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孤独(その2)(中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教 日本は世界一の「不機嫌大国」だ、ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事、孤独死の8割は男性、日本で軽視される「孤独」の深刻度) [社会]

孤独については、2018年6月21日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教 日本は世界一の「不機嫌大国」だ、ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事、孤独死の8割は男性、日本で軽視される「孤独」の深刻度)である。

先ずは、コミュニケーション・ストラテジストの岡本 純子氏が2018年10月16日付け東洋経済オンラインに掲載した「中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教 日本は世界一の「不機嫌大国」だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/242992
・『「孤独は宗教のようなものだな」。テレビを見ながら筆者の父はこうもらした。バラエティ番組で、ある女性作家が、迫害や貧困を耐え抜いた盲目の旅芸人の壮絶な人生を紹介しながら、「孤独な生き方がいかに崇高で美しいものか」をとうとうと語っていた。「孤独は美しい」。「孤独は至高の生き方」。多くの日本人がそう信じこむことで、救いを得ようとしている――。それが「宗教」のように見えるということだ。 今、日本では「孤独」がちょっとした「ブーム」である。『孤独のすすめ』『孤独の力』『極上の孤独』……。「孤独」を美化し、推奨する本が次々と出版され、中高年男性を中心に飛ぶように売れている。裏返せば、多くの人が「孤独」という不安を抱え、どのように折り合いをつけていこうか悩んでいるということなのだろう』、「今、日本では「孤独」がちょっとした「ブーム」」、とはいえ、「「孤独は美しい」。「孤独は至高の生き方」」、などと美化した本を出すというのは、悪乗りの極致で、頂けない。
・『「長期的な孤独」という大問題が見過ごされている  自立し、一人の時間を楽しんだり、ひと時の孤独の不安を乗り切る強さは必要だ。しかし、そうやって、「孤独」を過度にポジティブにとらえようとする風潮の下で、「長期的な孤独」という大問題が見過ごされている。 国立社会保障・人口問題研究所が今年8月に発表した調査では、65歳以上の高齢者で1人暮らしをしている男性の15%(女性は5%)、およそ7人に1人が、会話の頻度が2週間に1回以下であるという結果だった。また、65歳以上で一人暮らしの男性の30.3%(女性は9.1%)が「日ごろのちょっとした手助け」で頼れる人が「いない」と答えた。 アメリカの財団が同じ8月に発表した日米英の孤独に関する調査では、孤独であると回答した人のうち、10年以上、孤独であるという割合が35%と、アメリカ(22%)、イギリス(20%)より圧倒的に高かった。 世界では、「孤独は現代の伝染病」として、社会を挙げて、調査や対策が進められているが、日本では「孤独」はあくまでも個人の心の持ちようの問題であり、各人や家庭で我慢するなり、対処しろ、というスタンスだ。 「孤独」を肯定することで、やり過ごそうという中高年とは対照的に、若年層は、真剣にこの問題に向き合い、苦悶している。ユニセフの2007年の調査によれば、孤独感にさいなまれている15歳の割合は29.8%と先進国の中でもずば抜けて高かった。これはほかの国々の3~5倍の水準だ。 筆者は今年2月に日本人の孤独問題について掘り下げた『世界一孤独な日本のオジサン』を出版した。「孤独礼賛本」に比べると、売れ行きは数十分の1といったところだが、多くのメディアに関心を持っていただき、取り上げていただいた。 気がついたのは、取材に来る記者のほとんどが20~30代の若い年代の人たちであるということだ。肝心のオジサン世代は「余計なお世話だ」「ほっておいてくれ」という反応が多い一方で、若者世代は、直感的に、そして、本能的に、「孤独は我慢してやり過ごせる問題ではない」ことに気づいているように感じた。 「自分一人を楽しむ時間」とか「同調圧力に屈しない」といったように、辞書をも無視する解釈で、「孤独不安症」の人々にとって聞こえのいいレトリックが振りかざされているが、「孤独」とは、本来、“孤”児のように誰も頼る人がいないといった不安な気持ちを指す言葉だ。孤独の苦しみは、のどの渇きや飢えと同等、と言われる。身を切るようにつらいのはそれが「水を飲みたい」「食べたい」という強烈な欲求となって表れるのと同様に、「人とつながりなさい」という脳からの警告であるからだ』、「世界では、「孤独は現代の伝染病」として、社会を挙げて、調査や対策が進められているが、日本では「孤独」はあくまでも個人の心の持ちようの問題であり、各人や家庭で我慢するなり、対処しろ、というスタンスだ」、日本の立ち遅れは困ったものだ。「孤独の苦しみは・・・「人とつながりなさい」という脳からの警告であるからだ」、なるほど、その通りなのだろう。
・『昭和の「やせ我慢強制世代」の価値観  そうした本能的欲求を何とか押さえつけて、飼いならして、一人で我慢しなさい、もしくは人とかかわるのは面倒だから一人でいい、というのが日本の中高年世代の考え方である。しかし、うつ病や、心臓病や認知症など、さまざまな精神的・肉体的な病気のリスクを高めるなど、「孤独」が精神的・肉体的健康や幸福感に甚大な悪影響を及ぼすということは無数の科学的研究で明らかになっている。 現在の日本の主流の考え方は「運動中は水を飲むな」という昭和のスポコン部活のロジックに近く、八甲田山の行軍のごとき理不尽さなのである。 こうした健康への影響が、病気などの原因となり、国家財政を圧迫する大きな社会コストとなるととらえられ、海外では対策が進められているが、心配なのはそれだけではない。長期的な孤独の中で、人は不機嫌になり、自己中心的・攻撃的になりやすい、と多くの研究は示唆する。 生涯未婚率もうなぎ上りで、単身世帯も増加する中、長期的に孤独の人が増えれば、日本は不寛容な社会へと変質していく可能性がある。社会は冷笑的になり、人嫌いが増える。ある調査によれば日本社会は「積極的に社会とかかわる」「深く考える」という人が減り、「社会とは一定の距離を置く」「刹那的に生きる」という考え方に振れる人が増えている。高齢者クレーマーの増加など「不機嫌な孤独社会」の萌芽はそこかしこに見えている。 そのツケを払うのが若者世代だ。こうした「つながりを求めるのは弱虫だ」といった昭和の「やせ我慢強制世代」の価値観を押し付けられて、「引きこもり」や「不登校」といった孤独に密接に絡んだ問題が、何の対策もなされぬまま放置されている。 今、日本には54万人(2015年、推定)の「引きこもり」がいると言われ、2015年度の全小中学生に占める不登校者の割合は1.26%と過去最多を記録した。こうした話を海外の人にすると、皆、なぜ、この状況が放置されているのか、と目を丸くして驚かれる。 その根本にあるのは、孤独を個人の問題ととらえ、人と人のつながりが、社会の基盤であるという認識が薄い中高年世代の価値観であろう。「一人でいいんだ」。学校に行けない子どもに対して、そういったメッセージが発信されることが多いが、それは「一人で我慢しなさい」というその場しのぎの突き放した物言いにも聞こえる』、「「孤独」が精神的・肉体的健康や幸福感に甚大な悪影響を及ぼす」、にも拘らず、「そのツケを払うのが若者世代だ。「つながりを求めるのは弱虫だ」といった昭和の「やせ我慢強制世代」の価値観を押し付けられて、「引きこもり」や「不登校」といった孤独に密接に絡んだ問題が、何の対策もなされぬまま放置されている」、年寄だけでなく、若者世代での問題にもつながっているとは深刻だ。「その根本にあるのは、孤独を個人の問題ととらえ、人と人のつながりが、社会の基盤であるという認識が薄い中高年世代の価値観であろう」、「中高年世代の価値観」は誠に罪深いようだ。
・『誰もが「つながる」欲求と権利を持っている  つながり欲求は人間の根源的な生存の知恵である。「つながりたい」、でも、どうしたらいいのかわからない、居場所がない、そういう子どもたちに必要なのは、「君たちは決して一人ではない」というメッセージであり、彼らが安心してささやかなつながりをつくることができる居場所ではないだろうか。 人は誰もが「つながる」欲求と権利を持っているのである。個人や家庭にすべての責任を押し付け、画一的な学びの場しか提供できていない日本の教育現場の問題でもあり、社会として真剣に取り組むべき課題であろう。 不登校の子どもたち向けのフリースクール「東京シューレ」のスタッフでオルタナティブな学びの場について研究する朝倉景樹さんは「孤独がかっこいいなど、肯定的にとらえているのは、上の世代の話。10代は、その絶望的なつらさと日々、戦っており、『一人で生きていけ』というメッセージはまったく響かない。日本は1ミリの『ずれ』も許さない同調圧力の強い社会だからこそ、そこで我慢し、適応できない人をはじき出し、孤独な人を量産する仕組みになっている。何かあれば『自己責任』『我慢』で済ませようとする大人の犠牲になっているのが子どもたちだ」と語気を強める。 ひと時の「孤独」に向き合う力はもちろん、絶対的に必要だ。だからといって、人生100年時代に老後は20年でも30年でも「一人万歳」「回想にふけろ」「終活をしろ」などと、孤独を美化し、引きこもりを奨励する考え方に取りつかれているかぎり、不登校、高齢者や介護者、若者の孤独などの根本問題について、社会としての対策は一向に進まないのである。 世界各国が全速力でこの問題に取り組んでいる中で、手つかずの日本は押すに押されぬ「孤独大国」として”君臨”しつつある。これからの日本を担う世代に「世界一、不機嫌な社会」を遺産として残してはならないはずだ』、説得力に富んだ主張だ。特に、「日本は1ミリの『ずれ』も許さない同調圧力の強い社会だからこそ、そこで我慢し、適応できない人をはじき出し、孤独な人を量産する仕組みになっている。何かあれば『自己責任』『我慢』で済ませようとする大人の犠牲になっているのが子どもたちだ」、「中高年世代の価値観」には改めて考えさせられた。

次に、同じ岡本氏が昨年11月28日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/31119
・『38年ぶりとなったローマ教皇の日本訪問。82歳のフランシスコ教皇は日本滞在中、8回のスピーチを行った。コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏は「教皇は世界中で問題になっている心の貧困を、『ゾンビ化』といった。これは不安な時代を生きる日本人にずしりと響いたはずだ」という——』、日本の新聞報道は表面的なので、実際に何を訴えたのかは興味深そうだ。
・『82歳のフランシスコ教皇が日本人に伝えたかったこと  38年ぶりとなったローマ教皇の日本訪問。82歳のフランシスコ教皇は11月23日に来日し、4日間の滞在中に各地を精力的に回り、多くの日本人と触れ合い、その心に温かな印象を残した。 同教皇は初の南米出身で、権威をかさに着ることのない気さくな人柄や、常に「弱者」を思いやる視点に立ち、多様性や寛容性を説く姿勢で知られる。ツイッターやインスタグラムを駆使し、トランプ米大統領によるメキシコとの国境における壁の建設計画を批判したり、異教徒との対話を促進したりするなど、強い発信力と行動力を持つ改革派のリーダーだ。16世紀に日本に布教にやってきたフランシスコ・ザビエルが創設メンバーとなったイエズス会出身の初の教皇であり、そのゆかりの地への運命的な訪問となったわけだが、広島や長崎、東京など各地で8つのスピーチを行い、歴史に足跡を刻んだ』、「イエズス会出身の初の教皇」、初めて知った。
・『教皇が「ゾンビの国」日本に残した言葉の本質  メディアは核兵器廃絶など平和メッセージの部分をこぞって取り上げたが、どのスピーチも聴衆に徹底的に寄り添い、工夫と思いが込められたものだった。 特に筆者の印象に残ったのが、東京で若者向けに開かれたミサでのスピーチだ(11月25日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」での講話)。いじめなどの経験を語った若者3人に対し、逆境にどう立ち向かっていくのかを説くという格好だったが、事前に用意された他のスピーチとは異なり、熱がこもり、教皇のアドリブもかなり入ったため、予定の時間をかなりオーバーしたという。 「(多くの人が、人と上手にかかわることができずに)ゾンビ化している」 とりわけ教皇が強い言葉で警鐘を鳴らしたのは、世界中で社会問題化している孤独、つまり、現代人の「心の貧困」だった。 やや長くなるが、不安な時代を生きる日本人の心にずしりと響くそのスピーチの一部を抜粋して紹介し(筆者意訳)、そこから私たちが受け取るべき意義を後述したい。 【フランシスコ教皇のスピーチ内容(筆者意訳)】(人やコミュニティ、そして全社会が、表面上は発展していたとしても、内側では、疲弊し、本物の命や生きる力を失い、中身の空っぽな人形のようになっている。(中略)笑い方を忘れた人、遊ぶことのない人、不思議さも驚きも感じない人がいる。まるでゾンビのようで、彼らの心臓は鼓動を止めている。なぜならそれは、誰かと人生を祝い合うことができないからだ。 もし、あなたが誰かと祝い合うことができたなら、それは幸せであり、実りある人生となるだろう。一体、何人の人が、物質的には恵まれていても、例えようのないほどの孤独の奴隷になっているだろうか。繁栄しながらも、誰が誰だかわからないこの社会において、老いも若きも数多くの人を苦しめている孤独に私は思いをはせる。最も貧しい人に尽くしたマザー・テレサがかつて、予言的なことを言った。「孤独と誰からも愛されていないという感覚は最も残酷な形の貧困である」と』、「まるでゾンビのよう」、とは言い得て妙だ。
・『「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」  自分たちに聞いてみよう。「私にとって、最悪な貧困とは何か?」「最もいい貧困とは何か?」もし、私たちが正直であるならば、わかるはずだ。最悪な貧困とは孤独であり、愛されていないという感覚であると。この精神的貧困に立ち向かうのは、私たちに求められる責務である。そして、そこに、若い人が果たすべき役割がある。私たちの選択肢、優先順位についての考え方を変えていく必要があるからだ。 それはつまり、私たちにとって最も大切なことは、何を持っているか、何を得られるか、ではなく、誰と(人生を)共有できるかということなのだということに気づくことだ。「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」にフォーカスすべきなのだ。自分に問いなさい。「私は何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」「私は誰と人生を共有するのか」を。 モノも重要だが、人(との関係性)は欠かせない。人なしでは私たちは人間らしさを失い、顔を失い、名前を失う。私たちは単なる物体と化してしまう。私たちは物体ではない。人なのだ。シラ書*は言う。「信頼できる友人は堅固なシェルター(避難所)である。見つけた人は宝を見つけたようなものである」。だから「私は誰のために生きるのか」を問い続けなければならないのだ。(中略) *カトリック教会において旧約聖書にあたる書物』、「最悪な貧困とは孤独であり、愛されていないという感覚であると。この精神的貧困に立ち向かうのは、私たちに求められる責務である」、「私たちにとって最も大切なことは、何を持っているか、何を得られるか、ではなく、誰と(人生を)共有できるかということなのだということに気づくことだ」、「モノも重要だが、人(との関係性)は欠かせない。人なしでは私たちは人間らしさを失い、顔を失い、名前を失う。私たちは単なる物体と化してしまう」、説得力に溢れた主張である。
・『「私たちは『魂のセルフィー』を撮ることはできない」  自分の姿を鏡で見ていても、成長し、自分のアイデンティティや良さ、内面の美しさを発見することはできない。われわれはあらゆる種類のガジェット(道具)を発明したが、「魂のセルフィー」を撮ることはできない。なぜなら、幸せになるためには、私たちはほかの誰かに自分の写真を撮ってくれ、と頼む必要があるからだ。私たちは自分の殻から抜け出て、他人に心を向けなければならない。特に助けが必要な人に。自分の姿にばかりとらわれないことだ。鏡の中の自分を見つめていれば、鏡は壊れてしまうのだ。 (中略)賢人はこう言った。知恵を蓄えるカギは正しい答えを見つけることではない。尋ねるべき正しい質問を見つけることだ。誰もが、「どう答えるべきかをわかっているだろうか」「正しい答え方ができるだろうか」を考えるべきだ。そして、その後には、「私は正しい質問の仕方を知っているだろうか」を問わなければならない。正しい答えで、試験は受かるかもしれないが、正しい質問なしで人生の試験に受かることはできないのである。(中略)私はあなたのために祈りましょう。あなたが正しい質問をし、鏡を忘れ、相手の目をのぞき込むことができるような精神的英知を得て、成長していけるようにと。 いかがだろうか。このスピーチで、教皇が訴えたかったのは、他者のために、他者とともに、支え、支えられて、生きることの大切さではないだろうか』、悪しき自己責任論で凝り固まった日本にとって、一服の清涼剤のようだ。
・『教皇が「世界一他人に冷たい国」で鳴らした警鐘  翻って、日本は「国は貧しい人々の面倒を見るべき」と考える人、ボランティアや寄付をする人、人助けをする人の比率が、他国に比べて極端に少ない「世界一、他人に冷たい国」である)。 集団主義のくびきからの逃避願望が強く、一人がかっこいい、他人のことなど構っていられないという極端な個人主義の傾向が強まる中、人とのつながり、人への思いやり、優しさの価値を説くことなどダサい、ととらえる向きもあるように感じる。 そうした空気感の下で、日本の孤独大国化は一気に進んでいる。世界の多くの国々で孤独は「現代の伝染病」として、喫緊の、そして最も重篤な社会問題として取りざたされ、政府や企業など社会が一体になって、対策に乗り出している。 しかし、日本では「孤独はかっこいい」「人は一人で耐えるもの」「孤独は自己責任」といった論調が非常に根強く、結果的に、引きこもりや高齢者の孤立、社会的に孤立者による犯罪、孤独死など、「孤独」に起因する多くの社会事象の解決に手が付けられていない状況だ』、「極端な個人主義の傾向」の背景には、「集団主義のくびきからの逃避願望が強く」、といったことがあったとの鋭い指摘にはさすがと納得した。
・『鏡に映る自分にとらわれて他の人と向き合うのを恐れる日本人  教皇がこうした日本の現状を看破し、あえて、強い言葉で訴えかけたのは偶然ではないだろう。コミュニケーションやコミュニティの研究をする筆者が日々実感するのは、多くの日本人が、鏡に映る自分の姿ばかりにとらわれて、他の人と向き合うことを恐れるようになっていることだ。 「自分を見つめろ」「自分らしく」といった大号令とともに、人はどんどんと内向きになっている。その先にあるのは一億総コミュ障化と孤独化、というわけだ。 こうした日本の、いや世界の社会問題を、「ゾンビ」や「セルフィー」などというキャッチーで当世的な言葉を用いて、あぶり出し、人間の根源的な幸福の本質を突く教皇の圧倒的な洞察力と言葉力。 その豊かな表現力を、「コミュ力が高い」などという下世話な評価をすることは恐れ多くてできないが、彼を駆り立てる強い信念が、世界中の多くの人の感情を突き動かしているのは間違いないだろう』、「多くの日本人が、鏡に映る自分の姿ばかりにとらわれて、他の人と向き合うことを恐れるようになっていることだ。 「自分を見つめろ」「自分らしく」といった大号令とともに、人はどんどんと内向きになっている。その先にあるのは一億総コミュ障化と孤独化、というわけだ」、確かにこのままでは、日本社会は崩壊してしまう。教皇の言葉を噛みしめたい。

第三に、12月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した上記の岡本純子氏とノンフィクションライターの菅野久美子氏の対談「孤独死の8割は男性、日本で軽視される「孤独」の深刻度」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/223995
・『SNSでいくらでも人とつながることができるとはいえ、孤独感に悩まされる人は老若男女問わず多いだろう。そこで、今回はコミュニケーション戦略の専門家であり、著書『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)がある岡本純子氏と、ノンフィクションライターで、著書『超孤独死社会――特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)がある菅野久美子氏に、現代社会に潜む孤独の問題について語ってもらった』、興味深そうだ。
・『孤独に危機感を持つ20~30代の若者たち  岡本 私も菅野さんも、あらゆる媒体で孤独のデメリットや孤独死に関する記事を書いています。読者の反応で多いのは「孤独の何が悪い!」みたいなコメント。いわゆる炎上も珍しくない。孤独の問題は、非常にデリケートなテーマなんですよね。 菅野 私は主に孤独死をテーマに記事を書いていますが、それでも岡本さんのケースと同じ反応が多いです。そのような孤独肯定派は年配の人に多い印象がありますね。最近の若い人は「将来、自分も孤独死してしまうんじゃないか」という発言が割と多いんです。 岡本 そうなんですよね。意外と思われるかもしれないですけど、20代、30代の若い人のほうが孤独や孤独死について危機意識がある。取材に来てくれる人も若い人ばかりですし。 菅野 私は、事故物件の取材をきっかけに孤独死の実態を目の当たりにし、「もしかしたら自分もこうなるかもしれない」という問題意識から、取材を始めました。なので、若い人のそのような意見はすごく共感できますね。 岡本 最初に言っておかないといけないのは、孤独にも「選択的孤独」と「絶対的孤独」の2種類があるということ。これは明確に区別しなければなりません。前者は、簡単にいえば、たまには独りになりたいという誰にでもある感情で、これは否定しません。 問題なのは後者で、これはたとえば、何か困ったときがあったときに頼りにできる人が誰もいない状況を指します。断言してもいいと思いますが、孤独を肯定的に捉えている人たちは、この区別をせず、一緒くたにしている。しかも「孤独を恐れるな」などと呼びかける著名人の多くは、いざというときに頼れる人やよりどころのような自分の居場所が絶対あるはずです。 菅野 同感です。別に極端な話をしているわけではなくて、病気やリストラなど、一歩踏み外してしまえば誰でも孤独に陥ってしまう可能性が今の日本にはあるんですよね。しかも、働き方の問題も大きい。正社員ではなく、派遣社員の場合だったら、プライベートに限らず会社内ですら、人と人との関係性を築くことが難しいことが多いですよね。なので、決して本人が望んだけわけではなく、その人が置かれた環境によって年齢性別関係なく、常に孤独状態という人も増えていると思われます』、「孤独にも「選択的孤独」と「絶対的孤独」の2種類がある・・・問題なのは後者」、「孤独を肯定的に捉えている人たちは、この区別をせず、一緒くたにしている。しかも「孤独を恐れるな」などと呼びかける著名人の多くは、いざというときに頼れる人やよりどころのような自分の居場所が絶対あるはずです」、なるほど、その通りだろう。
・『孤独の問題は定年後の男性ほど深刻  岡本 孤独は年齢、性別関係なく誰にでも起こりうるとはいいつつも、より深刻なのは定年後の男性です。20代、30代の現役世代は、ワークライフバランスの考え方が広がり、仕事以外のプライベートの時間を大切にする風潮が出てきているので、比較的人とつながるきっかけは多くなっている。年齢が上がっていくにつれて、「男は仕事一筋!」という価値観に縛られている。仕事場や家庭以外に人付き合いがまったくなかったため、リタイア後、孤独に陥りやすくなる人が多い。 菅野 そもそも生涯未婚率も年々上がり続けていますから、単身世帯の高齢者もこれから増え続けるでしょうね。内閣府が実施した「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」によると、同居の家族以外に頼れる人がいないという人の割合は16.1%で、調査国の中でも最も高い。家族以外にも相談や世話をしてもらえる友人がいない人の割合も25.9%と高く、4人に1人は友人がいないという計算になる。 となると、これからさらに孤独に苦しむ人が急増します。かなり根深い問題だと、あらためて思います。 岡本 昔は人付き合いが苦手な旦那さんを奥さんがサポートするといった夫婦は多かった印象があります。でも、今は望んで独身ならまだしも、本当は結婚したくてもできない人が男女で増えています。未婚=孤独というわけではまったくありませんが、孤独感を覚える人は少なくないでしょう。 菅野 50代とかになってくると、また一から人付き合いを築き上げていくのはなかなかハードルが高いですからね。 岡本 あと、日本では孤独が深刻なものだと捉えられていませんが、欧米諸国では社会問題になっています。なぜかといえば、孤独は精神的、肉体的に悪影響を引き起こすからです。たとえば、アメリカの研究をいくつか紹介すると、孤独な人はそうでない人よりも、「心疾患リスクが29%上昇」「アルツハイマーになるリスクが2.1倍」というデータがあります。ほかにも、孤独は運動不足や肥満よりも健康に悪いとも結論づけているなど、さまざまなリスクが指摘されているんです。 菅野 孤独死した人は、めちゃくちゃな食生活を送っていることが多いですけど、孤独な状態でいること自体が体に悪いんですね。そうならざるを得ないほど、心身ともに孤独がむしばんでいたと感じることも多々あります。 岡本 そうなんですよ。イギリスは、昨年孤独担当大臣というポストを新設したり、世界のメディアが連日、「孤独は現代の伝染病」として大々的に取り上げたりするなど、早急に解決しなくてはいけない課題という認識が非常に強いです。世界規模で老若男女問わず、多くの人が孤独を感じていて、健康を害することもはっきりしているんですが、日本ではまったく真剣に考えられていないのが現状なんです。 菅野 日本の場合、孤独死の約8割が男性といわれていて、民間のシンクタンクが年間約3万人孤独死で亡くなっているという調査結果を出してはいるんですが、国としてのデータはない。まず国にも問題意識を持ってもらうことが先決で、具体的な対策に動くのはそれからでしょうね』、「孤独な人はそうでない人よりも、「心疾患リスクが29%上昇」「アルツハイマーになるリスクが2.1倍」というデータがあります。ほかにも、孤独は運動不足や肥満よりも健康に悪いとも結論づけているなど、さまざまなリスクが指摘」、マスコミもこうしたリスクをもっと周知して欲しいし、政府ももっと真剣に取り組むべきだろう。なお、この続編「お金があっても孤独死する日本の男性、ゴミ屋敷現場の壮絶」の紹介は省略するが、URLは下記
https://diamond.jp/articles/-/224013
タグ:孤独な人はそうでない人よりも、「心疾患リスクが29%上昇」「アルツハイマーになるリスクが2.1倍」というデータがあります。ほかにも、孤独は運動不足や肥満よりも健康に悪いとも結論づけているなど、さまざまなリスクが指摘 「孤独は現代の伝染病」 孤独の問題は定年後の男性ほど深刻 孤独を肯定的に捉えている人たちは、この区別をせず、一緒くたにしている。しかも「孤独を恐れるな」などと呼びかける著名人の多くは、いざというときに頼れる人やよりどころのような自分の居場所が絶対あるはずです 「中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教 日本は世界一の「不機嫌大国」だ」 『超孤独死社会――特殊清掃の現場をたどる』 「孤独死の8割は男性、日本で軽視される「孤独」の深刻度」 孤独にも「選択的孤独」と「絶対的孤独」の2種類がある 孤独に危機感を持つ20~30代の若者たち 東洋経済オンライン 「自分を見つめろ」「自分らしく」といった大号令とともに、人はどんどんと内向きになっている。その先にあるのは一億総コミュ障化と孤独化 菅野久美子 82歳のフランシスコ教皇が日本人に伝えたかったこと 岡本純子 教皇が「世界一他人に冷たい国」で鳴らした警鐘 世界では、「孤独は現代の伝染病」として、社会を挙げて、調査や対策が進められているが、日本では「孤独」はあくまでも個人の心の持ちようの問題であり、各人や家庭で我慢するなり、対処しろ、というスタンスだ 昭和の「やせ我慢強制世代」の価値観 鏡に映る自分にとらわれて他の人と向き合うのを恐れる日本人 うつ病や、心臓病や認知症など、さまざまな精神的・肉体的な病気のリスクを高めるなど、「孤独」が精神的・肉体的健康や幸福感に甚大な悪影響を及ぼす 対談 「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」 今、日本では「孤独」がちょっとした「ブーム」 岡本 純子 ダイヤモンド・オンライン 「つながりを求めるのは弱虫だ」といった昭和の「やせ我慢強制世代」の価値観を押し付けられて、「引きこもり」や「不登校」といった孤独に密接に絡んだ問題が、何の対策もなされぬまま放置されている 「ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事」 「長期的な孤独」という大問題が見過ごされている PRESIDENT ONLINE マザー・テレサ 長期的な孤独の中で、人は不機嫌になり、自己中心的・攻撃的になりやすい 現在の日本の主流の考え方は「運動中は水を飲むな」という昭和のスポコン部活のロジックに近く、八甲田山の行軍のごとき理不尽さなのである 「孤独と誰からも愛されていないという感覚は最も残酷な形の貧困である」 教皇が「ゾンビの国」日本に残した言葉の本質 誰もが「つながる」欲求と権利を持っている (その2)(中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教 日本は世界一の「不機嫌大国」だ、ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事、孤独死の8割は男性、日本で軽視される「孤独」の深刻度) 孤独 「私たちは『魂のセルフィー』を撮ることはできない」 『世界一孤独な日本のオジサン』
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