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教育(その18)(筆算の線 手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は、校則全廃校長 荒れた学校で「怒鳴る教員」をどう変えたか、9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ) [社会]

教育については、9月2日に取上げた。今日は、(その18)(筆算の線 手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は、校則全廃校長 荒れた学校で「怒鳴る教員」をどう変えたか、9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ)である。なお、英語民間試験については、「安倍政権の教育改革(その10)」として11月9日に取上げた。

先ずは、9月24日付け西日本新聞「筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は」を紹介しよう。
・『「なぜ筆算の横線を、全て定規で引く必要があるのでしょう」。福岡県内の小学校に通う小学5年男児の親族の女性(34)から、特命取材班に相談が寄せられた。夏休みの宿題を提出したところ、横線が手書きだったとして、担任に「書き直し」を命じられたという。指導の背景を探った。 女性によると、担任は日ごろから定規を使うように指導。男児は疑問を抱きつつも注意されるのが嫌で基本的に従ってきた。今回、筆算の一部は「別にいいだろう」と自分で判断し、手書きで線を引いたという。 すると、担任から保護者に書き直しを求める電話があった。対象は160問分。理由を尋ねると「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」。女性は「計算のリズムが崩れるし、自分なりのノートの取り方を見つけるのも勉強ではないか」と不思議がる。 同様の指導を行っている県内のベテラン教諭に理由を聞いた。定規で線を引く動作は意外と難しく、「小学2年の習い始めは2割しかできない」という。筆算の線引きはこの練習になるというわけだ。高学年では「手書きより見直しやすいし、面倒くさがらずにやる子の方が学力が伸びる」と説明する。 このような理由を、男児の担任は保護者に説明していない。県内の別の学校では小学6年も定規の使用を指導しているが、疑問を抱いた父親(39)が理由を問うと、「学年で決めています」との返事だったいう。 いつ、どう広がったのかは不明だが、「30年前にはそう指導していた」という小学校教諭の声もあった』、「夏休みの宿題」で「160問分」の「書き直し」を命じ、「理由を尋ねると「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」」とした担任は、どうにかしている。指導方針のなかには、必ず守らせるものだけでなく、望ましい程度の推奨項目もある筈で、今回の問題は後者だったのではなかろうか。
・『「教師自身が考えなくなっている」。定規の利用など、教員が十分に理由を説明できないルールが数多くある実態について、東京大大学院の村上祐介准教授(教育行政学)は警鐘を鳴らす。 村上氏は2015年度、自治体ごとに授業の受け方や生活態度を定めた「スタンダード」と呼ばれるルールの有無を全国調査した。回答を得た445自治体の約2割が導入していた。 スタンダードの内容は自治体ごとに異なるが、「足の裏を床につけて座る」「手を真っすぐ挙げる」などの規律や、「子どもが自分で課題を解決する時間を確保」といった授業の手法が記されている。 こうした画一的なルールの広がりについて、村上氏は若手教師の授業の質を一定水準に保つ役割はあるとしつつも、「守ることが目的化してしまう危険がある。教師自ら判断することを望んでいない傾向があるのではないか」と懸念する。 教師の間にも異論はある。勤務先の小学校で18年度にスタンダードが導入されたという福岡県の男性教師(60代)は「学校にとって理想の子ども像が書かれている」と話す。 机上に置くノートや筆箱の位置、発表や話を聞く態度、あいさつの仕方、廊下の歩き方に加え、靴や傘、トイレのスリッパの置き方、休み時間の遊び方の注意点まで書かれている。「子どもには、ルールを作っていく力こそが必要なのに…。スタンダードが浸透するほど枠組みになじめない子が排除される心配もある」。ベテラン教師のそんな疑問は、スタンダードを推し進める校長の前でかき消されがちだという』、「自治体ごとに授業の受け方や生活態度を定めた「スタンダード」」は、必ずしもレベル分けをしてないようだ。しかし、「机上に置くノートや筆箱の位置、発表や話を聞く態度、あいさつの仕方、廊下の歩き方に加え、靴や傘、トイレのスリッパの置き方、休み時間の遊び方」まで一律のルールで縛るのは、行き過ぎだと思う。子どもといえども、1人の個人として自主性を尊重すべきなのではなかろうか。

次に、11月18日付けNEWSポストセブン「校則全廃校長、荒れた学校で「怒鳴る教員」をどう変えたか」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20191118_1488219.html
・『東京都世田谷区立桜丘中学校では、校則の全廃による服装や髪形の自由化のほか、チャイムは鳴らず、何時に登校してもいい。今年度から定期テストも廃止され、代わりに10点ないし20点の小テストを積み重ねる形式に切り替えられた。スマートフォン(スマホ)やタブレットの持ち込みが許可され、授業中も教室外での自習が認められている──これら画期的な学校改革は大きな注目を集め、新聞や雑誌、テレビでも取り上げられてきた。 校長の西郷孝彦さん(65才)の初となる著書『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』には「子育ての参考になった」「こんな先生に教わっていたら、人生が変わっていたかもしれない」などと、大きな反響が寄せられている』、第一の記事の小学校と中学校の違いがあるにせよ、全く対極的なやり方だ。なお、この「桜丘中学校」の例は、このブログの9月2日でも紹介した。
・『生徒を怒号と力でねじ伏せる  西郷さんがいくつかの異動を経て、桜丘中学校に校長として赴任したのは、2010年のことだった。 「当時の桜丘中学校はどこにでもあるごく普通の学校でしたが、一方でよい評判を聞くこともなかった。引き継ぎの日に、前任者から“大変だろうけど、まあ、あとは自由にやりなさい”と言われたのですが、その理由がすぐにわかりました。朝礼を見れば一目瞭然です」(西郷さん・以下同) 「黙れー!」「そこ、早く並べ!」「後ろを向くな!」──西郷さんが朝礼台に立っても、教員たちの怒鳴り声はやまない。 「生徒を力で押さえつけて秩序を保とうとしていたのです」 修学旅行でも同じ光景が繰り広げられた。一般の旅行客であふれかえる京都駅の構内に「並べ!」「黙れ!」と教員の怒声が響く。驚いて振り返る人もいた。 「客観的に見れば、列を乱している生徒よりも、怒鳴っている教員たちの方が、よっぽど周囲の迷惑になっています。生徒を怒鳴り散らすことが当たり前になってしまい、それさえも気づかなくなっていた。 怒鳴っている方も、もちろん気持ちのいいものではありません。怒鳴る教員も怒鳴られている生徒も、どちらにもマイナスでしかありません」 怒鳴り声をあげないためには、一体どうしたらいいか。まず取り組んだのが、朝礼の見直しだった』、「京都駅の構内に「並べ!」「黙れ!」と教員の怒声が響く。驚いて振り返る人もいた」、「「客観的に見れば、列を乱している生徒よりも、怒鳴っている教員たちの方が、よっぽど周囲の迷惑になっています。生徒を怒鳴り散らすことが当たり前になってしまい、それさえも気づかなくなっていた」、習慣化すると、本来の目的を忘れてしまうのは、悲しい人間の性のようだ。
・『「そもそも教員も生徒も、ルール遵守が絶対と考えています。いずれ社会に出たら社会のルールを守らなければいけない。であれば、学校でもルールを守ることが大事だというのが、多くの日本の学校の理屈です」 朝礼も“一糸乱れず整列し、校長の話をありがたく聞かなければいけない”という暗黙のルールに縛られていた。 「そのルールを取り除いてしまったらどうだろう──発想の転換です。生徒が騒ぐとすれば校長の話がつまらないせいで、面白ければきっと耳を傾けるはずです。そこで私は、生徒が思わず聞き入るような、とっておきの面白い話を準備するように心がけました」 朝礼が騒がしくなるのなら、それは興味を持てない自分の話に責任がある。だから生徒が騒ぎ出しても絶対に怒鳴らないようにと、教員には根気強く説き続けた。もちろん、朝礼で騒いでいいと言っているわけではない』、「朝礼が騒がしくなるのなら、それは興味を持てない自分の話に責任がある。だから生徒が騒ぎ出しても絶対に怒鳴らないようにと、教員には根気強く説き続けた」、教員からの反発もきっと強かったと思われるが、それを説得してきたとはさすがだ。
・『「授業も同じです。教員には、“なぜ生徒が自分の授業を聞かないのか”、それは自分の教え方に問題があるのではないかと考えてほしい。同時に生徒には、叱られるから騒いではいけないのではなく、どうして騒いではいけないのか、自分で考えてほしいのです」 西郷さんが校長に就任した当時の新入生が卒業する頃には、学校を落ち着いた雰囲気が包むようになっていた。 この朝礼の見直しを契機に、理不尽で意味のない校則の一つひとつを見直し、2016年、ついには全廃した』、校則を全廃したとは画期的だ。これが他校にも広がって欲しいものだ。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が11月19日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00049/?P=1
・『先日、講演会後の懇親会で、管理職が20代の社員たちの日本語能力に悩まされているという話で盛り上がった。 「9時スタートの研修会なのに1分前にドサドサと入ってきて、5分、10分の遅刻は当たり前。なので『9時10分前には集合するように』と言ったら、キョトンとした顔をされてしまって。ま、まさかと思いつつ『8時50分に来るのよ』と念押ししたんです。そしたら、『あ、そういうこと』って。もう、わけが分かりません」 こんな“珍事件”に面食らった上司たちの嘆きが、「これでもか!」というくらい飛び出したのである。 確かに、私自身、店で領収書をもらおうとしたときに、「???」という事態に何度か出くわしたことがある。 【ケース1】河合「領収書をお願いします」 店員「宛名はどうしますか?」 河合「上、でいいです」 店員「うえで、ですね!」←自信満々感満載 河合「……は、はい」 するとなんとその店員は宛名の部分に「上出」と書いた。 【ケース2】河合「領収証お願いします」 店員「宛名はどうしたらいいですか?」←必死で丁寧に振る舞っている  河合「カタカナで、カワイ、でお願いします」 店員「カワイですね」←自信満々! 河合「(失笑)」 ……どちらも20代。ケース1は「上様」を知らず、ケース2は普通は「カワイ、様ですね」とか「カワイ、様でございますね」となるのに、いきなりの呼び捨て。笑ってしまった。 まぁ、これらは日本語の問題というより、常識の問題。つまり、こういう対応が気になるようになった私が年を食っただけのことだ』、「ケース1」、「ケース2」とも呆れるのは河合氏だけでないだろう。
・『若者の国語力が下がっている  一方、上司たちの「言葉が通じない」嘆きは日常の業務にかかわること。たとえ一つひとつはささいなことでも日々繰り返されるとストレスになる。 というわけで今回は「言葉が通じないワケ」についてあれこれ考えてみようと思う。 まずは冒頭の懇親会で聞いた“珍事件”から。 「部下に『そのタスクは結構、骨が折れるから覚悟しておけよ』って言ったら、『え? 肉体労働なんですか?』って返された。どうやら骨が折れるを骨折と間違えたようだ」 「社長に褒められた部下に、『現状に胡座(あぐら)をかいてると、後輩に追い越されるぞ!』って活を入れたらキョトンとされた。あぐらをかいて座ることだと思ったみたいです」 「送られてきたメールが一切改行されてないので『読みづらいから、項目ごとに改行しろ』と言ったら、『改行って何ですか?』と言われてあぜんとした」 「営業先で『お手やわらかにお願いしますよ』と言われ、会社に帰る途中で『あの人、やわらかいんですね。どうしたらやわらかくなるんですか?』と真顔で聞かれた」 「高齢のお客さんに取扱書の内容を説明するのに読み上げるだけだったので、分かりやすく自分の言葉で説明してあげてと伝えたが全く改善されず。理由を問いただしたら、取扱書の文章を理解できていなかった」「分からない語彙があったらその都度辞書で調べるようにと、辞書を渡したら、引き方が分からないみたいで、異常に時間がかかった」「英語で書かれた仕様書を翻訳させようとしたら、英和辞典に書かれている日本語の意味が分からないと突き返された」「業務報告書を手書きで書かせているのだが、漢字の間違いが多すぎる。混乱を困乱。特にを得に。性格を生格……」「消費税が2%上がるという、2%を理解させるのが大変だった」 ……ふむ。どれもこれも嘘のようなホントの話。もちろん20代でも、日本語を巧みに使い、理解度も高く、文章力がある社員もいる。だが、上司たちは「日本語の能力が低下してる」と日々感じているのだという。 もっとも、漢字が書けないとか間違った漢字を使うとか、慣用句を知らないというのは、その都度学べばいいだけの話だ。問題は語彙力の乏しさからもたらされる日本語の読解力の低下だ』、「漢字」が読めない大臣もいたのは事実だが、ここに上がった例は本当に酷い。
・『個人的な話で申し訳ないが、私自身、小学校4年から中1まで米国で暮らし、その間日本語の教育を受けていないので学生時代は壊滅的に語彙力が乏しかった。不思議なことに知ってる語彙が少なくとも日常的なおしゃべりに困ることはなかった。 ところが、高校生になって現代国語の校内実力テストで、長文問題を何度読んでも理解できなかったのである。 漢字が読めないとか、読めない字があるとか、そういったことじゃない。ちゃんと音読できるのに、意味が分からない。古文でもなければ漢文でもない。ただの現代文。なのに書いてあることが、ちっとも理解できなかった。生粋の日本人なのに、なぜか日本語が理解できない。漢字が読めないことを笑われても気にならなかったけど、日本語の文章が理解できないという現実はかなりショックだった。その結果私は文章を避けた。28歳でお天気の世界に入るまで、本を一切読まなくなってしまったのだ』、帰国子女の河合氏ならではの悩みで、長文の読解力で苦労したようだ。
・『会話はできても文章理解力は低かった自分  実は同様のことは米国でも経験していて、英語の本を読めても日本語に訳せない。俗っぽくいうと、フィーリングでなんとなーく理解するものの、物語が描いている世界観や言葉に込められた深層構造を理解することができなかったのである。 言語を習得するにはたくさん聞くだけじゃなく、たくさん読むことが必要不可欠で、言葉の運用力を高めるには語彙力が影響する。実際、 読書経験を重ねることで、語彙力が高まり、それが文章理解力の向上につながることは、国内外の調査から一貫して報告されている。 米国人大学生を対象にした様々な調査では、小さい頃から本をたくさん読んでいる学生ほど、スペルの間違いが少なく文章を理解する力が高いとされているし、日本人大学生を対象した調査では、新聞や雑誌ではなく小説の読書量が強く影響することもわかっている(「大学生の読書経験と文章理解力の関係」澤崎宏一)。 小説でつづられる母語の名文を繰り返し読んだ経験が、日常生活で身につく経験や情報と結びつくことで、文章を理解する力が高まっていくのである』、「読書経験を重ねることで、語彙力が高まり、それが文章理解力の向上につながることは、国内外の調査から一貫して報告されている」、私も学生時代の読書経験は乏しい方なので、職場で苦労した。
・『デジタル世代の若者たちは、日々携帯メールやラインの送受信を繰り返しているので、日常的な会話量は半端なく多い。だが、おしゃべりは所詮おしゃべりでしかない上に、親密になればなるほどメールでの言葉は省略され、絵文字だけでもやりとりが可能になる。いわばメール版「あうんの呼吸」だ。 フェースtoフェースなら、相手に伝わるまで言葉を脳内から振り絞ったりすることがあるが、デジタルの世界ではその必要もない。要するに、若い世代は圧倒的に語彙を増やす機会に乏しい社会に生きている。しかも、本を読む子供たちが激減しているという悲しい現実もある。 平成28年度委託調査「子供の読書活動の推進等に関する調査研究」(文部科学省)によると、不読率(1カ月で読んだ本の冊数が「0冊」と回答した生徒の割合)は、小学生が1割未満、中学生が約1~2割、高校生が約3~4割で、読書時間・読書冊数ともに、学年が上がるにつれて増加傾向にあることが分かった。 また、「第54回学生生活実態調査の概要報告(2018年)」(全国大学生活協同組合連合会)では1日の読書時間が「0」と答えた学生は48.0%。17年の53.1%より減少したものの、半数近くの学生に読書習慣が全くない』、「不読率」が「読書時間・読書冊数ともに、学年が上がるにつれて増加傾向にある」、勉強が忙しくなるためなのだろうか。
・『小学生で本を読まないとそのまま大人になる  この調査では、大学入学までの読書傾向も聞いているのだが、 小学校高学年では読書時間が30分以上だったと回答した人が54.1%いるが、高校になると33.0%に減少 小学校入学前から高校にかけて「全く読まなかった」人は、現在の読書時間も「0」が多く、特に高校時代に「全く読まなかった」人のうち現在も読書時間「0」の人が72.7%(全体平均48.0%)を占める。 小学校入学前と高校で120分と長時間読書している層は現在の読書時間も長い傾向がある といった関係性も認められている。https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html) 「学校の成績は国語力が9割」ともいわれるように、日本語の読解力、記述力は国語だけでなくすべての教科で必要な基礎となる能力だ。日本語の読解・記述力が不十分だと、数学の文章問題は理解できない。理論構成が支離滅裂な解答しかできない。思考力も想像力も、母語の運用能力に支えられている。 そもそも言語は、単なるコミュニケーションのツールではない。言語と思考とは互いに結びついており、特に母語の役割は果てしなく大きい。 母語により私たちは目に見えないものを概念として把握し知覚する。精神的な世界は言葉がないと成立しない。また、目の前に何か見えたとしても、その何かを示す言葉がないと、それを理解できない』、「学校の成績は国語力が9割」とは誇張もありそうだ。私は国語こそ苦手だったが、他教科はそこそこだった。
・『語彙の豊かさが思考力や豊かな感情を育む  例えば、日々暮らす場所であるという意味を「家」という語彙で概念化することで、形や色が違っても「家」と知覚することができる。性的ないやがらせをする行為を「セクハラ」という語彙で概念化することで、そういった行為が明確に意識され、「ああ、そういったことはやってはいけないんだ」と規範を学んでいく。 つまるところ、言語で表せる範囲がその人の認識世界。語彙が豊富であればあるほど知識は広がり、感情の機微も、複雑な人間関係も理解でき、世界が広がり、創造力も高まっていくのである。 英語教育にすったもんだ続きの文科省は、2003年3月31日に「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を示し、そのなかの「英語教育改善のためのアクション」の6番目に「国語力の向上」を掲げている。 具体的には、「英語の習得は母語である国語の能力が大きくかかわるものであり、英語によるコミュニケーション能力の育成のためには、その基礎として、国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成するとともに、伝え合う力を高めることが必要である」 と。 ところが、これだけ日本語が理解できない大人が増えているのに、英語力の低さばかりに関心が集まり、揚げ句の果てに民間試験導入などどわけの分からない方向に進んでいる。 実際には母語である日本語力の低下、具体的には語彙力の低下が背後にあり、それが英語力の低下につながっているのだ。 大学関係者であれば学生に英和辞典を引かせる苦労を経験している人は少なくないはずだ。10年以上前に某新聞社が「日本人の日本語力の低下」について連載し、その中の珍事件が大学でちょっとした話題になった。 ある大学で英文の講義で学生に「often」の意味を調べさせたところ、英和辞典に書かれていた「しばしば」という意味が理解できなかったのだ。当然ながら「頻繁に」という訳語も理解できない。そこで教師が、「よく~する、ってことだ」と説明したところ、「よく、は『good』の意味」としてしか認識できない学生がいたというのである』、「often」の例はまるで笑い話だ。
・『興味あるテーマから次々と読む経験を増やす   さて、と。ここまで書いたところで今回の問題をどう締めようか、考えあぐねている。つまり、コミュニケーションで悩むのは常にアクションを起こしている側なのに、コミュニケーションではアクションを起こされている側に「決定権」がある。いかにも不条理でコミュニケーションが永遠のテーマになるわけだ。 ただ、日本語力の低い人でも、「誰が(主語)、何を(目的語)」をきちんと文章に加えた完全文にすると理解しやすくなるとされている。 会話では主語が省略されがちなので、そのあたりを気をつけるだけでも少しは変わるはずだ。と同時に、部下が主語や目的語を省略している場合も、「誰か?何を?」と尋ねるだけでもすれ違いは防げる。めんどくさいかもしれないけど、試してみる価値はあると思う。 そして、もし素直で殊勝な心を持ち合わせている部下なら、興味あることの本を読め!と勧めてください。 というのも、長文が理解できなかった私がコラムやら本やらを書けているのは、お天気の世界に入り小学生向けのお天気図鑑を徹底的に読んだからだ。 お天気図鑑を何度も何度も理解できるまで読んだら、次々といろんなお天気の本が読めるようになり、難しい物理式が書かれているものまで読めるようになった。健康社会学の世界に入ってからは、山のように論文を読みあさってきたし、それは今も続いている。 その結果、語彙が増え、並行してインタビューを続けているので、自分の無意識の認知世界が意識化され、内部に宿る価値観やら考えを表現できるようになったと個人的には理解している。 それでも……まだまだ日本語がおかしいという自覚がある。だからこそ「また書こう、書かなきゃ」というモチベーションにつながっている。日本語って……本当に難しい』、「長文が理解できなかった私がコラムやら本やらを書けているのは、お天気の世界に入り小学生向けのお天気図鑑を徹底的に読んだからだ。 お天気図鑑を何度も何度も理解できるまで読んだら、次々といろんなお天気の本が読めるようになり、難しい物理式が書かれているものまで読めるようになった」、私だと図鑑の図の方に目がいってしまうが、河合氏は本文をきちんと読んだようで、さすがだ。いずれにしろ、必要に迫られてやる勉強が、一番身につくようだ。 
タグ:理不尽で意味のない校則の一つひとつを見直し、2016年、ついには全廃 若者の国語力が下がっている 京都駅の構内に「並べ!」「黙れ!」と教員の怒声が響く。驚いて振り返る人もいた 「授業も同じです。教員には、“なぜ生徒が自分の授業を聞かないのか”、それは自分の教え方に問題があるのではないかと考えてほしい。同時に生徒には、叱られるから騒いではいけないのではなく、どうして騒いではいけないのか、自分で考えてほしいのです 高学年では「手書きより見直しやすいし、面倒くさがらずにやる子の方が学力が伸びる」と説明 (その18)(筆算の線 手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は、校則全廃校長 荒れた学校で「怒鳴る教員」をどう変えたか、9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ) 校則の全廃による服装や髪形の自由化のほか、チャイムは鳴らず、何時に登校してもいい。今年度から定期テストも廃止され、代わりに10点ないし20点の小テストを積み重ねる形式に切り替えられた 著書『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』 規の利用など、教員が十分に理由を説明できないルールが数多くある実態について、東京大大学院の村上祐介准教授(教育行政学)は警鐘 画一的なルールの広がり 445自治体の約2割が導入 管理職が20代の社員たちの日本語能力に悩まされている お天気図鑑を何度も何度も理解できるまで読んだら、次々といろんなお天気の本が読めるようになり、難しい物理式が書かれているものまで読めるようになった 修学旅行 理由を尋ねると「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」 対象は160問分 夏休みの宿題を提出したところ、横線が手書きだったとして、担任に「書き直し」を命じられたという 世田谷区立桜丘中学校 教育 「筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は」 「9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ」 自治体ごとに授業の受け方や生活態度を定めた「スタンダード」と呼ばれるルール 日経ビジネスオンライン 「校則全廃校長、荒れた学校で「怒鳴る教員」をどう変えたか」 西日本新聞 河合 薫 教師自身が考えなくなっている 朝礼 Newsポストセブン 興味あるテーマから次々と読む経験を増やす 語彙の豊かさが思考力や豊かな感情を育む 日本語の読解力、記述力は国語だけでなくすべての教科で必要な基礎となる能力 「学校の成績は国語力が9割」 机上に置くノートや筆箱の位置、発表や話を聞く態度、あいさつの仕方、廊下の歩き方に加え、靴や傘、トイレのスリッパの置き方、休み時間の遊び方の注意点まで書かれている 「守ることが目的化してしまう危険がある。教師自ら判断することを望んでいない傾向があるのではないか」と懸念 校長の西郷孝彦 長文問題を何度読んでも理解できなかった 私自身、小学校4年から中1まで米国で暮らし、その間日本語の教育を受けていないので学生時代は壊滅的に語彙力が乏しかった 「客観的に見れば、列を乱している生徒よりも、怒鳴っている教員たちの方が、よっぽど周囲の迷惑になっています。生徒を怒鳴り散らすことが当たり前になってしまい、それさえも気づかなくなっていた 会話はできても文章理解力は低かった自分 生徒を怒号と力でねじ伏せる 28歳でお天気の世界に入るまで、本を一切読まなくなってしまった 朝礼が騒がしくなるのなら、それは興味を持てない自分の話に責任がある。だから生徒が騒ぎ出しても絶対に怒鳴らないようにと、教員には根気強く説き続けた 教員も生徒も、ルール遵守が絶対と考えています 小学生で本を読まないとそのまま大人になる
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