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資本主義(その2)(金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている、国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある、中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み) [経済]

資本主義については、2017年11月8日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その2)(金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている、国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある、中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み)である。

先ずは、神奈川大学教授の的場昭弘氏が昨年4月6日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/166180
・『いったい利子はどこから生まれるのだろうか? お金を貸せば利子が生まれることは、少なくとも現在のわれわれには一般的常識だ。 だがその金利がゼロというのはどういうことか。 それは、資本が自己増殖を続ける資本主義経済で、資本があり余った状態、つまり資本主義が新しい段階に入る胎動を示しているのかもしれないのだ』、興味深そうだ。
・『利子はどこから生まれる? 生産による利潤の一部  基本的なことから考えてみよう。利子とは何なのか。 借り手がいなければそもそも利子など成立しないはずだ。お金を貸したいという「貸し手」と借りたいという「借り手」がいれば、なるほど利子は自然に生まれるように見える。 だから、利子は「借り手」と「貸し手」との需要と供給の関係から生まれるように見える。しかし、「借り手」が借りたお金を貯め込んで、生産に投資しなければ、利子など生まれるはずがない。利払いに回す原資がないのだから。 こう考えると、借りた以上は利子を支払わねばならないという点から生じる利子の発生の問題と、利子がどこから生まれるかという利子の起源の問題はまったく違うことがわかる。 それでは利子は、いったいどこから生まれるのか? 交換経済というのは、人間社会がものをつくり、それを消費して成り立っている。人間が生きるための物質的生産に資本が投資され、生産したものが購入されて利益が出ないかぎり、利子が生まれるはずはないといえる。 つまり利子の原資は、基本的に、物質的生産から得られる利潤の一部である。だから資本は生産に投資せざるをえないのである。 もちろんサービスへの投資も利子を生み出すが、それは物的生産が前提にされる限りでのことだ。人間は霞を食って生きてはいけない。だから、サービス産業を中心とする先進国経済も、背後に後進諸国の、物的生産である工業や農業を前提にしている。 要するに、先進国経済は、資本を後進国に投下し、後進国の物的生産によって生み出された利潤の一部を利子として受け取っているのである。 しかしこうした基本的事実は、現代社会ではなかなか見えてこない。むしろ利子は、貨幣が自然に生み出す魔術のように見えるが、そうではないのだ』、サービス化といっても、「背後に後進諸国の、物的生産である工業や農業を前提にしている。 要するに、先進国経済は、資本を後進国に投下し、後進国の物的生産によって生み出された利潤の一部を利子として受け取っているのである」、その通りだ。
・『資本蓄積が進むと利潤率や利子率は長期低下傾向に  ただ、利子が物的生産によって得られる利潤の一部とはいえ、利子が生まれるのは、生産に投資される資本が相対的に稀少であることが前提だ。 あり余るほど資本がある場合には、「借り手」はいないから利子率はゼロに近い。逆に資本が稀少である場合は利子率が高い。 資本主義の歴史を振り返っても、資本蓄積が少ない時代には利子率は高く、資本蓄積が進むと利子率が低くなる傾向にあることがわかる。 貨幣の価値が金などとリンクしていた19世紀までは、貨幣の供給量が金や銀の生産を前提にしていたから、供給が限られることで相対的資本不足であり、利子率は高かった。 その後、現在の金などとの交換を前提にしない不換紙幣になり、また株式発行による資金調達などが拡がると、資本の拡大とともに、自然利子率は(政府の意図は別として)徐々に下がる傾向にある。 資本主義発展の初期の段階は国内市場も世界市場も十分あり、新製品への需要も十分あり、労賃は安く、投資は活発だ。経済成長の始まりの時期であり経済成長率は高く、利子率は高い。 しかし、次第に資本蓄積が進むにつれて、成長は鈍化し、市場も閉塞化し、新製品もなくなり、経済成長は次第に停滞していく。こうして成熟した時代、過剰資本と過剰蓄積の社会が生まれる。 過剰資本と過剰蓄積の結果、投資をしても得られる利潤率が相対的に低落することで、利潤の一部から生まれる利子は相対的に減少する。それによって利子率は減少する。 現代の「ゼロ金利」の背景には、こうした資本主義の発展段階の変化が反映されていると考えたほうがいい』、その通りなのかも知れない。
・『マルクスが予見した利潤率低下の法則  マルクスはこうした現象を利潤率の傾向的低落という法則から、説明している(『資本論』第3巻の議論)。 表面上、もっといえば個別の資本で見れば、現在では個別の企業と言い換えてもいいかもしれないが、利潤率が下がろうが、上がろうが、「貸し手」としては貸した以上、利子をいくらでも取っていいように見えるが、資本全体の立場から見たら、利子率は利潤率に依存せざるをえない。 では、利潤はどこから生まれるか。 マルクスは、利潤は人間(労働者)が働いて産み出した価値の一部を資本がかすめとっもの(「剰余価値」)だと考えた。 利潤が、機械や原料から、あるいは企業家の創意工夫から生まれるのであれば、労働者がいなくても利潤はどんどん生まれていくことになる。 ところが、我々が生きている交換経済というのは、人間と人間との生産物を貨幣を媒介して交換しあう仕組みだ。 つまり、生産した生産物はほかのだれかに購入され、消費されねばならない。生産物が「商品」として購入されることで、資本は利潤を得るのだ。 生産だけの社会では利潤は実現できない。つねに生産し、購買し、消費する人間が前提とされなければならない。) 動物社会には利潤は存在しないし、ロボットの世界にも存在しないのである。人間の代わりに動物やロボットを使うことで、労働力を代替することはできるが、動物だけ、ロボットだけの社会では、利潤は生まれないのだ。 より正確に言えば、利潤は、ほかの人間、すなわち労働者からの剰余価値の収奪として出現する。 つまり、資本が、労働者を使った生産から得られる剰余価値(利潤)は、その生産物を、他の労働者が働くことで得た所得で購入することによって初めて利潤として具現化するわけだ。 要するに利潤とは、ほかの人間の労働からかすめ取られたものであるということだ。 その「収奪」の形態は、個別の資本の場合は、労働者が支出した労働力とそれに対して支払われた労賃との不等価交換によって行われる。 しかし、資本全体の間では、こうした不等価交換だけでなく、競争によって、生産性の高い企業が生産性の低い企業から利潤を収奪するという形をとる。 このため企業はこぞって生産性を向上させるために新しい機械を導入し、利潤を得よううとする。だからこそ、資本主義経済では、利潤が労働者の労働から生まれるというよりは、資本家相互の競争から生まれるように見える。 だから利子が利潤から生まれることは理解できても、それが労働と関係しているとは誰も考えない』、「利潤は・・・労働者からの剰余価値の収奪として出現する」とマルクス流に考えるか否かはともかく、大筋としてはその通りだろう。
・『フロンティアの拡大、難しく 投資を控える資本  そして利潤が相対的に低い状態とは、利潤率が下がった状態である。 資本がだぶつき、投資を控える状態が、利潤率が下がった状態であり、投資しても利潤が得られないことで、利子率はさらに下がっていく。利潤が上がらなければ利子率はゼロに近づく。 資本主義は、利潤率を上げるために懸命の努力をしてきた。 海外市場への展開や新製品の開発で「フロンティア」を拡大し、一方で原料コストの引き下げ、労賃の引き下げなどをしてきた。市場が飽和し、新製品がなく、労賃の引き下げがそれ以上進まない場合には、利潤率は傾向的に下がっていく。それは、とりもなおさず経済成長の停滞を意味する。 資本主義はつねに成長拡大のために資本投資を行い、利潤を獲得し、その中から利潤を上げ、利子を支払い続けねばならないシステムだともいえる。 利潤率の傾向的低落の法則は、いくつかのそれを阻止する要因がない場合、資本主義にとって致命的な法則だといってよい。利潤率が下がれば、利子率も次第に下がっていく』、なるほど。
・『成長力を失い新たな段階へ 資本が「社会化」する時代に?  こう考えると、いまの「ゼロ金利」や「金余り」の現象は、経済成長が難しくなり利潤も得られなくなった結果であり、資本主義は時代を終えつつあるのかもしれない。 利子率を引き上げるには、本来、利潤率を引き上げるしかない。そのためには新しい製品を開発し、市場を拡大し、労賃を引き下げることだが、それが難しくなっている。 地球環境という有限性を考えれば、いつか資源は枯渇するだろうし、新製品の開発が環境破壊を生み出すことにもつながっている。宇宙にモノを売りに行くわけにはいかず、地球という市場の閉塞性を打破できないとなれば、いつかはその「成長の限界」の時は来る。 繁栄した国が衰退しても、新たなる繁栄した国が生まれることで成長を続けることができた牧歌的時代がかつてはあった。 当面、アフリカやアジアの一部では、労働力が増え、先進国では飽和状態の製品が売れ、市場が拡大することによる利潤率の上昇という砦が残されてはいるが、やがては次第に全体としての成長力を失い限界に到達しつつあるのかもしれない。 金利ゼロという現象は、もはや一国の問題ではなく、資本主義全体の問題でもあり、近未来社会への兆候にも思える。 その姿はまだはっきりしないが、資本があり余り、資本が「社会化」する時代が到来するのかもしれない』、「資本があり余り」ということは、希少性がなくなるという意味で「「社会化」する」、と捉えているのだろう。とすると、株主も社会全体となり、共産主義社会になってしまうことになるが、それが上手く機能するとは思えない。余りに難しい問題なので、これぐらいにしておこう。

次に、ニッセイ基礎研究所 専務理事の櫨 浩一氏が本年4月5日付け東洋経済オンラインに掲載した「国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/274586
・『「平成」は間もなく終わりを迎えるが、平成がはじまった頃には、世界中の国々が欧米型の資本主義に移行していくという楽観的な見方が多かった。 第2次世界大戦後、当初は政府の計画に従って経済が運営される社会主義諸国は良好な発展を遂げた。科学技術の点でもソビエト連邦が人工衛星や有人宇宙飛行を世界で初めて成功させるなどして、西側資本主義国に大きな衝撃を与えた。しかし、やがて経済は停滞して行き詰まり、ソ連は崩壊し中国が改革開放路線に転換したことで、資本主義対社会(共産)主義というイデオロギーの対立は解消された。 「なぜ欧米だけが経済発展を遂げることができ、多くの国々が貧困から抜け出せないのか」ということをテーマにした本が多数刊行されたが、筆者が読んだ本のほとんどが、民主主義や自由、政府に侵害されない所有権などに基く欧米型の社会制度でなければ長期的に経済発展を続けることはできないという主旨であった』、確かに「欧米型の社会制度」万能論が支配していた。
・『世界金融危機で揺らいだ欧米型資本主義への信頼  しかし、リーマンショックで米国経済が混乱し、続いて欧州で政府債務危機が起こると、政府の関与を最小限にして民間企業の自由な活動に任せるという欧米型資本主義への信頼は大きく揺らぐ。 急速な経済成長を遂げた中国は、習近平主席が誕生すると共産党による民間経済活動のコントロールを強化する方向に進み始めた。 現在の欧米を中心とする諸国と中国やロシアなどとの対立は、自由や民主主義、人権問題やナショナリズムなどさまざまな要素がからんでいるが、経済の視点からは国家資本主義対欧米型資本主義という資本主義同志の対立の構図と見ることができる。欧米型資本主義は民間企業の自由な経済活動を基本としているが、国家資本主義は政府や共産党が民間の経済活動を方向づけることが基本となっており、中国やロシアなどが採用している。 欧米型資本主義では、企業や個人の競争は経済発展の原動力の一つだと考える。規制など政府の関与は競争を阻害するとみなされることが多く、成長戦略を問えば、ほとんど反射的に「規制緩和」という答えが返ってくることが多い。しかし、規制を緩和しさえすれば経済活動が活発になり経済成長率が高まるというものではなく、逆に規制や政府の関与が新しい技術や仕組みの普及を促進するということもある』、その通りだ。
・『産学官の連携組織である「キャッシュレス推進協議会」は、3月末に「コード決済に関する統一技術仕様ガイドライン」を発表し、QRコードを用いた決済の技術的統一仕様を発表した。 日本ではQRコード決済は、PayPay、d払い、楽天ペイ、LINEペイなどを筆頭に、Amazon Pay、au Pay、ゆうちょPay、Pay IDなど、多数の決済システムが乱立していて、店によって使える決済システムが異なる。現状では、システムによってQRコードの仕様が異なっているため、誤請求が発生する危険性があることも指摘されていた。QRコードを使った決済の規格が統一されることで、日本での普及が促進されると考えられ、大いに歓迎したい。 日本でキャッシュレス決済が普及しないのは、日本の消費者は現金払いを好むからだといわれることも多い。しかし、日本では比較的早い時期から公衆電話や鉄道のプリペイドカードなど、個別分野ごとにキャッシュレス化の動きがあったし、電気・ガス・水道料金やNHKの受信料などの公共料金や固定資産税、新聞代などの定期的な支払いは銀行口座からの自動引き落としも利用されてきた。 少額の支払いには電子マネーやスーパーのポイントの利用が増えている。1円玉、10円玉といった少額硬貨の利用は減って流通残高の減少が続いている。日本の消費者は便利なものであれば積極的に受け入れており、普及が進まないのは、現金決済を好むといった非合理的な理由が原因ではないだろう』、なるほど。
・『消費者にとって政府介入が有効なケース  スマートフォンや携帯電話を使ったモバイル決済は、先進国よりも新興国や途上国で急速に広がるケースが目立つ。政府主導で普及が図られた国もあるが、先進国では既存の決済サービスが充実しているため、よほど優れたものでないと消費者も店側も利用するメリットを感じられないことも、新しい決済手段の広がりにくい、大きな理由だ。 決済手段は、「利用者数が多ければ多いほど個々の利用者にとっての利便性が高くなる」(ネットワーク外部性)という性質があり、多数の決済手段が競争するよりも、少数の決済方法に多くの利用者がまとまるほうが、消費者にとっても販売店にとっても望ましい。 仕組みが乱立している現状では、ほとんどの店は一部の決済システムにしか対応できないので、1枚のカードやスマートフォンのアプリ1つでどこでも支払いができるというわけにはいかない。どこでも使えるという利便性の面でキャッシュレス決済よりも現金のほうが優れていることも日本で消費者が現金の利用を止められない理由だ。 ネットワーク外部性:教科書では市場に任せておいただけでは最適な結果が得られないという「市場の失敗」が起こる場合の一つとして、外部経済(不経済)がある場合があげられている。ここで指摘したような状況はは外部経済の例の一つで「ネットワーク外部性」と呼ばれている。 またキャッシュレス決済を利用することに対して消費者はさまざまな不安を持っているが、中でも、停電や通信障害などが起こった時の支払いの問題や、利用の安全性や紛失した際の懸念を多くの消費者が訴えている。現金を落としたり盗まれたりしても損失は盗まれた現金だけにとどまるのに対して、キャッシュレス決済手段では場合によっては損失額が大きく膨らむ恐れがある。 また、東日本大震災などの状況を目にすれば、いざというときにどうやって支払いをするのかという心配が生まれるのも当然である。すべてを民間に任せておくのではなく、政府が適切な規制や規格の設定、非常時の対応策の提示などに関与して、消費者の不安を解消していくことは日本でキャッシュレス決済の利用を促進することになるはずだ』、「決済」は確かに政府の介入が有効な分野だ。
・『経済の発展段階で国家の主張は変わってくる  アメリカでトランプ政権が誕生してから、米中の経済摩擦が激しくなったが、アメリカが問題にしているのは、対中貿易赤字が大きいという結果だけではない。中国政府が国内企業を支援して国際競争力を高めることで輸出を促進するという、不公正な政策を行っていることが不均衡の原因だとして、批判を強めている。 中国は中央政府が民間の経済活動に深く関与し続けており、これを変える意思はないだろう。振り返ってみれば、中国の最高指導者だった〓小平氏が1990年代に「韜光養晦(とうこうようかい)」(注1)という新たな外交方針を示したことを西側資本主義諸国は歓迎した。だが、これは、「時が来るまでは対立を避けて力を養おう」としたもので、改革開放路線とはいっても、欧米式の自由や民主主義を全面的に受け入れるという意図は、最初からなかったのではないか。 現在の貿易や国際金融のルールは欧米諸国が中心となって作り上げてきたものだ。アメリカが対中交渉で大きな問題としている知的財産権の問題にしても、昔は現在のように厳しいものではなかった。アメリカ自体も19世紀には当時の標準でみても非常に保護主義的で、そのおかげで産業が発展したという歴史がある。 多くの発展途上国は、経済を発展させていくためには、貿易や国際金融に関して政府がさまざまな介入を行うことは必要だと考えている。国際社会の中でこれを制限する厳しい条件を課されていることを、本音では不公正だと考えている。 トランプ政権は米中交渉において、中国に対し、中国からの輸入の抑制という圧力をかけて、政策を変えさせようとしている。現在のように中国から米国への輸出が、米国から中国への輸出よりもはるかに大きいという状況では、こうした圧力は効果がある。しかし、中国経済がアメリカ経済との差を縮めていき、さらにアメリカ経済の規模を凌駕するようになれば、輸入の抑制という圧力に屈するのはむしろアメリカの側となる可能性もある。 (注1)〓小平氏自身が実際にこの言葉を使ったのかどうかははっきりしないようだ) IMF(国際通貨基金)の推計では購買力平価ベースでみると、すでに中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国となっている。市場の為替レートを使ったIMFの予測によると2023年になってもまだ米中の経済規模にはかなりの格差があって、規模逆転は視野に入っていない。だが、筆者を含めて遠からず中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国になるだろうと考えているエコノミストも多い。 これは、中国は人口がアメリカの4倍程度もあるためだ。アメリカが中国に経済規模で抜かれないためには、1人当たりの生産額を中国の4倍以上に保つ必要があり、これはなかなか厳しい条件だ。中国が今後、相当大きな政策的な間違いを犯さない限り(注2)、いつかは追い抜かれる可能性が高いだろう。 少なくとも、中国は容易にアメリカの圧力に屈して政府による経済への関与を止めることはないとみられる。一方、なぜ欧米だけが経済発展を遂げられたのかを論じた数々の本が正しければ、いずれは国家資本主義を採用した国々の経済は停滞してしまうはずだ。中国が中進国の罠を抜け出せず、どこかで成長が止まってしまい、中国経済の規模がアメリカ経済を凌駕して世界一の経済大国になるということは起きないという見方も根強くある』、「中国が中進国の罠を抜け出」せるかどうかを見極めるのは、時期尚早のようだ。
・『1~99%の間の最適解を議論すべき  しかし、日本も含めた先進諸国経済が停滞する中で、国家資本主義を掲げる国々の経済的発展を脅威とする論調は強まっている。これは、国家主導で技術開発や産業の育成を行う中国と対抗していくのに、自国の政府が何もせずに民間企業の自由な競争に任せるだけではうまくいかなくなると考える人が増えているからだろう。 政府が経済活動にどこまで介入するかは、社会主義経済の100%から自由放任の0%まで幅があるが、市場の失敗が存在することを考えれば最適なレベルは1~99%のどこかになるはずだ。政府が民間の経済活動に介入すべきか、すべきでないのかという問題設定は誤りだ。どのような場合に介入すべきで、どのような場合には介入すべきでないのか、どのような形で介入するのが適切なのかが議論すべき問題ではないだろうか。(注2)多くの書籍は、中国経済が著しい停滞に陥ったのは1950年代末ころから行われた大躍進政策の失敗が大きかったと指摘している』、説得力ある主張で、その通りだ。

第三に、作家、書評家の印南 敦史氏が10月3日付け東洋経済オンラインに掲載した「中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/304849
・『2016年5月に放送されたNHK総合テレビの特集番組「欲望の資本主義~ルールが変わる時」は大きな反響を呼び、2017年3月にはその内容を書籍化した『欲望の資本主義~ルールが変わる時』が刊行された。 次いで2017年には初回と同じく「ルールが変わる時」が、2018年には「闇の力が目覚める時」が放送され、そちらも2018年4月刊行の『欲望の資本主義2闇の力が目覚める時』にまとめられた。 今回ご紹介する『欲望の資本主義3: 偽りの個人主義を越えて』(丸山俊一 + NHK「欲望の資本主義」制作班 著、東洋経済新報社)は、それらに次ぐ第3弾である』、「NHKの特集番組」は見どころが多いいい番組だった。
・『今回はスコット・ギャロウェイの言説に焦点を当て紹介  今回、本書の中心となるのは、2019年新春に放送した「欲望の資本主義2019 ~偽りの個人主義を越えて~」からのアンソロジーである。 国民国家、市場原理、すべてを超越して巨大化するGAFAと呼ばれる巨大プラットフォーマーへの懸念、そして仮想通貨(暗号通貨)、ブロックチェーンへの期待と不安が交錯する今、資本主義の行きつく先はどこなのか、その原点にあった誤り、ねじれとは何だったのか、その後の流転の中、我々はどうすべきなのかを、考えようという企画だ。(「はじめにGAFA、仮想通貨……、そして今、市場とは? 資本主義とは?」より) ちなみに本シリーズが「欲望」をキーワードに据えているのは、欲望こそが資本主義を駆動する力のすべての発端であるからだという。しかもそれは、リアルな姿をつかめないものでもある。だからこそ、「欲望の総体たる資本主義はどこへ向かうのか」を解き明かそうとしているのである。 そんな本書は、5人の識者の言葉によって構成されている。今回はその中から、起業家・大学教授のスコット・ギャロウェイの言説に焦点を当ててみたい。言うまでもなく、ベストセラーとなった『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』の著者。GAFAに対して辛辣な姿勢を持ち、巨大プラットフォーマーの功罪を、独自の視点に基づいて語り続ける人物である』、興味深そうだ。
・『今さら説明の必要はないかもしれないが、GAFAとはわれわれの日常生活に大きな影響を与えている巨大プラットフォーマーであるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの頭文字をとったもの。 ギャロウェイは『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』において、国境を越えてパワーを持つ四騎士が、人々の「欲望」をどうつかみ、どうビジネスとしているのかを問題提起している。では、人々にとってGAFAはどのような存在になっており、なぜ、これほどまでに成長したのだろうか?この問いに対して彼は次のように答えている。 GAFAは、それぞれ人間の基本的で本能的な欲求に訴えかけ、大成功を収めたのだと思います。グーグルは人々の神への、アップルはセックスへの、フェイスブックは愛への、アマゾンは消費への欲求にそれぞれ訴えかけています。 人間は安全な洞窟から危険な外界に踏み出し、脳を発達させました。脳は非常に複雑な問いを発しますが、脳の発達は、その問いすべてに答えられるほど十分ではありません。ですから、解決不能な困難に遭遇した時には、神に祈るようになりました。(20ページより) 祈りとは、すなわち「問いかけ」。かつて、子どもが病気になったら神に祈っていた私たちは今、同じ状況下でグーグルの検索ボックスに「扁桃腺、症状、治療法」と入力している。つまりそれは、祈りと同じ行為だということだ』、「グーグルは人々の神への、アップルはセックスへの、フェイスブックは愛への、アマゾンは消費への欲求にそれぞれ訴えかけています」、というのは面白い説明だ。
・『神、愛、消費、セックス  言われてみれば確かにグーグルは、ユーザーが結婚を考えていることも、離婚を意識しはじめていることも、悩みの原因も知っている。そのうえで、「問い」に答えてくれるのだ。その影響力は牧師や神父、友人や家族、上司よりも信頼に値するからこそ、グーグルは神なのだと著者は考えるのである。 続いて、フェイスブックは愛だという発想。ここでまず前提になるのは、人間は愛なしでは生きられず、愛は人と人とのつながりの中で生まれるものだという事実である。そんな中フェイスブックは、人々のそれなりの関係を促し、つながりを強くしてくれる。だから、フェイスブックは愛への欲求に訴えかけているという考え方だ。 次に、消費について。人間にとって最も深刻な問題は飢えであり、飢えをしのぐにはより多くの食料を蓄える必要がある。そのため人間の脳には、「もっともっと」という欲求が刷り込まれている。つねに、より多くを所有しなければならないという強迫観念に縛られているわけだ。 「安価な商品を多く提供する」ビジネス戦略が有効なのも、そんな理由があるから。そして、ウォルマートやユニクロ以上に、その戦略で成功しているのがアマゾンなのである。 そして、アップルはセックスだという視点。よりよいパートナーを得て、よりよい遺伝子を持った子孫を残すため、私たちは異性にとって魅力的でなければならない。 今日、異性に最もアピールできる価値は「高収入で、都会に住んでいて、創造的な仕事をする才能がある」ことであり、それを異性に示すことができる最も簡単な方法がiOSを持つことだというのである。なぜならiOSを持っているということは、1300ドルもする電話を購入する経済力があることを意味するから。よってアップル製品は、よりよいパートナーと巡り合いたいという性的な欲求に訴えかけていることになるのだという。 GAFAという「四騎士」は、人間の欲求を神と愛、消費、セックスに解剖し、営利企業として私たちを一つにまとめ直したのです。GAFAの合計の時価総額は今やドイツのGDPを上回っています。(22~23ページより)』、GAFAへの風当たりは強くなっているが、「合計の時価総額は今やドイツのGDPを上回っています」、やはり極めて大きな存在のようだ。
・『一部の裕福な人が低賃金で従業員を雇用  著者自身もかつて、できたばかりのグーグルやフェイスブックのことを、まるでラブレターをもらったかのような気分でわくわくして見ていたそうだ。株も買ったし、一緒に仕事をしたこともあるという。 ところが2年の歳月を費やしてGAFAのデータを調査し、これらの企業の実態を知るにつれ、印象は変わっていったと明かす。ラブレターどころか、警告文を読んでいるような気分になったというのだ。 GAFAは巨大になり過ぎたと思います。彼らが成功した秘訣はいくつかありますが、私はいくつかのポイントを指摘しました。彼らは「崇高なビジョンを掲げ」「人間の本能を刺激し」「法律を無視し」「競争相手を資金で踏みつぶし」て、成功を収めたのです。(24ページより) そのいい例が「税」だ。ご存じのように、GAFA側は、一般の企業と同じ基準で規制されたり課税されたりしていない。市場の独占を許さないため、社会が長きにわたって設けてきた一定の基準が踏みにじられているということ。 事実、アマゾンなどの企業は、連邦政府や州政府から税制の優遇や補助金を受けているが、その従業員の一部は低賃金にあえぎ、生活保護を受けている。世界で最も裕福な人が低賃金で従業員を雇用し、その一方で、補助金や税制の優遇を受けるべく駆けずり回り、利益を得ているのである。) 1つの企業が巨大になり影響力を持ちすぎると、不正が起こるものだとギャロウェイは指摘している。もちろん、税金逃れもその1つだ。アメリカではこの10年間でウォルマートが640億ドルの法人税を納めたのに、アマゾンが納めたのは14億ドル。 このように企業が強くなりすぎると、税制の逆進性に行き着いてしまうということだ。 だが、人々はなぜそれほどに、お金に心を奪われてしまうのだろう?お金がすべてという経済の状況は、今後も続いていくのだろうか? 資本主義経済では、おカネがあるほどより良く健康管理ができ、長寿に恵まれ、ストレスも減ります。伴侶の選択肢も増え、子供が教育環境に恵まれ成功する確率も高まります。そのため、多くの人が高収入を得たいと思うのです。それにより、良いこともあります。人々の向上心を育むからです。競争とは素晴らしいものなのです。 大切なのは、未来に投資することです。良い学校があること、恵まれない人々にセーフティネットがあること。私たちは長期的な視野を持って、未来に確実に投資しなければなりません。(33~34ページより)』、「アメリカではこの10年間でウォルマートが640億ドルの法人税を納めたのに、アマゾンが納めたのは14億ドル」という「税制の逆進性」は、余りに不公正で何とか是正していく必要がある。
・『自分の子どもはスティーブ・ジョブズにはならない  ところでギャロウェイは、「GAFAの出現によって、アメリカ社会はどう変貌したのか?」という問いに対して、「アメリカは少々道を見失ったのだと思います」と答えている。 かつてのアメリカの目標は、大勢のミリオネアを生み出すことだった。よき市民として一生懸命働き、ルールを守りさえすれば、一生で100万ドル(日本円で1億円強)は貯蓄でき、経済的安定を手に入れられるはずだったのである。 しかし現在、状況は変わっている。巨大IT企業の出現と、それを後押しする経済政策のため、アメリカの目標は大勢のミリオネアを生み出すことから、少数のトリリオネア(1兆ドルの資産を保有する人)を生み出すことに変わってしまったのだ。 そのような状況下においては、1人の勝者が夢のような生活をする一方、その他の人々は無残に死んでいくことにもなる。このことについてギャロウェイは、「誰もが自分の息子が次のジョブズだと妄信する奇妙な“宝くじ経済”に陥っていると表現しているが、言い得て妙である。 自分の子供が次のジョブズになると信じている人に、私はこう言っています。「子供はジョブズにはならないと思った方が良い。その代わり、他の99%の人間も確実に一定レベル以上の生活ができるようにしなければならない」と言っています。(40ページより)) このように伝えなければならない現実があるのだとすれば、それは資本主義が、私たちの社会が、とても居心地の悪いものになりつつあるということにほかならない。 エーブラハム・リンカーンが言ったように、かつてのアメリカは普通の人間を愛していたが、今では中流階級の普通の人間を愛せなくなってしまったようだとギャロウェイはいう。代わりに特別な人を新たな英雄として祭り上げ、他の人々は取るに足らないと思うようになってしまっているということだ。 だが現実問題として、大半の人々は特別な人間ではないはずだ。にもかかわらず私たちは、勝者がすべてを独占する経済をつくり出しているようだというのである。 それは、私たちが望んでいることでしょうか。大勢のミリオネアがいる社会と、一人のトリリオネアがいてその他の人々は貧しい社会の、どちらが良いのでしょう。 本来は、中小企業を優遇して大企業になるチャンスを与えるべきです。ところが、アメリカでは別のことが起こっています。宝くじに当たった人に、「おめでとう。賞金額を倍額にしましょう」というようなことが起こっている状況なのです。アメリカは、3.5億人の召使が300万人の主人に仕える社会に向かって突進しているかのようです。(40~41ページより)』、「アメリカの目標は大勢のミリオネアを生み出すことから、少数のトリリオネアを生み出すことに変わってしまった」、「アメリカは、3.5億人の召使が300万人の主人に仕える社会に向かって突進しているかのようです」、どこかでこうした不公正さの是正の動きが出てくる気もする。
・『資本主義の現在と未来をつかみとったこと  もちろん規模は違うが、同じことは現在の日本にもいえるのではないだろうか? 今回はスコット・ギャロウェイの発言に焦点を当てたが、ほかの4人、すなわち仮想通貨の開発者であるチャールズ・ホスキンソン、現在の資本主義を冷静に分析する経済学者のジャン・ティロール、文明論的な視点から歴史を読み解く歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ、そして若き哲学者のマルクス・ガブリエルの主張も同じように説得力がある。 立場は違えど、それぞれの視点から資本主義の現在そして未来をつかみとっているわけだ。そのすべてに共感できるか否かは別としても、要所要所で納得できるのは、きっとそのせいなのだろう』、「ほかの4人」についても紹介記事が出てほしいものだ。
タグ:(その2)(金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている、国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある、中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み) 急速な経済成長を遂げた中国は、習近平主席が誕生すると共産党による民間経済活動のコントロールを強化する方向に進み始めた 規制を緩和しさえすれば経済活動が活発になり経済成長率が高まるというものではなく、逆に規制や政府の関与が新しい技術や仕組みの普及を促進するということもある 消費者にとって政府介入が有効なケース 「国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある」 的場昭弘 ダイヤモンド・オンライン 「金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている」 利子はどこから生まれる? 生産による利潤の一部 金利がゼロというのはどういうことか 税制の逆進性 資本主義の現在と未来をつかみとったこと 資本主義 印南 敦史 東洋経済オンライン 今回はスコット・ギャロウェイの言説に焦点を当て紹介 アメリカではこの10年間でウォルマートが640億ドルの法人税を納めたのに、アマゾンが納めたのは14億ドル 「崇高なビジョンを掲げ」「人間の本能を刺激し」「法律を無視し」「競争相手を資金で踏みつぶし」て、成功を収めたのです GAFAは巨大になり過ぎた 一部の裕福な人が低賃金で従業員を雇用 GAFAの合計の時価総額は今やドイツのGDPを上回っています 神、愛、消費、セックス GAFAは、それぞれ人間の基本的で本能的な欲求に訴えかけ、大成功を収めたのだと思います。グーグルは人々の神への、アップルはセックスへの、フェイスブックは愛への、アマゾンは消費への欲求にそれぞれ訴えかけています 中国経済がアメリカ経済との差を縮めていき、さらにアメリカ経済の規模を凌駕するようになれば、輸入の抑制という圧力に屈するのはむしろアメリカの側となる可能性もある NHK総合テレビの特集番組「欲望の資本主義~ルールが変わる時」 「中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み」 1~99%の間の最適解を議論すべき 中進国の罠 購買力平価ベースでみると、すでに中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国となっている 経済の発展段階で国家の主張は変わってくる すべてを民間に任せておくのではなく、政府が適切な規制や規格の設定、非常時の対応策の提示などに関与して、消費者の不安を解消していくことは日本でキャッシュレス決済の利用を促進することになるはずだ 資本蓄積が進むと利潤率や利子率は長期低下傾向に リーマンショック 世界金融危機で揺らいだ欧米型資本主義への信頼 櫨 浩一 成長力を失い新たな段階へ 資本が「社会化」する時代に? フロンティアの拡大、難しく 投資を控える資本 マルクスが予見した利潤率低下の法則 資本主義の発展段階の変化が反映 国家資本主義は政府や共産党が民間の経済活動を方向づけることが基本となっており、中国やロシアなどが採用
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