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女性活躍(その10)(在仏ライター 髙崎 順子氏のシリーズ:フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽、フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由、「妊娠は病気じゃない」の意味 日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント) [社会]

女性活躍については、1月27日に取上げた。今日は、(その10)(在仏ライター 髙崎 順子氏のシリーズ:フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽、フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由、「妊娠は病気じゃない」の意味 日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント)である。

先ずは、在仏ライターの髙崎 順子氏が1月27日付け現代ビジネスに寄稿した「フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽 私たちはみんな「騙されていた」のか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59526
・『男女平等の度合いを測る「グローバルジェンダーギャップ」指数で149ヵ国中12位のフランス(2018年。日本は110位)。同国はここ10年で、このランキングを30位以上駆け上がった。フランス在住のライター・髙崎順子さんによれば、その大きな特徴は、男性も「男女平等の社会」が自分たちにとって有益だと認識し、制度改革を力強く推進してきたということだという。 一体、そこにはどんな工夫や努力があったのか。 フランスのあり方を過度に理想化することなく、日本に役立つヒントを探る本連載「フランスに探る男女連携社会の作り方」。第1回を始める前に、まずは日本における男女の問題について考える。「私たちの世代は、男も女も、双方が『騙されていた』のではないか」髙崎さんはそう言う。 フランスに来て、今年で20年目になる。 筆者は1974年に関東地方で生まれ育ち、4年制大学を卒業したのち、社会人2年目までを東京で過ごした。フランスに留学し学生としてリスタートしたのが25歳の時。再就職3年目で仏人男性と縁があり、そのまま結婚・妊娠・出産を経験した。今は日本メディア向けのフリーライターとして生計を立てつつ、サラリーマンの夫と共働きで、二人の小学生男子を育てている。 子育て世帯の例に漏れず、我が家の1日もとかく慌ただしく、必死で奮闘するうちに過ぎていく。が、幸い現状にも将来にも、大きな不満や不安はない。それはひとえにフランスの充実した子育て支援・公教育制度のおかげだが、最近ではもう一つ、もっと大きな理由があるように感じている。それはこの国での、男と女の在り方だ』、フランスは出生率が上昇した例外的な先進国だ。その秘訣を探る意味でも興味深い。
・『男だろうが女だろうが、親は親  フランスでは女性が働くことが至極当然で、結婚や妊娠出産を機に「家に入る」ケースはかなり少ない。必然的に共働き世帯が多く、その分、父親も当たり前に育児をする。それは、3歳以下の乳幼児を持つ母親の約7割がフルタイムで就労し、父親の約7割は子が生まれたら2週間の「父親休暇」を取得する、との数字にも表れている。 分担バランスは家庭によって様々だが、家事育児は父親・母親両者のタスクという扱いだ。その根底にあるのは、父親も母親も等しく一人の人間という、男女平等の意識である。 歴史由来の男女格差は依然あるけれど、それを是正せんとする意思が、行政にも社会にも強い。世界149カ国で男女平等達成度を測る「グローバル・ジェンダーギャップ指数」では、フランスは2018年、12位に位置している。 そこで生活する我が家でも、夫と私の家事育児分担はほぼ五分五分だ。それも「両者が全てこなせる」中での分担なので、どちらかが留守にしても、残りの家族の生活に大きな支障はない。下の子が義務教育就学年齢の満3歳になってからは、私が1週間以上の出張や日本帰省に出ることも増えた。そしてそのことを、周囲はごく自然に受け止めている。 しかし私の生まれ育った日本では、違う。共働きが多いのはフランスと同じはずなのに、家事育児の主な担い手は母親という認識が未だ固い。その母親が1週間も家を空けるなんて、まず有り得ない異常事態だ。 国際結婚の私ですら、単身で帰省するとまず「だんなさん、偉いね!」と夫が褒められる。家が荒れるでしょう、ご飯はどうしてるの、子どもたちはそれで寂しくないの……と、「母親が留守にする異常事態」へのご心配がしばらく続く。相手が私より上の世代であればあるほどそれは顕著だ。そしてその会話の度に、私の頭にはいつも同じ疑問符が浮かぶ。 どうして? 子どもは二人で授かったものでしょう? 夫は大人なんだから、一通りの家事は自分で出来て当たり前でしょう? なぜ夫がすると「偉い」で、私がするのは「当然」なの? どうして? ただ夫が男で、私が女だから? それでも私は会話の中で、その疑問を口に出したことは一度もない。作り笑いを浮かべながら、黙って話の調子を合わせてきた。日本はそうなのだ、と骨身に沁みて知っているから。 日本社会において、母親と父親は同じではない。同じ成人でも、年齢が学歴が社会人歴が同じでも。男と女は「等しく一人の人間」ではないのだ』、グローバル・ジェンダーギャップ指数で日本は110位でG7で最低である。私でも「単身で帰省する」筆者の勇気には脱帽だ。
・『男も女もない、はずだった  男と女は「等しく一人の人間」ではない。私がそれを痛感したのは大学卒業後、就職をしてからだ。もちろん生物学的な性差の話ではない。成人として社会で担う役割についてだ。 「勉強をして、いい学校に行って手に職をつけて、自立すること」。 昭和49年生まれの私は、物心ついたときから、大人になるとはそういうことだと教わってきた。共学校で男女は区別なく机を並べ、同じ科目を勉強し、同じ給食を食べ、同じように部活動をした。保健体育や技術・家庭科など履修科目に多少の違いがあっても、そこに意識すら向かなかった。 同級生の多くは専業主婦世帯で育ち、母親たちは節約と内職で家計を支えつつ、口を揃えてこう言った。「結婚しなくても食べていける経済力をつけて欲しい」「これからは女の子も自立しなくちゃね」。 勉強の得意な子は四年制大学からの大企業就職コース、そうでもない子は職業系の高校や専門学校からの技能取得コースが用意され、いずれにせよ「働く」ことが、女子学生の将来設計の基本だった。 大学受験は1990年代前半。少数派だった共働き世帯数が増加し、専業主婦世帯数に並んだ。女性の大学進学率も(短期大学込み)、男性のそれを追い越した頃だ。「女性も、男性並みに社会でやっていける」、そう刷り込まれて育っていた。 第2次ベビーブームで203万人いた同級生との受験戦争は熾烈で、おまけに高校時代にバブルが弾けたものだから、就活は氷河期真っ只中。もがきつつもなんとか内定をもらい、新社会人になった。就職先の教育系出版社で、部署の同期は女性二人に男性一人。これまで通り男も女もなく、並んでの社会人デビューだと思った。 が、それは幻想でしかなかった。 仕事の割り振りは男女関係なくされたはずなのに、机の配置や資料配布など、会議の雑用的な事前準備には女性社員だけが呼ばれる。飲み会となればお酌は当然、女の役目だ。取引先との会食では、お天気の話題と同じノリで「彼氏いるの?」。酒が進めば下ネタも進み、容姿や体型に絡めて性経験を聞かれることもザラだった。 その間、男性の同期は年上社員に将来の夢を熱く語り、説教を受け、競馬やプロ野球の話題に花を咲かせている。ああ、私もそっちに行きたいな……何度そう思ったことだろう。 それでも当時の私は、大きな疑問を抱くことすらしなかった。「社会」という大きな仕組みの中では、これも致し方ないこと。適応しなければ生きていけない。そう言い聞かせて新人の1年を勤めた。 社会人2年目の1999年には橋本龍太郎内閣で「男女共同参画法案」が成立したが、私の目の前の現実は「そんな法案どこ吹く風」だった。1年目には「新人だから」と受け入れていた不愉快ごとが、実は「女だから」起こっていたと知った(名前を呼び捨てにされる、出身大学を嫌味のネタにされる、打ち合わせを夜にばかり設定される……)。 お前は女だ、男と違うんだと、思い知らされる毎日。音を立てて幻想が崩れ落ちる中、さらにダメ押しの一撃がやってくる。「25で結婚、30までに出産」というアレだ』、筆者は東京大学文学部卒だが、「就活は氷河期真っ只中」で就職には苦労したようだ。キャリア志向の筆者でも「25で結婚、30までに出産」というのが「ダメ押しの一撃」とは、驚かされた。
・『結婚・出産プレッシャーと「いいお母さん」へ強迫  「そろそろいい人、いないの?」 それは面白いように突然、24歳の頃から始まった。「女が仕事ばかりしてたら、いいご縁を逃すよ」「どうせ結婚したら辞めちゃうんだし」「結婚相談所に頼れるのも29まで。30すぎたら一気に引きがなくなる」「30過ぎの独身女は〈難あり〉に見られるから」「子どもが欲しいなら30までに相手を見つけないと」「男は結局、若くてかわいい嫁さんが欲しいんだよ」……。 書き連ねたら笑えてくるが、残念なことに、全部私自身が受けた言葉だ。そしてそれを受け流しながら、当時の私は冷や汗をかいて戸惑った。 話が違う。 「25で結婚して30までに子どもを産む」なんて人生設計、これまで誰にも教わってない。聞いていたのは「いい学校を出ていい職に就き、大人として自立すること」だった。 それが今になって、なんだって? 突然違うことを求められたって、どうしろっての? その戸惑いを漏らしてみても、周囲は「そりゃそうでしょう」と薄ら笑いをするだけだった。まるで私一人が、何も分かっていなかったみたいに。 「騙された」 全くもって情けないが、私の正直な気持ちはそれだった。 男と女は同じじゃない。いい学校を出ていい職に就くことなんて、女には求められていなかった。そんな現実は誰も言わないから、耳に綺麗な言葉の羅列を馬鹿みたいに信じ切ってしまった。一生懸命勉強して、鬱になりかけながら就職活動もして。 なんだったんだ、一体。 その時の失望感は少なからず、私のフランス行きの背中を押していたように思う。25で会社を辞め留学した後も、結婚出産プレッシャーのコンボ攻撃は「日本」と接触するたびに私を襲った。ライターとして独立しても、それを労い評価する声より、独り身でいることを憂う声が多く聞こえた。 なので夫と縁があって33で結婚し、35で第1子を授かった時、私は心底ホッとした。これで「アガリ」だ!もうあんなことやこんなことも言われないで済むんだ!と思った。そう思う分だけ、私自身も、日本のダブルスタンダートに毒されていたのだろう。一件落着のような気分になったが、それがまたもや無邪気な勘違いだと気づくのに、さほど時間はかからなかった。すぐ後に、別のワナが潜んでいたから。 「子育て優先だよね?」「子どもが小さいうちは家にいなきゃ」「母乳で育てて、離乳食は手作りでしょ」「保育園に預けるなんて、かわいそう」「辛くたって、子どもが可愛いから大丈夫」「自己犠牲して当たり前。お母さんなんだから」……「いいお母さん強迫症」とでも言いたいような、強烈な波状攻撃だ。 それが子を産む前までの「私」の人生を、根こそぎ帳消しにする勢いで迫って来た。お前は「髙崎順子」から「母親」になったのだ。どうしても仕事を続けたいなら、まず母親として完璧であれ……。 私の体はフランスにあったが、付き合いの輪は日本の方が広く、子育て関連の情報も日本語で集めていた。そのため第1子の乳幼児期は、日本的な「いいお母さん強迫症」の影響をもろに受けた。そして私の心に去来したのは、一件落着したはずのあの思い、「騙された」だった。 いいお母さんになれなんて、誰にも言われたことがなかった。仕事を辞めて子どもとつきっきりで過ごす、そんなやり方教わってない。結婚して子どもを産んでも、それまで通り生活できると思っていた。仕事を続けるのがこんなに大変だなんて、誰も教えてくれなかった……。 どれだけ自分でものを見ず、考えなかったことだろう。与えられた環境と敷かれたレールの上でのうのうと生きてきた自分の、無邪気なバカぶりに泣けてきた。が、それが、偽らざる気持ちだった』、「日本的な「いいお母さん強迫症」」とは言い得て妙だ。
・『実は男も、騙されていた  もしあの時日本に住んでいたら、私は危なかったとよく思う。努力して作り上げた「自立する大人としての自分」と、求められる「いいお母さん像」の乖離で、心か身体、もしくはその両方を壊していたかもしれない。そうならなかったのは、私がフランスに住んでいたからだ。 フランスにも男女差別はあるし、現代にそぐわない父性・母性幻想も存在する。が、それらは過去の悪弊という社会の認識がある。結婚してもしていなくても、子どもがいてもいなくても、みながそれぞれの生を「できるだけ辛くなく」生きられるように。男も女も、等しい人間として。 そのために制度が整えられ、努力が続けられている。私はその社会と制度に救われて、なんとかやってきた。同じ人間でも暮らす社会が変われば、生きにくさはこれだけ緩和されるのだと実感しながら。 その自覚を持ちつつ、少し離れた位置に立って、日本を客観視できるようになったのだろう。去年私はふと、あることに気がついた。私は女として、日本社会に「騙された」と思ってきた。しかしそれは実のところ、男たちも同じだったのではないか、と。 同級生の男の子のほとんどは、私と同様、家に帰れば家事育児をするのは母親だけ、という環境で育っている。父親は仕事仕事で、食事を一緒にするどころか、顔を見る時間もない。 彼らは悲しいことがあっても「男らしくない」と泣くことを許されず、「男は辛くとも堪えて仕事をし、可愛い女房子どもを養うもの」と刷り込まれた。当然、家事や育児を教わるはずもない。それは男のすることではない。 そして就職すれば父親と同じように、男社会の付き合いに長い時間を拘束される。真夏でもスーツとネクタイに身を包み、残業は「やって当たり前」。ところがその一方で、父親の世代とは大きな違いも目立つようになった。献身の代償であった正社員契約も終身雇用も、もはや保証されなくなったのだ。 そんな不安定な中でいざ結婚を考えると、またもや戸惑う要素ばかりが並んでいる。「可愛い嫁さん」になってくれるはずだった女の子たちは、自分と同じように仕事をしている。養ってくれなくていいが、家事も育児も分担だと言う。それを聞いて、彼らはどう思っただろう。 私の知る限りであるが、同年代の男性の多くは親譲りの性別分担家庭モデルを貫き、家事育児は妻に任せている。それは妻が専業主婦でも共働きでも変わらない。 男性優位社会の日本でそうすることは簡単で、円満な家庭ももちろんある。その一方、今や多数派になった共働き世帯の妻たちは過負担で疲れきり、夫への不満を蓄積しているように見える。男性の側は従来通り「仕事だけしていればいい」のかもしれないが、それを彼ら自身は「幸せ」と思っているのだろうか。 もちろん中には働く妻を尊重し、新しいバランスを模索する人もいる。だがそんな彼らを、日本社会はまだまだ異質なものと見る。家族のために行動することで、社会人失格だとなじられる。 女性活躍、女性が輝く社会、男性も家庭に進出しましょうと、立派な看板が立っているにもかかわらず。そこで彼らは戸惑い、失望しなかっただろうか。作り上げて来た自分と、生きなければいけない現実の乖離を感じなかっただろうか。「騙された」と。 そこまで考えて、私はいたく悲しい気持ちになった。女として、私は社会に騙されたと思っていた。男性優位社会で、女だけが生きにくさを強いられているのだと。しかし蓋を開けて見れば、騙されたのは男も一緒。今の日本社会は、男女それぞれにとって、生きにくい場所なのだ。 それは各種の数字データや現象にも表れている。高い未婚率と、過去最少を更新し続ける年間出生数。親世代より低い年収に非正規雇用率の高さ。待機児童問題は依然改善せず、ワンオペ育児の言葉は流行を超えて定着してしまった。前述のグローバルジェンダーギャップ指数で、日本は149カ国中110位。2017年、日本の自殺の7割は男性で、しかも一番多いのは40代だという』、「騙されたのは男も一緒。今の日本社会は、男女それぞれにとって、生きにくい場所なのだ」、鋭い指摘で、確かにその通りだ。
・『男と女が、連携できる社会のヒント  生まれ育った日本社会が、男女にとって生きにくい場所になっている。その認識を持ち、改めてフランスを見ると、男も女も日本よりずっと、生きるのが辛くなさそうだ。高い失業率や重い税負担、階級差の固定など暗い世相は確かにあるけれど、それらは男女の性差に由来しない。 そしてこの状況は偶然の賜物ではない。男女が互いの違いを認め合い、連携して、より生きやすい社会とする工夫や努力を行なっているのだ。家庭から職場、教育現場、政治の舞台に至るまで、あらゆる場所で事細かに。ジェンダーギャップ指数ランク12位は、伊達ではない。 それらの工夫や努力をつぶさに見ていくと、日本にも、ヒントになりそうなものがある。それを伝えていけないだろうかと、私は願うようになった。愛する母国の日本が、男にも女にも、より生きやすい社会になるために。 そんなことを折に触れ話していたら、現代ビジネスが連載の機会を与えてくれることとなった。テーマは、男性と女性がいがみ合わず、より「マシ」な生活を目指して、手を取り合える社会の築き方――言ってみれば「男女連携社会の作り方」だ。第1回では男女の最も大きな違い、妊娠出産を取り扱う。 歴史も文化も異なる国を並べ、先進事例のコピペを促すことには意味がない。が、「他山の石」のことわざ通り、知ることで少しでも、日本のプラスになることがあるのではないか。読む人の発想の転換や、思考を深めるネタになれればーーそう願いつつ、書いて行きたいと思う』、フランスもかつては男性優位社会だったのが、どのようにして変わってきたのか、興味がそそられる。

次に、上記の続き、2月17日付け現代ビジネス「フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由 フランスに探る男女連携社会の作り方①」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59887
・『男女平等を力強く推進し、「グローバルジェンダーギャップ」のランキングを短期間のうちに駆け上がったフランス。本連載「フランスに探る男女連携社会の作り方」は、男女の〈連携〉の在り方を同国に学ぶ。 第1回となる今回は、避妊と中絶について紹介する。フランスでは避妊をする際、ピルを使うなど「女性主導」で行うケースがほとんどだという。日本の感覚とは随分違うが、実はそこに深い理由が隠されていた。 25歳でフランスにやってきて以来、男と女に関して山ほどのカルチャーショックを受けてきた。その中でも安定のベスト3に入るのが「避妊」だ。これは在住20年目の今振り返っても、変わらない。 日本で生まれ育った私にとって、避妊と言えばコンドーム。しかもそれは十中八九、男性が用意するものだった。知識としてはオギノ式(いわゆる「安全日」計算)もあったが、自分で活用したことはない。フランスに行った後も同様で、「避妊と言えばコンドーム」は世界の常識なのだと思い込んでいた。 その思い込みがまったくの誤解だと知ったのは、遡ること14年前。夫と交際を始めた当初のことだ』、確かに、世界的には「避妊と言えばピル」が常識だ。
・『避妊、私がするの?!  彼(現夫)とは移動3時間ほどの遠距離恋愛だった。最初は月に1回だった逢瀬が月に2回となり、付き合い始めて2ヶ月経つ頃には、お互いの家で隔週末を過ごすようになった。そんなある日、まるで食料買出しの相談のように、彼が言った。 「ねえ、ピルはいつから飲むの?」「……?!」 その意味がすぐに理解できなかったのは、私のフランス語能力のせいではない。私はそれまでピルを飲んだことがなく、当時の拙い認識の中では、ピルは生理不順の治療薬だった。生理不順でもない私が、なぜピルを飲まねばならないのか。そしてなぜそれを、男のこの人が言い出すのか。動揺しつつ、なぜ今その話になったかを聞いた。しれっと答えた夫の言い分はこうだった。 ーーお互い性病がない。 ーーお互い恋人同士と認定しあった。 ーーけどまだ君と子どもを持つことは考えられない。遠距離でもある。 ーーそしてセックスはコンドームなしの方がいいに決まっている。 ーーコンドームは感覚面だけではなく、経済的にも手間的にも自分には負担だ。 ーーちゃんと付き合うことになった今だから、この話ができると思った。 そして「フランスでは、ステディな恋人同士になったらみんなピルで避妊するんだよ」と。 当時夫は25歳、私は30歳。25歳の青年が、付き合い始めて2ヶ月で、子どものことまで考えるか?避妊が必要というのは分かるけれど、お前がナマでしたいがために、私が薬を飲むのか? フランス女性の大半はピルを飲んでいる、それは知識としては知っていた。けれど我が身となれば話が違う。女性だけが避妊をするなんて!男の責任はどこにあるんだ!半ば憤慨気味に周囲の女性に相談すると、なんと全員がピル使用者だった。そのうち一人は半ば呆れ気味に私を見て、こう言った。 「あなたねぇ。自分の体のことでしょう。今妊娠して困るのはあなたでしょ?自分は自分で守りなさいよ!」』、「当時の拙い認識の中では、ピルは生理不順の治療薬だった。生理不順でもない私が、なぜピルを飲まねばならないのか」、避妊に関してはウブだったようだ。
・『女性による避妊率71.8%の意味  ピルを飲むことが、なぜ「自分を守る」ことになるのか。当時の私は正直ピンと来なかった。が、二人の子を持った今となっては痛いほど分かる。 子どもは、人生を大きく変える。素晴らしいことも多いが、負担も多い。しかも前回の記事で書いたように、その負担の多くはまだまだ、女性にばかり偏っている。そして子育ては、辛いからと言って「ハイやめます」とは放棄できない、責任重大な案件だ。条件が揃っていない環境での妊娠は、生活の危機にすらなる。 「学業、仕事、生活スタイル。子どもを持つことで、人生の全てが大きく影響を受けます。しかも妊娠は女性の体にしか起こらないこと。だから女性が自分で、コントロールすることが大切なんです」 そう語るのは「フランス女男平等高等評議会」のクレール・ギュイロー事務局長。男女格差是正の観点から政策を監視し、提言する公的機関で、妊娠・出産も重要テーマの一つだ。 女性避妊の重要性は、社会にも浸透している。2016年に15〜49歳の避妊対象女性(妊娠を望まず、かつその可能性のある女性)に行われた調査では、71.8%が自分自身に施す医学的避妊(ピル、パッチ、子宮内避妊具など)を選択。その大半は医療保険の適用範囲内で、自己負担35%で利用できる(日本ではこれらの避妊手段は保険適用外。次回で詳細)。 一方コンドームの使用率は15.5%で、こちらは全額自己負担だ。使用機会の多くは「その相手との初めての性行為」で、避妊だけではなく、性病予防の意味合いが強い。私の夫がプレゼンした「ステディになったらピル」は、データから見ても、フランスでごく一般的な感覚なのだ。 女性避妊の普及は、社会における男女平等の大きな指標でもあると、ギュイローさんは言い添える。 「男性が子孫を増やすには、女性がどうしても必要です。だから人間の長い歴史上、男性優位社会では、女性避妊や中絶はいつも禁止されてきました。自分で産めない男性が確実に子を持つには、女性の出産を支配するしかない。つまり女性が自分で避妊できる、妊娠出産するかしないかを決められる社会は、女性が男性に支配されていない、という証でもあるんです」』、最後の部分は、言われてみれば、その通りなのかも知れない。
・『避妊・中絶が「権利」になるまで  フランスでは避妊だけではなく、人工妊娠中絶も医療保険でカバーされる。 中絶手段は二種類。7週までの妊娠中断薬(ミフェプリストン)、14週までの中絶外科手術を自己負担無料で受けられ、成人女性なら他者の付き添いは必要ない。また性交後72時間以内ないし120時間以内摂取の緊急避妊薬(レボノルゲストレルとウリプリスタル、通称アフターピル)は未成年・医療保険未加入者は無料で、保険加入者は処方箋があれば自己負担35%で入手できる。処方箋なしの場合でも、販売価格は3〜7ユーロと手頃だ。 15〜18歳の未成年の中絶には成人の付き添いが必要だが(近親者でなくとも良い)、緊急避妊薬に限り、街角の薬局や校内医から匿名・無料で入手できる。これは未成年者向けの特別措置だ。妊娠の理由が合意のセックスだけではない以上、「なぜ妊娠してしまったか」よりも、その妊娠が女性の心身・人生に及ぼす影響を重要視するためだ。 とはいえ妊娠・出産が「女性の権利」として確立するまでには、長い時間がかかった。フランスはもともとキリスト教的父権主義が強い、ガチガチの男性優位社会だ。1965年までは、「既婚女性が就職するには夫の同意が必要」というトンデモ法律まであった。 そして驚くべきことに、かつてフランスで避妊は「違法」だった。避妊が合法化されたのは、1967年。先進諸国でウーマンリブ運動が加速化し、フランスでもそれが盛り上がっていた時分だ。が、当時の議会は男性の圧倒的多数で、女性の声はなかなか届かない。そこで避妊合法化が実現したのは、ある男性議員の尽力があった。 その男性議員の名前は、リュシアン・ヌヴィルス。市議として離婚政策に携わり、離婚紛争の大半が「望まない子の出産」から始まることを目の当たりにしてきた。そしてそれをきっかけに、多くの女性と子どもが貧困に陥ることも。 避妊は1920年成立法で禁止され、中絶も違法だった。合法な手段がない中でヤミ中絶が後を絶たず、劣悪な環境で手術を受けた女性の健康問題も深刻だった。自身も娘がいたヌヴィルスは、女性運動団体や科学者、医師の後押しを受け、1966年、法案提出を決意する。 避妊合法化法案はそれ以前にも11回国会提議され、全てが棄却されていた。しかも当時の大統領シャルル・ド=ゴールは保守派で、自身も熱心なカトリック教徒。「ピル? フランスではありえない!」と公に宣言するほど不利な情勢で、ヌヴィルスは戦略的なカードを切る。避妊を倫理や文化面ではなく、「人権」「社会」から語ったのだ』、「避妊合法化法案はそれ以前にも11回国会提議され、全てが棄却されていた」、「当時の大統領シャルル・ド=ゴールは保守派で、自身も熱心なカトリック教徒」にも拘らず、法案提出を決意した議員「ヌヴィルス」は大した人物だ。
・『社会のより良いバランスのために  第二次大戦でフランスを解放したシャルル・ド=ゴールは、女性参政権を実現した大統領でもある。「自由フランス」の象徴を自負する権力者に、ヌヴィルスはこう言った。 「大統領。あなたは女性に選挙権を与えた。今度は彼女たちに、生殖機能を自分で管理する権利を与えてください」 避妊とは女性が、自分の体を自分で管理する権利であるーーそう説かれた大統領は黙り込み、その後、告げた。 「君の言う通り、命を受け継ぐことは重大事だ。熟考の末での行動であるべきだろう。続けたまえ」 大統領のお墨付きをもらったヌヴィルスは、国会で避妊合法化の必要性を「女性の解放・子どもたちの教育環境の改善・社会のより良いバランス」から主張。法案は1967年に可決され、「ヌヴィルス法」と名付けられた。 「妊娠・出産を選ぶ権利」はその後、1975年の中絶合法化で一つのパッケージとなる。しかし中絶の合法化には、避妊よりさらに激しい反発があった。そしてそれを上回る、女性たちの悲痛な声も。 粘り強く合法化を推し進めたのは、当時保健相を務めた女性政治家シモーヌ・ヴェイユ。「昔も今もこの先も、喜んで中絶をする女性は存在しません。中絶は悲劇であり続けるのです」と訴える演説は語り草となっているが、ここにもまた、彼女と共闘する男性政治家がいた。 無法化したヤミ中絶の惨状を看過せず、その原因が半世紀以上前に成立した法にあると明示し、「法を現実に合わせる必要がある」と断言。そうしてヴェイユに中絶法の国会審議を命じたのは、時の大統領ヴァレリー・ジルカール=デスタンだった。 避妊・中絶の両方が合法化されてから、約40年。フランスではこの間に、3人以上の子を持つ家族数が1/3に減った。そして社会全体の相対的貧困率も12%(1970年)から8%(2015年)まで下がっている。両方のデータとも、単純に「避妊・中絶合法化のおかげ」と言うことはできない。だが、その背景に「女性が妊娠しない権利」の確立があったことも、確かな事実だ。 ではこうしたフランスの視点から日本の現状はどのように見えるのか。次回は、フランスと日本の違いについて考える』、「避妊とは女性が、自分の体を自分で管理する権利である」と説かれたド=ゴール大統領が了解、その後中絶の合法化を進めるよう指示したジルカール=デスタン大統領、いずれも保守派だが必要とあれば、改革を認めるとはフランス政治の懐の深さを表しているような気がする。

第三に、上記の次の次、4月5日付け現代ビジネス「「妊娠は病気じゃない」の意味、日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63926
・『・・・妊娠は病気じゃないんだから甘えるな  「おめでたですね」 医師が妊娠を告げるシーンで使われる、この定番の表現が私は苦手だ。私自身子どもが二人いて、彼らに恵まれたことは幸運だと思っている。が、そのための妊娠出産体験には、苦しい思い出が多いからだ。 私はフランスで妊娠、出産したが、妊娠中は不定愁訴の連続だった。始終うっすら吐き気のするつわりが数ヶ月続き、お腹が出始めると股関節神経痛に見舞われ、歩くたびに激痛が走った。 おまけに妊娠期間特有の糖代謝異常「妊娠糖尿病」も罹患していた。後期は胎動が激しく夜も熟睡できない。とにかく全身のどこかが常に、しんどかった。それでも胎児の成長は順調で、妊娠糖尿病以外は「正常な妊娠」の範疇だった。 しんどいのは体だけではない。お腹の子に何かあっては、との不安から、転倒の危険がある階段の上り下りでは毎回緊張した。一度流産をしてからは、トイレに行くたびに出血が不安で肝を冷やした。 何かあったら傷つくのは、私と胎児だけではない。子の誕生を待ち望む家族を横目に、責任感で泣きたい気持ちになったのは、一度や二度ではなかった。つくづく、私にとって妊娠は「めでたい」だけではなかったのだ。 妊娠中、そんなしんどさを祖母に漏らしたことがある。すると国際電話の向こうの祖母は、語気を強めてこう言った。 「妊娠は病気じゃないんだよ。大げさな子だねぇ。甘ったれたことを言って!」 とっさに私は何も言い返せず、モゴモゴと言葉を濁して話を変えたように思う。その言葉の衝撃は強烈だった。そして衝撃が過ぎた後は、ひたすら悲しかった。この辛さが「甘ったれたこと」だって? 妊娠は病気じゃないなんて、誰が言ったの? 心も体もこんなにしんどいのに!』、「妊娠は病気じゃないんだよ」との祖母の言葉は、元気づけのため発破をかける日本人のおばあさんらしい。
・『妊婦のしんどさを理解しているフランス社会  祖母の発言が衝撃だったのは、私がそれに慣れていないせいもあった。フランスでは、妊娠出産に伴う不調や辛さを訴えて、祖母のような対応をされたことは一度もなかった。いや、より正確を期すなら、前半は同じだったが、後半が正反対というくらい違った。 フランスでも「妊娠は病気ではない」の認識は一般的だ。しかしそのあとは「だから大変だね」と続く。最初の妊婦健診で産婦人科医に受けた説明から、バスや地下鉄の中、スーパーマーケットのレジ待ちの列に至るまで。 妊娠は病気じゃない。だが、いつ重大事になってもおかしくないリスクを伴い、不快な症状も治療できないものが多い。それらは無事出産が終わるまで、どうしようもないことだ。そりゃあ大変だね。なるべく負担は少ない方がいいね、と。 妊娠をめぐる制度面でも、同じ認識をいつも感じた。妊婦健診と分娩関連費は全額、国民医療保険の対象で、立て替え支払いもない。つまり、自己負担はゼロだ。 妊娠6ヶ月からは、妊娠に関係ない疾病の医療費も全額、医療保険でカバーされ、これもやはり自己負担はない。国内の出産施設の7割は保険適用範囲内の公立病院だ(公立は自己負担ゼロ。私立病院では、部屋代やエコーなど基本医療費以外の料金が追加されることがある)。 公立病院の部屋や食事は平均的な疾病入院と同様かなりシンプルだけれど、医療面や安全面で問題はなく、助産師の育児サポートもしっかりしている。 ちなみに出産の際の無痛分娩(硬膜外麻酔)は90年代から妊婦の全員の「産科医療の権利」となり、こちらも自己負担はゼロで選択可能だ。2016年の調査では、経膣分娩(お産全体の約8割)の79%が無痛分娩だった。 それらの医療費の公的負担に加えて、子ども一人当たり12万円ほどの出産祝い金が支給される。 そんな環境で妊娠出産を経る間、「しんどさが、社会に理解されている」と、私は感じていた。その上で妊婦の負担をできるだけ減らせるよう、制度が作られているのだと』、なるほど、よく出来た考え方や制度のようだ。
・『日本の社会は妊婦に冷たい?  祖母の発言とフランスの環境を話すと、日本の知人たちはほぼ同じ反応をする。祖母の発言に関しては「まぁそうだろうね」「自分も言われた」。そしてフランスの社会や制度に関しては「羨ましい」だ。 「おばあちゃんならまだいいじゃん。私それ、自分の夫に言われたよ。産婦人科の待合室で、同伴した夫が堂々と座ってたりするしね」 「妊娠すると迷惑、ってあからさまに言う職場もあるよね。なんで今したんだ、とか責められたり。マタニティマークが嫌味だ特権だ、って言う人もいるんだよ」 「立て替え払いがないだけでも本当に羨ましい。出産の時は20万円くらい追加で払ったし、検診だって毎回5000円は飛ぶんだよ。ほら、妊娠は病気じゃないから」 日本の妊娠生活のしんどさを友人知人から聞くと、私はなんとも不思議な思いに駆られてしまう。彼女らの言うことはメディアでもよく目にしてきたし、都内在住の知人には、分娩費用だけで100万円近くかかった人もいる。 しかし一方で、漫画『コウノドリ』を愛読する私は、日本の周産期医療が世界トップレベルだとも知っている。 祝膳や母乳マッサージのような周辺サービスも充実しているし(どちらもフランスにはない!)、医療関係者の対応の細やかさは、フランスの確かだけども大らかなケアを受けていた私の方が羨ましいくらいだ。補助金などの制度面でも、日本の妊娠出産支援は決して貧しいわけではない(後述)。 その一方で、一般社会の妊婦に対する認識や態度は厳しい。日本労働組合総連合会が2015年、妊娠出産を経験した働く女性1000人に行った調査では、5人に一人が職場で「不利益な取り扱いや嫌がらせを受けた」と答えている。「妊娠は病気じゃない、甘えるな」の反応は、時代錯誤の少数派ではない、目の前の現実だ。 フランスでは、社会風潮と医療・行政のあり方が「妊婦支援」で一致している。しかし日本ではそれが、完全に分裂してしまっている。医療・行政は妊婦をフォローしているのに、社会は妊婦を突き放す。どうしてこんな奇妙な事態になってしまったのだろう。 日本とフランスのこの違いは、一体、どこから来ているのだろうか』、日本では企業をはじめ、社会が「妊婦に冷たい」のは残念ながら確かだ。
・『妊娠は病気ではない、それで? 〜フランスの場合〜  世界トップレベルの周産期医療で妊婦をフォローしながら、妊婦に厳しい日本社会。その不思議現象の軸にいつもあるのが、「妊娠は病気ではない」という考え方だ。フランスもそれは同じだと前述したが、妊婦に対する社会の姿勢は全く違う。日本とは、何が異なっているのだろう。 「確かにフランスでも妊娠は、疾病とは定義されていません。しかし、密な経過観察の必要な『一時的に脆弱な状態』とされています。乳幼児と同じ分類ですね」 そう答えたのは、フランスの医療行政を司る保健省の担当者だ。 「妊婦の脆弱さが一番強く現れるのは、やはり健康面。なのでフランスの社会保障法典では、妊娠の「リスクと帰結に対し、医療関係諸費を国の社会保障制度が担う」と明記されています」 フランスは国民皆保険制度、かつ正当に滞在する外国人も受益者と扱うので、国内で妊娠した女性はほぼ全員が、同じ権利を持つことになる。「妊娠・出産を国の医療保険がカバーするべき理由も、多岐に渡っているのですよ」と前置きしつつ、担当者はフランス行政の妊娠出産に対する公式見解を、簡潔に教えてくれた。
 ー 周産期の母子には、重大な健康上のリスクがあり、それが医療で効果的に予防できる
 ー 妊娠出産を予防的にケアすることは、医療経済的に効率が良い。
 ー 生殖と妊娠に関して、女性たちの機会の平等には配慮が必要。それは新生児期から始まる子の医療ケアでも同様である。
「フランスは第二次大戦後、人口回復のために出生を増やしたいという国の強い意志がありました。妊娠出産をめぐる制度設計に、その意思が影響したことは大きいですね」 最初の妊婦支援は補助金の支給、いわゆる「現金給付」から始まった。しかしそれでは、居住地域や行ける施設によって、受けられる医療に格差が生まれてしまう。国内の女性に同じ権利を与えるためには、各地の医療環境を揃える必要があるのだ。 そのため80年代より、仏全土で分娩全般の医療化と環境整備が進められ、90年代に女性政治家シモーヌ・ヴェイユが保健相となった際には、無痛分娩を含めた妊娠出産の必須医療環境を無償で与える「現物給付」の形になった。 「金銭ではなく支援環境を与える「現物給付」は、インフラ整備の手間も時間もかかります。が、周産期の母子のリスクをできるだけ広く均一にカバーし、予防診療を行うためには必要と、政治的意思で進められました」 経験者として、フランスの医療環境、特に出産入院に関しては、快適度は日本より低いと感じる。しかし誰もが自己負担ゼロでアクセスできる範囲が広く、その質も揃っている点は、私にはとても安心だった。 特に妊娠中は疲労や不安が強く、「医療を選ぶ」という成人として当たり前の作業すら、負担になる時期だったから。医療費の立て替え払いが一切ない、ということも、なんだかんだとお金のかかる妊娠出産時期には、心の余裕に繋がっていた』、「第二次大戦後、人口回復のために出生を増やしたいという国の強い意志がありました」、これだけ考え方や制度を整備してきたのは、さすがだ。日本では少子化が問題になってからも、殆ど何もしてないのは大違いだ。
・『妊婦は弱い存在と、法律が定めている  保健省の担当者と話しながら、一つの疑問が頭に残った。制度作りの考え方は分かった。しかしなぜ妊婦を「乳幼児と同じ、弱い存在」とし、その全員を医療保険に入れることができたのか。その点にモヤモヤが残ったのだ。 健康リスクの中でも、妊娠出産は女性の体だけのものである。国民のもう半分である男性にはないものだ。しかもフランス政界はつい10年前までかなりの男性優位社会で、行政の意思決定機関は男性ばかりだった。なぜフランスの男性たちは、自分には一生来ないリスクを、そこまで重要視することができたのだろう。 それを問うと担当者はキョトン、とした顔をして「繰り返しますが、政治がそう望んだ、ということです。当時の保健大臣は女性でしたし」と答えた。いやそれは分かるが、と食い下がり、日本のマタハラの現状などを伝えた。すると担当者はようやく質問の意図を理解したようで、「法律です」と続けた。 「妊婦は社会的弱者で、国民みんなが守らねばならない。そう法律で決められていますから」 その一例に、日本の刑法に当たる「フランス刑法典」の434-3条がある。 ここで妊婦は、未成年・障害者・高齢者・病人と並び、『自らの身を守ることのできない者』と定められている。彼らへの虐待・侵害・暴行は法律違反で、それを知ったすべての人は、司法または行政当局へ通報しなければならない。通報義務を怠った人には、3年以下の禁固刑または45,000ユーロ(約560万円)以下の罰則付きだ。 また外見や性別、出自などによる差別を禁止する刑法第225-1条の中にも、妊娠が列挙されている。加えて、雇用主に妊娠を理由にした不当な扱いを禁じ母体保護を命じる労働法と、医療費を社会保険でカバーする社会保障法が整備されている。 フランスの「妊娠は病気ではない」に続く「だから大変だね」の社会的な認識は、「妊婦」の法的な定義を基盤に培われたものだ。男女の性別の違いや、その妊娠が順調かどうかは関係ない。「妊娠している」という事実だけで、未成年や障害者、高齢者と同じ、社会の中の「守るべき弱者」となる。それゆえに国の医療保険に取り込むのが当然、という論理だ』、「妊婦」を各種の法律の中で、「社会の中の「守るべき弱者」」としたのはさすがだ。
・『妊娠は病気ではない、それで? 〜日本の場合〜  一方の日本では、妊産婦の保護を母子保健法・労働基準法・男女雇用機会均等法の法律で定めている。が、フランスの刑法典のように、一般社会全体で妊産婦を「弱い、守られるべき存在」と定義する文章は、私が調べた限りでは見つかっていない(ご存知の読者がいらしたらぜひご教示ください)。 例えば、妊産婦と乳幼児の扱いを定める基本法「母子保健法」を見ても、「妊娠」と「弱さ」を結びつける記載はない。 第一条にある法律の目的には、「母性並びに乳児および幼児の健康保持および増進を図るため」。つまり妊婦とはもともと健康であることが前提で、この法律はそれを保持・増進するためにある、という認識だ。妊婦を「脆弱」とするフランスとの違いは、大きい。 もう一つ象徴的な例に、妊婦向けに健診を促す厚労省の「妊婦健診を受けましょう」という小冊子がある。 そのQ&Aの一つ目、妊婦側の質問はこうだ。「そもそも、なぜ妊婦健診を受ける必要があるのかしら。妊娠は病気じゃないのに…」。それに対する回答は「妊婦健診は、妊婦さんや赤ちゃんの健康状態を定期的に確認するために行うものです」と、妊婦の脆弱性には触れていない。フランスのように「病気じゃないけど普段より弱い状態なので、観察が必要です」ではなく、ただ「健康状態を確認しましょう」と言っている。 日本の法律や公的な資料では、妊婦は基本的に「健康である」とのスタンスがある。妊娠出産は問題なく正常に進むのがデフォルトで、その間の様々な体調不良は基本的に、妊婦が「不快」と感じる主観的な症状という扱いだ』、どうも日本が遅れているのは、政治、企業や社会だけでなく、医学会も遅れているのではという気がしてきた。
・『二本立ての支援システム  日本で「妊婦は健康である」という前提が浸透していることは、補助制度にも現れている。 前述の通り、フランスがすべての妊婦を脆弱な存在であると考え、医療の「現物給付」を行っている(医療保険の対象としている)のに対し、日本では妊婦は「健康(正常)」であることをデフォルトとし、そこに「異常」が発生した時だけ医療を「現物給付」(つまり、医療保険を適用)しよう、という原則だ。  しかし実際、妊婦の体は完全な健康体ではない。妊娠出産が女性の体に及ぼす影響は国が変わろうと同じで、世界のどこでも、医療者の観察とケアが必要だ。「妊婦は健康である」との前提は、現実とは齟齬がある。 日本にも幸い、医療や行政の現場にはその齟齬を認識する人々がいて、「現物給付」以外の方法で妊婦を支援する制度が整えられてきた。 例えば経過観察の妊婦健診は医療保険対象外で、原則的に全額自己負担だが、補填制度がある。自治体が診療チケットを支給しており、提携医で受診し支払い時にそれを出せば、立て替え払いが必要なくなるシステムだ(自治体や施設によっては追加の自己負担もある)。 同じく「正常な」お産は医療保険の対象外だが、その費用を賄うために医療保険と同じ財源から、出産一時金(42万円)の給付がある(それを分娩施設が直接受け取る形にすれば、出産入院時の立て替え払いもない)。 どちらも現金(もしくはそれに類する診療券)を給付するシステムで、妊婦のデフォルトである「正常」で健康な人を、二本立てで支援している。 そして一度医学的に「異常」が発生すると、医療保険の対象内に取り込む仕組みだ』、なるほど。
・『「正常なお産」と「異常なお産」  「正常」と「異常」で妊娠の扱いが変わるこのシステムは、日本の医療現場ではどのように機能しているのだろう。 「産婦人科医が、一つ一つの医療行為について、これは私費、これは保険適応の医療行為と判断しています。すべて保険適応になったほうが、現場は助かりますね」都内のある産婦人科医はそう答える。 そもそも日本では、なぜ最初から、あらゆる妊娠出産を医療保険の対象としなかったのか。どうして「正常」と「異常」で、保険適用にする・しないと分ける制度になったのか。単純な疑問を抱くのは、私だけではないだろう。フランスのような例を知ると、なおのこと。 産科医療の歴史を説く資料類には、その理由が明記されている。日本の妊産婦は医学的見地から「正常」と「異常」の二種類に区別され、まずその区別ありきで、現状の制度が整えられて来たとのことだ。 歴史上、出産は自宅で、産婆など女性たちの助け合いで行われてきた。安産なら万々歳だが、異常があれば母子の生死に直結する。その救命に医師が迅速に介入するため、出産を自宅外の施設で行うようになったのは、第二次大戦後のこと。 例えば昭和25年当時は、妊産婦の250人に一人が死亡していた。現在でも「妊産婦の死に直結するリスク」は250分の一とほぼ同じだが、周産期医療によってそのうちの99%が救命されている。産科医療は「異常なお産」のために発展したものなのだ。 「正常なお産」の方は明治以降、資格化・医療技能化が進められ、現在は主に助産師という医療職が担っている。が、助産師が扱う「正常なお産」は、医療保険の対象ではないとされてきた。なぜなら、医師が介入しないから。 そこで用いられたのが「医師の必要ない正常なお産は、健康な自然現象である」との見解だ。同じ妊娠出産という現象でも、医学的に「正常」か「異常」かで、制度上の括りが大きく変わる理由はここにあるのだ。 日本でも、全ての妊娠出産を区別せず、ひっくるめて医療保険対象とする議論は、過去にも何度もなされてきた。しかしその度に叶わず、現在の仕組みに至っている。その歴史や経緯の報告・研究はいくつもあり、無料で読めるものとしては大西香世氏の論考が分かりやすい。ご興味のある方には是非、ご一読を勧めたい』、「日本でも、全ての妊娠出産を区別せず、ひっくるめて医療保険対象とする議論は、過去にも何度もなされてきた。しかしその度に叶わず、現在の仕組みに至っている」、その経緯を調べた「大西香世氏の論考」を一度、目を通してみたい。
・『命に関わらなければ「正常」なのか  医学的な見地で「正常なお産」と「異常なお産」を分け、フォローの枠組みが変わる日本の線引きは、一見とてもクリアだ。そして現在ではそのどちらにも、支援制度がある。 しかし、実際に妊娠出産を経験したものとしては、この「医学的に正常か、異常か」の線引き自体に、どうしても、苦々しい思いを抱いてしまう。 前述した通り、「医学的に正常」であっても、妊娠は女性にとってしんどいものだ。妊娠前には軽傷で済んだ感染症や転倒が引き金で、胎児死亡や母体の大出血に繋がる可能性は、どんな妊娠にもある。妊娠はそれ自体が、命に関わるハイリスクへの入り口なのだ。「異常」が起きていないときですら。 そして医学的見地ではなく、女性の体を人生全体から俯瞰するなら、妊娠出産こそ「異常期間」と私は思う。これは妊娠出産を経験した人なら、多く賛同してもらえる実感だろう。 妊娠中の9ヶ月間の体はあなたにとって「正常」でしたか「異常」でしたか? 「健康」でしたか「弱って」いましたか? そう問われて、迷わず「正常」「健康」と答えられる女性は、一体どれだけいるだろう。実際、月に一度の定期検診が必要なくらい、妊娠中の女性の体はそれまでとは違うのだ。 そしてこの「正常」と「異常」で妊娠を分ける観点こそが、日本社会の妊婦への無理解・不寛容と繋がっているように、私は感じてしまう。「正常な妊娠」が医者の介入の必要ない、医療保険の対象にもならないものなら、配慮の必要はないだろう。「甘ったれたことを言うな」という風に。 しかも妊娠出産に関係ない人々は、その冷たいスタンスを疑問に思うこともないのだ。彼らは国の制度が表すように、「妊娠は健康な自然現象」と思っている。だから配慮する理由も必要も感じない。異常じゃなければ正常、それが妊娠なのだから、と』、こうした日本の遅れた考え方を変えてゆくには、女性の有力議員が動く必要があるが、野田聖子、稲田朋美などではやはり期待薄だ。
・『社会から妊娠のしんどさを減らすには  妊娠はしんどい、でも社会はそれを理解しない。そんな状況では、少子高齢化も致し方ないように思えてしまう。しかしそれを放置しては、日本は先細りの一方だ。この状況を変えて行くには、どうすればいいだろう。 一番のキモは、「妊娠は病気ではない」に続く、「だから健康だ」との固定観念を変えて行くことだと、私は思う。そしてその方策を思案すると、「男女連携」というこの連載のテーマに思い至る。 「妊婦の苦しさを理解しない社会」の半分は男性で構成されており、その社会の仕組みを作る意思決定層の大多数も、男性だ。そして現時点で、彼ら男性の子をしんどい思いで妊娠出産するのは、男性自身ではない。それができるのは女性だけだ。 「妊娠はしんどいのだ。妊娠しているだけで、女性の体はいつもより弱くなり、正常な状態ではないのだ」。全世界共通の妊婦のリアルをまず、日本社会全体が認める。それを受けて意思決定現場で男女が連携し、妊婦の脆弱性を、あらゆる場面に反映していく。 法律や制度の変更に時間と労力がかかるなら、まずは妊婦を囲む一人一人の考え方から、変えていけないだろうか。産婦人科の待合室で席を立つ男性が一人増えれば、そこに座ってしんどさを軽減できる妊婦も一人、増えるのだ。 フランスで妊婦を「守るべき、弱い存在」と法律で決定し、医療保険で全額負担する仕組みを作ったのも、男性多数の現場だった。文化も歴史も異なる国と同じやり方はできないが、その発想や考え方を「他山の石」とすることはできる。「妊娠は病気じゃない。甘ったれるな」の呪いに傷ついた一人として、私はその変化を、切実に願っている』、身近な人間の行動を変えてゆくのは、やはり社会風潮の変化が必要だ。残念ながら時間はかなりかかりそうだ。
タグ:「妊娠は病気じゃないんだよ。大げさな子だねぇ。甘ったれたことを言って!」 社会から妊娠のしんどさを減らすには 法律や制度の変更に時間と労力がかかるなら、まずは妊婦を囲む一人一人の考え方から、変えていけないだろうか 日本の法律や公的な資料では、妊婦は基本的に「健康である」とのスタンスがある。妊娠出産は問題なく正常に進むのがデフォルトで、その間の様々な体調不良は基本的に、妊婦が「不快」と感じる主観的な症状という扱いだ 妊婦健診 日本労働組合総連合会 妊娠すると迷惑、ってあからさまに言う職場もあるよね。なんで今したんだ、とか責められたり 日本の社会は妊婦に冷たい? 妊婦のしんどさを理解しているフランス社会 フランスの社会保障法典では、妊娠の「リスクと帰結に対し、医療関係諸費を国の社会保障制度が担う」と明記 しんどさを祖母に漏らした 妊合法化法案はそれ以前にも11回国会提議され、全てが棄却されていた 合法な手段がない中でヤミ中絶が後を絶たず、劣悪な環境で手術を受けた女性の健康問題も深刻だった ある男性議員の尽力 避妊が合法化されたのは、1967年 男女が互いの違いを認め合い、連携して、より生きやすい社会とする工夫や努力を行なっているのだ。家庭から職場、教育現場、政治の舞台に至るまで、あらゆる場所で事細かに 女性が自分で避妊できる、妊娠出産するかしないかを決められる社会は、女性が男性に支配されていない、という証でもあるんです 日本で生まれ育った私にとって、避妊と言えばコンドーム。しかもそれは十中八九、男性が用意するものだった 「フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由 フランスに探る男女連携社会の作り方①」 避妊、私がするの?! 安定のベスト3に入るのが「避妊」だ 男と女に関して山ほどのカルチャーショックを受けてきた 妊娠中は不定愁訴の連続 妊娠は病気じゃないんだから甘えるな 「「妊娠は病気じゃない」の意味、日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント」 フランスでは避妊だけではなく、人工妊娠中絶も医療保険でカバーされる 背景に「女性が妊娠しない権利」の確立があった ヴェイユに中絶法の国会審議を命じたのは、時の大統領ヴァレリー・ジルカール=デスタン 確かにフランスでも妊娠は、疾病とは定義されていません。しかし、密な経過観察の必要な『一時的に脆弱な状態』とされています。乳幼児と同じ分類ですね 命に関わらなければ「正常」なのか 女性政治家シモーヌ・ヴェイユ 中絶の合法化 避妊・中絶が「権利」になるまで 経膣分娩(お産全体の約8割)の79%が無痛分娩 出産の際の無痛分娩(硬膜外麻酔)は90年代から妊婦の全員の「産科医療の権利」となり、こちらも自己負担はゼロで選択可能だ 妊娠6ヶ月からは、妊娠に関係ない疾病の医療費も全額、医療保険でカバーされ、これもやはり自己負担はない 妊婦健診と分娩関連費は全額、国民医療保険の対象で、立て替え支払いもない。つまり、自己負担はゼロだ いつ重大事になってもおかしくないリスクを伴い、不快な症状も治療できないものが多い。それらは無事出産が終わるまで、どうしようもないことだ。そりゃあ大変だね。なるべく負担は少ない方がいいね、と フランスでも「妊娠は病気ではない」の認識は一般的だ。しかしそのあとは「だから大変だね」と続く 妊娠は病気ではない、それで? 〜フランスの場合〜 避妊とは女性が、自分の体を自分で管理する権利であるーーそう説かれた大統領は黙り込み、その後、告げた。 「君の言う通り、命を受け継ぐことは重大事だ。熟考の末での行動であるべきだろう。続けたまえ」 時の大統領シャルル・ド=ゴールは保守派で、自身も熱心なカトリック教徒。「ピル? フランスではありえない!」と公に宣言するほど不利な情勢 髙崎 順子 フランスでは、ステディな恋人同士になったらみんなピルで避妊するんだよ 女性による避妊率71.8%の意味 (その10)(在仏ライター 髙崎 順子氏のシリーズ:フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽、フランスの避妊は「女性のピル使用」が大多数である深い理由、「妊娠は病気じゃない」の意味 日本とフランスでこんなに違います 妊婦の「しんどさ」を減らすヒント) 「フランスに暮らしてわかった「女も男も生きづらい」日本社会の理不尽 私たちはみんな「騙されていた」のか」 女性活躍 グローバルジェンダーギャップ あなたねぇ。自分の体のことでしょう。今妊娠して困るのはあなたでしょ?自分は自分で守りなさいよ!」 当時の拙い認識の中では、ピルは生理不順の治療薬だった。生理不順でもない私が、なぜピルを飲まねばならないのか 女性だけが避妊をするなんて!男の責任はどこにあるんだ! 71.8%が自分自身に施す医学的避妊(ピル、パッチ、子宮内避妊具など)を選択。その大半は医療保険の適用範囲内で、自己負担35%で利用できる 妊娠出産を経験した働く女性1000人に行った調査では、5人に一人が職場で「不利益な取り扱いや嫌がらせを受けた」と答えている 「正常なお産」と「異常なお産」 フランス フランスはもともとキリスト教的父権主義が強い、ガチガチの男性優位社会だ ここ10年で、このランキングを30位以上駆け上がった お前は女だ、男と違うんだと、思い知らされる毎日。音を立てて幻想が崩れ落ちる中、さらにダメ押しの一撃がやってくる。「25で結婚、30までに出産」というアレだ』 結婚・出産プレッシャーと「いいお母さん」へ強迫 全世界共通の妊婦のリアルをまず、日本社会全体が認める。それを受けて意思決定現場で男女が連携し、妊婦の脆弱性を、あらゆる場面に反映していく 「勉強をして、いい学校に行って手に職をつけて、自立すること」 「母親が留守にする異常事態」へのご心配がしばらく続く 「騙された」 全くもって情けないが、私の正直な気持ちはそれだった 149ヵ国中12位のフランス 男と女が、連携できる社会のヒント 「働く」ことが、女子学生の将来設計の基本 「いいお母さん強迫症」とでも言いたいような、強烈な波状攻撃 男だろうが女だろうが、親は親 大きな特徴は、男性も「男女平等の社会」が自分たちにとって有益だと認識し、制度改革を力強く推進してきたということ 男も女もない、はずだった 蓋を開けて見れば、騙されたのは男も一緒。今の日本社会は、男女それぞれにとって、生きにくい場所なのだ 男と女は同じじゃない。いい学校を出ていい職に就くことなんて、女には求められていなかった。そんな現実は誰も言わないから、耳に綺麗な言葉の羅列を馬鹿みたいに信じ切ってしまった 必然的に共働き世帯が多く、その分、父親も当たり前に育児をする 下の子が義務教育就学年齢の満3歳になってからは、私が1週間以上の出張や日本帰省に出ることも増えた 父親も母親も等しく一人の人間という、男女平等の意識 「母子保健法」を見ても、「妊娠」と「弱さ」を結びつける記載はない 子どもを持つことで、人生の全てが大きく影響を受けます。しかも妊娠は女性の体にしか起こらないこと。だから女性が自分で、コントロールすることが大切 妊娠は病気ではない、それで? 〜日本の場合〜 その負担の多くはまだまだ、女性にばかり偏っている 避妊が必要というのは分かるけれど、お前がナマでしたいがために、私が薬を飲むのか? 子どもは、人生を大きく変える。素晴らしいことも多いが、負担も多い フランスは第二次大戦後、人口回復のために出生を増やしたいという国の強い意志がありました。妊娠出産をめぐる制度設計に、その意思が影響したことは大きいですね 現代ビジネス
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