東京オリンピック(五輪)(その22)(「復興五輪」はどこへ行ったのか “長沼ボート場問題”小池百合子さんとの顛末 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#1、森喜朗さんが耳元で「いらんこと言うなよ」…東京五輪で露呈した日本型組織の大きな問題 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#2、日本の深刻実態…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の力学) [国内政治]
北京五輪も終了したので、東京オリンピック(五輪)を取上げておきたい。(その22)(「復興五輪」はどこへ行ったのか “長沼ボート場問題”小池百合子さんとの顛末 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#1、森喜朗さんが耳元で「いらんこと言うなよ」…東京五輪で露呈した日本型組織の大きな問題 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#2、日本の深刻実態…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の力学)である。なお、東京五輪を前回取上げたのは、昨年9月29日である。
先ずは、昨年12月3日付け文春オンラインが掲載したニュースキャスターの長野 智子氏による「「復興五輪」はどこへ行ったのか “長沼ボート場問題”小池百合子さんとの顛末 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/50253
・『東日本大震災から10年が経った2021年夏、「復興五輪」の旗を掲げた東京オリンピック・パラリンピックが開催された。海外から訪れた観客や選手、関係者たちに道半ばとはいえ復興の進んだ被災地の姿を見てもらい、感謝の気持ちを伝えようという「復興五輪」のコンセプトは、残念ながらコロナ禍によって実現が困難になった。 しかしアジェンダ達成を困難にしたのは新型コロナウイルスだけだったのだろうか。都、国、組織委員会は、果たしてどれだけ「復興五輪」というアジェンダに誠実に向き合ったのか。被災地のリーダーの一人として東京2020に関わった、宮城県の村井嘉浩知事に話を聞いた(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『オリンピック招致表明に、正直「今やるの?」 Q:2011年3月に東日本大震災が起きて、被災地がまだまだ大変な状況だった7月に、石原慎太郎元東京都知事が2020年オリンピックの招致を表明しました。その動きをどうご覧になっていましたか。 村井 いや、正直、「今やるの?」と。資材もない、人もいない、こちらはもうそれどころじゃないという時期で。たとえば「オリンピックやるから復興予算を確保する期間を何年間か長くします」とでも言ってもらえれば少しは納得するかもしれないけど、それもない。いや、これはますます復興が遅れるのではないか、というのはありました。 Q:でも招致委は「復興五輪」でいくぞと。9年後に元気な被災地の姿を見せようという勢いでしたよね。 村井 それどころじゃない。こちらはほんとてんてこまいでしたから。その中で、「え、オリンピックやるの?」って。その先の4年後(2024年)でもいいんじゃないかと思いました』、確かに作業員や資材の奪い合いで、「復興」にはマイナスの影響があった筈だ。
・『被災地は蚊帳の外の「復興五輪」 Q:事前に被災地のリーダーに相談はあったんですか。 村井 ないです。「復興五輪」というアジェンダも含め、我々抜きでどんどん決まっていったという感じで。我々は蚊帳の外という印象でしたね。 Q:例えば、9年後ですが現実的ですか? とかもなかった。 村井 特になかったです。もちろん、ある程度の骨子が固まって発表する段階では連絡が来ました。でもその段階では引き返せない。いやいやって言ってもどうしようもないわけですよ』、「復興五輪」なのに、「被災地は蚊帳の外」とは看板に偽りありだ。
・『招致決定をテレビで見て「本当にできるのかな」と Q:とにかく人と資材がとられてはたまらんよと。一方で、「復興五輪」として動き出したことに期待はありましたか。 村井 それはありました。どうせやるなら五輪をきっかけにして、さらなる復興に繋げたいとは思って。それは期待しましたよね。 Q:ところが2年後の2013年に、当時招致委員会の理事長だったJOCの竹田恆和氏が「東京と福島は250キロ離れている。東京は安全です」と発言して批判が起きました。 村井 あの発言には私もがっかりしましたね。安心を強調したかったのかもしれませんけど、もう少し言い方があるでしょうと。福島に住んでいる人もいるわけですし、福島の近くで生活している人もいる。むしろ福島の安全をアピールしてほしかったです。 Q:招致が正式に決定したときはどう思いましたか。 村井 招致決定はテレビの中継で観ました。うれしいという気持ちは特になく、本当にできるのかなと。被災地はまだオリンピックの話をする余裕なんてなかったですから。皆さんがまだまだ仮設住宅に入っていましたし、災害公営住宅もほとんどできていない時期ですからね。てんやわんやなんですよ。寒いから断熱材をもうちょっと増やさなければとか、エアコンをもうひとつ入れようとか。 Q:そうすると一気にオリンピックが身近に感じられたのはやはり2016年の長沼ボート場の一件ですか。 村井 その前に宮城スタジアムでサッカーの開催が決まっていたのですが、財源は本当に大丈夫なのかと不安でした。オリンピック仕様にしなければならないので、大きなスクリーンを設置しなきゃとか、トイレなどをバリアフリーにしなきゃとか、芝も全部張り替えなきゃとか、お金がないのにどうするのかという心配があって。そんな中で、長沼のボート場について連絡があったんです』、なるほど。
・『「長沼ボート場」が代替会場の候補に 〈2016年7月に小池百合子氏が東京都知事に当選。その2カ月後、東京都は五輪コスト削減のために整備計画の見直しが必要であるとし、ボート、カヌー競技の会場だった江東区の「海の森水上競技場」の代替会場として、宮城県登米市の「長沼ボート場」を含む3カ所を候補にあげた。〉 Q:連絡はどこから。 村井 都庁の上山信一さん(五輪開催費用調査チーム特別顧問)です。私の中学校の先輩なんですよ。上山さんからメールが届いて、「実はオリンピックはものすごく経費がかかるので、長沼でやったらいいじゃないかと思うのだけどどうか」と。いやそれはいい話ですねって返しました。そこからドドドドドッと進んだんですけど、途中でピッタリ止まっちゃった。 小池さんは「やりましょう」と言っていたが… Q:そのドドドドドの経緯では何があったんですか。 村井 小池さんから私に連絡があって「いいですね、やりましょう」と。その頃は頻繁に小池さんとやりとりしていました。現地にも視察に来ていただいたりして。小池さんと上山さんは「復興五輪」なのだから選手の皆さんに仮設住宅に泊まってもらったらいいんじゃないかというアイデアも出してくれました。非常に面白い発想だなあと思いまして。 Q:この件で、それまで心配だけだったのが、急に五輪を実感として捉えた感じですか。 村井 そうですね、こちらも積極的にやりたいという雰囲気になって。そのときは宮城県庁の職員も面白いって盛り上がりましたよ。長沼ボート場は非常に波も穏やかで国際大会もできる素晴らしい施設だし、江東区の競技場のようなメインテナンスもいらない。予算も3分の1くらいでできる。オリンピックのレガシーとして、これから育つ子供たちがここで毎年、全国大会やインターハイをやればいいよねと、こちらもどんどん準備を進めていたんですよ。してたんですけど、まあ。某会長らがダメだと。 Q:あ、バッハ会長ですか。 村井 そう。反対をする一定の勢力がいることは耳に入ってきていましたが』、「長沼ボート場は・・・予算も3分の1くらいでできる」。「東京開催」派が、「バッハ会長」をかついで「長沼ボート場案」をつぶすとは汚い。
・『長沼ボート場案は見送りに 〈小池都知事が長沼ボート場を視察した3日後の10月18日、IOCのバッハ会長と小池都知事の会談が行われた。その会談でバッハ会長は長沼ボート場開催案について「開催都市に選ばれた後にルールを変えないことこそ利益にかなう」と否定的な発言。日本カヌー連盟も長沼開催に反対を表明し、結局ボート競技は東京で開催されることとなった〉 Q:小池知事は村井知事になんと説明したのですか。 村井 メールが来ました。電話もあったかな。結局みなさん(IOC・組織委・ボートの競技団体など)の理解が得られないと。そこで私は小池さんに「でも小池さんがぜひ宮城でやりたい、もしできないならボートはやりませんと言ってくれたら宮城でできますよ」とは言ったんですけど…。もし私が都知事ならそう言いましたね』、「小池都知事」にとっては、「長沼」だろうと、「東京」だろうとどちらでも開催できればいいので、「長沼」案を主張して欲しかったというのは、「村井知事」の願望に過ぎない。
・『被災者をいじめているとしか思えない 〈当時、組織委は長沼ボート場代替開催の検討過程を「水面下で打診された、極めて不透明なやり方」と批難する声明文を発表。それを受けて村井知事は会見で「水面下で話したことなどない。被災者をいじめているとしか思えない。情けない」と批判した。〉 Q:組織委の対応に不信感を持ったと、当時も知事は発言されていましたね。 村井 県民の皆さんも、地元のボート関係者も、非常に期待をしていましたしね。私自身、多少県からのお金の持ち出しがあっても、復興五輪のレガシーになるなら開催したいと思いました。その後は毎年インターハイなどで学生に使ってもらったり、観光にも繋がるかもしれないので地域の活性化になると期待していたから、本当に残念で、がっかりしました。道路、選手の搬送、仮設住宅、どんどん準備を進めていく中でパシャーンですから。【#2へ続く】』、「水面下で話したことなどない。被災者をいじめているとしか思えない。情けない」、との「村井知事」の批判は正論だ。
次に、この続きを、12月3日付け文春オンライン「森喜朗さんが耳元で「いらんこと言うなよ」…東京五輪で露呈した日本型組織の大きな問題 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/50254
・『「復興五輪」はなぜ実現できなかったのか。東京オリンピック・パラリンピックで見えた問題点を、村井嘉浩・宮城県知事と振り返る。後編は意思決定が遅く、責任の所在が見えにくい、日本型組織の実態について語る。(#1から続く)』
・『あらゆることが決まらないし、返事もこない Q:東京2020に関わった方の話を取材していると、意思決定の過程や責任の所在がわからないとよく聞くんですよね。 村井 その通りです。やはり意思決定する人を一人置いて、その人が責任をとらないといけません。五輪担当大臣がいて、組織委には元総理がいて、都知事がいて、そこにまた我々みたいのがぶら下がっていて、頭が2つも3つもあるから本当に意思決定が遅かった。これは五輪のような大会を運営する上で最大の問題だと思いましたね。 Q:意思決定が遅いというのは、例えばどんなことで感じましたか。 村井 例えば式典で、誰が挨拶するとかどこに座るとかさえなかなか決まらないし、返事も来ない。また大会中も、県内に滞在している大会関係者に新型コロナ感染者が出たというときに、受け入れ側としてはどこのホテルにいるのか、どこの国の人なのか、どういう行動をしてきたのか、内々にでも情報が欲しい。でも、要求しても詳細を全然教えてくれないし、情報提供も遅いんですよ。意思決定する人がいないからです』、「頭が2つも3つもあるから本当に意思決定が遅かった。これは五輪のような大会を運営する上で最大の問題だと思いましたね」、初めから予想された問題が、その通り問題になったということだ。
・『「復興の火」をどこに展示するのか問題 Q:他にもありましたか。 村井 とにかくたくさんありました。聖火を被災3県で巡回展示する「復興の火」でも、「火をどこに展示するのか問題」が起きました。「復興の火」は宮城だけのものではないので、人が集まりやすくて、かつ火災が起きない安全な場所ならいいですよねと、我々は準備を進めていたのですが、これが決まらないんですよ。 IOCの考え方なのか、聖火が同じ市町村に何度もいくのはダメという話があって、そうなると聖火リレーをやる場所ではなく、別の地区に持っていってほしいとか。いろいろと理解し難いことを言われました。 Q:なるほど。 村井 宮城県としては、石巻市から聖火リレーのスタートをしたいと2017年に申し入れをしていたんです。でも近くに安全に降り立てる飛行場があるかとか、直行便がないとかで、なかなか決まらなかった。何年も時間がかかった末に、結局、航空自衛隊松島基地に聖火が到着することになりました。松島基地で「聖火到着式」をやって、そこから石巻に持っていって式典をやるという。 でもこんな単純な話、我々に任せてもらえばタタターンてすぐに準備できましたよ。聖火をどこに下ろして、どこで点火式やって、どこに展示して、どこをリレーしてとか、地元のことは地元の人が一番わかってる。こんな単純なことだけのために、ずいぶんと長い時間がかかりました。) Q:なんでそんなに時間がかかるんでしょうか? 村井 つまり、意思決定を誰がするのか、明確ではないことが最大の問題点だったんです。担当大臣、組織委の会長、都知事…この3人のうち誰が意思決定するかがわからないんですよ。今もわからない。さらにIOCがいる。様々な問題が常にぐるぐるとして決まらず、そのしわ寄せが我々地方にくるという。 Q:なるほど。ひどいですね』、「意思決定を誰がするのか、明確ではないことが最大の問題点」、「様々な問題が常にぐるぐるとして決まらず、そのしわ寄せが我々地方にくるという」、ひどい話だ。
・『森喜朗氏が耳元で「いらんこと言うなよ」 村井 森喜朗・元会長は、私がお会いしたいと言っても絶対会わせてもらえなかったですからね。 Q:そうなんですか。 村井 長沼ボート場の会場変更問題で、ぜひボートを誘致したいからお話をしたいと言っても、会ってくれなかった。何度言っても。 Q:復興五輪と言っているのに、被災地の知事に会わない。 村井 会ってくれないんですよ。お目にかかったのは石巻市で開催された聖火記念式典のときと、東京で被災3県の食材を使ってIOCのバッハ会長のおもてなしをしたときくらい。しかもそのレセプションが始まる前に森さんが近づいてきて、私の耳元で言うんですよ。「いらんこと言うなよ」って。正直あ然としました(笑)。そのときは何も喋らないように努めましたけどね。 Q:ひどいですね。 村井 元総理が組織委員会の会長を務めたことは、私はミスだと思いますよ』、偉ぶるだけの「森喜朗」氏を「会長」にしたのは、「ミス」以外の何物でもない。
・『橋本聖子氏が会長になり変化が Q:どういうことですか。 村井 あまりにも偉すぎて誰も何も言えない。組織委員会というのは自前でお金を出すわけでもないのだから、本当は下にいなきゃいけない組織だと思うんです。東京都は開催地だし、お金も出すわけだから、本来は東京都知事がトップにいたほうがいいんですよ。組織委の会長に元総理を置くから混乱する。だから橋本聖子さんが会長になってからは、急に回り始めました。 Q:そうなんですか。具体的にどう回ったんですか。 村井 例えば宮城県でサッカー競技を有観客で開催しようとなったときに、橋本さんとはすぐに直接連絡を取れました。橋本さんも会いに来てくれたり、私も会いに行ったり、スムーズに意思の疎通ができました』、「橋本聖子氏」のように「知事」とも「スムーズに意思の疎通ができました」というのは、確かに大きな変化だ。
・『サッカー、有観客開催実現までの舞台裏 〈2021年7月、村井知事は宮城スタジアムで開催される五輪サッカー競技について有観客で行う方針を発表。コロナ対策で共闘する郡和子・仙台市長や医療界からの反対意見もあったが実現させた。〉 Q:反対は凄かったかと思いますが、決行しましたね。 村井 1都3県以外の地方開催の競技では、最初はみんな有観客を予定していましたが、結果的に北海道も福島も無観客となりまして。そのときにすぐに橋本さんから電話がかかってきました。「福島県も無観客になったけど、村井さんはどうお考えですか?」と。私は「宮城県はプロ野球も有観客でやっているし、五輪に出る日本選手の強化試合も有観客でやっている。サッカーもプロの試合は有観客で開催していますし、五輪だけダメだというのもおかしいので、私は有観客でやるつもりです」と伝えました。そうしたら橋本さんは「ありがとうございます」と。 Q:「ありがとうございます」ですか。橋本さんも実は有観客にしたかったんですかね。 村井 したかったというより、橋本さんは元アスリートで実際に観客の前で競技していますから。やはり観客がいるかどうかの違いを、我々じゃわからないレベルで知っているんだろうなと。いずれにしても橋本さんが応援してくれたからスムーズに進みました』、「宮城県」が「サッカー」を「有観客」でやると決断した「村井知事」やそれを支持した「橋本会長」は大したものだ。
・『「批判は当時もいまもあります」 Q:決定権を持つ組織委の会長が、他の地方の無観客判断を認める一方で、有観客を応援するというのも変な話とは思いますが。村井知事はどうしてそこまで有観客にこだわったのですか。 村井 それは「復興五輪」だからです。海外から来てくれた選手や関係者の皆さんに、少しでも我々の気持ちを伝えたいというのが根底にあります。結果的には感染者も出ず、ボランティアも地元の皆さんもとても喜んでくれたのでよかったです。 Q:リスクはあったわけですよね。 村井 もちろんリスクに対する批判は当時も今もあります。10月末に行われた知事選挙の対立候補は医師だったのですが、あのときの私の判断への憤りが出馬の動機だとおっしゃっていました。 Q:反論があっても決断して実行すべきだと思いますか。 村井 辛いんですよ。実際、失敗したらコロナがまた広がる、人命に関わる問題になると本当にかなり悩みましたね。反対派の意見ももっともだと思います。県庁の職員もみんな不安そうな目をしていましたし。 Q:孤独ですね。 村井 リーダーは孤独です。全部私の責任ですから』、「感染者」が出なかったというのは、努力もあるとしても、幸運だった面もある。
・『政治家は落選を考えていたら何もできない Q:そこを避けるリーダーも多いです。 村井 いや、もう知事選に落ちてもいいと思っていたから。政治家というのは落選を考えていたら何もできないので。元々私は宮城に地縁もない。大阪の人間で、宮城との接点は自衛隊時代に仙台の駐屯地に配属されたというだけです。でもだから実行する。二世議員じゃなかなかできないと思います。怖いから。 Q:正しいと思うからやるんですよね。 村井 そう、信念。自分が正しいと思ったことをやろうと。反対派からしたらどうしようもない男に見えるでしょうね(笑)。ただ、有観客でやろうと決断した後は、職員たちも感染対策を完璧にやろうと、テロ対策も含めて徹底的に準備してくれました』、「もう知事選に落ちてもいいと思っていたから。政治家というのは落選を考えていたら何もできないので。元々私は宮城に地縁もない。大阪の人間で、宮城との接点は自衛隊時代に仙台の駐屯地に配属されたというだけです。でもだから実行する。二世議員じゃなかなかできないと思います。怖いから」、大した割り切りだ。
・『日本社会の縮図となった「東京2020」 Q:リーダーの顔がきちんと見えて、その人が最終的な意思決定をし、結果の責任をとるというのは今の日本ではほとんど見られない、まさにそういった意味で東京2020は日本の縮図のように見えます。 村井 見えますね。今の日本を表していたと思います。私は陸上自衛官のとき、ヘリコプターのパイロットだったんです。ヘリコプターを操縦するときは、できるだけ遠方目標をとる。 目の前のことではなく、この先どう進むのかをしっかり決めて飛んでいかなければいけません。政治も同じですよね。遠方目標がないから目の前のA地点やB地点ばかりをぐるぐる回ってしまう。やはりこの先日本がどうなるのかを見定めて、今なにをやるかを決めなければと思っています。 Q:アスリートの活躍は素晴らしかったけれど、一方で多くの人が意義を見いだせなかった、東京2020はその典型でしたね。 村井 そうですね。日本社会を表していましたね。このままだとまずいと思っても、意見を言うと怒られるから控えてしまう。五輪にぶら下がってお金を稼ごうとする人が集まってきて、さらに悪い方向に進む。でも上は偉い人ばかりだから、みんな何も言えない。まさに日本の社会の縮図が、今回の東京2020だったと思います』、「陸上自衛官のとき、ヘリコプターのパイロットだった」というのは初めて知った。「やはりこの先日本がどうなるのかを見定めて、今なにをやるかを決めなければと思っています」、今後の活躍を期待している。
第三に、本年2月7日付け現代ビジネス「日本の深刻実態…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の力学」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/92193?imp=0
・『世界のあちこちで起きている「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」現象。東京五輪には、ブルシットの力学が見られる? 『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』著者の酒井隆史さんが解説します』、興味深そうだ。
・『東京五輪とブルシットの力学 巨額の資金が動くとき、その分配にかかわるシステムにすきまがあれば寄生者のレイヤーがつくりだされる。この力学は日本でも、即座におもいうかぶ事例がないでしょうか? 現在の政権あるいは政府と電通とかパソナとの関係ですね。政府はかつて公共あるいは行政に属していた機能を「市場原理」の導入によって「効率化」するとの名目で、大手広告代理店などに委託しています。 たとえば今回の東京五輪です。そこでは数兆円という巨額の資金が、こうした代理店などを通して大量にばらまかれました。 準備期間中に日給数十万の謎のポストがあることが発覚して、ちょっとしたスキャンダルになりましたよね。おそらく、そこではほとんどなんの意味もないポストがつくられ、そこに資金がばらまかれていたのではないかと想像されます。 もうひとつ、『ブルシット・ジョブ』には、ハリウッドで脚本家をやっているオスカーという人物の証言があらわれます。 かれによれば、ハリウッドにもブルシットの波が押し寄せ、一つの作品をつくるにあたって異様に複雑な過程がうまれ(それまでは良かれ悪しかれワンマンオーナーがやると決めたら、あとは現場にほとんどゆだねて好きにつくらせていたことも多かった)、一つの作品が制作される過程で、謎の肩書きの上司(なんとかなんとかエグゼクティヴみたいな)がうじゃうじゃあらわれて、口をはさんでいく結果、意味不明なものができあがるといっています。 これは経営封建制がどれほど、一つの過程のなかに謎めいた中間的ポストをつくりだすかの事例としてあげられているのですが、ここでわたしたちはなにかをおもいださないでしょうか。東京五輪開会式のパフォーマンスをめぐるゴタゴタです。 ブルシット・ジョブ論は、今回の東京五輪についても、そこでなにが起きているのか、どうしてあのようなことが起きたのか、手がかりを与えてくれるようにおもいます。 細部にわたる検討は、ここではできませんが、大枠でいえば、その資金のほとんどは、税金で、基本的にわたしたちから徴収された富ですよね。 その膨大な富を、かれらは仲間内にばらまき、そしてより土台にあたる必要不可欠な仕事は、なるべく無償でそして医療従事者にもなけなしの報酬しか払いませんでした。 まるでこうした必要不可欠な仕事は報酬はいらないだろ、とでもいわんばかりです』、「細部にわたる検討は、ここではできませんが」と言い訳をしているが、細部の検討なくしては結論は出せない筈だ。もう少し練れば、面白い結論につながる可能性があるのに、荒っぽい論旨を展開したのは誠に残念だ。
先ずは、昨年12月3日付け文春オンラインが掲載したニュースキャスターの長野 智子氏による「「復興五輪」はどこへ行ったのか “長沼ボート場問題”小池百合子さんとの顛末 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/50253
・『東日本大震災から10年が経った2021年夏、「復興五輪」の旗を掲げた東京オリンピック・パラリンピックが開催された。海外から訪れた観客や選手、関係者たちに道半ばとはいえ復興の進んだ被災地の姿を見てもらい、感謝の気持ちを伝えようという「復興五輪」のコンセプトは、残念ながらコロナ禍によって実現が困難になった。 しかしアジェンダ達成を困難にしたのは新型コロナウイルスだけだったのだろうか。都、国、組織委員会は、果たしてどれだけ「復興五輪」というアジェンダに誠実に向き合ったのか。被災地のリーダーの一人として東京2020に関わった、宮城県の村井嘉浩知事に話を聞いた(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『オリンピック招致表明に、正直「今やるの?」 Q:2011年3月に東日本大震災が起きて、被災地がまだまだ大変な状況だった7月に、石原慎太郎元東京都知事が2020年オリンピックの招致を表明しました。その動きをどうご覧になっていましたか。 村井 いや、正直、「今やるの?」と。資材もない、人もいない、こちらはもうそれどころじゃないという時期で。たとえば「オリンピックやるから復興予算を確保する期間を何年間か長くします」とでも言ってもらえれば少しは納得するかもしれないけど、それもない。いや、これはますます復興が遅れるのではないか、というのはありました。 Q:でも招致委は「復興五輪」でいくぞと。9年後に元気な被災地の姿を見せようという勢いでしたよね。 村井 それどころじゃない。こちらはほんとてんてこまいでしたから。その中で、「え、オリンピックやるの?」って。その先の4年後(2024年)でもいいんじゃないかと思いました』、確かに作業員や資材の奪い合いで、「復興」にはマイナスの影響があった筈だ。
・『被災地は蚊帳の外の「復興五輪」 Q:事前に被災地のリーダーに相談はあったんですか。 村井 ないです。「復興五輪」というアジェンダも含め、我々抜きでどんどん決まっていったという感じで。我々は蚊帳の外という印象でしたね。 Q:例えば、9年後ですが現実的ですか? とかもなかった。 村井 特になかったです。もちろん、ある程度の骨子が固まって発表する段階では連絡が来ました。でもその段階では引き返せない。いやいやって言ってもどうしようもないわけですよ』、「復興五輪」なのに、「被災地は蚊帳の外」とは看板に偽りありだ。
・『招致決定をテレビで見て「本当にできるのかな」と Q:とにかく人と資材がとられてはたまらんよと。一方で、「復興五輪」として動き出したことに期待はありましたか。 村井 それはありました。どうせやるなら五輪をきっかけにして、さらなる復興に繋げたいとは思って。それは期待しましたよね。 Q:ところが2年後の2013年に、当時招致委員会の理事長だったJOCの竹田恆和氏が「東京と福島は250キロ離れている。東京は安全です」と発言して批判が起きました。 村井 あの発言には私もがっかりしましたね。安心を強調したかったのかもしれませんけど、もう少し言い方があるでしょうと。福島に住んでいる人もいるわけですし、福島の近くで生活している人もいる。むしろ福島の安全をアピールしてほしかったです。 Q:招致が正式に決定したときはどう思いましたか。 村井 招致決定はテレビの中継で観ました。うれしいという気持ちは特になく、本当にできるのかなと。被災地はまだオリンピックの話をする余裕なんてなかったですから。皆さんがまだまだ仮設住宅に入っていましたし、災害公営住宅もほとんどできていない時期ですからね。てんやわんやなんですよ。寒いから断熱材をもうちょっと増やさなければとか、エアコンをもうひとつ入れようとか。 Q:そうすると一気にオリンピックが身近に感じられたのはやはり2016年の長沼ボート場の一件ですか。 村井 その前に宮城スタジアムでサッカーの開催が決まっていたのですが、財源は本当に大丈夫なのかと不安でした。オリンピック仕様にしなければならないので、大きなスクリーンを設置しなきゃとか、トイレなどをバリアフリーにしなきゃとか、芝も全部張り替えなきゃとか、お金がないのにどうするのかという心配があって。そんな中で、長沼のボート場について連絡があったんです』、なるほど。
・『「長沼ボート場」が代替会場の候補に 〈2016年7月に小池百合子氏が東京都知事に当選。その2カ月後、東京都は五輪コスト削減のために整備計画の見直しが必要であるとし、ボート、カヌー競技の会場だった江東区の「海の森水上競技場」の代替会場として、宮城県登米市の「長沼ボート場」を含む3カ所を候補にあげた。〉 Q:連絡はどこから。 村井 都庁の上山信一さん(五輪開催費用調査チーム特別顧問)です。私の中学校の先輩なんですよ。上山さんからメールが届いて、「実はオリンピックはものすごく経費がかかるので、長沼でやったらいいじゃないかと思うのだけどどうか」と。いやそれはいい話ですねって返しました。そこからドドドドドッと進んだんですけど、途中でピッタリ止まっちゃった。 小池さんは「やりましょう」と言っていたが… Q:そのドドドドドの経緯では何があったんですか。 村井 小池さんから私に連絡があって「いいですね、やりましょう」と。その頃は頻繁に小池さんとやりとりしていました。現地にも視察に来ていただいたりして。小池さんと上山さんは「復興五輪」なのだから選手の皆さんに仮設住宅に泊まってもらったらいいんじゃないかというアイデアも出してくれました。非常に面白い発想だなあと思いまして。 Q:この件で、それまで心配だけだったのが、急に五輪を実感として捉えた感じですか。 村井 そうですね、こちらも積極的にやりたいという雰囲気になって。そのときは宮城県庁の職員も面白いって盛り上がりましたよ。長沼ボート場は非常に波も穏やかで国際大会もできる素晴らしい施設だし、江東区の競技場のようなメインテナンスもいらない。予算も3分の1くらいでできる。オリンピックのレガシーとして、これから育つ子供たちがここで毎年、全国大会やインターハイをやればいいよねと、こちらもどんどん準備を進めていたんですよ。してたんですけど、まあ。某会長らがダメだと。 Q:あ、バッハ会長ですか。 村井 そう。反対をする一定の勢力がいることは耳に入ってきていましたが』、「長沼ボート場は・・・予算も3分の1くらいでできる」。「東京開催」派が、「バッハ会長」をかついで「長沼ボート場案」をつぶすとは汚い。
・『長沼ボート場案は見送りに 〈小池都知事が長沼ボート場を視察した3日後の10月18日、IOCのバッハ会長と小池都知事の会談が行われた。その会談でバッハ会長は長沼ボート場開催案について「開催都市に選ばれた後にルールを変えないことこそ利益にかなう」と否定的な発言。日本カヌー連盟も長沼開催に反対を表明し、結局ボート競技は東京で開催されることとなった〉 Q:小池知事は村井知事になんと説明したのですか。 村井 メールが来ました。電話もあったかな。結局みなさん(IOC・組織委・ボートの競技団体など)の理解が得られないと。そこで私は小池さんに「でも小池さんがぜひ宮城でやりたい、もしできないならボートはやりませんと言ってくれたら宮城でできますよ」とは言ったんですけど…。もし私が都知事ならそう言いましたね』、「小池都知事」にとっては、「長沼」だろうと、「東京」だろうとどちらでも開催できればいいので、「長沼」案を主張して欲しかったというのは、「村井知事」の願望に過ぎない。
・『被災者をいじめているとしか思えない 〈当時、組織委は長沼ボート場代替開催の検討過程を「水面下で打診された、極めて不透明なやり方」と批難する声明文を発表。それを受けて村井知事は会見で「水面下で話したことなどない。被災者をいじめているとしか思えない。情けない」と批判した。〉 Q:組織委の対応に不信感を持ったと、当時も知事は発言されていましたね。 村井 県民の皆さんも、地元のボート関係者も、非常に期待をしていましたしね。私自身、多少県からのお金の持ち出しがあっても、復興五輪のレガシーになるなら開催したいと思いました。その後は毎年インターハイなどで学生に使ってもらったり、観光にも繋がるかもしれないので地域の活性化になると期待していたから、本当に残念で、がっかりしました。道路、選手の搬送、仮設住宅、どんどん準備を進めていく中でパシャーンですから。【#2へ続く】』、「水面下で話したことなどない。被災者をいじめているとしか思えない。情けない」、との「村井知事」の批判は正論だ。
次に、この続きを、12月3日付け文春オンライン「森喜朗さんが耳元で「いらんこと言うなよ」…東京五輪で露呈した日本型組織の大きな問題 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/50254
・『「復興五輪」はなぜ実現できなかったのか。東京オリンピック・パラリンピックで見えた問題点を、村井嘉浩・宮城県知事と振り返る。後編は意思決定が遅く、責任の所在が見えにくい、日本型組織の実態について語る。(#1から続く)』
・『あらゆることが決まらないし、返事もこない Q:東京2020に関わった方の話を取材していると、意思決定の過程や責任の所在がわからないとよく聞くんですよね。 村井 その通りです。やはり意思決定する人を一人置いて、その人が責任をとらないといけません。五輪担当大臣がいて、組織委には元総理がいて、都知事がいて、そこにまた我々みたいのがぶら下がっていて、頭が2つも3つもあるから本当に意思決定が遅かった。これは五輪のような大会を運営する上で最大の問題だと思いましたね。 Q:意思決定が遅いというのは、例えばどんなことで感じましたか。 村井 例えば式典で、誰が挨拶するとかどこに座るとかさえなかなか決まらないし、返事も来ない。また大会中も、県内に滞在している大会関係者に新型コロナ感染者が出たというときに、受け入れ側としてはどこのホテルにいるのか、どこの国の人なのか、どういう行動をしてきたのか、内々にでも情報が欲しい。でも、要求しても詳細を全然教えてくれないし、情報提供も遅いんですよ。意思決定する人がいないからです』、「頭が2つも3つもあるから本当に意思決定が遅かった。これは五輪のような大会を運営する上で最大の問題だと思いましたね」、初めから予想された問題が、その通り問題になったということだ。
・『「復興の火」をどこに展示するのか問題 Q:他にもありましたか。 村井 とにかくたくさんありました。聖火を被災3県で巡回展示する「復興の火」でも、「火をどこに展示するのか問題」が起きました。「復興の火」は宮城だけのものではないので、人が集まりやすくて、かつ火災が起きない安全な場所ならいいですよねと、我々は準備を進めていたのですが、これが決まらないんですよ。 IOCの考え方なのか、聖火が同じ市町村に何度もいくのはダメという話があって、そうなると聖火リレーをやる場所ではなく、別の地区に持っていってほしいとか。いろいろと理解し難いことを言われました。 Q:なるほど。 村井 宮城県としては、石巻市から聖火リレーのスタートをしたいと2017年に申し入れをしていたんです。でも近くに安全に降り立てる飛行場があるかとか、直行便がないとかで、なかなか決まらなかった。何年も時間がかかった末に、結局、航空自衛隊松島基地に聖火が到着することになりました。松島基地で「聖火到着式」をやって、そこから石巻に持っていって式典をやるという。 でもこんな単純な話、我々に任せてもらえばタタターンてすぐに準備できましたよ。聖火をどこに下ろして、どこで点火式やって、どこに展示して、どこをリレーしてとか、地元のことは地元の人が一番わかってる。こんな単純なことだけのために、ずいぶんと長い時間がかかりました。) Q:なんでそんなに時間がかかるんでしょうか? 村井 つまり、意思決定を誰がするのか、明確ではないことが最大の問題点だったんです。担当大臣、組織委の会長、都知事…この3人のうち誰が意思決定するかがわからないんですよ。今もわからない。さらにIOCがいる。様々な問題が常にぐるぐるとして決まらず、そのしわ寄せが我々地方にくるという。 Q:なるほど。ひどいですね』、「意思決定を誰がするのか、明確ではないことが最大の問題点」、「様々な問題が常にぐるぐるとして決まらず、そのしわ寄せが我々地方にくるという」、ひどい話だ。
・『森喜朗氏が耳元で「いらんこと言うなよ」 村井 森喜朗・元会長は、私がお会いしたいと言っても絶対会わせてもらえなかったですからね。 Q:そうなんですか。 村井 長沼ボート場の会場変更問題で、ぜひボートを誘致したいからお話をしたいと言っても、会ってくれなかった。何度言っても。 Q:復興五輪と言っているのに、被災地の知事に会わない。 村井 会ってくれないんですよ。お目にかかったのは石巻市で開催された聖火記念式典のときと、東京で被災3県の食材を使ってIOCのバッハ会長のおもてなしをしたときくらい。しかもそのレセプションが始まる前に森さんが近づいてきて、私の耳元で言うんですよ。「いらんこと言うなよ」って。正直あ然としました(笑)。そのときは何も喋らないように努めましたけどね。 Q:ひどいですね。 村井 元総理が組織委員会の会長を務めたことは、私はミスだと思いますよ』、偉ぶるだけの「森喜朗」氏を「会長」にしたのは、「ミス」以外の何物でもない。
・『橋本聖子氏が会長になり変化が Q:どういうことですか。 村井 あまりにも偉すぎて誰も何も言えない。組織委員会というのは自前でお金を出すわけでもないのだから、本当は下にいなきゃいけない組織だと思うんです。東京都は開催地だし、お金も出すわけだから、本来は東京都知事がトップにいたほうがいいんですよ。組織委の会長に元総理を置くから混乱する。だから橋本聖子さんが会長になってからは、急に回り始めました。 Q:そうなんですか。具体的にどう回ったんですか。 村井 例えば宮城県でサッカー競技を有観客で開催しようとなったときに、橋本さんとはすぐに直接連絡を取れました。橋本さんも会いに来てくれたり、私も会いに行ったり、スムーズに意思の疎通ができました』、「橋本聖子氏」のように「知事」とも「スムーズに意思の疎通ができました」というのは、確かに大きな変化だ。
・『サッカー、有観客開催実現までの舞台裏 〈2021年7月、村井知事は宮城スタジアムで開催される五輪サッカー競技について有観客で行う方針を発表。コロナ対策で共闘する郡和子・仙台市長や医療界からの反対意見もあったが実現させた。〉 Q:反対は凄かったかと思いますが、決行しましたね。 村井 1都3県以外の地方開催の競技では、最初はみんな有観客を予定していましたが、結果的に北海道も福島も無観客となりまして。そのときにすぐに橋本さんから電話がかかってきました。「福島県も無観客になったけど、村井さんはどうお考えですか?」と。私は「宮城県はプロ野球も有観客でやっているし、五輪に出る日本選手の強化試合も有観客でやっている。サッカーもプロの試合は有観客で開催していますし、五輪だけダメだというのもおかしいので、私は有観客でやるつもりです」と伝えました。そうしたら橋本さんは「ありがとうございます」と。 Q:「ありがとうございます」ですか。橋本さんも実は有観客にしたかったんですかね。 村井 したかったというより、橋本さんは元アスリートで実際に観客の前で競技していますから。やはり観客がいるかどうかの違いを、我々じゃわからないレベルで知っているんだろうなと。いずれにしても橋本さんが応援してくれたからスムーズに進みました』、「宮城県」が「サッカー」を「有観客」でやると決断した「村井知事」やそれを支持した「橋本会長」は大したものだ。
・『「批判は当時もいまもあります」 Q:決定権を持つ組織委の会長が、他の地方の無観客判断を認める一方で、有観客を応援するというのも変な話とは思いますが。村井知事はどうしてそこまで有観客にこだわったのですか。 村井 それは「復興五輪」だからです。海外から来てくれた選手や関係者の皆さんに、少しでも我々の気持ちを伝えたいというのが根底にあります。結果的には感染者も出ず、ボランティアも地元の皆さんもとても喜んでくれたのでよかったです。 Q:リスクはあったわけですよね。 村井 もちろんリスクに対する批判は当時も今もあります。10月末に行われた知事選挙の対立候補は医師だったのですが、あのときの私の判断への憤りが出馬の動機だとおっしゃっていました。 Q:反論があっても決断して実行すべきだと思いますか。 村井 辛いんですよ。実際、失敗したらコロナがまた広がる、人命に関わる問題になると本当にかなり悩みましたね。反対派の意見ももっともだと思います。県庁の職員もみんな不安そうな目をしていましたし。 Q:孤独ですね。 村井 リーダーは孤独です。全部私の責任ですから』、「感染者」が出なかったというのは、努力もあるとしても、幸運だった面もある。
・『政治家は落選を考えていたら何もできない Q:そこを避けるリーダーも多いです。 村井 いや、もう知事選に落ちてもいいと思っていたから。政治家というのは落選を考えていたら何もできないので。元々私は宮城に地縁もない。大阪の人間で、宮城との接点は自衛隊時代に仙台の駐屯地に配属されたというだけです。でもだから実行する。二世議員じゃなかなかできないと思います。怖いから。 Q:正しいと思うからやるんですよね。 村井 そう、信念。自分が正しいと思ったことをやろうと。反対派からしたらどうしようもない男に見えるでしょうね(笑)。ただ、有観客でやろうと決断した後は、職員たちも感染対策を完璧にやろうと、テロ対策も含めて徹底的に準備してくれました』、「もう知事選に落ちてもいいと思っていたから。政治家というのは落選を考えていたら何もできないので。元々私は宮城に地縁もない。大阪の人間で、宮城との接点は自衛隊時代に仙台の駐屯地に配属されたというだけです。でもだから実行する。二世議員じゃなかなかできないと思います。怖いから」、大した割り切りだ。
・『日本社会の縮図となった「東京2020」 Q:リーダーの顔がきちんと見えて、その人が最終的な意思決定をし、結果の責任をとるというのは今の日本ではほとんど見られない、まさにそういった意味で東京2020は日本の縮図のように見えます。 村井 見えますね。今の日本を表していたと思います。私は陸上自衛官のとき、ヘリコプターのパイロットだったんです。ヘリコプターを操縦するときは、できるだけ遠方目標をとる。 目の前のことではなく、この先どう進むのかをしっかり決めて飛んでいかなければいけません。政治も同じですよね。遠方目標がないから目の前のA地点やB地点ばかりをぐるぐる回ってしまう。やはりこの先日本がどうなるのかを見定めて、今なにをやるかを決めなければと思っています。 Q:アスリートの活躍は素晴らしかったけれど、一方で多くの人が意義を見いだせなかった、東京2020はその典型でしたね。 村井 そうですね。日本社会を表していましたね。このままだとまずいと思っても、意見を言うと怒られるから控えてしまう。五輪にぶら下がってお金を稼ごうとする人が集まってきて、さらに悪い方向に進む。でも上は偉い人ばかりだから、みんな何も言えない。まさに日本の社会の縮図が、今回の東京2020だったと思います』、「陸上自衛官のとき、ヘリコプターのパイロットだった」というのは初めて知った。「やはりこの先日本がどうなるのかを見定めて、今なにをやるかを決めなければと思っています」、今後の活躍を期待している。
第三に、本年2月7日付け現代ビジネス「日本の深刻実態…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の力学」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/92193?imp=0
・『世界のあちこちで起きている「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」現象。東京五輪には、ブルシットの力学が見られる? 『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』著者の酒井隆史さんが解説します』、興味深そうだ。
・『東京五輪とブルシットの力学 巨額の資金が動くとき、その分配にかかわるシステムにすきまがあれば寄生者のレイヤーがつくりだされる。この力学は日本でも、即座におもいうかぶ事例がないでしょうか? 現在の政権あるいは政府と電通とかパソナとの関係ですね。政府はかつて公共あるいは行政に属していた機能を「市場原理」の導入によって「効率化」するとの名目で、大手広告代理店などに委託しています。 たとえば今回の東京五輪です。そこでは数兆円という巨額の資金が、こうした代理店などを通して大量にばらまかれました。 準備期間中に日給数十万の謎のポストがあることが発覚して、ちょっとしたスキャンダルになりましたよね。おそらく、そこではほとんどなんの意味もないポストがつくられ、そこに資金がばらまかれていたのではないかと想像されます。 もうひとつ、『ブルシット・ジョブ』には、ハリウッドで脚本家をやっているオスカーという人物の証言があらわれます。 かれによれば、ハリウッドにもブルシットの波が押し寄せ、一つの作品をつくるにあたって異様に複雑な過程がうまれ(それまでは良かれ悪しかれワンマンオーナーがやると決めたら、あとは現場にほとんどゆだねて好きにつくらせていたことも多かった)、一つの作品が制作される過程で、謎の肩書きの上司(なんとかなんとかエグゼクティヴみたいな)がうじゃうじゃあらわれて、口をはさんでいく結果、意味不明なものができあがるといっています。 これは経営封建制がどれほど、一つの過程のなかに謎めいた中間的ポストをつくりだすかの事例としてあげられているのですが、ここでわたしたちはなにかをおもいださないでしょうか。東京五輪開会式のパフォーマンスをめぐるゴタゴタです。 ブルシット・ジョブ論は、今回の東京五輪についても、そこでなにが起きているのか、どうしてあのようなことが起きたのか、手がかりを与えてくれるようにおもいます。 細部にわたる検討は、ここではできませんが、大枠でいえば、その資金のほとんどは、税金で、基本的にわたしたちから徴収された富ですよね。 その膨大な富を、かれらは仲間内にばらまき、そしてより土台にあたる必要不可欠な仕事は、なるべく無償でそして医療従事者にもなけなしの報酬しか払いませんでした。 まるでこうした必要不可欠な仕事は報酬はいらないだろ、とでもいわんばかりです』、「細部にわたる検討は、ここではできませんが」と言い訳をしているが、細部の検討なくしては結論は出せない筈だ。もう少し練れば、面白い結論につながる可能性があるのに、荒っぽい論旨を展開したのは誠に残念だ。
タグ:東京オリンピック(五輪) (その22)(「復興五輪」はどこへ行ったのか “長沼ボート場問題”小池百合子さんとの顛末 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#1、森喜朗さんが耳元で「いらんこと言うなよ」…東京五輪で露呈した日本型組織の大きな問題 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#2、日本の深刻実態…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の力学) 文春オンライン 長野 智子氏による「「復興五輪」はどこへ行ったのか “長沼ボート場問題”小池百合子さんとの顛末 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#1」 確かに作業員や資材の奪い合いで、「復興」にはマイナスの影響があった筈だ。 「復興五輪」なのに、「被災地は蚊帳の外」とは看板に偽りありだ。 「長沼ボート場は・・・予算も3分の1くらいでできる」。「東京開催」派が、「バッハ会長」をかついで「長沼ボート場案」をつぶすとは汚い。 「小池都知事」にとっては、「長沼」だろうと、「東京」だろうとどちらでも開催できればいいので、「長沼」案を主張して欲しかったというのは、「村井知事」の願望に過ぎない。 「水面下で話したことなどない。被災者をいじめているとしか思えない。情けない」、との「村井知事」の批判は正論だ。 文春オンライン「森喜朗さんが耳元で「いらんこと言うなよ」…東京五輪で露呈した日本型組織の大きな問題 村井嘉浩・宮城県知事と振り返る「東京五輪の問題点」#2」 「頭が2つも3つもあるから本当に意思決定が遅かった。これは五輪のような大会を運営する上で最大の問題だと思いましたね」、初めから予想された問題が、その通り問題になったということだ。 「意思決定を誰がするのか、明確ではないことが最大の問題点」、「様々な問題が常にぐるぐるとして決まらず、そのしわ寄せが我々地方にくるという」、ひどい話だ。 偉ぶるだけの「森喜朗」氏を「会長」にしたのは、「ミス」以外の何物でもない。 「橋本聖子氏」のように「知事」とも「スムーズに意思の疎通ができました」というのは、確かに大きな変化だ。 「宮城県」が「サッカー」を「有観客」でやると決断した「村井知事」やそれを支持した「橋本会長」は大したものだ。 「感染者」が出なかったというのは、努力もあるとしても、幸運だった面もある。 「もう知事選に落ちてもいいと思っていたから。政治家というのは落選を考えていたら何もできないので。元々私は宮城に地縁もない。大阪の人間で、宮城との接点は自衛隊時代に仙台の駐屯地に配属されたというだけです。でもだから実行する。二世議員じゃなかなかできないと思います。怖いから」、大した割り切りだ。 「陸上自衛官のとき、ヘリコプターのパイロットだった」というのは初めて知った。「やはりこの先日本がどうなるのかを見定めて、今なにをやるかを決めなければと思っています」、今後の活躍を期待している。 現代ビジネス「日本の深刻実態…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の力学」 ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』著者の酒井隆史さんが解説 「細部にわたる検討は、ここではできませんが」と言い訳をしているが、細部の検討なくしては結論は出せない筈だ。もう少し練れば、面白い結論につながる可能性があるのに、荒っぽい論旨を展開したのは誠に残念だ。