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働き方改革(その25)(「テレワーク機能しない」旧来型日本企業の盲点 「業務分担」「評価」「教育」でつまずきやすい、橋下徹氏 政府からのテレワーク要求に「まずは国会と霞が関がやってみなさい」、小田嶋氏:1日当たり4100円は「自由への罰」か) [経済政策]

働き方改革については、2月25日に取上げた。今日は、(その25)(「テレワーク機能しない」旧来型日本企業の盲点 「業務分担」「評価」「教育」でつまずきやすい、橋下徹氏 政府からのテレワーク要求に「まずは国会と霞が関がやってみなさい」、小田嶋氏:1日当たり4100円は「自由への罰」か)である。

先ずは、 経営コンサルタントの日沖 健氏が4月7日付け東洋経済オンラインに掲載した「「テレワーク機能しない」旧来型日本企業の盲点 「業務分担」「評価」「教育」でつまずきやすい」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/341286
・『新型コロナウイルスへの対応で、テレワークや在宅勤務を導入する企業が増えています。特に3月25日夜に小池都知事が緊急会見を行い、都民に対し不要不急の外出を控えるだけでなく、平日も仕事はできるだけ自宅で行うように要請したことから、企業は一層の対応を迫られています。 多くの企業にとって、今のところテレワークや在宅勤務は、新型コロナウイルスという危機に対応する緊急避難措置でしょう。ただ近年、世界的にフリーランサーやテレワーク・在宅勤務を利用する会社員が増えており、日本でも場所・時間に縛られない柔軟な働き方が普及する可能性があります。 今回は、テレワーク・在宅勤務といった働き方に企業がどう向き合うべきかを考えてみましょう』、興味深そうだ。
・『テレワークを導入した「T社のケース」  下で紹介するのは、ある素材メーカーT社の商品企画グループのこれまでの職場管理(Before)と、テレワーク・在宅勤務への対応(After)です。 この職場は総勢12名、マネジャー1名、リーダー3名、メンバー8名で構成されています。2年前にテレワーク・在宅勤務を導入し、昨年までは限られた利用でしたが、今年2月下旬からはリーダー・メンバーが半分ずつ交替で出社しています。 ①業務分担 Before:マネジャーが「商品Mの品質改善」といった大まかなテーマと期限をリーダーに与えて、リーダーが細かい業務分担やスケジュールを決定 After:メンバーごとに細かく分担を決めるべきかどうか、検討中 ②指示・報告 Before:チームリーダーに対面で指示。週1度の課内打ち合わせでその週の活動を全体共有。チームリーダーから対面で報告 After:クラウド型の業務管理ツールを導入。メールとテレビ会議を中心に ③勤怠管理 Before:スタンドアローンの勤怠管理システム After:オフィス外の勤務に対応したクラウド型のシステムに変更 ④評価 Before:職能資格制度だが、勤続年数・意欲・姿勢を重視して評価 After:人事部門で検討中 ⑤教育 Before:リーダーによるOJTが中心。導入時・昇格時などに集合研修。 After:OJTはやり方の見直しを検討中。集合研修はオンラインに変更できるか人事部門が検討中 ⑥懇親 Before:人事異動時に歓送迎会。月1度の昼食会。ほかインフォーマルな飲み会が多数 After:歓送迎会は当面見送り。昼食会は廃止。Zoomを使ったオンライン・パーティーを試験的に実施) この中で、②指示・報告、③勤怠管理、⑥懇親については、適切なシステムを導入し、社員がそれに慣れれば、多少の不便はあっても、大きな問題はないでしょう。一方、厄介なのが、①業務分担、④評価、⑤教育です。 まず①業務分担。日本ではT社のように、各社員が担当する業務を明確にせず、「皆で力を合わせて頑張ろう」とチームワークで取り組みます。この曖昧な業務分担は、個人で業務に取り組むテレワーク・在宅勤務とは、相性最悪です。 ④評価とそれに伴う報酬の決定にも困難がつきまといます。日本の大手企業の9割が職能資格制度を導入しており、従業員の能力を評価し、報酬を決定します(能力を評価するのは難しいので、勤続年数とともに能力が高まるという前提で年功序列にしている企業が多い)。 仕事の過程が見えにくいテレワーク・在宅勤務では、従業員の能力を評価するのが難しく、やはり職能給とは相性がよくありません。 ⑤教育も同様です。多くの日本企業の教育は「OJT一本足打法」で、職場で先輩社員が後輩、特に新人に手取り足取り実務を指導します。時間・場所を共有できないテレワーク・在宅勤務でOJTを実行するのは、かなり困難です』、「Before」「After」で整理するとは分かり易い。「厄介なのが、①業務分担、④評価、⑤教育」、常識的な線ではある。
・『アメリカにテレワークが浸透した理由  一方、アメリカ企業では、職務記述書(job description)で「経理課で連結決算係に所属し、グループ企業5社の売上高のデータ確認と仕訳を担当する」などと各社員の職務を詳細に定義し、職務の難易度に応じて賃金を支払います。そもそも中間管理職以下では、「評価」が存在しません。この職務記述書と職務給という組み合わせは、個人単位で仕事をするテレワーク・在宅勤務と相性抜群です。 アメリカ企業の教育は研修・セミナーなどを行う「Off-JT」が主体で、日本のOJTほどではないものの、テレワーク・在宅勤務とは相性がよくありません。ただ、そもそもアメリカではある業務の担当に欠員が生じたら、職務と能力要件を明確にして経験者を補充するという中途採用が主体なので、新人をゼロから育てる日本ほど社内での教育を重視していません。 日本の曖昧な働き方には、「チームワークや帰属意識が高まる」「リスクヘッジが容易」といったメリットがあります。アメリカの明確に役割分担する働き方にもいろいろなデメリットがあります。ですから、一般論としてどちらの働き方がいいとは断定できません。ただ、ことテレワーク・在宅勤務との相性という点では、断然日本が劣り、アメリカが勝っているのです。 つまり、日本企業がテレワーク・在宅勤務を本格的に取り入れようとすると、業務分担、評価・賃金、教育といったマネジメント・人事制度を大幅に見直す必要があるのです。 テレワーク・在宅勤務と関連してもう1つ、イノベーション(革新)をどう生み出すか、という課題があります。イノベーションの創造、例えば新商品開発というと、研究者が部屋にこもって1人じっと考え込む姿を想像するかもしれません。 しかし、これは効果的なやり方ではありません。経済学の巨人シュムペーターによると、イノベーションの本質は「新結合の遂行」、いろいろな知識・情報が混じり合うことです。違った知識・情報を持つ研究者が自由闊達に意見をぶつけ合う場を持つことが、イノベーションの創造には有効だと言われます。これは、近年のITのイノベーションがアメリカのシリコンバレー、インドのベンガルールといった産業集積で生まれていることからも明らかでしょう。 つまり、イノベーションの創造においては、独りぼっちでテレワーク・在宅勤務するよりも、会社に集まるほうが断然有利なわけです。もちろん、テレワーク・在宅勤務でもテレビ会議を使って議論をできるので、会社の中でしかイノベーションが生まれないということではありません。 いずれにせよ、今後、テレワーク・在宅勤務が普及したら、イノベーションをどう創造するかが、より重大な課題になります』、「日本企業がテレワーク・在宅勤務を本格的に取り入れようとすると、業務分担、評価・賃金、教育といったマネジメント・人事制度を大幅に見直す必要がある」、政府が掛け声をかけても簡単にはいかない筈だ。「今後、テレワーク・在宅勤務が普及したら、イノベーションをどう創造するかが、より重大な課題になります」、その通りだろう。
・『テレワークは「一時措置」でいいのか?  企業経営者に以上の話をすると、「テレワーク・在宅勤務はあくまで新型コロナウイルス対応の緊急措置。何でもかんでもアメリカに合わせて変える必要はない」「今は新型コロナウイルス対応に集中するとき。収束したその先を考えるのは不謹慎だ」など、賛同していただけるケースが多い一方、かなり感情的に反論されることもあります。 この問題をどう考えるかは、もちろん人それぞれ。ただ「変える必要はない」という結論を下す前に、以下2点を認識してほしいものです。 1:アメリカではフリーランサーが5670万人おり(全労働者の35%、日本では341万人)、2027年には全労働者の半数に達する。世界的に場所・時間に縛られない働き方が広がる可能性が高い 2:職能資格給やOJTだけでなく、新卒一括採用、内部昇進、定年制、企業内組合など、戦後の日本企業の躍進を支えた人事制度・慣行が時代に合わなくなっている 個人的には、日本企業が今回の悪夢を乗り越えるだけでなく、危機をバネにマネジメント・人事制度の改革を進め、より強い姿に生まれ変わることを期待します』、確かに「新型コロナウイルス対応の緊急措置」を検討するのであれば、中長期を見据えて検討すべきだろう。

次に、4月13日付けYahooニュースが転載したスポニチ記事「 橋下徹氏 政府からのテレワーク要求に「まずは国会と霞が関がやってみなさい」」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200412-00000217-spnannex-ent
・『元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(50)が12日、フジテレビの緊急生討論番組「日曜THEリアル!」(日曜後8・00)にリモートで出演し、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言で、政府が要求したテレワークについて持論を述べた。 安倍首相は7日夜の会見で、仕事のあり方についてテレワークを原則とするとし「どうしても出勤が必要な場合」にはローテーションを組むなどして出勤者の数を最低7割は減らすことなどを求めた。 橋下氏はテレワークについて「どんどんやるべきですが、安倍首相がテレワークと言うのだったら、まずやるべきは国会と霞が関の役所ですよ」とコメント。「7割出勤をやめさせることの難しさを分からずに、民間に出勤やめろって言っている。そんなの当事者意識がないから言えること。自分たちでやってみなさい。何が問題になるか気づきなさい」と指摘した。 続けてMCの宮根誠司(56)に「あとテレビ。なんで宮根さん東京に行ってるんですか。僕と大阪で出演しないと。テレビがテレワークと言っているのだったら、テレビがまずテレワークをやらなきゃ」と呼び掛けた。 宮根アナが「国会でも予算委員会とか議員が後ろにいてもねえ…」と反応すると、橋下氏は「いらないんですよ。あんな国会議員。削減すりゃいいんですよ」とぶった切っていた』、「安倍首相がテレワークと言うのだったら、まずやるべきは国会と霞が関の役所ですよ・・・7割出勤をやめさせることの難しさを分からずに、民間に出勤やめろって言っている。そんなの当事者意識がないから言えること。自分たちでやってみなさい。何が問題になるか気づきなさい」、誠に言い得て妙だ。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が3月13日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「1日当たり4100円は「自由への罰」か」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00061/?P=1
・『(新刊著書の紹介は省略)・・・さて、今回は、冒頭で押し付けがましい告知をカマしてしまったので、あんまり難しい文章を書いて、読者に負担をおかけすることがはばかられる。なので、単にこの10日ほどの間にぼんやりと考えていたあれやこれやを、つらつらと書き並べることにしたい。あえてタイトルをつけるなら、「パンデミックと働き方改革」あるいは「日本人の放課後」「フリーランスの見る夢」てな調子の文章になると思う。まあ、どこに着地するのかは、書き終わってみるまでわからないわけだが。 この2~3日の間に、いくつかのソースから、政府がフリーランスの就業者への休業支援を検討しはじめている旨のニュースが流れてきた。 朗報だと思う。というのも、休業支援は、これまで、有給取得者への賃金助成金を中心に話が進められていて、有給休暇の対象外である非正規の労働者や、ましてフリーランスの就業者は、無視されている形だったからだ。 その意味で、政府による当初の取り組みから比べて改善していることは確かだ。 とはいえ、細かいところを見ると、いろいろと失望させられる。 リンク先のNHKのニュースが伝えているところでは、政府は 《―略― 臨時休校に伴って仕事を休んだ保護者への支援として、業務委託を受けて働くフリーランスの人にも1日当たり4100円の定額を支援する方向で最終的な調整を進めています。―略―》 といったあたりの施策を考えているようだ。 この文面を見る限り、政府は、休業に追い込まれたすべてのフリーランスに休業補償をするつもりは持っていない。補償の対象になるのは 「業務委託を受けて働いている」「臨時休校に伴って仕事を休んだ保護者」という二つの条件を満たしているケースに限られる。 思うに、これはフリーランスで働く人間の現実にそぐわない』、政府は「休業補償」対象を絞り込むことに躍起のようだ。
・『というのも、フリーランスの人間は、その名の通り、実にさまざまな形で働いているわけで、必ずしも企業の業務委託を受けているわけではないからだ。当然だ。この条件だと 「ヒモ付きでないフリーランスは保護しない」みたいな、本末転倒の政策が動き出すことになる。 また、「臨時休校に伴って仕事を休んだ保護者」というのも、フリーランスの働き方の現実にフィットしていない。 フリーランスの人間は、会社勤めの人間と比べて、働く場所と時間をわりと自由に選ぶことができる。その意味では、在宅ワークで穴を埋めたり、働く時間を深夜や早朝にシフトしたりすることで子供との共存の時間を稼ぎ出せる可能性は高い。 しかしながら、その一方で、フリーランスの泣き所は「仕事の継続性」が確保できない点だ。 つまり、得意先なり顧客なりの都合で 「あ、悪いけど、来月から来なくていいから」と言われたが最後、その日から収入が途絶するリスクを常に負っているということだ。 その点からすると、今回の新型コロナショックで、収入源の消失に直面しているのは、誰よりも 「企業からの業務委託という比較的安定した収入を得ている個人事業主とは別の人たち」 すなわち「個人的な人脈と、流動的な市場に翻弄される中で仕事を拾って歩いているフリーランス」ということになる。 ところが、お国が支援を検討しているのは、フリーランスの中でも、比較的恵まれた、企業相手の業者だけだったりする。しかも、その休業補償の条件が、子供が通う学校が休校になったことのアオリを食う人たちに限られる。ということはつまり、 「基本的に、9時~5時の定時で働いている勤労者」だけが保護されるみたいな話になる。 これでは、不安定で不定形な働き方をしている零細なフリーランスを救うことはできない。 しかも、当面、日額として想定されている金額である4100円という数字がどこから出てきたのかというと ニュースによると「東京都の最低賃金×4時間」 だという。 この4100円という日額の根拠だが、別のニュースソースでは、 「働き方や報酬は多種多様で、迅速に支援を行う必要がある中で、非正規雇用の方への給付とのバランスを考慮した」という安倍総理の言葉を引いた説明が紹介されている』、「フリーランス」の対象を絞り過ぎて、本当に必要な人々が漏れるのでは本末転倒だ。「4100円」は「東京都の最低賃金×4時間」、初めて知った。
・『ここで言う「バランス」とは、つまるところ、正規、非正規で働く人が休まざるを得なくなった場合に政府が出すことにしている1人当たり日額上限8330円の助成金の、およそ半額ということだ。 どうしてフリーランスへの休業補償は一般の労働者の半額なのか。 これは、じっくり考えてみなければならない問題だ。 私が、この4100円という金額に失望したことは申すまでもないことだが、では、びっくりしたのかというと、実のところそんなこともなかった。 「どうせそんなところだろう」と、あらかじめそう思っていたからだ。 給付のために「企業からの業務委託」と「休校による休業」というおよそ現実味を欠いた二つの条件が課せられていた件についても同様で、私は、失望はしたものの、驚愕はしなかった。理由はこの場合も同様で、 「どうせそんなところだろう」と、予測していたからだ。 さらに、4100円という日額の算定基準が、「最低賃金×4時間」であるとか「正規・非正規労働者への給付金の半額」であるとかいった、まるで具体性のない「はじめに金額ありき」のぞんざいな説明でアナウンスされていることについても、まったく同様で、私は失望しつつしかし驚愕はしなかった。 もうひとつ言えば、当初、私は、政府の冷たさに腹を立てていた。 「いくらなんでもフリーランスをバカにしすぎなんじゃないか?」と、ツイッターにその旨の怒りの書き込みを投稿しようと考えたほどだ。 でも、結果として、私は、この件について、ツイッター上では何も発信していない。 腹立ちがおさまったから? そうではない。 とはいえ、当初と違って、現在、私は必ずしも政府に対して腹を立てているのではない。 落ち着いて考えてみるに、政府は、民意にしたがっただけなのだろうと思っている。 だから、今回に限って、私は政府のやりざまに、がっかりはしていても、腹は立てていない。 むしろ私は、「日本人」という曖昧かつ巨大な集合に対して、無闇矢鱈と腹を立てている。 だからこそ困っている。 というのも「日本人」は、私自身を含んでもいれば、親しい知人友人をすべてひっくるめた、「わたくしたちすべて」だからだ。 その「日本人」に対して、私はどんな言葉をぶつけたらよいのだろう』、確かに「政府」は「日本人」の大勢を見極めて決めているのだろう。
・『政府が、フリーランスの人間の働きぶりに注意を払っていないのは、日本人がフリーランスをまともな日本人の一員として認めていないその認識を反映した結果だ。 政府の担当者が、フリーランスには一般の労働者の半額をあてがっておけばそれで事足りると考えて、4100円という金額をはじき出したのは偶然ではない。 彼らがそう考えたのは、われら「日本人」の総意としてフリーランスを「半人前の人間」として扱っていることの当然の帰結と考えなければならない。 また、蓮舫議員の問いかけに対して、「最低時給×4時間」というおよそバカにした回答を返した人間のその算定基準は、わたくしども「日本人」の多数派が、フリーランスの働きぶりを「遊び半分」と考えている常識をそのまま数式化したもの以外のナニモノでもない。 一般のカタギの日本人は、フリーランスの人間が貧困や将来への不安に苦しむことを 「自由な生き方に対する当然の報い」「気ままな暮らしへの反対給付としての貧困」くらいにとらえている。 そうでなくても、この20年ほど、アメリカから輸入したはずの新自由主義が、「自己責任」という言葉を、「自由への罰」という考え方とともに拡散する形で、日本独自の他罰思想として定着している傾向は否定できない。 私自身、フリーランスの立場で仕事をしながら、いつしかのんべんだらりと還暦を超えるに至った人間であるわけなのだが、いまだに親戚郎党からは一人前の扱いを受けた経験を持っていない。 「うらやましいよね」「気楽でいいよなあ」「タカシ君はほんと子供の時のまんまだなあ」と、法事やら葬式やらで顔を合わせた親戚筋からは、必ずやその種の言葉を頂戴する。 これらの言葉は、お世辞なのか羨望なのかそれとも揶揄なのか軽侮なのか、簡単に決められる性質の感慨ではない。 一面、自由な生き方を称揚しているようでもあれば、不安定な生活を憐れんでいるようにも聞こえる。 はっきりしているのは、彼ら「普通の日本人」が、フリーランスの人間の働きぶりを 「変わっている」「普通じゃない」と、ある種の「ファンタジー」としてとらえている点だ。 そのうえでうらやむのかバカにするのかは、結局、年収次第ということになる。 せちがらい話だ。 誤解してもらっては困るのだが、私は愚痴をこぼしているのではない。 自慢をしているのでもない。 ただ、フリーランスの働き方が、日本的な生き方ではないということをお伝えしようとしている』、「「最低時給×4時間」というおよそバカにした回答を返した人間のその算定基準は、わたくしども「日本人」の多数派が、フリーランスの働きぶりを「遊び半分」と考えている常識をそのまま数式化したもの以外のナニモノでもない」、「一般のカタギの日本人は、フリーランスの人間が貧困や将来への不安に苦しむことを 「自由な生き方に対する当然の報い」「気ままな暮らしへの反対給付としての貧困」くらいにとらえている」、小田嶋氏も「フリーランス」の1人であるだけに、捉え方は殊の外、実感がこもっている。
・『私がさきほどから、くどくどと弁じ立てているのは、フリーランスと勤め人のどちらが偉いとか、どちらがより素晴らしい生き方であるとか、そういう話ではない。 二つの対照的な人間たち同士が、互いを理解することの難しさについて、なんとかうまく書けないものかと、私はずっと苦しんでいる。 私は、このことについて、これまでにも何度か説明を試みてきたのだが、その度に失敗してきた自覚を持っている。 どう書いても誤解されるのだ。 私の文章力が足りないからなのか、読者の読解力が届いてくれていないからなのか、ともかく、私はフリーランスの人間がかかえている不安と自負と持って行き場のない憤りについて、行き届いた文章を書けたためしを持っていないのである。 そんなわけなので、ここでは、説明的な書き方をあきらめて、ポエムを書いてみることにする。 昨年の暮れからこっち、Amazonプライムのラインアップを眺めつつ、退屈しのぎに「男はつらいよ」のシリーズのうちの何本かを見た. その感想を書く。 どの作品でも、ほとんど脅迫的に繰り返される場面のひとつに、寅次郎の妹のさくらが、泣きながら柴又の街路を走るシーンがある。 多くの場合、さくらは唐突に出て行ってしまった寅次郎の後を追って 「おにいちゃん!」と言いながら走っている。 追いつく場合もあるし、あきらめて座り込んでしまうケースもある。 いずれの展開でも、さくらは涙を流し、あるいは涙ぐんでいる。 「おにいちゃん……ホント、バカなんだから」というセリフを言う時もあるし、黙ってうつむいているだけの時もある。 私は、この時のさくらの心情こそが、フリーランスを見つめる日本人の視線なのだと、毎回必ずそういう感想を抱かされた。 バカで不適応で不器用な兄。 集団にうまく適応できないくせに強がってばかりいるお兄ちゃん。 パズルにハマれないジグソーのピースみたいに哀れで頑なな風来坊。 虚勢を張っていることを万人に見破られていることに一人だけ気づいていない寅次郎。 フリーランスは、日本経済にとっても、そういうぎこちない存在だ。 だからこそ、さくらは兄がかわいそうでならない。 おにいちゃんのことを考えると、いつも、われ知らず涙ぐんでしまう。 おそらく、安倍首相にとっても、フリーランスというのは、そういう哀れだが救えない対象なのだと思う。 まとまりのない結末になってしまった。 私は、いま、プイッと旅に出てしまいたい衝動にとらわれている。 寅次郎は大人になれない。 それはとてもつらいことだ』、「私はフリーランスの人間がかかえている不安と自負と持って行き場のない憤りについて、行き届いた文章を書けたためしを持っていないのである。 そんなわけなので、ここでは、説明的な書き方をあきらめて、ポエムを書いてみることにする」、「寅次郎」も「フリーランス」の1人ではあるが、ここで取上げるとは、苦しまぎれの感もある。欲求不満が残ったのは残念だ。
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