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パンデミック(経済社会的視点)(その9)(スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側、GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り、天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義、「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、10月11日に取上げた。今日は、(その9)(スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側、GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り、天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義、「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる)である。

先ずは、10月15日付けデイリー新潮「スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/10180557/?all=1&page=1
・『グローバルに多様性が求められる昨今でも、こと危機下においては、自分流を貫くのは難しい。周囲に足並みを揃えないと、日本の自粛警察が典型だが、圧力がかかる。しかも、圧力をかける側も付和雷同なだけで、根拠が薄弱な場合が多いからやっかいだ。 それは国家レベルでも起きる。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、ヨーロッパの多くの国がロックダウンを導入した際、スウェーデンはそれを回避した。その独自路線は当初から物議をかもし、死者数が増えると失敗の烙印を押され、自国のノーベル財団や医師からも批判された。 ところが、同国のカロリンスカ大学病院に勤務する宮川絢子医師は、 「スウェーデン当局は、集団免疫を達成しつつあるという見方を発表しています。最近、若者を中心に陽性者数は増加傾向にあるものの、重症者数や死者数の推移が落ち着いたままであることも、その状況証拠になっていると思います」と話す。そうであるなら非難されるどころか、フランスやスペイン、イギリスなどで感染が再燃するなかでも、泰然としていられよう。すなわち、問題児のはずのスウェーデンが勝者になったことになる。 新型コロナウイルスに感染しての死者数は、たしかにスウェーデンでは、最近あまり増えていない。累計5899人で(10月15日現在)、ピークの4月には1日100人を超えた日も4回あったものの、8月はひと月で78人、9月は54人とかなり落ち着いており、9月下旬以降はゼロという日が目立っている。 結果として、7月以降は国内の死者数全体が、例年とくらべてむしろ少ないほどだ。掲載の表は人口10万人あたりの死者数を週ごとに算出したものだが、9月第3週は13・9人と、ここ数年で最も少なくなっているのである。 スウェーデンの人口は1035万人だから、6千人近い死者数は、絶対数として少ないとはいえない。しかし、人口4732万人のスペインにおける3万2千人、同6706万人のフランスにおける3万2千人、同6679万人のイギリスの4万2千人とくらべ、多いわけではない。しかも、ロックダウンを実施したこれらの国が、いま感染の再燃を受け、再度のロックダウンを検討し、部分的にはすでに導入していることを思えば、スウェーデンに分があるとしか言いようがあるまい。 では、スウェーデンではどんな対策が講じられ、なにが起きたのか。いまも日ごとの感染者数に一喜一憂する日本とは、人々の意識をはじめ、どう異なるのか。それを辿ることで、このウイルスの性質も、われわれの向き合い方も、いっそう明瞭になるに違いない』、「スウェーデン当局は、集団免疫を達成しつつあるという見方を発表」、かねて噂にはなっていたが、「集団免疫達成」とは大したものだ。
・『情報が隠されていない  スウェーデンでは、感染のピーク時にも国民生活にほとんど制限を加えなかった、と誤解している人もいるが、そうではない。宮川医師が説明する。 「パンデミックが宣言された3月中旬以降、“50人以上の集会の禁止”が続いています。たとえば映画館は席を空け、50人以内になるようにして営業していますが、コンサートはほとんどが中止で、オペラなども開催されていません。文化系の職業に就く関係者のダメージは大きいです。10月1日から“500人以上”に緩和される予定でしたが、国内の感染拡大を受け、延期されました。また“高齢者施設への訪問”も、4月から禁止されていましたが、こちらは10月から解禁されています」 集会の制限が象徴するように、スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま。症状があれば自宅待機、という対策も続いています。しかし、マスクはほとんどの人が着けていません。マスクを優先してソーシャルディスタンスをとらなくなれば、そのほうが問題だ、という考えによるものです」 周辺国のように、だれもが家に閉じこもる期間こそなかったものの、「3月から6月ごろまでは外への人出はすごく少なかった。7月に入って気候もよくなり、感染も収束してきて、夏休みは例年なら国外旅行する人が国内ですごしたので、国内は混雑しました。それに対しては、列車の座席が満席にならないように、予約時に配慮がなされたほかは、特に規制はありませんでした。いまは通常に近い状態と言っていいでしょう」 スウェーデンの規制のあり方は、強制を伴うロックダウンは行わず、自粛要請にとどまった日本の対策と近い――。そう気づいた方も多いのではないか。もちろん、違いはある。 「日本と大きく違ったのは、学校を休校させたかどうか、です。スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました。一斉休校になれば、医療従事者の1割が勤務できなくなるという試算もあり、高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」 ほかにも日本と似て非なる点が指摘できるが、それは、実は根源的な違いかもしれない。 「日本では“自粛警察”のようなものがあったと聞きます。スウェーデンでもごく初期には多少あったようですが、現時点ではまったくありません」 これは国民の意識の差だが、背景には、当局の姿勢の違いがありそうだ。 「悪いデータもよいデータも公開され、情報が隠されていないことが、国民の安心につながっていると思います。死者数が増えているときでも、手を加えていない生データが毎日公開されます。陽性者数だけが問題になることはなく、PCR検査数が増加して陽性者数が増えたときは、“重症者と死者は減っているので問題ない”という説明が当局からありました。別のときには、“陽性者が増えたのは10代後半~40代で、リスクグループである高齢者の陽性者は減っているので問題ない”という説明もなされました。アンケートによれば、当局の対策は7割程度の国民に支持されています。死者数を見ず、陽性者数ばかり気にする国もあり、ノルウェーなども陽性者数が増えてかなり騒いでいて、そういう状況は日本にも見られます。死者数にフォーカスするスウェーデンとはだいぶ違います」 状況を正しく把握できれば、自粛警察のような不毛な行動は防げるわけだ。』、「スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま」、「スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました・・・高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」、日本では安部首相の独断で「保育園や小中学校は閉鎖」したのとは大きな違いだ。
・『情報が隠されていない  スウェーデンでは、感染のピーク時にも国民生活にほとんど制限を加えなかった、と誤解している人もいるが、そうではない。宮川医師が説明する。 「パンデミックが宣言された3月中旬以降、“50人以上の集会の禁止”が続いています。たとえば映画館は席を空け、50人以内になるようにして営業していますが、コンサートはほとんどが中止で、オペラなども開催されていません。文化系の職業に就く関係者のダメージは大きいです。10月1日から“500人以上”に緩和される予定でしたが、国内の感染拡大を受け、延期されました。また“高齢者施設への訪問”も、4月から禁止されていましたが、こちらは10月から解禁されています」 集会の制限が象徴するように、スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま。症状があれば自宅待機、という対策も続いています。しかし、マスクはほとんどの人が着けていません。マスクを優先してソーシャルディスタンスをとらなくなれば、そのほうが問題だ、という考えによるものです」 周辺国のように、だれもが家に閉じこもる期間こそなかったものの、「3月から6月ごろまでは外への人出はすごく少なかった。7月に入って気候もよくなり、感染も収束してきて、夏休みは例年なら国外旅行する人が国内ですごしたので、国内は混雑しました。それに対しては、列車の座席が満席にならないように、予約時に配慮がなされたほかは、特に規制はありませんでした。いまは通常に近い状態と言っていいでしょう」 スウェーデンの規制のあり方は、強制を伴うロックダウンは行わず、自粛要請にとどまった日本の対策と近い――。そう気づいた方も多いのではないか。もちろん、違いはある。 「日本と大きく違ったのは、学校を休校させたかどうか、です。スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました。一斉休校になれば、医療従事者の1割が勤務できなくなるという試算もあり、高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」 ほかにも日本と似て非なる点が指摘できるが、それは、実は根源的な違いかもしれない。 「日本では“自粛警察”のようなものがあったと聞きます。スウェーデンでもごく初期には多少あったようですが、現時点ではまったくありません」 これは国民の意識の差だが、背景には、当局の姿勢の違いがありそうだ。 「悪いデータもよいデータも公開され、情報が隠されていないことが、国民の安心につながっていると思います。 増えているときでも、手を加えていない生データが毎日公開されます。陽性者数だけが問題になることはなく、死者数がPCR検査数が増加して陽性者数が増えたときは、“重症者と死者は減っているので問題ない”という説明が当局からありました。別のときには、“陽性者が増えたのは10代後半~40代で、リスクグループである高齢者の陽性者は減っているので問題ない”という説明もなされました。アンケートによれば、当局の対策は7割程度の国民に支持されています。死者数を見ず、陽性者数ばかり気にする国もあり、ノルウェーなども陽性者数が増えてかなり騒いでいて、そういう状況は日本にも見られます。死者数にフォーカスするスウェーデンとはだいぶ違います」 状況を正しく把握できれば、自粛警察のような不毛な行動は防げるわけだ』、「スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま」、「スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され・・・高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした」、日本では安部首相の独断で突如、「保育園や小中学校は閉鎖」したのとは大違いだ。
・『死者が多いのは別の原因  東京大学名誉教授で食の安全・安心財団理事長の唐木英明氏は、 「スウェーデンの新型コロナ対策には、重要なポイントが二つあると思います」 と、こう説明する。「一つは、国家疫学者であるアンデシュ・テグネル氏が、しっかりと対策方針を立てて政府に助言し、政府はそれを最大限実践していることです」 宮川医師の言葉で少し補足すれば、「ロックダウンには、はっきりとした学術的エビデンスがない」というのが、テグネル氏の主張だった。唐木氏の話に戻る。 「対比されるのがイギリスのジョンソン首相で、最初はスウェーデンに近い緩い対策を打ち出しながら、世論に押されて方針を変更してしまいました。一方、スウェーデンは各国から非難されながらも、新型コロナの感染力がどの程度で、どんな人が感染し、どんな症状が出るのか、確認しながら対策していた。二つめのポイントは、国民が国の対策を支持したことで、対策方針をきちんと説明したことが、大きかったのではないでしょうか」 一方、日本はといえば、「専門家会議に振り回され、命がいちばん大事だ、という点ばかりを重視した対策をとってしまった。専門家、すなわち命を守ること以外は使命ではない医療関係者の意見に引きずられた結果、国民も自粛一本やりになってしまいました」 だが、問題は、そういう対策が本当に「命」を守ることにつながるのか、である。京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授が言う。 「集団免疫を獲得してさっさと収束させるか、ワクチンや薬ができるまで自粛を続けるか。新型コロナはどちらかまで収束しませんが、医療崩壊しないかぎり、トータルの感染者数と死者数は変わらないと考えられます。そうであれば、生活を自制する期間が短いほど経済への影響は小さくてすみ、経済苦に悩まされて自殺する人などを含む、トータルの死者数を抑えることができます。ワクチン開発には時間がかかるでしょう。その間、経済がダメージを受け続けるなら、重症化しやすい人への感染を防ぎつつ集団免疫を獲得し、早めに収束させたほうがいい」 もっとも、スウェーデンの対策は必ずしも集団免疫獲得を狙ったものではない旨を、宮川医師は説く。 「長期間の持続が困難なロックダウンは避け、ソーシャルディスタンスをとりながら高齢者を隔離し、医療崩壊の回避を狙ったのです。6月時点で、ストックホルムでの抗体保有率は20%程度でしたが、新型コロナに対し、感染を防いだり軽症化させたりする細胞性免疫が存在する可能性が次々と報告され、公衆衛生庁は7月17日、“集団免疫がほぼ獲得された”という見解を発表しました。これはいわば副産物です」 いずれにせよ、収束にいたる最短の道を歩んでいることは間違いない。 「今年第1四半期(1~3月)のGDPは、ユーロ圏で唯一プラス成長。第2四半期の落ち込みもマイナス8・6%と、EU諸国一般ほどは、経済への打撃は受けませんでした」 それでもノルウェーの死者数は275人、フィンランドは345人なのにくらべ、スウェーデンは犠牲が大きすぎたという指摘もある。だが、『北欧モデル』の共著もある日本総合研究所の翁百合理事長が言う。 「5月にはトランプ大統領が“スウェーデンの緩やかな対策は、大きな代償を払うだろう”と厳しく非難し、ほかにも“経済を最優先して死者数が増えた”といった報道も多い。しかし、これらはスウェーデンのコロナ対策の実態を理解しているとは言いがたいものです。死者が多かったのは、むしろ介護システムの問題です。医療と介護の機能分担に続き、高齢者の在宅介護が進められ、施設には重度の要介護高齢者が入るようになった。その施設は管轄が県から市町村に移ったうえに、民営化が進んでコスト削減が求められました。介護施設の医療は手薄になり、介護者も3割は時給が安いパートタイマーで、多くは移民。スウェーデンで新型コロナに感染して亡くなった人の9割は70歳以上で、その5割は介護施設に居住していました。感染防止対策が不十分な環境下で、パート勤務の介護者などが重度の要介護高齢者の介護に当たったため、クラスターが発生した。そういう構造的な問題があったのです」 テグネル氏が「守るべき高齢者を守れなかった」と言うと、スウェーデンの敗北宣言のように報じられたが、実際には、介護システムの問題を悔やんでの発言だったという』、「スウェーデンの対策は必ずしも集団免疫獲得を狙ったものではない」、「長期間の持続が困難なロックダウンは避け、ソーシャルディスタンスをとりながら高齢者を隔離し、医療崩壊の回避を狙った」、なるほど合理的だ。
・『死亡が若干前倒しに  スウェーデンにおける新型コロナ禍の犠牲者について、もう少し踏み込んでおこう。死亡者の平均年齢83歳は、スウェーデンの平均寿命83・1歳と重なる。ただし、83歳時点での平均余命は7年程度あるが、コロナ禍で死亡した高齢者の8割は、在宅を含め要介護者だった。ちなみに介護施設の入居者は、必ずしも予後が悪くない認知症患者を含めても、入居後18カ月で4割が死亡するという。 このデータを前提に、誤解を恐れずに指摘するなら、犠牲者の多くは、新型コロナに感染して死亡が若干前倒しになった、とは言えないか。先に紹介したように、最近、週ごとの死者数全体が例年より少ないのは、その証左ではないか。この点を宮川医師に尋ねると、 「スウェーデン国内にそういう見方はあります」と言って、こう続ける。 「19年から20年にかけ、記録的な暖冬で、新型コロナ流行前は高齢者の死亡が少なかった。例年通りの気候であれば冬を迎えて亡くなるはずだった方が生き延び、新型コロナに感染して亡くなったこともあり、死亡者数の波が余計に高くなったという状況です。また、新型コロナの犠牲になったのは予後が悪い方が中心だというのは、真実に近いと思います。もっとも、適切な医療を受ければ助かった人もいるはずで、私の義父もコロナに感染してはいませんが、医療を受けられず亡くなりました。だからといって、スウェーデンの政策が間違っていたということではありません」 そして、スウェーデン在住者の実感を漏らす。 「ロックダウンは副作用がかなり大きく、経済的ダメージのみならず、長期的には精神面も含め、健康に悪影響を及ぼして命にかかわってきます。また、センシティブで難しい問題ですが、ロックダウンで失われる命は、若い世代のほうが多いでしょう。年齢に関係なく命は等価だという意見もありますが、予後が悪い高齢者と、これから社会を背負っていく若い人が同じであるとは、簡単には言い切れないと思います」 経済がどん底のところに、パリやマドリッドばかりか、ニューヨークも再度のロックダウンを検討しているという。片や非難の的であったスウェーデンは、死者がゼロの日も多い。日本はそこから何を学ぶべきか。医師で医療経済ジャーナリストの森田洋之氏が言う。 「スウェーデンは結果的に利口な対策でしたが、4~5月の時点ではわからないことだらけで、イチかバチかの側面があったでしょう。それに日本とは社会的背景も国民性も異なるので、日本も真似をすべきだったとは言い切れません。しかし、データが揃いつつあるいまは違う。冬に向けて第3波がやってきたとき、また緊急事態宣言、外出自粛や休業要請というのは合理的ではありません。ロックダウンをしなくても収束に向かい、集団免疫も得られることが、スウェーデンのデータからわかるし、そもそもこのウイルスは、日本人には大きな脅威にならないことがわかっている。外出自粛で感染防止に執心するだけでなく、たとえばステイホームの結果としての孤独が、自殺が増えるという最悪の事態に発展していることも考えるべきです」 スウェーデンの新型コロナ対策の背後に感じられるのは、このウイルスとは長い付き合いになるという覚悟と、そうである以上、無理は禁物だという大人の判断だ。結果として、無用に追い詰められる人は少なくなる。表面的には日本と似た緩い対策を支える精神の違い。日々の感染者数に一喜一憂する日本が学ぶべきはそこにあろう』、スウェーデンが周辺国からの批判をになかで、我が道を行き、結果的に「集団免疫」を獲得したのは凄いことだ。それを信頼した国民も大したものだ。

次に、10月17日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏による「GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2020/10/goto180.php
・『<GoToイート食事券も飲食店への家賃補助も、人気店や馴染みの店の足を引っ張り、質の悪い店を助ける政策だ> GoToイートの不手際や、不正に近い濫用がワイドショーの話題になっているようだが、そうなるに決まっている。何のために、外注しているのかよくわからない。 しかし、それ以前に、GoToイートということ自体が間違っている。 GoToトラベルも、このキャンペーンが終わったら需要が反動減となるので、本当に目先の一時しのぎに過ぎず、キャンペーンがなくても来るような顧客を失うだけなのでよくない、という議論は前回したが、GoToイートはさらに悪い。 500円や1000円をループして永遠に利用するセコイ客の被害は、そのような客で店が溢れ、店はむしろ儲からなくなる。 これは以前から同じことで、6月、飲食が戻らない、と言われていた時でも、私のヒアリング調査、あるいは個人的な体験からすると、通常は予約でいっぱいのような店は、少し予約が取りやすくなる程度で、コロナでも店は客で常に満席だ。いつも満員の店は、コロナの影響で客が減ったと言っても一番悪いときでも通常の8割程度は客は来ていた。そして、7月には9割以上に戻り、8月で感染が再拡大したと言われても、まったくそれは変わらず、通常の9割から通常通りに戻っている。 これは飲食店ではコンセンサスだそうで、駄目な店にも、通常は、人気の店が満員で入れない客が流れていたから、一応客がいただけで、もともと駄目だった店が、人気の店に入れなくてあふれてくる客がいなくなり、閑古鳥が鳴いているだけで、まともな店は客は減っでも最大で1割程度ということだそうだ』、「まともな店は客は減っでも最大で1割程度」、ということのようだ。
・『いずれは潰れる店を延命するだけ  飲食がつぶれるというが、もともと飲食は良くつぶれるので
それで貸す側も値引きはしない。いつでもまた別の店が入るし、いつものことだ、という対応だったようだ。そして、政府の家賃補助は、これらのビルオーナーを安泰にするだけで、もともといつかたたまなければならない店が、コロナで決断しかかっていたのが、決断を先送りにして、家賃補助が終わればやはり廃業するような店の延命をしているにすぎず、しかも彼らの収入にはならず、ビルオーナーが安泰になっただけだ。 つまり、菅総理のいう、自助共助公助に、見事に180度反している。 自助できるところの邪魔をして、守る価値のないところを、国民全体の税金を投入して守っている。しかも、セコイ客に悪用されている。産業の新陳代謝を妨げ、日本経済の活力も成長力も削いでいる。 最悪、弱いものを守る政策だ、というなら、ネットで予約する仕組みは最弱な古い店には機能しない。はやっていないチェーン店が使うだけだし、サイトが儲かるだけだ。 ワイドショーの同情を引いたのは、サイトも開設していないような、スナック、小料理屋、定食屋、飲み屋であり、彼らでない中途半端な商業的に駄目なチェーン店とセコイ客にカネが流れているだけなのだ。 最悪だ。即刻やめるか、菅総理は自助という言葉を信念から外してほしい』、「ネットで予約する仕組みは最弱な古い店には機能しない。はやっていないチェーン店が使うだけだし、サイトが儲かるだけだ・・・サイトも開設していないような、スナック、小料理屋、定食屋、飲み屋であり・・・中途半端な商業的に駄目なチェーン店とセコイ客にカネが流れているだけなのだ』、相変わらず手厳しい批判だ。

第三に、11月2日付け日刊ゲンダイ「天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/280678
・『「新しい生活様式」が当たり前になり、菅政権は「デジタル庁」創設に躍起になっている。新型コロナウイルス禍がこの国にもたらした変化の一端である。各国で同時進行中のこうした社会の変貌について、「哲学界のロックスター」とも呼ばれ、世界中で注目される若き天才哲学者は、「デジタル全体主義を加速させる脅威」だとして警鐘を鳴らす。じっくり話を聞いた(Qは聞き手の質問、Aはガブリエル氏の回答)』、「ガブリエル氏」の見解とは興味深そうだ。
・『Q:コロナ禍のパンデミックで「社会は大きく変わる」という見方がありました。現状をどう見ていますか。 A:残念ながら、社会は悪い方向に大きく変わりましたね。この春、私が予測していた「衛生至上主義」と呼ぶ傾向が、現実に顕著になってきています。衛生への配慮の範囲を超えて、行動や文化や政治などあらゆる分野で、ウイルスの「潜在的な脅威」ばかりを気にしている。レストランや大学など、どこでもそうでしょう。 Q:日本でも同じような現象はあります。 A:実質的な脅威ではないのに過剰に反応しているという意味では、人種差別にも似た側面があると思います。このような衛生至上主義は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭しています。もちろんウイルスは脅威ですが、多くの国で行われているような警戒は過剰です。この過剰な警戒こそが真の脅威です。 Q:どういうことでしょう? A:現在、ロックダウンまでではないものの、欧州では再び、強い規制が始まっていて、これに対し疑問を呈すると、組織化されたソーシャルメディアの大衆に攻撃されます。理性的な議論すらできないのです。「おまえはオワコンだ」とネットで一方的に有名人をたたく文化がアメリカから伝播してきていますからね。コロナを理由にした非常事態が継続することによって「自由な政治」がなくなることのほうに、私は脅威を覚えます。 「自由」は、民主主義において保障されなければならない最高の価値のひとつですが、衛生至上主義、自由な民主主義にとって極めて深刻な脅威になってきた。これは新しい現象です』、「衛生至上主義は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭・・・多くの国で行われているような警戒は過剰です。この過剰な警戒こそが真の脅威」、本質を突いた鋭い指摘だ。
・『米中サイバー戦争は中国が勝利する  Q:衛生至上主義で社会が理性を失っているということですが、その状態が続くとどんな問題がありますか。 A:「デジタル全体主義」が各国で台頭するでしょう。インターネットの影響で、史上初めて、地球上の全人類の行動が同期化していて、全人類が同時に同じものに恐れを抱いています。ここで忘れてならないのは、今回のコロナウイルスによる「パニックの政治」の起源は中国だということです。そしてその中国が、コロナ対策もデジタルを駆使してつくり上げましたよね。 その背後にあるのは、中国と米国のサイバー戦争です。中国のサイバー攻撃はご存じでしょう。米国のほうは、コロナ禍をチャンスに、デジタルサービスがビジネスを拡大させました。このインタビューで使っている「Zoom」やソーシャルメディアにとってはパンデミックは好機です。サイバー戦争の覇権を争う米中両国とも、コロナ禍を利用しているのです。 Q:人類がデジタルに支配され、その覇権を米中で争っていると。 A:私は、このサイバー戦争で中国が勝利するとみています。米国は民主主義国であり、自由を重んじる。しかし、中国共産党にとって個人の自由など無価値で、国の統治において自由は重要ではありません。中国はデジタル化という極めて巧妙な手段で、米国から覇権を奪取したのです。2020年は中国が主導権を握った年になるでしょう』、「中国はデジタル化という極めて巧妙な手段で、米国から覇権を奪取したのです。2020年は中国が主導権を握った年になるでしょう」、不吉な予想だ。
・『ジョージ・オーウェルのシナリオが「Zoom」上に  Q:著書「全体主義の克服」で、<科学と技術によって現代社会のあらゆる問題を解決できるという誤った信念>と断じています。確かにコロナ禍でAIやSNSなどへのやみくもな服従が進んでいるように思います。デジタル化が無制限に進み、監視が強化される不安もあります。 A:パンデミック前に書いた本ですが、その通りになっています。いまや科学や技術は新たな宗教になりつつある。そして、監視社会は将来のことではなく、現在進行形です。ジョージ・オーウェルが「1984」で書いたシナリオが、この「Zoom」上でまさに起きていると言っていい。米国、中国、日本、ドイツなどあらゆる国の諜報機関は、その気になれば、いま私たちが「Zoom」を使って話していることにアクセスできてしまいます。  Q:「デジタル全体主義」では、20世紀の全体主義のように独裁者がいるわけではないともおっしゃっています。これは市民の側が求める「下からの全体主義」とも言えるのでしょうか。 A:中国に関して言えば、デジタルを使った手段を用いているとはいえ、20世紀型の古い独裁主義国家です。ですが、日本やドイツは民主主義的な法の支配で選挙も行われており、その意味では独裁主義ではありません。現在直面しているのは、下からのサブリミナル(潜在意識)な大衆操作です。大衆が自ら「脱自由」を求めている。そうした傾向の背後には、人々が抱えている「不安」を刺激する構造があります。 Q:サブリミナルな大衆操作とは、どういうことでしょう? A:「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出されます。例えば、背中にちょっとしたかゆみがあったとします。「背中のかゆみ」をグーグルで検索すると、「がんかもしれない」と出てくる。さらに検索すると極めてまれなタイプのがんを知るようになる。そうやって4時間も検索していれば、「明日には死んでしまうかも」とだんだん思うようになる。 実際には背中がちょっとかゆいだけなんですよ。インターネットにはこういう構造が組み込まれているのです。病は気からと言います。それは、行動経済学や神経科学の分野で研究し尽くされていること。「不安」で人を操ることができるのです。米国や中国のハイテク企業はそうやって大衆操作をしているのです』、「現在直面しているのは、下からのサブリミナル(潜在意識)な大衆操作です。大衆が自ら「脱自由」を求めている。そうした傾向の背後には、人々が抱えている「不安」を刺激する構造があります」、「「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出されます・・・「不安」で人を操ることができるのです。米国や中国のハイテク企業はそうやって大衆操作をしているのです」、我々は無力なようだ。
・『「自発的隷従」を避けるにはソーシャルメディアをやめる  Q:サブリミナルですから、あらがうのはなかなか難しい。 いまドイツで起こりつつあるのはサブリミナルな服従、16世紀の表現を使えば「自発的隷従」です。この奴隷には主人はいません。自ら奴隷化しているのです。その先にあるのは民主主義の終焉。自由な個人がいないと民主主義は機能しないからで、これこそが脅威です。 デジタル全体主義は、ソーシャルメディアと検索エンジンによってもたらされる。そして、この手の独裁主義は、いずれ古典的な独裁主義に移行するでしょう。なぜなら、人々は「次の毛沢東」に投票し始めるからです。米国はある程度、そうなっていますよね。ソーシャルメディアが存在しなければ、トランプは大統領になれなかったでしょう。 Q:コロナ禍がデジタル全体主義をさらに加速させる引き金になったということですね。このままでは「自由」はなくなってしまう。 A:まさに、そういうことです。ただ、選択肢はまだ残されている。例えば、私は3月にすべてのソーシャルメディアのアカウントを解約しました。こういう事態が来るだろうと予想したからです。いまは、ソーシャルメディアを一切使っていません。グーグルの検索も最小限にしています。デジタル全体主義は、私たちが自ら止めないと止まらないのです。実際、シリコンバレーで働いていた多くの専門家が著作などで警告を発しています。 ショシャナ・ズボフは「監視資本主義の時代」(原題「The Age of Surveillance Capitalism」)という素晴らしい本で、いかにグーグルが危険かを説いています。グーグルのような企業こそが、民主主義において最大の脅威であるとはっきり申し上げたい。 Q:人類にとっての脅威は、コロナウイルスではない。 A:20世紀の独裁主義は「目に見える悪」でした。強制収容所があり、何十万人という単位で大量虐殺も行われた。しかし、グーグルは違う。便利で見た目も美しく、サービスを無料で提供している。一見、悪には見えません。でも、だからこそ、この新しい敵は危険なのです。これは自由のための闘争です。まだ負けるとは決まっていない。でも、いまは時期が悪い。まるで「スター・ウォーズ」の悪の帝国であり、私はルーク・スカイウォーカーの役を演じている。こんなふうに説明しなければならないほど、事態は酷い状況です』、「グーグルのような企業こそが、民主主義において最大の脅威である」、とは衝撃的な告発だ。

第四に、11月3日付け東洋経済オンラインが掲載した漫画家・文筆家のヤマザキ マリ氏による「「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる」を紹介しよう。
・『イタリアでは子どものときから、教育のなかで疫病について学ぶ機会があります。例えば、中学校の国語の授業では、アレッサンドロ・マンゾーニの歴史小説『いいなづけ』が、必須図書とされています。物語の舞台は、スペインに支配されていた17世紀の北イタリア。そこにはペスト(黒死病)のパンデミックについての描写が綴られています。漫画家で文筆家のヤマザキマリ氏の新著『たちどまって考える』を一部抜粋・再構成し、イタリアの教育事情を紹介します。 19世紀のイタリアに生きたマンゾーニは、イタリア通貨がリラだった時代には紙幣に肖像が描かれていたほどとてもポピュラーな作家です。義務教育の段階で誰しもが接するという意味で、日本人にとっての夏目漱石のような存在とも言えるかもしれません。 もちろん歴史の授業でも、過去に起きたパンデミックによって社会がどう変わったかということを学びます。古代から現代にかけて、代表的なものがいくつかありますが、古いものであればヨーロッパ世界の礎である古代ローマを襲った「アントニヌスの疫病」でしょうか』、「イタリア」では「パンデミック」が「中学校の国語の授業」でも出てくるとは、歴史教育が根付いているようだ。
・『ローマの安泰を崩したアントニヌスの疫病  紀元165年、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが皇帝だった時代に始まったこのパンデミックは、当時彼のお付きのギリシャ人の医者ガレノスが記録した症状からすると、どうやら天然痘だった可能性が高い。また歴史家ギボンは、このパンデミックがのちのローマ帝国の脆弱化、衰退の大きなきっかけになったと記述しています。 アントニヌスは五賢帝の最後の1人で、『自省録』という著書が今なお読まれている"哲学皇帝"と呼ばれる人物です。映画『グラディエーター』(リドリー・スコット監督)で悪徳皇帝コモドゥスの父として登場したと言えば、思い出す方もいるのではないでしょうか。 映画では息子に殺されるというドラマチックな展開になっていますが、実際は皇帝自身もこの疫病に感染し、亡くなったとされています。そしてこのアントニヌス帝の死によって、非常に優れた頭脳で治世した五賢帝たちの時代は終わりを告げ、彼らが築いたローマの安泰が徐々に崩れていくことになります。 アントニヌスの疫病は、帝国の東側に隣接していたパルティア王国の前線、ユーフラテス川流域にいたローマ軍の兵士にまず感染しました。そして、彼らの帰還とともにローマへ持ち込まれました。 その後、ローマ市内だけで千万単位の人が死んだとされますが、それだけの人が死ねば経済は停滞します。小麦を輸入するための船は人材不足で動かせなくなり、港も機能せず、パンを焼く人も死に、民衆は餓死の危機にも迫られました。 一般市民や商業関係者だけでなく、兵士の数も減り、属州の隅々にまで監視が行き届かなくなります。そうすると、敵対関係にあった周辺の蛮族らが国境を越えて帝国内部を侵し始め、ローマ帝国は大きなダメージを受けることになります』、ローマ帝国の軍隊が、パンデミックを仲介したとは、確かにありそうな話だ。
・『歴史上の疫病を教育課程で学ぶ  さらに、紀元250年には「キプリアヌスの疫病」と呼ばれる天然痘のパンデミックが発生し、当時の2人の皇帝も感染して死亡。アレキサンドリアでは人口の3分の2が死滅し、これによってローマ帝国内にはキリスト教を信仰する人々が一気に増えていきます。 キリスト教がローマ帝国の国教になるのはさらに100年以上後のことですが、この疫病のパンデミック前まで、キリスト教はローマに背いた危険な思想を及ぼす過激な新興宗教と見なされていました。 アントニヌスの疫病の際にはキリスト教信者への偏見が過熱し、疫病はローマの神々を信じない彼らのせいだと、弾圧まで行われています。しかし、キプリアヌスの疫病の時代になると、火葬される犠牲者のイメージがキリスト教が説く地獄の様子と重なり、信者を増やすきっかけとなったともされています。 イタリアではこのような歴史上の疫病の影響力を、教育課程で学びます。もちろん学校で学ぶことですから、時間の経過とともに多くの人の記憶から忘却されたりもするでしょう。でもいざというときに、「そう言えばたしか……」と思い出す人も少なからずいるわけです。 では、日本の学校で疫病の影響力について特別に学ぶ機会は果たしてあるでしょうか。 歴史学者の磯田道史さんとコロナ関連のテレビ番組でご一緒したときに彼が言っていたのは、「日本の場合、形で見える崩壊でなければ史実として残らない」ということでした。 磯田さんの師である経済学者の速水融(あきら)さんによると、1918年に始まったスペイン風邪の流行について、当時の文献にはあまり記述らしいものが見当たらないのだそうです。 自分の子どもや家族への感染を懸念した歌人の与謝野晶子が、「人が密集する場所は早くに休業するべきだったのでは」と、感染抑制の必要性を書き残していたぐらいでした。 戦争や震災の災禍は明確な形で見えますが、疫病のような目に見えないものについては言葉として残らない性質が、日本の歴史にはある。しかし、言葉で書き記されなければその記憶は風化しやすくなるでしょう。辛い経験で得た教訓も、世代交代が繰り返されるうちに、人々のなかに留まりにくくなってしまいます』、「疫病のような目に見えないものについては言葉として残らない性質が、日本の歴史にはある・・・言葉で書き記されなければその記憶は風化しやすくなる」、確かに昔の日本史は王朝や幕府中心なので、「疫病」については触れられないのかも知れない。
・『西洋美術のなかの「疫病」  ヨーロッパで美術の勉強をする際にも「疫病」はしっかりかかわってきます。なかでも14世紀半ばに欧州で猛威を振るい、何千万もの犠牲者を出したペストのパンデミックは美術史においても大きな意味をなす出来事でした。 このペストの影響で、当時のヨーロッパの人口の3分の1から3分の2が亡くなったとされていますが、このパンデミックが西洋美術にいったいどのような影響を及ぼしたのか。 主に北部ヨーロッパで顕著だったのが、死神としてペストが描かれるパターンです。人間の行いが悪かったために、天罰としてペストという悪が骸骨の姿で地上に降りてきて、人々を懲らしめているという地獄絵図のような絵画がたくさん残っています。 これは1300年代後半から1400年代初頭にかけてヨーロッパに広がった「死の舞踏」と呼ばれる様式で、イタリアやフランスの美術にも見られます。 こうした絵画から読み解かれるのは、「神の教えに忠実に生きない人間は、疫病という『悪』に襲われかねない」という教訓めいたメッセージです。ヨーロッパでは今でも美術館にこれらの作品が普通に展示されていますから、人々はそこで知らず知らずのうちにペストの怖さや、過去の人々が感じた恐怖を視覚的にインプットされていると思います』、日本では「ヨーロッパ」での「ペスト」のような深刻なパンデミックが起きなかったのだろうか。
・『疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる  それこそイタリアでこの手の美術館に行くと、幼稚園児ぐらいの孫におじいさんが絵の説明をしている光景をよく見かけます。骸骨だらけの絵を見てびっくりしている子供に「この死神の意味だがね」などと美術の専門家のように“死の舞踏”について語っていたのを見かけたこともあります。 そのように絵画というメディアを介して、疫病への警戒感が世代から世代へと伝わっている。学校教育での文学、歴史、そして美術も含め、イタリアの人たちは比較的多く、疫病について学ぶ機会をもっているんですね。 なお、美術のなかに描かれた疫病という点では、たとえば西洋美術では、鎌を振り下ろして人々を懲らしめる骸骨、一方の日本では、自然のなかから湧き出た妖怪のような姿として疫病が描かれている。日本と西洋ではその感性に大きな差異があることがそれぞれの絵画から見てとれます。 そうした歴史の教育や美術館を通じての過去との接触は、人々に疫病に対する心構えを備えるきっかけになるでしょう。しかし、情報は得てさえいれば良い、知っていれば安心、というものでもありません。 最近、欧州では新たな感染拡大の兆候が顕著になっています。イタリアでも新規感染者数が2万人を上回る最多数を記録、ミラノでは夜間の外出が制限されました。 夫が教師をしているパドヴァ近郊の高校でも生徒の感染が発覚し、9月の末に新学期が始まってわずか1カ月足らずで学校は閉鎖。生徒も教師も再びオンライン授業の対処が取られているそうです』、「イタリア」では「疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる」というのはうらやましい。
・『自らの判断力を問われる時代に  過去のパンデミックを知る歴史の授業や、美術史での“死の舞踏”といった教訓の潜在が、逆に「病気には克服したくない」「自分たちは病気に勝てる」「大したことじゃない」という頑なな姿勢を彼らにもたらしているようにも思えます。 精神的な疲弊が膨らむと、悲観を増す人もいれば、中には積極的に楽観を選択する人もいます。今の欧州にはその傾向が強い。しかし、これからインフルエンザの流行も懸念される中、私たちはますます自らの判断力を問われるようになっていくでしょう。 歴史の中に刻まれた過去の記録が我々に何を伝えようとしているのか、また改めて正面から向き合う時が来たようです』、日本人は「歴史」に「正面から向き合う」ことをせず、いい加減に過ごし、同じ過ちを繰り返しているような気がしてならない。
タグ:スウェーデンの対策は必ずしも集団免疫獲得を狙ったものではない 中途半端な商業的に駄目なチェーン店とセコイ客にカネが流れているだけなのだ 長期間の持続が困難なロックダウンは避け、ソーシャルディスタンスをとりながら高齢者を隔離し、医療崩壊の回避を狙った (経済社会的視点) パンデミック 死者が多いのは別の原因 「GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り」 小幡 績 まともな店は客は減っでも最大で1割程度 日刊ゲンダイ 「スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側」 ネットで予約する仕組みは最弱な古い店には機能しない。はやっていないチェーン店が使うだけだし、サイトが儲かるだけだ スウェーデンが周辺国からの批判をになかで、我が道を行き、結果的に「集団免疫」を獲得したのは凄いことだ。それを信頼した国民も大したものだ 「天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義」 高校や大学は遠隔授業になっても、保育園や小中学校は閉鎖されませんでした 死亡が若干前倒しに スウェーデンの対策の肝はソーシャルディスタンスである。カフェやレストランは、営業を停止させられたり、自粛を求められたりせずにすんだが、 「レストランでも間隔を空けて座るという対策が、来年夏まで延長され、立食形式も禁じられたまま スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され、家庭環境に恵まれない子どもが登校できなくなることで起きる弊害が考慮されました スウェーデン当局は、集団免疫を達成しつつあるという見方を発表 デイリー新潮 保育園や小中学校は閉鎖されませんでした サイトも開設していないような、スナック、小料理屋、定食屋、飲み屋であり いずれは潰れる店を延命するだけ Newsweek日本版 スウェーデンでは子どもが教育を受ける権利が重視され (その9)(スウェーデンが「集団免疫」を獲得 現地医師が明かす成功の裏側、GoToイートは菅総理の信念の180度逆で根本的に誤り、天才哲学者が危惧する パニックの政治とデジタル全体主義、「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる) 情報が隠されていない 日本人は「歴史」に「正面から向き合う」ことをせず、いい加減に過ごし、同じ過ちを繰り返しているような気がしてならない 自らの判断力を問われる時代に 「イタリア」では「疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる」というのはうらやましい 疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる 日本では「ヨーロッパ」での「ペスト」のような深刻なパンデミックが起きなかったのだろうか 西洋美術のなかの「疫病」 歴史上の疫病を教育課程で学ぶ 言葉で書き記されなければその記憶は風化しやすくなる 疫病のような目に見えないものについては言葉として残らない性質が、日本の歴史にはある ローマ帝国の軍隊が、パンデミックを仲介 ローマの安泰を崩したアントニヌスの疫病 「「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる」 ヤマザキ マリ 東洋経済オンライン グーグルのような企業こそが、民主主義において最大の脅威である 「不安」で人を操ることができるのです。米国や中国のハイテク企業はそうやって大衆操作をしているのです 「自発的隷従」を避けるにはソーシャルメディアをやめる 「不安」はソーシャルメディアと検索エンジンによってつくり出されます ジョージ・オーウェルのシナリオが「Zoom」上に 米中サイバー戦争は中国が勝利する 多くの国で行われているような警戒は過剰です。この過剰な警戒こそが真の脅威 衛生至上主義は世界各国ではびこり、「パニックの政治」が台頭
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