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沖縄問題(その11)(軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる、不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実、菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない) [国内政治]

沖縄問題については、昨年3月8日に取上げた。今日は、(その11)(軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる、不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実、菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない)である。

先ずは、本年4月14日付け日刊ゲンダイ「軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/271662
・『1996年の米海兵隊普天間飛行場の返還合意からもう24年になる。辺野古沿岸部への移設が決まってはいるものの、沖縄県民の反対と訴訟合戦、軟弱地盤の発覚と建設費の膨張など、解決のめどは全く立っていない。少女暴行事件に端を発した「普天間の危険除去」は、なぜここまでこじれてしまったのか。小泉、鳩山政権で首相補佐官就任の打診を受けるなど返還合意前からこの問題に関わり、新著「フテンマ戦記」(文藝春秋)で迷走の舞台裏と原因を明らかにした軍事アナリストの小川和久氏に話を聞いた(本文中の肩書は当時)(Qは聞き手の質問、Aは小川氏の回答)』、興味深そうだ。
・『Q:24年間にわたって民間人として政府の普天間返還問題に関わってきました。どんなきっかけだったのでしょうか。 A:自民党総合政策研究所というシンクタンクの委員をしていて、政務調査会に助言する立場だったんです。96年4月2日に、2週間後に迫った日米首脳会談でどういう話を総理にしてもらうかを話し合う会合がありました。そこでテーマになったのが沖縄の米軍基地の負担軽減の問題。前年に少女暴行事件があったばかりで、「普天間を返してもらいたい」と日本側が96年2月に提案したのですが、その段階では米側に拒否されていた。しかし私は「取り返せるものを取り返せないようでは、独立国家の外交と言えません」と、山崎拓政調会長に迫ったのです』、「24年間」とは長いこと関わってきたようだ。
・『キャンプ・ハンセン陸上案に軍事的合理性  Q:実際、4月の首脳会談で返還が決まりました。 A:会合で、大蔵官僚出身の内海孚慶大教授が「政治が決断する時は、なるべく官僚の数は少ない方がいい」と助言しました。その先はどこでどうなったのか知りませんが、山崎さんが橋本龍太郎総理と話し合い、外務省北米局の田中均審議官だけが加わり、橋本総理がモンデール駐日米大使と会談して、全面返還となった。もともと私は、沖縄の米軍基地問題についてリサーチしていたので、普天間のことはある程度分かる。それで、キャンプ・ハンセンに移設するという構想を提案しました。 Q:それはどんな案なのですか。 A:キャンプ・ハンセンと隣接するキャンプ・シュワブを合わせると普天間が15個入る面積がある。そこの最適な位置に滑走路を移し、兵舎などは訓練の妨げにならないところに建て直せばいい、というものでした。これなら米軍基地内に普天間飛行場を埋め込む考え方ですから、新たな基地が出現するわけでもなく、沖縄県民の理解も得られるだろうと思いました。 Q:日米首脳会談後、96年8月には、本格的なハンセン移設案をまとめたんですよね。 A:まずは短期間でシュワブのほうに50機ほどのヘリが入る仮のヘリベースを造り、ただちに普天間を閉鎖し、危険性を除去する。本格的な移設先は、やはりハンセンの陸上部、一番南の海兵隊隊舎地区が最適だとなりました。恩納岳にぶつかることもなく、滑走路の長さも取れるし、民家の上もほとんど飛ばない。実は2009年ごろですが、海兵隊隊舎の地下に沖縄戦終盤に米海軍が造ったチム飛行場跡があることが分かったのです。戦時中の米軍も私と同じ考え方で最適な場所に飛行場を建設していた。軍事的合理性があるということです。ところが、当時の防衛庁の官僚はハンセンの「空き地」に飛行場をはめ込む発想しかなく、演習場の真ん中に滑走路を描き、「それでは訓練ができない」と米国側から一蹴されていたことが、後になって分かりました。 Q:結局、小川さんの案は採用されなかった。 A:構想を塩川正十郎総務会長に話すと「これで解決できるなあ」とうなずいていました。そして一緒に梶山静六官房長官に話しに行ったのですが、「普天間の問題は岡本(元外務官僚の岡本行夫氏)に泥をかぶれと言っているんだ」と言い、取り付く島もなかった。最も優秀な防衛官僚だと米国で評価の高かった高見沢将林氏は「これでいけると思います。ただ、官僚ではできません。政治がやらないと」と評価してくれたのですが。その後、橋本政権は岡本氏を首相補佐官にした。これが致命的なボタンの掛け違いとなりました』、「キャンプ・ハンセン陸上案に軍事的合理性」があるにも拘らず、受け入れられなかった背景には何があるのだろう。
・『鳩山総理は判断力が致命的に欠けていた  Q:どうして辺野古になったのでしょう。 A:ひとつは防衛庁も外務省も岡本氏も、軍事的な基礎知識がゼロだったということです。ヘリが50機ぐらい入ればいいだろうぐらいにしか考えていなかった。有事にはその6倍ほどの規模になり、数万人の地上部隊を受け入れる必要があるのにです。もうひとつは政治的にだけでなくビジネスとして利害得失を考えなきゃいけない人たちが絡んでおかしくなった。岡本補佐官の時代に橋本総理が急に「海上ヘリポート案」を言い出した。その途端、いろいろな業者が来るようになったと、防衛庁防衛局長だった秋山昌広氏が後に語っています。メガフロート案とか、どれも軍事的には使い物にならない案なのに、それが独り歩きした。そういったものを造るには、辺野古も含まれる東海岸がいいだろうと、落ち着いた印象があります』、「防衛庁も外務省も岡本氏も、軍事的な基礎知識がゼロだった」、お粗末極まる。「橋本総理が急に「海上ヘリポート案」を言い出した。その途端、いろいろな業者が来るようになった」、利権が絡んで、「軍事的合理性」がある「キャンプ・ハンセン陸上案」が葬り去られたとは飛んでもないことだ。
・『Q:解決のチャンスは、橋本政権、小渕政権、小泉政権、鳩山政権の4度あったと書かれています。特に鳩山政権の時は世論の大きな期待があっただけに残念でした。 A:前から鳩山さんを知っていたこともあり、09年の政権交代後、「県外なんて無理ですよ」と言いに行った。キャンプ・ハンセン陸上案も提案しました。その後、鳩山さんはいろんな人に相談していましたが、翌10年3月になって、小川にやらせてみよう、となり首相補佐官の就任を要請されました。しかし、それまでに「総理の案」なるものを米国に持って行っている人たちが多数いて、混乱していた。まずは民間人の立場で整理作業をやりたい、と言ったのです。米国側は了解しました。そうしたら、大型連休中の5月2日に、「ただちにワシントンに飛んで欲しい」という鳩山総理の指示があり、米国との交渉の最前線に送り出されたのです。 Q:電話一本の指示で、突然の話だったそうですね。 A:出張旅費も用意されず、スタッフ2人の分を含めて560万円を立て替えました。米国側との協議で印象に残ったのは、騙され続けてきたという日本政府への強い不信感でした。これは私の反省として本にも書いていますが、正式な立場に立っていない人間が持ってきた案であり、鳩山政権の案として一本化されていないじゃないか、と言うのです。最終的には、小川案に一本化してくれとのことでしたが、その段階で鳩山さんは連絡が取れなくなった。一方で鳩山さんは、私たちがワシントンで米国側と交渉していた5月4日に沖縄入りし、「辺野古回帰」を表明した。その前日に、岡本行夫氏と会って、全部ひっくり返ってしまった。錯乱したとしか思えなかった。鳩山さんには判断力が致命的に欠けていました』、「鳩山総理」は「小川氏」に米国で交渉させたが、最後の段階で、「岡本行夫氏」に傾くとは、聞きしにまさる「錯乱」ぶりだったようだ。
・『方針転換すれば3500億円でお釣りがくる  Q:普天間返還問題がここまでこじれたのは、なぜだと思いますか。 A:政治のリーダーシップの問題が大きい。普天間問題は国内問題です。リーダーシップを持った政権が本気で正面から問題提起すれば、簡単に突破できる。基地の返還には米国の同意が必要ですが、移設先は軍事的知識があればおのずと分かるし、米国も同意する。あとは沖縄県民の半分以上が「まあこれでもいいか」と思う構想を示す。例えば日米地位協定を改定するか特別協定を結んで、事故と犯罪の問題を抑え込む。負担を日本国民で等しく担うということでは、沖縄県民は無税にするとか、教育費や医療・福祉関係の費用を無料にするとか。そして沖縄に人と金が世界中から集まるような制度をつくる。米国にとっては、その軍事的能力が落ちず、沖縄県民が反米感情を持たなければいい。それだけです。 Q:このまま辺野古移設で突き進んでいいのでしょうか。 A:小野寺防衛相の時の14年に、総工費は3500億円と国会で答えています。それが今は、軟弱地盤問題などがあり、9000億円超に膨らんでいる。もっとも、他の飛行場建設の予算から見たら3500億円だって異常に高い。特別な工法はいらないわけですから。それを整理していくと、やはり今でも私が提案してきたキャンプ・ハンセン陸上案がベストだと思います。米国に前例がありますが、環境アセスを含めても4年以内に完成です。既に辺野古でかかった費用を業者に払ったとしても、3500億円の予算で800億円ほどのお釣りがきますよ。(小川氏の略歴はリンク先参照)』、「9000億円超」が2700億円で済み、工期も短くて住むのであれば、いまからでも、「キャンプ・ハンセン陸上案」でやるべきだ。

次に、9月13日付けAERAdotが掲載した琉球新報記者の新垣梨沙氏による「不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2020081700020.html?page=1
・『不登校、深夜徘徊、窃盗、大麻、売買春、妊娠……さまざまな困難を抱える少年・少女を取材した『夜を彷徨う 貧困と暴力 沖縄の少年・少女たちのいま』(琉球新報取材班、朝日新聞出版)。そこには、“青い海と空”といったリゾートのイメージの陰に隠れた、もう一つの現実が描かれている。居場所をなくした少年少女の取材を続けてきた琉球新報・新垣梨沙記者が、その一端を明かす。 2017年12月23日。2人組の13歳の女の子と会ったのは、夜のファミレスだった。1人は年の離れた妹を連れていた。学校に行けない子どもたちの話を聞いてサポートする支援者も含め、5人で遅めの夕食を取り、2人から話を聞く。女の子たちは長く不登校で、1人はここ何日か姉妹の自宅に寝泊まりしていた。姉妹の母親はキャバクラで働いていて朝まで不在だった。 女の子たちに2度目の取材の約束を取り付け、支援者と一緒に、3人を姉妹の自宅がある郊外の集合住宅に送った。姉、その友人、途中で眠ってしまった妹を抱っこした支援者の順に、上階に向かって階段を上る。私は4人と少し距離を置いて後をついていった。 4人が入っていった一室の前に立つ。半開きのドアには、引きちぎられたような金属製のドアチェーンが無造作にぶらさがっていた。 ドアの隙間から部屋の中に目をやる。と、床には網状のフード部分のへこんだ扇風機が転がっていた。ドアチェーンも扇風機も、姉妹の母親の彼氏が暴れて壊したものだった。ファミレスで姉が話した通りの光景が広がっていた。 どれほど暴れればドアチェーンを壊すことができるのだろう。そんな男は女性や子どもに手を上げる時だって手加減などしないはずだ。突っ立ったままぼんやりと考えた。 「この現実をどうする? 新聞記者はどうやったってみんなエリートだ。あなたたち記者は、子どもたちの置かれた状況を見ていない」 沖縄の風俗業界で働く少女たちや、若年で出産した女性たちの聞き取り調査を行い、ケアに心を砕く研究者から突きつけられた言葉を思い起こした。この取材も、その言葉に押されるようにして始めたものだった。だが、暴力の跡を目の当たりにして、私はすでにおじけづいていた』、「琉球新報」の「記者」であれば、「沖縄」ではエリートなので、「おじけづいていた」のも理解できる。
・『頭は「ここからすぐに帰ろう」と言っている。自然と足が階段に向くが、「何も言わずに帰るのは失礼だ」といったん部屋の前まで引き返す。ひとまず支援者に「とても繊細な話なので、記事化するまでにお時間いただくと思います」と言ってみよう。ありとあらゆる言い訳の言葉を考え、長い廊下を行きつ戻りつしながら支援者が部屋から出てくるのを待った。 「おかー(お母さん)は(彼氏に殴られた)顔のあざを化粧でかくして出勤しよった」「おかーは殴られる時、隣の部屋に連れてかれる。殴られる音を聞くと妹が泣くわけ。そしたらなんでか、自分も涙が出るんだよ」 ファミレスで聞いた姉の話と表情がよみがえった。痛みをこらえて仕事に向かった母の姿を、その母を見送った姉妹を、暴力の中で暮らす母娘の日常を思った。 「もう、見なかったことにはできない」。自分なりに子どもたちと向き合おうと覚悟を決めた。のろのろとカバンからノートを取り出し、目の前の光景を書きとめた。 「ドアチェーン、鎖こわれぶらさがる せんぷうき 網のとこへこみ、床にころがる」 その姉妹以外にも、取材でつながった子どもたちの多くがさまざまな暴力にさらされていた。どんな痛みや思いを抱えて生きているのか伝えたい、そう思って取材を続けた』、なるほど。
・『子どもたちのSOS  同僚3人で続けた取材の内容は、2018年1月から8月にかけて連載「彷徨う 少年少女のリアル」として、沖縄の地元紙・琉球新報に掲載した。 出会った子の多くは幼い頃から生活困窮や親からの虐待、いじめなどの困難に直面し、「不登校」という形でSOSを発していた。教育現場がどうなっているのか知ろうと学校を訪ね、教師からも話を聞いた。ある中学校の校長は、不登校の生徒たちを校長室で受け入れ、一緒に絵を描いたり、ギターを弾いたりしながら生徒が安心できる空間を作り出していた。 ただ、こうした校長のような教師との出会いは、私が話を聞いた子どもたちの多くが持ち合わせていなかった。学校に通っている子や学校に楽しい思い出を持つ子はほぼおらず、どの子も、教師や同級生による否定や排除によって傷付けられた経験を重ねていた。 学校に行けなくなった子どもたちは、家でも孤立している場合が多かった。そんな彼らが居場所を求めるのは、街や暗闇の公園、SNSの空間だ。たどり着いた場所で大人に利用され、危険な目に追いやられることも少なくなかった。 年上のグループとつるむようになった13歳の女の子は、言いつけに逆らえずに「援デリ」(出会い系サイトなどで募った客をあてがう違法風俗業)を強制され、客を取らされ続けた。高校に行けずにいた17歳の女の子は「いい働き口を紹介する」と声をかけた大人についていきレイプされたことを、記事の掲載後に明かしてくれた。 連載に対しては、読者からさまざまな反応があった。特に、学校と家から離れて風俗の世界に押し出された女の子たちの話を書いた記事には、「沖縄の子どもはみんなそうだと思われる」「一部の子どもの話だ」などといった意見が寄せられた。性を搾取する加害者側の非をとがめず、女の子たちのみを批判する声は圧倒的に多かった。加害者に甘く、被害者に厳しい社会の感覚こそがおかしいのだと書き続けねばと、そう思っている。 連載時から、子どもたちの痛ましい話を書くことで読者が親への非難を強めないか、「自分とは別世界の人たちの話だ」と切り離してしまわないか、ということが気がかりだった。取材の過程で、子どもたちの背後にいる親の姿も見えてきたからだ。 ネグレクトと言われる親も、かつては子育てを頑張っていた時期があった。だが、離婚や失業、疾病などで生活が急変し、支え手のない中で力尽きていた。 こうした限界点を超える親の姿は、ひとり親の当事者でもある私自身と重なる。ただそれは、ひとり親に限らず、不安定さを増した社会では誰もが直面しうる出来事だ。けっして、別世界や無関係の話ではない。 連載を終えてから2年が経ち、正規採用で就職が決まった子や、小学校高学年から続いた長い不登校の時期を脱し、高校に進学した子がいる。一方、周囲の誰とも信頼関係を結べず孤立を深める子や、自傷行為を繰り返す子もいる。家の中にとどまり、暴力にひたすら耐える子もいる。体や心に新たな傷を増やしながら、どうにかこうにか生きている子は多い。 そんな子どもたちや親への支援はどうあるべきか、まなざしは、かける言葉は、この手をどう使うべきか。本書を通して、読者の皆さんと考えることができたらと思っている』、「加害者に甘く、被害者に厳しい社会の感覚こそがおかしいのだと書き続けねばと、そう思っている」、頑張ってほしいものだ。「2年」が経って立ち直った子と、引き続き底辺に残された子の違いをさらに掘り下げて欲しいものだ。

第三に、9月11日付け現代ビジネスが掲載した沖縄タイムス記者の福元 大輔氏による「菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた、これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75537?imp=0
・『沖縄には怒りと不満が渦巻く  自民党総裁選でぶっちぎりの展開を見せ、そのまま首相の座を射止めようとしている菅義偉官房長官は、安倍晋三政権において、沖縄基地負担軽減担当相を兼務してきた。全国の7割以上が集中する沖縄県の米軍施設・区域を縮小し、負担を軽減することが役割である。 第2次安倍政権発足後、初の改造となった2014年9月に新設のポストで、それ以来6年間務める。 沖縄の米軍基地は2014年3月の2万2729ヘクタールから、一部の土地が返還されたことで、今年3月には1万8483ヘクタールに縮小されている。菅氏の就任以来、沖縄の米軍基地面積の約19%が返還されたことになる(使用していない米軍基地を単純返還したため、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄の割合は、73・8%から70・3%と3・5ポイント減にとどまる)。 菅氏はこうした変化を、常々「安倍政権の成果」と胸を張ってきた。安倍晋三首相の沖縄問題への関心が薄かったことや、実務を担う防衛相、外相の顔ぶれが何度か変わったことを考えると、たしかに一貫して陣頭指揮を執ってきた「菅氏の成果」とも言える。 しかし、問題はその手法である。沖縄県内では菅氏の思うように評価されていないどころか、むしろ怒りや不満が渦巻いている。 県民から反発を受けている象徴的な二つの政策が、沖縄県民の7割以上が反対する沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を、同じ沖縄県で50kmしか離れていない名護市辺野古へ移設する計画と、人口140人の沖縄県東村高江の集落を取り囲む六つの米軍ヘリパッドを建設する計画だ。いずれも住民の反対運動などで20年近く滞っていたが、安倍政権が推し進めた。 菅氏は「安倍政権だからできた」と主張する。県民の反発に遭っても、後々評価されると考えている。 菅氏の向き合う「負担軽減」と、苛烈な沖縄戦から75年、米軍基地の過重な負担を受けながら歴史を刻んできた沖縄の人々との思いには隔たりがある。 菅政権が誕生すれば、沖縄の米軍基地問題の混乱は続き、本土と沖縄の関係はぎくしゃくしたままで、沖縄県内で新たな分断を生み出しかねないといった懸念がつきまとう。いや、それ以上の悪夢になるかもしれない』、「悪夢」だろう。
・『あまりに乱暴な辺野古埋め立て  普天間の辺野古移設は第2次安倍政権発足からちょうど1年の2013年12月に転機を迎えた。当時の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事が、新しい米軍飛行場を造る目的で辺野古の海を埋め立てる防衛省の計画を承認したのだ。 直前に、安倍首相は東京で入院生活を送っていた仲井真知事と面談し、向こう10年間、年3000億円の沖縄関係予算の確保や、米軍基地問題の取り組みなど「政府にできることは全てやる」と約束していた。 仲井真知事の姿勢は「金で転んだ」と受け止められ、県内で失望と反発が高まる中、政府は入札などの準備期間をへて、2014年7月に事業着手した。そして、それまでとは異なる法律上の根拠で、現場で座り込む住民らを排除するようになった。 まず始まったのは海上での規制だ。埋め立て予定海域に住民らが船やカヌーで近寄って抗議するのを防ぐため、広範囲を立ち入り禁止とした。根拠は日米地位協定。もともと米軍基地の警備上の必要性から陸岸から50m以内を常時立ち入り禁止としていたが、それを最大で沖合2・3kmと大幅に広げた。期間は「工事終了まで」。抗議する住民たちを遠ざける狙いが明らかだった。 ここで考えてほしいのは、埋め立て工事は日本政府の事業で、日米地位協定は米軍の権利や運用のルールを定めた取り決めだということである。米軍の運用とは関係のない日本政府の工事のために日米地位協定で海域を規制することが許されるのだろうか。沖縄の弁護士らは「悪用だ」と批判してきた。 次に、警察や海上保安庁が抗議する住民らを排除する際の根拠である。辺野古移設が始まる前、警察は警察官職務執行法5条、海保は海上保安庁法18条を上げていた。そこには、まさに犯罪が行われようとしている時、警告したり、制止したりすることができると書かれている。 沖縄県警や海保の幹部を取材すると「政治的な表現の排除に慎重になるのは当然だ。まず防衛省が住民の理解を得るよう説得し、それができないなら(防衛省が)自前で警備員を雇うべきだ」と話していた。つまり、県警や海保は当初、住民の排除には積極的ではなかったのだ。 ところが、辺野古移設が始まると、海上では船やカヌーで埋め立て予定海域に近寄った住民らを海上保安官が拘束し、陸上では工事車両の出入り口に座り込む住民らを警察官が抱え上げ、排除した。 マスコミの問い合わせに、警察は警察法2条、海保は海上保安庁法2条を根拠に上げた。そこには、公共の安全と秩序の維持が任務であると書かれている。法律に書かれているのは「任務」の性質を示したものであっても、権限ではないはずだ。「辺野古対策で、政府が法解釈を変えたのは間違いない」と住民らの非難を浴びている』、「米軍の運用とは関係のない日本政府の工事のために日米地位協定で海域を規制することが許されるのだろうか」、確かに拡大解釈もいいところだ。「警察は警察法2条、海保は海上保安庁法2条を根拠に上げた」、目的規定は、「「任務」の性質を示したものであっても、権限ではないはずだ」、これも無理のある拡大解釈だ。
・『「辺野古移設反対側」が12勝1敗  物理的な強引さに頼らなければ工事を進めることができないのは、沖縄県民が何度も示してきた民意を無視しているからにほかならない。 辺野古の埋め立てを承認した仲井真知事と、辺野古移設に反対する翁長雄志氏が争った2014年10月の知事選では、翁長氏が10万票近い大差で圧勝した。その後の衆院選、参院選でも辺野古反対の候補者が当選。翁長氏の死去に伴う2018年9月の知事選では後継の玉城デニー知事が大勝した。 辺野古移設に着手してからの知事選と国政選挙では、「辺野古移設反対側」が12勝1敗という結果になっている。政府、自民党の支援する候補者がいずれも「中央と連携した沖縄振興」を主張したため、辺野古反対か、経済か、という構図で、沖縄県民が「辺野古ノー」を突き付け続ける意味は大きい。 さらに辺野古埋め立て工事の賛否を問うた2019年2月の県民投票では、投票率が5割を上回り、「反対」が7割を超えた。しかし、菅氏は「結果を真摯(しんし)に受け止める」と言いながら、工事を中断する気配も見せなかった。 翁長氏や玉城氏が、仲井真氏の埋め立て承認を取り消したり、撤回したりして、工事を一時的に阻止すると、政府は、国民の利益や権利を保護する行政不服審査制度を利用して、その効力を止め、工事を再開した。本来、対等・協力の関係にある国と地方の争いは、地方自治法で解決の道筋を定めるが、それでは時間がかかるため、手っ取り早く工事を再開する方法を選んだのだ。一般私人と同様の立場で埋め立て承認を得たので、一般私人と同様に行政不服審査制度を利用できるという理屈になる。 法律上の争いになると、辺野古移設に多くの県民が反対していることや、沖縄の過重な基地負担などの本質的な問題に触れられることはない。防衛省が「一般私人と同様の立場である」という主張が、法的に正しいか、どうかと機械的なやりとりだけで結論が出る。 菅氏は「法治国家として法に基づき、工事を進めている」と繰り返してきた。翁長氏は生前、「民主主義や地方自治を無視し、対話を拒む。これが法治国家なら『ギリギリ法治国家だ』」と、工事を止めることのできない現状に最大の皮肉を込めていた』、『ギリギリ法治国家だ』とは言い得て妙だ。
・『普天間飛行場についての認識のズレ  「負担軽減」の原点の認識にも差異がある。 安倍氏や菅氏は、「普天間飛行場の危険性の除去は喫緊の課題」と説明する。人口10万人を超えた宜野湾市のど真ん中に位置する普天間飛行場を、人口が少なく、海に突き出た場所に移す計画になぜ反対するのだ、と言わんばかりである。 翁長知事や玉城知事は反論した。1945年の沖縄戦で上陸した米軍が、本土への出撃拠点とするために建設したのが普天間飛行場だ。役場や学校があり、8800人が暮らした集落を奪い取りながら、そこが古くなった、危険になったから他の土地をよこせというのは理不尽で、政治の堕落だ、と訴えてきた。 普天間飛行場の面積は480ヘクタールで東京ドーム102個分にもかかわらず、沖縄の米軍基地全体の2・5%にすぎない。そっくりそのまま返っても、97・5%が残るのに、なぜ沖縄県内に移設しなければいけないのか。海兵隊は必ず沖縄に駐留しなければいけないのか、といった疑問がぬぐえないことも、沖縄県民が辺野古移設に反対する理由につながる。 安倍氏や菅氏が、沖縄が本土に復帰した1972年以降で最大の米軍基地返還と強調する米軍北部訓練場の一部返還も、その条件であった六つの米軍ヘリパッドを建設するために、東京や大阪から機動隊員800人を集め、抗議する住民を強制排除したのが実態だ』、「東京や大阪から機動隊員800人を集め、抗議する住民を強制排除」、はまだ記憶に新しい。
・『元副知事から菅氏への信頼  その強引さと裏腹に、菅氏は気配りも見せてきた。政権ナンバー2で、スポークスマンでもある官房長官が東京を離れることは異例だが、在任中、沖縄を何度も訪れている。道の駅の駐車場整備といった細かな事業も肝いりで進め、基地の返還式典では跡地利用に意欲を見せてきた。 辺野古移設反対の翁長知事の側近だった当時の安慶田(あげだ)光男副知事とは会談を重ね、信頼関係を築いた。安慶田氏は宮古島で生まれ、石垣島で幼少期を暮らし、琉球大学に進んだ苦労人だ。秋田県のイチゴ農家から集団就職で上京し、働きながら法政大学へ進学した菅氏と境遇が似ていた。食事の際にサツマイモを残した安慶田氏に「私も昔、食べ過ぎたせいか、嫌いになりました」と語り掛けたことで、安慶田氏は心を許すようになっていった。 安慶田氏は菅氏と連絡を取り合い、翁長氏の死去後には、後継の玉城知事と距離を置き、新たな保守系グループの結成を模索。菅政権が誕生すれば、安慶田氏の存在感が増す可能性がある。 菅氏は9月3日の記者会見で、沖縄の米軍基地問題と沖縄振興は「結果的にリンクしているのではないか」と語った。歴代政権は沖縄振興について、沖縄戦の甚大な被害や、その後の27年間の米国施政権下で日本の政策が適用されなかったこと、離島の多い沖縄の特殊事情などを理由として、「米軍基地とはリンクしない」というのが公式見解だった。 日米関係と沖縄を研究してきた故・宮里政玄さんは「沖縄は基地政策にちょうどいい大きさと人口で、そこに日米両国は目を付けた」と捉えていた。二つ以上の飛行場と補給施設を運用でき、適度に遊ぶ施設もある。そして、最大の利点は、ちょっとした振興策で基地を受け入れてくれる人口規模という。 辺野古新基地建設では、埋め立て予定海域で見つかった「マヨネーズ並み」といわれる軟弱地盤を改良するため、防衛省は玉城知事の承認を得なければならない。玉城知事は承認しないとみられ、国と沖縄県の新たな対立に発展するのは間違いない。2年後には知事選も控える重大な局面での菅首相の登場となる。 これまで以上に基地政策と振興策をリンクさせる「アメとムチ」を露骨に持ち出せば、新型コロナウイルスの影響で経済の落ち込んだ沖縄県内では、分断がさらに加速するのではないか。心配の種は尽きることがない』、「歴代政権は沖縄振興について・・・「米軍基地とはリンクしない」というのが公式見解だった」のに、「菅氏」は「これまで以上に基地政策と振興策をリンクさせる「アメとムチ」を露骨に持ち出」すとは、なりふり構わぬ強引な姿勢だ。「経済の落ち込んだ沖縄県内では、分断がさらに加速するのではないか」、同感である。
タグ:沖縄問題 「軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる」 日刊ゲンダイ (その11)(軍事アナリスト小川和久氏 普天間は政権次第で突破できる、不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実、菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない) 鳩山総理は判断力が致命的に欠けていた 防衛庁も外務省も岡本氏も、軍事的な基礎知識がゼロだった キャンプ・ハンセン陸上案に軍事的合理性 経済の落ち込んだ沖縄県内では、分断がさらに加速するのではないか 「菅氏」は「これまで以上に基地政策と振興策をリンクさせる「アメとムチ」を露骨に持ち出」すとは、なりふり構わぬ強引な姿 「米軍基地とはリンクしない」というのが公式見解だった 歴代政権は沖縄振興について 当時の安慶田(あげだ)光男副知事 元副知事から菅氏への信頼 東京や大阪から機動隊員800人を集め、抗議する住民を強制排除 普天間飛行場についての認識のズレ ギリギリ法治国家だ 「辺野古移設反対側」が12勝1敗 「任務」の性質を示したものであっても、権限ではないはずだ 警察は警察法2条、海保は海上保安庁法2条を根拠に上げた 米軍の運用とは関係のない日本政府の工事のために日米地位協定で海域を規制することが許されるのだろうか あまりに乱暴な辺野古埋め立て 菅政権が誕生すれば、沖縄の米軍基地問題の混乱は続き、本土と沖縄の関係はぎくしゃくしたままで、沖縄県内で新たな分断を生み出しかねないといった懸念がつきまとう。いや、それ以上の悪夢になるかもしれない 沖縄には怒りと不満が渦巻く 「菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた、これだけのこと 「菅政権」は沖縄の悪夢かもしれない」 福元 大輔 現代ビジネス 加害者に甘く、被害者に厳しい社会の感覚こそがおかしいのだと書き続けねばと、そう思っている 子どもたちのSOS おじけづいていた 「不登校、深夜徘徊、売買春…記者が見た沖縄の貧困と暴力の凄まじい現実」 新垣梨沙 AERAdot いまからでも、「キャンプ・ハンセン陸上案」でやるべき 方針転換すれば3500億円でお釣りがくる 「鳩山総理」は「小川氏」に米国で交渉させたが、最後の段階で、「岡本行夫氏」に傾くとは、聞きしにまさる「錯乱」ぶりだった 利権が絡んで、「軍事的合理性」がある「キャンプ・ハンセン陸上案」が葬り去られたとは飛んでもないことだ 橋本総理が急に「海上ヘリポート案」を言い出した。その途端、いろいろな業者が来るようになった
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