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公文書管理(その5)(森友問題の背後に透ける「保守派の影響力」と「他国の政治介入」、ディストピアを現実化 安倍政権の正体を忘れてはいけない、行政文書を捨てない「ドイツ」のアーカイブ感覚 専門の教育を受けているアーキビストがいる) [国内政治]

公文書管理については、2018年7月20日に取上げた。久しぶりの今日は、(その5)(森友問題の背後に透ける「保守派の影響力」と「他国の政治介入」、ディストピアを現実化 安倍政権の正体を忘れてはいけない、行政文書を捨てない「ドイツ」のアーカイブ感覚 専門の教育を受けているアーキビストがいる)である。

先ずは、立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏が昨年3月27日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「森友問題の背後に透ける「保守派の影響力」と「他国の政治介入」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/164815
・『学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書改ざんを巡り、与野党は、3月27日に当時財務省理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問を行うことで合意した。 麻生太郎副総理・財務相は記者会見で、自らの書き換え指示を否定し、「理財局で行ったものであり、外部からの指示で行われたことはない」とも述べ、「責任は佐川にある」と断じた。麻生財務相のみならず、予算委員会で質問に立った自民党議員も、次々と批判の矛先を財務省ばかりに向けている。だが、今頃になって財務省を「スケープゴート」にしても遅すぎた(本連載第172回)。 また、安倍晋三首相は予算委員会で、「書き換え前の文書を見ても、私や私の妻が関わっていないことは明らかだ」と答弁した。それならば、昨年2月の時点で言っておけば、財務省が公文書書き換えに手を染める必要などなかった。結局、今更財務省に全ての責任を負わせようとしても、「限りなくクロ」の印象は拭えなくなってしまった。 世論の批判が高まる中、安倍政権は証人喚問容認に追い込まれてしまった。国有地が破格で売却されたことと、膨大な文書改ざんには多くの謎がある。証人喚問によって真実に迫ることが重要であるのは言うまでもない。しかし今回は、そのこととは少し距離を置きたい。 この連載では、森友学園問題について最初に論考を書いた時、この問題が「安全保障問題化」するリスクを指摘していた(第151回)。現在、与野党、官僚、メディアの終わりの見えない「潰し合い」の様相となっているが、この問題が起きた時に考えたことに戻りたい。それは、森友学園問題を国際社会に広がっている2つのリスク、「ナショナリズム」と「外国による国内政治への介入」に位置づけて、「潰し合い」の背景にある、より本質的な問題を考えてみることだ』、「森友学園問題」の「より本質的な問題」とは、興味深そうだ。
・『森友学園問題の本質は「保守系の団体」の政治・行政への強い影響力の広がりではないか  まず、「ナショナリズム」の問題を考える。国会が森友学園問題で紛糾する間に、新たな問題が発覚した。自民党の赤池誠章参院議員と池田佳隆衆院議員が複数回に渡って文科省初等中等教育局に電話をし、天下りあっせん問題による引責辞任や「出会い系バーの利用」の問題があった前川喜平・前文部科学事務次官が名古屋市内の中学校で講師を務めた授業の内容や経緯を照会した。文科省は、照会に基づき、名古屋市教育委員会に授業の内容の報告や録音データの提供を求めていた。 赤池氏、池田氏は文科省に経緯を照会していたことを認めた上で、「法令違反をした人が教壇に立っていいのか事実確認した。文科省への圧力には当たらない」と説明した。一方、文科省幹部は「問い合わせたのは省としての判断だ」と説明している。 赤池氏、池田氏は、「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟国会議員懇談会」のメンバーである。メディアの報道は、直接的ではないものの、教育行政に対して政治家の背後にいる「保守系の団体」の政治的介入が頻繁に行われていることを暗に匂わせている。 昨年2月に森友学園問題が明らかになった当初、その教育や運営の異様な実態が注目されたものだった。籠池泰典森友学園理事長は、「日本会議」(第144回)のメンバーであり、同学園系列の幼稚園は、明治天皇の名で教育理念などを規定した「教育勅語」を暗唱させる教育方針で知られた。新たに設立しようとした小学校は「日本で初めてで唯一の神道の小学校」を謳っていた(第153回)。 そして、この問題に関して、次々と地方議員や国会議員の名前が浮上すると、彼らに対する日本会議など「保守系の団体」の影響力の強さが指摘されていた。だが、籠池理事長の政治家への接触が、合法的な「陳情」の範囲内の行為で、政治家は単に「役所の担当者につないだ」というだけであることが判明していくと、次第に世間の焦点は、「安倍夫妻の関与」「財務省の忖度」に集中するようになった(第152回)。そして、「保守系の団体の政治・行政への異様な影響力」という話は、どこかに消え去ってしまったのだ。 しかし、佐川前国税庁長官・元理財局長への証人喚問で野党、メディアがヒートアップし、野党が元々「敵」であったはずの籠池理事長に接見してヒアリングしている状況を見ると、逆に「首相夫妻の関与か財務省の忖度か」だけに過度に注目が集まることに、少し距離を置きたくなってくる。要は、財務省の忖度が仮にあっても、それは「首相夫妻」に対する忖度だと単純に済ませていいのかということだ。 赤池氏、池田氏の文科省への照会から垣間見えた「保守系の団体」による政治・行政に対する働きかけが日常的に行われているであるならば、「合法的な陳情」とされた森友学園問題の「書き換え前の文書」に記載されていた政治家の名前も、もう一度見直す必要が出てくるのではないか。 自民党や維新の会のような「保守」の地方政治家や国会議員と、保守系の団体の間に日常的に様々な接触があると考えるのは、いまや「常識」だ。なんと、現在の安倍政権の閣僚20人中19人が神道政治連盟メンバーだ(週刊ダイヤモンド2018年3月24日号『特集:劣化する伝統宗教 神社・仏教 大騒乱』)。 政治家が「団体」の会員となる目的は、普通に考えれば、その団体の思想信条に賛同するからではない。選挙での集票を期待するからだ。換言すれば、いまや保守系の団体は自民党の非常に有力な「集票マシーン」となっているということだ。 逆に、「集票マシーン」の団体が自民党に期待することは、自民党を通じて自らの「利益」を実現することだ。保守系団体の様々な「声」が、全国の国会議員や地方議員が日常の政治活動を通じて、財務省や文科省などの中央の官僚組織に多く届けられていたことは、容易に想像できる。そして、官僚はそれらの「声」を無視できなくなっているのではないか。 日本会議は「同一視されるのは心外」と籠池理事長を切り捨てた。森友学園問題は、籠池理事長という「変わった人」が「首相夫妻と深い関係にある」と言って財務省に絡んだ「特殊な問題」という扱いだ。だが、むしろこの問題は、全国の政治の現場と霞が関に広がっていることの「氷山の一角」が見えたということではないか。保守系の団体が、政治家の日常活動への影響力を次第に強めていき、中央の政治・行政への介入が日常的に起こるようになり、官僚が無視できないレベルに達したという、日本社会に起きている深刻な構造的問題と捉えるべきなのではないだろうか。 この連載では、保守派の神がかったような非科学的な主張が、日本を衰退させると批判してきた(第144回)。野党は、この問題をどうしても「首相夫妻の資質問題」に持っていきたいようだ。だが、もっと根深く、面倒で、深刻な問題を、逃げることなく追及すべきなのではないだろうか」、「保守系の団体が、政治家の日常活動への影響力を次第に強めていき、中央の政治・行政への介入が日常的に起こるようになり、官僚が無視できないレベルに達したという、日本社会に起きている深刻な構造的問題と捉えるべき」、その通りだ。ただ、「野党は、この問題をどうしても「首相夫妻の資質問題」に持っていきたいようだ」、としているが、根深い問題よりも、攻め易い問題に絞ったのは、政治的には理解できる。
・『「南スーダンPKO日報破棄問題」に関してある専門家から聞いた話  次に、「外国による国内政治への介入」という、国際社会に広がるもう1つのリスクを考えてみたい。2017年の通常国会で、森友学園問題、加計学園問題とともに野党やメディアから厳しく追及されたのが「南スーダンPKOの日報破棄問題」であった。南スーダンで自衛隊の任務遂行中に「戦闘」があったという文言が記載された日報が、ジャーナリストの布施祐仁氏が情報公開請求したことで発見された。だが、当初防衛省の回答は、開示でも不開示でもなく「日報は既に破棄しており不存在」だった。 これに対して、布施氏が「常識的に考えても廃棄したというのはおかしい」とSNSで発信して拡散し、防衛省に対する批判が殺到した。結局、防衛省相は日報を出さざるを得なくなり、国会で野党から「隠ぺい」と厳しく追及された。最終的には、安倍首相は南スーダンからのPKO部隊の撤退を決定し、答弁が迷走した稲田朋美防衛相は国会閉会後の内閣改造で退任となった(第164回)。 要するに、森友学園問題や南スーダンPKO日報問題など、国会で野党やメディアが厳しく追及を続けてきたことの本質は、「中央官庁における情報公開と公文書管理」の杜撰さだといえる。この連載では何度でも繰り返すが、「公文書書き換え」は、議会制民主主義の根幹にかかわる深刻な事態であり、国会でこの問題が徹底的に追及されるのは当然だ(第178回)。だが、ここでも連日メディアが安倍夫妻の関与の有無をスキャンダラスに報道し、国民が感情的になる状況で、より深刻な問題が隠れていくように思える。 筆者が、日本のある専門家から聞いた話がある。防衛省には「日本の市民団体」から多くの情報公開請求が来る。防衛省がその内容を確認すると、明らかに外国の「代理人」として請求していると見られるものが多数あるという。これに対して防衛省では、国家安全保障の観点から海外に漏洩させたくない情報を、保存せずに破棄していた。防衛省内では、このような文書の破棄がなかば習慣化しており、その延長線上に南スーダンPKO日報破棄の問題があったというのだ。 残念ながら、この専門家から聞いた情報は裏が取れない。だが、物事は最悪の事態を想定しておくべきだ。ここからは、仮にこの情報が真実だという前提で考えていきたい』、「防衛省には「日本の市民団体」から多くの情報公開請求が来る・・・明らかに外国の「代理人」として請求していると見られるものが多数あるという。これに対して防衛省では、国家安全保障の観点から海外に漏洩させたくない情報を、保存せずに破棄していた」、いくら「外国の「代理人」として請求」があるとしても、開示を安全保障に係るとして拒否すればいいだけで、「破棄」までしてしまうのは、余りにも乱暴だ。
・『日本の情報公開法は行政機関の裁量権が広い半面、情報公開圧力を強く受ける  日本では、「行政機関情報公開法」が1999年に成立し、2001年から施行されている。国や地方自治体の行政機関全般と独立行政法人等、防衛研究所図書館、外務省外交史料館などが保有する文書について、国民の知る権利に基づき原則、公開することを定めた法律である。 情報公開法の制定は、政治腐敗や汚職、公害問題などに対する追及が、情報の非公開という壁に阻まれていた1970年代に、その機運が盛り上がった。情報公開法制定を目的とした市民団体が発足し、少しずつ地方自治体において情報公開制度の制定が進み、1999年に国会で成立した。 情報公開法が成立した当時は、日本では自民党一党の長期政権時代が終結し、自民党は都市部を支持基盤とする公明党と連立を組む、「自公政権」が誕生していた。また、リベラルな民主党が台頭した時代でもあった。行政情報公開法は、それらの政党が、都市部のリベラルな「市民団体」の強い要求を受けて動くことで、実現したともいえる。 情報公開法では、請求されたことは原則公開することになっているが、個人情報に該当する情報、外交や防衛など国の安全に関する情報、国民に誤解と混乱をもたらす恐れのある情報、国民のプライバシーを侵害するような事項、捜査に関する情報などは公開できないこと、外交、防衛、警察、治安などは例外的に行政機関の判断で非開示にできる。 このように、非開示の判断について、行政機関の裁量が広く認められている点が批判されている。一方、開示した内容に不服がある場合は行政訴訟を起こすことができるし、日本人だけではなく外国人も請求できる。情報公開への圧力が非常に強いものになっている側面もある。 この制度的な矛盾によって、行政機関は、市民団体からの膨大な情報公開請求を前にして、右往左往してきた。そして、「森友学園」や「南スーダンPKO」の問題発覚は、「隠ぺい」「破棄」「改ざん」が横行する、日本の中央官庁の「前近代的」な公文書管理を白日に晒したのだ』、やはり日本では、「寄らしむべし知らしむべからず」(《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない(goo辞書))、といった伝統的考え方が、いまだに政治・行政の側には強いのだろうか。
・『中央官庁の情報公開と公文書管理の徹底化が日本を外国から「丸裸」にすることは避けるべき   「公文書書き換え問題」を受けて、今後日本の中央官庁の情報公開と公文書管理が徹底化されることになるだろう。何よりも、公文書の保存期間が短すぎるとともに、規定が曖昧であることは問題だ。 森友学園問題の国会審議では、政府側が交渉記録の保存期間は「1年未満」なので、保存していなくても「法令に即して適切に処理した」という答弁を連発した。実際には、具体的な「文書保存期間」は省庁レベルの文書管理規則によって定められているが、今後はこのような行政機関の裁量の幅は大幅に狭められていくだろう。 国会では、公文書の管理のあり方をどのように改善すべきか、既に議論が始まっている。例えば参議院予算委員会では、浅田均参院議員(維新)が「ブロックチェーンを公文書管理に取り入れるべき」と発言し、麻生財務相も前向きに対応すると答えざるを得なかった(高橋洋一『森友問題、公文書改ざんの首謀者は「オールド世代」の官僚だ』)。「前近代的」な制度をテクニカルに改革していくことは、当然必要なことだ。 だが、情報公開と公文書管理の徹底化は、単にテクニカルな問題にとどまらず、政治問題化する可能性がある。野党が麻生財務相の辞任など、国会で大きな成果を挙げた場合、勢いに乗って「特定秘密保護法」(第72回)の撤廃を目指すかもしれない。野党を支持する「市民団体」からの行政訴訟の頻発による情報公開の圧力も、これまで以上に強まることになるだろう。 安倍政権の支持率低下が続き、9月の自民党総裁選で、安倍首相が不出馬あるいは敗北する事態となれば、後継の首相は安倍政権との違いを出すために、野党側に寄り、「特定秘密保護法」や「対テロ準備法」(第154回)、「安保法制」(第115回)の修正に向かうかもしれない。 だが、その際に考えなければならないことがある。国際社会を見れば、米国の大統領選挙や、英国のEU離脱の国民投票におけるロシアの介入が明らかになっている。英国では、亡命中の元スパイ毒殺事件が起きて、英国政府がロシアの犯行と断定し、外交官を国外追放した。韓国の朴槿恵大統領の汚職による辞職も、中国の関与が取りざたされた(第151回)。いまや、国内政治への外国の介入は普通に起こりえるリスクと考えねばならない。 例えば、森友学園問題の傍らで、日本年金機構が個人情報の入力を委託していた会社が、中国の業者に入力業務を再委託していたという事件が発覚している(『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実』)。中国は、日本のマイナンバーを狙っており、それに対する、日本年金機構の情報管理意識が低すぎることが問題となっているという。 情報公開請求を熱心に行う日本の「市民団体」が、日本の機密情報を狙う外国政府と直接つながっていると言うつもりはない。だが、間違いなく安全保障に対する感覚は薄いだろうし、団体の内部に誰が入り込んでいてもおかしくない。入手した情報を他者に渡して、広げていくことには、むしろ積極的だろう。 少なくとも、強力な諜報機関を持ち、情報管理が徹底した英国(第157回)でさえ起こったようなことが、日本では起きないという楽観的な考えには、何も根拠がなく同意できない。 この連載では、安全保障問題は争点化すべきではないと主張してきた。テロの脅威、中国の海洋進出、北朝鮮のミサイル危機、外国の内政への介入などのリスクに対しては、与野党が現実的に議論して最善の策を打つべきである(第168回・P4)。中央官庁の情報公開と公文書管理の徹底化が、結果的に日本を外国から「丸裸」にするということは、与野党の激突を超えて、絶対に避けなければならないことである』、「結果的に日本を外国から「丸裸」にする」、というのには違和感がある。前述のように、「情報公開法では」「外交や防衛など国の安全に関する情報、国民に誤解と混乱をもたらす恐れのある情報」などは公開不要なのであるから、仮に請求があっても、堂々と拒否できる。「丸裸」などになることなどない筈だ。

次に、作家の適菜収氏が本年1月18日付け日刊ゲンダイに掲載した「ディストピアを現実化 安倍政権の正体を忘れてはいけない」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/267723
・『安倍政権がまた公文書を改ざんした。もはや反国家的な犯罪組織と言っていい。菅義偉は事実を認め(1月14日)、内閣府が昨年11月に国会に「桜を見る会」の推薦者名簿を提出した際に、推薦した部局名を隠す加工をしていたと明らかにした。「極めて不適切な対応で、今後、このような行為を厳に慎むよう内閣府に徹底した」とのこと。菅はつい先日(1月9日)にも、招待者名簿の廃棄記録を内閣府が残していなかった件について「文書管理の徹底を指示した」などと言っていたが、アホにも限度がある。腐敗した組織の幹部が指示しても意味がない。第三者が徹底的に検証すべきだ。 近代の悪はどのような形で現れるか。ジョージ・オーウェルの近未来小説「一九八四年」の主人公の仕事は公文書の改ざんである。「党」にとって都合が悪い過去の事実を抹消し、新たに歴史を捏造する。そこでは、言葉の破壊活動が継続的に行われる。たとえば強制収容所を「歓喜キャンプ」と言い換える。「党」の目的は国民の思考を止めることだ』、「ジョージ・オーウェルの近未来小説「一九八四年」」を持ち出すとはさすがだ。
・『これは全体主義国家のパロディーだが、こうしたディストピア(注)をそのまま現実化したのが安倍政権だった。安保法制騒動では憲法の解釈をひっくり返し、最後には首相補佐官が「法的安定性は関係ない」と言い放った。一連の安倍晋三事件では、省庁をまたがる形で公文書改ざん、日報隠蔽、データ捏造などが行われ、嘘とデマ、プロパガンダが連日のように社会に垂れ流された。連中が説明を拒絶し、証拠隠滅を図ろうとするのには理由がある。これまでも時間稼ぎをして新しいトピックを打ち出すことで逃げ切ってきたからだ。 だからわれわれは何度も思い出さなければならない。「桜を見る会」には、統一教会の関係者、悪徳マルチ商法の「ジャパンライフ」会長、反社会的勢力のメンバー、半グレ組織のトップらが呼ばれていた。安倍と周辺の一味は税金を使って支援者を接待し、後援会関係者による前夜祭の明細書も隠蔽。「反社」の定義も勝手に変更した。嘘と現実の矛盾が生まれ、整合性が取れなくなれば、現実のほうを歪めていく。今回の改ざんも、「推薦者名簿は廃棄済み」という国会答弁との整合性を図るためだった。安倍政権は日本の敵であるだけではなく、人類の敵、文明の敵である』、(注)ディストピア:ユートピア(理想郷)とは逆の社会(ニコニコ大百科)。「ディストピアをそのまま現実化したのが安倍政権だった」、「嘘と現実の矛盾が生まれ、整合性が取れなくなれば、現実のほうを歪めていく」、その通りで、例示されたものを眺めるだけで、腹が立ってくる。 

第三に、ドイツ在住ジャーナリストの高松 平藏氏が1月22日付け東洋経済オンラインに掲載した「行政文書を捨てない「ドイツ」のアーカイブ感覚 専門の教育を受けているアーキビストがいる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/324873
・『公文書のずさんな扱いが露呈する日本。一方、欧米の国々の公文書管理、ひいてはそれらを保管しておくアーカイブが充実している。公文書の扱いに関する制度整備を見ることも大切だが、制度の背景には歴史観や国家観、デモクラシーといったことがある。ドイツの例を見ながら考えてみたい』、興味深そうだ。
・『後世に残す文書はアーカイブの専門家が選ぶ  日本は公文書の扱いや、それらを永続的に保管するアーカイブの位置づけが脆弱である。これは専門家のあいだで度々指摘され、主に欧米を見ながら、法整備が少しずつ行われてきた。筆者が住むドイツも参照にされる国のひとつだ。 現在のドイツ連邦アーカイブは1952年に発足。1949年以降の連邦の記録、ドイツ帝国/ドイツ民主共和国、旧東ドイツ、軍事、フィルムといったように扱う部門がある。実際の施設はドイツ全国8箇所に分散しており、ドイツ西部の人口11万人の都市、コブレンツがその本部だ。 永久に増え続ける文書類、デジタル化などの新技術への信頼性、旧来の紙やフィルムの経年劣化との戦いなど課題は多い。それにしても、連邦政府のすべての記録は同アーカイブに渡されることが法律で義務化されている。そして大切なのは、後世に残すべきかどうか判断する権限は政府ではなく、アーカイブにある点だろう。 アーカイブは誰でも利用可能だ。すなわち、収蔵された行政文書で施策をたどることができる。政府側からすれば情報開示である。これらはデモクラシーとも重要な関係がある。 どういうことかというと、デモクラシーの国では選挙の投票がある。これは政治的な「自己決定」のひとつだが、大切なのはそこへ至るための意見形成だ。場合によっては「投票率」よりも重要なことである。そのためには正しい情報が必要で、時には過去の行政文書にあたる必要性も出てくるだろう。このときにアーカイブが力を発揮する。 アーカイブで働くアーキビストの資質も見るべきものがある。彼らは歴史的知識、複雑な思考スキル、ラテン語などの言語スキルを有している。ドイツは一般に職業教育が強いが、アーキビストも同様で、専門の教育がなされている。後に述べるが、この歴史的知識の有無がとても大切だ。 中央政府全体のアーカイブは現在の連邦アーカイブに先立ち1919年に「中央アーカイブ」として設立された。他のヨーロッパ諸国に比べると遅かったが、アーカイブそのものは中世からある』、「アーカイブそのものは中世からある」、歴史的に根付いているようなのはさすがだ。
・『年度始まりの9月に起きること  また日本に目を転じると、昔から記録類を残す重要性は認知されており、数々の古文書があるのはその証左だ。むしろなぜ、現代日本がこれほど文書類の扱いがずさんになったのか考察する必要もあるだろう。 しかし本稿ではドイツの強い「アーカイブの感覚」がなぜあるのかについて続ける。この感覚はドイツの人々が一般に持っているように思われる。ドイツに住む筆者にとって、それを感じるのが、年度始まりの9月。書類をファイリングするバインダーがスーパーの特売品として大量にワゴンに並ぶのだ。スタンダードのバインダーは幅8センチ程度。A4の用紙を保管していけるものだ。 この理由は明らかで、授業で大量に教材としてプリントが配布される生徒や学生のためでもあるが、新しい年度がはじまり、証明書や領収書の類を保管するためだ。 もとより、ドイツは文書類を大量に作り、何かにつけ文書・証明書類を重要視する「文書国家」だ。実際、ドイツの人々は出生証明書から成績表、職業証明書まですべてきれいにファイリングしている。個人でさえこうなのだから、官庁、企業、非営利組織などは言わずもがなだ。 個人的な体験をいうと、「ドイツという国は『文書主義』の国だね」とドイツの友人に少々皮肉っぽく話したことがある。友人は「む、いや、そのとおり」と肩をすくめて、ニヤっと笑った。 この「文書主義」を歴史的にさかのぼると、ローマ時代あたりから見いだすことができる。ローマ帝国は紀元前4世紀あたりから、イタリア半島からアフリカ、アジアにまで勢力を伸ばした。各領域はローマと同盟を結ぶかたちで統治を行ったが、言語や文化も異なる領域を統治するにはラテン語の文書をベースに執り行った』、「日本に目を転じると、昔から記録類を残す重要性は認知されており、数々の古文書があるのはその証左だ。むしろなぜ、現代日本がこれほど文書類の扱いがずさんになったのか考察する必要もあるだろう。 しかし本稿ではドイツの強い「アーカイブの感覚」がなぜあるのかについて続ける」、確かに日本で酷くなったのは、安倍政権になってからだと思う。古代から国家の統治の正当性や効率性を確保するには、文書の保管は重要だった筈だ。
・『中世の都市も文書の保管は大切だった。都市は領主に対して自治権などを獲得していくが、その証明書がとても重要だったからだ。 また中世都市は市壁に囲まれた人工空間だった。壁の内と外が明確で、市壁は明示的な「国境」のようなものだ。そのためパスポートといった「証明書」の感覚も強くなる。そして内側では当然、管理や所有関係など重要な公文書も出てくる。また、公文書によって人々の権利が保証される案件もある。この感覚が先述した年度始まりのバインダー販売ともつながっているように思えてならない。 翻って、都市文書類を蓄積しなければどうなるか?都市の信頼性を失い、アイデンティティーを証明できなくなるだろう。ましてや改ざんや、後世を考えずに廃棄をしてしまうと信頼性は言うにおよばず、都市のアイデンティティーすら怪しげなものになる。 現代ドイツの都市は日本に比べると小ぶりなところが多いが、小都市でも自律性と自立性が比較的高い。これは地方分権の傾向をつくる連邦制など、制度的な理由もあるが、公文書の蓄積で作られてきた、「独自の歴史がある自立したわれわれの都市」という感覚のひとつの背景だ。 そして現代においては、自治体はアーカイブを設置する義務と権利を有している』、日本よりはるかに地方分権的なので、国家だけでなく、「自治体」も「アーカイブを設置する義務と権利を有している」のだろう。
・『歴史とアーカイブへの偏執的態度  自治体のアーカイブには行政文書、新聞、書籍、写真、フィルムなどかなりのものを保存している。働いている人たちも専門教育を受けたアーキビストで、修士・博士号の取得者も多い。 アーカイブに保管されているものは、自治体の「物語」とでもいえる歴史の源泉であり、言い換えれば「都市の背骨」である。それが都市のアイデンティティーを作るわけだが、「国」に置き換えてもアーカイブの重要性は十分見いだせるだろう。行政の記録ということ以上に、国や自治体というコミュニティー全体の記憶なのである。 地元のミュージアムや歴史・郷土クラブなどと協力することも多い。節目に展覧会の開催や歴史書が書かれるが、アーカイブがその第一次資料だ。当然のことだが、過去の歴史は時代によって評価が変わる。展覧会や出版される歴史書は、その時代の目で都市の過去を見直すことにほかならない。 同時に人間の行動には時代が変われども普遍的なものもある。歴史をきちんと見るということは、現在と未来を理解するということだ。「歴史的専門知識」を持つアーキビストたちは、こういうことをよくわかっているのだろう。そんな彼らが、大量の行政文書から後世に残すものを選んでいるのだ。 現代において行政文書の保存はデモクラシーにとって重要であることは言うまでもない。同時にドイツの都市を見ていくと、歴史から導かれるアイデンティティー、都市の独立性と信頼性などのためにアーカイブは不可欠という態度がある。これが行政文書を捨てない感覚を作っているのだと思う』、ドイツなどの欧州大陸諸国は、都市国家から出発したので、「歴史から導かれるアイデンティティー、都市の独立性と信頼性などのためにアーカイブは不可欠という態度がある」、日本は江戸時代から明治時代に切り替わる際に、余りに強く中央集権化を図り、地方統治機構も再編成したことが、「アーカイブ」文化を壊してしまったのかも知れない(後半は小生の独断と偏見)。
タグ:ドイツの都市を見ていくと、歴史から導かれるアイデンティティー、都市の独立性と信頼性などのためにアーカイブは不可欠という態度がある。これが行政文書を捨てない感覚を作っているのだと思う 歴史とアーカイブへの偏執的態度 中世の都市も文書の保管は大切だった 日本に目を転じると、昔から記録類を残す重要性は認知されており、数々の古文書があるのはその証左だ。むしろなぜ、現代日本がこれほど文書類の扱いがずさんになったのか考察する必要もあるだろう。 しかし本稿ではドイツの強い「アーカイブの感覚」がなぜあるのかについて続ける 「文書主義」を歴史的にさかのぼると、ローマ時代あたりから見いだすことができる ドイツは文書類を大量に作り、何かにつけ文書・証明書類を重要視する「文書国家」 アーカイブそのものは中世からある 正しい情報が必要で、時には過去の行政文書にあたる必要性も出てくる 選挙の投票 後世に残すべきかどうか判断する権限は政府ではなく、アーカイブにある 連邦政府のすべての記録は同アーカイブに渡されることが法律で義務化 後世に残す文書はアーカイブの専門家が選ぶ 「行政文書を捨てない「ドイツ」のアーカイブ感覚 専門の教育を受けているアーキビストがいる」 東洋経済オンライン 高松 平藏 全体主義国家のパロディーだが、こうしたディストピア(注)をそのまま現実化したのが安倍政権 主人公の仕事は公文書の改ざんである。「党」にとって都合が悪い過去の事実を抹消し、新たに歴史を捏造 ジョージ・オーウェルの近未来小説「一九八四年」 「ディストピアを現実化 安倍政権の正体を忘れてはいけない」 日刊ゲンダイ 適菜収 「結果的に日本を外国から「丸裸」にする」 外交や防衛など国の安全に関する情報、国民に誤解と混乱をもたらす恐れのある情報、国民のプライバシーを侵害するような事項、捜査に関する情報などは公開できない 日本の情報公開法は行政機関の裁量権が広い半面、情報公開圧力を強く受ける 防衛省では、国家安全保障の観点から海外に漏洩させたくない情報を、保存せずに破棄 防衛省には「日本の市民団体」から多くの情報公開請求が来る。防衛省がその内容を確認すると、明らかに外国の「代理人」として請求していると見られるものが多数ある 「南スーダンPKO日報破棄問題」に関してある専門家から聞いた話 保守系の団体が、政治家の日常活動への影響力を次第に強めていき、中央の政治・行政への介入が日常的に起こるようになり、官僚が無視できないレベルに達したという、日本社会に起きている深刻な構造的問題と捉えるべき 保守系の団体は自民党の非常に有力な「集票マシーン」 「保守系の団体」による政治・行政に対する働きかけが日常的に行われているであるならば、「合法的な陳情」とされた森友学園問題の「書き換え前の文書」に記載されていた政治家の名前も、もう一度見直す必要が出てくるのではないか 世間の焦点は、「安倍夫妻の関与」「財務省の忖度」に集中 赤池氏、池田氏は文科省に経緯を照会していたことを認めた上で、「法令違反をした人が教壇に立っていいのか事実確認 赤池氏、池田氏は、「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟国会議員懇談会」のメンバー 森友学園問題の本質は「保守系の団体」の政治・行政への強い影響力の広がりではないか 「森友問題の背後に透ける「保守派の影響力」と「他国の政治介入」」 ダイヤモンド・オンライン 上久保誠人 (その5)(森友問題の背後に透ける「保守派の影響力」と「他国の政治介入」、ディストピアを現実化 安倍政権の正体を忘れてはいけない、行政文書を捨てない「ドイツ」のアーカイブ感覚 専門の教育を受けているアーキビストがいる) 公文書管理
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