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日本の構造問題(その22)(今 必要とされているアーキテクトとは 「抽象化してゼロベースで全体構想を考える」ことができる人、「失われた30年」は なぜ起こったのか? アーキテクト人材なくして 日本の再生はない 具体と抽象を行き来する問題発見・解決の新技法、これでよいのか安 い日本 ビッグマック指数で中国やポーランドの下位 賃金が低水準 国際的地位も下落) [経済政治動向]

日本の構造問題については、9月10日に取上げた。今日は、(その22)(今 必要とされているアーキテクトとは 「抽象化してゼロベースで全体構想を考える」ことができる人、「失われた30年」は なぜ起こったのか? アーキテクト人材なくして 日本の再生はない 具体と抽象を行き来する問題発見・解決の新技法、これでよいのか安 い日本 ビッグマック指数で中国やポーランドの下位 賃金が低水準 国際的地位も下落)である。

先ずは、9月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したビジネスコンサルタントの細谷功氏と経営共創基盤共同経営者の坂田幸樹氏による「今、必要とされているアーキテクトとは、「抽象化してゼロベースで全体構想を考える」ことができる人」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/283231
・『ニューノーマルの時代にはこれまでの勝ちパターンは通用しない。変革期に必要な新しい思考回路が求められている。それがアーキテクト思考だ。アーキテクト思考とは「新しい世界をゼロベースで構想できる力」のこと。『具体⇔抽象トレーニング』著者の細谷功氏と、経営共創基盤(IGPI)共同経営者の坂田幸樹氏の2人が書き下ろした『構想力が劇的に高まる アーキテクト思考 具体と抽象を行き来する問題発見・解決の新技法』が、9月29日にダイヤモンド社から発売される。混迷の時代を生きるために必要な新しいビジネスの思考力とは何か。それをどう磨き、どう身に付けたらいいのか。本連載では、同書の発刊を記念してそのエッセンスをお届けする』、初めて接した概念だが、興味深そうだ。
・『アーキテクトは、根本的な世界観を提示する  今回はアーキテクト思考の概要についてご紹介します。前回お話したような変革期のビジネスにおいていま不足しているものの考え方、つまりゼロベースで白紙の状態から抽象度の高い全体構想を構築するための思考法を、ここでは「アーキテクト思考」と定義しました。 英語のArchitectとは文字通りには建築家を意味します。ITの世界でも「アーキテクチャー」(CPU等の基本的な設計思想)という言葉に現れるように、情報システムの複雑な構成単位を組み合わせた全体の基本的な思想や構造を設計する人が「ITアーキテクト」という表現で用いられています。 本連載で定義する(カタカナの)「アーキテクト」とは、本書では「全体構想家」を意味し、その元々の語源である建築家のように、白紙に抽象度の高いコンセプトや将来像を構想できる人のことを意味します。 誰かが設定したフィールドでプレイするのではなく、そのフィールドそのものを更地から想像し、そこにどんなプレイヤーを呼んでどんなゲームをするのかという全体の場を設計する、そのための思考がアーキテクト思考です。 VUCA(注)とデジタルトランスフォーメーション(DX)によって20世紀とは大きくルールの変わったこれからのビジネスにおいて、ボトルネックとなるのは上記のアーキテクトの不足ではないかというのがここでの仮説です。 本記事ではそのアーキテクトの思考回路や思考プロセスについて明確にするとともに、そのビジネスにおける実践イメージを、フレームワークや事例を通じてつかんでもらいたいと思います。 アーキテクトとは、狭義では現在実際に用いられている建築家あるいはITアーキテクトを意味しますが、本書での対象はそのコアスキルをさらに一般化してビジネスを含めたあらゆる領域に拡大し、各々の領域で「抽象化してゼロベースで全体構想を考える」ことができる人とします。 旧来の慣習にとらわれずに新たな場を作る起業家はもちろん、新規事業開発者も「ビジネスアーキテクト」であり、その他の領域でも、例えばデジタル技術を駆使して都市計画を作り上げる「スマートアーキテクト」、コミュニティを立ち上げる「コミュニティアーキテクト」、何らかの組織やグループを立ち上げる「グループアーキテクト」、新たなドキュメント体系を作り上げる「ドキュメントアーキテクト」、様々なコンセプトをゼロから作り上げる「コンセプトアーキテクト」等、何にでも適用は可能です。さらに言えば、私たちは皆「自分自身の人生のアーキテクト」であることも必要となるでしょう。 他にも、いま日本が世界的に圧倒的な競争力を持っている数少ない分野として挙げられるのが「ゲーム」や「アニメ」ということになりますが、ここでの強みは単に表面的な面白さのみならず、そこに何らかの「世界観」が提示されていることではないでしょうか? このように根本的な世界観を提示することもアーキテクトには求められます』、「アーキテクト」は確かに興味深い概念だ。
(注)VUCA:Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べた合成語(Wikipedia)。
・『アーキテクト思考に求められるのは「抽象化能力」  では、そのようなアーキテクトが身に付ける必要がある「アーキテクト思考」とは、どのようなものでしょうか? それを実践する「アーキテクト」像を一枚の絵で表現すれば下図の通りになります。 全体を俯瞰して抽象化してゼロベースで構想を練って、新たな場としての世界観を構築するためのアーキテクト思考。それを一言で表現すれば「抽象化思考」です。 目に見える具体的な事象から、目に見えない抽象の世界を俯瞰して描き、個別の構成要素に関係性を与えて全体の構造を作り上げる力です。これは、目に見える世界において更地に建築物を構想するのに類似しています』、「抽象化思考」は日本人にはハードルが高そうだ。
・『アーキテクト思考と非アーキテクト思考の違い  この全体像を理解するために、まずアーキテクト思考の特徴を、それとは真逆の非アーキテクト思考との比較で示せば下図の通りです。 まず建物や都市の構想を描くべく、高所から全体を眺められることは必須の能力です。「自分の組織の視点で」とか「自分の立場の視点で」ではなく、対象とする系(システム全体だったり、ビジネス全体だったりといった構成要素が関係しあった全体像)を常に全体からとらえることが、まずアーキテクト思考の第一歩です。 さらにそれを真っ白なキャンバスから描くべくゼロベースで考えられることが必須。ゼロベースとは、様々なしがらみや過去の遺物を忘れて、現時点でベストと思える情報や技術を最大限に生かして最高の構想を描くことを意味します。 これとは逆の発想が、既にある既存の資産をどうやったら最大に活用できるかを考え、いまある枠組みにあたかも穴埋め問題を解くように「埋めていく」考え方で、これは非アーキテクト思考の発想といえます。 そのためには、他者の動きに反応するのではなく、自ら始めに能動的に動く姿勢が必須となります。単に他者が出した案に反対するだけなのは論外として、既にあるものの改善を考えるのではなく、一から(ゼロから)代案を考えることがアーキテクト思考の実践には求められます。(細谷氏・坂田氏の略歴、本の紹介はリンク先参照)』、「既にあるものの改善を考えるのではなく、一から(ゼロから)代案を考えることがアーキテクト思考の実践には求められます」、ますます日本人にはハードルが高そうだ。

次に、この続き、9月30日付けダイヤモンド・オンライン「「失われた30年」は、なぜ起こったのか?
アーキテクト人材なくして、日本の再生はない 具体と抽象を行き来する問題発見・解決の新技法」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/283402
・・・アーキテクト思考とモノづくり思考の違い  前回はアーキテクト思考とは? そしてその実践者たるアーキテクトとはこんなスキルセットを持った人であるという定義を示しました。 ところが第一回で述べたように、このような人は(もともと全ての人が全ての場面でこのような思考を持つ必要はなく、限られた場面で必要となるとはいえ)VUCAの時代といわれる現在のビジネス環境において、その必要度に比べて実際の人材は不足していると言えます。 ここでは、なぜこのようなアーキテクト思考を持った人が必要以上に少ないかを考えてみましょう。それは一言で表現すれば「これまでの日本が得意とし、重要だと思っていた価値観と全く逆の価値観が必要とされる」からです。「日本が得意であること」の象徴的なものが品質の高い画一的な製品を低コスト短納期で作るための、いわゆる「モノづくり」の価値観です。 アーキテクト思考を、20世紀終わりまでに世界を席巻して日本の高度成長の原動力となった(いまも世界の中では強みとなっている)モノづくり思考と比較して下表のように比較してみます(下図)』、アーキテクト思考とモノづくり思考の違いの図はなかなかよく出来た分かり易い図だ。
・変革期に必要なのは、枠の決められた世界の最適化ではなく、枠そのものを新たに作り上げる能力
 アーキテクト思考とは「抽象化してゼロベースで全体構想を考えること」でした。これはいわゆる「三現主義」と呼ばれる現場・現物・現実という典型的な具体の世界を重視してきたモノづくりの思考とある意味で対照をなします。 なぜ抽象化が必要かといえば、変革期に必要なのは枠の決められた世界を最適化するのではなく、枠そのものを新たに作り上げる能力だからです。 もちろん抽象化するためには、初めに具体的事象の観察が求められるので、正確にいえば抽象重視というよりは抽象「化」を重視するということになります。 モノづくりの方法論として世界中に有名になったカイゼン(KAIZENは英語の辞書にも載っています)活動というのは、「いまあるもの」の改善です。つまり、これは「白紙にゼロベースで構想する」アーキテクト思考とは異なる頭の使い方が求められたということです。 改善というのは既に80点、90点とれているものを100点(あるいはそれ以上)にするという発想です。この場合に必要なのは、「足りていない10点、20点」にひたすら目を向けてそこをつぶしに行くという「引き算型」の思考回路になりがちですが、逆にゼロベースで物事を考えるときにはわずかな材料からでも更地に構想を考えるという、むしろ「足し算型」の発想が求められます。 これらの違いを一言で表現すれば、川上の発想と川下の発想の違いということになります。 建物の構想から建築やITシステムの構想から開発という流れを考えればイメージしやすいかと思いますが、仕事のまだ様々なことがぼんやりとして抽象的で明確に決まっていない川上と、様々な仕様が明確に決まって様々な領域の専門家が関与する川下とでは必要となるスキルや価値観が(時には180度違うと言ってよいほど)異なります。 もちろん抽象化するためには、初めに具体的事象の観察が求められるので、正確にいえば抽象重視というよりは抽象「化」を重視するということになります』、「改善というのは既に80点、90点とれているものを100点・・・・にするという発想です。この場合に必要なのは、「足りていない10点、20点」にひたすら目を向けてそこをつぶしに行くという「引き算型」の思考回路になりがちですが、逆にゼロベースで物事を考えるときにはわずかな材料からでも更地に構想を考えるという、むしろ「足し算型」の発想が求められます」、「仕事のまだ様々なことがぼんやりとして抽象的で明確に決まっていない川上と、様々な仕様が明確に決まって様々な領域の専門家が関与する川下とでは必要となるスキルや価値観が・・・異なります」、なるほど分かり易い説明だ。
・一世代前のモノづくりの強みはVUCAの時代、デジタル化の時代には、強力な障害となって立ちはだかる  もっとも川上で必要となるゼロからの構想や高度な抽象化は組織ではなく、個人のなせるわざであるというのは、建築の世界を見ればわかりやすいでしょう。例えば建築物の基本コンセプトを構想する世界に名だたる建築家や会社をゼロから立ち上げた創業者たちもそのほとんどが個人名で仕事をする人たちです。 これに対してモノづくりで大事なのは、全社員一丸となって画一的な品質管理を定められた厳格なルールの下で行うことであり、この世界では一人ひとりの個性や多様性はできるだけ排除することが望まれます。 工場における品質管理の最大の敵は「バラつき」だからです。工場の品質向上の活動の多くは「いかにしてバラつきを減らすか」に腐心しています(究極にばらつきを排除した状態が機械化です)が、後述のように抽象化に必要なのは多様な思考の軸であるがゆえに多様性が重要なのです。 これまで日本の強さだったモノづくり思考は、画一的で厳格にルールを守るという日本人の特性と、ものの見事に合致して世界を席巻する製造業が出来上がりました。 ところが皮肉なことに『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)でクレイトン・クリステンセンが語った通り、「一時代の強み」は新しいイノベーションが起こってパラダイムが変わったときの次の世代には弱みとなります。 このような一世代前のモノづくりの強みはVUCA(注)の時代、デジタル化の時代には、ある意味強力な障害となって我々の前に立ちはだかるのです。 ここに一石を投じ、ビジネスの世界でも「アーキテクト思考」の実践者を増やして新たな変革につなげる個人を一人でも増やすことが本連載の狙いです。 次回は今回簡単に述べた「川上と川下の違い」について、「具体と抽象」を切り口にさらに詳細に見ていくことにしましょう。(細谷氏と坂田氏の略歴、本の紹介はリンク先参照)』、「これまで日本の強さだったモノづくり思考は、画一的で厳格にルールを守るという日本人の特性と、ものの見事に合致して世界を席巻する製造業が出来上がりました。 ところが皮肉なことに『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)でクレイトン・クリステンセンが語った通り、「一時代の強み」は新しいイノベーションが起こってパラダイムが変わったときの次の世代には弱みとなります」、最近の成長率低迷を見事に説明している。
(注)VUCA:Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べた合成語(Wikipedia)

第三に、11月7日付け現代ビジネスが掲載した大蔵省出身で一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「これでよいのか安い日本。ビッグマック指数で中国やポーランドの下位 賃金が低水準、国際的地位も下落」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88921
・ビッグマック指数は、その国の賃金水準を判断する基準になる。このところ日本のビッグマック指数はかなり低い値になっており、韓国、タイ、パキスタンなどより低い。9月以降の円安によってさらに低くなり、いまや、中国やポーランドより下位になってしまった』、なるほど。
・ビッグマック価格がアメリカの6割という「安い日本」  英誌『エコノミスト』が毎年、世界各国のビッグマックの価格を調査、公表している。 2021年6月の数字を見ると、日本のビッグマック価格は390円。1ドル=109.94円で換算すると3.54ドル。それに対してアメリカでは5.65ドル。だから日本のビッグマック価格は、アメリカの62.8%でしかない。 「安い日本」といわれるが、まさにそのとおりだ。 以上のことが、「ビッグマック指数」という指標で表わされている。これはつぎの算式で計算されたものだ。 [(ドル表示の日本のビッグマック価格)÷(アメリカのビッグマック価格)-1]x100  上述の日本の場合は、3.54÷5.65-1]x100=−37.2 なお、アメリカのビッグマック指数は、定義によって常にゼロだ。 この値がマイナスで絶対値が大きいと、日本人は、アメリカに行った時に「物価が高い」と感じることになる。一般に、ビッグマック指数が小さい国の人が大きい国に行けば、物価が高いと感じる。ビッグマック指数は、その国の通貨の購買力を表わしているわけだ。 2021年6月におけるいくつかの国、地域のビッグマック指数をみると、つぎのとおりだ。 指数がプラスの国として、スイス(24.7)、ノルウェイ(11.5)、スウエーデン(9.6)などがある。 マイナスでも日本より指数が大きい国・地域として、EU(マイナス11.1)、韓国(マイナス29.2)、アルゼンチン(マイナス30.2)、タイ(マイナス31.0)、パキスタン(マイナス36.3)などがある。 いまや日本人は、世界の多くの国に行ったときに、物価が高いと感じる。6月時点でビッグマック指数が日本より低い国は、スリランカ(マイナス37.9)、中国(マイナス38.8)、ポーランド(マイナス39.2)、コロンビア(マイナス40.3)くらいしかなかった』、「いまや日本人は、世界の多くの国に行ったときに、物価が高いと感じる」、情けない限りだ。
・円安が進んで順位はさらに低下し、中国に抜かれる  ところで、以上で紹介したのは今年6月の数字だ。その後、円安が進んで、10月には1ドル=114円程度になった。 日米のビッグマック価格が変わらないとすれば、日本のビッグマック価格は3.42ドルになるから、アメリカの60.5%だ。そしてビッグマック指数は、マイナス39.5となる。 他国のビッグマック指数が6月時点と変らなければ、日本は中国やポーランドに抜かれたことになる。 日本より低いのは、コロンビアのほか、ウクライナ、マレーシア、インドネシア、トルコ、アゼルバイジャン、南アフリカ、ロシア、レバノンしかない。 これでよいのだろうか?』、全ての原因は日銀の黒田総裁の異次元緩和の行き過ぎである。米国やECBが出口の模索を始めたのに、1人取り残された形だ。やれやれ。
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