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日中関係(その5)(日本が中国の影響工作に警戒せねばならない訳 嫌中感に頼らない耐性を確立することが重要だ、強大高圧中国は天安門事件で日本が育てた―外交文書公開 無残な中身、「親中」政権なら短命に 菅氏が偉大な首相になるための条件とは何か) [外交]

日中関係については、6月30日に取上げた。今日は、(その5)(日本が中国の影響工作に警戒せねばならない訳 嫌中感に頼らない耐性を確立することが重要だ、強大高圧中国は天安門事件で日本が育てた―外交文書公開 無残な中身、「親中」政権なら短命に 菅氏が偉大な首相になるための条件とは何か)である。

先ずは、6月20日付け東洋経済オンラインが掲載したAPI地経学ブリーフィング 上席研究員の大矢伸氏による「日本が中国の影響工作に警戒せねばならない訳 嫌中感に頼らない耐性を確立することが重要だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/371385
・『米中貿易戦争により幕を開けた、国家が地政学的な目的のために経済を手段として使う「地経学」の時代。 独立したグローバルなシンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)」の専門家が、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを、順次配信していく』、なるほど。
・『中国の影響工作の広がり  中国の影響工作(Influence Operation)に関心が高まっている。オーストラリアにおける中国の影響に関しては、クライブ・ハミルトン氏が2018年2月に『目に見えぬ侵略』(“Silent Invasion”)を執筆。ブックセミナーでワシントンDCに来た際には、約束していた出版社が中国の圧力で断りを入れてきた話を披露、オーストラリアにおける「侵略」の深刻さを語った。 アメリカに関しては、2018年10月末に、フーバー研究所が『中国の影響とアメリカの国益―建設的警戒の促進―』(“Chinese Influence & American Interests ― Promoting Constructive Vigilance ―”)を発表。議会、メディアから教育、研究機関、シンクタンクまでアメリカ内で広範に中国の影響工作が浸透していると警鐘を鳴らした。 先月末(7月23日)、アメリカの戦略国際問題研究所(CSIS)が『日本における中国の影響』(China's Influence in Japan)という報告書を発表した。著者はニューヨークのカーネギー・カウンシル所属のデヴィン・スチュワート氏。 影響工作には、広報文化外交(public diplomacy)のような「正当な影響」(benign influence)と、隠密(covert)、威圧(coercive)、腐敗(corrupt)の3Cを特徴とする「不適切な影響」(malign influence)の2つがあるが、スチュワート氏はこの両方を分析の対象としている。 結論としては、中国との長い歴史的・文化的関係にもかかわらず、日本における中国の影響はほかの民主主義国に比べて限定的というもの。 日本で中国の影響が限定的である要因としてスチュワート氏は、日本固有の事由と他国も模倣できる事由と2つに分けられる。日本固有の事由については、それを「閉ざされた民主主義」(closed democracy)と総称しつつ、 ①中国との長い紛争(5回の戦争)の歴史で培われた警戒 ②日本の経済・文化的な孤立 ③国民の政治的無関心と実質的な単独政党制 ④厳しく統制されたメディア を挙げる。 後者の他国も模倣できる事由としては (1) 権力の行政府・官邸への集中 (2) 日本自身による対外PR攻勢 (3) 戦略分野への投資規制や外国人の政治献金の禁止といった法整備 を挙げている』、「CSIS」が「日本における中国の影響はほかの民主主義国に比べて限定的」、そうであればいいが、違和感も残る。
・『変動する日本の対中親近感  スチュワート氏の報告書は、多くのインタビューを行い多数の事例を紹介した価値のある報告書だが、分析に疑問を感じる部分もある。とくに、中国の影響が限定的である日本に固有な事由の総称として「閉ざされた民主主義」と指摘するが、日本の民主主義が閉ざされたものとの評価には議論の余地があろう。 また固有な事由の1つとして、長い対立の歴史に基づく中国への警戒を挙げるが、対中警戒感はつねに高かったわけではない。日本の対中世論について言えば、日中国交正常化後は長期にわたり良好だった。しかし、それは天安門事件、尖閣問題を含む対日強硬策の中で大きく悪化した。 世論調査で確認しよう。総理府(現・内閣府)の「外交に関する世論調査」の第1回目が行われた1978年は、日中平和友好条約が締結された年だが、日本人の中で「中国に親しみを感じる」は62.1%と高かった。その後1980年代には、日中友好の雰囲気の中で「親しみを感じる」はさらに高まり70%前後で推移。しかし、1989年6月の天安門事件の影響を受け、同年10月の調査では、「親しみを感じる」は前年度の68.5%から51.6%に急減した。 その後はこの比率はさらに減少、2000年代中頃は40%弱で推移した。1990年代から2000年代にかけての低迷は、中国における愛国主義運動と、それに対応する日本における謝罪疲れの中で「歴史問題」が繰り返されたことも要因であろう。 さらに、尖閣問題での中国の攻撃的姿勢が目立った2010年の調査では「中国への親しみ」は20.0%まで大きく低下(同年の「親しみを感じない」は77.8%に上昇)。その後「中国への親しみ」は現在まで低迷が続いている。 以上を踏まえれば、日本の対中警戒感は天智2年(西暦663年)の「白村江の戦い」以来の歴史に規定された不変のものではなく、時代や状況により変化しうる。したがって、「嫌中感」に頼らないシステムとしての「中国の影響力への耐性」を確立することが重要であろう。 また、日本は貿易や直接投資を通じた中国との経済的結びつきが強く、経済的視点から見た「中国の影響」への脆弱性にも留意が必要である。 2019年の日本の貿易総額に占める中国の構成比は21.3%と第1位で、第2位のアメリカの15.4%を大きく上回る。対中貿易構成比の20.7%(2010年)から21.3%(2019年)への上昇は、対ASEAN構成比の14.6%(2010年)から15.0%(2019年)への上昇よりも高い伸びであった。 また、日本から中国への直接投資は、フローで見れば、2009年69億ドル、2010年73億ドル、2011年126憶ドル、直近の2019年は144憶ドルとむしろ増加してきている。中国の経済規模の拡大を考えれば自然だが、前述のとおり2010年以降の日本の中国に対する親近感が低位にとどまることを考えれば、この「国民世論」と「経済的つながり」の乖離(デカップル)は興味深い。 「経済的つながり」は中国に影響工作の機会を与える。例えば、香港国家安全維持法に対するドイツ政府の反応が慎重な背景には、ドイツの自動車業界にとり中国が最重要市場であることが関係しているとみる識者は多い。日本にとっても日本企業のビジネス機会を考えれば、中国との経済的なつながりを断ち切ることは容易ではなく、また望ましくもない』、その通りだが、それ故の悩ましさもある。
・『自立的な政治・外交判断を制約するリスクも  さらに、「経済的つながり」には戦争抑止というプラスの効果があるとの指摘も以前よりある(ノーマン・エンジェル)。しかし、同時に「経済的つながり」の深さが、理念や価値観に基づく自立的な政治・外交判断を制約するリスクがある点には、つねに自覚的である必要があろう。 コロナウイルスをきっかけに、中国への依存度が高い日本のサプライ・チェーンに関して見直しが必要ではないかとの議論が盛んになった。 日本政府も2020年度補正予算で、中国からと限定はしていないものの、生産拠点が集中する国からの国内回帰や第3国移転を支援するために2435億円を計上した。医療関連品や重要物資など一定の分野で中国からの立地の移転が見込まれるが、日本の製造業全体が中国市場から撤退するという状況は想像しがたい。 とくに、中国市場を狙うために中国に工場を設立している場合には、こうした工場の多くが中国の外に移転する状況とはならないだろう。したがって、「経済的つながり」が残ることを前提としつつ影響工作への耐性を高める工夫が重要となる。 さらに、日本では中国による企業や大学における知財窃取・スパイ活動の検挙がアメリカのように頻繁ではない。この点は、スチュワート氏の指摘のように、「日本の閉鎖性」が中国の影響を防いだ可能性を否定するものではないが、情報管理や防諜体制が不十分で、単に中国の影響工作を探知・発見できていない可能性もある。 とくに、サイバー攻撃の探知・把握に関しては、わが国として早急にその能力強化を図る必要があろう。また、仮に現在の日本への影響工作が限定的に見えたとしても、それは中国が日本で影響工作を行う能力が不十分であることを意味しない、とのグローバル台湾研究所(Global Taiwan Institute)のラッセル・シャオ(Russel Hsiao)氏の指摘は重要であろう』、「日本」での「情報管理や防諜体制が不十分で、単に中国の影響工作を探知・発見できていない可能性もある」、大いにあり得る。
・『今こそ建設的警戒を  中国の影響工作に対しては欧州も警戒を強め、今年6月にEUとしての報告書をまとめた。アメリカにおいても司法省がチャイナ・イニシアチブという名前のもとで産業スパイや研究機関への違法行為への警戒を高めている。ポンペオ国務長官がニクソン大統領図書館で7月23日に行った対中演説でも、少し乱暴な言葉使いではあったが、中国人学生等による情報窃取に言及した。 アメリカでは大学や研究所の研究者を「非伝統的情報収集者」(non-traditional collectors)と位置づけて国益に反する技術情報の流出を防ぐ取り組みを強化している。 コロナウイルスや香港国家安全維持法等による中国への警戒感の世界的な高まりは、短期的には中国の影響工作への逆風となろう。しかし、そうした環境であればこそ、より戦略的で洗練された影響工作が展開される可能性もある。 幸い、日本においては政治指導者等が中国の言いなりとなるような「エリートの虜」(elite capture)現象は限定的と見受けられる。しかしながら、それは中国の影響工作に対して何らの対応も不要ということは意味しない。スチュワート氏も指摘しているが、基地や重要インフラの近接地の土地買収に関する安全保障上のスクリーニングについて、アメリカは法制整備済みだが、わが国ではまだ法制化されていない。 有志国との緊密な情報共有のためにも、政府職員に限定しない民間人もカバーするようなセキュリティー・クリアランス制度の導入も喫緊の課題である。また、秘密特許制度の導入や、防諜能力強化のための議論も必要であろう。中国との互恵的な交流を安定的に続けるためにも、今、建設的警戒(constructive vigilance)とそれに基づく仕組み作りが求められている』、「エリートの虜」はネット検索したが、適切なものは見つからなかった。「建設的警戒とそれに基づく仕組み作り」は確かに必要なのだろう。

次に、10月8日付け現代ビジネス「強大高圧中国は天安門事件で日本が育てた―外交文書公開、無残な中身」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76185?imp=0
・『「わが国の有する価値観」より重視するもの  外務省はこのほど、中国共産党・政府が学生らの民主化運動を武力弾圧した天安門事件(1989年6月4日)に関係した外交文書ファイル9冊(計3123枚)の秘密指定を解除した。 このうち事件直後の極秘扱い文書「わが国の今後の対中政策」には、「わが国の有する価値観(民主・人権)」より「長期的、大局的見地」を重視するとはっきりと明記。 別の極秘文書には日本として中国を「息長く温かい目で見守っていく」と記し、流血の惨事の中、人民解放軍の発砲で死傷した市民の人権より、共産党政権に手を差し伸べる外交を優先したことが外交文書で裏付けられた。 事件から31年がたち、共産党は強権指導者・習近平国家主席の体制下で、中国国内の人権派弁護士らへの一斉弾圧のほか、香港市民、ウイグル人の人権問題もより深刻さを増す。 トランプ米政権による対中制裁強化だけでなく、欧州諸国の中国離れも進む中、日本政府は新型コロナウイルス感染で延期となった習氏の国賓訪日に向け再び動き出している。 中国強大化の原点は、皮肉なことに天安門事件にある。日本政府は、対中制裁を強めた欧米西側諸国を説得し、中国の国際的孤立回避に走り、率先して対中政府開発援助(ODA)を再開させた。 そして中国は日本を突破口に国際的孤立から抜け出そうと92年10月には天皇訪中まで実現させた。一方で天安門事件以降、中国の国防費はほぼ毎年2桁の伸び率を続けたが、日本をはじめ西側の開発資金が、軍事拡張路線を続ける中国の高度経済成長を支えた側面が強い。 習氏の国賓訪日を目指す対中外交を突き進む日本政府は、31年前の外交文書から教訓を汲み取る必要があるのではないだろうか』、「中国強大化の原点は、皮肉なことに天安門事件にある。日本政府は、対中制裁を強めた欧米西側諸国を説得し、中国の国際的孤立回避に走り、率先して対中政府開発援助(ODA)を再開させた」、もう少しこの経緯を詳しくみてみよう。
・『流血当日に対中非難は「限界」  外交文書を読んで分かるのは、外務省は流血の惨事を受け、中国情勢の分析や在留邦人の保護とともに、早くも翌月(89年7月)中旬に迫った仏アルシュ・サミット(先進7カ国首脳会議)対応を急いだことだ。事件当日の6月4日、「中国情勢に対する我が国の立場(主に西側向け)」という文書を作成した。こう明記された。 「今次事態は、基本的に我々とは政治社会体制及び価値観を異にする中国の国内問題。従って、我々の対中国非難にも自ら限界あり」「西側先進諸国が、一致して中国を弾劾するような印象を与えることは、中国を孤立化へ追いやり長期的、大局的見地から得策でない。まして、中国に対し、制裁措置等を共同して採ることには、日本は反対」 日本政府内では西側諸国が対中制裁を進める中、前年(88年)8月に訪中した竹下登首相が表明した第3次円借款(90~95年に8100億円)の扱いが焦点となった。外務省は6月21日付の「今後の対中経協(経済協力)政策について」で、第3次円借款を含め対中新規ODAを「当面は延期の姿勢」と決めた。 しかし文書には「政治公約であり、約束違反になるようなことはしない」「慎重対応につき『凍結』『中止』『根本的見直し』等の表現は使わぬように注意」「当面(少なくとも7月中旬のサミットまで)は“wait and see”の状況を維持」と記し、対中配慮の方針を明確にした。 対中ODA政策の基本的考え方として「軍による鎮圧行動、現在進行中の『反体制勢力』の逮捕など人道、人権上の問題を我が国の対中経協政策の基本政策そのものにこれを反映させることは、長期的な対中関係の見地から行き過ぎ」と明記しており、人権問題とODAを切り離した』、「人道、人権上の問題を我が国の対中経協政策の基本政策」と切り離したのは、1つの考え方だ。
・『「性善説」か「性悪説」か  外務省はアルシュ・サミットに向けて「中国問題に対する総理発言案」(7月11日)を作成した。宇野宗佑首相がサミットで米欧諸国をどう納得させるかを記した発言案だ。 「心に留めておくべきは、今の中国は、『弱い中国』であるということである。歴史的に中国は、弱い時には常に強い排外的な姿勢をとって来た。(中略)排外的な中国が、アジア・太平洋地域の平和と安定にとっていかに有害な存在であるかということも、我々はよく知っている」。 対中政策を記載した外交文書にはこのほか、「脆弱な政権故に対外的には強硬な姿勢に出てくる可能性もある」(6月28日)、「中国を冒険主義的対外政策に走らせる可能性すらないではない」(8月10日)という分析が相次いだ。 民主化運動の対応をめぐり中国共産党指導部は2分し、人権問題で国際的批判を受け、共産党は弱体化した。これ以上の圧力や国際的孤立は逆効果であり、このままでは、毛沢東時代の文化大革命以前の中国に戻ってしまう、という懸念が日本政府にはあった。 文革が終わり、1978年から改革・開放政策が始まり、日本のODAが資金面で下支えし、鄧小平や彼の下にいた胡耀邦、趙紫陽両総書記は日本を近代化のモデルにした。両総書記は経済だけでなく政治体制の改革に向けた青写真も描いた。 天安門事件は中国が政治的にも自由かつ民主的な雰囲気の中で起こった悲劇であり、国際社会は、中国という国が、武力弾圧があっても経済成長を果たせば、自由化・民主化に向かうのか、市民に銃口を向けることをためらわない強権国家が本性なのか、難しい判断を迫られた。いわば中国を「性善説」で見るか、それとも「性悪説」でとらえるか、という論争だった』、現時点でみると、「性悪説」が正解だったようだ。
・『米欧説得の裏にある「中国利権」  「孤立化という点では北朝鮮が良い例であり、金日成の下で今や世界で最も過激な国として19世紀のマルクス主義をそのまま信奉している国だが、中国を語るにあたってはこうした点をもにらみつつ中国の開放の動きをサポートすることが重要である」 アルシュ・サミットに臨む三塚博外相が、英外相ジェフリー・ハウに対してこう言って説得する場面が外相宛て電報に記されている。 このまま中国を孤立させれば、中国は北朝鮮になってしまう、と半ば脅すような文言で欧米諸国に迫り、中国の国際的孤立を回避させた。いわば日本は中国を国際社会に取り込むことでその変化を促すという「関与政策」で先行し、欧米諸国もそれに従った。 外交文書を分析して筆者は、果たして日本政府の狙いは、本当に外交文書に書かれていることだけなのか、という疑問を持っている。 つまり、中国は国際的に孤立すれば、排外的な「冒険主義的対外政策」に走り、日本やアジア、国際社会にとってマイナスになるから、サミットの宣言文言に中国を刺激する文言を入れないでおこう、ということなのか、という点である。 これに対して筆者は、日本政府には「中国利権」を守り、拡大したいという思惑があったのではないかと観察している。 天安門事件当時の栗山尚一外務審議官(政務)は生前、筆者のインタビューに対し、中国を追い詰めるアプローチを取らなかった「裏には日本の狭い意味での国益があった」と明かしたが、真意は何なのか。 事件当時に外交の第一線にいたチャイナスクール外交官は、当時を振り返った。 「改革・開放をサポートしてきたのは日本なんだ、という自負があった。その裏にはかつての戦争の贖罪意識や改革・開放路線を壊してはいけないという気持ちもあり、中国を支えていく、支えることが中国にとってもいいし、日本にとっても世界にとってもプラスであるという認識があった。(隣国である)日本は中国のことを最もよく知っているし、まだまだ中国をリードできるのは日本なんだという自信、責任感、気概みたいなものが…」。 外交文書にも日本は中国のことを世界で最もよく知っている、という自負の強さが表れている。さらに1980年代の中国で、日本の存在感は圧倒的で、中国は日本を頼りとし、日本もそれに応えた。 89年9月14日に、北京の日本大使館が外相宛てに発信した「わが国の対中経済協力(意見具申)」という極秘至急の電報の秘密指定も解除された。ここに記された内容は非常に興味深い。 「アルシュ・サミット以降もわが国の対中経済協力の再開が欧米諸国と比べて遅々として進まないことに対して中国側の一部には、わが国が実質的には厳しい経済制裁を実施しているのではないかとの不満がこうじつつあり、(中略)右をこのまま放置すれば、わが国に対するぬきがたい不信感を生じ、動乱後原則問題についてはせっかく適切なる態度をとってきたにもかかわらず、その対中効果をいちじるしく減さつし、対中外交全般に長期的悪影響を及ぼすおそれがある」 現場の日本大使館が東京の本省に対して、早く対中ODAを再開させなければ、欧米諸国に先を越されると危機感を抱いている。ぐずぐずしてすると対日不信が高まり、中国は日本からの経済協力を受け入れなくなると暗に示唆したような書き振りである。 日本大使館は同電報で「本省において対米欧関係を考慮」していることに苦言を呈し、米欧から「日本のODA再開」に批判が強まれば、実は米欧の方が「新規大型借款の如きのものは除き、ほぼ平常通り実施しているのが実情」だと指摘し、誤解を解くべきだと意見具申している。 この極秘電報からは、中国の改革・開放政策をリードするのは日本だけであり、米欧諸国が中国市場に進出し、「中国利権」に首を突っ込むことへの危機意識が読み取れる』、「天安門事件当時」、「980年代の中国で、日本の存在感は圧倒的で、中国は日本を頼りとし、日本もそれに応えた」、現在とは隔世の感がある、いい時代だったようだ。
・『「冒険対外政策」現実に  しかしながら中国が1枚上手だったようである。 当時中国外交を統括した元副首相・銭其琛が回顧したように92年10月の天皇訪中を利用して西側諸国の制裁包囲網を打ち破ると、90年代半ばからは「愛国」「反日」の足音が聞こえてきた。 江沢民国家主席は、天安門事件やソ連・東欧の崩壊で求心力を失った共産主義に代わって人民を団結させるため「愛国教育」を強化した。抗日戦争での日本軍の野蛮さを強調し、屈辱の歴史を前面に、「日本」を利用して被害者ナショナリズムを高揚させた。 このほかにも高度経済成長とともに90年代半ばには地下核実験や台湾海峡へのミサイル演習など、軍事面でも「大国」としての振る舞いが顕著となった。 外務省が天安門事件直後に外交文書で指摘した「冒険主義的対外政策」という懸念が現実のものとなり、事件後に中国を「温かい目」で見守ったチャイナスクール外交官らは、「裏切り」と感じた。 歴史問題をぶちまけた江沢民国家主席の国賓来日(1998年)や小泉純一郎首相の靖国神社参拝(2001~06年)で、日中関係が歴史問題でがんじがらめとなる中、親日指導者・胡耀邦氏のDNAを引き継ぐ胡錦濤国家主席も、インターネット上で膨れ上がる反日のうねりを抑えることはできなかった。 10年の尖閣諸島周辺での漁船衝突事件や12年の尖閣国有化を受け、共産党内部で勢いを増す対日強硬派に揚げ足を取られないよう、逆に民の声を利用して対日圧力を強めた。これが2005年と12年の大規模反日デモに発展した。 日中関係が緊張した12年にトップに就く習近平氏について、当時北京で駐在した筆者は、共産党内部の情報源から「江も胡も過渡期の指導者。革命世代を父に持ち血を引き継ぐ習こそ、毛沢東、鄧小平に次ぐ本格指導者だ」と聞いた。 習氏の真骨頂は、アヘン戦争(1840~42年)以来100年続いた屈辱の近代史を深く頭と心に刻み、「中華民族の偉大な復興」を実現するという強国路線にあり、14年春の欧州歴訪で習氏は「今や中国という獅子は目覚めたのだ」と踏み込んだ。 尖閣諸島を盗み取られたものと主張する共産党の歴史観では日本はターゲットになり、15年頃まで日中関係は緊張を続けた』、「92年10月の天皇訪中を利用して西側諸国の制裁包囲網を打ち破ると、90年代半ばからは「愛国」「反日」の足音が聞こえてきた。 江沢民国家主席は・・・求心力を失った共産主義に代わって人民を団結させるため「愛国教育」を強化した」、日本もなんとお人好しなのだろう。
・『チャイナスクールの中国観変  外務省の伝統的なチャイナスクール外交官の基本的な対中認識は、「日中関係を爆発させず、大局の中で日中間の火種を処理する」ことが重要であり、中国共産党を過度に刺激しない、という発想だ。 天安門事件外交文書で筆者が驚いたのは、武力弾圧直前の89年5月31日に学生らの民主化要求のうねりを目の当たりにした日本大使館の外交官が外相宛て文書でこう報告していたことだ。「わが国としては、或は国民の一部には反感するさえ存在することが明らかになった政府を相手とすることになるかもしれないという意味で、戦後の日中関係上殆ど経験したことのない局面を迎えたということができよう。極論すれば、現政府への支持・協力表明が一部国民からは反感をもって迎えられるという要素も十分考慮に入れつつ進める必要が出てきつつあると言えよう」 1972年の国交正常化以来、日本政府は中国共産党・政府だけを相手とした日中関係をつくりあげたが、政府に不満を持ち民主化を求める市民や学生も相手にしなければならないという発想転換である。 しかし事件後、東京の外務省は「中国における民主化要求の力を過大評価することは誤り」と指摘し、それ以降、共産党・政府だけを相手とし続けた。日中外交は、共産党の嫌がる人権や政治体制の問題を脇に置き、お互いに経済的な実利を追求することで両国関係の安定を維持する構造が固まった。 伝統的チャイナスクール外交官に対し、近年では中国ネット社会において影響力を増す改革派知識人と交流を深め、間接的に中国の民主化や改革を後押しようとするチャイナスクール外交官が登場している。 日中国交正常化から改革・開放、天安門事件世代までの外交官は、戦争への贖罪意識や、共産党体制の「民主化」という期待もあり、中国へのシンパシーや日中友好というウエットな関係が色濃かったが、最近では法の支配を無視した中国の海洋政策には米国など同盟諸国と連携して対抗するという意識を持つ外交官が大勢だ』、「最近では法の支配を無視した中国の海洋政策には米国など同盟諸国と連携して対抗するという意識を持つ外交官が大勢だ」、当然だろう。
・『価値観外交から経済関係重視へ  2012年に発足した第2次安倍晋三政権は当初、民主党前政権下の尖閣国有化の影響で日中が険悪な状態の中で、自由や民主主義、法の支配などを重視する価値観外交を展開し、中国に対して「言うべきことは言う」という姿勢を続けた。 しかし転機が2015~16年にやってくる。日中政治関係は冷え切ったままだったが、大量の中国人が観光で訪日し、インバウンド消費で地方も含めて日本の経済が活性化したことを好機ととらえ、官邸は対中経済関係重視に舵を切った。 17年5月、二階俊博自民党幹事長は北京で広域経済圏戦略「一帯一路」に関する国際会議に出席し、習近平国家主席と会談した。これで関係改善に向けた確固たる流れができた、と中国外務省幹部も認めている。 経済的な結びつけに加え、「米中新冷戦」が日中接近をもたらした状況は、天安門事件後と似ている。 対中経済協力と人権・海洋など懸案のバランスをどう取るか。最近、対中政策を管轄する複数の外務省幹部が口を合わせたかのように同じフレーズを口にする。 「10年後、20年後、30年後の日中関係、中国を考えなければならない」。幹部に共通する認識は、このまま放っておけば10年後、20年後に中国はどうなってしまうか分からない、という危機意識だ。東シナ海や南シナ海での野心的な攻勢だけでなく、一帯一路の下で北極海まで視野に入れ、宇宙戦略も強化している。 外務省幹部は、「中国に言うべきことは言い、コントロールしていかなければならない。是々非々で対応する」と語る』、「価値観外交から経済関係重視へ」への転換には「二階幹事長」の「訪中」「習近平国家主席と会談」がきっかけになった、忘れていた重要事実を思い出すことができた。
・『「利用価値」ある日本  安倍前首相は比較的、対中経済と懸案のバランスを取りながら日中関係を改善させたと評価できるだろう。2019年12月23日、安倍氏は北京の人民大会堂で習主席と笑顔で向き合った。 日本政府関係者によると、会談で安倍氏は、反政府活動が続いた香港情勢を提起し、「大変憂慮している」と述べ、「一国二制度の下で、自由で開かれた香港の繁栄が重要だ」と続けると、習氏は紙を見ながら「中国の内政問題だ」などと冷静に対応したが、安倍氏が次にウイグル問題を取り上げ「透明性をもった説明」を求めると、習氏は緊張した表情に変わった。そして紙も見ず、「テロとの闘いだ」などと反論したという。 習氏は周辺にとってよりセンシティブなのはウイグル問題であり、対外的に公表されることに神経を尖らせたのだ。 さらに中国全国人民代表大会(全人代)が今年5月末、香港統制を強化する国家安全法制導入を決定した際も、秋葉剛男外務事務次官が孔鉉佑駐日大使を外務省に呼び、「深い憂慮」を伝達した。「内政問題」と主張し続ける中国に異例の強い対応に出た。 果たして菅義偉・新首相はどういう対中関係を構築するのか。 日本の政界も世論も、習氏の国賓来日には反対論が強いが、あえて実現させようと突き進むようだ。習近平という強大な指導者を招待し、尖閣への中国公船進入や邦人拘束問題など日中間に横たわる懸案について習氏から直接、責任ある対応を引き出す「チャンス」と判断している。 いわば、ポンペオ米国務長官が、7月末に「失敗」と宣言した対中関与政策を継続するという選択肢だ。 コロナ問題や香港・ウイグルの人権問題、対外的に強硬な「戦狼外交」などで中国は米国との対立が激化するだけでなく、欧州とも溝が深まっている。 こうした中で日本が再び中国共産党に手を差し伸べる習氏の国賓訪日が、31年前の対中外交とだぶって見える。 中国共産党は戦後、一貫して日本には「利用価値」があると認識し、実際に利用してきたという歴史的事実を忘れてはならない』、その通りだ。「習氏の国賓訪日」は延期するべきだろう。

第三に、10月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した国際関係アナリストの北野幸伯氏による「「親中」政権なら短命に、菅氏が偉大な首相になるための条件とは何か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/250935
・『総裁選に圧勝し、首相に就任した菅義偉氏。秋田県のイチゴ農家に生まれ、自力で大出世を果たした。菅氏は、これからどうなっていくのだろうか? 正しい方向に進めば、長期政権を実現できるだけでなく、偉大な首相になる可能性もある』、「正しい方向」とはどういうことだろう。
・『歴代首相で見えてくる長期政権の法則  まず「長期政権の法則」について話そう。 歴代首相の「連続在任期間ランキング」を見ると、1位が安倍晋三氏、2位が佐藤栄作氏、3位が吉田茂氏、4位が小泉純一郎氏、そして、5位が中曽根康弘氏、となっている。 彼らに共通点はあるだろうか? そう、「親米政権だった」(太字筆者、以下同じ)ということだ。 1位の安倍晋三氏は、タイプがまったく違うオバマ、トランプ両大統領の親友だった。 2位の佐藤栄作氏は、安倍氏の大叔父で、沖縄返還を実現している。 3位の吉田茂氏は、麻生太郎副総理の祖父で、代表的な親米政治家だ。 4位の小泉純一郎氏は、中国、ロシアとの関係を悪化させ、米国一辺倒の外交を展開した。 5位の中曽根康弘氏は、レーガン大統領の親友だった。「日本は不沈空母」発言はあまりに有名だ。 これらの顔ぶれを見ると、「親米首相は長期政権になりやすい」といえそうだ』、確かにその通りだ。
・『「悲惨な末路」になることが多い歴代の「親中首相」  では、逆に「親中首相」はどうだろうか 歴史を見ると、「親中首相」は「悲惨な末路」になることが多い。 いくつか例を挙げてみよう。 代表的なのが田中角栄氏だ。田中氏は、日中国交正常化を果たしたことで知られる。 彼は1972年7月、首相に就任した。 わずか2カ月後の72年9月には、日中国交正常化を成し遂げてしまった。 同じころ、米国のニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官も、中国との国交正常化交渉を急いでいた。 結果的に田中氏は、米国を「出し抜いた」形になった(ちなみに、米国と中国の国交正常化は、1979年)。 田中氏の“フライング”にキッシンジャー氏は激怒し、「ジャップは最悪の裏切り者!」と叫んだといわれる。 そんな親中・田中氏は、1974年に辞任。1976年には、ロッキード事件で逮捕されてしまった。 田中派から出た竹下登氏は1987年、首相に就任。1989年、リクルート事件で辞任した。 竹下氏が立ち上げた経世会を引き継いだ橋本龍太郎氏は1996年に首相になり、98年に辞任している。 2004年に日歯連闇献金事件が発覚。政治家を引退せざるを得なくなった。その2年後の2006年、多臓器不全で亡くなっている』、「「悲惨な末路」になることが多い歴代の「親中首相」」、不思議な符合だ。
・『親米政権は長期化しやすく 親中政権は短期で終わりやすい  近年、際立った親中派政治家といえば、小沢一郎氏だろう。09年9月、民主党政権が誕生。この政権は、はっきりとした反米親中で、鳩山首相時代の日米関係は最悪になった。 鳩山政権で黒幕的存在だったのが小沢氏(当時幹事長)だ。 彼は2009年12月、大訪中団を率いて北京に行き、「私は人民解放軍の野戦軍司令官だ」と宣言した。 そのわずか1カ月後の2010年1月、政治資金規正法違反の容疑で、小沢氏の元秘書・石川知裕氏が逮捕される。 そして、同年6月、小沢氏は幹事長を辞めざるを得ない状況になった。同月、鳩山首相も辞任することになった。 これらの事実から、「親米政権は長期化しやすく、親中政権は短期で終わりやすい」という傾向がはっきり見える。 なぜ、そうなのか? 元外務省国際情報局長の孫崎享氏によると、米国からの自立を目指す政治家は米国に潰されるのだという。 同氏は、田中角栄、竹下登、橋本龍太郎、鳩山由紀夫、小沢一郎各氏などを「自主自立を目指した政治家」としているが、筆者は「親中派」だと思う。 米国に潰されるかどうか、その真偽はともかく、親米政権は長期化しやすく、親中政権は短期で終わりやすいのは事実だろう。 もし、菅氏が長期政権を目指すなら、中国に接近しすぎないよう、用心し続けるべきだ。 後述するが、現状「親米」であることは、日本の国益に合致してもいる』、「孫崎享氏」は「戦後史の正体」のなかで、「自主自立を目指した政治家」が米国の情報機関を通じた陰謀で潰されるの様子を描き、説得的だった。
・『菅氏が、「親中首相」という懸念は後退  菅氏が総裁選への出馬を決めた時、筆者は、「菅氏は親中首相になるのではないか」と懸念していた。 親中派のボス、二階幹事長の説得で出馬を決意したと報じられていたからだ。 しかし、その後の動向を見ると、二階氏が菅内閣に「圧倒的影響力を持っているわけではない」ことがわかってきた。 例えば、閣僚の顔ぶれを見ると、親米の細田派が5人で最も多い。 次いで、これも親米の麻生派が3人。 親中派では、竹下派、二階派、共に2人ずつにすぎない。 他に、無派閥4人、岸田派2人、石破派1人、石原派1人、公明1人。 二階氏の影響力は、限定的であることがわかる。 さらに、菅首相の就任後の振る舞いを見ても、希望が持てる。 菅氏が首相に就任すると、習近平・中国国家主席は、真っ先に祝電を送った。 そもそも、国家主席が日本の新首相に祝電を送るのは珍しい(中国の感覚では、元首である国家主席は、日本の天皇と同じ立場。日本の菅首相と同じ立場なのは、中国の李首相である)。 つまり、習近平氏は、菅氏を例外的に優遇したのだ。 ところが、菅氏は、この好意を完全にスルーした。 新首相は9月20日以降、次々と電話首脳会談をこなしていった。 順番は、9月20日、トランプ米大統領、モリソン豪首相。 9月22日、メルケル独首相、ミシェルEU大統領。 9月23日、ジョンソン英首相。 9月24日、文在寅・韓国大統領。 9月25日、モディ印首相、習近平・中国国家主席) 菅首相は、習近平氏の順番を、韓国の文在寅氏の後にしている(ちなみに、ロシアのプーチン大統領との会談はさらに遅く、9月29日だった)。 菅氏は、おそらく意図的に、習近平氏を“冷遇”したのだろう。 これにより、菅氏が、親中派のボス二階氏の“操り人形”ではないこと、習近平氏に忖度する意思はないこと、が見えてきた』、なるほど。
・『安倍政権からの「自由で開かれたインド太平洋」戦略を継承  「日本の首相には戦略がない」と、しばしば言われる。 しかし、安倍氏は、珍しく「戦略のある首相」だった。同氏は2012年12月、「セキュリティーダイヤモンド構想」を発表している。 これは、日本、アメリカ、オーストラリア、インドの4カ国で、インド、太平洋の貿易ルートと法の支配を守るという構想だ。 要するに、「中国の海洋侵略を日米豪印で阻止しよう」という戦略なのだ。 さらに、安倍氏は2016年8月、アフリカ開発会議で、「自由で開かれたインド太平洋戦略」を提唱した。 この「インド太平洋」という言葉をトランプ米大統領が気に入り、米国政府に採用された。 つまり、日本が提唱した大戦略を、米国政府が採用したのだ。 菅氏は、この戦略を継承しているのだろうか? 継承しているだけでなく、現状を見る限り、むしろ安倍前首相よりも、熱心に取り組んでいるようだ。 既述の電話会談。 菅氏は、トランプ米大統領、モリソン豪首相、メルケル独首相、ミシェルEU大統領、ジョンソン英首相、モディ印首相と、「自由で開かれたインド太平洋戦略」について協議している。 そして、菅首相による初めての「対面外交」は、ポンペオ米国務長官との10月6日の会談だった。 ここでも「自由で開かれたインド太平洋戦略」が話し合われた。 さらに、日本、米国、オーストラリア、インドの外相会議が開かれ、4カ国が「自由で開かれたインド太平洋戦略」を推進していくことが確認された。 日本政府は、この4カ国グループに、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国を引き入れ、中国包囲網を強化拡大していく方針だ』、反安部だった私にとって「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、唯一支持できる政策だった。「菅首相」もこれを継承するのは結構なことだ。
・『ポンペオ国務長官による歴史的演説の意味  世界は現在、「米中覇権戦争」を軸に回っている。 ポンペオ国務長官は7月23日、歴史的演説を行った。 いわく、<21世紀を自由な世紀にすることを望み、習近平氏が夢見る中国の世紀にしたくないなら、中国にやみくもに関与していく従来の方法を続けてはならない。このままではいけないし、後戻りしてもいけない。トランプ大統領が明確にしたように、米国の経済、何よりも生活を守る戦略が必要だ。自由世界は、独裁体制に勝利しなければならない。> これは、自然に読めば、「中国共産党打倒宣言」といえるだろう。 <自由世界が変わらなければ、共産中国が私たちを変える。快適だから、便利だからという理由で、これまでのやり方に戻ることはできない。中国共産党から自由を確実に手に入れることは、この時代の使命であり、米国は、それを主導する用意が完全にできている。> これは、米国が「反中国共産党同盟」を率いる決意を示している。 「中国共産党打倒」の方針は、超党派で支持されていて、すでに国論になっている。 例えば、香港問題やウイグル問題の対中国制裁に反対する議員はまったくいない。 つまり、米中覇権戦争は、親中派といわれるバイデン氏が大統領になっても続いていく可能性が高い(例えば、トランプ氏は一貫して親プーチン、親ロシアである。しかし議会に阻まれて米ロ関係は一向に改善しない。世界最強の権力を持つ米大統領にも、できないことはあるのだ。バイデン氏が、中国との関係を改善しようとしても成功しないだろう)』、「米国」では「「中国共産党打倒」の方針は、超党派で支持されていて、すでに国論になっている」、結構なことだ。
・『中国は国際的に孤立すると日本を利用して危機脱出を計る  こういう状況下で、日本が絶対にしてはならないことは、中国側につくことだ。 中国は、「新型コロナウイルスのパンデミックを引き起こした」「香港の自由を圧殺している」「ウイグル人100万人を強制収容している」などで、極めて評判が悪く、世界的に孤立している。 当然中国は、平和ボケでナイーブな日本を自陣営に引き入れようとするだろう。 1989年、天安門事件で中国が孤立した際、この国は日本を利用して危機を乗り切った。 具体的にいうと、1992年、天皇陛下の訪中を実現させたのだ。 これを見た欧米は、「狡猾な日本が、中国の巨大市場を独占しようとしている」と解釈した。 そして、翌1993年、欧米諸国と中国の関係は改善に向かった。 問題はそこからだ。 中国政府は1994年から、国内では徹底した反日教育、欧米では強力な反日プロパガンダを開始した。 「利用済み」の日本は中国に切られ、今度は「悪魔化」の対象にされた。 当時のクリントン米大統領は、中国のプロパガンダに乗せられ、激しいジャパン・バッシングをしていた。 中国は、日本の恩を仇で返したのだ。 われわれは、歴史から教訓を得なければならない。 教訓は、「中国は国際的に孤立すると、日本を利用して危機脱出を図る」「だが、危機を抜けると、今度は日本を悪魔化してバッシングする」だ』、同感である。
・『菅氏が、「偉大な首相」になる方法  菅首相は現状、正しい方向に進んでいるように見える。 だが中国の工作力、親中派の影響は強力なので油断は禁物だ。 このまま、米豪印と共に「自由で開かれたインド太平洋戦略」を貫徹し、「偉大な首相」として歴史に名を刻んでいただきたい』、私は「菅首相」は評価しないが、「「自由で開かれたインド太平洋戦略」だけは大いに支持したい。
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