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自動車(一般)(その3)(赤字転落のホンダで吹き荒れる「内紛」の全内幕 こんな会社に誰がした?、トヨタ前代未聞の労使交渉 「変われない社員」への警告) [産業動向]

自動車(一般)については、5月6日に取上げた。今日は、(その3)(赤字転落のホンダで吹き荒れる「内紛」の全内幕 こんな会社に誰がした?、トヨタ前代未聞の労使交渉 「変われない社員」への警告)である。

先ずは、ジャーナリストの井上 久男氏が6月20日付け現代ビジネスに掲載した「赤字転落のホンダで吹き荒れる「内紛」の全内幕 こんな会社に誰がした?」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65230
・『高い技術力とブランドイメージで世界に名を馳せたこの企業が、振るわない。商品・技術戦略の失敗だけが理由ではないようだ。社内の対立によって溜まってきた膿のほうが、どうやら根深いのだ』、かつての優良企業に何が起きたのだろう。
・『二輪部門vs.四輪部門  ホンダの経営中枢にいた元役員はこう指摘する。 「今の経営体制ではホンダはいずれ経営危機を迎えます。トップの八郷隆弘社長にせよ、ナンバー2の倉石誠司副社長にせよ、経営をかじ取りする力量がない。 経営陣を総入れ替えする荒療治が必要だ。昨年の株主総会ではOBの一部株主が結託して解任動議を出そうとしていたくらいです」 ホンダが5月8日に発表した2019年3月期決算の売上高は前期比3.4%増加の15兆8886億円、本業のもうけを示す営業利益は12.9%減少の7263億円だった。 営業利益率は4.6%と、トヨタ自動車(8.2%)や、安価な軽自動車中心のスズキ(8.4%)の足元にも及ばない。 その要因は不振の四輪事業にある。ホンダの事業は、四輪、二輪、汎用エンジンや草刈り機などのパワープロダクツの3部門で構成されるが、売上高の最も多い主力の四輪が、'19年1~3月期決算で売上高2兆9128億円に対し、営業損益は530億円の赤字に陥ってしまったのだ。今後も収益性が大きく回復する見込みがない。 ホンダの四輪が赤字に陥ったのは、過剰設備と開発コストの高さによるものだ。国内で最も売れている「N-BOX」シリーズを抱える軽自動車部門でさえも赤字だというから驚く。 ホンダ低迷の構図はかつての日産自動車と全く同じだ。日産は過剰設備と高コスト体質に苦しみ、赤字体質から脱却できずに有利子負債を膨らませて経営危機に陥り、仏ルノーの傘下に落ちた。 この惨状にもかかわらず、ホンダはあちこちで内部対立を抱えている。 まずは稼ぎ頭の二輪事業と、赤字の四輪事業の対立だ。 いまホンダは、本田技術研究所内にある二輪の研究開発部門を切り離して、本社の二輪事業本部と一体化させることで意思決定の迅速化を図ろうとしている。追い上げてくるインド・中国メーカーに対抗するためだ。 ところが二輪部門の幹部は、「意思決定の迅速化を狙うならば、二輪事業部門をホンダ本体から切り離して分社化する手もあったはずだ」と語る。 稼ぎ頭の自分たちだけを分社化すればいい。この幹部は、「赤字転落した四輪とは一緒にされたくない。モチベーションが落ちる」とまで言うのだ』、「主力の四輪が・・・営業・・・赤字に陥ってしまった」、「この惨状にもかかわらず、ホンダはあちこちで内部対立を抱えている」、ということでは、「「今の経営体制ではホンダはいずれ経営危機を迎えます。トップの八郷隆弘社長にせよ、ナンバー2の倉石誠司副社長にせよ、経営をかじ取りする力量がない。 経営陣を総入れ替えする荒療治が必要だ」、との「経営中枢にいた元役員」の指摘も頷ける。
・『中国派の専横  二輪と四輪の対立だけではない。四輪事業の不振の元凶の一つとされた北米事業の出身者「米国派」の幹部たちは、中国事業を長く手がけてきた八郷氏や倉石氏ら「中国派」が人事を専横していると不満を募らせる。 さらにはその「中国派」のなかでも、八郷氏と倉石氏の関係に軋みが生じ始めているというのだから、ただ事ではない。 今、ホンダ社内で何が起こっているのか。 「八郷体制」の力量不足は否めない。前任者の伊東孝紳氏(現取締役相談役)が無謀な拡大路線を敷いたことで、品質管理力が追い付かず、主力車「フィット」の大規模リコールの責任をとって退任。後任として'15年6月に八郷氏が選ばれた。 当時、八郷氏は全く無名の存在で、社長就任が決まり、社内からも「八郷WHO?」といった声が出たくらいだった。その経緯について前出・元役員がこう解説する。 「伊東君は辞めるつもりはなかったが、伊東君を引き上げてきた川本さん(信彦元社長)に『お前、責任取れ』と一喝されて退任が決まった。 伊東君が『後任は誰にしましょうか』と川本さんにお伺いを立てると、『そこまでは関与しない』と言われて、同じ車体開発畑で自分の言うことを素直に聞く八郷君を選んだ」 40代の頃から将来の社長と言われてきた伊東氏は「暴君タイプ」だったのに対し、八郷氏は「聞く耳を持つ」ボトムアップ型の社長で、経営トップになっても自分が前面に出ることはなかった。 「伊東前社長が現場をすぐにどなりつけて社内が萎縮していたので、八郷さんはそれを反省して社員の自主性を促すことを重視していた。 役員同士もぎくしゃくした関係だったのが、八郷さんは役員同士でお弁当を食べたり、飲み会に行ったりして社内融和に徹していた」とホンダの中堅幹部は語る。 しかし、八郷氏の尻に火がついてきたのは昨年夏ごろからだった。温厚な八郷氏の眉間にしわが寄るようになり、いら立って語気を強めて部下に説明を求める場面が増えたという。 「俺が納得する新しい案を持ってこい」昨年6月のある日、八郷氏が珍しく声を荒らげた。八郷氏が求めた案とは、コストを下げて商品力も落とさない自動車の新たな開発手法の導入計画のことだった。 自動車会社では、開発の上流段階から設計・部品の共通化を進めるコストダウン戦略がはやっている。 トヨタの「TNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)」やマツダの「一括企画」と呼ばれる設計手法が有名で、こうした新たな設計手法の導入によって、開発部門の組織や仕事の進め方を見直し、車種によっては製造原価を30%下げたと言われる。 これに対し、ホンダは何も取り組んでこなかった。今年5月の決算発表の際、ようやく八郷氏が「ホンダ アーキテクチャー」を導入して開発効率を上げると発表した。他社より10年遅れて設計改革に取り組むことになった』、「他社より10年遅れて設計改革に取り組むことに」、驚きの事実だが、以前の経営陣にも重い責任がありそうだ。
・『「出る杭」を打つ管理職  八郷氏がいら立っていたのは、開発部門から正しい情報が自分に上がってこなかったからだ。ホンダの役員が言う。 「他社に比べてあまりにも収益性が低いので、八郷社長が現状を調べ直したところ、主力車種『アコード』と『CR-V』では部品の共通化率が金額ベースでわずか0.3%。 設計改革をしていると開発部門は言いながら、全くできていなかったことに怒ったのでしょう」 こうした設計改革だけに限らず、昨年4月から八郷氏は全社的な改革運動「SED2.0プロジェクト」を開始した。Sはセールス(販売)、Eはエンジニアリング(生産)、Dはディベロップメント(開発)を意味する。 100年に一度の変革期を迎えている自動車産業の中で生き残っていくために、発想や仕事の進め方を全社的に見直そうというものだ。 その活動ではトヨタに対しても今のホンダについての意見を求めている。改革運動を紹介する冊子で、原価管理についてトヨタOBが「ホンダにはトヨタがコンプレックスを持つ対象であって欲しい。トヨタは何するものぞという気概でクルマづくりをして欲しい」とエールを送っている。 これでは、もはやホンダはライバルではないと言われているに等しく、屈辱とも受け取れるが、社内に危機感を煽るために敢えて載せているのだろう。 しかし、これがホンダ社内では頗る評判が悪い。若手社員は「現場から改革案をたくさん出しているのに、潰しているのはむしろ経営上層部。特に倉石副社長だ。こんな冊子を作ること自体無意味だ」と指摘する。 別の中堅幹部によると、実際、設計の共通化を推進しようとしたら、「業務が効率化されるとポストが減って困る」と言って、改革案を潰しにきた管理職も多かったという。 ホンダの開発部門には、行き場のない技術者崩れの管理職があふれ、こうした管理職は、何の専門性もなく、上司の意向を探ることと無駄な会議が大好きで、自己保身のためだけにリスクをとにかく嫌い、「出る杭」を打つ傾向にあるという。 「こんな組織でヒット車が出るはずがない」(同前) 社員の平均年齢を見てもホンダは45歳。意外にも39歳のトヨタよりも高齢化が進む。 八郷氏自身が「ホンダは今までと同じような生き方をしていたら老衰してしまうかもしれない。いまこそ、生まれ変わるくらいの気持ちで生活を変えることが必要だ」と訴えているが、それもむなしく響く。 現場には倉石副社長への批判が渦巻く。ホンダでは創業者の本田宗一郎氏が夢を語り、それを後ろから支えたのが副社長の藤沢武夫氏だった時代の名残が今でも残っており、管理部門は副社長が束ねる。現在は倉石氏がその任にある。ところが、倉石氏は八郷氏が社長になる直前の上司だ。 「2人は同期入社で仲良しだった。伊東君から社長就任の内示を受けた時は八郷君が中国統括会社の副総経理で、倉石君が総経理だった。 社長になるとは思っていなかった八郷君が、倉石君に相談したら『俺が支えるからお前、受けろ』と言ったそうです。そうした関係から倉石君のほうが力を持っており、陰の社長は倉石君です」と、ホンダOBは解説する。人事権は倉石氏が掌握している。 八郷氏、倉石氏ともに中国の経験が長いので、中国事業の出身者が出世する傾向が強まり、主流派だった「米国派」との対立が深まったという。 「これまでホンダを支えてきた北米事業出身者がポストを寄こせと言って社内で抗議しているようです。 4月1日付で倉石君が会長になる案もあったが、これでは益々米国派の不満が募るので、その折衷案として米国と中国の両方を経験した神子柴寿昭君が会長に選ばれたのではないか」(同前) もともと八郷体制はワンポイントつなぎの「短命政権」との見方があり、ポスト八郷には三部敏宏常務が有力視される。三部氏は現在、本体社長への登竜門である開発部門で子会社の本田技術研究所社長の地位にある。 三部氏は開発部門の中でも改革派として知られた。しかし、「三部氏があまりにも早急に改革を進めるので、倉石氏が『あまり改革をやり過ぎると次の社長の目はないぞ』と言って改革をつぶした」(前出OB)。 ところがここにきて、「改革が全く進まないのは倉石君のせいではないかと八郷君が気付き始め、仲良しだった2人の関係にひびが入りそうな状況」(同前)だそうだ』、「主力車種『アコード』と『CR-V』では部品の共通化率が金額ベースでわずか0.3%」、「設計の共通化を推進しようとしたら、「業務が効率化されるとポストが減って困る」と言って、改革案を潰しにきた管理職も多かった」、こんな現場の専横を許していた経営陣は失格だ。「社員の平均年齢を見てもホンダは45歳。意外にも39歳のトヨタよりも高齢化が進む」というのは初めて知った。中国経験者で同期を社長・副社長にするとは、余りにもバランスが悪い。今年になって米中経験者を会長にしたようだが、バランスが多少改善した程度だ。「「改革が全く進まないのは倉石君のせいではないかと八郷君が気付き始め、仲良しだった2人の関係にひびが入りそうな状況」」、気付くのが遅すぎる。
・『銀行も経営介入を意識  ホンダの決算発表はこれまで副社長が行うのが慣例だったが、今年は5月8日の決算発表に八郷氏が顔を出した。 決算発表の前に、八郷氏が自ら異例の「事業方針説明」を行った。その内容は主に四輪事業の強化策の発表で、売れない派生車種の削減と、過剰な生産能力の削減を展開していくことが強調された。 しかし、今年2月19日に発表した組織の見直しの際に説明したものとほとんど同じで新鮮味に欠けた。同時にホンダは、英国南部のスウィンドン工場やトルコ工場での生産終了も発表。一昨年には狭山工場の閉鎖も決めている。 だが社内には「英国やトルコの生産拠点を閉鎖しても、まだまだホンダの生産過剰問題は解決しない。内製している変速機の生産能力も過剰、いずれ人員整理に手を付けないといけないだろう」との見方がある。 こうした事態にメーンバンクである三菱UFJ銀行も経営介入を準備しているとされる。 「三菱UFJフィナンシャル・グループの平野信行会長は以前、三菱自動車の担当を務め、現在はトヨタの社外監査役を務めるなど自動車産業に詳しい。平野会長がホンダの行く末を心配している」(ホンダ関係者) 三菱UFJ銀行はホンダ系下請け企業に資金を貸し込んでおり、四輪事業がさらに苦境に落ち込めば、下請けが疲弊するとの危機感も強い。 現役社員が語る。「ホンダは『末期癌患者』のようなものと言っていい。将来に期待していませんし、30代、40代の若い社員も将来がないと絶望して自発的に転職しています」 内紛だらけの社内では、不満が渦巻き、空中分解寸前と言っても過言ではない。本田宗一郎が築き上げた「技術のホンダ」に危機が忍び寄っている』、頼りない経営陣を前にすれば、「三菱UFJ銀行も経営介入」は当然だろう。株価は、2018年初の4000円強から本日は2895円と大幅に下落している。

次に、10月19日付け日経ビジネスオンライン「トヨタ前代未聞の労使交渉、「変われない社員」への警告」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00067/101000041/?P=1
・『トヨタ自動車は10月9日、秋季労使交渉を開催した。「春季」の労使交渉で決着が付かず、延長戦を実施するという異例の事態だ。結果は、労働組合側が要求したボーナス(一時金)は満額回答となったが、その背景にはトヨタの大きな危機感がある。これまでトヨタは、年功序列や終身雇用といった「日本型雇用」の象徴的存在と見られていたが、その同社ですら今、雇用の在り方を大きく見直そうとしている。 日経ビジネスは10月14日号の特集「トヨタも悩む 新50代問題 もうリストラでは解決できない」で、抜本的な修正を迫られている日本型雇用の実態と、新たな雇用モデルをつくろうという日本企業の挑戦を取材している。あわせてお読みいただきたい。 10月9日、トヨタ自動車で「秋季」労使交渉が開かれた。1969年に年間ボーナス(一時金)の労使交渉を導入してからこれまで、延長戦に突入したことは一度もない。 異常事態である。 ふたを開ければ満額回答で、冬季の一時金を、基準内賃金の3.5カ月、2018年冬季比16%増の128万円にすると決めた。日経ビジネスは半年間にわたる延長戦の内実を取材。満額回答に至る裏側で、トヨタの人事制度がガラガラと音を立てて変わろうとしていた。 春の交渉では、労使のかみ合わなさがあらわになった。13年ぶりに3月13日の集中回答日まで決着がずれ込み、結局、一時金について年間協定が結べなかった。「夏季分のみ」という会社提案を組合がのみ、結論を先延ばしにした格好だ。 きっかけは、その1週間前だった──。 3月6日に開かれた第3回の労使協議会は、異様な雰囲気に包まれていた。「今回ほどものすごく距離感を感じたことはない。こんなにかみ合っていないのか。組合、会社ともに生きるか死ぬかの状況が分かっていないのではないか?」。緊迫感のなさに対して、豊田章男社長がこう一喝したからだ。 組合側からの「モチベーションが低い」などの意見を聞いての発言だが、重要なのはそのメッセージが、非組合員である会社側の幹部社員にも向けられた点にある。 労使交渉関係者は次のように証言する。「社長は、若手が多い組合側よりも、ベテランを含むマネジメント層に危機感を持っていたようだ」 豊田社長の発言を受けて急きょ、部長などの幹部側が集まった。危機感の不足を議論し共有するのに1週間を要した。これが、会社回答が集中日までずれ込んだ理由の一つだった。 10月9日、労使交渉を終えた後の説明会で、河合満副社長はこう述べた。「労使が『共通の基盤』に立てていなかった。春のみの回答というのは異例だったが、労使が共通の基盤に立つための苦渋の決断だった。今回の(労使での)やり取りの中で、労使それぞれが変わりつつあるのかを丁寧に確認した」 豊田章男社長や河合副社長が実際に現場をアポイントなしで訪れ、現場の実態を確認。そのうえで、トヨタの原点である「カイゼン」や「創意くふう」に改めて取り組んだ。5月には60%だった社員の参加率は9月には90%まで上昇したという。「全員が変われるという期待が持てた。労使で100年に1度の大変革期を必ず越えられる点を確認し、回答は満額とした」(河合副社長) 豊田社長が危機感をあらわにし、トヨタが頭を悩ませているのは、「変わろうとしない」社員の存在だった』、「豊田社長が危機感」を浸透させるための一芝居という感もあるが、「「社長は、若手が多い組合側よりも、ベテランを含むマネジメント層に危機感を持っていたようだ」、足元の業績は好調ななかで、「危機感」を持たせるというのは、さすがオーナー社長ならではだ。前の記事でみたホンダとは大違いだ
・『トヨタ労組「機能していない人がたくさんいるのでは」  事実、河合副社長も「取り組みはまだまだ道半ば。マネジメントも含め、変わりきれていない人も少なくとも存在する」と報道陣に述べ、トヨタ自動車労働組合の西野勝義執行委員長も労使交渉の場で「職場の中には、まだまだ意識が変わりきれていなかったり、行動に移せていないメンバーがいる」と会社側に伝えた。 この問題に対応するため、トヨタ労使は、春季交渉からの延長戦の中で、現場の意識の確認とは別に、評価制度の見直しに着手していた。 労使交渉の関係者などへの取材によると、トヨタにはいまだ、年次による昇格枠が設定されている。総合職に当たる「事技職」では、40歳手前で課長、40代後半で部長というのが出世コースで、このコースから外れると挽回はほぼ不可能とされる。労使交渉では、組合側から「機能していない人がたくさんいるのではないか」「組織に対して貢献が足りない人もいるのではないか」という率直な意見が出た。 関係者は語る。「リーマン・ショックまでは拡大路線が続き、働いていなくても職場の中で隠れていられた。最近はそうはいかず、中高年の『働かない層』が目立ち始めた」 秋の労使交渉後に報道陣の取材に応じたトヨタ自動車総務・人事本部の桑田正規副本部長は、日経ビジネスの「年功序列をどう変えていくのか」との質問に対して「これまでは『何歳でこの資格に上がれる』という仕組みがあった」と認め、こう続けた。 「その仕組みが、現状を反映していない場合もあった。例えば、業務職では、ある程度の年齢にならないと上がれなかったが、その期間が長すぎた。明らかに時代に合っていないものは見直していきたい。それ以外(の職種)でも、できるだけ早めにいろんな経験をさせたい。大きく(年功序列の仕組みを)撤廃するということではなく、多少、幅を広げていきたいと思っている」 トヨタは今年1月、管理職制度を大幅に変更した。55人いた役員を23人に半減し、常務役員、役員待遇だった常務理事、部長級の基幹職1級、次長級の基幹職2級を「幹部職」として統合。「事実上の降格」を可能にした。 ただし、幹部職の創設は人事制度改革の入り口にすぎない』、「人事制度改革」の全貌はどんなものなのだろう。
・『動き始めた評価制度見直し「年次による昇格枠を廃止」  トヨタはさらに、評価制度の見直しを労使で議論し始めた。協議の場は月に1回で、これまでに計5回。会社側は人事本部長、組合側は副委員長をトップとし、ひざ詰めの議論が続く。 8月21日の5回目の労使専門委員会で、トヨタは初めて総合職の評価制度見直しの具体案を組合に提示した。目玉は、桑田副本部長が「見直していきたい」と発言した、年次による昇格枠の廃止にある。 曖昧だった評価基準を、トヨタの価値観の理解・実践による「人間力」と、能力をいかに発揮したかという「実行力」に照らし、昇格は是々非々で判断するとした。「ぶら下がっていただけの50代は評価されない。これから降格も視野に入るだろう」(先の関係者) 組合執行部は「勤続年数や年齢ではなく、それぞれの意欲や能力発揮の状況をより重視する方向だ」と好意的に受け止め、運用の詳細について引き続き議論していくとしている。 評価制度だけでなく、一時金の成果反映分を変更する加点額の見直しや、中途採用の強化などを労使は議論している。トヨタは総合職に占める中途採用の割合を中長期的に5割に引き上げるとも報じられている。桑田副本部長は人事制度の見直し全般について「試行錯誤しながらやっていきたい。長く議論しても意味がないので、よく考えながら進めたい」とした。 前代未聞の労使交渉延長戦から見えてきたのは、変われない社員に対する警告ともいえる人事制度の再点検だった。幹部職の創設から中途採用強化まで、トヨタは100年に1度の大変革を乗り越えるべく、従来の雇用モデルを見直そうとしている』、「勤続年数や年齢ではなく、それぞれの意欲や能力発揮の状況をより重視する方向だ」、「トヨタは総合職に占める中途採用の割合を中長期的に5割に引き上げる」、意欲的な目標だ。人事制度改革は従業員の納得性がカギを握る。円滑に運用できるか、否かが注目される。既に変わりつつある日本型雇用は、さらに変化していくようだ。
タグ:八郷氏は「聞く耳を持つ」ボトムアップ型の社長で、経営トップになっても自分が前面に出ることはなかった 現代ビジネス 折衷案として米国と中国の両方を経験した神子柴寿昭君が会長に選ばれた 倉石氏は八郷氏が社長になる直前の上司だ。 「2人は同期入社で仲良し 八郷氏は全く無名の存在 (その3)(赤字転落のホンダで吹き荒れる「内紛」の全内幕 こんな会社に誰がした?、トヨタ前代未聞の労使交渉 「変われない社員」への警告) 井上 久男 主力車「フィット」の大規模リコールの責任をとって退任 (一般) 社員の平均年齢を見てもホンダは45歳。意外にも39歳のトヨタよりも高齢化が進む 前任者の伊東孝紳氏(現取締役相談役)が無謀な拡大路線 自動車 「赤字転落のホンダで吹き荒れる「内紛」の全内幕 こんな会社に誰がした?」 行き場のない技術者崩れの管理職があふれ、こうした管理職は、何の専門性もなく、上司の意向を探ることと無駄な会議が大好きで、自己保身のためだけにリスクをとにかく嫌い、「出る杭」を打つ傾向にあるという 八郷氏の尻に火がついてきたのは昨年夏ごろから 「現場から改革案をたくさん出しているのに、潰しているのはむしろ経営上層部。特に倉石副社長だ ホンダの四輪が赤字に陥ったのは、過剰設備と開発コストの高さによるものだ 中国事業を長く手がけてきた八郷氏や倉石氏ら「中国派」が人事を専横していると不満 倉石君のほうが力を持っており、陰の社長は倉石君です 平野会長がホンダの行く末を心配している 銀行も経営介入を意識 主力の四輪が、'19年1~3月期決算で売上高2兆9128億円に対し、営業損益は530億円の赤字に陥ってしまった 営業利益率は4.6%と、トヨタ自動車(8.2%)や、安価な軽自動車中心のスズキ(8.4%)の足元にも及ばない 「今の経営体制ではホンダはいずれ経営危機を迎えます。トップの八郷隆弘社長にせよ、ナンバー2の倉石誠司副社長にせよ、経営をかじ取りする力量がない。 経営陣を総入れ替えする荒療治が必要だ 中国派の専横 「出る杭」を打つ管理職 今年5月の決算発表の際、ようやく八郷氏が「ホンダ アーキテクチャー」を導入して開発効率を上げると発表した。他社より10年遅れて設計改革に取り組むことになった 全社的な改革運動「SED2.0プロジェクト」を開始 ポスト八郷には三部敏宏常務が有力視 稼ぎ頭の二輪事業と、赤字の四輪事業の対立だ この惨状にもかかわらず、ホンダはあちこちで内部対立を抱えている 主力車種『アコード』と『CR-V』では部品の共通化率が金額ベースでわずか0.3% ホンダ低迷の構図はかつての日産自動車と全く同じだ。日産は過剰設備と高コスト体質に苦しみ、赤字体質から脱却できずに有利子負債を膨らませて経営危機に陥り 二輪部門vs.四輪部門 これまでホンダを支えてきた北米事業出身者がポストを寄こせと言って社内で抗議
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韓国(文在寅大統領)(その3)(韓国に輸出急減の懸念 自力での経済安定が望めない深刻事情、曺国法務長官が突然の辞任 それでも残るクーデター 戒厳令の可能性、韓国通貨危機! 文政権「韓国経済は善戦」発表直後にIMFからダメ出しの“赤っ恥” 海外の投資家や企業も見限る) [世界情勢]

韓国(文在寅大統領)については、2017年10月25日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その3)(韓国に輸出急減の懸念 自力での経済安定が望めない深刻事情、曺国法務長官が突然の辞任 それでも残るクーデター 戒厳令の可能性、韓国通貨危機! 文政権「韓国経済は善戦」発表直後にIMFからダメ出しの“赤っ恥” 海外の投資家や企業も見限る)である。

先ずは、法政大学大学院教授の真壁昭夫氏が9月10日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「韓国に輸出急減の懸念、自力での経済安定が望めない深刻事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/214043
・『韓国経済に輸出急減の懸念が顕在化  足元、韓国経済に輸出急減の懸念が顕在化している。元々、韓国は輸出依存度の高い経済構造で、輸出の減少は経済全体に深刻なマイナス要因となる。 韓国の輸出急減の背景には、主力輸出先である中国の景気減速やトランプ米大統領の通商政策の影響などがある。特に、米中の貿易摩擦の深刻化に伴い、現在、世界のサプライチェーンが混乱している。そのため、輸出依存度の高い国ほどマイナスの影響が出ている。 韓国はその1つの例といえる。韓国以外にも、ドイツをはじめとするユーロ圏各国を中心に輸出依存度の高い国の景気は急速に悪化している。 8月の韓国の輸出は前年同月比で13.6%減少した。9ヵ月連続で韓国の輸出は前年同月の実績を下回っている。5月以降、米中の貿易摩擦への懸念が高まるに伴い、韓国の輸出減少幅は拡大している。 これまで韓国は、サムスン電子など主力の財閥企業の輸出を増やすことで経済成長を遂げてきた。韓国のGDP(国内総生産)に占める個人消費の割合は50%を下回っており、米国や日本に比べ内需は厚みを欠いている。半導体の主要材料などを輸入し、国内で製品を生産し輸出して収益を得てきた韓国にとって、輸出減少は経済の屋台骨が揺らぐことにもなりかねない。 韓国は、もう少し早い段階から財閥に依存した経済構造を改める必要があった。しかし、歴代の政権は改革に伴う痛みを避けてしまった。国内の資本の蓄積も期待されたほど進んでいない。経済環境の悪化に加え、最側近による数々の不正疑惑が浮上した文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、さらに厳しい状況に直面する可能性がある』、輸出依存型経済で「8月の韓国の輸出は前年同月比で13.6%減少」、というのは大きな打撃だ。
・『サプライチェーン混乱の影響度合い  韓国の輸出が減少している要因の1つとして、米中の貿易摩擦の影響から世界のサプライチェーンに混乱が生じていることは見逃せない。 これまで、世界各国の企業は“世界の工場”としての地位を高めてきた中国に生産拠点を置き、必要な時に、必要なモノを、必要なだけ、各国から調達する体制を整えてきた。その上で企業はモノを生産し、世界各国に輸出して収益を獲得してきた。この中で韓国は、半導体などを各国企業に供給する重要な役割を担ってきた。 しかし、2017年1月に米国大統領に就任したトランプ氏が、グローバルなサプライチェーンを分断している。大統領再選を狙う同氏は、制裁関税の発動などによって対中貿易赤字を削減し、米国産大豆などを中心に対中輸出を増やしたい。できるだけ早期に交渉をまとめたいというのがトランプ氏の本音だろう。 一方、中国も引くに引けない。すでに共産党の長老などから習近平国家主席に対する不満が増えている。香港での反政府デモが想定外に長引いていることもあり、中国は米国に譲歩できなくなっている。中国は基本的には交渉を持久戦に持ち込むなどして、米国の圧力が低下するのを待ちたいはずだ。米中の交渉がどのように進むかは見通しづらい。 この中、制裁関税の回避などを目指して、中国に置いてきた生産拠点をベトナムやインド、タイなどに移す企業が増えている。この動きはまだ落ち着いていない。今後、さらに供給網が混乱する恐れもある。同時に、世界経済の先行き懸念の上昇も重なり自動車や鉄鋼、機械など幅広い業種で減産を重視する考えが増えている。 これが、韓国の輸出にブレーキをかけた。これまで相対的に安定感を保ってきた米国において、ISM製造業景況感指数が景気強弱の境目である50を下回ったことを見ると、世界的なサプライチェーン混乱のマグニチュードは軽視できない。当面、韓国の輸出には下押し圧力がかかり易いものと考えられる』、米中貿易戦争が恩恵をもたらすのではなく、逆に「サプライチェーン混乱の影響」が出てきたようだ。
・『世界的な半導体市況などの悪化  韓国の輸出減少を考える上では、世界的な半導体市況の悪化などの影響も大きい。 米国の半導体工業会(SIA)によると、7月、世界全体での半導体売り上げは前年同月比15.5%減少した。需給関係の悪化から、ICチップなどの価格には下落圧力がかかりやすい状況が続いている。 その要因の1つとして、スマートフォン需要の低迷は見逃せない。2017年以降、世界全体でスマートフォンの出荷台数が減少している。スマートフォンの普及は韓国のサムスン電子などが半導体の輸出を増やし、業績拡大を実現するために欠かせなかった。 それに加え、世界的に設備投資が減少している。2016年から17年にかけて世界的にデータセンターなどへの投資が増加した。その反動とサプライチェーン再編のコスト負担から、足元、世界各国で設備投資の減少が鮮明化している。こうした動きが、輸出主導で景気回復を実現してきた韓国経済を直撃している。 さらに、米アップルは制裁関税の回避のために供給網の再編だけでなく、製品原価の見直しにも着手し始めた。アップルは、製品原価を引き下げるために、有機ELパネルの調達先をサムスン電子から中国の京東方科技集団(BOE)に切り替えることを検討していると報じられている。また、アップルがサムスン電子に対して約束したディスプレーを購入しなかったことへの違約金を支払ったとの観測もある。 これは無視できない変化と考えるべきだ。 現在、中国は政府の補助金を用いて半導体をはじめとする先端分野の開発・生産能力の引き上げに注力している。また、世界的なサプライチェーンの混乱を受けて、世界の半導体などの生産能力には空きが出ている。価格を抑えて受注を確保しようとする企業が出てもおかしくはない。より有利な条件での半導体などの調達を目指し、世界の企業が韓国外の企業との取引を重視する可能性が高まることは軽視できない。 その意味で、韓国経済の実力が問われているといえる』、「サムスン電子」がアップルを失うとすれば、影響はかなり大きい筈だ。
・『文大統領の政策運営で懸念される韓国経済の苦境  韓国経済の先行きを慎重に考える市場参加者や企業経営者は増えている。韓国最大の輸出先である中国の経済は、成長の限界を迎えつつある。中国では、公共事業の積み増しなどにもかかわらず、十分な効果が確認できていない。米国が第4弾の対中制裁関税を発動し、中国がそれに報復したこともあり、中国の企業、消費者のマインドは一段と悪化する恐れがある。いうまでもなく、これは韓国経済にとってマイナスだ。 それに加え、日韓の関係が悪化し、米国も韓国のことを当てにしなくなっていることも見逃せない。歴史を振り返ると、通貨スワップ協定や半導体材料などの調達、さらには半導体製造技術の吸収といった点において、韓国はわが国に依存し続けてきたといえる。 日韓の関係がこじれにこじれる中、韓国がどのようにして経済を安定に向かわせるかは、かなり見通しづらい。最側近による数多くの不正疑惑浮上に直面する文大統領に対する国民の見方も、徐々に変化している。文大統領への信頼感がさらに低下する可能性は高まっている。 その中で、文政権が経済の安定を目指すことは難しいだろう。韓国では国内産の材料などを用いて半導体生産を進めようとする動きが出ている。その一方、韓国の株式市場では外国人投資家などが株式を売却し、資金が海外に流出している。韓国政府・企業の取り組みが世界の企業や市場参加者の信頼を得ているとは考えられない。わずかな成分の差が半導体の性能に大きな影響を与える。従来、わが国の技術力に依存して生産力の増強に注力した韓国が、世界の信任を得られるだけの技術を短期間のうちに生み出すことは想定しづらい。 世界的なサプライチェーン混乱の中、文大統領は自国の経済をさらなる苦境に向かせてしまっているように見える。現時点で、韓国が自力で経済を安定に向かわせる方策は見出しづらい。もし米中の摩擦が一段と激化し、米国の景気後退への懸念がさらに高まるような展開が現実のものとなれば、韓国経済はかなり深刻な状況に陥る可能性がある』、サムスンがベトナム経由で輸出を急拡大させているとのニュースもあり、韓国ウォン安とも相まって、トランプ大統領の逆鱗に触れリスクを指摘する声もあるようだ。

次に、10月14日付けデイリー新潮が掲載した元日経新聞ソウル支局長の鈴置高史氏へのインタビュー「曺国法務長官が突然の辞任 それでも残るクーデター、戒厳令の可能性・・・韓国観察者の鈴置高史氏が読み解く」を紹介しよう。Qは聞き手の質問
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/10141900/?all=1&page=1
・『韓国の曺国(チョ・グッ)法務部長官が10月14日、辞意を表明した。就任35日目、家族の不正に検察の捜査の手が入る中での辞任だった。背景を韓国観察者の鈴置高史氏が読み解く』、鈴置氏の見解やいかに。
・『国会ではなく街頭で争う左右  Q:突然の辞任でした。 鈴置: 文在寅(ムン・ジェイン)政権を追い詰めたのは、国民の多くを味方に付けた保守の大集会・デモでした。決め手となったのは、開天節(建国記念日)の10月3日、数十万人が集まって「曺国逮捕」「文在寅退陣」を要求した集会・デモです。 何があっても政権を批判する保守的な人々に加え、政治色の薄い「普通の人」も参加したのです(「『反文在寅』数十万人デモに“普通の人”が参加 『米国に見捨てられる』恐怖が後押し」)。これが効きました。辞任の理由として、文在寅大統領は「国民の間に大きな葛藤を引き起こしたことを申し訳なく思う」と語っています。 Q:文在寅政権にはデモなど無視する手もあった。 鈴置: 確かにそうです。実際、10月3日の大デモの後にも、曺国法務部長官を切る動きは表面化しませんでした。それが今になって辞任させたのは、クーデターの恐怖が高まったこともあったと思います。 Q:クーデターですか? 鈴置: 保守派の大型集会・デモに対抗し、左派も集会・デモを繰り出しました。国会ではなく、街頭を舞台に力比べが始まったのです。それを見た韓国メディアは「代議制民主主義が崩壊する」と悲鳴をあげました。 韓国では国論が分裂して議会では収拾がつかなくなり、左右が街頭での勝負に賭けた時、クーデターが起きているからです。 警告を真っ先に発したのは韓国経済新聞でした。社説「極度の国論分裂…国民を街頭に追いたてた政治、誰の責任か」(10月3日、韓国語版)のポイントを翻訳します。 ・開天節のソウルは都心の光化門からソウル駅まで12車線の大路が集会参加者で埋め尽くされた。「場外集会としては史上最大」と言われるほどに街頭に集まった人々の主張は「曺国辞退」に集約された。 ・5日前(9月28日)に「曺国守護」「政治検察撲滅」を叫ぶ市民が、瑞草洞の検察庁前の道路を占拠したのとあまりにはっきりとした対比となった。この時も多くて10万余人と推定される人波が、検察庁から教育大学駅までの9車線に足の踏み場もないほど満ちた。 ・法務部長官の進退に対し意見を表明するため、市民らが広場に群れ集まる「街頭政治」という極端な国論分裂を如実に示した。 ・国民が自分の代理人を選んで国会を構成し、彼らが調整と妥協を通じ国事を決定する、成熟した代議制民主主義が機能しなくなっているとの証拠でもあろう。 ・与野双方が相手を「積幣」「左派独裁」と決めつけ、一寸の譲歩もなく対決する「政治の失踪」が国民を街頭に追いたてているのだ』、「今になって辞任させたのは、クーデターの恐怖が高まったこともあった」、そこまで事態が切迫していたのには驚かされた。
・『「キーセン・デモ」の後にクーデター  Q:韓国人は2016年の朴槿恵(パク・クネ)退陣要求デモを「民主主義の精華」と誇っていたのに……。 鈴置: 英国名誉革命、フランス革命、米国独立革命と並ぶ「世界4大革命の1つ」と自画自賛しています(『米韓同盟消滅』第3章第1節「疾風怒濤の韓国」参照)。 多くの韓国人が「安倍政権をデモで引きずり降ろせない日本人は韓国を羨ましがっている」とも信じています。文在寅大統領も海外に出るたびに「韓国革命」を誇ってみせます。褒めてもらったことはあまり、ないようですが。 一方、今回の集会・デモは、左右がそれぞれ普通の人を取り込んで参加人数を競う国論分裂型の街頭闘争でした。左派が「腐敗した権力と戦う」と音頭をとって、多くの国民を味方に付けた2016年の集会・デモとは完全に異なるのです。 韓国は「クーデターが成功した国」です。1度目は1961年5月16日に朴正煕(パク・チョンヒ)少将らが敢行した軍事クーデターです。前年の1960年4月19日の四月革命により李承晩(イ・スンマン)大統領が下野しました。 その後、左右から多様な要求が噴出。後継政権の内輪もめもあって、国が混乱に陥りました。そんな中、一部の軍人が国の危機を救うとの名分を掲げて立ち上がったのです。当時、ソウルに住んでいた韓国人から、以下のように聞かされたことがあります。 ・四月革命の後はキーセンまでがデモするほど社会が混乱した。左派の学生が統一を名分に北朝鮮との提携に動きもした。クーデター自体には賛成しない知識人が多かったが「これで混乱が収まる」とほっとする向きもあった』、「韓国人は2016年の朴槿恵退陣要求デモを・・・ 英国名誉革命、フランス革命、米国独立革命と並ぶ「世界4大革命の1つ」と自画自賛」、思い上がりとずうずうしさには呆れるばかりだ。
・『空気は「過去2回」と似ていた  Q:2回目は? 鈴置: このクーデターで政権を握った朴正煕大統領が、1979年10月26日に暗殺されたのがきっかけとなりました。16年間も続いた、いわゆる「軍事独裁政権」が突然に崩壊したことで、韓国は民主化に湧き「ソウルの春」と呼ばれました。 ただ、権力の帰趨も不透明になりました。そこで暗殺事件のどさくさの中、力を溜めていた全斗煥(チョン・ドファン)国軍保安司令官らが1979年12月12日、不安定な政局を収めると称して粛軍クーデターを敢行、成功しました。 韓国経済新聞の社説のどこにも「こんなことやっていたらまた、クーデターが起こるぞ」とは書いてはありません。でも、少し勘のいい韓国人ならそう読むでしょう。 朴槿恵政権が弾劾により倒された。2017年5月から権力を握った左派の文在寅政権は「積幣清算」――過去の弊害を一挙に正す――を謳い、保守勢力の根絶やしに動きました。 朴槿恵、李明博(イ・ミョンバク)の前・元大統領に加え、保守政権時代の最高裁長官まで逮捕しました。 朴槿恵政権の言いなりに動いたとして検事や軍人を捜査。この中から4人の自殺者が出ています。「やられる側」に回った保守は当然、死に物狂いで左派政権を倒そうとします。 曺国法務部長官の任命問題も本質は左右の権力闘争です。文在寅政権は左派弾圧を担ってきた検察から権力を奪う計画です。さらには新たに設立する公務員監察組織を通じ、検察をはじめとする保守勢力に報復すると見られています。 この「検察改革」を任されたのが文在寅大統領と近い、法学者の曺国法務部長官でした。検察が自らを指揮する権限を持つ法務部長官の家族の不正事件を捜査し、引きずり降ろそうとする異様な状態に陥ったのも、自分たちが「やられる側」になったからです。 左右はどちらかしか生き残れない最終戦争に突入した。その戦いの手法が双方の支持者を動員する大衆集会とデモだったのです。過去2回のクーデターの時と似てきていたのです』、「検察が自らを指揮する権限を持つ法務部長官の家族の不正事件を捜査し、引きずり降ろそうとする異様な状態に陥ったのも、自分たちが「やられる側」になったからです」、司法の安定性という意味では問題があるが、安倍政権に「忖度」ばかりしている日本の検察に比べれば、はるかに政権からの独立性が確保されてきたようだ。
・『メディアが左右対立に油  Q:そこで韓国経済新聞は社説で「街頭政治を排し、代議制民主主義を守れ」と訴えたのですね。 鈴置: そうです。しかし、この社説は逆の結果を生んだ――街頭政治を煽ったのです。「代議制を守れ」と主張すると同時に「それを壊した責任は左派にある」と厳しく非難したからです。先ほどの引用に続く後半の一部を翻訳します。 ・大統領と与党が露骨に「曺国は退陣させず」と宣言した直後に、大規模デモが起きたことにも注目せねばならない。 ・無条件に曺国を守る姿勢なら「問題は大統領」との声がさらに高まるだろう。国民を街頭に追いたてる政治は与野すべての失敗だが、国政を主導する与党により大きな責任があると見なければならぬ。 韓国経済新聞は「代議制民主主義の崩壊」を指摘しましたが、結論は政権批判でした。保守の牙城、朝鮮日報も10月4日の社説「常識を裏切った大統領1人が呼び起こした巨大な怒り」(韓国語版)で「民心を街頭での力の対決に追いやった」と、同様の手口で政府・与党を非難しました。 すると政府に近い聯合ニュースが「代議制民主主義の崩壊」を論じつつ、検察の責任を持ち出しました。「政治が消えた『広場』VS『広場』の対決…極度の国論分裂を憂慮」(韓国語版)です。 10月4日14時49分になって配信したことから見て、朝鮮日報などへの反撃を狙ったと思われます。 この記事は冒頭では「進歩(左派)と保守が競争して数の対決に出れば、分裂の政治を加速する」「与野の指導部が集会やデモを支持層の結束に利用すれば、政治不信を深化し代議制民主主義の危機を生む」などと、中立の立場で「政治を憂えて」いました。 しかし「何か政治的な意図があるのではないかと疑われるほどに検察が(曺国法務部長官一家に対し)過度に捜査し、その結果、政治が保守と進歩に分かれて、新たな対決の街頭政治に転落した」との匿名の与党政治家の発言も引用しました。要は「代議制民主主義の危機を呼んだのは保守陣営の検察である」と指弾したのです』、左右の新聞が、「代議制民主主義の崩壊」を指摘しながらも、非難の対象は検察、現政権と180度違うのは、レトリックの極致だ。
・『大統領は広場の声を聞け  Q:「左右どちらが代議制民主主義を壊したのか」との論争に陥った……。 鈴置: その通りです。そして、これが街頭政治に油を注いだ。「責任論」の高まりを背景に、左派の与党は「我々の9月28日の集会には覚醒した国民が自発的に参加した。一方、10月3日の野党の集会は文在寅政権を揺さぶる目的で動員をかけ、人を集めた不純な集会」と決めつけました。 その非難に対抗し、保守はハングルの日で休日である10月9日にも大集会を開きました。「動員ではこれだけの参加者は得られない」と見せつけたのです。 一方、左派は自らの正当性を訴えるため、10月5日にも集会を開きました。そして左右両派は10月12日に同じ場所、瑞草洞で集会を開きました。両派の衝突を防ぐため、警察は5000人の機動隊員を動員しました。「街頭政治」は激しくなる一方だったのです。 中央日報も10月7日に社説「国の分裂いつまで…大統領がソロモンの知恵発揮を=韓国」(日本語版)で「政界はむしろ陣営間の争いを煽り、自ら代議民主主義危機を招いている」と、「広場の声」による勝負に警告を発していました。 ところが、その3日後の同紙は社説「最低支持率を記録した文大統領、広場の叫び声に耳を傾けよ」(10月10日、日本語版)で、見出しにもある通り、「大統領は広場の声を聞け」と主張したのです。 ・大統領は自身の陣営と核心支持層だけ見てはならない。あのように多くの人が叫ぶ広場の叫び声なら、厳重に受け止めるべきだ。 「街頭政治は代議制民主主義の破壊だ」などと、左右双方を第3者的に批判する余裕がなくなったのです。「破局」が迫った、との認識からでしょう』、「中央日報」が社説を「3日後」には180度変えたとは、節操のない新聞社だ。
・『検察は左翼と戦うのに軍は傍観か?  Q:破局……クーデターが起こるというのですか、今の韓国で。 鈴置: それを期待する人がいるのは確かです。在野保守の指導者の1人、趙甲済(チョ・カプチェ)氏は9月21日、自身のサイトで「今、検察は左翼と戦っている。国軍は見学だけするというのか?」(韓国語)を書きました。 趙甲済氏は「民族反逆者の金正恩(キム・ジョンウン)勢力と手を組むものも民族反逆者だ」と文在寅政権を非難。そのうえで「今、検察は左翼、腐敗、反憲法、民族反逆者勢力と戦っている。国軍は見学だけするのか?」と呼びかけました。 ただ、こうした呼びかけがなされるということは、軍がクーデターに動く公算が低い、との認識の裏返しでもあるわけです。 高級軍人もすっかりサラリーマン化して、将官にしてもらえるか、大将・中将で退役できるかに小心翼々。人事権を持つ青瓦台をヒラメのように見上げてばかり、というのが韓国の定説です。 Q:では、クーデターは起きない? 鈴置: 「そう見る韓国人が多い」のは事実です。しかし、「起きない」とも断言できません。前の左派政権、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時、米軍に「クーデターを起こすから支持してくれ」と持ちかけた韓国の軍人がいました。関係者が明かしました。 Q:それに対し米国の軍人はどう答えたのですか? 鈴置: 「前の2回はやむなく追認したが今度はもう、許さないぞ」と言ったそうです。そう言われてクーデターをあきらめたのか、元々、それほど本気ではなかったのかは不明ですが、この時は不発に終わりました』、「高級軍人もすっかりサラリーマン化して、将官にしてもらえるか、大将・中将で退役できるかに小心翼々。人事権を持つ青瓦台をヒラメのように見上げてばかり、というのが韓国の定説です」、クーデターは起きないと 「そう見る韓国人が多い」、確かに、1996年にOECDにも入り、先進国の仲間入りしたのに、いまさらクーデターでもないだろう。
・『朴槿恵政権当時も戒厳令に期待  Q:結局、曺国辞任でクーデターは回避できましたね。 鈴置: とりあえずは。しかし、左右どちらかしか生き残れない戦いが終わったわけではありません。法務部長官の首をとって勢いに乗る保守は、政権への攻勢を強めるのは間違いありません。 対立案件は曺国問題だけではありません。別のテーマを探して再び街頭に繰り出すでしょう。デモが大成功したという実績を得たのですから。 Q:文在寅政権はどうやってしのぐのでしょうか? 鈴置: もちろん、クーデターの動きには神経を尖らせ続けるでしょう。政権を握るや否や、軍の諜報部門で政治的な行動に出る可能性のある「機務司令部」を解体したのもそのためです。 今後、再びクーデターが噂されるほどに社会が混乱したら、戒厳令を敷いてデモを抑える手もありますし。 Q:戒厳令ですか! 鈴置: 盛り上がる反政府デモを前に、青瓦台(大統領府)は曺国を辞任させるか、戒厳令を敷くか、との選択肢で考えたと思います。 2016年秋に朴槿恵弾劾デモが盛り上がった際「戒厳令を布告して運動を抑え込もう」と主張した人がいました。いまだに「あの時に戒厳令という奥の手を繰り出しておけば、弾劾もなかった」と、残念がる保守も多い。 機務司令部を解体したのも、この組織が戒厳令を検討したと文在寅政権が疑ったからです。今は政権を握った左派が「自分たちも奥の手を」と考えても、不思議はないのです』、いざとなれば「戒厳令を敷く」のは可能かも知れないが、一旦、強権的手段に訴えると、解除する出口を見つけるのに苦労する筈だ。

第三に、10月18日付けZAKZAK「韓国通貨危機! 文政権「韓国経済は善戦」発表直後にIMFからダメ出しの“赤っ恥” 海外の投資家や企業も見限る」を紹介しよう。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191018/for1910180002-n1.html
・『韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権が世界に恥をさらしてしまった。国際通貨基金(IMF)は15日、韓国の2019年と20年の成長率見通しを大幅に引き下げたが、2日前に大統領府(青瓦台)が楽観的な見解を示したばかりだった。米中貿易戦争や日本の輸出管理強化の影響が指摘されるなか、IMFはデフレ基調や失業率の上昇も予測。「反日」一本やりの政策のお粗末ぶりが際立っている。 「韓国経済は善戦している」。13日にこう発言をしたのは、青瓦台の李昊昇(イ・ホスン)経済首席秘書官。中央日報によると、人口5000万人以上の国で2番目に高い成長率であることを根拠に「経済危機説は誇張されている」とも述べたという。 ただ、韓国経済に詳しい朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊氏は、こうした見方について「実態が全く伴っていない」と疑問視する。 「文政権は具体的な手を打っていないのに善戦などできるはずもなく、虚偽の発言というしかない。法相を辞任したチョ国(チョ・グク)氏の問題もあり、これ以上国民の怒りを買えば政権が崩壊しかねないため、あたかも対策を講じていると国民に思わせようと政府が言葉を選んだのだろう。ただ国民は政府が信用に値しないと感じているに違いない」と指摘する。 李秘書官が“楽観視発言”をした2日後の15日、韓国経済が善戦していないことを裏付けるかのようなリポートがIMFから発表された。 「世界経済見通し」の中で、韓国の経済成長率は2019年が2・0%、20年が2・2%と、それぞれ4月時点の見通しから0・6ポイントの大幅引き下げとなった。米中貿易戦争や中国経済の減速で経済が悪化するとの見立てだ。 日本の成長率見通しも19年が0・9%、20年が0・5%だからほめられたものではないが、気になるのは消費者物価指数の見通しだ。韓国は19年が0・5%、20年が0・9%。デフレ脱却道半ばの日本(19年1・0%、20年1・3%)を下回っているのだ。 IMFは韓国の失業率についても19年に4・0%、20年に4・2%と上昇を見込んでいる。 直近の数字をみても、韓国の消費者物価は9月に初の前年割れとなり、輸出は9月まで10カ月連続減少に見舞われている』、OECDによる「経済成長率」見通しは、政府見通しより低いとはいっても、2%台であればまずまずだが、政府に「忖度」した数字なのかも知れない。
・『デフレ懸念が強まるなか、経済が縮小傾向にあるとしか受け止められない数字で、当局者に危機感がないはずがない。 韓国銀行(中央銀行)は16日、金融通貨委員会を開き、政策金利を1・50%から1・25%に引き下げることを決定した。7月に続いての利下げで、過去最低水準になった。 利下げはデフレ転落を阻止し、通貨ウォンの下落で輸出を後押しするというメリットがあるが、韓国の場合、海外からの投資資金が逃げ出しかねないというデメリットも抱えている。 米中貿易戦争のあおりを受けている韓国だが、米格付け会社フィッチ・レーティングスのアナリストは、8月28日に日本がいわゆる「ホワイト国(グループA)」から韓国を除外したことで、韓国経済が受ける影響の大きさが不確かだと評価し、企業の景況感と投資に重しとなる可能性が高いとも分析している。 複数の悪材料に対し、韓国を見限る動きも出ているようだ。 中央日報の『人・お金・企業が韓国から出ていく』という特集記事では、人件費や税金の問題から、韓国ではなく東南アジアでビジネスを展開する経営者や、韓国に工場移転を検討していた企業が人件費を理由に採算が取れないとして見送っている事例が紹介されており、厳しい経済の実情を伝えている。 前出の松木氏は「海外の投資家や企業は、経済の客観的な指数しか信じない。どのくらい危機的な状況にあるのかも見抜かれているだろう。利下げもモルヒネのようなもので、景気回復を長続きさせる手段とはいえず、何度も続けられるものでもない」と指摘する。 韓国経済は処置なしなのか』、「利下げはデフレ転落を阻止し、通貨ウォンの下落で輸出を後押しするというメリットがあるが、韓国の場合、海外からの投資資金が逃げ出しかねないというデメリットも抱えている」、というジレンマには頭が痛いところだろう。いずれにしろ、文政権にとって経済はアキレス腱となるだけに、どう乗り切っていくか注目される。
タグ:中央日報の『人・お金・企業が韓国から出ていく』 利下げはデフレ転落を阻止し、通貨ウォンの下落で輸出を後押しするというメリットがあるが、韓国の場合、海外からの投資資金が逃げ出しかねないというデメリットも抱えている 政策金利を1・50%から1・25%に引き下げることを決定 韓国銀行(中央銀行) 失業率についても19年に4・0%、20年に4・2%と上昇を見込んでいる 人件費や税金の問題から、韓国ではなく東南アジアでビジネスを展開する経営者や、韓国に工場移転を検討していた企業が人件費を理由に採算が取れないとして見送っている事例が紹介 消費者物価指数の見通しだ。韓国は19年が0・5%、20年が0・9%。デフレ脱却道半ばの日本(19年1・0%、20年1・3%)を下回っている 韓国の経済成長率は2019年が2・0%、20年が2・2%と、それぞれ4月時点の見通しから0・6ポイントの大幅引き下げとなった 「世界経済見通し」 IMF 文政権は具体的な手を打っていないのに善戦などできるはずもなく、虚偽の発言というしかない 経済首席秘書官 「韓国経済は善戦している」 「韓国通貨危機! 文政権「韓国経済は善戦」発表直後にIMFからダメ出しの“赤っ恥” 海外の投資家や企業も見限る」 ZAKZAK 今後、再びクーデターが噂されるほどに社会が混乱したら、戒厳令を敷いてデモを抑える手もありますし 朴槿恵政権当時も戒厳令に期待 検察は左翼と戦うのに軍は傍観か? 大統領は広場の声を聞け 「代議制民主主義の崩壊」 メディアが左右対立に油 検察が自らを指揮する権限を持つ法務部長官の家族の不正事件を捜査し、引きずり降ろそうとする異様な状態に陥ったのも、自分たちが「やられる側」になったからです 空気は「過去2回」と似ていた 英国名誉革命、フランス革命、米国独立革命と並ぶ「世界4大革命の1つ」と自画自賛 2016年の朴槿恵退陣要求デモを 「キーセン・デモ」の後にクーデター 今になって辞任させたのは、クーデターの恐怖が高まったこともあった 国会ではなく街頭で争う左右 「曺国法務長官が突然の辞任 それでも残るクーデター、戒厳令の可能性・・・韓国観察者の鈴置高史氏が読み解く」 鈴置高史 デイリー新潮 米中の摩擦が一段と激化し、米国の景気後退への懸念がさらに高まるような展開が現実のものとなれば、韓国経済はかなり深刻な状況に陥る可能性 文大統領の政策運営で懸念される韓国経済の苦境 アップルは、製品原価を引き下げるために、有機ELパネルの調達先をサムスン電子から中国の京東方科技集団(BOE)に切り替えることを検討 世界的な半導体市況などの悪化 米中の貿易摩擦 サプライチェーン混乱の影響度合い 8月の韓国の輸出は前年同月比で13.6%減少 韓国経済に輸出急減の懸念が顕在化 「韓国に輸出急減の懸念、自力での経済安定が望めない深刻事情」 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 (その3)(韓国に輸出急減の懸念 自力での経済安定が望めない深刻事情、曺国法務長官が突然の辞任 それでも残るクーデター 戒厳令の可能性、韓国通貨危機! 文政権「韓国経済は善戦」発表直後にIMFからダメ出しの“赤っ恥” 海外の投資家や企業も見限る) 文在寅大統領 韓国
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今日は更新を休むので、明日にご期待を!

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いじめ問題(その8)(「大津いじめ自殺」が世に問うた 隠蔽する大人たちの「振る舞い」、「教育委員会は、大ウソつき」埼玉県川口市で高1生徒がいじめを苦に自殺 3度の自殺未遂 SOSのメッセージは伝わらなかった、中川翔子「私が母にいじめを言えなかったワケ」 子どもからのSOSを見逃さないでほしい) [社会]

いじめ問題については、昨年12月7日に取上げた。今日は、(その8)(「大津いじめ自殺」が世に問うた 隠蔽する大人たちの「振る舞い」、「教育委員会は、大ウソつき」埼玉県川口市で高1生徒がいじめを苦に自殺 3度の自殺未遂 SOSのメッセージは伝わらなかった、中川翔子「私が母にいじめを言えなかったワケ」 子どもからのSOSを見逃さないでほしい)である。

先ずは、事件ジャーナリストの戸田一法氏が2月22日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「「大津いじめ自殺」が世に問うた、隠蔽する大人たちの「振る舞い」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/194834
・『2011年10月に大津市の中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺したのはいじめが原因として、遺族が加害者の元同級生3人と保護者に慰謝料など約3850万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大津地裁の西岡繁靖裁判長は19日、「自殺は元同級生2人の暴行や人間関係が原因だった」としていじめと自殺の因果関係を認め、2人にほぼ満額の約3750万円の支払いを命じた。「いじめ防止対策推進法」成立のきっかけとなったこの事件。男子生徒の父親は判決言い渡し後の記者会見で「主張をほぼ認めてもらえた」などと述べ、涙を浮かべた』、有名ないじめ事件だったが、「損害賠償訴訟」で「ほぼ満額・・・の支払いを命じた」、とは当然だろう。
・『卑怯で情けない大人たち  判決は確定していないが、元同級生2人が最高裁まで争ったとしても、金額に多少の変動があってもこの判断は間違いなく覆らないはずだ。そして、成人したばかりの元同級生2人はお互いに責任を押し付け合う醜い争いを繰り返し、自滅していくだろう。 しかし、いくら責任逃れの主張をしようとも、直接手を下してはいないにしろ、自分たちが男子生徒を死に至らしめた事実は明白で、その責任を負うのは当たり前だ。 補足が必要だが、西岡裁判長は、元同級生1人は関与の度合いが低く、保護者についてはいじめを認識しておらず監督義務違反がなかったと結論付け、賠償責任を課さなかった。 ほかの誰が悪いわけでもない。加害者と認定された2人が悪いわけだが、いずれも口頭弁論では一貫して「遊びの延長」などと責任回避の主張を展開していた。 そして、この事件でクローズアップされたのは、地位や権力を持った大人が「隠ぺい」「口封じ」などの保身に走り、卑怯で情けない姿を相次いでさらしてしまった悲しい事実だった。 判決が事実認定した要点は以下の通りだ。 男子生徒は2011年春、中学2年で元同級生2人と同じクラスになり、昼食を一緒に食べたり花火大会に出掛けたりするなど交友を深めた。しかし、2学期には首を絞めたり弁当を隠したりするなどの「いじる」「いじられる」の関係に変わった。 さらに「遊び」の名の下で顔に落書きしたり、殴ったり蹴ったりするなどの暴行が始まり友人関係は崩壊。男子生徒は祖母に自殺したいと吐露することもあった。9月の体育祭では2人は男子生徒にハチの死骸を食べさせようとした。 10月には男子生徒が別の同級生と昼食をとるなど離脱を試みたが、元同級生らはいきなり男子生徒宅を訪れて財布を隠したり時計を盗んだりした。 そして男子生徒は10月11日、自宅マンションから飛び降りて死亡した』、「この事件でクローズアップされたのは、地位や権力を持った大人が「隠ぺい」「口封じ」などの保身に走り、卑怯で情けない姿を相次いでさらしてしまった悲しい事実だった」、多くの「いじめ」事件に共通する現象だ。
・『黙殺されたいじめ  これまで明らかになった事実関係によると、大津市教育委員会は当初、いじめと自殺の因果関係を不明としていたが、実は学校でのアンケートでいじめをうかがわせる回答が多数あった。 アンケートには「トイレで殴られていた」「廊下で腹を蹴られていた」「鉢巻きで首を絞められていた」などの暴行のほか、「お金を要求されていた」「万引きさせられていた」などの恐喝・強要、「おまえの家族全員死ね」などの暴言、ハチの死骸を食べさせられそうになったり顔に落書きされたりするなどの嫌がらせもあったと記載されていた。 それだけではなく、元同級生は「死んだって聞いて笑った」「死んでくれてうれしい」などと回答していた。しかも元同級生は、被害生徒から自殺をほのめかすメールを送られていたにもかかわらず相手にせず、自殺後も被害生徒の顔写真に落書きや、穴をあけるなど信じられない行動をしていたことも後に判明した。 しかし、市教委はアンケートに記載された内容の事実関係が確認できないなどとして公表せず、いじめがあったことは認めながらも自殺との因果関係は不明と結論付けていた。 アンケートの内容は遺族に伝えられたが、なぜか「部外秘」との誓約書にサインさせられるなどと感情を逆なでするような不可解な対応もあった。遺族はもっと詳しく実態を知りたいと要請し、学校側は2回目のアンケートを実施。そこでも「自殺の練習をさせられていた」などの回答があったが、事実関係の調査をせず、結果も公表しなかった。市教委にも「新しい事実は確認できなかった」と報告していた』、「市教委」や「学校側」の隠蔽体質には呆れ果てる。「元同級生は「死んだって聞いて笑った」「死んでくれてうれしい」などと回答」、との元同級生の態度も信じられない。
・『しかし、実際には「男子生徒が先生に泣きながら電話でいじめを訴えたが、対応してくれなかった」「先生もいじめを知っていた」などの記載があった。また、担任教師は自殺後の保護者説明会も欠席し、遺族に謝罪をすることもなかったという。 そして、のちに男子生徒が同級生に「死にたい」と相談していた事実を、学校が自殺直後に把握していたことが判明。校長も職員会議でいじめと自殺に関連がある可能性を示唆していた。 また、市教委が「いじめた側にも人権がある」などの理由で元同級生に聞き取りを実施しなかったことが判明、非難・苦情が殺到した』、こんな酷い対応をした「市教委」のメンバーは、本来、処分することで責任を取らせるべきだ。
・『滋賀県警、根本的な問題  そして、大津署は遺族が3度にわたり暴行容疑などで被害届を提出したにもかかわらず「被害者本人が自殺して存在しない」などとして、いずれも受理しなかった点も暴かれ、滋賀県警も批判を浴びた。 男子生徒の父親は後に、暴行、恐喝、強要、窃盗、脅迫、器物損壊の6つの容疑で「告訴状」を提出し、ようやく受理された。 昨年12月1日にもいじめをテーマした記事(『鹿児島男子高校生「いじめ」自殺、県と県教委で判断が分かれた理由』)を出稿したが、そのくだりを再掲したい。 『殴ったり蹴ったりすれば「暴行罪」、金銭を脅し取れば「恐喝罪」、万引きをさせれば「強要罪」、物を隠したりすれば「窃盗罪」、周囲に仲間外れを強要したり死ねと脅せば「脅迫罪」、物に落書きすれば「器物損壊罪」、父親の告訴内容にはないが、けがをさせれば「傷害罪」が該当する。』 そう、実は「いじめ」は犯罪なのだ。 大津署は世論に押される形で捜査を開始、異例とされる学校と市教委への家宅捜索も実施した。通常、こうした事件は任意で資料提供を受けるのが一般的だが、とにかく「隠ぺい」がキーワードだっただけに、大津署も「任意」というわけにはいかなかったようだ。 結局、大津署は3人のうち2人を書類送検した。1人は刑事罰の対象とならない13歳だったため児童相談所への送致にとどまったが、同じ学年で違う処分だったことには関係者に不満もあったようだ。 刑事処分としては、大津家裁が2人を保護観察処分、1人を不処分とした。刑事処分として「事実認定」があったから、今回の損害賠償請求訴訟でいじめと自殺の因果関係が認められ、賠償命令の判断が下されるのは明らかではあった。 西岡裁判長は、保護者に「監督義務はなかった」として賠償責任を課さなかった。しかし、関係者によると、元同級生2人は20歳を過ぎたが、いずれも弁済能力がない。当然といえば当然だが、成人したばかりの年齢で約3750万円もの大金を支払えるわけがない。 では、自殺した男子生徒の命の対価を誰が支払うのか……。 アンケートには「絶対先生とかも気づいていたと思う」「いじめはなかったと会見開く前に真実を知るべき、知らせるべき」「大人のエゴのせいでみんな傷ついた」「いい加減隠さず話してほしい」などの記述があったとされる。 そろいもそろって、子どもに不信感を抱かせた地位や権力を持った大人たち。 この事件が世に問うたのは、いじめの陰湿さと再発防止策だけではなく、あるべき大人の振る舞いではなかっただろうか』、「大津署は・・・「被害者本人が自殺して存在しない」などとして、いずれも受理しなかった」、というのは酷い話だ。「損害賠償請求訴訟」では、加害者生徒だけでなく、「学校」や「市教委」に対しても請求すべきだった。行政的にも、「校長」や「市教委」のメンバーを処分することで、責任を問うべきだった。「いじめ」をしたり、放置したら重い懲罰を受けることになることが周知できれば、今後の「いじめ」に対する歯止めになるだろう。

次に、9月9日付け文春オンライン「「教育委員会は、大ウソつき」埼玉県川口市で高1生徒がいじめを苦に自殺 3度の自殺未遂。SOSのメッセージは伝わらなかった」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/13975
・『「教育委員会は、大ウソつき」 埼玉県川口市内に住む高校1年の男子生徒(15)が、いじめと学校対応を苦にしたメモを残し、自殺したことが9月9日、分かった。 生徒は中学時代にいじめにあい、いじめを伝える手紙を何度も書いていたが、中学校側はそれまでSOSと受け止めていなかった。3回目の自殺未遂で後遺症で足に障害が残った。学校や市教委はようやく、いじめの重大事態として、調査委員会を設置した。ただし、生徒側にはそのことを伝えておらず、聞き取りもされていない。生徒や家族はこうした対応に不満を持っていた』、「3度の自殺未遂」とは深刻だった筈だが、「学校や市教委」は生徒が中学校を卒業したので、「厄介払い」できたとでも考えていたのだろうか。
・『「いじめた人を守って嘘ばかりつかせる」  亡くなったのは小松田辰乃輔(こまつだ・しんのすけ)さん。8日未明、川口市内のマンション11階から飛び降りた。「ドン!」という音で気がついた住民が119番通報。市内の医療機関に搬送されたが、亡くなった。 9月6日付けで遺書のようなメモをノートに書いていた。それによると、「教育委員会は、大ウソつき。いじめた人を守って嘘ばかりつかせる。いじめられたぼくがなぜこんなにもくるしまなきゃいけない。ぼくは、なんのためにいきているのか分からなくなった。ぼくをいじめた人は守ってて、いじめられたぼくは、誰にも守ってくれない。くるしい、くるしい、くるしい、つらい、つらい、くるしい、つらい、ぼくの味方は家ぞくだけ」とあり、別のページには、「今度こそさようなら」とも記されていた』、「大ウソつき」と罵倒された「市教委」は何をいていたのだろう。
・『母親は聞き取りもされていない  市教委は、3回目の自殺未遂をした半年後の2017年10月、市長に「いじめの重大事態」と調査委員会設置について説明。同年11月2日、ようやく調査委の第1回会合を開いた。1回目の自殺未遂から数えると1年2ヶ月、3回目の未遂からは7ヶ月も放置していた。 しかし母親は、いじめの重大事態や調査委の設置について説明を受けていない。聞き取りもされておらず、「信用できない」と話していた。遺書にある「大ウソつき」という記述は、こうした市教委の対応に加え、学校側がいじめをなかなか認めず、認めた後でも十分なケアがされず、学習支援もされないまま、中学校を卒業することになった点などを指していると見られる。 進学した高校については、「学校は楽しい」と話していた、という。欠席はない。しかし、9月になり、学校が始まったことや、近くに加害者の家があることなどで、精神的に不安定になっていた』、心理カウンセラーによる「ケア」をきちんとしていれば、自殺は避けられた筈だ。
・『「これ以上、どう頑張ればいいんですか?」  辰乃輔さんは2016年4月、中学校に入学すると同時にサッカー部に入った。初心者だったために、同級生や先輩から「下手くそ!」「ちゃんと取れよ!」と言われたり、いじめのターゲットにされていく。悪口を言われたり、仲間はずれにされ、学校に行き渋るようになる。 母親は顧問の教師に、辰乃輔さんがされているいじめを伝えた。顧問は「知りませんでした、気をつけます。すみません」と答えた。しかし、その後もいじめは続いた。 担任にも相談した。クラスメイトの加害者に対してストレートな物言いで指導をしたが、その後は、担任が見えないところでのいじめが始まった。この点も母親は担任に伝えた。 この頃、自由ノートで担任がやりとりをしていた。いじめのことを知ってか、担任は「がんばれ、がんばれ」と書いていたが、辰乃輔さんは「これ以上、どう頑張ればいいんですか?」と反発していた。 夏休みの宿題としての作文「人権について」にはこう書いている。 〈ぼくは、小5、6、今もいじめられて、かげで悪口やなかまはづれをされています。ぼくの存在って、存在なんてなくなればいいと思います〉(ママ) 〈ぼくはこれからどうしたらいいのか分からない。ぼくは消えたい〉 夏休み明けの9月、何度か担任に手紙を書いた。〈ぼくは、サッカー部の友達からいじめられている。(具体的な名前をあげ)2年の先ぱいたちに仲間はずれにされたり、むしされたり、かげ口を聞こえるようにする。...(中略)...先生に話をするとすぐにあいてに言う。ってまた見えないところでいじめられる。だからJ先生に話したりするのが怖い〉(2016年9月1日) さらに手紙を出し続ける。 〈ぼくはこれからどうしたらいいのか分からない。ぼくは消えたい。ぼくの事を死ねばいいと、消えてほしいと思ってる...(略)...ぼくは消えるから。母さん、じいちゃん、ばあちゃん。こんなぼくでごめん。もうぜったいゆるさない。...〉(2016年9月11日) 1週間後の9月19日、自室で首吊り自殺を試みる。意識不明になっているのを家族が発見する。学校にも連絡した。校長が自宅を訪ねてきた。母親は「SOSに気がつかなかったのですか?」と聞いた。校長は「あれ(手紙)がSOSですか?」と言ったという。散々出していた手紙は、校長には響かなかった。 10月になっても担任には手紙を送った。 〈学校は、いじめがないって言ってるけど、いじめられていたぼくはなんだろう。きょうとう先生からもれんらくない。だれも先生は、こない、ぼくは、学校でじゃまで早くてん校してほしいだと思う〉(10月19日)』、既に自殺未遂した生徒が書いた手紙を、「「あれがSOSですか?」と言った」校長は、明らかに教育者失格だ。教頭や担任も、知らんぷりをした罪は深い。
・『〈学校は、ぼくに消えてほしいと思ってる〉  10月26日の夜、2回目の自殺を試みる。また、自室で首吊りをしようとした。このとき、学校に宛てた手紙にはこう書いていた。 〈ぼくは、学校のじゃまものなんだ。いじめられたぼくがわるい。学校の先生たちはなにもしてくれない。口だけ。電話もない。ずっと、考えたけど、学校は、ぼくに消えてほしいと思ってる。...(略)...紙に書けるなら口で言えると言ったきょうとう先生。うまく口じゃつたえられないから手紙なんです〉(10月26日) 2回目の自殺未遂は警察から市教委に連絡をしている。その後、学校側は11月、ようやく、いじめの有無に関するアンケート調査を始めた。教頭から結果を伝える電話がかかってきて、「いじめはない」と言った。 〈ぼくのいじめは、なかった事になってるんですね。死んでぼくがいじめられた事を分(か)ってもらいます〉(11月25日) 正月明け、一度、学校へ通った。数日後、クラスで絵馬を飾ることになった。「いじめがはやく解決しますように」と願い事を書いた。すると、担任から「それは飾れない」と言われ、飾られなかった。「やっぱり、いじめを解決してくれないんだ」と思い、再び、学校へ行かなくなった』、「2回目の自殺未遂は警察から市教委に連絡・・・学校側は11月、ようやく、いじめの有無に関するアンケート調査を始めた。教頭から結果を伝える電話・・・「いじめはない」」、やむなくアンケート調査をしても、いじめを否定したい学校側がやるのであれば、無意味だ。教育委員会が、第三者に調査させるべきだった。
・『3度目でようやく「いじめがあった」と認める  3回目の自殺未遂は2017年4月10日。自宅近くのマンションから飛び降りた。近所に住む看護師がおり、心肺蘇生をしたことも影響してか、命をとりとめたが、足の骨を折る重傷で入院した。 このとき、辰乃輔さんは「2年生になってもいじめが解決しない」などと書いていた。未遂から5ヶ月後、やっと退院できた。3度目の未遂でようやく、新任の校長は「いじめがあった」と認めたが、いじめの対応については、辰乃輔さん側は、不十分と感じていた。当初は車椅子生活だったが、リハビリによって歩くことができるようになっていた。 いじめ自体が許されないことは言うまでもないが、辰乃輔さんは学校、そして市教委の対応によっていわば二重の被害に苦しんでいた。辰乃輔さんの母親は、関係者を通じてこのようなコメントを発表している。 「いじめた側を守り、被害を受けた息子を苦しめる。これが教育なのでしょうか。教育者として、やるべきことをやったと、胸を張って息子にいえるでしょうか。 息子は、もう二度と、帰ってきません。 学校と教育委員会は、息子の声に耳を傾け、しっかり対応したのか。せめて今からでも、調査をやり直し、徹底的に真相を究明し、再発防止に向けた取り組みを進めてください。息子の最期の願いです。もう一度、息子の声を聞いてあげてください。息子に代わって、心からお願いします」 川口市では2017年5月、女子中学生(享年14歳)が自殺している。この問題で市教委は、報告書を作成。同級生からLINEで「うざい」などと言われたほか、6件でいじめを認定。自殺の「要因の一つ」としていた。遺族は同級生側を相手に提訴している。この件のほか、元男子生徒がいじめによる不登校の対応をめぐって訴訟になっている』、こんなにいじめが頻発しているのであれば、川口市はいまからでも、第三者委員会を設置して、原因究明に当たり、再発防止策をるべきだろう。

第三に、10月9日付け東洋経済オンラインが掲載した中川翔子氏へのインタビュー「中川翔子「私が母にいじめを言えなかったワケ」 子どもからのSOSを見逃さないでほしい」」を紹介しよう。Qは聞き手の質問、Aは中川翔子氏の回答。
https://toyokeizai.net/articles/-/305717
・『『しょこたん』の愛称で親しまれている中川翔子さんは、10代の頃に壮絶ないじめを受けていた。いじめの舞台になったのは、中川さんの母の母校でもある私立女子校だった。母親との関係は良好だったが、いじめられていた事実をなかなか伝えられず、引きこもりがちになったという。 いじめ体験をつづったイラスト付きエッセイ『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)が話題を集めている中川さんに、親や周囲の大人が、いじめのSOSを察知するにはどうしたらいいか、自衛の手段はないか聞いた』、興味深そうだ。
・『タイトルに込めた思い  Q:『死ぬんじゃねーぞ!!』というタイトルは、呼びかけとしては強い言葉ですよね。タイトルに込めた思いは。 A:ライブのときに、自然と口から出た言葉なんです。お客さんが笑顔で応援してくれる様子を目にして『いじめは本当につらかったけれど、今まで生き抜いてきて、本当によかったな』と心の底から思って。いじめを苦に、死ななくてよかった。来てくれたお客さんも、全員今まで生きててくれてよかった、という思いがあふれたんです。ライブは、私自身が初めて「生きること」を肯定できた瞬間でした。 Q:中学時代に受けた陰湿ないじめは、ステージ上でも思い出してしまう一生の傷だったのですね。 A:私も、大人になってからもずっと引きずられていましたね。いじめを受けていた頃には、先を考える余裕もなかったんです。大人になってからこんな幸せな未来がくるなんて、まったく想像つかなかったんですよ。 いじめは、解決したら終わりというわけではありません。思春期の子どもの心って、ガラスみたいに透明で、簡単にヒビが入ってしまうんです。いじめられている子は、「いかに今を生き延びるか」を考えています。 「卒業するまでの間だから」とか言われても、明日、明後日と学校に行く毎日が地獄。時間軸も、大人と感覚が違うんですよ。「この5分休み、独りでどう過ごせばいいんだろう」とか、学校にいるわずかな時間がすごく長く感じるんです。すべての大人は、加害者じゃなくて被害者を守ってほしいです』、「中学時代に受けた陰湿ないじめは・・・大人になってからもずっと引きずられていましたね」、そんなに長く引きづるというのは初めて知った。「すべての大人は、加害者じゃなくて被害者を守ってほしいです」との訴えは、前の記事にも共通するものだ。
・『Q:中川さんは、お母様ととても仲がいいですよね。いじめられているとき、お母様へのSOSは出せましたか。 A:「学校に行きたくない」とは言えました。けれど、靴を隠されたり、いじめられていることは伝えられませんでした。すると母は「義務教育なんだから、授業はちゃんと受けなきゃだめ!」と部屋に閉じこもっていた私に馬乗りになって、私のことを引っ張ったんです。 Q:中川さんがいじめを受けた学校は、お母様の母校でもある私立中学でした。「子どもによりよい環境を」と用意した環境ですし、学校に行きたくないと言われて驚いてしまったんでしょうね。 A:母とは何でも話せる関係で、母の中学時代の楽しかった思い出話もずっと聞いていました。だからこそ、言い出せなかった部分はありますね。大人になってからも、いじめの詳細は話していなかったので、今回の本のゲラを見せたらびっくりしていました。 Q:お母様も、最終的には学校に行かない選択を受け入れて、中川さんを休ませたんですよね。 A:そうですね。シングルマザーで、夜も遅くまで働いて疲れていたはずなのに、帰ってからは私と一緒にゲームをしたり、大好きなブルース・リーの話をしたり、ずっと遊んでくれました。私も母と過ごす時間が支えで、仕事から帰ってくるのを寝ないで待っていました。 いじめられている子どもは、学校ではつねに戦っています。気を抜ける場所で、信頼できる相手と一緒に笑い合う時間は本当に大事です。親御さんは、理由は聞かなくてもいいから、まず心を守って肯定してあげてください』、「大人になってからも、(母に)いじめの詳細は話していなかったので、今回の本のゲラを見せたらびっくりしていました」、母には本当のことは言い難いようだ。「親御さんは、理由は聞かなくてもいいから、まず心を守って肯定してあげてください」、というのはその通りなのだろう。
・『一生消えない傷を負うのはいつも被害者だからこそ…  Q:親が、子どものいじめを察知するにはどうしたらいいでしょうか。 A:もちろん、ただ怠けて「学校に行きたくない」と言っているケースはダメです。学校はあくまで、学びに行く場所ですから。でも、精神を追い詰められた子が言う「行きたくない」は、さすがにわかると思います。ちょっと様子がおかしいなと思ったら、まずは子どもに対して「あなたの味方だよ」「大人になってからも楽しいものだよ」ということを、とにかく伝えてほしいです。 Q:いじめかどうかよくわからないが「疑わしい」段階では、どうしたらいいでしょうか。親も、過干渉になりすぎないかと及び腰になってしまうケースもありそうです。 A:いじめの加害者グループって、先生の前ではいい子だったりするんです。だから学校も把握しにくかったり、もみ消してしまったりすることもある。いじめは暴力だけではありませんが、いずれにせよ一生消えない傷を負うのはいつも被害者。完全にいじめられ損なんですよ。だからこそ、大人が全力で、いじめられている子を守る姿勢が必要です。この意識は、親御さんや先生、周囲の大人全員に持っていただきたいですね。 Q:いじめから子どもを自衛する手段は。 A:「いじめとは関係づけられなかった」という曖昧な理由で、いじめの事実を学校側が伏せてしまうケースはたくさんあります。「これをされました」という証拠を残しておくことが大切です。 スマホで会話を録音するのも、アリですよね。いじめって、突き詰めていくと弁護士に相談して有罪になったりすることもあるんです。海外だと、いじめ加害者のほうを転校させる事例も多くあります。いじめ被害者は悪くない。学校側は「加害者の更生のために」と言わないで、退学などの厳しい処分にしてほしいですね』、「いじめの加害者グループって、先生の前ではいい子だったりするんです。だから学校も把握しにくかったり、もみ消してしまったりすることもある」、ありそうな話だ。「一生消えない傷を負うのはいつも被害者」、「いじめ被害者は悪くない。学校側は「加害者の更生のために」と言わないで、退学などの厳しい処分にしてほしいですね」、「退学」はともかく、1か月の登校停止など何らかの処分は必要だろう。いずれにしても、いじめ問題が少しは収束の方向に向かってほしいものだ。
タグ:市教委が「いじめた側にも人権がある」などの理由で元同級生に聞き取りを実施しなかったことが判明 「「大津いじめ自殺」が世に問うた、隠蔽する大人たちの「振る舞い」」 「これ以上、どう頑張ればいいんですか?」 校長は「あれ(手紙)がSOSですか?」と言ったという。散々出していた手紙は、校長には響かなかった 親御さんは、理由は聞かなくてもいいから、まず心を守って肯定してあげてください 3度目でようやく「いじめがあった」と認める 「被害者本人が自殺して存在しない」などとして、いずれも受理しなかった 大津地裁 「いじめ防止対策推進法」成立のきっかけとなったこの事件 6つの容疑で「告訴状」を提出し、ようやく受理された 黙殺されたいじめ クローズアップされたのは、地位や権力を持った大人が「隠ぺい」「口封じ」などの保身に走り、卑怯で情けない姿を相次いでさらしてしまった悲しい事実 大津市教育委員会は当初、いじめと自殺の因果関係を不明としていたが、実は学校でのアンケートでいじめをうかがわせる回答が多数あった 卑怯で情けない大人たち 回目の自殺未遂は警察から市教委に連絡 滋賀県警、根本的な問題 「教育委員会は、大ウソつき。いじめた人を守って嘘ばかりつかせる。 〈学校は、ぼくに消えてほしいと思ってる〉 「自殺は元同級生2人の暴行や人間関係が原因だった」としていじめと自殺の因果関係を認め、2人にほぼ満額の約3750万円の支払いを命じた 母親は聞き取りもされていない 子どもに不信感を抱かせた地位や権力を持った大人たち。 この事件が世に問うたのは、いじめの陰湿さと再発防止策だけではなく、あるべき大人の振る舞い 中学時代にいじめにあい、いじめを伝える手紙を何度も書いていたが、中学校側はそれまでSOSと受け止めていなかった ダイヤモンド・オンライン 大津市の中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺 口頭弁論では一貫して「遊びの延長」などと責任回避の主張を展開 (その8)(「大津いじめ自殺」が世に問うた 隠蔽する大人たちの「振る舞い」、「教育委員会は、大ウソつき」埼玉県川口市で高1生徒がいじめを苦に自殺 3度の自殺未遂 SOSのメッセージは伝わらなかった、中川翔子「私が母にいじめを言えなかったワケ」 子どもからのSOSを見逃さないでほしい) 学校側は2回目のアンケートを実施。そこでも「自殺の練習をさせられていた」などの回答があったが、事実関係の調査をせず、結果も公表しなかった 元同級生は「死んだって聞いて笑った」「死んでくれてうれしい」などと回答 戸田一法 「男子生徒が先生に泣きながら電話でいじめを訴えたが、対応してくれなかった」 刑事処分としては、大津家裁が2人を保護観察処分、1人を不処分とした 調査委の第1回会合を開いた。1回目の自殺未遂から数えると1年2ヶ月、3回目の未遂からは7ヶ月も放置 川口市 元男子生徒がいじめによる不登校の対応をめぐって訴訟になっている 川口市では2017年5月、女子中学生(享年14歳)が自殺 「いじめた人を守って嘘ばかりつかせる」 進学した高校については、「学校は楽しい」と話していた 辰乃輔さんの母親 アンケート調査を始めた。教頭から結果を伝える電話がかかってきて、「いじめはない」と言った 「いじめた側を守り、被害を受けた息子を苦しめる。これが教育なのでしょうか 「中川翔子「私が母にいじめを言えなかったワケ」 子どもからのSOSを見逃さないでほしい」」 大人になってからも、いじめの詳細は話していなかったので、今回の本のゲラを見せたらびっくりしていました 大人になってからもずっと引きずられていましたね タイトルに込めた思い 『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋) 東洋経済オンライン いじめ問題 10代の頃に壮絶ないじめを受けていた。いじめの舞台になったのは、中川さんの母の母校でもある私立女子校 文春オンライン 「「教育委員会は、大ウソつき」埼玉県川口市で高1生徒がいじめを苦に自殺 3度の自殺未遂。SOSのメッセージは伝わらなかった」
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随筆(その1)(小田嶋氏2題:書く人間に最も有害な態度、ライターが原稿を書くことの意味) [文化]

今日は、随筆(その1)(小田嶋氏2題:書く人間に最も有害な態度、ライターが原稿を書くことの意味)を取上げよう。

先ずは、コラムニストの小田嶋 隆氏が5月17日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「書く人間に最も有害な態度」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00021/?P=1
・『先週はまたしてもお休みをいただいた。 名目は、表向き「検査のための入院」ということになっている。 この説明に間違いがあるわけではない。 ただ、今回の入院は、単に検査のためだけのものではない。 もう少しこみいった事情がある。 以前どこかに書いたことがあるのだが、書く仕事をする人間にとって最も有害な態度は隠し事をすることだ。 別の言い方をすれば、隠し事が苦手であることが、書く仕事にたずさわる人間にとって最も大切な資質だということでもある。 そんなわけなので、ここでは、今回の入院について情報公開をするつもりだ。 とは言っても、現時点ですべてを明らかにすることはできない。とりあえず、いまの段階で読者の皆さんに提供できる範囲の情報をお伝えするにとどめる。理由はいずれ説明することになると思う。 簡単に言えば、現在、私はある疾患を疑われている。 こんな事態になったのは、前回の(脳梗塞での)入院の折におこなったいくつかの検査のうちのひとつで、偶然、ある異変が見つかったからだ。 で、脳梗塞の治療を終えて退院した後、異変の原因である病気を見つけるために、私は、さらにいくつかの検査を受けることになった。 ここまでのところは、当欄の通知欄や、私個人のツイッターアカウントを通して説明していた情報に含まれている。 それが、5月8日に受診した折、採血の結果からちょっとやっかいな数値が見つかって、現在は、その数値が示唆する症状を改善するために入院している次第だ。 その数値が意味するところは、主に 1.どこかに病変があるぞ ということと 2.この症状をこのまま放置しておくことは望ましくないぞ ということなのだが、困ったことに、 3.この数値が示唆する症状は、その症状をもたらしている病因をさぐるための検査の障害になるぞ という、なんだかちょっと錯綜した状況を招いている。 で、医師団の当面の選択としては 4.とりあえず、対症療法で、当面の症状を改善して
5.その上で必要な検査を実施する。 そして 6.症状の原因となっている病気の正体を見極めつつ 7.1~6までの経緯を踏まえて治療方針を決定しようではないか と、現在はそういう話の運びになっている。 なんだかややこしい話なのだが、病気というのはどのみちややこしい出来事なのである。 ちなみに、現時点のオダジマは、上記のフローのうちの4番目あたりに位置している』、どう見ても健康的とは言えない生活を送ってきたらしい小田嶋氏が、「脳梗塞」をきっかけに、「異変が見つかった」のはある意味でラッキーだったのかも知れない。
・『抽象的で中身のない話だと思うかもしれないが、現段階でこれ以上の詳細を明かすことはできない。理由は、憶測を語ったところで誤解を広めるだけだし、結論が出ていない事態についての無用な情報漏えいは、単に混乱を招くだけだと考えるからだ。どうかご理解いただきたい。 大切なのは、私が現在、宙ぶらりんの状態にあり、診断のつかない段階で、診断の準備のための治療に専念しているということだ。 体調そのものは、だから、入院中とはいえ、そんなに悪くない。 というよりも、ここしばらくのあれこれで体重が落ちた分、軽快に動けているかもしれない。 ただ、検査や採血や採尿のスケジュールはずっと続いているし、点滴やモニタの管やらケーブルやらもカラダにぶら下がったままだ。 で、有線(ワイヤードな)の端末として最先端医療の恩恵にぶらさがっている状態のオダジマは、体調万全に見えて、事実上は無力だったりする。 というのも、何をするにも、ケーブルがつながった人間は、古い時代のダイヤル式の黒電話みたいに鈍重で、最終的に個人としての尊厳を欠いているからだ。 にもかかわらず、そんな不自由な状態で私が原稿を書いているのは、ありていに言えば原稿料が必要だからだ。 なんだかなまぐさい話をしてしまった。 治療にはそれなりのカネがかかる。 その一方で、病気で休んでしまうと、いきなり収入が途絶する。 フリーランスの泣き所というヤツだ。 もっとも、書き手の側が原稿料を欲しているからというだけの理由でコラムが掲載されて良い道理はない。 ウェブマガジンであれ、紙ベースの雑誌であれ、読者の側から見て、読むに値する文章でなければ、そのテキストは掲載されるべきではないし、それ以前に原稿料の対象になるべきではない。 そうやって考えてみると、ここまでの何十行かは、書き手であるオダジマの個人的な近況を報告したのみで、情報としての有用性に乏しい。個人的な知り合いなら、あるいは注目して読むかもしれないが、逆に知り合いであれば、上に箇条書きにしたような奥歯に医療用手袋がはさまったみたいなテキストには満足しないだろう』、「何をするにも、ケーブルがつながった人間は、古い時代のダイヤル式の黒電話みたいに鈍重で、最終的に個人としての尊厳を欠いているからだ」、場面が目に浮かび、思わず微笑んでしまった。
・『ではオダジマと直接の面識を持たない読者はどう思うだろうか。 たぶん、「何を言ってやがる」「お前のプライベート情報なんかオレには一文の価値もないぞ」「しかも、そのプライベート情報自体中身スカスカじゃねえか」と、おそらくその程度の感慨しか抱かないだろう。 そんなわけなので、以上、私の個人的な病状やこれから先の診療計画の話は、ひとまずおしまいにして、この5年間に4回の入院生活を経験した62歳の男として、入院生活から感知し得た感慨を書き記しておくことにする。 この情報は、おそらく、中高年の読者に限らず、若い人たちにも役立つはずだ。 テーマとしては、人間と病気、入院と日常、あるいは人生と時間といった感じの、やや哲学的な話になろうかと思う。着地点は単なる悲鳴になるかもしれない。書き終わってみるまでは何が出てくるのかわからない。原稿はそうやって書かれるべきものだ。 入院すると、わりとすぐに、目に見える変化として、時間の感覚が失われる。この点については入院という事態を経験した人のほとんどが同意してくれるはずだ。 まず曜日の感覚が曖昧になる。しばらくするうちに、昨日と一昨日の区別がはっきりしなくなる。 別の言い方をすれば、自分と世界との間に流れている時間を測定する尺度が、娑婆世界にいた時と違ってくるというだ(注:最後の「だ」は不要?)。 たとえば、日常の中で生活している人間は、1週間とか1ヶ月といった単位で時間を区切っている。 で、その、ひとかたまりの時間の長さを一単位として、自分の日常の時間を四則演算の可能なブロックみたいにして取り扱う。 だから、現実世界の中で日常を生きている人間は、日、週、月といった、いくつかの実用的な時間単位を使い分けながら時間を管理し、最終的にそれらを支配しているつもりになる』、「自分と世界との間に流れている時間を測定する尺度が、娑婆世界にいた時と違ってくる」、私の場合の入院は3日程度だったが、長くなればそんなふうになるのだろう。
・『ところが病院という施設に閉じ込められて外部の世界との接触を失うと、人はまず週単位での約束事や月単位での計画から見離されてしまう。 と、彼は、もっぱら極端に長いタイムスケール(たとえば「人の一生」とか「オレの30年」だとか)か、でなければ極端に短い尺度(「5分前」とか「次の検温までに」とか「次の食事は」だとか)でしか世界と関わらなくなる。もちろん、来週の月曜日に誰某が見舞いに来るとか、次の水曜日にMRIの検査があるといった感じの予定がないわけではないのだが、それらの予定は、こちらが主体となって仕事をしたり準備をするための予定ではなくて、単にカレンダーの進行とともに先方の意思で勝手に流れてくる出来事に過ぎなかったりする。 要するに、入院中の人間は通常の意味で言う「現実感」を喪失するわけだ。 しかしながら入院している当事者に言わせれば、彼は、「病院の中の現実」に適応しているに過ぎない。 というよりも、入院中の人間は、「いま・ここ」に集中する以外に選択の余地を持っていないのであって、むしろ彼に必要な現実感覚は、時間を無化することなのである。 であるから、入院患者にとって「一週間後に何をする」とか「1ヶ月後にどうする」といった「計画」や「野心」は、むしろ邪魔になる。そうしたことを考えれば、焦りがつのることになる。 入院を別にすれば、私は、これまで、そんなふうに時間の感覚を喪失した時期を、二度ほど経験している。 そのうちのひとつは、大学に合格した直後に半年間ほど、極端な無気力状態に陥った時期だ。 いま風の言葉で言えば「バーンアウト」ということになるのかもしれない。 とにかく、受験生から大学生にいきなり立場が変わった時、私は、寝る間も惜しんで丸暗記の作業に没頭していたそれまでの数ヶ月間の生活が突然終了したことにうまく適応することができなかった。 おそらく、目先の課題とその日その日の勉強量とその成果にばかり囚われていた時期の、極度に近視眼的な視野が、大学生活という茫漠とした荒野をとらえきれなかったのだと思う。 ともあれ、その時、私は、自分が何をどうやって一日をしのいだら良いのかが皆目わからなくなって、ほとんど3ヶ月ほど外出もろくにできない状態に陥っていた』、「入院患者にとって「一週間後に何をする」とか「1ヶ月後にどうする」といった「計画」や「野心」は、むしろ邪魔になる。そうしたことを考えれば、焦りがつのることになる」、まさに「目から鱗」の気分だ。これまで、このことを知らずに、入院患者の見舞いに行って、ひょっとして傷つけるようなことを言ったのではと、遅ればせながら自責の念を感じた。
・『もう一回は、アルコール依存の診断を受けて、断酒に取り組んでいた最初の数年間だ。 この時期、私は「いま・ここ」に集中せずにおれなかった。 ここでいう「いま・ここ」とは、「とりあえず今日一日酒を飲まない」ということだ。 断酒をはじめたアルコホリックは、今日一日以上の長い単位での目論見や計画はとりあえず視界から除外して、ひたすら、その日その日を無事に過ごすことに注力する。そうすることで、ようやく断酒のための最初の一歩を踏み出すことができるようになる。 これは、AA(アルコホリック・アノニマス)やその他の断酒のための組織で言われている一番最初の教条の受け売りに過ぎないのだが、実際に、困難の中で一歩を進める人間は、断酒者であれ、病人であれ、改悛した悪党であれ、誰もが同じように「いま・ここ」に集中するほかに現状を打開する方途を持っていないのだ。 さて、入院患者は、その日その日の細切れのスケジュールとは別に、ぼんやりとした頭の中で、「人生」という単位の時間で抽象的思考を遊ばせる習慣を持つ。 これも、実は現実生活には何ら寄与しない。 だから、入院患者は、次第に浮世離れして行く。 われわれが浮世離れするのは、番外地に暮らす者としての適応過程でもある。 というのも、こんな世俗から遠ざけられた場所で、週に2回の会議と月に3回の地方出張をこなしている営業マンみたいな調子のタイムスケールを持ちこたえていたら、身が持たないからだ。 本当なら、日常人も、月に一度かそこらは、入院患者の目(つまり、極端に短いタイムスケールと、極端に長いタイムスケールで世界に対峙すること)を持つべきで、同じように、入院患者も、事情が許すタイミングで、外界の俗人たちが味わっているのと同じ試練を味わうべきなのだろう。 そういう意味で、この連載枠が、私の役に立ってくれることを願っている 読者の役に立つのかどうかは、これは、私の側からは、わからない。 目安としては、読み終わって頭がクラクラしているのであれば、少しは役立っているということだ。 理由は説明できない。 いつか、近い将来か遠い将来に、入院したタイミングで、思い当たるかもしれない』、「入院患者は、次第に浮世離れして行く。 われわれが浮世離れするのは、番外地に暮らす者としての適応過程でもある」、言い得て妙だ。

次に、小田嶋氏が9月6日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「ライターが原稿を書くことの意味」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00035/?P=1
・『8月9日更新分の記事をアップして以来、当欄に原稿を書くのはおよそ1カ月ぶりだ。 その間は、形式上、夏休みをいただいたことになっている。 もっとも、「夏休み」というのは言葉のうえだけの話で、私自身は、必ずしものんびりしていたのではない。 むしろ、物理的に執筆が困難な環境の中で、もがいていたと言った方が正確だろう。 苦しんだことで何かを達成したわけではないし、特段に成長したこともなかったのだが、とにかく私は苦しんでいた。 「えっ? 8月中もいつもと変わらずにツイッターを更新してましたよね?」「ああいう頻度でツイートできていたのだから、原稿だって書けたんじゃないですか?」というのは、一見もっともなご指摘に聞こえる。というよりも、ほとんど図星ですらある。 しかし、実際に私の立場で、このセリフを聞かされてみればわかることだが、ツイッターと有料原稿は、読む側にとってどう見えるのであれ、書く人間の側の立場からすると、まるで性質の違うものだ。 ツイッターは、あれは、140文字で全世界を切って捨てる、一種の捨て台詞だ。 それゆえ、準備も推敲も要さない。 あれを書いている人間は、一息で吐き出すセリフを、気晴らしのつもりで放り投げている。 多少言い回しの工夫に苦労する部分があるにしても、その苦労もまた気晴らしの一部だったりする。 というのも、文章を書くことを好む人間は、技巧的な努力(原稿執筆におけるテクニカルな部分での苦労)に嗜癖しているからだ。だから、書き方を工夫するための苦心には、ほとんどまったく辛さを感じない。まあ、ボールを蹴っている子供と一緒だということです。 引き比べて、ヒトサマから原稿料をいただいて、不特定多数の読者のために書く原稿には、相応の準備が要る。手間もかかる。なにより責任の大きさがまるで違う。 この場を借りて、ぜひ強調しておきたいのは、原稿を書く人間を苦しめるものが、執筆前の取材や、執筆中の技巧上の煩悶ではなくて、なにより記事公開後に発生する責任の面倒臭さだということだ。 責任さえなければ、執筆ほど楽しい作業はないと申し上げてもよい。 商業的なメディアに署名原稿を提供する書き手は、事実誤認や誤記があれば、すぐさま謝罪のうえ訂正しなければならない。誰かの名誉を毀損したり、見も知らぬ他人の尊厳を傷つけたりする文章を公開してしまったケースでは、それなりの責任を取る必要が出てくる。 それでも、時には、読者のうちに一定の割合を占めるセンシティブな人々の感情を傷つけるリスクを、あえて冒さなければならない場面もある。 そういう時は、詫びる場合でも、謝罪しないケースでも、どっちにしても書き手が苦しむ選択肢を避けることはできない』、「ツイッターは、あれは、140文字で全世界を切って捨てる、一種の捨て台詞だ。 それゆえ、準備も推敲も要さない。 あれを書いている人間は、一息で吐き出すセリフを、気晴らしのつもりで放り投げている」、なるほどズバリ本質を言い当てている。
・『してみると、署名原稿に発生するギャランティーは、そうした回避できないリスクに対して支払われていると考えることも可能なわけで、そこからさかのぼって考えるに、原稿を書く作業が苦しみを伴わない可能性は、原理的にあり得ない話だということだ。 今回は、当欄の原稿が3回にわたって掲載されなかった事情を説明しつつ、この際なので、ライターが原稿を書くことの意味について考えてみようかと思っている。 時事的なニュースにいっちょかみをすれば、ネタはいくらでもある。そういう書き方に意義や正当性がないと考えているわけでもないのだが、今回はとりあえず、世間を騒がせている話題からは距離を置いて、自分の仕事について考えることを優先したい。 あらためて振り返ってみるに、一カ月近くまとまった原稿を書かずに過ごしたことは、私の人生の中では、何十年ぶりの経験ということになる。これだけ長い間、執筆という作業から遠ざかってみると、かえって書くことについて考えさせられる。 で、意外だったのは、自分にとって「書かない生活」が予期していたよりはずっと重苦しい時間だったということだ。 カンの鋭い読者はすでにある程度見当をつけておいでだと思うのだが、お察しの通り、私は、7月の半ばからしばらくの間、入退院を繰り返していた。 その、今回の入退院をめぐるあれこれは、4月上旬に脳梗塞を発症して以来続いているすったもんだの一部でもある。 より詳しく述べれば、4月の脳梗塞での入院中に発覚したある異変が、以来、断続的な60日間ほどの入院やら検査を呼び寄せていたわけだ。 で、7月の下旬に至って、さまざまな検査や二度にわたる手術を伴う生検の結果、ついに原疾患と見られる病名を特定するところにこぎつけた次第だ。 8月中の当連載の中断は、その新たに判明した疾患の治療が本格的に始まったことを受けてのものだ。 当然、治療は今後も続くことになる。 が、この治療がいつまで続くのか、先のことは分からない。 治るのかどうかも、当面は分からないというのが適切な言い方になると思う。 で、肝心要のその「病名」なのだが、私は、それを明らかにしないつもりだ。 理由は、ありていに言えば、読者(というよりも、インターネット上の無料メディア経由で拡散した情報をやり取りしている不特定多数の見物人たち)を信頼していないからだ。 私に関して、仮に、「ずっと昔からの忠良な読者」といったような人々が存在しているのだとすれば、その彼らは、どんな病名を知らされたところで、適切な対応を取ることができる人たちであるはずだ。このことに関して、私は疑いを持っていない。また、通りすがりの読者であっても、人としての当たり前の常識を備えた穏当な人間であれば、他人の病気に対して特別に奇妙な反応の仕方はしないだろう。このこともよく分かっている』、「ついに原疾患と見られる病名を特定するところにこぎつけた」、というのは何よりだ。
・『しかしながら、無料のウェブメディアに文字情報の形でアップされた特定個人の病名は、あらゆる個人情報がそうであるように、いずれ、文脈から切り離されたデータとして野放図に拡散する宿命のうちにある。その「娯楽情報」は、悪意ある第三者を含む不特定多数の群衆にとっての、格好の玩具に成り果てる。このなりゆきは誰にも阻止できない。 「病名」は、どんな人間のどんな病名であれ、ちょっとした誇張を施すだけで、特定の人間の悲惨な未来を示唆する凶悪な情報に変貌させることが可能だ。 ということになれば、悪意ある人間は、その誇張した部分によって引き起こされる騒動から利益を得ようと考えるはずだし、特段の悪意を持っていない人々も、ひとたび群れ集まって行動する段になると、他人の生老病死を玩弄するゲームへの熱中を制御できない。 とすれば、個人の病名を公共の場で公開するような愚かなマネは、絶対に避けなければならない。 さて、私が執筆意欲を半ば喪失していた理由は、体調と病名以外に、もう一つある。 それは、ツイッター上の些細なやりとりの中で頂戴することになった 「偉いコラムニスト様」というレッテルだ。 これは、こたえた。 この言葉を浴びせられた瞬間から10日間ほど、私は、すっかり意気阻喪してしまった。 もともと体調がすぐれなかった事情もあるといえばあるのだが、ほかならぬ同業者から 「偉いコラムニスト様にはわからないのでしょうが」 みたいな言い方をされてみると、なんだか、マジメに仕事に戻る気持ちになれなかったのだ。 私がこの言葉に気力をくじかれた理由のうちの半分までは、この「偉いコラムニスト様」という言い方の示唆する内容が、図星だったからだと思う。 実際、私のやっている仕事は、ある立場の書き手からすれば、 「偉いコラムニスト様」と形容するにふさわしい、お気楽な書き飛ばし仕事に見えているはずだ。 というのも、コラムニストの仕事は、「取材」や「文献渉猟」や「研究」を伴わない、「個人の感想」にすぎないと言ってしまえばそれまでの、「腕一本の安易な作文」だからだ。 私の立場からすれば、自分の書き方で書くほかにどうしようもないという、それだけの話ではあるのだが、一方、私とは違うタイプの書き手から見ると、オダジマの書き方と仕事ぶりは、まるで「地を這う取材みたいなヨゴレ仕事を軽蔑している貴族の書きっぷり」に見えている可能性はある。 実際、ツイッター上で、「それ、あなたの感想ですよね」という定番のツッコミ(←2ちゃんねる創設者であるH氏がこの言葉を発しているテロップ付きの静止画コミのリプライも含めて)を投げつけられた回数は、おそらく何百回を数える。 それほど、コラムニストの「感想」は、軽んじられている』、「「偉いコラムニスト様」というレッテルだ。 これは、こたえた。 この言葉を浴びせられた瞬間から10日間ほど、私は、すっかり意気阻喪してしまった」、想像以上に小田嶋氏も繊細な神経の持ち主のようだ。もっとも、そうでなければ、コラムニストなど務まらないのかも知れないが・・・。
・『ちなみに付け加えれば、私は、この、「個人の感想を軽視する態度」が、21世紀に入ってからこっちの時代思潮と呼んでも過言ではない考え方なのだと思っている。 「ファクトに基づかない記事は無価値だ」「取材をしていない書き手による文章は女優さんのエッセーと選ぶところのないものだ」という感じの、漫画の中に出てくるジャーナリズム学校の先生が言いそうなセリフを、なぜなのかSNSに蝟集している素人が二言目には繰り返すのが、この20年ほどのネット上での論争でのおなじみの展開になっている。 してみると、私のような取材をしない書き手は 「アタマの中で言葉をこねくりまわしているだけのポエマーもどき」てな調子の評価に甘んじなければならないことになる。 これは、なかなか辛い境涯だ。 なぜというに、さきほども申し上げた通り、この指摘は、半分までは図星でもあるからだ。 ただ、この半月ほどの間、私が、図星を突かれてすっかりヘコんでいたのかというと、そうとばかりも言えない。 図星を突かれた残りの半分で、私は、「偉いコラムニスト様」というその言い方の不当さへの憤りを自分の中で蒸し返しながらあれこれ考え込んでいた。 私は、自分を偉い人間だと思っているから、取材に出かけることを忌避しているのではない。 自分が特別な才能に恵まれた類いまれな書き手であるという自覚のゆえに、取材抜きの素朴な感想を書き起こして事足れりとしているのでもない。 私は自分を「偉い」ビッグネームだと考えたことは一度もない。むしろ、一介の売文業者にすぎないと思っている。無論「コラムニスト様」と呼ばれるに足る巨大な報酬を得ているわけでもない。 私の側から言わせてもらえるなら、私は、あるタイプの書き手がなにかにつけて持ち出す 「自分は取材しないと一行も書けないライターなので……」という、一見謙虚に構えたセリフの背後にこそ、強い自負の存在を感じる。 もっと言えば、「取材もせずに文章を書いているあなたは、よほど自分の中にある才能やら知識やら技巧に自信がおありなのでしょうね」という感じの当てこすりの響きを聴き取ることさえある』、「私のような取材をしない書き手は 「アタマの中で言葉をこねくりまわしているだけのポエマーもどき」てな調子の評価に甘んじなければならないことになる。 これは、なかなか辛い境涯だ」、と自省しつつ、「「偉いコラムニスト様」というその言い方の不当さへの憤りを自分の中で蒸し返しながらあれこれ考え込んでいた」、反撃に転じたところはさすがだ。
・『こっち側からは、逆に「取材しないと一行も書けないのだとすると、あなたのしている取材というのは、そりゃ拾い食いとどこが違うんですか?」と言いたくもなる。 この言い争いが不毛であることは分かっている。 だからこれ以上は言わない。この場ではとりあえず、個々の書き手には、それぞれの書き方があって、それは多くの場合、途中から変更できるものではないということだけを申し上げておくことにする。 ジャーナリズムの世界で働く人間は、取材結果を書き起こすことを何よりも重視する。であるから、記事の中に半端な「個人の感想」を付け加える態度を強く戒めてもいる。 「最後のパラグラフは、全削除な。理由? お前の感想なんか誰も聞いてないからだよ」「いいか。取材したことだけを書け。足とウデだけで書け。アタマなんか使うな。分かったかタコ」「お前がお前のアタマで考えたことなんかには毛ほどの価値もないということをよく覚えておけこの腐れ外道が」 てな調子で記者修行を積んできた人たちからすれば、個人の感想でメシを食っている人間は、よほど偉そうに見えるのだろう。 実際、新聞記者の世界で、「個人の感想」を書く人間は、競争を経て論説委員の座を勝ち取った人間か、でなければ「天声人語」みたいな新聞コラムの書き手として抜擢されたエリート記者に限られる。 そういう観点からすると、ひとっかけらの記者修行も経ていないまるっきりのド素人が、個人の感想を書き散らして糊口をしのいでいる姿は、見ていてムカつくものなのかもしれない。 とはいえ、当たり前の話だが、私には私にできることしかできない。だから、私は結局のところ、自分にできるやり方で仕事をすることになるはずで、それができないのであれば諦めるほかにないと思っている。 この半年ほどの闘病を経て、私は、自己決定と自己責任という物語にうんざりし始めている。 具体的に言えば、自分にかかわるすべてを自分が決めるべきだという考え方に、ある安っぽさを感じるようになったということだ。 とにかく、大事なことであれくだらないことであれ、なるようにしかならない。ということは、どうにもならないものはどうにもならないのだからどうしようもない。 奇妙な結論になってしまったが、自分としては、これはこれで前向きな態度だと思っている。 とにかく、私は自分のできることを、できる範囲で粛々とこなしていく所存だ』、事実を取材などに基づいて書く記者の仕事と、コラムニストの仕事の本質的な違いを、入院生活で探り当てた姿勢は、さすがプロだ。「私は自分のできることを、できる範囲で粛々とこなしていく所存だ」、ますます磨きがかかるであろうコラムに大いに期待したい。
タグ:何をするにも、ケーブルがつながった人間は、古い時代のダイヤル式の黒電話みたいに鈍重で、最終的に個人としての尊厳を欠いている 今回の入院について情報公開 ツイッター上の些細なやりとりの中で頂戴することになった 「偉いコラムニスト様」というレッテルだ。 これは、こたえた ついに原疾患と見られる病名を特定するところにこぎつけた次第だ 「書く人間に最も有害な態度」 日経ビジネスオンライン 自分にとって「書かない生活」が予期していたよりはずっと重苦しい時間だった 小田嶋 隆 (その1)(小田嶋氏2題:書く人間に最も有害な態度、ライターが原稿を書くことの意味) 随筆 原稿料をいただいて、不特定多数の読者のために書く原稿には、相応の準備が要る。手間もかかる。なにより責任の大きさがまるで違う 私は自分のできることを、できる範囲で粛々とこなしていく所存だ ツイッターは、あれは、140文字で全世界を切って捨てる、一種の捨て台詞だ。 それゆえ、準備も推敲も要さない。 あれを書いている人間は、一息で吐き出すセリフを、気晴らしのつもりで放り投げている ひとっかけらの記者修行も経ていないまるっきりのド素人が、個人の感想を書き散らして糊口をしのいでいる姿は、見ていてムカつくものなのかもしれない 「ライターが原稿を書くことの意味」 「取材しないと一行も書けないのだとすると、あなたのしている取材というのは、そりゃ拾い食いとどこが違うんですか?」と言いたくもなる 入院患者は、次第に浮世離れして行く。 われわれが浮世離れするのは、番外地に暮らす者としての適応過程でもある 断酒をはじめたアルコホリックは、今日一日以上の長い単位での目論見や計画はとりあえず視界から除外して、ひたすら、その日その日を無事に過ごすことに注力する。そうすることで、ようやく断酒のための最初の一歩を踏み出すことができるようになる 「自分は取材しないと一行も書けないライターなので……」という、一見謙虚に構えたセリフの背後にこそ、強い自負の存在を感じる 入院患者にとって「一週間後に何をする」とか「1ヶ月後にどうする」といった「計画」や「野心」は、むしろ邪魔になる。そうしたことを考えれば、焦りがつのることになる コラムニストの仕事は、「取材」や「文献渉猟」や「研究」を伴わない、「個人の感想」にすぎないと言ってしまえばそれまでの、「腕一本の安易な作文」だからだ 入院中の人間は、「いま・ここ」に集中する以外に選択の余地を持っていないのであって、むしろ彼に必要な現実感覚は、時間を無化することなのである もっぱら極端に長いタイムスケール(たとえば「人の一生」とか「オレの30年」だとか)か、でなければ極端に短い尺度(「5分前」とか「次の検温までに」とか「次の食事は」だとか)でしか世界と関わらなくなる 「偉いコラムニスト様」というその言い方の不当さへの憤りを自分の中で蒸し返しながらあれこれ考え込んでいた 外部の世界との接触を失うと、人はまず週単位での約束事や月単位での計画から見離されてしまう 自分と世界との間に流れている時間を測定する尺度が、娑婆世界にいた時と違ってくる しばらくするうちに、昨日と一昨日の区別がはっきりしなくなる。 別の言い方をすれば、自分と世界との間に流れている時間を測定する尺度が、娑婆世界にいた時と違ってくるというだ 入院すると、わりとすぐに、目に見える変化として、時間の感覚が失われる この言葉を浴びせられた瞬間から10日間ほど、私は、すっかり意気阻喪してしまった 私のような取材をしない書き手は 「アタマの中で言葉をこねくりまわしているだけのポエマーもどき」てな調子の評価に甘んじなければならないことになる。 これは、なかなか辛い境涯だ ファクトに基づかない記事は無価値だ この5年間に4回の入院生活を経験した62歳の男として、入院生活から感知し得た感慨
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”右傾化”(その10)(高齢者はなぜネトウヨにはまるのか、保守がネット右翼と合体し いなくなってしまった理由、ヨーロッパの極右や排外主義者はリベラルな社会が生み出した新たな「マイノリティ」だ) [国内政治]

”右傾化”については、6月4日に取上げた。今日は、(その10)(高齢者はなぜネトウヨにはまるのか、保守がネット右翼と合体し いなくなってしまった理由、ヨーロッパの極右や排外主義者はリベラルな社会が生み出した新たな「マイノリティ」だ)である。

先ずは、ルポライターの三宅雪子氏が6月7日付け日刊ゲンダイに掲載した「高齢者はなぜネトウヨにはまるのか」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/255528
・『ネトウヨブログを信じた読者は多額の賠償責任を負うはめに:ネトウヨブログ「余命三年時事日記」にあおられ大量懲戒請求を行った読者と不当な請求をされた弁護士の間で、法廷バトルが繰り広げられている。 懲戒請求された弁護士の数は160人前後だといわれているが、正確な数字は明らかでない。弁護士の多くが懲戒請求されること自体を不名誉だと考えるからだ。 そんな中、7人の弁護士がブログ読者(懲戒請求者)の提訴に立ち上がった。懲戒請求の理由が必ずしも一緒でないことから、提訴の内容もそれぞれ違う。だが、ブログ読者たちの懲戒請求が「不当」であるという主張では一致している。 佐々木亮弁護士は2017年6月に最初に懲戒請求された10人のうちの1人だ。SNSで自分にねぎらいの言葉をかけた嶋﨑量弁護士、北周士弁護士まで懲戒請求されたことで提訴に踏み切った。理由はこうだ』、「弁護士の多くが懲戒請求されること自体を不名誉だと考えるから」、「懲戒請求された弁護士の数は160人前後」にも拘らず、「懲戒請求者の提訴に立ち上がった」のは「7人」に留まったようだ。
・『「ネット上の少数者(この場合は弁護士)に対する大量の悪意に対して、しっかり対抗することが同様の行為の防止につながると考えました」 嶋﨑、北の両弁護士も提訴に加わった。 ブログ主が執拗に攻撃しているのが在日コリアン。在日コリアン弁護士協会の会員も複数が懲戒請求されているが、提訴したのは金竜介、金哲敏両弁護士の2人だった。金竜介弁護士は「『金』という名前だけで懲戒請求された。民族差別なのは明白です」と憤る。 神原元弁護士は日ごろからヘイトや差別と闘っている。ブログ主にとっては不倶戴天の敵といえる存在だ。 小倉秀夫弁護士は「ブログ主の見解に対して批判したら、あおられて懲戒請求された」という。小倉弁護士の裁判の過程ではブログ主の開示請求が認められた。ブログ主の正体が暴かれる日が近いかもしれない』、「神原元弁護士」については、ここまでの文章では取上げた意図が不明だが、次のパラグラフで出てくるようだ。
・『6月3日現在、複数の判決が出ているが、いずれも弁護士側が勝訴している。初の確定判決は4月19日、金弁護士らの裁判で被告に55万円の損害賠償を命じたものだ。期限までに被告は控訴しなかった。なぜ、控訴しなかったのかはわかっていない。彼らの中にも「ほころび」が出だしているのかもしれない。 ブログを信じて、正義のためだと思い込んだ結果、読者は多額の賠償責任を負うことになった。それでも、まだ目が覚めない人は大勢いる。 昨年10月には懲戒請求者712人が神原弁護士に対して約7億2000万円の支払いを求める訴訟を起こした。神原弁護士が請求者に送った慰謝料を求める通知書が“脅迫”にあたるという、荒唐無稽な理屈だった。 これに対して神原弁護士らは今年4月、約3億6700万円の支払いを求めて反訴している。 それだけではない。実は他の弁護士たちにも懲戒請求者らから“反撃”の訴状が届き始めている。ネトウヨブログをめぐる法廷バトルは複雑な様相を呈してきた』、「複数の判決が出ているが、いずれも弁護士側が勝訴」、というのは当然だろう。ネットの気軽さで「懲戒請求」という法律行為をした以上は当然の報いだ。「懲戒請求者らから“反撃”」、は敗訴した腹いせの嫌がらせだろう。

次に、文筆家の古谷経衡氏が10月11日付けNewsweek日本版に掲載した「保守がネット右翼と合体し、いなくなってしまった理由」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13168_1.php
・『<当初ネット右翼とは分離していた旧来の保守が、いかにして「嫌韓」に堕していったかを全て記す。本誌「嫌韓の心理学」特集より> 今では信じられないことだが、冷戦時代の日本の保守は韓国に対して極めて好意的であった。朝鮮半島は38度線で南北に分断され(むろん、これは現在でも変わらない)、共産主義の脅威がソウルからわずか数十キロ地点まで押し寄せていた時代、保守は「反共」というただ一点のみにおいて韓国を同志として見なした。 この時期に大手を振っていたのが「釜山赤旗論」。韓国南端の釜山市が共産主義者の手に落ちると日本本土もいよいよ危ないという認識のことで、韓国はそれを防ぐ「反共の同志」として認識されていた。 いわゆる70年安保華やかなりし頃、「反・反安保運動」に傾倒した者、つまり保守系の学生らは韓国の同世代とさまざまな国際交流を行っている。現在、自称保守系論壇誌で「韓国人は嘘つき」だの、「韓国人は恩を忘れている」だのと口をヘイトの形にして叫んでいる自称保守系言論人の古老は、その昔この系統に属していた。 韓国人と酒を酌み交わし、歌い、時には恋仲になった。このような反共時代の韓国人との交流を、彼らは口が裂けても口外しない。もはやネット右翼と一体となった自称保守のより若い世代から「裏切り者」の烙印を押されるのが怖いからである。 かつて韓国人と大いに交歓した日本の保守系学生らが、現在、少なくない数でヘイトの前衛に立っていることを私は知っているし、その人間を名指しすることもできる。しかし冷戦時代の記憶や知識などみじんもない現在の自称保守やネット右翼には、韓国人が反共の同志だった事実をいくら指摘したところで通用しないから、古老らは沈黙を貫いている。まるでかつての韓国人との交歓の事実を知られまいとして、やましさを隠そうとするようにわれ先にと「嫌韓」を叫んでいる』、「かつて韓国人と大いに交歓した日本の保守系学生らが、現在、少なくない数でヘイトの前衛に立っている」、人間の考え方は変わりうるとはいっても、なんとも節操のない話だ。
・『動画が両者をブリッジした  「嫌韓はネット右翼の専売特許」とはよく言ったものだが、もはやこの定義は正しくないかもしれない。一部自称保守系雑誌や中小零細出版社の中に自閉していた嫌韓は、今や最大のマスメディア=地上波テレビの中で堂々と展開されているからだ。 しかし、これはテレビの中枢が韓国を憎んでいるからではなく、単に高齢化した視聴者に対し視聴率として訴求できると踏んでのことであって、地上波テレビが思想的に転換したからではない。地上波テレビにおける嫌韓は一過性のものであり、時期が来れば収束すると私はみる』、そうであってほしいところだ。
・『少なくとも2000年代後半~10年代初頭まで、この国では保守とネット右翼は分離していた。前者のよりどころは「改憲・自主憲法制定」「靖国神社公式参拝推進」「東京裁判史観の是正」であり、嫌韓は大きなウエートを占めてこなかった。理由は、冒頭に挙げたとおり保守の中の少なくない部分が、かつて反共保守として韓国人と交歓を持つ者であったからである。 一方、後者のネット右翼は、2002年のサッカーワールドカップ日韓共催大会からネット上に繁茂してきた連中で、冷戦時代における日韓の蜜月などという事実を知らず、ひたすらに韓国(この場合は韓国チームやサポーターら)と(彼らからすると)その専横を擁護するように思える日本国内のマスメディアへの攻撃に終始した。そうした中から在特会(在日特権を許さない市民の会)が生まれ、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)は嫌韓と「親韓」マスメディアへの呪詛としか言いようのない批判的姿勢がスタンダードとなった。 だから、2011年に不当に韓流ドラマを垂れ流しているとして起こったフジテレビ抗議デモ(参加者延べ1万人)は、東京・南麻布にある駐日韓国大使館ではなくお台場のテレビ局に向かったのである。つまりネット右翼は「嫌韓」と「嫌メディア」という2大特性を兼ね備えて出発した存在であった。 このとき、既存の保守は、実を言えばこのようなネット発の嫌韓の潮流を冷ややかに見つめていた。それは既に述べたとおり、保守の少なくない部分を構成する者が反共保守として韓国人と交歓の経験を持っていたから。さらに核心を言えば、ネット右翼はフジテレビという「保守の虎」の尾を踏み付けていたからである。 日本最大のメディア・コングロマリットの1つ、フジサンケイグループは、フジテレビを頂点として傘下に複数のメディアを持つ。全国紙「産経新聞」、そして現存する日本で最も歴史の古い保守系雑誌「正論」、日刊スポーツ紙「夕刊フジ」。出版事業として「産経新聞出版」「扶桑社」など。 産経新聞の常連寄稿者や正論の執筆者は、当然、これら保守業界の枢機に位置する。彼らがネット右翼のフジテレビ攻撃に同調しなかったのは、このような資本関係があるからである。当時、フジテレビ抗議デモに参加したある男は、産経新聞を片手に握りながらフジテレビと韓国に対する批判をまくしたて、「なぜ産経新聞ですらこのデモを報道しないのか」と嘆いていたのを私は今でも強烈に記憶している。報道しないのではなく、できないのである。そんなことも分からないで、ひたすらに妄想(「フジテレビ社主は在日朝鮮人」など)とヘイトを虚空にまき散らしていたのが、当時のネット右翼の標準的な知性レベルであった』、私もフジテレビが「韓流ドラマを垂れ流している」のには、いくら安いからとはいえ、大いに違和感を抱いた。
・『しかし、時がたつにつれてこの二者、つまり保守とネット右翼は銀河同士の衝突のようにゆっくりとだが着実に接近していく。その仲介役を担ったのが、2000年代後半から2010年代前半に権勢を振るったCS放送局である「日本文化チャンネル桜」であった。チャンネル桜は、いわゆる保守、つまり旧態依然とした反共保守を含む古典的な保守の言説を、ネット空間に「動画」として組織的・恒常的にばらまいた第一人者である。 それまで、せいぜい個人が細々と行っていたネット右翼動画の世界に、法人が(一応)体系的に、20分とか40分とかの尺で理屈をまくしたてる番組を「投入」したパイオニアこそチャンネル桜であった。これによって、保守とネット右翼は急速に合体の道をたどっていく。ネット右翼は、体系的に投入され続けるそれらの動画のとりこになり、チャンネル桜はこの時期黄金期を迎える。延べ月間再生回数で数百万を優に超え、保守とネット右翼をブリッジする「両界の巨人」として君臨するのだった。 2012年に私が1010人のネット右翼を対象にアンケート調査したところによると、平均年齢は38.15歳。男女比は76:24。4年制大学卒(中退含む)は全体の6割を超え、年収は中の上。最も多い職種が自営業、役員・管理職の順であった。このことからも分かるように、ネット右翼は社会的落伍者では決してなく、むしろ社会的には比較的上位に位置する階級であると言える。政治学者・丸山眞男の言う、「日本型ファシズムを支えた中間階級第一類」とうり二つである。つまり地主、教員、会社や工場の責任者、町内会や自治会の長、零細企業経営者のそれだ。 彼らは、在日コリアンと在日朝鮮人と在日韓国人の区別もつかず、ただ差別を区別だと言ってのける。こうした連中がなぜわが国において比較的上位の社会階級にあるのかと言えば、悲しいことにわが国では、近現代史の知識と学歴は比例しないからである。日韓条約や日本の朝鮮半島の植民地支配に全くの無知でも、大学受験や医師国家試験、司法試験には関係がない』、確かに「近現代史」は殆ど教えられないのは、問題だが、大学入試でこれを取り入れるのは、学問的解釈が固まっていないなかでは難しいだろう。我が家ではCS放送は契約してないので、「日本文化チャンネル桜」があったことすら知らなかった。
・『保守の古老は有頂天になった  だから彼らネット右翼は、特に歴史に対して虫食い状の基礎知識しか用いておらず、そこにチャンネル桜の流すトンデモ・右傾化した動画が放り込まれることによって、無批判にその内容を信じ、「ネットde真実」(ネット上の情報が全て真実と思い込むこと)が形成されていく。前掲した在特会の元会長桜井誠も、実はチャンネル桜の出身者で、2000年代中盤の一時期常連出演者として名をはせていた。 チャンネル桜が保守とネット右翼をブリッジさせたことにより、保守側にも変化が訪れた。それまで封書、機関紙、ファクスがコミュニティー間の通信ツールだったものが、一挙に電子化・近代化されたのである。産経新聞や正論に寄稿しても、熱心なファンから激励の封書やハガキが1週間に数通来るのが関の山だった保守業界に、動画へのコメントという形で大量の肯定的反応が「瞬時に」「即座に」あふれ返る。 保守の古老たちは有頂天になる。それまでフジサンケイグループの資本関係におもんぱかってネット右翼と距離を置いていた論客たちが、ネットからの反応に狂喜乱舞し、フジテレビ以外の地上波局、産経新聞以外の大新聞への批判、そして嫌韓の大合唱に手を染めていくようになる。それが「NHK攻撃」(この流れから2013年にNHKから国民を守る党が生まれた)、「朝日新聞、毎日新聞攻撃」である。 こうして初手で、ネット右翼の動きを冷ややかに、冷笑的に見つめていた保守は、あっという間にネット右翼と融合し、差別を区別と言い直して、根拠のあるなしにかかわらず、嫌韓の渦の中に合流していったのである。 爾来、10年がたち、「保守」と「ネット右翼」は完全に一体となり、もはやその両者に特段の差違を見つけ出すことは難しい。唯一業界内で変化があったとすれば、かつて黄金時代を築いたチャンネル桜が事実上の内紛を起こしてCS放送から撤退し、代わってチャンネル桜の何百倍、何千倍という資本力を持った化粧品大手のDHCがCS放送局「DHCテレビ」を保有し、そこに視聴者層のほとんどが移行したことである。 現在、嫌韓を叫ぶ人々は2012年の私の調査時点からほとんどそのままスライドしている。つまり平均年齢は38.15+7で45.15歳。アラフィフが主力である。日本全体がそうであるように、嫌韓層もまた高齢化しているのだ。「あいちトリエンナーレ」で慰安婦像のアート展示に激高し、「ガソリンを持っていく」などと書き込みをして、威力業務妨害で警察に逮捕された2人の年齢はそれぞれ59歳と64歳。まさにネット右翼の中核層である。 本来の「保守」は絶滅危惧種(注:「。」が落ちている?)もともと高齢者のサロン的要素があった保守と、それよりもやや若い(とは言ってもアラフォー)層を主体としたネット右翼が合体したことにより、嫌韓の主軸は高齢者となり、中高年で嫌韓が好発している。朝日新聞の調査でも、世代別に韓国への感情を聞いたところ、加齢すればするほど「嫌い」のパーセンテージが増える。「嫌韓はネット右翼の専売特許」どころか、「嫌韓は中高年男性の専売特許」と言える。日韓両国の若い層(30代以下)はお互いに双方の文化に好意的であり、嫌韓どこ吹く風である』、「嫌韓の大合唱」が、「NHK攻撃」・・・「朝日新聞、毎日新聞攻撃」につながったとは、なるほどと納得できた。
・『最後に、私は、物書きとして2000年代後半から10年代初頭までの7年ほど、この保守業界に身を置いていた。保守と言うのなら、エドマンド・バークや福田恆存や小林秀雄の思想を読み込んでいる人ばかりだと思ったが、当時から全く違った。医師や公認会計士、税理士、企業経営者といった(特に医師が多かったが)社会的に地位のある人が根拠なしに隣国と隣国人を差別する。「正論を言い続ければ、いずれヘイトはなくなる」と思っていたが甘かった。彼らは基本的に学習しないし、虫食い状の歴史知識を正統的な学問や先行研究から穴埋めしようという努力も一切しない。韓国が韓国が、というわりに韓国に行ったことが一度もない。 いまだ日韓併合は合法で日本は朝鮮を植民地支配していない、というオカルト雑誌でも取り上げないトンデモ説をかたくなに信じて疑わない。自称保守系論壇誌は完全に韓国差別雑誌に成り下がり、平気で「韓国が消えても誰も困らない」などの特集を組み、零細出版社はカネのために『韓国人に生まれなくてよかった』というタイトルからしてモロに差別の出版行為を平然と続けている。 私はこんな業界がほとほと嫌になったし、一時でもこの業界にいた自分を恥じている。本当にばからしく、彼らに更生の余地はない。 「保守」とは本来、人間の理性に懐疑的で、社会の急激な改変や改良を嫌い、歴史や経験、常識(コモンセンス)に価値判断の基準を定めるという生活姿勢そのものを指す。もうそんな本来の意味での「保守」は、絶滅危惧種である。私はたとえ絶滅しようとも保守の本懐を曲げないで死にたい。(筆者の著書に『ネット右翼の終わり』『左翼も右翼もウソばかり』など。11月に小説『愛国商売』を刊行予定)』、「いまだ日韓併合は合法で日本は朝鮮を植民地支配していない、というオカルト雑誌でも取り上げないトンデモ説をかたくなに信じて疑わない」、との嫌韓派の姿勢には、改めて驚かされた。「私はこんな業界がほとほと嫌になったし、一時でもこの業界にいた自分を恥じている」、古谷氏と私とでは政治的立場は真逆だが、良心的右派の嘆きは理解できる。

第三に、作家の橘玲氏が10月12日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「ヨーロッパの極右や排外主義者はリベラルな社会が生み出した新たな「マイノリティ」だ【橘玲の世界投資見聞録】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/217199
・『世界金融危機の直後に刊行した『チャヴ 弱者を敵視する社会』(海と月社)で、オックスフォード大学卒の20代のライター、オーウェン・ジョーンズは「21世紀の左翼の騎手」として世界的に有名になった。チャヴ(Chavs)とは、知識社会=グローバル世界から脱落した貧しい白人労働者への蔑称で、イギリスではミドルクラス(エリート階級)とワーキングクラス(チャヴ)の分断が進んでいる。 [参考記事] ●イギリスの地方都市にふきだまる「下級国民」、チャヴは蔑まれ、嘲笑される白人の最貧困層 『チャヴ』のなかでジョーンズは、2010年の総選挙で左派議員のために戸別訪問したときの体験を書いている。 (数カ月ぶりによく晴れた日曜日で、ほとんどの家は外出していたため)数軒訪問して空振りしたあと、エプロンをつけた中年女性がついに出てきた。彼女は明らかに、気持ちを打ち明けたがっていた。「うちの息子は、仕事を見つけられないの」と彼女は怒った。「でも、移民はこんなにたくさん入ってきて、みんな就職している。移民が多すぎるのよ!」 こうしてジョーンズは、貧困や格差、差別とたたかう左翼運動の中心となるべき貧困層が“排外主義者”になっているという不都合な事実に向き合わざるを得なくなった。それは、移民排斥を掲げるイギリス国民党(BNP/British National Party)の躍進に象徴されていた』、トランプ大統領が炭鉱労働者などの「忘れられた白人」層の支持を集めたのと似た構図だ。
・『BNPの台頭を許したのは人種差別というより、労働者階級を軽視した既成政治への反発  BNPは1882年に創設された白人至上主義の極右政党で、2010年当時はニック・グリフィンをリーダーに、イギリスで5番目に大きな政党になっていた。――その後、EUからの離脱を掲げるイギリス独立党(UKIP/UK Independence Party)に押されて党勢は凋落する。 ジョーンズは、BNPの台頭はイギリス社会が人種差別的になったことの表われではないとして、「イギリスは欧州でもっとも異人種間の婚姻率が高く、みずから「強い人種差別的偏見を持っている」と認める人はたったの3パーセントで、5人中4人はまったく偏見を持っていないと主張する」とのデータを紹介している。問題は、「イギリスが人種差別的でなくなっているのと同時に、史上もっとも人種差別的な政党が選挙で成功している」ことなのだ。 投票所の出口調査ではBNPへの投票者の多くが労働者階級で、世論調査ではBNP支持者の61%が社会階級の下から3つの階級に属していた。かつては労働党を支持した「リベラル」な白人労働者階級が、大挙して人種差別主義者に変貌してしまったかのようだ。 BNPの躍進の理由を、政治家やジャーナリストは「白人労働者階級が白人以外の人々の侵略からアイデンティを守ろうとしたことが原因だ」と分析した。労働党のある議員は、「BNPは、なんの断りもないまま自分たちの国が失われていく、という国民の感情に訴えている」と語った。 だがジョーンズは、BNPの台頭を許したのは人種差別というより、労働者階級を軽視した既成政治への反発だと述べる。じつは冒頭のエピソードにはつづきがあって、ジョーンズに向かって「移民排斥」を求めたのは、強いベンガル語訛りの女性だった。インド出身の彼女は、インドから来た移民女性が、息子のような「イギリス人労働者」から仕事を奪うと訴えた。移民に対する反感は、人種への偏見ではなく、経済的な不安(移民に仕事を奪われる)から生まれてくるのだ。 マルクス主義が一定の権威をもっていた時代には、資本主義の不公平なシステムが貧困のような社会問題の元凶だとされた。冷戦の終焉でマルクス主義が退潮すると、右派がその空隙を、「すべての社会問題はよそ者、すなわち「移民」によって引き起こされている」というわかりやすいイデオロギーで埋めたのだ』、「「強い人種差別的偏見を持っている」と認める人はたったの3パーセントで、5人中4人はまったく偏見を持っていないと主張する」とのデータを紹介」、これは建前論的な回答に過ぎないのではなかろうか。「冷戦の終焉でマルクス主義が退潮すると、右派がその空隙を、「すべての社会問題はよそ者、すなわち「移民」によって引き起こされている」というわかりやすいイデオロギーで埋めたのだ」、というのは労働者の不満をくみ上げられなかった労働党の怠慢だろう。
・『自らを「虐げられた白人マイノリティ」という“人種”に再定義した白人労働者階級  ジョーンズによれば、BNPの成功はイギリス社会のリベラル化によってもたらされた。 リベラルな社会では、「民族的マイノリティのアイデンティを尊重せよ」と教えられる。リベラルな多文化主義は、不平等を純粋に「人種」の視点からとらえ、「階級」を無視している。差別や貧困は「階級問題」ではなく「人種問題」なのだ。 「こうしたことを背景に、白人労働者階級の人々は、民族的な誇りに近いものを育て、多文化主義社会で受け入れられやすい、人種にもとづくアイデンティティを発達させた」とジョーンズはいう。 リベラルな多文化主義社会では、マイノリティの権利は最大限に尊重されなければならない。ところが移民に怯える白人労働者たちは、これを逆転して、自らを「虐げられた白人マイノリティ」という“人種”に再定義したのだ。 BNPのパンフレットには「白人マイノリティ」や「白人差別反対主義」といった用語が満載されている。「白人のみ」受け入れるという党則でBNPを裁判に訴えたときは、黒人警察官協会のようなほかの民族的マイノリティの組織となにがちがうのかと切り返された。 白人労働者階級を「迫害された民族的マイノリティ」と見なし、反人種差別的な外見を整えたことで、BNPは自分たちが「リベラル」で「政治的に正しい(PC)」と主張できるようになった。この「破滅的な再定義」に危機感を覚えたジョーンズは、こう警告している。 (BNPの台頭は警告射撃のようなもので)ふたたび労働者階級の適切な代弁者が現れて、彼らの関心事を真剣に扱わないかぎり、イギリスは新たな怒れる右派ポピュリズムに直面する可能性がある。 EU離脱の混乱に翻弄される現在のイギリスの状況は、10年前にすでに予見されていたのだ』、「リベラルな多文化主義社会では、マイノリティの権利は最大限に尊重されなければならない。ところが移民に怯える白人労働者たちは、これを逆転して、自らを「虐げられた白人マイノリティ」という“人種”に再定義・・・反人種差別的な外見を整えたことで、BNPは自分たちが「リベラル」で「政治的に正しい(PC)」と主張できるようになった」、これを仕組んだBNPは巧みだ。「EU離脱の混乱に翻弄される現在のイギリスの状況は、10年前にすでに予見されていたのだ」、離脱問題も根が深そうだ。
タグ:EU離脱の混乱に翻弄される現在のイギリスの状況は、10年前にすでに予見されていたのだ 白人労働者階級を「迫害された民族的マイノリティ」と見なし、反人種差別的な外見を整えたことで、BNPは自分たちが「リベラル」で「政治的に正しい(PC)」と主張できるようになった 移民に怯える白人労働者たちは、これを逆転して、自らを「虐げられた白人マイノリティ」という“人種”に再定義 自らを「虐げられた白人マイノリティ」という“人種”に再定義した白人労働者階級 冷戦の終焉でマルクス主義が退潮すると、右派がその空隙を、「すべての社会問題はよそ者、すなわち「移民」によって引き起こされている」というわかりやすいイデオロギーで埋めたのだ かつては労働党を支持した「リベラル」な白人労働者階級が、大挙して人種差別主義者に変貌してしまった イギリスは欧州でもっとも異人種間の婚姻率が高く、みずから「強い人種差別的偏見を持っている」と認める人はたったの3パーセントで、5人中4人はまったく偏見を持っていないと主張する BNPの台頭を許したのは人種差別というより、労働者階級を軽視した既成政治への反発 移民排斥を掲げるイギリス国民党(BNP/British National Party)の躍進に象徴 貧困や格差、差別とたたかう左翼運動の中心となるべき貧困層が“排外主義者”になっているという不都合な事実に向き合わざるを得なくなった チャヴ 弱者を敵視する社会 オーウェン・ジョーンズ 「ヨーロッパの極右や排外主義者はリベラルな社会が生み出した新たな「マイノリティ」だ【橘玲の世界投資見聞録】」 ダイヤモンド・オンライン 橘玲 私はこんな業界がほとほと嫌になったし、一時でもこの業界にいた自分を恥じている いまだ日韓併合は合法で日本は朝鮮を植民地支配していない、というオカルト雑誌でも取り上げないトンデモ説をかたくなに信じて疑わない 「嫌韓は中高年男性の専売特許」 もともと高齢者のサロン的要素があった保守と、それよりもやや若い(とは言ってもアラフォー)層を主体としたネット右翼が合体したことにより、嫌韓の主軸は高齢者となり、中高年で嫌韓が好発 威力業務妨害で警察に逮捕された2人の年齢はそれぞれ59歳と64歳。まさにネット右翼の中核層 「あいちトリエンナーレ」 「DHCテレビ」 フジテレビ以外の地上波局、産経新聞以外の大新聞への批判、そして嫌韓の大合唱に手を染めていくようになる。それが「NHK攻撃」(この流れから2013年にNHKから国民を守る党が生まれた)、「朝日新聞、毎日新聞攻撃」である 保守の古老は有頂天になった 近現代史の知識と学歴は比例しない 平均年齢は38.15歳。男女比は76:24。4年制大学卒(中退含む)は全体の6割を超え、年収は中の上 ネット右翼を対象にアンケート調査 保守とネット右翼は急速に合体の道をたどっていく 「日本文化チャンネル桜」 ネット右翼はフジテレビという「保守の虎」の尾を踏み付けていた 韓流ドラマを垂れ流しているとして起こったフジテレビ抗議デモ 地上波テレビにおける嫌韓は一過性のものであり、時期が来れば収束すると私はみる 動画が両者をブリッジした かつて韓国人と大いに交歓した日本の保守系学生らが、現在、少なくない数でヘイトの前衛に立っている 保守系の学生らは韓国の同世代とさまざまな国際交流を行っている 70年安保華やかなりし頃 保守は「反共」というただ一点のみにおいて韓国を同志として見なした 冷戦時代の日本の保守は韓国に対して極めて好意的 「保守がネット右翼と合体し、いなくなってしまった理由」 Newsweek日本版 古谷経衡 神原弁護士らは今年4月、約3億6700万円の支払いを求めて反訴 神原弁護士が請求者に送った慰謝料を求める通知書が“脅迫”にあたるという、荒唐無稽な理屈 懲戒請求者712人が神原弁護士に対して約7億2000万円の支払いを求める訴訟 複数の判決が出ているが、いずれも弁護士側が勝訴 小倉弁護士の裁判の過程ではブログ主の開示請求が認められた 7人の弁護士がブログ読者(懲戒請求者)の提訴に立ち上がった 弁護士の多くが懲戒請求されること自体を不名誉だと考える 懲戒請求された弁護士の数は160人前後 ネトウヨブログを信じた読者は多額の賠償責任を負うはめに 「高齢者はなぜネトウヨにはまるのか」 日刊ゲンダイ 三宅雪子 (その10)(高齢者はなぜネトウヨにはまるのか、保守がネット右翼と合体し いなくなってしまった理由、ヨーロッパの極右や排外主義者はリベラルな社会が生み出した新たな「マイノリティ」だ) ”右傾化”
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関電 原発マネー還流(その1)(原発マネー還流発覚で関電崩壊 原発消滅カウントダウン始まる、元助役の死にも疑念 「越後屋の小判」怪文書と謎解き<上>、関電スキャンダルに潜む 見過ごせない3つの問題、関西電力幹部は なぜ「汚れたカネ」を受け取ったのか 関電金品受領事件 謎の深層を読む) [国内政治]

今日は、関電 原発マネー還流(その1)(原発マネー還流発覚で関電崩壊 原発消滅カウントダウン始まる、元助役の死にも疑念 「越後屋の小判」怪文書と謎解き<上>、関電スキャンダルに潜む 見過ごせない3つの問題、関西電力幹部は なぜ「汚れたカネ」を受け取ったのか 関電金品受領事件 謎の深層を読む)を取上げよう。

先ずは、10月3日付けダイヤモンド・オンライン「原発マネー還流発覚で関電崩壊、原発消滅カウントダウン始まる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/216447
・『関西電力の岩根茂樹社長ら役員20人が、高浜原子力発電所が立地する福井県高浜町の元助役から総額3.2億円相当の金品を受け取っていたことが判明した。原発を保有する電力会社への視線は厳しく、いよいよ原発消滅へのカウントダウンが始まった。 「もう原子力は終わりでしょうね」。大手電力会社関係者は肩を落とした。 東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所事故で、原発の“安全神話”は崩壊し、信頼は地に落ちた。 そんな中、関西電力は膨大な人材とコストをかけて原発再稼働にまい進し、原発7基が原子力規制委員会の安全審査をクリアし、うち4基で再稼働を果たした。関電には、震災後の日本の原発をけん引してきたという自負があった。 その関電で、再び原発への信頼を裏切る驚愕の事実が発覚したのである。 八木誠会長や岩根茂樹社長ら役員20人が、高浜原子力発電所が立地する福井県高浜町の元助役、森山栄治氏(今年3月に90歳で死去)から2011年から18年までの間に総額3.2億円相当の金品を受け取っていたことが明らかになった』、ツッコミどころ満載の不可解な事件だ。
・『さらに高浜町への原発誘致に尽力し、地元で“天皇”と呼ばれた森山氏は、関電から原発関連工事を受注した建設業者から手数料名目で資金を受け取っていた。 つまり、関電から原発関連工事会社、原発関連工事会社から森山氏、そして森山氏から関電へと、いわゆる“原発マネー”が還流していた可能性があるのだ。 大手電力会社幹部は「昭和の時代ならともかく、震災後も地元と癒着が続き、しかもトップが金品を受け取っていたのには驚きを禁じ得ない」と眉をひそめた。 電力業界2位の西の雄で、関西経済界を代表する企業である関電の対応は、誠にお粗末だったと言わざるを得ない。 事の発端は、国税当局による税務調査。判明後、社内調査委員会を設置したにもかかわらず、その調査委の設置を取締役会に報告すらしていなかった。金品の受領に関して社内で共有されることもなく、個人任せだった。 しかも社内処分について対外的に公表しておらず、関電にはガバナンス(統治、統制)、コンプライアンス(法令順守)意識のかけらもなかった。 9月27日に急きょ開いた記者会見でも、岩根氏は個人情報を理由に詳細を公表しなかったため、関係各所から「説明が不十分」と集中砲火を浴びた。そして10月2日に改めて会見を開き、詳細を説明することになった。 こうした一連の対応に批判が集まり、関電に原発事業を担う資格があるのかという疑問の声が上がるのも無理からぬ話だ』、監査役会は掴んでいたが、「取締役会に報告」してなかったというのも、ガバナンス・コンプライアンス上の重大な問題だ。
・『原発再編や次世代原子炉の開発も頓挫  集中砲火を浴びている岩根氏の社長辞任は必至の状況だ。別の大手電力会社関係者は「電力業界全体に疑いの目が向けられていて、迷惑だ」と関電への憤りを隠さない。今年6月に就任したばかりの電気事業連合会会長の辞任も避けられないだろう。 ただし、これは電力業界全体にとって大きな痛手となるのは、間違いない』、その後、関電会長・社長が辞任 金品受領、原発部門の幹部一掃と新聞報道があったが、当初の記者会見で辞任すべきだった。
・『岩根氏が電事連会長に就任したことで、会長と事実上ナンバー2の常勤副会長のツートップを関電が張り、政府に原発推進を迫るのが電事連の最大のミッションになっていた。 来年には政府の第5次エネルギー基本計画の見直し議論が始まる見込みで、電事連として第6次エネ基に原発の新増設、リプレース(建て替え)の文言を盛り込むよう求め、再生可能エネルギーに導入された固定価格買取制度(FIT)の原発版をはじめとする原発事業の予見可能性を高めるための環境整備も訴えるはずだった。 しかし、今回の不祥事で関電はもちろん、原発への信用は完全に失墜した。「あらゆる原子力政策を前に進められるかもしれない大事な時期だったのに、関電のおかげで全てパア」(エネルギー業界関係者)になった。 実のところ、電力各社は「将来的に原発事業の再編は不可避」という認識でおおむね一致していた。東電福島第一原発事故によって、原発は重大な事故が起きれば、会社そのものが吹き飛ばされるほどのリスクを伴う事業だと改めて認識され、電力会社1社ではとても背負い切れないと分かったからだ。 その原発事業再編の軸になるのが、東京電力ホールディングス、そして関電だった。 エネルギー政策に詳しい橘川武郎・東京理科大学大学院教授は、「震災後の原発を引っ張ってきた関電が信用を損ねたことは、電力業界にとって大きなダメージ」と指摘。「関電を軸とした原発事業の再編も難しくなるだろう」と語る。 また第5次エネ基で記載された次世代原子炉の開発について、最も意欲的だったのが、関電だ。これについても「関電が手掛けるのは厳しくなった」(橘川教授)とされ、次世代原子炉の開発も頓挫する公算が大きい。 資源の乏しい日本で、原発は「準国産エネルギー」として国策民営で進めてきた。しかし、業界関係者の一部からは国策民営を転換し、電力各社が原発を差し出す“国有化”の案まで飛び出している。それほど、電力業界は苦境に立たされているといえそうだ。 第5次エネ基では、原発の新増設、リプレースは明記されていない。原発を巡る厳しい世論を考慮すれば、建設中であるJ-POWERの大間原発、東電の東通原発、中国電力の島根原発3号機が運転できなくなる可能性も小さくない。 このままだと、早ければ北海道電力の泊原発3号機が運転期限を迎える2049年までに、日本から原発が自然消滅する』、今回の問題は、関電の他の原発、さらには他の電力会社にも広がりかねず、”原子力ムラ”にとっては、極めて深刻な打撃となりそうだ。

次に、10月8日付け日刊ゲンダイ「元助役の死にも疑念 「越後屋の小判」怪文書と謎解き<上>」を紹介しよう。なお、中、下は有料記事のため紹介は見送る。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/262949
・『関西電力の高浜原発を舞台にした原発マネーの還流問題は、永田町を巻き込む大スキャンダルに発展しそうな様相だ。キーマンとされる福井県高浜町元助役の森山栄治氏が鬼籍に入ったのをいいことに、関電は森山氏の“特異性”にすべてを押し付け、逃げ切ろうとしている。しかし、「死人に口なし」「関電の破廉恥」では終わらない。「越後屋の小判」を巡る謎と闇は深まる一方である。 問題発覚の端緒は、2018年1月の金沢国税局による査察だ。森山氏が顧問を務めていた建設会社「吉田開発」(高浜町)に対する税務調査で、同氏に3億円の手数料が支払われていたことが判明。6月ごろには森山氏宅から関電幹部への金品提供に関するメモが見つかり、関電は7月に社内調査委員会を設置。9月には調査結果をまとめたが、岩根茂樹社長は「不適切ではあるが、違法性はない」として取締役会に報告せず、秘匿を続けていた』、「違法性」がなければ、「不適切」であっても、「取締役会に報告」しないというのは、監査役会や弁護士と相談した上で決めたのだろうが、どうみても無理があるようだ。
・『事情を知る関係者がマスコミなどに送付した内部告発文書がここへきて出回っているが、腐敗した関電経営陣の総退陣と経営刷新を求めたものの無視されたと明かし、こう記していた。〈最も看過できないのは、原発の建設、運転、定期点検、再稼働工事の過程で、工事費等を水増し発注し、お金を地元有力者、及び国会議員、県会議員、市長、町長等へ還流させるとともに、原子力事業本部幹部職員が現金(億単位)を受け取っていたことであります〉 指摘通り、原発マネーは関係先をぐるぐると回っていた。森山氏を通じて吉田開発から関電役員らに渡った金品は少なくとも計3・2億円。助役退任後の同氏は吉田開発顧問のほか、原発メンテナンス会社(兵庫県高砂市)相談役、警備会社「オーイング」(高浜町)取締役、さらに関電子会社「関電プラント」(大阪市)顧問に就いていた。吉田開発とメンテナンス会社は、関電プラントから3年間で計約113億円の工事を受注し、オーイングは関電の原発警備を一手に引き受け、福井県警の天下り先の機能も果たしている。巨額の金品は受注のキックバックなのか。森山氏を起点にあらゆる方面に原発マネーが流れ、原子力ムラに巣くう構造が浮き彫りである。 告発文書には、こうも記されていた。〈平成に続く新年号の事態における、大スキャンダルの第1号となるでしょう。自殺者も出るかもしれません〉』、「原発マネーは関係先をぐるぐると回っていた」のは、他の原発でも同様の筈だ。
・『なぜ、重くて足がつきやすい小判なのか  共犯関係を念押しするような元助役の凄味  関電幹部らが森山氏から受け取った金品の形態は実にさまざまだ。 現金1億4501万円、商品券6322万円分、米ドル15万5000ドル(1705万円)、金500グラム(240万円相当)、金貨365枚(同4949万円)、金杯8セット(同354万円)、スーツ仕立券75着分(同3750万円)、そして小判3枚(同24万円)である。菓子折りの底に忍ばせる形で手渡されたというが、小判のやりとりなんぞは、時代劇の悪代官と越後屋を彷彿とさせる。 「小判は脱税目的でよく使われる手口です。現金授受と比べて足がつきにくく、骨董品と言い逃れできる余地がある。絵画などと比べて売買が容易で、現金化しやすいのも利点のひとつに挙げられています」(税務当局関係者) だとしたら金の延べ棒の方がよりベターな気もするが、森山氏はなぜ小判にこだわったのだろうか。元特捜検事で弁護士の郷原信郎氏はこう言う。 「特別なものを贈ることによって、金品授受により重みを持たせ、一蓮托生の共犯関係にあると念押しする意図があったのではないか。関電幹部がキレイごとを言いだし、森山氏との関係を清算しかねないとの考えが根底にあったのかもしれません」 原発ムラの住人の裏切りは決して許さない――。暴力団もビックリの凄まじさである』、「小判にこだわった」のは、「金品授受により重みを持たせ、一蓮托生の共犯関係にあると念押しする意図があったのではないか」、というのはさすが郷原氏だけあって説得力がある。
・『「違法性はない」と被害者面の経営陣、辞め時と逮捕の可能性  金沢国税局の査察で原発マネー還流問題の露見に直面した関電は、社内調査委による調査結果について岩根社長が「違法性はない」と判断し、取締役会への報告を見送り。取締役の不正行為をチェックする監査役会も追認していた。2日に行われた2回目の会見でも岩根社長は「違法性はないということで報告しない判断をした」と繰り返し、八木誠会長ともども居直りを決め込んでいる。 被害者ヅラの経営陣のもくろみ通りにコトは収束するのか。立件の可能性があるのは、会社役員の収賄罪、関電グループが森山氏の関係企業に特命発注を続けていたことに対する独禁法違反とみられている。前出の郷原信郎氏がこう言う。 「いずれにしても立件要件を満たすハードルは高い。金品授受に関する森山メモが出てきたと報じられていますが、それだけでは裏付けは不十分。資金の出元とされる吉田開発からの情報も必要になる。特命発注については、発注額などの詳細が判明しないので何とも言えません。逆に言えば、だからこそ、嫌疑の有無を含めた捜査は絶対にやるべきです」 郷原信郎氏が懸念を抱くのは、関電と関西検察OBとの関係だ。 調査委員長を務めた元大阪地検検事正の小林敬弁護士は、郵便不正事件を巡るデータ改ざん問題で責任を問われて減給処分を受け、退官したいわくつき。関電社外監査役には「関西検察のドン」と呼ばれる元検事総長の土肥孝治弁護士が今年6月まで就き、後任に元大阪高検検事長の佐々木茂夫弁護士が就任。85歳から74歳への異例のバトンタッチである。 「今春ごろから始まった内部告発の動きは、徐々に表面化の危険性が高まっていった。関電経営陣にとって重大な問題を切り抜けるため、超高齢の検察OBを監査役に選任したのではないか。経営トップ2人が会見で見せた開き直ったような異様な態度や、関電を取り巻く環境を見る限り、検察サイドと話ができているのではないか、との印象がぬぐえません」(郷原信郎氏=前出) 大物検察OBを守護神に祭り上げたゆえの余裕なのか』、「関電社外監査役には「関西検察のドン」と呼ばれる元検事総長の土肥孝治弁護士が今年6月まで就き、後任に元大阪高検検事長の佐々木茂夫弁護士が就任」、ということであれば、「大物検察OBを守護神に祭り上げたゆえの余裕」というのも頷ける。
・『課座縄(正しくは:金沢)国税局は過去何十年間も見過ごしてきたのか  なぜ、調査が入った途端に元助役が死んだのか  今回の問題が発覚したのは、金沢国税局が昨年1月に着手した査察がきっかけだ。金沢国税局の大金星だが、その裏で不可解な人事があった。吉田開発に査察に入ったほぼ同じ頃、当時の局長が辞職を申し出て、国税庁長官官房付を経たうえで昨年3月に退職しているのだ。 「税務署が最も忙しいといわれる確定申告の時期の辞職というタイミングは解せません。いったん、官房付になったのも通常の人事とは異なります」(司法記者) 安倍政権が不正発覚を望まない原発案件に手をつけた金沢国税局は、虎の尾を踏んだということだろうか。 関電の元役員は1990年代には森山氏から金品を受け取っていたことを明らかにしている。 だとすると、金沢国税局は怪しい原発マネー還流をアンタッチャブルな案件として、何十年も見過ごしてきたのか。 立正大客員教授の浦野広明氏(税法)が言う。 「原発マネーについて、叩けばホコリが出るのは、税務当局は百も承知です。しかし金沢国税局に限らず、全国の税務当局は、わざと手をつけないで見て見ぬフリをしてきました。国策である上に、迷惑施設である原発を進めるための不透明なお金を黙認してきた側面があります」 査察が入った1年後に森山氏が死去したのも謎だ。 「森山氏の死の真相はわかりませんが、少なくとも森山氏の死を踏まえて『死人に口なし』ということで税務調査をオープンにしたのではないか。関電に限らず、全国の原発にもメスを入れるべきですし、黙認してきた税務当局の不作為が問われるべきです」(浦野広明氏=前出) 闇は深くて広い』、「吉田開発に査察に入ったほぼ同じ頃、当時の局長が辞職を申し出て、国税庁長官官房付を経たうえで昨年3月に退職している」、というのはまさに「虎の尾を踏んだ」ことへの見せしめ人事だ。「査察が入った1年後に森山氏が死去したのも謎だ」、この続きの中、下が無料では見られないのは、かえすがえすも残念だ。

第三に、在米作家の冷泉 彰彦氏が10月11日付けNewsweek日本版に掲載した「関電スキャンダルに潜む、見過ごせない3つの問題」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2019/10/post-1119_1.php
・『<原発を推進するうえで、「カネの問題」は必要悪として諦めているムードもあるが......>  関西電力の役員などに対する、高浜町元助役からの資金還流事件は、ここへ来て会長、社長が辞意を表明することで、局面が進んだように見えます。ですが、スキャンダルの真相も、そして今回の問題があぶりだした原発ビジネスの構造についても、本質的な議論は進んでいません。 そこで、今回はこの事件に潜んでいる3つの問題について議論したいと思います。 1点目は、資金還流の意味です。通常、工事などを請け負う業者の側としては、発注側である関西電力からの受注欲しさにワイロを渡す可能性はあるかもしれません。ですが、それは発注決定の前の問題であり、今回の事件のように事後にカネを押し付けるように渡すというのは、非常に不自然です。事前に話がついており、ただバレないように時間差をつけて資金還流させたという説明も成り立ちますが、あまり説得力はありません。 ならば、受注のためのワイロを時間差で渡したのでは「ない」シナリオも必要になってきます。「何らかの口封じだった」とか「反対に裏金が関電サイドから流れており、死期を悟って自分と家族の名誉を守るために返却する必要があった」とか、いずれにしてもカネの流れとタイミングに関する捜査が必要です。関電の経営陣は、そうした「カネの意味合い」について、知らぬ存ぜぬではなく、しっかりと捜査に協力すべきと思います。 現在の報道は、こうした「カネの意味合い」に関するツッコミが全く不足しています。そこを外しては、刑事立件や民事係争に持ち込むことができないし、そもそも社会的な批判にもならないからです』、「事後にカネを押し付けるように渡すというのは、非常に不自然です」、「現在の報道は、こうした「カネの意味合い」に関するツッコミが全く不足しています」、その通りで、徹底的な解明が必要だ。
・『2点目は、原発マネーと言われるコストの甘さに切り込んでいくということです。原発に関係する工事は、よく言えば安全対策、悪く言えば風評懸念を口実に工事をやたらに高品質として高額な請求がされることが多いようです。確かに、原発に関して積極推進が国策だった時代には、それで全体が回っていたのかもしれません。 ですが、福島第一の事故以降は、万が一の事故の場合における直接的な被害への補償だけでなく、風評被害への補償などを考えて、その準備金を積み立てるようになるなど、原発のコスト構造は激変しています。そうであるなら、今回の事件を契機として、工事や経費等の金額に「お手盛り」はないか、全ての原発において総点検が必要と思われます』、「全ての原発において総点検が必要」、正論だ。
・『3点目は原発立地です。通常、加圧水型原子炉というのは、河川の沿岸に立地して冷却水を取水し、冷却に伴って発生する温水は河川に戻し、水蒸気は空中放出するというのが世界の常識です。ですが、日本の場合は河川の水質への風評被害や、水蒸気放出への感情的な恐怖心などが「判断の大前提」となる中で、立地は沿岸部の過疎地ということになっています。 そこで地元に対して、巨額なマネーを注入することで立地への同意をさせるという構造があるわけです。その結果として、コスト的に最も効率的で、安全面で最も理想的な立地「ではない」場所に原発が建設され、それがコストを膨張させるという構造が出来上がっているように思われます。 こうした「原発とカネ」の問題ですが、原発反対派は「全面的な稼働反対、新設反対」の理由の一つとして、この「原発とカネ」の問題を取り上げることが多いようです。一方で、エネルギー多様化の中で原発の部分稼働に賛成する立場からは、この「カネの問題」は必要悪として諦めているようなムードも伝わって来ます。 当面は脱炭素という問題も含めて原発の「即時ゼロ」はできない中で、今回の事件を契機として、「原発とカネの問題は切っても切れない」という賛成反対両派の「常識」にメスを入れていかなくてはならないと考えます』、説得力溢れた主張だ。

第四に、10月13日付け現代ビジネスが掲載した「くにまるジャパン極」の放送内容の一部抜粋、元外務省専門調査官で作家の佐藤 優氏へのインタビュー「関西電力幹部は、なぜ「汚れたカネ」を受け取ったのか 関電金品受領事件、謎の深層を読む」を紹介しよう。※本記事は『佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」』に収録している文化放送「くにまるジャパン極」の放送内容(2019年10月4日)の一部抜粋です。野村邦丸氏は番組パーソナリティです。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67753
・『クビのリスクを冒してでも…?  邦丸:関西電力の金品受領事件ですね、高浜町の助役だった森山栄治さんが3月にお亡くなりになった後、一気に問題がワーッと出てきている。裏に隠れている原発マネーとかブラックボックスが垣間見えているなかで、佐藤さんはこの件をどんなふうにご覧になりますか。 佐藤:まず、報道各社は非常に素直な見方をしているわけですね。関電が関連業者に、原発に関する大規模な発注をする。大きなおカネが動くから、関連業者のほうからリベート、キックバックがあった。そのキックバックの間に元助役さんが入っていた──と、こういうストーリーなんですよね。 一見すると、確かに「関電は汚い」と見える。「そんなところで、自分たちのフトコロを潤して」と、こういう雰囲気になっていますよね。 ただ、もう一歩考えてみると、電力会社の社員の生涯所得は大きい。キックバックを受け取っていたことがバレたら、クビですよ。そんなリスクを幹部が冒すのか? こう考えると、外務省時代の経験を思い出すんですよ。「欲しくないカネを、取らざるを得ない」状況ってあるんですよね。 邦丸:えっ。おカネは要らないのに? 佐藤:外交官は、おカネなんて要らないんです。給与を十分もらっていますから。ところが、政治家──有力な閣僚とか与党、それから野党の有力者を、たとえばモスクワでアテンドするでしょ。そういうときには、だいたい「ありがとう」と言っておカネをくれるんですよ。 しかし、こちらは仕事でやっているわけですから、給与をもらっているわけです。それ以外に対価をもらったらいけないですよね、公務員は。 邦丸:そうですね。 佐藤:ところが、そのおカネをもらわないと「オレのカネが取れないのか。オレと付き合わないということか」と、こういうふうになっちゃうんですよ。 邦丸:はあ~』、「外交官」時代の経験をもとに解明しようとするとはさすがだ。
・『「ヤバい金」の流れとは  佐藤:それだから、もしそういうふうに蹴っ飛ばしたら、特に相手が外務大臣とか、あるいは総理大臣とか官房副長官とかそういう人たちだったとしたら、「どこどこの〇〇というヤツは態度が悪い」という話になって、大変なことになっちゃうんですよ。「ありがとうございます」ともらうしかないわけ。 そんなカネ、誰も欲しくないでしょ。ヤバい話じゃないですか。だから、モスクワの大使館は裏口座をつくっていた。 邦丸:裏口座! 佐藤:そう。大使館には大使、公使、その下に総括参事官というのがいる。今はたぶん総括公使になっていると思うけど、これが裏回りの仕事を全部やる。ヤバいことだけやる人がいるんですよ。企業の総務みたいなものですが、その人のところに持っていくと、「わかった」と言って預かって、プール金にしてくれる。 人に言えないような、おカネがかかる仕事がときどきありますから、そういうときにはそのプール金を使うわけですよ。 邦丸:その仕事というのは、今は時効ですか? 佐藤:たとえば、大使館員が酔ってトラブルを起こした。そういったものを処理するときに、ちょっと有力な人に口をきいてもらうために、心付けを持っていく。そういう面倒くさい仕事ですよね。 邦丸:ふむ。たとえば現地に住んでいるモスクワ市民、あるいはロシア国民──当時はソ連ですけれど──に対する工作費に使うとか? 佐藤:それはまた別途おカネがあります。 邦丸:別会計ですか。 佐藤:大使館には報償費、いわゆる機密費という別のおカネがありますから、そういうことは大丈夫なんです。 要するに、政治家と外務省の関係ってそういう感じなんですよ。今は綱紀を改めたと言っているけど、それほど変わっていないと思います。カネを取らないと、政治家との信頼関係というものがなくなってしまう』、外交官の場合は「プール金」として処理したのに対し、関電ではもらった役員が各々、管理していたらしい点ではより不透明で悪質だ。
・『「承認欲求」だったのかもしれない  佐藤:あとは、これは今まで話したことがなかったけれど、新聞記者。政治家は新聞記者にもカネを渡すことがありますし、官僚も新聞記者にカネを渡すことがあります。 邦丸:へえ~。 佐藤:これはどういうことかというと、政治家が記者に何か秘密情報を流すときというのは、だいたい「自分には力がある」ということを示したいときですよね。官僚が流すときには、その政策を推進する記事を書いてほしいか、あるいは潰してほしいかのどちらかなんです。だから、「クルマ代、持っていけ」といった形でカネを掴ませるんですよ。 カネを掴ませれば、お互いに悪事を働いたわけですから、運命共同体になる。で、秘密を守ってくれるわけです。 もし登場人物が普通のサラリーマンとか学校の先生とかだったら、単なるキックバックに見えるかもしれない。でも私は外務省にいたことがあるから、「おカネを取りたくないんだけれど、取らざるを得ない」という局面があるということを知っているので、今回はそういう例だなと見えるわけです。 邦丸: なるほど。 佐藤:この助役の人が辞めて以降、どうもこういうことが起きているらしい。というのは、ポストにいるときはその人の力をみんな認めているんですけれど、彼は恐らくポストから外れても、自分は有力者だということを見せつけたかった。そのためには、相手を悪事に引きずり込んで運命共同体にする。そうすれば、いつまでも言うことを聞くし、自分を軽く見ない──こういう思惑があったんじゃないか、と推定できるんですよ。 邦丸:今日、放送前の打ち合わせのときに、佐藤さんは「承認欲求」と言っていましたね。 佐藤:そう、一種の承認欲求じゃないかと思うんです。 だから、関電幹部はおカネが欲しかったとか、この助役の人は仕事を回してほしくておカネを回していた、という風に見ると、事柄の本質を見誤るんじゃないか。特に、人間って──これは政治家でも官僚でも同じなんですけれど、ポストを外れて年齢を重ねていくと、承認欲求が肥大する人が非常に多いんです。そっちの切り口なんじゃないかなと』、これは面白いが、1つの仮説に過ぎない。
・『不可解な「修正申告」の理由  佐藤:ただ、関電にも何かやましいことがあるような気がするんです。たとえば「邦丸さん、この5000万円、取らないとどうなるかわかるか? 邦丸さん、かわいいお孫さんがいるよね」とか、「お孫さん、毎日どこを通って登校しているかなあ」とか言われると、受け取らざるを得ないでしょ。 邦丸:その菓子折りは一応、いただきますね……。 佐藤:受け取ってしまう。それで、「マズいぞ」と会社のみんなで相談して、「面倒だから、預かっておくということで金庫に入れておけ」とか、あるいは「会社の口座に入れておけ」というふうにする。 今回も、個人口座はなかったでしょう。そういうふうに対処しているならば、修正申告なんて応じるはずないんです。修正申告すると一時所得になって、これは私のおカネですと認めることになるわけだから、「確かに私がもらった」ということになっちゃう。 ここから先は推定の推定なんだけど、そうやっていくつももらっていると、たとえば現金の場合は会社の金庫、会社の口座に入れたけれども、商品券は使っちゃったとか、お仕立券で背広を作っちゃったとか、一部だけ個人的に使っちゃうことがある。しかし、少しでも汚れていれば全部真っ黒ですからね。そういう事情があったから修正申告しちゃったんじゃないか、と思うんですよ。 邦丸:これ、まだいろいろなことが明らかになっていませんが、経済産業省も全国の大きな会社には調査をすべきだと言っていますね。検察はどうでしょうか。 佐藤:検察は動くと思いますよ。ただ、どういう動き方をするかですよね。誰も指摘していないんですけど、可能性があるのは脱税です。 邦丸:脱税。 佐藤:一時所得だと認めたわけですね。もらったんだったら、なんでそのときに認めなかったんですかと。それでまず、延滞税がつきますよね。さらに、もらったことを税逃れで隠していたんじゃないですか、ということになれば重加算税がつく。そうしたら、とんでもない額になります。同時に、悪質だという認定がされれば逮捕されますからね。在宅起訴の可能性もあるので、実刑にはならないにしても前科はつきます。そういう方向に進むかもしれない』、「個人口座はなかったでしょう」、これは初耳で、本当のところは不明だ。「検察は動くと思いますよ」、というのも、第二の記事にあった関電と検察の密接な関係を考慮すると疑問だ。
・『本当の闇は解明されない  佐藤:どうして私がこうした変わった見方をするかというと、消費増税の実施直後だからです。増税直後というのは、脱税に関する摘発基準が普段よりずっと厳しくなるんです。 邦丸:過去、そうだったんですか。 佐藤:その傾向があります。「増税してうれしい」と思っている国民はいないでしょ。なんで2%上がるんだ、と思っているところに、不正にカネをもらって申告していなかった偉い人がいる、となると、みんなどう思いますか。 そこのところで、特捜が徹底的に脱税の捜査をやれば、世論は「ああ、特捜は頑張っているな。税金逃れをする人は厳しく取り立てて、正義を実現してください」というふうになるじゃないですか。仮に、森友問題で食い込めなかった大阪地検がやるとすると、「大阪地検特捜部は、よくやっている」という話になる。検察官は褒められるのが大好きですから。 邦丸:ふむ。 佐藤:いろんな形でこの問題は派生していくんだけれど、ただ、なぜこの森山さんという人がそういった承認欲求を持ったのか、いったいこの人が本当は何をしていたのかということに関しては、闇のままになるんじゃないですかね。それで、責任は全て関電の幹部が取らされて、みんなが忘れていくのを待つという、こんな流れになるんじゃないかと思っています。ミステリー小説のような世界です』、「責任は全て関電の幹部が取らされて、みんなが忘れていくのを待つという、こんな流れになるんじゃないか」、というのはありそうな話だ。佐藤氏の見方は、ユニークで面白いが、そうとう割り引いて受け止める必要がありそうだ。
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EC(電子商取引)(その4)(「日本人はなぜアマゾンに怒らない」潜入ジャーナリストが暴く現場の絶望、アマゾン「偽ブランド品」販売の責任はないのか 商標権侵害の商品が横行、甘い自主規制) [産業動向]

EC(電子商取引)については、5月25日に取上げた。今日は、(その4)(「日本人はなぜアマゾンに怒らない」潜入ジャーナリストが暴く現場の絶望、アマゾン「偽ブランド品」販売の責任はないのか 商標権侵害の商品が横行、甘い自主規制)である。

先ずは、9月20日付けダイヤモンド・オンライン「「日本人はなぜアマゾンに怒らない」潜入ジャーナリストが暴く現場の絶望」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/214964
・『圧倒的な品揃えと便利さで消費者を魅了するアマゾン。しかし、その労働現場の実情を知ってなお、日本人は無批判にアマゾンを受け入れられるのか。「潜入ルポamazon帝国」(小学館)を発表したジャーナリストの横田増生氏に聞いた』、ガードが堅いアマゾンへの「潜入ルポ」とは興味深そうだ。Qが聞き手の質問、Aは横田氏の回答
・『時間に追われながら毎日20キロを歩いた  Q:2005年に「アマゾン・ドット・コムの光と影」という、やはりアマゾン潜入ルポを出版しましたが、今回2冊目を書こうと思った理由は? A:前著の文庫版が在庫切れになったことで、小学館に増刷話を持って行ったんです。最初は少しだけ加筆すればいいかなと思ったんだけど、「せっかくだったら改めて書きましょう」と提案されました。 アマゾンは取材をあまり受けない会社です。特に僕の場合は完全にNGらしく、日本ではもちろん、シアトルの本社に行くと伝えても、絶対に受けない。 その上、またあの倉庫に潜入するだなんて、正直嫌だなと思いました。ただ、いつまでアマゾン批判の本を出せるのかなって。アマゾンの存在感はどんどん増しているから、出版社だって批判本は出しにくくなってきています。今がラストチャンスかもしれない。そう思ったんです。 Q:前回は6ヵ月、今回は2週間の潜入取材でした。 A:前回はまだ30代でしたからね。今は6ヵ月なんて絶対無理。体力が持ちません。2週間、ネタを集めるために行きましたけどね。毎日涙目でしたよ(笑)。 Q:アマゾンのバイトは、どのあたりが一番辛かったですか? A:たくさん歩くことでしょうね。歩数を計測できる機能のついた時計を身につけて測ったんですが、6時間45分の労働時間で歩行距離は20キロを超えるんです。10時間働いている人は30キロ以上になるんじゃないでしょうか。 しかも、ハンディー端末でピッキング時間を管理される。「あと30秒、25秒、20秒」…時間切れになるとピピッとアラームが鳴るわけです。ただ歩くだけならまだしも、こうやって常に追い立てられるわけですから、そりゃあ辛いですよ。「そんなの無視すればいいじゃない」という人もいるけれど、僕みたいにお金のためじゃなくて、期間限定でネタ集めのために働いているような人間だって、気にしないではいられなかった。全部記録が残って、後で指導されたりしますしね』、「ハンディー端末でピッキング時間を管理される」、「全部記録が残って、後で指導されたりします」、労働者の管理は徹底しているようだ。
・『倒れてもすぐには救急車を呼んでもらえない  今回、本を書くにあたって、欧州に飛んで、イギリスやフランスでアマゾンの物流センターに潜入取材した現地の記者たちにも話を聞きました。例えば、イギリスのジェームズ・ブラッドワース氏はアマゾンの物流センターと介護士、コールセンター、そしてウーバーの運転手の4つの仕事に潜入した人物ですが、どこが一番ひどかったかと聞くと、間髪入れずに「アマゾンが飛び抜けてひどかった」と断言していました。 別の記者はフルマラソンで3時間を切るタイムを出すようなスポーツマンですが、それでもやっぱりきつかった、と。たった2週間とはいえ、50代の僕がどれだけ頑張ったか、わかっていただけるでしょう(笑)。 Q:日本の小田原(神奈川県)の物流センターでは、わかっているだけで業務中に5人の従業員が亡くなっています。 A:BBCのアマゾン潜入番組では、仕事におけるストレスを研究する第一人者が「この種の仕事では、心身の病気のリスクが増すというエビデンスがある」と証言していました。もちろん、業務中に少なくとも5人もの方が亡くなっているという事実も重いけれども、取材を進めてさらに驚いたのは、救急車を呼ぶまでにずいぶん時間がかかっている点です。 くも膜下出血で亡くなった59歳の女性の場合、倒れてから救急車が到着するまで1時間前後もかかっていました。なぜかというと、アルバイトは携帯電話の持ち込みが禁止されているし、アマゾンの物流センターでは、こうした場合の連絡系統が厳格に決まっているんです。発見者からリーダーに報告し、次にスーパーバイザー、そしてアマゾン社員…といった具合に。この連絡網をすっ飛ばして119番するわけにはいかないというのです。 これはさすがに空恐ろしい話です。人命よりルールが優先するわけですから。物流センターの壁には、いろんな健康に関するポスターが貼ってあるんです。中には「早く救急車を呼びましょう」みたいなのもあったんですが。ゾッとしましたね』、「小田原の物流センターでは、わかっているだけで業務中に5人の従業員が亡くなっています」、高い労働密度下ではあり得る話だ。「くも膜下出血で亡くなった59歳の女性の場合、倒れてから救急車が到着するまで1時間前後もかかっていました」、女性の遺族は訴えなかったのだろうか。訴えない条件で高目の弔慰金を受け取ったのだろうか。
・『「人間扱いされていない」潜入記者たちの本音  Q:物流センターの現場だけでなく、例えばマーケットプレイスの出品者の打ち明け話でも、アマゾンは無機質な対応をする会社なんだな、という感想を持ちました。 マーケットプレイスの出品者の多くは「アマゾンに生殺与奪権を握られている」と訴えていました。商品の著作権侵害など、外部からクレームが来た場合、アマゾンはロクに出品者と話し合うこともなく、一方的にアカウントの閉鎖や削除を通告してくるのです。 普通なら、出品者と連絡を取り合って、何がまずかったのか、どうすればいいのかを話し合うと思うんですが、アマゾンはそれをしない。実は消費者に対してもそうで、アマゾンでの買い物で何か問題が起きた場合、彼らはコールセンターの電話番号すらあまりオープンにしていませんから、お客はどうしていいか困ってしまう。 Q:それだと、「人」がいる意味がなさそうですが。 A:そう。アマゾンの仕事は、アルゴリズム的、あるいはテンプレートを貼り付けたみたいなやり方なんですよ。きっと、業務の9割とかは「テンプレ通り」でうまく回るんじゃないですかね。でも、イレギュラーな出来事が起きたとき――例えば物流センターで人が倒れるとか、マーケットプレイスの出品者にクレームがつくとか、そうしたテンプレでは処理できない事態が起きると大変です。救急車を呼ぶのに1時間もかかってしまったり、出品者を問答無用で切り捨てるなんてことになるのです。 物流センターのバイトは時給だってそこそこだし、食堂の定食は350円、サラダは100円、メニューのブラッシュアップもしているし、センターの壁には、これでもかというくらいに健康を啓発するポスターが貼ってある。これのどこが非人道的なのか、とアマゾンは言うのかもしれない。 でも、アルバイトを人間としてリスペクトしているとは到底思えない。いくら定食が安かろうが、そういうことでカバーできないですよ。人を人として見ていないんだから。イギリスやフランスの潜入記者たちも、僕と全く同じ感想を持っていたのが印象的でした』、「アルバイトを人間としてリスペクトしているとは到底思えない」、その通りなのだろう。
・『欧米の政治家たちがアマゾンに突きつける「NO」  Q:欧米では、政治家や労働組合、消費者団体などがアマゾンに対して異を唱える場面が多いみたいですね。 A:ええ。例えばアメリカでは、バーニー・サンダース上院議員がアマゾン従業員の時給の低さを指摘し、アマゾンは15ドルに引き上げると表明しました。ドイツでは、労働組合が週1回ものハイペースでストライキをしています。イギリスでは、政治家が組織した委員会がアマゾンの租税回避を指摘し、それがきっかけで「デジタル課税」に踏み切りました。 アマゾンは日本でも租税回避をしています。法律を犯しているわけではないから「脱税」ではないものの、税制の抜け道を上手に探して納税額を最低限に抑えているわけです。これは、アマゾンを追及したイギリスの政治家・ホッジ氏が指摘するように、「抜け道を無理やり見つけて悪用している」といえます。 しかし、日本では政治家もマスコミも、こうした指摘をほとんどしていません。労働者の地位向上に関しては、せめて労組があればと思いますが、今はまだアマゾンで活動していない。アマゾンにとって、日本は世界で3番目に大きな売り上げをあげている国ですが、誰も何も言ってこないわけです。唯一、公正取引委員会がちょっとうるさいな、という程度かな。正直、こんなおいしい国はないんじゃないでしょうか。 残念ながら、アマゾンは間違いを自ら進んで正すようなカルチャーの会社ではありません。欧米の例を見ても、政治家や法律などが「NO」を突きつけてはじめて、渋々変わる、という感じです。業績は突出していて、企業カルチャーはクレバーではあるけれど、社会的責任を果たすという観点では、かなりみっともない会社なのです。 アマゾンで買い物することが悪いとは思いません。確かに便利ですしね。でも、反対すべき点は、きっちり反対してもいいんじゃないでしょうか。税金をちゃんと払えとか、労働者を大切にしろとか。便利だから無条件・無批判に受け入れるということで本当にいいのかと問いたい。 欧米みたいに、大新聞やテレビ局など、大きなメディアに、もっとこの問題を報道してもらいたいものです。僕みたいなフリージャーナリストが1人で騒いでも、広がりがないですからね』、日本の租税当局も遅ればせながら、OECDなど海外勢から押される形で、重い腰を上げつつあるようだ。

次に、10月11日付け東洋経済オンライン「アマゾン「偽ブランド品」販売の責任はないのか 商標権侵害の商品が横行、甘い自主規制」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/307629
・『「はい、富士市役所です」 インターネット通販大手のアマゾンにバッグを出品している販売業者に電話したところ、なぜか静岡県の富士市役所につながった。見間違いやかけ間違いではない。販売業者の連絡先として記載されているのが、市役所の番号そのものなのだ。 この業者が販売している商品の中には、どう見ても「ルイ・ヴィトン」としか思えないマークが入ったショルダーバッグがある。値段は1万7600円。決して安くはないが、本物のルイ・ヴィトンの10分の1以下である』、アマゾンのマーケットプレイスでは、飛んでもない商品が売られているものだ。
・『本物とうたわなくても商標権侵害の可能性  アマゾンには別の高級ブランドそっくりのロゴが入った商品も出品されている。本物と比べると98%安い商品もある。どれも「本物」とは明記しておらず、「ノーブランド品」など、むしろ偽物であることを匂わせている。 消費者をだますわけではない、とでも言いたいようだ。しかし、たとえ本物とうたってなくても、これらは「偽ブランド品」として商標権侵害に問われる可能性が高い。商標登録されたブランドロゴが入った商品を販売している時点で、商標権侵害が成立するためだ。 この業者が出店しているのは、アマゾンのマーケットプレイスと呼ぶインターネット上の場所貸しサービスだ。アマゾンは自社で商品を仕入れて販売する小売り業者でありながら、多くの事業者をマーケットプレイスに集めている。アマゾンは、こうした事業者に対しネット上の店舗や決済サービスに加え、アマゾンの倉庫で商品を保管し、配送を代行するサービスなども提供している。 冒頭のルイ・ヴィトン風バッグは、アマゾン内の広告で宣伝されている。実際に購入して信頼できる機関に鑑定を依頼すると、販売基準外と判定された。いわゆる「偽物」との結果だ。 このような販売業者は氷山の一角でしかない。ほかにもブランドに似せた、安価な商品を扱う業者はアマゾン上で多数見つかる。冒頭のように、アマゾンに掲載されている電話番号に電話しても、その多くが使用されていない電話で、20件かけて、つながったのは3件。そのうち実際に業たのは者が出1件だけだった』、「「偽ブランド品」として商標権侵害に問われる可能性が高い」ような商品を掲載しているのは問題だ。
・『アマゾンに偽ブランド販売の責任はないのか  この業者もまた、ルイ・ヴィトンに似たロゴを使用したバック2つを1万6000円前後で販売している。電話口の男性に「偽物なら法律違反なのでは」と指摘すると、「類似品であり、違法ではない」と主張し、「近くで見ると正直安っぽいですよ」と悪びれる様子もない。 通販事業者には、特定商取引法で電話番号や住所の記載が義務付けられている。これはネット通販業者も同様で、偽りの電話番号を載せている事業者は、同法に違反している可能性が高い。同法違反でなくても、商標権侵害の疑いが濃い。 では、マーケットプレイスとして場を提供しているアマゾンに責任はないのだろうか。結論から言えば、日本ではアマゾンのような企業が商標権侵害に問われる可能性は低い。 商標権はブランドなどを保護するために認められている権利で、ブランド権利者と販売業者間の損害賠償や販売差し止めの問題になる。つまり刑事罰などはない当事者間の問題だ。ただ、判例によると、アマゾンのような「場所貸し」の場合には、違反出品を知ることができた、または知ったタイミングから合理的な期間内に削除などの対応を取れば責任を問われることはない。 一方、特定商取引法などでは、行政罰の規定も設けられている。しかし、場所貸しを規制する記述はなく、野放し状態だ。さらに、前述のような広告やおすすめ表示もアマゾンのような第三者が行う場合には規制がないのが現状だ。 偽ブランド品に対する法的規制が緩い日本国内では、民間事業者による自主的な健全化の取り組みが行われている』、日本の遅れた緩い法規制を早急に強化すべきだ。
・『自主規制団体による市場健全化の努力も  個人が出品を行うメルカリやラクマなどのフリマアプリでは、SMS認証など電話番号の確認を行わないと出品者として登録できない仕組みを採用。商標権を侵害している商品を含め、各社数百人規模でのパトロール体制で監視している。ただ、CtoCモデルは出品者の数が多く、すべてをチェックするのは難しい。 ヤフーや楽天などが参加する自主規制団体「インターネット知的財産権侵害品流通防止協議会」(CIPP)は、商標権を侵害している商品のページからの削除やパトロールのためのガイドラインを作るなど市場の健全化に向け努力している。アマゾンも機械による排除や人力によるパトロールを行っているとするが、前出の偽ブランド品は、サイト内広告に表示されていた。 偽ブランド品最大の原産国とされる中国でもECの健全化対策が進んでいる。中国でブランド権利者などから偽ブランド品排除を請け負う「上海BOB」の担当者によると、ECサイト側による出品者への事前チェックが強化されているという。 出品が法人の場合、日本の登記にあたるビジネスライセンス番号を確認。個人の場合は身分証明証と顔認証の組み合わせなどで身分を確認する。中国では、今年に入ってオンライン上の取引を包括的に規制する電子商取引法が施行された。出品者の違法行為に対し、一定条件下でECサイトにも法的責任を課す内容になっている。 日本でも経済産業省や消費者庁がECサイトに対する法的規制を検討している。内閣府知的財産事務局の担当者は「自主規制が機能しないのであれば法的規制をせざるを得ない」と話す』、中国でまで法規制が強化されたのであれば、日本の取り組みは遅きに失した感がある。
・『アマゾンは偽ブランド品の排除プログラムを導入  市役所の電話番号など誤った番号表記が多いとの指摘に対して、アマゾン日本法人は「販売事業者の情報を精査しており、不正を発見した場合は適切な措置を講じています」と回答した。実際、冒頭の市役所の番号を表示していた業者はすでに出品を行っていないが、類似の業者は簡単に見つかる。 アマゾン日本法人は10月8日、偽ブランド品などの排除プログラム「プロジェクトゼロ」の導入を発表した。このプログラムでは、登録したブランド権利者がアマゾン上の偽ブランド品を自分で削除したり、機械学習を使って出品を阻止したりすることができる。アマゾンが選んだブランドしか参加できず、アマゾンは自らのサイトの健全性を維持するコストの一部を出品者に負担させており、中小ブランドには大きな負担となる。 偽ブランド品の完璧な排除は難しいとしても、電話番号が有効かどうかの確認の強化や、おすすめの表示から排除するなど、アマゾンにできることは多いはずだ。しかし現状は、ブランド権利者に対してだけでなく、消費者に対する責任を十分果たしているとは思えない。今のような状況が続くなら、法的規制が必要になるのではなかろうか』、アマゾンは、偽ブランド品排除プログラム」には、余り手間をかけないで済まそうとしているようだ。「自らのサイトの健全性を維持するコストの一部を出品者に負担」、ことで「中小ブランドには大きな負担となる」のはやむを得ないだろう。いずれにしろ、アマゾンなどの自主規制に任せるだけでなく、「法的規制が必要」と思われる。過熱化したECブームが多少落ち着きを取り戻すきっかけになってほしいものだ。
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小売業(コンビニ)(その5)(入山章栄・安田洋祐氏らの対談:コンビニ「現場疲弊」の主犯?ドミナント戦略って何?(第1回)、業界キーマンに直撃「FC契約、加盟店に不利では?」(第2回)、競争激化するコンビニ、未来は明るいの?(第4回)) [産業動向]

小売業(コンビニ)については、8月29日に取上げた。今日は、(その5)(入山章栄・安田洋祐氏らの対談:コンビニ「現場疲弊」の主犯?ドミナント戦略って何?(第1回)、業界キーマンに直撃「FC契約、加盟店に不利では?」(第2回)、競争激化するコンビニ、未来は明るいの?(第4回))である。

先ずは、8月27日付け日経ビジネスオンラインが掲載した早稲田大学ビジネススクール教授の入山 章栄 氏、大阪大学経済学部准教授の安田洋祐氏らの対談「[議論]コンビニ「現場疲弊」の主犯?ドミナント戦略って何?File4「コンビニ業界」(第1回)」を紹介しよう。なお、文中の略歴は省略
https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00012/082300020/?P=1
・『「あの業界、今、どうなの?」「競争環境が厳しくなるけれど、今後は大丈夫なの?」──。就活中の大学生やビジネスパーソン、経営者にとって、未知の業界の内情は大きな関心事だ。そこで、日経ビジネスが動画・ウェブ・本誌多面展開で立ち上げたのが「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」だ。 経営学者の入山章栄氏と経済学者の安田洋祐氏が、それぞれの業界の関係者や業界をよく知るゲストを招き、都合のいい話も都合の悪い話も、ざっくばらんに議論し尽くす。読者からのコメントも積極的に取り入れ、業界を深掘りしていく。 第4回シリーズ(File 4)で取り上げるのはコンビニエンスストア業界。便利さを徹底的に追求して急成長を遂げてきたコンビニ業界だが、今、その現場では、過酷な長時間労働や経営難で疲弊する加盟店が続出し、大きな社会問題となっている。現場の疲弊の「主犯」と目されるのは本部が推進する「ドミナント戦略」。「ドミナント戦略って本当に有効ですか?」──。入山氏と安田氏がコンビニ業界の“中の人”に迫った。 入山:「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」、今回は連載開始から第4回のシリーズです。 安田:もう4回になりますか。早いですね。 入山:おかげさまで読者の方からもたくさんコメントをいただき、非常に評判の良い連載になっていると聞いています。第4回シリーズで取り上げるのはどの業界かというと……。 安田:見てください。テーブルの上にいろいろ商品も並んでいます。大ヒットしている「悪魔のおにぎり」もありますね。今回はコンビニエンスストア業界を取り上げます。本日、我々は大手コンビニのローソン本社にお邪魔しています。 入山:きましたね、いよいよコンビニ業界。読者の方からも非常に関心の高い業界ですよね。ちなみに安田さん、ローソンの商品で「これが好き」っていうのはあります? 安田:いや、実はこんな企画に関わっておいて言うのもなんですが、僕、普段はコンビニの違いをあまり意識していない、ダメなタイプの消費者なんです。だから、あとで差別化の戦略なども聞いてみたいですね。 では早速本日のゲストをご紹介します。ローソン専務執行役員の宮﨑純さん、中食商品本部で商品戦略部長を務める荒井淳司さん、そしてコンビニ業界にお詳しい小売り・流通業界アナリストのnakaja lab代表の中井彰人さんです。 入山:僕、知り合いにローソンの元社員がいるんですけれど、宮﨑さんにお会いすると伝えたら、「それはすごい」と言われました。大変な大物で、普段はメディアには出て来ないそうですよ。今回、この「業界未来図鑑」だから出ていただけるということで。 安田:本当に“中の中の人”ですから、現状から未来までいろいろお聞きしたいですね。では、お三方にご登場いただきましょう。よろしくお願いします。 中井・宮﨑・荒井:おはようございます。よろしくお願いします』、何かと話題のコンビニ業界を深掘りするとは、大変、興味深そうだ。
・『安田:早速ですが、まずコンビニ業界の現状を押さえるということで、現在の市場規模や店舗数などの概略を確認させていただきたいのですが。では、普段なかなか出ていただけない大物の宮﨑さんにお願いしてもいいですか(笑)。 宮﨑:大物ではないですよ(笑)。コンビニエンスストアは日本全国に現在約5万8000店舗あります。売り上げは2018年度で約11兆円。そのうちローソンは1万4600店舗あり、売り上げ2兆円強です。だいたい5分の1のシェアを持っているという形になります。 入山:なるほど。コンビニって主要3社とよく言いますね。ローソン、セブンイレブン、ファミリーマート。そのほかには……。 宮﨑:大きいところではミニストップさんとデイリーヤマザキさんがあります。この大手5社でシェア9割となります。 安田:今回、「業界未来図鑑」でコンビニ業界を取り上げるということで、事前に読者の方から質問を募集しました。多くの質問をいただいたのですが、24時間営業やドミナント戦略の是非を問うものなど、結構厳しい質問が多いんです』、「事前に読者の方から質問を募集しました」、とはいい試みだ。
・『全国に5万6000店舗、11兆円産業となったコンビニ業界  入山:この半年から1年ぐらい、コンビニの話題というと、やや暗い、厳しいことが多かったですからね。そこに一番関心があるのは間違いないので。いきなりで申し訳ないですが、そこから踏み込んでいきたいと。 安田:例えば、「読者の端くれ」さんからは「一番の問題は、ドミナント戦略ではないでしょうか? 過剰出店が24時間営業を脅かしていると感じます。同一企業グループの出店は距離××m以上離すことといった制限が必要ではないでしょうか?」という質問をいただいています。 入山:まず、そもそもドミナント戦略とは何かを説明いただきましょう。中井さん、お願いします。 中井:ドミナント戦略というのは、ある一定のエリアに集中的に店舗を配置することによって、小売店のブランドを浸透させ、消費者の方たちに親近感を持ってもらうことでチェーン店の力を伸ばしていこうとする戦略です。 ドミナント戦略をとることによって、物流面でのメリットも得られます。同じエリアにたくさん店舗を出店すれば、効率的に配送できて物流コストを下げられますので。基本的に生活に密着した小売業は、ドミナント戦略をとることが多いですね。 入山:特定エリアの中に、例えばローソンならローソンをワーッと出店させていくということですよね。私は早稲田大学で働いているんですけれど、大学の周りにファミリーマートが目立ちます。私が仕事をしている早稲田大学の11号館の1階もファミリーマート。 大学の外に出ても、あっちにもこっちにもファミリーマートがある。まさにドミナント戦略ですよね。今のお話でいうと、1つの理由はブランドの浸透、もう1つは配送コストの抑制と。 安田:ただ、ブランドの浸透ということでいうと、先ほど名前が挙がった3大コンビニチェーン、もう知らない人はいないですよね。今の段階でも、ブランドへの影響を考えたドミナント戦略というのは引き続き有効なんですか。 中井:特にコンビニに関しては、普通の小売店舗とちょっと違う部分があります。普通の小売業、例えば食品スーパーやドラッグストアというのは、お客様に来ていただくために店を構えて、安売りなど、お客様を呼び込むための仕掛けをします。コンビニの場合は逆で、お客様の利便性を高めるために、自分の方から近くに寄って行くという方針なんですね』、「普通の小売業、例えば食品スーパーやドラッグストアというのは、お客様に来ていただくために店を構えて、安売りなど、お客様を呼び込むための仕掛けをします。コンビニの場合は逆で、お客様の利便性を高めるために、自分の方から近くに寄って行くという方針なんですね」、言われてみれば、その通りなのかも知れない。
・『「お客に近づく」狙いで網の目のように出店  入山:お客を引っ張ってくるのがスーパーとかドラッグストア、お客に近づいていくのがコンビニの基本戦略と。 中井:そうです。それで網の目のように店舗を出店していくことが、お客様に近づくために必須のやり方になっているということだと私は思っています。 入山:なるほど。宮﨑さんも同じご意見ですか。 宮﨑:何度も同じチェーンをご利用いただく「ロイヤルカスタマー」の獲得が、店舗の売り上げを左右します。各社ともポイントを付けるなど、様々な施策を展開しています。中井さんが言われたように、ドミナント戦略はこの点でも非常に効果があると思っています』、「お客を引っ張ってくるのがスーパーとかドラッグストア、お客に近づいていくのがコンビニの基本戦略」、とは分かり易い対比だ。
・『「コンビニ本部に厳しめのメッセージの嵐です」  入山:さっき安田さんは、コンビニの違いにあまりこだわりがないと言っていましたけれど、消費者全体を見たときに、ローソンファンはローソンの店舗に行く、セブンファンはセブンの店舗に行くという傾向はあるんですか。 宮﨑:私たちの調査では、3社とも利用されてはいる方が多くいらっしゃいますが、「一番多く利用するコンビニ」を聞くと、お客様によって違います。 入山:やっぱり、それぞれのチェーンに固定ファンがいるということですね。 安田:大手3社がガチンコで競争を繰り広げる中で利益を出そうとするなら、「このエリアはローソン」「ここはセブン」という具合にある程度、すみ分けるやり方は理にかなっているのかもしれません。 ただ一方で、そうやって固定ファンをつくっていったとしても、1つのコンビニチェーンが近いエリア内で複数店舗を出店すれば、需要を食い合うことになりますよね。A店が売り上げを増やせば、近くのB店の売り上げは減ってしまう……。 入山:まさに、それが先ほどの「読者の端くれ」さんの質問の本質ですよね。ドミナント戦略をとるから、特定の地域に過剰出店することになって現場が苦しむのではないかと。同じような意見を「アーチャー」さんからもいただいています。「ドミナント戦略とオーバーストア。限られたパイの奪い合いを同じチェーンで争う毎日です。ひどい場合は、集中出店で売り上げ激減そして閉店に追い込まれます」。「かず」さんも、「ドミナント戦略&24時間営業による地域需要の独占化」がコンビニチェーンの課題だと指摘され続けていると書いていらっしゃいます。厳しめのメッセージの嵐ですが、この辺りはどう考えればよろしいですか。 宮﨑:ご指摘の通り、24時間営業の問題と、ドミナント戦略によって既存店1店当たりの収益が減ってしまう問題とが、今のコンビニ業界で主に論争となっているテーマです。 少しコンビニの歴史をご説明しますと、大手3社が誕生したのは1970年代で、ほぼ同じ時期です。名前の通り、セブンさんは当初、朝7時から夜11時までの営業でした。24時間営業ではなかった。高度成長期で24時間働くような方が増えてきたのに伴い、要望が高まって、それに対応して24時間営業にしてきたという形です』、「ドミナント戦略とオーバーストア。限られたパイの奪い合いを同じチェーンで争う毎日です。ひどい場合は、集中出店で売り上げ激減そして閉店に追い込まれます」、というのは単一店舗で営業しているオーナーにとっては深刻な問題だ。
・『多店舗経営でオーナーの利益は増える  ドミナント戦略に関しても、最初のうちは店舗数が少ないですから、どこに出店する場合でも、自社はもちろん、他社の店舗もあまりなかったのです。その後店舗数が増えるドミナント戦略に効果があるということが実績として分かってきました。 そうした歴史があったのですが、今は先ほど申し上げたようにコンビニは全国に約5万8000店舗もありますから、新規出店する際、近くにほかのコンビニがあるという状況がザラになってきました。中には、別のローソン店があるケースもあります。当然、近くに新しいローソン店が出店すれば、既存のローソン店の売り上げは落ちてしまいます。しかし、他チェーンの出店を阻止しないと影響が出ます。 ローソンは2009年ごろからこの問題への対処が必要と考え、フランチャイズ加盟店のオーナーさんたちに多店舗経営を奨励してきました。1人のオーナーさんに複数店舗を経営してもらうという形です。現在では基本的には、新しい店舗ができることで一番影響を受ける店舗のオーナーに新規出店の権利があります。 入山:なるほど。 宮﨑:今、全店舗の72%が複数店経営です。オーナーさんの人数でいうと半数ぐらい。 入山:その数字はセブンやファミマと比べるとやはり多いんですか。 宮﨑:そうですね。うちは2009年ぐらいから始めたので先行しています。今はファミマさんもセブンさんも多店舗経営に舵(かじ)を切っていると聞いています。 多店舗経営にするとどうなるか。もともと日販が60万円の店舗があったとします。近くに別のローソンが出店した場合、60万円を分け合って日販30万円、30万円とはならないんですね。イメージ的には40万円、40万円ぐらいになる。合計した売り上げはざっと言ってもとの1.2~1.3倍程度になります。 1店舗経営だと確かに減ってしまうのですが、2店舗経営していればオーナーさんの利益は2倍まではいかないけれど1.5倍ぐらいにはなる。1店舗だけを営業しているところに他のコンビニチェーンやドラッグストアが進出してくれば収益は減りますから、その進出を防ぐというようなやり方をしています。 安田:本部からすれば、ドミナント戦略で60万円の日販が40万円、40万円になるという動きが進めば進むほど、トータルの利潤は増えますね。単店舗経営のオーナーさんは60万円から40万円に減ってしまうけれど、複数店経営にすれば、よそにお客さんを取られてしまうリスクを内部化し、かつ店舗側も疲弊しないで済む仕組みになる。 宮崎:と言いつつも、すべての加盟店を一律に考えることはできないんです。ローソンは地域に密着して多店舗経営を展開し、本部とともに成長を目指すオーナーを「マネジメントオーナー(MO)」と呼んでいます。MOは180人ぐらいいて、平均10店舗以上経営しています。40店舗経営し1000人もの従業員を雇っているオーナーさんや、恐らくローソンの社長より年収が多いようなオーナーさんもいらっしゃるのではないでしょうか。その一方で、1店舗を夫婦で経営し、年収が最低保証の400万円ぐらいの方もいらっしゃいます。複数店舗経営を推進していきますが、地域に根差して単店で頑張っているオーナーさんの経営を守っていくのも本部の役目です。 入山:中には全く野心がないオーナーもいるんですね。 宮崎:単店経営が安定していても、日販が60万円、70万円あれば近くに競合店が出店します。コンビニに限らず、ドラッグストアとか外食とか……。こうなると経営がきつくなります。本部の全額負担により、店舗をより条件の良い場所に置き換える対策をしていますが、長年商売された土地を離れるのを躊躇されるオーナーさんもいらっしゃいます。 安田:そうなると、多店舗経営のオーナーを目指す仕組みやインセンティブづくりがカギになりそうです。コンビニ本部と加盟店の問題については、フランチャイズ契約のあり方も議論の的となっています。その辺りも含め、次回、さらに深くお話をお聞きしたいと思います。(出席者の略歴の紹介があるが省略)』、ローソンでは、「全店舗の72%が複数店経営です。オーナーさんの人数でいうと半数ぐらい」、「うちは2009年ぐらいから始めたので先行しています。今はファミマさんもセブンさんも多店舗経営に舵(かじ)を切っている」、「多店舗経営を展開し、本部とともに成長を目指すオーナーを「マネジメントオーナー(MO)」と呼んでいます。MOは180人ぐらいいて、平均10店舗以上経営しています。40店舗経営し1000人もの従業員を雇っているオーナーさんや、恐らくローソンの社長より年収が多いようなオーナーさんもいらっしゃる」、多店舗経営がここまで進んでいるとは、驚かされた。

次に、この続き、9月10日付け「[議論]業界キーマンに直撃「FC契約、加盟店に不利では?」File4「コンビニ業界」(第2回)」を紹介しよう。なお、文中の略歴は省略
・『各業界をよく知る第一線のゲストに話を聞きながら、今後、その業界がどう変わっていくかを探っていく連載「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」。第4回シリーズ(File 4)ではコンビニエンスストア業界を取り上げている。ローソン専務執行役員の宮﨑純氏と同社前・中食商品本部商品戦略部長の荒井淳司氏(現人事本部人事管理部長)、小売・流通業界に詳しいnakaja lab代表で中小企業診断士の中井彰人氏をゲストに招き、昨今、社会問題にもなっているコンビニ業界について、本音の議論を展開している。 今回はコンビニ本部とフランチャイズ加盟店の契約のあり方にさらに斬り込む。ロイヤルティーの仕組み、廃棄ロスの負担、見切り(値引き)販売の制限など、「コンビニの契約は加盟店に不利」という指摘が出ている。加盟店の裁量を増やすのか、本部の指示を徹底するのか――。コンビニチェーンによる違いも浮き彫りになる中、現場の疲弊を和らげる方策を探り合った。 安田:「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」、第4回シリーズは今、何かと話題の多いコンビニエンスストア業界について、ゲストの方を交えて議論を進めています。 コンビニは本部とフランチャイズ契約を結んだ加盟店による出店が中心です。今回は、そのフランチャイズ契約について話を深掘りしたいと思います。読者の方からは、24時間営業に代表されるようなコンビニの社会問題も、契約を変えることによって、ある程度軽減できるのではないかという意見が寄せられています。 入山:商品の仕入れに関しても、加盟店は契約に縛られている部分がありますからね。加盟店オーナーは、本部からの指示も受けて仕入れをしますが、売れ残りが生じると全部加盟店側の責任になります。つまり、廃棄ロスは加盟店が負担しなくてはなりません。一方で見切り販売、つまり値引きなどは自由にはできない。そういうことも加盟店の経営の圧迫要因になっているのではないかという見方があります。 安田:加盟店が本部に支払うロイヤルティーのあり方にも厳しい意見が寄せられています。コンビニチェーンでは粗利からロイヤルティーを支払うのが一般的ですが、その粗利の計算方法が本部に都合が良すぎるという指摘です(※1)。業界の外の人間からすると、人件費など営業経費が含まれない粗利にロイヤルティーがかかること自体、少し不思議な気がします。 入山:コンビニのフランチャイズ契約、加盟店には不利じゃないですか? 中井さん、いかがでしょうか。 (編集部注※1)通常の会計では、売上高から原価を引いたものが粗利となるが、コンビニの会計は原価に商品の廃棄分を含めない仕組み。たとえば、仕入値350円、販売価格500円の弁当を10個仕入れ、8個が売れ、2個は売れ残り廃棄したとする。通常の会計では売上高が500円×8個=4000円、原価は350円×10個=3500円で粗利は4000円マイナス3500円=500円になる。しかし、コンビニ会計では原価に廃棄分を含めないので、この場合の原価は350円×8個=2800円。粗利は4000円マイナス2800円=1200円となる。粗利がかさ上げされ、加盟店から本部へのロイヤルティー支払いが膨らむ』、「コンビニの会計は原価に商品の廃棄分を含めない」、というのは、不合理な気がするが、以下の部分で本部側の言い分の説明があるようだ。
・『加盟店は自助努力で収益を向上できるという理屈  中井:もともとフランチャイズ契約というのは、労務のリスクを加盟店が負うことをもって成り立っています。加盟店は、そのリスクを負担することによってリターンを得る形になっています。それでフランチャイズ契約は成り立っているわけです。 小売業の売り上げはいろいろな事情、状況で変動しますが、加盟店オーナーは労務のリスクを負う一方で、売り上げを増やせば増やすだけ、自分の手元の利益、つまりリターンを得ることができます。そのリスクを外してしまったら、直営店と同じになってしまいます。自己責任で収益を稼ぐわけですから、本部からすると、その契約の中で、加盟店がリターンだけ得て、ロスは負担しないというのでは割に合わないと……。 入山:えーと、すみません、ちょっと待ってください。お店の売り上げは変動が激しい。当然そうですよね。いろいろな状況で売り上げは変わります。労務のリスクは店舗オーナー側が持っています。その中で、本部が割に合わないというのはどういうことでしょうか。 中井:本部側からすると、インフラを提供し、商品を供給しています。お店側は仕入れや人員配置など、現場の管理のリスクを背負うことによって収益を得ます。たくさん売れれば売れただけ自分の利益になります。 直営店ではないフランチャイズの強みというのは、このように加盟店が自助努力によって収益をいくらでも上げられる点にあります。または複数店舗を経営することによって、どんどん大きくなることができる。そういうメリットがあるからフランチャイズ契約を結ぶわけです。 そこの部分をガチガチに、「上がった収益は加盟店のもの」「ロスは本部のもの」という形にしてしまうと、それは加盟店に都合が良すぎるわけですね。 入山:本部側からすると、「君たちは頑張って売り上げを伸ばせば、その分だけ利益が上がるんだから、在庫とか廃棄ロスのリスクを本部に負わせるのは勝手が良すぎるじゃないか」と。 中井:一般的な小売店、街の八百屋さんや魚屋さんを考えてみても、仕入れたけれど売れずに残った商品は誰が責任を取るかといえば、当然自分で責任を取るわけです。 入山:今回、読者の方から寄せられた意見の中では、コンビニ加盟店の経営難についての指摘も多かったのですが、それは本部と加盟店の契約の問題というよりも、前回話が出た単店舗経営か複数店舗経営かという問題が大きいのでしょうか。つまり、複数店舗のオーナーであれば、経営の問題はある程度解消されているはずだと。 中井:複数店経営が解決策の1つというのはその通りだと思います。もともと、本部のドミナント戦略などに関係なく、どうしようもない事情で店の状況が悪くなるということはあり得ますので。小売店は立地が重要ですが、周辺の道路状況が変わるなど、周囲の環境が変化することによってスクラップ・アンド・ビルドが必要になるケースもあります。そういう面からも複数店を運営すれば経営が安定します。 安田:要は、加盟店オーナーが全くリスクを負わない形では、努力を引き出すことは難しいということだと思うんですが…。ただ、今のシステムだと、あまりにもそのリスクが店舗側に寄り過ぎているんじゃないかという意見はあります。僕自身、この種のインセンティブ設計を専門にしているので気になるところがあります』、「本部側からすると、「君たちは頑張って売り上げを伸ばせば、その分だけ利益が上がるんだから、在庫とか廃棄ロスのリスクを本部に負わせるのは勝手が良すぎるじゃないか」と」、ただ廃棄を減らすための値引きには本部が強く抵抗した記憶がある。結局、強者である「本部」側の理屈のようだ。
・『現場に戦略決定の裁量はあるか  たとえば粗利益ではなく営業利益に対するマージンにするとか、粗利と営業利益の間の中間的な指標を使うとか、廃棄ロスを本部と加盟店で折半するとか、何か、今の仕組みとオーナーさんのリスクが低くなり過ぎる仕組みとの間で、もう少し設計の自由度があるような気がします。 それから24時間営業も含め、基本的な営業スタイルを自分たちでは決められず、本部の意向に沿うしかないという点も課題ではないでしょうか。もしかしたら、むしろ時短営業した方がもうかる店舗があるかもしれないけれど変えられない。そういう戦略を決定する裁量が少ない……。 入山:そうね。自助努力と言いつつ、現場に裁量が少ないですね。 安田:今、一番深刻なのは、労働市場が劇的に変化しつつある中で人が雇えないことだと思います。24時間営業のためになんとかして人を雇おうと思えば時給を上げなくてはいけない。そういう事情をあまり本部側が考慮していないように見えるんだと思うんですね。この辺りを考慮して、何か改善策があればぜひ聞かせていただきたいです。 宮﨑:24時間営業問題に関しては、やはり人手不足が大きくかかわっていますね。 コンビニ本部はフランチャイズ加盟する各店舗の粗利益にチャージ率というものをかけて利益を本部と加盟店で分け合っているのですが……。 入山:ど素人ですみません。チャージ率というのは何ですか。 宮﨑:フランチャイズ加盟店から本部に支払うロイヤルティーを計算する数字です。たとえば100円の商品があって、原価60円だとすると、オーナーさんには40円の粗利益が生じます。この40円に決まったチャージ率をかけた分がロイヤルティーとして本部に入ります。 入山:なるほど。粗利の中から本部が取る割合ということですね。 宮﨑:このチャージ率の数字はコンビニ各社により多少異なります。各社とも売り上げ金額ごとに率が変動する計算なので、分かりづらいかもしれません。たとえば土地・建物そして店内の設備などを本部負担としている契約。こちらのパターンが現在大半となっています。ローソンは昨年実績で平均日販が53万1000円。この金額ですとチャージ率はだいたい54%です。セブンさんは日販65万6000円で約61%。ファミマさんが約60%です。 入山:ローソンのチャージ率は比較的低めで54%、あとの2社は60%ちょっとですね。 宮﨑:一概にチャージ率だけでは比較できない部分もあります。それはチャージ率を高くした分、宣伝を多くしたり、光熱費の本部負担を増やしたり、ファミマさんの場合は奨励金を出したり……。いろいろなやり方があり、ここは各本部の考え方が反映されています。 入山:なるほど』、「コンビニ本部はフランチャイズ加盟する各店舗の粗利益にチャージ率というものをかけて利益を本部と加盟店で分け合っている」、「このチャージ率の数字はコンビニ各社により多少異なります」、「チャージ率を高くした分、宣伝を多くしたり、光熱費の本部負担を増やしたり、ファミマさんの場合は奨励金を出したり……。いろいろなやり方があり、ここは各本部の考え方が反映されています」、なるほど。
・『ローソンはオーナーの意向で時短店舗もOK  宮﨑:加盟店の売り上げは全部一度本部に行きます。そこから本部のロイヤルティー収入を除いた加盟店の取り分を送金する形です。加盟店側は人件費、光熱費の一部負担、廃棄というのが3大コスト。その中で、人件費が非常に高くなってきた。また、店員の募集が困難となり、24時間営業の維持が難しくなってきたわけです。 歴史的なことをいうと、前にご説明したように、もともと24時間営業ではなく社会の状況に対応して24時間にしてきました。その際、24時間営業の手当てを払ったり、チャージ率を低くしたりという対応をとって今に至っています。 ローソンで言うと、24時間営業にする前の契約も残っていて、現在24時間営業を基本としていますが、以前よりオーナーさんが希望すれば時短営業を選べる形になっています。オーナーさんの意向による時短店が71店舗あります。 入山:少なくとも、ローソンの場合は24時間営業か時短営業かはオーナーさんが選べると。 宮﨑:はい。ただ、チャージ率は3%高くなります。先ほど中井さんがおっしゃったように、本部が土地を借りて店舗をつくって什器(じゅうき)などを準備しています。簡単にご説明すると、その投資コストを営業時間単位で計算すると割高となり、その分をチャージ率に反映しています。 安田:チャージ率が少し上がるので加盟店側の取り分は減るけれども、それをのめる場合は時短営業もオーケーなんですね。 宮﨑:はい。そうなります。 入山:先ほど安田さんから指摘があったように、自助努力で売り上げを伸ばすということならば、加盟店の裁量があっていいはずですが、商品戦略、店舗戦略などの縛りがキツく、その中でフランチャイズ加盟店として結果を出さなくてはいけないというのは、やや矛盾があるのではないかという点についてはどうお考えですか。これって、結構本質的なポイントだと思うんですけれど。) 宮﨑:そこはチェーン店によっても違いますね。見切り販売、いわゆる値引き販売に関しても、ローソンは設立時から加盟店さん意志による見切り販売のシステムがあります。 入山:ローソンは値引きのシステムがあるんですか? 宮﨑:はい。オーナーさんの自由度を高くするか、本部が「こうすればもうかるよ」と売り方の指示を徹底するか。そのバランスはチェーンによって差があります。そこは今、問われているかもしれませんね。 入山:問われている。逆にいうと、各社ともその辺のさじ加減に関しては結構悩んでいると。 宮﨑:そうですね。この徹底力が武器と言われているチェーンもあります。 入山:つまり、はっきり言うと、本部が強いということですね。 宮﨑:それで日販も伸ばしてきたというビジネススタイルです。ローソンは結構オーナーさんの自由度が高い。代わり徹底度が低いと指摘されることがあります』、最後の部分は微笑んでしまった。コンビニによる違いはかなり大きいようだ。
・『本部が強いセブンで問題が集中的に出てきた  入山:弱い? 宮﨑:時にエコノミストの方々からの指摘が多いですね。 入山:だから日販は正直、現状でかなり差がありますよね。セブンは今まで本部が強かったからコントロールできていた。一方、ファミマやローソンは比較的オーナーさんの自主性が残っていたということですね。今回、24時間営業問題もセブンの加盟店から集中的に出てきた印象がありますけど、そういうことか。言ってみればセブン問題なんだな。 宮﨑:ただ、お店のロスには廃棄ロスと機会ロスがありまして。機会ロスはお客様が来店したときに品物がないこと。廃棄ロスは売れ残った商品を負担するお店の直接的なコスト要因ですが、機会ロスもオーナーさんの利益に響きます。双方のロスをいかにミニマムにするかというのが商売のあやで、各社それぞれの考え方や方法で苦労しているところです。 4~5年前からローソンはAI(人工知能)を使ったセミオート発注システムというのを導入しています。店ごとの売り上げ動向や客層などさまざまな情報を分析し、最適な品ぞろえと商品別の発注数を自動的に推奨するシステムです。オーナーさんもアレンジできます。こうしたシステムも活用し、廃棄ロス、機会ロスとも減らそうとしています。 安田:今後、データをよりきめ細かく集めて予測精度を高めることができれば、賞味期限に応じて値引き販売をするとか、廃棄ロス、機会ロスとも減らすことが可能になりそうです。今の契約内容を抜本的に変えなくても、オーナーさんの疲弊を和らげることができるかもしれませんね。 宮﨑:おっしゃる通りです。今はオーナーさんたちに疲弊が出てきています。これまでも社会の変化とともに契約内容を変更していますが、今まさに私たちがどう変わるべきか、どのように解決していくかを問われています。 インフラになっているとまで言っていただいているコンビニの商売を、これからもお客様の支持を得て続けていくこと、そしてオーナーさんの利益をきちんと確保すること。この2つをデジタル技術やさまざまな知見を組み込みながらいかに達成するか。各社の知恵比べになっているところです』、「4~5年前からローソンはAIを使ったセミオート発注システムというのを導入」、他社でも似たようなAI活用をしているのだろうが、AIの学習が進んでかなり進化したのかどうかを知りたいところだ。

第三に、この続き、10月8日付け「[議論]競争激化するコンビニ、未来は明るいの? File4「コンビニ業界」(第4回)」を紹介しよう。なお、文中の略歴は省略
https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00012/100100023/?P=1
・『・・・最終回の議題はコンビニの未来。コンビニチェーン同士だけでなく、EC(電子商取引)やドラッグストアとの競合も激化する中、全国に既に約5万6000店舗あるコンビニ店はどう価値を提供していくのか。10年後のコンビニのあるべき姿を語り合った。 入山:「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」、今回はコンビニエンスストア業界についてローソン専務執行役員の宮﨑純さん、中食商品本部商品戦略部長の荒井淳司さん、小売り・流通業界に詳しいnakaja lab代表で中小企業診断士の中井彰人さんをゲストにお迎えして議論しています。……で、早速、続きを始めようと思ってるのですが、ちょっと安田さん、何モグモグしてるの? 安田:これ、第3回の最後に荒井さんが紹介してくださった「ブランパン」のドーナツです。ドーナツをいただきながら引き続き議論を進めていきましょう。ここまで3回にわたってコンビニ業界についてお話を伺ってきましたが、最終回は未来の話をお聞きします。まず、10年後のコンビニ業界ってどうなっているのか。「こんな風に変わるんじゃないか」とか、「このキーワードが重要になるんじゃないか」とか、ボードがありますので自由に書いていただけますか。 じゃあ、早速、入山さんからいきましょうか。気鋭の経営学者はコンビニの未来をどう見ているか。どうぞ。 入山:僕はこれがポイントだと思っているんですよ。 安田:「レジ越しのコミュニケーション」ですか。なるほど』、「モグモグ」も、カーリング女子や女子プロゴルファー渋野日向子などでポピュラーになったようだ。
・『コミュニケーション自体が新たなサービスになる  入山:レジ越しのコミュニケーションをこれからの10年間、どう発展させていくかがコンビニのカギになると思っています。 僕、早稲田大学のキャンパスの11号館というビルに研究室があるんです。その1階にはファミリーマートが入っているのですが、店員は早稲田大学の国際教養学部に通う留学生ばかりでほぼ全員外国人。日本に来てまだ間がないのでみんな日本語がたどたどしい。人の入れ替わりが激しいせいもあって、ついに店員たち、日本語を使うことを放棄し始めて、「Do you need a receipt?」って言ったりしてます。 一部の日本人は戸惑うのかもしれないけれど、これって一種のグローバル化だなと思って。つまり、そういう国際交流みたいなものが、コンビニのレジのこっち側とあっち側で生まれつつあるわけです。 地方のコンビニの場合も、地元のおじいちゃん、おばあちゃんが来て、店員の方とお話しして帰るという、コミュニケーションの場になっています。ある種、病院と似た機能を持っているんですね。 コンビニって、最先端のテクノロジーを使ってマーケティングしたり在庫管理したりしていますが、一方で最後まで人間らしさが必要というところもある。レジ越しのコミュニケーションをどう上手に活用していくかがポイントになるのではないかと思っています。ぜひこの視点を考えていきたいと。 安田:モノを売る場としてだけでなく、コミュニケーション自体が新たなサービスとして付加価値を生み出すと。そういうポテンシャルは大きそうですね。では次に中井さん、お願いします。 中井:私は「フードデザートソリューション」と書きました。フードデザート、食の砂漠ですね。 人口が減少した地方やお年寄りばかりの団地には「買い物難民」と呼ばれる人たちが今もいます。歩いて行ける範囲にスーパーもドラッグストアもなくて非常に不便に感じている人たちですね。そういうところにコンビニが出て行って問題を解決することができると思っています。 利益を追求しない人たちがコンビニのフランチャイジーとして運営主体になったっていいわけです。たとえば団地の中であれば、住民の皆さんが受け皿となって共同でお店を運営することもできます。店舗の運営ノウハウは本部が全部持っているのですから、それを持ってきて団地のためのコンビニをつくっていくという形です。 入山:実は都心の高層ビルもフードデザートですよね。30階とか40階で働いていると、お昼時にはエレベーターが激混みするので降りられない。高層ビルの上の方にも難民はいっぱいいます。ローソンはそういうオフィスに無人店舗を入れていますけれど。そういうことを団地でもできるのではないかと。 中井:そうです。無人もあり得るでしょう。フードデザートで困っている人たちのところで店を運営すると。今まで、コンビニの店舗はいかに日販を増やすかということばかり考えてきましたけれど、そういう店は最低日販だって構わない。団地の住民からボランティアを募って運営したっていいんです。ぜひ社会問題となったフードデザートを新たなコンビニが解決してほしいと思います。 安田:なるほど。では荒井さん、お願いします』、「コミュニケーション自体が新たなサービスになる」、「フードデザートを新たなコンビニが解決」、さすが面白い視点だ。
・『リアル店舗でお客の医療・健康をサポート  荒井:私は「近」というキーワードを書きました。コンビニエンスストアというのは、どうお客様に近づいていくかを考えてきたビジネスです。これからも近づくことをずっと追求し続けていくだろうと思っています。 近づき方もいろいろあります。1つは、今お話があったように、距離をいかに縮めるか。今まではリアル店舗で近づこうとコンビニエンスストアを展開してきました。さらに近づくことを考えるなら、弊社が今やっている移動販売という方法があります。クルマの中に商品を積んで高齢者施設や中山間地域に行くというサービスを積極的に進めていく。先ほどお話が出たように、オフィスの中で買い物が難しいお客様向けにサービスを提供する。そういう近づき方もあります。 もう1つの近づき方は、お客様の心理状態に寄り添って買い物の距離感を縮めることです。私は商品本部にいますので、データを分析することで、時間帯によって何を食べたいか、何を買いたいかをとらえた商品開発をさらに進め、お客様に寄って行くことを考えていきたいと思っています。 もう1つ、今、ローソンには1万5000店舗のうち、イートイン店舗が5000店舗ぐらいあります。10年を待たずに、そこが憩いの場に変わったり、高齢者の方のコミュニケーションの場に変わったりと、モノを売るだけではない付加価値を提供するようになると思っています。 最後がオーナーさんとの距離感です。加盟店オーナーさんとのコミュニケーションを密にして、その距離感を10年後にはさらに近いものに発展させていきたいと考えています。 安田:モノを売るだけでなく、付加価値を提供するという話は、入山さんが挙げたものと共通しますね。 入山:そうね。僕はレジ越しと言いましたけれど、店舗そのものがコミュニケーションの場になるということですよね。 安田:商品戦略部長の荒井さんはこうおっしゃっていますけれど、重鎮の宮﨑さん、いかがでしょう。 宮﨑:今、コンビニは電気・ガス・水道に次ぐ「第4のインフラ」といわれていますが、これからもお客様の支持を得られるかはまだわかりません。これまでもいろいろな社会の変化に対応しながら、やっと生き抜いてきたというのが実情です。これから高齢化が進み、女性がさらに社会進出し、人口減少で市場が縮小し、ECが成長するといった変化がさらに加速する中で、全国にある5万6000のリアル店舗をどう生かし、お客様の支持を得ていくかを考えなくてはなりません。 まず、AI(人工知能)などデジタル技術を活用してお店の負荷を減らし、店員さんたちには、近くに住む高齢のお客様などが来店したときに、コミュニケーションをとりながらやすらぎの場とする方向に力を入れてもらわなくてはなりません。 もうひとつ進んで、これから高齢化は一層進みますから、医療・健康のお役に立てるリアル店舗にしていきたいです。医療はまだまだ規制が厳しいのですが、たとえば将来、大学病院などになかなか行かれないお客様が、コンビニに置いてある無人の機器を使えば、画面を通して遠隔診察が受けられるサービスなどをイメージしています。 入山:ちょっとした診療所みたいなものをコンビニの中に取り込んでしまうと。 宮﨑:はい。今、東京・文京区のローソン千駄木不忍通店には介護や栄養の相談窓口を設置しています。周辺には高齢者の方が多いので、お客様を集めた体操イベントを実験したりしています。さらにレベルアップし、このようなお店を全国に増やしていきたいと思います。 最終的には店舗おペレーショにデジタルの力を活用し、1~2人の人員で対応できるようにしたいですね。店員さんはレジから出て接客に専念するような形スタイルが理想です』、「イートイン店舗」が「10年を待たずに、そこが憩いの場に変わったり、高齢者の方のコミュニケーションの場に変わったりと、モノを売るだけではない付加価値を提供するようになる」、面白い見方だ。ただ、「介護や栄養の相談窓口を設置」については、ドラッグストアが本気を出したら、なわないのではなかろうか。
・『「ローソンは無人店舗はやりません」  安田:コンビニのサービスの幅が広がり、ある意味では「何でも屋」になっていくという形ですね。そのためにテクノロジーの活用も抜本的に進めていくと。その1つの形が無人化だと思います。読者の「mino」さんから、「無人コンビニの問題点は何ですか。実証店舗などは存在しないのですか」という質問をいただいています。無人化、省人化に向けた取り組みについてお話しいただけますか。 宮﨑:今の小売業には効率化が求められていて、その行き着く先の1つに無人化があると思うんですが、結論から申し上げると、うちは無人店舗はやりません。 入山:あ、やらないんですね。 宮﨑:それは先ほど申し上げたコミュニケーションの問題からです。ローソンは中国に2300店舗出店しています。ローソンの周りには中国国内のIT企業が手がけるいろいろな無人店舗がありました。しかし、大きな自動販売機や、冷蔵庫みたいなものですが、お客様から支持を得られず、現在では結構閉店しています。 入山:無人店舗にはお客さんが来ないんですか。 宮﨑:経験してみるとわかりますが、無人店舗って楽しみがないんです。買い物にはやはり楽しさがなくちゃいけないということでしょう。ちょっと無機質すぎるんです。 ただし、今の人手不足に早急に対応するため、ローソンは8月より、深夜0時から早朝5時までの5時間、店員がいない深夜省人化店舗を実験しています。お客様に支持されるのか、深夜の無人のお店にお客様は来ていただけるのかといった懸念はあります。安全面から防犯カメラを29台に増設していますが……。 このように深夜帯や先ほど話の出たオフィス向けの無人店舗は考えていますが、すべての店舗を無人化するということは基本的には考えていません。やはりお客様とのコミュニケーションを大切にしたいと思っています』、「ローソンは無人店舗はやりません」、「ローソンの周りには中国国内のIT企業が手がけるいろいろな無人店舗がありました。しかし、大きな自動販売機や、冷蔵庫みたいなものですが、お客様から支持を得られず、現在では結構閉店しています」、なるほど。
・『小売りには人間のぬくもりが必要  入山:必要最低限なインフラとしての機能を果たすことに関しては無人店舗で工夫するけれども、それ以外のところは、コミュニケーションの場とすることが大事だと。お2人とも強調されていますが、小売りには人間のぬくもりみたいなものが必要ということですね。 宮﨑:それがないと便利さだけではEコマースに負けてしまいますからね。 荒井:僕の家の近くにローソンがあるんですが、行くのが楽しみになっています。ごく普通のローソン店舗なんですが、「今週のお薦め」と書いた商品が幾つか山盛りになっていたりして、行くたびにオーナーさんと対話しているような感覚になります。 コンビニというのは、「いつ行っても必ず決まったものがある」安心感と、プラス、驚きがなくちゃいけない。その驚きはオーナーさんの個性や地域性によっても異なります。そういう店の特色を打ち出すことが大事だと思っています。それにはデジタル技術を活用し、今、非常に忙しい店舗オペレーションを簡素化すること、そして一丁目一番地としては良い商品をつくること。これが重要だと思います。 入山:デジタルで面倒くさいところは全部取っ払ってあげる。その代わりにオーナーさんの創意工夫をもっと引き出すような仕組みを目指す。少なくとも、ローソンはそれを志向しているということですね。 人のぬくもりでECと差別化を図っていくというのはよくわかったんですけど、一方で、リアル店舗でいうとドラッグストアも脅威になってきたという気がします。ドラッグストアとコンビニって、ちょっと機能がかぶってきているという印象があって。どういうふうにすみ分けていこうと考えていますか。 宮﨑:ドラッグストアは非常に脅威ですね。ローソンでも220店舗ほどで薬を販売しています。お客様には大変好評ですが、やはりいろいろと規制があるので簡単に増やすことはできません。先ほど申し上げた医薬品や健康関連グッズの販売に関してドラッグストアは一歩も二歩もリードしている存在です。 我々は病院などとコラボレーションしながら、いかにお客様のニーズにきめ細かく対応していくかがカギです。その辺りはドラッグストアとの知恵比べになっていくのだろうと思います。最近はドラッグストアも多くの食品を売り始めていますし、お客様の支持を獲得するには良い商品をつくることが一番ですが、その点、コンビニの45年の歴史で培ったノウハウは大きな武器だと思います』、「小売りには人間のぬくもりが必要」とはいっても、殆どの店員が日本語がたどたどしい外国人では、望むべくもないのではなかろうか。「ドラッグストアとの知恵比べになっていくのだろう」、やはりその通りなのだろう。
・『ドラッグストア、Amazonフレッシュも競合に  入山:そう考えるとコンビニのライバルって多いですね。ECもあれば、ドラッグストアもあれば……。 宮﨑:都会では「Amazonフレッシュ」なども競合してきますね。 入山:「Amazonフレッシュ」もライバルになるのか。これから大変ですね、コンビニ……。 宮﨑:これまでもコンビニは自由競争下で切磋琢磨しながら、新商品・新サービスの開発や品質向上を図ってきました。これからもお客様の生活に合わせた価値を出していくことが必要です。 安田:そうやって競争が激しくなる中では、顧客データの活用というのが大事になっていくと思います。ローソンはどんなことを考えていますか。 宮﨑:ローソンは共通ポイントサービス「Ponta」を導入しています。1カ月の間にローソンでお買い物をされるお客様は延べ4億人いらっしゃいます。約半数のお客様がPontaカードをご提示されるので、たくさんのデータが蓄積されます。今までは商品開発や店舗の品揃えなどに生かしてきましたが、これからワン・トゥ・ワンマーケティングで「その人だけにお薦め」という商品のご提供や、健康管理への活用なども考えています。 グループにローソン銀行があります。銀行ならではの廉価で新しい決済システムの可能性もあります。例えば地方に離れて住む親御さんとつながり、日々のお買い物情報が届き、かつこちらから決済できたり、安全の見守りと決済システムと連動することも可能かもしれません。 安田:これからデータ活用が進むと、商品開発も販売も進化し、結果的に加盟店へのフィードバックも良い方向に変わっていきそうですね。 入山:そうですね。働き方もこれからどんどん改善されていくでしょうし。今年、いろいろと騒動のあったコンビニですが、これを糧により良い発展が期待できそうです。 安田:アメリカ発祥のコンビニですが、日本に持ち込み、日本風のアレンジでかなり違うビジネスに生まれ変わりました。ローソンが中国に2300店舗出店しているように、海外にその日本風のコンビニビジネスが進出しています。 外から取り入れて中身をガラッと改良して外に持って行くっていうのは日本の得意パターンです。未来のコンビニで医療・健康というキーワードも出てきました。さらに日本ならではのコンビニサービスをどんどん拡充させていって、日本でも、さらには世界でも、暮らしを良くしていってほしい。そんな希望を感じられる未来予想図になった気がします。 入山:前半、厳しい議論もありましたけれど、後半は明るい未来が描けました。荒井さんには、これからもぜひブランパンのドーナツみたいなおいしい商品をさらにガンガンつくっていただければと。 安田:長い議論の後でのどもかわいたところですし、「グリーンスムージー」をいただきながら終わりにするということで……。 入山:どうありがとうございました』、「ローソンが中国に2300店舗出店」、広い国ゆえドミナント戦略を展開するためには、これでも少ないのかも知れないが、政治的リスクを考えれば、大きな冒険なのかも知れない。総じてみれば、コンビニの今後の進化が楽しみだ。
タグ:入山 章栄 日経ビジネスオンライン (その5)(入山章栄・安田洋祐氏らの対談:コンビニ「現場疲弊」の主犯?ドミナント戦略って何?(第1回)、業界キーマンに直撃「FC契約、加盟店に不利では?」(第2回)、競争激化するコンビニ、未来は明るいの?(第4回)) (コンビニ) 小売業 「[議論]コンビニ「現場疲弊」の主犯?ドミナント戦略って何?File4「コンビニ業界」(第1回)」 安田洋祐 ドラッグストア、Amazonフレッシュも競合に ドラッグストアとの知恵比べになっていくのだろう 小売りには人間のぬくもりが必要 ローソンは中国に2300店舗出店しています。ローソンの周りには中国国内のIT企業が手がけるいろいろな無人店舗がありました。しかし、大きな自動販売機や、冷蔵庫みたいなものですが、お客様から支持を得られず、現在では結構閉店しています ローソンは無人店舗はやりません イートイン店舗が5000店舗ぐらいあります。10年を待たずに、そこが憩いの場に変わったり、高齢者の方のコミュニケーションの場に変わったりと、モノを売るだけではない付加価値を提供するようになると思っています リアル店舗でお客の医療・健康をサポート フードデザートを新たなコンビニが解決 コミュニケーション自体が新たなサービスになる 「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」 「[議論]競争激化するコンビニ、未来は明るいの? File4「コンビニ業界」(第4回)」 本部が強いセブンで問題が集中的に出てきた ローソンはオーナーの意向で時短店舗もOK 現場に戦略決定の裁量はあるか 加盟店は自助努力で収益を向上できるという理屈 通常の会計では、売上高から原価を引いたものが粗利となるが、コンビニの会計は原価に商品の廃棄分を含めない仕組み ロイヤルティーのあり方 廃棄ロス 「[議論]業界キーマンに直撃「FC契約、加盟店に不利では?」File4「コンビニ業界」(第2回)」 40店舗経営し1000人もの従業員を雇っているオーナーさんや、恐らくローソンの社長より年収が多いようなオーナーさんもいらっしゃるのではないでしょうか 多店舗経営を展開し、本部とともに成長を目指すオーナーを「マネジメントオーナー(MO)」と呼んでいます。MOは180人ぐらいいて、平均10店舗以上経営しています 全店舗の72%が複数店経営です。オーナーさんの人数でいうと半数ぐらい うちは2009年ぐらいから始めたので先行しています。今はファミマさんもセブンさんも多店舗経営に舵(かじ)を切っていると聞いています オーナーさんたちに多店舗経営を奨励してきました 多店舗経営でオーナーの利益は増える ドミナント戦略とオーバーストア。限られたパイの奪い合いを同じチェーンで争う コンビニ本部に厳しめのメッセージの嵐です お客を引っ張ってくるのがスーパーとかドラッグストア、お客に近づいていくのがコンビニの基本戦略と 「お客に近づく」狙いで網の目のように出店 普通の小売業、例えば食品スーパーやドラッグストアというのは、お客様に来ていただくために店を構えて、安売りなど、お客様を呼び込むための仕掛けをします。コンビニの場合は逆で、お客様の利便性を高めるために、自分の方から近くに寄って行くという方針なんですね 物流面でのメリットも ドミナント戦略というのは、ある一定のエリアに集中的に店舗を配置することによって、小売店のブランドを浸透させ、消費者の方たちに親近感を持ってもらうことでチェーン店の力を伸ばしていこうとする戦略です 大手5社でシェア9割 コンビニエンスストアは日本全国に現在約5万8000店舗あります。売り上げは2018年度で約11兆円 小売り・流通業界アナリストのnakaja lab代表の中井彰人 中食商品本部で商品戦略部長を務める荒井淳司 ローソン専務執行役員の宮﨑純
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「あいちトリエンナーレ2019」問題(その3)(小田嶋氏2題:チキンなハートが招き入れるもの、アートという「避難所」が消えた世界は) [国内政治]

「あいちトリエンナーレ2019」問題については、8月15日に取上げた。今日は、(その3)(小田嶋氏2題:チキンなハートが招き入れるもの、アートという「避難所」が消えた世界は)である。

先ずは、コラムニストの小田嶋 隆氏が9月27日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「チキンなハートが招き入れるもの」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00038/
・『あいちトリエンナーレ2019をめぐる一連の騒動に関して、これまで、私は、積極的な発言を避けてきた。 理由は、この話題が典型的な炎上案件に見えたからだ。 ヘタなカラみ方をすると火傷をする。だから、じっくり考えて、さまざまな角度から事態を観察しつつ、自分なりの考えがまとまるまでは、脊髄反射のリアクションは控えようと、かように考えて関与を回避してきた次第だ。 当人としては、これはこれで、妥当な判断だったと思っている。 とはいうものの、いま言ったことが、弁解に過ぎないと言われたら、実は、反論しにくい。 「単にビビっただけだろ?」という最もプリミティブなツッコミにも、うなだれるほかに、うまいリアクションがみつからない。 じっさい、私がビビっていたことは事実だからだ。 「私なりの考え」程度の直感的な見解は、問題が発生した当初から、頭の中にあれこれ浮かんでいた。 それを外に向けて表明しなかったのは、正直に告白すれば、殺到するであろう賛否のコメントや、無関係なところで発生するに違いない魔女狩りじみた欠席裁判に対応するのが面倒くさかったからだ。圧倒的な物量でもって押し寄せるクソリプの予感は、時に良心的な論者を黙らせる。これは、認めなければならない。 あいちトリエンナーレ(以下、「あいトリ」と略します)以外の、さまざまな出来事やニュースに対して、かねて、私は、軽率に発言することを旨としてやってきた人間だ。ここでいう「軽率」というのは、言葉のあやみたいなもので、もう少し丁寧な言い方で言えば、私は、どんな問題や出来事に対してであれ、専門家の分析や有識者の見解とは別の、「素人の感想」を述べておくことがコラムニストに課せられた役割のひとつであると考えているということだ。 素人のナマの感想は、往々にして勘違いや認識不足を含んでいる。それ以上に、素人が直感的な見解を表明することは、恥ずかしい偏見やあからさまな勉強不足を露呈する危険性と背中合わせだ。それでも、素朴な感想には素朴な感想ならではの価値があるはずだと私は考えている。というのも、愚かさや偏見や勉強不足も含めて、この世界を動かしている主要な動力は、つまるところ「素人の感想」の総和なのであって、そうであればこそ、それらをあえて表明することで恥をかく人間がいないと、言論の世界を賦活することはできないはずだからだ』、私もこの問題での小田嶋氏の沈黙を不思議に思っていたが、漸く発言することに踏み切ったようだ。
・『さてしかし 「もう少し事態が落ち着くのを待とう」「自分がいま感じているもやもやとした感慨が、よりはっきりとした見解として像を結ぶまでは、うかつな関与は禁物だ」とかなんとか思っているうちに、「あいトリ」をめぐる事態は、日を追って混迷を深め、さらに関与の難しい局面に立ち至っていたわけなのだが、つい昨日(9月25日)になって 《愛知県の大村秀章知事は25日、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の在り方を検証する同県設立の有識者委員会で、中止した企画展「表現の不自由展・その後」について、会期終了の10月14日までに「条件を整えた上で再開を目指したい」との考えを明らかにした。》という記事が配信されてきた。 なるほど。膠着していた事態がようやく動きはじめたようだ。してみると、今後は、多少とも前向きな形でこの話題に言及する余地ができたのかもしれないな……などと、私は、愚かな楽観を抱きはじめていた。 ところが、昨晩のニュースにおっかぶせる形で、今朝になって 《文化庁、あいちトリエンナーレへの補助金を不交付の方針》という驚天動地のニュースが流れてきた。 いや、このニュースを受け止めるにあたって、「驚天動地」などという言葉を持ってきている態度が、そもそもヌルいのかもしれない。 なぜというに、いま起こっている事態は、これまでの経緯を注意深く観察してきた人間には、十分に予測できた展開だからだ。 私自身、この展覧会を契機に、あらゆる事態がとんでもない速度で悪化しつつあることは感じ取っていた。 じっさい、第一報を伝えたNHKのニュースも、この展開を事前に予測していた人間が書いたかのような体裁で書かれている。 本当は、みんなわかっていたのだ。 私自身も、実は、わかっていた。ただ、目をそらしていただけだ。深刻な事態が進行していることを、十分に感知していたからこそ、私は、何も言えなくなっていた。つまり、ビビっていた。そういうことだ。 ことここに至って、目が覚めた』、「文化庁・・・補助金を不交付の方針」を、「本当は、みんなわかっていたのだ。 私自身も、実は、わかっていた。ただ、目をそらしていただけだ。深刻な事態が進行していることを、十分に感知していたからこそ、私は、何も言えなくなっていた。つまり、ビビっていた」、文化庁がそこまでの暴挙をするとは考えてなかった私は、やはり甘過ぎるのだろう。
・『本当なら、8月2日の段階で、会場を訪れた河村名古屋市長が 「どう考えても日本国民の心を踏みにじるものだ。税金を使ってやるべきものではない」と述べた段階でもっと敏感に反応してしかるべきだった。あれは、いま思えば、最悪の事態がはじまったことを告げる明らかなホイッスルだった。その意味を、半ば以上正確に読み取っていたにもかかわらず、私はだらしなく黙っていた。なんとなさけないリアクションだろうか。 さらに、その河村市長の発言を受けた菅官房長官が、会見の中で、芸術祭への国の補助金について、事実関係を精査し、交付するかどうか慎重に検討する考えを示したことに対しては、跳び上がってびっくりしてみせるなり、怒鳴り散らしてでも憤りを表明するなりすることで、やがて訪れるであろう本当の危機への注意を喚起しておくべきだった。 なのに、私はそれをせずに 「炎上案件だから」てな調子の既製品の弁解を店頭に並べて知らん顔をしていた。 反省せねばならない。 今回の文化庁の決断は、一地方の首長が記者との談話の中で述べた私的な見解とは水準を異にするものだ。 というのも、市長の妄言と補助金の支給中止は、まるで重みの違う話で、妄言が「虚」なら補助金は「実」だからだ。 もちろん、河村市長の発言とて、あれはあれで、一定の権力を持った政治家の言葉としては論外以外のナニモノでもない。とはいえ、市長のあの発言は、しょせんは考えの足りない一地方首長が無自覚に漏らした私的な談話の断片に過ぎないと言えばそう言えないこともないわけで、その意味では、あの発言が、ただちに法的な強制力を持った実効的な弾圧であるとは言えない。 一方、文化庁が、補助金の交付を中止することは、展覧会や美術展を企画する自治体やキュレーターにとって、正しく死活問題だ。作品を制作しているクリエーターにとっても、具体的かつ直接的な弾圧として機能する。 しかも、文化庁は、いったん採択した補助金の交付を、問題が起こった後で、その問題への説明が不足だったという理由を以て「事後的に」中止する旨を明らかにしている。これはつまり、今後、彼らが、あらゆる企画展や文化事業に対して、随時、介入する決意を明らかにしたに等しい措置だ。おメガネにかなわない企画や作品に対して、いつでも懲罰的な形で補助金の引き上げを言い渡すつもりでいる金主が巡回している世界で、誰が自由なキュレーションや作品制作を貫徹できるだろうか。私は不可能だと思う』、恐ろしいことになったものだ。
・『「説明が不十分だった」みたいな難癖をつけるだけのことで、補助金をカットできるということは、「十分な説明」なる動作が利権化するということでもある。 今回、騒動の発火点となった「表現の不自由展」は、「あいトリ」という大きな枠組みの芸術祭のうちのほんの一部(←予算規模で400万円程度といわれている)に過ぎない。 してみると、7800万円の補助金が支給されるはずだった「あいトリ」は、そのうちの400万円ほどの規模で開催されるはずだった「表現の不自由展」をめぐるトラブルのおかげで、すべての補助金を止められたという話になる。 こんな前例ができた以上、この先、どこの自治体であれ、あるいは私企業や財団法人であれ、多少とも「危ない」あるいは「議論を呼びそうな」作品の展示には踏み切れなくなる。 作品をつくる芸術家だって、自分の作品の反響が、美術展なり展覧会なりのイベントまるごとが中止なり補助金カットに追い込む可能性を持っていることを考えたら、うっかり「刺激的な」ないしは「挑戦的な」作風にはチャレンジしにくくなる。 別の角度から見れば、今回の事例を踏まえて、気に入らない作品を展示していたり、政治的に相容れない立場のクリエーターが関与している美術展を中止に追い込むためには、とにかく数をたのんでクレームをつけたり、会場の周辺で騒ぎを起こしたりすればよいということになる。そうすれば、トラブルを嫌う主催者は企画を投げ出すかもしれないし、文化庁は企画を投げ出したことについての説明が不十分てなことで、補助金を引き上げるかもしれない。 かくして、「あいトリ」をめぐる騒動は、画家や彫刻家をはじめとする表現者全般の存立基盤をあっと言う間に脆弱化し、文化庁の利権を野放図に拡大したのみならずクレーマーの無敵化という副作用を招きつつ、さらなる言論弾圧に向けての道筋を明らかにしている。 私自身の話をすれば、これまで、自分が書いた原稿に関して、用語の使い方や主題の選び方について修正を求められた経験は、全部合わせればおそらく20回ほどある。 そのうちの10回ほどは、新聞社への寄稿で、単に平易な言い回しを求められたものだ。 残りの10回のうちの8回までは、とある同じ雑誌の同じ編集長に要求された文字通りの言葉狩りだった。 その編集長の不可思議な要求に対しては、毎回必ず 「え? どうしてこんな言葉がNGなんですか?」「考えすぎじゃないですか?」と抵抗したのだが、結局は押し切られた。 その当時、まだ30代だった私より5年ほど年長だったに過ぎないその若い編集長(してみると、彼は出世が早かった組なのだな)は、とにかく、問題になりそうな言葉はすべてカットしにかかる、まれに見る「チキン」だった』、「「あいトリ」をめぐる騒動は、画家や彫刻家をはじめとする表現者全般の存立基盤をあっと言う間に脆弱化し、文化庁の利権を野放図に拡大したのみならずクレーマーの無敵化という副作用を招きつつ、さらなる言論弾圧に向けての道筋を明らかにしている」、一般のマスコミが事実関係だけの報道に留まり、政府・文化庁への批判を控えているのは残念だ。
・『で、そのチキンな編集長と何年か付き合ううちに、私は、「言論弾圧は、なによりもまずチキンハート(注)な人間の心の中ではじまるものなのだな」ということを学んだ。 今回、私は、8月以来、ほぼ丸々2カ月にわたって、「あいトリ」の問題に関して沈黙を守ってきた自分が、つまるところチキンだったことを思い知らされた。 私が黙っていたのは、私がチキンだったからだった。 いま私が思っているのは、あの8月はじめの河村市長のケチな妄言からはじまった小さな騒動を、これほどまでに将来に禍根を残すに違いない深刻な弾圧事案に成長させてしまったのは、私を含めたほとんどすべての日本人が、実にどうしようもないチキンだったからだということだ。 反省せねばならない。 今回は、実は、昨今のお笑い芸人があからさまな差別ネタを、「たたかってる」「トンがってる」「ギリギリのところ狙ってる」と思い込んでいる傾向やその事例について考察するつもりでいて、半分ほどまでは原稿も出来上がっていたのだが、あまりにもとんでもないニュースがはいってきたので、急遽テーマを差し替えることになった。 面白いのは、今回の記事の最終的な結論が、当初書くつもりでいた原稿の結論とそんなに違わないところだ。 おそらくあらゆる表現の限界は、国民の粗暴さと臆病さが交差する場所に着地することになっている。 厄介なのは、ある人々が粗暴になればなるほど、別の人々が臆病になることで、それゆえ、表現の限界は、どうかすると平和な時代の半分にも届かない範囲に狭められる。 私個人は、なるべく臆病にならないように注意したい。いまのような時代は特に。 臆病さを避けながら粗暴にならずにいることはなかなか難しいミッションなのだが、なんとか達成したいと思っている』、「厄介なのは、ある人々が粗暴になればなるほど、別の人々が臆病になることで、それゆえ、表現の限界は、どうかすると平和な時代の半分にも届かない範囲に狭められる」、大いに気を付けるべきだろう。(注)チキンハート:臆病者のこと。

次に、小田嶋氏の続編、10月11日付け日経ビジネスオンライン「アートという「避難所」が消えた世界は」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00040/?P=1
・『前々回に引き続き、「あいちトリエンナーレ」(以下「あいトリ」と略記します)の問題を取り上げる。 補助金交付(あるいは不交付)の是非については、前々回の当欄で比較的詳しく論じたので、今回は、別の話をする。 別の話というよりも、そのものズバリ、最も基本的なとっかかりである「表現の自由」ないしは「アート」そのものについて書くつもりでいる。というのも、「あいトリ」問題は、各方面のメディアが取り上げた最初の瞬間から、ずっと、「表現の自由」それ自体を考えるべき事案であったにもかかわらず、なぜなのか、その最も大切な論点であるはずの「表現の自由」の議論をスルーして、「公金を投入することの是非」や「日韓の間でくすぶる歴史認識の問題」や「皇室への敬意」といった、より揮発性の高い話題にシフトする展開を繰り返してきたからだ。 ここのところを、まず、正常化しなければならない。 今回、私がつい2週間前に扱ったばかりのこの話題を、あえてほじくり返す気持ちになったきかっけは、この10月からさる民放局で朝の情報番組のMCを担当することになった立川志らく氏による、以下のツイートだった。《グッとラック。表現の不自由展で素直に感じたこと。やっていいことと悪いことがあると子供の頃に親から教育を受けなかったのかなあ。 23:02 - 2019年10月8日》 このツイートを見て、私は、志らく師匠のおかあさまに思いを馳せずにいられなかった。彼女は、自分の子供に、言ってもかまわないことと言わずに済ませておいた方が良いことの区別を教えなかったのだろうか。 もっとも、私は、自分のタイムライン上で、直接志らく氏のツイートを見かけたわけではない。というのも、私は、彼にブロックされているからだ。つまり、彼のツイートは、私のタイムライン上には表示されないのだ。 私が、上に引用したツイートに興味を持ったのは、件のツイートに苦言を呈しているある人のツイートを見たからだ。 で、当該の志らく氏のツイートのURLをコピーした上で、ブラウザーのシークレットウインドー(←ユーザー情報を公開しない設定でオープンするウインドー)上にそれをペーストして中身を確認した次第だ。 どうしてこんなに面倒臭い手順を踏んでまで、わざわざ自分をブロックしている人間の投稿を確認したのかというと、今回の「あいトレ」のような事案については、朝のワイドショーで司会を担当している人間の見解がとりわけ大きな意味を持っているはずだと考えたからだ。 というのも、ワイドショーは、主に脊髄反射でものを考える人々ためのメディアで、そういう人々にとっては、コメンテーターによる素朴な断定や、番組終了間際に司会者が苦笑交じりに漏らす見解が大きな意味を持っているものだからだ。 そういう意味で、「あいトリ」の評価を左右するのは、諸般に通じたインテリの先生方の持って回った見解や、現代アートに当事者として携わるトンがった見解ではなくて、なによりもまずワイドショーのMCの口から漏れる素朴な感想なのだ。 ついでに申し上げればだが、「脊髄反射でものを考える人々」というのは、もう少し踏み込んで言えば、「ものを考えない人々」のことだ。ワイドショーは、だから、その「ものを考えない人たち」のために、考えるきっかけを提供するメディアであらねばならないはずなのだ。 今回の場合でいえば、ワイドショーが「あいトリ」ないしは「表現の不自由展」について、いくつかの考え方のサンプルや、視聴者各自が各々の思考を展開するためのヒントに当たる情報を提供できているのであれば、一応、その役割を果たしていると言える』、「最も大切な論点であるはずの「表現の自由」の議論をスルーして、「公金を投入することの是非」や「日韓の間でくすぶる歴史認識の問題」や「皇室への敬意」といった、より揮発性の高い話題にシフトする展開を繰り返してきた」、私も同感で、釈然としなかった。
・『しかし、司会者自らがこんなツイートをしているようでは、志らく氏の番組は、視聴者を啓発する情報を発信できていないのだろうと判断せざるを得ない。 私は、件のツイートを見て 「ここまでさかのぼったところから話を始めないといけないわけか?」  という感慨を得た。 もう少し平たい言い方をすれば、あまりの無知さ加減にあきれたということだ。 勉強を見てあげることにした親戚の中学生が 「1たす1って……4…ですよね? あれ、6だっけ?」 と言い出した瞬間の大伯父の気持ちに近い。 「ん? まさか、オレは一桁の足し算までさかのぼって算数の勉強を見ないといけないのか?」と、彼は絶望するはずだ。 言うまでもないことだが、「表現の自由」なる概念は、作品の出来不出来や善悪快不快を基準に与えられる権益ではない。その一つ手前の、「あらゆる表現」に対して、保障されている制限なしの「自由」のことだ。 念の為に申し添えれば「あらゆる表現」の「あらゆる」は「優れた作品であっても、劣った作品であっても」ということでもあれば「美しい作品であれ、美しくない作品であれ」ということでもある。つまり、表現の自由は、「人々に不快感を与える作品」にも「見る者をうっとりさせる作品」にも等しく与えられる。そう考えなければならない。また、「正しい」作品にも「正しくない作品」にも、当然平等に保障されてもいれば、「上手な表現」にも「下手くそな表現」に対しても、全く同じように認められている。 なぜこれほどまでに野放図な自由が必要なのかというと、ここの時点でのこの自由が絶対的に認められていることこそが、結果としての人間の表現が、自由に展開されるための絶対の大前提だからだ。 美しい表現以外が許されないのだとすると、美しい表現のみならず、すべての表現の前提が企図段階で死んでしまう。なんとなれば、結果として表現された作品が、美しいのかどうかは、しょせん結果であり、見る者の恣意にまかせた偶然に過ぎないのに対して、人間が何かを表現する意図と欲求と必然性は、美や善や倫理に先行する生命の必然だからだ。 なんだか難しいことを言ってしまった気がするのだが、要は、「美醜」や「善悪」や「巧拙」は、他人による事後的な(つまり「表現」が「作品」として結実した後にやってくる)評価に過ぎないということを私は言っている。これに対して、「表現の自由」は、作品ができあがる以前の、表現者のモチーフやアイデアならびに創作過程における試行錯誤を支配する、より重要な前提条件だ。 例えばの話、安打以外の結果を許されないバッターは、打席に立つことができるだろうか。 あるいは、当たる馬券しか買ってはいけないと言われている競馬ファンは、競馬を楽しむことができるだろうか。 うん。これはちょっと違う話だったかもしれない。 ともあれ、「こんな不快な表現に『表現の自由』が保障されて良いはずがないではないか」「日本人の心を傷つけるアートは『表現の自由』の枠組みから外れている」という、「あいトレ」問題が話題になって以来、様々な場所で異口同音に繰り返されてきたこれらの主張が、完全に的外れであることだけは、この場を借りて断言しておきたい。 表現の自由は、不快な表現や、倫理的に問題のある作品や、面倒臭い議論を巻き起こさずにおかない展示についてこそ、なお全面的に認められなければならない。 というのも、「多くの人々にとって不快な表現であるからこそ」その作品を制作、展示する自由は、公の権力によって守られなければならず、為政者はそれを制限してはならない、というのが、「表現の自由」というややわかりにくい概念のキモの部分だからだ。 実際、今回の「表現の不自由展」に向けて出品された作品の中には、一部の(あるいは大部分の)日本人の素朴な心情を傷つける部分を持った表現が含まれている。 しかし、もともと「アート」というのは、そういうものなのだ』、「「美醜」や「善悪」や「巧拙」は、他人による事後的な(つまり「表現」が「作品」として結実した後にやってくる)評価に過ぎないということを私は言っている。これに対して、「表現の自由」は、作品ができあがる以前の、表現者のモチーフやアイデアならびに創作過程における試行錯誤を支配する、より重要な前提条件だ」、「「多くの人々にとって不快な表現であるからこそ」その作品を制作、展示する自由は、公の権力によって守られなければならず、為政者はそれを制限してはならない、というのが、「表現の自由」というややわかりにくい概念のキモの部分だからだ」、混乱した概念をここまでスッキリ整理できるとは、さすが小田嶋氏だ。
・『そういうものというのは、つまり、観る者の心をざわつかせるものだということだ。 「へえ、アートって、人の心をざわつかせるものなのか。初めて聞く定義だな」と、嘲笑している読者が何人かいるはずだ。 私のような門外漢が、ここで「アート」なるものについて個人的な定義を振り回してみせたところでたいした意味はないし、またそんなことをするつもりもない。というよりも、こういう場所では、いっそ「アート」とは、そもそも「定義できないもの」だとでも定義しておくのが正しいはずだ。 ともあれ、アートは、必ずしも美しいものではない。 と、こんな調子で 「アートは必ずしも◯◯なものではない」という否定命題を200個ほど並べてみれば、おそらく、事態はよりはっきりとしてくるはずだが、だからといって、それでアートの定義が完了するわけではない。 これが商品なら話は簡単だ。 顧客に愛されない商品は市場から追放される。 美しくない商品は、思惑通りの売上高を達成することができない。 人々を不快な気持ちにする商品は店頭から排除される。 であるから、仮に「商品販売の自由」といったようなものがあったのだとして、そんなものは市場の要請と顧客の需要によって全否定されてしまうだけの話でもある。市場というのはそういうものだし、商品もまた実にシンプルな存在だ。 であるから、例えば商業美術品は、アートであることよりも商品であることの運命に従う。 評価されなければ売れないし、画商が扱いたがらなければ市場にさえ参入できない。 それはそれでかまわない。 しかしアートは違う。アートは商品ではない。 「あいトレ」に展示されているアート作品について、少なからぬ人たちが誤解しているのはこの点だ。 というよりも、商品を評価する以外の目でものを見ることができない人たちが多数派であることが、結局のところ、今回の騒動の正体だったということだ。 ともあれ、アートは商品ではない。 ここのあたりの区別は、ちょっと微妙ではあるのだが、私の個人的な解釈では、商品として制作されていないアートは、アートとしての役割を担っていると考えている。 アートは、アートであることによって、社会に貢献しているというふうに言い換えても良い。 どういうことなのかというと、つまり、個々の作品が個別に社会に貢献しているということではなくて、この世界に「アート」と呼ばれる分野の芸術作品があるというそのこと自体が、世界を相対化する意味で、社会に貢献しているということだ』、「アートは商品ではない」にも拘らず、「商品を評価する以外の目でものを見ることができない人たちが多数派であることが、結局のところ、今回の騒動の正体だったということだ」、切れ味の鋭い分析だ。
・『その意味で、アートに「効能」や「役割」を求める人たちが繰り返し持ち出す「個々のアートが、個々の作品として社会に貢献すべきだ」というのはまさに本末転倒の主張なのであって、時には社会に対して挑戦的であったり否定的であったりする内容を含むからこそ、アートは社会への批評的な位置を確保できているというふうに考えなければならない。 またしても、わかりにくい話をしている。 これは、美術館に通う習慣を持っている人ならある程度は共有している感覚だと思うのだが、あるタイプのアート作品は、私たちが世界に対峙する時の世界の見方に微妙な「揺らぎ」をもたらす。 どの作品が、誰のどんな感覚に響くのかは、作品に直面してみないとわからないし、実際に直面してその「揺らぎ」を実感してみたところで、その感覚を言葉に変換して他人に伝えることは、いま私自身がやろうとして失敗しているのをご覧になればわかる通り、ほとんど不可能に近い。 しかし、アートは、それに直面した人間の脳内に、様々な波紋をもたらす。そして、鑑賞する人間をあてどない思考の迷路にいざなうことによって、社会に貢献している。少なくとも私はそう思っている。 もっとも、ここで言っているアートが社会に貢献しているというお話は、理屈の上での設定に過ぎない。しかもその理屈自体、私がそう思っているというだけの話で、やや説得力には欠ける。その点は自覚している。 こんな話をしている私にしてからが、美術館に足を運ぶようになったのは、この10年ほどのことだ。 40歳になる手前まで、現代アートには、むしろ敵意を持っていたと言って良い。お恥ずかしい話だが、けっこうなおっさんの年ごろになるまで、私は、理解を絶したもののすべてを敵認定して攻撃しにかかる人間だったのである。 であるから、例えばオペラなどもごく自然に敵視していた。 人前であからさまに罵倒するようなことはしなかったものの、なにかの事情でオペラの映像を見なければならない機会に遭遇すると、自分が笑い出したり怒り出したりしないか心配で、終始困惑していたものだった。 それが、ある日、きっかけは忘れてしまったのだが、なにかの拍子で 「ああ、これは素晴らしいものだ」ということを電撃的に察知して、以来、金切り声にイラつくこともなくなった。不思議なことだ。であるから、この20年ほどは、オペラの中継を見ても、大げさな歌唱に笑いをこらえる必要を感じなくなった。むしろ楽しんでいる。たぶん、若かった頃の私は、あまりにもわからなくて混乱していただけだったのだろう。 アートに関しても同様だ。 知り合いが関わっている美術展や、義理で出かける作品展を訪れる経験を積み重ねるうちに、いつしか作品と対峙する間合いのようなものを身につけたのだと思っている。すべての美術館のあらゆる展示に感動するわけではないし、芸術だのアートだのの本質をつかんだとかとらえたとか、必ずしもそういう大仰な話ではない。 それでも、今回の「あいトリ」をめぐる顛末に心を痛める程度には、アートの味方でいるつもりだ』、「私にしてからが、美術館に足を運ぶようになったのは、この10年ほどのことだ。 40歳になる手前まで、現代アートには、むしろ敵意を持っていたと言って良い。お恥ずかしい話だが、けっこうなおっさんの年ごろになるまで、私は、理解を絶したもののすべてを敵認定して攻撃しにかかる人間だったのである」、小田嶋氏も若い頃はアートとは無縁だったことを知って、一安心した。
・『なにより悲しく思うのは、日本人の多数派が、本心ではアートに心を許していないことだ。 JNNが実施した世論調査によれば、「あいトリ」への文化庁による補助金の不交付の決断については「適切だった」とする回答が「不適切だった」を上回って46%に達したのだという。 なんと寂しい結論だろうか。 私は、この結果を見て、しばらくしょんぼりしてしまった。 とはいえ、世論調査をすれば、こういう結果が出ることは、あらかじめわかりきっていた話でもあるわけで、私としては、むしろアートに「世論」を対峙させる形の設問をあえて世論調査の中に含めてきた報道機関の意図のありかたに、底知れぬ気持ちの悪さを感じている。 商品市場は多数者による支配であってかまわない。 選挙もレギュレーション次第ではあるが、多数者が少数者を抑えるべきステージなのだろう。 しかし、アートは、そもそもが少数者のためのものだ。 美術館に日常的に通う日本人は、たぶん、総人口の5%にも届かないはずだ。 オペラも同様だ。 文楽や浄瑠璃や歌舞伎にしても地唄舞でも同じことだろう。 95%の日本人は、オペラがこの世界から消えてたところで何も感じないし、現代アートという分野がまるごと根こそぎ焼け跡になってもひとっかけらも悲しい思いを抱かないだろう。 でも、残りの5%の人間は、生きるための手がかりを失って途方に暮れることになるはずだ。 そして、ここが大切なところなのだが、誰であれ、自分が心から愛情を捧げている対象に関しては、世間の多数派から見て5%に当たる少数派に分類されてしまうものなのである。 表現の自由は、美しい表現や正しい主張を守るために案出された概念ではない。多数派に属する大丈夫な人たちの権益を守るための規定でもない。むしろ、美しくない作品に心惹かれる必ずしも正しくない異端の人々の生存にかかわるギリギリの居場所を確保するために設けられている避難所のようなものだ。 その避難所を、私たちは、自分たちの手で閉鎖しようとしている。 そしてあらゆるタイプの少数者の娯楽をすべてにおいて、95%に属する側の人間たちが焼き尽くした時、多様性を失った世界は、穴をあけられた混沌と同じく、突然死することだろう。 あまりに不吉な近未来なので、いっそ口に出して明言しておくことにしました。 予感が当たった時に、ちょっとだけうれしいかもしれないので』、「アートに「世論」を対峙させる形の設問をあえて世論調査の中に含めてきた報道機関の意図のありかたに、底知れぬ気持ちの悪さを感じている」、同感だ。「あらゆるタイプの少数者の娯楽をすべてにおいて、95%に属する側の人間たちが焼き尽くした時、多様性を失った世界は、穴をあけられた混沌と同じく、突然死することだろう」、「あまりに不吉な近未来なので、いっそ口に出して明言しておくことにしました。 予感が当たった時に、ちょっとだけうれしいかもしれないので」、よく出来たオチだ。「あいちトリエンナーレ2019」問題で、2回にわたるコラムは大いに考えさせられるものだった。
タグ:これまで、私は、積極的な発言を避けてきた。 理由は、この話題が典型的な炎上案件に見えたからだ 「チキンなハートが招き入れるもの」 日経ビジネスオンライン 画家や彫刻家をはじめとする表現者全般の存立基盤をあっと言う間に脆弱化し、文化庁の利権を野放図に拡大したのみならずクレーマーの無敵化という副作用を招きつつ、さらなる言論弾圧に向けての道筋を明らかにしている 「こんな不快な表現に『表現の自由』が保障されて良いはずがないではないか」「日本人の心を傷つけるアートは『表現の自由』の枠組みから外れている」という、「あいトレ」問題が話題になって以来、様々な場所で異口同音に繰り返されてきたこれらの主張が、完全に的外れである けっこうなおっさんの年ごろになるまで、私は、理解を絶したもののすべてを敵認定して攻撃しにかかる人間だったのである この先、どこの自治体であれ、あるいは私企業や財団法人であれ、多少とも「危ない」あるいは「議論を呼びそうな」作品の展示には踏み切れなくなる 「表現の自由」は、作品ができあがる以前の、表現者のモチーフやアイデアならびに創作過程における試行錯誤を支配する、より重要な前提条件だ 私にしてからが、美術館に足を運ぶようになったのは、この10年ほどのことだ。 40歳になる手前まで、現代アートには、むしろ敵意を持っていたと言って良い 「美醜」や「善悪」や「巧拙」は、他人による事後的な(つまり「表現」が「作品」として結実した後にやってくる)評価に過ぎない 表現の自由は、「人々に不快感を与える作品」にも「見る者をうっとりさせる作品」にも等しく与えられる。そう考えなければならない 小田嶋 隆 7800万円の補助金が支給されるはずだった「あいトリ」は、そのうちの400万円ほどの規模で開催されるはずだった「表現の不自由展」をめぐるトラブルのおかげで、すべての補助金を止められたという話になる グッとラック。表現の不自由展で素直に感じたこと。やっていいことと悪いことがあると子供の頃に親から教育を受けなかったのかなあ。 (その3)(小田嶋氏2題:チキンなハートが招き入れるもの、アートという「避難所」が消えた世界は) おメガネにかなわない企画や作品に対して、いつでも懲罰的な形で補助金の引き上げを言い渡すつもりでいる金主が巡回している世界で、誰が自由なキュレーションや作品制作を貫徹できるだろうか。 「個々のアートが、個々の作品として社会に貢献すべきだ」というのはまさに本末転倒の主張なのであって、時には社会に対して挑戦的であったり否定的であったりする内容を含むからこそ、アートは社会への批評的な位置を確保できているというふうに考えなければならない 作品を制作しているクリエーターにとっても、具体的かつ直接的な弾圧として機能する 文化庁が、補助金の交付を中止することは、展覧会や美術展を企画する自治体やキュレーターにとって、正しく死活問題だ 商品を評価する以外の目でものを見ることができない人たちが多数派であることが、結局のところ、今回の騒動の正体だったということだ 市長の妄言と補助金の支給中止は、まるで重みの違う話で、妄言が「虚」なら補助金は「実」だからだ 立川志らく氏 「多くの人々にとって不快な表現であるからこそ」その作品を制作、展示する自由は、公の権力によって守られなければならず、為政者はそれを制限してはならない、というのが、「表現の自由」というややわかりにくい概念のキモの部分だからだ 最も大切な論点であるはずの「表現の自由」の議論をスルーして、「公金を投入することの是非」や「日韓の間でくすぶる歴史認識の問題」や「皇室への敬意」といった、より揮発性の高い話題にシフトする展開を繰り返してきた 最悪の事態がはじまったことを告げる明らかなホイッスルだった どう考えても日本国民の心を踏みにじるものだ。税金を使ってやるべきものではない 「アートという「避難所」が消えた世界は」 河村名古屋市長 あまりに不吉な近未来なので、いっそ口に出して明言しておくことにしました。 予感が当たった時に、ちょっとだけうれしいかもしれないので 私自身も、実は、わかっていた。ただ、目をそらしていただけだ。深刻な事態が進行していることを、十分に感知していたからこそ、私は、何も言えなくなっていた。つまり、ビビっていた。そういうことだ。 ことここに至って、目が覚めた 文化庁、あいちトリエンナーレへの補助金を不交付の方針 素朴な感想には素朴な感想ならではの価値があるはずだと私は考えている 「あいちトリエンナーレ2019」問題 あらゆるタイプの少数者の娯楽をすべてにおいて、95%に属する側の人間たちが焼き尽くした時、多様性を失った世界は、穴をあけられた混沌と同じく、突然死することだろう その避難所を、私たちは、自分たちの手で閉鎖しようとしている。 厄介なのは、ある人々が粗暴になればなるほど、別の人々が臆病になることで、それゆえ、表現の限界は、どうかすると平和な時代の半分にも届かない範囲に狭められる 表現の自由は、美しい表現や正しい主張を守るために案出された概念ではない。多数派に属する大丈夫な人たちの権益を守るための規定でもない。むしろ、美しくない作品に心惹かれる必ずしも正しくない異端の人々の生存にかかわるギリギリの居場所を確保するために設けられている避難所のようなものだ アートは、そもそもが少数者のためのものだ アートに「世論」を対峙させる形の設問をあえて世論調査の中に含めてきた報道機関の意図のありかたに、底知れぬ気持ちの悪さを感じている アートは商品ではない
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