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医薬品(製薬業)(その2)(「キムリア」の薬価3000万円超でも保険財政は破綻しない、武田薬品「ホワイト企業認定返納」のお粗末な一部始終 内部資料を入手、医師と製薬マネーのあまり表には出ない大問題 法制化も罰則もなく自主規制に頼る寒い現状、日本で世界を代表する製薬会社が育ちにくい訳 メディシノバの岩城裕一社長兼CEOに聞く) [産業動向]

医薬品(製薬業)については、3月15日に取上げた。今日は、(その2)(「キムリア」の薬価3000万円超でも保険財政は破綻しない、武田薬品「ホワイト企業認定返納」のお粗末な一部始終 内部資料を入手、医師と製薬マネーのあまり表には出ない大問題 法制化も罰則もなく自主規制に頼る寒い現状、日本で世界を代表する製薬会社が育ちにくい訳 メディシノバの岩城裕一社長兼CEOに聞く)である。

先ずは、5月15日付け日経ビジネスオンライン「「キムリア」の薬価3000万円超でも保険財政は破綻しない」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/051500349/?P=1
・『高額医薬品として注目されていたスイス製薬大手ノバルティスの遺伝子治療薬「キムリア」(一般名:チサゲンレクルユーセル)の国内での薬価が1回の投与で3349万3407円に決まった。厚生労働省が5月15日に開催した中央社会保険医療協議会で、原価計算方式に基づいて算出した案が了承された。5月22日に保険適用され、施設基準を満たした医療機関において治療が受けられるようになる。 キムリアは患者の免疫細胞を取り出して、がん細胞に対する攻撃力を高めるために特殊な遺伝子を導入した後、細胞を増やして患者の体に移植するという製品だ。米国で2017年9月に世界で初めて承認され、日本でも2019年3月に厚労省が承認していた。 臨床試験では、通常の治療では治らなかった難治性の白血病やリンパ腫などの血液がんに対して高い有効性が確認されている。ただし、一定の割合で効かない患者がいるほか、非常に重篤な副作用が生じる場合があることが分かっている。 一方、品質や安全性を確保するために、細胞の製造は特殊な施設において様々な先端技術を動員して行わなければならず、薬価はどうしても高くなる。しかも、米ニュージャージー州にある製造施設で製造しているため、薬価を決めるのには運送コストなども考慮する必要がある。 米国ではあるタイプの白血病に対しては、治療1カ月後の効果に基づいて47万5000ドル(約5200万円)を請求するという、成功報酬払いの薬価が設定された。ちなみに、リンパ腫と呼ばれる別の血液がんにも承認されているが、こちらは37万3000ドルの価格設定で、成功報酬方式ではない。こうしたことから日本での薬価がいくらになるかが注目されていた』、興味深そうだ。
・1回の治療で治る人は治る  日本で承認されたのは、米国と同じく、あるタイプの白血病とあるタイプのリンパ腫に対してだが、2つの疾患に対する薬価は同額。成功報酬払いではない。また、治療のためには医療機関で細胞を採取し、製造施設で細胞を加工して製品を製造した後、再び医療機関で細胞を移植する必要がある。このため、医療機関での技術料として、採取については17万4400円(診療報酬としては10円=1点)、移植については30万8500円の技術料が設定された。治療を受けるにはこの技術料以外に、もちろん入院料や検査料などもかかってくる。 キムリアは5月22日に保険適用され、施設基準を満たした医療機関において治療が受けられるようになる さて、この1回3300万円超という高額薬価をどのように考えるべきか。1回のみの治療で治る人は治ってしまうことを考えると、長期間服用し続けなければならない治療薬の場合と経済負担を同列に議論することはできない。 また、日本の健康保険制度には高額療養費制度というものが存在し、世帯ごとのひと月の自己負担の上限額は所得に応じて一定の金額内に抑えられるため、患者自身が数千万円単位の負担をするわけではない。ただ、「治らなかった人まで費用を負担すべきか。米国と同様に成功報酬払いを検討すべきではないか」といった点は議論の余地があるかもしれない。 患者の自己負担に上限が設けられているということは、残りは保険財政が負担することを意味する。そうなると以前、抗がん剤オプジーボの時に議論されたように、保険財政を破綻させかねないという声も上がりそうだが、ノバルティスはキムリアの対象となる患者数をピーク時で年216人、販売金額を72億円と予想している。 しかも、安全性を確保するため、副作用が生じた場合の対応が取れるなど、実施できる医療施設は限定され、相当慎重に市場導入が図られる見通しだ。もちろん今後、他の血液がんに適応を拡大していけば患者数は増えるが、その場合には薬価を見直す仕組みも既に導入されている。「保険財政が破綻する」と身構えるのは正しくない。 もちろん、今後このような高額医薬品が続々と登場してくるとなれば、誰がどのようにして負担していくか、薬価の決め方なども含めて議論していく必要があるだろう。ただ、今回のキムリアに関しては、約3300万円の薬価で保険適用が決まり、日本でも保険診療の中でこの高度な医療を受けられるようになったことを素直に歓迎すべきだと考える』、確かに、「米ニュージャージー州にある製造施設」との間を往復するので、高くなるのはやむを得ない面はあるが、日本でも「成功報酬方式」の導入を真剣に考えるべきだろう。

次に、6月10日付けダイヤモンド・オンライン「武田薬品「ホワイト企業認定返納」のお粗末な一部始終、内部資料を入手」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/205126
・『国内製薬最大手で世界のメガファーマ(巨大製薬会社)の一つに数えられる武田薬品工業が、経済産業省が制度設計する「健康経営優良法人2019大規模法人部門(通称・ホワイト500)」の認定の返納手続きを始めたことがダイヤモンド編集部の取材で分かった。このまま認定取り消しになる可能性が高く、7月1日付で発表される見通し。 健康経営優良法人(大規模法人部門)は5月1日時点で、820法人もが認定を受けており、認定返納も初めてのケースではない。それでも武田薬品の返納がニュースな点は、判明したそのお粗末な経緯だ。 法人が認定を受けるためには、健康管理に関連する法令について「重大な違反をしていない」ことが必須条件になっていた。具体的には2017年4月から申請日までに「長時間労働等に関する重大な労働基準関係法令の『同一条項』に『複数回』違反していないこと」などが課されていた。ただし自主申告のため、違反の事実を伏せて虚偽申請することも可能だ。 本編集部に6月上旬、現役の武田薬品社員から、「複数の社員が虚偽申請の事実を経産省に内部告発した」「近く認定がはく奪される予定」と憤慨する情報提供があった。本編集部の取材に対し、経産省ヘルスケア産業課は「返納があった」と説明し、経緯は非回答。武田薬品広報担当者は「虚偽申請の事実はない」と明確に否定した。ただそうであっても、後述のように、武田薬品の“残念ぶり”は変わらない』、「内部告発」で発覚したとはお粗末極まる。
・『一時はホワイト企業だとアピール  広報担当者によると、武田薬品は17年4月以降、労働基準監督署から36(サブロク)協定で定めた時間外労働限度時間を超えて労働させたとして、是正勧告を1回受けていた。前出のルール(『同一条項の違反を複数回』)には抵触しないため18年11月に申請し、今年2月に認定を受けた。 武田薬品はニュースリリースを出して、国お墨付きの“ホワイト企業”だと世間にアピールした(写真(2)、現在は削除)。 だが直後に同種の違反事案が発覚。そして4月に是正勧告を受けて『同一条項の違反を複数回』に該当する事態になったため、すぐに経産省に相談。協議の結果、6月5日に認定を自主返納する手続きに入り、同日までに社員向けに経緯を説明したという。 広報担当者は「是正勧告を真摯に受け止める」と強調。“ホワイト企業”認定返納だからといって当然“ブラック企業”に振れるわけではないといい、「コンプライアンス遵守を徹底して参ります」と神妙に話した』、申請した部署が社内の当該部署に確認を取っていなかったのであれば、信じられないような失態だ。
・『実は1年間で是正勧告4件、指導1件  一方、本編集部は武田薬品グローバルHR日本人事室名の内部文書(写真(3)、5月24日付)を入手した。そこには18年9月~19年5月にグローバル本社(東京)、大阪工場、光工場(山口)であった労基署による是正勧告4件、指導1件が記されていた。 36(サブロク)協定の時間外労働限度時間を超えて労働させたケースや、賃金不払いのケースなど。4月の是正勧告(36協定違反)も記載されていたが、加えて5月にも光工場で是正勧告(賃金不払い)があった。つまり“ホワイト企業”認定中も、残念ながら“ブラック企業”な指摘が2回もあったことになる。 武田薬品は近年、激動期にある。子会社や資産の売却、旧湘南研究所(現湘南ヘルスイノベーションパーク)の研究員リストラ、アイルランド製薬大手シャイアー買収など、社員の運命を左右する大イベントが立て続けに発生。一方で経営中枢は元メガファーマの外国人が大半を占めるようになり、年12億円もの報酬を得るクリストフ・ウェバー社長兼CEO(最高経営責任者)を筆頭に社員との給与格差も大きくなった。 一部社員の間に経営陣への不満がマグマのように沸々と湧いているのは確か。その結果、前出の社員による本編集部への情報提供のような具体的な動きにつながっているのかもしれない。 6月27日にはシャイアー買収完了後初めての定時株主総会がある。財務体質悪化などを理由にシャイアー買収に反対していた一部創業家筋やOBから「クローバック条項」(*将来シャイアー買収による減損などがあった場合、過去に遡って取締役の責任を追及できる条項)の株主提案があり、会社側と提案者の攻防に注目が集まっている。 自業自得とはいえ、その本番を前に会社側に一つミソがついた』、株主総会では「クローバック条項」への賛成は52%になったが、出席株主の3分の2以上の賛成が必要な特別決議のため否決された。しかし、武田のガバナンスに対する投資家の厳しい視線が浮き彫りになったようだ。

第三に、内科医の谷本 哲也氏が7月21日付け東洋経済オンラインに寄稿した「医師と製薬マネーのあまり表には出ない大問題 法制化も罰則もなく自主規制に頼る寒い現状」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/292834
・『「大手製薬会社の薬を宣伝する医師たちの“闇営業”を野放しにしたらダメだ!」 灘校(灘中学校・灘高等学校神戸市灘区)で気炎を上げ会場を大いに沸かしたのは、同校卒業生で現役医師でもある、上昌広氏と岡本雅之氏。 上氏は、医療ガバナンス研究所(以下、MEGRI)を主宰し、東日本大震災・原発事故被災地へ若手医師を派遣するなどの医療支援をする一方、医薬業界のさまざまな不正や問題について積極的に発信している。岡本氏も東大阪市で医院を開業するかたわら、Dr. Masaとしてラジオ大阪でパーソナリティー番組を持つという名物医師だ。 言うまでもなく灘校は全国屈指の有名進学校で、受験界で最難関の東大理III(医学部)にも多くの合格者を出すことで知られている。そこでこの6月末に開催されたのが、MEGRIとジャーナリズムNGOワセダクロニクル(以下、ワセクロ)共催による「灘校で語る『医師と製薬マネー』シンポジウム」だ。 折しも、吉本興業所属の芸人たち、なかでも有名お笑いタレントの宮迫博之が振り込め詐欺グループの宴会に出て100万円もらっていたという闇営業(アルバイト)が発覚して大問題になっているが、さて、「医師の“闇営業”とはなんのことだ?」と不思議に思われることだろう。まずそれについて解説しよう』、「灘校で語る『医師と製薬マネー』シンポジウム」、とは正義感が強い医師たちもいるとは、灘校もさすがだ。
・『医師の闇営業=薬の宣伝活動  医師の本来の仕事は、当然ながら患者の診療を行うことだ。医師免許を持つほとんどの医師が、医療機関で働き収入を得ている。これ以外にも大学や研究機関に勤め、研究職に就いている医師もいる。よく大学病院などでは、診療・教育・研究の3本柱が重要と言われるが、それが医師の本来の職務であることに誰も異論はないはずだ。 しかし、この診療・教育・研究活動以外にも、医師の大きな収入源になりうる活動がある。そのことは、これまで世間一般ではあまり知られていなかった。 芸人用語としての闇営業は、「芸人が所属事務所ではなく、個人的なルートを通して芸能活動を行うこと」を指す。実は、医師の世界にも似た構図があり、所属する医療・研究機関以外からもオイシイ仕事が回ってくることがある。 それは、製薬会社や医療機器メーカーから頼まれる講演会活動などだ。場合によっては、診療業務など本来の仕事で得られる収入よりもはるかに時給が高く、年間1000万円以上に及ぶ製薬会社からの副収入を稼ぎ出す著名医師もいる。すなわち、ここで闇営業にたとえられたのは、医師と製薬会社がタッグを組んで行う薬の宣伝活動のことなのだ。 吉本芸人の宮迫らは反社会勢力から金をもらっていたわけだが、こちらの場合、闇営業といえども、税務申告さえきちんと行っておけば何ら違法な活動ではない。大学など所属機関でも当然認められている。 しかし、なかには年間100件以上もこの活動に精を出す医師がいて、こうなると本来の業務(診療)は大丈夫なのか、と患者も心配になるだろう。 その懸念は当然で、国立病院など公的医療機関では年間500万円まで、大学では本給(大学教授では年間1000万円程度)を超えないこと、という内規を設けているところも多い。逆に内規がなければ、この額を超えて副業にいそしむ医師が珍しくないことを意味している』、「内規」は公的医療機関や大学だけでなく、民間医療機関でも設けるべきだろう。
・『影響力を持つ医療界幹部が闇営業で高収入を得ている  2019年6月23日、新聞2紙が一面トップでこの問題を報じた。 毎日新聞は「製薬謝礼一部に集中処方多い学会理事講演・原稿料」、東京新聞は「薬審議委員に製薬マネー医師ら6割講演料など」という大見出しで始まる記事を目にした人も多いだろう。東洋経済新報社が発行する『週刊東洋経済』も、2019年6月1日号で「クスリの大罪」と題した特集を展開した。 これらの記事では、闇営業で高収入を得ているのが、処方薬の評価や値段を決めるなど国の審議委員についている医師や、一般の医師に強い影響力を持つ医学会の幹部であることを問題視した。 「政治家とカネ」については政治資金規正法などができ、世間の目が厳しくなったが、このような“公職”に就く医師と製薬マネーの金脈問題については、これまで「業界タブー」となっていた。この事情は、拙著『知ってはいけない薬のカラクリ』(小学館新書)でも詳しく記している。 シンポジウムで、上氏、岡本氏らはこのようにも述べた。 上:製薬会社から講演料などの名目でお金をもらっていることが、最近になってようやくマスメディアでも報道されるようになりました。それについて、大学教授や学会理事など有名な医師が反論としてよく口にするのが、《産学協同の必要性》という大義名分です。 岡本:しかし、それは本当に産学協同と呼べる活動なんですか?そもそも患者のためになってますかね。本来の仕事をほったらかして、製薬会社の宣伝マンのアルバイトをやっているだけじゃないですか。 上:東大教授を頂点とするような、官尊民卑の大学病院モデルは限界にきている。東大病院も赤字垂れ流しで、今や東大のお荷物になっている。そんな窮状でありながら患者さんをほったらかしにして、大学教授が年間何十回と講演に出かけ、診療では専門病院に実績で圧倒されている。後進の医師を育成すべき大学教授たちにとっていちばん大切な時間を、ムダに使っていると本当に思います。 岡本:産学協同は詭弁以外のなにものでもないですね。 上:患者のために診療するのが、本来の医師の姿。そして研究。研究費だって、やる気さえあれば製薬会社にたかる必要はありません。まじめに診療をやって研究費を捻出することもできるのだから。 シンポジウムの登壇者は、上・岡本両氏のほかに、ノーベル賞を受賞した本庶佑氏の元門下生で幹細胞病理学の第一人者である仲野徹氏(大阪大学医学部教授)、ワセクロ編集長の渡辺周氏やMEGRI関係者である筆者、若手の尾崎章彦氏(乳腺外科医)と山本佳奈氏(内科医)に加え、加藤晴之氏(編集者、加藤企画編集事務所代表)という顔ぶれで、「製薬マネーと医師」に関わる活発な議論が行われた。 そもそも、先の東京、毎日新聞両紙の1面トップの報道や、今回のシンポジウムの発端になったのは、ワセクロとMEGRIが総力を挙げて調査し、ネット上に構築した「マネーデータベース『製薬会社と医師』」が、2019年1月から公開されたのがきっかけだ。検索窓に医師や製薬会社の名前を入れれば、誰でも簡単に無料で製薬マネーの実態について調べることができる』、「闇営業で高収入を得ているのが、処方薬の評価や値段を決めるなど国の審議委員についている医師や、一般の医師に強い影響力を持つ医学会の幹部であることを問題視」、「国の審議委員」には「闇営業」を禁止すべきだ。「マネーデータベース『製薬会社と医師』」はいい試みだ。
http://db.wasedachronicle.org/
・『医療界の産学癒着を断ち切ることができるのか  「この問題は、どこからお金をもらっているか、どんな利害関係に立っているのか、医師がCOI(利益相反)をきちんと明らかにすべきだということじゃないでしょうか。 最近では国からの研究費はどんどん削られています。大学医局など多くの大学院生を抱えている臨床教室が研究費のために、製薬マネーに頼ることはやむをえないという側面もあるのですから」(仲野氏) 「大学病院にいる同級生に聞くと、2日に1回はお昼や晩に製薬会社からの高級弁当が配られるので、食費がずいぶん助かっているそうです。若いうちから製薬会社のお世話になるのが当たり前になっている」(山本氏) 「世界的な製薬会社ノバルティスファーマと千葉大学、京都府立医科大学や慈恵医科大学などの医師たちの研究不正に司直の手が入ったディオバン事件。その後どうなっているのか追跡調査したところ、不正論文に名を連ねた医師たちが、事件後も当然のようにたくさんの製薬マネーをもらっていた。 ノバルティスがディオバンという薬にありもしない薬効をでっちあげて、累計1兆円以上も売り上げ、一般社会に大迷惑をかけた医療界の産学癒着にいまだ何の反省もありません」(尾崎氏) 高額の製薬マネーを受け取るのは、大学教授などに出世したキー・オピニオン・リーダーやエクスターナル・エキスパートと称される影響力の大きい医師だ。 製薬会社と医師の関係性は、健全な産学協同であればいいが、歪んだ処方で医療費のムダ遣いを生み出す癒着ともなりやすく、世界中で頭を悩ませている大きな問題だ。 昨年も、ハーバード大学の有名医師が「産学の癒着関係は全面禁止すべきだ!」とニューヨーク・タイムズ紙に寄稿すると、元大手製薬会社勤務でベンチャー起業に転じた人物が「産学協同はなくてはならない!」と経済誌『フォーブス』で反対の論陣を張るなど、侃々諤々(かんかんがくがく)、さまざまな議論が行われている。 日本においても、著名医師の講演会が薬を宣伝する「闇営業」なのか、それとも、講演料を受け取った側の反論どおり「患者のためになる真の産学協同」なのか、ファクトを積み重ねて見極める必要がある。 そのためには、数々のメディア報道の基礎となったように、「マネーデータベース『製薬会社と医師』」が果たす役割は大きいだろう。アメリカや一部のヨーロッパ諸国など、製薬マネーの公開について罰則規定のある法制化を行う国も増えてきている。 ワセクロ編集長の渡辺氏は、今回のデータ調査報道の苦労話をこう披露している。 「アメリカでは、サンシャイン法という法律ができて、公的機関がネットで公開(オープン・ペイメンツ・データ)しています。誰でも無料でそのデータをチェックできます。 一方の日本では、業界団体の自主ルールに基づき医師への支払い明細を公開しているといいながら、その実情は公開とは程遠い。なかなか全容がわからないような、形だけの公開になっているのです。そのため今回の調査では、われわれは各製薬会社の数字を丹念に集めてまわり、データベース作成に3000時間の作業と労力を費やさざるをえませんでした」』、「「アメリカでは、サンシャイン法という法律ができて、公的機関がネットで公開しています。誰でも無料でそのデータをチェックできます」、というのは日本でも積極的に取り入れるべきだろう。
・『製薬マネー問題の解決への道は  法制化もされず、したがって罰則もなく、製薬業界の自主的な取り組みに任されている日本のお寒い現状。まだまだ見直しの余地が残されており、世論の後押しが大切だ。このワセクロ・MEGRI共同プロジェクトで中心的役割を果たしている若手医師の尾崎氏が、こう述べたのが筆者の印象に残った。 「医師と製薬会社の利益相反の透明化が、一過性の話題で終わったのでは意味がありません。今後もこの取り組みをずっと続けて、医療や政治、つまり、この社会の何がどう変わるのかを見届けなければならないと思います」 少子高齢化と国民医療費の高騰化が進む中で、高度成長期の1961年に開始された国民皆保険制度は危機に瀕している。医療費のムダ遣いを考えるうえで、製薬マネーの問題はますます無視できなくなってくるだろう。 会場となった灘校は、日本酒の名産地として知られる灘五郷の酒造家、嘉納家と山邑家の篤志により1927(昭和2)年に創立されたという歴史がある。そのため、官に頼らない民の力を重視するという校風が今に受け継がれているようだ。 灘校の創始者たちが実現したように、民間の力で社会的に大きな影響力を持つ成果を出すことは、決して不可能ではない。公を担うのは官だけではないことを改めて認識したのが、今回のシンポジウムだった』、「医師と製薬会社の利益相反の透明化」は何としてでも実現させる必要がある。シンポジウム関係者のさらなる努力を期待したい。

第四に、ラジオNIKKEI 解説委員の和島 英樹氏が7月5日付け東洋経済オンラインに寄稿した「日本で世界を代表する製薬会社が育ちにくい訳 メディシノバの岩城裕一社長兼CEOに聞く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/289744
・『なぜ日本では世界の3本の指に入るような製薬メーカーが生まれないのだろうか。彼我の条件の差なのだろうか。 メディシノバはアメリカのカリフォルニア州に本社を置く創薬ベンチャーで、日本ではジャスダック市場(外国部)、アメリカではナスダックの両市場に上場している。難病など一定以上の市場規模が見込める分野で新薬の開発を進める企業として注目を集めており、岩城裕一社長兼CEOは業界の情報にも精通している。 同社はここにきてALS(筋萎縮性側索硬化症)、「進行型多発性硬化症」などの難病分野で臨床試験が大詰めを迎えつつある。岩城社長に日本と海外の最新動向や、自社医薬品候補の開発状況について話を聞いた(Qは聞き手の質問、Aは岩城社長の回答)』、「岩城社長」はこの問題を聞くには最適任のようだ。
・『日本が逡巡しているうちに、戦略のある欧米は先へ行く  Q:医薬品について、日本と海外の決定的な違いはどこにあるのですか? A:残念ながら、いまだに日本には「ナショナルフラッグ(国を代表する)」となる製薬会社が育っていませんね。武田薬品工業がその役割を果たすべきなのですが、アイルランドの製薬大手シャイアーの買収によって、ようやく「独自路線」から方向が変わった感じです。 では、なぜナショナルフラッグが必要なのでしょうか。かなり極端な例かもしれませんが、万が一、戦争や大災害などが起きた場合に、国内ですべての薬を賄わなくてはならなくなる可能性があるためです。そのためにも国を代表する「国策企業」としての、製薬会社が必要になるわけです。武田はM&Aで大きくなっても世界ではなお10位レベルです。スイスのロシュ、アメリカのファイザー、英国のグラクソ・スミスクラインなどにはまだ遠く及びません。 国策といえば、「遺伝子組み換え」についての対応などはその代表例として挙げられるのではないでしょうか。アメリカでは遺伝子組み換えによる医薬品が早くから台頭し、アムジェンやジェネンテックといった社員数が2万人もの大企業が育ちました。 これに対して、欧州では大腸菌の遺伝子から作る手法を問題視し、遺伝子組み換え技術に対しては反対に回りました。アメリカのほうは、トウモロコシや大豆など食品分野でも遺伝子組み換えで攻勢をかけているのは周知のとおりです。一方、日本では遺伝子組み換え食品にはなお警戒感が強いですね。 しかし、遺伝子組み換え技術を用いた医薬品が安全性などで問題のないことは、専門家なら常識的に知っていることではないでしょうか。一方、アメリカではG・W・ブッシュ大統領時代、再生医療をキリスト教の見地などから反対していました。しかし、その間に英国では初の哺乳類クローンの羊ドリーを誕生させているように、競争は熾烈です』、「ブッシュ大統領時代、再生医療をキリスト教の見地などから反対していました」、アメリカでも宗教の影響を受けることもあるようだ。
・『欧米では「治療医学」の考え方が徹底している  また、日本の医療が主に、何の病気かを調べる「診断医学」なのに対して、欧米では「治療医学」が徹底しています。治療医学とは、患者さんが治らないと意味がないという考えで、医者も薬の開発に一生懸命になります。一方、日本では患者さんは、新薬開発の過程で臨床試験に参加する場合、「モルモットにされるのではないか?」とのマイナスのイメージを持つようですね。理解はできますが、欧米ではまったく違います。「新しいことをやっているのだから、今よりもいい薬に違いない」と、積極的に参加するのです。 今年、私はDCM(変性性頸椎脊椎症)のフェーズ3臨床試験に向けたシンポジウムで英国を訪れたのですが、その際、ミエロパチー患者支援団体の設立パーティーに参加しました。場所は英国議会の貴族院です。そこには車いすの患者さんも数多く参加していました。そして、熱い視線を送ってくれたのです。本当に身が引き締まる思いでした。 また、薬の認可を担う当局も、欧米では患者さんを救うという意識が高い。もちろん決して日本が低いという意味ではありませんが、FDA(アメリカ食品医薬品局)などは薬の開発段階から親身に相談に乗ってくれますし、臨床試験などでの有効なアドバイスももらえるのです。一緒に薬を開発しているという気持ちさえ感じます。 前述のDCMについても、英国の国立疾病研究センター(NIHR)などが積極的に対応してくれました。ひるがえって、日本の医薬品の有効性や安全性について、臨床試験前から承認までを一貫体制で担っているのはPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)です。われわれも一度PMDAと協議したことがありますが、いろいろな意味で、FDAとの温度差を感じました。まあ、私たちが、アメリカ企業だからなのかもしれませんが。 Q:ここへ来てメディシノバの注目度が上がっていますが、どんな要因があるのでしょうか? A:最近の開発では、小社の松田和子CMO(最高医学責任者)の功績が大きいといえます。彼女はもともと小児科の医師をしていたのですが、私の大学の後輩ということもあり、12年ほど前にお願いして、メディシノバに来てもらいました。 今年の1月に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の治療薬として認可されているリルゾール(サノフィ社)と当社のMS-166の2つの薬を用いる併用療法で、ALS だけではなく、多くの変性神経疾患を対象に用法特許が新たに承認されましたが、これは彼女のアメリカ特許庁との交渉の賜物といっても過言ではありません。 一般の読者のためにわかりやすく言いますと、薬の特許の目的は独占性を得ることなのですが、大雑把に言って「自社の独占性を守る」ために、「将来的にライバルが入ってこられないよう特許申請」する場合もあります。つまり、承認されない可能性が高くとも、隙を与えない最大努力の一環で申請するケースです。 こうした大切な事情のすべてがわかって、審査官などとの交渉にも長けることは、製薬企業にとっては将来の命運を左右する大切な仕事です。特許出願人が特許庁と交渉するというのは、私たちのような小さい会社だからできることですね。特許弁護士に丸投げにすると、経費もかかるし、当事者意識が薄れて熱もわれわれほど入らない。 このように、特許戦略では、小さな会社のため、知財担当が不在で、臨床開発の当事者が対応していることが、かえっていい結果を生んでくれています。 松田氏は札幌医科大学大学院で医学博士号を取得した後に渡米、ハーバード大学で公衆衛生学修士を修了。アメリカでの臨床研修を経て、USC(南カリフォルニア大学)の私の研究ラボでの研究、さらにアメリカ企業との共同研究などを経てメディシノバに参加。昨年は、世界で最も権威のある総合医学雑誌の1つである『THE NEW ENGLAND JOURNAL OF MEDICINE』に共著論文が掲載されるという快挙を成し遂げた。 医療テレビドラマでも話題になった「インパクトファクター」というのがありますね。これは研究者にとって大きな意味を持つ、ポイントカードでいうところのポイント(点数)なのですが、この雑誌はインパクトファクターが最も高い雑誌として知られます。 新薬の開発を断念したり、既存の薬の中から、再度有望な治療適応症候補を探って開発するという、いわゆる「薬のリポジショニング」、つまり、別の薬効を探ることの重要性を再認識させたという意味で大きな影響を与えた論文でした。現場の医師の経験が、薬の開発に応用されたということは、多くの現場医師も創薬チームに参加できる可能性を示したということからも意義深いのです』、「FDAなどは薬の開発段階から親身に相談に乗ってくれますし、臨床試験などでの有効なアドバイスももらえるのです。一緒に薬を開発しているという気持ちさえ感じます」、ここまで製薬企業フレンドリーなのかと驚かされた。「特許戦略では、小さな会社のため、知財担当が不在で、臨床開発の当事者が対応していることが、かえっていい結果を生んでくれています」、というのはベンチャーの強みなのだろう。
・『中国当局も認めたMN-001の「用法特許」  特許に話を戻すと、当社は2019年4月には中国でMN-001(開発コード)について、高中性脂肪症、高コレステロール血症などを適応症として、用法特許の承認を取得しました。中国ではこれまで物質特許が重んじられ、特定疾患を適応とした用法特許という概念は認められていませんでした。 中国で用法特許が取れたのは画期的なことで、ほとんどは、この重要性に気づいていないのではないでしょうか。世の中の誰もが中国特許庁がそんな用法特許を認めるわけがないと言っていた中で、当社の松田CMOだけが「答えはわかりません。とにかく申請してみましょう」と。結果は取れました。中国政府が大きく舵を切り出したと感じています。 Q:新薬の開発も進展しているようですね。 A:期待の新薬候補「MN-166(イブジラスト)」がいよいよ臨床最終段階(フェーズ3)に入ってきました。さきほども少し触れましたが、領域は「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」「DCM(変性性頸椎脊椎症)」「進行型多発性硬化症」の3つです。このうち、最も早期に上市(販売開始)できそうなのがALSです。 順を追って説明したいと思います。ALSとは、脳や脊髄の神経細胞にダメージを及ぼす進行性の神経変異疾患。ダメージを受けることで特定の筋肉への指令が届かなくなり、筋肉が萎縮して弱っていきます。徐々に体を動かすことが不自由になり、症状末期には全身麻痺に至り、人工呼吸器などの補助が必要になります。 英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士がこの病気だったことで、認知度が急上昇しました。 現在、アメリカでの患者数は約2万5000人で、毎年6000人程度が新規にALSと診断されています。当社では今年4月に、ALSを適応とするフェーズ2b/3臨床試験プロトコル(手順)で、FDAの審査を完了しました。今後はアメリカ内の約150人の患者を対象に二重盲検試験(偽薬とMN-166との効き目の差を見る試験)、安全性の評価を行っていく予定です。 期間は9カ月。そう遠くない時期に患者の登録をスタートさせ、順次試験に入っていきます。ALSでは資金が少なくて済むため、自前で開発していきます。臨床試験が成功した暁には、新医薬品としての承認取得のための申請を行う予定です』、「ホーキング博士」が特効薬完成を待たずに亡くなったのは残念だ。
・『手術だけでは治療できない神経細胞の復活に有望視  2つ目のDCM(変性性頸椎脊椎症)とは、頸椎脊髄圧迫によって引き起こされる麻痺と定義されている病気で、麻痺のほか疼きや痛み、しびれなどの症状につながります。さらにバランスおよび歩行困難、腕や肩、手の筋力低下や筋肉硬直、直腸機能障害などさまざまな症状を引き起こすのです。アメリカ神経学会によると、脊髄または神経根の圧迫を緩和するために、毎年20万件以上の手術が行われています。 神経の穴を広げ、圧迫を軽減させる手術が有効なのです、疾患が長期に及ぶと、圧迫が引き金となり神経に変性が起きているのです。つまり、治療は手術だけではだめで、変性した神経細胞を復活させることが重要になります。残念なことですが、現在、承認・認可されている治療薬はありません。このDCMに、MN-166が有効なのではと期待されています。 当社ではNIHR(注)から数億円の助成を受け、2018年9月からケンブリッジ大学病院およびケンブリッジ大学病院財団とフェーズ2/3共同臨床試験を開始しました。ロンドンでこの薬のフェーズ3臨床試験に関するキックオフミーティングとシンポジウムが開催されたのは前出のとおりです。 また、世界で初めて患者支援のチャリティー団体も設立されました。臨床試験は投薬治療が8カ月間継続され、術後3カ月、6カ月、12カ月に臨床症状の評価を行います。頸椎神経機能の部分的または完全な回復が期待されます。 最後の3つ目が進行型多発性硬化症です。まず、多発性硬化症(MS)とは脳や脊髄、視神経に病巣ができ、脳から全身への指令が適切に伝わらなくなる病気です。歩行や視覚、知力などさまざまな身体機能の障害症状が出ます。原因はよくわかっていません。患者数はアメリカでおよそ40万人、全世界では150万人程度とみられています』、NIHRとは、英国のNational Institute for Health Researchのことで、英国の公的機関からも補助金を受けているとは、国際的だ。
・『「二次進行型」の多発性硬化症をターゲットに  MSには再発寛解型と、進行型があります。再発寛解型は症状が急に出たり治まったり(寛解)を繰り返すタイプです。多くの患者が最初に再発寛解型と診断されますが、繰り返しているうちに徐々に症状が進行するようになります。これを二次進行型といいます。一方、初めから寛解を経ずに時間とともに悪化していく場合があります。これを一次進行型といいます。 進行型の場合、約15%が一次進行型で、残りの85%が二次進行型ですが、二次進行型にも2つのタイプがあります。再発を伴う二次進行型と、再発を伴わない二次進行型で、多くの二次進行型は、この再発を伴わない二次進行型です。 進行型の多発性硬化症の薬は限られています。一次進行型にはロシュ社のオクレリズマブという薬が認可されていました。2019年の3月に、ノバルティス社と ドイツのメルク社の薬が二次進行型の薬として認可されたのですが、“二次進行型のうち、再発のある”患者さんだけを対象として認可されたのです。よって現在、進行型の75%を占める“再発のない二次進行型”の患者さんに効果のある薬剤はありません。 今年4月にMN-166の進行型多発性硬化症を適応とするSPRINT-MS(アメリカ国立衛生研究所=NIH=MS支援団体との共同連携プロジェクト)のフェーズ2b臨床試験サブグループ解析で、再発のない二次進行型MSで最も効果がありそうだと判明しました。つまり、私たちの薬剤は、現在は治療法がない75%の二次性の進行型の患者さんへの初めての治療薬になる可能性があるのです。 現在、フェーズ3臨床試験のデザインをFDAと協議しています。詳細な開発計画について、FDA とは、もっと突っ込んだ話し合いをする予定です。この薬はどこかに売ってもらう必要があり、認可の前に導出することになります。ただ、時間はまだあり、時期を決めるのはこれからとなります。 Q:最後に、5月に株価が急落する場面があり、その際リリースを出されましたね。 A:あるアメリカの法律事務所が、当社の役員および取締役によるフィデューシャリー・デューティ(受託者責任)違反の可能性について「調査を進める」ことや「その調査への賛同者を募る」といったことを公表しました。 これが日本語のネット上に書き込まれ、不安を与えたのか、まず日本の株価が下落しました。アメリカでは、このような訴訟をほのめかして示談金を獲得しようとする案件は、よくあることなので、アメリカ市場では、最初は株価に変化はなかったのですが、日本で下落したせいで翌日はアメリカでも影響がありました。 しかし、本件に関して公式な通知や連絡を受領した事実はありません。当社では役員や取締役がフィデューシャリー・デューティ違反に問われるようなことは一切していません。事実と異なることで株価が下落したのは残念です。 アメリカでは公開会社に対して、とくに株主総会前に、このような悪質な行為が多く認められますが、日本の株主の皆さんにこれ以上ご心配をおかけしないためにも今後の動向次第では法的措置を含めた断固たる対応を検討しているところです』、「あるアメリカの法律事務所が、当社の役員および取締役によるフィデューシャリー・デューティ違反の可能性について「調査を進める」ことや「その調査への賛同者を募る」といったことを公表」、さすが法律事務所だけあって、証券取引法違反にはならないように仕組んだようだ。メディシノバの今後の活躍を期待したい。
タグ:医薬品 東洋経済オンライン 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 定時株主総会 製薬業 (その2)(「キムリア」の薬価3000万円超でも保険財政は破綻しない、武田薬品「ホワイト企業認定返納」のお粗末な一部始終 内部資料を入手、医師と製薬マネーのあまり表には出ない大問題 法制化も罰則もなく自主規制に頼る寒い現状、日本で世界を代表する製薬会社が育ちにくい訳 メディシノバの岩城裕一社長兼CEOに聞く) 「「キムリア」の薬価3000万円超でも保険財政は破綻しない」 ノバルティスの遺伝子治療薬「キムリア」 薬価が1回の投与で3349万3407円 米ニュージャージー州にある製造施設で製造 1回の治療で治る人は治る 医療機関で細胞を採取し、製造施設で細胞を加工して製品を製造した後、再び医療機関で細胞を移植する必要がある 米国と同様に成功報酬払いを検討すべきではないか キムリアの対象となる患者数をピーク時で年216人、販売金額を72億円と予想 「武田薬品「ホワイト企業認定返納」のお粗末な一部始終、内部資料を入手」 「健康経営優良法人2019大規模法人部門(通称・ホワイト500)」の認定の返納手続きを始めた 法人が認定を受けるためには、健康管理に関連する法令について「重大な違反をしていない」ことが必須条件 『同一条項』に『複数回』違反していないこと」 複数の社員が虚偽申請の事実を経産省に内部告発した 一時はホワイト企業だとアピール 実は1年間で是正勧告4件、指導1件 「クローバック条項」 谷本 哲也 「医師と製薬マネーのあまり表には出ない大問題 法制化も罰則もなく自主規制に頼る寒い現状」 「灘校で語る『医師と製薬マネー』シンポジウム」 医師の闇営業=薬の宣伝活動 年間1000万円以上に及ぶ製薬会社からの副収入を稼ぎ出す著名医師もいる。すなわち、ここで闇営業にたとえられたのは、医師と製薬会社がタッグを組んで行う薬の宣伝活動のことなのだ 国立病院など公的医療機関では年間500万円まで、大学では本給(大学教授では年間1000万円程度)を超えないこと、という内規 影響力を持つ医療界幹部が闇営業で高収入を得ている 闇営業で高収入を得ているのが、処方薬の評価や値段を決めるなど国の審議委員についている医師や、一般の医師に強い影響力を持つ医学会の幹部であることを問題視 《産学協同の必要性》という大義名分 本来の仕事をほったらかして、製薬会社の宣伝マンのアルバイトをやっているだけじゃないですか 「マネーデータベース『製薬会社と医師』」 医療界の産学癒着を断ち切ることができるのか アメリカや一部のヨーロッパ諸国など、製薬マネーの公開について罰則規定のある法制化を行う国も増えてきている 製薬マネー問題の解決への道は 医師と製薬会社の利益相反の透明化 和島 英樹 「日本で世界を代表する製薬会社が育ちにくい訳 メディシノバの岩城裕一社長兼CEOに聞く」 メディシノバ アメリカのカリフォルニア州に本社を置く創薬ベンチャーで、日本ではジャスダック市場(外国部)、アメリカではナスダックの両市場に上場 難病など一定以上の市場規模が見込める分野で新薬の開発を進める企業として注目 岩城裕一社長兼CEOは業界の情報にも精通 日本が逡巡しているうちに、戦略のある欧米は先へ行く 欧米では「治療医学」の考え方が徹底している 中国当局も認めたMN-001の「用法特許」 手術だけでは治療できない神経細胞の復活に有望視
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歴史問題(9)(「戦争には勝者も敗者もない」――川に人骨……戦時の悲惨さ知る亀井静香の原体験、飢餓 自殺強要 私的制裁--戦闘どころではなかった旧日本軍、米中ソ3国と同時に戦う! また裂き状態だった旧日本軍の意思決定) [国内政治]

昨日に続いて、歴史問題(9)(「戦争には勝者も敗者もない」――川に人骨……戦時の悲惨さ知る亀井静香の原体験、飢餓 自殺強要 私的制裁--戦闘どころではなかった旧日本軍、米中ソ3国と同時に戦う! また裂き状態だった旧日本軍の意思決定)を取上げよう。

先ずは、8月14日付けYahooニュース「「戦争には勝者も敗者もない」――川に人骨……戦時の悲惨さ知る亀井静香の原体験」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは亀井氏の回答)。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1413
・『「川で泳ぐと、たくさんの人の骨が沈んでいるんです。悲惨ですよ」。広島県で終戦を迎えた元衆議院議員の亀井静香氏(82)は少年時代の記憶を語る。終戦から74年。不戦の誓いを立てた日本では、戦争を知る人たちが次々と鬼籍に入り、戦争の記憶は風化しつつある。現職の国会議員もほとんどが戦後世代。保守系政治家としてこの国の戦後政治を見てきた亀井氏に、自身の戦争体験について聞いた』、亀井静香氏はハト派の硬骨漢で、私も注目していた。郵政民営化問題では小泉に楯突いて離党、国民新党党首に。郵政選挙では堀江貴文氏を刺客に立てられたが、勝利。2017年に引退したのは残念だ。
・『ピカッと光った後に地響き  亀井静香氏は1936(昭和11)年に広島県山内北村(やまのうちきたそん、現・庄原市)で生まれた。県庁のある広島市から北東に80キロほど離れた山間の村。父は村の助役、4人きょうだいの末っ子で、姉2人、兄1人がいた。広島に原爆が投下されたのは1945年8月6日午前8時15分。当時8歳だった亀井氏は今も鮮明に覚えている。 Q:その瞬間は、どこで何をしていたのですか? A:国民学校3年のときだったかな。当時、小学校は校庭を全部イモ畑にして、児童はみんな朝からイモ畑の手入れに駆り出されていた。夏休みなのに。食料がなかったからね。それで朝8時過ぎ、私の通っていた川北小学校は少し高台にあるんですが、山並みの向こうから、ピカッと空に鮮烈な光が見えたんです。アレッと思ったらデーンと地響きがしてきた。 腹の底に響くような、とてつもない地響きだったよ。光った後にね。やがて、みなさんも知っているキノコ雲がサァーッと立ち上ってね。それは恐ろしいというよりも、いったい何が起きたんだろうという気持ちでした。あんな光景は初めて見た。 Q:当時、「原爆」という言葉は? A:知りませんでしたよ。いったい何が起きたんだろう? どうしたんだろう? って。私が生まれた山内北村はまだ村なんだけど、西側に現在の三次市(みよしし)があった。そこが空襲でやられたのかなぁとか、みんなでうわさし合っていた。やがて広島に落とされたのは新型爆弾らしいというのが口づてに伝わってきました。それから数日後ですよ。あの光に遭った人たちが、わが村にも逃げて来たのは。服も着ずに肌があらわな人、全身焼けただれた人、髪の毛が荒れ果てたままの人、それはもう凄まじい光景でした。 亀井静香氏は保守派として知られた政治家だ。1960年に東京大学経済学部を卒業後、2年ほどのサラリーマン生活を経て、警察庁に入庁。1971年、極左事件に関する初代統括責任者となる。1977年に退官、2年後の衆議院議員選挙に出馬、初当選した。自民党では、運輸大臣、建設大臣など閣僚も経験したが、2005年、郵政民営化に反対して自民党を離党。2017年の衆院選に出馬せず政界を引退した。 亀井氏は、幼い頃の郷里での体験が忘れられないという。いちばん上の姉は、原爆投下後の広島市内に入ったことで被爆した。入市被爆である。俳人で俳誌「茜」を主宰していた出井知恵子(いずいちえこ)さんだ。1929年生まれで、1986年に白血病で亡くなっている』、「数日後ですよ。あの光に遭った人たちが、わが村にも逃げて来たのは。服も着ずに肌があらわな人、全身焼けただれた人、髪の毛が荒れ果てたままの人、それはもう凄まじい光景でした」、「広島市から北東に80キロほど離れた山間の村」、にまで数日かけて逃げてきた被災者を目撃したのは強烈な体験だろう。
・『救援活動で被爆した姉  Q:ご家族も被爆されたとのことですが。 A:後で分かったんだが、姉も被爆していたんです。いちばん上の姉が。当時、三次の高等女学校の寄宿舎に住んでいたのですが、すぐに広島市内に救援活動に向かったといいます。多くの女学生と一緒にね。三次から爆心地へ通い続けた。それで二次被爆に遭ってしまったのです。 Q:つまり、三次にとどまっていれば……。 A:広島から70キロは離れているからね。行かなければ被爆はなかったんです。でも、そんなこと分からんから、当時は。それで、白血球の状態がだんだん悪くなって、苦しんで、最後は亡くなった。三次におれば、助かったかもしれません。 Q:お姉さんは、俳句を詠む人だったそうですね。 A:ええ、小さな雑誌を主宰しておりました。亡くなったときに当時の広島市長が、姉が生まれた私の実家の庭に句碑を立ててくれてね。そこにはこんな句が刻まれています。〈白血球 測る晩夏の渇きかな〉 白血球が増えたり減ったりしていたから、そういう恐怖感というようなものを姉は俳句にしたんだと思う。「渇きかな」というのはのどの渇きなんだろうね。姉のクラスメートの多くは同じ目に遭ってますよ。原爆訴訟(原爆被災者が、米国の原爆投下を国際法違反とし、戦争を起こした国を相手取り損害賠償請求を起こした訴訟)を起こした友人もいる。亡くなった人も少なくないですから……』、「いちばん上の姉が・・・二次被爆に遭ってしまった・・・白血病で亡くなった」、のも強烈な体験に違いない。
・『お国のために死ぬのが当たり前  亀井氏が生まれた1936年は、国内では二・二六事件が起き、世界ではナチス・ドイツが存在感を増していた時期だ。物心ついたときは、すでに戦争一色。亀井氏の家にも、通っていた学校にも天皇(昭和天皇)の写真が「御真影」として掲げられていたという。また、アメリカ兵がやって来たときに備えて、家には竹やりがあった。鬼ごっこや、かくれんぼと同じくらい、“戦争ごっこ”も日常だった。必然、幼かった亀井氏も愛国少年になったという。 Q:やはり、亀井さんも「天皇陛下、バンザイ」とか「鬼畜米英」とか? A:そりゃそうよ。だって、それが時代の空気だから。朝、学校に行くと、いちばんに天皇陛下の御真影に挨拶をする。毎日だよ。それは、忠君愛国ですから。そうでないと「非国民」にされる。当時の天皇陛下は生き神様です。 Q:小学生でも、ですか? A:もちろん。いまの人からすればおかしいと思うかもしれないけれど、疑問に思う人間はいなかったと思うね。ごく一部にね、「戦争反対」とか「このままじゃ負ける」と思っとった人がいたかもしれないけれど、ほとんどの人はみ~んな非常に素直に、とにかく鬼畜米英でしたよ。 Q:それは、親とか学校の先生とかに教わるものなんでしょうか。 A:教育もそうなんだけど、空気みたいなものだから。自然にね。時代の空気を吸っていると自然とそうなった。天皇陛下のため、お国のために死ぬのが当たり前だと。だから私のような子どもでも、戦争に負けたことがわかったときには肥後守という折り畳みの小刀を持って、兄貴を「一緒に死のう」って追っかけ回したくらいです。でも、兄貴には逃げられちゃいましたけどね』、文字通りの「愛国少年だった」ようだ。
・『川に沈む人骨  愛国少年だった亀井氏は地元小学校を卒業すると、県内トップレベルの私立修道中学校に進学。広島市内に寄宿した。そこでまた、戦争の悲惨さを目の当たりにする。 Q:当時の広島市内はどんな様子でしたか。 A:もう原爆から4年経っていたからね、焼け野原にバラック(粗末な小屋)がいっぱい立っていました。人間の生命力はすごいと思った。でもね、いまでも覚えているんだけど、川で泳ぐと、たくさんの人の骨が沈んでいるんですよ。 Q:人骨ですか? A:多くの人が熱くて川に逃げて死んだから。それはもう、おびただしい数だったよ。それから、街にはビルがあるでしょ。そのビルの壁には人の影が映ったまま残っている。写真機と一緒で、原爆の光で焼き付けられた人影の跡が。そういうのがあちこちにあった。悲惨ですよ。 だんだん悲しくなって、やがて憤りになってきた。なんで、こんな目に遭わなけりゃいけんのだって。それなのに、日本人は「過ちは繰り返しません」と反省ばかり。やったのはアメリカだよ。勝てば何でも許されるのか。そうじゃないでしょう』、「だんだん悲しくなって、やがて憤りになってきた」、というのは正義感の強い少年としては当然の反応だ。
・『とにかく戦争はやっちゃいかん  「戦争には勝者も敗者もない」というのが亀井氏の持論である。そして、一国のリーダーたる者、何があっても絶対に戦争への舵を切ってはいけないと力説する。 Q:そういう経験から、戦争は反対だと……。 A:経験のあるなしは関係ない。とにかく戦争はやっちゃいかんのだよ。戦争には勝者も敗者もない。それは、勝ったほうも負けたほうも悲惨だから。アメリカだって、ものすごい数の犠牲者を出しているでしょう。そりゃあ、大統領は戦死しないかもしれないけれど。日本の兵隊だろうが、アメリカの兵隊だろうが、死ぬことの悲惨さという面においては同じ。だから、戦争はしちゃいかんのです。 Q:しかし、当時の日本は戦争への道を突き進みました。 A:極端な話、飢え死にしたって戦争はしないほうがましです。当時の日本も、ABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中華民国、オランダによる貿易制限措置。1940年頃から進められ、対日石油禁輸などで、日本は追い込まれていった)などで苦しんでいたとはいえ、それでも別の道を選択すべきだった。一国のリーダーは、耐えて、耐えて、国民に「我慢しろ」と言わないとあかん。戦争するわけにはいかないんだ、とね。だけど、それは大変なことですよ。 Q:なぜ、当時の指導者はそれができなかったのでしょうか。 A:言うは易し。当時は、国民もマスコミも「やれ」「やれ」「やれ」でしたからね。そういう中で、リーダーがそうじゃない道を模索して、それを実行するというのは、並大抵のことじゃない。それは分かる。しかしもう二度と、そういう道を選んではならんのです。 Q:いまは戦争を知らない世代が国会議員の大勢となり、戦争への理解が乏しくなった発言も見受けられます。 A:難しいけど、「戦争を知らない世代」とレッテル貼るわけにもいかんだろう。書物や口伝えで、戦争について理解しているやつもいる。それを「おまえたちは戦後生まれだから知っちゃおらん」って、決めつけちゃいかんよ。そんなこと言ったら歴史なんか成り立たないですよ。 丸山穂高議員がたたかれてたでしょ、この間。(たたくのは)「知らねえくせに、おまえ、戦争、戦争と言うな」という感覚があるんだよ、みんな。やっぱりそれは健全な感覚ってあるからね。一方で、国会議員が一般の人よりレベルが高いなんて考えも錯覚だよ。 Q:国会議員の質が下がったということでしょうか。 A:俺は、そんなことを言うほどの立場じゃないよ。神様じゃねえから。いや、俺なんか、神様から見れば、程度の悪い政治家だったなと思われてるよ。 ただ、戦争は駄目だよ。人を殺し合う。戦争っていうのは、その最たるものだ。俺は、平和主義者だぞ。だから、戦争は嫌に決まってる。人を殺すのが好きなわけねえじゃねえか』、「一国のリーダーは、耐えて、耐えて、国民に「我慢しろ」と言わないとあかん。戦争するわけにはいかないんだ、とね。だけど、それは大変なことですよ」、というのは根っからの「平和主義者」のようだ。安倍首相にはその爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ。

次に、8月14日付け日経ビジネスオンラインが掲載した一橋大学大学院特任教授(日本近現代軍事史)の吉田 裕氏へのインタビュー「飢餓、自殺強要、私的制裁--戦闘どころではなかった旧日本軍」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700039/?P=1
・『映画「この世界の片隅に」  2016年公開)が8月3日、NHKによって地上波放送で初めて放映された。こうの史代さんのマンガを原作とする劇場版アニメだ。主人公は、すずさん。絵を描くのが好きな18歳の女性だ。広島から呉に嫁ぎ、戦争の時代を生きる(関連記事「『この世界の片隅に』は、一次資料の塊だ」)。アジア・太平洋戦争中の、普通の人の暮らしを淡々と描いたことが共感を呼んだ。 一方、アジア・太平洋戦争中の、戦地における兵士の実態を、数字に基づき客観的に描写したのが、吉田裕・一橋大学大学院特任教授の著書『日本軍兵士』だ。「戦闘」の場面はほとんど登場しない。描くのは、重い荷物を背負っての行軍、食料不足による栄養失調、私的制裁という暴力、兵士の逃亡・自殺・奔敵、戦争神経症に苦しむ様子--。同書の記述からは、軍が兵士をヒトとして遇そうとした跡を感じることはできない。加えて、第1次世界大戦から主流となった「総力戦」*を戦う態勢ができていなかった事実が随所に垣間見られる。 *:軍隊だけでなく、国の総力を挙げて行う戦争。軍需物資を生産する産業力やそれを支える財政力、兵士の動員を支えるコミュニティーの力などが問われる なぜ、このような戦い方をしたのか。終戦記念日 を迎えたのを機に考える。吉田特任教授に話を聞いた』、興味深そうだ。
・『吉田さんはご著書『日本軍兵士』の中で衝撃的な数字を紹介しています。 支那駐屯歩兵第一連隊の部隊史を見てみよう 。(中略)日中戦争以降の全戦没者は、「戦没者名簿」によれば、2625人である。このうち(中略)1944年以降の戦没者は、敗戦後の死者も含めて戦死者=533人、戦病死者=1475人、合計2008人である。(後略)(支那駐屯歩兵第一連隊史)(出所:『日本軍兵士』) この部隊の戦没者のうち約76%が終戦前の約1年間に集中しています。しかも、その73%が「戦病死者」。つまり「戦闘」ではなく、戦地における日々の生活の中で亡くなった。敗戦色が濃厚になるにつれ、兵士たちは戦闘どころではなく、生きることに必死だった様子がうかがわれます。 戦病死の中には、「餓死」が大きなウエイトを占めていました。 日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数はすでに述べたように約230万人だが、餓死に関する藤原彰の先駆的研究は、このうち栄養失調による餓死者と、栄養失調に伴う体力の消耗の結果、マラリアなどに感染して病死した広義の餓死者の合計は、140万人(全体の61%)に達すると推定している*。(『餓死した英霊たち』)(出所:『日本軍兵士』) *:諸説あり 飢餓が激しくなると、食糧を求めて、日本軍兵士が日本軍兵士を襲う事態まで発生しました。 飢餓がさらに深刻になると、食糧強奪のための殺害、あるいは、人肉食のための殺害まで横行するようになった。(中略)元陸軍軍医中尉の山田淳一は、日本軍の第1の敵は米軍、第2の敵はフィリピン人のゲリラ部隊、そして第3の敵は「われわれが『ジャパンゲリラ』と呼んだ日本兵の一群だった」として、その第3の敵について次のように説明している。 彼等は戦局がますます不利となり、食料がいよいよ窮乏を告げるに及んで、戦意を喪失して厭戦的となり守地を離脱していったのである。しかも、自らは食料収集の体力を未だ残しながらも、労せずして友軍他部隊の食料の窃盗、横領、強奪を敢えてし、遂には殺人強盗、甚だしきに至っては屍肉さえも食らうに至った不逞、非人道的な一部の日本兵だった。(前掲、『比島派遣一軍医の奮戦記』)(出所:『日本軍兵士』』、「病死した広義の餓死者の合計は、140万人(全体の61%)」、というのは驚くべき数字だ。「第3の敵は「われわれが『ジャパンゲリラ』と呼んだ日本兵の一群だった」、戦争で重要な補給を軽視した日本軍の成れの果てだ。
・『負傷兵は自殺を強要される  この後の質問の前提にある日本軍兵士の悲惨な事態を読者の皆さんと共有するため、もう少し、引用を続けます。 兵士たちは飢餓に苦しむだけでなく、自殺を強要されたり、命令によって殺害されたりすることもありました。以下に説明する行為は「処置」 と呼ばれました。 (前略)戦闘に敗れ戦線が急速に崩壊したときなどに、捕虜になるのを防止するため、自力で後退することのできない多数の傷病兵を軍医や衛生兵などが殺害する、あるいは彼らに自殺を促すことが常態化していったのである。 その最初の事例は、ガダルカナル島の戦いだろう。(中略)撤収作戦を実施して撤収は成功する。しかし、このとき、動くことのできない傷病兵の殺害が行われた。(中略)(中略)視察するため、ブーゲンビル島エレベンタ泊地に到着していた参謀次長が、東京あて発信した報告電の一節に、次のような箇所がある。 当初より「ガ」島上陸総兵力の約30%は収容可能見込にして特別のものを除きては、ほとんど全部撤収しある状況なり(中略) 単独歩行不可能者は各隊とも最後まで現陣地に残置し、射撃可能者は射撃を以て敵を拒止し、敵至近距離に進撃せば自決する如く各人昇コウ錠[強い毒性を持つ殺菌剤]2錠宛を分配す これが撤収にあたっての患者処置の鉄則だったのである。(『ガダルカナル作戦の考察(1)』) つまり、すでに、7割の兵士が戦死・戦病死(その多くは餓死)し、3割の兵士が生存しているが、そのうち身動きのできない傷病兵は昇コウ錠で自殺させた上で、単独歩行の可能な者だけを撤退させる方針である。(出所:『日本軍兵士』』、「身動きのできない傷病兵は昇コウ錠で自殺させた上で、単独歩行の可能な者だけを撤退させる方針」、いくら劣勢にあったとはいえ、近代の軍とは思えないような酷いやり方だ。
・『第1次大戦時に修正できなかった精神主義  食糧が不足し餓死と背中合わせ。戦闘で負傷すれば、自殺を強要される。こうした“踏んだり蹴ったり”の環境では、戦闘どころではありません。戦争はもちろんしないに越したことはありません。しかし、仮にしなければならないとするなら、兵士をヒトとして遇し、十分な食糧と休息を与えるべきだったのではないでしょうか。 なぜ、アジア・太平洋戦争では、そんな態勢が作れなかったのでしょう。日清・日露というそれ以前の戦争では、兵士をヒトとして遇していたのでしょうか。 吉田:アジア・太平洋戦争の時ほど極端ではありませんが、日本軍に独特の精神主義が存在していました。典型は、歩兵による白兵突撃です。銃の先に銃剣を付け突撃し攻撃路を開く、というやり方。その背景には、「精神力で敵を圧倒する」という精神主義がありました。 日露戦争後、こうした考え方が軍内に広まっていきます。例えば、陸軍は歩兵操典などの典範令(教則本)を大改正して、ドイツ製の翻訳から、独自のものに改めました。内容的には、日本古来の伝統、精神を重視するものにした。例えば夜襲を重視しています。 Q:日露戦争当時の軍は、日露戦争は白兵突撃によって勝ったと認識していたのですか。司馬遼太郎さんが同戦争を描いた小説『坂の上の雲』の影響かもしれませんが、「二〇三高地の戦いにおける白兵戦は愚かな作戦だった」という印象を持っていました。乃木希典・第三軍司令官は、効果が小さいにもかかわらず、犠牲の多い、白兵突撃を繰り返した、と。 吉田:事実はともかく、「白兵戦によって勝った」「日本精神によって勝った」という“神話”を作ってしまったのです。 本来なら、その後に起きた第1次世界大戦を研究する中で、こうした精神主義を修正すべきでした。しかし、それができなかった。 例えば、歩兵による白兵突撃主義を取ったのは、日本軍だけではありません。欧州諸国の軍も同様でした。派手な軍服を着て、横一列に並んで突撃していったのです。しかし、第1次世界大戦を戦う中で挫折した。機関銃と戦車の登場が契機でした。 日本軍は、第1次世界大戦中の欧州の状況を詳しく研究しました。しかし、研究するのと参加するのとでは話が違います。欧州戦に参加しなかった日本軍は、第1次世界大戦をリアリティーをもって感じることができなかったのでしょう』、その後も1939年のノモンハン事件では、ソ連の圧倒的な戦車火砲の前に、日本陸軍は事実上、大敗北を喫しているのに、これも教訓にしなかった。精神主義の桎梏は根強いようだ。
・『部下による反抗恐れ私的制裁を容認  Q:兵士たちは餓死や処置を覚悟しなければならないだけでなく、私的制裁にも苦しめられました。私的制裁を苦にして、逃亡、奔敵(敵側に逃亡すること)、自殺に至る兵士が多数いました。 初年兵教育係りの助手を命じられたある陸軍上等兵による、初年兵への執拗な私的制裁によって、彼の班に属する初年兵28人のほとんどが「全治数日間を要する顔面打撲傷」を負った。このため、私的制裁を恐れた初年兵の一人が、自傷による離隊を決意して自分自身に向けて小銃を発砲したところ、弾丸がそれて他の初年兵に命中し、その初年兵が死亡する事件が起こった。(『陸軍軍法会議判例類集1』)(出所:『日本軍兵士』) なんとも悲惨な話です。なぜ、私的制裁を取り締まることができなかったのでしょう。 吉田:当時は、徹底的にいじめ、痛めつけることで、強い兵士をつくることができると考えられていました。この考えから抜け出すことができなかったのです。 加えて、私的制裁が古参兵にとってガス抜きの役割を果たしていたことが挙げられます。兵士たちは劣悪な待遇の下に置かれています。この鬱屈とした激情が上官に向かって爆発すると、軍としては困る。実際、上官に逆らう対上官犯 は戦争が進むにつれて増えていきました。これを、単に規制するだけでは、火に油を注ぐことになりかねません。そこで、「下」に向けて発散するのを容認する傾向がありました。 鬱屈とした激情を、「下」だけでなく「外」に向かって発散するのを容認する面もありました。 そうした教育の戦場における総仕上げが、「刺突」訓練だった。初年兵や戦場経験を持たない補充兵などに、中国人の農民や捕虜を小銃に装着した銃剣で突き殺させる訓練である。 藤田茂は、1938年末から39年にかけて、騎兵第二八連隊長として、連隊の将校全員に、「兵を戦場に慣れしむるためには殺人が早い方法である。すなわち度胸試しである。これには俘虜(捕虜のこと)を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるから、なるべく早くこの機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」、「これには銃殺より刺殺が効果的である」と訓示したと回想している。(『侵略の証言』)(出所:『日本軍兵士』)』、「私的制裁が古参兵にとってガス抜きの役割を果たしていた」、「この鬱屈とした激情が上官に向かって爆発すると、軍としては困る・・・そこで、「下」に向けて発散するのを容認する傾向がありました」、いわば公認の「いじめ」のようだ。
・『軍刑法に私的制裁の禁止条項なし  Q:軍法会議は機能していなかったのですか。 吉田:陸軍や海軍の刑法には、私的制裁を禁止する条項がありませんでした。 陸軍刑法に「陵虐の罪」の規定があります。しかし、これは、兵士を裸にして木にくくりつけるなど非常に極端な行為を対象にするもので、日常的に起こる私的制裁を対象にするものではありませんでした。 取り締まるとすれば、一般の刑法の「暴行及び傷害の罪等」を適用する。 確かに、初年兵28人に「全治数日間を要する顔面打撲傷」を与えた陸軍上等兵は刑法の傷害罪で懲役6カ月の有罪判決を受けています。この事件は初年兵の一人が自傷を試みたことによって発覚しました。 Q:かつて見た、「ア・フュー・グッドメン」という映画を思い出しました。トム・クルーズ氏が主演で、軍に勤める法務官。海軍の基地で、ジャック・ニコルソン氏演じる司令官が「コードR」(規律を乱す者への暴力的制裁)を命じて、若い兵士を死に至らしめる。法務官が法廷で大ばくちを打って、司令官を有罪に持ち込む、というストーリーです。この「コードR」に相当するものが、当時の日本の軍刑法には存在しなかったのですね。 吉田:軍法会議に関する研究は実は進んでいないのです。法務省が資料を保管し、公開してこなかったのが一因です。今は、国立公文書館に移管されたようですが。二・二六事件をめぐる軍法会議の資料が閲覧できるようになったのは敗戦後50年もたってからのことです。これから新たな研究が出てくるかもしれません』、「敗戦後50年もたってから」、漸く「二・二六事件をめぐる軍法会議の資料が閲覧できるようになった」、というのは余りの遅さに驚かされたが、今後の資料解明を期待したい。

第三に、上記の続きを、8月15日付け日経ビジネスオンライ「米中ソ3国と同時に戦う! また裂き状態だった旧日本軍の意思決定」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700040/?P=1
・『(前編はこちら)日本は産業力が伴わないにもかかわらず、対中戦争を戦いつつ、対米戦争に突入していった。それどころではない、ソ連を加えた3カ国と同時に戦う方針を二度までも立てようとした。その背景には、政府と陸海軍が統一戦略を立てるのを妨げる明治憲法の仕組みがあった。高橋是清はこれを是正すべく、参謀本部の 廃止を主張したが……。引き続き、吉田裕・一橋大学大学院特任教授に話を聞く  前編では、アジア・太平洋戦争中の日本軍が、その兵士をヒトとして扱っていなかった点について、伺いました。今回は、日本軍が総力戦*態勢を整えていなかった点についてお聞きします。 *:軍隊だけでなく、国の総力を挙げて実施する戦争。軍需物資を生産する産業力やそれを支える財政力、兵士の動員を支えるコミュニティーの力などが問われる  食糧の調達が十分でなく、多くの餓死者が出ました。そこから容易に想像がつくように、他の軍需工業品についても、供給力が伴っていませんでした。産業に、総力戦を支える力がなかった。例として、吉田さんは軍靴に注目されています。 雨のために凍死するものが続出した。軍靴の底が泥と水のために糸が切れてすっぽり抜けてしまい、はきかえた予備の新しい地下足袋もたちまち泥にすわれて底が抜けてしまった。そのために、はだしで歩いていた兵隊がやられてしまったのである。雨水が体中にしみわたり、山上の尾根伝いに、深夜はだしで行軍していたら、精神的肉体的疲労も加わって、訓練期間の短くて、こき使われることの最も激しい老補充兵が、倒れてしまうのも当然のことであろう。(『遥かなり大陸の戦野』)(略) 頑丈な軍靴を作るためには、縫糸は亜麻糸でなければならなかった。亜麻の繊維から作られる亜麻糸は細くて強靭であり、特に、陸海軍の軍靴のように有事の動員に備えて長く貯蔵しておく必要があるものは、「絶対にこの糸で縫うことが必要である」とされていた(『製麻』)。 しかし、亜麻は日本国内では冷涼な気候の北海道でしか栽培することができない。そのため、日中戦争が始まると軍の需要に生産が追い付かなくなった。北朝鮮や満州での栽培も試みられたが十分な成果をあげることができず、結局、品質の劣る亜麻の繊維まで使わざるをえなくなった。 (中略) 以上のように、こうした基礎的な産業面でも、日本はかなり早い段階から総力戦上の要請に応えられなくなっていたのである。 なぜ、このような準備不足のまま、アジア・太平洋戦争に突入したのでしょう。日中戦争については、意図せず戦線が拡大していった面があります。満州事変は、関東軍が勝手に始めたもの。時の若槻礼次郎内閣が意思決定して開始したわけではありません。日中戦争の火蓋を切った盧溝橋事件にしても偶発的に始まった。しかし、対米戦はそうとは言えません。真珠湾攻撃によって、こちらから仕掛けたわけですから。 吉田:おっしゃるとおりですね。対中戦争は国家意思に基づいて始めたものではありません。盧溝橋事件も、偶発的に始まったことが最近の研究で明らかになっています。他方、対米戦は4度の御前会議を経たのち、閣議決定して開戦しました。』、「雨のために凍死するものが続出した。軍靴の底が泥と水のために糸が切れてすっぽり抜けてしまい、はきかえた予備の新しい地下足袋もたちまち泥にすわれて底が抜けてしまった」、というのでは、もはや戦争どころではない。確かに「総力戦*態勢を整えていなかった」ようだ。
・『統一した意思決定ができない明治憲法  Q:盧溝橋事件(1937年)によって日中戦争が始まる前の1935年に、陸軍で軍務局長を務めていた永田鉄山が刺殺されました。総力戦をにらみ、それに耐える国家体制を作るべく様々な構想を練っていた戦略家です。彼が生き続けていたら、その後の展開は違ったものになっていたでしょうか。 吉田:そういう考えは、あり得ます。彼は非常に優秀な軍事官僚で、重要人物です。しかし、彼一人で状況を変えることができたかは判断がつかないところです。私は、より大きなシステム上の問題があると考えています。 Q:システム上の問題とは? 吉田:明治憲法です。これが定める統治構造は分散的で、総力戦を戦うのに必要な統一的な意思決定をするのに不向きでした。さまざまな決定が折衷案もしくは両論併記になってしまうのです。 例えば、陸軍は対ソ戦をにらみ北進を主張する。海軍は石油をはじめとする東南アジアの資源を求めて南進を主張する。すると、結論は「南北併進」になってしまうのです。1941年7月に開かれた御前会議はこのような決定をくだしました。 さらに言えば、南北併進に基づく決定をしながら、政府は米国との外交交渉を継続するのです。戦争の準備をすれば日米関係は悪化します。外交交渉は進まない。つまり、その場しのぎの決定しかできず、それが悪循環を引き起こしたのです。陸海軍の間に統一戦略はない。政府と軍も進む方向が異なる。三つどもえの状態に陥っていました。 Q:明治憲法のどこに問題があったのですか。 吉田:いわゆる統帥権*の独立ですね。 *:作戦・用兵に関する命令。陸軍の統帥部として参謀本部が、海軍の統帥部として軍令部があった。それぞれのトップは参謀総長と軍令部長 総力戦を戦うのであれば、本来なら、国務(政府)と統帥(軍)が統一した戦略をもって臨む必要があります。しかし、これはなかなか実現しませんでした。 「国家機関の分立制」「政治権力の多元性」といわれる仕組みを採用していたからです。「統帥権の独立」を盾に、軍は政府の外に立つ。軍の中でも陸軍省と海軍省が分立している。軍令*については陸軍の参謀本部と海軍の軍令部が分立している。政府においても、各国務大臣は担当分野についてそれぞれが天皇を輔弼(ほひつ、補佐)する仕組み。各国務大臣の権限が強く、首相の権限は弱かったわけです。 Q:明治憲法は、なぜ「国家機関の分立制」を採ったのですか。 吉田:同憲法の起草者たちが政党勢力を恐れたからです。政党が議会と内閣を制覇し、天皇大権が空洞化して、天皇の地位が空位化することを恐れた。 総力戦を戦うならば、明治憲法を改正しこれを改める必要があったと思います』、「明治憲法」が「「国家機関の分立制」を採った」のは、「起草者たちが政党勢力を恐れたからです。政党が議会と内閣を制覇し、天皇大権が空洞化して、天皇の地位が空位化することを恐れた」、「天皇大権」維持のために「総力戦を戦う」のに不向きな体制を取ったようだ。
・『高橋是清が主張した参謀本部の廃止  Q:総力戦をにらんで、憲法を改正しようという具体的な動きがあったのですか。 吉田:首相や蔵相を務めた高橋是清が1920年に参謀本部廃止論を唱えています。この軍事上の機関が内閣のコントロールから独立して、軍事、外交、経済の面で影響力を及ぼしている、とみなしていました。陸軍大臣や海軍大臣の統制に服していた参謀総長や軍令部長が、だんだんそれを逸脱するようになってきたのです。 首相に在任中だった原敬も、「何分にも参謀本部は山県(有朋)の後援にて今に時勢を悟らず。元来先帝(明治天皇)の御時代とは全く異りたる今日なれば、統率権云々を振廻すは前途のため危険なり。(中略)参謀本部辺りの軍人はこの点を解せず、ややもすれば皇室を担ぎ出して政界に臨まんとす。誤れるの甚だしきものなり(下略)」(『原敬日記』)として参謀本部に批判的でした。 ただし、憲法改正までは言っていません。明治憲法は欽定憲法(天皇が国民に下賜した憲法)なので、「欠陥がある」とは言い出しにくいのです。もちろん、明治憲法も改憲の手続きを定めてはいたのですが。 参謀本部や軍令部は明治憲法が規定する機関ではありません。これらは、そもそも統帥権をつかさどる機関として設置されたのではありません。最初は、政治(政府)の影響力が軍に及ぶのを遮断する役割でした。明治の初期は、政治家であり軍人である西郷隆盛のような人が力を持っていました。そうすると、軍が政争に巻き込まれる可能性が生じます。それを避けようとしたのです。 統帥権の独立と言うけれど、明治憲法のどこにもそのような規定はありません。内閣が担う輔弼の役割の範囲外と書かれてはいないのです。そうではあるけれども、既成事実の積み上げによって、政治や社会が容認するところとなった。戦前の日本にはシビリアンコントロールが根付かなかったですし。内閣には常に陸海軍大臣という軍人の大臣がいたので、純粋なシビリアンの内閣は存在しませんでした。 そして、ある段階から、軍が自分の要求を通すための口実として統帥権を利用するようになったのです。ロンドン海軍軍縮条約(1930年に締結)あたりからですね。それに、政党も乗じるようになりました。 Q:当時、政友会の衆院議員だった鳩山一郎が、同条約の調印は統帥権の干犯だとして、時の浜口雄幸内閣を糾弾しました。 吉田:そうですね。 Q:高橋是清と原敬はどちらも政友会を率いて首相を務めました。政友会は親軍的なイメージがありますが、そうではないのですね。 吉田:ええ、少なくとも1920年代は親軍的ではありませんでした』、「参謀本部や軍令部は明治憲法が規定する機関ではありません。これらは、そもそも統帥権をつかさどる機関として設置されたのではありません。最初は、政治(政府)の影響力が軍に及ぶのを遮断する役割でした」、「ある段階から、軍が自分の要求を通すための口実として統帥権を利用するようになったのです」、問題は「明治憲法」だけでなく、慣習にもありそうだ。
・『日中、日米、日ソの3正面で戦う  Q:ここまでご説明いただいたような事情で、戦前・戦中の日本はずっと統一した意思決定ができなかった。 吉田:はい。そのため、1941年ごろには、3正面作戦を戦おうとしていました。なし崩し的に始まった日中戦争が泥沼化し、1941年12月には対米戦争が始まる時期です。 1941年6月に独ソ戦が始まると、陸軍はこれを好機ととらえ、対ソ戦を改めて検討し始めました。ドイツと共にソ連を東西から挟み撃ちにしようと考えたわけです。関東軍が満州で特種演習(関特演)を行ったのはこの文脈においてです。 この時、兵力はもちろん、大量の物資を満州に集積しました。「建軍以来の大動員」を言われる大きな動きでした。つまり、日露戦争よりも大規模な部隊を配備したわけです。しかし、予想に反してソ連が踏ん張り、極東に配備していた戦力を欧州戦線に移動しなかったので、対ソ戦は実現しませんでした。動員した兵力と物資は無駄になり、その後、ソ連とのにらみ合いに終始することになったわけです。 Q:ゾルゲ事件はこのころの話ですか。駐日ドイツ大使館員をカバーに利用していたソ連のスパイ、ゾルゲが、「日本が対ソ戦を始めることはない」との情報を得て、ソ連に通報。スターリンはこの情報を元に、対独戦に集中した、といわれています。 吉田:この頃の話ですね。ただし、スターリンはゾルゲがもたらした情報をさして重視しなかったといわれています。 Q:対中、対米、対ソ戦を同時に戦う。後知恵ではありますが、無謀に聞こえますね。 吉田:その通りですね。しかも、1942年の春ごろ、陸軍は再び対ソ戦を考えるのです。マレーシアを落とし、フィリピンを占領して、初期作戦を予定通り終えたことから、南方は持久戦に持ち込み、対ソ戦を始めようと考えた。満州に配置された関東軍の規模がピークを迎えるのはこの頃です。 同じ時期に海軍は、ミッドウェーやソロモン諸島に戦線を拡大します。米国の戦意をそぐのが目的でした。いずれも失敗に終わりますが。 初期作戦が終了した後も、陸海軍で統一した戦略がなかったわけです。陸海軍が統一した軍事戦略をようやく作ることができたのは1945年初頭のこと。本土決戦を前にしてのことでした』、「対ソ戦」を「独ソ戦が始まると、陸軍はこれを好機ととらえ、対ソ戦を改めて検討し始めました」、「1942年の春ごろ」と2度にわたって検討したというのでは、ソ連の対日参戦を批判する資格はなさそうだ。「陸海軍が統一した軍事戦略をようやく作ることができたのは1945年初頭」、日本は敗けるべくして敗けたようだ。
・『日露戦争時の「勝利の方程式」から抜け出せなかった  Q:陸軍がなぜそれほど対ソ戦にこだわったのか、また海軍はなぜマリアナ諸島やソロモン諸島のような遠くにまで戦線を拡大したのか、素人には理解できないところです。 吉田:日露戦争の時から続くロシア、ソ連の脅威が陸軍の頭から離れなかったのでしょう。加えて、満州事変のあと満州国を建国し、ソ連と国境を直接接するようになったことが大きい。しかも、ソ連の部隊増強ペースはかなり速かったのです。 Q:満州というソ連との緩衝地帯を自ら無くしておいて、その脅威におびえるとのいうのは、皮肉な話です。 吉田:その通りですね。 海軍も日露戦争の成功体験から逃れることができませんでした。海軍の基本的な考えは、日本海海戦*のような艦隊決戦で決着をつけること。そのため、太平洋を西進する米艦隊の戦力を、「漸減邀撃(ぜんげんようげき)」してそいでいく。具体的には、第1陣は潜水艦部隊、第2陣は一式陸上攻撃機を使った空爆、第3陣は魚雷を積んだ軽巡洋艦です。この一式陸上攻撃機の基地がマリアナ諸島のサイパンなどに置かれていました。 *:東郷平八郎司令官が率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を破った海戦 そして、艦隊の規模が同等になったところで、西太平洋で艦隊決戦を挑む。そのために巨大な戦艦「大和」や「武蔵」を建造したわけです。 しかし、艦隊決戦は対米戦争の最後まで行われることはありませんでした。マリアナ沖海戦は、空母を中心とする機動部隊同士の戦いになりました。ミッドウェー海戦も機動部隊が前衛を構成し、大和は後ろに控えているだけでした。燃料の石油を食いつぶしただけです。むしろ、空母を戦艦が守るかたちで布陣すべきでした。 ソロモン諸島の基地は、米国とオーストラリアを結ぶシーレーンを遮断する役割を担っていました。 前編で、陸軍は「白兵戦によって勝った」という“神話”ができたお話をしました。陸軍も海軍も、日露戦争の総括が甘かったのです』、「総括が甘かった」のは、「日露戦争」に限らず、太平洋戦争についてもいえるようだ。それにしても、安倍首相の戦前の日本美化は、これらの「総括」をしてないからこそなのではなかろうか。
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歴史問題(8)(アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること、暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略) [世界情勢]

歴史問題については、昨年8月20日に取上げた。久しぶりの今日は、(8)(アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること、暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略)である。特に、後者はこれまでの常識を覆すものなので、必読である。

先ずは、作家の橘玲氏が昨年12月14日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること[橘玲の世界投資見聞録]」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188512
・『ポーランド、クラクフ郊外のアウシュヴィッツ、ベルリン郊外のザクセンハウゼン、ミュンヘン郊外のダッハウ、プラハ郊外のテレジーンの強制収容所を訪れて、ホロコーストについてはなんとなくわかったつもりになっていた。だがアメリカの歴史家ティモシー・スナイダー(イェール大学教授)は、『ブラックアース ホロコーストの歴史と警告』(慶應義塾大学出版会)で、「アウシュヴィッツがずっと記憶されてきたのに対し、ホロコーストのほとんどは概ね忘れ去られている」という。アウシュヴィッツを「見学」したくらいでは、20世紀のこの驚くべき出来事の全貌はほとんどわからないのだ』、私の知識も浅いので、この記事で勉強したい。
・『アウシュヴィッツだけが強制収容所と絶滅収容所が共存していた   「ガス室はなかった」とホロコーストを否認する「陰謀論者」の系譜は、映画『否定と肯定』のモデルとなったアメリカのホロコースト研究者デボラ・E・リップシュタットが詳細に検討している。 [参考記事]●ヨーロッパだけでなくアメリカにも賛同者がいるホロコースト否定論の根拠とは? そこでも述べられているが、ホロコースト研究の初期には「強制収容所」と「絶滅収容所」は区別されていなかった。 絶滅収容所はヘイムノ、ルブリン、ソボビル、トレブリンカ(以上、ポーランド)とベウジェツ(ウクライナ)の収容所で、第二次世界大戦の独ソ戦においてドイツ軍のモスクワへの電撃侵攻作戦が失敗し、長期戦の様相を呈した1941年末から建設が始められた。これらの収容施設の目的は端的に「ユダヤ人を絶滅させること」で、そこに送られたユダヤ人は生き延びていないから証言者もいない。 それに対してザクセンハウゼンやダッハウなどドイツ国内の強制収容所は、戦場に送られたドイツの成人男性の代わりにユダヤ人や共産主義者などを使役するための施設で、劣悪な環境から大量の死者を出したとしても、その目的はあくまでも労働だった。 そのなかでアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だけは、労働を目的とするアウシュヴィッツ(第一収容所)と、絶滅収容所としてつくられたビルケナウ(第二収容所)が併存していた。アウシュヴィッツの入口に掲げられた有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の標語はナチスの「皮肉」ではなく、そこが強制労働施設だったからだ。 「死の収容所」アウシュヴィッツからの生存者の多くは労働要員で、ガス室の存在は伝聞でしか知らなかった。なかには「ゾンダーコマンド(労働部隊)」としてガス室や焼却施設で死体処理に従事したユダヤ人もいたが、彼らは秘密保持のために数カ月でガス室に送られ生存者はきわめて少ない。――その貴重な証言として、ギリシアのユダヤ人(セファルディム)で戦争末期にアウシュヴィッツに送られ、奇跡的に生き残ったシュロモ・ヴェネツィアの『私はガス室の「特殊任務」をしていた』 (河出文庫)がある。 戦後、ホロコーストについての見解が混乱した理由に、絶滅収容所がソ連支配下の東欧圏にあり、研究者が収容所跡を検証したり、資料を閲覧できなったことがある。ソ連の公式見解では、大祖国戦争(独ソ戦)はファシストと共産主義者の戦いで、ナチスが虐殺したのは共産主義者であってユダヤ人ではなかった。ソ連がホロコーストを認めなかった背景には、ヒトラーに先んじたスターリンによる虐殺を隠蔽する目的もあった。 アウシュヴィッツというと、フランクルの名著『夜と霧』のように、人間性を根こそぎ否定される過酷な状況から「生還」した物語を思い浮かべるだろうが、絶滅収容所に送られた者たちはそもそも「生還」できなかった。これが、「アウシュヴィッツはホロコーストを矮小化している」という第一の理由だが、スナイダーの批判はこれにとどまらない。彼は、「(絶滅収容所を含め)強制収容所を強調することがホロコーストを矮小化している」というのだ』、強制収容所と絶滅収容所の違いがよく理解できた。「アウシュヴィッツの入口に掲げられた有名な「ARBEIT MACHT FREI」の標語はナチスの「皮肉」ではなく、そこが強制労働施設だったからだ」、でこれまでの疑問も解けた。「ソ連の公式見解では、大祖国戦争(独ソ戦)はファシストと共産主義者の戦いで、ナチスが虐殺したのは共産主義者であってユダヤ人ではなかった」、というのは戦勝国によるなりふり構わない歴史捏造だ。
・『2600万人というとてつもない死者を出した「血まみれの土地」  これまで第二次世界大戦の歴史を書く者は、英語、ドイツ語、フランス語にせいぜいロシア語を扱える程度だった。だが1969年生まれのスナイダーは、東欧史を専門としパリ、ウィーン、ワルシャワなどで研究活動の従事するなかでポーランド語やウクライナ語などを学び、ヨーロッパの言語のうち5カ国語を話し、10カ国語を読むことができるようになった。 こうした語学の知識を活かし、これまで研究者が容易にアクセスできなかった東欧圏の歴史資料を渉猟したうえで、スナイダーは『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』(筑摩書房)を書き、20世紀の最大の悲劇はポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ロシア西部など、これまでほとんど注目されてこなかった地域で起きたと述べた。これらの地域が「ブラッドランド(血まみれの土地)」だ。 ブラッドランドはまず、スターリンがソ連国内の「植民地化」を進めるなかで飢餓に襲われ、1930年代はじめにはウクライナを中心に500万人以上の餓死者を出した。その後、スターリンが自らの失政を正当化するためにこれを「敵」の陰謀だとしたために大規模な粛清が始まり、1937年から38年の「大テロル」では70万人ちかい人々が処刑されたとされる。 1939年8月に独ソ不可侵条約が結ばれるとポーランドは分割され、ドイツ領でもソ連領でも抵抗運動を組織する可能性がある教養層を中心に20万人のポーランド国民が殺害された。この時期、ドイツとソ連はポーランド人100万人の強制移住を行ない、ドイツはさらにポーランド内のユダヤ人をゲットーに隔離した。 1941年6月にドイツが同盟を破棄してソ連に侵攻したあとは虐殺の範囲はさらに拡大し、ドイツ占領下のベラルーシではソ連が支援するパルチザンへの報復として女性や子どもを含む30万人以上が殺された。独ソ戦においては、包囲されたレニングラードで100万人が故意に餓死させられ、ソヴィエト人の捕虜300万人以上が飢えと放置により死亡した。 1941年後半に戦局が停滞すると、ヒトラーはユダヤ人をヨーロッパから排除するための「最終解決」に踏み切った。当初は親衛隊の特別行動部隊(アインザッツグルッペン)や、占領下ソ連のパトロールを任務としていたドイツ秩序警察の警察大隊がユダヤ人を狩り出して銃殺していたが、やがて一酸化炭素で窒息死させるガス車が使われるようになり、最終的にはシアン化水素を使ったガス室と大規模な焼却施設を備えた絶滅収容所がつくられた。こうして1945年までに、占領下のソ連、ポーランド、バルト諸国でユダヤ人およそ540万人が銃殺またはガス殺されたのだが、これはブラッドランドの死亡者の一部で、1930年代からのわずか15年間でこの地域では一般市民1400万人が生命を落としたとされる。これに独ソ戦の戦死者1200万人を加えると、死者の総数は2600万人というとてつもない数になる。まさに「血まみれの土地」と呼ぶ以外形容のしようがない惨劇が起きたのだ。 スナイダーはこうした歴史的事実を膨大な資料によって検証していくが、しかしこれは政治的にはきわめて微妙な主張でもあった。ブラッドランドを生み出したのはヒトラーとスターリンだが、戦後のドイツにおいてこの両者を比較することは「ホロコーストという唯一無二の民族の悲劇を相対化する」右翼/極右の歴史修正主義とされてきたのだ。 [参考記事]●愛国を謳うドイツのリベラルと愛国を嫌悪する日本のリベラル スナイダーが『ブラッドランド』につづいて、ホロコーストのみをテーマとした『ブラックアース』を書いたのは、この誤解に応える意味もあったのだろう』、「ブラッドランド」とは言い得て妙だ。「ブラッドランドを生み出したのはヒトラーとスターリンだが、戦後のドイツにおいてこの両者を比較することは「ホロコーストという唯一無二の民族の悲劇を相対化する」右翼/極右の歴史修正主義とされてきた」、というのは確かに微妙な問題だ。
・『「アウシュヴィッツはドイツ人を免責している」  スナイダーは『ブラックアース』で、きわめて過激な主張をする。ドイツ国内でアウシュヴィッツが強調されるのは、自らの罪を反省するのではなく矮小化するためだというのだ。ここは重要な部分なので、すこし長くなるが全文引用しよう。 第二次世界大戦後、ドイツにとってアウシュヴィッツは、なされた悪の実際の規模を著しく小さなものに見せるので、比較的扱いやすい象徴であり続けている。アウシュヴィッツをホロコーストと合体させてしまうのは、「それが起きているとき、ヨーロッパ・ユダヤ人の大量殺戮をドイツ人は知らなかった」というグロテスクな主張をまことしやかなものとした。ドイツ人の中にはアウシュヴィッツで起きていることを正確には知らなかった者もいた可能性はある。多くのドイツ人がユダヤ人の大量殺戮を知らなかったという可能性は、これはありえない。ユダヤ人の大量殺戮は、アウシュヴィッツは死の施設になるずっと前から、ドイツでは知られていたし議論されていた。少なくとも家族や友人の間では語られていた。何万ものドイツ軍が3年にわたって何百という死の穴のうえで何百万というユダヤ人を射殺していた東方では、ほとんどの者たちは何が起きているのかを知っていた。何十万ものドイツ人が殺戮を実際に目の当たりにしたし、東部戦線の何百万ものドイツ人将兵がそれを知っていた。戦時中、妻やなんと子どもたちまで殺戮現場を訪れていたし、兵士や警察官はもとよりだが、ドイツ人は時に写真付きで家族に詳細を書き綴った手紙を送った。ドイツの家庭は、殺害されたユダヤ人からの略奪品で豊かになった。それは何百万例というのではきかなかった。略奪品は郵便で送られたり、休暇で帰省する兵士や警察官によって持ち帰られた。 同様の理由から、アウシュヴィッツは、戦後のソ連、今日の共産主義国家崩壊後のロシアでも、都合の良い象徴だった。仮にホロコーストがアウシュヴィッツに収斂するならば、ドイツによるユダヤ人大量殺戮が、実はソ連が直前まで占領していた場所で始まったことを容易に忘れられるからだ。また、ソ連西部の誰もがユダヤ人大量殺戮のことを知っていたが、それはドイツ人が知っていたのと同じ理由からだった。すなわち東方での大量殺戮の手法は、何万人も参加させる必要があったし、何十万人にも目撃されていた。ドイツ軍は去って行ったが、死の穴はそのまま残された。仮にホロコーストがアウシュヴィッツのみと重ね合わされるなら、こうした経緯もまた歴史や記念式典から除外しうるというわけである。 同名の映画も公開されて話題となったブルンヒルデ・ポムゼル、トーレ・D. ハンゼン『ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白』(紀伊國屋書店)では、戦時中に宣伝省に勤務していた103歳の女性が、驚くべき記憶力と明晰な論理で「なにも知らなかった。私に罪はない」と断言して衝撃を与えた。だがこれも、「アウシュヴィッツに移送されたユダヤ人がガス殺されていたことは知らなかった」という意味で、そこにウソはないのだろうが、だからといって「なにも」知らないということにはならない。こうしてスナイダーは、「アウシュヴィッツはドイツ人を免責している」と批判するのだ』、「ドイツにとってアウシュヴィッツは、なされた悪の実際の規模を著しく小さなものに見せるので、比較的扱いやすい象徴であり続けている。アウシュヴィッツをホロコーストと合体させてしまうのは、「それが起きているとき、ヨーロッパ・ユダヤ人の大量殺戮をドイツ人は知らなかった」というグロテスクな主張をまことしやかなものとした」、「アウシュヴィッツは、戦後のソ連、今日の共産主義国家崩壊後のロシアでも、都合の良い象徴だった」、などは意外だが、説得力がある。「ドイツの家庭は、殺害されたユダヤ人からの略奪品で豊かになった。それは何百万例というのではきかなかった。略奪品は郵便で送られたり、休暇で帰省する兵士や警察官によって持ち帰られた」、というのも大いにあり得る話だ。
・『ドイツのユダヤ人をわざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由  ブラッドランドではなぜ、想像を絶するような惨劇が可能になったのだろうか。それをスナイダーは、国家(主権)が破壊されたからだという。 ヒトラーがユダヤ人の「絶滅」を望んでいたことはまちがいないが、だとしたらなぜ、遠く離れたポーランドまで彼らを移送しなければならなかったのか? ナチスが合理的に「最終解決」を進めていたとすれば、もっとも効率的なのはザクセンハウゼンやダッハウのような大都市近郊の収容所にガス室をつくることだろう。 しかしナチス幹部にこうした方法を検討した形跡はみられない(ダッハウにはシャワー室に偽装したガス室がつくられたが、それは稼働していないとされている)。スナイダーによれば、それはナチス統治時代ですらドイツは主権国家であり、法と官僚制が機能していたからだ。 ドイツ国内のユダヤ人の資産を没収し強制収容所に送るには、こうした行政措置を正当化する法と、その法を実施する官僚機構が必要だった。強制収容所のユダヤ人(彼らはドイツ国民=市民でもあった)をガス殺するには、同様にそれを正当化する立法が必要になる。主権国家は法によって統治されているのであり、ナチスは自分たちに都合のいい法律をつくることはできただろうが、「統治者」である以上、無法行為を行なうことはできなかった。なんの罪もない自国の市民をガス室で殺害するのは無法行為以外のなにものでもなく、そのための法律などつくれるはずがなかったのだ。 ところがこのとき、ナチスドイツには都合のいい領土があった。新たに獲得した東欧圏(ブラッドランド)で、そこでは国家の主権が破壊されているので法にしばられることなく、どのようなことも「超法規的」に行なうことができた。これが、ドイツのユダヤ人を国内の収容所ではなく、わざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由だ。 このことをスナイダーは、エストニアとデンマークという2つの国の比較で説明する。どちらもバルト海沿岸の小国だが、両国のユダヤ人の運命は大きく異なっていた。エストニアでは、ドイツ軍がやってきたとき(1941年7月)に居住していたユダヤ人の99%が殺害されたのに対し、デンマークでは市民権をもつユダヤ人の99%が生き延びたのだ。 だがこれは、デンマークが民主的で、エストニアに反ユダヤ主義が跋扈していたからではない。戦前はデンマークの方がユダヤ人に対する差別が厳しく、1935年以降はユダヤ難民を追い出していた。それに対してエストニアは保守的な独裁政権だったがユダヤ人は共和国の平等な市民とされ、オーストリアやドイツからのユダヤ人難民を引き受けてもいたのだ。 だとしたらなぜ、これほど極端なちがいが生じるのか。 その理由をスナイダーは、エストニアがリトアニアやラトヴィアとともに1940年にソ連に占領されたあと、ドイツの占領下に入ったからだという。この「二重の占領」によって、エストニアの主権(統治機構)は徹底的に破壊されてしまった。 それに対してデンマークはソ連と国境を接しておらず、1940年4月にドイツに占領されたあとも一定の範囲で主権が認められていた。デンマークに求められていたのは食糧の供給で、ナチスには国家を破壊する理由はなかった。 独ソ戦が膠着状態に陥ると、デンマーク政府とナチスドイツとの蜜月関係にひびが入りはじめる。アメリカなど連合国は1942年12月には「ドイツによるユダヤ人殺害に協力した者は戦後になって由々しい結果に向き合うことになろう」との警告を発していた。ナチスがユダヤ人の「最終解決」に踏み切った頃には、デンマーク政府にはそれに協力しないじゅうぶんな理由があったのだ』、「新たに獲得した東欧圏(ブラッドランド)で、そこでは国家の主権が破壊されているので法にしばられることなく、どのようなことも「超法規的」に行なうことができた。これが、ドイツのユダヤ人を国内の収容所ではなく、わざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由だ」、ナチスといえどもドイツ国内では「法にしばられ」ていたというのは、興味深い指摘だ。ドイツ国民の目も意識していたのだろう。
・『ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、ユダヤ人が根こそぎ殺戮されていった理由  ブラッドランドでいったい何が起きたのか? じつはそこに異常なことはなにひとつなく、ひとびとは生き延びるために合理的に行動しただけだ。スナイダーの説明を単純化すれば、次のようになるだろう。 あなたは村の一員として、貧しいながらもそれなりの暮らしができていた。村には大きな屋敷に住む金持ちと、何人かのユダヤ人がいた。 その村がある日突然、ソ連の占領下に入ることになる。ソ連軍とともにオルグにやってきた共産党員によれば、この世界は革命(善)と反革命(悪)の対立で、善を担うのは労働者、理想世界の実現を阻むのは資本家だ。だからこそ、敵である資本家(金持ち)を殲滅しなければならない。 この奇怪なイデオロギーを聞いたあなたは、突如として大きな幸運を手にしたことに気づく。あなたは貧しいのだから、労働者(善)にちがいない。それに対して資本家(悪)は誰かというと、村でいちばんの金持ち以外にいない。この資本家をソ連軍(共産党)に売り渡し、ラーゲリ(収容所)送りにしてしまえば、労せずして土地や屋敷が手に入るのだ。 外国(エイリアン)による占領という極限状況であなたが生き延びようとすれば、真っ先に共産党に入党し、「革命」に協力して「資本家」を打倒し、すこしでも富を獲得しようとするだろう。 ところが1年もたたないうちに、あなたの村はこんどはナチスドイツの占領下に入ることになる。彼らは共産主義者を敵としていたが、より奇怪なイデオロギーを奉じていた。ナチスによれば、世界はアーリア民族(善)とユダヤ人(悪)の対立で、共産主義者(敵)とはユダヤ人のことなのだ。 あなたが共産党員であることがわかれば、せっかく手に入れた土地や屋敷を手放さなければならないばかりか、強制収容所に送られるか、場合によっては銃殺されるかもしれない。あなたが救われる道はたったひとつしかない。それは、村のユダヤ人を共産主義者としてナチスに売り渡すことだ。 このようにして、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国など、ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、そしてユダヤ人が根こそぎ殺戮されていった。 スナイダーが強調するのは、ジェノサイドはファシズムという「絶対悪」が単独で行なったわけではないということだ。主権(統治)が崩壊したなかで、ひとびとが生き残るためにどんなことでもやる極限状況が生まれると、そこから「絶対悪」が立ち現われてくる。 これは、誰が正しくて誰が間違っているという話ではない。こうした極限状況に置かれれば、ごく少数の例外を除いて、あなたも、もちろん私も、生き延びるためにジェノサイドに加担するのだ』、「ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国など、ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、そしてユダヤ人が根こそぎ殺戮されていった」、「極限状況に置かれれば、ごく少数の例外を除いて、あなたも、もちろん私も、生き延びるためにジェノサイドに加担するのだ」、などは「ブラッドランド」の悲劇の背景を的確に指摘したもので、大変興味深い。

次に、1月27日付けNHK BS1スペシャル「暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略」のポイントを紹介しよう。なお、Youtubeでの全編版は以下
https://www.youtube.com/watch?v=C_dHF8-uvYY
・『原爆は米国が単独で開発した…そんな通説が塗り替えられようとしている。英国首相チャーチルがヒトラー率いるナチスドイツに対抗するため自国の科学者を米国に送り込み、原爆を完成に導いていたのだ。しかし、スターリン率いるソビエトも原爆開発を急ぐためスパイを英国に送り機密情報を盗んでいた。そして、原爆をめぐる英米ソの思惑は「ポツダム会談」で衝突する。原爆投下の裏側で何が起きていたのか?秘められた核戦略を追う』、英国が原爆開発に裏で大きな力を発揮していたとは、驚いた。
・『第1章 原爆をめぐるドイツVS英国  ヒットラーは開戦前から原爆開発計画。米国に亡命したアインシュタインらはルーズベルトに対抗して原爆開発するよう提言。しかし、米国は原爆は大き過ぎて実用にならないと冷淡。英国では亡命した科学者がウラン238だけに濃縮すれば飛行機で運べるほど小型化可能になるとした。チャーチルは単なる理論を現実に変えたと気付き、チューブ・アロイズ計画。科学者はユダヤ系中心に50名。しかし、ドイツによる空襲が障害に。米国に伝えたところ、ルーズベルトも政策転換、チャーチルと共同研究で合意。真珠湾攻撃で米国も参戦、チャーチルは米国でルーズベルトに成果を交換し合うことを提案。ノルウェーにあるドイツの重水(核分裂の連鎖反応を加速)製造工場を破壊。米国でも英国の協力で研究が加速。1942.12、シカゴ大に実験用原子炉建設し、ウラン238からプルトニウムを作り出す。しかし、米国顧問のブッシュは英国に情報渡すことに抵抗、独占しようとした』、当初、消極的だった米国に、濃縮での小型化のアイデアで政策転換させたとは、主役は英国だったことになる。「米国顧問のブッシュは英国に情報渡すことに抵抗、独占しようとした」、米英間でもこのようなことがあるとは、驚きだが、画期的新兵器はやはり「独占」したいもののようだ。
・『第2章 核の独占  チャーチルはブッシュを英国に呼びつけ、英国は独自に開発すると伝えた。カナダに米国の協力なしで原爆工場を建設、モントリオール大に重水を運び込む。ルーズベルトは、英国を追い詰めると、戦後も必要になる同盟関係を壊すとして、情報交換を再開。カナダで米英首脳会談で秘密協定(ケベック協定)。第二条では「互いの合意なしに第三国に使用しない」と、投下の決定権に対等の地位。米国のロスアラモスに全米から6000人の科学者が集められたが、若い人間が多く、英国が派遣したのはベテランが多かった。爆縮の仕組みは英国の科学者フックスら2人のアイデア、均質に爆縮させるためにレンズを使う。当初の敵はドイツだったが、やがてソ連に。スラーリングラードの戦いで、ドイツは劣勢に。ソ連は1942.2に原爆開発を決定』、この段階でも実質的にリードしたのは英国だったようだ。
・『第3章 新たな脅威 スターリンVSチャーチル  ソ連はチャーチルが原爆を持てば、ソ連に使うと危惧。スパイが英米の原爆開発情報を流していた。特に、フックスはドイツ共産党員で英国に亡命、原爆開発の最高機密を流していた。「フックスは全てをファシズムとの戦いと捉え、一国の手に留まるのは危険と考えていた」(フックスの甥)。チャーチルもソ連が原爆開発を進めているだろうと危惧。1944にはドイツの敗色が濃厚に。チャーチルは原爆開発競争でソ連を勝たせてはならないとしたが、ルーズベルトは戦後もソ連との協調が必要と考えていた。デンマークの物理学者ニールス・ボーアは、核の国際管理のため、米英ソで技術を共有、開発競争をなくそうとした。ルーズベルトはボーアにチャーチルを説得するよう依頼したが、チャーチルはボーアをソ連のスパイと疑い、ルーズベルトにソ連に情報を流さないよう協定』、「核の国際管理」をチャーチルが潰したとは、かえすがえすも残念だ。
・『第5章 投下への道程  9月のハイドパーク協定では、日本に使用することを視野に。ヤルタ密約でソ連参戦、千島の領有権。2か月後、ルーズベルト急死。トルーマンは反ソ。ドイツ降伏後も、チャーチルはまだ日本が降伏しておらず、ソ連が新たな脅威として、目標選定委員会で、原爆の威力を世界に示すには、被害への恐怖が大きいほど抑止力になると主張。ある高度で爆発させると、地上からの反射波と重なって威力が増大。空襲被害が少ない広島、長崎が候補に。ソ連はスパイ情報で実験があることを察知。スターリンは対日参戦を急ぐ。チャーチルは日本への投下に同意、ソ連の参戦前に使用したい。ソ連は原爆投下前に参戦したい。ポツダム会談で、ソ連は日本の天皇から和平への働きかけの依頼があったことを明かしたが、参戦。実験成功でソ連の参戦は不要になり、米英の出方は強気に。トルーマンはスターリンに新兵器を入手したと脅したが、既に知っていたスターリンは冷静、対日参戦の予定を繰り上げた。7/26ポツダム宣言、8/6広島原爆投下、8/9ソ連参戦・長崎原爆投下、8/10にトルーマンは米兵の命を救うため原爆投下と宣言。8/15終戦
・『第6章 終わりのないXX  1946 トルーマンはマクマホン法で原爆技術の海外移転を禁止。1949ソ連原爆実験、1952米国水爆実験、1953ソ連水爆実験。フックスは自白し英国で裁判、9年の服役後、ドイツに。戦後のソ連の東欧支配に疑問を感じた。英国は独自の核開発。核の軍拡競争の責任はチャーチルに』、核の米英による独占を阻止したフックスは、「核による恐怖の均衡」を作り出したが、米英が独占していれば、核兵器のソ連への使用もあり得たと考えれば、正しいことをしたのかも知れない。いずれにしろ、これまでの常識を覆すいい番組だった。
タグ:橘玲 強制収容所 絶滅収容所 ダイヤモンド・オンライン 歴史問題 ポツダム会談 (8)(アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること、暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略) 「アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること[橘玲の世界投資見聞録]」 家ティモシー・スナイダー 『ブラックアース ホロコーストの歴史と警告』(慶應義塾大学出版会) 「アウシュヴィッツがずっと記憶されてきたのに対し、ホロコーストのほとんどは概ね忘れ去られている」 アウシュヴィッツだけが強制収容所と絶滅収容所が共存していた 絶滅収容所はヘイムノ、ルブリン、ソボビル、トレブリンカ(以上、ポーランド)とベウジェツ(ウクライナ)の収容所で、第二次世界大戦の独ソ戦においてドイツ軍のモスクワへの電撃侵攻作戦が失敗し、長期戦の様相を呈した1941年末から建設が始められた。 そこに送られたユダヤ人は生き延びていないから証言者もいない アウシュヴィッツの入口に掲げられた有名な「ARBEIT MACHT FREI 絶滅収容所がソ連支配下の東欧圏にあり、研究者が収容所跡を検証したり、資料を閲覧できなったことがある。ソ連の公式見解では、大祖国戦争(独ソ戦)はファシストと共産主義者の戦いで、ナチスが虐殺したのは共産主義者であってユダヤ人ではなかった 2600万人というとてつもない死者を出した「血まみれの土地」 20世紀の最大の悲劇はポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ロシア西部など、これまでほとんど注目されてこなかった地域で起きたと述べた。これらの地域が「ブラッドランド(血まみれの土地)」だ 占領下のソ連、ポーランド、バルト諸国でユダヤ人およそ540万人が銃殺またはガス殺された 15年間でこの地域では一般市民1400万人が生命を落としたとされる。これに独ソ戦の戦死者1200万人を加えると、死者の総数は2600万人 ブラッドランドを生み出したのはヒトラーとスターリンだが、戦後のドイツにおいてこの両者を比較することは「ホロコーストという唯一無二の民族の悲劇を相対化する」右翼/極右の歴史修正主義とされてきた 「アウシュヴィッツはドイツ人を免責している」 ドイツにとってアウシュヴィッツは、なされた悪の実際の規模を著しく小さなものに見せるので、比較的扱いやすい象徴であり続けている アウシュヴィッツは、戦後のソ連、今日の共産主義国家崩壊後のロシアでも、都合の良い象徴だった。仮にホロコーストがアウシュヴィッツに収斂するならば、ドイツによるユダヤ人大量殺戮が、実はソ連が直前まで占領していた場所で始まったことを容易に忘れられるからだ ドイツのユダヤ人をわざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由 新たに獲得した東欧圏(ブラッドランド)で、そこでは国家の主権が破壊されているので法にしばられることなく、どのようなことも「超法規的」に行なうことができた。これが、ドイツのユダヤ人を国内の収容所ではなく、わざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由だ ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、ユダヤ人が根こそぎ殺戮されていった理由 ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国など、ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、そしてユダヤ人が根こそぎ殺戮 ジェノサイドはファシズムという「絶対悪」が単独で行なったわけではないということだ。主権(統治)が崩壊したなかで、ひとびとが生き残るためにどんなことでもやる極限状況が生まれると、そこから「絶対悪」が立ち現われてくる NHK BS1スペシャル 「暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略」 第1章 原爆をめぐるドイツVS英国 米国に亡命したアインシュタインらはルーズベルトに対抗して原爆開発するよう提言。しかし、米国は原爆は大き過ぎて実用にならないと冷淡 国では亡命した科学者がウラン238だけに濃縮すれば飛行機で運べるほど小型化可能になるとした 米国に伝えたところ、ルーズベルトも政策転換、チャーチルと共同研究で合意 米国顧問のブッシュは英国に情報渡すことに抵抗、独占しようとした 第2章 核の独占 チャーチルはブッシュを英国に呼びつけ、英国は独自に開発すると伝えた。カナダに米国の協力なしで原爆工場を建設 ルーズベルトは、英国を追い詰めると、戦後も必要になる同盟関係を壊すとして、情報交換を再開 投下の決定権に対等の地位 第3章 新たな脅威 スターリンVSチャーチル フックスは全てをファシズムとの戦いと捉え、一国の手に留まるのは危険と考えていた ルーズベルトは戦後もソ連との協調が必要と考えていた デンマークの物理学者ニールス・ボーアは、核の国際管理のため、米英ソで技術を共有、開発競争をなくそうとした ルーズベルトはボーアにチャーチルを説得するよう依頼したが、チャーチルはボーアをソ連のスパイと疑い、ルーズベルトにソ連に情報を流さないよう協定 第5章 投下への道程 ソ連はスパイ情報で実験があることを察知。スターリンは対日参戦を急ぐ トルーマンはスターリンに新兵器を入手したと脅したが、既に知っていたスターリンは冷静、対日参戦の予定を繰り上げた
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日本型経営・組織の問題点(その7)(トヨタが「終身雇用」を諦めてくれた方が日本の労働者の賃金は上がる、相次ぐ脱終身雇用宣言 信頼と責任築く経営哲学いずこに?、NECは新卒1000万 NTTは1億円 研究者待遇 世界基準に) [企業経営]

日本型経営・組織の問題点については、2月12日に取上げた。今日は、(その7)(トヨタが「終身雇用」を諦めてくれた方が日本の労働者の賃金は上がる、相次ぐ脱終身雇用宣言 信頼と責任築く経営哲学いずこに?、NECは新卒1000万 NTTは1億円 研究者待遇 世界基準に)である。

先ずは、ノンフィクションライターの窪田順生氏が5月16日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「トヨタが「終身雇用」を諦めてくれた方が日本の労働者の賃金は上がる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/202493
・『トヨタ社長が「終身雇用を守るのは難しい」と発言をしたことが、ネット上で大騒動になっている。若い世代ほど「終身雇用」への憧れを持っているのだ。しかし、実際には企業が終身雇用を放棄した方が、日本人の賃金は上がる』、本当だろうか。
・『若い世代が憧れる「終身雇用」を無残にも全否定したトヨタ社長  日本企業ではじめて売上高が30兆円を超えたトヨタ自動車が、ネット民からボロカスに叩かれている。  豊田章男・トヨタ自動車社長が、日本自動車工業会の会長という肩書きで臨んだ記者会見で、「終身雇用を守っていくというのは難しい局面に入ってきた」「雇用を続けている企業にインセンティブがあまりない」と述べたことに対して、以下のような批判の声が一部から寄せられているのだ。 「役員報酬を1人平均2億も払えるのなら社員を大事にしろ」「トヨタがそんなことを言い出したら、もう誰も働きたくなくなる」「こんなことを軽々しく言う会社には、もう優秀な新卒がこないだろ」 このご時世、「安定」を求めてトヨタを目指す若者を「優秀」と呼んでいいのかは甚だ疑問ではあるが、怒れる方たちの気持ちはわからんでもない。 オッサン世代は人数が多いだけで、死ぬまで会社にぶら下がって退職金もガッポリともらえているのに、なんでそんな「老害」の尻拭いを下の世代がやらなくてはいけないのだ、という「世代間格差」が露骨にあらわれるテーマであることに加えて、「終身雇用」というのは、多くの人々、特に若い世代にとっては「憧れ」なのだ。 独立行政法人労働政策研究所の「第7回勤労生活に関する調査」(平成28年)によれば、「終身雇用」「年功賃金」を支持する者の割合は、調査を開始した1999年以降、過去最高の87.9%となっている。 と、聞くと、会社に忠誠を誓う中高年リーマンたちの顔を思い浮かべるかもしれないが、この動きを牽引しているのは、意外にも若者だ。20~30代で「終身雇用」「年功賃金」を支持する割合が2007年頃から急激に伸びているという。 どんな会社でもいいから定年退職の日まで雇われたい――。なんて感じで若者たちが抱いた大志を、日本を代表する大企業トップが無情にも握りつぶしてしまったのだ』、「20~30代で「終身雇用」「年功賃金」を支持する割合が2007年頃から急激に伸びている」、というのは派遣など非正規雇用に苦しめられてきたことも背景にあるのだろう。
・『他の先進国の賃金が上昇する中 日本だけが減少した  ただ、気休めを言うわけではないが、若い世代の方たちは、そこまで悲観的になる必要はない。むしろ、トヨタ自動車のように日本社会に大きな影響を与える大企業が「終身雇用」をサッサとギブアップしてくれた方が、日本のためになる。 皆さんの「賃金」が上がっていくからだ。 ご存じのように、日本の労働者はこの20年、仕事は早くてうまくて、賃金はギリギリまで安くという「牛丼スタイル」でコキ使われてきた。 経済協力開発機構(OECD)が試算した働き手1人の1時間あたりの賃金は、この20年でイギリスは87%アップ、アメリカ76%、フランス66%、ドイツ55%と先進国は順調に増えている中で、日本はマイナス9%となっている。 「見たか!これがメイド・イン・ジャパンの底力だ!」と日本製の電化製品を海外に自慢している間に、外国人がドン引きするほどの「労働者軽視国家」になっていたというわけだ。 では、なぜこうなってしまうのか。要因は様々だが、そこには終身雇用システムの根幹をなす「年功賃金」の影響も大きい。 新卒の給料は安く、中堅はまあまあ、ベテランは高給取りという年功序列型給与の企業というのは、基本的に会社に長いこと勤め上げることを前提とした賃金設定となっている。つまり、日本の労働者は、定年まで雇ってくれるという「保障」と引き換えに、若いうちは低賃金でもガマンすることを強いられているのだ。 この傾向は昨日今日に始まったことではなく、戦後の大企業のサラリーマンはずっと「安定」というニンジンをブラ下げられながら、「賃金先送り」で働いてきた』、「働き手1人の1時間あたりの賃金は、この20年でイギリスは87%アップ、アメリカ76%、フランス66%、ドイツ55%と先進国は順調に増えている中で、日本はマイナス9%となっている」、とのOECD試算には驚かされた。ただ、要因として、「終身雇用システムの根幹をなす「年功賃金」の影響も大きい」との指摘はいささか乱暴だ。為替の影響などもっと多面的にみるべきだろう。もっとも、「戦後の大企業のサラリーマンはずっと「安定」というニンジンをブラ下げられながら、「賃金先送り」で働いてきた」、との指摘はその通りだ。
・『低賃金でもニコニコできたのは終身雇用を前提とした社会だから  わかりやすいのは1974年、不況が長引く中で、一部製造業で「中間管理職に減給旋風」(読売新聞1974年11月14日)が起きた時だ。 普通の国の労働者なら「なぜ俺らだけ」「経営者のクビをとれ」と大騒ぎになるのだが、当時、大企業の中間管理職の多くはこれを素直に受け入れた。それどころか、自主的に給料の10%を返上する“サラリーマンの鑑“も現れたという。この背景に、定年まで雇ってもらえるという「保障」があるのは明らかだ。 「終身雇用を建前にして、会社自身が“社会福祉団体”である日本では、なかなか荒療治がやりにくい。そこで失業者を出さないかわりに、ある程度の賃金カットは耐え忍んでもらいたいということになるわけで、帰属意識の強い管理職には、どの会社にも多かれ少なかれ、こうしたことを受け入れる下地があるようだ」(同上) では、日本人を低賃金でもニコニコさせてきた、この「保障」がなくなったらどうなるか?将来が不安だから、もっと給料を上げろという怒りの声が持ち上がるのは当然だ。優秀な人はどんどん条件のいい会社へ移ってしまうので、企業側も賃上げせざるを得なくなるのだ。 もしトヨタが、終身雇用をギブアップすれば当然、トヨタで働く人たちの賃金は上がっていく。横並びが基本の日本では、他の製造業も同じような動きが出る。大企業がそうなれば、優秀な人材の流出を食い止めるためにも、中小企業も賃上げをしなくてはいけない。そうなると、賃上げのできない経営能力の乏しい経営者や、ブラック企業は自然に淘汰されていくので、労働者の環境も改善されていくというわけだ。 という話をすると、「そんなにうまくいくわけがないだろ!終身雇用がなくなったら街に50~60代の失業者が溢れかえるし、将来を安心して働くことができないので日本企業の競争力も落ちるぞ!」と、まるでこの世の終わりのように大騒ぎをする人がいるが、そういうことには断じてならない。 実は日本の「終身雇用」というのは、実態とかけ離れて過大評価されている部分が多々あるからだ』、「優秀な人はどんどん条件のいい会社へ移ってしまう」、というほど日本の労働市場は流動化してないし、「終身雇用をギブアップすれば当然、トヨタで働く人たちの賃金は上がっていく」、」との見立ても乱暴過ぎる。豊田章男社長は、そこまで甘くない筈だ。
・実は終身雇用は単なるスローガン  内閣府の「日本経済2017-2018」で、学校卒業後に就職して会社に定年まで勤める、いわゆる「一企業キャリア」を歩む人がどれほどいるかを以下のように紹介している。 《就業経験のある男性の79%は初職が正規であるが、そのうち一度も退職することなく「終身雇用」パスを歩んでいる男性(退職回数0回)は、30代で48%、40代で38%、50代で34%である》 《正規で入職した女性のうち、「終身雇用」パスを歩んでいるのは50代で7%程度でしかなく、労働市場から退出した割合も高い》 50代まで1つの会社に勤め上げる日本人は大企業などのほんの一握りで、大多数は他の先進国の労働者と同様に、「定年まで雇ってくれる会社」という理想郷を追い求めながら、自助努力で転職を重ねているのが現実なのだ。つまり、9割近い日本人がもてはやす「終身雇用」だが、実は大多数の人は享受することはない制度であって、スローガンのようなものなのだ。 この傾向はバブル期もそんなに変わっていないし、それ以前も然りである。松下幸之助だ、大家族主義だという一部大企業の特徴的な雇用制度が、マスコミで喧伝されるうちに1人歩きして、何やら日本社会全体の代名詞のようにミスリードされてしまっただけの話なのだ。 もっと言ってしまうと、これは日本人の発明ではない。 終身雇用のルーツは大正あたりだといわれているが、今のような完成形に近づいたのは、1938年に制定された「国家総動員法」である。その前後の「会社利益配当及資金融通令」や「会社経理統制令」で株主や役員の力が剥奪され、とにかく生産力を上げるために企業という共同体に国民を縛り付けておくひとつの手段として、終身雇用も始まった。 では、これは日本オリジナルの発想かというと、そうではない。ソ連の計画経済をドイツ経由でまんまパクったものだ。国が経済発展を計画的に進める中、国民は国が規制をする企業に身を投じて一生涯、同じ仕事をする、というソ連モデルを、時の日本の権力者たちが採用した。それが、集団主義が大好きな日本人にピタッとハマったのである。 要するに、「終身雇用」は日本式経営でもなんでもなく、単に戦時体制時に導入した社会主義的システムをいまだにズルズルとひきずっているだけなのだ。そして、実際には形骸化している終身雇用に安心感を持ち、低賃金も喜んで受け入れてきた、というのが日本人の正しい姿なのである。 よく最近の日本は右傾化しているという指摘があるが、先ほど紹介したように、最近の若者は死ぬまで雇われたいという思いが年々強くなっている。愛国だ、日本は世界一と叫びながら、経済に対する考え方はどんどん左傾化しているのだ。 「最も成功した社会主義」なんて揶揄される日本が、果たして終身雇用という、実態から乖離したイデオロギーから脱却できるのか。注目したい』、「終身雇用は単なるスローガン」、というのはむしろ共同幻想に近いと思う。「経済に対する考え方はどんどん左傾化している」、というのは、前述の「非正規雇用に苦しめられてきたこと」の裏返しなのではなかろうか。いずれにしても、変化には年月がかかるだろうが、最終的な着地点がどうなるかは要注目だ。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が5月21日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「相次ぐ脱終身雇用宣言、信頼と責任築く経営哲学いずこに?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00024/?P=1
・『今回は「信頼と責任」について、あれこれ考えてみようと思う。 トヨタ自動車の豊田章男社長の「終身雇用決別宣言」が、物議をかもしている。日本自動車工業会の会長として行った記者会見で、「今の日本(の労働環境)を見ていると雇用をずっと続けている企業へのインセンティブがあまりない」と指摘し、「現状のままでは終身雇用の継続が難しい」との見解を明かしたのだ。 トヨタ自動車といえば、3月期の連結決算(米国会計基準)での売上高が前年比2.9%増の30兆2256億円となり、日本企業として初めて30兆円を超えた名実ともに日本を代表する企業である。 が、実際には日本の企業であって日本の企業ではない。国内生産のうち半分以上は輸出だし、トヨタ本体の社員数はすでに日本人よりも外国人のほうが多い。 つまり、トヨタは「MADE BY TOYOTA」というフレーズが象徴するように、グローバル企業であり、先の豊田社長の言葉を私なりに翻訳すると、「あのね、グローバル的には“終身雇用”という概念はないの。日本人だけ雇用し続けるっておかしいでしょ? だからさ、日本人の社員も、“〇〇歳まで会社にいられるし〜”とか思わないでね」ということなのだろう』、河合氏の「翻訳」は、見事に本音を言い当てている。
・『終身雇用はもう限界  いずれにせよ、終身雇用を巡っては、経団連の中西宏明会長も(日立製作所会長)も7日の定例会見で、「企業からみると(従業員を)一生雇い続ける保証書を持っているわけではない。制度疲労を起こしている。終身雇用を前提にすることが限界になっている」と発言。 経済同友会の桜田謙悟代表幹事も14日の記者会見で、「昭和の時代は、大変よく機能したと思う。ただ、経済そのものが大きく変革してしまった中で、終身雇用という制度をとらえるとすれば、やはり『制度疲労』を起こしている可能性があるので、もたないと、わたしは思っている」と述べるなど、今月に入って立て続けに終身雇用決別宣言が頻発している。 相次ぐ経済界のトップ中のトップの重鎮たちのコメントに、 「その前に賃金を上げろよ!」「役員報酬減らせばいいだけだろ!」「この人たちみんな終身雇用の恩恵を受けた人たちだろ!」「結局は安い賃金で、若くて、使い勝手のいい社員が欲しいだけだろ!」と批判が殺到している。 残念ながら終身雇用は“絶滅危惧種”から“絶滅種”になる。 10年以上前から企業は「希望退職」という名のリストラを行い、定年前に役職定年という「予期的期間」を設け、「セカンドキャリア研修」という名の肩たたき研修を行い、終身雇用脱却を狙ってきたけど、今回の発言で明治時代に起源をもち、昭和期に甘美な香りを漂わせてきた「終身雇用」は死滅するのだ。 私はこれまで「長期雇用」の重要性を何度も指摘してきた。理由は何度も書いてきたとおり、それが人間の生きる力の土台となり、すべての人が秘めるたくましさを引き出すからに他ならない。 であるからして、今回の「終身雇用決別宣言」には、ある種の絶望感なるものを感じている。 そして、働く人たちとの信頼関係で成立してきた長期雇用(終身雇用)という心理的契約を語るのに、 「雇用をずっと続けている企業へのインセンティブがない」(by 豊田社長) 「一生雇い続ける保証書を持っているわけではない」(by 中西会長) などと、インセンティブ、保証書というワードを用いたことに、心がひどくきしんでいる。 いずれの方たちも、トヨタ自動車、日立製作所、SOMPOホールディングスといった日本を代表する企業のトップに上りつめた人たちで、色々な角度から経営を考え、チャンレジし、未来を見据えた上での発言だとは思う』、同感だ。
・『長期雇用は雇用制度ではなく「経営哲学」  だが、なぜ、ひとこと「ただし、戦力となる社員は65歳だろうと、70歳だろうと年齢に関係なく雇用し続ける」と断言してくれなかったのか? なぜ「50代だろうと60代だろうと、我が社が求めるスキルを持っている人は年齢に関係なく新規採用する」と明言してくれなかったのか? それが残念でしかたがないのである。 失礼ついでに言わせていただけば、経済界のトップの方たちは、長期雇用(終身雇用)を制度と考えているようだが、長期雇用は雇用制度ではなく「経営哲学」である。 働く人たちが安全に暮らせるようにすることを企業の最大の目的と考えた経営者が、「人」の可能性を信じた。それは社員と家族が路頭に迷わないようにすることであり、その経営者の思いが従業員の「この会社でがんばって働こう。この会社の戦力になりたい!」という前向きな力を引き出し、企業としての存続を可能にしていたのではないか。 人間は、相手との関係性の中で行動を決める厄介な動物である。 「自分を信頼してくれている」と感じる相手には信頼に値する行動を示し、「自分を大切にしてくれている」と感じる相手には精いっぱいの誠意を尽くす。信頼の上に信頼は生まれるのであって、不信が信頼を生み出すことはない。 トヨタの会長だった奥田碩氏が、機会ある度に「解雇は企業家にとって最悪の選択。株価のために雇用を犠牲にしてはならない」と語り、経団連会長として「人間の顔をした市場経済」という言葉を掲げたのも、「長期雇用は日本株式会社の背骨」という経営哲学があったからではないのか。 そもそも「終身雇用」という言葉の生みの親とされる米国の経営学者ジェームズ・C・アベグレン博士は、Lifetime commitment という言葉を用い、「企業は単なる市場労働の場ではなく、社会組織であり、共同体であり、そこで働く人たちが安全に暮らせるようにすることを最大の目的としている」と説いた(『日本の経営』1958年)。それは働く人を、非人格化していた米国の企業への警鐘でもあった。 そもそも、会社=COMPANYは、「ともに(COM)パン(Pains)を食べる仲間(Y)」であり、一緒に行動する集団である。その集団の機能を発揮するには「つながり」が必要不可欠だ。 Lifetime commitment(=長期雇用) は、いわば企業に内在する“目に見えない力”であるつながりを育むための時間と空間への投資であり、つながりが育まれることで、自分のプライベートな目的の達成を気にかける個人の集団ではなく、協働する組織が誕生する。 私がこれまで講演会や取材でお邪魔した1000社を優に超える企業でも、高い生産性をキープし続けている長寿企業は、例外なく長期雇用を前提としていた』、奥田碩元経団連会長が「長期雇用」を重視していたとはさすがだ。アベグレン博士の指摘も適格だ。
・『雇用を生む仕事を作るのが経営者の仕事  経済界で「終身雇用制度をやめるべし」という議論が出はじめた1990年代初頭にOECD(経済協力開発機構)が行った労働市場の調査でも、米国や英国では流動的な労働市場が成立している一方で、ドイツやフランスは、日本と同じように企業定着率の高い長期雇用慣行が形成されていることがわかっている。 私の尊敬する経済学者であり、トヨタの研究でも知られる東京大学大学院経済学研究科の藤本隆宏先生も、「カネ、カネ、カネの経営は古い。経済の最先端は人だ」と断言し、「現場の人を大切にする、経営者は従業員を絶対に切らないように走り回る。仕事が無けりゃ、仕事を作るのが経営者の仕事だ」と、世界中の現場を見て回った経験を交え、明言する。 つまるところ、問題は「長期雇用」にあるのではなく、長期雇用の利点を引き出すリソースを働く人たちに与えていないことが原因になっているのではないか。そう思えてならないのである。 たとえば、日本企業は「意思決定をしない」あるいは「意思決定が遅い」と酷評されることが多い。 「現地で検討されていることでも、日本は本社の役員会議のタイミングが優先され、検討は後回しになる。段々とこちら側もやる気をなくして、盛り上がっていた現場が沈滞する。裁量権を与えられてないマネジャーの存在意義がわからない。もっとリーダーとしての権限を与えないと日本企業は生き残れない」 こういった話を、海外に赴任している人や、海外の日本法人に勤める人たちから、何度も聞かされてきた。 現場に責任は負わせるけど、現場に裁量権は与えない。そんな組織風土も長期雇用の利点を相殺しているのではないか。 あるいは日本企業は「ラインの決定事項ばかりが優先され、現場のプロフェッショナルの意見に耳を傾けない。専門スタッフと経営スタッフはパートナーなのに日本企業では上下関係。日本にはプロという概念がないのか」というボヤキも幾度となく聞いた。 また、外資系は確かに業績が悪化すると「〇%リストラせよ」という指示が、トップから出されることがあるが、人事制度は日本の企業よりはるかに柔軟で、周りとの人間関係や信頼関係なども評価するケースが多い。働く人が「やりたい」と手を上げれば、それを徹底的にフォローし、教育に投資する制度もある。 マネジメントに進むか、専門職に進むかの選択も早い時期に行われ、それぞれにきちんとした教育を行い、評価し、その成果を発揮する機会もある。定年制は年齢差別になるので存在しないが、長期雇用を前提としている企業は2000年以降、確実に増えた』、「仕事が無けりゃ、仕事を作るのが経営者の仕事だ」との藤本隆宏先生の指摘や、「問題は「長期雇用」にあるのではなく、長期雇用の利点を引き出すリソースを働く人たちに与えていないことが原因になっているのではないか」、というのには諸手を上げて賛成だ。
・『人材重視の経営が収益を生み出す  長期雇用を悪の根源と考えるよりも、社員の能力形成への努力をしてほしい。なぜならどんなに先行研究を探しても「長期雇用が会社の生産性を下げる」エビデンスは見当たらないし、人材重視の経営が結果的に企業の収益を生み出す最良の選択であることは明白だからである。 ただ、本当にただ、終身雇用廃止宣言に踏み切ったトップたちの気持ちも少しだけわかる。というか、経営側だけを責める気になれないという、正直な気持ちがある。 将来が混沌とする社会状況を鑑み、定年まで「死んだふり」をする会社員は増殖しているし、「終身雇用を前提とした会社の正社員になりたい」という若者も増えた。会社にい続けること、会社員でいること自体を目的とする「会社員という病」にかかっている人たちがこの数年で増えたとも感じるからである。 独立行政法人労働政策研究・研修機構の「第7回勤労生活に関する調査」(平成28年)によれば、「終身雇用」「年功賃金」を支持する者の割合は、調査を開始した1999年以降、過去最高の87.9%に達している。「組織との一体感」「年功賃金」を支持する割合もそれぞれ、88.9%、76.3%と過去最高で、特に20~30歳代で、「終身雇用」「年功賃金」の支持割合が2007年から急激に伸びた。 また、1つの企業に長く勤めて管理的な地位や専門家になるキャリアを望む者(「一企業キャリア」)の割合は 50.9%。2007 年調査では年齢階層別でもっとも支持率が低かった 20歳代が、半数を超え54.8% と、もっとも高い支持率となった。 時系列に見ると、「一企業キャリア」を選択する割合が ゆるやかな上昇傾向を示す一方、「複数企業キャリア」「独立自営キャリア」を望む割合は低下傾向を示していた。 長期雇用を望む人が増えること自体に問題はないが、長く雇用されるには自らにも「責任」を果たす必要があることをわかっているのか? とちょっとばかり疑問なのだ』、確かに、正社員たちが既得権益の確保だけに目を向けるのは問題だ。
・『雇用される側にも「責任」が生じる  長期雇用は健康社会学的には「職務保証(=job security)」と呼ばれ、職務保証とは、 第1に、「会社のルールに違反しない限り、解雇されない、という落ち着いた確信をもてる」 第2に、「その働く人の職種や事業部門が、対案の予知も計画もないままに消滅することはない、と確信をもてる」 と働く人が感じることで成立する。 真の職務保証とは、「今日と同じ明日がある」という安心であり、自分も「ルールに違反しない」という責任を全うすることが必要不可欠。 にもかかわらず、責任を放棄し「〇〇歳まで会社にいられる」と“かりそめの安心”に身を委ね、働き方改革を逆手にちょっとでもプレッシャーをかけられようものなら、パワハラだの、ブラック企業だのと企業側を批判する輩も存在する。 今の日本企業に本当に必要なのは、企業と働く人が「信頼と責任」でつながること。そのためにも、企業側は働く人に「あなたは我が社にとって大切な人」というメッセージを送り続けてほしい。 職務保証は、経営者が働く人を尊重し、「人」と接することで機能する心理的契約である。 今回の経済界たちの重鎮の「終身雇用決別宣言」が、企業と働く人たちがもう一度「真の職務保証とは何か? それを実現するには何をすればいいのか?」という問題意識につながればいいなぁと、切に願っている』、前向きないい提言だ。

第三に、7月12日付け日経ビジネスオンライン「NECは新卒1000万、NTTは1億円 研究者待遇、世界基準に」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00019/071100074/?P=1
・『日本企業が最先端のエンジニアや研究者の待遇改善に乗り出している。日本では給料や昇進の面では文系優位と言われる。一方、米シリコンバレーなど世界の潮流は理系やエンジニア優位だ。 こうした中、NTTがスター研究者に年1億円の報酬を出すことが明らかになり、話題となっている。7月8日、NTTはシリコンバレーの3つの研究所で先端研究に乗り出すことを披露する式典を開催した。それに先だってインタビューに応じたNTTの澤田純社長は「研究者の報酬は米国現地の水準に合わせていく。日本ではエキスパートでも年収2000万円程度だが、その5倍を超えるケースも出てくるだろう」と明かした。つまりスター研究者には、1億円以上の報酬を出す用意があると言うのだ。 日本の会社員にとっては夢のような金額かもしれない。だが、シリコンバレーのスター中のスターのエンジニアにとって1億円は十分な報酬ではない。 例えば、GAFA(グーグル、アマゾン・ドット・コム、フェイスブック、アップル)などでは、人工知能(AI)分野で著名なエンジニアであれば、1年あたり株式も含めて200万ドル(約2億2000万円)程度の報酬も普通とされている。米オラクルが人工知能(AI)のトップエンジニアに年600万ドル(約6億6000万円)を提示したことが話題になった。 NTTはこれまでシリコンバレーの研究開発拠点でクラウドコンピューティングやセキュリティー、AIの一分野である機械学習やIoTなど、まさにGAFAと真っ向勝負の分野を手掛けてきた。新しい研究所では対象とする分野や実用化までの時期を変え、シリコンバレーで新たな人材エコシステムの構築を図る。 澤田社長は「量子コンピューター、暗号情報理論、生体情報処理の3分野で10年後以降の将来を見据えた理論的な部分を対象とした基礎研究に取り組んでいく。社員になってもらう方もいるかもしれないが、人的ネットワークをつくってアライアンスもしていく。研究者がいるところには研究所のブランチもつくっていきたい」と説明する。 シリコンバレーに駐在し、3研究所を束ねるNTT Researchの五味和洋社長兼CEO(最高経営責任者)は「各研究所長などを起点に、人が人を呼ぶ循環を作っていきたいと考えている。NTTが築いてきたR&D(研究開発)の歴史も説明することで、共感した方が何人か来てくれている」と言う。 例えば、量子コンピューターなど次世代のコンピューティングに欠かせない物理学と情報学の基礎技術を研究する「Φ Laboratories」の所長には、内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)プログラム・マネージャーの山本喜久氏を招へいした。スタンフォード大学の応用物理学科・電気工学科の教授も務めた経歴を持ち、量子分野で有名な賞を複数受賞している。 GAFAのような派手な買収戦略はとらないという。「大学の研究室を人材ごと買収してしまうケースもあるが、その時点で大学との関係が切れてしまう。大学に在籍したまま連携していただくこともあるだろう」(NTTの川添雄彦・取締役研究企画部門長)。買収には資金も必要な上、買収後のマネジメントにも労力がかかる』、NTTのようにシリコンバレーで最先端研究をするのであれば、給与は現地事情に合わせるのは当然だ。ただ、現地のマネジャーが、彼らを上手くマネージできるのかには疑問も残る。
・『NECの最年少主席研究員はシリコンバレーで独立  一方、NTTとほぼ時を同じくして、NECが今年10月に人事制度を改定し、新入社員でも1000万円以上の年収を得られるようにすることが明らかになった。 NECは2018年にシリコンバレーの研究所で大きな出来事があった。機械学習で世界的にも有名なエンジニアである藤巻遼平氏とそのチームが研究所からごっそりと抜けたのだ。藤巻氏が新会社のドットデータ(dotData)をカーブアウト(事業の一部などを切り離して独立させること)で立ち上げた。詳細は非公開だがNECは株主として関係を保っている。 NECは藤巻氏を同社では史上最年少となる33歳で研究員の最高位である主席研究員に据えて、報酬面でも役員と同等レベルで処遇していた。ただ「AI・機械学習の分野でシリコンバレーの大手やスタートアップと渡り合っていくには、日本の大企業の組織では難しい面がある。一方で日本のスタートアップがシリコンバレーで新規に顧客を開拓するのも難しい」(藤巻氏)として、NECとの関係を保ちつつ、シリコンバレーで世界に打って出る道を選んだ。 滑り出しは好調のようだ。「シリコンバレーや米国内からもエンジニアなどが応募してくれるようになってきた」(藤巻氏)。2019年6月末には米調査会社フォレスター・リサーチのリポートで、自動化機械学習ソリューション分野のマーケットでリーダー的なポジションにある3社のうちの1社であると評価された。別の1社はこの分野で世界的にも有名になった米データロボットだ。 藤巻氏は「NECには第2の藤巻が出てくる流れをつくってほしい」と常々発言している。NECの1000万円スター新入社員はそのきっかけになるかもしれない。GAFAは大卒で1500万円以上の収入があるとされる。500万~600万円程度の日本の大手企業の新卒給与とのギャップはかなり埋まる。 NECがスター新入社員に1000万円を提示する以上、社内の優秀なエンジニアの賃金水準の見直しも必至だろう。実際、今回の制度改定は新入社員だけでなく、若手を対象にしたものだという。また、国内での優秀な人材の獲得競争を受けて、他社が追随していく可能性もありそうだ。 日本の伝統的な大企業であるNTTとNECが賃金水準だけでなく研究内容で世界基準をクリアできるか。それは日本全体の競争力にもつながる課題である。 まずは世界的に著名な学会でのプレゼンスを上げていくべきだろう。AIの学会ではGAFAや中国のテックジャイアントであるBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)が幅をきかせている。既にNTTが掲げる大学との連携も実現している。 量子コンピューターなどはグーグルも研究開発に取り組んでいる。NTTは基礎研究とはいえ重なる分野も出てくるだろう。それまでに世界的な地位を確立できているか。残された時間は意外と少ない』、「NECがスター新入社員に1000万円を提示する以上、社内の優秀なエンジニアの賃金水準の見直しも必至だろう」、と簡単に書いているが、これは実は難題の筈だ。無論、スター新入社員は終身雇用の対象外だろうが、どのような職種、事業部門まで対象を広げるのか、お手並み拝見といきたい。
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アパレル(アパレル業界を追い詰めた「三度の裏切り」…これではもう売れない 百貨店もSCもECモールも終わった、ユニクロ・しまむらに黄信号!2強を駆逐する「ワークマン」強さの秘密、消費者の「アウトレットモール離れ」が進んでいる理由) [産業動向]

今日は、アパレル(アパレル業界を追い詰めた「三度の裏切り」…これではもう売れない 百貨店もSCもECモールも終わった、ユニクロ・しまむらに黄信号!2強を駆逐する「ワークマン」強さの秘密、消費者の「アウトレットモール離れ」が進んでいる理由)を取上げよう。

先ずは、流通・ファッションビジネスコンサルタント (株)小島ファッションマーケティング代表の小島 健輔氏が昨年9月19日付け現代ビジネスに寄稿した「アパレル業界を追い詰めた「三度の裏切り」…これではもう売れない 百貨店もSCもECモールも終わった」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57499
・『プラットフォーマー(※)の裏切りの歴史  今やECの勢いは留まるところを知らず、店舗販売は存続さえ危ぶまれているが、アパレル業界にとっては人気ファッションECモールの手数料高騰が頭の痛い問題になっている。その状況は『ECモールが百貨店化している』と嘆かせるほどで、“三度目の裏切り”かと業界を落胆させている。 アパレル流通の四半世紀を振り返れば、プラットフォーマー(※)の裏切りの歴史だった。アパレル業界とて、それを原価率の切り下げで穴埋めして来たのだから、結局は業界ぐるみで消費者を裏切ったわけで、バーゲンしてもファミリーセールを繰り返してもアウトレットで叩き売っても過半が売れ残るという破綻に陥ったのもやむを得まい。 ※コンテンツ事業者(アパレル)に販売の場を提供するのがプラットフォーマー(百貨店や商業施設、ECモール)で、在庫リスクは負わず家賃や売上手数料を徴収する』、『ECモールが百貨店化している』、というのはここまで来たかという印象だ。プラットフォーマーとしては、最近ではGAFAなどで使われているが、ここでは伝統的な使い方だ。
・『アパレル流通崩壊の引き金は百貨店が引いた  もう二昔も前の出来事だが、アパレル流通のみならず国内アパレル産地崩壊の引き金を引いた“事件”があった。 バブル崩壊後の売上急落を利幅で埋めるべく大手百貨店は92年から00年にかけて毎年のように取り分(「歩率」と言われる売上手数料率)を増やし、8年間で計13ポイントも嵩上げてしまったのだ。どこの百貨店が口火を切ったか業界の上層部は誰もが知っているが、表立って誹られる事は今も憚られる。 取引アパレルは収益を確保すべく原価率をほぼ同ポイント切り下げ(33%が20%になったと言われる)、コストの高い国内生産から中国生産にシフトして国内産地崩壊の引き金を引き、お値打ち感の急落で消費者は百貨店から駅ビルやショッピングセンター(SC)に逃げ出した。アパレル事業者も我先に百貨店から駅ビルやSCに販路を移したが、そこにも罠が待っていた』、どんな「罠」なのだろう。
・『アパレル業界は駅ビルやSCにも裏切られた  00年前後には経済の活発化を目論んで規制緩和が乱発されたが、流通業界を一変させたのが00年3月1日に施行された改正借地借家法と6月1日に施行された大店立地法だった。 前者によって定期借家契約が導入されて出店の初期費用が激減した一方(基本家賃の50ヵ月分という差し入れ保証金からほぼ五分の一の敷金に軽減)、営業権が無くなって定借期間後の営業継続が担保されなくなり、店は資産から利用権に変質した。 商業施設側は差し入れ保証金の減額分を共益費や販促費等も合わせた実質家賃に転嫁したから、テナントの売上対比実質家賃負担は三年で4ポイント前後も高騰した。 後者によっては営業時間が自由化されて全国の商業施設はおしなべて2時間ほど延刻され、売上は増えないまま運営コストが肥大し、人手不足が恒常化して店舗運営の質も低下してしまった。 希望の地と思われた駅ビルやSCでも運営コストの上昇に加え、出店初期費用の低下と規制緩和による商業施設の開発ラッシュでオーバーストアが急進。00年から17年でSCの総商業面積は64%も増加し、販売効率は年々落下して00年の65%まで落ち込んだ。 アパレルチェーンは収益を確保すべく調達原価を切り詰め、お値打ち感を損なってさらに売り上げを落とすという悪循環に陥った。商品の価値も販売の質も怪しくなって顧客が離反し始めたところに追い打ちをかけたのが、11年頃からのスマホの普及とECの台頭だった。 品揃えも商品情報も限られる店舗販売から、品揃えも商品情報も格段に豊かで購入の手間も持ち帰る労働も強いないECへと消費は急激に移行し、損益分岐点の高い店舗販売は採算割れに陥って閉店が広がっていった』、「00年から17年でSCの総商業面積は64%も増加し、販売効率は年々落下して00年の65%まで落ち込んだ」、という過当競争が背景にあるのでは、苦戦もやむを得ないだろう。
・『百貨店化するECモールと決別する日  運営コストも初期投資も軽く、在庫が多店舗に分散しないからロスも少ないECは店舗販売に代わる希望の地と思われたが、皆が我先に参入して競争が激化し顧客利便が競われるに連れ運営コストが肥大。 流通プラットフォーマーたるECモール事業者も手数料率を年々嵩あげて有力百貨店を上回るほどになり(今や35〜40%と言われる)、『ECモールが百貨店化している』と失望感が広がった。そこに宅配料金の一斉値上げも重なり、ECは他人のプラットフォームに依存する限り低コストとは言えなくなった。 手数料率が高騰する人気ECモール事業者がある一方、仕組みを改善して手数料率を抑制したり利便を高めるECモール事業者もあるが、顧客と在庫、店舗とECを一元一体に運用するにも在庫を抱えないショールーミングストア(発注・決済・物流はECに拠る)に移行するにも自前のECプラットフォームが不可欠で、先行する有力企業はECプラットフォームに投資を集中して店舗網の整理縮小に転じている。 EC受注品の店在庫引き当てと店受け取り・店出荷というZARA(INDITEX社)の決断はその典型で、EC比率が高まった欧州から店舗網の縮小に転じている。 三度もプラットフォーマーに裏切られた挙げ句、アパレル事業者が百貨店や商業施設はもちろんECモールにも見切りを付け、自前プラットフォームに生存を賭けるに至ったのは必然と言うしかあるまい。 アパレル事業者にはその実行スピード、アナログプラットフォーマー(百貨店/商業施設)やデジタルプラットフォーマー(ECモール)にはアパレル事業者を引き止めるコストと利便の革新が問われているのではないか』、『ECモールが百貨店化している』、というのにはいささか驚かされた。アパレル事業者には同情するほかないようだ。

次に、流通ジャーナリストの森山真二氏が3月19日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「ユニクロ・しまむらに黄信号!2強を駆逐する「ワークマン」強さの秘密」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/197251
・『「ユニクロ」や「しまむら」といったカジュアル衣料専門店の先行きに黄信号が点灯し始めている。2社ともに、デフレが生んだ衣料品販売の優等生として成長、カジュアル衣料専門店の1~2位になっている。しかし、最近、国内ユニクロは成長を牽引してきた価格が「安くない」といわれ、商品も「代わり映えしない」という指摘も出ている。しまむらも過度な商品の絞り込みと、高価格への誘導が裏目に出ている。一時代を築いたデフレの優等生、2強体制の終わりの始まりか――』、興味深そうだ。
・『しまむらの凋落が甚だしい ビジネスモデルの転換が裏目に出た  しまむらの凋落(ちょうらく)が甚だしい。3月11日には2019年2月期の連結業績予想を下方修正した。 売上高の従来予想は5700億円だったが、修正では約240億円下回った5460億円、本業のもうけを示す営業利益は前期比40%減の245億円と期初予想を140億円下回った。既存店の売上高も落ち込みが激しく、前期比約7%減だった。 会社発表の業績修正の理由は一言でいうと、「暖冬で冬物が売れず、売り場改革も不発に終わった」というもの。確かに、衣料品の場合は天候に左右されることはある。しかし、業界ではそうした「短期の天候要因だけが理由だけではない」という声が少なくない。 最大の原因はしまむらが2016年から2017年にかけて実施した商品数の絞り込みだ。最大約3割にも及ぶ大胆な絞り込みを実施したことだろう。 いわば売れ筋商品への絞り込みで在庫負担を減らし売り場効率を引き上げて高価格帯商品を拡充するという、まさに従来のビジネスモデルからの転換を図ったのだ。 しまむらは本来、ユニクロと違って数ある商品の中から「目新しい商品」を発掘するのが1つの「売り物」となって、それが「集客力」となってきた。 しまむらはプライベートブランド(PB)も販売しているが、ユニクロのようなSPA(製造小売業)型ではなく、そのため仕入れ商品が多くを占める。そのバラエティ性が支持されてきた』、しまむらが「バラエティ性が支持されてきた」にも拘らず、「最大約3割にも及ぶ大胆な絞り込みを実施」、というのは余りに乱暴な方向転換だ。普通は、いくつかの店舗で試験的にやって検証すべきところを、いきなりというのは信じ難い。
・『しまむらが持つ「強み」が失われた  「しまパト」と呼ぶ、しまむら“公認”のファンがインスタグラムなどSNS(交流サイト)で商品画像とともに「しまむらでこんな商品を見つけました」「自宅の近くのしまむらでこんな商品を買っちゃった」などと投稿、その情報がしまむらのサイトに掲載されたり拡散されたりして顧客が顧客を呼ぶ形で支持を高めてきた。 しかし、商品の過度の絞り込みで商品を発掘すること、購買の新鮮味が薄れたといわれる。整然としているようで新たな商品の発見がある。そんな商品政策、エンターテインメント性が希薄化した。 しまむらでは現在この品目数の絞り込みの修復作業を進めているというが客数の落ち込みは顕著で2019年2月期の客数も前期比2.1%減。商品数削減の弊害が相当深刻だったことを示している。 もう1つ、価格政策だ。しまむらの価格帯は、ユニクロよりも安く、それでいてチープではなく、品質もまずまずだったところが受けてきた。 しかし、こちらも価格帯を上方に移行した結果、値頃感が失われ、相対的にネットの低価格カジュアル衣料サイトなどに比べ優位性が失われている。 しかも、しまむらは本来、二等地戦略で地方都市の生活道路の面した場所に出店してきた。発注など中央集権的で、パートやアルバイトで十分に賄えてきた店舗運営も低コストでできた。 しかし大都市に積極的に出店した結果、販管費比率も上昇(2018年2月期は2017年2月期に比べ1ポイント以上上昇)、これを補完するための品ぞろえの絞り込みなど売り場効率化を急いだことが現在の苦境を招いた一因とも指摘されている。 衣料品通販サイト「ゾゾタウン」への出店など、EC(電子商取引)も展開し、巻き返しを狙う戦略を打ち出したが、アパレルメーカーやSPA型企業と違い、しまむらは仕入れ方式のため、出店料がECの足を引っ張る。戦略が裏目、裏目に出ている形だ。 カジュアル衣料業界の専門家は、しまむらの場合は「しまパトのような店舗とウェブを融合した戦略、へたにECサイトに出店するのではなくウェブルーミングを徹底するべきではないか」と指摘する』、「「しまパト」と呼ぶ、しまむら“公認”のファン」がいたというのは大変な財産だったのに、「しまむらが持つ「強み」が失われた」というのはお粗末極まる。
・『ワークマンプラスに食われているユニクロ  ユニクロの場合はしまむらのように、客離れを起こしているという兆候はない。 しかし、2019年8月期の上期(18年9月~19年2月)の既存店売上高は前年同期比0.8%の前年割れだった。テレビなどにあれだけ大量の広告宣伝を投入しても既存店は水面上には出なかった。しかも好採算の重衣料が売れる上期の落ち込みは響く。 国内ユニクロの売上高は2018年8月期で前期比6.8%増の8647億円。これだけの規模になっても7%近く伸びているのだから立派という声もあるし、国内の売上高で8000億円以上あるのだから、既存店が多少、マイナスになるのは仕方ないでしょうという意見もある。しかし既存店はもはや、成長期から停滞期に入ったといえるのは確かだろう。 この停滞を促している要因は種々あるが、最近の特徴的な例としていわれているのが、「ワークマンプラス」の台頭だ。ワークマンプラスは、従来のワークマンで扱っていたアウトドアウエアなど商品に変わりはない。 だが、ショッピングセンターに出店し、一般消費者にも買いやすいように商品政策を再構築した結果、マスコミにも取り上げられ、一般消費者の来店が増加、かつてのガテン系の現業職中心の顧客から一般消費者を取り込んで、まさにワークマンプラスブームを巻き起こしているのだ。 ワークマンプラスは19年3月末で12店になる見込み。しかし1年後の20年3月までに計68店とする計画である。 ユニクロの店舗数は800店近くあるのだから、まだまだ競争相手にならない。 しかし、国内ではワークマンプラスがアウトドアウエアで、ユニクロよりも大きく下をくぐる価格を設定しており、ユニクロの同じような商品の価格は相対的に魅力が薄れたようにみえる。 いわばユニクロはワークマンという“カテゴリーキラー(特定の商品分野を豊富に品ぞろえして安値販売するチェーン店舗)”に重衣料(ジャケットやコートなどの衣類)など稼げるカテゴリーを食われているといってもいい』、ワークマンプラスの出店計画は極めて意欲的だが、自信があるのだろう。
・『ユニクロの商品は「革新性」を失いつつある  ユニクロはフリースやヒートテックなど機能性のある商品を生み出し「革新性」があった。しかし、そうした革新的な商品も最近なくなっており、ワークマンプラス現象は、この革新性を失ったユニクロ商品の間隙(かんげき)を突いた格好だ。 ユニクロは海外ではとくに東南アジアを中心にまだまだ成長の余地があるだろう。しかし、国内では低成長に転じており、今後はこの踊り場を経て再成長できるかどうかの正念場でもある。 ユニクロ、しまむらといい、カジュアル衣料品業界に新たな息吹を吹き込んできた両雄は衰退の一途をたどるのか。それとも再び輝きを取り戻せるか』、ユニクロも商品開発には注力しているのだろうが、残念ながら成果につながってないようだ。しまむらも含めた「両雄」の復活を期待したい。

第三に、8月13日付けNEWSポストセブン「消費者の「アウトレットモール離れ」が進んでいる理由」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20190813_1424973.html
・『お盆休みに観光も兼ねて大型アウトレットモールで買い物予定を立てている人は多いだろう。1993年に日本で初めてアウトレットモールが開業して以降、大型モールは38店(日本ショッピングセンター協会調べ)まで増え、常に賑わっている郊外施設がある一方で、すでに閉鎖してしまった施設も出るなど、ブームは一服した感もある。ファッションジャーナリストの南充浩氏が、アウトレットモールの現状をレポートする。 日本に初めてアウトレットモールが誕生してから26年が過ぎようとしています。じつは開業当初、業界の中にはアウトレットモールに対して否定的な見方をする人が多くいました。それは流通業界のライバルであるファッションビルや百貨店、総合スーパー(GMS)だけでなく、商品を企画製造するアパレルメーカーの中にも多くいました。 例えば、大手アパレルメーカー「ワールド」のアウトレットモール内での店舗名は、なぜか「ネクストドア」という名前で、ワールドを連想する言葉の欠片すら見当たりませんでした。これはファッションビルや百貨店などへの気兼ねや忖度からこのような名前にしたと言われています。それほどに当時は流通業からのアレルギー反応が強かったといえます。 しかし、開業から26年も経って、すでにアウトレットモールは小売り業態のひとつとして認識されており、変な拒否反応や対抗意識を燃やすファッションビルや百貨店も見当たらなくなりました。 その理由は、アウトレットモールの商品の揃え方、売り方のカラクリが消費者にもバレてしまっているからでしょう。 20年前のアウトレット店は文字通り「売れ残りの在庫品」ばかりだったので、サイズ欠けや色柄欠けがほとんどでした。しかし、今ではどんな種類・サイズの商品も全部ピシっと揃っています。テナント出店している大手各社はアウトレット店専用の新商品をわざわざ作っているからです。 たしかに売れ残り品も入荷しますが、それだけでは売り場は埋まりません。1店舗か2店舗しか出していないような小規模ブランドなら売れ残り品だけでも店を回していけますが、アウトレットだけでも10店以上出店しているような有名店はり品、売れ残だけで埋めることは不可能です。そのため、必然的に専用商品を作らねばなりません。 つまり、現在はアウトレットとは言いながらも、アウトレット品も含めた低価格店舗というのが実態で、大手ブランドになればなるほどその傾向が強まっています。 20年前は郊外に大型アウトレットモールができれば、周辺道路が大渋滞を起こすほど人が押し寄せ、いくつかの施設はいまだに混雑していますが、そうではない施設も出始め、ブームは落ち着いた感はあります。いまでは施設間格差も拡大していますし、閉店となったモールもあります。 例えば、1993年に日本初として誕生した「アウトレットモール・リズム」(埼玉県ふじみ野市)も2011年に閉鎖されています。改装閉店ということでしたがリニューアルオープンした施設はアウトレットモールではないため、必然的にリズムは消滅したといえます。 関西のアウトレットモールも振るいません。大阪・南港にある「タウンアウトレット・マーレ」(大阪市住之江区)は1999年のオープン当初は賑やかでしたが、すぐに閑散としてしまい、今でも一応アウトレットモールとは名乗っていますが、有名ブランドはほとんど出店していません。 また、同時期に大阪・岸和田にオープンしたベイサイドモール「カンカン」も賑わったのはオープン当初だけですっかり寂れてしまい、今ではアウトレットではなく、ユニクロなどのテナントが入店する普通の商業施設となっています。 その一方で好調を維持し続けるモールもあります。御殿場(静岡)、神戸三田(兵庫)などにある「プレミアム・アウトレット(三菱地所)」や、木更津(千葉)、滋賀竜王(滋賀)などにある「三井アウトレットパーク(三井不動産)」の“大手2強”は比較的安定した人気を誇っていますが、その勢いも今後どこまで続くか分かりません』、「アウトレットだけでも10店以上出店しているような有名店はり品、売れ残だけで埋めることは不可能です。そのため、必然的に専用商品を作らねばなりません」、「名ばかりアウトレットモール」に変わってしまったようだ。
・『なにしろ、アウトレットモールは2010年以降、全国に8施設しかオープンしておらず、既存のモールは1990年代~2010年までが開業のピークだったということになります。どうして新規開業にブレーキがかかったのか、いろいろな理由が考えられます。 まず1つ目は、全国の主要な地方にくまなく大型アウトレットモールができてしまったため、これ以上、来店客数を見込める広大な場所が残っていないことが挙げられます。 アウトレットモールは都心に近い立地のほうがいいわけではなく、観光やドライブついでにクルマで郊外を訪れる人たちをターゲットに、近隣や施設内に有名なレジャー施設や豊富なグルメ店舗があることのほうが重要視されています。長島スパーランド(三重)が近くにある「ジャズドリーム長島」(三井アウトレットパーク)などは、その好例です。そうした近隣レジャーと一体化したモールの新規開発は、そう簡単にできるものではありません。 次に考えられる理由としては、わざわざ郊外のアウトレットモールで洋服などを買わなくても、自宅付近にあるジーユーやH&Mなど低価格ブランド店で十分だと考える人が増えたからではないでしょうか。そのため、アウトレットを訪れる人の中には、レジャーついでに立ち寄って食事をするだけで、短い滞在時間で帰るファミリー層も多くみかけます。 ちなみに、近年は同じモール内であらゆる買い物ができる「ワンストップショッピング」を堪能する外国人観光客が増えてきたため、インバウンド狙いのテナントが増えているのも特徴です。 そして、3つ目はネット通販の普及ではないかと考えています。ネット通販にはECモール、ブランド独自店を問わず、常に売れ残り品や値下げ処分品も並んでいます。実際に各サイトでは店頭ではとっくになくなっている去年の商品が値下げされて並んでいることも珍しくありません。これを活用すればわざわざ遠方にあるアウトレットモールに出かける必要はありません。 ZOZOTOWNが、昨年末に打ち出して半年後に廃止となった割引サービス「ZOZOARIGATO(ゾゾアリガトウ)」は業界では物議を醸し、短期間で廃止となりました。有料会員になれば、初回30%オフ・次回以降10%オフで買えるというサービスでその割引分はZOZOが負担するという内容でした。 オンワード樫山やライトオンはこれに反発してこのサービスから撤退しましたが、「ZOZOが自腹で割り引いてくれるのだから、新商品を並べずに在庫処分品を並べてアウトレット的に使えば効果的だ」と言って撤退しなかったブランドもありました。このように、インターネット通販は在庫処分にことのほか適しているのです。 郊外レジャーと一体化した既存のアウトレットモールは、今後も人気テナントの入れ替えや増床などをしながら一定の売り上げや客数を確保していくでしょうが、これから新規のアウトレットモールが次々と開業するということは考えにくくなりました。 単なる「在庫処分の低価格売り場」としての存在価値が薄れるアウトレットモールは、今後は百貨店やショッピングセンターといったリアル店舗を持つ流通業のみならず、ネット通販との戦いも一層激化していくものと見られます。これもまた時代の流れといえそうです』、「郊外レジャーと一体化した既存のアウトレットモール」を除けば、今後は流通業やネット通販との競争激化で、淘汰が進まざるを得ないようだ。
タグ:アパレル ダイヤモンド・オンライン 現代ビジネス Newsポストセブン 森山真二 (アパレル業界を追い詰めた「三度の裏切り」…これではもう売れない 百貨店もSCもECモールも終わった、ユニクロ・しまむらに黄信号!2強を駆逐する「ワークマン」強さの秘密、消費者の「アウトレットモール離れ」が進んでいる理由) 小島 健輔 「アパレル業界を追い詰めた「三度の裏切り」…これではもう売れない 百貨店もSCもECモールも終わった」 プラットフォーマー の裏切りの歴史 アパレル流通崩壊の引き金は百貨店が引いた アパレル業界は駅ビルやSCにも裏切られた 百貨店化するECモールと決別する日 「ユニクロ・しまむらに黄信号!2強を駆逐する「ワークマン」強さの秘密」 しまむらの凋落が甚だしい ビジネスモデルの転換が裏目に出た 最大約3割にも及ぶ大胆な絞り込みを実施 数ある商品の中から「目新しい商品」を発掘するのが1つの「売り物」となって、それが「集客力」となってきた しまむらが持つ「強み」が失われた 「しまパト」と呼ぶ、しまむら“公認”のファン しまむらでは現在この品目数の絞り込みの修復作業を進めているというが客数の落ち込みは顕著で2019年2月期の客数も前期比2.1%減。商品数削減の弊害が相当深刻だったことを示している 価格帯を上方に移行した結果、値頃感が失われ、相対的にネットの低価格カジュアル衣料サイトなどに比べ優位性が失われている ワークマンプラスに食われているユニクロ ワークマンプラスは19年3月末で12店になる見込み。しかし1年後の20年3月までに計68店とする計画 ユニクロはワークマンという“カテゴリーキラー(特定の商品分野を豊富に品ぞろえして安値販売するチェーン店舗)”に重衣料(ジャケットやコートなどの衣類)など稼げるカテゴリーを食われている ユニクロの商品は「革新性」を失いつつある フリースやヒートテックなど機能性のある商品を生み出し「革新性」 「消費者の「アウトレットモール離れ」が進んでいる理由」 20年前のアウトレット店は文字通り「売れ残りの在庫品」ばかりだったので、サイズ欠けや色柄欠けがほとんどでした 今ではどんな種類・サイズの商品も全部ピシっと揃っています。テナント出店している大手各社はアウトレット店専用の新商品をわざわざ作っているからです 現在はアウトレットとは言いながらも、アウトレット品も含めた低価格店舗というのが実態 閉店となったモールも 郊外レジャーと一体化した既存のアウトレットモールは、今後も人気テナントの入れ替えや増床などをしながら一定の売り上げや客数を確保していく 今後は百貨店やショッピングセンターといったリアル店舗を持つ流通業のみならず、ネット通販との戦いも一層激化
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「闇営業」(その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ) [社会]

「闇営業」については、7月25日に取上げた。今日は、(その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ)である。

先ずは、7月26日付け日刊ゲンダイ「維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/259149
・『連日、テレビが大きく時間を割いて熱心に報じている吉本興業の問題は、いつの間にか芸人の闇営業から企業のブラック体質に論点がすり替わってしまったが、その一方で政治権力との蜜月関係にも注目が集まりつつある。吉本と安倍官邸、そして大阪維新のズブズブ利権構造によって、巨額の税金がかすめ取られる。食傷気味の“お家騒動”より、こちらの方がよほど大問題ではないか。 コンプライアンス上の疑義がある吉本に対し、官民ファンドの「クールジャパン機構」から総額100億円もの公金が投入されることが問題視され始めている。ここ数年、吉本は政治との距離をグッと縮めてきた。お膝元の大阪では、維新との露骨な癒着がつとに知られている。 「維新の選挙には、吉本の芸人が応援に駆けつけるのが恒例になっている。4月の衆院補選の最中に来阪した安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立てと聞いています。実は吉本と大阪市は2017年に包括連携協定を結んでいて、今では、吉本は維新のオフィシャルパートナーのような立場なんです」(在阪メディア記者) 今年2月には、大阪城公園内に「クールジャパンパーク大阪」がオープン。クールジャパン機構や吉本興業などの共同出資会社の運営で、実質的な“吉本劇場”とされる。 2025年の大阪万博も維新と吉本は二人三脚で進める。万博誘致アンバサダーを務めたのも吉本所属のダウンタウンだった。万博跡地にエンターテインメント拠点を整備する計画もある。 そして、万博とセットなのが、維新が公約に掲げるカジノ誘致。吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすることなのか』、「安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立て」、とは初耳だ。「吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすること」、とはありそうな話だ。
・『騒動の背景に「権力に媚びる堕落」  同じような話が、安倍官邸との間で国政レベルでも進んでいる。今年6月、吉本の大崎洋会長が、沖縄の米軍基地跡地の利用に関する政府の有識者懇談会メンバーに選ばれた。基地の跡地はカジノ誘致の有力候補地だ。 そして、クールジャパン機構が100億円を出資するのは、吉本とNTTが組んだ教育コンテンツを国内外に発信するプラットフォームだが、その拠点は沖縄に設置されるというのだ。 「維新の生みの親である橋下徹氏も著書で沖縄へのカジノ誘致を説いていました。そもそも、橋下氏の政治家引退で失速していた維新が息を吹き返したのは、大阪万博が決まったからです。それで勢いづき、大阪ダブル選に勝利して、参院選でも議席を伸ばした。維新の命綱だった万博誘致に最大限の尽力をしたのが安倍首相と菅官房長官なのです。吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる。そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです。憲法改正を成し遂げるため、安倍官邸にとって維新の存在は今後ますます重要になってくる。令和の時代も、忖度と利権構造は相変わらずということです」(ジャーナリストの横田一氏) 漫画家の小林よしのり氏も23日のブログで<吉本興業は、維新の会や安倍政権という権力者ともズブズブで、反社会勢力とも繋がる緩すぎる企業であり、そもそも「笑い」をやる者が、権力に媚びをうるような堕落を呈しているから、こんな事態になったのだ>と断じていた。 企業内のパワハラ・ブラック体質もそうだが、権力と癒着した利権の闇も根深い』、「吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる。そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです」、との指摘はその通りなのだろう。

次に、7月26日付けNewsweek日本版「デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aはスペクター氏の回答)。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2019/07/post-12626_1.php
・『<吉本興業が揺れているが、これは吉本だけの問題ではない。日米の芸能事務所の違いにも詳しいデーブ・スペクターに独占インタビューした。「日本のテレビが面白くないのは、素人が多過ぎるから」そして「今は、日本の芸能界を変える最後のチャンス」> 日本最強のお笑い系芸能事務所である吉本興業が揺れている。「闇営業」問題をメディアで報じられ、会社から沈黙を命じられた芸人の宮迫博之と田村亮が先週、突然反論の記者会見を実施。会社上層部から圧力の存在を明かした。 問題は闇営業を超え、社長の発言から垣間見える芸人へのパワハラや所属事務所側の「搾取」、契約書の不在など拡散している。これは吉本興業、あるいは日本の芸能界特有の問題なのか。日本社会全体の問題ではないのか。 米ABCテレビの元プロデューサーで、子役としてアメリカで活躍した経験も持つタレントのデーブ・スペクターに本誌・小暮聡子が聞いた』、日米の芸能事情に通じたスペクター氏へのインタビューとは興味深そうだ。
・『Q:今、吉本興業という企業をどう見ているか。 A:世界にはない企業だ。お笑い芸人を中心として、6000人もタレントを抱える芸能事務所というのは世界を見渡してもどこにもない。アメリカにもコメディアンは多いが、1つのエージェントに所属するタレントは多くて20~30人だ。 日本は、お笑いの文化が非常にユニーク。大阪そのものがお笑いの街として認知されていて、一般の人にも笑いをとれる話術と話芸がある。大阪弁自体が面白くて、お笑いに最高の方言だ。その、お笑いの街で生まれたのが吉本だ。そういう意味ではとてもユニークな会社だと言えるだろう。 大阪だけでなく東京や各地にいくつも専用の劇場を持っていて、お笑いだけでこれほど手広くやっている大企業は、日本だけでなく世界を見渡しても吉本だけだ。愛されていることは間違いない。戦前からの古い歴史があってここまで大きくなった。企業そのものとしてはリスペクトされてもおかしくない』、(吉本興業について)「お笑いの街で生まれ・・・お笑いだけでこれほど手広くやっている大企業は、日本だけでなく世界を見渡しても吉本だけだ。愛されていることは間違いない」、確かにその通りだ。
・『Q:今、吉本興業が企業として問題視され、若手の収入が低いことや、契約書の不在、上層部のパワハラとも言える発言が取り沙汰されている。これらに関してはどのように見ているか。 A:まず、日本の芸能事務所は異質で、アメリカなどとは全く違う。その中でも、吉本自体がさらに異質だ。日本の芸能事務所というのは、給料を月給制か歩合制にして、タレントを雇っている立場だ。タレントを商品として所属させ、営業といって売り込んで、事務所側がそのギャラの何割かをもらうというシステムだ。 アメリカは逆に、(モデル事務所は例外だが)基本的にはタレントや役者が自分でマネジメント(日本でいうマネージャー)を雇っている。どこかの事務所に入ったとしても、日本のように事務所が月給を支払うことはない。タレントには映画会社やテレビ局から直接ギャラが支払われ、タレントがそのギャラの中からエージェントにだいたい10%くらいを払う仕組みだ。弁護士もいるし、金額まで全てオープンにしている。 日本はどんぶり勘定的で、基本は事務所がギャラの本当の額をタレントに言わない。ギャラから何パーセントかを事務所が差し引いた額がタレントに支払われるという歩合制か、もしくはフラットな月給制だ。まだあまり売れていない人は月給が多いのだが、少し売れ始めると歩合になる』、日米間では仕組みが大きく違がっているようだ。
・『下手でも事務所の力でテレビに出られる  何が問題かというと、日本では吉本のように、あまり実力や才能がなくても事務所に所属できてしまうということだ。これは他の大手事務所にも言えることだが、例えば吉本には「NSC(吉本総合芸能学院)」という養成所があり、お笑いや何かの芸を教えていて、そこを出ると大半は自動的に事務所に所属できてしまう。 専門学校のようなものなので、もちろん学生は自分で安くはない月謝を払って通うわけだが、吉本側もそういう学生を集めるために広告塔としてデビュー前の素人でも何人かテレビに出すということをやっている。 そこで出てくるのが、事務所の力でタレントを使わせるというやり方だ。バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる。本当はよくないのだが、そうすればあまり面白くない人でも事務所の力で出演することができてしまう。 ある意味でタレントたちが文句を言えないのは、松本人志さんや加藤浩次さんや友近さんなどすごく実力があって価値がある人はいいのだが、そうでもない人が事務所に所属しているだけで出られるという構造があるから。本当にそんな文句が言えるのか、ということになってくる。 これは日本にしかない事情で、吉本だけでなく他の事務所もタレントになりたい人を簡単に入れ過ぎる。だから人数が増えていく。この、所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題だ。 実力が足りないのに、テレビのバーターなどでたくさん出す。だが、そんなのを観ていたら視聴者はしらけるだろう。なんでこんなにつまんない人出してるの、と。人のこと言えないんですけど(笑)。日本にはタレントが多過ぎる、芸人と名乗る人が多過ぎる。「芸NO人」という言い方もあるくらいだ(笑)。Q:アメリカの芸能界は実力社会なのか。 A:アメリカではオーディションが厳しい。コメディーで言えばスタンダップコメディーで下積みを重ねるが、非常に厳しくてなかなか上にあがっていけない。100%実力の世界で、事務所の力などないし、バーターという表現すらない。そういう概念がない。 アメリカにもエージェントはあるが、そこまで売り込んだりはしない。オーディションもあるし、ある程度売れている人にはマネジメントが付く。アメリカで役者やコメディアンの卵というのは誰からも保障がないから、ウエイターやウエイトレスなどいろいろやりながら下積みをして、稼げるようになってからアルバイトを辞める』、「バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる」、「吉本だけでなく他の事務所もタレントになりたい人を簡単に入れ過ぎる。だから人数が増えていく。この、所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題」、タレントまで「抱き合わせ」の対象になったので、「これがタレントか」と首を傾げざるを得ないケースが増えているのだろう。
・『日本は素人から「育てる」ことが好き  アナウンサーだってそう。日本のテレビ局は大学を卒業して、新卒でまったくの新人を入れているが、アメリカでは考えられない。全てローカル局から上がっていく仕組みで、いきなり大都市で全国放送のキャスターになるというのはあり得ない。 日本は大学を出てそのまま入ってくるので、結局はド素人。一からいろいろ教えて30そこそこでフリーになる。アメリカで30歳なんて、ようやく少し大きいところにやっと出られるくらい。 日本のおかしいところはそこだ。つまり素人芸、素人の段階でも受け入れてくれる。優しいと言えば優しいのだが、実力も経験もまだないのに入れてしまうという。何もできない12歳の子でも事務所に入れて、実習見習いみたいな形でゼロからスタートする。それはあまりよくない。 日本に特徴的なのは、例えばアイドルとか、見習い的に素人の段階でテレビに出させる。松田聖子さんとか、デビューしたてはぎこちなくて歌唱力もまだそれほどなくて、でもかわいいじゃないですか。それで、どんどん上手くなっていって、気が付くとものすごく上手。 アイドルを見て僕がいつも言っているのは、盆栽のようにゆっくりと育てていく楽しみがあると。アメリカでは出来上がった盆栽しか買わない(笑)。日本は、作っていくというそのプロセスを楽しんでいる。 Q:見ている側もそのプロセスを楽しんでいると。 A:大好きでしょう。子役から上がっていくとか、まだ下手だけどだんだん上手になっていくとか。ジャニーズだって、例えばSMAPもそうだが、最初はただの男性アイドルでも、いつの間にか演技もできるとか役者になっていたり、中居(正広)くんみたいに面白いMCもできるとか、目の前で変わっていく。視聴者も一緒に育てているので、それこそ観る側も「ファミリー」だ。だからあまりシビアにうるさく見ないという、いい面もある。 そもそも日本で「素人」というのは、悪い意味ではない。「新人」とか素人が大好きで、企業だっていまだに新卒を雇う。アメリカは経験がない人を好まない。キャスターになりたい人は必ずジャーナリズムスクールに行く。大学在学中にインターンをしたり、専門的な勉強をして職業訓練をしてから、就職する。 だが日本は漠然とした学歴しかなく、専門学校を出ている人のほうがすぐに役に立つくらいだ。メディアだけではなく商社など一般の企業でもいまだに新卒を雇って、入社してから社員教育をし、人事異動を繰り返して浅く広くいろいろなことを学んでいく。 日本社会がそうなっているので、芸能界はその延長線上にあるに過ぎない。だから違和感も抵抗もない。なぜアイドルとか下手な人たちに抵抗がないかというのは、日本社会にそういうベースがあるからだ』、「日本は素人から「育てる」ことが好き」、というのは日本社会に広くみられる現象だ。AKB48などもその典型だろう。
・『日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい  A:吉本の岡本昭彦社長が使った「ファミリー」という言葉について、その定義はさておき、日本の芸能事務所というのは吉本もそうだし、例えばジャニーズ事務所も、EXILEの事務所であるLDHなども、養成所やダンススクールを持っていて素人の段階から育てるということをしている。手をかけて育て、デビューさせる。一方で海外にはタレントを育成する、育ててくれるという文化はなく、既に売れている人や売れそうな人にエージェントが付いて、売れなくなったらばっさり切り捨てる。 だからこそ、いい人が残って、才能がない人は淘汰されるのでクオリティーが高い。日本で言うと、ダンスを教える分にはいい。ジャニーズだって上手いしトップクラスだ。 ジャニーズが少しだけ違うと思うのは、小学生や中学生など本当に小さいときから少しずつ学んでいくなかで、最初はそんなに出番がない。板前さんみたいに時間をかけて修行して、踊れるとか歌えるようになってからグループに入れて売り出していくシステムなので、そういうところは評価してもいいと思う。 日本の事務所の「ファミリー」には、いいところもある。タレントはギャラの何分の一かしかもらえなくて、事務所による搾取と言えば搾取だし、最初のうちは損している。ところが、そのタレントが歳を取ってあまりニーズがなくなっても、事務所がその人たちを切ることはしない。 事務所もその人にお世話になって儲けさせてもらったから、例えば元アイドルが40代や60代になっても所属させたまま月給を払い続ける。つまり、恩返しとして一種の生活保護をしている。タレントにとっては失業保険になっている。 事務所のホームページをよく見てみると、ベテランとして上のほうに載っているんですよ。みんな年功序列制だから(笑)。あんまり活躍はしていないけど、冷たくしないで残しておく。それで、それほど注目されない番組のいろんな枠に入れちゃう。20人、30人必要なひな壇がある、大特番番組などに何人か入れてあげる。 その人を残すことで会社は損している場合があるが、それこそファミリーとして残したままにしてあげる。事務所にもよるが、日本は後になってから面倒見がいい。 Q:日本は、売れなくなったからといって解雇はできないのか。 A:冷たすぎる、そんなことしたら。態度が悪いとかクレームばかりのタレントだったら解雇するが、基本的にはやらない。病死するまでいる。アメリカは月給なんて保障しないから、エージェントにとって負担にならない。稼げなくなったらその分、マネジメントに払わないだけの話だ。 逆にアメリカの場合だと、エージェントがなかなか仕事を探してくれないとか、うまく斡旋してくれないとか、交渉が上手でないとか、オーディション情報や新作映画やテレビシリーズの情報が遅いとか、チャンスを逃したとか、そういうときにはタレントが自分からマネジメント契約を解消して違うところに移籍する。自分が雇っているので、自分で決められる。日本とアメリカでは立場が逆だ。 アメリカの芸能界には労働組合もある。役者組合、ブロードウェーなど演劇の組合、僕も子役のときに入っていた米国俳優協会(Actor's Equity Association: AEA)もあるし、映画だったら映画俳優組合(Screen Actors Guild:SAG)、テレビやラジオ関係なら米国テレビ・ラジオ芸能人組合(American Federation of Television and Radio Artists : AFTRA)がある(2012年にSAGとAFTRAが合併し、現在はSAG-AFTRA)。 そのほかに音楽関係は別に組合があるなど、エンターテインメントの世界にものすごい数の組合がある。僕が今も入っている全米監督組合(Directors Guild of America: DGA)は、年金もあるし本当に素晴らしい。なぜ組合があるかというと、大昔は働く環境がよくなくて、搾取されたり労働条件が悪かった。今は組合に入っていると最低賃金が保障される』、「日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい」、というのは、いまどきの一般の企業ではベテランへの追い出し部屋など、厳しくなっているのとは真逆だ。
・『芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」  Q:日本の芸能人は組合に入っていないのか。 A:日本の芸能界には組合がない。ないほうがいいというのは、実力があっての組合なので、日本には才能がない人が多過ぎて、組合に入ったら事務所との上下関係が狂ってしまって事務所はますますやる気をなくすだろう。 今の日本の上下関係については直さなければいけないとみんな言っているのだが、本音は違うと思う。下手な人を使い続けるのなら、彼らが事務所の言いなりになるのは仕方がないとみんな分かっている。今はきれいごとを言っているだけ。 Q:今回の騒動をきっかけに、吉本を含め、日本の芸能界は変わると思うか。 A:変わらないと思う。一部の事務所、例えば小さいモデル事務所の中にはすごくシビアに、あまり人を入れないとか欧米的にやっているところもあるが、それはほんのわずか。僕は変わらないと思う。 Q:テレビ局が吉本の株を持っていることなど、吉本とテレビ局の関係もクローズアップされている。テレビ局が芸能事務所に、才能がある人しか使わない、と言うことはできないのか。 A:言えばいいのだが、言わない理由は簡単だ。もちろんテレビ局側もそうしたほうがいいと、たぶん常識的には分かっている。しかし、これは芸能界に限らないのだが、日本にはトップとの接待文化がある。 特に芸能界は接待文化。だって安倍総理が毎晩いろいろな人とご飯食べているくらいだ。そうすると、どうしてもなぁなぁに、ずぶずぶの関係になってしまう。表現は悪いが、癒着が出てくる。さりげない癒着、つまり忖度が多いと思う。 接待文化がある限り、事務所の意向が通るようになってしまう。広告代理店もスポンサーもみんな夜会うからいけない。僕は日本の社会をよくするには、夜間外出禁止令を作ったほうがいいと思っている。19時前に家に帰るようにしよう、と。会社の社長全員に警備員を付けて自宅に直帰しているか見張らせるんだと。あるいは足首にGPSをつけて、ちゃんと帰ったか分かるようにするとか。 もしくは、接待ではなくランチがいい。ハリウッドのやっていること全てがいいとは言わないが、ニューヨークなどはみんなランチかブレックファスト。接待は大きい。日本でテレビ局以外の企業でもいろいろな癒着が生まれるのは、夜に和食やお座敷に行くからだ。ゴルフ接待もある。 そういうことしていると、うちのあの子を使って、となってしまう。アメリカの場合は何が違うかと言うと、映画スタジオやテレビ局のトップ陣営というのはものすごい大金を稼いでいる。正社員というシステムがないので、ディズニーでもABCでも、日本円にすると億単位のお金をもらっている。彼らに接待しても喜ばない。 日本のテレビ局も給料は高額だが、それでも欧米と比べると桁が違うのでやっぱり接待に弱い。もちろん全てが悪いとは言わないが、接待文化によって結局ものごとを言えない空気が作られてしまう』、「芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」」、も適格な指摘だ。アメリカ流の「ランチかブレックファスト」の方が確かに望ましいが、「接待文化」は当面、続かざるを得ないだろう。
・『日本のテレビ離れを止めるには今しかない  Q:デーブさんがいつも日本のテレビ文化について、忖度なく率直な意見を言っているのは、なぜなのか。 A:昔からそう言っているのは、日本のテレビが好きだから。文句を言いたいわけではない。自分はアメリカを見て育ってきているし、今は自分もプロダクションを経営していて日本とアメリカの状況どちらも見ているので、日本にもフェアプレーをやってほしいと思っているだけだ。 訳ありキャスティングをどうにかしたい。前は別に目をつぶっていてもよかったかもしれないが、今はテレビ離れが深刻だ。視聴者がどんどん減っている。ネットフリックスもHuluもあるし。ソーシャルメディアもあるし、テレビ以外に選択肢がたくさんある。 それでも、先進国の中で日本ほどいまだに地上波が好きな国はない。つまり今は、日本のテレビ界にとって最後のチャンスだ。これ以上沈まないように、タイタニックで言うともう目の前に氷山が見えている。タイタニックでは見えるのが遅過ぎたのだが、今は何十キロも離れた先でも双眼鏡で氷山が見えている段階。あと数秒でぶつかるわけではないので、やろうと思えばまだ旋回できる。 日本のテレビをよくするには、上手い人を使うこと。バーターとか事務所からの押し付けとか、事務所先行のキャスティングを断ること。使いたい人を使う。 今はテレビの話ばかりしていて大変失礼なのだが、イベントやCMやラジオや、モデルを使う雑誌も全部含めて、本来はギャラを支払うほうが決められる立場のはずだ。日本は事務所が強過ぎる。その中に、吉本がまた別格の存在としてある、ということだ。 僕は吉本も大好きで、好きだからこういうことを言っている。例えば役者で言うと、役所広司さんや亡くなられた樹木希林さんも大好き。本当に上手い。そういう素晴らしい役者がいるのにどうして役者と言えない人を使うのか、と怒るのは、日本のテレビをよくしたいからだ』、スペクター氏の「日本愛」溢れた助言を、少しでも取り入れてほしいものだ。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「家族という物語の不潔さ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00032/?P=1
・『吉本興業関連の話題に食傷している人は少なくないはずだ。 私もその一人だ。 例の岡本昭彦社長の会見の冒頭部分の15分ほどを傍観した時点で、はやくも腹部膨満感を自覚した。以来、このニュースを視界から遠ざけている。 テレビに関しては、この4月からの断続的な入退院を通じて、ほぼ完全に視聴習慣を喪失した。 それゆえ、テレビ番組側のコンテンツとしての出来不出来はともかくとして、画面の中を流れるあの水中バレエじみたまだるっこしい時間の経過に追随できなくなっている。 よって、視聴の必要を感じた番組については、一旦録画して、随時早送り可能なコンテンツに変換した上で、順次咀嚼吐出している。ナマでダラダラ付き合うことは、おそらく、この先、一生涯できないと思う。 2年ほど前、とある仕事の打ち合わせで同席した30代とおぼしき編集者が 「テレビはあんまりノロマ過ぎて見ていられないです」と言い放つのを聞いた時、私は「この若者はどうしてこんなにもあからさまに利口ぶっているのであろうか」と思ったものだったのだが、今にして思えば、彼の観察は正しかった。 間違っていたのは当時の私の方だった。 つまり、地上波テレビの瀕死のナメクジみたいな時間感覚にアジャストできていた私の脳みそは、あの時点で既に瀕死だったということだ。 実際、まるまる2カ月間、地上波テレビの視聴から隔離された環境で過ごして、久しぶりにナマで流れているひな壇形式のスタジオバラエティーに直面してみると、心底びっくりさせられる。 「おい、このノロさとものわかりの悪さはなんだ?」「画面の中でしゃべくっているこの人たちは、どうしてわざわざアタマの悪いふりを続行しているのだろうか」「誰かが言ったセリフを、スタジオ中の出演者が何度も繰り返し確認しながら話を展開していくこの猛烈にクドい対話手法は、令和になって新たに定められたロンド形式の儀式か何かなのか?」てな感じで、私は、5分以上視聴し続けることができない。 吉本興業の話題についても同様だ。 どこからどう見ても典型的にアタマの悪いスタジオ出演者たちが、わかりきった話を、どうにも質の低い表現で繰り返し議論しているのを、ただただ口を挟むこともできずに聞かされる視聴経験は、時間の無駄である以上に、拷問だ』、全く同感である。
・『思うに、吉本興業をめぐる話題の背景には、テレビを愚劣な雑談箱に変貌させてしまったテレビ局と視聴者の共犯関係が介在している。 テレビ番組を企画制作している放送局の人間たちと、その番組を大喜びで享受している視聴者諸兄が同じように腐っているのでなければ、いかな吉本興業とて単独であそこまで腐ることはできないはずだ。 実態に即して考えるなら、制作側があの程度のコンテンツを一日中垂れ流している限りにおいて、MC役にはノリの良いチンピラがふさわしいわけで、だとしたら、今回のエピソードのメインの筋立ては、はじめから、清潔であるべきテレビ番組進行役のタレントが、半グレの宴会に参加していたというお話ではない。むしろ、ヤンキー連中が得意とする下世話な仲間受けのイキった対話術を、大学出のテレビ業界人が、スタジオ活性化目的で利用してきたことの必然的な結果が、今回の一連の騒動であったのだと考えなければならない。 なので、吉本興業と「反社」(←昨今の商業メディアが右へならえで採用している、「反社」というこの略称自体が、明らかに腰の引けた婉曲表現で、要するに、彼らは暴力団ならびに半グレを真正面から名指しにする事態を避けて通りたいと考えているのである)の関わりについて、これ以上の言及は控える。 芸人と事務所の関係についても、一日中テレビがわんわん騒いでいるのと同じ切り口で重ねて何かを言うつもりはない。 というのも、誰かの食べ残しを食べた人間のそのまた吐き戻しみたいな話題を、もう一度つつきまわす理由は、少なくとも活字の世界で渡世をしている私の側には、ひとっかけらもありゃしないからだ。 ここでは「家族」の話をしたい。 例の会見の中で、吉本の岡本社長は、とりたてて鋭い質問を浴びせられていたわけでもないのに、自分で勝手に墓穴を掘っていた。そして、自分で掘ったその墓穴を埋めるべく、「家族」という言葉を持ち出していた。 なんと愚かな弁解だろうと、当初、私はそう思ったものなのだが、現時点であらためて考えるに、岡本社長が苦しまぎれに持ち出した「家族」という、あの手垢ベカベカの陳腐な物語は、あれまあびっくり、一定の効果を発揮している。 というのも、私自身はほとんどまったく説得されなかったものの、あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる。 「家族だしな」「家族なんだからしょうがないよなあ」「理屈じゃないよね」「そりゃ、家族なんだし、理屈なんか関係ないだろ」「トラブルはトラブルとして、食い違いは食い違いとして、とにかく、家族なのだから、そういうものを乗り越えて絆を強めていけばいいんじゃないかな」「そうだよね。雨降って地固まるって言うし、家族にとってはもめごとこそが絆だよね」「傷が絆になるんだよ。傷を負った者同士だから優しくなれるんだよね」ああ気持ちが悪い』、「あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる」、というのには驚かされた。
・『この問題が、どんな方向で落着するのかについて、私は既に興味を失っている。 というよりも、落着なんかしないだろうと思っている。 別の言い方をすれば、この種の問題を合理的に落着させることなく、永遠に撹拌し続けていく忖度と威圧の体制こそが、吉本興業の支配を招いたわけで、彼らが提示している「笑い」は、最終的に「絆」だの「仲間」だの「家族」だのの周辺に生成されるゲル状(ゲロ状かもしれない)の半個体として、いずれ、われわれの社会を機能不全に陥れるに違いないのである。 私の関心を引くのは、吉本興業そのものではない。この種のウェットな問題が起こる度に、飽きもせずに召喚される「家族」という物語の不潔さだ。 あえて、「家族という物語の不潔さ」という挑発的な書き方をしたのは、「家族」という文字面を見た瞬間に、すっかり大甘のオヤジになってしまう人々に目を醒ましてほしいと考えているからだ。 「家族」 という言葉を目にしただけで、うっかり涙ぐんでしまう、極めて善良な人々が、本当にたくさんいる。 それが良いことなのか悪いことなのか、私には判断がつかない。 ただ、「家族」という言葉ひとつで、どうにでもコントロール可能な人間は、どっちにしても、誰かに利用されることになる。 理由は、誰もが誰かの家族である一方で、家族を利用する側の人間は、すべての人間を利用する邪悪さを備えているからだ。 誤解を解くために、以下の文言を繰り返しておかなければならない。 不潔なのは、家族ではない。 家族の物語が不潔なのでもない。 私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ。そこのところをぜひ間違えないでほしい。 とはいえ、必ず間違える人たちが現れることはわかっている。 この国には、「家族」に関して、自分の思い込みと少しでも違うものの言い方をされると、猛烈に腹を立てる人たちが思いのほかたくさん暮らしている。 だからこそ、どんなに陳腐な形であっても、「家族」の物語を利用する人々にとって、うちの国の社会はチョロいわけなのである。 岡本会見の炎上の焦げ跡がだらしなくくすぶっていた7月23日の未明、私はこんなツイートを書き込んだ。 《「家族」とか「兄弟」とか「仲間」とか「国民」とか「同志」とか、そういう「範囲を限った集合」を仮定しないと愛情を活性化できない人間は、結界の外の世界が目に入っていないわけで、それゆえ、その彼らの「家族愛」なり「愛国心」なりは、いともたやすく結界外の人間への敵対感情に転化する。0:29-2019年7月23日》 このツイートには、しばらくの間、主に賛同のリプライが寄せられていたのだが、どこかで引用なりRTされて以来なのか、翌日の夕方から後、にわかに反論や罵倒のリプが押し寄せる流れになった』、「私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ」、これまで気づかなかったが、言われてみれば、今後はその手に乗らないよう気を付ける必要がありそうだ。
・『で、24日の夜、補足のために以下の一連のツイートを当稿した。 《やたらと攻撃的なリプが来るんで補足しておく。オレは「範囲を限定せず、すべての人類に愛情を注ぐべきだ」と主張しているのではない。「家族、同国人にも愛せない人間はいるし、他人や異国人の中にも愛すべき人々はいる」と言っている。属性だの国籍だの血縁だのを愛情の条件にするのは違うぞ、と。1:58-2019年7月24日》 《個人的には、「家族なのだから愛し合わなければならない」「同じ会社の同僚なのだから団結せねばならない」「同じ民族なのだから理解し合えるはずだ」てな調子の思い込みは、ある臨界点を超えると、有害な圧力になると思っている。22:02-2019年7月24日》 《私が「家族」「結界」の話を持ち出したのは、吉本興業の会長が「うちの芸人たちは家族だと思っているから、いちいち契約書は交わさない」と言ったからだ。社員数人の家族経営ならいざしらず、売り上げ何百億の企業が、「家族」なんていう不合理かつ抑圧的な原理で運営されて良いはずがない。 22:08-2019年7月24日》 《年間売り上げ何百億円の大企業が、「家族」の美名のもと、契約書すら交わさずに所属タレントを使役している「不合理」さと「抑圧」を指摘したわけで、つまり「家族」が実際の「家族」の枠組からはみ出して、「擬制」として巨大な組織に適用される時、それは抑圧的な原理に変貌するということです。RT:@xxx『「家族」なんていう不合理かつ抑圧的な原理』って、世界の大半の人間は、何かしらの家族に属し、自らの家族を愛し、そのことについて疑問を感じずに生きてるんですけど、そういう人達に喧嘩を売っていると読み取っていいのかな、これは 8:12-2019年7月24日》 以上のツイートの流れを追えばわかっていただけると思うのだが、私は、「家族」への愛情や帰属意識そのものを攻撃したのではない。家族的なつながりの価値を否定しているのでもない。 私が一連のツイートを通じて強調しているのは、法に基づいたコンプライアンスを重視すべき企業が、「家族原理」を持ち出すことへの違和感だ。理由は、わざわざ説明するまでもないことなのだが、血縁上の文字通りの家族以外のメンバーを対象に拡張的に適用される家族原理は、多くの場合、不合理な支配隷従関係の温床となるからだ。具体的に言えば、安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける。そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ。もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている』、「安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける。そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ。もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている」、説得力溢れた主張だ。
・『私は、吉本興業には、もはや何も期待していない。 むしろ、吉本興業と取引している関係各方面の公的な組織や企業や人々が、今回の事態を受けて、どんな判断をするのかに注目している。 彼らがまったく判断を変えないのだとしたら、この国の社会は、たぶん、永遠に変わらないだろう。 私が今回、世間を騒がせている吉本興業関連の話題の中から、わざわざ「家族」の問題を切り出して主題に持ってくる判断を下したのは、自分のツイートへの反応をひと通り眺めた上で、あらゆる人間関係を「家族」のメタファーでしか考えられない人間が思いのほかたくさんいることに気づいたからだ。 あるタイプの人々は、「家族の物語」を軽視する発言にひどく腹を立てる。 というのも、彼らのアタマの中では、「家族的な価値」「拡大家族としての仲間のかけがえのなさ」「家族的原理の拡大の彼方にある国家という枠組みの快さ」みたいなストーリーが想定されているからだ。 彼らの妄想の中では、「家族の物語」が毀損されると、その家族の延長として想定されている「国家」までもが、崩壊の危機に瀕することになっている。 ついでに申せば、彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする。 私自身は、自分のことを「家族」に限らず「集団」への帰属意識が薄いタイプの人間だと思っている。 それゆえ、「地域」「国家」「会社」「母校」といった、枠組みの大小はどうであれ「人間の集団」にはいつも距離を感じてきたし、「絆」「同志愛」「愛社精神」「チームスピリッツ」「愛国心」のような感情の強要には、時にあからさまな抵抗を示してきた。 こうした点を踏まえて、公平な言い方をするなら、私自身、自分が「家族」や、人間の集団に関して感じている警戒心を、ごく普通の感覚だと言い張ることはできないと思っている。 たぶん私の帰属意識は、特例に属する特殊な感覚なのだろう。 とはいえ、私のこの「特殊」な感覚が、それはそれとして尊重されるのでなければ、民主主義の社会は、長続きしないはずだ。 人間の集団は、常に同調できない人間を含んで運営されるべきものだ。 つい昨日、地上波民放の在京キー局5社が共同制作した「一緒にやろう2020」というプロジェクトの公式映像を見て、その気持ちの悪さにしばらく絶句したことを告白しておく。 来年のオリンピックが来るまで、この空気が続くのかと思うと、胸が苦しい。 あるいは来年以降もずっと続くのだろうか。 まあ、仕方がない。 先のことは考えないようにしよう』、「彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする」、というのでは、ますます「家族」に騙されないようにする必要がありそうだ。
タグ:アナウンサー 日刊ゲンダイ 小林よしのり 日経ビジネスオンライン Newsweek日本版 小田嶋 隆 「闇営業」 (その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ) 「維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇」 コンプライアンス上の疑義がある吉本に対し、官民ファンドの「クールジャパン機構」から総額100億円もの公金が投入されることが問題視 維新の選挙には、吉本の芸人が応援に駆けつけるのが恒例になっている 安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立て 吉本と大阪市は2017年に包括連携協定を結んでいて、今では、吉本は維新のオフィシャルパートナーのような立場なんです 「クールジャパンパーク大阪」 実質的な“吉本劇場” 2025年の大阪万博も維新と吉本は二人三脚で進める。 吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすることなのか 吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです 吉本興業は、維新の会や安倍政権という権力者ともズブズブで、反社会勢力とも繋がる緩すぎる企業であり、そもそも「笑い」をやる者が、権力に媚びをうるような堕落を呈しているから、こんな事態になったのだ 「デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る」を 6000人もタレントを抱える芸能事務所というのは世界を見渡してもどこにもない お笑いの街で生まれたのが吉本だ。そういう意味ではとてもユニークな会社 下手でも事務所の力でテレビに出られる 養成所があり、お笑いや何かの芸を教えていて、そこを出ると大半は自動的に事務所に所属できてしまう バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる 所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題 日本は素人から「育てる」ことが好き 素人芸、素人の段階でも受け入れてくれる アイドルを見て僕がいつも言っているのは、盆栽のようにゆっくりと育てていく楽しみがあると 企業だっていまだに新卒を雇う。アメリカは経験がない人を好まない なぜアイドルとか下手な人たちに抵抗がないかというのは、日本社会にそういうベースがあるからだ 日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい アメリカの芸能界には労働組合もある 芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」 接待文化がある限り、事務所の意向が通るようになってしまう ランチかブレックファスト 日本のテレビ離れを止めるには今しかない 「家族という物語の不潔さ」 吉本興業をめぐる話題の背景には、テレビを愚劣な雑談箱に変貌させてしまったテレビ局と視聴者の共犯関係が介在 ヤンキー連中が得意とする下世話な仲間受けのイキった対話術を、大学出のテレビ業界人が、スタジオ活性化目的で利用してきたことの必然的な結果が、今回の一連の騒動であったのだ 「家族」 岡本社長が苦しまぎれに持ち出した「家族」という、あの手垢ベカベカの陳腐な物語は、あれまあびっくり、一定の効果を発揮している。 というのも、私自身はほとんどまったく説得されなかったものの、あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる この種のウェットな問題が起こる度に、飽きもせずに召喚される「家族」という物語の不潔さだ 「家族」という文字面を見た瞬間に、すっかり大甘のオヤジになってしまう人々に目を醒ましてほしいと考えているからだ 理由は、誰もが誰かの家族である一方で、家族を利用する側の人間は、すべての人間を利用する邪悪さを備えているから 私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ 年間売り上げ何百億円の大企業が、「家族」の美名のもと、契約書すら交わさずに所属タレントを使役している「不合理」さと「抑圧」を指摘したわけで、つまり「家族」が実際の「家族」の枠組からはみ出して、「擬制」として巨大な組織に適用される時、それは抑圧的な原理に変貌する 安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている 彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする
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「あいちトリエンナーレ2019」問題(その2)(伊東 乾氏の3題:「慰安婦」トリエンナーレが踏みにじった人道と文化 「ヴェネチア・ビエンナーレ」以来の芸術監督鉄則3か条、トリエンナーレ「計画変更」は財務会計チェックから 税金原資、「慰安婦」炎上狙いでテロ誘引 膨大なコスト増 あいちトリエンナーレ大失態と欧州が払っている膨大な経費) [外交]

「あいちトリエンナーレ2019」問題については、8月7日に取上げたばかりだが、今日は、(その2)(伊東 乾氏の3題:「慰安婦」トリエンナーレが踏みにじった人道と文化 「ヴェネチア・ビエンナーレ」以来の芸術監督鉄則3か条、トリエンナーレ「計画変更」は財務会計チェックから 税金原資、「慰安婦」炎上狙いでテロ誘引 膨大なコスト増 あいちトリエンナーレ大失態と欧州が払っている膨大な経費)である。なお、タイトルから「日韓慰安婦問題(その5)」は削除した。

先ずは、作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督で東大准教授の伊東 乾氏が8月7日付けJBPressに寄稿した「「慰安婦」トリエンナーレが踏みにじった人道と文化 「ヴェネチア・ビエンナーレ」以来の芸術監督鉄則3か条」を紹介しよう。同氏の寄稿は8月7日のこのブログに続くものである。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57247
・『あいちトリエンナーレ「表現の不自由展 その後」の中止を巡って「何が起きていたか」式の解説を複数目にし、ただただ、ため息をついています。 というのも、この展示やその中止も「政治的」でしたが、その収拾や解説も徹頭徹尾「政治的」な文脈からなされており、およそ「国際芸術展」としての本道から外れたものしか見当たらないからです。 (芸術の立場に立つ希少な例外があればご教示いただきたいです。またアート系メディアが誤った「表現の自由」程度の話で道に迷わないように、とも思っています) ジャーナリストを芸術監督に据え、「男女平等」など芸術そのものの内容とは別の切り口でのPRが奏功し、事前チケットも2倍の売れ行きであったことが報じられています。 つまりこれは「動員ありき」であって、タレント性のある有名人を「芸術監督」に選び、一日駅長相当で営業成績を稼いだことが分かります。 一芸術人としてこうした動きに早い時点から疑義を呈してきました。 大学などでも、全く門外の人が突然「芸術」を言い出し、素人万歳といった風潮が存在します。しかし、リスクを評価できないのでヒヤヒヤさせられるものが少なくない。今回は実際に、最悪の展開になってしまった。 かつ、その「何が」最悪であるかのポイントが、「政治的な説明」ではスルーされている。それを補いたいと思います。 ちなみに「情をもって情を征する」といったことは、単に脳認知に照らしておかしな空想と前稿に記しました。 京都アニメーション事件を巡って週刊文春に中村カズノリさんというカウンセラーの方の「怒りを因数分解する」テクニックが紹介されていました。 参考までにリンクします(https://bunshun.jp/articles/-/13240)。 興奮している人には何らかの意味で水をぶっかけて正気に戻す。感情の火に別の油を注いでまともな話になるわけがありません。 アートとは、形にならない人間の情動ではなく、素材や音という客観的な実在によって表現する人智の方法、ars(https://en.wiktionary.org/wiki/ars)を謂うものです』、「「情をもって情を征する」といったことは、単に脳認知に照らしておかしな空想と前稿に記しました・・・興奮している人には何らかの意味で水をぶっかけて正気に戻す。感情の火に別の油を注いでまともな話になるわけがありません」、津田芸術監督や主催者のお粗末さには、改めて驚きを禁じ得ない。
・『芸術監督の仕事は「危機管理」 今回すっぽりと抜け落ちたもの  報道やネットのリアクションには「政治家や公権力の<表現の自由>への介入」といった切り口があふれ、また、展示を中止された人々からも、何の説明もなくいきなり中止を通告されたと怒りを露わにする抗議文が公表されています。 しかし、こんな事態にしてしまったのは、芸術監督の判断と行動に原因があることで、明確にそれを指摘しておく必要があるでしょう。 というより、こうしたことを収拾するために、プロフェッショナルのキュレーターや職業人としての芸術監督という職掌が存在しているのにほかなりません。 アマチュアが間違った椅子に座り、面白半分で打つべき対策を打たずに徒手していれば、人災を招いて当然です。 では、本来プロフェッショナルの芸術監督であれば何をしておくべきだったのでしょうか? もし私がその任にあったとしたら、 1 展示コンテンツ事前告知の徹底 2 国際情勢の緊迫を念頭に、公聴会の開催、ないしパブリック・コメントの募集と検討 3 8月1日以降の事態急変に際しては、あらゆる関係者と対面での綿密な打ち合わせ(足を運んでの調整)。 調整不能の場合は引責辞任と、残余期間案分相当の報酬返納、それによる危機管理プロフェッショナルの雇用の申し出など これらを必ず行っていたと思います。またこの3点とも、いまのところ十全に行った報道を目にしません。 本稿はドイツのミュンヘンで記しており、情報の不足でもし瑕疵がありましたら、どうか編集部までご指摘を寄せていただければ幸いです。 「表現の不自由展」という元来の展覧会は、東京都練馬区の小さな古美術ギャラリーで開かれたものです。 このギャラリーは、私が中学高校時代を送った江古田という町にあり、私が在学していた頃は存在しませんでした。 手作りで心ある展覧会を継続していると聞き、母校に足を運ぶ折、立ち寄ったことがあります。全くのプライベート・ギャラリーで、官費がどうした、税金で開催といった話が出るところではありません。 ここは芸術の自由が確保された場所といって構わないと思います。内容のいかんを問いません。 翻って「あいちトリエンナーレ」は、神田真秋弁護士が愛知県知事選の公約として掲げて当選、発足した、最初から官費ありきの、極めて公的性質の高い国際展です。 そのコンテンツの選定は(あくまで一義的には芸術監督以下の判断が重視されますが)そこでの分別ある選定が当然ながら求められることになります。 主催は「あいちトリエンナーレ実行委員会」実行委員長は大村秀章・愛知県知事ですが、大村知事は農水官僚出身の元自民党代議士で、芸術に関するいかなる判断も下すことはありません。 ここまで押さえたうえで、具体的に今回の失態を検討してみましょう』、「アマチュアが間違った椅子に座り、面白半分で打つべき対策を打たずに徒手していれば、人災を招いて当然です」、というのは手厳しい批判だ。「今回の失態を検討してみましょう」、というのは興味深い。
・『展示の告知は十分だったか?  今回の経緯、こんな事態に炎上・発展してしまった段階で「セキュリティの観点から」大村知事が「中止」と判断を下されても、職掌に照らして妥当なことです。 さらに大村知事は、名古屋市長からのコンテンツ内容に関する指摘に「憲法違反の疑い」という、極めてピシッとした折り目で対処しており、プロフェッショナルの措置として、まずもって完璧です。 大きなリスクがある。だから留保する。以上。 芸術サイドに返す言葉は本来ないというのが、一芸術人として常識的に考えるところです。むしろ、そこまで徒手していた監督サイドの瑕疵を指摘し、今後は決してこうしたことの再発がないよう、努めるべきと思います。 まず、あいちトリエンナーレは、目玉のコンテンツとして「少女像」が展示されることを広くポスターなどで告知していたでしょうか? 地下鉄の中づりなどに、カラーのオリジナル「少女像」のグラビアが出たりしていたのか?  在外で、実情は現地の方に確認したいと思いますが、実のところ「蓋を開けてみたら<慰安婦像>があるではないか!」という「市民の抗議電話」などが殺到したという報道からして、十分なコンテンツの告知がなされていたとは言えないように思われます。 本稿は8月4日に書きましたが、校正時点の5日になって、「事前トーク?」と思われる津田「芸術監督」の音声動画を目にしました。 「みんな気がついてないんですけど、これがおそらく一番<やばい>企画」といった風情の、芸術監督業に責任を負ってきた観点から見れば率直に言って不謹慎、興味本位で面白半分な、キュレーションをおもちゃにする様子と見えたのは大変残念でした。 「2代前の天皇なら、歴史上の人物で燃やしても問題ない・・・」云々と報道されている動画などを確認しましたが、内容以前に、こうした「隠し玉」を準備して「炎上」させる意図があった時点で、官費執行に責任を持つ芸術監督としての大前提に瑕疵があったと指摘せねばなりません。 実際、社会ルールに照らして必要な措置は何であったか、を考えてみましょう』、「大村知事が「中止」と判断を下されても、職掌に照らして妥当なことです。 さらに大村知事は、名古屋市長からのコンテンツ内容に関する指摘に「憲法違反の疑い」という、極めてピシッとした折り目で対処しており、プロフェッショナルの措置として、まずもって完璧です」、と大村知事の判断を評価しているのは同意できる。「内容以前に、こうした「隠し玉」を準備して「炎上」させる意図があった時点で、官費執行に責任を持つ芸術監督としての大前提に瑕疵があった」、というのもその通りだ。
・『官費執行行事としての責任ある対処  日韓関係がかつてないほど冷却、悪化しているいまの状況下、もし芸術の場に「本籍」のある人が、日韓双方のアーティストや芸術文化、友好発展に責任と自覚をもっているならば、このタイミング、つまり「ホワイト国外し」といった議論に発展している渦中に、このようなコンテンツを展示すること、その波及効果について、思いを巡らさないわけがありません。 まして「隠し玉」として炎上を狙うなど、芸術の母屋に両足の着かない、無責任な野次馬の発想で、クリエーターの一人としてはただただ言葉を失うのみです。 ちなみに私はアムステルダムやミュンヘン、ベルリンで日常的にホロコースト・サバイバーと音楽の仕事をしていますが、関連の政治状況と演奏会本番との関係を常時意識しています。 下手なタイミングでめったなことをすれば、仲間に実害の影響が出かねません。 また大学では韓国や中国からの留学生に責任をもっており、アポリティカル=非政治的であることを徹底しています。 最近は、大学に職位を持つことを明示して公職選挙に立候補するなど、かつての国立大学では考えられないセキュリティ・ホールもあるようですが、大学は原則、完全にアポリティカルな場でなければなりません。 例えば、学内で教員が留学生を対象にヘイトなど絶対にあってはならないことで、発見次第、学窓を去るべきものと判断されます。 学生たちには「政治状況の変化によって、芸術や学術、文化には一切の影響はない」こと、あなたたちの安全や研究・創作の自由は指導教官の私が責任をもって守ること、学内は一切心配しなくていいが、新宿などでは暴漢が出たなどという話もあり、くれぐれも気をつけるように、といった注意を、私は日常的に送っています。 あるいは、京都アニメーション第1スタジオの焼け跡には、国と国との間には緊張があるけれど、私にとっては京アニの作品が大切と、花をもって訪れる韓国や中国などのファンが多数存在することも報じられていました。 それが芸術や学問という独立した地平の本来の在り方で、政治の具に堕してしまうなら、それは一過性のプロパガンダにすぎません。 たとえ両国間が戦火を交えていても、それと一切無関係に、信頼と友好を土壌に、常に落ち着いた円卓を準備できるのが、学問や芸術のネットワークというものです。 端的にいって台湾と中国はどのように対立していても、ITや半導体、AIやセンサーを巡る国際会議には普通にメンバーが同席します。 あるいは原爆開発を準備していた米国側に亡命したアインシュタインやニールス・ボーアと、欧州なかんづくナチスドイツにとどまったマックス・プランクやハイゼンベルクは、戦時中も常に落ち着いた和平に向けての建設的な議論に道を閉ざすことはありませんでした。 これとアドルフ・ヒトラーやヨーゼフ・ゲッペルスらが指導する政治や戦争とは、完全に分離され、ケジメされている。是は是、非は非です。 「学術外交」=学問・芸術は常に人と人の間に回路を開き続けます』、最後の部分はなかなか味わい深い表現だ。
・『ビエンナーレ/トリエンナーレ 人道と文化の「芸術オリンピック」  人道と信頼、友好、平和のためのチャンネルの確保し続けることに重要な意味があります。 1895年、最初に「ヴェネチア・ビエンナーレ」が創設されました。近代オリンピック同様、芸術が人道および文化の面で全人類に貢献することが謳われて発足した背景があります。 これを追う形で第2次世界大戦後、全世界で開かれるようになったトリエンナーレのような国際同時代芸術展には、単に税金を使っているという以上に、オリンピックと同様の品位をもって、同時代を生きる芸術作家が友好と信頼に照らして、コスモポリタンとしての道義的責任をもって固有の仕事を全世界に発信する場として設けられたという強い特徴があります。 こういう当たり前の基本、今回の関係者は役所含め1の1から分かっているのでしょうか? 日本では主催自治体のお役人からして地域振興以上のことを考えていないことがあるのは、かつて「横浜トリエンナーレ」の準備に短期間コミットした際、私自身も痛感させられました。そういう了見で開催するような行事では本来ありません。 さて、こうしたオーソドックスな観点から、現下の文在寅政権との間の政治的緊張を念頭に、百年のスパンで日本と韓国、朝鮮半島の人々との、真に深い相互理解と芸術文化への相互尊重に資する形で出品作品とコンテンツの妥当性が事前に十分吟味されたといえるでしょうか? 全く、言えるわけがありません。 国内のごく一部で内輪受けする程度の「芸術」判断基準と、地域振興動員数向上あたりに照準を当てたお役所との利害が変に一致して、グローバルな人道と文化を感じ考える芸術のオリンピックが、弄ばれていたのではないか? 「あいちトリエンナーレ」の展示作品が「決定」して以降も、国際関係は悪化の一途をたどり、「ホワイト国指定解除」など事態は急変しました。 先月にはソウルで日本製品を燃やす報道などもあった。この間、芸術監督の職掌にある者が、オリンピック同様の芸術の配慮をもって、コンテンツの妥当性に細心の注意を払っていたか?』、津田芸術監督からはこうした反省の弁を聞くことはなかった。
・『パブリック・ミーティング パブリック・コメント  公聴会を開くことも可能だったと思います。もし真剣に展示したいと思うなら 「これは「慰安婦」ではない・・・平和の少女像を巡る<あいちトリエンナーレ>プレイベント・パブリックミーティング」 といった行事を開くこともできたでしょう。むしろその方が、賛否双方、議論百出し、展示するにせよ、実物展示を控え映像などに代替するといった方法を取るにせよ、開かれた公衆の注意を呼び、結果的に「動員数」も稼げた可能性があるでしょう。 そうした決断を唯一下せたはずであったのが、芸術監督職でした。 「そんな会を開いたら、危険があるかもしれない」と言われる向きには、ネット上のスカイプ討論会でも有効でしょう。 実名匿名で多くのコメントが寄せられるようにしておき、さらには展示作品や作家とも音声動画でつなげて、開かれた場できちんとした議論を共有する。ほとんどコストなどかかりません。真剣に考えていさえすれば、120%実行できます。 仮にこうした「開幕前事前報道」が8月1日以前に事前になされていたなら、ここまで酷い、というか、明らかにビエンナーレ/トリエンナーレの同時代芸術史に汚点を残す前例には成らずに済んだと思います。 そのことを、いまだ関係者を含め多くの人が自覚していない様子ですが、今回の仕儀は芸術やアートのオリンピックを棄損している、そのことを明記したいと思います。 それに比べればドメスティックな話ですが「税金を使った」に対しても芸術監督はきちんと打つべき手がありました。 官費執行という観点ではパブリック・コメントを取ることができたはずです。仮にパブリック・コメントを通じて「この展示案は妥当ではない」という意見が多数を占めたなら、芸術監督としてそれを踏まえて「展示しない」という決断を下すことも可能だったでしょう。 そのうえで責任を問うことは、常識的に考えて困難です。 また「パブリック・コメントで支持された作品」ということになれば、いまのような事態に対して、根拠をもって反論できたはずです。そういうものが一切なかった。 「隠し玉」という悪ふざけみたいな発想で止まっていた可能性があります。「芸術監督」の続投は無理でしょう。実際にここ数日起きたことは、何だったのでしょうか?』、「今回の仕儀は芸術やアートのオリンピックを棄損している」、というのはその通りで、国際的にも恥ずかしい限りだ。
・『実行委員会「中止」決定時点で芸術監督は辞任すべきだった  十分な事前告知を行わず、パブリック・コメントなど官費執行に関する手続きも踏まぬまま、「隠し玉」炎上狙いの素人了見で8月1日に蓋を開け、現下の国際緊張状態のなか、アルコールランプと思っていたら、ガソリンにマッチを投じてしまった。アマチュアの浅い考えです。 実際に「大炎上」してから、つまり保守系の政治家がクレームをつけたり、襲撃予告と解釈できる(といっても多くは愉快犯で、本当のリスクは別のところにあると思いますが)匿名連絡があったりすれば、国家公務員出身の政治家・知事の「実行委員会」委員長としては、憲法にも照らして状況を精査のうえ、純然と安全性の観点から中止という判断を下さないわけにはいかない。 当たり前のことです。この段に至って「表現の自由」などというのは、トリエンナーレが人道と文化、平和の芸術五輪である原点を考えるとき、議論にならないことがお分かりいただけるかと思います。 さて、その渦中で芸術監督は何をしたか? 一緒になって「中止」する側に回ってしまった。これが最低最悪と思います。察するに、公務員としても政治家としてもプロの大村知事の盤石の説明の前で「納得」させられ、うなづいて帰ってきたのではないかと思います。 それでは、ただの坊やにすぎません。芸術監督が守るべき一線は別に厳然と存在したわけですが・・・。 さらに、その「決定」に際して、芸術監督であるはずの津田大介氏は、作品「平和の少女像」の作者、彫刻家のキム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻と、直接対話して納得を得るプロセスを経ていない、と報道されています。事実なら、あり得ません。 彫刻家本人はもとより「表現の不自由展その後」の当事者とも、十分な話し合いがなされていないように報じられています。 一方で、愛知県の大村知事と津田大介さんは直接対面して確認をとったとの報道も目にしました。 もし、これらがすべて事実であるとするならば、さらに加えて津田さんは芸術監督の任ではないと言わねばなりません。 芸術監督にとっては、コンテンツの総体そのものが「作品」として彼・彼女の見識と品位を問われます。出たとこ勝負で出したりひっこめたりする、じゃんけんの掌のようなものではありません。 一つひとつの作品には作家があり、五輪同様に、海外からの参加には最大の尊重と敬意を払う必要があります。 前回稿の冒頭にも記しましたが、もし展示作品を、自分自身がそれを依頼し、決定した作家や関係者に確認を取らず、「展示中止」つまり「撤去」などということをしてしまったら、それは芸術監督でもなんでもない。子供がおもちゃを弄っているのと変わりません。 本来なら、足を運び、土下座でもなんでもしてやることは山のようにあるわけで、ただ徒手していただけなら、意味のない素人ということになる。 テレビ番組名ではないですが「ガキのつかい」にもなっていません』、「「ガキのつかい」にもなっていません」、とは言い得て妙だ。
・『芸術監督として取るべき所作は  「実行委員長から、展示中止との意向を受けた。この展覧会は、あらゆる出品作家に<わたし>という芸術監督が依頼して成立したものであり、一点の瑕疵も認められないので、芸術監督として私は、これを受けることができない。その職を辞するとともに、残りの実施期間で案分して自分の俸給相当分を返納するので、これをもとに危機管理スペシャリストを充て、事態の迅速な収拾にあたっていただきたい」といった身の処し方になるはずです。 ところが実際には、作家や当事者と最低限のコンセンサスも取らぬまま「監督としての責任をもって、最後まで運営に邁進したい」と記者会見で述べているのを読み、その後、「昭和天皇は2代前だから」という動画を見、本稿を校正しています。 アマチュアが現場で責任など取れるわけもないことは、この事態が起きた時点で明らかで、私が第一に想起したのは吉本興業の社長の保身記者会見であったことは、前稿にもすでに記した通りです。 「表現を不自由」に禁止する側に、芸術監督自身が回ってしまった。 もうこれは、通用する話ではありません。権限だけの認識だったのだと思いますが、トリエンナーレは子供もおもちゃではありません。 さて、ここに至るまで、まだ一切、私が「平和の少女像」という作品への是非に、一切触れていないことにご注意いただきたいのです。 「ある作品に反対だ!」と言ったとして、それに火をつけたり壊したりしたら、普通に器物破損で刑事司法の適応対象になる。これは芸術以前、当たり前のビジネス・ルールを記すものにすぎません。 そういうレベルで云々するのが素人というより、冷徹な仕事の土俵に上がることができていない証拠になっている。 官費も出動して公が主催する国際美術展、大規模なトリエンナーレに海外から作家を招き、作品を展示するということの意味、芸術監督として最低限持たねばならない責任を理解していない。 「ジャーナリスト」などというより、なぜか権限をもってしまった傍観者として、予想を超えた騒ぎの前で右往左往しているだけ、というのが現状と思います』、手厳しい批判で、正論だ。
・『個人攻撃は問題の所在をあいまいにする  重ねて、私は津田大介さんという個人を責めようと全く思いません。逆で、津田さんへの個人攻撃のように誤解されることを、一番恐れます。 現実には<撤去>後に“発見”された「2代前の天皇を燃やす」云々の音声動画が拡散したことで、彼が任期を全うする可能性は激減したかもしれません。 しかし、彼がそういう経緯で辞任したとしても、また別の素人が来てかき回せば、やはり混乱をきちんと収拾することなどできないでしょう。 私が全面否定するのは「プロの職責に素人が紛れ込んで引き起こされる、必然の失敗」セキュリティー・ホールそのもので、個人には興味がありません。 アート側の人間は訥弁の人が多い。いまだ多くの意見が出て来ていないと思いますが、「平和の少女像」という個別作品への意見の是非とは別に、本質的に作家と作品を愚弄する行為であるという点では、意見は一致すると思います。 これ以上、出たところ勝負の民間療法で、傷口を広げないようにというのが、落ち着いた分別から投げてあげられる「タオル」と思います。 あまりに作家や作品、いや「芸術」というもの、ビエンナーレ・トリエンナーレの理想そのものに対して、失礼です。 加筆校正で紙幅を超過したため、参考として記した私自身のかつての経験、「横浜トリエンナーレ」関連以降は稿を分けることにします。(つづく)』、この後、続きを2本紹介しよう。

次に、この続きを、8月9日付けJBPress「トリエンナーレ「計画変更」は財務会計チェックから 税金原資」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57265
・『「表現の自由」水かけ論より問われる財政規律:開幕3日目で中止となった「表現の不自由展 その後」で揺れる「あいちトリエンナーレ2019」。 8月7日には「うちらネットワーク民がガソリン携行缶もって館へおじゃますんで」とファクスを送った犯人が検挙されました。他方で企画展示の中止に抗議する署名も2万人を超えるとも報じられています。 日頃、「アート」に興味のない人も発言している様子で、メディアに乗る批評家のコメントなどが混乱を極める観があります。 さて、こういうとき、芸術ガバナンスのプロが守るべき鉄則が一つあります。それは「価値中立的」であるということです。 特定の表現を取り上げて良いとか悪いとかいう感想や主張を、ガバナーがしてはなりません。今回が3本目になりますが、私の記述も徹底して「価値中立的」であることにお気づきいただけると有難く思います。 明らかに正面から対立する意見が国民、市民、納税者の間いだに見られる、これが客観的な事実であって、そこで確認されねばならないのはプロセス、本稿に即して要点を先に記すなら「帳簿と執行の決定経緯」を洗い直す必要があります。 政府発表も「補助事業採択の経緯確認」とありました。補助金が関わるということは、つまり、帳簿が問われるということです。 もし仮に、という話ですが、官費を原資とする芸術展の選考を、例えば飲酒しながら、何となく気分で決めていた、などという経緯があれば、当然是正される必要がある。当たり前のことを言っているのにすぎません。 もしも、仮に、展示期間途中から、明らかに警備費用増額の恐れがあったり、防弾チョッキなどの必要があるとあらかじめ分かるコンテンツを意図的に含むようなことがあれば、当然ながら遡及的にその責任が追及されることになると思います。 これは「芸術上の責任」でも「表現の自由」でもない、税を原資とする財務管理と安全な行事に責任を持つ職掌に問われる、全くドライでシビアな追求です。 ツイッターなどで質問を受けたりもするなかで、前稿まで私が当然の前提にしていた事柄が、必ずしも読者と共有できていない可能性に気づきました。 例えば「芸術監督」という職種は「芸術家」のそれではありません。 その人(監督さん)の「作品」が展示されるとは限りません。もちろんアーチストが芸術監督を兼務して、自分の作品を含めたキュレーションを行うということはあり得ます。 しかし、基本的にアーチストと芸術監督=アーティスティック・ディレクターは全く別の仕事です。でも、こんな入口で混乱している人も少なくないようです。まずそこから話を始めましょう』、そもそも論から説明してくれるとは有り難い。
・『芸術監督は「管理職」  「芸術監督」というのは「管理職」です。これに対して、アーチストはものづくりをする「職人」です。 いろいろな現場には職人出身の管理職もいるでしょうし、現場を知らないキャリアがやって来ることもある。 今回に関しては、現場経験のないホワイトカラーが、メイン・スポンサー・サイドから要請を受け、派遣されて着任という構図と思います。 ちなみに私自身は畑違いですが、オペラの伴奏助手を振り出しに副指揮者などスタッフとして数年働いたのち、30歳前から芸術監督として公演全体の責任を持つようになった、ノンキャリの「職人」積み上げからスタートして、30代から「管理職」仕事にも、ここ四半世紀ほど携わっています。 今回の「あいちトリエンナーレ」個別の契約詳細は分からないこともあり、ずれがありましたら謹んで修正しますが、以下極めて一般的に「芸術監督」とはどういう職掌であるか、基本から確認してみましょう』、筆者が「「管理職」仕事にも、ここ四半世紀ほど携わっています」、道理で詳しい訳だ。プロとして仕事をしてきた立場から見ると、今回のお粗末さに我慢がならないのだろう。
・『「ひと・もの・かね」を掌握 「芸術監督」の絶大な権限  「芸術監督」は一般に、以下の3つに責任を持つ管理職です。あるアーティスティックなプロジェクトについて、芸術面から 1 予算の管理 2 進行の管理 3 リスクの管理 これらに全責任を負い、管理する「マネジメント」の仕事、それが芸術監督の職掌です。 個別の作品を作る「アーチスト」とは、明らかに別の仕事であることがお分かりいただけますか? 今回の騒ぎは「企画展中止」という「計画変更」が、開会3日目で発生したというものです。「変更」があった場合、プロジェクト・マネジメントの観点から立ち戻るべき基本はどこにあるでしょう? とりわけ官費が関わる場合は「財務会計」が絶対的な答えになります。理由は明快、税金が原資だから使途が変更になったら改めてチェックされねばなりません。あらゆる役所がやっていることです。 計画変更時点でいったん締めた「あいちトリエンナーレ」の財務会計・中間報告こそ、一番に共有されるべきと思います』、さすがプロらしい指摘だ。
・『「表現の自由」は水かけ論にしかならない  メディアでは「政治家がコンテンツの内容にクレームした」といった話題を目にしますが、そういうことでお茶が濁されてはいけない「あいちトリエンナーレ」の財務会計こそ、未来に禍根など残さないためにも、現場的には最大の問題だと私は思います。 政治家の発言は、そもそもトリエンナーレの外の人たちの言うことであるのに加え、「税金を使って<慰安婦像>を展示していいか?」とか「公金で天皇を燃やす動画を映写するなどけしからん」といった批判はそもそも無理筋。 つまり、愛知県知事も言う通り「違憲の可能性が非常に高い」話で、何ら決着など着くことはないでしょう。 また「税金」と言いながら、スローガン以上定量的な議論に踏み込むものを目にしません。これでは意味がない。 いったい、いくら税金から出しているのかを厳密に問うことから始めねばなりません。 「公的補助金はどれだけ?」「企業協賛金や広告収入等は??」「事前販売のチケット収入は???」 そうした収入の部の具体と、逆に企画展示の「制作経費」から「広告費」などに至る支出の部、ここで確認される中には「芸術監督報酬」も含まれるでしょう。 それらの金額をすべて隠れなく並べたうえで、変更後の計画を根拠をもって吟味し、公開情報として説明責任を果たすこと。 すべて隠れなくガラス張りの明るみに示すのが、こうした事業を運営する1の1です。財務会計を透明にしなければなりません』、「「表現の自由」は水かけ論にしかならない」、というのもその通りだろう。
・『「計画変更」は、財務会計のチェックから  先に「芸術監督」は「予算」「進行」と「リスク」を<管理>する、と書きましたが、別の表現を採るなら Ⅰ 芸術的な観点から「予算の配分の権限を持つ」立場であり Ⅱ 芸術的な観点から「制作進行決定の権限を持つ」立場であり、かつ Ⅲ 芸術的な観点から「リスクに対処する権限を持つ」立場である ことにほかなりません。 このうちⅢ、つまり危機管理に関しては、今回全くその職能を全うせず、そのため今回の事態を出来している。 関係自治体、議会や地域納税者は、いったい何が起きていたのか、正体不明の水かけ論ではなく、数字とともに厳密なチェックを行うのが筋道です。 これは企業でもどこでも同じ、当たり前のことで「芸術」だからと言っておかしな雲や霧で覆うことは許されません。 職業芸術人はそういう現実をよく知っています。「アート」に曖昧な印象を持つ部外の人が、本来いちばん重要であるべき決定プロセスをいいかげんにスキップしている恐れがあれば、一点の曇りなく確認するのが1の1と思います。 何らかの事業の「計画変更」があった場合、最初にチェックすべきものは「財務会計」。ない袖は振れないし、仮に収支見通しが変わってくれば、それこそさらなる「計画変更」が必要になるかもしれません。 さて、報道に目を向けると、「企画展中止」に対していろいろ主観的な意見は出てくるのですが、官費で運営されるトリエンナーレの計画変更に当たって、マネジメントを帳簿からチェックし直すという一番シリアスな指摘はほとんど目にしない。 数字がないまま「税金」がどうした、と文字だけ躍っても意味ありません。さらに「税金で<こんな作品を展示して>」などと言っても、それが<良い>とも<悪い>とも、白黒は決してつきません。 互いに180度異なる意見で対立する人たちがいるとしても、いずれも納税者です、ガバナーは特定の納税者の肩を持ったりすることは決して許されない。 価値中立的に判断するのが、芸術ガバナンスの公共性、その1の1であること。大事なポイントですから何度も繰り返して記します。本稿読了の暁には、何がプロフェショナルの仕事であるか、ご理解いただければと思います。 大村愛知県知事が正確に指摘した通り「憲法違反の疑いが濃厚」になるだけで、まともな結論など永遠に出て来るわけがない。意味がないことはここでは捨象します。 逆に、ただちにはっきり出るのが数字、財務です。今回、計画を変更したわけで、関連して明らかに(「電話」だけでも事務がパンクしてしまった様子などは報じられましたし、もし追加の警備などがあれば当然出費が伴うわけで)お金の動きがあるはずです。一般にこうしたコストは(余剰人件費であることが多く)決してバカになりません。 さらに「襲撃予告」などが風評被害を生んでしまい、ファックスを送った犯人は逮捕されても、ことはこれでは終わらない。 いや、逆で、京都アニメーション放火殺人事件で「方法」が周知されてしまった「ガソリン携行缶テロ」という手口の模倣犯が、仮に言葉だけの脅迫であっても出て来る可能性が現実になってしまった。 パンドラの箱はすでに開いており、愛知県内の小中高等学校にガソリン放火との脅迫メールの事実も報道されています。すでに、全く洒落では済まない状況になっている。 言うまでもなくトリエンナーレ全体の来場者数にも変化が出かねず、その場合は露骨に収支に直結するでしょう。 夏休みだ、展覧会に行ってみようか・・・と思っていた家族連れが今回の騒ぎやコンテンツの悪評さらには、おかしな襲撃のうわさに続いて、「ガソリンだ」と称して警官によく分からない液体をかけた男が逮捕されたりすれば、 「やめとこっか」と二の足を踏んで全く不思議でない。 こうしたイベントを役所サイドは「動員数」で測りたがります。税が原資ですから、より多くの納税者に楽しんで頂けた、という説明が一番分かりやすく疑念も挟まれない。 これはまた入場料収入などにも直接跳ね返ってくる数字になります。 そうしたデータに照らして、今明らかに座礁していているわけですから、どのように舵を取り直すか、データに即して合理的に検討し直さなければ、つまり無手勝流を繰り返すなら、同じ隘路に迷い込みかねないのが普通でしょう』、「「計画変更」は、財務会計のチェックから」というのは正論ではあるが、日本ではカネのことを卑しいとする雰囲気があり、軽視されがちだ。
・『問われる財政規律  非常に厳しいことを書いていると思われるかもしれません。しかし、実はこれ、日本全国の学術研究者が科学研究費などを受給する場合、例外なく問われるのと同じルールを記しています。 官費の執行というのは、やや大げさに言えば「財政出動」ですから、その規律は会計検査院の水準で、ガチっと問われるのが普通のことです。 (そこに「アート」が紛れ込んでくると、おかしなことを言う人が元お役人などにも20年ほど前には実はいました。非常に由々しいことだと思っています) 官費のプロジェクトで計画変更があった場合、最初に問われるのは「会計検査院ルール」でチェックに通る徹底した財政規律コントロールです。 私もこの20年数来、莫大と言っても大げさではない時間を1円の狂いも許されないアカウンタビリティ・チェックに費やし、相当に神経をすり減らしてきました。 一般にクリエーター、美術家や音楽家はこうした観点つまりマネジメント、経営収支といったものの見方が苦手です。私も国立大学教官などになる前は、官費執行がここまでうるさいとは知りませんでした。 しかし大学に呼ばれる前から、オーケストラやオペラの指揮者=芸術監督の現場仕事では、常に数字を念頭に置く必要がありました。 以下、イベントの「途中変更」がお金の観点で何を意味するか、分かりやすいと思うので、具体的に書いてみます。 あるリハーサルでアンサンブルが<下手っぴー>なところが出てきたとしましょう。普通にあることです。 そこで「追加練習を組む」という芸術上の決定を指揮台の上で下すとします。これが「計画の変更」。 仕事の現場では「変更」は同時に、必要なリハーサル室の室料からアーチスト謝金の追加、場合により伴奏ピアニストの手配やその謝金、事務局の管理経費などすべて「出費の追加」を意味します。 当然ながら財務会計チェックに相当するソロバンを頭の中で弾かねばなりません。「芸術監督」の<お金の管理>という仕事の分かりやすい一例を記してみました。 あらゆる「変更」は「財政破綻につながるリスク」日々用心、備えよ常に、が芸術監督業の要諦です。 これが仮に「客演指揮者」であれば、ギャラを貰って1回の本番があっておしまい、という仕事で、練習の追加発注の権限などは持っていません。 あらゆる「変更」の折は、直ちに事務局とのシリアスな話し合いが始まります。プロフェッショナル同士の、値引きのない駆け引きの場です』、海外の「芸術監督」は、確かにプロらしい仕事をしているようだ。日本では次に説明があるようだ。
・『アニメのケースで:高畑勲+宮崎駿ペアの分業  もう一つ別の例で考えてみましょう。 亡くなった高畑勲さんがアニメについて奇しくも言っておられましたが、作り手は良いものを惜しみなく追及した方がよい。お金の心配をしながら手心を加えるようなことは本来望ましいことではない。 宮崎駿さんが監督でモノづくりに集中しているときには高畑勲さんが制作統括してお金の面倒を見る。逆に高畑さんがモノづくりするときは・・・という二人三脚は、よく知られていると思います。 「お金の心配」をするのが制作統括つまりプロデューサーの仕事ですが、美術展ではやや言葉遣いが混乱を招きやすい形になっています。 すなわち「芸術監督」がアーチストサイドのプロデューサーで、スポンサー側では主催委員会のトップがプロデューサー、今回なら大村知事ということになります。 大村知事はアートの中身には口も手も出しません。お金と進行、そしてリスクをきちんと管理します。 これに対して芸術監督は、官費を含む予算を正しく執行して、芸術のオリンピックとして世界に問うべき独自のコンテンツ・ラインナップを作る<ひと・もの・かね>の「権限」を委譲されると同時に、適切な「進行管理」にも本来責任を負う立場になる。 そこで、今回の事態はその心臓部の一つ「進行管理」に明らかな失態があった。 さらにリスク管理にも「想定外の事態」を呼び込んでしまい、当然ながら想定外の出費がかさむ可能性がある。 「後になって計算してみたらこれくらい赤字が出ていた、それは地元住民の税で負担・・・」というようなことが許される話ではない。 その都度、財務のチェックが基本で、「表現の自由」も「襲撃予告」対処も、それらを支える「後ろ盾」の予算がなければ話が始まりません。 「脅迫に表現の自由を圧殺させてよいのか?」という議論があります。 「脅しに屈することなく展示を続けてこそ表現の自由ではないか?」 真に美しいマニフェストと思います。 さて、この連載では「ベルリンの中心街、動物園前のヨーロッパ広場のクリスマス市無差別テロ殺人現場」で、脅しに屈することなくフェスティバルを開催し続けている事実を2016年の発生直後から幾度も取り上げています。 それに一体、いくらかかっているか、ご認識でしょうか。本稿はベルリンで書いており、今日の現場の写真を後で取って続稿を記そうと思いますが、莫大な経費がかかっています。 いま、はっきり言って素人が選んだ今回のトリエンナーレで、もっぱら安全性の観点から、「その継続のために、いったいいくらの警備費を上乗せすることが妥当か?」は、作品への好悪などと無関係に冷静に検討すべき財務のイシューです。 赤字が出たらどうします? というかアクションすれば出費は100%増えます。名古屋市民や愛知県民の税金で追加補填するのですか? 私は慎重であるべきと思います。芸術家の立場から、良心をもって断言します。警備の強化などを含む、あらゆる対策経費を念頭におく財務チェックを直ちに行う必要があるでしょう。 それが芸術監督、芸術ガバナンスに携わる立場から第一になすべきこと、異論の余地などあり得ません。 「無い袖」は振れない。これはシビアな職業的経営判断です。お金の見通しの立たないこうした計画変更は、税金を原資とする官費投入の現場で許されることではありません。 JBPressは元来イノベーション経済メディアで、私は「京アニ」や「トリエンナーレ」のコラムと前後して日英語で暗号資産の数理モデルなども議論しています(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57206)が、両者に透徹するのが「財政規律」など公共性という経済倫理の大原則にほかなりません。 すべて財務とともに明確な説明が求められます』、「「脅しに屈することなく展示を続けてこそ表現の自由ではないか?」 真に美しいマニフェストと思います」、膨大な警備費用をかけてまで、「表現の自由」を守るというのは、確かに倒錯した理想論だ。
・『磯崎新の「横浜トリエンナーレ」批判  私が生まれて初めて芸術監督を務めたのは1993~95年、28~30歳のとき、福井県武生市主催の松平頼則作曲のオペラ「源氏物語」世界初演公演で、この職責を追いました。 演出=渡邊守章(1933-)バレエ振付=厚木凡人(1936-)という還暦年配の先輩芸術家諸氏を前に、20代の駆け出し指揮者であった私は芸術監督として 1 予算の管理 2 進行の管理 3 リスクの管理 という3つに責任を持ちました。 仮に演出家が「歌手や役者を宙乗りさせたい」と主張したとき保険のかけ金など含め、必要経費がどれだけか、できるだけ早く正確に見積もってゴーサインなのか中止サインなのかを出さねばなりません。 (この時はそういう提案はありませんでした。しかし、後に「題名のない音楽会」の監督時代には、オーケストラの上をロックコンサートみたいにカメラをクレーンで舐めたい、というバラエティのプロダクションディレクターに、必要な「楽器保険」の金額を見せたところ、青くなって黙るといったやり取りはありました) 武生の「源氏物語」では、還暦年配で親子ほども年の違う「偉い」演出家や振付家に、20代の駆け出しである私が「ノー」を言わせていただくこともありました。 財務会計の権限を持っていたから、ない袖は振れないということです。 それらは福井県武生市の議会を通過して承認、終了後も細かな会計検査があり、経理面のプロデューサー、生前の武満徹さんを支えたていた秋山晃男さんが胃を悪くしたのを思い出します。 また20世紀から21世紀への変わり目の時期、「第一回横浜トリエンナーレ」の立ち上げ時にほんの少しだけコミットしかけました。 当時、私は、横浜・井土ヶ谷に本拠を置く美術学校「Bゼミ」で音楽以外のアーチストを含む学生を教えており、また横浜在住の舞踏家・大野一雄さんと建築の磯崎新さん、作曲の先輩である一柳慧さんとのセッションも行っていたため、パブリック・オピニオンを集める会合などに数か月付き合ったのです。 「横浜トリエンナーレ」は桜木町から赤レンガ倉庫あたりのエリアを「アートで再開発」という自治体の文脈が背景にありました。 都市再開発が関わりましたから、話はリアル・エステートが絡み、状況は錯雑を極めていました。 ちょうど音楽実技教官として大学に着任直後でしたので、横浜市の担当課長Iさんに紹介されて、私は学内の工学部都市工学科で助教授を務めておられた北沢猛さん(1953-2009)に「町おこし」の観点から「横浜トリエンナーレ」計画の横顔を教えていただきました。 北沢さんは10年前、50代半ばで惜しくも急逝されましたが、横浜育ちで、東京大学工学部都市工学科卒業後、横浜市に入庁、企画調整局都市デザインチームメンバーから都市計画局都市デザイン室長まで歴任ののち、母校出身学科に助教授で着任、後進の指導に当たりながら全国各地自治体の都市デザインアドバイザーとして活躍された方です。 北沢さんから伺う計画は、当たり前ですが、値引きなしの公共事業であるとともに、あらゆる種類のリスク対策が話の9割がたを占めていました。 この時期、建築の磯崎新さんは、本家本元のヴェネチア・ビエンナーレで建築の「金獅子賞」(1996)などを得ており、日本館のコミッショナーなども務めていました。 その際、磯崎さんは横浜でのトリエンナーレに極めて冷ややかでした。以下、詳細は記しませんが、「音楽の助教授」として何ほどか期待されたかもしれない、この取り組みと、私は距離を置きました。 前稿まで「あいちトリエンナーレ」の現状に示した私なりの見解は、主として「横浜トリエンナーレ」にまつわる北沢猛さんと磯崎新さんの観点を前提に、自分の文責で記したものです。 磯崎さんがヴェネチア・ビエンナーレで最初に責任を持った1996年、私はアーティスト・レジデンシ―で磯崎夫妻(当時のパートナーは彫刻の故・宮脇愛子さん)や作曲の高橋悠治さんと米国フロリダ州のアトランティック・センター・オヴ・アートで50日ほど一緒に生活しました。 このとき、磯崎さんのオリンピック批判やビエンナーレ批判を連日聞かされ、こうした問題をそれ以後考える原点を移譲してもらったと思っています。 つまるところ、今回の「あいち」は、磯崎さんなどが「ビエンナーレ」「トリエンナーレ」で問うてきた水準の入り口に達していない。 「批判」の射程が短すぎる。 芸術が困難な社会の現状を逆照射し、厳しい現実を突きつける、というようなとき、いま俎上に上がっている程度の議論(「やばい」「炎上」などの表現が端的に示してしまったもの)は、はっきり言って浅すぎる。 皮相な「政治」(未満)のレベルにとどまり、芸術の出発点に立てていない。もしそうでないというなら、どうして「表現の不自由展 その後」の<全体>を十把ひとからげに中止、などという乱暴を「芸術監督の立場」でできるだろうか? 会場の安全管理責任者、という立場では可能なことです。愛知県知事はそれを判断する責任がある。 芸術監督であれば、担当キュレータ―と緊密に打ち合わせながら、脅迫の対象になっていない他の作品の一つひとつ、その作家のひとりひとりに配慮した対案を、仮に形だけであったとしても、一度は卓上に提案するのが、当たり前の義務になります。 もちろん担当キュレータは抵抗するでしょう。一人の作家も欠けてはならない・・・それが芸術をキュレートする1の1というものです。激しいせめぎ合いに、当然なのですが・・・そうしたことが、今回の経緯で、どの程度あったのか? いま目にしている、こういう措置を「連座制」といいます。一族郎党、全員問答無用で撫で切りという最悪の権力者の振る舞い、江戸町奉行並みな「成文法以前」の「お裁き」で、一つの企画展に含まれるアーティストも作品も、全部一蹴してしまった。 私は、一芸術人の観点から、こういうことは許されるべきではないと思います。今日の社会で普通に芸術に責任を追う人は、こういう無法な判断を決して下さないし、下せません。 くれぐれも、安全管理のため、企画展全体を留保するのは、行政として当然の判断です。それはセキュリティという別の物差しでみているから。 しかし、いやしくもアートの立場であるならば、作品も作家も十把ひとからげ、頭ごなしに「中止」と通告する芸術のガバナンスはあり得ません。これは芸術監督業では、ない。 たかだか「この企画が一番政治的にやばい」程度であれば、素人の手なぐさみにしかなっていない。 多分、多くの美術家はこうしたことをまだ発言しにくいと思います。美術にしがらみの少ない楽隊として「王様は裸」と記し、建設的な観点からまともな展開を期待したいと思います。 現状は「まとも」とは言い難い。 まだ70日ほどの会期を残す「あいちトリエンナーレ」が「まとも」な軌跡を描くかどうかは、財政規律のチェックに始まる普通に厳密な「まとも」へのギア・チェンジに始まり、「芸術に襟を正す姿勢」を取れるか、あるいは取れず仕舞いで終わるかに懸かっているでしょう』、伊東氏には芸術祭や芸術監督についての長年の蓄積があったからこそ、今回の問題を短期間で分析できたことがよく理解できた。「一族郎党、全員問答無用で撫で切りという最悪の権力者の振る舞い、江戸町奉行並みな「成文法以前」の「お裁き」で、一つの企画展に含まれるアーティストも作品も、全部一蹴してしまった」、というのは誠に残念なことだ。

第三に、この続きを、8月13日付けJBPress「「慰安婦」炎上狙いでテロ誘引、膨大なコスト増 あいちトリエンナーレ大失態と欧州が払っている膨大な経費」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57293
・『あいちトリエンナーレ「表現の不自由展その後」展示の中止に関連して、「反日」あるいは「表現の自由の侵害」といった指摘がピント外れであることを指摘しています。 愛知県の大村知事は「多くの皆さんに不安を与え」「展覧会の円滑な運営が行えなくなった」ことに関して、早期に「検証委員会」を設置のうえ、証拠に基づいて法的に対処を検討する旨を発表、全く妥当なことだと思います。 同時に「表現の不自由展その後」に作品を出品していた彫刻家で、文化女子大学教授の中垣克久さんさんがインタビューに応じ、事前の作家名や作品名の公開を伏せられたこと、作家として当然抗議したところ「情報が洩れると企画がつぶされるから」といった説明があったことなどに言及していました。 もし、これらが事実であるとすれば、今回の事態は明らかに意図的な「炎上」を狙って発生したもので、運営側の責任が厳しく問われなくてはなりません。 「一番悪いのは、暴力で脅迫した人だ」という意見がありますが、そんなのは当たり前です。 一番も何も脅迫なり放火なりというのは通常法規で禁じられる刑事事件であって、当然取り締まりを受けるべきであり、ただの犯罪です。 今回の「あいちトリエンナーレ」の失敗に固有の本質的問題では全くありません。 今回の「あいちトリエンナーレ」事件が問題になった直後、つまり会期2日目である8月2日の時点で私は 「事前に十分な告知はなされていたか?」「官費を使うので、必要があればパブリック・コメントを」といったポイントを本連載の緊急稿で指摘しました。 果たして翌8月3日、企画展は中止となりました』、「今回の事態は明らかに意図的な「炎上」を狙って発生したもので、運営側の責任が厳しく問われなくてはなりません」、というのはその通りだ。
・『その後ぼろぼろと出てきた事実から、この展示は、公的な国際トリエンナーレであるにもかかわらず本来必要な事前告知を意図的に怠り、「炎上」効果を狙った可能性が高い。 炎上効果が予想以上の規模に広がってしまい、実際に逮捕者も複数出る事態となってしまった。 夏休み中に開催される平和と人道の国際芸術祭であるはずが、危険を避けて来場を手控える人が出るような事態となったことは、ガバナンスそのものの問題です。 表現の自由でもコンテンツの中身の問題でもなく、税金を使って公的な催しを行う最低限の規則が守られていなかった可能性が明るみに出てきてしまった。 これは本質的にインターナショナルなトリエンナーレの開催であったはずなのに、日本国内の「ネット民の反響」程度しか、見ていなかったのではないかと察せられます。 また、ここで「表現の自由」を言う人の中に「暴力に屈することなく、展示を続けるべきだ」といった意味合いの意見を目にしました。 仮にそうだとして、「テロの脅しや暴力に屈しない」ために、どの程度のコストがかかるのでしょうか。お金の見積もりが全く抜け落ちた意見に見えました。 それは素人の妄言であって、財務の後ろ盾のないアイデアは、夢まぼろしにすぎません。少なくとも職業的な責任で芸術事業を監督するなら、安定確実な予算のあてがなくてはできません。 すべて元は税金なんですから、冗談にもならない。 まして主催者側が事前から意図的に「炎上狙い」つまり暴力的な襲撃を誘引するなど、言語道断と言わざるをえません。 意図的に炎上させるつもりなら、今回「わしらネットワーク民」を名乗った容疑者が実際に逮捕されたような事態をあらかじめ想定していなければなりません。 テロを誘発させるなど許されることではないうえに、その際に「テロに屈しない」ために、どれほどのコストがかかるのか、2019年8月8日時点でのベルリンの実例で、お話したいと思います』、「主催者側が事前から意図的に「炎上狙い」つまり暴力的な襲撃を誘引するなど、言語道断と言わざるをえません」、全面的に同意できる。
・『100トン単位のコンクリート塊  まず、以下の写真を見てください。 ものものしい「障害物」 金網に囲まれた何かが、車道と歩道の間に長々と設置されている様子を映してみました。 右の写真(上から2番目)で横に停められている自転車から、断面の一辺が1メートル以上の、かなり大きなものであることが分かるかと思います。 中身は確認し切れていませんが、上部には雨水が溜まっており、その下はコンクリートであるらしいことが見て取れます。 これらは、2016年12月にポーランドで強奪されたトレーラーが「クリスマス市」に突っ込み、11人が犠牲になったテロ現場、ベルリン市内中心部の「ヨーロッパ広場」に、昨年あたりから常設されるようになった「障害物防御壁」にほかなりません。 左は、まさにテロで犠牲者がでた現場そのもの、右は広場の180度反対にあたる「クーダム」繁華街側ですが、エリア全体をぐるりと取り囲んでいます。 テロ直後の2016年暮れも、明けて2017年の年初も、このヨーロッパ広場では一貫して季節ごとの市が立ち、まさに襲撃があったその場所に子供向けの遊具などが置かれて、人の賑わいが絶えることはありませんでした。 「テロに屈せず」を、地で行ったわけですが、ベルリン当局は当初、50センチ×50センチ×1メートルほどの鉄筋コンクリート塊を会場周辺にその都度配置し、終わると撤収し、武装した多数の要員が警戒する中で、それらの作業を行っていました。 正確な分量は知りませんが、5トンとか10トンといった量でないことは一目見ただけで分かります。 数百トン規模の障害物が毎回投入され、万が一10トン級のトレーラーが突入してきても、必ず食い止められるよう、セキュリティを施したうえで「テロに屈せず」の旗をたかだかと掲げている』、さすがドイツ、「テロに屈せず」のために膨大なカネかけているようだ。
・『広く報道されている通り、欧州は各地でテロの被害が出ており、莫大な警備コストを支払いながら、「日常」の秩序を維持し続けています。 以前は毎回、莫大な量のコンクリート塊が搬入、搬出されて2018年の後半頃からだったと思いますが、常設の防御壁が建設されるようになりました。 しかし、現地で友人たちと話して、特に「京都アニメーション放火殺人事件」の詳細を説明すると、そうした「安価」なテロへの的確な防御策がいまだ立てられていないことに言及して、皆一様に恐ろしいことだと答えます。 ちなみに「ドローンを使ったテロ」に対しては、一定の対策が立てられているそうです。しかし「ドローンにガソリン」など積み込まれたら、現状では防ぎようがないのではないか、ガソリン相手に火気(正しくは:火器)は使えないし・・・といったところで議論は止まります。 私の友人は音楽の仲間や映画監督、大学教授などでセキュリティの専門家ではないので、このあたりで止まってしまう。やはりプロの力が必要というところで意見は一致しました』、「京都アニメーション放火殺人事件」もお涙頂戴的記事が多く、如何なる対策を取るべきかといった議論はまだ出てないのは残念なことだ。
・『展示の再開コストはいくら?  報道によれば、企画展が「中止」になった後も、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展 その後」の展示会場は封鎖されたままで、作品が撤去などはされていない、とのことでした。 また、「この展示を再開すべき」という署名も、多数集まっているとも伝えられます。 こういうとき、芸術監督や主催者サイドは、何をするべきか? 企画の内容で判断される、あらかじめ「結論ありき」は、検閲と呼ばれるもので、公的機関がこれを行うことは、憲法が禁止しています。 「税金を使って政治的な主張をしてはならない」というお寒い<意見>が開陳されていますが、選挙を考えてみてください。 毎回何十億円という官費、つまり税金が投入されて、およそあらゆる政治的な主張が、あらゆる媒体を使って拡散していますね。これ、違法なことですか? そんなことがあるわけはない。 もちろん「政治的主張」といっても法に触れるような<主義主張>であれば、それは単に犯罪であって、許容されるわけがないことは、すでに記した通りです。 問題は、税金を使って行われる公的行事として、「きちんとペイするものかどうか?」「またそれを納税者は是とするか?」という手続きであって、<表現の自由>は第一には関係してきません。 「表現の不自由展」をもう1回見たいという人が、地元納税者の過半を占めるとすれば、再検討される価値があるでしょう。 ただし、その場合には、すでに「ガソリン携行缶を持ってお邪魔」などと予告する者や、警官に「ガソリンだ」と称して液体をぶちまけた者など、逮捕者が出ているわけで、プロフェッショナルによるセキュリティの計画が立てられ、その見積もりが提出され、議会レベル相当で検討され、承認が得られなければならないでしょう。 仮に多くの納税者が展示再開を望んだとしても、警備など「展示再開コスト」が、全くペイしない金額に上ってしまうなら、再開は現実問題として不可能と判断されるでしょう。 こうした仕儀は、いったいどうして発生してしまったのか? 「県が悪い」という議論を目にしましたが、仮にそうだとすると、県に責任がかかり、最終的に納税者にツケが回ってくる可能性があります。 2004年ギリシャ・オリンピックの赤字を想起してください。濫費は全欧州の経済を危機的状況に追い込みました。そういう判断を下すべきか否か? すべては本質的には納税者が判断すべきで、現実には公職選挙で選ばれたその代表、つまり議会に諮られねばなりません。 「あいちトリエンナーレ2019」は、危機管理が全くできないアマチュアを芸術監督に据えるという明確な失敗を犯しました。 あえて国立大学法人の芸術教員として居住まいを正したうえで明記しますが、こういうことは二度と繰り返すべきではなく、失敗の原因を明らかにするとともに、厳密に再発を防止することを、関係各方面に注意喚起したいと思います。 私は、ビエンナーレ、トリエンナーレや五輪文化行事のような公的イベントのアーティスティック・ダイレクションを、新たな切り口の人材が行うことを決して否定しません。 また一芸術人として、表現の自由は厳密に守られるべきと思います。長年の連載読者はよくご存じのとおり、私は徹底してハト派で、リベラルなスタンスを崩しません。 そのうえで、ですが、公金の扱いがいい加減であるとか、物理的な暴力被害を呼び込むとか、危機管理の予算見積もりができないとかいった表現以前、芸術以前の、当たり前の公務が完遂できないチームの編成は、二度と繰り返すべきではないと思います。 本当の意味での「悪しき前例」の意味を、日本社会はきちんと理解し、学習すべきと思います』、本件ではどうでもいいような論評が殆どで、伊東氏のようなプロの意見は大いに参考になるが、同氏の意見が支配的になる可能性が少なそうなのは、残念でならない。
タグ:JBPRESS 伊東 乾 「あいちトリエンナーレ2019」問題 (その2)(伊東 乾氏の3題:「慰安婦」トリエンナーレが踏みにじった人道と文化 「ヴェネチア・ビエンナーレ」以来の芸術監督鉄則3か条、トリエンナーレ「計画変更」は財務会計チェックから 税金原資、「慰安婦」炎上狙いでテロ誘引 膨大なコスト増 あいちトリエンナーレ大失態と欧州が払っている膨大な経費) 「「慰安婦」トリエンナーレが踏みにじった人道と文化 「ヴェネチア・ビエンナーレ」以来の芸術監督鉄則3か条」 「表現の不自由展 その後」 「動員ありき」であって、タレント性のある有名人を「芸術監督」に選び、一日駅長相当で営業成績を稼いだことが分かります 「情をもって情を征する」 興奮している人には何らかの意味で水をぶっかけて正気に戻す。感情の火に別の油を注いでまともな話になるわけがありません 芸術監督の仕事は「危機管理」 展示の告知は十分だったか? 官費執行行事としての責任ある対処 「学術外交」=学問・芸術は常に人と人の間に回路を開き続けます ビエンナーレ/トリエンナーレ 人道と文化の「芸術オリンピック」 パブリック・ミーティング パブリック・コメント 実行委員会「中止」決定時点で芸術監督は辞任すべきだった 芸術監督として取るべき所作は 個人攻撃は問題の所在をあいまいにする 「トリエンナーレ「計画変更」は財務会計チェックから 税金原資」 芸術監督は「管理職」 「ひと・もの・かね」を掌握 「芸術監督」の絶大な権限 「表現の自由」は水かけ論にしかならない 「計画変更」は、財務会計のチェックから 問われる財政規律 アニメのケースで:高畑勲+宮崎駿ペアの分業 磯崎新の「横浜トリエンナーレ」批判 一族郎党、全員問答無用で撫で切りという最悪の権力者の振る舞い、江戸町奉行並みな「成文法以前」の「お裁き」で、一つの企画展に含まれるアーティストも作品も、全部一蹴してしまった 「「慰安婦」炎上狙いでテロ誘引、膨大なコスト増 あいちトリエンナーレ大失態と欧州が払っている膨大な経費」 今回の事態は明らかに意図的な「炎上」を狙って発生したもので、運営側の責任が厳しく問われなくてはなりません まして主催者側が事前から意図的に「炎上狙い」つまり暴力的な襲撃を誘引するなど、言語道断と言わざるをえません 「テロに屈しない」ために、どれほどのコストがかかるのか、2019年8月8日時点でのベルリンの実例で 100トン単位のコンクリート塊 「ヨーロッパ広場」に、昨年あたりから常設されるようになった「障害物防御壁」 万が一10トン級のトレーラーが突入してきても、必ず食い止められるよう、セキュリティを施したうえで「テロに屈せず」の旗をたかだかと掲げている 常設の防御壁が建設されるようになりました 展示の再開コストはいくら? 税金を使って行われる公的行事として、「きちんとペイするものかどうか?」「またそれを納税者は是とするか?」という手続きであって、<表現の自由>は第一には関係してきません こういうことは二度と繰り返すべきではなく、失敗の原因を明らかにするとともに、厳密に再発を防止することを、関係各方面に注意喚起したい 、公金の扱いがいい加減であるとか、物理的な暴力被害を呼び込むとか、危機管理の予算見積もりができないとかいった表現以前、芸術以前の、当たり前の公務が完遂できないチームの編成は、二度と繰り返すべきではないと思います
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米中経済戦争(その9)(人民元「破七」で金融戦争突入 捨て身の中国の勝算 米国相手に突っ張るしかない習近平 国民に「新長征」を強いる、米中経済戦争が 世界的な通貨戦争の引き金を引こうとしている 円高が日本経済を直撃する、ぐっちーさん「米中戦争で見落しがちな真実」 トランプと習近平はどこまで「本気」なのか) [世界情勢]

米中経済戦争については、7月4日に取上げた。今日は、(その9)(人民元「破七」で金融戦争突入 捨て身の中国の勝算 米国相手に突っ張るしかない習近平 国民に「新長征」を強いる、米中経済戦争が 世界的な通貨戦争の引き金を引こうとしている 円高が日本経済を直撃する、ぐっちーさん「米中戦争で見落しがちな真実」 トランプと習近平はどこまで「本気」なのか)である。

先ずは、元産経新聞北京特派員でジャーナリストの福島 香織氏が8月9日付けJBPressに寄稿した「人民元「破七」で金融戦争突入、捨て身の中国の勝算 米国相手に突っ張るしかない習近平、国民に「新長征」を強いる」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57263
・『今週、人民元が1ドル=7元のラインを突破した。米国東部時間で8月5日、月曜午前、1ドル=7.05元に急落。これは2008年5月以来の水準で、世界は米中貿易戦争が米中金融戦争に突入したと認識した。 中国語で「破七、守七」と呼ばれる1ドル7元ラインは、一種の心理ラインとされ、これを超えると、中国政府としても制御できない勢いで人民元暴落が起きかねないと言われていた。中国側は昨年(2018年)、元暴落を防ごうと外貨準備をかなり投入して元を買い支えていたことを明らかにしている。中国経済の実態からいえば、人民元はむしろ介入によってこれまで高く誘導されてきたというのが事実なのだろう。 米国側は、中国が為替介入によって元を切り下げることを警戒していた。そして、この元暴落を受けて、トランプ政権は5日、中国を25年ぶりに“中国は意図的に元を切り下げている”として為替操作国認定したのである。これがどういう意味を持つのか、今後何が起きるのか、少し考えてみたい』、興味深そうだ。
・『「破七」は自信の表れか?  中国政府はこれまで「破七」を非常に恐れており、このラインを突破させないよう必死だった。だが、8月5日、人民銀行(中央銀行)は人民元取引の目安となる基準値を6.9225に設定した。これは5月16日以来の大幅な引き下げだ。 7月末の第12回目の米中通商協議で米政府が3000億ドル分の中国製品に10%の追加輸入関税を発表し、さらにFBRが利下げに転じたことを受けて、中国も七ラインを守る(守七)努力を諦めたのかもしれない。あるいは中国経済の疲労度が「守七」を維持できなくなったのか。 だが、その後の人民銀行の記者会見での公式コメントは比較的泰然としている。「完全に合理的なバランスの水準を保ち、人民元は基本的に安定している」「米国の一国主義、貿易保護主義的措置と中国への追加関税措置の影響で、人民元は急落し7元ラインを超えた。しかし人民元は“バスケット”によって安定を維持できるので、これは市場供給と国際為替市場の波動の影響だ」・・・。 8月2日の人民元の終値は6.9416元なので、確かに基準値としてはおかしくないのだが、今までの「守七」に固執していた中国政府の態度が変わったということの意味が大きい。コメントの口調から受ける印象としても、中国が一線を越えて、米国と金融戦争に突入する覚悟が決まった、ということかもしれない。フィナンシャル・タイムズ紙は専門家のコメントを引用しながら、「破七」は中国経済の疲労を示しているのではなく、むしろ経済実力に対する自信の表れだといったニュアンスで論評していた』、FTまでが「経済実力に対する自信の表れ」と論評していたのであれば、その通りなのだろう。
・『人民元安はデメリットの方が大  では、中国の覚悟は本当に勝算あってのものなのだろうか。 たとえばおもちゃ製造の中小工場が、製造原価6元のおもちゃを7ドルで売るとする。1ドル6元の時、儲けは人民元換算すると36元。これが1ドル7元だとすれば、それが42元になる。確かに輸出品を製造する工場にとっては有利だ。 また、ある製造品が米国から関税を25%かけられていたとき、人民元が10%切り下げられれば、関税は15%にまで下がったことになる。もちろん、中国が米国から仕入れる原材料の仕入れ値が割高になるという問題もあるが、輸出国の立場でいえば、元安は中国製造業を救うことになる。 だが、中国にとって人民元安はメリットよりもデメリットの方が大きいといわれている。 まず、資金流出が一層加速する懸念がある。人民元の価値がこのままとめどなく下がってしまう可能性が出てくれば、人民元を持っている人たちは人民元を売って他の資産に変えようとするだろう。人民元売りが加速してさらに人民元が下がる。人民元が紙くず同然になってしまったら、中国経済はどうなるのか。 中国人の社会生活にはどういう影響があるのか。エネルギー、食糧など人々の生活を支えている物資の多くが外国からドル建てで輸入されている。間違いなく生活物価は高騰する。特に比較的生活レベルが高い都市の中間層の暮らしが打撃を受ける。 ドル建て社債を発行している中国企業はどうなるのだろうか。外債発行はこの数年の中国企業のトレンドだった。米中金利差で利ザヤを稼ごうという狙いもあった。中国の対外債務は公式には1.9兆ドル。そんな高い水準ではないという人もいるが、2017年初めから四半期ごとに平均700億ドルずつ増えてきた。62%が短期債務で、年初には「年内に1.2兆ドルの借り換えが必要」と言われていた。中国企業が「一帯一路」推進のために借り入れたドル建て債務の返済は、今年、来年がピークだ。つまり元高で借りた金を元安で返すとすれば、負担は増大する。大丈夫なのか。 市場原理に照らせば、元が下がると各国の投資家が中国に投資し、外資の流入が起きる。それによって景気が回復し、景気が回復すると為替も回復するはずである。だが貿易戦争が悪化し、米中対立が激化するなか、少なくとも米国の同盟国の企業はむしろ撤退モードに入っている。 「破七」を契機に中国不動産市場のバブルが崩壊する懸念も指摘されている。8月5日の不動産指数は2.36%下がり、100以上の不動産企業の株価が一斉に下落した。碧桂園、万科、融創中国、中国恒大といった企業は3~5%のレベルで株価が下がり、宝龍、龍光、富力、佳兆業、建業は軒並み5%以上、中国奥園は7.47%下落している。中国政治局会議で不動産業界を短期的に刺激する政策が出された直後に、あっと言う間に政策が挫折したわけだ。理由は不動産業界の外債がこの「破七」局面で軒並み償還期日を迎え、借り換えの必要が迫られているにもかかわらずハードルが上がってしまったからだ。 外債の借り換えが困難なうえ、中国のキャピタルフライトが加速すると、不動産市場の「銭荒(資金欠乏)」現象が起き、バブルが一気に崩壊する、というシナリオもあり得る。政府にとってバブル崩壊の何が怖いかと言うと、家計債務の7割が不動産ローンで、中国人は資産の8割前後を不動産として持っており、地方財政収入の7割前後が不動産開発のための土地譲渡によるものだということだ。不動産バブル崩壊は中国人の資産の崩壊そのもの。当然、社会に動揺が走り、秋の党中央委員会総会前に習近平政権の足元はさらに不安定化しかねない』、数年前までは人民元の国際化を旗印に穏やかな人民元上昇を図っていたのとは、様変わりの変化である。「不動産業界の外債がこの「破七」局面で軒並み償還期日を迎え、借り換えの必要が迫られている」、というのは不動産バブルの崩壊を生じかねない爆弾だ。
・『貨幣戦争を仕掛けざるを得ない党内事情  そういう状況なので、トランプ政権や欧米メディアが批判するように「破七」は中国側の意図的な為替操作、という見方もあるが、実際のところはそうせざるを得ない状況に追い込まれたのであって、必ずしも勝算がある作戦ではない気がする。 「守七」を維持できなかった理由の1つに、中国にとって最大のオフショア人民元業務センターである香港で継続している「反送中デモ」もあるだろう。これはすでに「反中デモ」に変貌しつつあり、負傷者逮捕者が増加の一途をたどっている。8月5日にはゼネストが行われ、香港の都市機能そのものが麻痺しつつある。当然、人民元の流動性にもマイナス影響を与えている。 とすると、習近平政権としては、どこを落としどころに考えているのだろうか。ロイターの報道は、中国側は人民元の防衛ラインを「7.2」あたりに設定し直すつもりではないか、といった関係者のコメントを引用していた。だが果たして本当に「7.2」でとどめられるのだろうか。 多くのメディアが、トランプの貿易戦争に対して、習近平政権が貨幣戦争を仕掛けた、というふうに理解している。だが、ニューヨーク・タイムズの香港特派員が指摘するように、共産党には外国勢力に頭を下げる歴史がなかったことが習近平への圧力になっており、国家指導者として強硬姿勢をとる以外の選択肢がなかった、というのが本当のところだろう。米国に妥協すれば「投降派」としてやり玉にあげられ、政権トップの座の維持が難しいという党内事情がありそうだ。 同時に、昨年夏までは習近平を政権の座から引きずり降ろそうとしていた勢力が、今年は比較的おとなしい。対米政策、経済政策がさらに惨憺たる状況になるまでむしろ習近平に好きなようにさせて、時が来ればその責任をすべて取らせる形で中国政治をリセットしようという魂胆なのか』、党内の反「習近平」勢力が、時が来るのを待ち構えているというのも不気味だ。
・『「新長征」を呼びかけた習近平  今年春の全人代(全国人民代表大会:日本の国会に相当)で、中国政府は米国の強い要請に応える形で外商投資法を急いで成立させ、改革開放を進めようとした。だが、5月の第11回米中通商協議直前に、95%合意しかけていた貿易交渉のテーブルを、習近平が「自分が一切の責任をとる」と言ってひっくり返した。 その後、江西省に行って「新長征」を呼びかけた段階で、習近平自身も“負け戦”を想定しているのかもしれない。 「長征」とはご存知のように、中国共産党軍が中華ソビエト共和国の中心地であった江西省瑞金を放棄し、1934年から36年にかけて延安まで1万2500キロを徒歩で敗走した歴史のことだ。この間、国際情勢の変化によって中国国民党が日本と戦争しなければ、共産党は消えていた。日本と戦うために国共合作(国民党と共産党の協力)方針が取られ、国民党が日本との戦いによって疲弊し、国共内戦で敗北したがために、今の共産党政権と中国があるわけだ。共産党の歴史にとって長征は原点だが、実際は15万人以上の共産党軍が7000人ぐらいにまで減った苛酷でみじめな敗走だった。新長征を人民に呼びかけた習近平は、再び中国人民に、苛酷でみじめな敗走を2~3年耐え忍べ、と言っているに等しい。 だが、この呼びかけに従うことができるほど、今の中国人は我慢強くないかもしれないし、習近平政権が望む国際情勢の変化(例えば「トランプは次の選挙で敗退する」とか「日米が仲間割れする」とか)も起こらないかもしれない。 負けを覚悟で、わずかな可能性に勝負をかける戦略であるとすれば、これはなかなか危うい。「交渉の末のある程度の妥協」という、至って普通のシナリオではなく、世界があっと驚くような行動に出ないとも限らないからだ。香港、台湾、半島・・・。中国が何か仕掛けそうな不安定な地域はたくさんある。 私は6月に『習近平の敗北』(ワニブックス)という本で、「9がつく年は必乱の年」という中国人のジンクスを紹介した。そこで人民元の暴落も香港の暴発の可能性も書いてきたが、自分が書いたその内容が本当に起きてくると、今さらながらちょっと怖い』、香港も空港の占拠と閉鎖で、人民解放軍による介入が現実味を帯びており、極めて不気味だ。ただ、夕方のテレビのニュースでは、空港の警備強化や、裁判所による占拠を不法とする判断などから、運行は再開され、混乱は多少落ち着きつつあるようだ。トランプ大統領も人民解放軍による介入を牽制しているようだ。なお、今日の日経夕刊は「米、対中関税555品先送り 「第4弾」、スマホなど12月」、「NY株大幅高・円急落 米中摩擦懸念和らぐ」と伝え、一触即発の状態からは落ち着きを取り戻したようだ。

次に、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問・一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏が8月9日付け現代ビジネスに寄稿した「米中経済戦争が、世界的な通貨戦争の引き金を引こうとしている 円高が日本経済を直撃する」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66457
・『ドナルド・トランプ米大統領が中国からの輸入に対する関税上乗せを明らかにしたことで、米中貿易戦争がエスカレートしている。この影響で、世界の金融市場に動揺が広がっている。 いまの局面で重要な点は、2つある。 第1は、制裁関税の対象として、アメリカが消費財に踏み込んだことだ。これによってアメリカ経済が被害を被ることは、当然予想される。そうしてでも中国を叩く必要があるという強い意志を、アメリカは示したことになる。 第2は、通貨戦争の様相が出てきたことだ。中国が人民元安を容認し、これを受けてアメリカが中国を為替操作国に指定した。これが世界的な通貨戦争に発展する可能性もある。そうなると、円高が進行する可能性があり、日本経済は大きな影響を受けるだろう』、「トランプ米大統領」だけでなく、米国議会でも強硬派の声が大きくなっているだけに、着地点が見えない展開だ。
・『エスカレートする米中貿易戦争  トランプ大統領は、アメリカが輸入する中国製品のうち約3000億ドル(約32兆円)に対して、9月1日から10%の関税を上乗せすると、8月1日にツイッターで明らかにした。 中国は、これに対する報復措置として、アメリカからの農産品の購入を一時停止した。 2018年に始まった米中貿易戦争によって、2015年5月初めまでの段階で、中国からの輸入500億ドルに25%、2000億ドルに10%の追加関税が課されていた。 アメリカは、今年の5月10日に、2000億ドルに対する制裁関税を10%から25%に引き上げた。これを受けて、世界の株式市場で株価が急落した。 6月末の米中首脳会談で第4弾の発動はいったん見送られたものの、中国側に譲歩の姿勢がみえないとして、今回の強硬策に打って出たのだ。 今回の引き上げがなされると、中国からの輸入のうち、2500億ドルに25%、3000億ドルに10%の追加関税がかかることになる。 なお、トランプ大統領は、3000億ドル分について、「段階的に引き上げる可能性がある。25%以上もあり得る」と述べた。 近い将来に米中が合意に至る可能性は、低下している』、「エスカレートする」スピードも速いことに驚かされる。
・『米中両国の経済に悪影響が及ぶ  今回の対象には、中国からの輸入依存度が高い消費財が多く含まれている。スマートフォンやPC(パソコン)、衣料品、玩具など、消費者への影響に配慮してこれまで避けてきた品目が中心だ。 高関税が実施されれば、消費財が値上りし、企業業績も下押しされるだろう。 国際通貨基金(IMF)は、今年4月に発表した「世界経済見通し」において、米中両国が全ての輸入に対する関税率を25%に引き上げた場合、実質GDP成長率がどの程度低下するかを、いくつかのモデルを用いて推計した(World Economic Outlook April 2019; Chapter 4 - The Drivers of Bilateral Trade and The Spillovers From Tariffs; April 3, 2019、Box4.4、p.125)。 その結論は、つぎのとおりだ。 (1)米中貿易は、短期的には25〜30%。長期的には30〜70%ほど落ち込む。 (2)これによって、実質経済成長率(年率)は、中国は0.5~1.5%ポイント、アメリカは0.3~0.6%ポイントほど落ち込む。 このように両国とも痛手を負うのだが、中国のほうが影響が大きい。これは、輸出依存度が高いからだ。 中国に生産拠点を持つ日本企業への影響も避けられない。タイやベトナムなどへの生産拠点移動などの動きが急ピッチで進むだろう』、「実質経済成長率」押し下げ効果は、中国の方がアメリカの2倍以上あるようだが、これを国内投資の引上げで相殺しようにも、既に国内投資が伸び切った状態にあるだけに、困難だろう。
・『リスクオフ志向が強まり金融市場が動揺  8月5日の株式市場で、ダウ工業株30種平均は大幅に続落し、前週末比767ドル(2.9%)安の2万5717ドルと、6月5日以来2カ月ぶりの安値になった。ダウ平均の下げ幅は今年最大で、2018年12月4日以来ほぼ8カ月ぶりの大きさだった。 6日午前の中国市場で、株価が大幅続落した。代表的株価指数である上海総合指数は一時3%超下落した。 6日の東京株式市場で日経平均株価は3日続落し、一時は前日比600円超下げた。終値は、前日比134円98銭(0.65%)安の2万0585円31銭となった。これは、7か月ぶりの安値だ。 長期金利(新発10年債利回り)は、6日にマイナス0.215%と2016年7月以来の低水準になった。 マイナス0.2%は、日本銀行の長短金利操作で誘導目標の下限として市場で意識されている水準だ。 原油価格も値下がりしている。 株安、金利下落(債券価格上昇)、円高、人民元安、原油価格下落。これらは、投資家の「リスクオフ」(危険回避)と呼ばれる行動によって引き起こされるものだ。 外見上は、2016年半ばに起こったこととよく似ている。ただし、リスクオフが高まる原因は異なる。 2016年の際には、アメリカが量的緩和政策から脱却して金融正常化を開始し、そのため、リスク資金の供給が減少して、投機の時代が終焉したということが原因であった。 それに対して現在は、貿易戦争の帰結が見えないという不確実性の高まりだ。これによって将来の見通しが立ちにくくなったので、投資のリスクが大きくなった。このため、安全と考えられる資産に投資が向かうのだ』、日本の長期金利の「マイナス」幅拡大は、地域金融機関を中心に金融機関に大きな打撃だろう。
・『貿易戦争進展に伴って元安が進んでいる  5日の中国・上海外国為替市場の人民元相場は、対ドルで続落し、1ドル=7・0352元となった。1ドル=7元を超える元安は、2008年5月以来11年ぶりだ。 これを受けて、中国人民銀行は5日朝、人民元の対ドル相場の基準値を昨年12月以来の低水準となる1ドル=6・9225元に設定した。一定の元安を容認したことになる。 これによって、追加関税の効果を打ち消し、輸出を下支えしようとする意図があるのだろう。 では、どの程度の元安になれば、関税引き上げの効果を打ち消せるのだろうか? 中国からアメリカへの財輸出は、2017年において約5000億ドル、2018年に約5400億ドルである。 ところで、上述のように、2019年5月初めまでの段階で、このうち500億ドルに25%、2000億ドルに10%の追加関税が課されている。これによって輸入額は、(500x25%+2000x10%)/5000=6.5%ほど値上がりしたことになる。 他方で元ドルレートの推移を見ると、2018年1月には1ドル=6.3元程度であったものが、貿易戦争勃発の影響で、11月には6.9元程度にまで元安になった。 そして、2019年2月には、6.7元程度になった。5月下旬には、2000億ドル分についての追加関税率が10%から25%に引き上げられたことに伴い、6.9元まで元安になった。 このように、貿易戦争の進展に伴って、元安が進んでいるのだ。 6.3元から6.9元までは9.7%程度の元安だから、これによって、関税率引き上げの効果(上述の計算では6.5%)は、打ち消されたと考えることができる。 では、今後はどうか? 第4弾の対象は上記のように3000億ドルだが、これは、2018年の中国からアメリカへの輸出の約55%になる。したがって、これに10%の追加関税がかかれば、輸出総額は5.5%増加する。 元の対ドルレートが5.5%下落すれば、その効果は打ち消されることになる。これは、1ドル=6.9元であるものが、1ドル=7.3元になることによって実現される。したがって、ここが、今後の元レートの1つの目安になるという見方がある』、これは余りに単純化した試算値で、文字通り「1つの目安」でしかない。
・『通貨戦争になると日本は直接に影響を受ける  中国通貨当局の元安容認を受けて、アメリカ財務省は5日、中国を「為替操作国」に指定した。これは、1994年以来、25年ぶりのことだ。事態は通貨戦争の様相を呈してきた。 また、トランプ大統領は、連邦準備理事会(FRB)に対して利下げ圧力をかけており、9月に追加利下げが行われるとの観測がなされている。また、ヨーロッパ中央銀行も秋に利下げを行うのではないかとの観測がある。こうなると、世界的な通貨安競争が始まる可能性もある。 この問題は、当然、日本の金融政策にも大きな影響を与える。 ただし、中国は手放しで元安を進めるわけにはいかないことに注意が必要だ。 なぜなら、元安に歯止めがかからなければ、資産を中国国内から海外に持ち出す大規模な資本流出が加速し、中国の金融市場が不安定化するからだ。 以上のような国際金融市場の動きは、日本にも影響を与えている。6日の東京市場では、円相場が一時、1ドル=105円台半ばまで上昇した。 これは、世界経済のリスクが増すと、安全な資産と見なされている円に資金が流れるためだと考えられる。 高関税にしてもファーウエイ排除にしても、日本は影響を受ける。しかし、それはあくまでも間接的な影響だ。ところが、 通貨戦争となれば、日本は 直接の影響を受ける。 企業利益にはかなり大きな影響を与える。日本企業(とくに製造業)の利益は、円安で増加し、円高で減少する傾向があるからだ。今後円高が進行すれば、利益減少が顕在化するだろう。 マーケットを通じる影響だけではない。トランプ大統領は、かねてから、「日本が円安政策をとっている」という考えを表明していた。こうした批判が、日本をターゲットとする直接的な政策(例えば、自動車の輸入規制)に発展する可能性も否定できない』、日本としては、これまで享受してきた「円安」メリットを諦め、円高への圧力を甘受すべきなのではなかろうか。

第三に、投資銀行家のぐっちーさんが8月10日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ぐっちーさん「米中戦争で見落しがちな真実」 トランプと習近平はどこまで「本気」なのか」の3頁目までを紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/296934
・『ドナルド・トランプ大統領がまたもや「中国に関税をかけるぞ」、とツイッターで脅したことで、世界中で一時株価が急落、大騒ぎになっています(その後も乱高下を繰り返していますな)。こうなるとGDPも雇用統計も糞もない(笑)。 ぐっちーポストの「有料メルマガ」では当初から散々書いてきたテーマなので、「何をいまさら」なんですが、多くのメディアの人はそういう情報にお金を払う気は毛頭ないようで、平気で電話してくる方々がたくさんいて、よほど仲のいいメディアの人でない限り、お話はお断りしています。なぜなら、こちらのいいたいことをすべて読んだうえで質問してもらわないと、答えの一部だけを切り取られたりして誤解されてもムカつくし、そういう意味ではメディアの姿勢も問われるべきではないでしょうか。 というわけで、本来別の話題を書くつもりだったのですが、メディアの方のアクセスも多いので、こうしておけば過去の記事をちゃんと読んで取材に来てくれるだろう、ということで、東洋経済オンラインには本件について過去に書いてきたことをまとめてみます』、ぐっちーさんの見解とは興味深そうだ。
・『アメリカの「対中貿易赤字」は高水準のまま  まず、誤解を恐れずに言えば、米中貿易摩擦問題による「経済上の大問題」は、そもそもほとんど存在すらしていません。そんなもの、現実には最初から今に至るまでないに等しいのです。お互いに関税を掛けたり、輸入禁止をしてみたり、いろいろなことをやっていますが、実際にそれで何かの効果が見られましたか?これは統計をちょっと見たら明らかなんですが、どうしてそれがわからないまま、大騒ぎしているのか、全く意味不明です。 すでにアメリカが関税をかけ始め、中国が報復をして1年以上がたつんですよ。それで何かが変わったか。例えば貿易統計を見てみると、ほとんど何も変わっていないということがすぐわかります。制裁前も後もアメリカの貿易赤字は高い水準ですし、対中国の貿易赤字水準も少し減ったくらいで、ほぼ変わりません。これは大きな問題が起きていないということ以外、説明のしようがありませんよね。みなさん、一体何を見ているのでしょうか。 今回の株価下落は、トランプ大統領がさらに追加関税をかけるとツイートしたことに端を発します。しかし、これはディールの一環で最初から考えていた手を打ったにすぎません。 要するに、初めからいずれこれをやるというのは予想できることです。メルマガでは明確にそう書いてきましたし、市場関係者でこの辺を理解していない人はもうほとんどいないんじゃないでしょうか。恐らく自分で参加したことのない、メディアや学者、エコノミストだけが右往左往していて、だんだん話が大きくなっているような気がします。ある意味怖いですね。そうした人たちの分析を読んで大変だ、と思っている皆さんはもっと怖いです(笑)。メダカがクジラになってしまっている。 これも何度も書いていますが、トランプという人は本気で喧嘩する気は全くないのです。あくまでもディールの一部としてやっているだけなので、要するにプロレスでチョップを打ったり打たれたりしながら、大げさに倒れたりしている、というのが現状なのに、なんで市場が右往左往する必要があるんでしょうか。別に放っておけばいいし、安くなった株があれば買えばいいのです』、「トランプという人は本気で喧嘩する気は全くないのです。あくまでもディールの一部としてやっているだけなので、要するにプロレスでチョップを打ったり打たれたりしながら、大げさに倒れたりしている、というのが現状なのに、なんで市場が右往左往する必要があるんでしょうか」、というのは、言われてみれば、その通りなのかも知れない。先に紹介した記事はいずれも「大変」というトーンなので、真逆だ。
・『米中は本気で戦う気などない  1ドル=105円台なんて、しばらく来るとは思ってなかったレベルですから、ドルが欲しかった人は「しめしめ」でしょう(元安の余波でアジア通貨が全面安となり、逃避資金として円が買われているわけです。FRB(米連邦準備制度理事会)がどーしたこーした、と言っている人がいますが、信じられませんね)。 一方、中国の習近平主席にしても、本気で喧嘩する気は毛頭ありません。このままプロレスをやり続け、来年の大統領選挙でトランプが負けてくれればラッキーだ、というモードにすでに入っています。「国有企業への農産物の輸入停止要請」はチョップより少し強力なバックドロップという感じですが(笑)、アメリカに致命傷を与えるわけではありません(アメリカはほかに売り先がいくらでもある)。 この話の中で最もまずいのは、お互いにエスカレートしていって、貿易摩擦のレベルではなく、米中によるイデオロギー(ここでは国家の思想体系)の対立になることで、そこまで行くならこれは大変な影響があります。このレベルはディールになりません。それこそ世界経済は凍り付くでしょう。 例えばアメリカが「中国共産党の1党独裁は許さん」、と言い出したり、中国が「アメリカこそ人権侵害を繰り返している(人種問題その他)」とやりだせば、合意などしようがなくなり、まさに米中激突。ただ、先ほど書いたように、お互いにそこまでは全く望んでおらず、どこかで手を打つということになるわけです。まさにトランプのプロレスに習近平が乗って見せた、ということに過ぎません。 繰り返しますが、貿易統計上、想像を絶するような大きなことは何も起きておらず、アメリカ経済は好調、中国経済はちょっと不調ですが、習近平の独裁体制は完璧です。一体だれが自らこれを壊したいと思うでしょうか。一番危ないのは、お互い妥協できない問題であって、いま起きている問題はいくらでも「ディール」ができることですから、何がそんなに問題なのか意味が分かりません。 むしろ日韓関係こそ、韓国が全くディールする気がありませんから、日本が譲歩しない限りこれはこれで大変な問題です。ただ、別に日韓がどうなろうとも世界経済にはほとんど影響がありませんから、それはある意味どうでもいいテーマです。韓国経済は塗炭の苦しみを味わうでしょうが、文在寅政権としてはそれで、「反日でまとまって国が一体となればそれでいい」、くらいに考えているんじゃないでしょうか。実際に支持率は上がっているわけですから、マッチポンプとしては「高性能」です』、「米中は本気で戦う気などない」が、「お互いにエスカレートしていって、貿易摩擦のレベルではなく、米中によるイデオロギー(ここでは国家の思想体系)の対立になることで、そこまで行くならこれは大変な影響があります」、というのは香港への中国人民解放軍による介入があれば、一気に火を噴くだけに、大いに気になるところだ。楽観的なぐっちーさんも、この点には警戒色を示し、ヘッジしているようだ。
・『株式投資の本質とは何か  ということで、貿易摩擦の激化、というなら、その証拠を見せてもらいたい。1年たってもほとんど何も大きな影響がないわけですから、今後もありません。ワタクシに言わせれば、摩擦にもなっていません。大統領選挙までまだ時間がありますから、トランプも今妥協する気は全くない。しばらくはプロレスが続く、ということです。 その意味で、マーケットとしては短期的にはチャンスなんでしょう。 クオリティーの高いものはそうはいってもこういう「プロレス」には強く、ワタクシが1980年代から保有しているコアポートフォリオの一部である、ジョンソン&ジョンソン(ティッカーシンボルはJNJ、ニューヨーク市場)は、市場全体が5日急落した中、130.16ドルで取引を終えましたが、前日比ではわずかマイナス0.91ドルでした。1ドルすら下がっていない。正直、もっと下がってくれれば買い増したのにね。 要するにそういうことです。いつも申し上げていますが、どうせ株式投資をするならこういう株を買うべきでしょう。あとは寝ていれば良いのです。これが投資の基本ですね。 ちなみに、日本株は全てとはいいませんが、残念ですが基本的に全くお勧め致しません。理由は有料メルマガにたくさん書いていますので、大変申し訳ありませんがお金を払ってご覧ください(笑)』、ジョンソン&ジョンソンは製薬、医療機器その他のヘルスケア関連製品を扱う超優良企業で、景気に左右され難い代表的銘柄なので、市場が急落しても下げは小幅というのは当然だ。「マーケットとしては短期的にはチャンスなんでしょう」、というのはその通りなのかも知れない。
タグ:東洋経済オンライン IMF 野口 悠紀雄 JBPRESS ジョンソン&ジョンソン 現代ビジネス 福島 香織 米中経済戦争 (その9)(人民元「破七」で金融戦争突入 捨て身の中国の勝算 米国相手に突っ張るしかない習近平 国民に「新長征」を強いる、米中経済戦争が 世界的な通貨戦争の引き金を引こうとしている 円高が日本経済を直撃する、ぐっちーさん「米中戦争で見落しがちな真実」 トランプと習近平はどこまで「本気」なのか) 「人民元「破七」で金融戦争突入、捨て身の中国の勝算 米国相手に突っ張るしかない習近平、国民に「新長征」を強いる」 人民元が1ドル=7元のラインを突破 「破七、守七」と呼ばれる1ドル7元ラインは、一種の心理ラインとされ、これを超えると、中国政府としても制御できない勢いで人民元暴落が起きかねないと言われていた 「破七」は自信の表れか? 人民元安はデメリットの方が大 貨幣戦争を仕掛けざるを得ない党内事情 「新長征」を呼びかけた習近平 香港も空港の占拠と閉鎖で、人民解放軍による介入が現実味を帯びており、極めて不気味だ テレビのニュースでは、空港の警備強化や、裁判所による占拠を不法とする判断などから、運行は再開され、混乱は多少落ち着きつつあるようだ トランプ大統領も人民解放軍による介入を牽制 「米、対中関税555品先送り 「第4弾」、スマホなど12月」 「NY株大幅高・円急落 米中摩擦懸念和らぐ」 「米中経済戦争が、世界的な通貨戦争の引き金を引こうとしている 円高が日本経済を直撃する」 エスカレートする米中貿易戦争 米中両国の経済に悪影響が及ぶ 今年4月に発表した「世界経済見通し」 米中貿易は、短期的には25〜30%。長期的には30〜70%ほど落ち込む 実質経済成長率(年率)は、中国は0.5~1.5%ポイント、アメリカは0.3~0.6%ポイントほど落ち込む リスクオフ志向が強まり金融市場が動揺 貿易戦争進展に伴って元安が進んでいる 通貨戦争になると日本は直接に影響を受ける 「ぐっちーさん「米中戦争で見落しがちな真実」 トランプと習近平はどこまで「本気」なのか」 アメリカの「対中貿易赤字」は高水準のまま 米中は本気で戦う気などない お互いにエスカレートしていって、貿易摩擦のレベルではなく、米中によるイデオロギー(ここでは国家の思想体系)の対立になることで、そこまで行くならこれは大変な影響があります 株式投資の本質とは何か
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今日は更新を休むので、明日にご期待を!

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日本郵政(その12)(日本郵便とアフラックが がん保険の販売継続に固執する理由、郵便局員を「かんぽ乗り換え」の不正に走らせた2つの国策、日本郵政が「強気の謝罪会見」 首脳陣続投の背景に政治の影、日本郵政株売却に”重大な疑義”を生じさせた長門社長「冗談ではない」発言) [国内政治]

日本郵政については昨年5月26日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その12)(日本郵便とアフラックが がん保険の販売継続に固執する理由、郵便局員を「かんぽ乗り換え」の不正に走らせた2つの国策、日本郵政が「強気の謝罪会見」 首脳陣続投の背景に政治の影、日本郵政株売却に”重大な疑義”を生じさせた長門社長「冗談ではない」発言)である。

先ずは、7月30日付けダイヤモンド・オンライン「日本郵便とアフラックが、がん保険の販売継続に固執する理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210230
・『販売継続の説得力失った日本郵便とアフラック  郵便局での保険販売を巡って、日本郵政傘下の日本郵便とアフラック生命保険に対する「自粛」包囲網がいよいよ狭まってきた。 日本郵便はこれまで、郵便局員による不適切販売を受けて、かんぽ生命保険の積極的な販売(募集)を自粛する一方で、アフラックのがん保険については、従来通りの募集を継続するというスタンスを一貫してとっている。 7月26日の機関投資家向け説明会でも、アフラックの米持ち株会社は郵便局での募集継続を明言している状況だ。 かんぽ商品のように、新規契約と解約の時期をうまく調整することによって、郵便局員の実績評価が大きく変わるような仕組みにはなっておらず、募集における構造上の問題は見当たらない、というのがアフラックとしての言い分だ。日本郵政の社外取締役を務めているアフラックのチャールズ・レイク会長の意向も、募集継続に大きく作用しているとみられる。 しかしながら、郵便局という一代理店で二重払い契約といった問題が発覚し、その全容は郵政グループとしていまだにつかめていないのが現状だ。 加えてアフラックとしても、不適切な募集事例がなかったか改めて独自に調査をするとしているにもかかわらず、なぜ足元では積極的な募集を続けて問題がないのかは、いまだまともに説明できていない』、記事にはないが、2017年12月に日本郵政は、アフラックに2700億円を出資、議決権7%は4年後には10倍になり、持分法適用会社になる。しかし、日本郵政から経営陣は送り込まないという変則的な資本提携だ。このため、アフラックは他の保険会社と立場が全く異なる。
・『導入が遅れた「条件付き解約制度」  そうした状況で、日本郵便の幹部は「うちとしては(アフラックのがん保険は)自粛したいのが本音」と25日前後から、周囲に盛んに漏らし始めている。それまで同幹部は、業績への影響が大きい募集の自粛を「なぜする必要があるのか」と言い放っていたが、募集を続けることの説明が日に日に苦しくなり、このままでは持たないと考えたようだ。 そこには、アフラック側の圧力が強いという構図にできればという意図が見え隠れするが、となると、積極募集の自粛を日本郵便に申し入れていた日本生命などの商品は、当然ながら自粛しないと支離滅裂な状況になる。 「かんぽ商品以外も自粛」という記事が、週末の27日から相次いだのはそうした背景がある。さらに、日本郵便として批判の矛先を何とかアフラックに向けたいという事情もあった。その一つが「条件付き解約」の導入が遅れてしまったことだ。 そもそも、アフラックのがん保険には、悪用などを防ぐために、契約日から保障開始までに3カ月間の免責期間(待機期間)がある。そのため旧契約から新契約に切り替える際には、保障が途切れないよう3カ月月間は新旧両方の保険料を払うことになるが、条件付き解約制度を利用すれば、保障の空白期間をつくらずに、新契約分の保険料だけを払えば済む仕組みになっている。 アフラックは条件付き解約制度を2014年に導入し、当時から日本郵便に導入を提案してきたようだが、日本郵便は「システム対応の問題もあり、当時は必要性を認識できなかった」という。 18年4月にアフラックのがん保険が改定(保険料免除条項を追加)になり、解約と新規契約のボリュームが膨らんだ昨年末になって、ようやく条件付き解約制度の導入を決めており、今年10月から適用する予定だったのだ。 そうして、顧客の負担軽減につながる制度の導入は後回しにする一方で、かんぽ商品については不適切な募集を放置していたことになり、経営陣が謳っていた「顧客本位」がいかに口だけだったかがよく分かる』、「アフラックは条件付き解約制度を2014年に導入し、当時から日本郵便に導入を提案してきたようだが、日本郵便は「システム対応の問題もあり、当時は必要性を認識できなかった」、というのは日本郵便側が如何に顧客を無視していたかを示している。
・『郵政グループと保険会社のいびつな上下関係  また、今回の問題を通じて一段と明確になったのが、日本郵便と保険会社のいびつな上下関係だ。販売自粛か継続かを巡って、日本郵便はアフラックの顔色を常にうかがってきた一方で、日生などに対しては売るか、売らないかの最終決定権は日本郵便側にあるかのような態度をとってきたからだ。 本来、商品を供給する保険会社は、代理店に対し教育、指導、監督する義務があり、一代理店である日本郵便に対しても強い立場にある。そのため、保険会社として募集自粛を日本郵便に一方的に通告することも可能だ。 実際、今年2月に日生などが節税保険(法人定期)を自主的に販売停止にした際は、委託していた日本郵便にも停止を通告している。 商品性自体に問題があったからという側面はあるものの、政治が絡む郵政グループの強大さを前にして、今回の問題では日生などは自粛に向けて協議の申し入れというかたちにとどめ、日本郵便は協議ぐらいは受けてあげましょうという姿勢で対応してきた。 そうこうするうちに、事態は郵便局でアフラックだけが今後も募集継続、という方向に傾き始めた。 日本郵便をはじめ郵政グループは、7月31日の定例会見に向けて、辞書のような分厚い想定問答集を目下作成しているというが、説明のあまりの苦しさに、「かんぽ以外は従来通り募集継続」と書いては消す姿が目に浮かぶようだ』、出資関係からみてアフラックの特別扱いは続くのだろう。

次に、デモクラシータイムス同人・元朝日新聞編集委員の山田厚史氏が7月31日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「郵便局員を「かんぽ乗り換え」の不正に走らせた2つの国策」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210316
・『高齢者を食い物に「郵政よ、お前もか!」  顔なじみのお客に損をさせると知りながら保険を売った郵便局員も犠牲者ではないか。 底なしの規模に広がるかんぽ生命の「不正販売」の源流を辿っていけば「郵政民営化の無理」に行き着く。 へき地・離島を含め全国津々浦々の郵便局が一律のサービスを行うという状況のもとで、「ノルマ達成」や「手数料稼ぎ」のために保険や投資信託などの金融商品を売らなければならない職員にモラル崩壊が起きていた。 アベノミクスによる「ゼロ金利政策」が事態を助長した。 客を踏み台にして自らが生き残ろうとする姿は「悪しき市場原理」の典型である』、「かんぽ生命の「不正販売」の源流を辿っていけば「郵政民営化の無理」に行き着く」、というのはその通りだ。
・『不利益な保険の乗り換えでノルマ達成、手数料稼ぎ  発端は一昨年から、かんぽ生命が力を入れてきた「保険の乗り換え」だ。 古い保険を解約し、新しい保険に乗り換えさせる。この過程で「お客様本位と言えない営業があった」と、かんぽ生命の植平光彦社長は認めた。 「お客様本位ではない」というのは、客に不利益を与える保険の販売があった、ということだ。 日本郵政に有利な「新規」の契約を勧める一方で、新規の契約を結んだ後も旧契約を解除せず、半年以上、保険料を二重払いさせる。顧客に無断で書類を偽造して契約するなどの案件が続々、明らかになった。 この種のズルは、営業現場で珍しくはないが、今回の件が悪質なのは「お客が損する保険」に乗り換えさせたことである。 かんぽ生命は2017年10月、「新ながいき君」という終身保険を売り出した。セールスポイントは「短期の入院でも保険金がおります」だ。 近年、入院日数は短くなっているが、従来の生命保険では一定期間を超える入院でないと保険金はおりない。「新ながいき君」は、入院したその日に5日分の入院費補助が出るので職員にとって「売りやすい保険」だった。 だが、この保険はお客にとっての「毒」が仕込まれていた。予定利率が年1%から0.5%へと引き下げられたからだ。 予定利率とは、保険料を算定する根幹に関わる金利だ。生命保険は満期や死亡時まで超長期の固定金利が決まっている。預金もそうだが、金利は高い方が顧客に有利なのは生命保険も同じ。支払う保険料が安くなったり、満期返戻金が大きくなったりする。 予定利率の高い保険に入っていれば「少ない保険料で大きな保障が買える」ということだ。 かんぽの予定利率の推移を見ると、昭和59年から年6%だった。平成2年に5.75%へと下がり、平成6年に3.75%、その後、5回切り下げられ2017年4月から0.5%になった。 平成が始まった頃加入した人たちは「利回り6%」という、今ではあり得ない高金利が生涯約束されている。5%台でも業界では「お宝保険」と呼ばれている。だが、多くの加入者は自分の入っている保険が「お宝」であることに気づいていない。 「お宝保険」は保険会社にとって「お荷物保険」である。アベノミクスの低金利政策で予定利率に見合う利回りを稼げる運用先は見当たらない。 逆ザヤになっている「お宝」を解約させ、金利の安い保険に乗り換えさせることは、かんぽ生命にとって都合がいい。 どのような論議が経営会議でなされたか明らかではないが、2017年に「新ながいき君」が売り出され、怒涛の「乗り換え」が各地の郵便局で始まった』、「予定利率の高い保険」から低い保険への乗り換えは、民間生保ではもっと前に大々的にやった。かんぽ生命は遅ればせながらやったようだ。
・『勧誘された高齢者 無保険になった人も  勧める時、営業職員は「新旧比較表」を示して説明する決まりになっている。 「予定利率」も比較項目のひとつだ。6%の保険が0.5%の保険になれば、どんな損がお客に発生するか、職員がきちんと説明すれば、応ずる顧客はいなかったのではないか。 「新旧比較表」の説明と併せ、顧客から「私は本書面全ページの内容を確認し、申し込みプランが私の意向に合致していることを確認しました」という誓約を取る。 「ご意向確認書」と呼ばれる書面だが、ここに署名・捺印させれば、あとでトラブルが起きても顧客は文句を言えない。「説明は受けている。分からなかったのは自己責任」となる。 損な乗り換えを勧められた人の多くは高齢者である。乗り換えに応じてしまった後にも問題が起きた。 新しい契約をしたが、後になって健康診断ではねられ、結果的に無保険になった例が続発している。 保険に当初、加入した時は元気でも、30年近くたつとあちこちにガタが出る。かんぽが指定する病院で検査をすれば保険に入れない人が出るのは、十分予想できたことだ。 新旧比較表に小さな字で次のように書かれていた。 「現在の保険を解約した場合は、新たなご契約が成立しなかったとしても、解約した保険は復元できません」 無保険になる人が出ることを予想していたような注意書きである。 「入院なら初日に5日分が出ます」といううたい文句につられて契約した結果が無保険。乗り換えに応じていなければ病気になっても保険で守られていた。 かんぽは顧客から「お宝」をはぎ取り、裸にして放り出したようなものだ』、新契約が「後になって健康診断ではねられ、結果的に無保険になった例が続発」、というのは当然予想される事態だ。「かんぽは顧客から「お宝」をはぎ取り、裸にして放り出したようなものだ」、というのはその通りだ。
・『ゆうちょ銀行の投信販売「ルール無視」でも調査せず  かんぽ生命、日本郵便、日本郵政の3社は社外の弁護士による特別調査委員会(第三者委員会)を設置し「事実を確認し、原因を徹底的に調査する」と発表した(7月24日)。 メンバーは検察庁OB3人、いわゆる「ヤメ検」による検証作業が始まる。 だが、この第三者委員会には、決定的な「手抜き」が潜んでいる。 調査の対象を「かんぽ生命の保険商品の取り扱い」に限定したことだ。 「かんぽの不正」に話題が集中しているが、「不正販売」はゆうちょ銀行の「投資信託販売」でも問題になっていた。 6月24日に行われた長門正貢・日本郵政社長の記者会見で「守るべきルールが順守されず、高齢者取引の4割で違反があった」と明らかにされた。 ゆうちょ銀行の担当役員は「70歳以上の高齢者に投資信託を販売する時は、お客に理解力があるか上司が確認する決まりになっているが、直営店の9割でルールが無視されていた」と違反を認め、頭を下げた。 投資信託は、かんぽの扱う生命保険より、さらに複雑な金融商品だ。ゆうちょ銀行の直営店でさえ9割に違反があったのなら、取り扱いを依頼されている日本郵便、つまり郵便局ではどうなっているのか。 金融の門外漢である郵便局員がノルマに追われ、投資信託を売っている現場で、ひどいことが起きてはいないのか。 不祥事の徹底解明を言いながら、第三者委員会は投信販売にメスを入れないのは理由があるようだ。踏み込めば、郵政民営化という十字架を背負う経営陣の責任がより明確になる。 市場原理になじまない全国一律の郵便事業を抱え、金融商品を売ってもうけなければ、民営化は立ち行かない。その結果、郵便局に過剰なノルマ販売などを強いて、老人を食い物にする「不正」を増殖させた構造が明らかになってしまう』、「第三者委員会は投信販売にメスを入れない」、というのは酷い話だ。
・『根源は「民営化」赤字の郵便支える必要  郵政民営化とは、国の事業だった郵便、貯金、簡易保険を株式会社にして、誰もが株を買えるよう市場に公開することだった。 小泉・竹中改革の看板政策だったが、自民党内でも「過疎地にも出店を義務付ける郵便事業は市場原理になじまない」「日本最大の貯蓄を抱える郵貯を外資に差し出す政策だ」などと侃々諤々(かんかんがくがく)の論議を呼んだ。 紆余曲折の末、郵政は4分割され、持ち株会社の日本郵政の下に、日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命が並ぶ体制になった。 懸案の上場は「親子上場」という特異な形が取られた。 銀行を見れば、メガバンクは金融グループを統括する持ち株会社だけが上場している。郵政グループは、持ち株会社の日本郵政だけでなく、ゆうちょ銀行もかんぽ生命も株を公開した。例外は郵便局を抱える日本郵便だ。 従業員19万4000人(臨時従業員含まず)を抱え、郵政グループでは圧倒的な存在感を持ちながら収益性が期待できないので上場は無理、と判断された。 だが日本郵便が赤字に陥れば、親会社である日本郵政の株価に反映する。郵便局の働きぶりが郵政株の売り出しに影響し、民営化の成否にもつながる。 郵便だけでは立ち行かない日本郵便は、ゆうちょ銀行・かんぽ生命の金融商品を扱って、手数料をもらうことでかろうじて黒字を維持している。 2018年3月末、ゆうちょ銀行から5981億円、かんぽ生命から3722億円の業務受託手数料を受け取った。赤字の郵便を金融事業が支える、という構造だ。 だが日本郵政にとって保険も投信も片手間でやるには重い仕事になってきた。 特に投資信託は、利回りを上げるため外国株や外債が組み込まれ、先物・スワップなど仕組みは複雑化するばかり。商品を理解できないまま本部や地方拠点が割り振る営業目標をこなすのに四苦八苦というのが現状だ。 1800兆円とされる個人金融資産の49.5%は65歳以上の高齢者が持っている(みずほ総研調べ)。オレオレ詐欺も悪質な訪問販売もここの層を狙っている。手っ取り早く成果を上げるため郵政グループも高齢者を狙ったのではないか。 投資信託の営業には「適合性の原則」が法律で定められている。投資判断ができる顧客でないと売ってはいけない、という決まりだ。ルールは現場で有名無実になっていた。 問題は、上司の立ち会いなしに売った、という営業形態にとどまらない。投資判断できない高齢者にどんな投信を売ったのか、そこがポイントだ。 高齢者に勧めてはいけないような投機性の高い複雑な投信を売っていたのではないか。 記者会見でこの点をただすと、横山邦男日本郵便社長は「お答えできない」と口をつぐんだ』、回答拒否を伝えた新聞記事は見た記憶がないので、恐らく記事にはしなかったのだろう。
・『経営陣の関心は高値での株式売り出し  郵便局には顧客の個人情報がある。郵便貯金がいくらあるか、職員は知っている。 貯金には金利は「ほぼゼロ」であることを残念に思う顧客に「利回りのいい投信におカネを移しませんか」と持ち掛ける。 例えば、それで顧客が貯金口座から投信の口座に100万円を移したとすれば、3万円程度(商品によって異なる)の販売手数料がゆうちょ銀行に落ちる計算だ。お客は100万円払って97万円の投資信託を買うことになる。 貯金から投信の「乗り換え」をさせるだけで3%の手数料。ゼロ金利のご時世でこんな商売はめったにない。顧客の口座を握っているからできる商売だ。 「お客様本位の営業が徹底していなかった」とは「お客を食い物にしていた」という意味ではないのか。 かんぽの「乗り換え」も、ゆうちょの「投信販売」も現場で起きていた。特別委の調査を「かんぽ」に限定したことは、現場で起きた事件の半面にしか光を当てないことを意味する。 持ち株会社の日本郵政は本部エリートの集団で現場から遠い。彼らにとっての懸案は、年内に予定している株式の第2次売り出しだ。 上場後発覚したオーストラリアの物流会社トールへの投資失敗など悪材料を帳消しに収益を示すことが課題となっている。だが頼みのゆうちょ・かんぽは超低金利で採算が悪化している。集めたカネを国債で運用していれば利ザヤが稼げたのは昔の話。日本株も頭打ちで運用収益は振るわない。 いきおい、投信や保険の手数料稼ぎに力を入れ、過剰なノルマを発生させた。金融事業を頼りに上場するという無理が現場に重い負担をかけてしまった』、最近の株価暴落で「株式売り出し」は夢のまた夢と消えたようだ。
・『モラル崩壊の追い打ち アベノミクスの超低利  振り返ると、かんぽと同様の「乗り換え」は、バブル崩壊後、1990年代半ばに生命保険業界で起きている。 5.5%だった予定利率が切り下げられ、生保各社は金利の低い新型保険を売り出し、「お宝保険」の解約を勧めた。 「顧客を欺く営業」と批判を受け、生保業界は総ざんげを迫られた。 その時、簡保は蚊帳の外で「顧客騙し」に加わらなかった。目先の収益のためズルすることは官業としてできなかった。 「異常な低金利が長期にわたって続く時、現場で必ずおかしなことが起こる」日本銀行総裁だった故三重野康氏の言葉である。副総裁として5度にわたる公定歩合の引き下げに関与し、日本をバブル経済に突入させた責任者の一人でもある。 あの頃は好景気で激烈な融資競争が起き、銀行員が「イケイケ」とばかり突っ走った。今はデフレ退治のアベノミクスが叫ばれ、「異次元の金融緩和」が始まって6年。金融機関は生き残るため、お客を食い物にするということか。 現場で起きた愚行を「手数料稼ぎ」「ノルマに追われた暴走」と非難することは容易だが、彼らを追い詰めたのは、過剰な収益目標であり、株価至上主義の経営である。 郵政各社の経営者の責任は重いが、その経営者を縛っているのが国策だ。 郵政民営化とアベノミクスによる超低金利。2つの国策が絡み合って19万人の郵政職場のモラルを崩壊させた』、説得力溢れた主張である。

第三に、8月1日付けダイヤモンド・オンライン「日本郵政が「強気の謝罪会見」、首脳陣続投の背景に政治の影」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210546
・『終始強気だった日本郵政の長門社長  この程度か――。日本郵政が31日に開いた定例の記者会見で、長門正貢社長はそう言いたげな表情を、時折見せた。 2時間以上にわたる記者との質疑では余裕すら感じられ、用意していた想定問答が吹き飛び、言葉に詰まるような場面はほとんどなかったといえる。 最大で18万件超にも及ぶ保険の不適切販売を巡り、経営責任を問われた場面では「陣頭指揮をとって改善策を講じることが経営者としての責任」と言い切り、辞任を否定。また、問題を見過ごしてきた経営者としての資質とそれに伴う責任を聞かれたときは、一瞬困惑しながらも「論理が飛躍している」と何とかかわしてみせた。 不適切販売で、郵便局への信頼を失墜させたことへの謝罪会見だったにもかかわらず、そこまで強気の姿勢でいられたのは、前日にあった会合の影響が大きい。 その会合とは、郵便局の新たな利活用を推進する議員連盟(郵活連)の幹部会だ。 会長の野田毅氏をはじめ大物議員12人を前に、長門社長など日本郵政の首脳陣は、不適切販売の一連の経緯を説明。幹部議員から「今のような説明だけでは世間は納得しない」などと、厳しい言葉が飛んだものの、会合全体の雰囲気から、自らの首を差し出すほどの事態にはなっていないという感触をつかんだようだ』、強気の記者会見の前日に「郵便局の新たな利活用を推進する議員連盟(郵活連)の幹部会」があったとは、初耳だが、納得できる。
・『郵政首脳陣を激励した議員たちの本音  「おい、がんばれよ!」。会合が終わり、幹部議員からそう言われ背中を叩かれた日本郵便の横山邦男社長は、それまで見せたこともないような恐縮ぶりで、深く何度も頭を下げていたが、議員が去った後に見せたほっとしたような表情は、「なんとか辞めずにすみそうだ」という胸のうちを語っているかのようだった。 「明日(の会見)は、報道の人たちはどんなことを当ててくるんだろうね」。30日夜、長門社長は周囲にそう尋ね、新たな不適切販売の事例などを材料にして、メディアが責任を追求してくることを警戒していたという。 しかし、ふたを開けてみれば会見で想定外の事例をメディアから突き付けられるようなことはなく、政治の後ろ盾を再び得たという自信が、強気の姿勢を徐々に後押ししていった。 今後郵政グループは、顧客調査を本格化させ、問題の早期の幕引きを図る考えだが、首脳陣が描く「楽観シナリオ」通りに、果たして事が進んでいくのかどうか。 郵活連の会合後、にこやかに話していた幹部議員は「明日に会見あるんでしょ。まあそれ次第だけど、生ぬるい内容で世間の反感を買ったりしたら、俺が経営責任追及の急先鋒になるよ」と語ったその目は、全く笑っていなかった』、日本郵政は、民営化とは名ばかりで、やはり政治色が強いようだ。

第四に、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原 信郎氏が8月3日付け同氏のブログに掲載した「日本郵政株売却に”重大な疑義”を生じさせた長門社長「冗談ではない」発言」を紹介しよう。
https://nobuogohara.com/2019/08/03/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e9%83%b5%e6%94%bf%e6%a0%aa%e5%a3%b2%e5%8d%b4%e3%81%ab%e9%87%8d%e5%a4%a7%e3%81%aa%e7%96%91%e7%be%a9%e3%82%92%e7%94%9f%e3%81%98%e3%81%95%e3%81%9b%e3%81%9f%e9%95%b7/
・『かんぽ生命保険の不適切販売問題を受けて、かんぽ生命株式会社(以下、「かんぽ生命」)の植平光彦社長と、販売委託先の日本郵便株式会社(以下、「日本郵便」)の横山邦男社長が、7月10日に開いた記者会見については、【「日本郵政のガバナンス問題」としての保険不適切販売問題~日本郵便横山社長への重大な疑問】で詳しく述べたが、7月31日、日本郵政の長門正貢社長が、かんぽ生命の植平社長、日本郵便の横山社長とともに記者会見を開いた。 長門社長は、定例会見で質問に答えたことはあったものの、この問題についての記者会見に臨んだのは初めてだった、大変堂々とした態度で会見を主導し、質問をする記者を圧倒している感すらあった。 この会見の直前の7月29日、今年4月に行われた日本郵政によるかんぽ生命株式の売却に関して、郵政民営化委員会の岩田一政委員長が、記者会見で、「不祥事案は速やかに公表すべきだった。透明性が極めて重要だった」と指摘し、日本取引所グループの清田瞭最高経営責任者(CEO)も、「適切な情報開示がなかった」として問題視する発言したことが大きく報じられていた。 この点に関して質問を受けた長門社長は、かんぽ生命の植平社長に事実関係を説明させた後、株式売却の際には不祥事について全く認識がなかったとして反論し、「冗談ではない」と、岩田発言・清田発言に憤ってみせた。 かんぽ生命株式の売却に関して、民営化委員会の委員長や日本取引所のCEOに問題を指摘されたというのは、日本郵政グループとしてもその経営トップとしても、極めて深刻な事態だ。日本郵政の社長が、記者会見の場で、民営化委員会の委員長と日本取引所のCEOの問題の指摘に対して、感情的な言葉まで用いて反論したことを、どのように評価すべきか。 会見で長門社長の態度に圧倒されたせいか、今のところ、マスコミからの批判は、あまり見られない。しかし、政府は、この秋に、日本郵政株式の第3次売り出しを行って、売却収入を東日本大震災の復興財源にすることを予定している。その株式会社の社長の発言としては重大な疑問がある。予定どおりに日本郵政の株式を売り出すことは一層絶望的になった。それどころか、長門社長の下での株式売出しに投資家の理解を得ることも困難になったと言わざるを得ない』、「日本郵政の社長が、記者会見の場で、民営化委員会の委員長と日本取引所のCEOの問題の指摘に対して、感情的な言葉まで用いて反論した」、というのは大変な役者ぶりだ。「長門社長の態度に圧倒されたせいか、今のところ、マスコミからの批判は、あまり見られない」、というマスコミの腑抜けぶりにも改めて怒りを覚えた。
・『読売新聞記者との質疑応答  かんぽ株売出しについての長門社長の発言は、読売新聞の「ヨネザワ」という記者からの質問に答えたものだった。同記者は、「横山社長に1問、長門社長に2問お聞きします」と断った上で、まず、日本郵便の横山社長に対して 問題が拡大した背景に、本社経営陣全体で、問題の発覚当初から現場の理解・認識が甘かったのではないか。現場の情報が届いていたとして、本社に正しく伝えられていたのか。経営陣の意向に沿って塗り替えられた情報ではなかったのか。さきほど意見交換の場を作るというが、上の顔色をうかがうような意見交換では意味がない。社風、意識改革についてどう考えているのか。 と質問した。 それに対して、横山社長は、今後の施策の一つとしている、「現場社員との意見交換の場」については、「お客様のご不満の声や、自分たちが仕事をやっていくうえでこんなことがやりにくいというような声を広範に聞く会を設けようと思っている。万が一にも、私と参加者との間で、それを遮断する、出席者を制限するようなことがあるようであれば、それは断罪しないといけない」などと答えた。 そして、ヨネザワ記者は、2問目で、長門社長に、「今回の問題でかんぽ生命株の売却時にこの問題を把握していたか否かというのはひとつの焦点となっている」とした上で、 問題の把握のレベル感と公表のタイミングの正しい在り方についてどのように考えているのか伺いたいと思います。要は例えば調査を始めた時点とか、グレーな案件があった時点とか、それが黒と確定した時点とか、あるいは今回のように黒が大量にあった時点とか、そういうふうな公表するタイミングについてご自身の認識、あとは今批判の声も中には出ているわけですが、そのような声にどのように応えて、あるいは他社の状況も踏まえて、正しいのはどのようなタイミングでこのような問題を公表するべきかと考えるのかを教えてください。と質問した。 これに対して、長門社長は、大事なポイントを聞いて頂きまして、民営化委員会の岩田委員長がご発言になりました。日本証券取引所の清田さんが同じようなご発言をされました。4月4日にかんぽ生命の第二次売り出しをスタートいたしましたけれども、その時点でかんぽ、郵政の経営者はこの事象を知っていたのではないかと、こういうご発言でした。大変な発言でございまして、どういう文脈で、どういう情報に基づいておっしゃったのか知れませんけれども、これは騙して株を売ったという懸念があるぞと、こういうご発言なのですね。大変に重大な発言だと思います。岩田発言、清田発言について、私どもの認識をしっかりと申し上げたいと思います。と述べた上、かんぽ生命の植平社長に、不祥事を把握した経過を説明させ、株式売却の時点では、不適切販売の不祥事について全く認識がなく、開示すべき情報を開示しなかったものではないことを強調した。そこでの、植平社長と長門社長が14分にもわたって行った説明は、概ね以下のようなものであった。 不適正募集の事案が2018年度は20件程度存在しており、業法違反になっていると認定されるものが20件程度発生しているということ。そうした苦情のなかに乗り換えに関わるようなものが1件あった。 こういう不適正募集という事案はパーセンテージは非常に小さい。そのことをもって会社経営全体にとって重大と認識するには至っていない。 昨年度1年間でそういう数字があったことは、これは隠さずに、金融庁、総務省のほうにきっちりと報告している数字。黙って隠したという数字ではない。 4月4日にかんぽ株を発売するという決断は我々だけでできるわけではない。きちんと引受証券や弁護士を雇って、彼らにいろいろアドバイスをしてもらって出している。 持株のほうの立場で言えば、4月4日の時点はまだ全く白です。今回の6月27日の2万4千件は22件と比べても桁が違う、異次元の数字が出てきて、そのような認識になった。 日本郵政のガバナンスのことで言えば、6月の取締役会は株主総会後の臨時取締役会だが、ここでは本件は、全く議論になっていない。かんぽ生命の取締役会でその22件が報告されたのは5月の取締役会だった。 そして、このように説明した上で、長門社長は、 かんぽ生命の取締役会、私、ボードメンバーに入っておりますから、そこでその22件が報告されたのはやはり5月のかんぽの取締役会です。そういうことでございますので、岩田発言、清田発言は非常に重いので、この場をお借りして、冗談ではないということを申し上げておきたい。と言い切ったのである』、どうも「読売新聞の「ヨネザワ」という記者からの質問」なるものは、郵政の正当性の主張を引き出すための、サクラ的な色彩が濃そうだ。読売新聞はもともと安倍政権に近い存在だが、ここまで八百長質問するとは、記者魂も地に落ちたものだ。
・『ここで、長門社長は、「これ2問目でしたね。3問目があったかと思いますが。」と言って、さらに質問を促した。1問目から既に20分以上を経過しており、ヨネザワ記者も、さすがに、他の記者に遠慮したのか、「長くなってしまいましたが、最後に一問、端的に伺いたいと思います。」と言った上で、「今回の一連の問題を受けて、郵便局への信頼というのはまだあるとお考えでしょうか。」と質問した。 これに対して、長門社長は、「著しく本当にお客様の期待を裏切ったし、ブランドイメージを損なってしまったと感じております。」と述べた上で、我々、郵便配達を始めたのが148年前、明治4年でございます。2021年に150周年を迎えます。その日から毎日、日曜日はやっていませんが現在は、雨の日も風の日も郵便をお届けしていた。 保険業務を始めましたのが103年前です。この間、2万4千局の郵便局で、お客様の最も近いところにいると言って、このグループは地味だけど真面目だよね、というブランドを諸先輩、今も43万人の同僚の殆んどの人が誠実に働いて頂いてこのようなブランドを作って頂いたと思っていますが、大きく毀損してしまったと大変責任を痛感しております。 一刻も早く戻すべく現在のタスキを繋ぐということが我々の仕事だと思っております。と、自らの使命は信頼回復を図ることだと述べると、質問を受けてもいない横山社長が、 例えで一例申し上げれば、災害の時にいち早くどんな機関よりも早く郵便局を再開する、そして避難されておりますお客様をひとりでも多く探してその避難の先まで郵便を届ける、という大変な社会的使命を我が社の社員は全員が持っているということを私は知っております。と述べ、それを受けて、長門社長は、熊本地震の時の、「かんぽの宿阿蘇」で被災者の救援にあたった事例のことを話し、 これが私どものルーツだと思っております。当面のミッションはこれだと思っておりますので、一所懸命頑張って、本来のイメージにできるだけ早く戻すべくできるだけ頑張りたいと思っております。と述べて、ヨネザワ記者の質問への応答が終わった』、サクラ的な色彩がますます強まった。
・『質疑応答は、想定されていたものではないのか  この一人の記者との質疑応答は、合計で30分近くにも及んでいる。長門社長が、このタイミングで記者会見を開いて言いたかったことをすべて言い尽くしたような内容であり、質問自体を想定していたような印象を受ける。 横山社長への1問目は、「現場の情報が届いていたとしても経営陣の意向に沿って塗り替えられた情報ではなかったのか」というものだが、【前掲拙稿】でも述べたように、日本郵便での不適切な保険営業に関しては、総務省の指導やマスコミの追及を受けるなどをしており、横山社長が気づかなかったわけがないという点は、本来、記者側からは最大の追及ポイントのはずだ。ところが、ヨネザワ記者は、「現場からの情報が伝わらなかったために、経営陣は今回の不適切販売について認識していなかった」ということを前提にしており、実横山社長は、それを受けて、今後の施策を中心に答えている。 2問目の長門社長への質問も、民営化委員会委員長と日本取引所CEOからの批判をどう受け止めるか、というストレートな聞き方ではなく、婉曲的に「どの時点で、問題を公表するべきか」という「法的義務」についての説明を求めている。 そして、特に不自然なのは、2問目の質問に対して、長門社長が、岩田発言、清田発言に対して「冗談じゃない」と憤りを露わにした後、「3問目」を質問するように促したことである。 記者から、3つの質問を受けていたのに、3問目の質問の内容を忘れてしまった、というのであれば、聞き直すこともあるだろう。しかし、ヨネザワ記者は、3問質問したいと言っていたが、2問目までで既に20分もの時間を使っている。それを、わざわざ会見者の方から「3問目の質問」をさせるというのは、通常はあり得ない。しかも、その質問に対して、郵政の歴史だとか、郵便局職員の災害時の地域への貢献など、まさに会見者の方が言いたいことを延々と話し、ヨネザワ記者との質疑応答は、合計で30分にも及んだ。 会見全体が、このヨネザワ記者との質疑のように、個々の記者の質問全体に丁寧にすべて答えるものだったかと言えば、決してそうではない。 2つ前の質問で、「NHKクローズアップ現代」の記者が、以下のように質問した。 私どもは今から一年以上前の4月に、そちらに座っていらっしゃる日本郵便の佐野常務、それからかんぽ生命の堀家専務に対してですね、不適正な事例が今広がっているのではないかと、金融庁に届けるような違法行為まで起きているのではないかということで取材を申し入れて、その時に「信頼を裏切るような行為が少なくない数起こっている」、「会社として非常に深刻に受け止めている」、「郵便局に対して信頼を失ってはいけない、改めないといけない」というような発言をされております。 そういうような責任ある立場の方からのご発言がありながら、なぜその後も状況は変わらなかったのか。あるいは状態だけ見れば、例えば不適正事例という金融庁届出事例は20件から22件に増加しているし、あるいは局長が関与するような不適正事例、管理者が関与するような不適正事例も起こっています。根絶できていないというよりも、むしろ悪化をしているという傾向すら感じるような状況です。 なぜそれは止めることができなかったのか、また直近の調査で分かったと言いますが、一年以上前にそういう認識があったということとの整合性をどのように認識されているのかをお答えください。 この質問に対しては、かんぽ生命の植平社長が、「募集品質の向上のための総合対策を打った結果、苦情全体が大幅に減少してきている。高齢者の苦情が順次減ってきている。全体の品質が良化していると認識していた」「不適正募集の発生は減少してきている。」そのようななかで今回の問題の発生を直近のデータで認識をしたので、遡及して将来に向けての対策を打っていく意思決定をした」などと述べ、質問の趣旨とは全くかみ合わない答をしている。 そして、記者会見の場に、1年余り前にNHKの取材に対して、「信頼を裏切るような行為が少なくない数起こっている」「会社として非常に深刻に受け止めている」などと答えた執行役員が同席しているのに、その趣旨について説明させることもなく、横山社長から日本郵便側の認識を答えることもせず、長門社長は何も答えずに、質問への答を終えている。 少なくとも、このNHK記者の質問に対しては、質問の趣旨に忠実に、真摯に答える姿勢は全く窺われない。 読売新聞のヨネザワ記者との長時間にわたる質疑応答とは対照的だ』、「NHK記者」にはもっとツッコミの追加質問をしてもらいたいところだが、読売記者への応答だけで時間を費やしているだけに、無理だったのかも知れない。
・『長門社長発言をどう評価するか  問題は、このように会見者側で予め想定していたのではないかと思える質疑応答の中で、長門社長が述べたことの中身である。 確かに、日本郵政とかんぽ生命の正式に行われた会議、報告という面で言えば、正式な報告で不祥事を認識したのは6月下旬ということになるであろう。そして、そのような正式な会議、報告以外については、証拠は何もない。そういう意味では、長門社長が言うように、かんぽ生命株の売出しに関して、日本郵政、かんぽ生命の経営者も、不祥事を知っていたのに、それを隠して騙してかんぽ生命株を売却した疑いについて、「シロ」だというのは、証拠上は、法的判断としてはそうかもしれない。個人に疑いをかけられているとすれば、長門社長が「冗談ではない」というのも、正しいであろう。 しかし、岩田委員長や清田CEOが指摘したのは、そういう「経営トップとして不祥事を認識していたのに、騙して株を売った疑い」という個人の問題ではない。日本郵政という組織が保有していたかんぽ生命の株式を、一般投資家に売りつけたことに関して、そのかんぽ生命という会社の中身に関わる重要な事実が売出しの時点で開示されていなかった。岩田委員長は、そういう事象について、「郵政民営化を進めていく上で支障となる」と指摘し、清田CEOは、「証券市場への企業内容の適切な開示という面で問題がある」と指摘したということである。 それに対して、長門社長は、「売出しの時期は、自分達だけで決められるわけではない、開示の内容は、証券会社や弁護士がデューディリジェンスで確認し結果に基づいて決めている」と言っているのであるが、それは、問題を経営トップで個人の問題ととらえ、責任を否定しているだけで、組織としての問題を指摘する岩田発言、清田発言に対する反論には全くなっていない。 長門社長個人としてではなく、日本郵政グループの経営トップとして、保有していたかんぽ生命株式を一般投資家に売却した後、同社の保険販売に重大な問題が発生していることが明らかになって、株価が大きく値下がりしている。そのことについて経営者としてのどのように受け止めるのか、ということが問われているのである。ところが、長門社長は、「自分は知らなかったからシロだ」と個人レベルでの言い訳をしているのである。しかも、長門社長は、日本郵政の社長だけを務めているのではない。かんぽ生命、日本郵便の取締役でもある。それらの会社の事業活動が適切に行われることについて、取締役としての責任を負っている。会見での長門社長の発言からは、その自覚が全くないように思える。 日本郵政グループとして開いた会見の場で、特定の記者から都合の良い質問を受けて的外れの反論を行い、「冗談ではない」などと放言する長門氏が経営トップを務めている限り、日本郵政株の売出しをすることなど不可能であり、それを強行しようとすれば、政府として、投資家からの信頼を裏切ることになりかねない』、「個人の問題」と「組織としての問題」に切り分けて問題を整理する郷原氏の鋭い指摘はさすがだ。
・『「地域に寄り添う郵便局員」がなぜ顧客の利益を損なったのか  ヨネザワ記者に3問目の質問を促し、「郵便局への信頼」という言葉が出ると、長門社長は、「待ってました」とばかり、日本郵政150年の歴史の話を始め、横山社長が、「地域に寄り添い、そこに生きるお客様とともに共生している」として、その例として郵便局員の災害時の地域貢献の例を持ち出した。これも、想定どおりのプレゼンのような内容だ。 しかし、今、問題になっているのは、本来、地域と、地域住民に寄り添う存在のはずだった郵便局員が、露骨に顧客の利益を損なうような保険募集を行っていた事例が膨大な数発生しているという事実である。長門社長、横山社長には、そのような行為を行わざるを得ない状況に、多くの郵便局員を追い込んでしまった経営トップとしての責任が問われているのである。そのことの自覚があれば、「地域に寄り添う郵便局員」などという言葉が、軽々に口にできるとは思えない。 もう一つの問題は、長門社長が、今回の問題についての責任について問われ、「特別調査委員会メンバーは3人とも検察出身。厳しく調査して頂くためにお願いした。厳正な報告が出てくる」などと述べて、「検察出身の弁護士3名からなる特別調査委員会だから、経営陣に対しても厳正な調査結果が出てくるはずで、それによって責任の有無を判断する」と述べたことだ。 しかし、検察出身の弁護士による調査だから厳正な結果になるというのは全くの幻想である。これまでにも、第三者委員会や外部調査が、依頼者の経営者や政治家に手ぬるいと批判された事例の多くが、検察出身の弁護士によるものだ(小渕優子議員、舛添要一都知事の政治資金問題、日本大学アメフト部問題での第三者委員会など)。そして、この日本郵政の特別調査委員会の委員長の検察出身弁護士は、レオパレス21の第三者委員会の委員長を務めた弁護士である。その調査報告書について、第三者委員会格付け委員会の格付けでは、 退任してから既に 13 年が経過している過去の人物である元社長にのみ焦点を当て、その責任追及に多くのページを割いて いる。一方、2010 年から現在まで 9 年間社長を務めてきた前社長の関与についてはほとんど触れられていない。 調査スコープを矮小化して 1990 年代後半から 2000 年代前半のみを切り取り、創業者の責任のみを執拗に記述することでこの陥穽にはまり込んだのではなかろうか。と酷評されており、評価も非常に低い。今回の問題についても、過去の経営陣の責任の焦点を当て、現経営陣への責任追及を交わす方向での調査が行われないとも限らない。 いずれにしても、「検察出身の弁護士3名からなる第三者委員会」というだけでは現経営陣にも厳しい厳正な調査が行われるはずだということの根拠には全くならない。 出席した記者達を圧倒していたように思える長門社長ら3社長の記者会見だが、そこでの発言内容は、経営者としての傲慢さと独善を示すものでしかなかった。それが、日本郵政グループの危機を一層重大かつ深刻なものにすることは避けられないであろう』、説得力の溢れた主張で、全面的に同意したい。
タグ:日本郵政 ダイヤモンド・オンライン ヨネザワ 山田厚史 同氏のブログ (その12)(日本郵便とアフラックが がん保険の販売継続に固執する理由、郵便局員を「かんぽ乗り換え」の不正に走らせた2つの国策、日本郵政が「強気の謝罪会見」 首脳陣続投の背景に政治の影、日本郵政株売却に”重大な疑義”を生じさせた長門社長「冗談ではない」発言) 「日本郵便とアフラックが、がん保険の販売継続に固執する理由」 販売継続の説得力失った日本郵便とアフラック 日本郵政は、アフラックに2700億円を出資、議決権7%は4年後には10倍になり、持分法適用会社になる 導入が遅れた「条件付き解約制度」 郵政グループと保険会社のいびつな上下関係 「郵便局員を「かんぽ乗り換え」の不正に走らせた2つの国策」 高齢者を食い物に「郵政よ、お前もか!」 「不正販売」の源流を辿っていけば「郵政民営化の無理」に行き着く アベノミクスによる「ゼロ金利政策」が事態を助長 客を踏み台にして自らが生き残ろうとする姿は「悪しき市場原理」の典型 不利益な保険の乗り換えでノルマ達成、手数料稼ぎ 「新ながいき君」 逆ザヤになっている「お宝」を解約させ、金利の安い保険に乗り換えさせることは、かんぽ生命にとって都合がいい 勧誘された高齢者 無保険になった人も 新しい契約をしたが、後になって健康診断ではねられ、結果的に無保険になった例が続発 ゆうちょ銀行の投信販売「ルール無視」でも調査せず 特別調査委員会(第三者委員会) 根源は「民営化」赤字の郵便支える必要 経営陣の関心は高値での株式売り出し モラル崩壊の追い打ち アベノミクスの超低利 「日本郵政が「強気の謝罪会見」、首脳陣続投の背景に政治の影」 終始強気だった日本郵政の長門社長 郵便局の新たな利活用を推進する議員連盟(郵活連)の幹部会 郵政首脳陣を激励した議員たちの本音 郷原 信郎 「日本郵政株売却に”重大な疑義”を生じさせた長門社長「冗談ではない」発言」 株式売却の際には不祥事について全く認識がなかったとして反論し、「冗談ではない」と、岩田発言・清田発言に憤ってみせた 読売新聞記者との質疑応答 郵政の正当性の主張を引き出すための、サクラ的な色彩が濃そうだ 質疑応答は、想定されていたものではないのか 長門社長発言をどう評価するか 「地域に寄り添う郵便局員」がなぜ顧客の利益を損なったのか 本来、地域と、地域住民に寄り添う存在のはずだった郵便局員が、露骨に顧客の利益を損なうような保険募集を行っていた事例が膨大な数発生しているという事実である。長門社長、横山社長には、そのような行為を行わざるを得ない状況に、多くの郵便局員を追い込んでしまった経営トップとしての責任が問われているのである。そのことの自覚があれば、「地域に寄り添う郵便局員」などという言葉が、軽々に口にできるとは思えない
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