スガノミクス(その7)(日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”、「東北新社はNGで、フジテレビはOK」恣意的な判断が許される日本社会のヤバさ 立法の趣旨が平気で無視されている、前代未聞の「法案ミス」問題 菅政権になってから続出した理由) [国内政治]
スガノミクスについては、3月11日に取上げた。今日は、(その7)(日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”、「東北新社はNGで、フジテレビはOK」恣意的な判断が許される日本社会のヤバさ 立法の趣旨が平気で無視されている、前代未聞の「法案ミス」問題 菅政権になってから続出した理由)である。
先ずは、4月5日付け現代ビジネス「日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81894?imp=0
・『「叩き上げ」の一語には、菅義偉という男の業と欲望が、菅を支えた妻の忍耐が、そして父の背中を求めた息子の葛藤が刻まれていた。国民に衝撃を与えた不祥事の「淵源」を、総力取材で明らかにする』、興味深そうだ。
・『家族は話題にしたくない 横浜港と「みなとみらい」を一望するタワーマンション。その上層階の一室で、総理夫人・菅真理子は起居している。 赤坂の議員宿舎住まいを続ける菅総理が、この私邸に戻ることはめったにない。そして真理子が政府や自民党関係者の前に姿を見せることも、公務を除いて一切ない。 「去年の総裁選で、総理を支持する議員が『奥さんも前面に出たほうがいい』と真理子さんを担ぎ出そうとした。 しかし選対幹部は『菅さんの奥さんはタブーなんだ。総理になってからも表に出ないことになっているから、総裁選の最中も絶対に話題に出すな。これは菅さんの意向だ』と諭したのです」(自民党関係者) 真理子自身、決して積極的に人前へ出たがる性格ではない。しかし現職の総理が自らの妻を、まるでその存在すら秘するかのように扱うのは、いささか異様と言っていい。 菅と真理子の長男・正剛が関与した、東北新社による総務省幹部接待疑惑が2月に発覚してから、菅内閣の支持率は低迷を続けている。 「総理の息子」がその威光を利用し、まして中央省庁に便宜供与を求めるなど、前代未聞の不祥事である。 なぜ事件は起きたのか。問題のありかは、ただ接待の中身や顔ぶればかりを追及してもわからない。 菅義偉という政治家の半生と、これまで決して書かれてこなかった、菅の家族が抱える「家の事情」を考察しなければ、真の原因は見えてこない。 真理子の住むマンションから南へ進むと、横浜最大の問屋街、そしてかつては「青線地帯」として知られた日ノ出町がある。46年前、菅は政治家としての第一歩をこの下町で踏み出した。 「菅義偉です。よろしくお願いいたします……」 '75年春、俯き加減で神妙に話す菅の姿を、ある横浜市政関係者は鮮明に覚えている。一帯を地盤とする衆議院議員・小此木彦三郎の私設秘書として挨拶にやってきたのだ。 「当時、小此木事務所には『秘書』の肩書で出入りする若者が男女10人近くいて、菅さんは後ろから数えて2番目くらいの末席でした。当時は、地味で暗い奴だな、という印象だったね」 秋田からの上京物語は、すでに多くのメディアで菅が自ら語っている。板橋の段ボール工場や喫茶店でのアルバイトを2年ほど転々とし、法政大学法学部に入学。 卒業後はいったん一般企業に就職するが、一念発起し議員秘書に志願した。大学時代をともに過ごした、同級生の寺田修一氏が言う。 「ある時、ヨシ(当時の菅の愛称)が突然『なあ、小此木彦三郎って知ってる?』と言い出したんです。 もちろんウチは横浜だから知ってるよ、と言ったら『俺、そこの秘書になったよ』って。政治家になりたいなんて、聞いたこともなかったのに」』、「現職の総理が自らの妻を、まるでその存在すら秘するかのように扱うのは、いささか異様と言っていい」、安部前首相夫人とは好対照だ。「衆議院議員・小此木彦三郎の私設秘書・・・『秘書』の肩書で出入りする若者が男女10人近くいて、菅さんは後ろから数えて2番目くらいの末席」だったようだ。
・『女房を三歩下がらせて 法政大の学生課を介して小此木事務所入りした菅は、秘書たちの最下層に組み込まれ、雑巾掛けの日々を送った。 小此木事務所の一角にある3畳間で寝起きし、来る日も来る日も雑用をこなす。 鞄や荷物持ち、車の運転、屋敷の掃除に郵便整理、出前の受け取り……。車の後部座席に座る小此木に足蹴にされ、「出ていけ!」と怒鳴られることもしばしばだった。 だが、つらい日々の中にも唯一、救いがあった。菅の後に事務所入りした、5歳年下の女性との出会いである。 小此木家の家事をしたり、当時小学生だった彦三郎の息子・八郎(現在は衆院議員・国家公安委員長)らの面倒を見ていたこの女性こそ、真理子である。 当時の小此木家は、秘書らも揃って朝食をとる慣わしだった。真理子はその朝食作りを担当するようになった。 独身男の胃袋に、熱い味噌汁が沁みた。アプローチをかけたのは菅のほうだったという。当時を知る横浜自民党関係者が語る。 「真理子さんは余計なことは言わず、朝一番に事務所に来て黙々と働いているような清楚な人だった。秋田弁が抜けずに口下手な菅さんにも、優しく接していた」 出会いから3年ほどが経った'80年5月、菅と真理子は結婚する。だが当時、小此木事務所の内部や横浜の自民党関係者らの間では、こんな噂が立つようにもなっていた。 「真理子さんは再婚らしい」) 本誌は真理子が生まれ育った静岡市清水区(旧清水市)を訪ねた。以下は真理子の実兄・隆さん(仮名)との一問一答だ。 Q:そもそも真理子さんは、なぜ小此木事務所に入ったのですか。 A:「最初のきっかけは偶然です。母と真理子、妹の久美(仮名、末の妹)が、久美の就職先探しをかねて横浜へ旅行しました。 その時、元町で開催されていたバザーに立ち寄ったら、小此木彦三郎さんの義理のお母さんが露店を開いていたんです。 立ち話をしているうち、『うちは孫がたくさんいて大変なんです。よかったら面倒を見てくれませんか』と言われ、久美が小此木さんの世話になることになりました。その後、真理子も呼んでもらったわけです」 Q:真理子さんは横浜に行く前、地元で結婚していたとも聞きました。それは本当でしょうか。 A:「若い頃のことですから……向こう(前の夫の家)にも迷惑がかかるし、話したくないですね」 Q:大学を出て、すぐに嫁いだのですか。 A:「ええ。就職はしていません。いずれにしてもこの件は、真理子も『先方に迷惑をかけてはいけない』と心配しているので(勘弁してほしい)」 隆さんや事情を知る地元住民の話を総合すると、真理子は'75~'76年ごろ、いちごの名産地として知られる、駿河湾沿いの久能街道近くのいちご農家に嫁いだ。 しかし、姑や夫の姉妹との折り合いが悪く、半年ほどで実家へ戻ったという。) '53年、清水市内の食料品卸店に生まれた真理子は、県内有数の進学校・清水東高校に進んだのち、静岡女子大学を卒業している。 大卒女性が農家に嫁入りすること自体が異例の当時、「農家の金目当てで結婚して失敗した」と言いふらす、口さがない人もいた。 横浜という新天地で得た菅との出会いは、彼女にとっても大きな励みとなっただろう。 真理子の目に菅はどう映っていたのか。少なくとも彼女が選んだ伴侶は、平凡な議員秘書で終わるのをよしとしない、権力を渇望する男だった。 菅は小此木事務所の先輩秘書らをごぼう抜きし、小此木が通産大臣に就任すると、'84年に大臣秘書官の座を射止める。以後、'87年の横浜市議選で初出馬初当選、'96年には国政に打って出た。 「女房と手を繋いで歩くなんて、男じゃねえ。女房は三歩下がらせて歩かせるんだ」 議員バッジを得た菅は、自民党の市会議員らにそう言うようになったという。 選挙となれば、一日に数百軒の挨拶回りをこなし、あらゆる家の郵便受けに一筆加えた名刺を入れるのが菅流だ。 しかし菅が真理子に要求したのは、自身の傍らで笑顔を振りまくのではなく、ひたすら陰で地道に菅を支える役割だった。 「真理子さんが朝早く選挙事務所で掃除をしているのにスタッフが誰も気が付かないとか、一般のスタッフだと勘違いされて買い出しに行かされる、ということもありました。 それでも不満は一切口にしないし、とにかく目立たない。菅さんのためなら『無私』になれる、真理子さんはそういう人です」(自民党神奈川県連の関係者)』、「法政大の学生課を介して小此木事務所入りした」、とは初耳だが、驚かされた。「真理子さんは余計なことは言わず、朝一番に事務所に来て黙々と働いているような清楚な人だった。秋田弁が抜けずに口下手な菅さんにも、優しく接していた」、「口下手な菅」にとっては救いの女神だったに違いない。「不満は一切口にしないし、とにかく目立たない。菅さんのためなら『無私』になれる、真理子さんはそういう人です」、「菅」にとってまさに理想の妻だったのだろう。
・『長男・正剛がこぼした言葉 政治家となってからの菅は、真理子を極力目立つ場所に置かないようにしてきた。そして総理となった現在でも、冒頭で見たように、議員らに真理子を「禁忌」扱いさせている。 その背景には、真理子と家庭を築くまでの、こうした「複雑な事情」があったのだ。 そしてその事情は、菅家にまつわる、また別の憶測を招くことにもなった。国政を揺るがした長男・正剛は、菅と真理子の子ではない―具体的には真理子の連れ子である、というものだった。 菅をよく知る関係者によれば、噂の発端は正剛自身の言葉だったという。 「正剛さんの弟にあたる次男は東大を出て三井物産、三男は大成建設に入社して立派に社会人をやっている。 一方、正剛さんは明治学院大学を卒業するとバンド活動に明け暮れ、事実上フリーターとなり、見かねた菅さんが総務大臣秘書官をやらせた。 それで自虐を込めてでしょうか、正剛さんが『俺は(弟達とは)親が違うから』と口走ることがあったのです」 菅夫妻の間には、'81年に長男の正剛が、'84年に次男が、そして'86年には三男が生まれている。とりわけ正剛は、父である菅が秘書から市議へ、そして市議から代議士へと地歩を固めていく渦中に、多感な時期を過ごした。 正剛誕生のあと、菅は本格的に小此木事務所の「番頭」への道を歩み始めていた。愛車のトヨタ・マーク2で早朝出かけ、深夜に戻る。 昼も夜も土日もなく働き、いつも両目は充血していた。身を粉にして働く菅を小此木も重用した。前出と別の横浜市政関係者が言う。 「当時、こんな話を聞きました。小此木事務所の秘書たちは、夜は各担当地区の会合に顔を出して、そのまま直帰していた。 でも菅さんは必ず夜中に事務所に戻り、ひとりで灯りをつけて座っていた。小此木さんのスケジュールを把握して、帰宅時間を見計らっていたんです。 それを見て小此木さんは『遅くまでよくやってるな』と感心するんですが、他の秘書は『あの野郎、点数稼ぎしやがって』とこぼしていた」 一方、仕事にのめり込む菅を横目に、真理子はひとり正剛のお守りをする日々を送った。) 当時、実家が所有するアパートを格安で菅一家に貸していたという、前出の友人・寺田氏が証言する。 「正剛くんはよく泣く子で、夜泣きも多かったので、真理子さんが育児ノイローゼにならないか心配でした。 ヨシのお姉さんが訪ねてきた時、『ヨシも小さい時はよく泣いてた。菅家の血ね』と言っていたのを覚えています」』、「菅さんは必ず夜中に事務所に戻り、ひとりで灯りをつけて座っていた。小此木さんのスケジュールを把握して、帰宅時間を見計らっていたんです」、使い勝手のいい有能な秘書だったようだ。「正剛くんはよく泣く子で、夜泣きも多かった」、「ヨシも小さい時はよく泣いてた。菅家の血ね」、微笑ましい。
・『因果な商売のツケ そして三男が誕生した直後の'87年、横浜市議選で菅は初当選を果たす。3人息子をほぼ女手ひとつで育てることになった真理子は、子どもたちを連れて清水の実家に身を寄せることもあった。 成長した正剛は、地元の少年野球チームに入った。だが、菅が練習に付き合ったり、試合を見に来たりすることはなかった。横浜市議の清水富雄氏が証言する。 「最初の市議選で選挙戦をお手伝いしてからご縁が続いていますが、当時の真理子さんは子育てで大変そうでしたね。 『明日、正剛の少年野球の試合があるんだけど、お父さんがいないからキャッチボールしてあげてくれませんか?』と言われて、相手をしたことも何度かあります」 自身の野望のために、家庭を顧みようとしない父の姿は、少年・正剛の心に傷を刻んだ。) 家庭を、母を、自分を軽んずる父への反発だろうか。名門の逗子開成中高に進学した正剛は、「政治家の息子」として扱われることに強い嫌悪を示すようになったという。 こうして積み重なった菅への不信と疎外感が、正剛に「俺は親父の子じゃない」という思いを抱かせたのかもしれない。 今回、前出の真理子の兄・隆さんをはじめ、事情を知る清水や横浜の関係者を取材した限りでは、正剛が菅の実子ではない、真理子の連れ子である可能性は低い。 真理子は大学を出てすぐの'75~'76年に前夫と結婚したが、遅くとも'77年までには実家に戻っている。正剛は'81年生まれなので、時期が合わない。 菅は正剛の接待疑惑が報じられたあと、国会で「(息子は)完全に別人格」と述べた。 しかし菅はこれまで、前述のように正剛を自身の大臣秘書官にし、正剛が東北新社で「総理の息子」の威光を利用することも黙認してきた。 それは菅の中に「家族を打ち捨て出世に邁進した結果、わが子の人生を台無しにしてしまった」という罪の意識があったからではないか。その贖罪のために、菅は大人になった正剛を甘やかしてきたのではないか。 かつて、菅の母・タツは横浜のある支援者に、こうこぼしたという。 「義偉は、因果な商売についてしまったねぇ」 叩き上げを謳い、「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる。(文中一部敬称略)』、「「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる」、「業」を「引き受け」させられるとは、困ったことだ。
次に、4月12日付けPRESIDENT Onlineが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「「東北新社はNGで、フジテレビはOK」恣意的な判断が許される日本社会のヤバさ 立法の趣旨が平気で無視されている」を紹介しよう。
・『フジテレビを傘下に持つフジ・メディア・ホールディングス(HD)が、過去に放送法の外資規制に違反していた問題で、4月9日、武田良太総務相は認定取り消しはできないという認識を示した。経済評論家の加谷珪一氏は「東北新社の外資規制違反では、衛星放送事業の認定が取り消されている。これはダブルスタンダードの可能性が否定できず、総務省の法律運用には問題がある」という――』、興味深そうだ。
・『東北新社に端を発した「外資規制違反」問題 フジテレビを傘下に持つフジ・メディア・ホールディングス(HD)が、過去に放送法の外資規制に違反していた問題で、4月9日、武田良太総務相は認定取り消しはできないという認識を示した。 総務省は、同じく外資規制に違反したとして東北新社の衛星放送事業の認定取り消しを発表したばかりだ。同じ理屈でいけばフジ・メディアHDも持株会社認定を取り消さなければならない。フジについては、その必要はないと判断したということだが、これはダブルスタンダードの可能性がある。 日本社会は法の運用が十分に成熟しておらず、杓子定規な解釈が横行したり、逆に恣意的な運用が行われることも多い。今回の一件をきっかけに、なぜ法規制を行うのか、その運用方法はどうあるべきなのか、あらためて議論する必要があるだろう。 フジ・メディアHDは2021年4月8日、2012年9月末から2014年3月末までにかけて、放送法が定める外国人議決権比率の制限である20%を超えていたと発表した。 放送法では外国人株主による報道機関の支配を防止するという観点から、持株会社や基幹放送事業者における外国人株主の議決権比率を20%未満にするよう求めている。規制の対象となるのは保有株数ではなく議決権数なので、単純に株数で計算することはできない。 いわゆる株式の持ち合いという形で相互に株式を保有している場合、互いに議決権を行使することができてしまうため、株式会社のガバナンスが適切に運用されない可能性がある。このため持ち合い分については議決権から控除しなければならない』、「議決権数」でやるのは当然だ。
・『なぜフジテレビは見逃されたのか 同社は、制作会社であるネクステップを2012年4月に完全子会社化しているが、ネクステップの関連会社であるディ・コンプレックスがフジ・メディア(HD)の株式を保有していた。本来であれば、完全子会社化に伴って議決権を控除する必要があったが、同社は一連の状況について完全に把握できていなかったという。 ディ・コンプレックスが持つ議決権を除外すると、当時の外国人議決権比率は20%を超えてしまう。法律上、外国人比率が20%を超えた場合には持株会社の認定を取り消す必要があり、実際、総務省は放送法の外資規制に違反したとして東北新社の衛星放送事業の認定取り消しを発表している。 フジ・メディアHDは、2014年秋に違法状態に気付き、同年12月に総務省に報告したと説明している。総務省は同社を口頭で厳重注意したが、報告を受けた時点ではすでに違法状態が解消されていたことから、認定を取り消すという判断はしなかったという。 現実問題としてキー局を傘下に抱える同社の持株会社認定を取り消すことの影響は大きく、ごくわずかでも規制を超えれば問答無用で認定取り消しということになると、業界が大混乱に陥るのは確実である。したがって、当時の総務省の判断にはそれなりに妥当性があったと考えてよいだろう』、その通りだ。
・『総務省の対応はダブルスタンダードなのか 一方で、東北新社は外資規制違反を理由にあっけなく認定が取り消されている。フジ・メディアHDと東北新社の違いは、過去に違反があったか、申請時に違反があったかでしかなく、フジ・メディアHDには現実的な対応が行われ、東北新社には杓子定規な対応ということでは、まさにダブルスタンダードとなってしまう。 こうした曖昧な法の運用というのは日本社会では特段珍しいことではなく、これを放置する社会風潮が、いわゆるグローバルスタンダードとの摩擦を生み出す原因にもなっている。 日本社会は法の運用について、条文に書いてあることや、行政府による解釈がすべてであるとする価値観が極めて強い。 法学の世界では形式的法治主義とも言われるが、これは現代民主国家における法の運用としては適切とは言えない。法律には条文以前の話として、その法律が示す理念や価値観というものがある。法の条文がいかなる時も、現実と合致するとは限らないので、現実との乖離が生じた場合には、法が持つ根本的な理念(あるいは憲法など上位に位置する法)にしたがって解釈する必要がある』、同感である。
・『重要なのは議決権比率だけではない フジ・メディアHDと東北新社で対応が違ったことについて、武田総務大臣は1981年の内閣法制局の見解を根拠に説明を行っている。 政府は法運用の根拠として内閣法制局の見解を持ち出すことが多く、メディアも同局について「法の番人」など、国民に誤解を生じさせる報道を行っているが、内閣法制局はあくまで行政組織の一部であって司法ではない。 いくら行政組織として独立性が高いと説明したところで、日本が民主国家である以上、行政組織が法解釈に妥当性を与えることは原理的に不可能である。放送法が示す理念は、「報道を外国に支配されないようにする」ということであり、理由の如何を問わず、議決権が20%未満かどうか、あるいはいつの時点で発覚したのかという時系列の問題ではない。 同じ20%超えという違反行為があった場合でも、経営陣が意図的にそれを放置あるいは受け入れたケースと、計算ミスなどによって一時的に違反が発生したケースでは本質的な意味が異なる。 実は放送法には、外国人議決権比率が20%を超えた場合でも、会社側が該当する外国人株主の株主名簿への記載を拒否できる(つまり外国人株主の議決権行使を事実上、拒否できる)という規定もある。つまり会社側がその気になれば、20%未満の状態を維持するのは簡単なことなのだ。 要するにこの法律は、「会社側に外資を排除するという意思がある限り、放送事業者を外国人投資家が買収することはできない」という趣旨と判断してよい。そうなってくると、重要なのは会社側に意図的に外国人支配を受け入れる意思があったかどうかである』、「放送法には、外国人議決権比率が20%を超えた場合でも、会社側が該当する外国人株主の株主名簿への記載を拒否できる・・・という規定もある。つまり会社側がその気になれば、20%未満の状態を維持するのは簡単なことなのだ」、初めて知った。フジ・メディアHDの場合は、会社側の怠慢だ。
・『東北新社の認定取り消しは妥当ではない 東北新社は、外資規制に抵触しているという状況を認識していなかったと説明しており、額面通りに受け取れば単純ミスの可能性が高い。また、東北新社側に積極的に外国人の支配を受け入れようとの意思があったとは到底、思えない。一連の放送法の趣旨を考えた場合、東北新社についてもフジと同様、厳重注意で済ませるのが妥当ではないだろうか。 ところが東北新社については厳しい対応が行われ、しかも同社と総務省との間では意見の食い違いまで生じている。同社は2017年に外資規制に抵触していることに気付き、幹部が総務省の担当者と会い、状況を報告したと説明しているが、当時の総務省担当者は「報告を受けた記憶はまったくない」と完全否定しているのだ。 もし東北新社の説明が正しければ、総務省は放送法違反の事実を知っていたことになる。 それでも同社が問答無用で認定を取り消されるというのであれば、まったく不可解なことであり、この対応を是とするならばフジ・メディアHDにも同じ対応を取らない限り、行政としての整合性が確保できなくなる。逆に東北新社が虚偽の説明をしているのであれば、公共の電波を利用する事業者として、到底、許されることではない。 多くの人は、すでに認識していると思うが、東北新社の認定取り消しには別の理由が存在している可能性が否定できない。別の目的を達成するために、当該問題とは直接関係ない法律を適用するというのは、本来あってはならないことであり、もしそれが事実であれば、法の恣意的な運用にあたる』、「当時の総務省担当者は「報告を受けた記憶はまったくない」と完全否定している」、役人が都合が悪くなると否定するのはいつものことだ。「東北新社の認定取り消しには別の理由が存在している可能性が否定できない」、どういうことだろう。
・『外資規制違反で明らかになった総務省の恣意的な法律運用 単純ミスだから良いという話にはならないものの、今回の一件で議決権比率が一時、20%を超えていたこと自体はそれほど重大なことではない。 放送法の規定上、仮に外国人投資家が経営に介入した場合には、即座に株主名簿の書き換えを拒否すればよく、会社側に意図がない限り、現実問題として放送会社が外国に支配されることはあり得ないからである。 むしろ、一連の事案において注目すべきなのは、メディア業界を管掌する総務省が、放送法をどのように運用してきたのかという部分だろう。 特に、東北新社と総務省の見解が食い違っていることは注目に値する。法がどのような趣旨で存在し、その運用はどうあるべきなのか、しっかりとしたコンセンサスを得た上で、行政府が明確な説明責任を果たさない限り、法によって国益を守ることはできない。総務省は、東北新社の認定取り消しについて、詳細を明らかにすべきだろう』、強く同意する。
第三に、4月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏による「前代未聞の「法案ミス」問題、菅政権になってから続出した理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/268274
・『政権の目玉政策であるデジタル化の推進や中小企業再編、地方銀行再編のためのデジタル改革関連法案や産業競争力強化法等改正案、銀行法改正案について、法律案と併せて作成される要綱、新旧対照表および参照条文に多くの誤記が見つかったことに端を発した、いわゆる「法案ミス」問題。3法案1条約の12カ所で条文にも誤記が見つかるに至り、霞が関・永田町における静かな大問題となっている。ちなみに法文以外での誤記などがあったのは22法案122カ所である。これほどの法案ミスがなぜ起きたのか。元官僚である筆者が解説する』、私も不思議に思っていたので、興味深そうだ。
・『ここまでの法案ミスは前代未聞 ここまでの誤記などの法案ミス続出は、まさに前代未聞であり、与党側は陳謝する一方、野党側は一時的に審議拒否に出た。 これについては、「審議拒否なんて!」と批判する向きもあるようだが、法文も含めこれだけ多くの誤記などが見つかったということは、法案である以上「単なる誤字脱字の範囲」では済まされるものではないのだから、対象となる法案がないに等しく、審議自体ができないのであって、審議拒否もありうべしである。 政府側は再発防止策うんぬんとは言うが、これまで発生したことがない大規模な「法案ミス」、単なる再発防止体制整備でどうにかなる話ではないだろう。 そもそも改正案も含め、法案作成過程はいくえにもわたる審査体制が整備されている。私の経験に基づき、少々単純化して解説すると、まず法令はそれぞれ所管府省があるが、各府省内においても所管部局があり、法令改正を例に取ると、改正案は所管部局の個別の法令の担当課が作成する。 論点整理から始まって、さまざまな観点から検討が加えられ案が作成されるわけであるが、改正の方向性を取りまとめるために研究会を設置して検討を行う場合もある。また改正する法令の中の改正する条文を引用している他の法令についても機械的な改正案が作成されるが、引用条文に漏れがないか、e-Govの法令検索システムも活用して丁寧な確認が行われる。 その後、部局内で審査が行われ、部局として案を決定、府省の官房総務課(役所によっては文書課)で審査が行われ、府省としての改正案が決定される。この途中で、関係府省との連絡会議のようなものを開催し、意見聴取、調整等が行われることがほとんどである。また、関係審議会へ諮問する場合もある。 その上で、内閣法制局の審査を受ける。閣議に付される前には必ず審査を受けるので、この段階での審査は予備審査である(といっても実質的には本審査である)。この審査、担当するのは法制局に設置された第一部から第三部の参事官である。 府省によって担当の部は分かれており、参事官は各府省からの出向者である。非常に厳しい審査で、参事官によっては非常に細かく審査が行われる場合もある(筆者の経験・記憶で言うと、例えば警察庁からの参事官は、上司が「まるで取調べだ」というぐらい細かく、厳しかった)。 当然、差し戻しはあり、その度に修文が行われる。何度も法制局に出向かなければならないということもありうる。 法制局の予備審査が終了すると各府省への協議(法令協議)にかけられ、質問や意見という形でやりとりが行われ、改正法案が確定する。そして閣議に付すための閣議請議が行われ、閣議前の法制局審査が行われる。 筆者の経験した法案作成過程を、記憶をたどりながら、単純化して記載しているので、現行の手続き等とは多少異なるところもあるかもしれない。それはご容赦いただくとして、いずれにせよ、これだけ重層的な過程、手続きを経て法案は作成されるので、まず「法案ミス」のようなことは考えられないはずなのである。 繰り返しとなるが、今回の一件がいかに「前代未聞であるか」ということがご理解いただけたのではないだろうか』、このような厳重な手続きを踏んでいれば、「法案ミス」が起こるとは考え難い。
・『なぜ今回のような「法案ミス」が発生したのか 問題は、なぜ今回のような「法案ミス」が発生したのかである。 考えられるのは、(1)このような厚い体制をも機能不全にさせるほどに法案の作成を急がせた可能性、(2)法案の検討段階で十分な時間を確保する余裕が与えられなかった可能性、(3)一時的なものも含めた職員の能力の低下の可能性、(4)政治の側の法案作成に対する理解度が低下している可能性、といったものである。 筆者の推測では、今回の一件は、(1)と(4)が複合的に絡み合って起きた可能性が高い。 具体的には、まず、官邸がとにかく法案の作成を急かす一方、全体の方針や改正の重要な部分についての考え方が右往左往するか、「伝言ゲーム」のように正確に伝わらず、細部にわたる確認・審査がおろそかになったことが考えられる。 次に、官邸、特に総理や総理周辺の意向をおもんばかるあまり、政務レベルが法案作成に過剰に介入し、法案作成現場を混乱させたことが考えられる。 これは別の言い方をすれば、政と官の上手な役割分担がゆがめられて、政が官の領域に入り込みすぎた、知見もないのに官の領域に口を出しすぎた、しかし政からの干渉に正面から抵抗することもできず、表面上は唯々諾々と従わざるを得ず、余計な労力が割かれてしまう。その一方、肝腎要な法案審査がおろそかになってしまった…ということではないだろうか。 各府省の長は確かに大臣であるし、それを政務として直接的に支えるのは副大臣であり政務官であるが、この政務三役を、上手な役割分担で支えるのが事務方である各府省の職員、いわゆる官僚である。 この役割分担は両者の信頼関係がなければ成り立たないが、交替が頻繁にある政務三役をはなから信頼しろというのは無理な話。官僚の側は政務のクセを調査し、それに合わせるしかない。従って、政務の方こそ官僚を信頼し、信任することが重要なのである。なんといってもその府省の所管事項に関しては、余程のことがない限り、政務よりは長けているのであるから…』、なるほど。
・『菅政権になって「法案ミス」が続出した理由 良くも悪くも安倍政権は、経産省内閣と言われたほどに経産省が官邸を仕切り、霞が関を仕切っていた。安倍前首相もそれを信任していたというか、それに頼っていたわけだが、そこでは今回のような大規模な「法案ミス」は発生していない。 これも良くも悪くもその方向では政策の企画立案、法案作成はうまく回っていたということだろう。 菅政権でそれがなくなり、今度は財務省内閣と言われてはいるが、財務省はこれまでの経産省ほどに細部にわたる政策の企画立案にまで口も手も出さない。 その一方、幹部人事権を振りかざして霞が関の人事を意のままにするのは上手だが、政策の企画立案は不得手な菅首相は、ある種ワンマンに物事を決めようとする傾向が強いようであり、それも「法案ミス」を生む大きな原因となったのだろう。 かつて田中角栄大蔵大臣(当時)が、大臣就任時に大蔵省幹部を前にして、信頼関係の重要性を説き、「できることはやるが、できないことはやらない。全ての責任は自分が負う」と言ったそうだ。 政の側は政の側としての「分」をわきまえること、そして任せるべきことは官の側に任せること、今回の一件の再発防止には、この認識を新たにすることがまず求められるのではないか』、「政策の企画立案は不得手な菅首相は、ある種ワンマンに物事を決めようとする傾向が強いようであり、それも「法案ミス」を生む大きな原因となったのだろう」、ありそうなシナリオで、謎が解けた。
先ずは、4月5日付け現代ビジネス「日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81894?imp=0
・『「叩き上げ」の一語には、菅義偉という男の業と欲望が、菅を支えた妻の忍耐が、そして父の背中を求めた息子の葛藤が刻まれていた。国民に衝撃を与えた不祥事の「淵源」を、総力取材で明らかにする』、興味深そうだ。
・『家族は話題にしたくない 横浜港と「みなとみらい」を一望するタワーマンション。その上層階の一室で、総理夫人・菅真理子は起居している。 赤坂の議員宿舎住まいを続ける菅総理が、この私邸に戻ることはめったにない。そして真理子が政府や自民党関係者の前に姿を見せることも、公務を除いて一切ない。 「去年の総裁選で、総理を支持する議員が『奥さんも前面に出たほうがいい』と真理子さんを担ぎ出そうとした。 しかし選対幹部は『菅さんの奥さんはタブーなんだ。総理になってからも表に出ないことになっているから、総裁選の最中も絶対に話題に出すな。これは菅さんの意向だ』と諭したのです」(自民党関係者) 真理子自身、決して積極的に人前へ出たがる性格ではない。しかし現職の総理が自らの妻を、まるでその存在すら秘するかのように扱うのは、いささか異様と言っていい。 菅と真理子の長男・正剛が関与した、東北新社による総務省幹部接待疑惑が2月に発覚してから、菅内閣の支持率は低迷を続けている。 「総理の息子」がその威光を利用し、まして中央省庁に便宜供与を求めるなど、前代未聞の不祥事である。 なぜ事件は起きたのか。問題のありかは、ただ接待の中身や顔ぶればかりを追及してもわからない。 菅義偉という政治家の半生と、これまで決して書かれてこなかった、菅の家族が抱える「家の事情」を考察しなければ、真の原因は見えてこない。 真理子の住むマンションから南へ進むと、横浜最大の問屋街、そしてかつては「青線地帯」として知られた日ノ出町がある。46年前、菅は政治家としての第一歩をこの下町で踏み出した。 「菅義偉です。よろしくお願いいたします……」 '75年春、俯き加減で神妙に話す菅の姿を、ある横浜市政関係者は鮮明に覚えている。一帯を地盤とする衆議院議員・小此木彦三郎の私設秘書として挨拶にやってきたのだ。 「当時、小此木事務所には『秘書』の肩書で出入りする若者が男女10人近くいて、菅さんは後ろから数えて2番目くらいの末席でした。当時は、地味で暗い奴だな、という印象だったね」 秋田からの上京物語は、すでに多くのメディアで菅が自ら語っている。板橋の段ボール工場や喫茶店でのアルバイトを2年ほど転々とし、法政大学法学部に入学。 卒業後はいったん一般企業に就職するが、一念発起し議員秘書に志願した。大学時代をともに過ごした、同級生の寺田修一氏が言う。 「ある時、ヨシ(当時の菅の愛称)が突然『なあ、小此木彦三郎って知ってる?』と言い出したんです。 もちろんウチは横浜だから知ってるよ、と言ったら『俺、そこの秘書になったよ』って。政治家になりたいなんて、聞いたこともなかったのに」』、「現職の総理が自らの妻を、まるでその存在すら秘するかのように扱うのは、いささか異様と言っていい」、安部前首相夫人とは好対照だ。「衆議院議員・小此木彦三郎の私設秘書・・・『秘書』の肩書で出入りする若者が男女10人近くいて、菅さんは後ろから数えて2番目くらいの末席」だったようだ。
・『女房を三歩下がらせて 法政大の学生課を介して小此木事務所入りした菅は、秘書たちの最下層に組み込まれ、雑巾掛けの日々を送った。 小此木事務所の一角にある3畳間で寝起きし、来る日も来る日も雑用をこなす。 鞄や荷物持ち、車の運転、屋敷の掃除に郵便整理、出前の受け取り……。車の後部座席に座る小此木に足蹴にされ、「出ていけ!」と怒鳴られることもしばしばだった。 だが、つらい日々の中にも唯一、救いがあった。菅の後に事務所入りした、5歳年下の女性との出会いである。 小此木家の家事をしたり、当時小学生だった彦三郎の息子・八郎(現在は衆院議員・国家公安委員長)らの面倒を見ていたこの女性こそ、真理子である。 当時の小此木家は、秘書らも揃って朝食をとる慣わしだった。真理子はその朝食作りを担当するようになった。 独身男の胃袋に、熱い味噌汁が沁みた。アプローチをかけたのは菅のほうだったという。当時を知る横浜自民党関係者が語る。 「真理子さんは余計なことは言わず、朝一番に事務所に来て黙々と働いているような清楚な人だった。秋田弁が抜けずに口下手な菅さんにも、優しく接していた」 出会いから3年ほどが経った'80年5月、菅と真理子は結婚する。だが当時、小此木事務所の内部や横浜の自民党関係者らの間では、こんな噂が立つようにもなっていた。 「真理子さんは再婚らしい」) 本誌は真理子が生まれ育った静岡市清水区(旧清水市)を訪ねた。以下は真理子の実兄・隆さん(仮名)との一問一答だ。 Q:そもそも真理子さんは、なぜ小此木事務所に入ったのですか。 A:「最初のきっかけは偶然です。母と真理子、妹の久美(仮名、末の妹)が、久美の就職先探しをかねて横浜へ旅行しました。 その時、元町で開催されていたバザーに立ち寄ったら、小此木彦三郎さんの義理のお母さんが露店を開いていたんです。 立ち話をしているうち、『うちは孫がたくさんいて大変なんです。よかったら面倒を見てくれませんか』と言われ、久美が小此木さんの世話になることになりました。その後、真理子も呼んでもらったわけです」 Q:真理子さんは横浜に行く前、地元で結婚していたとも聞きました。それは本当でしょうか。 A:「若い頃のことですから……向こう(前の夫の家)にも迷惑がかかるし、話したくないですね」 Q:大学を出て、すぐに嫁いだのですか。 A:「ええ。就職はしていません。いずれにしてもこの件は、真理子も『先方に迷惑をかけてはいけない』と心配しているので(勘弁してほしい)」 隆さんや事情を知る地元住民の話を総合すると、真理子は'75~'76年ごろ、いちごの名産地として知られる、駿河湾沿いの久能街道近くのいちご農家に嫁いだ。 しかし、姑や夫の姉妹との折り合いが悪く、半年ほどで実家へ戻ったという。) '53年、清水市内の食料品卸店に生まれた真理子は、県内有数の進学校・清水東高校に進んだのち、静岡女子大学を卒業している。 大卒女性が農家に嫁入りすること自体が異例の当時、「農家の金目当てで結婚して失敗した」と言いふらす、口さがない人もいた。 横浜という新天地で得た菅との出会いは、彼女にとっても大きな励みとなっただろう。 真理子の目に菅はどう映っていたのか。少なくとも彼女が選んだ伴侶は、平凡な議員秘書で終わるのをよしとしない、権力を渇望する男だった。 菅は小此木事務所の先輩秘書らをごぼう抜きし、小此木が通産大臣に就任すると、'84年に大臣秘書官の座を射止める。以後、'87年の横浜市議選で初出馬初当選、'96年には国政に打って出た。 「女房と手を繋いで歩くなんて、男じゃねえ。女房は三歩下がらせて歩かせるんだ」 議員バッジを得た菅は、自民党の市会議員らにそう言うようになったという。 選挙となれば、一日に数百軒の挨拶回りをこなし、あらゆる家の郵便受けに一筆加えた名刺を入れるのが菅流だ。 しかし菅が真理子に要求したのは、自身の傍らで笑顔を振りまくのではなく、ひたすら陰で地道に菅を支える役割だった。 「真理子さんが朝早く選挙事務所で掃除をしているのにスタッフが誰も気が付かないとか、一般のスタッフだと勘違いされて買い出しに行かされる、ということもありました。 それでも不満は一切口にしないし、とにかく目立たない。菅さんのためなら『無私』になれる、真理子さんはそういう人です」(自民党神奈川県連の関係者)』、「法政大の学生課を介して小此木事務所入りした」、とは初耳だが、驚かされた。「真理子さんは余計なことは言わず、朝一番に事務所に来て黙々と働いているような清楚な人だった。秋田弁が抜けずに口下手な菅さんにも、優しく接していた」、「口下手な菅」にとっては救いの女神だったに違いない。「不満は一切口にしないし、とにかく目立たない。菅さんのためなら『無私』になれる、真理子さんはそういう人です」、「菅」にとってまさに理想の妻だったのだろう。
・『長男・正剛がこぼした言葉 政治家となってからの菅は、真理子を極力目立つ場所に置かないようにしてきた。そして総理となった現在でも、冒頭で見たように、議員らに真理子を「禁忌」扱いさせている。 その背景には、真理子と家庭を築くまでの、こうした「複雑な事情」があったのだ。 そしてその事情は、菅家にまつわる、また別の憶測を招くことにもなった。国政を揺るがした長男・正剛は、菅と真理子の子ではない―具体的には真理子の連れ子である、というものだった。 菅をよく知る関係者によれば、噂の発端は正剛自身の言葉だったという。 「正剛さんの弟にあたる次男は東大を出て三井物産、三男は大成建設に入社して立派に社会人をやっている。 一方、正剛さんは明治学院大学を卒業するとバンド活動に明け暮れ、事実上フリーターとなり、見かねた菅さんが総務大臣秘書官をやらせた。 それで自虐を込めてでしょうか、正剛さんが『俺は(弟達とは)親が違うから』と口走ることがあったのです」 菅夫妻の間には、'81年に長男の正剛が、'84年に次男が、そして'86年には三男が生まれている。とりわけ正剛は、父である菅が秘書から市議へ、そして市議から代議士へと地歩を固めていく渦中に、多感な時期を過ごした。 正剛誕生のあと、菅は本格的に小此木事務所の「番頭」への道を歩み始めていた。愛車のトヨタ・マーク2で早朝出かけ、深夜に戻る。 昼も夜も土日もなく働き、いつも両目は充血していた。身を粉にして働く菅を小此木も重用した。前出と別の横浜市政関係者が言う。 「当時、こんな話を聞きました。小此木事務所の秘書たちは、夜は各担当地区の会合に顔を出して、そのまま直帰していた。 でも菅さんは必ず夜中に事務所に戻り、ひとりで灯りをつけて座っていた。小此木さんのスケジュールを把握して、帰宅時間を見計らっていたんです。 それを見て小此木さんは『遅くまでよくやってるな』と感心するんですが、他の秘書は『あの野郎、点数稼ぎしやがって』とこぼしていた」 一方、仕事にのめり込む菅を横目に、真理子はひとり正剛のお守りをする日々を送った。) 当時、実家が所有するアパートを格安で菅一家に貸していたという、前出の友人・寺田氏が証言する。 「正剛くんはよく泣く子で、夜泣きも多かったので、真理子さんが育児ノイローゼにならないか心配でした。 ヨシのお姉さんが訪ねてきた時、『ヨシも小さい時はよく泣いてた。菅家の血ね』と言っていたのを覚えています」』、「菅さんは必ず夜中に事務所に戻り、ひとりで灯りをつけて座っていた。小此木さんのスケジュールを把握して、帰宅時間を見計らっていたんです」、使い勝手のいい有能な秘書だったようだ。「正剛くんはよく泣く子で、夜泣きも多かった」、「ヨシも小さい時はよく泣いてた。菅家の血ね」、微笑ましい。
・『因果な商売のツケ そして三男が誕生した直後の'87年、横浜市議選で菅は初当選を果たす。3人息子をほぼ女手ひとつで育てることになった真理子は、子どもたちを連れて清水の実家に身を寄せることもあった。 成長した正剛は、地元の少年野球チームに入った。だが、菅が練習に付き合ったり、試合を見に来たりすることはなかった。横浜市議の清水富雄氏が証言する。 「最初の市議選で選挙戦をお手伝いしてからご縁が続いていますが、当時の真理子さんは子育てで大変そうでしたね。 『明日、正剛の少年野球の試合があるんだけど、お父さんがいないからキャッチボールしてあげてくれませんか?』と言われて、相手をしたことも何度かあります」 自身の野望のために、家庭を顧みようとしない父の姿は、少年・正剛の心に傷を刻んだ。) 家庭を、母を、自分を軽んずる父への反発だろうか。名門の逗子開成中高に進学した正剛は、「政治家の息子」として扱われることに強い嫌悪を示すようになったという。 こうして積み重なった菅への不信と疎外感が、正剛に「俺は親父の子じゃない」という思いを抱かせたのかもしれない。 今回、前出の真理子の兄・隆さんをはじめ、事情を知る清水や横浜の関係者を取材した限りでは、正剛が菅の実子ではない、真理子の連れ子である可能性は低い。 真理子は大学を出てすぐの'75~'76年に前夫と結婚したが、遅くとも'77年までには実家に戻っている。正剛は'81年生まれなので、時期が合わない。 菅は正剛の接待疑惑が報じられたあと、国会で「(息子は)完全に別人格」と述べた。 しかし菅はこれまで、前述のように正剛を自身の大臣秘書官にし、正剛が東北新社で「総理の息子」の威光を利用することも黙認してきた。 それは菅の中に「家族を打ち捨て出世に邁進した結果、わが子の人生を台無しにしてしまった」という罪の意識があったからではないか。その贖罪のために、菅は大人になった正剛を甘やかしてきたのではないか。 かつて、菅の母・タツは横浜のある支援者に、こうこぼしたという。 「義偉は、因果な商売についてしまったねぇ」 叩き上げを謳い、「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる。(文中一部敬称略)』、「「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる」、「業」を「引き受け」させられるとは、困ったことだ。
次に、4月12日付けPRESIDENT Onlineが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「「東北新社はNGで、フジテレビはOK」恣意的な判断が許される日本社会のヤバさ 立法の趣旨が平気で無視されている」を紹介しよう。
・『フジテレビを傘下に持つフジ・メディア・ホールディングス(HD)が、過去に放送法の外資規制に違反していた問題で、4月9日、武田良太総務相は認定取り消しはできないという認識を示した。経済評論家の加谷珪一氏は「東北新社の外資規制違反では、衛星放送事業の認定が取り消されている。これはダブルスタンダードの可能性が否定できず、総務省の法律運用には問題がある」という――』、興味深そうだ。
・『東北新社に端を発した「外資規制違反」問題 フジテレビを傘下に持つフジ・メディア・ホールディングス(HD)が、過去に放送法の外資規制に違反していた問題で、4月9日、武田良太総務相は認定取り消しはできないという認識を示した。 総務省は、同じく外資規制に違反したとして東北新社の衛星放送事業の認定取り消しを発表したばかりだ。同じ理屈でいけばフジ・メディアHDも持株会社認定を取り消さなければならない。フジについては、その必要はないと判断したということだが、これはダブルスタンダードの可能性がある。 日本社会は法の運用が十分に成熟しておらず、杓子定規な解釈が横行したり、逆に恣意的な運用が行われることも多い。今回の一件をきっかけに、なぜ法規制を行うのか、その運用方法はどうあるべきなのか、あらためて議論する必要があるだろう。 フジ・メディアHDは2021年4月8日、2012年9月末から2014年3月末までにかけて、放送法が定める外国人議決権比率の制限である20%を超えていたと発表した。 放送法では外国人株主による報道機関の支配を防止するという観点から、持株会社や基幹放送事業者における外国人株主の議決権比率を20%未満にするよう求めている。規制の対象となるのは保有株数ではなく議決権数なので、単純に株数で計算することはできない。 いわゆる株式の持ち合いという形で相互に株式を保有している場合、互いに議決権を行使することができてしまうため、株式会社のガバナンスが適切に運用されない可能性がある。このため持ち合い分については議決権から控除しなければならない』、「議決権数」でやるのは当然だ。
・『なぜフジテレビは見逃されたのか 同社は、制作会社であるネクステップを2012年4月に完全子会社化しているが、ネクステップの関連会社であるディ・コンプレックスがフジ・メディア(HD)の株式を保有していた。本来であれば、完全子会社化に伴って議決権を控除する必要があったが、同社は一連の状況について完全に把握できていなかったという。 ディ・コンプレックスが持つ議決権を除外すると、当時の外国人議決権比率は20%を超えてしまう。法律上、外国人比率が20%を超えた場合には持株会社の認定を取り消す必要があり、実際、総務省は放送法の外資規制に違反したとして東北新社の衛星放送事業の認定取り消しを発表している。 フジ・メディアHDは、2014年秋に違法状態に気付き、同年12月に総務省に報告したと説明している。総務省は同社を口頭で厳重注意したが、報告を受けた時点ではすでに違法状態が解消されていたことから、認定を取り消すという判断はしなかったという。 現実問題としてキー局を傘下に抱える同社の持株会社認定を取り消すことの影響は大きく、ごくわずかでも規制を超えれば問答無用で認定取り消しということになると、業界が大混乱に陥るのは確実である。したがって、当時の総務省の判断にはそれなりに妥当性があったと考えてよいだろう』、その通りだ。
・『総務省の対応はダブルスタンダードなのか 一方で、東北新社は外資規制違反を理由にあっけなく認定が取り消されている。フジ・メディアHDと東北新社の違いは、過去に違反があったか、申請時に違反があったかでしかなく、フジ・メディアHDには現実的な対応が行われ、東北新社には杓子定規な対応ということでは、まさにダブルスタンダードとなってしまう。 こうした曖昧な法の運用というのは日本社会では特段珍しいことではなく、これを放置する社会風潮が、いわゆるグローバルスタンダードとの摩擦を生み出す原因にもなっている。 日本社会は法の運用について、条文に書いてあることや、行政府による解釈がすべてであるとする価値観が極めて強い。 法学の世界では形式的法治主義とも言われるが、これは現代民主国家における法の運用としては適切とは言えない。法律には条文以前の話として、その法律が示す理念や価値観というものがある。法の条文がいかなる時も、現実と合致するとは限らないので、現実との乖離が生じた場合には、法が持つ根本的な理念(あるいは憲法など上位に位置する法)にしたがって解釈する必要がある』、同感である。
・『重要なのは議決権比率だけではない フジ・メディアHDと東北新社で対応が違ったことについて、武田総務大臣は1981年の内閣法制局の見解を根拠に説明を行っている。 政府は法運用の根拠として内閣法制局の見解を持ち出すことが多く、メディアも同局について「法の番人」など、国民に誤解を生じさせる報道を行っているが、内閣法制局はあくまで行政組織の一部であって司法ではない。 いくら行政組織として独立性が高いと説明したところで、日本が民主国家である以上、行政組織が法解釈に妥当性を与えることは原理的に不可能である。放送法が示す理念は、「報道を外国に支配されないようにする」ということであり、理由の如何を問わず、議決権が20%未満かどうか、あるいはいつの時点で発覚したのかという時系列の問題ではない。 同じ20%超えという違反行為があった場合でも、経営陣が意図的にそれを放置あるいは受け入れたケースと、計算ミスなどによって一時的に違反が発生したケースでは本質的な意味が異なる。 実は放送法には、外国人議決権比率が20%を超えた場合でも、会社側が該当する外国人株主の株主名簿への記載を拒否できる(つまり外国人株主の議決権行使を事実上、拒否できる)という規定もある。つまり会社側がその気になれば、20%未満の状態を維持するのは簡単なことなのだ。 要するにこの法律は、「会社側に外資を排除するという意思がある限り、放送事業者を外国人投資家が買収することはできない」という趣旨と判断してよい。そうなってくると、重要なのは会社側に意図的に外国人支配を受け入れる意思があったかどうかである』、「放送法には、外国人議決権比率が20%を超えた場合でも、会社側が該当する外国人株主の株主名簿への記載を拒否できる・・・という規定もある。つまり会社側がその気になれば、20%未満の状態を維持するのは簡単なことなのだ」、初めて知った。フジ・メディアHDの場合は、会社側の怠慢だ。
・『東北新社の認定取り消しは妥当ではない 東北新社は、外資規制に抵触しているという状況を認識していなかったと説明しており、額面通りに受け取れば単純ミスの可能性が高い。また、東北新社側に積極的に外国人の支配を受け入れようとの意思があったとは到底、思えない。一連の放送法の趣旨を考えた場合、東北新社についてもフジと同様、厳重注意で済ませるのが妥当ではないだろうか。 ところが東北新社については厳しい対応が行われ、しかも同社と総務省との間では意見の食い違いまで生じている。同社は2017年に外資規制に抵触していることに気付き、幹部が総務省の担当者と会い、状況を報告したと説明しているが、当時の総務省担当者は「報告を受けた記憶はまったくない」と完全否定しているのだ。 もし東北新社の説明が正しければ、総務省は放送法違反の事実を知っていたことになる。 それでも同社が問答無用で認定を取り消されるというのであれば、まったく不可解なことであり、この対応を是とするならばフジ・メディアHDにも同じ対応を取らない限り、行政としての整合性が確保できなくなる。逆に東北新社が虚偽の説明をしているのであれば、公共の電波を利用する事業者として、到底、許されることではない。 多くの人は、すでに認識していると思うが、東北新社の認定取り消しには別の理由が存在している可能性が否定できない。別の目的を達成するために、当該問題とは直接関係ない法律を適用するというのは、本来あってはならないことであり、もしそれが事実であれば、法の恣意的な運用にあたる』、「当時の総務省担当者は「報告を受けた記憶はまったくない」と完全否定している」、役人が都合が悪くなると否定するのはいつものことだ。「東北新社の認定取り消しには別の理由が存在している可能性が否定できない」、どういうことだろう。
・『外資規制違反で明らかになった総務省の恣意的な法律運用 単純ミスだから良いという話にはならないものの、今回の一件で議決権比率が一時、20%を超えていたこと自体はそれほど重大なことではない。 放送法の規定上、仮に外国人投資家が経営に介入した場合には、即座に株主名簿の書き換えを拒否すればよく、会社側に意図がない限り、現実問題として放送会社が外国に支配されることはあり得ないからである。 むしろ、一連の事案において注目すべきなのは、メディア業界を管掌する総務省が、放送法をどのように運用してきたのかという部分だろう。 特に、東北新社と総務省の見解が食い違っていることは注目に値する。法がどのような趣旨で存在し、その運用はどうあるべきなのか、しっかりとしたコンセンサスを得た上で、行政府が明確な説明責任を果たさない限り、法によって国益を守ることはできない。総務省は、東北新社の認定取り消しについて、詳細を明らかにすべきだろう』、強く同意する。
第三に、4月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏による「前代未聞の「法案ミス」問題、菅政権になってから続出した理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/268274
・『政権の目玉政策であるデジタル化の推進や中小企業再編、地方銀行再編のためのデジタル改革関連法案や産業競争力強化法等改正案、銀行法改正案について、法律案と併せて作成される要綱、新旧対照表および参照条文に多くの誤記が見つかったことに端を発した、いわゆる「法案ミス」問題。3法案1条約の12カ所で条文にも誤記が見つかるに至り、霞が関・永田町における静かな大問題となっている。ちなみに法文以外での誤記などがあったのは22法案122カ所である。これほどの法案ミスがなぜ起きたのか。元官僚である筆者が解説する』、私も不思議に思っていたので、興味深そうだ。
・『ここまでの法案ミスは前代未聞 ここまでの誤記などの法案ミス続出は、まさに前代未聞であり、与党側は陳謝する一方、野党側は一時的に審議拒否に出た。 これについては、「審議拒否なんて!」と批判する向きもあるようだが、法文も含めこれだけ多くの誤記などが見つかったということは、法案である以上「単なる誤字脱字の範囲」では済まされるものではないのだから、対象となる法案がないに等しく、審議自体ができないのであって、審議拒否もありうべしである。 政府側は再発防止策うんぬんとは言うが、これまで発生したことがない大規模な「法案ミス」、単なる再発防止体制整備でどうにかなる話ではないだろう。 そもそも改正案も含め、法案作成過程はいくえにもわたる審査体制が整備されている。私の経験に基づき、少々単純化して解説すると、まず法令はそれぞれ所管府省があるが、各府省内においても所管部局があり、法令改正を例に取ると、改正案は所管部局の個別の法令の担当課が作成する。 論点整理から始まって、さまざまな観点から検討が加えられ案が作成されるわけであるが、改正の方向性を取りまとめるために研究会を設置して検討を行う場合もある。また改正する法令の中の改正する条文を引用している他の法令についても機械的な改正案が作成されるが、引用条文に漏れがないか、e-Govの法令検索システムも活用して丁寧な確認が行われる。 その後、部局内で審査が行われ、部局として案を決定、府省の官房総務課(役所によっては文書課)で審査が行われ、府省としての改正案が決定される。この途中で、関係府省との連絡会議のようなものを開催し、意見聴取、調整等が行われることがほとんどである。また、関係審議会へ諮問する場合もある。 その上で、内閣法制局の審査を受ける。閣議に付される前には必ず審査を受けるので、この段階での審査は予備審査である(といっても実質的には本審査である)。この審査、担当するのは法制局に設置された第一部から第三部の参事官である。 府省によって担当の部は分かれており、参事官は各府省からの出向者である。非常に厳しい審査で、参事官によっては非常に細かく審査が行われる場合もある(筆者の経験・記憶で言うと、例えば警察庁からの参事官は、上司が「まるで取調べだ」というぐらい細かく、厳しかった)。 当然、差し戻しはあり、その度に修文が行われる。何度も法制局に出向かなければならないということもありうる。 法制局の予備審査が終了すると各府省への協議(法令協議)にかけられ、質問や意見という形でやりとりが行われ、改正法案が確定する。そして閣議に付すための閣議請議が行われ、閣議前の法制局審査が行われる。 筆者の経験した法案作成過程を、記憶をたどりながら、単純化して記載しているので、現行の手続き等とは多少異なるところもあるかもしれない。それはご容赦いただくとして、いずれにせよ、これだけ重層的な過程、手続きを経て法案は作成されるので、まず「法案ミス」のようなことは考えられないはずなのである。 繰り返しとなるが、今回の一件がいかに「前代未聞であるか」ということがご理解いただけたのではないだろうか』、このような厳重な手続きを踏んでいれば、「法案ミス」が起こるとは考え難い。
・『なぜ今回のような「法案ミス」が発生したのか 問題は、なぜ今回のような「法案ミス」が発生したのかである。 考えられるのは、(1)このような厚い体制をも機能不全にさせるほどに法案の作成を急がせた可能性、(2)法案の検討段階で十分な時間を確保する余裕が与えられなかった可能性、(3)一時的なものも含めた職員の能力の低下の可能性、(4)政治の側の法案作成に対する理解度が低下している可能性、といったものである。 筆者の推測では、今回の一件は、(1)と(4)が複合的に絡み合って起きた可能性が高い。 具体的には、まず、官邸がとにかく法案の作成を急かす一方、全体の方針や改正の重要な部分についての考え方が右往左往するか、「伝言ゲーム」のように正確に伝わらず、細部にわたる確認・審査がおろそかになったことが考えられる。 次に、官邸、特に総理や総理周辺の意向をおもんばかるあまり、政務レベルが法案作成に過剰に介入し、法案作成現場を混乱させたことが考えられる。 これは別の言い方をすれば、政と官の上手な役割分担がゆがめられて、政が官の領域に入り込みすぎた、知見もないのに官の領域に口を出しすぎた、しかし政からの干渉に正面から抵抗することもできず、表面上は唯々諾々と従わざるを得ず、余計な労力が割かれてしまう。その一方、肝腎要な法案審査がおろそかになってしまった…ということではないだろうか。 各府省の長は確かに大臣であるし、それを政務として直接的に支えるのは副大臣であり政務官であるが、この政務三役を、上手な役割分担で支えるのが事務方である各府省の職員、いわゆる官僚である。 この役割分担は両者の信頼関係がなければ成り立たないが、交替が頻繁にある政務三役をはなから信頼しろというのは無理な話。官僚の側は政務のクセを調査し、それに合わせるしかない。従って、政務の方こそ官僚を信頼し、信任することが重要なのである。なんといってもその府省の所管事項に関しては、余程のことがない限り、政務よりは長けているのであるから…』、なるほど。
・『菅政権になって「法案ミス」が続出した理由 良くも悪くも安倍政権は、経産省内閣と言われたほどに経産省が官邸を仕切り、霞が関を仕切っていた。安倍前首相もそれを信任していたというか、それに頼っていたわけだが、そこでは今回のような大規模な「法案ミス」は発生していない。 これも良くも悪くもその方向では政策の企画立案、法案作成はうまく回っていたということだろう。 菅政権でそれがなくなり、今度は財務省内閣と言われてはいるが、財務省はこれまでの経産省ほどに細部にわたる政策の企画立案にまで口も手も出さない。 その一方、幹部人事権を振りかざして霞が関の人事を意のままにするのは上手だが、政策の企画立案は不得手な菅首相は、ある種ワンマンに物事を決めようとする傾向が強いようであり、それも「法案ミス」を生む大きな原因となったのだろう。 かつて田中角栄大蔵大臣(当時)が、大臣就任時に大蔵省幹部を前にして、信頼関係の重要性を説き、「できることはやるが、できないことはやらない。全ての責任は自分が負う」と言ったそうだ。 政の側は政の側としての「分」をわきまえること、そして任せるべきことは官の側に任せること、今回の一件の再発防止には、この認識を新たにすることがまず求められるのではないか』、「政策の企画立案は不得手な菅首相は、ある種ワンマンに物事を決めようとする傾向が強いようであり、それも「法案ミス」を生む大きな原因となったのだろう」、ありそうなシナリオで、謎が解けた。
タグ:PRESIDENT ONLINE 「菅さんは必ず夜中に事務所に戻り、ひとりで灯りをつけて座っていた。小此木さんのスケジュールを把握して、帰宅時間を見計らっていたんです」、使い勝手のいい有能な秘書だったようだ。「正剛くんはよく泣く子で、夜泣きも多かった」、「ヨシも小さい時はよく泣いてた。菅家の血ね」、微笑ましい。 「「東北新社はNGで、フジテレビはOK」恣意的な判断が許される日本社会のヤバさ 立法の趣旨が平気で無視されている」 東北新社に端を発した「外資規制違反」問題 加谷 珪一 「議決権数」でやるのは当然だ 「「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる」、「業」を「引き受け」させられるとは、困ったことだ。 「法政大の学生課を介して小此木事務所入りした」、とは初耳だが、驚かされた。 「真理子さんは余計なことは言わず、朝一番に事務所に来て黙々と働いているような清楚な人だった。秋田弁が抜けずに口下手な菅さんにも、優しく接していた」、「口下手な菅」にとっては救いの女神だったに違いない なぜフジテレビは見逃されたのか 「不満は一切口にしないし、とにかく目立たない。菅さんのためなら『無私』になれる、真理子さんはそういう人です」、「菅」にとってまさに理想の妻だったのだろう。 女房を三歩下がらせて 「衆議院議員・小此木彦三郎の私設秘書・・・『秘書』の肩書で出入りする若者が男女10人近くいて、菅さんは後ろから数えて2番目くらいの末席」だったようだ。 「現職の総理が自らの妻を、まるでその存在すら秘するかのように扱うのは、いささか異様と言っていい」、安部前首相夫人とは好対照だ 家族は話題にしたくない 「日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”」 現代ビジネス (その7)(日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”、「東北新社はNGで、フジテレビはOK」恣意的な判断が許される日本社会のヤバさ 立法の趣旨が平気で無視されている、前代未聞の「法案ミス」問題 菅政権になってから続出した理由) スガノミクス 総務省の対応はダブルスタンダードなのか 法の条文がいかなる時も、現実と合致するとは限らないので、現実との乖離が生じた場合には、法が持つ根本的な理念(あるいは憲法など上位に位置する法)にしたがって解釈する必要がある』、同感である 重要なのは議決権比率だけではない 「放送法には、外国人議決権比率が20%を超えた場合でも、会社側が該当する外国人株主の株主名簿への記載を拒否できる という規定もある。つまり会社側がその気になれば、20%未満の状態を維持するのは簡単なことなのだ」、初めて知った。フジ・メディアHDの場合は、会社側の怠慢だ 東北新社の認定取り消しは妥当ではない 「当時の総務省担当者は「報告を受けた記憶はまったくない」と完全否定している」、役人が都合が悪くなると否定するのはいつものことだ 「東北新社の認定取り消しには別の理由が存在している可能性が否定できない」、どういうことだろう。 外資規制違反で明らかになった総務省の恣意的な法律運用 法がどのような趣旨で存在し、その運用はどうあるべきなのか、しっかりとしたコンセンサスを得た上で、行政府が明確な説明責任を果たさない限り、法によって国益を守ることはできない。総務省は、東北新社の認定取り消しについて、詳細を明らかにすべきだろう』、強く同意する。 ダイヤモンド・オンライン 室伏謙一 「前代未聞の「法案ミス」問題、菅政権になってから続出した理由」 ここまでの法案ミスは前代未聞 このような厳重な手続きを踏んでいれば、「法案ミス」が起こるとは考え難い。 なぜ今回のような「法案ミス」が発生したのか (1)このような厚い体制をも機能不全にさせるほどに法案の作成を急がせた可能性 (2)法案の検討段階で十分な時間を確保する余裕が与えられなかった可能性 (3)一時的なものも含めた職員の能力の低下の可能性 (4)政治の側の法案作成に対する理解度が低下している可能性 今回の一件は、(1)と(4)が複合的に絡み合って起きた可能性が高い 菅政権になって「法案ミス」が続出した理由 「政策の企画立案は不得手な菅首相は、ある種ワンマンに物事を決めようとする傾向が強いようであり、それも「法案ミス」を生む大きな原因となったのだろう」、ありそうなシナリオで、謎が解けた。