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日本型経営・組織の問題点(その9)(外国の識者が語る"日本人論"が核心をつくワケ 日本人の日本人論にない視点がある、忘年会だけじゃない! スルーすべき日本の会社のムダな慣習、何をいまさら経団連 日本型雇用は10年前に終わっている) [経済政治動向]

日本型経営・組織の問題点については、昨年11月6日に取上げた。今日は、(その9)(外国の識者が語る"日本人論"が核心をつくワケ 日本人の日本人論にない視点がある、忘年会だけじゃない! スルーすべき日本の会社のムダな慣習、何をいまさら経団連 日本型雇用は10年前に終わっている)である。

先ずは、作家・経済ジャーナリストの渋谷 和宏氏が昨年11月23日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「外国の識者が語る"日本人論"が核心をつくワケ 日本人の日本人論にない視点がある」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/30036
・『日本人はなぜロボットを友達だと思うのか  「日本人ほど『日本人論』が好きな国民はいない」と著者の佐藤智恵氏は言う。そうかもしれないと思う。私自身、外国の識者が語る日本論、日本人論にはつい耳をそばだててしまう。本書『ハーバードの日本人論』は、そんな外国人の視点で見た日本論、日本人論の中でもとりわけ異彩を放つ一冊だ。 「日本人はなぜロボットを友達だと思うのか」「日本人のオペレーションはなぜ簡単に真似できないのか」――本書はこうした「日本人のなぜ」について、メディア論やマネジメント論などそれぞれの分野で第一人者として知られるハーバード大学の教授陣に著者がインタビューし、わかりやすくまとめている。専門領域のみならず、日本や日本人について深い知識を持つ教授陣の話は示唆に富み、かつ新鮮だ。 「日本人はなぜロボットを友達だと思うのか」――メディア論を専門とするアレクサンダー・ザルテン准教授は言う。「日本人が歴史的にテクノロジーを『理想的な社会を実現するのに不可欠なもの』ととらえてきたことと深い関係がある」。 明治維新後、日本は西洋の技術を取り入れ、近代化に成功した。戦後の高度成長を支えたのも絶えざる技術進歩だった。テクノロジーへの信頼が、日本人のロボット観の根っこにあると指摘するのだ』、「佐藤智恵氏」は元NHKディレクターでコロンビア大学MBA取得、ボストン・コンサルティング・グループ勤務などを経てげ、作家/プロデューサー/コンサルタント。このブログでも2017年8月19日付け「原爆投下」で紹介している。確かに「外国の識者が語る日本論、日本人論」は、日本人が気付かない点を指摘してくれるので、興味深いものも多い。
・『日本のアニメが国境を超えて愛される理由  さらにザルテン准教授は日本のアニメが国境を超えて愛される理由についても独創的な分析を披露する。日本のアニメは日本の物語だけでなく、ディズニーのアニメや近代のSF文学などからも影響を受けており、その表現にも様々な技法が取り入れられている。こうした特徴が、インターネットによって文化の混合を日常的に体験している世界の若者の感覚に合致したと言うのだ。 「日本人のオペレーションはなぜ簡単に真似できないのか」――マネジメント論が専門のウィリー・C・シー教授は「かんばん」に代表されるトヨタ生産方式を例に挙げ、それを可能にしているのは継続して学習し、問題を解決する企業文化であり、その土台には「完璧な品質を追求する」「継続して改善を行う」という日本人の国民性があると解説する。 トヨタ生産方式は「日本の経済風土にあったオリジナルな方法を」という考えから開発されたと言われる。世界のものづくりに革命を起こした生産方式がなぜ日本企業によって生み出されたのか。答えの一端を垣間見た気がする。 本書が取り上げる「日本人のなぜ」は、もちろんこれらだけではない。「日本人はなぜ『場』を重んじるのか」「日本人はなぜものづくりと清掃を尊ぶのか」――ほかにも気になる命題が取り上げられ、その分析には思わず同僚や友人にひけらかしたくなる指摘がちりばめられている』、「佐藤智恵氏」が専門家から見解を引き出す能力は、豊富な職歴の上に築かれたのだろう。暇を見つけて、読んでみたくなる本だ。

次に、在米作家の冷泉 彰彦氏が12月24日付けNewsweek日本版に掲載した「忘年会だけじゃない! スルーすべき日本の会社のムダな慣習」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2019/12/post-1132.php
・『<社内での打ち合わせや会議のための「社内出張」や、転勤、単身赴任などスルーすべきビジネス慣行が日本の会社には多い>  30年ぐらい前に止めていれば良かったのにいまさら感がありますが、「忘年会スルー」という言い方で、職場における半強制的で楽しくない宴会のために、貴重な年末の時間を使う習慣が批判されているのは良いことだと思います。 ですが、悪いのは忘年会だけではありません。日本の職場風土をもっと風通しの良いものにすると同時に、先進国中最低レベルとなっている生産性を向上させるためには、他にもスルーすべきことがあります。 1つ目は「社内出張」です。出張というと、セールスや業務提携など重要な目的があったり、あるいは見本市への出店や、反対に見本市や国際会議への参加による情報収集や人脈形成など、企業としての業務に欠かせないものがあるのは事実だと思います。 ですが、出張には大きな負荷がかかります。期間中は家事、育児、介護といった家族における責任を放棄して、遠隔地に行かねばなりません。問題は、どうしても必要な対外交渉、調査といったものではなく、日本の場合はまだまだ同じ会社の中での打ち合わせや会議のために出張する、つまり「社内出張」の機会が多いということです』、テレビ会議導入などで多少減ったとはいえ、「社内出張」は本当に無駄の最たるものだ。
・『「社内会議のための出張」はほとんどムダ  例えば、一定の職位以上の管理職は定期的に本社に集めて、全社の動きを知らせるという会社は多いと思います。また、海外など遠隔地に駐在させて勤務させている社員を呼び返して報告させる会議などもあります。さらには、何か突発的な問題が生じた場合には、役員などに報告と謝罪のために出張しなくてはならないということもあるでしょう。 こうした「社内会議のための出張」というのは、ほとんどがムダだと思います。まず、多くの社員を集めて「全社の動きを知らせる」会議というのは、単に参加者を社内政治の評論家にするだけで、個人のスキルの向上、そして会社全体の業績の向上には役にも立ちません。もっと言えば、社内世論を形成して意思決定の参考にしようなどという弱いリーダーでは通用しない時代でもあります。全社の動きを幅広く知らせれば社員の育成になるというのも、社員のモラル向上になるというのも限定的です。 海外に人を出していると「浦島太郎」になるので、ときどき呼び返してコミュニケーションしたほうが良いという習慣もありますが、根拠は怪しいと思います。日本の産業界は、国際化の遅れからこのような低迷に到ったのですから、変わらねばならないのは日本側であって、せっかく最前線に出ている人間には伸び伸びチャレンジさせるべきでしょう。 一番悪いのは、トラブルの発生時に「報告と謝罪」を対面式コミュニケーションでやるために呼び寄せることです。初動が大事であれば、現場の問題解決を本社は支援するべきところですが、ふんぞり返って「不始末は来て報告せよ、対応はそれからだ」というような姿勢の企業はどんどん淘汰されていくでしょう』、海外駐在の拠点長を定期的に呼び寄せるのも無駄だ。「トラブルの発生時」の本社の「ふんぞり返った」対応も酷いものだ。
・『2つ目にスルーすべきなのは、転勤です。せっかく身に着いたスキルを捨てさせて、全く違う分野に異動させる、あるいは別の土地へ異動させるという「人事ローテーション」と「ゼネラリスト育成」というのが、日本型人事だとされてきました。ですが、共働きが当然となる一方で、あらゆる業務内容が高度化し、専門性が問われるようになった現在、転勤のメリットは薄れており、残っているのは個人の人生設計を壊す弊害だけのように思います。 転勤に伴う単身赴任という習慣も、核家族の求心力を奪い、次世代に親となるべきロールモデルを与えることができなかった罪は重いと思います。まわりまわって非婚少子化の後押しをしているという観点から、社会的に止める時期に来ていると考えていいでしょう。 忘年会に象徴されるような、公私混同体質を伴った封建的ヒエラルキーで人間性を束縛するのが「忠誠心」だとか、何かに付けて「社内会議」をするのが育成やスキル向上になると思い込んだり、国中、世界中のどこへでも辞令一枚で社員と家族を飛ばせると考えたり、これでは、まるで「お国替え」と「参勤交代」です。封建主義そのものであり非人間的であると同時に、21世紀の高度な生産性とは全く馴染みません。これらの慣習も、スルーでいいのではないでしょうか』、アメリカで日本人駐在員たちの悲哀を見ているらしい冷泉氏ならではの鋭い指摘で、諸手を挙げて同意する。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が2月18日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「何をいまさら経団連、日本型雇用は10年前に終わっている」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00062/?P=1
・『久しぶりに春闘が話題だ。 きっかけは経団連が「日本型雇用の見直し」なるものを求めたこと。年末に行われた定例の記者会見で中西宏明会長は、こう訴えた。「新卒一括採用、終身雇用、年功序列型賃金が特徴の日本型雇用は効果を発揮した時期もあったが、矛盾も抱え始めた。今のままでは日本の経済や社会システムがうまく回転しない。雇用制度全般の見直しを含めた取り組みが重要だ」と。 その上で、「賃上げの勢いを保つことは大前提だ。ただ製品やサービスの付加価値向上に必要なスキルや意欲のある人が活躍できる環境づくりも大事だ。そのためには賃金体系や人事制度についてもしっかり対応すべきだ」──。 この発言は1月21日に発表された「2020年版 経営労働政策特別委員会報告(経労委報告)」の中で、「転換期を迎えている日本型雇用システム」という言葉に置き換わった。「新卒一括採用や終身雇用、年功型賃金を特徴とする日本型の雇用システムは転換期を迎えている。専門的な資格や能力を持つ人材を通年採用するジョブ型採用など、経済のグローバル化やデジタル化に対応できる新しい人事・賃金制度への転換が必要」と、盛んにアピールしているのだ。 しかも、組合側も組合側で、経団連の指針に“素直”に応じるような要求が相次いでいる。 自動車メーカーなどの各労働組合が12日、経営側に提出した要求書には……、・給与を1人当たり月額1万100円の引き上げを求める一方で、ベアについて人事評価に応じて差をつける新たな方法を提案(by トヨタ自動車の労働組合) ・新たな仕事に挑戦した社員に賃金を上乗せする制度の拡充を求める(by ホンダの労働組合)など、賃上げにめりはりをつけてほしいと書かれているらしい』、「労働組合」が「賃上げにめりはりをつけてほしい」、とは信じられないような要求だ。「めりはりをつけ」るのは、あくまで経営側であり、こんな要求で、組合員の団結が維持できると思っているのだろうか。或いは、団結など不要と割り切っているのかも知れない。御用組合化もここに極まれりだ。
・『2008年の「派遣村」が象徴していた日本型雇用の崩壊  これらの経緯を受け、テレビなどでは「転換期を迎えている日本型雇用システム」という言語明瞭意味不明のフレーズを繰り返している。 ……ふむ。「日本型雇用システムが転換期を迎えている」って? 中西会長含め、経済界を代表する重鎮たちは、昨年から度々この言葉を繰り返しているけど、この言葉に私は違和感を抱き続けている。 だって、とっくの昔に日本型雇用システムは転換期を迎えていたじゃないか。10年前に、重鎮たちだってしかと、その目で、見たはずである。 まさか、忘れたってことだろうか? 経団連もメディアも、2008年の年末の「派遣村」のことを忘れてしまったのか?当時、メディアは連日連夜日比谷の派遣村から中継していたのに……。いったいどうしてしまったんだ? あの「年越し派遣村」こそが、日本型雇用システム崩壊の象徴に他ならない。 忘れてしまった“経済界の重鎮”のために、あのときの出来事を簡単におさらいしておく。 08年秋に起きたリーマン・ショックにより、大手の製造業などで働く非正規の人たちがリストラされ、寮からも追い出される事態となった。いわゆる「派遣切り」だ。 そんな人たちを受け入れようと、労働組合関係者、法律家、生活困窮者支援NPOのメンバーらにより、日比谷公園に「年越し派遣村」がつくられ、全国から500人近くが集結。当時は“ワーキングプア”や“ネットカフェ難民”など、不安定な雇用形態である非正規雇用で働く人が急増した時期だったので、社会の関心も高かった。 中には「ホームレスも含まれているじゃないか!」「政治的な陰謀じゃないか」など、批判的な意見もあったが、派遣村の最大の功績は「貧困の可視化」だった。派遣村をきかっけに格差問題は貧困問題になり、非正規と正社員という単なる雇用形態の違いが「身分格差」になっていることが周知されたのだ。 それは“経営の三種の神器”として日本企業を支えてきた「終身雇用、年功制、社内組合」の崩壊であり、米国の経営とは異なる日本独自の極めて優れた経営戦略として世界から称賛された「日本型雇用システム」の終焉(しゅうえん)を意味するものだった。 つまり、経団連はやたらと「日本型雇用システムの限界」だの「日本型雇用システムの転換期」だの昨年から言い続けているけど、10年も前に“日本型雇用システム”の転換期を迎えていたのだ』、「「年越し派遣村」こそが、日本型雇用システム崩壊の象徴に他ならない」、思い出したが、確かにその通りだ。
・『にもかかわらず「日本型雇用システムの転換期」という言葉を多用するのは、非正規にしたくでもできない正社員の賃金を減らしたい。コストをとにかく減らしたい。ただそれだけのこととみえる。 情けないことに経済界の司令塔である経団連が、あからさまに「コストカット」を訴え続けているのである。 こちらの図をご覧いただきたい。改めて書くまでもなく、日本の労働人口の年齢構成は高齢化が進み、60歳を過ぎても働くのが当たり前となった。共働きも当たり前で、働く女性も増えた。ところが「増えた属性=60代&女性の人たち」は日本型雇用システムでは雇用されていない(http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r01/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-02-07.html)。 年齢階級別非正規雇用労働者の割合の推移(男女別)(男女共同参画局『男女共同参画白書 令和元年度版』より) 女性は34歳以下をのぞくすべての年代で半数以上が非正規、男性では65歳以上の7割以上、55~64歳の約3割が非正規だ。25~34歳では14.4%と割合はさほど高くないが、全体として非正規雇用が増加傾向にあることは注視すべきだ。 一方、35~54歳は小泉政権の時に一旦増えたが、その後はほぼ横ばいが続いている。 要するに、この世代こそが経団連が言うところの“日本型雇用システム”の恩恵を受けている世代だ』、「35~54歳」の「男性」だけが「“日本型雇用システム”の恩恵を受けている」、とは初めて知った。しかし、ここにもいよいよ「経団連」はメスを入れようとしているようだ。
・『経団連の使命とは何だったのか  これまでも経団連の重鎮たちは、あの手この手で40代、50代の働く人たちをお荷物扱いするような発言をしてきたけど、今回は“子飼いにした組合”を巻き込み、この世代のコストカットに踏み切った。 連合の神津里季生会長がどんなに、「そもそも(経団連が指摘するような日本型)雇用システムはこの20年、確立していない。中小・零細企業の労働者や正社員以外の雇用形態で働く労働者への視点が欠けている」と指摘しても、重鎮たちはどこ吹く風だ。 「そんなこと分かってるよ! でもね、まださ、日本型雇用システムの恩恵を受けている層がいるのよ。その人たちのコストをカットしないことには日本の未来はないのさ」ってこと。……あまりに露骨だ。 かつてトヨタの会長だった奥田碩氏が、機会ある度に「解雇は企業家にとって最悪の選択。株価のために雇用を犠牲にしてはならない」と語り、経団連会長として「人間の顔をした市場経済」という言葉を掲げたのに、今の経団連のお偉い人たちの視界に「人間の顔」はない。 経団連のウエブサイトには経団連の使命として、「企業と企業を支える個人や地域の活力を引き出し、日本経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与することにあります」と記されている。 「稲山嘉寛経団連会長(1980-86)は『我慢の哲学』、平岩外四経団連会長(1990-94)は『共生』、豊田章一郎経団連会長(1994-98)は『魅力ある日本』といったコンセプトを打ち出し、国際社会の中でよき企業市民として日本企業が受け入れられるように取り組みました」とも書かれている。 今の経団連から発せられる文言のどこに、「個人や地域の活力を引き出す」メッセージがあるのか? 日本型雇用システムを悪の根源のごとく叩きまくっているけど、それを生かす経営を今の経団連はしてきたのだろうか?』、従来の「経団連」とは大きく異なり、大所高所の議論よりも、目先の利害中心になってきたようだが、これも時代の流れとしたら、余りに寂しい。
・『2018年、日経新聞が“異例”の経団連批判をしたと話題になった記事を覚えているだろうか。 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31995500Q8A620C1X12000/ 「経団連、この恐るべき同質集団」と大きな見出しがついた記事には、 ・19人の正副会長全員のだれ一人として転職経験がない  ・全員サラリーマン経営者 ・全員男性 ・全員日本人 ・一番若くて62歳 ・中西会長以下12人が東大卒、次いで一橋大3人、京大、横浜国大、慶応大、早稲田大が各1人で、首都圏以外の大学を出たのは山西健一郎・三菱電機取締役相談役ただ1人(京大工卒)と、異様なまでの同質性が指摘されていた。 フツーに考えれば、これだけ働く女性が増えたご時世で、なんでこの集団には女性がいない? 外国人労働者を増やすといっているのに、なんで外国人もいない? 経団連が大好きな「世界の市場」では多様性が当たり前なのに、今の経団連は多様性の「たの字」もない集団である。中西会長は会長に就任する前に、多様性の重要性を訴えていたはずなのに……いったいなぜ? お偉い人たちに叱られることを覚悟で言わせていただければ、経団連の上層部こそが、日本型雇用システムの恩恵を受けまくった人たちで、自分たちが変わることを置き去りにしている。そう思えてならないのである。 もし、本当に経団連の使命が「企業と企業を支える個人や地域の活力を引き出し、日本経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与すること」であるなら、組合のあり方そのものも変えなくてはならないはずだ。 ところが、経団連は「業界横並びの集団的な賃金交渉は、実態に合わなくなっている」と明記し、春闘の意義そのものに疑問を呈した。社会的対話の象徴である「春闘」を、必要ないのでは?と指摘したのだ。 ふむ。これは大問題である』、「日経新聞が“異例”の経団連批判」、は誠に手厳しいが、その通りだ。「経団連の上層部こそが、日本型雇用システムの恩恵を受けまくった人たちで、自分たちが変わることを置き去りにしている」、との河合氏の批判は正鵠を突いている。
・『世界がディーセント・ワークを目指す時代に  社会対話は自由、平等、保障、人間の尊厳といった条件の下で、男女を問わずすべての人々がディーセント・ワークを得る機会を促進するというILO(国際労働機関)の目的達成においてカギとなる役割を果たしている。 ディーセント・ワークについては、今年最初の元日コラムで書いたとおり(働きがい問われる年、シニアのリストラが若者にも悪影響)、1999年のILO総会で初めて用いられた概念である。 「権利が保障され、十分な収入を生み出し、適切な社会的保護が与えられる生産的な仕事」であるディーセント・ワークを、ILOでは「すべての人にディーセント・ワークを(Decent Work for All)」を目指し活動している。 その仕事とは、「労働基準及び働く上での権利」「雇用」「社会的保護」「社会対話」の4つの柱で成立する。 社会対話をILOは、「政府、使用者、労働者の代表が、経済・社会政策に関わる共通の関心事項に関して行うあらゆる種類の交渉、 協議、あるいは単なる情報交換」と定義している。 そして、社会対話を可能にする条件として、以下を掲げている。 ・社会対話に参加する技術的能力を備え、関連する情報を入手できる機会が与えられた、強く、独立した労使団体 ・社会対話に従事しようとという政治的意思と決心が全当事者に存在すること ・結社の自由と団体交渉の基本的な権利の尊重 ・適切な制度的支援 ・社会的パートナーの代表が互いに平等なパートナーとして認識されること こうした社会対話の形態の1つが、春闘のような労使の二者構成だ。 その社会対話を経営の司令塔である経団連が「いらない」と言っているのだ。 労働組合からに講演会に呼ばれると、大抵聞こえてくるのは「組合に若い人が入りたがらない」「非正規の人が多いのに組合では正社員のことしか議論しないので、実態に合っていない」といった、組合のあり方への懸念であり、疑問だ』、「ディーセント・ワーク」の柱の多くは、ほぼすべて条約化されているが、日本は批准していないものが多い(Wikipedia)。日本は労働法制の面では後進国並みのようだ。
・『中西会長の出身母体である日立製作所の組合の雑誌に、私は数年間連載を持たせてもらったことがある。子会社や関連会社も多い日立グループにはたくさんの組合があり、活動が実に活発だった。いくつかの組合からは講演会に呼ばれたし、本体の日立製作所に呼んでいただいたこともある。 そのときの感想は「組合と会社がとてもいい関係にある」という、極めてポジティブなものだった。 なので、私は中西さんが経団連の会長に就任したときに、ものすごく期待した。あの日立のトップだった中西さんなら、時代遅れになっている経団連を変えてくれるのではないか、と。 働く人たちの視点で、カネではなく「人」を見てくれるんじゃないか、と。心から期待したのだ。 いったいどうしてしまったんだ? もっと働く人たちのやる気が湧くメッセージを、経団連の会長として出してくれよ!と、本当に残念でたまらないのである。 価値が多様化し、技術が日新月歩する予測不能な厳しい市場で生き残るには、企業が存在する意義を経営者がきちんと考え、自分たちの会社の価値判断を重視し、働く人たちが「誇りを持って働ける職場」とは何か?を考える経営をすることだ。 たとえばジョンソン・エンド・ジョンソンの「我が信条(Our Credo)」のような、「自分たちのなすべきことは何か」の原点に立ち戻る経営について、経済界の司令塔としてメッセージを出すことじゃないのか。会長さん!私、間違ってますか?』、「経団連会長」に対する手厳しくも暖かい叱咤激励だ。
タグ:社会対話は自由、平等、保障、人間の尊厳といった条件の下で、男女を問わずすべての人々がディーセント・ワークを得る機会を促進するというILO(国際労働機関)の目的達成においてカギとなる役割を果たしている 世界がディーセント・ワークを目指す時代に 経団連の上層部こそが、日本型雇用システムの恩恵を受けまくった人たちで、自分たちが変わることを置き去りにしている 忘年会に象徴されるような、公私混同体質を伴った封建的ヒエラルキーで人間性を束縛するのが「忠誠心」 国中、世界中のどこへでも辞令一枚で社員と家族を飛ばせると考えたり、これでは、まるで「お国替え」と「参勤交代」です 封建主義そのものであり非人間的であると同時に、21世紀の高度な生産性とは全く馴染みません 『ハーバードの日本人論』 日本人はなぜロボットを友達だと思うのか 転換期を迎えている日本型雇用システム 組合側も組合側で、経団連の指針に“素直”に応じるような要求が相次いでいる 専門的な資格や能力を持つ人材を通年採用するジョブ型採用など、経済のグローバル化やデジタル化に対応できる新しい人事・賃金制度への転換が必要 ジョンソン・エンド・ジョンソンの「我が信条(Our Credo)」のような、「自分たちのなすべきことは何か」の原点に立ち戻る経営について、経済界の司令塔としてメッセージを出すことじゃないのか ほぼすべて条約化されているが、日本は批准していないものが多い 今の経団連は多様性の「たの字」もない集団 経団連、この恐るべき同質集団 日経新聞が“異例”の経団連批判 今の経団連から発せられる文言のどこに、「個人や地域の活力を引き出す」メッセージがあるのか? 日本型雇用システムを悪の根源のごとく叩きまくっているけど、それを生かす経営を今の経団連はしてきたのだろうか? 「35~54歳」の「男性」だけが「“日本型雇用システム”の恩恵を受けている」 「人間の顔をした市場経済」 奥田碩 経団連の使命とは何だったのか 非正規にしたくでもできない正社員の賃金を減らしたい。コストをとにかく減らしたい 2008年の「派遣村」が象徴していた日本型雇用の崩壊 賃上げにめりはりをつけてほしい 賃金体系や人事制度についてもしっかり対応すべきだ 日経ビジネスオンライン 「何をいまさら経団連、日本型雇用は10年前に終わっている」 河合 薫 あらゆる業務内容が高度化し、専門性が問われるようになった現在、転勤のメリットは薄れており、残っているのは個人の人生設計を壊す弊害だけ 「人事ローテーション」と「ゼネラリスト育成」というのが、日本型人事 2つ目にスルーすべきなのは、転勤 トラブルの発生時に「報告と謝罪」を対面式コミュニケーションでやるために呼び寄せることです。初動が大事であれば、現場の問題解決を本社は支援するべきところですが、ふんぞり返って「不始末は来て報告せよ、対応はそれからだ」というような姿勢の企業はどんどん淘汰されていくでしょう 「社内会議のための出張」はほとんどムダ 日本の場合はまだまだ同じ会社の中での打ち合わせや会議のために出張する、つまり「社内出張」の機会が多い 社内での打ち合わせや会議のための「社内出張」や、転勤、単身赴任などスルーすべきビジネス慣行が日本の会社には多い 「社内出張」 「忘年会だけじゃない! スルーすべき日本の会社のムダな慣習」 Newsweek日本版 冷泉 彰彦 「日本人のなぜ」について、メディア論やマネジメント論などそれぞれの分野で第一人者として知られるハーバード大学の教授陣に著者がインタビューし、わかりやすくまとめている 「外国の識者が語る"日本人論"が核心をつくワケ 日本人の日本人論にない視点がある」 PRESIDENT ONLINE 日本のアニメが国境を超えて愛される理由 転勤に伴う単身赴任 佐藤智恵 雇用制度全般の見直しを含めた取り組みが重要だ 経団連が「日本型雇用の見直し」なるものを求めた 渋谷 和宏 (その9)(外国の識者が語る"日本人論"が核心をつくワケ 日本人の日本人論にない視点がある、忘年会だけじゃない! スルーすべき日本の会社のムダな慣習、何をいまさら経団連 日本型雇用は10年前に終わっている) 日本型経営・組織の問題点
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