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公文書管理(その6)(「黙っていればバレない」霞ケ関の官僚はなぜ「公文書破棄」に手を染めるのか=毎日新聞取材班、首相の決断が検証不能に…霞が関による隠ぺいの実態―毎日新聞取材班『公文書危機 闇に葬られた記録』本文抜粋、コロナ危機で再露呈…全日本人が知るべき「公文書管理のヤバい実態」 「歴史的緊急事態」なのに記録ナシ?) [国内政治]

公文書管理については、1月24日に取上げた。今日は、(その6)(「黙っていればバレない」霞ケ関の官僚はなぜ「公文書破棄」に手を染めるのか=毎日新聞取材班、首相の決断が検証不能に…霞が関による隠ぺいの実態―毎日新聞取材班『公文書危機 闇に葬られた記録』本文抜粋、コロナ危機で再露呈…全日本人が知るべき「公文書管理のヤバい実態」 「歴史的緊急事態」なのに記録ナシ?)である。

先ずは、5月15日付けサンデー毎日・エコノミスト「「黙っていればバレない」霞ケ関の官僚はなぜ「公文書破棄」に手を染めるのか=毎日新聞取材班」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200513/se1/00m/020/004000d
・『少なすぎるPCR検査、遅すぎる10万円の一律給付、必要性の乏しい布マスクの配布―― 安倍政権はコロナ対策で不可解な対応を繰り返している。 一方、国民の関心がコロナに集中するさなかに、検察幹部の人事に介入できる法案を成立させようともしている。 安倍政権はなぜこれほどの好き勝手ができるのか。 答えは簡単だ。誰がいつ、どんな理由でものごとを決めたのかを記した公文書を官僚たちが残さないからだ。 つまり、どんな決定を下しても永遠に検証されることがないのだ。 「森友・加計学園」「桜を見る会」に見られるように、安倍政権の下で公文書がかつてないほど軽んじられている。 そして、民主主義をあざ笑うかのように、秘密主義が強まっている――』、公文書管理法は、「行政が適正かつ効率的に 運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有する諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的として制定」(内閣府HP)、されているが、「安部政権」ほど同法をないがしろにする政権も珍しい。
・『闇に消える官僚メール  「公文書の問題で、おもしろい話? ああ、そういえば、最近、霞が関の官僚の間でベタ打ちメールの報告が増えてるね。これはいずれ問題になるかもしれない」 国家公務員が使う公用電子メールの問題をはじめて知ったのは、2017年の春、旧知の文科省の官僚Aとかわしたこんなやりとりからだった。 ベタ打ちメールがどんなメールなのかわたしは知らなかった。 「普通のメールですよ。記者だってメールの画面に文書をそのまま書いて同僚に送るでしょ。画面にベタベタ打ち込むからベタ打ちメール」 それがどうして問題になるのだろうか。 「わからない? 飲み会の連絡とかどうでもいいメールも多いんだけど、大事なことも書かれるようになっているからね」 たとえば? 「言いづらいけど、政治家とのやりとりとか」 つまり、それが公文書にされていない。 「5年ぐらい前までは、公用パソコンで報告書をつくったら、紙にして上司に回していた。それがいつの間にか『報告書は電子メールに添付して回せばいいですよね』となり、今では『添付文書もわざわざつくる必要はないですよね』となっている。ベタ打ちして送信したら、それでおしまい。特に若い職員はメール世代だし、上司から『そんなの聞いてないぞ』と言われるのが嫌だから、証拠が残るメールのほうがいいみたいだね」』、「公用パソコンで報告書をつくったら、紙にして上司に回していた。それがいつの間にか『報告書は電子メールに添付して回せばいいですよね』となり、今では『添付文書もわざわざつくる必要はないですよね』となっている。ベタ打ちして送信したら、それでおしまい」、「報告書」が「ベタ打ちメール」に代わった経緯が分かり易い。
・『それから数週間たった17年6月15日、文科省が1通の公用メールを公表した。安倍首相の親友が理事長を務める学校法人「加計学園」をめぐる問題の調査で見つかったものだった。 学園は愛媛県今治市での獣医学部開設を目指していたが、実現には今治市が国家戦略特区に選ばれる必要があった。公表されたメールは、特区担当の内閣府から、大学担当の文科省に送信されたもので、特区の選定条件が修正されたと書かれていた。この修正により、今治市に決定する流れができる。 「内々に共有します」という書き出しで始まるメールにはこう記されていた。 「(修正の)指示は(内閣府の)藤原審議官曰く、官邸の萩生田副長官からあったようです」 萩生田光一官房副長官のことで、安倍首相の側近中の側近。そもそも、文科省の調査は、学園の計画の早期実現が「総理のご意向」と書かれた文書が同省から流出したのがきっかけだった。この‶萩生田メール″の存在によって、学園と手を組んで特区を申請した今治市が優遇されたのではないかという見方がさらに強まることになる。 「あれがまさに問題のベタ打ちメール。今の報告書のほぼすべてがこういうふうにメールに直接書かれているわけ。どうせ、課長補佐あたりが、事実を隠ぺいしたら許さないぞという勢いで出したんだよ。普通、あんなのは表に出さないから。勇気あるねえ」 Aの場合、国会議員のことが書かれたメールをどうしているのだろう。 「個人用のフォルダーに保存している。仮にだよ、わたしが個人的に保管しているこの手のメールがだれかに特定されて、情報公開請求されたとする。でも、『もう消したからありません』とウソをつくよ。絶対にバレないから。個人的に保管しているメールは強制捜査でもない限り、調べられることはない。黙っていればわからない」 萩生田氏の「指示だ」と書かれていたメールは、加計学園問題が注目されなければ、闇に葬られた可能性が高かった。そういうことなのだろうか。 「当然でしょう。だいたいメールが公文書になると思っている公務員なんていない。わたしもそうだから。メールは膨大にある。どういうメールが公文書に当たるのかルールで決めてもらわないと、正直言って選びようがない。それに、上司に『さっき送ったメール、公文書にしておきます』って言ったら、『お前、大丈夫か』って変な目で見られちゃう」 「極端にいえば、メールなんて電話で話すのと同じだから。文書じゃない。官僚はみんなそんなふうに思っている」 <毎日新聞連載「公文書クライシス」の書籍化『公文書危機 闇に葬られた記録』(毎日新聞取材班著、毎日新聞出版刊、6月2日発売予定)より、一部を抜粋>』、「極端にいえば、メールなんて電話で話すのと同じだから。文書じゃない。官僚はみんなそんなふうに思っている」、なるほど「メール」がこれほどカジュアルになっているなかでは、「公文書」の定義や扱いはなかなか難しい問題だ。

次に、5月29日付けYahooニュースが転載した「ALL REVIEWS:首相の決断が検証不能に…霞が関による隠ぺいの実態―毎日新聞取材班『公文書危機 闇に葬られた記録』本文抜粋」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f22d718bf110b7576e4a35a1090f0272205e656
・『「森友・加計学園」「桜を見る会」「検事長の定年延長」――安倍政権による権力の乱用が指摘されたこれらの問題に共通しているのは、検証に必要な記録が十分に残されていない点だ。首相官邸や中央省庁の内部では、なくてはならない記録がどのように隠ぺいされ、闇に葬られていくのか。本書は、これまで知られていなかったその手口と実態について、首相経験者ら元政府高官や20人近い現役官僚らへのインタビュー、情報公開制度を駆使した「調査報道」の手法によって明らかにするものである。 本書のもとになった毎日新聞のキャンペーン報道「公文書クライシス」は2019年末、優れたジャーナリズム活動を顕彰する早稲田大学の第19回「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞している。 ご紹介するのは、本書の第八章「官僚の本音」からの抜粋である』、興味深そうだ。
・『官僚の本音  わたしたちは、新聞の首相動静にもたびたび名前が出る、ある省庁の次官級幹部に面会のアポイントを入れた。 1週間後。霞が関にそびえるビルの上層階に向かった。広い個室に通され、名刺をわたして来意を告げると、幹部は困ったような顔をした。 そこで、この幹部が首相と重要案件で面談した際の「打ち合わせ記録」がつくられていない事実を伝え、証拠となる資料をテーブルの上にすべらせた。 しばらく沈黙が続いたあと、「オフレコが条件だ」と言って、わたしたちの質問に答え始めた(Qは聞き手の質問、Aは次官級幹部の回答)。 Q:首相と面談した際の「打ち合わせ記録」をつくっていない理由は。 A:「打ち合わせ記録をつくるかどうかは、人によると思うが、そもそも、あまりつくるという発想がない」 Q:発想がない? A:「議事録をとっておくような正式な会議であればつくるでしょう。それ以前の報告や打ち合わせを、いちいちという言葉はややあれですが、記録をつくって公文書としてとっておくという話にはならないのではないか」 Q:公文書管理法やガイドラインでは記録を残すことになっている。 A:「そういうルールができたのは、ここ10年ぐらいでしょ。若い職員はわからないが、わたしの若いころからの慣習からすると、そういうものを残しておくという発想がない。最後に決まったものがあればいいんじゃない」 Q:公文書管理法やガイドラインにしたがえば、最後に決まったことが書かれた記録だけでなく、政策立案の過程を検証できる記録を残さなくてはならない。 A:「政策の過程はものすごく、毎日のように変わる。ポイント、ポイントでとっておけばいい話。固まったところさえ残っていればいい。過程のなかで総理などといろいろやりとりはあるかもしれないが、それを公文書として残しておく発想は正直いってないね」[書き手]毎日新聞取材班・大場弘行)』、「過程のなかで総理などといろいろやりとりはあるかもしれないが、それを公文書として残しておく発想は正直いってないね」、案が「毎日のように変わる」としても、変更後の案や変更の理由などのメモは作っている筈で、それを「公文書として残して」おけばいい筈だ。「次官級幹部」の言い分は、単なる手抜きを正当化しようとする言い訳に過ぎない。

第三に、6月6日付け現代ビジネスが掲載したNPO法人情報公開クリアリングハウス理事長の三木 由希子氏による「コロナ危機で再露呈…全日本人が知るべき「公文書管理のヤバい実態」 「歴史的緊急事態」なのに記録ナシ?」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73026
・『政府も専門家会議も明らかに間違っている  新型コロナウイルス感染症専門家会議の議事録(発言者名と発言内容のわかるもの)が、共同通信の情報公開請求に対して不存在となり、問題になっている。 専門家会議は議事概要のみ公表しており、議事録が作成されていないことは過去にも報道され、国会で質疑もされてきたが、政府は議事録を作成しないことに問題がないと、繰り返し説明してきた。 そして、5月29日に行われた専門家会議の記者会見では、議事録の作成については、「基本的には政府の決めること」(脇田隆字座長、尾身茂副座長)と他人事のような回答をしていた。 政府の説明も専門家会議の認識も、明らかに制度的に間違っている。 筆者が理事長を務める情報公開クリアリングハウスでは、3月13日付で要望書を発表し、関係行政機関に送付してすでに問題点などを指摘し、改善を求めているが、この間、一向に是正されないし、特に政府は誤った不適法な認識を平然と繰り返し述べてきた。 この誤った認識は、新型コロナ対策本部会議前に開催されている、首相のもとに関係閣僚、各省庁幹部が集まる「連絡会議」の記録作成問題でも、繰り返されている。 改めて、何が間違っているのか整理しておきたい』、国民生活に重大な影響を与える「会議」なのに、「議事録」が「不存在」とは腹が立った。
・『「歴史的緊急事態」なのに…  議論の混乱と制度の曲解は、政府が新型コロナ対策を行政文書管理ガイドラインに定める「歴史的緊急事態」に指定したことから始まっている。 「歴史的緊急事態」とは、「国家・社会として記録を共有すべき歴史的に重要な政策事項であって、社会的影響が大きく政府全体として対応し、その教訓が将来に生かされるようなもののうち、国民の生命、身体、財産に大規模かつ重大な被害が生じ、または生じるおそれがある緊急事態」とされている。このような事態に対応する会議等については、特に記録の作成義務がガイドラインに定められている。 これは、東日本大震災と福島第一原発事故に対する政府対応会議の一部が、議事概要のみで議事録を作成していなかったことの反省から、緊急事態での記録作成に関するガイドライン改正が2012年に行われて設けられたものだ。 歴史的緊急事態対応の会議について、ガイドラインは二つの類型で記録の作成を定めている。 一つは、「政策の決定又は了解を行う会議等」だ。これについては、議事の記録(開催日時、開催場所、出席者、議題、発言者及び発言者名を記録したもの、以下「議事録」とする)の作成と、配布資料等の保存を求めている。 もう一つが「政策の決定又は了解を行わない会議等」だ。行政機関の対応を円滑に行うため、政府全体として情報交換を行う会議等とされ、活動期間、活動場所、チームの構成員、活動の進捗状況や確認事項などを記録した文書や配布資料などを保存することが求められる。 この「政策の決定又は了解を行う会議等」に、専門家会議や連絡会議は当たらないので議事録の作成は必要ないと繰り返し政府は説明している。これに対して、決定・了解を行う会議に該当するという主張を繰り返す意見も散見されるところだ。 しかし、専門家会議や連絡会議の議事録や記録の作成義務は、歴史的緊急事態か否かは実のところまったく関係なく、常に作成が義務付けられている。それを、歴史的緊急事態に当たるので、議事録等の作成の義務がないと政府は一貫して説明しているのだ。 どういうことかというと、「歴史的緊急事態」と指定することによって、特に重大な事態に関する記録になるので、通常の文書の作成義務や行政文書の保存義務に上乗せして、その義務の範囲を拡大することをガイドラインは目的としている。あくまでも、通常の義務に上乗せした義務を定めているのだ』、「緊急事態での記録作成に関するガイドライン改正」は民主党の野田政権時代だ。よもや憎き民主党政権が決めたガイドラインなので無視しているというのではあるまい。「歴史的緊急事態に当たるので、議事録等の作成の義務がないと政府は一貫して説明している」、こんな説明にもならない屁理屈がまかり通るとは、野党議員やマスコミは何をしているのだろう。
・『出席者が誰かがわかればよい?  そこで、通常の文書の作成義務の範囲が何かが問題になるのだが、それは明確だ。 ガイドラインは、審議会等や懇談会等について議事録の作成を義務付けている。この「懇談会等」に専門家会議が該当する。そのため、歴史的緊急事態か否かはまったく関係なく、専門家会議を開催する以上は、発言者名と発言内容を記録した議事録を作成しなければならない義務を政府は負っている。 そして、専門家会議が「懇談会等」に該当することは、事務局である内閣官房自身がすでに認めている(2020年5月14日中日新聞朝刊「専門家会議議事録作らず」)。しかし、記事によると、内閣官房は取材に対し、「誰が何を言ったかなどの発言者と発言内容を紐づけることまで求めていない」と回答したという。また、6月1日の記者会見で菅内閣官房長官も同様のことを述べている。 要は、議事録に記載すべき発言内容と発言者名とは、誰の発言かを記録するのではなく、出席者が誰かがわかればよいという解釈をしているようである。そのため、内閣官房の説明だと、現在公表されている専門家会議の議事概要が、ガイドラインの定める議事録に該当すると主張しているようだ。 これは、ガイドラインの曲解にほかならない。ガイドラインは議事録として、発言者名と発言内容とは別に出席者を記録することも求めているからだ。出席者と発言者名をわけて書いているのだから、出席者名だけが記載されている議事概要は、議事録には当たらないことは明らかだ。 内閣官房の解釈は、自己都合で恣意的に曲解している。専門家会議の議事録をここまでルールを曲解して正当化しようとする姿勢には、内閣官房の新型コロナ対策そのものが自己都合でどうにでも曲解できるような進め方をしているのではないかという疑問を持たざるを得ない。 そして大変奇妙なのが、この曲解した解釈論は6月1日の菅官房長官会見まで開陳されなかったということだ。それまで繰り返し主張してきたのが、専門家会議が政策決定・了解を行う会議ではないので議事録作成義務がなく、ガイドラインに沿って適切に対応しているという認識だ。 これだと、議事録の作成が義務づけられている会議である専門家会議について、歴史的緊急事態に当たるとその義務がなくなってしまう。 その理由が、政策決定・了解を行わない会議だからということになるので、歴史的緊急事態と指定したことによって、政府は文書の作成義務の範囲が狭まる解釈を行い、それを実行き(正しくは「し」)たことになるのだ。 繰り返しになるが、あくまでも歴史的緊急事態への指定は、通常の文書の作成義務等に上乗せして、通常は作成が義務付けられていない記録の作成を求める趣旨であって、通常から義務付けられていることをしなくてよい、というものではない。かなり本末転倒な状況になっている』、「歴史的緊急事態」だから「議事録作成」の手間を省くというのならともかく、「歴史的緊急事態と指定したことによって、政府は文書の作成義務の範囲が狭まる解釈を行い」との政府側の主張は、全く論理破綻しているのに、平然としているとは信じられない。マスコミや野党が追及すべきだ。
・『「連絡会議」の記録作成問題  同じような事態は、いわゆる「連絡会議」の記録作成問題でも見られる。 2月27日の新型コロナ対策本部会議で突如決まった小中高校の一斉休校要請が、いったいどういう経緯で決まったのかという問題から、本部会議前に首相のもとに関係閣僚、各省庁幹部が集まって「連絡会議」が行われていることが明らかになった。 本部会議は頻繁に開催されているが、開催時間は1回あたり10~15分程度。実質的なことを話し合うほどの時間はないので、具体的な議論や方針の検討は「連絡会議」で行われているとみられることから、この記録の作成が問題になった。 連絡会議問題に対する野党からの追及を受けて、政府はガイドラインに定める歴史的緊急事態に新型コロナ対策が指定されるに至ったのだが、ここでもそれによって話が歪んでいくことになる。 モリカケ日報問題を受け、2017年12月に行政文書管理ガイドラインが改正されたのだが、そこには連絡会議の記録作成義務に該当するものが含まれている。それが、「打ち合わせ等の記録」の作成だ。 これは、加計学園問題で、内閣府と文科省、内閣府と自治体の間の打ち合わせの記録などが、特に内閣府で作成されていなかった問題を受けたもので、政策の立案や事業の実施方針に影響を与える打ち合わせ等については、記録を作成することが義務づけられた。 常識的に考えれば、「連絡会議」は首相以下関係閣僚、各省庁幹部が集まって打ち合わせ等を行っているのだから、政策の立案や事業実施の方針に影響を与えるものに他ならない。 連絡会議を行った際には、どのような情報が確認されているのか、どのような指示があったのか、どのような方針が確認されているのかなどは、少なくとも打ち合わせ等記録として残されていなければならない。 これは、歴史的緊急事態に該当するか否かとはまったく関係のなく、常に行わなければならないものだ』、全く同感である。
・『政府はどんなこともできてしまう  しかし、「連絡会議」問題に対して、政府は過去にさかのぼってこれから記録を作ると3月に入って国会で答弁し、また会見等で説明してきた。 これは、モリカケ日報問題を受けてガイドラインを改正し、公文書管理の徹底を図ったとする政府、特に官邸が、そもそもガイドラインの求める記録の作成をしていなかったと明らかにしたにほかならない。 ここで議論されるべきは、本来、打ち合わせ等記録は、議事録のような発言者名と発言内容まで記録するまで常に求めるものではないので、歴史的緊急事態と指定したことで、通常の範囲を超えて「連絡会議」の記録をどの程度の内容で作成するかなのだ。 ところが、菅官房長官は記者会見で、連絡会議は「先に『歴史的緊急事態』に指定されたことで義務付けられる議事録作成の対象には含まれない」(2020年3月11日付時事通信「新型コロナ連絡会議、議事録作成の対象外 菅官房長官『報告の場』」)と述べている。 連絡会議について誰が何を言ったのかなどの記録の作成は必要ないということだ。むしろ、歴史的緊急事態に指定したことで、通常は作成しなくてよい連絡会議の記録を作成することにしたかのような認識を政府は示している。 結局のところ、歴史的緊急事態という言葉がバズワード化して、政府はその範囲のみで自らの文書作成義務などについて説明して論点を矮小化し、政治もマスメディアもその範囲で政府を批判する。 そのことによって、政府に専門家会議などの議事録等を作成しないことの理由を与えてきてしまった状況から、全く抜け出せていない。 かえって、歴史的緊急事態に指定したことで、政策決定・了解を行う会議のみ議事録作成が必要であるという政府の認識は、公文書管理法のもとで義務付けられる文書の作成義務の範囲を切り下げ、記録を作成しなくてもよい言い訳に使われている。 こんなことが許されるなら、政府の公文書管理はかなり恣意的かつご都合主義的な解釈で、どんなこともできるということになってしまうだろう』、「歴史的緊急事態という言葉がバズワード化して、政府はその範囲のみで自らの文書作成義務などについて説明して論点を矮小化し、政治もマスメディアもその範囲で政府を批判する」、「専門家会議などの議事録等」と同じだ。これを受け入れている「マスメディア」も情けない。
・『事実関係すら確認できない  また、専門家会議の議事録作成問題は、別の観点から考える必要がある。 5月29日に西村大臣は記者会会見で、「自由かっ達な議論をしてもらうことが大事」であるので、発言者を特定しない議事概要を残すことを第1回専門家会議で説明し、了解を得た」と述べている。 5月29日夜には専門家会議による記者会見が行われ、議事録の作成についても質問され、脇田隆字座長、尾身茂副座長ともに、議事録の作成については「政府の方でお決めいただくこと」という認識を繰り返し述べた。また、脇田座長は「議事録に関しては本当にどちらでも私は構わないという立場」とも述べている。 この発言も実のところ、大変無責任極まりないのだ。なぜなら、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の開催について」(2020年2月14日新型コロナウイルス感染症対策本部会議決定)には、「前各項に定めるもののほか、専門家会議の運営に関する事項その他必要な事項は、座長が定める」とあるからだ。 「前各号」の中には、会議運営や議事録の作成などについての定めがないので、会議の記録をどのように作成をするのかは、公文書管理法やガイドラインをふまえて「座長が定める」ことになる。「第1回会議で了解をいただいている」ことが、座長以下構成員により決定した会議運営に関するルールということに形式的にはなるのだ。 しかし、第1回専門家会議の議事概要にはそのこと自体が記録されていない。そのため、第1回会議でそのような説明が行われたのかも確認ができず、構成員の了解を得た事実も確認できないし、第2回以降の配布資料の中に、会議運営に関する内部の定めの資料もない。 事実関係すら確認できないような状態になっている上、座長が会議運営について必要なことを定めるのだから、政府の問題としている時点で自らの責任を放棄していることにもなる。 もちろん、専門家会議のような有識者会議では、たいがい、会議の運営方法については各行政機関の事務方が案を用意し、多くの場合有識者はそれに対して特に意見もなくその通りに事実上従っている。 しかし、本来は、専門家会議をはじめ有識者会議は、事務方の協力を得つつも、政府から独立的に専門的知見をもとに議論し、政策形成や提言などを行うものだ。 その会議の運営について、発言者名を特定されるような記録が残されると、自由かった達に意見が言えなくなるか否かは、政府が決めることではなく、そこに参加をしている有識者の間の合意をもとめることが筋だ。 「本部決定」が会議の運営については、座長が決めるとしているのは、こうした建前によっている。会議の運営については、政府の問題ではなく専門家会議の問題であり判断であることをよく自覚して判断してほしい。 少なくとも、議事録の作成についてどのような了解や説明があったことすら確認できない議事概要しか作成されていないことを、専門家会議としてどう評価しているのかは、明らかにすべきだろう』、「「第1回会議で了解をいただいている」ことが、座長以下構成員により決定した会議運営に関するルールということに形式的にはなるのだ。 しかし、第1回専門家会議の議事概要にはそのこと自体が記録されていない」、「座長」発言も含め、恐るべき無責任体制だ。記者会見では、偉そうにしているが、実態はこれほど酷い無責任体制とは、取材するマスコミも突っ込むべきだ。大本営発表の二の舞を繰り返すべきではない
・『過去の公文書問題から何を学んだのか  また、専門家会議については公式会議の議事録係に作成されるようになったとしても、おそらくのちに経緯の検証ができないことは避けがたいと思われる。 専門家会議の開催日はほぼ、見解や提言の公表と記者会見日と一致している。その日のうちに記者会見するには、専門家会議で見解や提言を作成するための議論をしたのでは間に合わないからだ。 そうすると、専門家会議の議事録が作成・公開されたとしても、なぜこのような見解・提言になったのか、どのようなデータや資料を基に検討等を行ったのかなどは検証できないだろう。 事実、専門家会議の構成員も繰り返し、頻繁に非公式の意見交換等を行っていると発言している。もちろん、非公式の意見交換等を行ってはならないということではないが、公式会議が、専門会議としてのアウトプットを実質的に作り上げてく場として機能していないと、関係する記録による検証性はかなり乏しいことになるだろう。 こうした二重構造状態を、当然という理解でいるなら、専門家会議はそれまでということになる。言い換えると、政府において専門家の果たしてきているある意味不透明な役割が、専門家への尊重や尊敬を損なってきたことを繰り返すことになるだろう。 新型コロナ対策で示す政府の公文書管理に関する認識は、単に記録を作成するか否かという問題ではなく、政府として果たすべき義務や責任について、ご都合主義的かつ恣意的に解釈して自分の正当性を主張する、という政府の基本姿勢を示しているに他ならない。 2018年6月5日、公文書管理に関する数々の不祥事を受け、全閣僚が出席して開催された「行政文書の管理のあり方等に関する閣僚会議」の場で、安倍首相は、公文書に関するコンプライアンス意識の改革を促す実効性のある取組みの推進を指示した。いったい何をコンプライアンス意識としたのか。それが問われている』、説得力溢れた主張で、全く同感である。
タグ:安倍政権はなぜこれほどの好き勝手ができるのか。 答えは簡単だ。誰がいつ、どんな理由でものごとを決めたのかを記した公文書を官僚たちが残さないからだ 「「黙っていればバレない」霞ケ関の官僚はなぜ「公文書破棄」に手を染めるのか=毎日新聞取材班」 サンデー毎日・エコノミスト (その6)(「黙っていればバレない」霞ケ関の官僚はなぜ「公文書破棄」に手を染めるのか=毎日新聞取材班、首相の決断が検証不能に…霞が関による隠ぺいの実態―毎日新聞取材班『公文書危機 闇に葬られた記録』本文抜粋、コロナ危機で再露呈…全日本人が知るべき「公文書管理のヤバい実態」 「歴史的緊急事態」なのに記録ナシ?) 過去の公文書問題から何を学んだのか 「行政文書の管理のあり方等に関する閣僚会議」の場で、安倍首相は、公文書に関するコンプライアンス意識の改革を促す実効性のある取組みの推進を指示 闇に消える官僚メール 公文書管理 特区担当の内閣府から、大学担当の文科省に送信されたもので、特区の選定条件が修正されたと書かれていた。この修正により、今治市に決定する流れができる 次官級幹部 「コロナ危機で再露呈…全日本人が知るべき「公文書管理のヤバい実態」 「歴史的緊急事態」なのに記録ナシ?」 「歴史的緊急事態」なのに… 公文書管理法 連絡会議を行った際には、どのような情報が確認されているのか、どのような指示があったのか、どのような方針が確認されているのかなどは、少なくとも打ち合わせ等記録として残されていなければならない。 これは、歴史的緊急事態に該当するか否かとはまったく関係のなく、常に行わなければならないものだ 「第1回会議で了解をいただいている」ことが、座長以下構成員により決定した会議運営に関するルールということに形式的にはなるのだ。 しかし、第1回専門家会議の議事概要にはそのこと自体が記録されていない 歴史的緊急事態という言葉がバズワード化して、政府はその範囲のみで自らの文書作成義務などについて説明して論点を矮小化し、政治もマスメディアもその範囲で政府を批判する 歴史的緊急事態と指定したことによって、政府は文書の作成義務の範囲が狭まる解釈を行い 出席者が誰かがわかればよい? 政府はどんなこともできてしまう 本部会議前に首相のもとに関係閣僚、各省庁幹部が集まって「連絡会議」が行われている 事実関係すら確認できない 歴史的緊急事態に当たるので、議事録等の作成の義務がないと政府は一貫して説明している 緊急事態での記録作成に関するガイドライン改正 政府も専門家会議も明らかに間違っている 三木 由希子 現代ビジネス 過程のなかで総理などといろいろやりとりはあるかもしれないが、それを公文書として残しておく発想は正直いってないね 官僚の本音 第八章「官僚の本音」からの抜粋 毎日新聞のキャンペーン報道「公文書クライシス」 「ALL REVIEWS:首相の決断が検証不能に…霞が関による隠ぺいの実態―毎日新聞取材班『公文書危機 闇に葬られた記録』本文抜粋」 yahooニュース 極端にいえば、メールなんて電話で話すのと同じだから。文書じゃない。官僚はみんなそんなふうに思っている 上司に『さっき送ったメール、公文書にしておきます』って言ったら、『お前、大丈夫か』って変な目で見られちゃう だいたいメールが公文書になると思っている公務員なんていない 仮にだよ、わたしが個人的に保管しているこの手のメールがだれかに特定されて、情報公開請求されたとする。でも、『もう消したからありません』とウソをつくよ。絶対にバレないから ‶萩生田メール 文科省の調査は、学園の計画の早期実現が「総理のご意向」と書かれた文書が同省から流出したのがきっかけ 文科省が1通の公用メールを公表 特に若い職員はメール世代だし、上司から『そんなの聞いてないぞ』と言われるのが嫌だから、証拠が残るメールのほうがいいみたいだね 5年ぐらい前までは、公用パソコンで報告書をつくったら、紙にして上司に回していた。それがいつの間にか『報告書は電子メールに添付して回せばいいですよね』となり、今では『添付文書もわざわざつくる必要はないですよね』となっている。ベタ打ちして送信したら、それでおしまい 最近、霞が関の官僚の間でベタ打ちメールの報告が増えてる 「連絡会議」の記録作成問題 どんな決定を下しても永遠に検証されることがないのだ
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