日本の政治情勢(その58)(メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 州の政治家は「弁論力」がすごい、「責任野党」は”見果てぬ夢か” ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計、立憲民主党は誰が代表になっても将来性なし!結党自体が間違いだった理由) [国内政治]
日本の政治情勢については、10月15日に取上げた。今日は、(その58)(メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 州の政治家は「弁論力」がすごい、「責任野党」は”見果てぬ夢か” ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計、立憲民主党は誰が代表になっても将来性なし!結党自体が間違いだった理由)である。
先ずは、やや古いが1月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載した在イタリアの漫画家・文筆家のヤマザキ マリ氏による「メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 州の政治家は「弁論力」がすごい」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/41523
・『新型コロナウイルスをめぐる混乱は、各国リーダーの違いを浮き彫りにした。漫画家・文筆家のヤマザキマリさんは「ドイツやフランス、イタリアのリーダーたちは国民の気持ちをつかむ演説をしていた。それに対して、現在の日本にそうした政治家がいない」と指摘する――。 ※本稿は、ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです』、ヤマザキ氏のシャープな見方は、参考になりそうだ。
・『パンデミックが浮き彫りにした各国のリーダーの姿 今回のパンデミックは、普段では気づかないような事柄を炙あぶりだしているように思います。特に比較文化学的な視点で見てみると、とても面白い。 今ではインターネット上のニュースやSNSを介して、海外の報道や情報も時差なく入手することができますが、各国の対応越しにそれぞれの国の性質が見えてもきました。それはまるで一枚一枚、表面に纏まとった衣を剥がされているかのようです。 多くの人がコトの次第、状況の顛末を一緒になってリアルタイムで見ることができるのは、過去のパンデミック、たとえば20世紀初頭のスペイン風邪のときにはなかったことだと思います。その意味でも、目の前で今起きていることがパンデミック後にどうつながるのか、とても興味深く感じています。 各国のリーダーたちの姿も、いつになく浮き彫りになりました。特に演説の雄弁さには歴然とした差が見られます』、特に「日本の政治家」のお粗末さは顕著だ。
・『演説で株を上げるドイツ・メルケル首相 欧州のリーダーに必須だとされるのは、自分の言葉で民衆に響く演説ができるかどうかですが、その点において素晴らしかったのが3月18日、ドイツのメルケル首相が国民に対し、新型コロナウイルス対策への理解と協力を呼びかけたテレビ演説です。 テレビの前にいるであろう、一人ひとりの目を見据えているかのように、彼女が落ち着いた面持ちで語ったその言葉は、感染が広がるなか、未知のウイルスに対して不安を抱える人たちが求めていた「安心感」をまさに与えるものでした。その訴求力たるや。ドイツ国民ではない日本の人までもが絶賛し、全文を翻訳したものがSNSで拡散されたほどでした。 おそらくこの演説は、今回のパンデミックの一つの象徴的な事象として、後世にも語り継がれていくことでしょう。虚勢や虚栄の甲冑かっちゅうを身に纏う権力者とは違い、謙虚な親族のおばさんという体ていのメルケルが「あなた」という二人称を使って、国民に呼びかけたことは印象的でした。「スーパーに毎日立っている皆さん、商品棚に補充してくれている皆さん」と、パンデミック下でも人々の生活を支えて働く人々への感謝を述べていました』、「メルケル」演説は多方面で高く評価された。「メルケル」氏が昨日、公式に引退したのは誠に残念だ。
・『二人称を使った呼びかけは、聞いた人の心に響く この二人称は、古代ローマ時代からの「弁証」の技術において非常に大事なポイントです。カメラを通していたとしても、「医療に携わってくれているあなた、本当にありがとう」と目線を合わせて言われれば、心に響かない人はいませんよね。 これが原稿の書かれた紙に目を置いたまま、自分の言葉ではない、表面的な表現を連ねて語られたのなら……。聴いている人には何も届かないし、その心は癒やされもしません。 同じく3月の半ばにはフランスのマクロン大統領も、外出に対する厳しい制限を発表した際、「戦争状態」になぞらえて「新型コロナウイルスとの戦いに打ち勝つ」といった意志を強い言葉で演説し、国をまとめようとする姿勢を表明していました。 イタリアのコンテ首相も、国民に結束を呼びかけるテレビ演説を行いました。そのなかで私が秀逸に思ったのは、弁護士出身である彼がまず、法について述べた点です。 「皆さん、イタリアの法律では人の命を何よりも守らなければなりません。だから、私はそれを行使します。これから都市を閉鎖し、経済的に皆さんにご迷惑をおかけするでしょう。しかし、人の命をまず最初に守らなければいけないのです」 経済よりも人の命が優先であることを、カメラ目線で国民に向かって宣言した。普段コンテ首相を非難している人たちも、彼の言葉に「よし、わかった」と納得したわけです。 国が違えば政治体制も文化的な事情も異なりますし、一概に比較するのは難しいことだとは思います。ですが、世界が同じ一つの問題に同じタイミングで向き合っているのを、リアルタイムで見つめる機会もそうありません。だからこそ、私たちはこのパンデミックへの各国のリーダーたちの対応や姿勢を比べてしまうし、また比べることができているのです』、イタリアの「コンテ首相」も印象的な演説をしたのであれば、日本の政治家のお粗末さが目立ってしまう。
・『危機的状況は指導者が人気を上げる好機 たまたま見かけた国際ニュース番組で、アメリカのオバマ前大統領とブッシュ元大統領の補佐官を務めていたという二人が対談をしていました。現職のトランプ大統領の政策を批判する内容でしたが、そこで面白い指摘が展開されていました。 「トランプ氏が大統領として怠っているのは、国民を結束させることと、国民を激励し安心感を与えることへの責任である。そのために言葉をきちんと選んで話す弁証のスキルをもたなければいけないが、彼にはない。パンデミックのような状況は、本来なら指導者が自分の人気を上げるのにいかようにも利用できる好機なのに、もったいないことだ」 大体このような感じです。たしかに、ドイツのメルケル首相の株は、今回のコロナ対策でグンと上がりました。台湾の蔡英文総統も高く評価されています』、「パンデミックのような状況は、本来なら指導者が自分の人気を上げるのにいかようにも利用できる好機なのに、(それが出来なかったトランプ4大統領は)もったいないことだ」、トランプには逆立ちしても出来ない筈だ。
・『いつまでも届かない日本のリーダーの言葉 ひるがえって、我が国、日本はどうでしょうか。“アベノマスク”などのコロナ対策の評判は芳しくなく、決然としたリーダーシップを発揮しているようにも見えませんし、むしろがっかりしたという人も少なくないと思います。特に言葉の力という点において、ヨーロッパで見られるように民衆の心に届く演説ができる政治家は、現在の日本にいないのではないでしょうか。 ヨーロッパにおけるリーダーには弁証力が求められます。イタリアに住むなかで私が実感するのは、小さな頃からの学校教育に、その力を育むシステムが組み込まれているということです。 政治家たちがもつ言葉の力。その背景には、弁論力こそ民主主義の軸と捉える古代ギリシャ・ローマから続く教育が揺るぎなく根付いていると感じさせられます。リーダーが民衆に届く言葉を備えられるかどうかは、自分の頭で考えた言葉として、人々に発言できているかどうか。「言わされている」言葉には、人に届くのに必要なエネルギーが発生しません。 世間と、そして自らとしっかり対峙したうえで、国民は今どんな心境で生きているのか、どれだけ辛い思いをしているのか、自らもコロナ禍のなかで生きる一人の市民としての脳で考える姿勢は、政治家にとって不可欠です。 熟考の末に紡ぎ出された言葉は、小手先だけでまとめられた美辞麗句とは説得力のレベルが違います。国民の支持率を上げよう、とりあえず安心させる言葉を選ぼう、という傲おごりが滲んだ言葉を並べても、国民の気持ちを掴むことはできないでしょう』、官邸のゴーストライターに書かせているようでは、望み薄だ。
・『一人ひとりが意見を言える環境が民主主義である 「開かれた民主主義に必要なのは、政治的決断を透明にして説明することと、その行動の根拠を伝え、理解を得ようとすることです」 メルケル首相の演説でも、最初に政治の透明性、国民との知識の共有と協力について述べています。そしてそれらは民主主義が成り立つための「根幹」とも言える要素です。指導者として民主主義の何たるかを国民に自覚させ、「皆さん一人ひとりが意見を言える環境が民主主義なのですよ」という姿勢の確認から話を進めたわけです。 まるでどこかの学校の、立派な校長先生のように説得力のある姿勢とカメラ目線で「皆さん、考えてください」というメッセージを込めて呼びかけられたら、受け取る側は「はい」と思うしかありませんよね。もちろん、そういった演出の効果も計算されているのが、ヨーロッパにおける弁論の力というものです』、日本の政治家には、安部・菅・岸田だけでなく、誰にとってもそんな芸当がそもそも無理なように育っているのは誠に残念だ。
次に、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が11月9日付けの同氏のブログに掲載した「「責任野党」は”見果てぬ夢か” ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計」を紹介しよう。やや長いが、ある意味で民主党結党以来の総括になっているので、お付き合い頂きたい。
https://nobuogohara.com/2021/11/09/%e3%80%8c%e8%b2%ac%e4%bb%bb%e9%87%8e%e5%85%9a%e3%80%8d%e3%81%af%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%e3%81%8b%e3%80%80%ef%bd%9e15%e5%b9%b4%e5%89%8d%e3%81%ae%e3%80%8c%e6%b0%b8/
・『10月31日に投開票が行われた衆議院議員総選挙は、コロナ対策や東京五輪開催強行等で批判を受けた自民党に不利な状況であったにもかかわらず、野党第一党の立憲民主党は、選挙前の議席を大幅に減らす惨敗に終わった。敗北の責任をとって、枝野幸男代表は辞任を表明し、年内に代表選挙が行われることになった。 8月22日の横浜市長選挙の投票日のブログ記事《【横浜市長選挙】山中竹春候補「圧勝」が立憲民主にもたらす“最悪の結果”》で、市長選での立憲民主党推薦候補山中竹春氏が「圧勝」しても、その後、早々に「市長不適格」が明らかになれば、コロナ禍に立ち向かうべき横浜市政の混乱を招き、立憲民主党への国民の期待が急速に失われ、それによって、野党第一党の同党が、自公政権に替わる「政権の受け皿」にはなり得ないことが露呈するという「最悪の結果」に終わると予想した。 実際に、菅政権のコロナ失政への批判を追い風に「圧勝」したが、新市長に就任した山中氏は、疑惑に対して「説明不能」の状況に陥り、選挙で掲げた公約や今後の施策をめぐって、市長答弁の混乱が続くという惨憺たる状況を招いている。横浜市での立憲民主党の惨敗は、市長選挙での山中氏当選が横浜市にもたらした結果を受けた横浜市民の当然の判断だった。 枝野代表の辞任を受けて行われる代表選挙で、新体制が決まることになるが、党創設者で、今回の選挙で共産党との共闘を進め、その結果敗北し引責辞任した枝野代表の辞任後、いったいどのような政党をめざしていくのか、方向性すら定まっていない。立憲民主党は、結党以来の危機に直面している』、「立憲民主党は、結党以来の危機に直面している」、同感である。
・『「永田メール問題」で結党以来の危機に遭遇した民主党 15年余り前、2006年の「永田メール問題」の際も、野党第一党の民主党が「結党以来の危機」に遭遇するという状況となった。 所属議員がライブドア事件に関連して、当時の自民党幹事長を国会で追及したメールが、「偽メール」であったことが判明し、民主党は厳しい批判を浴び、前原誠司代表以下執行部は総退陣に追い込まれた。 この時、私は、桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター長として、様々な組織をめぐる問題への対応について「『法令遵守』ではなく『社会の要請に応えること』」としてのコンプライアンスの観点からの助言・指導を行う立場にあった。当時、民主党政調会長だった故仙谷由人氏から、永田メール問題への危機対応について相談を受け、赤松幸夫弁護士に、関係者のヒアリング等の調査を依頼し、その調査結果に基づいて、2006年4月に、「民主党責任野党構想」と題するレポートを仙谷氏に提出した。「責任野党」に対する社会の要請という観点から、民主党への提言をまとめたものだった。 その冒頭で、私は、 今、民主党が、メール問題に関して国民から受けている批判と責任追及の大きさは、ある意味では、責任野党としての民主党への期待の大きさを示すものである。民主党には、無責任野党としての存在から脱却し、国政に関連する調査、政策立案、国会質問・追及などあらゆる面で責任を果たし得る日本初の真の責任野党を創造することが求められている。 と述べている。当時、危機に直面した民主党が、それを糧に、新たな党に生まれ変わって二大政党制を担う「責任野党」になること、その後に政権を担う党となることを期待し、レポートを仙谷氏に提出した。 その15年の間、民主党は、「消えた年金問題」で国民から猛烈な批判を受けた自民党に代わって政権の座についたが、政権与党として国民の期待に応えることができず、再び野党に転落した。その後、第二次安倍政権の長期化、権力集中の中で、少数野党の地位に甘んじてきた。 「責任野党」が政権を獲得して「責任与党」となり、「責任野党」と対峙する。それが繰り返されることによって緊張感を持った政治が行われるのが、衆議院の小選挙区制度がめざす「二大政党制」だったはずだ。 民主党とその流れを汲むその後の野党第一党には、「責任野党」として何が欠けていたのか。15年を振り返って考えてみたい』、「構想」の「民主党には、無責任野党としての存在から脱却し、国政に関連する調査、政策立案、国会質問・追及などあらゆる面で責任を果たし得る日本初の真の責任野党を創造することが求められている」との、狙いはいまでも新鮮である。
・『「民主党責任野党構想」での指摘・提言 上記の「民主党責任野党構想」で、私は、以下のような指摘と提案を行った。 (1)「責任野党」に求められるのは、政府・与党の政策に対抗し得る具体的な政策を構築し、それを具体的かつ現実的な法案とその運用方針という形でまとめることができる「政策立案」と、現政権の政策に関する問題、政権を担当する政治家や官僚の腐敗に関する問題等を指摘し、具体的事実を明らかにする「国会の場での追及」の二つである。 (2)政策立案と追及を支えるのが事実調査である。優れた政策の立案は、的確な実情調査によって可能になり、政権側の腐敗等の問題についての追及も、事実関係についての的確な調査があって初めて可能となる。 (3)責任野党と「無責任野党」の違いのポイントは、三つのミッションのバランスがとれているか否かである。「永田メール問題」についても、このバランスに問題があった。現政権の政策ないし法制度の根本的な問題に根ざすものなのであれば、その一つ一つの問題を掘り下げて政策論争を行う中で、政策の歪みに派生する問題を取り上げることで、追及の目的も果たせたはずだが、追及だけが自己目的化し突出してしまった。 (4)「責任野党」には、 独自の政策立案と、それを裏付ける適切な調査を行い得ること、適切な調査による裏づけに基づく現政権の追及の両方を実現できる組織の構築が必要である。 (5)個々のテーマ・案件ごとに、「主任議員」とサポートする「応援議員」の双方からなるチームを組織し、チーム・プレーによって政策立案、追及及び調査を行う「主任議員制」(「主任議員」の選定は、経験年数、キャリア・能力、過去の「応援議員」としての活躍の程度などに応じて行う)を導入し、責任の所在を明確にすることを検討すべきである。 (6)重要な政策・立法マターに関しては、その分野における実務経験が豊富な関係者の「手弁当政策スタッフ」を募集して政策立案に参画させ、各分野の実情に即した政策の素案を作成することを検討すべきである。 (7) 政権追及のための調査に関しても、関係者からの情報提供を受け、それを情報提供者の秘匿、不利益防止を図りつつ活用するスキームを具体化し、公益通報的な情報提供を広く呼びかけることが考えられる。 (8)国会の場で責任野党に相応しい質問・追及を行っていくために、いかなる根拠に基づいてどの程度の追及が可能なのか、どのような発言であれば適切かつ効果的と言えるのか、チーム内で十分な議論と検証を行いつつノウハウを蓄積し、質問のレベルを向上させていく必要がある。 仙谷氏は、この「責任野党構想」を受け止め、提言を民主党の改革に活用すべく、シンクタンクの設立などを行っていた。 2006年4月というのは、それまで、検察に籍を置き、桐蔭横浜大学法科大学院に派遣されて、教授・コンプライアンス研究センター長を務めていた私が、検察庁を退職して、弁護士登録をして民間人になった時期だった。仙谷氏は、配下の中堅議員を集めて、私の弁護士登録を歓迎する小宴を設けてくれた。その際、紹介された議員の多くが、その後、民主党政権で閣僚となった』、「指摘・提言」も現実に立脚した建設的なもので、これらも新鮮味を失ってない。
・『小沢一郎氏の代表就任が与えた影響 しかし、その後の民主党は、仙谷氏が考える方向で改革ができる状況にはならなかった。最大の原因は、メール問題で引責辞任した前原氏の後任を選ぶ代表選挙で小沢一郎氏が当選し、代表に就任したことだった。 仙谷氏は、「小沢体制になったために、党改革のために予算や人員が思うように回してもらえなくなった」とぼやいていた。せっかく始まっていたシンクタンクによる政策研究の動きも止められてしまったとのことだった。 弁護士登録をした私は、翌2007年1月に【「法令遵守」が日本を滅ぼす】と題する著書を公刊し、コンプライアンスのジャンルの本としては異例のベストセラーとなったこともあり、全国の企業・団体等の依頼で講演活動を行っていた。仙谷氏からは、様々な分野の問題について相談を受け、助言をしていた。まさに「仙谷氏のブレーン」のような存在だった。 私は、仙谷氏への協力の度合いを深めていったが、一方で、政党組織としての民主党の党運営に関しては、小沢氏と対立関係にある仙谷氏の党内での発言権は低下し、小沢体制の下で、選挙戦略・政局戦略中心に事が進められていった。 その頃、一方の与党自民党も、2007年2月に「消えた年金」問題が表面化して以降、国民の支持を急速に失っていった。同年7月の参院選で惨敗して、参議院での第一党の座を民主党に奪われ、政権の安定は大きく損なわれていった』、小沢体制の下で、「民主党」は「責任野党」に脱皮する機会を失ったことになり、重大な損失だった。
・『自民党の失策によって、民主党に転がり込んだ政権 結局、その後の自民党は、2009年8月の総選挙で惨敗して政権の座から転落し、民主党が政権を担うことになった。 しかし、2006年からの3年間、野党第一党の民主党は、自民党への逆風で、流れに乗ったということに過ぎず、「永田メール問題」で露呈した党組織の問題は是正されていなかった。民主党は「責任野党」になることなく、政権の座につくことになった。 その民主党政権が発足する少し前、同党代表の小沢一郎氏の秘書が「陸山会事件」で東京地検特捜部に逮捕された事件のために、仙谷氏とは急に疎遠となり、連絡を受けることもなくなった。民主党政権発足後は一度も話をすることはなかった。 仙谷氏にとって小沢氏は、党内で対立する政治家というだけではなく、「仇敵」のような存在だったようだ。その小沢氏の「敵」である検察の陸山会捜査を痛烈に批判した。仙谷氏にとって、「敵の敵の敵」は「敵」ということだったのかもしれない。 2010年に、検察が、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件等の不祥事で信頼を失墜した際、法務大臣の下に設置された「検察の在り方検討会議」に委員として加わったが、それも、当時の柳田稔法務大臣とその周辺の議員から、「検察に厳しい検察OBの識者」として就任を打診されたもので、仙谷氏等の民主党執行部とは全く関係はなかった。 民主党政権の間、私は、総務大臣に就任した原口一博氏とその後3人の総務大臣の下で総務省顧問・コンプライアンス室長を務め、14年3月まで、年金業務監視委員会委員長を務めた。それらの職務においては、その本来の職責である、政権側、関係省庁に対して、問題を指摘し、追及する姿勢で臨んだ。総務省コンプライアンス室長としては、民主党政権発足直後に二次補正予算で拙速に行われたICT関連補助金の不適正支出の問題を外部弁護士らによる調査チームを組織して解明し、大幅な減額措置をとらせた。年金業務監視委員会でも民主党政権下の厚労省や日本年金機構に関する様々な問題を取り上げ、厳しく追及した。 その間、仙谷氏を含め民主党執行部の側とは、ほとんど話をすることもなかった。 むしろ、【尖閣不法上陸への弱腰対応も、「検察崩壊」の病弊】などでは、検察の在り方とも関連づけて、民主党政権の尖閣問題への弱腰対応を厳しく批判したこともあった』、「小沢一郎」失脚後に、「仙谷氏」ら「民主党」中枢が筆者に接触しなかった理由は何なのだろう。「責任野党」への提言が重過ぎたためなのだろうか。
・『再び野党に転落した民主党、「責任野党」とはかけ離れた実態 民主党政権は、東日本大震災、原発事故対応などでも厳しい批判を受け、2012年11月の衆院選で惨敗、民主党は再び野党に転落した。 そして、第2次安倍政権が長期化する中、民主党は民進党となり、「希望の党騒ぎ」を経て、立憲民主党が野党第一党となり、今回の衆議院議員選挙に至った。その間、一貫して野党の支持率は低迷、自公両党が圧倒的多数の議席を占める状況が続いた。 その間、国会で、野党は、甘利明氏の「政治とカネ」問題、森友・加計学園問題、そして、桜を見る会問題などで、安倍政権を追及してきたが、それらが、野党側への支持拡大につながったとは言い難い。 15年前の私の指摘・提言に照らして、その後の野党を見ると、凡そ「責任野党」としての政権追及とは評価できない。むしろ、それが、「安倍一強」と言われる政治状況の長期化につながったとも言える。 野党側の政権の追及では、必ずと言っていいほど「調査チーム」「追及チーム」などが立ち上げられ、マスコミフルオープンで公開ヒアリングが繰り返されてきた。しかし、それらは、単に何人かの議員が集まって、公開の場で関係省庁の官僚や関係機関の幹部を呼び出して詰問しているに過ぎず、私が「責任野党構想」で提案した「政権追及のための調査の組織の構築」とは全く異なるものだ。 「調査」であれば、資料を入手し、それに基づいて、事実を把握し、その調査結果を必要な範囲で公表するという方法が、本来のやり方だ。そして、その調査の結果は、何らかの形で文書化して公表することが当然必要となるはずだ。しかし、野党側の「調査チーム」「追及チーム」で、調査結果が文書化されて公表されたという話は聞かない。公開の場のヒアリングをそのままネットで垂れ流すだけだ。 追及のネタは、殆どがマスコミ報道によるものであり、独自のネタでの追及というのは、ほとんどない。独自に入手したメールによる国会での追及が「偽メール」によるものだったことがわかって重大な不祥事になった「永田メール問題」があったことで、独自に入手した情報での国会追及を避けるようになったのかも知れない。しかし、マスコミで報じられたネタを基に公開ヒアリングで官僚を問い詰めているだけでは、「追及の姿勢」を国民にアピールするパフォーマンスでしかない。 しかも、野党の国会での追及の多くは、安倍首相など政権の主要人物の批判につながる直接的な事実を「主題」として、その疑いについて、執拗に追及を続けるというものだった。 森友学園問題であれば、「安倍首相又は夫人の関与」が主題とされ、それがあったのか、なかったのか、という点が追及の焦点となる。加計学園問題では、加計学園の優遇について、安倍首相の指示や関与があったのか否かに追及のポイントが絞られ、国会質問でも、その点ばかりが取り上げられる。 しかし、本来、国会の場で政権を追及するというのは、そういう単純な話ではないはずだ。 例えば、加計学園問題については、【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】でも述べたように、単に、総理大臣が「腹心の友」に有利な指示・意向を示したか、という個別の問題だけではなく、その背景となった、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点が含まれていた。国会での追及は、そのような点に関連づけて幅広く行っていくべきだった。しかし、実際の野党の追及は、そのような「政策」を意図することなく、安倍首相に対する個人攻撃ばかりを繰り返す「政局」的な追及に終始してしまった。 政策面の問題に関連づけて政権追及を行っていくという「責任野党構想」とは真逆の方向であった。 そのような安倍首相個人をターゲットにした「政局的」な追及も、首相側の対応の拙さもあって、長期政権のイメージと信頼を低下させることには相応の効果があり、内閣支持率が大きく低下する場面もあった。しかし、その時、決まって生じるのが、「内閣支持率の低下とともに、野党側の支持率も低下する」という現象であった。 それは、政権への不信が増大し、国民が政権交代の可能性を現実に意識すると、野党側の追及姿勢に対する不信から、逆に、野党に政権を委ねることへの抵抗感が高まり、それが野党の政党支持率の低下につながったと見ることができるであろう』、「加計学園問題」では、「その背景となった、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点が含まれていた。国会での追及は、そのような点に関連づけて幅広く行っていくべきだった。しかし、実際の野党の追及は、そのような「政策」を意図することなく、安倍首相に対する個人攻撃ばかりを繰り返す「政局」的な追及に終始」、「政策面の問題に関連づけて政権追及を行っていくという「責任野党構想」とは真逆の方向」、これでは確かに「責任野党」とはbほど遠い。
・『「権力の一極集中」を解消するための野党への協力 そうした状況の中でも、私は、野党側の政権追及には最大限の協力はしてきた。 小選挙区制は、本来、2大政党による政権交代が行える政治状況によって、その本来の機能が期待できるものであり、一つの政権が長期化し、権力が集中してしまえば、官僚機構の劣化を招くだけでなく、与党内での民主主義的な議論形成にも重大な悪影響を生じる。そういう意味では、安倍政権の長期化・権力の一極集中は、何とかして解消しなければならないと考えてきた。 野党が安倍政権追及の材料にしてきた、「政治とカネ」疑惑、森友・加計学園、「桜を見る会」問題など、殆どの問題について、私は、問題の本質に根差した政権批判を行ってきたし、野党の「調査・追及チーム」のヒアリングにも協力してきた。 しかし、野党側は、私の主張の中の「本質的な部分」には耳を貸すことなく、単なる「安倍政権・安倍首相批判」の部分を都合よく利用しているだけだった。それが端的に表れたのが、甘利明氏の「あっせん利得疑惑」での政権追及だった』、「野党側は、私の主張の中の「本質的な部分」には耳を貸すことなく、単なる「安倍政権・安倍首相批判」の部分を都合よく利用しているだけだった」、なんと程度が低いことだ。
・『「無責任野党」が行き着いた先としての今回の衆院選 野党側の「政権追及」の姿勢が行き着いた先が、今回の衆院選の1か月前、岸田首相が甘利氏を幹事長に任命したことを受け、野党が急遽立ち上げた「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」だった。 連日のように、国会内で、関係省庁・URの担当者等を呼んでヒアリングを行っていたが、甘利氏の説明責任がいかなる根拠で生じているのか、「説明責任を果たす」というのがどういうことなのかも理解しないまま、的外れな質問が繰り返されていた。 当時、甘利氏は経済再生担当大臣だったのに、行革担当大臣と取り違えたり、「参院選での自民党本部から河井夫妻への1億5000万円の資金提供」の問題を「幹事長として判断すべき事項」に関連づけようとして、「買収の共謀」と「買収目的交付罪」との区別もつかないまま、「決裁権者が買収の共犯に該当する可能性」について法務省担当者に執拗に質問したり、凡そ見るに堪えないものだった。このような「追及ヒアリング」をネットで流すことが有権者の支持につながらないことは明らかだ。 それまでの疑惑追及の際のように、私に協力を求めてくれば、もう少し、まともな「追及」になったと考えられるが、私には全く連絡はなかった。それは、疑惑追及チームの中心になっている立憲民主党が、8月に行われた横浜市長選挙で当選した山中竹春氏について「説明責任を全く果たしていない」として、私から批判されていたからであろう(【横浜市長選、山中候補の説明責任「無視」の立憲民主党に、安倍・菅政権を批判する資格があるのか】)。 また、立憲民主党の政策が、十分な議論と検討を経て策定されたものであることに疑問が生じた出来事があった。今回の衆院選の投票日の3日前に、立憲民主党の代表代行(経済政策担当)として同党の経済政策を取りまとめた江田憲司氏が、BSフジ「プライムニュース」に出演し、「NISA(少額取引非課税制度)、積立NISAにも金融所得課税を課税する」と発言し、その後、訂正・謝罪に追い込まれた。 番組でのやり取りを見ると、江田氏は、そもそもNISAという制度自体を理解していないようにも見える。欧米と比較して個人の株式保有比率が低く、個人投資家の証券取引が少ない日本で、個人の証券取引を増やすことは重要な政策課題であり、NISA、積立NISAも、個人の証券取引の裾野を広げるために導入されたものだ。高額所得者の金融所得の課税の問題と、中間層への課税、少額投資家への課税、それぞれの在り方をきめ細かに議論していれば、江田氏のような失言はあり得なかったはずだ。 「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」も、「NISAへの課税」の発言も、立憲民主党の疑惑追及や政策立案について、国民の不信感を高め、選挙における支持の低下につながった可能性は否定できない』、「江田氏」は経産省出身とはいえ、常識の範囲の問題なので、単に不勉強だったのだろう。
・『「責任野党」に向けて時計が止まった15年間 「永田メール問題」の危機に直面した時の民主党と、現在の立憲民主党を比較してみると、「責任野党」への道筋という面では、15年間、時計が止まっているように思える。 「永田メール問題」を受けて民主党の抜本改革をめざしていた仙谷氏だったが、小沢体制になったことで、それが進めることができなくなった。1990年代に、「剛腕」で小選挙区制導入を実現した小沢一郎氏の存在は、野党第一党の民主党が、「二大政党」の一翼を担う「責任野党」になることを阻んだようにも思える。その小沢氏は、今回の選挙で小選挙区落選。「民主党」にとって一つの時代が終わったとも言える。 そもそも、日本という国における政治風土・国民の考え方の下では、小選挙区制より、かつての中選挙区制の方が適しているとの意見も根強い。しかし、現在の小選挙区制で絶対多数を占める自民党が政権の座にある状況において、選挙制度の変更は現実的には考えにくい。 今の状況では、“見果てぬ夢”のようにも思えるが、二大政党制を担いうる「責任野党」に出現してもらいたい。それを目指し、党改革の方向性を競い合う代表選挙になることを望みたい』、「代表選挙」は盛り上がらないまま終わった。これでは、「責任野党」の道はとてつもなく遠そうだ。
第三に、11月30日付けダイモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「立憲民主党は誰が代表になっても将来性なし 結党自体が間違いだった理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/288961
・『総選挙での惨敗により辞任した枝野幸男代表の後任を選ぶ、立憲民主党の代表選挙が本日(11月30日)に投開票される。逢坂誠二元首相大臣補佐官、小川淳也国会対策副委員長、泉健太政務調査会長、西村智奈美元厚生労働副大臣が立候補しているが、正直、まったく関心がない。誰が代表になろうと、立憲民主党に将来の展望はないからだ』、ずいぶん手厳しい批判だ。
・『立憲民主・代表候補者の致命的な知名度 共産党との「野党共闘」の是非に、候補者4氏とも明確な考えを述べず、歯切れが悪い。政策についても、うまくアピールできていない。 一方、岸田文雄政権は「新しい資本主義」を打ち出して、大きく左に張り出している(本連載第288回・p5)。それに対して、4氏とも自民党との差異をはっきりと打ち出せず、非常に苦心している。 深刻なのは、政治に詳しい人を除いて、おそらく多くの国民にとって、4氏とも「この人、誰?」という程度の知名度しかないことだ。自民党が、幹部から若手まで多士済々、キャラが立ち、国民によく知られた政治家を多数擁しているのと対照的で、残念なことである。 立憲民主党にも国民によく知られた人材はいる。野田佳彦元首相、岡田克也元副総理、玄葉光一郎元外相、安住淳元財務相、蓮舫元民進党代表などだ。だが、彼らは「旧民主党政権のイメージ」だから代表選に出られないという。おかしな話である。 彼らは「旧世代」だというかもしれない。しかし、第2次安倍晋三政権以降の自民党の主要メンバーと世代的には同じである。第一線を引退するのはまだ早い。また、安倍政権は、「第1次安倍政権」の失敗から学んで、史上最長の長期政権を築いた(第101回)。野党側も、失敗から学べばいいことだ。 権威主義など他の政治体制にはない、「自由民主主義」の長所は、「間違いさえもオープンにすることで、そこから学び、改めることができること」である(第218回)。実際、自民党はそれを実践し、政権を奪還した。 だが、日本の左派野党には、それはできないようだ。旧民主党政権の幹部だった政治家は、まるで間違いを犯した者のように排除された。そもそも、党名まで変えて旧民主党をなかったことにしている。残った人たちは、自分たちが間違えたのではないという態度だ』、見ず知らずの人間ばかりが出てきた理由がようやく理解できた。「旧民主党政権の幹部だった政治家は、まるで間違いを犯した者のように排除された」、なんと人材の無駄遣いをしていることか。そもそも、総括して反省点を明らかにすれば、旧幹部も十分使える筈だ。積み重ねを度外視するようでは、到底、政党の体をなしてない。
・『間違いを認めず、失敗から学びを得ない政党でいいのか 左派の人たちの特徴の一つは、間違いを絶対に認めない「無謬性」を主張することだ(第112回)。共産党の志位和夫委員長は、委員長就任以来一度も選挙に勝てないのに、いろいろと理屈を付けて、実に21年間も委員長を辞任しない。だが、立憲民主党も党内文化はそれほど変わらない。 だから、経験豊富なベテランたちが、政権運営を間違えた「旧民主党」のイメージだというだけで切り捨てられて、二度と表舞台に立てない。代表選には「若手の台頭」「世代交代」と言えばきれいに聞こえるが、実際は「次の総理」である野党第1党の代表の器量があるとは到底思えない政治家しかいない。ここに、この党の限界が見える。 世界の自由民主主義国で、一度や二度の政権運営の失敗で、党名を捨てたり分裂したりする政党はない。日本の自民党だけではなく、英国の保守党、労働党、ドイツのキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)、社会民主党(SPD)など、何度も政権奪取と下野を繰り返しているが、政治思想・信条、政策の方向性がブレない。失敗しても、そこから学び、復活する。何度でも繰り返すが、それが自由民主主義の強さなのである』、同感である。。
・『立憲民主党の結党は万死に値するほどの愚行、その経緯 そもそも、私は立憲民主党は結党されたこと自体が間違いだったと考える。それは、結党時の経緯を振り返れば明らかだ。 2017年9月、安倍首相の衆院解散・総選挙の決断を受けて、前原誠司代表(当時)が民進党の「事実上の解党」と、小池百合子代表(東京都知事)が率いる新党「希望の党」への合流を表明した(第168回)。当時、高い人気を誇っていた小池代表と合流することで、一挙に政権交代を実現することを狙ったものだった。 だが、民進党の衆院候補者が希望の党の公認を申請したが、小池代表が独自の基準で選別し、憲法・安全保障など基本政策が一致しない候補を公認しない「排除の論理」を持ち出した。排除された候補者から次々と悲鳴が上がり、阿鼻叫喚の様となった。 この事態に、小池代表の「非情」と前原代表の「詰めの甘さ」が厳しい批判にさらされた。この時、公認を得られず路頭に迷った議員を救済するために、枝野氏が「立憲民主党」を結党。 立憲民主党は、総選挙で55議席を獲得し、野党第1党となった。一方、希望の党は50議席にとどまり、その後小池代表が辞任し、党は解体した。その一部が現在、玉木雄一郎代表率いる「国民民主党」である(第182回)。 立憲民主党の結党は、枝野幸男氏という政治家が、日本政治をどういう方向に進めるかの大局観がなく、政党を運営するための何の展望も持たず、ただ感情だけで動いた結果である。それは、2017年総選挙の後に起きたことを検証すればわかる。 政治学の理論をアレンジして用いれば、立憲民主党の結党で「分極的一党優位制」と呼ぶべき体制が確立したといえる。これは要するに、左右に大きく政策のウイングを広げた巨大な自民党に対して、左翼に大きく寄った小規模な野党がいるという体制だ』、「立憲民主党の結党は、枝野幸男氏という政治家が、日本政治をどういう方向に進めるかの大局観がなく、政党を運営するための何の展望も持たず、ただ感情だけで動いた結果」、緊急避難的なものだった筈で、筆者の表現はいささか厳し過ぎる。
・『政策を取られた立憲民主党、中流層は離れるばかり 2017年総選挙時に、前原民進党代表が主張していた消費増税による教育無償化の実現など「All For All」という政策を自民党が「パクって」以降、本来野党が取り組むべき社会民主主義的国内政策を次々と安倍政権が実現していった(第218回)。サイレントマジョリティー(中流層=消極的保守支持者)の支持は自民党に集まったわけである。 これに対して、立憲民主党はサイレントマジョリティーの支持を自民党と争うのではなく、共産党と共闘して左翼の支持者を固める方向に向かった。国会では、共産党とともに「何でも反対」の姿勢を取ったが、圧倒的多数を築いた自民党はそれを無視し、政策を無修正で通していった(第189回)。 「分極的一党優位制」は、実は自民党と共産党の利害が一致する体制だ。もちろん両者の間にコミュニケーションはない。だが、お互いにとって都合がいいのだ。 自民党にとっては、「民主党」が崩壊せずに、政権担当経験があり、現実的な議論ができる政党になっていれば、面倒な存在だったはずだ。それがバラバラになり、共産党と共闘してくれて幸運だった。それを共産党がシロアリのように食い荒らし、経済財政や安全保障で政策の幅を失ってくれると、強引にやりたい政策を通しやすくなるからだ。 その上、現実的な議論のできない野党はサイレントマジョリティーに支持されない、「万年野党化」してくれるので、自民党にとって安泰だ。 一方、共産党にとっては、安倍首相のような安全保障や憲法で「保守色」がにじみ出る自民党が「極端」な物言いをしてくれるほうがいい。「何でも反対」の共産党が目立つことになり、支持を集めやすく、存在感を強めることができる。自民党と共産党は、お互いに「必要悪」な存在といえるのだ』、筆者は「共産党」との選挙協力に批判的なようだが、死に票が大きく減ったメリットに言及しないのは、政治学者として無責任だ。
・『もし立憲民主党が生まれなかったらどうなっていたか 立憲民主党の結党という枝野氏の大局観なき行動がなければ、日本政治はどのように変化する可能性があったか。再び、政治学の理論をアレンジして用いれば、「穏健な保守中道二大政党制」に向かったかもしれなかった。 「穏健な保守中道二大政党制」とは、安全保障を政争の具とせず、経済財政・社会保障政策など内政面では「改革が手ぬるい」「よりよき政策がある」と、保守と中道が競い合って、現実的な政策を作り上げていく体制だ。 もちろん、逆に小池都知事・前原代表に、大構想があったわけではない。小池都知事は安倍首相に権力闘争を挑みたかっただけだ。前原代表には、「民進党が共産党に食われ続ければ、大幅な議席減となる」という、やむにやまれぬ思いがあった。 それでも総選挙後には、たとえ政権交代を実現できなくても、民進党内にいた左派はほぼ絶滅し、共産党との共闘は終焉し、希望の党が野党第1党になったはずだった。そして、「安全保障を政争の具にしない政治」であり、「より改革的な政策とは何かを競い合う政治」が始まったはずだ。そして、過去の因縁を超えて、希望の党に維新の会も合流し、「穏健な保守中道二大政党制」が出現していたかもしれない。 立憲民主党の結党とは、一度は実現するかに思われたこの動きを必死に止めたものだった。その後出現した「分極的一党優位制」で利益を得たのは立憲民主党ではなく、自民党と共産党だったのだ。 そして、安倍政権による強引な政権運営、権力の私的乱用、人事権の乱用と官僚の「忖度」、スキャンダルの頻発と、それに「万年野党」が金切り声を上げて反対する、日本政治の堕落が起こった(第226回)。 また、政治だけではなく、国民もおかしくなった。安倍政権を支持する人も、左派を支持する人も、お互いに感情的に反発し合い、政策をまともに考える力を失っていった。 その意味で、枝野氏による立憲民主党の結党は、万死に値するほどの愚行であった。枝野氏は党代表を辞任したが、それだけでなく、議員辞職し、政界を去るべきだ』、「立憲民主党の結党」は小池氏・前原氏による「排除の論理」に対抗した防衛的なものだ。筆者の見方はあまりに「枝野」氏に対し、不当なまでに厳し過ぎる。こういう暴論もあり得るのを紹介したまでである。
先ずは、やや古いが1月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載した在イタリアの漫画家・文筆家のヤマザキ マリ氏による「メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 州の政治家は「弁論力」がすごい」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/41523
・『新型コロナウイルスをめぐる混乱は、各国リーダーの違いを浮き彫りにした。漫画家・文筆家のヤマザキマリさんは「ドイツやフランス、イタリアのリーダーたちは国民の気持ちをつかむ演説をしていた。それに対して、現在の日本にそうした政治家がいない」と指摘する――。 ※本稿は、ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです』、ヤマザキ氏のシャープな見方は、参考になりそうだ。
・『パンデミックが浮き彫りにした各国のリーダーの姿 今回のパンデミックは、普段では気づかないような事柄を炙あぶりだしているように思います。特に比較文化学的な視点で見てみると、とても面白い。 今ではインターネット上のニュースやSNSを介して、海外の報道や情報も時差なく入手することができますが、各国の対応越しにそれぞれの国の性質が見えてもきました。それはまるで一枚一枚、表面に纏まとった衣を剥がされているかのようです。 多くの人がコトの次第、状況の顛末を一緒になってリアルタイムで見ることができるのは、過去のパンデミック、たとえば20世紀初頭のスペイン風邪のときにはなかったことだと思います。その意味でも、目の前で今起きていることがパンデミック後にどうつながるのか、とても興味深く感じています。 各国のリーダーたちの姿も、いつになく浮き彫りになりました。特に演説の雄弁さには歴然とした差が見られます』、特に「日本の政治家」のお粗末さは顕著だ。
・『演説で株を上げるドイツ・メルケル首相 欧州のリーダーに必須だとされるのは、自分の言葉で民衆に響く演説ができるかどうかですが、その点において素晴らしかったのが3月18日、ドイツのメルケル首相が国民に対し、新型コロナウイルス対策への理解と協力を呼びかけたテレビ演説です。 テレビの前にいるであろう、一人ひとりの目を見据えているかのように、彼女が落ち着いた面持ちで語ったその言葉は、感染が広がるなか、未知のウイルスに対して不安を抱える人たちが求めていた「安心感」をまさに与えるものでした。その訴求力たるや。ドイツ国民ではない日本の人までもが絶賛し、全文を翻訳したものがSNSで拡散されたほどでした。 おそらくこの演説は、今回のパンデミックの一つの象徴的な事象として、後世にも語り継がれていくことでしょう。虚勢や虚栄の甲冑かっちゅうを身に纏う権力者とは違い、謙虚な親族のおばさんという体ていのメルケルが「あなた」という二人称を使って、国民に呼びかけたことは印象的でした。「スーパーに毎日立っている皆さん、商品棚に補充してくれている皆さん」と、パンデミック下でも人々の生活を支えて働く人々への感謝を述べていました』、「メルケル」演説は多方面で高く評価された。「メルケル」氏が昨日、公式に引退したのは誠に残念だ。
・『二人称を使った呼びかけは、聞いた人の心に響く この二人称は、古代ローマ時代からの「弁証」の技術において非常に大事なポイントです。カメラを通していたとしても、「医療に携わってくれているあなた、本当にありがとう」と目線を合わせて言われれば、心に響かない人はいませんよね。 これが原稿の書かれた紙に目を置いたまま、自分の言葉ではない、表面的な表現を連ねて語られたのなら……。聴いている人には何も届かないし、その心は癒やされもしません。 同じく3月の半ばにはフランスのマクロン大統領も、外出に対する厳しい制限を発表した際、「戦争状態」になぞらえて「新型コロナウイルスとの戦いに打ち勝つ」といった意志を強い言葉で演説し、国をまとめようとする姿勢を表明していました。 イタリアのコンテ首相も、国民に結束を呼びかけるテレビ演説を行いました。そのなかで私が秀逸に思ったのは、弁護士出身である彼がまず、法について述べた点です。 「皆さん、イタリアの法律では人の命を何よりも守らなければなりません。だから、私はそれを行使します。これから都市を閉鎖し、経済的に皆さんにご迷惑をおかけするでしょう。しかし、人の命をまず最初に守らなければいけないのです」 経済よりも人の命が優先であることを、カメラ目線で国民に向かって宣言した。普段コンテ首相を非難している人たちも、彼の言葉に「よし、わかった」と納得したわけです。 国が違えば政治体制も文化的な事情も異なりますし、一概に比較するのは難しいことだとは思います。ですが、世界が同じ一つの問題に同じタイミングで向き合っているのを、リアルタイムで見つめる機会もそうありません。だからこそ、私たちはこのパンデミックへの各国のリーダーたちの対応や姿勢を比べてしまうし、また比べることができているのです』、イタリアの「コンテ首相」も印象的な演説をしたのであれば、日本の政治家のお粗末さが目立ってしまう。
・『危機的状況は指導者が人気を上げる好機 たまたま見かけた国際ニュース番組で、アメリカのオバマ前大統領とブッシュ元大統領の補佐官を務めていたという二人が対談をしていました。現職のトランプ大統領の政策を批判する内容でしたが、そこで面白い指摘が展開されていました。 「トランプ氏が大統領として怠っているのは、国民を結束させることと、国民を激励し安心感を与えることへの責任である。そのために言葉をきちんと選んで話す弁証のスキルをもたなければいけないが、彼にはない。パンデミックのような状況は、本来なら指導者が自分の人気を上げるのにいかようにも利用できる好機なのに、もったいないことだ」 大体このような感じです。たしかに、ドイツのメルケル首相の株は、今回のコロナ対策でグンと上がりました。台湾の蔡英文総統も高く評価されています』、「パンデミックのような状況は、本来なら指導者が自分の人気を上げるのにいかようにも利用できる好機なのに、(それが出来なかったトランプ4大統領は)もったいないことだ」、トランプには逆立ちしても出来ない筈だ。
・『いつまでも届かない日本のリーダーの言葉 ひるがえって、我が国、日本はどうでしょうか。“アベノマスク”などのコロナ対策の評判は芳しくなく、決然としたリーダーシップを発揮しているようにも見えませんし、むしろがっかりしたという人も少なくないと思います。特に言葉の力という点において、ヨーロッパで見られるように民衆の心に届く演説ができる政治家は、現在の日本にいないのではないでしょうか。 ヨーロッパにおけるリーダーには弁証力が求められます。イタリアに住むなかで私が実感するのは、小さな頃からの学校教育に、その力を育むシステムが組み込まれているということです。 政治家たちがもつ言葉の力。その背景には、弁論力こそ民主主義の軸と捉える古代ギリシャ・ローマから続く教育が揺るぎなく根付いていると感じさせられます。リーダーが民衆に届く言葉を備えられるかどうかは、自分の頭で考えた言葉として、人々に発言できているかどうか。「言わされている」言葉には、人に届くのに必要なエネルギーが発生しません。 世間と、そして自らとしっかり対峙したうえで、国民は今どんな心境で生きているのか、どれだけ辛い思いをしているのか、自らもコロナ禍のなかで生きる一人の市民としての脳で考える姿勢は、政治家にとって不可欠です。 熟考の末に紡ぎ出された言葉は、小手先だけでまとめられた美辞麗句とは説得力のレベルが違います。国民の支持率を上げよう、とりあえず安心させる言葉を選ぼう、という傲おごりが滲んだ言葉を並べても、国民の気持ちを掴むことはできないでしょう』、官邸のゴーストライターに書かせているようでは、望み薄だ。
・『一人ひとりが意見を言える環境が民主主義である 「開かれた民主主義に必要なのは、政治的決断を透明にして説明することと、その行動の根拠を伝え、理解を得ようとすることです」 メルケル首相の演説でも、最初に政治の透明性、国民との知識の共有と協力について述べています。そしてそれらは民主主義が成り立つための「根幹」とも言える要素です。指導者として民主主義の何たるかを国民に自覚させ、「皆さん一人ひとりが意見を言える環境が民主主義なのですよ」という姿勢の確認から話を進めたわけです。 まるでどこかの学校の、立派な校長先生のように説得力のある姿勢とカメラ目線で「皆さん、考えてください」というメッセージを込めて呼びかけられたら、受け取る側は「はい」と思うしかありませんよね。もちろん、そういった演出の効果も計算されているのが、ヨーロッパにおける弁論の力というものです』、日本の政治家には、安部・菅・岸田だけでなく、誰にとってもそんな芸当がそもそも無理なように育っているのは誠に残念だ。
次に、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が11月9日付けの同氏のブログに掲載した「「責任野党」は”見果てぬ夢か” ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計」を紹介しよう。やや長いが、ある意味で民主党結党以来の総括になっているので、お付き合い頂きたい。
https://nobuogohara.com/2021/11/09/%e3%80%8c%e8%b2%ac%e4%bb%bb%e9%87%8e%e5%85%9a%e3%80%8d%e3%81%af%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%e3%81%8b%e3%80%80%ef%bd%9e15%e5%b9%b4%e5%89%8d%e3%81%ae%e3%80%8c%e6%b0%b8/
・『10月31日に投開票が行われた衆議院議員総選挙は、コロナ対策や東京五輪開催強行等で批判を受けた自民党に不利な状況であったにもかかわらず、野党第一党の立憲民主党は、選挙前の議席を大幅に減らす惨敗に終わった。敗北の責任をとって、枝野幸男代表は辞任を表明し、年内に代表選挙が行われることになった。 8月22日の横浜市長選挙の投票日のブログ記事《【横浜市長選挙】山中竹春候補「圧勝」が立憲民主にもたらす“最悪の結果”》で、市長選での立憲民主党推薦候補山中竹春氏が「圧勝」しても、その後、早々に「市長不適格」が明らかになれば、コロナ禍に立ち向かうべき横浜市政の混乱を招き、立憲民主党への国民の期待が急速に失われ、それによって、野党第一党の同党が、自公政権に替わる「政権の受け皿」にはなり得ないことが露呈するという「最悪の結果」に終わると予想した。 実際に、菅政権のコロナ失政への批判を追い風に「圧勝」したが、新市長に就任した山中氏は、疑惑に対して「説明不能」の状況に陥り、選挙で掲げた公約や今後の施策をめぐって、市長答弁の混乱が続くという惨憺たる状況を招いている。横浜市での立憲民主党の惨敗は、市長選挙での山中氏当選が横浜市にもたらした結果を受けた横浜市民の当然の判断だった。 枝野代表の辞任を受けて行われる代表選挙で、新体制が決まることになるが、党創設者で、今回の選挙で共産党との共闘を進め、その結果敗北し引責辞任した枝野代表の辞任後、いったいどのような政党をめざしていくのか、方向性すら定まっていない。立憲民主党は、結党以来の危機に直面している』、「立憲民主党は、結党以来の危機に直面している」、同感である。
・『「永田メール問題」で結党以来の危機に遭遇した民主党 15年余り前、2006年の「永田メール問題」の際も、野党第一党の民主党が「結党以来の危機」に遭遇するという状況となった。 所属議員がライブドア事件に関連して、当時の自民党幹事長を国会で追及したメールが、「偽メール」であったことが判明し、民主党は厳しい批判を浴び、前原誠司代表以下執行部は総退陣に追い込まれた。 この時、私は、桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター長として、様々な組織をめぐる問題への対応について「『法令遵守』ではなく『社会の要請に応えること』」としてのコンプライアンスの観点からの助言・指導を行う立場にあった。当時、民主党政調会長だった故仙谷由人氏から、永田メール問題への危機対応について相談を受け、赤松幸夫弁護士に、関係者のヒアリング等の調査を依頼し、その調査結果に基づいて、2006年4月に、「民主党責任野党構想」と題するレポートを仙谷氏に提出した。「責任野党」に対する社会の要請という観点から、民主党への提言をまとめたものだった。 その冒頭で、私は、 今、民主党が、メール問題に関して国民から受けている批判と責任追及の大きさは、ある意味では、責任野党としての民主党への期待の大きさを示すものである。民主党には、無責任野党としての存在から脱却し、国政に関連する調査、政策立案、国会質問・追及などあらゆる面で責任を果たし得る日本初の真の責任野党を創造することが求められている。 と述べている。当時、危機に直面した民主党が、それを糧に、新たな党に生まれ変わって二大政党制を担う「責任野党」になること、その後に政権を担う党となることを期待し、レポートを仙谷氏に提出した。 その15年の間、民主党は、「消えた年金問題」で国民から猛烈な批判を受けた自民党に代わって政権の座についたが、政権与党として国民の期待に応えることができず、再び野党に転落した。その後、第二次安倍政権の長期化、権力集中の中で、少数野党の地位に甘んじてきた。 「責任野党」が政権を獲得して「責任与党」となり、「責任野党」と対峙する。それが繰り返されることによって緊張感を持った政治が行われるのが、衆議院の小選挙区制度がめざす「二大政党制」だったはずだ。 民主党とその流れを汲むその後の野党第一党には、「責任野党」として何が欠けていたのか。15年を振り返って考えてみたい』、「構想」の「民主党には、無責任野党としての存在から脱却し、国政に関連する調査、政策立案、国会質問・追及などあらゆる面で責任を果たし得る日本初の真の責任野党を創造することが求められている」との、狙いはいまでも新鮮である。
・『「民主党責任野党構想」での指摘・提言 上記の「民主党責任野党構想」で、私は、以下のような指摘と提案を行った。 (1)「責任野党」に求められるのは、政府・与党の政策に対抗し得る具体的な政策を構築し、それを具体的かつ現実的な法案とその運用方針という形でまとめることができる「政策立案」と、現政権の政策に関する問題、政権を担当する政治家や官僚の腐敗に関する問題等を指摘し、具体的事実を明らかにする「国会の場での追及」の二つである。 (2)政策立案と追及を支えるのが事実調査である。優れた政策の立案は、的確な実情調査によって可能になり、政権側の腐敗等の問題についての追及も、事実関係についての的確な調査があって初めて可能となる。 (3)責任野党と「無責任野党」の違いのポイントは、三つのミッションのバランスがとれているか否かである。「永田メール問題」についても、このバランスに問題があった。現政権の政策ないし法制度の根本的な問題に根ざすものなのであれば、その一つ一つの問題を掘り下げて政策論争を行う中で、政策の歪みに派生する問題を取り上げることで、追及の目的も果たせたはずだが、追及だけが自己目的化し突出してしまった。 (4)「責任野党」には、 独自の政策立案と、それを裏付ける適切な調査を行い得ること、適切な調査による裏づけに基づく現政権の追及の両方を実現できる組織の構築が必要である。 (5)個々のテーマ・案件ごとに、「主任議員」とサポートする「応援議員」の双方からなるチームを組織し、チーム・プレーによって政策立案、追及及び調査を行う「主任議員制」(「主任議員」の選定は、経験年数、キャリア・能力、過去の「応援議員」としての活躍の程度などに応じて行う)を導入し、責任の所在を明確にすることを検討すべきである。 (6)重要な政策・立法マターに関しては、その分野における実務経験が豊富な関係者の「手弁当政策スタッフ」を募集して政策立案に参画させ、各分野の実情に即した政策の素案を作成することを検討すべきである。 (7) 政権追及のための調査に関しても、関係者からの情報提供を受け、それを情報提供者の秘匿、不利益防止を図りつつ活用するスキームを具体化し、公益通報的な情報提供を広く呼びかけることが考えられる。 (8)国会の場で責任野党に相応しい質問・追及を行っていくために、いかなる根拠に基づいてどの程度の追及が可能なのか、どのような発言であれば適切かつ効果的と言えるのか、チーム内で十分な議論と検証を行いつつノウハウを蓄積し、質問のレベルを向上させていく必要がある。 仙谷氏は、この「責任野党構想」を受け止め、提言を民主党の改革に活用すべく、シンクタンクの設立などを行っていた。 2006年4月というのは、それまで、検察に籍を置き、桐蔭横浜大学法科大学院に派遣されて、教授・コンプライアンス研究センター長を務めていた私が、検察庁を退職して、弁護士登録をして民間人になった時期だった。仙谷氏は、配下の中堅議員を集めて、私の弁護士登録を歓迎する小宴を設けてくれた。その際、紹介された議員の多くが、その後、民主党政権で閣僚となった』、「指摘・提言」も現実に立脚した建設的なもので、これらも新鮮味を失ってない。
・『小沢一郎氏の代表就任が与えた影響 しかし、その後の民主党は、仙谷氏が考える方向で改革ができる状況にはならなかった。最大の原因は、メール問題で引責辞任した前原氏の後任を選ぶ代表選挙で小沢一郎氏が当選し、代表に就任したことだった。 仙谷氏は、「小沢体制になったために、党改革のために予算や人員が思うように回してもらえなくなった」とぼやいていた。せっかく始まっていたシンクタンクによる政策研究の動きも止められてしまったとのことだった。 弁護士登録をした私は、翌2007年1月に【「法令遵守」が日本を滅ぼす】と題する著書を公刊し、コンプライアンスのジャンルの本としては異例のベストセラーとなったこともあり、全国の企業・団体等の依頼で講演活動を行っていた。仙谷氏からは、様々な分野の問題について相談を受け、助言をしていた。まさに「仙谷氏のブレーン」のような存在だった。 私は、仙谷氏への協力の度合いを深めていったが、一方で、政党組織としての民主党の党運営に関しては、小沢氏と対立関係にある仙谷氏の党内での発言権は低下し、小沢体制の下で、選挙戦略・政局戦略中心に事が進められていった。 その頃、一方の与党自民党も、2007年2月に「消えた年金」問題が表面化して以降、国民の支持を急速に失っていった。同年7月の参院選で惨敗して、参議院での第一党の座を民主党に奪われ、政権の安定は大きく損なわれていった』、小沢体制の下で、「民主党」は「責任野党」に脱皮する機会を失ったことになり、重大な損失だった。
・『自民党の失策によって、民主党に転がり込んだ政権 結局、その後の自民党は、2009年8月の総選挙で惨敗して政権の座から転落し、民主党が政権を担うことになった。 しかし、2006年からの3年間、野党第一党の民主党は、自民党への逆風で、流れに乗ったということに過ぎず、「永田メール問題」で露呈した党組織の問題は是正されていなかった。民主党は「責任野党」になることなく、政権の座につくことになった。 その民主党政権が発足する少し前、同党代表の小沢一郎氏の秘書が「陸山会事件」で東京地検特捜部に逮捕された事件のために、仙谷氏とは急に疎遠となり、連絡を受けることもなくなった。民主党政権発足後は一度も話をすることはなかった。 仙谷氏にとって小沢氏は、党内で対立する政治家というだけではなく、「仇敵」のような存在だったようだ。その小沢氏の「敵」である検察の陸山会捜査を痛烈に批判した。仙谷氏にとって、「敵の敵の敵」は「敵」ということだったのかもしれない。 2010年に、検察が、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件等の不祥事で信頼を失墜した際、法務大臣の下に設置された「検察の在り方検討会議」に委員として加わったが、それも、当時の柳田稔法務大臣とその周辺の議員から、「検察に厳しい検察OBの識者」として就任を打診されたもので、仙谷氏等の民主党執行部とは全く関係はなかった。 民主党政権の間、私は、総務大臣に就任した原口一博氏とその後3人の総務大臣の下で総務省顧問・コンプライアンス室長を務め、14年3月まで、年金業務監視委員会委員長を務めた。それらの職務においては、その本来の職責である、政権側、関係省庁に対して、問題を指摘し、追及する姿勢で臨んだ。総務省コンプライアンス室長としては、民主党政権発足直後に二次補正予算で拙速に行われたICT関連補助金の不適正支出の問題を外部弁護士らによる調査チームを組織して解明し、大幅な減額措置をとらせた。年金業務監視委員会でも民主党政権下の厚労省や日本年金機構に関する様々な問題を取り上げ、厳しく追及した。 その間、仙谷氏を含め民主党執行部の側とは、ほとんど話をすることもなかった。 むしろ、【尖閣不法上陸への弱腰対応も、「検察崩壊」の病弊】などでは、検察の在り方とも関連づけて、民主党政権の尖閣問題への弱腰対応を厳しく批判したこともあった』、「小沢一郎」失脚後に、「仙谷氏」ら「民主党」中枢が筆者に接触しなかった理由は何なのだろう。「責任野党」への提言が重過ぎたためなのだろうか。
・『再び野党に転落した民主党、「責任野党」とはかけ離れた実態 民主党政権は、東日本大震災、原発事故対応などでも厳しい批判を受け、2012年11月の衆院選で惨敗、民主党は再び野党に転落した。 そして、第2次安倍政権が長期化する中、民主党は民進党となり、「希望の党騒ぎ」を経て、立憲民主党が野党第一党となり、今回の衆議院議員選挙に至った。その間、一貫して野党の支持率は低迷、自公両党が圧倒的多数の議席を占める状況が続いた。 その間、国会で、野党は、甘利明氏の「政治とカネ」問題、森友・加計学園問題、そして、桜を見る会問題などで、安倍政権を追及してきたが、それらが、野党側への支持拡大につながったとは言い難い。 15年前の私の指摘・提言に照らして、その後の野党を見ると、凡そ「責任野党」としての政権追及とは評価できない。むしろ、それが、「安倍一強」と言われる政治状況の長期化につながったとも言える。 野党側の政権の追及では、必ずと言っていいほど「調査チーム」「追及チーム」などが立ち上げられ、マスコミフルオープンで公開ヒアリングが繰り返されてきた。しかし、それらは、単に何人かの議員が集まって、公開の場で関係省庁の官僚や関係機関の幹部を呼び出して詰問しているに過ぎず、私が「責任野党構想」で提案した「政権追及のための調査の組織の構築」とは全く異なるものだ。 「調査」であれば、資料を入手し、それに基づいて、事実を把握し、その調査結果を必要な範囲で公表するという方法が、本来のやり方だ。そして、その調査の結果は、何らかの形で文書化して公表することが当然必要となるはずだ。しかし、野党側の「調査チーム」「追及チーム」で、調査結果が文書化されて公表されたという話は聞かない。公開の場のヒアリングをそのままネットで垂れ流すだけだ。 追及のネタは、殆どがマスコミ報道によるものであり、独自のネタでの追及というのは、ほとんどない。独自に入手したメールによる国会での追及が「偽メール」によるものだったことがわかって重大な不祥事になった「永田メール問題」があったことで、独自に入手した情報での国会追及を避けるようになったのかも知れない。しかし、マスコミで報じられたネタを基に公開ヒアリングで官僚を問い詰めているだけでは、「追及の姿勢」を国民にアピールするパフォーマンスでしかない。 しかも、野党の国会での追及の多くは、安倍首相など政権の主要人物の批判につながる直接的な事実を「主題」として、その疑いについて、執拗に追及を続けるというものだった。 森友学園問題であれば、「安倍首相又は夫人の関与」が主題とされ、それがあったのか、なかったのか、という点が追及の焦点となる。加計学園問題では、加計学園の優遇について、安倍首相の指示や関与があったのか否かに追及のポイントが絞られ、国会質問でも、その点ばかりが取り上げられる。 しかし、本来、国会の場で政権を追及するというのは、そういう単純な話ではないはずだ。 例えば、加計学園問題については、【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】でも述べたように、単に、総理大臣が「腹心の友」に有利な指示・意向を示したか、という個別の問題だけではなく、その背景となった、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点が含まれていた。国会での追及は、そのような点に関連づけて幅広く行っていくべきだった。しかし、実際の野党の追及は、そのような「政策」を意図することなく、安倍首相に対する個人攻撃ばかりを繰り返す「政局」的な追及に終始してしまった。 政策面の問題に関連づけて政権追及を行っていくという「責任野党構想」とは真逆の方向であった。 そのような安倍首相個人をターゲットにした「政局的」な追及も、首相側の対応の拙さもあって、長期政権のイメージと信頼を低下させることには相応の効果があり、内閣支持率が大きく低下する場面もあった。しかし、その時、決まって生じるのが、「内閣支持率の低下とともに、野党側の支持率も低下する」という現象であった。 それは、政権への不信が増大し、国民が政権交代の可能性を現実に意識すると、野党側の追及姿勢に対する不信から、逆に、野党に政権を委ねることへの抵抗感が高まり、それが野党の政党支持率の低下につながったと見ることができるであろう』、「加計学園問題」では、「その背景となった、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点が含まれていた。国会での追及は、そのような点に関連づけて幅広く行っていくべきだった。しかし、実際の野党の追及は、そのような「政策」を意図することなく、安倍首相に対する個人攻撃ばかりを繰り返す「政局」的な追及に終始」、「政策面の問題に関連づけて政権追及を行っていくという「責任野党構想」とは真逆の方向」、これでは確かに「責任野党」とはbほど遠い。
・『「権力の一極集中」を解消するための野党への協力 そうした状況の中でも、私は、野党側の政権追及には最大限の協力はしてきた。 小選挙区制は、本来、2大政党による政権交代が行える政治状況によって、その本来の機能が期待できるものであり、一つの政権が長期化し、権力が集中してしまえば、官僚機構の劣化を招くだけでなく、与党内での民主主義的な議論形成にも重大な悪影響を生じる。そういう意味では、安倍政権の長期化・権力の一極集中は、何とかして解消しなければならないと考えてきた。 野党が安倍政権追及の材料にしてきた、「政治とカネ」疑惑、森友・加計学園、「桜を見る会」問題など、殆どの問題について、私は、問題の本質に根差した政権批判を行ってきたし、野党の「調査・追及チーム」のヒアリングにも協力してきた。 しかし、野党側は、私の主張の中の「本質的な部分」には耳を貸すことなく、単なる「安倍政権・安倍首相批判」の部分を都合よく利用しているだけだった。それが端的に表れたのが、甘利明氏の「あっせん利得疑惑」での政権追及だった』、「野党側は、私の主張の中の「本質的な部分」には耳を貸すことなく、単なる「安倍政権・安倍首相批判」の部分を都合よく利用しているだけだった」、なんと程度が低いことだ。
・『「無責任野党」が行き着いた先としての今回の衆院選 野党側の「政権追及」の姿勢が行き着いた先が、今回の衆院選の1か月前、岸田首相が甘利氏を幹事長に任命したことを受け、野党が急遽立ち上げた「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」だった。 連日のように、国会内で、関係省庁・URの担当者等を呼んでヒアリングを行っていたが、甘利氏の説明責任がいかなる根拠で生じているのか、「説明責任を果たす」というのがどういうことなのかも理解しないまま、的外れな質問が繰り返されていた。 当時、甘利氏は経済再生担当大臣だったのに、行革担当大臣と取り違えたり、「参院選での自民党本部から河井夫妻への1億5000万円の資金提供」の問題を「幹事長として判断すべき事項」に関連づけようとして、「買収の共謀」と「買収目的交付罪」との区別もつかないまま、「決裁権者が買収の共犯に該当する可能性」について法務省担当者に執拗に質問したり、凡そ見るに堪えないものだった。このような「追及ヒアリング」をネットで流すことが有権者の支持につながらないことは明らかだ。 それまでの疑惑追及の際のように、私に協力を求めてくれば、もう少し、まともな「追及」になったと考えられるが、私には全く連絡はなかった。それは、疑惑追及チームの中心になっている立憲民主党が、8月に行われた横浜市長選挙で当選した山中竹春氏について「説明責任を全く果たしていない」として、私から批判されていたからであろう(【横浜市長選、山中候補の説明責任「無視」の立憲民主党に、安倍・菅政権を批判する資格があるのか】)。 また、立憲民主党の政策が、十分な議論と検討を経て策定されたものであることに疑問が生じた出来事があった。今回の衆院選の投票日の3日前に、立憲民主党の代表代行(経済政策担当)として同党の経済政策を取りまとめた江田憲司氏が、BSフジ「プライムニュース」に出演し、「NISA(少額取引非課税制度)、積立NISAにも金融所得課税を課税する」と発言し、その後、訂正・謝罪に追い込まれた。 番組でのやり取りを見ると、江田氏は、そもそもNISAという制度自体を理解していないようにも見える。欧米と比較して個人の株式保有比率が低く、個人投資家の証券取引が少ない日本で、個人の証券取引を増やすことは重要な政策課題であり、NISA、積立NISAも、個人の証券取引の裾野を広げるために導入されたものだ。高額所得者の金融所得の課税の問題と、中間層への課税、少額投資家への課税、それぞれの在り方をきめ細かに議論していれば、江田氏のような失言はあり得なかったはずだ。 「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」も、「NISAへの課税」の発言も、立憲民主党の疑惑追及や政策立案について、国民の不信感を高め、選挙における支持の低下につながった可能性は否定できない』、「江田氏」は経産省出身とはいえ、常識の範囲の問題なので、単に不勉強だったのだろう。
・『「責任野党」に向けて時計が止まった15年間 「永田メール問題」の危機に直面した時の民主党と、現在の立憲民主党を比較してみると、「責任野党」への道筋という面では、15年間、時計が止まっているように思える。 「永田メール問題」を受けて民主党の抜本改革をめざしていた仙谷氏だったが、小沢体制になったことで、それが進めることができなくなった。1990年代に、「剛腕」で小選挙区制導入を実現した小沢一郎氏の存在は、野党第一党の民主党が、「二大政党」の一翼を担う「責任野党」になることを阻んだようにも思える。その小沢氏は、今回の選挙で小選挙区落選。「民主党」にとって一つの時代が終わったとも言える。 そもそも、日本という国における政治風土・国民の考え方の下では、小選挙区制より、かつての中選挙区制の方が適しているとの意見も根強い。しかし、現在の小選挙区制で絶対多数を占める自民党が政権の座にある状況において、選挙制度の変更は現実的には考えにくい。 今の状況では、“見果てぬ夢”のようにも思えるが、二大政党制を担いうる「責任野党」に出現してもらいたい。それを目指し、党改革の方向性を競い合う代表選挙になることを望みたい』、「代表選挙」は盛り上がらないまま終わった。これでは、「責任野党」の道はとてつもなく遠そうだ。
第三に、11月30日付けダイモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「立憲民主党は誰が代表になっても将来性なし 結党自体が間違いだった理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/288961
・『総選挙での惨敗により辞任した枝野幸男代表の後任を選ぶ、立憲民主党の代表選挙が本日(11月30日)に投開票される。逢坂誠二元首相大臣補佐官、小川淳也国会対策副委員長、泉健太政務調査会長、西村智奈美元厚生労働副大臣が立候補しているが、正直、まったく関心がない。誰が代表になろうと、立憲民主党に将来の展望はないからだ』、ずいぶん手厳しい批判だ。
・『立憲民主・代表候補者の致命的な知名度 共産党との「野党共闘」の是非に、候補者4氏とも明確な考えを述べず、歯切れが悪い。政策についても、うまくアピールできていない。 一方、岸田文雄政権は「新しい資本主義」を打ち出して、大きく左に張り出している(本連載第288回・p5)。それに対して、4氏とも自民党との差異をはっきりと打ち出せず、非常に苦心している。 深刻なのは、政治に詳しい人を除いて、おそらく多くの国民にとって、4氏とも「この人、誰?」という程度の知名度しかないことだ。自民党が、幹部から若手まで多士済々、キャラが立ち、国民によく知られた政治家を多数擁しているのと対照的で、残念なことである。 立憲民主党にも国民によく知られた人材はいる。野田佳彦元首相、岡田克也元副総理、玄葉光一郎元外相、安住淳元財務相、蓮舫元民進党代表などだ。だが、彼らは「旧民主党政権のイメージ」だから代表選に出られないという。おかしな話である。 彼らは「旧世代」だというかもしれない。しかし、第2次安倍晋三政権以降の自民党の主要メンバーと世代的には同じである。第一線を引退するのはまだ早い。また、安倍政権は、「第1次安倍政権」の失敗から学んで、史上最長の長期政権を築いた(第101回)。野党側も、失敗から学べばいいことだ。 権威主義など他の政治体制にはない、「自由民主主義」の長所は、「間違いさえもオープンにすることで、そこから学び、改めることができること」である(第218回)。実際、自民党はそれを実践し、政権を奪還した。 だが、日本の左派野党には、それはできないようだ。旧民主党政権の幹部だった政治家は、まるで間違いを犯した者のように排除された。そもそも、党名まで変えて旧民主党をなかったことにしている。残った人たちは、自分たちが間違えたのではないという態度だ』、見ず知らずの人間ばかりが出てきた理由がようやく理解できた。「旧民主党政権の幹部だった政治家は、まるで間違いを犯した者のように排除された」、なんと人材の無駄遣いをしていることか。そもそも、総括して反省点を明らかにすれば、旧幹部も十分使える筈だ。積み重ねを度外視するようでは、到底、政党の体をなしてない。
・『間違いを認めず、失敗から学びを得ない政党でいいのか 左派の人たちの特徴の一つは、間違いを絶対に認めない「無謬性」を主張することだ(第112回)。共産党の志位和夫委員長は、委員長就任以来一度も選挙に勝てないのに、いろいろと理屈を付けて、実に21年間も委員長を辞任しない。だが、立憲民主党も党内文化はそれほど変わらない。 だから、経験豊富なベテランたちが、政権運営を間違えた「旧民主党」のイメージだというだけで切り捨てられて、二度と表舞台に立てない。代表選には「若手の台頭」「世代交代」と言えばきれいに聞こえるが、実際は「次の総理」である野党第1党の代表の器量があるとは到底思えない政治家しかいない。ここに、この党の限界が見える。 世界の自由民主主義国で、一度や二度の政権運営の失敗で、党名を捨てたり分裂したりする政党はない。日本の自民党だけではなく、英国の保守党、労働党、ドイツのキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)、社会民主党(SPD)など、何度も政権奪取と下野を繰り返しているが、政治思想・信条、政策の方向性がブレない。失敗しても、そこから学び、復活する。何度でも繰り返すが、それが自由民主主義の強さなのである』、同感である。。
・『立憲民主党の結党は万死に値するほどの愚行、その経緯 そもそも、私は立憲民主党は結党されたこと自体が間違いだったと考える。それは、結党時の経緯を振り返れば明らかだ。 2017年9月、安倍首相の衆院解散・総選挙の決断を受けて、前原誠司代表(当時)が民進党の「事実上の解党」と、小池百合子代表(東京都知事)が率いる新党「希望の党」への合流を表明した(第168回)。当時、高い人気を誇っていた小池代表と合流することで、一挙に政権交代を実現することを狙ったものだった。 だが、民進党の衆院候補者が希望の党の公認を申請したが、小池代表が独自の基準で選別し、憲法・安全保障など基本政策が一致しない候補を公認しない「排除の論理」を持ち出した。排除された候補者から次々と悲鳴が上がり、阿鼻叫喚の様となった。 この事態に、小池代表の「非情」と前原代表の「詰めの甘さ」が厳しい批判にさらされた。この時、公認を得られず路頭に迷った議員を救済するために、枝野氏が「立憲民主党」を結党。 立憲民主党は、総選挙で55議席を獲得し、野党第1党となった。一方、希望の党は50議席にとどまり、その後小池代表が辞任し、党は解体した。その一部が現在、玉木雄一郎代表率いる「国民民主党」である(第182回)。 立憲民主党の結党は、枝野幸男氏という政治家が、日本政治をどういう方向に進めるかの大局観がなく、政党を運営するための何の展望も持たず、ただ感情だけで動いた結果である。それは、2017年総選挙の後に起きたことを検証すればわかる。 政治学の理論をアレンジして用いれば、立憲民主党の結党で「分極的一党優位制」と呼ぶべき体制が確立したといえる。これは要するに、左右に大きく政策のウイングを広げた巨大な自民党に対して、左翼に大きく寄った小規模な野党がいるという体制だ』、「立憲民主党の結党は、枝野幸男氏という政治家が、日本政治をどういう方向に進めるかの大局観がなく、政党を運営するための何の展望も持たず、ただ感情だけで動いた結果」、緊急避難的なものだった筈で、筆者の表現はいささか厳し過ぎる。
・『政策を取られた立憲民主党、中流層は離れるばかり 2017年総選挙時に、前原民進党代表が主張していた消費増税による教育無償化の実現など「All For All」という政策を自民党が「パクって」以降、本来野党が取り組むべき社会民主主義的国内政策を次々と安倍政権が実現していった(第218回)。サイレントマジョリティー(中流層=消極的保守支持者)の支持は自民党に集まったわけである。 これに対して、立憲民主党はサイレントマジョリティーの支持を自民党と争うのではなく、共産党と共闘して左翼の支持者を固める方向に向かった。国会では、共産党とともに「何でも反対」の姿勢を取ったが、圧倒的多数を築いた自民党はそれを無視し、政策を無修正で通していった(第189回)。 「分極的一党優位制」は、実は自民党と共産党の利害が一致する体制だ。もちろん両者の間にコミュニケーションはない。だが、お互いにとって都合がいいのだ。 自民党にとっては、「民主党」が崩壊せずに、政権担当経験があり、現実的な議論ができる政党になっていれば、面倒な存在だったはずだ。それがバラバラになり、共産党と共闘してくれて幸運だった。それを共産党がシロアリのように食い荒らし、経済財政や安全保障で政策の幅を失ってくれると、強引にやりたい政策を通しやすくなるからだ。 その上、現実的な議論のできない野党はサイレントマジョリティーに支持されない、「万年野党化」してくれるので、自民党にとって安泰だ。 一方、共産党にとっては、安倍首相のような安全保障や憲法で「保守色」がにじみ出る自民党が「極端」な物言いをしてくれるほうがいい。「何でも反対」の共産党が目立つことになり、支持を集めやすく、存在感を強めることができる。自民党と共産党は、お互いに「必要悪」な存在といえるのだ』、筆者は「共産党」との選挙協力に批判的なようだが、死に票が大きく減ったメリットに言及しないのは、政治学者として無責任だ。
・『もし立憲民主党が生まれなかったらどうなっていたか 立憲民主党の結党という枝野氏の大局観なき行動がなければ、日本政治はどのように変化する可能性があったか。再び、政治学の理論をアレンジして用いれば、「穏健な保守中道二大政党制」に向かったかもしれなかった。 「穏健な保守中道二大政党制」とは、安全保障を政争の具とせず、経済財政・社会保障政策など内政面では「改革が手ぬるい」「よりよき政策がある」と、保守と中道が競い合って、現実的な政策を作り上げていく体制だ。 もちろん、逆に小池都知事・前原代表に、大構想があったわけではない。小池都知事は安倍首相に権力闘争を挑みたかっただけだ。前原代表には、「民進党が共産党に食われ続ければ、大幅な議席減となる」という、やむにやまれぬ思いがあった。 それでも総選挙後には、たとえ政権交代を実現できなくても、民進党内にいた左派はほぼ絶滅し、共産党との共闘は終焉し、希望の党が野党第1党になったはずだった。そして、「安全保障を政争の具にしない政治」であり、「より改革的な政策とは何かを競い合う政治」が始まったはずだ。そして、過去の因縁を超えて、希望の党に維新の会も合流し、「穏健な保守中道二大政党制」が出現していたかもしれない。 立憲民主党の結党とは、一度は実現するかに思われたこの動きを必死に止めたものだった。その後出現した「分極的一党優位制」で利益を得たのは立憲民主党ではなく、自民党と共産党だったのだ。 そして、安倍政権による強引な政権運営、権力の私的乱用、人事権の乱用と官僚の「忖度」、スキャンダルの頻発と、それに「万年野党」が金切り声を上げて反対する、日本政治の堕落が起こった(第226回)。 また、政治だけではなく、国民もおかしくなった。安倍政権を支持する人も、左派を支持する人も、お互いに感情的に反発し合い、政策をまともに考える力を失っていった。 その意味で、枝野氏による立憲民主党の結党は、万死に値するほどの愚行であった。枝野氏は党代表を辞任したが、それだけでなく、議員辞職し、政界を去るべきだ』、「立憲民主党の結党」は小池氏・前原氏による「排除の論理」に対抗した防衛的なものだ。筆者の見方はあまりに「枝野」氏に対し、不当なまでに厳し過ぎる。こういう暴論もあり得るのを紹介したまでである。
タグ:ずいぶん手厳しい批判だ。 見ず知らずの人間ばかりが出てきた理由がようやく理解できた。「旧民主党政権の幹部だった政治家は、まるで間違いを犯した者のように排除された」、なんと人材の無駄遣いをしていることか。そもそも、総括して反省点を明らかにすれば、旧幹部も十分使える筈だ。積み重ねを度外視するようでは、到底、政党の体をなしてない。 日本の政治情勢 (その58)(メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 州の政治家は「弁論力」がすごい、「責任野党」は”見果てぬ夢か” ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計、立憲民主党は誰が代表になっても将来性なし!結党自体が間違いだった理由) PRESIDENT ONLINE ヤマザキ マリ 「メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 州の政治家は「弁論力」がすごい」 ヤマザキ氏のシャープな見方は、参考になりそうだ。 特に「日本の政治家」のお粗末さは顕著だ。 「メルケル」演説は多方面で高く評価された。「メルケル」氏が昨日、公式に引退したのは誠に残念だ。 イタリアの「コンテ首相」も印象的な演説をしたのであれば、日本の政治家のお粗末さが目立ってしまう。 「パンデミックのような状況は、本来なら指導者が自分の人気を上げるのにいかようにも利用できる好機なのに、(それが出来なかったトランプ4大統領は)もったいないことだ」、トランプには逆立ちしても出来ない筈だ。 官邸のゴーストライターに書かせているようでは、望み薄だ。 日本の政治家には、安部・菅・岸田だけでなく、誰にとってもそんな芸当がそもそも無理なように育っているのは誠に残念だ。 郷原信郎 ブログ 「「責任野党」は”見果てぬ夢か” ~15年前の「永田メール問題」から止まった時計」 「立憲民主党は、結党以来の危機に直面している」、同感である。 「構想」の「民主党には、無責任野党としての存在から脱却し、国政に関連する調査、政策立案、国会質問・追及などあらゆる面で責任を果たし得る日本初の真の責任野党を創造することが求められている」との、狙いはいまでも新鮮である。 「指摘・提言」も現実に立脚した建設的なもので、これらも新鮮味を失ってない。 小沢体制の下で、「民主党」は「責任野党」に脱皮する機会を失ったことになり、重大な損失だった。 「小沢一郎」失脚後に、「仙谷氏」ら「民主党」中枢が筆者に接触しなかった理由は何なのだろう。「責任野党」への提言が重過ぎたためなのだろうか。 「加計学園問題」では、「その背景となった、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点が含まれていた。国会での追及は、そのような点に関連づけて幅広く行っていくべきだった。しかし、実際の野党の追及は、そのような「政策」を意図することなく、安倍首相に対する個人攻撃ばかりを繰り返す「政局」的な追及に終始」、 「政策面の問題に関連づけて政権追及を行っていくという「責任野党構想」とは真逆の方向」、これでは確かに「責任野党」とはbほど遠い。 「野党側は、私の主張の中の「本質的な部分」には耳を貸すことなく、単なる「安倍政権・安倍首相批判」の部分を都合よく利用しているだけだった」、なんと程度が低いことだ。 「江田氏」は経産省出身とはいえ、常識の範囲の問題なので、単に不勉強だったのだろう。 「代表選挙」は盛り上がらないまま終わった。これでは、「責任野党」の道はとてつもなく遠そうだ。 ダイモンド・オンライン 上久保誠人 「立憲民主党は誰が代表になっても将来性なし 結党自体が間違いだった理由」 「立憲民主党の結党は、枝野幸男氏という政治家が、日本政治をどういう方向に進めるかの大局観がなく、政党を運営するための何の展望も持たず、ただ感情だけで動いた結果」、緊急避難的なものだった筈で、筆者の表現はいささか厳し過ぎる。 筆者は「共産党」との選挙協力に批判的なようだが、死に票が大きく減ったメリットに言及しないのは、政治学者として無責任だ。 「立憲民主党の結党」は小池氏・前原氏による「排除の論理」に対抗した防衛的なものだ。筆者の見方はあまりに「枝野」氏に対し、不当なまでに厳し過ぎる。こういう暴論もあり得るのを紹介したまでである。