孤独(その3)(宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感、“孤独担当大臣”の設置も 「大人の国」イギリスのよりよい国づくりへ向けた取り組みを紹介) [人生]
孤独については、昨年1月16日に取上げた。今日は、(その3)(宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感、“孤独担当大臣”の設置も 「大人の国」イギリスのよりよい国づくりへ向けた取り組みを紹介)である。
先ずは、3月2日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00118/
・『「望まない孤独」が注目されている。 人間は独りで生まれ独りで死ぬ。つかの間の孤独感は日常にあふれている。よって、つい私たちは「それも人生」と受け入れてしまいがちだ。だが「孤独」と「つながり」はコインの表と裏ではない。両者が矛盾なく、同時に成り立っている状態こそが精神的にも身体的にも社会的にも健康な状態である。 ところが、人とつながりたいのにつながることができない。「助けて!」と言いたいのに言うことができない。言える人もいない。そんな孤立した状態に置かれ、生きる力を奪われる人たち、特に若い人が以前にも増して顕在化している』、興味深そうだ。
・『珍しく迅速な対応をした政府 そこで政府は、坂本哲志内閣府特命担当大臣(少子化対策、地方創生)に「孤独・孤立対策」を兼務することを指示。さらに、3月末の決定を目指す「子供・若者育成支援推進大綱」の改定案で、「孤独や孤立問題への対応を強化する方針」を明記した上で、増加する自殺についても「最重要課題」と位置付けた。関係省庁間での連携を密にし、対策を急ぐ考えだという(読売新聞オンライン「【独自】不安高まる若者の『望まない孤独』…過去最多の自殺、コロナ禍で政府が対策強化」)。 2020年の1年間に自殺した小中高校生は479人で、前年の339人から140人増えて過去最多。内訳は、小学生が14人(前年比8人増)で、中学生136人(同40人増)、高校生329人(同92人増)で、高校生は男子が191人(同21人増)、女子は138人(同71人増)だった(文部科学省調査)。 また、大人も含めた自殺者数(速報値)は2万919人で11年ぶりに増加。男性(1万3943人)が女性(6976人)を依然として大きく上回っているが、男性が前年より135人減ったのに対し、女性は885人も増えた(1月22日に警察庁、厚生労働省が発表したデータ) コロナ禍の厳しい状況が、若者や女性などの社会的に弱い立場の人に及んでいることは言うまでもない。しかしながら、男性や高齢者の自殺率は依然として高い。5年ほど前には就職氷河期にフリーターという道を余儀なくされた人たちが、「助けて」と言えずに食事も取れずに餓死したケースがあり、ここ数年は引きこもりの高齢者も社会的な問題になっている。 詰まるところ、孤独・孤立問題は日本の長年の重要な課題だったわけだ。 今回、政府がこれまでにないスピード感で孤独・孤立問題の支援に舵(かじ)を切ったのは、自由民主党の若手議員の力によるところが大きい。コロナ禍で孤独・孤立問題が深刻化していることを受けて、自民党若手議員有志で「望まない孤独」問題に関する勉強会を発足。その呼びかけ人が、「孤独感にさいなまれた経験を持つ」という鈴木貴子衆院議員。2002年にあっせん収賄容疑で逮捕・収監された、鈴木宗男氏の長女だ。 毎日新聞のインタビュー記事によれば、当時、高校1年生だった鈴木議員はカナダの高校に留学中だった。しかし、日本で父親が逮捕されたことでバッシングを受け、「世の中の全てから存在を否定されたように感じました。今までの人生で、あのときが一番つらかった」という。 幸いカナダのホストファミリーは「一人の日本人留学生」として接してくれたため、「私の居場所はここにあると思って救われた」そうだ』、「鈴木貴子」氏が「父親」「逮捕」時に、「カナダのホストファミリー」のところにいたのは、ラッキーだった。
・『「孤独」の研究、端緒は1970年代 日本では「孤独」と一緒くたに語られてしまうが、英語では、自分で選択する孤独=solitudeと、寂しい孤独=lonelinessに分けることができる。前者には「自分の存在」があるが、後者にはない。 鈴木議員の言葉を借りれば「世の中の全てから存在を否定されたように感じる」状態こそが、寂しい孤独=loneliness。まさに「望まない孤独」だ。 つまり、鈴木議員のように孤独感を経験した政治家さんが先頭に立って、「現代病」でもある孤独問題に真っ正面から取り組むことは、実効性ある支援につながると期待できる。何よりも「望まない孤独」という新しい言葉が実にいい。 新しい言葉が生まれることで、それまで放置されてきた問題が注目されるようになり、個人の問題とされがちな問題が社会の問題、すなわち「私たちの問題」になる。 「望まない孤独」という言葉が社会に広がり、lonelinessとして理解されるようになれば、悲鳴を上げることができなかった人たちを救う大きなきっかけになるであろう。 というわけで、今回は「望まない孤独」について、あれこれ考えてみようと思う。 孤独問題は以前から本コラムでも取り上げているように、日本も含めた世界中の課題である。 古くは1970年代後半から「孤独=loneliness」の定義がなされ、孤独感を測る尺度が開発され、基本的にはこれらをベースにした研究が現在も蓄積されている。2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立=social isolation」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である。 「社会的つながりが十分ではないという主観的な感情」を健康社会学的な文脈で捉えれば、「私は温かく、信頼できる人間関係を築いている(=積極的他者関係、positive relationship)」という感覚の欠如だ』、「2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立・・・」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である」、なるほど。
・『自分だけ穴の中に落ちていく この感覚が持てない状態が続くと、孤独感が強まっていく。 周りに人がいても排除されている感じがして、居場所がない。近くに人がいるのに、ぬくもりを感じることができない。自分の存在が全否定されているような気分になる人もいれば、周りの人と自分との「違い」から、周りの人といることで自尊心が傷つき、自分からコミュニケーションを避けたり、会うことをやめたり、物理的に距離を取るようになる人もいる。 以前、孤独に関する調査でインタビューした男性は、孤独感を「自分だけ穴の中に落ちていく感覚」と表現した。 「家にいるとおかしくなりそうになるから、外に出る。でも、外に出ると周りのまなざしが怖くて、人目を避けて漫画喫茶にこもったり、図書館で過ごしたりした。孤独感をまぎらわすために人ごみに行くのに、逆に孤独感が強まってしまって。完全に悪循環だった」 男性は就職氷河期世代で、正社員になれず、親からは「頑張りが足りない」と言われ続けた。その後も非正規社員として会社を転々とし、結婚もできずに30歳を過ぎた。世間から、「落ちこぼれ」「負け組」「弱虫」など、自業自得と言わんばかりのレッテルを貼られたという。 幸いにも男性は、自尊心が限りなく低下し、将来への不安も募っていた35歳のときに、ある企業にアルバイトで採用され、いい上司と社長さんに出会い、そこで居場所を得ることができたが、「あのままだったら……最悪の選択をしていたかもしれない」と当時を振り返った。 前述の通り、自分で選択する孤独=solitudeは、「自分の存在」がある状態なので、「自分は自分」と考えることができる。一抹の寂しさを感じることがあっても、「自分だけじゃないよな。他の人も似たようなもんじゃないかな」と考えたり、自分の胸の内をポロっとこぼして「私も同じだよ」などという話を聞いて安堵したり。他者と自分とのつながりを、自由に開いたり閉じたり、孤独を楽しんだり、孤独になることで自分と向き合ったり、「自分に足りないモノ」を受け入れたりするのが、自分で選択する孤独=solitudeだ。) こうした孤独は自己の成長につながり、極めて貴重な状態でもある。一方、「社会的つながりが十分でない」と感じる主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある。 皮膚の下まで入り込む孤独は、もはや心の病だけでなく肉体的な病なのだ』、「主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある」、肉体や精神に深刻な影響を与えることもあるとは恐ろしいことだ。
・『「信頼できる他者」がいない状態 また、米国のブリガム・ヤング大学のジュリアン・ホルト-ランスタッド博士らの分析では、孤独に関連する病気のリスクは65歳以上よりも65歳未満の方が高いことが分かっている。さらに、独り暮らしなどの「社会的孤立=social isolation」でも死亡リスクが高まるとしている。 「社会的孤立」に明確な定義は存在しないが、一般的には「家族や地域社会との関係が希薄で、他者との接触がほとんどない状態」を指し、社会学研究では、ソーシャル・サポート、ソーシャル・ネットワーク、ソーシャル・キャピタルなどの概念を用いて、社会的孤立を測る場合が多い。 具体的には、「日常生活の困り事を頼める人がいない」「悩みなどを相談できる人がいない」「病気などの緊急時に助けを頼める人がいない」「自分の問題を理解してくれる人がいない」「一緒に楽しい時間を過ごせる人がいない」といった状態、すなわち「信頼できる他者」がいない状態が社会的孤立だ。 家族、地域、職場、サークルなどのコミュニティーに属し、その中で、たった一人でも「頼っていいんだ」「ここにいていいんだ」「居心地がいい」「ホッとできる」「そこに行くだけで居場所がある」「自分を待っている人がいる」「自分を求めている人がいる」と思える“つながり”があれば、社会的孤立を免れることができる。 鈴木議員が「カナダのホストファミリーは『一人の日本人留学生』として接してくれたため、『私の居場所はここにあると思って救われた』」と語っていたように、だ。 つまり、孤独が極めて主観的な感情であるのに対し、社会的孤立は社会の問題である。社会的孤立が孤独感の引き金になると同時に、孤独感を軽減するには自分を取り囲む世界への「信頼」が必要不可欠。少々ややこしくなるが、孤独感と社会的孤立は鶏と卵のような関係にあり、その裏側にあるのが「信頼」という感情と解釈してよい、 孤独が日本だけでなく、世界の先進国で問題になっているのは、人間関係の希薄化が背景にあることを否定する人はいない。 興味深い調査結果がある。 NHKが5年ごとに実施している「『日本人の意識』調査」で、「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少しているのだ。 職場、親せき、近隣の3つの人間関係において、「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」を望ましいという人の割合の変化(出所:NHK「第10回『日本人の意識』調査」) 一方、職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している。 職場で「形式的なつき合い」を望む割合は、1973年の11%から、2018年には27%に増加。近隣では同15%から同33%に増加している(資料、P76より)』、「「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少している」、「職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している」、「つきあい」や「人間関係」の希薄化を希望しているようだ。
・『「あなたは大切な人」の一声を また、慈善活動などは他者への関心を示すソーシャル・キャピタルの指標の1つだが、街頭募金額(赤い羽根共同募金と歳末たすけあい募金)は、1980年をピークに低下し始め、阪神大震災があった1994年ごろ、一旦は上昇に転じるが、その後は減少している(坂本治也氏「日本のソーシャル・キャピタルの現状と理論的背景」掲載の2006年までのデータによる)。 これらの結果は何を示しているのか? 誰もが厳しい状況に置かれ、将来への不安が高まっていて「人のことなどかまっていられない」という感情の高まりなのか? あるいは同調圧力や競争社会のわずらわしさから逃れるため、他人と比較しなくてすむようにあえて「孤立」することを望んでいるのか? その真意は人によってさまざまだろう。 ただ、一つだけ確かなのは、人は一人では生きていけない。どんなにSNSなどでつながっても、同じ空間にフェイス・トゥ・フェイスで共に過ごす経験がないと私たちは相手を心から信頼できず、孤独感が逆に深まってしまうということだ。 いずれにせよ、日本だけでなく世界の先進国が孤独問題を「国の重要課題の一つ」と位置付け、科学的な調査とエビデンスに基づき支援策に乗り出しているように、誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている。 自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい。「望まない孤独」に陥っている人がいるかもしれないのだからして』、「誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている」、「自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい」、実際にはその場の雰囲気にもよるが、「声かけ」はそれほど容易いことではなさそうだ。
先ずは、3月2日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00118/
・『「望まない孤独」が注目されている。 人間は独りで生まれ独りで死ぬ。つかの間の孤独感は日常にあふれている。よって、つい私たちは「それも人生」と受け入れてしまいがちだ。だが「孤独」と「つながり」はコインの表と裏ではない。両者が矛盾なく、同時に成り立っている状態こそが精神的にも身体的にも社会的にも健康な状態である。 ところが、人とつながりたいのにつながることができない。「助けて!」と言いたいのに言うことができない。言える人もいない。そんな孤立した状態に置かれ、生きる力を奪われる人たち、特に若い人が以前にも増して顕在化している』、興味深そうだ。
・『珍しく迅速な対応をした政府 そこで政府は、坂本哲志内閣府特命担当大臣(少子化対策、地方創生)に「孤独・孤立対策」を兼務することを指示。さらに、3月末の決定を目指す「子供・若者育成支援推進大綱」の改定案で、「孤独や孤立問題への対応を強化する方針」を明記した上で、増加する自殺についても「最重要課題」と位置付けた。関係省庁間での連携を密にし、対策を急ぐ考えだという(読売新聞オンライン「【独自】不安高まる若者の『望まない孤独』…過去最多の自殺、コロナ禍で政府が対策強化」)。 2020年の1年間に自殺した小中高校生は479人で、前年の339人から140人増えて過去最多。内訳は、小学生が14人(前年比8人増)で、中学生136人(同40人増)、高校生329人(同92人増)で、高校生は男子が191人(同21人増)、女子は138人(同71人増)だった(文部科学省調査)。 また、大人も含めた自殺者数(速報値)は2万919人で11年ぶりに増加。男性(1万3943人)が女性(6976人)を依然として大きく上回っているが、男性が前年より135人減ったのに対し、女性は885人も増えた(1月22日に警察庁、厚生労働省が発表したデータ) コロナ禍の厳しい状況が、若者や女性などの社会的に弱い立場の人に及んでいることは言うまでもない。しかしながら、男性や高齢者の自殺率は依然として高い。5年ほど前には就職氷河期にフリーターという道を余儀なくされた人たちが、「助けて」と言えずに食事も取れずに餓死したケースがあり、ここ数年は引きこもりの高齢者も社会的な問題になっている。 詰まるところ、孤独・孤立問題は日本の長年の重要な課題だったわけだ。 今回、政府がこれまでにないスピード感で孤独・孤立問題の支援に舵(かじ)を切ったのは、自由民主党の若手議員の力によるところが大きい。コロナ禍で孤独・孤立問題が深刻化していることを受けて、自民党若手議員有志で「望まない孤独」問題に関する勉強会を発足。その呼びかけ人が、「孤独感にさいなまれた経験を持つ」という鈴木貴子衆院議員。2002年にあっせん収賄容疑で逮捕・収監された、鈴木宗男氏の長女だ。 毎日新聞のインタビュー記事によれば、当時、高校1年生だった鈴木議員はカナダの高校に留学中だった。しかし、日本で父親が逮捕されたことでバッシングを受け、「世の中の全てから存在を否定されたように感じました。今までの人生で、あのときが一番つらかった」という。 幸いカナダのホストファミリーは「一人の日本人留学生」として接してくれたため、「私の居場所はここにあると思って救われた」そうだ』、「鈴木貴子」氏が「父親」「逮捕」時に、「カナダのホストファミリー」のところにいたのは、ラッキーだった。
・『「孤独」の研究、端緒は1970年代 日本では「孤独」と一緒くたに語られてしまうが、英語では、自分で選択する孤独=solitudeと、寂しい孤独=lonelinessに分けることができる。前者には「自分の存在」があるが、後者にはない。 鈴木議員の言葉を借りれば「世の中の全てから存在を否定されたように感じる」状態こそが、寂しい孤独=loneliness。まさに「望まない孤独」だ。 つまり、鈴木議員のように孤独感を経験した政治家さんが先頭に立って、「現代病」でもある孤独問題に真っ正面から取り組むことは、実効性ある支援につながると期待できる。何よりも「望まない孤独」という新しい言葉が実にいい。 新しい言葉が生まれることで、それまで放置されてきた問題が注目されるようになり、個人の問題とされがちな問題が社会の問題、すなわち「私たちの問題」になる。 「望まない孤独」という言葉が社会に広がり、lonelinessとして理解されるようになれば、悲鳴を上げることができなかった人たちを救う大きなきっかけになるであろう。 というわけで、今回は「望まない孤独」について、あれこれ考えてみようと思う。 孤独問題は以前から本コラムでも取り上げているように、日本も含めた世界中の課題である。 古くは1970年代後半から「孤独=loneliness」の定義がなされ、孤独感を測る尺度が開発され、基本的にはこれらをベースにした研究が現在も蓄積されている。2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立=social isolation」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である。 「社会的つながりが十分ではないという主観的な感情」を健康社会学的な文脈で捉えれば、「私は温かく、信頼できる人間関係を築いている(=積極的他者関係、positive relationship)」という感覚の欠如だ』、「2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立・・・」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である」、なるほど。
・『自分だけ穴の中に落ちていく この感覚が持てない状態が続くと、孤独感が強まっていく。 周りに人がいても排除されている感じがして、居場所がない。近くに人がいるのに、ぬくもりを感じることができない。自分の存在が全否定されているような気分になる人もいれば、周りの人と自分との「違い」から、周りの人といることで自尊心が傷つき、自分からコミュニケーションを避けたり、会うことをやめたり、物理的に距離を取るようになる人もいる。 以前、孤独に関する調査でインタビューした男性は、孤独感を「自分だけ穴の中に落ちていく感覚」と表現した。 「家にいるとおかしくなりそうになるから、外に出る。でも、外に出ると周りのまなざしが怖くて、人目を避けて漫画喫茶にこもったり、図書館で過ごしたりした。孤独感をまぎらわすために人ごみに行くのに、逆に孤独感が強まってしまって。完全に悪循環だった」 男性は就職氷河期世代で、正社員になれず、親からは「頑張りが足りない」と言われ続けた。その後も非正規社員として会社を転々とし、結婚もできずに30歳を過ぎた。世間から、「落ちこぼれ」「負け組」「弱虫」など、自業自得と言わんばかりのレッテルを貼られたという。 幸いにも男性は、自尊心が限りなく低下し、将来への不安も募っていた35歳のときに、ある企業にアルバイトで採用され、いい上司と社長さんに出会い、そこで居場所を得ることができたが、「あのままだったら……最悪の選択をしていたかもしれない」と当時を振り返った。 前述の通り、自分で選択する孤独=solitudeは、「自分の存在」がある状態なので、「自分は自分」と考えることができる。一抹の寂しさを感じることがあっても、「自分だけじゃないよな。他の人も似たようなもんじゃないかな」と考えたり、自分の胸の内をポロっとこぼして「私も同じだよ」などという話を聞いて安堵したり。他者と自分とのつながりを、自由に開いたり閉じたり、孤独を楽しんだり、孤独になることで自分と向き合ったり、「自分に足りないモノ」を受け入れたりするのが、自分で選択する孤独=solitudeだ。) こうした孤独は自己の成長につながり、極めて貴重な状態でもある。一方、「社会的つながりが十分でない」と感じる主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある。 皮膚の下まで入り込む孤独は、もはや心の病だけでなく肉体的な病なのだ』、「主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある」、肉体や精神に深刻な影響を与えることもあるとは恐ろしいことだ。
・『「信頼できる他者」がいない状態 また、米国のブリガム・ヤング大学のジュリアン・ホルト-ランスタッド博士らの分析では、孤独に関連する病気のリスクは65歳以上よりも65歳未満の方が高いことが分かっている。さらに、独り暮らしなどの「社会的孤立=social isolation」でも死亡リスクが高まるとしている。 「社会的孤立」に明確な定義は存在しないが、一般的には「家族や地域社会との関係が希薄で、他者との接触がほとんどない状態」を指し、社会学研究では、ソーシャル・サポート、ソーシャル・ネットワーク、ソーシャル・キャピタルなどの概念を用いて、社会的孤立を測る場合が多い。 具体的には、「日常生活の困り事を頼める人がいない」「悩みなどを相談できる人がいない」「病気などの緊急時に助けを頼める人がいない」「自分の問題を理解してくれる人がいない」「一緒に楽しい時間を過ごせる人がいない」といった状態、すなわち「信頼できる他者」がいない状態が社会的孤立だ。 家族、地域、職場、サークルなどのコミュニティーに属し、その中で、たった一人でも「頼っていいんだ」「ここにいていいんだ」「居心地がいい」「ホッとできる」「そこに行くだけで居場所がある」「自分を待っている人がいる」「自分を求めている人がいる」と思える“つながり”があれば、社会的孤立を免れることができる。 鈴木議員が「カナダのホストファミリーは『一人の日本人留学生』として接してくれたため、『私の居場所はここにあると思って救われた』」と語っていたように、だ。 つまり、孤独が極めて主観的な感情であるのに対し、社会的孤立は社会の問題である。社会的孤立が孤独感の引き金になると同時に、孤独感を軽減するには自分を取り囲む世界への「信頼」が必要不可欠。少々ややこしくなるが、孤独感と社会的孤立は鶏と卵のような関係にあり、その裏側にあるのが「信頼」という感情と解釈してよい、 孤独が日本だけでなく、世界の先進国で問題になっているのは、人間関係の希薄化が背景にあることを否定する人はいない。 興味深い調査結果がある。 NHKが5年ごとに実施している「『日本人の意識』調査」で、「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少しているのだ。 職場、親せき、近隣の3つの人間関係において、「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」を望ましいという人の割合の変化(出所:NHK「第10回『日本人の意識』調査」) 一方、職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している。 職場で「形式的なつき合い」を望む割合は、1973年の11%から、2018年には27%に増加。近隣では同15%から同33%に増加している(資料、P76より)』、「「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少している」、「職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している」、「つきあい」や「人間関係」の希薄化を希望しているようだ。
・『「あなたは大切な人」の一声を また、慈善活動などは他者への関心を示すソーシャル・キャピタルの指標の1つだが、街頭募金額(赤い羽根共同募金と歳末たすけあい募金)は、1980年をピークに低下し始め、阪神大震災があった1994年ごろ、一旦は上昇に転じるが、その後は減少している(坂本治也氏「日本のソーシャル・キャピタルの現状と理論的背景」掲載の2006年までのデータによる)。 これらの結果は何を示しているのか? 誰もが厳しい状況に置かれ、将来への不安が高まっていて「人のことなどかまっていられない」という感情の高まりなのか? あるいは同調圧力や競争社会のわずらわしさから逃れるため、他人と比較しなくてすむようにあえて「孤立」することを望んでいるのか? その真意は人によってさまざまだろう。 ただ、一つだけ確かなのは、人は一人では生きていけない。どんなにSNSなどでつながっても、同じ空間にフェイス・トゥ・フェイスで共に過ごす経験がないと私たちは相手を心から信頼できず、孤独感が逆に深まってしまうということだ。 いずれにせよ、日本だけでなく世界の先進国が孤独問題を「国の重要課題の一つ」と位置付け、科学的な調査とエビデンスに基づき支援策に乗り出しているように、誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている。 自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい。「望まない孤独」に陥っている人がいるかもしれないのだからして』、「誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている」、「自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい」、実際にはその場の雰囲気にもよるが、「声かけ」はそれほど容易いことではなさそうだ。
タグ:孤独 (その3)(宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感、“孤独担当大臣”の設置も 「大人の国」イギリスのよりよい国づくりへ向けた取り組みを紹介) 河合 薫 日経ビジネスオンライン 「宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感」 坂本哲志内閣府特命担当大臣(少子化対策、地方創生)に「孤独・孤立対策」を兼務することを指示 「鈴木貴子」氏が「父親」「逮捕」時に、「カナダのホストファミリー」のところにいたのは、ラッキーだった。 「2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立・・・」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である」、なるほど。 「主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある」、肉体や精神に深刻な影響を与えることもあるとは恐ろしいことだ。 「「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少している」、「職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している」、「つきあい」や「人間関係」の希薄化を希望しているようだ。 「誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている」、「自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい」、実際にはその場の雰囲気にもよるが、「声かけ」はそれほど容易いことではなさそうだ。