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スポーツ界(その32)(“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”、破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ、「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは) [社会]

スポーツ界については、2月23日に取上げた。今日は、(その32)(“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”、破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ、「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは)である。なお、タイトルから「日本の」を削除した。

先ずは、3月5日付け文春オンライン「“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/43824
・『現役時代に203連勝の大記録を樹立し、1984年ロス五輪では無差別級で金メダルを獲得。柔道界の“英雄”山下泰裕JOC会長(63)の株が、ここにきて暴落中だ。きっかけは会長を兼務する、足元の全日本柔道連盟(全柔連)での“パワハラ問題”である。 柔道担当記者が語る。 「昨年4月に事務局で発生したコロナのクラスターを調査する過程で、前事務局長が威圧的な言動を繰り返していた疑惑が浮上した。コンプライアンス委員会はパワハラを認定し、昨年11月に山下会長ら執行部に報告書を提出。ところが前事務局長が退職して調査ができないことを理由に公表せず、放置していたのです」 疑惑について説明する会見で、山下会長は“隠蔽”を強く否定。「(パワハラの)問題そのものに気づかなかった」「JOCに全精力を傾注しなければいけない状況になり、全柔連のことに注意を払えなくなった」などと釈明した。この“責任転嫁”ともとれる発言に、リーダーとしての資質を問う声が上がっている。 「JOC会長就任は森喜朗氏の後押しがあったと言われるだけに、森氏の“女性蔑視発言”にも当初は東京五輪組織委会長の続投を支持していた。その後、後任候補検討委員会を非公開にするように進言。JOCの理事会を非公開化した前例もあり、情報の透明化を避けようとする考え方の持ち主なのです」(前出・記者) また、国民栄誉賞の肩書まであるにもかかわらず、地位に恋々とする一面も』、「JOCに全精力を傾注しなければいけない状況になり、全柔連のことに注意を払えなくなった」、よくぞこんなお粗末な言い訳をするものだ。そんなことでは「JOC会長」も不適任だ。
・『対立していた相手にもあっさり懐柔  「2007年、国際柔道連盟の理事選で再選を目指した際、彼は対立していた会長派から『会長を支持するなら対抗馬を降ろす』と持ち掛けられた。しかし『自らの保身の為に信念を曲げることは出来ない』と会長の強権的姿勢を批判して出馬し、落選。にも関わらず、数年後には会長からの特別指名をあっさり受諾して理事の座に戻ったのです。今では対抗する素振りも全く見せず、懐柔されてしまっています」(全柔連関係者) 都合が悪いことについて他人事になる姿勢は今回だけではない。リオ五輪前の16年1月、男子日本代表の沖縄合宿で同じホテルに居合わせた宿泊客が言う。 「ランドリーの床に柔道着が散乱していたので、チーム関係者に伝えたところ、朝食会場で井上康生監督から4、5分ほど丁寧な謝罪を受けました。ところが一緒にいた山下氏はこちらをチラチラ見ながらも我関せずで、黙々と食事を続けていた。トップなのに当事者意識が全くない態度に、彼の人間性を見た思いでした」 あるインタビューで得意技は「開き直り」と語っていた山下氏。そんな大技を乱発されてはたまらない』、森喜朗氏にとっては、使い易さで「会長」にしたのだろうが、「トップなのに当事者意識が全くない」ようでは、「会長」失格だ。

次に、4月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクション・ライターの藤江直人氏による「破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/269800
・『早ければ来夏からのスタートを目指して、ヨーロッパサッカー界を代表するビッグクラブが集結していた「ヨーロッパスーパーリーグ」構想があっけなく崩壊した。サッカー熱の低い米国の大手投資銀行が動いた背景とは』、熟読してなかったので、よく理解できないままだったので、助かりそうだ。
・『欧州トップのクラブが続々集結 創設チームは昇降格なしの皮算用  唐突に打ち上げられた、季節外れの豪華絢爛な花火が、瞬く間に夜空の彼方へ消えてしまった――。ヨーロッパサッカー界を発信源として世界中を揺るがせながら、発表から48時間とたたないうちに崩壊したサッカーの「ヨーロッパスーパーリーグ」構想を例えると、こうなるだろうか。 騒動の火ぶたが切られたのは、日本時間の4月19日未明だった。レアル・マドリードやバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、ACミランなど日本でもなじみのあるヨーロッパのビッグクラブが、新たなリーグ戦を創設する構想に合意したと電撃的に発表した。 中心として動いていたのは、日本代表MF久保建英の保有権を持つクラブとしても知られる、スペインのレアル・マドリードだった。スーパーリーグを運営する新たな組織のトップに就任した、同クラブのフロレンティーノ・ペレス会長は共同声明の中でこんな言葉をつづった。 「サッカーは40億人以上のファンを抱える、ただ一つのグローバルなスポーツであり、われわれのようなビッグクラブには、サッカーを愛するファンが求めるものに応じる責務がある」 創設で合意したのは、スペイン勢がレアル・マドリード、バルセロナ、アトレティコ・マドリード。イタリア勢がACミラン、インテル、ユベントス。そしてイングランド勢がマンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、リバプール、アーセナル、チェルシー、トッテナムだった。 さらに三つの強豪クラブを加えた15クラブを創設メンバーとして固定。前シーズンの成績に応じて5クラブが入れ替わる形で参加し、8月から翌年5月にかけた戦いで頂点を目指す。試合は原則として平日に開催され、参戦するクラブは週末に各国のリーグ戦も並行して戦っていく』、ドイツやフランスは入ってないようだ。
・『欧州ビッグクラブと関係深いJPモルガン 米国式に倣い、クラブ固定で安定収入狙う  現存するヨーロッパチャンピオンズリーグとほぼ同じ方式として対峙する一方で、大きく異なっているのが、参戦クラブの固定化だ。昇降格がない=一定収入の保証となり、実際に各クラブには3億5000万ユーロ(約457億円)に上る参加ボーナスが約束されている、と報じるヨーロッパのメディアもあった。 金額に関する情報が錯綜した中で、いずれにしても巨額となる運営資金の源泉を探っていくと、アメリカの金融大手、JPモルガン・チェースの存在に行き着く。彼らの莫大な融資が担保されていたからこそ、昨春から続く新型コロナウイルス禍で未曽有の減収を余儀なくされていたビッグクラブが、いっせいに飛びつく状況を生み出した。 もっとも、ここで素朴な疑問が残る。ヨーロッパサッカー界に生まれようとしていた新たな動きに、今年1~3月に143億ドル(約1兆5600億円)と四半期として過去最高の最終利益を上げた、アメリカのJPモルガンがなぜメインスポンサーとして関わっていたのか、だ。 接点の一端はイングランドの名門、マンチェスター・ユナイテッドに見られる。2013年から同クラブの実質的なトップを務めているイギリス出身の実業家、エド・ウッドワードCEO兼上級副会長は、JPモルガン・チェースのM&A部門でらつ腕を振るったキャリアを持つ。 マンチェスター・ユナイテッドは05年までに、アメリカのグレイザー家によって買収された。その過程でアドバイザーとして、JPモルガン・チェースが持つ豊富なノウハウを提供したウッドワード氏が、買収完了後にマンチェスター・ユナイテッドへ転職した。 この一件にとどまらず、JPモルガンは早い段階からヨーロッパサッカー界を、投資に見合ったリターンが望める新たな標的に据えて関係を深めてきた。現在はスーパーリーグ創設で合意したクラブの多くを顧客に持ち、特に中心的存在を担うペレス会長とは昵懇の仲にあるとされている。 加えて、今ではマンチェスター・ユナイテッドに加えてリバプール、アーセナル、ミランのオーナーをアメリカ人の実業家が務めている。アメリカ式プロスポーツの運営方式をヨーロッパに導入する舞台が整った状況で、新型コロナウイルス禍が背中を押した。 アメリカ式プロスポーツとは、野球のMLBやバスケットボールのNBAに代表される昇降格のない舞台が前提となる。00年代初頭から新たなリーグ戦の必要性を訴えてきたペレス会長も、JPモルガンという後ろ盾を得て、ついに時が来たと先頭に立ったのだろう』、「JPモルガン・チェース・・・の莫大な融資が担保されていたからこそ、昨春から続く新型コロナウイルス禍で未曽有の減収を余儀なくされていたビッグクラブが、いっせいに飛びつく状況を生み出した」、万一の場合のバックアップとしてならあり得るが、恒常的な「融資」は考え難い。「アメリカ式プロスポーツ」のような「昇降格のない」、を導入しようとは驚いだ。
・『英ウィリアム王子、ジョンソン首相も批判 競技団体とファンから総スカンで瓦解  しかし、結果から先に言えば、JPモルガンは日本時間4月23日に、スーパーリーグからの撤退を示唆する緊急声明を発表した。JPモルガンの口座解約を個人や企業に求める抗議活動がヨーロッパで広まった中で、声明には構想が瓦解した理由が凝縮されていた。 「この取引が、サッカー界からどのように見られ、将来へどのような影響を与えるのか、という点についてわれわれは明らかに判断を見誤っていた。今回の一件から学んでいきたい」 若い世代へ訴求性を高める手段として、ペレス会長は前後半の90分間で行われている現行の試合を、NBAに倣ってクオーター制に変える私案も披露していた。これが、古き良き伝統を大切にするヨーロッパ、とりわけサッカーの母国という自負を抱くイングランドで猛反発を受けた。 スーパーリーグに参戦を表明した6クラブの公認サポーター団体だけでなく、イングランド・サッカー協会の総裁であるイギリスのウィリアム王子までもが激しく批判。ボリス・ジョンソン首相は、法整備を含めてあらゆる手段を行使して構想を阻止すると明言し、現役の選手や監督からも反対する声が上がった。 かねてペレス会長らと水面下で調整の場を設けてきた、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)も黙ってはいなかった。3カ国のサッカー協会やリーグ機構との共同で発表した声明の中で、スーパーリーグを「私利私欲に基づいた、冷笑的なプロジェクト」と一刀両断した上でこうつづった。 「Enough is enough(いい加減にしろ)」 国際サッカー連盟(FIFA)も同調した中で、UEFAは、スーパーリーグに参加したクラブは各国内、ヨーロッパ、世界レベルで行われるすべての大会から除外されると警告。所属選手が母国の代表チームにおける出場機会をも失う可能性があるとまで踏み込んでいた。 激しい批判にさらされた状況下で、ロシア資本のマンチェスター・シティとカタール資本のチェルシーが脱退を表明。発表から2日とたたないうちに、残る4つのイングランド勢も追随し、マンチェスター・ユナイテッドに至ってはキーマンのウッドワードCEOが年内限りで辞任すると発表した。 脱退の連鎖はイタリア勢と、スペインのアトレティコ・マドリードにまで伝播。レアル・マドリードとバルセロナだけが残った中で、スーパーリーグ参戦へのオファーを拒否したとされるドイツの強豪、バイエルン・ミュンヘンは声明の中でヨーロッパサッカー界が歩むべき道を説いた。 「新型コロナが生み出した各クラブの財政的問題を、スーパーリーグが解決するとは思わない。むしろヨーロッパのすべてのクラブが連帯してコスト構造の改造を、特に選手の報酬やエージェント費用がコロナ禍における収益と見合ったものにするように取り組む必要がある」 アメリカ資本がからんだ性急なスーパーリーグ構想は完全に崩壊したが、騒動の発端は今に始まったものではない。チャンピオンズリーグの拡大など、増収を第一に掲げる施策を採ってきたUEFAと、有力選手を数多く抱えるビッグクラブとの軋轢は、形を変えて繰り広げられていくだろう』、「スーパーリーグ参戦へのオファーを拒否したとされるドイツの強豪、バイエルン・ミュンヘン」、なるほど拒否していたとはさすがだ。それにしても、「JPモルガン」がこんなピエロのような役割を演じるとは、呆れ果てた。流産したからよかったが、仮に業界が割れる形で、発足していたら、それはそれで欧州サッカー界に深い分断をもたらしていただろう。

第三に、5月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した事件ジャーナリストの戸田一法氏による「「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/271130
・『テレビで放映された女性アスリートの画像をアダルトサイトに無断で転載したとして、警視庁は著作権法違反(公衆送信権の侵害)の疑いで、京都府精華町の自称ウェブデザイナー小山幸祐容疑者(37)を逮捕した。競技会場で性的な意図で画像や動画を撮影されたり、インターネットで拡散されたりする被害は、競技団体やアスリートにとって悩みの種。日本オリンピック委員会(JOC)が対策に乗り出し、警視庁に被害を相談してきたが、摘発に至ったのは初めて。この事件を契機に、規制の強化につながる可能性はあるのか』、興味深そうだ。
・『苦肉の策だった「著作権法違反」  全国紙社会部デスクによると、小山容疑者の逮捕容疑は2019年5月18日、テレビのスポーツ番組で放映された複数の女性アスリートが競技している映像を、静止画としてピックアップ。そのうちの画像39点を自分が運営するサイトに無断で転載した上、不特定多数のネット利用者が閲覧できる状態にしてテレビ局の著作権を侵害した疑い。 このサイトは「アスリート」という項目で、「放送事故」「エロハプニングシーン」など性的なイメージのコメントを掲載。ほかにも女性の裸などわいせつな画像を集めた計九つのサイトを運営し、11年2月~今年3月までの約10年間で計約1億2000万円の広告収入を得ていた。サイトは無料で、目的は広告収入だったとみられ、最近では月に100万円以上の収入があったという。) 小山容疑者は逮捕前の任意聴取に「違法性は認識していたが、サイトの収入で生活しており金が目的だった」と説明。9日の逮捕直後は「悪いこととは分かっていたが、まさか逮捕されるとは思わなかった」と供述し、その後は黙秘に転じたという。 逮捕容疑となったサイトの画像そのものは、わいせつ性が認められなかった。警視庁はアスリートを被害者とする名誉毀損(きそん)容疑での立件も検討したが、画像の内容から困難と判断したもようだ。 実は現在、こうした画像や動画を拡散させる行為をダイレクトに取り締まる法律はない。可能性としてはアスリートの肖像権を侵害し、氏名などの個人情報を付けて性的なコメントを拡散する行為は、場合によっては名誉毀損罪のほか、侮辱罪に該当する可能性はあると思う。今回、そこまで踏み込むのが難しかったのだろう。 今回のケースを著作権法違反で立件したのは、実は苦肉の策だったのかもしれない』、「苦肉の策」かも知れないが、なかなか上手い手だ。「月に100万円以上の収入」とは上手い儲け手段にもなっているようだ。
・『刑法で禁止されていないアスリートの「盗撮」  一方、アスリートに限らず「盗撮行為」は刑法で禁止するものがなく、各都道府県の「迷惑防止条例」で取り締まっているのが現実だ。しかも、一般的に盗撮とは、衣服で隠されている下着や体、プライベートな空間を隠し撮りする行為を指す。公開の場でユニホームを着用しているアスリートを撮影する行為は、条例でも取り締まることは不可能だろう。 女性アスリートの画像や動画を巡っては昨年8月、日本陸上競技連盟のアスリート委員会に、日本代表の経験もある複数の現役選手から「胸やお尻をアップにした写真を無断で撮影され、SNSで拡散された」との相談があった。 これがきっかけとなり11月、JOC、日本スポーツ協会、日本障がい者スポーツ協会、日本スポーツ振興センター、大学スポーツ協会、全国高等学校体育連盟、日本中学校体育連盟の7団体が「アスリートの盗撮、写真・動画の悪用、悪質なSNS投稿は卑劣な行為」とする声明を発表。JOCは公式サイトに被害の通報窓口を設け、これまで約1000件の届け出があった。 声明発表後に、警視庁サイドからJOCに協力の申し出があり、担当者が捜査員に情報を提供。その中には、小山容疑者のサイト関連が4件含まれていたという。 スポーツを専門にしてきた全国紙写真部デスクによると、こうした被害はネットが普及し始めた約20年前から急増。それ以前は「カメラ小僧」などと呼ばれるマニアが、高校野球のチアリーダーを盗撮して雑誌に投稿するようなケースが一般的だった。 しかし、うまく撮影できると「自慢したい」という心理が働くのか、ネット普及後は「お宝」など目を引くタイトルで画像や動画を拡散するように。さらにはDVDが販売される被害も確認され、各競技団体は危機感を募らせた。 最近は競技会場で「盗撮を発見次第、警察へ通報いたします」などと呼び掛ける看板を設置するなどしているが、アスリートの家族や純粋なファン、メディアの撮影もあり、カメラの持ち込みや撮影を規制するのは不可能だ。 最近はスマートフォンの撮影機能が高性能になっていることもあり、瞬時に撮影してバッグに隠されると手の打ちようがない』、「スマートフォンの撮影機能が高性能に」、伝達手段として「SNS」が普及、などを考慮すると、「JOCは公式サイトに被害の通報窓口を設け、これまで約1000件の届け出があった」、というのも氷山の\一角だろう。
・『競技団体と撮影者で続くいたちごっこ  最近では、赤外線カメラを使いユニホームどころかアンダーウエアまで透過撮影するカメラが登場。こうなると競技団体は放置できない。体操は04年から観客の撮影を原則禁止、フィギュアスケートは05年に全面的に禁止した。当たり前だが、家族や関係者からは「なぜ、自分の娘を撮影できないのか」などという抗議もあったらしい。 スポーツ用品メーカーがそうした透過撮影を防止する特殊素材の開発に着手したが、これは「アスリートを卑劣な盗撮から守る」という熱意によるという。 あまり知られていないが、新潟市で昨年9月、無観客で開催された日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ、大学陸上競技部の対校試合)で、ライブ配信された応援メッセージに、性的な投稿が相次いだ。出場したアスリートは「友人の指摘で気付いた」「これを親に見られたらきつい」と肩を落としていたという。 実はこうした被害は実業団や大学生などトップアスリートに限らず、高校生や中学生の大会のほか、小学生の運動会にも不審者が出没する。実際、筆者の娘が小学生だった頃、運動会を保護者ではない人物が撮影しており、保護者や教員ともちょっとしたもめごとになったことがあった。 この記事を書くため、アスリートと性的なキーワードでネット検索したところ、驚くほど大量の画像と動画がヒットした。目を背けたくなるような卑猥(ひわい)なコメントが付けられているものもあり、中には児童のものも含まれていた。) 前述の通り、体操やフィギュアスケートは撮影禁止という「強硬手段」に打って出たが、ほかはほとんどが、競技会場の見回りや撮影を許可制にするなどが精いっぱい。対策を取っても、それをかいくぐろうとする撮影者といたちごっこが続いているのが現状だ。 前述の写真部デスクによれば、「以前、競技団体に取材した際に聞いた話」として、将来が有望とされていた高校生が、卑猥なコメントを付けられた自分の動画があることを知人に指摘され、ショックで競技を辞めたケースがあったと明かした。 ロイター通信によると先月、体操の欧州選手権大会で、ドイツのチームがレオタードではなく、足首まで覆う「ボディースーツ」で演技し、注目された。ドイツの競技団体は「画像や動画の拡散に抗議する意味を込めた」と説明。こうした被害は日本だけではないことを示唆しているが、アスリートがこうしたことを危惧する状況は、やはり「おかしい」と言わざるを得ない。 海外では韓国やフランスなどで、性的な目的での無断撮影や拡散が法律で禁じられている。19年には韓国で開催された水泳の世界選手権大会で、女性選手を盗撮したとして、30代の日本人男性が摘発された。 日本でも法務省の性犯罪に関する刑事法検討会で「盗撮罪」創設が議論されているが、チアリーディングなど公開の場で「見せる」ことを目的とした競技や、純粋に競技を撮影したいという善意のファンまで規制するのか――といった線引きが難しい問題もある。 しかし、女性アスリートが安心して競技に専念できるよう、法整備が必要なのは論をまたないだろう』、「体操やフィギュアスケートは撮影禁止という「強硬手段」に打って出た」、それ以外はまだ我慢しているのだろう。ただ、法技術的には極めて難しいのに、「法整備が必要なのは論をまたない」などと主張するのは、無責任だ。
タグ:文春オンライン 「体操やフィギュアスケートは撮影禁止という「強硬手段」に打って出た」、それ以外はまだ我慢しているのだろう。ただ、法技術的には極めて難しいのに、「法整備が必要なのは論をまたない」などと主張するのは、無責任だ。 「苦肉の策」かも知れないが、なかなか上手い手だ。 「「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは」 「破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ」 「スーパーリーグ参戦へのオファーを拒否したとされるドイツの強豪、バイエルン・ミュンヘン」、なるほど拒否していたとはさすがだ ドイツやフランスは入ってないようだ。 英ウィリアム王子、ジョンソン首相も批判 競技団体とファンから総スカンで瓦解 中心として動いていたのは ダイヤモンド・オンライン レアル・マドリード 「“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”」 戸田一法 「アメリカ式プロスポーツ」のような「昇降格のない」、を導入しようとは驚いだ。 「月に100万円以上の収入」とは上手い儲け手段にもなっているようだ。 それにしても、「JPモルガン」がこんなピエロのような役割を演じるとは、呆れ果てた。流産したからよかったが、仮に業界が割れる形で、発足していたら、それはそれで欧州サッカー界に深い分断をもたらしていただろう。 「JOCに全精力を傾注しなければいけない状況になり、全柔連のことに注意を払えなくなった」、よくぞこんなお粗末な言い訳をするものだ。そんなことでは「JOC会長」も不適任だ。 「JPモルガン・チェース・・・の莫大な融資が担保されていたからこそ、昨春から続く新型コロナウイルス禍で未曽有の減収を余儀なくされていたビッグクラブが、いっせいに飛びつく状況を生み出した」、万一の場合のバックアップとしてならあり得るが、恒常的な「融資」は考え難い。 藤江直人 森喜朗氏にとっては、使い易さで「会長」にしたのだろうが、「トップなのに当事者意識が全くない」ようでは、「会長」失格だ。 「スマートフォンの撮影機能が高性能に」、伝達手段として「SNS」が普及、などを考慮すると、「JOCは公式サイトに被害の通報窓口を設け、これまで約1000件の届け出があった」、というのも氷山の\一角だろう サッカーの「ヨーロッパスーパーリーグ」構想 (その32)(“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”、破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ、「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは) スポーツ界
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電気自動車(EV)(その9)(ホンダ「脱エンジン」の衝撃3題(① EVに全集中、大胆すぎる「生存戦略」、② 「ホンダの豹変」でサプライヤーも発奮、③ 「電動化100%目標」に3つの焦点)、佐川急便が中国製EV導入の衝撃、日の丸自動車が家電の「二の舞い」になる懸念) [イノベーション]

電気自動車(EV)については、1月9日に取上げた。今日は、(その9)(ホンダ「脱エンジン」の衝撃3題(① EVに全集中、大胆すぎる「生存戦略」、② 「ホンダの豹変」でサプライヤーも発奮、③ 「電動化100%目標」に3つの焦点)、佐川急便が中国製EV導入の衝撃、日の丸自動車が家電の「二の舞い」になる懸念)である。

先ずは、4月30日付け東洋経済Plus「ホンダ「脱エンジン」の衝撃① EVに全集中、大胆すぎる「生存戦略」」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26878
・『ホンダが新たにブチ上げた電動化戦略。2040年までに新車をEV、FCVにするという思い切った計画だ。異例の決断の背景に何があるのか。 「まさかここまで踏み込んで具体的な時期や数字を出すとは思わなかった」。あるホンダ系部品メーカー幹部は、ホンダが新たにブチ上げた電動化の戦略に驚きを隠さなかった。 ホンダの三部敏宏社長は4月23日の就任会見で、グローバルで売る新車を2040年までに全て電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)にする目標を打ち出した。日本政府が掲げる2050年温室効果ガス排出実質ゼロに歩調を合わせた形で、「自動車メーカーとしてまずTank to Wheel(注)(車の走行時)のカーボンフリーを達成する責務がある」(三部社長)と力を込めた。 ガソリン車だけでなくハイブリッド車(HV)すら販売しない中長期の目標を表明したのは、日本の自動車メーカーで初めてだ。HVも含めたフルラインナップでの電動車戦略を推し進めるトヨタ自動車に対し、ホンダはそれと異なる道を行く決断を下したといえる』、「ガソリン車だけでなくハイブリッド車(HV)すら販売しない中長期の目標を表明」、とは確かに思い切った戦略だ。
(注)Tank to Whee:自動車の燃料タンクからタイヤを駆動するまでなので、充電段階は考慮しない。他方、Well to Wheelは、油田からタイヤを駆動するまでという意味(日本機械学会誌誌2017/11)なので、充電段階から考慮。
・『「エンジンのホンダ」がなぜ?  ホンダはかつて、マクラーレン・ホンダがF1で一世を風靡したように、「エンジンのホンダ」と呼ばれるほどエンジン開発に力を注いできた。 1970年代には新型エンジンを開発してアメリカの環境規制をいち早くクリアするなど、エンジン開発を成長に結びつけてきた。技術畑の三部氏もそんな開発の現場に身を置いてキャリアを築いてきた一人だ。 にもかかわらずEVとFCVに思い切って舵を切る背景には、世界的に加速する「脱エンジン車」への強い危機感がある。 アメリカのゼネラル・モーターズ(GM)は35年までにガソリン車を全廃し、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)は2030年にVWブランドで欧州販売の7割以上をEVにする目標を掲げる。国単位でもイギリスが2030年、フランスは40年までにガソリン車の新車販売を禁止する。アメリカはカリフォルニア州などが2035年までにZEV(ゼロ・エミッション・ビークル、走行時に排ガスを出さない車)以外の販売を禁じる方針だ。 こうした流れの中、ホンダは2016年発売のFCV「クラリティ FUEL CELL」の累計販売台数が約1800台(2020年末)、初の量産型EV「Honda e」は年間販売目標が日欧で1万台強にとどまる。将来的な電動車の本命とされるEV、FCVへ対応が進んでいるとはいい難い状況だった。 ホンダは自前主義で独立路線を貫いてきたが、今後は米国では提携関係にあるGM、中国では電池大手のCATLと組んでEV中心の電動化戦略を推し進める。 自動車メーカーにとってCASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)と呼ばれる次世代技術への研究開発投資は重く、提携を生かしてEVやFCVの開発につなげる計画を描く。効率化を図るため、今後は車種の絞り込みに動く可能性も十分ある』、かつてCVCCエンジンを開発するなど「エンジンのホンダ」が、「エンジン」生産から手を引くというのは一抹の寂しさも覚える。
・『急展開に伴うリスクも  ただ、EV化の急速な推進にはリスクもはらむ。1つはGMとの関係だ。提携では、GMがバッテリーなどのEV分野の開発、ホンダはエンジンの開発をそれぞれ担う。EVはコストの3~4割を占めるとされるバッテリー価格をどう引き下げていくかが販売価格を決めるうえでカギを握る。 GMは目下、韓国のLG化学と組んで米国内に電池工場を建設する巨額投資を進めている。EV拡大で腹を決めたホンダにとって、電池の確保という面でGMは心強い存在のはずだ。 だが、バッテリー技術の開発や投資でGMに主導権を握られたままだと、ホンダの新車開発がGMの動向に左右されかねない。それを防ぐためには、アメリカの電池調達で複数の取引先を開拓する必要があるだろう。 また、ホンダがEV、FCVへの集中投資を鮮明にした中、GM向けにエンジン開発を続けることにメリットが見えづらい。 もう1つのリスクはサプライチェーン(部品供給網)の維持だ。「ホンダの戦略はサプライヤーによっては死活問題だ」。あるホンダ系部品メーカーの幹部はそう語る。 将来的にガソリン車を“捨てる”というホンダの決断は、エンジン関連の部品メーカーには経営戦略の大転換を迫るものだからだ。エンジン周りとは別の部品メーカーも「われわれとしても考え方を変える。守備範囲(取り扱う部品)を広げないと生き残れない」(幹部)と危機感を示す。 これまでホンダ系のサプライヤーは再編を繰り返してきた。ホンダが大株主のサプライヤーもあり、今後はメーカー主導の再編が起きる可能性もある。ホンダは単に目標を掲げるだけではなく、電動化時代に対応できる取引関係を構築していくことが不可欠だ。 提携拡大とサプライチェーン維持に潜むリスクをどうコントロールできるか。それはホンダにとっての試練であり、電動化戦略の実現に向けた重要なポイントでもある』、確かに「サプライヤーの「再編」も必至だろう。
・『四輪事業は低収益にあえぐ  ミニバン市場を開拓した「オデッセイ」や「ステップワゴン」、軽自動車で「スーパーハイトワゴン」市場を作り上げた「N-BOX」など、ホンダはこれまで独自性のある商品を投入することで一定の存在感を示してきた。 しかし現在、ホンダの四輪事業は長年にわたるヒット車不足と低収益性にあえぐ状態が定着している。お膝元の日本ですら、登録車の販売台数上位20車種(2020年度)に入るのは3車種(フィット、フリード、ステップワゴン)のみ。営業利益率は1.5%と、トヨタ(8%)やスバル(6%)と比べて大きく水を開けられている。 八郷隆弘前社長時代、ホンダは2010年代前半の拡大戦略で膨れ上がった生産体制や、創業者・故本田宗一郎氏時代から聖域とされてきた本田技術研究所の再編にも踏み切った。こうした構造改革の効果が今後本格的に現れてくるのが2021年度以降となる。 ホンダはグローバルで推し進める新たな電動化戦略のために、研究開発に今後6年間で5兆円を投資する。将来に向けた投資を計画通り推し進めるためにも、現行車種のラインナップでしっかりと収益を上げていくことも欠かせない。 国内外の自動車メーカーがこぞってEVを投入する中、商品性と収益性の高いモデルを投入し、「ホンダらしさ」をどうユーザーに示していくか。「課題はたくさんあるが、同時に取り組んでいくしかない」と覚悟を語る三部新社長の双肩にホンダの将来がかかっている』、「ホンダらしさ」を何とか維持してもらいたいものだ。

次に、この続きを、4月30日付け東洋経済Plus「ホンダ「脱エンジン」の衝撃② 「ホンダの豹変」でサプライヤーも発奮」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26877
・『ホンダが新たにブチ上げた電動化戦略。2040年までに新車をEV、FCVにするという思い切った計画だ。異例の決断の背景に何があるのか。 「豊田章男社長にしてみたら『ばかやろう!』と思っているのではないか」 トヨタ系サプライヤ-の首脳は、4月23日にホンダが発表した新たな電動化戦略について、皮肉交じりにそう話した。 前日の22日、トヨタ自動車の豊田社長は日本自動車工業会の会長として会見を行った。「カーボンニュートラルへの道は1つではない」としたうえで、「日本の自動車産業が持つ高効率エンジンとモーターの複合技術に、水素から作る『e-fuel』やバイオ燃料といった新しい燃料を組み合わせることができれば、大幅なCO2低減というまったく新しい世界が見えてくる」と力説していたからだ』、「ホンダが発表した新たな電動化戦略」、の前日に「トヨタ自動車の豊田社長」が「カーボンニュートラルへの道は1つではない」と講演していたのであれば、「ホンダ」は実に拙い日に発表したものだ。
・『トヨタと同じではらちがあかない  ところが、ホンダが打ち出した電動化戦略は、2040年までにグローバルで販売する新車をすべて電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)にするというもの。新燃料もエンジンも、さらにはハイブリッド車(HV)も自社の電動化の道筋から“排除”し、振り切った戦略を打ち出したのだ。 三部氏自身も4月23日の会見でe-fuel燃料などの新燃料について「一部の特殊車両やドライビングを楽しむ車では残っていく可能性はあるが、私個人的にはマジョリティ(多数派)としてはかなり難しいと考えている」と語り、考え方の違いが際立った。 前出の首脳は「ホンダは昔からドンとブチ上げることが多い。全方位(HV、PHV、FCV、EV)の戦略で電動車の開発を進めるトヨタと同じことをやっていても、らちがあかないということなのだろう」とも話す。 これまでホンダは、2030年に世界で販売する四輪車の3分の2を電動化するという目標しか掲げていなかった。そのホンダが豹変した。新たな数字を突きつけられて面食らったのは、他ならぬホンダ系のサプライヤーだ。 「電動化比率を引き上げる方向性に驚きはないが、このタイミングであの数字を出してきたのは驚いた」「具体的な数字を言うとは思わなかった。というか、ホンダがあそこまで考えていたとは、知らなかった」など、サプライヤー幹部たちは異口同音に驚きの言葉を口にする。 一方、新社長就任のタイミングで飛び出した数字に、ホンダ系部品会社からは「ホンダはEVよりもむしろ、HVやFCVに取り組んできた。いきなり今回のような計画を掲げて、本当にできるのか」と懐疑的な声も聞かれる。ホンダ関係者によれば、目標数字を決める議論は半年前から活発化したという』、サプライヤー幹部の「本当にできるのか」との反応には、希望的観測も混じっていそうだ。
・『新たな歴史をつくれるのか  実際にどこまで達成できるかは未知数だが、「ホンダが新たな戦略を打ち出したことで、電動化の流れの中でやっと世界と伍して戦える」(別のホンダ系サプライヤー幹部)と前向きに考える会社もある。ただ、ホンダ頼みというわけではなく、この幹部は「われわれも考え方を変えて、(取扱い部品を拡大するなど)守備範囲を広げないと生き残れない」と気を引き締める。 4月23日の会見でホンダの三部敏宏新社長は、「つねに本質と独創性にこだわり続ける会社でありたい」と語った。ホンダ系サプライヤーの幹部は「ホンダは優れたエンジンを開発して、市場を開拓してきた。今後、エンジンからモーターへという新たな歴史をつくるかもしれない。死に物狂いで(電動化を)やるだろう。われわれも培ってきた技術を生かして、ホンダと一緒に取り組んでいきたい」と話す。 ホンダの大胆な方針がサプライヤーにとって強烈な刺激になったことは間違いない』、「ホンダ」と「サプライヤー」が荒波を乗り越えることを期待したい。

第三に、この続きを、4月30日付け東洋経済Plus「ホンダ「脱エンジン」の衝撃③ 「電動化100%目標」に3つの焦点」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26873
・『ホンダが新たにブチ上げた電動化戦略。2040年までに新車をEV、FCVにするという思い切った計画だ。異例の決断の背景に何があるのか。 2030年に世界で販売する四輪車の3分の2を電動化する――。 2016年にホンダが掲げた方針はずっと変わらずに来た。「具体性がない」とアナリストや投資家から批判されてきた中、今回打ち出した電動化戦略は具体的かつ野心的だ。 主要市場ごとに、2040年100%電動化(EVとFCV)に向けたロードマップも示している。そのポイントを見ていこう。 ホンダの年間販売台数は約500万台で、グローバルでは5位につける大手メーカーの一角だ。販売台数で中国、北米、日本を合計すると全体の販売の8割近くを占める。 今回掲げた電動化戦略ではその3大市場の方向性を示した。 北米は提携関係にあるゼネラル・モーターズ(GM)と共同開発する大型EVを2024年に2車種投入。2030年にEV、FCVの販売比率を40%、2035年に80%、2040年に100%にする計画だ。 大型EVのほかに、ホンダが開発する新たなEVプラットフォームを使ったEVを2020年代後半から順次投入する。現在の量産車種である「アコード」や「シビック」などをそのままEV化するのか、それとも北米での車種を絞り込むのかどうかが今後のポイントだろう。 現在、年間で100万台以上を販売する中国では、今後5年以内にホンダブランドで10車種のEVの発売を計画する。EV、FCVの販売比率の拡大計画は北米と同じだ。 中国ではすでに格安のEVが躍進している。その代表格が上汽通用五菱汽車の小型EV「宏光MINI」だ。航続距離は最安モデルで120km、車両価格は2.88万元(約48万円)で、所得が低い農村部を中心に人気を呼んでいる。 ホンダが中国市場で今後展開するEVはどの価格帯を狙っていくのか。車種展開とともに「価格設定」が1つのポイントになりそうだ。 日本は、2030年にEV・FCVの比率を20%、2035年に80%まで引き上げる。北米や中国との違いは、ハイブリッド車(HV)を含めて2030年に100%電動化を達成するという点だ。 ホンダの三部敏宏社長が4月23日の会見で、「日本はハイブリッド市場なので」と述べたように、現在、HVが新車販売(軽を除く登録車ベース)の約6割近くを占めている。その割合を一段と引き上げていくわけだが、2030年から5年で一気にEV、FCV比率を8割まで引き上げる道筋は明確に示されていない。 日本市場の目先のポイントは電動車モデルが現状ゼロの軽自動車だ。まず、2024年にEVを投入し、HVモデルの開発も進める。 現在、通常よりも背が高い「スーパーハイトワゴン」と呼ばれる車形では、ホンダの「N-BOX」が強く、2020年は全乗用車で販売台数が1位になった。今やホンダの国内販売における約半分を軽自動車が占める。ホンダの軽であるNシリーズはN-BOX、N-ONE、N-VAN、N-WGNの4タイプがある。一番の売れ筋であるN-BOXが2024年のEV投入の最有力候補だ。EVの拡大で効率化を図る上で、軽の車種を絞り込む可能性もあるだろう。グローバルで推し進める電動化戦略のために、研究開発に今後6年間で5兆円を投資するという。目標をブチ上げ、その計画通り各国でEV、FCV比率を急速に高められるのか。大胆に舵を切ったホンダの実行力が問われる』、「現在、HVが新車販売(軽を除く登録車ベース)の約6割近くを占めている」、こんなにHVの比率が高いとは初めて知った。「一番の売れ筋であるN-BOXが2024年のEV投入の最有力候補だ」、「軽自動車」の「EV化」には難しい問題があるのだろうか。

第四に、5月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した法政大学大学院教授の真壁昭夫氏による「佐川急便が中国製EV導入の衝撃、日の丸自動車が家電の「二の舞い」になる懸念」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/271307
・『物流大手の佐川急便が中国製EVの導入を発表した。世界は脱炭素に向けて急速にEV化を進めているが、日本の自動車産業にとって無視できないマイナス面もありそうだ。その一つは、EV化によって日本が得意とする「すり合わせ技術」を生かす余地が減ってしまうこと。中長期的な展開を考えると、わが国経済を支えてきた自動車メーカーが、1990年代以降の家電業界の「二の舞い」になる展開は軽視できない』、「自動車メーカーが、1990年代以降の家電業界の「二の舞い」になる展開は軽視できない」、とは穏やかならざるご託宣だ。
・『「EV化」は日本が得意な「すり合わせ技術」の余地が減る  世界の主要国は環境問題に対応するため、脱炭素政策を推進することを明確にしている。今後、脱炭素政策は、わが国にもさまざまな分野で大きな影響を与えることになるだろう。その中で、自動車の電動化についてはかなり明確な目標が設定され、主要自動車メーカーは「ゲームチェンジ」ともいえる大きな変化への対応が必要だ。その変化にいかに対応するかによって、自動車メーカーの生き残りが決まると言っても過言ではない 2030年までに英国はガソリン車とディーゼル車の新車販売を禁止するなど、電気自動車(EV)を重視する国は増えている。それをビジネスチャンスとみて、既存の自動車メーカーやIT先端企業などがEVの設計・開発、および生産に取り組んでいる。この一連の流れをEV化と呼ぶとすると、EV化は、まさに世界の自動車産業のゲームチェンジといえるだろう。 それは、わが国の自動車産業にとって無視できないマイナス面もありそうだ。その要因の一つは、EV化によって自動車の生産は、日本の自動車メーカーが得意とする「すり合わせ技術」を生かす余地が減ってしまうことだ。EVの場合は、スマートフォンのような「ユニット組み立て型」産業へと移行するとみられるためだ。 また、政府は、2030年度の温室効果ガス削減目標を2013年度比46%減に引き上げた。わが国の再生可能エネルギーの利用は遅れている。その状況下、企業が目標を達成するためには、生産拠点を海外に移さなければならない。いずれも、わが国自動車産業の強みを削ぐ。 気がかりなのは、国内の完成車メーカーがハイブリッド車などを重視し、EV化への対応が遅れていることだ。物流大手の佐川急便が中国製EVの導入を発表したことは、それを確認する機会だ。中長期的な展開を考えると、わが国経済を支えてきた自動車メーカーが、1990年代以降の家電業界の「二の舞い」になる展開は軽視できない』、「「EV化」は日本が得意な「すり合わせ技術」の余地が減る」のは確かで、「わが国経済を支えてきた自動車メーカーが、1990年代以降の家電業界の「二の舞い」になる展開は軽視できない」、も納得した。
・『佐川急便による中国製EV導入のインパクト  4月13日、佐川急便は、配達車両として採用するEVのプロトタイプを公開した。佐川急便が導入するEVは、わが国のEVスタートアップ企業であるASFが企画と開発を担当し、中国の広西汽車集団が生産を行う。ASFは、佐川急便のドライバーのリクエストなどに基づいてEVの開発を進めた。報道によれば、同社が生産の委託を検討する際、対象となったEVメーカーのすべてが中国企業だったようだ。 それは、わが国の自動車業界および経済全体にとって無視できない変化と考えなければならない。重要なことは、脱炭素の推進のために重要性が高まるEVの供給に関して、中国企業をはじめとする新規参入者が、わが国の大手自動車メーカーの先手を取ったことだ。つまり、自動車産業において、分業体制(設計・開発と生産の分離)が進み始めている。 別の視点から考えると、わが国の自動車メーカーにとって、ユーザーのニーズに応じた自動車を迅速に提供するという発想はあまり強くないようにみえる。本来、すり合わせ技術を強みに環境性能、安全性、および耐久性を磨いてきたわが国自動車各社にとって、そうした要望に応じることは難しいことではないだろう。 しかし、結果として各社は需要を逃した。その背景要因は冷静に考えなければならない。わが国の自動車メーカーには、低価格の車種を開発することへの抵抗感や、自動車は「完成車メーカーの思想に基づいて造るもの」といった価値観があっただろう。そのほかにも複数の要因が考えられる。いずれにせよ、今回のケースは、完成車メーカーをはじめわが国の自動車産業が世界全体で進むEV化にうまく対応できていない部分があることを確認する機会になった』、「すり合わせ技術を強みに環境性能、安全性、および耐久性を磨いてきた」、いわゆるプロダクト・アウトで、マーケット・インとは対極だ。
・『自動車業界が家電の「二の舞い」になる懸念  その状況が続いた場合、今すぐではないにせよ、自動車業界が、1990年代以降にわが国の家電メーカーが直面したような状況を迎える可能性は軽視できない。 1990年代以降の世界経済では台湾、韓国、中国などアジア地域の新興国の工業化が進んだ。その結果、世界経済におけるモノの生産システムが急速に変化し始めた。それまで、テレビをはじめとする家電分野では、垂直統合のビジネスモデルを基底に、すり合わせ技術に強みを発揮したわが国企業が世界のシェアを獲得した。 しかし、新興国企業の生産技術が向上したことによって、家電の生産は世界各国から優秀なパーツを集め、それを労働コストの低い新興国で組み立てて完成品を生産する「ユニット組み立て型」へ移行した。その結果、新興国企業の価格競争力が高まり、わが国企業からシェアを奪った。 現在、世界の薄型テレビ市場におけるトップ5社を見ると、サムスン電子を筆頭に4位までを韓国、中国企業が占める。わが国からはソニーが5位に踏みとどまっている。家電メーカーではない、生活用品の企画製造・販売大手のアイリスオーヤマがテレビ市場に参入できたのも、こうした国際分業の進展があったからだ。 新興国企業の成長を追い風に、米アップルはiPhoneの設計と開発に取り組み、その生産(組み立て)を台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業に委託して高い成長を遂げた。デジタル家電分野での設計・開発と生産の分離という環境変化への対応が遅れたフィンランドのノキアは、携帯電話メーカーから業態を変え、5G通信基地など通信機器メーカーとして事業体制を立て直した。半導体分野でも台湾積体電路製造(TSMC)がいち早くファウンドリー(受託製造)のビジネスモデルを確立し、米国のファブレス企業の生産ニーズを取り込んで成長を遂げた。その結果、世界の半導体産業の盟主の座は米インテルからTSMCにシフトしている』、なるほど。
・『日本電産がモータシステムの生産を強化 自動車関連企業が迫られる業態転換  世界の自動車業界でも同じような変化が加速度的に進んでいる。5年後も10年後も、今日の世界の大手完成車メーカーが、その地位にあるとは言い難い。わが国自動車メーカーが環境変化に対応するためには、大胆な発想をもって業態を変えなければならない。例えば大手自動車メーカーが燃料電池の外販に取り組んでいることは注目に値する。 米EV企業大手テスラの台頭に加え、アップル、中国のバイドゥなどがEVの設計・開発に取り組んでいる。各社はソフトウエアのアップデートによるEVの性能向上を重視している。つまり、スマートフォンのように、利用開始後もEVの性能が向上する。ソフトウエア開発に関しては既存の自動車メーカーよりもIT先端企業が強い。 その生産ニーズを取り込むために、鴻海精密工業やカナダのマグナ・インターナショナルなどが自動車の受託製造体制の確立に取り組んでいる。また、わが国では、日本電産がモータシステムなどの生産を強化している。バッテリー分野では、中国の寧徳時代新能源科技(CATL)が価格競争力を発揮し、韓国のLG化学などもシェア拡大を目指している。家電産業などが経験したように、分業が進むことによってEV開発のスピードは増す。そうした変化に、垂直統合型のビジネスモデルで対応することは難しい。 今後、わが国の自動車メーカーを取り巻く事業環境は厳しさを増し、各社がより強い逆風に直面する可能性は高い。自動車産業が雇用をはじめ、わが国経済を支えてきたことを考えると、今後の日本経済の展開には慎重にならざるを得ない。 逆に言えば、わが国経済が相応の安定と成長を目指すためには、企業が過去の発想にとらわれるのではなく、新しい発想をもって業態を転換させていかなければならない。わが国の自動車メーカーが米中などで需要を獲得している足元の状況は、自動車各社だけでなく、わが国経済全体が新しい発想の実現に取り組み、成長を目指す「最後のチャンス」と言っても過言ではない』、「すり合わせ技術」から「ユニット組み立て型」へ転換するなかでは、「企業が過去の発想にとらわれるのではなく、新しい発想をもって業態を転換させていかなければならない」、大変な時代になったものだ。各社の健闘を期待したい。
タグ:電気自動車 (EV) (その9)(ホンダ「脱エンジン」の衝撃3題(① EVに全集中、大胆すぎる「生存戦略」、② 「ホンダの豹変」でサプライヤーも発奮、③ 「電動化100%目標」に3つの焦点)、佐川急便が中国製EV導入の衝撃、日の丸自動車が家電の「二の舞い」になる懸念) 東洋経済Plus 「ホンダ「脱エンジン」の衝撃① EVに全集中、大胆すぎる「生存戦略」」 「ガソリン車だけでなくハイブリッド車(HV)すら販売しない中長期の目標を表明」、とは確かに思い切った戦略だ かつてCVCCエンジンを開発するなど「エンジンのホンダ」が、「エンジン」生産から手を引くというのは一抹の寂しさも覚える。 確かに「サプライヤーの「再編」も必至だろう。 「ホンダらしさ」を何とか維持してもらいたいものだ。 「ホンダ「脱エンジン」の衝撃② 「ホンダの豹変」でサプライヤーも発奮」 「ホンダが発表した新たな電動化戦略」、の前日に「トヨタ自動車の豊田社長」が「カーボンニュートラルへの道は1つではない」と講演していたのであれば、「ホンダ」は実に拙い日に発表したものだ。 サプライヤー幹部の「本当にできるのか」との反応には、希望的観測も混じっていそうだ。 「ホンダ」と「サプライヤー」が荒波を乗り越えることを期待したい。 「ホンダ「脱エンジン」の衝撃③ 「電動化100%目標」に3つの焦点」 「現在、HVが新車販売(軽を除く登録車ベース)の約6割近くを占めている」、こんなにHVの比率が高いとは初めて知った。「一番の売れ筋であるN-BOXが2024年のEV投入の最有力候補だ」、「軽自動車」の「EV化」には難しい問題があるのだろうか。 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫 「佐川急便が中国製EV導入の衝撃、日の丸自動車が家電の「二の舞い」になる懸念」 「自動車メーカーが、1990年代以降の家電業界の「二の舞い」になる展開は軽視できない」、とは穏やかならざるご託宣だ。 「「EV化」は日本が得意な「すり合わせ技術」の余地が減る」のは確かで、「わが国経済を支えてきた自動車メーカーが、1990年代以降の家電業界の「二の舞い」になる展開は軽視できない」、も納得した。 「すり合わせ技術を強みに環境性能、安全性、および耐久性を磨いてきた」、いわゆるプロダクト・アウトで、マーケット・インとは対極だ。 「すり合わせ技術」から「ユニット組み立て型」へ転換するなかでは、「企業が過去の発想にとらわれるのではなく、新しい発想をもって業態を転換させていかなければならない」、大変な時代になったものだ。各社の健闘を期待したい。
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日本の構造問題(その19)(日本は豊かな国だと信じる人の「大いなる誤解」 日本型経営は数字を見ず合理的経営ができない、ひろゆきが語る「日本企業の残念すぎる病」、コロナよりも怖い日本人の「正義中毒」 和田秀樹×中野信子が解説、テレワークが命を救った? 和田秀樹の「自殺者急増」予想が外れた理由) [経済政治動向]

日本の構造問題については、昨年11月29日に取上げた。今日は、(その19)(日本は豊かな国だと信じる人の「大いなる誤解」 日本型経営は数字を見ず合理的経営ができない、ひろゆきが語る「日本企業の残念すぎる病」、コロナよりも怖い日本人の「正義中毒」 和田秀樹×中野信子が解説、テレワークが命を救った? 和田秀樹の「自殺者急増」予想が外れた理由)である。

先ずは、本年1月9日付け東洋経済オンラインが掲載した APU(立命館アジア太平洋大学)学長 の出口 治明氏と東京大学名誉教授の上野 千鶴子氏との対談「日本は豊かな国だと信じる人の「大いなる誤解」 日本型経営は数字を見ず合理的経営ができない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/398662
・『本人にとっての幸せになる働き方とは? 『日本人は「移民は優秀な人」だとわかっていない』(2020年12月25日配信)、「日本の男は自分の履く『ゲタの高さ』を知らない」(2021年1月1日配信)に続いて、出口治明さんと上野千鶴子さんが、語り合った新著『あなたの会社、その働き方は幸せですか? 』から一部を抜粋、再構成してお届けします』、興味深そうだ。
・『日本の1人当たりGDPはシンガポールに劣る  出口 治明(以下、出口):この30年間で日本の名目GDP(国内総生産)の世界シェアは最も高かった時の半分以下になりました。国民1人当たりの名目GDPも2000年には2位でしたが、このあとずっと下降し続けて2018年には26位まで落ちています。 日本がどんどん貧しくなっていることは確かなのですが、名目GDPではまだ世界3位だから、自分たちはお金持ちだと錯覚しています。名目GDPが大きくなるのは人口が多いからにすぎません。さらに労働生産性では、1970年に比較統計を取り始めてからずっとG7(主要7カ国)で最低です。 ある友人がシンガポールに行ったら、えらい物価が高くてびっくりしたと。「ホテルでアフタヌーンティーを頼んだら、5000円以上取られたけれど、外国人やからぼったくられたんやろか」と言うので、スマホで検索して、シンガポールの1人当たりのGDPを見せたら、すぐに納得しました。無意識にシンガポールより日本が上やと思っていたけれど、違うんやなと。 上野 千鶴子(以下、上野):1人当たりGDPは、すでにシンガポールに抜かれているんですね。 出口:より実態を表わす1人当たり購買力平価GDPを見ると、シンガポールはおろか、日本は香港にも台湾にも抜かれていて、お隣りの韓国とほぼ横一線の状態です。G7では最下位です。 上野:日本は人口小国になったらシンガポール型を目指せばいいというシナリオももはや実現可能性は低くなっている。つまり貧しくなっていくしかないのでしょうか。 出口:日本経済がこのように停滞しているのは、製造業の工場モデルに過剰適応した男性の長時間労働という働き方を変えることができなかったからだと思います。働き方が変わっていたら、日本はもっといい社会になって、生産性も上がっていたはずです。働き方がほとんど変わらなかったことが日本社会の根源的な問題ではないでしょうか。) 上野:言わせてください。女性にとっては、労働状況は変わっていないどころか悪化しています。 出口:その通りです。121位ショックが象徴的ですが、女性の地位は下がってきています。 上野:私と出口さんの共通認識は働き方が変わらなくては、働き方を変えなくては、です。出口さんはかねてから、新卒一括採用、終身雇用制、年功序列給、定年制をやめることを提言しておられます』、「日本経済がこのように停滞しているのは、製造業の工場モデルに過剰適応した男性の長時間労働という働き方を変えることができなかったからだ」、その通りだ。
・『日本型経営は人口増と高度成長なしに成り立たない  出口:このワンセットの労働慣行が日本型経営を支えたと認識しています。しかしこのガラパゴス的な慣行は、人口の増加と高度成長という2つの前提条件が揃わないと成り立たない仕組みでもあるのです。 上野:私はこれにもう1つ加えたい。企業内労働組合です。労働者を守るべき組合がそれぞれの企業内で組織されたことから、企業との共存共栄で生き残ってきました。労働者の味方というよりも企業の共犯者です。 出口:日本生命に入社した頃に、酒の席では、労働組合のことを考えすぎる会社と、会社以上に会社の経営を考えすぎる労働組合が団体交渉をしているのは、何か変ではないかとよく話していました。 上野:労働組合のリーダー経験者は企業の出世コースでしたね。人事管理が得意ですから、経営者に向いています。 出口:そういう面が間違いなくありますね。日本生命でも組合の幹部は出世コースです。 上野:労働組合はフェミニズムの敵でもありました。日本型経営は女性の犠牲のもとに成り立っていたと、ジェンダー研究では結論が出ています。女性を構造的・組織的に排除する効果があるからです。 労働組合は、人口が増えていた時期に失業率を抑えて、完全雇用に近い状態を達成したと言いますが、それができたのは、女を労働市場から排除したからです。女が労働市場から排除されていなければ、失業率はもっと高かったでしょう。 長時間労働や年功序列などの日本型雇用慣行がやめられないのは、過去に成功体験があるからだとおっしゃる人が多いのです。だからその頃と同じことを続けていると。 でも、本当にそうなんでしょうか?それだって誰にとっての成功だったのか。女性にとっては抑圧だったのかもしれません。 出口:成功体験だったかどうかは別として、人間は一度考えの枠組みができてしまうと、なかなか変えられないということだと思います。) 上野:惰性ですね。成功体験があると、自然とその状況に依存することは、日本に限らずどの国の社会にもあります。 出口:無意識の偏見がずっとあるような気がしています。たまたま戦後うまく復興ができたから、日本型経営が正しいという偏見が強化されたのではないでしょうか。 でも、戦後の日本の高度成長を計量的に分析すれば、ほとんどが人口増と、朝鮮戦争による特需などの偶然が重なったことが実は大きいのです。 上野:歴史の偶然のおかげですね。 出口:そうです。必ずしも日本型経営が優れていたからではありません。日本型経営が優れていたら、この30年間、正社員ベースで2000時間以上働いて平均1パーセントしか成長しないことの説明がつきません。 欧米は数百時間少ない労働時間で平均2.5パーセント成長しているわけですから、真実はむしろ日本型経営は劣っていると理解すべきです』、「労働組合はフェミニズムの敵でもありました。日本型経営は女性の犠牲のもとに成り立っていたと、ジェンダー研究では結論が出ています。女性を構造的・組織的に排除する効果があるからです」、初めて知った。「欧米は数百時間少ない労働時間で平均2.5パーセント成長しているわけですから、真実はむしろ日本型経営は劣っていると理解すべきです」、同感である。
・『数字を見ない、合理的経営ができない経営者  上野:経済学者の川口章さんが、差別型企業と平等型企業を比較した実証研究で、平等型企業のほうが売上高経常利益率は高いことを明らかにしました。他にも、女性差別が少なく女性役員がいるような企業のほうが、生産性が高く、パフォーマンスがいいという実証データが上がっています。 それなら差別型企業は内部改革をして平等型企業に移行するかというと、ノー。なぜなら、変わる動機がないからだと言います。 出口:僕が働いていた日本生命はずっと業界1位でした。でも一度だけ瞬間的に第一生命に抜かれたことがあって、その時、「これは看過できない」と役員がコメントしていました。 それで何をしたかというと、別の生命保険会社を買収して1位を取り戻したのです。そして伝統を守ったということでした。 上野:めちゃくちゃ内向きの発想ですね。企業は、経済合理性を追求するものではないのですか。 出口:これは僕自身よくわからないところもありますが、仮説の1つは、経営者はそれほど経済合理性を考えていないということです。 上野:それでは、企業は何をもとに動いているんでしょう? 出口:一般に企業は経済合理性、つまり数字(トップラインやボトムライン)を見て動くと考えられていますが、日本の経営者は、グローバル企業の経営者に比べれば、数字よりも業界内の序列やシェアに関心を向ける人が多いのではないでしょうか。 上野:企業のトップや管理職の人に、「どうしてこんな不合理な慣習が続いているのですか?」と聞いても、彼らには危機感があるとは思えない。それがどう考えても不思議です。) 出口:危機感がないのは、今までと同じことをやるほうが楽だからじゃないですか。今までと同じことをやって、同じ給与がもらえるのであれば人はなかなか変わらないように思います。 上野:追い詰められていることがわからないから? 出口:国際比較した数字をきちんと見ないからです。 上野:国内しか見ないということですか? 出口:はい。前年の売り上げが300億円で、今年は310億円。国内しか見ていなかったら、まあこんなもんやろと。働いている人たちも同じことをやり続けて同じ給与がもらえるのであれば仕事を変えようとはしない』、「日本の経営者は、グローバル企業の経営者に比べれば、数字よりも業界内の序列やシェアに関心を向ける人が多いのではないでしょうか」、確かに内弁慶な人が多いようだ。 
・『完全に閉じた世界しか見ていない  上野:実質所得は減り続けていますよ。 出口:その通りで、前述した1人当たり購買力平価GDPでみれば、絶対額がG7最下位であるばかりではなく、伸び率も小さい。つまりアメリカやドイツとの差は開いているのです。でも、そうしたデータを誰もみない。 加えて、物価も上がりませんから、そんなに痛みを感じないのでしょう。経営者は、業界何位とか業界シェア、社会的地位、たとえば経団連(日本経済団体連合会)企業だとか、そういうことを見て満足しています。 経常利益率や生産性の向上、あるいは従業員の給与を上げれば初めて合理的経営といえるのですが、そういう数字はあまり真剣に見ようとしないから、合理的な経営が行なえないのです。平等型企業のほうがはるかにパフォーマンスはよくても、不幸なことにそれほど大きくないので、大企業にとっては痛くもかゆくもないのでしょうね。 上野:平等型企業は新興のベンチャー等に多く、ビジネスの規模が小さいですね。 出口:アメリカのGAFAのように規模もガンガン伸びて、古い企業を淘汰していけばみんなが必死になるのですが、現状だと、ええことやっているけれどあれは小さい会社やからできることやで、と安心しきっています。 上野:おっしゃる通りだと思います。完全に閉じた世界しか見ていません。同じような話をある大企業の会長からも聞いたことがあるんです。彼も日本の大企業は横並びでお互いしか見ていない。グローバル企業の利益率は平均15パーセントだけど、日本の大企業の利益率は平均4~5パーセントと。比べものにならない。 出口:利益率はグローバル企業の3割にも満たない。 上野:それでも横並びでしか見ていないから、これでいいんだと。お互いに低位安定しているのが日本だ、とおっしゃっていました』、「日本の大企業は横並びでお互いしか見ていない。グローバル企業の利益率は平均15パーセントだけど、日本の大企業の利益率は平均4~5パーセントと。比べものにならない」、こんな経営者のダラシナイ姿勢が日本に低成長をもたらしているようだ。

次に、3月11日付けダイヤモンド・オンライン「ひろゆきが語る「日本企業の残念すぎる病」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/264098
・『日本の匿名掲示板として圧倒的な存在感を誇った「2ちゃんねる」や動画サイト「ニコニコ動画」などを手掛けてきて、いまも英語圏最大の匿名掲示板「4chan」や新サービス「ペンギン村」の管理人を続ける、ひろゆき氏。 そのロジカルな思考は、ときに「論破」「無双」と表現されて注目されてきたが、彼の人生観そのものをうかがう機会はそれほど多くなかった。『1%の努力』では、その部分を掘り下げ、いかに彼が今の立ち位置を築き上げてきたのかを明らかに語った。 「努力はしてこなかったが、僕は食いっぱぐれているわけではない。 つまり、『1%の努力』はしてきたわけだ」 「世の中、努力信仰で蔓延している。それを企業のトップが平気で口にする。 ムダな努力は、不幸な人を増やしかねないので、あまりよくない。 そんな思いから、この企画がはじまった」(本書内容より) そう語るひろゆき氏。インターネットの恩恵を受け、ネットの世界にどっぷりと浸かってきた「ネット的な生き方」に迫る――(こちらは2020年3月21日付け記事を再構成したものです)』、「世の中、努力信仰で蔓延している。それを企業のトップが平気で口にする。 ムダな努力は、不幸な人を増やしかねないので、あまりよくない」、とは面白い問題意識だ。
・『起業して必要だった「能力」  2000年代に、僕が運営をしていた「2ちゃんねる」というサイトは、どんどん大きくなっていった。 とはいえ、2ちゃんねるの事業で利益があがるわけではなく、トラブルが多くてビジネスとしては割に合わなかったかもしれない。 当時、月250万円のサーバー代を捻出するために、バナー広告や出版でお金をまかなっていた。起業してうまくいっている人は、派手な能力ではなく、地味なやりくり能力や総務のような事務処理能力が必要だ。 問題が起きたら、粛々と対処する。そこに、「好き嫌い」の私情を入れる余地はなかった。 そして、2008年には、2ちゃんねるのユーザーは1000万人を超えた。 平均年齢は30歳くらい。活字として消費されて、ネット広告も儲かり出し、僕の年収は1億円を超えた。 ただ、広告に頼るメディアは厳しくなる予感があった。新しいメディアが増えると、そのぶん食い合うことになり、薄利多売にならざるを得ない』、「2008年には、2ちゃんねるのユーザーは1000万人を超えた・・・僕の年収は1億円を超えた」、なるほど。
・『競争しないところまで行けるか?  たとえばユーチューブは、グーグルに買収されたことで、ある意味「何もしなくていい企業」になった。 潰れる心配もなく、競争して頑張る必要もない。 ユーチューブがここまでの規模になれたのは、「著作権侵害コンテンツを見られたから」という理由がある。もちろん、削除依頼を出せば消されてしまうが、そこにはタイムラグがあるため、一時的には見ることができてしまう。削除依頼が来ないものは、ずっと放置され続けてしまう。 あなたもきっと、最初に見たユーチューブ動画は、テレビや映画、音楽など、著作権違反の動画だっただろう。 それを自分たちの売り物であるかのようにして、いまや世界一の動画サイトとしてブランディングしてしまったわけだ。 動画サイトが大きくなるためには、グレーな部分をひたすら攻めるしかなかったのかもしれない』、「ユーチューブがここまでの規模になれたのは、「著作権侵害コンテンツを見られたから」、すごい本質を突いた発言だ。
・『スティーブ・ジョブズとグレーゾーン  また、スティーブ・ジョブズが高校生だった頃に、無料で電話が掛けられる装置「ブルーボックス」を発明して大儲けした話は有名だ。 電話会社のシステムをハッキングして、電話料金をタダにしてしまうという、まさにグレーゾーンを攻めたビジネスだった。というより、明らかに違法であることを本人も認めている。 ブルーボックスという装置は、デザイン性にも優れていて、持っているだけでもカッコよかったという。まさに、後のアップル製品にも通じる考え方が表れていた。 こうやってインターネット界の覇者たちを観察していると、1つの結論に結びつく。 「物事は大きくなりすぎると、『共存』する」ということだ。 「出る杭は打たれる」という言葉があるが、出すぎた杭は打たれなくなる。 会社の中の社員も、1人だけが騒いでいるだけなら退職に追い込むことができるかもしれないが、1人1人が組合として大きい存在になってしまうと、共存をするしかない。 「数」を優先させてしまうのは、ビジネスの戦略としても正しい』、「物事は大きくなりすぎると、『共存』する」」、なかなか深い言葉だ。
・『「機能優先」という病  なぜ、日本人の多くが検索サイトに「ヤフー」を使うかというと、一度、習慣として付いてしまっているからだ。 パソコンを買ってきて、インターネットにつないだら、最初はヤフーのトップ画像が表示される。だから、使い続ける。 ソフトバンクの孫正義さんは、携帯電話事業に参入したとき、「電波がつながりにくい」という機能性の問題をいったん脇に置いて、格安の使用料でシェア拡大を優先させた。 2ちゃんねるの利用者が増えたときの背景も、「匿名」という部分を変えなかったからだ。 匿名であることで、正直、やっかいな問題はたくさん増えた。しかし、やっかいな問題は置いておき、利用者が増えるほうを選んだのだ。 日本は「機能優先」の病がある。 電化製品を見ていても、新しい機能を付け足したりしているだけで、それでは世界では戦えない。 まず、シェアを拡大させ、叩かれないほどに大きくする。機能で勝負するのはそれからだ。 うまくいっているときは、慎重に問題を1つ1つ解決するより、規模拡大を選んだほうがいいのかもしれない。それも、「1%の努力」の道だろう』、「日本は「機能優先」の病がある・・・それでは世界では戦えない。 まず、シェアを拡大させ、叩かれないほどに大きくする。機能で勝負するのはそれからだ」、なるほど。
・『「1%の努力」とは何か  「99%の努力と1%のひらめき」というのは、発明家エジソンの有名な言葉だ。これの真意をみんな誤解している。本当は、「1%のひらめきがなければ、99%の努力はムダになる」ということだ。しかし、「努力すれば道が開ける」という表現で広まっている。 発明の世界では、出発点が大事だ。 「光る球のようなものを作ろう」という考えが先にあって初めて、竹や金属などの材料で実験をしたり、試行錯誤を重ねたりして努力が大事になってくる。 ひらめきもないまま、ムダな努力を積み重ねていっても意味がない。耳障りのいい言葉だけが広まるのは、不幸な人を増やしかねないので、あまりよくない。 そんな思いから、この本の企画は始まった』、「「99%の努力と1%のひらめき」というのは、発明家エジソンの有名な言葉だ・・・これの真意をみんな誤解している。本当は、「1%のひらめきがなければ、99%の努力はムダになる」ということだ」、確かにひろゆき氏の解釈の方に説得力がある。
・『「自分の頭で考える世代」の教え  僕は、1976年生まれの「就職氷河期世代」だ。 この世代の特徴は、「自分の頭で考えることができる」ということだと思う。 僕らより上の世代は、バブル世代であり、時代を謳歌してきた。会社からも守られてきただろう。 彼らの世代が、いま、早期退職でリストラの嵐に巻き込まれている。僕の世代は時代が悪かったぶん、考えることを余儀なくされ、おかげで能力が身についた。 僕より上の世代は、「昔はよかった」と話す人が多い。しかし、ちゃんとデータを見ることができれば、昭和の時代より平成のほうが、殺人事件や餓死が少なく幸せの総量は多いことがわかる。 人生で選択肢が目の前にあるときに、どういう基準で考えるのかは人それぞれ違う。そこには、「判断軸」が存在する。「考え方の考え方」みたいな部分だ。 これについては、僕の経験をもとに教えられるのではないかと思った。できるだけ長期的な目線を持ち、「よりよい選択肢をとる」というクセがつくように、根っこの部分を書いた。それが、この本だ』、興味深そうだ。
・『本書の内容  この本では、7つのエピソードを語る。「前提条件」「優先順位」「ニーズと価値」「ポジション」「努力」「パターン化」「余生」という7つの話だ。それぞれに、重要な「判断軸」をいくつか与える。 エピソード1 団地の働かない大人たち ―― 「前提条件」の話 「前提が違うんじゃないか?」「人は権利を守る生き物だ」「片手はつねに空けておけ」 エピソード2 壺に何を入れるか ―― 「優先順位」の話 「これはロジックの世界か、趣味の世界か?」「それは修復可能か?」「自分にとって何がストレスだろう?」 エピソード3 なくなったら困るもの ―― 「ニーズと価値」の話 「なくなったら困る体験は何か?」「やられたときだけ、やり返す」「誰しもがひと言だけ言いたい」 エピソード4 どこにいるかが重要 ―― 「ポジション」の話 「場所があれば、人は動きはじめる」「日本人、1億人に投げかける」「特殊なポジションに手を挙げる」 エピソード5 最後にトクをする人 ―― 「努力」の話 「最後に勝つにはどうすればいいか」「上の判断がよければ、下がテキトーでもうまくいく」「あなたは先輩に歯向かえるか?」 エピソード6 明日やれることは、今日やるな ―― 「パターン化」の話 「ゼロイチ以外でできることは何か?」「身近に支えたい人がいるだろうか?」「この1週間で、『新しいこと』はあっただろうか?」 エピソード7 働かないアリであれ ―― 「余生」の話 「調べる労力を惜しんでいないか?」「聞き分けのいい豚になっていないか?」「ブラックボックスの部分は持っているか?」』、時間が出来たら読んでみたい。

第三に、4月8日付けAERAdot「コロナよりも怖い日本人の「正義中毒」 和田秀樹×中野信子が解説」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021040700009.html?page=1
・『新型コロナウイルスとの闘いが始まって、1年あまり。「新しい生活様式」のなかで自粛警察が横行するなど、この間に、日本が抱える問題点が浮き彫りになってきた。精神科医の和田秀樹氏と脳科学者の中野信子氏が分析する。 和田:新型コロナウイルスは、日本やアジアではインフルエンザと大して変わらないんですよ。日本でのインフルエンザでの死者数は、年に約1万人(注1)ですから。 中野:コロナで怖く感じたのは、むしろ営業を継続する店への嫌がらせとか、ちょっと出かけただけでバッシングするとか。そういう人間の行動です。本人は強い正義感でやっているつもりでしょうが、他人を攻撃することでドーパミンが放出され、快楽にはまってしまうんです。私はそれを「正義中毒」と呼んでいます。 和田:飲食店がどういう対策を取っているかが重要なのに、形式的に開けているか開けていないかで、悪いか良いかを決めて、叩く。 中野:日本人は「スパイト行動(注2)」を取りがちだという実験結果が出ています。自分以外の人間が得をしているのを見ると、許せないという気持ちが強い。そのため、皆が我慢をしているときに得をしている人がいると、その人を激しい攻撃対象にしてしまうんです。攻撃のターゲットにならないように、皆、より強く我慢を強いられます。マスクにしても、「自分はルールを遵守する人間ですよ」という象徴。ルールに従う人、従わない人を峻別する装置です。 和田:日本人は、ルールは絶対に守らないといけないという強迫観念が強い。そしていったん決まったルールを変えるのは、とても苦手なんです。 中野:敗戦という集団的な大きなトラウマ体験があると、自分たちがもともと持っていた価値観に自信を喪失してしまうということはあるのでしょうか? それで、自分で新しくルールを設定しにくいとか。 和田:日本のように長い歴史で1回しか負けたことがないと、「負けたら最後、相手の言うことを全面的に聞かないといけない」と刷り込まれる可能性があるでしょう。トラウマに関していえば、あまりにもひどいことをされたら、割と加害者の言うことを聞くんですよ。たとえば子どもが親からひどい虐待を受けると、親の機嫌を取るようになる。「サレンダー心理」といって、無抵抗の状態に陥ってしまうんです』、「コロナで怖く感じたのは、むしろ営業を継続する店への嫌がらせとか、ちょっと出かけただけでバッシングするとか。そういう人間の行動です。本人は強い正義感でやっているつもりでしょうが、他人を攻撃することでドーパミンが放出され、快楽にはまってしまうんです。私はそれを「正義中毒」と呼んでいます」、「日本人は「スパイト行動(注2)」を取りがちだという実験結果が出ています。自分以外の人間が得をしているのを見ると、許せないという気持ちが強い・・・攻撃のターゲットにならないように、皆、より強く我慢を強いられます」、困った性向だ。
・『中野:学習性無力感に類する心理ですね。 和田:ええ。日本は原爆を落とされ、アメリカにサレンダー状態にされてしまった。そのため従順になってしまったんだと思います。戦争の前、大正時代なんかは本当に自由だったのに。 中野:ヨーロッパの研究者が面白い実験をしました。被験者に対してルールを説明して、ゲームをさせるんです。でもそのルールには仕掛けがあり、ゲームを続けていくうちに「ルールがおかしい」ことに気づくようになっているんです。被験者の反応は、2種類に分かれます。「先生の言ったルールは間違っている。自分で考えたルールにのっとってやったほうがいい」という人と「先生が言ったんだから、最後までそのルールでやる」という人と。ふたつのグループの遺伝子を比べたら、ドーパミンの代謝酵素に変異があることがわかりました。国別にその変異の割合というのも調査されましたが、日本人はルールを変えない、つまり先生の言ったことに従いやすい人が多いんです。 和田:それに加えて僕は、日本の大学教育に致命的な欠陥があると思うんですよ。高等教育では、物事を疑うことが大切。教授とディスカッションするとか喧嘩をするくらいのほうがいい。 中野:同感です。人が決めた答えを選ぶのが、これまでの日本の大学入試であり大学教育でした。体制に合わせなければ生かしてもらえない。そういう教育で、不確実の時代を生き延びていけるのか……。 和田:日本では入試の面接は教授がやるでしょう。でもアメリカでは、教授ではなくアドミッションオフィス(入学事務局)の担当者が面接するんです。それで、教授に逆らいそうな生徒を採る。 中野:そうなんですか。日本では、優秀な人を採るというよりも、教授の手足となって働けそうな人を採っていますね。 和田:医者の世界ではその悪弊が強くて、上が言ったことには逆らってはいけないんです。1980年代に近藤誠先生が乳がん治療において乳房温存療法を提唱したら、権威から大バッシングを受けました。でも今では、乳房温存療法は標準治療になっています。近藤先生を叩いた人たちが定年退職したから』、「ヨーロッパの研究者が面白い実験」、「日本人はルールを変えない、つまり先生の言ったことに従いやすい人が多いんです」、「日本の大学教育に致命的な欠陥がある・・・人が決めた答えを選ぶのが、これまでの日本の大学入試であり大学教育でした。体制に合わせなければ生かしてもらえない」、確かにその通りだ。
・『中野:自分と違う考えを知ったことで自分はより豊かになった、と考えられないのは残念です。 和田:日本は失敗しないという前提で物事を進めます。アメリカとの戦争も、負けると思っていなかったわけです。原発も、事故が起きない前提でやっているでしょう。 中野:そうですよね。私が留学していたフランスでは、原発事故は「あってはならない」ことだけど、「事故ゼロ」もありえない。いざ事故が起きたときにどうすれば被害を最小限に抑えられるか、という考えがしっかりあったのは興味深いことでした。 和田:日本だと、いじめをなくそうとか、コロナをなくそうという方向で考える。いじめられた子がいたらどうしようかとか、コロナの患者をどうしようかということは、あまり。だから1年経っても、医療体制が逼迫なんて状態なんです。 中野:極言すれば、なかったことにするか、起きたときにどうするか対処法を準備しておくかの2択ですが、後者のほうが、建設的な方法だと思います。 和田:医療については、過度な専門化が進んだことも問題です。そのうえ、ある専門家が言ったことについては、他の分野の専門家は反対意見を言わないという不文律ができてしまいました。たとえば循環器内科の医者にとって、コレステロールは天敵です。動脈硬化を引き起こしやすいから。でもコレステロール値が高いほうが、免疫力は高い。免疫系の医者はそう主張すべきなのに、先に診た循環器系が減らすように言ったら黙っちゃう。 中野:たしかに。 和田:コロナ対策で、感染症学者は外出を控えるように訴えました。感染のことだけを考えたらそうだけど、精神科医の立場から考えると絶対にまずい。免疫学的にもまずいし、老年医学の見地でもサルコペニアの原因を作っているようなものでまずい。でも感染症学者だけが暴走し、他の科の先生方は何も言わない。 中野:領域横断的な議論がしにくいということは、ずっと前から言われてるんですよね。そのひずみが表面化したんですね。 (注1)インフルエンザによる直接死と、原疾患が悪化して死んだ間接死を合わせたインフルエンザ超過死亡の推計。 (注2)たとえ自分が損をしてでも、他人が得をしないように足を引っ張る行為。 中野信子氏、和田秀樹氏の略歴は省略 』、「コロナ対策で、感染症学者は外出を控えるように訴えました。感染のことだけを考えたらそうだけど、精神科医の立場から考えると絶対にまずい。免疫学的にもまずいし、老年医学の見地でもサルコペニアの原因を作っているようなものでまずい。でも感染症学者だけが暴走し、他の科の先生方は何も言わない」、「領域横断的な議論がしにくいということは、ずっと前から言われてるんですよね。そのひずみが表面化したんですね」、同感である。

第四に、この続き、4月8日付けAERAdot「テレワークが命を救った? 和田秀樹の「自殺者急増」予想が外れた理由」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021040700010.html?page=1
・『精神科医の和田秀樹氏は、新型コロナウイルスの影響から自殺者が急増すると予測していた。ふたを開けてみれば、微増にとどまった。一体なぜなのか。脳科学者の中野信子氏と語り合った。 和田:コロナのために、日本の抱えている問題点が次々にあらわになりました。その中でひとつ、興味深いものがあって。僕は去年、自殺者が急増して、また3万人を突破する(注1)と考えていました。経済的な状況が悪化。家にこもることでセロトニンの出が悪くなる。他人に泣き言を言えない。一人酒が増える。治療が必要でも感染が怖くて病院に行かない……。これだけの悪条件がそろえば、自殺者が大幅に増えると心配したんです。 中野:でも実際は……。 和田:前年と比べて912人増えただけの2万1081人でした。なぜなんだろうと考えて、仮説を導きました。テレワークなどをすることで、対人ストレスから解放されたからではないか、と。 中野:自殺を試みる人が多いのは月曜の朝や月の初めと聞きます。会社や学校へ向かう苦痛から逃れるためだと考えられていますが、それがなくなったというのが先生の見立てですね。 和田:会社に行かなくていいことで、9千人が自殺を踏みとどまったというのであれば、働き方を根本的に変えればいい。会社で人と接するほうが好きだという人は、会社で働く。それが合わない人は、テレワークをする。そういう発想で働き方改革を進めてほしい。 中野:私はこの時期に本をたくさん読むことができました。この機会に、自分とは違う考えの人の書いた本をあえて読んだらいいと思うんです。ネットでも、関心のない分野の記事を読む。そうすることで、自分の考えが絶対正しいというわけではないことを理解できます。正義中毒から解放されるきっかけになるのではないでしょうか。 和田:コロナのワクチン接種が始まりましたが、ワクチンが普及しても、死者は出ると思うんですね。実際、インフルエンザがそうでしょう。感染症とはそういうものだと冷静に受け止めて、行動したいと思います。 (注1)日本の自殺者は、1998年から2011年まで3万人を超えていた。その後減少傾向が続き、19年は2万169人。20年は11年ぶりに増加し2万1081人に。』、「この時期に本をたくさん読むことができました・・・そうすることで、自分の考えが絶対正しいというわけではないことを理解できます。正義中毒から解放されるきっかけになるのではないでしょうか」、一般の人にそこまで期待するのは、無理な気がする。「自殺者が急増して、また3万人を突破すると考えていました」、現実には「前年と比べて912人増えただけの2万1081人でした。なぜなんだろうと考えて、仮説を導きました。テレワークなどをすることで、対人ストレスから解放されたからではないか」、面白い仮説だが、まだ粗削りな印象も受ける。いずれにしろ、2人の対談は全体としては、刺激的で大変参考になった。
タグ:日本の構造問題 (その19)(日本は豊かな国だと信じる人の「大いなる誤解」 日本型経営は数字を見ず合理的経営ができない、ひろゆきが語る「日本企業の残念すぎる病」、コロナよりも怖い日本人の「正義中毒」 和田秀樹×中野信子が解説、テレワークが命を救った? 和田秀樹の「自殺者急増」予想が外れた理由) 東洋経済オンライン 出口 治明 上野 千鶴子 「日本は豊かな国だと信じる人の「大いなる誤解」 日本型経営は数字を見ず合理的経営ができない」 日本の1人当たりGDPはシンガポールに劣る 「日本経済がこのように停滞しているのは、製造業の工場モデルに過剰適応した男性の長時間労働という働き方を変えることができなかったからだ」、その通りだ。 「労働組合はフェミニズムの敵でもありました。日本型経営は女性の犠牲のもとに成り立っていたと、ジェンダー研究では結論が出ています。女性を構造的・組織的に排除する効果があるからです」、初めて知った 「欧米は数百時間少ない労働時間で平均2.5パーセント成長しているわけですから、真実はむしろ日本型経営は劣っていると理解すべきです」、同感である。 「日本の経営者は、グローバル企業の経営者に比べれば、数字よりも業界内の序列やシェアに関心を向ける人が多いのではないでしょうか」、確かに内弁慶な人が多いようだ。 「日本の大企業は横並びでお互いしか見ていない。グローバル企業の利益率は平均15パーセントだけど、日本の大企業の利益率は平均4~5パーセントと。比べものにならない」、こんな経営者のダラシナイ姿勢が日本に低成長をもたらしているようだ。 ダイヤモンド・オンライン 「ひろゆきが語る「日本企業の残念すぎる病」」 「世の中、努力信仰で蔓延している。それを企業のトップが平気で口にする。 ムダな努力は、不幸な人を増やしかねないので、あまりよくない」、とは面白い問題意識だ。 2008年には、2ちゃんねるのユーザーは1000万人を超えた・・・僕の年収は1億円を超えた」、なるほど。 「ユーチューブがここまでの規模になれたのは、「著作権侵害コンテンツを見られたから」、すごい本質を突いた発言だ 「物事は大きくなりすぎると、『共存』する」」、なかなか深い言葉だ。 「日本は「機能優先」の病がある・・・それでは世界では戦えない。 まず、シェアを拡大させ、叩かれないほどに大きくする。機能で勝負するのはそれからだ」、なるほど。 「「99%の努力と1%のひらめき」というのは、発明家エジソンの有名な言葉だ・・・これの真意をみんな誤解している。本当は、「1%のひらめきがなければ、99%の努力はムダになる」ということだ」、確かにひろゆき氏の解釈の方に説得力がある。 7つのエピソードを語る。「前提条件」「優先順位」「ニーズと価値」「ポジション」「努力」「パターン化」「余生」という7つの話 時間が出来たら読んでみたい。 AERAdot 「コロナよりも怖い日本人の「正義中毒」 和田秀樹×中野信子が解説」 「コロナで怖く感じたのは、むしろ営業を継続する店への嫌がらせとか、ちょっと出かけただけでバッシングするとか。そういう人間の行動です。本人は強い正義感でやっているつもりでしょうが、他人を攻撃することでドーパミンが放出され、快楽にはまってしまうんです。私はそれを「正義中毒」と呼んでいます」 「日本人は「スパイト行動(注2)」を取りがちだという実験結果が出ています。自分以外の人間が得をしているのを見ると、許せないという気持ちが強い・・・攻撃のターゲットにならないように、皆、より強く我慢を強いられます」、困った性向だ 「ヨーロッパの研究者が面白い実験」、「日本人はルールを変えない、つまり先生の言ったことに従いやすい人が多いんです」、「日本の大学教育に致命的な欠陥がある・・・人が決めた答えを選ぶのが、これまでの日本の大学入試であり大学教育でした。体制に合わせなければ生かしてもらえない」、確かにその通りだ 「コロナ対策で、感染症学者は外出を控えるように訴えました。感染のことだけを考えたらそうだけど、精神科医の立場から考えると絶対にまずい。免疫学的にもまずいし、老年医学の見地でもサルコペニアの原因を作っているようなものでまずい。でも感染症学者だけが暴走し、他の科の先生方は何も言わない」、「領域横断的な議論がしにくいということは、ずっと前から言われてるんですよね。そのひずみが表面化したんですね」、同感である 「テレワークが命を救った? 和田秀樹の「自殺者急増」予想が外れた理由」 「この時期に本をたくさん読むことができました・・・そうすることで、自分の考えが絶対正しいというわけではないことを理解できます。正義中毒から解放されるきっかけになるのではないでしょうか」、一般の人にそこまで期待するのは、無理な気がする。 「自殺者が急増して、また3万人を突破すると考えていました」、現実には「前年と比べて912人増えただけの2万1081人でした。なぜなんだろうと考えて、仮説を導きました。テレワークなどをすることで、対人ストレスから解放されたからではないか」、面白い仮説だが、まだ粗削りな印象も受ける いずれにしろ、2人の対談は全体としては、刺激的で大変参考になった。
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黒川検事長問題(その5)(黒川元検事長の略式起訴は大甘 退職金も弁護士資格も無傷、三浦瑠麗「迫真のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』」を読む 官僚と政権のつばぜり合いを抉る、菅首相“銘柄”の黒川元検事長と菅原元経産相 一転して「起訴すべき」となった理由〈週刊朝日〉)

黒川検事長問題については、1月14日に取上げた。今日は、(その5)(黒川元検事長の略式起訴は大甘 退職金も弁護士資格も無傷、三浦瑠麗「迫真のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』」を読む 官僚と政権のつばぜり合いを抉る、菅首相“銘柄”の黒川元検事長と菅原元経産相 一転して「起訴すべき」となった理由〈週刊朝日〉)である。

先ずは、1月19日付け日刊ゲンダイ「黒川元検事長の略式起訴は大甘 退職金も弁護士資格も無傷」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/286717
・『昨年5月「賭けマージャン」が発覚し、引責辞任した黒川弘務・元東京高検検事長(64)が、18日、賭博罪で略式起訴された。 東京地検は昨年7月、不起訴処分(起訴猶予)としていたが、検察審査会が12月に「起訴相当」と議決したことを受けて処分を一転させた形だ。 単純賭博罪の法定刑は、50万円以下の罰金か科料。略式起訴は、公開の法廷で審議されることなく、非公開の書面審理だけで罰金などを求める手続きだ。東京簡易裁判所が略式命令を出し、罰金が納付されれば、手続きは終わる。 略式起訴したことについて、東京地検は「検察審の議決を真摯に受け止めた」などとコメントしているが、黒川元検事長の“救済”に動いたのは明らかだ。 もし、東京地検が再び「不起訴」とすれば、検察審は2度目の審査でも「起訴相当」と議決し、黒川元検事長は「強制起訴」され、正式裁判が開かれる可能性があった。「強制起訴で法廷に立たせるより、略式起訴で終わらせた方が得策」と判断したのはミエミエである。 黒川元検事長を刑事告発した「菅政権による検察・行政の強権支配を糺す会」の藤田高景代表はこう言う。 「裁判になれば、禁固以上の刑に処せられる可能性があります。禁錮刑以上の刑が確定すれば、黒川氏は弁護士資格を剥奪される。5900万円とされる退職金の返納の義務も生じます。罰金刑なら弁護士資格も退職金も守られる。略式起訴は究極の救済策ですよ」 国民は納得しない』、「裁判になれば、禁固以上の刑に処せられる可能性があります。禁錮刑以上の刑が確定すれば、黒川氏は弁護士資格を剥奪される。5900万円とされる退職金の返納の義務も生じます。罰金刑なら弁護士資格も退職金も守られる。略式起訴は究極の救済策ですよ」、検察首脳も高度なテクニックで「黒川氏」を守ったものだ。やれやれ・・・。

次に、1月29日付けプレジデント 2021年2月12日号が掲載した国際政治学者の三浦 瑠麗氏による「三浦瑠麗「迫真のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』」を読む 官僚と政権のつばぜり合いを抉る」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/42582
・『迫真のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』  村山治著『安倍・菅政権vs.検察庁―暗闘のクロニクル』(文藝春秋)が話題だ。検察庁法の改正をめぐるツイッターデモを覚えている方は、ぜひ読んでほしい。 著者は長らく検察を取材してきた記者。丹念な取材に基づき、黒川弘務氏を重用した結果つぶしてしまう官邸と、組織内で決めた人事に一切口を出させるべきでないと考える検察の攻防を描いている。 検察独特の論理と正義感、人間関係、組織防衛のロジック、不祥事が起きたときの官僚同士のかばい合い、官邸にいる人々の思惑などがみごとに浮かび上がる取材だ。人事に関して何が起きていたのか。つい最近の森まさこ前法務大臣とのつばぜり合いまでが描かれていて、いまだ生々しいテーマを扱いながらここまで詳細に物事の経緯が示されているのに感銘を受けた』、興味深そうだ。
・『勧善懲悪ストーリーに矮小化された問題  官邸や大臣は、法に基づき人事に多少なりとも政治の側の評価が反映されるべきだと思っている。検察庁の側は、人事の自律性を最重要視する。しかし、特捜部のみの組織ならばともかく、政策官庁である法務省は、政権や国会の協力なしに1つも法案を進めることはできない。黒川氏は個人の能力としてそうした折衝に長けており、政治に重宝がられた。しかし、検察庁内部の人間には黒川氏に見えている風景がなかなか理解できず、ややもすれば政治に近すぎるとして警戒されてしまう。ボタンの掛け違いと人事が絡み合い、黒川氏と林眞琴氏のあいだの溝が深まった、という見立てである。 検察は政治にも他省庁にも踏み込みうる強権を有しているがゆえに、現場が暴走してしまった場合には権威に大きく傷がつく。例えば村木厚子さんの事件や陸山会問題などで、検察は国民の信を失った。自律性が重んじられるということと、組織の判断の正しさは別ものだからだ。当然、検察は自己改革を求められ、危機感を抱く。そして、政治の側は長年の政治主導改革の延長線として、検察人事にも影響を及ぼそうとする……。 2020年のツイッターデモのあと、検察はいかにあるべきか、公務員制度はいかにあるべきかという議論は残念ながら盛り上がらなかった。政治との人事抗争のみに耳目が集まり、まるで水戸黄門のような勧善懲悪ストーリーにされてしまった。黒川氏の麻雀事件は、単に「政治の側のお気に入り」が自滅した事例としてひっそり片付けられた。本書はそのような単純な世界観に抗うものだ。 一方で、疑問に思った点もある。例えば、著者は安倍内閣がツイッターデモで力を失ったとするが、いささか言いすぎのように思う。また、昨今の有名な経済事件における「検察の論理」への評価も、著者に聞いてみたいと思った。 検察のプロとしてのバランス感覚は尊重すべきだ。しかし、それが無謬性の主張の上に胡坐をかいた密室性の尊重であってはならない。そんなことも思わされた』、「検察はいかにあるべきか、公務員制度はいかにあるべきかという議論は残念ながら盛り上がらなかった。政治との人事抗争のみに耳目が集まり、まるで水戸黄門のような勧善懲悪ストーリーにされてしまった」、同感である。

第三に、3月14日付けAERAdot「菅首相“銘柄”の黒川元検事長と菅原元経産相 一転して「起訴すべき」となった理由〈週刊朝日〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021031400011.html?page=1
・『去年5月、緊急事態宣言の最中、賭けマージャンをしていた問題で刑事告発され、起訴猶予になった東京高等検察庁の黒川弘務元検事長について東京地方検察庁が検察審査会の「起訴すべき」という議決を受けて再捜査。今度は一転して、賭博の罪で略式起訴することが14日までにわかった。黒川氏とともに賭けマージャンをしていた産経新聞記者2人と朝日新聞元記者は、不起訴となる見通しだ。 安倍政権時代、官邸の「守護神」と呼ばれた黒川氏。安倍晋三氏が首相の座から去った後も、黒川氏を「法律顧問」などと重宝していた菅義偉首相の影響力か、不起訴となっていた。 だが、昨年12月に出た検察審査会の「起訴相当」の判断は重かった。黒川氏は起訴猶予処分とされたが、賭けマージャンでカネを賭けていたことは検察の捜査でも立証されていた。起訴しない理由は「金額が少ない」というものだった。 だが、1円でも賭ければ、賭博となる。長く、検察の幹部だった黒川氏への“温情”ともみられる判断に対し、検察内でも異論が出ていた。検察幹部は苦しい胸の内を打ち明ける。 「再捜査して、検察が不起訴としても再度、検察審査会が起訴相当となれば、強制起訴されてしまう。黒川問題で検察の信頼は地に落ちたので、自らの手で処分すべきとの判断でしょう。罰金刑なら、ほとぼりがさめれば、黒川氏は弁護士になる道も残りますから……」 そんな中、もう一人、2月24日付で「起訴相当」と議決された人物がいた。自民党の衆院議員、元経産相の菅原一秀氏だ。菅原氏は、2017~2019年にかけて選挙区内の有権者に枕花名目で生花18台(計17万5000円相当)を送ったり、秘書に命じて自己名義の香典(計約12万5000円分)などを渡したりしたとして、公職選挙法(寄付の禁止)違反容疑で告発されていた。 20年6月に不起訴処分(起訴猶予)となっていたが、東京第4検察審査会は「起訴相当」と議決した』、「黒川問題」は第一の記事で取上げたので、ここでは「菅原氏」を中心にみていきたい。
・『菅原氏への捜査は、衆院議員で元法相の河井克行被告の公職選挙法違反事件と同時期にされていた。克行被告は、参院議員を辞職に追い込まれた妻の案里氏(有罪確定)とともに逮捕。 菅原氏も克行被告と同じカネのバラマキであり、犯罪事実は認められたにもかかわらず、起訴猶予処分となっていた。こうした検察の「えこひいき」的な判断には、大きな疑問があがっていた。 菅原氏の検察審査会の申立書では、以下のように計画的、常習的な手口を訴えられていた。 <秘書は、常に「菅原一秀」という文字が印字された香典袋を持ち歩き、選挙区内の有権者の逝去の情報を秘書が入手すると、「香典はいくらですか?」とLINEで尋ね、指示された金額を香典袋に包んで、秘書が代理持参していた> <秘書に選挙区内の有権者に関する逝去の情報を収集させ(しかも、その情報を入手し損ねると、「取りこぼし」とされて秘書は罰金をとられる)、報告を受けて秘書に金額を指示して香典を持参させていた> それが検察審査会の「起訴相当」の判断につながったのだ。菅原氏の検察審査会の申立代理人の元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士はこう話す。 「河井夫妻と菅原氏の事件の根本は同じ構図です。河井夫妻はやるが、菅原氏は目をつぶってと検察が裏で政権と取引でもしていたんじゃないかと思いたくなる。黒川氏の場合も、起訴猶予だったが、犯罪事実は検察の捜査で確定していた。起訴相当の議決が1度でも出れば、アウト。菅原氏も起訴猶予ですが、検察審査会は起訴相当の判断。検察はまさに大恥をかいた。検察は黒川氏と同様に菅原氏を起訴する道を選ぶのではないか」 自民党幹部はこう愚痴る。 「年内に衆院は解散、確実に選挙はある。すぐ菅原氏を議員辞職させて無所属で選挙に出してもいいのではないかという声もあった。しかし、4月25日投開票の衆院と参院補選、参院広島選挙区の再選挙、どれもが厳しい。3月15日までに菅原氏が辞めれば、同じ日程になるので、現実的じゃない」』、「菅原氏」の「秘書」による「香典配布」工作は実に組織的で、悪質だ。
・『それに菅原氏が今さら、議員辞職しても、起訴相当という判断はそう簡単に覆らないという。 「内閣の支持率も低迷するばかり。それにしても、黒川氏の立件、菅原氏の起訴相当の判断がなぜ、選挙前になるのか……。疑問を感じる」(同前) 河井克行被告の妻、案里氏は懲役1年4か月、執行猶予5年、公民権停止5年間の判決が出て、5年間は選挙に出馬できない。自民党の筋書き通り、菅原氏が議員辞職し、反省の態度を認められて、検察が不起訴と判断したとなれば、菅原氏は公民権停止もなく、次の衆院選にも再出馬できる。そうなれば、案里氏らとの公平性という観点で大きな問題となる。 「菅原氏も公職選挙法違反ですから、検察は起訴して、立件すべき。大事なのは事件が選挙に関連するということ。克行被告、案里氏の事件を見てわかるように、公民権停止で当面、選挙に出馬できない。菅原氏も河井夫妻と同様にカネをバラまいたのだから、次の選挙に出馬することは、絶対に許されない」(郷原弁護士) 検察の捜査の行方を注目される』、仮に「検察」が「起訴」しなくても、「検察審査会」が強制起訴することになる筈だ。
タグ:「裁判になれば、禁固以上の刑に処せられる可能性があります。禁錮刑以上の刑が確定すれば、黒川氏は弁護士資格を剥奪される。5900万円とされる退職金の返納の義務も生じます。罰金刑なら弁護士資格も退職金も守られる。略式起訴は究極の救済策ですよ」、検察首脳も高度なテクニックで「黒川氏」を守ったものだ。やれやれ・・・。 三浦 瑠麗 プレジデント 2021年2月12日号 「黒川元検事長の略式起訴は大甘 退職金も弁護士資格も無傷」 「三浦瑠麗「迫真のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』」を読む 官僚と政権のつばぜり合いを抉る」 「菅原氏」の「秘書」による「香典配布」工作は実に組織的で、悪質だ。 日刊ゲンダイ 「検察はいかにあるべきか、公務員制度はいかにあるべきかという議論は残念ながら盛り上がらなかった。政治との人事抗争のみに耳目が集まり、まるで水戸黄門のような勧善懲悪ストーリーにされてしまった」、同感である。 村山治著『安倍・菅政権vs.検察庁―暗闘のクロニクル』 AERAdot 「菅首相“銘柄”の黒川元検事長と菅原元経産相 一転して「起訴すべき」となった理由〈週刊朝日〉」 「黒川問題」は第一の記事で取上げたので、ここでは「菅原氏」を中心にみていきたい。 仮に「検察」が「起訴」しなくても、「検察審査会」が強制起訴することになる筈だ。 のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』」を読む 官僚と政権のつばぜり合いを抉る、菅首相“銘柄”の黒川元検事長と菅原元経産相 一転して「起訴すべき」となった理由〈週刊朝日〉) 黒川検事長問題 (その5)(黒川元検事長の略式起訴は大甘 退職金も弁護士資格も無傷、三浦瑠麗「迫真
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バイデン政権(その2)(リベラル系学派の経済学者/マサチューセッツ大学 ジェラルド・A・エプシュタイン教授 「米国製造業再興への第一歩 税制度の公平化にも期待」、景気支援か バブル警戒か 板挟みの米FRB議長 潜在的な危険に若干警戒を強めている発言も、米国の「ミドルクラスのための外交」って何だろう これからの日本も見習ったほうがいいのかも?) [世界情勢]

バイデン政権については、3月28日に取上げた。今日は、(その2)(リベラル系学派の経済学者/マサチューセッツ大学 ジェラルド・A・エプシュタイン教授 「米国製造業再興への第一歩 税制度の公平化にも期待」、景気支援か バブル警戒か 板挟みの米FRB議長 潜在的な危険に若干警戒を強めている発言も、米国の「ミドルクラスのための外交」って何だろう これからの日本も見習ったほうがいいのかも?)である。

先ずは、5月7日付け東洋経済Plus「リベラル系学派の経済学者/マサチューセッツ大学 ジェラルド・A・エプシュタイン教授 「米国製造業再興への第一歩 税制度の公平化にも期待」」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26883/?utm_campaign=EDtkprem_2105&utm_source=edTKO&utm_medium=article&utm_content=210509&_ga=2.145089844.1680389212.1618707326-1011151403.1569803743#tkol-cont
・『バイデン政権の経済政策は米国や世界の流れをどう変えるのか。米民主党左派と近いポストケインジアンの重鎮のジェラルド・エプシュタイン教授(米マサチューセッツ大学)に話を聞いた(Qは聞き手の質問、Aはエプシュタイン教授の回答)。 Q:「米国雇用計画」をどのように評価しますか。 A:非常にいい計画だと思う。化石燃料からの脱却を図るグリーンインフラや道路などの従来型インフラ、育児・教育、高齢者介護など人間のインフラへの投資や、人種・民族間の格差を減らす社会インフラへの投資も非常に評価できる。 8年間で総額2.3兆ドルという規模には、オカシオコルテス下院議員など民主党左派からは「足りない」との批判もある。しかし、民主党は上院でギリギリの過半数であり法案可決は容易ではない。よいスタートを切れるような現実的な計画を出してきたと思う。 Q:大型支出によるインフレが懸念されています。 A:3月に可決した「米国救済計画」(総額1.9兆ドル)の効果もあって失業率や設備稼働率は改善され、経済拡大が起こるだろう。結果、一時的な物価上昇は生じると思う。忘れてはならないのは、米国では過去10年間、低インフレこそが問題だったことだ。インフレの兆候が少し見えただけで慌てるのは軽率ではないか』、「民主党」中道派的な主張のようだ。
・『深刻なインフレはない  米国にはパンデミック(感染症の世界的流行)前から所望時間未満しか働けない大量の低所得者層が存在する。昨年8月にFRB(米連邦準備制度理事会)は戦略を転換し、これらの層の雇用を後押しするため、2%のインフレ目標からの一時的なオーバーシュートを許容することを決めた。 問題は、制御が利かない深刻なインフレがあるかどうかだが、石油危機のあった1973年と79年に起きたくらいだ。その要因の1つは、80年代以降、労働法制の変更もあって労働組合が弱体化したことにある。最近もアラバマ州でアマゾンの倉庫作業従事者が労組を結成しようとしたが頓挫した。労働者心理は温まらず、インフレ期待は生じにくい。また中国やメキシコなどとの国際競争が激しく、これもインフレが起きにくい要因だ。 Q:米国雇用計画が米国の製造業や中間層を本当に再興させるのかについては疑問の声があります。 A:製造業と中間層の没落は非常に深刻な状況だ。今回の計画は長距離走における第一歩にすぎない。われわれはプロセスの蓄積が重要だと学んだ。まずは製造業やグリーン経済への政府支出を拡大させて勢いをつくる。そこへ民間資金が合流していけば実体経済は活性化されるだろう。高リターンを求める民間資金はあふれているが、残念ながら現在その一部はデジタル資産のNFT(非代替性トークン)や仮想通貨など筋違いの投資先に向かっている。 Q:米国雇用計画は半導体などの投資で「対中国競争に勝つ」とうたっています。 A:中国からの脅威は経済や外交、軍事など多方面で高まり、バイデン政権は対応を迫られる一方で、気候変動問題では協調態勢を取るなど状況は複雑だ。半導体などの「対中国戦略」は一種のプロパガンダであると同時に、こうした流れを利用する特定企業のロビー活動をも反映している。 Q:財源確保策の法人増税をどう評価しますか。 A:バイデン政権は法人税率を21%から28%に引き上げようとしているが、トランプ政権の大減税前の税率は35%だった。今回の税率引き上げは控えめだ。米国人の多くは自国の税制度が公平ではないと理解している。所得税率は富裕層や企業のほうが低中所得の労働者よりはるかに低い。合法的な租税回避により、法人税がゼロの大企業も少なくない。法人増税は公平性を取り戻すものだ。 また米UCLAのキンバリー・クラウジング教授の研究では、トランプ政権の法人減税はその目的だった国内投資回帰を実現できず全体として税収を大きく減らした。今回の法人増税は、税収を増やし、かつ政府支出を拡大させるため、国内投資に水を差さない』、「トランプ政権の法人減税はその目的だった国内投資回帰を実現できず全体として税収を大きく減らした。今回の法人増税は、税収を増やし、かつ政府支出を拡大させるため、国内投資に水を差さない」、世界的な「法人減税」競争を終わらせる可能性がある画期的な意味がある。事実、後述のように、「イエレン財務長官は法人税の国際ミニマム税率の導入を主要国へ提言」したようだ。
・『法人減税の反転が始動  Q:この計画の公表と同時にイエレン財務長官は法人税の国際ミニマム税率の導入を主要国へ提言しました。 A:資本は一国から容易に逃げられるが、市民は違う。そんな市民から税金を取る一方で、法律家や銀行家、会計士らのタックスヘイブン産業が軽課税国政府とともに富裕層や企業の租税回避を手助けするのは、公平さの点で問題だ。バイデン政権は世界の法人税率引き下げ競争を反転させるだろう。 Q:コロナ禍対策で膨れ上がった世界の公的債務にはどう対処すべきでしょうか。 A:第2次世界大戦後の世界も巨大な公的債務を抱えていたが、債務の対GDP(国内総生産)比はその後低下していった。それは増税や債務返済が行われたというより、分母となる経済規模が拡大したからだ。加えて、インフレによる債務の実質負担軽減もあった。 今回はちょうどグリーン経済への移行が始まるところだ。巨額の投資が行われ、経済成長と低金利が持続すれば、公的債務はよりよく管理できるだろう。逆に急速な増税や歳出削減によって経済成長を損ねたりすれば、公的債務の管理は難しくなるだろう。 Q:その主張は「インフレリスクを除けば、自国通貨建ての公的債務の拡大は恐れる必要がない」というMMT(現代貨幣理論)と似ています。 A:私は雇用重視など政策面でMMTと共通する部分があるがMMTには批判的だ。私の主張は現在の米国という特定の時間と空間に関していえることであり、MMTのように「主権(自国)通貨増発がいつでも最善の政策だ」とはしていない。 例えば、何らかの構造問題が高金利を継続させればスパイラル的な債務増加のため借金をすることは難しくなる。また政治経済の安定を基に信用力の高いハードカレンシーを持つ米国や日本と異なり、新興国では自国通貨建ての債務に限界がある。ワクチンや必需品の輸入、外国通貨建て債務の元利払いのために、新興国の通貨はハードカレンシーに従属せざるをえない。MMTの主張と異なるが、IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引き出し権)増強などを行い、新興国の外貨準備支援や流動性供給を行う必要がある。 Q:今年2月、トマ・ピケティ教授(仏パリ経済学院)ら欧州の有識者が「欧州中央銀行(ECB)が保有する国債を帳消しにすべきだ」と提言しました。 A:それは過去幾度も議論されたヘリコプターマネー(空からお札をまく)政策とほとんど同じだ。債務帳消しは債務者の得になるが、社会に悪いインセンティブを与え、公平性の観点からも問題がある。例えば米国では、民主党左派が選挙で学生ローン債務の帳消しを主張したが、学生ローンを返済した人とそうでない人の間の公平性が大問題になった。債務帳消しがよい方法かは不明だ。 A:リベラル色の強い政策が世界に広がっています。米国の経済学界の勢力図にも影響は出ていますか。 A:ポストケインジアンやマルクス経済学など非主流派は依然としてトップ大学から締め出されている。非主流派の拠点は、私が教えるマサチューセッツ大学を筆頭としてニュースクール大学やミズーリ大学カンザスシティー校などがある。 政府と関係する政策サークルでは、昔から非主流派も影響力を持ちやすかった。バイデン政権では環境や格差問題に注力する経済学者が重用されているが、残念ながらポストケインジアンより、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授のような、もっと(主流派に近い)実際的な急進的経済学者が力を持っている』、「債務帳消しは債務者の得になるが、社会に悪いインセンティブを与え、公平性の観点からも問題がある」、健全な考え方だ。「バイデン政権では・・・残念ながらポストケインジアンより、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授のような、もっと(主流派に近い)実際的な急進的経済学者が力を持っている」、なるほど。

次に、5月9日付け東洋経済オンラインが転載したブルームバーグ「景気支援か、バブル警戒か、板挟みの米FRB議長 潜在的な危険に若干警戒を強めている発言も」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/427124
・『パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長は先週、「フロシー(泡立っている)」と見受けられる株価や金融市場の潜在的な不均衡から生じるリスクについて、「対処は可能」だとの考えを示した。しかし、金融当局関係者の一部はそれほど確信を持てずにいる。 そうした疑念の背景には、米金融当局の超低金利政策や多額の債券購入が資産価格のバブルに加え、リスクテークやレバレッジの行き過ぎにつながり、やがて経済に大きなダメージをもたらしかねないという懸念がある。 パウエル議長としても、新型コロナウイルス禍からの米経済と労働市場の回復を支援するため緩和的な金融環境を望む一方、2001年のハイテクバブルや07年の住宅バブルの崩壊時のようなリセッション(景気後退)の危険性も認識しており、金融市場を巡って板挟みの状態に置かれている。 ダラス連銀のカプラン総裁は4月30日、「金融市場で行き過ぎや不均衡が見られる段階になった」と述べるとともに、「それに対して私は非常に注意を払っており、だからこそできるだけ早期に資産購入の調整について話し始めることが適切になると考えている」と語った。 また、ボストン連銀のローゼングレン総裁は5日のウェビナーで、資産価格にはまだ「異常な上昇傾向」は見られないとしつつも、刺激策縮小に極めて辛抱強く臨む米金融当局の姿勢によって、そうした状況になる可能性はあるとの見方を示唆し、「まだ超低金利のままで来年末までに完全雇用状態となれば、金融市場の動向を注視することなる」と話した。 パウエル議長自身は、回復途上の米経済への支援策を縮小する構えは一切示していない。だが、このところの発言からは、金融安定性に対する潜在的な危険に若干警戒を強めている様子もうかがわれる。 先月28日の連邦公開市場委員会(FOMC)後の記者会見でパウエル議長は、「資本市場ではややフロシーな状態が見られる」とし、「資産価格の幾つかは高い」との認識を示した。今年早い段階では資産価格が高水準にあると表現するのを避けていただけに、議長の発言を受けて投資家の間には驚きが広がった。 元FRB理事で現在はハーバード大学教授のジェレミー・スタイン氏は「投機的な市場は扱いにくく、対処は難しい」と語り、投資家がインフレ高進のリスクにとらわれている場合は特にそうだと強調した』、「パウエル議長は、「資本市場ではややフロシーな状態が見られる」とし、「資産価格の幾つかは高い」との認識を示した」、警戒色をやや強めたようだ。

第三に、5月15日付け東洋経済オンラインが掲載した双日総合研究所チーフエコノミストのかんべえ(吉崎 達彦)氏による「米国の「ミドルクラスのための外交」って何だろう これからの日本も見習ったほうがいいのかも?」の4頁目までを紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/428394
・『アメリカのジョー・バイデン大統領はつくづく運が強い。「最初の100日以内にワクチン接種2億回」という公約を、予定より1週間早く達成した。同国の成人人口において、「ワクチンを1回以上接種した比率」は本稿執筆時点ですでに58.7%に達している 。 残っているのはワクチン接種に消極的な人が多いので、今後の伸びは緩やかなものになりそうだが、「独立記念日(7月4日)までに集団免疫の獲得」という目標は、十分に視野に入ってきた。 それに比べて、わが国のワクチン接種状況の情けないことよ。筆者はつい先ほど、アメリカの知人から「東京五輪を楽しみにしているからね」というメールをもらい、どう返事を書いたものかと悩んでいるところだ』、「アメリカ」に比べ「わが国のワクチン接種状況の情けないことよ」、同感だ。
・『なぜ「ミドルクラス」と「外交」なのか  さて、今回はバイデン外交についてご紹介したい。いろいろな場所で「America is back!(アメリカは帰ってきたぞ!)」と広言し、世界的な指導力回復に意欲を見せるバイデン氏だが、外交演説の際にかならず発信するフレーズがある。それは「ミドルクラスのための外交政策」(A Foreign Policy for the Middle Class)だ。 えっ?「ミドルクラスのための経済政策」というのならわかるが、なんで外交なんだ?と思ったあなたはたぶん間違っていない。このフレーズをどう理解すべきなのか、正直、世界の外交・安全保障の専門家たちが悩ましく感じているところなのだ。もっともこういう目標を掲げなければならない今のアメリカの現状も理解できるので、それは経済学や社会学的に見ても興味深い現象だと思うのだ。 バイデン大統領が、この問題を重く受け止めていることは間違いない。というのは、「ミドルクラスのための外交政策」にはネタ本がある。2020年9月にシンクタンク、カーネギー国際平和財団がまとめた”Making U.S. Foreign Policy Work Better for the Middle Class”(アメリカ外交を中間層のために働かせる)という報告書がそれだ 。 執筆メンバーの中にはジェイク・サリバンの名がある。彼は副大統領時代のバイデン氏の補佐官を務め、現政権では国家安全保障担当補佐官に起用されている。他のメンバーではサルマン・アーメッドが、国務省の政策企画室長に任命されている。つまりバイデン政権はこのアイデアを丸ごと買い取って、自分の外交スタッフに登用しているのである』、「ミドルクラスのための外交政策」の「ネタ本」を見つけるとはさすがだ。
・『アメリカのミドルクラスとは?  この研究が始まったのは2017年のこと。察するにトランプ政権が誕生したことで、外交専門家たちが危機感を抱いたのであろう。彼らは「国民の多数(ミドルクラス)に支持されていない外交は持続不可能だ」ということが身に染みた。 そこで国民の意識調査を始めるわけだが、民主党支持が多いコロラド州、共和党支持が多いネブラスカ州、接戦州であるオハイオ州という3カ所でヒアリングを行った。つまりこの研究はもともと超党派であり、最初からバイデン政権に向けた政策提言ではなかったことがわかる。 それでは今のアメリカにおいて、ミドルクラスとはどの程度の所得層を意味するのだろうか。報告書はキチンと定義していて、「世帯収入の中央値の3分の2から2倍まで」ということになっている。 2018年時点で世帯中央値は7万4600ドルなので、下は4万8505ドルから上は14万5516ドルということになる。円換算してボトムが約500万円と考えると、「意外と高いな」という印象を受けるところだ。これはアメリカで物価が上昇しているためなのか、それとも為替レートが円安になっているからなのか。 同じことを日本で考えてみると、世帯年収の平均値が約550万円なので、ざっくり年間336万円から1100万円の世帯がミドルクラスという定義になる。まあ、妥当な線であろう。 ちなみにこの手の統計で、なぜアメリカは中央値で日本は平均値を使うかと言うと、アメリカには途方もないお金持ちがいるので、平均値が吊り上げられてしまうのだ。余談ながらマイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツ氏やアマゾン・ドット・コム社の最高経営責任者であるジェフ・ベゾス氏は「お金があるのに離婚する」のではなく「財産がありすぎるから離婚してしまう」と考えるほうが自然であろう。 それではこれまでのアメリカ外交は、ミドルクラスにとってどうだっただろうか。報告書は過去のいろんなタイプの外交方針を取り上げ、そのいずれもが彼らに利益をもたらしてこなかったと断じている。 ここでトランプ流の「アメリカファースト」外交や、急進左派が掲げる「気候変動・超重視」外交が否定されているのは、まあ理解できる。関税を引き上げて他国に貿易戦争を仕掛けると、国民負担が増加してミドルクラスにはマイナスだろう。また、「化石燃料をゼロにせよ!」と徹底すると、じゃあ石油や石炭産業に勤めるミドルクラスはどうなってもいいのか、ということになってしまう』、「ミドルクラスのための外交政策」に当初は違和感を感じたが、確かに意味ある政策のようだ。
・『どうやったら外交で個人を助けられるのか?  筆者にとって興味深かったのは、ここで「プロビジネス外交」や「プログローバル化外交」が否定されていることだ。つまりグローバル化を促進し、大企業を利するような外交をやっていると、ミドルクラスのためにならない、というのである。 かつて「GMにとって良いことは、アメリカにとって良いことである」と自動車会社の経営者が豪語した時代があった。企業の繁栄が国家に富をもたらし、それがそのまま個人の幸福につながった古き良き時代のことである。が、今やそんなセリフはまったくリアリティーがない(そもそもGMはリーマンショック時に経営破綻して、政府に救済されている)。 GAFAなどのグローバル企業がいかに業績を拡大しても、収益はどこかへ行ってしまい、税収はさほど上がらない。彼らは製造や研究の拠点を海外に移転し、国内の雇用や賃金を上げることに関心が薄い。つまり企業と国家と個人の利益が、今では昔ほど重ならなくなってしまった。 しかし国家としては、ここは悩ましいところだ。外交政策によって、自国企業を支援することはできるけれども、個人を助けるにはどうしたらいいのだろう?例えば、自由貿易協定で利益を得るのは企業であって、ミドルクラスではないだろう。だとすれば、アメリカのTPP(環太平洋パートナーシップ協定)復帰はもはや不可能、ということになってしまう。 あるいは、「これから先のアメリカ外交が目指すのは、ミドルクラスの雇用や賃金を上げることであります」と言われると、やはりそこには異和感がある。それでは結局、「アメリカファースト」主義や「バイアメリカン」(アメリカ製品愛用)政策など、トランプ路線と大差がないことになってしまわないだろうか。 さらにエコノミスト的にマジレスさせてもらうと、コロナ前までのアメリカ経済はずっと成長が続いていた。ということは、経済政策は成功していたのであろう。ところが社会的には格差が拡大し、政治的にも分断が広がっている。それはおそらく分配政策の失敗であろう。だったら、そこは所得の再分配などでミドルクラスを救済すべきであって、外交政策に罪をかぶせてはいかんのではないだろうか。 などとツッコミどころはいろいろあるのだが、海外の外交・安全保障の専門家からは「ミドルクラス外交」を支持する声もある。今の不安定な国際秩序の中では、やはり「強いアメリカ」に戻ってきてもらいたい。そのためにはなるべく多くのアメリカ国民の支持が必要なので、むしろ同盟国として応援すべきではないか、というのである。日本の立ち位置を考えれば、確かにそういう考え方もアリだろう。 ところで外交と経済が交差する分野に「対外援助」がある。この政策は、評判が悪いことが多い。国内にも困っている人が居るのに、なぜ税金を使って他国を助けるのか、という批判はつねに存在する。ただし「情けは人のためならず」なので、長い目で見れば援助は報われるし、いずれは国益に結びつく。実はカーネギー財団が行ったヒアリングでも、アメリカのミドルクラス層は対外援助の必要性に対して一定の理解を示している』、「アメリカ」では、「カーネギー財団」が外交向けの「報告書」を出すなど、外交政策の厚みもかなりのものだ。
・『「ミドル」の再生は本当に可能なのか?  ただしそのためには、「アメリカ外交は自分たちに利益をもたらしてくれる」という信認が必要である。「外交はエリートたちが勝手にやっていることで、お陰で自分たちの暮らしは酷くなるばかりだ」と思われていると、またまたトランプ大統領のような人が出てきて、外交官や専門家の努力を全否定する恐れがある。あるいは「Qanon」(キューアノン)などというグループが登場して、面妖な陰謀論になびく人が増えるかもしれない。 あらためて外交の世界でなぜミドルクラスが重視されるかというと、ひとつの国の中で収入が近い「中間層」の意見は、ある程度一致していると考えられるからであろう。民主主義国においては、「世論」(せろん=Popular sentiment)ならぬ「輿論」(よろん=Public opinion)が重要であり、それはミドルクラスによって形成されることが多い。 ところが今のアメリカでは、教育水準や住んでいる場所、世代や主義主張などで大きく意見が割れてしまっている。バイデン政権にとって重要なのは、国民の収入を上げるのもさることながら、アメリカにおける思考の「ミドル」を再生することであろう。それなしには外交もやりにくいのだが、はたしてそんなことが可能なのだろうか?(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「バイデン政権にとって重要なのは、国民の収入を上げるのもさることながら、アメリカにおける思考の「ミドル」を再生すること」、「再生」できればいいが、トランプによ分断の傷が深いだけに、難航しそうだ。ただ、イスラエルのガザ地区への攻撃を、国連が取上げようとしても、バイデン政権の反対で、国連は何も出来なくなっており、バイデン政権が余りにイスラエル寄りだとして、国際社会の風当たりも強まってきたようだ。
タグ:「ミドルクラスのための外交政策」の「ネタ本」を見つけるとはさすがだ。 「パウエル議長は、「資本市場ではややフロシーな状態が見られる」とし、「資産価格の幾つかは高い」との認識を示した」、警戒色をやや強めたようだ。 かんべえ(吉崎 達彦) 「景気支援か、バブル警戒か、板挟みの米FRB議長 潜在的な危険に若干警戒を強めている発言も」 「アメリカ」に比べ「わが国のワクチン接種状況の情けないことよ」、同感だ。 「バイデン政権にとって重要なのは、国民の収入を上げるのもさることながら、アメリカにおける思考の「ミドル」を再生すること」、「再生」できればいいが、トランプによ分断の傷が深いだけに、難航しそうだ。 「米国の「ミドルクラスのための外交」って何だろう これからの日本も見習ったほうがいいのかも?」 「ミドルクラスのための外交政策」に当初は違和感を感じたが、確かに意味ある政策のようだ。 「アメリカ」では、「カーネギー財団」が外交向けの「報告書」を出すなど、外交政策の厚みもかなりのものだ ブルームバーグ 「リベラル系学派の経済学者/マサチューセッツ大学 ジェラルド・A・エプシュタイン教授 「米国製造業再興への第一歩 税制度の公平化にも期待」」 東洋経済Plus (その2)(リベラル系学派の経済学者/マサチューセッツ大学 ジェラルド・A・エプシュタイン教授 「米国製造業再興への第一歩 税制度の公平化にも期待」、景気支援か バブル警戒か 板挟みの米FRB議長 潜在的な危険に若干警戒を強めている発言も、米国の「ミドルクラスのための外交」って何だろう これからの日本も見習ったほうがいいのかも?) バイデン政権 東洋経済オンライン 「債務帳消しは債務者の得になるが、社会に悪いインセンティブを与え、公平性の観点からも問題がある」、健全な考え方だ。「バイデン政権では・・・残念ながらポストケインジアンより、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授のような、もっと(主流派に近い)実際的な急進的経済学者が力を持っている」、なるほど。 「トランプ政権の法人減税はその目的だった国内投資回帰を実現できず全体として税収を大きく減らした。今回の法人増税は、税収を増やし、かつ政府支出を拡大させるため、国内投資に水を差さない」、世界的な「法人減税」競争を終わらせる可能性がある画期的な意味がある。事実、後述のように、「イエレン財務長官は法人税の国際ミニマム税率の導入を主要国へ提言」したようだ。 「民主党」中道派的な主張のようだ。 ただ、イスラエルのガザ地区への攻撃を、国連が取上げようとしても、バイデン政権の反対で、国連は何も出来なくなっており、バイデン政権が余りにイスラエル寄りだとして、国際社会の風当たりも強まってきたようだ。
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経済学(その4)(なぜ理系出身の財務官僚は 最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは、宇沢弘文の「社会的共通資本」が今 響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった、コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論) [経済政治動向]

経済学については、昨年11月14日に取上げた。今日は、(その4)(なぜ理系出身の財務官僚は 最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは、宇沢弘文の「社会的共通資本」が今 響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった、コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論)である。

先ずは、昨年11月24日付けプレジデント(2020年10月2日号)が掲載した法政大学経済学部教授小黒 一正氏と経済評論家の浜田 敏彰氏による「なぜ理系出身の財務官僚は、最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/39515
・『気鋭の経済学者として注目を集めている小黒一正教授。財政再建を重視する元財務官僚らしく、マクロ経済のみでなく、財政赤字が恒常化するなか、日本財政の先行きにも危機感を募らせている。コロナ対策についても、償還の議論とセットになっていない国債発行に警鐘を鳴らす。もともとは理系の学者志望がなぜ経済の道へ、そして官の世界からなぜ研究者に転身したか。背景を聞いた』、同じ財務官僚から嘉悦大学教授になった高橋洋一氏は、内閣官房参与でありながら、新型コロナウイルスの感染状況について、ツイッターで「さざ波」などと表現、国会審議が中断する騒ぎで謝罪したが、小黒氏はもっと真面目な学者タイプのようだ。
・『根っからの理系学生が経済に関心を持った  石川県の山代温泉にホテル百万石という旅館があります。昭和天皇も宿泊されたその老舗旅館が私の祖父の生家です。兄弟姉妹は13人と多く、このうち祖父は双子なのですが、当時はその片方を養子に出す慣習があり、祖父は、硬質陶器などの経営をしていた小黒安雄氏(石川県出身)の養子になりました。このため、私も小黒姓です。祖父の双子の兄は戦後に「回転式黒板」「ホワイトボード」「電子黒板」を発明した日学の創業者で、吉田富雄という人物です。 祖父は戦前、陸軍士官学校を経て軍人になり、生家が資産家の祖母と結婚しましたが、太平洋戦争に突入して敗戦。戦後、俳優の上原謙氏がオーナーだった映画館の経営を依頼されたり、国際観光ホテルの取締役を務めながら帝国ホテル内にギャラリーを設立したと聞いています。その後、画廊は東京駅付近に移転しましたが、その傍ら瀬島龍三氏らが設立した同台経済懇話会の幹事もしていたそうです。なお、私の父は鹿島建設を経て祖父の画廊を継ぎました。 私自身は東京都国立市で育ちました。高校は自宅から自転車で10分の所にある都立国立高校でした。その頃から将来の進路として学者の世界を候補の1つにしていました。家系がビジネス系なので、なんとなく反骨心を抱いていたのかもしれません。 当時、興味を持っていたのが物理学と数学です。高校生のとき、数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を獲った広中平祐先生が創始した「数理の翼」に応募して合格し、夏季セミナーに参加しました。参加者には数学オリンピックでメダルを獲った学生や、博士課程に進学中の10代のイギリス人女性もいて、私にはとてもいい刺激になりました。 広中先生が京大理学部の出身ということもあり、大学は京大に進学しました。現在も同様ですが、京大と東大に広中先生のサロンがあり、学生たちが自由に出入りできる交流の場になっていました。さまざまな分野の先生や先輩から最先端の話を聞けたことは、現在でもいい財産です。 専攻は物理でしたが、2回生までに卒業に必要な単位は9割ほど取得して学生生活の後半は余裕があったので、経済や法律・哲学などの勉強をしていました。特に経済学には興味をひかれました。経済にもメカニズムがあって理論や分析ツールで現実の社会を動かせることがわかって、これはおもしろいなと思ったのです。 そのタイミングで友人に大蔵省(現財務省)の説明会に誘われて参加しました。説明に来ていたのは田中一穂氏(後の財務省事務次官)で、氏の勧めもあり、大蔵省を受けたところ、入省が決まりました。研究者を志していたのですが、一方で現実の世界は生々しくて、理論どおりにいかないことがあるはず。それを1度自分の目で見たかったのです。また、過去には大蔵省から研究者に転身した方も多かった。そのことにも背中を押されて、97年に入省しました』、「高校生のとき、数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を獲った広中平祐先生が創始した「数理の翼」に応募して合格し、夏季セミナーに参加」、「専攻は物理でしたが、2回生までに卒業に必要な単位は9割ほど取得して学生生活の後半は余裕があったので、経済や法律・哲学などの勉強をしていました。特に経済学には興味をひかれました」、極めて優秀だったようだ。
・『いま日本に必要なのは実体経済を強くすること  まず証券局に配属されたその年に山一証券、三洋証券が破綻しました。大臣官房の文書課に異動になった翌年には、大蔵省の接待汚職事件で省内は大騒ぎ。「地検がきたぞ」と誰かが叫んで、火事でもないのに4階の防火シャッターが閉められたことを覚えています。後にも先にも、大蔵省の防火シャッターが閉まったのはあのときだけではないでしょうか。 その後は理財局や関税局などにも配属されました。その頃の関税局は9.11後のテロ対策も落ち着いて大きな政治課題もなく、時間に余裕がありました。そこで個人的に関心があった財政や社会保障についてペーパーを書き、官房に送ったところ「財務総合政策研究所に行ってみないか」と打診を受けて、財務省の中で研究の道を歩むことになりました』、主計局には行ってないようだ。
・『研究者として生きていこうと決心  研究にフルに時間を充てるようになると、実務をやっているときには見えなかった課題がよりクリアに見えてきました。さらに研究を続けるため、中曽根康弘さんのシンクタンクである世界平和研究所を経て、一橋大学経済研究所の准教授になりました。そして、いよいよ研究者として生きていこうと決心し、2013年、39歳で法政大学に移り、現在は経済学部で教授を務めています。 私の研究テーマは財政と社会保障ですが、対象領域は広がり、最近は実体経済に関心を持っています。日本の経済が盤石だったころは、アセットサイド(バランスシートの左側)を気にせず、財政のデットサイド(財政のバランスシートの右側)を正しくコーディネートしていれば、投資の収益が上がるという認識でした。しかし、いまのように実体経済が弱いと、財政政策でいくら経済をブーストさせようとしても限界がある。日本には実体経済の足腰を強くするソリューションが必要で、それを分析して提言していくことが、研究者としての現在のチャレンジです。 それと別に、政治家や官庁、日銀の幹部を務めた方などを対象に、財政のオーラルヒストリーを記録する仕事に取り組んでいます。30年間、外に出さないという約束があり、世に出るのはずっと先です。しかし、現下の日本財政や経済は本当に厳しい状況で、その舵取りに関わった方々の証言は歴史的価値が高いはずです。後世に託す貴重な資料を残すため、ライフワークとして、しっかり取り組んでいきたいですね』、「財政のオーラルヒストリーを記録する仕事に取り組んでいます。30年間、外に出さないという約束があり、世に出るのはずっと先」、なかなか面白そうな取り組みだ。
・『▼浜ちゃん総研所長の目  現実の世界は、物理の法則どおりに動いている。もともと理系少年だった小黒さんがそのことを知って物理にのめり込んだのは、高校生の頃だった。しかし、知的な関心は物理にとどまらなかった。京大に進学して卒業に必要な単位を2年目でほぼ取り終え、片手間に他分野を学び始めたところ、経済の世界にも社会をマネジメントする理論があることを知り、おもしろさに目覚めた。そこから本格的に勉強を始めて大蔵省に入省。後にノーベル賞に繋がる素粒子を研究するゼミの教授に報告すると、「なぜ、そっちにいくのか」と惜しまれたという。分野を問わずに活躍できるスーパーマンだ。 官僚になったのは、旅館やギャラリー、硬質陶器の経営者が並ぶファミリーの影響があったようだ。小黒さんは「ビジネスで儲けるのはいいのですが、個別最適にしかならない。社会全体の最適化を手がけたかった」と明かしてくれた。大蔵省に入省後は、導かれるようにして研究者への道が拓けていく。退官して大学に籍を置くのも、理論派の小黒さんらしい。「趣味は?」と問うと、「分析ですかね」。本人の生真面目さがにじみ出る答えだ。損得を超えたところで公のために研究に打ち込む人がいるのは、とても心強いことである』、「損得を超えたところで公のために研究に打ち込む人がいるのは、とても心強いことである」、その通りだ。

次に、10月30日付け東洋経済オンラインが掲載した 内科医の占部 まり氏による「宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/384561
・『2020年は新型コロナ感染症で世界の人々の生活が大きく変化した。金融危機以降に広がってきた資本主義を批判する論調はますます高まっている。そうした中、その著作がブームとなって再び注目を集めているのが、宇沢弘文(1928~2014年)だ。数理経済学で最先端の理論を構築しノーベル経済学賞に最も近い日本人とされただけでなく、公害問題や環境問題などにも取り組み、経済学が人間の幸福に資するものであるかを問い続け、「哲人経済学者」の異名を持つ。もし、生きていたら、現在の状況についてどんな発言をしただろうか。今回は、宇沢弘文氏の長女で宇沢国際学館取締役としてその思想の伝導にも努めている医師の占部まり氏に寄稿してもらった。 新型コロナウイルス感染症が蔓延したことで、世界観が大きく変わった方も多いと思います。とはいうものの、緊急事態宣言が出ていたあの頃は遠い昔のことのように感じられます。少しずつ新しい日常生活が戻ってきてはいますが、このウイルスが浮き彫りにした社会問題に向き合い続ける必要性を強く感じています』、「宇沢弘文氏の長女」による紹介とは興味深そうだ。
・『豊かな生活に欠かせないものを政府が支える  私の父は宇沢弘文という経済学者で、ノーベル経済学賞にいちばん近い日本人とも言われていました。大事なものは金銭に換算することはできない。そんな当たり前の視点から「社会的共通資本」という理論を構築しました。 豊かな社会に欠かせないものがあります。例えば、大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、司法、金融制度などの制度資本です。宇沢はこれらを社会的共通資本と考え、国や地域で守っていくこと、市場原理主義に乗せて利益をむさぼる対象にしないことで、人々がより生き生きと暮らせると考えていました。 J.S.ミルの提言した“定常状態”、経済成長をしていなくても、その人々の生活に入り込むと豊かな生活が営まれている、そんな社会を支えるのが社会的共通資本であるとしていました。経済成長と人間の幸せが相関しない時代に入った今の日本や世界の多くの地域で、この理論が共感を呼ぶようになってきています。 日本の4~6月の緊急事態宣言の中でも、電気、水道といった社会的インフラストラクチャーが機能していました。私は横浜市でかかりつけ医をしていますが、通勤で電車がいつもどおり動いていたことで、本当に助かりました。経済原理に従えば、これだけ需要が減った場合、減便などで対応することが議論されてもおかしくない状況でした。 医療や教育など社会が機能するうえで本当に必要なものが明らかになり、そうしたものは市場というシステムからはなかなか見えづらく、利益至上主義で考えないということの重要性が多くの方に認識されたのではないでしょうか。 同時に社会保障制度のあり方も見直しの必要があるとのことで、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)が話題になっています。しかし、これは深く考えたいところです。 「国民全員にお金を配るという考えはどうなのか」を父に聞いてみたことがあります。答えは「うまくいかない」でした。「なぜ?」という私に返ってきた答えは「今月100円で買えた大根が来月は120円になる」でした。 みんなが必要としているもの、つまり需要が多いものは市場原理に任せると、価格が上がっていくのです。弱者がどんどん必要なものに手が届かなくなっていってしまうというのが父の解説でした。UBIを導入すると、教育や医療といったものの価格が大きく上昇していくというわけです。 宇沢と1964年から親しくしていたジョセフ・E・スティグリッツ・コロンビア大学教授は「政府の役割はお金を配ることではなく、働きたい人に仕事を与えることだ」といっています。お金が配られて、自由に好きなものが買えるという状況以上に、働きたい人がやりがいを持って働ける場があるということは価値があります。 同じような金額を得るにしても、仕事があることで、その人が社会参画している、社会から必要とされているという実感が得られ、社会、つまり人とのつながりも同時に構築されていくのです。人と人とのつながり、つまり「社会関係資本」が健康に及ぼす影響の大きさに関する分析も最近は多くなされるようになりました』、「政府の役割はお金を配ることではなく、働きたい人に仕事を与えることだ」、一般的にはその通りだが、「与える」「仕事」に適切なものが残っているのだろうか。
・『医療は雇用を生み出し社会を安定させる  宇沢はまた、社会的共通資本を担う専門家集団を国ないし地域がサポートするべきと言っていました。税金から賄われることが多い性質のものです。しばしば医療費は税金の無駄づかいという論調が展開されることもあります。しかし、医療費は医療に従事している人の給料となり、社会に還元されていきます。 医療を産業と呼ぶのには抵抗がありますが、医療分野には医師や看護師、薬剤師といった国家資格を有している人から、清掃や調理など資格がなくても働ける仕事もあり、このような幅の広い雇用を生み出すものは他に例を見ません。さらに病院はボランティアという金銭的なものを伴わない人とのつながりを生み出す社会装置でもあります。繰り返しになりますが、健康に対して一番大きな影響を与えるのは人とのつながり、社会関係資本なのです。 病院はそこにあるだけでもいいとも宇沢は言っていました。いつでも医療が受けられるという安心感は金銭的なものに還元はできないのです。 私が臨床をしている神奈川県では、神奈川モデルとして、新型コロナ感染症への対策が行われ、感染者数が爆発的に増えるかもしれないというような状況でも安心して臨床を行うことができました。その対策は、例えば在宅で介護をしている人が感染した場合に、介護を受けている方や親が感染してしまった際に子どもたちが過ごせる場所を提供するなど、視野が広い対策でした。金銭的に換算できない効果を実感しました。 より良い医療を提供するため、国民の健康に寄与するために、もっと工夫すべきことがあるのも事実です。 UCLAの津川友介さんらがまとめた日本における特定保健指導の分析が2020年10月5日付JAMA(The Journal of the American Medical Association)に掲載されています。通称「メタボ健診」の効果が限定的であるということを述べています。効果が限定的であるからすべてがダメだというわけではありません。より良い形に整えていくのが重要なのです。 建設的な議論が必要で、目標は人々の“健康”を守ることであって、健診を効率的に行うことではありません。そのためには軌道修正が必要なのです。この事実を踏まえ新たな健診制度を構築していく責務も専門家集団としての医療者に課せられた使命であると思っています。 健康という概念も、1947年にWHO憲章で採択された「健康とは、病気でないとか、弱っていないとうことではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」といったものから、オランダで提唱されている「ポジティブヘルス」、すなわち「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに、適応し、本人主導で管理する能力」に変化していく時期に来ているのではないかと感じています(参考図書:『オランダ発ポジティヴヘルス』シャボットあかね著)』、日本でも「「ポジティブヘルス」、すなわち「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに、適応し、本人主導で管理する能力」に変化していく時期に来ている」、その通りだろう。
・『在宅で社会とつながりながら、その人らしく生きる  これまでは病院が病気の主戦場であり、生活の場というものを無視しても成り立つ構図がありましたが、多くの病が乗り越えられる現代では生活の場である自宅が主体になっていきます。そういった視線から能力としての健康が重要視されていきます。「病気や障害を持っていても、不幸とは限らない」。医療関係者がこういった感覚を持っていくことも必要です(参考記事:「健康は“状態”でなく“能力”なのだ。ポジティヴヘルス。」 新型コロナウイルスの動態が明らかになり、無症状の人からの感染もありうるし、感染をゼロにすることは不可能であるということもわかってきました。日本では高齢者施設での感染症対策が適正に取られていたことなどから、死亡者数が低く抑えられていたと私は考えています。新型コロナの感染予防のために、社会とのつながりが断たれていることの弊害に鑑み、どのように社会をひらいていくのか、社会的コンセンサスが必要です。 そのためには宇沢の『自動車の社会的費用』で展開された理論が参考になるとも思います。1974年に出版されたものですがいまだに再版され、中国や韓国などでもここ数年、翻訳出版が相次いでいます。根元的なものにアプローチしているために古びることがないのだと思います。人の命をお金に換算しないですむ社会制度を構築していくためのヒントがたくさん詰まっています。 「公(おおやけ)」「みんなのため」という議論をする際に、実は弱い人にしわ寄せがいく構図についてもこの本で言及していました。例えば、道路を作る際には、路線価格が低いところに作られやすい、そして幹線道路ができた場所はさらに路線価格が下がるという構図があることを指摘しています。 この、新型コロナ感染症の際にも、感染予防という公のために弱い人々にしわ寄せがいっていることを忘れてはならないと思います。この感染症はその弱い人々を守らないと収束が難しいことも指摘されています。自分のまわりの「見えている環境」を整備するだけでは十分ではないのです。目に見えていない環境までカバーするのが社会的共通資本という理論なのではないでしょうか』、「目に見えていない環境までカバーするのが社会的共通資本という理論なのではないでしょうか」、なるほど。
・『古典派経済学が無視した「人の心」を見つめ直す  人間の心が動いてはじめて経済が動く。そんな当たり前のことも忘れられているような気がします。経済活動が必要なのはなぜなのか。人々が豊かに暮らすためです。それには、古典派経済学では無視されていた人間の心や自然環境を見つめ直す必要があるのです。 「よく生きる」を理念に掲げるベネッセの福武總一郎さんと宇沢は生前ご縁がありました(チャイルド・リサーチ・ネット「子どもを粗末にしない国にしよう〜社会的共通資本の視点」参照)。 福武さんは「自然こそが人間にとって最高の教師」「在るものを活かし無いものを創る」「経済は文化の僕」を標語にされています。すでにあるものを破壊し新しいものを創るほうが金銭的な経済活動は大きくなるかもしれません。しかし、破壊から始まる社会には限界が来ています。あるものを活かすことに主眼を置いて新しく創造することが豊かさの源泉となるのではないでしょうか。 この7月に福武財団と共催でフォーラムを開催しました。宇沢の理論をいかに次世代につないでいくかを考えるうえで非常に示唆に富んだものとなりました。ベネッセアートサイト直島のホームページで動画も公開されているのでご覧いただければと思います。 「環境を守る」という観点から、「生態系を拡張していく」という積極的な姿勢にシフトしていく必要性もあります。ともすると人間の存在が、地球温暖化の最大悪であるとされることもありますが、実は今までで一番、生態系に影響を与えたのは植物の出現です。植物が酸素を作り始めたために、今まで存在していた酸素がない環境を好む嫌気性の生物は絶滅の危機にさらされました。 今、環境に一番大きな影響を与えているのは人間ですが、植物ほどの影響力はありません。とはいうものの、温暖化を悪化させる方向性から脱却していくために生態系に積極的にアプローチできるものも、また人間しかいないのです。ソニーコンピュータサイエンス研究所の舩橋真俊さんが構築された「拡張生態系」の理論を基軸に、宇沢が考えていた比例型炭素税を基軸とした国際大気安定化基金を実働できないか、模索しています(舩橋真俊さんの理論、参考記事「「協生農法」がもたらす見えざる“七分の理”――未来世代から資源を奪い続けないために」)』、「実は今までで一番、生態系に影響を与えたのは植物の出現です」、意外だが、言われてみれば、その通りなのだろう。「「今、瀬戸内から宇沢弘文~自然・アートから考える社会的共通資本~」レポートは、セッションごとに動画がついている。URLは
https://benesse-artsite.jp/story/20200929-1462.html
・『資本主義でも社会主義でもなく  宇沢は「資本主義も社会主義もどちらも人間の尊厳や自然環境に対する配慮が足りない」といっていました。 しかし、市場の持つ力というものも信じていました。一人の人間が認識したり想像したりできる範囲は限られています。世界の大部分が一人の人間が想像できないもので出来上がっているとも言えます。その想像が及ばないものまでをも守ろうとする社会こそが、新型コロナウイルス感染症に強い社会ではないでしょうか。 このウイルスが明らかにした社会問題を踏まえ、真の意味での豊かな社会を構築する大きなチャンスが来ているのではないか、そして、宇沢の理論がそれに大きな力を与えてくれると感じています』、なるほど。

第三に、宇沢氏の弟子である学習院大学経済学部教授の宮川 努氏が本年2月14日付け東洋経済オンラインに掲載した「コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/411579
・『新型コロナウイルスの感染拡大によって経済社会が大きなダメージを受ける中、独自の「社会的共通資本」論を唱え続けた経済学者、宇沢弘文(1928~2014)が脚光を浴びている。「社会的共通資本」は市場経済原理に任せないで社会的に管理される財・サービスの総称だが、宇沢は、医療サービスをこの「社会的共通資本」の重要な要素と してたびたび強調してきた。 このため東京財団政策研究所上席研究員で元日本銀行理事の早川英男氏は、ポストコロナの医療体制を考える中で、「社会的共通資本」に言及している。宇沢の経済学への姿勢について、膨大なインタビューと調査をもとに大著『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』をまとめあげた佐々木実氏は、宇沢が今日のコロナショックのような社会経済体制の危機を念頭に独自の経済学を構築してきたとする。 特に興味深かったのは、宇沢の長女である占部まり氏が、東洋経済オンラインに寄稿した『宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由』において、宇沢がベーシックインカムの議論を必ずしもポジティブに評価していなかった点に言及していたことだ。 なぜ、宇沢は所得再分配政策の1つであるベーシックインカムを評価していなかったのか――。筆者はあらためて彼の著作『自動車の社会的費用』を読み直してみたが、ここでは新古典派理論の限界と社会的共通資本、所得再分配政策が併せて語られている。そこで、よりフォーマルに書かれた『経済解析(展開篇)』(岩波書店、2003年)の第17章「社会的不安定性と社会的共通資本」に依拠しながら、宇沢がなぜベーシックインカムを批判し、「社会的共通資本」の理論を展開するに至ったのかを、今回のコロナ禍での医療問題と関連付けて考えてみたい』、「ベーシックインカムを批判」を「よりフォーマルに書かれた『経済解析(展開篇)』から解題するとはさすがだ。
・『医療などの「必需財」の価格は上昇しやすい  『経済解析』の議論は数学的な抽象経済モデルを使って展開されている。まず世の中の財やサービスを「必需的な財・サービス」と「選択的な財・サービス」の2つに大別する。 「必需財」は、現在の医療サービスのように他の財・サービスでは代替のきかないもので、経済学的には需要の価格弾力性(価格に応じた需要の変化)が小さいと考えられる。病気になった場合は、いかにその財・サービスの価格が高額であっても必要である。同様のことは供給側についてもあてはまる。必需財供給の価格弾力性は小さい可能性が大きく、価格が高くなってもすぐには供給が増えないであろう。 例えばマスクは、昨年3月頃にはなかなか手に入らなかったが、5月頃からは市中に出回り始め、どんどんと価格が低下していった。こうした財は価格の高騰または品不足に対して、供給側が迅速に対応できる。これに対して医療サービスは第3波の際にも議論になったように、新型コロナウイルスを扱うための施設や人材がボトルネックになり、急速に供給を増加させることができない。 宇沢はこうした財・サービスの性質の違いを使って、経済全体の所得の増加に伴う価格上昇率において、必需財が選択財よりも高くなることを示している。 このような条件下で、ベーシックインカム(宇沢の著作では「ミニマムインカム」と呼んでいる)を実施するとどうなるだろうか。もしこの制度のもとで、経済全体の所得が上昇していくと、必需品の価格は選択品の価格を上回るスピードで上昇するため、必需品のシェアが高まり、ベーシックインカムの上昇率が経済全体の平均所得の上昇率を上回ることになる。 宇沢はこうした現象を「所得分配のメカニズムが社会的に不安定である(socially unstable)」としている。占部氏が述べているベーシックインカムに関する宇沢の批判的な見解は、こうした分析に基づいていると考えられる』、「財・サービスの性質の違いを使って、経済全体の所得の増加に伴う価格上昇率において、必需財が選択財よりも高くなる・・・このような条件下で、ベーシックインカム・・・を実施すると」、「必需品の価格は選択品の価格を上回るスピードで上昇するため、必需品のシェアが高まり、ベーシックインカムの上昇率が経済全体の平均所得の上昇率を上回ることになる」、確かに「ベーシックインカム」は上手く機能しないようだ。
・『金額ありきでない「消費の格差是正」が目的  宇沢の分析には2つの貢献がある。1つはベーシックインカムについて「消費者が最低限の満足度を維持することができるような所得」という厳密な定義を与えていることである。 格差の議論では「所得格差の議論」が中心になっているが、消費効用の最大化が中心課題となる経済学においては、「消費格差の是正」こそがオーソドックスなアプローチであり、宇沢の定義はこの標準的なアプローチを踏襲したものといえる。 昨今は格差是正の一手段としてベーシックインカムの議論が盛んだが、どれくらいの金額をベーシックインカムとして支給すればよいのか、はたして財政的に維持できるのかという金額の議論が中心になっている。しかし「消費における最低限の満足度」という厳密な定義のないベーシックインカムの議論は、その制度が果たして維持可能か、国民の経済厚生水準を今よりも大きく下げることはないのかということを、事前に検証する手段を欠いていることを、宇沢の議論は示している。 もう1つは「クズネッツ仮説」に対する1つの反証を示していることである。1971年にノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツは、資本主義経済では発展の初期段階でこそ所得格差は拡大するが、その後、格差は縮小するとした。これがクズネッツ仮説である。このクズネッツ仮説への反論としては、トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』での反証が有名だが、宇沢の場合はベーシックインカムのような所得再分配政策をとったとしても、経済成長に伴って格差が縮小するということはないという意味で、ピケティ教授よりも厳しい条件を提示したといえる。 もっともここまでの宇沢の議論にも限界がないわけではない。自身が第17章の最終部分で明らかにしているようにここまでの議論は資本量を固定して、必需品の供給弾力性が低いという前提からこれまでの結論を導出している。しかし、昨年中国が新型コロナウイルスの感染拡大で封鎖された武漢でコロナ専門の病院を短期間で建設したように、資本の供給が柔軟に行われるのなら、必ずしも必需品の価格上昇率が選択品の価格上昇率を上回ることはなく、ベーシックインカムに関する議論も修正を余儀なくされる』、「「消費における最低限の満足度」という厳密な定義のないベーシックインカムの議論は、その制度が果たして維持可能か、国民の経済厚生水準を今よりも大きく下げることはないのかということを、事前に検証する手段を欠いていることを、宇沢の議論は示している」、「「クズネッツ仮説」に対する1つの反証を示している」、大したもののようだ。
・『ベーシックインカム論の前提は「必需品も市場供給」  とはいえ、現在の日本では物的資本が賄えたとしても、治療のための技能を備えた医療従事者を早急に準備することが難しい。その点は、新型コロナウイルスの感染第3波で明らかとなっている。おそらくこうした固定性は医療にかかわらず、日本の産業のいたるところに存在するのではないか。その意味で宇沢の所得分配に関する分析は、現在の日本経済については妥当すると考えられる。 そして社会的共通資本は、この社会的不安定性を防ぐ装置として位置づけられる。ベーシックインカムというのは、必需品も選択品と同じく市場経済の中で供給されることを前提としている。これに対し、むしろ必需品の供給は営利企業に任せるのではなく、社会的管理のもとにおき、その消費について格差が生じないようにすれば、選択品について効率的に資源を配分することも可能になるのではないか、というのが「社会的共通資本」の考え方である。 筆者からすると、この議論は、従来の「社会的共通資本」の議論よりもはるかに明快である。いくつかの前提に基づいてはいるものの、市場経済のもとでベーシックインカムの導入が必ずしも期待された結果をもたらさないという論理展開は、標準的なミクロ経済学の見事な応用であり、多くの経済学者の理解が得られると考えられる。 それにもかかわらず、なぜ宇沢は、「社会的共通資本」が「歴史的・社会的・経済的条件にもとづいて、社会的に決められる」(『自動車の社会的費用』)と述べ、これらの社会的共通資本の「社会的管理」を強調することから始めたのだろうか。 1つの理由は、これまで書いてきたような手続きを経ず社会的共通資本を語るほうが、一般にこの概念が受け入れられやすかったということがあるだろう。しかし第17章を読むと理由はそれだけでなかったことがわかる』、どいうことだろう。
・『何が「必需財」か、民主主義では合意が難しい  宇沢は、一度は標準的な経済学のアプローチによって社会的共通資本の理論的基礎を考えたように見える。しかし分権的な市場経済と多様な個人の価値基準を認めた前提のもとで、何を必需財と考えるかということについて社会的な合意形成を得ることは、民主主義的なルールのもとでは不可能であるとする、アローの有名な「不可能性定理」と矛盾することになる。 確かに今回の新型コロナの感染拡大に関して、民主主義を基本とする国々で、なかなか感染防止策が定まらない状況は、アローの「不可能性定理」が単なる形式論理による帰結ではないということを教えてくれる。 ここに至り、宇沢は、「社会という概念はすでに、それを構成する主体の持つ倫理的要件にかんして共通の理解を持ち、社会的価値基準の形成について、個別的な主観的価値基準をどのように集計するかについて、すでにあるルールの存在を想定している」と述べ、個々の社会の歴史的、制度的な蓄積の下で何を社会的共通資本とするかを決めることができるとしている。 ただしこの時点で効率的な市場経済の補完としての社会的共通資本という位置づけではなく、社会的共通資本の整備による社会的安定性を議論の中心に据え、市場経済を脇役として位置づけているので、経済学上の資源配分論からは遠ざかることになる。 筆者には、市場経済を中心とした社会制度を選ぶか、効率性では劣るが社会的共通資本を含む経済制度を選ぶかに際しては、その社会における必需財の選定だけでなく、その社会がどのくらいの時間的射程をもって安定性を望んでいるかにも依存しているように思う。 この点は今回の新型コロナウイルスの感染拡大で、世界中の国が試されているのではないか。アメリカは市場経済中心の経済体制を貫いて多くの犠牲者を出す一方で、独自にワクチンを開発し、おそらくは日本より早く経済的な回復を遂げるだろう。 日本は医療部門が公的医療保険制度で支えられているにもかかわらず、医薬品分野の技術開発では欧米や中国に遠く及ばず、かつ医療供給体制も十分に準備できずにいる。そして他の国以上に経済損失と現場の医療従事者の負担、国民の忍耐によって感染拡大を抑制している。こうした戦略的対応とも呼べない場当たり的な体制が、本当に国民の望んだ制度なのかどうかは、このコロナ禍が一段落した後であらためて検証されるべきだろう。 宇沢は、「ヒポクラテスの誓い」をたびたび引用するほど、医療従事者に対して敬意を払っていた。しかしながら宇沢が理想とする医療制度と現実の医療制度の間にはなお乖離があるように思う』、「日本は医療部門が公的医療保険制度で支えられているにもかかわらず、医薬品分野の技術開発では欧米や中国に遠く及ばず、かつ医療供給体制も十分に準備できずにいる。そして他の国以上に経済損失と現場の医療従事者の負担、国民の忍耐によって感染拡大を抑制している。こうした戦略的対応とも呼べない場当たり的な体制が、本当に国民の望んだ制度なのかどうかは、このコロナ禍が一段落した後であらためて検証されるべきだろう」、同感である。
・『日本の「開業医」中心の医療制度の改革を提起  社会的共通資本をわかりやすく解説した『経済解析(展開篇)』第21章「20世紀の経済学を振り返って」では、日本の医療機関が規模の小さい開業医で占められ、医師の技術的要素が医療報酬に十分反映されていない状況を憂えたうえで、「現行の開業医制度のもとでなされてきたさまざまな固定生産要素の蓄積、人的資源の配分、さらには医療従事者の要請などについて、総合的な、しかも長期的な視点に立った改革案がつくられなければならないであろう」と述べている。 いまわれわれがコロナ禍の中で実感している医療への期待ともどかしさを、宇沢は20年前、いや初出から考えると約半世紀前に持っていた。医療だけでなく分配政策も含めて、その先見性と洞察力にあらためて敬意を抱くとともに、宇沢から直接教えを受けた時期もありながら、今回のコロナ危機であらためて勉強をし直す自分自身を恥じるばかりである』、「いまわれわれがコロナ禍の中で実感している医療への期待ともどかしさを、宇沢は20年前、いや初出から考えると約半世紀前に持っていた」、確かに先見性の鋭さには脱帽である。「宇沢から直接教えを受けた時期もありながら、今回のコロナ危機であらためて勉強をし直す自分自身を恥じるばかりである」、との述懐もさもありなんだ。
タグ:経済学 (その4)(なぜ理系出身の財務官僚は 最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは、宇沢弘文の「社会的共通資本」が今 響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった、コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論) プレジデント(2020年10月2日号) 小黒 一正 浜田 敏彰 「なぜ理系出身の財務官僚は、最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは」 同じ財務官僚から嘉悦大学教授になった高橋洋一氏は、内閣官房参与でありながら、新型コロナウイルスの感染状況について、ツイッターで「さざ波」などと表現、国会審議が中断する騒ぎで謝罪したが、小黒氏はもっと真面目な学者タイプのようだ。 「高校生のとき、数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を獲った広中平祐先生が創始した「数理の翼」に応募して合格し、夏季セミナーに参加」、「専攻は物理でしたが、2回生までに卒業に必要な単位は9割ほど取得して学生生活の後半は余裕があったので、経済や法律・哲学などの勉強をしていました。特に経済学には興味をひかれました」、極めて優秀だったようだ。 主計局には行ってないようだ。 「財政のオーラルヒストリーを記録する仕事に取り組んでいます。30年間、外に出さないという約束があり、世に出るのはずっと先」、なかなか面白そうな取り組みだ。 「損得を超えたところで公のために研究に打ち込む人がいるのは、とても心強いことである」、その通りだ。 東洋経済オンライン 占部 まり 「宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった」 「宇沢弘文氏の長女」による紹介とは興味深そうだ。 「政府の役割はお金を配ることではなく、働きたい人に仕事を与えることだ」、一般的にはその通りだが、「与える」「仕事」に適切なものが残っているのだろうか。 日本でも「「ポジティブヘルス」、すなわち「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに、適応し、本人主導で管理する能力」に変化していく時期に来ている」、その通りだろう。 「目に見えていない環境までカバーするのが社会的共通資本という理論なのではないでしょうか」、なるほど。 「実は今までで一番、生態系に影響を与えたのは植物の出現です」、意外だが、言われてみれば、その通りなのだろう。 「「今、瀬戸内から宇沢弘文~自然・アートから考える社会的共通資本~」レポートは、セッションごとに動画がついている。URLは https://benesse-artsite.jp/story/20200929-1462.html。 宮川 努 「コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論」 「ベーシックインカムを批判」を「よりフォーマルに書かれた『経済解析(展開篇)』から解題するとはさすがだ。 「財・サービスの性質の違いを使って、経済全体の所得の増加に伴う価格上昇率において、必需財が選択財よりも高くなる・・・このような条件下で、ベーシックインカム・・・を実施すると」、「必需品の価格は選択品の価格を上回るスピードで上昇するため、必需品のシェアが高まり、ベーシックインカムの上昇率が経済全体の平均所得の上昇率を上回ることになる」、確かに「ベーシックインカム」は上手く機能しないようだ。 「「消費における最低限の満足度」という厳密な定義のないベーシックインカムの議論は、その制度が果たして維持可能か、国民の経済厚生水準を今よりも大きく下げることはないのかということを、事前に検証する手段を欠いていることを、宇沢の議論は示している」、「「クズネッツ仮説」に対する1つの反証を示している」、大したもののようだ どいうことだろう。 「日本は医療部門が公的医療保険制度で支えられているにもかかわらず、医薬品分野の技術開発では欧米や中国に遠く及ばず、かつ医療供給体制も十分に準備できずにいる。そして他の国以上に経済損失と現場の医療従事者の負担、国民の忍耐によって感染拡大を抑制している。こうした戦略的対応とも呼べない場当たり的な体制が、本当に国民の望んだ制度なのかどうかは、このコロナ禍が一段落した後であらためて検証されるべきだろう」、同感である。 「いまわれわれがコロナ禍の中で実感している医療への期待ともどかしさを、宇沢は20年前、いや初出から考えると約半世紀前に持っていた」、確かに先見性の鋭さには脱帽である。「宇沢から直接教えを受けた時期もありながら、今回のコロナ危機であらためて勉強をし直す自分自身を恥じるばかりである」、との述懐もさもありなんだ。
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異次元緩和政策(その36)(35兆円をどう処分するのか 異形の金融政策「ETF買い入れ」の功と罪、コラム:自由度増した日銀金融緩和 デフレ脱却よりコロナ禍収束を重視=鈴木明彦氏、米物価上昇が意味すること) [経済政策]

異次元緩和政策については、1月19日に取上げた。今日は、(その36)(35兆円をどう処分するのか 異形の金融政策「ETF買い入れ」の功と罪、コラム:自由度増した日銀金融緩和 デフレ脱却よりコロナ禍収束を重視=鈴木明彦氏、米物価上昇が意味すること)である。

先ずは、3月8日付け東洋経済Plus「35兆円をどう処分するのか 異形の金融政策「ETF買い入れ」の功と罪」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26392
・『「株を買う意図はまったくない。株購入について作業したことも、考えたこともない」 2020年7月の記者会見でFRB(連邦準備制度理事会)による株式買い入れの可能性を問われたパウエル議長は淡々と答えた。 新型コロナウイルス感染がアメリカで拡大した2020年3月以降、FRBは異例の大規模金融緩和を断行した。実質ゼロ金利政策の復活、国債や不動産ローン担保証券(MBS)の大量購入、コマーシャル・ペーパー(CP)や一部の投資不適格債を含む社債の購入、海外中央銀行とのドルスワップなど、ありとあらゆる手段を使って金融危機の阻止に動いた。 しかし、株価が暴落しても日銀のような株式指数連動型の上場投資信託(ETF)や個別株式の買い入れだけは行っていない。パウエル議長の言を信じれば、議論にすらならなかった。 元日銀審議委員で国際金融に詳しい白井さゆり慶應義塾大学教授は、「アメリカの連邦準備法ではFRBは(株式以外の)債券などを買えると明記しているので、(株式の購入は)現時点では難しい。法改正するにしても両院の承認が必要なのでハードルが高い」と話す』、FRBだけでなく、ECBでも「株式の買い入れ」は行ってない。
・『ここまで膨らむとは想定していなかった  中央銀行による株購入には弊害が多い。「株(やETF)は満期償還のある債券とは違い、売却しない限り残る。日銀が将来、(保有するETFを)売却するのは非常に困難な作業となるだろう。(中央銀行の株式保有は)株式市場をゆがめることにもなる。安定株主ばかりが増えてコーポレート・ガバナンス(企業統治)上も問題がある」(白井氏)。 主要中央銀行の中で株を買ってきたのは唯一、日銀だけである。FRBはコロナ危機対応で社債ETFも購入対象に加えたが、日銀の株式ETF購入と比べてその規模や市場での占有率ははるかに小さい。 日銀が株のETF買いを開始したのは白川方明・前総裁時代の2010年12月だった。開始を決めた同10月の発表文には、「特に、リスク・プレミアムの縮小を促すための金融資産の買い入れは、異例性が強い」と、中央銀行として極めて異例の措置であることを自ら強調していた。 ここでいうリスク・プレミアムとは、投資家のリスク回避姿勢の強さを意味する。当時は日経平均株価が8000円台で低迷し、ドル円相場は1ドル80円台という超円高水準だった。企業も家計も投資家もリスクを恐れて投資せず、デフレスパイラル的な縮小均衡に陥っていた。 そこで、政策金利をすでに実質ゼロまで引き下げていた日銀は、新たな対策としてリスク性資産である社債、さらには株のETFやJ-REIT(不動産上場投資信託)を買い入れることで、日本特有ともいえる異常な不安心理と価格下落圧力を抑制しようとしたのだ。 日銀が株を買ったのはそれが初めてではない。2002年から2004年にかけ、不良債権対策として国内金融機関が保有する株式を2兆円強を購入。リーマンショック後の2009年から2010年にかけても、金融システムの安定確保を名目に3800億円余りを買い入れた。ただ、これらは時限的措置であり、買った株は2026年3月末を期限に少しずつ市場で売却処分している。 一方、ETF買いは期限が定まっていない。最大の問題はその規模だ。当初の買い入れ額は年間4500億円だったが、黒田東彦氏が総裁となった2013年には同1兆円となり、2014年には3兆円、2016年には6兆円に拡大した。2020年3月にはコロナ危機対応の当面の措置として上限が12兆円になった。 今や日銀保有のETF残高は簿価で35.7兆円まで大膨張している(今年2月末現在)。時価では一時50兆円を超えた。「ここまでの規模になるとはまったく想定していなかった」と日銀関係者は言う』、満期がある債券と違って、満期のない「株式」の場合、初めから一定の売却による償還のルールを決めておくべきだった。
・『深刻なガバナンスへの悪影響  日銀のETF買いには効果と弊害が指摘されている。日銀が目的として掲げた「リスク・プレミアムの縮小」という点では部分的な効果があったといえるかもしれない。日銀がリスクをとる姿勢を見せたことで、投資家の心理を改善させる効果があった。 これに対し、弊害は多い。買い入れが始まってからすでに10年以上も続いている。しかも買い入れ規模はどんどん拡大。株価が下がれば日銀が買ってくれるという市場の依存心も強まり、「日銀がETFを売ると言うだけで、市場は暴落するのでは」(市場関係者)といった警戒感は強い。 本来、投資家が日銀の買いを意識すること自体がおかしい。企業価値で決まるはずの株価の形成が、日銀の市場介入によってゆがめられている。 だが、株やETFの保有残高を減らすには売却するしかない。ただ、2020年春のように株価が急落して簿価を割り込めば、日銀自身の資本も毀損する。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)をも上回る日本株の「最大株主」と化した日銀は、もはや売るに売れないジレンマに陥っている。 弊害のうち最も深刻なのは、企業統治に与える影響だろう。日銀はETFを通じ、すでに東証1部企業の約7%の株を買った計算になる。株価指数の構成比に応じて企業ごとの保有率は異なるが、ニッセイ基礎研究所の試算によると、2021年1月末現在、日銀によるETFを通じた間接保有率が20%以上に達している企業は3社ある。10%以上の企業は74社、5%を超える企業は485社に及ぶ。 TOPIX(東証1部の全銘柄対象)など株価指数に連動するETFの買い入れであるため、経営に問題があったり、成長力がなかったりする企業もすべて日銀買い入れの対象となる。株価を通じた企業の選別が働かず、経営の甘えを助長し、問題企業の延命につながってしまう。 ETFの場合、株主総会における議決権行使はETFを管理・運用する資産運用会社にゆだねられている。欧米の場合、資金を委託する年金基金や保険会社などが運用会社に常に圧力をかけているが、日銀はほとんど口を出さない「モノ言わぬ大株主」。日銀保有が巨大化すれば市場全体のガバナンスは後退しかねない。 保有コストの問題もある。ETFは保有するだけで信託報酬などに年率0.1%前後のコストがかかる。今の時価50兆円が続けば年間約500億円。日銀は昨年まで各ETFの時価総額を基準に野村、日興、大和の大手証券3社系の運用会社に8~9割を委託してきたため、信託報酬もこの3社に集中している。 より大きな問題は、シェアの高い運用会社のほうが、全般に信託報酬率が高いことだ。指数連動のパッシブ運用なので運用成績に大きな差がないはずだが、手数料の高い運用会社を選び、余分なコストを支払っている疑いが強い。「大手運用会社にとっては(日銀の手数料支払いが)莫大な補助金と化している」(業界幹部)。最近、大手運用会社で信託報酬を下げる動きも見られるが、過去に日銀が買った分も含めてコスト重視で競争原理を働かせるべきだろう』、「日銀によるETFを通じた間接保有率が20%以上に達している企業は3社ある。10%以上の企業は74社」、「モノ言わぬ大株主」が増えることは企業経営者は大歓迎だろうが、投資家にとっては、「市場全体のガバナンスは後退しかね」ず、「保有コストの問題もある」、弊害は極めて大きいようだ。
・『香港を参考に「出口」を議論  こうした弊害の多さを考えれば、ETF買いは早期に取りやめ、残高を減らしていったほうがいい。ただ、現実問題として市場で売るのは難しい。3月19日に日銀が発表する「金融緩和の点検」では、ETF購入方針についても見直される可能性が高いが、ETFを買うタイミングを柔軟化する程度で、ETFの売却・処分に踏み込むことはなさそうだ。 とはいえ、買ったETFの処分方法について、日銀内部で議論は行われているようだ。その際に参考にされているのが香港における事例だ。 香港の中央銀行に当たる香港金融管理局(HKMA)はアジア通貨危機時の1998年8月、海外ヘッジファンドへの対抗策として2週間に限って香港株の買い入れを実施した。同年12月に買った株の受け皿ファンドを設立。株をETFに組成し、1999年秋から個人投資家を中心とした応募者に5%強の割引価格で売り出し上場させた。1年以上保有した投資家にはボーナスのETFを賦与。HKMAも株価が回復してから受け皿に売却したため、利益を計上できた。 日本で香港と同じようなことができる保証はないが、受け皿ファンドへ移管したうえでの投資家を募集する手法は選択肢となりうる。市場関係者の間では、経済対策としての現金給付の代わりにETFを売却制限付きで国民に配ればいいという意見もある。 いずれにせよ、日銀のETF購入は財務省、金融庁の認可でやっているため日銀単独では決められず、政府を巻き込んで有効な方策を積極的に議論していく必要がある。 もはや限界を迎えつつある日銀のETF購入。今後、市場や経済の混乱を避けながら、いかにして出口を見出していくか。日銀に課せられた責任は重い』、「香港」の場合は「アジア通貨危機時」に「2週間に限って香港株の買い入れを実施」、「株をETFに組成」、「株価が回復してから受け皿に売却したため、利益を計上できた」。しかし、「日銀」の場合は高値で購入したものが多いので、そう簡単にはいかない筈だ。

次に、4月12日付けロイター「コラム:自由度増した日銀金融緩和、デフレ脱却よりコロナ禍収束を重視=鈴木明彦氏」を紹介しよう。
https://jp.reuters.com/article/column-suzuki-akihiko-idJPKBN2BT09Z
・『日銀が今年3月の金融緩和の点検で打ち出した対応策の中でも、目玉となるのは発表文でもトップに掲げられた「貸出促進付利制度」の創設だろう。 異次元金融緩和を8年続けても2%の物価目標を達成できず、デフレとの戦いは膠着(こうちゃく)状態に入っていたが、新型コロナウイルスとの戦いが始まって状況は一変した。日銀は、新型コロナ対応金融支援特別オペ(特別オペ)という強力な武器を手にしたからだ。 それまではマネタリーベースがいくら増加しても、日銀当座預金に滞留しているだけで、世の中に出回るマネーストックは拡大しなかったが、今は特別オペの効果でバブル期並みのマネーストック拡大を実現している。 貸出促進付利制度ではまず、付利金利を「インセンティブ」と称して、貸し出しを促進する手段に位置付けた。その上で付利のレベルを3つのカテゴリーに分け、基準となるカテゴリーIIの付利を短期政策金利の絶対値とすることによって、特別オペを制度として追認した。 付利の基準金利を政策金利の絶対値とすることで、今後、政策金利を深掘りすることがあっても、付利が上がってくるので、金融仲介機能への悪い影響はかなり軽減されるということになる』、「日銀」が「インセンティブ」をつけるので、利用金融機関も大歓迎だ。
・『<金利を下げなくても緩和効果拡大>  カテゴリーIIの付利金利(現行0.1%)を基準にして、カテゴリーIではそれより高い金利(同0.2%)、カテゴリーIIIではそれより低い金利(同0%)が付利される。このスキームなら、政策金利を深掘りしなくても、カテゴリーIとIIIの付利を変えることで緩和を強化することができる。 今回、このスキームを導入することによって、金融機関が直接貸し出すプロパー融資については、カテゴリーIとして0.2%の付利が受けられるようになった。これが影響したのか、3月スタートの特別オペは18.7兆円と過去最大となり、オペ残高は65兆円近くに増えている。 なぜこのタイミングで金融緩和の点検を行ったのか。消費者物価が再び低下したことに対応した政策見直しだった、という理解は間違いではないが、オペ残高を拡大させるためには、このタイミングしかなかったことの方が重要ではないか。4月以降のオペについては、満期を迎える10月以降の特別オペの継続がまだ決まっていないため、オペの利用が抑制されそうだ。 制度の対象となる資金供給は今のところコロナ対応の特別オペに限定されており、貸出支援基金や被災地オペによる資金供給は、付利が付かないカテゴリーIIIに入っている。しかし、対象となる資金供給を見直すことによって、貸出促進付利制度はアフターコロナにおいても有効な緩和手段となる』、確かに「有効な緩和手段」のようだ。
・『<物価が上がらなくても動ける余地>  日銀は、強力な緩和手段を手にしたが、それでも物価は上がりそうにない。今月発表される展望レポートでも、2%の物価目標達成は当分無理ということが確認されそうだ。 一方で、強力な金融緩和を行っていれば、たとえ物価が2%上がらなくても、景気の過熱やバブルの懸念が出てくる。日銀としては物価が上がらなくても動ける自由度を確保しておきたいところだ。 今回の点検で、長期金利の変動幅を「プラスマイナス0.25%程度」として明確化したこともその一環であろう。これまでも同0.2%程度の変動幅を示唆していたが、これは黒田東彦総裁が記者会見において口頭で示した非公式なものであった。 今回、政策決定会合で変動幅を正式に決定した意義は大きい。この変動幅内であれば、金融緩和の効果を損なうものではなく、2%の物価目標を達成していなくてもその変動は容認できるというお墨付きを得たことになる。 その意味では0.25%という変動幅は、許容される限界とみていいだろう。0.25%を超えてくるとさすがに政策変更ということになり、その裁量を調節の現場に与えてしまうのは問題だ。もっとも、0.2%と0.25%の差は見た目より大きい。マイナス金利政策導入前の10年金利の水準が0.25%前後であったこと考えれば、この微妙な差はマイナス金利導入前への復帰の道を開くものとなる。 一つ気になるのは、金融緩和の点検についての日銀の発表文を見ると「短期政策金利」という表現が出てきていることだ。政策金利は一つしかないのにわざわざこういう言い方をするのはなぜか。変動幅を明確化した以上、10年金利は誘導金利から実質的な政策金利に格上げされたとも推測できる。 フォワードガイダンスでは、政策金利については、「現在の長短金利の水準、または、それを下回る水準で推移することを想定している」としており、長期金利は10年政策金利の誘導目標であるゼロ%を上回ってプラス領域で推移することを想定しているとも読める』、もともと変動する長期金利を「変動幅内」に収まるように弾力的にしておくことを、「正式に決定した意義は大きい」。
・『<ETF購入は当分継続>  ETF(上場投資信託)とJ-REITの購入については、予想されていたように、それぞれ年間約6兆円、年間約900億円に相当するペースで増加するという買い入れの目安が外された。株価が上がっている、あるいは安定している時の購入ペースはかなり低下する一方で、昨年春ごろの新型コロナ感染拡大時のように株価が大きく下落した時には、積極的な買い入れが行われそうだ。 日銀としては、ならして見た増加ペースを低く抑えたいところだが、ETFは国債のような償還がないので、処分しない限り、日銀の株式保有が減少することはない。しかも、これまで臨時措置としていたそれぞれ約12兆円、約1800億円という年間増加ペースを上限とする積極的な買入れを、感染収束後も続けることとした。 ETFの購入を止めて株価が暴落したら、永久に購入を続けなければならなくなる。さりとて購入を続ければ、金融政策正常化の出口はさらに遠のく。日銀としては厄介なジレンマを抱えてしまっているが、官邸(菅義偉政権)との良好な関係を保つためには、アフターコロナでもしばらくはETFの購入を続けざるを得ないと腹をくくったようだ』、「日銀としては厄介なジレンマを抱えてしまっている」、当初から覚悟の上の筈だ。
・『<物価は「デフレでない状況」を維持>  今回の金融緩和の点検は、2%の物価安定の目標実現のため、と銘打っているが、これまでの金融政策の変更で打ち出されてきたオーバーシュート型コミットメントやフォワードガイダンスなど、デフレと戦う姿勢をアピールする対応は打ち出されなかった。 確かに、気休めにしかなりそうもないコミットメントやガイダンスを加えるよりは、バブル期以来のマネタリーベースの拡大をもたらしている特別オペを、貸出促進付利制度に衣替えして強力な緩和手段として確立することが、一番のデフレ対策であることはその通りだが、将来の金融政策の自由度を縛るような約束はあえてしないということだろう。 もはや、日銀は2%の物価目標を達成できるとは思っていないのではないか。バブル期以来とも言える強力な金融緩和を行っているのに達成できないのであれば、2%の物価目標は半永久的に達成不可能と言ってもよかろう。 日銀にとって、デフレ脱却よりもコロナ禍の収束の方が大事だ。消費者物価が2%上がらなくても、日本経済がコロナ禍を克服して元気を取り戻すことができれば、金融政策としては成功だ。その時には、2%の物価目標を掲げることに意味があるのかという議論も広がってくるだろう。 今の日銀にとっての物価の現実的な目標は、原油価格の下落や「GoToトラベル」の影響で宿泊費が急低下するといった特別な要因を除いて、物価が下落していない、つまりデフレでない状態を維持することだ。 これが維持できなくなると、いつ内閣府が3度目のデフレ宣言を出すとも限らない。そんなことになったら、いくらコロナとの戦いを収束させても泥沼のデフレ戦争に戻ってしまう。日銀としては、それだけは避けたいところだ』、「2%の物価目標は半永久的に達成不可能」、「日銀にとって、デフレ脱却よりもコロナ禍の収束の方が大事だ。消費者物価が2%上がらなくても、日本経済がコロナ禍を克服して元気を取り戻すことができれば、金融政策としては成功だ」、その通りなのだろう。

第三に、5月13日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏による「米物価上昇が意味すること」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2021/05/post-67.php
・『<為替が円高に向かえば日本国債売りはまだ先になるが、さもなくば......> 米国株は3日連続で下落。日本株も同じだが、世界的な株安だ。 そうはいっても、これまで散々上がったから、このくらいの下げ自体はなんでもないのだが、昨日の米国の物価指数が大幅上昇で、話は異なっている。 一時的な要因もあるから、1か月だけで、大インフレ時代がやってきた、とは言えないが、インフレの勢いのレベルはぶれがあるだろうが、インフレになっていることは間違いがない。 問題は、むしろ、これでも金融緩和を縮小しないことで、すぐに緩和拡大幅を縮小する必要がある。しかし、それを今しないのはわかっている。議論すらしていない、というふりをし続けるかもしれない。 それは大きなリスクで、次にさらなる物価上昇データが出ると、投機家たちは、インフレシナリオで仕掛けてくるだろう。 その時に、株価は水準は高すぎるし、後は売りタイミングだけという投資家ばかりだ、という状況が重要で、インフレが実際はそれほどではないと後で確認されても、そのときではもう遅く、売り仕掛けは成功した後で、トレンドは変わってしまっているだろう。 債券市場がまず反応して、株式市場は反応しないふりをして売り場を作り、その後大幅下落し、流れは加速するだろう。債券市場は相対的には理屈で動くから、インフレの程度も大したことないし、FEDが急激に方向転換もせずに徐々に動くことはわかっているから、その後は、冷静に反応するだろうが、株式市場は流れができたら止まらないはずなので、乱高下を繰り返しながら下がっていくだろう』、FRBが2%を一時的に超すインフレを容認すると、約束したことは確かだが、引き締めのタイミングを逃す懸念もあり、どうなるかを世界の市場は注目している。
・『最悪はトリプル安  為替は、長期金利上昇という理屈から言っても、株式市場のリスクオフというセンチメントからいっても、ドル高方向なので、とりあえずはドル高で突き進むだろう。円は、長期金利は下落、景気は先進国で回復最遅行で、弱い反面、リスクオフの円高もあり、日本株の売り仕掛けとともに、円高も仕掛けられるリスクはあるので、どちらに向くかわからない。 しかし、円高になるようなら、まだ日本国債売り浴びせにはならないので、最悪の事態は先だ。 最悪なのは、株安、円安、債券安のトリプル安だ。 海外投機家が仕掛けるとすれば、この順番なので、注意が必要なのは、とりあえず、株式市場だ。そして、円安が大幅に進んだら、もうすでに日本は取り返しがつかない状況に陥っているということになる』、「円安が大幅に進んだら、もうすでに日本は取り返しがつかない状況に陥っている」、円売り、国債利回り高騰、日本かえあの資本逃避、など量的緩和のリスクが一挙に噴出、日本経済は破局に向かうことになるだろう。
タグ:異次元緩和政策 (その36)(35兆円をどう処分するのか 異形の金融政策「ETF買い入れ」の功と罪、コラム:自由度増した日銀金融緩和 デフレ脱却よりコロナ禍収束を重視=鈴木明彦氏、米物価上昇が意味すること) 東洋経済Plus 「35兆円をどう処分するのか 異形の金融政策「ETF買い入れ」の功と罪」 、FRBだけでなく、ECBでも「株式の買い入れ」は行ってない。 満期がある債券と違って、満期のない「株式」の場合、初めから一定の売却による償還のルールを決めておくべきだった。 「日銀によるETFを通じた間接保有率が20%以上に達している企業は3社ある。10%以上の企業は74社」、「モノ言わぬ大株主」が増えることは企業経営者は大歓迎だろうが、投資家にとっては、「市場全体のガバナンスは後退しかね」ず、「保有コストの問題もある」、弊害は極めて大きいようだ。 「香港」の場合は「アジア通貨危機時」に「2週間に限って香港株の買い入れを実施」、「株をETFに組成」、「株価が回復してから受け皿に売却したため、利益を計上できた」。しかし、「日銀」の場合は高値で購入したものが多いので、そう簡単にはいかない筈だ ロイター コラム:自由度増した日銀金融緩和、デフレ脱却よりコロナ禍収束を重視=鈴木明彦氏 「日銀」が「インセンティブ」をつけるので、利用金融機関も大歓迎だ 確かに「有効な緩和手段」のようだ。 もともと変動する長期金利を「変動幅内」に収まるように弾力的にしておくことを、「正式に決定した意義は大きい」 「日銀としては厄介なジレンマを抱えてしまっている」、当初から覚悟の上の筈だ。 「2%の物価目標は半永久的に達成不可能」、「日銀にとって、デフレ脱却よりもコロナ禍の収束の方が大事だ。消費者物価が2%上がらなくても、日本経済がコロナ禍を克服して元気を取り戻すことができれば、金融政策としては成功だ」、その通りなのだろう。 Newsweek日本版 小幡 績 「米物価上昇が意味すること」 FRBが2%を一時的に超すインフレを容認すると、約束したことは確かだが、引き締めのタイミングを逃す懸念もあり、どうなるかを世界の市場は注目している。 「円安が大幅に進んだら、もうすでに日本は取り返しがつかない状況に陥っている」、円売り、国債利回り高騰、日本かえあの資本逃避、など量的緩和のリスクが一挙に噴出、日本経済は破局に向かうことになるだろう。
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生活保護(その5)(「生活保護費の減額はデタラメ」と厚労省を一蹴した 大阪地裁判決の意義、生活保護費の不当な返還要求を非職員に行わせる 中野区の非常識、生活保護申請者を「無低」に丸投げ 福祉事務所と貧困ビジネスが癒着する“ウラ事情”)

生活保護については、2019年10月10日に取上げた。久しぶりの今日は、(その5)(「生活保護費の減額はデタラメ」と厚労省を一蹴した 大阪地裁判決の意義、生活保護費の不当な返還要求を非職員に行わせる 中野区の非常識、生活保護申請者を「無低」に丸投げ 福祉事務所と貧困ビジネスが癒着する“ウラ事情”)である。

先ずは、本年2月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランス・ライターのみわよしこ氏による「「生活保護費の減額はデタラメ」と厚労省を一蹴した、大阪地裁判決の意義」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/263877
・『デタラメな「裁量」は認めない 大阪地裁の明快な判断  2月22日、大阪地裁において、2013年に行われた生活保護基準引き下げの撤回を求める訴訟の判決が言い渡された。判決内容は、原告であり生活保護のもとで暮らす人々の主張を、ほぼ全面的に認めたものであった。以下、判決骨子の全文を紹介したい。 「厚生労働大臣が平成25年から平成27年にかけて生活保護基準を減額改定した判断には、特異な物価上昇が起こった平成20年を起点に取り上げて物価の下落を考慮した点、生活扶助相当CPIという独自の指数に着目し、消費者物価指数の下落率よりも著しく大きい下落率を基に改定率を設定した点において、当系統の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を欠き、最低限度の生活の具体化に係る判断の過程及び手続きに過誤、欠落があるといわざるを得ず、裁量権の範囲の逸脱またはその濫用があるというべきであるから、上記改定は生活保護法3条、8条2項の規定に違反し、違法である」 2013年の生活保護基準引き下げに際して理由とされたのは、大幅な物価下落であった。その物価下落は、厚労省が独自に開発した物価指数「生活扶助相当CPI」によって導き出されたのだが、内実は「物価偽装」と呼ぶべきものであることが徐々に明らかにされてきた。 判決は、「生活保護費は厚労大臣が裁量によって決めてよいことになっているけれど、そんなデタラメな根拠で勝手に決めるのは『裁量権』の正当な使い方とは言えません。違法です」と明確に判断した。 この判決が確定すると、厚労大臣は2013年に遡って、減額した保護費を返還しなくてはならない。2013年に減額された保護費は、1年あたり約670億円であった。2013年8月から2021年3月までの7年8カ月分として計算すると、総額は約4670億円となる。通常、大臣とはいえ、独断でそれほど巨額の国費を動かすことには無理がある。しかし生活保護においては、可能なのだ。なぜなら、生活保護法8条がそのように規定しているからだ。相田みつを風に言えば、「生活保護費は厚労大臣のこころが決める」ということである』、「物価下落は、厚労省が独自に開発した物価指数「生活扶助相当CPI」によって導き出された」、わざわざ都合のいい数字を「独自に開発した物価指数」で算出したとは驚くほど念入りだ。
「「生活保護費は厚労大臣が裁量によって決めてよいことになっているけれど、そんなデタラメな根拠で勝手に決めるのは『裁量権』の正当な使い方とは言えません。違法です」、との判決は妥当だろう。
・『厚労大臣に委ねられた「重い責任」の中身  2013年8月から2015年にかけて、当時の厚労大臣だった田村憲久氏の裁量によって、生活保護費の生活費分(生活扶助)の引き下げが3段階に分けて実施された。引き下げ幅は平均6.5%、最大10%に及び、多人数世帯や子どものいる世帯で大きくなる傾向があった。 現在の厚労大臣は奇しくも、当時と同じ田村氏である。水面下で「コロナ禍で深刻化する子どもの貧困に真摯な関心を寄せ、何とかしなくてはならないと考えている」と伝えられる田村厚労相は、2013年に自らが引き下げた生活保護基準の影響、特に生活保護世帯の子どもたちに及ぼした影響を、おそらく充分に承知しているはずだ。 そして田村厚労相は、自らの責任において、2021年度の生活保護基準を2013年度初めと同レベルに戻すことができる。 生活保護においては、保護費を若干増額したり、制度を利用しやすくしたりするための若干の改定を行うことが、数百億円から数千億円単位の国庫支出増加につながり得る。1人や1世帯に対しては若干の改善であっても、制度利用者が100万人単位で存在するからだ。 しかし厚労大臣は、そのような重大な判断を、国会での審査や可決を受けずに行うことができる。国民の生命や生活を守るために必要であれば、実施するしかないからだ。 たとえば1973年は、石油危機による激しいインフレが持続し、「狂乱物価」と呼ばれた。この年、生活保護基準は2回にわたって増額改定された。そうしなくては、生活保護で暮らす人々の生命や生活を守ることができないため、厚労大臣の責任において改定が告示され、実施されたのである。2013年8月から実施された生活保護基準引き下げとは、対照的である。 もしも田村厚労相が、保護費を2013年度初めと同等に戻し、減額された保護費7年8カ月分を当事者らに返還すれば、生活保護で暮らす直接の当事者たち200万人以上の多くは、将来にわたって田村氏に悪い感情を抱かないのではないだろうか。その決断を自民党が支えれば、自民党に対する“国民感情“が大きく変わる可能性もある。もちろん、生活保護世帯の暮らしは、子どもを含めて向上する。 そのためには、2月22日の大阪地裁判決は確定判決となる必要がある。直接の被告とされた大阪府内の12自治体が控訴を断念すれば、確定する。といっても、その判断を実際に行うのは厚労省である』、3月5日付けNHK News Webによれば、大阪府内の全自治体が控訴したようだ。
・『厚労省職員に先輩の「愛のムチ」は響くか  2013年に行われた生活保護基準引き下げの撤回を求める集団訴訟「いのちのとりで裁判」は、2014年より開始された。現在も約900人の原告によって、全国の29都道府県で継続中だ。 愛知県では、2020年6月に「2012年に自民党が引き下げると決めて、国民が支持したのだから、しかたない」という内容の名古屋地裁判決があった。判決を不服とした原告が控訴したため、現在は高裁で控訴審が行われている。2月22日の大阪地裁判決は、2つ目の地裁判決であった。名古屋地裁判決と合わせると、「当時、自民党と国民感情が支持していたからといって、デタラメな根拠で引き下げたことは許されない」という内容となる。 大阪地裁判決から2日後の2月24日、大阪地裁で勝訴した原告ら、「いのちのとりで裁判」弁護団の弁護士ら、および支援者らは、厚労省に保護課職員に申し入れを行った。東京・霞が関の厚労省を直接訪れた人々も、ネット中継で参加した人々もいた。 霞が関を訪れた原告のSさん(68歳・男性)は、申し入れの様子を次のように語った。 「今日は、厚労省からは保護課の課長補佐の方が出てました。上の人に『お前ら、行って来いよ。話聞くだけ聞いてきて、何も答えるな』と言われて来た感じでした。もともと厚生省職員だった弁護士の尾藤先生が怒ってました」(Sさん) 弁護士の尾藤廣喜さんは、京都大学法学部を卒業後、厚生省に入省した。1970年から1973年にかけて、厚生省職員として生活保護をはじめとする制度の充実に取り組み、健保の高額医療費制度の創設にも関わった。しかし限界を感じ、転身して弁護士となった経歴を持つ。Sさんによれば、尾藤さんはこのように怒ったという。 「尾藤先生は本当に厳しく、『お前ら、ホンマに仕事しとんのか。昔は、骨のある役所の人間がおったんや。今はみんな忖度主義者や』みたいな」(Sさん)) 厚労省職員の対応は、次のようなものだったという。 「もそもそと言って、『お答えは控える』と……こんなもんでしょ」(Sさん) 尾藤さんは苦笑していた。強い口調の関西弁は、おそらく実際と異なると思われる。しかし、同席していた弁護士の小久保哲郎さんも、「厚労省の職員は、ビビってました」という。 当の尾藤さんは、「優しく言いました」という。尾藤さんは厚労省職員に対し、自分自身も厚生省職員だったこと、そして生活保護法を1950年に作った厚生官僚の小山進次郎氏に会ったことがあることを語ったそうだ。 「小山進次郎さんが、どういう思いでこの法律をつくったのか。なぜ保護基準が、国会ではなく厚生大臣権限で決定できるようになっているか。そこを考えたことがありますか? とお話ししました」(尾藤さん)』、「弁護士の尾藤廣喜さんは・・・厚生省に入省・・・1970年から1973年にかけて、厚生省職員」、これでは「厚労省職員」もさぞかしやり難いだろう。
・『原告が勝訴し、厚労省が敗訴した場合の「対策」も  厚労省保護課の職員なら、小山進次郎氏が遺した社会保障のバイブル『生活保護法の解釈と運用』を読んでいるはずだ。「『解釈と運用』には、こう書いてあります」と答える程度なら、何ら差し障りはないであろう。しかし、そういう応答はなかったようだ。尾藤さんは続ける。 大臣の裁量権には、大臣が速やかに国民生活を反映して基準をつくるという意義があります。あなた方厚労省職員も、そういう責務を負っているのではないかと申し上げました」(尾藤さん) そもそも、一連の訴訟は2014年から継続しており、現在は8年目となっている。厚労省職員も、被告側証人として証言を行っている。この重要な訴訟の判決がいずれ明らかになった折の対応について、判決のいくつかのパターンを予測し、「傾向と対策」を練り上げていたはずだ。もちろん、原告が勝訴して厚労省が敗訴した場合の「対策」もあったはずである。 「各省庁の官僚が当然行うはずの判決予測について、『しましたか?』と尋ねると、厚労省職員は、渋々『しました』と認めました。しかし、結果に対してどうするか決めていたかどうかを聞くと、きちんと答えてくれませんでした。『判決に対応するのは、役人の仕事ではありませんか?』と、先輩として厚かましいけれども一言申しました」(尾藤さん) 国側の敗訴を想定していなかったのか。想定していたけれども検討内容は言えないのか。真相は不明である』、なるほど。
・『60年ぶりの画期的な判決は確定するか  ともあれ、2月22日の大阪地裁判決は、「生活保護基準の低さは異常で違法」ということを認めた判決としては、60年ぶりのものであった。60年前の判決は、朝日訴訟東京地裁判決であった。当時なら、「敗戦からまだ15年、とにかく国にお金がない」という財政上の理由が認められる余地もあった。しかし現在の日本では、そういう主張は無理筋であろう。しかも生活保護基準引き下げの根拠は、厚労省内部で行われた「物価偽装」なのである。 元厚生官僚として、尾藤さんは語る。「厚労省の担当者が、意図的に数字を操作したり捻じ曲げたりするのは、恥ずべきことです。今回の大阪地裁判決には、その違法性が明記されています。厚労省としては、真剣に受け止めなくてはならないのではないでしょうか。関係省庁と協議は必要でしょうけれど、その上で、判決を確定させるべきではないでしょうか。そういう当然のことを申し上げましたが、暖簾に腕押しで。厚労行政のプライドが感じられませんでした」(尾藤さん) 尾藤さんの語り口は穏やかだが、声と雰囲気には迫力がある。厚労省職員は、さぞ怖かったであろう。 「でも、コロナ禍での厚労省保護課の対応は、評価しています。菅首相も『最終的には生活保護』と、生活保護の意義を認めています。ですから、期待を込めて、優しく言いました」(尾藤さん) ・・・』、今後、控訴審がどう展開するか注目したい。

次に、3月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランス・ライターのみわよしこ氏による「生活保護費の不当な返還要求を非職員に行わせる、中野区の非常識」を紹介しよう。
・『違法委託「ケースワーカー」による違法な返還要求の実態  生活保護は国の制度であり、実施は各自治体が行うこととなっている。実施にあたるのは、各自治体が設置した福祉事務所の職員たち、つまり公務員でなくてはならない。その理由のうち重大なものは、人間の生命と生存に直結する重大な業務であることと、多額の現金を取り扱う業務であることの2点に加え、国に代わってそれらの業務を行うことである。 しかし、生活保護ケースワーク業務を外部委託化しようとする政府の動きが、2019年後半から活発化している。そして一部自治体では、政権の意向を先取りするかのように、ケースワーク業務の実質的な外部委託が行われている。現在、この問題で関心の中心となっているのは、庶民的で暮らしやすいイメージと利便性を兼ね備えた地域として知られる、東京都中野区だ。 中野区が実質的にケースワーク業務を外部委託していることは、「生活保護で暮らす中野区の70歳代の男性が、担当者から保護費の違法な返還を指示されて困り果てた」という成り行きから、偶然、明らかになった。 路上生活の経験が長かった70歳代の男性・Aさんは、現在は中野区のアパートで単身生活を続けている。路上生活時代の節約の習慣が残っているAさんは、月々の保護費から少額ながら貯金を続けている。70歳以上の高齢者に対する保護費は、2004年から2006年にかけて、「老齢加算」の廃止という形で大幅に減額されている。 以後、生活保護費を削減するために政府が検討を重ねるたびに、高齢者に対しては、「もう、下げしろがない」という結果となっている。それほど少ない保護費から貯金するとは、驚くべきことだ。) 2020年、Aさんはアパートの更新時期を迎えた。もちろん、更新料は生活保護制度から給付される。中野区も、更新料をAさんに給付した。ところがその後、中野区の「担当者」は、Aさんに「貯金があるのなら更新料の返還を」と述べ、返還するための納付書まで送付したのだった。保護費から貯金すること自体は禁止されていないし、用途も自由である。貯金残高は、毎年の資産申告によって確認されている。貯金から更新料を支払うように求めるのは、違法である。 Aさんは、アパートに入居するにあたり、支援団体のサポートを受けていた。支援団体はその後も、Aさんとの信頼関係を維持していた。Aさんが精神的に追い詰められていたことから、支援団体は、Aさんが中野区から更新料の返還を求められていることを知ることとなった。 問題は、保護費の違法な返還要求だけではない。Aさんの「担当者」は中野区職員ではなく、中野区が業務委託を行っていた新宿区のNPOの職員であった。Aさんのもとに届いた中野区役所の封筒には、NPO職員の名があった。NPO職員は堂々と、中野区職員でなくてはならないはずの業務を、自らの名で行っていたわけである』、「中野区」でこんな問題が起きているのは初めて知った。「中野区長」は2018年6月の選挙で革新系の酒井氏が自公推薦の現職を破ったのに、実際は保守系も顔負けの政策をしていたとは・・・。
・『高齢者への専門的支援が名目 華麗すぎる中野区の「丸投げ」  中野区の見解では、NPOに生活保護業務そのものを委託しているわけではない。名目は「高齢者居宅介護支援事業」である。高齢者福祉は、難解で手続きが煩雑な上、細かな変更がしばしば行われる。高齢の当事者に利用を勧めたいケースワーカーの立場としても、高齢者福祉の専門家による支援を受けたいところであろう。 この事業の内容は、「高齢世帯へ各種福祉サービスを活用して安定した居宅生活が送れるよう支援する」となっている。業務内容は、仕様書によれば「65歳以上の生活保護受給者の福祉サービスの利用に係る相談援助など」「高齢者特有の課題に対する支援、調査」「対象者に生活保護の適正な実施を図る」というものである。「生活保護の適正な実施」は、区の職員であるケースワーカーの補助に留まる限り、違法性があるとは言い切れない。仕様書にも、「保護の決定を伴うもの」は除くことが明記されている。 ところがAさんの事例では、NPO職員が貯金の金額を知り、いったん給付したアパートの更新料の返還を求め、納付書を作成して送付している。生活保護業務の中心にある「保護費の給付」に関する判断、しかも不利益変更の判断を行っているのである。もしも区職員であっても、「貯金があるのなら返還すべき」と判断して返還を求めることは、違法である。 Aさんの事例が発覚したことから、中野区議会での質疑などで、実態が明らかになってきた。生活保護受給者に対しては、区職員であるケースワーカーが、少なくとも年に2回の訪問調査を行なう必要がある。しかし実際には、他業務を委託されたはずのNPO職員が訪問調査を行い、手続きに必要な書類を提出させ、費用の支給や返還にかかわる決定を行っていた。 最終的な決定は、区のケースワーカーが行ったことになっているが、会ったこともない生活保護受給者の書類に印鑑を押しただけであった。区のケースワーカーは、高齢世帯に対しては、ほとんど訪問を行わなくなっていた。 中野区は議会答弁などで、NPOが行っているのは「あくまでも補助業務であり、決定は区職員が行っている」としている。しかし実のところ、訪問調査を行い、ケース記録を作成し、援助方針を立てるケースワーク業務は、ほぼ全面的にNPO職員が行っていた。もはや、ケースワーク業務そのものの「丸投げ」であろう。偽装請負として、労働基準法上の問題となる可能性もある』、「ケースワーク業務そのものの「丸投げ」」は、「偽装請負として、労働基準法上の問題となる可能性もある」、とんでもないことだが、「区職員」がやれるほどの人員がいないのだろう。
・『管製ワーキングプアから憎しみを向けられる生活保護受給者  中野区の華麗すぎる「丸投げ」の背景は、人件費削減への圧力であった。「公務員減らし」は、1980年代からの流れである。問題となっている「高齢者居宅介護支援事業」は、2010年から開始され、現在は11年目となっている。いわゆる「民間活力の導入」だ。しかし、いったん業務委託が行われると、とめどなく人件費を削減する流れに傾くことが少なくない。 この問題を追及し続けている中野区議の浦野さとみ氏は、区の人件費見積もりとNPOの事業報告書による人件費との乖離にも注目している。本事業で雇用されている14人の職員の人件費は、手取りでは生活保護費と同等になっている可能性もあるという。 14人のうち9人は、社会福祉士やケアマネージャーなどの資格を持っている。「簡単に取得できるわけではない資格を持ちながら、生活保護並みの給料しか受け取っていない」という憤懣が、生活保護で暮らす人々に向けられたら、何が起こるであろうか。Aさんが受けた理不尽な仕打ちの背景に、「官製ワーキングプアによる生活保護への憎しみ」という感情がある可能性は、考えずにいられない』、「本事業で雇用されている14人の職員の人件費は、手取りでは生活保護費と同等になっている可能性もあるという。 14人のうち9人は、社会福祉士やケアマネージャーなどの資格を持っている。「簡単に取得できるわけではない資格を持ちながら、生活保護並みの給料しか受け取っていない」という憤懣が、生活保護で暮らす人々に向けられたら、何が起こるであろうか。Aさんが受けた理不尽な仕打ちの背景に、「官製ワーキングプアによる生活保護への憎しみ」という感情がある可能性は、考えずにいられない」、公的資格を持っていながら「生活保護並みの給料しか受け取っていない」、「官製ワーキングプアによる生活保護への憎しみ」、深刻な問題で、他の自治体も同様な筈だ。
・『中野区は氷山の一角 税金が勝手に「委託」に使われる?  そして、中野区の事例は氷山の一角であった。支援者や法律家や研究者たちが協力し、全国で事例を収集し、多数の類似事例が明らかになりつつある。最大の問題は、納税者のほとんどが何も知らないうちに、これらの「委託」が行われていることである。 生活保護にかかわるコストは、削減を歓迎する人々もいるだろう。しかし、住民の誰かの住み心地がジワジワと侵食されていくとき、中長期的にはあらゆる住民に対して、何らかのデメリットが発生するものである。 「中野区には、自浄作用を働かせてほしいです。こういう問題が起きたとき、隠したり誤魔化したりしないで、反省すべきところは反省してほしいです」(中野区・浦野さとみ区議) あなたの街は、大丈夫だろうか。納税者として、「私たちの税金」の使われ方を注視し、怒ってよいはずだ』、プロパーの「職員」を雇うよりも、「委託」した方が低コストなので「委託」しているのだろうが、きちんと「検証」する必要があるだろう。「浦野さとみ氏」は共産党の「区議」だが、立憲民主党の「区議」は何をいているのだろう。

第三に、3月29日付けYahooニュースが転載した週刊女性PRIME「生活保護申請者を「無低」に丸投げ、福祉事務所と貧困ビジネスが癒着する“ウラ事情”」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e4924cc7c3604962db68151dc5f9ed0e67e0f83?page=1
・『生活困窮者を食い物にする悪質な「無料低額宿泊所」の実態とは──。フリーライターの林美保子さんがリポートする。《シリーズ第3回・最終回》 ※第2回→《1.5畳の部屋に15年入居、生活保護費をピンハネする「貧困ビジネス」悪徳スカウトの手口》 第3回福祉事務所が無低に丸投げ。実は、持ちつ持たれつの関係  本来は、生計困難者のために住む場所を提供する福祉施設という位置づけになっているはずの無料低額宿泊所が貧困ビジネスの温床になっている。相部屋などに生活困窮者を押し込み、粗末な食事を与え、生活保護費をピンハネする。劣悪な環境に耐えられずに、「路上のほうがマシ」と、逃げ出す入所者が後を絶たない。 無料低額宿泊所には、憲法25条が定める「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文からは程遠い環境がある』、「生活困窮者を食い物にする悪質な「無料低額宿泊所」、「福祉事務所が無低に丸投げ」、酷い話だ。
・『困窮者を支援するNPOを装う  しかし、無料低額宿泊所すべてが悪質というわけではない。使命感を持って取り組んでいる良心的な事業者もいる。施設によっては短期間でアパートに転居できる。 一方で、たった1.5畳の、薄いベニヤ板の仕切りと、アコーディオンカーテンがドア代わりという名ばかりの個室に15年も生活してきたという事例もある。2段ベッドを入れた相部屋も少なくなく、都内には20人収容の大部屋もあるという。一口に無料低額宿泊所と言っても、玉石混交なのだ。 「しかも、ひとつの事業者の中でも、異なった形態で運営していたりします。大手事業者Aはまっとうな賃貸アパートを運営する一方で、古い建物の中に生活困窮者を押し込んで食い物にしているので、なかなか一筋縄ではいかないですね」と、生活困窮者支援団体であるNPO法人『ほっとプラス』(さいたま市)の高野昭博生活相談員は語る。 事業者はNPO法人が多く、企業や個人もある。 「特にNPOなどと書かれていると信用するじゃないですか。でも、実態は違っていたりします」 大手事業者AもNPO団体であり、ホームページには、「“日本一の社会的企業”になることを目標にしている」とか、DV被害者などの女性支援も行っているようなことも書かれている。伝え聞く悪評とのギャップに目がくらむほどだ。 「社会的企業」とうたっている割には、取材や視察依頼はほとんど門前払いだそうだ。筆者が無料低額宿泊所の外観を撮影しようとしたところ、「彼らは警戒していますから、気づかれないように気をつけてください。気づかれたら暴力を受けるかもしれませんから」と、高野さんが心配する。 「女性入所者の場合には、大人数を押し込むのではなく、一軒家を借りてシェアハウスみたいな形にしているので、まだマシなほうだと言えるでしょう。でも、ピンハネするやり方は変わらない。だから、施設から逃げてくる女性もいます」 Aのホームページには、生活困窮者が施設を利用するようになったきっかけとして、「役所紹介が96%」と書かれてある。藁をも掴む思いでこのサイトにたどり着いた人は、なおさら信用するに違いない』、「役所紹介が96%」、少なくとも「役所」が「紹介」する以上は「紹介に値する業務をやっているかどうかをチェックすべきだ。
・『住居を持たない人が生活保護申請に行くと…  無料低額宿泊所に入所するきっかけとして、ひとつはスカウトマンによる勧誘があるが、もうひとつが福祉事務所経由である。ネットカフェ利用者や路上生活者といった住居を持たない人が生活保護申請に行くと、無料低額宿泊所を紹介されるという道筋が常態化しているのだ。 「“無低に行くのなら生活保護申請を受けつける”と堂々と言う職員もいます」と、高野さんは語る。 「無料低額宿泊所の一覧表を見せて、“この中から選べ”と言うんですね。でも、一般の人にはどの施設が良心的で、どの施設が悪質なのかということは、まずわからない」 稲葉剛・小林美穂子・和田靜香編『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)中にはこんなくだりがある。 《対応したケースワーカーは、「時間がないから」と、その日から泊まる宿の説明もせず、「行けば分かる」と言って、迎えに来た車に彼を乗せた。着いた先は無料低額宿泊所。(中略)マスクもしていない老人たちがゲホゲホ咳をしている環境で、一睡もできず…》 福祉事務所が生活保護の申請者を無料低額宿泊所に行くように働きかけることについて、実は構造的な問題がある。 福祉事務所は1人で100人前後の生活保護者を担当するなど多忙を極める部署として知られている。にもかかわらず、経験豊富な専門職は少なく、人事異動の一環として行政職や事務職がケースワーカーとして配置されるのが通例になっている。業務が多岐にわたっているため負担が重く、職員にとってはできれば配属されたくない、不人気の部署だという。 多くは数年経てばほかの部署に移っていくため、個々のケースに応じて適切な判断をするための知識や経験が蓄積されない。 「経験が少ないこともあって、通りいっぺんの対応をするしかないということもあると思います」と、高野さんは語る。 そんな中、ケースワーカーはいくつも生活保護申請を新たに受理すれば、居宅への準備などの手続きに追われ、担当する生活保護者の訪問活動などに手が回らなくなってしまう。その点、無料低額宿泊所に丸投げすれば、手間がかからない。こうして福祉事務所と施設側は持ちつ持たれつの関係ができあがっているのだ』、両者は「持ちつ持たれつの関係ができあがっている」のはやむを得ないとしても、前述のように、「福祉事務所」が「施設側」の内容をチェックすべきだ。
・『施設を細分化した後、名前を変えて暗躍  筆者は以前、『反貧困ネットワーク埼玉』のスタッフから、「埼玉県は、“無低天国”と揶揄(やゆ)されるほど、悪質な施設が多い」という話を聞いた。 「それは、いまでも変わりません」と、高野さんは語る。 東京都では新規の無料低額宿泊所を作る際には完全個室にすることを義務づけるなどガイドラインで規制を強化したため、悪質な業者は埼玉県など周辺部を拠点にするようになったという。 埼玉県における無料低額宿泊所の数は、5年前の55から73に増えた(2021年1月1日現在)。 「無料低額宿泊所のスタッフだった人たちが似たような施設を作っている例が少なくありません。さいたま市などでも独自に条例を作成して規制を強化していますから、悪質な事業者は一見、縮小しているようにも見えます。しかし、実際には小分けされて名前を変えて運営しているのが実状です」と、高野さんは語る。 「無届け施設が増えており、首都圏でわかっているだけでも1000以上あります。一軒家を借りて、こぢんまりと運営していたりします」 厚生労働省では、2020年度から原則7.43平方メートル(約4.5畳)の個室化などを省令で規制した。ただし、既存の建物に関しては3年の猶予があり、今年2月の時点では、「相談者の話を聞く限りでは状況は全然変わっていない」と語っていた高野さん。しかし、ここに来て少しばかり動きが見えてきたという。 「川口市にある無低が、1人あたりの住居スペースが規定に満たないために閉所することになり、入所者は他市に移ることになったようです。この機会にアパート転居を希望している入所者もいて、福祉事務所もそれを認めたと聞きます」 行政には、さらなる規制強化を図ってもらいたいところだ』、「厚生労働省」が「2020年度から原則7.43平方メートル(約4.5畳)の個室化などを省令で規制」、「ただし、既存の建物に関しては3年の猶予」、となっているのであれば、自治体としては、「猶予」期間を短縮するのも一考に値しよう。
タグ:生活保護 (その5)(「生活保護費の減額はデタラメ」と厚労省を一蹴した 大阪地裁判決の意義、生活保護費の不当な返還要求を非職員に行わせる 中野区の非常識、生活保護申請者を「無低」に丸投げ 福祉事務所と貧困ビジネスが癒着する“ウラ事情”) ダイヤモンド・オンライン みわよしこ 「「生活保護費の減額はデタラメ」と厚労省を一蹴した、大阪地裁判決の意義」 「物価下落は、厚労省が独自に開発した物価指数「生活扶助相当CPI」によって導き出された」、わざわざ都合のいい数字を「独自に開発した物価指数」で算出したとは驚くほど念入りだ。 「「生活保護費は厚労大臣が裁量によって決めてよいことになっているけれど、そんなデタラメな根拠で勝手に決めるのは『裁量権』の正当な使い方とは言えません。違法です」、との判決は妥当だろう。 3月5日付けNHK News Webによれば、大阪府内の全自治体が控訴したようだ。 「弁護士の尾藤廣喜さんは・・・厚生省に入省・・・1970年から1973年にかけて、厚生省職員」、これでは「厚労省職員」もさぞかしやり難いだろう。 今後、控訴審がどう展開するか注目したい。 「生活保護費の不当な返還要求を非職員に行わせる、中野区の非常識」 「中野区」でこんな問題が起きているのは初めて知った。「中野区長」は2018年6月の選挙で革新系の酒井氏が自公推薦の現職を破ったのに、実際は保守系も顔負けの政策をしていたとは・・・ 「ケースワーク業務そのものの「丸投げ」」は、「偽装請負として、労働基準法上の問題となる可能性もある」、とんでもないことだが、「区職員」がやれるほどの人員がいないのだろう。 「本事業で雇用されている14人の職員の人件費は、手取りでは生活保護費と同等になっている可能性もあるという。 14人のうち9人は、社会福祉士やケアマネージャーなどの資格を持っている。「簡単に取得できるわけではない資格を持ちながら、生活保護並みの給料しか受け取っていない」という憤懣が、生活保護で暮らす人々に向けられたら、何が起こるであろうか。Aさんが受けた理不尽な仕打ちの背景に、「官製ワーキングプアによる生活保護への憎しみ」という感情がある可能性は、考えずにいられない」、公的資格を持っていながら「生活保護並み プロパーの「職員」を雇うよりも、「委託」した方が低コストなので「委託」しているのだろうが、きちんと「検証」する必要があるだろう。「浦野さとみ氏」は共産党の「区議」だが、立憲民主党の「区議」は何をいているのだろう。 yahooニュース 週刊女性PRIME 「生活保護申請者を「無低」に丸投げ、福祉事務所と貧困ビジネスが癒着する“ウラ事情”」 「生活困窮者を食い物にする悪質な「無料低額宿泊所」、「福祉事務所が無低に丸投げ」、酷い話だ。 「役所紹介が96%」、少なくとも「役所」が「紹介」する以上は「紹介に値する業務をやっているかどうかをチェックすべきだ。 両者は「持ちつ持たれつの関係ができあがっている」のはやむを得ないとしても、前述のように、「福祉事務所」が「施設側」の内容をチェックすべきだ 「厚生労働省」が「2020年度から原則7.43平方メートル(約4.5畳)の個室化などを省令で規制」、「ただし、既存の建物に関しては3年の猶予」、となっているのであれば、自治体としては、「猶予」期間を短縮するのも一考に値しよう。
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メディア(その27)(日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任、佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に、テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地) [メディア]

メディアについては、4月3日に取上げた。今日は、(その27)(日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任、佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に、テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地)である。

先ずは、4月28日付け東洋経済オンラインが掲載した近畿大学教授の柴田 直治氏による「日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/425344
・『「アジアが拓く新時代新型コロナ禍の先へ」 4月13日、日本経済新聞の朝刊1面の社告を見て私は思わず、えっと声をあげた。 日経新聞は5月20、21の両日、第26回国際交流会議「アジアの未来」を東京都内で開催し、オンラインで配信するという告知を掲載している。その中に、講師としてタイのプラユット首相が名を連ねていたからだ』、「タイのプラユット首相」が「講師」をするのに、どんな問題があるのだろう。
・『タイはミャンマー軍政の手本に  プラユット氏は2014年、タイの陸軍司令官として軍事クーデターを主導し、選挙で選ばれた政府を転覆した張本人である。2019年の総選挙を経て首相に就任したのだから、みそぎは済んだという解釈かもしれない。 だが強権下で軍に都合のいい憲法・選挙制度を制定し、議会工作の末にようやく首相に就任したプラユット氏は、総選挙の前も後も民主化を求める人々を拘束し、政府批判のデモを不敬罪や非常事態宣言で抑え込み、野党を解散させ、言論の自由を封殺してきた。 多くの若者が参加する2020年以降のデモでは辞任を突き付けられている。さかのぼれば、市街地を占拠した反政府デモ隊を武力で鎮圧し、多数の死者を出した2010年(注1)には軍のナンバー2だった。 2月にミャンマーで起きたクーデターを仕切ったミンアウンフライン国軍司令官が真っ先に親書を送った「先輩」でもある。ミャンマー国軍はタイのクーデターとその後の支配体制の確立を手本にしようとしている。 日経新聞も世評を気にしたのか、1面社告の写真にはマレーシアのマハティール前首相とインドの外相を載せ、日本とつながりの深いタイの首相を外している。 「アジアの未来」はこれまでもアジアの権威主義的なリーダーを招き、演説をさせてきた。報道機関が各国首脳に話を聞くのはもちろん重要な仕事である。しかし、この会議では記者が首脳らに厳しい質問をする機会などほとんどない。 2019年の同会議は、カンボジアのフン・セン首相とフィリピンのドゥテルテ大統領、バングラデシュのハシナ首相が登壇した。いずれも野党や政府批判のメディアを徹底弾圧する「アジア強権三羽烏」だ。 選挙で選ばれたのだから正統な指導者だと判断したとも考えられるが、招待前の3カ国の選挙について日経新聞は以下のように報じている』、「タイはミャンマー軍政の手本に」、とはいえ、ミャンマーでの死者数はタイとはけた違いに多いようだ。
(注1):タイの2010年の「反政府デモ隊を武力で鎮圧」:死者8人、負傷者2000人以上(2015年5月18日付けHuman Rights Watch)。
・『批判的報道の後に招聘する矛盾  カンボジア総選挙を受けた2018年7月31日付の社説は「逆流したカンボジア民主化」と題し、「フン・セン首相ひきいる与党が圧勝した。だが選挙に先立ち、政権が有力な野党を強制的に解散させるなど、今回の選挙の正当性そのものに大きな疑問がある。形ばかりの民主主義はとうてい容認できない」と論じた。 2019年5月に開催された同会議直前にフィリピンで行われた中間選挙について、日経新聞の現地特派員は「影響力の大きい上院でドゥテルテ大統領を支持する候補者が当選し、反対派は軒並み落選した。ドゥテルテ氏が任期後半の3年間も指導力を維持し、強権体制を続ける見通しとなった」(2019年5月14日付)と報告した。 2018年末のバングラデシュの総選挙では、やはり日経新聞の現地特派員が「争点は主に、2009年から続くハシナ体制の継続か政権交代かだった。ハシナ政権は報道統制やインターネットの制限、野党支持者の弾圧など政権維持に向けてあらゆる策を講じた」(2018年12月31日付)と論評していた。 日経新聞は「容認できない」などと批判的に報じた直後に3人を招いている。報道機関として認識や主張と同会議への招聘との関係について、会議を報じる紙面でも説明はなされていない。) それにも増して今回の招聘に強い疑問を抱いたのは、プラユット首相が選挙で選ばれた民選首相でさえないためだ。プラユット首相は、首相は下院議員から選ばれると定めた憲法をクーデターで破棄した。 そのうえで首相選任に票を投じる上院議員を民選から軍主導の任命制に変え、議員でなくても首相になれるよう新憲法を制定してその座に納まった』、「プラユット首相が選挙で選ばれた民選首相でさえない」、どういうことなのだろう。
・『日経記事が論評したタイ首相の素顔  プラユット氏について日経は2020年3月、「タイで強力な言論統制権、再び、首相、非常事態宣言」と題した記事で次のように論評している。 「プラユット首相が新型コロナウイルスの感染拡大防止を目的に非常事態宣言を出した。軍出身で2014年のクーデターを主導した首相は昨年の総選挙を経て現政権を発足させたが、軍政時代に勝るとも劣らない強力な言論統制権限を再び手にした。『私が選任した者だけを通じて進捗状況を国民に報告する』。プラユット首相は非常事態宣言に伴う演説で、新型コロナ対策をめぐる政府の情報発信を自らの管理下に置くと語った。新型コロナへの対応では省庁間や連立政権内の連携不足や情報の混乱が目立ち、様々なメディアで批判的な論調が増加。軍人の頃から短気で知られる首相はしびれを切らし、情報発信の締め付けをあからさまに宣言した。プラユット首相の演説は軍政時代をほうふつとさせた。14年のクーデターから軍事政権を率いた首相はタイの権威主義の顔とされる」(2020年3月31日付) 日経新聞自身、プラユット氏を「権威主義の顔」と評しているのだ。 その点、「アジアが拓く新時代新型コロナ禍の先へ」というアジアの未来会議のテーマは皮肉に聞こえる。日経の記事に照らせば、タイではコロナ禍の先に「強権と言論統制」が待っていたというのだから。 ミャンマーのミンアウンフライン国軍司令官の姿は、プラユット氏に重なって見える。ミャンマー国軍は一応、2年以内の総選挙を宣言している。アウンサンスーチー氏の率いる国民民主連盟(NLD)を排除した選挙を行うことになるだろう。 選挙制度はタイに習って、小選挙区制度を比例代表に変えるなどして軍に有利な仕組みにするはずだ。ほとんど無競争の選挙で親軍政党が勝つ。そして、ミンアウンフライン氏が大統領に就任するシナリオは非現実的とは言えない。選挙を経たのだからといって日経新聞は同氏を講師に招聘するのだろうか。 プラユット首相については少なくとも総選挙後、日本政府や多くの国々が一国の首脳として遇している。会議に招くことに問題はないという見方があるのかもしれない。 しかし日経新聞は、日本を代表するクオリティペーパーを自称する報道機関である。同社のホームページには基本理念として「わたしたちは、民主主義を支える柱である『知る権利』の行使にあたって、人権とプライバシーに最大限配慮しつつ、真実の追究に徹する」と書いてある。プラユット氏の招聘がこの理念に合致するとは思えない。 プラユット氏は3月9日、定例閣議後の記者会見で報道陣に新型コロナウイルス対策用のアルコール消毒液を噴射した。この出来事を日経新聞は3月11日付で「消毒液のスプレーを手に壇上から降り、マスクで顔を覆いながら最前列の記者に向けて噴射を開始。『新型コロナをうつされるのが怖いから、身を守っている』『君の口に噴射しようか』と語りながらスプレーを押し続けた」と報じている。 メディアにこれほど無礼なふるまいをする人物を招くことに同業者としてためらいがなかったのだろうか』、「プラユット首相」は「権威主義の顔」で、「記者会見で報道陣に新型コロナウイルス対策用のアルコール消毒液を噴射」するようなとんでもなく「無礼」な人物のようだ。
・『日経に言論の自由に対する敬意はあるか  この会議、参加料は前回より値上げをして8万8000円である。個人が負担する金額ではなく、おそらく企業が経費で支払うのだろう。 日経がその名で内外の講師を集め、取材先でもある企業に高額の受講料を払わせる。もちろんメディアにとっても収益は重要である。それでも民主主義、なかでも言論の自由に対する一定の敬意がそこには必要だろう。 筆者は4月19日、「アジアの未来」の事務局に以下の質問状を送った。プラユット氏を招聘したことについての見解やプラユット氏に講師料は支払われるのか否かのほか、過去もフン・セン、ドゥテルテ、ハシナ各氏のようにメディアを弾圧する強権指導者を招いていることについて、日経新聞の基本理念に合致するのかどうかなどを尋ねた。 4月23日、日経広報室取材窓口から回答があった。1面社告からプラユット氏の顔写真を外した理由について、「掲載時点での首脳や閣僚の訪日の可能性などを配慮して選定」と回答。プラユット氏への講師料は「支払われません」とし、高額な参加料については「貴重なご意見として承ります」との回答があった。 だが、他の質問については「国際交流会議『アジアの未来』はアジア大洋州地域の各界のリーダーらが域内の様々な課題や世界の中でのアジアの役割などについて率直に意見を交換し合う国際会議です。1995年から原則毎年開催しておりアジアで最も重要な国際会議の一つに数えられています。アジア各国・地域の首脳・閣僚らの生の声を参加者や読者にお伝えする貴重な機会とすべく当会議を企画しています」としたうえで、「個別の案件についてはお答えしておりません」と回答した。 報道機関に属さない私にも回答した点については敬意を表するものの、講師料が支払われていないことを除けば、実質的な中身はなく、新聞社として説明責任を果たす姿勢は感じられない。 ジャーナリズムとビジネスの間合いをどうとるのか。「アジアの未来」には、日本経済新聞社の抱える本質的な矛盾が解決されないまま、凝縮されている』、「1995年から原則毎年開催しておりアジアで最も重要な国際会議の一つに数えられています」、とはいえ、「「アジアの未来」には、日本経済新聞社の抱える本質的な矛盾が解決されないまま、凝縮されている」、同感である。

次に、4月29日付けエコノミストOnlineが掲載したライターの楠木春樹氏による「佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210429/se1/00m/020/001000d
・『評論家の佐高信氏が、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏に約1000万円の損害賠償請求裁判を起こされたことがわかった。佐藤氏は佐高氏の著書『佐藤優というタブー』(旬報社)に名誉棄損的表現が含まれるとし、発行者である木内洋育・旬報社代表取締役にも1064万円を支払うよう求めている。 同書のオビには「”雑学クイズ王”佐藤批判はタブーか!?」「私は二冊も佐藤と共著を出した責任を感じて、ここで佐藤批判を、特に佐藤ファンに届けたい」などと書かれている。共著もある作家同士が名誉毀損裁判に至るのは異例なことだろう。 辛口評論家とも称される佐高氏は月刊誌『噂の真相』(休刊)で「タレント文化人筆刀両断」を連載するなど、数多くの文壇や論壇の批評を書いてきた。佐藤氏は多くのメディアに連載を持ち多作で知られる』、「二冊も佐藤と共著を出した」のにあえて訴えられるのを覚悟の上で、『佐藤優というタブー』を出版したとはよほど覚悟の上なのだろう。
・『問題にした9つの記述  訴状によれば佐藤氏は9つの佐高氏の記述を問題にしている。 最初に指摘しているのは、「創価学会御用達の佐藤優が、『AERA』でダラダラと『池田大作研究』を続けている。2020年9月28日号の第37回が特に卑劣な学会擁護だった」という表現。 これについて佐藤氏は「原告が著述している池田大作研究の内容が『卑劣な学会擁護』とするものであり、『卑劣』とは『品性や言動がいやらしいこと』、『人格的に低級であること』を意味し、原告が卑劣な方法で学会擁護をしたとするこの表現は原告の作家としての良心であるとか、その誇りを踏みにじる表現である。このような侮蔑的表現で他人の著述を批判することは許されることではない」としている。 次は、「彼は2016年3月2日付け『東奥日報』の電気事業連合会の『全面広告』に出て、『エネルギー安全保証の観点から原子力発電の必要性を強調』している。おそらく最低でも1000万円はもらっているだろうが、その金額を明らかにしてから『内調から藤原に金銭の流れもあった』とか言え」という記述、などだ。 「内調」とは内閣調査室、「藤原」とは評論家で『創価学会を斬る』の筆者、藤原弘達氏のことである。佐高氏は佐藤氏について「藤原のように内調から工作されなくても(あるいは、工作されたのか)、国策と称された原子力発電の推進に協力する“原発文化人”はたくさんいる。佐藤もその一人だ」として、電気事業連合会の広告に出た佐藤氏を批判していた。 これに対して佐藤氏は、「原告には、同広告の仕事によって電気事業連合会から幾らもらっているのかを明らかにする筋合いはなく、一般読者に原告が仕事にそぐわないような多額の金員をもらっていると思わせる記述をして、原告の名誉を傷つけた被告がその根拠を明らかにするべき事柄である」などと訴状で述べている』、「佐藤氏」も「“原発文化人”」だったとは失望した。
・『第一回口頭弁論は6月8日  今回の訴えに対し佐高氏は「言論人が裁判に訴えるということは言論での敗北を認めること。言論人失格である。すべての著作を絶版にしろと言いたい」とコメント。 佐藤氏は「既に裁判で問題を処理する段階ですので、冷静な審理に影響を与えるような言動は私の方からは避けることにしています。第一審の判決が出た後は、きちんと対応します」とメールで回答。 第一回口頭弁論は6月8日、東京地裁で行われる予定だ』、「言論人が裁判に訴えるということは言論での敗北を認めること。言論人失格である」、との「佐高氏」の主張はもっともだ。裁判所はどんな判断を下すのだろう。

第三に、5月4日付け東洋経済オンライン「テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/426091
・『もしテレビが最も大事な「映像」を捨てたら、ユーザーに何を伝えられるのか――。そんな大胆な試みがテレビ東京で始まった。世界最大の音楽ストリーミングサービス「Spotify(スポティファイ)」と連携し、4月からオリジナルの音声番組(ポッドキャスト)の配信に乗り出したのだ。 第1弾は地上波でも人気の高い「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の音声版。テレビ版では「ヤバい奴らのヤバい飯を通して世界のリアルを見る」というテーマのもと、ディレクターが世界の危険地帯に足を運んでいる。2017年以降、不定期特番として放送されており、ギャラクシー賞・優秀賞の受賞歴もある。 ロサンゼルスではギャングが対立し、殺人が繰り返される地域を取材。「飯、一緒にどうですか」と声をかけ食事をともにすると、ギャングのメンバーから「いつも最後の飯だと思っている」「ギャングでいいことなんて何もない」などと本音が漏れ、過酷な生きざまが見えてくる。 ほかにも、不法入国を試みる難民や、「イスラム国の兵士を6人殺した」と告白する青年、スラムやカルト教団に身を置く人々など、さまざまな「飯」を扱っている。演出を極力抑えた映像からは異常な緊張感が伝わる。テレ東の中でも攻めに攻めたドキュメンタリーなのだ』、「テレ東」はもともと、ユニークな企画が多いと思っていたが、「Spotify」と連携し、4月からオリジナルの音声番組(ポッドキャスト)の配信に乗り出した」、面白そうだ。
・『音声版では国内の「さまざまな飯」が舞台  新たに始まった音声版は国内で取材を敢行している。右翼・左翼団体の人々やセックスワーカー、特殊清掃員(孤独死や事件・事故の現場、五味屋敷などの清掃を専門に行う事業者)、夜逃げ屋などに会い、食事をともにして話を聞く。 ディレクターを務める上出遼平氏は「国内なので登場する人物は見かけたことがある人や、同じ街に住んでいる人かもしれない。距離的に近くても近寄りがたい人が取材対象なので、海外と違うインパクトがある」と語る。 4月28日に配信されたエピソード1は「右翼左翼の飯」。ディレクターはレコーダーを手に、終戦記念日の靖国神社に向かう。周辺では「どけやオラ!」「邪魔なんだよ!」などの罵声や怒号、団体による主張が飛び交い、機動隊は壁になって衝突を止める。一般人なら恐怖でとても近寄れないような光景が、その音から想像できる。 だが、ディレクターはレポートを続け、やがて一人の人物を食事に誘う。テレビでこれほど緊迫した状況を流し続けるのは難しいかもしれない。 上出氏は「音声の臨場感や没入感は映像より強い」と断言する。確かに車が通り抜ける音の迫力や、左右の音のムラ、人々の肉声はリアルで、聴き手もその場にいるような感覚になる。 また、「登場人物の一段とパーソナルな部分に入っていけるのが音声の力かもしれない」(同)と語るように、カメラを構えた取材班でないからこそ、より深いエピソードを聞き出せる側面もあったようだ。 今まで遠い存在だったり、近づいてはならないと思っていたりした人物でも、「飯、一緒にどうですか」と話しかけるとさまざまな事情や経験などを語ってくれる。いつの間にか引いてしまっていた境界線のようなものを壊すことが、国内でもできるのではないか――。上出氏はそうした思いで番組を作っているという』、「音声の臨場感や没入感は映像より強い」、子供時代にラジオ番組にかじりついていた頃は、他に刺激が少なかったこともあり、確かに「没入感」が強かったようだ。
・脈々と培ってきた「そぎ落とす文化」  今回のスポティファイとの提携は、音声のみで番組を企画制作するテレビ東京のプロジェクト「ウラトウ」のコンテンツを配信するというもの。ウラトウはテレビ番組で実現が難しいアイデアや若手ディレクターの挑戦的な企画を実践する場として、今回新たに上出氏らが立ち上げた。音声から始め、いずれテレビ番組に育てていく流れも見据えている。 ただ、いくら新規プロジェクトとはいえ、なぜテレビの命である映像を捨てるのか。ここはテレ東の”ものづくり”の歴史が関係している。 テレ東はそもそも、全国ネットではない。大手キー局と比較して広告収入が少なく、番組制作費は半分以下だ。それでも他局と渡り合うために現場のスタッフはつねに知恵を絞ってきた。お金をかけるポイントを絞り込む、つまり「捨てること」に慣れている会社なのだ。 その結果として、豪華なスタジオやタレントに頼らずとも「Youは何しに日本へ?」「家、ついて行ってイイですか?」といった、一般人が主役のヒット番組をいくつも生み出した。ドラマも差別化のためマスを捨て、「孤独のグルメ」「勇者ヨシヒコ」などニッチに刺さる作品を追求した。 これらの手法には他局も一目を置いている。「映像を捨てたい」という上出氏の一言から始まった音声番組の企画も、業界の常識を捨ててきたDNAの延長線上にある。 テレ東がこれら音声番組でターゲットとしているのは、主にテレビから離れてしまった消費者だ。 「これまでさまざまな動画メディアをやってきたが、テレ東のコンテンツが届いていない消費者はたくさんいる。テレビは一方向の情報提供という面が強いので、音声ではユーザーから感想をもらうなどの交流も重視していきたい」(テレビ東京コミュニケーションズ メディア事業開発本部の井上陽介氏)。 「地上波だけではない、表現する場を貪欲に求めていかないと」(上出氏)。ネット配信の強化にとどまらず、映像制作のノウハウを生かして未経験の作品作りにも打って出る。テレ東はテレビ局として大変革期を迎えているのかもしれない』、「テレ東」には「そぎ落とす文化」があったというのは、分かる気がする。
・『「ながら聴き」に向かない番組はどう刺さる  配信するスポティファイにとっても、今回の提携は音声番組ファンを広げるための重要な試みといえる。スポティファイジャパンで音声コンテンツを統括する西ちえこ氏は「チームの皆が『ハイパー』を聴いて驚いた。音の使い方にこだわっていて非常に新鮮。海外でも類似コンテンツはない」と語る。 現在、音声コンテンツは比較的若い層が聴取している。また、何かをしながら聴く「ながら聴き」が多い点も特徴だ。一方の「ハイパー」は、もとが高齢層の多いテレビのコンテンツであり、没入感ゆえに「ながら聴き」に向くとも言いにくい。どんなユーザーに刺さるのかは、スポティファイにとっても未知数だ。 「(テレ東とは)第2弾、第3弾と複数の取り組みを進めていく。サポートも積極的にやっていきたい」(西氏)。今後もテレ東のような国内でのパートナーとのコラボに加え、サポートプログラムやセミナーなど一般クリエイター向けの支援も広げ、音声コンテンツをさらに成長させる考えだ。 映像という最大の武器を捨て、世界でも類を見ないアプローチで音声に挑むテレ東と、それに共鳴したスポティファイ。両社のタッグによって「耳の可処分時間争奪戦」は一段と過熱しそうだ』、「「耳の可処分時間争奪戦」は一段と過熱しそうだ」、楽しみだ。
タグ:メディア (その27)(日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任、佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に、テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地) 「タイのプラユット首相」が「講師」をするのに、どんな問題があるのだろう。 「日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任」 柴田 直治 東洋経済オンライン 「タイはミャンマー軍政の手本に」、とはいえ、ミャンマーでの死者数はタイとはけた違いに多いようだ。 (注1):タイの2010年の「反政府デモ隊を武力で鎮圧」:死者8人、負傷者2000人以上(2015年5月18日付けHuman Rights Watch)。 「プラユット首相が選挙で選ばれた民選首相でさえない」、どういうことなのだろう 「プラユット首相」は「権威主義の顔」で、「記者会見で報道陣に新型コロナウイルス対策用のアルコール消毒液を噴射」するようなとんでもなく「無礼」な人物のようだ。 「1995年から原則毎年開催しておりアジアで最も重要な国際会議の一つに数えられています」、とはいえ、「「アジアの未来」には、日本経済新聞社の抱える本質的な矛盾が解決されないまま、凝縮されている」、同感である。 エコノミストOnline 楠木春樹 「佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に」 佐高氏の著書『佐藤優というタブー』 「二冊も佐藤と共著を出した」のにあえて訴えられるのを覚悟の上で、『佐藤優というタブー』を出版したとはよほど覚悟の上なのだろう 問題にした9つの記述 「佐藤氏」も「“原発文化人”」だったとは失望した。 「言論人が裁判に訴えるということは言論での敗北を認めること。言論人失格である」、との「佐高氏」の主張はもっともだ。裁判所はどんな判断を下すのだろう。 「テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地」 「テレ東」はもともと、ユニークな企画が多いと思っていたが、「Spotify」と連携し、4月からオリジナルの音声番組(ポッドキャスト)の配信に乗り出した」、面白そうだ。 「音声の臨場感や没入感は映像より強い」、子供時代にラジオ番組にかじりついていた頃は、他に刺激が少なかったこともあり、確かに「没入感」が強かったようだ。 「テレ東」には「そぎ落とす文化」があったというのは、分かる気がする。 「「耳の可処分時間争奪戦」は一段と過熱しそうだ」、楽しみだ。
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東芝問題(その40)(東芝従業員が 社外の人々に握られた会社の「オール」を取り戻すには、車谷前社長が引き寄せた東芝「解体」「身売り」のXデー お粗末過ぎる辞任のウラ側、東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず) [企業経営]

東芝問題については、昨年4月21日に取上げた。今日は、(その40)(東芝従業員が 社外の人々に握られた会社の「オール」を取り戻すには、車谷前社長が引き寄せた東芝「解体」「身売り」のXデー お粗末過ぎる辞任のウラ側、東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず)である。

先ずは、4月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「東芝従業員が、社外の人々に握られた会社の「オール」を取り戻すには」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/268613
・『経営陣や株主ではなく東芝従業員が迎えている「本当の危機」  この記事は、東芝の全従業員に読んでいただきたいと思っています。 東芝の従業員が、2015年の不正会計発覚以来の危機を迎えています。「東芝が」ではなく、「東芝の従業員が」危機を迎えているとしている点に注意してお読みください。少なくとも経営陣や株主から見れば、東芝は危機を迎えているわけではありません。 4月14日、東芝の車谷暢昭社長兼CEOが辞任しました。報道によれば、車谷前社長は株主との関係が悪化していたことに加え、イギリスの投資ファンドからの買収提案に関連して経営陣との対立が起きていたとされています。前日段階で「14日の臨時取締役会で社長の進退問題を協議する」と報道されていましたが、結局本人が辞任を申し出たようです。 さて、当事者からは批判されることを覚悟のうえで、事の成り行きを事実に沿って違う文脈に書き替え、整理してみます。 三井住友銀行の元副頭取で、イギリスの投資ファンド・CVCキャピタル・パートナーズの日本法人の前会長だった車谷前社長は、中外製薬出身の永山取締役会議長をはじめ12人中11人が社外出身者で構成される取締役会と、CVCからの買収提案に関連して対立し、外堀を埋められた結果、解任動議が出る前に辞任しました。 車谷前社長は、旧村上ファンド出身者らが運営するシンガポールのファンドとも対立していたことで知られています。2020年の「モノいうファンド」からの株主提案では、ファンドからの取締役選任案については退けることができましたが、その株主総会での車谷氏の取締役再任議案の賛成も57%台にとどまっていました。 一連の報道を確認していただくとわかる通り、今回の騒動の渦中に純粋な東芝出身者は綱川智新社長以外、1人も登場しません。 これが最先端の大企業のガバナンスというものなのですが、こうした状況を見ると、さすがに私のような部外者としても、違和感を覚えずにいられません。「会社はいったい誰のものなのか?」と思ってしまいます。) 綱川新社長以外の東芝の取締役会メンバーのバックグラウンドを並べると、三井住友銀行、中外製薬(長銀)、検察庁、新日本製鐵、三井物産、CVC最高顧問(日商岩井、GE、LIXIL他を歴任)、欧米の金融機関が複数、そして会計事務所出身が4名となります。このメンバーが、歴史ある日本の大企業・東芝の運命の決定権を握っています。 東芝の選択肢の中では、CVCキャピタル・パートナーズからの買収案を受け入れる可能性は、この社長交代劇で少なくなったと考えられます。一方、今回の騒動を受けて他の欧米の巨大ファンドも東芝の買収提案に向けて動き出したといいます。そして、東芝がどの未来へ進むべきかは、株主が選んだ11名の社外出身役員の意思決定に委ねられているわけです。 「いや、1人社内出身がいるじゃないか」とはいっても、1対11ですから多勢に無勢です、念のため』、「車谷前社長」が出身元の「CVCキャピタル・パートナーズ」と仕組んだ、延命のための買収工作が失敗したとは、お粗末だ。
・『「切り売り」で消えてしまった東芝関係者  このような状況になってしまったのは、もともとは東芝の自己責任だったと思います。2006年に東芝の当時の経営陣が、アメリカの原子力大手(株主はイギリス)であるウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(WEC)を買収します。当時は地球温暖化対策として、原子力事業は成長領域だと認識されていていたので、買収当時からいろいろと課題は指摘されていたものの、必ずしも間違った投資だったとはいえない経営判断だったかもしれません。 しかし現実には、2011年の東日本大震災で福島の原発事故が起き、その後原子力事業は世界的に低迷します。そして2015年にWECの巨額減損処理が発生して、東芝は債務超過状態に陥ります。 そこで、東芝を存続させるために「会社の切り売り」が始まります。経営の柱だった半導体メモリ事業はファンドに売却されてキオクシアホールディングスと名前を変え、黒字の優良企業だった東芝メディカルもキヤノンに売却されます。それ以外にもノートPCの『ダイナブック』や薄型テレビの『REGZA』もグループを去りました。 さらに東芝が失ったものとして、日本を代表するエンタテインメント会社だった東芝EMIや独占スポンサーだったテレビアニメ『サザエさん』も忘れてはいけないと思います。) 会社の生き残り策としては仕方のないことだったとしても、東芝の生き残りには大問題が伴います。会社の所有者が入れ替わってしまったのです。 東芝を救済するために優良部門を売却する資金だけでは足りず、結局は新しい資本を入れることになった。新しい資本にとっては、不正会計に手を染めた旧経営陣は信用できないので、現代的なガバナンス体制が組まれる。ことが回りまわって、東芝出身者ではない経営陣が東芝出身者ではない「モノいう株主たち」と対立するという、現在の状況につながっているのです』、「東芝出身者ではない経営陣が東芝出身者ではない「モノいう株主たち」と対立する」、皮肉なことだが、ファンドに依存した宿命なのだろう。
・『会社はいったい誰のものか 東芝従業員はこのままでいいのか  「会社は誰のものなのか?」というと、「それは究極的には株主のものだよ」と答える人が結構、多数派です。ただしそれは、欧米流の資本主義の論理に基づいた話です。 現実社会での影響力は小さい理論かもしれませんが、より広い経済学的には、会社はもっと多くの利害関係者の共有物であるべきだと考えます。株主や金融機関だけではなく、社員や従業員、取引先、顧客、そして社会も、会社の持ち主の重要な一部であるべきだと考えます。 これは、昭和の時代の古い会社観に近い概念かもしれません。昔は、会社は従業員のものであって、短期の利益よりも長期的な存続こそを優先させるべきだと説かれていました。実際その考え方で、日本経済は発展してきました。その頃と比較すれば、今の東芝は極端に従業員の権利と長期的な存続を脇に置いてしまっているのではないでしょうか。 そしてこの点を一番考えていただきたいのですが、東芝の従業員はそれでいいのでしょうか。 わたしはTOKIOの『宙船』という歌が大好きです。中でも「おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな」という歌詞は、人生においてその通りだと思っています。そして私が理解できないことは、なぜ東芝の従業員や執行役員は、東芝が消えて喜ぶ人たちに会社のオールを手渡したままなのか、ということです。 誤解しないでいただきたいのですが、東芝の社外役員が「東芝に消えてほしい」と思っていると言っているのではありません。もちろん今回の騒動を見ると、1人や2人は東芝に消えてほしいと思っている人がいたと思える節はありますが、それを防いだのは取締役会でした。 しかしその取締役会も、基本的なスタンスとしては株主に対する責任に目が向いています。あくまでスタンスは株主寄りであって、もし仮に今回の提案よりもずっと儲かる東芝買収・分割提案が持ち込まれたら、それを冷徹に評価し判断を下すであろう、プロの経営者たちです。 資本主義の原則としては、現経営陣はそのように動かざるを得ません。だったら、従業員の代表である執行役員たちは、「東芝という船を漕ぐオールを取り返す」対抗策を考える時期に来ているのではないでしょうか。東芝の企業価値が2兆円しかないことを意識すれば、1つの方法として、従業員による東芝買収を考えるタイミングなのかもしれないと私は思います』、「株主や金融機関だけではなく、社員や従業員、取引先、顧客、そして社会も、会社の持ち主の重要な一部であるべきだと考えます」、いわゆるステークホルダー主権論で、私も賛成だ。「従業員による東芝買収を考えるタイミングなのかもしれない」、いわゆるEBO(従業員中心による買収)だ。
・『「お前のオールを任せるな」 従業員による東芝買収の選択肢も  従業員による大企業買収というのは、あまり耳慣れない言葉かもしれません。有名な事例としては、1993年にユナイテッド航空の従業員が親会社を買い取り、世界最大の従業員所有会社になったケースがあります。ただこの買収事例は、利用者へのサービスが悪くなったなど、経営学の世界ではどちらかというと失敗事例として評価されています。 いずれにしても資本主義が進化したことで、企業買収の手法は非常に多様化してきています。ですから海外のファンドだけでなく、東芝の従業員が東芝を買収する現実的な手法もあるわけです。 さらに言えば、旧東芝メモリであるキオクシアは、近々3兆円規模で再上場ないしは売却されることが想定されますが、それだけの価値があるならば官民ファンドがキオクシアを買い取り、その子会社として東芝を買収してグループを再統合させるといった荒業だって、手法としては可能なのです。 そして、こういったことを考えなければ、いつか東芝が完全に消えてしまう日がやってくると私は危惧しています。東芝従業員の皆さんは、どうお考えでしょうか』、「それだけの価値があるならば」、「官民ファンドがキオクシアを買い取り」、とあるが、「官民ファンド」が乗り出す必要もない筈だ。無論、「その子会社として東芝を買収してグループを再統合させる」ためには、「官民ファンド」の方がやり易いのだろうが、そういう安易な「官民ファンド」の使い方には私は反対である。

次に、4月20日付けデイリー新潮「車谷前社長が引き寄せた東芝「解体」「身売り」のXデー、お粗末過ぎる辞任のウラ側」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/04200603/?all=1&page=1
・『「救済色」が露骨  東芝の代表執行役社長兼最高経営責任者(CEO)の車谷暢昭氏(63)が4月14日、突如辞任した。東芝が開催した緊急記者会見には本人は出席せず、「東芝再生ミッションが全て完了し、現在かなり達成感を感じている。3年の激務から離れて心身共に充電したい」というコメントだけが代読された。 しかし、この言葉を文字通り受け止める人はまずいないだろう。それは、4月7日に表面化した英投資ファンド「CVCキャピタル・パートナーズ」による東芝買収計画に、「水面下で協力していたのが、CVC日本法人会長から東芝に転じた車谷氏本人だった」と、金融界や霞が関は見ているからだ。 そもそも、CVC買収が発覚した時期、車谷氏は東芝に出資する多数の「アクティビスト(物言う株主)ファンド」との調整に行き詰まり、東芝社内での信用も急激に失っていった。そのため、次の株主総会では取締役人事承認を得られず、退任に追い込まれるだろうと、周囲の誰もが思っていた。 金融機関の幹部は、こう断言する。 「古巣のCVCによる買収で東芝が上場廃止となり、アクティビストを追い出せれば、車谷氏は留任される可能性もありました。つまり、CVCとともに起死回生の一手を打ったということでしょう」 だが、あまりにも「車谷救済色」が強いCVCの提案は、東芝取締役会の永山治議長らの不信を買うことになった。多数の取締役が車谷氏解任の準備に動いたことで、車谷氏は辞任に追い込まれた。そして、「車谷氏が保身のために、CVCの買収案を呼び込んだことで、パンドラの箱が開いてしまった」(前出金融機関幹部)という。結果、東芝は今後、多数のファンドからの買収攻勢にさらされることになるというのだ』、「あまりにも「車谷救済色」が強いCVCの提案は、東芝取締役会の永山治議長らの不信を買うことになった。多数の取締役が車谷氏解任の準備に動いたことで、車谷氏は辞任に追い込まれた」、「車谷氏が保身のために、CVCの買収案を呼び込んだことで、パンドラの箱が開いてしまった」、お粗末さの極みだ。
・『抱え込んだ“重荷”  今回の混乱を理解するために、まずは東芝とアクティビストの関係を振り返ってみたい。 東芝は2016年、米国での原子力事業を頓挫させ、米原子力子会社「ウエスチングハウス(WH)」に巨額の損失を発生させた。そのままWHを破綻処理したものの、17年12月には、2年連続の債務超過で上場廃止となる事態を免れようと、海外のヘッジファンドによる増資を行って6000億円を調達した。 この増資で上場を維持できたが、“重荷”も抱え込んだ。ファンドの中には、シンガポールの「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」をはじめとするアクティビストが含まれており、東芝は彼らの厳しい要求への対応を迫られることになったのである。ちなみに、エフィッシモは、旧村上ファンド出身者が設立した投資ファンドだ。 このとき、アクティビストからの攻勢をしのぐため、東芝が助けを求めたのが車谷氏だった。旧三井銀行出身の車谷氏は、三井住友銀行の副頭取などを歴任している。11年の東京電力福島第1原発事故に際しては、東電の実質国有化の計画案をまとめ上げ、経済産業省から厚い信頼を得た「金融のプロ」と見られていた。経産省のお墨付きを得て、18年、CVC日本法人会長から東芝のCEOに転じたのだ。 しかし結論を先に言えば、 「東芝再建やアクティビスト対応という点で、車谷氏は力不足でした」(東芝関係者) 連結最終損益は、車谷氏就任後の19年3月期に1兆円の黒字をはじき出したものの、20年3月期には1146億円の赤字に転落した。19年の黒字も、東芝メモリの売却益を織り込んだもので、もの言う株主ファンドたちの不満は強まる一方だった』、「車谷氏」が「東電の実質国有化の計画案をまとめ上げ、経済産業省から厚い信頼を得た」、初めて知った。
・『法的根拠の薄い“圧力”  さらに話を複雑にしたのが、政府主導のアクティビスト対策だ。 東芝は東京電力福島第1原発の廃炉作業や先端情報処理、機微軍事技術(武器や軍事転用可能な技術)にも関わっており、日本の安全保障にとって重要な企業といえる。20年5月に政府は、外国資本による重要企業への投資を厳格に監視する改正外為法を施行したが、これが東芝を守る「アクティビスト対策」だったと言われる。霞が関関係者が語る。 「改正法には、企業経営に口を出すアクティビストをけん制するような措置が盛り込まれました。安全保障に関わるような指定業種の企業に、海外企業が1%以上の出資をする場合、届出を行うことを義務付けました。ですが、経営に口を出さなければ、届出は必要ありません。まさに、アクティビストにつき上げられている東芝を守るために整備されたと言えます。車谷氏やその周辺が経産省や首相官邸に泣きつき、実現したと見られています」 そして同時期、英「フィナンシャルタイムズ」や「ロイター」などは、「20年7月の株主総会直前に、経産省に近い金融関係者が、東芝の株主である米ハーバード大学が運用するファンドに対し、(エフィッシモなどのアクティビストによる)東芝に敵対するような提案に賛同すれば、改正外為法に基づく調査対象になる恐れがあると圧力を掛けていた」と報道した。大手紙の経済記者が説明する。 「記事に出てくる“経産省に近い金融関係者”は、車谷氏が経産省や官邸に相談し、アドバイザーとして紹介された人物です。金融関係者は車谷氏の意向を受けて、ハーバード大に働きかけたのですが、そもそも改正外為法は、すでに株を持っている出資者ではなく、施行後に出資した企業やファンドが対象ですから、改正外為法に抵触する可能性は低い。法的根拠の薄い“圧力”でした」 エフィッシモは昨年の株主総会でこうした件などについて第3者による調査を求め、今年3月18日の臨時株主総会では、エフィッシモの提案が賛成多数で認められた。 この改正外為法の影響で、アクティビストと東芝の関係はより険悪になっていく。そして、それを制御できない車谷氏への風当たりも強まっていった。CVCが東芝に「現経営体制の維持」を明記した買収提案を送り付けたのは、その最中だった。 「車谷さんが自身の地位を守るため、CVCを呼び込んだとしか思えません」 と、東芝社員も語る。社内外でこうした憶測が広がり、永山取締役会議長らは車谷氏へ解任もちらつかせざるを得ず、冒頭のような辞任劇となったのだ。 ▽「買収合戦」になるか(だが、車谷氏が東芝社長の座を降りても、CVCの動きがすぐに止まることはなさそうだ。 グローバル投資ファンドにとって車谷氏は「東芝に近寄るための船頭」にすぎず、彼がいなくても、東芝自体には投資する価値がある。M&Aに詳しい金融機関幹部は、こう話す。 「むしろ、ここでCVCが退けば、車谷氏と連携していたことを認める形になってしまいます」 さらに、CVCが東芝買収の可能性を明示したことで、東芝の株主達は「東芝買収合戦」への期待を脹らませ始めた。CVCに対抗する買収者が続出すれば、最終的に高値での買収となり得るからだ。東芝に出資する香港のファンド「オアシス・マネジメント」はすでに、CVCが最初に示した買収提案をめぐり、「1株5000円では安すぎる。6200円以上が適切だ」との声明を発表した。米国の有力投資ファンド「KKR」やカナダのファンド「ブルックフィールド・アセット・マネジメント」も、CVCに対抗するような東芝買収策を検討していることが報じられている。 「買収を得意とする米欧の巨大ファンドは、ほぼすべてと言っていいほど、東芝買収の可否を調べ始めているはずです」(前出のM&Aに詳しい金融機関幹部) 多くの買収提案は東芝の全株式を買収した後、非公開化したうえで経営改善し、再上場を目指すものになるはずだ。買収合戦勃発を目前に、東芝取締役会は「上場を維持したい」という意向を取引銀行などにも説明している。だが、 「買収提案が水面下で続き、買取額が上がっていけば、株主への責任を果たすため、早々に東芝は身売りを検討せざるを得ない局面が来るかもしれません」(大手投資会社) これまでの経営危機で東芝は家電やパソコン、メディカル事業なども手放し、事業同士の関連が乏しいコングロマリット企業になってしまった。東芝に関わってきた銀行幹部は、こう嘆いた。 「東芝は本業に成長の芽がない企業になってしまい、厳しい金融の世界の餌食にされ、分割、再編される可能性が高まってきました。グローバルな金融資本市場に触れる機会がなかった、日本のものづくり産業の末路を見るようです」』、「外国資本による重要企業への投資を厳格に監視する改正外為法」は、「アクティビストにつき上げられている東芝を守るために整備されたと言えます。車谷氏やその周辺が経産省や首相官邸に泣きつき、実現したと見られています」、とは初めて知った。

第三に、4月29日付けデイリー新潮「東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/05040556/?all=1
・『く再生ミッションを成し遂げ、天命は果たせました〉 4月14日、社長辞任にあたって車谷暢昭(くるまたにのぶあき)氏(63)が出したコメントを東芝社員はどんな思いで受け止めたか。同氏をトップに戴いた3年間、東芝がずっと苦慮してきたのが株主との関係だ。 東芝の関係者が言う。 「2017年、当社は約6千億円の増資に踏み切り、60社の投資ファンドが株主になりました。彼らの要求は厳しく、株主総会を乗り切るのが大変だったのです」 そのことを象徴するのが昨年、経産省の参与(当時)が大株主(ハーバード大基金)に議決権を行使しないよう圧力をかけたと報じられた件だ。これを問題視したエフィッシモ・キャピタル・マネージメント(筆頭株主)が調査委員会の設置を求め、臨時株主総会が開かれた。 「エフィッシモは旧村上ファンド系で、スタンドプレーが多い。ところが、3月の臨時総会では彼らの提案が可決された。株主の大半が車谷さんにNGを出したということです」(同) だが、そも車谷氏の手法に、もっとも否定的だったのは部下たちである。 「東芝では16年から社長に対する信任調査を実施しています。事業部長や関連会社の社長らが回答するアンケートですが、かつて“チャレンジ”と称して社員らに無茶な利益目標を強いるパワハラが横行し不正会計を止められなかった反省から、現場の役職者がトップを評価する制度を導入したのです」(同) 意外な結果が出たのは1月のこと。約120名を対象に行われた信任調査で、車谷氏に2割を超える「×」がつけられたのだ。 「そこで念のため執行役や事業部長クラスを対象に、2月にもアンケートを行った。すると『×』が5割以上も。この結果を受けて東芝の指名委員会(社外取締役で構成)が、車谷氏に“次の社長指名はない”と伝えたのが3月25日。そこで4月19日に取締役会で社長交代を正式決定する予定が組まれたのです」(同) ところが、その矢先にCVCキャピタルから買収の提案である。車谷氏は同ファンドの元日本法人代表だ。 「車谷氏が東芝に残るための画策だったのは明白。社内外の反発は必至でした」(同) もはや、車谷氏が株主からも社内からも見放されていたのは間違いない』、「執行役や事業部長クラスを対象に、2月にもアンケートを行った。すると『×』が5割以上も。この結果を受けて東芝の指名委員会・・・が、車谷氏に“次の社長指名はない”と伝えたのが3月25日。そこで4月19日に取締役会で社長交代を正式決定する予定が組まれたのです」、「その矢先にCVCキャピタルから買収の提案」、ここまで見え見えの「留任工作」だったとは、改めて驚かされた。
タグ:東芝問題 (その40)(東芝従業員が 社外の人々に握られた会社の「オール」を取り戻すには、車谷前社長が引き寄せた東芝「解体」「身売り」のXデー お粗末過ぎる辞任のウラ側、東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず) ダイヤモンド・オンライン 鈴木貴博 「東芝従業員が、社外の人々に握られた会社の「オール」を取り戻すには」 「車谷前社長」が出身元の「CVCキャピタル・パートナーズ」と仕組んだ、延命のための買収工作が失敗したとは、お粗末だ 「東芝出身者ではない経営陣が東芝出身者ではない「モノいう株主たち」と対立する」、皮肉なことだが、ファンドに依存した宿命なのだろう 「株主や金融機関だけではなく、社員や従業員、取引先、顧客、そして社会も、会社の持ち主の重要な一部であるべきだと考えます」、いわゆるステークホルダー主権論で、私も賛成だ。「従業員による東芝買収を考えるタイミングなのかもしれない」、いわゆるEBO(従業員中心による買収)だ。 「それだけの価値があるならば」、「官民ファンドがキオクシアを買い取り」、とあるが、「官民ファンド」が乗り出す必要もない筈だ。無論、「その子会社として東芝を買収してグループを再統合させる」ためには、「官民ファンド」の方がやり易いのだろうが、そういう安易な「官民ファンド」の使い方には私は反対である。 デイリー新潮 「車谷前社長が引き寄せた東芝「解体」「身売り」のXデー、お粗末過ぎる辞任のウラ側」 「車谷氏が保身のために、CVCの買収案を呼び込んだことで、パンドラの箱が開いてしまった」、お粗末さの極みだ 「車谷氏」が「東電の実質国有化の計画案をまとめ上げ、経済産業省から厚い信頼を得た」、初めて知った 「外国資本による重要企業への投資を厳格に監視する改正外為法」は、「アクティビストにつき上げられている東芝を守るために整備されたと言えます。車谷氏やその周辺が経産省や首相官邸に泣きつき、実現したと見られています」、とは初めて知った 「東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず」 「執行役や事業部長クラスを対象に、2月にもアンケートを行った。すると『×』が5割以上も。この結果を受けて東芝の指名委員会・・・が、車谷氏に“次の社長指名はない”と伝えたのが3月25日。そこで4月19日に取締役会で社長交代を正式決定する予定が組まれたのです」、「その矢先にCVCキャピタルから買収の提案」、ここまで見え見えの「留任工作」だったとは、改めて驚かされた。
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