メディア(その25)(朝日新聞「創業来の大赤字」のとてつもない難題 構造改革を難しくさせている3つの要因、ユーザー爆増の「note」「cakes」炎上 他人事ではないメディアへの教訓、共産党の伝説・野坂参三を倒した お金に全く興味がない2人の記者) [メディア]
メディアについては、昨年11月2日に取上げた。今日は、(その25)(朝日新聞「創業来の大赤字」のとてつもない難題 構造改革を難しくさせている3つの要因、ユーザー爆増の「note」「cakes」炎上 他人事ではないメディアへの教訓、共産党の伝説・野坂参三を倒した お金に全く興味がない2人の記者)である。
先ずは、11月28日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家・百年コンサルティング代表の鈴木 貴博氏による「朝日新聞「創業来の大赤字」のとてつもない難題 構造改革を難しくさせている3つの要因」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/391952
・『1月25日にFACTA ONLINEが『朝日新聞が「創業以来の大赤字」/渡辺社長が来春退任/「後継は中村副社長と示唆」』との記事を配信したことが、新聞、テレビ、出版などのいわゆるメディア業界をざわつかせ、ツイッターにもトレンド入りしました。 FACTAによれば、朝日新聞社の渡辺雅隆社長が労使交渉の場で伝えた情報だということなのですが、公表データではありません』、興味深そうだ。
・『「170億円の赤字」が具体的に何を示すかは不明だが 記事中には、「2020年度決算が創業以来の約170億円の大赤字に陥る見通しになった」とあるのですが、そもそも赤字が営業赤字なのか一時的な特別損失なのかそれとも新型コロナにともなう関連会社の企業価値減少を反映した包括利益の損失なのかもはっきりしません。ですからこの報道だけでそれがどれくらい朝日新聞社の経営にとって厳しいことなのかはわからないことがまだ多い状況です。 ただ、その大赤字の詳細は今後の報道を待つとしても、経営コンサルタントの視点で眺めると朝日新聞社には構造的に経営改革が進みにくい理由があります。実際、私も若い頃は経営改革のコンサルで似たような構造の企業改革で四苦八苦した経験があります。 今回の記事ではなぜ朝日新聞社の構造が難しいのか?そして改革をするとすればどのような方向があるのか?それぞれの要点を解説したいと思います。 朝日新聞社にはその経営改革を難しくさせる3つの構造が存在します。それは、 1. 業界の中で死の谷のポジションにいること 2. 不動産業という副業で莫大な利益があがっていること 3. 民間企業でありながら「社会の公器である」ということ です。それぞれを解説しましょう。 まず「死の谷」というのは古典的で普遍的な経営戦略のコンセプトです。同じ業界で競争をする大企業同士を比較すると圧倒的なトップが儲かり、それに続く2番手、3番手の企業は収益が上がりにくい。たとえば自動車ではトヨタ自動車と比較して日産自動車、ホンダが、コンビニではセブン-イレブン(セブン&アイ・ホールディングス)と比較してファミリーマート、ローソンが死の谷のポジションにいます。 この死の谷のポジションの企業は、業界が好調のときは利益が上がるのですが、不況になるとまっさきに業績が悪くなります。そして業界が縮小して事業から撤退するのも死の谷の企業から始まります。東芝が家電事業を中国企業に売却したのもその理屈です。 興味深いことに業界のさらに下位の企業の中には好業績を上げる企業があります。トップと同じことをやっていたら勝てないことが自明なので差異化を試みて成功するのです。 新聞業界では2020年上半期時点で771万部(ABC部数、以下同じ)と部数トップの読売新聞が持ちこたえている一方で、516万部と2番手の朝日新聞が大赤字に転落したというのが今回の話です。ちなみに全国紙では3番手が225万部の毎日新聞、4番手が213万部の日本経済新聞、5番手が133万部の産経新聞ということになります(直近で3番手と4番手が僅差で入れ替わったというニュースもありますがここではこの順位のままでお話しします)』、「死の谷のポジション」とは言い得て妙だ。
・『毎日、産経はすでに縮小経営を進めている 読売新聞も10年前まではだいたい1000万部の部数近辺で安定推移していたのが、2014年頃から急落を始めました。この上半期が771万部というと「かなり減ってきたな」というのが正直な印象です。ここ数年は新聞業界全体では毎年200万部ペースで発行部数が減少しています。 こういう長期凋落傾向の経営環境になってしまうと、業界トップの読売と同じやり方で対抗しようとする2番手の朝日の業績が大きく沈んでしまうのは、経営戦略のセオリー通りの現象だといえるのです。同様に毎日や産経も苦しく、希望退職を募るなど縮小経営を進めてきています。 一方、4番手の日経新聞は経済情報にフォーカスすることで逆に存在感を増しています。昨年度の日本経済新聞社の連結売上高は3568億円で、朝日新聞社が3536億円ですから、発行部数では半分以下でも経営手法で抜き去っている。この「下位企業は差異化によって死の谷から抜け出すことができる」というセオリーを具現化しているのが日経新聞社ということです。 いずれにしても朝日新聞社は「死の谷」のポジションにいる2番手企業だというのが構造的に朝日新聞社の経営改革を難しくしている1番目の条件です。) 次に2番目の理由をみたいと思います。朝日新聞社が公表している財務データを見ると、朝日新聞社という企業は新聞社でありながら、不動産事業で安定した利益を上げていることがわかります。 具体的に2020年3月期の決算データでは連結従業員数6174人が関わるメディア・コンテンツ事業(新聞はこの中に含まれます)の売上は3345億円、セグメント利益は19億円となっています。 一方で不動産事業は売上高385億円、セグメント利益は68億円です。コロナでオフィス需要が今後どうなるのか不安な昨今ではありますが、一般論でいえば朝日新聞社が行っているオフィスビルの賃貸事業は長期安定ビジネスです。構造的にはメディア・コンテンツ事業の長期凋落に対して、不動産事業の安定利益が下支えしていることになります。 そしてこれは経営学的には暴論なのですが、社内論理的には「メディア事業が68億円の赤字になるまではうちの会社の経営は耐えられる」という誤った認識が広まりやすい。この点で、不動産事業で莫大な安定収入が見込めるという構造は朝日新聞社の改革を進めにくくするのです』、「不動産事業」の「セグメント利益は68億円」もあると、経営陣や一般社員の気が緩みがちになる。
・『民間企業でありながら社会の公器である難しさ さて3番目の理由が「新聞社は民間企業でありながら社会の公器である」という認識です。業界が縮小して経営者は大きな危機感を持つ環境下でも、社員である「記者」は「そんなことはジャーナリストとしての矜持の前にはたいした問題ではない」という意識を持ちがちです。 これはかつて日本航空の改革が進まなかったことと同じです。企業である前に安全運航を手掛ける公器であるがゆえに、経営環境が悪くなり赤字が嵩んだとしても現場はコストカットに協力する気を起こしにくいものです。本当はそうではないのですが、経営がコストカットというと「じゃあ安全をないがしろにするのか?」という反論が起き、結局「これまでとやり方を変えないことがいちばんいいのだ」という話に議論が落ち着きがちです。 このように3つの構造要因、つまり死の谷にあって業界が沈むと真っ先に業績が悪化する構造下で、不動産事業という安定した収益補填源があり、かつ公器であるがゆえに記者たち社員の協力が得にくいという構造によって、朝日新聞社はどうしても経営改革が進みにくい、言い換えると沈みやすい企業なのです。 そこで冒頭の話に戻ります。朝日新聞社が170億円の創業以来の大赤字となり、渡辺雅隆社長が来春で責任をとって退任すると労使交渉の場で伝えたというニュースです。公的な発表ではないのでその詳細は明らかではありませんが、それでも毎年200万部ペースで業界全体の需要が減少している新聞業界ですから、早晩朝日新聞社が日本航空のような大改革を必要とするタイミングがくることは避けられないでしょう。 しかし渡辺社長の代ではそれができなかった。自分が引責辞任する前に労組との会合でこのことを伝えたということは、深読みすれば次の社長は労使関係に踏み込んで改革せざるをえないことを事前通告したとも読み取れます。 では朝日新聞社にはどのような改革の道があるのでしょうか。細部はともかく大きな方向性としては茨の道がありえます。記者をはじめ現場の社員がのめるかどうか難しい問題ではありますが、朝日新聞に生き残る道がないわけではありません』、どうすればいいのだろう。。
・『高い給与水準を見直せばコストは下がるが ひとつは給与カットによるリストラです。朝日新聞社は上場していませんが、有価証券報告書の提出企業で、上場企業と同じく従業員の給与水準を公開しています。それによれば朝日単体では従業員3966人の45.4歳の平均給与が1229万円(2020年3月31日現在)と、一般企業よりもかなり待遇がいいことがわかります。 細かくは申し上げませんが、これは朝日新聞だけでなく大手新聞社や大手テレビ局の社員の平均的な給与水準です。そもそもメディア業界が潤っていた当時からの業界標準だったのですが、新聞は販売部数の減少に加えて、テレビと同じく広告収入にも長期凋落傾向がはっきりしていて、いつまでもこの高給待遇の構造が維持できないことは自明です。 新聞業界においてはすでに地方紙と毎日、産経のような下位企業でこの従業員給与の見直しが進んでいます。毎日、産経ともに最近はデータを公表していませんが、5年前ぐらいの最後の公表数値では両社とも平均的な40代社員の年収は800万円前後。もともと朝日新聞の3分の2ぐらいの給与水準で、さらに下がっていると推測されます。 子会社の給与水準がわからないので、あくまで単体ベースについて単純計算ですが、朝日新聞において本社の従業員の年収が1200万円から800万円に、つまり平均で400万円下がれば会社のコストがそれだけで150億~160億円ぐらい下がります。 よく「朝日新聞の従業員の給与がトヨタ並みになれば朝日新聞社は圧倒的な黒字企業になる」と揶揄されます。財務的に言えばまさにそのとおりなのですが、それを成し遂げるには大きな痛みが伴うため、一筋縄ではいかない難しさがこの先の同社を苦しめることになるでしょう。それは同じく沈んでいる毎日、産経などのほか、ブロック紙、地方紙、専門紙などを含めた新聞業界全体の大きな課題がいよいよ顕在化していることを示しています』、「朝日新聞」は痩せても、枯れてもやはりリベラルの旗手なので、出来ることは限られるだろう。
次に、12月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「ユーザー爆増の「note」「cakes」炎上、他人事ではないメディアへの教訓」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/257605
:国内月間アクティブユーザー数が6300万を超えたとも言われ、国内でもっとも人気のあるWebサービスのひとつとしての地位を確立しつつあるnote。しかし、運営元ではここ数カ月間、「炎上騒ぎ」が続いている。一体何があったのか』、興味深そうだ。
・『今年に入って急伸、文藝春秋とも資本提携 ツイッターやフェイスブックで話題となっている記事をクリックすると、左上にエメラルドグリーンの四角いアイコンとアルファベット4文字「note」が表示される、という経験をしたことがある人は多いはずだ。 noteは、ここ数年急成長したWebサービスのひとつで、ブログのように誰でも情報発信ができる。2020年6月には国内の月間アクディブユーザー(月に1回以上アクセスしたユーザー数の合計でMAUともいう)が6300万を突破したことを発表した(会員登録者数は260万人)。2019年9月時点のMAUは2000万で、数カ月で急激に増加した理由について、運営するnote株式会社(以下、note社)はコロナ禍において専門性や知識に基づいた、医療やビジネス記事が多く拡散されたことなどを挙げている。 ツイッターのMAUが4500万、インスタグラムが3300万(どちらも国内)なので、ユーザー数だけを見れば、noteが後発のWebサービスとしていかに善戦しているかがわかる。 note社の設立は2011年。ダイヤモンド社の書籍編集者として「もしドラ」こと 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著)などのヒット作を手がけていた加藤貞顕氏が立ち上げた。設立時の名称は「株式会社ピースオブケイク」で、2014年にメディアプラットフォームとしてスタートした「note」の拡大を受け、2020年4月に「note株式会社」に社名変更している。 2019年8月にはテレビ東京ホールディングスと資本業務提携、そして2020年12月10日には、文藝春秋が同社に出資し、資本業務提携したことを発表した。 noteは文章、画像、音声、動画を誰でも投稿でき、さらに有料販売できることがクリエイターの利用者が多い理由と言われている。さらに、法人が「公式ブログ」として利用しているケースが多く(同社発表では1600件)、それが「信頼性のあるプラットフォーム」の印象に一役買っている。 利便性と信頼性の両面でユーザーを獲得してきており、メディア・IT業界における成功例として注目株だったことは間違いない』、「note」「cakes」とも、ちょっと見ただけでは、それほど魅力があるとも思えないが・・・。しかし、「MAU」の多さ、一流のマスコミが出資・提携していることなどから、将来性はあるのかも知れない。
・『ユーザーに「特定」の恐怖を与えたIPアドレス漏洩問題 しかし、そのnoteの評判がここ数カ月で傾きつつある。 始まりは2020年8月。ユーザーのIPアドレスが第三者から確認可能な状態になっていることが明らかになり、「IPアドレス漏洩問題」と騒がれた。 IPアドレスの一致は、「同じ場所から書き込まれた」ことを意味するため、匿名掲示板に書き込まれたコメントのIPアドレスと有名人のnoteのIPアドレスを照合する人たちまで現れた。 noteで数万人のフォロワーがいる筆者の知人はこの時期にフォロワー数が100人ほど減ったといい、「漏洩で怖くなってアカウントを消したユーザーがそれなりにいたのではないか」と話していた。 ネット上では素性を隠して発信をする人も多い。著名人が匿名で書き込みを行うこともある。匿名のいちユーザーのつもりで交流を楽しんでいたのに、急に「特定」される可能性が持ち上がった。この恐怖は十分理解できる』、「IPアドレス漏洩問題」、とは深刻だ。
・『人気の写真家による人生相談 DV被害を「ウソ」と決めつけて炎上 また、10月後半からはnote社が運営する「cakes」での「炎上」が相次いだ。cakesは、コラムニストや漫画家らが連載を持つ有料のコンテンツ配信サイトだ。 最初に炎上したのは、写真家・幡野広志氏が連載していた人生相談「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう」。夫との関係を相談した女性に対し、「大袈裟もウソも信用を失うから結果として損するよ」というタイトルをつけて、「あなたの話はどこまで真実でどこまでウソなのか、どれくらい大袈裟にいってるのか、ぼくにはわからないの。細かいことはわからないけど、でもあなたが大袈裟に言ってることだけははっきりわかるの」などと言い立てる内容だった。 読者からは、DVやモラハラにあたるような内容を伝えている相談者に対して酷な回答であると批判が殺到。ウソだと思うなら取り上げなければいい、などの意見が上がった。また、批判が上がり始めた段階で、編集部が無料公開部分を大幅に減らし、「隠蔽しようとしている」という印象を与えたこと(*)や、編集部がツイッターの告知で女性の文章を「違和感のある相談文」と紹介していたことも火に油を注いだ(*後日のインタビューで、無料箇所の変更は他記事でも行っており、「特別な意図はございません」と釈明)。 この後、幡野氏と編集部はそれぞれ謝罪。幡野氏は相談者の女性と直接連絡を取って謝罪したことを明らかにしている。 個人的には、モラハラなどで追い詰められた人に適切な相談相手がおらず、適切ではない相手に相談した結果、二次被害に遭うケースに見えて心が痛かった』、「相談」ではトラブルと紙一重だ。
・『優秀作を受賞したホームレス「観察」レポートが炎上 さらに11月に入ってからは、cakesのクリエイターコンテスト優秀作を受賞した作品が炎上。これは、ホームレスを3年間取材し続けた夫婦ユニット「ばぃちぃ」による写真入りのレポート記事だった。タイトルは「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」。 この記事については、「ホームレスの人を動物のような“観察対象”、“異文化扱い”にしている」「剥き出しの差別だ」といった批判のほか、優秀作に選ぶ編集部のスタンスにも批判が集まった。一方で、「異文化扱いしてはいけないのか」「タブーにするより興味関心を持った方がいい」などの擁護意見もあった。 ただ、「ばぃちぃ」が過去に、交流のあるホームレスの人が作った食事を「ホームレス飯」と名付けてレシピサイトに投稿していたことや、「ホームレス人生ゲーム」の制作を企画し、その境遇を面白がっているとも取れるスタンスだったことが明らかになると、擁護の声は少なくなっていった。 ミュージシャンのロマン優光氏は自身の連載の中でこの炎上を取り上げ、この記事について「単純に失礼な感じ」「対象に対して失礼でしかないみたいな文章が多い」「文章が雑なせい、下手なせいで余計に変に見えてる部分もあるとは思います」と分析している。 この分析にもあるように、そもそも記事のクオリティに疑問を持った読者も多く、優秀作品に選んだ編集部の運営に疑問の声が上がった』、「編集部の運営に疑問の声が上がった」、これは避けられない宿命なのではなかろうか。
・『2回の炎上、余波で関係のない書き手が「連載消滅」 そして12月に入り、3回目の炎上があった。12月9日に声優の浅野真澄氏が「あさのますみ」名義でnoteにアップした記事のタイトルは「cakes炎上と、消滅した連載」。 浅野氏の記事が炎上したのではない。前述した10月と11月の2回の炎上により、cakesで予定されていた浅野氏の連載がなくなった、というものだ。 浅野氏は、友人が自死を選んだことをきっかけに生じた自身の葛藤を2020年3月に「逝ってしまった君へ」という文章にして発表。cakesクリエイターコンテストに入選し、連載の権利を得ていたという。 しかしその後の炎上を受け、cakes編集部からは「刺激が強い部分はマイルドに書き直してほしい」「フィクションってことにしませんか」などの提案があり、浅野氏は大きなショックを受けた。また、掲載できないが、支払うとされた原稿料は「1本あたり7000円」だったという。 これについてネットでは「ひどすぎて言葉にならん」「編集がだめすぎる」などの声があふれた。 ただ、その後12月14日に浅野氏はnoteを更新して、編集部と和解したことを報告している。 また、12月10日にはcakesで連載を持っていた佐伯ポインティ氏が「2年間続けていたcakesでの連載が打ち切りとなりました」という記事を公開し、編集部都合により連載打ち切りの提案があり、その提案に不信感を覚えたことをつづっている』、「クリエイター」と「編集部」の関係はもともと難しいものなのだろう。
・『代表・加藤氏のお詫び文も炎上 残念ながらまだ終わらない。cakesは2回の炎上を受けて11月末に編集長を大熊信氏から榎本紗智氏に交代。また浅野氏の告発を受けて、お詫び文を掲載していた。 榎本氏名義のお詫び文は体制の見直しなどを発表し、再発防止に努めることを約束するもので、ツイッターで検索すると中には厳しい言及もあるものの、比較的受け入れられている。 一方で新たな火種となってしまったのが、12月15日に発表された、CEOである加藤氏のお詫び文「cakes一連の件についてのお詫び」だ。 ピースオブケイク立ち上げ前、20年間編集者を続けてきた加藤氏が、子どもの頃から「コンテンツに救われた経験」があったこと、そして編集者は「クリエイターの想いを、世の中に届ける手伝いをする仕事」という理念、さらに「ネット全体の創作のインフラ」を作るつもりでnoteを始めたことなどが語られている。 そして、度重なる炎上について、「メディアのような存在になっていったのに、既存のメディアのような厳格なチェック機構がなかったことです」と説明。cakesの初代編集長だった加藤氏の方針には「悪口禁止」があったが、その後に編集長を引き継いだ際に、「より責任あるメディアの方向に体制をシフトしなかったことが、いまの問題を引き起こしています」としている』、ネット・メディアにとっては、「より責任あるメディアの方向に体制をシフト」することは、極めてハードルが高そうだ。
・『ちょい悪風アイコンで謝罪 にじみ出る危機管理の甘さ はてなブックマークでこの記事についたコメントで支持を集めているのは、「普通顛末と再発防止策書くでしょ。なんにも書かれてなくてただの回顧録だった」「社員を批判するな、編集者としての自分の来歴、会社の設立、感謝、ミッションという章立てですが、お詫びの体裁が成立していないのでどなたかプロの編集者の方に添削してもらうとよいのではないでしょうか」「言いたいことだけ言い放っておしまい、というのがとてもcakesっぽくて一貫性を感じる」などで、ネットユーザーの受け止めは総じて厳しい。 ちなみに、ツイッターで記事をシェアした際に表示される加藤氏の似顔絵アイコンがちょい悪風で、お詫び文にそぐわない。この部分だけでもどうにかしたほうがよかったのではないかと思わざるを得ない。広報は機能しているのだろうか』、普通のメディアのような「広報」など、はなから存在しなかったのではなかろうか。
・『すべてのメディアは人ごとではない 指針や倫理観を失った編集部 ただしツイッターの反応では「応援しています」「読んでよかった」などの意見も散見され、noteの躍進を知るメディアやIT企業関係者の一部は、成長に伴う摩擦にすぎないと見なしている様子がうかがえる。 実際、不満があっても利便性が高ければユーザーは利用を続けるし、利用するユーザーに罪はないので、書いてある内容が面白ければ読者はnoteやcakesの記事を拡散し続けるだろう。編集部にとって本当に怖いのは、一時期の炎上や編集部への信頼低下よりも、コンテンツがつまらないと判断されることだ。ユーザーが関心を持たなくなり、忘れられ、新規顧客がいなくなることの方が怖い。 炎上を繰り返すブロガーやユーチューバーが、炎上しているうちは安泰であるのと似ている。 加藤氏はお詫び文の中で、「インターネットは、仕組み上、悪口があふれがち」「悪口というのは、かんたんに言えて、(残念なことですが)おもしろくて、結果、ページビューも増えるので、ネットのエンジンでもある広告と、非常に相性がいい」と書き、そのような既存のインターネットと別の世界を作ることが目標だったと書いている。 しかし、炎上した幡野氏の文章は悪口どころか相談者に対する公開いじめめいていたし、現在のnoteは、ネットで簡単にページビューの増える炎上で話題になり注目を集めている。 炎上ブロガーやユーチューバーに共通するのは、「読まれれば(見られれば)なんでもいい」という節操のなさだ。 ユーザー数獲得の目標ありきの中で、編集部は指針や倫理観を失っていったのではないか。人気のある書き手には何も言えない、そうではない書き手には不適切なマネジメントをする。続いた炎上は、すべてこれが原因だ。 指針を失った編集部。これはnoteに限らず、貧すれば鈍するを体現するような出版社や新聞社、テレビ局にも言えることだが、次世代のコンテンツプラットフォームとして注目を集めていたnoteにさえその影を見るのは悲しさしかない』、「人気のある書き手には何も言えない、そうではない書き手には不適切なマネジメントをする。続いた炎上は、すべてこれが原因だ」、「noteやcakes」の人気も限界が出てきたようだ。
第三に、1月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元週刊文春・月刊文芸春秋編集長・岐阜女子大学副学長の木俣正剛氏による「共産党の伝説・野坂参三を倒した、お金に全く興味がない2人の記者」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/258982
・『文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今では忘れられた共産党の大スターだった野坂参三。彼の巨大な闇を暴いたジャーナリストたちの執念をお話します』、興味深そうだ。
・『ジャーナリズムの真骨頂 大宅賞受賞の「野坂参三伝」 文芸春秋が芥川賞・直木賞を主宰していることは、みなさんもご存じでしょう。しかし、大宅壮一ノンフィクション賞となると、知らない人も多いかもしれません。 名前の通り、芥川賞が純文学、直木賞が大衆文学の新人賞で、大宅賞はノンフィクションの新人賞です。ただし社内でも、実際に選考委員が加わった選考会でも、「一体ノンフィクションとは何か」という議論が繰り返され、定義が決まらないまま今日に至っています。 たとえば、今までの受賞作を振り返ってみましょう。第2回の受賞者は、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』。公然の秘密ですが、山本七平さんが外国人名で書いたエッセイです。 第3回では、早くもこの賞が孕む矛盾が出ています。受賞者は2人で、1人は桐島洋子さんのエッセイ『淋しいアメリカ人』。もう1人は柳田邦男さんの『マッハの恐怖』で、本格的ノンフィクションです。完全なノンフィクションを賞の対象にすべきなのか、フィクション(小説)以外のエッセイや手記などすべてのジャンルを包括すべきなのか。今に至るもこの問題が解決できずに、右往左往しているのが現状というべきでしょうか。 これは書籍を受賞対象にする以上、無理からぬところもあります。いわゆる雑誌ジャーナリズムのスクープは、どんなに長くても10ページから20ページ程度の作品です。書籍にするために再取材、書き足しをしているうちに鮮度が落ちて書籍としての意味がなくなってしまうからです。 そんな中で、第25回大宅賞(平成6年)に輝いたのが、スクープ系の最右翼受賞作『闇の男 野坂参三の百年』でした。野坂参三はもはや過去の人となり、多くの人から忘れられてしまいましたが、1990年代までは伝説の偉人でした。 日本共産党員としてあの無謀な戦争に断固反対し、地下に潜り、中国に逃亡してまで、日本の滅亡を予言。中国戦線の日本兵に「脱走しなさい」とビラを配布したり、日本人捕虜に再教育を行ったりした共産党の英雄でした。日本の敗戦後は帰国を果たし、日比谷公園で参加者3万人による大歓迎会が開催されたほどです。 もともとが慶応大学出身というインテリ。その後、宮本顕治らと日本共産党内部で対立し、北京に亡命したあと、帰国。参議院議員を4期務め、名誉議長となっています。当時の日本のインテリたちにとって、公安警察と戦い投獄され、外国にまで逃げて日本の軍国主義と戦った共産党員には、明らかに引け目がありました』、「共産党の英雄」が「雑誌ジャーナリズムのスクープ」で権威を失うとはメディアの力も大きかったようだ。
・『隠された遺体を探しに北方領土へ潜入取材 しかし、『闇の男 野坂参三の百年』は野坂の偶像破壊をやってのけました。野坂参三はアメリカに滞在していたときコミンテルンに対し、ソ連にいた日本人の同志・山本懸蔵ら数名を密告して粛清したことが、当時のソ連側の資料で明らかになってしまったのです。当時のインテリ層には大きなショックだったと思います。 いわば、日本の進歩的文化人のレゾンデートルを叩き潰したのが『闇の男 野坂参三の百年』でした。そして実は、この記事はまだスキャンダル雑誌としか見られていなかった週刊文春に連載されていました。 担当していたのは私。筆者の加藤昭さん、小林峻一さんの組み合わせを考えたのは、当時の花田紀凱編集長でした。 加藤昭さんは、ある意味記者の鏡のような人でした。とにかく取材にこだわる。収入にこだわらない。自分の身に危険が及ぶことを恐れない。なかなかいる人材ではありません。 そうした彼の取材姿勢を知ったのは、1983年、大韓航空機撃墜事件の取材をお願いしたときのことです(1987年に、金賢姫が大韓航空機を爆破しようとした事件とは別)。ソ連軍が大韓航空の旅客機を米軍の偵察機と誤断してミサイルで撃墜した事件は、世界的な批判を浴びました。 しかし、当時のソ連は秘密主義の国。遺体はほとんど回収されなかったと公表され、事実関係もわからないままになっていました。加藤昭さんは、北方領土に住む住民たちにだけ許されている墓参団に紛れてサハリンに潜入。「遺体がどこかに隠されているだろうから、調べたい」と言い出したのです。 取材のリスク、いや墓参団自体への迷惑など、色々問題点を申し上げましたが、一歩も引きません。それどころか、「文春の記者である証明書さえくれれば、取材費も要りません」と言い出す始末です。確かに、万一のことがあった場合、相手がいくらソ連でも「日本人の記者証」があれば、いきなり極刑に処されることはないでしょうが、何年も抑留されることは十分あり得ます。それでも彼は墓参団とともに出発しました。 潜入取材は成功し、遺体は海に流され消えたのではなく、住民たちが埋めたという証言もたっぷり聞いて、録音テープを持って帰国してきました』、「墓参団に紛れてサハリンに潜入」「潜入取材は成功」、すごいジャーナリスト魂だ。
・『共産党の闇を暴いたのはオカネに興味のない記者たち 無事、原稿が掲載され、原稿料の振込先を聞いたときのセリフにしびれました。 「好きなことをしてオカネをもらうなんて、いいんですか?」 一方、小林峻一さんは仙人のような記者でした。戦後の日本共産党史に詳しく『日本共産党スパイM 謀略の極限を生きた男』(鈴木隆一氏との共著)は、共産党の秘史を見事に暴いた作品ですが、寡作の人でした。あれだけしか原稿を書かないで、どうして食べているのかと周囲に尋ねると、「実家が山林王で、時々実家に帰って山を売って暮らしている」との噂。 なんだか金銭に興味のない、資本主義の逆をゆくような2人のコンビが、日本共産党の秘密を暴いたのも皮肉な話です。) この取材を開始した1990年代は、ソ連が崩壊し、KGBの史料がどんどんオカネで買える時代となっていました。編集部は持ち運びし得る現金を加藤さんに託し、加藤さんがモスクワで元KGBや現役KGBと交渉し、次々と史料が手に入ります。モスクワから送られてくる翻訳された史料をもとに、小林峻一さんが原稿を書き、私がチェックした上でタイトルをつけて入稿していた作業を、今も覚えています。 正直、週刊誌としては地味な記事でしたが、一定の業界に強い反応があったことは認識していました。そして連載の真っ最中に、野坂名誉議長は解任され、共産党を除名。党からの年金支給まで打ち切られました。 ただの週刊誌記事、無名の2人の記者が伝説の男を倒したのです』、「ただの週刊誌記事、無名の2人の記者が伝説の男を倒した」、ジャーナリスト冥利に尽きる成果だ。
・『大きな仕事を経験した編集者が滅多にメディアへ出ない理由 その後も、ソ連から様々な資料が持ち出されました。中川一郎氏の死の真相や北朝鮮の核問題など、KGBから見た興味深い事実が発掘されました。ただ、ひとこと言っておきたいのは、オカネがあったからそれらが簡単に入手できたわけではありません。凍てつくモスクワの朝、犬の散歩をするとわかっているKGB将軍の家の前で張り込むという、多分ロシア人ジャーナリストは絶対しないであろう努力を加藤さんが毎日したからこそ、次々と文春がニュースを発掘できたのだと思います。 あるとき、某編集長が「ソ連にいってカネを払えば、どんどん資料が手に入る」と講演でしゃべり、それが雑誌に掲載されたとき、加藤さんは激怒しました。当たり前です。編集者は気配りが商売なので、ついつい場を盛り上げようとしゃべりすぎてしまいます。 私が現役時代、講演やメディアへの露出を控えめにしていたのは、こうした経験があったからで、これは今でも同じでしょう。テレビや講演によく出る編集長は、それが雑誌の宣伝になると必ず言います。雑誌が売れない時代ですから、その気持ちはよくわかりますが、実は、宣伝よりマイナスの方が大きい。それは、大きな仕事を現場でした経験者ならわかるはずです』、「テレビや講演によく出る編集長は、それが雑誌の宣伝になると必ず言います。雑誌が売れない時代ですから、その気持ちはよくわかりますが、実は、宣伝よりマイナスの方が大きい」、こうした「宣伝」も難しいようだ。
先ずは、11月28日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家・百年コンサルティング代表の鈴木 貴博氏による「朝日新聞「創業来の大赤字」のとてつもない難題 構造改革を難しくさせている3つの要因」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/391952
・『1月25日にFACTA ONLINEが『朝日新聞が「創業以来の大赤字」/渡辺社長が来春退任/「後継は中村副社長と示唆」』との記事を配信したことが、新聞、テレビ、出版などのいわゆるメディア業界をざわつかせ、ツイッターにもトレンド入りしました。 FACTAによれば、朝日新聞社の渡辺雅隆社長が労使交渉の場で伝えた情報だということなのですが、公表データではありません』、興味深そうだ。
・『「170億円の赤字」が具体的に何を示すかは不明だが 記事中には、「2020年度決算が創業以来の約170億円の大赤字に陥る見通しになった」とあるのですが、そもそも赤字が営業赤字なのか一時的な特別損失なのかそれとも新型コロナにともなう関連会社の企業価値減少を反映した包括利益の損失なのかもはっきりしません。ですからこの報道だけでそれがどれくらい朝日新聞社の経営にとって厳しいことなのかはわからないことがまだ多い状況です。 ただ、その大赤字の詳細は今後の報道を待つとしても、経営コンサルタントの視点で眺めると朝日新聞社には構造的に経営改革が進みにくい理由があります。実際、私も若い頃は経営改革のコンサルで似たような構造の企業改革で四苦八苦した経験があります。 今回の記事ではなぜ朝日新聞社の構造が難しいのか?そして改革をするとすればどのような方向があるのか?それぞれの要点を解説したいと思います。 朝日新聞社にはその経営改革を難しくさせる3つの構造が存在します。それは、 1. 業界の中で死の谷のポジションにいること 2. 不動産業という副業で莫大な利益があがっていること 3. 民間企業でありながら「社会の公器である」ということ です。それぞれを解説しましょう。 まず「死の谷」というのは古典的で普遍的な経営戦略のコンセプトです。同じ業界で競争をする大企業同士を比較すると圧倒的なトップが儲かり、それに続く2番手、3番手の企業は収益が上がりにくい。たとえば自動車ではトヨタ自動車と比較して日産自動車、ホンダが、コンビニではセブン-イレブン(セブン&アイ・ホールディングス)と比較してファミリーマート、ローソンが死の谷のポジションにいます。 この死の谷のポジションの企業は、業界が好調のときは利益が上がるのですが、不況になるとまっさきに業績が悪くなります。そして業界が縮小して事業から撤退するのも死の谷の企業から始まります。東芝が家電事業を中国企業に売却したのもその理屈です。 興味深いことに業界のさらに下位の企業の中には好業績を上げる企業があります。トップと同じことをやっていたら勝てないことが自明なので差異化を試みて成功するのです。 新聞業界では2020年上半期時点で771万部(ABC部数、以下同じ)と部数トップの読売新聞が持ちこたえている一方で、516万部と2番手の朝日新聞が大赤字に転落したというのが今回の話です。ちなみに全国紙では3番手が225万部の毎日新聞、4番手が213万部の日本経済新聞、5番手が133万部の産経新聞ということになります(直近で3番手と4番手が僅差で入れ替わったというニュースもありますがここではこの順位のままでお話しします)』、「死の谷のポジション」とは言い得て妙だ。
・『毎日、産経はすでに縮小経営を進めている 読売新聞も10年前まではだいたい1000万部の部数近辺で安定推移していたのが、2014年頃から急落を始めました。この上半期が771万部というと「かなり減ってきたな」というのが正直な印象です。ここ数年は新聞業界全体では毎年200万部ペースで発行部数が減少しています。 こういう長期凋落傾向の経営環境になってしまうと、業界トップの読売と同じやり方で対抗しようとする2番手の朝日の業績が大きく沈んでしまうのは、経営戦略のセオリー通りの現象だといえるのです。同様に毎日や産経も苦しく、希望退職を募るなど縮小経営を進めてきています。 一方、4番手の日経新聞は経済情報にフォーカスすることで逆に存在感を増しています。昨年度の日本経済新聞社の連結売上高は3568億円で、朝日新聞社が3536億円ですから、発行部数では半分以下でも経営手法で抜き去っている。この「下位企業は差異化によって死の谷から抜け出すことができる」というセオリーを具現化しているのが日経新聞社ということです。 いずれにしても朝日新聞社は「死の谷」のポジションにいる2番手企業だというのが構造的に朝日新聞社の経営改革を難しくしている1番目の条件です。) 次に2番目の理由をみたいと思います。朝日新聞社が公表している財務データを見ると、朝日新聞社という企業は新聞社でありながら、不動産事業で安定した利益を上げていることがわかります。 具体的に2020年3月期の決算データでは連結従業員数6174人が関わるメディア・コンテンツ事業(新聞はこの中に含まれます)の売上は3345億円、セグメント利益は19億円となっています。 一方で不動産事業は売上高385億円、セグメント利益は68億円です。コロナでオフィス需要が今後どうなるのか不安な昨今ではありますが、一般論でいえば朝日新聞社が行っているオフィスビルの賃貸事業は長期安定ビジネスです。構造的にはメディア・コンテンツ事業の長期凋落に対して、不動産事業の安定利益が下支えしていることになります。 そしてこれは経営学的には暴論なのですが、社内論理的には「メディア事業が68億円の赤字になるまではうちの会社の経営は耐えられる」という誤った認識が広まりやすい。この点で、不動産事業で莫大な安定収入が見込めるという構造は朝日新聞社の改革を進めにくくするのです』、「不動産事業」の「セグメント利益は68億円」もあると、経営陣や一般社員の気が緩みがちになる。
・『民間企業でありながら社会の公器である難しさ さて3番目の理由が「新聞社は民間企業でありながら社会の公器である」という認識です。業界が縮小して経営者は大きな危機感を持つ環境下でも、社員である「記者」は「そんなことはジャーナリストとしての矜持の前にはたいした問題ではない」という意識を持ちがちです。 これはかつて日本航空の改革が進まなかったことと同じです。企業である前に安全運航を手掛ける公器であるがゆえに、経営環境が悪くなり赤字が嵩んだとしても現場はコストカットに協力する気を起こしにくいものです。本当はそうではないのですが、経営がコストカットというと「じゃあ安全をないがしろにするのか?」という反論が起き、結局「これまでとやり方を変えないことがいちばんいいのだ」という話に議論が落ち着きがちです。 このように3つの構造要因、つまり死の谷にあって業界が沈むと真っ先に業績が悪化する構造下で、不動産事業という安定した収益補填源があり、かつ公器であるがゆえに記者たち社員の協力が得にくいという構造によって、朝日新聞社はどうしても経営改革が進みにくい、言い換えると沈みやすい企業なのです。 そこで冒頭の話に戻ります。朝日新聞社が170億円の創業以来の大赤字となり、渡辺雅隆社長が来春で責任をとって退任すると労使交渉の場で伝えたというニュースです。公的な発表ではないのでその詳細は明らかではありませんが、それでも毎年200万部ペースで業界全体の需要が減少している新聞業界ですから、早晩朝日新聞社が日本航空のような大改革を必要とするタイミングがくることは避けられないでしょう。 しかし渡辺社長の代ではそれができなかった。自分が引責辞任する前に労組との会合でこのことを伝えたということは、深読みすれば次の社長は労使関係に踏み込んで改革せざるをえないことを事前通告したとも読み取れます。 では朝日新聞社にはどのような改革の道があるのでしょうか。細部はともかく大きな方向性としては茨の道がありえます。記者をはじめ現場の社員がのめるかどうか難しい問題ではありますが、朝日新聞に生き残る道がないわけではありません』、どうすればいいのだろう。。
・『高い給与水準を見直せばコストは下がるが ひとつは給与カットによるリストラです。朝日新聞社は上場していませんが、有価証券報告書の提出企業で、上場企業と同じく従業員の給与水準を公開しています。それによれば朝日単体では従業員3966人の45.4歳の平均給与が1229万円(2020年3月31日現在)と、一般企業よりもかなり待遇がいいことがわかります。 細かくは申し上げませんが、これは朝日新聞だけでなく大手新聞社や大手テレビ局の社員の平均的な給与水準です。そもそもメディア業界が潤っていた当時からの業界標準だったのですが、新聞は販売部数の減少に加えて、テレビと同じく広告収入にも長期凋落傾向がはっきりしていて、いつまでもこの高給待遇の構造が維持できないことは自明です。 新聞業界においてはすでに地方紙と毎日、産経のような下位企業でこの従業員給与の見直しが進んでいます。毎日、産経ともに最近はデータを公表していませんが、5年前ぐらいの最後の公表数値では両社とも平均的な40代社員の年収は800万円前後。もともと朝日新聞の3分の2ぐらいの給与水準で、さらに下がっていると推測されます。 子会社の給与水準がわからないので、あくまで単体ベースについて単純計算ですが、朝日新聞において本社の従業員の年収が1200万円から800万円に、つまり平均で400万円下がれば会社のコストがそれだけで150億~160億円ぐらい下がります。 よく「朝日新聞の従業員の給与がトヨタ並みになれば朝日新聞社は圧倒的な黒字企業になる」と揶揄されます。財務的に言えばまさにそのとおりなのですが、それを成し遂げるには大きな痛みが伴うため、一筋縄ではいかない難しさがこの先の同社を苦しめることになるでしょう。それは同じく沈んでいる毎日、産経などのほか、ブロック紙、地方紙、専門紙などを含めた新聞業界全体の大きな課題がいよいよ顕在化していることを示しています』、「朝日新聞」は痩せても、枯れてもやはりリベラルの旗手なので、出来ることは限られるだろう。
次に、12月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「ユーザー爆増の「note」「cakes」炎上、他人事ではないメディアへの教訓」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/257605
:国内月間アクティブユーザー数が6300万を超えたとも言われ、国内でもっとも人気のあるWebサービスのひとつとしての地位を確立しつつあるnote。しかし、運営元ではここ数カ月間、「炎上騒ぎ」が続いている。一体何があったのか』、興味深そうだ。
・『今年に入って急伸、文藝春秋とも資本提携 ツイッターやフェイスブックで話題となっている記事をクリックすると、左上にエメラルドグリーンの四角いアイコンとアルファベット4文字「note」が表示される、という経験をしたことがある人は多いはずだ。 noteは、ここ数年急成長したWebサービスのひとつで、ブログのように誰でも情報発信ができる。2020年6月には国内の月間アクディブユーザー(月に1回以上アクセスしたユーザー数の合計でMAUともいう)が6300万を突破したことを発表した(会員登録者数は260万人)。2019年9月時点のMAUは2000万で、数カ月で急激に増加した理由について、運営するnote株式会社(以下、note社)はコロナ禍において専門性や知識に基づいた、医療やビジネス記事が多く拡散されたことなどを挙げている。 ツイッターのMAUが4500万、インスタグラムが3300万(どちらも国内)なので、ユーザー数だけを見れば、noteが後発のWebサービスとしていかに善戦しているかがわかる。 note社の設立は2011年。ダイヤモンド社の書籍編集者として「もしドラ」こと 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著)などのヒット作を手がけていた加藤貞顕氏が立ち上げた。設立時の名称は「株式会社ピースオブケイク」で、2014年にメディアプラットフォームとしてスタートした「note」の拡大を受け、2020年4月に「note株式会社」に社名変更している。 2019年8月にはテレビ東京ホールディングスと資本業務提携、そして2020年12月10日には、文藝春秋が同社に出資し、資本業務提携したことを発表した。 noteは文章、画像、音声、動画を誰でも投稿でき、さらに有料販売できることがクリエイターの利用者が多い理由と言われている。さらに、法人が「公式ブログ」として利用しているケースが多く(同社発表では1600件)、それが「信頼性のあるプラットフォーム」の印象に一役買っている。 利便性と信頼性の両面でユーザーを獲得してきており、メディア・IT業界における成功例として注目株だったことは間違いない』、「note」「cakes」とも、ちょっと見ただけでは、それほど魅力があるとも思えないが・・・。しかし、「MAU」の多さ、一流のマスコミが出資・提携していることなどから、将来性はあるのかも知れない。
・『ユーザーに「特定」の恐怖を与えたIPアドレス漏洩問題 しかし、そのnoteの評判がここ数カ月で傾きつつある。 始まりは2020年8月。ユーザーのIPアドレスが第三者から確認可能な状態になっていることが明らかになり、「IPアドレス漏洩問題」と騒がれた。 IPアドレスの一致は、「同じ場所から書き込まれた」ことを意味するため、匿名掲示板に書き込まれたコメントのIPアドレスと有名人のnoteのIPアドレスを照合する人たちまで現れた。 noteで数万人のフォロワーがいる筆者の知人はこの時期にフォロワー数が100人ほど減ったといい、「漏洩で怖くなってアカウントを消したユーザーがそれなりにいたのではないか」と話していた。 ネット上では素性を隠して発信をする人も多い。著名人が匿名で書き込みを行うこともある。匿名のいちユーザーのつもりで交流を楽しんでいたのに、急に「特定」される可能性が持ち上がった。この恐怖は十分理解できる』、「IPアドレス漏洩問題」、とは深刻だ。
・『人気の写真家による人生相談 DV被害を「ウソ」と決めつけて炎上 また、10月後半からはnote社が運営する「cakes」での「炎上」が相次いだ。cakesは、コラムニストや漫画家らが連載を持つ有料のコンテンツ配信サイトだ。 最初に炎上したのは、写真家・幡野広志氏が連載していた人生相談「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう」。夫との関係を相談した女性に対し、「大袈裟もウソも信用を失うから結果として損するよ」というタイトルをつけて、「あなたの話はどこまで真実でどこまでウソなのか、どれくらい大袈裟にいってるのか、ぼくにはわからないの。細かいことはわからないけど、でもあなたが大袈裟に言ってることだけははっきりわかるの」などと言い立てる内容だった。 読者からは、DVやモラハラにあたるような内容を伝えている相談者に対して酷な回答であると批判が殺到。ウソだと思うなら取り上げなければいい、などの意見が上がった。また、批判が上がり始めた段階で、編集部が無料公開部分を大幅に減らし、「隠蔽しようとしている」という印象を与えたこと(*)や、編集部がツイッターの告知で女性の文章を「違和感のある相談文」と紹介していたことも火に油を注いだ(*後日のインタビューで、無料箇所の変更は他記事でも行っており、「特別な意図はございません」と釈明)。 この後、幡野氏と編集部はそれぞれ謝罪。幡野氏は相談者の女性と直接連絡を取って謝罪したことを明らかにしている。 個人的には、モラハラなどで追い詰められた人に適切な相談相手がおらず、適切ではない相手に相談した結果、二次被害に遭うケースに見えて心が痛かった』、「相談」ではトラブルと紙一重だ。
・『優秀作を受賞したホームレス「観察」レポートが炎上 さらに11月に入ってからは、cakesのクリエイターコンテスト優秀作を受賞した作品が炎上。これは、ホームレスを3年間取材し続けた夫婦ユニット「ばぃちぃ」による写真入りのレポート記事だった。タイトルは「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」。 この記事については、「ホームレスの人を動物のような“観察対象”、“異文化扱い”にしている」「剥き出しの差別だ」といった批判のほか、優秀作に選ぶ編集部のスタンスにも批判が集まった。一方で、「異文化扱いしてはいけないのか」「タブーにするより興味関心を持った方がいい」などの擁護意見もあった。 ただ、「ばぃちぃ」が過去に、交流のあるホームレスの人が作った食事を「ホームレス飯」と名付けてレシピサイトに投稿していたことや、「ホームレス人生ゲーム」の制作を企画し、その境遇を面白がっているとも取れるスタンスだったことが明らかになると、擁護の声は少なくなっていった。 ミュージシャンのロマン優光氏は自身の連載の中でこの炎上を取り上げ、この記事について「単純に失礼な感じ」「対象に対して失礼でしかないみたいな文章が多い」「文章が雑なせい、下手なせいで余計に変に見えてる部分もあるとは思います」と分析している。 この分析にもあるように、そもそも記事のクオリティに疑問を持った読者も多く、優秀作品に選んだ編集部の運営に疑問の声が上がった』、「編集部の運営に疑問の声が上がった」、これは避けられない宿命なのではなかろうか。
・『2回の炎上、余波で関係のない書き手が「連載消滅」 そして12月に入り、3回目の炎上があった。12月9日に声優の浅野真澄氏が「あさのますみ」名義でnoteにアップした記事のタイトルは「cakes炎上と、消滅した連載」。 浅野氏の記事が炎上したのではない。前述した10月と11月の2回の炎上により、cakesで予定されていた浅野氏の連載がなくなった、というものだ。 浅野氏は、友人が自死を選んだことをきっかけに生じた自身の葛藤を2020年3月に「逝ってしまった君へ」という文章にして発表。cakesクリエイターコンテストに入選し、連載の権利を得ていたという。 しかしその後の炎上を受け、cakes編集部からは「刺激が強い部分はマイルドに書き直してほしい」「フィクションってことにしませんか」などの提案があり、浅野氏は大きなショックを受けた。また、掲載できないが、支払うとされた原稿料は「1本あたり7000円」だったという。 これについてネットでは「ひどすぎて言葉にならん」「編集がだめすぎる」などの声があふれた。 ただ、その後12月14日に浅野氏はnoteを更新して、編集部と和解したことを報告している。 また、12月10日にはcakesで連載を持っていた佐伯ポインティ氏が「2年間続けていたcakesでの連載が打ち切りとなりました」という記事を公開し、編集部都合により連載打ち切りの提案があり、その提案に不信感を覚えたことをつづっている』、「クリエイター」と「編集部」の関係はもともと難しいものなのだろう。
・『代表・加藤氏のお詫び文も炎上 残念ながらまだ終わらない。cakesは2回の炎上を受けて11月末に編集長を大熊信氏から榎本紗智氏に交代。また浅野氏の告発を受けて、お詫び文を掲載していた。 榎本氏名義のお詫び文は体制の見直しなどを発表し、再発防止に努めることを約束するもので、ツイッターで検索すると中には厳しい言及もあるものの、比較的受け入れられている。 一方で新たな火種となってしまったのが、12月15日に発表された、CEOである加藤氏のお詫び文「cakes一連の件についてのお詫び」だ。 ピースオブケイク立ち上げ前、20年間編集者を続けてきた加藤氏が、子どもの頃から「コンテンツに救われた経験」があったこと、そして編集者は「クリエイターの想いを、世の中に届ける手伝いをする仕事」という理念、さらに「ネット全体の創作のインフラ」を作るつもりでnoteを始めたことなどが語られている。 そして、度重なる炎上について、「メディアのような存在になっていったのに、既存のメディアのような厳格なチェック機構がなかったことです」と説明。cakesの初代編集長だった加藤氏の方針には「悪口禁止」があったが、その後に編集長を引き継いだ際に、「より責任あるメディアの方向に体制をシフトしなかったことが、いまの問題を引き起こしています」としている』、ネット・メディアにとっては、「より責任あるメディアの方向に体制をシフト」することは、極めてハードルが高そうだ。
・『ちょい悪風アイコンで謝罪 にじみ出る危機管理の甘さ はてなブックマークでこの記事についたコメントで支持を集めているのは、「普通顛末と再発防止策書くでしょ。なんにも書かれてなくてただの回顧録だった」「社員を批判するな、編集者としての自分の来歴、会社の設立、感謝、ミッションという章立てですが、お詫びの体裁が成立していないのでどなたかプロの編集者の方に添削してもらうとよいのではないでしょうか」「言いたいことだけ言い放っておしまい、というのがとてもcakesっぽくて一貫性を感じる」などで、ネットユーザーの受け止めは総じて厳しい。 ちなみに、ツイッターで記事をシェアした際に表示される加藤氏の似顔絵アイコンがちょい悪風で、お詫び文にそぐわない。この部分だけでもどうにかしたほうがよかったのではないかと思わざるを得ない。広報は機能しているのだろうか』、普通のメディアのような「広報」など、はなから存在しなかったのではなかろうか。
・『すべてのメディアは人ごとではない 指針や倫理観を失った編集部 ただしツイッターの反応では「応援しています」「読んでよかった」などの意見も散見され、noteの躍進を知るメディアやIT企業関係者の一部は、成長に伴う摩擦にすぎないと見なしている様子がうかがえる。 実際、不満があっても利便性が高ければユーザーは利用を続けるし、利用するユーザーに罪はないので、書いてある内容が面白ければ読者はnoteやcakesの記事を拡散し続けるだろう。編集部にとって本当に怖いのは、一時期の炎上や編集部への信頼低下よりも、コンテンツがつまらないと判断されることだ。ユーザーが関心を持たなくなり、忘れられ、新規顧客がいなくなることの方が怖い。 炎上を繰り返すブロガーやユーチューバーが、炎上しているうちは安泰であるのと似ている。 加藤氏はお詫び文の中で、「インターネットは、仕組み上、悪口があふれがち」「悪口というのは、かんたんに言えて、(残念なことですが)おもしろくて、結果、ページビューも増えるので、ネットのエンジンでもある広告と、非常に相性がいい」と書き、そのような既存のインターネットと別の世界を作ることが目標だったと書いている。 しかし、炎上した幡野氏の文章は悪口どころか相談者に対する公開いじめめいていたし、現在のnoteは、ネットで簡単にページビューの増える炎上で話題になり注目を集めている。 炎上ブロガーやユーチューバーに共通するのは、「読まれれば(見られれば)なんでもいい」という節操のなさだ。 ユーザー数獲得の目標ありきの中で、編集部は指針や倫理観を失っていったのではないか。人気のある書き手には何も言えない、そうではない書き手には不適切なマネジメントをする。続いた炎上は、すべてこれが原因だ。 指針を失った編集部。これはnoteに限らず、貧すれば鈍するを体現するような出版社や新聞社、テレビ局にも言えることだが、次世代のコンテンツプラットフォームとして注目を集めていたnoteにさえその影を見るのは悲しさしかない』、「人気のある書き手には何も言えない、そうではない書き手には不適切なマネジメントをする。続いた炎上は、すべてこれが原因だ」、「noteやcakes」の人気も限界が出てきたようだ。
第三に、1月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元週刊文春・月刊文芸春秋編集長・岐阜女子大学副学長の木俣正剛氏による「共産党の伝説・野坂参三を倒した、お金に全く興味がない2人の記者」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/258982
・『文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今では忘れられた共産党の大スターだった野坂参三。彼の巨大な闇を暴いたジャーナリストたちの執念をお話します』、興味深そうだ。
・『ジャーナリズムの真骨頂 大宅賞受賞の「野坂参三伝」 文芸春秋が芥川賞・直木賞を主宰していることは、みなさんもご存じでしょう。しかし、大宅壮一ノンフィクション賞となると、知らない人も多いかもしれません。 名前の通り、芥川賞が純文学、直木賞が大衆文学の新人賞で、大宅賞はノンフィクションの新人賞です。ただし社内でも、実際に選考委員が加わった選考会でも、「一体ノンフィクションとは何か」という議論が繰り返され、定義が決まらないまま今日に至っています。 たとえば、今までの受賞作を振り返ってみましょう。第2回の受賞者は、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』。公然の秘密ですが、山本七平さんが外国人名で書いたエッセイです。 第3回では、早くもこの賞が孕む矛盾が出ています。受賞者は2人で、1人は桐島洋子さんのエッセイ『淋しいアメリカ人』。もう1人は柳田邦男さんの『マッハの恐怖』で、本格的ノンフィクションです。完全なノンフィクションを賞の対象にすべきなのか、フィクション(小説)以外のエッセイや手記などすべてのジャンルを包括すべきなのか。今に至るもこの問題が解決できずに、右往左往しているのが現状というべきでしょうか。 これは書籍を受賞対象にする以上、無理からぬところもあります。いわゆる雑誌ジャーナリズムのスクープは、どんなに長くても10ページから20ページ程度の作品です。書籍にするために再取材、書き足しをしているうちに鮮度が落ちて書籍としての意味がなくなってしまうからです。 そんな中で、第25回大宅賞(平成6年)に輝いたのが、スクープ系の最右翼受賞作『闇の男 野坂参三の百年』でした。野坂参三はもはや過去の人となり、多くの人から忘れられてしまいましたが、1990年代までは伝説の偉人でした。 日本共産党員としてあの無謀な戦争に断固反対し、地下に潜り、中国に逃亡してまで、日本の滅亡を予言。中国戦線の日本兵に「脱走しなさい」とビラを配布したり、日本人捕虜に再教育を行ったりした共産党の英雄でした。日本の敗戦後は帰国を果たし、日比谷公園で参加者3万人による大歓迎会が開催されたほどです。 もともとが慶応大学出身というインテリ。その後、宮本顕治らと日本共産党内部で対立し、北京に亡命したあと、帰国。参議院議員を4期務め、名誉議長となっています。当時の日本のインテリたちにとって、公安警察と戦い投獄され、外国にまで逃げて日本の軍国主義と戦った共産党員には、明らかに引け目がありました』、「共産党の英雄」が「雑誌ジャーナリズムのスクープ」で権威を失うとはメディアの力も大きかったようだ。
・『隠された遺体を探しに北方領土へ潜入取材 しかし、『闇の男 野坂参三の百年』は野坂の偶像破壊をやってのけました。野坂参三はアメリカに滞在していたときコミンテルンに対し、ソ連にいた日本人の同志・山本懸蔵ら数名を密告して粛清したことが、当時のソ連側の資料で明らかになってしまったのです。当時のインテリ層には大きなショックだったと思います。 いわば、日本の進歩的文化人のレゾンデートルを叩き潰したのが『闇の男 野坂参三の百年』でした。そして実は、この記事はまだスキャンダル雑誌としか見られていなかった週刊文春に連載されていました。 担当していたのは私。筆者の加藤昭さん、小林峻一さんの組み合わせを考えたのは、当時の花田紀凱編集長でした。 加藤昭さんは、ある意味記者の鏡のような人でした。とにかく取材にこだわる。収入にこだわらない。自分の身に危険が及ぶことを恐れない。なかなかいる人材ではありません。 そうした彼の取材姿勢を知ったのは、1983年、大韓航空機撃墜事件の取材をお願いしたときのことです(1987年に、金賢姫が大韓航空機を爆破しようとした事件とは別)。ソ連軍が大韓航空の旅客機を米軍の偵察機と誤断してミサイルで撃墜した事件は、世界的な批判を浴びました。 しかし、当時のソ連は秘密主義の国。遺体はほとんど回収されなかったと公表され、事実関係もわからないままになっていました。加藤昭さんは、北方領土に住む住民たちにだけ許されている墓参団に紛れてサハリンに潜入。「遺体がどこかに隠されているだろうから、調べたい」と言い出したのです。 取材のリスク、いや墓参団自体への迷惑など、色々問題点を申し上げましたが、一歩も引きません。それどころか、「文春の記者である証明書さえくれれば、取材費も要りません」と言い出す始末です。確かに、万一のことがあった場合、相手がいくらソ連でも「日本人の記者証」があれば、いきなり極刑に処されることはないでしょうが、何年も抑留されることは十分あり得ます。それでも彼は墓参団とともに出発しました。 潜入取材は成功し、遺体は海に流され消えたのではなく、住民たちが埋めたという証言もたっぷり聞いて、録音テープを持って帰国してきました』、「墓参団に紛れてサハリンに潜入」「潜入取材は成功」、すごいジャーナリスト魂だ。
・『共産党の闇を暴いたのはオカネに興味のない記者たち 無事、原稿が掲載され、原稿料の振込先を聞いたときのセリフにしびれました。 「好きなことをしてオカネをもらうなんて、いいんですか?」 一方、小林峻一さんは仙人のような記者でした。戦後の日本共産党史に詳しく『日本共産党スパイM 謀略の極限を生きた男』(鈴木隆一氏との共著)は、共産党の秘史を見事に暴いた作品ですが、寡作の人でした。あれだけしか原稿を書かないで、どうして食べているのかと周囲に尋ねると、「実家が山林王で、時々実家に帰って山を売って暮らしている」との噂。 なんだか金銭に興味のない、資本主義の逆をゆくような2人のコンビが、日本共産党の秘密を暴いたのも皮肉な話です。) この取材を開始した1990年代は、ソ連が崩壊し、KGBの史料がどんどんオカネで買える時代となっていました。編集部は持ち運びし得る現金を加藤さんに託し、加藤さんがモスクワで元KGBや現役KGBと交渉し、次々と史料が手に入ります。モスクワから送られてくる翻訳された史料をもとに、小林峻一さんが原稿を書き、私がチェックした上でタイトルをつけて入稿していた作業を、今も覚えています。 正直、週刊誌としては地味な記事でしたが、一定の業界に強い反応があったことは認識していました。そして連載の真っ最中に、野坂名誉議長は解任され、共産党を除名。党からの年金支給まで打ち切られました。 ただの週刊誌記事、無名の2人の記者が伝説の男を倒したのです』、「ただの週刊誌記事、無名の2人の記者が伝説の男を倒した」、ジャーナリスト冥利に尽きる成果だ。
・『大きな仕事を経験した編集者が滅多にメディアへ出ない理由 その後も、ソ連から様々な資料が持ち出されました。中川一郎氏の死の真相や北朝鮮の核問題など、KGBから見た興味深い事実が発掘されました。ただ、ひとこと言っておきたいのは、オカネがあったからそれらが簡単に入手できたわけではありません。凍てつくモスクワの朝、犬の散歩をするとわかっているKGB将軍の家の前で張り込むという、多分ロシア人ジャーナリストは絶対しないであろう努力を加藤さんが毎日したからこそ、次々と文春がニュースを発掘できたのだと思います。 あるとき、某編集長が「ソ連にいってカネを払えば、どんどん資料が手に入る」と講演でしゃべり、それが雑誌に掲載されたとき、加藤さんは激怒しました。当たり前です。編集者は気配りが商売なので、ついつい場を盛り上げようとしゃべりすぎてしまいます。 私が現役時代、講演やメディアへの露出を控えめにしていたのは、こうした経験があったからで、これは今でも同じでしょう。テレビや講演によく出る編集長は、それが雑誌の宣伝になると必ず言います。雑誌が売れない時代ですから、その気持ちはよくわかりますが、実は、宣伝よりマイナスの方が大きい。それは、大きな仕事を現場でした経験者ならわかるはずです』、「テレビや講演によく出る編集長は、それが雑誌の宣伝になると必ず言います。雑誌が売れない時代ですから、その気持ちはよくわかりますが、実は、宣伝よりマイナスの方が大きい」、こうした「宣伝」も難しいようだ。
タグ:「朝日新聞」は痩せても、枯れてもやはりリベラルの旗手なので、出来ることは限られるだろう 「相談」ではトラブルと紙一重だ 1. 業界の中で死の谷のポジションにいること ジャーナリズムの真骨頂 大宅賞受賞の「野坂参三伝」 共産党の闇を暴いたのはオカネに興味のない記者たち 「note」「cakes」とも、ちょっと見ただけでは、それほど魅力があるとも思えないが・・・。しかし、「MAU」の多さ、一流のマスコミが出資・提携していることなどから、将来性はあるのかも知れない 民間企業でありながら社会の公器である難しさ 「170億円の赤字」が具体的に何を示すかは不明だが 「IPアドレス漏洩問題」、とは深刻だ 「ユーザー爆増の「note」「cakes」炎上、他人事ではないメディアへの教訓」 2回の炎上、余波で関係のない書き手が「連載消滅」 「不動産事業」の「セグメント利益は68億円」もあると、経営陣や一般社員の気が緩みがちになる 『朝日新聞が「創業以来の大赤字」/渡辺社長が来春退任/「後継は中村副社長と示唆」』 高い給与水準を見直せばコストは下がるが 「編集部の運営に疑問の声が上がった」、これは避けられない宿命なのではなかろうか 隠された遺体を探しに北方領土へ潜入取材 「朝日新聞「創業来の大赤字」のとてつもない難題 構造改革を難しくさせている3つの要因」 『ちょい悪風アイコンで謝罪 にじみ出る危機管理の甘さ 2. 不動産業という副業で莫大な利益があがっていること 毎日、産経はすでに縮小経営を進めている 代表・加藤氏のお詫び文も炎上 「共産党の伝説・野坂参三を倒した、お金に全く興味がない2人の記者」 テレビや講演によく出る編集長は、それが雑誌の宣伝になると必ず言います。雑誌が売れない時代ですから、その気持ちはよくわかりますが、実は、宣伝よりマイナスの方が大きい」、こうした「宣伝」も難しいようだ メディア (その25)(朝日新聞「創業来の大赤字」のとてつもない難題 構造改革を難しくさせている3つの要因、ユーザー爆増の「note」「cakes」炎上 他人事ではないメディアへの教訓、共産党の伝説・野坂参三を倒した お金に全く興味がない2人の記者) ネット・メディアにとっては、「より責任あるメディアの方向に体制をシフト」することは、極めてハードルが高そうだ 木俣正剛 FACTA ONLINE 「墓参団に紛れてサハリンに潜入」「潜入取材は成功」、すごいジャーナリスト魂だ 3. 民間企業でありながら「社会の公器である」ということ 大きな仕事を経験した編集者が滅多にメディアへ出ない理由 今年に入って急伸、文藝春秋とも資本提携 「ただの週刊誌記事、無名の2人の記者が伝説の男を倒した」、ジャーナリスト冥利に尽きる成果だ 鎌田和歌 優秀作を受賞したホームレス「観察」レポートが炎上 「共産党の英雄」が「雑誌ジャーナリズムのスクープ」で権威を失うとはメディアの力も大きかったようだ ダイヤモンド・オンライン 「クリエイター」と「編集部」の関係はもともと難しいものなのだろう 「人気のある書き手には何も言えない、そうではない書き手には不適切なマネジメントをする。続いた炎上は、すべてこれが原因だ」、「noteやcakes」の人気も限界が出てきたようだ。 東洋経済オンライン 人気の写真家による人生相談 DV被害を「ウソ」と決めつけて炎上 鈴木 貴博 ユーザーに「特定」の恐怖を与えたIPアドレス漏洩問題
宗教(その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想) [社会]
宗教については、昨年9月13日に取上げた。今日は、(その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想)である。
先ずは、昨年12月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの高橋篤史氏による「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」を紹介しよう。
・『1954年11月、創価学会の第2代会長の戸田城聖氏が「文化部」を設置し政治活動に乗り出してから、はや六十余年がたった。その間、池田大作氏が検挙された“大阪事件”などを経て、今や公明党は政権与党の座に就いている。特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』、「60余年の」歴史で何があったのか、振り返る意味は大きそうだ。
・『1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選 第2代会長・戸田城聖の下、創価学会が「文化部」を設置して政治活動に乗り出したのは1954年11月のことである。 当時、学会は「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた。とはいえ、同年末の世帯数はまだ16万世帯。現在の公称世帯数の50分の1にすぎなかった。 翌55年4月、学会は早くも議会に足掛かりを得る。理事長としてナンバー2の座にあった小泉隆が東京都議会議員、財務部長の森田悌二が横浜市議会議員にそれぞれ当選。さらに56年7月には、青年部を率いた辻武寿ら3人が参議院議員に当選し国政への進出を果たした。 当時、学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力だった。他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた。もともと日蓮正宗の宗祖である鎌倉時代の高僧、日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的だった。仏教経典の一つ、法華経を基にした政治こそが国家安寧をもたらすと説いたのである。 そのため学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた。目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立である。 前者は日蓮仏法が世俗の法律(=王法)の基礎となる政治体制の実現であり、後者は総本山、大石寺に安置され信仰の対象となってきた「弘安2年の大御本尊」(文字曼荼羅を板に彫刻したもの)を収める国立施設を造るものだ。 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)。池田氏が保釈された日に開かれた集会の場で政治活動の意義を問われた戸田はこう明言していた。 「日蓮大聖人様が国立戒壇を作らにゃあならんとこう仰せられた。それを今実行しようとしているだけなんだ。何も政権なんかに関係ないよこっちは」(57年7月21日付「聖教新聞」) 大阪事件では数十人に有罪判決が下った一方、池田氏は無罪となった。このことはその後、同氏のカリスマ性を高めるまたとない逸話に転化していくことになる』、「初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)」、現在の大人しい姿勢からは考えられないような激しさだ。
・『「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ 58年4月に戸田が死去すると、学会きっての選挙のプロである池田氏は総務に就任し、組織を事実上取り切る立場となった。そして60年5月、32歳の若さで第3代会長に就任する。政治活動は一段の加速を見せた。61年11月に政治団体「公明政治連盟」を事実上結成、翌62年7月には参議院内に会派「公明会」を立ち上げた。そして64年11月、公明政治連盟を「公明党」として政党に格上げする。 この時点でもなお学会と党は一体だ。党委員長に就いた原島宏治は学会理事長を兼ね、党副委員長の辻と書記長の北条浩(後に第4代会長)は学会副理事長だった。党の綱領が高々と掲げたのは「王仏冥合の大理念」。紛うことなき宗教政党だった。 そんな中、池田氏は重要方針を発表していた。前述した「政権なんかに関係ないよ」との発言に見られる戸田の参議院・地方議会専念論を引っ込め、衆議院進出を宣言したのである。ある種の天下取りに向けた動きだ。 67年1月の総選挙で公明党は25人の当選を果たす。さらに69年12月の総選挙では47人にほぼ倍増、第3党に躍進した。当然、他党の警戒感は増す。そんな中で起きたのが言論出版妨害問題だった。 学会批判本の出版を巡り、学会副会長昇格を控えた秋谷栄之助氏(後に第5代会長)ら幹部が著者や出版社などに圧力をかけたのが事の発端だ。国会では政教一致批判が巻き起こり、世間一般にも広がった。学会の政治活動は大きな転機を迎えることとなる。 70年5月、池田氏は言論問題を謝罪するとともに学会と党の人事・組織分離を約束。党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した。この後、学会幹部が議員を兼ねることはなくなった。中央官僚や弁護士など世間的に見栄えが良い人物を信者の中から選抜し、緻密な選挙戦術で当選に導く方式が確立されていく。 今日、学会は反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い。会長就任前の59年12月、日米安全保障条約の問題が沸騰する中、池田氏は信者に向けこう発言していた。 「安保改定に賛成するか、反対するか、別に御書(=日蓮が書き残した文献)に書いてないんです(笑い)。……それよりか、もっと本質的に大事なことは、邪宗改定であると叫んでおきたいのであります。(大拍手)」(60年6月4日付聖教新聞)』、「党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した」のは、「国会では政教一致批判」が背景だったようだ。「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い」、なるほど。
・『政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 「党より学会が上」の不都合な真実 あくまで政治活動の底流にあるのは組織拡大や組織防衛だ。言論問題後の71年1月、外郭企業の社長を集めた「金剛会」の場で池田氏はこう種明かしをしている。 「公害問題とか社会問題を取り上げるのは折伏の為なんだよ」 また、同年7月、池田氏は同じ場でこんな本音を漏らしている。 「公明党と学会との関係は、絶対にこちらが上だ。世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている」 この間の人事・組織分離方針により党内では衆院議員1期生である竹入義勝氏や矢野絢也氏の力が強まり、遠心力が働いた。74年暮れに学会が共産党との間で秘密裏に結んだ協定(創共協定)は、イメージ戦略と党に対するけん制を兼ねた池田氏一流の権力掌握術だったとみることも可能だ。 結局、協定は竹入・矢野両氏らの反発で空文化したが、30年後に突如始まった両氏に対する批判キャンペーンは「党より学会が上」という不都合な真実を如実に物語っている。 池田氏の天下取り構想は93年8月に発足した細川非自民連立政権への公明党の参画で一部実現したわけだが、同年暮れごろから再び政教一致批判が巻き起こる。後に「四月会」と呼ばれることになる動きが亀井静香氏ら自民党の中から起きたのである。 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない。 94年12月、再び野党となった公明党は解党し新進党に合流。その後、紆余曲折の末、98年11月に再結成される。直後から学会内では「天鼓」なる怪文書がばらまかれ始め、翌年7月まで15回にもわたり浅見茂副会長への批判がなされた。 当時、実力者だった同氏は新進党路線(つまりは非自民路線)を主導していたとされるが、天鼓事件を機に失脚。そして99年10月、公明党は自民党、自由党との連立政権に参画し、今日まで続く自公連立路線が始まることになった。 この間、学会の教学面では大事件があった。90年に勃発した宗門との全面戦争がそれだ。91年11月、学会は宗門から破門され、完全にたもとを分かつ。これにより大石寺への登山など主たる宗教行事はなくなり、池田氏のカリスマ性のみが際立つ学会からは日蓮仏法さえ後退していった。代わりに組織の求心力を維持する最大の仕掛けとなったのが選挙活動だ。 「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」(元学会本部職員)――。今日、一般信者はこう評されることが多い。当初の政治目標や教学を失い、組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン――。それが創価学会である』、「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」、「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ。
次に、本年1月4日付けダイヤモンド・オンライン「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』、興味深そうだ。。
・『『週刊ダイヤモンド』1月9日号の第一特集は「創価学会 90年目の9大危機」です。昨年11月18日、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会が創立90周年の節目を迎えました。ですが、“勝利”への道は決して平たんではありません。「100年目の学会は、今とは全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくないのです。90年目を迎えた学会が直面する危機を明らかにします。(ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」)』、「90年目の9大危機」、とは興味深そうだ。
・『創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化 2020年は、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会にとって極めて特別な年であった。5月3日に池田大作名誉会長の会長就任60周年、そして11月18日には創立90周年という大きな節目を迎えたからだ。 学会の機関紙「聖教新聞」は創立記念日の翌日の1面で、「2030年の創立100周年へ、共に励まし、勝利の行進!」と高らかに宣言した。だが、“勝利”への道は決して平たんではない。20年は同時に、コロナ禍によって対面を主としてきた学会員の活動が大幅に制限され、また、当の聖教新聞からして自力配達を断念するなど、教勢の衰えが露呈した一年でもあったからだ。実際、「次の節目となる100周年での学会は、今と全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくない。 世間の目は、希代のカリスマである池田氏が存命なのか否かに注がれがちだが、それはもはや現在の学会を見る上で本質ではない。 池田氏が表舞台から姿を消したのは2010年までさかのぼる。これまで、学会執行部はカリスマ頼みから脱却すべく、極めて官僚的な「集団指導体制」への移行を着々と進めてきた。実際、19年に再任された現会長(4期目)の原田稔氏を池田氏と同様に考える学会員は皆無に近い。 この池田氏の神格化の集大成ともいえるのが、17年11月に制定された学会の新たな最高規約「会憲」だ。その中で、故牧口常三郎初代会長、故戸田城聖第2代会長、そして、存命する第3代会長、池田氏の3人を「広宣流布の永遠の会長」と位置付け、その敬称を「先生」で統一。さらに、翌18年9月8日には、聖教新聞紙上で四半世紀にわたって連載された池田氏の小説『新・人間革命』が完結を迎え、「カリスマ時代の終わり」を学会員に印象付けた。 つまり、池田氏の“神格化”は、とうに完了したとみるべきなのだ。その意味で、卒寿を迎えた学会が現在直面している危機は、ポストXデー、池田氏の死による求心力の低下などではなく、より根深い構造的な問題である。 ダイヤモンド編集部は学会を襲う危機を九つに分類してその内実を追ったが、それらは個別に独立した問題ではなく、その根底にほぼ共通の原因がある。すなわち、少子高齢化に核家族化、世代間の価値観の断絶といった、日本社会全体が直面している危機だ。) 大阪商業大学が例年実施している「生活と意識についての国際比較調査」に、「信仰する宗教(本人)」という質問項目がある。その質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した』、「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した」、「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ。
・『実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算 著名な宗教学者、島田裕巳氏は20年に上梓した著書『捨てられる宗教』(SB新書)の中で、先の調査に基づいて日本の総人口に占める実際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す。 島田氏はダイヤモンド編集部の取材に、「18年調査の1.4%という数字は単年の結果で、より正確な分析には今後の調査を待つ必要がある」としつつ、こう続けた。 「それまで2%台前半という数値で安定していた理由は、信仰2世、3世など世代交代に成功したためとみられるが、学会入会者は、半世紀以上前の1960年代が特に多い。それ故、当時の入会者の死亡や高齢化により、ある時を境に急減しても不思議ではない」 そして、20年9月、その学会に“神風”が吹いた。菅義偉政権の発足である。菅首相と学会の佐藤浩副会長には、菅氏の官房長官時代から“盟友”と称されるほど太いパイプがあることはよく知られている。 「菅政権の発足で、安倍晋三前首相時代以上に、自公連立は強固になるだろう」と、複数の学会幹部や学会に詳しいジャーナリストは口をそろえる。だが、その言葉にはただし書きがある。それは「学会の集票力が維持される限りにおいて」だ。前出の島田氏は言う。 「19年の参院選では、(学会の支持団体である)公明党の得票数は16年の参院選と比べて100万票以上減らしており、学会員数の減少と関係している可能性が高い。信仰2世や3世は、価値観もかつての学会員とは大きく異なる。21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」 最強といわれてきた集票力に陰りが見えれば、20年以上にわたる自公連立の土台が崩れる。そして、もしそうなれば、Xデー以上に学会の教勢に致命的なダメージとなるだろう。学会に残された猶予はおそらく想像以上に少ない。学会が直面する9つの危機を具体的に明らかにする』、「21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ。
・『創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能 特集では、数兆円規模と言われる「S(創価)経済圏」に迫る危機や、コロナで急ブレーキがかかった学会活動の苦境、混迷の度を深めるカリスマ不在の後継者争いの行方、配達の外部委託に踏み切った聖教新聞の裏事情、さらには「歴史的大敗」も懸念される次期衆院選のゆくえなど、盛りだくさんのテーマに迫ります。 そのほか、学会本部も存在を知らないであろう往年の池田氏や大幹部、第2代会長の戸田城聖氏の縁者などの秘蔵写真を発掘、学会のキーマンを網羅した内部文書なども大公開します。 そして、インタビューには、昨年10月、600ページに及ぶ大著『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏が登場。「学会が世界宗教化する理由」を語ってもらいました。 その佐藤氏は「学会を知り、理解しなければ、日本の政治や社会を分析することはできない」と断言します。学会員もそうでない人も必読です。 (ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」』、一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ。
第三に、1月19日付け東洋経済オンラインが掲載した宗教学者/作家の島田 裕巳氏による「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/403893
・『子供が生まれたときの初参りや七五三、必勝悲願や安全祈願など、神社は私たちの日常の暮らしの中にしっかりと根づいている。「神社について知ることは日本を知ること」と説くのは宗教学者の島田裕巳氏だ。では、日本における「神」とは何か。島田氏の新著『教養として学んでおきたい神社』を一部抜粋・再編集して掲載する』、「島田氏」の「見解」とは興味深そうだ。
・『本居宣長が定義した日本の神様 日本における神の定義として最も有名なものは、江戸時代に国学者の本居宣長が行ったものである。宣長は、当時、読むことが難しくなっていた古事記の注釈を試み、それを『古事記伝』という書物にまとめている。その第3巻の最初の部分で、神とは何かについて述べている。それは、次のようなものである。 凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き(かしこ)物を迦微とは云なり。〔すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。 宣長は、同じ『古事記伝』の第6巻で、「貴きも賤きも善も悪も、死ぬればみな此ノ夜見ノ国に往」くとし、誰もが死んだら、伊邪那美命(いざなみのみこと)が赴いた黄泉(よみ)の国(夜見ノ国)へ赴くとしていた。 そのうえで、「世ノ中の諸の禍事をなしたまふ禍津日ノ神(まがつひのかみ)は、もはら此ノ夜見ノ国の穢より成坐るぞかし」と述べている。 世の中に悪をもたらすのは、古事記に登場する禍津日ノ神であるとされる。この神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってけがれをはらったときに生まれている』、「すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ。
・『神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問 一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題である。神が善であるなら、その創造にかかる世界に悪が存在するはずはない。 ところが、現実には、さまざまな悪が存在している。この問題をどのように解決すればいいのだろうか。少し考えてみれば分かるが、問いとしてとてつもなく難しい。神学者や哲学者は、この難問に苦しめられてきた。 その点、宣長が考えたような形で神をとらえれば、そうした難問にぶちあたらない。日本では特別な働きをしたものが神として祀られてきた。 宣長が『古事記伝』の執筆を開始したのは、明和元(1764)年のことで、書き上げたのは寛政10(1798)年のことだった。脱稿までに34年の歳月が流れている。宣長は71歳で亡くなっており、人生の半分を『古事記伝』執筆に費やしたことになる。 宣長は、中国文明の影響を受ける前の日本人の精神性を古事記に求め、そこに記されたことを真実として受けとめている。 死者は黄泉の国に赴くと古事記に書かれている以上、宣長としては、それを受け入れるしかなかった。この世に悪が生じる原因を、古事記が禍津日ノ神に求めるなら、そう考えるしかなかった。宣長にとっては、古事記に書かれていることがそのまま真実だったのである。 しかし、これはあまりに受動的な考え方である。また、これでは死んだ後のことについていっさい希望を抱くことはできない。死後は、仏教が説く浄土に赴くこととは比べようもないほど惨めなものになってしまう。 また、この世で悪いことに遭遇したとしても、それは悪神の仕業で、人間の側からすれば、どうしようもなかった。宣長は、禍津日ノ神の引き起こす悪事をいかに防ぐかということについて、何の示唆も与えてはくれなかった。この宣長の考え方が、どの程度、日本の社会に受け入れられたかは判断が難しいところである。 まず、死後、自分は黄泉の国に赴くと考えている人は少ないだろう。また、何か悪いことが起こったとき、それを禍津日ノ神の仕業と考える人はいないはずだ。そもそも禍津日ノ神のことは一般には知られていない。 ただ、宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ。 そこからは、「諸行無常」ということばが思い起こされる。これは仏教の用語だが、この世にあるものは変転をくり返していく。仏教ではそれを法としてとらえる。宇宙の法則だとしているのである』、「一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ。「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ」、なるほど。
・『仏教と国学の考え方の違いと共通点 悪の起こる原因を法に求めるのか、それとも悪神に求めるのか。その点で、仏教の考え方と宣長の国学の考え方とは異なる。だが、悪に対して、人間にはなすすべがないとしているところでは、両者は共通している。 一神教の世界では、この世に起こるあらゆる事柄は神によって定められたことで、そこには意味があるとされる。 これに対して、国学も仏教も、そこに意味があるとは考えない。それが、一神教の西洋とは異なる、多神教の東洋の思想ということになる。 日本では、多くの神が祀られているわけだが、なかには疫病をもたらしたり、たたりを引き起こしたりしたことがきっかけになっているものが少なくない。 左遷されたまま亡くなった菅原道真が天神として祀られたことがすぐに思い起こされるだろうが、天照大神(あまてらすおおかみ)であっても、最初は宮中に祀られていて、疫病などを引き起こしたことで、伊勢に祀られることとなったのだ。 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである。 神社のことを考えるうえで、こうした日本の神のあり方を無視することはできない。神に善と悪の両方の側面があることで、祀り方、いかに祀るかが重要なものになってくる。その点を念頭において、私たちは神社のことを考えていかなければならないのである』、「日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」、ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているのではなかろうか。
先ずは、昨年12月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの高橋篤史氏による「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」を紹介しよう。
・『1954年11月、創価学会の第2代会長の戸田城聖氏が「文化部」を設置し政治活動に乗り出してから、はや六十余年がたった。その間、池田大作氏が検挙された“大阪事件”などを経て、今や公明党は政権与党の座に就いている。特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』、「60余年の」歴史で何があったのか、振り返る意味は大きそうだ。
・『1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選 第2代会長・戸田城聖の下、創価学会が「文化部」を設置して政治活動に乗り出したのは1954年11月のことである。 当時、学会は「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた。とはいえ、同年末の世帯数はまだ16万世帯。現在の公称世帯数の50分の1にすぎなかった。 翌55年4月、学会は早くも議会に足掛かりを得る。理事長としてナンバー2の座にあった小泉隆が東京都議会議員、財務部長の森田悌二が横浜市議会議員にそれぞれ当選。さらに56年7月には、青年部を率いた辻武寿ら3人が参議院議員に当選し国政への進出を果たした。 当時、学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力だった。他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた。もともと日蓮正宗の宗祖である鎌倉時代の高僧、日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的だった。仏教経典の一つ、法華経を基にした政治こそが国家安寧をもたらすと説いたのである。 そのため学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた。目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立である。 前者は日蓮仏法が世俗の法律(=王法)の基礎となる政治体制の実現であり、後者は総本山、大石寺に安置され信仰の対象となってきた「弘安2年の大御本尊」(文字曼荼羅を板に彫刻したもの)を収める国立施設を造るものだ。 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)。池田氏が保釈された日に開かれた集会の場で政治活動の意義を問われた戸田はこう明言していた。 「日蓮大聖人様が国立戒壇を作らにゃあならんとこう仰せられた。それを今実行しようとしているだけなんだ。何も政権なんかに関係ないよこっちは」(57年7月21日付「聖教新聞」) 大阪事件では数十人に有罪判決が下った一方、池田氏は無罪となった。このことはその後、同氏のカリスマ性を高めるまたとない逸話に転化していくことになる』、「初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)」、現在の大人しい姿勢からは考えられないような激しさだ。
・『「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ 58年4月に戸田が死去すると、学会きっての選挙のプロである池田氏は総務に就任し、組織を事実上取り切る立場となった。そして60年5月、32歳の若さで第3代会長に就任する。政治活動は一段の加速を見せた。61年11月に政治団体「公明政治連盟」を事実上結成、翌62年7月には参議院内に会派「公明会」を立ち上げた。そして64年11月、公明政治連盟を「公明党」として政党に格上げする。 この時点でもなお学会と党は一体だ。党委員長に就いた原島宏治は学会理事長を兼ね、党副委員長の辻と書記長の北条浩(後に第4代会長)は学会副理事長だった。党の綱領が高々と掲げたのは「王仏冥合の大理念」。紛うことなき宗教政党だった。 そんな中、池田氏は重要方針を発表していた。前述した「政権なんかに関係ないよ」との発言に見られる戸田の参議院・地方議会専念論を引っ込め、衆議院進出を宣言したのである。ある種の天下取りに向けた動きだ。 67年1月の総選挙で公明党は25人の当選を果たす。さらに69年12月の総選挙では47人にほぼ倍増、第3党に躍進した。当然、他党の警戒感は増す。そんな中で起きたのが言論出版妨害問題だった。 学会批判本の出版を巡り、学会副会長昇格を控えた秋谷栄之助氏(後に第5代会長)ら幹部が著者や出版社などに圧力をかけたのが事の発端だ。国会では政教一致批判が巻き起こり、世間一般にも広がった。学会の政治活動は大きな転機を迎えることとなる。 70年5月、池田氏は言論問題を謝罪するとともに学会と党の人事・組織分離を約束。党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した。この後、学会幹部が議員を兼ねることはなくなった。中央官僚や弁護士など世間的に見栄えが良い人物を信者の中から選抜し、緻密な選挙戦術で当選に導く方式が確立されていく。 今日、学会は反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い。会長就任前の59年12月、日米安全保障条約の問題が沸騰する中、池田氏は信者に向けこう発言していた。 「安保改定に賛成するか、反対するか、別に御書(=日蓮が書き残した文献)に書いてないんです(笑い)。……それよりか、もっと本質的に大事なことは、邪宗改定であると叫んでおきたいのであります。(大拍手)」(60年6月4日付聖教新聞)』、「党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した」のは、「国会では政教一致批判」が背景だったようだ。「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い」、なるほど。
・『政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 「党より学会が上」の不都合な真実 あくまで政治活動の底流にあるのは組織拡大や組織防衛だ。言論問題後の71年1月、外郭企業の社長を集めた「金剛会」の場で池田氏はこう種明かしをしている。 「公害問題とか社会問題を取り上げるのは折伏の為なんだよ」 また、同年7月、池田氏は同じ場でこんな本音を漏らしている。 「公明党と学会との関係は、絶対にこちらが上だ。世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている」 この間の人事・組織分離方針により党内では衆院議員1期生である竹入義勝氏や矢野絢也氏の力が強まり、遠心力が働いた。74年暮れに学会が共産党との間で秘密裏に結んだ協定(創共協定)は、イメージ戦略と党に対するけん制を兼ねた池田氏一流の権力掌握術だったとみることも可能だ。 結局、協定は竹入・矢野両氏らの反発で空文化したが、30年後に突如始まった両氏に対する批判キャンペーンは「党より学会が上」という不都合な真実を如実に物語っている。 池田氏の天下取り構想は93年8月に発足した細川非自民連立政権への公明党の参画で一部実現したわけだが、同年暮れごろから再び政教一致批判が巻き起こる。後に「四月会」と呼ばれることになる動きが亀井静香氏ら自民党の中から起きたのである。 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない。 94年12月、再び野党となった公明党は解党し新進党に合流。その後、紆余曲折の末、98年11月に再結成される。直後から学会内では「天鼓」なる怪文書がばらまかれ始め、翌年7月まで15回にもわたり浅見茂副会長への批判がなされた。 当時、実力者だった同氏は新進党路線(つまりは非自民路線)を主導していたとされるが、天鼓事件を機に失脚。そして99年10月、公明党は自民党、自由党との連立政権に参画し、今日まで続く自公連立路線が始まることになった。 この間、学会の教学面では大事件があった。90年に勃発した宗門との全面戦争がそれだ。91年11月、学会は宗門から破門され、完全にたもとを分かつ。これにより大石寺への登山など主たる宗教行事はなくなり、池田氏のカリスマ性のみが際立つ学会からは日蓮仏法さえ後退していった。代わりに組織の求心力を維持する最大の仕掛けとなったのが選挙活動だ。 「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」(元学会本部職員)――。今日、一般信者はこう評されることが多い。当初の政治目標や教学を失い、組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン――。それが創価学会である』、「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」、「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ。
次に、本年1月4日付けダイヤモンド・オンライン「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』、興味深そうだ。。
・『『週刊ダイヤモンド』1月9日号の第一特集は「創価学会 90年目の9大危機」です。昨年11月18日、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会が創立90周年の節目を迎えました。ですが、“勝利”への道は決して平たんではありません。「100年目の学会は、今とは全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくないのです。90年目を迎えた学会が直面する危機を明らかにします。(ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」)』、「90年目の9大危機」、とは興味深そうだ。
・『創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化 2020年は、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会にとって極めて特別な年であった。5月3日に池田大作名誉会長の会長就任60周年、そして11月18日には創立90周年という大きな節目を迎えたからだ。 学会の機関紙「聖教新聞」は創立記念日の翌日の1面で、「2030年の創立100周年へ、共に励まし、勝利の行進!」と高らかに宣言した。だが、“勝利”への道は決して平たんではない。20年は同時に、コロナ禍によって対面を主としてきた学会員の活動が大幅に制限され、また、当の聖教新聞からして自力配達を断念するなど、教勢の衰えが露呈した一年でもあったからだ。実際、「次の節目となる100周年での学会は、今と全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくない。 世間の目は、希代のカリスマである池田氏が存命なのか否かに注がれがちだが、それはもはや現在の学会を見る上で本質ではない。 池田氏が表舞台から姿を消したのは2010年までさかのぼる。これまで、学会執行部はカリスマ頼みから脱却すべく、極めて官僚的な「集団指導体制」への移行を着々と進めてきた。実際、19年に再任された現会長(4期目)の原田稔氏を池田氏と同様に考える学会員は皆無に近い。 この池田氏の神格化の集大成ともいえるのが、17年11月に制定された学会の新たな最高規約「会憲」だ。その中で、故牧口常三郎初代会長、故戸田城聖第2代会長、そして、存命する第3代会長、池田氏の3人を「広宣流布の永遠の会長」と位置付け、その敬称を「先生」で統一。さらに、翌18年9月8日には、聖教新聞紙上で四半世紀にわたって連載された池田氏の小説『新・人間革命』が完結を迎え、「カリスマ時代の終わり」を学会員に印象付けた。 つまり、池田氏の“神格化”は、とうに完了したとみるべきなのだ。その意味で、卒寿を迎えた学会が現在直面している危機は、ポストXデー、池田氏の死による求心力の低下などではなく、より根深い構造的な問題である。 ダイヤモンド編集部は学会を襲う危機を九つに分類してその内実を追ったが、それらは個別に独立した問題ではなく、その根底にほぼ共通の原因がある。すなわち、少子高齢化に核家族化、世代間の価値観の断絶といった、日本社会全体が直面している危機だ。) 大阪商業大学が例年実施している「生活と意識についての国際比較調査」に、「信仰する宗教(本人)」という質問項目がある。その質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した』、「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した」、「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ。
・『実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算 著名な宗教学者、島田裕巳氏は20年に上梓した著書『捨てられる宗教』(SB新書)の中で、先の調査に基づいて日本の総人口に占める実際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す。 島田氏はダイヤモンド編集部の取材に、「18年調査の1.4%という数字は単年の結果で、より正確な分析には今後の調査を待つ必要がある」としつつ、こう続けた。 「それまで2%台前半という数値で安定していた理由は、信仰2世、3世など世代交代に成功したためとみられるが、学会入会者は、半世紀以上前の1960年代が特に多い。それ故、当時の入会者の死亡や高齢化により、ある時を境に急減しても不思議ではない」 そして、20年9月、その学会に“神風”が吹いた。菅義偉政権の発足である。菅首相と学会の佐藤浩副会長には、菅氏の官房長官時代から“盟友”と称されるほど太いパイプがあることはよく知られている。 「菅政権の発足で、安倍晋三前首相時代以上に、自公連立は強固になるだろう」と、複数の学会幹部や学会に詳しいジャーナリストは口をそろえる。だが、その言葉にはただし書きがある。それは「学会の集票力が維持される限りにおいて」だ。前出の島田氏は言う。 「19年の参院選では、(学会の支持団体である)公明党の得票数は16年の参院選と比べて100万票以上減らしており、学会員数の減少と関係している可能性が高い。信仰2世や3世は、価値観もかつての学会員とは大きく異なる。21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」 最強といわれてきた集票力に陰りが見えれば、20年以上にわたる自公連立の土台が崩れる。そして、もしそうなれば、Xデー以上に学会の教勢に致命的なダメージとなるだろう。学会に残された猶予はおそらく想像以上に少ない。学会が直面する9つの危機を具体的に明らかにする』、「21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ。
・『創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能 特集では、数兆円規模と言われる「S(創価)経済圏」に迫る危機や、コロナで急ブレーキがかかった学会活動の苦境、混迷の度を深めるカリスマ不在の後継者争いの行方、配達の外部委託に踏み切った聖教新聞の裏事情、さらには「歴史的大敗」も懸念される次期衆院選のゆくえなど、盛りだくさんのテーマに迫ります。 そのほか、学会本部も存在を知らないであろう往年の池田氏や大幹部、第2代会長の戸田城聖氏の縁者などの秘蔵写真を発掘、学会のキーマンを網羅した内部文書なども大公開します。 そして、インタビューには、昨年10月、600ページに及ぶ大著『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏が登場。「学会が世界宗教化する理由」を語ってもらいました。 その佐藤氏は「学会を知り、理解しなければ、日本の政治や社会を分析することはできない」と断言します。学会員もそうでない人も必読です。 (ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」』、一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ。
第三に、1月19日付け東洋経済オンラインが掲載した宗教学者/作家の島田 裕巳氏による「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/403893
・『子供が生まれたときの初参りや七五三、必勝悲願や安全祈願など、神社は私たちの日常の暮らしの中にしっかりと根づいている。「神社について知ることは日本を知ること」と説くのは宗教学者の島田裕巳氏だ。では、日本における「神」とは何か。島田氏の新著『教養として学んでおきたい神社』を一部抜粋・再編集して掲載する』、「島田氏」の「見解」とは興味深そうだ。
・『本居宣長が定義した日本の神様 日本における神の定義として最も有名なものは、江戸時代に国学者の本居宣長が行ったものである。宣長は、当時、読むことが難しくなっていた古事記の注釈を試み、それを『古事記伝』という書物にまとめている。その第3巻の最初の部分で、神とは何かについて述べている。それは、次のようなものである。 凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き(かしこ)物を迦微とは云なり。〔すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。 宣長は、同じ『古事記伝』の第6巻で、「貴きも賤きも善も悪も、死ぬればみな此ノ夜見ノ国に往」くとし、誰もが死んだら、伊邪那美命(いざなみのみこと)が赴いた黄泉(よみ)の国(夜見ノ国)へ赴くとしていた。 そのうえで、「世ノ中の諸の禍事をなしたまふ禍津日ノ神(まがつひのかみ)は、もはら此ノ夜見ノ国の穢より成坐るぞかし」と述べている。 世の中に悪をもたらすのは、古事記に登場する禍津日ノ神であるとされる。この神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってけがれをはらったときに生まれている』、「すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ。
・『神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問 一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題である。神が善であるなら、その創造にかかる世界に悪が存在するはずはない。 ところが、現実には、さまざまな悪が存在している。この問題をどのように解決すればいいのだろうか。少し考えてみれば分かるが、問いとしてとてつもなく難しい。神学者や哲学者は、この難問に苦しめられてきた。 その点、宣長が考えたような形で神をとらえれば、そうした難問にぶちあたらない。日本では特別な働きをしたものが神として祀られてきた。 宣長が『古事記伝』の執筆を開始したのは、明和元(1764)年のことで、書き上げたのは寛政10(1798)年のことだった。脱稿までに34年の歳月が流れている。宣長は71歳で亡くなっており、人生の半分を『古事記伝』執筆に費やしたことになる。 宣長は、中国文明の影響を受ける前の日本人の精神性を古事記に求め、そこに記されたことを真実として受けとめている。 死者は黄泉の国に赴くと古事記に書かれている以上、宣長としては、それを受け入れるしかなかった。この世に悪が生じる原因を、古事記が禍津日ノ神に求めるなら、そう考えるしかなかった。宣長にとっては、古事記に書かれていることがそのまま真実だったのである。 しかし、これはあまりに受動的な考え方である。また、これでは死んだ後のことについていっさい希望を抱くことはできない。死後は、仏教が説く浄土に赴くこととは比べようもないほど惨めなものになってしまう。 また、この世で悪いことに遭遇したとしても、それは悪神の仕業で、人間の側からすれば、どうしようもなかった。宣長は、禍津日ノ神の引き起こす悪事をいかに防ぐかということについて、何の示唆も与えてはくれなかった。この宣長の考え方が、どの程度、日本の社会に受け入れられたかは判断が難しいところである。 まず、死後、自分は黄泉の国に赴くと考えている人は少ないだろう。また、何か悪いことが起こったとき、それを禍津日ノ神の仕業と考える人はいないはずだ。そもそも禍津日ノ神のことは一般には知られていない。 ただ、宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ。 そこからは、「諸行無常」ということばが思い起こされる。これは仏教の用語だが、この世にあるものは変転をくり返していく。仏教ではそれを法としてとらえる。宇宙の法則だとしているのである』、「一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ。「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ」、なるほど。
・『仏教と国学の考え方の違いと共通点 悪の起こる原因を法に求めるのか、それとも悪神に求めるのか。その点で、仏教の考え方と宣長の国学の考え方とは異なる。だが、悪に対して、人間にはなすすべがないとしているところでは、両者は共通している。 一神教の世界では、この世に起こるあらゆる事柄は神によって定められたことで、そこには意味があるとされる。 これに対して、国学も仏教も、そこに意味があるとは考えない。それが、一神教の西洋とは異なる、多神教の東洋の思想ということになる。 日本では、多くの神が祀られているわけだが、なかには疫病をもたらしたり、たたりを引き起こしたりしたことがきっかけになっているものが少なくない。 左遷されたまま亡くなった菅原道真が天神として祀られたことがすぐに思い起こされるだろうが、天照大神(あまてらすおおかみ)であっても、最初は宮中に祀られていて、疫病などを引き起こしたことで、伊勢に祀られることとなったのだ。 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである。 神社のことを考えるうえで、こうした日本の神のあり方を無視することはできない。神に善と悪の両方の側面があることで、祀り方、いかに祀るかが重要なものになってくる。その点を念頭において、私たちは神社のことを考えていかなければならないのである』、「日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」、ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているのではなかろうか。
タグ:宗教 (その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想) 「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」 高橋篤史 ダイヤモンド・オンライン 特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』 1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選 「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた 学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力 他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた 日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的 学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた 目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立 57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件) 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件) 「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ 「国会では政教一致批判」が背景だ 「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い 政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない 選挙への関心は高いが、政策への関心は低い 「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ 「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』 「創価学会 90年目の9大危機」 創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化 「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した 「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ 実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算 島田裕巳 『捨てられる宗教』 際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す 21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ 創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能 『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏 「学会が世界宗教化する理由」 一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ 東洋経済オンライン 島田 裕巳 「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」 本居宣長が定義した日本の神様 すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ 神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問 一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ 「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ 仏教と国学の考え方の違いと共通点 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」 ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているようだ
異次元緩和政策(その35)(大幅な税収不足なのに財政支出を増やしているのは日本だけである 米英欧日の「量的緩和」を比較する、40兆円の日銀ETF 「個人に直接譲渡」案が急浮上 香港では事例あり 日本で実施するリスクは?、インフレ期待2%到達でアメリカFRBはどう動く 金利とドルの相互連関的な下落はいったん収束) [経済政策]
異次元緩和政策については、昨年10月3日に取上げた。今日は、(その35)(大幅な税収不足なのに財政支出を増やしているのは日本だけである 米英欧日の「量的緩和」を比較する、40兆円の日銀ETF 「個人に直接譲渡」案が急浮上 香港では事例あり 日本で実施するリスクは?、インフレ期待2%到達でアメリカFRBはどう動く 金利とドルの相互連関的な下落はいったん収束)である。
先ずは、12月14日付けPRESIDENT Onlineが掲載した日銀出身で日本総合研究所調査部主席研究員の河村 小百合氏による「大幅な税収不足なのに財政支出を増やしているのは日本だけである 米英欧日の「量的緩和」を比較する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/41313
・『政府は新型コロナで冷え込む経済対策のため財政支出を急拡大させている。このまま財政拡張路線を取りつづけて大丈夫なのか。日本総研の河村小百合主席研究員は「日本だけでなく、アメリカ、イギリス、欧州の中央銀行も資産買い入れ政策を実施したが、その中身はまったく異なる」と指摘する——。(第2回/全3回) ※本稿は、河村小百合『中央銀行の危険な賭け 異次元緩和と日本の行方』(朝陽会)の一部に加筆・再編集したものです』、興味深そうだ。。
・『米英欧日を「量的緩和」と一括りにする日本メディアのお粗末 米連邦準備制度(Fed)やイングランド銀行(BOE)といった海外の主要中央銀行は、2008年秋のリーマン・ショックの直後の2008年末ないし2009年初の時点で軒並み、従前の金融政策運営上の手段であった政策金利をほぼゼロ%近傍まで引き下げてしまった(図表1)。 国際金融市場はマヒ状態に陥り、各国は多くの国民が職を失って失業率が急上昇するなど1930年代の「大恐慌」(The Great Depression)以来の「大不況」(The Great Recession)に直面していた。“暗黒のトンネル”が果たしていつまで続くのか、全く見通しの立たない初期段階で、彼らは従前からの金融緩和手段であった「政策金利の引き下げ」を、早くも使い尽くしてしまっていた。こうした状況はしばしば“ゼロ金利制約(※1)”と呼ばれる。 ではそのとき、これらの主要中銀の首脳陣は何を考え、自らの金融政策運営を行っていったのか。各国政府は必要に応じてどのように対応したのか。とりわけわが国のメディアでは、リーマン・ショック以降の彼らの金融政策運営を、「量的緩和」と安易に一括りにして報道することが多かった。 しかしながら実のところは、黒田総裁率いる日銀の「量的・質的金融緩和」とは様々な側面でかなり異なっている。今回は彼らの黒田日銀とは“似て非なる”金融政策運営の内容を概観してみよう。 ※1:中央銀行が通常の金融調節を通じて引き下げ誘導できる名目金利の範囲はゼロ%までであることをいう』、欧米の金融政策運営を詳しく見ていこう。
・『【米国】新手段は慎重に試し、出口問題も誠実に説明 Fedは、バーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長の下で、リーマン・ショックに遭遇した。経済学者でもある同議長はFRB理事だった2000年代前半、海の向こうでわが国がバブル崩壊による銀行危機に直面し、日銀が結果的には欧米各国よりも約10年先行する形で“ゼロ金利制約”に直面し、苦慮している様子を注視していた。 2004年には共著で論文を執筆し、“ゼロ金利制約”のもとで考えられる金融政策運営の3つのオプション(新たな手段)を提言していた。 ①政策金利を将来にわたって超低水準で据え置くことをあらかじめ約束する「フォワード・ガイダンス(以下FG)」 ②中央銀行のバランス・シート(以下BS)上で資産構成(短期債と長期債)を入れ替える「オペレーション・ツイスト」) ③中央銀行の資産買い入れによって、マネタリーベース(中銀が民間銀行経由で供給する総資金供給量)の規模を拡大させる「量的緩和」 これらは、Fedが金融危機以降に自らも“ゼロ金利制約”の当事者となって、新たな金融政策運営を展開していくうえでの理論的なバックボーンとなった。 もっとも、バーナンキ議長率いるFedは、議長自らが考案した理論を現実の効果のほどを無視して強行するようなことは決してしなかった。経済学や金融論は社会科学であるゆえ、机上で構築した理論が、現実の世界でも通用するかどうかをあらかじめ実験室内で実験して、その妥当性を確認することができる自然科学とは異なる筋合いのものである。新たな理論に基づく政策手段の効果のほどは、いずれかの中銀が先行して実際に導入した結果から判断するよりほかにない。 Fedは“ゼロ金利制約”に初めて直面した2008年末、この点に忠実に、バーナンキ議長が論文で提唱した3つの新たな手段のうち、唯一の先行例として日銀が2001~06年に実施していた「量的緩和」の効果を徹底的に検証した。「量的緩和」政策導入当初、日銀自身やFRB理事時代のバーナンキ氏は実体経済へのプラス効果を期待していたが、それは認められなかった、という事実を素直に受け止めたうえで、「量的緩和」の部分を根本から見直した。 そして、日銀のようにマネタリーベースの増加を金融政策の目標に据えることは決してせず、長期金利の上昇抑制による実体経済の下支えを企図する「大規模な資産買い入れ(LSAP)」にその名称も改め、Fed自身が「量的緩和」と称することは決してなかった。他の「FG」や「オペレーション・ツイスト」とともに、効果が未知の新たな金融政策手段として期限を区切って試行し、そのつど効果を確認してから次の政策展開を虚心坦懐に考える、という形で危機後の政策運営を展開していったのである。 この点は、黒田総裁が2013年春の日銀総裁就任前に国会において、「白川総裁時代までは、日銀の金融政策が不十分だったから、わが国は長年、デフレから脱却できなかった」と述べ(※2)、日銀自身の2000年代の量的緩和について、日銀自身による分析を含めてすでに明らかになっていた結果を謙虚に受け止めようとせず、マネタリーベースの拡大を目標に据える金融政策運営を強行したのとは、極めて対照的な政策運営であった、と言えるだろう』、「Fed」の「政策運営」は、「効果が未知の新たな金融政策手段として期限を区切って試行し、そのつど効果を確認してから次の政策展開を虚心坦懐に考える」、という着実で誠実な運営だ。これに対し、「黒田総裁」の「政策運営」は、「謙虚さ」「誠実さ」を欠いているようだ。
・『バーナンキ議長が先頭に立って説明を行う そしてFedの場合、金融危機後にLSAPに取り組んだ初期から、出口問題を内部で検討し、その概要を2010年初という早期の段階から、バーナンキ議長が先頭に立ち、その効果ばかりでなく、後々起こりかねない“都合の悪いこと”も含めて、異例の政策の「出口」をどのような手段で切り抜けるのか、今後どのような金融政策運営を行っていくつもりなのか、といった点に関して、議会や記者会見等の場を通じ、丁寧な説明を行っていった。 LSAPは長期金利の上昇を抑制するうえで、一定の効果があることを確認できつつあったが、いつまでも続けられるわけではないこと、株式市場等の過熱といったリスクを惹起しかねないこと、先行きの金融情勢次第ではFedの財務が傷み、最悪の場合には連邦政府へのFedの納付金が枯渇する期間が続きかねないこと、といった点を、具体的な試算結果も合わせて公表し、米国民や市場関係者に誠実に、正直に説明していったのである。 そしてFedはその後、“2%の物価目標”に過度にこだわることなく、金融政策の正常化を断行していった(図表2)。米国の消費者物価前年比が安定的に2%を超えているとは言えず、かつ失業率も7%近い状態にあった2014年1月から、Fedは資産買い入れの減額を開始し、わずか10カ月後には新規買い入れを一切停止した。2015年入り後は、原油安の影響等もあって、世界的にも物価指標の下振れが長引いていた時期であったが、Fedは同年末に危機後初の利上げに踏み切り、2016年末からはほぼ3カ月に一度のペースで断続的に利上げを継続していった。 (米連邦準備制度の政策金利(FFレート・ターゲット)と米国の雇用・物価指標等の推移のグラフはリンク先参照) これらはすべて、米国の実体経済の回復度合いのみならず、Fed自身が先行きに抱えかねないリスクの大きさを慎重に判断したうえでの金融政策運営だった。さらに2017年10月以降、コロナ危機到来前までの期間においては、Fedは最大で月当たり500億ドル(≒邦貨換算1$=105円として、5兆2,500億円相当)もの巡航速度で、米国債およびMBSを満期落ちさせる形で、売却損を被ることなく手放し、資産規模を縮小させる正常化プロセスを進めていた。 コロナ危機前に正常化が最も進展していた2019年8月末時点において、Fedは総資産をピーク時(2017年9月末)の約4.5兆ドルから約3.8兆ドルにまで縮減させていた。先行きの金融政策運営上の支障となり得る、民間銀行がFedに預ける当座預金は、同じく約2.2兆ドルから約1.5兆ドルにまで、この期間中に実に3割以上縮減させていたのである。 Fedを凌駕する規模で資産を膨張させている今の日銀に、市場金利の上昇を怖れず「月当たり5兆円」もの規模で国債を手放していくという正常化のプロセスを、自らの手で実施する覚悟が果たしてあるのかどうか。 その覚悟もないのに、「2%の物価目標」の未達を“大義名分”に、政権の顔色を窺い、漫然と国債等の買い入れを続けて自らが抱え込むリスクを恐ろしいほどまでに膨張させ、「導入した当事者である自分たちの任期中には正常化を実施する気などさらさらありません」とでもいわんばかりの中央銀行には、そもそも、セントラル・バンカーとして、金融政策運営の一環としての「量的緩和」などに取り組む資格などないといえよう』、極めて厳しい日銀批判だ。「2010年初という早期の段階から、バーナンキ議長が先頭に立ち、その効果ばかりでなく、後々起こりかねない“都合の悪いこと”も含めて、異例の政策の「出口」をどのような手段で切り抜けるのか、今後どのような金融政策運営を行っていくつもりなのか、といった点に関して、議会や記者会見等の場を通じ、丁寧な説明を行っていった」、日銀とは大違いだ。
・『【英国】量的緩和のコストは政府が負担すると明確化 英国においてもリーマン・ショック後の2009年春、米Fedとほぼ同じ時期にBOEが“ゼロ金利制約”に直面し、まずは社債等の民間債券を、ほどなく英国債を大量に買い入れる量的緩和に踏み切らざるを得なくなった。 ただし、英国の場合特筆すべきは、こうした新たな金融政策手段を採用する時点においてリスクが明確に認識されていたことだ。それは以下の3点に整理できる。 ①BOEが多額の債券を買い入れるという金融政策運営は永続させることはできず、時が経てばいずれ正常化させざるを得ないこと ②その局面では、実体経済の回復に伴って良い意味での市場金利の上昇が見込まれ、それは同時に債券価格の下落を意味するため、正常化の局面でBOEが買い入れた債券等を売却すれば、多額の売却損を被りかねないこと ③それは中央銀行であるBOEの信用に重大な悪影響を及ぼしかねないこと BOEは1999年に政府からの独立性を獲得したが、それは金融政策運営の“手段の独立性”の側面にとどまり、米Fedや欧州中央銀行(ECB)のような“目標設定の独立性”までは得られず、その権限は政府(財務省)の側が握っているという関係にある。 しかしながらこうした危機の局面では、政府と中央銀行とのいわば“二人三脚”で金融政策運営に当たるような関係が奏功し、未知の新たな金融政策手段を導入するBOEに過度な負担を負わせず、将来的に起こり得べきコストは、すべて国(財務省)の側が負担する、という政策上の枠組みを新たに構築したうえで、量的緩和への着手が行われたのである』、日本ではこうした点は曖昧なままである。
・『BOEが量的緩和のための子会社を作り損益を明確にする 具体的には、いずれ出口の局面で損失がかさむことを見越し、量的緩和はBOE本体のBS上ではなく、BOEの子会社である資産買い入れファシリティ(APF)を設立し、その勘定で実施されることになった。こうした明確な区分経理により、量的緩和に伴う損益は毎期、明確に把握されて対外公表され、将来的にあり得る損失は全額英政府が負担することとされた。英政府が負担できる金額にはそのつど、上限を設け、それが折をみて引き上げられる形(図表3)で、その枠内でBOEは量的緩和を実施していったのである。 (資料)英財務大臣・BOE総裁間のAPF関連での各年の公開書簡(Exchange of letters between HM Treasury and the Bank of England)等を基に日本総合研究所作成。 (資料)英財務大臣・BOE総裁間のAPF関連での各年の公開書簡(Exchange of letters between HM Treasury and the Bank of England)等を基に日本総合研究所作成。 そしてBOEは、ひとたび量的緩和が出口の局面に入れば、それまで利益を計上していたAPFがどのような形で損失を計上することになるのかという問題に関する試算結果を対外公表して明確に国民に示した(図表4)。それによって英国民は、BOEの量的緩和によって長期金利が低下するというメリットが得られるばかりでなく、いずれは自分たちに負担が回ってくることになりかねないことを明確に認識できるようになったのである。そしてその損失の規模は、先行きの金利情勢次第で大幅に変化する。BOEはさらに、APF、ひいてはBOEの損失額を簡単に試算できるスプレッドシートをHP上で提供している』、「量的緩和はBOE本体のBS上ではなく、BOEの子会社である資産買い入れファシリティ(APF)を設立し、その勘定で実施されることになった。こうした明確な区分経理により、量的緩和に伴う損益は毎期、明確に把握されて対外公表され、将来的にあり得る損失は全額英政府が負担することとされた」、ここまで明確に区分経理するとはさすがだ。日銀も爪の垢で煎じて飲むべきだろう。
・『【欧州】国債買い入れよりも財政再建が先 2008年のリーマン・ショックに続いて、2009年秋以降欧州債務危機に見舞われたECBは、主要な中央銀行のなかでも、最も厳しい金融政策運営を迫られた中央銀行であるといえよう。 今となって振り返れば、最も厳しかったのは、ドラギ氏がECB総裁に就任した2011年秋から、ギリシャが1年間に二度にわたる財政破綻を引き起こした2012年にかけての時期であった。しかしながら、そうした厳しい局面に際しても、ECBは安易に各国債を買い入れる危機対応策は採らず、あくまで、民間銀行への資金供給(リファイナンシング・オペ)を、危機対応として長期化、大規模化させることを通じて、民間銀行が保有している各国債を手放さなくて済むようにする、という間接的な支援にとどめた(図表5)。これが奏功して、債務危機が一服した後、大きく膨張していたECBのBSは急速に元の規模へと縮小することとなった。 (ユーロシステムの資産/負債の主な内訳別推移(2007~19年)のグラフはリンク先参照) ギリシャのユーロ離脱が取り沙汰され、債務危機の緊張がピークにあった2012年7月、ドラギ総裁は「ユーロを守るためにやれることはなんでもする」と発言した。続く9月のECBの政策委員会で導入された、債務危機対応のための新たな方策は「短・中期国債の買い切りオペ(※3)」であったが、これには申請国があくまで、ユーロ圏が定める厳しい財政再建プログラムを自ら断行することを条件に、ECBが当該国の短・中期国債の買い切りオペに応じる、というものであった。 ※3:買い切りオペレーションの略。金融調節の一環として、中央銀行は金融機関から国債などを買い入れている。その際、売り戻しの条件がついていない「買い切り」の取引をこう呼ぶ。 要するに、「財政再建が先、中央銀行による国債の買い入れは後」というもので、この枠組みが設けられたこと自体は、危機的事態の沈静化に大きな効力を発揮したものの、実際に適用を申請する国はなかったのである。そして欧州では債務危機が一段落した後、わが国では考えられない迅速なペースで財政再建が進められ、それが結果的には現下のコロナ危機下での財政面での対応余力を生み出すことになった』、「「財政再建が先、中央銀行による国債の買い入れは後」というもので、この枠組みが設けられたこと自体は、危機的事態の沈静化に大きな効力を発揮」、原則がキチンと守られているのは、ドイツの影響もあるのだろう。
・『日銀の「量的・質的金融緩和」がもたらした財政の弛緩 「やれることは何でもやる」。これはわが国でもかつて耳にしたことがあるフレーズだ。2013年3月衆議院議院運営委員会における所信表明のなかで、黒田総裁は「もし私が総裁に選任されたら、市場とのコミュニケーションを通じて、デフレ脱却に向けやれることは何でもやるという姿勢を明確に打ち出していきたいと思う」と述べた。そして就任直後の同年4月から「量的・質的金融緩和」を実施し、今日に至っている。 その考え方はまさに、「デフレ脱却、ないしは2%の物価目標の達成が先」=「中央銀行による国債買い入れが先、財政再建は後」というものだ。そして、その後の日本の財政規律の弛緩ぶりは今まさにみてのとおりの状況になっている。 以上は、海外の主要中銀がこれまで展開してきた金融政策運営のごく一部のエピソードにすぎない。日銀を含む主要中銀が、これまでどれほどのリスクをとる金融政策運営を行っているかは、最も端的にはその資産規模の推移に表れる(図表6)。 (主要中央銀行の資産規模の推移(名目GDP比)のグラフはリンク先参照) コロナ危機下にある現時点に至るまで、日銀がいかに他の主要中銀とはかけ離れた過剰なリスク・テイクを行っているのかは、このグラフから一目瞭然だろう。次回は、わが国がこのまま突き進んでいったとき、その先で待ち受ける事態はいかなるものなのかについて考えることとしたい』、「名目GDP比でみた資産規模」、で日銀の異常な「リスク・テイク」ぶりが明らかである。「出口戦略」を考えておくべきだろう。
次に、12月19日付け東洋経済オンラインが掲載した経済ジャーナリストの森岡 英樹氏による「40兆円の日銀ETF、「個人に直接譲渡」案が急浮上 香港では事例あり、日本で実施するリスクは?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/397007
・『「はたして出口はあるのだろうか」 日本銀行内部で頭の痛い問題になっているのが、2010年12月の金融緩和以降、営々と買い続けてきたETF(上場投資信託)の出口戦略だ。「ETF買い入れは、主要中央銀行では日銀しか行っていない奇策。それだけに出口戦略も難題と言わざるをえない」(市場関係者)。 日銀が11月26日に発表した2020年4~9月期決算によると、保有するETFは9月末時点(時価ベース)で40兆4733億円まで膨張している。20年3月末の31兆2203億円から約30%増加した格好だ』、「出口戦略も難題」なのは確かだ。
・『GPIFを抜いて日本最大の株主になった日銀 「株高により含み益が前年度末の3081億円から半年間で5兆8469億円へ大幅に増加したことが大きく寄与した」(機関投資家)とされる。結果、最終損益に当たる当期剰余金は9288億円と、過去最高の水準を記録した。 日銀の足元の保有株式残高は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)を抜き、いまや日本最大の株主だ。 「3月末時点ではGPIFの国内株式の保有残高は、日銀を約1兆円上回っていたが、GPIFは株式の持ち分が基本ポートフォリオの資産配分の上限を超えたことから10月以降、残高を落とす一方、日銀は買い入れを継続していることから時価ベースの残高は逆転している」(機関投資家)とされる。日銀のETF保有残高は東証1部時価総額の7%程度まで膨らんでいると見られている。 コロナ禍にもかかわらず株価が上昇を続けており、日経平均株価はバブル崩壊後、29年ぶりの最高値を更新した。日本最大の株主となった日銀は、自作自演の「官製相場」を演出し、その恩恵を最も受けているわけだ。 しかし、この「官製相場」は一度舞台に上がると降りるに降りられない、「ネバーエンディングストーリー」になりかねない危うさを秘めている。 2013年春に黒田東彦氏が日銀総裁に就いて、間髪を入れずに断行した量的・質的緩和、いわゆる異次元緩和は、バズーカ砲に例えられたように、デフレにあえぐ日本経済を下支えする効果は絶大だった。 消費者物価指数(CPI)はお世辞にも目標とされた2%には到達できていないが、マネタリーベースの拡大および長期国債、ETFなどの買い取りは市場に安心感を醸成した。 とりわけ株式市場は円安効果も手伝い、大きく上げに転じた。異次元緩和を契機に株式市場はリスクオフからリスクオンに転換したように思える。「買い本尊として日銀が控えていることは何よりの安心材料」(市場関係者)というわけだ』、「この「官製相場」は一度舞台に上がると降りるに降りられない、「ネバーエンディングストーリー」になりかねない危うさを秘めている」、同感である。
・『時間とともに大きくなった副作用 しかし、時間の経過とともに異次元緩和の効果が薄れる中、日銀は順次追加の緩和策に踏み込んだ。マイナス金利の導入はその代表だ。よりカンフル剤的な施策に踏み込むにつれ、副作用も大きくなっていった。金融機関の収益圧迫はその象徴的な事象だ。そこにコロナ禍が追い討ちをかけた。 日銀は今年3月、3年半ぶりに追加緩和に踏み切った。直前にFRB(連邦準備制度理事会)が緊急の追加利下げに踏み切り、政策金利をゼロ%にすることを決めたことを受けた措置でもあったが、柱は以下のとおりだ。 ① 年間6兆円をメドに買い上げているETF(上場投資信託)を2倍の12兆円に増やす。 ② REIT(不動産投資信託)の買い入れ額を年間900億円から2倍の年間1800億円に増額する。 ③ 企業への直接的な資金繰り対策として社債やCP(コマーシャルペーパー)の購入について、9月末までに2兆円増す。 ④ 民間金融機関が融資を増やすよう資金供給の枠組み(8兆円規模)を創設し、9月末までゼロ%で貸し出す。 コロナ禍を受けて日銀がETFの買い入れを増額するなど、追加緩和策に踏み出したことで、これまでマグマのようにたまり続けてきたある疑念が頭をもたげた。日銀のバランスシート悪化への懸念だ。 日銀の買い入れたETFはこの時点で30兆円を超えており、「日経平均株価が1万9500円を割り込むと含み損になる」と黒田総裁が参議院の予算委員会で発言したことも不安をあおった。 株価も下落基調で、このままで推移すれば、いずれ日銀は一般企業でいう総資産を自己資本等(資本金、引当金勘定、準備金)で割った自己資本比率がマイナスに転じ、債務超過に陥るのではないかと危惧された。 もちろん、日銀は日銀券を発行する発券銀行であり、自己資本を銀行券で割った自己資本比率は8%超を維持している。いずれにしても、こうしたリスクを冒してでも日銀が追加緩和に踏み込まざるをえないところに新型コロナウイルスの影響の深刻さが見て取れる。) さいわい、日銀をはじめとする主要国中央銀行の一斉金融緩和が効を奏し、コロナ禍にもかかわらず、金融システムは揺らぐことなく、株式市場はむしろ暴騰している。根底にあるのは、中央銀行が市中にばら撒いた過剰なマネーにほかならない。 しかし、追加緩和の副作用は日銀そのものに逆流し始めている。 3月の追加緩和に伴い日銀の資産残高は9月末で、前年同期比21.1%増の690兆0269億円に膨らんだ。内訳は国債が前年同期比10.5%増の529兆9563億円、J-REIT(不動産投資信託)が同19.9%増の6420億円、そしてETFが同24.5%増の34兆1861億円などだ。いずれの保有残高も過去最高額となっている。 残高が増えるにつれ、その出口戦略は難しくなる。「最大の保有者である日銀が売りに出れば、それだけで価格が下落し、日銀は損失を抱えるというジレンマに直面する」(市場関係者)ためだ。 とくに株式は国債のように満期まで持ち切るという対応ができない。どこかの局面で売る行為が必要になる。いったい、どうするのか。まさに日銀が頭を抱えるゆえんだ』、「確かにETFの「出口戦略」は難しそうだ。
・『ETFの買い入れ決めた元幹部が戦略提案 そこで浮上している案の1つにETFを個人に直接譲渡して保有してもらうという構想がある。提案しているのは、元日銀理事で、日銀のETF買い入れ政策を決めた当時の企画局長、櫛田誠希氏(現・日本証券金融社長)だ。 個人の購入希望者を募って、日銀が保有するETFを譲渡するという案で、「一定期間、相応のインセンティブ付与を前提に売却制限を付して譲渡する」ことなどが考えられている。 つまり、ETFを割引価格で個人に譲渡する。譲渡後は一定期間保有を義務付けるというスキームである。日銀が保有するETFは株価上昇で含み益があり、相応の割引価格でも日銀に損失は生じない。かつ、売却制限を課すことで市場インパクトを減殺できるというわけだ。 同時に、この個人への譲渡案は、「貯蓄から投資(資産形成)」を推し進める金融庁にとっても渡りに船となる。「預貯金を中心に積み上がる個人金融資産を投資に振り向けたい金融庁にとって、日銀のETFを個人に割引譲渡することはまさに一石二鳥の妙案といえる」(市場関係者)。 実は1990年代後半のアジア通貨危機時に、香港政府が市場から株式を買い上げ、その出口戦略として買い上げた株式でETFを組成し、価格を割り引いて個人に譲渡したことがある。この施策はその後の個人投資家の育成に資することになったと評価されている。 だが、はたして同様のことが日銀でも可能なのか。日銀のETF保有額は香港の事例と比べようもないほど巨額であり、「割引価格で譲渡しても、その後の株価下落で個人投資家が損失を被るリスクは消えない」(市場関係者)ことは確かだ。日銀の悩みは深い』、「個人への譲渡案」はなかなかいいアイデアだ。
第三に、1月7日付け東洋経済オンラインが掲載したみずほ銀行 チーフマーケット・エコノミストの唐鎌 大輔氏による「インフレ期待2%到達でアメリカFRBはどう動く 金利とドルの相互連関的な下落はいったん収束」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/401891
・『1月4日の金融市場ではアメリカの期待インフレ率を示す10年物ブレークイーブンインフレ率(以下10年BEI)がついに2%を突破するという動きが見られた。その傍らで10年債利回りは0.90%付近、ドルインデックスもおおむね90付近で横ばいとなっていたので、期待が先行して高進している構図が鮮明である。 10年BEIの2%突破は2018年11月16日以来、約2年2カ月ぶりであり、FRB(連邦準備制度理事会)が2019年に利下げ路線に転換する以前の水準に回帰したことになる。2018年11月といえば、すでにFRBが年3回の利上げを済ませ、翌月には4回目の利上げを敢行するタイミングである。今とは対照的だ。感染拡大が深刻度を増すたびに裁量的なマクロ経済政策の発動が期待され、10年BEIが上がるが、実体経済はついてこない、という構図が続いて、そろそろ1年になる』、「アメリカ」には「10年BEI」など重要な経済指標がある。
・『「アメリカ」には「10年BEI」など重要な経済指標がある こうしたインフレ期待の高まりと、インフレ耐性に優れるとされる株価の上昇は一応の整合性が取れる。だが、理論的には人々の期待するインフレ率が上昇すると、名目金利も相応に上昇すると考えられる。いわゆる「名目金利=実質金利+インフレ期待」で定義されるフィッシャー効果の議論だ。 昨年来の株価上昇は、インフレ期待上昇に伴う実質金利の低下によるもの、という解説が目立つ。その説が正しいとすれば、名目金利上昇に伴う実質金利上昇は株価下落を招く可能性が高い。利上げや量的緩和の縮小といった具体的な正常化プロセスが始まらなくても、経済・金融情勢が正常化に向かう過程で名目金利が上昇するというのは「普通のこと」だ。その「普通のこと」、すなわちフィッシャー効果の発現を、FRBがどれくらい抑制しようとするかが2021年には問われるだろう。 真っ当に考えれば、FRBの責務は株価の高値維持ではなく「雇用の最大化」と「物価の安定」の2つなのだから、明らかに先走っている株価の騰勢にブレーキをかけること自体は、さほど不思議なことではない。しかし、コロナ禍からの立ち上がりを図ろうとしている最中、あえてそうした株価潰しをやることについては相応の勇気が必要なのは間違いない。 したがって、「どれくらい抑制するのか」というさじ加減が重要になる。まず、名目金利の行方について、さまざまな見方がありうる。現状から横ばいでまったく変わらないという見方もあれば、大きく上がる、小さく上がる、もしくは逆に、感染再拡大に応じて下がっていくという見方もあるかもしれない』、「なるほど。
・『名目金利はつれて上昇するのか 筆者は、有効なワクチン接種も順次始まっている以上、2021年のアメリカの金利が「横ばいでまったく変わらない」という想定には無理があるという立場だ。実際、10年BEIの上昇スピードが速いので実質金利低下ばかりに目が行くが、昨年10~11月を境に名目金利も少しずつ上昇している。 アメリカ10年金利は、1~3月期に1.0%台に乗せ、年央までに1.2%、年末までに1.5%程度までの範囲ならば上昇余地があり、ドル相場の一方的な下落もこれに応じて止まると考えている。 逆に、ここからアメリカの金利が下がる展開があるのだろうか。ないとは言えない。コロナ変異種の強毒化やそれに伴うワクチンの無効化など、コロナ絡みでは何が起きるかわからない。実情はどうあれ、2021年はメディアを中心として副作用の存在をことさら喧伝する時間帯が必ずあると筆者は考えている。その際、思惑主導でアメリカの金利が低下する可能性はリスクシナリオとして十分想定されるものだ。金利は上昇に賭けておくほうが無難だとは考えるが、逆サイドのリスクがゼロというわけではない。 話をアメリカの金利上昇に戻す。金利が上昇すれば株価の調整だけでなく、ドル建て債務を積み上げた途上国への影響も懸念されるだろう。リーマンショック後、金融市場ではドルを安価で調達できるようになり、とりわけ新興国では民間部門を中心としてドル建て債務が急速に積み上がったという経緯がある。 こうした、いわば「ドル化した世界」の危うさは過去に本コラムへの寄稿『「ドル化した世界」がFRBの利上げ路線を阻む』でも議論したことがあるので今回は詳しく議論しないが、まだ多くの途上国がドル建て債務を抱えたままの状態が放置されている。かかる状況下、アメリカの金利が上昇する過程では株価の動揺に加え、新興国通貨の価値下落が当該国の債務負担を増すという展開も十分懸念されるものだろう』、「金利が上昇すれば株価の調整だけでなく、ドル建て債務を積み上げた途上国への影響も懸念」、その通りだ。
・『2021年はタカ派とハト派のバランスに腐心 一方的に緩和方向への政策運営に尽くせばよかった2020年とは異なり、2021年以降のFRBは国内外への影響に鑑み、タカ派とハト派のバランスを取ることに腐心する難しい局面に入る。必然的に、アメリカの金利の低下とこれに伴うドル安だけを既定路線として見ておけば済んだ2020年とは違った相場観が求められる。 筆者はドル高局面への転換とまでは言わないが、アメリカの金利とドルの相互連関的な下落がいったん収束し、次の潮流に向かう「踊り場」のような年に2021年は位置づけられるのではないかと考えている』、「アメリカの金利とドルの相互連関的な下落がいったん収束し、次の潮流に向かう「踊り場」のような年に2021年は位置づけられるのではないか」、「踊り場」とは上手く表現したものだ。
先ずは、12月14日付けPRESIDENT Onlineが掲載した日銀出身で日本総合研究所調査部主席研究員の河村 小百合氏による「大幅な税収不足なのに財政支出を増やしているのは日本だけである 米英欧日の「量的緩和」を比較する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/41313
・『政府は新型コロナで冷え込む経済対策のため財政支出を急拡大させている。このまま財政拡張路線を取りつづけて大丈夫なのか。日本総研の河村小百合主席研究員は「日本だけでなく、アメリカ、イギリス、欧州の中央銀行も資産買い入れ政策を実施したが、その中身はまったく異なる」と指摘する——。(第2回/全3回) ※本稿は、河村小百合『中央銀行の危険な賭け 異次元緩和と日本の行方』(朝陽会)の一部に加筆・再編集したものです』、興味深そうだ。。
・『米英欧日を「量的緩和」と一括りにする日本メディアのお粗末 米連邦準備制度(Fed)やイングランド銀行(BOE)といった海外の主要中央銀行は、2008年秋のリーマン・ショックの直後の2008年末ないし2009年初の時点で軒並み、従前の金融政策運営上の手段であった政策金利をほぼゼロ%近傍まで引き下げてしまった(図表1)。 国際金融市場はマヒ状態に陥り、各国は多くの国民が職を失って失業率が急上昇するなど1930年代の「大恐慌」(The Great Depression)以来の「大不況」(The Great Recession)に直面していた。“暗黒のトンネル”が果たしていつまで続くのか、全く見通しの立たない初期段階で、彼らは従前からの金融緩和手段であった「政策金利の引き下げ」を、早くも使い尽くしてしまっていた。こうした状況はしばしば“ゼロ金利制約(※1)”と呼ばれる。 ではそのとき、これらの主要中銀の首脳陣は何を考え、自らの金融政策運営を行っていったのか。各国政府は必要に応じてどのように対応したのか。とりわけわが国のメディアでは、リーマン・ショック以降の彼らの金融政策運営を、「量的緩和」と安易に一括りにして報道することが多かった。 しかしながら実のところは、黒田総裁率いる日銀の「量的・質的金融緩和」とは様々な側面でかなり異なっている。今回は彼らの黒田日銀とは“似て非なる”金融政策運営の内容を概観してみよう。 ※1:中央銀行が通常の金融調節を通じて引き下げ誘導できる名目金利の範囲はゼロ%までであることをいう』、欧米の金融政策運営を詳しく見ていこう。
・『【米国】新手段は慎重に試し、出口問題も誠実に説明 Fedは、バーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長の下で、リーマン・ショックに遭遇した。経済学者でもある同議長はFRB理事だった2000年代前半、海の向こうでわが国がバブル崩壊による銀行危機に直面し、日銀が結果的には欧米各国よりも約10年先行する形で“ゼロ金利制約”に直面し、苦慮している様子を注視していた。 2004年には共著で論文を執筆し、“ゼロ金利制約”のもとで考えられる金融政策運営の3つのオプション(新たな手段)を提言していた。 ①政策金利を将来にわたって超低水準で据え置くことをあらかじめ約束する「フォワード・ガイダンス(以下FG)」 ②中央銀行のバランス・シート(以下BS)上で資産構成(短期債と長期債)を入れ替える「オペレーション・ツイスト」) ③中央銀行の資産買い入れによって、マネタリーベース(中銀が民間銀行経由で供給する総資金供給量)の規模を拡大させる「量的緩和」 これらは、Fedが金融危機以降に自らも“ゼロ金利制約”の当事者となって、新たな金融政策運営を展開していくうえでの理論的なバックボーンとなった。 もっとも、バーナンキ議長率いるFedは、議長自らが考案した理論を現実の効果のほどを無視して強行するようなことは決してしなかった。経済学や金融論は社会科学であるゆえ、机上で構築した理論が、現実の世界でも通用するかどうかをあらかじめ実験室内で実験して、その妥当性を確認することができる自然科学とは異なる筋合いのものである。新たな理論に基づく政策手段の効果のほどは、いずれかの中銀が先行して実際に導入した結果から判断するよりほかにない。 Fedは“ゼロ金利制約”に初めて直面した2008年末、この点に忠実に、バーナンキ議長が論文で提唱した3つの新たな手段のうち、唯一の先行例として日銀が2001~06年に実施していた「量的緩和」の効果を徹底的に検証した。「量的緩和」政策導入当初、日銀自身やFRB理事時代のバーナンキ氏は実体経済へのプラス効果を期待していたが、それは認められなかった、という事実を素直に受け止めたうえで、「量的緩和」の部分を根本から見直した。 そして、日銀のようにマネタリーベースの増加を金融政策の目標に据えることは決してせず、長期金利の上昇抑制による実体経済の下支えを企図する「大規模な資産買い入れ(LSAP)」にその名称も改め、Fed自身が「量的緩和」と称することは決してなかった。他の「FG」や「オペレーション・ツイスト」とともに、効果が未知の新たな金融政策手段として期限を区切って試行し、そのつど効果を確認してから次の政策展開を虚心坦懐に考える、という形で危機後の政策運営を展開していったのである。 この点は、黒田総裁が2013年春の日銀総裁就任前に国会において、「白川総裁時代までは、日銀の金融政策が不十分だったから、わが国は長年、デフレから脱却できなかった」と述べ(※2)、日銀自身の2000年代の量的緩和について、日銀自身による分析を含めてすでに明らかになっていた結果を謙虚に受け止めようとせず、マネタリーベースの拡大を目標に据える金融政策運営を強行したのとは、極めて対照的な政策運営であった、と言えるだろう』、「Fed」の「政策運営」は、「効果が未知の新たな金融政策手段として期限を区切って試行し、そのつど効果を確認してから次の政策展開を虚心坦懐に考える」、という着実で誠実な運営だ。これに対し、「黒田総裁」の「政策運営」は、「謙虚さ」「誠実さ」を欠いているようだ。
・『バーナンキ議長が先頭に立って説明を行う そしてFedの場合、金融危機後にLSAPに取り組んだ初期から、出口問題を内部で検討し、その概要を2010年初という早期の段階から、バーナンキ議長が先頭に立ち、その効果ばかりでなく、後々起こりかねない“都合の悪いこと”も含めて、異例の政策の「出口」をどのような手段で切り抜けるのか、今後どのような金融政策運営を行っていくつもりなのか、といった点に関して、議会や記者会見等の場を通じ、丁寧な説明を行っていった。 LSAPは長期金利の上昇を抑制するうえで、一定の効果があることを確認できつつあったが、いつまでも続けられるわけではないこと、株式市場等の過熱といったリスクを惹起しかねないこと、先行きの金融情勢次第ではFedの財務が傷み、最悪の場合には連邦政府へのFedの納付金が枯渇する期間が続きかねないこと、といった点を、具体的な試算結果も合わせて公表し、米国民や市場関係者に誠実に、正直に説明していったのである。 そしてFedはその後、“2%の物価目標”に過度にこだわることなく、金融政策の正常化を断行していった(図表2)。米国の消費者物価前年比が安定的に2%を超えているとは言えず、かつ失業率も7%近い状態にあった2014年1月から、Fedは資産買い入れの減額を開始し、わずか10カ月後には新規買い入れを一切停止した。2015年入り後は、原油安の影響等もあって、世界的にも物価指標の下振れが長引いていた時期であったが、Fedは同年末に危機後初の利上げに踏み切り、2016年末からはほぼ3カ月に一度のペースで断続的に利上げを継続していった。 (米連邦準備制度の政策金利(FFレート・ターゲット)と米国の雇用・物価指標等の推移のグラフはリンク先参照) これらはすべて、米国の実体経済の回復度合いのみならず、Fed自身が先行きに抱えかねないリスクの大きさを慎重に判断したうえでの金融政策運営だった。さらに2017年10月以降、コロナ危機到来前までの期間においては、Fedは最大で月当たり500億ドル(≒邦貨換算1$=105円として、5兆2,500億円相当)もの巡航速度で、米国債およびMBSを満期落ちさせる形で、売却損を被ることなく手放し、資産規模を縮小させる正常化プロセスを進めていた。 コロナ危機前に正常化が最も進展していた2019年8月末時点において、Fedは総資産をピーク時(2017年9月末)の約4.5兆ドルから約3.8兆ドルにまで縮減させていた。先行きの金融政策運営上の支障となり得る、民間銀行がFedに預ける当座預金は、同じく約2.2兆ドルから約1.5兆ドルにまで、この期間中に実に3割以上縮減させていたのである。 Fedを凌駕する規模で資産を膨張させている今の日銀に、市場金利の上昇を怖れず「月当たり5兆円」もの規模で国債を手放していくという正常化のプロセスを、自らの手で実施する覚悟が果たしてあるのかどうか。 その覚悟もないのに、「2%の物価目標」の未達を“大義名分”に、政権の顔色を窺い、漫然と国債等の買い入れを続けて自らが抱え込むリスクを恐ろしいほどまでに膨張させ、「導入した当事者である自分たちの任期中には正常化を実施する気などさらさらありません」とでもいわんばかりの中央銀行には、そもそも、セントラル・バンカーとして、金融政策運営の一環としての「量的緩和」などに取り組む資格などないといえよう』、極めて厳しい日銀批判だ。「2010年初という早期の段階から、バーナンキ議長が先頭に立ち、その効果ばかりでなく、後々起こりかねない“都合の悪いこと”も含めて、異例の政策の「出口」をどのような手段で切り抜けるのか、今後どのような金融政策運営を行っていくつもりなのか、といった点に関して、議会や記者会見等の場を通じ、丁寧な説明を行っていった」、日銀とは大違いだ。
・『【英国】量的緩和のコストは政府が負担すると明確化 英国においてもリーマン・ショック後の2009年春、米Fedとほぼ同じ時期にBOEが“ゼロ金利制約”に直面し、まずは社債等の民間債券を、ほどなく英国債を大量に買い入れる量的緩和に踏み切らざるを得なくなった。 ただし、英国の場合特筆すべきは、こうした新たな金融政策手段を採用する時点においてリスクが明確に認識されていたことだ。それは以下の3点に整理できる。 ①BOEが多額の債券を買い入れるという金融政策運営は永続させることはできず、時が経てばいずれ正常化させざるを得ないこと ②その局面では、実体経済の回復に伴って良い意味での市場金利の上昇が見込まれ、それは同時に債券価格の下落を意味するため、正常化の局面でBOEが買い入れた債券等を売却すれば、多額の売却損を被りかねないこと ③それは中央銀行であるBOEの信用に重大な悪影響を及ぼしかねないこと BOEは1999年に政府からの独立性を獲得したが、それは金融政策運営の“手段の独立性”の側面にとどまり、米Fedや欧州中央銀行(ECB)のような“目標設定の独立性”までは得られず、その権限は政府(財務省)の側が握っているという関係にある。 しかしながらこうした危機の局面では、政府と中央銀行とのいわば“二人三脚”で金融政策運営に当たるような関係が奏功し、未知の新たな金融政策手段を導入するBOEに過度な負担を負わせず、将来的に起こり得べきコストは、すべて国(財務省)の側が負担する、という政策上の枠組みを新たに構築したうえで、量的緩和への着手が行われたのである』、日本ではこうした点は曖昧なままである。
・『BOEが量的緩和のための子会社を作り損益を明確にする 具体的には、いずれ出口の局面で損失がかさむことを見越し、量的緩和はBOE本体のBS上ではなく、BOEの子会社である資産買い入れファシリティ(APF)を設立し、その勘定で実施されることになった。こうした明確な区分経理により、量的緩和に伴う損益は毎期、明確に把握されて対外公表され、将来的にあり得る損失は全額英政府が負担することとされた。英政府が負担できる金額にはそのつど、上限を設け、それが折をみて引き上げられる形(図表3)で、その枠内でBOEは量的緩和を実施していったのである。 (資料)英財務大臣・BOE総裁間のAPF関連での各年の公開書簡(Exchange of letters between HM Treasury and the Bank of England)等を基に日本総合研究所作成。 (資料)英財務大臣・BOE総裁間のAPF関連での各年の公開書簡(Exchange of letters between HM Treasury and the Bank of England)等を基に日本総合研究所作成。 そしてBOEは、ひとたび量的緩和が出口の局面に入れば、それまで利益を計上していたAPFがどのような形で損失を計上することになるのかという問題に関する試算結果を対外公表して明確に国民に示した(図表4)。それによって英国民は、BOEの量的緩和によって長期金利が低下するというメリットが得られるばかりでなく、いずれは自分たちに負担が回ってくることになりかねないことを明確に認識できるようになったのである。そしてその損失の規模は、先行きの金利情勢次第で大幅に変化する。BOEはさらに、APF、ひいてはBOEの損失額を簡単に試算できるスプレッドシートをHP上で提供している』、「量的緩和はBOE本体のBS上ではなく、BOEの子会社である資産買い入れファシリティ(APF)を設立し、その勘定で実施されることになった。こうした明確な区分経理により、量的緩和に伴う損益は毎期、明確に把握されて対外公表され、将来的にあり得る損失は全額英政府が負担することとされた」、ここまで明確に区分経理するとはさすがだ。日銀も爪の垢で煎じて飲むべきだろう。
・『【欧州】国債買い入れよりも財政再建が先 2008年のリーマン・ショックに続いて、2009年秋以降欧州債務危機に見舞われたECBは、主要な中央銀行のなかでも、最も厳しい金融政策運営を迫られた中央銀行であるといえよう。 今となって振り返れば、最も厳しかったのは、ドラギ氏がECB総裁に就任した2011年秋から、ギリシャが1年間に二度にわたる財政破綻を引き起こした2012年にかけての時期であった。しかしながら、そうした厳しい局面に際しても、ECBは安易に各国債を買い入れる危機対応策は採らず、あくまで、民間銀行への資金供給(リファイナンシング・オペ)を、危機対応として長期化、大規模化させることを通じて、民間銀行が保有している各国債を手放さなくて済むようにする、という間接的な支援にとどめた(図表5)。これが奏功して、債務危機が一服した後、大きく膨張していたECBのBSは急速に元の規模へと縮小することとなった。 (ユーロシステムの資産/負債の主な内訳別推移(2007~19年)のグラフはリンク先参照) ギリシャのユーロ離脱が取り沙汰され、債務危機の緊張がピークにあった2012年7月、ドラギ総裁は「ユーロを守るためにやれることはなんでもする」と発言した。続く9月のECBの政策委員会で導入された、債務危機対応のための新たな方策は「短・中期国債の買い切りオペ(※3)」であったが、これには申請国があくまで、ユーロ圏が定める厳しい財政再建プログラムを自ら断行することを条件に、ECBが当該国の短・中期国債の買い切りオペに応じる、というものであった。 ※3:買い切りオペレーションの略。金融調節の一環として、中央銀行は金融機関から国債などを買い入れている。その際、売り戻しの条件がついていない「買い切り」の取引をこう呼ぶ。 要するに、「財政再建が先、中央銀行による国債の買い入れは後」というもので、この枠組みが設けられたこと自体は、危機的事態の沈静化に大きな効力を発揮したものの、実際に適用を申請する国はなかったのである。そして欧州では債務危機が一段落した後、わが国では考えられない迅速なペースで財政再建が進められ、それが結果的には現下のコロナ危機下での財政面での対応余力を生み出すことになった』、「「財政再建が先、中央銀行による国債の買い入れは後」というもので、この枠組みが設けられたこと自体は、危機的事態の沈静化に大きな効力を発揮」、原則がキチンと守られているのは、ドイツの影響もあるのだろう。
・『日銀の「量的・質的金融緩和」がもたらした財政の弛緩 「やれることは何でもやる」。これはわが国でもかつて耳にしたことがあるフレーズだ。2013年3月衆議院議院運営委員会における所信表明のなかで、黒田総裁は「もし私が総裁に選任されたら、市場とのコミュニケーションを通じて、デフレ脱却に向けやれることは何でもやるという姿勢を明確に打ち出していきたいと思う」と述べた。そして就任直後の同年4月から「量的・質的金融緩和」を実施し、今日に至っている。 その考え方はまさに、「デフレ脱却、ないしは2%の物価目標の達成が先」=「中央銀行による国債買い入れが先、財政再建は後」というものだ。そして、その後の日本の財政規律の弛緩ぶりは今まさにみてのとおりの状況になっている。 以上は、海外の主要中銀がこれまで展開してきた金融政策運営のごく一部のエピソードにすぎない。日銀を含む主要中銀が、これまでどれほどのリスクをとる金融政策運営を行っているかは、最も端的にはその資産規模の推移に表れる(図表6)。 (主要中央銀行の資産規模の推移(名目GDP比)のグラフはリンク先参照) コロナ危機下にある現時点に至るまで、日銀がいかに他の主要中銀とはかけ離れた過剰なリスク・テイクを行っているのかは、このグラフから一目瞭然だろう。次回は、わが国がこのまま突き進んでいったとき、その先で待ち受ける事態はいかなるものなのかについて考えることとしたい』、「名目GDP比でみた資産規模」、で日銀の異常な「リスク・テイク」ぶりが明らかである。「出口戦略」を考えておくべきだろう。
次に、12月19日付け東洋経済オンラインが掲載した経済ジャーナリストの森岡 英樹氏による「40兆円の日銀ETF、「個人に直接譲渡」案が急浮上 香港では事例あり、日本で実施するリスクは?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/397007
・『「はたして出口はあるのだろうか」 日本銀行内部で頭の痛い問題になっているのが、2010年12月の金融緩和以降、営々と買い続けてきたETF(上場投資信託)の出口戦略だ。「ETF買い入れは、主要中央銀行では日銀しか行っていない奇策。それだけに出口戦略も難題と言わざるをえない」(市場関係者)。 日銀が11月26日に発表した2020年4~9月期決算によると、保有するETFは9月末時点(時価ベース)で40兆4733億円まで膨張している。20年3月末の31兆2203億円から約30%増加した格好だ』、「出口戦略も難題」なのは確かだ。
・『GPIFを抜いて日本最大の株主になった日銀 「株高により含み益が前年度末の3081億円から半年間で5兆8469億円へ大幅に増加したことが大きく寄与した」(機関投資家)とされる。結果、最終損益に当たる当期剰余金は9288億円と、過去最高の水準を記録した。 日銀の足元の保有株式残高は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)を抜き、いまや日本最大の株主だ。 「3月末時点ではGPIFの国内株式の保有残高は、日銀を約1兆円上回っていたが、GPIFは株式の持ち分が基本ポートフォリオの資産配分の上限を超えたことから10月以降、残高を落とす一方、日銀は買い入れを継続していることから時価ベースの残高は逆転している」(機関投資家)とされる。日銀のETF保有残高は東証1部時価総額の7%程度まで膨らんでいると見られている。 コロナ禍にもかかわらず株価が上昇を続けており、日経平均株価はバブル崩壊後、29年ぶりの最高値を更新した。日本最大の株主となった日銀は、自作自演の「官製相場」を演出し、その恩恵を最も受けているわけだ。 しかし、この「官製相場」は一度舞台に上がると降りるに降りられない、「ネバーエンディングストーリー」になりかねない危うさを秘めている。 2013年春に黒田東彦氏が日銀総裁に就いて、間髪を入れずに断行した量的・質的緩和、いわゆる異次元緩和は、バズーカ砲に例えられたように、デフレにあえぐ日本経済を下支えする効果は絶大だった。 消費者物価指数(CPI)はお世辞にも目標とされた2%には到達できていないが、マネタリーベースの拡大および長期国債、ETFなどの買い取りは市場に安心感を醸成した。 とりわけ株式市場は円安効果も手伝い、大きく上げに転じた。異次元緩和を契機に株式市場はリスクオフからリスクオンに転換したように思える。「買い本尊として日銀が控えていることは何よりの安心材料」(市場関係者)というわけだ』、「この「官製相場」は一度舞台に上がると降りるに降りられない、「ネバーエンディングストーリー」になりかねない危うさを秘めている」、同感である。
・『時間とともに大きくなった副作用 しかし、時間の経過とともに異次元緩和の効果が薄れる中、日銀は順次追加の緩和策に踏み込んだ。マイナス金利の導入はその代表だ。よりカンフル剤的な施策に踏み込むにつれ、副作用も大きくなっていった。金融機関の収益圧迫はその象徴的な事象だ。そこにコロナ禍が追い討ちをかけた。 日銀は今年3月、3年半ぶりに追加緩和に踏み切った。直前にFRB(連邦準備制度理事会)が緊急の追加利下げに踏み切り、政策金利をゼロ%にすることを決めたことを受けた措置でもあったが、柱は以下のとおりだ。 ① 年間6兆円をメドに買い上げているETF(上場投資信託)を2倍の12兆円に増やす。 ② REIT(不動産投資信託)の買い入れ額を年間900億円から2倍の年間1800億円に増額する。 ③ 企業への直接的な資金繰り対策として社債やCP(コマーシャルペーパー)の購入について、9月末までに2兆円増す。 ④ 民間金融機関が融資を増やすよう資金供給の枠組み(8兆円規模)を創設し、9月末までゼロ%で貸し出す。 コロナ禍を受けて日銀がETFの買い入れを増額するなど、追加緩和策に踏み出したことで、これまでマグマのようにたまり続けてきたある疑念が頭をもたげた。日銀のバランスシート悪化への懸念だ。 日銀の買い入れたETFはこの時点で30兆円を超えており、「日経平均株価が1万9500円を割り込むと含み損になる」と黒田総裁が参議院の予算委員会で発言したことも不安をあおった。 株価も下落基調で、このままで推移すれば、いずれ日銀は一般企業でいう総資産を自己資本等(資本金、引当金勘定、準備金)で割った自己資本比率がマイナスに転じ、債務超過に陥るのではないかと危惧された。 もちろん、日銀は日銀券を発行する発券銀行であり、自己資本を銀行券で割った自己資本比率は8%超を維持している。いずれにしても、こうしたリスクを冒してでも日銀が追加緩和に踏み込まざるをえないところに新型コロナウイルスの影響の深刻さが見て取れる。) さいわい、日銀をはじめとする主要国中央銀行の一斉金融緩和が効を奏し、コロナ禍にもかかわらず、金融システムは揺らぐことなく、株式市場はむしろ暴騰している。根底にあるのは、中央銀行が市中にばら撒いた過剰なマネーにほかならない。 しかし、追加緩和の副作用は日銀そのものに逆流し始めている。 3月の追加緩和に伴い日銀の資産残高は9月末で、前年同期比21.1%増の690兆0269億円に膨らんだ。内訳は国債が前年同期比10.5%増の529兆9563億円、J-REIT(不動産投資信託)が同19.9%増の6420億円、そしてETFが同24.5%増の34兆1861億円などだ。いずれの保有残高も過去最高額となっている。 残高が増えるにつれ、その出口戦略は難しくなる。「最大の保有者である日銀が売りに出れば、それだけで価格が下落し、日銀は損失を抱えるというジレンマに直面する」(市場関係者)ためだ。 とくに株式は国債のように満期まで持ち切るという対応ができない。どこかの局面で売る行為が必要になる。いったい、どうするのか。まさに日銀が頭を抱えるゆえんだ』、「確かにETFの「出口戦略」は難しそうだ。
・『ETFの買い入れ決めた元幹部が戦略提案 そこで浮上している案の1つにETFを個人に直接譲渡して保有してもらうという構想がある。提案しているのは、元日銀理事で、日銀のETF買い入れ政策を決めた当時の企画局長、櫛田誠希氏(現・日本証券金融社長)だ。 個人の購入希望者を募って、日銀が保有するETFを譲渡するという案で、「一定期間、相応のインセンティブ付与を前提に売却制限を付して譲渡する」ことなどが考えられている。 つまり、ETFを割引価格で個人に譲渡する。譲渡後は一定期間保有を義務付けるというスキームである。日銀が保有するETFは株価上昇で含み益があり、相応の割引価格でも日銀に損失は生じない。かつ、売却制限を課すことで市場インパクトを減殺できるというわけだ。 同時に、この個人への譲渡案は、「貯蓄から投資(資産形成)」を推し進める金融庁にとっても渡りに船となる。「預貯金を中心に積み上がる個人金融資産を投資に振り向けたい金融庁にとって、日銀のETFを個人に割引譲渡することはまさに一石二鳥の妙案といえる」(市場関係者)。 実は1990年代後半のアジア通貨危機時に、香港政府が市場から株式を買い上げ、その出口戦略として買い上げた株式でETFを組成し、価格を割り引いて個人に譲渡したことがある。この施策はその後の個人投資家の育成に資することになったと評価されている。 だが、はたして同様のことが日銀でも可能なのか。日銀のETF保有額は香港の事例と比べようもないほど巨額であり、「割引価格で譲渡しても、その後の株価下落で個人投資家が損失を被るリスクは消えない」(市場関係者)ことは確かだ。日銀の悩みは深い』、「個人への譲渡案」はなかなかいいアイデアだ。
第三に、1月7日付け東洋経済オンラインが掲載したみずほ銀行 チーフマーケット・エコノミストの唐鎌 大輔氏による「インフレ期待2%到達でアメリカFRBはどう動く 金利とドルの相互連関的な下落はいったん収束」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/401891
・『1月4日の金融市場ではアメリカの期待インフレ率を示す10年物ブレークイーブンインフレ率(以下10年BEI)がついに2%を突破するという動きが見られた。その傍らで10年債利回りは0.90%付近、ドルインデックスもおおむね90付近で横ばいとなっていたので、期待が先行して高進している構図が鮮明である。 10年BEIの2%突破は2018年11月16日以来、約2年2カ月ぶりであり、FRB(連邦準備制度理事会)が2019年に利下げ路線に転換する以前の水準に回帰したことになる。2018年11月といえば、すでにFRBが年3回の利上げを済ませ、翌月には4回目の利上げを敢行するタイミングである。今とは対照的だ。感染拡大が深刻度を増すたびに裁量的なマクロ経済政策の発動が期待され、10年BEIが上がるが、実体経済はついてこない、という構図が続いて、そろそろ1年になる』、「アメリカ」には「10年BEI」など重要な経済指標がある。
・『「アメリカ」には「10年BEI」など重要な経済指標がある こうしたインフレ期待の高まりと、インフレ耐性に優れるとされる株価の上昇は一応の整合性が取れる。だが、理論的には人々の期待するインフレ率が上昇すると、名目金利も相応に上昇すると考えられる。いわゆる「名目金利=実質金利+インフレ期待」で定義されるフィッシャー効果の議論だ。 昨年来の株価上昇は、インフレ期待上昇に伴う実質金利の低下によるもの、という解説が目立つ。その説が正しいとすれば、名目金利上昇に伴う実質金利上昇は株価下落を招く可能性が高い。利上げや量的緩和の縮小といった具体的な正常化プロセスが始まらなくても、経済・金融情勢が正常化に向かう過程で名目金利が上昇するというのは「普通のこと」だ。その「普通のこと」、すなわちフィッシャー効果の発現を、FRBがどれくらい抑制しようとするかが2021年には問われるだろう。 真っ当に考えれば、FRBの責務は株価の高値維持ではなく「雇用の最大化」と「物価の安定」の2つなのだから、明らかに先走っている株価の騰勢にブレーキをかけること自体は、さほど不思議なことではない。しかし、コロナ禍からの立ち上がりを図ろうとしている最中、あえてそうした株価潰しをやることについては相応の勇気が必要なのは間違いない。 したがって、「どれくらい抑制するのか」というさじ加減が重要になる。まず、名目金利の行方について、さまざまな見方がありうる。現状から横ばいでまったく変わらないという見方もあれば、大きく上がる、小さく上がる、もしくは逆に、感染再拡大に応じて下がっていくという見方もあるかもしれない』、「なるほど。
・『名目金利はつれて上昇するのか 筆者は、有効なワクチン接種も順次始まっている以上、2021年のアメリカの金利が「横ばいでまったく変わらない」という想定には無理があるという立場だ。実際、10年BEIの上昇スピードが速いので実質金利低下ばかりに目が行くが、昨年10~11月を境に名目金利も少しずつ上昇している。 アメリカ10年金利は、1~3月期に1.0%台に乗せ、年央までに1.2%、年末までに1.5%程度までの範囲ならば上昇余地があり、ドル相場の一方的な下落もこれに応じて止まると考えている。 逆に、ここからアメリカの金利が下がる展開があるのだろうか。ないとは言えない。コロナ変異種の強毒化やそれに伴うワクチンの無効化など、コロナ絡みでは何が起きるかわからない。実情はどうあれ、2021年はメディアを中心として副作用の存在をことさら喧伝する時間帯が必ずあると筆者は考えている。その際、思惑主導でアメリカの金利が低下する可能性はリスクシナリオとして十分想定されるものだ。金利は上昇に賭けておくほうが無難だとは考えるが、逆サイドのリスクがゼロというわけではない。 話をアメリカの金利上昇に戻す。金利が上昇すれば株価の調整だけでなく、ドル建て債務を積み上げた途上国への影響も懸念されるだろう。リーマンショック後、金融市場ではドルを安価で調達できるようになり、とりわけ新興国では民間部門を中心としてドル建て債務が急速に積み上がったという経緯がある。 こうした、いわば「ドル化した世界」の危うさは過去に本コラムへの寄稿『「ドル化した世界」がFRBの利上げ路線を阻む』でも議論したことがあるので今回は詳しく議論しないが、まだ多くの途上国がドル建て債務を抱えたままの状態が放置されている。かかる状況下、アメリカの金利が上昇する過程では株価の動揺に加え、新興国通貨の価値下落が当該国の債務負担を増すという展開も十分懸念されるものだろう』、「金利が上昇すれば株価の調整だけでなく、ドル建て債務を積み上げた途上国への影響も懸念」、その通りだ。
・『2021年はタカ派とハト派のバランスに腐心 一方的に緩和方向への政策運営に尽くせばよかった2020年とは異なり、2021年以降のFRBは国内外への影響に鑑み、タカ派とハト派のバランスを取ることに腐心する難しい局面に入る。必然的に、アメリカの金利の低下とこれに伴うドル安だけを既定路線として見ておけば済んだ2020年とは違った相場観が求められる。 筆者はドル高局面への転換とまでは言わないが、アメリカの金利とドルの相互連関的な下落がいったん収束し、次の潮流に向かう「踊り場」のような年に2021年は位置づけられるのではないかと考えている』、「アメリカの金利とドルの相互連関的な下落がいったん収束し、次の潮流に向かう「踊り場」のような年に2021年は位置づけられるのではないか」、「踊り場」とは上手く表現したものだ。
タグ:日銀の「量的・質的金融緩和」がもたらした財政の弛緩 米英欧日を「量的緩和」と一括りにする日本メディアのお粗末 河村 小百合 「Fed」の「政策運営」は、「効果が未知の新たな金融政策手段として期限を区切って試行し、そのつど効果を確認してから次の政策展開を虚心坦懐に考える」、という着実で誠実な運営だ 『中央銀行の危険な賭け 異次元緩和と日本の行方』(朝陽会) 櫛田誠希氏 異次元緩和政策 (その35)(大幅な税収不足なのに財政支出を増やしているのは日本だけである 米英欧日の「量的緩和」を比較する、40兆円の日銀ETF 「個人に直接譲渡」案が急浮上 香港では事例あり 日本で実施するリスクは?、インフレ期待2%到達でアメリカFRBはどう動く 金利とドルの相互連関的な下落はいったん収束) ETFの買い入れ決めた元幹部が戦略提案 「確かにETFの「出口戦略」は難しそうだ 「大幅な税収不足なのに財政支出を増やしているのは日本だけである 米英欧日の「量的緩和」を比較する」 BOEが量的緩和のための子会社を作り損益を明確にする 個人の購入希望者を募って、日銀が保有するETFを譲渡するという案で、「一定期間、相応のインセンティブ付与を前提に売却制限を付して譲渡する」ことなどが考えられている 時間とともに大きくなった副作用 政策上の枠組みを新たに構築したうえで、量的緩和への着手が行われたのである 「この「官製相場」は一度舞台に上がると降りるに降りられない、「ネバーエンディングストーリー」になりかねない危うさを秘めている」、同感である GPIFを抜いて日本最大の株主になった日銀 アメリカの金利とドルの相互連関的な下落がいったん収束し、次の潮流に向かう「踊り場」のような年に2021年は位置づけられるのではないか」、「踊り場」とは上手く表現したものだ 出口戦略も難題 2021年はタカ派とハト派のバランスに腐心 「「財政再建が先、中央銀行による国債の買い入れは後」というもので、この枠組みが設けられたこと自体は、危機的事態の沈静化に大きな効力を発揮」、原則がキチンと守られているのは、ドイツの影響もあるのだろう 【英国】量的緩和のコストは政府が負担すると明確化 金利が上昇すれば株価の調整だけでなく、ドル建て債務を積み上げた途上国への影響も懸念」、その通りだ 2010年初という早期の段階から、バーナンキ議長が先頭に立ち、その効果ばかりでなく、後々起こりかねない“都合の悪いこと”も含めて、異例の政策の「出口」をどのような手段で切り抜けるのか、今後どのような金融政策運営を行っていくつもりなのか、といった点に関して、議会や記者会見等の場を通じ、丁寧な説明を行っていった」、日銀とは大違いだ 名目金利はつれて上昇するのか 「40兆円の日銀ETF、「個人に直接譲渡」案が急浮上 香港では事例あり、日本で実施するリスクは?」 日本ではこうした点は曖昧なまま 「アメリカ」には「10年BEI」など重要な経済指標がある 【欧州】国債買い入れよりも財政再建が先 「インフレ期待2%到達でアメリカFRBはどう動く 金利とドルの相互連関的な下落はいったん収束」 こうした明確な区分経理により、量的緩和に伴う損益は毎期、明確に把握されて対外公表され、将来的にあり得る損失は全額英政府が負担することとされた」、ここまで明確に区分経理するとはさすがだ。日銀も爪の垢で煎じて飲むべきだろう 森岡 英樹 バーナンキ議長が先頭に立って説明を行う 唐鎌 大輔 【米国】新手段は慎重に試し、出口問題も誠実に説明 東洋経済オンライン 「名目GDP比でみた資産規模」、で日銀の異常な「リスク・テイク」ぶりが明らかである。「出口戦略」を考えておくべきだろう PRESIDENT ONLINE
金融業界(その7)(「変わらない地銀」追い込む菅首相の強烈な爆弾 政府・日銀が一体で大再編を後押しする事情、三菱UFJ、半沢新頭取が担う「コスト改革」の重責 慣例を破り常務からいきなり頭取に就任) [金融]
金融業界(その7)(「変わらない地銀」追い込む菅首相の強烈な爆弾 政府・日銀が一体で大再編を後押しする事情、三菱UFJ、半沢新頭取が担う「コスト改革」の重責 慣例を破り常務からいきなり頭取に就任))である。
先ずは、昨年11月24日付け東洋経済オンライン「「変わらない地銀」追い込む菅首相の強烈な爆弾 政府・日銀が一体で大再編を後押しする事情」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/390044
・『それは、ある地方銀行が記者クラブで決算発表をしている最中のことだった。 「日銀が地銀再編を支援する新しい制度を発表しましたが、どう受け止めていますか」 質疑に応じていた頭取にも初耳の話。当然、想定問答なども用意しておらず、しどろもどろになってしまったという。 同じ時刻、別の地銀では、経営企画部の電話がけたたましく鳴り響いていた。「どういうことですか」「詳しく聞かせて」。経営陣はもちろん、各部署からも問い合わせが相次いでいたのだ。 まさに蜂の巣をつついたような騒ぎになったのは、11月10日に日銀が突然、「地域金融強化のための特別当座預金制度」を発表したからだ』、「決算発表をしている」「ある地方銀行」「頭取」も、「発表」されたばかりの「新しい制度」について、一応勉強しておくべきだったし、質問して恥をかかせた記者も非常識だ。
・『経費削減や経営統合に取り組む地銀を優遇 この制度は、地銀と信用金庫を対象とし、経費削減や経営統合に取り組むことを条件として、日銀への当座預金に年0.1%の上乗せ金利をつけるというもの。2022年度までの時限措置として導入するとしている。 具体的な条件としては、経費を業務粗利益で割った経費率(OHR)の改善率が2019年度から2022年度までに4%以上になること、経費の改善額が同時期に6%以上になること、そして2023年3月末までに合併や連結子会社化といった経営統合を決定すること。これら3つのいずれかを満たした場合に対象となる。 ここ数年、地銀を苦しめてきたマイナス金利政策が、条件付きとはいえ一部修正されることに、地銀は色めき立ったのだ。こうした発表を受けて、ある地銀では、「削れる経費をすべて洗い出せ!」との大号令がかかったという。 地銀の反応はさまざまだ。「チャレンジしたい」「経営統合によって費用がかさんでおり、達成は可能。すぐ申請したい」と歓迎する声が上がる一方で、「かなりの経費をすでに削っており簡単ではない」「これまで再編に取り組んできた地銀が損をすることになり不公平」といった不満も聞かれる。とはいえ、どの銀行も「達成できるかどうかは別にして、取り組まない手はない」と前向きだ。 『週刊東洋経済』11月24日発売号は、「地銀最終局面」を特集。菅義偉首相によって追い込まれた「地銀の崖っぷち」を徹底取材した。「列島再編ルポ」をはじめ「再編大胆予測」、そして「激変する銀行員の現実」など地銀の今を余すところなく伝えている。 しかしこうした日銀の政策について、金融関係者の間では「禁じ手だ」と評判が悪い。 「日銀はミクロ経済には手を出さないというのが不文律。こんなことをしたら金融政策がおかしくなってしまう。執行部もそれがわかっているから、総裁会見がない通常会合で決めたのだろう」と日銀元幹部は指摘する』、「ミクロ経済には手を出さないという・・・不文律」を破ったのは確かに不自然で、「総裁会見がない通常会合で決めたのだろう」との指摘はその通りだろう。
・『それからわずか2日後の11月12日。今度は政府が、地銀や信金の経営統合や合併に対し、システム統合費用などの一部を補助する交付金制度を来年夏にも創設する方針が明らかになる。申請期限は2026年3月末までの5年間弱、最大で30億円程度となる見通しだ。 こうした政策がアメならば、政府はムチも用意する。2カ月前の9月中旬。金融庁の氷見野良三長官は地銀首脳とのオンライン会合で、公的資金による資本注入の要件を大幅に緩和した改正金融機能強化法の活用を検討してほしいと訴えた。 同法は経営責任や収益目標を求めなかったり、返済期限を設けなかったりと、銀行にとって使い勝手はよくなっている。だが、ひとたび公的資金が注入されれば、「再編を進めたい国の言うことを聞かなければならなくなる」(地銀幹部)ことは必至。経営の自主性が失われるのは目に見えている。 硬軟を巧みに使い分けながら、政府・日銀が一丸となって地銀を追い込む背景には、菅首相の存在があった。自民党総裁選挙前に「地銀は数が多すぎるのではないか」と発言、翌日に再編について「選択肢の1つ」と踏み込み、地銀に再編を迫ったのだ。 実は日銀も、この発言を受けて大手地銀に対し、「経費はどれくらい下げられますかね」とヒアリングを行っていた。「今振り返れば、準備していたのだろう」とこの地銀の幹部は振り返る。 前出の日銀元幹部も「政府はもちろん、日銀も前のめりになっているのは、明らかに菅首相への忖度。首相の本気さを感じ取り、歩調を合わせたのだろう」とみる』、「金融庁」「日銀」とも「菅首相への忖度」で「前のめりになっている」、とは困ったことだ。
・『しびれを切らす菅首相 菅首相がここまで踏み込むのは、地銀を取り巻く環境が劇的に変化し、存在意義さえ失いかけているにもかかわらず危機意識が薄いことに、いら立っていたからだ。 長引く超低金利政策で、貸出金利は大幅に低下。地域経済の縮小も相まって本業だけでは生きていけず、今後、赤字の地銀が増えるのは必至だ。そうしたタイミングで新型コロナウイルスが発生。感染拡大で企業業績の悪化は著しく、貸し倒れに備えた引当金など与信コストは増加傾向にある。おのずと地銀の健全性も劣化していく。 しかも、過去に注入された公的資金の優先株がすべて普通株に強制転換される「一斉転換」が2024年に迫っている地銀も少なくなく、返済できなければ実質的に国有化される危険性が高まっている。 にもかかわらず、地銀は変わろうとしない。第二地銀こそ減っているものの、第一地銀に関してはこの40年間、63~64行のまま。長きにわたって金融当局が再編を呼びかけてきたのにだ。こうした状況に菅首相がしびれを切らし、〝爆弾〟を投じたというわけだ。 かつて、これだけ明確に地銀の再編について言及した首相はいなかった。それだけに、インパクトはすさまじいものがある。追い込まれた地銀に残された時間は少ない』、「地銀の再編」など「首相」が言及するには、小さ過ぎる問題だ。もっと骨太な問題を取り上げるべきだろう。
次に、12月28日付け東洋経済オンライン「三菱UFJ、半沢新頭取が担う「コスト改革」の重責 慣例を破り常務からいきなり頭取に就任」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/399807
・『「金融機関は100年に1度と言われるような改革を進めなければならない時期にある。それに対応するため、世代交代、若返りを一段と進める」。三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)の亀澤宏規社長(59)は、頭取交代の狙いを会見でそう語った。 MUFGは2020年12月24日、三菱UFJ銀行の頭取交代を発表した。2021年4月付けで、三毛兼承頭取(64)に代わり、半沢淳一取締役常務執行役員(55)が就任する。三毛頭取はMUFGの会長に、平野信行MUFG会長(69)は三菱UFJ銀行の特別顧問になる。 今回のトップ人事は慣例を破る格好となった。三菱UFJ銀行の頭取は皆、副頭取から昇格する形で就任してきた。常務がいきなり頭取に就くのは、いわば“飛び級”だ。現在、副頭取や専務を務めている計13人を追い抜く大抜擢ということになる』、人事には保守的な「MUFG」としては、確かに驚きの人事だ。
・『注目すべき華々しい経歴 三毛氏はMUFG社長時代から「構造改革を成功させるには、チャレンジするカルチャーを作らなければいけない」と語ってきた。年功序列や減点主義が失敗を恐れる文化につながっているとして「若手の抜擢」を掲げ、人事制度改革に力を注いできた。今回のトップ人事もその流れをさらに進めるものだ。 頭取の交代が報じられた直後、人気ドラマの「半沢直樹」と苗字が同じということから、SNS上で話題になった。名前ばかりが注目を集める同氏だが、その華々しい経歴にも目を向けるべきだろう。 半沢氏は1988年に東京大学経済学部を卒業、三菱銀行に入行した。その後は経営企画部長などを務めてきた企画畑。持株会社の設立を主導し、「MUFGの礎を築いたとも言える」(亀澤社長)。名古屋営業本部長など営業部門での経験も持ち合わせている。 近年は崩れつつあるものの、三菱UFJのトップにはかつて「東大・京大出身、旧三菱銀行出身、企画畑」という“王道ルート”が存在していた。半沢氏はこの王道のすべてに当てはまる。 三毛氏も「激動の時代にあって大きな船のかじ取りを任せるにふさわしいリーダー」と評する半沢氏だが、待ち受けるのは茨の道だ。 半沢氏が率いる銀行部門は厳しい経営環境にさらされている。低金利が続き、利ザヤが縮小。預金を集めて貸し出すという従来のビジネスモデルでは立ち行かない。足元では、新型コロナウイルスの影響で、企業の資金繰り支援という大きな課題も抱える。コロナの影響が長引き倒産が増えてくれば、与信費用の拡大も覚悟しなければならない状況だ。 預金と貸し出しを中心とする商業銀行の将来について、MUFGの亀澤社長は「成長ドライバーになることは難しい」と見ている。その中で、半沢氏に求められるのは「損益分岐点を下げ、コスト構造を変える」(亀澤社長)こと。つまり、経費率を下げ、収益力を高めるということだ』、なるほど。
・『ライバルに見劣りする「経費率」 2020年3月期、MUFGは3メガバンク体制になって初めて三井住友フィナンシャルグループに純利益で首位を明け渡した。海外子会社の減損が主因であり、2021年3月期には再び逆転をする見込みだが、両行の“距離”は確実に近づいてきている。 その要因の1つが経費率にある。2020年3月期のMUFGの経費率は70.2%。対して三井住友の経費率は62.8%にとどまる。三井住友は、より少ないコストで収益を上げているのだ。 銀行部門に限れば、その差はさらに顕著だ。業務粗利益(本業の収益から費用を引いた額)は三菱UFJ銀行が1兆5462億円、三井住友銀行が1兆4120億円とほぼ同水準。しかし経費は、三井住友が8080億円なのに対し三菱UFJが1兆1509億円と3000億円以上も多い。経費率を見ると三井住友銀行は57.2%、三菱UFJ銀行は74.4%とその差は歴然としている。 この格差を生む要因の1つが店舗だ。MUFGは2020年5月に店舗削減の加速を発表。2024年3月までに2018年3月末の515店舗から約40%を削減し(従前は35%削減)、約300店舗まで削減する計画になっている。一方、三井住友は店舗削減で先を行く。旧住友銀行と旧さくら銀行の統合時に約750店あった支店を約430店にまで削減しているからだ』、「経費率」「格差」の解消は急務だ。
・『高コストの要因は語りきれない 半沢氏は12月24日の会見で経費率が高い要因を問われ、「語りきれない。残念ながら、いろんな要因がある」としつつ、「本部の要員が他のメガバンクより多く、海外での残高増加に伴って規制対応コストも高くなっている」と例を挙げた。 ある旧三菱銀行OBは「合併後の“分割統治”によって抜本的なリストラができなかったことが根本的な要因だ」と指摘する。行内の関係性を重視した結果、先延ばしにされてきた改革に手をつけるときがきたわけだ。 規模では圧倒的首位を誇るMUFG。コスト改革が進めば、利益でも他を圧倒することは間違いない。半沢新頭取はどこまで大胆にコスト改革のメスを入れられるか。金融業は異業種も交えた競争激化が必至なだけに、体質強化は避けて通れない。就任早々、その実行力が問われそうだ』、「高コストの要因は語りきれない」、店舗以外にも様々な「要因」があるということは、逆に絞りがいがありそうだということを意味するようだ。
先ずは、昨年11月24日付け東洋経済オンライン「「変わらない地銀」追い込む菅首相の強烈な爆弾 政府・日銀が一体で大再編を後押しする事情」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/390044
・『それは、ある地方銀行が記者クラブで決算発表をしている最中のことだった。 「日銀が地銀再編を支援する新しい制度を発表しましたが、どう受け止めていますか」 質疑に応じていた頭取にも初耳の話。当然、想定問答なども用意しておらず、しどろもどろになってしまったという。 同じ時刻、別の地銀では、経営企画部の電話がけたたましく鳴り響いていた。「どういうことですか」「詳しく聞かせて」。経営陣はもちろん、各部署からも問い合わせが相次いでいたのだ。 まさに蜂の巣をつついたような騒ぎになったのは、11月10日に日銀が突然、「地域金融強化のための特別当座預金制度」を発表したからだ』、「決算発表をしている」「ある地方銀行」「頭取」も、「発表」されたばかりの「新しい制度」について、一応勉強しておくべきだったし、質問して恥をかかせた記者も非常識だ。
・『経費削減や経営統合に取り組む地銀を優遇 この制度は、地銀と信用金庫を対象とし、経費削減や経営統合に取り組むことを条件として、日銀への当座預金に年0.1%の上乗せ金利をつけるというもの。2022年度までの時限措置として導入するとしている。 具体的な条件としては、経費を業務粗利益で割った経費率(OHR)の改善率が2019年度から2022年度までに4%以上になること、経費の改善額が同時期に6%以上になること、そして2023年3月末までに合併や連結子会社化といった経営統合を決定すること。これら3つのいずれかを満たした場合に対象となる。 ここ数年、地銀を苦しめてきたマイナス金利政策が、条件付きとはいえ一部修正されることに、地銀は色めき立ったのだ。こうした発表を受けて、ある地銀では、「削れる経費をすべて洗い出せ!」との大号令がかかったという。 地銀の反応はさまざまだ。「チャレンジしたい」「経営統合によって費用がかさんでおり、達成は可能。すぐ申請したい」と歓迎する声が上がる一方で、「かなりの経費をすでに削っており簡単ではない」「これまで再編に取り組んできた地銀が損をすることになり不公平」といった不満も聞かれる。とはいえ、どの銀行も「達成できるかどうかは別にして、取り組まない手はない」と前向きだ。 『週刊東洋経済』11月24日発売号は、「地銀最終局面」を特集。菅義偉首相によって追い込まれた「地銀の崖っぷち」を徹底取材した。「列島再編ルポ」をはじめ「再編大胆予測」、そして「激変する銀行員の現実」など地銀の今を余すところなく伝えている。 しかしこうした日銀の政策について、金融関係者の間では「禁じ手だ」と評判が悪い。 「日銀はミクロ経済には手を出さないというのが不文律。こんなことをしたら金融政策がおかしくなってしまう。執行部もそれがわかっているから、総裁会見がない通常会合で決めたのだろう」と日銀元幹部は指摘する』、「ミクロ経済には手を出さないという・・・不文律」を破ったのは確かに不自然で、「総裁会見がない通常会合で決めたのだろう」との指摘はその通りだろう。
・『それからわずか2日後の11月12日。今度は政府が、地銀や信金の経営統合や合併に対し、システム統合費用などの一部を補助する交付金制度を来年夏にも創設する方針が明らかになる。申請期限は2026年3月末までの5年間弱、最大で30億円程度となる見通しだ。 こうした政策がアメならば、政府はムチも用意する。2カ月前の9月中旬。金融庁の氷見野良三長官は地銀首脳とのオンライン会合で、公的資金による資本注入の要件を大幅に緩和した改正金融機能強化法の活用を検討してほしいと訴えた。 同法は経営責任や収益目標を求めなかったり、返済期限を設けなかったりと、銀行にとって使い勝手はよくなっている。だが、ひとたび公的資金が注入されれば、「再編を進めたい国の言うことを聞かなければならなくなる」(地銀幹部)ことは必至。経営の自主性が失われるのは目に見えている。 硬軟を巧みに使い分けながら、政府・日銀が一丸となって地銀を追い込む背景には、菅首相の存在があった。自民党総裁選挙前に「地銀は数が多すぎるのではないか」と発言、翌日に再編について「選択肢の1つ」と踏み込み、地銀に再編を迫ったのだ。 実は日銀も、この発言を受けて大手地銀に対し、「経費はどれくらい下げられますかね」とヒアリングを行っていた。「今振り返れば、準備していたのだろう」とこの地銀の幹部は振り返る。 前出の日銀元幹部も「政府はもちろん、日銀も前のめりになっているのは、明らかに菅首相への忖度。首相の本気さを感じ取り、歩調を合わせたのだろう」とみる』、「金融庁」「日銀」とも「菅首相への忖度」で「前のめりになっている」、とは困ったことだ。
・『しびれを切らす菅首相 菅首相がここまで踏み込むのは、地銀を取り巻く環境が劇的に変化し、存在意義さえ失いかけているにもかかわらず危機意識が薄いことに、いら立っていたからだ。 長引く超低金利政策で、貸出金利は大幅に低下。地域経済の縮小も相まって本業だけでは生きていけず、今後、赤字の地銀が増えるのは必至だ。そうしたタイミングで新型コロナウイルスが発生。感染拡大で企業業績の悪化は著しく、貸し倒れに備えた引当金など与信コストは増加傾向にある。おのずと地銀の健全性も劣化していく。 しかも、過去に注入された公的資金の優先株がすべて普通株に強制転換される「一斉転換」が2024年に迫っている地銀も少なくなく、返済できなければ実質的に国有化される危険性が高まっている。 にもかかわらず、地銀は変わろうとしない。第二地銀こそ減っているものの、第一地銀に関してはこの40年間、63~64行のまま。長きにわたって金融当局が再編を呼びかけてきたのにだ。こうした状況に菅首相がしびれを切らし、〝爆弾〟を投じたというわけだ。 かつて、これだけ明確に地銀の再編について言及した首相はいなかった。それだけに、インパクトはすさまじいものがある。追い込まれた地銀に残された時間は少ない』、「地銀の再編」など「首相」が言及するには、小さ過ぎる問題だ。もっと骨太な問題を取り上げるべきだろう。
次に、12月28日付け東洋経済オンライン「三菱UFJ、半沢新頭取が担う「コスト改革」の重責 慣例を破り常務からいきなり頭取に就任」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/399807
・『「金融機関は100年に1度と言われるような改革を進めなければならない時期にある。それに対応するため、世代交代、若返りを一段と進める」。三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)の亀澤宏規社長(59)は、頭取交代の狙いを会見でそう語った。 MUFGは2020年12月24日、三菱UFJ銀行の頭取交代を発表した。2021年4月付けで、三毛兼承頭取(64)に代わり、半沢淳一取締役常務執行役員(55)が就任する。三毛頭取はMUFGの会長に、平野信行MUFG会長(69)は三菱UFJ銀行の特別顧問になる。 今回のトップ人事は慣例を破る格好となった。三菱UFJ銀行の頭取は皆、副頭取から昇格する形で就任してきた。常務がいきなり頭取に就くのは、いわば“飛び級”だ。現在、副頭取や専務を務めている計13人を追い抜く大抜擢ということになる』、人事には保守的な「MUFG」としては、確かに驚きの人事だ。
・『注目すべき華々しい経歴 三毛氏はMUFG社長時代から「構造改革を成功させるには、チャレンジするカルチャーを作らなければいけない」と語ってきた。年功序列や減点主義が失敗を恐れる文化につながっているとして「若手の抜擢」を掲げ、人事制度改革に力を注いできた。今回のトップ人事もその流れをさらに進めるものだ。 頭取の交代が報じられた直後、人気ドラマの「半沢直樹」と苗字が同じということから、SNS上で話題になった。名前ばかりが注目を集める同氏だが、その華々しい経歴にも目を向けるべきだろう。 半沢氏は1988年に東京大学経済学部を卒業、三菱銀行に入行した。その後は経営企画部長などを務めてきた企画畑。持株会社の設立を主導し、「MUFGの礎を築いたとも言える」(亀澤社長)。名古屋営業本部長など営業部門での経験も持ち合わせている。 近年は崩れつつあるものの、三菱UFJのトップにはかつて「東大・京大出身、旧三菱銀行出身、企画畑」という“王道ルート”が存在していた。半沢氏はこの王道のすべてに当てはまる。 三毛氏も「激動の時代にあって大きな船のかじ取りを任せるにふさわしいリーダー」と評する半沢氏だが、待ち受けるのは茨の道だ。 半沢氏が率いる銀行部門は厳しい経営環境にさらされている。低金利が続き、利ザヤが縮小。預金を集めて貸し出すという従来のビジネスモデルでは立ち行かない。足元では、新型コロナウイルスの影響で、企業の資金繰り支援という大きな課題も抱える。コロナの影響が長引き倒産が増えてくれば、与信費用の拡大も覚悟しなければならない状況だ。 預金と貸し出しを中心とする商業銀行の将来について、MUFGの亀澤社長は「成長ドライバーになることは難しい」と見ている。その中で、半沢氏に求められるのは「損益分岐点を下げ、コスト構造を変える」(亀澤社長)こと。つまり、経費率を下げ、収益力を高めるということだ』、なるほど。
・『ライバルに見劣りする「経費率」 2020年3月期、MUFGは3メガバンク体制になって初めて三井住友フィナンシャルグループに純利益で首位を明け渡した。海外子会社の減損が主因であり、2021年3月期には再び逆転をする見込みだが、両行の“距離”は確実に近づいてきている。 その要因の1つが経費率にある。2020年3月期のMUFGの経費率は70.2%。対して三井住友の経費率は62.8%にとどまる。三井住友は、より少ないコストで収益を上げているのだ。 銀行部門に限れば、その差はさらに顕著だ。業務粗利益(本業の収益から費用を引いた額)は三菱UFJ銀行が1兆5462億円、三井住友銀行が1兆4120億円とほぼ同水準。しかし経費は、三井住友が8080億円なのに対し三菱UFJが1兆1509億円と3000億円以上も多い。経費率を見ると三井住友銀行は57.2%、三菱UFJ銀行は74.4%とその差は歴然としている。 この格差を生む要因の1つが店舗だ。MUFGは2020年5月に店舗削減の加速を発表。2024年3月までに2018年3月末の515店舗から約40%を削減し(従前は35%削減)、約300店舗まで削減する計画になっている。一方、三井住友は店舗削減で先を行く。旧住友銀行と旧さくら銀行の統合時に約750店あった支店を約430店にまで削減しているからだ』、「経費率」「格差」の解消は急務だ。
・『高コストの要因は語りきれない 半沢氏は12月24日の会見で経費率が高い要因を問われ、「語りきれない。残念ながら、いろんな要因がある」としつつ、「本部の要員が他のメガバンクより多く、海外での残高増加に伴って規制対応コストも高くなっている」と例を挙げた。 ある旧三菱銀行OBは「合併後の“分割統治”によって抜本的なリストラができなかったことが根本的な要因だ」と指摘する。行内の関係性を重視した結果、先延ばしにされてきた改革に手をつけるときがきたわけだ。 規模では圧倒的首位を誇るMUFG。コスト改革が進めば、利益でも他を圧倒することは間違いない。半沢新頭取はどこまで大胆にコスト改革のメスを入れられるか。金融業は異業種も交えた競争激化が必至なだけに、体質強化は避けて通れない。就任早々、その実行力が問われそうだ』、「高コストの要因は語りきれない」、店舗以外にも様々な「要因」があるということは、逆に絞りがいがありそうだということを意味するようだ。
タグ:店舗以外にも様々な「要因」があるということは、逆に絞りがいがありそうだということを意味するようだ 高コストの要因は語りきれない 「経費率」「格差」の解消は急務だ 金融業界 ライバルに見劣りする「経費率」 「東大・京大出身、旧三菱銀行出身、企画畑」という“王道ルート”が存在していた。半沢氏はこの王道のすべてに当てはまる 経営企画部長などを務めてきた企画畑 注目すべき華々しい経歴 2021年4月付けで、三毛兼承頭取(64)に代わり、半沢淳一取締役常務執行役員(55)が就任する 「三菱UFJ、半沢新頭取が担う「コスト改革」の重責 慣例を破り常務からいきなり頭取に就任」 「地銀の再編」など「首相」が言及するには、小さ過ぎる問題だ。もっと骨太な問題を取り上げるべきだろう しびれを切らす菅首相 「金融庁」「日銀」とも「菅首相への忖度」で「前のめりになっている」、とは困ったことだ 「総裁会見がない通常会合で決めたのだろう」との指摘はその通りだろう 金融関係者の間では「禁じ手だ」と評判が悪い。 「日銀はミクロ経済には手を出さないというのが不文律。こんなことをしたら金融政策がおかしくなってしまう 「かなりの経費をすでに削っており簡単ではない」「これまで再編に取り組んできた地銀が損をすることになり不公平」といった不満も 2023年3月末までに合併や連結子会社化といった経営統合を決定すること。これら3つのいずれかを満たした場合に対象となる 日銀への当座預金に年0.1%の上乗せ金利をつける 経費削減や経営統合に取り組む地銀を優遇 「決算発表をしている」「ある地方銀行」「頭取」も、「発表」されたばかりの「新しい制度」について、一応勉強しておくべきだったし、質問して恥をかかせた記者も非常識だ 「「変わらない地銀」追い込む菅首相の強烈な爆弾 政府・日銀が一体で大再編を後押しする事情」 東洋経済オンライン (その7)(「変わらない地銀」追い込む菅首相の強烈な爆弾 政府・日銀が一体で大再編を後押しする事情、「変わらない地銀」追い込む菅首相の強烈な爆弾 政府・日銀が一体で大再編を後押しする事情)
医療問題(その27)(「多すぎる病院」が コロナ禍で医療現場の危機を招きかねない理由、医療体制は根本的な立て直しが急務 今こそ動くべき「自民党厚労族」) [生活]
医療問題については、昨年12月15日に取り上げた。今日は、(その27)(「多すぎる病院」が コロナ禍で医療現場の危機を招きかねない理由、医療体制は根本的な立て直しが急務 今こそ動くべき「自民党厚労族」)である。
先ずは、昨年12月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「多すぎる病院」が、コロナ禍で医療現場の危機を招きかねない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/258104
・『現実味を帯びる医療崩壊 内情はどうなっているのか 連日のように「医療崩壊の危機」が叫ばれている。 日本医師会などは「医療の緊急事態」を宣言、日本看護協会も春の第1波の際に看護師が離職した医療機関が15.4%にのぼったという調査結果を明らかにするとともに、現在看護職員の心身の疲労がピークを迎えており、「限界に近づいている」と述べている。 かねてより懸念されていた医療崩壊がいよいよ現実味を帯びてきたことを受けて、「指定感染症の2類相当措置の見直し」(注)を主張する人も増えてきた。インフルエンザと同じような対応にすれば、医療崩壊は避けられるというのだ。 マスコミがそうした騒ぎ方をしていることで、感染症で高齢者が亡くなることがすっかり「コロナの恐ろしさを象徴する悲劇」ということになってしまったが、実は日本ではインフルエンザでコロナよりも多く人が亡くなっている。昨日、「コロナで亡くなった人が3000人を突破した」とマスコミが報じていたが、昨年インフルで亡くなった方は3575人もいるのだ。 ワクチンや治療薬があるのになぜこんなにも「助けられない命」が出てしまうのかというと、社会のあちこちでクラスターが発生して、高齢者や基礎疾患のある方が感染し、重症化するからだ。 皆さんも、昨年の今頃は少し熱っぽくても、満員電車に乗って会社へ行ってゴホゴホやっていたはずだ。日本全国の小学校や中学校も同じで、軽症の子どもたちがウイルスを広め、学級閉鎖が起きていた。こんな調子で、実はインフルエンザは年間1000万人もの感染者が出ている。 ただ、これだけ凄まじい数の感染者と重症者・死者が出ているにもかかわらず、毎年冬になるたびに「医療崩壊の危機」は叫ばれていない。その理由は明快で、季節性インフルエンザは5類感染症だからだ。 コロナのように、重症患者は指定感染症医療機関でしか受け入れてはいけない、軽症や無症状でも隔離しなさい、検査結果をすべて報告しなさい、といった縛りがない。つまり、1000万人もの感染者が出ても、医療現場の負担は極端には重くならないので、対応できているというわけだ。 実際、医療専門サイト「m3.com」が9月に医療従事者を対象に意識調査を行なったところ、7割弱の医師が「2類相当の見直しが必要」と回答したという。 これには個人的にはまったく同感だ。しかし、一方でもし仮に「2類相当の見直し」がなされたところで、そこまで状況は改善されないのではないかという気も少々している。日本の「医療崩壊の危機」を引き起こしている根本的な問題が、解決されていないからだ。 それを放置したままで、インフル相当の対応にしても、医療現場は疲弊していく一方である。よしんば今回はどうにかしのいだとしても、新たなウイルスが登場したらひとたまりもない』、「2類相当の見直し」は確かに小手先の対応といった印象だ。
(注)「指定感染症の2類相当措置の見直し」:感染症には1類から5類まである。全国保健所長会が2類相当の扱いを緩めることで、保健所の逼迫状況を解消してほしい旨を厚労省に申し入れた。
・『急性期病院が多すぎることの何が問題なのか では、それは何かというと、「急性期病院が多すぎる」という問題だ。 「急性期病院」というのは、地域の重症患者の治療などを24時間体制で行なっている大きな病院のことだ。今回、コロナの重症患者を受け入れて、現場がひっ迫しているのはほとんどこの急性期病院だ。 というと、「日本はそういう大きな病院がたくさんあるおかげで、まだなんとか医療崩壊をしないで済んでいるんだろう」と感じる方も多いだろう。「うちの近所にはそういう大きな病院がない!多いどころか足りていないじゃないか!」と怒りの声をあげる方もいらっしゃるかもしれない。そう、われわれ日本人にとって、「病院がたくさんある=医療が充実している」というのは、小学生でもわかる「常識」だ。 これまで、筆者もそう思っていた。が、800以上の急性期病院のビッグデータをもとにして病院の経営改善支援をおこなっている、グローバルヘルスコンサルティングジャパン(以下、GHC)の分析を見ると、それは「思い込み」に近いものだった、という厳しい現実を突きつけられる。 結論から先に言ってしまうと、地域の医師や看護師といった医療従事者の数に対して、急性期病院が多すぎるため、結果として、一つひとつの急性期病院の医療体制を脆弱にして「崩壊の危機」を招いている、というなんとも皮肉な現象が起きているのだ。 GHCの会長で、スタンフォード大学で医療政策部を設立した国際医療経済学者のアキよしかわ氏と、GHC代表取締役社長の渡辺さちこ氏によって、今月23日に世に出された『医療崩壊の真実』(エムディエヌコーポレーション刊)には、「多すぎる急性期病院」という問題がコロナ医療をひっ迫させていることを示す、客観的なビッグデータが多く掲載されている。 たとえばわかりやすいのが、「集中治療」に関するデータだ。 コロナ患者が重症化した場合、集中治療ができるかどうかということが、患者の生死を分けることになるのは言うまでないだろう。もちろん、それは集中治療室があればいいという単純な話ではなく、ECMOや人工呼吸器などを用いての治療となるため、専門的な知識や経験のある「集中治療専門医」や「救命救急医」がいなくてはいけない』、「急性期病院が多すぎるため、結果として、一つひとつの急性期病院の医療体制を脆弱にして「崩壊の危機」を招いている、というなんとも皮肉な現象が起きている」、このブログの1月11日付け「パンデミック(経済社会的視点)(その12)」でも指摘した問題である。
・『「人が足りない」では片付けられない問題とは では、日本のコロナ重症患者たちはそのような適切な治療を受けているのかというと、必ずしもそうとは言い難い現実がある。 今年の2~6月にコロナ患者を受け入れた341の病院を対象にGHCが調査をしたところ、集中治療専門医、救命救急専門医がいた病院は193病院(57%)にとどまり、これらの専門医がいない病院が4割強に上っているのだ。 日本の専門医が不足していることは事実だが、実はこれには「人が足りない」で片付けられない構造的な問題もある。コロナ患者を受け入れていない266の病院では、35病院(15%)で集中治療専門医や救命救急専門医が常勤し、89病院(39%)には呼吸器内科専門医がいた。 コロナ重症患者が押し寄せて、死ぬか生きるかという戦いをしている病院に、その鍵を握る専門医がおらず、コロナ患者が1人もこないような病院に、コロナ治療に必要不可欠な専門知識や技術を有する医師がいる。需要と供給が噛み合わないミスマッチが生じてしまっているのだ。GHCはこの問題について、以下のように分析をしている。 《ここで、「問題の本質」はというと、集中治療専門医が全国で1955人(救急科専門医は約5000人、いずれも日本救急医学会HPより)と、それでなくとも十分ではない中、日本のこの状況は、“多すぎる急性期病院数”が「専門医の分散」に拍車をかけているという実態があるということなのです》』、「コロナ重症患者が押し寄せて、死ぬか生きるかという戦いをしている病院に、その鍵を握る専門医がおらず、コロナ患者が1人もこないような病院に、コロナ治療に必要不可欠な専門知識や技術を有する医師がいる。需要と供給が噛み合わないミスマッチが生じてしまっているのだ」、なんともバカバカしい「ミスマッチ」だ。
・『OECD加盟国平均よりも多い日本の病床数が物語ること そう聞くと、「ミスマッチが起きていることはわかったが、それを病院の数に結びつけるのは暴論だ!」「病院が多いことで救われる命もたくさんあるはずだ!」という意見も多く出そうだ。「病院がたくさんある=医療が充実している」という常識を持つ日本人にとって、受け入れ難い結論だろう。 ただ、残念ながらこれも客観的なデータが物語っている。同じく『医療崩壊の真実』の中に掲載されているが、日本の人口1000人あたりの病床数は13.1。OECD加盟国平均は4.7なので、それと比べて桁違いにベッドの数が多いのだ。それはつまり、病院の数もかなり多いということである。 もちろん、これは国民皆保険という日本独自の制度ゆえの多さだ。どこでも誰でも気軽に医療にアクセスできるようにする保険制度なのだから、いたるところに病院がなくては意味がない。そのような意味では、日本にこれほど病院が多いことは決して悪いことではなく、むしろ素晴らしいことだ。 乳幼児や子どももすぐに医療にかかることができるし、お年寄りや体の弱い人もアクセスしやすい。どこかの国のように、隣町の病院へ行く途中に亡くなってしまうといった悲劇も少ない。病院が圧倒的に多いことが日本人の健康や命を守ってきという事実からも、筆者は「病院が多い」ことを批難するようなつもりはまったくない。 ただ、我々患者がその素晴らしい医療の恩恵を受けることができているのは、「医療従事者の重い負担」という犠牲の上に成り立っているという現実がある、という現実を指摘したいだけだ。 人口1000人あたりの医師数は、OECD平均が3.5人のところ、日本は2.4人しかないのである。看護師も先進国の中では、多くもなく少なくもなくという感じだ。 医療従事者の人口あたりの数は、諸外国と比べてそれほど変わりがないか、むしろ平均以下のこの国において、病院が諸外国と比べてこれほど多かったら、どんな悲劇が起きるかは明らかだろう。 まず、医療現場ではブラック労働が常態化する。圧倒的に多い病院に、ただでさえ少ない医療従事者が振り分けられるので、1人あたりの負担が重くなることは容易に想像できよう。その中でも、諸外国と比べて仕事量が増えるのが看護師だ。 「第9回医師の働き方改革に関する検討会」(2018年9月3日)で配布された「諸外国の状況について」という資料の中に、諸外国の医療体制を比較した一覧がある。その「病床百床あたり臨床看護職員数」を見ると、アメリカは394.5、イギリスが302.7、ドイツが164.1、フランスが161.8であるのに対して、日本はどうかというと、83と断トツに少ない。 これだけ負担が重いと、当然心身を壊す。日本医療労働連合会の「看護職員の労働実態調査」(2017年調査)では、「慢性疲労」を訴える看護師は7割を超え、「仕事を辞めたいと思う」が74.9%にも達していた。その理由は「人手不足で仕事がきつい」が47.7%と最も多く、その次が36.6%で「賃金が安い」だった』、「看護師」の業務はまさにブラック職場そのものだ。
・『医療現場はコロナ禍前から「崩壊」の危機に瀕していた マスコミは「コロナ感染拡大によって医療現場がひっ迫しています!」「看護師の心身が限界です!」と大騒ぎをしているが、コロナのはるか昔から、医療現場はとっくに「崩壊の危機」にさらされていたというわけだ。 それが崩壊せずにどうにか持ちこたえていたのは、現場の医療従事者たちの「頑張り」以外の何物でもない。それが今回のコロナ危機で、いよいよ限界を迎えているのだ。 日本の医療崩壊危機は、医療従事者数に対して圧倒的に病院数が多いという「歪んだ構造」によるところが大きい。この根本的な問題を解決しないことには、「指定感染症2類相当措置の見直し」などで現場の負担を軽減しても焼け石に水だ。インフル相当にすれば当然、市中感染が広がるので、地域の急性期病院に重症患者が集中する。そうれなれば結局、医療のひっ迫は繰り返されるだろう。 もし何かしらの要因で、感染者数が減少に転じるなどして運よく乗り切っても、新手のウイルスが来たらまた同じ問題が起きる。また、高い確率で起きると予想される首都直下型地震や南海トラフ地震で多数の怪我人が出た際にも、今のまま医療従事者が「分散」していると、地域医療は機能不全に陥ってしまう恐れもある。 本当に医療従事者の負担を減らして日本の医療を守りたいのなら、「医療従事者のためにも出歩くな」「我慢だ」「GoToを止めるのが遅いのが悪い」といった感情的な議論をしているだけでは、いつまでたっても問題は解決できない。 なぜこんなにも、医療従事者が疲弊しているのか。なぜ世界一というほど医療インフラが整備されているのに、崩壊寸前になっているのか。今こそ、医療が抱える構造的な問題に目を向けて、客観的なデータに基づいた分析が必要なのではないか』、「現場の医療従事者たちの「頑張り」で」「持ちこたえていた」のが、「今回のコロナ危機で、いよいよ限界を迎えている」、「今こそ、医療が抱える構造的な問題に目を向けて、客観的なデータに基づいた分析が必要」、同意したい。
次に、1月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「医療体制は根本的な立て直しが急務、今こそ動くべき「自民党厚労族」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/259401
・『新型コロナの感染拡大が止まらない。欧米に比べ感染者は圧倒的に少ない日本だが、なぜ医療崩壊が起きているのか。複雑に問題が絡み合う医療体制の本質的な問題解決のために、「自民党厚労族」がもっと動くべきではないだろうか』、「族議員」に何を期待するのだろうか。
・『医療崩壊の本質的な原因は何か 菅義偉政権は、新型コロナウイルス感染拡大が止まらない東京都と埼玉、千葉、神奈川の3県を対象に緊急事態宣言を再び発令した。経済への悪影響を考慮して、宣言に基づく措置は前回より絞られたものとなった。 筆者は、「緊急事態宣言」の発令以前に政治がやるべき対策があったと思う。菅首相の対応が厳しく批判されているが、むしろ「自民党厚労族」がより前面に出て、医療体制の複雑な問題を、解きほぐして対策を立てていくべきだったと思う。 また、緊急事態宣言の再発令については、違和感がないわけではない。 欧米の新型コロナ感染者数は日本の約100倍を超えるなど、圧倒的に多い。一方、日本は感染者数が欧米に比べると少なく、人口当たりの病床数が群を抜いて世界で一番多い国だ。それにもかかわらず、医療逼迫(ひっぱく)や医療崩壊の危機が騒がれている。 つまり、緊急事態宣言まで出して、国民の行動をさらに制限しようとしているが、国民の行動そのものが医療崩壊の危機の原因というよりも、むしろ、日本の医療体制、医療行政により本質的な問題があると思う。そこに手を付けるのが難しいので、国民により一層の努力を求めているのである』、確かに「本質的な問題」には「手を付け」ずに、「国民により一層の努力を求めている」、余りに安易だ。
・『重症者対策は大病院に集中させるべきだ この連載では、昨年夏、新型コロナの「第2波」が収まりつつあった時に、大学病院に対する重症者の病床確保の依頼を交渉してまとめておき、「第3波」を待ち構えておくべきだったと指摘した(第262回・p2)。 特に、今回、緊急事態宣言が再発令された東京都では、最初からコロナ患者を受け入れている東京医科歯科大学をはじめ、受け入れを少しずつ増やしてはいる。だが、その数はまだまだ十分とはいえない。 現状は、重症者向けの設備が整わない中規模病院が中症者等を受け入れて疲弊している一方で、重症者への対応が可能な規模と最先端の設備を持つ大学病院など大病院の多くのコロナ患者受け入れが十分ではなく、その結果、重症者向け病床が逼迫しているということだ。 逆に言えば、やはり大学病院など設備の整った大病院に、新型コロナの治療の経験を積み、ある程度治療法を理解した人を集約化して、集中的に治療に専念する体制を組むほうが、重症者の救命率を上げることができるということではないだろうか。 例えば、新型コロナの死亡率には、地域差があることが指摘されている(共同通信)。新型コロナ感染後に死亡する人の割合は、東京が1.1%にとどまるのに対して、岩手、富山、石川の3県では5%を超えるなど、地域によって違う。死亡率が高い地域は、病院や高齢者施設のクラスターの発生が多く、感染者の平均年齢が高いようだ。 それについて、筆者の知人で米国での勤務経験がある臨床医に聞くと、地方では集中治療室(ICU)や専門医が少ないからだと指摘する。一方、東京は感染者数が多いにもかかわらず死亡率が低いのは、感染が若者中心であることに加えて、これまでの治療や感染対策の経験が生かされているからだという。 要するに、やみくもに感染者を治療するよりも、ある程度経験があり治療法がわかった医師を集めて、治療にあたったほうがいいということがいえるのではないか。 これから1カ月間の緊急事態宣言でなんとか感染者数を減らし、一息つけるような状況になることを願う。そして、その間に大学病院など大病院に経験のある医師、施設を集約させて、重症者対策を充実させるべきだと、あらためて主張したい』、同感である。
・『重症者対策を集約できない理由 大学病院など大病院に新型コロナの重症者対策を集約できないのには、さまざまな理由があると考えられる(第262回・p3)。新型コロナ用の病床を増やすことで、心臓移植、肺移植など高度な医療設備を使った治療や手術ができなくなる懸念がある。 また、大学の教授会や病院内の「政治力」の問題もあると考えられる。要は、感染症関連の医師の政治力が弱いからだ。政治力を持つのは、「七大生活習慣病」の関連科である。 新型コロナの重症者を受け入れると教授会や理事会で提起しても、「七大生活習慣病」の医師から、院内感染でクラスターが発生したら、ほかの疾病の高度治療や研究に支障が出るという意見が出たら、それに抵抗するのが難しいことは容易に想像できる。 さらに、医師不足が問題となっているが、新型コロナに対応する病院に、医師を集められない現状があるという。筆者の知人の臨床医によれば、比較的忙しくないクリニックの勤務医で、新型コロナ対応を手伝いたい医師は少なくないようだ。 ところが、昨年4月の緊急事態宣言発令時に、「手伝いたい」彼らは保健所や医師会に連絡したが、手伝うことができなかったという。行けるところがあれば行きたかったというが、これまでその機会はなかった。看護師の募集はたくさん出ているが、医師のスポット勤務の募集がほとんどないのだそうだ。 彼らは、重症者対応は経験を積んだ優秀な医師が集中的に行い、外来の対応などはスポット勤務の医師で対応できると指摘している。それでも、新型コロナ対応の医師のスポット勤務の募集が出ない理由は、おそらく労災など補償の問題が生じるからだと推察される。スポット勤務した医師が、新型コロナに感染した場合、2週間隔離となる。本来の勤務先のクリニックに出勤できなくなるので、その間の金銭的な補償をどうするかという問題が発生するのだ』、「大学の教授会や病院内の「政治力」の問題もある。要は、感染症関連の医師の政治力が弱い」、これはなかなか難しい問題だ。「新型コロナ対応の医師のスポット勤務」も「感染した場合」の「2週間隔離」があるのであれば、難しそうだ。
・『医療体制立て直しのために動くべきは政治家だが 結局、医療逼迫、医療崩壊を回避するためには、このような医療体制の複雑な問題をどう解決するかが重要となる。だが、それを医師の間で行えというのは無理だろう。医師は本質的に「専門家」であり「現場の人」だ。いきなり専門分野を超えて、制度設計を考え、必要な改革を実行する行動は難しい。 それでは、医療行政に携わる厚労省の技官はどうか。官僚は基本的に、現行のルールの範囲内で何を行うかを考える人たちだ。ルールの変更は基本的に考えず、今できることを守ろうとする。むしろ、ルールの変更には徹底して抵抗する。 医療崩壊の危機の元凶ともいわれ、現場の医師の7割が訴えているとされる新型コロナの感染症2類相当の指定の変更を、かたくなに拒んでいるのが象徴的だ(第248回・p5)。官僚にも、医療体制の柔軟な運用はできない。 結局、現行法の改正や、補償金の決定などによる医療体制の変更は、政治家しかできないのだ。 しかし、これまで、新型コロナ対策にかかわってきた官邸の政治家は、加藤勝信官房長官(前・厚労相)や西村康稔経済再生相である。彼らは、安倍政権期から「世論対策担当」を担ってきた政治家だ(第163回・p3)。これについてまず考えたい。) 例えば、加藤官房長官は、かつて「働き方改革担当相」「一億総活躍担当相」「女性活躍担当相」「再チャレンジ担当相」「拉致問題担当相」「国土強靱化担当相」「内閣府特命担当相(少子化対策男女共同参画)」と、実に7つの閣僚職を兼務していた。これらは、まるで一貫性がなさそうだが、全て「国民の支持を受けやすい課題」だという共通点があった。 つまり、加藤氏はいわば「支持率調整担当相」であり、首相官邸に陣取って、支持率が下がりそうになったらタイミングよく国民に受ける政治課題を出していくのが真の役割だった。 また、安倍政権期から新型コロナ対策担当となったのが、西村経済再生相だ。経済再生と、基本的に経済活動を抑制して感染症の広がりを防ぐという、まるでアクセルとブレーキを同時に踏むような正反対の役割を1人で担ってきた。そのことが、官邸が仕切る新型コロナ対策の本質を象徴的に示しているのだ。 振り返ってみれば、新型コロナ対策で官僚と専門家会議が「クラスター対策」など日本独自の戦略を編み出し、一定の成果を上げた一方で、突如として科学的な根拠のない「アベノマスク」「Go Toトラベル」のような、一見「国民の受けがよさそうな対策」が突如出てきた。これは、加藤氏や西村氏という「支持率調整担当」の政治家が、官邸の意思決定にかかわってきたからにほかならない(第237回)。 そして、官邸が新型コロナ対策のために注視してきたことは、単純な感染者数の増減である。国民が、感染者数の増減にしか関心がないと思っているからだ。感染者数が増えれば恐怖し、減れば安堵する。そして、ワイドショーなどのメディアがその恐怖をあおる。それは、政権の支持率の変動に直結する。だから、新型コロナ対策は、単純な感染者数で決められていくことになる。 支持率重視で対策を決めるようになると、対策そのものが後手に回るのは、ある意味当然だ。そういう世論調整のようなやり方は、平時にはうまくいったかもしれないが、コロナ禍という「有事」には通用しないと厳しく批判したい』、「厚労省の技官はどうか。官僚は基本的に、現行のルールの範囲内で何を行うかを考える人たちだ。ルールの変更は基本的に考えず、今できることを守ろうとする。むしろ、ルールの変更には徹底して抵抗する」、それを使いきれないのは、官邸の弱さもあるのではなかろうか。「支持率重視で対策を決めるようになると、対策そのものが後手に回る」、もっとあるべき姿を実現するための対策、を考えてゆくべきだろう。
・『「自民党厚労族」が今こそ動くべきだ 新型コロナの特徴を理解し、適切な対策を決めることや、複雑な事情が絡み合った医療体制の問題を解きほぐして医療逼迫を防ぐことができるのは、日常的に医療行政に接して法律の制定や改正にかかわり、予算分捕りなどカネの流れにも精通しているはずの、自民党の厚労族議員なのではないか。 ところが、新型コロナ対策に関して、厚労族は静かなのである。むしろ、官邸の意思決定を混乱させないようにするためか、現場の医師からの声を受け止めながら、それが官邸に届かないようにしている節すらある(第242回・p8)。例えば、現場の医師からの要望が非常に強い、新型コロナの指定感染症2類の見直しを、厚労族の重鎮である田村憲久厚労相が行わないとしているのだ。 世界的に、ロックダウンという新型コロナ対策は、単に感染拡大を先送りするだけで効果がそれほどないことが明らかになっている。日本でも緊急事態宣言で、感染者数が一時的に減ったとしても、それで安堵するだけでは、問題の本質的な解決にはならない。 繰り返すが、欧米の約100分の1の感染者数にとどまりながら、欧米では起きていない医療逼迫、医療崩壊の危機に陥ってしまっているということが、日本の新型コロナ対策の本質的な問題だ。それは、世論の推移に右往左往する官邸ではなく、自民党厚労族が複雑な医療体制の問題を丁寧に解いていくことで、解決すべきなのではないだろうか』、「自民党厚労族」に「複雑な医療体制の問題を丁寧に解いていく」、といった芸当を期待するのは甘いようだ。もっと主体的な解決策を期待したい。
先ずは、昨年12月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「多すぎる病院」が、コロナ禍で医療現場の危機を招きかねない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/258104
・『現実味を帯びる医療崩壊 内情はどうなっているのか 連日のように「医療崩壊の危機」が叫ばれている。 日本医師会などは「医療の緊急事態」を宣言、日本看護協会も春の第1波の際に看護師が離職した医療機関が15.4%にのぼったという調査結果を明らかにするとともに、現在看護職員の心身の疲労がピークを迎えており、「限界に近づいている」と述べている。 かねてより懸念されていた医療崩壊がいよいよ現実味を帯びてきたことを受けて、「指定感染症の2類相当措置の見直し」(注)を主張する人も増えてきた。インフルエンザと同じような対応にすれば、医療崩壊は避けられるというのだ。 マスコミがそうした騒ぎ方をしていることで、感染症で高齢者が亡くなることがすっかり「コロナの恐ろしさを象徴する悲劇」ということになってしまったが、実は日本ではインフルエンザでコロナよりも多く人が亡くなっている。昨日、「コロナで亡くなった人が3000人を突破した」とマスコミが報じていたが、昨年インフルで亡くなった方は3575人もいるのだ。 ワクチンや治療薬があるのになぜこんなにも「助けられない命」が出てしまうのかというと、社会のあちこちでクラスターが発生して、高齢者や基礎疾患のある方が感染し、重症化するからだ。 皆さんも、昨年の今頃は少し熱っぽくても、満員電車に乗って会社へ行ってゴホゴホやっていたはずだ。日本全国の小学校や中学校も同じで、軽症の子どもたちがウイルスを広め、学級閉鎖が起きていた。こんな調子で、実はインフルエンザは年間1000万人もの感染者が出ている。 ただ、これだけ凄まじい数の感染者と重症者・死者が出ているにもかかわらず、毎年冬になるたびに「医療崩壊の危機」は叫ばれていない。その理由は明快で、季節性インフルエンザは5類感染症だからだ。 コロナのように、重症患者は指定感染症医療機関でしか受け入れてはいけない、軽症や無症状でも隔離しなさい、検査結果をすべて報告しなさい、といった縛りがない。つまり、1000万人もの感染者が出ても、医療現場の負担は極端には重くならないので、対応できているというわけだ。 実際、医療専門サイト「m3.com」が9月に医療従事者を対象に意識調査を行なったところ、7割弱の医師が「2類相当の見直しが必要」と回答したという。 これには個人的にはまったく同感だ。しかし、一方でもし仮に「2類相当の見直し」がなされたところで、そこまで状況は改善されないのではないかという気も少々している。日本の「医療崩壊の危機」を引き起こしている根本的な問題が、解決されていないからだ。 それを放置したままで、インフル相当の対応にしても、医療現場は疲弊していく一方である。よしんば今回はどうにかしのいだとしても、新たなウイルスが登場したらひとたまりもない』、「2類相当の見直し」は確かに小手先の対応といった印象だ。
(注)「指定感染症の2類相当措置の見直し」:感染症には1類から5類まである。全国保健所長会が2類相当の扱いを緩めることで、保健所の逼迫状況を解消してほしい旨を厚労省に申し入れた。
・『急性期病院が多すぎることの何が問題なのか では、それは何かというと、「急性期病院が多すぎる」という問題だ。 「急性期病院」というのは、地域の重症患者の治療などを24時間体制で行なっている大きな病院のことだ。今回、コロナの重症患者を受け入れて、現場がひっ迫しているのはほとんどこの急性期病院だ。 というと、「日本はそういう大きな病院がたくさんあるおかげで、まだなんとか医療崩壊をしないで済んでいるんだろう」と感じる方も多いだろう。「うちの近所にはそういう大きな病院がない!多いどころか足りていないじゃないか!」と怒りの声をあげる方もいらっしゃるかもしれない。そう、われわれ日本人にとって、「病院がたくさんある=医療が充実している」というのは、小学生でもわかる「常識」だ。 これまで、筆者もそう思っていた。が、800以上の急性期病院のビッグデータをもとにして病院の経営改善支援をおこなっている、グローバルヘルスコンサルティングジャパン(以下、GHC)の分析を見ると、それは「思い込み」に近いものだった、という厳しい現実を突きつけられる。 結論から先に言ってしまうと、地域の医師や看護師といった医療従事者の数に対して、急性期病院が多すぎるため、結果として、一つひとつの急性期病院の医療体制を脆弱にして「崩壊の危機」を招いている、というなんとも皮肉な現象が起きているのだ。 GHCの会長で、スタンフォード大学で医療政策部を設立した国際医療経済学者のアキよしかわ氏と、GHC代表取締役社長の渡辺さちこ氏によって、今月23日に世に出された『医療崩壊の真実』(エムディエヌコーポレーション刊)には、「多すぎる急性期病院」という問題がコロナ医療をひっ迫させていることを示す、客観的なビッグデータが多く掲載されている。 たとえばわかりやすいのが、「集中治療」に関するデータだ。 コロナ患者が重症化した場合、集中治療ができるかどうかということが、患者の生死を分けることになるのは言うまでないだろう。もちろん、それは集中治療室があればいいという単純な話ではなく、ECMOや人工呼吸器などを用いての治療となるため、専門的な知識や経験のある「集中治療専門医」や「救命救急医」がいなくてはいけない』、「急性期病院が多すぎるため、結果として、一つひとつの急性期病院の医療体制を脆弱にして「崩壊の危機」を招いている、というなんとも皮肉な現象が起きている」、このブログの1月11日付け「パンデミック(経済社会的視点)(その12)」でも指摘した問題である。
・『「人が足りない」では片付けられない問題とは では、日本のコロナ重症患者たちはそのような適切な治療を受けているのかというと、必ずしもそうとは言い難い現実がある。 今年の2~6月にコロナ患者を受け入れた341の病院を対象にGHCが調査をしたところ、集中治療専門医、救命救急専門医がいた病院は193病院(57%)にとどまり、これらの専門医がいない病院が4割強に上っているのだ。 日本の専門医が不足していることは事実だが、実はこれには「人が足りない」で片付けられない構造的な問題もある。コロナ患者を受け入れていない266の病院では、35病院(15%)で集中治療専門医や救命救急専門医が常勤し、89病院(39%)には呼吸器内科専門医がいた。 コロナ重症患者が押し寄せて、死ぬか生きるかという戦いをしている病院に、その鍵を握る専門医がおらず、コロナ患者が1人もこないような病院に、コロナ治療に必要不可欠な専門知識や技術を有する医師がいる。需要と供給が噛み合わないミスマッチが生じてしまっているのだ。GHCはこの問題について、以下のように分析をしている。 《ここで、「問題の本質」はというと、集中治療専門医が全国で1955人(救急科専門医は約5000人、いずれも日本救急医学会HPより)と、それでなくとも十分ではない中、日本のこの状況は、“多すぎる急性期病院数”が「専門医の分散」に拍車をかけているという実態があるということなのです》』、「コロナ重症患者が押し寄せて、死ぬか生きるかという戦いをしている病院に、その鍵を握る専門医がおらず、コロナ患者が1人もこないような病院に、コロナ治療に必要不可欠な専門知識や技術を有する医師がいる。需要と供給が噛み合わないミスマッチが生じてしまっているのだ」、なんともバカバカしい「ミスマッチ」だ。
・『OECD加盟国平均よりも多い日本の病床数が物語ること そう聞くと、「ミスマッチが起きていることはわかったが、それを病院の数に結びつけるのは暴論だ!」「病院が多いことで救われる命もたくさんあるはずだ!」という意見も多く出そうだ。「病院がたくさんある=医療が充実している」という常識を持つ日本人にとって、受け入れ難い結論だろう。 ただ、残念ながらこれも客観的なデータが物語っている。同じく『医療崩壊の真実』の中に掲載されているが、日本の人口1000人あたりの病床数は13.1。OECD加盟国平均は4.7なので、それと比べて桁違いにベッドの数が多いのだ。それはつまり、病院の数もかなり多いということである。 もちろん、これは国民皆保険という日本独自の制度ゆえの多さだ。どこでも誰でも気軽に医療にアクセスできるようにする保険制度なのだから、いたるところに病院がなくては意味がない。そのような意味では、日本にこれほど病院が多いことは決して悪いことではなく、むしろ素晴らしいことだ。 乳幼児や子どももすぐに医療にかかることができるし、お年寄りや体の弱い人もアクセスしやすい。どこかの国のように、隣町の病院へ行く途中に亡くなってしまうといった悲劇も少ない。病院が圧倒的に多いことが日本人の健康や命を守ってきという事実からも、筆者は「病院が多い」ことを批難するようなつもりはまったくない。 ただ、我々患者がその素晴らしい医療の恩恵を受けることができているのは、「医療従事者の重い負担」という犠牲の上に成り立っているという現実がある、という現実を指摘したいだけだ。 人口1000人あたりの医師数は、OECD平均が3.5人のところ、日本は2.4人しかないのである。看護師も先進国の中では、多くもなく少なくもなくという感じだ。 医療従事者の人口あたりの数は、諸外国と比べてそれほど変わりがないか、むしろ平均以下のこの国において、病院が諸外国と比べてこれほど多かったら、どんな悲劇が起きるかは明らかだろう。 まず、医療現場ではブラック労働が常態化する。圧倒的に多い病院に、ただでさえ少ない医療従事者が振り分けられるので、1人あたりの負担が重くなることは容易に想像できよう。その中でも、諸外国と比べて仕事量が増えるのが看護師だ。 「第9回医師の働き方改革に関する検討会」(2018年9月3日)で配布された「諸外国の状況について」という資料の中に、諸外国の医療体制を比較した一覧がある。その「病床百床あたり臨床看護職員数」を見ると、アメリカは394.5、イギリスが302.7、ドイツが164.1、フランスが161.8であるのに対して、日本はどうかというと、83と断トツに少ない。 これだけ負担が重いと、当然心身を壊す。日本医療労働連合会の「看護職員の労働実態調査」(2017年調査)では、「慢性疲労」を訴える看護師は7割を超え、「仕事を辞めたいと思う」が74.9%にも達していた。その理由は「人手不足で仕事がきつい」が47.7%と最も多く、その次が36.6%で「賃金が安い」だった』、「看護師」の業務はまさにブラック職場そのものだ。
・『医療現場はコロナ禍前から「崩壊」の危機に瀕していた マスコミは「コロナ感染拡大によって医療現場がひっ迫しています!」「看護師の心身が限界です!」と大騒ぎをしているが、コロナのはるか昔から、医療現場はとっくに「崩壊の危機」にさらされていたというわけだ。 それが崩壊せずにどうにか持ちこたえていたのは、現場の医療従事者たちの「頑張り」以外の何物でもない。それが今回のコロナ危機で、いよいよ限界を迎えているのだ。 日本の医療崩壊危機は、医療従事者数に対して圧倒的に病院数が多いという「歪んだ構造」によるところが大きい。この根本的な問題を解決しないことには、「指定感染症2類相当措置の見直し」などで現場の負担を軽減しても焼け石に水だ。インフル相当にすれば当然、市中感染が広がるので、地域の急性期病院に重症患者が集中する。そうれなれば結局、医療のひっ迫は繰り返されるだろう。 もし何かしらの要因で、感染者数が減少に転じるなどして運よく乗り切っても、新手のウイルスが来たらまた同じ問題が起きる。また、高い確率で起きると予想される首都直下型地震や南海トラフ地震で多数の怪我人が出た際にも、今のまま医療従事者が「分散」していると、地域医療は機能不全に陥ってしまう恐れもある。 本当に医療従事者の負担を減らして日本の医療を守りたいのなら、「医療従事者のためにも出歩くな」「我慢だ」「GoToを止めるのが遅いのが悪い」といった感情的な議論をしているだけでは、いつまでたっても問題は解決できない。 なぜこんなにも、医療従事者が疲弊しているのか。なぜ世界一というほど医療インフラが整備されているのに、崩壊寸前になっているのか。今こそ、医療が抱える構造的な問題に目を向けて、客観的なデータに基づいた分析が必要なのではないか』、「現場の医療従事者たちの「頑張り」で」「持ちこたえていた」のが、「今回のコロナ危機で、いよいよ限界を迎えている」、「今こそ、医療が抱える構造的な問題に目を向けて、客観的なデータに基づいた分析が必要」、同意したい。
次に、1月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「医療体制は根本的な立て直しが急務、今こそ動くべき「自民党厚労族」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/259401
・『新型コロナの感染拡大が止まらない。欧米に比べ感染者は圧倒的に少ない日本だが、なぜ医療崩壊が起きているのか。複雑に問題が絡み合う医療体制の本質的な問題解決のために、「自民党厚労族」がもっと動くべきではないだろうか』、「族議員」に何を期待するのだろうか。
・『医療崩壊の本質的な原因は何か 菅義偉政権は、新型コロナウイルス感染拡大が止まらない東京都と埼玉、千葉、神奈川の3県を対象に緊急事態宣言を再び発令した。経済への悪影響を考慮して、宣言に基づく措置は前回より絞られたものとなった。 筆者は、「緊急事態宣言」の発令以前に政治がやるべき対策があったと思う。菅首相の対応が厳しく批判されているが、むしろ「自民党厚労族」がより前面に出て、医療体制の複雑な問題を、解きほぐして対策を立てていくべきだったと思う。 また、緊急事態宣言の再発令については、違和感がないわけではない。 欧米の新型コロナ感染者数は日本の約100倍を超えるなど、圧倒的に多い。一方、日本は感染者数が欧米に比べると少なく、人口当たりの病床数が群を抜いて世界で一番多い国だ。それにもかかわらず、医療逼迫(ひっぱく)や医療崩壊の危機が騒がれている。 つまり、緊急事態宣言まで出して、国民の行動をさらに制限しようとしているが、国民の行動そのものが医療崩壊の危機の原因というよりも、むしろ、日本の医療体制、医療行政により本質的な問題があると思う。そこに手を付けるのが難しいので、国民により一層の努力を求めているのである』、確かに「本質的な問題」には「手を付け」ずに、「国民により一層の努力を求めている」、余りに安易だ。
・『重症者対策は大病院に集中させるべきだ この連載では、昨年夏、新型コロナの「第2波」が収まりつつあった時に、大学病院に対する重症者の病床確保の依頼を交渉してまとめておき、「第3波」を待ち構えておくべきだったと指摘した(第262回・p2)。 特に、今回、緊急事態宣言が再発令された東京都では、最初からコロナ患者を受け入れている東京医科歯科大学をはじめ、受け入れを少しずつ増やしてはいる。だが、その数はまだまだ十分とはいえない。 現状は、重症者向けの設備が整わない中規模病院が中症者等を受け入れて疲弊している一方で、重症者への対応が可能な規模と最先端の設備を持つ大学病院など大病院の多くのコロナ患者受け入れが十分ではなく、その結果、重症者向け病床が逼迫しているということだ。 逆に言えば、やはり大学病院など設備の整った大病院に、新型コロナの治療の経験を積み、ある程度治療法を理解した人を集約化して、集中的に治療に専念する体制を組むほうが、重症者の救命率を上げることができるということではないだろうか。 例えば、新型コロナの死亡率には、地域差があることが指摘されている(共同通信)。新型コロナ感染後に死亡する人の割合は、東京が1.1%にとどまるのに対して、岩手、富山、石川の3県では5%を超えるなど、地域によって違う。死亡率が高い地域は、病院や高齢者施設のクラスターの発生が多く、感染者の平均年齢が高いようだ。 それについて、筆者の知人で米国での勤務経験がある臨床医に聞くと、地方では集中治療室(ICU)や専門医が少ないからだと指摘する。一方、東京は感染者数が多いにもかかわらず死亡率が低いのは、感染が若者中心であることに加えて、これまでの治療や感染対策の経験が生かされているからだという。 要するに、やみくもに感染者を治療するよりも、ある程度経験があり治療法がわかった医師を集めて、治療にあたったほうがいいということがいえるのではないか。 これから1カ月間の緊急事態宣言でなんとか感染者数を減らし、一息つけるような状況になることを願う。そして、その間に大学病院など大病院に経験のある医師、施設を集約させて、重症者対策を充実させるべきだと、あらためて主張したい』、同感である。
・『重症者対策を集約できない理由 大学病院など大病院に新型コロナの重症者対策を集約できないのには、さまざまな理由があると考えられる(第262回・p3)。新型コロナ用の病床を増やすことで、心臓移植、肺移植など高度な医療設備を使った治療や手術ができなくなる懸念がある。 また、大学の教授会や病院内の「政治力」の問題もあると考えられる。要は、感染症関連の医師の政治力が弱いからだ。政治力を持つのは、「七大生活習慣病」の関連科である。 新型コロナの重症者を受け入れると教授会や理事会で提起しても、「七大生活習慣病」の医師から、院内感染でクラスターが発生したら、ほかの疾病の高度治療や研究に支障が出るという意見が出たら、それに抵抗するのが難しいことは容易に想像できる。 さらに、医師不足が問題となっているが、新型コロナに対応する病院に、医師を集められない現状があるという。筆者の知人の臨床医によれば、比較的忙しくないクリニックの勤務医で、新型コロナ対応を手伝いたい医師は少なくないようだ。 ところが、昨年4月の緊急事態宣言発令時に、「手伝いたい」彼らは保健所や医師会に連絡したが、手伝うことができなかったという。行けるところがあれば行きたかったというが、これまでその機会はなかった。看護師の募集はたくさん出ているが、医師のスポット勤務の募集がほとんどないのだそうだ。 彼らは、重症者対応は経験を積んだ優秀な医師が集中的に行い、外来の対応などはスポット勤務の医師で対応できると指摘している。それでも、新型コロナ対応の医師のスポット勤務の募集が出ない理由は、おそらく労災など補償の問題が生じるからだと推察される。スポット勤務した医師が、新型コロナに感染した場合、2週間隔離となる。本来の勤務先のクリニックに出勤できなくなるので、その間の金銭的な補償をどうするかという問題が発生するのだ』、「大学の教授会や病院内の「政治力」の問題もある。要は、感染症関連の医師の政治力が弱い」、これはなかなか難しい問題だ。「新型コロナ対応の医師のスポット勤務」も「感染した場合」の「2週間隔離」があるのであれば、難しそうだ。
・『医療体制立て直しのために動くべきは政治家だが 結局、医療逼迫、医療崩壊を回避するためには、このような医療体制の複雑な問題をどう解決するかが重要となる。だが、それを医師の間で行えというのは無理だろう。医師は本質的に「専門家」であり「現場の人」だ。いきなり専門分野を超えて、制度設計を考え、必要な改革を実行する行動は難しい。 それでは、医療行政に携わる厚労省の技官はどうか。官僚は基本的に、現行のルールの範囲内で何を行うかを考える人たちだ。ルールの変更は基本的に考えず、今できることを守ろうとする。むしろ、ルールの変更には徹底して抵抗する。 医療崩壊の危機の元凶ともいわれ、現場の医師の7割が訴えているとされる新型コロナの感染症2類相当の指定の変更を、かたくなに拒んでいるのが象徴的だ(第248回・p5)。官僚にも、医療体制の柔軟な運用はできない。 結局、現行法の改正や、補償金の決定などによる医療体制の変更は、政治家しかできないのだ。 しかし、これまで、新型コロナ対策にかかわってきた官邸の政治家は、加藤勝信官房長官(前・厚労相)や西村康稔経済再生相である。彼らは、安倍政権期から「世論対策担当」を担ってきた政治家だ(第163回・p3)。これについてまず考えたい。) 例えば、加藤官房長官は、かつて「働き方改革担当相」「一億総活躍担当相」「女性活躍担当相」「再チャレンジ担当相」「拉致問題担当相」「国土強靱化担当相」「内閣府特命担当相(少子化対策男女共同参画)」と、実に7つの閣僚職を兼務していた。これらは、まるで一貫性がなさそうだが、全て「国民の支持を受けやすい課題」だという共通点があった。 つまり、加藤氏はいわば「支持率調整担当相」であり、首相官邸に陣取って、支持率が下がりそうになったらタイミングよく国民に受ける政治課題を出していくのが真の役割だった。 また、安倍政権期から新型コロナ対策担当となったのが、西村経済再生相だ。経済再生と、基本的に経済活動を抑制して感染症の広がりを防ぐという、まるでアクセルとブレーキを同時に踏むような正反対の役割を1人で担ってきた。そのことが、官邸が仕切る新型コロナ対策の本質を象徴的に示しているのだ。 振り返ってみれば、新型コロナ対策で官僚と専門家会議が「クラスター対策」など日本独自の戦略を編み出し、一定の成果を上げた一方で、突如として科学的な根拠のない「アベノマスク」「Go Toトラベル」のような、一見「国民の受けがよさそうな対策」が突如出てきた。これは、加藤氏や西村氏という「支持率調整担当」の政治家が、官邸の意思決定にかかわってきたからにほかならない(第237回)。 そして、官邸が新型コロナ対策のために注視してきたことは、単純な感染者数の増減である。国民が、感染者数の増減にしか関心がないと思っているからだ。感染者数が増えれば恐怖し、減れば安堵する。そして、ワイドショーなどのメディアがその恐怖をあおる。それは、政権の支持率の変動に直結する。だから、新型コロナ対策は、単純な感染者数で決められていくことになる。 支持率重視で対策を決めるようになると、対策そのものが後手に回るのは、ある意味当然だ。そういう世論調整のようなやり方は、平時にはうまくいったかもしれないが、コロナ禍という「有事」には通用しないと厳しく批判したい』、「厚労省の技官はどうか。官僚は基本的に、現行のルールの範囲内で何を行うかを考える人たちだ。ルールの変更は基本的に考えず、今できることを守ろうとする。むしろ、ルールの変更には徹底して抵抗する」、それを使いきれないのは、官邸の弱さもあるのではなかろうか。「支持率重視で対策を決めるようになると、対策そのものが後手に回る」、もっとあるべき姿を実現するための対策、を考えてゆくべきだろう。
・『「自民党厚労族」が今こそ動くべきだ 新型コロナの特徴を理解し、適切な対策を決めることや、複雑な事情が絡み合った医療体制の問題を解きほぐして医療逼迫を防ぐことができるのは、日常的に医療行政に接して法律の制定や改正にかかわり、予算分捕りなどカネの流れにも精通しているはずの、自民党の厚労族議員なのではないか。 ところが、新型コロナ対策に関して、厚労族は静かなのである。むしろ、官邸の意思決定を混乱させないようにするためか、現場の医師からの声を受け止めながら、それが官邸に届かないようにしている節すらある(第242回・p8)。例えば、現場の医師からの要望が非常に強い、新型コロナの指定感染症2類の見直しを、厚労族の重鎮である田村憲久厚労相が行わないとしているのだ。 世界的に、ロックダウンという新型コロナ対策は、単に感染拡大を先送りするだけで効果がそれほどないことが明らかになっている。日本でも緊急事態宣言で、感染者数が一時的に減ったとしても、それで安堵するだけでは、問題の本質的な解決にはならない。 繰り返すが、欧米の約100分の1の感染者数にとどまりながら、欧米では起きていない医療逼迫、医療崩壊の危機に陥ってしまっているということが、日本の新型コロナ対策の本質的な問題だ。それは、世論の推移に右往左往する官邸ではなく、自民党厚労族が複雑な医療体制の問題を丁寧に解いていくことで、解決すべきなのではないだろうか』、「自民党厚労族」に「複雑な医療体制の問題を丁寧に解いていく」、といった芸当を期待するのは甘いようだ。もっと主体的な解決策を期待したい。
タグ:医療現場はコロナ禍前から「崩壊」の危機に瀕していた コロナ重症患者が押し寄せて、死ぬか生きるかという戦いをしている病院に、その鍵を握る専門医がおらず、コロナ患者が1人もこないような病院に、コロナ治療に必要不可欠な専門知識や技術を有する医師がいる。需要と供給が噛み合わないミスマッチが生じてしまっているのだ」、なんともバカバカしい「ミスマッチ」だ 現場の医療従事者たちの「頑張り」で」「持ちこたえていた」のが、「今回のコロナ危機で、いよいよ限界を迎えている」 上久保誠人 「医療体制は根本的な立て直しが急務、今こそ動くべき「自民党厚労族」」 「人が足りない」では片付けられない問題とは 急性期病院が多すぎるため、結果として、一つひとつの急性期病院の医療体制を脆弱にして「崩壊の危機」を招いている、というなんとも皮肉な現象が起きている」、このブログの1月11日付け「パンデミック(経済社会的視点)(その12)」でも指摘した問題で 医療問題 急性期病院が多すぎることの何が問題なのか 「2類相当の見直し」は確かに小手先の対応といった印象だ 今こそ、医療が抱える構造的な問題に目を向けて、客観的なデータに基づいた分析が必要」 OECD加盟国平均よりも多い日本の病床数が物語ること 現実味を帯びる医療崩壊 内情はどうなっているのか 「自民党厚労族」に「複雑な医療体制の問題を丁寧に解いていく」、といった芸当を期待するのは甘いようだ。もっと主体的な解決策を期待したい 「自民党厚労族」が今こそ動くべきだ 「支持率重視で対策を決めるようになると、対策そのものが後手に回る」、もっとあるべき姿を実現するための対策、を考えてゆくべきだろう 厚労省の技官はどうか。官僚は基本的に、現行のルールの範囲内で何を行うかを考える人たちだ。ルールの変更は基本的に考えず、今できることを守ろうとする。むしろ、ルールの変更には徹底して抵抗する」、それを使いきれないのは、官邸の弱さもあるのではなかろうか 医療体制立て直しのために動くべきは政治家だが 新型コロナ対応の医師のスポット勤務」も「感染した場合」の「2週間隔離」があるのであれば、難しそうだ 新型コロナに対応する病院に、医師を集められない現状がある 感染症関連の医師の政治力が弱い 重症者対策を集約できない理由 これから1カ月間の緊急事態宣言でなんとか感染者数を減らし、一息つけるような状況になることを願う。そして、その間に大学病院など大病院に経験のある医師、施設を集約させて、重症者対策を充実させるべきだと、あらためて主張したい 重症者対策は大病院に集中させるべきだ 確かに「本質的な問題」には「手を付け」ずに、「国民により一層の努力を求めている」、余りに安易だ 「看護師」の業務はまさにブラック職場そのものだ 医療崩壊の本質的な原因は何か (その27)(「多すぎる病院」が コロナ禍で医療現場の危機を招きかねない理由、医療体制は根本的な立て直しが急務 今こそ動くべき「自民党厚労族」) ダイヤモンド・オンライン 「「多すぎる病院」が、コロナ禍で医療現場の危機を招きかねない理由」 窪田順生
携帯・スマホ(その3)(ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ T企業のトップたちは複雑な感情を抱いている、巨象NTTが突如として動き出した決定的理由 グループ6社の社長に直撃 見えてきた次の一手、インタビュー/NTT社長 澤田 純 「“ゲームチェンジ”すればGAFAは脅威じゃない」、携帯業界「情報争奪」の実態…元SB社員逮捕は“氷山の一角”) [産業動向]
携帯・スマホについては、昨年4月1日に取上げた。今日は、(その3)(ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ T企業のトップたちは複雑な感情を抱いている、巨象NTTが突如として動き出した決定的理由 グループ6社の社長に直撃 見えてきた次の一手、インタビュー/NTT社長 澤田 純 「“ゲームチェンジ”すればGAFAは脅威じゃない」、携帯業界「情報争奪」の実態…元SB社員逮捕は“氷山の一角”)である。
先ずは、昨年12月28日付け東洋経済オンラインが掲載した 精神科医のアンデシュ・ハンセン氏による「ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ T企業のトップたちは複雑な感情を抱いている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/394337
・『スマホやiPadの登場は、便利な一方で、私たちの生活をいつの間にか蝕んでいきます。それは子供たちも同様です。精神科医のアンデシュ・ハンセン氏が上梓した『スマホ脳』を一部抜粋・再構成し、スマートデバイスが子供に与える影響を紐解きます。 極めてテクノロジーに精通している人ほど、その魅力が度を過ぎていることを認識し、制限した方がいいと考えているようだ。ジャスティン・ローゼンスタインという30代のアメリカ人は、自分のフェイスブックの利用時間を制限することに決め、スナップチャットのほうはすっぱりやめた。 依存性ではヘロインに匹敵するからと言って。スマホの使用にブレーキをかけるために、本来は保護者が子供のスマホ使用を制限するためのアプリまでインストールした。 ローゼンスタインの行為が興味深いのは、彼こそがフェイスブックの「いいね」機能を開発した人物だからだ。つまり、「立てた親指」の立役者は、自分の創造物が度を過ぎて魅力的だと感じているのだ。あるインタビューでは、後悔したようにこう発言している。 「製品を開発するときに最善を尽くすのは当然のこと。それが思ってもみないような悪影響を与える──それに気づいたのは後になってからだ」』、「フェイスブックの「いいね」機能を開発した人物」がここまで正直に述懐したことには驚かされた。
・『子供たちを夢中にさせすぎる このような意見を持つのは、シリコンバレーで彼1人ではない。iPodやiPhoneの開発に携わったアップル社の幹部トニー・ファデルも、スクリーンが子供たちを夢中にさせる点について同意見だ。 「冷や汗をびっしょりかいて目を覚ますんだ。僕たちはいったい何を創ってしまったんだろうって。うちの子供たちは、僕がスクリーンを取り上げようとすると、まるで自分の一部を奪われるような顔をする。そして感情的になる。それも、激しく。そのあと数日間、放心したような状態なんだ」 IT企業のトップは、自分たちが開発した製品に複雑な感情を抱いている。その最たるものが、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズのエピソードだ。 ジョブズは、2010年初頭にサンフランシスコで開かれた製品発表会でiPadを初めて紹介し、聴衆を魅了した。「インターネットへのアクセスという特別な可能性をもたらす、驚くべき、比類なき存在」と、iPadに最大級の賛辞を浴びせた。 ただし、自分の子供の使用には慎重になっている──ことまでは言わなかった。あまりに依存性が高いことには気づいていたのに。ニューヨーク・タイムズ紙の記者が、あるインタビューでジョブズにこう尋ねている。 「自宅の壁は、スクリーンやiPadで埋め尽くされてるんでしょう?ディナーに訪れたゲストには、お菓子の代わりに、iPadを配るんですか?」それに対するジョブズの答えは「iPadはそばに置くことすらしない」、そしてスクリーンタイムを厳しく制限していると話した。仰天した記者は、ジョブズをローテクな親だと決めつけた』、「ジョブズ」が「インタビューで」、(自宅には)「「iPadはそばに置くことすらしない」、そしてスクリーンタイムを厳しく制限している」、やはり「iPad」の弊害を熟知しているようだ。
・『ビル・ゲイツも14歳までスマホを持たせず テクノロジーが私たちにどんな影響を与えるのか、スティーブ・ジョブズほど的確に見抜いていた人は少ない。たった10年の間に、ジョブズはいくつもの製品を市場に投入し、私たちが映画や音楽、新聞記事を消費する方法を変貌させた。 コミュニケーションの手段については言うまでもない。それなのに自分の子供の使用には慎重になっていたという事実は、研究結果や新聞のコラムよりも多くを語っている。 スウェーデンでは2~3歳の子供のうち、3人に1人が毎日タブレットを使っている。まだろくに喋ることもできない年齢の子供がだ。 一方で、スティーブ・ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた。ジョブズは皆の先を行っていたのだ。テクノロジーの開発だけでなく、それが私たちに与える影響においても。 絶対的な影響力を持つIT企業のトップたち。その中でスティーブ・ジョブズが極端な例だったわけではない。ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホは持たせなかったと話す。 現在、スウェーデンの11歳児の98%が自分のスマホを持っている。ビル・ゲイツの子供たちは、スマホを持たない2%に属していたわけだ。それは確実に、ゲイツ家に金銭的余裕がなかったせいではないのだ』、「ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた」、「ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホは持たせなかったと話す」、「IT企業のトップたち」は、自分たちの売り物の欠陥が自分たちの「子供」に及ばないようにしているようだ。
次に、 1月8日付け東洋経済オンライン「巨象NTTが突如として動き出した決定的理由 グループ6社の社長に直撃、見えてきた次の一手」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/402030?amp_event=related_4
・『海外事業の強化に向けたグループ再編、トヨタや三菱商事など異業種大手との提携、そして4.3兆円の巨費を投じたNTTドコモの完全子会社化。澤田純氏が2018年に持ち株会社NTTの社長に就いてから、矢継ぎ早に新たな一手を繰り出している。 澤田氏は「スピードは重要だ。商売人はやっぱりタイム・イズ・マネー」と言い切る。猛然と動き出した巨象NTTはどこへ向かおうとしているのか。グループの主要6社トップを直撃した』、「NTT」グループが長い眠りから突如、目覚めたようだ。
・『①NTT 澤田純社長 「ゲームチェンジすればGAFAは脅威じゃない」 昨年、業界を驚かせたNTTによるNTTドコモの完全子会社化。澤田社長はインタビューで「ドコモは10年以上契約数のシェアが毎月のように下がっているし、売上高と利益の面では3番手になってしまった」と“不満”を口にした。もっとも、ドコモの取り込みは国内事業強化の一環にすぎない。澤田社長の視線の先には「GAFA」の存在がある』、「続き」は第三の記事で紹介。
・『②NTTドコモ 井伊基之社長 「準備が整った。早急にV字回復させる」「ドコモを強くしてこい」とNTTの澤田社長に言われ、2020年12月からドコモの社長に就任した井伊基之氏。独り負け状態から脱却するために、就任早々、激安の料金プランをブチ上げた。井伊氏はこれまでのやり方について、利益を着実に出すために「守りの経営」に入っていたと指摘。インタビューでは「今までのドコモだったらやらなかったことを思い切ってやる」と断言した>>続きを読む』、②以降のコメントは最後に。
・『③NTTデータ 本間洋社長 「もっと上へ“世界トップ5”目指す」 現在、NTTグループの海外売上高は全体の約2割。海外事業を今後の成長柱にできるかどうか。カギを握るのがNTTデータだ。近年はM&Aを積極的に推進。それでも本間社長は「海外で『NTTデータ』と名乗ってもわかってくれない」と話す。世界に通用するITベンダーになるために次の一手をどう打つか>>続きを読む』、同上。
・『④NTT東日本 井上福造社長 「地域密着型の“ICT商社”に生まれ変わる」 グループの「長男」に当たるNTT東日本。固定電話離れで売上高の減少が続いてきた。しかし、井上福造社長が「よく節約して利益が出せている」と言うように、ドコモに次いで利益が多い。課題は売り上げの増加だ。既存市場で成長が見込めない中、反転攻勢をかけられるか。井上社長は「方向感が変われば、全員がそちらに向かう団結力が東日本の強み」と語った>>続きを読む』、同上。
・『⑤NTT西日本 小林充佳社長 「地域分散の“弱み”を“強み”にできる」 NTT西日本は、大都市圏から山間部、島嶼部まで広範な地域で固定電話や光回線を提供する。いわば小さの市場の集合体だ。そのため、首都圏を抱えるNTT東日本と比べると、事業環境は不利だった。だが、小林社長は「西日本の社員は『やったろう』という反骨精神が強い」と話す。非効率な地域分散の「弱み」をどう「強み」に変えていくのか>>続きを読む』、同上。
・『⑥NTTコミュニケーションズ 丸岡亨社長 「ドコモと組んで“プラットフォーマー”になる」 グループで海外事業の“顔”として展開を拡大してきたNTTコミュニケーションズ。祖業は国内の長距離電話や国際電話だが、大規模な通信網を生かし、法人向けのネットワーク構築やデータセンター、クラウドで成長してきた。NTTによるドコモの完全子会社化で、丸岡亨社長は「ドコモとの連携が強まるのは間違いない」と言う>>続きを読む』、「「NTT」グループ各社が長い眠りから目覚め、やる気を出したのかは、もう少し見守る必要がありそうだ。
第三に、上記のうち「NTT社長 澤田 純氏」へのインタビューを12月25日付け週刊東洋経済プラス「“ゲームチェンジ”すればGAFAは脅威じゃない」の一部を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/25675
・『NTTのグループ売上高に占める海外事業の比率はいまだ2割と小さい。2018年の就任以来、NTTの澤田純社長はこれを強化すべく、グローバル事業の再編や世界的大企業の提携など矢継ぎ早に新たな手を打ってきた。澤田氏は「スピードは重要だ。商売人はやっぱりタイム・イズ・マネーですよ」と言い切る。 それは今回のNTTドコモの完全子会社化も同様だ。検討が始まったのが2020年4月。その5カ月後には発表にこぎ着けた。また、澤田氏の視線の先には「GAFA」の脅威があるという。「ゲームチェンジをしなければいけない」と語る澤田氏の真意を直撃した(Qは聞き手の質問、Aは澤田氏の回答)』、興味深そうだ。
・『Q:NTTドコモを12月に完全子会社化します。このタイミングで決断した理由は何ですか。 A:ドコモはNTTグループにとって収入面、利益面、人材面でも重要な会社だ。だが、もう10年以上契約数のシェアが毎月のように下がっているし、売上高と利益の面では3番手になってしまった。 そこに海外のOTT(オーバー・ザー・トップ:動画配信やSNSなどのサービス事業者)が入ってきて、競争が激しくなった。そんな中でドコモを強くしないといけない。そうすればNTT全体が強くなる。 完全子会社化したからといって自然にドコモが強くなるわけじゃない。意思決定を速くして、グループ間の連携を深める。現在研究開発を進めている「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)」構想(詳細は後述)を実現するためにも、ドコモとの連携強化は必須だ。 Q:具体的にどう強くしますか。 A:一番わかりやすいのはコストだ。(ドコモが整備している)基盤のネットワークは、モバイル回線のみに使われている。ただKDDIは固定回線から始まり、ここにモバイルを足した。他社のほうがコスト効率がいい。完全子会社化を経てドコモがNTTコミュニケーションズ(コム)と連携すれば、(基盤のネットワークをコムの固定回線にも使えるので)コスト効率が良くなる。 もう1つは法人事業だ。ドコモは法人向けビジネスが非常に弱かった。ここでも(法人が主顧客である)コムと連携すればモバイルのソリューションをセットで売りやすくなり、競争力を上げられる。 これまでは無線(携帯)しかなかったので、KDDIやソフトバンクとの競争でドコモはスタートラインにも立てていなかった。5G時代には法人向けのソリューションも重要だ。KDDIもソフトバンクも「MaaS(Mobility as a Service)」など包括的なソリューションを提案しており、その入口に立つことを目指している。 ドコモが「スマートライフ」と呼んでいる(決済やアプリなどの)サービス開発も重要だ。ここはソフトウェア開発力の高いNTTコムウェアと連携を深めることで強化できる。 Q:今回の完全子会社化は国内の足場固めといえます。一方、2018年に澤田社長が就任してから、海外事業の強化を進めてきました。どんな立ち位置を目指しますか。 A:「BtoBtoX」と呼ばれるモデルだ。われわれ(B)が法人や自治体の顧客(B)にいろいろなソリューションを提案して、その先のエンドユーザー(X)向けに一緒に新しい事業をつくりましょうということ。海外はもともと国内以上にBtoBの色が強い。システム構築やプラットフォーム(データセンターやソフトウェア)などソリューションに近い部分をやっている。 消費者向けのビジネスはやはりGAFAが世界レベルで強い。よほどユニークでないと成長できない。(NTTとしては)そこでGAFAと戦う気もあまりないので、BtoBが必然的に多くなる。 Q:通信インフラの面では、米中摩擦の影響で中国ファーウェイの通信機器が各国で禁止される動きが広がっています。この12月にもイギリス政府がファーウェイから調達しない方針を発表しました。この流れは追い風ですか。 A:チャンスですね。うちだけではなく通信機器で世界に出遅れた日系メーカーにもチャンスだ。 西側諸国では今、「NECがいいんじゃないの?」と言われている。イギリスではまさにNECが(5G基地局の)実証実験をやっている。「Open RAN」(基地局設備をオープン化し特定のベンダー依存を防ぐ仕組み)の流れもあり参入の余地が広がる。 NTTとしてはそうした通信機器を導入する際のシステム構築が商機になる。NECや富士通の製品と一緒に必要になるシステムは、NTTデータが持ってくる。特に欧州での5Gの展開はまさにこれから。通信キャリアの基地局でも、「ローカル5G」でも入っていける。日本は遅れているといわれるが、5Gの導入という意味では先頭に立っている・・・』、「日本は遅れているといわれるが、5Gの導入という意味では先頭に立っている」、本当であれば一安心なのだが・・・。
・『GAFAはパートナーだが「脅威」 Q:澤田社長はつねづね「GAFAが競争相手だ」と口にしています。しかし、GAFAがNTTの競合といってもピンときません。ここにはどんな意図があるのですか? A:GAFAとの関係は互いに顧客であり、パートナーでもある。ただ、領域によっては戦う相手でもある。ドコモの話だが、端末やアプリでは連携している。アップルの「iOS」やグーグルの「アンドロイド」などのスマホのOS(基本ソフト)がなければ事業ができない。 Q:「戦う相手」となる領域とは? A:「脅威」といったほうがいいかもしれない。通信に目を向けると、今、インフラのソフトウェア化が進んでいる。楽天モバイルがアメリカのアルティオスター社と組んで、ネットワークの仮想化(汎用サーバー上にネットワークを構築すること)を進めているのは一つの例だ。 そうなると(専用機器をそろえる必要がなくなるため)GAFAのような企業も参入しやすくなる。通信キャリアのネットワークを制御するプラットフォームをGAFAが構築することも考えられる』、「GAFAとの関係」は確かに一筋縄ではいかず、複雑なようだ。
第四に、1月14日付け日刊ゲンダイ「携帯業界「情報争奪」の実態…元SB社員逮捕は“氷山の一角”」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/283844
・『元ソフトバンク社員が楽天モバイルに転職する際、高速・大容量通信規格「5G」に関する営業秘密を不正に持ち出して逮捕されたことが話題になっている。逮捕された合場邦章容疑者(45)は、一昨年12月にソフトバンクを退社して翌月の昨年1月に楽天へ入社。退社の際に5Gの技術ファイルを引き出して、自分のパソコンに保存していた。 合場容疑者が手に入れたのは基地局設備や、基地局と交換機を結ぶ固定通信網に関する技術情報とされる。ただし、楽天は「(合場容疑者が)前職により得た営業情報を弊社業務に利用した事実は確認していない。5Gに関する技術情報も含まれていない」と説明。ソフトバンクは営業秘密の利用停止と廃棄などを目的として楽天を相手に民事訴訟を提起する予定だ。 昨年から携帯業界は5G時代に突入し、菅政権の値下げ圧力により低価格競争も激化。日進月歩の業界では熾烈な情報争奪戦が行われている』、「楽天」は「携帯」でいくら大きく立ち遅れたとはいえ、すぐにバレる不正な手段まで使って、キャッチアップしようとしたというのは、考え難い。
・『「基地局情報などの持ち出しよりも深刻なのが、頭脳の流出です」とはITジャーナリストの井上トシユキ氏だ。 「携帯各社が欲しがっているのは通信網の技術情報。高速でデータを送り、安定したネットワークを構築する技術です。こうした秘密情報は最高幹部でないと持ち出しは不可能。ハッキングでも入手できません。そこで業界で行われているのがライバル社のトップエンジニアのスカウト。もちろん、こうした技術者は情報を他社に漏らさないという誓約書を書いています。だけど、頭の中には自分が開発したシステムの設計図やこれまでのプロセスの記憶がある。これが重要なのです」』、なるほど。
・『A社で開発した技術をB社にそのまま持っていくと誓約書に違反するが、A社の技術をB社で発展させて別物にすれば法律に触れない。また、その技術者がA社でどんな試行錯誤をしたのか、どんな実験をしたのかというプロセスの中に、役立つ情報が潜んでいる。 スカウトで獲得した技術者が画期的な発明をして特許を取れば、ライバル企業から特許料を得ることもできる。そのため、現在の4、5倍の収入や、ウン億円の成功報酬を提示することもあるという。 「プロのスカウトマンが密かに接触したり、大学時代の先輩が優秀な後輩をお酒に誘って『ウチに来ないか』と持ちかけるなど、やり方はさまざまです。だから有能なエンジニアが『退職』を切り出したら、直属の上司や役員が責任を問われる。現在、5GではNTTの技術が抜きんでています。ライバル各社は同社のエンジニアをスカウトしたくてたまらないでしょう。菅政権の値下げ圧力により携帯各社は減益を覚悟している。だからこそ、コストと開発時間を抑えるために他社の技術入手に興味津々。情報と人材の戦国時代に突入したといえます」(井上トシユキ氏) 今回の事件は氷山の一角かもしれない』、「5GではNTTの技術が抜きんでています」、「ソフトバンク」の「技術」でも意味があったのだろうか。いずれにしろ、眞の事情が分かり難い事件で、今後の解明を待ちたい。
先ずは、昨年12月28日付け東洋経済オンラインが掲載した 精神科医のアンデシュ・ハンセン氏による「ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ T企業のトップたちは複雑な感情を抱いている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/394337
・『スマホやiPadの登場は、便利な一方で、私たちの生活をいつの間にか蝕んでいきます。それは子供たちも同様です。精神科医のアンデシュ・ハンセン氏が上梓した『スマホ脳』を一部抜粋・再構成し、スマートデバイスが子供に与える影響を紐解きます。 極めてテクノロジーに精通している人ほど、その魅力が度を過ぎていることを認識し、制限した方がいいと考えているようだ。ジャスティン・ローゼンスタインという30代のアメリカ人は、自分のフェイスブックの利用時間を制限することに決め、スナップチャットのほうはすっぱりやめた。 依存性ではヘロインに匹敵するからと言って。スマホの使用にブレーキをかけるために、本来は保護者が子供のスマホ使用を制限するためのアプリまでインストールした。 ローゼンスタインの行為が興味深いのは、彼こそがフェイスブックの「いいね」機能を開発した人物だからだ。つまり、「立てた親指」の立役者は、自分の創造物が度を過ぎて魅力的だと感じているのだ。あるインタビューでは、後悔したようにこう発言している。 「製品を開発するときに最善を尽くすのは当然のこと。それが思ってもみないような悪影響を与える──それに気づいたのは後になってからだ」』、「フェイスブックの「いいね」機能を開発した人物」がここまで正直に述懐したことには驚かされた。
・『子供たちを夢中にさせすぎる このような意見を持つのは、シリコンバレーで彼1人ではない。iPodやiPhoneの開発に携わったアップル社の幹部トニー・ファデルも、スクリーンが子供たちを夢中にさせる点について同意見だ。 「冷や汗をびっしょりかいて目を覚ますんだ。僕たちはいったい何を創ってしまったんだろうって。うちの子供たちは、僕がスクリーンを取り上げようとすると、まるで自分の一部を奪われるような顔をする。そして感情的になる。それも、激しく。そのあと数日間、放心したような状態なんだ」 IT企業のトップは、自分たちが開発した製品に複雑な感情を抱いている。その最たるものが、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズのエピソードだ。 ジョブズは、2010年初頭にサンフランシスコで開かれた製品発表会でiPadを初めて紹介し、聴衆を魅了した。「インターネットへのアクセスという特別な可能性をもたらす、驚くべき、比類なき存在」と、iPadに最大級の賛辞を浴びせた。 ただし、自分の子供の使用には慎重になっている──ことまでは言わなかった。あまりに依存性が高いことには気づいていたのに。ニューヨーク・タイムズ紙の記者が、あるインタビューでジョブズにこう尋ねている。 「自宅の壁は、スクリーンやiPadで埋め尽くされてるんでしょう?ディナーに訪れたゲストには、お菓子の代わりに、iPadを配るんですか?」それに対するジョブズの答えは「iPadはそばに置くことすらしない」、そしてスクリーンタイムを厳しく制限していると話した。仰天した記者は、ジョブズをローテクな親だと決めつけた』、「ジョブズ」が「インタビューで」、(自宅には)「「iPadはそばに置くことすらしない」、そしてスクリーンタイムを厳しく制限している」、やはり「iPad」の弊害を熟知しているようだ。
・『ビル・ゲイツも14歳までスマホを持たせず テクノロジーが私たちにどんな影響を与えるのか、スティーブ・ジョブズほど的確に見抜いていた人は少ない。たった10年の間に、ジョブズはいくつもの製品を市場に投入し、私たちが映画や音楽、新聞記事を消費する方法を変貌させた。 コミュニケーションの手段については言うまでもない。それなのに自分の子供の使用には慎重になっていたという事実は、研究結果や新聞のコラムよりも多くを語っている。 スウェーデンでは2~3歳の子供のうち、3人に1人が毎日タブレットを使っている。まだろくに喋ることもできない年齢の子供がだ。 一方で、スティーブ・ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた。ジョブズは皆の先を行っていたのだ。テクノロジーの開発だけでなく、それが私たちに与える影響においても。 絶対的な影響力を持つIT企業のトップたち。その中でスティーブ・ジョブズが極端な例だったわけではない。ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホは持たせなかったと話す。 現在、スウェーデンの11歳児の98%が自分のスマホを持っている。ビル・ゲイツの子供たちは、スマホを持たない2%に属していたわけだ。それは確実に、ゲイツ家に金銭的余裕がなかったせいではないのだ』、「ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた」、「ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホは持たせなかったと話す」、「IT企業のトップたち」は、自分たちの売り物の欠陥が自分たちの「子供」に及ばないようにしているようだ。
次に、 1月8日付け東洋経済オンライン「巨象NTTが突如として動き出した決定的理由 グループ6社の社長に直撃、見えてきた次の一手」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/402030?amp_event=related_4
・『海外事業の強化に向けたグループ再編、トヨタや三菱商事など異業種大手との提携、そして4.3兆円の巨費を投じたNTTドコモの完全子会社化。澤田純氏が2018年に持ち株会社NTTの社長に就いてから、矢継ぎ早に新たな一手を繰り出している。 澤田氏は「スピードは重要だ。商売人はやっぱりタイム・イズ・マネー」と言い切る。猛然と動き出した巨象NTTはどこへ向かおうとしているのか。グループの主要6社トップを直撃した』、「NTT」グループが長い眠りから突如、目覚めたようだ。
・『①NTT 澤田純社長 「ゲームチェンジすればGAFAは脅威じゃない」 昨年、業界を驚かせたNTTによるNTTドコモの完全子会社化。澤田社長はインタビューで「ドコモは10年以上契約数のシェアが毎月のように下がっているし、売上高と利益の面では3番手になってしまった」と“不満”を口にした。もっとも、ドコモの取り込みは国内事業強化の一環にすぎない。澤田社長の視線の先には「GAFA」の存在がある』、「続き」は第三の記事で紹介。
・『②NTTドコモ 井伊基之社長 「準備が整った。早急にV字回復させる」「ドコモを強くしてこい」とNTTの澤田社長に言われ、2020年12月からドコモの社長に就任した井伊基之氏。独り負け状態から脱却するために、就任早々、激安の料金プランをブチ上げた。井伊氏はこれまでのやり方について、利益を着実に出すために「守りの経営」に入っていたと指摘。インタビューでは「今までのドコモだったらやらなかったことを思い切ってやる」と断言した>>続きを読む』、②以降のコメントは最後に。
・『③NTTデータ 本間洋社長 「もっと上へ“世界トップ5”目指す」 現在、NTTグループの海外売上高は全体の約2割。海外事業を今後の成長柱にできるかどうか。カギを握るのがNTTデータだ。近年はM&Aを積極的に推進。それでも本間社長は「海外で『NTTデータ』と名乗ってもわかってくれない」と話す。世界に通用するITベンダーになるために次の一手をどう打つか>>続きを読む』、同上。
・『④NTT東日本 井上福造社長 「地域密着型の“ICT商社”に生まれ変わる」 グループの「長男」に当たるNTT東日本。固定電話離れで売上高の減少が続いてきた。しかし、井上福造社長が「よく節約して利益が出せている」と言うように、ドコモに次いで利益が多い。課題は売り上げの増加だ。既存市場で成長が見込めない中、反転攻勢をかけられるか。井上社長は「方向感が変われば、全員がそちらに向かう団結力が東日本の強み」と語った>>続きを読む』、同上。
・『⑤NTT西日本 小林充佳社長 「地域分散の“弱み”を“強み”にできる」 NTT西日本は、大都市圏から山間部、島嶼部まで広範な地域で固定電話や光回線を提供する。いわば小さの市場の集合体だ。そのため、首都圏を抱えるNTT東日本と比べると、事業環境は不利だった。だが、小林社長は「西日本の社員は『やったろう』という反骨精神が強い」と話す。非効率な地域分散の「弱み」をどう「強み」に変えていくのか>>続きを読む』、同上。
・『⑥NTTコミュニケーションズ 丸岡亨社長 「ドコモと組んで“プラットフォーマー”になる」 グループで海外事業の“顔”として展開を拡大してきたNTTコミュニケーションズ。祖業は国内の長距離電話や国際電話だが、大規模な通信網を生かし、法人向けのネットワーク構築やデータセンター、クラウドで成長してきた。NTTによるドコモの完全子会社化で、丸岡亨社長は「ドコモとの連携が強まるのは間違いない」と言う>>続きを読む』、「「NTT」グループ各社が長い眠りから目覚め、やる気を出したのかは、もう少し見守る必要がありそうだ。
第三に、上記のうち「NTT社長 澤田 純氏」へのインタビューを12月25日付け週刊東洋経済プラス「“ゲームチェンジ”すればGAFAは脅威じゃない」の一部を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/25675
・『NTTのグループ売上高に占める海外事業の比率はいまだ2割と小さい。2018年の就任以来、NTTの澤田純社長はこれを強化すべく、グローバル事業の再編や世界的大企業の提携など矢継ぎ早に新たな手を打ってきた。澤田氏は「スピードは重要だ。商売人はやっぱりタイム・イズ・マネーですよ」と言い切る。 それは今回のNTTドコモの完全子会社化も同様だ。検討が始まったのが2020年4月。その5カ月後には発表にこぎ着けた。また、澤田氏の視線の先には「GAFA」の脅威があるという。「ゲームチェンジをしなければいけない」と語る澤田氏の真意を直撃した(Qは聞き手の質問、Aは澤田氏の回答)』、興味深そうだ。
・『Q:NTTドコモを12月に完全子会社化します。このタイミングで決断した理由は何ですか。 A:ドコモはNTTグループにとって収入面、利益面、人材面でも重要な会社だ。だが、もう10年以上契約数のシェアが毎月のように下がっているし、売上高と利益の面では3番手になってしまった。 そこに海外のOTT(オーバー・ザー・トップ:動画配信やSNSなどのサービス事業者)が入ってきて、競争が激しくなった。そんな中でドコモを強くしないといけない。そうすればNTT全体が強くなる。 完全子会社化したからといって自然にドコモが強くなるわけじゃない。意思決定を速くして、グループ間の連携を深める。現在研究開発を進めている「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)」構想(詳細は後述)を実現するためにも、ドコモとの連携強化は必須だ。 Q:具体的にどう強くしますか。 A:一番わかりやすいのはコストだ。(ドコモが整備している)基盤のネットワークは、モバイル回線のみに使われている。ただKDDIは固定回線から始まり、ここにモバイルを足した。他社のほうがコスト効率がいい。完全子会社化を経てドコモがNTTコミュニケーションズ(コム)と連携すれば、(基盤のネットワークをコムの固定回線にも使えるので)コスト効率が良くなる。 もう1つは法人事業だ。ドコモは法人向けビジネスが非常に弱かった。ここでも(法人が主顧客である)コムと連携すればモバイルのソリューションをセットで売りやすくなり、競争力を上げられる。 これまでは無線(携帯)しかなかったので、KDDIやソフトバンクとの競争でドコモはスタートラインにも立てていなかった。5G時代には法人向けのソリューションも重要だ。KDDIもソフトバンクも「MaaS(Mobility as a Service)」など包括的なソリューションを提案しており、その入口に立つことを目指している。 ドコモが「スマートライフ」と呼んでいる(決済やアプリなどの)サービス開発も重要だ。ここはソフトウェア開発力の高いNTTコムウェアと連携を深めることで強化できる。 Q:今回の完全子会社化は国内の足場固めといえます。一方、2018年に澤田社長が就任してから、海外事業の強化を進めてきました。どんな立ち位置を目指しますか。 A:「BtoBtoX」と呼ばれるモデルだ。われわれ(B)が法人や自治体の顧客(B)にいろいろなソリューションを提案して、その先のエンドユーザー(X)向けに一緒に新しい事業をつくりましょうということ。海外はもともと国内以上にBtoBの色が強い。システム構築やプラットフォーム(データセンターやソフトウェア)などソリューションに近い部分をやっている。 消費者向けのビジネスはやはりGAFAが世界レベルで強い。よほどユニークでないと成長できない。(NTTとしては)そこでGAFAと戦う気もあまりないので、BtoBが必然的に多くなる。 Q:通信インフラの面では、米中摩擦の影響で中国ファーウェイの通信機器が各国で禁止される動きが広がっています。この12月にもイギリス政府がファーウェイから調達しない方針を発表しました。この流れは追い風ですか。 A:チャンスですね。うちだけではなく通信機器で世界に出遅れた日系メーカーにもチャンスだ。 西側諸国では今、「NECがいいんじゃないの?」と言われている。イギリスではまさにNECが(5G基地局の)実証実験をやっている。「Open RAN」(基地局設備をオープン化し特定のベンダー依存を防ぐ仕組み)の流れもあり参入の余地が広がる。 NTTとしてはそうした通信機器を導入する際のシステム構築が商機になる。NECや富士通の製品と一緒に必要になるシステムは、NTTデータが持ってくる。特に欧州での5Gの展開はまさにこれから。通信キャリアの基地局でも、「ローカル5G」でも入っていける。日本は遅れているといわれるが、5Gの導入という意味では先頭に立っている・・・』、「日本は遅れているといわれるが、5Gの導入という意味では先頭に立っている」、本当であれば一安心なのだが・・・。
・『GAFAはパートナーだが「脅威」 Q:澤田社長はつねづね「GAFAが競争相手だ」と口にしています。しかし、GAFAがNTTの競合といってもピンときません。ここにはどんな意図があるのですか? A:GAFAとの関係は互いに顧客であり、パートナーでもある。ただ、領域によっては戦う相手でもある。ドコモの話だが、端末やアプリでは連携している。アップルの「iOS」やグーグルの「アンドロイド」などのスマホのOS(基本ソフト)がなければ事業ができない。 Q:「戦う相手」となる領域とは? A:「脅威」といったほうがいいかもしれない。通信に目を向けると、今、インフラのソフトウェア化が進んでいる。楽天モバイルがアメリカのアルティオスター社と組んで、ネットワークの仮想化(汎用サーバー上にネットワークを構築すること)を進めているのは一つの例だ。 そうなると(専用機器をそろえる必要がなくなるため)GAFAのような企業も参入しやすくなる。通信キャリアのネットワークを制御するプラットフォームをGAFAが構築することも考えられる』、「GAFAとの関係」は確かに一筋縄ではいかず、複雑なようだ。
第四に、1月14日付け日刊ゲンダイ「携帯業界「情報争奪」の実態…元SB社員逮捕は“氷山の一角”」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/283844
・『元ソフトバンク社員が楽天モバイルに転職する際、高速・大容量通信規格「5G」に関する営業秘密を不正に持ち出して逮捕されたことが話題になっている。逮捕された合場邦章容疑者(45)は、一昨年12月にソフトバンクを退社して翌月の昨年1月に楽天へ入社。退社の際に5Gの技術ファイルを引き出して、自分のパソコンに保存していた。 合場容疑者が手に入れたのは基地局設備や、基地局と交換機を結ぶ固定通信網に関する技術情報とされる。ただし、楽天は「(合場容疑者が)前職により得た営業情報を弊社業務に利用した事実は確認していない。5Gに関する技術情報も含まれていない」と説明。ソフトバンクは営業秘密の利用停止と廃棄などを目的として楽天を相手に民事訴訟を提起する予定だ。 昨年から携帯業界は5G時代に突入し、菅政権の値下げ圧力により低価格競争も激化。日進月歩の業界では熾烈な情報争奪戦が行われている』、「楽天」は「携帯」でいくら大きく立ち遅れたとはいえ、すぐにバレる不正な手段まで使って、キャッチアップしようとしたというのは、考え難い。
・『「基地局情報などの持ち出しよりも深刻なのが、頭脳の流出です」とはITジャーナリストの井上トシユキ氏だ。 「携帯各社が欲しがっているのは通信網の技術情報。高速でデータを送り、安定したネットワークを構築する技術です。こうした秘密情報は最高幹部でないと持ち出しは不可能。ハッキングでも入手できません。そこで業界で行われているのがライバル社のトップエンジニアのスカウト。もちろん、こうした技術者は情報を他社に漏らさないという誓約書を書いています。だけど、頭の中には自分が開発したシステムの設計図やこれまでのプロセスの記憶がある。これが重要なのです」』、なるほど。
・『A社で開発した技術をB社にそのまま持っていくと誓約書に違反するが、A社の技術をB社で発展させて別物にすれば法律に触れない。また、その技術者がA社でどんな試行錯誤をしたのか、どんな実験をしたのかというプロセスの中に、役立つ情報が潜んでいる。 スカウトで獲得した技術者が画期的な発明をして特許を取れば、ライバル企業から特許料を得ることもできる。そのため、現在の4、5倍の収入や、ウン億円の成功報酬を提示することもあるという。 「プロのスカウトマンが密かに接触したり、大学時代の先輩が優秀な後輩をお酒に誘って『ウチに来ないか』と持ちかけるなど、やり方はさまざまです。だから有能なエンジニアが『退職』を切り出したら、直属の上司や役員が責任を問われる。現在、5GではNTTの技術が抜きんでています。ライバル各社は同社のエンジニアをスカウトしたくてたまらないでしょう。菅政権の値下げ圧力により携帯各社は減益を覚悟している。だからこそ、コストと開発時間を抑えるために他社の技術入手に興味津々。情報と人材の戦国時代に突入したといえます」(井上トシユキ氏) 今回の事件は氷山の一角かもしれない』、「5GではNTTの技術が抜きんでています」、「ソフトバンク」の「技術」でも意味があったのだろうか。いずれにしろ、眞の事情が分かり難い事件で、今後の解明を待ちたい。
タグ:「ソフトバンク」の「技術」でも意味があったのだろうか。いずれにしろ、眞の事情が分かり難い事件で、今後の解明を待ちたい 5GではNTTの技術が抜きんでています A社の技術をB社で発展させて別物にすれば法律に触れない。また、その技術者がA社でどんな試行錯誤をしたのか、どんな実験をしたのかというプロセスの中に、役立つ情報が潜んでいる 「基地局情報などの持ち出しよりも深刻なのが、頭脳の流出です 「楽天」は「携帯」でいくら大きく立ち遅れたとはいえ、すぐにバレる不正な手段まで使って、キャッチアップしようとしたというのは、考え難い 元ソフトバンク社員が楽天モバイルに転職する際、高速・大容量通信規格「5G」に関する営業秘密を不正に持ち出して逮捕 「携帯業界「情報争奪」の実態…元SB社員逮捕は“氷山の一角”」 日刊ゲンダイ GAFAとの関係」は確かに一筋縄ではいかず、複雑なようだ GAFAはパートナーだが「脅威」 日本は遅れているといわれるが、5Gの導入という意味では先頭に立っている」、本当であれば一安心なのだが・・・ もう1つは法人事業だ。ドコモは法人向けビジネスが非常に弱かった。ここでも(法人が主顧客である)コムと連携すればモバイルのソリューションをセットで売りやすくなり、競争力を上げられる 。完全子会社化を経てドコモがNTTコミュニケーションズ(コム)と連携すれば、(基盤のネットワークをコムの固定回線にも使えるので)コスト効率が良くなる 意思決定を速くして、グループ間の連携を深める 海外のOTT(オーバー・ザー・トップ:動画配信やSNSなどのサービス事業者)が入ってきて、競争が激しくなった 10年以上契約数のシェアが毎月のように下がっているし、売上高と利益の面では3番手になってしまった 「“ゲームチェンジ”すればGAFAは脅威じゃない」 週刊東洋経済プラス NTT社長 澤田 純氏 「NTT」グループ各社が長い眠りから目覚め、やる気を出したのかは、もう少し見守る必要がありそうだ ⑥NTTコミュニケーションズ 丸岡亨社長 「ドコモと組んで“プラットフォーマー”になる」 ⑤NTT西日本 小林充佳社長 「地域分散の“弱み”を“強み”にできる」 ④NTT東日本 井上福造社長 「地域密着型の“ICT商社”に生まれ変わる」 ③NTTデータ 本間洋社長 「もっと上へ“世界トップ5”目指す」 「準備が整った。早急にV字回復させる」 ②NTTドコモ 井伊基之社長 ①NTT 澤田純社長 「ゲームチェンジすればGAFAは脅威じゃない」 澤田純氏が2018年に持ち株会社NTTの社長に就いてから、矢継ぎ早に新たな一手を繰り出している 「巨象NTTが突如として動き出した決定的理由 グループ6社の社長に直撃、見えてきた次の一手」 「IT企業のトップたち」は、自分たちの売り物の欠陥が自分たちの「子供」に及ばないようにしているようだ ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた ビル・ゲイツも14歳までスマホを持たせず 「ジョブズ」が「インタビューで」、(自宅には)「「iPadはそばに置くことすらしない」、そしてスクリーンタイムを厳しく制限している」、やはり「iPad」の弊害を熟知しているようだ アンデシュ・ハンセン 携帯・スマホ 東洋経済オンライン 極めてテクノロジーに精通している人ほど、その魅力が度を過ぎていることを認識し、制限した方がいいと考えているようだ 「ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ T企業のトップたちは複雑な感情を抱いている」 子供たちを夢中にさせすぎる 「フェイスブックの「いいね」機能を開発した人物」がここまで正直に述懐したことには驚かされた (その3)(ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ T企業のトップたちは複雑な感情を抱いている、巨象NTTが突如として動き出した決定的理由 グループ6社の社長に直撃 見えてきた次の一手、インタビュー/NTT社長 澤田 純 「“ゲームチェンジ”すればGAFAは脅威じゃない」、携帯業界「情報争奪」の実態…元SB社員逮捕は“氷山の一角”) 「製品を開発するときに最善を尽くすのは当然のこと。それが思ってもみないような悪影響を与える──それに気づいたのは後になってからだ」
政府のマスコミへのコントロール(その17)(菅首相の激怒でNHK『NW9』有馬キャスターが降板か! 官房副長官が「学術会議問題を聞くなんてNHKはガバナンス利いてない、政治と報道をめぐる2020年の論点 2021年、私たちが注視し続けるべきもの、古賀茂明と望月衣塑子が徹底考察…なぜ 菅首相は国民に寄り添うことができないのか) [メディア]
政府のマスコミへのコントロールについては、昨年9月22日に取り上げた。今日は、(その17)(菅首相の激怒でNHK『NW9』有馬キャスターが降板か! 官房副長官が「学術会議問題を聞くなんてNHKはガバナンス利いてない、政治と報道をめぐる2020年の論点 2021年、私たちが注視し続けるべきもの、古賀茂明と望月衣塑子が徹底考察…なぜ 菅首相は国民に寄り添うことができないのか)である。
先ずは、昨年12月18日付けLITERA「菅首相の激怒でNHK『NW9』有馬キャスターが降板か! 官房副長官が「学術会議問題を聞くなんてNHKはガバナンス利いてない」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2020/12/post-5733.html
・『本サイトでもお伝えしてきたように、今週、批判の高まりも無視して田崎史郎氏をはじめ、フジテレビに日本テレビ、読売新聞とメディア幹部・関係者と会食を繰り広げた菅義偉首相。新型コロナ対応を疎かにしながら会食でメディアを懐柔しようとは言語道断だが、その一方で、菅官邸はついに、あのキャスターを“圧力降板”させようとしているらしい。 そのキャスターとは、NHKの看板報道番組である『ニュースウオッチ9』の有馬嘉男キャスターだ。 有馬キャスターといえば、菅首相が所信表明演説をおこなった10月26日に同番組に生出演した際、日本学術会議問題について「もう少しわかりやすい言葉で、総理自身、説明される必要があるんじゃないですか?」「説明がほしいという国民の声もあるようには思うのですが」と食い下がって質問。これに対し、菅首相は「説明できることとできないことってあるんじゃないでしょうか」とキレ気味に返答したが、放送直後から菅首相のキレっぷりを見て、問題に切り込んだ有馬キャスターの処遇を心配する声が上がっていた。 そして、その不安が的中しそうだという見方が、ここにきて出てきたのだ。 この問題を報じたのは、今週発売の「週刊文春」(文藝春秋)。記事のなかでは、NHK関係者がこう証言している。 「十二月末のキャスター委員会で、来年三月での降板が決定すると見られます。大越氏(編集部注:2015年に降板した大越健介キャスター)は在任五年、前任の河野憲治氏は二年だった。有馬氏も丸四年を目前に、交代時期として不自然ではありませんが、親しみやすく、好感度も高い。それゆえ、降板の背景には官邸の怒りがあるのでは、と言われています」 菅首相といえば、2014年に出演した『クローズアップ現代』で鋭い質問を浴びせた国谷裕子キャスターを降板に追い込み、さらには安倍政権に批判的報道が目立った『報道ステーション』(テレビ朝日)にも圧力をかけ、それが古舘伊知郎キャスターの降板につながったと言われてきた。有馬氏はその2人に比べれば及び腰なキャスターだが、しかし、それでも菅首相に怒りを買ったことで降板に追い込まれそうだというのだ』、「有馬キャスター」が、「日本学術会議問題について」「食い下がって質問した」のは、当然のことで、遠慮して質問しない方がキャスター失格の筈だ。
・『菅首相が『NW9』出演後、山田内閣広報官がNHK原政治部長に「総理、怒っていますよ」 実際、本サイトでも報じてきたように、この日の放送に対する菅官邸の怒りは相当なものだった。 「週刊現代」(講談社)11月14日・21日号は、放送翌日に起こった一件をこう報じた。 〈その翌日、報道局に一本の電話がかかってきた。「総理、怒っていますよ」「あんなに突っ込むなんて、事前の打ち合わせと違う。どうかと思います」 電話の主は、山田真貴子内閣広報官。お叱りを受けたのは、官邸との「窓口役」と言われる原聖樹政治部長だったという』、「官邸との「窓口役」」はやはり「政治部長」のようだ。
・『菅首相と会食の後、側近の坂井学官房副長官が「NHKはガバナンス利いてない」「NHK 執行部が裏切った」 それは、今月5日の夜におこなわれた菅首相の会食の場でのこと。この日も菅首相は新橋にある第一ホテル東京内の焼鳥店「伊勢廣」で、自身の子飼い議員であり菅内閣の発足で官房副長官に引き立てた自民党の坂井学氏や、熊谷亮丸・内閣官房参与と会食。11日付の朝日新聞デジタルの記事によると、菅首相は1時間でその場をあとにしたが、その後も坂井官房副長官と熊谷参与は残って会食しており、廊下には複数社の記者たちが待機していたという。 そのような状況下で、坂井官房副長官は、なんとこう口にしたというのだ。 「所信表明の話を聞きたいといって呼びながら、所信表明にない(日本)学術会議について話を聞くなんて。全くガバナンス(統治)が利いていない」 しかも、記事によると〈坂井氏の店内での発言が、廊下にいる記者団にはっきりと聞こえた。なかには、「NHK執行部が裏切った」といった発言もあった〉というのである。 学術会議の任命拒否問題では違法性が指摘され、世論調査でも菅首相の説明は不十分だという声が大きいというのに、その質問をおこなっただけで「ガバナンスが利いていない」「NHK執行部が裏切った」と怒る──。ようするに、当然おこなわれるべき当たり前の質問や、納得のいかない回答に対する追加質問など、菅首相には何もぶつけるな、ということだ。これで真っ当な政権追及などできるはずもない。 だが、菅官邸にしてみればNHKを大本営発表の機関だと考えているのだろう。そして、菅首相の側近から飛び出たこの発言によって、いかに菅官邸がNHKを問題視しているかがはっきりした。 そんななかで飛び出した、今回の「有馬キャスター降板」の報道──。前述したように、これまで国谷氏や古舘氏を降板に追い込んだ菅首相ならば、そこまでやらなければ腹の虫が治まらないのだろうということは容易に想像がつく。 さらに、NHKにとっても菅首相の怒りを広げるわけにはいかない事情がある。菅首相は総務相時代からNHK改革を掲げてきたが、菅政権でも武田良太総務相は受信料をめぐって「(NHKは)国民に対して常識がない」などと批判。「次期通常国会に、NHKのことに関して放送法改正案を提出することを考えています」と明言している(「ダイヤモンド・オンライン」17日付インタビューより)。また、「総理、怒っていますよ」とNHKに電話をかけたとされる山田真貴子・内閣広報官は、前述したように総務省出身だ。“下手な報道をするとNHK改革でどうなるかわかるか”という脅しのメッセージが含まれているとNHK側は受け取ったはずだ。 国谷氏や古舘氏につづいて、菅首相に楯突いたキャスターとして有馬氏も降板させられてしまうのか──。今後の動きに注視が必要だ』、どうも、「有馬氏も降板させられてしまう」はほぼ確実になったようで、残念だ。
次に、12月31日付けYahooニュースが転載したHARBOR BUSINESS Online、法政大学キャリアデザイン学部教授の上西充子氏による「政治と報道をめぐる2020年の論点。2021年、私たちが注視し続けるべきもの」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3227b1e54806b072a7b262197b51877b9b410a83?page=1
・『新型コロナウイルス感染症の拡大の中で、今年は季節感が希薄なまま、早くも年の瀬を迎えることとなってしまった。今回は「政治と報道」に関わる6つのテーマを、筆者がこのサイトで取り上げた記事を通して振り返ってみたい』、興味深そうだ。
・『1.しんぶん赤旗日曜版は、なぜ「桜を見る会」問題を取り上げることができたか 「桜を見る会」の問題は2019年11月8日の参議院予算委員会における日本共産党・田村智子議員の質疑で広く知られることとなったが、ホテルでの前夜祭とセットで安倍晋三首相(当時)の後援会関係者が多数、参加していたことを最初に報じたのは、しんぶん赤旗の日曜版2019年10月13日号だった。 なぜ、「桜を見る会」の現地取材を毎年おこなってきた大手新聞社はこの問題に注目することがなかったのに対し、現地取材をおこなっていなかったしんぶん赤旗日曜版は、問題に気づくことができたのか。 筆者はその点を日曜版の山本豊彦編集長に国会パブリックビューイングのライブ中継の形で2020年1月6日に1時間半にわたってお話を伺い、その内容を田村議員の質疑の振り返りと共に、1月から2月にかけて、下記の3回の連載記事にまとめた。 ●田村智子議員「桜」質疑はどう組み立てられたか?ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第1回)(ハーバー・ビジネス・オンライン2020年1月17日) ●「桜を見る会」の実態を知らなかったからこそ立ち上がった問題意識ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第2回)(ハーバー・ビジネス・オンライン2020年1月18日) ●「桜」質疑をいち早く受け止めたのは、ツイッターとデジタル記事だったーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第3回) (ハーバー・ビジネス・オンライン2020年2月3日) 「政治と報道」短期集中連載の第4回記事である下記でも、改めて触れている。 ●「報じるに値するもの」を嗅ぎつける記者の嗅覚とは何なのか? 見落とされた安倍前首相の答弁(ハーバー・ビジネス・オンライン2020年11月25日) 山本編集長が「何か、これはあるな」と感じたのは、2019年5月21日の衆議院財務金融委員会における宮本徹議員の質疑に対する麻生太郎財務大臣の答弁ぶりだったという。予算の3倍の支出をしているのに、財務省として問題にせずに、それは内閣府に聞いてくれと答えた麻生大臣。宮本議員が「アンタッチャブルなんですか」と問うても、何も言わない。そのことに違和感を抱いたのが発端であったようだ。 毎日新聞や朝日新聞などの大手紙は、2019年10月13日号のしんぶん赤旗日曜版が1面トップで「桜を見る会」を報じても、後追い報道を行わず、同年11月8日の田村智子議員の質疑も、当初は紙面では詳しく取り上げなかった(毎日新聞統合デジタル取材センターによるデジタル記事では、11月9日に詳報を掲載した。上記連載記事第3回参照)。 上記連載記事第3回で紹介したように、毎日新聞は「開かれた新聞委員会」の様子を伝える2020年1月4日朝刊記事の中で、高塚保政治部長が「反省の弁」を語り、朝日新聞は同年1月8日に、政治部の小林豪氏が同じく「反省の弁」を語っている。 筆者は上述のように同年1月6日に、しんぶん赤旗日曜版の山本編集長にお話を伺って対談映像をライブ中継で公開したわけだが、毎日新聞と朝日新聞は「反省の弁」を語ったその時点では、しんぶん赤旗に取材に行って記事にすることはおこなっていない。 両者がしんぶん赤旗に取材に出向いてそれを記事にしたのは、しんぶん赤旗日曜版が<安倍晋三首相の「桜を見る会」私物化スクープと一連の報道>によって日本ジャーナリスト会議のJCJ大賞を10月に受賞したあとの、11月になってからだ。 ●見る探る 赤旗はなぜ桜を見る会をスクープできたのか 見逃し続けた自戒を込めて、編集長に聞いてみた(毎日新聞デジタル、2020年11月21日) ●特集ワイド 「桜を見る会」スクープ、赤旗 視点変え、見えた腐敗(毎日新聞 2020年11月30日 東京夕刊) ●(Media Times)「赤旗」、党活動と報道の間で 「桜」記事がジャーナリスト団体「大賞」(朝日新聞デジタル2020年11月28日) ●「しんぶん赤旗」はジャーナリズムか 編集局長の答え(朝日新聞 2020年11月28日朝刊) 毎日新聞デジタル版の記事の見出しは、「見逃し続けた自戒を込めて、編集長に聞いてみた」と謙虚だが、朝日新聞の紙面版の記事の見出しは「『しんぶん赤旗』はジャーナリズムか」と、なんだか随分と偉そうだ』、「しんぶん赤旗」に比べ、「毎日新聞と朝日新聞」の動きの鈍さは、いくら「反省」しても致命的だ。
・『2.日本記者クラブによる東京都知事選立候補予定者の共同記者会見(紹介は省略)
・『「しんぶん赤旗」に比べ、「毎日新聞と朝日新聞」の動きの鈍さは、いくら「反省」しても致命的だ 9月16日に菅義偉氏が内閣総理大臣に就任し、菅政権が発足した。官房長官には、加藤勝信氏が就任した。 筆者は加藤氏が厚生労働大臣であった2018年に、働き方改革関連法案の国会審議において、意図的な論点ずらしをおこなう「ご飯論法」をはじめとした加藤氏の、誠実そうに見えながら不誠実な答弁ぶりを何度も見てきたので、その手法を改めて下記にまとめ、官房長官記者会見に臨む記者の皆さんに注意を促した。 ●誤認を誘う加藤勝信官房長官の答弁手法。その「傾向と対策」(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年9月21日) この記事では、(1)柔らかな語り口と、相手の意に寄り添って見せる姿勢 (2)極端な仮定を置いて否定してみせる (3)不都合な事実を隠す「ご飯論法」 (4)誤認を誘う指示代名詞 を指摘した。 予想通り、官房長官としても加藤氏は質問に対してはぐらかすような答弁を繰り返している。そのような加藤官房長官に対しては、はぐらかしに惑わされない論理的な質疑で臨んでほしい。その点で、東京新聞の村上一樹記者の質問は光っている。下記では、日本学術会議の任命拒否問題に関する村上記者の質疑を取り上げた。 ●政府の「お決まり答弁」を生み出す、記者の質問方法の問題点。なぜ論点を明示して質問しないのか?(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年11月21日) さらに下記の記事でも、5人以上の会食をおこなったことについての、菅首相の「国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省をいたしております」という反省の「そぶり」だけのぶらさがり会見について、村上一樹記者は加藤官房長官に対し、「国民が誤解をしたとしたらという、その『国民の誤解』というのは、どういう意味だったんでしょうか」と食い下がって重ねて質問し、「そこに留意するよりも」と、「国民の誤解」の説明から逃げようとする加藤官房長官の姿勢を可視化させている。 ●「誤解を招いた」という「反省そぶり」を看過してはいけない (ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年12月20日) 他方で朝日新聞は、上記の記事で紹介したように、菅首相の「反省の弁」を初報で「首相『真摯に反省』 5人以上の会食『距離は十分』説明」との見出しで伝えており、菅首相の「ご飯論法」を見抜けなかったかのかと疑問が残る書きぶりだった』、「朝日新聞が」、「菅首相の「反省の弁」を初報で「首相『真摯に反省』と「伝え」たとは、お粗末だ。
・『4.菅首相が番記者と完全オフレコのパンケーキ懇談会を開催 菅首相は就任早々の10月3日に、報道各社の首相番記者と有名パンケーキ店で完全オフレコの懇談会を行い、10月13日には各社のキャップとの間で、これも完全オフレコの懇談会をホテルでおこなった。 このようなオフレコの懇談会については、「桜を見る会」について安倍晋三首相(当時)への追及が続いていた2019年にも問題となり、同年11月20日のキャップ懇と同年12月17日の番記者懇に毎日新聞が欠席してその旨をツイートしたことがツイッター上で支持を集めていた。 しかし、今回は、毎日新聞はどちらにも出席し、朝日新聞は10月3日の番記者懇には欠席したが、10月13日のキャップ懇には出席した。 なぜそのような判断になるのかを検討したのが、下記の記事だ。 ●繰り返される「オフレコ懇談会」、既存される「知る権利」。問うべき権力者と報道機関の距離感。(2020年11月17日) 記事でも紹介したように、朝日新聞も毎日新聞も、なぜ出席を決めたのかの説明を記事でおこなっている。しかし、「状況に応じて判断」「バンランスには常に留意」など、その判断基準は読者の立場からは判然としない。 筆者は、完全オフレコの懇談会への参加を官邸側が求めることは、各社が恭順の意を示すか否かの「踏み絵」になっているのではないかと考えた。そして、菅首相が首相就任時の9月16日以来、公式な記者会見を開いておらず、日本学術会議の任命拒否問題など、説明すべきことを説明していない中で、グループインタビューに菅首相が応じるからといってオフレコの懇談会に報道機関が参加を決めることは、市民の「知る権利」を奪うものだと考えた。そのようなインタビューでは、首相官邸のホームページに映像記録も残らないからだ。 市民が関心を持つほどには、記者クラブ所属の記者は、公式な記者会見の場を重視していないように見える。それよりも、オフレコの場で取材対象者に近づき、本音に迫ることを重視しているように見える。 しかし、今現在の問題について詳しく説明責任を求め、深い追及に対して相手がどう記者会見の場で答えるかを広く市民に可視化させることの方が、優先されるべきではないか。下記の記事には、そのような問題意識も記した。 ●記者と政治家の距離感はどうあるべきなのか? 特ダネと市民生活を守る報道の狭間で(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年11月19日)
・『5.共同通信が学術会議問題に関し、「反政府運動を懸念」と見出しに(筆者は11月17日から「政治と報道」をめぐる全11回の短期集中連載をおこなったが、それをおこなう動機となったのが「官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否」という11月8日の共同通信の記事の見出しだ。 日本学術会議が推薦した105人の会員候補者のうち6人について、菅首相が説明もなしに任命を拒否していたことは、10月1日のしんぶん赤旗1面トップで明らかとなり、10月5日と10月9日におこなわれた報道各社による菅首相へのグループインタビューでも、また10月26日に開会した臨時国会でも、繰り返し問われたが、菅首相も閣僚もまともな説明をおこなわず、逆に日本学術会議に対し、「国民に理解される存在でなければならない」と圧力を強めていた。 その中で、予算委員会が11月6日に閉じたタイミングを見計らったかのように「複数の政府関係者」が匿名で語った内容を記事にしたのがこの共同通信の記事だ。 “首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。” という記事の内容は、特に目新しいものではない。政府が公式に認めていないだけで、任命拒否された6人の拒否の理由が安保法制などに対する反対の姿勢にあることは十分に予想できていた。 問題は「反政府運動」という共同通信の見出しの表記だ。「反対運動」と「反政府運動」は違う。「反政府運動」というと、武力をもって国家転覆をはかる運動のようなものが連想されてしまう。このような見出しをつけることによって、任命拒否された6人があたかも危険人物であるかのような印象を与えてしまう。 そのことに共同通信は自覚的であったのだろうか。見出しの不適切さの問題であったのか、それとも、もしかしたら官邸と歩調を合わせての世論誘導のねらいがあったのか。その点を下記の記事で考察した。 ●報道の「見出し」に潜む危険性。共同通信が使った「反政府運動」という言葉の問題点(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年12月16日) 共同通信には、見出しの不適切さについて公式な事後の説明を記事で求めたが、残念ながらそのような説明の動きはない。 単なる見出しのミスだったのかもしれない。しかし、報じることの重みを自覚していただきたいのだ。ネットで見出しだけを読む人には、その見出しが一定の認識を与えてしまう。そのため、当事者にとっては、深刻な「報道被害」となってしまうのだ。 その問題と重なりうる問題であるのだが、ネット記事の見出しは、一定の字数に収める制限があるためか、日本語としておかしく、意味が通らないものになっていることがある。共同通信は最近も、次のような「怖い」見出しで話題となった。 ●パンダが主食の竹、有効活用を 和歌山でシンポジウム(共同通信 2020年12月19日) これなど、誰が見ても「竹がパンダを食べる?」と読むだろう。「字数の関係で」という言い訳は通らない。同じ字数で「パンダの主食の竹」などとすればいいだけの話だ。 このような誤読をもたらす見出しで記事が配信されてしまうのは、見出しをつけた者の問題であると共に、問題のある見出しが社内でチェックされずに配信されてしまうという社内体制の問題でもあると考える。 共同通信に限らない。意味の通らない見出し、クリックさせるための「釣り」のような見出し、世論誘導につながりかねない見出しなど、各社が読者の信頼をそこねる見出しをつけていないか、この機会に自己検証を求めたい』、「共同通信」が「反政府運動」という言葉を使ったのは、ミスに見せかけて、「任命拒否された6人があたかも危険人物であるかのような印象を与えてしまう」という大きな問題がある。共同通信社がこのように政府寄りだったとは初めて知った。
・『6.安倍前首相が「桜を見る会」前夜祭につき費用を補填していたことを国会で認める 年末も押し迫ってからバタバタと新展開を見せたのが「桜を見る会」の前夜祭をめぐる問題だ。東京地検特捜部が秘書らの事情聴取をおこなっていると報道がおこなわれ、安倍氏側が費用の一部を補填していた事実を認めたことが報じられたのが11月下旬のこと。 その後、東京地検特捜部は12月24日に後援会代表の公設第一秘書を略式起訴したが、安倍前首相については嫌疑不十分で不起訴処分とした。同日に東京簡易裁判所は公設第一秘書に罰金100万円を命じ、秘書は即日納付した。 安倍前首相は12月24日に議員会館で記者席を24人に絞って1時間の記者会見を実施。翌25日には衆参の議院運営委員会でそれぞれ1時間の答弁に立ったが、相変わらず明細書の確認さえもみずからおこなっていない様子で、説明責任を果たすことからは程遠い答弁を続けた。 この12月25日の国会答弁について、新聞各紙は翌朝26日の紙面で大きく伝えたが、この国会答弁が過去の答弁を「訂正する発言を行わせて頂きたい」との安倍前首相の申し出によっておこなわれたという位置づけをはっきりと報じなかった問題を取り上げたのが下記の記事だ。 ●安倍前総理は国会で答弁を「訂正」するはずではなかったのか?(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年12月28日) 位置づけをはっきりさせていれば、冒頭発言で安倍前首相が「これらの答弁の中には、事実に反するものがございました」としか語らず、費用の補填の事実以外の事実を語らなかったことから、答弁を適正に訂正したいとの意思がなく、説明をおこなったという体裁だけを整えたいという思惑があったことを可視化できたはずだった。 しかし、議院運営委員会に「出席」し「答弁」した、とだけ伝えてしまうと、答弁を終えて出てきた安倍前首相が「説明責任を果たした」と語ったことに、もっともらしさを与えてしまうことになる。「予算委員会における証人喚問が必要」とする野党側の主張も、単なる「見解の対立」のように見えてしまうのだ。 政治と報道をめぐる短期集中連載で国会を「対戦ゲーム」のように報じてしまうことの弊害を論じたが(第7回・第8回)、政治を監視することと共に政治報道の注視も、今後とも続けた方がよさそうだ』、どうも「毎日新聞」や「朝日新聞」まで問題がある以上、「政治報道の注視も、今後とも続けた方がよさそうだ」、同感である。
第三に、本年1月14日付け現代ビジネス「古賀茂明と望月衣塑子が徹底考察…なぜ、菅首相は国民に寄り添うことができないのか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78890?imp=0
・『菅義偉首相は1月13日、既に発令している首都圏4都県に加え、大阪、京都、兵庫、栃木、愛知、岐阜、福岡の7府県を対象に新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言の再発令を決定した。東京都内の新型コロナウイルスの感染が確認された人は初めて2000人を超え、急速な拡大が止まらない状況だ。新年を迎えたばかりだが、戸惑いや不安は広がる一方だ。 本記事では、元内閣審議官、元経産官僚の古賀茂明氏と、菅首相の官房長官時代に“天敵”として知られた東京新聞の望月衣塑子記者が、日本のただならぬ現状と2021年以降の先行きについて、議論を交わした。 新型コロナウイルスが再び猛威をふるうなか、政府への不安材料は数えきれず、ポスト菅も定まらない。これから、日本はどこへ向かおうとしているのかーー』、「古賀茂明と望月衣塑子」の対談とは興味深そうだ。
・『とうとうメッキが剥がれてきた 古賀:歴代3位の高支持率でスタートした菅政権ですが、日本学術会議をめぐる対応やコロナ対策の拙さなどから、支持率が急落しています。ここに来てメッキが剥がれてきたという印象は否めません。 望月:昨年9月の自民党総裁選では主要5派閥が早々と菅支持を打ち出し、投票前から菅勝利の流れが確定してしまった。それでメディアも菅政権誕生を前提とした報道を連発するようになったんです。しかも、その内容がパンケーキおじさんとか、秋田から集団就職で上京し、苦学の末に政治家になった叩き上げとか、菅首相にプラスイメージになるような報道ばかり。菅政権が歴代3位の高支持率でスタートダッシュを切れたのは、メディアのそんな菅プッシュの報道ぶりが寄与した面も大きかったと思います。 古賀:報道の役割のひとつは政治権力を監視すること。なのに、当時の報道は菅政権の誕生を祝うような内容のものばかり。本当に異常なムードでした。 望月:その直前の安倍前首相の辞任を伝える報道も異様でした。いまでもはっきり記憶しているんですが、昨年8月16日に、「首相の病状が悪化し、明日午前8時半から9時の間に渋谷区富ヶ谷の私邸を出発し、慶応大学病院に入院する」という情報が永田町関係者から届いたんです。 政治記者ならまだしも、一社会部記者にすぎない私のもとにこんな生々しい情報が入るなんておかしい。何か思惑があるはずと疑っていたら、案の定、翌日から安倍同情論一色の報道があふれ出すことに。満身創痍でやむなく辞任する安倍さんが気の毒だという論調が支配的になり、4割を切っていた支持率がわずか2週間ほどで20%前後もアップしてしまった。官邸がメディアを利用して、辞任する安倍さんの花道を用意周到に準備したのでしょう。 古賀:辞任間際の安倍前首相の支持率アップ、そして菅政権の高い支持率での発足は、マスコミコントロールという点でつながっている。テレビ局へ「選挙期間における放送の公平中立」を求める文書を送ったり、政権に批判的な番組やコメンテーターをモニターするなど、安倍政権は気に入らない報道に露骨に圧力をかけ、メディアをコントロールしてきました。そうした中から安倍忖度という言葉も生まれた。 でも、その実体は安倍さん一人の圧力ではなく、当時の今井尚哉首相秘書官、そして菅官房長官の3人による圧力、コントロールなんです。私の印象では、現場の記者たちを強く支配していたのは、安倍さんというより、今井氏と菅氏でした。安倍さん退陣が決まった瞬間から、安倍氏の力をバックにしていた今井氏の力はなくなり、その瞬間から菅氏が安倍政治が確立したマスコミ支配の後継者となったのです。 メディアが菅首相誕生前から菅忖度報道を続けたのはそういう背景がありました。首相就任後、内閣記者会の正式会見の要求に応じず、懇談会と称するパンケーキ朝食会を開いた菅首相を、メディアがパンケーキおじさんと持てはやしたのはその象徴でしょう』、「辞任間際の安倍前首相の支持率アップ、そして菅政権の高い支持率での発足は、マスコミコントロールという点でつながっている」、「首相就任後、内閣記者会の正式会見の要求に応じず、懇談会と称するパンケーキ朝食会を開いた菅首相を、メディアがパンケーキおじさんと持てはやした」、「メディア」はもっと姿勢を正してほしいものだ。
・『一国のリーダーとして自分のことば、肉声が求められる 望月:菅首相は安倍前首相と同様、会見は基本的に事前に集めた質問を一社一問させるだけの対応で、記者の参加もコロナ感染防止を理由に人数を絞っています。メディア対応に大きな変化はありませんね。とはいえ、官房長官と違い、総理はその一挙手一投足に大きな注目が集まります。官房長官時代に菅さんが多用してきたありきたりの読み上げ会見、答弁では通じません。 今後の会見ではかなり苦戦することになるだろうなと予測していましたが、現在は、会見前に官邸報道室側が、記者から事前の質問取りを必死に行い、山田真貴子内閣広報官が『追加質問はお控え下さい』『お一人様一問とさせて頂きます』など、安倍前首相時代の“台本会見”をなぞるようなことを繰り返しており、まともな質疑に全くなっていません。 テレビなどに出演し、コロナ対策やってる感をアピールしているものの、番組で『年末年始陽性者数少なくなるだろうと思っていた』と、本音を言ってしまったり、今後の見通しを聞かれても『仮定のことは考えないですね』と、言ったり、危機管理能力のなさを露呈してしまっている。本人は良かれと思ってやってるのでしょうが、結果的にテレビに出て発言すればするほどに、支持率が低下していくという負のスパイラルにハマってしまっているように見えます。 古賀:会見だけでなく、政策面でも菅首相は苦戦しています。たしかに、政権発足直後からデジタル庁設置や携帯電話料金の値下げ、ハンコ廃止など、矢継ぎ早に独自政策を打ち出して一定の成果を出すなど、その実行力は評価されてもよい。ただ、国家観や政治哲学が希薄な分、その政策が思いつきの羅列で断片的なものになっているという印象です。 とくにびっくりしたのは、総裁選で示した政権構想に各国の政治リーダーが血眼になって取り組んでいるグリーン関連の施策がまったくなかったこと。それを見た時、、菅首相は政策の全体が見えていないと痛感したんです。自分の目についてこれはやろうと思ったらそれをやり切る実行力はあるけど、全体像が見えてないから、本当に重要なことが実施されない。あるいは手を付けても後手に回ってしまう』、「全体像が見えてないから、本当に重要なことが実施されない。あるいは手を付けても後手に回ってしまう」、その通りだ。
・『政策への自画自賛 望月:菅首相がこだわるGOTOキャンペーンもそうなんでしょうか? 古賀:菅首相は自己の業績として、総務相時代に手がけたふるさと納税をしきりに自慢しますよね。でも、この税制は本来の政策目標である地方創生に寄与していません。ふるさと納税で地方創生が実現したという声はほとんど聞こえてきません。なのに、その政策を自画自賛する。そこから見えてくるのは、菅首相のナルシストぶりです。政策の内実よりも「強大な官僚組織を敵に回して戦う」自分の姿に酔っている。そんな印象を受けます。縦割り打破というキャッチフレーズも、「官僚との戦い」を美化していますね。宣伝に使われる官房長官時代の「成果」も、大した話じゃなくて、それくらい官房長官の権限があればできて当然という程度のものばかりです。 菅首相は、ふるさと納税制度に欠陥があると指摘した官僚を左遷させたのもそのコンテクストで見るとわかりやすい。「官僚との戦い」で相手の「首を取った」と勝ち誇っているわけです。本人にとっても「やっている感」だけは十分で、周囲も改革者と評価してくれることを期待しているのです。安倍前首相のナルシストぶりも異常でしたが、菅首相はそれ以上にナルシストの傾向があるのかもしれない(笑)。 だからこそ、自分の政策を否定する者は許さず、徹底して干しあげる。GOTO継続に最後までこだわったのも、二階氏への遠慮とか、観光業界との癒着という要因もありますが、それ以上に、自分がコロナを抑えて経済を回してみせる。正義は自分にあり、それを評価してほしいという気持ちが強すぎたからだと考えています。 望月:支持率の急落さえなければ、菅首相はGOTO政策を続行していたでしょうね。それほど首相にとってはやりたい政策だった。でも、そんな姿勢ではコロナ感染拡大に的確な対応、目配りはできません。GOTO一時停止の決断も遅すぎます。そのため、年末年始の書き入れ時にGOTO中止となり、宿泊施設や飲食店は打撃を受けてしまった。本来なら、事前にコロナ対策をしっかり行い、書き入れ時に人の移動制限を緩めて消費を促すなど、コロナ感染の全体像を見ながら対応をコントロールしないといけないのに』、「菅首相はそれ(安部前首相)以上にナルシストの傾向があるのかもしれない」、自己満足しているとは滑稽でもある。
・『自民党内で「菅おろし」の可能性 古賀:GOTO一時停止を表明する一方で、菅首相が「人類がコロナに打ち勝った証しとして、東京五輪を成功させたい」と意気込んでいることも気がかりです。国民はコロナ感染が拡大する今の状況を何とかしてほしいと訴えているのに、それに答えず、夏の五輪でのコロナ勝利にこだわっている。はたして菅首相はコロナ危機の全体像を見渡せているのか、切実な国民の声に寄り添えているのか、とても心配です。 望月:支持率が急落する菅政権の現状は、麻生政権の末期と似ているの指摘があります。リーマンショックの悪影響で就任直後の解散総選挙を見送り、追い込まれ解散の末に大敗し、野党に転落した麻生政権と同じ道を歩みかねないという見立てです。ただ、旧民主党への期待が高まった2009年時と違い、いまは野党の支持率は一ケタどまり、一方の自民党は4割台の支持率をキープしている。だから、いきなり総選挙で大敗、野党に転落のリスクは低い。 となると、自民党は下野の心配なく党内抗争ができるわけで、このまま菅内閣の支持率が思わしくない場合、党内で「菅おろし」が始まるかもしれません。実際、自民党を取材すると、「菅首相は表情が暗すぎてダメ」、「菅首相が顔では選挙に勝てない」という声をよく聞きます。 古賀:たしかに、菅さんと麻生さんは単なる政策批判だけでなく、やる事なす事、日々の言動が批判の対象になるという点で似てきている。麻生さんはマンガばかり読むとか、漢字を知らないなど、政治以外のシーンの言動が批判を浴びたけど、菅さんもネット番組で受け狙いで「ガースーです」とあいさつしただけで炎上した(苦笑)』、「自民党内で「菅おろし」」、野党には力がないだけに、大いにやってほしいものだ。
・『安倍前首相は桜スキャンダルで厳しいか 望月:「菅おろし」が吹き荒れた場合、だれが次の総理総裁候補として浮上してくると予想しています? 古賀:河野太郎行革担当相に注目しています。三度目の登板を期待する声もあった安倍前首相は桜スキャンダルでさすがに厳しい。昨秋の総裁選で二位につけた岸田文夫前党政調会長も党内で全く支持が伸びない。地方で人気の石破氏も派閥の会長を降りて、すぐに復活とはならない。その他に名前が挙がる人たちは皆小者ばかりです。となると、短期間でハンコ廃止を実現するなど、実行力が高評価されている河野さんが浮上するしかない。 ただ、いくつか条件があって、河野さんが脱原発など、菅首相とは違う政策の対抗軸を打ち出し、それが有権者だけでなく、自民党内でも一定の支持を得るということが必要になります。河野さんは菅内閣の閣僚で、いくら手柄を立ててもそれは菅首相の功績になってしまいますから。 また、国民の人気があると言っても、今くらいではまだまだ不十分。「人気爆発」という状況まで持って行かないと、石破氏の二の舞になりかねないので、そこまで行けるかがカギです。同じ神奈川県選出で人気者の小泉進次郎環境相の支持を取りつけ、河野・小泉のKKコンビを組めれば、河野さんはまちがいなくポスト菅の最右翼に浮上するでしょう。 解散総選挙の時期としては通常国会の終了直後が有力かも。五輪終了後の予測も根強いですが、その時は五輪にともなう人的移動で変異種が国内に流入し、コロナ感染がぶり返している可能性が高く、そうなれば選挙は厳しい。通常国会を閉じた直後の6月なら、気温上昇でコロナ感染もかなり落ち着き、ワクチン接種も進んで、国民の間に安心感が広がるかもしれない。選挙の条件が整います』、「河野・小泉のKKコンビ」、ミハー人気だけで、大したことはなさそうだ。
・『2021年の日本に望むこと 望月:結局、2021年もコロナ次第ということ。何とかコロナ感染が収まって、明るい兆しが出てくるといいですね。友人との食事やイベント、会合など、この1年ろくにできなかったことが伸び伸びと行える年になってほしいと心から思います。政治への注文もあります。コロナ禍によって非正規雇用の人々が失業して困窮するなど、これまで見えにくかった日本の経済格差が焙り出されました。そうしたコロナで打撃を受けた人々がふたたびコロナが流行した時にしっかり守られるセーフティネットを今年中に構築してほしいんです。 古賀:私は2021年が日本のグリーン元年になってほしい。菅政権が「50年カーボンゼロ」を宣言したことで、原発の再稼働、新設を求める声が出ています。再生可能エネルギーの導入が進まないと、同じくCO2を排出しない原発からの電気に頼らざるを得ないからです。ただ、日本最高の5115ガルを記録した岩手宮城内陸地震に対応する形で、住宅会社が4000~5000ガルの揺れに耐える住宅を販売する一方で、原発の耐震性が軒並み1000ガル以下という今まで知られていなかった「不都合な真実」が法曹界に認識されつつある。 ということは、今後、原発関連の裁判では稼働差し止めの判決が出る可能性が高い。そうなれば、嫌でも電源確保のために風力や太陽光など、再生可能エネルギーの導入を増やすしかない。その意味することは、日本にとってのグリーン元年です。今年がそんな年になってほしいと念願しています』、「原発の耐震性が軒並み1000ガル以下という今まで知られていなかった「不都合な真実」が法曹界に認識されつつある」、「古賀氏」はそれに期待しているが、現実の「法曹界」の法的判断にはそれほど楽観的にはなれそうもない。
先ずは、昨年12月18日付けLITERA「菅首相の激怒でNHK『NW9』有馬キャスターが降板か! 官房副長官が「学術会議問題を聞くなんてNHKはガバナンス利いてない」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2020/12/post-5733.html
・『本サイトでもお伝えしてきたように、今週、批判の高まりも無視して田崎史郎氏をはじめ、フジテレビに日本テレビ、読売新聞とメディア幹部・関係者と会食を繰り広げた菅義偉首相。新型コロナ対応を疎かにしながら会食でメディアを懐柔しようとは言語道断だが、その一方で、菅官邸はついに、あのキャスターを“圧力降板”させようとしているらしい。 そのキャスターとは、NHKの看板報道番組である『ニュースウオッチ9』の有馬嘉男キャスターだ。 有馬キャスターといえば、菅首相が所信表明演説をおこなった10月26日に同番組に生出演した際、日本学術会議問題について「もう少しわかりやすい言葉で、総理自身、説明される必要があるんじゃないですか?」「説明がほしいという国民の声もあるようには思うのですが」と食い下がって質問。これに対し、菅首相は「説明できることとできないことってあるんじゃないでしょうか」とキレ気味に返答したが、放送直後から菅首相のキレっぷりを見て、問題に切り込んだ有馬キャスターの処遇を心配する声が上がっていた。 そして、その不安が的中しそうだという見方が、ここにきて出てきたのだ。 この問題を報じたのは、今週発売の「週刊文春」(文藝春秋)。記事のなかでは、NHK関係者がこう証言している。 「十二月末のキャスター委員会で、来年三月での降板が決定すると見られます。大越氏(編集部注:2015年に降板した大越健介キャスター)は在任五年、前任の河野憲治氏は二年だった。有馬氏も丸四年を目前に、交代時期として不自然ではありませんが、親しみやすく、好感度も高い。それゆえ、降板の背景には官邸の怒りがあるのでは、と言われています」 菅首相といえば、2014年に出演した『クローズアップ現代』で鋭い質問を浴びせた国谷裕子キャスターを降板に追い込み、さらには安倍政権に批判的報道が目立った『報道ステーション』(テレビ朝日)にも圧力をかけ、それが古舘伊知郎キャスターの降板につながったと言われてきた。有馬氏はその2人に比べれば及び腰なキャスターだが、しかし、それでも菅首相に怒りを買ったことで降板に追い込まれそうだというのだ』、「有馬キャスター」が、「日本学術会議問題について」「食い下がって質問した」のは、当然のことで、遠慮して質問しない方がキャスター失格の筈だ。
・『菅首相が『NW9』出演後、山田内閣広報官がNHK原政治部長に「総理、怒っていますよ」 実際、本サイトでも報じてきたように、この日の放送に対する菅官邸の怒りは相当なものだった。 「週刊現代」(講談社)11月14日・21日号は、放送翌日に起こった一件をこう報じた。 〈その翌日、報道局に一本の電話がかかってきた。「総理、怒っていますよ」「あんなに突っ込むなんて、事前の打ち合わせと違う。どうかと思います」 電話の主は、山田真貴子内閣広報官。お叱りを受けたのは、官邸との「窓口役」と言われる原聖樹政治部長だったという』、「官邸との「窓口役」」はやはり「政治部長」のようだ。
・『菅首相と会食の後、側近の坂井学官房副長官が「NHKはガバナンス利いてない」「NHK 執行部が裏切った」 それは、今月5日の夜におこなわれた菅首相の会食の場でのこと。この日も菅首相は新橋にある第一ホテル東京内の焼鳥店「伊勢廣」で、自身の子飼い議員であり菅内閣の発足で官房副長官に引き立てた自民党の坂井学氏や、熊谷亮丸・内閣官房参与と会食。11日付の朝日新聞デジタルの記事によると、菅首相は1時間でその場をあとにしたが、その後も坂井官房副長官と熊谷参与は残って会食しており、廊下には複数社の記者たちが待機していたという。 そのような状況下で、坂井官房副長官は、なんとこう口にしたというのだ。 「所信表明の話を聞きたいといって呼びながら、所信表明にない(日本)学術会議について話を聞くなんて。全くガバナンス(統治)が利いていない」 しかも、記事によると〈坂井氏の店内での発言が、廊下にいる記者団にはっきりと聞こえた。なかには、「NHK執行部が裏切った」といった発言もあった〉というのである。 学術会議の任命拒否問題では違法性が指摘され、世論調査でも菅首相の説明は不十分だという声が大きいというのに、その質問をおこなっただけで「ガバナンスが利いていない」「NHK執行部が裏切った」と怒る──。ようするに、当然おこなわれるべき当たり前の質問や、納得のいかない回答に対する追加質問など、菅首相には何もぶつけるな、ということだ。これで真っ当な政権追及などできるはずもない。 だが、菅官邸にしてみればNHKを大本営発表の機関だと考えているのだろう。そして、菅首相の側近から飛び出たこの発言によって、いかに菅官邸がNHKを問題視しているかがはっきりした。 そんななかで飛び出した、今回の「有馬キャスター降板」の報道──。前述したように、これまで国谷氏や古舘氏を降板に追い込んだ菅首相ならば、そこまでやらなければ腹の虫が治まらないのだろうということは容易に想像がつく。 さらに、NHKにとっても菅首相の怒りを広げるわけにはいかない事情がある。菅首相は総務相時代からNHK改革を掲げてきたが、菅政権でも武田良太総務相は受信料をめぐって「(NHKは)国民に対して常識がない」などと批判。「次期通常国会に、NHKのことに関して放送法改正案を提出することを考えています」と明言している(「ダイヤモンド・オンライン」17日付インタビューより)。また、「総理、怒っていますよ」とNHKに電話をかけたとされる山田真貴子・内閣広報官は、前述したように総務省出身だ。“下手な報道をするとNHK改革でどうなるかわかるか”という脅しのメッセージが含まれているとNHK側は受け取ったはずだ。 国谷氏や古舘氏につづいて、菅首相に楯突いたキャスターとして有馬氏も降板させられてしまうのか──。今後の動きに注視が必要だ』、どうも、「有馬氏も降板させられてしまう」はほぼ確実になったようで、残念だ。
次に、12月31日付けYahooニュースが転載したHARBOR BUSINESS Online、法政大学キャリアデザイン学部教授の上西充子氏による「政治と報道をめぐる2020年の論点。2021年、私たちが注視し続けるべきもの」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3227b1e54806b072a7b262197b51877b9b410a83?page=1
・『新型コロナウイルス感染症の拡大の中で、今年は季節感が希薄なまま、早くも年の瀬を迎えることとなってしまった。今回は「政治と報道」に関わる6つのテーマを、筆者がこのサイトで取り上げた記事を通して振り返ってみたい』、興味深そうだ。
・『1.しんぶん赤旗日曜版は、なぜ「桜を見る会」問題を取り上げることができたか 「桜を見る会」の問題は2019年11月8日の参議院予算委員会における日本共産党・田村智子議員の質疑で広く知られることとなったが、ホテルでの前夜祭とセットで安倍晋三首相(当時)の後援会関係者が多数、参加していたことを最初に報じたのは、しんぶん赤旗の日曜版2019年10月13日号だった。 なぜ、「桜を見る会」の現地取材を毎年おこなってきた大手新聞社はこの問題に注目することがなかったのに対し、現地取材をおこなっていなかったしんぶん赤旗日曜版は、問題に気づくことができたのか。 筆者はその点を日曜版の山本豊彦編集長に国会パブリックビューイングのライブ中継の形で2020年1月6日に1時間半にわたってお話を伺い、その内容を田村議員の質疑の振り返りと共に、1月から2月にかけて、下記の3回の連載記事にまとめた。 ●田村智子議員「桜」質疑はどう組み立てられたか?ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第1回)(ハーバー・ビジネス・オンライン2020年1月17日) ●「桜を見る会」の実態を知らなかったからこそ立ち上がった問題意識ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第2回)(ハーバー・ビジネス・オンライン2020年1月18日) ●「桜」質疑をいち早く受け止めたのは、ツイッターとデジタル記事だったーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第3回) (ハーバー・ビジネス・オンライン2020年2月3日) 「政治と報道」短期集中連載の第4回記事である下記でも、改めて触れている。 ●「報じるに値するもの」を嗅ぎつける記者の嗅覚とは何なのか? 見落とされた安倍前首相の答弁(ハーバー・ビジネス・オンライン2020年11月25日) 山本編集長が「何か、これはあるな」と感じたのは、2019年5月21日の衆議院財務金融委員会における宮本徹議員の質疑に対する麻生太郎財務大臣の答弁ぶりだったという。予算の3倍の支出をしているのに、財務省として問題にせずに、それは内閣府に聞いてくれと答えた麻生大臣。宮本議員が「アンタッチャブルなんですか」と問うても、何も言わない。そのことに違和感を抱いたのが発端であったようだ。 毎日新聞や朝日新聞などの大手紙は、2019年10月13日号のしんぶん赤旗日曜版が1面トップで「桜を見る会」を報じても、後追い報道を行わず、同年11月8日の田村智子議員の質疑も、当初は紙面では詳しく取り上げなかった(毎日新聞統合デジタル取材センターによるデジタル記事では、11月9日に詳報を掲載した。上記連載記事第3回参照)。 上記連載記事第3回で紹介したように、毎日新聞は「開かれた新聞委員会」の様子を伝える2020年1月4日朝刊記事の中で、高塚保政治部長が「反省の弁」を語り、朝日新聞は同年1月8日に、政治部の小林豪氏が同じく「反省の弁」を語っている。 筆者は上述のように同年1月6日に、しんぶん赤旗日曜版の山本編集長にお話を伺って対談映像をライブ中継で公開したわけだが、毎日新聞と朝日新聞は「反省の弁」を語ったその時点では、しんぶん赤旗に取材に行って記事にすることはおこなっていない。 両者がしんぶん赤旗に取材に出向いてそれを記事にしたのは、しんぶん赤旗日曜版が<安倍晋三首相の「桜を見る会」私物化スクープと一連の報道>によって日本ジャーナリスト会議のJCJ大賞を10月に受賞したあとの、11月になってからだ。 ●見る探る 赤旗はなぜ桜を見る会をスクープできたのか 見逃し続けた自戒を込めて、編集長に聞いてみた(毎日新聞デジタル、2020年11月21日) ●特集ワイド 「桜を見る会」スクープ、赤旗 視点変え、見えた腐敗(毎日新聞 2020年11月30日 東京夕刊) ●(Media Times)「赤旗」、党活動と報道の間で 「桜」記事がジャーナリスト団体「大賞」(朝日新聞デジタル2020年11月28日) ●「しんぶん赤旗」はジャーナリズムか 編集局長の答え(朝日新聞 2020年11月28日朝刊) 毎日新聞デジタル版の記事の見出しは、「見逃し続けた自戒を込めて、編集長に聞いてみた」と謙虚だが、朝日新聞の紙面版の記事の見出しは「『しんぶん赤旗』はジャーナリズムか」と、なんだか随分と偉そうだ』、「しんぶん赤旗」に比べ、「毎日新聞と朝日新聞」の動きの鈍さは、いくら「反省」しても致命的だ。
・『2.日本記者クラブによる東京都知事選立候補予定者の共同記者会見(紹介は省略)
・『「しんぶん赤旗」に比べ、「毎日新聞と朝日新聞」の動きの鈍さは、いくら「反省」しても致命的だ 9月16日に菅義偉氏が内閣総理大臣に就任し、菅政権が発足した。官房長官には、加藤勝信氏が就任した。 筆者は加藤氏が厚生労働大臣であった2018年に、働き方改革関連法案の国会審議において、意図的な論点ずらしをおこなう「ご飯論法」をはじめとした加藤氏の、誠実そうに見えながら不誠実な答弁ぶりを何度も見てきたので、その手法を改めて下記にまとめ、官房長官記者会見に臨む記者の皆さんに注意を促した。 ●誤認を誘う加藤勝信官房長官の答弁手法。その「傾向と対策」(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年9月21日) この記事では、(1)柔らかな語り口と、相手の意に寄り添って見せる姿勢 (2)極端な仮定を置いて否定してみせる (3)不都合な事実を隠す「ご飯論法」 (4)誤認を誘う指示代名詞 を指摘した。 予想通り、官房長官としても加藤氏は質問に対してはぐらかすような答弁を繰り返している。そのような加藤官房長官に対しては、はぐらかしに惑わされない論理的な質疑で臨んでほしい。その点で、東京新聞の村上一樹記者の質問は光っている。下記では、日本学術会議の任命拒否問題に関する村上記者の質疑を取り上げた。 ●政府の「お決まり答弁」を生み出す、記者の質問方法の問題点。なぜ論点を明示して質問しないのか?(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年11月21日) さらに下記の記事でも、5人以上の会食をおこなったことについての、菅首相の「国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省をいたしております」という反省の「そぶり」だけのぶらさがり会見について、村上一樹記者は加藤官房長官に対し、「国民が誤解をしたとしたらという、その『国民の誤解』というのは、どういう意味だったんでしょうか」と食い下がって重ねて質問し、「そこに留意するよりも」と、「国民の誤解」の説明から逃げようとする加藤官房長官の姿勢を可視化させている。 ●「誤解を招いた」という「反省そぶり」を看過してはいけない (ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年12月20日) 他方で朝日新聞は、上記の記事で紹介したように、菅首相の「反省の弁」を初報で「首相『真摯に反省』 5人以上の会食『距離は十分』説明」との見出しで伝えており、菅首相の「ご飯論法」を見抜けなかったかのかと疑問が残る書きぶりだった』、「朝日新聞が」、「菅首相の「反省の弁」を初報で「首相『真摯に反省』と「伝え」たとは、お粗末だ。
・『4.菅首相が番記者と完全オフレコのパンケーキ懇談会を開催 菅首相は就任早々の10月3日に、報道各社の首相番記者と有名パンケーキ店で完全オフレコの懇談会を行い、10月13日には各社のキャップとの間で、これも完全オフレコの懇談会をホテルでおこなった。 このようなオフレコの懇談会については、「桜を見る会」について安倍晋三首相(当時)への追及が続いていた2019年にも問題となり、同年11月20日のキャップ懇と同年12月17日の番記者懇に毎日新聞が欠席してその旨をツイートしたことがツイッター上で支持を集めていた。 しかし、今回は、毎日新聞はどちらにも出席し、朝日新聞は10月3日の番記者懇には欠席したが、10月13日のキャップ懇には出席した。 なぜそのような判断になるのかを検討したのが、下記の記事だ。 ●繰り返される「オフレコ懇談会」、既存される「知る権利」。問うべき権力者と報道機関の距離感。(2020年11月17日) 記事でも紹介したように、朝日新聞も毎日新聞も、なぜ出席を決めたのかの説明を記事でおこなっている。しかし、「状況に応じて判断」「バンランスには常に留意」など、その判断基準は読者の立場からは判然としない。 筆者は、完全オフレコの懇談会への参加を官邸側が求めることは、各社が恭順の意を示すか否かの「踏み絵」になっているのではないかと考えた。そして、菅首相が首相就任時の9月16日以来、公式な記者会見を開いておらず、日本学術会議の任命拒否問題など、説明すべきことを説明していない中で、グループインタビューに菅首相が応じるからといってオフレコの懇談会に報道機関が参加を決めることは、市民の「知る権利」を奪うものだと考えた。そのようなインタビューでは、首相官邸のホームページに映像記録も残らないからだ。 市民が関心を持つほどには、記者クラブ所属の記者は、公式な記者会見の場を重視していないように見える。それよりも、オフレコの場で取材対象者に近づき、本音に迫ることを重視しているように見える。 しかし、今現在の問題について詳しく説明責任を求め、深い追及に対して相手がどう記者会見の場で答えるかを広く市民に可視化させることの方が、優先されるべきではないか。下記の記事には、そのような問題意識も記した。 ●記者と政治家の距離感はどうあるべきなのか? 特ダネと市民生活を守る報道の狭間で(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年11月19日)
・『5.共同通信が学術会議問題に関し、「反政府運動を懸念」と見出しに(筆者は11月17日から「政治と報道」をめぐる全11回の短期集中連載をおこなったが、それをおこなう動機となったのが「官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否」という11月8日の共同通信の記事の見出しだ。 日本学術会議が推薦した105人の会員候補者のうち6人について、菅首相が説明もなしに任命を拒否していたことは、10月1日のしんぶん赤旗1面トップで明らかとなり、10月5日と10月9日におこなわれた報道各社による菅首相へのグループインタビューでも、また10月26日に開会した臨時国会でも、繰り返し問われたが、菅首相も閣僚もまともな説明をおこなわず、逆に日本学術会議に対し、「国民に理解される存在でなければならない」と圧力を強めていた。 その中で、予算委員会が11月6日に閉じたタイミングを見計らったかのように「複数の政府関係者」が匿名で語った内容を記事にしたのがこの共同通信の記事だ。 “首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。” という記事の内容は、特に目新しいものではない。政府が公式に認めていないだけで、任命拒否された6人の拒否の理由が安保法制などに対する反対の姿勢にあることは十分に予想できていた。 問題は「反政府運動」という共同通信の見出しの表記だ。「反対運動」と「反政府運動」は違う。「反政府運動」というと、武力をもって国家転覆をはかる運動のようなものが連想されてしまう。このような見出しをつけることによって、任命拒否された6人があたかも危険人物であるかのような印象を与えてしまう。 そのことに共同通信は自覚的であったのだろうか。見出しの不適切さの問題であったのか、それとも、もしかしたら官邸と歩調を合わせての世論誘導のねらいがあったのか。その点を下記の記事で考察した。 ●報道の「見出し」に潜む危険性。共同通信が使った「反政府運動」という言葉の問題点(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年12月16日) 共同通信には、見出しの不適切さについて公式な事後の説明を記事で求めたが、残念ながらそのような説明の動きはない。 単なる見出しのミスだったのかもしれない。しかし、報じることの重みを自覚していただきたいのだ。ネットで見出しだけを読む人には、その見出しが一定の認識を与えてしまう。そのため、当事者にとっては、深刻な「報道被害」となってしまうのだ。 その問題と重なりうる問題であるのだが、ネット記事の見出しは、一定の字数に収める制限があるためか、日本語としておかしく、意味が通らないものになっていることがある。共同通信は最近も、次のような「怖い」見出しで話題となった。 ●パンダが主食の竹、有効活用を 和歌山でシンポジウム(共同通信 2020年12月19日) これなど、誰が見ても「竹がパンダを食べる?」と読むだろう。「字数の関係で」という言い訳は通らない。同じ字数で「パンダの主食の竹」などとすればいいだけの話だ。 このような誤読をもたらす見出しで記事が配信されてしまうのは、見出しをつけた者の問題であると共に、問題のある見出しが社内でチェックされずに配信されてしまうという社内体制の問題でもあると考える。 共同通信に限らない。意味の通らない見出し、クリックさせるための「釣り」のような見出し、世論誘導につながりかねない見出しなど、各社が読者の信頼をそこねる見出しをつけていないか、この機会に自己検証を求めたい』、「共同通信」が「反政府運動」という言葉を使ったのは、ミスに見せかけて、「任命拒否された6人があたかも危険人物であるかのような印象を与えてしまう」という大きな問題がある。共同通信社がこのように政府寄りだったとは初めて知った。
・『6.安倍前首相が「桜を見る会」前夜祭につき費用を補填していたことを国会で認める 年末も押し迫ってからバタバタと新展開を見せたのが「桜を見る会」の前夜祭をめぐる問題だ。東京地検特捜部が秘書らの事情聴取をおこなっていると報道がおこなわれ、安倍氏側が費用の一部を補填していた事実を認めたことが報じられたのが11月下旬のこと。 その後、東京地検特捜部は12月24日に後援会代表の公設第一秘書を略式起訴したが、安倍前首相については嫌疑不十分で不起訴処分とした。同日に東京簡易裁判所は公設第一秘書に罰金100万円を命じ、秘書は即日納付した。 安倍前首相は12月24日に議員会館で記者席を24人に絞って1時間の記者会見を実施。翌25日には衆参の議院運営委員会でそれぞれ1時間の答弁に立ったが、相変わらず明細書の確認さえもみずからおこなっていない様子で、説明責任を果たすことからは程遠い答弁を続けた。 この12月25日の国会答弁について、新聞各紙は翌朝26日の紙面で大きく伝えたが、この国会答弁が過去の答弁を「訂正する発言を行わせて頂きたい」との安倍前首相の申し出によっておこなわれたという位置づけをはっきりと報じなかった問題を取り上げたのが下記の記事だ。 ●安倍前総理は国会で答弁を「訂正」するはずではなかったのか?(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年12月28日) 位置づけをはっきりさせていれば、冒頭発言で安倍前首相が「これらの答弁の中には、事実に反するものがございました」としか語らず、費用の補填の事実以外の事実を語らなかったことから、答弁を適正に訂正したいとの意思がなく、説明をおこなったという体裁だけを整えたいという思惑があったことを可視化できたはずだった。 しかし、議院運営委員会に「出席」し「答弁」した、とだけ伝えてしまうと、答弁を終えて出てきた安倍前首相が「説明責任を果たした」と語ったことに、もっともらしさを与えてしまうことになる。「予算委員会における証人喚問が必要」とする野党側の主張も、単なる「見解の対立」のように見えてしまうのだ。 政治と報道をめぐる短期集中連載で国会を「対戦ゲーム」のように報じてしまうことの弊害を論じたが(第7回・第8回)、政治を監視することと共に政治報道の注視も、今後とも続けた方がよさそうだ』、どうも「毎日新聞」や「朝日新聞」まで問題がある以上、「政治報道の注視も、今後とも続けた方がよさそうだ」、同感である。
第三に、本年1月14日付け現代ビジネス「古賀茂明と望月衣塑子が徹底考察…なぜ、菅首相は国民に寄り添うことができないのか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78890?imp=0
・『菅義偉首相は1月13日、既に発令している首都圏4都県に加え、大阪、京都、兵庫、栃木、愛知、岐阜、福岡の7府県を対象に新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言の再発令を決定した。東京都内の新型コロナウイルスの感染が確認された人は初めて2000人を超え、急速な拡大が止まらない状況だ。新年を迎えたばかりだが、戸惑いや不安は広がる一方だ。 本記事では、元内閣審議官、元経産官僚の古賀茂明氏と、菅首相の官房長官時代に“天敵”として知られた東京新聞の望月衣塑子記者が、日本のただならぬ現状と2021年以降の先行きについて、議論を交わした。 新型コロナウイルスが再び猛威をふるうなか、政府への不安材料は数えきれず、ポスト菅も定まらない。これから、日本はどこへ向かおうとしているのかーー』、「古賀茂明と望月衣塑子」の対談とは興味深そうだ。
・『とうとうメッキが剥がれてきた 古賀:歴代3位の高支持率でスタートした菅政権ですが、日本学術会議をめぐる対応やコロナ対策の拙さなどから、支持率が急落しています。ここに来てメッキが剥がれてきたという印象は否めません。 望月:昨年9月の自民党総裁選では主要5派閥が早々と菅支持を打ち出し、投票前から菅勝利の流れが確定してしまった。それでメディアも菅政権誕生を前提とした報道を連発するようになったんです。しかも、その内容がパンケーキおじさんとか、秋田から集団就職で上京し、苦学の末に政治家になった叩き上げとか、菅首相にプラスイメージになるような報道ばかり。菅政権が歴代3位の高支持率でスタートダッシュを切れたのは、メディアのそんな菅プッシュの報道ぶりが寄与した面も大きかったと思います。 古賀:報道の役割のひとつは政治権力を監視すること。なのに、当時の報道は菅政権の誕生を祝うような内容のものばかり。本当に異常なムードでした。 望月:その直前の安倍前首相の辞任を伝える報道も異様でした。いまでもはっきり記憶しているんですが、昨年8月16日に、「首相の病状が悪化し、明日午前8時半から9時の間に渋谷区富ヶ谷の私邸を出発し、慶応大学病院に入院する」という情報が永田町関係者から届いたんです。 政治記者ならまだしも、一社会部記者にすぎない私のもとにこんな生々しい情報が入るなんておかしい。何か思惑があるはずと疑っていたら、案の定、翌日から安倍同情論一色の報道があふれ出すことに。満身創痍でやむなく辞任する安倍さんが気の毒だという論調が支配的になり、4割を切っていた支持率がわずか2週間ほどで20%前後もアップしてしまった。官邸がメディアを利用して、辞任する安倍さんの花道を用意周到に準備したのでしょう。 古賀:辞任間際の安倍前首相の支持率アップ、そして菅政権の高い支持率での発足は、マスコミコントロールという点でつながっている。テレビ局へ「選挙期間における放送の公平中立」を求める文書を送ったり、政権に批判的な番組やコメンテーターをモニターするなど、安倍政権は気に入らない報道に露骨に圧力をかけ、メディアをコントロールしてきました。そうした中から安倍忖度という言葉も生まれた。 でも、その実体は安倍さん一人の圧力ではなく、当時の今井尚哉首相秘書官、そして菅官房長官の3人による圧力、コントロールなんです。私の印象では、現場の記者たちを強く支配していたのは、安倍さんというより、今井氏と菅氏でした。安倍さん退陣が決まった瞬間から、安倍氏の力をバックにしていた今井氏の力はなくなり、その瞬間から菅氏が安倍政治が確立したマスコミ支配の後継者となったのです。 メディアが菅首相誕生前から菅忖度報道を続けたのはそういう背景がありました。首相就任後、内閣記者会の正式会見の要求に応じず、懇談会と称するパンケーキ朝食会を開いた菅首相を、メディアがパンケーキおじさんと持てはやしたのはその象徴でしょう』、「辞任間際の安倍前首相の支持率アップ、そして菅政権の高い支持率での発足は、マスコミコントロールという点でつながっている」、「首相就任後、内閣記者会の正式会見の要求に応じず、懇談会と称するパンケーキ朝食会を開いた菅首相を、メディアがパンケーキおじさんと持てはやした」、「メディア」はもっと姿勢を正してほしいものだ。
・『一国のリーダーとして自分のことば、肉声が求められる 望月:菅首相は安倍前首相と同様、会見は基本的に事前に集めた質問を一社一問させるだけの対応で、記者の参加もコロナ感染防止を理由に人数を絞っています。メディア対応に大きな変化はありませんね。とはいえ、官房長官と違い、総理はその一挙手一投足に大きな注目が集まります。官房長官時代に菅さんが多用してきたありきたりの読み上げ会見、答弁では通じません。 今後の会見ではかなり苦戦することになるだろうなと予測していましたが、現在は、会見前に官邸報道室側が、記者から事前の質問取りを必死に行い、山田真貴子内閣広報官が『追加質問はお控え下さい』『お一人様一問とさせて頂きます』など、安倍前首相時代の“台本会見”をなぞるようなことを繰り返しており、まともな質疑に全くなっていません。 テレビなどに出演し、コロナ対策やってる感をアピールしているものの、番組で『年末年始陽性者数少なくなるだろうと思っていた』と、本音を言ってしまったり、今後の見通しを聞かれても『仮定のことは考えないですね』と、言ったり、危機管理能力のなさを露呈してしまっている。本人は良かれと思ってやってるのでしょうが、結果的にテレビに出て発言すればするほどに、支持率が低下していくという負のスパイラルにハマってしまっているように見えます。 古賀:会見だけでなく、政策面でも菅首相は苦戦しています。たしかに、政権発足直後からデジタル庁設置や携帯電話料金の値下げ、ハンコ廃止など、矢継ぎ早に独自政策を打ち出して一定の成果を出すなど、その実行力は評価されてもよい。ただ、国家観や政治哲学が希薄な分、その政策が思いつきの羅列で断片的なものになっているという印象です。 とくにびっくりしたのは、総裁選で示した政権構想に各国の政治リーダーが血眼になって取り組んでいるグリーン関連の施策がまったくなかったこと。それを見た時、、菅首相は政策の全体が見えていないと痛感したんです。自分の目についてこれはやろうと思ったらそれをやり切る実行力はあるけど、全体像が見えてないから、本当に重要なことが実施されない。あるいは手を付けても後手に回ってしまう』、「全体像が見えてないから、本当に重要なことが実施されない。あるいは手を付けても後手に回ってしまう」、その通りだ。
・『政策への自画自賛 望月:菅首相がこだわるGOTOキャンペーンもそうなんでしょうか? 古賀:菅首相は自己の業績として、総務相時代に手がけたふるさと納税をしきりに自慢しますよね。でも、この税制は本来の政策目標である地方創生に寄与していません。ふるさと納税で地方創生が実現したという声はほとんど聞こえてきません。なのに、その政策を自画自賛する。そこから見えてくるのは、菅首相のナルシストぶりです。政策の内実よりも「強大な官僚組織を敵に回して戦う」自分の姿に酔っている。そんな印象を受けます。縦割り打破というキャッチフレーズも、「官僚との戦い」を美化していますね。宣伝に使われる官房長官時代の「成果」も、大した話じゃなくて、それくらい官房長官の権限があればできて当然という程度のものばかりです。 菅首相は、ふるさと納税制度に欠陥があると指摘した官僚を左遷させたのもそのコンテクストで見るとわかりやすい。「官僚との戦い」で相手の「首を取った」と勝ち誇っているわけです。本人にとっても「やっている感」だけは十分で、周囲も改革者と評価してくれることを期待しているのです。安倍前首相のナルシストぶりも異常でしたが、菅首相はそれ以上にナルシストの傾向があるのかもしれない(笑)。 だからこそ、自分の政策を否定する者は許さず、徹底して干しあげる。GOTO継続に最後までこだわったのも、二階氏への遠慮とか、観光業界との癒着という要因もありますが、それ以上に、自分がコロナを抑えて経済を回してみせる。正義は自分にあり、それを評価してほしいという気持ちが強すぎたからだと考えています。 望月:支持率の急落さえなければ、菅首相はGOTO政策を続行していたでしょうね。それほど首相にとってはやりたい政策だった。でも、そんな姿勢ではコロナ感染拡大に的確な対応、目配りはできません。GOTO一時停止の決断も遅すぎます。そのため、年末年始の書き入れ時にGOTO中止となり、宿泊施設や飲食店は打撃を受けてしまった。本来なら、事前にコロナ対策をしっかり行い、書き入れ時に人の移動制限を緩めて消費を促すなど、コロナ感染の全体像を見ながら対応をコントロールしないといけないのに』、「菅首相はそれ(安部前首相)以上にナルシストの傾向があるのかもしれない」、自己満足しているとは滑稽でもある。
・『自民党内で「菅おろし」の可能性 古賀:GOTO一時停止を表明する一方で、菅首相が「人類がコロナに打ち勝った証しとして、東京五輪を成功させたい」と意気込んでいることも気がかりです。国民はコロナ感染が拡大する今の状況を何とかしてほしいと訴えているのに、それに答えず、夏の五輪でのコロナ勝利にこだわっている。はたして菅首相はコロナ危機の全体像を見渡せているのか、切実な国民の声に寄り添えているのか、とても心配です。 望月:支持率が急落する菅政権の現状は、麻生政権の末期と似ているの指摘があります。リーマンショックの悪影響で就任直後の解散総選挙を見送り、追い込まれ解散の末に大敗し、野党に転落した麻生政権と同じ道を歩みかねないという見立てです。ただ、旧民主党への期待が高まった2009年時と違い、いまは野党の支持率は一ケタどまり、一方の自民党は4割台の支持率をキープしている。だから、いきなり総選挙で大敗、野党に転落のリスクは低い。 となると、自民党は下野の心配なく党内抗争ができるわけで、このまま菅内閣の支持率が思わしくない場合、党内で「菅おろし」が始まるかもしれません。実際、自民党を取材すると、「菅首相は表情が暗すぎてダメ」、「菅首相が顔では選挙に勝てない」という声をよく聞きます。 古賀:たしかに、菅さんと麻生さんは単なる政策批判だけでなく、やる事なす事、日々の言動が批判の対象になるという点で似てきている。麻生さんはマンガばかり読むとか、漢字を知らないなど、政治以外のシーンの言動が批判を浴びたけど、菅さんもネット番組で受け狙いで「ガースーです」とあいさつしただけで炎上した(苦笑)』、「自民党内で「菅おろし」」、野党には力がないだけに、大いにやってほしいものだ。
・『安倍前首相は桜スキャンダルで厳しいか 望月:「菅おろし」が吹き荒れた場合、だれが次の総理総裁候補として浮上してくると予想しています? 古賀:河野太郎行革担当相に注目しています。三度目の登板を期待する声もあった安倍前首相は桜スキャンダルでさすがに厳しい。昨秋の総裁選で二位につけた岸田文夫前党政調会長も党内で全く支持が伸びない。地方で人気の石破氏も派閥の会長を降りて、すぐに復活とはならない。その他に名前が挙がる人たちは皆小者ばかりです。となると、短期間でハンコ廃止を実現するなど、実行力が高評価されている河野さんが浮上するしかない。 ただ、いくつか条件があって、河野さんが脱原発など、菅首相とは違う政策の対抗軸を打ち出し、それが有権者だけでなく、自民党内でも一定の支持を得るということが必要になります。河野さんは菅内閣の閣僚で、いくら手柄を立ててもそれは菅首相の功績になってしまいますから。 また、国民の人気があると言っても、今くらいではまだまだ不十分。「人気爆発」という状況まで持って行かないと、石破氏の二の舞になりかねないので、そこまで行けるかがカギです。同じ神奈川県選出で人気者の小泉進次郎環境相の支持を取りつけ、河野・小泉のKKコンビを組めれば、河野さんはまちがいなくポスト菅の最右翼に浮上するでしょう。 解散総選挙の時期としては通常国会の終了直後が有力かも。五輪終了後の予測も根強いですが、その時は五輪にともなう人的移動で変異種が国内に流入し、コロナ感染がぶり返している可能性が高く、そうなれば選挙は厳しい。通常国会を閉じた直後の6月なら、気温上昇でコロナ感染もかなり落ち着き、ワクチン接種も進んで、国民の間に安心感が広がるかもしれない。選挙の条件が整います』、「河野・小泉のKKコンビ」、ミハー人気だけで、大したことはなさそうだ。
・『2021年の日本に望むこと 望月:結局、2021年もコロナ次第ということ。何とかコロナ感染が収まって、明るい兆しが出てくるといいですね。友人との食事やイベント、会合など、この1年ろくにできなかったことが伸び伸びと行える年になってほしいと心から思います。政治への注文もあります。コロナ禍によって非正規雇用の人々が失業して困窮するなど、これまで見えにくかった日本の経済格差が焙り出されました。そうしたコロナで打撃を受けた人々がふたたびコロナが流行した時にしっかり守られるセーフティネットを今年中に構築してほしいんです。 古賀:私は2021年が日本のグリーン元年になってほしい。菅政権が「50年カーボンゼロ」を宣言したことで、原発の再稼働、新設を求める声が出ています。再生可能エネルギーの導入が進まないと、同じくCO2を排出しない原発からの電気に頼らざるを得ないからです。ただ、日本最高の5115ガルを記録した岩手宮城内陸地震に対応する形で、住宅会社が4000~5000ガルの揺れに耐える住宅を販売する一方で、原発の耐震性が軒並み1000ガル以下という今まで知られていなかった「不都合な真実」が法曹界に認識されつつある。 ということは、今後、原発関連の裁判では稼働差し止めの判決が出る可能性が高い。そうなれば、嫌でも電源確保のために風力や太陽光など、再生可能エネルギーの導入を増やすしかない。その意味することは、日本にとってのグリーン元年です。今年がそんな年になってほしいと念願しています』、「原発の耐震性が軒並み1000ガル以下という今まで知られていなかった「不都合な真実」が法曹界に認識されつつある」、「古賀氏」はそれに期待しているが、現実の「法曹界」の法的判断にはそれほど楽観的にはなれそうもない。
タグ:「政治と報道をめぐる2020年の論点。2021年、私たちが注視し続けるべきもの」 HARBOR BUSINESS Online どうも、「有馬氏も降板させられてしまう」はほぼ確実になったようで、残念だ 1.しんぶん赤旗日曜版は、なぜ「桜を見る会」問題を取り上げることができたか 上西充子 yahooニュース 政府のマスコミへのコントロール 菅首相と会食の後、側近の坂井学官房副長官が「NHKはガバナンス利いてない」「NHK 執行部が裏切った」 菅首相が『NW9』出演後、山田内閣広報官がNHK原政治部長に「総理、怒っていますよ」 「有馬キャスター」が、「日本学術会議問題について」「食い下がって質問した」のは、当然のことで、遠慮して質問しない方がキャスター失格の筈だ 「菅首相の激怒でNHK『NW9』有馬キャスターが降板か! 官房副長官が「学術会議問題を聞くなんてNHKはガバナンス利いてない」 (その17)(菅首相の激怒でNHK『NW9』有馬キャスターが降板か! 官房副長官が「学術会議問題を聞くなんてNHKはガバナンス利いてない、政治と報道をめぐる2020年の論点 2021年、私たちが注視し続けるべきもの、古賀茂明と望月衣塑子が徹底考察…なぜ 菅首相は国民に寄り添うことができないのか) litera 「しんぶん赤旗」に比べ、「毎日新聞と朝日新聞」の動きの鈍さは、いくら「反省」しても致命的だ 「朝日新聞が」、「菅首相の「反省の弁」を初報で「首相『真摯に反省』と「伝え」たとは、お粗末だ 4.菅首相が番記者と完全オフレコのパンケーキ懇談会を開催 「共同通信」が「反政府運動」という言葉を使ったのは、ミスに見せかけて、「任命拒否された6人があたかも危険人物であるかのような印象を与えてしまう」という大きな問題がある。共同通信社がこのように政府寄りだったとは初めて知った。 6.安倍前首相が「桜を見る会」前夜祭につき費用を補填していたことを国会で認める どうも「毎日新聞」や「朝日新聞」まで問題がある以上、「政治報道の注視も、今後とも続けた方がよさそうだ」、同感である 現代ビジネス 「古賀茂明と望月衣塑子が徹底考察…なぜ、菅首相は国民に寄り添うことができないのか」 とうとうメッキが剥がれてきた 辞任間際の安倍前首相の支持率アップ、そして菅政権の高い支持率での発足は、マスコミコントロールという点でつながっている 首相就任後、内閣記者会の正式会見の要求に応じず、懇談会と称するパンケーキ朝食会を開いた菅首相を、メディアがパンケーキおじさんと持てはやした」 「メディア」はもっと姿勢を正してほしいものだ。 一国のリーダーとして自分のことば、肉声が求められる 全体像が見えてないから、本当に重要なことが実施されない。あるいは手を付けても後手に回ってしまう」、その通りだ 政策への自画自賛 菅首相はそれ(安部前首相)以上にナルシストの傾向があるのかもしれない」、自己満足しているとは滑稽でもある 自民党内で「菅おろし」の可能性 「自民党内で「菅おろし」」、野党には力がないだけに、大いにやってほしいものだ。 安倍前首相は桜スキャンダルで厳しいか 「河野・小泉のKKコンビ」、ミハー人気だけで、大したことはなさそうだ 2021年の日本に望むこと 原発の耐震性が軒並み1000ガル以下という今まで知られていなかった「不都合な真実」が法曹界に認識されつつある」、「古賀氏」はそれに期待しているが、現実の「法曹界」が法的判断のなかでどこまで織り込むかは余り期待できそうもない
黒川検事長問題(その4)(結局 「甘利事件」とは何だったのか? 多くの人が知らない「捜査の真相」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(1)、何が起きていたのか…“官邸の守護神”の定年延長問題が与えた「大きな衝撃」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(2)、黒川定年延長問題で「つい言い間違えた」答弁の官僚が出世) [国内政治]
黒川検事長問題については、昨年7月22日に取上げた。今日は、(その4)(結局 「甘利事件」とは何だったのか? 多くの人が知らない「捜査の真相」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(1)、何が起きていたのか…“官邸の守護神”の定年延長問題が与えた「大きな衝撃」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(2)、黒川定年延長問題で「つい言い間違えた」答弁の官僚が出世)である。
先ずは、本年1月8日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの村山 治氏による「結局、「甘利事件」とは何だったのか? 多くの人が知らない「捜査の真相」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(1)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78751?imp=0
・『2020年に大きな騒動となった黒川弘務・東京高検検事長の「定年延長」問題とは何だったのか? なぜ黒川は「官邸の守護神」と呼ばれるのか? 2016年に始まった安倍政権による法務・検察首脳人事への介入と検察側の抵抗。検察取材の第一人者が極秘情報を駆使してその全容を描いた『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)より特別掲載!』、興味深そうだ。
・『600万円受領を認めても不起訴 黒川弘務は、野党や一部のマスコミから「官邸の守護神と呼ばれている」などと評されてきた。黒川がそう呼ばれてきたことは事実だ。それにはどのような根拠があったのか。本章では、法務省官房長、事務次官時代の黒川と政界、そして、黒川と検察の関係について検証する。 よく引き合いに出されるのが、検察が不起訴処分にした「甘利事件」と「森友事件」だ。2つの事件を通して、当時の筆者の取材メモをもとに、「黒川守護神」の実像を考察したい。 まず、甘利事件。2016年1月20日、「文春オンライン」は、経済再生相の甘利明の地元事務所が、千葉県の建設会社の総務担当者から現金と飲食接待を合わせ総額1200万円の利益供与を受けていた疑いがあると報じた。担当者は甘利や秘書とのやりとりを隠し録音していた。甘利は、自らと元公設第1秘書が計600万円を受け取ったことを認め28日、経済再生相を辞任した。 建設会社に隣接する県道の用地買収に伴う補償をめぐり、建設会社と独立行政法人都市再生機構(UR)の間でトラブルが起きていた。実名で文春の取材に応じた建設会社の総務担当者は補償交渉に関し「甘利事務所に口利きを依頼し、見返りとして現金や接待で1200万円を渡した」と証言。甘利の政党支部などの政治資金収支報告書には、同社からの寄付は376万円しか記載されていなかった。甘利の秘書がURと接触したあと、URは建設会社との交渉に応じ、2億2000万円の補償金を出していたことも判明した。 市民団体などからあっせん利得処罰法違反や政治資金規正法違反の疑いで、告発を受けた東京地検特捜部は4月8日、UR千葉業務部や建設会社などをあっせん利得処罰法違反容疑で捜索。甘利本人からも任意で事情聴取したが、甘利側がURに対して不正な口利きをした事実は確認できなかったとして5月31日、甘利と関係した元秘書2人を不起訴(嫌疑不十分)とした。 外形的には、不透明極まる政官界疑惑だった。検察が起訴しなかったのは、官邸に忖度して捜査を手控えたのではないか、それを、官邸に近いとされ、当時、法務省官房長だった黒川が主導したのではないか、との疑念が野党やマスコミの一部に広がった』、「甘利」前大臣事件については、だいぶ昔の事件だが、このブログでは2016年6月9日に取上げた。
・『「守れないか」の相談に「無理」 官邸筋によると、文春報道を受けて官邸は環太平洋経済連携協定(TPP)交渉を担当している甘利を守るため「甘利対策チーム」を発足させ、法務省官房長の黒川にも何とか辞職させないで済む方法はないかと相談した。しかし、黒川は、カネの授受がある以上、大臣に留まるのは無理でしょう、と取りつく島もなかったという。すると、なぜか甘利が検察に逮捕されるのではないか、との憶測が永田町に広まった。 一方、特捜部は当初、1月中にも政治資金規正法違反容疑で関係先を捜索しようとしていた。しかし、法務省刑事局は甘利が現金を受け取っていても、どの政治団体で処理するかは政治家の自由であり、立件するには金額も小さすぎ、いざ、強制捜査しても起訴できない恐れがある、として慎重に捜査するよう特捜部にアドバイスしたという。これは、後に述べる、検察の「起訴基準」にかかわる話だ。 検察は2010年に摘発した元民主党代表、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」を舞台にした政治資金規正法違反事件で小沢を起訴できず、その後、検察審査会が強制起訴したものの無罪となった。その過程で検察側の捜査の不手際が露呈し、世論の批判を浴びるなど痛い目にあってもいた。 甘利について特捜部は検討の結果、同容疑での訴追は難しいと判断。ターゲットをあっせん利得処罰法違反に切り替えて内偵を進めたが、同違反容疑での捜索は4月にずれ込んだ。その間に、国会の予算や法案審議は順調に進んだ』、「官邸は・・・甘利を守るため「甘利対策チーム」を発足」、やはり本気で守るつもりだったようだ。「法務省刑事局は・・・立件するには金額も小さすぎ、いざ、強制捜査しても起訴できない恐れがある、として慎重に捜査するよう特捜部にアドバイス」、いくら「陸山会」で手痛い失敗をしたとはいえ、余りに腰が引けている。
・『容疑事実が固まらず あっせん利得処罰法違反に問うには、政治家や秘書が権限に基づく影響力を行使して口利きをした見返りに、報酬を得ていたことを立証する必要があった。議員立法で成立したこの法律は、審議の過程で与党議員らが要件を厳しくして適用のハードルを高くした経緯があった。法務省刑事局は、その事情を熟知しており、構成要件の勘所を特捜部と協議した。 特捜部は、甘利本人や元秘書、URの担当者らから事情聴取し、関連書類を押収したが、影響力の行使に関する具体的な証拠を得られなかった。そのため捜査は難航した。URが建設会社との交渉に応じたのは、道路工事を請け負ったゼネコンの現場所長が、建設会社を立ち退かせないと工事が進まない、とURに申し入れたためだったことも捜査で判明した。 文春の取材に協力した建設会社の総務担当者はその後退職し、自らも逮捕されることを恐れたか、特捜部の捜査に非協力的だった。 特捜部から捜査経緯の報告を受けていた法務省刑事局の幹部も「(元担当者は)金銭の授受についても『どうだったかな』と曖昧。隠し録音は、文春の取材が始まってから。『ある』としていたそれ以前のものはなかった。法律判断の前提になる事実があやふや。立件は無理だった」と周辺関係者に語った』、「建設会社の総務担当者は・・・自らも逮捕されることを恐れたか、特捜部の捜査に非協力的」、現在であれば、司法取引で事実を聞き出すことも可能だが、当時は無理だったのだろう。
・『着手の日程調整 本来、法務省で検察を所管するのは、黒川と同期の林がトップを務める刑事局だ。捜査上の問題点についても刑事局が掌握し、解決にも関与する。当時、法務省官房長だった黒川が担当したのは、法務省の政界担当として、国会の審議日程を睨み、審議の邪魔にならないよう強制捜査の日程調整などを行うことだった。 実は、この種の日程調整は、珍しくない。2001年に東京地検特捜部が元参院議員の村上正邦ら国会議員2人を逮捕したKSD事件の際も、法務省官房長の但木敬一が国会審議への影響を避けるため、特捜部長の笠間治雄に直接連絡をとって強制捜査の着手日をずらしてもらった。笠間はのちに「国会審議を尊重するのは当たり前。証拠は固まっていたし、着手日を遅らせても捜査には何の影響もなかった」と周辺関係者に語った。 KSD事件については、この後詳述する。 甘利事件の捜査について黒川が特捜幹部や刑事局と話をしたのか、それがどういう内容だったのかは明らかではないが、黒川が、官邸と検察の間に立って、強制捜査の着手日程の調整などのため、検察側と折衝したのは事実だろう。しかし、それは事件潰しとは違う。一種の行政的な判断にかかわる話だ』、「一種の行政的な判断にかかわる話」は当然としても、「事件潰しとは違う」は根拠薄弱だ。
・『法務省と検察の関係 検察捜査の実態や、検察と法務省の関係は、外部の関係者にはわかりにくい。それゆえ、誤解が生じやすい面がある。 捜査や公判など検察権を行使するのは検察庁に所属する検察官であり、法務大臣を補佐する法務官僚には検察権行使の権限はない。法務事務次官になる検事はいったん、検事を辞職して事務官になる。刑事局長以下の法務官僚は号俸に応じて最高検、東京高検、東京地検検事との併任になるが、検事の肩書はあっても大臣を補佐する行政官とみなされ、検察権行使の権限はないとされている。 その検察権行使は、一人の検察官が、国家意思である起訴、不起訴を決める建て付けになっている。起訴状の署名は、検事個人が行う。自らの良心と法と証拠のみに基づいて判断するという検察官独立の原則に基づくもので、検事は「独任官庁」と呼ばれる。ただ、起訴・不起訴の判断は必ず上司の決裁を得るので、実質的には普通の役所の事務と変わらない。 検察には、事件処理での間違いや全国的な不均衡が生じないようにするため「検察官同一体の原則」という正反対のルールもあり、それが上司の決裁の根拠となっている。この「同一体原則」に基づき検事総長を頂点に高検検事長、地検検事正は管轄する検察官を指揮監督する権限を持つ。 もし、主任検事と検察上層部の意見が対立したときは、総長、検事長、検事正が指揮監督権限を根拠に担当検事の事件を引き取って、自らの判断を通すか、あるいは他の検事に事件を配点する(担当として割り当てる)ルールになっている。もっとも、手続きが面倒なこのルールが使われることはほとんどなく、このルールをちらつかせて担当検事から事件を事実上、引き取ることが多い。 検事は「独任官庁」であることに誇りを持ち、辞めても弁護士になる道がある。例えば、黒川が特捜部長や副部長に、具体的な証拠のある事件で正面から「捜査をやめてくれないか」と頼んでも「検事総長に言ってくださいよ」とはねつけられるだけ。逆に、「あの野郎、政治家の手先になりやがった」と悪評をばらまかれるのがオチだ。 もっとも、証拠が完璧にそろい、起訴基準を十分に満たす事件はほんの一握りで、多くはその後の捜査で帰趨が決まる。そういう中で、特捜部長や副部長が「(検事の人事権を持つ)法務事務次官や検事総長になるかもしれない人だから」と忖度し、「証拠が薄い」とか「起訴基準に足りない」などと言って捜査の方向を変えることがないとはいえない。 ただ、その種の「捜査指揮」の話は必ずといってよいほど、前後して検察部内に広がり、外に滲み出してマスコミが知るところとなる。そういう環境で横紙破りをする「度胸」のある検察幹部は少ない。 当の黒川は、特捜事件の修羅場を幾度も経験し、こういう「捜査の機微」を熟知していた。甘利事件では、捜査の方向性にかかわる証拠や法律の判断は刑事局が主導していたことを見ると、黒川は、捜査の方向性よりも、摘発に伴う政治と検察のハレーションをいかに小さくするかに知恵を絞っていたのではないか、と思われる。 カネの授受が明らかな甘利事件について、政権が捜査を止める方法はあった。それは一体何なのか。つづきは『安倍・菅政権vs.検察庁』(単行本)でお楽しみください』、「甘利事件では、捜査の方向性にかかわる証拠や法律の判断は刑事局が主導していたことを見ると、黒川は、捜査の方向性よりも、摘発に伴う政治と検察のハレーションをいかに小さくするかに知恵を絞っていたのではないか、と思われる」、とあるが、「黒川」が「刑事局」に影響力を及ぼした可能性もある筈だ。
次に、この続きを1月11日付け現代ビジネス「何が起きていたのか…“官邸の守護神”の定年延長問題が与えた「大きな衝撃」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78752?imp=0
・『2020年に大きな騒動となった黒川弘務・東京高検検事長の「定年延長」問題とは何だったのか? なぜ黒川は「官邸の守護神」と呼ばれるのか? 2016年に始まった安倍政権による法務・検察首脳人事への介入と検察側の抵抗。検察取材の第一人者が極秘情報を駆使してその全容を描いた『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)より特別掲載!』、興味深そうだ。
・『検事総長含みの勤務延長人事 「定年延長です」 その短いメールが筆者に届いたのは2020年1月31日朝。2月7日に63歳の定年を控えた東京高検検事長の黒川弘務について、政府が、定年後も継続して半年間、勤務を延長すると決めた。そのことを、黒川に近い検察幹部が連絡してきたのだ。 この検事がいう「定年延長」は「勤務延長」のことである。定年を迎えた後、引き続き勤務することをいう。 この検事と筆者は、しばらく前から、定年を間近に控えた黒川の処遇のシミュレーションで、「退官」や「検事長のまま勤務続行」などの議論をしていた。その際、「定年後の勤務の延長」について「定年延長」という言い方で話していた。それゆえ、この検事は、勤務延長を「定年延長」と記して連絡してきたのだ。 それもあって、筆者はインターネット新聞「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」のコラムなどで1月31日以来、黒川の勤務延長について、「定年延長」と記してきた。ただ今回、書籍を編むに際し、正確な表現にすることにした。 日本の検察制度の基本法となる検察庁法は「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」(第22条)と定めている。定年の引き上げや勤務延長の規定はない。 この検察庁法22条に従い、検事総長をはじめ定年を迎えた検察官は例外なく退官してきた。検察官の勤務が定年後に延長されるのは前代未聞だった。そこまでして黒川を検察官の身分にとどめるのは、検事総長の稲田の後継に黒川を起用する含みがあるのは明らかだった。 電話で検察幹部から話を聞いた。 「(法務省が)国家公務員法で、検事でも定年(勤務)延長できる、と。とりあえず、現状維持。身分は検事長のまま。(黒川に)検事長として仕事をさせようということ。当面、ゴーンの身柄確保などに向けてやらねばならないことがある。稲田総長は5月に辞めるだろう。(黒川は)総長の話があれば断らない。天命と思って受けるだろう。稲田は林にちゃんと経緯を説明しなければならない」 法務・検察では、名古屋高検検事長の林が次期検事総長の本命とみられてきた。黒川が次期検事総長になると、誕生日の関係などから林が検察官のまま総長になる目はなくなる。 幹部が、林に対する稲田の「説明責任」に触れたのは、林が稲田から繰り返し、次期総長は君だ、と示唆され、それに向けて心の準備をしていた、と受け止めていたからだ。幹部の言葉からは、林にとって、信頼していた稲田の「変心」はさぞショックだろう、との惻隠の情も感じられた』、日本の組織では一般的なことだ。
・『勤務延長の理由は「業務遂行上の必要性」 法相の森雅子は2020年1月31日午前に開いた閣議後の記者会見で、黒川の「任期延長の理由」を質問され、以下のように答えた。 森法相:黒川検事長は、令和2年2月7日限りで定年に達するところでございますが、検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、引き続き勤務させることを決定したものでございます。 答えは、あっさりしたものだった。しかし、それ以上、記者の突っ込みもなかった。森の言う「検察庁の業務遂行上の必要」とは何を指すのか。 黒川の勤務延長は、国家公務員法81条の3「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で引き続いて勤務させることができる」に沿って決定された。 東京高検検事長は、東京高検管内の検察事務を取り仕切る。中でも、重視されるのが、東京地検特捜部が捜査する重要事件の捜査や公判の指揮だ。当時、特捜部は、IR事業をめぐり、中国企業から376万円の賄賂を受け取った収賄容疑で衆院議員の秋元司を起訴し、追起訴に向けた捜査を続行中だった。その関連で外資系の大手カジノ業者の東京の拠点も捜索していた。 19年の暮れには、金融商品取引法違反(有価証券虚偽記載)や特別背任の罪で特捜部が起訴し、保釈中だった前日産自動車会長、カルロス・ゴーンがレバノンに逃亡。その身柄確保に向けた捜査にも傾注していた。 ゴーンから米国在住の親族に「日産マネー」が流れた疑いも浮上していた。IR事業をめぐる大手カジノ業者のカネの流れの解明も含め、米司法省に捜査協力をあおぐ必要があった。黒川は、法務省勤務を通じて米司法省の事情に詳しく、知己も豊富だった。 とはいえ、それらの捜査や外交折衝は黒川でなくてもできなくはない。勤務延長の本当の狙いが検事総長昇格に向けた「待機」であることは明白だった。森が述べた「業務遂行上の必要」との説明は、のちに、国会で「黒川でなければいけない検察業務などない」と追及を受けることになる』、「黒川でなければいけない検察業務などない」との追及は正論だ。
・『閣議決定の衝撃 黒川の勤務延長は、多くの法務・検察関係者やマスコミにとって衝撃のニュースとなった。 それが決まった1月31日、別の中堅検察幹部は「まずは、ひたすら『驚き』というのが平均的反応。何が起こったのか、起こるのか、理解が追い付かず、様子見というところでしょうか。ちょうど今夜、名古屋では(林の)ご栄転を前提の送別会が開催予定との未確認情報もあり、ちょっといたたまれない気持ちになります」と検察庁内の様子を伝えてきた。 旧知のNHKの元司法記者は「驚きましたー。こんなやり方があるのですね。林さんの目がこれでなくなったということですね。官邸介入と(いろいろなメディアによって)また書かれるんでしょうね。私は黒川さん、買ってるのですが」とのメールを筆者に寄せた。 東京地検特捜部副部長、同特捜部長、次席検事、検事正として政界汚職や大型経済事件を摘発した弁護士の石川達紘は「びっくりした。あんなことあるのかと。(検事総長は)黒川氏がいいのに決まっているが、林氏もいたたまれない。そっちも可哀そう。稲田総長が気を利かせて早めに辞めればよかったのに」と話した。 先に触れたように石川は、林が捜査を担当した第一勧銀の総会屋への利益供与事件、黒川が捜査を担当した新井将敬事件のころの東京地検検事正だ。2人を高く評価していた。 石川は、政府が国家公務員法にもとづき勤務延長したことについて「国家公務員法は適用範囲の広い一般法。検察庁法は特定の事項を定める特別法。特別法は一般法より優先されるのが普通の法律解釈だ」と指摘した。つまり、本来は検察庁法が想定する「定年がきたら退官する」との定年規定が優先され、検察庁法に規定のない勤務延長を国家公務員法を根拠に行うのは筋ワルだとみたのだ。 石川から特捜部長を引き継ぎ、金丸信元自民党副総裁の政治資金規正法違反や脱税事件を摘発した弁護士の五十嵐紀男はより深刻に受け止めた。 「勤務延長したのは、内閣が黒川氏を次期検事総長に据えようとしているということ。林氏を後継とする稲田総長の人事案が受け入れられなかったということだ。内閣はそこまでやるのか」と古巣を案じた。 「次期検事総長は林で決まり」となっていたはずがなぜ……。黒川の勤務延長決定後、林は数日間、姿を消した。何が起きていたのか。つづきは『安倍・菅政権vs.検察庁』でお楽しみください』、「石川は、政府が国家公務員法にもとづき勤務延長したことについて「国家公務員法は適用範囲の広い一般法。検察庁法は特定の事項を定める特別法。特別法は一般法より優先されるのが普通の法律解釈だ」と指摘した。つまり、本来は検察庁法が想定する「定年がきたら退官する」との定年規定が優先され、検察庁法に規定のない勤務延長を国家公務員法を根拠に行うのは筋ワルだとみたのだ」、今回は「黒川氏」が賭けマージャン問題で退任したので、問題にはならなかったが、「官邸」のシナリオ通りになっていれば、法的問題が残されるところだったようだ。
第三に、1月13日付け日刊ゲンダイ「黒川定年延長問題で「つい言い間違えた」答弁の官僚が出世」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/283794
・『また「ご褒美人事」か――。人事院が12日、森永耕造事務総長が退任し、後任に松尾恵美子給与局長を昇格させる人事を発表した。事務総長に女性が就任するのは初めてだ。 「松尾さんは早大法学部卒で、大学時代は司法試験を目指していたそうです。真面目な性格なので、国会で事実と異なる答弁をさせられてつらかっただろうと心配していましたが、論功行賞で出世なら、体を張って政権を守った甲斐があったということでしょうか」(霞が関関係者) 松尾氏が一躍、有名になったのは、“官邸の守護神”と呼ばれた黒川東京高検検事長(当時)の定年延長問題で紛糾した昨年2月の通常国会でのこと。「検察官に国家公務員法の定年制は適用されない」という1981年の人事院の国会答弁について野党から質問され、当初は「現在まで同じ解釈が続いている」と答弁したが、直後に安倍首相(当時)が解釈変更に言及すると、つじつまを合わせるように「法務省から相談があるまでは続いていた」と自身の答弁を撤回、修正したのだ。しかも「つい言い間違えた」と、あり得ない説明で安倍氏の答弁に追従した。 この問題で答弁席に立った松尾氏が、閣僚席の茂木外相から「帰れ!」と手で追い払うようなジェスチャー付きで自席に戻らされたり、答弁修正で放心した表情を浮かべていたことが記憶に残る』、こんなお粗末な答弁をしたのに、「安倍氏の答弁に追従した」ので、「事務総長に・・・就任」とは、ミエミエの論功行賞だ。
・『ますます蔓延しそうな忖度とゴマすり つい言い間違えてしまう人物に組織のトップが務まるのか疑問だが、嘘をついて政権を守った官僚が出世する構図は、森友問題における論功行賞で国税庁長官に出世した財務省の佐川宣寿氏と同じ。こういう悪習も「安倍政権の継承」ということか。 くしくも、12日付の朝日新聞で始まった連載「未完の最長政権」では、官邸が人事権を掌握したことがコロナ対策にも影を落としている実態を伝えている。<「強すぎる官邸」を前に、官僚たちは直言や意見することを控えるように>なり、その結果がアベノマスクなどの迷走だというのだ。記事は<新型コロナの対策は未知のことばかり。こんな時こそ、霞が関の知恵を結集させるべきだが、それができていない>という事務次官経験者のコメントも紹介している。 安倍氏以上に強権的な菅首相に意見する官僚はおらず、それがコロナ対策の失態を招く一因になっているのは間違いない。松尾氏の昇進を見て、ますます忖度とゴマすりは蔓延するだろう。その代償を負わされるのは国民である』、全く同感である。
先ずは、本年1月8日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの村山 治氏による「結局、「甘利事件」とは何だったのか? 多くの人が知らない「捜査の真相」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(1)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78751?imp=0
・『2020年に大きな騒動となった黒川弘務・東京高検検事長の「定年延長」問題とは何だったのか? なぜ黒川は「官邸の守護神」と呼ばれるのか? 2016年に始まった安倍政権による法務・検察首脳人事への介入と検察側の抵抗。検察取材の第一人者が極秘情報を駆使してその全容を描いた『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)より特別掲載!』、興味深そうだ。
・『600万円受領を認めても不起訴 黒川弘務は、野党や一部のマスコミから「官邸の守護神と呼ばれている」などと評されてきた。黒川がそう呼ばれてきたことは事実だ。それにはどのような根拠があったのか。本章では、法務省官房長、事務次官時代の黒川と政界、そして、黒川と検察の関係について検証する。 よく引き合いに出されるのが、検察が不起訴処分にした「甘利事件」と「森友事件」だ。2つの事件を通して、当時の筆者の取材メモをもとに、「黒川守護神」の実像を考察したい。 まず、甘利事件。2016年1月20日、「文春オンライン」は、経済再生相の甘利明の地元事務所が、千葉県の建設会社の総務担当者から現金と飲食接待を合わせ総額1200万円の利益供与を受けていた疑いがあると報じた。担当者は甘利や秘書とのやりとりを隠し録音していた。甘利は、自らと元公設第1秘書が計600万円を受け取ったことを認め28日、経済再生相を辞任した。 建設会社に隣接する県道の用地買収に伴う補償をめぐり、建設会社と独立行政法人都市再生機構(UR)の間でトラブルが起きていた。実名で文春の取材に応じた建設会社の総務担当者は補償交渉に関し「甘利事務所に口利きを依頼し、見返りとして現金や接待で1200万円を渡した」と証言。甘利の政党支部などの政治資金収支報告書には、同社からの寄付は376万円しか記載されていなかった。甘利の秘書がURと接触したあと、URは建設会社との交渉に応じ、2億2000万円の補償金を出していたことも判明した。 市民団体などからあっせん利得処罰法違反や政治資金規正法違反の疑いで、告発を受けた東京地検特捜部は4月8日、UR千葉業務部や建設会社などをあっせん利得処罰法違反容疑で捜索。甘利本人からも任意で事情聴取したが、甘利側がURに対して不正な口利きをした事実は確認できなかったとして5月31日、甘利と関係した元秘書2人を不起訴(嫌疑不十分)とした。 外形的には、不透明極まる政官界疑惑だった。検察が起訴しなかったのは、官邸に忖度して捜査を手控えたのではないか、それを、官邸に近いとされ、当時、法務省官房長だった黒川が主導したのではないか、との疑念が野党やマスコミの一部に広がった』、「甘利」前大臣事件については、だいぶ昔の事件だが、このブログでは2016年6月9日に取上げた。
・『「守れないか」の相談に「無理」 官邸筋によると、文春報道を受けて官邸は環太平洋経済連携協定(TPP)交渉を担当している甘利を守るため「甘利対策チーム」を発足させ、法務省官房長の黒川にも何とか辞職させないで済む方法はないかと相談した。しかし、黒川は、カネの授受がある以上、大臣に留まるのは無理でしょう、と取りつく島もなかったという。すると、なぜか甘利が検察に逮捕されるのではないか、との憶測が永田町に広まった。 一方、特捜部は当初、1月中にも政治資金規正法違反容疑で関係先を捜索しようとしていた。しかし、法務省刑事局は甘利が現金を受け取っていても、どの政治団体で処理するかは政治家の自由であり、立件するには金額も小さすぎ、いざ、強制捜査しても起訴できない恐れがある、として慎重に捜査するよう特捜部にアドバイスしたという。これは、後に述べる、検察の「起訴基準」にかかわる話だ。 検察は2010年に摘発した元民主党代表、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」を舞台にした政治資金規正法違反事件で小沢を起訴できず、その後、検察審査会が強制起訴したものの無罪となった。その過程で検察側の捜査の不手際が露呈し、世論の批判を浴びるなど痛い目にあってもいた。 甘利について特捜部は検討の結果、同容疑での訴追は難しいと判断。ターゲットをあっせん利得処罰法違反に切り替えて内偵を進めたが、同違反容疑での捜索は4月にずれ込んだ。その間に、国会の予算や法案審議は順調に進んだ』、「官邸は・・・甘利を守るため「甘利対策チーム」を発足」、やはり本気で守るつもりだったようだ。「法務省刑事局は・・・立件するには金額も小さすぎ、いざ、強制捜査しても起訴できない恐れがある、として慎重に捜査するよう特捜部にアドバイス」、いくら「陸山会」で手痛い失敗をしたとはいえ、余りに腰が引けている。
・『容疑事実が固まらず あっせん利得処罰法違反に問うには、政治家や秘書が権限に基づく影響力を行使して口利きをした見返りに、報酬を得ていたことを立証する必要があった。議員立法で成立したこの法律は、審議の過程で与党議員らが要件を厳しくして適用のハードルを高くした経緯があった。法務省刑事局は、その事情を熟知しており、構成要件の勘所を特捜部と協議した。 特捜部は、甘利本人や元秘書、URの担当者らから事情聴取し、関連書類を押収したが、影響力の行使に関する具体的な証拠を得られなかった。そのため捜査は難航した。URが建設会社との交渉に応じたのは、道路工事を請け負ったゼネコンの現場所長が、建設会社を立ち退かせないと工事が進まない、とURに申し入れたためだったことも捜査で判明した。 文春の取材に協力した建設会社の総務担当者はその後退職し、自らも逮捕されることを恐れたか、特捜部の捜査に非協力的だった。 特捜部から捜査経緯の報告を受けていた法務省刑事局の幹部も「(元担当者は)金銭の授受についても『どうだったかな』と曖昧。隠し録音は、文春の取材が始まってから。『ある』としていたそれ以前のものはなかった。法律判断の前提になる事実があやふや。立件は無理だった」と周辺関係者に語った』、「建設会社の総務担当者は・・・自らも逮捕されることを恐れたか、特捜部の捜査に非協力的」、現在であれば、司法取引で事実を聞き出すことも可能だが、当時は無理だったのだろう。
・『着手の日程調整 本来、法務省で検察を所管するのは、黒川と同期の林がトップを務める刑事局だ。捜査上の問題点についても刑事局が掌握し、解決にも関与する。当時、法務省官房長だった黒川が担当したのは、法務省の政界担当として、国会の審議日程を睨み、審議の邪魔にならないよう強制捜査の日程調整などを行うことだった。 実は、この種の日程調整は、珍しくない。2001年に東京地検特捜部が元参院議員の村上正邦ら国会議員2人を逮捕したKSD事件の際も、法務省官房長の但木敬一が国会審議への影響を避けるため、特捜部長の笠間治雄に直接連絡をとって強制捜査の着手日をずらしてもらった。笠間はのちに「国会審議を尊重するのは当たり前。証拠は固まっていたし、着手日を遅らせても捜査には何の影響もなかった」と周辺関係者に語った。 KSD事件については、この後詳述する。 甘利事件の捜査について黒川が特捜幹部や刑事局と話をしたのか、それがどういう内容だったのかは明らかではないが、黒川が、官邸と検察の間に立って、強制捜査の着手日程の調整などのため、検察側と折衝したのは事実だろう。しかし、それは事件潰しとは違う。一種の行政的な判断にかかわる話だ』、「一種の行政的な判断にかかわる話」は当然としても、「事件潰しとは違う」は根拠薄弱だ。
・『法務省と検察の関係 検察捜査の実態や、検察と法務省の関係は、外部の関係者にはわかりにくい。それゆえ、誤解が生じやすい面がある。 捜査や公判など検察権を行使するのは検察庁に所属する検察官であり、法務大臣を補佐する法務官僚には検察権行使の権限はない。法務事務次官になる検事はいったん、検事を辞職して事務官になる。刑事局長以下の法務官僚は号俸に応じて最高検、東京高検、東京地検検事との併任になるが、検事の肩書はあっても大臣を補佐する行政官とみなされ、検察権行使の権限はないとされている。 その検察権行使は、一人の検察官が、国家意思である起訴、不起訴を決める建て付けになっている。起訴状の署名は、検事個人が行う。自らの良心と法と証拠のみに基づいて判断するという検察官独立の原則に基づくもので、検事は「独任官庁」と呼ばれる。ただ、起訴・不起訴の判断は必ず上司の決裁を得るので、実質的には普通の役所の事務と変わらない。 検察には、事件処理での間違いや全国的な不均衡が生じないようにするため「検察官同一体の原則」という正反対のルールもあり、それが上司の決裁の根拠となっている。この「同一体原則」に基づき検事総長を頂点に高検検事長、地検検事正は管轄する検察官を指揮監督する権限を持つ。 もし、主任検事と検察上層部の意見が対立したときは、総長、検事長、検事正が指揮監督権限を根拠に担当検事の事件を引き取って、自らの判断を通すか、あるいは他の検事に事件を配点する(担当として割り当てる)ルールになっている。もっとも、手続きが面倒なこのルールが使われることはほとんどなく、このルールをちらつかせて担当検事から事件を事実上、引き取ることが多い。 検事は「独任官庁」であることに誇りを持ち、辞めても弁護士になる道がある。例えば、黒川が特捜部長や副部長に、具体的な証拠のある事件で正面から「捜査をやめてくれないか」と頼んでも「検事総長に言ってくださいよ」とはねつけられるだけ。逆に、「あの野郎、政治家の手先になりやがった」と悪評をばらまかれるのがオチだ。 もっとも、証拠が完璧にそろい、起訴基準を十分に満たす事件はほんの一握りで、多くはその後の捜査で帰趨が決まる。そういう中で、特捜部長や副部長が「(検事の人事権を持つ)法務事務次官や検事総長になるかもしれない人だから」と忖度し、「証拠が薄い」とか「起訴基準に足りない」などと言って捜査の方向を変えることがないとはいえない。 ただ、その種の「捜査指揮」の話は必ずといってよいほど、前後して検察部内に広がり、外に滲み出してマスコミが知るところとなる。そういう環境で横紙破りをする「度胸」のある検察幹部は少ない。 当の黒川は、特捜事件の修羅場を幾度も経験し、こういう「捜査の機微」を熟知していた。甘利事件では、捜査の方向性にかかわる証拠や法律の判断は刑事局が主導していたことを見ると、黒川は、捜査の方向性よりも、摘発に伴う政治と検察のハレーションをいかに小さくするかに知恵を絞っていたのではないか、と思われる。 カネの授受が明らかな甘利事件について、政権が捜査を止める方法はあった。それは一体何なのか。つづきは『安倍・菅政権vs.検察庁』(単行本)でお楽しみください』、「甘利事件では、捜査の方向性にかかわる証拠や法律の判断は刑事局が主導していたことを見ると、黒川は、捜査の方向性よりも、摘発に伴う政治と検察のハレーションをいかに小さくするかに知恵を絞っていたのではないか、と思われる」、とあるが、「黒川」が「刑事局」に影響力を及ぼした可能性もある筈だ。
次に、この続きを1月11日付け現代ビジネス「何が起きていたのか…“官邸の守護神”の定年延長問題が与えた「大きな衝撃」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78752?imp=0
・『2020年に大きな騒動となった黒川弘務・東京高検検事長の「定年延長」問題とは何だったのか? なぜ黒川は「官邸の守護神」と呼ばれるのか? 2016年に始まった安倍政権による法務・検察首脳人事への介入と検察側の抵抗。検察取材の第一人者が極秘情報を駆使してその全容を描いた『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)より特別掲載!』、興味深そうだ。
・『検事総長含みの勤務延長人事 「定年延長です」 その短いメールが筆者に届いたのは2020年1月31日朝。2月7日に63歳の定年を控えた東京高検検事長の黒川弘務について、政府が、定年後も継続して半年間、勤務を延長すると決めた。そのことを、黒川に近い検察幹部が連絡してきたのだ。 この検事がいう「定年延長」は「勤務延長」のことである。定年を迎えた後、引き続き勤務することをいう。 この検事と筆者は、しばらく前から、定年を間近に控えた黒川の処遇のシミュレーションで、「退官」や「検事長のまま勤務続行」などの議論をしていた。その際、「定年後の勤務の延長」について「定年延長」という言い方で話していた。それゆえ、この検事は、勤務延長を「定年延長」と記して連絡してきたのだ。 それもあって、筆者はインターネット新聞「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」のコラムなどで1月31日以来、黒川の勤務延長について、「定年延長」と記してきた。ただ今回、書籍を編むに際し、正確な表現にすることにした。 日本の検察制度の基本法となる検察庁法は「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」(第22条)と定めている。定年の引き上げや勤務延長の規定はない。 この検察庁法22条に従い、検事総長をはじめ定年を迎えた検察官は例外なく退官してきた。検察官の勤務が定年後に延長されるのは前代未聞だった。そこまでして黒川を検察官の身分にとどめるのは、検事総長の稲田の後継に黒川を起用する含みがあるのは明らかだった。 電話で検察幹部から話を聞いた。 「(法務省が)国家公務員法で、検事でも定年(勤務)延長できる、と。とりあえず、現状維持。身分は検事長のまま。(黒川に)検事長として仕事をさせようということ。当面、ゴーンの身柄確保などに向けてやらねばならないことがある。稲田総長は5月に辞めるだろう。(黒川は)総長の話があれば断らない。天命と思って受けるだろう。稲田は林にちゃんと経緯を説明しなければならない」 法務・検察では、名古屋高検検事長の林が次期検事総長の本命とみられてきた。黒川が次期検事総長になると、誕生日の関係などから林が検察官のまま総長になる目はなくなる。 幹部が、林に対する稲田の「説明責任」に触れたのは、林が稲田から繰り返し、次期総長は君だ、と示唆され、それに向けて心の準備をしていた、と受け止めていたからだ。幹部の言葉からは、林にとって、信頼していた稲田の「変心」はさぞショックだろう、との惻隠の情も感じられた』、日本の組織では一般的なことだ。
・『勤務延長の理由は「業務遂行上の必要性」 法相の森雅子は2020年1月31日午前に開いた閣議後の記者会見で、黒川の「任期延長の理由」を質問され、以下のように答えた。 森法相:黒川検事長は、令和2年2月7日限りで定年に達するところでございますが、検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、引き続き勤務させることを決定したものでございます。 答えは、あっさりしたものだった。しかし、それ以上、記者の突っ込みもなかった。森の言う「検察庁の業務遂行上の必要」とは何を指すのか。 黒川の勤務延長は、国家公務員法81条の3「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で引き続いて勤務させることができる」に沿って決定された。 東京高検検事長は、東京高検管内の検察事務を取り仕切る。中でも、重視されるのが、東京地検特捜部が捜査する重要事件の捜査や公判の指揮だ。当時、特捜部は、IR事業をめぐり、中国企業から376万円の賄賂を受け取った収賄容疑で衆院議員の秋元司を起訴し、追起訴に向けた捜査を続行中だった。その関連で外資系の大手カジノ業者の東京の拠点も捜索していた。 19年の暮れには、金融商品取引法違反(有価証券虚偽記載)や特別背任の罪で特捜部が起訴し、保釈中だった前日産自動車会長、カルロス・ゴーンがレバノンに逃亡。その身柄確保に向けた捜査にも傾注していた。 ゴーンから米国在住の親族に「日産マネー」が流れた疑いも浮上していた。IR事業をめぐる大手カジノ業者のカネの流れの解明も含め、米司法省に捜査協力をあおぐ必要があった。黒川は、法務省勤務を通じて米司法省の事情に詳しく、知己も豊富だった。 とはいえ、それらの捜査や外交折衝は黒川でなくてもできなくはない。勤務延長の本当の狙いが検事総長昇格に向けた「待機」であることは明白だった。森が述べた「業務遂行上の必要」との説明は、のちに、国会で「黒川でなければいけない検察業務などない」と追及を受けることになる』、「黒川でなければいけない検察業務などない」との追及は正論だ。
・『閣議決定の衝撃 黒川の勤務延長は、多くの法務・検察関係者やマスコミにとって衝撃のニュースとなった。 それが決まった1月31日、別の中堅検察幹部は「まずは、ひたすら『驚き』というのが平均的反応。何が起こったのか、起こるのか、理解が追い付かず、様子見というところでしょうか。ちょうど今夜、名古屋では(林の)ご栄転を前提の送別会が開催予定との未確認情報もあり、ちょっといたたまれない気持ちになります」と検察庁内の様子を伝えてきた。 旧知のNHKの元司法記者は「驚きましたー。こんなやり方があるのですね。林さんの目がこれでなくなったということですね。官邸介入と(いろいろなメディアによって)また書かれるんでしょうね。私は黒川さん、買ってるのですが」とのメールを筆者に寄せた。 東京地検特捜部副部長、同特捜部長、次席検事、検事正として政界汚職や大型経済事件を摘発した弁護士の石川達紘は「びっくりした。あんなことあるのかと。(検事総長は)黒川氏がいいのに決まっているが、林氏もいたたまれない。そっちも可哀そう。稲田総長が気を利かせて早めに辞めればよかったのに」と話した。 先に触れたように石川は、林が捜査を担当した第一勧銀の総会屋への利益供与事件、黒川が捜査を担当した新井将敬事件のころの東京地検検事正だ。2人を高く評価していた。 石川は、政府が国家公務員法にもとづき勤務延長したことについて「国家公務員法は適用範囲の広い一般法。検察庁法は特定の事項を定める特別法。特別法は一般法より優先されるのが普通の法律解釈だ」と指摘した。つまり、本来は検察庁法が想定する「定年がきたら退官する」との定年規定が優先され、検察庁法に規定のない勤務延長を国家公務員法を根拠に行うのは筋ワルだとみたのだ。 石川から特捜部長を引き継ぎ、金丸信元自民党副総裁の政治資金規正法違反や脱税事件を摘発した弁護士の五十嵐紀男はより深刻に受け止めた。 「勤務延長したのは、内閣が黒川氏を次期検事総長に据えようとしているということ。林氏を後継とする稲田総長の人事案が受け入れられなかったということだ。内閣はそこまでやるのか」と古巣を案じた。 「次期検事総長は林で決まり」となっていたはずがなぜ……。黒川の勤務延長決定後、林は数日間、姿を消した。何が起きていたのか。つづきは『安倍・菅政権vs.検察庁』でお楽しみください』、「石川は、政府が国家公務員法にもとづき勤務延長したことについて「国家公務員法は適用範囲の広い一般法。検察庁法は特定の事項を定める特別法。特別法は一般法より優先されるのが普通の法律解釈だ」と指摘した。つまり、本来は検察庁法が想定する「定年がきたら退官する」との定年規定が優先され、検察庁法に規定のない勤務延長を国家公務員法を根拠に行うのは筋ワルだとみたのだ」、今回は「黒川氏」が賭けマージャン問題で退任したので、問題にはならなかったが、「官邸」のシナリオ通りになっていれば、法的問題が残されるところだったようだ。
第三に、1月13日付け日刊ゲンダイ「黒川定年延長問題で「つい言い間違えた」答弁の官僚が出世」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/283794
・『また「ご褒美人事」か――。人事院が12日、森永耕造事務総長が退任し、後任に松尾恵美子給与局長を昇格させる人事を発表した。事務総長に女性が就任するのは初めてだ。 「松尾さんは早大法学部卒で、大学時代は司法試験を目指していたそうです。真面目な性格なので、国会で事実と異なる答弁をさせられてつらかっただろうと心配していましたが、論功行賞で出世なら、体を張って政権を守った甲斐があったということでしょうか」(霞が関関係者) 松尾氏が一躍、有名になったのは、“官邸の守護神”と呼ばれた黒川東京高検検事長(当時)の定年延長問題で紛糾した昨年2月の通常国会でのこと。「検察官に国家公務員法の定年制は適用されない」という1981年の人事院の国会答弁について野党から質問され、当初は「現在まで同じ解釈が続いている」と答弁したが、直後に安倍首相(当時)が解釈変更に言及すると、つじつまを合わせるように「法務省から相談があるまでは続いていた」と自身の答弁を撤回、修正したのだ。しかも「つい言い間違えた」と、あり得ない説明で安倍氏の答弁に追従した。 この問題で答弁席に立った松尾氏が、閣僚席の茂木外相から「帰れ!」と手で追い払うようなジェスチャー付きで自席に戻らされたり、答弁修正で放心した表情を浮かべていたことが記憶に残る』、こんなお粗末な答弁をしたのに、「安倍氏の答弁に追従した」ので、「事務総長に・・・就任」とは、ミエミエの論功行賞だ。
・『ますます蔓延しそうな忖度とゴマすり つい言い間違えてしまう人物に組織のトップが務まるのか疑問だが、嘘をついて政権を守った官僚が出世する構図は、森友問題における論功行賞で国税庁長官に出世した財務省の佐川宣寿氏と同じ。こういう悪習も「安倍政権の継承」ということか。 くしくも、12日付の朝日新聞で始まった連載「未完の最長政権」では、官邸が人事権を掌握したことがコロナ対策にも影を落としている実態を伝えている。<「強すぎる官邸」を前に、官僚たちは直言や意見することを控えるように>なり、その結果がアベノマスクなどの迷走だというのだ。記事は<新型コロナの対策は未知のことばかり。こんな時こそ、霞が関の知恵を結集させるべきだが、それができていない>という事務次官経験者のコメントも紹介している。 安倍氏以上に強権的な菅首相に意見する官僚はおらず、それがコロナ対策の失態を招く一因になっているのは間違いない。松尾氏の昇進を見て、ますます忖度とゴマすりは蔓延するだろう。その代償を負わされるのは国民である』、全く同感である。
タグ:黒川検事長問題 (その4)(結局 「甘利事件」とは何だったのか? 多くの人が知らない「捜査の真相」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(1)、何が起きていたのか…“官邸の守護神”の定年延長問題が与えた「大きな衝撃」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(2)、黒川定年延長問題で「つい言い間違えた」答弁の官僚が出世) 現代ビジネス 村山 治 「結局、「甘利事件」とは何だったのか? 多くの人が知らない「捜査の真相」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(1)」 『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋) 600万円受領を認めても不起訴 このブログでは2016年6月9日に取上げた 「守れないか」の相談に「無理」 官邸は 甘利を守るため「甘利対策チーム」を発足」、やはり本気で守るつもりだったようだ 「法務省刑事局は 立件するには金額も小さすぎ、いざ、強制捜査しても起訴できない恐れがある、として慎重に捜査するよう特捜部にアドバイス」 いくら「陸山会」で手痛い失敗をしたとはいえ、余りに腰が引けている 容疑事実が固まらず 着手の日程調整 「一種の行政的な判断にかかわる話」は当然としても、「事件潰しとは違う」は根拠薄弱だ 法務省と検察の関係 甘利事件では、捜査の方向性にかかわる証拠や法律の判断は刑事局が主導していたことを見ると、黒川は、捜査の方向性よりも、摘発に伴う政治と検察のハレーションをいかに小さくするかに知恵を絞っていたのではないか、と思われる」、とあるが、「黒川」が「刑事局」に影響力を及ぼした可能性もある筈だ 「何が起きていたのか…“官邸の守護神”の定年延長問題が与えた「大きな衝撃」 『安倍・菅政権vs.検察庁』(2)」 検事総長含みの勤務延長人事 幹部の言葉からは、林にとって、信頼していた稲田の「変心」はさぞショックだろう、との惻隠の情も感じられた 勤務延長の理由は「業務遂行上の必要性」 閣議決定の衝撃 「石川は、政府が国家公務員法にもとづき勤務延長したことについて「国家公務員法は適用範囲の広い一般法。検察庁法は特定の事項を定める特別法。特別法は一般法より優先されるのが普通の法律解釈だ」と指摘した。つまり、本来は検察庁法が想定する「定年がきたら退官する」との定年規定が優先され、検察庁法に規定のない勤務延長を国家公務員法を根拠に行うのは筋ワルだとみたのだ」、今回は「黒川氏」が賭けマージャン問題で退任したので、問題にはならなかったが、「官邸」のシナリオ通りになっていれば、法的問題が残されるところだったようだ。 日刊ゲンダイ 「黒川定年延長問題で「つい言い間違えた」答弁の官僚が出世」 人事院 森永耕造事務総長が退任し、後任に松尾恵美子給与局長を昇格させる人事を発表 「検察官に国家公務員法の定年制は適用されない」という1981年の人事院の国会答弁について野党から質問され、当初は「現在まで同じ解釈が続いている」と答弁したが、直後に安倍首相(当時)が解釈変更に言及すると、つじつまを合わせるように「法務省から相談があるまでは続いていた」と自身の答弁を撤回、修正したのだ。しかも「つい言い間違えた」と、あり得ない説明で安倍氏の答弁に追従した ミエミエの論功行賞だ ますます蔓延しそうな忖度とゴマすり 松尾氏の昇進を見て、ますます忖度とゴマすりは蔓延するだろう。その代償を負わされるのは国民である』、全く同感である
大学(その8)(地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛、財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた) [社会]
大学については、」昨年12月16日に取上げた。今日は、(その8)(地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛、財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた)である。
先ずは、12月31日付けYahooニュースが転載した弁護士ドットコム「地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a542383e34fd53f46c031d8a73657365ba27c390
・『NHK『BSマンガ夜話』の司会などで知られる民俗学者の大月隆寛氏が、勤務先だった札幌国際大からの懲戒解雇を不当として、裁判で争っている。背景には、留学生の受け入れをめぐる経営側との対立がある。 同大は、2018年度の留学生が3人だったところ、2019年度には65人(全入学者の約15%に相当)を入学させた。定員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額された。 ただ、地元誌の北方ジャーナルによると、この65人中40人近くが、文部科学省が留学生の目安としてあげる日本語能力試験のレベル「N2」相当に達しておらず、教員から苦情が出ることもあったという(2020年5月号)』、「留学生」が「2018年度の」「3人」から「2019年度には65人」と急増したようだが、体制整備の方は大丈夫なのだろうか。「定員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額」、計算式ではそうなるのだろうが、「留学生」で水増ししているのに、「私学助成が千数百万円増額」とは釈然としない。
・『大学側は適正と主張「在籍管理なくして、受け入れはできない」 留学生をめぐっては、東京福祉大で2019年に大量失踪が発覚。日本語能力に関係ない受け入れが問題視された。 一方、札幌国際大は2019年度に入学した留学生の合格率は70%台だったとし、選抜は適切だと説明する。2020年度入学の合格率は50%を切っていた(65人が入学)といい、これに対して日本人学生の合格率はほぼ全入に近い。 また、北海道新聞によると、告発を受けて調査した札幌入管は、試験問題の一部使い回しなどについて指導はしたものの、9月15日付で「法令違反は認められない」旨の通知を出している(2020年9月18日付)。 「勉強せず、働いてばかりということは防がなくてはならない。授業を休めば連絡を入れるし、アルバイトも週28時間の規定を超えないようチェックしている。日本語を学ぶ授業もある。在籍管理なくして、受け入れはできないと考えています」(札幌国際大担当者) 大学側が受験生の日本語能力をどのように認識していたかなどについては裁判で明らかになるとみられるが、地方私大が意識してアジア系の留学生を受け入れているのは事実だ。 大月氏は、留学生受け入れの是非はおくとしたうえで、次のように主張する。 「札幌国際大の場合、中国系の留学生は、富裕層の子どもが多く、もはや少し前までのような労働目当ては少ない。とはいえ、大学で正規に学べるだけの日本語能力が不足しているのなら、まずは準備教育として学内に留学生別科を置き、日本語を教えるべき」 地方私大の現状について、大月氏に寄稿してもらった』、興味深そうだ。
・『地方私大、積極的に留学生を取り込む 少子化に伴う経営難で、国内の大学はいずこも大きな荒波に巻き込まれています。定員割れを補い、各種公的な助成金を穴埋めするためのあの手この手の一環で、外国人留学生を受け入れて何とかしようとする施策もここ10年ほどの間、政府の「留学生30万人計画」に後押しされて全国の大学、殊に苦境がより深刻な地方の私大では積極的に行われてきていました。 それにつけ込んだ業者の類も跋扈、いわゆる留学生ブローカー的な人がたがそれらの需要を満たす構造も作り上げられてゆき、「留学生」というたてつけでの実質労働力が国内にあふれることになった。 そのような中、2019年、東京都内の東京福祉大学の留学生が大量に行方不明になっていることが発覚、これら留学生をめぐる制度の運用のずさんさが露わになり、「大学の責任は重大」として研究生の受け入れを当面停止するよう文科省と出入国在留管理庁が協力して指導を行う事態になったことなどもあり、これまでのような形での留学生の大幅受け入れを前提とした政策の事実上の「見直し」が文科省から発表されたのが2020年の秋。 加えて、安全保障面からそれら留学生も含めた在留外国人に関する政策の大きな方針転換が国策レベルでも打ち出され、いずれにせよ今世紀に入ってこのかた、わが国の大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです。 【編注:コロナ禍での移動制限もあり、萩生田光一文科相は30万人計画を「やり直し」と表現。また、2021年度から安全保障の観点から留学生ビザの厳格化の方針が報じられている】』、「大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです」、遅きに失したきらいはあるが、望ましい方向だ。
・『「留学生だのみ」の北海道 一方、ご当地北海道は、中国人にも人気の観光地である種のブランドにもなっています。その中で、中国・瀋陽に提携する日本語学校を設立、留学生ビジネスで大きく業績を伸ばしていた京都育英館という日本語学校が、苫小牧駒澤大学、稚内北星大学を事実上買収、その他高校にも手を出して、いずれも中国人留学生の受け皿としての意味あいを強めた再編を始めています。 【編注:京都育英館系列の学校は、東大や京大などの難関大や大学院に留学生を合格させることで知られている】 また、これも関西を地盤とした滋慶学園という専門学校を中心とした学校法人が、札幌学院大学と協力して市内新札幌の再開発事業と連携、新たなキャンパスを作り、そこに相乗りのような形で看護医療系の専門学校を新設して、留学生含みの道内進出の橋頭堡を作り始めています。 さらには、同じく札幌郊外にある北海道文教大学も、既存の外国語学部を国際学部に改編して明らかに留学生を視野に入れた手直しをしたりと、どこも背に腹は代えられないということなのでしょうか、相変わらず外国人留学生を織り込んだ生き残り策をあれこれ講じているようです。 そんな中、留学生を送り込むに際してブローカー的な動きをした国内外の人がたと共に、どうやら霞が関界隈の影までもちらほらしているのは、何より自分をむりやり懲戒解雇に処した札幌国際大学の理事会のメンバーに、かの文科省天下り問題で物議を醸した前川喜平元文科次官の片腕だったとされる嶋貫和男氏の名前があることなどからも、期せずして明るみに出始めていますし、また、政権与党の二階俊博幹事長周辺につながる公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れしている。 たかだか地方の小さな私大の内紛に等しいような騒動であるはずのできごとが、北海道に対する外国勢力からの「浸透」政策の一環でもあるような可能性までも含めた、意外にも大きな話につながっていることも、どうやら考えねばならなくなってきているようにも思えます。 単に自分の懲戒解雇の件に関してならば、法廷で公正な判断をしてさえもらえればしかるべき結果になるだろう、それくらい理不尽で論外な処分だと思っていますし、その意味で割と呑気に構えているつもりなのです。 ただ、はっきり言っておきたいのは、公益法人である大学という機関がこのような異常とも言える処分をくだすにいたった、その背景の詳細とその是非について、法と正義に基づいたまっとうな判断を下してもらいたいこと、そしてその過程で、いまどきの大学の中がどうなっているのか、そこでどれだけ無理無体なことがうっかりと日々起こり得るようになっているのかについて、世間の方々にも広く知っていただきたいと思っています。 【筆者の大月氏の略歴はリンク先参照】』、「公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れ」、気になるところだが、「留学生」に依存した歪な大学が正常化に向かうことを期待したい。
次に、1月7日付け東洋経済オンラインが掲載した京都女子大学客員教授、京都大学名誉教授 の橘木 俊詔氏による「財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/401178
・『教育機会の平等・均等路線の先で混迷を極める入試改革。京都女子大学客員教授で、京都大学名誉教授の橘木俊詔氏は、その状況に「繕われた公平さに意味などない」「世界で通用する大学やエリートを生み出せるのか」と警鐘を鳴らします。橘木氏が上梓した『大学はどこまで「公平」であるべきか――一発試験依存の罪』を一部抜粋・再構成してお届けします。 新刊『大学はどこまで「公平」であるべきか』でたびたび触れたが、大学改革論議のキーワードの1つが「公平さ」であった。 これはつまり大学入試において、いかに受験生が公平に試験を受けられ、かつ公平に判定されるか、ということを指していた。 もちろん筆者も「入学試験が公平に実施されるべき」という点に異論はない。しかし、そもそも入試改革を巡る論点がなぜ「公平さ」に集中するようになったのか。その歴史を振り返って考えてみたい』、さすがに学者らしいアプローチだ。
・『出世に「家系」が不可欠だった日本 学校(中等教育、高等教育)において入試が導入されたのは明治時代、学校制度が整備された頃までさかのぼる。明治18(1885)年に森有礼が初代の文部大臣として就任すると高等学校令、中学校令などの学校令を公布。諸々の学校の設立・整備に着手した。 その中の1つとして、帝国大学(今の東京大学)や旧制高等学校で入学者を選抜する入試が導入された。 当時の帝国大学出身者は、高等文官試験に合格すれば、基本的にはそのままエリート官僚となっていった。なお学校令交付前は、当時の雄藩(薩摩、長州、土佐など)出身の旧武士の子弟が、コネを使うことで各省に入省し官僚になることができた。 さらに江戸時代にさかのぼれば、各地の藩校ではこの藩士の息子が優先的に入学できて、他の職業の子弟では多くの場合、入学できなかった。 このように江戸時代や明治時代の初期は、出世するには「家系」が大切で、かつ、どの藩の出身かという「藩閥」が幅を利かせていた時代であった。しかしこれでは雄藩以外で育った有能な人を排除することになるので、不公平であり、彼らを排除するのは国家の損失と考えられたのである。 慶應義塾の創設者・福沢諭吉が記した『学問のすゝめ』には「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」という一文が記されている。あまりに有名なこの言葉だが、実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる。 たとえば同書の「中津の旧友に贈る文」(9編・10編)の中では、「わが国士族以上の人、数千百年の旧習に慣れて、衣食の何ものたるを知らず、富有のよりて来たるところを弁ぜず、傲然(ごうぜん)みずから無為に食して、これを天然の権義と思い、その状あたかも沈湎冒色、前後を忘却する者のごとし。」(『日本の名著33福沢諭吉』中公バックス、中央公論社)と記している。 こうした世の中の不公平を是正するためにも、政治家や教育界を中心に、旧制高校や帝国大学、各省庁に入るさいのコネによる入学、入省を排除し、公平な試験を課して有能な人を選抜する方策を導入するべし、という機運が社会全体で高まっていく』、「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」・・・実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる」、初めて知った。
・『試験に合格すればエリートになれる そして『近代日本の官僚―維新官僚から学歴エリートへ』(清水唯一朗著、中公新書)などによれば、その主張は「学力を問うべき」というのが中心で、つまりは試験の得点で合否を決めよ、というものであった。学力到達度は数字で表せるので、これが誰をも「不公平」に扱うことがない制度であると信じたのだろう。 なお、日本国内初の近代的大学とされる東京大学、そのホームページに掲載された『東京大学百年史』によれば、大学自体の創立は1877年とされるが、その前身の1つである東京開成学校でもすでに入試は行われていたとされる。 つまり明治維新が始まってすぐの1870年代頃から試験に合格した学問的な優秀者のみが、旧制高校や帝国大学で学ぶ資格があるとされ、その後、高等文官試験に合格すれば高級官僚として働く資格がある、というふうに社会的にみなされるようになった。) 明治時代初期の頃の日本はまだ旧国家であり、近代国家になるには官僚のみならず、医師、技術者、法曹人、教員といった、特殊技能や専門的知識を身につけた人々を多く必要としていた。 そして、こうした職業の従事者を育てるには高い学問知識を備えることが不可欠だったのである。社会の上層部に行きたいと思う人は学校で勉強に励み、できるだけいい学校に行くことがその最短距離になっていった。 その通過点や到達点が帝国大学(現・東京大学)であり、高級官僚である。1886年の帝国大学令の施行によって帝国大学卒業生には学位が授与されることになり、帝大出身者は官僚の世界のみならず世間一般からもエリートとして遇されるようになった。そこから、「勉強の良くできる人が社会のエリートになる」という既成事実が生まれていく。 これがいわゆる「学歴社会」の萌芽である。こうした歴史のもとで「学力試験には公平性がある」という認識が既成事実となり、あらゆる社会の基本や前提になっていく。 すると、人々の関心は「どういう試験を行えば、受験生を公平に処遇できるか」に限定されていってしまう。そしてその先で「マークシート式と記述式、どちらが公平か」、「民間業者に試験の運用を任せることが公平か」といった議論が生じた、というのが今日の「大学入試」を取り巻く現状である。 こうして考えると、不幸なことに「技術的な公平さ」に議論が集中しすぎて、より本質的な問題がさほど語られていない印象があり、筆者としては「公平さ」に関してはいくつかの重要な論点が放置されているように感じている』、鋭い指摘だ。
・『「教育の機会平等」という原則の意味 まず考えなければならないのは「教育の機会平等」という原則の意味である。 この原則そのものは、多くの人も容認するところと思う。これはつまり「親の出身や経済状況によって、子弟の教育に不平等、あるいは不公平があってはならない」ということ、そして「教育を受けたいと思う人に対し、社会はその達成への障害を与えてはならない」ということを指し示したものと考えられる。 ただ、『大学はどこまで「公平」であるべきか』を通じて、アメリカでは日本より奨学金制度は充実しているとはいえ、学費がべらぼうに高く、親が豊かであるなど経済的なベースがないと、そもそも大学進学を断念せねばならないケースがあると記した。これなどは、まさに日本でいう「教育の機会平等」の原則に沿わない不平等なケースだろう。 一昔前の日本であれば、学費は高くなかった。たとえば筆者が大学に入学した1967年当時、国立大学の授業料は年1万2000円にすぎず、学費そのものの壁はそこまで高くなかった。 そして今では授業料はもちろん、かかる生活費も高くなり、進学先が国立大学であろうと、奨学金を受けようと、極度の貧困家庭において子弟を大学進学させるのは困難となった。一方で豊かな家庭ほど、レベルの高い大学への進学を果たせるのがあたり前になりつつある。 2020年初頭からの新型コロナウイルスの広がりにより、アルバイトの口が減るなどし、「大学生活をあきらめる」という判断を下す学生が出てきていることが新聞などを通じて報道されている。 文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表したが、これなども教育の機会不平等、あるいは不公平にまつわる話題だろう。 ただ大学進学に先立って、名門・有名大学への進学を目指すなら、今や高校どころか、小中学校の時から準備せねばならない。そして水準の高い学校へ進学するには、普段から塾に通ったり、家庭教師についてもらったりする必要も生じてくる。 しかし学校外教育に資金を出せるのは、当然だが、家計が豊かな家庭に限られてしまう』、「文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表」、実効性ある措置が必要だろう。ただ、「小中学校」からの準備を含めて考えると、「日本」でも「「教育の機会平等」の原則」が崩れつつあるようだ。
・『東大生の高すぎる世帯年収 たとえば、東京大学在校生の家庭環境について調べた「2018年学生生活実態調査の結果」では、その世帯年収について「950万円以上」が60.8%にまで達し、メディアを通じて話題になっていたのは記憶に新しいところだ。 ちなみに「平成30年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)によれば、2017年の日本全体の平均世帯年収は551.6万円。単純に比較はできないものの、東京大学合格者を輩出した家の多くが、日本の平均世帯年収よりずっと高い所得である、ということは言えるだろう。 つまり、今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」とは、そのまま家計の経済的豊かさに帰因していることが分かる。このような中で、もともとの「教育の機会平等」という言葉が持っていた意味は、すっかり変容したと言わざるをえない』、「今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」」が世代を超えて引き継がれれば、社会の分断が進み、経済は活力を失っていくだろう。
先ずは、12月31日付けYahooニュースが転載した弁護士ドットコム「地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a542383e34fd53f46c031d8a73657365ba27c390
・『NHK『BSマンガ夜話』の司会などで知られる民俗学者の大月隆寛氏が、勤務先だった札幌国際大からの懲戒解雇を不当として、裁判で争っている。背景には、留学生の受け入れをめぐる経営側との対立がある。 同大は、2018年度の留学生が3人だったところ、2019年度には65人(全入学者の約15%に相当)を入学させた。定員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額された。 ただ、地元誌の北方ジャーナルによると、この65人中40人近くが、文部科学省が留学生の目安としてあげる日本語能力試験のレベル「N2」相当に達しておらず、教員から苦情が出ることもあったという(2020年5月号)』、「留学生」が「2018年度の」「3人」から「2019年度には65人」と急増したようだが、体制整備の方は大丈夫なのだろうか。「定員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額」、計算式ではそうなるのだろうが、「留学生」で水増ししているのに、「私学助成が千数百万円増額」とは釈然としない。
・『大学側は適正と主張「在籍管理なくして、受け入れはできない」 留学生をめぐっては、東京福祉大で2019年に大量失踪が発覚。日本語能力に関係ない受け入れが問題視された。 一方、札幌国際大は2019年度に入学した留学生の合格率は70%台だったとし、選抜は適切だと説明する。2020年度入学の合格率は50%を切っていた(65人が入学)といい、これに対して日本人学生の合格率はほぼ全入に近い。 また、北海道新聞によると、告発を受けて調査した札幌入管は、試験問題の一部使い回しなどについて指導はしたものの、9月15日付で「法令違反は認められない」旨の通知を出している(2020年9月18日付)。 「勉強せず、働いてばかりということは防がなくてはならない。授業を休めば連絡を入れるし、アルバイトも週28時間の規定を超えないようチェックしている。日本語を学ぶ授業もある。在籍管理なくして、受け入れはできないと考えています」(札幌国際大担当者) 大学側が受験生の日本語能力をどのように認識していたかなどについては裁判で明らかになるとみられるが、地方私大が意識してアジア系の留学生を受け入れているのは事実だ。 大月氏は、留学生受け入れの是非はおくとしたうえで、次のように主張する。 「札幌国際大の場合、中国系の留学生は、富裕層の子どもが多く、もはや少し前までのような労働目当ては少ない。とはいえ、大学で正規に学べるだけの日本語能力が不足しているのなら、まずは準備教育として学内に留学生別科を置き、日本語を教えるべき」 地方私大の現状について、大月氏に寄稿してもらった』、興味深そうだ。
・『地方私大、積極的に留学生を取り込む 少子化に伴う経営難で、国内の大学はいずこも大きな荒波に巻き込まれています。定員割れを補い、各種公的な助成金を穴埋めするためのあの手この手の一環で、外国人留学生を受け入れて何とかしようとする施策もここ10年ほどの間、政府の「留学生30万人計画」に後押しされて全国の大学、殊に苦境がより深刻な地方の私大では積極的に行われてきていました。 それにつけ込んだ業者の類も跋扈、いわゆる留学生ブローカー的な人がたがそれらの需要を満たす構造も作り上げられてゆき、「留学生」というたてつけでの実質労働力が国内にあふれることになった。 そのような中、2019年、東京都内の東京福祉大学の留学生が大量に行方不明になっていることが発覚、これら留学生をめぐる制度の運用のずさんさが露わになり、「大学の責任は重大」として研究生の受け入れを当面停止するよう文科省と出入国在留管理庁が協力して指導を行う事態になったことなどもあり、これまでのような形での留学生の大幅受け入れを前提とした政策の事実上の「見直し」が文科省から発表されたのが2020年の秋。 加えて、安全保障面からそれら留学生も含めた在留外国人に関する政策の大きな方針転換が国策レベルでも打ち出され、いずれにせよ今世紀に入ってこのかた、わが国の大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです。 【編注:コロナ禍での移動制限もあり、萩生田光一文科相は30万人計画を「やり直し」と表現。また、2021年度から安全保障の観点から留学生ビザの厳格化の方針が報じられている】』、「大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです」、遅きに失したきらいはあるが、望ましい方向だ。
・『「留学生だのみ」の北海道 一方、ご当地北海道は、中国人にも人気の観光地である種のブランドにもなっています。その中で、中国・瀋陽に提携する日本語学校を設立、留学生ビジネスで大きく業績を伸ばしていた京都育英館という日本語学校が、苫小牧駒澤大学、稚内北星大学を事実上買収、その他高校にも手を出して、いずれも中国人留学生の受け皿としての意味あいを強めた再編を始めています。 【編注:京都育英館系列の学校は、東大や京大などの難関大や大学院に留学生を合格させることで知られている】 また、これも関西を地盤とした滋慶学園という専門学校を中心とした学校法人が、札幌学院大学と協力して市内新札幌の再開発事業と連携、新たなキャンパスを作り、そこに相乗りのような形で看護医療系の専門学校を新設して、留学生含みの道内進出の橋頭堡を作り始めています。 さらには、同じく札幌郊外にある北海道文教大学も、既存の外国語学部を国際学部に改編して明らかに留学生を視野に入れた手直しをしたりと、どこも背に腹は代えられないということなのでしょうか、相変わらず外国人留学生を織り込んだ生き残り策をあれこれ講じているようです。 そんな中、留学生を送り込むに際してブローカー的な動きをした国内外の人がたと共に、どうやら霞が関界隈の影までもちらほらしているのは、何より自分をむりやり懲戒解雇に処した札幌国際大学の理事会のメンバーに、かの文科省天下り問題で物議を醸した前川喜平元文科次官の片腕だったとされる嶋貫和男氏の名前があることなどからも、期せずして明るみに出始めていますし、また、政権与党の二階俊博幹事長周辺につながる公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れしている。 たかだか地方の小さな私大の内紛に等しいような騒動であるはずのできごとが、北海道に対する外国勢力からの「浸透」政策の一環でもあるような可能性までも含めた、意外にも大きな話につながっていることも、どうやら考えねばならなくなってきているようにも思えます。 単に自分の懲戒解雇の件に関してならば、法廷で公正な判断をしてさえもらえればしかるべき結果になるだろう、それくらい理不尽で論外な処分だと思っていますし、その意味で割と呑気に構えているつもりなのです。 ただ、はっきり言っておきたいのは、公益法人である大学という機関がこのような異常とも言える処分をくだすにいたった、その背景の詳細とその是非について、法と正義に基づいたまっとうな判断を下してもらいたいこと、そしてその過程で、いまどきの大学の中がどうなっているのか、そこでどれだけ無理無体なことがうっかりと日々起こり得るようになっているのかについて、世間の方々にも広く知っていただきたいと思っています。 【筆者の大月氏の略歴はリンク先参照】』、「公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れ」、気になるところだが、「留学生」に依存した歪な大学が正常化に向かうことを期待したい。
次に、1月7日付け東洋経済オンラインが掲載した京都女子大学客員教授、京都大学名誉教授 の橘木 俊詔氏による「財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/401178
・『教育機会の平等・均等路線の先で混迷を極める入試改革。京都女子大学客員教授で、京都大学名誉教授の橘木俊詔氏は、その状況に「繕われた公平さに意味などない」「世界で通用する大学やエリートを生み出せるのか」と警鐘を鳴らします。橘木氏が上梓した『大学はどこまで「公平」であるべきか――一発試験依存の罪』を一部抜粋・再構成してお届けします。 新刊『大学はどこまで「公平」であるべきか』でたびたび触れたが、大学改革論議のキーワードの1つが「公平さ」であった。 これはつまり大学入試において、いかに受験生が公平に試験を受けられ、かつ公平に判定されるか、ということを指していた。 もちろん筆者も「入学試験が公平に実施されるべき」という点に異論はない。しかし、そもそも入試改革を巡る論点がなぜ「公平さ」に集中するようになったのか。その歴史を振り返って考えてみたい』、さすがに学者らしいアプローチだ。
・『出世に「家系」が不可欠だった日本 学校(中等教育、高等教育)において入試が導入されたのは明治時代、学校制度が整備された頃までさかのぼる。明治18(1885)年に森有礼が初代の文部大臣として就任すると高等学校令、中学校令などの学校令を公布。諸々の学校の設立・整備に着手した。 その中の1つとして、帝国大学(今の東京大学)や旧制高等学校で入学者を選抜する入試が導入された。 当時の帝国大学出身者は、高等文官試験に合格すれば、基本的にはそのままエリート官僚となっていった。なお学校令交付前は、当時の雄藩(薩摩、長州、土佐など)出身の旧武士の子弟が、コネを使うことで各省に入省し官僚になることができた。 さらに江戸時代にさかのぼれば、各地の藩校ではこの藩士の息子が優先的に入学できて、他の職業の子弟では多くの場合、入学できなかった。 このように江戸時代や明治時代の初期は、出世するには「家系」が大切で、かつ、どの藩の出身かという「藩閥」が幅を利かせていた時代であった。しかしこれでは雄藩以外で育った有能な人を排除することになるので、不公平であり、彼らを排除するのは国家の損失と考えられたのである。 慶應義塾の創設者・福沢諭吉が記した『学問のすゝめ』には「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」という一文が記されている。あまりに有名なこの言葉だが、実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる。 たとえば同書の「中津の旧友に贈る文」(9編・10編)の中では、「わが国士族以上の人、数千百年の旧習に慣れて、衣食の何ものたるを知らず、富有のよりて来たるところを弁ぜず、傲然(ごうぜん)みずから無為に食して、これを天然の権義と思い、その状あたかも沈湎冒色、前後を忘却する者のごとし。」(『日本の名著33福沢諭吉』中公バックス、中央公論社)と記している。 こうした世の中の不公平を是正するためにも、政治家や教育界を中心に、旧制高校や帝国大学、各省庁に入るさいのコネによる入学、入省を排除し、公平な試験を課して有能な人を選抜する方策を導入するべし、という機運が社会全体で高まっていく』、「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」・・・実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる」、初めて知った。
・『試験に合格すればエリートになれる そして『近代日本の官僚―維新官僚から学歴エリートへ』(清水唯一朗著、中公新書)などによれば、その主張は「学力を問うべき」というのが中心で、つまりは試験の得点で合否を決めよ、というものであった。学力到達度は数字で表せるので、これが誰をも「不公平」に扱うことがない制度であると信じたのだろう。 なお、日本国内初の近代的大学とされる東京大学、そのホームページに掲載された『東京大学百年史』によれば、大学自体の創立は1877年とされるが、その前身の1つである東京開成学校でもすでに入試は行われていたとされる。 つまり明治維新が始まってすぐの1870年代頃から試験に合格した学問的な優秀者のみが、旧制高校や帝国大学で学ぶ資格があるとされ、その後、高等文官試験に合格すれば高級官僚として働く資格がある、というふうに社会的にみなされるようになった。) 明治時代初期の頃の日本はまだ旧国家であり、近代国家になるには官僚のみならず、医師、技術者、法曹人、教員といった、特殊技能や専門的知識を身につけた人々を多く必要としていた。 そして、こうした職業の従事者を育てるには高い学問知識を備えることが不可欠だったのである。社会の上層部に行きたいと思う人は学校で勉強に励み、できるだけいい学校に行くことがその最短距離になっていった。 その通過点や到達点が帝国大学(現・東京大学)であり、高級官僚である。1886年の帝国大学令の施行によって帝国大学卒業生には学位が授与されることになり、帝大出身者は官僚の世界のみならず世間一般からもエリートとして遇されるようになった。そこから、「勉強の良くできる人が社会のエリートになる」という既成事実が生まれていく。 これがいわゆる「学歴社会」の萌芽である。こうした歴史のもとで「学力試験には公平性がある」という認識が既成事実となり、あらゆる社会の基本や前提になっていく。 すると、人々の関心は「どういう試験を行えば、受験生を公平に処遇できるか」に限定されていってしまう。そしてその先で「マークシート式と記述式、どちらが公平か」、「民間業者に試験の運用を任せることが公平か」といった議論が生じた、というのが今日の「大学入試」を取り巻く現状である。 こうして考えると、不幸なことに「技術的な公平さ」に議論が集中しすぎて、より本質的な問題がさほど語られていない印象があり、筆者としては「公平さ」に関してはいくつかの重要な論点が放置されているように感じている』、鋭い指摘だ。
・『「教育の機会平等」という原則の意味 まず考えなければならないのは「教育の機会平等」という原則の意味である。 この原則そのものは、多くの人も容認するところと思う。これはつまり「親の出身や経済状況によって、子弟の教育に不平等、あるいは不公平があってはならない」ということ、そして「教育を受けたいと思う人に対し、社会はその達成への障害を与えてはならない」ということを指し示したものと考えられる。 ただ、『大学はどこまで「公平」であるべきか』を通じて、アメリカでは日本より奨学金制度は充実しているとはいえ、学費がべらぼうに高く、親が豊かであるなど経済的なベースがないと、そもそも大学進学を断念せねばならないケースがあると記した。これなどは、まさに日本でいう「教育の機会平等」の原則に沿わない不平等なケースだろう。 一昔前の日本であれば、学費は高くなかった。たとえば筆者が大学に入学した1967年当時、国立大学の授業料は年1万2000円にすぎず、学費そのものの壁はそこまで高くなかった。 そして今では授業料はもちろん、かかる生活費も高くなり、進学先が国立大学であろうと、奨学金を受けようと、極度の貧困家庭において子弟を大学進学させるのは困難となった。一方で豊かな家庭ほど、レベルの高い大学への進学を果たせるのがあたり前になりつつある。 2020年初頭からの新型コロナウイルスの広がりにより、アルバイトの口が減るなどし、「大学生活をあきらめる」という判断を下す学生が出てきていることが新聞などを通じて報道されている。 文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表したが、これなども教育の機会不平等、あるいは不公平にまつわる話題だろう。 ただ大学進学に先立って、名門・有名大学への進学を目指すなら、今や高校どころか、小中学校の時から準備せねばならない。そして水準の高い学校へ進学するには、普段から塾に通ったり、家庭教師についてもらったりする必要も生じてくる。 しかし学校外教育に資金を出せるのは、当然だが、家計が豊かな家庭に限られてしまう』、「文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表」、実効性ある措置が必要だろう。ただ、「小中学校」からの準備を含めて考えると、「日本」でも「「教育の機会平等」の原則」が崩れつつあるようだ。
・『東大生の高すぎる世帯年収 たとえば、東京大学在校生の家庭環境について調べた「2018年学生生活実態調査の結果」では、その世帯年収について「950万円以上」が60.8%にまで達し、メディアを通じて話題になっていたのは記憶に新しいところだ。 ちなみに「平成30年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)によれば、2017年の日本全体の平均世帯年収は551.6万円。単純に比較はできないものの、東京大学合格者を輩出した家の多くが、日本の平均世帯年収よりずっと高い所得である、ということは言えるだろう。 つまり、今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」とは、そのまま家計の経済的豊かさに帰因していることが分かる。このような中で、もともとの「教育の機会平等」という言葉が持っていた意味は、すっかり変容したと言わざるをえない』、「今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」」が世代を超えて引き継がれれば、社会の分断が進み、経済は活力を失っていくだろう。
タグ:大学 (その8)(地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛、財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた) yahooニュース 弁護士ドットコム 「地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛」 民俗学者の大月隆寛氏が、勤務先だった札幌国際大からの懲戒解雇を不当として、裁判で争っている 背景には、留学生の受け入れをめぐる経営側との対立 2018年度の留学生が3人だったところ、2019年度には65人 員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額 「留学生」で水増ししているのに、「私学助成が千数百万円増額」とは釈然としない 大学側は適正と主張「在籍管理なくして、受け入れはできない」 『地方私大、積極的に留学生を取り込む 「留学生30万人計画」 それにつけ込んだ業者の類も跋扈、いわゆる留学生ブローカー的な人がたがそれらの需要を満たす構造も作り上げられてゆき、「留学生」というたてつけでの実質労働力が国内にあふれることになった 東京福祉大学の留学生が大量に行方不明になっていることが発覚、これら留学生をめぐる制度の運用のずさんさが露わになり 大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです」、遅きに失したきらいはあるが、望ましい方向だ 「留学生だのみ」の北海道 公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れ」、気になるところだが、「留学生」に依存した歪な大学が正常化に向かうことを期待したい 東洋経済オンライン 橘木 俊詔 「財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた」 『大学はどこまで「公平」であるべきか――一発試験依存の罪』 大学改革論議のキーワードの1つが「公平さ」 出世に「家系」が不可欠だった日本 『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」 実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる」、初めて知った 試験に合格すればエリートになれる 「勉強の良くできる人が社会のエリートになる」という既成事実が生まれていく。 これがいわゆる「学歴社会」の萌芽 「公平さ」に関してはいくつかの重要な論点が放置されている 「教育の機会平等」という原則の意味 文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表」、実効性ある措置が必要だろう。ただ、「小中学校」からの準備を含めて考えると、「日本」でも「「教育の機会平等」の原則」が崩れつつあるようだ 東大生の高すぎる世帯年収 今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」」が世代を超えて引き継がれれば、社会の分断が進み、経済は活力を失っていくだろう
働き方改革(その30)(コロナ禍で広まる「テレワークは歓迎すべき働き方」のウソとホント、パソナグループ<上>都心一等地から淡路島へ本部移転を実行、パソナグループ<下>BPOサービス“コロナ特需”で業績急拡大) [経済政策]
働き方改革については、昨年9月3日に取上げた。今日は、(その30)(コロナ禍で広まる「テレワークは歓迎すべき働き方」のウソとホント、パソナグループ<上>都心一等地から淡路島へ本部移転を実行、パソナグループ<下>BPOサービス“コロナ特需”で業績急拡大)である。
先ずは、12月24日付け日経ビジネスオンラインが掲載したJX通信社も松本 健太郎氏による「コロナ禍で広まる「テレワークは歓迎すべき働き方」のウソとホント」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00067/122100044/?P=1
・『公的統計データなどを基に語られる“事実”は、うのみにしてよいのか? 一般に“常識”と思われていることは、本当に正しいのか? 気鋭のデータサイエンティストがそうした視点で統計データを分析・検証する。結論として示される数字だけではなく、その数字がどのように算出されたかに目を向けて、真実を明らかにしていく。 *文中にある各種資料へのリンクは外部のサイトへ移動します 2020年を振り返って「もっとも大きな変化は何だったか?」を自らに問えば、新型コロナウイルス感染予防のために行動を制限されたことであり、その代表例としてのテレワークを挙げたいと思います。以前からIT業界ではテレワークが浸透していましたが、「withコロナ時代の働き方」として様々な業種に広がりをみせました。 私の場合、緊急事態宣言が発令中の4~5月は毎日がテレワークでしたが、感染がいったん収束するにつれて出社の回数が増えました。第3波を迎えて、再び出社回数は減少したものの、それでも週のうち数日は出勤しています。 出勤している理由として、①飼っている犬がうるさい、②自宅で長時間仕事ができる環境が整っていない、③通勤で切り替えていたメンタルのON/OFFができなくなり、24時間仕事をしている気分で常に緊張状態となる、④日中誰とも会話しないと気分がめいる、⑤会議ラッシュなので、自宅で座り続けて会議をこなすのは身体的につらいなど、挙げればキリがありません。 出勤する際は感染防止対策として、もちろんマスクを着用し、ラッシュ時間は避け、ガラガラの電車の中では換気対策として開いた窓の前に立つなど密は避けるようにしています。ただ、このまま東京で新規感染者数が増え続けるようならば、再び毎日がリモートワークにならざるをえないでしょう。仕方ないですが、そうなると、正直言って憂鬱です。 そもそも、リモートワークは「個人の生産性が上がる」という触れ込みだったはずです。しかし私は一向にそうは感じません。このギャップはどこにあるのでしょうか?』、①、②が該当するのであれば、「生産性が」上がらないのも理解できる。
・『テレワークで生産性、QOL、仕事満足度は上がった? 内閣府の平成30年度年次経済財政報告の第2章「人生100年時代の人材と働き方」や、総務省の令和元年版情報通信白書「テレワークの導入やその効果に関する調査結果」において、テレワーク導入のメリットが語られています。 1つ目のメリットは「生産性向上」です。テレワーク単体、テレワークと長時間労働是正の組み合わせ、テレワークとフレックス勤務の組み合わせで、労働生産性が有意に向上しているというのです。ちなみに、ここでいう労働生産性とは「付加価値額÷正社員数(常用雇用者数)」で求めたものです。 (柔軟な働き方・ワークライフバランスの取り組みが生産性に与える効果のグラフ リンク先参照)) 経済財政報告では「テレワークを積極的に取り入れている企業は労働時間が減少している」と労働時間に注目しており、労働生産性の向上の理由は、生産量の増大ではなく、時間削減効果によるもののようです。 もっとも、労働時間削減により、プライベートの活動時間が充実し、生活の質の向上につながる可能性もあるでしょう。労働時間が1%減少した場合、正社員が平日、育児、自己啓発、趣味、買い物に費やす時間がどの程度変化するのかも調べられています。これを見ると、特に、育児をする時間が増えるようです。これこそ2つ目のメリットである「QOL(クオリティー・オブ・ライフ)向上」です。 (ワークライフバランスの促進は育児、買い物、趣味、自己啓発につながる可能性のグラフはリンク先参照) 3つ目のメリットは「仕事満足度の向上」です。独立行政法人経済産業研究所の森川正之氏による「長時間通勤とテレワーク」によると、日本人約1万人を対象としたサーベイの結果、テレワークを行っている人は仕事満足度が高いとされました。つまり、労働者から見ればテレワークの導入は「歓迎される働き方」だと言えるでしょう。 ただし、これの先行研究においても、いくつかの懸念点が指摘されていました』、「テレワーク」がバラ色でないのは当然としても、どんな「懸念点」があるのだろう。
・『「テレワークは歓迎される働き方」への懸念 1つ目はそもそも当時の調査の対象となった「テレワーカー」自体がそもそも生産性の高い人で、最初から一貫して仕事満足度も高かったという可能性です。つまりテレワークが仕事満足度を高めるのではなく、仕事満足度が高い人がテレワークをしていたという見方です。 2つ目はそもそもテレワークは余力のある企業が実践できるものであり、導入していない企業と生産性を比べても意味がない可能性です。つまりテレワークが生産性を高めるのではなく、生産性の高い企業がテレワークを導入する傾向にあるという見方です。 3つ目は過去の連載で指摘したように、こうした統計で語られる“労働生産性”が「個人のアウトプット(成果)とインプット(かかった時間)のバランスの評価」ではないことにあります。 一般に、労働生産性の向上というと1人当たりの生産能力が向上しているように聞こえますが、実際には労働時間が減っても労働生産性は高まります。その場合、アウトプットが高まらなくても“労働生産性”は向上します。もっとも、労働時間の削減で、「あってもなくても成果につながらない仕事」をする余裕がなくなれば、無駄の削減(=労働生産性の向上)になると言えるかもしれませんが……』、「1つ目」、「2つ目」は大いにありそうだ。
・『新型コロナウイルス後のテレワークは、生産性が上がりにくい? では現実ではどうなのでしょう。日経BP総合研究所イノベーションICTラボが、20年10月に「職場(派遣・常駐先を含む)で仕事に取り組む場合を100とした場合、テレワークでの生産性はどれくらいですか」という調査をしたところ、年代によって傾向は違いますが、「生産性が上がった」と回答しているのは20~45%程度だったと分かりました。
テレワークで生産性は上がったのか 生産性が上がった 生産性が下がった
39歳以下 45.7% 37.1%
40歳代 24.1% 42.6%
50歳代 19.4% 53.7%
日経BP総合研究所イノベーションICTラボ 年齢層が高まるほど「生産性が下がった」とする割合が増え、50代で53.7%となっています。「だから年寄りはダメなんだ」と言いたくなるでしょうが、39歳以下でも3人に1人以上は生産性が下がったと回答しています。ZoomやSlackなどのテクノロジーを活用すれば、職場で仕事するのと同等のアウトプットがあって当たり前、というわけにはいかないようです。 前出の森川氏がまとめた「コロナ危機下の在宅勤務の生産性:就労者へのサーベイによる分析」によると、「あなたがふだん職場で行う仕事の生産性を 100 とすると、在宅勤務の生産性はどのぐらいですか」という質問を20年6月にしたところ、平均値60.6、中央値70という結果でした(n=3324)。 ただし、この数字は以前からテレワークをしていたか否かで大きく変わります。「以前から行っていた人」の平均値は76.8なのに対して、「新型コロナ後に始めた人」の平均値は58.1でした。以下はその分布図です。前者の山は90台にあるのに対して、後者の山は70程度にとどまっています。分布図による差は歴然としています。 (在宅勤務開始時期別の生産性分布のグラフはリンク先参照) Experienced”は新型コロナ前から在宅勤務を行っていた人、“Unexperienced”は新型コロナ後に在宅勤務を始めた人を意味している ちなみにこの調査で、生産性を低くする要因と、高くする要因を調べたところ、設備の問題、環境の問題、加えてコミュニケーションの問題が影響していると分かりました。普段からテレワークに慣れている人は、こうした問題をクリアした上でテレワークに従事していると考えるべきでしょう。 (在宅勤務の生産性を低くする/高くする要因の表 リンク先参照) つまり、従前からいわれていたテレワークによる生産性向上やQOL向上とは、テレワークを実施すれば「即向上」するのではなく、こうした阻害要因を除去できた上で実現できるのではないかと思うのです。例えば、自宅に設備投資をして、通信設備や環境を職場のように整えられるか否かとなると、万人にはなかなか難しいでしょう。 これまでの「テレワークによる生産性向上」をめぐる議論は、それができる環境にある人しか見ていなかった可能性があるのかもしれません。 ロンドンを本拠とするシンクタンク、経済政策研究センター(CEPR)が発表した「The large and unequal impact of COVID-19 on workers」(Adamsら)では、米国と英国において、自宅で実行できるタスク(仕事)が占める割合を年収別に調査した結果をまとめています。図を見ると年収が高まるほどその割合が高まっていると分かります。すなわち高賃金であるほど、テレワークがしやすい業務であり、またテレワークのための投資ができると見てもよいかもしれません。 (在宅でできるタスクの割合(年収別)のグラフはリンク先参照) この図を見る限り、米国の年収1万ドル以下の層の例外を除き、低賃金であるほど、出社しなければ仕事ができない傾向にあることが分かります。これに対し、高賃金になればなるほど自宅でできるタスクの割合は高まります。収入が高いほど、テレワークに向いた環境にあることが分かります。ただし、これまで述べてきたように、「在宅で仕事ができる」と「職場と同じ生産性で仕事ができる」は全く違う意味であることは理解しておく必要があるでしょう。 テレワークの導入は「さっさとやれ」と圧力をかけるのではなく、玉ねぎの皮をめくるように、デメリットが出る原因を探り、1つ1つ問題を除去しつつ進めることが大事だと思います』、「米国と英国において」、「高賃金であるほど、テレワークがしやすい業務であり、またテレワークのための投資ができると見てもよいかもしれません」、というのは頷ける結果だ。「テレワークの導入は「さっさとやれ」と圧力をかけるのではなく、玉ねぎの皮をめくるように、デメリットが出る原因を探り、1つ1つ問題を除去しつつ進めることが大事だと思います」、その通りだ。
・『テレワークが引き起こすメンタル問題 テレワーク環境において生産性を下げる要因の中でも、筆者が注目しているのはコミュニケーション量です。テレワークになってペットを飼う人が増えたと聞きますが、テレワークがメンタルヘルスに極めて重大な影響を与える可能性があると思っています。 本来なら、政府や自治体がメンタルヘルスに対しても、今までを上回る予算を用意すべきですが、今のところ、そこまで手が回っていないのが現状でしょう。 そうした事態を憂慮して、20年5月13日、アントニオ・グテーレス国連事務総長はCOVID-19とメンタルヘルスへの対応の必要性に関する政策概要の発表に寄せて、「このパンデミックがもつメンタルヘルスへの悪影響の側面に緊急に取り組むべく、私は各国政府、市民社会、保健当局が協力するよう促します。特に政府に対しては、きたる世界保健総会でメンタルヘルスへの意欲的な取り組みを表明するよう求めます」と緊急のビデオメッセージを流したほどです。 この場を借りて強く言いたいのは、無理をしないこと、我慢しないことです。テレワークで期待されるアウトプットが出ないからといって、それは個人だけの問題ではありません。テレワークによって生産性が低下した人をわらう社会こそ間違っています。これまでの説明の通り、テレワークはいろいろな環境を含め、向き不向きの問題であり、従来のテレワークによる生産性向上論は「向いている人だけを調査していたから」にすぎません。ある意味、恵まれた環境にある層を対象にしていたとも言えるでしょう。 無理して心労を来すぐらいなら、出社した方がよいと筆者は考えます。ちなみに筆者自身もテレワークで心労を来たし、万全の感染予防を施して出社している1人です』、「テレワークで期待されるアウトプットが出ないからといって、それは個人だけの問題ではありません。テレワークによって生産性が低下した人をわらう社会こそ間違っています」、同感である。「筆者自身もテレワークで心労を来たし、万全の感染予防を施して出社している1人です」、説得力の根源が理解できた。
次に、1月6日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの真保紀一郎氏による「パソナグループ<上>都心一等地から淡路島へ本部移転を実行」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/283461
・『新型コロナウイルスは、日本人の働き方を大きく変えた。昨年の緊急事態宣言下でテレワークに移行した企業の中には、その後も在宅勤務を継続しているところも多い。 これまで多くの人が「顔を合わせることで社内も社外もコミュニケーションが取れる」と信じて疑わなかった。しかし、いざ導入してみると、それほど業務に支障がないことに気づいた。しかも、コストも抑えられる。 コロナ前までは、都心の一等地にオフィスを構えるのが企業のステータスだった。しかしテレワークなら必要ないし、仮にオフィスを置くとしても、借りる面積は今までよりはるかに小さくてすむのだから、今後、本社オフィスを縮小する動きは間違いなく加速する。 その中でも際立つのは、兵庫・淡路島に本部を移転する人材派遣大手のパソナグループだ。2023年度末までに、現在は東京・大手町に勤務する人事、財務経理、経営企画、新規事業開発、グローバル、IT・DXなどに従事する本部機能社員約1800人のうち、約1200人を淡路島勤務にする。パソナの本部は東京駅前の日本ビルヂングにある。このビルはかつて東洋一といわれた巨大ビルだが、間もなく解体され、跡地に日本一の超高層ビルが建つことが決まっている。つまり、どのみち本部を移転しなければならないのなら、一部を淡路島に持っていき、自然との共生を図ろうというわけだ。 この計画が発表されると「本部移転にかこつけた人減らしだ」という批判が起きた。地方勤務を嫌う社員の退職を当て込んでいるという見方だ。しかし、これは正しくない。なぜなら、社員の誰もが「ついにその時が来た」と受け止めているからだ』、「パソナ」は竹中平蔵を会長にして政府にも食い込んでいるいやらしい面もあるが、新しいものに飛びつく機動性はさすがだ。
・『コロナ襲来が後押しか 実は、すでに淡路島には多くのパソナ社員が働いている。パソナは20年ほど前から農業への転職を支援しているが、人材育成のため08年に、創業者であり現在も代表を務める南部靖之氏の故郷・神戸市に近い淡路島に農場を開いた。 その後、パソナは淡路島でさまざまなレストランなど多くの施設をつくり、事業を拡大していく。17年にはアニメパーク「ニジゲンノモリ」をオープンさせた。南部氏自身、今では大半の時間を島で過ごしており、数年前から「いつか本部を淡路島に移す」と言い続けてきた。そこにコロナが襲来した。 コロナは日本経済に大きなダメージを与え続けているが、その一方で社会のデジタル化を一気に促進した。それが冒頭に記した新しい働き方だ。今なら、本部を地方に移転しても社会の理解が得られるだけでなく、むしろ先進的企業としての評価も得られる。 南部氏は一番に手を挙げるのが大好きだ。人材派遣業そのものだけでなく、内外価格差是正や日本版401kにいち早く目をつけ、ビジネスにしてきた。本部の地方移転も、今後の社会のトレンドを読み、いち早く手を挙げたというわけだ。 その意味で、言葉は悪いがパソナはコロナを利用した。そして業績面でもパソナはコロナをうまく利用している。今期(21年5月期)の第1四半期決算からもそれは明らかで、営業利益は前年同期比で約5倍に増えている。 そのからくりを、次回で解説する』、早く「からくり」を知りたい。
第三に、上記の続きを、1月7日付け日刊ゲンダイ「パソナグループ<下>BPOサービス“コロナ特需”で業績急拡大」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/283526
・『新型コロナウイルスは、日本経済を大きく傷つけた。中でもエンタメ、旅行、外食の各業界は、致命的ともいえるダメージを受けた。 しかしその一方で、その恩恵を受ける業界もある。巣ごもり消費を受けて、食品スーパーの業績は好調だし、「あつ森」が大ヒットした任天堂は、昨年3月には3万円台だった株価が、半年後には6万円を超えた。 パソナグループもその一社だ。同社が昨年10月に発表した今期(21年5月期)の第1四半期(20年6~8月)では、本業の儲けを示す営業利益が72億円となり、昨年の同時期より60億円も増えた。 パソナに対する一般的なイメージは、人材派遣大手だろう。利益が伸びたということは、それだけ派遣業務が順調だったのかというとそうではない。決算資料を見ても、派遣部門の売り上げは前年よりわずかだが減っている。それに代わって大きく売り上げを伸ばしているのがBPOサービスという事業だ。 BPOとは「ビジネス・プロセス・アウトソーシング」の略で、外部の業務をパソナが請け負うことを意味している。では何を請け負ったのかというと、コロナ禍で売り上げを落とした企業・個人事業主に対して政府が支給した「持続化給付金」事業である。 この事業は、まずサービスデザイン推進協議会が769億円で受託、そこから電通に749億円で再委託されたが、ほとんど何の業務もやっていないにもかかわらず、推進協議会が20億円を「中抜き」したと批判された。 それはともかく、再委託された電通はそれをさらに子会社などに再委託、そのうちの約170億円をパソナが受託した。 その結果、パソナの第1四半期にBPOサービスの売り上げは、前年より83億円も増えた。この事業単独の利益は公表されていないが、他事業の売り上げなどから推測すると、50億円以上の利益が出ている。つまり全営業利益の7割が、持続化給付金事業によってもたらされたと思われる』、「BPOサービス」で「50億円以上の利益」とは、元々の「「持続化給付金」事業」の見積もりに問題があったとみるべきだ。「電通」もいいかげんなことをするものだ。
・『株価は600円台から2000円台へ パソナはそれほど利益率の高い会社ではない。前期(20年5月期)決算の営業利益率は3・3%にすぎない。 人材派遣業自体、それほど利益率が高いわけではないが、パソナの場合、不採算事業を抱えているため、さらに利益率を押し下げる。 その不採算事業とは地方創生事業。パソナでは、南部靖之代表の号令一下、地方創生に力を注いでいる。今度、本部機能を移転する淡路島の事業もそのひとつ。それ以外にも京丹後や東北の被災地など、日本各地で事業を行っているが、その多くが赤字事業で、その額は年間18億円にも上る。 それでも南部代表は、「地方創生は日本の重要テーマ」と旗を降ろそうとはしないが、現段階ではトップの道楽事業といっていい。 そんなパソナにとって、持続化給付金事業の受託というコロナ特需が起きた。そのため、コロナの感染拡大初期には600円台にまで落ちた株価は現在、2000円台をつけている。 神風は吹いた。今後は赤字の地方創生事業を黒転させることがパソナにとって最大のテーマだ。淡路島への本部移転はその決意表明ともいえるのだ』、「600円台にまで落ちた株価は現在、2000円台」、とは、ずいぶん乱高下したものだ。それにしても、「赤字の地方創生事業を黒転」まで織り込んでいるのだろうヵ。
先ずは、12月24日付け日経ビジネスオンラインが掲載したJX通信社も松本 健太郎氏による「コロナ禍で広まる「テレワークは歓迎すべき働き方」のウソとホント」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00067/122100044/?P=1
・『公的統計データなどを基に語られる“事実”は、うのみにしてよいのか? 一般に“常識”と思われていることは、本当に正しいのか? 気鋭のデータサイエンティストがそうした視点で統計データを分析・検証する。結論として示される数字だけではなく、その数字がどのように算出されたかに目を向けて、真実を明らかにしていく。 *文中にある各種資料へのリンクは外部のサイトへ移動します 2020年を振り返って「もっとも大きな変化は何だったか?」を自らに問えば、新型コロナウイルス感染予防のために行動を制限されたことであり、その代表例としてのテレワークを挙げたいと思います。以前からIT業界ではテレワークが浸透していましたが、「withコロナ時代の働き方」として様々な業種に広がりをみせました。 私の場合、緊急事態宣言が発令中の4~5月は毎日がテレワークでしたが、感染がいったん収束するにつれて出社の回数が増えました。第3波を迎えて、再び出社回数は減少したものの、それでも週のうち数日は出勤しています。 出勤している理由として、①飼っている犬がうるさい、②自宅で長時間仕事ができる環境が整っていない、③通勤で切り替えていたメンタルのON/OFFができなくなり、24時間仕事をしている気分で常に緊張状態となる、④日中誰とも会話しないと気分がめいる、⑤会議ラッシュなので、自宅で座り続けて会議をこなすのは身体的につらいなど、挙げればキリがありません。 出勤する際は感染防止対策として、もちろんマスクを着用し、ラッシュ時間は避け、ガラガラの電車の中では換気対策として開いた窓の前に立つなど密は避けるようにしています。ただ、このまま東京で新規感染者数が増え続けるようならば、再び毎日がリモートワークにならざるをえないでしょう。仕方ないですが、そうなると、正直言って憂鬱です。 そもそも、リモートワークは「個人の生産性が上がる」という触れ込みだったはずです。しかし私は一向にそうは感じません。このギャップはどこにあるのでしょうか?』、①、②が該当するのであれば、「生産性が」上がらないのも理解できる。
・『テレワークで生産性、QOL、仕事満足度は上がった? 内閣府の平成30年度年次経済財政報告の第2章「人生100年時代の人材と働き方」や、総務省の令和元年版情報通信白書「テレワークの導入やその効果に関する調査結果」において、テレワーク導入のメリットが語られています。 1つ目のメリットは「生産性向上」です。テレワーク単体、テレワークと長時間労働是正の組み合わせ、テレワークとフレックス勤務の組み合わせで、労働生産性が有意に向上しているというのです。ちなみに、ここでいう労働生産性とは「付加価値額÷正社員数(常用雇用者数)」で求めたものです。 (柔軟な働き方・ワークライフバランスの取り組みが生産性に与える効果のグラフ リンク先参照)) 経済財政報告では「テレワークを積極的に取り入れている企業は労働時間が減少している」と労働時間に注目しており、労働生産性の向上の理由は、生産量の増大ではなく、時間削減効果によるもののようです。 もっとも、労働時間削減により、プライベートの活動時間が充実し、生活の質の向上につながる可能性もあるでしょう。労働時間が1%減少した場合、正社員が平日、育児、自己啓発、趣味、買い物に費やす時間がどの程度変化するのかも調べられています。これを見ると、特に、育児をする時間が増えるようです。これこそ2つ目のメリットである「QOL(クオリティー・オブ・ライフ)向上」です。 (ワークライフバランスの促進は育児、買い物、趣味、自己啓発につながる可能性のグラフはリンク先参照) 3つ目のメリットは「仕事満足度の向上」です。独立行政法人経済産業研究所の森川正之氏による「長時間通勤とテレワーク」によると、日本人約1万人を対象としたサーベイの結果、テレワークを行っている人は仕事満足度が高いとされました。つまり、労働者から見ればテレワークの導入は「歓迎される働き方」だと言えるでしょう。 ただし、これの先行研究においても、いくつかの懸念点が指摘されていました』、「テレワーク」がバラ色でないのは当然としても、どんな「懸念点」があるのだろう。
・『「テレワークは歓迎される働き方」への懸念 1つ目はそもそも当時の調査の対象となった「テレワーカー」自体がそもそも生産性の高い人で、最初から一貫して仕事満足度も高かったという可能性です。つまりテレワークが仕事満足度を高めるのではなく、仕事満足度が高い人がテレワークをしていたという見方です。 2つ目はそもそもテレワークは余力のある企業が実践できるものであり、導入していない企業と生産性を比べても意味がない可能性です。つまりテレワークが生産性を高めるのではなく、生産性の高い企業がテレワークを導入する傾向にあるという見方です。 3つ目は過去の連載で指摘したように、こうした統計で語られる“労働生産性”が「個人のアウトプット(成果)とインプット(かかった時間)のバランスの評価」ではないことにあります。 一般に、労働生産性の向上というと1人当たりの生産能力が向上しているように聞こえますが、実際には労働時間が減っても労働生産性は高まります。その場合、アウトプットが高まらなくても“労働生産性”は向上します。もっとも、労働時間の削減で、「あってもなくても成果につながらない仕事」をする余裕がなくなれば、無駄の削減(=労働生産性の向上)になると言えるかもしれませんが……』、「1つ目」、「2つ目」は大いにありそうだ。
・『新型コロナウイルス後のテレワークは、生産性が上がりにくい? では現実ではどうなのでしょう。日経BP総合研究所イノベーションICTラボが、20年10月に「職場(派遣・常駐先を含む)で仕事に取り組む場合を100とした場合、テレワークでの生産性はどれくらいですか」という調査をしたところ、年代によって傾向は違いますが、「生産性が上がった」と回答しているのは20~45%程度だったと分かりました。
テレワークで生産性は上がったのか 生産性が上がった 生産性が下がった
39歳以下 45.7% 37.1%
40歳代 24.1% 42.6%
50歳代 19.4% 53.7%
日経BP総合研究所イノベーションICTラボ 年齢層が高まるほど「生産性が下がった」とする割合が増え、50代で53.7%となっています。「だから年寄りはダメなんだ」と言いたくなるでしょうが、39歳以下でも3人に1人以上は生産性が下がったと回答しています。ZoomやSlackなどのテクノロジーを活用すれば、職場で仕事するのと同等のアウトプットがあって当たり前、というわけにはいかないようです。 前出の森川氏がまとめた「コロナ危機下の在宅勤務の生産性:就労者へのサーベイによる分析」によると、「あなたがふだん職場で行う仕事の生産性を 100 とすると、在宅勤務の生産性はどのぐらいですか」という質問を20年6月にしたところ、平均値60.6、中央値70という結果でした(n=3324)。 ただし、この数字は以前からテレワークをしていたか否かで大きく変わります。「以前から行っていた人」の平均値は76.8なのに対して、「新型コロナ後に始めた人」の平均値は58.1でした。以下はその分布図です。前者の山は90台にあるのに対して、後者の山は70程度にとどまっています。分布図による差は歴然としています。 (在宅勤務開始時期別の生産性分布のグラフはリンク先参照) Experienced”は新型コロナ前から在宅勤務を行っていた人、“Unexperienced”は新型コロナ後に在宅勤務を始めた人を意味している ちなみにこの調査で、生産性を低くする要因と、高くする要因を調べたところ、設備の問題、環境の問題、加えてコミュニケーションの問題が影響していると分かりました。普段からテレワークに慣れている人は、こうした問題をクリアした上でテレワークに従事していると考えるべきでしょう。 (在宅勤務の生産性を低くする/高くする要因の表 リンク先参照) つまり、従前からいわれていたテレワークによる生産性向上やQOL向上とは、テレワークを実施すれば「即向上」するのではなく、こうした阻害要因を除去できた上で実現できるのではないかと思うのです。例えば、自宅に設備投資をして、通信設備や環境を職場のように整えられるか否かとなると、万人にはなかなか難しいでしょう。 これまでの「テレワークによる生産性向上」をめぐる議論は、それができる環境にある人しか見ていなかった可能性があるのかもしれません。 ロンドンを本拠とするシンクタンク、経済政策研究センター(CEPR)が発表した「The large and unequal impact of COVID-19 on workers」(Adamsら)では、米国と英国において、自宅で実行できるタスク(仕事)が占める割合を年収別に調査した結果をまとめています。図を見ると年収が高まるほどその割合が高まっていると分かります。すなわち高賃金であるほど、テレワークがしやすい業務であり、またテレワークのための投資ができると見てもよいかもしれません。 (在宅でできるタスクの割合(年収別)のグラフはリンク先参照) この図を見る限り、米国の年収1万ドル以下の層の例外を除き、低賃金であるほど、出社しなければ仕事ができない傾向にあることが分かります。これに対し、高賃金になればなるほど自宅でできるタスクの割合は高まります。収入が高いほど、テレワークに向いた環境にあることが分かります。ただし、これまで述べてきたように、「在宅で仕事ができる」と「職場と同じ生産性で仕事ができる」は全く違う意味であることは理解しておく必要があるでしょう。 テレワークの導入は「さっさとやれ」と圧力をかけるのではなく、玉ねぎの皮をめくるように、デメリットが出る原因を探り、1つ1つ問題を除去しつつ進めることが大事だと思います』、「米国と英国において」、「高賃金であるほど、テレワークがしやすい業務であり、またテレワークのための投資ができると見てもよいかもしれません」、というのは頷ける結果だ。「テレワークの導入は「さっさとやれ」と圧力をかけるのではなく、玉ねぎの皮をめくるように、デメリットが出る原因を探り、1つ1つ問題を除去しつつ進めることが大事だと思います」、その通りだ。
・『テレワークが引き起こすメンタル問題 テレワーク環境において生産性を下げる要因の中でも、筆者が注目しているのはコミュニケーション量です。テレワークになってペットを飼う人が増えたと聞きますが、テレワークがメンタルヘルスに極めて重大な影響を与える可能性があると思っています。 本来なら、政府や自治体がメンタルヘルスに対しても、今までを上回る予算を用意すべきですが、今のところ、そこまで手が回っていないのが現状でしょう。 そうした事態を憂慮して、20年5月13日、アントニオ・グテーレス国連事務総長はCOVID-19とメンタルヘルスへの対応の必要性に関する政策概要の発表に寄せて、「このパンデミックがもつメンタルヘルスへの悪影響の側面に緊急に取り組むべく、私は各国政府、市民社会、保健当局が協力するよう促します。特に政府に対しては、きたる世界保健総会でメンタルヘルスへの意欲的な取り組みを表明するよう求めます」と緊急のビデオメッセージを流したほどです。 この場を借りて強く言いたいのは、無理をしないこと、我慢しないことです。テレワークで期待されるアウトプットが出ないからといって、それは個人だけの問題ではありません。テレワークによって生産性が低下した人をわらう社会こそ間違っています。これまでの説明の通り、テレワークはいろいろな環境を含め、向き不向きの問題であり、従来のテレワークによる生産性向上論は「向いている人だけを調査していたから」にすぎません。ある意味、恵まれた環境にある層を対象にしていたとも言えるでしょう。 無理して心労を来すぐらいなら、出社した方がよいと筆者は考えます。ちなみに筆者自身もテレワークで心労を来たし、万全の感染予防を施して出社している1人です』、「テレワークで期待されるアウトプットが出ないからといって、それは個人だけの問題ではありません。テレワークによって生産性が低下した人をわらう社会こそ間違っています」、同感である。「筆者自身もテレワークで心労を来たし、万全の感染予防を施して出社している1人です」、説得力の根源が理解できた。
次に、1月6日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの真保紀一郎氏による「パソナグループ<上>都心一等地から淡路島へ本部移転を実行」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/283461
・『新型コロナウイルスは、日本人の働き方を大きく変えた。昨年の緊急事態宣言下でテレワークに移行した企業の中には、その後も在宅勤務を継続しているところも多い。 これまで多くの人が「顔を合わせることで社内も社外もコミュニケーションが取れる」と信じて疑わなかった。しかし、いざ導入してみると、それほど業務に支障がないことに気づいた。しかも、コストも抑えられる。 コロナ前までは、都心の一等地にオフィスを構えるのが企業のステータスだった。しかしテレワークなら必要ないし、仮にオフィスを置くとしても、借りる面積は今までよりはるかに小さくてすむのだから、今後、本社オフィスを縮小する動きは間違いなく加速する。 その中でも際立つのは、兵庫・淡路島に本部を移転する人材派遣大手のパソナグループだ。2023年度末までに、現在は東京・大手町に勤務する人事、財務経理、経営企画、新規事業開発、グローバル、IT・DXなどに従事する本部機能社員約1800人のうち、約1200人を淡路島勤務にする。パソナの本部は東京駅前の日本ビルヂングにある。このビルはかつて東洋一といわれた巨大ビルだが、間もなく解体され、跡地に日本一の超高層ビルが建つことが決まっている。つまり、どのみち本部を移転しなければならないのなら、一部を淡路島に持っていき、自然との共生を図ろうというわけだ。 この計画が発表されると「本部移転にかこつけた人減らしだ」という批判が起きた。地方勤務を嫌う社員の退職を当て込んでいるという見方だ。しかし、これは正しくない。なぜなら、社員の誰もが「ついにその時が来た」と受け止めているからだ』、「パソナ」は竹中平蔵を会長にして政府にも食い込んでいるいやらしい面もあるが、新しいものに飛びつく機動性はさすがだ。
・『コロナ襲来が後押しか 実は、すでに淡路島には多くのパソナ社員が働いている。パソナは20年ほど前から農業への転職を支援しているが、人材育成のため08年に、創業者であり現在も代表を務める南部靖之氏の故郷・神戸市に近い淡路島に農場を開いた。 その後、パソナは淡路島でさまざまなレストランなど多くの施設をつくり、事業を拡大していく。17年にはアニメパーク「ニジゲンノモリ」をオープンさせた。南部氏自身、今では大半の時間を島で過ごしており、数年前から「いつか本部を淡路島に移す」と言い続けてきた。そこにコロナが襲来した。 コロナは日本経済に大きなダメージを与え続けているが、その一方で社会のデジタル化を一気に促進した。それが冒頭に記した新しい働き方だ。今なら、本部を地方に移転しても社会の理解が得られるだけでなく、むしろ先進的企業としての評価も得られる。 南部氏は一番に手を挙げるのが大好きだ。人材派遣業そのものだけでなく、内外価格差是正や日本版401kにいち早く目をつけ、ビジネスにしてきた。本部の地方移転も、今後の社会のトレンドを読み、いち早く手を挙げたというわけだ。 その意味で、言葉は悪いがパソナはコロナを利用した。そして業績面でもパソナはコロナをうまく利用している。今期(21年5月期)の第1四半期決算からもそれは明らかで、営業利益は前年同期比で約5倍に増えている。 そのからくりを、次回で解説する』、早く「からくり」を知りたい。
第三に、上記の続きを、1月7日付け日刊ゲンダイ「パソナグループ<下>BPOサービス“コロナ特需”で業績急拡大」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/283526
・『新型コロナウイルスは、日本経済を大きく傷つけた。中でもエンタメ、旅行、外食の各業界は、致命的ともいえるダメージを受けた。 しかしその一方で、その恩恵を受ける業界もある。巣ごもり消費を受けて、食品スーパーの業績は好調だし、「あつ森」が大ヒットした任天堂は、昨年3月には3万円台だった株価が、半年後には6万円を超えた。 パソナグループもその一社だ。同社が昨年10月に発表した今期(21年5月期)の第1四半期(20年6~8月)では、本業の儲けを示す営業利益が72億円となり、昨年の同時期より60億円も増えた。 パソナに対する一般的なイメージは、人材派遣大手だろう。利益が伸びたということは、それだけ派遣業務が順調だったのかというとそうではない。決算資料を見ても、派遣部門の売り上げは前年よりわずかだが減っている。それに代わって大きく売り上げを伸ばしているのがBPOサービスという事業だ。 BPOとは「ビジネス・プロセス・アウトソーシング」の略で、外部の業務をパソナが請け負うことを意味している。では何を請け負ったのかというと、コロナ禍で売り上げを落とした企業・個人事業主に対して政府が支給した「持続化給付金」事業である。 この事業は、まずサービスデザイン推進協議会が769億円で受託、そこから電通に749億円で再委託されたが、ほとんど何の業務もやっていないにもかかわらず、推進協議会が20億円を「中抜き」したと批判された。 それはともかく、再委託された電通はそれをさらに子会社などに再委託、そのうちの約170億円をパソナが受託した。 その結果、パソナの第1四半期にBPOサービスの売り上げは、前年より83億円も増えた。この事業単独の利益は公表されていないが、他事業の売り上げなどから推測すると、50億円以上の利益が出ている。つまり全営業利益の7割が、持続化給付金事業によってもたらされたと思われる』、「BPOサービス」で「50億円以上の利益」とは、元々の「「持続化給付金」事業」の見積もりに問題があったとみるべきだ。「電通」もいいかげんなことをするものだ。
・『株価は600円台から2000円台へ パソナはそれほど利益率の高い会社ではない。前期(20年5月期)決算の営業利益率は3・3%にすぎない。 人材派遣業自体、それほど利益率が高いわけではないが、パソナの場合、不採算事業を抱えているため、さらに利益率を押し下げる。 その不採算事業とは地方創生事業。パソナでは、南部靖之代表の号令一下、地方創生に力を注いでいる。今度、本部機能を移転する淡路島の事業もそのひとつ。それ以外にも京丹後や東北の被災地など、日本各地で事業を行っているが、その多くが赤字事業で、その額は年間18億円にも上る。 それでも南部代表は、「地方創生は日本の重要テーマ」と旗を降ろそうとはしないが、現段階ではトップの道楽事業といっていい。 そんなパソナにとって、持続化給付金事業の受託というコロナ特需が起きた。そのため、コロナの感染拡大初期には600円台にまで落ちた株価は現在、2000円台をつけている。 神風は吹いた。今後は赤字の地方創生事業を黒転させることがパソナにとって最大のテーマだ。淡路島への本部移転はその決意表明ともいえるのだ』、「600円台にまで落ちた株価は現在、2000円台」、とは、ずいぶん乱高下したものだ。それにしても、「赤字の地方創生事業を黒転」まで織り込んでいるのだろうヵ。
タグ:働き方改革 (その30)(コロナ禍で広まる「テレワークは歓迎すべき働き方」のウソとホント、パソナグループ<上>都心一等地から淡路島へ本部移転を実行、パソナグループ<下>BPOサービス“コロナ特需”で業績急拡大) 日経ビジネスオンライン 松本 健太郎 「コロナ禍で広まる「テレワークは歓迎すべき働き方」のウソとホント」 ①、②が該当するのであれば、「生産性が」上がらないのも理解できる テレワークで生産性、QOL、仕事満足度は上がった? 「テレワーク」がバラ色でないのは当然としても、どんな「懸念点」があるのだろう。 「テレワークは歓迎される働き方」への懸念 新型コロナウイルス後のテレワークは、生産性が上がりにくい? 「米国と英国において」、「高賃金であるほど、テレワークがしやすい業務であり、またテレワークのための投資ができると見てもよいかもしれません」、というのは頷ける結果だ 「テレワークの導入は「さっさとやれ」と圧力をかけるのではなく、玉ねぎの皮をめくるように、デメリットが出る原因を探り、1つ1つ問題を除去しつつ進めることが大事だと思います」、その通りだ テレワークが引き起こすメンタル問題 テレワークで期待されるアウトプットが出ないからといって、それは個人だけの問題ではありません。テレワークによって生産性が低下した人をわらう社会こそ間違っています」、同感である 「筆者自身もテレワークで心労を来たし、万全の感染予防を施して出社している1人です」、説得力の根源が理解できた 日刊ゲンダイ 真保紀一郎 「パソナグループ<上>都心一等地から淡路島へ本部移転を実行」 「パソナ」は竹中平蔵を会長にして政府にも食い込んでいるが、新しいものに飛びつく機動性はさすがだ コロナ襲来が後押しか 営業利益は前年同期比で約5倍に増えている 「パソナグループ<下>BPOサービス“コロナ特需”で業績急拡大」 「BPOサービス」で「50億円以上の利益」とは、元々の「「持続化給付金」事業」の見積もりに問題があったとみるべきだ。「電通」もいいかげんなことをするものだ 株価は600円台から2000円台へ