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パンデミック(経済社会的視点)(その8)(コロナ感染源の中国人を イタリア人が嫌っていない意外な理由、医療水準世界2位だったイタリアで「コロナ医療崩壊」が起きたワケ 「こうなることは、わかっていた」、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(コロナ民間臨調)が日本のコロナ対応検証報告書を発表) [国内政治]

パンデミック(経済社会的視点)については、9月15日に取上げた。今日は、(その8)(コロナ感染源の中国人を イタリア人が嫌っていない意外な理由、医療水準世界2位だったイタリアで「コロナ医療崩壊」が起きたワケ 「こうなることは、わかっていた」、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(コロナ民間臨調)が日本のコロナ対応検証報告書を発表)である。

先ずは、9月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した漫画家・文筆家のヤマザキマリ氏による「コロナ感染源の中国人を、イタリア人が嫌っていない意外な理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248508
・『世界を駆けてきた、漫画家で文筆家のヤマザキマリ氏。1年の半分を東京で、残りの半分を夫の実家であるイタリアで過ごしているが、コロナ禍で約10カ月、東京の自宅に閉じこもることを余儀なくされているそう。そのときの経験を基に綴ったのが、新著『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)である。ヤマザキマリ氏が暮らすイタリアでは、中国人が多い北部地域から感染拡大が広がり、医療崩壊まで引き起こす事態になるも、少なくとも周囲のイタリア人は、中国への反感を何ら抱いていないという。その意外な理由とは、何だろうか』、「周囲のイタリア人は、中国への反感を何ら抱いていない」、驚いた。その理由は何なのだろう。
・『人との距離が近いイタリアと 遠い日本の「異なる生活習慣」  イタリアやブラジル、そしてアメリカなど、新型コロナウイルスは世界中のあらゆる国の人々の間に容赦なく広がっていますが、その傾向を見ていると、日常における人との接触が濃厚なところほど感染が拡大しやすいのではないかということが、気になり出しました。 なぜ、感染が著しく拡大した国とそうでない国があるのか。たとえば、感染拡大が比較的抑えられ続けている日本と対比してみても、欧米では日本のように普段からマスクをする習慣がなく、「やれ抗菌だ、やれ除菌だ」といった衛生への神経質さもない、ということも要因の1つになっているのではないかと思うのです。そういったことを考え合わせてもなお、人と接触することの多い文化圏の人たちにとっては、つくづく相性の悪いウイルスだったと言えるでしょう。 たとえばイタリアの人たちは、恋人や夫婦に限らず、誰とでもくっつきたがる性質があるように思います。うちの義父母や義妹、隣人や友人も、私とは頻繁に抱擁を交わしますし、出会ったときと別れるときには必ず頬にキスもする。人間同士の接触に慣れていない人種には違和感を覚えるところでもあるのですが、彼らにとってはいちいち意識にとめていない、ごく当たり前の振る舞いなのです。 習慣化しているとしても、とにかくCovid-19は人間同士の接触や会話によってどんどん感染するウイルスなわけですから、人に近づかなければ感染はしないわけです。至極単純なことです。 日本ではまず夫婦間でも不必要にベタベタすることはないし、親子でも頻繁に抱き合ったり頬にキスをしたりしません。街角で知り合いにあって抱擁したりキスをしたりすることもなければ、握手ですらそんなに頻繁には交わしません。 満員電車の中でも皆じっと黙り続けていますから、おしゃべりによる飛沫が閉鎖空間の中で散らばることもない。もっとも、感染の要因に関しては、このパンデミックのすべてが終わって何年か経たなければわからないことかもしれないですし、人間同士の接触云々よりも、人種における生物学的な理由が大きく起因しているのかもわかりません。だとしても、人と人が常に触り合っている国民と、人に触られたがらない国民では、風邪やインフルエンザ同様、感染者数に差が出るのは当然ではないかと思うわけです』、その通りなのかも知れない。
・『人間らしいつながりを持つ国ほど新型コロナでダメージを受けている  3月から4月にかけて、イタリアでうなぎ上りに感染者数や感染死者数が増えていくのを見ながら、私は彼らの日常生活の習慣に強い懸念を感じました。ちょうどその頃、舅から友人のお葬式に行って何十人もの人たちと、知らず知らずのうちに挨拶代わりの抱擁を交わしたという話を聞き、「危ないじゃないですか!」と漏らすと、「あんな悲しい場で、抱き合って慰め合うなというのか」と反論されました。そのとき私は、イタリアにおける感染拡大とこの国民性との間の深い関わりを感じたのでした。 家族の結びつきの強さや人との距離の近さが感染率を上げているとなれば、新型コロナウイルスは、とても非情でタチの悪いウイルスということになります。この世知辛い世の中において、人間らしいつながりを重視する文化習慣を持つ国ほど、大きなダメージを被ってしまうわけですから。 脳科学者の中野信子さんとの対談のときに出た話題ですが、色々な国の事情を見ていても、多方面に興味が旺盛で、視野を広げたいと考える行動パターンを持つ人のほうが、感染症にかかる確率が高くなるそうです。まあ、もっともなことです。年間何十回も飛行機に乗って移動し、国内外の様々な文化圏を旅することを人生の燃料としてきた私など、いくらでも病気に感染する確率は高くなるでしょう。実際、ワクチンを摂取しないでいると、その年に流行るインフルエンザは全て、旅先か飛行機での移動中にかかっていました。 つまり、行動意欲が少なく人付き合いも悪い人には、今回のウイルスは関心を示さないということになります。現代社会のあり方の象徴のようなウイルスです』、「家族の結びつきの強さや人との距離の近さが感染率を上げているとなれば、新型コロナウイルスは、とても非情でタチの悪いウイルスということになります」、確かにその通りだ。
・『なぜイタリア北部で感染爆発が? 現地で暮らして見えた中国との蜜月  「頬へのキス」のような濃厚接触が挨拶になっているのは、もちろんイタリアだけではありません。フランスやスペインにしても、アメリカやブラジルにしても、家族間や友人など人間同士の濃厚接触が生活習慣の中にあります。なのに、なぜ中国に続いてイタリアが、しかも北部だけ、あれほど急激に感染爆発を起こしたのか。 その状況について、イタリアの報道でも適切な推察や説明をしてくれる人がなかなか現れず、非常にもどかしい思いをしていました。私はウイルス感染に関しては門外漢ですが、北イタリアに長く住み、飛行機で頻繁に行き来する立場にいる人間として、イタリアと中国との関係で見えていることがあったからです  イタリア北部で起きたパンデミックにつながるあれこれは、私がイタリア中部のフィレンツェに留学していた1980年代半ばにはすでに始まっていました。中国国内で鄧小平がリーダーシップを発揮していた時代です。当時、改革開放路線の政策が一気に進み、中国の市場は開放され、そこから海外との貿易が盛んになり始めていましたが、その中国の状況と反比例するように、イタリアの経済は脆弱化していきました。そしてその傾いたイタリアに、海外への進出を狙う中国企業が介入し始めたのです。 私は油絵と美術史の勉強を続ける傍ら、貧乏な彼氏との生活を回らせようと、商売を始めました。覚えているのは、そのときの取引先がどんどん中国の資本に変わっていったことです。フィレンツェ近郊のプラートは、織物産業や皮革産業で有名なルネサンス時代から続く古都なのですが、そのプラートに革製品を仕入れに行くたびに、地元の工場の経営者が中国人に代わっていました。今から約30年近く前のことです。 未婚のまま子どもができたことで、貧乏な彼氏とは別れて一旦日本に戻り、しばらくして今の夫と出会って結婚したわけですが、再びイタリアに戻ってきたときには、イタリア北部には以前にも増して、中国の影響力が広がっていました。 たとえば、夫の知り合いのイタリア人が経営する自動車部品工場やセラミック関連工場は、逆に中国に移転していました。それは、中国で製品をつくってイタリアに持ち込んだほうが、コストはずっと安くつくからです。しかも、彼ら曰く「中国製品はもう『安かろう、悪かろう』じゃないんだよ。逆にイタリアでつくると『高かろう、悪かろう』になってしまうんだ」とのこと。中国での生産請け負いの拡大は、もう歯止めが利かない状態になっていました。 北イタリアのロンバルディア州、ヴェネト州、エミリア・ロマーニャ州などの6州には、イタリア経済の半分を支えるとされる中小企業や工場が集中しています。その地域にある企業が、こうした流れの中で中国と密接な関わりと依存を強めていき、現在に至るまでイタリア経済における中国の存在感が薄まることはありません。 日本からヴェネト州のパドヴァにある我が家へ戻るとき、日本からの直行便がないので、大抵フランクフルトやパリ、ロンドンといったハブ空港で乗り換えて、最寄りの空港であるヴェネツィアに向かうのですが、いつの頃からか飛行機のビジネスクラスは、いつも観光客ではない中国人で占められるようになりました。 「なんでこんなに中国のビジネスマンが」と最初こそ驚きましたが、それだけ北イタリアと中国の都市はビジネスの関係が濃厚で、人の往来も頻繁になっていたのです。このように、イタリアと中国の浅からぬ関係性は、普段の当たり前の暮らしの中ですら実感することが多々あります。 たとえば、パドヴァの家で過ごしている間に舅から、「今度の水曜日、僕の友だちの事業主の家でパーティがあるから、マリも一緒に行こう」と誘われて行けば、ビジネス目的で滞在しているという中国人に会うことが珍しくありません』、「1980年代半ば」から「傾いたイタリアに、海外への進出を狙う中国企業が介入し始めた」、「いつの頃からか飛行機のビジネスクラスは、いつも観光客ではない中国人で占められるようになりました」、両国の関係はかなり長く深いようだ。「「中国製品はもう『安かろう、悪かろう』じゃないんだよ。逆にイタリアでつくると『高かろう、悪かろう』になってしまうんだ」、確かにその通りだろう。。
・『イタリア全土で中国人が増え 大半が北部に集中している  実際、パドヴァからそう離れてもいない観光都市であるヴェネツィアでは、カフェやレストランといった飲食店の多くが中国人たちに買収されています。オーナーが中国人だといっても、お店の見た目は従来のイタリア式ですから、街を観光客目線で歩いている分にはそんな内部の変化に気がつくことはありません。今現在イタリア全土には約30万人の中国人が暮らしていますが、その大半が北部に集中していると言われています。 ちなみに、8月のイタリアの報道では、ミラノの住民登録簿において、イタリア姓の数を中国姓の数が上回ったということが話題になっていました。これだけでも、ミラノやロンバルディア州全体にどれだけ中国人が多いのか、その現状がうかがえると思います』、「ミラノの住民登録簿において、イタリア姓の数を中国姓の数が上回った」、驚くべき中国人の進出ぶりだ。
・『現代のパンデミックと経済の密接な関係  さらに遡れば14歳のとき、初めてのヨーロッパ旅行で偶然出会ったマルコじいさん(今の夫であるベッピーノの祖父)の友人で、イタリア在住のイギリス人社会学者が、「そのうち、中国が世界を席巻するほどの経済力をもつ日がくるから、ビジネスを目論むやつは中国語を今から学んでおいたほうがいい」と周りに話していました。イタリアに来て間もない10代の私には、何でそのイギリス人がイタリアに暮らしながらもやたらと中国を推すのか、さっぱりわかりませんでしたが、彼にはこうなることがわかっていたわけです。 資金繰りに困った工場が中国人に買収され、北イタリアに“中国の街”ができ始めた頃、確かにイタリア人にも中国への怨嗟のような感情があったのを覚えています。義父の友人で企業を運営しているような人はたいてい「憎たらしいチネーゼめ、奴らに支配されてたまるか」とあからさまに不満と怒りを吐露していました。 しかし、今回のパンデミックに際して驚いたのは、イタリア国内で「中国に出張に行ったイタリア人が帰国後、会食した相手に最初に感染させた」ことが確認されても、中国に対するネガティブな感情がメディアには見られなかったことです。ましてアメリカと中国のように、戦争を仕掛けそうな勢いでの政府同士の中傷合戦もありません。 悪感情がないどころか、医療崩壊が起きた後、キューバと並んで中国からも医療団が送られてきたことに、「いやあ、中国からあの人たちが来てくれて本当に助かっているよ」とうちの義父も電話越しに感謝を示していました。「あの人たちは武漢で経験を積んできているから、頼もしいんだ」と、その声はむしろ期待に満ちていました。 日本でこの話をすると「危ない。イタリアは中国に飲み込まれつつあるのでは」と警鐘を鳴らす人もいます。テレビの報道番組に出てこの件について触れると、皆イタリアの冷静さに驚いていました。 でも実際、今のイタリアは中国に頼らなければ経済が成り立たないし、もう他に手段がない。そう考えると、今という時代に発生するパンデミックには、経済というものが今までにないレベルで密接に関わっているということを、痛感させられます。 ※本稿は、ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです (本の紹介はリンク先参照)』、「今のイタリアは中国に頼らなければ経済が成り立たないし、もう他に手段がない」、「イタリア」が「中国」の一帯一路を欧州主要国の中で唯一受け入れたのも頷ける。

次に、同じ漫画家・文筆家のヤマザキ マリ氏が9月29日付けPRESIDENT Onlineに掲載した「医療水準世界2位だったイタリアで「コロナ医療崩壊」が起きたワケ 「こうなることは、わかっていた」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38834
・『新型コロナウイルス感染拡大により、イタリアでは医療崩壊が起き、ロックダウンを余儀なくされた。こうした事態に至っても、イタリア人の多くは落ち着いていた。それはなぜなのか。1年の半分をイタリアで過ごしている文筆家のヤマザキマリ氏が解説する――。 ※本稿は、ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです』、「イタリアでは医療崩壊」、興味深そうだ。
・『かつてイタリアの医療は「世界第2位」の高水準だった  今回のパンデミックによって、イタリアは医療崩壊を起こしました。高齢化社会であることや感染者の増加を遅らせる対策を優先しなかったことなど、その理由については様々な角度からの分析がされていますが、イタリア人にとっては予測できたことでもあったようです。 かつてイタリアの医療は、そのものの質や国民の健康度、システムの平等性といった指標から世界第2位(2000年、WHO調べ)と評価されるほどの高い水準を誇っていました。 ところが失政や世界的な金融危機などを受けて政府は深刻な財政難に陥り、医療費の削減を積極的に行いました。病院の統廃合などを通じて病床数を減らし、早期退職を募っては医療従事者の数も減らした。そこであぶれたイタリアの医師たちは、海外の病院などへ流出していきました。 イタリアはコロナ対策として、引退していた医者や医療関係者2万人の再雇用や、ある程度履修した医大生や看護学校生たちの早期卒業による就業、といった対応をとったと報道されています。しかし医療スタッフ不足は、そもそも政治が招いた結果だったわけです』、「イタリアの医療は」「2000年」には「世界第2位」と評価されたとは初めて知った。「政府は深刻な財政難に陥り、医療費の削減を積極的に行いました・・・医療スタッフ不足は、そもそも政治が招いた結果だったわけです」、「医療費の削減」は日本も含めた先進国に共通した政策だが、完全に裏目に出たようだ。
・『医療崩壊を予想していたイタリア人  ただし、フィレンツェ留学時代から、事故による怪我などで3回イタリアの病院に入院した私の経験からすれば、当時から医療の現場には余裕がなかったように思います。 3回のうち2回は病床が満員という理由で、病院の廊下に設らえたベッドで寝て、点滴や診察もその状態で受けました。 27歳で出産したときは、産んで早々「病室が足りないので、できれば早く退院してくれ」と急き立てられたことが忘れられません。医療水準は高かったにもかかわらず、すでに医療費削減が行われていて、医療事業がうまく回っていなかったのです。 そんな経験もあって、今回、初期段階にイタリアがPCR検査を大々的に始めたときから、医療崩壊が起きるであろうことは、私も予測していました。そしてイタリア人同士でも、医療崩壊に対して「大変だ!」と騒ごうものなら、「今更何を言っているんだ。こんなことになるのはわかっていたことだろう」と言い返されるほど、既知の問題でした』、「医療崩壊を予想していたイタリア人」、政府を悪者にせず、自分たちの責任と割り切るとはさすがだ。
・『赤の他人と議論するイタリア人、友達に限定する日本人  夫とも医療崩壊について話したのですが、「医療費削減を政府が推し進めたとき、俺は『イタリアは本当にバカだ』と思った。でも、考えておくべきだった。医療については『イタリアのあれが悪い、これが悪い』だけで改善することではなかったんだ」と言っていました。そして自分たちの非を一旦責め、認めることで解決の糸口を見た、というようなことを話していました。 こうした自問自答の末に反省し、前へ進める答えへ向かうという思考パターンは、イタリア人たちとの会話でよく感じていることです。 もちろん、日本人にも同じような思考パターンをもつ人は大勢います。しかしイタリア人ほど、会話といったコミュニケーションのなかでそうした思考の流れをたどり、それを生かす機会は多くないのではないでしょうか。問いを気の置けない友だちに限定しがちなのが日本人なら、赤の他人とでも議論を交わしたいイタリア人。そんな感覚が私にはあります』、「赤の他人とでも議論を交わし」「自問自答の末に反省し、前へ進める答えへ向かうという思考パターンは、イタリア人たちとの会話でよく感じていることです」、狭いSNSサークルの中だけに閉じこもりがちな「日本人」も、考え直すべきだろう。
・『「昨日と同じ明日」が来るとは思っていない  パンデミックをきっかけにあらたに気づかされたことは多々ありますが、イタリア人たちにとって厳格なロックダウンの経験は、さほど動揺させられるようなものではなかったように見えています。コロナ以前の10年ほどの間だけでも、イタリアを含むヨーロッパはシリアやアフリカの国々から押し寄せた難民の受け入れやEU離脱問題など、絶えず大きな課題と向き合ってきた地域ですから。 イタリアの人たちも、昨日と同じ明日が平穏にやってくることを当然と考えている人は少ないんじゃないかと思います。 新型コロナウイルス対策のロックダウンによって、イタリアでは2カ月近くにおよぶ自宅隔離が強いられました。外出できるのは食料の買い出しなど最低限のみ。しかも最初の頃は外出理由を記した許可申請書を持ち歩かなければなりませんでした。夫はその間、窓ガラスを割られていた車を見かけたと言っていましたが、少なくとも彼が暮らすヴェネト州では、外出禁止を起因とした大きな犯罪や暴動はなく、人々は厳しい行動制限を守っていました』、「イタリア人」が「2カ月近くにおよぶ自宅隔離」に耐えたのは改めて驚かされる。
・『一般人による「家庭内演技動画」が流行  それでもロックダウン中、メンタル面の問題はあったようです。毎日あらゆる人々とコミュニケーションをとるのが大好きな国民ですから、直に話せるのは身近な家族だけ、という限定的な人間関係に耐えられず、鬱症状や精神的なパニックを起こした人が増えたらしい。一方で動画サイトやSNSなどでは、彼らが自宅隔離をどんなふうに過ごしているか垣間見られるものも、多数投稿されていました。 たとえば「もう我慢できない! カフェを飲みにバールに行く!」とジャケットを着込んで出ていく熟年男性の動画。玄関を出て本当にバールに向かったのかと思えば、そのままキッチンの窓の外に立ち、そこから「マスター、エスプレッソを1杯」と注文を投げた相手は自分の妻。 妻もそれを受けて「いらっしゃい。はい、どうぞ」と出窓の床板をバールのカウンターに見立て、バリスタになり切って淹れたてのコーヒーを出していました。「1ユーロだったかな?」「ええ。また来てね」と、男性がカ ップをぐいっと飲み干したあとも会話のやりとりが続きます。そして、背景には動画を撮っている娘さんらしき笑い声が……。 一時期、こうした一般の人による家庭内演技動画がたくさんアップされていました(笑)。家族揃って、大の大人が小芝居を楽しんでいて、視聴者をも楽しませている。受け入れ難い日常の異変のなかでも、こんなふうに乗り切ることができるなんて、彼らのエネルギッシュな想像力と行動力には憧れすら覚えます』、「家庭内演技動画」で、「乗り切ることができるなんて、彼らのエネルギッシュな想像力と行動力には憧れすら覚えます」、その通りだろう。
・『コロナ禍の人々に響いた「誰も寝てはならぬ」  思わず心を動かされ、涙がにじんだ映像もありました。フィレンツェ5月音楽祭劇場が配信していた少年少女の合唱です。プッチーニのオペラ『トゥーランドット』のアリア「誰も寝てはならぬ」を、ビデオ通話を利用してリモートで合唱していたのです。 イタリア人なら誰でも知っているだろうこの曲は、最後に「夜明けとともに、私は勝つ!」という歌詞で盛り上がるのですが、清らかな声の癒やしとともに、コロナ禍にいる人々に響いたと思います。ほかの団体の企画にも、イタリアをはじめとするヨーロッパの子どもたち700人がこの曲をリモートで合唱している動画がありました』、「少年少女」が「「誰も寝てはならぬ」を、ビデオ通話を利用してリモートで合唱」、「清らかな声の癒やしとともに、コロナ禍にいる人々に響いた」のは確かだろう。
・『音楽はストンと人の内側に入ってくる  自宅隔離中、音楽の力を感じさせる映像がSNSにはたくさん投稿されていましたよね。音楽は言語とは違って、脳を疲れさせることなく、ストンと人の内側に入ることができます。私もクラシックからブラジル音楽、日本のポップスまであらゆるジャンルの音楽を聴きますが、とにかく何かにむしゃくしゃしているようなときは音楽を聴くと、気持ちがすっと切り替わります。 イタリアのお国柄を形容するときに「マンジャーレ(食べる)、カンターレ(歌う)、アモーレ(愛する)」というフレーズが付いて回りますが、彼らはこれを微妙な気持ちで受け止めています。日本人が「スシ、ゲイシャ、サムライ」と形容されるのと同じ気持ちになると言えば、わかってもらえるでしょうか。イタリア人だからといって国民全員がオペラやサッカーのファンというわけでもないように、短絡的なステレオタイプでまとめられたくはないはずです。それでも、子どもたちによる「誰も寝てはならぬ」の合唱をこの時期に聴いて、グッと心にくるものを共有できる素地は、多くのイタリア人がもっているのだと思います。 個人主義で群れるのを嫌い、時には親族や家族ですら信用せず、社会のあり方に対して常に懐疑的なイタリア人たちですが、“表現”による感動や高揚感を分かち合うことで他者との繋がりを確かめる。ああいった彼らの動画を見ていると、心細い状況の中における“表現”の重要性と、人々が一体化することの本質的な意味を考えさせられました』、「“表現”による感動や高揚感を分かち合うことで他者との繋がりを確かめる」、うらやましくなるような国民性だ。

第三に、10月8日付けでAsia Pacific Initiative(本文で説明)が発表した「「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(コロナ民間臨調)が日本のコロナ対応検証報告書を発表、10月後半から一般発売」を紹介しよう。
https://apinitiative.org/2020/10/08/12257/
・『一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(所在地:東京都港区、理事長:船橋洋一、以下API)は、日本の新型コロナウイルス感染症に対する対応を検証する「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(小林喜光委員長=コロナ民間臨調)を発足させ、日本政府の取り組みを中心に検証してきました。その成果である報告書『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』を・・・から電子書籍を10月18日に、紙書籍を10月23日に刊行いたします・・・「日本モデル」とは、そしてベストプラクティスと課題は何か  日本はどのような危機や困難に直面していたのか。政府の当事者や専門家は、この難局をどう乗り越え、成果を上げたのか。ベストプラクティスは何か。あるいは、対応がうまくいかず、課題を残したところはどこか。教訓は何か。それらを検証した調査・検証報告書です』、原発問題では臨調が3つ出来たが、今回、早くも「調査・検証報告書」を出したとは手際の良さに驚かされた。
・『政府の責任者など83名を対象に延べ101回のヒアリングとインタビューをもとに執筆  コロナ民間臨調は、高い専門知識と見識を有する各界の指導的立場にある識者4名で構成する委員会のもと、個別の分野の専門家19名によって構成されるワーキング・グループを設置。委員会の指導の下、ワーキング・グループメンバーが安倍晋三首相(当時)、菅義偉官房長官(当時)、加藤勝信厚生労働相(当時)、西村康稔新型コロナウイルス感染症対策担当相、萩生田光一文部科学相はじめ政府の責任者など83名を対象に延べ101回のヒアリングとインタビューを実施、原稿を執筆、報告書を作成しました。行政官と専門家会議関係者等へのヒアリングとインタビューは、すべてお名前を出さないバックグランド・ブリーフィングの形で行いました。なお、今後、報告書の英語版も作成し、世界に発信していく予定です』、「今後、報告書の英語版も作成し、世界に発信していく予定」、大いに発信してほしい。
・『報告書のポイント(一部抜粋)  「日本モデル」とは何か  本報告書では「日本モデル」を「法的な強制力を伴う行動制限措置を採らず、クラスター対策による個別症例追跡と罰則を伴わない自粛要請と休業要請を中心とした行動変容策の組み合わせにより、感染拡大の抑止と経済ダメージ限定の両立を目指した日本政府のアプローチ」と定義した。第1部第1章において、日本政府が実施した対応と措置が、どのような疫学的な視点と所見をもって行われたのか、それがどのような結果をもたらしたのか。そして、次のパンデミックの波に備える観点から、その結果の中で効果のあったケースと今後に課題を残したケースの疫学的ファクターを分析し、評価した』、意欲的な取組だ。
・『「想定外」だった大規模パンデミック、「備え」の欠如  今回のパンデミックの威力は政府の想定外であり、「最悪のシナリオ」を含め、あらゆるパターンの想定を怠っていた。2012年に制定された新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)は、短期の自粛要請しか想定しておらず、自粛が長期にわたった場合の経済的補償の要否の検討をそもそも欠いていた。実働部隊となる感染研や保健所は年々予算と人員を減らされていた。PCR検査の検査能力は当初一日300人程度にとどまった。厚労省幹部は「喉元を過ぎると熱さを忘れてしまった」と反省の弁を述べた』、「反省」を今後に生かしてほしいものだ。
・『試行錯誤の連続だった官邸の司令塔機能構築(1月下旬~)  1月23日、武漢ロックダウンを受けて1月26日から総理連絡会議を開始。最初の議題は武漢からの邦人帰国。各省からの情報が総理連絡会議に伝えられ、省庁横断的に情報共有される仕組みとなった。官邸はさらに3月中旬から、各省庁の縦割り行政の隙間を埋め、官民と自治体を連携させるタスクフォースを起動させた。「総力戦でやらざるをえなかった」と菅官房長官が振り返るように、前例やマニュアルがない中、官邸の司令塔機能の構築は試行錯誤の連続であった』、東京都など「自治体」との「連携」は実際にはギスギスしたようだ。
・『ダイヤモンド・プリンセス号、批判と誤解を招いた危機コミュニケーションの失敗(2月上旬)  2月4日、ダイヤモンド・プリンセス号(DP号)が横浜入港後に実施したPCR検査で31名中10名の陽性が確認されると、政府に衝撃が走った。同24日深夜、菅官房長官を中心に関係大臣、危機管理監、関係省庁幹部が集まり、それ以降、連日夜、都内のホテルで対応を協議した。個室管理等の徹底により船内の乗客の感染拡大は実際にはある程度抑止できていたにもかかわらず、逐次的な感染者数の公表等により世間に誤解を与えた。下船する乗客へのPCR検査実施の範囲については、官邸と厚労省の間で当初大きな考え方の隔たりがあった』、「逐次的な感染者数の公表等により世間に誤解を与えた」、とは、あれだけ批判を受けた割には、政府に遠慮し過ぎた表現だ。
・『突然の一斉休校指示(2月26、27日)  2月24日の専門家による「瀬戸際」発言が「ターニングポイント」(官邸スタッフ)となり、総理室は急遽方針を転換して大規模イベントの自粛と全国一律の一斉休校要請を決断した。突然の指示に萩生田文科相は「もう決めたんですか」と不満を述べるとともに「本当にやるんですか、どこまでやるんですか」と疑問を呈したが、最後は安倍首相が「国の責任で全て対応する」と引き取った。安倍首相は、この一斉休校を難しい判断であったと振り返り、当時は学校でのパニック防止と、子どもから高齢者への感染拡大を懸念していたと述べた』、明らかに「安倍首相」の独断専行で、「国の責任で全て対応する」ことなど不可能なのに、これも遠慮し過ぎた表現だ。
・『欧州からの流入阻止の遅れ(3月)  感染研の調べによれば、3月中旬以降、欧州等で感染した人々の流入が、国内での感染拡大の一因となった。専門家会議は3月17日に「要望書」という形で政府に水際対策の強化を求めた。実は当時、官邸の一部も欧州からの流入を懸念していたが、一斉休校要請に対する世論の反発と批判の大きさから消耗していたこともあり十分な指導力を発揮することができなかった。ある官邸スタッフは、「今振り返るとあのとき欧州旅行中止措置をとっておくべきだったと思う。あれが一番、悔やまれるところだ」と忸怩たる思いを吐露した』、「十分な指導力を発揮することができなかった」理由は、言い訳に過ぎない。中国からの流入阻止も習近平国賓訪問を控えて遅れたとの批判が抜けている。
・『都知事「ロックダウン」発言で遅れた緊急事態宣言(3月下旬)  3月23日に小池都知事が「ロックダウン」に言及し、東京都で食料品の買い占め等が生じた様子を目の当たりにした官邸は、緊急事態宣言発出により国民が一層のパニックに陥るのではないかと懸念した。こうした誤解を払拭するまで緊急事態宣言は発出すべきでないとの慎重論が政府内に広がった。西村コロナ対策担当相は都知事の発言が「一つの大きなターニングポイントになった」と述懐し、ロックダウン発言によって「結果としては緊急事態宣言が遅れた部分があったと思います」と振り返った。さらに、官邸の戦いには、感染症拡大と経済社会の維持のほか、都道府県知事との権限調整をめぐる戦いもあった。東京都の休業要請など、より強い、積極的な措置を志向する地方自治体のリーダー間の競争を背景に、中央政府を中心とした調整は難航した』、「緊急事態宣言が「遅れた」一因が、「都知事「ロックダウン」発言」だったとは、「都知事」も無責任な「発言」をしたものだ。
・『安倍首相「一番難しかったのは緊急事態宣言」(4月7日)  安倍首相は、一番難しかった決断は緊急事態宣言を出すことだったと述べた。強制力を持たない宣言の脆さについて、8割削減が達成できるか「心配だった」と不安の中での宣言だったと語った。その上で、「あの法律の下では国民みんなが協力してくれないことには空振りに終わってしまう。空振りに終わらせないためにも国民の皆さんの気持ちと合わせていかなければならない。そのあたりが難しかった」と振り返った。宣言に対しては菅官房長官はじめ政府内では経済への配慮から慎重論が強かった。菅長官は経済、中でも経済弱者への負担が巨大になることを懸念していた』、「菅官房長官」が「慎重」だったとは初めて知った。
・『命と生計を両立させるため「維持と継続」の経済対策  感染防止と経済活動の二律背反(トレードオフ)関係は、政府に難しいジレンマを突き付けた。この克服のため、政府はソフトロックダウンによる行動変容政策に加え、「雇用の維持と事業の継続」(緊急経済対策の柱の一つ)を目的とした大規模な経済・財政・金融政策を実行した。企業側に史上最高水準となる豊富な内部留保が存在したことや、もともと慢性的な人手不足状態であったなどの外部要因も重なり、少なくとも7月までの対応においては企業の倒産件数と失業率の急上昇は回避することができ、まずまず健闘したといえる。しかし、財務省幹部は「単に今ある事業は全部継続させるべきだという発想は、経済の発展にとって望ましくない」と述べ、このような形での「雇用の維持と事業の継続」の経済対策の再現性に疑問符をつけている』、「財務省幹部」の「疑問符」は正論だが、緊急事態ではないものねだりに近い。
・『官邸と専門家会議の「交渉」:接触機会「最低7割、極力8割」削減、緊急事態宣言の解除基準(4~5月)  危機下の感染拡大防止と経済・生活の維持の「両立」の最適解を求めて、官邸と専門家会議は時に衝突し、双方の「交渉」(専門家の一人の表現)を余儀なくされた。その一例が「最低7割、極力8割」の接触機会削減の方針だった。尾身諮問委員会会長は、「数理的な前提をおいて計算するとそうなるという予想を政府に申し上げたら、理解したけれども、8割だけ言うというのは採用できないと、非常にはっきり言われました」と振り返った。最後は、安倍首相と尾身諮問委員会会長とのトップ同士で話し合い、7割も8割も両方とも残す表現にすることで「交渉」は妥結した。 両者はまた、緊急事態宣言解除の基準をめぐっても衝突した。官邸スタッフによれば、専門家会議の「直近2週間の10万人あたりの累積新規感染者数が0.5人未満程度」の数値基準案に対して安倍首相は「東京都で解除できなくなる」、菅官房長官は「一桁違うのではないか」と難色を示した。最後は「直近2週間」を「直近1週間」とした上で、「0.5人未満程度」を満たさない場合であっても、感染経路の不明割合等を加味して判断することで合意した』、「官邸と専門家会議は時に衝突」、は当然だが、最終的には政府が決めるべきで、両者の合意を取り繕うのは、政府の責任逃れだ。
・『マスク需給逼迫の中、値崩れ効果を狙った「アベノマスク」について官邸スタッフは「総理室の一部が突っ走った。あれは失敗」と認めた。(4月~)  4月1日に安倍首相が発表した1世帯当たり2枚の布マスク全戸配布、いわゆる「アベノマスク」は、厚労省や経産省との十分な事前調整なしに首相周辺主導で決定された政策であった。背景にあったのは、使い捨てマスクの需給の逼迫。値崩れ効果を狙ったが、緊急経済対策や給付金に先立ち、政府の国民への最初の支援が布マスク2枚といった印象を国民に与え、政策コミュニケーションとしては問題の多い施策だった。配布の遅れもあり、官邸スタッフは「総理室の一部が突っ走った、あれは失敗だった」と振り返った』、その通りだ。
・『PCR検査の「目詰まり」と戦略の曖昧さは「日本モデル」のアキレス腱  パンデミックへの備えを怠ったため、政府はPCR等検査を広範に実施することができなかった。そのことに対する国民の不安と不満、そして不信が募った。厚労省のこうした姿勢は世論の強い批判と世界の対日不信を懸念する官邸との間に緊張をもたらした。安倍首相は5月4日、その状態を「目詰まり」であると発言し、厚労省に圧力をかけた。それに対して、厚労省は「不安解消のために、希望者に広く検査を受けられるようにすべきとの主張について」と題された内部限りの資料を用いて、「広範な検査の実施には問題がある」との説明をひそかに官邸中枢と一部の有力国会議員に行った。厚労省の資料は広範なPCR等検査の導入を求める主張への反論に過ぎず、検査体制戦略を明確にしたものではない。結局、7月16日、分科会が「検査体制の基本的な考え・戦略」をまとめ、ここで初めて戦略が固まった。PCR等検査が開始されてから、すでに半年が経過していた。日本政府部内でのPCR等検査をめぐるくい違いとそれに対する曖昧な説明と姿勢は「日本モデル」のアキレス腱となった。 当時、厚労省が説明に用いた内部資料を、報告書巻末に収録した』、「厚労省は・・・「広範な検査の実施には問題がある」との説明をひそかに官邸中枢と一部の有力国会議員に行った」、とは初耳だが、ありそうなことだ。
・『欧米型の医療崩壊はなぜ起こらなかったのか  日本は、東京都など特に感染者が多かった地域で医療崩壊寸前の厳しいところまで行ったが、何とか乗り越えることができた。2009年の新型インフルエンザパンデミックの経験から疑似症患者が直接医療機関に押しかけないようにしたことや、DP号の経験から生み出された「神奈川モデル」にならった患者・医療資源の適正配置、日本の優れた集中治療が最後の防波堤となり死亡者を減らした。日本のECMOの治療成績は、世界各国と比べて非常に優れていた。また、高齢者施設の常態的な感染症対策も死亡者数減少に寄与した。日常的に訓練ができていた医療機関・介護施設は速やかに対応ができた。一方で、医療現場は個人防護具(PPE)や消毒液が不足していたため相当の混乱と負担があった。人材、資材、資金のすべてが充足しないと医療、介護は容易に崩壊する。新興感染症対策に備えての高度な医療人材育成は喫緊の課題である』、医療機関での院内感染多発が「医療崩壊」につながりかねなかった点にも触れるべきだ。
・『なぜ専門家会議は「前のめり」になったのか  専門家たちは「3密」の発見などを通じて感染拡大抑止の対策立案の際のリスク分析・評価などの科学的助言の面で大きな役割を果たした。しかし、対策・政策の発信までも専門家が担う状態が生まれた。ある意味、彼らは「官邸に利用された」(厚労省関係者)のだが、彼らの役割と影響力が高まると、今度は「ありがた迷惑」(官邸スタッフ)な存在とみられるようにもなった。6月24日、専門家会議の「廃止」(西村コロナ担当相)発表と同じタイミングで、自分達の反省と政府への苦言を「前のめり」という表現に込めて発表した「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」(いわゆる「卒業論文」)の発表の内実を、尾身氏は明らかにした。政府は専門家会議との協同を効果的に行ったが、専門家会議とのより丁寧な対話を行い、また専門家会議の役割を国民にもっと明確に周知、理解させるべきだった』、「政府は専門家会議との協同を効果的に行った」、余りに忖度した表現だ。むしろ、役割を明確に分けるべきところを、曖昧にして政府の責任逃れ使ったため、「官邸に利用された」との批判になる一方、「彼らの役割と影響力が高まると、今度は「ありがた迷惑」、というのは全て役割分担の不明瞭さから生じている筈だ。
・『加藤厚労相「デジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れが最大の課題」  国民一人当たり10万円の特別定額給付金の支給において、日本ではマイナンバーと振込先の金融機関口座が紐づけられておらず、政策執行に時間を要した。感染症対策の出発点となる患者発生動向等の把握(サーベイランス)の脆弱性も政府対応の足を引っ張った。患者発生届の手書き、FAX、システムへの手入力などアナログな仕組みは、全国的な感染拡大状況のリアルタイムでの把握を困難にし、保健所職員を疲弊させた。厚労省は慌てて患者情報把握のためのHER-SYSと医療機関の人員・物資の備蓄状況を網羅するG-MISの開発に取りかかり、情報共有の効率化・迅速化を図ったが、その本格的な導入・展開は5月以降までずれこんだ。新型コロナウイルス危機は、日本の「デジタル敗戦」でもあった。加藤厚労相は「デジタルトランスフォーメーションの遅れが最大の課題だった」と「敗戦」の弁を語った』、「HER-SYS」も使い勝手の悪さへの批判があることを無視したようだ。
・『国境再開は、「検査能力の関数」  パンデミックが世界に拡がるとともに、各国は国境を閉鎖した。人の移動、モビリティの権利を強力に制限し、国境を次々と閉鎖することは、これまでの国境管理の考え方からすれば「禁じ手」であった。欧米にならって日本も入管法などの法制度を援用して「鎖国」に踏み切ったが、その後、茂木外相のイニシアティブもあり日本は国際的な人の往来再開を進めてきた。しかし、ここでも「国境をどこまで開けられるかは、検査能力の関数」(内閣官房幹部)であり、検疫のオペレーション強化がカギとなった』、「検査」の効率化にも言及すべきだ。
・『コロナ対応は「泥縄だったけど、結果オーライ」  8月28日、安倍首相はコロナ対応を振り返り、「今までの知見がない中において、その時々の知見を生かしながら、我々としては最善を尽くしてきたつもり」と述べた。官邸スタッフはその実態を次のように表現した。「泥縄だったけど、結果オーライだった。」』、異論はない。
それにしても、この報告書を一般紙で取上げたのは、毎日、朝日、中日程度だったのは不可解だ。全体に政府の立場も十分に忖度した当たり障りのないものなのに、取上げないのは何故なのだろう。
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