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MaaS(その1)(MaaSって何? 国内の最前線・福岡に行ってみた、日本の「交通革命」 欧州のMaaSにはほど遠い コロナ禍でテレワークやマイカー通勤が浸透、孫正義社長の懐刀が明かす「MaaS」次の一手 モネ・テクノロジーズの宮川社長に聞く、なぜ自分が?「MaaS」生みの親が語る苦難の道筋 東急の「観光型MaaS」リーダー、2年間の「戦い」) [産業動向]

今日は、新しい交通サービス体系である、MaaS(その1)(MaaSって何? 国内の最前線・福岡に行ってみた、日本の「交通革命」 欧州のMaaSにはほど遠い コロナ禍でテレワークやマイカー通勤が浸透、孫正義社長の懐刀が明かす「MaaS」次の一手 モネ・テクノロジーズの宮川社長に聞く、なぜ自分が?「MaaS」生みの親が語る苦難の道筋 東急の「観光型MaaS」リーダー、2年間の「戦い」)を取上げよう。

先ずは、昨年4月30日付け日経ビジネスオンライン「MaaSって何? 国内の最前線・福岡に行ってみた」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00037/042400001/?P=1
・『デジタルの力で様々な交通手段を連携させて、移動の利便性を高める「MaaS(モビリティー・アズ・ア・サービス)」が注目されている。海外での普及が進む中、国内でも取り組みが始まっているという。実態を探るため、国内のMaaS先進地に向かった』、興味深そうだ。
・『電車、バスに加え、シェアサイクルも  九州最大の都市・福岡市。日本最大級のバス保有台数を誇る西日本鉄道のお膝元とあって、街中では路線バスが絶え間なく発着を繰り返す。ここでは、その西鉄とトヨタ自動車が手を組んで、様々な移動手段を組み合わせたルート検索ができるアプリ「マイルート」の実証実験を2018年11月から始めている。 使い方はいたってシンプルだ。アプリを起動し、目的地を入力すると「到着が早い」「料金が安い」「乗り換えが少ない」の項目ごとに候補が表示される。ここまでは従来の乗り換えアプリと大差はないが、マイルートでは路線バスや電車に加え、シェアサイクルやレンタカーを使ったルートも表示される。 例えば、福岡市北東部にあるJR箱崎駅から約7キロ離れた城南区役所を目指すとする。「到着が早い」で初めに出てくるのはタクシーを利用する23分のルートだったが、画面をスクロールすると「JR鹿児島本線区間快速→福岡市地下鉄空港線→徒歩→サイクルシェア→徒歩」という乗り換えが表示されていた。このサイクルシェアというのはフリーマーケットアプリのメルカリグループが18年2月から福岡市で始めたシェアサイクルサービス「メルチャリ」で、市内の至るところに赤いメルチャリが置かれた「ポート」がある。 このルートで画面上の「ガイド開始」を押すと地図での案内が始まり、利用者はそれに従って乗り換えを進めていけば目的地にたどり着くことができる。かかる時間は箱崎駅出発から50分余り。時間だけを見るとタクシーの倍以上で手間もかかるが、移動費用はアプリ上では6分の1に抑えることができる。 マイルートでは西鉄バスのフリー乗車券の購入やタクシーの予約・決済もできる。これが様々な移動サービスを統合するMaaSの肝。移動ルートの検索だけでなく、予約・決済までできれば、利便性は高い。ただ、マイルートでは電車やバスの支払いをすることは「現在はできない」(西鉄未来モビリティ部企画開発課・日高悟課長)。MaaSとして普及させるには、さらなるサービス向上が課題になる』、「電車やバスの支払いをすることは「現在はできない」」、のでは単なる検索サービスだ。
・『AIが最適ルートを導く  「乗り合いタクシーをご予約された方はいませんか?」。伊豆半島の先端付近にある静岡県下田市の伊豆急下田駅で、到着したワゴン車から降りてきた男性が声を張る。観光地として知られるこの地では、東京急行電鉄やJR東日本が「観光型MaaS」の実証実験を4月から始めている。 使うのは「Izuko(イズコ)」という専用アプリ。現在地から目的地までの交通手段の検索をしたり、鉄道やバスのフリーパスや、観光施設の入場券を購入したりできるほか、地元タクシー会社が運行する乗り合いタクシーを呼べる。冒頭の男性はイズコで呼ばれた乗り合いタクシーの運転手だ。 観光客の8割が自動車を利用しているという伊豆では、鉄道など公共交通機関で訪れる観光客の掘り起こしが課題。そのためには、最寄り駅に到着してから観光地を巡る二次交通の整備がカギとなっている。特に、江戸時代に日米和親条約の付帯協定が結ばれた了仙寺や、そこに至るペリーロードなどがある旧市街地は最寄駅から離れており、移動手段の確保が欠かせない。そこで導入されたのが、この乗り合いタクシーだ。 4月5日にマスコミ各社を集めて行われた実証実験の体験会。乗り合いタクシーはイズコで目的地を入力して呼び出すと10分ほどで到着した。実際に乗って動き出すと、乗り合いタクシーが通る旧市街地の道路は狭いことに気づく。運転手は「旧市街地は観光スポットは多いのですが、道幅が狭くバスでは入れないところも少なくない」と説明してくれた。 この日に乗車したのは記者やカメラマンばかりで、乗車時に途中乗車する旅行客の姿はなかったが、あらかじめ決められた市内16カ所の乗降スポットでは乗り降りが可能だ。路線バスや周遊バスなどとは異なり、人工知能(AI)が乗り合わせた人の行き先などから最適なルートを導き出して、利用者に快適な移動を提供するのだという。 一方で、伊豆での実証実験でも課題は見受けられた。まずは福岡市のマイルートと同様に、アプリを使っての料金の支払いはまだ限定的な面が多い。実証実験では乗り合いタクシーの利用は無料だが、事業化にあたっては料金設定も必要になってくる。「課題は山積しているが、地域のあるべき交通の姿を実現するために、ITで世直しをしていきたい」と東急電鉄の森田創・事業開発室課長。利用者の不便を解消し、いかに利便性を高めていくか。 4月29日・5月6日号の日経ビジネス特集「移動革命 MaaS 世界が狙う新市場」では、世界各地で取り組みが進むMaaSについて取り上げている。MaaS先進地の米国ではどこまで便利になっているのか。ビジネスチャンスはどこにあるのか。普及に向けた日本の課題は何か。多方面から探った』、「福岡」、「伊豆」はあくまで「実証実験」のようであるが、いずれも「検索」が中心で、画期的なサービスはないようだ。

次に、7月2日付け東洋経済オンラインが掲載したモビリティジャーナリストの森口 将之氏による「日本の「交通革命」、欧州のMaaSにはほど遠い コロナ禍でテレワークやマイカー通勤が浸透」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/358482
・『新型コロナウイルスは、私たちの生活に不可欠だった「移動」そのものを控えなければいけないという難問を突きつけた。しばらくはウィズコロナの生活が続くことになる。 5月25日に国の緊急事態宣言が全面的に解除されたのに続き、6月19日には移動自粛も全面解除となり、国内に限れば自由な往来が可能になった。しかしいくつかの理由から、移動が完全に元に戻ることはないと予想している』、興味深そうだ。
・『都市部ではテレワークが進んだ  1つは大都市を中心に急速に普及したテレワークだ。東京では大企業だけでなく中小企業でも導入が進んでいる。6月に東京商工会議所が発表した数字によると、東京の中小企業のテレワーク実施率は3月の26%から倍以上増えた67.3%にもなっている。しかも日本生産性本部の5月の調査によれば、テレワークで働いた人の6割近くが、収束後もこの働き方を続けたいという。 緊急事態宣言が終了したことで以前の勤務スタイルに戻す会社もある。しかし一方で、テレワークを前提としてオフィスの縮小や廃止に踏み切った会社も多い。経費節減にもつながるので当然だろう。 例えば、菓子大手のカルビーは本社や営業拠点の社員約800人を対象に、原則在宅勤務などのテレワークとし、フレックス勤務のコアタイムを廃止するといった新しい働き方を7月1日から始めた。結果的に30%前後の出社率を目安とするという。通勤定期代の支給を止め、出社日数に応じた交通費を通勤手当とする。このほか、業務に支障がないと会社が認めれば、単身赴任も解除する。 大都市に対して地方では工場などの職場が多いこともあり、テレワークは進んでいないが、もともと普及が進んでいたマイカー移動が感染予防に有効という意見が多く出ており、事業者側がこれまで以上にマイカー通勤を促す動きもある。 観光需要について海外では、スイス政府など多くの組織や団体が、完全に回復するのは2022年という数字を出している。治療薬やワクチンの供給が始まったとしても、マインド面で旅行を控えておこうという人が残るためだろう。また国内旅行でいえば地方の通勤同様、感染リスクを避けるために公共交通の利用を控え、マイカーやレンタカーでの移動を選ぶ人が出てきそうだ。 訪日外国人観光客(インバウンド)については、IATA(国際航空運送協会)が5月、2019年の水準に回復するのは2024年になるとの見通しを示している。IATAによれば入国時の隔離措置などを敬遠している人が多いという。 いずれにせよ、大都市か地方かによらず、しばらくは公共交通の利用者が回復する見込みは薄い。とりわけ地方のバスやタクシーは、地域交通だけでは経営が成り立たないことから、インバウンドを含めた観光需要を収益の柱にしていたところが多かった。しかし日本政府観光局によれば、4月と5月の訪日外客数はいずれも前年同月比マイナス99.9%であり、苦境に陥っている事業者は多い。 日本モビリティ・マネジメント会議は、今回のコロナ禍で公共交通は最低でも総額3.5兆円の減収と試算しており、8月中旬までに事業者半数が倒産の危機と発表している』、「インバウンド」が殆どなくなった下では、「地域交通」「事業者」の苦境は深刻だろう。
・『欧米では公的支援も  こうした状況下で、必要とされるのは国の支援だろう。欧米諸国はいち早く動いており、自動車中心社会とみられがちなアメリカでも4月2日、感染拡大で深刻な影響を受けている公共交通機関に対し、総額250億ドルの緊急支援金を交付するとしている。 日本では4月20日、「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」が閣議決定し、地方公共団体が地域に必要な支援をきめ細かく実施できるよう、「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」を創設した。ただしこの交付金は地域経済全般にわたる対策で、交通限定ではない。 しかもこれだけでは到底足りないという意見が多く出たことから、6月12日に成立した第2次補正予算では、前述の交付金が2兆円上積みされるとともに、地域の鉄道やバス、離島などへの航路や航空路を対象とした「地域公共交通における感染拡大防止対策」として138億円が盛り込まれた。 こうした交付金や補助金は、地方公共団体が自発的に申請して、初めて受け取れるものである。筆者が先日記事にした長野県上田市のように積極的に申請を行う自治体もあるが(2020年6月16日付記事「橋崩落の上田電鉄別所線『市民パワー』で復活へ」参照)、地域交通の実情を把握していない自治体では申請が行われず、最悪の結果に行き着くおそれもある。 またこうした交付金や補助金は、未来永劫に続くものではない。つまり交通事業者は交付金や補助金で苦境を凌ぎつつ、移動の変化に見合ったサービスに組み替えて行くことが求められる。 大都市の鉄道については、テレワーク普及による利用者数減少に合わせた、効率的な運行を目指すことになろう。その場合、首都圏は京阪神、京阪神は中京や札幌や福岡など、輸送規模の小さい都市圏の対応が参考になると考えている。利用者数に対してインフラに余裕がある状況なので、有料座席指定車両の組み込みがしやすくなるなど、これまで困難だったサービスの実現も可能になろう。 一方以前から経営合理化を徹底しており、必要に応じて補助金も受けていた地方の交通事業者は、マイカー移動への流出もあって限界的状況にあると想像する・・・』、なるほど。
・『流行語「MaaS」の今後は?  もう1つ、「MaaS(Mobility as a Service=サービスとしての移動)」も重要なツールになると筆者は考えている。 昨年、MaaSは流行語のような立ち位置にあった。経済メディアには「MaaS関連銘柄はこれだ」などといった文言が踊り、買い材料に乏しい小規模な上場企業がこの4文字に言及さえすれば、期待先行で株価が上がるなどという例が見られた。しかしコロナ禍で移動そのものが激減すると、MaaSの話題も潮が引くように聞かれなくなった。 でもそれは悪いことではない。浮ついた気持ちで参入した人々が姿を消したからだ。MaaSにおいては新型コロナウイルスがマスクの役目を果たし、本気で都市や地方のモビリティをよくしたいと考える事業者が残った。 事実、3月25日には東京メトロが「my! 東京MaaS」の開始、5月20日にはJR東日本が「MaaS・Suica推進本部」の新設を発表するなど、最近は大手交通事業者の動きが目立っている。小田急電鉄はMaaSアプリ「EMot(エモット)」の実証実験を12月末まで延長する。 コロナ禍でのMaaSの役割は、ソフトウェアだからこそできる、乗りたくなる仕組みの構築だと考えている。 大都市では、感染防止の観点から利用が増えている自転車などのパーソナルモビリティとの連携が大切になりそうだ。雨の日は鉄道に切り替えたりする人々を着実に取り込むためである。また経路検索時に駅や列車の混雑状況案内を連携させれば、状況に応じて移動手段を変えたりできる。こうしたサービスも利用促進につながるはずだ。 ただし日本の大都市は複数の交通事業者が競合する状態で、東京23区では鉄道事業者だけでも10以上に分かれる。MaaSにしても個々の事業者の周辺のモビリティの統合に留まっており、市内の鉄道、バス、タクシー、自転車シェアリングなどあらゆる交通をシームレスにつないだフィンランドの首都ヘルシンキの「Whim」の足元にも及ばない。 理想は欧米の多くの都市が実践している1都市1事業者への統合であり、現状維持の中でデジタル化したモビリティサービスを導入し、それをMaaSと呼び続けるのであれば、利用者や都市環境のことを第一に考えた真のMaaSは永遠に手にできないのではないかと思えてくる。 一方、地方はマイカー移動になびいた地域住民を公共交通に呼び戻すのに効果があると思っている。そもそもMaaSはマイカー並みのシームレスな移動を提供することで、公共交通の利用率を高め、環境問題や都市問題を解消するために生まれたからだ。 地方は鉄道やバスの事業者数が少ないので、統合は楽である。地域の商店や飲食店なども取り込むことができれば、大都市から移住してきた人も満足できるサービスが実現できる。損得勘定を抜きで考えれば、MaaSは地方に向いているのである。 さらに大都市を含めて、MaaS導入によって移動データの取得が可能になることにも注目したい。もちろん個人情報には留意する必要はあるが、「ウィズコロナ」や「アフターコロナ」の移動計画が立てやすくなるというメリットがある』、「日本の大都市は複数の交通事業者が競合する状態で、東京23区では鉄道事業者だけでも10以上に分かれる。MaaSにしても個々の事業者の周辺のモビリティの統合に留まっており、市内の鉄道、バス、タクシー、自転車シェアリングなどあらゆる交通をシームレスにつないだフィンランドの首都ヘルシンキの「Whim」の足元にも及ばない。 理想は欧米の多くの都市が実践している1都市1事業者への統合であり、現状維持の中でデジタル化したモビリティサービスを導入し、それをMaaSと呼び続けるのであれば、利用者や都市環境のことを第一に考えた真のMaaSは永遠に手にできないのではないかと思えてくる。地方はマイカー移動になびいた地域住民を公共交通に呼び戻すのに効果があると思っている」、その通りなのかも知れない。
・『デジタル対応はやはり鈍い  課題がないわけではない。1つはこの国のデジタル対応の鈍さだ。日本はデジタルに人も金もかけたがらない。その結果、使い勝手から安全性まで不完全なシステムが構築され、トラブルが発生したりハッカーの侵入を受けたりしている、という指摘もある。 しかもこの国は、現状を変えたくないという保守的な風潮が根強い。たとえば働き方では、昨年の上陸時も、計画運休が発表されていたにもかかわらず、多くの通勤者が運転再開を待って長蛇の列を作るなど、会社に行くことが仕事と考える人が多く見られた。今回テレワークが広がったのは感染という身の危険があったからであり、このような重大な変化がない限り社会を変えるのは難しい。 逆に言えば、今の日本はMaaSのようなデジタルテクノロジーは、改革の余地が十分に残されていることになる。テレワークの一段の浸透など、きっかけさえあれば、公共交通の経営改革を前進させる助けになるのではないかと考える』、「きっかけさえあれば、公共交通の経営改革を前進させる助けになるのではないか」、僅かな望みにすがるしかないのは、残念至極である。

第三に、8月3日付け東洋経済オンライン「孫正義社長の懐刀が明かす「MaaS」次の一手 モネ・テクノロジーズの宮川社長に聞く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/366330
・『2018年に発表されたトヨタ自動車とソフトバンクという異業種大手の提携は日本の産業界を驚かせた。そして両者の共同出資で、自動配送や移動店舗など、次世代移動サービスの「MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)」の開発のために設立されたのが、モネ・テクノロジーズだ。 モネにはその後、日野自動車やホンダ、SUBARUやマツダなど国内自動車メーカー7社が出資し、連合を拡大。新サービス開発に取り組む事業者による「MONETコンソーシアム」も設立し、既に580社以上の企業が加盟(2020年7月現在)。今年4月から、モネはデータプラットフォームの本格運用を始め、移動データの管理や分析、課金や顧客管理、モビリティサービスに必要な機能を提供している。 モネを率いる宮川潤一社長はソフトバンクグループの孫正義社長の懐刀として、長らく日米で通信事業に携わってきた。コロナ禍で々の生活様式が大きく変わる中、モネは何を目指しているのか。宮川社長を直撃した(Qは聞き手の質問、Aは宮川氏の回答)』、「モネ」の実態とは興味深そうだ。
・『われわれにとってチャンスばかり  Q:モネが複数の自治体と行っているオンデマンドバス(専用アプリで予約し、指定した時間にバスに来てもらうサービス)などの実証実験は新型コロナの影響を受けたのでしょうか? A:地方の交通弱者を対象にしたオンデマンドバスの実証実験は導入に向けての話し合いが5月から6月にかけて1カ月ぐらい停まった。サービスを利用した人の数は緊急事態宣言が4月に発表されたときは2~3割減ったが、またすぐに回復している。 コロナ禍で相乗りを敬遠する動きがあると思っていたが、利用する人数が戻ったのだから、もう「生活の足」として定着しているということ。近所のよく顔の知った人たちばかりの相乗りだから、あまり影響を受けなかったという印象だ。 Q:とはいえ、シェアリングやライドシェア(相乗り)にはコロナ禍で逆風が吹いています。 A:個人的には厳しくなると思う。車両やサービスも従来とは違うものが求められている。実は、モネは新型コロナの感染防止策を取った車両の開発を進めている。 まだ試作段階だが、ドライバーと乗客の間に間仕切りをするだけでなく、換気システムを設置することで、空気が交わらないようにする。それは、病院同士をつなぐ車として使うことを想定している。 シェアードビジネスにとっては嫌な時期が来たのは事実だが、モネにとってはビジネスチャンスばかりだ。モネコンソーシアムの会員企業にアンケートをしたら、9割が(業績の)影響を受けているという。 それでも、35%の会員企業が2021年度中に(移動を絡めた)サービスを開始したいと。急に言い出した感じだ。 Q:これまでMaaSに関しては様子見の企業が多かったように思います。企業の考え方がなぜ変わったのでしょうか。 A:みんな自粛して巣ごもりが嫌だったんじゃないのかな。外出できるとしたらどんな方法があるんだろうと考えたのかもしれない。移動手段として感染症対策ができた車の配車があったらよいという人もいた。 今回のコロナ禍ではフードデリバリーばかりがクローズアップされたが、われわれへの問い合わせでいちばん多かったのは医療MaaSだった』、確かに「医療MaaS」のニーズも強そうだ。
・『「PCRカー」もつくりたい  長野県伊那市で看護師を乗せた車両で患者のところに行き、病院にいるドクターが遠隔で診察する実証実験をやっている。そういった車両を導入できないかという自治体からの問い合わせはものすごくあった。高齢者が病院まで行くのは感染リスクがあるから、診察をする車が来てくれたらベターというわけ。 自治体からは行政サービスを“移動させたい”という要望もたくさんもらった。住民票や印鑑証明書を出張サービスで発行したいと。テクノロジー的には十分可能なので後は行政自身がデジタル化してくれたらいい。 本当は(新型コロナの感染を検査する)「PCRカー」を作りたいと思っている。なかなか許可をもらえないだろうなと思いながら。 Q:モネはもともと、地方での移動手段の提供などMaaSによる社会課題の解決を掲げていました。新型コロナで貢献できる領域が増えたわけですね。 A:まさにそれを痛感している。 「たられば」を言ってもしょうがないが、もし自動運転車があって、この新型コロナを迎えていたら、われわれはもっと社会の役に立つ会社だったと思う。ドライバーの感染リスクもなくなるし、滅菌システムを搭載することで乗客の降車後に消毒もできるのだから。 「週刊東洋経済プラス」のインタビュー拡大版では、「孫正義氏と豊田章男氏の共通点と相違点」「ソフトバンクとトヨタの企業文化の違い」「モネ・テクノロジーーズによるサービス拡大のシナリオ」「海外展開の考え方」などを率直かつ詳細に語っている』、「モネはもともと、地方での移動手段の提供などMaaSによる社会課題の解決を掲げていました。新型コロナで貢献できる領域が増えたわけですね」、「高齢者が病院まで行くのは感染リスクがあるから、診察をする車が来てくれたらベターというわけ」、その通りなのだろう。

第四に、8月18日付け東洋経済オンライン「なぜ自分が?「MaaS」生みの親が語る苦難の道筋 東急の「観光型MaaS」リーダー、2年間の「戦い」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/369737
・『近年、交通関係のキーワードとして話題にのぼることの多い「MaaS(マース)」。スマートフォンなどIT技術を活用して鉄道やバス、タクシー、自転車などさまざまな交通手段を1つのサービスとして結び付け、スムーズな移動を可能にしようという取り組みだ。 東急やJR東日本などは2018年4月から今年3月まで、伊豆半島で2回にわたり観光型MaaS「Izuko(イズコ)」の実証実験を展開した。同プロジェクトのリーダーを務めた東急の交通インフラ事業部課長、森田創氏は7月、事業の立ち上げから実証実験までの舞台裏を描いたドキュメンタリー『MaaS戦記 伊豆に未来の街を創る』(講談社)を出版した。 森田氏はこれまでに2冊の著書があるノンフィクション作家としての顔も持つ。MaaSプロジェクトの裏側と、自らがリーダーを務める事業を題材とした作品への思いについて聞いた(Qは聞き手の質問、Aは森田氏の回答)』、仕事をしながら、「事業の立ち上げから実証実験までの舞台裏を描いたドキュメンタリー『MaaS戦記 伊豆に未来の街を創る』を出版した」、とは感心した。
・『MaaSと聞いて「ムースですか?」  Q:2018年春に広報課長から新設のMaaS担当部署に異動されたのが、今回の「Izuko」のプロジェクトの始まりですね。MaaSについてはもともと関心があったのでしょうか。 A:知らなかったです。最初にMaaSをやれと言われたときはムースと聞こえたので、「お菓子ですか?」と言ったら社長に「バカかお前は」と(笑)。すぐに「モビリティ・アズ・ア・サービス」で検索したんですが、そのとき(2018年3月)は日本語で体系化されたレポートはまだなくて、日本では言葉としてもまだ広まっていませんでした。 Q:野本弘文社長(当時。現・東急会長)にMaaS担当部署への異動を告げられる際、「場所は北海道がよさそうな気もするが、それも含めて自分で考えろ」と言われる場面が出てきます。当初から伊豆を念頭にスタートしたプロジェクトではなかったのですね。 A:そうなんです。伊豆を選んだきっかけは2018年の5月下旬、スマホをいじっているときにJRが翌年4月から「静岡デスティネーションキャンペーン(DC)」を行うというのを見つけて、これはいけるんじゃないかと思ったことですね。伊豆は伊豆急行をはじめ東急グループが展開する重要拠点ですし、実証実験で頻繁に現場に行くことを考えると、(会社のある)東京から行きやすいメリットもある。そして静岡DCが追い風になるなと。この3点で、伊豆を舞台にしようと決めました。 Q:MaaS担当を命じられた当初は「まったく乗り気ではなかった」と。かなり落胆されたようですね。 A:そもそも僕は異動で違う仕事をするはずだったんです。そこで「何で自分がMaaSなんだよ」というのもありましたし、自分は過去に交通事業の経験がゼロでしたから、自信がないというのもありました。交通はしがらみがあるというイメージもあって。鉄道は鉄道、バスはバス、と厳然とした垣根があるところをシームレスにするような仕事だなと思うと、漠然とこれは猛反発を受けるのではないか、自分にできるのだろうかと。 Q:プロジェクトチームは森田さんと3人の部下でスタートしています。チームのメンバーはかなり個性的な方々だったようですね。 A:個性的すぎましたね。1人は英語が母国語の不思議な奴、1人は一言も話さない、そして1人は「僕はマグロだから泳ぎ続けないと死んでしまう」といって来ない。最初はやったこともないことをこのメンバーとどうやって進めていくのか、本当に手探りでした。 他社との協力を進めるときも、どこにいけば誰がいるのか、いろいろな人に聞いて会いに行って仲間を増やして……という感じで。ヘンテコなメンバー3人を引き連れてトコトコ歩いていくという、なんだか「ドラクエ」みたいですね。呪文とか魔法は使えないんですけど(笑)。 でも今回本を書いて、彼らに本当に助けられたんだなと改めて素直に感謝できました。本当にありがたいことだなと思っています』、「ヘンテコなメンバー3人を引き連れて」、当初は大変だろうが、「チーム」の多様性が発揮されて成功につながったのかも知れない。
・『手探りで続いた改善  Q:「Izuko」の実証実験は2019年4月1日~6月30日の「フェーズ1」と、同年12月10日~2020年3月10日の「フェーズ2」の2期に分けて行われました。最初は不安も多く手探りだったとのことですが、「これでいける」と自信が持てたのはいつ頃ですか。 A:今年の2月ですね。それまでは本当に不安だらけでした。フェーズ1はとにかく静岡DCに合わせて立ち上げるんだということで、最初の1年間は正直なところそれだけで必死だったんです。フェーズ2はサービスの見直しを図り、スマホのアプリからブラウザ上でウェブサービスを使う形に切り替えて、使いやすさは大幅に向上しました。 でも、フェーズ2を開始してしばらくはそれほど利用が増えなかった。いけるなと思えるようになったのは伊豆にとって繁忙期の2月に入ってからです。フェーズ2では管理画面でどんなお客様がどの商品をいつ買ったか、どの商品がどこで売れているかといった傾向が見られるので、お客様に合わせた提案の仕方や宣伝の方法などのコツを完全につかんできたんですね。 ところが2月後半になると新型コロナの影響が表れてきて……。不完全燃焼ではないですが、こんなはずじゃなかったという思いは多少なりともありました。ただ、画面を見せるだけで交通機関などを利用できるMaaSは対人接触を避けたい今の行動様式に適していますし、まさに出番なのではないかと思います。 今秋からフェーズ3を再開しますが、次は実証実験を超えて、本当に伊豆のためになるサービスになれるかどうかが試されると思っています。 Q:紙のフリーパスなどと違う、デジタルサービスの「Izuko」の強みは何ですか。 A:移動データが取れて、商品を最適化できることです。伊豆は季節波動が大きいので、一瞬の繁忙期に合わせて人員計画は組めませんし、人手が少ないのでアルバイトを集めるのも難しい。季節ごとや曜日ごとの傾向などがあらかじめわかっていれば対策が取れます。これは、地域全体で人が減っていく中でどのように最適化して(観光客への対応などを)回していけるかを考えるうえで、極めて重要だと思います』、「デジタルサービスの「Izuko」の強みは・・・移動データが取れて、商品を最適化できることです」、確かに強味のようだ。
・『自分のプロジェクトを題材にした理由  Q:森田さんはすでにノンフィクション作品の著書2作があり、今回が3作目です。自らがリーダーを務めるMaaSプロジェクトをテーマにしようと思った理由は? A:昨年2月に編集者の方と話をしたとき、別の題材で3作目の提案をしたんですが、「ところで今、仕事では何をやっているんですか」と聞かれて。それで、MaaSをやれと言われたものの自分はIT音痴で部下は不思議ちゃんばっかりで泣きそう、という話をしたんです。そうしたら「それだ」と。 僕は2013年まで「渋谷ヒカリエ」内の劇場「東急シアターオーブ」の立ち上げを担当していました。劇場で世界中から選んだ作品をかけるという仕事は本当に大変だったんですが、初日に観客のスタンディング・オベーションを見た瞬間にすべての苦労が報われる幸福感は本当に大きくて、自分のキャリアの中で一番熱い時代でした。 著書の1作目、2作目は、その「魂の居場所」というか、表現の場を失ったことに対する「代償行為」の面があったんです。でも今作は、苦労や失敗を重ねつつ日々迷いながらやってきた、リアルな自分の生きた証しだと思います。 あの熱い時代は戻ってこない、別の形で自己表現を――と思って書く活動を始めたんですが、もう断絶したと思っていた劇場時代の「ショー・マスト・ゴー・オン」という精神が、この2年間夢中で走り続けてきた中でちゃんと(自分の中に)生きていたんだと、書くことを通じて再認識できたのがとてもうれしかったですね。 Q:「ショー・マスト・ゴー・オン」。文中では「ショーは続けなくてはならない」という直訳から転じて、「『人生に何が起きたとしても、毎日は続いていく。あきらめずに生きていけ』という、逆境に置かれた人を励ます言葉」として登場します。 A:今は会社も伊豆もチームも苦しい時期ですけど、でも明日があると思っている限り明日はあると。その明日を拓くために、僕は地元の人たちとがんばって伊豆に貢献していきたいですし、日本を代表するMaaSの事例となったIzukoを参考にしてもっといいMaaSが展開していけば、日本全体が良くなっていくと思っています。 異動の時、最初に野本(社長)からMaaSは「『東急のため』でなく日本のためにやれ」と言われたんですね。志を高く持ってやり続けるということが大事だと思います。やっぱり、たどり着く境地は「ショー・マスト・ゴー・オン」なんです』、「たどり着く境地は「ショー・マスト・ゴー・オン」なんです」、なかなかカッコイイ仕事ぶりのようだが、「MaaS」とは距離が離れてしまったようだ。
タグ:手探りで続いた改善 デジタルサービスの「Izuko」の強みは 当初は大変だろうが、「チーム」の多様性が発揮されて成功につながったのかも知れない ヘンテコなメンバー3人を引き連れて MaaSと聞いて「ムースですか?」 たどり着く境地は「ショー・マスト・ゴー・オン」なんです 自分のプロジェクトを題材にした理由 事業の立ち上げから実証実験までの舞台裏を描いたドキュメンタリー『MaaS戦記 伊豆に未来の街を創る』を出版した 「なぜ自分が?「MaaS」生みの親が語る苦難の道筋 東急の「観光型MaaS」リーダー、2年間の「戦い」」 高齢者が病院まで行くのは感染リスクがあるから、診察をする車が来てくれたらベターというわけ モネはもともと、地方での移動手段の提供などMaaSによる社会課題の解決を掲げていました。新型コロナで貢献できる領域が増えたわけですね 「PCRカー」もつくりたい 「医療MaaS」のニーズも強そうだ われわれにとってチャンスばかり データプラットフォームの本格運用を始め、移動データの管理や分析、課金や顧客管理、モビリティサービスに必要な機能を提供 既に580社以上の企業が加盟 モネ・テクノロジーズ トヨタ自動車とソフトバンクという異業種大手の提携 「孫正義社長の懐刀が明かす「MaaS」次の一手 モネ・テクノロジーズの宮川社長に聞く」 僅かな望みにすがるしかないのは、残念至極である きっかけさえあれば、公共交通の経営改革を前進させる助けになるのではないか デジタル対応はやはり鈍い 日本の大都市は複数の交通事業者が競合する状態で、東京23区では鉄道事業者だけでも10以上に分かれる。MaaSにしても個々の事業者の周辺のモビリティの統合に留まっており、市内の鉄道、バス、タクシー、自転車シェアリングなどあらゆる交通をシームレスにつないだフィンランドの首都ヘルシンキの「Whim」の足元にも及ばない。 理想は欧米の多くの都市が実践している1都市1事業者への統合であり、現状維持の中でデジタル化したモビリティサービスを導入し、それをMaaSと呼び続けるのであれば、利用者や都市環境のことを第一に考え 流行語「MaaS」の今後は? 欧米では公的支援も 「インバウンド」が殆どなくなった下では、「地域交通」「事業者」の苦境は深刻だろう 都市部ではテレワークが進んだ 「日本の「交通革命」、欧州のMaaSにはほど遠い コロナ禍でテレワークやマイカー通勤が浸透」 移動データが取れて、商品を最適化できることです 森口 将之 東洋経済オンライン 「福岡」、「伊豆」はあくまで「実証実験」のようであるが、いずれも「検索」が中心で、画期的なサービスはないようだ AIが最適ルートを導く 電車、バスに加え、シェアサイクルも MaaS(モビリティー・アズ・ア・サービス) 「MaaSって何? 国内の最前線・福岡に行ってみた」 日経ビジネスオンライン (その1)(MaaSって何? 国内の最前線・福岡に行ってみた、日本の「交通革命」 欧州のMaaSにはほど遠い コロナ禍でテレワークやマイカー通勤が浸透、孫正義社長の懐刀が明かす「MaaS」次の一手 モネ・テクノロジーズの宮川社長に聞く、なぜ自分が?「MaaS」生みの親が語る苦難の道筋 東急の「観光型MaaS」リーダー、2年間の「戦い」) MAAS
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トランプ VS バイデン(その1)(敗北を認めないトランプを共和党議員団が支持し続ける理由、共和党はトランプ離れができるのか?、トランプが去っても「トランプ政治」はアメリカを破壊し続ける、バイデン「手に入らないものがたくさんある」 政権移行を承認しない一般調達局に不満表明) [世界情勢]

これまでトランプ大統領として10月21日に取上げた。大統領選挙は終了したが、トランプが負けを認めないという異例の展開を踏まえた今日は、「トランプ VS バイデン(その1)(敗北を認めないトランプを共和党議員団が支持し続ける理由、共和党はトランプ離れができるのか?、トランプが去っても「トランプ政治」はアメリカを破壊し続ける、バイデン「手に入らないものがたくさんある」 政権移行を承認しない一般調達局に不満表明)である。

先ずは、11月12日付けNewsweek日本版が掲載した在米作家の冷泉彰彦氏による「敗北を認めないトランプを共和党議員団が支持し続ける理由」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2020/11/post-1200_1.php
・『<年明けに予定されているジョージア州上院選の決選投票が、トランプを支持せざるを得ない状況を生んでいる> トランプ大統領は、大統領選の結果について依然として沈黙しています。今週11日は「ベテランズデー(退役軍人記念日)」でしたが、公式セレモニーには出席したものの、特にコメントは出していません。とにかく選挙における敗北を認めないので、バイデン次期大統領は引き継ぎ作業ができずに困っています。 けれども、負けず嫌いで奇手を好むトランプ大統領のことですから、起死回生を狙って法廷闘争に訴えるなどの抵抗を続ける姿勢についても、特に不自然とは思えません。問題は、共和党の主要な政治家たちが同じように沈黙していることです。 報道では、共和党の中でもバイデン氏を次期大統領として認め、トランプに敗北を受け入れるように勧告を始めた議員も出てきてはいます。ですが、その多くは、ミット・ロムニー上院議員(ユタ州選出)など、以前からトランプ大統領に批判的で「トランプ票」に依存する必要のない強固な選挙区での地盤を持っている政治家です。 一方で、それ以外の議会共和党の議員団は、ボス格のミッチ・マコネル上院院内総務(ケンタッキー州選出)をはじめ、多くを語らない中ではありますが、トランプの「敗北を認めない姿勢」を支持しています。 考えてみれば、おかしな話です。というのは、今回の選挙における議会共和党は、上下両院で事前の予想を完全に覆す善戦を見せているわけで、党勢の後退を食い止めることに成功しました。ということは、番狂わせによって落選の憂き目にあって怒っている議員はほとんどゼロ、反対に多くの議員が僅差で当選してきています』、「今回の選挙における議会共和党は、上下両院で事前の予想を完全に覆す善戦を見せているわけで、党勢の後退を食い止めることに成功しました」、にも拘らず、「トランプの「敗北を認めない姿勢」を支持」、どんな背景がるのだろう。
・『鍵になるのはジョージア州の上院選  ということは、議会共和党には「今回の選挙結果をひっくり返す」ことへのメリットはありません。むしろ「ひっくり返されては困る」のです。何故ならば、大統領選と上下両院の議会選の投票用紙は、多くの州で同一の1枚となっているからです。本音の部分では共和党議員団としては「再集計」とか「法廷闘争」などの動きに乗る動機はないのです。 それにもかかわらず、議会共和党の大多数が依然としてトランプへの支持を続けているのには、理由があります。それは「ジョージア州の上院選決選投票」です。 議会上院の現時点での状況ですが、時間がかかっていたノースカロライナ州とアラスカ州の集計がほぼ完了したことで、定員100名のうち、共和党は50議席、民主党は48議席をほぼ確実にしました。残るは2議席で、これは年明け早々、1月5日に予定されているジョージア州での決選投票に持ち越されることとなっています。 憲法の規定により、50の各州は2名の上院議員を選出することができ、任期はそれぞれ6年ですが、2名の議員の改選時期が重ならないように設定されています。ですが、ジョージア州の場合は欠員の補選があるため、今回は本選挙と補欠選挙の2議席について民意の審判を受けることになっています。 選挙は行われましたが、2議席のどちらも「50%を超える当選者」が出ない見込みです。ということは、ジョージア州の規定では決選投票になります。この決選投票で、共和党は1議席でも獲得すれば上院の過半数を制することができます。一方の民主党は2議席の双方を取れば50対50のタイに持ち込めます。その場合は、上院議長を兼ねるハリス次期副大統領が最終の1票を投じることができますから、民主党としては上院をコントロールできるのです。 共和党が上院の多数派を維持すれば、まずは1月20日の就任式の直後から始まるバイデン政権の閣僚人事において、自分たちの同意できない候補は拒否できることになります。最高裁判事の人事もそうですし、民主党内にある「最高裁判事の定員を増員してリベラル派を送り込む」作戦も潰すことができます。 そのためには、トランプ派の票が「面倒だから棄権」ということにならないよう、11月3日と同じような勢いを維持する必要があります。共和党議員団の多くの政治家が、バイデン当選を認めず、トランプ派と同じように証拠もないままに「選挙不正」を叫んだり、不自然なまでに沈黙を貫いているのはそのためです。 では、この不自然な状況はジョージア再選挙の投票日、つまり1月5日まで続くのかというと、必ずしもそうではないという見方もあります。節目としてはもう一つの日付、12月7日というタイミングがあるからです。 この日は、ジョージア州の再選挙における「有権者登録の手続き」の締切となっています。民主党では、前回の知事選で惜敗したステイシー・エイブラムズ前州議会議員などが組織的に「市民の有権者登録」を徹底する運動をしており、今回の大統領選挙ではそれが同州におけるバイデン氏の躍進(結果は僅差、現在再集計中)につながっています。 これに対抗するためには、共和党としては何が何でも「トランプ旋風」の熱気を維持して、共和党支持者の選挙人登録に漏れのないようにしなければなりません。そのためにはワシントンの共和党議員団としては、当面はトランプの「敗北を認めない」姿勢に同調していかなければならないというわけです。 一つの可能性としては、もしかすると12月7日という日付を過ぎた時点で、その束縛が緩むということはあり得ると思います。そこが共和党議員団としてバイデン勝利を認めるきっかけになるかもしれません。それでトランプの抵抗が孤立して立ち往生となれば、大統領選の選挙人投票にも間に合い、政治空白は回避されます。ジョージア州の情勢が、ワシントンの政局にもリンクしているのです』、「ジョージア州の上院選決選投票」を控えて、「共和党としては何が何でも「トランプ旋風」の熱気を維持して、共和党支持者の選挙人登録に漏れのないようにしなければなりません。そのためにはワシントンの共和党議員団としては、当面はトランプの「敗北を認めない」姿勢に同調していかなければならない」、「ジョージア州の再選挙における「有権者登録の手続き」の締切」である「12月7日」、「を過ぎた時点で、その束縛が緩むということはあり得ると思います」、いずれにしても、中途半端な状態が続きそうだ。

次に、同じ冷泉氏が11月14日付けメールマガジンJMMに掲載した「共和党はトランプ離れができるのか?」を紹介しよう。
・大統領選については、11月3日(火)が投票日でしたが、日本でも報道されているように開票に時間がかかる一方で、11月7日(土)になって各メディアが一斉に、ジョー・バイデン候補の当確を報じました。その晩にバイデン、ハリスのコンビは大規模な勝利宣言集会を行って「次期大統領・副大統領」としての存在感を見せました。 一方で、トランプ大統領に関しては敗北宣言を行うというアメリカ憲政の伝統を無視して、あくまで負けを認めず法廷闘争を続けると宣言しています。こちらについては、歴史的に見ても異例の状況となっています。 いずれにしても、現時点での米政局は「トランプが一体どのタイミングで敗北を認めるのか?」「新旧政権で必要な業務引き継ぎはできるのか?」というスケジュール上の問題が当面の課題となっています。これに、上院の過半数をどちらが制するかという問題が重なっており、具体的には1月5日のジョージア州における上院議員の再選挙(2名の枠)の行方が注目されているわけです』、。
・『現時点では色々なことが言われています。例えば、本稿の時点(11月13日・金)では、ホワイトハウスにおいては「2021年から24年の二期目における政権構想」の立案が進んでいる、などという報道もあります。そんな中で、かねてより確執の報じられていたエスパー国防長官が更迭されたというニュースは、かなりの衝撃をもって受け止められました。このエスパー更迭ですが、うがった見方をすれば様々な憶測は可能です。 例えばですが「イエスマンを置いて証拠隠滅を図りたい」「亡命が容易な体制を整えたい」というような、やや荒唐無稽な説も成り立ちますが、「公約実現のため、タリバン承認によるアフガン撤兵、更には朝鮮戦争終結による在韓米軍の引き揚げ」などを進めようとしているのかもしれません。そうであれば、国際社会はかなり警戒をしなくてはいけないと思います。ただ、本当のところは、イエスマンにならない部下を切り、そのことで様々な憶測を引き出すことで政治的な求心力を維持しようとしているのでしょう。 一方でここ数日、徐々に共和党関係者から「バイデン氏を次期大統領として認めよ」という声が出てきているのも事実です。ただ、そのように「王様は裸だ」と言えるのは、自力で当選できる地盤のある政治家(例えばミット・ロムニー上院議員)、支持者の中に中間層を多く抱えている政治家(例えばマイク・デワイン、オハイオ州知事)、選挙のプロとして訴訟戦術の限界を理解している人物(例えば、ブッシュ政権の選挙参謀だったカール・ローブ)などに限られています。 そんな中で、11月13日(金)の夕刻、トランプ大統領は久々にホワイトハウスの「ローズガーデン」で会見を行いました。題目としては「ワープ速度プロジェクト」つまり、新型コロナのワクチン開発について政府が支援して「SFに出てくるワープの速度」で行うプロジェクトがあったということで、今回90%の効果が確認されたファイザー社のワクチンについて、まるで自分の功績のようなことを言っていました。ちなみに、ワクチンが完成してもNY州に関してはクオモ知事が「ワクチンのスピード開発にケチをつけた」ので反省して承認するまで供給しないなどと、子供のケンカのようなことを喋っていました。 案の定というべきか、あるいは驚くべきというべきか分かりませんが、この会見では「バイデン当選」という事実は、まったく無かったかのように扱われていたのです。トランプ大統領はまるで自分の政権が1月20日以降も続くかのように、「自分の政権は今後も一切ロックダウンはしない」と強い口調で宣言していたのでした。 またホワイトハウスのマクナニー報道官は、FOXビジネスニュースのインタビューで、「トランプはバイデンの就任式に出るのか?」と問われると「大統領は1月には自分の就任式に出る」と言明し、キャスターは困惑していました。 というわけで、大統領とホワイトハウスは一切「敗北を認めない」という姿勢ですし、共和党、特に議会共和党の多くは「敗北を認めないトランプ」に対して、沈黙しつつ同調するという異様な状況が続いています。 そんな中で、遅れていた開票作業はほぼ最終段階となり、アリゾナ州はバイデン勝利で各局が当確、そしてジョージア州も一部再集計作業がおこなわれているものの、各局がバイデン当確を出しました。アラスカとノースカロライナはトランプが取って、暫定的ですがメディア各局の当確を総合すると「バイデン306、トランプ232」となって、選挙人獲得数としては丁度4年前の結果の正反対になっています。 そんなわけで、トランプを取り巻く状況はどんどん狭まっているわけです。ところで、大統領自身が「意地になっている」のはともかく、共和党の側が同じようにこの「意地の張り合い」に、消極的であるにせよ同調していることは、どう説明したら良いのでしょうか? この不思議な状態ですが、一つのファクターとしては、ジョージア州の「再選挙」という問題があります。上院議員の選挙というのは、1つの州の場合、6年のサイクルで3回ある議会選挙のタイミングについて1議席改選が2回、改選議席なしが1回というローテーションになっています。ですが、ジョージア州の場合は欠員の補選があるため、今回は本選挙と補欠選挙の2議席について民意の審判を受けることになっています。 また、ジョージアの選挙法制では「50%を超える当選者」が出ないと再選挙を行わねばなりません。そこで今回の2議席については、11月の選挙では僅差のため「誰も50%を越えなかった」ために1月5日に再選挙となる見込みです。この再選挙で、民主党は2議席の双方を取れば50対50のタイに持ち込めます。与党の場合は、上院議長を兼ねる副大統領(2021年からはハリス氏)が最終の1票を投じることができますから、50対50となれば民主党としては上院をコントロールできるのです。 反対に共和党としては、1議席でも取れば「51対49」となって、上院の多数派を維持することができます。そうなれば、バイデン新政権の閣僚人事において、自分たちの同意がなくては選任ができなくなります。最高裁判事の人事もそうです。ですから、投票日の1月5日まで、仮にそうでなくても「選挙人登録の締切」である12月8日までは「共和党とトランプ派の結束」は崩せないということになるのかもしれません。 ここまでは直近の話ですが、問題はその先です。トランプは、12月までに敗北を認めるかもしれませんし、認めないとしても1月20日が来れば大統領ではなくなります。その場合に、共和党としては「トランプ後の党勢再建」を目指すはずであり、トランプは「過去の人」になるはずでした。また、多くの報道がされているように、様々な違法行為について、あるいは民事上のトラブルに関して訴訟を受ける立場、あるいは巨額の個人負債、そして企業の債務などに苦しむことも予想されていました。 けれども、事態は少し違って来ているのを感じます。というのは、今回の選挙結果が圧倒的だったからです。大統領選の勝敗ということでは、現時点ではバイデン次期大統領が全体の50.9%、トランプ大統領が47.3%という差で勝っています。ですが、負けたトランプ陣営も7295万票(「クック・ポリティカル・レポート」による。11月13日時点)を獲得しています。 この空前の票数は、巨大な同時選挙であった上下両院の選挙に大きな影響を与えました。共和党として、恐らく10月中旬には「過半数を民主党が制している下院では、議席数の差を拡大される」だろうし、「上院の過半数も民主党に簡単に奪取される」という予想をしていたはずです。 また、大統領が「郵送投票は不正の温床」だと吠えるたびに、「民主党のライバルが郵送投票でどんどん得票していく」勢いに「自分たちは離されていく」として困惑をしていたに違いありません。 ですが、蓋を開けてみれば「トランプが7千3百万という巨大な票を引っ張ってきた」のです。議会選挙ということでは、勿論、全部をトランプが持ってきたわけではなく、各候補の基礎票というのはあるでしょう。ですが、もしかしたら落ちるかもしれないという恐怖に駆られていた共和党の候補たちが、結果的にトランプの担いできた票で通ってきた、これは否定できない事実だと思います。 勿論、彼らは百戦錬磨の政治のプロですから、去りゆくトランプに恩義などは感じていないでしょう。ですが、仮にトランプ現象がなく、「保守的な浮動票」が投票所に来なかったのであれば、自分は選挙に落ちていたのです。 このトランプ現象を別にすると、共和党の党勢ということでは、全国レベルでは退潮の気配があります。今回の大統領選でジョージアを落としたのには様々な複合要因があると思われますが、辛勝したノースカロライナやテキサスについては、巨大な民主党支持者が東北部や西海岸から「ニュー・エコノミーのフロンティア」を求めて移動してきているのは否定できません。 特にテキサスは、2018年の中間選挙でも、今回の大統領選でも基礎票では民主党に肉薄されており、トランプによる「上乗せ」がなければ番狂わせが起きていたのです。このトランプによる集票ですが、誤解のないように申し上げておけば、この7千3百万票がすべて「白人至上主義」や「排外主義」というわけではありません。その半分は恐らくは「コロナによるロックダウンへの忌避票」だったと思われます。 そうではあるのですが、共和党としては、消極的な保守票を投票所へ引っ張ってきた求心力として、ドナルド・トランプという存在の大きさを改めて実感しているのは間違いないと思います』、「トランプによる「上乗せ」・・・この7千3百万票がすべて「白人至上主義」や「排外主義」というわけではありません。その半分は恐らくは「コロナによるロックダウンへの忌避票」だったと思われます。 そうではあるのですが、共和党としては、消極的な保守票を投票所へ引っ張ってきた求心力として、ドナルド・トランプという存在の大きさを改めて実感しているのは間違いない」、やはり「トランプ」氏は非凡な力を持っているようだ。
・『ここまでの集票力を見せつけたことで、もしかしたらトランプは2021年以降も有効な政治的資産を獲得してしまったのかもしれません。確かに、「タダの人」となれば刑事・民事双方の訴追の危険はあります。ですが、7千3百万という有権者の支持があれば、この人を収監してオレンジの囚人服のまま晩年を送らせるというのは難しくなるかもしれません。 また、例えば「自分を裏切ったFOXニュース」に対抗して「トランプ・チャンネル」のようなものを、ケーブルもしくはストリーミングで立上げて行けば、巨大な影響力と共に、カネも集めることが可能になるかもしれないわけです。そうなれば、噂されている多額の債務についても、何とか借り換えて乗り切ることができるかもしれません。 もしかしたら、トランプはこの7千3百万という有権者に対して、中核にいるコア支持層だけでなく、「ふわっとした民意」で彼に従った票についても、「1月20日以降」の世界で、どのように支持をつなぎとめるかを計算しているのかもしれません。 この点に関しては、例えば、トランプが2024年の大統領選に出馬するかどうかという問題が、あれこれと取り沙汰されています。確かに2期目に挑戦して敗北した前大統領は、まだ4年しか大統領の座にいないわけですから、合衆国憲法の規定により4年後に出馬することは可能です。過去には、19世紀末に、4年の「浪人期間」をはさんで第24代と26代の2期にわたって大統領職にあったグローバー・クリーブランド(民主)という前例があります。 但し、2024年に出るということは、今回の2020年については「敗北を認めることになる」ということで、大統領の周辺では今のところは不評のようです。ですが、仮に1月20日に下野したとしても、2024年を意識することで、政治的な影響力を行使し続けることは可能です。 例えばですが、2008年に副大統領候補として「落選」したサラ・ペイリンは、2010年に本格化した「ティーパーティー(茶会)」運動においては、そのシンボルとなって行きました。ペイリンと比較すると、トランプの影響力は遥かに大きなものとなる可能性があるわけです。いわば「闇将軍トランプ」として政界への影響力を続けるということです。そう考えると、議会共和党が「トランプ離れ」をするのには、かなりの困難が伴うということが分かります。 民主党のバイデン次期大統領は、分断からの癒やし(ヒーリング)を強く主張しています。政治的にはバイデンは民主党の穏健派ですから、共和党の穏健派との相性は良いわけです。そして民主党の穏健派と共和党の穏健派が連携して、超党派の体制で「コロナ禍からの社会と経済の再生」を進めていくというのが、バイデン新政権の方針であると思います。 ですが、共和党の側にそのような姿勢が出てくるのかというと、この「闇将軍トランプ」が隠然たる権力を維持するとなると、難しくなるかもしれません。いずれにしても、これからの2ヶ月間、敗北をなかなか認めないトランプとその周辺、早く新政権の基盤を固めたいバイデンとその周辺が、様々な形で政治的に競っていくのだと思います。それと並行する形で、共和党における「トランプ離れ」の難しさという問題が当分の間は続くて行くのではないかと考えます』、「バイデン次期大統領」に安全保障上のブリーフィングは行われてないようだが、「トランプ」が負けを認めない限り、安全保障上の権力の空白が生じ、そこに付け込む動きが出た場合には、大変なことになる。困ったことだ。

第三に、11月17日付けNewsweek日本版が掲載した元CIA諜報員のグレン・カール氏による「トランプが去っても「トランプ政治」はアメリカを破壊し続ける」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/glenn/2020/11/post-55.php
・『<全世界が驚いた共和党のしぶとさ──民主主義の土台を蝕み始めたアメリカ文化に潜む「悪魔」とバイデンは戦うことになる。本誌「米大統領選2020 アメリカの一番長い日」特集より> アメリカでは誰もが固唾をのんで大統領選の開票状況を見守り、ドナルド・トランプ大統領の──そして連邦議会選での共和党の──思わぬ強さに驚きを感じずにいられなかった。 最終的にどのような決着を見るにせよ、この選挙のダメージは後々までアメリカをさいなむだろう。だが、問題は今回の選挙で生まれたわけではない。アメリカの文化に潜む「悪魔」が社会と政治システムをむしばみつつあるのだ。この国の文化と政治でゆっくり進んできた変化にテクノロジーの影響が相まって、社会と政治が半ば機能不全に陥っている。 トランプが破壊を強力に推し進めてきたことは確かだが、アメリカの社会と政治が機能不全に陥った直接的な要因は、少なくとも約60年前、見方によっては240年前の建国時から存在していた。たとえトランプが退場しても、政治の麻痺と社会の退廃が解消されるわけではない。 共和党が現在のような政治姿勢を取るようになったのは1964年のこと。極右が党内の主導権を握り、この年の大統領選でバリー・ゴールドウォーターを大統領候補に選んだ(本選挙では現職のリンドン・ジョンソンに敗北)。その指名受諾演説でゴールドウォーターが述べた言葉はあまりに有名だ。「自由を守るための急進主義は、全く悪ではない。正義を追求するための穏健主義は、全く美徳ではない」 これ以降、共和党はひたすら右へ右へと歩み続けてきた。今では、妥協することを民主主義の重要な原則と考えるのではなく、原理原則への裏切りと見なす傾向が強まっている。 その後60年近くの間に、共和党は連邦政府への敵意を強めていった。ロナルド・レーガンは1981年の大統領就任演説で、「政府こそが問題だ」と述べた。「政府」と妥協への敵意は、これ以降も強まる一方だった。 トランプも4年前、政治のアウトサイダーとして大統領選の勝者になった。政界の腐敗と癒着を大掃除し、利己的な政治家と官僚を一掃するという期待を担っていたのだ。 私は数年前、カリフォルニアで結婚披露宴に出席したとき、トランプ支持者の考え方を痛感した。このパーティーで、隣席の男性から職業を尋ねられた。そういうとき、私はたいてい「CIAで働いています」とは答えない。その日も「ワシントンで政府の仕事をしています」と答えた。すると、男性は私をまじまじと見て「あなたは敵だ」と言った。 「いや、違いますよ。私は公僕です。国民が望む仕事をしているのです」と反論したが、男性の態度は変わらなかった。「いや、あなたたちは私たちの自由を奪おうとしている」 このような発想は共和党と、草の根保守連合ティーパーティー、そして「QAnon(Qアノン)」と呼ばれるトランプ支持の陰謀論者たちの間に広まっている。) ティーパーティーやQアノンの活動が政府の機能麻痺を生むことは、ほぼ避けられない。ティーパーティーはこれまでも連邦政府をたびたび一時閉鎖に追い込み、新しい法律や政府の行動をことごとく阻止しようとしてきた。そうした先には確実に、社会の混乱が待っている』、「共和党が現在のような政治姿勢を取るようになったのは1964年のこと。極右が党内の主導権を握り、この年の大統領選でバリー・ゴールドウォーターを大統領候補に選んだ・・・共和党はひたすら右へ右へと歩み続けてきた。今では、妥協することを民主主義の重要な原則と考えるのではなく、原理原則への裏切りと見なす傾向が強まっている。 その後60年近くの間に、共和党は連邦政府への敵意を強めていった」、「共和党」に反「連邦政府」の長い歴史があるとは初めて知った。
・『国民に政府を憎ませた共和党  私の大学時代の同級生で共和党に絶大な影響力を持つ全米税制改革協議会会長のグローバー・ノークイストはこの40年間、連邦政府の規模を半分に減らすことを共和党の主要な長期目標の1つと位置付けてきた。社会保障・福祉制度をほぼ全廃し、連邦政府の役割を国防と国境警備に限定しようというのだ。 共和党の政治家が選挙でノークイストのグループの支援を受けるためには、「誓約書」に署名しなくてはならない。決して増税に賛成しないことと、連邦政府の規模の半減を目指すことを約束させられるのだ。 当然、民主党や多くの国民はこうした動きに反対する。その結果、イデオロギー対立が深刻化し、互いに妥協しようとしなくなる。それが政治の麻痺を生み出し、社会を大混乱に陥れてきた。いま大統領選をめぐって起きていることはその典型だ。 それでも、ノークイストと共和党は、多くのアメリカ人に「政府」への脊髄反射的な敵意を持たせることにかなりの成功を収めてきた。トランプを支持し、「民兵組織」の一員として、「法と秩序」を守るためと称し街頭に繰り出す膨大な数のアメリカ人は、政府を文字どおり敵と見なしている。 1995年には、民兵組織とつながりのある男がオクラホマ州の連邦政府ビルを爆破し、168人の命を奪う事件が起きた。FBIとCIAは長年にわたり、アメリカ国内の安全を脅かす最大の脅威は(イスラム過激派のテロ以上に)民兵組織だと警鐘を鳴らしてきた。しかし、共和党のリーダーたちは、そうした警告を年次報告書に記さないようにと、FBIとCIAに指示していた(私は報告書の執筆を数回担当したことがあるので、それをよく知っている)。 トランプに至っては、2017年にバージニア州シャーロッツビルの極右集会で人種差別的・ユダヤ人差別的なスローガンを掲げたグループや、この10月にミシガン州知事の誘拐を企てたグループを擁護するような発言を繰り返している。 いまアメリカ人の25~40%は、民主主義と相いれない考え方を持っている。政治的取引と妥協を嫌悪する彼らは、ワシントンの腐敗した政治家と官僚のせいで正しい政策が阻まれていると考えているのだ。そこで、「政治家」ではない「アウトサイダー」に期待を寄せる。支持者はトランプをそのような存在と位置付け、トランプ自身も4年前、アメリカの課題を解決できるのは自分しかいないと胸を張った。 問題は、それがファシズムの温床になりかねないことだ。腐敗したエリートと官僚機構から人々を守るためには強力なリーダーが必要だという発想は、民主主義の土台を揺るがし、政府を機能不全に陥れて、社会不安と暴力を生む危険がある。) だがアメリカの危機は、人々のファシスト的・反政府的傾向よりも深刻だ。建国以来240年、アメリカの偉大さの源泉だった文化的特性が今では政治的・社会的動脈硬化の原因に変わり、このままアメリカを衰退に導く恐れがある。 アメリカが自国の統治に苦労する背景には、少なくとも5つの人的・文化的要因がある。アメリカ人の考え方、「部族」主義、テクノロジーと政治の変化、社会的「調整役」の消滅、そしてアメリカ文化に内在する「悪魔」の存在だ』、「共和党の政治家が選挙でノークイストのグループの支援を受けるためには、「誓約書」に署名しなくてはならない。決して増税に賛成しないことと、連邦政府の規模の半減を目指すことを約束させられるのだ。 当然、民主党や多くの国民はこうした動きに反対する。その結果、イデオロギー対立が深刻化し、互いに妥協しようとしなくなる。それが政治の麻痺を生み出し、社会を大混乱に陥れてきた」、強力な右派バネだ。「トランプを支持し、「民兵組織」の一員として、「法と秩序」を守るためと称し街頭に繰り出す膨大な数のアメリカ人は、政府を文字どおり敵と見なしている」、「FBIとCIAは長年にわたり、アメリカ国内の安全を脅かす最大の脅威は・・・民兵組織だと警鐘を鳴らしてきた。しかし、共和党のリーダーたちは、そうした警告を年次報告書に記さないようにと、FBIとCIAに指示していた」、かなり危険な右派の暴力組織を抱えているようだ。
・『「集団的真実」に縛られて  私はCIAの「高度尋問テクニック」(つまり拷問)を通じて、不本意にも人間の本性について学ぶことになった。おそらく最も重要な発見は、拘束者ではなくCIAの同僚たちに関するものだった。 同僚は上官に拷問を命令され、疑問を抱かず実行した。いったん集団にとっての「真実」が決まると、ほとんどの人間が無意識に上からの影響を受けるため、「真実」に反するあらゆる事実を否定しようとする。 私たちは観察した出来事をそのまま認知すると思っている。自分では理性的に考え、行動していると考えている。だが、実はそうではない。 私たちは自分の先入観に合わせて物事を認知する。私たちの「理性」とは、両親や指導者、社会から無意識に刷り込まれた思い込みや信念に合致する選択的認知の集まりだ。 私たちはまた、「部族的」な存在でもある。私たちが所属する集団の「真実」が、自分の真実になる。 私たちは無意識に、所属する「部族」によって設定された枠組みの中で考えている。リーダーの思想や、何度も繰り返し聞かされたことが、私たちの信念を形作る。 個人がこの認識や信念の壁を乗り越えることは、ほぼ不可能だ。共和党の指導者が「政府は敵だ」と言えば、やがてそれが多くの人にとって現実の枠組みになる。こうして受け入れられた「真実」に事実が勝つことはほとんどない』、「私たちは自分の先入観に合わせて物事を認知する。私たちの「理性」とは、両親や指導者、社会から無意識に刷り込まれた思い込みや信念に合致する選択的認知の集まりだ。 私たちはまた、「部族的」な存在でもある。私たちが所属する集団の「真実」が、自分の真実になる」、その通りなのだろう。
・『建国の理想が生んだ皮肉  テクノロジーの進歩もアメリカの政治的危機の一因だ。新聞、雑誌、放送は、世界をどう認識するか、真実は何かを伝える媒介者の役割をソーシャルメディアに奪われた。メディアの中にいる社会的「調整役」と呼ばれる専門家は、もはや現実という物語の主要な語り手ではない。 「真実」は多様化し、存在しなくなったことさえある。「見るもの、読んだものを信じるな」と、トランプは言った。何が真実であり現実かは自分が決めるというわけだ。 今や指導者や集団の好みに合わない事実は「フェイク」。テクノロジーは人々の信条や信念を細分化させ、この国の政治システムを破壊する危険性がある。 こうした現象はどの国にもある。だが、アメリカの個人主義は米社会の決定的な特徴であり、アメリカに特有の課題を生み出す。受け入れられた「真実」や部族主義、テクノロジーの変化、社会的「調整役」の消滅と相まって、社会のゆがみを悪化させている。 選挙権の拡大を通じて民主主義と個人の権利を広め、全ての社会階層を平等に近づけ、指導者を選ぶプロセスを民主化する──アメリカはこの建国の理念を誇りにしてきた。 だがリーダーシップの民主化は、リーダーの仕事を飛躍的に難しくする。かつて政党指導者は同僚政治家の選挙区向けに予算を振り向けることで(あるいは逆に予算の割り当てを拒否することで)、党内をコントロールできたが、もはやそれは不可能だ。政党は数十年前よりはるかに弱く、選挙で選ばれた議員は今ではほぼ独立したプレーヤーとなっている。 同様に意見や行動の形成を助ける社会的「調整役」が誰なのかについて、アメリカ人の意見はもはや一致しない。この変化がアメリカの「共通の物語」を摩耗させ、民主主義の機能を弱体化させている。 この歴史的なエリートの凋落と、倫理観と事実に関する相対主義の蔓延は、ある意味で「全ての人間は平等に造られた」と1776年の独立宣言でうたわれたアメリカの理想の究極の姿でもある。だが、合衆国憲法に大きな影響を与えたフランスの思想家モンテスキューはこう警告していた。 「民主主義の原理は、平等の精神を失ったときだけでなく、極端な平等に走り、一人一人が指導者として選んだ人間と平等な存在になりたいと願ったときにも堕落する」 トランプ時代はこの予言どおりの麻痺と混沌をもたらした。現代アメリカでは、政治における専門知とヒエラルキーが破壊され、意見の多様性と客観的事実を確認するための社会的「調整役」が機能していない。 この傾向はトランプ個人に限った話ではない。「バイデン大統領」と全てのアメリカ人は、建国の理念の行き過ぎと、テクノロジーと現代の社会規範が生み出した社会と政治の断片化によって麻痺した社会に対処しなければならない。 アメリカは今も活気にあふれ、ダイナミックで、常に変化し続けている。しかし、建国の理念の行き過ぎによって麻痺あるいは衰退していく社会は、少なくとも1つの重要な意味で退廃的と呼ぶしかない』、「現代アメリカでは、政治における専門知とヒエラルキーが破壊され、意見の多様性と客観的事実を確認するための社会的「調整役」が機能していない。 この傾向はトランプ個人に限った話ではない。「バイデン大統領」と全てのアメリカ人は、建国の理念の行き過ぎと、テクノロジーと現代の社会規範が生み出した社会と政治の断片化によって麻痺した社会に対処しなければならない」、「バイデン大統領」も極めて困難な課題に挑戦することになりそうだ。

第四に、11月19日付けNewsweek日本版「「バイデン「手に入らないものがたくさんある」 政権移行を承認しない一般調達局に不満表明」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/11/post-95031.php
・『米大統領選で勝利を確実にした民主党候補バイデン氏は18日、一般調達局(GSA)が政権移行を正式承認しないことが、新型コロナウイルス対策を遂行する上で最大の妨げになっていると不満を表明した。 バイデン氏は「われわれの手に入らないものがたくさんある」と語り、新型コロナのワクチン配布計画などを挙げた。 GSAのマーフィー長官が大統領選の勝者を認定しない限り、バイデン氏と政権移行チームに予算や政府施設、国家機密情報などが提供されないが、マーフィー氏はまだ認定を下していない。 バイデン氏は、医療従事者などとのオンラインイベントで、そうした資源をすぐ利用できないと次期政権のコロナ対策が数週間から数カ月遅れると指摘。政権準備の面で目下、GSAの対応だけが問題になっていると強調した。 マーフィー氏の姿勢を巡っては、選挙監視団体や民主党だけでなく、共和党内からも批判の声が増えつつある。GSAの広報担当者はバイデン氏の発言に先立ち、「長官は合衆国憲法の規定に則り、勝者がはっきりすればそれを認定するだろう」とコメントした。 トランプ政権のある高官は、ホワイトハウスがマーフィー氏にバイデン氏の勝利認定を控えるよう圧力をかけてはいないと言明した。 ニュージャージー州のフィル・マーフィー知事(民主党)は18日、CNNに対して、毎日ホワイトハウスのコロナウイルス専門家と話しをする一方で、バイデン氏の諮問委員会とは別に新型コロナに関してコミュニケーションを取っているという「バカげた状況」にあると説明した。 知事は「双方の陣営は話をしていない。そしてそのことは大きな問題だ」と指摘し、「今後のワクチン供給を危険にさらし、さらには、命も危険にさらす恐れがある大きな問題だ」と懸念を示した』、「GSAのマーフィー長官」に対し、職務怠慢で訴えを起こせばよいとも思えるが、そんな簡単なものではないのだろう。トランプの居直り戦術も困ったものだ。
タグ:「集団的真実」に縛られて (その1)(敗北を認めないトランプを共和党議員団が支持し続ける理由、共和党はトランプ離れができるのか?、トランプが去っても「トランプ政治」はアメリカを破壊し続ける、バイデン「手に入らないものがたくさんある」 政権移行を承認しない一般調達局に不満表明) JMM 現代アメリカでは、政治における専門知とヒエラルキーが破壊され、意見の多様性と客観的事実を確認するための社会的「調整役」が機能していない。 この傾向はトランプ個人に限った話ではない。「バイデン大統領」と全てのアメリカ人は、建国の理念の行き過ぎと、テクノロジーと現代の社会規範が生み出した社会と政治の断片化によって麻痺した社会に対処しなければならない 共和党はひたすら右へ右へと歩み続けてきた。今では、妥協することを民主主義の重要な原則と考えるのではなく、原理原則への裏切りと見なす傾向が強まっている。 その後60年近くの間に、共和党は連邦政府への敵意を強めていった 共和党としては、消極的な保守票を投票所へ引っ張ってきた求心力として、ドナルド・トランプという存在の大きさを改めて実感しているのは間違いない 「トランプが去っても「トランプ政治」はアメリカを破壊し続ける」 共和党が現在のような政治姿勢を取るようになったのは1964年のこと。極右が党内の主導権を握り、この年の大統領選でバリー・ゴールドウォーターを大統領候補に選んだ FBIとCIAは長年にわたり、アメリカ国内の安全を脅かす最大の脅威は この7千3百万票がすべて「白人至上主義」や「排外主義」というわけではありません。その半分は恐らくは「コロナによるロックダウンへの忌避票」だった 「共和党はトランプ離れができるのか?」 共和党、特に議会共和党の多くは「敗北を認めないトランプ」に対して、沈黙しつつ同調するという異様な状況が続いています トランプ派の票が「面倒だから棄権」ということにならないよう、11月3日と同じような勢いを維持する必要があります。共和党議員団の多くの政治家が、バイデン当選を認めず、トランプ派と同じように証拠もないままに「選挙不正」を叫んだり、不自然なまでに沈黙を貫いているのはそのため ジョージア州の再選挙における「有権者登録の手続き」の締切」である「12月7日」、「を過ぎた時点で、その束縛が緩むということはあり得ると思います 冷泉彰彦 ジョージア州における上院議員の再選挙(2名の枠)の行方が注目 トランプの「敗北を認めない姿勢」を支持 「選挙人登録の締切」である12月8日まで VS バイデン 「共和党とトランプ派の結束」は崩せない 鍵になるのはジョージア州の上院選 「敗北を認めないトランプを共和党議員団が支持し続ける理由」 投票日の1月5日まで 年明けに予定されているジョージア州上院選の決選投票が、トランプを支持せざるを得ない状況を生んでいる Newsweek日本版 今回の選挙における議会共和党は、上下両院で事前の予想を完全に覆す善戦を見せているわけで、党勢の後退を食い止めることに成功しました トランプ 共和党における「トランプ離れ」の難しさという問題が当分の間は続く 「トランプが7千3百万という巨大な票を引っ張ってきた」 「「バイデン「手に入らないものがたくさんある」 政権移行を承認しない一般調達局に不満表明」 GSAのマーフィー長官が大統領選の勝者を認定しない限り、バイデン氏と政権移行チームに予算や政府施設、国家機密情報などが提供されないが、マーフィー氏はまだ認定を下していない 建国の理想が生んだ皮肉 民兵組織だと警鐘を鳴らしてきた。しかし、共和党のリーダーたちは、そうした警告を年次報告書に記さないようにと、FBIとCIAに指示していた グレン・カール 国民に政府を憎ませた共和党 トランプが2024年の大統領選に出馬するかどうか 刑事・民事双方の訴追の危険 トランプは2021年以降も有効な政治的資産を獲得してしまったのかもしれません 私たちは自分の先入観に合わせて物事を認知する。私たちの「理性」とは、両親や指導者、社会から無意識に刷り込まれた思い込みや信念に合致する選択的認知の集まりだ。 私たちはまた、「部族的」な存在でもある。私たちが所属する集団の「真実」が、自分の真実になる
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外食産業(その2)(114店を閉鎖「いきなり!ステーキ」復活への険しい道のり、ワタミが「焼肉」へ大胆転換せざるを得ない事情 ウィズコロナ戦略で居酒屋の3分の1を新業態へ、ラーメン店の倒産ラッシュが必然でしかない訳 「1000円の壁」突破する仕掛けが生き残りの鍵だ) [産業動向]

外食産業については、昨年8月25日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(114店を閉鎖「いきなり!ステーキ」復活への険しい道のり、ワタミが「焼肉」へ大胆転換せざるを得ない事情 ウィズコロナ戦略で居酒屋の3分の1を新業態へ、ラーメン店の倒産ラッシュが必然でしかない訳 「1000円の壁」突破する仕掛けが生き残りの鍵だ)である。

先ずは、本年7月9日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの重道武司氏による「114店を閉鎖「いきなり!ステーキ」復活への険しい道のり」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/275730
・『崖っぷちからひとまず生還――といったところか。外食チェーン大手のペッパーフードサービスが安価なステーキが主体の洋食事業「ペッパーランチ」の売却に踏み切る。売却資金は、今月末に期限の迫っている短期借入金20億円の返済原資や主力「いきなり!ステーキ」事業のリストラ費用などに充てる。単体ベースで約70億円の売却益を計上できる見込みで、債務超過転落の危機に瀕していた財務基盤も「一息つく」(関係者)格好だ。 売却するのは6月に本体から分離したペッパーランチ運営子会社、JP社株。人気アパレル「WEGO」の買収などで知られる独立系投資ファンドのJ―STARに8月末メドに譲渡する。売却金額は85億円だが、JP社の収益目標達成度合いに応じて最大102億円まで増額される。 ペッパーフードは「いきなり」の急速大量出店などがたたって2019年12月期で27億円強の最終赤字に陥った。このため自己資本比率が同12月末時点でわずか2%に低下、債務超過が目前に迫っていた。この間、資金の流出も加速。現預金は1年間で42億円超目減りして24億円余にまで落ち込むなど手元流動性は一気に逼迫した。 そこに襲い掛かったのがコロナ禍だ。多くの店舗が休業を余儀なくされ、株価低迷で3月には増資も中断。6月には2位株主で主要取引先の食肉製造、エスフーズの村上真之助社長個人から借金して当座の資金繰りをしのがざるを得ないハメに追い込まれるなど経営は「綱渡り」(事情通)状態に陥っていた』、「「いきなり」の急速大量出店」では、ニューヨークにまで出店したが、苦戦していたようだ。
・『全国で114店舗を閉鎖  それだけにJP売却収入はまさに「干天の慈雨」。これを元手として「いきなり」主体に全国で114店舗を閉鎖。対象店舗の従業員を中心に200人規模での希望退職も実施する。 もっとも市場関係者の間ではこれが「いきなり」再生の足掛かりになるか、危ぶむ声も少なくない。国内ステーキ市場は規模が限られるうえ、「ステーキガスト」や「やっぱりステーキ」といった競合店が勢力を広げるなど競争環境は日増しに厳しさを増しているからだ。金融筋からは「立て直しにつまずけば『いきなり!倒産』もあり得る」との声もちらほら』、「ペッパーランチ」が「85億円」で売れたので、まさに「干天の慈雨」だが、「国内ステーキ市場」の「競争環境は日増しに厳しさを増している」、「再生」できるかどうかは予断を許さないようだ。

次に、10月13日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家、百年コンサルティング代表の鈴木 貴博氏による「ワタミが「焼肉」へ大胆転換せざるを得ない事情 ウィズコロナ戦略で居酒屋の3分の1を新業態へ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/380954
・『居酒屋チェーン大手のワタミが居酒屋360店舗のうち120店舗をこれから1年半かけて焼肉店「焼肉の和民」に業態転換をする方針を打ち出しました。新型コロナウイルスの影響で今年8月の居酒屋の売り上げは対前年42.3%(日本フードサービス協会調べ)と6割近く下落しています。 一方で焼肉店は85.6%(同)と9割近くまで回復しているという事情があります。そこでワタミでは居酒屋のうち主に郊外に立地する店舗を焼肉業態に転換しようというのです。 今回の記事のキーワードは「ウィズコロナ」。ワタミの渡辺美樹会長はコロナ後も居酒屋市場は従来の7割に戻らないと想定しているそうです。ウィズコロナ時代、仕事帰りに居酒屋で同僚と飲んで帰る需要は確かに減りそうです。そもそもリモートワークが増えるので世の中の需要構造は長期にわたって変わってしまうわけです。 ではなぜ焼き肉屋なのか?2つの観点でウィズコロナ時代の飲食店の変化についてまとめてみたいと思います』、興味深そうだ。
・『国内牛肉市場の需給が大きく崩れた?  まず1つ目の視点は和牛です。ワタミのニュースよりも少し前、2020年9月にトリドールが経営する丸亀製麺で5日間、数量限定の特別メニューが登場しました。「神戸牛すき焼きうどん(982円、税別)」と「神戸牛づくし膳(1618円、同)」です。 1000円を切る価格で神戸牛というのは外食産業の原価を知っている立場としては破格のメニューだと感じました。実際に食べに行きましたが、肉質に関して言えば高級店と遜色がない、すばらしい一皿でした。 吉野家では10月5日からやはり数量限定で創業以来初の黒毛和牛を使ったメニューである「黒毛和牛すき鍋膳(998円、税別)」を発売しました。従来のアメリカ牛を使った「牛すき鍋膳(648円、同)」も併売しているのですが、食べてみると黒毛和牛はやはり違います。部位としてはバラ肉を使っているとはいえ、一流のすきやき専業店の昼のランチと比べその味に違いはありません。 吉野家の場合もバイヤーの7年にわたる悲願のメニューだったそうです。実現した大きな理由は新型コロナで「国内の牛肉市場における生産と消費のバランスが適正でない状況」になったことが大きいようです。今年4月に話題になったように新型コロナによって接待需要が大幅に減ったことで黒毛和牛の在庫が大幅に増えてしまったわけです。 そこであくまで数量限定ということではあるのですが、大手飲食チェーンの特別メニューとして黒毛和牛商品が比較的手が届きやすい価格で登場しました。ここまではコロナの真っ最中のありえそうな出来事ではありました。しかしここでアフターコロナはどうなるのかという新しい問題があります。そこでワタミなのです。 アフターコロナでも居酒屋の売り上げは7割しか元に戻らないというのがワタミの想定ですが、その想定が正しければ高級黒毛和牛の生産者にとってもウィズコロナ時代には黒毛和牛の需要は7割程度しか元に戻らないことが考えられるかもしれません。ここでワタミが「独自にブランド牛の和民和牛を開発した」という話に意味が出てきます。 ウィズコロナの時代、黒毛和牛の生産者組合も需要構造を変える必要が出てきます。短期的にはトリドールや吉野家に提供したような形で期間限定メニューで余剰在庫をさばくとしても、長期的に需要が戻らないとすれば長期安定的に供給できるエンドユーザーが必要になる。ワタミと生産農家がこのようなタッグを組み始めたことがまずウィズコロナ時代の未来の和牛の需給を予感させる最初のポイントとして注目すべき点だと思います』、「ウィズコロナ」時代の「ワタミ」の戦略は、確かに要「注目」だ。
・『もっと少ない人数で同じサービスを提供できないか  さて、ウィズコロナ時代の経営に関する2つ目の視点は生産性です。飲食店の経営者にとってアフターコロナになったとしても以前のようには顧客が戻ってこないことが1つの悩みです。短期的に顧客が減ったのも確かですが、長期的に減った顧客の一部は二度と戻ってこない可能性がある。ではどうすればよいか?店舗運営の生産性を変える必要があるのです。 たとえウィズコロナ時代に収入が減ったとしても、店舗経営の観点ではコストも下がれば利益は維持できる可能性があります。ただ飲食店の場合、食材の原価を下げるわけにはいかないとすると、最もカイゼンしやすいのは従業員の人数です。もっと少ない人数で同じサービスができないかを飲食店経営者が考えなければならない時代なのです。 東京の目黒にラッセというイタリア料理店があります。ミシュラン一つ星の高級店なのですが、ほかの飲食店がコロナで大打撃を受ける中で今年3~5月で黒字を出したことで注目を集めました。 ラッセのオーナーシェフの村山太一さんはとても面白い発想をする方で、9年間ミシュランの星を維持する一方で、このままではだめだと考え2017年に休日はサイゼリヤでバイトを始めます。そこでサイゼリヤのさまざまな生産性向上手法を観察し、それをラッセに持ち込みました。 結果を言えばそれまで9人必要だった従業員が4人でお店を回せるようになったそうです。スタッフ1人当たりの売り上げは、2018年と2019年の比較で2.2倍になった一方で、1日当たりの従業員の労働時間はそれまでの16時間から9時間半へと4割減ったといいます。つまりお店の生産性が画期的に向上したのです。 村山太一さんの書かれた著書『なぜ星付きシェフの僕がサイゼリヤでバイトするのか? 偏差値37のバカが見つけた必勝法』(飛鳥新社)を読んで私も興味を持ってラッセに出かけてみたのですが、確かにお店は4人で回っていました。フロアが2人、厨房が2人、それでもサービスにまったく不満を感じませんでしたし、食事の内容については大満足でした。 わたしたちコンサルティング業界の用語で、顧客の付加価値にならない業務を発見してその仕事をカイゼンする手法のことをバリューエンジニアリングと言います。高級飲食店の場合はこのバリューエンジニアリングの余地がかなりあるようです。例えばラッセの場合、テーブルクロスのアイロンがけをやめて、しわ伸ばしスプレーで済ませるようにしたのですが、これはバリューエンジニアリングの実例です』、「ラッセ」の「オーナーシェフ」が、「休日はサイゼリヤでバイト」、「さまざまな生産性向上手法を観察し」、「それまで9人必要だった従業員が4人でお店を回せるようになった」、「高級飲食店の場合はこのバリューエンジニアリングの余地がかなりあるようです」、というのは確かだ。
・『居酒屋チェーンのブレークスルーが業態転換か  飲食店の厨房にはグリストラップという油や野菜クズなどが下水に流れるのを防ぐ装置があります。通常のお店のグリストラップは掃除が大変でラッセでも週3回3時間かけて油でぎとぎとになった装置を掃除していました。サイゼリヤにはその掃除が9分で済むグリストラップがあったそうです。一般の飲食店が週9時間、本来はやらなくてはいい作業をしていたことが、サイゼリヤとの比較でわかったという事例です。 ラッセのカイゼンにはさらに奥深いものがあるのですがここではこれくらいの紹介にとどめておきます。ひとことでまとめると、一般の飲食店には生産性という観点でいえば大きな生産性改善の余地があるのです。 ただ、私もコンサルになる前はマクドナルドで働いていた経験があるのでわかるのですが、大規模飲食チェーンではこのようなエンジニアリングはかなり進んでいて、一般の飲食店と比較すると生産性の改善の余地は大きくはありません。ですからウィズコロナで需要が7割になったら従業員も7割に減らすというのはなかなかできないことです。 そこでブレークスルーになるのが業態転換だということなのかもしれません。居酒屋と比較すれば焼肉店の運営は従業員の人数が少なくても運営できます。 これは細かくいえばセントラルキッチンにどれだけ工程を委ねるかという割り切りにも関係してきます。セントラルキッチンのある大手焼肉店でも品質にこだわるお店は、枝肉を部位ごとに切り出すとそこで真空パックして店舗に配送します。店舗では職人さんが注文に応じて包丁で肉を切る。そうすればよりおいしく焼肉を提供できます。 しかし冷凍技術や保存技術が進んでいるいまではセントラルキッチンで肉を一口サイズに切ったうえでパッキングして、店舗ではそれをならべるだけというオペレーションも可能です。実際サイゼリヤはこの方式でやっていて、サイゼリヤの厨房には包丁がないことで知られています』、「セントラルキッチン方式」を徹底した「サイゼリヤの厨房には包丁がない」、初めて知った。
・『実際に「焼肉の和民」を訪れて見えたのは?  まだ「焼肉の和民」の場合、2店舗(大鳥居駅前店=東京都大田区、横浜店=横浜市西区)がグランドオープンした段階でどこまで生産性を重視していくかはこれから絞っていく段階だとは思います。 実際に店舗を訪問してみたところ、オープン数日後の段階ではたくさんの従業員が忙しそうに働いていらっしゃいました。しかしそれでも本来、焼肉業態は居酒屋業態と比較して厨房の人数はデフォルトで少なく設定することができます。仮に包丁をなくし、サイドオーダーの調理もなくせば、人員数はかなり圧縮できる余地はあるはずです。 同時に「焼肉の和民」では回転寿司チェーンと同じように自動レーンで焼肉を届けたり、ロボットでの配膳を試行したりしています。これらの工夫も将来的に従業員の人数を少なくしたオペレーションを追求するにあたっては有効です。 飲料のドリンクバーでの提供はウィズコロナ時代には消毒など、従来よりは手間がかかると思われますが、このあたりは試行錯誤という感じでしょうか。 そもそもタッチパネルでの注文もグローバルにみれば時代遅れで、デジタルトランスフォーメーション時代であればQRコードを読み込んでスマホで注文するほうが合理的です。ただこういった遅れている箇所があるというのは、言い換えれば「焼肉の和民」にまだまだ生産性改善の余地、つまり利益向上の余地があるということでしょう。 今回のニュースをまとめてみると、ワタミが焼肉店に業態転換するというのはウィズコロナ時代を見据えた飲食店経営の戦略として学ぶべき点がたくさんあると思います。中でも今回取り上げた、アフターコロナでの生産者の需給に着眼することや、業態転換をする中で生産性向上を試行していくことは多くの飲食店経営者にとっての示唆があるように思います。 ただ個人的には早く居酒屋で騒げる日常が戻るといいなとは思っていますが、それはまた別の話ですね』、外食業界も「ウィズコロナ時代」に即した形に変化していくのだろう。

第三に、10月23日付け東洋経済オンラインが掲載したラーメンライター/ミュージシャンの井手隊長による「ラーメン店の倒産ラッシュが必然でしかない訳 「1000円の壁」突破する仕掛けが生き残りの鍵だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/382861
・『新型コロナウイルスの影響で、ラーメン店の倒産が近年稀に見る件数となりそうだ。 帝国データバンクが10月8日に発表した調査によると、ラーメン店の倒産は2020年1~9月に34件判明している。この時点でここ20年で最多となる昨年(2019年)の36件に並ぶ勢いとなっており、このペースで倒産が続くと過去20年における年間最多倒産件数の更新がほぼ確実となっている。 緊急事態宣言下の休業要請はもちろん、コロナ感染を怖れた消費者が外食を手控える中、飲食店側はテイクアウトや宅配に力を入れている。ところが、ラーメンはその輪の中になかなか入れないでいた。 自分で調理する材料一式をテイクアウトとして販売するお店やチェーンは一部あるが、ラーメンは運んでいる間に麺が伸びてしまうので、テイクアウトや宅配には圧倒的に向かない。弁当やサイドメニューを充実させたり、冷凍ラーメンを開発したりする店もあったが、体力のない個人店にはとうてい難しく、筆者が知る限りでもこのコロナ禍で閉店に追い込まれる店は数多い』、「ラーメンは運んでいる間に麺が伸びてしまうので、テイクアウトや宅配には圧倒的に向かない」、「このコロナ禍で閉店に追い込まれる店は数多い」、確かに「ラーメン店」の「閉店」は多そうだ。
・『そもそもラーメン店は薄利多売型  そもそもラーメン店は薄利多売型のビジネスだ。根っこにあるのは、古くて新しい「1000円の壁」という事実だ。 どんなにおいしくとも、どんなに高級食材を使っていても、ラーメン1杯の価格が1000円を超えると食べる側は心理的に「さすがに高い」と感じてしまう。多くのラーメン店は原価や人件費などを鑑みながら、1000円以内の価格を守ってきただけでなく、全体で見れば低価格志向がどんどん強まってきた。 総務省の「小売物価統計調査(東京区部、12カ月移動平均値)」によると、ラーメンの1杯当たりの価格は2020年8月時点で523円。これは、10年前のデータ(約550円)から比べると27円値下がりしている。この10年間では低価格型のラーメンチェーンが新興も含めて広がっており、回転寿司など他の業態に比べると値上げが難しく、ラーメンが低価格競争に巻き込まれていることを表している。 例えば、中華そばを355円(税抜)で提供する「日高屋」(ハイデイ日高)は2009年時点の250店舗から、2017年には400店舗にまで店舗数を伸ばしている。醤油ラーメンを480円(税抜・関東エリア)で提供する「餃子の王将」(王将フードサービス)は2011年7月に600店舗を達成し、2020年3月時点では737店舗となっている。 この厳しい競争環境において、ラーメン店は1日のうちにどれだけお客を入れてラーメンをたくさん売るかが勝負になっていた。つまり、できるだけ回転率を高めなければならないのが至上命令だ。ところが、コロナによって客足が遠のき気味になっているだけでなく、感染拡大防止対策で席数を減らしているため、回転重視の戦略では売り上げはおのずと減る。一般的なラーメン店がこのコロナ禍でどんどん倒れていくのは、構造的な問題なのだ』、「薄利多売型」なのに、「コロナ禍」で来客が減ったのでは苦しくなるのは不可避だ。。
・『人気ラーメン店トップ10の平均価格は926円  一方で、希望の光がないわけではない。「食べログ」で人気のラーメン店トップ10の基本メニューの価格を調べてみた(10月16日調べ)。 1位中華蕎麦 とみ田つけめん(TOKYO-X純粋豚骨)(並・250g)1250円 2位手打式超多加水麺 ののくら中華そば850円 3位麺庵ちとせ塩850円 4位メンドコロ キナリ濃口醤油780円 5位らぁ麺 飯田商店しょうゆらぁ麺1300円 6位櫻井中華そば店中華そば800円 7位麺尊 RAGE軍鶏そば900円 8位宍道湖しじみ中華蕎麦 琥珀宍道湖しじみ中華蕎麦850円 9位かしわぎ塩ラーメン680円 10位迂直鰹昆布出汁 醤油つけ麺1000円 この10店の基本メニューは平均価格926円と、総務省統計による全国的な平均価格の1.77倍、403円高い。人気店においては「1000円の壁」と戦いながら、限りなく1000円に近づいてきているという見方ができるだろう。 その中でも「1000円の壁」を意識的に乗り越えようとしているラーメン店もある。 「麺屋武蔵」は東京・新宿に総本店を構え、渋谷、池袋、上野、秋葉原、高田馬場などの都心部を中心に現在、国内15店を構えているが、ラーメン店の中では高めの価格設定を続けている。基本メニューのら~麺こそ900円(税込)だが、豪華トッピングの載った1050~1530円(税込)のメニューもある。 高価格に設定する理由は従業員の給料の確保だ。給料はラーメンの粗利の中から出ている。高価格はなかなか理解されない側面もあるが、価格に見合うだけの価値をしっかりと提供し、高い粗利を確保して給料をはじめとする従業員の待遇改善に努めていくことが欠かせない。 「ミシュランガイド東京」でラーメン店として2015年に世界で初めて一つ星を獲得した「Japanese Soba Noodles 蔦」(代々木上原)はベーシックな醤油Sobaは1200円ながら、最高で3550円のメニューも提供している。「黒トリュフチャーシュー味玉醤油Soba」「黒トリュフチャーシュー味玉塩Soba」だ。思い切った価格設定をした理由は、原価を惜しまない上質な食材を使っているからだ。厳選された小麦を使った自家製麺や、スープに使う青森シャモロック、天草大王、名古屋コーチンなどの地鶏、そして香りの高い黒トリュフはラーメンの上にダイレクトに削って載せる。 「昔は一般的な食材しかなかなか手に入らず、その中には粗悪なものが多かったですが、今はおいしい食材が手に入りやすくなりました。体にとっても安心で、かつおいしいものが作れる世の中になったので、『1000円の壁』は気にせずおいしいものを作っていこうとしています」(蔦・大西祐貴店主)』、「人気店」では「1000円の壁」を超えるところも出てきているようだ。「最高で3550円のメニュー」には驚いたが、話題作りなのだろう。
・『単純な低価格競争に甘んじていてはジリ貧  ここ数年は外国人観光客が増えた影響もあり、都心のラーメン店の価格は上がっていく傾向にあった。上記の人気店においてもその動きがあったと言える。 コロナ禍で外国人観光客が日本に来られない今、同じ価格で営業を続けられるのかという課題はあるが、人気店の高価格化はここ数年のトレンドと見ていいだろう。逆に低価格の流れを作っているのはチェーン店なのである。 人件費や原料の高騰に加えて、新型コロナウイルスの影響で客数の減少が止まらず、今後もラーメン店の価格の見直しは避けられない。 日本そばの業界に高級そば店から立ち食いそば店までレベルの差があるように、ラーメンの世界も1000円超えのラーメン店と低価格のラーメン店が共存できるような形を作り上げられるか。これまでは高級食材を使用しているお店だけが価格の上乗せで先行できたが、ラーメン店としては“職人の技術”に対価をどう払ってもらうかの仕掛けを考えて、実行していかなければならない。単純な低価格競争に巻き込まれていては、ジリ貧だ』、「日本そばの業界に高級そば店から立ち食いそば店までレベルの差があるように、ラーメンの世界も1000円超えのラーメン店と低価格のラーメン店が共存できるような形」、事実上そうなりつつあるような気がする。選択肢が増えるのは望ましいことだ。
タグ:独立系投資ファンドのJ―STARに8月末メドに譲渡 債務超過転落の危機に瀕していた財務基盤も「一息つく」 70億円の売却益 洋食事業「ペッパーランチ」の売却 ペッパーフードサービス 「114店を閉鎖「いきなり!ステーキ」復活への険しい道のり」 重道武司 日刊ゲンダイ (その2)(114店を閉鎖「いきなり!ステーキ」復活への険しい道のり、ワタミが「焼肉」へ大胆転換せざるを得ない事情 ウィズコロナ戦略で居酒屋の3分の1を新業態へ、ラーメン店の倒産ラッシュが必然でしかない訳 「1000円の壁」突破する仕掛けが生き残りの鍵だ) 外食産業 鈴木 貴博 日本そばの業界に高級そば店から立ち食いそば店までレベルの差があるように、ラーメンの世界も1000円超えのラーメン店と低価格のラーメン店が共存できるような形 このコロナ禍で閉店に追い込まれる店は数多い ラーメンは運んでいる間に麺が伸びてしまうので、テイクアウトや宅配には圧倒的に向かない 東洋経済オンライン 「再生」できるかどうかは予断を許さないようだ。 「国内ステーキ市場」の「競争環境は日増しに厳しさを増している 井手隊長 実際に「焼肉の和民」を訪れて見えたのは? サイゼリヤの厨房には包丁がない 居酒屋チェーンのブレークスルーが業態転換か ペッパーフードは「いきなり」の急速大量出店などがたたって2019年12月期で27億円強の最終赤字 高級飲食店の場合はこのバリューエンジニアリングの余地がかなりあるようです 「ラッセ」の「オーナーシェフ」が、「休日はサイゼリヤでバイト」、「さまざまな生産性向上手法を観察し」、「それまで9人必要だった従業員が4人でお店を回せるようになった」 もっと少ない人数で同じサービスを提供できないか ワタミと生産農家がこのようなタッグを組み始めた 「独自にブランド牛の和民和牛を開発した」 アフターコロナでも居酒屋の売り上げは7割しか元に戻らないというのがワタミの想定 新型コロナによって接待需要が大幅に減ったことで黒毛和牛の在庫が大幅に増えてしまったわけです 国内牛肉市場の需給が大きく崩れた? ワタミが居酒屋360店舗のうち120店舗をこれから1年半かけて焼肉店「焼肉の和民」に業態転換をする方針 単純な低価格競争に甘んじていてはジリ貧 人気ラーメン店トップ10の平均価格は926円 「ワタミが「焼肉」へ大胆転換せざるを得ない事情 ウィズコロナ戦略で居酒屋の3分の1を新業態へ」 全国で114店舗を閉鎖 「干天の慈雨」 そもそもラーメン店は薄利多売型 「ラーメン店の倒産ラッシュが必然でしかない訳 「1000円の壁」突破する仕掛けが生き残りの鍵だ」
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人生論(その6)(“もてる能力”を集中させることで 「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】、プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道、新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ) [人生]

人生論については、9月6日に取上げた。今日は、(その6)(“もてる能力”を集中させることで 「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】、プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道、新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ)である。

先ずは、9月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した東京大学工学系研究科IoTメディアラボラトリー ディレクターの西 和彦氏による「“もてる能力”を集中させることで、「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248048
・『「あの西和彦が、ついに反省した!?」と話題の一冊、『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。IT黎明期に劇的な成功と挫折を経験した「伝説の起業家」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴った。ここでは、西氏が、大学受験の失敗でつかんだ「凡人が天才に勝つ」ための武器について紹介する』、あの「西氏」のストーリーとは興味深そうだ。
・『僕は、一瞬で「決断」をくだした  大学受験に失敗して神戸の実家に戻った僕は、すぐに自宅から通える神戸の大道学園という予備校に申し込みに行った。試験も受けて、東大・京大進学コースで勉強することが決まっていた。 ところが、予備校が開講するのを待つだけだったある日、朝8時過ぎからボーッとテレビを見ていたら、NHKで「東大に一番近い予備校」が紹介されていた。その番組のキャスターは、「東大生の半分は、この駿台予備校から来ています」と言った。そうか、大道学園より駿台予備校のほうが東大に近いんだな、と思った。そして、「来年度の学生を募集する最後の試験は明日。申し込みの締め切りは今日の夕方です」というアナウンスを聞いた。 画面が切り替わって別の話題に移った途端、僕は隣で一緒にテレビを見ていた父親にこう言っていた。 「僕は、この駿台予備校に行きたい。これから東京に行ってくる」) 父は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに「よし、行け」と言って、電車代と当座の費用を渡してくれた。9時過ぎには家を出ていた。新神戸駅を10時過ぎに出る新幹線に乗ったので、東京には14時頃に着いた。お茶の水の駿台予備校の玄関脇でスピード写真を撮って申し込み用紙に貼り、必要事項を書き込んで提出した。 試験は翌日、発表は翌々日だった。 その間、東大受験の時に泊まったホテルで過ごした。それなりに難しい試験だったが、4月から駿台予備校の東大コースに通うことが決まった。下総中山にある駿台予備校の学生寮に入ることも決めた。寝具など必要なものはすべて、父親が神戸から車で運んでくれた。嬉しかった。ありがたかった。 結局、「駿台予備校に行く」と自宅を出てから、一度も神戸に帰ることなく、東京での生活が始まった。これ以来、僕の生活の本拠はずっと東京かアメリカだった。つまり、両親との生活は、あの日、朝9時過ぎに家を出た時に終わったのだ』、「駿台予備校」にすると決めてからの行動力はさすがだ。
・『72時間ぶっ通しで考え続ける「集中力」  予備校では、取り憑かれたように勉強をした。 予備校の授業は面白く、寮ではよい仲間に恵まれ、何の不満もなかったが、どんなに勉強をしても不安だった。「このまま東大に受からなかったらどうしよう……」と、寮のグラウンドで、ひとり泣いたこともある。 その不安によって、僕の精神が研ぎ澄まされていたからだろうか。僕は、長時間集中して、深く考えることができるようになっていた。 普通、集中してひとつのことを考えられるのは、せいぜい3時間くらいのものだろう。しかし、当時の僕は、72時間くらいぶっ通しで考え続けることができるようになっていたのだ。 1時間考えたら30分休む、ということを繰り返しながら、考えたことを紙に書いていって、ある程度の枚数になったら、その紙を並べ直して二次元に展開する。そういうことを3日間繰り返すのである。そうすると、その時点での、自分なりの答えにたどり着くことができた。 この頃、よく考えたのは、生きるとはどういうことなのか、死ぬとはどういうことなのか、自分はどこから来たのか、自分は何をしようとしているのか、というようなことだった。 哲学関係の本もよく読んだ。 特にはまったのは吉本隆明だった。同じ部屋の妹尾君に貸してもらって読んだのが始まり。やがて彼の著作は全部読むことになった。吉本隆明の書いていることは非常にロジカルで、とてもよく理解できたし、共感するところも多かった。思えば、初めて、自分に目覚めた時期だったような気がする。少年から青年へと、顔つきも変わった。僕にとって、人生の大きな転換点だったように思う』、「72時間ぶっ通しで考え続ける「集中力」」、尋常でない凄さだ。
・『「挫折」が人間を強くする  しかし、2度目の受験も失敗に終わった。 最初の受験で東大理一だけに絞ったのは、やはり無謀だったと思った僕は、東大理一のみならず、いくつかの大学を併願した。その結果、ほとんどの大学に合格することができたが、東大理一は落ちた。このとき、僕は19歳。同じ頃、ハーバード大学生だったビル・ゲイツはマイクロソフト社を設立していたわけだ。 ひどく落胆したが、これ以上浪人はできないから、早稲田大学理工学部に進学することにした。学科は機械工学科を選んだが、特段の意図はなかった。学科志望欄の一番上に機械工学科があったから、ろくに考えもせず、それに丸をつけたのだ。 当時の僕にとって、東大受験失敗はものすごく大きな挫折だった。 僕のなかの何かが決定的に壊れてしまうような経験だった。しかし、これがよかったのだと、今は思う。 人生に“if”はないが、もしあのとき東大に受かっていたら、人生は変わっていたと思う。 僕は、早稲田大学には2年生の頃から通わなくなり、結局、8年在籍して除籍となったが、東大に入っていれば卒業はしただろう。東大卒というのは非常にいいタイトルになるから、それは捨てなかったと思う。そのかわり、挫折も知らず、自立もできず、神戸の親元に戻って、ゴロゴロしながらいい加減な人生を送っていたかもしれない。 僕は、東大に落ちたことで、闘争心に火がついたと思う。 いや、僕は、あの挫折によって、自分は頭のキレで勝負ができる人間ではないと悟った。その後、僕は「閃きの西和彦」「天才・西和彦」などと、マスコミで持ち上げられることがあったが、それを冷めた目で眺めていた。僕は、天才などではないし、ひらめきで勝負できるような人間でもないとかたく思っていたからだ。 これこそ、東大受験のために膨大な努力をして二度も失敗をするという、大きな対価を払うことで得ることができた、僕の「自己認識」だったのだ。おかげで、自分はあらゆることに対して、人の何倍も努力をするような人間になった』、「あの挫折によって、自分は頭のキレで勝負ができる人間ではないと悟った」、「自分はあらゆることに対して、人の何倍も努力をするような人間になった」、挫折をこれだけ前向きのエネルギーに変えたとは凄いことだ。
・『僕がはじめて手に入れた「武器」  では、何で勝つのか? 僕は東大出の錚々たる人たちと勝負して勝つには、集中力という武器しかないと思った。ひらめきや頭脳で勝負することはできないが、ある発想が湧いたり、ある決断をした時に、それを実現する粘りというか、気力、集中力だけは人に負けないという自負があった。 天才の条件とは、99%の努力と1%のひらめきだとよく言われるが、それに勝つために、凡人の僕にできるのは、1%のひらめきを100%にする圧倒的な努力しかない。そして、その努力とは、英語でいうフォーカス・イン(集中)である。僕は、集中力と持続力を振り絞って世界と戦うと心に決めたのだ。 その後、僕は、面白い事実に気づいた。 トイレの電球は10ワット。机のスタンドは100ワット。スタジオの電灯は1キロワットだ。つまり、ワット数が多くなればなるほど明るくなるわけだ。しかし、1キロワットの電灯でも、3キロメートル先を照らすことはできない。3キロメートル先を照らすことができるのは、レーザー光だけである。 では、レーザー光は何ワットか? たった1ワットに過ぎない。トイレの電球は10ワットでも薄暗いのに、なぜ、1ワットの光が遠くまで届くのか? それは、光を一点に集中させているからだ。これこそ、集中することのパワーなのだ。 しかも、1キロワットしか出せない電球に2キロワットをかけると、焼き切れるだけだ。重要なのはワット数(能力)の大きさではない。重要なのは、自分がもっているワット数を徹底的に集中させることであり、その集中をとことん持続させることだ。それができれば、たとえ1ワットの才能しかなくても、1キロワットの才能をもっている人間よりも、遠くに行くことができるのだ。 僕は、後に、これを「レーザー哲学」と名付けたが、これこそ、大学受験に挫折した僕が初めて手にした「武器」だった。そして、この「武器」を握り締めて、僕は戦いを始めるのだ』、「レーザー哲学」は確かにその通りのようだ。マイクロソフトの副社長時代に、ビル・ゲイツとの関係を知りたいところだ。

次に、9月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したスタンフォード大学・オンラインハイスクール校長の星 友啓氏による「プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248389
・『スタンフォード大学・オンラインハイスクールはオンラインにもかかわらず、全米トップ10の常連で、2020年は全米の大学進学校1位となった。世界最高峰の中1から高3の天才児、計900人(30ヵ国)がリアルタイムのオンラインセミナーで学んでいる(設立15年目)。 そのトップがオンライン教育の世界的リーダーでもある星友啓校長だ。 全米トップ校の白熱授業を再現。予測不可能な時代に、シリコンバレーの中心で、エリートたちが密かに学ぶ最高の生存戦略を初公開した星校長の処女作『スタンフォード式生き抜く力』が発売たちまち話題となっている。 星校長は言う。「本書で伝えたいのは、競争の激しいシリコンバレーで実践されてきた世界最先端科学に基づく生き抜く力です。スタンフォードの精鋭たちが結果を出すためにやっていること、本当の幸せのつかみ方、コミュニケーション力、天才児の教育法までエクササイズ付きで紹介したい。プータローから一念発起してスタンフォードにきて20年ほど、私が学術界の巨匠やビジネスリーダーから実感してきた生き抜く力(The Power to Survive)の源泉は、20年前に思い描いていた“ケンカ上等”でゴリゴリに勝ち上がっていくスタイルとは真逆のものでした。本書の内容はスタンフォード大学・オンラインハイスクールでも教えられてきました。将来的に世界のリーダーになる天才児たちが実際に受けている内容です。最新科学に基づくプレミアム・エクササイズもあります。最高の生存戦略=生き抜く力を一緒に手に入れましょう」 +スタンフォードやシリコンバレーの精鋭が「結果」を出すためにやっていることを知りたい +仕事やプライベートの「人間関係」をよくするテクニックを学びたい +世界最先端の科学で実証された「本当の幸せ」を手に入れたい +できる人の「プレゼン」「話し方」「聞き方」をマスターしたい +世界中の天才たちが集まるスタンフォードで結果を出し続ける「教育法」を知りたい +今後生きていくうえで「不安」を解消する方法を身につけたい そんなあなたのために、スタンフォードにいる著者を直撃した』、「プータローから」「スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長」になった「の星 友啓」氏も只者ではないようだ。
・『日本生まれの日本育ち(星氏の略歴はリンク先参照))  【著者公式サイト】(最新情報やブログを配信中)https://tomohirohoshi.com/ 私は日本生まれの日本育ちです。大学まで日本ですごしました。 1年浪人し、東京大学理科Ⅰ類に入学しました。 しかし、俗にいう燃え尽き症候群になり、勉学はそっちのけ。 アルバイトで趣味の料理に没頭しながら、ギャンブルに明け暮れる日々をすごしました。 しかし、理系は積み重ねが大切。 徐々についていけなくなり、その頃「都合よく」興味を持ち出した文学ならごまかしがきくだろうと、文学部に転部。 しかし、そんな苦しまぎれの思いつきが役に立つはずもなく、うつ状態に陥ります。 大学と自分との距離がさらに開いていきました。 そんなプータロー生活が続いていたある日、パチンコ仲間で数少ない東大の友人が私の携帯に「就職が決まった」と電話をかけてきました。 私は純粋に「めでたい! お祝いだな!」といって電話を切ったのですが、自分の心の声はこうつぶやいていました。 「そうか、就活だよな。 ん? 俺も4年生だけど、何もしていない。 正直、就活時期だったとは知らなかった。 ヤバすぎだな」 ふと我に返り、パチンコ台のガラスに映ったのは、ボーッとパチンコのハンドルを握りながらタバコをふかしている自分。 胸の真ん中をドキュンと撃ち抜く衝撃とポカンとした虚無感。 パチンコ玉はそんな学生崩れを気にも留めずに落ち続け、吐き出したタバコの煙はゆったりとその場に漂います。 空っぽの心に、最初に湧き出した気持ちはこうでした。「ここにいたらダメだ。このままだ。日本を離れて一度は志した勉学にもう一度かけてみよう。 そうだ、留学しよう」』、自堕落な生活から抜け出すには、「留学」はいいきっかけになりそうだ。
・『理系のDNAに抗えず…  そこから一念発起し、なんとか東大の哲学科で卒論をえいやと書いて、逃げ出すようにアメリカへ。 テキサスA&M大学の修士課程にかろうじて入り、哲学の道を志したのです。 大都市東京からは一転、小さな大学町で勉学と研究に勤(いそ)しむことができました。 アメリカでも哲学を続けるものの、結局、理系の「DNA」に抗(あらが)えず、数学やコンピュータ・サイエンスと哲学などが分野横断的に入り混じる応用論理学の研究をしていきました。 テキサスA&M大学で修士号を取得後、論理学で全米トップのスタンフォード大学の哲学博士課程に入学。そこから、論理学者の道を本格的に歩んでいきました。 東大入学で燃え尽き症候群。理系から文転して哲学の道へ。プータローから一念発起。 留学して哲学を志すも、理系に引き戻され、論理学。 本書は、そんな私の「紆余曲折の事情」を最大限に活かして、「生き抜く力」を文系・理系の双方の視点から徹底解剖していきます。 哲学と論理の視点から、最新の心理学、脳科学などをふんだんに盛り込んでいます。 さらに、スタンフォード大学全体のリーダーの一人として、また、スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長という経営者としての経験を踏まえ、シリコンバレーのビジネス空間やスタンフォード大学でかみ締めてきた「生き抜く力」の戦略も紹介していきます。(著者略歴はリンク先参照)』、挫折した人生を見事に立て直した「星」氏の「生き抜く力」には心底、脱帽した。

第三に、同じ「星」氏による、10月4日付けダイヤモンド・オンライン「新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248683
・ ・・・
・『一ノ谷の戦いの名場面 (著者略歴(リンク先参照) 「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。 そりゃあ、宗教家が人助けとか、相手の痛みをわかることの大切さを説くのはあたりまえ。 しかし、みんながみんなそう思ってきたわけではないだろう。 事実、世界の歴史は争いの歴史。数々の戦争が行われて、国々や人々は争いに勝つことによって、生き抜いてきたのだ」 ダライ・ラマからフランシスコときて、そう考えるのも自然だと思います。 そこでもう少し歴史を振り返り、斬るか斬られるかの武士の世界における「生き抜く力」を見ていくことにしましょう。 「敵に背を向けるのは卑怯(ひきょう)ではないか。戻ってきて戦うのだ!」 この日、平家陣に一番乗りして血気にはやる武将・熊谷直実(くまがいなおざね、1141-1207)が雄叫びをあげた。 1184年3月20日、須磨の浦の美しい海岸は、源平合戦の場と化していた。 「仕方あるまい。望むところだ」と戻ってきた武士を、直実はいとも簡単に組み倒す。 「名を名乗れ。何者だ!」答えようとしない相手の兜(かぶと)を剥ぎ取ると、10代も半ばの美しい顔の少年だ。 「追っ手がやってくる。今すぐ逃げるのだ」 直実は自軍の援護隊が押しかける前に、その少年を逃がそうとする。 直実には知る由もなかったが、その少年は平清盛の弟である経盛の子、敦盛(あつもり、1169-1184)だった。 逃亡の促しに答えず、敦盛はその場を動こうとしない。 それどころか、透き通るはっきりとした声でこういった。 「私とあなたの両方の名誉のためにも、この場で首を取っていただきたい」 援軍の騎馬隊の音が耳元に迫る中、敦盛の意をかき消さんかのごとく、直実が叫ぶ。 「何をいう、早く逃げるのだ!」 いまだ動こうとしない敦盛を見ながら、直実は決断する。 「何者かは知らねども、援軍の無名の兵に首を取られるよりも、武将である自分が供養してやる」 美しい剣の光がすっと降りると、真紅の血しぶきが勢いよく舞い上がり、直実の涙と混じったのであった。 これは源平合戦のハイライトの一つ、一ノ谷(いちのたに)の戦いの名場面です。 名のある武将として、窮地に立たされた「無名」の少年を逃がそうとする熊谷直実。 逃げ出さない決意とともに相手に功を与えんと首を差し出す平敦盛。 命がけの戦場において戦う武士たちの誇りと相手への思いが交錯するヒューマンドラマ』、「一ノ谷の戦い」は有名な話だ。
・『新渡戸稲造と武士道精   このシーンを引き合いに出しながら、武士の規律や考え方の根底にある「武士道」の価値観を説明したのは、旧5000円札(1984年から2007年まで流通)にも描かれた、新渡戸稲造(1862-1933)です。 新渡戸稲造は明治に活躍した日本人の思想家です。 明治初期にアメリカとドイツに留学し、1900年に英文で『BUSHIDO : The Soul of Japan』(以下、『武士道』)を出版。 明治時代、帝国主義日本が台頭していく中で、日本文化への注目が高まっていた頃、「日本人は宗教なしに道徳をどう学ぶのか?」という外国人の疑問に答える内容で、世界各国で翻訳され、大ベストセラーになりました。 「武士道」という言葉自体が、この本によって普及したといわれているほどです。 そもそも武士道は、日本の近世における武士階級の習慣や道徳のこと。武士であるからには、こう生きるべき、こうすべき、こうしてはいけないなど武士階級の常識や習慣が口づてに引き継がれてきたものです。 鎌倉時代には、戦(いくさ)でのベストな戦略や武士として身につけるべき慣習や知恵などという位置づけだったものが、江戸時代以降に儒教や仏教と融合し、思想として体系化されます。 武士制度が廃止されてからの近代日本でも、日本人の思想や文化の重要なバックボーンになりました。 長く欧米文化の中で暮らしてきた新渡戸稲造は、西洋人が日本文化を理解するには、武士道の理解が欠かせないと考えました。 世界の宗教や哲学と日本文化を比較し、正義や礼儀、名誉や忠義などの武士道的価値観を徹底解剖して、日本文化に親しみのない世界の人々に発信していったのです。 その『武士道』の中で基礎的な価値観として議論されているのが「Benevolence」、日本語で「慈愛」です。 つまり、他人の痛みを感じたりいたわったりする心のことです。 新渡戸稲造は、その「慈愛」が武士道において最も高次元の「徳」であり、武士にとって一番大切な価値観だと説きました。 私たちになじみ深い「武士の情け」の考え方も「慈愛」に基づいています。 この「慈愛」を説明する際に新渡戸稲造が引き合いに出すのが、先ほどの熊谷直実と平敦盛のシーンです。 武士道において、首を取っていいのは相手の階級が上か、少なくとも同等の力を持った者との戦のときだけ。熟練した武士である熊谷直実が敦盛の若々しい顔を見たとき、自分より力の弱い下級武士とみなし、自分が斬るべき相手ではないと判断したのはそのためです。 一方で敦盛は、平家の血筋の中で「自分のほうが身分が上」ということがわかっていたはず。 そのため、直実からの武士の情けは無用。首を取るようにけしかけたのでした。 最後に熊谷直実が涙するシーンから、将来ある若者を斬らねばならない痛みも察することができます』、「新渡戸稲造」が「武士道」で「引き合いに出すのが、先ほどの熊谷直実と平敦盛のシーン」、とはさすがだ。
・『利他的な「生き抜く力」は武士の生存戦略  こうして考えると、一ノ谷の戦いのエピソードは、相手への気配りや思いやり、武士道の慈愛に基づく精神があふれ出す名シーンであることがわかります。 生存をかけての殺し合いで相手に譲っている暇はない。 ガムシャラに突き進み、迫りくる輩を斬りまくらなければ! という冷徹な戦を追求する武士のイメージは、慈愛の精神とミスマッチに感じられます。 しかし、武士が命をかけて戦う存在だからこそ、仲間をいたわり、武士階級の秩序を尊敬したりする心が大切なのです。 相手の気持ちや状況を理解し、共感し、与える。 本書第1講で触れたやさしく利他的な「生き抜く力」は、武士の生存戦略として、いつしか武士道の根本精神となって日本文化の根底に流れてきたのです。 さて、武士道で「慈愛」が最も重要な価値観の一つとなったのは、江戸時代に儒教と融合してきた歴史にルーツがあります。 次回は、武士道の「慈愛」に誘われて、儒教の考え方に「生き抜く力」の思想的源泉をたどってみることにしましょう』、欧州にも騎士道がある。「武士道」との共通点もあるが、違い、主君に仕えるのではなく、国家や教会等に仕える(武士道精神と騎士道精神の違い)。日本社会から「利他的」な部分が薄らいでいるのは残念だ。
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日本企業のコーポレート・ガバナンス問題(その9)(コロワイド・蔵人金男会長 外食日本一を目指しМ&Aに邁進、1000社超の上場企業が総会の結果を訂正 株主軽視の総会は通用しない、インタビュー①/マネックスグループ社長 松本大 「総会は穏便に滞りなく。経営者の腰が引けている」、専門家が指摘する議決権“集計外し"の根本原因 株主総会の実務に詳しい中島茂弁護士に聞く) [企業経営]

日本企業のコーポレート・ガバナンス問題については、2016年10月30日に取上げた。久しぶりの今日は、(その9)(コロワイド・蔵人金男会長 外食日本一を目指しМ&Aに邁進、1000社超の上場企業が総会の結果を訂正 株主軽視の総会は通用しない、インタビュー①/マネックスグループ社長 松本大 「総会は穏便に滞りなく。経営者の腰が引けている」、専門家が指摘する議決権“集計外し"の根本原因 株主総会の実務に詳しい中島茂弁護士に聞く)である。

先ずは、本年10月29日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの有森隆氏による「コロワイド・蔵人金男会長 外食日本一を目指しМ&Aに邁進」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/280616
・『蔵人金男・コロワイド代表取締役会長は1947年8月3日生まれの73歳。83年3月に社長に就任して以来、37年間経営トップを続けているワンマンカンパニーだ。 大戸屋に敵対的TOB  9月9日、定食チェーンの大戸屋ホールディングス(以下、大戸屋)に対するTOB(株式公開買い付け)が成立したと発表した。外食業界で敵対的TOBが成立するのは初めてのことだ。大戸屋株式の保有比率を19%から47%に引き上げた。11月4日に開く臨時株主総会で、現社長の窪田健一を含む10人の取締役の解任と、コロワイドの蔵人賢樹専務ら7人の取締役の選任を求める株主提案をしている。 コロワイドの株主提案だけが議案で可決されれば経営陣が刷新され、大戸屋はコロワイドの連結子会社となる。総会後の取締役会で金男の長男、賢樹が社長に就任する。 2019年10月、大戸屋の創業家から同社株を取得したコロワイドが大戸屋の筆頭株主として突如、登場した。子会社になるよう持ちかけたが、大戸屋の経営陣は断固拒否。壮絶なバトルに突入した。 この過程で、さまざまなハプニングが起こった。 「デイリー新潮」(20年7月15日付)が、〈コロワイドを率いる蔵人金男会長が32億円もの巨額詐欺に遭っていた〉と報じた。 7月30日、福島県郡山市の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜 郡山新さくら通り店」で爆発があり、内装工事の現場責任者が死亡。19人が重軽傷を負う惨事となった。ガス漏れが原因とみられている。郡山市の店は焼き肉の「牛角」などを展開するレインズインターナショナルが運営。レインズはコロワイドの全売り上げの4割強を叩き出している。金男が経営不振に陥ったレインズを買収した。 臨時株主総会に向け、大戸屋の経営陣の首のすげ替えを敢行しようとしているさなか、金男の過去の暴言が暴露された。17年に発行された社内報に「挨拶もできない馬鹿が多すぎる」「生殺与奪権は、私が握っている」などと書かれていた。 「カンパニーとは同じパンを食べる仲間、という意味だ」 金男の口癖である。傘下に収めた企業の本社は横浜ランドマークタワーにあるコロワイド本社内に移転させる。一体感を基礎に、傾いた企業を素早く再建し、軌道に乗せるのが金男のやり方だ。 学歴・経歴に関係なく力があればどんどん登用する半面、実績を示せなくなった役員を更迭するのは日常茶飯事だ。 今年6月の大戸屋の株主総会で完敗した金男は敵対的TOBに打って出た。情に訴えるのをやめて、資本の力でねじ伏せる決断をした』、「〈コロワイドを率いる蔵人金男会長が32億円もの巨額詐欺に遭っていた〉との「デイリー新潮」報道は、結局どうなったのだろう。
・『1977年、金男は神奈川県逗子市にあった父親の中華料理店を引き継ぎ、自分でノコギリと金づちを使って炉端焼き居酒屋「甘太郎」の1号店に模様替えした。 99年、株式を店頭公開。2000年、東証2部(02年1部へ指定替え)への上場を機に、経営不振に陥った外食企業のM&Aを開始した。スタート時点では「北海道」「いろはにほへと」など居酒屋がほとんどだった。 00年代、コロワイドはモンテローザ、ワタミとともに居酒屋の「新ご三家」と呼ばれるようになったが、若者の酒離れが進み、脱居酒屋へと経営のかじを切る。 12年10月、焼き肉店チェーンの「牛角」を運営するレックス・ホールディングス(現レインズインターナショナル)を子会社にした。買収額は137億円。家族連れを取り込むのが狙いだった。グループの店舗数は2倍の約2200に拡大。グループ全体の食材の調達や加工を行うセントラルキッチン方式を導入した。 14年、305億円を投じ、回転寿司チェーン「かっぱ寿司」のカッパ・クリエイトを買収した。「かっぱ寿司」は「安かろう、まずかろう」との悪いイメージに染まってしまっていて、3年の間に社長が4人交代するなど苦戦が続く。 「大戸屋の買収は第2のかっぱ寿司になりかねない」(外食担当のアナリスト)と懸念されている。 金男は外食日本一を目指している。牛丼チェーン「すき家」などを展開するゼンショーホールディングスの6304億円(20年3月期)がトップ。コロワイドは大戸屋の売り上げを単純合算しても2598億円(同期)。ゼンショーの背中は遠い。コロナ不況下、外食株は安値をつけ、「絶好の買い場」(外食産業の動向に詳しい中堅証券会社の役員)となっている。金男の次のターゲットはどこになるのか。 スキャンダルはあまたあったが突破力を評価して成熟度はプラス4点。大戸屋に“再建社長”として送り込む長男、賢樹の経営力は未知数だ。後継者として実績を積ませるための布石だろうが、この人事が吉と出るか。老害度はマイナス3点とした。 =敬称略 ■成熟度 +4 ■老害度 -3 ※筆者が成熟度を+1~+5、老害度を-1~-5で評定)』、「大戸屋」経営陣を「コロワイド」系に入れ替え、手作りを「セントラルキッチン方式」に変更するのだろうが、手作りに親しんだ顧客や中核社員を繋ぎ止められるか、がカギだろう。

次に、11月10日付け東洋経済オンライン「1000社超の上場企業が総会の結果を訂正 株主軽視の総会は通用しない」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/25178
・『9月に大手信託銀行で明らかになった議決権数の不適切な取り扱い。今回の問題は総会の実態に目を向けるいい機会だ。4人の識者のインタビューとともに日本の株主総会が抱える課題を浮き彫りにする。 今年9月、上場企業の株主名簿管理人である信託銀行が、株主総会で数えるべき一部議決権を集計していなかったという、“不都合な真実”が明らかになった。 三井住友信託銀行株式会社(当社の株主名簿管理人)において、一部議決権の未集計が判明したため(中略)本報告書を提出する――。10月5日、東証1部上場で高級フランス料理店を展開するひらまつは訂正臨時報告書を金融庁に提出した。 ひらまつは、6月26日に開催した株主総会の議決権行使結果を6月29日に開示していたが、これを訂正した。結果、社外取締役・楠本正幸氏の18.14ポイントを筆頭に、取締役選任議案の6人と監査役選任議案の1人、7人全員の賛成率が10ポイント以上も引き上がった。 9月末以降、ひらまつのほかにも1000社を超す上場企業が株主総会の議決権行使結果について訂正臨時報告書を提出している。これは9月24日に、三井住友信託銀行とみずほ信託銀行のそれぞれが記者会見を開いて、顧客企業の代理人として郵送で受け取った議決権行使書の一部をカウントしていなかったと明らかにしたことの影響だ。 東洋経済が10月末までに開示された訂正報告書を調べたところ、取締役選任議案と監査役選任議案に関して5ポイント以上の訂正があった会社が4社あることがわかった(下表)。 9月24日の会見で三井住友信託銀行は「再集計により賛成率が約16ポイント下がった(上場企業の)議案が2つあった」と説明したが、当該議案があった企業名などは明かしていない。現時点で、訂正報告書からもそれに該当する企業は発見できていない』、「1000社を超す上場企業が株主総会の議決権行使結果について訂正臨時報告書を提出」、とは影響がずいぶん広がったものだ。ただ、議決やり直しになるものがなかったのは不幸中の幸いだ。
・『議案の可否に影響を及ぼさなければ問題ない?  株主名簿管理人が数えるべき議決権数をカウントしないという前代未聞の事態はなぜ起こったのか。三井住友信託とみずほ信託が集計業務を委託していた折半出資の合弁会社、日本株主データサービス(JaSt)が行っていた特殊な事務処理に起因する。 JaStは総会シーズンに届く膨大な議決権行使書をスムーズに処理するため、株主総会が集中する3月、5月、6月について、郵便局に依頼して翌日に届ける予定の議決権行使書を(本来予定より)1日早く届けてもらう「先付け処理」を行ってきた。 問題を招いたのは株主総会前日に届いた議決権行使書の扱いだ。というのも、JaStは先付け処理で届いた議決権行使書を、その日のうちにOCR(光学文字認識)機で読み取っていたにもかかわらず、手続き上の受領日は本来届くはずだった日付(実際の配送日の翌日)としていたからだ。 一般に事前の議決権行使期限は株主総会前日を最終日と設定している。つまり、先付け処理で総会前日に届いた議決権行使書は、翌日(締め切り後)の受領となるため集計から外れてしまうのだ。もちろん、実際に届いたのは期限内であり、民法でも郵便物が物理的に到着した日を基準に考えることから、「集計結果に算入するべきだった」(西田豊・三井住友信託銀行専務)。 焦点は適正に集計されていれば、結果が異なる議案があったかどうかだ。会見で三井住友信託やみずほ信託は「調査したが、議案の可否に影響を及ぼす事案はなかった」と繰り返した。だが、これは2020年5月以降の株主総会についてのみ。先付け処理は20年近く続けられていた可能性があるが、2020年4月以前については「データはすべて消去した」(西田氏)ため、調べようがないのだ』、「2020年4月以前については「データはすべて消去した」」、とは驚かされた。データ消去は首相官邸だけの特技ではなかったようだ。
・『発覚は偶然の産物  今回、議決権行使書の”集計外し”が発覚したのは、東芝の株主の声がきっかけだった。同社に対し、シンガポールの投資ファンド、3Dオポチュニティー・マスター・ファンド(3D)や、エフィッシモ・キャピタル・マネジメントが、会社提案とは異なる社外取締役の選任を株主提案していた。 結局、東芝の株主総会で会社提案が可決され、株主提案は否決されたが、議決権の集計結果に疑問を持った3Dが東芝に確認を要求。東芝が株主名簿管理人である三井住友信託に調査を要請した結果、JaStの不適切な処理が発覚した。 これにはちょっとした偶然も絡んでいる。東芝の株主総会は7月31日に開催された。本来なら先付け処理の期間外だが、コロナ禍で3月決算会社のいくつかが7月に総会を開いたことで(東芝もその1社)、今年はJaStが7月総会分も先付け処理を行ったのだ。ファンドの指摘がなければこの先も”集計外し”は続いていた可能性が高い。 JaStに業務を委託している三井住友信託、みずほ信託、日本証券代行、東京証券代行の4社は上場企業全体の約58%から議決権の集計を受託している。過去20年近く先付け処理が行われていたとすれば、長年にわたって、数多くの企業が影響を受けたことになる。 もっとも、ほとんどの企業の訂正幅は1%未満で、議案の可否に影響もなかった。誤差の範囲ともいえる訂正だったためか、問題発覚の直後こそ大きく報じられたものの、早々にトーンダウンした。しかし、今回の問題を単に信託銀行の事務処理ミスと片付けていいのか。企業と信託銀行という株主総会の運営側が依然として株主を軽視している、その一端が現れただけではないか。 そうした問題意識から、企業経営者兼アクティビストの松本大氏、外国機関投資家でスチュワードシップ活動の責任者を務める三瓶裕喜氏、コーポレート・ガバナンスや総会実務に詳しい中島茂弁護士、会社法の専門家である田中亘教授の4人に、今回の一件に対する受け止めや株主総会についての問題意識を聞いた』、興味深そうだ。
・『信託銀行の姿勢が”集計外し”を生んだ  4人とも集計すべき議決権を集計しなかったことは論外としつつ、むしろ、その背景にある日本の株主総会に関する諸問題を指摘する。具体的な中身は各インタビューを読んでいただきたいが、ここでは2点補足をしておきたい。 まず問われるべきは、株主名簿管理人としての信託銀行の姿勢だ。 記者の手元に三井住友信託銀行が発行した「株主総会想定問答事例集 2020年3月版」がある(上写真)。これは企業に対して配布している冊子で、合計122項目にわたって、さまざまな質問を想定した回答例が解説付きで載っている。 “お客様”である企業に対して続けている手厚いサービスの一貫だろうが、結果的に企業が総会で「回答事例を読み上げる」ことを助長してきた。こうした株主を軽視するような信託銀行の姿勢が議決権の”集計外し”を生んだのではないか。 2つ目は企業における総会当日の議決権行使の扱いだ。 実は、当日の議決権行使を集計していない企業は多い。全国株懇連合会の2019年の調査によれば、臨時報告書の開示で当日行使を行った株主の一部の議決権のみ集計、または集計しないと答えた企業は全体の約83%に達する。 事前の議決権行使や委任状で賛成が確定している以上、当日の会場では拍手などで意思を確認すれば十分という判例があるからだ。しかし、この事前の議決権行使の集計に漏れがあることが今回明らかになった。2020年5月~7月の3カ月分だけで最大16ポイントも異なる議案があった。となれば、事前の賛成多数が微妙だったケースはあったかもしれない。 冒頭で挙げたひらまつの18ポイントの差異のうち、10ポイント以上がJaStの“集計外し”による影響で、残りの数ポイントは総会当日の議決権行使を集計に加えたことで生じた。大株主に当日の議決権行使について問い合わせ、賛成に加算したという。同社の場合、再集計で賛成率は高くなったが、ほかの上場企業にその逆(反対率の上昇)がなかったとは言い切れない。 JaStの先付け処理問題をきっかけに、日本の株主総会の実態に目を向けるべきだ』、信託銀行のミスがコーポレート・ガバナンスの実務面の問題に波及したようだ。

第三に、11月10日付け東洋経済オンライン「インタビュー①/マネックスグループ社長 松本大 「総会は穏便に滞りなく。経営者の腰が引けている」」を紹介しよう。
・『信託銀行が顧客から受託していた議決権行使書の集計業務で、郵送された議決権書の一部がカウントされていなかった問題を専門家はどう見ているのか。 インタビューの1人目は、創業者として20年以上にわたって企業のトップを務め、直近では「アクティビストファンド」のマネージャーとしても活動するマネックスグループの松本大社長。 今回の一件について「悪意があったとは思わない」とする一方で、「信託銀行の姿勢には問題を感じていた」と切り出した。そして、株主総会運営における大胆な法改正のアイデアも語った(Qは聞き手の質問、Aは松本氏の回答)』、興味深そうだ。
・『私はアドバイスを無視して自由にやっている  Q:三井住友信託銀行やみずほ信託銀行が議決権の一部を集計していなかったということが明らかになりました。この件をどう見ていますか。 A:実際には株主総会の前日に議決権行使書が到着していたのだから、「株主の大切な議決権なんだからちゃんと数えよう」という発想を持ってほしかった。 けれども、私はそこ(総会前日の到着分を集計しなかったこと)に悪意があったとは思わない。信託銀行としては、あくまで総会に間に合わせるためにちゃんとカウントしようとしていたと解釈している。 今回のことで信託銀行への信頼が大きく低下したとは思わない。一方で、株主総会に対する信託銀行の姿勢には問題を感じていた。 Q:どういった問題でしょうか。 A:株主総会へ向けて、信託銀行とリハーサルをやるのだが、彼らからは「質疑応答を早めに切り上げてください」とアドバイスを受ける。 私は創業社長でこれまで20回以上の株主総会をやってきた経験があるので、リハーサルでは「はい、はい」と聞き流して、当日はアドバイスを無視して自由にやっている。 だが、通常の社長はアドバイス通りに総会の質問を早めに切り上げようとしてもおかしくない。 Q:日本の経営者は株主との対話にあまり積極的ではありません。その背景には信託銀行の指導があるということですか。 A:日本の経営者は顧客に会うことはまったく厭わない。強い批判や要望を出されても、「ありがとうございます」と言って話を聞く。 しかし、相手が株主だと「会いたくない」と言う経営者が多い。これは経営者の人格の問題ではなく、「そういうことはやらないものなんです」と(株主対応の)担当社員や信託銀行が言うので、腰が引けているケースが多いように思う。 上場企業の経営者の中には社長就任時に「開かれた株主総会にして、大勢の株主の意見を聞きたい」と思う人は大勢いるはずだ。だが、株主総会はなるべく穏便に、滞りなく運営したほうがいいという担当者や信託銀行の意見に従ってしまう。 Q:それはやはり経営者の問題では? A:総会実務の担当者は長年の経験がある。信託銀行も株主対策の専門家だ。対して、社長は就任したばかりだったりする。社長としてやらなくてはいけないミッションは山積みで、「株主総会のことで戦ってもしょうがない」と思ってしまい、「分かった。今までどおりでいい」とつい言ってしまうのだろう。結局、昔からやってきた総会のやり方を変えられない。 Q:事なかれ主義や前例踏襲主義が実務側に強いという問題意識ですね。どのようにすれば改善できるでしょうか。 A:株懇(株式懇話会)という株式実務担当者の横のつながりは廃止するべきだ。信託銀行が前例踏襲型のアドバイスをするのも見直したほうがいい』、「株主総会」の「リハーサル」に、「信託銀行」が来ているとは初めて知った。「彼らからは「質疑応答を早めに切り上げてください」とアドバイスを受ける」、しかし、「リハーサルでは「はい、はい」と聞き流して、当日はアドバイスを無視して自由にやっている」、「松本」氏はさすがだ。
・『株主番号と名前を言う必要はない  Q:株主総会での前例踏襲とはたとえばどんなことでしょうか。 A:一般的に株主総会で質問する株主に「株主票番号と名前を言ってください」とお願いする。入場時に株主であることを確認しているのに、発言前に株主票番号と名前を言ってもらうのは、壇上から牽制球を投げているようなものだ。私たちはあなたが誰だかわかっていますよ、と。 でも、牽制したうえで発言してもらうというのはおかしい。当社ではこれをやめた。今は「株主票番号も名前も言わないでください」としている。 ほかにも、平日開催が当たり前だということ。当社は2001年6月の上場会社として最初の株主総会から、毎年土曜日に株主総会を開催している。最近では週末開催もずいぶん増えているが、依然として特定日に集中している。株主総会に来て欲しくないのだろう。 株主提案権も制限しようとする。当社はホームページで「何株以上を何日間持っていれば、株主として提案できます」と書いて、むしろ促している。 こうした取り組みを進めようとしたとき、社内の総務部からは「お願いだからやめてください」と言われたし、信託銀行からも「何を考えているんですか?」と言われた。私が「なるべく多くの株主の人に来てもらって、意見を言ってもらうことが大切だから」といって説得した。 Q:アメリカの株主総会は非常に短時間で簡素です。日本はアメリカを見習うべきだという意見もあります。 A:確かにバークシャー・ハサウェイとディズニーを除いたら、アメリカの株主総会の規模は小さい。私はマスターカードの取締役でもあるが、時価総額が世界でも10何番目のマスターカードでも、当日会場に来る株主は7人とかそんなもの。 この事実だけをみて、「アメリカを見習って日本の総会も簡素化すべき」と言う人がいるが、それは違う。 アメリカでは総会当日までに株主と会社の間でいろんな対話が行われている。総会の1日だけではなく、1年間を通して株主と会社の間でコミュニケーションが取られているので、総会の日は簡単でいい。だが、日本では年間を通じた株主と企業のコミュニケーションがない。 Q:日本で株主と企業が年間を通じたコミュニケーションを行うためには、どうすればいいのでしょうか。 A:一番ドラスティック(抜本的)なのは、取締役選任議案を株主にしか提案できないように法律を変えること。会社側は取締役を提案できないことにする。 もちろん株主なら誰でも良いというわけではなくて、何%以上保有とか、何カ月以上保有とか一定の制限は設ける。例えば1%以上を半年保有している株主であるというように。そうすると、次の総会までの1年間にきちんとした対話が行われるようになるだろう。 会社は株主に会いに行って、あるいは株主が会社に対して、「自分が株主として提案しないといけないけど、誰がいいの?」という話になるからだ。もしくは、「どういう社外取締役が欲しいの?」「こんな感じの人です」「だったら、こういう人がいるよ」というふうに、株主と会社の間で建設的な会話がもたれて、取締役会の候補者名簿ができていく。 「株主がおかしな議案をたくさん出してきて手がつけられなくなる」と言う人がいるかもしれないが、それは違う。株主は自分のお金を入れている。自分の財産を守るためにも真剣に考えるはずだ。連続性のないめちゃくちゃな人事案を持ってくる株主なんてほとんどいないだろう。 いいアイデアでしょ?(笑)』、「株主総会で質問する株主に「株主票番号と名前を言ってください」とお願いする」必要はないのに、続いているのは、かつての「総会屋」対策の名残なのかも知れない。「取締役選任議案を株主にしか提案できないように法律を変えること」、面白そうだが、社外取締役の候補を選ぶにはやはり執行側の社長の権威が必要なのではなかろうか。
・『経営者にフレンドリーな提案であるべきか  Q:最近は経営者としてだけでなく、物言う株主、アクティビストとしての活動をされています。その立場から企業の株主への姿勢で感じたことはありますか。 A:アクティビストとして企業との対話をしようとすると、「その提案はフレンドリーな提案なのか、アンフレンドリーな提案なのか」と言われることがある。このフレンドリーかどうかは、あくまで経営者に対する視点で聞いてくる。これはおかしい。 会社は誰のものかという議論が昔からある。株主だと言う人もいれば、従業員だと言う人も、お客さまだと言う人もいる。現代においては普通に考えると株主であり、ステークホルダー(利害関係者)を含めて広めに考えるなら、会社は、株主、従業員、お客さま、そして社会のものだ』、その通りだ。
・『「重要なことは実りのある株主との対話だ」と強調した松本社長  つまり、ステークホルダーの中に経営者は入っていない。経営者はあくまで期間限定のアドミニストレーター(管理者)でしかない。本来問われるべきは、その提案が株主にとって、あるいはお客さまや従業員、社会全体などのステークホルダーにとってフレンドリーかどうかであって、経営者に対してではないはずだ。 なのに、日本で議論されるときは、経営に対してフレンドリーかどうかばかりが問われている。こうしたところから、経営者の都合が優先されていると感じる。 Q:招集通知の発送から株主総会までの期間が短く、株主が議案を検討する時間が十分でないといった指摘や、議決権の電子行使の使い勝手が悪いという批判もあります。 A:そういったことも問題だが、海外と比べて特にひどいかというとそうでもない。招集通知の発送から総会までの期間について、現状の2週間」、から3週間、もしくは4週間にしようというよりも、(株主総会日以外の)残りの50週に何をやるか議論するほうが実利的だ。 今回の信託銀行の集計問題も、それ自体は大したことではない。背景まで考えないと、木を見て森を見ずになってしまう。政府の審議会でも、総会前の4週間ぐらいの話をすごくしたがるが、そこじゃない。 何度も言うが、重要なのは1年間を通して株主と会社が実りのある対話をすること。 そのために私が考えるのは、取締役の選任議案を株主しか提案できないようにすることだ。そうすれば否が応でも、総会が終わったときから(株主と会社の対話が)始まる』、「重要なのは1年間を通して株主と会社が実りのある対話をすること」、同感である。

第四に、11月13日付け東洋経済オンライン「信託銀行の議決権“集計外し"に欠如した視点 会社法に詳しい東京大学の田中亘教授に聞く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/388066
・『今年9月、上場企業の株主名簿管理人である信託銀行が、株主総会で数えるべき一部議決権を集計していなかったという前代未聞の事態が明らかになった。 問題発覚の直後こそ大きく報じられたものの、早々にトーンダウンした。だが、今回の問題を単に信託銀行の事務処理ミスと片付けていいのか。会社法に詳しい東京大学の田中亘教授に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは田中氏の回答)』、興味深そうだ。
・『信託銀行の取り扱いに衝撃を受けた  Q:株主総会前日に配達された議決権行使書で、実際には届いているにもかかわらず、翌日扱いとして集計から外すことが20年近く続いていました。今回の事態をどう見ていますか。 A:信託銀行がああいった取り扱いをしていたことは知らず、衝撃を受けた。 会社法上、投票期限は会社が決定して、招集通知に記載すればよい。投票期間は招集通知の発送から2週間あればよく、集計が間に合わないのであれば、株主総会前日よりも前に(議決権行使の)期限を設定できる。 しかし、招集通知に株主総会前日が期限と記載している以上、前日に届いた議決権行使書はカウントしなければいけない。 Q:三井住友信託とみずほ信託は、調査した過去3カ月の株主総会に関して「賛否には影響がなかった」と強調しています。 A:結果に影響がなかったから問題ない、ということではない。株主総会決議の方法に法令違反があれば、決議が取り消されるというのが原則だ。 今回のカウントミスは法令違反なので、これ自体が(決議の)取消事由にはなる。ただし、法令違反であっても瑕疵が重大ではなく、決議結果に影響がなければ、裁判所が裁量で棄却する可能性が高い。 Q:重大な瑕疵とは、具体的にはどういうケースですか。 A:株主総会の当日に、決議に「反対」を表明している株主の出席を意図的に拒否したようなケースがあれば、(決議が)取り消される可能性が高い。このような場合、事前に行使された議決権だけで全議決権の過半数の賛成が集まっていて、決議が可決されることが総会前までに確定していたとしても取り消されるだろう。 正当な理由が何もないのに株主を排除していれば、たとえ結果に影響を及ぼす可能性がゼロだったとしても、決議の効力は否定されるというのが原則になる。法律は結果に影響がなければよいという考え方には立っていない』、「今回のカウントミスは法令違反なので、これ自体が(決議の)取消事由にはなる。ただし、法令違反であっても瑕疵が重大ではなく、決議結果に影響がなければ、裁判所が裁量で棄却する可能性が高い」、「法律は結果に影響がなければよいという考え方には立っていない」、「法令違反」とはやはり重大だったようだ。しかし、プロたる「信託銀行」が「法令違反」を長年続けてきたというのには、改めて驚かされた。
タグ:大戸屋株式の保有比率を19%から47%に引き上げた 外食業界で敵対的TOBが成立するのは初めて 「コロワイド・蔵人金男会長 外食日本一を目指しМ&Aに邁進」 有森隆 日刊ゲンダイ (その9)(コロワイド・蔵人金男会長 外食日本一を目指しМ&Aに邁進、1000社超の上場企業が総会の結果を訂正 株主軽視の総会は通用しない、インタビュー①/マネックスグループ社長 松本大 「総会は穏便に滞りなく。経営者の腰が引けている」、専門家が指摘する議決権“集計外し"の根本原因 株主総会の実務に詳しい中島茂弁護士に聞く) コーポレート・ガバナンス問題 日本企業の プロたる「信託銀行」が「法令違反」を長年続けてきたというのには、改めて驚かされた 法律は結果に影響がなければよいという考え方には立っていない 今回のカウントミスは法令違反なので、これ自体が(決議の)取消事由にはなる。ただし、法令違反であっても瑕疵が重大ではなく、決議結果に影響がなければ、裁判所が裁量で棄却する可能性が高い 信託銀行の取り扱いに衝撃を受けた 「信託銀行の議決権“集計外し"に欠如した視点 会社法に詳しい東京大学の田中亘教授に聞く」 重要なのは1年間を通して株主と会社が実りのある対話をすること 「重要なことは実りのある株主との対話だ」と強調した松本社長 経営者にフレンドリーな提案であるべきか かつての「総会屋」対策の名残なのかも知れない 株主番号と名前を言う必要はない 「リハーサルでは「はい、はい」と聞き流して、当日はアドバイスを無視して自由にやっている」、「松本」氏はさすがだ 「彼らからは「質疑応答を早めに切り上げてください」とアドバイスを受ける」 「株主総会」の「リハーサル」に、「信託銀行」が来ている 私はアドバイスを無視して自由にやっている マネックスグループの松本大社長 「インタビュー①/マネックスグループ社長 松本大 「総会は穏便に滞りなく。経営者の腰が引けている」」 臨時報告書の開示で当日行使を行った株主の一部の議決権のみ集計、または集計しないと答えた企業は全体の約83%に達する 企業が総会で「回答事例を読み上げる」ことを助長 三井住友信託銀行が発行した「株主総会想定問答事例集 2020年3月版」 信託銀行の姿勢が”集計外し”を生んだ 東芝の株主の声 3Dオポチュニティー・マスター・ファンド(3D)や、エフィッシモ・キャピタル・マネジメント 発覚は偶然の産物 先付け処理は20年近く続けられていた可能性があるが、2020年4月以前については「データはすべて消去した 三井住友信託とみずほ信託が集計業務を委託していた折半出資の合弁会社、日本株主データサービス 株主名簿管理人が数えるべき議決権数をカウントしないという前代未聞の事態 議案の可否に影響を及ぼさなければ問題ない? ひらまつは訂正臨時報告書を金融庁に提出 信託銀行が、株主総会で数えるべき一部議決権を集計していなかったという、“不都合な真実”が明らかになった 「1000社超の上場企業が総会の結果を訂正 株主軽視の総会は通用しない」 東洋経済オンライン 手作りに親しんだ顧客や中核社員を繋ぎ止められるか、がカギ コロナ不況下、外食株は安値をつけ、「絶好の買い場」 デイリー新潮 コロワイドを率いる蔵人金男会長が32億円もの巨額詐欺に遭っていた 傘下に収めた企業の本社は横浜ランドマークタワーにあるコロワイド本社内に移転させる。一体感を基礎に、傾いた企業を素早く再建し、軌道に乗せるのが金男のやり方だ 「挨拶もできない馬鹿が多すぎる」「生殺与奪権は、私が握っている」などと書かれていた。 「カンパニーとは同じパンを食べる仲間、という意味だ」 金男の過去の暴言が暴露
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経済学(その3)(世界はすでに 各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている、コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び、GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由 狙いは「ビジネスの最強武器」) [経済政治動向]

経済学についてゃ、4月23日に取上げた。今日は、(その3)(世界はすでに 各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている、コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び、GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由 狙いは「ビジネスの最強武器」)である。

先ずは、4月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経産省出身の評論家、中野剛志氏による「世界はすでに、各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/231363
・『「いま世界は極めて危険な状態にある」と中野剛志氏は指摘する。アメリカの覇権パワーが衰退するとともに、リーマンショック以降、世界経済は停滞に向かっていたうえに、コロナ禍で世界経済は大恐慌以来の景気悪化になると予測されているからだ。にもかかわらず、日本はいまだに冷戦構造下の国家政策に安住しようとしているのは危険すぎる。この問題意識から、中野氏が『富国と強兵 地政経済学序説』で提唱するのが地政経済学の確立だ。 連載第1回https://diamond.jp/articles/-/230685
連載第2回 https://diamond.jp/articles/-/230690 連載第3回 https://diamond.jp/articles/-/230693 
連載第4回https://diamond.jp/articles/-/230841 連載第5回 https://diamond.jp/articles/-/230846 
連載第6回 https://diamond.jp/articles/-/230849 連載第7回 https://diamond.jp/articles/-/231332 
連載第8回 https://diamond.jp/articles/-/231347 連載第9回 https://diamond.jp/articles/-/231351 
連載第10回 https://diamond.jp/articles/-/231363 連載第11回 https://diamond.jp/articles/-/231365 連載第12回 https://diamond.jp/articles/-/231383 連載第13回(最終回) https://diamond.jp/articles/-/231385』、今日はこのうちの連載第1回である(Qは聞き手の質問)。
・『「リベラルな国際秩序」には、地政学的な下部構造がある  Q:前回、中野さんは、かつてのイギリスのように、食糧安全保障のために、日本も財政支出を惜しむべきではないと主張されました。しかし、日本は農業関連の財政支出を減らす一方、TPP、日米FTAで農業関税を大幅に下げていますね? 中野剛志(以下、中野) 非常に危険なことだと思います。アメリカやオーストラリアなどは国土に広大な平野を有していますから、平野の少ない日本よりも農業生産性ははるかに優れています。そのような国々と自由競争をすれば、すでに惨憺たる状況にある日本の食糧自給率を悪化させるのは火を見るより明らかです。 Q:たしかに……。 中野 そもそも、アメリカのグローバル覇権が衰退していくなかで、グローバリズムと称してTPPやFTAなどの急進的な自由主義経済を進めようとするのが時代錯誤というべきでしょう。 なぜなら、グローバルな覇権国家がなければ、自由な国際経済秩序は成立しないからです。これを明らかにしたのが、経済史家のチャールズ・キンドルバーガーが最初に提唱し、その後、国際政治経済学者のロバート・ギルピンらが発展させた「覇権安定理論」です。 Q:「覇権安定理論」とは? 中野 例えば、自由貿易秩序が成り立つためには、無差別原則や最恵国待遇原則のような自由貿易のルール、安定的な国際通貨制度、そして国際的安全といった環境がなければなりませんが、これらは経済学で言う「公共財」としての性格をもちます。 「公共財」とは、個々人が対価を払うことなく消費することができる財のことです。例えば、一般道路やきれいな空気が典型的な「公共財」ですね。人々は誰でも自由に一般道路を通行したり、きれいな空気を吸ったりしていますが、一般道路の整備やきれいな空気の維持のために必要な費用は、政府が強制しない限り、誰も支払いません。そのため、公共財の供給は、政府が介入しない自由市場に委ねると、不十分になるわけです。 これと同じように、国際貿易のルール、国際通貨、国際的な安全といった環境も「公共財」であり、個々の国家は、その維持に必要なコストを分担することなく、その恩恵を享受できるわけです。ところが、国内社会における「公共財」の供給には強制力をもつ政府が必要であるのと同じように、国際社会において「国際公共財」を供給するためには、本来は強制力をもつ「世界政府」が必要となるはずですが、現実には「世界政府」など存在しません。 そこで、他国に対して強制力を有する覇権国家が必要になるわけです。覇権国のリーダーシップがなければ、国際的な「公共財」の供給が不足し、国際市場経済の秩序を維持できないのです。つまり、自由主義経済による国際秩序の基礎には、地政学的な下部構造があるということ。言い換えれば、グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだということです。 Q:なるほど』、「グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだ」、経産省出身とは思えない保護主義的見方だ。
・『リーマン・ショックとコロナ禍で、世界は「危険な場所」になった  中野 そして、自由な世界経済を実現する覇権国家が存在したのは、歴史上、二度しかありません。19世紀において、その圧倒的な軍事力と経済力によって自由貿易の時代を開いたイギリスと、第二次世界大戦後に覇権国家となったアメリカの二度だけなんです。 とりわけ、第二次大戦後に比類なき軍事力と世界全体のGDPの約半分を占める経済力を誇っていたアメリカは、圧倒的な覇権的パワーで、冷戦期には西側世界の安全を保証し、冷戦後は自由主義経済を世界中に広げていったのです。 しかも、この覇権国家が存在した時期が、いわゆるグローバル化の時期と重なっているんです。ダブリン大学トリニティ・カレッジ経済学教授のケヴィン・オルークとハーヴァード大学経済学部教授のジェフリー・ウィリアムソンは、グローバル化がいつから始まったのかを検証した結果、それが1820年代であると特定しました。これは、イギリスという覇権国家が出現した時期とほぼ一致しているのです。 この研究は、グローバル化が進んだ背景には、覇権国家という政治的な存在があるとする「覇権安定理論」を裏付けるものと言えるでしょう。逆に言えば、覇権国家という世界を圧倒する権力が消滅すれば、グローバル化も同時に終焉するということになるわけです。 Q:だから、中野さんは「グローバル化は終わった」とおっしゃったのですね? 中野 ええ。これまで説明してきたように、2010年代に入って、アメリカの覇権的パワーが音を立てて崩れ始めました。地政学的な下部構造が崩壊したとなれば、その上部構造にあった自由主義的な国際秩序やグローバリゼーションもまた、終わりを告げることになるでしょう。 しかも、2008年にはリーマン・ショックによる世界金融危機が勃発しました。これは、アメリカの経済自由主義に基づく経済政策が生んだ資産バブルの崩壊が原因で、アメリカ主導の国際経済秩序の正統性が損なわれるとともに、グローバル化の進展によって世界経済は拡大するという楽観主義が一気に崩壊した瞬間でもありました。 そして、世界経済は停滞へと向かっていったわけです。いわば、世界中が“飢餓状態”に陥ったようなものです。アメリカの地政学的な覇権が崩れていく局面で、世界中が“飢餓状態”に陥るという非常に危険な状態になったのです。しかも、現下の「コロナ禍」によって、世界経済は大恐慌以来の景気悪化になると予測される状況に陥ってしまいました。世界はさらに危険な場所になったのです。 Q:各国が限られたパイを食い合うようになると? 中野 そういうことです。一般に、市場全体が成長している場合は、国家間の経済連携の深化は、比較的容易です。なぜなら、その場合は、関係国間で、利己的な行動をとって対立するよりも、協力的行動をとった方が、お互いに得られる利益がより大きいことが明らかだからです。 しかし、市場全体が停滞ないし縮小し、各国がお互いに協力行動をとったとしても、得られる取り分が大きくならない場合は、協力することによるメリットが見えにくくなります。また、市場全体が成長していないときには、自国の利益を増やそうとすると、他国の利益を奪うことになるので、自由貿易や経済連携による利益を共有し、互恵的な関係を構築することが極端に難しくなる。それは、1930年代の世界大恐慌後の歴史が物語っていることです。 このように世界経済が停滞すると、各国はより利己的にならざるを得なくなり、国家間の協力関係を成立させることは容易ではなくなります。とりわけ民主主義国家はエゴイスティックになります。自国の利益を優先しなければ、政治家たちは国民の支持を得ることができないですからね。 Q:民主主義国家はエゴイスティックにならざるを得ないというのは、少々ショッキングですが、たしかに否定できませんね』、「グローバル化が進んだ背景には、覇権国家という政治的な存在があるとする「覇権安定理論」を裏付けるもの・・・逆に言えば、覇権国家という世界を圧倒する権力が消滅すれば、グローバル化も同時に終焉するということになるわけです」、「逆に言えば」としているが、逆がそのまま成立しない場合もあるが、この場合はどうなのだろう。
・『日本は世界の“食い物”にされる!?  中野 ええ。そうなることは2008年に世界金融危機が起きた時点で、すでに見えていたわけです。にもかかわらず、日本は2010年になって「平成の開国」などと言って、その後、TPP交渉に参加すると表明しました。しかし、TPPは、オバマ大統領自身が横浜で開かれたAPEC首脳会議で明言したように、アメリカが輸出を倍増させることで国内の雇用を増やすという戦略の一環だったんです。オバマにとってのTPPは、他国の雇用を奪うための、一種の近隣窮乏化政策だったのです。 一般教書演説でも、オバマ大統領はそのことを繰り返す一方で、「自由貿易」という言葉を一度も使いませんでした。環太平洋にリベラルな経済秩序をつくろうなどという意思はかけらもなく、単に、日本市場を獲りに来ただけのことなんです。 それは、世界経済が縮小に向かうなかで、民主主義国家であるアメリカの大統領ならば当然考えることであって、生き残りをかけた残酷な国際政治において自国を守ろうとするのは当たり前のことです。しかし、日本は「世界の現実」を理解せず、「平成の開国」などと言っていたわけです。 Q:だから、中野さんは『TPP亡国論』を出版するなどTPP反対の論陣を張ったんですね? しかし、その後、トランプが当選し、TPPから離脱しました。あれは、想定外だったのでは? 中野 そうですね。アメリカでもTPPを支持しているのはエリート層で、中国などに「職」を奪われたと感じる一般の人々が「自由貿易」に辟易していることは認識していましたが、まさかトランプが大統領になるとは思っていませんでした。 ただ、トランプがTPPから離脱したのは、「オバマが雇用を奪い取ると言っていたが、俺のほうがもっといいディールができる」ということにすぎませんでした。 つまり、オバマもトランプも「他国から雇用を奪う」という意思に変わりはないわけです。オバマはそれを上品に表現し、トランプはそれを露骨に表現したというだけの違いです。アメリカは自国民を守るためになりふり構っていられる状況ではないのだから、これも当たり前のことなんです。 Q:実際、トランプ政権は日米FTA交渉で、「TPPと同水準かそれ以上」の市場開放を強硬に要求して、日本はかなりの譲歩を強いられたと聞いています。結局、中野さんが心配していたとおりになったようにも見えます。 中野 日米FTAのことは、細かく調べていませんが、「自由貿易を推進する」などと時代錯誤なことを考えるのではなく、真剣に自国の経済を守るためにどうすべきかを考えなければ、非常にマズいことになるでしょうね。 Q:なんとなく「グローバル化は善」といったイメージがありましたが、頭を切り替えないといけないですね……。 中野 そうなんですが、まぁ、でも、結局のところ、アメリカが自国の利益を犠牲にしてまで日本を豊かにしてくれた冷戦期に、日本がいちばんうまくいっていたわけで……そのときのやり方を続けたいということなんでしょうね。 ただ、冷戦のときにアメリカが、自国の利益を犠牲にしてでも日本が豊かになるのを助けてくれた理由は、共産化されたら困るからですよね。そして、冷戦が終わったら、アメリが自国を犠牲にして日本を助ける理由がなくなったわけです。この問題は、地政学的に考えなければいけないんです。 したがって、私は、日本の経済成長の低迷し始めた時期と、冷戦終結のタイミングが一致しているのは偶然ではないと思っています。日本の高度経済成長は冷戦構造という下部構造の上に実現し、日本の経済停滞は冷戦終結という下部構造と関係があるというふうに見ておかなければならない。つまり、経済学と地政学は密接に関係しているということです。 この視点なくして、まともな国家政策などありえません。経済が地政学的環境にどのような影響を与えるのか、そして地政学的環境が経済をどのように変化させるのかについても考察しなければ、国際政治経済のダイナミズムを理解できず、国家戦略を立案することもできないのです。このことを訴えるために書いたのが、『富国と強兵 地政経済学序説』という本だったんです。 Q:地政経済学とは?』、「日本の経済成長の低迷し始めた時期と、冷戦終結のタイミングが一致しているのは偶然ではない・・・日本の高度経済成長は冷戦構造という下部構造の上に実現し、日本の経済停滞は冷戦終結という下部構造と関係があるというふうに見ておかなければならない」、なるほど面白い見方だ。
・『「ガキっぽい情熱」を克服できない経済学  中野 私の造語ですが、経済力(富国)と政治力・軍事力(強国)との間の密接不可分な関係を解明しようとする社会科学です。地政学なくして経済を理解することはできず、経済なくして地政学を理解することはできない。だから、地政学と経済学を総合した「地政経済学」という思考様式が必要だと考えたんです。 でも、これは決して新しいものではありません。たとえば、E・H・カーは、国際関係論の古典とも言うべき1939年の『危機の二十年』で、「経済は所与の政治的秩序の上に成り立っているものであり、政治から切り離しては、有意義な研究をすることができない」と説いていました。このような思考様式は、かつては当たり前のものだったんです。 ところが、いま、地政学は経済に対する理解を欠き、経済学は地政学を無視するという状態にあります。おもしろいことに、これが日本だけで起きている現象ではなく、アメリカでも起きていることなんです。 Q:へぇ、そうなんですか。ちょっと意外ですね? 中野 ええ。さらに興味深いのは、地政学と経済学が分離した理由について、ダートマス大学教授のマイケル・マスタンドゥノが、冷戦構造の影響を指摘していることです。 冷戦下においては、アメリカにとって安全保障上の脅威はソ連でしたが、ソ連は経済的な競合相手ではありませんでした。一方、アメリカの経済上の脅威は西ドイツや日本だったけれど、これらの国々は同盟国であり、安全保証上の脅威ではありませんでした。そのため、対ソ連を想定した軍事研究から経済への関心が脱落し、経済研究は安全保障を無視したというわけです。 Q:なるほど、説得力がありますね。 中野 ええ。しかし、1998年の時点でマスタンドゥノは、冷戦が終結すれば、安全保障と経済は再び結びついていくであろうと論じていたのですが、それから20年がすぎても、依然として地政学は経済学との接点を欠落させたままです。 ただし、地政学者や国際政治学者の多くは国力の基礎に経済力があることは認めています。どうやら、彼らが経済に関する知識に乏しいのが原因となっているようなんです。 Q:うーん……なんとか頑張っていただきたいですね。 中野 ただですね、経済学の方は、地政学以上に狭隘な専門主義が進行していて、地政学はおろか、歴史学、政治学、社会学への接近すら拒否しているという無残なありさまなんです。 たとえば、フランスの経済学者であるトマ・ピケティは、『21世紀の資本』でこう述べました。 「率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにもしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題にばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずにすませているのだ。」 Q:辛辣ですね……』、「経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている」、極めて手厳しい経済学批判だ。
・『経済学は「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」?  中野 でも、私もまったく同感ですね。しかも、2008年の世界金融危機によって、主流派経済学が、経済自体についてすらも、ほとんど理解していなかったことが白日のもとにさらされたんです。 なぜなら、この世界金融危機を予想することができた主流派の経済学者は、ほとんどいなかったからです。というのも、ピケティが「科学っぽい」と揶揄した主流派経済学の理論モデルでは、世界金融危機のような事態は起きえないと想定されていたからです。 したがって当然のことながら、世界金融危機への対応にあたっても、主流派経済学は何の役にも立ちませんでした。こうして世界金融危機は、経済のみならず、経済学の信頼性にも大きな打撃を与えたんです。 Q:そうなんですか……。 中野 実際、主流派経済学者からも批判の声が上がっています。たとえば、IMFのチーフ・エコノミストであったサイモン・ジョンソンは、世界金融危機によって経済学もまた危機に陥ったとして、主流派経済学とは異なる新たな経済理論が必要であると論じました。 あるいは、ポール・クルーグマンは、過去30年間のマクロ経済学の大部分は、「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」と言い放って、物議を醸しました。 経済成長理論の発展に大きく貢献したという功績が認められて、2018年にノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマーは、皮肉なことに、受賞の2年前の講演のなかで、主流派経済学を次のように批判していました。 主流派経済学の学者たちは画一的な学界の中に閉じこもり、きわめて強い仲間意識をもち、自分たちが属する集団以外の専門家たちの見解や研究にまったく興味を示さない。彼らは、経済学の進歩を権威が判定する数学的理論の純粋さによって判断するのであり、事実に対しては無関心である。その結果、マクロ経済学は過去30年以上にわたって進歩するどころか、むしろ退歩したと。 Q:容赦ないですね……。 中野 このように、いまや、アメリカの主導的な経済学者たちですら、主流派経済学の破綻を認めざるをえなくなっているんです。 ところが、主流派経済学の無効が明らかになったにもかかわらず、経済学界は、これまでのところ、従来の理論モデルを反省し、それを根本的に改めようとしているようには見えません。そのような主流派経済学のあり方を、オーストラリアの経済学者であるジョン・クイギンは「ゾンビ経済学」と呼んでいます。 だとすれば、恐るべきことに、地政学者だけでなく、経済学者自身も、経済についての正確な知識をもちえていないということになります。少なくとも主流派経済学に依拠している限りは、地政学と経済学を意味のある形で総合することは不可能です。そして、いま私たちが陥っている世界的な危機を克服することもできないんです。 Q:しかし、主流派経済学の何がそんなに間違っているというのですか?  中野 現在の主流派をなす経済学は、アダム・スミスを開祖とする「古典派」、およびその後継たる「新古典派」という系譜をもち、その歴史は200年以上に及びます。しかし、その発展のプロセスで「不確実性」という概念を喪失しました。私は、これが主流派経済学の根本的な間違いだと考えています。 Q:「不確実性」ですか? そういえば、このインタビューの最初のほうで、信用貨幣論を説明していただいたところで「不確実性」という言葉が出てきましたね。 中野 そうそう。信用貨幣論では、貨幣を創造するとは、負債を発生させることだけど、負債には常に、「デフォルト(債務不履行)」がありうるという「不確実性」が存在していると言いましたね Q:はい。だからこそ、その「不確実性」を最小限にするために、国家権力に裏付けられた「貨幣」が一般化していったというお話でしたね。 中野 ええ。しかし、その「不確実性」を排除することなしに、現在の主流派経済学は成立しなかったと言ってもいいでしょう。その結果、主流派経済学は、「現実世界」とはかけ離れた精緻な理論体系をつくり上げるに至ったのです。 Q:どういうことですか? もっと具体的に教えてください。 中野 わかりました。ちょっと長くなりますが、いいですか? Q:もちろんです。(次回に続く)』、「「不確実性」を排除することなしに、現在の主流派経済学は成立しなかったと言ってもいいでしょう。その結果、主流派経済学は、「現実世界」とはかけ離れた精緻な理論体系をつくり上げるに至った」、その通りなようだ。

次に、5月7日付け東洋経済オンラインが掲載した 作家、研究者の佐々木 一寿氏による「コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/346470
・『異色のNHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論2019」を基に、書き下ろしを加えた『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る」』が、このたび上梓された。 番組やこの本で岩井氏を知った方も多いかもしれないが、日本を代表する世界屈指の理論家である。同氏の歩みを通じて、経済学のこれまでの発展過程と、いま学ぶべき経済学的課題をひもといていく』、興味深そうだ。
・『「日の下に新しきものなし」  「太陽の下、この世には何も新しいものはありません」 これは岩井克人が自身の考察を述べる際によく言及される、旧約聖書の中の言葉(「日の下に新しきものなし」)である。 世の中の出来事は、もしまったく新しいもののように見えることであっても、実は本質的には共通する先例がすでに存在していて、それが形を変えて現れているだけである――。おそらくそのような世界観を言い表したものであろう。 そしてこの象徴的な言葉こそが、岩井克人という学者を理解するうえで非常に重要なものであるように私は思う。 岩井氏は経済学で多くの貴重な「再発見」をしてきた。そして、私たち(と多くの学者)が経済学を再発見することを可能にした。 学者、それも一流の学者と言われるためには、学術的な新しい発見を求められる。経済学であってもそれは例外ではなく、論文には新規性が求められ、その新規的な内容の完成度が高く、有用性が大きそうであればあるほど高く評価される。論考が高く評価されればされるほど、学者冥利に尽きるし、皆から期待され、出世もできる。 そう考えれば、学者の成功は、自身が所属する領域で誰も成し遂げていない新しい発見をいかに自身の手で形にするかにかかっていると言える。であれば、新しい発見を探究し続けることこそが学者の学者らしい過ごし方であり、学者の本能的欲求だと言ってもいいだろう。 ところが岩井氏は、冒頭のように「新しいものなど何もない」と、およそ学者の口から出るとは思えない言葉をさらりと言ってしまう。まるで学者としての野心があらかじめ欠如しているかのようである。) しかし氏の経済学の探究心は並外れており、理論的に主要な経済学を網羅的に見渡せる、今や世界でも数少ない碩学中の碩学である(「24時間、学者をやっているのかもしれない」とも語っている)。 また経済学以外の分野の論考でも高い評価を得る思索家(thinker)でもあるが、「学者として『没落』した」ともよく語っている。その言葉の端からは、逆説的に学者としての成功を求める気持ちも持っていることが漏れ伝わってくる。 ただ、学者としての成功以上に学者として大切にしているものがあるのかもしれない。もしそうだとすれば、それは何なのだろうか。 自身からは明示的に語られることのないその「何か」を、氏の学者としての歩みから探っていきたいと思う』、「岩井」氏が言う「新しいものなど何もない」は、極めて深い意味がありそうだ。
・『サイエンス好き、SF文学好きから経済学の道へ  岩井氏は自伝の中で、サイエンティストの原点として、小学1年生時の『学習理科図鑑』(子ども用の原色図鑑)との出合いを語っている。転校してきた友達の家に遊びに行ったときに見せてもらい衝撃を受け、その後に自身用の図鑑を買ったという。お小遣いを工面しつつ、昆虫図鑑、動物図鑑、植物図鑑、天文図鑑といったシリーズを興味の向くまま購入していき、鉱物図鑑まで行き着く。 図鑑では、自然界の構造全体が見渡せるようになっており、次にそれを構成する動物界や植物界といった各界を分類的に見渡すことができる。最後には図鑑で個体一つ一つを具体的に見る。岩井氏は世界を全体的、構造的、関連的に捉えるようになる。 「私は、図鑑を通して、大げさな言い回しになりますが、世界をいわば鳥瞰図的に知ることになったというわけです。(中略)いずれにせよ、私は科学少年になりました」(『経済学の宇宙』9ページ) 鉱物図鑑まで買った後、買いたい図鑑がなくなり、SFを読むようになった岩井氏は小学6年時に物理学者ジョージ・ガモフの著作に出合い、相対性理論や量子力学の概念とともに「無限大」の概念を知ることになる。これが後の代表的な研究となる「貨幣論」のきっかけとなったという。 また同時に、ガモフの“副作用”により学校で教えている数学や理科に刺激を感じなくなってしまい、その反動で文学作品に興味を持つようになる。多様な作品を読み、文学青年を自覚するようにもなった岩井氏は、「科学少年」と「文学青年」の間で進路に悩み、最終的に経済学部を選ぶ。) 「経済学を、文学と科学を足して二で割ったものととらえたのです。まあ、今から考えると、ずいぶんいい加減な理由で選んだと思いますが、経済学を専攻することにしました」(『経済学の宇宙』31ページ) 岩井氏の文章は、鋭利な理論展開と優美な表現力を併せ持つ。その独特の筆致は高い人気を得ているが、このような背景があるゆえなのかもしれない』、「私は、図鑑を通して、大げさな言い回しになりますが、世界をいわば鳥瞰図的に知ることになったというわけです」、確かに体系的に知識を得るには「図鑑」は恰好の教材だ。
・『「新古典派」の理論構築を嘱望された希代の逸材  岩井氏は東京大学の経済学部に進学する。入学当初は政治学にむしろ興味が向いていたが、大学2年時に受けた「近代経済学」(根岸隆)の授業に深い感銘を受ける。 「とりわけ、新古典派経済理論の数学的な美しさに驚きました。科学少年であったときの知的興奮がよみがえってきたのです。(中略)目標にできる人がここにいる、経済学者になってもよいと思いました」(『経済学の宇宙』38ページ) それとともに、当時の東京大学で優勢であり高校の頃から触れていたマルクス経済学に対し、学びながらも違和感を感じるようになっていく。 学部の後半では、学内で少数派だった近代経済学のゼミを選び、小宮隆太郎から「通説批判」の精神と経済成長に関する純粋理論を学ぶ。そして、理論に堪能だと気付いた小宮により、シカゴ大学から帰京したばかりの宇沢弘文に紹介される。 東京大学の数学科出身で、数理経済学の世界的な第一人者だった宇沢は、ベトナム戦争反対の立場から東京大学からの招聘に応じていた。 そして岩井氏は、宇沢から多大な影響を受ける。新古典派経済理論(数理的に基礎構築された自由主義経済の理論)の最先端の手法と、そして宇沢が密かに葛藤し続けていたその手法の限界性を、教室や酒場で間近に学び、学部生の終わりを迎える。 岩井氏は大学院進学を自然に考えるようになったが、いわゆる東大闘争の影響で大学院が封鎖されてしまう(封鎖はその後、数年続いた)。 東京大学の近代経済学教員チームは、岩井氏を含む4人の大学院志望者を直接アメリカの大学院に進学させることにする。岩井氏は最も数学が堪能ということでマサチューセッツ工科大学(MIT)に推薦される。 米国屈指の経済学者ポール・サムエルソンを招聘したMIT経済学部は、彼の尽力により米国最高位の地位を獲得、ロバート・ソロー、フランコ・モディリアニ、チャールズ・キンドルバーガーといった豪華講師陣を擁していた。いわば経済学の中心地で、岩井氏は新古典派経済学の粋を学ぶことになる。 そして早くも1年目の二学期に転機が訪れる。サムエルソンの講義中に提示された経済成長論の技術的課題に、数学的な解決手法のアイデア(「入れ子構造」でのモデル記述)を思いつき、一月ほどかけて「最適経済成長と静態的序数効用ーーフィッシャー的アプローチ」という論文にまとめる。 その論文はサムエルソンとソローに認められ、2年時にはサムエルソンの研究助手に迎えられ(前任はロバート・マートン)、その後、ソローの研究助手も務めることになる。 3年の時には、ジョセフ・スティグリッツからエール大学で行われる経済成長論のカンファレンスに誘われて出席し、院生でありながら発表を行なっているが、その背景に経済成長論の理論的大家であるチャリング・クープマンスの取り計らいがあったことは、米経済学界の経済成長論分野からの岩井氏への期待の大きさの現れだろう。 「まだ学者になるかならないかの頃でしたが、今振り返れば、このときが、私の学者人生における『頂点』であったのです」(『経済学の宇宙』68ページ) しかし、大学院の2年から3年にかけて、岩井氏は平行してケインズ経済学を読み直しつつ、新古典派経済学の根幹を見つめ直す作業を始めていた。そして、経済成長理論の分野での将来を嘱望していたソローからの提案を、大胆にも断ってしまう。 「その瞬間、私の学者人生は、『頂点』から『没落』し始めてしまったのです。もちろん、私はそのようなことを知るよしもありません」(『経済学の宇宙』78ページ) 岩井氏はMIT時代の総仕上げとして、新古典派経済学の根幹部分を支える「神の見えざる手」のメカニズム検証に着手する。新古典派が依拠する自由放任下の完全競争による需給バランス均衡の到来、そしてそれによる資源の最適分配のメカニズムは「神の見えざる手」と呼ばれ、主流派経済学の最重要の基礎となっている。 ただ、それを厳密に追っていくと、論理に致命的な飛躍があることが他でもない新古典派経済学者から指摘されてもいた(ケネス・アロー、チャリング・クープマンスによる)。 完全競争下では価格は与件となるが、では、その価格は誰が動かすのか――。価格がもし皆で動かしうるのであれば 、完全競争による秩序はどのように実現し得るのか――。 そして、新古典派はそのことに目をつぶってしまったのではないか。残されてしまっていたその課題の検証を岩井氏は「見えざる手を見る」作業と呼び、試行錯誤の末に3年目の終わりまでに「不確実性のもとでの独占的競争企業の行動を分析した論文」として仕上げる。 「私は、主流派がその価格の調整メカニズムそれ自体は理論化してきていないことに不満を持ち、最初はその経済理論を内部から補強しようと思ったのです」(国際基督教大学HPでのインタビュー) 先行して仕上げていた2つの論文と合わせ、「経済動学に関する三つの試論」として博士論文として提出し、3年足らずで博士号を取得する。) ソローの誘いを断り、新古典派の重要課題に博士論文で一旦の結論を出した岩井氏は、以降、ケインズ経済学の研究に突き進む』、「東大闘争・・・東京大学の近代経済学教員チームは、岩井氏を含む4人の大学院志望者を直接アメリカの大学院に進学させることにする」、「東大闘争」の思わぬ効用だ。「経済成長理論の分野での将来を嘱望していたソローからの提案を、大胆にも断ってしまう」、進路も違ったものになっていたろう。
・『新古典派が称賛する博士論文、そして宇沢弘文の背中  岩井氏はMITを卒した後、 自身の論文を高く評価され、エール大学の助教授に着任するが、その前の1年間、カリフォルニア大学バークレー校に研究員として赴いている。 そこは数理経済学の牙城であり、経済成長理論を数学的に拡張することを求められながらも、ケインズ経済学の研究に没頭し、後の『不均衡動学』につながるアイデアを得ている。また、高名な理論経済学者ジョージ・アカロフとも交流を持った。 エール大学では、由緒あるコウルズ研究所に所属する。そこで数理経済学者クープマンスとともに研究所の二枚看板であるマクロ経済学者のジェームズ・トービンに出会う。 トービンは当初、数学か法律を学ぶつもりであったが、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』を読んだことがきっかけで経済学に進んだという経緯もあり、岩井氏にとっては得難い理解者となる。 岩井氏は、クープマンスの期待を感じつつ、数理的な手法を磨きながらも、マクロ経済学に研究の軸足を移していく。まずはMITで書いた3本目の論文をマクロ経済学に拡張することに挑む。 「見えざる手を見る」作業、つまりミクロ的な経済主体の振る舞いのメカニズムから、マクロ経済的な現象を説明する(マクロ経済学のミクロ的基礎づけ)作業に着手する。 その過程において、当初の楽観的な見方から転換を余儀なくされる。3本目の論文では、新古典派の「神の見えざる手」がはらむ論理的な矛盾点を、現実的な前提を据え直すことによって、価格が均衡するメカニズムを新古典派経済学の範疇で示しえたが、それはミクロ経済学のなかでの話である。 しばらくして、岩井氏はミクロ的な価格決定メカニズムの説明がマクロ経済の場合ではそのままでは使えないことに気づく。「奇妙だ、矛盾だ」そう思い続けて悩んだ末、マクロ経済の場合は「合成の誤謬」(ミクロで成立することは必ずしもマクロで成立しない)が存在し、さらにそれは内生的かつ不可避であるという結論に達する。 個々の平均価格予想(平均価格は「個々(ミクロ)」が「全体(マクロ)」を予想することに相当)は、総需要と総供給が一致している場合以外は、予想の誤りを必然的に生み出す――。 つまり、個々が合理的な振る舞いをしても、(特殊な例外を除いて)予想の誤りが必然的に起こるため、理想的な価格に均衡しえない――。 こうして、マクロ経済においては、「神の見えざる手」は一般的な意味では存在しないことを、厳密な新古典派経済学の手続きによって否定的に論証してしまう。 「主流派経済学を理解して、主流派の理論を内部から、より厳密に追求していくうちに、その矛盾点を次々と見いだすようになり、次第に主流派経済学に疑問を感じるようになったのです。主流派の教えと矛盾した結果を導いたとき、最初は自身の理論化が誤っているのかと悩みました。3、4年におよぶ長い逡巡の末に、「矛盾こそが真実だ」と発想の転換をしたことを、今でもはっきりと覚えています」(国際基督教大学HPでのインタビュー) 「初めから異端を志したのではない」岩井氏ではあるが、「若さの気負いもあって」主流派経済学をひっくり返す仕事をしようと決める。それがエール大学のコウルズ研究所において7年の歳月をかけた『不均衡動学』の構築につながる。) ただそれは、論文の量産を宿命づけられた学者の出世プロセスにとっては、とてつもなく高いリスクを伴う選択でもあった。 とくにこの時期は、宇沢弘文の姿がよく脳裏に浮かんでいたのではないだろうか』、「主流派経済学を理解して、主流派の理論を内部から、より厳密に追求していくうちに、その矛盾点を次々と見いだすようになり、次第に主流派経済学に疑問を感じるようになったのです。主流派の教えと矛盾した結果を導いたとき、最初は自身の理論化が誤っているのかと悩みました。・・・「矛盾こそが真実だ」と発想の転換をした」、たいしたものだ。
・『「神の見えざる手は存在しない」という経済学の構築へ  「神の見えざる手」、専門的には新古典派経済学の「一般均衡理論」に代わる新たな市場観を理論化するにあたり、岩井氏は自身が考えてきた「予想の誤り」の考察が、クヌート・ヴィクセルの「不均衡累積過程理論」の再発見であることにある日気づく。 総需要と総供給が均衡していない(どちらかが多い不均衡な)場合、価格は均衡せずエレベーターのように(累積的に)推移していく――。 総需要と総供給は、新古典派のモデル(セーの法則、物々交換の原理)の前提においては均衡するのが常態であるが、貨幣経済の前提を入れると、たちまちそれは不安定になってしまうことはケインズも指摘している(貨幣需要の分だけ総需要が減るため)。 ということは、新古典派の一般均衡理論は現代の経済においては実際的でないか、あるいは非常に限られたケースでしか機能しないのではないか。そして、それでも市場価格が均衡して決まる、その要因は何なのか――。 そこに及んで、岩井氏は、ヴィクセルの「不均衡累積過程理論」とケインズの「有効需要原理」を接合することを思いつく。 テクニカルな説明は最小限にとどめるが、まずヴィクセルの累積過程論を現代的な数理経済的前提に基づいて修正し、ケインズが『一般理論』でヴィクセルの前提を理論的背景として踏襲していることを確認しつつ、新古典派の理論体系がケインズの“一般理論”の特殊ケース(不確実性がなく、流動性選好が十分に低く、総需要と総供給が等しい場合)なのだというケインズの真意を見いだす。 さらにケインズは、新古典派の依拠する処方箋(合理的な自由放任主義)がいかにヴィクセルの累積過程を伴う不安定をもたらすかを指摘しながらも、返す刀で、“悲惨“である不均衡累積過程は運命的必然などではなく止められるべきものだとヴィクセル派の経済学者らの運命論を牽制。 その安定のための市場の均衡化の処方箋は、「不合理的な振る舞い」「粘着性」「ノイズ」といった合理的でないもの「こそ」が担っているとケインズが示唆していることを岩井氏は明らかにする。 それらを数理的な基礎付けで統一的に理論化したことが岩井氏の画期的な功績だが、その実現にあたって、ミクロの不均衡な振る舞いがマクロ的な統計バランスの均衡をもたらしえること(岩井氏曰く“蚊柱理論”)、また予想される新古典派からの反論に即して、マクロ的な統計バランスを今度はミクロ的な不均衡として確率的に分解してみることで、長期においても新古典派経済学の均衡は実現しない(つまりギャップが永続する)可能性を示した。 とくに最後の功績は、ヴィクセルとケインズすら想定していない、岩井氏独自による新古典派批判の理論的決定打であり、のちにジョージ・アカロフから激賞されている。 ケインズ経済学と古典派経済学が経済学の双璧であるならば、ケインズ経済学をヴィクセル的な原理で数理的・ミクロ的に基礎付けた『不均衡動学』は、アダム・スミスの「神の手」の数理的・ミクロ的基礎付けである「一般均衡理論」と(少なく見積もっても)双璧をなす存在である。 歴史的・経緯的に一般均衡理論は多数の経済学者によって理論的に確立されてきたが、もう一方の不均衡動学に関しては、理論的先達はあるにせよ(「日の下に新きものなし」と岩井氏は言うかもしれないが)岩井氏1人が7年の歳月をかけて成し遂げたのである(1980年)』、「岩井氏独自による新古典派批判の理論的決定打であり、のちにジョージ・アカロフから激賞されている」、すごいことだ。
・『経済学界は「新古典派にあらずんば経済学者にあらず」  控えめに見て、経済学の世界の基礎の半分を作った岩井氏は、ただ、自身では「傲慢でした」と当時を振り返る。 「ナイーブにも独自の理論を構築し、その主流派である新古典派経済学の世界をひっくり返そうという野望を持っていました。この理論が世に出れば新古典派経済学はおしまいになると、意気込んでいたのです」(『経済学の宇宙』156ページ) 成し遂げたことの大きさを考えれば、それでも十分すぎるほどの謙虚さだと(とくにアメリカのモデラーたちと比べればなおさら)私には思えるが、それほどアメリカでは新古典派が主流派として盤石だったということでもあるだろう。 事実、アメリカではケインズ経済学は新古典派の“不況時のオプション”として扱われることが多く、ケインズとその直弟子たちの「新古典派こそがケインズ経済学の中の非常に特殊なケースでしかない」という世界観とは根本的に相いれないところがある。 そのような環境では、岩井氏の功績は感情を逆撫でするものだろうということも想像にかたくない。しかも数理的基礎においてその堪能さを自負する新古典派であるからこそ、その拠り所が数理的基礎によっておびやかされるという事態に、事実や真実を尊重する学術の世界の住人だとしても容易には耐えられないだろう。しかも相手はたった1人である。 「しばらくして、いくつかの専門誌に書評が載りましたが、その多くは敵意に満ちたものでした。」(『経済学の宇宙』158ページ))  さらに、時代が追い討ちをかける。大恐慌から第2次世界大戦を経て1960年代までは、自由の国アメリカであっても、その経済学の半分はケインズ経済学がその位置を占めていた(“ニューディーラー”つまりニューディール政策のブレーンたち)。 不況を救い好景気をもたらしたニューディール政策は、その成功ゆえに効果が徐々に飽和し始め、1970年代にはインフレに苦しむようになる。それを背景にして新古典派がケインズ批判の勢いを増し“主流派”を形成、1980年に「新自由主義」を掲げる共和党のロナルド・レーガンが大統領に当選するに及び、経済学界の趨勢として[主流派=新古典派=一般均衡理論]の勝利が決定的となる。 これを岩井氏は経済学の「反革命」なのだと論じる。 「19世紀は、『自由主義の世紀』と呼ばれるように、自由放任主義思想が支配した世紀でした。だが、20世紀に入るとその思想に翳りが見られ始め、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけとして世界大恐慌が始まります。そのさなかの1936年、ケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』を出版し、いわゆる「ケインズ革命」が起こりました。 当時、アメリカ政府が大恐慌からの脱出のために積極的に市場に介入するニューディール(新規まき直し)策をおこなったこともあ り、その後しばらく学問的にも政策的にも、不均衡動学的な立場が大きな影響力を持ったのです。だが、その勢いも一時的でした。経済学のそもそもの父祖はアダム・ スミスです。ケインズ政策の成功により資本主義が安定性を取り戻すと、1960年代にはフリードマンをリーダーとする新古典派経済学の反革命が始まりました。 そして、1970年代には学界の主導権を握ってしまいます。さらに、フリードマンらの思想に大きな影響を受けたアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権の下で、1980年代から、経済政策も自由放任主義の方向に大きく再転換していきました」(『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』85ページ) くしくも岩井が『不均衡動学』を完成させた年に、経済学界と政治の世界では新古典派がその地位を確固たるものにしたのである』、「ナイーブにも独自の理論を構築し、その主流派である新古典派経済学の世界をひっくり返そうという野望を持っていました。この理論が世に出れば新古典派経済学はおしまいになると、意気込んでいたのです」、「1960年代にはフリードマンをリーダーとする新古典派経済学の反革命が始まりました。 そして、1970年代には学界の主導権を握ってしまいます。さらに、フリードマンらの思想に大きな影響を受けたアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権の下で、1980年代から、経済政策も自由放任主義の方向に大きく再転換していきました」、潮流は「岩井」氏には逆風だったようだ。
・『唯一無二の理論家の「東京大学への帰還」  岩井氏はそれでもアメリカでの活動を考えていたというが、逆風の中で学者としての成功を望むのであれば、いま以上の政治的経営的な交渉力が必要になる。 「経済学の主流派に対抗する理論を主張してアメリカに居残るためには、多少大げさな言い方になりますが、学派を作らなければならない。学派を作るとは、中小企業のオーナーになるのと同じようなことです」(『経済学の宇宙』158ページ) 自身には不可能だ、そう考えていたところに、東京大学経済学部からの招聘状が届く。学部長の宇沢弘文からの招聘だった。日本に帰る潮時だと悟った岩井氏は帰国の決心をする。 帰国前に、理解者であったジェームズ・トービンはこう声を掛けている。 「カツ、おまえの仕事は、時代を20年先駆けている」(『経済学の宇宙』159ページ) おそらくトービンは新古典派全盛の時代が来ることを認めつつ、20年も経てば反革命が収まり、再びケインズ経済学が再評価され、その暁には『不均衡動学』はその中心として再評価されると考えていたのだろう。 しかし、トービンの見通しは甘かったのかもしれない。2000年前後のアジア金融危機とITバブル、2008年のリーマンショック、2010年の世界金融危機を経てもなお、ケインズ経済学が主流派に復帰することはなかった。 『不均衡動学』という“ケインズ経済学の図鑑”を作り終えた岩井氏は1981年に東京大学に職を得た。そして、その後の研究として、資本主義論と貨幣論をそのスコープに入れる。岩井氏の研究の特徴でもあるが、純粋理論としての追究を始める。 ケインズと同年に生まれ、早熟の天才として知られるヨーゼフ・シュンペーターが28歳のときに発表した主著『経済発展の理論』の驚異的な洞察力の秘密を探りたいと考えた。 「『経済発展の理論』は、驚くべき本です。資本主義的な経済発展について最も深い洞察を与えてくれるこの理論書が、二十八歳の青年によって書かれたということがまず驚きです。それ以上に驚くのは、この本が出版された一九一二年という年は、地球の上はまだごく一部しか資本主義化しておらず、(中略)しかもその(最も現代的な資本主義の形態の)本質をあますことなくとらえている」(『経済学の宇宙』167ページ) 資本が合理的かつ最適に投下されると、新古典派の均衡理論においては利潤は長期的にはなくなってしまう。しかし、企業はすべて利潤を生み出せないという事実はない。マルクスはその理由を資本家の労働者からの搾取に見いだしたが(その差分が利潤になっているという主張)、シュンペーターはそれを理論的に否定した。 シュンペーターは「イノベーション」(革新)をその理由に挙げたが、岩井氏はこの理論を動学モデルとして理解し再構築する。そして、岩井氏の「シュンペーター経済動学」のイノベーションの解釈は、絶えず生み出される「差異」にこそその本質があると結論づける。 動学的に差異を生み出し、差異によって動学的に利潤が永続する。差異が生み出され続けることによって、悲惨な長期的利潤ゼロの状況に陥ることから免れている。つまり、資本主義の本質は差異の絶え間ない生産とその動学的な作用である、と。 その自身の資本主義論を説明するために、岩井氏はシェイクスピアの『ヴェニスの商人』が一例として題材に使えそうだと考えた。しかし、その直感は、意外な形で裏切られることになる』、「資本主義の本質は差異の絶え間ない生産とその動学的な作用である」、との「岩井」氏の仮説は説得力がある。
・『『ヴェニスの商人の資本論』  『ヴェニスの商人』が岩井氏の資本主義論の一例として使えるのは当然であった。イノベーションがもたらす差異を、遠隔地貿易の動機となる価格差(異なるコミュニティー=市場での価値形態の違い)に置き換えれば、理論的には同型であるのだから、成り立つのは必然だ。とくに理論家であれば、それに気づくのはたやすいことだろう。 しかし、岩井氏が理論家として非凡なところは、その理論的な同型性を見いだすに及び『ヴェニスの商人』の作品自体がすでに岩井氏がシュンペーターから読み取った資本主義論を解いてしまっている、と確信したところにある。 「そのテクストの中に、『資本主義論』がすでに埋め込まれている。さらに読み進むと『貨幣論』も埋め込まれている」(『経済学の宇宙』212ページ) 自身は単にそれを掘り起こしているだけだ、そのような感覚にとらわれ続けたという。このエピソードは、最近ではトマ・ピケティの『ゴリオ爺さん』にも通じるところだろう。 資本主義、貨幣の最も本質的なところが、歴史的な名著の物語が象徴するものとして解説されるという、世にも不思議な経済学的著作『ヴェニスの商人の資本論』(1985年)がこうして誕生する。そしてこれは、岩井氏の日本語での初めての出版でもあった。) 蛇足だが、私自身はこの本を何かのきっかけで読んだことで、最終的に経済学部に進学することを決めた。以降、数ある経済学書を読み、経済学アカデミアをウォッチしてきたが、当時から今も変わらない感想を持っている。 それは、経済学とは学力偏差値でものすることができるような生易しい学術ではなく、それにも増してセンスが重要だ、という当たりまえの事実を前にしてのしみじみとした感心である』、XXX。
・『『貨幣論』に取り組む  そして、満を持して、岩井氏は貨幣論に取り組む。 問題意識としては、『不均衡動学』を執筆した際に、ケインズが強調していた貨幣経済がもたらす不安定性を、半ば所与として考察し理論構築をしたが、自身としてもきちんと腑に落ちる形で考えたい、というところにあった。 資本論、貨幣論はともに、新古典派経済学、ケインズ経済学、マルクス経済学の別なくその根幹に存在するものである。資本主義論同様、その経済の根幹部を、岩井氏らしく純粋理論として論考を重ねていく。 岩井氏は、古今東西の貨幣論を読み漁る。「貨幣は商品である」(商品貨幣論)。「貨幣は法が定める」(貨幣法制説)。「貨幣は負債の記録である」(貨幣名目説)。しかし、そのどれもが腑に落ちない。 もちろん、経済学の教科書には貨幣の定義は載っている。岩井氏の疑問は「なぜ貨幣は貨幣として機能するのか」というところにあった。それが理解できれば、ケインズの考える不確実性がわかり、不均衡動学に残されていた大きなピースを埋められると考えた。 先行する貨幣論を一つひとつ、理論的矛盾や反証の事実を基に論駁(ろんばく)していく、その長い紆余曲折と試行錯誤を経て、岩井氏は「貨幣は貨幣として受け入れられるから貨幣として機能する」という結論に至る。 「だれに聞いても、『ほかの人が500円の価値がある貨幣として受け取ってくれるから、私も500円の価値がある貨幣として受け取るのです』と答えるだけなのです。だれもが、『ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです』と答えるのです。<中略>思い切って縮めてしまうと、以下になります。『貨幣とは貨幣であるから貨幣である。』 これは、『自己循環論法』です。木で鼻をくくったような言い回しで申し訳ないのですが、別に奇をてらっているわけではありません。真理を述べているのです。貨幣の価値には、人間の欲望のような実体的な根拠は存在しません。それはまさにこの 「自己循環論法」によってその価値が支えられているのです。そして、この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です。」(『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』47ページ) 岩井氏はこれを「貨幣の進化」の論文としてまとめ、それを下敷きにマルクスの「価値形態論」を読み解く作業を開始。1991年に『批評空間』という雑誌の連載として始まり、1993年に書籍『貨幣論』として刊行される。 マルクスの「価値形態論」は、それに則って純粋に徹底していくと、マルクス経済学がその基礎として依拠する「労働価値説」を破壊してしまう。つまり自己矛盾を起こしてしまうということを指摘しつつ、「貨幣の自己循環論法」によってそれが引き起こされることをマルクスのテクスト自体がいわば無意識に予見していた、と指摘する。 そのようにマルクスが無意識にも自身の体系を崩壊させるプロセスを理論的に精緻にたどり、その崩壊過程が「貨幣の自己循環論法」によってもたらされることを明快に論証することによって、いわば“背理法”的に貨幣の自己循環論的機能を証明したのである。 自己循環論は、岩井氏の最初の論文の重要アイデア(静態的序数効用つまり「入れ子構造」)にも通じるところがある。また、カリフォルニア大学バークレー校時代に読んだ、「クルト・ゲーデルの不完全性定理」にも通じるものだ。ガモフの無限大の概念と併せて、岩井氏の論証の特徴的な武器となる。 このような貨幣の性質から、貨幣の本来的な不安定性を示し、貨幣が受け入れられなくなったカタストロフとしての超インフレこそが資本主義の真の危機だと結論づける。それは、「恐慌」こそが資本主義の危機であるという古典派やマルクス経済学の結論を転換するものであった。 そしてこの『貨幣論』が、最も知られる岩井氏の仕事となる。また、「日の下に新きものなし」ということなのだろうか、仮想通貨に関しての理論的考察もこの頃にすでに先行的になされている』、「貨幣に関する」「自己循環論法」は余りにも有名だ。
・『会社統治論としての『会社は誰のものか』  ケインズ経済学に加えて経済学全体の基礎的部分の“図鑑”を編纂し終えた岩井氏は、いくつかの偶然から、「会社」に注目することになる。理論の世界の住人であった岩井氏らしからぬ世俗感ではあるが、その論考には氏の理論家らしいまなざしが随所に見られ、そのことにより非常にユニークな法人論につながっている。 経済学的、資本論的に言えば、会社は資本家の所有物である。実際的にはどうかという見方はあるにしろ、とくに欧米では建前的にも実際的にも基本的にはその原則が強く意識されている。 しかし、日本ではとくに顕著だが、会社が資本家の所有物とは思えない現象が頻繁に見られる。そのギャップはいったいどこから来ているのだろうか――。 資本の持ち合い構造という一般的な見方に加え、岩井氏は契約法の大原則「自己契約の不可能性」から、自己を所有するという「入れ子」を発見する。「契約」は自分と相手を縛るものである。資本家と経営者、経営者と労働者の関係性には基本的に契約が存在する。 しかし、資本の持ち合いにより資本家の軛(くびき)から逃れた経営者は、もちろんそれでも法人と経営者の契約関係がある。しかしこの場合、法人と経営者はほぼ同一となってしまう。労働組合があれば、労働者との契約関係が自らを縛るものになるが、労働組合を無力化できたとすれば、法人と経営者は実際的に等しい状態となる。 そのときに、法人と経営者の(義務を伴う)契約関係は可能であるかどうか。それは「自己契約」となり、経営者はいつでも法人として自らの契約を変更することができるがゆえに、もはや契約の意味を持たなくなる――。 当時の世情では、M&Aが盛んになっており、会社は経営者のものでなく株主のものだ、いや、会社は社員こそのものである、という議論が延々と繰り広げられている状況であったが、岩井氏の論考はその不毛な繰り返しを止めるに十分なインパクトを持った。 また、余談だが、ピケティが『21世紀の資本』で明快な答えを出せずにいた、資本家の富の増加以上の経営者の報酬の飛躍的な上昇も、岩井氏はすでにこの時点で、エージェンシー問題と絡めることで理論的にほぼ説明をし終えている。 そしてさらに自らの議論を延長したうえで、契約の不可能性が原理的に避けられないがゆえに、「契約」に代わる会社統治に必要なものとして「信任」の必要性をあぶり出す。それが、氏の『信任論』につながっていく。その法体系的な可能性を哲学者のイマヌエル・カントのテクストから示そうとする試みは今も現在進行形で続いている』、『信任論』の今後の発展が楽しみだ。
・『経済学から法学、そして社会科学へ  「経済学史」の授業を受け持つことをきっかけに、岩井氏は資本主義や貨幣経済の淵源を見つめ直すことになる。経済学はアダム・スミスを祖とすれば300年の歴史となるが、氏の理論家としての視点から、古今東西からその雛形(理念型)を探す作業に取りかかる。 『ヴェニスの商人の資本論』の拡張版ともいえるアプローチだが、どこかジョン・ヒックスの『経済史の理論』を思わせる、卓越した理論家でなければ発想することも難しい仕事だろう。 紆余曲折を経て、岩井氏はアリストテレス時代のポリスに注目する。アリストテレスの論考から、コミュニティーの存続と破壊の両面を持つ貨幣という存在をすでに明確に自覚していることを見いだし、最新の書籍『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』の中でも一部を披歴している。 また、重商主義時代のジョン・ローに、ケインズに先駆けての自己循環論法的な貨幣論を見いだし、現代の管理通貨制度や中央銀行制度の原型を確認している。 現在の岩井氏は、これまでの貨幣の考察を踏まえ、「法」に加え、「言語」にもその思考を広げている。「言語」も、媒介的、自己循環的な性質を持っており、また、この3つが「価値」「権利」「意味」という、社会科学を考察する際のエレメントでありうると岩井氏は直感しているのだろう。 これは2010年からリベラルアーツが中心のICU(国際基督教大学)に拠点を移したことと無関係ではないだろう。まだまだ時間がかかる、そのように笑顔で話す岩井氏の「社会科学の図鑑」の完成が待たれるところである』、「社会科学の図鑑」の完成が楽しみだ。

第三に、11月9日付けダイヤモンド・オンライン「GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由、狙いは「ビジネスの最強武器」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/253537
・『『週刊ダイヤモンド』11月14日号の第一特集は「最強の武器『経済学』」です。2020年ノーベル経済学賞を受賞したゲーム理論、それに行動経済学を中心として経済学の知見の応用が広がっています。企業の戦略決定、マーケティングなどビジネスの現場でも本格活用が始まりました。ビジネスパーソンは今こそ、この最強ツールを手に入れるべきです。基礎の基礎から応用実践編まで完全マスターするための特集です』、興味深そうだ。
・『世界中のオンライン広告は全てゲーム理論に支えられている  言わずと知れた世界の巨大テック企業、米GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム)。実はその強大なパワーの裏で、経済学が力を発揮していることをご存じだろうか。 何しろ、日本ではそうした動きは限られているのが現状だが、米国では経済学者がテック企業などに所属し、ビジネスに関わるのは決して珍しいことではない。 例えばアマゾンでは、グローバルで約200人に及ぶ経済学の博士号取得者がいるとされる。そして、「重要な意思決定を行うときには、ほぼ必ずといっていいほど経済学者の知見を生かしていた」と、最近まで同社に勤務していた元社員は驚きと共に振り返る。 このほどダイヤモンド編集部の単独インタビューに応じた、米カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院のスティーブン・タデリス教授もその一人だ。 タデリス氏は2011〜13年、世界最大のオークション(競売)サイトを運営する米イーベイでエコノミストを務めた後、16〜17年にはアマゾンでVP(ヴァイスプレジデント)の職に就いていた。 同氏は「米国のテック企業の間では、経験豊富な一流経済学者の引き抜き合戦が起きている。企業は学者が教授職の報酬として大学から受け取る金額の約2〜5倍、時には10倍にも上る報酬を示して引き入れるケースが見られる」と、その激しい競争の実態を明かす。 企業側のニーズを引っ張るのが、現代経済学の2本柱、ゲーム理論と行動経済学。両分野が経済学を主導する様は、この四半世紀のノーベル経済学賞の実績を見れば一目瞭然だ(下表参照)。 今年もゲーム理論の応用分野、「オークション理論」を研究する米スタンフォード大学のロバート・ウィルソン名誉教授(下写真)らに贈られたように、二大分野の研究に受賞が集中しているのが分かる』、「アマゾンでは、グローバルで約200人に及ぶ経済学の博士号取得者がいる」、「重要な意思決定を行うときには、ほぼ必ずといっていいほど経済学者の知見を生かしていた」、ここまで進んでいるとは脱帽だ。
・『フェイスブックはオークション理論 グーグルはマッチング理論を活用する  ではなぜ、テック系を中心とした世界のトップ企業の間で今、必死に経済学者を囲い込もうとする動きが広がっているのだろうか。 背景の一つに挙げられるのが、テクノロジー企業の急速な台頭だ。例えば前出のタデリス氏は「世界中のあらゆるオンライン広告は、まさに『オークション理論』に支えられている」と指摘する。 実際、フェイスブックではビジネスの主戦場であるオンライン広告において、オークション理論を大いに活用しているのだ。また、実はグーグルの検索連動型広告もその仕組みの大本にはオークション理論が根付いている。 さらに、グーグルでは、ゲーム理論のもう一つの代表的な応用分野、「マッチング理論」の仕組みを取り入れ、多士済々のテック人材の配置にも生かすなど、その活用の裾野は極めて広い。 そもそもゲーム理論とは、合理的なプレーヤーたちの間で繰り広げられる読み合い、せめぎ合いを分析するもの。そこで分析される状況は、企業の戦略を中心に幅広く応用されている。 一方の行動経済学は、人間の非合理的な面に着目し、リアルな意思決定の在り方を掘り下げるものだ。ゲーム理論も行動経済学も、実験によってデータを集め、検証が繰り返されることで知見を深めてきた。そして、両者にまたがるような実験経済学のアプローチは進化を続け、計量経済学のデータ分析手法と共に実社会へと活用の場を広げていった。 これら経済学の発展と併せ、現実のビジネス界で生じた見逃せない変化として、AI(人工知能)や機械学習、ビッグデータなどを活用する必要性が高まってきたことがある。一連の新たな技術をうまく活用するため、経済学上の重要なキーワードとなるのが、集めたデータの因果関係を推測する「統計的因果推論」だ。 因果推論は、大量のデータを分析してビジネスに生かす際、重要となる基本的な考え方だ。だが機械学習の場合、膨大なデータの間にある相関を見ることはできるものの、あるテック企業で活躍する工学部出身者は、「工学系の人は意外と因果関係を見落としがちなところがある」と話す。 そして、この因果推論法が歴史的に最も洗練され、確立している学問こそが経済学。そんな背景もあって、経済学者には続々とテック企業からの引き合いが増えている実態があるのだ』、「因果推論法が歴史的に最も洗練され、確立している学問こそが経済学。そんな背景もあって、経済学者には続々とテック企業からの引き合いが増えている実態があるのだ」、日本ではなく、米国での話だろう。
・『テック企業が経済学博士を青田買い社会人未経験でも年収1500万円も  テック企業が繰り広げる優秀人材の争奪戦は、今や若手にまで及ぶ。一昔前までは、エリート層に人気の花形の就職先といえば、米ゴールドマン・サックスをはじめとする投資銀行がその筆頭だった。 だが、約2年前まで同社のニューヨーク本社に勤めていたある元外資系金融マンは、経済学博士号を保有する30歳前後の若手〜中堅の人材が、日本円にして3000万円ほどの高額年俸を提示され、アップルやアマゾンに引き抜かれた例を幾つも目撃したと証言する。 そして最近では、社会人経験のない学生に対しても、経済学博士号の取得者であれば、テック企業がおよそ1500万円にも及ぶ好待遇をちらつかせるなど、過剰とも思える青田買いの動きが広がっているのだという。 そんな米国と比べ、日本では企業の意思決定などに経済学を生かそうとする取り組みで大きく後れを取っているのが現状だ。ただし足元では、アカデミックな知見とビジネスの間を結び付けようとする動きが、一部で活発化している。 その代表格が東京大学だ。今年8月に1億5000万円を出資して株式会社「東京大学エコノミックコンサルティング」を設立。企業が持つデータを分析し、価格設定の在り方などの助言に動きだしている。  また国内の企業においても、ZOZOやメルカリ、サイバーエージェントといったテック企業は経済学の活用にいち早く目を付け、テックとの融合の試みを加速させている。 経済学の活用でビジネスに勝つ! 仕事の最強ツールを手に入れよう(『リンク先参照)』、「東京大学エコノミックコンサルティング」などの動きは興味深い。日本でも「経済学」が実務にもっと取り入れられるようになってほしいものだ。
タグ:(その3)(世界はすでに 各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている、コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び、GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由 狙いは「ビジネスの最強武器」) リーマン・ショックとコロナ禍で、世界は「危険な場所」になった グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだ 「世界はすでに、各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている」 「ガキっぽい情熱」を克服できない経済学 日本は世界の“食い物”にされる!? 「リベラルな国際秩序」には、地政学的な下部構造がある 日本の経済成長の低迷し始めた時期と、冷戦終結のタイミングが一致しているのは偶然ではない 中野剛志 東京大学エコノミックコンサルティング テック企業が経済学博士を青田買い社会人未経験でも年収1500万円も 因果推論法が歴史的に最も洗練され、確立している学問こそが経済学。そんな背景もあって、経済学者には続々とテック企業からの引き合いが増えている実態があるのだ 経済学 フェイスブックはオークション理論 グーグルはマッチング理論を活用する 重要な意思決定を行うときには、ほぼ必ずといっていいほど経済学者の知見を生かしていた アマゾンでは、グローバルで約200人に及ぶ経済学の博士号取得者がいる 世界中のオンライン広告は全てゲーム理論に支えられている 「GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由、狙いは「ビジネスの最強武器」」 経済学から法学、そして社会科学へ 会社統治論としての『会社は誰のものか』 日本の高度経済成長は冷戦構造という下部構造の上に実現し、日本の経済停滞は冷戦終結という下部構造と関係があるというふうに見ておかなければならない 自己循環論法 『貨幣論』に取り組む 『ヴェニスの商人の資本論』 唯一無二の理論家の「東京大学への帰還」 経済学界は「新古典派にあらずんば経済学者にあらず」 「神の見えざる手は存在しない」という経済学の構築へ 新古典派が称賛する博士論文、そして宇沢弘文の背中 経済成長理論の分野での将来を嘱望していたソローからの提案を、大胆にも断ってしまう 「新古典派」の理論構築を嘱望された希代の逸材 サイエンス好き、SF文学好きから経済学の道へ 「日の下に新しきものなし」 「コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び」 ダイヤモンド・オンライン 佐々木 一寿 東洋経済オンライン 「不確実性」を排除することなしに、現在の主流派経済学は成立しなかったと言ってもいいでしょう。その結果、主流派経済学は、「現実世界」とはかけ離れた精緻な理論体系をつくり上げるに至った 経済学は「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」? 経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている
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科学技術(その1)(STAP細胞事件が覆い隠した科学技術立国ニッポンの「ヤバい現実」「史上最悪の研究不正」をご存知か?、日本の科学者は「給料安い」「ポンコツ多い」(一流科学者・覆面座談会)、科学者と名乗ると「外国ではカッコいいと言われる」(一流科学者・覆面座談会)) [科学技術]

今日は、科学技術(その1)(STAP細胞事件が覆い隠した科学技術立国ニッポンの「ヤバい現実」「史上最悪の研究不正」をご存知か?、日本の科学者は「給料安い」「ポンコツ多い」(一流科学者・覆面座談会)、科学者と名乗ると「外国ではカッコいいと言われる」(一流科学者・覆面座談会))を取上げよう。

先ずは、昨年11月27日付け現代ビジネスが掲載した病理専門医で科学・技術政策ウォッチャーの榎木 英介氏による「STAP細胞事件が覆い隠した科学技術立国ニッポンの「ヤバい現実」「史上最悪の研究不正」をご存知か?」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68646?imp=0
・『あのSTAP細胞事件の後も、多くの研究不正が明らかになっている。中には「史上最悪の研究不正」と言われるほどのケースも。一体なぜ不正はなくならないのか。『研究不正と歪んだ科学』編著者の榎木英介氏が警鐘を鳴らす。 夢の万能細胞と騒がれ、のちにその存在が否定されたSTAP細胞に関する事件、いわゆるSTAP細胞事件から、早くも5年以上の月日が経過した。 5年前、あれほど世間を揺るがした事件も、忘却の彼方に消え去ろうとしている。大学には事件そのものを知らない学生も増えているという。 それは私たちとて似たようなものだ。STAP細胞事件は、号泣県議や佐村河内事件など当時世間を騒がせたネタの一つに過ぎず、令和になった今、平成に起こった一つの事件として振り返ることがせいぜいだ。 しかし、STAP細胞事件があらわにした、日本の研究が抱える様々な問題は、実は何も解決していない。 いったい研究の現場で何が起こっているのか』、「日本の研究が抱える様々な問題は、実は何も解決していない」、とは驚かされた。
・『史上最悪の研究不正  STAP細胞事件を「世界三大研究不正事件」と呼ぶ声がある。 研究不正とは、狭義には存在しないデータを作る捏造、データを加工する改ざん、他の研究者のアイディアや文章などを許可や表示なく流用する盗用の3つの行為を指す。STAP細胞に関する論文には、この3つが含まれていた。 たしかに報道の量だけをみれば、少なくとも日本国内では、研究不正の事件としてはダントツだろう。 しかし、私はこれに全く同意しない) 史上最悪とさえ呼ばれる日本の研究者が起こした事件が、今世界を震撼させている。それは、元弘前大学教授で医師のS氏が起こした事件だ。 ・元弘前大学医学部所属教員による研究活動上の不正行為(捏造・改ざん・盗用)の認定について(文部科学省) http://www.mext.go.jp/a_menu/jinzai/fusei/1404087.htm ・研究活動の不正行為に関する調査結果について(弘前大学)https://www.hirosaki-u.ac.jp/30242.html S氏は骨粗鬆症などの専門家で、論文の多くが患者の治療ガイドラインに取り入れられるなど、影響力があった。 ところが、やったとされる臨床研究が実際は行われていないなど、論文に多くの研究不正が見つかった。その他不適切な行為も多数確認された。 2019年11月21日現在、撤回された論文数は実に87報に及ぶ。 撤回論文を除くと、患者の治療ガイドラインの結論が変わってしまうという。つまり、S氏の不適切な論文のために、患者が不適切な治療を受けていたことになる。患者への影響は計り知れない。 これは、発表後比較的短期間に撤回され、他の研究に引用されることがなかったSTAP細胞論文どころの話ではない。史上最悪の研究不正と言われるわけだ。 この事件は世界で最も影響力があるとされる科学雑誌サイエンスとネイチャーが共に誌面を割いて大きく取り上げたほどだ。 しかし、これほどの事件でありながら、日本国内ではほとんど報道されていない。STAP細胞に関係する報道の0.1%にも満たない報道量だろう。 なお、S氏は研究不正を追及され、自死したとされる。STAP細胞事件のときの笹井芳樹氏の自死を思い起こさせる。日本では責任の取りかたの一つとされる自死だが、残念ながら諸外国から批判されている。真相を明らかにすることなく死ぬことは、責任を取ったことにはならないと思われているのだ』、「元弘前大学教授で医師のS氏が起こした事件」、初めて知ったが、「患者の治療ガイドラインの結論が変わってしまう」、深刻な影響があったようだ。
・『世界中から懐疑的な目  研究不正を含めた不適切な論文の撤回を監視するサイト「論文撤回」によれば、S氏の撤回論文数87報は、個人別の論文撤回数ランキングの3位にあたる。それだけでも驚きであるが、もっと驚きなのは、撤回論文数ランキングの上位に日本人が多数入っていることだ。 このランキングのトップはF氏。日本人の麻酔科医だ。その撤回数は実に183報。当分記録は更新されないだろう。 第4位は元慶應義塾大学の研究者I氏の69報。実はI氏は元弘前大学のS氏の共同研究者だった。そして第6位のS氏(撤回論文数53報)は麻酔科医。トップのF氏とは、お互いの研究には無関係ながら、業績を水増しするために論文の著者になる協定を結んでいた。そのS氏だが、F氏の論文撤回に巻き込まれただけでなく、自身も研究不正を行なっていたのだ。 このように、撤回論文数が多い研究者のランキングのトップ6のうち4人が日本人だ。そして4人全員が医者だ。 撤回論文数ランキングをさらに見ていくと、11位に東大教授だった医師ではない研究者のK氏が(撤回論文数40報)、14位に医師のM氏(撤回論文数32報)がランクインしている。M氏は研究不正が認定され、研究費の受給停止処分を受けているが、地位保全の処分を裁判所から勝ち取り、いまだ某大学の現役教授のままだ。 このように、日本人の医師を中心とする研究者が、研究不正や不適切な行為による論文撤回を繰り返しており、世界中に恥をさらしている。 なぜ医師が研究不正や不適切な行為による論文を作り続けることができたのか。 それには相互批判ができない医師特有の文化が影響している。上意下達が徹底し、学閥や診療科による分断が進む医師の世界では、たとえおかしな行為が行われているのを知ったとしても、簡単には批判ができない。 思えばSTAP細胞の研究も医師が関わり、秘密裏に行われ、批判を受けることがなかった。チームリーダーなどある程度の地位に就いた研究者を他の研究者が批判しにくいという環境もあった。 上述の撤回論文は、多くがSTAP細胞事件の前に書かれたものだが、事件後、科学界に相互批判ができる研究環境が広がっているのだろうか』、「撤回論文数が多い研究者のランキングのトップ6のうち4人が日本人だ。そして4人全員が医者だ」、「相互批判ができない医師特有の文化が影響している」、国際的な恥辱であり、何とかすべきだ。
・『大学・研究機関のずさんな対応  STAP細胞事件では、理化学研究所(理研)は対応のまずさを厳しく批判されていた。しかし、このことが、STAP細胞事件のような大事件が起こったのは理研だったからという誤った認識につながってしまったのではないか。 しかし、研究不正の事例を適切に扱えないのは理研だけではない。 たとえば弘前大学の元教授の研究不正の事例では、不正論文の共著者に現学長らが入っていた。しかし弘前大学は、学長は論文に名前を掲載されただけで研究に関わっていなかったからと、とくに処分を科さなかった。 研究に関わっていないにもかかわらず論文の著者になることは、ギフトオーサーシップ(注)と言われる不適切行為だ。不適切行為を行なったから処分されないとは理解に苦しむ。 東京大学の事例では、匿名の告発者が分子細胞生物学研究所(分生研;当時)の研究者と医学部に所属する研究者の論文におかしなところがあると大学当局に訴えた。1年ほどの調査期間を経て出された結論は、分生研の研究者のみ研究不正が認められ、医学部の研究者は研究不正ではないと認定された。 匿名の告発者の告発文はネット上にも公開されているが、読むと分生研と医学部の論文のおかしな部分に差がないように思われた。しかし、結論は明確に分かれた。 報道機関が情報公開法を通じて入手した非公開資料を見せていただいたところ、医学部では論文の結論に影響がないから、不適切なグラフなどがあっても研究不正ではないとされていた。 これでは、STAP現象が再現できれば研究不正ではないという考えと同じではないか。呆れてものが言えなかった。 このような研究機関のずさんな対応は枚挙にいとまがない。 集団で研究不正の疑いがかけられたケースでは、調査に対して正直に話した研究者処分され、ダンマリを決め込んだ研究者は 処分から免れたという。 ある大学では、研究不正の疑いを大学当局に訴えた研究者が、逆に大学から不適切な行為をしたとして処分された。 世界的な科学雑誌ネイチャーは、日本の研究機関の研究不正に対する対応のまずさを厳しく批判している』、「研究機関のずさんな対応は枚挙にいとまがない」、どうも自浄作用は期待できそうもなさそうだ。
(注)ギフトオーサーシップ:名誉著者、研究に意義ある貢献を何らしていないにもかかわらず、研究が行われた学部の学部長などを著者とすること(Editage Insight)。
・『何も学ばなかった科学界  ほかにも、利益相反の問題など、STAP細胞事件があらわにした問題で手付かずのものがある。これらも含め、STAP細胞事件で明らかになった課題はまったく解決していない。 研究者たちの意識も変わっていない。 私はSTAP細胞事件後、様々な大学や研究機関、学会などで、健全な研究を行っていくために何をすべきか講演行脚をしているが、よく聞くのが、一部のけしからん輩のために、まっとうな研究者が迷惑をしているという、いわば被害者意識の吐露だ。 しかし、最近日本人研究者や日本人医師が、留学先で行った行為を研究不正とみなされ、処分される事例が相次いでいる。日本では当たり前に行っていた行為が研究不正と認定されてしまうのだ。 その背景には、医師を中心に、どのような行為が不適切な行為なのかといった基礎的な知識が身についていないことや、研究不正を他人事と考えて、自らの行為を見つめなおさないことから来ていると言える。 このように誰しも研究不正や不適切な行為を行う可能性があるのだが、当事者意識を持つ研究者が多くないのは、研究不正を特異な個人が起こす問題だということを強く印象づけてしまったSTAP細胞事件の負の遺産だと言わざるを得ない。 研究機関も研究者も科学界も、そして行政も、STAP細胞事件から何も学んでいないのだ』、「最近日本人研究者や日本人医師が、留学先で行った行為を研究不正とみなされ、処分される事例が相次いでいる。日本では当たり前に行っていた行為が研究不正と認定されてしまうのだ」、「その背景には、医師を中心に、どのような行為が不適切な行為なのかといった基礎的な知識が身についていないことや、研究不正を他人事と考えて、自らの行為を見つめなおさないことから来ている」、誠に恥ずかしいことだ。
・『「研究公正」を科学技術政策の中心に  正直なところ、大学や研究機関も、そして研究者の多くも、研究不正対策を「負のコスト」と考え、研究不正対策に時間も人員も金も割きたくないと考えているだろう。 その意識は、大学や研究機関のなかにも、研究不正を取り扱う専門の部署がないことにも透けて見える。担当者は他の仕事と兼任しており、人事異動でいつ担当者が変わるか分からない。) 政府の対応も及び腰にみえる。 いま日本には、アメリカやヨーロッパの一部の国のように、研究不正の事例を取り扱い、健全な研究の発展のために何をすべきかを考える機関がない。政府は学問の自由を尊重するために、対応を各研究機関に任せているという。 もちろん日本も何もしていないわけではなく、文部科学省(文科省)の科学技術・学術政策局人材政策課には研究公正推進室がある。研究資金を配分する機関にも、研究不正を取り扱う部署がある。 しかし、文科省の部署が「室」であるように、諸外国に比べてヒトカネとも不足している。数年ごとの人事異動で職員が変わるような状況だ。諸外国からみれば、日本の現状を誰に聞けばよいのかすら分からない状況だという。 誰も本腰を入れて関わりたくないという真空状態。それが行き着く先が研究不正の隠蔽だ。研究不正の事例を正直に公開すれば、STAP細胞事件で矢面にたたされた理研のように、徹底的に叩かれてしまうかもしれない。だったらなかったことにしてしまったほうが、研究機関にとっても研究者にとっても都合がよいとなる。 これでは日本の「研究力」の低下もやむなしだろう。意味のないずさんな研究を行ったほうが論文をどんどん出せるし、地位も確保できるのだ。もちろん素晴らしい研究を行なっている研究者がいるのは知っているが、悪貨は良貨を駆逐するだ。実力のない研究者が居座り続ける限り、研究力が上がりようがない。 政府や科学界は気がついているだろうか。研究不正を含めたずさんな研究を行なっている国の研究者を好んで受け入れる国などないということを。ずさんな研究をする国の研究者と共同研究を行いたいと思う研究者など多くないことを。ずさんな研究者教育を行なっている国に留学生など送り込みたくないということを。ずさんな研究がどれほど国益を損なうかということを。 だからこそ、単に研究不正に対処するだけでなく、健全な研究を行う環境を作ることを国も科学界も強力に推進しなければならない。研究不正を超えて健全な研究を推進する環境、「研究公正」を推進する環境を実現し維持していくことは、日本の科学技術政策の中心に置かなければならないのだ。 STAP細胞事件から5年。陰謀論も喧騒も去った今だからこそ、あの事件を冷静に振り返り、教訓をこれからの科学技術のあり方に生かしていくことが求められていると言えるだろう』、「研究不正」の問題こそ、学術会議が取上げるべき格好のテーマなのではなかろうか。

次に、本年10月16日付けNewsweek日本版「日本の科学者は「給料安い」「ポンコツ多い」(一流科学者・覆面座談会)」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2020/10/post-94727_1.php
・『<日本で科学の危機が叫ばれて久しいが、海外経験豊富な研究者たちはどう捉えているのか。4人の日本人科学者に集まってもらい、「選択と集中」など日本の科学界の問題点、欧米との絶望的な格差、あるべき研究費の使い方について語ってもらった。本誌「科学後退国ニッポン」特集より> 日本は「科学後進国」なのか。日本の研究・教育環境と海外との違い、そこから見える問題点と解決策とは。 アメリカやイギリスの一流大学や研究所で勤務経験があり、現在は東京大学や東京工業大学で助教、准教授として働く30代後半の研究者、仮名「ダーウィン」「ニュートン」「エジソン」と、国内の大学で学長経験もある大御所研究者「ガリレオ」の計4人に、覆面座談会で忌憚なく語ってもらった。(収録は9月25日、構成は本誌編集部。本記事は「科学後退国ニッポン」特集掲載の座談会記事の拡大版・前編です)』、第一線の「研究者」などによる「覆面座談会」とは面白そうだ。
・『日本は「科学後進国」か否か  ダーウィン 僕の専門分野である情報学の一分野では、そもそも先進国であったことすらないですね。 ニュートン 私の所属する化学の領域ではまだ日本はトップグループをなんとか維持しているけど、中国などに猛烈に追い上げられている状態。 エジソン 「後進国」かどうかは分からないが、材料科学分野でも右肩下がり。若い人がポスドク(博士号取得後の研究員)に残らないことが最大の問題。昔は自由度が高くて先生たちが好きなことをやっていて、若い人にいいなと思わせるものがあったが......。 ガリレオ 昔は昼休みにテニスなんかやってね。給料は安いかもしれないけど先生稼業っていいなと思われていた。今はとにかく(大学法人化後の過大な事務負担で)忙し過ぎる。研究の余裕もない。 例えばノーベル物理学賞を受賞した赤﨑勇・名城大学終身教授のような青色発光ダイオード(LED)の研究はアメリカでは絶対できないと羨ましがられた。当初、(発光に必要な)窒化ガリウムの論文の数は地をはうような少なさだったのに、海のものとも山のものともつかない物質を信じてやる赤﨑先生のような人がいて、そこに国がちゃんと金を出した。それが日本のいいところだった。 ニュートン 官僚を目指していた頃に科学政策について勉強したけど、昔の一番いいところは、要はバラマキがあった。額は大きくはないが均等分配。物になるかは分からない研究にも税金が使われ、研究者は長い目で研究ができた。その成果がノーベル賞につながっているという歴史があるでも目先の成果主義が始まり、答えが見つかりそうなものにしかお金を出さないようになった』、「青色発光ダイオード(LED)の研究はアメリカでは絶対できないと羨ましがられた」、かつての文科省の「均等分配」がカギになったようだ。現在の配分方式では予算がつかず、「研究」出来なかった可能性もあったようだ。
・『「自分を雇えない」博士  ガリレオ アメリカでも昔は結構成果主義的なところがあった。それでもまき餌のように少額のお金をばらまいてあまり目先の成果を問わないという政策を始めてからうまくいった。 それに欧米では先生も必死に企業から金を取ってくる一方、企業も比較的基礎研究に近いところに金を出す文化がある。企業と大学のやるべきところの境目がはっきりしている。自分たちのできない基礎的なところに金を出します、という文化が海外企業にはあると思う。 エジソン OBや会社から大学へ大きな寄付が落ちてきて、先生たちに分配しますよね。研究費に関して日本と全く違うのが、基本的に半分くらい人件費であること。日本の場合、人を雇うことが前提となっていない。 ダーウィン まず自分を雇えない。 エジソン そこはポイントですね。アメリカの教授は大学からのお金もあるが、外から取ってきたお金で自分に給料を払い研究費にも使う。そしてポスドクや学生にも給料と授業料を払う。逆に言うと仕事してもらわなきゃいけないからクビも切れる。 ニュートン イギリスも似た感じですね。だから学生にも成果に対するプレッシャーがある程度ある』、「アメリカ」での「研究費」には教授の人件費も含まれるが、日本では含まれないようだ。
・『海外とのすさまじい格差  ダーウィン アメリカの一流大には世界中から優秀な人が来る。多くは就業経験、社会人経験があり、もっと深いことやりたい、もっとお金が欲しい、良いポジションに就きたい、という思いで良い大学の博士号を取りに来る。そういう人たちが基本的に「仕事」として最低限のお金をもらって研究する。だから日本と心構えがまず違う。必死で働く。 ニュートン 博士号を取れば、その先にベターな職環境に行けるという確信と現実がありますよね。日本は博士号を取ったことのデメリットが強調される。社会が受け皿として博士の高度な専門性を利用せず、博士課程に行くハードルを高くしている。 ダーウィン アメリカのいい大学を学部や修士で出てグーグルやフェイスブックに入ると、初年度からもろもろ込みで年収1500万円ぐらい。博士課程を終えてからだと3000万は欲しいよね、という感じ。それもあり博士号を目指す人が大勢いる。 ニュートン 私は教員6年目だが、給料1500万円なんてあり得ない(笑)。私がイギリスにいたときのポスドクへの最高支給額は年間1100万円ぐらいで、それは欧州委員会が世界中から研究者を集めるための奨学金システムから出ていた。ドイツやイギリスの似たようなプログラムでも700~800万円はもらえる。 一方、日本の日本学術振興会の海外特別研究員という制度は450~600万円ぐらい(渡航地域の物価による)。更に酷いのは(海外ポスドクは所得税を引かれない場合もあり)海外ポスドクより帰国して教員になる方が給料が減ること! 日本では博士号のブランドがあまりに低過ぎて、興味のため多くを捨て、「夢のために頑張る」という自己犠牲に耐え得る人ばかりになってしまった』、「日本は博士号を取ったことのデメリットが強調される。社会が受け皿として博士の高度な専門性を利用せず、博士課程に行くハードルを高くしている」、これは企業にとって「博士」が使いづらいためなのだろう。
・『日本の博士はポンコツか  ガリレオ おっしゃる通りで、あまりに海外と日本は違うのでどうしたらいいか、なかなか思いつかない。私の所属学会では企業側に、博士課程に進んだ人をリスペクトして積極的に雇用してほしいと言ってきた。でも「日本の博士は使えない」と返ってくる。 いつクビになるか分からないなか、大学から雇われて死に物狂いで研究をやる欧米と、自分で学費を払って「お客様扱い」の日本とでは全然真剣度が違う、と。日本でも、ちゃんと成果を出している学生はいるんだけどね。) エジソン すごく耳が痛い話ですね。日本で博士号を取って企業に行く人に優秀な人が少ないのは事実。われわれ大学人も出来上がっていない状態の人間を外に出しちゃうことが当たり前の状態。旧帝大レベルでもそういう「ポンコツ」がいっぱいいる。 ニュートン つまり大学院重点化の「ポスドク1万人支援計画」は間違いだった。アメリカと比べ博士号保持者が少ないから増やそうとして、優秀じゃない人も大学院に行くようになった。 修士で就職出来なかった人も「ネガドク」(ネガティブ・ドクター)で博士課程に行くようになった。優秀じゃない人が残るシステムになっている。企業からすると、優秀でない人を押し付けられている感じになる。 エジソン ひどいのは社会人博士。3年間毎年53万円払えば博士号を取れる。下手したら指導教官に論文を書かせて博士の肩書だけもらえる。教授の判断で短縮卒業だって可能。 ニュートン 企業内で表には出なかった研究で、1日も研究室に通わなくても博士号を取得できちゃう。日本の博士号は今や150万円で買える。日本の大学は博士号の授与という唯一の特権の使い方を間違い、博士号を安売りし、そして結果的に自らの首を絞めている。 ダーウィン それがあるから学歴ロンダリングなどと言われる。大学を出るのが難しかったらロンダリングもなにもない。つまり日本はプロフェッショナリズムとプロに対する敬意がない。 今の話にあるような学生は教員が受け入れなければ良いわけで、まず教員の質が低く、プロではない。アメリカのテニュア(終身雇用)制度だと、大学のポストに応募して厳しい競争を勝ち抜くと教員になり、自分の研究室を持つ。最初に与えられるのは7年間の任期付きのポジションで、これはテニュア・トラックと呼ばれる。 この間に結果を残してテニュアになれないとクビなので、すさまじい勢いで研究する。「パブリッシュ・オア・ペリッシュ」、つまり「論文を出版、さもなくば死」、と言われるぐらい。お金の話をすると、あるアメリカの一流私立大学の学費は学生1人で500万円ぐらい。給料も500万円。 それらと諸経費合わせると、1人の博士課程学生に年間1300万円ぐらいかかる。そういう人を5~7年雇わなきゃいけないので、1人の博士号を出すのに、8000万円ぐらいが必要。給料も払うので、研究室の力にならない学生を採るなんて1000%あり得ない。 ニュートン 教員になれれば良い生活が待っているのでプライドを持って頑張るんですよね? 日本の現状とは真逆に思えてしまいます。 ダーウィン そうでしょうね。僕が知る限り、給料は企業には及ばないものの十分裕福と言えると思います。また、もちろん額は採用時などに交渉できるはずですね。 ニュートン 日本は採用されたときに初めて給料などを教えられる。それもありえないですよね。プロへの敬意がない。 ダーウィン 自分がどんな仕事をすることを期待されているかも、着任するまで分からなかったりします。ジョブディスクリプション(職務が明記された書類)がない。やばくないですか?  ガリレオ 文部科学省は制度だけ海外から持ってくるね。制度を導入したから社会人博士を出せとか、年間何人が目標だとか。だから失敗する』、「日本で博士号を取って企業に行く人に優秀な人が少ないのは事実」、これでは企業が敬遠するのもやむを得ないようだ。「ジョブディスクリプション・・・がない」、大学人は職務を自ら決めるので、ないのが当たり前なのではなかろうか。
・『交付金減額でボロボロ  ニュートン 社会人博士をなぜカネで買えてしまうか。海外から制度だけを持ってきてしまうということもあるが、根本的な違いは、海外は大学が資産運用などで資産を増やしており、お金持ちであることにあるのでは。 日本の大学は海外と違い税金中心で動いている。定員を埋めて博士号取得者を出さないと国からの補助金が減る。だから優秀だろうがなかろうが学生を入れるしかなく、人材の質の低下を生む。 ガリレオ その原因のひとつは寄付文化が日本にないこと。アメリカはそれが根付いており、税制上の優遇もある。成功したら母校に寄付するというカルチャーがある。 エジソン 2004年に国立大学が法人化して国からの運営費交付金がガクっと減らされて、お金の自由度が減った。ガリレオさんは法人化の前後を見られていると思いますが、どう思われますか。ちなみに昔は大学から研究室1つあたり年間400万円ぐらいは分配していたと思うが、今は私の研究室では20万円ほど......。 ダーウィン 僕の大学ではそれよりは多いです。ただ着任初年度は研究室開設の準備費用としては全く足りませんでした。 ガリレオ 運営費交付金減額はだんだんボディーブローのように効いてきているね。それに東大などメジャーな大学とそれ以外の差が非常に広がっている。地方大の教授だと年間10万円しかもらえないとか、信じられないことが起こっている。それが成功しそうなところばかりに金を投入する「選択と集中」だけど、悪い言葉だ』、確かに「選択と集中」は大学には馴染まないかも知れないが、他にメリハリをつける方法があるのだろうか。
・『「選択と集中」とオキアミ  ニュートン 「選択と集中」は本当にダメですね。サイエンスの研究には大きな金が必要で、100万円、200万円はすぐ飛んでしまう。500万~600万円の機器を買うのも当たり前。海外では教員着任前に既に設備がそろっているが、日本ではお金を工面して買わなければいけない。お金が研究に回せない。 ガリレオ 大きな金を投下するには選択と集中は必要かもしれない。しかしやっぱり撒き餌も必要で、成功するかどうかわからない研究に、失敗してもいいからと、少額の金を幅広くばらまくべきだね。昔の運営費交付金はそうだったし、(審査によって交付を決める)科学研究費だって多くはそうすべき。 生態系と一緒で、まずオキアミがあって、それを食べてイワシ、クジラが育つ。オキアミには撒き餌を、クジラには選択と集中を、だ。ありとあらゆることに選択と集中と言って、わずかな金に「失敗したらいかんぞ」みたいなことを言うからダメなんだよ。 <2020年10月20日号「科学後退国ニッポン」特集より>』、なかなか難しい問題だ。

第三に、上記の続きを、10月16日付けNewsweek日本版「科学者と名乗ると「外国ではカッコいいと言われる」(一流科学者・覆面座談会)」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2020/10/post-94726_1.php
・『<どうすれば日本の科学界は復活できるのか。覆面座談会の後半では、教育コストを渋ることの致命的損失や足りない予算を調達する方法、「科学者」イメージを更新する必要性などについて語ってもらった・・・』、興味深そうだ。
・『「専門」への敬意を欠く日本  ガリレオ 海外は実験を準備するスタッフなども充実しているよね。日本では何でも教授自らがやらないと回らない。ヨーロッパでは、下支えしてくれるスタッフがすごく充実している。そこに計り知れない違いがある。 ダーウィン 結局日本はスタッフもプロじゃない。アメリカの大学では事務も専門職。MBA保持者もいるし、自分の仕事に誇りを持っている。 ガリレオ 日本は専任の大学職員であっても部署がどんどん変わるでしょう。アメリカはずっと同じ部署にいて、本当のプロが育っている。 エジソン 一方、日本の大学職員の仕事は研究、教育の他に雑用もある。例えば学生の担任や研究室運営、入学試験の問題作り、試験官の振り分けなど。あとは学内委員会ですね。安全衛生委員会とか。こんなのまで俺たちがやるかっていう(笑)。 ニュートン 大学院重点化前には、ラボ1つに教授1人/助教授2人/助手3人が標準的で、助手3人がスタッフ的役割をしていたというのが私の理解。最前線でラボを支えていたのは助手だった。それが重点化によって、1人/1人/1人や1人/0人/1人、1人/0人/0人も当たり前になった。教員1人だけで全部やらないといけないラボもあり本当に忙しい。 なぜそうなったかというと、重点化に対して予算増がなかったから。人件費を増やさず、元々いた教員を新しいラボに回した。そうしてラボ内教育が手薄になり、研究のレベルも下がり、企業からの信用度も下がった。 ガリレオ それは別の言い方をすると小講座制をやめて大講座制にしたということ。小講座制の悪いところは封建的になりがちなところ。例えば3人の助手が居たとして、1つの助教授ポストを得ようと理不尽なきつさに耐えなければいけない。 もうそういう時代じゃないだろうというので、権利を民主的に分かち合うために変えていったんだけど、研究という面ではまずいよね。 それにしても文部科学省の大学教育改革はみんな裏目に出ている気がする。教養部の廃止とか、大学院重点化とか、ポスドク1万人とか、大講座制化とか。学部に対する教養部のプライド、大学院に対する学部のプライド、研究室における助手のプライドをもっとその場その場でしっかり高めることを考えるべきだったと思う』、「アメリカの大学では事務も専門職。MBA保持者もいるし、自分の仕事に誇りを持っている」、潤沢な予算ゆえだろうが、驚かされた。「文部科学省の大学教育改革はみんな裏目に出ている気がする」、手厳しい批判だ。
・『失敗も質問も許さないカルチャー  ガリレオ あと、もう1つアメリカとの違いは、失敗を許すかどうか。アメリカのベンチャーだって成功率は日本と変わらない。違うのは、アメリカでは投資家へのプレゼンでも失敗が勲章になり、失敗経験のない人はむしろ駄目なこと。日本は失敗を評価システムに組み込んでいない。 ニュートン 日本企業はいいとこ取りを狙い過ぎてリスクを背負わない。例えば製薬業界では、欧米のベンチャーや大手企業は、薬になるか分からない段階の研究にも夢を懸けて投資する。日本でそういう投資はまれ。 ダーウィン どこから変えるべきかといったら初等教育だと思う。子供の頃からいろいろなことに挑戦させて、結果は駄目でもチャレンジしたことは褒める。つまり過程が大事。そうでないとリスクを背負う人は出てこない。日本はそうした教育がない。 エジソン 評価の仕方ですよね。失敗は、駄目だということが分かったこと自体が「成功」ですから。それを知った人は、同じ轍を踏まない。 ガリレオ 日本ではなぜ?と質問するということにもすごい抵抗がある。例えば学会で質問するとき、大御所の発表に対して「純粋に知りたいから聞くんですけど」とわざわざ前置きしたりする。つまり本当にフラットに「Why(なぜ)」と聞くことがものすごく難しい。 これはすごくまずい。欧米では「なぜ」を探ることを楽しんでいるカルチャーを感じるのに......。 ダーウィン 先ほどチャレンジが評価されないと僕が言ったことと関係するのでは。間違った、バカみたいな質問をしたらどうしよう、と日本では感じてしまう。 アメリカではみんなファーストネームで呼び合うじゃないですか。学生も教授をファーストネームで呼ぶ。ほぼフラットみたいな感じで、その環境になったらWhyと言えるし、むしろなんで言わないんだと聞かれる。でも日本だとなんでそんなこと聞くんだ、と。雲泥の差だと思う』、「日本ではなぜ?と質問するということにもすごい抵抗がある」、確かに欧米からみると異常だ。「アメリカではみんなファーストネームで呼び合うじゃないですか。学生も教授をファーストネームで呼ぶ。ほぼフラットみたいな感じで、その環境になったらWhyと言えるし、むしろなんで言わないんだと聞かれる」、日本では教授は偉ぶっている人が多いのは確かだ。
・『教育にはコストがかかる  ニュートン アメリカはちゃんと(日本の改革で次々廃止された)リベラルアーツ(一般教養)教育は残っていますよね? 教える専門の教員がいる。 エジソン そう。レクチャラーと呼ばれ、研究専門のリサーチプロフェッサーとリスペクトし合っている。両方やるフルプロフェッサーもいる。 ガリレオ アメリカでは教育専門の教授のほうが給料は高いと聞いた。 エジソン その通りです。 ガリレオ 研究専門は好きなことやっているのだから安月給でも我慢しろと。そういうかたちで教育プロパーの先生もちゃんとリスペクトされている。 しかし日本は研究をやっていて「ネイチャー」誌に論文を出すと偉くて、教室で100人相手に授業やっていると駄目だ、となる。多様性をなくしてしまって、一本の物差しで測ろうとする。これが全ての間違いだね。 エジソン ただ、アメリカで教育をやっているプロフェッサーは外からの稼ぎがあまりないから大学がちゃんと保証する一方、リサーチプロフェッサーは研究費を取ってきて自分に給料をペイできる、という事情もあります。 ガリレオ なるほど。 ニュートン イギリスもアメリカも教育はコストがかかるものという認識が浸透している。だが日本は教養学部廃止で研究が得意な人が教育もやらざるを得ない。しかも教育への評価はされにくく、教えることがおろそかになる。 ダーウィン そのことですが、日本の大学では誰かが決めたカリキュラムに沿って授業をあてがわれたりしませんか。新しい授業を開設するのが難しいのか最先端の授業も行ないづらく、進歩が早い分野ではどんどん時代遅れになるし、自分の専門でなかったりするとパッションも持ちづらい。 ニュートン そうした詳細が採用時には分かりにくい日本の人事制度はおかしい。何を期待され採用に至るのか明確でないのでミスマッチが起こり得る。学問的需要とは別に政治が絡むこともあるし。 ただ、採用前の教員の評価が難しいのも事実。欧米は「人物評価」で教員を採る。でも日本の場合クローズドじゃないですか。選考員5人ぐらいの前でプレゼンするぐらいで。基準が明確でない。日本は人事に関してはもっと人物を見るべきだと思う。 ダーウィン アメリカのトップ大学では朝から丸1日かけて教員一人一人と面接して評価される。学生も候補者と議論して採用担当教員に意見を言える。ランチやディナーも候補者は教員たちと一緒に取る。研究はもちろん、人としてどれだけ魅力的か見る。 エジソン 日本はそこまで労力かけないですよね。採用側もそういう能力はない。あらかじめ採用者が決まっている「デキ公募」もよくあるし。そういう公募で僕は今まで2回「当て馬」をやったことがある(笑)』、「アメリカでは教育専門の教授のほうが給料は高い」、「研究専門は好きなことやっているのだから安月給でも我慢しろと。そういうかたちで教育プロパーの先生もちゃんとリスペクトされている」、参考にな考え方だ。
・『インパクト・ファクターと大学教員の評価  エジソン でも教育者としてのどう評価するかは難しい。学生によって印象も違うだろうし。投資してでも守っていかなくてはいけないのが教育だが、評価がちゃんとできなくて適当になってしまっているのが今の日本。 私は教育と研究を分けて評価しないと駄目だと思う。研究基準で教育を語っても正当な評価はできない。教育関係の予算、組織を削って壊してしまったことは非常に損失が大きかったと思う。 ダーウィン 僕は研究も実は評価は難しいと思う。論文の数ではないし、実は価値でもない。なぜなら「今」その研究の本当の価値は分からない。今は誰もすごいと思っていなくても、5年後10年後に良い研究だったと分かることもあるわけで。 ニュートン 何が良い研究か、誰がどのように判断するのか。それを数値化しちゃったのが(科学雑誌の影響力を測る)インパクト・ファクター(IF)。 「ネイチャー」、「サイエンス」、「セル」クラスだとIFが大きくなるので、一般の人には分かりやすい。でもそういう雑誌に載った研究がどれほど重要なのかは時が経たないと分からない。載ったということは査読して審査した人が重要だと認めたという、その時点での判断でしかない。 エジソン 先ほど赤﨑先生の話が出たが、窒化ガリウム関係の初期の論文はアメリカでも日本でもIFが低い雑誌にしか載っていない。でも赤﨑さんはノーベル賞を取っている。もちろん良い雑誌に載せればみんなが読むかもしれないが、それが全てではない。 ガリレオ IFとはその雑誌に掲載された論文が引用された回数を掲載した論文数で割ったもの。それは確かに雑誌に対する1つの指標だけど、論文そのものの評価じゃない。 本当に論文を評価する目を持っていれば、IFはどうでも良い。ただわれわれは他分野に関してはそういう目がないので、IFに頼ってしまう。自分の評価能力のなさを外部の指標で補っている。 ニュートン 教員の採用にあたり、IFのような数値で人物を評価して良いのかという問題は常にある。しかし自信をもって判断できる人が大学の中にはいない。IFの総得点が何ポイントか、などで判断してしまう。対外的には説明はつくかもしれないが、本当に人を見ていることになるのか。 エジソン IFはよく足切りとしては使われますよね。落とすには理由がいるので、その理由にIFがなりうる。だから論文の共著者として名前を載せてもらうことが重要になる。学生の時、指導教授の忖度で自分のプロジェクトに知らない人の名前がずらずら載った時があった(笑)。 ニュートン 結局、研究者の経歴は「見てくれ」が重要なので、星(責任著者の印)が付いた論文の数で「武装」しろとはよく言われる』、結局、「評価」には決め手はないようだ。
・『被引用数の信頼度  エジソン 被引用数も評価されるには重要ですね。昇進するときに「お前が来ると(学部や研究科)全体の被引用数の平均が下がっちゃう」などと言われるので。そのためにどう武装するかというと、流行り物を研究して被引用数を稼ぐ。全然興味ないけどその研究やらざるを得ないということはある。 ダーウィン 被引用数は間違った使われ方をしていると思う。そもそも研究者がその分野に多かったら被引用数は増えるので、異なる分野の引用数を比べるのは意味がない。 学部・研究科の平均値なんて全くナンセンス。野球とサッカーを比べるようなもの。分野内で比べるのは一定の意味があると思うが、それでも良い論文の引用数が多くなるわけでは必ずしもない』、「異なる分野の引用数を比べるのは意味がない」、その通りだが、現実には誤用されているようだ。
・『財務省と政治家の罪  ニュートン 一方で日本はアメリカや世界を見習えという考えが強過ぎる。日本が世界でリードしていた部分が世界ではやらなくなったから捨てちゃうということが結構あるので、いま沈滞気味の分野にも一定のお金はまいておくべきじゃないのかな。 エジソン 半導体の世界などまさにそんな感じですよね。 ガリレオ 一つは(予算配分に決定権を持つ)財務省だよね。文科省の人は結構分かってくれるけど。財務省の人は半導体なんか中韓に任せたらいいじゃないですかなんて言う。世界の流れに乗ることしか考えていない。日本の本来の強みだとかここを伸ばすべきだとかいう考えはない。 ニュートン 財務省あたりのトップクラスの官僚は国家公務員試験の予備校で訓練を受けてきた人たちで、サイエンスをやって来た人間が入る余地はない。その弊害は大きい。 エジソン 科学技術専門の政治家も絶対必要ですね。国民のそういう認識をつくるための努力をわれわれ大学人はやらなきゃいけない』、「科学技術専門の政治家も絶対必要」、そこまでは必要ないと思う。
・『文系/理系という分け方の不毛  ガリレオ そもそも日本の文系理系という分け方が非常に気に入らない。下手したら中学生ぐらいから分けちゃっているでしょ? あれは不毛だよね。結局文系の官僚とか政治家が全くサイエンスを分からないのはそのへんでもう理系から離れてしまうから。 アメリカのハーバード大学だったら学部関係なしにこの200冊読めというリストがあって、物理をやる人間でもギリシャ哲学から『資本論』まで全部読ませる。そういう考え方が、まさに教養なんだけど、日本は全部捨て去ってしまった感じがするよね。アメリカでも文系理系はあるのだろうけど、日本から見て遥かに相互乗り入れしている気がする。) ニュートン そうですね。大学入試で文理を分けているので結局入試も改革する必要あると思う。 エジソン 大学からの(卒業・修了の)出口を狭めることはやったほうがいい。間口はいくらでも広げていいけど。大学は義務教育じゃなくて高等教育なので、ある程度のクオリティを持った人間しか出さないべきです。世界で日本だけじゃないですか、入口だけが狭くて、入れば出られてしまうのは』、「大学からの出口を狭めることはやったほうがいい」、同感だ。
・『学費は値上げするべき  ニュートン 税金だけではなかなか金策は苦しい。こう言うと国民から抹殺されそうだけど、学費を上げるべきだと思う。でないと大学組織が死んでしまう。低所得層には裕福な人の学費を奨学金に充てればいい。 エジソン 寄付制度は必ず法律から変えていかなければいけないと思う。学費を返さなくていい制度や、教員が研究費から学費を投資して優秀な学生を育てられるようなシステムがあってもいいかも。 ニュートン 今の若手教員は大企業に就職するより確実に低い給料から始まる。そのギャップを埋めたい。 エジソン たしかに、医者の年収が500万円だったら誰もやらない。コストをかけてでも医学部に入って医者になれば回収できるからみんな血眼になる。同じことができればやったほうがいい。そこまで給料があればクビにできるシステムもあってもいい。プロ野球選手みたいにね』、この部分は意味不明だ。
・『湯川秀樹的イメージの罠  ニュートン 皆さんに聞きたいのですが、外国で普通の人にサイエンティストやドクターと名乗ったとき、クールだね、かっこいいねって言われませんでした? (一同うなずく) でも日本では例えば合コンなんかで女の子に「お勉強好きなのね」と言われたり、オタッキーなイメージ。それが「科学後進国」であることの一部なんじゃないのか。そのギャップを埋めるためにはどうすればいいか。 エジソン アメリカは例えば一般の人が「ネイチャー」とかをよく読んでいるイメージがある。だけど日本人って読まないよね。ギリギリ「ニュートン」ぐらいで。一般教養としてのサイエンスがちょっと足りないかなという気がする。 ニュートン 一般から見た優秀な研究者像≒湯川秀樹的というのも引っ掛かる。彼の自叙伝からも伝わる、コミュニケーションより研究を大切にする日本の科学者のイメージで、これは欧米と全然違う。そういうイメージからは脱皮したい。 われわれサイエンティストも一般の人に分かってほしいという欲を持つべきだと思う。でないと裾野が広がらない。サイエンスが分かる人で社会との橋渡しをしてくれる人材を官僚やマスコミなどにわれわれ科学者が積極的に送り出していかなければいけない。 ガリレオ まとめると、やっぱりマインドセットなのかな。科学は楽しいことをみんなに分かってもらう。そしてそういう人材が残ってくれるように、システムを変えていくことをやっていかなきゃいけない。 <2020年10月20日号「科学後退国ニッポン」特集より>』、「科学は楽しいことをみんなに分かってもらう。そしてそういう人材が残ってくれるように、システムを変えていくことをやっていかなきゃいけない」、その通りなのだろう。
タグ:「自分を雇えない」博士 青色発光ダイオード(LED)の研究はアメリカでは絶対できないと羨ましがられた 日本は「科学後進国」か否か 「日本の科学者は「給料安い」「ポンコツ多い」(一流科学者・覆面座談会)」 Newsweek日本版 「研究公正」を科学技術政策の中心に その背景には、医師を中心に、どのような行為が不適切な行為なのかといった基礎的な知識が身についていないことや、研究不正を他人事と考えて、自らの行為を見つめなおさないことから来ている 最近日本人研究者や日本人医師が、留学先で行った行為を研究不正とみなされ、処分される事例が相次いでいる。日本では当たり前に行っていた行為が研究不正と認定されてしまうのだ 何も学ばなかった科学界 大学・研究機関のずさんな対応 科学は楽しいことをみんなに分かってもらう。そしてそういう人材が残ってくれるように、システムを変えていくことをやっていかなきゃいけない 湯川秀樹的イメージの罠 学費は値上げするべき 文系/理系という分け方の不毛 財務省と政治家の罪 異なる分野の引用数を比べるのは意味がない」、その通りだが、現実には誤用されているようだ 相互批判ができない医師特有の文化が影響している 撤回論文数が多い研究者のランキングのトップ6のうち4人が日本人だ。そして4人全員が医者だ インパクト・ファクターと大学教員の評価 研究専門は好きなことやっているのだから安月給でも我慢しろと。そういうかたちで教育プロパーの先生もちゃんとリスペクトされている トップはF氏。日本人の麻酔科医だ。その撤回数は実に183報。当分記録は更新されないだろう。 第4位は元慶應義塾大学の研究者I氏の69報。実はI氏は元弘前大学のS氏の共同研究者だった。そして第6位のS氏(撤回論文数53報)は麻酔科医 撤回論文数ランキングの上位に日本人が多数入っている 「論文撤回」 アメリカでは教育専門の教授のほうが給料は高い 世界中から懐疑的な目 患者の治療ガイドラインの結論が変わってしまう 教育にはコストがかかる 日本ではなぜ?と質問するということにもすごい抵抗がある 元弘前大学教授で医師のS氏が起こした事件 史上最悪の研究不正 日本の研究が抱える様々な問題は、実は何も解決していない 失敗も質問も許さないカルチャー 「STAP細胞事件が覆い隠した科学技術立国ニッポンの「ヤバい現実」「史上最悪の研究不正」をご存知か?」 榎木 英介 文部科学省の大学教育改革はみんな裏目に出ている気がする 「専門」への敬意を欠く日本 「科学者と名乗ると「外国ではカッコいいと言われる」(一流科学者・覆面座談会)」 現代ビジネス (その1)(STAP細胞事件が覆い隠した科学技術立国ニッポンの「ヤバい現実」「史上最悪の研究不正」をご存知か?、日本の科学者は「給料安い」「ポンコツ多い」(一流科学者・覆面座談会)、科学者と名乗ると「外国ではカッコいいと言われる」(一流科学者・覆面座談会)) 「選択と集中」とオキアミ 交付金減額でボロボロ 日本の博士はポンコツか 日本は博士号を取ったことのデメリットが強調される。社会が受け皿として博士の高度な専門性を利用せず、博士課程に行くハードルを高くしている 海外とのすさまじい格差 科学技術
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中南米(その2)(なぜブラジルは「新型コロナ感染大国」へ転落したのか、暴走するボルソナロ大統領 ブラジルに忍び寄る軍事独裁政権の足音、元国防相逮捕!メキシコ麻薬組織のヤバい実態 「まるでゴッドファーザーの世界」と話題) [世界情勢]

中南米については、昨年11月7日に取上げた。今日は、(その2)(なぜブラジルは「新型コロナ感染大国」へ転落したのか、暴走するボルソナロ大統領 ブラジルに忍び寄る軍事独裁政権の足音、元国防相逮捕!メキシコ麻薬組織のヤバい実態 「まるでゴッドファーザーの世界」と話題)である。

先ずは、5月31日付けNewsweek日本版がロイター記事を転載した「なぜブラジルは「新型コロナ感染大国」へ転落したのか」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/05/post-93551_1.php
・『3月中旬、ブラジルは感染の足音が聞こえ始めていた新型コロナウイルスに先制攻撃を加えた。保健省はクルーズ船の運航停止を命じ、地方自治体に大規模イベントの中止を要請した。海外からの旅行者には1週間の自主隔離を呼びかけた。 世界保健機構(WHO)がパンデミック(世界的大流行)を宣言してからわずか2日後、3月13日のことだった。この時点でブラジルでは新型コロナウイルスによる死者は1人も報告されていなかった。公衆衛生当局は、先手先手を打とうとしているように見えた。 だが、それから24時間も経たないうちに、保健省は各地の自治体から「批判と提言」があったとして、自らの勧告を骨抜きにしてしまった。 当時の状況に詳しい関係者4人によると、この変化の背景にはボルソナロ大統領の首席補佐官室の介入があったという。 「軌道修正は圧力によるものだ」と、保健省の免疫・感染症局長だった疫学者ジュリオ・クロダ氏は語る。 当時、この方針転換が関心を集めることはあまりなかった。しかし、この関係者4によると、ブラジル政府の危機対応の転機になった。ウイルス対応の主導権は、公衆衛生に責任を持つ保健省から、「カーサ・シビル」と呼ばれる大統領首席補佐官室へと移っていたという。同室を率いるのは、ウォルター・スーザ・ブラガ・ネット陸軍大将である。 ブラジルではこの6週間で2人の保健相が職を去った。1人は解任、もう1人は辞任である。いずれも、ウイルス対応を巡り、大統領と公然と意見が対立したためだ。現在、暫定的に保健相となっているのは、これまた陸軍の将軍である。 ブラジル政府の方針変更は、「経済活動を止させないことが至上命題」というボルソナロ大統領の頑な態度の表れだ。陸軍大尉だった極右のボルソナロ氏は、3月中旬の重要な数日間にこうした姿勢を固めてからというもの、ブレる様子が全くない。その間も、ブラジルの新型コロナウイルス対策は国内外から批判を浴び、死者数は膨れ上がっている。 ブラジルの感染の深刻さは、今や米国に次ぐ。感染者数は確認されているだけでも37万4000人以上。死者は2万3000人を超えた。 ボルソナロ氏はさきごろ、「犠牲者の増大について質問した記者たちに対し、「それがどうした」と応じた。「私にどうしろというのか」 首席補佐官室は、3月13日の指針変更は、各州・自治体からの意見を受けて保健省が決定したものだとしている。一方で保健省は、全国の州・都市の状況がそれぞれに異なることから意見の相違が生まれたとしている。その上で保健省は、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)を確保するための措置は、地方の保健当局の責任だとしている。「ブラジルの新型コロナウイルス対策は、いつの時点においても妨害されたことはない」と、同省は見解を示している。 ロイターはこの記事を配信するに当たり、大統領府にコメントを求めたが、応じることはなかった。 ロイターは、ブラジルが世界最悪の感染国に転落した背景を探るため、現職の政府当局者、元当局者、医療研究の専門家、医療産業の関係者、医師、合わせて20人以上を取材した。浮かび上がってきたのは、大統領と保健省などの対立により、好スタートを切ったはずの新型コロナ対策が崩れていく様子だった。 保健省を始めとした行政は、公衆衛生問題の観点から対応することが、結果的にブラジル経済にとって重要になると説得を試みたが、失敗に終わった。医療研究の専門家は第一線から外され、ボルソナロ大統領は裏付けのない治療法を支持したと、取材に応じた関係者は語る。 全国レベルでの調整は停滞し、各州知事は独自の感染抑制策の策定を迫れられた。ボルソナロ氏にとって州知事は、次期大統領選のライバルでもある。その一方で、はびこる官僚主義が検査体制の整備の遅れにつながった』、「死者は1人も報告されていなかった」「3月中旬」「保健省は」「新型コロナウイルスに先制攻撃・・・クルーズ船の運航停止を命じ、地方自治体に大規模イベントの中止を要請した。海外からの旅行者には1週間の自主隔離を呼びかけた」、当初は万全の準備をした上で、しっかり対応したようだが、「ボルソナロ大統領の首席補佐官室の介入」により「自らの勧告を骨抜きにしてしまった」ようだ。
・『「冷蔵庫が空では」  ブラジルで初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは2月26日だ。実は保健省は、この2カ月近くも前から対策を練っていた。 複数の関係者によれば、同省の職員は州・地方自治体の当局者と協力しつつ、自宅待機指示の時期や方法を探ろうとシミュレーションを重ねていた。省庁を横断した連邦レベルの対応を調整する緊急委員会の司令塔が保健省だった。 ブラジルの広大な国土、公立病院の資金不足、貧困の広がりといった弱点はあった。それでも、この国の医療研究の専門家は質が高く、民間の医療セクターも優れていた。すでに中国やイタリアなどででウイルス感染が広がっていたため、警戒を強化する時間的な余裕もあった。最前線に立つ人々は、万全の状態にあると考えていた。 しかし、取材に応じた人たちによると、事態は2つの側面で破綻しはじめたという。保健省が支持していた封鎖措置にボルソナロ大統領が反対したこと、そして検査体制の拡充に向けて政府が無能だったことだ。 政権内の協議を直接知る関係者によると、閣僚らは全国的なロックダウン(都市封鎖)に同意するよう、何度となくボルソナロ大統領の説得を試みた。だが大統領は、ウイルスはじきに消滅すると信じ、保健省当局者は他国で効果を発揮していたソーシャル・ディスタンシングの必要性を誇張しているとして、拒絶したという。 ボルソナロ大統領は4月20日、ブラジリアにある大統領公邸の外で、メディアに対し「冷蔵庫が空では、人々が自宅に閉じこもることなど不可能だ」と語った。 ボルソナロ氏が経済を優先した理由について、大統領府はコメントを拒んでいる。とはいえ、ボルソナロ氏にこうした決断を強いるプレッシャーもあった。支持基盤である保守層は、ボルソナロ氏の公約である経済成長の回復を危うくさせるロックダウンに反対し、ブラジル各地の都市で抗議行動を行った。 一方で、ボルソナロ大統領の経済顧問たちは危機の規模をなかなか把握できなかったようだ。自由市場主義者であるパウロ・グエデス経済相は3月中旬、現地のCNNに対し、2020年のブラジル経済について「(新型コロナウイルスで)世界各国が不振に沈むなかで、2%ないし2.5%の成長があっても不思議はない」と語った。 この予想は大外れとなった。製造業は総崩れ、失業率は上昇している。通貨レアルは今年に入り、対ドルで約30%下落した。英金融バークレイズは5月15日、2020年のブラジルの国内総生産(GDP)成長率予測をマイナス3.0%からマイナス5.7%に下方修正した。理由として、ブラジルのパンデミック対応策が「無効」であることが挙げられている。 ブラジル経済省は現在、今年の成長率をマイナス4.7%と予想。電子メール(注:正しくは「経済省」?)は電子メールによる声明で、事態の深刻さに合わせて予想が変化してきた、と述べている。以前の予想についてグエデス経済相にコメントを求めたが、回答は得られなかった』、「保健省」の「事前準備」はずいぶんしっかりしたものだ。大統領府に邪魔されずに、このままやっていれば、被害ははるかに小さなもので済んだ可能性がありそうだ。
・『検査件数も伸びず  ボルソナロ大統領がソーシャル・ディスタンシングに反対し、ロックダウンに傾く地方自治体への支援を拒んでいるために、制限措置の順守状況も芳しくない、と専門家は指摘する。 スマートフォンの位置情報を元にグーグルが提供している人の移動データをロイターが分析し、パンデミック前の基準値と比較したところ、外出制限措置が施行されているイタリアやフランス、英国といった欧州諸国に比べ、ブラジル国内では、(鉄道駅など)交通の拠点や職場に出入りする人たちの減少数がはるかに小幅にとどまっていた。 また米国などと同様、ブラジルも必要な検査数を確保するのに苦労している。一部の疫学者は、こうした検査不足が、ブラジルにおけるウイルス感染の追跡・抑制を難しくし、大きな弱点になっていると言う。 検査不足の1つの要因は、保健省が単一の機関に依存しすぎたためでもある。 ロイターが閲覧した保健省の内部文書によると、同省は1月から2月にかけて、著名な公衆衛生研究所であるオズワルド・クルーズ財団を通じて診断検査キットの購入を開始した。だが、4月7日までに納品された検査キットは10万4872個で、保健省が発注した約300万個の3.5%にすぎない。 前出のクロダ氏などによれば、必要不可欠な試薬を財団が国際市場でなかなか確保できなかったという。業界関係者によれば、何年にもわたる予算削減も1つの要因になった可能性があるという。 ある情報提供者は、保健省が官民問わず幅広く研究所とのネットワークを築いておくべきだったと指摘する。そうしたネットワークがあれば試薬を確保し、検査を処理する能力も改善されていただろうという。 同財団は、4月13日までに当初の目標であった22万個を納品し、4月最終週までに130万個近い検査キットを納めたとしている。9月までに1170万個の検査キットを提供できる見込みだという。「この種の検査をめぐる世界的な競争は非常に激しく、検査キットの不足が生じた」と、財団は釈明している。 さらに、官僚主義もブラジルの対応ををむしばんでいる。サンパウロのグアリューロス国際空港では、ウイルス感染履歴を判定するために使われる抗体検査薬50万件分が9日間にわたり滞留した。事情に詳しい関係者2人によると、保健当局がポルトガル語の表記無しで流通を認める特例措置を処理するのに時間を要したという。 保健省は検査能力を強化しており、4620万件の検査を行う予定だと述べているが、そのスケジュールは明らかにしていない。「この試みは、国内・国際市場において新たに(検査キットを)購入するための取組みの一環だ」と同省は言う。 しかし、ブラジルにおける検査件数は5月12日の時点で48万2743件にとどまる。新型コロナウイルスによる死者の多い世界上位10カ国のうち、ブラジルより検査数が少ないのはオランダだけ。その人口はブラジルの12分の1だ』、「検査件数は5月12日の時点で48万2743件にとどまる」、日本もなかなか増えないようだが、ブラジルも苦労しているようだ。まして「ボルソナロ大統領」は、次の記事にあるようにコロナ問題では本当に酷いようだ。

次に、6月5日付けYahooニュースがHARBOR BUSINESS Onlineを転載したスペイン在住の貿易コンサルタントの白石和幸氏による「暴走するボルソナロ大統領。ブラジルに忍び寄る軍事独裁政権の足音」を紹介しよう。
・『無礼な大統領にメディアが会見ボイコット  5月25日、ブラジル最大メディアの「Globo」はアルボラダ大統領官邸での取材には今後出席しないことを決めたと発表した。取材班が赴いてもボルソナロの支持者から罵声や怒声が浴びせられて、取材業務を安全に遂行する保障がないからだとした。 それにすぐに追随したのがブラジルで最大の発行部数を持つフォーリャ・デ・サンパウロ紙だった。他のメディアも同様の姿勢を取るか否か検討中だという。(参照:「Infobae」) メディアが今回の決定を下したのも、ボルソナロ自身のメディアへの誹謗がある。例えば、5月6日に起きた出来事だ。彼に同行しての取材で、ある記者がボルソナロが連邦警察の長官を変えようとしていることについて質問すると、ボルソナロは「口をつむげ!そのような質問は受けない」と憤りながら返答をした。それも彼の支持者に囲まれた中での彼からの無礼な返答であるが故に支持者がそれに便乗して記者に危害を加えるのも容易な状況にあったという。(参照:「El Mundo」』、「無礼な大統領にメディアが会見ボイコット」、とは驚かされた。
・『越権行為を繰り返す大統領に最高裁判事も鉄槌  ボルソナロにとってメディアは敵でしかない。4月22日の閣議の様子を録画したビデオを最高裁判事セルソ・デ・メロは一般公開することを許可した。ブラジルの誰でもそれをテレビで見ることができるようになった。このビデオでボルソナロは「連邦警察の長官を変えることが出来ないのなら、大臣を変えてやる」と言っているのが明らかにされている。大統領の権力の乱用と越権行為が明らかにされたビデオである。 それに対しても、ボルソナロはツイッターとファイスブックを介してセルソ・デ・メロ判事がこのビデオの公開を許したのは違法行為で逮捕するに値するものだと述べたのである。ボルソナロの見解に賛成するかのようにウエイントゥラウブ教育相も最高裁判事は刑務所に送られるべきだと表明。 ボルソナロからの批判に対してセルソ・デ・メロ判事はビデオの内容は明らかに犯罪に繋がる内容のもので、セルジオ・モロ前法相の弁護にはその公開は正当づけられるものだとした。そして、ボルソナロが指摘していたビデオの公開は国家の安全を損なうものだという見解を退けた。(参照:「El Pais」』、「ボルソナロが指摘していたビデオの公開は国家の安全を損なうものだという見解」、なぜ犯罪組織をかばうのだろう。
・『ボルソナロの独善的行動に軍部が同調  更に、ボルソナロは攻撃を緩めることなく、次の標的を下院議長ロドリゴ・マイアに向けた。  ボルソナロを罷免させようとする嘆願書をすべて却下させるためである。今のところ罷免できるだけの十分なる議席は確保されていない。次に最高裁のアレクサンドゥレ・モラエス判事への批判だ。というのは、連邦警察長官にボルソナロが信頼しているアレクサンドゥレ・ラマゲンの任命を却下したからであった。 最高裁への批判は大統領府安全保障相アウグスト・エレノ将軍からも上がった。最高裁が捜査の対象物件として大統領の携帯電話の引渡しを要請するのは国家の安定を損なうのに計り知れないものがあると指摘したのである。それに共鳴するかのように国防相フェルナンド・アゼベド将軍もそれにに同意を表明した。 更に、退役した89人の軍人も先月24日、ボルソナロに味方して、最高裁のこの要請を批判。(参照:「El Pais」) ボルソナロの閣僚22人の中で軍人が9人もいるというのは脅威である。ボルソナロ自身も昨年11月に左翼の勢いが活発になった時に軍事政権を望んでいることを表明したことがあった。(参照:「HispanTV」) ブラジルは20年余り軍事政権が続いたことがある。その後、1985年から民主政権が誕生して、その10年後にブラジルの発展の基盤を築いたフェルナンド・エンリケ・カルドゾ元大統領だった。彼は「今のところ軍人が政権に就くことを望んでいるとは思わない」と指摘している。(参照:「El Pais」) 一方、ルラ元大統領はそれとは見解を異にして「(軍人)クーデター遂行者は既に我々のバルコニーに一つ足を突っ込んでいる。それに反応がない場合は、我々の扉を取り除くだろう」と述べている。(参照:「HispanTV」) 仮にボルソナロを罷免しても、現副大統領のハミルトン・モウランは将軍だ。彼が大統領に昇格すれば自ずと軍事政権の成立を容易にさせてしまう。 カルドゾ元大統領が指摘しているように、ボルソナロは大統領のポスト遂行できるだけの資格はない。だから、大統領のポストを担い切れない時が来るはずである。それが2022年の大統領選挙の前までに来れば、モウラン将軍が大統領に就任して必然的に軍事政権の樹立への道が開かれることになる。 ブラジルは非常に危険な方向に向かっている』、「ボルソナロの閣僚22人の中で軍人が9人もいる」、殆ど軍政に近いようだ。反軍部の労働党や中道右派社会民主党などの勢力は汚職問題で衰退してしまったのだろうか。困ったことだ。アメリカ大統領選挙で、トランプが再選されなかったことが、ボルソナロの命運にも影響するかも知れない。
タグ:トランプが再選されなかったことが、ボルソナロの命運にも影響するかも知れない。 ボルソナロの独善的行動に軍部が同調 「暴走するボルソナロ大統領。ブラジルに忍び寄る軍事独裁政権の足音」 白石和幸 HARBOR BUSINESS Online yahooニュース 検査件数は5月12日の時点で48万2743件にとどまる 「保健省」の「事前準備」はずいぶんしっかりしたものだ。大統領府に邪魔されずに、このままやっていれば、被害ははるかに小さなもので済んだ可能性がありそうだ 「冷蔵庫が空では」 クルーズ船の運航停止を命じ、地方自治体に大規模イベントの中止を要請した。海外からの旅行者には1週間の自主隔離を呼びかけた」、当初は万全の準備をした上で、しっかり対応したようだが、「ボルソナロ大統領の首席補佐官室の介入」により「自らの勧告を骨抜きにしてしまった」ようだ (その2)(なぜブラジルは「新型コロナ感染大国」へ転落したのか、暴走するボルソナロ大統領 ブラジルに忍び寄る軍事独裁政権の足音、元国防相逮捕!メキシコ麻薬組織のヤバい実態 「まるでゴッドファーザーの世界」と話題) ロイター Newsweek日本版 中南米 ボルソナロの閣僚22人の中で軍人が9人もいる 「死者は1人も報告されていなかった」「3月中旬」「保健省は」「新型コロナウイルスに先制攻 越権行為を繰り返す大統領に最高裁判事も鉄槌 「なぜブラジルは「新型コロナ感染大国」へ転落したのか」 無礼な大統領にメディアが会見ボイコット
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教育(その21)(「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪、「うがい薬買い占め」で露呈する 日本の学校教育の致命的欠陥、経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは) [社会]

教育については、7月5日に取上げた。今日は、(その21)(「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪、「うがい薬買い占め」で露呈する 日本の学校教育の致命的欠陥、経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは)である。

先ずは、7月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した心理学博士、MP人間科学研究所代表の榎本博明氏による「「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/243352
・『今、教育の現場では、あらゆる学習において、社会に出てからの実用性を重視する実学志向が強まっている。だが、基礎知識や教養、物事を深く考える習慣を身につけさせないのであれば、先の読めない変化の激しい時代を柔軟に生きることは困難だ。『教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)の著者・榎本博明氏は、学校教育の在り方に警鐘を鳴らす。今回はシリーズ2回目で、日本の教育界が推奨してきた「アクティブ・ラーニング」について問題提起する』、興味深そうだ。
・『教育界に広がる誤ったものの見方  従来の講義形式の授業は、知識の伝達をするだけで、学生を受け身にさせてしまっているという見方が教育界に広まり、アクティブ・ラーニング(グループディスカッションやメンバーの前での発表など能動的な活動をふんだんに取り入れた学習スタイル)が推奨されるようになってきている。 しかし、一方では、アクティブ・ラーニングの広がりによって、学力の低下が懸念される事態が生じ、「活動あって学びなし」といった批判が出たり、学習意欲の高い学生が不満を持ったりしているのも事実だ。 それはアクティブ・ラーニングの具体的なやり方がまずいからだといった議論もあるが、そもそも「講義形式の授業がアクティブな学びの妨げになる」という前提に誤りはないだろうか、と榎本氏は警鐘を鳴らす。では、実際に、学生はどのように感じているのだろうか。それを考えるにあたって、榎本氏が行う講義形式の授業を聴講した学生を対象に大学側が行った授業評価のコメントをみてみよう。 ●「先生の説明がとてもわかりやすく、集中して取り組むことができました。パワーポイントなしの授業に集中できるので、私自身とてもやりやすかったです」 ●「『心理学』をただ形式的に、テキストに沿ってやる、というのではなく、先生の思いや熱意が感じられるとても良い授業でした。体調的には万全ではありませんでしたが、それを忘れてしまうほど楽しく面白かったので、あっという間に授業時間が過ぎました」 ●「心理学と聞くと、どこか『あやしい』『いんちきくさい』と思っていましたが、先生の講義を受け、まったく違うものだったと認識しました。受講できてよかったです」 ●「教員の熱意が感じられ、問題の本質に気づけた」 ●「内容がわかりやすく、大学らしい内容で、学ぶ喜びを味わうことができました」 ●「先生の経験をユーモアたっぷりに話してくれたので、楽しく受講できた。心理学を深く学びたくなった」 ●「とてもわかりやすく、心に刺さることばかりでした。もっと専門的な部分を学んでいくべきだということに気づくことができました」 ●「率直な言葉と人柄で進んでいく講義はとても興味深く、もっと学びたいと心より思いました。友だちを作りに来ているのではなく、学びに来ているので、他の教科のようにグループワークが多くないのも、限られた時間を最大限に活用できたと思いました」』、「榎本氏が行う講義形式の授業を聴講した学生を対象に大学側が行った授業評価のコメント」、はいずれも高く評価するもので、通常はいくつか出てくる低い評価がないのは不自然な印象だ。
・『講義こそアクティブな学びの場には最適  このような学生たちのコメントをみても、「楽しい授業」の条件として、「わかりやすい」ということが必要不可欠だとわかるだろう。「わかること」によって授業や先生に対して心が開かれていく。 それと同時に、このようなコメントをみると、学生は「わかりたい」という思いを強く持っていることがわかる。その思いが満たされることで、「集中して取り組むことができた」「あっという間に授業時間が過ぎた」「問題の本質に気づけた」「学ぶ喜びを味わうことができた」「自分から学ぼうと積極的に取り組めた」ということになる。このような学生のことを受動的だといえるだろうか。能動的に学んでいないだろうか。 教科書を読んだだけではわからないことがわかって、授業によって理解が深まる。これまでわからなかったことがわかるようになる。そのようにして自分の成長や熟達を感じることが、「授業が楽しい」「この教科の勉強が楽しい」という思いを生み、「もっと学びたい」「深く学びたい」といった意欲を生み出していく。 「今後も理解を深めて知見を広げたい」「今後も深く学びたい」「心理学を深く学びたくなった」「もっと専門的な部分を学ぶべきだということに気づくことができた」「もっと学びたいと心より思った」などといった言葉に表れているように、講義をきっかけに授業外の時間に能動的・主体的に学ぶ意欲が湧くのであれば、その講義はアクティブな学びの場になっていると言うべきだろう』、その通りなのだろう。
・『「能動的・主体的」に学ぶかどうかは、学生と教員の相互作用  こうしてみると、能動的・主体的に学んでいるかどうかは、講義かグループ活動かといった授業形式によって決まるのではなく、学ぶ側の心の姿勢によることがわかるだろう。 学生側の知的好奇心が強かったり、その学びを自分の生活に生かしたいといった思いが強かったりすることが、能動的・主体的な学びが生じる条件の一つといえる。いくら知的好奇心を強く刺激する授業であっても、学生の側に学びたいという思いが乏しい場合、なかなか能動的・主体的な学びの場になっていかない。 その場合は、できるだけわかりやすい授業にしようと工夫することで、学生のなかに眠っている「わかりたい」という思いを目覚めさせることが必要となる。わからないことがわかるようになるのは、誰にとってもうれしいことであり、もともと誰もが「わかりたい」という思いを持っているはずなのだ。ところが、わからない授業を数限りなく経験することで、「わかりたい」という思いが抑圧されてしまっていることが少なくない。 学生の側にいくら学びに対する積極的な姿勢があったとしても、教員の側に知的好奇心や自分の生活に生かしたいといった思いを満たす力量がなかったり、学生の心を刺激したいという情熱が乏しかったり、授業の形式が学習者の知的好奇心を満たすものでなかったりすれば、能動的・主体的な学びにはなっていかない。ゆえに、「能動的・主体的な学び」というのは、学生と教員の相互作用によって生み出されるものといえる。 何が何でもアクティブ・ラーニングとして推奨されるグループ活動を盛り込んだ授業形式を取り入れよう、といった空気が教育現場に蔓延しているが、ちょっと立ち止まって考えてほしい。グループで学習するより単独で学習する方が学力が高まるといったアメリカの調査結果を安直に見ているし、そもそもアクティブ・ラーニングということが叫ばれるようになったのは、アメリカで大学進学率が50パーセントを超え、講義を理解できない学生が出てきたことがきっかけだ。放っておいても能動的・主体的に学ぶ姿勢のある学生には、講義形式で密度の濃い授業を行うようなことがあってもいいだろう。 ◆本コラムの著者・榎本博明氏の新刊が発売中! いま、教育の現場では、英会話を小学校から始めるようになったり、2022年度から、高校の国語の授業で契約書の読み方を学ばせるなど、あらゆる学習において実用性を重視する実学志向が強まっている。 だが、社会に出てほんとうに役に立つ教育には何が大切か、いま一度、立ち止まって考える必要があるのではないか。このままでは、変化の激しい時代に柔軟に生きるのは困難になるだろう。 教育界の現状や教育改革の矛盾を指摘し、学校教育の在りかたに警鐘を鳴らす』、「わからない授業を数限りなく経験することで、「わかりたい」という思いが抑圧されてしまっていることが少なくない」、大いにありそうなことだ。「アクティブ・ラーニングということが叫ばれるようになったのは、アメリカで大学進学率が50パーセントを超え、講義を理解できない学生が出てきたことがきっかけだ」、初めて知った。

次に、8月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「うがい薬買い占め」で露呈する、日本の学校教育の致命的欠陥」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/245187
・『今度は「うがい薬」に殺到 なぜ真に受ける人が多いのか  「免疫力をアップさせてコロナに効くらしい」と、品薄になった納豆に続いて、今度は「うがい薬」が店頭から消えてしまったようだ。 大阪府の吉村洋文知事が、府内の新型コロナ患者にポビドンヨード入りうがい薬を使用したところ、唾液からウイルスが検出される人が減ったと発表したことを受けて、もはや風物詩になりつつある「買い占め」が起きてしまったのである。 パニックぶりは、ドラッグストアだけにとどまらない。メルカリでは「うがい薬」が高額転売されたほか、うがい薬の製造販売をしている明治ホールディングスの株価は年初来高値を叩き出した。この調子でいけば、「コロナウイルスを撃退!ポビドンヨード入りサプリメント」などという怪しげな健康食品が登場するのも、時間の問題だろう。 という話を聞くと、「なんでこんな話を真に受ける人がいるの?」と首をかしげる方も少なくないのではないか。 発表直後から、テレビでは研究者が登場して、「対象としている患者数が少なくて医学的根拠にならない」とバッサリやっている。ネットやSNSでも同様に懐疑的な声が多く、吉村知事に対しても「不確かな情報でパニックを煽っている」とボロカスだ。 にもかかわらず、ドラッグストアへ駆け込んでうがい薬を買い求めるというのは、いったいどういう気持ちなのかと、なかなか理解できない人も多いはずだ。 もちろん、シンプルに転売目的の人もいるだろう。が、転売の難しい納豆も似たような情報が流れたことで品薄になったことを踏まえると、世の中には「これがコロナに効くらしいよ」という話をノンフィルターで受け入れるピュアな人たちも、かなりの割合で存在しているのは間違いないのだ。 では、なぜこんなことになってしまうのか。経済分野のエラい先生などは、「本当に効果があるとわかったときに入手できないと困るから、とりあえず買っておくか」という、ゲーム理論に基づく消費者の自然な行動だという。また、日本人は権威に弱いので、公的な立場の人間が言うことは無条件で信頼する、と説明する人もいる。 どの説明も「なるほど」と納得できる一方で、もう1つ大きな要因があるのではないかと考えている。 納豆が効くと聞いてワッと飛びつき、うがい薬が効くと言われると買い漁り、という感じで、いともたやすく操れる人が多いというのは、我々日本人が、そういう教育を受けてきたからではないのか。 つまり、幼いころから「偉いセンセイの言っていることは素直に信じましょう」としつけられてきたので、知事自身が「ウソみたいな本当の話」と前置きするような眉唾な話でも、素直に信じてしまう人が多いのではないか、と申し上げたいのだ』、確かに「日本人」は権威に弱いとも言われている。
・『OECDの調査から見て取れる明らかに非常識な日本の教育  「そんなムチャクチャな暴論こそ信じられねえよ」と冷笑する人も多いだろうが、経済協力開発機構(OECD)が、48カ国・地域の小中学校段階の教員を対象に行った『国際教員指導環境調査2018』(TALIS 2018)の中には、日本の教育についてクスリとも笑えないシビアな現実が指摘されている。 48ヵ国の教員たちが実践している指導の中で、「批判的に考える必要がある課題を与える」という項目がある。批判といっても、クレーマーのように無理筋のイチャモンをつけるのではない。目の前に提示された話をハイハイと鵜呑みにするのではなく、客観的事実に基づいてゼロベースで論理的に考える力をつける、という立派な教育だ。 このような指導をしていると回答した教員の割合は、やはりというか欧米豪が高い傾向があり、アメリカは78.9%、カナダ(アルバータ)は76%、イギリス(イングランド)は67.5%、オーストラリアは69.5%となっている。 ただ、他の国もそれほど低いというわけではなく、アジアではシンガポール54.1%、台湾48.8%、韓国44.8%。イデオロギー的に国民の体制批判に敏感な中国(上海)でさえ53.3%、ロシアも59.7%なっており、48カ国の平均でみると61%だった。 このOECD調査から浮かび上がるのは、子どもたちに対して、「なんでもかんでも言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で論理的に考えてみなさい」と教育するのは、社会や文化に関係のない「世界の常識」ということだ。 が、この常識に頑なに背を向けて、我が道をつき進む国が1つだけある。そう、我らが日本だ。先ほどの調査で47の国・地域が40〜87%の範囲におさまっている中で、なんと日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低いのである。 ちなみに、これほどではないが、日本の教員がほとんど実践しない指導がもう1つある。「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」という項目だ。48ヵ国平均が37.5%という中で、日本は16.1%。下にはチェコやリトアニアという旧共産圏の国しかなく、ビリから3番目だ。 つまり、我々は何かにつけて、「ここまで識字率が高くて、レジでもお釣りの計算を間違えない国民が多い国は他にない」などと日本の教育レベルの高さを誇るが、実は一方で、世界のどの国でも当たり前にやっている「複雑な問題を先入観ゼロで自分の頭で考える」ということを子どもに教えない、ダイナミックな教育理念を持つ国だったのである』、「子どもたちに対して、「なんでもかんでも言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で論理的に考えてみなさい」と教育するのは、社会や文化に関係のない「世界の常識」ということだ。 が、この常識に頑なに背を向けて、我が道をつき進む国が1つだけある。そう、我らが日本だ。先ほどの調査で47の国・地域が40〜87%の範囲におさまっている中で、なんと日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低い」、中国やロシアよりも低いというのが衝撃的だ。日本では校則の押し付けなど権威主義的なやり方が教育現場に蔓延している。しかし、教育界にとっては、不都合な事実なので無視されているのだろう。
・『「ゼロから調べるレポート」で宿題の存在意義を調べてはいけない不思議  そう言われてみれば、皆さんも身に覚えがあるだろう。小中高の授業で先生から、「世の中で当たり前となっていることを疑ってみる」というようなことや、「そもそもなぜそんなルールがあるのか」などということを考えさせられたという経験のある人は、かなり少数派ではないか。もちろん、それは最近の学校も変わらない。 少し前、知り合いの子どもから非常に興味深い話を聞いた。その小学校では、夏休みの宿題として、自分が興味を持ったことをゼロから調べてレポートにするという課題が出された。テーマは自由で、「なんで地球は丸いのか」ということから、「なぜ戦争がなくらないのか」というような壮大なものまで、興味を持てばなんでもいい。レポートは休み明けに、クラスのみんなの前で発表する。 そうした教師の説明を受けて、盛り上がる子どもたちの中で1人がこんなことを言い出した。 「じゃあ、僕はなんで学校には宿題があるのかについて調べます」 しかし、教師は間髪入れず、「はい、そういうのはダメです」とピシャリ。「テーマは自由」だと言いながらも、なぜ学校に行かなくてはいけないのか、校則があるのか、などのテーマはNGだというのである。 確かに、ゼロから考えた結果、「宿題をしなくてもいい」「校則なんてなくていい」という結論になってそれが発表されたら、「学級崩壊」につながるかもしれない、学校のガバナンスが保てないということなのだろうが、この話を聞いて、筆者は先ほどのOECD調査の「12.6%」という数字が頭をよぎった。 なぜ、学校に行かなくてはいけないのか。なぜ、みんなで同じ制服を着て、髪型まで決められなくてはいけないのか。そもそも、勉強というのは何のためにするのか――。みなさんも子ども時代、一度は考えた素朴な疑問だろう。本来、人が学ぶのは、このような明確な答えが出ない難題に対して、自分なりの答えを探すためである。 教師は子どもたちとこういう疑問について話し合い、学校に行く意義や、集団生活でルールを守ることの大切さ、「学ぶ」ということが何かということを、一緒に考えていかなければいけない。が、多くの小中学校ではそういう根本的な議論は避けられている。文科省の指導要綱で決められたことをしっかりと子どもたちに叩き込むことが「教育」であって、現行のシステムに疑問を持たせるようなことは、むしろ教育の妨げという扱いなのだ』、同感である。
・『「素直な子ども」はルールを守る「素直な大人」になる  それをうかがわせるような話が、先日の『日本経済新聞』に載っていた。常葉大学の紅林伸幸教授らの研究チームが、教員を目指す学生が大学の教職課程で4年間どう学び、どんな意識を形成していくのかを調べたところ、卒業に近づくほど授業技術のウェイトが増し、社会の広い関心、友人や社会との繋がりを議論するような体験が減少したという。ここから紅林教授は、以下のような結論を出した。 《日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている》(日本経済新聞2020年8月3日)) とにかく日本では、決められたことを決められた期間内にきっちりと教えるのが、「良い教師」というわけである。こういう教師が量産されて、全国の教育現場に配置されれば、現実を批判的に捉えて独創的に工夫するのではなく、学校や親が語ることを肯定して、文句ひとつ言わずに従う「素直ないい子」が大量に育つ、というのは容易に想像できよう。 実はこのあたりが、眉唾な情報やデマを鵜呑みにして買い占めに走るようなピュアな人が、日本に多い原因なのではないだろうか。「素直ないい子」が成長すれば「素直な大人」になる。彼らは、「決められたルール」に従うのがデフォルトなので、自分の頭で考えて動くことができない。そうなると、テレビに出ている有名人や、政治家や役所が言うことを素直に信じて、素直に行動に移すしか道はないのだ』、「日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている」、恐ろしいことだ。戦前の軍国教育、戦後の民主教育も「素直な」国民の行動が可能にしたのだろう。
・『規律正しい国民性には排他性という負の側面も  べつにディスっているわけではない。幼い頃から、「現実を批判的に捉えて独創的に工夫する」という教育を受けたこともないので、無理をしているわけではなく、それが当たり前なのだ。 与太話に付き合い切れないと思う方も多いかもしれないが、日本という国が世界の中でもかなり「異常」な教育を子どもたちに施しているのは、動かし難い事実だ。 もちろん、物事には必ず良い面と悪い面がある。国民みんながマスクをしたり、いきなりスーパーでレジ袋を使わなくなくなったりという「世界一規律正しい日本人」は、個々に「批判的思考」を教育していないからこそ、実現できているのかもしれない。 しかし一方で、この全体主義的教育が「社畜」という個を殺して組織に奉公するというスタイルや、「みんなと同じことをしない人間」への強烈な憎悪、イジメ、差別を生んでいるという負の部分もある。 ちなみに先ほどの調査で、48カ国の中で2番目に「批判的に考える」という指導に熱心なのがブラジル(84.2%)だ。新型コロナにかかってもマスクをしないで、「あんなもの風邪みたいなもんだ」とうそぶく大統領がまだそれなりに支持されているのは、国民性云々以前に「教育」によるところも大きいのだ。 ならば、日本で起きている「コロナ差別」や「自粛警察」の根っこにも「教育」があると考えることは、それほど荒唐無稽な話ではない。 「うがい薬が店頭から消えました」と大騒ぎをして終わるだけではなく、なぜこんなにも我々は「扇動」に弱いのか、なぜデマや偏見に踊らされやすいのか、という根本的な原因を、今のコロナ禍を機に、しっかりと考えてみる必要もあるのではないか』、説得力溢れた主張で、大いに参考になった。

第三に、10月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの三宅勝久氏による「経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/250748
・『奨学金の借り手に不利な和解条件  9月某日午前10時、東京地裁6階の小さな法廷で、独立行政法人日本学生支援機構が起こした奨学金の取り立て訴訟が開かれていた。被告席に座る不安そうな表情の女性Aさん(20代)を横目に、事務的な口調で裁判官が和解条項を読み上げる。 「被告は原告に金448万7000円を支払う義務がある。ただし令和2年10月から22年4月まで毎月末日までに1万9000円を支払うこととする。支払いを3万円以上延滞した場合は当然に期限の利益を失う」 5~6分で閉廷し、支援機構の弁護士は忙しそうに法廷を去った。Aさんは不安そうな表情で被告席を立った。 Aさんは大学進学の学資として、準備金50万円と月8万円、計434万円を日本学生支援機構に借りた。卒業は2015年春。同年10月から35年9月まで20年をかけて、毎月1万9000円の月賦で返還をする予定だった。しかし、卒業後収入が思うように得られず、2年で行き詰まる。返還猶予が認められ、いったん安堵(あんど)する。 だが卒業5年目の2019年5月、異変が起きる。420万円以上を一括で払えと請求されたのだ。期日到来分と5月分で26万円、加えて将来払う予定の「期日未到来分」が398万円。さらに利息。猶予期間中だと思っていたAさんは当然驚く。 Aさんによれば、支援機構の説明はこうだ。 「猶予は1年だけ。続けて猶予を受けるには手続きが必要だ。Aさんはそれをしていない」 420万円の支払期限まで1カ月弱しかない。払えるはずがなかった。うろたえてもたもたしているうちに訴訟(支払督促)を起こされたといういきさつだ。 冒頭触れたとおり、裁判は分割払いの和解で終わった。一見すると以前と変わらない。だが事情は圧倒的にAさんに不利になっていた。和解条件に「期限の利益」が書き込まれたためだ。 これにより、支援機構は、Aさんが2度続けて延滞した場合、自動的に一括弁済を求めることができるようになった。 将来なんらかの事情で払えなくなって一括弁済になると、延滞金が急速に増える。残元本が300万円なら、300万円に対する延滞金年3%の年9万円、月額7500円以上が加算されていく。 Aさんはこれから20年間、50歳すぎまで「奨学金ローン」を最優先にして払わねばならないという重荷を背負ったことになる。もとはといえば、手続きの不備を理由に返還猶予が認められなかったのが始まりだから、理不尽というほかない』、「猶予は1年だけ。続けて猶予を受けるには手続きが必要だ。Aさんはそれをしていない」、との「支援機構の説明」も、これだけ重要なことをきちんと「説明」したのか不明だ。そもそも「Aさん」側の弁護士についての説明はないが、いたとしても頼りなさそうだ。
・『返還期限の猶予を求めない人は支払能力があるのか?  Aさんのような月々の返済に困っている人に対して何百万円を耳をそろえて払えという繰り上げ一括請求。その法的根拠は、請求書や訴状によれば、日本学生支援機構法施行令5条5項だ。Aさんの事件の訴状から引用する。 「日本学生支援機構法施行令5条5項の定めにより、割賦金の返還を怠った者に対しては、原告が指定する期日までに返還期日未到来分を含む返還未済額の全部を一括して返還させることができる定めである」 返済が遅れたら一括請求されてもやむを得ない――これだけ読めばだれでもそう思うだろう。だが、実はこの「施行令5条5項」の説明は不正確だ。原文はこうだ。 「学資貸与金の貸与を受けた者が、支払能力があるにもかかわらず割賦金の返還を著しく怠ったと認められるときは、前各項の規定にかかわらず、その者は、機構の請求に基づき、その指定する日までに返還未済額の全部を返還しなければならない」 「支払能力があるにもかかわらず」「割賦金の返還を著しく怠ったと認められる」ことが一括請求の前提条件であると明記している。つまり、何百万円もの返済を一括でするだけの財産を持っているのに分割金の返済をしない、そういった特殊な例を想定した条項ではないだろうか。 Aさんは経済的な困窮から月々の返還ができない。支払能力はない。だから本来5条5項の適用は本来できないはずである。なぜこんなことがまかり通るのか。 そもそも「支払能力」の審査をした上で一括請求をしているのか。筆者がかつて日本学生支援機構に取材した際、次の説明が返ってきた。 「以下の理由により、繰り上げ一括請求時に債務者の支払能力の審査は行っておりません。 (中略)こうした再三の督促・連絡を行っても返還や猶予の手続き等がない延滞9カ月以上の者に対して、繰り上げ一括請求を行っております。返還が困難な状況であれば、機構に返還期限猶予の申請等など連絡があると考えられ、連絡も無く延滞状態を継続しているものは、機構としては支払能力があるものと認識せざるを得ず、次の世代の奨学金の原資を確保する観点から、厳しい対応をせざるを得ません」(日本学生支援機構) 長期間連絡がないことが、どうして「支払能力があるものと認識せざるを得ない」ことの根拠になり得るのか。この点については、今回あらためて説明を求めており、回答を待っているところである。 また日本学生支援機構がいう「次の世代の奨学金の原資を確保」するためという理由にも疑問がある。一括請求をすれば未払い元本が一気に何百万円という規模になるので、延滞金(現在は年3%~1.5%)が増える速度も劇的に上がる。分割和解が成立したとしても、月々の返済金は、まず延滞金に充当される。訴訟に要した費用も元本より先に払わされる。一度でも払えなくなれば全額請求されるので、破産によって救済を求める可能性が高くなる。 もし、一括請求をせず、当初の計画どおり分割で払う仕組みであれば、滞りながらでも少しずつ払うことができる。払った金は元本に入る。元本回収にとっても一括請求は百害あって一利なしというほかない』、「返還が困難な状況であれば、機構に返還期限猶予の申請等など連絡があると考えられ、連絡も無く延滞状態を継続しているものは、機構としては支払能力があるものと認識せざるを得ず」、との「支援機構」の説明は余りに乱暴だ。「Aさん」側の弁護士は一体、何をやっているのだろう。
・『ホームページに詳しい説明はなし  日本学生支援機構のホームページを見ると、奇妙なことに気づく。繰り上げ一括請求に関する記述のなかで、それが施行令5条5項に基づく手続きであるとか、「支払能力があるにもかかわらず」長期間延滞した場合になされるといった重要なことが、いっさい出てこない。 長期に延滞したときの対応について、支援機構のホームページは、「延滞が続いた場合、次のような督促を行うことになります」として、「支払督促予告」「支払督促申立」「仮執行宣言付支払督促申立」「強制執行」の4種類の手続きを示しているだけだ。「一括請求」のことは一番目の「支払督促予告」の項で、「利息および延滞金の一括返還を請求する」とごく簡単に触れているにすぎない。 適用法令や条文を明記するなどして、なぜもっと正確に丁寧に書かないのか。支援機構に取材すると広報課は次のように回答した。 「奨学金事業は日本学生支援機構法の規程に基づいて実施している。一方HPではわかりやすい記載を心がけており、関連法令その他の文言をすべてお伝えするとかえって読みづらい。請求や督促の過程で詳細な情報を個別に説明している」 一括請求の内容や根拠規定について触れないほうがわかりやすいというのだ。本当にそうなのか。釈然としない。また、個別に「詳細な情報」を説明しているとの回答についても、「支払能力」のことを知らされなかったAさんの例を見れば疑問がある。 ところで、Aさんのように訴訟になるのは人的保証の場合だが、機関保証で借りている人に対しても、問題視すべき一括請求は使われている。一括請求した後、裁判ではなく、機関保証業務を委託されている公益財団法人日本国際教育支援協会が全額代位弁済し、以後学生支援機構に代わって本人から取り立てている。 日本国際教育支援協会の延滞金は年10%だから延滞金の増え方は支援機構の比ではない。元本が300万円なら年30万円のペースで増える。分割和解が成立しても、例によって「期限の利益」が和解条項に盛り込まれる。いったん払えなくなると全額請求され、ふたたび延滞金が増える。日本学生支援機構が繰り上げ一括請求さえしなければ起こらない事態だ。 保証の種類のいかんを問わず、一括請求がはらむ問題はきわめて大きいと言わざるを得ない。 参考までに、日本学生支援機構の2019年度の貸与金利息収入は約325億円、延滞金収入が約39億円。純利益は48億円。貸付金総額は、同年度期末で約9.5兆円(1種2.8兆円、2種6.67兆円)に上る。また「破産再生更生債権等」は約1123億円。借入先は、一般会計が約2.8兆円、財政融資資金約6.3兆円、民間銀行約2500億円。 一方、機関保証を担う日本国際教育支援協会は、2019年度、約272億円を日本学生支援機構に対して代位弁済し、約40億円を回収している。大半は一括請求の後の代位弁済と思われる。平均300万円と仮定してざっと1000人の代位弁済をした計算になる。機関保証料の収入は約208億円。 筆者が一括請求の問題に気づいたのは2013年の夏であった。以来、明らかに支払能力を欠いた人への一括請求を多数取材し、問題提起をしてきた。だが、支援機構に改善の気配はない。 経済的に困窮する人に繰り上げ一括請求をしたところで、いっそう追い詰め、延滞金を増やし、原資の回収を遅らせるか、不可能にするだけではないだろうか。それでもやめない理由は何か。あるいは、「不良債権」を手っ取り早く切り離し、財務諸表をよく見せたいといった意図でもあるのかと勘ぐりたくなる』、「支援機構」の姿勢は、確かに合理性を欠く。一般の新聞に取上げてもらえば、「支援機構」の姿勢も変わるのではなかろうか。
タグ:返還期限の猶予を求めない人は支払能力があるのか? 「ゼロから調べるレポート」で宿題の存在意義を調べてはいけない不思議 奨学金の取り立て訴訟 返還が困難な状況であれば、機構に返還期限猶予の申請等など連絡があると考えられ、連絡も無く延滞状態を継続しているものは、機構としては支払能力があるものと認識せざるを得ず」、との「支援機構」の説明は余りに乱暴だ 「支援機構の説明」も、これだけ重要なことをきちんと「説明」したのか不明だ 教育 ダイヤモンド・オンライン ホームページに詳しい説明はなし 「支援機構」の姿勢は、確かに合理性を欠く。一般の新聞に取上げてもらえば、「支援機構」の姿勢も変わるのではなかろうか 文科省の指導要綱で決められたことをしっかりと子どもたちに叩き込むことが「教育」であって、現行のシステムに疑問を持たせるようなことは、むしろ教育の妨げという扱いなのだ (その21)(「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪、「うがい薬買い占め」で露呈する 日本の学校教育の致命的欠陥、経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは) 規律正しい国民性には排他性という負の側面も 日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている 日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低い 中国(上海)でさえ53.3%、ロシアも59.7% 目の前に提示された話をハイハイと鵜呑みにするのではなく、客観的事実に基づいてゼロベースで論理的に考える力をつける、という立派な教育だ。 このような指導をしていると回答した教員の割合は、やはりというか欧米豪が高い傾向があり、アメリカは78.9%、カナダ(アルバータ)は76%、イギリス(イングランド)は67.5% 奨学金の借り手に不利な和解条件 日本学生支援機構 OECDの調査から見て取れる明らかに非常識な日本の教育 今度は「うがい薬」に殺到 なぜ真に受ける人が多いのか 「「うがい薬買い占め」で露呈する、日本の学校教育の致命的欠陥」 窪田順生 アクティブ・ラーニングということが叫ばれるようになったのは、アメリカで大学進学率が50パーセントを超え、講義を理解できない学生が出てきたことがきっかけだ 「能動的・主体的」に学ぶかどうかは、学生と教員の相互作用 講義こそアクティブな学びの場には最適 アクティブ・ラーニングの広がりによって、学力の低下が懸念される事態が生じ、「活動あって学びなし」といった批判が出たり、学習意欲の高い学生が不満を持ったりしているのも事実 榎本氏が行う講義形式の授業を聴講した学生を対象に大学側が行った授業評価のコメント 教育界に広がる誤ったものの見方 教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向 なぜこんなにも我々は「扇動」に弱いのか、なぜデマや偏見に踊らされやすいのか、という根本的な原因を、今のコロナ禍を機に、しっかりと考えてみる必要もあるのではないか 実学志向が強まっている 「「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪」 「猶予は1年だけ。続けて猶予を受けるには手続きが必要だ。Aさんはそれをしていない」 。返還猶予が認められ、いったん安堵(あんど)する。 だが卒業5年目の2019年5月、異変が起きる。420万円以上を一括で払えと請求された 「素直な子ども」はルールを守る「素直な大人」になる 「経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは」 榎本博明
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