部活動問題(その4)(野球部監督の叱責で16歳少年が自殺 遺族の訴え なぜ彼は死を選び 両親は9年後の今も闘うか、「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員 データで示す驚きの実態とは、中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導) [社会]
部活動問題については、昨年6月27日に取上げた。今日は、(その4)(野球部監督の叱責で16歳少年が自殺 遺族の訴え なぜ彼は死を選び 両親は9年後の今も闘うか、「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員 データで示す驚きの実態とは、中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導)である。
先ずは、昨年7月4日付け東洋経済オンラインが掲載したフリーライターの島沢 優子氏による「野球部監督の叱責で16歳少年が自殺、遺族の訴え なぜ彼は死を選び、両親は9年後の今も闘うか」を紹介しよう。
・『2012年7月25日に県立岡山操山高校(岡山市)の野球部マネージャーだった2年の男子生徒A君(当時16)が自殺した問題。 岡山県教育委員会は6月9日、同教委が設置した第三者委員会が「自殺は監督(顧問)の叱責が原因。教員という立場を利用したハラスメントであったとも言える」とする報告書の全文を公開した。 遺族からの長年の要請を受け、亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けたものの、すでに社会人になった生徒たちを追跡しての調査は容易ではない。原因究明までさらに3年を要した。 今回、遺族が望んだ、監督による叱責と自殺の因果関係が認定された。そして9年目の真実が報告書という形で、白日のもとにさらされた。 しかし、遺族にとって一区切りかと思いきや実はそうではない。筆者のインタビューを受けたA君の両親は「(県教委への)不信感は募るばかりだ」と顔を曇らせた。 「今年3月下旬に報告書の概要が発表され、学校、県教委から詳しい説明を受けたいと伝えたが、2カ月以上経っても正式な説明はなく、謝罪や関係者への処分報告もない。私たちからすれば、(県教委は)報告書を公開しただけ。事実を受け入れていない気がする。私たち遺族はいつまで苦しまなくてはいけないのか」 こう言って、父親はうなだれた。 県教委が遺族に「事実を受け入れていない」と感じさせてしまうのはなぜなのか。まずは報告書に従って、経緯を振り返ってみたい』、「亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けた・・・原因究明までさらに3年を要した」、異例の長期化だ。
・『報告書で明らかになった驚くべき経緯 当時の顧問は部員の人格を否定するような「死ね」「帰れ」などの発言があるうえ、感情的になって怒鳴ることが多かった。態度が気に入らないとしてパイプ椅子を振り上げるなど、体罰やパワハラ行為を繰り返していた。 A君は暴言指導に苦しみながらも、1年2学期の野球部日誌に「自分は無意味な存在だった。自分はチームにとって存在価値がないので、これからはチームの役に立つよう頑張りたい」と書いている。ところが、3学期にあたる2012年2月、野球部日誌に「もう自分の存在価値も目標もわからなくなった」と記述、練習を休む日が出てきた。) 2年生になった6月には、顧問から捕球できないところにばかりノックされ「声を出せ」と怒鳴られた。さらに「いらんわ。おまえなんか制服に着替えて帰れ」「ベンチにも入るな」と叱責され、練習試合2試合を一塁側のバックネット裏で見るしかなかった。その日以降も「2年生なのに、そんなことをしていいのか」「ルールを知らん三塁じゃから、誰かルールを教えちゃれ」などと罵倒が続いた。 A君は「もう耐えられない」と一度退部。退部を申し出た際も「夏の大会前の3年生の気持ちがわからないのか。チームの士気が下がる」と叱られている。 しかし、同級生から野球部復帰を誘われるなか、3年生の引退とともに部にマネージャーがいなくなることもあって、マネージャーとして復部。顧問から「1回辞めたんじゃから、覚悟はできとるんじゃろうな」と威嚇するような態度をとられたものの、7月23日に復帰した。 その日のミーティングでは「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ、それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」「マネージャーなら、お前が書けや。マネージャーだったら、そんくらいせーや」と強い口調で叱責された。翌日の練習では「男のマネージャーなのだから声掛けしろ」などと怒鳴られたり、ノックの球出しのタイミングが悪いと怒られたりした』、せっかく退部したのに、「同級生から野球部復帰を誘われ」、「マネージャーとして復部」、しかし、「顧問」の冷淡な態度は変わらなかったようだ。
・『野球部復帰3日目に起きた”事件” 復帰3日目の25日。猛暑の練習で「マネージャーなら声を出せ!声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねえんじゃ。元選手ならわかろうが」と怒鳴られた。足をつった1年生部員を介抱したが、氷を持ってくるのが遅いとして「マネージャーだったら対応しろ」などときつく叱られもした。 この後、顧問とA君との間で小さなすれ違いが起きる。他の部員が体調不良を訴えたため、顧問は氷を持ってこさせようとA君の名前を何回も大声で叫んだが、部室の清掃をしていたため気づかなかった。 練習後、顧問から炎天下のグラウンドに残され、「あのとき、何をしよったんだ」「聞きよるじゃろうが!」と大声で問い詰められた。だが、A君は黙っていた。何も答えないことに腹を立てた顧問に「熱中症で倒れた部員がいたら氷の用意をせい!」「他の(部の)マネージャーにしてもらっとるがな!」「部室におっても外の様子は気にしとけ!」などと怒鳴られ続けた。 学校を出た帰り際「体調不良者が出て大変じゃけど、これからもマネージャー頼むわ」と声をかけた同級生に対し、「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけだ」と返答した。その数時間後、A君は命を絶った。) 操山高校のPTA会長だった男性は、自殺から8カ月近く経った2013年2月の新聞報道で事実の詳細を知り、初めて遺族と対面。「事件の重大性とPTAとして遺族に寄り添う必要性を感じた」という元PTA会長は同年3月、遺族とともに県教委と面会した。 その際に生徒指導推進参事(県警からの出向者)が言った「調査委員会を立ち上げても、(自殺と顧問の指導との)因果関係はわからんよ」という言葉を脅しのように感じたそうだ。 一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面した。だが、顧問は話の途中で「あなたの考えは間違ってる、あなたの表現は違うとすべて言われたら、すべて違うんです。私自身も多分ここにいないほうがいいんです、多分。もう、もう、はい、わかりました!」と声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった。 その後顧問は操山高校に置かれたまま、通信制教員にシフト。軟式野球部の監督に就任した。 A君の三回忌法要が営まれた2014年7月、顧問率いる軟式野球部が全国高校定時制通信制軟式野球大会東中国予選を突破し、本大会出場を決めたニュースが地元紙を飾った。顧問は何の処分も受けず、教員を続けている』、「一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面」、しかし「声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった」、「キレ」易さは異常だ。
・『第三者委員会設置を拒み続けた、県教育委員会 一方の県教委は、遺族が求める第三者委員会設置を拒み続け、遺族との調整もついていないなか、「自殺予防と発生時対応マニュアル」を操山高校での自殺問題を受け作成したと2013年10月に地元紙で公表した。 A君の父親は「そうやって論点をずらす姿勢は、ずっと変わらない」と不信感を隠さない。 今の教育長も、子どもの気持ちに気づける環境整備をする、子どもの悩みを聞くと言う。そうではなくて、そういう気持ちにした先生が悪かったと原因を探らなければ、学校や部活動での暴言やパワハラはなくならないはずだ」 運動部活動の顧問による暴言やパワハラを「暴力」ととらえない風潮は、今も日本の社会では根深い。 2018年に自死した岩手の県立高校バレーボール部員も、今年1月に亡くなった沖縄の県立高校の運動部員も、顧問の暴言や無視など理不尽な扱いがその要因だ。両方ともA君のように叩く、蹴るといった有形暴力は受けていない。どの子もみんな、パワハラという教員の立場を利用した「いじめ」を受けて亡くなったと解釈できる。) そこで思い浮かぶのは、A君が顧問から投げつけられた「存在価値はない」という言葉だ。上述した報告書にA君の言葉で「存在価値」「存在」が出てくる。顧問が発した言葉の刃に16歳が敏感に反応していることがわかる。 顧問や生徒指導推進参事の言葉に対する事実確認等を岡山県教育委員会へ申し込むと、岡山県教育庁教育政策課より「ご遺族から求められている詳しい説明に向け、現在、ご遺族と調整を続けており、引き続き真摯に対応していきたいと考えているため、当該教諭も含め、現段階で取材をお受けすることは控えたい」と返事があった。 そのことを遺族に伝えると「ほとんど進展のない調整を言い訳にしないでほしい。息子の死後から、県教委に真摯に対応いただいている印象はありません」と父親は顔をゆがめた。 当時、県教委との面会に同席した元PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた。だから、いまだに遺族にとって誠意のある謝罪もない。自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した』、「PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた・・・自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した」、なるほど。
・『なぜ遺族への謝罪も、教員の処分もないのか とはいえ、ほかの自治体でも遺族への十分な説明や謝罪、教員の処分を行わないまま、一足飛びに、再発防止策の策定に話を変えてしまうケースが少なくない。 その背景として、一般社団法人「ここから未来」理事で指導死に詳しい武田さち子さんは教員からの「訴訟リスク」を挙げる。 「教員を処分した教育委員会が、その教員から処分不当で訴えられるケースも少なくないため、簡単に実行できない。近年、文科省が教員の(児童生徒に対する)わいせつ行為を原則として懲戒免職にするとしたように、パワハラ事案に関しても処分基準を国がつくるべきだ。ただ、大阪や兵庫などで適切に処分する自治体も出てきているので、参考にしてほしい」 体罰根絶宣言から8年。いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる。 その意味で、説明責任(アカウンタビリティ)の向上を図りつつ、本格的なパワハラ防止に着手すべきだ。関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい。そうしなければ、子どもの命は永遠に守れない』、「いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる」、「関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい」、同感である。
次に、10月16日付けダイヤモンド・オンライン「「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員、データで示す驚きの実態とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/281638
・『部活動の問題点をさまざまなデータで示した『部活動の社会学』(岩波書店)が注目を集めている。同書を編集した、教育社会学者で名古屋大学准教授の内田良氏に、現代の部活の実態とあるべき姿を聞いた』、興味深そうだ。
・『タダで指導の学校と教員に依存する保護者 コロナ禍で開催された五輪や甲子園はさまざまな波紋を呼び、感染対策の観点から学校の部活動の可否も議論されている。 本書は2017年に行った全国約4000人の中学校教員へのアンケートなどを元に、部活が過熱していくメカニズムを記している。『ブラック部活動』(東洋館出版社)などで部活動への提言を行ってきた内田氏の集大成とも言えるものだ。 例えば男女差や世代・家族構成による差が部活顧問の負担に与える影響や親の学歴、職業、世帯年収など示すSES(Social-Economic Status:社会経済的背景)を用いて地域の部活の熱中度合いの違いを論じている。 「部活動は学校生活や我々の社会にとても根付いているにもかかわらず、学術的な議論や調査がほとんどされませんでした。学習指導要領で部活は『自主的・自発的な活動』と書かれているだけで、趣味にすぎないため、学術上の位置付けが低かったのです。本書ではさまざまなデータに基づき、部活動の議論を深める工夫をしました」) 本来であれば「やってもやらなくてもいい」という部活動。ゆるい制度であるがゆえに、過熱に歯止めが利かず、教員の長時間労働、過度な練習による子どもたちへの負担増が懸念されているが、内田氏らの調査では異なる実態を示しているという。 「そもそも『部活をするために教員になった』という人は、年齢を問わず一定数いますし、これだけ過熱してきたわけですから、学校では部活はかなり支持されていると思っていました。ところが、驚くべきことに実際は教員の約半分が『部活の顧問をやりたくない』と回答しました。それでも部活の長時間化が止まらない一つの理由は、保護者や同僚からの期待があります。調査では『勝ち負けにこだわらない』と答える一方で、別の項目では『部活動の成績を向上させたい』と答える教員が全体の42%に及びました。また保護者らの期待を感じる教員ほど『成績を向上させたい』と答える傾向にありました」 保護者からの期待は、とりわけ土、日曜日の部活の長時間化に影響している。授業のある平日は物理的に練習量を増やせないため、必然的に土日の練習が長時間になるのだ。保護者からの期待に応え、練習し、試合に勝てばさらに期待が高まり、また練習は長時間になる。このようなスパイラルも過熱の一因であるという。 「保護者による期待は部活、学校依存と言い換えることも可能です。夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」 「極論、教員は午後5時に退勤するから、子どもは4時には帰ってくださいと言える」(内田氏)はずの学校だが、そのような圧力や期待のもと、平日夜から土日まで子どもを抱え込んでいる側面があるのだ』、「夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」、「保護者」の甘えそのものだ。
・『大会での成果を優先し健康リスクをないがしろに そもそも、部活動を過熱させることになった転換点の一つは1964年の東京五輪。「メダル獲得のためにスポーツ強化が叫ばれ、部活の大会などでも様々な規制が緩んでいった」(内田氏)という。 五輪と部活は密接な関係があるが、今回の東京五輪が部活に与えた影響について、内田氏は次のように語る。) 「今回の五輪は部活やスポーツの功罪を明らかにしたのではないでしょうか。スポーツ大会が盛り上がることには、熱中症や過度なトレーニングを含むさまざまなリスクを不可視化させ、忘れさせる効果があります。熱心な教員をはじめとする多くの人が、部活でスポーツすることは素晴らしいと話しますが、その裏では防げる事故で亡くなっている人や理不尽さに耐えられず辞めた人もいるはずです。今年の五輪期間に、神妙な面持ちでコロナのニュースを伝えていたメディアが五輪のニュースになるとガラッと明るくなるさまは、コロナのリスクなどを覆い隠したと言えます。このような五輪の光景は上記のようなスポーツの功罪と重なって見えました」 開催自体に賛否両論があった五輪だが、それに続くように甲子園やインターハイなど、部活の大会も今年は続々と行われている。いくらコロナ感染が心配であっても、大会が開催されることで練習せざるを得ない状況になっていると内田氏は言う。 「大会があるから勝つための練習をしなければいけないし、そのためにはマスクを外さないといけない。私が調べたところ、とくに高校で学校のクラスター感染数は授業に比べて明らかに部活のほうが多かったです。すべてが大会ありきで進み、コロナのみならず熱中症のリスクなどがないがしろにされています」 内田氏によると、中学校と高校の運動部活動では毎年3000件ほどの熱中症事例が報告されているという。また、部活中の熱中症による死亡事例も2005年から2018年では中学校で2件、高校で18件となっている(日本スポーツ振興センター「学校事故事例検索データベース」)。こうした熱中症リスクは当然ながら夏場の練習と大会によるものが大きく、内田氏は抜本的な改革を訴える。 「そもそも、熱中症リスクの高い真夏に大会を開くべきなのか疑問です。夏に大会があるから、当然暑い時期に練習もしなければいけない。『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」』、「『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」、その通りだ。
・『部活顧問の美談の裏に多くの生徒の犠牲 このような部活の問題点を危惧してか、文部科学省は部活動を学校主体から地域主体へと移行する「地域移行」の改革案を出している。 この中では休日の部活動の指導を望まない教員が休日は従事しないこと、学校単位ではなく市町村を越えた他校との合同部活動の推進、学校単位ではない大会への参加形態などの方策を示した。) 「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります。まずは、学校の活動と部活は切り離すことで教員の負担を減らし、複数の学区で自由参加方式の地域部活とすることで生徒の負担も減らす。地域部活での兼業許可制度も文部省は作ろうとしていますから、部活指導したい教員には一市民として指導してもらう。また地域部活では練習は週に何日と決めて、過熱しない制度設計も必要です」 国主導で部活改革が行われてはいるものの、中には部活動の延長にすぎない地域部活も発生している。 例えば、夕方まで学校主体の練習があり、夜に地域主体でまた練習するという形だ。地域部活を隠れみのに長時間化しているのである。このような事態を防ぐためにも抜本的な部活改革が求められる。 内田氏はこのような部活改革によって過熱を抑え、高校で「燃え尽きる」生徒を減らすべきだとも語る。 「部活顧問は『今でも部活の教え子と交流があり、卒業後、飲みに行くほど固い絆で結ばれている』という美談をよく話します。それによって部活は良いものだから全生徒にさせるべきだと思い込むのです。しかし、その美談の裏には苦しくて辞めた生徒や好きだった競技を嫌いになった生徒も大勢いる。そういう生徒は『燃え尽きた。嫌いになった』と言って大学でスポーツをやらないのです。これは、好きでやっていたはずのスポーツや芸術活動を高校でやめさせるという現代の部活の弊害であり、子どもの成長を止める営みです。大学でそのような学生を見ると、私はとても悔しい。部活改革によって、好きなことを一生涯続けていくことができるように大人が道筋をつけていくべきです」 肥大化、複雑化する部活動について提言を行ってきた内田氏だが、「改革まであと一歩」という。 「2015年から問題提起をしてきましたが、地域移行の取り組みなど、よくここまで変わったなと感じます。教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていたということです。ただ、問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」 かく言う筆者も、さまざまな理由により「燃え尽きた」元高校球児である。人ごとではない部活改革の最後の一押しが、『部活動の社会学』となることを期待したい』、「「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります」、「教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていた」、「問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」、革命的な改革だ、
第三に、3月27日付け東洋経済オンラインが掲載したライターの広尾 晃氏による「中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/541746
・『「日本若者協議会」がスポーツ庁に提出した要望書が話題になっている。一部の中学や高校の部活動で、強制加入させる実態があるとして、部活動は任意加入であることの周知徹底などを求める内容だ。 数年前まで、筆者は野球部だけでなく、スポーツ系、芸術系などさまざまな高校部活を取材していた。学校側が推薦する部活指導者の案内で、その活動を取材するのだ。私立も公立もあったし、全国トップクラスの部もあれば、中堅クラスもあった。そうして取材した多くの部活指導者は「部活至上主義」の信奉者のように思えた』、「「部活至上主義」の信奉者」、とはどうも付き合いたくない人たちのようだ。
・『定期考査前でも生徒に「家でしっかり練習しろ」 取材した多くの指導者は、元日とお盆以外のすべての日を部活にささげていた。ある球技の指導者は「最近は定期考査前は休め、と学校から言われるんですが、休むと元に戻すのに時間がかかるから、生徒には家でしっかり練習しろ、テストが終わったらチェックするからな、と言うんですよ」と忌々しそうに言った。 またある武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った。 さらにある公立校の陸上部の指導者は「ボーナスのたびにトレーニング器具を自費で購入して、学校に寄贈しています。私が寄贈した器具だけで、トレーニングジムができましたよ」と言った。 「公立校は転任があると思うのですが?」と聞くと、「それでもいいんです、次の学校でも同じように寄贈しますから」とすがすがしい表情で言った。そういう教員の大部分は、高校時代に同じような熱心な教員の指導のもと、部活中心の生活を送ってきた。「高校時代から恩師の先生のように高校教師になって、部活指導を思い切りやりたいと思っていたんです」とこれまた熱血風に語る先生に何人も出会った。 日本の部活の何割かは、こういう熱血教員に率いられている。野球やサッカーのように競技に打ち込んでいれば、プロに進む道が拓け、大きな成功につながる可能性がある部活だけでなく、卒業後はほとんどが普通に就職するか、教員になるかというような部活でも熱血指導が普通に行われている。 典型的なのが「吹奏楽」だ。全国規模のコンクールが開催され、多くの生徒がこれを目指して日夜練習に励んでいる。「コンクールに強い名指導者」と言われる教員が何人かいて、その教員のもとには評判を聞きつけて、多くの生徒が集まる。公立から私立にスカウトされる指導者もいる』、「武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った」、「熱血教員」による「熱血指導」では、ほどほどなどという言葉は禁物なのかも知れない。
・『高価な楽器を買い与える親も 筆者は大阪市内の老舗楽器店を取材したが、毎年入学式前になると、生徒たちが親と共に店を訪れ楽器を買っていく。「入門コースならこれくらい、と案内するんですが、子どもにねだられてもっと上等な楽器を買う人も多いですね」と楽器店の担当者は言う。大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという。 「高校の吹奏楽部には楽器は一通りそろっているんですが、古くて手入れが不十分な楽器が多いし、自分の楽器でないとしっかり練習できない、というんですね」 練習用の楽器を併せて購入する子もいる。手入れをするための用具も購入する。木管楽器のリードの削り方の指導を受ける生徒もいる。もちろん定期的にチューニングや修理に来る。 「吹奏楽」と言えば「高校野球の応援」と思いがちだが、吹奏楽の強豪校の中には野球などスポーツの応援演奏を迷惑がる指導者もいる。ある学校では「コンクール組」と「スポーツ応援組」に分けて別個の曲を練習していた。ちなみに、その学校の大型金管楽器は「コンクール組」はチューバ、「スポーツ応援組」はチューバより軽量なスーザフォンと使い分けていた。スーザフォンは甲子園のアルプス席でよく見る大きな朝顔型のラッパだ。 武道や球技の部活では「全寮制」の場合も多い。指導者の中には「寮長」として寮に住み込み、生徒と寝食を共にする場合も多い。そして指導者の妻も「寮母」になって生徒の生活面の面倒を見ることがある。まさに家族ぐるみで部活に打ち込んでいるのだ。そういう寮に行くと、なんとなく「相撲部屋」みたいな雰囲気が漂うが、寮母をする指導者の妻は「プライベートなんてありませんよね」と笑う。) 熱心に部活をしてきた人にとって、こういう話は珍しくもなんともないだろう。「何が悪いんだ?私は部活に打ち込んで充実した高校生活を送ってきたんだ」という人もたくさんいる。 こうした指導者は、学校にとっては「教師の鑑」となる場合が少なくない。取材先の校長や教頭は「〇〇先生の指導には頭が下がります。24時間365日、子どもたちのことを考えているんですから」という。部活の熱血指導者を経て、校長や教頭などの管理職になる教員も多い。はたから見れば「ブラック部活」「やりがい搾取」のように思えるが、本人たちにその意識はないのだろう。 行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる。 そして一方で冒頭に上げた「生徒の意思に反して部活に強制加入させるケース」が全国で見られるのだ。部活をさせる親の中には「先生、うちの子は暇だとろくなことをしないから、家に帰ったらくたびれて寝るしかないほど、めいっぱい鍛えてやってください」などという人もいる』、「大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという」、やれやれだ。「行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる」、なるほど。
・『中学から高校の6年間の過ごし方 世間の教師や親の多くは「勉強もしない、部活もしないでゲームをしたり、遊んでばかりいる高校生を絶滅させる」ことを目標にしているかのように思える。 何を隠そう、筆者は怠惰な高校時代を送ってきた。受験にも部活にもそれほど身が入らず、趣味に走ったり無為に多くの時間を空費した。若いころはそのことを後悔したこともあったが、今となってはそういう「バッファー」のような時間も、その後の人生になにがしかの足しになっているのではないかと思う。 中学から高校の6年間は、まさに子どもから大人への移行期であり、毎年のように体つき、容貌が変わり、意識も変化していくときだ。そういう時期に一つの道に打ち込むのも確かに重要かもしれないが、将来への不安や異性への思い、友人や親との軋轢などを経験し、悩み、時間を空費するのも意味がないとは思えない。 この6年間に勉強や部活だけでなく、さまざまな経験をすること、そして悩むことが若者の人格形成に非常に重要なことは、多くの識者が指摘している。 筆者は、有名校だけでなく、定員割れが続いている公立校の部活もいくつか取材した。ある高校の野球部監督は、それまで野球一筋に打ち込んできたが、転任によって部員が2人しかいない高校にやってきた。1人は不登校、もう1人はその友人でアルバイトで学費を稼いでいる。 監督は当初はショックを受けて呆然としていたが、2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた。部活を無断で休んでも決して叱ることなく「出て来いよ」と優しく声をかけた。「2人は部活をしなければ、学校をやめてしまうと思うんです。部活の時間だけでも楽しい思い出を作ってもらって、2人とも卒業してほしい」と語った』、「部員が2人しかいない高校」、「2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた」、2人では試合は出来ないが、ほのぼのした印象を受ける。
・『部活は数ある選択肢の一つ またある公立校の吹奏楽部には、古くて手入れの行き届かない楽器しかない。部員たちはアルバイトの合間に楽器に触りに来る。金管楽器の中には凹んだものもある。 指導者は「コンクールとかはとんでもないので、何とか数曲は演奏できるようにしたいんです。部員たちはクリスマスに近所の老人ホームで慰問のコンサートをやるのが目標です。この学校の子たちは、卒業後の目標がない子が多いのですが、お年寄りが喜ぶ姿を見て、福祉関係に行きたい、と言い出した子どももいます」と言った。 取材を通じて、筆者はそういう「部活」も、全国大会で華々しい実績を上げる「部活」に負けず劣らず大いに意義があると思うに至った。これも「部活」なのだ。 部活は、高校生にとって数ある選択肢の一つにすぎない。そして部活への接し方も、ガチガチの「熱中派」だけでなく、軽い趣味程度のものであってもよいし、文系、スポーツ系を掛け持ちしてもよい。欧米で一般的なようにダブルスポーツもあってもよいだろう。もちろん「帰宅部」も当然ありだ。「このスポーツで一生食っていく」みたいなのは、むしろ例外的だ。一言でいえば部活に大事なのは「ダイバーシティー(多様性)」ではないのか? 結局、「部活の選択」で一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ。大人たちは、さまざまな時間を過ごす高校生に寄り添って、控えめにアドバイスをする存在であることが求められる』、「一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ」、同感である。
先ずは、昨年7月4日付け東洋経済オンラインが掲載したフリーライターの島沢 優子氏による「野球部監督の叱責で16歳少年が自殺、遺族の訴え なぜ彼は死を選び、両親は9年後の今も闘うか」を紹介しよう。
・『2012年7月25日に県立岡山操山高校(岡山市)の野球部マネージャーだった2年の男子生徒A君(当時16)が自殺した問題。 岡山県教育委員会は6月9日、同教委が設置した第三者委員会が「自殺は監督(顧問)の叱責が原因。教員という立場を利用したハラスメントであったとも言える」とする報告書の全文を公開した。 遺族からの長年の要請を受け、亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けたものの、すでに社会人になった生徒たちを追跡しての調査は容易ではない。原因究明までさらに3年を要した。 今回、遺族が望んだ、監督による叱責と自殺の因果関係が認定された。そして9年目の真実が報告書という形で、白日のもとにさらされた。 しかし、遺族にとって一区切りかと思いきや実はそうではない。筆者のインタビューを受けたA君の両親は「(県教委への)不信感は募るばかりだ」と顔を曇らせた。 「今年3月下旬に報告書の概要が発表され、学校、県教委から詳しい説明を受けたいと伝えたが、2カ月以上経っても正式な説明はなく、謝罪や関係者への処分報告もない。私たちからすれば、(県教委は)報告書を公開しただけ。事実を受け入れていない気がする。私たち遺族はいつまで苦しまなくてはいけないのか」 こう言って、父親はうなだれた。 県教委が遺族に「事実を受け入れていない」と感じさせてしまうのはなぜなのか。まずは報告書に従って、経緯を振り返ってみたい』、「亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けた・・・原因究明までさらに3年を要した」、異例の長期化だ。
・『報告書で明らかになった驚くべき経緯 当時の顧問は部員の人格を否定するような「死ね」「帰れ」などの発言があるうえ、感情的になって怒鳴ることが多かった。態度が気に入らないとしてパイプ椅子を振り上げるなど、体罰やパワハラ行為を繰り返していた。 A君は暴言指導に苦しみながらも、1年2学期の野球部日誌に「自分は無意味な存在だった。自分はチームにとって存在価値がないので、これからはチームの役に立つよう頑張りたい」と書いている。ところが、3学期にあたる2012年2月、野球部日誌に「もう自分の存在価値も目標もわからなくなった」と記述、練習を休む日が出てきた。) 2年生になった6月には、顧問から捕球できないところにばかりノックされ「声を出せ」と怒鳴られた。さらに「いらんわ。おまえなんか制服に着替えて帰れ」「ベンチにも入るな」と叱責され、練習試合2試合を一塁側のバックネット裏で見るしかなかった。その日以降も「2年生なのに、そんなことをしていいのか」「ルールを知らん三塁じゃから、誰かルールを教えちゃれ」などと罵倒が続いた。 A君は「もう耐えられない」と一度退部。退部を申し出た際も「夏の大会前の3年生の気持ちがわからないのか。チームの士気が下がる」と叱られている。 しかし、同級生から野球部復帰を誘われるなか、3年生の引退とともに部にマネージャーがいなくなることもあって、マネージャーとして復部。顧問から「1回辞めたんじゃから、覚悟はできとるんじゃろうな」と威嚇するような態度をとられたものの、7月23日に復帰した。 その日のミーティングでは「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ、それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」「マネージャーなら、お前が書けや。マネージャーだったら、そんくらいせーや」と強い口調で叱責された。翌日の練習では「男のマネージャーなのだから声掛けしろ」などと怒鳴られたり、ノックの球出しのタイミングが悪いと怒られたりした』、せっかく退部したのに、「同級生から野球部復帰を誘われ」、「マネージャーとして復部」、しかし、「顧問」の冷淡な態度は変わらなかったようだ。
・『野球部復帰3日目に起きた”事件” 復帰3日目の25日。猛暑の練習で「マネージャーなら声を出せ!声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねえんじゃ。元選手ならわかろうが」と怒鳴られた。足をつった1年生部員を介抱したが、氷を持ってくるのが遅いとして「マネージャーだったら対応しろ」などときつく叱られもした。 この後、顧問とA君との間で小さなすれ違いが起きる。他の部員が体調不良を訴えたため、顧問は氷を持ってこさせようとA君の名前を何回も大声で叫んだが、部室の清掃をしていたため気づかなかった。 練習後、顧問から炎天下のグラウンドに残され、「あのとき、何をしよったんだ」「聞きよるじゃろうが!」と大声で問い詰められた。だが、A君は黙っていた。何も答えないことに腹を立てた顧問に「熱中症で倒れた部員がいたら氷の用意をせい!」「他の(部の)マネージャーにしてもらっとるがな!」「部室におっても外の様子は気にしとけ!」などと怒鳴られ続けた。 学校を出た帰り際「体調不良者が出て大変じゃけど、これからもマネージャー頼むわ」と声をかけた同級生に対し、「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけだ」と返答した。その数時間後、A君は命を絶った。) 操山高校のPTA会長だった男性は、自殺から8カ月近く経った2013年2月の新聞報道で事実の詳細を知り、初めて遺族と対面。「事件の重大性とPTAとして遺族に寄り添う必要性を感じた」という元PTA会長は同年3月、遺族とともに県教委と面会した。 その際に生徒指導推進参事(県警からの出向者)が言った「調査委員会を立ち上げても、(自殺と顧問の指導との)因果関係はわからんよ」という言葉を脅しのように感じたそうだ。 一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面した。だが、顧問は話の途中で「あなたの考えは間違ってる、あなたの表現は違うとすべて言われたら、すべて違うんです。私自身も多分ここにいないほうがいいんです、多分。もう、もう、はい、わかりました!」と声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった。 その後顧問は操山高校に置かれたまま、通信制教員にシフト。軟式野球部の監督に就任した。 A君の三回忌法要が営まれた2014年7月、顧問率いる軟式野球部が全国高校定時制通信制軟式野球大会東中国予選を突破し、本大会出場を決めたニュースが地元紙を飾った。顧問は何の処分も受けず、教員を続けている』、「一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面」、しかし「声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった」、「キレ」易さは異常だ。
・『第三者委員会設置を拒み続けた、県教育委員会 一方の県教委は、遺族が求める第三者委員会設置を拒み続け、遺族との調整もついていないなか、「自殺予防と発生時対応マニュアル」を操山高校での自殺問題を受け作成したと2013年10月に地元紙で公表した。 A君の父親は「そうやって論点をずらす姿勢は、ずっと変わらない」と不信感を隠さない。 今の教育長も、子どもの気持ちに気づける環境整備をする、子どもの悩みを聞くと言う。そうではなくて、そういう気持ちにした先生が悪かったと原因を探らなければ、学校や部活動での暴言やパワハラはなくならないはずだ」 運動部活動の顧問による暴言やパワハラを「暴力」ととらえない風潮は、今も日本の社会では根深い。 2018年に自死した岩手の県立高校バレーボール部員も、今年1月に亡くなった沖縄の県立高校の運動部員も、顧問の暴言や無視など理不尽な扱いがその要因だ。両方ともA君のように叩く、蹴るといった有形暴力は受けていない。どの子もみんな、パワハラという教員の立場を利用した「いじめ」を受けて亡くなったと解釈できる。) そこで思い浮かぶのは、A君が顧問から投げつけられた「存在価値はない」という言葉だ。上述した報告書にA君の言葉で「存在価値」「存在」が出てくる。顧問が発した言葉の刃に16歳が敏感に反応していることがわかる。 顧問や生徒指導推進参事の言葉に対する事実確認等を岡山県教育委員会へ申し込むと、岡山県教育庁教育政策課より「ご遺族から求められている詳しい説明に向け、現在、ご遺族と調整を続けており、引き続き真摯に対応していきたいと考えているため、当該教諭も含め、現段階で取材をお受けすることは控えたい」と返事があった。 そのことを遺族に伝えると「ほとんど進展のない調整を言い訳にしないでほしい。息子の死後から、県教委に真摯に対応いただいている印象はありません」と父親は顔をゆがめた。 当時、県教委との面会に同席した元PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた。だから、いまだに遺族にとって誠意のある謝罪もない。自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した』、「PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた・・・自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した」、なるほど。
・『なぜ遺族への謝罪も、教員の処分もないのか とはいえ、ほかの自治体でも遺族への十分な説明や謝罪、教員の処分を行わないまま、一足飛びに、再発防止策の策定に話を変えてしまうケースが少なくない。 その背景として、一般社団法人「ここから未来」理事で指導死に詳しい武田さち子さんは教員からの「訴訟リスク」を挙げる。 「教員を処分した教育委員会が、その教員から処分不当で訴えられるケースも少なくないため、簡単に実行できない。近年、文科省が教員の(児童生徒に対する)わいせつ行為を原則として懲戒免職にするとしたように、パワハラ事案に関しても処分基準を国がつくるべきだ。ただ、大阪や兵庫などで適切に処分する自治体も出てきているので、参考にしてほしい」 体罰根絶宣言から8年。いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる。 その意味で、説明責任(アカウンタビリティ)の向上を図りつつ、本格的なパワハラ防止に着手すべきだ。関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい。そうしなければ、子どもの命は永遠に守れない』、「いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる」、「関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい」、同感である。
次に、10月16日付けダイヤモンド・オンライン「「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員、データで示す驚きの実態とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/281638
・『部活動の問題点をさまざまなデータで示した『部活動の社会学』(岩波書店)が注目を集めている。同書を編集した、教育社会学者で名古屋大学准教授の内田良氏に、現代の部活の実態とあるべき姿を聞いた』、興味深そうだ。
・『タダで指導の学校と教員に依存する保護者 コロナ禍で開催された五輪や甲子園はさまざまな波紋を呼び、感染対策の観点から学校の部活動の可否も議論されている。 本書は2017年に行った全国約4000人の中学校教員へのアンケートなどを元に、部活が過熱していくメカニズムを記している。『ブラック部活動』(東洋館出版社)などで部活動への提言を行ってきた内田氏の集大成とも言えるものだ。 例えば男女差や世代・家族構成による差が部活顧問の負担に与える影響や親の学歴、職業、世帯年収など示すSES(Social-Economic Status:社会経済的背景)を用いて地域の部活の熱中度合いの違いを論じている。 「部活動は学校生活や我々の社会にとても根付いているにもかかわらず、学術的な議論や調査がほとんどされませんでした。学習指導要領で部活は『自主的・自発的な活動』と書かれているだけで、趣味にすぎないため、学術上の位置付けが低かったのです。本書ではさまざまなデータに基づき、部活動の議論を深める工夫をしました」) 本来であれば「やってもやらなくてもいい」という部活動。ゆるい制度であるがゆえに、過熱に歯止めが利かず、教員の長時間労働、過度な練習による子どもたちへの負担増が懸念されているが、内田氏らの調査では異なる実態を示しているという。 「そもそも『部活をするために教員になった』という人は、年齢を問わず一定数いますし、これだけ過熱してきたわけですから、学校では部活はかなり支持されていると思っていました。ところが、驚くべきことに実際は教員の約半分が『部活の顧問をやりたくない』と回答しました。それでも部活の長時間化が止まらない一つの理由は、保護者や同僚からの期待があります。調査では『勝ち負けにこだわらない』と答える一方で、別の項目では『部活動の成績を向上させたい』と答える教員が全体の42%に及びました。また保護者らの期待を感じる教員ほど『成績を向上させたい』と答える傾向にありました」 保護者からの期待は、とりわけ土、日曜日の部活の長時間化に影響している。授業のある平日は物理的に練習量を増やせないため、必然的に土日の練習が長時間になるのだ。保護者からの期待に応え、練習し、試合に勝てばさらに期待が高まり、また練習は長時間になる。このようなスパイラルも過熱の一因であるという。 「保護者による期待は部活、学校依存と言い換えることも可能です。夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」 「極論、教員は午後5時に退勤するから、子どもは4時には帰ってくださいと言える」(内田氏)はずの学校だが、そのような圧力や期待のもと、平日夜から土日まで子どもを抱え込んでいる側面があるのだ』、「夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」、「保護者」の甘えそのものだ。
・『大会での成果を優先し健康リスクをないがしろに そもそも、部活動を過熱させることになった転換点の一つは1964年の東京五輪。「メダル獲得のためにスポーツ強化が叫ばれ、部活の大会などでも様々な規制が緩んでいった」(内田氏)という。 五輪と部活は密接な関係があるが、今回の東京五輪が部活に与えた影響について、内田氏は次のように語る。) 「今回の五輪は部活やスポーツの功罪を明らかにしたのではないでしょうか。スポーツ大会が盛り上がることには、熱中症や過度なトレーニングを含むさまざまなリスクを不可視化させ、忘れさせる効果があります。熱心な教員をはじめとする多くの人が、部活でスポーツすることは素晴らしいと話しますが、その裏では防げる事故で亡くなっている人や理不尽さに耐えられず辞めた人もいるはずです。今年の五輪期間に、神妙な面持ちでコロナのニュースを伝えていたメディアが五輪のニュースになるとガラッと明るくなるさまは、コロナのリスクなどを覆い隠したと言えます。このような五輪の光景は上記のようなスポーツの功罪と重なって見えました」 開催自体に賛否両論があった五輪だが、それに続くように甲子園やインターハイなど、部活の大会も今年は続々と行われている。いくらコロナ感染が心配であっても、大会が開催されることで練習せざるを得ない状況になっていると内田氏は言う。 「大会があるから勝つための練習をしなければいけないし、そのためにはマスクを外さないといけない。私が調べたところ、とくに高校で学校のクラスター感染数は授業に比べて明らかに部活のほうが多かったです。すべてが大会ありきで進み、コロナのみならず熱中症のリスクなどがないがしろにされています」 内田氏によると、中学校と高校の運動部活動では毎年3000件ほどの熱中症事例が報告されているという。また、部活中の熱中症による死亡事例も2005年から2018年では中学校で2件、高校で18件となっている(日本スポーツ振興センター「学校事故事例検索データベース」)。こうした熱中症リスクは当然ながら夏場の練習と大会によるものが大きく、内田氏は抜本的な改革を訴える。 「そもそも、熱中症リスクの高い真夏に大会を開くべきなのか疑問です。夏に大会があるから、当然暑い時期に練習もしなければいけない。『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」』、「『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」、その通りだ。
・『部活顧問の美談の裏に多くの生徒の犠牲 このような部活の問題点を危惧してか、文部科学省は部活動を学校主体から地域主体へと移行する「地域移行」の改革案を出している。 この中では休日の部活動の指導を望まない教員が休日は従事しないこと、学校単位ではなく市町村を越えた他校との合同部活動の推進、学校単位ではない大会への参加形態などの方策を示した。) 「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります。まずは、学校の活動と部活は切り離すことで教員の負担を減らし、複数の学区で自由参加方式の地域部活とすることで生徒の負担も減らす。地域部活での兼業許可制度も文部省は作ろうとしていますから、部活指導したい教員には一市民として指導してもらう。また地域部活では練習は週に何日と決めて、過熱しない制度設計も必要です」 国主導で部活改革が行われてはいるものの、中には部活動の延長にすぎない地域部活も発生している。 例えば、夕方まで学校主体の練習があり、夜に地域主体でまた練習するという形だ。地域部活を隠れみのに長時間化しているのである。このような事態を防ぐためにも抜本的な部活改革が求められる。 内田氏はこのような部活改革によって過熱を抑え、高校で「燃え尽きる」生徒を減らすべきだとも語る。 「部活顧問は『今でも部活の教え子と交流があり、卒業後、飲みに行くほど固い絆で結ばれている』という美談をよく話します。それによって部活は良いものだから全生徒にさせるべきだと思い込むのです。しかし、その美談の裏には苦しくて辞めた生徒や好きだった競技を嫌いになった生徒も大勢いる。そういう生徒は『燃え尽きた。嫌いになった』と言って大学でスポーツをやらないのです。これは、好きでやっていたはずのスポーツや芸術活動を高校でやめさせるという現代の部活の弊害であり、子どもの成長を止める営みです。大学でそのような学生を見ると、私はとても悔しい。部活改革によって、好きなことを一生涯続けていくことができるように大人が道筋をつけていくべきです」 肥大化、複雑化する部活動について提言を行ってきた内田氏だが、「改革まであと一歩」という。 「2015年から問題提起をしてきましたが、地域移行の取り組みなど、よくここまで変わったなと感じます。教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていたということです。ただ、問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」 かく言う筆者も、さまざまな理由により「燃え尽きた」元高校球児である。人ごとではない部活改革の最後の一押しが、『部活動の社会学』となることを期待したい』、「「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります」、「教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていた」、「問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」、革命的な改革だ、
第三に、3月27日付け東洋経済オンラインが掲載したライターの広尾 晃氏による「中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/541746
・『「日本若者協議会」がスポーツ庁に提出した要望書が話題になっている。一部の中学や高校の部活動で、強制加入させる実態があるとして、部活動は任意加入であることの周知徹底などを求める内容だ。 数年前まで、筆者は野球部だけでなく、スポーツ系、芸術系などさまざまな高校部活を取材していた。学校側が推薦する部活指導者の案内で、その活動を取材するのだ。私立も公立もあったし、全国トップクラスの部もあれば、中堅クラスもあった。そうして取材した多くの部活指導者は「部活至上主義」の信奉者のように思えた』、「「部活至上主義」の信奉者」、とはどうも付き合いたくない人たちのようだ。
・『定期考査前でも生徒に「家でしっかり練習しろ」 取材した多くの指導者は、元日とお盆以外のすべての日を部活にささげていた。ある球技の指導者は「最近は定期考査前は休め、と学校から言われるんですが、休むと元に戻すのに時間がかかるから、生徒には家でしっかり練習しろ、テストが終わったらチェックするからな、と言うんですよ」と忌々しそうに言った。 またある武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った。 さらにある公立校の陸上部の指導者は「ボーナスのたびにトレーニング器具を自費で購入して、学校に寄贈しています。私が寄贈した器具だけで、トレーニングジムができましたよ」と言った。 「公立校は転任があると思うのですが?」と聞くと、「それでもいいんです、次の学校でも同じように寄贈しますから」とすがすがしい表情で言った。そういう教員の大部分は、高校時代に同じような熱心な教員の指導のもと、部活中心の生活を送ってきた。「高校時代から恩師の先生のように高校教師になって、部活指導を思い切りやりたいと思っていたんです」とこれまた熱血風に語る先生に何人も出会った。 日本の部活の何割かは、こういう熱血教員に率いられている。野球やサッカーのように競技に打ち込んでいれば、プロに進む道が拓け、大きな成功につながる可能性がある部活だけでなく、卒業後はほとんどが普通に就職するか、教員になるかというような部活でも熱血指導が普通に行われている。 典型的なのが「吹奏楽」だ。全国規模のコンクールが開催され、多くの生徒がこれを目指して日夜練習に励んでいる。「コンクールに強い名指導者」と言われる教員が何人かいて、その教員のもとには評判を聞きつけて、多くの生徒が集まる。公立から私立にスカウトされる指導者もいる』、「武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った」、「熱血教員」による「熱血指導」では、ほどほどなどという言葉は禁物なのかも知れない。
・『高価な楽器を買い与える親も 筆者は大阪市内の老舗楽器店を取材したが、毎年入学式前になると、生徒たちが親と共に店を訪れ楽器を買っていく。「入門コースならこれくらい、と案内するんですが、子どもにねだられてもっと上等な楽器を買う人も多いですね」と楽器店の担当者は言う。大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという。 「高校の吹奏楽部には楽器は一通りそろっているんですが、古くて手入れが不十分な楽器が多いし、自分の楽器でないとしっかり練習できない、というんですね」 練習用の楽器を併せて購入する子もいる。手入れをするための用具も購入する。木管楽器のリードの削り方の指導を受ける生徒もいる。もちろん定期的にチューニングや修理に来る。 「吹奏楽」と言えば「高校野球の応援」と思いがちだが、吹奏楽の強豪校の中には野球などスポーツの応援演奏を迷惑がる指導者もいる。ある学校では「コンクール組」と「スポーツ応援組」に分けて別個の曲を練習していた。ちなみに、その学校の大型金管楽器は「コンクール組」はチューバ、「スポーツ応援組」はチューバより軽量なスーザフォンと使い分けていた。スーザフォンは甲子園のアルプス席でよく見る大きな朝顔型のラッパだ。 武道や球技の部活では「全寮制」の場合も多い。指導者の中には「寮長」として寮に住み込み、生徒と寝食を共にする場合も多い。そして指導者の妻も「寮母」になって生徒の生活面の面倒を見ることがある。まさに家族ぐるみで部活に打ち込んでいるのだ。そういう寮に行くと、なんとなく「相撲部屋」みたいな雰囲気が漂うが、寮母をする指導者の妻は「プライベートなんてありませんよね」と笑う。) 熱心に部活をしてきた人にとって、こういう話は珍しくもなんともないだろう。「何が悪いんだ?私は部活に打ち込んで充実した高校生活を送ってきたんだ」という人もたくさんいる。 こうした指導者は、学校にとっては「教師の鑑」となる場合が少なくない。取材先の校長や教頭は「〇〇先生の指導には頭が下がります。24時間365日、子どもたちのことを考えているんですから」という。部活の熱血指導者を経て、校長や教頭などの管理職になる教員も多い。はたから見れば「ブラック部活」「やりがい搾取」のように思えるが、本人たちにその意識はないのだろう。 行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる。 そして一方で冒頭に上げた「生徒の意思に反して部活に強制加入させるケース」が全国で見られるのだ。部活をさせる親の中には「先生、うちの子は暇だとろくなことをしないから、家に帰ったらくたびれて寝るしかないほど、めいっぱい鍛えてやってください」などという人もいる』、「大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという」、やれやれだ。「行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる」、なるほど。
・『中学から高校の6年間の過ごし方 世間の教師や親の多くは「勉強もしない、部活もしないでゲームをしたり、遊んでばかりいる高校生を絶滅させる」ことを目標にしているかのように思える。 何を隠そう、筆者は怠惰な高校時代を送ってきた。受験にも部活にもそれほど身が入らず、趣味に走ったり無為に多くの時間を空費した。若いころはそのことを後悔したこともあったが、今となってはそういう「バッファー」のような時間も、その後の人生になにがしかの足しになっているのではないかと思う。 中学から高校の6年間は、まさに子どもから大人への移行期であり、毎年のように体つき、容貌が変わり、意識も変化していくときだ。そういう時期に一つの道に打ち込むのも確かに重要かもしれないが、将来への不安や異性への思い、友人や親との軋轢などを経験し、悩み、時間を空費するのも意味がないとは思えない。 この6年間に勉強や部活だけでなく、さまざまな経験をすること、そして悩むことが若者の人格形成に非常に重要なことは、多くの識者が指摘している。 筆者は、有名校だけでなく、定員割れが続いている公立校の部活もいくつか取材した。ある高校の野球部監督は、それまで野球一筋に打ち込んできたが、転任によって部員が2人しかいない高校にやってきた。1人は不登校、もう1人はその友人でアルバイトで学費を稼いでいる。 監督は当初はショックを受けて呆然としていたが、2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた。部活を無断で休んでも決して叱ることなく「出て来いよ」と優しく声をかけた。「2人は部活をしなければ、学校をやめてしまうと思うんです。部活の時間だけでも楽しい思い出を作ってもらって、2人とも卒業してほしい」と語った』、「部員が2人しかいない高校」、「2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた」、2人では試合は出来ないが、ほのぼのした印象を受ける。
・『部活は数ある選択肢の一つ またある公立校の吹奏楽部には、古くて手入れの行き届かない楽器しかない。部員たちはアルバイトの合間に楽器に触りに来る。金管楽器の中には凹んだものもある。 指導者は「コンクールとかはとんでもないので、何とか数曲は演奏できるようにしたいんです。部員たちはクリスマスに近所の老人ホームで慰問のコンサートをやるのが目標です。この学校の子たちは、卒業後の目標がない子が多いのですが、お年寄りが喜ぶ姿を見て、福祉関係に行きたい、と言い出した子どももいます」と言った。 取材を通じて、筆者はそういう「部活」も、全国大会で華々しい実績を上げる「部活」に負けず劣らず大いに意義があると思うに至った。これも「部活」なのだ。 部活は、高校生にとって数ある選択肢の一つにすぎない。そして部活への接し方も、ガチガチの「熱中派」だけでなく、軽い趣味程度のものであってもよいし、文系、スポーツ系を掛け持ちしてもよい。欧米で一般的なようにダブルスポーツもあってもよいだろう。もちろん「帰宅部」も当然ありだ。「このスポーツで一生食っていく」みたいなのは、むしろ例外的だ。一言でいえば部活に大事なのは「ダイバーシティー(多様性)」ではないのか? 結局、「部活の選択」で一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ。大人たちは、さまざまな時間を過ごす高校生に寄り添って、控えめにアドバイスをする存在であることが求められる』、「一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ」、同感である。
タグ:部活動問題 せっかく退部したのに、「同級生から野球部復帰を誘われ」、「マネージャーとして復部」、しかし、「顧問」の冷淡な態度は変わらなかったようだ。 「亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けた・・・原因究明までさらに3年を要した」、異例の長期化だ。 島沢 優子氏による「野球部監督の叱責で16歳少年が自殺、遺族の訴え なぜ彼は死を選び、両親は9年後の今も闘うか」 東洋経済オンライン 「一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ」、同感である。 「部員が2人しかいない高校」、「2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた」、2人では試合は出来ないが、ほのぼのした印象を受ける。 「大きな金管楽器の中には軽自動車のような価格になるものもあるが、買い与える親もいるという」、やれやれだ。「行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる」、なるほど。 「武道系の指導者は「私は結婚してから一度も家族旅行に行ったことがありません。新婚旅行だって2日目には帰ってきて部活の指導をしました。理解ある妻でよかった」と自慢げに言った」、「熱血教員」による「熱血指導」では、ほどほどなどという言葉は禁物なのかも知れない。 「「部活至上主義」の信奉者」、とはどうも付き合いたくない人たちのようだ。 広尾 晃氏による「中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導」 「「部活の主体を学校から地域へ移行することは必須です。学校単位で活動すると、生徒も教員も参加せざるを得なくなります」、「教員の半分が顧問をやりたくないのに部活が過熱している仕組みは異常であり、彼らの声が黙殺されていた」、「問題意識を持っている教員はたくさんいるので、改革までは本当にあと一押しかなと思います」、革命的な改革だ、 「『授業がない夏休みにしか大会ができない』という反論もありますが、それは『大会の犠牲として一定数は熱中症になり、毎年1~2人死んでください』と言っているようなもの。生徒の負担を少なくした安心・安全な設計をした上で、大会は開くべきです」、その通りだ。 「夜まで学校が子どもたちの面倒をみてくれる、あるいは子どもがやりたいことを教員が“タダ”で指導してくれる。保護者は、それが当たり前だと思っていますから、自覚しない形で学校に依存しているのです」、「保護者」の甘えそのものだ。 ダイヤモンド・オンライン「「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員、データで示す驚きの実態とは」 「いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる」、「関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい」、同感である。 「PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた・・・自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した」、なるほど。 「一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面」、しかし「声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった」、「キレ」易さは異常だ。 (その4)(野球部監督の叱責で16歳少年が自殺 遺族の訴え なぜ彼は死を選び 両親は9年後の今も闘うか、「ブラック部活」に苦しむ生徒と教員 データで示す驚きの実態とは、中高の「部活至上主義」がいまだ根強い深刻な実情 テスト前にも「家でしっかり練習しろ」と熱血指導)