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加計学園問題(その16)(看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず、韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑、小田嶋氏:「嫌い」の持っていきどころ) [国内政治]

加計学園問題については、2018年10月14日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その16)(看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず、韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑、小田嶋氏:「嫌い」の持っていきどころ)である。

先ずは、本年2月14日付け日刊ゲンダイ「看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269052
・『新型コロナウイルスの感染が拡大する中、“世界に冠たる”獣医学部は何をしているのか――。新型肺炎対策が議論されている国会で、加計学園が設立した岡山理科大獣医学部の名前が浮上。カケ問題が再燃している。 コトの発端は先週7日の衆院予算委。立憲民主の阿部知子議員が「今般の事案(新型肺炎)に対して、いま加計学園はどんな活動をしているのか」と問うと、萩生田文科相が「今後の感染症、微生物学に関する講義のなかで取り扱うことや、今後、シンポジウムにおいて情報発信・啓発を行うことを検討している」と答弁。国家戦略特区を通じて“鳴り物入り”で新設された獣医学部が、ほとんど何もしていないことが発覚した』、「阿部知子議員」もタイムリーに嫌味な質問をしたものだ。
・『つぎ込まれた税金は約186億円  そもそも、獣医学部新設の狙いを安倍首相は「人獣共通感染症対策」「新薬開発」――と強調してきたはずだ。しかも、〈広域的に(獣医学系大学が)存在しない地域に限り新設を可能とする〉との特区認定の条件を追加し、わざわざ鳥インフルエンザ研究センターを持っていた京都産業大を除外までしている。 それにもかかわらず、新型肺炎が猛威を振るっている、この肝心な時に、ほとんど機能していないのだから話にならない。新薬の開発なんて期待されていないのだ。 さらに、新型肺炎を研究・調査するよう政府から指示を受けた国内の9つの大学にも、岡山理科大は選ばれていない。その理由を文科省に聞くと、「文科省の補助事業『感染症研究国際展開戦略プログラム』に採択されている大学に指示した」(研究振興戦略官付)とのこと。 学園側にも新型肺炎に関する取り組みについて問い合わせたが、期日までに回答はなかった。 獣医学部新設につぎ込まれた税金は約186億円。国からの助成金も入っている。政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。「『人獣共通感染症への対策』との説明はしょせん、獣医学部新設のための建前だったということでしょう。モリカケ疑惑といい、『桜を見る会』といい、いったい血税を何だと思っているのでしょうか。今回の新型肺炎のような不測の事態にこそ、税金が投入されるべきでしょう」 “世界に冠たる”なんて、看板倒れじゃないか』、「獣医学部新設の狙いを安倍首相は「人獣共通感染症対策」「新薬開発」――と強調」、安倍のウソもここまでくると、誰も信じないようだ。結果論になるが、「新型肺炎」を研究するのは、「鳥インフルエンザ研究センターを持っていた京都産業大」の方がよかったようだ。

次に、3月4日付け文春オンライン「韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/36425
・『2017年、52年ぶりに新設が認められた学校法人加計学園、岡山理科大学の獣医学部。昨年11月16日、愛媛県今治のキャンパスで獣医学科の推薦入試が実施されたが、同学科が韓国人受験生全員の面接試験を一律0点とし、不合格にしていたことが「週刊文春」の取材で分かった。複数の職員が、証拠となる内部文書とともに明かした。 加計学園の幹部職員、武田晶さん(仮名)が怒りを滲ませる。「A方式の推薦入試を受験した韓国人受験生8名全員が不合格となっています。A方式の推薦入試は、学科2科目と面接試験、高校での成績を反映した評点平均値、各50点、計200点満点で採点されます。驚くべきことに、韓国人受験生全員の面接試験での点数は0点。なかには面接で10点でも取れれば合格点に達する受験生もいる。これまで面接試験で0点というのはほとんど見たことがありません。公平公正を重んじなくてはいけない入試で、国籍差別が行われている事実に怒りを覚えます」 週刊文春が入手した内部文書によれば、受験生の受験番号、出身地、得点、合否が記されており、面接の得点欄には「0」が並び、「不合格」と記されている。この面接結果について学内で獣医学部の教授陣は「日本語でのコミュニケーションが著しく困難だった」と説明している。だが、前出の武田さんは反論する。「すべて日本語で記された科目試験で満点に近い優秀な成績を収めた学生もおり、韓国人受験者全員が、日本語に不自由だという説明は不可解極まりないです」』、「韓国人受験生全員の面接試験での点数は0点」、「不正入試」の大胆不敵さには、呆れ果てた。こんなことをしたということは、一時は学生が集まるのかとの危惧もあったが、日本人受験者が十分に多かったことを意味しているようだ。
・『2月21日に加計学園に書面で事実確認を申し入れたが、1週間後に「担当者から連絡します」と言ったきり回答することはなかった。 文科省の担当者に見解を尋ねると、次のように回答した。「仮に受験生の属性によって差異を設けるのなら、大学側は説明責任が生じます。その上で、不適切な入試と判断されれば、文科省などの調査・指導の対象となり、私学助成の対象から除外される可能性もあります」 2018年に女子受験者の点数操作が発覚した東京医科大は、「公正、適切な学生の受け入れが実施されていない」として私学助成が不交付となっている。 岡山理科大学の獣医学部新設の認可をめぐっては、安倍晋三首相(65)と加計孝太郎理事長(68)とのお友達関係による“忖度”が指摘されてきた。新たに不正入試疑惑が浮上したことで、同学園は説明責任を求められそうだ。 3月5日発売の「週刊文春」では、幹部職員らの証言、証拠となる内部文書をもとに、不正入試疑惑を詳細に報じている』、文科省は「私学助成の対象から除外」するべきだろう。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が3月6日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「「嫌い」の持っていきどころ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00060/?P=1
・『話題は、例によって「週刊文春」によるスクープという形で、まずはウェブ上で告知された。内容は、2017年に、侃々諤々の議論の中で半ば強引に認可された岡山理科大学の獣医学部の不正入試にかかわる告発記事だ。 ネットにアップされた予告記事を一読して、翌朝、一番に近所のコンビニで「週刊文春」本誌を入手した。これは、読まないわけにはいかない。 内容から見て、当該の記事は、岡山理大の関係者による内部告発を踏まえたものだ。昔からの現場の記者の言い方で言えば「タレコミ記事」ということになる。 それにしても、このテの内部告発ネタの持ち込み先が、新聞社でなくなっているという事実に、私の世代の人間は、一抹の寂寥感を抱く。 おそらく、内部告発者は、タレコミのネタを新聞社に持ち込んでも、展開次第では、先方が政権に忖度して、記事を握りつぶす(古い報道の人たちは「ネグる」という言い方をしていましたね)可能性を恐れたのだろう。 ありえない話ではない。昨今の状況を鑑みるに、新聞社の上の方の人間が、ネタを記事化しない選択肢を選ぶなりゆきは十分に考えられる。そうでなくても、タレコミのネタは、新聞社と政権周辺との間の取引の材料に使われて、ナマの形では日の目を見ないかもしれない。これも非常にありそうな話だ。 と、この種のハレーションのデカそうな話題を、真正面から記事にする根性を持っているように見えるのは、現状では、週刊文春の一択だろう。 実際のところ、私は、3年ほど前から、「文春砲」などという夜郎自大な述語を振り回しつつ、やたらと調子ぶっこいているあの雑誌の編集部に、良い感情を持っていないのだが、それでも、岡山理大の内部告発者が、タレコミ先として、週刊文春を選んだ気持ちはとてもよく理解できる。私自身、自分がヤバげなネタをつかんだら、文春に持ち込むことになるはずだ。新聞は、もはや信頼できない。先日の全国一斉休校を要請した際の首相会見(←2月29日の総理会見)を仕切っていた幹事社の朝日新聞の人間の司会ぶりをテレビ画面越しに眺めながら、つくづくそう思った。社員記者の面々は総理の足元に鎮座している。まるで飼い猫みたいに、だ。 新聞やテレビ各社をはじめとする記者クラブメディアは、官邸や政府との共存共栄(最近の言い方で言えば「Win-Win」ですね)関係の維持を、どうやら国民の疑念を晴らすことよりも上位に置いている。 記者たちが政権や各省庁との駆け引きの中で、ネタの出し入れをすることは、互いの省力化のために必要な措置であるのかもしれない。とはいえ、あらかじめ申告した質問へのあらかじめ用意された回答に満足して、15分で質問時間を打ち切るようなやりとりを「記者会見」と呼ぶことは、言葉を扱う職業の人間には耐えられない欺瞞であるはずだ。あんな五人囃子の笛太鼓みたいな会見映像を全国放送されて、それでも記者章をぶら下げて歩いていられるのは、私に言わせれば恥知らずということになる。 当然、2月29日の総理会見の後、ネット上には、会見を差配した記者クラブへの不満が爆発する形になった。 で、不満の声に答える形で、3月3日付の毎日新聞は、秋山信一記者の署名入りで、《首相と閣僚の記者会見は“出来レース”か 政治部記者が明かすその実態》という見出しの記事を配信した。 記事を読んで、記者クラブと被取材者の関係が、一方的な上下関係ではないということは理解できた。 事前に質問を通告しておくことが、まるっきりの「出来レース」とは違う意味を持っていることもよくわかった。互いの情報交換を円滑にするための下準備は、当然必要な作業なのだろう。 ただ、それはそれとして、記者の仕事をわかりやすく説明してくれているこの記事の行間に、首相をフォローするニュアンスが横溢してしまっている。この点に私は失望を禁じ得なかった』、「岡山理大の内部告発者が、タレコミ先として、週刊文春を選んだ気持ちはとてもよく理解できる・・・新聞は、もはや信頼できない」、「新聞」は墓穴を掘ってしまったようだ。「全国一斉休校を要請した際の首相会見」は、本当に見るに堪えなかった。
・『私とて、会見のすべてが出来レースだったとは思わないし、記者クラブにぶら下がっている記者が雁首を揃えて政権の茶坊主業務に邁進しているとは思っていない。 ただ、首相に「苦言を呈する」構えで文章を紡ぎつつ、結果として、会見場に集まった自分たちの仕事ぶりについて弁明しているようにしか見えない記事を配信することになってしまった今回の経緯を、私はとても残念に思っている。 「記者と政治家の間には、部外者にはわからない微妙な駆け引きと力関係があって、それは記事を読んでいるだけの読者には簡単には理解できないものなのです」というお話は、雲の高みにいる人間が、下界の人間にアナウンスする説明として、内容はともかく、構えとしてあまりにもイヤミったらしい。その意味で、失敗だったと思う。 私は率直に「ナニサマのつもりだ?」と思ったし、もっと言えばナニサマとナニサマが互いに忖度し合ってるみたいなやりとりは、有料の見世物として興行するのには無理があると考えている。無理だ。そんなものを見るために、大切な時間を浪費するのは御免だ。 話がズレてしまった。 文春の記事の話題に戻る。 記事の内容が真実であるのだとすれば、今回の岡山理大の所業は、まるで弁護の余地のない、最悪のやりざまだ。 上の文で私があえて「記事の内容が真実であるのだとすれば」などと、事前弁解くさい接頭辞を配置したのは、自分の気持ちの中で、いまにいたってなお、「いくらなんでもこんなひどい話が本当であるはずがない」という、常識から来る思い込みをぬぐい切ることができずにいるからだ。 これはそれほどひどい話だ。 というよりも、ゲロが出そうにグロテスクな話だ。 本件が、「不正入試」であることはあらかじめ申すまでもない。それゆえ論じる必要もない。 「差別事案」であることもはじめからはっきりしている。 これらの前提を踏まえた上で、ここから先、私が書こうとしているのは、「差別はいけません」「大学の入学試験は公平、公正、かつ透明性が確保されているべきです」てなことを、くどくどと弁じ立てるテキストではない。 入試の公平性と差別撤廃の必要性は、民主社会の前提ではあるが、本稿のテーマではない。 本稿のテーマは、むしろ、それらの諸前提の崩壊危機についてだ。 私は、ここから先の何十ラインかを 「差別って本当にいけないのか?」「入試が公平じゃないからって、たいしたことないだろ?」と考え始めている人間たちのために書こうと思っている』、興味深そうだ。
・『実際、「差別の撤廃」や「入試の公正さ」といった「建前」は、現実問題として、広範な人々によって、嘲笑の対象になっている。 「入試が公平だとか、どこの国の話をしてるんだ?」「だよな。入試問題って、あれ、頭の悪いヤツは点が取れないようにできてるぞ。つまりおまえらにとってはどうにも不公平な試練だってことだぞ(笑)」「差別はいけませんって、だったらお前は美味い寿司と不味い寿司を差別してないのか?」てな調子の「自称リアリスト」は、私の見るに、SNSの「本音増幅機能」のアオリを受けて年々その数を増やし続けている。 それゆえ、私が恐れているのは、差別があることそのものよりも、この驚くべき差別を、「当然じゃないか」「どこが悪いんだ?」「どこの大学だって、表立ってやってないってだけで、実際には受験生を恣意的に選別してるはずだよ」「日本の私学助成金をどうして外国人に用立てる必要があるんだ?」「っていうか、お国のカネ使って遺伝子スパイを養成してどうするんだって話だろ、むしろ」てな調子で容認擁護している人間たち(←実際、この記事を紹介したツイートにぶら下がっているリプには、あからさまに韓国人差別を肯定している人々が山ほど含まれている)が、総理の腹心の友と言われている人間が経営している学校法人による公然たる差別が、いともぞんざいに中央突破でまかり通っていた実例をまのあたりにすることで、ますます自信を得て、その結果発言力を増すことなのである。 ちょっと前に発覚した、医学部を舞台にした不正入試事件では、男性の受験生にゲタを履かせることで、女性の合格者を減らす結果をもたらしていた点が問題視された。 2018年の12月、順天堂大学の学長が、女子の面接点を低く採点していた点について 「大学受験時点では女子の方がコミュニケーション能力が高い傾向にあり、判定の公平性を確保するために男女間の差を補正したつもりだった」という、バカな弁解をして笑いものになったのは、比較的記憶に新しいことだが、当たり前の話だが、学長のバカな弁解が、あの事件の全体像を端的に説明していたわけではない。 ここでは別の説明を採用する。 医療現場に詳しい人々が解説していたところによれば、彼らが男子学生を優遇せんとしたのは、「付属病院を持つ医大の人間にとっては、インターンとして一定期間自分たちの病院で勤務させるにあたって、男性医師の方が使い勝手が良いから」ということに尽きるらしい。 つまり、寝る間もないブラック労働のコマとして使い倒すためには、若手独身男性医師こそが好適な金のタマゴなのであって、妊娠や結婚で職場を離れるリスクを持っている女性の医師は、相対的に価値が低いということだ。となると、入試の合否判定における男女格差は、結果として明らかな差別であることは事実であるにしても、そもそもの意図としては「差別」よりは「営業上の利益優先」から発したものだったということになる。 もちろん、意図として男女差別を狙ったものでないのだから許されるという話ではない。 というよりも、このケースは医療現場に蔓延している女性への配慮を欠いた差別的な扱いを、入試のステージにそのまま転嫁した意味で、より差別的であるのかもしれない。 「女子受験生を排除した医大の首脳部は、必ずしも女性差別を意図していたのではなくて、単に、より過酷に使役できる男性の医師を求めたのだ」という言い方を単純に採用してしまうと、女性差別を擁護することになってしまう。 違う。その言い方は正しくない。 医大の人間たちは、女性差別をしなかったのではない。彼らは、医療の世界に蔓延する女性差別(と、そのカゲで酷使される若手医師たち)を利用して、より高い利益を得ようとした。 結局、彼らは、受験生を医療双六の「コマ」としてしか見ていなかったということだ』、「「自称リアリスト」は・・・年々その数を増やし続けている」、困った現象だ。医学部不正入試をした「首脳部」は、「受験生を医療双六の「コマ」としてしか見ていなかったということだ」、的確な表現だ。
・『さて、岡山理大がおよそぞんざいにやってのけたあからさまな差別は、営業上の利害だとかとはあまり関係のない、ド直球の、プリミティブな差別だった。 獣医学部が韓国人学生を排除することで、直接的な利益を得られるわけではないし、なんらかの損失を回避できるわけでもない。 あくまでも、彼らは排除のために排除し、差別のために差別している。 つまり、意図としてはそれだけ差別の意図が徹底していたということでもある。 私がなんともいやな気持ちになっているのはこの点だ。 彼らは、ただただ差別のために差別をしている。 儲けるためにとか、カネを節約するためにとか、そういう損得勘定すらない場所で、ただ一心に自分自身の差別をしたいという欲望をかなえる目的で差別をしている。こんなに薄気味の悪いやりざまがあるだろうか。 あるいは、損得に沿って考えるなら、韓国人受験生の面接点にゼロの数字を書き込んで、彼らの合格を阻止しようとした人々は、誰かに気に入られたくてそれをしたのかもしれない。 その場合は、韓国人を差別すると喜ぶ誰か(それも偉い人)が、彼らの上にいたということになる。 それもまた非常に気味の悪い想定ではある。 ナチス治世下のドイツや、戦前の日本のような、異民族への差別がごく自然な感情として広く共有されていた社会では、差別は、それ自体が利益をもたらすものでなくても、民族の団結を促すわかりやすいスイッチとして機能していたと考えることができる。 現代でも、自分たち以外のメンバーを排除することや、純血でないとされる構成員を差別することで、主要な「仲間」の団結を完全ならしめるための助けとしている集団はそこここに存在している。 「◯◯人は国に帰れ」「◯◯人はこの店に入るな」「Japanese Only」というスローガンは、差別のための掛け声であると同時に、仲間内に団結を呼びかける和合の言葉でもある。 こういう場所では、「韓国人」であるとか「中国人」であるとか「ユダヤ人」であるとか「異教徒」であるとか「裏切り者」であるとか「売国奴」であるといった、具体的な「外部の人間」「異端の存在」を設定・想起し、その彼らを排除、差別、攻撃、嘲笑することを通じて、「自分たち」(あるいは「日本人」)の輪郭を明確化できると思っている人間は、実のところ、少なくない。彼らは、まず外部に憎悪の対象を設定し、しかる後にその憎悪への反作用として自分たちへの愛情を方向づけるのである。 排外主義や外国人差別は、行き過ぎた愛国主義の反作用だと言われる。 私は、逆だと思っている』、「彼らの合格を阻止しようとした人々は、誰かに気に入られたくてそれをしたのかもしれない。 その場合は、韓国人を差別すると喜ぶ誰か(それも偉い人)が、彼らの上にいたということになる。 それもまた非常に気味の悪い想定ではある」、安部首相を指しているのだろうが、忖度のやり過ぎだ。
・『愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える、と、そう考えたほうが実態に即している、と、少なくとも私は、現状を見るかぎりにおいて、そう考えている。 差別的な男が徒党を組むことで形成される「ホモソーシャル」と呼ばれる社会では、差別は、そのまま組織の行動原理として採用される。時には集団を前に進めるエンジンにもなる。 さきほど男女差別の話が出たので、ついでに蒸し返すと、私個人の見方では、女性への差別は、この30年ほどの間に、かなりマシになったと思っている。 実際、現代の20〜30代の若者は、われわれの時代から比べれば、驚くほど女性差別的な言動をしない。 であるから、差別の質自体、20世紀標準の露骨なセクハラや抑圧から比べれば、ずっと改善されている。 たとえば、ケーブルテレビのチャンネルで、1980年代の「オレたちひょうきん族」を見ると、面白いとかつまらないとかいった次元を超えて、女性差別ネタのひどさが鼻について、見ていられない。 当時の芸人たちは、コントやギャグやフリートークの中で、自分がいかに女たちを残酷に扱っているのかを競い合って開陳しては互いに爆笑している。それが笑いになると思っているのだ。でもって、互いが「オンナにひどいことをする男」であるという一点において「ワル仲間」っぽい友情を結び合っていたりさえする。 このミソジニー(注)傾向は、現代のお笑い芸人の中にも残っている。 たとえば、松本人志氏は、1月27日のテレビ番組「ワイドナショー」において、さる芸能人の不倫報道に触れる中で「ボクは結婚前、嫁に何度も言ってます。『俺は結婚してもそれ(不倫行為)がない男ではないよ』って。わかってるわけですよ」と言ってのけている。 夫である芸人に、こんな屈辱的な条件を飲まされて結婚したことを、全国中継のテレビ番組の中で暴露された配偶者が、どんな気持ちになるのかを、松本氏は、考慮したのだろうか。 まったく考えていないと思う。 むしろ、「そんな邪魔くさいこと、いちいち考えてられへんわ(笑)」てな調子で、「女子供の」事情をあっけらかんと斬って捨てる生き方こそが、すなわち男らしさだと、そう考えているに違いない。 ただ、こんな調子の勘違いしたマッチョは、順次絶滅しつつある。それが救いだ。松本氏のような人格標本は、関西のお笑いの世界にわずかに生き残っているばかりで、ヤンキーの間ですら、絶滅しつつある。 そういう点で、私は現代のこの国の若い人たちを信頼している。 ただ、外国人への差別感情や忌避感ということになると、これは、2002年以降、なぜなのか増幅しつつある気がしている。 このたびの岡山理大の韓国人差別措置を紹介したツイートにも、無視できない数の称賛のリプライがぶら下がっていたりする。 もしかしたら、われわれは誰かを憎まないとうまく生きていけないのかもしれない。 だとすると、誰も傷つけずに済む、うまい憎悪の持っていきどころを見つけた人には、ノーベル賞を差し上げてもよいのかもしれない。 私が自分の精神衛生のために嫌っている対象をお教えしてもよいのだが、賛成してもらえない場合、良くない展開が予想されるので、やはり秘密にしておくことにする』、「愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える」、にはいささか違和感を覚える。もっと純粋な「愛国心」もあるような気がする。「外国人への差別感情や忌避感ということになると、これは、2002年以降、なぜなのか増幅しつつある気がしている」、特に嫌韓意識の高まりには危機感すら覚える。「誰も傷つけずに済む、うまい憎悪の持っていきどころ」、私には残念ながら思いつかない。
(注)ミソジニー:女性嫌悪、女性蔑視(Wikipedia)
タグ:全国一斉休校を要請した際の首相会見 「差別の撤廃」や「入試の公正さ」といった「建前」は、現実問題として、広範な人々によって、嘲笑の対象に 「看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず」 「今般の事案(新型肺炎)に対して、いま加計学園はどんな活動をしているのか」と問う 小田嶋 隆 「自称リアリスト」は、私の見るに、SNSの「本音増幅機能」のアオリを受けて年々その数を増やし続けている 受験生を医療双六の「コマ」としてしか見ていなかったということだ 「韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑」 内部告発者は、タレコミのネタを新聞社に持ち込んでも、展開次第では、先方が政権に忖度して、記事を握りつぶす(古い報道の人たちは「ネグる」という言い方をしていましたね)可能性を恐れたのだろう 韓国人を差別すると喜ぶ誰か(それも偉い人)が、彼らの上にいたということになる。 それもまた非常に気味の悪い想定ではある 誰も傷つけずに済む、うまい憎悪の持っていきどころを見つけた人 岡山理大の関係者による内部告発 愛国心は、外に向けた憎悪や恐怖や嫌悪の反作用として芽生える、と、そう考えたほうが実態に即している 社員記者の面々は総理の足元に鎮座している。まるで飼い猫みたいに、だ 韓国人受験生全員の面接試験を一律0点とし、不合格にしていた 「文春砲」などという夜郎自大な述語 女子受験者の点数操作が発覚した東京医科大は、「公正、適切な学生の受け入れが実施されていない」として私学助成が不交付 外国人への差別感情や忌避感ということになると、これは、2002年以降、なぜなのか増幅しつつある気がしている 安倍首相は「人獣共通感染症対策」「新薬開発」――と強調 国家戦略特区を通じて“鳴り物入り”で新設された獣医学部が、ほとんど何もしていないことが発覚した 日刊ゲンダイ あらかじめ申告した質問へのあらかじめ用意された回答に満足して、15分で質問時間を打ち切るようなやりとりを「記者会見」と呼ぶことは、言葉を扱う職業の人間には耐えられない欺瞞 新型肺炎を研究・調査するよう政府から指示を受けた国内の9つの大学にも、岡山理科大は選ばれていない 「タレコミ記事」 (その16)(看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず、韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に「不正入試」疑惑、小田嶋氏:「嫌い」の持っていきどころ) 文春オンライン 立憲民主の阿部知子議員 つぎ込まれた税金は約186億円 「「嫌い」の持っていきどころ」 加計学園問題 日経ビジネスオンライン この種のハレーションのデカそうな話題を、真正面から記事にする根性を持っているように見えるのは、現状では、週刊文春の一択
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