SSブログ

無差別殺人事件(その2)(小田嶋氏:「死にたい人」の背中を押すなかれ) [社会]

昨日に続いて、無差別殺人事件(その2)(小田嶋氏:「死にたい人」の背中を押すなかれ)を取上げよう。

コラムニストの小田嶋 隆氏が5月31日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「死にたい人」の背中を押すなかれ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00023/?P=1
・『川崎市の登戸でひどい事件が起こった。 詳しくはリンク先を見てほしい。私はあまりコメントしたくない。 登戸は、20代の頃、仕事上で行き来のあった人が住んでいた場所だ。その人はもう亡くなってしまったのだが、いつも自分の生まれ故郷である登戸について「ニコタマ(二子玉川)なんかよりずっと素敵な街だ」という言い方で自慢していた。 つい半年ほど前に所用で訪れた時にも、私の生まれ育ったあたりと同じ河川敷に近い街の空気に親近感を抱いた。なので、今回の事件は胸にこたえた。 宮崎勤による一連の幼女殺害事件が発覚したばかりの頃、保育園に通う女の子を持つ知り合いがとても怒っていたのを記憶している。 当時独身だった私は、いつもは温厚なその知り合いが、どうしてそこまで強い憤りを表明しているのかを、いぶかっていたのだが、後に、自分が子供を持ち、同じ立場の保育園児の親たちとやりとりするようになって、幼児を養育している親が、あの種の子供を被害者とする事件を決して他人事とは考えないことを学んだ』、「宮崎勤による一連の幼女殺害事件」は1988年から89年にかけての事件だったようだ(Wikipedia)。
・『今回の事件でも、幼いお子さんを持つ親御さんたちの反応は、やはりとてもビビッドだ。当然だと思う。 そんな中、Yahoo!ニュースの「個人」のトピックに 《川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい》という見出しの記事が掲載された。 ツイッター上で話題になっていたので、早速読みにいった私は、この記事を書いた藤田氏の見解に、おおむね共感を抱いた。「おおむね」というのは、全面的に同意したわけでもないからそう書いているわけなのだが、でもまあ、全体として彼が書いていることはもっともだと思っている。 記事の内容そのものとは別に、私がより強い興味を惹かれたのは、この記事に対してツイッター上やその他の媒体を通じて論評のコメントを寄せている人々の口調が、並外れて激越なことだった。 あの記事の主張に賛成できない人がいることは理解できる。藤田氏の見解を「的外れ」だとか「読みが浅い」というふうに評価する見方にも一定の論拠はあると思う。 ただ、藤田氏が書いたテキストは、内容も文体も至極穏当なものだ。誰かを非難したり攻撃したりしている文章でもない。とすれば、読んでみて共感できなかったにしても、口汚く罵倒したり、「弱者救済」商売というような言い方で中傷したりせねばならないような記事ではないということだ。 にもかかわらず、氏の記事は強い怒りを持った人々を呼び寄せている。で、その怒りに燃える彼らは、犯人に浴びせていたのと同じ口調で藤田氏を攻撃している。 どうしてこんな理不尽なことが起こるのだろうか。私にとっては、なによりこの点が不可解だった。 今回は、「怒り」について考えてみたいと思っている』、昨日の本ブログでも藤田氏の主張とそれへの攻撃を紹介した。
・『どうやら、あるタイプの人々は、怒りに水を差されるとさらに怒る仕様になっている。 いったい、何がそんなに彼らを憤らせるのだろうか。 その日の夜になって、私は《「死にたいなら一人で死ね」というメッセージの発信に注意を促した人は、殺人犯を擁護したのではない。「死にたいなら一人で死ね」というその言葉が、不安定な感情をかかえた人々への呪いの言葉になることを憂慮したから、彼はそれを言ったのだ。どうしてこの程度のことが読み取れないのだろうか。》というツイートを投稿した。 と、怒りは私のアカウントに向けられることになった。 このツイートには、5月30日の18時時点で、約18000件のリツイート(RT)、約44000件の「いいね」が集中している。 直接のリプライもこれまでに565件届いている。 リプライの多数派は、私の書き込みに対する怒りだ。 「どうしてこのタイミングでそれを言うのか」「お前が被害者の親でも同じことが言えるのか」「冷静ぶった偽善者の発言には虫唾が走る」とまあ、ケチョンケチョンのありさまだ。 もっとも、私のアカウントに直接語りかけるカタチでリプライを届けてきた人々の多数派が、私を罵倒していることは承知した上で、そのこととは別に、私は自分のツイートがツイッター世界の多数派に拒絶されたとは考えていない。むしろ、「いいね」の数や「RT」の数との対比から、私は、自分の書き込みに共感してくれた人の方が多かったと感じている。 その根拠になるのかどうかはわからないが、ツイッターのようなSNSでは、怒っている人間や憎しみを抱いているアカウントの方が多弁になりがちで、共感を抱いている人々はより沈着な反応を示すものだからだ。 悲しみが人々をフリーズさせ、彼らから言葉を奪うのに対して、怒りはそれを抱いている人間を饒舌にさせ、行動を促す。 であるからSNSには、悲しみや落胆よりは、怒りと憎しみがより目立つカタチで集積することになる』、「SNSでは、怒っている人間や憎しみを抱いているアカウントの方が多弁になりがちで、共感を抱いている人々はより沈着な反応を示すものだからだ」、SNSでの反応の本質を突いているようだ。
・『もう一つ、私が、藤田氏の記事の中では特に触れられていなかった点で個人的に懸念を持ったのは、「死にたいなら一人で死ね」というメッセージが、孤独な人間を犯罪に追いやる可能性とは別に、それらの言葉が希死念慮を抱いている人間の背中を押す結果にならないかどうかだった。 で、先ほどのツイートのすぐ後 《希死念慮を抱いていながらギリギリのところでなんとか生きながらえている人間は、それこそ何十万人もいる。そういう人々にとって「死にたいなら一人で死ね」というメッセージは、本当に破滅的なスイッチになり得る。強くいましめなければならない。当然だ。》というツイートを連投した。 これにも同じように、反発の声が多数寄せられている。 「希死念慮を抱いている人間を犯罪予備軍と一緒くたにするのか!」「『希死念慮を抱いている人間』なんていう気取った言葉を振り回さずに、『死にたい気持ちを持っている人』と言えばもっと伝わるのに」などなど、さんざんな言われようだ。 ひとこと申し添えておく。「希死念慮」という言葉は、たしかにガクモンくさいし、いかにも持って回った言い方に聞こえる。 ただ、私は、このある意味で難解な言葉は、「死にたい」と考える気持ちを、外側から客体化して表現している点で適切な言い方だと思っている。「自分は希死念慮を抱いている」という観察は、自分自身を少し離れた位置から見つめている分だけ、しっかりしている』、さすがコラムニストだけあって、言葉遣いには神経を使っているようだ。
・『いずれにせよ、自分自身の死について考えることが当面の慰安であるような局面に追い詰められている人の数は、のんきに暮らしている私たちが考えているよりずっと多い。 自分の人生の中で希死念慮を抱いていた一時期を経験している人ということになると、その数はさらに多くなるはずだ。さらに、血中のアルコール濃度がある水準を下回った時の、半ばオートマチックかつケミカルな反応として希死念慮を抱く習慣を持っているアルコール依存症予備軍を勘定に入れれば、「死にたい」と一瞬でも考えたことのある人間の数はもしかしたら、日本人の半数を超えるかもしれない。 そういう人々にとって 「死にたいなら一人で死ね」という言葉は、自死を促すスイッチになりかねない。私はそのことを強く懸念する』、「血中のアルコール濃度がある水準を下回った時の・・・希死念慮を抱く習慣を持っているアルコール依存症予備軍」、これは初めて知ったが、依存症経験のある小田嶋氏ならではの表現だ。
・『上記で紹介した罵倒とは別に、私のアカウントに寄せられたリプライの中には 「あなたの言いたいことはよくわかるし、もっともだとも思う。ただ、いまがそれを言うべき時であるのかを考えてほしい。あなたの主張は被害者遺族に対して配慮を欠いた物言いではないだろうか」という感じのやんわりとした指摘もあった。 もっと強い言い方で同じ趣旨のことを言ってくる人は、もっとたくさんいた。 おそらく彼らが指摘したかったのは、「犯人への憎悪と怒りが渦巻いている空気の中で、その空気に水を差す発言は、結果として犯人サイドを擁護することになるのではないか」「一番寄り添わなければならないのは、被害者であり被害者の遺族であるはずなのに、どうして事件が起きた当日に犯人やその予備軍に配慮した発言を発信しているのか」というようなお話なのだと思う。 毎度のことだが、この種の扇情的な事件が起こると、マスメディアもそうだが、特にネットメディアは、その「扇情」をさらに煽りにかかる傾きを持っている。 ちょっと前に「弱者憑依」(注)というなんともいやらしい言葉がちょっとバズったことがあって、私はこの言葉が大嫌いなのだが、今回のようなこの種の事件に際しては、毎度「被害者憑依」「被害者遺族憑依」とでも言うべき感情のアンプリファイが横行することになっている。 どういうことなのかというと、「被害者に寄り添う」という大義名分のもとに、犯人への憎悪や、事件への怒りや憤りを共有し増幅し、煽り立て、それらの感情的な同調をメディアぐるみで消費することで、あるカタルシスを得る運動が勃発するということだ。 より簡単に言えば、怒りや義憤や憎悪をかき立てることで、アドレナリンを分泌させて、感情的な負荷の棚卸しをする人たちが大量発生するということでもある。うん。あんまり簡単な言い方になっていなかった。 この点についても同じ日にツイートしているので、参考までに引用しておく。 《「怒り」という感情は快感をもたらすのだろうね。だから嗜癖する人は嗜癖する。というよりも、怒りは悲しみに比べてずっと対処しやすい感情で、だから、あるタイプの人々は、悲しむべき場面であっても、なんとかそれを怒りに変換しようと躍起になっていたりする。いずれにせよはた迷惑な話だ。》リンク 《なるほど。ツイッターは、怒りや憎しみの持って行き先を探している人々のための、マッチングサイトでもあるのだな。》リンク この世界の中には、何かに怒っていたり、誰かを憎んでいたりしないと自分を保てない人々が一定数暮らしている。彼らの心にはまず怒りがあって、それゆえ常にその怒りの持って行き先を探していたりする』、小田嶋氏のツイートのなかでも、「ツイッターは、怒りや憎しみの持って行き先を探している人々のための、マッチングサイトでもあるのだな」とのは秀逸だ。
(注)「弱者憑依」をネット検索したところ、「弱者や少数派を代弁する人々について、佐々木俊尚氏@sasakitoshinao氏は「その当事者性を自分の所有物であるかのように振る舞う(○○の前で言えますか?)のは間違ってると思う」と批判しています(togetter 2011/5/3)。
・『思えば、犯人もそういう人間の一人だったのかもしれない。 人々による怒りの表明とその怒りへのより多数の同調は、鬱屈した怒りを内在させている人々にとっての発火点になり得る。 その意味で、テロ報道はテロを呼ぶし、過剰な自殺報道は新たな自殺を誘発するし、扇情的な通り魔犯罪への言及はさらなる同種の事件へのヒントになってしまいがちだ。 おそらく、今回のこの原稿のコメント欄にも、怒りのコメントがたくさん投じられるだろう。 怒りを吐き出すことで、すっきりするタイプの人もいるが、怒りを表現することでさらなる怒りに嗜癖していくタイプの人間もいる。 こういう原稿は、なるべくヌルく締めくくりたい。 ここは一番「そんなおこらんといてや」とつぶやいておく。 関西方面のアクセントで読んでいただくとありがたい。 さらば』、「人々による怒りの表明とその怒りへのより多数の同調は、鬱屈した怒りを内在させている人々にとっての発火点になり得る」、というのは新たな視点で、説得力に富む。「ここは一番「そんなおこらんといてや」とつぶやいておく」というのも秀逸な締めだ。
タグ:「死にたいなら一人で死ね」というメッセージが、孤独な人間を犯罪に追いやる可能性とは別に、それらの言葉が希死念慮を抱いている人間の背中を押す結果にならないかどうか SNSには、悲しみや落胆よりは、怒りと憎しみがより目立つカタチで集積することになる ツイッターのようなSNSでは、怒っている人間や憎しみを抱いているアカウントの方が多弁になりがちで、共感を抱いている人々はより沈着な反応を示すものだからだ 小田嶋 隆 (その2)(小田嶋氏:「死にたい人」の背中を押すなかれ) より強い興味を惹かれたのは、この記事に対してツイッター上やその他の媒体を通じて論評のコメントを寄せている人々の口調が、並外れて激越なことだった 「自分は希死念慮を抱いている」という観察は、自分自身を少し離れた位置から見つめている分だけ、しっかりしている 毎度「被害者憑依」「被害者遺族憑依」とでも言うべき感情のアンプリファイが横行することになっている 「弱者憑依」 「死にたいなら一人で死ね」というその言葉が、不安定な感情をかかえた人々への呪いの言葉になることを憂慮したから、彼はそれを言ったのだ。どうしてこの程度のことが読み取れないのだろうか。》というツイートを投稿 この記事を書いた藤田氏の見解に、おおむね共感を抱いた この種の扇情的な事件が起こると、マスメディアもそうだが、特にネットメディアは、その「扇情」をさらに煽りにかかる傾きを持っている 血中のアルコール濃度がある水準を下回った時の、半ばオートマチックかつケミカルな反応として希死念慮を抱く習慣を持っているアルコール依存症予備軍 不安定な感情をかかえた人々への呪いの言葉になることを憂慮 あるタイプの人々は、怒りに水を差されるとさらに怒る仕様になっている 人々による怒りの表明とその怒りへのより多数の同調は、鬱屈した怒りを内在させている人々にとっての発火点になり得る ここは一番「そんなおこらんといてや」とつぶやいておく 怒りを吐き出すことで、すっきりするタイプの人もいるが、怒りを表現することでさらなる怒りに嗜癖していくタイプの人間もいる ツイッターは、怒りや憎しみの持って行き先を探している人々のための、マッチングサイトでもあるのだな 登戸でひどい事件 《川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい》 怒りに燃える彼らは、犯人に浴びせていたのと同じ口調で藤田氏を攻撃 宮崎勤による一連の幼女殺害事件 「「死にたい人」の背中を押すなかれ」 日経ビジネスオンライン 無差別殺人事件
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

無差別殺人事件(その1)(「一人で死ね」でなく 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて、「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会) [社会]

今日は、無差別殺人事件(その1)(「一人で死ね」でなく 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて、「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会)を取上げよう。

先ずは、筑波大学教授(臨床心理学・犯罪心理学)の原田 隆之氏が6月4日付け現代ビジネスに寄稿した「「一人で死ね」でなく、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64993
・『「巻き込むな、一人で死ね」  5月28日に神奈川県川崎市で起きた無差別殺傷事件は、小学生の子どもを中心に20人が死傷する大惨事となった。凶行の直後に、容疑者も首を切って自殺し、事件は拡大自殺の様相を呈した。 それに対し、テレビやネット上では、「子どもを巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という意見があふれた。 落語家の立川志らくは、テレビで「一人の頭のおかしい人が出てきて、死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。何で弱い子供のところに飛び込んでんだって。信じられないですね」と発言した。 その発言には賛否両論が沸き起こったが、彼は反論に対して「普通の人間の感情だ」「なぜ悪魔の立場に立って考えないといけないんだ?」とツイートした。 ネット上でも、賛否両論あるなかで、志らくのように「一人で勝手に死ね」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの意見のほうが相当多いように見受けられた』、どうせ自殺するなら世間を巻き込んでという「拡大自殺」には、「一人で勝手に死ね」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」という意見が溢れたのは、純粋な怒りの反応なのだろうが、犯人と同じような状況にある人々への影響も考慮すべきだろう。
・『「一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい  一方、それに真っ向から対立する声も上がった。 NPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏は、「死にたいなら一人で死ぬべきという非難は控えてほしい」とネットニュースに投稿した。 ついで、「死ぬべき人間がいるかのような暴力的な言葉は社会への絶望感や分断を招きます。次の凶行を生まないために(自身の投稿内容を)お読みいだだけたらと思います」とも述べた。 テレビ朝日の玉川徹氏は、藤田氏に共感を寄せ、影響力の大きなテレビで「死ね」という感情を露わにした言葉を発することを疑問視し、志らくの発言を批判した。 また、評論家の古谷経衡氏は、藤田氏への反論を展開し、「この人の意見に私は絶対反対です。『死にたいのなら一人で死ぬべき』は正論です」とツイートした。 さらに、藤田氏と古谷氏は、テレビ番組でも意見を交わしていたが、あまりかみ合っていない印象を受けた』、論争の論点を整理することは大いに意味がある。
・『論争を受けて思うこと  二人がかみ合っていなかったのは、どちらも部分的に正しく、しかもどちらも言葉足らずだったからではないかと思う。 また、ネット上でもテレビでも、意見が対立したままであるのも同じ理由からであるように思える。 まず、「巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という言葉を、私は前半と後半で分けるべきだと思う。これを一連の言葉として、全体で賛成反対を言うから、意見がかみ合わなくなるのだ。 前半の「巻き込むな」については、誰もが賛成であろうし、おそらく藤田氏も賛成なのではないだろうか。そしてこれは、古谷氏の言葉を借りれば「正論」である。 しかし、後半の「死にたいなら一人で死ね」というのは、「正論」ではなく「感情論」だ。藤田氏は、前半と後半を区別せずにざっくりとまとめて、「控えてほしい」と主張している。 しかし、まず「巻き込むな」の部分をきちんと押さえて、それに対する意見を明確にしたうえで、後半部分への問題提起をするべきであった。 それをせずに、前半も含めてすべて「控えてほしい」と言っているように受け取られたため、大きな反論が巻き起こったのではないだろうか。 記事には、危機意識から緊急に配信した旨が記載されているが、急ぐあまりに勇み足になってしまったように思う』、藤田氏の主張を誰もが賛成な前半と、「感情論」に過ぎない後半に分けたのは、さすがに鮮やかだ。
・『「巻き込むな、でもお前も死ぬな」  私が提案したいのは、藤田氏の意見でも、それに反対する多数の人の意見でもない。それは、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」という言葉である。 もちろん、自殺をするときに、無辜の多くの人々を巻き込むようなことは言語道断である。今回の事件も憎むべき凶行であることは間違いない。不幸な境遇にあったのかもしれないが、だからと言ってそれは何の言い訳にもならない。 ここでもう1つ、藤田氏とそれに反対する人々の多くがかみ合っていないことがある。 それは、藤田氏は本件の容疑者ではなく、彼と同様に社会的に孤立し、絶望している人々に向けた言葉として、「巻き込むな、一人で死ね」という言葉をとらえている。 それに対し、藤田氏に反論している人々は、この憎むべき事件の容疑者に宛てた言葉として想定している。 これは大事なポイントであり、この違いを認識していないと議論がかみ合わないのは当然である。 容疑者への憎しみのあまり、どんな強い言葉を投げかけようとしても、残念ながら、当人は既に多くの人を巻き込んだうえで、死んでしまったのだから、何を言っても届かない。 事件に対して行き場のない大きな憤りを抱いているのは、皆同じだ。だからと言って、「一人で死ね」という言葉を投げかけても、それは空しく響くだけだ。 容疑者にはもうこの罵倒は届かないが、もしかすると、孤立し、疎外感を抱き、途方に暮れて、死を選ぼうとしている人が耳にするかもしれない。 だとすると、既に死んでしまった容疑者に向けてではなく、藤田氏が想定しているように、孤立のなかで、死んでしまいたいと思っている人に向けての言葉として考えてはどうだろうか。 そのときわれわれは、「巻き込むな」と言ってもよいだろうが、「死ぬなら勝手に一人で死ね」と言うべきだろうか。 やはり、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」という言葉をかけるべきではないだろうか』、「「巻き込むな、でもお前も死ぬな」というのは絶妙な表現だ。
・『排除のない社会へ  藤田氏が言いたかったことは、孤立した人々をこれ以上追い込むような言葉を控えようということである。それには私も全面的に賛成する。 しかし、追い込むことがさらなる凶行を生むというのは、少し論理の飛躍がある。 凶行を生むからやめようではなく、孤立した人をさらなる孤立へと追いやったり、社会から排除して切り捨てるようなことをやめようというだけでよいのではないだろうか。 彼らは犯罪予備軍でもないし、追い詰められたからといって誰もが犯罪に赴くわけではない。 犯罪予備軍から社会を守るというためではなく、寛容な社会をつくり、さまざまな人を切り捨てずに受け入れる社会をつくるために、「一人で勝手に死ね」などという言葉は控えて、その代わり「死ぬな」という言葉を届けよう。それこそを目的とすべきだと思う。 それはもちろん、犯罪のない社会をつくることにもどこかでつながっていくはずである』、新自由主義的風潮のなかで自己責任論ばかりが強調され、弱者の「排除」傾向が強まっているのは、嘆かわしいことだ。原田氏の説得力ある主張には全面的に賛成したい。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が6月4日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00026/?P=1
・『今回は「個人と社会」について考えてみる。 川崎市多摩区の路上で登校中の児童や保護者らが刃物を持った男に襲われ、2人の大切な命が不条理に奪われた事件で、犯人に対するコメントが物議をかもしている。 「死ぬなら一人で死ねばいい」「死ぬのに人を巻き込むな」といった言葉が、テレビのコメンテーターから、あるいはSNS上で、飛び交ったことに対し、「次の凶行を生まないために、こういった言説をネット上で流布しないでほしい。こういった事件の背後には『社会に対する恨み』を募らせている人がいる場合が多いので、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし何かしらできることはあるというメッセージが必要」と、貧困などの問題に関わるNPO法人の代表の男性が投稿したのだ。 男性の呼びかけに賛同する人がいた一方で、ネット上では「遺族の気持ちを考えろ!」と激しい批判と反発があふれる事態となった。詳しくはテレビのワイドショーでも取り上げられたり、多くの識者たちがコメントを発信したりしているのでご存じの方も多いと思う。 個人的には私は全く関係ない子供や大人たちを残酷な目に遭わせた犯人に激しく憤っており、今、この時点で「次の凶行を生まないためのメッセージ」を出す気持ちにはなれない。これは他のメディアでもコメントしている通りである。 亡くなった方、傷つけられた方、その家族の方たちの心情をおもんぱかると、とてもじゃないけど、「次の……」とは思えない。この議論がセンセーショナルに取り上げられることで、苦しむ被害者の関係者もいるのではないか。そう思えてならないのである』、「この議論がセンセーショナルに取り上げられることで、苦しむ被害者の関係者もいるのではないか」との立場で、NPO法人代表の投稿に賛成できないとの河合氏の主張は理解できるが、上記の原田氏流の「巻き込むな、でもお前も死ぬな」であればどうだろうか。
・『ただ、以前、私が刑務所を訪問したときに抱いた「気持ち」や、刑務官の人たちから聞いた言葉。さらには「人は環境で変わる」という自分が大切にしている信条から、「無差別殺人」を理解不可能なものとして捉えるのではなく、犯罪に駆り立てる社会背景を紐解き、社会空間に不可避な不条理を理解しようとすることは極めて重要だと考えている。 その場合に「どんなデータ」を用いるか、そのデータを「いかに読み解くか」が極めて重要になる。ステレオタイプ的に「無差別殺人を起こす人=孤独」だの、「仕事もせず引きこもり傾向にある=社会への恨みを募らせている」だのと直接的に捉えるのはいささか危険だし、そうあってはならない。 そもそも犯行が生まれる背景や犯人の心情を分析するのは、どんな叡智が集結したところで完全には無理。人の心は極めて複雑で、多面的なのだ。 例えば、2008年に起きた「秋葉原通り魔事件」では、白昼の繁華街で起きたことから、誰もが「自分がそこに居合わせた可能性」に震え、日本中が恐怖に包まれた一方で、世間やマスコミの関心は、単に男の「派遣社員」という立場に集まり、負け組、社会的孤立、学歴、容姿への自己評価にスポットを当て、男は「誰かに認められたい」という欲望が満たされずに犯行に至ったのではないか、という議論を展開した。 リーマン・ショックで派遣切りが社会問題化していたことも重なり、「氷河期世代のテロ」と呼ぶ識者もいた』、「犯罪に駆り立てる社会背景を紐解き、社会空間に不可避な不条理を理解しようとすることは極めて重要だ」、一般論はその通りだが、河合氏はどう分析するのだろう。
・『社会構造と事件の関係性が分析された永山事件  社会学的には、秋葉原通り魔事件は1968年の「永山則夫連続射殺事件」と重ねて論じられてきた経緯がある。 永山事件は、犯行当時19歳だった永山則夫が(1990年に死刑確定、97年に少年死刑囚として死刑執行)が、アメリカ海軍横須賀基地に侵入し拳銃を盗み、東京プリンスホテルで警備員を殺害したことを発端に、逃亡しながら京都、函館、名古屋で3人を拳銃で射殺した連続殺人事件だ。 永山は高度成長期に地方から「安価な労働力」として上京した金の卵の一人で、幼少期は極貧状況で育ち、中学もろくに通えていなかった。永山と似たように「地方から夢」を抱き、不安定な労働環境に投げ込まれた少年たちが多くいたことで、犯人への社会的関心は極めて高かった。 一方、永山自身は刑務所で独学で字を覚え、71年に手記『無知の涙』を出版する。 その内容に共鳴したのが、社会学者で東京大学名誉教授の見田宗介先生。子供時代貧しかった見田先生は、学生時代に周りからあからさまに差別された経験があった。 そこで手記に書かれている内容と事件当時の統計データから、若者たちを取り巻く社会構造や社会と個人の関係性を分析し、「人を出自などで差別する都市のまなざし」を描いた『まなざしの地獄』(1973年)と題された論文を雑誌「展望」に投稿したのである(2008年に書籍化)。 この論文は大量殺人を社会的に描いた極めて良質な指南書として、時代を経て読み継がれ、秋葉原事件のときに広く引用された。 その理由が、どちらの事件の犯人も、その時代の「働かせ方」の象徴的存在だったからに他ならない。 永山は「金の卵」、加藤は「契約社員」。それらは時代を象徴する新しい存在でありながら、極めて不安定で、その属性は「身分格差」のように扱われた。そこで見田先生の『まなざしの地獄』を引用することで、秋葉原連続殺人を生んだ社会的文脈の「共通点と差異」を見いだそうとしたのである。 が、これらの社会的分析は、結果的に犯罪の社会的分析の難しさを露呈させることになる』、どういうことなのだろう。
・『当事者たちが有識者の論考を否定  奇しくもどちらの事件も、当事者自身が書籍を出版し、社会学者たちによる「自分が犯行に至る心情」の分析や論考を否定。 永山は『反―寺山修司論』の中で、見田先生をはじめとする識者の自分に対する「理解の間違い」を論じ、秋葉原通り魔事件の加藤智大も著書の中で、「有識者に騙されるな」と専門家たちの自分に関する分析や論考を全面的に否定したのだ。 「それって、人からあれこれ言われるから反骨的に批判したんじゃないのか?」 ふむ。そういう考え方もあるかもしれない。 だが、私は犯罪者の心理を社会との関係から捉えることに関して見田先生が、「平均値としてではなく、一つの極限値において代表して体現している」と指摘した通り、犯罪者の心理を「社会の窓」から分析する作業の意義は、社会への警告だと考えている。 つまり、それは『まなざしの地獄』というタイトルが示すように、社会構造の中で無意識に社会に生まれる「私たちのまなざし」への警告だと、私は理解しているのだ』、「当事者たちが有識者の論考を否定」しても、「犯罪者の心理を「社会の窓」から分析する作業の意義は、社会への警告」というのはその通りなのかも知れない。
・『こういった前提を踏まえ、紹介したい研究がある。タイトルは「無差別殺傷事犯に関する研究」。法務省が2013年に公表した論考である。 この研究では、2000年~10年までの間に判決が確定した無差別殺傷事件で、刑事施設に入所した52人の属性、犯行内容、動機、犯行の背景などの実態を調査し、無差別殺傷事犯の実態を明らかにしている。目的は繰り返される無差別殺傷事件の効果的な防止策と、適正な処遇を図るための基礎的資料の提供だ。 本研究では無差別殺傷事件を、「分かりにくい動機に基づき、それまでに殺意を抱くような対立・敵対関係が全くなかった被害者に対して、殺意をもって危害を加えた事件」と定義し、刑事事件記録、刑事施設の記録、保護観察所の記録などに基づき分析した結果、次のようなことが浮かび上がった。 【犯人の基本属性および生活状況】 +多くは男性であり、年齢層は一般殺人と比べると低く、高齢者は少ない +就労経験があっても長続きせず、犯行時には無職や非正規雇用等の不安定な就労状況にある者がほとんど +収入は少なく、住所不定だったり、社会福祉施設に居住するなど安定した住居がない者が多い 【人間関係】+年齢層が低い者は親と同居している者が多いが、 それ以外は単身で生活し、配偶者等と円満な家庭生活を送っている者は少ない +犯行時に異性の交際相手がいる者はほとんどいない +犯行時に友人がいなかったり、交友関係が希薄、 険悪である者が多数 +学校や職場に在籍していた時点から、友人関係を築くことができなかった者が多い 【犯行に至るまでの状況】+犯行前に自殺を図った経験がある者が4割超と多く、引きこもりも2割 +犯行を相当前から決意していた者は少ないものの、犯行時にいきなり思い立ったものではなく、その前から犯行を決意した計画的犯行が多い +犯行時にいらいらなどの精神的な不調、不安定な状態にあった者が多い。 +犯行前に、医師等に犯行に関する内的衝動を相談していた者も一定の割合いた +過去の無差別殺傷事件を明確に模倣して犯行を行った者は少なく、マスコミ報道によるアピー ルを明確に意図していた者も少なかった また、無差別殺傷事犯者の約半数に前科があり、特徴的な点として放火の前科を有する者の比率が一般殺人に比べて高い。他方、犯行時に不良集団に所属している者は少なかった。被害者については、女性、子供、高齢者などの弱者を攻撃対象として選定する場合が多いことも明かされている。 さらに、犯人のインタビューなどを通じ、 +誰からも相手にされないという対人的孤立感 +誰にも必要とされていないという対人的疎外感 +失職したことを契機とする将来への不安 +生活に行き詰まり、生きる気力を失った絶望感 +努力しても何も報われないという諦め +職場でのいじめやストレスへの怒り +守るもの、失うもの、居場所が何もないという孤独感や虚無感 +自分だけがみじめな思いをしてきたのに周りがぬくぬくと生きているという怒り +失職や交際相手との復縁がかなわず何事も自分の思惑通りに行かないという憤り といった不満や閉塞感などが共通して認められた、とまとめている』、「法務省」も時にはいい分析を行うものだ。
・『……さて、いかがだろうか。 これらは法務省も「サンプルが限られている」として調査の限界を示している通り、あくまでも過去に無差別殺人を犯した52人を分析したものでしかない。 それでも結果からは、「働いて賃金を得る」ということ、「人と共に生活する」ということ、「安定した住居がある」という、「基本的な生活経験の欠損」が人の心にネガティブな影響を及ぼすと読み解くことが十分に可能だ。 さらに、「人間関係の希薄さ」がある一定のパターンとして認められていることは、特筆すべき事項である。 社会的動物である私たちは他者と協働することで、生き残ってきた。私たちのカラダの奥底には他者とつながらないと安心が得られないことが刻まれているといっても過言ではない。 それは、自分が生き残るためには他者から「コイツと力を合わせたい!」とみなされる必要があるという性質を生み、そのためヒトは「他者にどう評価されるか?」を気にするようになった。 その「他者からのまなざし」が、孤立感や疎外感、諦め、怒り、虚無感をかき立てるのだ』、「「他者からのまなざし」が、孤立感や疎外感、諦め、怒り、虚無感をかき立てるのだ」、人間とはやっかいな生き物のようだ。
・『孤独担当大臣のポストを置いたイギリス  繰り返すが、「他者のまなざし」は「私のまなざし」である。 不条理な事件を一つでも減らすために私たちができることがあるとすれば、その「まなざし」を自覚し、戒めること。感情が極限状態になればなるほど、人は言葉よりまなざしに反応する。 2018年1月にイギリスで、孤独担当大臣という日本ではあまり聞きなれない大臣ポストが設置され、孤独の問題に対して本格的に取り組むことが政府により表明された。 イギリスでは、約900万人の成人が孤独に苦しんでいると推定され、子を持つ親の24%が常に孤独を感じ、10代の子供の62.2%、75歳以上の3人に1人が、「時々孤独を感じる」とされている。 孤独問題の本質は、それが「声にならない声」だということ。実際イギリスで行われた調査では、孤独を感じている人の3分の2が「孤独と感じている」ことを公にしたことはなかった。また、本人が孤独を自覚できていないケースも散在した。 そもそも孤独(loneliness)とは、あくまでも主観的な感情のことであって、外部から観察可能な孤立(isolation)とは区別されている。 そこでイギリスが現在徹底して行っているのが、さまざまな観点から孤独の問題を「指標化」する作業だ。 具体的には「孤独を直接的に測る尺度」(例:あなたはどのくらいの頻度で孤独を感じますか?)と「間接的に測る尺度」(例:私には自分の問題を相談できる人がいる。とても信頼できる人が大勢いる)が検討されていて、これをもとに今後介入研究を行い、具体的な政策課題を進めることになる。 孤独の指標化は「自分が孤独である」ことを認識することにも多いに役立つはずだ。 私は孤独へのアプローチは不条理な殺人事件などを減らすためにも極めて重要な取り組みだと考えている。 イギリスで孤独問題が悪化しているのは、社会福祉のサービスが削減され、母子家庭への支援の削減や、児童や若者が集う「ユースセンター」の閉鎖によるとの指摘がある。それを踏まえて「生活基盤の不十分さという問題を解決せずに孤独問題を解決できると思っているのだろうか」と批判する識者は多い』、「孤独担当大臣のポスト」を置き、「さまざまな観点から孤独の問題を「指標化」する作業」を行っているとは、批判があるとはいえ、見習うべき動きだ。
・『孤独を個人の問題ではなく、社会問題として向き合う  実際、その通りなのだとは思う。 だが、「孤独」という個人の問題にされがちな問題を、社会問題として向き合う取り組みは、日本も学ぶべきではないか。 BBCのニュースサイトでは「Lonliness」というコーナーを設け、孤独に悩む人や孤独にさせないための「私たちができること」を動画などで紹介。 昨年、1月には次のような具体的なアプローチも公表されている。日本語サイト  孤独な高齢者に対しては、「話しかける」「代わりに買い物に行く、郵便物を出すなどの実用的な支援を行う」「慈善組織のボランティアになる」「総菜を分け合う」。 孤独な若年層に対しては、「こちらから会う機会を作る」「孤独について話せる場所を地元で探すのを手伝う」「聞き役に回り、先入観を持たない。忙しそうに見える人が孤独感を味わっていることもあると意識して接する」といった対応を勧めている。 日常的の中のちょっとした「私」の言動の積み重ねが、社会が生む犯罪を減らすことに役立つのではないか。それが「当事者ではない」私たちにできる唯一のことのように思う』、「「孤独」という個人の問題にされがちな問題を、社会問題として向き合う取り組み」は、確かに「日本も学ぶべき」だろう。「日常的の中のちょっとした「私」の言動の積み重ねが、社会が生む犯罪を減らすことに役立つのではないか」、というのには全面的に同意する。暗いテーマのなかで、前向きの対応の方向性を示してくれたのは救いで、さすが河合氏だ。
タグ:「無差別殺傷事犯に関する研究」 孤独担当大臣のポストを置いたイギリス さまざまな観点から孤独の問題を「指標化」する作業 孤独を個人の問題ではなく、社会問題として向き合う この議論がセンセーショナルに取り上げられることで、苦しむ被害者の関係者もいるのではないか 「秋葉原通り魔事件」 犯罪に駆り立てる社会背景を紐解き、社会空間に不可避な不条理を理解しようとすることは極めて重要 「一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい (その1)(「一人で死ね」でなく 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて、「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会) 「他者からのまなざし」が、孤立感や疎外感、諦め、怒り、虚無感をかき立てるのだ 犯罪者の心理を「社会の窓」から分析する作業の意義は、社会への警告だと考えている 日経ビジネスオンライン 河合 薫 前半の「巻き込むな」については、誰もが賛成 原田 隆之 日常的の中のちょっとした「私」の言動の積み重ねが、社会が生む犯罪を減らすことに役立つのではないか。それが「当事者ではない」私たちにできる唯一のことのように思う 2000年~10年までの間に判決が確定した無差別殺傷事件で、刑事施設に入所した52人の属性、犯行内容、動機、犯行の背景などの実態を調査し、無差別殺傷事犯の実態を明らかにしている 当事者たちが有識者の論考を否定 テレビやネット上では、「子どもを巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という意見があふれた 法務省が2013年に公表した論考 『まなざしの地獄』 寛容な社会をつくり、さまざまな人を切り捨てずに受け入れる社会をつくるために、「一人で勝手に死ね」などという言葉は控えて、その代わり「死ぬな」という言葉を届けよう。それこそを目的とすべきだと思う 東京大学名誉教授の見田宗介先生 川崎市で起きた無差別殺傷事件 排除のない社会へ 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」 後半の「死にたいなら一人で死ね」 論争を受けて思うこと 無差別殺人事件 「「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会」 「「一人で死ね」でなく、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて」 現代ビジネス 「感情論」 NPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏 社会構造と事件の関係性が分析された永山事件
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

女性活躍(その12)(「無職の専業主婦」呼ばわりと低賃金容認社会の闇、上野千鶴子「私が東大祝辞で伝えたかったこと」 MeTooと東京医科大問題で世論は耕された、上野千鶴子「東大生も追いつめる自己責任の罠」 子どもたちはいったいなぜ壊れ始めたのか) [社会]

女性活躍については、5月4日に取上げた。今日は、(その12)(「無職の専業主婦」呼ばわりと低賃金容認社会の闇、上野千鶴子「私が東大祝辞で伝えたかったこと」 MeTooと東京医科大問題で世論は耕された、上野千鶴子「東大生も追いつめる自己責任の罠」 子どもたちはいったいなぜ壊れ始めたのか)である。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が5月14日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「無職の専業主婦」呼ばわりと低賃金容認社会の闇」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00023/
・『先週、「年金」に関する週刊誌の記事が炎上し、記事の内容以上にその書きっぷりに批判が殺到するという騒ぎがあった。 記事のタイトルは「働く女性の声を受け『無職の専業主婦』の年金半額案も検討される」。 これだけですでに「ん?」と眉間にシワがよってしまうのだが、記事によれば「共稼ぎの妻や働く独身女性などから『保険料を負担せずに年金受給は不公平』という不満が根強く」あることから、「政府は男女共同参画基本計画で〈第3号被保険者を縮小していく〉と閣議決定し、国策として妻たちからなんとかして保険料を徴収する作戦を進めている」らしい。 また、厚労省関係者談として「第3号を廃止して妻に国民年金保険料を払ってもらう案、妻には基礎年金を半額だけ支給する案、夫の厚生年金保険料に妻の保険料を加算して徴収する案などがあがっている」といった具体案まで記されていた。 ……ふむ。いったいこの記事はナニを煽(あお)ろうとしたのだろうか』、確かにこの記事は中途半端で、私も首を傾げた。
・『「それは記事どおり『働かないと年金はもらえないぞ!』と専業主婦に警告したかったんだろ?」「っていうか“働く女性の声”を代弁したんじゃないの?」「んなわけないでしょ。専業主婦をバカにしすぎ。どんだけ重労働だと思ってるのよ」「専業主婦には10連休もないんだよ。記事書いた人やってみろっつーの」「“働く女vs専業主婦”みたいな構図で書かないでほしい」「そーだよ。年金制度の失策を専業主婦に押し付けるな」「だいたい専業主婦が保険料払ってないみたいな書き方してるけど、第2号被保険者の配偶者が第3号被保険者の分も含めて保険料を支払ってるでしょ!」 記事がネットに転載された途端、こうしたコメントが殺到した。私自身“働く女性”の1人として言わせていただくと「専業主婦ってズルイ」などと思ったこともなければ、そんな“声”を聞いたこともない。 ましてや「無職の専業主婦」って‥‥。このワード、少々乱暴すぎやしませんか。 まさかこの記事を書いた記者さんは、家にルンバと洗濯機と電子レンジさえあれば、専業主婦の仕事は完結するとでも思っているのだろうか? 以前、“島耕作”が「能力の低い男性に家庭に入ってもらえばいい(笑)」と発言し問題になったことがあったが、無職という言葉を専業主婦に結びつける思考を持っている方には、ぜひともひと月くらい家庭に入って専業主婦をやっていただきたいものである。 私は専業主婦未経験者だが、母は完全な専業主婦だったのでその「スゴさのハンパなさ」は痛いほどわかる。であるからして、今突然、専業主婦をやらなくてはならない事態に追い込まれたら……、泣く。「外でがんばって稼いでくるから許してくれ!」と悲鳴をあげるに違いない。 主婦業とは、限られた時間とリソースで予測不可能な出来事に対処する仕事である。子どもの不意の病気や事故への絶えざる不安、隣人の気分や夫の帰宅時の機嫌など、様々な脅威と常に背中合わせで、いかなる異変にも対応できるだけの高度な判断力とマネジメント能力が求められる。 つまるところ、専業主婦とは家庭の責任者として極めて多様なスキルが求められる職業であり、それは家庭外の活動と同じ、いやそれ以上に価値ある仕事だ』、「保険料を負担せずに年金受給は不公平」とのデッチ上げられた「働く女性の声」に安易に同意せず、母親を通じて専業主婦の仕事の大変さを身に染みて感じたというのは、さすがだ。
・『実際、イタリアでは主婦にはcasalinga(カサリンガ)という職業名がつけられていて、医師、警察官、ジャーナリスト、作家同様、プロフェッショナルな職業に分類されている。かつて主婦を軽視していた米国でも「stay-at-home dad(子育てに専念する父親、主夫)」がこの数年間で急増し、ケア労働の価値が見直されている。 そもそも年金問題を語るのに「無職の専業主婦」というワードなど必要ないと思うのだが……。 なるほど。どのレベルの「厚労省関係者」かは不明だが、「国策として妻たちからなんとかして保険料を徴収する作戦」を考える人たちの中には、専業主婦を「3食昼寝付きのお気楽な身分」といったシーラカンス並みの価値観が残っているということなのだろう。 と、一気に記事内容に対する批判を書き綴(つづ)ってしまったが、この記事が出た背景には「専業主婦を安い賃金で雇いたい!」という思惑があると、個人的には考えている。 何がなんでも「『第3号被保険者』の妻は約870万人(前述の記事より)」から「保険料を取りたい!」という国の執念と、人手不足解消に「専業主婦を労働市場に引き出したい」という企業の意向が合致したのではないかと』、「この記事が出た背景には「専業主婦を安い賃金で雇いたい!」という思惑がある」、との深い読みもさすがで、その通りなのだろう。
・『高度成長期に人手不足を補うために、専業主婦を安い賃金で「パート」として雇ったように、だ。 念のために断っておくが、専業主婦の方たちが働くことに反対しているのではない。育児や家事で培った経験を生かし、活躍できる支援策は進められるべきだと考えている。 だが、「無職の専業主婦」というワードと、「仕事の内容を問われることなく、低賃金・不安定な働き手として容認されてきたパート」がダブって仕方がないのである。「主婦は家族を養わなくてもいい存在(養えるだけの賃金は不要)」として扱われるような気がして、薄ら寒さを感じている。 高度成長に突入した1950年代、日本では「臨時工」を増やしてきた歴史がある。臨時工とは今でいう非正規。企業は正規雇用である「本工」より賃金の安い臨時工を増やすことで生産性を向上させた。 臨時工の低賃金と不安定さは労働法上の争点として繰り返し議論され、大きな社会問題に発展。そこで政府は1966年、「不安定な雇用状態の是正を図るため、雇用形態の改善等を促進するために必要な施策を充実すること」を基本方針に掲げ、1967年に策定された雇用対策基本計画で、「不安定な雇用者を減らす」「賃金等の処遇で差別をなくす」ことを今後10年程度の政策目標とした。 ところが、1970年代になると人手不足解消に臨時工を本工として登用する企業が相次ぎ、臨時工問題は自然消滅。その一方で、主婦を「パート」として安い賃金で雇う企業が増え「パートは補助的な存在」との認識が広まることになる。 本工と臨時工の格差問題では、「家族持ちの世帯主の男性の賃金が安いのはおかしい」という声に政府も企業もなんらかの手立てを講じる必要に迫られたが、パートは主婦だったため議論は盛り上がらなかった。「本来、女性は家庭を守る存在であり、家族を養わなくてもいい人たち」という共通認識がそうさせたのだ』、確かに、労働組合は正社員だけのものだった時代が最近まで続いていた。
・『パートとは本来、フルタイムに対する言葉でしかないのに、「パート=主婦の家計補助的な働き方」という分類が“当たり前”となり、賃金問題は置き去りにされてしまったのである。 その“当たり前”は現場でパートが量的にも質的にも基幹的な存在に変わってからも、変わらなかった。どんなに婦人団体が抗議しても、「パートは所詮主婦。男性正社員とは身分が違う」という意味不明の身分格差で反論され、次第に「パートの賃金は安くて当たり前」という錯覚が社会に浸透した。 1976年に朝日新聞社に入社し、経済部の記者としてキャリアを歩んできた“働く女性”のパイオニア・竹信三恵子さんは、いかにパートが企業にとって便利な存在だったかを、中小企業の社長さんの言葉として著書『ルポ賃金差別』(ちくま新書)で紹介している。 「女の時代って、本当にいいですね。女性が外で活躍してくれるようになり、大学院を修了した人や大卒のすばらしく優秀な女性が、パートや派遣として正社員の半分の賃金でも働いてくれるんですから」 社長さんがこう嬉(うれ)しそうに語った1980年代は、男女雇用機会均等法ができ「均等法で会社に男女差別はなくなった」というイメージが社会に膨らんでいた時代だった。しかしながら、「パートの賃金は安くて当たり前」というあからさまな差別は無分別に続いていたのである。 そして、今。時代は昭和から平成、そして令和へと変わり、「夫が勤め人・妻が専業主婦」という世帯は1990年代を通じて漸減し、2000年以降は「共働き世帯数」が「夫が勤め人・妻が専業主婦世帯」を上回り、その差は年々拡大している。 本当は家計を支えるために働きたいのに、子どもを預けられないから余儀なく専業主婦になった「消極的専業主婦」も誕生し、世帯主の女性=シングルマザーも増えた。 が、“女性”が便利な働き手であることは変わっていない。 日本がGDP(国内総生産)で米国、中国に次ぐ世界3位の経済大国にもかかわらず、シングルマザー世帯の貧困率が先進国で突出していることも、「パートの賃金は安くて当たり前」という旧態依然とした価値観が根っこにあるからではないか。 働いても働いてもいっこうに生活が楽にならず、子どもと向き合う時間もないシングルマザーたちは、「パートは所詮主婦。男性正社員とは身分が違う」という“当たり前”のもと、「主婦の家計補助的な働き方」に分類された人たちである。 日本の母子家庭の母親の就業率は、84.5%と先進国の中でもっとも高いにもかかわらず、就業しているひとり親世帯の相対的貧困率が、日本では54.6%とOECD加盟国平均の21.3%を大幅に上回っているのは、いったいなぜ?(『Educational Opportunity for All』、OECD)』、「就業しているひとり親世帯の相対的貧困率」が日本で異常に高いのは驚かされた。
・『くしくも、2018年の女性の就業率が全年齢ベースで51.3%となり、50年ぶりに5割を超えたことがわかった。 具体的には、+女性の就業者は前年に比べ87万人増え、男性の45万人に比べ2倍近く増加 +25~34歳が77.6%で、前年より1.9ポイント増加 +35~44歳は75.8%で、前年より2.5ポイント増加 とこれまで子育てで仕事を離れがちだったミドル層も軒並み上昇した。『出所:「平成30年労働力調査」(総務省統計局)』 ところが雇用形態別には、男性の場合、正規雇用が29万人増え、非正規は22万人増だったのに対し、女性では正規雇用が24万人増え、非正規は62万人増。圧倒的に非正規が多く、男性の非正規雇用の実に3倍近くだったのである。 現在働いている人の3人に1人が非正規雇用だが、女性に限ると2人に1人。 正規雇用の場合、男性の平均年収は547万円なのに対し、女性は376万円。非正規では、男性229万円に対し女性はわずか150万円。 男性を100とした場合の女性の賃金は73.4で、これも先進国では最低レベルだ(2017年賃金構造基本統計調査)。 繰り返すが、女性が働くことも、「働きたい」とひそかに思っている専業主婦が「やっぱり働こう!」と背中を押されるような政策は大歓迎である。 だが、「無職の専業主婦」というワードが、国の年金制度を語る記事の中で堂々と使われるのは、正社員の既得権益を守るための単なる“コマ”として使われているようで釈然としないのだ。 以前、参加させていただいた労働問題を意見する場で、パートの賃金の低さを指摘され、「賃金の違いは差別ではない。能力の違いなんだよ」と答えた男性がいた。 身分格差の次は、能力格差‥‥か。能力ってナニ? だれかぜひとも教えてほしい』、「能力の違いなんだよと答えた男性」は、きっとどこかの経営者なのだろうが、こんなお粗末な人物を委員に選んだ官庁もお粗末だ。

次に、5月30日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの治部 れんげ氏と上野千鶴子氏の対談「上野千鶴子「私が東大祝辞で伝えたかったこと」 MeTooと東京医科大問題で世論は耕された」を紹介しよう(Qは治部氏の質問)。
https://toyokeizai.net/articles/-/283309
・『4月、東京大学の入学式で同大学名誉教授の上野千鶴子さんの祝辞が大きな話題となった。東京医科大の入試における女子差別問題、#MeToo運動に代表される性暴力の問題。そして何より、大学入学で喜ぶ新入生に「あなただけの努力でここまできたわけではない」ことを示しつつ、東大内のジェンダーギャップを明らかにした。 祝辞は即日、東大のウェブサイトに掲載され、多くのメディアが紹介した。しかし周囲の騒ぎをよそに、本人は「ずっと前から言っている、当たり前のことをエビデンスに基づいて言っただけです」と落ち着いている。日本を代表するフェミニストが祝辞で性差別を告発するに至った経緯とは。そして「当たり前のこと」とは一体何なのか。上野さんのこれまでの発言を多数収録した『上野千鶴子のサバイバル語録』の名言とともに紹介する』、興味深そうだ。
・『祝辞は尊敬する方に「やりなさい」と背中を押され ■上野語録1:人の器と、理解力 人は自分の器に応じた理解力しかないからね。『快楽上等!』  Q:東大入学式の祝辞は、日本国内の性差別を問題視する人をはじめ、多くの男女から熱狂的に支持されました。また「上野氏に祝辞を依頼した東大の意思決定」を評価する声もSNSで多数見かけました。一方で、入学式の祝辞という形で日本の性差別を指摘したことに拒否反応を示す人もいました。 上野千鶴子(以下、上野):東大から祝辞の依頼を受けたときは「ご冗談でしょう?」と思った。最初は断ろうと考えました。私は入学式も卒業式も、儀式というものがキライな人間ですから。 でも、学内には水面下で私をノミネートするために尽力してくださった方々がいることがわかりました。また、尊敬する方に相談したら「やりなさい」と背中を押されました。その方は東大嫌いなのに、勧めてくださった。だから受けることにしました。 祝辞の原稿は事前に大学へ提出していました。だから式の直後に大学のウェブサイトにも掲載されました。東大側から指摘を受けたのは、数字に関する訂正のみ。内容については何の干渉もありませんでした。感謝しています。』、上野氏への祝辞依頼では、学内での事前根回しは相当のものがあったのだろう。「原稿は事前に大学へ提出」したが、「指摘を受けたのは、数字に関する訂正のみ」とは、さすが東大だ。
・『Q:祝辞は東大を超え、日本中で読まれて大きな反響でした。ウェブメディアはもちろん、ワイドショーでも祝辞原稿を紹介しながら、女性に対する差別を扱っていました。 上野:たくさんのメディアから取材依頼を受けましたが、ほとんどすべてお断りしました。読んでいただければわかるからです。その影響か、これまで刊行した本の売れ行きがよくなったようですね。 私は同じことをずっと言い続けてきました。すべてエビデンスのあることばかりです。今回も、ごく当たり前の正論を、祝辞の10分程度にまとめて話しただけ。 ただし、メッセージが届くような工夫はしました。大学の新入生は18歳。まだ子どもです。子どもにわかる言葉で伝わるよう、専門用語を使わないように努めました』、なるほど。
・『「男子を脅かさない存在であるべき」というプレッシャー  Q:子どもといえば、小学5年生の息子に上野先生の祝辞を読ませたら、納得しながら読んでいました。確かに、子どもにもわかるようにかみ砕いてお話しされていました。 一カ所だけ、東大女性が東大生であることを隠すというくだりは、小5男子には理解できないようでした。「日本でいちばん頭のいい大学でしょ。すごいよね。何で隠すの?」と。 上野:小学5年生といえば、11歳ですね。まだ、その年齢だと、東大女子が大学名を隠すような性規範に染まっていないかもしれません。多くの男女は第二次性徴の頃から、ジェンダー・ソーシャライゼーション(男の子向け/女の子向け社会化)を受けます。「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という規範を刷り込まれていきます。 とくにメディアや少女漫画からの刷り込みは大きいですね。女子は男性を脅かさないかわいい存在であるべき、という有形無形のプレッシャーを感じることになります。小学生だと、まだそういう社会的な圧力を、男女共に感じていないのでしょう』、「多くの男女は第二次性徴の頃から、ジェンダー・ソーシャライゼーション・・・を受けます。「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という規範を刷り込まれていきます」、なるほどと説得力がある。
・『東大の女子学生比率が2割を超えない理由は、応募者が増えないからです。これを「女性の自己選択の結果だ」と言う人もいるようですが、先ほど述べたように、女子には「男子を脅かさない存在であるべき」というプレッシャーが働きます。親も「女の子は無理して東大を受けなくてよい」とか「東大に行ったらお嫁に行けない」などと誘導したりする。その結果「アスピレーション(達成欲求)のクーリングダウン(冷却)」が起きます。この部分だけは祝辞の中で、専門用語を使いました。自己選択そのものが、性差別の結果なのです。 女子が東大を受験しない理由については、あんなに短い祝辞の中でもすでに説明していますから、ちゃんと読んでくださいと言いたいですね。 Q:確かに、祝辞ではフェミニストとして長年、本や講演などで伝えてきた性差別の問題を具体的な事例とデータを交えて話しました。なぜ、今、ここまで広範な反響を呼び起こしたのでしょうか。 上野:私からすれば「ずっと同じことを言ってきた」気分です。 反響が大きかったのは、それを受け止める社会の側が変化したからでしょう。とくに昨年起きた2つの事件の影響が大きかったと思います。1つは福田淳一元財務次官のセクハラに伴う#MeTooの動きで、もう1つは東京医科大の性差別入試事件。この問題をめぐって、「世論が耕されていた」から、東大が私に依頼し、また聴衆とメディアに届く条件が生まれたのではないでしょうか』、「自己選択そのものが、性差別の結果なのです」というのはその通りなのだろう。「世論が耕されていた」とは上手い表現だ。
・『「被害者でい続けることが新たな加害を生む」 ■上野語録2:抑圧され続けたら、慣れてしまう マルクスの絶対的窮乏論がなぜ誤りかというと、被支配階級というのは、抑圧し、抑圧し、抑圧し抜くと、反発して立ち上がるのではなく、抑圧に慣れるからです。『結婚帝国』(Q:性暴力を告発する「#MeToo運動」を、どう評価しますか。 上野:よくメディアから「日本では#MeToo運動が盛り上がらないのはどうしてか」と聞かれます。すごく腹が立ちますね。性暴力について異議申し立てをしている人は大勢いるし、支援する人もたくさんいる。#MeTooについても、各地で集会や抗議の動きがあったのに、「メディアがきちんと報道しない」ことが問題ではないでしょうか。 伊藤詩織さんが自ら受けた性暴力を公表したことは、日本社会に大きな影響を与えたと私は思います。反応の中で最も印象に残っているのは、中島京子さんの『本の窓』(2018年1月号、小学館)での伊藤さんとの対談です。 中島さんは伊藤さんに対して「もし私たちの世代がちゃんと声を上げていれば、社会も少しは変わっていたかもしれない。詩織さんがひとりで頑張らなければならない状況にしてしまい、本当に申し訳ない」と謝りました。同じような謝罪を、新聞労連の女性が後輩に対して述べていました。 かつて性暴力被害を告発した女性たちは、同じ女性から冷ややかな視線を向けられました。「みっともない」「恥ずかしい」とか「いなすのが大人の女」と言われて被害を耐え忍んできた。でも、受忍は新たな被害を生んでしまうんです。 「被害者でい続けることが新たな加害を生む」というのは構造的な問題です。構造化された負の連鎖を断ち切るためにも、女性が被害者でい続けてはいけない。 被害者が自分の被害を告発するのは容易なことではありませんが、受忍することで被害者も加害の構造の加担者になることもあります。だから今回、年長世代の女性からセクハラを告発した女性に対する謝罪が見られたことは、大きな変化でした』、「受忍することで被害者も加害の構造の加担者になることもあります」というのは、確かに難しい問題だ。
・『日本型経営は間接差別の温床になっている ■上野語録3:無能で横暴な上司に仕えるつらさ 宮仕えのつらさは自分より無能で横暴な上司に仕えるつらさ。それを「パワハラ」と表現できるようになったことは一歩前進ですが。『身の下相談にお答えします』(Q:#MeTooと並んで日本社会のジェンダー問題に対する受け止め方を変えた事件として、東京医科大の入試における性差別を挙げています。 上野:これは言い訳無用の女性差別でしたね。入試という公平なはずの制度を差別的に運用する実態が明らかになりました。文部科学省も無視できなくなりましたし、社会に対するインパクトは大きかったと思います。だから東大の祝辞でも、この問題を取り上げました。 社会がこれだけショックを受けたというのに、この性差別入試に対する医療業界の反応は冷ややかでしたね。「必要悪」という反応がもっぱらでした。女性医師の側からも「男性医師たちのおかげで自分たち女性もサポートしてもらって感謝している」と、男性医師を「立てる」ような発言がありました。これが女性医師たちの生存戦略なのかと、胸が痛みました。 Q:医療業界の特殊な環境が問題ということでしょうか。 上野:いいえ。問題は医療業界に限らないはずですよ。ほかの職場でも同じことが起きているでしょう。ただ医師の職業が極端な長時間労働であるせいで、問題がクリアに見えるのでしょう。 病院に限らず、日本型経営は間接差別の温床になっています。長く同じ組織で働いている人、長時間労働している人だけを「正規メンバー」として認める仕組みだからです。そこでは育児や介護といったケア労働を担う女性は、「二流の戦力」として、メンバーにカウントされにくいのでしょう。 実際、東京医科大だけでなくほかの多くの私立医大では、女子合格者数を抑えるという操作を行っていました。ここまであからさまではなくても、日本の組織が女性を間接的に差別している例はたくさんあります。6月8日に日本学術会議主催の公開シンポジウム「横行する選考・採用における性差別:統計からみる間接差別の実態と課題」を実施しますから、よかったらいらしてください。そこでは医療、企業、教育、メディアなど各分野について、詳しい報告が行われる予定です。(後編に続く)』、「病院に限らず、日本型経営は間接差別の温床になっています。長く同じ組織で働いている人、長時間労働している人だけを「正規メンバー」として認める仕組みだからです。そこでは育児や介護といったケア労働を担う女性は、「二流の戦力」として、メンバーにカウントされにくいのでしょう」、説得力溢れた指摘で、その通りだろう。後編が楽しみだ。


第三に、上記の後編、6月2日付け東洋経済オンライン「上野千鶴子「東大生も追いつめる自己責任の罠」 子どもたちはいったいなぜ壊れ始めたのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/283310
・『東大入学式の祝辞で、日本中に女性差別に関する議論を起こした上野千鶴子さん。広範な支持を集めた理由に、#MeToo運動や東京医科大の入試差別があったと上野さんはみる。女性差別についてこれまであまり気づいていなかった人も問題の存在を知り「世論が耕されていた」ことが、幅広い人々による東大祝辞をめぐる議論の背景にあるという。 一方で何十年も変わらない問題もある。職場や家庭、社会における女性の地位は、どのくらい変わったのか。変えた要因は何か。残る問題は何なのか。上野さんのこれまでの発言を多数収録した『上野千鶴子のサバイバル語録』の名言とともに、聞いた。 Q:前回記事で、#MeToo運動や東京医科大の入試差別により、世論が耕されたとおっしゃいました。一方、解決していない、変わらない問題もあるかと思います。何が変わって、何が変わっていないのでしょう。 上野千鶴子(以下、上野):私が見るところ、この数十年でタテマエは変わりましたね。 例えば、結婚しない女、産まない女、離婚する女は、昔も今もいますが、彼女たちに対するスティグマ(社会的烙印)は払拭されてきた。それに、結婚した女が働くことは当たり前になりましたが、かつては外聞が悪いことでした。夫が十分に稼ぐことができない証拠と見られたからです』、「この数十年でタテマエは変わりましたね」、言われてみればその通りなのかも知れない。
・『フェニミズムがタテマエを変えてきた  それに、今では子どもがいる女性が働くことも、当たり前になりました。確かに陰でいろいろ言う人がいるかもしれませんが、公共の場で結婚した女、子どもを持つ女が働くことを非難する声は減ったし、非難すればその人が批判を受けます。 社会変革とは、タテマエが変わることを意味します。人間の劣情やホンネは変えられません。でも最低限、公共の場で性差別的な言動をしたらアウトだよ、というタテマエが共有されてきました。それを変えてきたのが、フェミニズムです』、「フェニミズムがタテマエを変えてきた」、「社会変革とは、タテマエが変わることを意味します。人間の劣情やホンネは変えられません」、などは実に深い洞察だ。
・『上野語録1:夫や子どもより、自分のほうが大事な女性 日本の女性が非常に変わったところは、自分の利益のほうを夫や子どもの利益よりも優先するようになったこと。私はそれをフェミニズムの影響とは夢にも思いません。少子化の影響が大きいですね。(以下略)『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』  Q:タテマエのレベルでは社会が変わったとして、個人はどうでしょうか。 上野:私は、女は変わったと思います。一方で、男はあまり変わっていないように見えます。 先ほどお話したタテマエの男女平等は何によってもたらされたと思いますか?親からです。そして親を変えたものは何かと言ったら、少子化です。 かつて、家父長制が根強い時代には「末っ子長男」が多かった。跡継ぎとして男の子を望んで、男の子が生まれるまで子どもを作り続けたからです。今では状況は一変しました。データによれば娘が1人または姉妹のみの世帯は子どものいる世帯の4割に上ります。こうなると、息子だけを優遇することは、もはやできません。だって息子を持たない家族が多くなっていますから。 少子化で、ますます子ども中心になった日本の家庭で、娘にも教育を受けさせ、能力を伸ばすよう期待する傾向が増えてきた、と感じます。 ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが3月に来日しましたが、彼女のお父さんがすばらしい発言をなさいました。「娘の翼を折らないように育てた」と。 かつて、女の美徳は夫と子どもの利益を自己利益より優先するところにあるとされました。今やそういう美徳は通用しません。専業主婦を希望する女性ですら、夫や子どもの利益を自己利益より優先しようと思って選んでいるわけではありません。夫は最初から自己利益のほうを優先していますから、当然、夫とも衝突が起きます。 妻と夫との間で、対等な葛藤が生じてはじめて、がっぷり四つに組んだまともなカップルが生まれるのではないでしょうか。日本の夫婦が「波風立たない」でいられるのは、妻が不平不満を呑み込んでいるからこそです』、「娘の翼を折らないように育てた」とのノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのお父さんの発言は、我々凡人にはなかなか出来ない難しい課題だ。「妻と夫との間で、対等な葛藤が生じてはじめて、がっぷり四つに組んだまともなカップルが生まれるのではないでしょうか」、というのはその通りなのだろう。
・『ネオリベラリズムによってかえって生きづらくなった  ■上野語録2:心が折れない理由 逆風に慣れていると、心も折れにくいのだよ。『快楽上等!』  Q:少子化によって女性の解放が進んだとすれば、近年の変化はフェミニズムの観点からは肯定的に評価できますか。 上野:功罪両方ですね、困った変化も起きています。少子化は数十年かけて進んできた変化ですが、同じ時期に浸透したネオリベラリズム(新自由主義)は人々を生きづらくしています。ネオリベラリズムは競争と自己決定・自己責任を強調するところに特徴があります。 社会学者の橋本健二さんの著書『新・日本の階級社会』によれば、自分の現在置かれた状況は自分の能力と努力の結果である、と考える人は、階層の高さと相関があるそうです。ひらたく言えば、お金持ちほど「自分が頑張ったから今の地位を得た」と思いやすいということです。それに加えて、階層が低い人の間でも、自分の現状は自己責任であることに同意する人が少なくありません。 つまり、社会的経済的に困難な状況にある人が「それは自分が招いた結果だ」と考えて助けを求められないことにつながります。 大学教師として学生を見ていて、2000年代から、こうした変化を感じるようになりました。この頃から、自傷を伴うメンタルヘルスの問題を抱える学生が増えたのです。 かつて、社会にうまくなじめない若者といえば、非行少年になるなど、外に向けてエネルギーを発散する傾向がありました。他方、自分で自分を傷つける若者たちは、攻撃性を内に向けてしまいます。学生の変化を見ていて「子どもが壊れ始めている」と、愕然としたことを覚えています。 Q:2000年代、上野先生は東大で教えていました。今お話のあった「壊れ始めている子ども」は東大生のことでしょうか。 上野:そうです。東大は、もともと学生の自殺率が高いなど、メンタル的に問題の多い大学でしたが、ここ数十年の自傷系の学生の増加は、例外と言えないほどに大きいと感じます。東大生は、偏差値が高いだけの普通の子どもたち。特殊ではありません。 中学・高校の先生方に聞いても同じ、その子どもたちが数年後に大学に入ってくるのですから。先ほど話した自己責任の原理によって、彼/彼女たちは「自分は頑張って東大に入った」と思っています。そして「次も頑張って勝たなくてはいけない」と思っています。競争は1度では終わらないのです』、「ネオリベラリズム」によって、東大生にも「壊れ始めている」学生が増えているというのは驚きだが、ありそうなことだ。
・『勉強以外の多様な世界のことを知ったほうがいい  けれども、就職活動は受験勉強のように点数だけでは勝負が決まりません。私が教えていた文学部の学生は就職氷河期には東大生であっても苦労をしています。入社試験のペーパーテストはクリアしても、面接で落とされる。本人はなぜ落とされたのか理解できず、人格否定と受け止めます。そして「自分には価値がない」「生きている意味がない」に短絡する傾向があります。 どれほど経歴が立派でも、一生勝ち続けることはできません。挫折体験がなかったり、価値多元的でなかったりすると、心が折れやすくなります。勉強の出来不出来とは異なる価値基準を持った多様な世界があることを、子どもたちには早めに体験させたほうがいいと思います』、「勉強の出来不出来とは異なる価値基準を持った多様な世界があることを、子どもたちには早めに体験させたほうがいい」というのはその通りだが、どう体験させるかは難題だ。
・『■上野語録3:父親から愛された自信 父親にわけもなく愛された経験は、男にきっと愛されるというわけもない自信をわたしに与えた。もちろん、これは根拠のない自信である。この期待は現実によって何度も裏切られたけれども、それでもこりずに男に期待することにおじけづかないという、基本的な楽天性をわたしに与えた。『ミッドナイト・コール』  Q:ご自身のお父様に「愛された」と書かれています。父娘仲良しだったのでしょうか。 上野:父親には愛されましたが、「愛してくれたオヤジを尊敬しなかったイヤな娘」です(笑)。 男兄弟の間に挟まれ、兄とは年が離れていたので、私は文字どおり父親からはネコかわいがりされました。息子には厳しく、娘には甘い父親だった。ただし、その愛情はペットに対するような愛でした。息子たちにはかけた期待を娘の私にはかけなかった。 今でも覚えているのは、お正月に父が「お兄ちゃんは何になる?〇〇になったらいい。社会の役に立つから」と言いました。弟にも同じように話をしましたが、私の順番は飛ばされた。 それで自分から「チコちゃんは?」と尋ねると、「あ、そこにいたの」という顔をして、「チコちゃんはかわいいお嫁さんになるんだよ」と。そうか、兄や弟のようには期待されていないのか、とショックでした。 だから反対に何をやっても許された。父にとっては理解できない社会学をやりたいと言っても、反対されなかった。期待はされない代わりに、好きなようにさせてくれた、という意味で、感謝しています。私は「翼を折られる」女としての社会化に失敗して今がある、と思っています(笑)』、「愛してくれたオヤジを尊敬しなかったイヤな娘」、「私は「翼を折られる」女としての社会化に失敗して今がある、と思っています」、には、さもありなんと微笑みを禁じ得なかった。
・『日本の企業と男性が変わらなければならない  Q:話を現代に戻すと、今や世帯数では共働きが片働きを上回るようになりました。 上野:先ほど、男性はあまり変わっていない、とお話しましたが、学生を見ていると変化を感じます。多くの男子学生は「妻に働いてほしい」と思っています。自分1人の収入で妻子を養うのは容易ではなく、自分と同じ学歴の妻が働いたら2倍豊かな生活ができることを体感的に知っているからです。 家事・育児などについても男性の意識が変わってきたことは感じます。今では、夫が家事を「手伝う」「協力する」は禁句ですからね。妻が容赦しません。 ただ、彼らが望むように家庭に関われるかどうかは、働き方の問題です。最終的には日本の企業と男性が変わらなければならないでしょう』、「日本の企業と男性が変わらなければならない」、というのは耳が痛いが、全面的に同意する。上野氏には、日本での女性活躍社会の実現に向けて、さらに発信してもらいたい。
タグ:勉強以外の多様な世界のことを知ったほうがいい 東大は、もともと学生の自殺率が高いなど、メンタル的に問題の多い大学でしたが、ここ数十年の自傷系の学生の増加は、例外と言えないほどに大きいと感じます 自分で自分を傷つける若者たちは、攻撃性を内に向けてしまいます。学生の変化を見ていて「子どもが壊れ始めている」と、愕然としたことを覚えています 上野語録2:心が折れない理由 逆風に慣れていると、心も折れにくいのだよ この数十年でタテマエは変わりましたね 「上野千鶴子「東大生も追いつめる自己責任の罠」 子どもたちはいったいなぜ壊れ始めたのか」 社会変革とは、タテマエが変わることを意味します。人間の劣情やホンネは変えられません 上野語録1:夫や子どもより、自分のほうが大事な女性 病院に限らず、日本型経営は間接差別の温床になっています。長く同じ組織で働いている人、長時間労働している人だけを「正規メンバー」として認める仕組みだからです。そこでは育児や介護といったケア労働を担う女性は、「二流の戦力」として、メンバーにカウントされにくいのでしょう 上野語録3:無能で横暴な上司に仕えるつらさ ネオリベラリズムによってかえって生きづらくなった 日本型経営は間接差別の温床になっている 上野語録2:抑圧され続けたら、慣れてしまう 私は「翼を折られる」女としての社会化に失敗して今がある、と思っています もう1つは東京医科大の性差別入試事件 1つは福田淳一元財務次官のセクハラに伴う#MeTooの動き 昨年起きた2つの事件の影響 自己選択そのものが、性差別の結果なのです マララ・ユスフザイ 多くの男女は第二次性徴の頃から、ジェンダー・ソーシャライゼーション(男の子向け/女の子向け社会化)を受けます。「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という規範を刷り込まれていきます 上野語録1:人の器と、理解力 人は自分の器に応じた理解力しかないからね 上野千鶴子のサバイバル語録 東京大学の入学式 「上野千鶴子「私が東大祝辞で伝えたかったこと」 MeTooと東京医科大問題で世論は耕された」 妻と夫との間で、対等な葛藤が生じてはじめて、がっぷり四つに組んだまともなカップルが生まれるのではないでしょうか。日本の夫婦が「波風立たない」でいられるのは、妻が不平不満を呑み込んでいるからこそです 治部 れんげ 東洋経済オンライン 正規雇用の場合、男性の平均年収は547万円なのに対し、女性は376万円。非正規では、男性229万円に対し女性はわずか150万円 女性では正規雇用が24万人増え、非正規は62万人増。圧倒的に非正規が多く、男性の非正規雇用の実に3倍近く 「愛してくれたオヤジを尊敬しなかったイヤな娘」 2018年の女性の就業率が全年齢ベースで51.3%となり、50年ぶりに5割を超えた フェニミズムがタテマエを変えてきた 「パート=主婦の家計補助的な働き方」という分類が“当たり前”となり、賃金問題は置き去りにされてしまった 名誉教授の上野千鶴子さんの祝辞が大きな話題 お父さんがすばらしい発言をなさいました。「娘の翼を折らないように育てた」と 本工と臨時工の格差問題では、「家族持ちの世帯主の男性の賃金が安いのはおかしい」という声に政府も企業もなんらかの手立てを講じる必要に迫られたが、パートは主婦だったため議論は盛り上がらなかった 日本の母子家庭の母親の就業率は、84.5%と先進国の中でもっとも高いにもかかわらず、就業しているひとり親世帯の相対的貧困率が、日本では54.6%とOECD加盟国平均の21.3%を大幅に上回っている プロフェッショナルな職業に分類 イタリアでは主婦にはcasalinga(カサリンガ)という職業名 専業主婦とは家庭の責任者として極めて多様なスキルが求められる職業であり、それは家庭外の活動と同じ、いやそれ以上に価値ある仕事だ 「被害者でい続けることが新たな加害を生む」 専業主婦未経験者だが、母は完全な専業主婦だったのでその「スゴさのハンパなさ」は痛いほどわかる 河合 薫 「共稼ぎの妻や働く独身女性などから『保険料を負担せずに年金受給は不公平』という不満が根強く」あることから、「政府は男女共同参画基本計画で〈第3号被保険者を縮小していく〉と閣議決定し、国策として妻たちからなんとかして保険料を徴収する作戦を進めている 私自身“働く女性”の1人として言わせていただくと「専業主婦ってズルイ」などと思ったこともなければ、そんな“声”を聞いたこともない 「男子を脅かさない存在であるべき」というプレッシャー 日経ビジネスオンライン 日本の企業と男性が変わらなければならない この記事が出た背景には「専業主婦を安い賃金で雇いたい!」という思惑がある 伊藤詩織 上野語録3:父親から愛された自信 父親にわけもなく愛された経験は、男にきっと愛されるというわけもない自信をわたしに与えた。もちろん、これは根拠のない自信である。この期待は現実によって何度も裏切られたけれども、それでもこりずに男に期待することにおじけづかないという、基本的な楽天性をわたしに与えた 受忍は新たな被害を生んでしまうんです (その12)(「無職の専業主婦」呼ばわりと低賃金容認社会の闇、上野千鶴子「私が東大祝辞で伝えたかったこと」 MeTooと東京医科大問題で世論は耕された、上野千鶴子「東大生も追いつめる自己責任の罠」 子どもたちはいったいなぜ壊れ始めたのか) 女性活躍 「「無職の専業主婦」呼ばわりと低賃金容認社会の闇」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

新国立競技場問題(その11)(新国立競技場の整備費が790億円不足 民間から借金の仰天、神宮外苑が「高層ビルの森」に 再開発計画の全貌判明で浮かぶ疑問) [社会]

新国立競技場問題については、2016年4月2日に取上げた。問題はなくなったと思っていたら、新たな問題が出てきたので、今日は(その11)(新国立競技場の整備費が790億円不足 民間から借金の仰天、神宮外苑が「高層ビルの森」に 再開発計画の全貌判明で浮かぶ疑問)である。

先ずは、昨年10月5日付け日刊ゲンダイ「新国立競技場の整備費が790億円不足 民間から借金の仰天」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/238894
・『東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場の整備費用が約790億円も不足することが、会計検査院の調べでわかった。5日のNHKが報じた。 新国立競技場の整備費は約1600億円で、財源は「国」「都」、整備の事業主体である「日本スポーツ振興センター(JSC)」のスポーツ振興くじの売上金で、割合は2対1対1とされている。 これについて会計検査院が調査したところ、JSCは昨年度、新国立競技場の整備費や国立代々木競技場の耐震改修工事などに支払う資金がショートし、すでに約50億円を民間金融機関から一時的に借り入れていた。 さらにJSCは今後2年間で約790億円の資金不足を見込んでおり、民間金融機関からの借金で賄う方針だというから驚きだ。返済は長期にわたる見込みだ。 新国立競技場はオリパラ終了後、民営事業化される計画だが、それまではJSCが維持管理費を負担することが想定されている。民営化が遅れれば不足する資金はさらに膨れ上がる恐れがある』、「今後2年間で約790億円の資金不足」ということは、「すでに約50億円を民間金融機関から一時的に借り入れていた」のと合わせ、工費が840億円も膨らんだということなのだろうか。当初の「整備費は約1600億円」が1.5倍に膨らんだというのは、どう考えても異常である。きちんとした説明が必要だろう。「オリパラ終了後、民営事業化される計画」とはいうものの、落札価格が整備費用を下回れば、税金による公的負担がそれだけ膨らむことになる。やれやれ・・・。

次に、6月5日付けダイヤモンド・オンライン「神宮外苑が「高層ビルの森」に、再開発計画の全貌判明で浮かぶ疑問」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/204521
・『2012年に新国立競技場の建設構想が打ち上げられてから、ずっとくすぶっていた神宮外苑地区市街地の再開発事業。その全貌がとうとう明らかになった。地権者の1社である三井不動産が東京都に提出した環境影響評価(環境アセスメント)の調査計画書で詳細が分かった。 神宮外苑の再開発計画は、老朽化した神宮球場と秩父宮ラグビー場を入れ替えて建設する巨大再開発事業で、西側はスタジアム通り、東側は絵画館正面の軟式野球場を取り囲む楕円の道路東側、イチョウ並木の東側までが範囲だ。対象地域の地権者は明治神宮、伊藤忠商事、日本スポーツ振興センター、高度技術社会推進協会、日本オラクル。彼らに代わり、同じく地権者の1社である三井不動産が計画をとりまとめた』、「神宮外苑の再開発計画」が「環境アセスメント」で漸く明らかになったとは、遅すぎる感がある。
・『神宮外苑の杜は“高層ビルの森”に  今回の開発のポイントはいくつかある。まずは「秩父宮ラグビー場」と「神宮球場」の位置の入れ替えだ。観光スポットで有名な銀杏並木、その西側の歩道に隣接するかたちで野球場棟、それに併設されるかたちで商業施設とホテルが建設される。高さは約60メートルになる。そして、銀杏並木の東側の樹が生い茂るエリアに2階建て、高さ15メートルの商業施設が数棟建つ。 また、「伊藤忠商事東京本社ビル」(1980年竣工、高さ約90メートル)は、2倍以上の高さとなる約190メートルの超高層に生まれ変わる。ラグビー場棟、野球場棟の周辺には、複合棟として高さ約185メートルと約70メートルの2棟、および並木の北西の端に高さ約30メートルのホテルが建設される。 まさに神宮外苑の杜は、“高層ビルの森”へと変貌を遂げるわけだ』、「銀杏並木」は残るといっても、「“高層ビルの森”」にポツンと残されることになり、景観は台無しになりそうだ。
・『市民団体は危惧を表明  これらの再開発以前に、すでに周辺には「日本青年館ホテル」(高さ約70メートル、17年8月開業)、「ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア」(高さ約60メートル、今年4月竣工)、「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」(高さ約50メートル、362室、今年11月開業予定)が建設されている。 こうした大規模な再開発に対し、市民団体「国立競技場と神宮外苑を未来に手わたす会」が危惧を表明している。その内容を簡単にまとめると、以下の4点になる。 (1)神宮外苑は明治天皇の功績を残す公園をつくる目的で造営されたが、戦後まで国有地であったため、1952年に明治神宮に市価の半額で払い下げられた。現在も都市公園と風致地区に指定され、今や都心における大規模で貴重な緑とオープンスペースになっており、特に銀杏並木は東京を代表する並木道として多くの人に親しまれている。再開発のために特別に規制緩和されることが予想されるが、緩和はそのまま地価を大きくアップし、事業者に大きな収益をもたらす可能性がある。どんな理由で緩和が認められ、公的な空間が激変するのか。ほとんどの国民は知らされていない。 (2)銀杏並木と絵画館の限られた樹木だけは守られるが、その両側の歩道を境に環境が激変する。東側は商業施設の建設によって、ヒートアイランドの抑制に寄与している大切な樹林が大幅になくなる。さらに西側には野球場の建物がぎりぎりまで建設される。現在の並木の景観は並木だけで成立するものではない。周辺にあまり高い建物がなく、緑が多いから成立する景観だ。広く根を張った銀杏も建物の影響を受ける可能性がある。現在の再開発計画では並木としての価値が永遠に損なわれるのではないか』、「都市公園と風致地区に指定」を解除するのであれば、明確な理由づけが必要だ。地権者の「明治神宮」に「市価の半額で払い下げられた」のであれば、なおさら公共の監視が必要な筈だ。
・『三井不は「できれば年内に説明機会を設けたい」  (3)大きな開発では環境アセスメントが義務付けられているが、三井不動産などの事業者はその調査計画書のウェブ上での公開を認めていない。そのため国民が十分な情報を得ることを妨げられている。 (4)今回の計画では、絵画館と銀杏並木の西側一帯は都市公園から削除される可能性がある。歴史ある都市公園を地権者の一存で削除していいのか。 加えて筆者としては、(5)ホテル棟、商業施設、複合棟A・Bは三井不動産の所有なのか。それとも別の事業者を想定しているのか。(6)ホテルはすでに周辺にいくつか建設されており、客層の競合はないのか。(7)高度技術社会推進協会の建物部分が計画地から外れたのはなぜか。(8)環境アセスメントの調査計画書をウェブ上で公開するのを許諾しなかったのは三井不動産の判断なのか、他の事業者の反対があったからなのか、といった疑問が浮かんだ。 これらの疑問点について、計画をとりまとめた三井不動産は本編集部の取材に対し、「各地権者などと行政協議中の部分もあり、現時点でのタイミングではお答えできない。しかしながら、包み隠すようなことでもない。できれば年内、それ以降になるかもしれないが、いずれ説明する機会を設けたい」(同社広報担当者)と回答している。 都市計画の策定から今回の施設建設の経緯について、さまざまな疑問を払しょくできるような説明が求められている』、「三井不動産などの事業者はその調査計画書のウェブ上での公開を認めていない」というのも隠蔽体質の最たるものだ。今後の説明では、三井不動産だけでなく、規制を緩和する当局からも説明が欲しいところだ。「環境アセスメント」であれば、もっと早期に説明すべきだ。工事が始まってからの事後承認では意味をなさないが、国立競技場の設計問題で世論がヒートアップしたので、冷めるのを待っていたとしか思えない。やり方が姑息過ぎる。
タグ:三井不動産などの事業者はその調査計画書のウェブ上での公開を認めていない 三井不は「できれば年内に説明機会を設けたい」 現在の再開発計画では並木としての価値が永遠に損なわれるのではないか 再開発のために特別に規制緩和されることが予想されるが、緩和はそのまま地価を大きくアップし、事業者に大きな収益をもたらす可能性がある。どんな理由で緩和が認められ、公的な空間が激変するのか。ほとんどの国民は知らされていない 「国立競技場と神宮外苑を未来に手わたす会」 三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア 日本青年館ホテル 神宮外苑の杜は“高層ビルの森”に 新国立競技場の整備費用が約790億円も不足 彼らに代わり、同じく地権者の1社である三井不動産が計画をとりまとめた 市民団体は危惧を表明 会計検査院の調べ 地権者は明治神宮、伊藤忠商事、日本スポーツ振興センター、高度技術社会推進協会、日本オラクル 「新国立競技場の整備費が790億円不足 民間から借金の仰天」 日刊ゲンダイ 環境影響評価(環境アセスメント)の調査計画書 (その11)(新国立競技場の整備費が790億円不足 民間から借金の仰天、神宮外苑が「高層ビルの森」に 再開発計画の全貌判明で浮かぶ疑問) 問題 新国立競技場 神宮外苑地区市街地の再開発事業 新国立競技場はオリパラ終了後、民営事業化される計画 「神宮外苑が「高層ビルの森」に、再開発計画の全貌判明で浮かぶ疑問」 ダイヤモンド・オンライン 整備費は約1600億円
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

安倍政権のマスコミへのコントロール(その10)(NHKの国会報道が安倍首相のPR動画状態に! 辺野古 統計不正追及を報じず自民党質問への勇ましい答弁を大々的に紹介、【政治考】NHKと政権の“距離感”に疑問、パーソナリティ荒川強啓氏 放送界の「政権すり寄り」危惧) [メディア]

安倍政権のマスコミへのコントロールについては、3月5日に取上げた。今日は、(その10)(NHKの国会報道が安倍首相のPR動画状態に! 辺野古 統計不正追及を報じず自民党質問への勇ましい答弁を大々的に紹介、【政治考】NHKと政権の“距離感”に疑問、パーソナリティ荒川強啓氏 放送界の「政権すり寄り」危惧)である。

先ずは、3月6日付けLITERA「NHKの国会報道が安倍首相のPR動画状態に! 辺野古、統計不正追及を報じず自民党質問への勇ましい答弁を大々的に紹介」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/03/post-4589.html
・『さすがにこれはひどいのではないか──。今週から国会では参院予算委員会がはじまったが、衆院予算委につづき、不正統計や辺野古新基地建設工事をめぐって安倍首相が無責任極まりない答弁を連発している。だが、そんな安倍首相のひどさに輪をかけて露骨に醜いことになっているのが、NHKの報道だ。 たとえば、4日の『NHKニュース7』のトップニュースは「即位祝う一般参賀5月4日に」、つづく2番目の話題も「大戸屋 不適切動画で一斉休業」というもので、国会の話題は4番目。さらに目を剥いたのはその内容だ。 国会では軟弱地盤が大きな問題となっている辺野古新基地建設工事について野党から質問が飛んだというのに、一切無視。代わりに大々的に取り上げたのは、身内である自民党・堀井巌議員の質問に対する安倍首相の答弁だった。 安倍首相が「日朝の首脳間の対話に結びつけていきたい」と答弁したことを受け、「拉致問題解決へ“日朝首脳会談 実現させたい”」と見出しに掲げたのである。 また、この4日の放送では、続けて安倍首相がレーダー照射問題で「我々は真実を語っているし、真実を語るほうが必ず強い」と述べたことを紹介、「北朝鮮への対応は日米・日米韓の緊密な連携が極めて重要」という答弁を放送したのだが、これも実は、自民党・有村治子議員の質問に答えたものだった。NHKは有村議員の質問であることを隠していたが、ようするに、身内の与党の質問に、安倍首相が堂々と答えるシーンばかりを流したのだ』、これでは、「NHKの国会報道が安倍首相のPR動画状態に!」というのも確かで、放送の中立性など完全無視のようだ。
・『国会とは本来、政権や与党の暴走を野党がチェックする場であるはずなのに、与党の質問と安倍首相のPRのような答弁だけを流す。これは、国民の知る権利を妨害しているのはもちろん、放送法4条やNHK国内番組基準で謳っている「政治的公平」「不偏不党」にも反しているのではないか。 昨日5日の『NHKニュース7』も同様だった。日産自動車のゴーン前会長の保釈を認める決定が出されたことがトップなのはまだしも、その後も探査機「はやぶさ」や来年の都知事選をめぐる二階俊博幹事長の発言の話題がつづき、やはり国会は4 番目の扱いで、しかも画面に映し出された見出しテロップは「米国が拉致問題重視“キム委員長も理解”」。さわりでさすがに統計不正問題の質疑を取り上げたが、特別監察委員会の委員長人事について共産党の小池晃議員に質問されたのに対し、「適格性に疑念を抱かせるようなものではない」「厚労省に手心を加えてくれるかもしれないから選んだのではなく、中立性を疑われることはない」と安倍首相が答弁した部分を紹介しただけで、小池議員の発言は一切放送しなかった。 そして、その後は拉致問題に話題が移り、安倍首相が日朝首脳会談でトランプ大統領が夕食会で拉致問題を提起したとして「金正恩・朝鮮労働党委員長もアメリカが拉致問題を重視していることを理解したと思っている」と成果を強調した部分や、「小泉総理が2002年に訪朝したときに5人の被害者が帰還できた。そうしたさまざまな経験も生かしながらあらゆるチャンスを逃さずに解決にあたっていきたい」という、嘘っぱちの“俺の手柄”自慢を放送してコーナーが締めくくられたのだ。 辺野古の問題を取り上げないどころか、拉致問題における安倍首相の“やるやる詐欺”答弁を主題にして伝える──。これでは安倍首相のプロモーションビデオではないか』、視聴者から視聴料を取っておいて、「安倍首相のプロモーションビデオ」を見せられたのではかなわない。ここまで偏向した番組に対して、誰か「放送倫理・番組向上機構(BPO)」に申し立ててほしいものだ。国会でも野党は厳しく追及するべきだろう。

次に、6月1日付け西日本新聞「【政治考】NHKと政権の“距離感”に疑問」を紹介しよう。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/514893/
・『学校法人「森友学園」への国有地売却問題で、一つの司法判断が出た。大阪地裁は5月30日、情報公開請求のあった売却価格を非開示にしたのは違法だとして、国に賠償を命じた。安倍昭恵首相夫人らの関与が取り沙汰され、財務省が公文書を改ざんしてまで情報を隠した問題である。 ところがNHKのニュースを見て驚いた。「値引き理由不開示は『適法』」との見出しで、国が「勝訴」したかのような報道ぶりだったからだ。判決は売却価格の非開示を違法とする一方、値引き理由の非開示については適法と判断。NHKはそこに焦点を当て、国に賠償が命じられたことは短く付け加えていた。 かつて司法を担当していたことがある。国への損害賠償請求はハードルが高く、認められるケースは多くない。それだけに、判決で賠償が認められれば大きなニュースになる。31日の全国紙(東京版)を見ても、今回の判決についての記事は、全紙が「賠償命令」を見出しに取っている。 ニュースの価値判断は多様だとはいえ、国の違法行為が認定されたことを脇に置く発想は理解しがたい。元司法担当だから余計にそう思うのかもしれないが、今回のNHKの報道は「政権寄り」に思える。 NHKと安倍政権との関係に、疑いの目を向ける人は少なくない。国会では「官邸と太いパイプがある」とされる人物が専務理事に復帰した4月の人事について、野党が「官邸の意向があったのではないか」と問いただしている。 元NHK記者の相澤冬樹氏は著書「安倍官邸VSNHK」で、森友学園問題を報道する際に上層部から「圧力」があったと書いている。これについても野党は追及。NHKはいずれも否定している。 NHK幹部は国会や記者会見で「放送の自主自律を堅持する」と繰り返している。ならば主要メディアと明らかに異なる今回の判決の報道も、司法担当記者の自主的な判断だったのだろうか。政権との「距離感」にどうしても疑念が拭えない』、「今回の判決についての記事は、全紙が「賠償命令」を見出しに取っている」のに、NHKだけは「「値引き理由不開示は『適法』」との見出しで、国が「勝訴」したかのような報道ぶり」というのも酷い話だ。NHKは森友学園問題をスクープした記者を左遷、当該の記者は退社し、大阪日日新聞に移った(このブログの3月5日で紹介)。野党には大いに奮起して国会でさらに追及してもらいたい。

第三に、5月7日付け日刊ゲンダイが掲載したTBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」のパーソナリティーへのインタビュー「パーソナリティ荒川強啓氏 放送界の「政権すり寄り」危惧」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは荒川強啓氏の回答)。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/252697
・『TBSラジオの人気番組「荒川強啓デイ・キャッチ!」を1995年から24年間にわたり、続けてきたのがこの人、荒川強啓さんだ。「聴く夕刊」として、平成のニュースを毎日、届けてきたのだが、その番組も3月、惜しまれつつ終わった。時代と番組を振り返ってもらおう』、私はラジオを聴く習慣を無くして長いので、この番組のことは初耳だが、興味深そうだ。
・『時代を「平成」でひとくくりにする危険性  Q:番組がスタートした95年といえば、2年前に宮沢政権が崩壊、バブルがはじけた直後でした。阪神・淡路大震災もありましたね。 A:日本で大きな戦争はなかったけれど、平成という時代は世界がものすごく混乱し、その混乱が今も続いていると思います。これからどういう方向に進んでいくのか、見通せない部分がありますね。 Q:経済も一国主義が台頭しているし、政治でいえば、平成の最後に共謀罪、安保法の強行採決などがありました。 A:これからが一番大事になってくるんじゃないですかねえ。元号が変わるような大きなうねりって、よーく見ていないとガラッと変わってしまう怖さがあります。「平成はこういう時代でした」とくくってしまうのは実は危ないんじゃないかとも思いますね。元号が変わることで、体制まで変えてしまう、社会の方向、色まで変えてしまう。そういうことも可能ですから。ものすごく注意しなければいけない時期だと思う。その意味で、時代の変わり目を見届けておけなかったのは残念ですけどね。 Q:リスナーも荒川さんの番組をもっと聴いていたかったという思いが強いです。というのも、放送業界って、とんがっている人がドンドンいなくなっているじゃないですか? 72歳の荒川さんはこの業界を長くご覧になってきた。昨今の息苦しさみたいなものを感じませんか? A:感じますね、このままズルズル危ない方向に持っていかれちゃうんじゃないかって。 Q:危ない方向とは言論の不自由? A:何となく、政権にすり寄っていることに業界も気づいてほしいし、リスナーも「変だぞ」と思ってほしい。 Q:ラジオはそういう意味では比較的自由であるように見えましたが。 A:そうでもないんですよ。私はともかく、コメンテーターの方々の発言とか、制作者は相当、気を使っていたんじゃないでしょうか。 Q:「デイ・キャッチ!」のコメンテーター、青木理さんとか宮台真司さんとか過激ですもんね。 A:でも、「これはコメンテーターの方の発言ですし、生放送ですからハサミも入れられません」って言っちゃえばいいんですけどね。 Q:なるほど。 A:放送ってのは「送りっ放し」って書いているんだから』、「元号が変わるような大きなうねりって、よーく見ていないとガラッと変わってしまう怖さがあります」との警鐘には大いに気をつけたい。「何となく、政権にすり寄っていることに業界も気づいてほしいし、リスナーも「変だぞ」と思ってほしい」、との指摘はその通りだろう。
・『肩書もプライドもないからなんでも質問  Q:でも、生放送だからのトラブルもあったのでは? A:自民党の大物が僕の発言に怒って、帰っちゃったことがありましたね。 Q:いいですね、そういうの。 A:「君、それを僕に聞きますか」って。 Q:そういうところが魅力でした。 A:実は、馴染みの居酒屋のおばちゃんから、「あなたの番組のおかげで話題についていけるようになった。噛み砕いてくれるから分かりやすいのよ」と言われたことがあります。「これだ!」と思いましたね。僕は学者ではなく、研究者でもない。一庶民で、おばちゃんと居酒屋トークしている飲んべえのおっさんという感じです。だから、飲んべえのおっさんが理解できないことを知ったかぶりするとウソになる。専門家からしたら意識の低い質問でも、僕はできるんです。肩書もプライドもないので恥ずかしくない。 Q:そもそも、「デイ・キャッチ!」はどういったコンセプトで始まったのでしょうか。 A:「聴く夕刊」というキャッチはあるんですけれど、放送していた午後3時から5時、6時というのは、今までの時代なら一日の終わりに差し掛かる時間帯。一方、主婦の方は夕飯の準備を始めるし、夜のお仕事をされている方は鏡の前でお化粧を始めたりする。そういう時間帯にコンパクトに一日の出来事を伝えていくというコンセプトですね。「聴く夕刊」は、あまり濃くなく、ザックリとした見出しみたいなものだけでいい。その日に何があったのかがすぐ分かるというのが狙いでした。 Q:ニュースをランキング形式で紹介するコーナーも人気でしたね。 A:10本のニュースについて、街で3カ所、約100人に「どのニュースに関心がありますか」と聞くんです。あとはSNSで番組について投稿してもらう。それらを集めたもので順位をつける。皆さんが関心あるニュースについて、コメンテーターが一言入れる。アシスタントやスタッフ、何よりも強力なコメンテーターの支えがあったからこそ、ここまでやってこられたと思います。 Q:テレビ局の報道番組は庶民目線じゃないというか、何か妙にお高くとまっているなと感じます。 A:「どうして出演者だけで分かり合っているの?」「もうちょっと砕いた報告してくれないの?」と思うことはありますね。 Q:荒川さんは午前中に朝刊全紙に目を通すそうですが、新聞の読み方にコツはありますか? A:まずは見出しなどを読み比べるんです。海外ニュースでも、相手の方を見出しにするのか、日本の動きを見出しにするのか。この新聞は何をトップに伝えたいのかということから見ていく。さらに社説やコラム、天声人語などを読む。そのうえで、日刊ゲンダイはどこにメスを入れたんだろう、どこ突っ込んだんだろうと。これが楽しみで、「そうきましたか」とうなる時もありました』、「おばちゃんと居酒屋トークしている飲んべえのおっさんという感じです」、とは聞いてみたかった。惜しい番組がなくなったものだ。。
・『東京五輪を「復興五輪」なんて「おためごかし」  Q:ありがとうございます。番組終了後の今はどうされているのでしょうか。 A:今は1紙だけ残して、全部解約しました。新聞を見なくなってどうなるんだろうということを、今は試しています。イライラしますかね? Q:そうかもしれませんね。今の世の中の雰囲気は息苦しいものがありますから。なんで、このニュースにメディアはもっと突っ込まないのかって。 A:そうですね。実は番組が終わるに当たって、永田町あたりから圧力かかりましたか? という質問が、一部であったんですよ。逆におうかがいしたいのですが、そんな気配はありますか? Q:詳細は把握していません。 A:そうですか、そんな声が聞こえてきていましてね。多分ないと思っているのですが。そこまで永田町を怒らせたかなあ、と思うんです。 Q:そんな声が飛び交うくらい、番組に骨太の魅力があったのでしょう。 A:もったいないと思うことはあります。「平成の終わりとともに番組も終了」というニュアンスの記事もありましたが、ストンと腑に落ちない部分もある。もう少し続けてみたかったな、という思いもあるし、もうお役御免かなとも思います。 Q:いやいや、もっと発言してください。とりわけ、東京五輪についての荒川さんの発言は過激な正論でした。 A:ずっと反対だと言い続けていたんですよ。招致当時、僕は東日本大震災の取材をしていた。何とかして災害から立ち直らなきゃいけないと取材をしている時に、東京五輪をやると聞き、腰が砕けそうになったんですよ。「被災地の人たちがどう思うか分かってますか?」と。復興資金や労働力、トラックと何から何まで全部、五輪準備に持っていかれちゃうわけですよ。 Q:しかも「復興五輪」などと言ってますね。 A:おためごかしもいい加減にしなさい、ですよ。ほんとにそれを聞いた時は腹が立ちましたね。何を考えてるんだろうと。 Q:そこまでしっかりと発言する方が、いなくなってしまいました。 A:元号が変わる、五輪をやる。お祭り騒ぎの裏で何が起きているのかということを注意して見ていかなければいけないと思います。若者の会話などを聞いていると、なんかこう、ひとつの方向を向いて流れている。そういうことにも危機感を覚えます』、「東京五輪を「復興五輪」なんて「おためごかし」」とは言い得て妙だ。引退するのは惜しい直言居士なので、舞台を変えてでも活躍してもらいたいものだ。
タグ:相澤冬樹 身内の与党の質問に、安倍首相が堂々と答えるシーンばかりを流したのだ マスコミへのコントロール 官邸と太いパイプがある」とされる人物が専務理事に復帰した4月の人事について、野党が「官邸の意向があったのではないか」と問いただしている 31日の全国紙(東京版)を見ても、今回の判決についての記事は、全紙が「賠償命令」を見出しに取っている NHKのニュースを見て驚いた。「値引き理由不開示は『適法』」との見出しで、国が「勝訴」したかのような報道ぶりだったからだ 放送倫理・番組向上機構(BPO) 西日本新聞 これでは安倍首相のプロモーションビデオではないか 森友学園問題を報道する際に上層部から「圧力」があったと書いている 日刊ゲンダイ 放送法4条やNHK国内番組基準で謳っている「政治的公平」「不偏不党」にも反しているのではないか NHKの国会報道が安倍首相のPR動画状態に! NHKニュース7 litera 安倍政権 「【政治考】NHKと政権の“距離感”に疑問」 「安倍官邸VSNHK」 辺野古の問題を取り上げないどころか、拉致問題における安倍首相の“やるやる詐欺”答弁を主題にして伝える 「森友学園」への国有地売却問題で、一つの司法判断が出た。大阪地裁は5月30日、情報公開請求のあった売却価格を非開示にしたのは違法だとして、国に賠償を命じた 復興資金や労働力、トラックと何から何まで全部、五輪準備に持っていかれちゃうわけですよ 招致当時、僕は東日本大震災の取材をしていた。何とかして災害から立ち直らなきゃいけないと取材をしている時に、東京五輪をやると聞き、腰が砕けそうになったんですよ 東京五輪を「復興五輪」なんて「おためごかし」 おばちゃんと居酒屋トークしている飲んべえのおっさんという感じです 何となく、政権にすり寄っていることに業界も気づいてほしいし、リスナーも「変だぞ」と思ってほしい 放送業界って、とんがっている人がドンドンいなくなっている 元号が変わるような大きなうねりって、よーく見ていないとガラッと変わってしまう怖さがあります 時代を「平成」でひとくくりにする危険性 「聴く夕刊」 24年間にわたり、続けてきたのがこの人、荒川強啓さん TBSラジオの人気番組「荒川強啓デイ・キャッチ!」 「パーソナリティ荒川強啓氏 放送界の「政権すり寄り」危惧」 「NHKの国会報道が安倍首相のPR動画状態に! 辺野古、統計不正追及を報じず自民党質問への勇ましい答弁を大々的に紹介」 (その10)(NHKの国会報道が安倍首相のPR動画状態に! 辺野古 統計不正追及を報じず自民党質問への勇ましい答弁を大々的に紹介、【政治考】NHKと政権の“距離感”に疑問、パーソナリティ荒川強啓氏 放送界の「政権すり寄り」危惧)
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

トランプと日米関係(その4)(日米貿易交渉は参院選後と言うトランプ 日本の民主主義はバカにされているのか?、安倍首相がトランプ氏に売った国益の中身 日米合意前に衆参同日選となる恐れ、極秘リハから米側の注文まで トランプ相撲観戦の全舞台裏) [外交]

トランプと日米関係については、昨年5月3日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その4)(日米貿易交渉は参院選後と言うトランプ 日本の民主主義はバカにされているのか?、安倍首相がトランプ氏に売った国益の中身 日米合意前に衆参同日選となる恐れ、極秘リハから米側の注文まで トランプ相撲観戦の全舞台裏)である。

先ずは、在米作家の冷泉彰彦氏が5月28日付けNewsweek日本版に寄稿した「日米貿易交渉は参院選後と言うトランプ、日本の民主主義はバカにされているのか?」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2019/05/post-1086_1.php
・『<与党一強の日本政治の現状を見下しているようでもあるが、英米の民主主義もまた危機に瀕している> 今回のトランプ大統領の来日は、宮内庁の所轄する皇室外交の儀礼的には国賓待遇でしたが、内閣を中心に見てみると正規の共同声明が省略されたことで、首脳外交としては簡易なスタイルに終始したと言えます。 では、どうして共同声明が省略されたのかというと、おそらくは最重要の論点である日米の通商問題について「結論を急ぐと、安倍政権にとって7月の参院選は不利になる」という計算があったと思われます。 大統領は自ら「通商問題の協議は日本の選挙後」というツイートをしていますから、その計算は日米で共有されているようです。こうした言い方には、いかにもトランプ大統領らしい「本音丸出しの実利追求」がありますが、それ以前の問題として、このツイートは、どこかで日本の民主主義を「バカにしたような」印象を与えるのも事実です。 どういうことかと言うと、仮に通商交渉の方向性に「日本の譲歩」が含まれていたとします。そうした日本側にとって不利益な流れが、選挙前に明らかとなると、これは与党に不利になります。ですから、大統領は「選挙後」と言っているわけですが、これは与党に協力しようという姿勢であるだけでなく、「都合の悪いことは争点から外す」ということを、日本の政権与党とアメリカの政府が共謀して行なっていると言えなくもありません。 そう考えると、安倍政権とトランプ大統領は、日本の民主主義を軽視していると言われても仕方がありません。 しかし「与党には選挙に不利になるかもしれないので、通商協議は選挙後に」という発言は正直と言えば正直です。もっと腹黒い政治家であれば、あえてこんな発言はしないでしょう。 そして、あえてこんな「露悪的な発言」をしているというのは、政権の受け皿になるべき野党に統治能力がないことがアメリカにも理解されてしまっているという情けない事実が浮かび上がってきます。そう考えると、政権構想も統治能力もないままに場当たり的な政府批判を続ける野党こそに問題があり、日本の民主主義はそもそもバカにされても仕方のないレベルだとも言えます』、「正規の共同声明が省略された」、「「都合の悪いことは争点から外す」ということを、日本の政権与党とアメリカの政府が共謀して行なっていると言えなくもありません」、「日本の民主主義はそもそもバカにされても仕方のないレベル」、などの指摘はその通りだ。
・『一方で、民主主義の危機ということでは、より深刻なのはイギリスです。EU離脱問題では民意も議会も分裂するなかで、国家としての合意形成能力が危機に瀕しているからです。 アメリカの場合は、政権担当能力のある二大政党が、小さな政府論か大きな政府論かという軸を中心に政策で競ってきましたが、そのアメリカの民主主義も迷走中です。 現時点では、ロシア疑惑に関する「ムラー報告書」が明らかにしたトランプ大統領の姿、つまり「自陣営の勝利のためには国益を毀損しても平気」な姿は、依然として中道から左の有権者を動揺させています。 ですが、政権の受け皿となるべき民主党では、党内の左右対立が激化しています。現時点では前副大統領のジョー・バイデン氏が先行していますが、彼とは水と油の存在である党内左派は50%以上の支持率を確保しており、このままではとてもトランプの再選を阻止するような戦闘態勢は組めそうもありません。アメリカの民主主義もまた、かなり苦しいレベルとなっています。 そう考えると、まだ日本の状況は「マシ」とも言えます。ですが今回は、共同声明が見送られたことで、「決定事項」の確認が難しいわけです。通商問題に加えて、対北朝鮮外交について、あるいは対イラン外交について、どのような協議がされているのか、また日本が取りうる選択肢は、それぞれ具体的に何があるのかは、もっと明らかにされなくてはなりません。 政府が必要に応じて情報公開し、またジャーナリズムや野党を含めて、実現可能、対応可能な選択肢を中心に意味のある議論が活発化すれば、日本の民主主義も機能している姿を見せることができるのではないでしょうか』、イギリスでは、メイ首相は退陣を表明しているにも拘らず、国賓として招待したトランプ大統領がEU離脱を薦める発言をさせるなど、招待の意味が問われるような事態に陥っている。安倍政権も都合のいい情報公開しかしないようでは、「実現可能、対応可能な選択肢を中心に意味のある議論が活発化」など望むべくもなさそうだ。

次に、5月29日付けPRESIDENT Online「安倍首相がトランプ氏に売った国益の中身 日米合意前に衆参同日選となる恐れ」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/28830
・『日本滞在中のツイッター更新で、永田町が大騒ぎに  破格の厚遇で4日間におよぶ「令和初の国賓」を満喫したトランプ米大統領。彼が日本滞在中にツイッターでつぶやいたひと言で日本が騒ぎになっている。 懸案の日米貿易交渉について「7月の選挙後まで待つ代わりに大きな進展に期待する」という内容。決着を先送りするのは盟友・安倍晋三首相の希望通りではあるが、交換条件で大幅な譲歩を強いられるのであれば、国民がつけを払わされることになる。こんなディール(取引)があってもいいのだろうか。 問題のツイートは日本時間26日の午後、つぶやかれた。安倍氏と千葉県茂原市の「茂原カントリー倶楽部」でゴルフを楽しみ、クラブハウスでダブル・チーズバーガーをほおばった後のツイートだ。「両国国技館で大相撲を観戦する前」と説明した方が分かりやすいかもしれない。 要約すると「日本との交渉では、すばらしい進展がある。農業、牛肉は特にそうだ。7月の日本の選挙まで待つが、大きな数字を期待する」という内容だ。 トランプ氏は27日、安倍氏との首脳会談冒頭、記者団に「8月に、いい内容を発表できる」と発言。前日のツイートを補強している』、トランプ氏が二度にわたって発言するとは、次にあるように「日米首脳の「密約」が本当にあったことを証明」していることは確かだろう。
・『日米首脳の「密約」が本当にあったことを証明  このツイートには伏線がある。1カ月前の4月26日、2人はホワイトハウスで会談した。その時、トランプ氏は、5月の訪日時を念頭に「日本にいる時までに(日米交渉の)合意ができるかもしれない」と記者団に語っている。少しでも交渉を先延ばししたいと思っていた日本政府にとっては、寝耳に水だった。 一部報道によると安倍氏は記者団が去った後、「日本では7月に選挙がある。それまで待ってほしい」「2020年の大統領選前には形にするから安心してほしい」とトランプ氏に頼みこんだ。そしてトランプ氏も安倍氏に理解を示したという。つまり、日本の参院選が終わってから米大統領選が本格化するまでの間に妥結することで「密約」ができたというのだ。 日本政府サイドは、安倍氏がそのような発言をしたかどうかについては明言を避けている。しかし、今回のトランプ氏のツイートは、図らずも日米首脳の「密約」が本当にあったことを証明するような内容だった』、その通りだろう。
・『選挙で有利になるために国益を売る行為との指摘  トランプ氏のツイートについて、自民党内では、おおむね歓迎の声が上がっている。牛肉や農業などで米国に譲歩すれば、自民党にとって重要な支持層である農業票が離反する懸念があった。参院選後に先送りすることは、ありがたい。もちろん、妥結の時期を8月より、もっと後にしたいというのが本音だが、「7月の選挙後」を勝ち取ったのは事実だ。 しかし、これは国民にとっては迷惑な話である。選挙で有利になるために、さらなる譲歩をするようなことになれば、党利党略のために国益を売ることになるからだ。 国民は政府、与党が行ったことに怒った時、「1票」で批判の意思を示す権利を持つ。しかし、選挙が終わった直後だと、怒りを表現するすべを失ってしまう。今、安倍氏は参院選に合わせて衆院を解散し、衆参同日選とすることを検討している。同日選が終わった後に、日本にとって不利な合意をしても、国民は批判の1票を投じるチャンスが当分ないのだ』、民主主義の根幹を揺るがすような狡猾な手法には呆れ果てる。
・『米国優位の合意になるのは見えている  国民民主党の玉木雄一郎代表は自身のツイッターで「農産物とりわけ牛肉について大幅に譲歩することになっているなら国民に説明すべきだ。7月の選挙の後(after their July elections)に明らかになるなんて国民に対するだましだ」と憤っている。 もちろん貿易交渉は米国が勝つとは限らない。日本側が有利な条件を勝ち取ることもあり得るのだから、敗北を前提として考えるのはどうか、という反論もあるだろう。 しかし、その指摘は甘い。トランプ氏と安倍氏は、妥結時期について「日本の参院選の後、米国の大統領選の前」で合意した。この1点から、安倍氏にとっては好ましくないこと(選挙のマイナス要因となること)で、トランプ氏にとっては好ましいこと(大統領選で有利になること)で合意するのを前提としているのが分かる』、安倍政権が合意発表を遅らせることで、「米国優位の合意になるのは見えている」と、国益を犠牲にして、目先の政権の利益を追求したことになる。
・『安倍氏が「選挙日程」をトランプ氏に伝えた疑い  ちなみにトランプ氏のツイートは「7月の選挙」を「July elections」と複数形で表記している。このことから、「安倍氏は衆参同日選の意思があることをトランプ氏に伝えたのではないか」との憶測も広がっている。 しかし、米国の場合、州単位で多くの投票が行われるので1種類の選挙でも複数形を使うことも珍しくないようだ。だから複数形になっているから「同日選」と勘繰るのは、深読みのしすぎかもしれない。 ただし参院選単独にせよ、同日選にせよ、日程はまだ定まっていない。7月21日説が有力だが8月にずれ込む選択肢もある。トランプ氏が「7月の選挙」と断じたのは、安倍氏が、誰にも明かしていない選挙日程をトランプ氏には語った疑いは残る』、大いにありそうなことだ。
・『交渉で敗北し、批判が高まる前に選挙をやってしまう  トランプ氏が言うように貿易交渉の妥結が8月に行われることになった場合、その後に衆院解散、総選挙を行うタイミングは見いだしにくくなる。安倍政権への批判が高まると考えられるからだ。であれば、安倍氏が合意前に衆院選を終えておこうと考えて衆参同日選を断行する可能性は、さらに高まったことになる。「日米合作」の同日選と言ってもいいかもしれない。 同日選は過去、1980年、86年の2回行われている。39年前は「ハプニング解散」、33年前は「死んだふり解散」として語り継がれている。今年、同日選が行われるとしたら「トランプ解散」と呼ばれることになるだろうか』、「「日米合作」の同日選」とは言い得て妙だ。

第三に、息抜き記事として、5月27日付け日刊ゲンダイ「極秘リハから米側の注文まで トランプ相撲観戦の全舞台裏」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/254749
・『「トランプ大統領を通じて、相撲が単なるスポーツではなく、日本古来の伝統や文化であることを米国や世界に発信できたのは名誉なこと。本当にありがたい」 こう言ったのは相撲協会幹部。26日に米国のトランプ大統領(72)が大相撲夏場所千秋楽を観戦、表彰式で優勝した朝乃山(25=西前頭8枚目)に米大統領杯を手渡した一連の出来事に関してだ。八角理事長も「トランプ大統領と安倍首相を5月場所千秋楽にお迎えすることができ、誠に光栄の至りです」とコメントした』、相撲協会も難題山積だが、トランプ大統領の観戦は明るい話題だった。
・『3月中旬に打ち合わせ開始  トランプが相撲を観戦したニュースは日本はもちろん、米メディアも報じたから、相撲協会にとっては「名誉」で「ありがたいこと」かもしれないが、その裏でこの日のイベントに備えて行われた多くの折衝や調整の中身は意外と知られていない。 トランプの大相撲観戦を大手メディアが報じたのは4月12日前後。しかし、実際にはその1カ月前、3月中旬には外務省が相撲協会との打ち合わせを始めたという。 「もともとトランプは相撲に興味津々だった。これまで何度か行った首脳会談で安倍首相と顔を合わせた際、相撲に関する質問をしたのは一度や二度じゃない。それなら実際に相撲を見てもらおうと、外務省を通じて相撲協会との打ち合わせがスタートした。4月上旬には米国から先遣隊も来て、警備に関する話し合いをしています」(外務省担当記者)』、「3月中旬に打ち合わせ開始」とはさすが周到に準備したようだ。
・『日米首脳の観戦や警護用に押さえた升席は、正面の最前列から3列分、約40升。お茶屋が権利をもっているため、協会は代替の席を用意するなどで対処したという。 夏場所4日目の15日の取組後、トランプの警護にあたるシークレットサービスが国技館を視察、館内構造や避難経路などを入念にチェックする様子を産経新聞が写真付きで報じた。実際に升席に椅子を置き、警護のシミュレーションをやったらしいが、10日目の21日には本格的なリハーサルまで極秘で行ったという。 「取組終了後、午後7時すぎから2時間くらいでしょうか。時間を費やしたのは主に表彰式の部分です。実際にトランプが土俵に上がることを想定して、シミュレーションをやっています。30~40人ほどのシークレットサービス、日本の警察当局以外に外務省職員や協会関係者も参加してみっちりやりました」(同) 主に運営と警備に分かれて5~6回は準備のための会議を開き、協会内の部長や副部長の親方も参加。特に警備には力を入れたようで、前日は深夜まで打ち合わせを行ったそうだ。 中でも深刻だったのは座布団問題。この日の入場者には、「場内で座布団等の物を投げるなどの行為を行った場合は退場の上、処罰されることがありますので、絶対にしないでください。《刑法第208条暴行罪》二年以下の懲役もしくは三十万円以下の罰金または拘留もしくは科料」と、記された注意書きが配布された。 「当初は座布団を固定したらどうかという案もあったが、結びの一番で横綱が負けた場合の座布団投げは、いわば風物詩のようなもの。仮にトランプの周辺に座布団が飛んだ場合はシークレットサービスがたたき落とす段取りだった。本当に警戒したのは座布団以外のもの、例えば卵やペットボトルが飛ぶこと。それもあってお茶屋は急須や湯飲みを使わず、自販機もたばこ以外は『休場』にして、物は一切投げるなとクギを刺す文書を配布したようだ」とは、ある親方だ』、「リハーサル」や「座布団投げ」への対応など、確かに裏方は大変だったろう。
・『「あの段差はきつい」  言うまでもなく土俵は土足厳禁に女人禁制。事前の打ち合わせ通り、トランプは黒のスリッパで土俵に上がり、夫人のメラニアを土俵に呼ぶ“ハプニング”もなかったとはいえ、「意外だったのは米国側のリクエストだったと聞いています」と、さる外務省OBがこう続ける。 「力士が土俵に上がる際に利用する段差があるでしょう。足を掛ける部分がやや下向きにできているため一般の人は上りづらいのですが、それでも大臣をはじめとする来賓はみな、あの段差を利用して土俵に上がっているそうです。ところが、米国側はトランプにあの段差はきつい、容易に上がれる手段はないかと要求してきたらしい。それで用意したのが特注の階段でした。観戦後もその場の升席で靴からスリッパに履き替えれば良さそうなものなのに、いったん控室に戻って履き替えたいとリクエストがあったそうです。それを聞いて、まさか自分で靴を脱げないわけじゃないよなとクビをひねった人もいたと聞きました。重さ30キロとも50キロともいわれる米大統領杯にしても、とてもじゃないがトランプひとりで担ぐのはムリということで、当初から親方が補助する段取りでした」 公称188センチ、107キロ。屈強な体格で、ゴルフのドライバーは派手に飛ばすし、歯に衣着せぬ発言には定評がある。古希を過ぎてまだ、パワーあふれる印象があるだけに、米国側のリクエストは「意外」と映ったようなのだ。ともあれ、米大統領の大相撲観戦はトラブルもなく終了、周囲の関係者は胸をなで下ろしているに違いない』、「特注の階段」はやはり米国側の要求だったとは納得である。米国側もトランプ大統領を最大限「忖度」して要求しているのは、微笑ましい。
タグ:「日米貿易交渉は参院選後と言うトランプ、日本の民主主義はバカにされているのか?」 座布団問題 4月上旬には米国から先遣隊も来て、警備に関する話し合い アメリカの民主主義も迷走中 もともとトランプは相撲に興味津々だった 3月中旬に打ち合わせ開始 (その4)(日米貿易交渉は参院選後と言うトランプ 日本の民主主義はバカにされているのか?、安倍首相がトランプ氏に売った国益の中身 日米合意前に衆参同日選となる恐れ、極秘リハから米側の注文まで トランプ相撲観戦の全舞台裏) 民主主義の危機ということでは、より深刻なのはイギリス 日本の民主主義はそもそもバカにされても仕方のないレベル 大相撲夏場所千秋楽を観戦 2時間くらい 場内で座布団等の物を投げるなどの行為を行った場合は退場の上、処罰されることがありますので、絶対にしないでください 大統領は自ら「通商問題の協議は日本の選挙後」というツイート 「極秘リハから米側の注文まで トランプ相撲観戦の全舞台裏」 30~40人ほどのシークレットサービス、日本の警察当局以外に外務省職員や協会関係者も参加してみっちりやりました お茶屋は急須や湯飲みを使わず、自販機もたばこ以外は『休場』にして、物は一切投げるなとクギを刺す文書を配布 日刊ゲンダイ 最重要の論点である日米の通商問題について「結論を急ぐと、安倍政権にとって7月の参院選は不利になる」という計算があった 安倍政権とトランプ大統領は、日本の民主主義を軽視 日本の民主主義を「バカにしたような」印象を与える 「日米合作」の同日選 Newsweek日本版 トランプと日米関係 「露悪的な発言」 交渉で敗北し、批判が高まる前に選挙をやってしまう 米国側はトランプにあの段差はきつい、容易に上がれる手段はないかと要求してきたらしい 安倍氏が「選挙日程」をトランプ氏に伝えた疑い 与党に協力しようという姿勢であるだけでなく、「都合の悪いことは争点から外す」ということを、日本の政権与党とアメリカの政府が共謀して行なっていると言えなくもありません 米国優位の合意になるのは見えている 選挙で有利になるために国益を売る行為との指摘 今回のトランプ氏のツイートは、図らずも日米首脳の「密約」が本当にあったことを証明するような内容 日米首脳の「密約」が本当にあったことを証明 決着を先送りするのは盟友・安倍晋三首相の希望通りではあるが、交換条件で大幅な譲歩を強いられるのであれば、国民がつけを払わされることになる 冷泉彰彦 「7月の選挙後まで待つ代わりに大きな進展に期待する」 10日目の21日には本格的なリハーサルまで極秘で行った 特注の階段 注意書き ツイッター 正規の共同声明が省略されたことで、首脳外交としては簡易なスタイルに終始 「あの段差はきつい」 「安倍首相がトランプ氏に売った国益の中身 日米合意前に衆参同日選となる恐れ」 PRESIDENT ONLINE 民主党では、党内の左右対立が激化 ロシア疑惑に関する「ムラー報告書」が明らかにしたトランプ大統領の姿、つまり「自陣営の勝利のためには国益を毀損しても平気」な姿は、依然として中道から左の有権者を動揺 シークレットサービスが国技館を視察、館内構造や避難経路などを入念にチェック 与党には選挙に不利になるかもしれないので、通商協議は選挙後に
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

”右傾化”(その9)(片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる、国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本、ニューズウィーク日本版はなぜ 「百田尚樹現象」を特集したのか) [国内政治]

”右傾化”については、昨年12月27日に取上げた。今日は、(その9)(片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる、国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本、ニューズウィーク日本版はなぜ 「百田尚樹現象」を特集したのか)である。

先ずは、5月20日付け日刊ゲンダイが掲載した慶應義塾大学教授の片山杜秀へのインタビュー「片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは片山氏の回答)。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/254019
・『この国は再びファシズムに侵されている――。現実を鋭く分析した思想史研究者の対談集「現代に生きるファシズム」(小学館新書)が話題だ。第1次世界大戦後のイタリアで生まれたファシズムはヒトラーのナチズムとも、中国や北朝鮮の全体主義とも、ロシアのそれとも違う。権力によって民衆が「束ねられている」状態を指すという。7年に迫ろうとする安倍1強政治の下、この国はどう変わっていったのか』、興味深そうだ。
・『Q:ファシズムはどの程度まで進んでいますか。 A:数字で示すのは難しいですが、かなりファシズム的状況にあると言っていいと思います。独裁政党こそありませんが、野党は与党に似たり寄ったり。保守主義的で、資本主義の延長線上に立って「この国をもう一度豊かにします」と幻想をうたっている点では、共産党以外の野党は与党と変わらない。 Q:国民に選択肢がないと? A:自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない。思想や政策に十分な相違がないとすれば、有権者は同じことをやるなら経験を積んでいる政党の方が安全と考える。だから、安倍首相が面目を失うことがあっても、「悪夢のような民主党政権」とリフレインすると、一定数の国民がリセットされてしまう。現政権の方がマシだと考えて、失敗が棒引きになる。左派が警戒する憲法改正などしなくても、戦後民主主義の常識とは異なるフェーズに入っていることを深刻に認識する必要があります』、「自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない。思想や政策に十分な相違がないとすれば、有権者は同じことをやるなら経験を積んでいる政党の方が安全と考える」、というのは現在の状況を的確に捉えているようだ。
・『没落する中間層が“希望の星”にすがりつく  Q:ファシズムは全体主義と混同されやすいですが、「特定の政治や経済の体制を呼びならわす言葉ではないと考えるべき」「体制論ではなく情況論の用語」と指摘されています。 A:個を原則的に認めないのが全体主義で、個のスペースが幾分なりとも保障されているかのような幻想を与えるのがファシズムと言えばわかりやすいでしょうか。みなさんを自由にするため、夢を取り戻すため。いっとき不自由になっても我慢して下さい。これがファシズムのやり方です。しばしば不自由のままで終わるのですが。同質化までは至らず、「束ねる・束ねられる」ことをたくさん感じているときがファシズム的状況と言えるでしょう。ファシズムは社会主義か自由主義かで割り切れない。変幻自在に形を変える。精神論や右翼的な旗印が有効であれば、それをトコトンやる。国民の団結を保つために社会主義的施策が有用であれば臆面もなくやる。理屈は抜き、束ねられれば手段を問わないのがファシズムです。 Q:右派に支えられる安倍政権が教育無償化などの福祉政策に走るわけですね。一方、国民が「束ねられてもいい」と考えるのはどういう背景が? A:資本主義の危機の時代に没落する中間層の“希望の星”としてファシズムが現れるからです。典型例はワイマール共和国時代のナチス支持者、トランプ米大統領に熱狂するラストベルトの白人労働者。もっと豊かになるはずだったのにどうもおかしい、社会のせいでうまくいかない、と感じている階層です。日本も似たような状況です。就職先は終身雇用で、何歳で結婚して子供を何人つくって、何歳までにマイホームを持って……といった従来の生活モデルが崩れた。そうすると、自由を少しばかり差し出しても、みんなで束ねられることで助け合い、危機的状況を乗り切ろうという発想になる。自由を取り戻すステップとして、束ねられることが必要だという思考に入っていきます』、「個を原則的に認めないのが全体主義で、個のスペースが幾分なりとも保障されているかのような幻想を与えるのがファシズム」、との説明はさすがだ。「資本主義の危機の時代に没落する中間層の“希望の星”としてファシズムが現れる」、との指摘も説得力がある。
・『3・11でフェーズが変わった  Q:ターニングポイントはいつですか。 A:3・11でしょう。冷戦構造崩壊後、そういうフェーズに入っていく流れはありましたが、3・11が決定的だと思います。この経験でフェーズが変わってしまった。日本が災害大国だという認識は共有されていましたが、政府は対応可能な防災計画を立て得ると説明し、国民の不安を打ち消してきた。ところが、東日本大震災では日本列島全体が揺れ動き、原発事故はいまだに収束しない。その後も各地で地震が頻発している。南海トラフ地震のリスクもある。いつ巨大災害に襲われても不思議ではない状況をウソとは言えない。地震予知は不可能だとオフィシャルに認めている状況下で、われわれは明日をも知れぬ身で生きている。2011年以降、日本人は刹那主義と虚無主義に陥ってしまいました。真面目に考えても対応できない災害と隣り合わせで暮らしているわけですから』、「地震予知」は既に学会で困難とされているにも拘らず、安倍首相は南海トラフ地震で「地震予知」などの対策を臆面もなく指示し、「やっている感」の醸成に努めているようだ。
・『Q:危機感の点で言うと、安倍政権は一時は中国包囲網に躍起になり、核・ミサイル開発に猛進する北朝鮮を“国難”と呼び、足元では韓国と対立を深めています。 A:内政で国民に対する訴えかけが弱くなると、外に向かうのは歴史が物語っています。富の再分配といった社会主義的政策で国民のガス抜きをするには、経済成長が必須。それができない場合は非常時の持続が有効に働く。北朝鮮がミサイルを発射するたびにJアラートを作動させれば、5年や10年は簡単にもってしまう。 Q:刹那主義、虚無主義、対外的緊張が重なればますます思考停止です。 A:リアルに考えれば、この国は経済成長しないかもしれない、貧富の格差が拡大するかもしれない、社会保障はますます削られていきそうだ……。安倍政権が夢物語を喧伝しても、不安は払拭されない。さらに、AI社会になれば人間は不要とされかねない。しかし、こうした問題が国民的議論に結びつかないのは、安倍政権がだましているからというよりも、国民が厳しい現実から目をそむけているからです。国民の気分も問題なのです。なぜかというと、現実を直視しても解決のしようがないから。こうして刹那主義や虚無主義が増幅され、便乗したファシズムのオポチュニスト(ご都合主義者)的な部分がかぶさってくる。世論ウケのいい政策を次々に打ち上げ、中途半端なまま別のテーマに移っていく。 Q:本来は、いい加減な政治に対する国民の怒りが爆発する局面です。 A:声を上げ続ける人は少数派。「実現不可能なことでも言ってくれるだけでうれしい」というレベルまで国民の思想が劣化していると思います。お上はうまく統制するため、下から文句が噴き出ないようおべんちゃらを言う。それを期待する国民感情がある。上下の平仄が合っている怖さがある。「おかしい」と訴える人の声は、「平仄が合っているんだからしょうがない」と考える人のニヒリズムにかき消される。原発事故への対応、反応もそうです。嫌な話を聞いても解決できないし、東京五輪の話題で盛り上がった方がいいという雰囲気でしょう。元号が変わった、新しい時代を迎えた、お札も変わる、それぞれの花を大きく咲かせることができる……。そんなことで内閣支持率が上がる。政府の考えと国民の求めが無限にかみ合っている。終末的ですね』、最近では北朝鮮が大人しくなっているが、一時は「Jアラート」で危機感を大いに煽っていた。学校の生徒を机の下に潜り込ませるなどはナンセンスの極みだが、マスコミも「忖度」して批判を控えているのは腹立たしい。「終末的」とは言い得て妙だ。
・『サンダース目線の民主社会主義的発想が必要  Q:流れを変える手だてはないのでしょうか。 A:仮に安倍政権が倒れても、世の中がガラリと変わることはないと思います。「決められない政治」を否定した結果、政治主導の名の下に内閣人事局が設置されて官僚は生殺与奪権を握られ、官邸は霞が関の情報を吸い上げて権力を肥大化させ、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を敷いた。「決められる政治」の究極の形態を実現したのです。唯一可能性があるとしたら、来年の米大統領選に再挑戦するバーニー・サンダース上院議員のような民主社会主義的な発想を広げることでしょう。人権を擁護し、ファシズム的なキレイごととは一線を画す社会を目指すのです。最大多数の国民がなるべく束ねられずに、しかし助け合って生きていく。人間社会の当たり前の理想を思想的にハッキリ表明する政党が大きな形をなさないとまずいでしょう。難しいですが。 Q:民主社会主義的なプランを掲げる政治勢力が必要だと。 A:高度成長が再現できれば、新たな政策実行にいくらでも予算が付き、昔ながらのパイの奪い合い政治でも結果オーライでうまくいく。しかし、もはやそこには戻れないでしょう。戻れるかのような甘言に何となくごまかされているうちに、残された貯金すら減らしているのが今の日本ではないですか。この現実認識を持てるか持てないかです。本当の現実を思い知れば、民主社会主義的な目線で考えるしかないのではないですか。最大多数の国民の人権と暮らしが守られ、人間を見捨てない国を目指すサンダース目線の政治が必要でしょう』、最後の主張はその通りだが、アメリカの政変に頼るしかないというのは、情けない限りだ。

次に、政治アナリストの伊藤惇夫氏が5月26日付け日刊ゲンダイに寄稿した「国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/254736
・『「戦争を知っている世代がいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が中枢となった時はとても危ない」 田中角栄が残した言葉のひとつだ。今、その心配が現実のものになりつつある。ついに、現職の国会議員が「北方領土を戦争で取り返せ」と言い出した』、田中角栄も平和問題ではいい言葉を残したようだ。
・『自信喪失と虚勢  さて、この丸山某は単なる“特異例”だろうか。そうではない。こういう危険人物が堂々と跋扈する背景には、この国全体を覆う、なんともいやらしいムードが存在する。今の政治体制に異議を唱えたり問題点を指摘する人間に対し「反日」だの「左翼」だのといった悪罵を投げつける、いわゆる「ネトウヨ」や、教育勅語を礼賛し、「日本はすばらしい」「日本の歴史に誇りを持て」「悪いのは中国、韓国だ」といった言説をばらまく、自称保守派。テレビをつければ「日本凄い」番組があふれている。そうした連中、ムードに支えられて「1強」体制を謳歌しているのが安倍政権だ。こうした空気が続く限り、第2、第3の丸山某が出現する可能性は十分にある。 でも、実は彼らの言動は不安感、自信喪失の裏返しではないのか。本当はわかっているのかもしれない。この国が確実に「劣化」していく運命にあることを。だからこそ、虚勢を張るのではないか。 時代は平成から令和に変わったが、それだけで急に世の中が変わるわけじゃない。平成から続く、劣化現象が止まるわけでもない。わかりやすい例を一つ挙げよう。現在、日本の総人口は1億2414万4000人(2018年12月現在)、これが2050年には9515万人と1億人を切り、2100年には半分以下の4441万人になる。生産年齢人口も2005年の8442万人が2050年には4930万人に減少する。「外国人材」という名の移民を大量に受け入れたところで限界がある。これだけの人口減少国家が再び「過去の栄光」を取り戻すことなど不可能であることは明らかだ。 日本は国家としての衰退期を迎えている。だからこそ、そうした厳しい現実と向き合い、劣化を正面から受け止め、どう対処すべきかを真剣に考えなければいけない時期にきているはずだが、その先頭に立つべき政治こそが、実は最も激しい劣化現象に直面している。次回からは政治、政界を中心に具体的な劣化の現状を検証していくことにする』、「実は彼らの言動は不安感、自信喪失の裏返しではないのか。本当はわかっているのかもしれない。この国が確実に「劣化」していく運命にあることを。だからこそ、虚勢を張るのではないか」との捉え方は新鮮で説得力がある。今後の「検証」が楽しみだ。

第三に、5月31日付けNewsweek日本版「ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2019/05/post-285_1.php
・『<大反響「百田尚樹現象」特集は、どのようにして生まれたのか。百田尚樹氏を取り上げたことへの賛否の声に、編集部の企画趣旨を説明します> ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか。 5月28日に発売された特集「百田尚樹現象」(6月4日号)に、大きな反響をいただいています。有難いことに、読んでくださった方から評価する声がたくさん届いていますが、なかには特集を告知した時点で「天下のNewsweekが特集するテーマですか?」「これ持ち上げてるの?disってるの?」という質問も見受けられたので、なぜこの特集を組むことにしたのか、お話しさせていただこうと思います。 そもそもの出発点は、『日本国紀』(幻冬舎)は一体誰が読んでいるのか、というシンプルな問いでした。65万部のベストセラー本として書店には平積みになっているのに、周りで「読んだ」という人には出会わない......。それでも、百田氏の本は小説も含めてヒットを重ね、ツイッターでの発言には「いいね」がたくさん付いていく。「見えない」世界を前にしたとき、2016年に駐在していたニューヨーク支局で、トランプ大統領の誕生とともに「もう1つのアメリカ」を突き付けられた経験を思い出しました。 当時、アメリカのリベラルメディアの多くは「トランプ現象」の本質とその広がりを見抜けていませんでした。ドナルド・トランプ氏を暴言王、差別主義者と批判し、アメリカ国民がそんな人を大統領に選ぶはずがないと、どこかで「信じて」いました。しかし結果として、投票した有権者の半数がトランプ氏に入れた。その現実を前にした時、米メディアのリベラルエリートたちは、自分たちは実はマジョリティーではなかった、東海岸と西海岸の都市部からは見えていない、もう1つのアメリカがあったのだと思い知ることになりました。 もちろん、百田現象とトランプ現象を同列に並べることはできません。そもそも、百田尚樹「現象」など存在しないという見方もあります。しかし、現象の広がり方や立場などに違いはあるにせよ、2人には共通点がありました。どちらもテレビ番組の手法を熟知し、ツイッターでポリティカル・コレクトネス(政治的公正さ)など意に介さない言動を繰り返す。 私がアメリカで取材していて、トランプ支持だがトランプ氏の過激な発言そのものは支持しないという人に多く出会ったように、百田氏の本を買う人たち全てが百田氏の考えに同調しているわけではないでしょう。それでも、まるで「隠れトランプ支持者」のように、ネット空間には百田氏の発言や考えを強く、または緩やかにでも支持する人たちが存在します。それが何を意味するのかを、メディアは捉えきれていないように思いました。 自分たちに見えていないものがあるのだとしたら、まずはそれを可視化したい、分からないものを読み解く特集を作りたい、というのが「百田尚樹現象」の企画趣旨です。加えて言えば、ニューズウィーク日本版には百田氏の著作によって出版社が利益を得ているから踏み込みづらいという「週刊誌メディアの作家タブー」がない、という事情もありました(この点は、「百田尚樹『殉愛』の真実」〈宝島社〉に詳しいです)。 さらに加えれば、(これは内輪の話になりますが)本誌編集長と副編集長を含め大阪で『探偵!ナイトスクープ』を番組開始当初から観て泣いたり笑ったりしていた人たちからは、昨今の百田氏の言動を見て、人情深い同番組の構成作家・百田尚樹との二面性を謎解きしたいという声も上がっていました』、「トランプ」氏と「百田尚樹」氏をダブらせるとは面白い発想だ。「2人には共通点がありました」、も言われてみればその通りなのかも知れない。
・『「リベラルはおもろないねぇ」への挑戦  企画にゴーサインが出てから、取材を進める上でのスタンスを「批判」ではなく「研究」と決めました。「百田人気を支えるもの」について、是非を問うのではなくフェアに研究しよう、と。仮説を立ててそれを立証するための素材を集めていくのではなく、「日本国紀は誰が読んでいるのか?」という小さな問いからスタートし、そこに連なる素材を探しながら一つ一つ検証する。演繹法ではなく、帰納法。 そういうスタンスの取材記事に、特集『沖縄ラプソディ』(2019年2月26日号)に長編ルポを書いてくれたノンフィクションライターの石戸諭氏はぴったりでした。前回も石戸氏は、沖縄の辺野古埋立てによる新基地計画に賛成か、反対か、なぜそう考えるのか、賛否が分かれる問題について双方から丁寧に聞き取りました。今回の特集も、企画段階から「百田研究」というアングルを提案してくれていた石戸氏に執筆をお願いすることにしました・・・石戸氏の、「批判」ではなく「研究」するという取材姿勢は、今回の特集記事を根底から支えています。石戸氏は百田氏に取材を依頼する際にも、自分とは「政治的な価値観や歴史観は異なる」と断った上で、百田氏は本当のところは何を考えていて、なぜそう思い、行動するのかを知りたい、と伝えました。 取材の目的を「自分と価値観の違う相手を論破する」こととせず、相手がなぜそう思うのかを「知りたい」という姿勢で聞こうとする。単に批判したいだけであれば、当人たちに取材せずにパソコンに向かって批判ありきの評論を書くこともできますが、私たちがやりたかったのは「批判」ではなく「研究」です。石戸氏の取材意図は、記事中にもこう書かれています。「インタビューでも主張すべきはしたが、ディベート的に言い負かすための時間にはしなかった。彼の姿勢を丁寧に聞くことが、私が知りたい現象の本質を浮かび上がらせると考えたからだ」。 また、記事中で紹介したように、百田氏がレギュラー出演しているネット番組『深相深入り!虎ノ門ニュース』を制作するDHCテレビの山田晃社長は「リベラルはおもろないねぇ」と言います。じゃあ面白いものを作るしかない、作ってみたい、という気持ちもありました。成功したかどうかは読者の判断に委ねるしかありませんが、計20ページという誌面を割いた特集は、そうした挑戦でもありました。 本特集に対して頂いているコメントは、可能な限り拝読しています。反応を含めて、百田現象を読み解く鍵となると思うからです。発売前から、百田氏ファンからの「センセ、凄い!!」というコメントもあれば、百田氏を取りあげたこと自体を批判する声もありました。特集しただけでハレーションが起きることも、百田現象の一端なのだと思います。読んでコメントしてくださっている方は、スタンスの違いにかかわらず、心から有難うございます(ヘイトスピーチは論外ですが)。 この特集は、まずは捉え切れていなかった事象について知ろうとし、可視化しようという試みでした。「百田尚樹現象」とは何なのか。2カ月以上の取材を経て、石戸氏は16ページの長編ルポをある「結論」で結びました。記事中に提示した素材のさらなる分析も含めて、今後の議論の一端になれば、とても嬉しいです』、「結論」のポイントだけでも書いてくれればいいのにとは思うが、「特集」を売るためには、こうした思わせぶりな紹介もやむを得ないのだろう。 
タグ:政府の考えと国民の求めが無限にかみ合っている。終末的ですね 「国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本」 刹那主義や虚無主義が増幅され、便乗したファシズムのオポチュニスト(ご都合主義者)的な部分がかぶさってくる。世論ウケのいい政策を次々に打ち上げ、中途半端なまま別のテーマに移っていく 右傾化 自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない 実は彼らの言動は不安感、自信喪失の裏返しではないのか。本当はわかっているのかもしれない。この国が確実に「劣化」していく運命にあることを。だからこそ、虚勢を張るのではないか 個を原則的に認めないのが全体主義で、個のスペースが幾分なりとも保障されているかのような幻想を与えるのがファシズム 自信喪失と虚勢 権力によって民衆が「束ねられている」状態 自分たちに見えていないものがあるのだとしたら、まずはそれを可視化したい、分からないものを読み解く特集を作りたい、というのが「百田尚樹現象」の企画趣旨 2人には共通点がありました 非常時の持続が有効に働く。北朝鮮がミサイルを発射するたびにJアラートを作動させれば、5年や10年は簡単にもってしまう 米メディアのリベラルエリートたちは、自分たちは実はマジョリティーではなかった、東海岸と西海岸の都市部からは見えていない、もう1つのアメリカがあったのだと思い知ることになりました 伊藤惇夫 サンダース目線の民主社会主義的発想が必要 2011年以降、日本人は刹那主義と虚無主義に陥ってしまいました。真面目に考えても対応できない災害と隣り合わせで暮らしているわけですから 日刊ゲンダイ 日本は国家としての衰退期を迎えている。だからこそ、そうした厳しい現実と向き合い、劣化を正面から受け止め、どう対処すべきかを真剣に考えなければいけない時期にきているはずだが、その先頭に立つべき政治こそが、実は最も激しい劣化現象に直面している 「現代に生きるファシズム」(小学館新書) (その9)(片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる、国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本、ニューズウィーク日本版はなぜ 「百田尚樹現象」を特集したのか) 安倍政権が夢物語を喧伝しても、不安は払拭されない。さらに、AI社会になれば人間は不要とされかねない。しかし、こうした問題が国民的議論に結びつかないのは、安倍政権がだましているからというよりも、国民が厳しい現実から目をそむけているからです 今の政治体制に異議を唱えたり問題点を指摘する人間に対し「反日」だの「左翼」だのといった悪罵を投げつける、いわゆる「ネトウヨ」や、教育勅語を礼賛し、「日本はすばらしい」「日本の歴史に誇りを持て」「悪いのは中国、韓国だ」といった言説をばらまく、自称保守派。テレビをつければ「日本凄い」番組があふれている。そうした連中、ムードに支えられて「1強」体制を謳歌しているのが安倍政権だ ついに、現職の国会議員が「北方領土を戦争で取り返せ」と言い出した 安倍首相が面目を失うことがあっても、「悪夢のような民主党政権」とリフレインすると、一定数の国民がリセットされてしまう 「ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか」 「束ねる・束ねられる」ことをたくさん感じているときがファシズム的状況 3・11でフェーズが変わった もっと豊かになるはずだったのにどうもおかしい、社会のせいでうまくいかない、と感じている階層です 「片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる」 Newsweek日本版 この国は再びファシズムに侵されている 「リベラルはおもろないねぇ」への挑戦 「戦争を知っている世代がいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が中枢となった時はとても危ない」 田中角栄が残した言葉のひとつだ 没落する中間層が“希望の星”にすがりつく 5月28日に発売された特集「百田尚樹現象」(6月4日号) 資本主義の危機の時代に没落する中間層の“希望の星”としてファシズムが現れるからです。典型例はワイマール共和国時代のナチス支持者、トランプ米大統領に熱狂するラストベルトの白人労働者
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

組み体操問題(その2)(組み体操の事故35%減少 対策の成果と今後の課題、国連も問題視する「組み体操」が それでも巨大化しているナゾ 立派な教育活動 なんですか…?、7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校...1校は中止) [社会]

組み体操問題については、2015年10月21日に取上げた(「問題」ではなく「事故」として)。その後、報道は散発的になったので、組み体操などやる学校も少なくなったと思っていたところ、どうもそうでもないようなので、今日は、(その2)(組み体操の事故35%減少 対策の成果と今後の課題、国連も問題視する「組み体操」が それでも巨大化しているナゾ 立派な教育活動 なんですか…?、7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校...1校は中止)として取上げよう

先ずは、名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授の内田良氏が2017年10月30日付けYahooニュースに寄稿した「組み体操の事故35%減少 対策の成果と今後の課題」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171010-00076740/
・『事故件数の大幅減が明らかに  ついに組み体操の事故件数が、大幅減に転じた。 日本スポーツ振興センターの調べによると、2016年度における小中高の組み体操による事故件数は5,271件であることが明らかになった(10/9 NHK NEWS WEB「組み体操でのけが 見直しで30%以上減少」※リンク切れ)。例年の事故件数からは大幅に減少しており、これは2016年1月から5月頃にかけて国や自治体が事故防止に取り組んだことの成果と見ることができる』、「事故件数の大幅減」そのものは前進であるが、私には依然として多いように思える。
・『2015年度比で35%減、ピークの2012年度比で41%減  上記事故件数は、毎年11月に学校事故全体のデータが『学校の管理下の災害』(日本スポーツ振興センター)という冊子で公開されるのに先立って、報道により明らかになったものである[注1]。 統計が取り始められた2011年度から2015年度まで8,000件台で推移してきた事故件数は5,000件台に一気に減少した。2015年度(8,071件)比では35%の減少、ピーク時の2012年度(8,883件)比では41%の減少である。 2016年度における事故件数の減少については、これまでにも複数の自治体の状況が明らかにされてきた(たとえば、『朝日新聞』の記事や拙稿)。今回の報道により、ついに全国的に事故の減少が確認されたことになる』、なるほど。
・『国の動向  事故が大幅に減少した理由は、「行政が動いたから」に尽きる。 2016年3月25日、スポーツ庁(文部科学省の外局)は学校で多発している組み体操の事故を受けて、全国の教育委員会宛てに「組体操等による事故の防止について」と題する事務連絡を発出した。 それまでは、国は地方分権を重んじ、各教育委員会で独自に判断すべきと、現場まかせの態度を貫いてきた。運動会の一種目にすぎない組み体操に国が口を出すのは異例の事態であり、それほどまでに同事務連絡は、大きなインパクトをもつものであった。 文部科学省が方針を転換する契機となったのは、2016年2月3日に超党派の議員有志が開催した「組体操事故問題について考える勉強会」である。2日後の2月5日の衆議院予算委員会において馳文部科学大臣(当時)は、「重大な関心をもって、このことについて文部科学省としても取り組まなければいけない」と述べ、国として関与すべきことを明言した。これが3月25日の事務連絡の発出へとつながったのである』、いくら「地方分権」といっても、これだけ深刻な問題が全国的に発生している以上、「文部科学省が方針を転換」したのは当然で、むしろ「遅きに失した」感も受ける。
・『自治体の動向  自治体のなかには、国の動きよりいち早く事故防止に乗り出したところもあるものの、全国的には総じて国の動きに前後して、対応をとり始めた。 2016年に入ってまずは1月に、愛知県がピラミッドを5段、タワーを3段までとすることを決定した。 国が方針転換を示した2月には、千葉県の複数の自治体(柏市、流山市、野田市)が、組み体操そのものを廃止とした。名古屋市では、ピラミッドが4段、タワーが3段までに制限された。 また2015年9月に段数を規制した大阪市は、2016年2月に入ってさらにその規制を強化し、ピラミッドとタワーを禁止とした。 3月には、東京都が2016年度においてはピラミッドとタワーを禁止することを決めて、東京都北区でも同様に、ピラミッドとタワーが禁止された。4月には、神戸市がピラミッド4段、タワー3段までとし、5月には、福岡市がピラミッドとタワーを廃止とした。 なお、新聞記事データベースの検索機能を利用して、全国の教育委員会(都道府県、市町村)の対応を表にまとめた。全国各地で教育行政が対応をとったことがわかる[注2]』、私は危険のものは禁止すべきとの立場なので、自治体のなかに禁止の動きが出てきたのは結構なことだ。
・『いまだに巨大な組み体操  2016年に入って国と自治体が一気に動きをみせたことで、学校現場の組み体操は見直しを迫られた。それが、事故件数の大幅な減少を導いた。 そして、日本スポーツ振興センターの統計では組み体操の実施校数まではわからないものの、拙稿で述べたとおり、複数の自治体の情報からは、実施校数の減少幅以上に事故件数が減少している点を、強調しておきたい。すなわち、組み体操自体はいまも続けているけれども、事故が減少したのである。「安全な組み体操」の実現である。 しかしながら今年度においても、私が知る限り、8段ピラミッド(立体型)や4段タワーを演じた中学校・高校がある。また、平面型ピラミッドで7段を狙ったケースもある。自治体が規制に踏み込んでいない地域では、いまだ巨大な組み方が披露されている。 さらに、段数は少なくても、動くピラミッドや人間起こし(トラストフォール)など、かなりアクロバティックな技も多く見かける。段数としては2~3段で規制を満たしているとしても、まるでサーカスのような動きが披露されている』、「いまだ巨大な組み方が披露」というのは信じられない。
・『安全な指導方法が未確立  そして事故件数は減ったというものの、まだ5,000件も起きているとも言える。というのも、じつは組み体操においては、安全な指導方法が未確立である。各学校は手探りで指導を続けており、この点は重大な懸案事項である。 これまで巨大な組み体操を目指していたとき、各学校は巨大なものをつくりあげるために、低い段数の組み方を早々と終えて、巨大な組み方に向かっていった。つまり、巨大な組み方をやめたとしても、低い組み方の指導方法が従来のままであれば、それはすなわち、事故の多発をもたらす。 「低い段数の全安な組み体操」の指導方法については、日本体育大学の荒木達雄教授とともに作成した動画資料・記事をご覧頂きたい。 「安全な組み体操」が拡がることにより、これから先の事故件数がさらに減少してくれることを期待したい』、内田良氏は「「安全な組み体操」の指導方法」をPRしているが、それはどの程度安全なのだろうか。

次に、同じ内田良氏が本年1月31日付け現代ビジネスに寄稿した「国連も問題視する「組み体操」が、それでも巨大化しているナゾ 立派な教育活動、なんですか…?」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59569
・『かねてよりその危険性が指摘されている、日本の小中学校の組み体操(人間ピラミッド)。今年に入り、国連の「子どもの権利条約」委員会が「傷害などからの保護」を定めた同条約に違反するとして、組み体操を審査対象にすることが報じられた。 過去に生徒の骨折などの事故も起きているなか、なぜ未だに禁止にならないのか。学校教育におけるリスクについて研究する教育社会学者の内田良氏によると、最近になって再び巨大化の兆しさえあるという』、「過去に生徒の骨折などの事故」とあるが、死亡や半身不随などの重大事故も発生している。国連までが問題化するとはみっともないことだ。
・『巨大組み体操は過去のもの、ではない  巨大組み体操の危険性が知られるようになって、数年が経過した。ついには、国連も動いた。 学校がウェブサイトに巨大ピラミッドやタワーの写真を誇らしげに掲載するのは、すっかり過去のことになった。多くの学校で巨大組み体操は姿を消し、運動会も安心して観ていられる状況が訪れつつある。 ところが一部の地域で、巨大組み体操がいまもなお、ひっそりと披露されつづけている。それどころか、再び巨大化の兆しさえ見えつつある。学校はなぜ、高いリスクを冒してまで巨大な組み方にこだわりつづけるのか。 Twitterをとおして私が保護者や教育関係者から巨大組み体操の危険性を知らされたのは、2014年5月のことであった。 その当時私は「組み体操」なるものが何なのかわからず、巨大な組み方の動画や画像を見て驚愕したことを、いまでもはっきりと覚えている。これは放置しておくわけにはいかないと、慌てて各種データや資料を参照し、「【緊急提言】組体操は、やめたほうがよい。子どものためにも、そして先生のためにも。」と題するウェブ記事を発表した。 組み体操に何の先入観もない立場からすると、巨大なピラミッドやタワーは「危ない!」の一言に尽きる。中学生による10段のピラミッドは、高さ約7メートル、土台の最大負荷量は約200kg/人に達する。それは極端な例だとしても、高さが4~5m、負荷が100kgを超えるような組み方はまったく珍しくない。 これを冷静に観察するならば、教師が体育の時間に子どもを高さ数メートルの脚立に乗せてそれをグラグラと揺り動かしたり(実際に組み体操はグラグラと揺れる)、子どもの背中に100kgの石を乗せたりしている状態である。組み体操に特段の思い入れのない私にとっては、巨大組み体操は、生身の子どもたちを駒に使った危険な構造物にしか見えなかった』、「再び巨大化の兆しさえ見えつつある」というのは心底驚いた。
・『国の注意喚起で事故が減少したが…  さすがにこれには、国も口出しをした。巨大組み体操の危険性をマスコミが次々と報じるなかで、スポーツ庁は2016年3月に「組体操等による事故の防止について」という通知を発出し、次のように注意を喚起した。 =====各学校においては、タワーやピラミッド等の児童生徒が高い位置に上る技、跳んできた児童生徒を受け止める技、一人に多大な負荷のかかる技など、大きな事故につながる可能性がある組体操の技については、確実に安全な状態で実施できるかどうかをしっかりと確認し、できないと判断される場合には実施を見合わせること。(スポーツ庁「組体操等による事故の防止について」より抜粋)===== 運動会の一種目にすぎない組み体操に国が口を出すのは異例の事態である。それほどに国の危機感は大きかったと言える。 この効果は絶大で、国の動きに前後して自治体でも独自に規制が進み、統計が取り始められた2011年度から2015年度まで8,000件台で推移してきた事故件数は、2016年度には5,000件台に一気に減少した(詳しくは、拙稿「組み体操の事故35%減少」を参照)。 ここまでの話であれば、ひとまず学校現場はマシになったと言える。 ところが、たしかに全国的な傾向として巨大組み体操は縮小に向かったものの、一部の地域では巨大な組み方がいまもひっそりと継続されている』、「一部の地域では」「いまもひっそりと継続されている」理由を知りたいものだ。
・『一部の地域で再び巨大化  今日では巨大な技を披露しても、学校がそれをウェブサイトに公開することは稀である。学校もさすがにそのあたりのリスク・マネジメントはできている。 だが、運動会に来た卒業生や保護者などがSNSにその写真や動画をアップロードする。そのおかげで、ごく断片的ではあるが、巨大なピラミッドやタワーにこだわっている学校の存在をつかむことができる。 今年度の春、ある関西圏の公立中学校の体育祭で9段ピラミッドが披露されたことを私はツイッターとインスタグラムで知って、かなり脱力した。そして今月に入って、兵庫県教育委員会が公開した資料はまさにそれを裏付けるものであった。 兵庫県(神戸市は除く)の公立小中学校において、2018年度はピラミッドの最高段数は小学校で7段であり、その実施校数は昨年度の9校から12校に増えている。中学校の最高段数は9段で、昨年度は0校だったが、今年度は1校がそれを披露した(なお、私がツイッターとインスタグラムで見つけた9段ピラミッドは兵庫県のものではない)。 兵庫県は全国でもっとも組み体操が盛んな地域として知られている。大阪経済大学の西山豊教授が日本スポーツ振興センター提供のデータをもとに分析した資料によると、兵庫県は日本でもっとも組み体操による負傷事故数とその事故率が高い。 その多発する事故を受けて、兵庫県教育委員会は2015年度より独自に詳細な事故状況を調査・公表している。 兵庫県の資料には、前年度に比べて段数を上げた学校と下げた学校それぞれの学校の数(段数の大きさは関係ない)が記載されている。過年度の調査資料も参照したうえでその推移を整理してみると、ピラミッドやタワーの段数を上げる傾向が強まっていることがわかる。小学校と中学校のいずれにおいても、ピラミッドとタワーの両者で、前年度よりも段数を上げたという学校の数が、2016年度から2018年度にかけて増加している』、兵庫県が事故が高水準であるにも拘らず、「前年度よりも段数を上げたという学校の数が、2016年度から2018年度にかけて増加」、というのは本当に懲りてないようだ。
・『事故の潜在的なリスクは減っていない  ただし、「組み体操事故137件減、兵庫県教委」と報道されているように、段数が高くなったからと言って、それに比例して単純に事故件数が増えているわけではない。その点では、全面的に非難することはまちがえているのかもしれない。 兵庫県の資料からは、事故件数を実施校数で割った事故率が算出できる(学校数よりも子ども数で割るべきなのだが、その値は公表されていない)。その数値を見ても、事故率の変化に法則性を見出すのは難しい。 しかしながら重要なことは、巨大化するほど事故の潜在的なリスクは確実に高くなるということである。 人を積み上げればそれだけ不安定さは増大するし、崩壊時の衝撃も大きくなる。巨大組み体操崩壊の怖さは,大阪府八尾市立の中学校で2015年9月に起きた10段ピラミッド崩落事故の動画から明らかである』、「組み体操事故137件減、兵庫県教委」との産経新聞報道を詳しく見ると、事故件数は減ったとはいえ、285件と高水準、しかも重症事故16件もあったようだ。
https://www.sankei.com/west/news/190122/wst1901220008-n1.html
・『「痛くても重くても我慢しなさい」  八尾市立中学校の事故では、崩落により生徒6名が負傷し、うち1名が右腕を骨折した。また、「関西体育授業研究会」の報告によると、過去には巨大ピラミッドの崩落により同時に4名が骨折という事故も起きている(拙稿「四人同時骨折 それでも続く大ピラミッド」)。 巨大な組み方には高いリスクが潜在しているにもかかわらず、一部の地域とはいえ、なぜ学校は巨大化を志向するのか。 その答えは、巨大なものを皆でつくりあげることに、教師が「教育的意義」を見出しているからである。 たとえば、ピラミッドやタワーの練習時に「痛いと言ってはダメ!」という指導を受けた記憶がある人も多いことだろう。 組み体操における痛みを口に出してはならない理由は、子どもたちにこんなふうに伝えられる――「土台の子は、上の子が安心していられるように、痛くても重くても我慢しなさい。『痛い』『重い』と言っていては、上に乗るのが不安になってしまうでしょう。そして上に乗る子は,土台の子があなたのためにグッと我慢してくれているのだから、土台の子を信じて、勇気を出して上にのぼっていきなさい」と。 かつて組み体操の指導書や学校のウェブサイトでは、クラスメートのために自分の痛みや恐怖を抑え込むことに、組み体操の魅力が見出されていた。それが、クラスのなかに信頼感や一体感を生むというのだ』、「クラスメートのために自分の痛みや恐怖を抑え込むことに、組み体操の魅力が見出されていた。それが、クラスのなかに信頼感や一体感を生む」、なる考え方は全体主義にもつながり得る極めて危険な発想だ。
・『危険だからこそ「立派な教育活動」になる  そもそも体が痛いということは、組み方がよくないということである。身体に無理な負荷がかかっているのであり、組み方を見直す必要がある。 そして、痛みを我慢すると、事前に崩壊を食い止めることができなくなる。痛い時点で組み方に問題があるにもかかわらずそれを口外できないのであるから、痛みが極限に達したとき,あとは崩壊するしかない。 むしろ「痛い」ということを口外しながら、どのような組み方が最善であるのかを皆で考えていくことこそが教育ではないか。 2016年1月に首都大学東京の木村草太教授がとりあげた組み体操の道徳教材は、衝撃的な内容であった(「これは何かの冗談ですか? 小学校『道徳教育』の驚きの実態」)。高層のピラミッドが崩落して一人の児童が骨折をしたにもかかわらず、それが児童間の心模様の話題として扱われる。そこでは組み体操の問題性がまったく語られない。 巨大な組み体操は、痛みを我慢して実行すること自体が教育活動であり、さらには骨折しようともそれもまた教育活動に回収されうる。もはや巨大組み体操は、危険であるからこそ、立派な教育活動として成立するとさえ言える。何人かの子どもの犠牲の上に一つの形が組み上がるのだとすれば、そのような活動はむしろないほうがマシだ』、「高層のピラミッドが崩落して一人の児童が骨折をした」事故についての小学校『道徳教育』での扱いは、驚くほど全く不適切極まるものだ。これが文科省の検定を通るということは、文科省も同罪であろう。

第三に、5月30日付けYahooニュース(J-CASTニュース)「7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校...1校は中止」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190530-00000014-jct-soci
・『大阪府東大阪市内の小学校運動会で「7段ピラミッド」の組体操が行われるとして、ネット上で安全面への疑問の声が上がり、論議になっている。 市内では、3校が予定していたが、そのうち少なくとも1校は、安全面を考えて中止することを決めた』、なるほど。
・『大阪市教委は、6段以下でも危ないとして禁止に  論議のきっかけは、2019年5月29日ごろにツイッター上で、「保護者から不安の声が出ている」といった内容の7段ピラミッドなどへの疑問が出たことだ。ツイート主は、リツイートによる投稿の拡散を求め、様々な意見が寄せられた。 「ピラミッドやタワーを作らずして、今の組体操の醍醐味は何なんだろうか」「伝統壊すのはあんまり好きじゃない」などと擁護する向きもあったが、疑問や批判の方が多かった。「7段ピラミッドは流石に危ない」「まだこんな危険で無駄な事やらせてんのか」「取り返しがつかないことになる前にやめるべき」といった声が次々に寄せられた。 東大阪市教委の学校教育推進室に30日、J-CASTニュースが取材すると、7段ピラミッドについては、6月1、2日の土日に運動会を行う19校のうち、3校が予定していることを明らかにした。うち1校は、4段タワーも予定しているという。 組体操を巡っては、ピラミッドが崩れるなどしてケガをする事例が多数報告されている。中には死亡事故もあり、スポーツ庁は2016年3月、安全な状態でなければ実施しないよう各自治体に通知した。 そんな中で、組体操は16年度には前年度までより半分も減り、ピラミッドなどは7割も減ったことが、日本スポーツ振興センターなどの調べで分かった。ピラミッドなどを禁じる自治体も出てきており、大阪市教委は同年2月、6段以下でも骨折などする児童が相次いでいるとして、17年度から禁止に踏み切っている』、なるほど。
・『東大阪市教委は「推奨していない」と言うが...  東大阪市教委でも、組体操について、「安全上問題ないとは考えておらず、推奨するものではありません」と学校教育推進室の担当者が取材に答えた。 スポーツ庁の通知を送ったり、校長連絡会で危険性を伝えたりしているという。今回の運動会に当たっては、保護者から「危険度の高い技はやらないで」といった要望が数件あったそうだ。 ただ、禁止はしておらず、ほとんどの学校で組体操を行っているといい、「子供たちの実情に応じて、内容を考えて下さいと各校に伝えています」とした。組体操を行う学校には、安全についての書類を出してもらい、各校では、地面にマットを敷いたり、補助する教職員を付けたりするなどの対策をしているという。 7段ピラミッドを予定していた3校について取材すると、うち1校が「職員で打ち合わせをした結果、中止を決めました」と明かした。 「初めて取り組みましたが、これまでの練習を見て、安全に実施できる状態ではないと判断しました。それは、ピラミッドが安定して組めなかったということです。『地域の人は怒っている』と保護者にはいない名前の人から電話はありましたが、そのことと中止とは関係ありません」 別の1校は、7段ピラミッドを長く続けており、今回も予定通り行うと取材に答えた。 「集団作りの効果はあり、意義深いと考えています。安全面は最重要課題で、教員が補助に入って崩れないようにしたりするなど、細心の注意を払っています。過去に骨折などのケガをした子供はいませんし、保護者からの異論も聞いていません。今回から組体操にダンスを採り入れるなどしており、難易度を下げながら今後ともやっていきたいと思っています」』、「東大阪市教委は「推奨していない」と言うが..」、それは当たり前のことで、大阪市教委のような「禁止」をする気は全くないようだ。「過去に骨折などのケガをした子供はいません」というのはたまたま運が良かっただけなのかも知れない。「教員が補助に入って崩れないようにしたりするなど、細心の注意を払っています」、崩れる時には、いくら「教員が補助に入って」も崩れるのを防ぐことは不可能というのが常識の筈だ。いまだにこんな教育委員会があるのも、教育界の保守性を示しているのかも知れない。やれやれ・・・。
タグ:巨大組み体操は、生身の子どもたちを駒に使った危険な構造物にしか見えなかった 内田良 「国連も問題視する「組み体操」が、それでも巨大化しているナゾ 立派な教育活動、なんですか…?」 「土台の子は、上の子が安心していられるように、痛くても重くても我慢しなさい。『痛い』『重い』と言っていては、上に乗るのが不安になってしまうでしょう。そして上に乗る子は,土台の子があなたのためにグッと我慢してくれているのだから、土台の子を信じて、勇気を出して上にのぼっていきなさい 一部の地域で、巨大組み体操がいまもなお、ひっそりと披露されつづけている。それどころか、再び巨大化の兆しさえ見えつつある 東大阪市教委 「7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校...1校は中止」 現代ビジネス 巨大なものを皆でつくりあげることに、教師が「教育的意義」を見出しているからである 兵庫県は日本でもっとも組み体操による負傷事故数とその事故率が高い。 Yahooニュース(J-CASTニュース) 一部の地域では巨大な組み方がいまもひっそりと継続されている 自治体のなかには、国の動きよりいち早く事故防止に乗り出したところもあるものの、全国的には総じて国の動きに前後して、対応をとり始めた 産経新聞報道 それまでは、国は地方分権を重んじ、各教育委員会で独自に判断すべきと、現場まかせの態度を貫いてきた 全国の教育委員会宛てに「組体操等による事故の防止について」と題する事務連絡 事故件数は減ったとはいえ、285件と高水準、しかも重症事故16件 大阪市教委は、6段以下でも危ないとして禁止に 「低い段数の全安な組み体操」の指導方法 安全な指導方法が未確立 組み体操事故137件減、兵庫県教委 国連の「子どもの権利条約」委員会が「傷害などからの保護」を定めた同条約に違反するとして、組み体操を審査対象にする スポーツ庁 高層のピラミッドが崩落して一人の児童が骨折をしたにもかかわらず、それが児童間の心模様の話題として扱われる。そこでは組み体操の問題性がまったく語られない 兵庫県(神戸市は除く)の公立小中学校において、2018年度はピラミッドの最高段数は小学校で7段であり、その実施校数は昨年度の9校から12校に増えている。中学校の最高段数は9段で、昨年度は0校だったが、今年度は1校がそれを披露した 2015年度比で35%減、ピークの2012年度比で41%減 小中高の組み体操による事故件数は5,271件 日本スポーツ振興センター 組み体操の事故件数が、大幅減に転じた 「組み体操の事故35%減少 対策の成果と今後の課題」 yahooニュース (その2)(組み体操の事故35%減少 対策の成果と今後の課題、国連も問題視する「組み体操」が それでも巨大化しているナゾ 立派な教育活動 なんですか…?、7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校...1校は中止) 事故が大幅に減少した理由は、「行政が動いたから」に尽きる 小学校『道徳教育』 組み体操問題 危険だからこそ「立派な教育活動」になる 教員が補助に入って崩れないようにしたりするなど、細心の注意を払っています 事故の潜在的なリスクは減っていない クラスのなかに信頼感や一体感を生む 自治体が規制に踏み込んでいない地域では、いまだ巨大な組み方が披露されている 関西圏の公立中学校の体育祭で9段ピラミッドが披露 「推奨していない」と言うが... いまだに巨大な組み体操
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

本日は更新を休むので、明日にご期待を!

本日は更新を休むので、明日にご期待を!
nice!(1)  コメント(0) 

M&A(コクヨVSぺんてる)(コクヨが突如ぺんてる筆頭株主に 文具業界で勃発した経営権問題、ぺんてる株取得は「御法度」と異論噴出 関与する政投銀の姿勢にも疑問) [企業経営]

昨日に続いてM&A(コクヨVSぺんてる)(コクヨが突如ぺんてる筆頭株主に 文具業界で勃発した経営権問題、ぺんてる株取得は「御法度」と異論噴出 関与する政投銀の姿勢にも疑問)を取上げよう。

先ずは、5月28日付けダイヤモンド・オンライン「コクヨが突如ぺんてる筆頭株主に、文具業界で勃発した経営権問題」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/203810
・『親子喧嘩をきっかけに経営不振に陥った大塚家具や、筆頭株主・伊藤忠商事と対立し、創業家社長が退任に追い込まれたデサント――。このところ続いている経営権を巡るゴタゴタが、消費者になじみ深い文具業界でも勃発した。コクヨと、同社が間接出資した未公開企業ぺんてるとの間で、すれ違いが起きている。 今回の騒動の発端は、2012年5月のぺんてる創業家・堀江圭馬氏の社長解任劇までさかのぼる。当時42歳の堀江氏は取締役会で62歳を過ぎた役員4人の退任を求めたのだが、逆に業績不振を理由として堀江氏の緊急解任動議が可決されてしまったのだ。 返り討ちにあった理由を関係者は「会議への遅刻や無断欠席、海外で豪遊を繰り返すなど過去10年の放漫経営のせい。自業自得だった」と振り返る。 創業家である堀江氏とその家族は同社株を37.45%も保有していた。その後トップへの復帰を目指し大株主として何年も活動を続けたが、支持が得られず果たせなかった。創業者の別の一族も十数%を持っていたが、堀江氏はそれすらまとめることができなかったのだ。 返り咲きをあきらめた堀江氏が18年初頭に売却を持ちかけたのが、未公開株を中心に投資を行うマーキュリアインベストメントだ。日本政策投資銀行が出資する東証1部上場の投資会社で、傘下のファンドがぺんてる株約37%を取得した。金額は70億円弱とみられる』、「創業家・堀江圭馬氏の社長解任劇」は、「過去10年の放漫経営のせい」ということであれば、無理からぬところもあるようだ。それを7年の雌伏を経て、ファンドの力を借りるとは恐れ入った。
・『全く寝耳に水の話  ただし、この株式には譲渡制限が付いていた。マーキュリアが売却する際は、ぺんてる取締役会の承認を得る必要があるのだ。 今回のコクヨのぺんてるへの間接出資が騒動となっているのは、このことを押さえなければ理解できない。 10日午後4時、コクヨは、ぺんてるに間接出資したと発表した。ぺんてるの事実上の筆頭株主となったコクヨは「両社の企業価値向上に向け具体的な取り組みを進めていきたい」と意欲を示す。 だが、ぺんてる側は「今後については一切未確定。創業来の独立性を堅持する方針にいささかの変更もない」(13日のリリース)とすげない態度だ。 というのも、ぺんてる側にしてみれば「まったく寝耳に水の話で事前に知らされていなかった。当社が社外取締役も受け入れているマーキュリアから通告があったのは、情報開示のわずか1時間前。コクヨからは午後4時だった」(ぺんてる関係者)という事情があるからだ。 コクヨによるぺんてる株式取得のスキームは少し複雑だ。先ほどから「間接出資」と表現しているのはそのためだ。 今回、コクヨは直接株式を引き受けていない。株式を保有するのは、マーキュリアが運営する投資ファンドで、そのファンドの有限責任持ち分全てを101億円で取得したのだ。つまり、ファンドをかますことで間接的に保有している』、ぺんてる株には「譲渡制限が付いていた」のに、コクヨが「ファンドをかますことで間接的に保有」したという裏技には、釈然としなものが残る。
・『本当は同業のプラスに持ってほしかった  先ほど、この創業家のいわく付きの株式は譲渡制限があると述べた。しかし、この奇策を用いることで、マーキュリアは直接ぺんてる株を譲渡したわけではなく、法的には問題ないという。 ただ、金融業界では「実質的には譲渡制限の潜脱に当たる恐れがある」(大手証券)とか、「今回のような形で出資先に無断で売却するのは、信義則上、未公開株に投資するファンドが絶対やってはいけないこと。これからの投資に影響が出てもおかしくない」(ファンド関係者)といった声も出ている。 こうした批判に対し、マーキュリアの小山潔人・取締役CIO(兼ぺんてる社外取締役)は 「ぺんてるの経営陣から別の事業会社に株式を売ってほしいとの希望があったが、なぜその事業会社が良いのか合理的な説明が一切なかった。当社としては、ぺんてるの事業を改善することが一番大切だと考え、コクヨがぺんてるの企業価値を上げ、ともにグローバルマーケットで戦っていけるベストパートナーであるとの判断のもと、今回の取引を行った」と説明する。 マーキュリアは別の事業会社を明かさなかったが、本編集部の取材で「ぺんてるが本当は株式を持ってほしかったのは同業大手のプラス」(文具業界幹部)であることが判明した。 ぺんてるは「堀江氏に近いマーキュリアに対し警戒感を持っており、マーキュリアと距離のあるプラスに接近しようとしていた」(業界関係者)というのだ。実際、最近も堀江氏はマーキュリアに出入りしているという情報を業界関係者はつかんでいる』、マーキュリアの小山潔人・取締役CIOが、ぺんてる社外取締役を兼務していたのも驚きだ。社外取締役になったのは、創業家の持株がマーキュリアに移ったためと推察されるが、ぺんてる経営陣は、こんな「獅子身中の虫」を抱えることによく同意したものだ。
・『焦点は和田社長の判断  せっかく経営力がないとされる創業家の前社長を追い出して、その株式には譲渡制限も付いているのに、株は自ら関知しない間に望まぬ相手に実質的にわたり、さらには前社長の影までちらつく――。ぺんてる側の不満は膨らんでいる。 実は、5月17日にコクヨの黒田英邦社長とぺんてるの和田優社長のトップ会談がセッティングされていたが、ぺんてる側がキャンセルしている。「情報が外部に漏れていることが分かり、会談の実施でコクヨとの協業が既成事実化するのを恐れた」(関係者)のが原因とみられる。コクヨ側は「話し合いにはもう入っている。まったく話し合いができない状況ではない」(福井正浩執行役員)と主張するが、ぺんてる側は「憶測を呼ぶため、この件は一切ノーコメントだ」としている。 売上高では7倍以上とコクヨの方が大きいが、文具関連の海外比率はコクヨの2割に対し、ぺんてるは6割となっている。コクヨでステーショナリー(文房具)事業本部長を務める福井執行役員は「120以上の国と地域に幅広く展開しているぺんてるは素晴らしい会社。国内の営業基盤では当社も強く、両社が組めば補完関係が発揮できる」とメリットを強調する。 コクヨが望んでいるように業務提携の段階に進めばシナジーは期待できそうだ。だが、株式市場とは縁遠く、資本の論理に振り回されることに慣れていないぺんてるの経営姿勢は固まっていない。和田社長がどう判断するかで、文具業界の構図が大きく動きそうだ』、では、次の主に資本市場からの記事を見てみよう。

次に、5月29日付けダイヤモンド・オンライン「ぺんてる株取得は「御法度」と異論噴出、関与する政投銀の姿勢にも疑問」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/203895
・『筆記具大手のぺんてるの株式を文具最大手コクヨが間接的に取得したことで、ファンド業界が騒然としている。というのも、ファンドを介したその取得方法が“御法度”に近いためだ。しかもそのファンドに、政府系金融機関である政策投資銀行が資金を出していることも波紋を広げている』、「ファンド業界が騒然としている」というのは当然だろう。
・『ぺんてる株の取得方法にファンド業界から異論噴出  「違法ではないかもしれないが、信義に反するし、プロとしてやるべきことではない。ブーイングが出てもおかしくない反則すれすれのプレーで、彼らは業界で二度と仕事ができなくなるのではないか」 外資系大手のプライベートエクイティ(PE)ファンドの幹部は、このように語った上で次のように続ける。 「しかも事が重大なのは、このファンドに政府系金融機関である政策投資銀行(DBJ)の資金が入っていること。政府に近いファンドがやったというのは、大きな問題に発展する可能性もあり、由々しき事態だ」 この幹部がこのように指摘するのは、5月10日に文具最大手のコクヨが、「間接的に」筆記具大手ぺんてるの株式37.45%を取得したことだ。これを受けて、経済紙は「業界再編」との見出しで大きく報じた。 しかしPEファンド業界では、今回のディールは業界再編よりも、法規制の盲点を突いた“寝技行為”なのではないかということの方が話題となっているのだ』、ファンドに「政策投資銀行の資金が入っている」というのも驚きだ。
・『譲渡制限がついていたため投資組合をまるごと売却の荒技  一体、何が問題なのか。そこで、今回のディールを簡単に振り返っておこう。 コクヨは、「当社は2019年5月10日に、株式会社マーキュリアインベストメントが 管理・運営するPI投資事業有限責任組合の有限責任組合員としての持分すべてを取得することを取締役会で決議いたしました」としている。 これに対し売却する側のマーキュリアは、「株式会社マーキュリアインベストメントが管理・運営し、ぺんてる 株式会社へ出資する PI投資事業有限責任組合にコクヨ株式会社が参画(本組合持分の取得をいいます。)することをお知らせ致します」としている(いずれもプレスリリースより)。 つまり、マーキュリアはぺんてる株を保有する「投資組合」を売却、コクヨからすると、「投資組合」そのものを取得することで、同組合が保有するぺんてる株を「間接的」にコントロールすることになったわけだ。 これを受けて5月中旬、コクヨの黒田章裕会長は、関西経済同友会代表幹事を退任するにあたって、今回のぺんてる株の間接保有について、「(息子の)英邦社長がいい買い物をした」と称賛する趣旨の発言をしている。 だが、なぜこのような複雑なスキームを採ったのか。その鍵は、ぺんてるが未上場会社であり、同社の定款に「株式譲渡に関しては、取締役会の承認を得なければならない」と記されていることにある。 つまり、ぺんてる株は「譲渡制限」がついた株式だった。 ぺんてる株は、ファンド(投資組合)が直接保有しているわけではなく、その下にぶら下がるいくつかの“子ファンド”が保有している。しかし、この株は譲渡制限がついており、取締役会の承認がなければ売買できない。 そこでコクヨは、投資組合を“まるごと”買うことでその点をクリア。ぺんてるの取締役会の承認を得ることなく株式を取得し、筆頭株主となれたわけだ。 コクヨ側が「間接的」と言っているのも、冒頭のPEファンド幹部が「反則すれすれの寝技」と言うのも、そうした理由からだ。 これに対しマーキュリア関係者は、「ぺんてるとコクヨとは補完的な関係でシナジーがある。だからマーキュリアとしては今後もこのアライアンスに関わっていくため、売りっぱなしではなくゼネラルパートナーとして残る。ただ、ぺんてる株に譲渡制限がついていたため、仕方がなくこうしたスキームを採らざるを得なかった」と主張する』、こんな脱泡スレスレの行為をファンドがやったということは、せっかく定着しかけてきたPEファンドに対する企業側の警戒心を高めるだけだ。しかも「政策投資銀行の資金が入っている」というのは、何をか言わんやである。
・『中長期的なファンドが変心「高い売却益が目的か」の声も  そもそも、図らずも今回、“主役”の1人になったマーキュリアのようなPEファンドは、わずか数パーセントの株式しか取得していないのに、株主提案という形で増配などを求める「物言う株主」とは異なる。 発行済み株式の過半数を握らないとしても、筆頭株主となって経営を主導、3~5年といった比較的長いスパンで経営改革を断行し、企業価値を向上させて別の株主に譲渡・売却するのが通常だ。 事実、マーキュリアも、2007年にライフネット生命に投資、5年後の12年に上場という形でエグジット(売却)している。食品やサプリメント、化粧品などの製造販売を手掛けるSonokoについても、13年に投資して3年後の16年に売却するなど、中長期的な視野を持ったファンドだと見られていた。 「業界では、DBJ出身者が設立したファンドで、DBJの金も入っているだけに、短期的な収益を追わない中長期的なファンドだという認識だった」(PEファンド関係者) にもかかわらず、今回は大きく違った。 マーキュリアがぺんてる株を取得したのは18年3月22日。それからわずか13ヵ月後の今年5月10日に実質的に売却しており、これまでの投資パターンとは、まったく異なるのは一目瞭然だ。 もちろん、マーキュリアもファンドであることには違いなく、リターンを求めるのは当然のこと。ただ、今回のように寝技的な手法まで使って、短期間で売り抜けようとする姿を捉えて、「高い売却益の獲得に目がくらんだのか」といった見方がもっぱらだ。 このあたりについては、ダイヤモンド・オンラインの既報「コクヨが突如ぺんてる筆頭株主に、文具業界で勃発した経営権問題」を参照いただくとして、業界で問題視されているのは、マーキュリアにDBJの資金が入っており、間接的にDBJも利益を受けているのではないかという点だ』、「マーキュリアがぺんてる株を取得したのは18年3月22日」ということであれば、マーキュリアから社外取締役を迎えたのも理解できる。ぺんてる経営陣にしてみれば、「中長期的なファンド」なる評判を信じ切っていたのだろう。まさかの裏切り行為だ。
・『政府系金融機関の政策投資銀行にも疑問の声が  事実、DBJは、2018年3月にマーキュリアと協働して組成した前述の投資組合を通じて、ぺんてるに資本参加。さらに一連のぺんてる株の取得や、投資組合の売却にも関与している。 「政府系金融機関のDBJが、こんな“禁じ手”をやっていいのか」と投資ファンドの幹部は述べるが、DBJはどう考えているのか。 DBJは本編集部の取材に対し、「マーキュリアはDBJ出身者が設立し、資金を出しているのも確かだが、独立した上場企業であり、私どもの方から個別の取引についてコメントすることはない」としている。 だが、本当にそうだろうか。 前出の投資ファンドの幹部は、「マーキュリアをおもんぱかり、売却益を出すことが目的だったのでは」と見る。 コクヨのリリースを見ると、ぺんてる株を保有する投資組合には101億円支払っていることが示されている。関係者によればマーキュリアの購入価格は2000円程度であったとされているが、それを約3000円で売却したことになる。 となるとDBJは、今回の投資組合の売却によって、50%の利益を確保したことになる計算だ。 DBJは、決して赤字を垂れ流しているわけではない。むしろ、しっかりと黒字を確保しており、今回のディール規模で利益を確保しなければならないほど、差し迫った状況にはまったくない』、DBJは政府系金融機関として、中立性が求められる以上、今回のような「敵対的買収」には手を出すべきでなかった。
・『業績悪化のマーキュリア救済措置との見方も浮上  だが、マーキュリアは、17年度に約22億円だった利益が、翌18年度には21億円となり、初めての減益となった。 今月に入って公表された1月期決算で示された19年度見通しは、減益ペースがさらに加速し、15億円にまで利益が縮小すると予想している。つまり、マーキュリア側には、早い時期に利益を確保しなければならない“事情”があり、「親密なDBJによる救済的な措置だったのではないか」(投資ファンド幹部)と見る向きも少なくない。 DBJは昨年のぺんてる株式取得時に、投資目的について「本件は、今後中間層や就学・就職人口の増加による成長が期待されるアジア等において、ぺんてる海外事業のさらなる推進等を支援するものであり、ぺんてるおよびわが国企業の国際競争力強化に資すると期待されることから、(中略)サポートを行うものです」と強調していた。 しかし、ぺんてるによれば、マーキュリアがぺんてるの株主になって以降、いくつかの海外拠点の視察には出かけているが、それ以外、特に目立つような海外事業に関する提案はなされていないという。 一連のぺんてる株の売買は、法的にはセーフかもしれない。しかし、マーキュリアに加えて、政府系金融機関であるDBJの姿勢には疑問を持たざるを得ない』、「業績悪化のマーキュリア救済措置との見方も」あるとはいえ、こんな脱法的行為が許されるべきではない。コンプライアンスとは、弁護士の郷原信郎氏によれば、法律の規定になければ、何をしてもいいというものではなく、法の精神や社会通念も守るというように、本来は広義に捉えるべきものだ。ぺんてる側がどのような対抗策に出てくるか、大いに注目される。
タグ:株式を保有するのは、マーキュリアが運営する投資ファンド ぺんてる側にしてみれば「まったく寝耳に水の話で事前に知らされていなかった。 コクヨは、ぺんてるに間接出資したと発表 マーキュリアが売却する際は、ぺんてる取締役会の承認を得る必要 ダイヤモンド・オンライン ぺんてる (コクヨが突如ぺんてる筆頭株主に 文具業界で勃発した経営権問題、ぺんてる株取得は「御法度」と異論噴出 関与する政投銀の姿勢にも疑問) コクヨVSぺんてる M&A 株式には譲渡制限が コクヨ 日本政策投資銀行が出資 「コクヨが突如ぺんてる筆頭株主に、文具業界で勃発した経営権問題」 「会議への遅刻や無断欠席、海外で豪遊を繰り返すなど過去10年の放漫経営のせい。自業自得だった」 マーキュリアインベストメント 発端は、2012年5月のぺんてる創業家・堀江圭馬氏の社長解任劇までさかのぼる 創業家である堀江氏とその家族は同社株を37.45%も保有 中長期的なファンドが変心「高い売却益が目的か」の声も 堀江氏は取締役会で62歳を過ぎた役員4人の退任を求めたのだが、逆に業績不振を理由として堀江氏の緊急解任動議が可決 コンプライアンス 業績悪化のマーキュリア救済措置との見方も浮上 DBJは政府系金融機関として、中立性が求められる以上、今回のような「敵対的買収」には手を出すべきでなかった 法律の規定になければ、何をしてもいいというものではなく、法の精神や社会通念も守るというように、本来は広義に捉えるべきもの 政府系金融機関の政策投資銀行にも疑問の声が わずか13ヵ月後の今年5月10日に実質的に売却 筆頭株主となって経営を主導、3~5年といった比較的長いスパンで経営改革を断行し、企業価値を向上させて別の株主に譲渡・売却するのが通常だ 郷原信郎 コクヨは、投資組合を“まるごと”買うことでその点をクリア 譲渡制限がついていたため投資組合をまるごと売却の荒技 「ぺんてる株取得は「御法度」と異論噴出、関与する政投銀の姿勢にも疑問」 焦点は和田社長の判断 ぺんてる株は、ファンド(投資組合)が直接保有しているわけではなく、その下にぶら下がるいくつかの“子ファンド”が保有 しかも事が重大なのは、このファンドに政府系金融機関である政策投資銀行(DBJ)の資金が入っていること 反則すれすれのプレーで、彼らは業界で二度と仕事ができなくなるのではないか マーキュリアの小山潔人・取締役CIO(兼ぺんてる社外取締役) 金融業界では「実質的には譲渡制限の潜脱に当たる恐れがある」 違法ではないかもしれないが、信義に反するし、プロとしてやるべきことではない 「今回のような形で出資先に無断で売却するのは、信義則上、未公開株に投資するファンドが絶対やってはいけないこと。これからの投資に影響が出てもおかしくない」 ファンドをかますことで間接的に保有 ぺんてる株の取得方法にファンド業界から異論噴出
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感