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経済学(その3)(世界はすでに 各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている、コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び、GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由 狙いは「ビジネスの最強武器」) [経済政治動向]

経済学についてゃ、4月23日に取上げた。今日は、(その3)(世界はすでに 各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている、コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び、GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由 狙いは「ビジネスの最強武器」)である。

先ずは、4月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経産省出身の評論家、中野剛志氏による「世界はすでに、各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/231363
・『「いま世界は極めて危険な状態にある」と中野剛志氏は指摘する。アメリカの覇権パワーが衰退するとともに、リーマンショック以降、世界経済は停滞に向かっていたうえに、コロナ禍で世界経済は大恐慌以来の景気悪化になると予測されているからだ。にもかかわらず、日本はいまだに冷戦構造下の国家政策に安住しようとしているのは危険すぎる。この問題意識から、中野氏が『富国と強兵 地政経済学序説』で提唱するのが地政経済学の確立だ。 連載第1回https://diamond.jp/articles/-/230685
連載第2回 https://diamond.jp/articles/-/230690 連載第3回 https://diamond.jp/articles/-/230693 
連載第4回https://diamond.jp/articles/-/230841 連載第5回 https://diamond.jp/articles/-/230846 
連載第6回 https://diamond.jp/articles/-/230849 連載第7回 https://diamond.jp/articles/-/231332 
連載第8回 https://diamond.jp/articles/-/231347 連載第9回 https://diamond.jp/articles/-/231351 
連載第10回 https://diamond.jp/articles/-/231363 連載第11回 https://diamond.jp/articles/-/231365 連載第12回 https://diamond.jp/articles/-/231383 連載第13回(最終回) https://diamond.jp/articles/-/231385』、今日はこのうちの連載第1回である(Qは聞き手の質問)。
・『「リベラルな国際秩序」には、地政学的な下部構造がある  Q:前回、中野さんは、かつてのイギリスのように、食糧安全保障のために、日本も財政支出を惜しむべきではないと主張されました。しかし、日本は農業関連の財政支出を減らす一方、TPP、日米FTAで農業関税を大幅に下げていますね? 中野剛志(以下、中野) 非常に危険なことだと思います。アメリカやオーストラリアなどは国土に広大な平野を有していますから、平野の少ない日本よりも農業生産性ははるかに優れています。そのような国々と自由競争をすれば、すでに惨憺たる状況にある日本の食糧自給率を悪化させるのは火を見るより明らかです。 Q:たしかに……。 中野 そもそも、アメリカのグローバル覇権が衰退していくなかで、グローバリズムと称してTPPやFTAなどの急進的な自由主義経済を進めようとするのが時代錯誤というべきでしょう。 なぜなら、グローバルな覇権国家がなければ、自由な国際経済秩序は成立しないからです。これを明らかにしたのが、経済史家のチャールズ・キンドルバーガーが最初に提唱し、その後、国際政治経済学者のロバート・ギルピンらが発展させた「覇権安定理論」です。 Q:「覇権安定理論」とは? 中野 例えば、自由貿易秩序が成り立つためには、無差別原則や最恵国待遇原則のような自由貿易のルール、安定的な国際通貨制度、そして国際的安全といった環境がなければなりませんが、これらは経済学で言う「公共財」としての性格をもちます。 「公共財」とは、個々人が対価を払うことなく消費することができる財のことです。例えば、一般道路やきれいな空気が典型的な「公共財」ですね。人々は誰でも自由に一般道路を通行したり、きれいな空気を吸ったりしていますが、一般道路の整備やきれいな空気の維持のために必要な費用は、政府が強制しない限り、誰も支払いません。そのため、公共財の供給は、政府が介入しない自由市場に委ねると、不十分になるわけです。 これと同じように、国際貿易のルール、国際通貨、国際的な安全といった環境も「公共財」であり、個々の国家は、その維持に必要なコストを分担することなく、その恩恵を享受できるわけです。ところが、国内社会における「公共財」の供給には強制力をもつ政府が必要であるのと同じように、国際社会において「国際公共財」を供給するためには、本来は強制力をもつ「世界政府」が必要となるはずですが、現実には「世界政府」など存在しません。 そこで、他国に対して強制力を有する覇権国家が必要になるわけです。覇権国のリーダーシップがなければ、国際的な「公共財」の供給が不足し、国際市場経済の秩序を維持できないのです。つまり、自由主義経済による国際秩序の基礎には、地政学的な下部構造があるということ。言い換えれば、グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだということです。 Q:なるほど』、「グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだ」、経産省出身とは思えない保護主義的見方だ。
・『リーマン・ショックとコロナ禍で、世界は「危険な場所」になった  中野 そして、自由な世界経済を実現する覇権国家が存在したのは、歴史上、二度しかありません。19世紀において、その圧倒的な軍事力と経済力によって自由貿易の時代を開いたイギリスと、第二次世界大戦後に覇権国家となったアメリカの二度だけなんです。 とりわけ、第二次大戦後に比類なき軍事力と世界全体のGDPの約半分を占める経済力を誇っていたアメリカは、圧倒的な覇権的パワーで、冷戦期には西側世界の安全を保証し、冷戦後は自由主義経済を世界中に広げていったのです。 しかも、この覇権国家が存在した時期が、いわゆるグローバル化の時期と重なっているんです。ダブリン大学トリニティ・カレッジ経済学教授のケヴィン・オルークとハーヴァード大学経済学部教授のジェフリー・ウィリアムソンは、グローバル化がいつから始まったのかを検証した結果、それが1820年代であると特定しました。これは、イギリスという覇権国家が出現した時期とほぼ一致しているのです。 この研究は、グローバル化が進んだ背景には、覇権国家という政治的な存在があるとする「覇権安定理論」を裏付けるものと言えるでしょう。逆に言えば、覇権国家という世界を圧倒する権力が消滅すれば、グローバル化も同時に終焉するということになるわけです。 Q:だから、中野さんは「グローバル化は終わった」とおっしゃったのですね? 中野 ええ。これまで説明してきたように、2010年代に入って、アメリカの覇権的パワーが音を立てて崩れ始めました。地政学的な下部構造が崩壊したとなれば、その上部構造にあった自由主義的な国際秩序やグローバリゼーションもまた、終わりを告げることになるでしょう。 しかも、2008年にはリーマン・ショックによる世界金融危機が勃発しました。これは、アメリカの経済自由主義に基づく経済政策が生んだ資産バブルの崩壊が原因で、アメリカ主導の国際経済秩序の正統性が損なわれるとともに、グローバル化の進展によって世界経済は拡大するという楽観主義が一気に崩壊した瞬間でもありました。 そして、世界経済は停滞へと向かっていったわけです。いわば、世界中が“飢餓状態”に陥ったようなものです。アメリカの地政学的な覇権が崩れていく局面で、世界中が“飢餓状態”に陥るという非常に危険な状態になったのです。しかも、現下の「コロナ禍」によって、世界経済は大恐慌以来の景気悪化になると予測される状況に陥ってしまいました。世界はさらに危険な場所になったのです。 Q:各国が限られたパイを食い合うようになると? 中野 そういうことです。一般に、市場全体が成長している場合は、国家間の経済連携の深化は、比較的容易です。なぜなら、その場合は、関係国間で、利己的な行動をとって対立するよりも、協力的行動をとった方が、お互いに得られる利益がより大きいことが明らかだからです。 しかし、市場全体が停滞ないし縮小し、各国がお互いに協力行動をとったとしても、得られる取り分が大きくならない場合は、協力することによるメリットが見えにくくなります。また、市場全体が成長していないときには、自国の利益を増やそうとすると、他国の利益を奪うことになるので、自由貿易や経済連携による利益を共有し、互恵的な関係を構築することが極端に難しくなる。それは、1930年代の世界大恐慌後の歴史が物語っていることです。 このように世界経済が停滞すると、各国はより利己的にならざるを得なくなり、国家間の協力関係を成立させることは容易ではなくなります。とりわけ民主主義国家はエゴイスティックになります。自国の利益を優先しなければ、政治家たちは国民の支持を得ることができないですからね。 Q:民主主義国家はエゴイスティックにならざるを得ないというのは、少々ショッキングですが、たしかに否定できませんね』、「グローバル化が進んだ背景には、覇権国家という政治的な存在があるとする「覇権安定理論」を裏付けるもの・・・逆に言えば、覇権国家という世界を圧倒する権力が消滅すれば、グローバル化も同時に終焉するということになるわけです」、「逆に言えば」としているが、逆がそのまま成立しない場合もあるが、この場合はどうなのだろう。
・『日本は世界の“食い物”にされる!?  中野 ええ。そうなることは2008年に世界金融危機が起きた時点で、すでに見えていたわけです。にもかかわらず、日本は2010年になって「平成の開国」などと言って、その後、TPP交渉に参加すると表明しました。しかし、TPPは、オバマ大統領自身が横浜で開かれたAPEC首脳会議で明言したように、アメリカが輸出を倍増させることで国内の雇用を増やすという戦略の一環だったんです。オバマにとってのTPPは、他国の雇用を奪うための、一種の近隣窮乏化政策だったのです。 一般教書演説でも、オバマ大統領はそのことを繰り返す一方で、「自由貿易」という言葉を一度も使いませんでした。環太平洋にリベラルな経済秩序をつくろうなどという意思はかけらもなく、単に、日本市場を獲りに来ただけのことなんです。 それは、世界経済が縮小に向かうなかで、民主主義国家であるアメリカの大統領ならば当然考えることであって、生き残りをかけた残酷な国際政治において自国を守ろうとするのは当たり前のことです。しかし、日本は「世界の現実」を理解せず、「平成の開国」などと言っていたわけです。 Q:だから、中野さんは『TPP亡国論』を出版するなどTPP反対の論陣を張ったんですね? しかし、その後、トランプが当選し、TPPから離脱しました。あれは、想定外だったのでは? 中野 そうですね。アメリカでもTPPを支持しているのはエリート層で、中国などに「職」を奪われたと感じる一般の人々が「自由貿易」に辟易していることは認識していましたが、まさかトランプが大統領になるとは思っていませんでした。 ただ、トランプがTPPから離脱したのは、「オバマが雇用を奪い取ると言っていたが、俺のほうがもっといいディールができる」ということにすぎませんでした。 つまり、オバマもトランプも「他国から雇用を奪う」という意思に変わりはないわけです。オバマはそれを上品に表現し、トランプはそれを露骨に表現したというだけの違いです。アメリカは自国民を守るためになりふり構っていられる状況ではないのだから、これも当たり前のことなんです。 Q:実際、トランプ政権は日米FTA交渉で、「TPPと同水準かそれ以上」の市場開放を強硬に要求して、日本はかなりの譲歩を強いられたと聞いています。結局、中野さんが心配していたとおりになったようにも見えます。 中野 日米FTAのことは、細かく調べていませんが、「自由貿易を推進する」などと時代錯誤なことを考えるのではなく、真剣に自国の経済を守るためにどうすべきかを考えなければ、非常にマズいことになるでしょうね。 Q:なんとなく「グローバル化は善」といったイメージがありましたが、頭を切り替えないといけないですね……。 中野 そうなんですが、まぁ、でも、結局のところ、アメリカが自国の利益を犠牲にしてまで日本を豊かにしてくれた冷戦期に、日本がいちばんうまくいっていたわけで……そのときのやり方を続けたいということなんでしょうね。 ただ、冷戦のときにアメリカが、自国の利益を犠牲にしてでも日本が豊かになるのを助けてくれた理由は、共産化されたら困るからですよね。そして、冷戦が終わったら、アメリが自国を犠牲にして日本を助ける理由がなくなったわけです。この問題は、地政学的に考えなければいけないんです。 したがって、私は、日本の経済成長の低迷し始めた時期と、冷戦終結のタイミングが一致しているのは偶然ではないと思っています。日本の高度経済成長は冷戦構造という下部構造の上に実現し、日本の経済停滞は冷戦終結という下部構造と関係があるというふうに見ておかなければならない。つまり、経済学と地政学は密接に関係しているということです。 この視点なくして、まともな国家政策などありえません。経済が地政学的環境にどのような影響を与えるのか、そして地政学的環境が経済をどのように変化させるのかについても考察しなければ、国際政治経済のダイナミズムを理解できず、国家戦略を立案することもできないのです。このことを訴えるために書いたのが、『富国と強兵 地政経済学序説』という本だったんです。 Q:地政経済学とは?』、「日本の経済成長の低迷し始めた時期と、冷戦終結のタイミングが一致しているのは偶然ではない・・・日本の高度経済成長は冷戦構造という下部構造の上に実現し、日本の経済停滞は冷戦終結という下部構造と関係があるというふうに見ておかなければならない」、なるほど面白い見方だ。
・『「ガキっぽい情熱」を克服できない経済学  中野 私の造語ですが、経済力(富国)と政治力・軍事力(強国)との間の密接不可分な関係を解明しようとする社会科学です。地政学なくして経済を理解することはできず、経済なくして地政学を理解することはできない。だから、地政学と経済学を総合した「地政経済学」という思考様式が必要だと考えたんです。 でも、これは決して新しいものではありません。たとえば、E・H・カーは、国際関係論の古典とも言うべき1939年の『危機の二十年』で、「経済は所与の政治的秩序の上に成り立っているものであり、政治から切り離しては、有意義な研究をすることができない」と説いていました。このような思考様式は、かつては当たり前のものだったんです。 ところが、いま、地政学は経済に対する理解を欠き、経済学は地政学を無視するという状態にあります。おもしろいことに、これが日本だけで起きている現象ではなく、アメリカでも起きていることなんです。 Q:へぇ、そうなんですか。ちょっと意外ですね? 中野 ええ。さらに興味深いのは、地政学と経済学が分離した理由について、ダートマス大学教授のマイケル・マスタンドゥノが、冷戦構造の影響を指摘していることです。 冷戦下においては、アメリカにとって安全保障上の脅威はソ連でしたが、ソ連は経済的な競合相手ではありませんでした。一方、アメリカの経済上の脅威は西ドイツや日本だったけれど、これらの国々は同盟国であり、安全保証上の脅威ではありませんでした。そのため、対ソ連を想定した軍事研究から経済への関心が脱落し、経済研究は安全保障を無視したというわけです。 Q:なるほど、説得力がありますね。 中野 ええ。しかし、1998年の時点でマスタンドゥノは、冷戦が終結すれば、安全保障と経済は再び結びついていくであろうと論じていたのですが、それから20年がすぎても、依然として地政学は経済学との接点を欠落させたままです。 ただし、地政学者や国際政治学者の多くは国力の基礎に経済力があることは認めています。どうやら、彼らが経済に関する知識に乏しいのが原因となっているようなんです。 Q:うーん……なんとか頑張っていただきたいですね。 中野 ただですね、経済学の方は、地政学以上に狭隘な専門主義が進行していて、地政学はおろか、歴史学、政治学、社会学への接近すら拒否しているという無残なありさまなんです。 たとえば、フランスの経済学者であるトマ・ピケティは、『21世紀の資本』でこう述べました。 「率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにもしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題にばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずにすませているのだ。」 Q:辛辣ですね……』、「経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている」、極めて手厳しい経済学批判だ。
・『経済学は「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」?  中野 でも、私もまったく同感ですね。しかも、2008年の世界金融危機によって、主流派経済学が、経済自体についてすらも、ほとんど理解していなかったことが白日のもとにさらされたんです。 なぜなら、この世界金融危機を予想することができた主流派の経済学者は、ほとんどいなかったからです。というのも、ピケティが「科学っぽい」と揶揄した主流派経済学の理論モデルでは、世界金融危機のような事態は起きえないと想定されていたからです。 したがって当然のことながら、世界金融危機への対応にあたっても、主流派経済学は何の役にも立ちませんでした。こうして世界金融危機は、経済のみならず、経済学の信頼性にも大きな打撃を与えたんです。 Q:そうなんですか……。 中野 実際、主流派経済学者からも批判の声が上がっています。たとえば、IMFのチーフ・エコノミストであったサイモン・ジョンソンは、世界金融危機によって経済学もまた危機に陥ったとして、主流派経済学とは異なる新たな経済理論が必要であると論じました。 あるいは、ポール・クルーグマンは、過去30年間のマクロ経済学の大部分は、「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」と言い放って、物議を醸しました。 経済成長理論の発展に大きく貢献したという功績が認められて、2018年にノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマーは、皮肉なことに、受賞の2年前の講演のなかで、主流派経済学を次のように批判していました。 主流派経済学の学者たちは画一的な学界の中に閉じこもり、きわめて強い仲間意識をもち、自分たちが属する集団以外の専門家たちの見解や研究にまったく興味を示さない。彼らは、経済学の進歩を権威が判定する数学的理論の純粋さによって判断するのであり、事実に対しては無関心である。その結果、マクロ経済学は過去30年以上にわたって進歩するどころか、むしろ退歩したと。 Q:容赦ないですね……。 中野 このように、いまや、アメリカの主導的な経済学者たちですら、主流派経済学の破綻を認めざるをえなくなっているんです。 ところが、主流派経済学の無効が明らかになったにもかかわらず、経済学界は、これまでのところ、従来の理論モデルを反省し、それを根本的に改めようとしているようには見えません。そのような主流派経済学のあり方を、オーストラリアの経済学者であるジョン・クイギンは「ゾンビ経済学」と呼んでいます。 だとすれば、恐るべきことに、地政学者だけでなく、経済学者自身も、経済についての正確な知識をもちえていないということになります。少なくとも主流派経済学に依拠している限りは、地政学と経済学を意味のある形で総合することは不可能です。そして、いま私たちが陥っている世界的な危機を克服することもできないんです。 Q:しかし、主流派経済学の何がそんなに間違っているというのですか?  中野 現在の主流派をなす経済学は、アダム・スミスを開祖とする「古典派」、およびその後継たる「新古典派」という系譜をもち、その歴史は200年以上に及びます。しかし、その発展のプロセスで「不確実性」という概念を喪失しました。私は、これが主流派経済学の根本的な間違いだと考えています。 Q:「不確実性」ですか? そういえば、このインタビューの最初のほうで、信用貨幣論を説明していただいたところで「不確実性」という言葉が出てきましたね。 中野 そうそう。信用貨幣論では、貨幣を創造するとは、負債を発生させることだけど、負債には常に、「デフォルト(債務不履行)」がありうるという「不確実性」が存在していると言いましたね Q:はい。だからこそ、その「不確実性」を最小限にするために、国家権力に裏付けられた「貨幣」が一般化していったというお話でしたね。 中野 ええ。しかし、その「不確実性」を排除することなしに、現在の主流派経済学は成立しなかったと言ってもいいでしょう。その結果、主流派経済学は、「現実世界」とはかけ離れた精緻な理論体系をつくり上げるに至ったのです。 Q:どういうことですか? もっと具体的に教えてください。 中野 わかりました。ちょっと長くなりますが、いいですか? Q:もちろんです。(次回に続く)』、「「不確実性」を排除することなしに、現在の主流派経済学は成立しなかったと言ってもいいでしょう。その結果、主流派経済学は、「現実世界」とはかけ離れた精緻な理論体系をつくり上げるに至った」、その通りなようだ。

次に、5月7日付け東洋経済オンラインが掲載した 作家、研究者の佐々木 一寿氏による「コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/346470
・『異色のNHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論2019」を基に、書き下ろしを加えた『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る」』が、このたび上梓された。 番組やこの本で岩井氏を知った方も多いかもしれないが、日本を代表する世界屈指の理論家である。同氏の歩みを通じて、経済学のこれまでの発展過程と、いま学ぶべき経済学的課題をひもといていく』、興味深そうだ。
・『「日の下に新しきものなし」  「太陽の下、この世には何も新しいものはありません」 これは岩井克人が自身の考察を述べる際によく言及される、旧約聖書の中の言葉(「日の下に新しきものなし」)である。 世の中の出来事は、もしまったく新しいもののように見えることであっても、実は本質的には共通する先例がすでに存在していて、それが形を変えて現れているだけである――。おそらくそのような世界観を言い表したものであろう。 そしてこの象徴的な言葉こそが、岩井克人という学者を理解するうえで非常に重要なものであるように私は思う。 岩井氏は経済学で多くの貴重な「再発見」をしてきた。そして、私たち(と多くの学者)が経済学を再発見することを可能にした。 学者、それも一流の学者と言われるためには、学術的な新しい発見を求められる。経済学であってもそれは例外ではなく、論文には新規性が求められ、その新規的な内容の完成度が高く、有用性が大きそうであればあるほど高く評価される。論考が高く評価されればされるほど、学者冥利に尽きるし、皆から期待され、出世もできる。 そう考えれば、学者の成功は、自身が所属する領域で誰も成し遂げていない新しい発見をいかに自身の手で形にするかにかかっていると言える。であれば、新しい発見を探究し続けることこそが学者の学者らしい過ごし方であり、学者の本能的欲求だと言ってもいいだろう。 ところが岩井氏は、冒頭のように「新しいものなど何もない」と、およそ学者の口から出るとは思えない言葉をさらりと言ってしまう。まるで学者としての野心があらかじめ欠如しているかのようである。) しかし氏の経済学の探究心は並外れており、理論的に主要な経済学を網羅的に見渡せる、今や世界でも数少ない碩学中の碩学である(「24時間、学者をやっているのかもしれない」とも語っている)。 また経済学以外の分野の論考でも高い評価を得る思索家(thinker)でもあるが、「学者として『没落』した」ともよく語っている。その言葉の端からは、逆説的に学者としての成功を求める気持ちも持っていることが漏れ伝わってくる。 ただ、学者としての成功以上に学者として大切にしているものがあるのかもしれない。もしそうだとすれば、それは何なのだろうか。 自身からは明示的に語られることのないその「何か」を、氏の学者としての歩みから探っていきたいと思う』、「岩井」氏が言う「新しいものなど何もない」は、極めて深い意味がありそうだ。
・『サイエンス好き、SF文学好きから経済学の道へ  岩井氏は自伝の中で、サイエンティストの原点として、小学1年生時の『学習理科図鑑』(子ども用の原色図鑑)との出合いを語っている。転校してきた友達の家に遊びに行ったときに見せてもらい衝撃を受け、その後に自身用の図鑑を買ったという。お小遣いを工面しつつ、昆虫図鑑、動物図鑑、植物図鑑、天文図鑑といったシリーズを興味の向くまま購入していき、鉱物図鑑まで行き着く。 図鑑では、自然界の構造全体が見渡せるようになっており、次にそれを構成する動物界や植物界といった各界を分類的に見渡すことができる。最後には図鑑で個体一つ一つを具体的に見る。岩井氏は世界を全体的、構造的、関連的に捉えるようになる。 「私は、図鑑を通して、大げさな言い回しになりますが、世界をいわば鳥瞰図的に知ることになったというわけです。(中略)いずれにせよ、私は科学少年になりました」(『経済学の宇宙』9ページ) 鉱物図鑑まで買った後、買いたい図鑑がなくなり、SFを読むようになった岩井氏は小学6年時に物理学者ジョージ・ガモフの著作に出合い、相対性理論や量子力学の概念とともに「無限大」の概念を知ることになる。これが後の代表的な研究となる「貨幣論」のきっかけとなったという。 また同時に、ガモフの“副作用”により学校で教えている数学や理科に刺激を感じなくなってしまい、その反動で文学作品に興味を持つようになる。多様な作品を読み、文学青年を自覚するようにもなった岩井氏は、「科学少年」と「文学青年」の間で進路に悩み、最終的に経済学部を選ぶ。) 「経済学を、文学と科学を足して二で割ったものととらえたのです。まあ、今から考えると、ずいぶんいい加減な理由で選んだと思いますが、経済学を専攻することにしました」(『経済学の宇宙』31ページ) 岩井氏の文章は、鋭利な理論展開と優美な表現力を併せ持つ。その独特の筆致は高い人気を得ているが、このような背景があるゆえなのかもしれない』、「私は、図鑑を通して、大げさな言い回しになりますが、世界をいわば鳥瞰図的に知ることになったというわけです」、確かに体系的に知識を得るには「図鑑」は恰好の教材だ。
・『「新古典派」の理論構築を嘱望された希代の逸材  岩井氏は東京大学の経済学部に進学する。入学当初は政治学にむしろ興味が向いていたが、大学2年時に受けた「近代経済学」(根岸隆)の授業に深い感銘を受ける。 「とりわけ、新古典派経済理論の数学的な美しさに驚きました。科学少年であったときの知的興奮がよみがえってきたのです。(中略)目標にできる人がここにいる、経済学者になってもよいと思いました」(『経済学の宇宙』38ページ) それとともに、当時の東京大学で優勢であり高校の頃から触れていたマルクス経済学に対し、学びながらも違和感を感じるようになっていく。 学部の後半では、学内で少数派だった近代経済学のゼミを選び、小宮隆太郎から「通説批判」の精神と経済成長に関する純粋理論を学ぶ。そして、理論に堪能だと気付いた小宮により、シカゴ大学から帰京したばかりの宇沢弘文に紹介される。 東京大学の数学科出身で、数理経済学の世界的な第一人者だった宇沢は、ベトナム戦争反対の立場から東京大学からの招聘に応じていた。 そして岩井氏は、宇沢から多大な影響を受ける。新古典派経済理論(数理的に基礎構築された自由主義経済の理論)の最先端の手法と、そして宇沢が密かに葛藤し続けていたその手法の限界性を、教室や酒場で間近に学び、学部生の終わりを迎える。 岩井氏は大学院進学を自然に考えるようになったが、いわゆる東大闘争の影響で大学院が封鎖されてしまう(封鎖はその後、数年続いた)。 東京大学の近代経済学教員チームは、岩井氏を含む4人の大学院志望者を直接アメリカの大学院に進学させることにする。岩井氏は最も数学が堪能ということでマサチューセッツ工科大学(MIT)に推薦される。 米国屈指の経済学者ポール・サムエルソンを招聘したMIT経済学部は、彼の尽力により米国最高位の地位を獲得、ロバート・ソロー、フランコ・モディリアニ、チャールズ・キンドルバーガーといった豪華講師陣を擁していた。いわば経済学の中心地で、岩井氏は新古典派経済学の粋を学ぶことになる。 そして早くも1年目の二学期に転機が訪れる。サムエルソンの講義中に提示された経済成長論の技術的課題に、数学的な解決手法のアイデア(「入れ子構造」でのモデル記述)を思いつき、一月ほどかけて「最適経済成長と静態的序数効用ーーフィッシャー的アプローチ」という論文にまとめる。 その論文はサムエルソンとソローに認められ、2年時にはサムエルソンの研究助手に迎えられ(前任はロバート・マートン)、その後、ソローの研究助手も務めることになる。 3年の時には、ジョセフ・スティグリッツからエール大学で行われる経済成長論のカンファレンスに誘われて出席し、院生でありながら発表を行なっているが、その背景に経済成長論の理論的大家であるチャリング・クープマンスの取り計らいがあったことは、米経済学界の経済成長論分野からの岩井氏への期待の大きさの現れだろう。 「まだ学者になるかならないかの頃でしたが、今振り返れば、このときが、私の学者人生における『頂点』であったのです」(『経済学の宇宙』68ページ) しかし、大学院の2年から3年にかけて、岩井氏は平行してケインズ経済学を読み直しつつ、新古典派経済学の根幹を見つめ直す作業を始めていた。そして、経済成長理論の分野での将来を嘱望していたソローからの提案を、大胆にも断ってしまう。 「その瞬間、私の学者人生は、『頂点』から『没落』し始めてしまったのです。もちろん、私はそのようなことを知るよしもありません」(『経済学の宇宙』78ページ) 岩井氏はMIT時代の総仕上げとして、新古典派経済学の根幹部分を支える「神の見えざる手」のメカニズム検証に着手する。新古典派が依拠する自由放任下の完全競争による需給バランス均衡の到来、そしてそれによる資源の最適分配のメカニズムは「神の見えざる手」と呼ばれ、主流派経済学の最重要の基礎となっている。 ただ、それを厳密に追っていくと、論理に致命的な飛躍があることが他でもない新古典派経済学者から指摘されてもいた(ケネス・アロー、チャリング・クープマンスによる)。 完全競争下では価格は与件となるが、では、その価格は誰が動かすのか――。価格がもし皆で動かしうるのであれば 、完全競争による秩序はどのように実現し得るのか――。 そして、新古典派はそのことに目をつぶってしまったのではないか。残されてしまっていたその課題の検証を岩井氏は「見えざる手を見る」作業と呼び、試行錯誤の末に3年目の終わりまでに「不確実性のもとでの独占的競争企業の行動を分析した論文」として仕上げる。 「私は、主流派がその価格の調整メカニズムそれ自体は理論化してきていないことに不満を持ち、最初はその経済理論を内部から補強しようと思ったのです」(国際基督教大学HPでのインタビュー) 先行して仕上げていた2つの論文と合わせ、「経済動学に関する三つの試論」として博士論文として提出し、3年足らずで博士号を取得する。) ソローの誘いを断り、新古典派の重要課題に博士論文で一旦の結論を出した岩井氏は、以降、ケインズ経済学の研究に突き進む』、「東大闘争・・・東京大学の近代経済学教員チームは、岩井氏を含む4人の大学院志望者を直接アメリカの大学院に進学させることにする」、「東大闘争」の思わぬ効用だ。「経済成長理論の分野での将来を嘱望していたソローからの提案を、大胆にも断ってしまう」、進路も違ったものになっていたろう。
・『新古典派が称賛する博士論文、そして宇沢弘文の背中  岩井氏はMITを卒した後、 自身の論文を高く評価され、エール大学の助教授に着任するが、その前の1年間、カリフォルニア大学バークレー校に研究員として赴いている。 そこは数理経済学の牙城であり、経済成長理論を数学的に拡張することを求められながらも、ケインズ経済学の研究に没頭し、後の『不均衡動学』につながるアイデアを得ている。また、高名な理論経済学者ジョージ・アカロフとも交流を持った。 エール大学では、由緒あるコウルズ研究所に所属する。そこで数理経済学者クープマンスとともに研究所の二枚看板であるマクロ経済学者のジェームズ・トービンに出会う。 トービンは当初、数学か法律を学ぶつもりであったが、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』を読んだことがきっかけで経済学に進んだという経緯もあり、岩井氏にとっては得難い理解者となる。 岩井氏は、クープマンスの期待を感じつつ、数理的な手法を磨きながらも、マクロ経済学に研究の軸足を移していく。まずはMITで書いた3本目の論文をマクロ経済学に拡張することに挑む。 「見えざる手を見る」作業、つまりミクロ的な経済主体の振る舞いのメカニズムから、マクロ経済的な現象を説明する(マクロ経済学のミクロ的基礎づけ)作業に着手する。 その過程において、当初の楽観的な見方から転換を余儀なくされる。3本目の論文では、新古典派の「神の見えざる手」がはらむ論理的な矛盾点を、現実的な前提を据え直すことによって、価格が均衡するメカニズムを新古典派経済学の範疇で示しえたが、それはミクロ経済学のなかでの話である。 しばらくして、岩井氏はミクロ的な価格決定メカニズムの説明がマクロ経済の場合ではそのままでは使えないことに気づく。「奇妙だ、矛盾だ」そう思い続けて悩んだ末、マクロ経済の場合は「合成の誤謬」(ミクロで成立することは必ずしもマクロで成立しない)が存在し、さらにそれは内生的かつ不可避であるという結論に達する。 個々の平均価格予想(平均価格は「個々(ミクロ)」が「全体(マクロ)」を予想することに相当)は、総需要と総供給が一致している場合以外は、予想の誤りを必然的に生み出す――。 つまり、個々が合理的な振る舞いをしても、(特殊な例外を除いて)予想の誤りが必然的に起こるため、理想的な価格に均衡しえない――。 こうして、マクロ経済においては、「神の見えざる手」は一般的な意味では存在しないことを、厳密な新古典派経済学の手続きによって否定的に論証してしまう。 「主流派経済学を理解して、主流派の理論を内部から、より厳密に追求していくうちに、その矛盾点を次々と見いだすようになり、次第に主流派経済学に疑問を感じるようになったのです。主流派の教えと矛盾した結果を導いたとき、最初は自身の理論化が誤っているのかと悩みました。3、4年におよぶ長い逡巡の末に、「矛盾こそが真実だ」と発想の転換をしたことを、今でもはっきりと覚えています」(国際基督教大学HPでのインタビュー) 「初めから異端を志したのではない」岩井氏ではあるが、「若さの気負いもあって」主流派経済学をひっくり返す仕事をしようと決める。それがエール大学のコウルズ研究所において7年の歳月をかけた『不均衡動学』の構築につながる。) ただそれは、論文の量産を宿命づけられた学者の出世プロセスにとっては、とてつもなく高いリスクを伴う選択でもあった。 とくにこの時期は、宇沢弘文の姿がよく脳裏に浮かんでいたのではないだろうか』、「主流派経済学を理解して、主流派の理論を内部から、より厳密に追求していくうちに、その矛盾点を次々と見いだすようになり、次第に主流派経済学に疑問を感じるようになったのです。主流派の教えと矛盾した結果を導いたとき、最初は自身の理論化が誤っているのかと悩みました。・・・「矛盾こそが真実だ」と発想の転換をした」、たいしたものだ。
・『「神の見えざる手は存在しない」という経済学の構築へ  「神の見えざる手」、専門的には新古典派経済学の「一般均衡理論」に代わる新たな市場観を理論化するにあたり、岩井氏は自身が考えてきた「予想の誤り」の考察が、クヌート・ヴィクセルの「不均衡累積過程理論」の再発見であることにある日気づく。 総需要と総供給が均衡していない(どちらかが多い不均衡な)場合、価格は均衡せずエレベーターのように(累積的に)推移していく――。 総需要と総供給は、新古典派のモデル(セーの法則、物々交換の原理)の前提においては均衡するのが常態であるが、貨幣経済の前提を入れると、たちまちそれは不安定になってしまうことはケインズも指摘している(貨幣需要の分だけ総需要が減るため)。 ということは、新古典派の一般均衡理論は現代の経済においては実際的でないか、あるいは非常に限られたケースでしか機能しないのではないか。そして、それでも市場価格が均衡して決まる、その要因は何なのか――。 そこに及んで、岩井氏は、ヴィクセルの「不均衡累積過程理論」とケインズの「有効需要原理」を接合することを思いつく。 テクニカルな説明は最小限にとどめるが、まずヴィクセルの累積過程論を現代的な数理経済的前提に基づいて修正し、ケインズが『一般理論』でヴィクセルの前提を理論的背景として踏襲していることを確認しつつ、新古典派の理論体系がケインズの“一般理論”の特殊ケース(不確実性がなく、流動性選好が十分に低く、総需要と総供給が等しい場合)なのだというケインズの真意を見いだす。 さらにケインズは、新古典派の依拠する処方箋(合理的な自由放任主義)がいかにヴィクセルの累積過程を伴う不安定をもたらすかを指摘しながらも、返す刀で、“悲惨“である不均衡累積過程は運命的必然などではなく止められるべきものだとヴィクセル派の経済学者らの運命論を牽制。 その安定のための市場の均衡化の処方箋は、「不合理的な振る舞い」「粘着性」「ノイズ」といった合理的でないもの「こそ」が担っているとケインズが示唆していることを岩井氏は明らかにする。 それらを数理的な基礎付けで統一的に理論化したことが岩井氏の画期的な功績だが、その実現にあたって、ミクロの不均衡な振る舞いがマクロ的な統計バランスの均衡をもたらしえること(岩井氏曰く“蚊柱理論”)、また予想される新古典派からの反論に即して、マクロ的な統計バランスを今度はミクロ的な不均衡として確率的に分解してみることで、長期においても新古典派経済学の均衡は実現しない(つまりギャップが永続する)可能性を示した。 とくに最後の功績は、ヴィクセルとケインズすら想定していない、岩井氏独自による新古典派批判の理論的決定打であり、のちにジョージ・アカロフから激賞されている。 ケインズ経済学と古典派経済学が経済学の双璧であるならば、ケインズ経済学をヴィクセル的な原理で数理的・ミクロ的に基礎付けた『不均衡動学』は、アダム・スミスの「神の手」の数理的・ミクロ的基礎付けである「一般均衡理論」と(少なく見積もっても)双璧をなす存在である。 歴史的・経緯的に一般均衡理論は多数の経済学者によって理論的に確立されてきたが、もう一方の不均衡動学に関しては、理論的先達はあるにせよ(「日の下に新きものなし」と岩井氏は言うかもしれないが)岩井氏1人が7年の歳月をかけて成し遂げたのである(1980年)』、「岩井氏独自による新古典派批判の理論的決定打であり、のちにジョージ・アカロフから激賞されている」、すごいことだ。
・『経済学界は「新古典派にあらずんば経済学者にあらず」  控えめに見て、経済学の世界の基礎の半分を作った岩井氏は、ただ、自身では「傲慢でした」と当時を振り返る。 「ナイーブにも独自の理論を構築し、その主流派である新古典派経済学の世界をひっくり返そうという野望を持っていました。この理論が世に出れば新古典派経済学はおしまいになると、意気込んでいたのです」(『経済学の宇宙』156ページ) 成し遂げたことの大きさを考えれば、それでも十分すぎるほどの謙虚さだと(とくにアメリカのモデラーたちと比べればなおさら)私には思えるが、それほどアメリカでは新古典派が主流派として盤石だったということでもあるだろう。 事実、アメリカではケインズ経済学は新古典派の“不況時のオプション”として扱われることが多く、ケインズとその直弟子たちの「新古典派こそがケインズ経済学の中の非常に特殊なケースでしかない」という世界観とは根本的に相いれないところがある。 そのような環境では、岩井氏の功績は感情を逆撫でするものだろうということも想像にかたくない。しかも数理的基礎においてその堪能さを自負する新古典派であるからこそ、その拠り所が数理的基礎によっておびやかされるという事態に、事実や真実を尊重する学術の世界の住人だとしても容易には耐えられないだろう。しかも相手はたった1人である。 「しばらくして、いくつかの専門誌に書評が載りましたが、その多くは敵意に満ちたものでした。」(『経済学の宇宙』158ページ))  さらに、時代が追い討ちをかける。大恐慌から第2次世界大戦を経て1960年代までは、自由の国アメリカであっても、その経済学の半分はケインズ経済学がその位置を占めていた(“ニューディーラー”つまりニューディール政策のブレーンたち)。 不況を救い好景気をもたらしたニューディール政策は、その成功ゆえに効果が徐々に飽和し始め、1970年代にはインフレに苦しむようになる。それを背景にして新古典派がケインズ批判の勢いを増し“主流派”を形成、1980年に「新自由主義」を掲げる共和党のロナルド・レーガンが大統領に当選するに及び、経済学界の趨勢として[主流派=新古典派=一般均衡理論]の勝利が決定的となる。 これを岩井氏は経済学の「反革命」なのだと論じる。 「19世紀は、『自由主義の世紀』と呼ばれるように、自由放任主義思想が支配した世紀でした。だが、20世紀に入るとその思想に翳りが見られ始め、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけとして世界大恐慌が始まります。そのさなかの1936年、ケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』を出版し、いわゆる「ケインズ革命」が起こりました。 当時、アメリカ政府が大恐慌からの脱出のために積極的に市場に介入するニューディール(新規まき直し)策をおこなったこともあ り、その後しばらく学問的にも政策的にも、不均衡動学的な立場が大きな影響力を持ったのです。だが、その勢いも一時的でした。経済学のそもそもの父祖はアダム・ スミスです。ケインズ政策の成功により資本主義が安定性を取り戻すと、1960年代にはフリードマンをリーダーとする新古典派経済学の反革命が始まりました。 そして、1970年代には学界の主導権を握ってしまいます。さらに、フリードマンらの思想に大きな影響を受けたアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権の下で、1980年代から、経済政策も自由放任主義の方向に大きく再転換していきました」(『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』85ページ) くしくも岩井が『不均衡動学』を完成させた年に、経済学界と政治の世界では新古典派がその地位を確固たるものにしたのである』、「ナイーブにも独自の理論を構築し、その主流派である新古典派経済学の世界をひっくり返そうという野望を持っていました。この理論が世に出れば新古典派経済学はおしまいになると、意気込んでいたのです」、「1960年代にはフリードマンをリーダーとする新古典派経済学の反革命が始まりました。 そして、1970年代には学界の主導権を握ってしまいます。さらに、フリードマンらの思想に大きな影響を受けたアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権の下で、1980年代から、経済政策も自由放任主義の方向に大きく再転換していきました」、潮流は「岩井」氏には逆風だったようだ。
・『唯一無二の理論家の「東京大学への帰還」  岩井氏はそれでもアメリカでの活動を考えていたというが、逆風の中で学者としての成功を望むのであれば、いま以上の政治的経営的な交渉力が必要になる。 「経済学の主流派に対抗する理論を主張してアメリカに居残るためには、多少大げさな言い方になりますが、学派を作らなければならない。学派を作るとは、中小企業のオーナーになるのと同じようなことです」(『経済学の宇宙』158ページ) 自身には不可能だ、そう考えていたところに、東京大学経済学部からの招聘状が届く。学部長の宇沢弘文からの招聘だった。日本に帰る潮時だと悟った岩井氏は帰国の決心をする。 帰国前に、理解者であったジェームズ・トービンはこう声を掛けている。 「カツ、おまえの仕事は、時代を20年先駆けている」(『経済学の宇宙』159ページ) おそらくトービンは新古典派全盛の時代が来ることを認めつつ、20年も経てば反革命が収まり、再びケインズ経済学が再評価され、その暁には『不均衡動学』はその中心として再評価されると考えていたのだろう。 しかし、トービンの見通しは甘かったのかもしれない。2000年前後のアジア金融危機とITバブル、2008年のリーマンショック、2010年の世界金融危機を経てもなお、ケインズ経済学が主流派に復帰することはなかった。 『不均衡動学』という“ケインズ経済学の図鑑”を作り終えた岩井氏は1981年に東京大学に職を得た。そして、その後の研究として、資本主義論と貨幣論をそのスコープに入れる。岩井氏の研究の特徴でもあるが、純粋理論としての追究を始める。 ケインズと同年に生まれ、早熟の天才として知られるヨーゼフ・シュンペーターが28歳のときに発表した主著『経済発展の理論』の驚異的な洞察力の秘密を探りたいと考えた。 「『経済発展の理論』は、驚くべき本です。資本主義的な経済発展について最も深い洞察を与えてくれるこの理論書が、二十八歳の青年によって書かれたということがまず驚きです。それ以上に驚くのは、この本が出版された一九一二年という年は、地球の上はまだごく一部しか資本主義化しておらず、(中略)しかもその(最も現代的な資本主義の形態の)本質をあますことなくとらえている」(『経済学の宇宙』167ページ) 資本が合理的かつ最適に投下されると、新古典派の均衡理論においては利潤は長期的にはなくなってしまう。しかし、企業はすべて利潤を生み出せないという事実はない。マルクスはその理由を資本家の労働者からの搾取に見いだしたが(その差分が利潤になっているという主張)、シュンペーターはそれを理論的に否定した。 シュンペーターは「イノベーション」(革新)をその理由に挙げたが、岩井氏はこの理論を動学モデルとして理解し再構築する。そして、岩井氏の「シュンペーター経済動学」のイノベーションの解釈は、絶えず生み出される「差異」にこそその本質があると結論づける。 動学的に差異を生み出し、差異によって動学的に利潤が永続する。差異が生み出され続けることによって、悲惨な長期的利潤ゼロの状況に陥ることから免れている。つまり、資本主義の本質は差異の絶え間ない生産とその動学的な作用である、と。 その自身の資本主義論を説明するために、岩井氏はシェイクスピアの『ヴェニスの商人』が一例として題材に使えそうだと考えた。しかし、その直感は、意外な形で裏切られることになる』、「資本主義の本質は差異の絶え間ない生産とその動学的な作用である」、との「岩井」氏の仮説は説得力がある。
・『『ヴェニスの商人の資本論』  『ヴェニスの商人』が岩井氏の資本主義論の一例として使えるのは当然であった。イノベーションがもたらす差異を、遠隔地貿易の動機となる価格差(異なるコミュニティー=市場での価値形態の違い)に置き換えれば、理論的には同型であるのだから、成り立つのは必然だ。とくに理論家であれば、それに気づくのはたやすいことだろう。 しかし、岩井氏が理論家として非凡なところは、その理論的な同型性を見いだすに及び『ヴェニスの商人』の作品自体がすでに岩井氏がシュンペーターから読み取った資本主義論を解いてしまっている、と確信したところにある。 「そのテクストの中に、『資本主義論』がすでに埋め込まれている。さらに読み進むと『貨幣論』も埋め込まれている」(『経済学の宇宙』212ページ) 自身は単にそれを掘り起こしているだけだ、そのような感覚にとらわれ続けたという。このエピソードは、最近ではトマ・ピケティの『ゴリオ爺さん』にも通じるところだろう。 資本主義、貨幣の最も本質的なところが、歴史的な名著の物語が象徴するものとして解説されるという、世にも不思議な経済学的著作『ヴェニスの商人の資本論』(1985年)がこうして誕生する。そしてこれは、岩井氏の日本語での初めての出版でもあった。) 蛇足だが、私自身はこの本を何かのきっかけで読んだことで、最終的に経済学部に進学することを決めた。以降、数ある経済学書を読み、経済学アカデミアをウォッチしてきたが、当時から今も変わらない感想を持っている。 それは、経済学とは学力偏差値でものすることができるような生易しい学術ではなく、それにも増してセンスが重要だ、という当たりまえの事実を前にしてのしみじみとした感心である』、XXX。
・『『貨幣論』に取り組む  そして、満を持して、岩井氏は貨幣論に取り組む。 問題意識としては、『不均衡動学』を執筆した際に、ケインズが強調していた貨幣経済がもたらす不安定性を、半ば所与として考察し理論構築をしたが、自身としてもきちんと腑に落ちる形で考えたい、というところにあった。 資本論、貨幣論はともに、新古典派経済学、ケインズ経済学、マルクス経済学の別なくその根幹に存在するものである。資本主義論同様、その経済の根幹部を、岩井氏らしく純粋理論として論考を重ねていく。 岩井氏は、古今東西の貨幣論を読み漁る。「貨幣は商品である」(商品貨幣論)。「貨幣は法が定める」(貨幣法制説)。「貨幣は負債の記録である」(貨幣名目説)。しかし、そのどれもが腑に落ちない。 もちろん、経済学の教科書には貨幣の定義は載っている。岩井氏の疑問は「なぜ貨幣は貨幣として機能するのか」というところにあった。それが理解できれば、ケインズの考える不確実性がわかり、不均衡動学に残されていた大きなピースを埋められると考えた。 先行する貨幣論を一つひとつ、理論的矛盾や反証の事実を基に論駁(ろんばく)していく、その長い紆余曲折と試行錯誤を経て、岩井氏は「貨幣は貨幣として受け入れられるから貨幣として機能する」という結論に至る。 「だれに聞いても、『ほかの人が500円の価値がある貨幣として受け取ってくれるから、私も500円の価値がある貨幣として受け取るのです』と答えるだけなのです。だれもが、『ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです』と答えるのです。<中略>思い切って縮めてしまうと、以下になります。『貨幣とは貨幣であるから貨幣である。』 これは、『自己循環論法』です。木で鼻をくくったような言い回しで申し訳ないのですが、別に奇をてらっているわけではありません。真理を述べているのです。貨幣の価値には、人間の欲望のような実体的な根拠は存在しません。それはまさにこの 「自己循環論法」によってその価値が支えられているのです。そして、この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です。」(『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』47ページ) 岩井氏はこれを「貨幣の進化」の論文としてまとめ、それを下敷きにマルクスの「価値形態論」を読み解く作業を開始。1991年に『批評空間』という雑誌の連載として始まり、1993年に書籍『貨幣論』として刊行される。 マルクスの「価値形態論」は、それに則って純粋に徹底していくと、マルクス経済学がその基礎として依拠する「労働価値説」を破壊してしまう。つまり自己矛盾を起こしてしまうということを指摘しつつ、「貨幣の自己循環論法」によってそれが引き起こされることをマルクスのテクスト自体がいわば無意識に予見していた、と指摘する。 そのようにマルクスが無意識にも自身の体系を崩壊させるプロセスを理論的に精緻にたどり、その崩壊過程が「貨幣の自己循環論法」によってもたらされることを明快に論証することによって、いわば“背理法”的に貨幣の自己循環論的機能を証明したのである。 自己循環論は、岩井氏の最初の論文の重要アイデア(静態的序数効用つまり「入れ子構造」)にも通じるところがある。また、カリフォルニア大学バークレー校時代に読んだ、「クルト・ゲーデルの不完全性定理」にも通じるものだ。ガモフの無限大の概念と併せて、岩井氏の論証の特徴的な武器となる。 このような貨幣の性質から、貨幣の本来的な不安定性を示し、貨幣が受け入れられなくなったカタストロフとしての超インフレこそが資本主義の真の危機だと結論づける。それは、「恐慌」こそが資本主義の危機であるという古典派やマルクス経済学の結論を転換するものであった。 そしてこの『貨幣論』が、最も知られる岩井氏の仕事となる。また、「日の下に新きものなし」ということなのだろうか、仮想通貨に関しての理論的考察もこの頃にすでに先行的になされている』、「貨幣に関する」「自己循環論法」は余りにも有名だ。
・『会社統治論としての『会社は誰のものか』  ケインズ経済学に加えて経済学全体の基礎的部分の“図鑑”を編纂し終えた岩井氏は、いくつかの偶然から、「会社」に注目することになる。理論の世界の住人であった岩井氏らしからぬ世俗感ではあるが、その論考には氏の理論家らしいまなざしが随所に見られ、そのことにより非常にユニークな法人論につながっている。 経済学的、資本論的に言えば、会社は資本家の所有物である。実際的にはどうかという見方はあるにしろ、とくに欧米では建前的にも実際的にも基本的にはその原則が強く意識されている。 しかし、日本ではとくに顕著だが、会社が資本家の所有物とは思えない現象が頻繁に見られる。そのギャップはいったいどこから来ているのだろうか――。 資本の持ち合い構造という一般的な見方に加え、岩井氏は契約法の大原則「自己契約の不可能性」から、自己を所有するという「入れ子」を発見する。「契約」は自分と相手を縛るものである。資本家と経営者、経営者と労働者の関係性には基本的に契約が存在する。 しかし、資本の持ち合いにより資本家の軛(くびき)から逃れた経営者は、もちろんそれでも法人と経営者の契約関係がある。しかしこの場合、法人と経営者はほぼ同一となってしまう。労働組合があれば、労働者との契約関係が自らを縛るものになるが、労働組合を無力化できたとすれば、法人と経営者は実際的に等しい状態となる。 そのときに、法人と経営者の(義務を伴う)契約関係は可能であるかどうか。それは「自己契約」となり、経営者はいつでも法人として自らの契約を変更することができるがゆえに、もはや契約の意味を持たなくなる――。 当時の世情では、M&Aが盛んになっており、会社は経営者のものでなく株主のものだ、いや、会社は社員こそのものである、という議論が延々と繰り広げられている状況であったが、岩井氏の論考はその不毛な繰り返しを止めるに十分なインパクトを持った。 また、余談だが、ピケティが『21世紀の資本』で明快な答えを出せずにいた、資本家の富の増加以上の経営者の報酬の飛躍的な上昇も、岩井氏はすでにこの時点で、エージェンシー問題と絡めることで理論的にほぼ説明をし終えている。 そしてさらに自らの議論を延長したうえで、契約の不可能性が原理的に避けられないがゆえに、「契約」に代わる会社統治に必要なものとして「信任」の必要性をあぶり出す。それが、氏の『信任論』につながっていく。その法体系的な可能性を哲学者のイマヌエル・カントのテクストから示そうとする試みは今も現在進行形で続いている』、『信任論』の今後の発展が楽しみだ。
・『経済学から法学、そして社会科学へ  「経済学史」の授業を受け持つことをきっかけに、岩井氏は資本主義や貨幣経済の淵源を見つめ直すことになる。経済学はアダム・スミスを祖とすれば300年の歴史となるが、氏の理論家としての視点から、古今東西からその雛形(理念型)を探す作業に取りかかる。 『ヴェニスの商人の資本論』の拡張版ともいえるアプローチだが、どこかジョン・ヒックスの『経済史の理論』を思わせる、卓越した理論家でなければ発想することも難しい仕事だろう。 紆余曲折を経て、岩井氏はアリストテレス時代のポリスに注目する。アリストテレスの論考から、コミュニティーの存続と破壊の両面を持つ貨幣という存在をすでに明確に自覚していることを見いだし、最新の書籍『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』の中でも一部を披歴している。 また、重商主義時代のジョン・ローに、ケインズに先駆けての自己循環論法的な貨幣論を見いだし、現代の管理通貨制度や中央銀行制度の原型を確認している。 現在の岩井氏は、これまでの貨幣の考察を踏まえ、「法」に加え、「言語」にもその思考を広げている。「言語」も、媒介的、自己循環的な性質を持っており、また、この3つが「価値」「権利」「意味」という、社会科学を考察する際のエレメントでありうると岩井氏は直感しているのだろう。 これは2010年からリベラルアーツが中心のICU(国際基督教大学)に拠点を移したことと無関係ではないだろう。まだまだ時間がかかる、そのように笑顔で話す岩井氏の「社会科学の図鑑」の完成が待たれるところである』、「社会科学の図鑑」の完成が楽しみだ。

第三に、11月9日付けダイヤモンド・オンライン「GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由、狙いは「ビジネスの最強武器」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/253537
・『『週刊ダイヤモンド』11月14日号の第一特集は「最強の武器『経済学』」です。2020年ノーベル経済学賞を受賞したゲーム理論、それに行動経済学を中心として経済学の知見の応用が広がっています。企業の戦略決定、マーケティングなどビジネスの現場でも本格活用が始まりました。ビジネスパーソンは今こそ、この最強ツールを手に入れるべきです。基礎の基礎から応用実践編まで完全マスターするための特集です』、興味深そうだ。
・『世界中のオンライン広告は全てゲーム理論に支えられている  言わずと知れた世界の巨大テック企業、米GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム)。実はその強大なパワーの裏で、経済学が力を発揮していることをご存じだろうか。 何しろ、日本ではそうした動きは限られているのが現状だが、米国では経済学者がテック企業などに所属し、ビジネスに関わるのは決して珍しいことではない。 例えばアマゾンでは、グローバルで約200人に及ぶ経済学の博士号取得者がいるとされる。そして、「重要な意思決定を行うときには、ほぼ必ずといっていいほど経済学者の知見を生かしていた」と、最近まで同社に勤務していた元社員は驚きと共に振り返る。 このほどダイヤモンド編集部の単独インタビューに応じた、米カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院のスティーブン・タデリス教授もその一人だ。 タデリス氏は2011〜13年、世界最大のオークション(競売)サイトを運営する米イーベイでエコノミストを務めた後、16〜17年にはアマゾンでVP(ヴァイスプレジデント)の職に就いていた。 同氏は「米国のテック企業の間では、経験豊富な一流経済学者の引き抜き合戦が起きている。企業は学者が教授職の報酬として大学から受け取る金額の約2〜5倍、時には10倍にも上る報酬を示して引き入れるケースが見られる」と、その激しい競争の実態を明かす。 企業側のニーズを引っ張るのが、現代経済学の2本柱、ゲーム理論と行動経済学。両分野が経済学を主導する様は、この四半世紀のノーベル経済学賞の実績を見れば一目瞭然だ(下表参照)。 今年もゲーム理論の応用分野、「オークション理論」を研究する米スタンフォード大学のロバート・ウィルソン名誉教授(下写真)らに贈られたように、二大分野の研究に受賞が集中しているのが分かる』、「アマゾンでは、グローバルで約200人に及ぶ経済学の博士号取得者がいる」、「重要な意思決定を行うときには、ほぼ必ずといっていいほど経済学者の知見を生かしていた」、ここまで進んでいるとは脱帽だ。
・『フェイスブックはオークション理論 グーグルはマッチング理論を活用する  ではなぜ、テック系を中心とした世界のトップ企業の間で今、必死に経済学者を囲い込もうとする動きが広がっているのだろうか。 背景の一つに挙げられるのが、テクノロジー企業の急速な台頭だ。例えば前出のタデリス氏は「世界中のあらゆるオンライン広告は、まさに『オークション理論』に支えられている」と指摘する。 実際、フェイスブックではビジネスの主戦場であるオンライン広告において、オークション理論を大いに活用しているのだ。また、実はグーグルの検索連動型広告もその仕組みの大本にはオークション理論が根付いている。 さらに、グーグルでは、ゲーム理論のもう一つの代表的な応用分野、「マッチング理論」の仕組みを取り入れ、多士済々のテック人材の配置にも生かすなど、その活用の裾野は極めて広い。 そもそもゲーム理論とは、合理的なプレーヤーたちの間で繰り広げられる読み合い、せめぎ合いを分析するもの。そこで分析される状況は、企業の戦略を中心に幅広く応用されている。 一方の行動経済学は、人間の非合理的な面に着目し、リアルな意思決定の在り方を掘り下げるものだ。ゲーム理論も行動経済学も、実験によってデータを集め、検証が繰り返されることで知見を深めてきた。そして、両者にまたがるような実験経済学のアプローチは進化を続け、計量経済学のデータ分析手法と共に実社会へと活用の場を広げていった。 これら経済学の発展と併せ、現実のビジネス界で生じた見逃せない変化として、AI(人工知能)や機械学習、ビッグデータなどを活用する必要性が高まってきたことがある。一連の新たな技術をうまく活用するため、経済学上の重要なキーワードとなるのが、集めたデータの因果関係を推測する「統計的因果推論」だ。 因果推論は、大量のデータを分析してビジネスに生かす際、重要となる基本的な考え方だ。だが機械学習の場合、膨大なデータの間にある相関を見ることはできるものの、あるテック企業で活躍する工学部出身者は、「工学系の人は意外と因果関係を見落としがちなところがある」と話す。 そして、この因果推論法が歴史的に最も洗練され、確立している学問こそが経済学。そんな背景もあって、経済学者には続々とテック企業からの引き合いが増えている実態があるのだ』、「因果推論法が歴史的に最も洗練され、確立している学問こそが経済学。そんな背景もあって、経済学者には続々とテック企業からの引き合いが増えている実態があるのだ」、日本ではなく、米国での話だろう。
・『テック企業が経済学博士を青田買い社会人未経験でも年収1500万円も  テック企業が繰り広げる優秀人材の争奪戦は、今や若手にまで及ぶ。一昔前までは、エリート層に人気の花形の就職先といえば、米ゴールドマン・サックスをはじめとする投資銀行がその筆頭だった。 だが、約2年前まで同社のニューヨーク本社に勤めていたある元外資系金融マンは、経済学博士号を保有する30歳前後の若手〜中堅の人材が、日本円にして3000万円ほどの高額年俸を提示され、アップルやアマゾンに引き抜かれた例を幾つも目撃したと証言する。 そして最近では、社会人経験のない学生に対しても、経済学博士号の取得者であれば、テック企業がおよそ1500万円にも及ぶ好待遇をちらつかせるなど、過剰とも思える青田買いの動きが広がっているのだという。 そんな米国と比べ、日本では企業の意思決定などに経済学を生かそうとする取り組みで大きく後れを取っているのが現状だ。ただし足元では、アカデミックな知見とビジネスの間を結び付けようとする動きが、一部で活発化している。 その代表格が東京大学だ。今年8月に1億5000万円を出資して株式会社「東京大学エコノミックコンサルティング」を設立。企業が持つデータを分析し、価格設定の在り方などの助言に動きだしている。  また国内の企業においても、ZOZOやメルカリ、サイバーエージェントといったテック企業は経済学の活用にいち早く目を付け、テックとの融合の試みを加速させている。 経済学の活用でビジネスに勝つ! 仕事の最強ツールを手に入れよう(『リンク先参照)』、「東京大学エコノミックコンサルティング」などの動きは興味深い。日本でも「経済学」が実務にもっと取り入れられるようになってほしいものだ。
タグ:(その3)(世界はすでに 各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている、コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び、GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由 狙いは「ビジネスの最強武器」) リーマン・ショックとコロナ禍で、世界は「危険な場所」になった グローバル化は自然現象などではなく、グローバル覇権国家が自由主義的な経済秩序を構築することを志向した結果なのだ 「世界はすでに、各国が「利己的」にならざるを得ない危険な状況に陥っている」 「ガキっぽい情熱」を克服できない経済学 日本は世界の“食い物”にされる!? 「リベラルな国際秩序」には、地政学的な下部構造がある 日本の経済成長の低迷し始めた時期と、冷戦終結のタイミングが一致しているのは偶然ではない 中野剛志 東京大学エコノミックコンサルティング テック企業が経済学博士を青田買い社会人未経験でも年収1500万円も 因果推論法が歴史的に最も洗練され、確立している学問こそが経済学。そんな背景もあって、経済学者には続々とテック企業からの引き合いが増えている実態があるのだ 経済学 フェイスブックはオークション理論 グーグルはマッチング理論を活用する 重要な意思決定を行うときには、ほぼ必ずといっていいほど経済学者の知見を生かしていた アマゾンでは、グローバルで約200人に及ぶ経済学の博士号取得者がいる 世界中のオンライン広告は全てゲーム理論に支えられている 「GAFAが経済学者を高額報酬で囲い込む理由、狙いは「ビジネスの最強武器」」 経済学から法学、そして社会科学へ 会社統治論としての『会社は誰のものか』 日本の高度経済成長は冷戦構造という下部構造の上に実現し、日本の経済停滞は冷戦終結という下部構造と関係があるというふうに見ておかなければならない 自己循環論法 『貨幣論』に取り組む 『ヴェニスの商人の資本論』 唯一無二の理論家の「東京大学への帰還」 経済学界は「新古典派にあらずんば経済学者にあらず」 「神の見えざる手は存在しない」という経済学の構築へ 新古典派が称賛する博士論文、そして宇沢弘文の背中 経済成長理論の分野での将来を嘱望していたソローからの提案を、大胆にも断ってしまう 「新古典派」の理論構築を嘱望された希代の逸材 サイエンス好き、SF文学好きから経済学の道へ 「日の下に新しきものなし」 「コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性 岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び」 ダイヤモンド・オンライン 佐々木 一寿 東洋経済オンライン 「不確実性」を排除することなしに、現在の主流派経済学は成立しなかったと言ってもいいでしょう。その結果、主流派経済学は、「現実世界」とはかけ離れた精緻な理論体系をつくり上げるに至った 経済学は「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」? 経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている
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