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森友学園問題(その19)(森友学園事件で籠池被告に実刑判決 「ドタバタ劇」は第2ラウンド突入へ、籠池泰典が明かす「安倍晋三からです」と渡された100万円の真相 なぜ急に"総理案件"になったのか、近畿財務局職員の三回忌に森友事件の本丸を考える) [国内政治]

森友学園問題については、2018年4月11日に取り上げた。大阪地裁判決を踏まえた今日は、(その19)(森友学園事件で籠池被告に実刑判決 「ドタバタ劇」は第2ラウンド突入へ、籠池泰典が明かす「安倍晋三からです」と渡された100万円の真相 なぜ急に"総理案件"になったのか、近畿財務局職員の三回忌に森友事件の本丸を考える)である。

先ずは、事件ジャーナリストの戸田一法氏が本年2月20日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「森友学園事件で籠池被告に実刑判決、「ドタバタ劇」は第2ラウンド突入へ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/229282
・『国や大阪府、大阪市から補助金計約1億7000万円をだまし取ったなどとして、詐欺と詐欺未遂の罪に問われた学校法人森友学園の前理事長籠池泰典被告(67)と妻の諄子被告(63)の判決公判が19日、大阪地裁で開かれ、野口卓志裁判長は籠池被告に懲役5年(求刑・同7年)、諄子被告に懲役3年、執行猶予5年(求刑・同7年)を言い渡した。両被告は控訴するとみられる』、「事件ジャーナリスト」はどんな切り口で解説するのだろう。
・『「国策捜査を許さない」と被告  判決は起訴内容通り、籠池被告が2011~17年、大阪府豊中市の国有地に開校を予定していた小学校の建設費を水増しして国の補助金5000万円余りを、さらに教員の数を偽るなどして大阪府や大阪市の補助金計約1億2000万円をそれぞれ詐取したと認定した。 まずは初公判の様子から順に追っていきたい。 初公判が開かれたのは昨年3月6日。籠池被告は起訴内容の一部は認めたものの、大半を否認。諄子被告は無罪を主張した。 検察側は冒頭陳述で、籠池被告は学園の業務全般を統括し、諄子被告は経理を担当していたと指摘。 国の補助金は「上限額を受領できるように設計会社などと共謀し、虚偽の請負契約書などを作成した」、大阪府と大阪市の補助金は「幼稚園で要支援児ではないのに診断書を偽造したり、特別支援担当の教員がいるように装ったりしていた」と手口を明らかにした。 一方、籠池被告は意見陳述で「国策捜査を絶対に許さない」「官邸への意向と忖度(そんたく)で財務省が動いた重大事件から国民の目をそらさせる別件逮捕」と検察批判を展開した。 弁護側は両被告の関与を認めた設計会社関係者らの供述について「不起訴の合意と引き換えで違法に収集した証拠で排除すべき」と主張。大阪府と大阪市の補助金の一部は虚偽申請だったと認めた上で、罪の軽い補助金適正化法違反罪の適用を求めた』、確かに「設計会社関係者らの供述」には問題がありそうだ。
・『業者「安倍晋三小学校」と証言  昨年5月31日の公判では、学園の代理で国の補助金を申請した設計事務所の代表が証人として出廷。 証人尋問で、両被告から「補助金を多めにもらっといて」などと言われ、詐欺だとは思ったが施工主の依頼は断れないと考え、小学校の建設費を水増ししたと証言した。 さらに籠池被告から「名前を『安倍晋三小学校』にする」「首相の名前(が付いている)だから、業者も資材を安く提供する」と言われたと明らかにした。 昨年8月28日の公判では、籠池被告の被告人質問が行われた。弁護人の質問に、幼稚園で教育勅語を導入し、教育方針に賛同する政治家と付き合うようになったと説明。 首相夫人とは11年ごろ知り合ったとし、校名に首相の名前を使いたいと相談して許可を受けて開校準備を進めたが、14年に「首相の名前は使えなくなった」と謝罪を受けたと述べた。 15年には首相夫人に名誉校長への就任を打診して承諾され、その際に「安倍晋三からです」と現金100万円を渡されたと声を大きくした』、安部首相は「現金100万円」を渡したことを否定しているが、籠池夫妻が「現金100万円」をそのまま銀行口座に入金していれば、傍証にはなった筈だ。恐らく学校の金庫の中でごちゃ混ぜになってしまったのだろう。
・『意見陳述を得意の一句で結ぶ  19年10月30日の論告求刑公判では、検察側は両被告が補助金申請を代行した小学校の設計業者に「国からぼったくって」「多めにもろておいて」などと指示しており「詐欺を主導したのは明らか」と指摘。 さらに「税金で賄われるさまざまな補助金をほしいままにむさぼった」と非難した上で「あたかも権力の被害者であるような発言に終始し、反省は見られない」と指弾した。 籠池被告の弁護側は最終弁論で「国の補助金申請は設計業者が行い、金額の算定などはすべて業者が主導した」と反論。 そして「検察側が両被告を訴追する目的で、業者を逮捕せず司法取引した疑いがある」などと主張した。 最終意見陳述で、籠池被告は「次世代の教育のため精進してきた。金もうけを考えたことはない」「大阪地検特捜部による安倍晋三首相への忖度(そんたく)」「財務官僚ら役人の責任が不問にされ、問題の幕引きが図られた」と主張。 最後に「秋錦 令和の武士(もののふ) ここにあり」「黄金の 夫婦(めおと)道中 日本晴」と芝居がかった口調で得意の句を詠んだ。 諄子被告は「口封じのため300日も拘置所に入れられた。この国は冤(えん)罪だらけ」と述べ、両被告とも無罪を主張して結審していた』、「300日も拘置所に入れられた」、罪状を否認していたとはいえ、やはり「口封じ」の色彩が濃い。
・『問題の発端は度が過ぎた忖度  この事件を巡っての所感だが、背後にさまざまな不正があり、国を揺るがす大問題にまで発展したが、教育勅語を標榜する自称・教育者が政官界を泥沼に引きずり込んだ「ドタバタ劇」にしか見えなかった。 常識のある方なら同意してもらえると思うが、まず両被告が便宜を期待して政治家や首相夫人に近付いたのが発端だろう。 そして首相夫人の信頼を得て、その威光を笠に着て行政に有形無形の圧力をかけ、不正に手を染めることに成功。 不正発覚後、首相夫人らに取り計らいを依頼するも問題が大きくなるにつれて突き放され、両被告が逆切れした――という流れが真相ではないだろうか。 ただ、大阪地検特捜部も腰が引けていた印象は受けた。 市民団体らが、決裁文書を改ざんした虚偽公文書作成や国有地を不当に安く売却したとする背任などの容疑で、佐川宣寿元国税庁長官や財務省職員ら計38人を告発したが、全員が不起訴処分となった。 検察が確実に有罪を取れる事件しか起訴しないのは常識だが、この問題は国民が有罪・無罪の結果ではなく「真実はどうだったのか」を知りたかったはずだ。 有罪・無罪を問わず、捜査で積み重ねた証拠を基に「事実関係」をつまびらかにし、裁判所の判断を仰いでもよかったのではないだろうか。 こうした経緯が、両被告の主張にある意味で“信憑(ぴょう)性”を生じさせたのではないかという気がする。 そして流行語にもなった「忖度」というキーワードの出所は霞が関といわれている。 官僚の仕事というのは、政治家や上司の意向を先回りして読み、指示される前に準備しておくのが「優秀」と評価される、まさに忖度の世界だ。 不起訴にはなったが、官僚が政権に過剰な忖度をした結果、度が過ぎて違法行為まで公然と行われていたというのは紛(まぎ)れもない事実だ。 国民の関心は時間の経過とともに薄れてきてはいるが、第2ラウンドは大阪高裁へと舞台を移す。ドタバタ劇はまだまだ続きそうだ』、「市民団体らが・・・佐川宣寿元国税庁長官や財務省職員ら計38人を告発したが、全員が不起訴処分となった」、肝心の国有地の安価払い下げというより深刻な問題に蓋をした検察の姿勢は、正義の番人の役割を放棄したことになり、誠に問題だ。

次に、2月27日付けPRESIDENT Onlineが文春オンライン記事を転載した「籠池泰典が明かす「安倍晋三からです」と渡された100万円の真相 なぜ急に"総理案件"になったのか」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/33287
・『籠池泰典が初めて明かした「100万円事件」の真相と「昭恵さん」のこと  「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年2月27日号) 8億円を上回る国有地の値引きがスクープされてから3年が経った。だが国有地を巡って時の首相夫人の関与が囁かれた一大疑獄は、いつの間にか理事長夫妻による補助金詐取に取って代わられた。地裁の判決直前、籠池氏が語り尽くした昭恵夫人による「神風」とは』、「夫妻」へのインタビューとは興味深そうだ。
・『2週間後に判決を控えた心境は「不動心」  2月上旬某日、新大阪駅付近のとあるホテルの一室で籠池泰典氏(67)は、小誌を含むマスコミ各社の取材に臨んでいた。ストライプ柄の黒の背広に水色のネクタイという出で立ち。隣にはピンク色のメガネをかけた妻・諄子氏(63)の姿もある。 森友学園への補助金を詐取した疑いで詐欺罪などに問われた籠池夫妻には、懲役7年が求刑された。この日の二人は、約2週間後の2月19日に大阪地裁での判決を控える身。だが記者が、現在の心境を問うと、 「別に普段と変わりはなくてですね。不動心。うん。まさにそんな感じ」 と、事も無げに言い放つ。続く諄子氏も「楽しみです!」と笑顔を浮かべている。 発覚から3年――。森友事件は大阪府豊中市の国有地売却をめぐる巨額の値引き疑惑が発火点だ。当初は「森友学園」という一学校法人の問題に過ぎなかったはずが、その後、政治家の口利き、財務省による公文書改ざん、そして近畿財務局職員の自殺など数々の疑惑が噴出し、いつの間にか日本中の注目を浴びる一大疑獄へと発展したのだった』、「一大疑獄」を「補助金を詐取」事件に矮小化した検察の手際は敵ながら見事だ。もっとも、その不当性を追求しなかったメディアの責任も大きい。
・『反省の傍ら、常軌を逸した政府の対応を糾弾  約300日に及ぶ大阪拘置所での勾留生活を経て18年5月に保釈された籠池夫妻にとって、森友事件にはまだ隠された事実があり、判決を前に語り尽くしておきたい気持ちが強くあった。 冒頭の日も籠池氏は、「国家の犯罪を暴露しないといけない!」と、大きな声で息巻くと、記者たちを前に自身の考えを滔々と語っていた。 2月13日には『国策不捜査 「森友事件」の全貌』(文藝春秋刊)を出版。作家の赤澤竜也氏の3年に及ぶ密着インタビューに応じ、約500ページ分もの“独白”をしている。 その中で籠池氏は起訴事実である詐欺罪について、国の補助金詐取については全面的に否認しているが、大阪府と大阪市からの補助金詐取については、 「一部の事実については公判で認めている。よからぬ方法で補助金のかさ上げをした点について、あらためてここに陳謝したい」と反省の弁を述べている。 一方で、「国有地売却における8億円値引きの背任容疑」と「公文書改ざんでの有印公文書変造・同行使容疑」に問われた財務省幹部ら38人が不起訴となったことは「国策不捜査」であったと断じ、「検察庁は政治権力の意向に沿って森友事件の矮小化に奔走した。『国策不捜査』を貫き真相究明の任を放棄した」と糾弾しているのだ。 「国有地の8億円値引き」、「財務省による公文書改ざん」……政府による常軌を逸した対応はすべてある人物に端を発している――首相夫人の安倍昭恵氏だ』、「国策不捜査」とは言い得て妙だ。「昭恵」夫人との具体的なやり取りは興味深い。
・『「『昭恵さん』と呼んでください」と言われ……  事件発覚当初から彼女は疑惑の渦中にあった。建設予定だった「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就いていたことや、「塚本幼稚園」の園長室で籠池氏に100万円を手渡したことなどが報じられ、その度ごとに世間に波紋を広げていた。 だが一方で、籠池氏自身も『国策不捜査』で、「家内と昭恵夫人とのつながり。この一点だけがボクたちの希望だった」と述懐し、事件の最中も昭恵氏が唯一の拠り所であったことを認めている。 『国策不捜査』で赤澤氏は、籠池氏から昭恵氏に関する数々の詳細なコメントを引き出し、丹念に記録している。そこからは両者がいかに親密であったかがよく分かり、昭恵氏の存在こそが森友事件の核心であると改めて理解できる(※以下、籠池氏の発言は『国策不捜査』をもとに構成した)。 籠池氏が昭恵氏と連絡を取り合うようになったのは11年10月頃からだ。森友学園のPTAの紹介だった。初めて直接会ったのは14年3月14日、場所は「ホテルオークラ東京」の老舗割烹「山里」だった。 籠池氏が語る。 「ボクたち夫婦と安倍さん夫妻の4人の席を予約していたのだが、安倍さんは急用ができたとのことでドタキャンだった。昭恵夫人は午後6時くらいにお越しになり、懇談を始めたのだが、初対面とは思えないほど話が弾んだ」 最初は「昭恵先生」と呼んでいたが、本人から、「『昭恵さん』と呼んでください」と言われ、そう呼ぶようにしたという。話題は教育、政治、果ては夫婦関係におよび、大いに盛り上がった』、「森友学園のPTAの紹介」で「連絡を取り合うようになった」とは初耳だ。
・『「安倍晋三記念小学校」はまずいのではないか  だが途中で昭恵氏が、「主人は現役の首相になってしまっているので、まずいのではないかと思っている」と切り出したという。 実はこの頃、建設予定だった小学校を「安倍晋三記念小学校」と命名しようと籠池氏は考えていた。この案を考えついた時期は民主党政権下で、自民党は野党。安倍首相も当時は一衆院議員に過ぎなかった。しかし保守主義の思想を持ち、日本会議のメンバーにも名を連ねていた籠池氏にとって「安倍晋三」という政治家は特別な存在だったのだ。 12年に入ると昭恵氏に連絡を入れ、学校名の許可を取り付けたという。それが一転して、この会合のときに昭恵氏が断りを入れてきたというわけだ。首相夫人の頼みとあり、籠池氏は即座に承諾したという。 そんな最中、突然、昭恵氏の携帯が鳴った。安倍首相からだった。 「いつ帰るのか心配になった安倍さんから電話が入ったのだ。時計を見るとすでに午後10時過ぎ。これはさすがにまずいと思い、『お開きにしましょう』と申し上げた。すると昭恵夫人は畳に手をついて『今日はありがとうございました』と言ってくださった」(籠池氏)』、「午後10時過ぎ」にお開きにしたとは、ずいぶん盛り上がったようだ。
・『「神風」を吹かせたスリーショットを撮影  山里での会食から約1カ月後の4月25日に昭恵氏は初めて塚本幼稚園を訪問。「タイトな短いスカートのツーピースという出で立ち。お美しい方だと心から思った。園児に紹介するときも自然に『昭恵さま』という言葉が口をつく」(同前)ほど感激したという。 同じ日に小学校の建設予定地も訪れ、空き地を見た昭恵氏の「いい田んぼができそうですね」との発言が「瑞穂の國記念小學院」という校名の由来になった。さらに、この時は首相夫人付き職員の谷査恵子氏も同行し、籠池夫妻と昭恵氏のスリーショットも撮っている。 一方で当時の籠池氏は、小学校建設のために奔走する日々を送っていたが、苦戦を強いられていた。 大阪府からは学校の設置認可が下りず、近畿財務局(財務省の下部組織で国側の窓口)とは国有地の賃借契約を巡って話がまとまらない。籠池氏自身も「大阪府と近畿財務局を行ったり来たり、という状態だった。本当に辛かった」と述懐している』、「籠池氏」は当初、「大阪府」や「近畿財務局」との交渉で、「苦戦を強いられていた」、これも初めて知った。
・『学園の件は「財務省本省案件」に  事態が動いたのは、昭恵氏と小学校予定地を訪問してから3日後の4月28日。この日、近畿財務局の担当者に籠池氏は、昭恵氏が予定地を視察した旨を告げている。途端に担当者の顔色が変わった。 「写真とかあるんですか」 そう聞かれ、すかさず前述のスリーショットを見せたという。すると担当者は「コピーさせてもらってもいいですか。局長にも見せておかないといけないんで」と尋常ではないほど、興味を示してきた。 「写真を見せてからギアが3段くらい上がったのである。まさにこの日こそ神風が吹くキッカケの第1弾だった。スリーショット写真の提示以降、何もかもがスムーズに進むようになった。あまりにも近畿財務局の態度が変わったので、本当に驚いたものだ」(籠池氏) そしてこの頃から学園の件は、「財務省本省案件になった」というのだ。 以後、破格の値引き問題が発覚する17年まで、籠池夫妻と昭恵氏は、引き続き蜜月関係にあった。 山里での会合で、昭恵氏はとりわけ諄子氏と気が合ったという。その証拠に2人は頻繁にメールのやり取りをする仲になり、データが残っている16年6月から17年3月までの間だけでも昭恵夫人から34通、諄子氏から49通送られたことが確認されている』、「写真を見せてからギアが3段くらい上がったのである。まさにこの日こそ神風が吹くキッカケの第1弾だった。スリーショット写真の提示以降、何もかもがスムーズに進むようになった」、やはり「昭恵氏」の威力は相当なもののようだ。
・『「文書にしてほしい」と伝えられ送ったファックス  「園長室で2人で話していると、昭恵夫人がカバンから封筒を取り出された。中を見ると金子が入っている。ボクが『いいんでしょうか』と聞くと、『安倍晋三からです』とお答えになった。さらに、幼稚園をあとにされてからは電話で『100万円の件は内密に』と念を押されたのだ」 14年12月6日に昭恵氏は塚本幼稚園に2度目の訪問をし「ファーストレディとして」とのタイトルで講演を行った。3度目の訪問となる15年9月5日に昭恵氏から100万円を渡され、瑞穂の國記念小學院の名誉校長就任の依頼も了承されたと籠池氏は語る。 同じ頃には、籠池氏が証人喚問で暴露し話題になった、ファックスの端緒となる出来事も起きている。 ファックスとは前述の夫人付き職員の谷氏が、籠池氏に宛てて送ったとされる文書のこと。 〈財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長から回答を得ました。(略)引き続き、当方としても見守ってまいりたい(略)。本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております〉 昭恵氏への「報告」を明記した衝撃の内容だった。 当時、国有地の賃借契約は結んだものの、学園運営の資金繰りに困っていた籠池氏。そこで、 「昭恵夫人に助けてもらおうと思い立ち、携帯に連絡を入れたところ、留守番電話となっていたため、『ちょっと急ぎます』と申し添え、用件を吹き込んだ」 すると谷氏から折り返しの電話があり「昭恵夫人から『籠池さんがお急ぎのようなので連絡してほしい』と頼まれたので代わりにお掛けしました。大切なことなので文書にしてほしい」と伝えられたという。籠池氏は慌てて手紙に「国有地の賃借期間の延長」、「賃料の引き下げ」、「ゴミの撤去費用の立て替え分の早期の返還」などの要望を書きつけ10月26日に送付。それに対する回答が、前述の谷氏のファックスだった。 『国策不捜査』に書かれた籠池氏の告白を読み進めると、こうした昭恵氏の振舞いこそが、森友事件の火種を生んでいたことがよく分かる』、「谷氏」は真相を隠すためイタリア大使館に異例の異動になったのは記憶に新しいところだ。「昭恵氏の振舞いこそが、森友事件の火種を生んでいた」、その通りなのだろう。
・『「昭恵夫人の写真とコメントを削除してください」  では、17年2月、朝日新聞の初報によって森友事件が表面化して以降、籠池夫妻と昭恵氏との関係はどのように変化していったのか。 『国策不捜査』では、それを象徴する、新たな2つの逸話が明かされている。 朝日報道をきっかけに全マスコミを巻き込む騒動となってから2週間が経った2月23日。籠池夫妻は財務省からの指示で大阪を離れ、京都に身を隠していた。 そこに突然「安倍晋三事務所」の初村滝一郎秘書からの着信があり、2人の間ではこんな会話が交わされたという。 「おたくの『瑞穂の國記念小學院』のホームページに載っている昭恵夫人の写真とコメントを削除してください」 「急に外せと言われても……。昭恵夫人はどうおっしゃっているんですか」 「昭恵夫人も了解済みです。即刻、外してください。いいですね」 記事を削除した籠池氏はこう明かしている。 「のちほど昭恵夫人と電話でやり取りしたのだが、やはり名誉校長退任を事前に聞かされてはいなかった。昭恵夫人は『私は今でも心の中では名誉校長なんです』と取り繕ってはくれたのだが、その言葉はむなしく響くだけだった」』、「森友事件が表面化」して、官邸は急遽、不都合な証拠隠しに奔走したようだ。
・『安倍首相の評価がコロっと変わり、批判的な答弁  翌24日には、安倍首相が国会で「安倍晋三記念小学校」の校名について問われると、籠池氏を指して「非常にしつこい中において、非常に何回も何回も熱心に言ってこられる中にあって」と批判的な答弁をしている。つい1週間前、2月17日の国会では「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いております」と褒めそやす答弁をしたばかりだった。 当時の心境を籠池氏が語る。 「ボクに対する安倍さんの評価がコロっと変わったのである。まさに手のひら返しが行われてしまった。一体何が起こってしまったんだ? ボクのなかで感じたことのない疑念が噴き上がってきた」』、「安倍首相」の見事な「手のひら返し」には、「籠池氏」もさぞかし驚いただろう。
・『昭恵夫人の記録が残った決裁文書が改ざんされたのは……  確かに、この頃から籠池氏をめぐる状況は、加速度的に変化していった。共著者の赤澤氏が語る。 「この年の2月22日に官邸で菅義偉官房長官が安倍首相の指示を受け、会議を行っています。後に国会で明かされた参加者は、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)、太田充官房総括審議官(同)、中村稔総務課長(同)。私はこの日を起点に、森友事件を巡る政府の動きが本格的に始まったと考えています。財務省が18年に公開した『改ざん調査報告書』をつぶさに読み込めば、理財局の幹部が昭恵夫人の記録が残った決裁文書の改ざんに踏み切ったのも、22日以降と考えられる。 この見方を採れば、なぜ翌23日に初村秘書が籠池氏に電話をかけてきたのか、さらには24日に安倍首相が、籠池氏への急な手のひら返しとも取れる答弁をしたのか、すべて説明がつきます。ただ昭恵氏本人は、こうした政府の動きは知らなかったはずです」』、「2月22日に官邸で菅義偉官房長官が安倍首相の指示を受け、会議を行っています。後に国会で明かされた参加者は、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)、太田充官房総括審議官(同)、中村稔総務課長(同)。私はこの日を起点に、森友事件を巡る政府の動きが本格的に始まった」、「理財局の幹部が昭恵夫人の記録が残った決裁文書の改ざんに踏み切ったのも、22日以降と考えられる」、なるほど。
・『「そんな……」と絶句した昭恵氏  3月15日の夜、東京から帰阪した籠池夫妻のもとに、昭恵氏から電話がかかってきた。 「私もわからなかったんです。知らなかったんです」 「でも、学校はだめになってしまいました」(籠池氏) 「頑張ってほしい、頑張って続けてほしかったけど無理だったんです。もう遅いんです」 「終わったことですからしかたないですね」(籠池氏) 「私は知らなかったんです。こういうことになっていくとは知らなかったんです。主人が、主人が……」 そこで籠池氏が「もうこれ以上は守り切れません。もう守れません」と通告し、100万円を昭恵夫人から受領したことも表で言わざるを得ないと告げると「そんな……」と絶句したという。これが籠池氏と昭恵氏との最後の会話になった』、確かに「昭恵氏」は、この団塊ではツンボ桟敷に置かれていたのだろう。
・『籠池氏は「刑事事件については裁きを受け容れるつもり」  ちなみに籠池氏は、後にこの100万円を昭恵氏に返却しに行ったが、その札束が上下の2万円以外はただの紙切れで、そのカラクリを撮られてしまう、という珍事も起きた。やはり怪しい人物だ、と思わせる場面だったが、籠池氏は反論する。 「(当時、広報兼アドバイザーのようになっていた)著述家の菅野完氏から『寸分の狂いもないものだから。本物と両方持っていくように』と言われたのだが、ボクは取り出すまで冗談だと思っていたので驚いた。本物のほうは、別のポケットに入っていたのだった」 森友事件を単なる補助金詐取事件に矮小化することなく、財務省が組織的に公文書を改ざんし、自殺者まで出した一大事件として真相を究明すべきだと訴える籠池氏は、最後にこう綴っている。 「(自身の)刑事事件については裁きを受け容れるつもりだ。残された人生を少しでも世の中の役に立つことに使いたい。森友事件の真相解明についても、微力ながら尽くしていきたい。そのためにも、もう一度、ボクを国会の証人喚問に呼んでいただけないだろうか。佐川元理財局長も一緒に証言台に立てばいい。もちろん昭恵夫人にも来てもらいたい」』、「菅野完氏」が何故、お粗末なアドバイスをしたのかは不明だ。安部政権下では、「国会の証人喚問」など残念ながら夢のまた夢だろう。

第三に、大阪日日新聞編集局長・記者(元NHK記者)の相澤冬樹氏が3月9日付けYahooニュースに掲載した「近畿財務局職員の三回忌に森友事件の本丸を考える」を紹介しよう。
・『実刑判決、収監、そして保釈。籠池氏の闘争宣言  世間の耳目を集めた森友学園、籠池夫妻の補助金詐欺事件。その一審判決から一夜明けた2月20日の昼さがり。大阪拘置所に近いファミレスの一角に籠池泰典前理事長の妻、諄子さんの姿があった。実刑判決を受け、即日、大阪拘置所に収容された夫が保釈されてくるのを待っていた。 「お父さん立派やったわ。人間社会、現世ではいろんな人がいろんな絵を描くから有罪かもしれんけど、私の心の中、神様の世界では無罪やから。『(判決後の)記者会見頼むわ』と言って、10人くらいの事務官に囲まれて拘置所に行ったの。『行ってらっしゃい』と言ったら軽くうなずいてたわ」 しかし諄子さんには気がかりなことがあった。夫婦そろって検察に逮捕され約300日間勾留されていたから、拘置所内の様子をよく知っているのだ。 「あそこは寒いのよねえ。きのうは冷え込んだでしょ。寒かったやろな。すぐに出てくると思ったから何も差し入れなかったけど、あそこで一夜を明かすんやったらフリースを差し入れたらよかった」 ところがいくら待っても夫は出てこない。そのうち弁護士から連絡が入り、いったん大阪地裁で認められた保釈を、検察が高裁に抗告して止めたことがわかった。諄子さんは思わずつぶやいた。「また検察の嫌がらせだわ。でもきっと良くなる。前向きに考えるわ」 翌2月21日の夜8時過ぎ、籠池泰典前理事長は判決から2日ぶりに保釈された。拘置所前で「お帰りなさい」と出迎える諄子さん。籠池氏は集まった報道陣に「3連休明けまで出して頂けないかと思っていました」とおどけた後で表情を引き締めた。「判決はまさに国策捜査の筋書きに沿ったものだと思います。もちろん控訴します。最高裁まで闘います」』、相澤氏はNHKで森友問題担当だったが、閑職に飛ばされ、大阪日日新聞に転職した人物である。
・『二審では完全無罪を主張へ  「ベリーグッド!おいしいわ、ここ」籠池前理事長が声を上げた。横にはむろん諄子さん。保釈から数日後の昼下がり。近所の人に教わった喫茶店で手作りのケーキをほおばった籠池氏の第一声だ。私は尋ねた。「甘いものはお好きですか?」「好きですよ。お酒も飲むけど最近はあまり飲まないからね」 この店に来たのは控訴審での方針をじっくり聞くためだ。一審は籠池前理事長が懲役5年の実刑。諄子さんは起訴された内容の一部が無罪になり、執行猶予のついた懲役3年の判決だった。夫妻はすでに控訴している。どう闘うのか?籠池氏は明言した。「全面無罪。それでいきます」 元特捜検事の郷原信郎弁護士に相談したところ、「量刑がより軽い補助金適正化法違反にすべき話」として、詐欺に問うべきではないという考えを示されたという。 しかし籠池氏は一審では起訴内容の一部を認めていた。幼稚園の運営を巡る大阪府などの補助金について、一部に書類を書きかえるなどの不正があったと認めた上で、ほかの部分の無罪を主張していた。だから籠池氏は一審では完全無罪はありえなかった。 これについて籠池氏は語った。 「(申請に必要な)診断書をいじくった。それは認めるけど、保護者によっては発行日が適切でない診断書を出す方もいる。取り直してもらうのも何だから手を加えたことはある。補助金ですべきこと(教員の配置など)はしていたんですよ。でも弁護士から『診断書を変えるのは罪。そこは認めた方が裁判官の心証がいい』と言われて従った。 だから判決を聞いて思ったね。甘い!…あ、これはケーキのことじゃないからね。弁護団のことね」 もっともこれは籠池夫妻の受けとめ方であって、弁護団には弁護団の考え方がある。詳細には明らかにできないが、夫妻との間で様々な行き違いがあった。第三者が一方的に弁護団を非難するのは適切ではない』、被告と「弁護団」の関係は確かに一筋縄ではいかないようだ。
・『検察の控訴は「懲役5年では足りぬ」  一方、検察も判決を不服として控訴した。一部無罪の諄子さんについて控訴するのは当然予想されたが、起訴された内容のすべてが認められ実刑判決になった籠池氏についても控訴した。これは「懲役5年では足りぬ」と、より重い刑を求める検察の姿勢を示している。 その検察の控訴申立人は大阪地検の山本真千子次席検事。籠池夫妻を逮捕起訴した時の大阪地検特捜部長だ。そして、財務省の背任・公文書改ざん事件を不起訴にした時の特捜部長でもある。まさに因縁であろう』、「検察」はよくぞ「控訴」したものだ。
・『近畿財務局職員の三回忌に森友事件の本丸を考える  籠池夫妻の法廷闘争は第2ラウンドで更に激しさを増しそうだ。しかし、この裁判で何が解明されたというのだろう? 一審の裁判をずっと傍聴してきて私が感じたのは、「とにかく何が何でも夫妻を有罪にしたい。特に籠池前理事長を実刑にしたい」という検察の強い意向だ。判決はまさにその通りになった。 森友学園の小学校建設の補助金申請に深く関わった設計業者や建設業者は詐欺の共犯とされたが起訴猶予となり、逮捕も捜索もされなかった。籠池夫妻だけが逮捕され、約300日間にわたって拘置所に身柄を勾留された。この点を籠池氏は「口封じのための国策捜査だ」と法廷で訴えた。 何の口封じか?森友事件の本丸である国有地の不当な値引きだ。小学校の用地として財務省近畿財務局が学園に売った国有地は8億円も値引きされていた。財務省は「地中3メートル以下の深さにあるごみの撤去費用だ」と説明したが、そんなごみが本当に地中の奥深くにある証拠はどこにもない。そしてこの土地に建つ小学校の名誉校長は安倍昭恵氏、つまり安倍首相の妻が就任していた。「そこの経緯をしゃべられたくないから別件で逮捕したのだ」と籠池氏は訴えた。 不当な値引きを行った近畿財務局による背任。その土地取引の経緯を記した公文書の改ざんを指示した財務省の佐川宣寿理財局長(当時)ら。安倍昭恵首相夫人の名前は公文書からすべて消された。こうした森友事件の本丸にあたる不正の刑事責任は一切問われていない。裁判にならないから真相は解明されないままだ。 そして、改ざんを上司に強要された近畿財務局の職員は、精神的に追い詰められて自ら命を絶った。それがおととしの3月7日のこと。今年の3月7日はこの職員の三回忌だった。事件の犠牲者のことを忘れてはならない』、「森友事件の本丸にあたる不正の刑事責任は一切問われていない。裁判にならないから真相は解明されないままだ」、これでは自殺した「近畿財務局の職員」も浮かばれないだろう。
・『国有地値引きと公文書改ざんの真相究明を報道と市民の力で  籠池夫妻については、安倍首相批判に回って以降、政権に批判的な人々の間で一種もてはやすような空気がある。 一方で、教育勅語の暗唱などかつての教育方針や差別的言動などから「この夫妻のことは容認できない」という人々もいる。 私はいずれの立場も取らない。私が注目しているのは籠池夫妻への捜査や裁判が本当に公正なものと言えるかどうかだ。そのために裁判を傍聴しているし、夫妻への取材も続けている。夫妻のこれまでの言動が容認できないとしても、不当な捜査、不当な裁判が行われてよいということにはならない。これについては二審でも争われることになるだろう。 だが最も大切なことは、国有地の不当な値引きと、土地取引の経緯を記した公文書の改ざんだ。改ざんによって安倍昭恵首相夫人の名前は消えた。そして改ざんを強要された職員が命を絶った。これこそ森友事件の本丸であり、犠牲者が出ているのだ。 籠池夫妻の詐欺事件は、これら本丸から世間の目をそらす効果があった。だから“国策捜査”を訴える籠池氏の主張にも一理ある。籠池夫妻の裁判は、森友事件の本丸とはまったく無関係だ。 国有地の値引きと公文書改ざんの真相究明は本来なら検察の役目だが、大阪地検特捜部はすべてを不起訴にしてその役割を放棄した。だからこそ市民が声を上げ続けることが大切だ。さらには報道の出番だろう。私も記者としてこれからも取材にあたる。犠牲になった近畿財務局職員の無念を晴らすためにも。三回忌にあたり決意を新たにした』、「最も大切なことは、国有地の不当な値引きと、土地取引の経緯を記した公文書の改ざんだ」、全く同感だ。「相澤氏」の今後の活動に大いに期待したい。
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