、日本の順位が中国、インド、マレーシアはともかく、「ネパール、ミャンマーよりもランクが下」とはみっともない限りだ。
・『子どもは男女平等、大学から男女格差が明確に  「何を根拠にダイバーシティが低いと言えるのか」という考えもあると思うので、世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数」の算出方法について紹介しよう。 このランキングは、「健康と生存」「教育達成度」「ジェンダー間の経済的参加度および機会」「政治的エンパワーメント」の4つの観点から合計14項目でランキングを出し、最後に総合ランキングを導いている。 日本のダイバーシティの低さには、大きな特徴がある。下の図は年齢毎に項目とランキングを並び替えたものだ。日本では、誕生から高校生ぐらいまでは男女格差がほぼなく、ランキングも堂々の世界1位だ。 しかしそこから一気にきな臭くなる。大学や大学院の就学比になると急に100位以下に後退してしまう。 社会人になると、類似労働間での賃金の男女比ではやや緩和されるが、男女の勤労所得比、専門職や管理職での男女比となると、100位以下に下がる。 社会的地位の高い国会議員や閣僚でも同様の男女格差が表れている。すなわち、未成年のうちは、ある程度「男女平等に」という社会通念があるが、成人になると「男性が上」という感覚がいきなり立ち昇ってくるのだ』、これでは上昇志向のある日本人女性が戸惑うのももっともだ。
・『ダイバーシティは日本法で守られている  こうした海外のランキングを取り上げると、「ダイバーシティはそもそも西欧の基準であり、日本文化には相応しくない」と反論する人もいるが、文化云々の問題ではなく、良いわけはない。では、なぜ男女格差があるとまずいのだろうか。 日本で1972年に制定された男女雇用機会均等法には、その目的について「法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのつとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図るとともに、女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進する」とある。 ここでは「法の下の平等」という倫理が強く打ち出されている。但し、大学に行きたくない女性もいれば、専門職や管理職、国会議員になりたくない女性もいる。そのため、男女が常に同じ状態になっていなくてもいいのではないかという主張もあろう。 一方で、ジェンダー・ギャップについては、「無意識バイアス」という観点から格差を問題視する有識者も多い。「大学に行きたくない女性もいる」のではなく、「女性は大学に行かなくてもよい」という社会的通念や規範意識によって、女性の大学入学率を押し下げているという考え方だ。 こうした社会学的な考え方は、学術界では広く知られているが、「無意識バイアス」は素人には認識しづらいのも現実だ』、日本では「無意識バイアス」がことの他強く作用しているようだ。
・『格差のある企業は投資されない?  では、成人になると男女格差が生まれる日本の現状は、どのぐらいまずいのだろうか。 この問いに対し、昨今明確な回答を突きつけてくる集団がいる。それが海外投資家だ。海外の年金基金や保険会社、またそれらから運用を受託する運用会社が最近採用しているESG投資戦略では、社員や管理職、さらには取締役会の女性比率にも着目している。 実際に、海外の運用大手ブラックロックやバンガード、ステート・ストリート等もダイバーシティを重視してきている。日本でも、女性取締役を増やさなければ取締役会議長の再任選挙に反対票を投じると迫る海外投資家も表れている。 日本で金融業界に長くいる人ほど、この海外投資家のダイバーシティ重視は意味不明だ。かつてダイバーシティという言葉が使われ始めた1990年代、ダイバーシティの取り組み度合いで投資先企業のバリュエーション(企業価値評価)をするなんてことはご法度だった。 ダイバーシティを考慮することは、企業分析の「雑音」であり、投資パフォーマンスを損なうとまで言う人もいた。なので、金融業界の古くからいる人ほど、昨今の海外投資家のトレンドには違和感を感じている』、かつては「ダイバーシティを考慮することは、企業分析の「雑音」であり、投資パフォーマンスを損なうとまで言う人もいた」というのに比べ、現在は様変わりのようだ。
・『世界で最も早く「労働力不足」が深刻化する  では一体、海外投資家はなぜダイバーシティに注目するようになったのか。その背景には、「労働力不足」という明確な問題意識がある。そして、労働力不足問題が世界の中で最も早く深刻になるのが日本だ。 これは、厚生労働省が発表している日本の未来人口予想だ。労働力としてカウントされる15歳から64歳までの人口は、2000年代中頃にピークを迎えてすでに減少を開始。2015年には7,728万人いたのだが、2065年には4,529万人へと約4割も減ってしまう。 この影響はすでに表れており、運送業、コンビニエンスストア、外食産業は、人材不足を理由に事業規模縮小を余儀なくされてきている。また、人手不足のため時給を上げて採用しようとするためコスト増となり、赤字に転落する大企業まで出てきた。 しかし、これでもまだましな方だ。日本は15歳から64歳までの人口が減少する中で、労働力人口はむしろここ数年増加に転じている。その差を埋めているのは、女性と65歳以上の高齢者だ。 また最近では、外国人留学生のアルバイトも活躍し、2017年時点で外国人労働者の数は約128万人。さらにこの4月からは「特定技能ビザ」制度も始まり、5年間で最大約35万人の外国人労働者を受け入れる。 外国人労働者は合わせて160万人超となるが、それでも今後50年間で労働人口が3,000万人以上も消失することを考えると、ホワイトカラー職も含めた幅広い業種が、今後想像を絶する人手不足状態に陥る』、ただ、AIやIOTの普及に伴って、機械への代替が進めば、人手不足は緩和される筈だ。筆者の職業上のポジショントークという印象も受ける。
・『女性を戦力にできない企業は生き残れない  このような社会環境の変化を受け、企業が競合他社よりも人材面で優位に立とうとするならば、ダイバーシティを推進するしかない。ダイバーシティには、ジェンダーだけでなく、外国人、障害者等にも当てはまる言葉だが、とりわけ法律面での上限設定等がない女性労働力の確保は、企業の未来にとって死活問題だ。 また、女性労働力は採用しておわりではなく、働き続けてもらえるような労働環境を整備しなければ、他社へと転職してしまうかもしれない。もちろん、待遇や昇進面で男女格差があれば、それを不満に退職する女性も当然のように出てくるだろう。 海外投資家が着目したダイバーシティは、日本の公的年金基金である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も意識し始めた。GPIFは、2017年から運用資金の一部で、ダイバーシティが優れている上場企業に重点的に投資する戦略を採用している』、GPIFの姿勢変化には政府からの示唆もあったのだろうが、海外も含めた投資家から圧力がかかるのは好ましいことだ。
・『女性管理職・女性取締役を増やすこと  では、どうしたら女性が働きやすい環境が創出できるのだろうか。その解決策については、海外投資家の間では、一定のコンセンサスが生まれてきている。ひとつには、女性管理職を増やすことであり、さらには女性取締役を増やすことだ。 女性が抱える不満は、女性の方が感知しやすい。また男性が無意識的に女性を差別する「無意識バイアス」も、女性の上司の方が認知しやすく、対策を講じやすい。そのため、米国を代表する年金基金の一つ、カリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)も、近年、投資先企業に女性取締役を増やすよう迫っている。 冒頭で紹介した「ジェンダー・ギャップ報告書」で、日本の管理職労働者の男女比率は世界129位。労働人口が急速に減る中でのこの順位は、かなり危機的状況だということを認識すべきだろう』、「日本の管理職労働者の男女比率は世界129位」というのは確かに「危機的状況だ」。
タグ:危機的状況 日本の管理職労働者の男女比率は世界129位 女性管理職・女性取締役を増やすこと 女性を戦力にできない企業は生き残れない 世界で最も早く「労働力不足」が深刻化する ダイバーシティを考慮することは、企業分析の「雑音」であり、投資パフォーマンスを損なうとまで言う人もいた かつてダイバーシティという言葉が使われ始めた1990年代、ダイバーシティの取り組み度合いで投資先企業のバリュエーション(企業価値評価)をするなんてことはご法度 社員や管理職、さらには取締役会の女性比率にも着目 ESG投資戦略 格差のある企業は投資されない? 「無意識バイアス」 「法の下の平等」という倫理 男女雇用機会均等法 子どもは男女平等、大学から男女格差が明確に 中国、インド、マレーシア、ネパール、ミャンマーよりもランクが下 世界ジェンダー・ギャップ報告書 「日本のジェンダーギャップ「世界第110位」のなにがヤバいか 格差が大きいと…」 大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けること 女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます litera 夫馬 賢治 東大卒元財務官僚の山口真由は「ラッキーにフォーカスすべき」と唖然発言 姫野カオルコ これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です 4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差 フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想 医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味 国会議員の女性比率より低い数字 社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください 多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです 先行研究というものがありません。 ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです 女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動 HUFFPOST 研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下 偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています 上野の格差社会批判に東国原は「がんばらない人がいる」と批判 東国原「主体的な女性がいないのは国民性」「国連の言うとおりしなくていい」 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください 現代ビジネス 「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です 世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます 学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるから 東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります 女性学 がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています 東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました 「上野千鶴子さん「社会には、あからさまな性差別が横行している。東大もその一つ」(東大入学式の祝辞全文)「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」」 女性活躍 『彼女は頭が悪いから』という小説 女性学はベンチャーでした 「上野千鶴子「東大祝辞」でワイドショーコメントが酷い! 東国原英夫、坂上忍、玉川徹、東大卒元官僚の山口真由も」 男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです 知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です 女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとする (その11)(上野千鶴子さん「社会には、あからさまな性差別が横行している。東大もその一つ」(東大入学式の祝辞全文)、上野千鶴子「東大祝辞」でワイドショーコメントが酷い! 東国原英夫 坂上忍 玉川徹 東大卒元官僚の山口真由も、日本のジェンダーギャップ「世界第110位」のなにがヤバいか 格差が大きいと…) ジェンダー研究
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女性活躍(その10)(在仏ライター 髙崎 順子氏のシリーズ:フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽、フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由、「妊娠は病気じゃない」の意味 日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント) [社会]

女性活躍については、1月27日に取上げた。今日は、(その10)(在仏ライター 髙崎 順子氏のシリーズ:フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽、フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由、「妊娠は病気じゃない」の意味 日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント)である。

先ずは、在仏ライターの髙崎 順子氏が1月27日付け現代ビジネスに寄稿した「フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽 私たちはみんな「騙されていた」のか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59526
・『男女平等の度合いを測る「グローバルジェンダーギャップ」指数で149ヵ国中12位のフランス(2018年。日本は110位)。同国はここ10年で、このランキングを30位以上駆け上がった。フランス在住のライター・髙崎順子さんによれば、その大きな特徴は、男性も「男女平等の社会」が自分たちにとって有益だと認識し、制度改革を力強く推進してきたということだという。 一体、そこにはどんな工夫や努力があったのか。 フランスのあり方を過度に理想化することなく、日本に役立つヒントを探る本連載「フランスに探る男女連携社会の作り方」。第1回を始める前に、まずは日本における男女の問題について考える。「私たちの世代は、男も女も、双方が『騙されていた』のではないか」髙崎さんはそう言う。 フランスに来て、今年で20年目になる。 筆者は1974年に関東地方で生まれ育ち、4年制大学を卒業したのち、社会人2年目までを東京で過ごした。フランスに留学し学生としてリスタートしたのが25歳の時。再就職3年目で仏人男性と縁があり、そのまま結婚・妊娠・出産を経験した。今は日本メディア向けのフリーライターとして生計を立てつつ、サラリーマンの夫と共働きで、二人の小学生男子を育てている。 子育て世帯の例に漏れず、我が家の1日もとかく慌ただしく、必死で奮闘するうちに過ぎていく。が、幸い現状にも将来にも、大きな不満や不安はない。それはひとえにフランスの充実した子育て支援・公教育制度のおかげだが、最近ではもう一つ、もっと大きな理由があるように感じている。それはこの国での、男と女の在り方だ』、フランスは出生率が上昇した例外的な先進国だ。その秘訣を探る意味でも興味深い。
・『男だろうが女だろうが、親は親  フランスでは女性が働くことが至極当然で、結婚や妊娠出産を機に「家に入る」ケースはかなり少ない。必然的に共働き世帯が多く、その分、父親も当たり前に育児をする。それは、3歳以下の乳幼児を持つ母親の約7割がフルタイムで就労し、父親の約7割は子が生まれたら2週間の「父親休暇」を取得する、との数字にも表れている。 分担バランスは家庭によって様々だが、家事育児は父親・母親両者のタスクという扱いだ。その根底にあるのは、父親も母親も等しく一人の人間という、男女平等の意識である。 歴史由来の男女格差は依然あるけれど、それを是正せんとする意思が、行政にも社会にも強い。世界149カ国で男女平等達成度を測る「グローバル・ジェンダーギャップ指数」では、フランスは2018年、12位に位置している。 そこで生活する我が家でも、夫と私の家事育児分担はほぼ五分五分だ。それも「両者が全てこなせる」中での分担なので、どちらかが留守にしても、残りの家族の生活に大きな支障はない。下の子が義務教育就学年齢の満3歳になってからは、私が1週間以上の出張や日本帰省に出ることも増えた。そしてそのことを、周囲はごく自然に受け止めている。 しかし私の生まれ育った日本では、違う。共働きが多いのはフランスと同じはずなのに、家事育児の主な担い手は母親という認識が未だ固い。その母親が1週間も家を空けるなんて、まず有り得ない異常事態だ。 国際結婚の私ですら、単身で帰省するとまず「だんなさん、偉いね!」と夫が褒められる。家が荒れるでしょう、ご飯はどうしてるの、子どもたちはそれで寂しくないの……と、「母親が留守にする異常事態」へのご心配がしばらく続く。相手が私より上の世代であればあるほどそれは顕著だ。そしてその会話の度に、私の頭にはいつも同じ疑問符が浮かぶ。 どうして? 子どもは二人で授かったものでしょう? 夫は大人なんだから、一通りの家事は自分で出来て当たり前でしょう? なぜ夫がすると「偉い」で、私がするのは「当然」なの? どうして? ただ夫が男で、私が女だから? それでも私は会話の中で、その疑問を口に出したことは一度もない。作り笑いを浮かべながら、黙って話の調子を合わせてきた。日本はそうなのだ、と骨身に沁みて知っているから。 日本社会において、母親と父親は同じではない。同じ成人でも、年齢が学歴が社会人歴が同じでも。男と女は「等しく一人の人間」ではないのだ』、グローバル・ジェンダーギャップ指数で日本は110位でG7で最低である。私でも「単身で帰省する」筆者の勇気には脱帽だ。
・『男も女もない、はずだった  男と女は「等しく一人の人間」ではない。私がそれを痛感したのは大学卒業後、就職をしてからだ。もちろん生物学的な性差の話ではない。成人として社会で担う役割についてだ。 「勉強をして、いい学校に行って手に職をつけて、自立すること」。 昭和49年生まれの私は、物心ついたときから、大人になるとはそういうことだと教わってきた。共学校で男女は区別なく机を並べ、同じ科目を勉強し、同じ給食を食べ、同じように部活動をした。保健体育や技術・家庭科など履修科目に多少の違いがあっても、そこに意識すら向かなかった。 同級生の多くは専業主婦世帯で育ち、母親たちは節約と内職で家計を支えつつ、口を揃えてこう言った。「結婚しなくても食べていける経済力をつけて欲しい」「これからは女の子も自立しなくちゃね」。 勉強の得意な子は四年制大学からの大企業就職コース、そうでもない子は職業系の高校や専門学校からの技能取得コースが用意され、いずれにせよ「働く」ことが、女子学生の将来設計の基本だった。 大学受験は1990年代前半。少数派だった共働き世帯数が増加し、専業主婦世帯数に並んだ。女性の大学進学率も(短期大学込み)、男性のそれを追い越した頃だ。「女性も、男性並みに社会でやっていける」、そう刷り込まれて育っていた。 第2次ベビーブームで203万人いた同級生との受験戦争は熾烈で、おまけに高校時代にバブルが弾けたものだから、就活は氷河期真っ只中。もがきつつもなんとか内定をもらい、新社会人になった。就職先の教育系出版社で、部署の同期は女性二人に男性一人。これまで通り男も女もなく、並んでの社会人デビューだと思った。 が、それは幻想でしかなかった。 仕事の割り振りは男女関係なくされたはずなのに、机の配置や資料配布など、会議の雑用的な事前準備には女性社員だけが呼ばれる。飲み会となればお酌は当然、女の役目だ。取引先との会食では、お天気の話題と同じノリで「彼氏いるの?」。酒が進めば下ネタも進み、容姿や体型に絡めて性経験を聞かれることもザラだった。 その間、男性の同期は年上社員に将来の夢を熱く語り、説教を受け、競馬やプロ野球の話題に花を咲かせている。ああ、私もそっちに行きたいな……何度そう思ったことだろう。 それでも当時の私は、大きな疑問を抱くことすらしなかった。「社会」という大きな仕組みの中では、これも致し方ないこと。適応しなければ生きていけない。そう言い聞かせて新人の1年を勤めた。 社会人2年目の1999年には橋本龍太郎内閣で「男女共同参画法案」が成立したが、私の目の前の現実は「そんな法案どこ吹く風」だった。1年目には「新人だから」と受け入れていた不愉快ごとが、実は「女だから」起こっていたと知った(名前を呼び捨てにされる、出身大学を嫌味のネタにされる、打ち合わせを夜にばかり設定される……)。 お前は女だ、男と違うんだと、思い知らされる毎日。音を立てて幻想が崩れ落ちる中、さらにダメ押しの一撃がやってくる。「25で結婚、30までに出産」というアレだ』、筆者は東京大学文学部卒だが、「就活は氷河期真っ只中」で就職には苦労したようだ。キャリア志向の筆者でも「25で結婚、30までに出産」というのが「ダメ押しの一撃」とは、驚かされた。
・『結婚・出産プレッシャーと「いいお母さん」へ強迫  「そろそろいい人、いないの?」 それは面白いように突然、24歳の頃から始まった。「女が仕事ばかりしてたら、いいご縁を逃すよ」「どうせ結婚したら辞めちゃうんだし」「結婚相談所に頼れるのも29まで。30すぎたら一気に引きがなくなる」「30過ぎの独身女は〈難あり〉に見られるから」「子どもが欲しいなら30までに相手を見つけないと」「男は結局、若くてかわいい嫁さんが欲しいんだよ」……。 書き連ねたら笑えてくるが、残念なことに、全部私自身が受けた言葉だ。そしてそれを受け流しながら、当時の私は冷や汗をかいて戸惑った。 話が違う。 「25で結婚して30までに子どもを産む」なんて人生設計、これまで誰にも教わってない。聞いていたのは「いい学校を出ていい職に就き、大人として自立すること」だった。 それが今になって、なんだって? 突然違うことを求められたって、どうしろっての? その戸惑いを漏らしてみても、周囲は「そりゃそうでしょう」と薄ら笑いをするだけだった。まるで私一人が、何も分かっていなかったみたいに。 「騙された」 全くもって情けないが、私の正直な気持ちはそれだった。 男と女は同じじゃない。いい学校を出ていい職に就くことなんて、女には求められていなかった。そんな現実は誰も言わないから、耳に綺麗な言葉の羅列を馬鹿みたいに信じ切ってしまった。一生懸命勉強して、鬱になりかけながら就職活動もして。 なんだったんだ、一体。 その時の失望感は少なからず、私のフランス行きの背中を押していたように思う。25で会社を辞め留学した後も、結婚出産プレッシャーのコンボ攻撃は「日本」と接触するたびに私を襲った。ライターとして独立しても、それを労い評価する声より、独り身でいることを憂う声が多く聞こえた。 なので夫と縁があって33で結婚し、35で第1子を授かった時、私は心底ホッとした。これで「アガリ」だ!もうあんなことやこんなことも言われないで済むんだ!と思った。そう思う分だけ、私自身も、日本のダブルスタンダートに毒されていたのだろう。一件落着のような気分になったが、それがまたもや無邪気な勘違いだと気づくのに、さほど時間はかからなかった。すぐ後に、別のワナが潜んでいたから。 「子育て優先だよね?」「子どもが小さいうちは家にいなきゃ」「母乳で育てて、離乳食は手作りでしょ」「保育園に預けるなんて、かわいそう」「辛くたって、子どもが可愛いから大丈夫」「自己犠牲して当たり前。お母さんなんだから」……「いいお母さん強迫症」とでも言いたいような、強烈な波状攻撃だ。 それが子を産む前までの「私」の人生を、根こそぎ帳消しにする勢いで迫って来た。お前は「髙崎順子」から「母親」になったのだ。どうしても仕事を続けたいなら、まず母親として完璧であれ……。 私の体はフランスにあったが、付き合いの輪は日本の方が広く、子育て関連の情報も日本語で集めていた。そのため第1子の乳幼児期は、日本的な「いいお母さん強迫症」の影響をもろに受けた。そして私の心に去来したのは、一件落着したはずのあの思い、「騙された」だった。 いいお母さんになれなんて、誰にも言われたことがなかった。仕事を辞めて子どもとつきっきりで過ごす、そんなやり方教わってない。結婚して子どもを産んでも、それまで通り生活できると思っていた。仕事を続けるのがこんなに大変だなんて、誰も教えてくれなかった……。 どれだけ自分でものを見ず、考えなかったことだろう。与えられた環境と敷かれたレールの上でのうのうと生きてきた自分の、無邪気なバカぶりに泣けてきた。が、それが、偽らざる気持ちだった』、「日本的な「いいお母さん強迫症」」とは言い得て妙だ。
・『実は男も、騙されていた  もしあの時日本に住んでいたら、私は危なかったとよく思う。努力して作り上げた「自立する大人としての自分」と、求められる「いいお母さん像」の乖離で、心か身体、もしくはその両方を壊していたかもしれない。そうならなかったのは、私がフランスに住んでいたからだ。 フランスにも男女差別はあるし、現代にそぐわない父性・母性幻想も存在する。が、それらは過去の悪弊という社会の認識がある。結婚してもしていなくても、子どもがいてもいなくても、みながそれぞれの生を「できるだけ辛くなく」生きられるように。男も女も、等しい人間として。 そのために制度が整えられ、努力が続けられている。私はその社会と制度に救われて、なんとかやってきた。同じ人間でも暮らす社会が変われば、生きにくさはこれだけ緩和されるのだと実感しながら。 その自覚を持ちつつ、少し離れた位置に立って、日本を客観視できるようになったのだろう。去年私はふと、あることに気がついた。私は女として、日本社会に「騙された」と思ってきた。しかしそれは実のところ、男たちも同じだったのではないか、と。 同級生の男の子のほとんどは、私と同様、家に帰れば家事育児をするのは母親だけ、という環境で育っている。父親は仕事仕事で、食事を一緒にするどころか、顔を見る時間もない。 彼らは悲しいことがあっても「男らしくない」と泣くことを許されず、「男は辛くとも堪えて仕事をし、可愛い女房子どもを養うもの」と刷り込まれた。当然、家事や育児を教わるはずもない。それは男のすることではない。 そして就職すれば父親と同じように、男社会の付き合いに長い時間を拘束される。真夏でもスーツとネクタイに身を包み、残業は「やって当たり前」。ところがその一方で、父親の世代とは大きな違いも目立つようになった。献身の代償であった正社員契約も終身雇用も、もはや保証されなくなったのだ。 そんな不安定な中でいざ結婚を考えると、またもや戸惑う要素ばかりが並んでいる。「可愛い嫁さん」になってくれるはずだった女の子たちは、自分と同じように仕事をしている。養ってくれなくていいが、家事も育児も分担だと言う。それを聞いて、彼らはどう思っただろう。 私の知る限りであるが、同年代の男性の多くは親譲りの性別分担家庭モデルを貫き、家事育児は妻に任せている。それは妻が専業主婦でも共働きでも変わらない。 男性優位社会の日本でそうすることは簡単で、円満な家庭ももちろんある。その一方、今や多数派になった共働き世帯の妻たちは過負担で疲れきり、夫への不満を蓄積しているように見える。男性の側は従来通り「仕事だけしていればいい」のかもしれないが、それを彼ら自身は「幸せ」と思っているのだろうか。 もちろん中には働く妻を尊重し、新しいバランスを模索する人もいる。だがそんな彼らを、日本社会はまだまだ異質なものと見る。家族のために行動することで、社会人失格だとなじられる。 女性活躍、女性が輝く社会、男性も家庭に進出しましょうと、立派な看板が立っているにもかかわらず。そこで彼らは戸惑い、失望しなかっただろうか。作り上げて来た自分と、生きなければいけない現実の乖離を感じなかっただろうか。「騙された」と。 そこまで考えて、私はいたく悲しい気持ちになった。女として、私は社会に騙されたと思っていた。男性優位社会で、女だけが生きにくさを強いられているのだと。しかし蓋を開けて見れば、騙されたのは男も一緒。今の日本社会は、男女それぞれにとって、生きにくい場所なのだ。 それは各種の数字データや現象にも表れている。高い未婚率と、過去最少を更新し続ける年間出生数。親世代より低い年収に非正規雇用率の高さ。待機児童問題は依然改善せず、ワンオペ育児の言葉は流行を超えて定着してしまった。前述のグローバルジェンダーギャップ指数で、日本は149カ国中110位。2017年、日本の自殺の7割は男性で、しかも一番多いのは40代だという』、「騙されたのは男も一緒。今の日本社会は、男女それぞれにとって、生きにくい場所なのだ」、鋭い指摘で、確かにその通りだ。
・『男と女が、連携できる社会のヒント  生まれ育った日本社会が、男女にとって生きにくい場所になっている。その認識を持ち、改めてフランスを見ると、男も女も日本よりずっと、生きるのが辛くなさそうだ。高い失業率や重い税負担、階級差の固定など暗い世相は確かにあるけれど、それらは男女の性差に由来しない。 そしてこの状況は偶然の賜物ではない。男女が互いの違いを認め合い、連携して、より生きやすい社会とする工夫や努力を行なっているのだ。家庭から職場、教育現場、政治の舞台に至るまで、あらゆる場所で事細かに。ジェンダーギャップ指数ランク12位は、伊達ではない。 それらの工夫や努力をつぶさに見ていくと、日本にも、ヒントになりそうなものがある。それを伝えていけないだろうかと、私は願うようになった。愛する母国の日本が、男にも女にも、より生きやすい社会になるために。 そんなことを折に触れ話していたら、現代ビジネスが連載の機会を与えてくれることとなった。テーマは、男性と女性がいがみ合わず、より「マシ」な生活を目指して、手を取り合える社会の築き方――言ってみれば「男女連携社会の作り方」だ。第1回では男女の最も大きな違い、妊娠出産を取り扱う。 歴史も文化も異なる国を並べ、先進事例のコピペを促すことには意味がない。が、「他山の石」のことわざ通り、知ることで少しでも、日本のプラスになることがあるのではないか。読む人の発想の転換や、思考を深めるネタになれればーーそう願いつつ、書いて行きたいと思う』、フランスもかつては男性優位社会だったのが、どのようにして変わってきたのか、興味がそそられる。

次に、上記の続き、2月17日付け現代ビジネス「フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由 フランスに探る男女連携社会の作り方①」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59887
・『男女平等を力強く推進し、「グローバルジェンダーギャップ」のランキングを短期間のうちに駆け上がったフランス。本連載「フランスに探る男女連携社会の作り方」は、男女の〈連携〉の在り方を同国に学ぶ。 第1回となる今回は、避妊と中絶について紹介する。フランスでは避妊をする際、ピルを使うなど「女性主導」で行うケースがほとんどだという。日本の感覚とは随分違うが、実はそこに深い理由が隠されていた。 25歳でフランスにやってきて以来、男と女に関して山ほどのカルチャーショックを受けてきた。その中でも安定のベスト3に入るのが「避妊」だ。これは在住20年目の今振り返っても、変わらない。 日本で生まれ育った私にとって、避妊と言えばコンドーム。しかもそれは十中八九、男性が用意するものだった。知識としてはオギノ式(いわゆる「安全日」計算)もあったが、自分で活用したことはない。フランスに行った後も同様で、「避妊と言えばコンドーム」は世界の常識なのだと思い込んでいた。 その思い込みがまったくの誤解だと知ったのは、遡ること14年前。夫と交際を始めた当初のことだ』、確かに、世界的には「避妊と言えばピル」が常識だ。
・『避妊、私がするの?!  彼(現夫)とは移動3時間ほどの遠距離恋愛だった。最初は月に1回だった逢瀬が月に2回となり、付き合い始めて2ヶ月経つ頃には、お互いの家で隔週末を過ごすようになった。そんなある日、まるで食料買出しの相談のように、彼が言った。 「ねえ、ピルはいつから飲むの?」「……?!」 その意味がすぐに理解できなかったのは、私のフランス語能力のせいではない。私はそれまでピルを飲んだことがなく、当時の拙い認識の中では、ピルは生理不順の治療薬だった。生理不順でもない私が、なぜピルを飲まねばならないのか。そしてなぜそれを、男のこの人が言い出すのか。動揺しつつ、なぜ今その話になったかを聞いた。しれっと答えた夫の言い分はこうだった。 ーーお互い性病がない。 ーーお互い恋人同士と認定しあった。 ーーけどまだ君と子どもを持つことは考えられない。遠距離でもある。 ーーそしてセックスはコンドームなしの方がいいに決まっている。 ーーコンドームは感覚面だけではなく、経済的にも手間的にも自分には負担だ。 ーーちゃんと付き合うことになった今だから、この話ができると思った。 そして「フランスでは、ステディな恋人同士になったらみんなピルで避妊するんだよ」と。 当時夫は25歳、私は30歳。25歳の青年が、付き合い始めて2ヶ月で、子どものことまで考えるか?避妊が必要というのは分かるけれど、お前がナマでしたいがために、私が薬を飲むのか? フランス女性の大半はピルを飲んでいる、それは知識としては知っていた。けれど我が身となれば話が違う。女性だけが避妊をするなんて!男の責任はどこにあるんだ!半ば憤慨気味に周囲の女性に相談すると、なんと全員がピル使用者だった。そのうち一人は半ば呆れ気味に私を見て、こう言った。 「あなたねぇ。自分の体のことでしょう。今妊娠して困るのはあなたでしょ?自分は自分で守りなさいよ!」』、「当時の拙い認識の中では、ピルは生理不順の治療薬だった。生理不順でもない私が、なぜピルを飲まねばならないのか」、避妊に関してはウブだったようだ。
・『女性による避妊率71.8%の意味  ピルを飲むことが、なぜ「自分を守る」ことになるのか。当時の私は正直ピンと来なかった。が、二人の子を持った今となっては痛いほど分かる。 子どもは、人生を大きく変える。素晴らしいことも多いが、負担も多い。しかも前回の記事で書いたように、その負担の多くはまだまだ、女性にばかり偏っている。そして子育ては、辛いからと言って「ハイやめます」とは放棄できない、責任重大な案件だ。条件が揃っていない環境での妊娠は、生活の危機にすらなる。 「学業、仕事、生活スタイル。子どもを持つことで、人生の全てが大きく影響を受けます。しかも妊娠は女性の体にしか起こらないこと。だから女性が自分で、コントロールすることが大切なんです」 そう語るのは「フランス女男平等高等評議会」のクレール・ギュイロー事務局長。男女格差是正の観点から政策を監視し、提言する公的機関で、妊娠・出産も重要テーマの一つだ。 女性避妊の重要性は、社会にも浸透している。2016年に15〜49歳の避妊対象女性(妊娠を望まず、かつその可能性のある女性)に行われた調査では、71.8%が自分自身に施す医学的避妊(ピル、パッチ、子宮内避妊具など)を選択。その大半は医療保険の適用範囲内で、自己負担35%で利用できる(日本ではこれらの避妊手段は保険適用外。次回で詳細)。 一方コンドームの使用率は15.5%で、こちらは全額自己負担だ。使用機会の多くは「その相手との初めての性行為」で、避妊だけではなく、性病予防の意味合いが強い。私の夫がプレゼンした「ステディになったらピル」は、データから見ても、フランスでごく一般的な感覚なのだ。 女性避妊の普及は、社会における男女平等の大きな指標でもあると、ギュイローさんは言い添える。 「男性が子孫を増やすには、女性がどうしても必要です。だから人間の長い歴史上、男性優位社会では、女性避妊や中絶はいつも禁止されてきました。自分で産めない男性が確実に子を持つには、女性の出産を支配するしかない。つまり女性が自分で避妊できる、妊娠出産するかしないかを決められる社会は、女性が男性に支配されていない、という証でもあるんです」』、最後の部分は、言われてみれば、その通りなのかも知れない。
・『避妊・中絶が「権利」になるまで  フランスでは避妊だけではなく、人工妊娠中絶も医療保険でカバーされる。 中絶手段は二種類。7週までの妊娠中断薬(ミフェプリストン)、14週までの中絶外科手術を自己負担無料で受けられ、成人女性なら他者の付き添いは必要ない。また性交後72時間以内ないし120時間以内摂取の緊急避妊薬(レボノルゲストレルとウリプリスタル、通称アフターピル)は未成年・医療保険未加入者は無料で、保険加入者は処方箋があれば自己負担35%で入手できる。処方箋なしの場合でも、販売価格は3〜7ユーロと手頃だ。 15〜18歳の未成年の中絶には成人の付き添いが必要だが(近親者でなくとも良い)、緊急避妊薬に限り、街角の薬局や校内医から匿名・無料で入手できる。これは未成年者向けの特別措置だ。妊娠の理由が合意のセックスだけではない以上、「なぜ妊娠してしまったか」よりも、その妊娠が女性の心身・人生に及ぼす影響を重要視するためだ。 とはいえ妊娠・出産が「女性の権利」として確立するまでには、長い時間がかかった。フランスはもともとキリスト教的父権主義が強い、ガチガチの男性優位社会だ。1965年までは、「既婚女性が就職するには夫の同意が必要」というトンデモ法律まであった。 そして驚くべきことに、かつてフランスで避妊は「違法」だった。避妊が合法化されたのは、1967年。先進諸国でウーマンリブ運動が加速化し、フランスでもそれが盛り上がっていた時分だ。が、当時の議会は男性の圧倒的多数で、女性の声はなかなか届かない。そこで避妊合法化が実現したのは、ある男性議員の尽力があった。 その男性議員の名前は、リュシアン・ヌヴィルス。市議として離婚政策に携わり、離婚紛争の大半が「望まない子の出産」から始まることを目の当たりにしてきた。そしてそれをきっかけに、多くの女性と子どもが貧困に陥ることも。 避妊は1920年成立法で禁止され、中絶も違法だった。合法な手段がない中でヤミ中絶が後を絶たず、劣悪な環境で手術を受けた女性の健康問題も深刻だった。自身も娘がいたヌヴィルスは、女性運動団体や科学者、医師の後押しを受け、1966年、法案提出を決意する。 避妊合法化法案はそれ以前にも11回国会提議され、全てが棄却されていた。しかも当時の大統領シャルル・ド=ゴールは保守派で、自身も熱心なカトリック教徒。「ピル? フランスではありえない!」と公に宣言するほど不利な情勢で、ヌヴィルスは戦略的なカードを切る。避妊を倫理や文化面ではなく、「人権」「社会」から語ったのだ』、「避妊合法化法案はそれ以前にも11回国会提議され、全てが棄却されていた」、「当時の大統領シャルル・ド=ゴールは保守派で、自身も熱心なカトリック教徒」にも拘らず、法案提出を決意した議員「ヌヴィルス」は大した人物だ。
・『社会のより良いバランスのために  第二次大戦でフランスを解放したシャルル・ド=ゴールは、女性参政権を実現した大統領でもある。「自由フランス」の象徴を自負する権力者に、ヌヴィルスはこう言った。 「大統領。あなたは女性に選挙権を与えた。今度は彼女たちに、生殖機能を自分で管理する権利を与えてください」 避妊とは女性が、自分の体を自分で管理する権利であるーーそう説かれた大統領は黙り込み、その後、告げた。 「君の言う通り、命を受け継ぐことは重大事だ。熟考の末での行動であるべきだろう。続けたまえ」 大統領のお墨付きをもらったヌヴィルスは、国会で避妊合法化の必要性を「女性の解放・子どもたちの教育環境の改善・社会のより良いバランス」から主張。法案は1967年に可決され、「ヌヴィルス法」と名付けられた。 「妊娠・出産を選ぶ権利」はその後、1975年の中絶合法化で一つのパッケージとなる。しかし中絶の合法化には、避妊よりさらに激しい反発があった。そしてそれを上回る、女性たちの悲痛な声も。 粘り強く合法化を推し進めたのは、当時保健相を務めた女性政治家シモーヌ・ヴェイユ。「昔も今もこの先も、喜んで中絶をする女性は存在しません。中絶は悲劇であり続けるのです」と訴える演説は語り草となっているが、ここにもまた、彼女と共闘する男性政治家がいた。 無法化したヤミ中絶の惨状を看過せず、その原因が半世紀以上前に成立した法にあると明示し、「法を現実に合わせる必要がある」と断言。そうしてヴェイユに中絶法の国会審議を命じたのは、時の大統領ヴァレリー・ジルカール=デスタンだった。 避妊・中絶の両方が合法化されてから、約40年。フランスではこの間に、3人以上の子を持つ家族数が1/3に減った。そして社会全体の相対的貧困率も12%(1970年)から8%(2015年)まで下がっている。両方のデータとも、単純に「避妊・中絶合法化のおかげ」と言うことはできない。だが、その背景に「女性が妊娠しない権利」の確立があったことも、確かな事実だ。 ではこうしたフランスの視点から日本の現状はどのように見えるのか。次回は、フランスと日本の違いについて考える』、「避妊とは女性が、自分の体を自分で管理する権利である」と説かれたド=ゴール大統領が了解、その後中絶の合法化を進めるよう指示したジルカール=デスタン大統領、いずれも保守派だが必要とあれば、改革を認めるとはフランス政治の懐の深さを表しているような気がする。

第三に、上記の次の次、4月5日付け現代ビジネス「「妊娠は病気じゃない」の意味、日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63926
・『・・・妊娠は病気じゃないんだから甘えるな  「おめでたですね」 医師が妊娠を告げるシーンで使われる、この定番の表現が私は苦手だ。私自身子どもが二人いて、彼らに恵まれたことは幸運だと思っている。が、そのための妊娠出産体験には、苦しい思い出が多いからだ。 私はフランスで妊娠、出産したが、妊娠中は不定愁訴の連続だった。始終うっすら吐き気のするつわりが数ヶ月続き、お腹が出始めると股関節神経痛に見舞われ、歩くたびに激痛が走った。 おまけに妊娠期間特有の糖代謝異常「妊娠糖尿病」も罹患していた。後期は胎動が激しく夜も熟睡できない。とにかく全身のどこかが常に、しんどかった。それでも胎児の成長は順調で、妊娠糖尿病以外は「正常な妊娠」の範疇だった。 しんどいのは体だけではない。お腹の子に何かあっては、との不安から、転倒の危険がある階段の上り下りでは毎回緊張した。一度流産をしてからは、トイレに行くたびに出血が不安で肝を冷やした。 何かあったら傷つくのは、私と胎児だけではない。子の誕生を待ち望む家族を横目に、責任感で泣きたい気持ちになったのは、一度や二度ではなかった。つくづく、私にとって妊娠は「めでたい」だけではなかったのだ。 妊娠中、そんなしんどさを祖母に漏らしたことがある。すると国際電話の向こうの祖母は、語気を強めてこう言った。 「妊娠は病気じゃないんだよ。大げさな子だねぇ。甘ったれたことを言って!」 とっさに私は何も言い返せず、モゴモゴと言葉を濁して話を変えたように思う。その言葉の衝撃は強烈だった。そして衝撃が過ぎた後は、ひたすら悲しかった。この辛さが「甘ったれたこと」だって? 妊娠は病気じゃないなんて、誰が言ったの? 心も体もこんなにしんどいのに!』、「妊娠は病気じゃないんだよ」との祖母の言葉は、元気づけのため発破をかける日本人のおばあさんらしい。
・『妊婦のしんどさを理解しているフランス社会  祖母の発言が衝撃だったのは、私がそれに慣れていないせいもあった。フランスでは、妊娠出産に伴う不調や辛さを訴えて、祖母のような対応をされたことは一度もなかった。いや、より正確を期すなら、前半は同じだったが、後半が正反対というくらい違った。 フランスでも「妊娠は病気ではない」の認識は一般的だ。しかしそのあとは「だから大変だね」と続く。最初の妊婦健診で産婦人科医に受けた説明から、バスや地下鉄の中、スーパーマーケットのレジ待ちの列に至るまで。 妊娠は病気じゃない。だが、いつ重大事になってもおかしくないリスクを伴い、不快な症状も治療できないものが多い。それらは無事出産が終わるまで、どうしようもないことだ。そりゃあ大変だね。なるべく負担は少ない方がいいね、と。 妊娠をめぐる制度面でも、同じ認識をいつも感じた。妊婦健診と分娩関連費は全額、国民医療保険の対象で、立て替え支払いもない。つまり、自己負担はゼロだ。 妊娠6ヶ月からは、妊娠に関係ない疾病の医療費も全額、医療保険でカバーされ、これもやはり自己負担はない。国内の出産施設の7割は保険適用範囲内の公立病院だ(公立は自己負担ゼロ。私立病院では、部屋代やエコーなど基本医療費以外の料金が追加されることがある)。 公立病院の部屋や食事は平均的な疾病入院と同様かなりシンプルだけれど、医療面や安全面で問題はなく、助産師の育児サポートもしっかりしている。 ちなみに出産の際の無痛分娩(硬膜外麻酔)は90年代から妊婦の全員の「産科医療の権利」となり、こちらも自己負担はゼロで選択可能だ。2016年の調査では、経膣分娩(お産全体の約8割)の79%が無痛分娩だった。 それらの医療費の公的負担に加えて、子ども一人当たり12万円ほどの出産祝い金が支給される。 そんな環境で妊娠出産を経る間、「しんどさが、社会に理解されている」と、私は感じていた。その上で妊婦の負担をできるだけ減らせるよう、制度が作られているのだと』、なるほど、よく出来た考え方や制度のようだ。
・『日本の社会は妊婦に冷たい?  祖母の発言とフランスの環境を話すと、日本の知人たちはほぼ同じ反応をする。祖母の発言に関しては「まぁそうだろうね」「自分も言われた」。そしてフランスの社会や制度に関しては「羨ましい」だ。 「おばあちゃんならまだいいじゃん。私それ、自分の夫に言われたよ。産婦人科の待合室で、同伴した夫が堂々と座ってたりするしね」 「妊娠すると迷惑、ってあからさまに言う職場もあるよね。なんで今したんだ、とか責められたり。マタニティマークが嫌味だ特権だ、って言う人もいるんだよ」 「立て替え払いがないだけでも本当に羨ましい。出産の時は20万円くらい追加で払ったし、検診だって毎回5000円は飛ぶんだよ。ほら、妊娠は病気じゃないから」 日本の妊娠生活のしんどさを友人知人から聞くと、私はなんとも不思議な思いに駆られてしまう。彼女らの言うことはメディアでもよく目にしてきたし、都内在住の知人には、分娩費用だけで100万円近くかかった人もいる。 しかし一方で、漫画『コウノドリ』を愛読する私は、日本の周産期医療が世界トップレベルだとも知っている。 祝膳や母乳マッサージのような周辺サービスも充実しているし(どちらもフランスにはない!)、医療関係者の対応の細やかさは、フランスの確かだけども大らかなケアを受けていた私の方が羨ましいくらいだ。補助金などの制度面でも、日本の妊娠出産支援は決して貧しいわけではない(後述)。 その一方で、一般社会の妊婦に対する認識や態度は厳しい。日本労働組合総連合会が2015年、妊娠出産を経験した働く女性1000人に行った調査では、5人に一人が職場で「不利益な取り扱いや嫌がらせを受けた」と答えている。「妊娠は病気じゃない、甘えるな」の反応は、時代錯誤の少数派ではない、目の前の現実だ。 フランスでは、社会風潮と医療・行政のあり方が「妊婦支援」で一致している。しかし日本ではそれが、完全に分裂してしまっている。医療・行政は妊婦をフォローしているのに、社会は妊婦を突き放す。どうしてこんな奇妙な事態になってしまったのだろう。 日本とフランスのこの違いは、一体、どこから来ているのだろうか』、日本では企業をはじめ、社会が「妊婦に冷たい」のは残念ながら確かだ。
・『妊娠は病気ではない、それで? 〜フランスの場合〜  世界トップレベルの周産期医療で妊婦をフォローしながら、妊婦に厳しい日本社会。その不思議現象の軸にいつもあるのが、「妊娠は病気ではない」という考え方だ。フランスもそれは同じだと前述したが、妊婦に対する社会の姿勢は全く違う。日本とは、何が異なっているのだろう。 「確かにフランスでも妊娠は、疾病とは定義されていません。しかし、密な経過観察の必要な『一時的に脆弱な状態』とされています。乳幼児と同じ分類ですね」 そう答えたのは、フランスの医療行政を司る保健省の担当者だ。 「妊婦の脆弱さが一番強く現れるのは、やはり健康面。なのでフランスの社会保障法典では、妊娠の「リスクと帰結に対し、医療関係諸費を国の社会保障制度が担う」と明記されています」 フランスは国民皆保険制度、かつ正当に滞在する外国人も受益者と扱うので、国内で妊娠した女性はほぼ全員が、同じ権利を持つことになる。「妊娠・出産を国の医療保険がカバーするべき理由も、多岐に渡っているのですよ」と前置きしつつ、担当者はフランス行政の妊娠出産に対する公式見解を、簡潔に教えてくれた。
 ー 周産期の母子には、重大な健康上のリスクがあり、それが医療で効果的に予防できる
 ー 妊娠出産を予防的にケアすることは、医療経済的に効率が良い。
 ー 生殖と妊娠に関して、女性たちの機会の平等には配慮が必要。それは新生児期から始まる子の医療ケアでも同様である。
「フランスは第二次大戦後、人口回復のために出生を増やしたいという国の強い意志がありました。妊娠出産をめぐる制度設計に、その意思が影響したことは大きいですね」 最初の妊婦支援は補助金の支給、いわゆる「現金給付」から始まった。しかしそれでは、居住地域や行ける施設によって、受けられる医療に格差が生まれてしまう。国内の女性に同じ権利を与えるためには、各地の医療環境を揃える必要があるのだ。 そのため80年代より、仏全土で分娩全般の医療化と環境整備が進められ、90年代に女性政治家シモーヌ・ヴェイユが保健相となった際には、無痛分娩を含めた妊娠出産の必須医療環境を無償で与える「現物給付」の形になった。 「金銭ではなく支援環境を与える「現物給付」は、インフラ整備の手間も時間もかかります。が、周産期の母子のリスクをできるだけ広く均一にカバーし、予防診療を行うためには必要と、政治的意思で進められました」 経験者として、フランスの医療環境、特に出産入院に関しては、快適度は日本より低いと感じる。しかし誰もが自己負担ゼロでアクセスできる範囲が広く、その質も揃っている点は、私にはとても安心だった。 特に妊娠中は疲労や不安が強く、「医療を選ぶ」という成人として当たり前の作業すら、負担になる時期だったから。医療費の立て替え払いが一切ない、ということも、なんだかんだとお金のかかる妊娠出産時期には、心の余裕に繋がっていた』、「第二次大戦後、人口回復のために出生を増やしたいという国の強い意志がありました」、これだけ考え方や制度を整備してきたのは、さすがだ。日本では少子化が問題になってからも、殆ど何もしてないのは大違いだ。
・『妊婦は弱い存在と、法律が定めている  保健省の担当者と話しながら、一つの疑問が頭に残った。制度作りの考え方は分かった。しかしなぜ妊婦を「乳幼児と同じ、弱い存在」とし、その全員を医療保険に入れることができたのか。その点にモヤモヤが残ったのだ。 健康リスクの中でも、妊娠出産は女性の体だけのものである。国民のもう半分である男性にはないものだ。しかもフランス政界はつい10年前までかなりの男性優位社会で、行政の意思決定機関は男性ばかりだった。なぜフランスの男性たちは、自分には一生来ないリスクを、そこまで重要視することができたのだろう。 それを問うと担当者はキョトン、とした顔をして「繰り返しますが、政治がそう望んだ、ということです。当時の保健大臣は女性でしたし」と答えた。いやそれは分かるが、と食い下がり、日本のマタハラの現状などを伝えた。すると担当者はようやく質問の意図を理解したようで、「法律です」と続けた。 「妊婦は社会的弱者で、国民みんなが守らねばならない。そう法律で決められていますから」 その一例に、日本の刑法に当たる「フランス刑法典」の434-3条がある。 ここで妊婦は、未成年・障害者・高齢者・病人と並び、『自らの身を守ることのできない者』と定められている。彼らへの虐待・侵害・暴行は法律違反で、それを知ったすべての人は、司法または行政当局へ通報しなければならない。通報義務を怠った人には、3年以下の禁固刑または45,000ユーロ(約560万円)以下の罰則付きだ。 また外見や性別、出自などによる差別を禁止する刑法第225-1条の中にも、妊娠が列挙されている。加えて、雇用主に妊娠を理由にした不当な扱いを禁じ母体保護を命じる労働法と、医療費を社会保険でカバーする社会保障法が整備されている。 フランスの「妊娠は病気ではない」に続く「だから大変だね」の社会的な認識は、「妊婦」の法的な定義を基盤に培われたものだ。男女の性別の違いや、その妊娠が順調かどうかは関係ない。「妊娠している」という事実だけで、未成年や障害者、高齢者と同じ、社会の中の「守るべき弱者」となる。それゆえに国の医療保険に取り込むのが当然、という論理だ』、「妊婦」を各種の法律の中で、「社会の中の「守るべき弱者」」としたのはさすがだ。
・『妊娠は病気ではない、それで? 〜日本の場合〜  一方の日本では、妊産婦の保護を母子保健法・労働基準法・男女雇用機会均等法の法律で定めている。が、フランスの刑法典のように、一般社会全体で妊産婦を「弱い、守られるべき存在」と定義する文章は、私が調べた限りでは見つかっていない(ご存知の読者がいらしたらぜひご教示ください)。 例えば、妊産婦と乳幼児の扱いを定める基本法「母子保健法」を見ても、「妊娠」と「弱さ」を結びつける記載はない。 第一条にある法律の目的には、「母性並びに乳児および幼児の健康保持および増進を図るため」。つまり妊婦とはもともと健康であることが前提で、この法律はそれを保持・増進するためにある、という認識だ。妊婦を「脆弱」とするフランスとの違いは、大きい。 もう一つ象徴的な例に、妊婦向けに健診を促す厚労省の「妊婦健診を受けましょう」という小冊子がある。 そのQ&Aの一つ目、妊婦側の質問はこうだ。「そもそも、なぜ妊婦健診を受ける必要があるのかしら。妊娠は病気じゃないのに…」。それに対する回答は「妊婦健診は、妊婦さんや赤ちゃんの健康状態を定期的に確認するために行うものです」と、妊婦の脆弱性には触れていない。フランスのように「病気じゃないけど普段より弱い状態なので、観察が必要です」ではなく、ただ「健康状態を確認しましょう」と言っている。 日本の法律や公的な資料では、妊婦は基本的に「健康である」とのスタンスがある。妊娠出産は問題なく正常に進むのがデフォルトで、その間の様々な体調不良は基本的に、妊婦が「不快」と感じる主観的な症状という扱いだ』、どうも日本が遅れているのは、政治、企業や社会だけでなく、医学会も遅れているのではという気がしてきた。
・『二本立ての支援システム  日本で「妊婦は健康である」という前提が浸透していることは、補助制度にも現れている。 前述の通り、フランスがすべての妊婦を脆弱な存在であると考え、医療の「現物給付」を行っている(医療保険の対象としている)のに対し、日本では妊婦は「健康(正常)」であることをデフォルトとし、そこに「異常」が発生した時だけ医療を「現物給付」(つまり、医療保険を適用)しよう、という原則だ。  しかし実際、妊婦の体は完全な健康体ではない。妊娠出産が女性の体に及ぼす影響は国が変わろうと同じで、世界のどこでも、医療者の観察とケアが必要だ。「妊婦は健康である」との前提は、現実とは齟齬がある。 日本にも幸い、医療や行政の現場にはその齟齬を認識する人々がいて、「現物給付」以外の方法で妊婦を支援する制度が整えられてきた。 例えば経過観察の妊婦健診は医療保険対象外で、原則的に全額自己負担だが、補填制度がある。自治体が診療チケットを支給しており、提携医で受診し支払い時にそれを出せば、立て替え払いが必要なくなるシステムだ(自治体や施設によっては追加の自己負担もある)。 同じく「正常な」お産は医療保険の対象外だが、その費用を賄うために医療保険と同じ財源から、出産一時金(42万円)の給付がある(それを分娩施設が直接受け取る形にすれば、出産入院時の立て替え払いもない)。 どちらも現金(もしくはそれに類する診療券)を給付するシステムで、妊婦のデフォルトである「正常」で健康な人を、二本立てで支援している。 そして一度医学的に「異常」が発生すると、医療保険の対象内に取り込む仕組みだ』、なるほど。
・『「正常なお産」と「異常なお産」  「正常」と「異常」で妊娠の扱いが変わるこのシステムは、日本の医療現場ではどのように機能しているのだろう。 「産婦人科医が、一つ一つの医療行為について、これは私費、これは保険適応の医療行為と判断しています。すべて保険適応になったほうが、現場は助かりますね」都内のある産婦人科医はそう答える。 そもそも日本では、なぜ最初から、あらゆる妊娠出産を医療保険の対象としなかったのか。どうして「正常」と「異常」で、保険適用にする・しないと分ける制度になったのか。単純な疑問を抱くのは、私だけではないだろう。フランスのような例を知ると、なおのこと。 産科医療の歴史を説く資料類には、その理由が明記されている。日本の妊産婦は医学的見地から「正常」と「異常」の二種類に区別され、まずその区別ありきで、現状の制度が整えられて来たとのことだ。 歴史上、出産は自宅で、産婆など女性たちの助け合いで行われてきた。安産なら万々歳だが、異常があれば母子の生死に直結する。その救命に医師が迅速に介入するため、出産を自宅外の施設で行うようになったのは、第二次大戦後のこと。 例えば昭和25年当時は、妊産婦の250人に一人が死亡していた。現在でも「妊産婦の死に直結するリスク」は250分の一とほぼ同じだが、周産期医療によってそのうちの99%が救命されている。産科医療は「異常なお産」のために発展したものなのだ。 「正常なお産」の方は明治以降、資格化・医療技能化が進められ、現在は主に助産師という医療職が担っている。が、助産師が扱う「正常なお産」は、医療保険の対象ではないとされてきた。なぜなら、医師が介入しないから。 そこで用いられたのが「医師の必要ない正常なお産は、健康な自然現象である」との見解だ。同じ妊娠出産という現象でも、医学的に「正常」か「異常」かで、制度上の括りが大きく変わる理由はここにあるのだ。 日本でも、全ての妊娠出産を区別せず、ひっくるめて医療保険対象とする議論は、過去にも何度もなされてきた。しかしその度に叶わず、現在の仕組みに至っている。その歴史や経緯の報告・研究はいくつもあり、無料で読めるものとしては大西香世氏の論考が分かりやすい。ご興味のある方には是非、ご一読を勧めたい』、「日本でも、全ての妊娠出産を区別せず、ひっくるめて医療保険対象とする議論は、過去にも何度もなされてきた。しかしその度に叶わず、現在の仕組みに至っている」、その経緯を調べた「大西香世氏の論考」を一度、目を通してみたい。
・『命に関わらなければ「正常」なのか  医学的な見地で「正常なお産」と「異常なお産」を分け、フォローの枠組みが変わる日本の線引きは、一見とてもクリアだ。そして現在ではそのどちらにも、支援制度がある。 しかし、実際に妊娠出産を経験したものとしては、この「医学的に正常か、異常か」の線引き自体に、どうしても、苦々しい思いを抱いてしまう。 前述した通り、「医学的に正常」であっても、妊娠は女性にとってしんどいものだ。妊娠前には軽傷で済んだ感染症や転倒が引き金で、胎児死亡や母体の大出血に繋がる可能性は、どんな妊娠にもある。妊娠はそれ自体が、命に関わるハイリスクへの入り口なのだ。「異常」が起きていないときですら。 そして医学的見地ではなく、女性の体を人生全体から俯瞰するなら、妊娠出産こそ「異常期間」と私は思う。これは妊娠出産を経験した人なら、多く賛同してもらえる実感だろう。 妊娠中の9ヶ月間の体はあなたにとって「正常」でしたか「異常」でしたか? 「健康」でしたか「弱って」いましたか? そう問われて、迷わず「正常」「健康」と答えられる女性は、一体どれだけいるだろう。実際、月に一度の定期検診が必要なくらい、妊娠中の女性の体はそれまでとは違うのだ。 そしてこの「正常」と「異常」で妊娠を分ける観点こそが、日本社会の妊婦への無理解・不寛容と繋がっているように、私は感じてしまう。「正常な妊娠」が医者の介入の必要ない、医療保険の対象にもならないものなら、配慮の必要はないだろう。「甘ったれたことを言うな」という風に。 しかも妊娠出産に関係ない人々は、その冷たいスタンスを疑問に思うこともないのだ。彼らは国の制度が表すように、「妊娠は健康な自然現象」と思っている。だから配慮する理由も必要も感じない。異常じゃなければ正常、それが妊娠なのだから、と』、こうした日本の遅れた考え方を変えてゆくには、女性の有力議員が動く必要があるが、野田聖子、稲田朋美などではやはり期待薄だ。
・『社会から妊娠のしんどさを減らすには  妊娠はしんどい、でも社会はそれを理解しない。そんな状況では、少子高齢化も致し方ないように思えてしまう。しかしそれを放置しては、日本は先細りの一方だ。この状況を変えて行くには、どうすればいいだろう。 一番のキモは、「妊娠は病気ではない」に続く、「だから健康だ」との固定観念を変えて行くことだと、私は思う。そしてその方策を思案すると、「男女連携」というこの連載のテーマに思い至る。 「妊婦の苦しさを理解しない社会」の半分は男性で構成されており、その社会の仕組みを作る意思決定層の大多数も、男性だ。そして現時点で、彼ら男性の子をしんどい思いで妊娠出産するのは、男性自身ではない。それができるのは女性だけだ。 「妊娠はしんどいのだ。妊娠しているだけで、女性の体はいつもより弱くなり、正常な状態ではないのだ」。全世界共通の妊婦のリアルをまず、日本社会全体が認める。それを受けて意思決定現場で男女が連携し、妊婦の脆弱性を、あらゆる場面に反映していく。 法律や制度の変更に時間と労力がかかるなら、まずは妊婦を囲む一人一人の考え方から、変えていけないだろうか。産婦人科の待合室で席を立つ男性が一人増えれば、そこに座ってしんどさを軽減できる妊婦も一人、増えるのだ。 フランスで妊婦を「守るべき、弱い存在」と法律で決定し、医療保険で全額負担する仕組みを作ったのも、男性多数の現場だった。文化も歴史も異なる国と同じやり方はできないが、その発想や考え方を「他山の石」とすることはできる。「妊娠は病気じゃない。甘ったれるな」の呪いに傷ついた一人として、私はその変化を、切実に願っている』、身近な人間の行動を変えてゆくのは、やはり社会風潮の変化が必要だ。残念ながら時間はかなりかかりそうだ。
タグ:「妊娠は病気じゃないんだよ。大げさな子だねぇ。甘ったれたことを言って!」 社会から妊娠のしんどさを減らすには 法律や制度の変更に時間と労力がかかるなら、まずは妊婦を囲む一人一人の考え方から、変えていけないだろうか 日本の法律や公的な資料では、妊婦は基本的に「健康である」とのスタンスがある。妊娠出産は問題なく正常に進むのがデフォルトで、その間の様々な体調不良は基本的に、妊婦が「不快」と感じる主観的な症状という扱いだ 妊婦健診 日本労働組合総連合会 妊娠すると迷惑、ってあからさまに言う職場もあるよね。なんで今したんだ、とか責められたり 日本の社会は妊婦に冷たい? 妊婦のしんどさを理解しているフランス社会 フランスの社会保障法典では、妊娠の「リスクと帰結に対し、医療関係諸費を国の社会保障制度が担う」と明記 しんどさを祖母に漏らした 妊合法化法案はそれ以前にも11回国会提議され、全てが棄却されていた 合法な手段がない中でヤミ中絶が後を絶たず、劣悪な環境で手術を受けた女性の健康問題も深刻だった ある男性議員の尽力 避妊が合法化されたのは、1967年 男女が互いの違いを認め合い、連携して、より生きやすい社会とする工夫や努力を行なっているのだ。家庭から職場、教育現場、政治の舞台に至るまで、あらゆる場所で事細かに 女性が自分で避妊できる、妊娠出産するかしないかを決められる社会は、女性が男性に支配されていない、という証でもあるんです 日本で生まれ育った私にとって、避妊と言えばコンドーム。しかもそれは十中八九、男性が用意するものだった 「フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由 フランスに探る男女連携社会の作り方①」 避妊、私がするの?! 安定のベスト3に入るのが「避妊」だ 男と女に関して山ほどのカルチャーショックを受けてきた 妊娠中は不定愁訴の連続 妊娠は病気じゃないんだから甘えるな 「「妊娠は病気じゃない」の意味、日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント」 フランスでは避妊だけではなく、人工妊娠中絶も医療保険でカバーされる 背景に「女性が妊娠しない権利」の確立があった ヴェイユに中絶法の国会審議を命じたのは、時の大統領ヴァレリー・ジルカール=デスタン 確かにフランスでも妊娠は、疾病とは定義されていません。しかし、密な経過観察の必要な『一時的に脆弱な状態』とされています。乳幼児と同じ分類ですね 命に関わらなければ「正常」なのか 女性政治家シモーヌ・ヴェイユ 中絶の合法化 避妊・中絶が「権利」になるまで 経膣分娩(お産全体の約8割)の79%が無痛分娩 出産の際の無痛分娩(硬膜外麻酔)は90年代から妊婦の全員の「産科医療の権利」となり、こちらも自己負担はゼロで選択可能だ 妊娠6ヶ月からは、妊娠に関係ない疾病の医療費も全額、医療保険でカバーされ、これもやはり自己負担はない 妊婦健診と分娩関連費は全額、国民医療保険の対象で、立て替え支払いもない。つまり、自己負担はゼロだ いつ重大事になってもおかしくないリスクを伴い、不快な症状も治療できないものが多い。それらは無事出産が終わるまで、どうしようもないことだ。そりゃあ大変だね。なるべく負担は少ない方がいいね、と フランスでも「妊娠は病気ではない」の認識は一般的だ。しかしそのあとは「だから大変だね」と続く 妊娠は病気ではない、それで? 〜フランスの場合〜 避妊とは女性が、自分の体を自分で管理する権利であるーーそう説かれた大統領は黙り込み、その後、告げた。 「君の言う通り、命を受け継ぐことは重大事だ。熟考の末での行動であるべきだろう。続けたまえ」 時の大統領シャルル・ド=ゴールは保守派で、自身も熱心なカトリック教徒。「ピル? フランスではありえない!」と公に宣言するほど不利な情勢 髙崎 順子 フランスでは、ステディな恋人同士になったらみんなピルで避妊するんだよ 女性による避妊率71.8%の意味 (その10)(在仏ライター 髙崎 順子氏のシリーズ:フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽、フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由、「妊娠は病気じゃない」の意味 日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント) 「フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽 私たちはみんな「騙されていた」のか」 女性活躍 グローバルジェンダーギャップ あなたねぇ。自分の体のことでしょう。今妊娠して困るのはあなたでしょ?自分は自分で守りなさいよ!」 当時の拙い認識の中では、ピルは生理不順の治療薬だった。生理不順でもない私が、なぜピルを飲まねばならないのか 女性だけが避妊をするなんて!男の責任はどこにあるんだ! 71.8%が自分自身に施す医学的避妊(ピル、パッチ、子宮内避妊具など)を選択。その大半は医療保険の適用範囲内で、自己負担35%で利用できる 妊娠出産を経験した働く女性1000人に行った調査では、5人に一人が職場で「不利益な取り扱いや嫌がらせを受けた」と答えている 「正常なお産」と「異常なお産」 フランス フランスはもともとキリスト教的父権主義が強い、ガチガチの男性優位社会だ ここ10年で、このランキングを30位以上駆け上がった お前は女だ、男と違うんだと、思い知らされる毎日。音を立てて幻想が崩れ落ちる中、さらにダメ押しの一撃がやってくる。「25で結婚、30までに出産」というアレだ』 結婚・出産プレッシャーと「いいお母さん」へ強迫 全世界共通の妊婦のリアルをまず、日本社会全体が認める。それを受けて意思決定現場で男女が連携し、妊婦の脆弱性を、あらゆる場面に反映していく 「勉強をして、いい学校に行って手に職をつけて、自立すること」 「母親が留守にする異常事態」へのご心配がしばらく続く 「騙された」 全くもって情けないが、私の正直な気持ちはそれだった 149ヵ国中12位のフランス 男と女が、連携できる社会のヒント 「働く」ことが、女子学生の将来設計の基本 「いいお母さん強迫症」とでも言いたいような、強烈な波状攻撃 男だろうが女だろうが、親は親 大きな特徴は、男性も「男女平等の社会」が自分たちにとって有益だと認識し、制度改革を力強く推進してきたということ 男も女もない、はずだった 蓋を開けて見れば、騙されたのは男も一緒。今の日本社会は、男女それぞれにとって、生きにくい場所なのだ 男と女は同じじゃない。いい学校を出ていい職に就くことなんて、女には求められていなかった。そんな現実は誰も言わないから、耳に綺麗な言葉の羅列を馬鹿みたいに信じ切ってしまった 必然的に共働き世帯が多く、その分、父親も当たり前に育児をする 下の子が義務教育就学年齢の満3歳になってからは、私が1週間以上の出張や日本帰省に出ることも増えた 父親も母親も等しく一人の人間という、男女平等の意識 「母子保健法」を見ても、「妊娠」と「弱さ」を結びつける記載はない 子どもを持つことで、人生の全てが大きく影響を受けます。しかも妊娠は女性の体にしか起こらないこと。だから女性が自分で、コントロールすることが大切 妊娠は病気ではない、それで? 〜日本の場合〜 その負担の多くはまだまだ、女性にばかり偏っている 避妊が必要というのは分かるけれど、お前がナマでしたいがために、私が薬を飲むのか? 子どもは、人生を大きく変える。素晴らしいことも多いが、負担も多い フランスは第二次大戦後、人口回復のために出生を増やしたいという国の強い意志がありました。妊娠出産をめぐる制度設計に、その意思が影響したことは大きいですね 現代ビジネス
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欧州(その5)(現代版シルクロードはローマに通ず マルコ・ポーロの逆を行く中国とイタリアの合意、政治経験のないコメディアンがウクライナ大統領選で圧勝できた理由、欧州を席巻する子供デモは「チコちゃん現象」かもしれない 子供に叱られて喜ぶ大人たち) [世界情勢]

欧州については、昨年6月11日に取上げた。久しぶりの今日は、(その5)(現代版シルクロードはローマに通ず マルコ・ポーロの逆を行く中国とイタリアの合意、政治経験のないコメディアンがウクライナ大統領選で圧勝できた理由、欧州を席巻する子供デモは「チコちゃん現象」かもしれない 子供に叱られて喜ぶ大人たち)である。

先ずは、4月18日付けダイヤモンド・オンラインが、米紙WSJ記事を転載した「現代版シルクロードはローマに通ず マルコ・ポーロの逆を行く中国とイタリアの合意」を紹介しよう。筆者はカナダ在住のライターのロンディ・アダムソン氏。
https://diamond.jp/articles/-/199077
・『あなたが語学を学ぶ大学教授が洗練されたファッションの仕上げに日替わりで小粋なスカーフを巻いていたら、イタリアの大学に通っていると実感するだろう。また、ほぼ全員の教授がどこかの時点で、大抵は恨みがましい口調で次のように語るならば、ここはイタリアの大学だと思い知るだろう。第2次世界大戦後に「マーシャルプラン」(米国の推進した欧州復興支援計画)の資金がイタリアの中道右派、キリスト教民主を支えるのに使われ、そのために彼らが何十年も権力の座に居座り、同国に左派政権が誕生するのを妨げたというのだ。 筆者はここ数年、同国中部ペルージャにある大学でイタリア語を勉強している。時には1カ月滞在し、時にはもっと長いこともある。それは楽しくもあり屈辱的な経験でもある。同じクラスには他にも40代を過ぎた学生や欧州の年金生活者が少しはいるが、多くの在校生は外国留学プログラムで派遣された中国人の大学生たちだ。筆者が2月に受講していた上級レベルのクラスメートはおよそ70%が中国人だった。筆者の指導教官の一人はこれを「中国の侵略」と呼んだ。イタリア人はポリティカル・コレクトネス(政治的・社会的に差別や偏見がないこと)をめったに気にかけない。 大学側はこうした学生を頼みとしている。彼らの多くは中国・イタリア学術交流プログラム「マルコ・ポーロ」の一環でイタリアを訪れる。一方で、イタリアはインフラ投資を必要としている。先進7カ国(G7)の中で中国の広域経済圏構想「一帯一路」に参加する最初の国となったのもイタリアだ。この構想はある意味、マルコ・ポーロの逆を行く取り組みだといえる』、「上級レベルのクラスメートはおよそ70%が中国人」とは驚かされた。ここまで中国が進出しているのであれば、「一帯一路」への参加も頷ける。
・『未来を見据えた裕福な中国で生まれ育ったクラスメートたちは、頭脳明晰で開放的、かつ野心に満ちている。彼らがイタリア的なものを何でも楽しみ、すぐ取り入れるのを見るのは愉快だ。彼らの多くはクラスメートや教師にわかりやすいイタリア名を名乗っている。彼らが将来イタリアや中国で働くか、両国の橋渡しをすることは容易に想像できる。大半は成功した教養のある家庭の出身で、今も中国特有の神話を信じている。それが何より顕著となったのは、あるクラスで毛沢東の名が挙がったときだ。(筆者を含む)中国人以外の学生の一部が彼に対する批判を口にした途端、めったにない本物の緊張の瞬間が訪れた。 「一帯一路」合意を支持するイタリア人にとって、中国の政治システムは問題ではない。多くの人々が信じるのは、欧州連合(EU)は自分たちを見捨てたのだから、イタリアはよそに目を向ける必要があるということだ。イタリアの公的債務は国内総生産(GDP)比で約130%の水準にあり、若者の失業率は33%に達する。筆者がカナダから来たと告げると、必ずカナダ移住についての質問攻めに遭う。「仕事はあるのか?」「冬はそんなに寒いのか?」などだ。そして最もイタリア人らしいのがこの質問。「誰か裏から手を回してくれる人を知らないか?」』、「欧州連合(EU)は自分たちを見捨てたのだから、イタリアはよそに目を向ける必要がある」とのイタリア人の言い分には、もはやEU創設国としての誇り捨て去ってしまったようだ。
・『米国もEUもイタリア政府が中国の地政学的影響力拡大に手を貸す決断をしたのを快く思っていない。すでに中国国有企業によるイタリアの主要な港――トリエステ、ジェノバ、パレルモなど――の管理運営または出資についての協議が始まっている。イタリアの一帯一路首席交渉官の一人、ミケーレ・ジェラチ氏はそうした苦情に対し、「嫉妬」によるものだとはねつけた。 「懸念」がより正確な言葉かもしれない。筆者はイタリア人もいくらかは懸念を感じているはずだと思う。マーシャルプランを押しつけがましいと感じる彼らにとって、この新たなシルクロードを通じて何がやってくるかは分からないのだ』、「中国国有企業によるイタリアの主要な港の管理運営または出資についての協議」の行方が当面の注目点だろう。

次に、ジャーナリストの仲野博文氏が4月23日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「政治経験のないコメディアンがウクライナ大統領選で圧勝できた理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/200477
・『ウクライナで21日に行われた大統領選挙の決選投票は、政治経験の全くない41才のウォロディミル・ゼレンスキー氏と現職のペトロ・ポロシェンコ大統領による対決となったが、決選投票前に複数のメディアが伝えた通り、ゼレンスキー氏の圧勝という結果に終わった。2014年に親ロシア派のヤヌコヴィッチ政権が市民デモによって崩壊し、それから間もなくして行われた選挙で大統領に選ばれたポロシェンコ氏だが、就任時に期待されていた経済再建や汚職の撲滅を成功させたとは言えず、多くのウクライナ人有権者が不満を抱えていた。新しく大統領に選ばれたゼレンスキー氏は国内の人気テレビドラマで大統領を演じてきた喜劇役者だが、75%近くの票を得た彼の圧勝は、有権者が抱く希望なのか、それとも諦めなのか』、コメディアンが圧勝とは、政治不信の「諦め」なのだろう。
・『39人が立候補する乱戦 1、2位による決選投票で決着  もともと大統領選挙は3月31日に実施されたが、実に39人が立候補する異例の展開になった。ゼレンスキー氏やポロシェンコ氏以外にも、元首相のユリヤ・ティモシェンコ氏や元副首相のユーリ・ボイコ氏らが次期大統領の座を狙って出馬。先月31日の選挙ではゼレンスキー氏が約30.2%の得票率でトップを獲得、ポロシェンコ氏は15.9%で2位という結果に終わった。ウクライナの法律では、大統領選挙で得票率の過半数を制する候補者が出なかった場合は、2位につけた候補と決選投票を行わなければならず、今月21日にゼレンスキー氏とポロシェンコ氏による決選投票が行われることになったのだ。 決選投票とはいうものの、過去5年間のポロシェンコ体制に失望した有権者は多く、さらに1回目の投票でゼレンスキー氏がダブルスコアに近い形でポロシェンコ氏に勝利していたため、最終的にゼレンスキー氏が勝利すると信じて疑う市民が多かったようだ。また、決選投票が近づくにつれて、各報道機関が支持率調査の結果を発表していったが、異なる支持率調査でも数字はそれほど大きく変わらず、平均するとゼレンスキー氏が約70%、ポロシェンコ氏が約30%という図式であった。 21日の決選投票では、投票の締め切りから間もなくして、各メディアが出口調査の結果を伝え始め、ゼレンスキー勝利がほぼ確実と報じた。現地時間の22日早朝には開票率が85%にまで達し、すでにゼレンスキー氏の勝利は確実となり、ゼレンスキー氏が約73%の得票率で約24%のポロシェンコ氏に圧勝したことが伝えられた。ポロシェンコ大統領も、「大統領職から離れます。政治の世界から離れるという意味ではありませんが、ウクライナの人々の意思を受け入れることにします」とツイートし、事実上の敗北宣言を行った』、なるほど。
・『新大統領ゼレンスキー氏 テレビドラマで大統領を演じてきた異色の経歴  新大統領となるゼレンスキー氏は41歳。ウクライナ中部の町クルィヴィーイ・リーフでユダヤ系の両親のもとに生まれ、大学教授であった父の仕事の関係で幼少期をモンゴルで過ごした。17歳の時にウクライナ全土で開かれているコメディ大会に初めて参加し、そこからメキメキと頭角を現していく。大学では法学を専攻していたが、卒業後はプロのコメディアンとして活動することを選択。自らがプロデュースしたコメディ集団を率いて、旧ソ連諸国をツアーで回り、コメディアンとしての腕を磨いた。転機となったのは彼が25歳になった2003年。ゼレンスキー氏のコメディ集団はウクライナの大手テレビ局と契約を結び、番組出演や番組制作を行うようになった。 ゼレンスキー氏はウクライナで喜劇俳優としてのキャリアを着実に積み上げてきたが、2015年からスタートしたテレビドラマ「人民の執事」のヒットによってさらに知名度を高めることに成功している。すでに3シーズンにわたって放送されたドラマの中で、ゼレンスキー氏は汚職や不正を嫌う30代の教師を演じ、ソーシャルメディアの力によって主人公が教師から大統領に転身し、ウクライナに存在する様々な問題を解決していくという内容だ。日本では考えられないが、サードシーズンの最終回がオンエアされたのは3月28日。大統領選を戦っていたゼレンスキー氏は大統領役でドラマに直前まで出演し、大統領選は最終回のオンエアから間もない31日に行われた。 今回の大統領選挙では、ドラマ「人民の執事」の影響力が、政治経験の全くないゼレンスキー氏を勝利させた最大の原動力であったと見る人は少なくない。アメリカのトランプ大統領は2004年から始まったリアリティショー「アプレンティス」で、毎週出演者の1人をクビにしていく冷酷な経営者を好演したが、これがアメリカの若い有権者に優れた経営手腕を持つリーダーというイメージを刷り込む結果となり、大統領選挙でのイメージづくりに一役買ったとされている。ゼレンスキー氏の手法は、トランプ大統領のものよりも、さらに徹底している。 ゼレンスキー氏は2018年の大晦日に大統領選挙への出馬を表明したが、すでに同年3月にはドラマのタイトルでもある「人民の執事」が政党名として正式に登録されており、これまでドラマを制作していたスタッフの一部が政党のスタッフに転職までしている。ゼレンスキー氏が主人公のウクライナ大統領を演じたドラマは、前述のとおり大統領選挙直前の3月28日まで毎週木曜日に放送されていた。 大統領選挙の候補者が選挙期間中に大統領を演じるドラマに出演することに対し、メディアを使った典型的なプロパガンダ活動でフェアではないという声が大学教授やジャーナリストから上がったものの、結局グレーゾーンという認識で放置されたまま大統領選挙は行われた。ゼレンスキー氏が出演する番組のほとんどは「1+1」というテレビ局で放送されており、この局のオーナーがウクライナのオルガリヒ(新興財閥)であるため、富裕層に優しい政治が行われるのではという懸念もすでに出ている』、「オルガリヒ(新興財閥)」がバックについているのでは、確かに「富裕層に優しい政治が行われるのではという懸念」も的外れではなさそうだ。
・『親ロシア派政権崩壊から5年 新リーダーの舵取りに対する国民の期待度は?  今回の大統領選挙で大敗を喫したポロシェンコ大統領についても触れておこう。2014年に発生した政変以降、定期的にウクライナの情報を聞いてきたウクライナ人の1人で、現在はキエフの政府系シンクタンクで広報責任者をつとめるテトヤナ・オリニックさんは言う。 「景気の停滞に関しては、実は2016年を境にプラス成長に転じています。ゆるやかな上昇ですが、ポロシェンコ政権の功績だったと私は確信しています。ただ、汚職に関してはポロシェンコ大統領でも対処できなかったのは事実。東部で続く戦闘と、賄賂なしではビジネスもできない現状に、国民がもう疲れ切ってしまったことがゼレンスキー大統領を誕生させたのではないでしょうか」 ポロシェンコ大統領にとって不運だったのは、東部で親ロシア派民兵と戦うウクライナ軍の装備品調達に多くの予算を使う必要があり、他分野に十分な予算を回せなかったことだ。以前の記事でも触れたが、東部ドンバス地方での戦闘が激化し始めた頃、ウクライナ軍には十分な兵器が存在せず、市民からの寄付によってなんとか成立していた。しかし、5年におよぶ戦闘で国民は疲弊。昨年11月末にウクライナの広範囲で戒厳令が敷かれた際には、「大統領選での再選を狙った人気取りのパフォーマンス」と揶揄されるほどであった。 ゼレンスキー氏の過去の発言を調べていくと、EUとNATOへの早期加盟を目指していくことを繰り返し主張しており、加えて任期中にドンバス地方で現在も続く戦闘を終結させるとも語っている。また、国内の法人税を変更して海外投資を呼び込み、国内経済を活性化させていくプランについても有権者に語っている。しかし、政治経験がゼロで、ウクライナ政界に強いネットワークを持たないゼレンスキー氏が、閣僚選びやこれからの政権運営で何を行うのかは不明だ。 親ロシア派勢力との戦闘終結に多くの時間を注いだポロシェンコ大統領に対し、ウクライナの有権者は2期目のチャンスを与えなかった。ゼレンスキー大統領誕生が意味するのは国民の期待の表れなのか、それとも諦めのサインなのだろうか』、新大統領は親EU・NATOのようだが、ロシアとの関係改善も目指すようで、これからの舵取りが注目される。

第三に、在独作家の川口 マーン 惠美氏が4月26日付け現代ビジネスに寄稿した「欧州を席巻する子供デモは「チコちゃん現象」かもしれない 子供に叱られて喜ぶ大人たち」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64339
・『全世界の大人たちに向かって  4月5日の本欄で、ドイツで燃え盛っている子供のデモのことを書いた。スウェーデンのグレタ・トゥンベルク(Greta Thunberg)という少女が、去年の8月に始めた環境運動“Fridays for future”に、ドイツの多くの生徒が共感し、毎金曜日に学校をサボってデモをしている話だ。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63945 目的は、一刻も早くCO2を削減して、「惑星」を滅亡から救うこと。今、すぐに行動を起こさないと、地球はまもなく取り返しがつかなくなるそうだ。もちろん、この子たちがそう固く信じている背景には、信じ込ませた人たちがいる。 「グレタというのは現在9年生(日本の中3)のスウェーデン人の女の子で、地球の温暖化を食い止めるための活動家ということになっている。ヨーロッパで9年生といえば、学校にもお化粧バッチリで通う大人っぽい女の子が多い中、グレタはおさげ頭で、化粧っ気もなく子供っぽい。そして、過激な内容のスピーチを無表情でする。この頃、マスコミで姿を見ない日はないほどの有名人だ。 去年、米『Time』誌は、世界で一番影響力の強いティーンエイジャー25人のリストにグレタを加えた。先日、3月30日には、本来なら優秀な映画やテレビ作品、あるいは、映画やテレビで活躍した人に与えられるドイツの『ゴールデンカメラ賞』の特別賞を受賞し、ベルリンに集合したスターたちや来賓から満場の喝采を受けた」(前述の拙稿より引用) 4月17日には、グレタはバチカンで法王に会っている。普通、ローマ法王の前に出るときは、アメリカ大統領夫人であろうが、ハリウッドスターであろうが、アウトフィットは黒の正装が常識だが、彼女はTシャツと運動靴で現れ、“Join the Climate Strike”と書いた紙を法王に示した。ほとんど暴挙と言える。 グレタはその他にも、EUの委員長に面会したり、ヨーロッパ中に広がっている子供デモの特別ゲストとして招かれたり、とにかく引っ張りだこだが、今年1月の末、スイスのダボス会議で行ったスピーチは、とりわけ強烈だった。 彼女は全世界の大人たちに向かって、まるで無表情で次のように言ったのだ。「私たちは、あなた方が希望を持つことを許さない」「あなた方が恐怖を覚えることを望んでいる。私たちが常に感じているような恐怖を」「私たちは、あなた方が自分の家が燃えているときのようにパニックに陥ることを望む。家は本当に燃えているのだ」 しかし、この不吉な御宣託を不気味に感じたのは私だけだったらしく、今やメルケル独首相からシュタインマイヤー独大統領までが、グレタの蒔いた種で広がりつるある子供デモのことを褒め称えている。 ドイツ政界の重鎮ショイプレ氏に至っては、生徒が金曜日の授業をサボることを容認している教師たちのことまで褒めた。また、主要メディアも、グレタと、そして彼女に続く子供たちを異常に祭り上げている』、「ダボス会議で行ったスピーチ」は「9年生(日本の中3)」とは思えないような激烈な内容だが、「ドイツ政界の重鎮」たちや「主要メディア」が褒めそやすとは、いかにもドイツらしい。
・『ボーっと生きてんじゃねーよ!  子供たちの主張は、ひとえにCO2の削減だ。石炭火力発電所は即刻停止、ガソリン車もやめる。飛行機も極力乗らず、肉も食べないのが正しい生活であるとする(酪農も多くのCO2を発生させるから)。 子供たちのこの過激な思想を支えているのが、「大人たち」への憤りだ。自然を壊しておきながら、未だに反省もせず、何の手立ても打たない大人に対する彼らの怒りは、とどまるところを知らない。 ただ、実際問題として、子供たちの言うとおりにしたら、地球が温暖化で壊れる前に、ドイツが経済破綻で壊れる。そうなったら、肉は食べたくても食べられないし、飛行機や車も、乗りたくても乗れない。それどころか、環境を保護することもできなくなるだろう。CO2は、いわば産業発達の指針である。 そこで、ある記者がグレタにその解決法について尋ねたら、彼女はまたもや無表情で、「自分たちが作った汚泥の除去の仕方を、子供に尋ねるな」と一蹴。そして、それを聞いた大人たちが、あっぱれと言わんがばかりに喜んだのだ。 そのとき、私がふと思い出したのがチコちゃん。グレタはドイツでは、ジャンヌダルクなどと言われているが、私に言わせればチコちゃんだ! これは、5歳児と称する頭でっかちの女の子に「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱咤され、多くの大人が有難がっている日本の現象と瓜二つではないか。 グレタがときに片方の眉を上げて、皮肉そうな微笑みを見せるところも、チコちゃんにそっくり。それにしても、大人が子供に叱られて喜ぶのは、世界的な風潮なのだろうか』、「「自分たちが作った汚泥の除去の仕方を、子供に尋ねるな」と一蹴」とは恐れ入るほどの見事な切り返しだ。「チコちゃん」も形なしだ。
・『ドイツの多くの人たちは、今、老いも若きも皆、過激な自然回帰ムードに陥っている。そして、それに伴って緑の党の躍進がすごい。SPD(社民党)などとっくに追い越して、CDU(キリスト教民主同盟・現在やはり落ち目)に次ぐ第2党だ。 ドイツは右傾しているという報道をよく見かけるが、それは間違いで、本当は、中心軸が左傾している。 右派の政党AfD(ドイツのための選択肢)も確かに伸びているが、左派の緑の党の伸びは、それとは比べ物にならない。肝心要の保守CDUまでが、緑の党としっくりきている状態だ。もし、与党の連立再編があれば、緑の党が政権に加わる可能性は高いだろう。 つまり、「ドイツが右傾で危険!」という警告の裏には、実は左派の、反対勢力を極右として潰そうとする作戦があると私は見ている。 いずれにしても、Fridays for futerを支援する緑の党にとって、グレタ現象ほど有難いものはない。ここでデモをしている子供たちは、将来、CDUでもSPDでもなく、緑の党に投票するだろう。緑の党は、数年後の豊穣な収穫を思い描きながら、せっせと大票田を耕しているような気分ではないか。 一方、FDP(自民党)は最初からグレタの運動に懐疑的だ。リントナー党首に言わせれば、グレタに拍手喝采して、脱原発だけでなく脱火力や電気自動車奨励へと突き進んでいるドイツ国民の姿と、2015年の秋に“refugees welcome”と叫んで100万人もの難民を入れたドイツ国民の姿は酷似している。 当時、もっと冷静に対処していれば、ドイツやEUは今、これほど深刻な難民問題を抱えることはなかった。それと同じく、ドイツ国民は今回もまた、数年後に何十万人もの失業者が出て初めて、自分たちの決断の誤りを深く後悔するのではないかと、リントナー氏』、「リントナー氏」の警告ももっともだ。
・『それでもCO2は減らず  さて、3月の末、興味深いことが起こった。グレタが突然、自身のフェイスブックで、CO2削減を進めるためには、原発も一つのオプションであるという意味のことを書きこんだのだ。 原発は CO2を出さないのだから、それほど間違った話ではない。しかも、グレタの祖国スウェーデンは原発大国でもある。 ただ、彼女の応援団は驚愕した。ドイツでは原発は悪で、環境派が口に出して擁護するなどあり得ない。原発がCO2を出すと思っている人も多い。そこで、たちまち大騒ぎとなり、結局、フェイスブックの書き込みは修正された。 今のドイツでは、たとえCO2削減のためであっても、原発に言及することはタブー中のタブー。グレタにも許されないことのようだった。 しかし、タブーではあるけれど、少しずつ懸念の波は広がっている。太陽光パネルが増え、風車が立ち並び、電気自動車が増産されても、それだけで素晴らしいCO2フリーの社会が完成するわけではないことは、だんだんわかってきた。それどころかCO2は減らず、ドイツの電気代は、すでにEUで一番高くなっている。 先週、来年のDGP(正しくはGDP?)予測は2度目の下方修正をされ、プラス0.5%まで落ちた。このままでは、バカを見るのはまた貧乏人だ。 なのに、日本には、ドイツで素晴らしいことが進んでいるように宣伝している人が今も多い。チコちゃん、勘違いをしている人たちに、ぜひ、何とか言ってやってください』、現実世界では、CO2削減と脱原発のように相矛盾する課題も多い。その中で解を出していくのは、グレタではなく、やはり政治の役割だろう。
タグ:「一帯一路」に参加する最初の国 イタリアの中道右派、キリスト教民主を支えるのに使われ、そのために彼らが何十年も権力の座に居座り、同国に左派政権が誕生するのを妨げた マーシャルプラン 欧州 「現代版シルクロードはローマに通ず マルコ・ポーロの逆を行く中国とイタリアの合意」 WSJ ダイヤモンド・オンライン (その5)(現代版シルクロードはローマに通ず マルコ・ポーロの逆を行く中国とイタリアの合意、政治経験のないコメディアンがウクライナ大統領選で圧勝できた理由、欧州を席巻する子供デモは「チコちゃん現象」かもしれない 子供に叱られて喜ぶ大人たち) 彼らの多くは中国・イタリア学術交流プログラム「マルコ・ポーロ」の一環でイタリアを訪れる 大学側はこうした学生を頼みとしている 「中国の侵略」 上級レベルのクラスメートはおよそ70%が中国人 ペルージャにある大学 CO2は減らず、ドイツの電気代は、すでにEUで一番高くなっている 結局、フェイスブックの書き込みは修正された ドイツでは原発は悪で、環境派が口に出して擁護するなどあり得ない グレタが突然、自身のフェイスブックで、CO2削減を進めるためには、原発も一つのオプションであるという意味のことを書きこんだのだ デモをしている子供たちは、将来、CDUでもSPDでもなく、緑の党に投票するだろう 緑の党の躍進 チコちゃんだ! 「自分たちが作った汚泥の除去の仕方を、子供に尋ねるな」と一蹴 ある記者がグレタにその解決法について尋ねたら 子供たちのこの過激な思想を支えているのが、「大人たち」への憤りだ。自然を壊しておきながら、未だに反省もせず、何の手立ても打たない大人に対する彼らの怒りは、とどまるところを知らない 子供たちの主張は、ひとえにCO2の削減だ 主要メディアも、グレタと、そして彼女に続く子供たちを異常に祭り上げている メルケル独首相からシュタインマイヤー独大統領までが、グレタの蒔いた種で広がりつるある子供デモのことを褒め称えている 「私たちは、あなた方が自分の家が燃えているときのようにパニックに陥ることを望む。家は本当に燃えているのだ」 「私たちは、あなた方が希望を持つことを許さない」「あなた方が恐怖を覚えることを望んでいる。私たちが常に感じているような恐怖を」 スイスのダボス会議で行ったスピーチ ドイツの『ゴールデンカメラ賞』の特別賞を受賞 米『Time』誌は、世界で一番影響力の強いティーンエイジャー25人のリストにグレタを加えた 9年生(日本の中3)のスウェーデン人の女の子で、地球の温暖化を食い止めるための活動家 目的は、一刻も早くCO2を削減して、「惑星」を滅亡から救うこと 環境運動“Fridays for future”に、ドイツの多くの生徒が共感し、毎金曜日に学校をサボってデモをしている スウェーデンのグレタ・トゥンベルク(Greta Thunberg)という少女 「欧州を席巻する子供デモは「チコちゃん現象」 現代ビジネス 川口 マーン 惠美 EUとNATOへの早期加盟を目指していくことを繰り返し主張 東部で親ロシア派民兵と戦うウクライナ軍の装備品調達に多くの予算を使う必要があり、他分野に十分な予算を回せなかったこと 富裕層に優しい政治が行われるのではという懸念 ウクライナのオルガリヒ(新興財閥) ゼレンスキー氏の手法は、トランプ大統領のものよりも、さらに徹底 新大統領ゼレンスキー氏 テレビドラマで大統領を演じてきた異色の経歴 人気テレビドラマで大統領を演じてきた喜劇役者 ポロシェンコ氏だが、就任時に期待されていた経済再建や汚職の撲滅を成功させたとは言えず、多くのウクライナ人有権者が不満を抱えていた ゼレンスキー氏の圧勝 ウォロディミル・ゼレンスキー氏 「政治経験のないコメディアンがウクライナ大統領選で圧勝できた理由」 仲野博文 すでに中国国有企業によるイタリアの主要な港――トリエステ、ジェノバ、パレルモなど――の管理運営または出資についての協議が始まっている 多くの人々が信じるのは、欧州連合(EU)は自分たちを見捨てたのだから、イタリアはよそに目を向ける必要があるということ マルコ・ポーロの逆を行く取り組み
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新元号問題(その3)(国家が国民に平和を命ずる「令和」は明らかにファッショだ、国民はファシストを望むのか 令和で民主主義は消滅の危機、安倍首相が皇太子に新元号案を事前説明 学者は違憲と批判、改元を1億総慶祝 令和で安倍首相の疑惑も恩赦になるのか) [国内政治]

新元号問題については、4月4日に取上げた。令和に変わった初日の今日は、(その3)(国家が国民に平和を命ずる「令和」は明らかにファッショだ、国民はファシストを望むのか 令和で民主主義は消滅の危機、安倍首相が皇太子に新元号案を事前説明 学者は違憲と批判、改元を1億総慶祝 令和で安倍首相の疑惑も恩赦になるのか)である。

先ずは、作曲家の三枝成彰氏が4月6日付け日刊ゲンダイのインタビューに応じた「国家が国民に平和を命ずる「令和」は明らかにファッショだ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/251275
・『新元号が「令和」と発表されたのを見て、真っ先に感じたのは「危ういなあ」だった。新聞の世論調査だと6割以上が賛成していて、内閣支持率まで跳ね上がったというが、僕は違う。今回初めて採用された「令」という文字が、どうにも引っかかるからだ。 その意味を手元にある「広辞苑」(第6版)で調べると、①命ずること。いいつけ②おきて。のり③長官④他人の家族などを尊敬して言う語――となっている。テレビや新聞は、このうち④の意味で使われる令夫人などの言葉を紹介し、「よいという意味がある」と持ち上げているが、より一般的なのは①だ。新元号は「平和を命ずる」と解釈すべきだろう。国家が国民に「仲良くしろ」と命令するわけだ。 僕に言わせれば、これはファッショにほかならない。目指すところが何であれ、みんなを同じ方向に向くように強制するものだ』、全く同感だ。
・『これだけでも気分が悪いが、その翌日、政府は閣議で「自衛官をシナイ半島に派遣する」と決めた。エジプトとイスラエルの停戦監視活動をする多国籍軍の司令部で連絡調整業務をこなすという。2016年の安保関連法の施行前はやれなかった任務。自衛隊に「世界平和のために働くよう命じた」のだ。元号発表の次の日というのが、何ともあからさまに思えてしまう。 「平和のため」は、軍隊を送り込む際の常套句だ。日本の満州出兵もそうだった。米軍がイラクに侵攻したのも、平和のためといわれた。しかし、それが不幸な結果を招くことはハッキリしている。海外の紛争地への出兵は、自国のためにも他国のためにもならない。かえって混乱を長引かせるだけだ。 「令和」は「明治」「大正」「昭和」「平成」といった近年の元号とは違って、怖い意味を含んでいるように思えてならない。安倍さんは、そんな含みがあることなど百も承知で、この文字を選んだのだろう。 「令」は、血が通っていないような寒々しさも感じさせる。「冷」の字を連想させるからだろうが、温かみがないところは安倍さんの政治スタンスや政策の方向性と通じるところだ。 新元号について世間は歓迎ムードのようだが、たとえ違和感を覚えても、それを口にできない人が多いのかもしれない。ファッショは静かに社会に浸透しているようだ』、日本はもともと同調圧力が強い社会だ。一般のマスコミも改元に関する異論は無視して、改元ムードの盛り上げに躍起になっている。「ファッショは静かに社会に浸透しているようだ」との指摘はその通りだ。

次に、4月28日付け日刊ゲンダイ「国民はファシストを望むのか 令和で民主主義は消滅の危機」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252958
・『平成が終わり、令和を迎える。果たしてどんな時代になるのか。せめて、マトモな政治に期待したいが、絶望的な気分になってくる。平成という時代をひと言で振り返れば、最後の最後になって、民主主義が徹底的に破壊され尽くされた時代ではなかったか。選挙は行われるが、形だけ。実際は1党独裁、安倍様ファシズムの時代ではないか。ファシズム研究の第一人者、慶大教授の片山杜秀氏は3月30日付の東京新聞、<考える広場 我が内なるファシズム>でこう書いていたほどだ。〈現実主義の自民党と理想主義の社会党が対立した五五年体制が崩壊し、現実主義の政党ばかりになった。似たような価値観の政党ばかり。その中では、経験豊富な自民党が選ばれやすい〉〈「政治主導」の名の下に内閣人事局が設置され、内閣に官僚は抵抗できなくなった。今の内閣は各官庁の情報を吸い上げて力が肥大化し、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を実現させたと思います〉』、「今の内閣は各官庁の情報を吸い上げて力が肥大化し、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を実現させた」というのは、確かにその通りで背筋が凍るような気がする。
・『似たような政党ばかりだから、「それならば、一日の長で自民党を選ぼう」となる。何度やっても安倍自民党が勝つものだから、人事権を押さえられている官僚も逆らえず、言いなりになる。内閣に不利な情報は隠蔽、改ざんされ、忖度が横行し、ますます1強政権がのさばる。片山氏が指摘する通り、安倍政権はすでに「強力なファシズム体制を実現させた」ということだ。しかも、それが「政党に差異がない以上、経験豊富な自民党」という選挙民の意思によるものなのだから、絶望的になってくる。元外務省国際情報局長の孫崎享氏も嘆くひとりだ。「例えば、米国の民主党は世論調査をもとに国民目線に立った政策を訴え、共和党のトランプ政権を本気で倒そうとしている。しかし、日本の野党は国民が何を望み、どんな政策を訴えれば支持が得られるのかを勉強していない。ハッキリ言って努力不足なのです」 日本では、米国のサンダースのような候補者がてんで出てこないのだから、どうしようもない。選挙民は選択肢のない絶望から、安倍ファシズムを選んでしまう。令和になってそれが変わるのか。ますます、こうした傾向が強まるのではないか。令和で民主主義は「消滅危機」と言ってもいいのである』、「令和で民主主義は「消滅危機」」というのは言い得て妙だ。
・『現代の民主主義の死は「選挙」から始まる  ともにハーバード大教授のスティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット両氏の共著「民主主義の死に方~二極化する政治が招く独裁への道~」(邦訳・新潮社)によると、かつての民主主義は革命やクーデターによって死んだが、現代の民主主義の死は「選挙」から始まる、という。 「選挙」というプロセスを経た強権的なリーダーが、異論を唱える政敵やメディアを公然と批判して二極化を促す。そして、司法機関などを支配して対立相手を恣意的に罰し、選挙制度や憲法を変えて独裁体制を確立させるというのだ。この指摘には背中が寒くなるではないか。 少数野党の意見に全く耳を貸さず、アリバイ的に審議時間だけを重ねて強行採決を繰り返す「アベ政治」。こんな政治が常態化したのも、選挙を経て衆院で3分の2超という圧倒的多数の議席を確保したからだ。安倍首相が特定メディアを名指しで批判している姿も同じ。そうやってケンカを仕掛け、二極化を促す。そういえば、イタリアのムソリーニやドイツのヒトラーも選挙の大勝によって、「ファシズム」を完成させた。「ファシズム」とは、ある日突然、ファシストが登場して、国民の権利を制限するのではなく、選挙民が強大な権力を与えた結果、暴走するものなのである。 当時のイタリアもドイツも国民の間には経済的な不満が渦巻いていた。独裁者はそれを利用し、巧みなプロパガンダで民衆を洗脳した。当時と今はそっくりだし、問題は、この傾向が日本だけではないことだ』、「現代の民主主義の死は「選挙」から始まる」、「「ファシズム」とは、ある日突然、ファシストが登場して、国民の権利を制限するのではなく、選挙民が強大な権力を与えた結果、暴走するものなのである」、などの鋭い指摘には、改めて民主主義の脆さを再認識させられた。
・『経済のグローバル化で格差拡大、右傾化が加速  9日に投開票されたイスラエル総選挙では、ネタニヤフ首相率いる右派政党リクードが勝利。昨年は、ハンガリーで反移民政策を掲げたオルバン首相率いる右派フィデス・ハンガリー市民連盟が圧勝した。 ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領ら、ファシズム化が懸念される政権を挙げればキリがない。 これらの政権に共通しているのが、「危機」や「脅威」を訴えて自分の政権運営を正当化し、反対勢力を封じ込めて民主主義を「破壊」するやり方だ。例えば、エルドアン大統領は一部の国軍クーデター未遂を理由に世論不安を煽り、多数の兵士や公務員、記者を拘束した揚げ句、大統領に権限を集中させる憲法改正を実施。プーチン大統領も、チェチェン共和国の「独立派によるテロ」を口実に「垂直の権力」と呼ばれる体制を構築した。 人権監視団体「フリーダムハウス」が2月に公表した「世界の自由度調査」によると、世界の自由度は13年連続で低下。今や世界中で「民主主義」は後退する一方だ』、これら諸国の「強権政治」で「共通しているのが、「危機」や「脅威」を訴えて自分の政権運営を正当化し、反対勢力を封じ込めて民主主義を「破壊」するやり方」、確かにその通りだ。日本の場合は北朝鮮や中国の脅威がそれに当たるのだろう。
・『右派政治家は大衆の不満を煽って支持を集める  埼玉学園大学経済学部教授の相沢幸悦氏は「巨大な資本主義による経済のグローバル化が世界中で富裕層と貧困層の格差拡大を招き、右傾化の動きを加速させた」と言い、こう続けた。 先進国、途上国に限らず、今やどの国でも人々の不満が高まっており、その怒りの矛先が外国人や移民に向けられつつあります。米国第一主義を掲げる米トランプ大統領が象徴的ですが、EU加盟国で起きている移民排斥の運動もその流れでしょう。日本を含む右派思想と呼ばれる政治家はその大衆の不満を煽り、支持を集めているのです。世界経済の減速が叫ばれる中、こうした動きはさらに強まるでしょう」 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)は「選挙という民主的な手続きを経て権力を集中させた上で、やりたい放題を正当化するのが現代の『ファシズム』。選挙制度、主権者教育など、あらゆることを見直さないといけない」と言った。 「令和」は戦前に逆戻りなのだろうか』、人々の不満の「矛先が外国人や移民に向けられつつあります」、というのもその通りだが、唯一、日本の場合は深刻化する人手不足で、事実上の「移民」促進策が採られているようだ。「選挙制度、主権者教育など、あらゆることを見直さないといけない」、というのはその通りだ。

第三に、4月30日付け日刊ゲンダイ「安倍首相が皇太子に新元号案を事前説明 学者は違憲と批判」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252988
・『安倍首相が新元号発表を3日後に控えた3月29日、皇太子と1対1で面会し、「令和」を含む6つの原案を提示していたことが判明した。30日の朝日新聞が特報した。憲法4条は天皇の国政関与を禁じており、安倍の行為は「新天皇が元号の選定過程に関与したのでは」という違憲の疑いを招きかねない。 「令和」の典拠の万葉集は皇族から農民まで幅広い層の歌を収めたとされる。安倍は「1億総活躍」のイメージを重ねて気に入り、3月28日の官邸幹部らによる協議で「令和」を本命に6案を原案とする方針を決定。4月1日に有識者懇談会、衆参両院正副議長への意見聴取、全閣僚会議など国民代表の意見を聴取して新元号を決める前に、安倍は新天皇に元号案を説明したことになる。 皇太子への事前説明は日本会議など保守派が求めたもので、自らの支持基盤への政治的配慮。憲法4条は政治の側が天皇の権威を利用することも禁じている。特定の政権支持層を意識した安倍の行為は「新天皇の政治利用」にあたりかねず、憲法学者からも「違憲の疑いがある」との批判が上がっている』、「皇太子への事前説明は日本会議など保守派が求めたもので、自らの支持基盤への政治的配慮」、とはいえ、違憲の疑いがあってもここまで露骨に強行するとは、憲法順守など一切念頭にない安倍首相らしいやり方だ。

第四に、5月1日付け日刊ゲンダイ「改元を1億総慶祝 令和で安倍首相の疑惑も恩赦になるのか」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252976
・『いよいよ、30日、平成の時代が幕を閉じる。元号が変わる時代の節目に主役気取りの安倍首相には強烈な違和感を覚える。 新天皇即位後の大嘗祭など「身の丈にあった儀式」を望む皇族の意向を顧みず、安倍は皇位継承のいずれの儀式も「国事行為」に指定。 30日夕の「退位礼正殿の儀」で天皇に国民代表として感謝の辞を述べ、あす昼前の「即位後朝見の儀」でも再び国民代表としてあいさつ。2日連続でしゃしゃり出て、代替わりセレモニーを自ら主導している感を見せつける。 そもそも改元の日程さえ、安倍は“自己都合”を優先させたフシがある。2017年10月に朝日新聞が「4月1日に新天皇即位」と1面トップで伝えると、朝日嫌いの安倍は「朝日は恥をかくことになる」と周囲に怒りをあらわにしたと複数の週刊誌が報じた。 背景には即位を巡る官邸と宮内庁の主導権争いがあったというが、同年12月に自ら議長を務める皇室会議で「5月即位」を決めた。 安倍が朝日に恥をかかせた結果、年末でも年度末でもなく、暦の上では不自然な4月30日退位、5月1日即位を決めたのなら、恐れ知らずの不敬なヤカラだ。揚げ句に即位の日を祝日にして史上初の10連休まで出現させ参院選前の人気取りに役立てるのは、宮中行事の政治利用ではないのか』、「大嘗祭など「身の丈にあった儀式」を望む皇族の意向を顧みず、安倍は皇位継承のいずれの儀式も「国事行為」に指定」して、自分の出番を増やすだけでなく、「安倍が朝日に恥をかかせた結果、年末でも年度末でもなく、暦の上では不自然な4月30日退位、5月1日即位を決めた」に至っては、酷い政治利用ぶりに開いた口が塞がらない。
・『新元号発表で総理談話ゴリ押し後にTV行脚、まだ5年も先の新紙幣発表と続いて、5月4日には10月26日の予定だった新天皇即位後初の一般参賀を前倒し。5月25日から訪日するトランプ米大統領を国賓として新天皇に引き合わせ、即位後初の国賓との会見を演出――。安倍は改元に乗じて新時代到来ムードをあおり、あたかも平成に犯した悪事をチャラにする気マンマンである。 「元号は災厄や大きな不幸があった際、天皇が時間の支配者として時代の空気を一変させるのに使われてきました。安倍首相も時間の支配者気分で、改元でモリカケ問題に安倍・麻生道路など積み上がった国政私物化の疑惑をご破算にしたいのでしょう。民主主義の世に時代錯誤も甚だしい発想です。時の主権者は国民であることを忘れてはいけません」(法大名誉教授・五十嵐仁氏) 皇位継承に合わせた「恩赦」の実施で、安倍の大罪まで無罪放免なんて絶対に許されない』、「安倍首相も時間の支配者気分で、改元でモリカケ問題に安倍・麻生道路など積み上がった国政私物化の疑惑をご破算にしたいのでしょう」、飛んでもない話だ。
・『令和以降も忘れてはいけない無数の大罪  平成最後の6年余り、安倍の所業を並べ立てるだけで、それこそ「斬奸状」になり得るくらいだ。 アベノミクスの失敗をゴマカすため、虎の子の年金基金や日銀マネーなどを鉄火場相場に大量投下し、株高を演出。働き方改革と称した労働規制の破壊で、働く人々に定額使い放題の残業地獄を押しつけ、事実上の移民解禁で外国の安い労働力と競わせ、さらなる賃下げ圧力を加える。 公約違反のTPP発効で農家は自由貿易の巨大な波にのみ込まれ、水道法改正と種子法廃止で命の源の水と食まで外資に献上。特定秘密保護法や共謀罪で国民監視を強化する半面、子飼い議員の差別発言は野放しだ。 内閣人事局を通じて霞が関幹部を牛耳り、歯向かえば報復人事の憂き目に遭わせる。おかげでヒラメ役人の忖度がはびこり、森友文書の改ざんを筆頭に隠蔽、捏造のオンパレード。数の力に頼る採決強行乱発で国会を軽視し、安倍の答弁も攻撃的な物言いで野党を非難し、はぐらかす。息を吐くような嘘も100回繰り返せば怒る気力も失せ、国民の諦めが何回吹っ飛んでもおかしくない内閣の延命を許す。 あろうことか首相に近い人物のレイプ事件のもみ消し疑惑もくすぶり、今や三権はボロボロだ。メディアも官邸の難クセに屈し、ちょっとでも政権に意見するコメンテーターは総パージ。完全に権力の飼い犬に成り下がってしまった。 「『地方創生』『1億総活躍』『人づくり革命』など次々ブチ上げたスローガンの成果はゼロ。“お友だち”への恩恵や五輪、カジノ、万博など目先の利益を優先させ、国家百年の大計をかなぐり捨てる。安倍首相は国民の目をくらますだけで長期政権を築き上げた稀有な政治家です」(政治評論家・森田実氏) 応援団メディアに「外交のアベ」とおだてられながら、ロシアとの北方領土交渉は頓挫、北朝鮮との拉致交渉は1ミリも動かず、対韓関係は史上最悪レベルに達した。それでいて米国には隷従し、解釈改憲で集団的自衛権行使に踏み切り、土地やカネに加えて自衛隊というヒトまで差し出す。 米国製の高額兵器を爆買いするため、社会保障費の自然増分を総額2兆円近くも削減。大体、熊本地震から3年、東日本大震災から8年経っても、計約1万8000人もの被災者が仮設暮らしを強いられているのに、国のトップが改元に浮かれている場合なのか。 「天皇大権の威を借りて破滅戦争に突入した戦前の軍部と政府が代表例ですが、いつの世も天皇は時の為政者のハク付けに利用された苦い経験がある。そうした負の歴史を知っていれば、改元の政治利用は論外。違憲の疑いもある天皇の国事行為による『7条解散』を繰り返すのも問題です。安倍首相には、象徴としてのあり方に苦心する天皇の気持ちが理解できないのでしょう。首相の大きな欠点は歴史を知らず、心がないことです」(森田実氏=前出) 4月30日、5月1日にかけ改元特番をタレ流し、安倍の薄汚い魂胆に全面協力するTV局も同罪だ。1億総慶祝を扇動する同調圧力に、10連休中の国民は屈してはいけない』、『7条解散』の問題点については、2017年9月26日付け現代ビジネス「衆院解散、やっぱり無視できない「憲法上の疑義」木村草太が説く」を参考にされたい。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52964
「改元特番をタレ流し、安倍の薄汚い魂胆に全面協力するTV局も同罪だ。1億総慶祝を扇動する同調圧力に、10連休中の国民は屈してはいけない」との指摘には全面的に賛成だ。
タグ:違憲の疑いもある天皇の国事行為による『7条解散』を繰り返すのも問題 皇太子への事前説明は日本会議など保守派が求めたもので、自らの支持基盤への政治的配慮 選挙という民主的な手続きを経て権力を集中させた上で、やりたい放題を正当化するのが現代の『ファシズム』 皇太子と1対1で面会し、「令和」を含む6つの原案を提示 内閣に官僚は抵抗できなくなった。今の内閣は各官庁の情報を吸い上げて力が肥大化し、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を実現させた 片山杜秀 実際は1党独裁、安倍様ファシズムの時代 新天皇即位後の大嘗祭など「身の丈にあった儀式」を望む皇族の意向を顧みず、安倍は皇位継承のいずれの儀式も「国事行為」に指定。 EU加盟国で起きている移民排斥の運動 経済のグローバル化で格差拡大、右傾化が加速 三枝成彰 (その3)(国家が国民に平和を命ずる「令和」は明らかにファッショだ、国民はファシストを望むのか 令和で民主主義は消滅の危機、安倍首相が皇太子に新元号案を事前説明 学者は違憲と批判、改元を1億総慶祝 令和で安倍首相の疑惑も恩赦になるのか) 「民主主義の死に方~二極化する政治が招く独裁への道~」 「選挙」というプロセスを経た強権的なリーダーが、異論を唱える政敵やメディアを公然と批判して二極化を促す。そして、司法機関などを支配して対立相手を恣意的に罰し、選挙制度や憲法を変えて独裁体制を確立させる “お友だち”への恩恵や五輪、カジノ、万博など目先の利益を優先させ、国家百年の大計をかなぐり捨てる こんな政治が常態化したのも、選挙を経て衆院で3分の2超という圧倒的多数の議席を確保したからだ 安倍の行為は「新天皇の政治利用」にあたりかねず、憲法学者からも「違憲の疑いがある」との批判 選挙制度、主権者教育など、あらゆることを見直さないといけない 「安倍首相が皇太子に新元号案を事前説明 学者は違憲と批判」 ハンガリーで反移民政策を掲げたオルバン首相 息を吐くような嘘も100回繰り返せば怒る気力も失せ、国民の諦めが何回吹っ飛んでもおかしくない内閣の延命を許す 「国家が国民に平和を命ずる「令和」は明らかにファッショだ」 朝日新聞が「4月1日に新天皇即位」と1面トップで伝えると、朝日嫌いの安倍は「朝日は恥をかくことになる」と周囲に怒りをあらわにした 安倍は改元に乗じて新時代到来ムードをあおり、あたかも平成に犯した悪事をチャラにする気マンマン 内閣人事局を通じて霞が関幹部を牛耳り、歯向かえば報復人事の憂き目に遭わせる。おかげでヒラメ役人の忖度がはびこり、森友文書の改ざんを筆頭に隠蔽、捏造のオンパレード 公約違反のTPP発効で農家は自由貿易の巨大な波にのみ込まれ、水道法改正と種子法廃止で命の源の水と食まで外資に献上。特定秘密保護法や共謀罪で国民監視を強化する半面、子飼い議員の差別発言は野放しだ 「改元を1億総慶祝 令和で安倍首相の疑惑も恩赦になるのか」 2日連続でしゃしゃり出て、代替わりセレモニーを自ら主導している感を見せつける 1億総慶祝を扇動する同調圧力に、10連休中の国民は屈してはいけない 改元特番をタレ流し、安倍の薄汚い魂胆に全面協力するTV局も同罪だ 首相に近い人物のレイプ事件のもみ消し疑惑もくすぶり、今や三権はボロボロだ 改元の政治利用は論外 5年も先の新紙幣発表 右派政治家は大衆の不満を煽って支持を集める 世界の自由度は13年連続で低下。今や世界中で「民主主義」は後退する一方だ 「世界の自由度調査」 トルコのエルドアン大統領 ロシアのプーチン大統領 「ファシズム」とは、ある日突然、ファシストが登場して、国民の権利を制限するのではなく、選挙民が強大な権力を与えた結果、暴走するものなのである イタリアのムソリーニやドイツのヒトラーも選挙の大勝によって、「ファシズム」を完成させた 新天皇即位後初の一般参賀を前倒し。5月25日から訪日するトランプ米大統領を国賓として新天皇に引き合わせ、即位後初の国賓との会見を演出 安倍が朝日に恥をかかせた結果、年末でも年度末でもなく、暦の上では不自然な4月30日退位、5月1日即位を決めたのなら、恐れ知らずの不敬なヤカラだ 令和以降も忘れてはいけない無数の大罪 スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット両氏の共著 現代の民主主義の死は「選挙」から始まる 令和で民主主義は「消滅危機」 安倍首相も時間の支配者気分で、改元でモリカケ問題に安倍・麻生道路など積み上がった国政私物化の疑惑をご破算にしたいのでしょう 揚げ句に即位の日を祝日にして史上初の10連休まで出現させ参院選前の人気取りに役立てるのは、宮中行事の政治利用 アベノミクスの失敗をゴマカすため、虎の子の年金基金や日銀マネーなどを鉄火場相場に大量投下し、株高を演出 メディアも官邸の難クセに屈し、ちょっとでも政権に意見するコメンテーターは総パージ。完全に権力の飼い犬に成り下がってしまった 日本の野党は国民が何を望み、どんな政策を訴えれば支持が得られるのかを勉強していない これらの政権に共通しているのが、「危機」や「脅威」を訴えて自分の政権運営を正当化し、反対勢力を封じ込めて民主主義を「破壊」するやり方だ 孫崎享 すでに「強力なファシズム体制を実現させた」 内閣に不利な情報は隠蔽、改ざんされ、忖度が横行し、ますます1強政権がのさばる 平成という時代をひと言で振り返れば、最後の最後になって、民主主義が徹底的に破壊され尽くされた時代 働き方改革と称した労働規制の破壊で、働く人々に定額使い放題の残業地獄を押しつけ、事実上の移民解禁で外国の安い労働力と競わせ、さらなる賃下げ圧力を加える 「国民はファシストを望むのか 令和で民主主義は消滅の危機」 新元号は「平和を命ずる」と解釈すべき 国家が国民に「仲良くしろ」と命令するわけだ。 僕に言わせれば、これはファッショにほかならない ファッショは静かに社会に浸透しているようだ 新元号について世間は歓迎ムードのようだが、たとえ違和感を覚えても、それを口にできない人が多いのかもしれない 「平和のため」は、軍隊を送り込む際の常套句 政府は閣議で「自衛官をシナイ半島に派遣する」と決めた 巨大な資本主義による経済のグローバル化が世界中で富裕層と貧困層の格差拡大を招き、右傾化の動きを加速させた 日刊ゲンダイ 新元号問題 トランプ大統領
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